第三 明道先生曰道之外無物条  四月二十六日  惟秀録
【語釈】
・四月二十六日…寛政3年辛亥(1791年)4月26日
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

明道先生曰、道之外無物、物之外無道。是天地之閒、無適而非道也。即父子而父子在所親、即君臣而君臣在所嚴。以至爲夫婦、爲幼長、爲朋友、無所爲而非道。此道所以不可須臾離也。然則毀人倫、去四大者、其分於道也遠矣。故君子之於天下也、無適也、無莫也。義之與比。若有適有莫、則於道爲有閒。非天地之全也。彼釋氏之學、於敬以直内、則有之矣。義以方外、則未之有也。故滯固者有入於枯槁、疏通者歸於恣肆。此佛之敎所以爲隘也。吾道則不然、率性而已。斯理也、聖人於易備言之。又云、佛有一箇覺之理。可以敬以直内矣。然無義以方外。其直内者、要之其本亦不是。
【読み】
明道先生曰く、道の外に物無く、物の外に道無し。是れ天地の閒、適[ゆ]くとして道に非ざるは無きなり。父子に即[つ]きて父子は親む所に在り、君臣に即きて君臣は嚴にする所に在り。以て夫婦爲り、幼長爲り、朋友爲るに至るまで、爲る所として道に非ざるは無し。此れ道の須臾も離る可からざる所以なり。然らば則ち人倫を毀[こぼ]ち、四大を去る者、其の道に分かるや遠し。故に君子の天下に於るや、適無きなり、莫無きなり。義に之れ與比[くみ]す。若し適有り莫有らば、則ち道に於て閒有りと爲す。天地の全きに非ざるなり。彼の釋氏の學は、敬以て内を直くするに於ては、則ち之れ有り。義以て外を方にするは、則ち未だ之れ有らざるなり。故に滯固なる者は枯槁[ここう]に入り、疏通なる者は恣肆[しし]に歸す。此れ佛の敎の隘爲る所以なり。吾が道は則ち然らず、性に率うのみ。斯の理や、聖人易に於て備[つぶさ]に之を言えり。又云う、佛に一箇の覺の理有り。以て敬以て内を直くす可し。然れども義以て外を方にするもの無し。其の内を直くする者は、之を要するに其の本亦是ならず、と。
【補足】
・この章は、程氏遺書四にある。

先つ此語が何もかもかいさらった語ぞ。異端を弁ずる為めに云たことではなくて、此方のために云たこと。此語を明道の発明なぞと見るは却て目のたぎらぬのなり。孔子の一隂一陽之謂道も中庸の天命之謂性も、舜使契司徒も周礼三百官を制されたも皆このことぞ。道之外無物物之外無道は平実なこと。平実なことは変らぬ。そこを中庸と云。中庸は異端に對した書ぞ。そこで何もかもかっさらへたと云ことぞ。道之外無物物之外無道は手もないことで、目をあいて見た処が天地の間が物だらけ。一切衆生万物が皆道のあらはれたこと。然れば物をはなれると云ことはない。上天之載無聲無臭、無極而太極は形ない。其形ないものも物の上にある。物は道のあらはれたもの。道は物の上にある。垩人の道と異端の道と別な処はここぞ。さて又まがうと云あやはどっちも形はないと云処ぞ。だたい物に道はある。がんざりとしたこと。無声無臭なものを道とすると云て、見へぬものを道と尋ることではない。やっはり物の上にある。それ、そこにある。吾れ不知に道はある。百姓日用不知。物の上にあるがすぐに道なれば、天地の間皆道なり。適而無非道。迂斎の、どこへゆきてもかしこへ行ても右も左もどちらを見てもと云ことじゃ、と。それも物にかかりて云がよい。山を見ても川を見ても万象目に見へるものに道のないものはない。
【解説】
「明道先生曰、道之外無物、物之外無道。是天地之閒、無適而非道也」の説明。道の外に物はなく、物の外に道はない。万物は皆道の現れある。そこで、道は探し尋ねるものではない。
【通釈】
先ずこの語が何もかも掻っ攫った語で、これは異端を弁じるためではなく、こちらのために言ったこと。この語を明道の発明などと見ては却って目が滾らない。孔子の「一陰一陽之謂道」も中庸の「天命之謂性」も、「舜使契司徒」も周礼三百官を制されたも皆このこと。「道之外無物物之外無道」は平実なこと。平実なことは変らない。そこを中庸と言う。中庸は異端に対した書である。そこで何もかも掻っ攫ったと言うのである。道之外無物物之外無道はわけないことで、目を開けて見た処の天地の間が物だらけなこと。一切衆生万物が皆道の現れたこと。それなら物を離れるということはない。「上天之載無声無臭」で「無極而太極」に形はない。その形ないものも物の上にある。物は道が現れたもの。道は物の上にある。聖人の道と異端の道との別な処はここ。さてまた紛う綾はどちらも形がないという処にある。そもそも物に道があるのははっきりとしたこと。無声無臭なものを道とすると言い、見えないものを道かと尋ねるのではない。やはり物の上にある。それ、そこにある。我れ知らずに道はある。「百姓日用不知」。物の上にあるのが直に道だから、天地の間は皆道である。「適而無非道」。迂斎が、何処もかしこも右も左もどちらを見てもということだと言った。それも物に関連して言うのがよい。山を見ても川を見ても万象目に見えるものに道のないものはない。
【語釈】
・一隂一陽之謂道…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣」。
・天命之謂性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離、非道也」。
・舜使契司徒…孟子滕文公章句上4。「聖人有憂之、使契爲司徒、教以人倫。父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信」。
・上天之載無聲無臭…中庸章句33。「詩云、德輶如毛。毛猶有倫。上天之載、無聲無臭。至矣」。
・無極而太極…道体1の語。
・百姓日用不知…孟子告子章句下2集註。「楊氏曰、堯舜之道大矣。而所以爲之、乃在夫行止疾徐之閒、非有甚高難行之事也。百姓蓋日用而不知耳」。易経繋辞伝上5(前出)にもある。

即父子有所親云々。これらをわるくみて異端へたたったことと見ると却て靣白ない。異端のない前からかふみることぞ。異端を訶ると見るでなく、此方のこと。舜命契曰云々。君臣父子夫婦長幼朋友の五品にすぐに親義別序信の自然な五典はある。そこが道なり。君のない家来もなく、父のない子もなく、其以下も皆物なり。これで道をさがすことの、どの様なものだのと云ことはとんと入らぬ。ここをまた学問じゃのと云様な教の処へやらずに説くがよい。若ひ息子などがよく寐るもの。耳をひいても目はさめぬに、替ったもので親が大病だと云ておこすとじきに目はさめる。それがこふするものだの、こはいものだのと云ことはとんと入らず、そふなり。すれば道はどこじゃと尋るはよそ々々しい。父子と云は天窓のはげた親父に若ひ息子なり。どちも物じゃ。なれとも親の病氣にははっと云処に道はある。
【解説】
「即父子而父子在所親」の説明。昔から五品はあり、それには自然に五典が備わっている。それが道である。
【通釈】
「即父子有所親云々」。これ等を悪く見て、異端へ祟ったことだと見ると却って面白くない。異端のない前からこの様に見るのである。異端を訶ることと見るのでなくて、こちらのこと。「舜命契曰云々」で、君臣父子夫婦長幼朋友」の五品に、直に親義別序信という自然な五典はある。そこが道である。君のない家来はなく、父のない子もなく、それ以下も皆物である。このことから、道を探したり、どの様なものだろうと言うのは全く不要なのである。ここをまた学問という様な教えの処へ遣らずに説くのがよい。若い息子などがよく寝るもの。耳を引っ張っても目が醒めないのに、変わったもので親が大病だと言って起こすと直ぐに目が醒める。そこを、こうするものだの、恐いものだのと言うのは全く要らず、そうなる。そこで、道は何処だと尋ねるのはよそよそしい。父子とは頭の禿げた親父と若い息子のことで、どちらも物である。しかしながら、親の病気にはっと言う処に道がある。
【語釈】
・舜命契曰…書経舜典。「帝曰、契。百姓不親、五品不遜、汝作司徒、敬敷五教在寬」。
・五典…書経舜典。「愼徽五典。五典克從」。書経皋陶謨。「天敘有典。敕我五典五惇哉」。

君臣有所嚴。御成觸のなんのと云が、此方がうのみに合点しても、どうもやりばなしにはならぬ。どの様な車軸を流す雨でも御成御延引仰出されのない中は御供がそろって待ておら子ばならぬ。そこが嚴ぞ。今田舎の主従は家来も旦那も泥の中に一つになってをる。嚴はない様なれども何ぞのとき、をのれ家来の身としてといふと大がいな横着ものも色青ざめる。上一人から下々迠君臣の義がはへぬきなり。夫婦長幼朋友。それ々々皆そふだと、是は詞をぬいた書きやうなり。さて説きのべると夫婦の間の和したものと云中にも只でないものがある。それ々々にあたりはある。それが道の道たる処ぞ。それ々々道理がしゃんと僃てある。これを思へばどふでもよいと云ことなぞがないことぞ。
【解説】
「即君臣而君臣在所嚴。以至爲夫婦、爲幼長、爲朋友、無所爲而非道」の説明。どの五品にも道理が備わってある。よって、それをどうでもよいと思ってはならない。
【通釈】
「君臣有所厳」。御成触れの何のということは、自分がそれを鵜呑みにしたとしても、どうも遣りっ放しではならない。どの様な車軸を下す雨でも御成御延引を仰せ付けられない内は、御供は揃って待っていなければならない。そこが厳である。今田舎の主従は家来も旦那も泥の中に一つになっていて厳はない様だが、何かの時にお前は家来の身のくせにと言われれば、横着者もその殆どが青ざめる。上一人から下々までに君臣の義が生え抜きである。「夫婦長幼朋友」。それぞれに皆そうだと、ここは言葉を抜いた書き様である。さて説き延べると夫婦の間の和したものという中にも大したことがある。それぞれに当たりはある。それが道の道たる処である。それぞれに道理がしっかりと備わってある。これを思えばどうでもよいと言うことなどはない。
【語釈】
・車軸を流す…雨が車軸のような太い雨足で降ること。大雨の形容。

此道所以不可須臾離也。子思が性道教を語りて、跡へ道者不可須臾離と工夫へかかる。さかいめへ出したが面白ひ。離れられぬものを学ぶことゆへこちに間断がありてはならぬ。孔子の逝者如斯乎不舎昼夜と云も、只せいを出せと云ことばかりを持出して云たことではない。爰は道がないからよい加減にしておけと云ことのならぬことがみへる。してみれば垩人の道に捨る処と云ことはない。向にも道があり、こちにも道がある。そこで離れぬ様にすること。異端は観世が一世一代と云様なり。よい処を々々々々と取りたがるのぞ。さて是までの程子の語が異端氣なしに云たもの。とんと此方はこれだからよく合点せよ。こちのを合点すれば悟るのなんのと云様なことはない。今そこにあること悟るは謎語を解く様なもの。五兵衛を五兵衛、白を白と云に悟ると云ことは入らぬ。須臾不可離が道ぞ。然則。本のは斯ふだに異端なぞがをかしいとなり。毀人倫。朱子のたった一と口に佛は不耐煩底の人と云れた。なる程人倫煩しいもの。親が病氣、子の疱瘡、嫁女の臨月、さて々々うるさいとて人倫を毀りた。さてもきついものを毀りた。天地自然はへぬきのものをつぶすことゆへ、釈迦なぞでなくては毀られはせぬ。大抵のすさまじいことではない。釈迦が人倫さへあるまいなら、天から拜領のものを丸でさへ々々としてをかるると見たもの。
【解説】
「此道所以不可須臾離也。然則毀人倫」の説明。道は絶えず離れずにあるから、これに間断があってはならず、離れない様にする。異端はよい処だけを取りたがる。「須臾不可離」が道だから、仏の様に、敢えてそれを悟ると言う必要はない。
【通釈】
「此道所以不可須臾離也」。子思が「性道教」を語り、その後へ「道者不可須臾離」と、工夫へ掛かる境目にこれを出したのが面白い。離れられないものを学ぶことなので、こちらに間断があってはならない。孔子が「逝者如斯乎不舎昼夜」と言ったのも、ただ精を出せということばかりを持ち出して言ったことではない。ここは道がないからよい加減にして置けとは言えないというのが見える。聖人の道に捨てる処はないのである。向こうにも道があり、こちらにも道がある。そこで離れない様にする。異端は観世が一世一代と言う様なもの。よい処を取りたがる。さてここまでの程子の語は異端気なしに言ったもの。こちらはすっかりとこれだとよく合点しなさい。こちらのことを合点すれば悟るの何のと言う様なことはない。今そこにあることを悟るのは謎語を解く様なもの。五兵衛を五兵衛、白を白と言うのに悟るということは要らない。須臾不可離が道である。「然則」。本当のことはこうなのに、異端などは可笑しいことだと言った。「毀人倫」。朱子が「仏不耐煩底人」と、たった一口で言われた。なるほど人倫は煩いもの。親の病気、子の疱瘡、嫁女の臨月、本当に煩いと言って人倫を毀った。実に大変なものを毀った。それは天地自然生え抜きのものを潰すことなので、釈迦などでなくては毀られはしない。大抵の凄まじいことではない。釈迦は、人倫さえなければ天から拝領のものをそのまま冴え冴えとして置けると見たのである。
【語釈】
・逝者如斯乎不舎昼夜…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」。
・不耐煩底…

去四大。人倫は向にある。四大はこちのもの。人倫を毀りてもまだ足らぬと工夫したもの。四大は地水火風。地に水がつき風が付く。つまり人では魂魄なり。わけて云へば地はからだ、水は血、火はたましひ。はたらき呼吸は其風なり。隂血の活流と陽氣の発動、これがはなれずべったりと附てをると生れ、はなれると死ぬ。此の骸のあるできたない心が出来て、凡夫は一生それにからまれて居る。そこでそれを空と見たもの。じきにとどなくなるものなれば、大事にかけるものではないと見たなり。されとも毀人倫去四大は、半分は成て半分はならぬと云ものなり。今の出家も毀人倫はなるが、去四大ことは一向ならぬ。四大を馳走してをる。釈迦は鉢の子を持て熟食を乞て一日に一度喰ふ。今の人もみよ、食物多く喰ふと睡くなる。そこを睡欲とも云。きつい工夫なり。疂の上には寐ぬ。樹下に不三宿。あそこの松はよいと思とはや執着になるとこらしたもの。それが去四大の稽古なり。そこで一つこちから聞には何のために毀人倫去四大と云に、心の為めなり。人の尊ひは心なり。その心を本尊とし、心の靈妙なものを得ると佛心佛性なりと云ふ。これ、我に不生不滅なものを持てをる。其不生不滅なものの引るるは四大人倫なり。そこてこれを打たをしてしまう。つまりこれをのけると則心則仏、あとは取て打やる。ここに楷級はなし。不生不滅なものさへなくさ子ばよいと云こと。そこで精出して四大を去ふとするなり。それがよいにもしてやろふが四大去られぬもの。人倫毀る筈はないなり。
【解説】
「去四大者」の説明。「四大」は地水火風である。四大が付けば生で、離れると死となる。仏はそれが結局はなくなるものだから大事ではないとして捨て、不生不滅なものだけを尊ぶ。しかし、人は人倫を毀ることも四大を去ることもできないものなのである。
【通釈】
「去四大」。人倫は向こうにあって、四大はこちらのもの。これは人倫を毀ってもまだ足りないと工夫をしたもの。四大は地水火風。地に水が付き風が付く。つまり人では魂魄のこと。分けて言えば地は体で水は血、火は魂。働く呼吸は風である。陰血の活流と陽気の発動、これが離れずべったりと付いていると生まれ、離れると死ぬ。この骸があるから汚い心ができ、凡夫は一生それに絡まれている。そこで仏はそれを空と見た。結局、やがてはなくなるものなのだから、大事に思うものではないと見た。しかし、「毀人倫去四大」は、半分は成って半分は成らないというもの。今の出家も毀人倫はできるが去四大は一向にできず、四大を馳走している。釈迦は鉢の子を持ち熟食を乞うて一日に一度喰う。今の人を見なさい。食物を多く喰うと睡くなる。そこを睡欲とも言い、厳しい工夫である。畳の上には寝ない。樹下に三宿せず。あそこの松はよいと思えば、それは直ぐに執着になると懲らしたもの。それが去四大の稽古である。そこでこちらから一つ何のために毀人倫去四大なのかと聞くと、それは心のためだと答える。人の尊いのは心であって、その心を本尊として心の霊妙なものを得ると、それが仏心仏性だと言う。それでは自分に不生不滅なものを持っていることになる。その不生不滅なものが引かれるのが四大人倫である。そこでこれを打ち倒してしまう。つまりこれを除けると則心則仏だから、他は取って打ち遣る。ここに段階はない。不生不滅なものさえなくさなければよいということ。そこで精を出して四大を去ろうとする。それがよいことだとしても四大は去ることのできないもの。人倫を毀ることができる筈はない。
【語釈】
・鉢の子…托鉢の僧が持って歩く鉄鉢。
・熟食…よく煮た食物。また、それを食べること。

其分於道也遠し。大きな了簡違なり。此方は文王有病則武王不脱冠帯而羪王季有病則文王色憂行不能正履。文王が病人のやうに足のふみとめもなくひょろ々々々して苦労をする。足元さへそれじゃ。さぞ心ももめたであろふ。もめべき時はもめるが垩人の道ぞ。親の死だときに、人も終には死と云は知れたことだに復びと云ことがある。死人の衣であをいで某の人復れ々々と云。それからして又大泣きに泣く。それが道なり。去四大毀人倫の稽古をするが片ひらで小さい。垩人は全ひ。異端はよい処計り分けて取ふとする。爰の分るの字を一本には戻るとある。これはよくきこへるが、意の深長は却て分るると云方がよい。垩人の方は大は天地、小は微物迠、語大則天下無能載焉語小則天下無能破焉だに、異端は只吾一心のちらりとした灵妙を見て、それを宝物に仕やうとする。見もせふが、それは程朱所謂影子なり。中庸や易で云ふ知者の過之なり。知者見之謂知もやっはり全躰でない。此方は大哉垩人之道洋々乎発育萬物峻極天優々大哉礼義三百威儀三千、殘る処のない道そ。それを片へらをみれは分於道なり。
【解説】
「其分於道也遠矣」の説明。心が揉める時は揉めるのが聖人の道である。聖人の道は全いものだが、異端の道は霊妙なものという一片しか見ていない。
【通釈】
「其分於道也遠」。大きな了簡違いである。こちらは「文王有病則武王不説冠帯而養王季有病則文王色憂行不能正履」であって、あの文王でも病人の様に足の踏み止めもなくひょろひょろとして苦労をする。足元でさえそれである。さぞ心も揉めたことだろう。揉めるべき時は揉めるのが聖人の道である。親の死んだ時も、人も終には死ぬということはわかり切ったことだが、復びということがある。死人の衣で扇いで私の人復れと言う。それからまた大泣きに泣く。それが道である。「去四大毀人倫」の稽古をするのは偏っていて小さい。聖人は全い。異端はよい処ばかりを分けて取ろうとする。ここの分るの字を一説には戻るともあり、それでもよくわかるが、意の深長からは却って分るという方がよい。聖人の方は大は天地、小は微物まで、「語大則天下莫能載焉語小則天下莫能破焉」なのに、異端はただ自分一心のちらりとした霊妙を見て、それを宝物にしようとする。霊妙を見るとしても、それは程朱の言う影子であって、中庸や易で言う「知者過之」や「知者見之謂知」もやはり全体のことではない。こちらは「大哉聖人之道洋々乎発育万物峻極天優々大哉礼義三百威儀三千」で、残す処のない道である。それなのに、一片を見るだけであれば分於道である。
【語釈】
・文王有病則武王不脱冠帯而羪王季有病則文王色憂行不能正履…礼記文王世子。「文王色憂、行不能正履。…文王有疾、武王不説冠帶而養」。
・語大則天下無能載焉語小則天下無能破焉…中庸章句12。「天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉」。
・知者の過之…中庸章句4。「子曰、道之不行也、我知之矣。知者過之、愚者不及也。道之不明也、我知之矣。賢者過之、不肖者不及也。人莫不飮食也。鮮能知味也」。
・知者見之謂知…易経繋辞伝上5。前出。
・大哉垩人之道洋々乎発育萬物峻極天優々大哉礼義三百威儀三千…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百威儀三千。待其人而後行」。

君子之於天下也無適無莫也を火事に見ることぞ。垩賢の語には天下々々と云ことが沢山ある。骸一つのことではない。天下へひろがること。それが世の中をどう渡って通ると云に、是非斯ふせふの是非こふすまいのと云ことはないに、釈迦などの雪山へ往たは適莫のまつ始めなり。富貴も妻子も捨たから欲はない様に見へるが、一己の私に上もないことぞ。妻子があれば迷ふ。富貴には心が奪われる。そこでせめにせふと云。適莫ぞ。人倫は天地にそなわりたこと。垩人の道は能言男唯女兪、それから出就外傅三十而有室四十始仕七十致事まで紋切形の急度ときまったこと。秤の一分一厘物さしの一寸一分ぬきもさしもならぬ。そこで義與之比とは云たもの。於道為有間非天地之全。垩人の道は四時なり。夏もあれば冬もある。彼釋氏之学。これからは一と立て摸様をかへて説くことなり。是迠は異端全体を辨じたこと。これからは佛が見様が見様ゆへ、見処が違ふから所行も違ふと云ことを説たもの。ふりをかへたと云がどふなれば、これからは此方の全いと云ことを本尊にして云ことぞ。天があれば地があり、昼があれば夜がある。明徳があれば新民がある。敬があれば義がある。此方は二つ揃った道なり。あちは道に分るるから、そこで釋氏之学と云は半分じゃ。
【解説】
「故君子之於天下也、無適也、無莫也。義之與比。若有適有莫、則於道爲有閒。非天地之全也。彼釋氏之學」の説明。聖人は道に従うだけで私はない。釈迦は煩いを逃れて雪山に行ったが、それはこの上ない私であり、適莫である。人倫は天地に備わったことで、生まれてから死ぬまで定まったことである。また、釈氏の学は片吊りだが、聖学は天地、昼夜、明徳新民、敬義と絶えず二つ揃っている。
【通釈】
「君子之於天下也無適無莫也」は火事にたとえることができる。聖賢の語には天下ということが沢山あり、自分の骸一つのことではない。それは天下へ広がること。それが世の中をどの様に渡って通るかと言えば、是非こうしようとか、是非こうはしないようにしようと言うことはない。釈迦などが雪山へ行ったのが適莫の先ずは始めである。富貴も妻子も捨てたから欲はない様に見えるが、一己の私はこの上ないこと。妻子があれば迷う。富貴には心が奪われる。そこで責めとしようと言う。それが適莫である。人倫は天地に備わったこと。聖人の道は「能言男唯女兪」で、それから「出就外伝三十而有室四十始仕七十致事」まで、紋切り型でしっかりと決まったこと。秤の一分一厘、物差しの一寸一分も抜き差しはならない。そこで「義與之比」と言う。「於道為有閒非天地之全」。聖人の道は四時のこと。夏もあれば冬もある。「彼釈氏之学」。これからは一つ模様を変えて説く。これまでは異端全体を弁じたが、これからは仏の見様が見様なので、見処が違うから行く所も違うということを説いたもの。説き方を変えたというのはどういうことかと言うと、これからはこちらが全いということを本尊にして言ったのである。天があれば地があり、昼があれば夜がある。明徳があれば新民がある。敬があれば義がある。こちらは二つ揃った道だが、あちらは道に分れがあるから、そこで釈氏の学は半分なのである。
【語釈】
・君子之於天下也無適無莫也…論語里仁10。「子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之於比」。
・能言男唯女兪…礼記内則。「子能食食、教以右手。能言、男唯女俞。男鞶革、女鞶絲」。
・出就外傅三十而有室四十始仕七十致事…礼記内則。「十年、出就外傅。居宿於外、學書記。衣不帛襦褲。禮帥初、朝夕學幼儀。請肄簡諒。十有三年、學樂誦詩、舞勺、成童、舞象、學射御。二十而冠、始學禮。可以衣裘帛、舞大夏。惇行孝弟、博學不教、内而不出。三十而有室、始理男事。博學無方、孫友視志。四十始仕、方物出謀發慮、道合則服從、不可則去。五十命爲大夫、服官政。七十致事」。

敬以直内則有之。よかれあしかれあの方も心をみがくことはある。これをかれやこれや長く云ことは入らぬ。物を弁するには細かに云はわるい。さきをたすけて弁ずるがよい。敬以直内は孔子の坤の卦て云た大事なこと。心の工夫なり。あちもそれめいたことはあろふが、方外、わざの上のことはない。方外は外へあらわれた身持の上を道理に叶はせること。内をよくしておいて外へかかる。又行義からよくしてゆくで内がよくなる。内外交羪ふ。片々てすてられぬことだに、あちでは先づたんてき毀人倫去四大。方外のことは皆打こわしてしまふ。方外は我身の上からして父子兄弟の間に云分んなくよくすること。これが天地自然なりのよい手本だに、半分すててしもふ。
【解説】
「於敬以直内、則有之矣。義以方外、則未之有也」の説明。仏も心を磨くと言うが、彼等は「直内」はしても「方外」という業をしない。外のことは打ち壊してしまうのである。直内方外は天地自然な手本だから、内外交々で養わなければならない。
【通釈】
「敬以直内則有之」。善かれ悪しかれあちらも心を磨くことはあるが、これをかれこれと長く言う必要はない。物を弁じる際は、細かに言うのは悪く、相手を援けながら弁じるのがよい。敬以直内は孔子が坤の卦で言った大事なことで、心の工夫である。あちらもそれめいたことはあるだろうが、「方外」という業の上のことはない。方外は外へ現れた身持ちの上のことを道理に適わせること。内をよくして置いて外へと掛かる。また、行儀からよくして行くので内がよくなる。内外交々養。片々にして放っては置けないことなのに、あちらでは先ず端的には「毀人倫去四大」をする。方外のことは皆打ち壊してしまう。方外とは、自分の身の上から始まって、父子兄弟の間も言い分なくよくすること。これが天地自然の通りのよい手本なのに、半分を捨ててしまう。
【語釈】
・敬以直内…易経坤卦文言伝。「直其正也、方其義也。君子敬以直内、義以方外」。

故滞固者云々。それであの方の下によいものが出来ても本道の天地自然のよい処へ届くことがならぬと云ことをこれから云たもの。教が本道にないからなり。物に泥んで働きの無いものを滞固と云、其様なものが仏学をすると枯槁になる。枯槁は二字ながら枯れ木と云こと。生きた氣のない、うるをいのない底ぞ。戒律の僧などが此のていなり。律僧が五百戒を持ちて鶉焼も鶉と云字の付で殺生になるとて喰はぬとなり。さて々々滞りなり。それでは佛心の光明赫爍いき々々とした処をみることはなるまい。又或醫者が律僧の療治をしたに、いくら用ても藥がきかなんだ。なせなれば、病因こうしたことでござろふと云は子ば答へぬ。行をした僧ゆへになり。不問則不語と云戒がある。病症を云ぬから療治はならぬ。外の医者が病根を云あてたればさうだと答へた。それからずら々々と藥がきいたとなり。口ちはものを云ために、それでは人に生れた甲斐はない。とど道が偏ゆへ偏な人物より外は出来ぬ。
【解説】
「故滯固者有入於枯槁」の説明。仏の教えは本当のものではないから行き着くところも悪い。「滞固」から「枯槁」となっては仏心の赫爍とした光明を見ることはできない。結局は道が偏なので偏な人となる。
【通釈】
「故滞固者云々」。それで、あちらの下によいものができても、本当の天地自然のよい処へ届くことができないとこれから言う。それは教えが本物でないからである。物に泥んで働きのないものを「滞固」と言い、その様な者が仏学をすると「枯槁」になる。枯槁は二字共に枯木ということ。生きた気のない、潤いのない様で、戒律の僧などがこの態である。律僧が五百戒を持って、鶉焼きも鶉という字が付いているので殺生になるから喰わないと言う。全くの滞りである。それでは仏心の光明の赫爍活き活きとした処を見ることはできないだろう。また或る医者が律僧の療治をしたところ、いくら薬を用いても効かなかった。それは何故かと言うと、病因はこうしたことかと聞かなければ答えないからで、彼は行をした僧だったからである。「不問則不語」という戒めがある。病症を言わないから療治ができない。外の医者が病根を言い当てるとそうだと答えた。それからはよく薬が効いたそうだ。口はものを言うためにあるが、それでは人に生まれた甲斐はない。結局は道が偏なので偏な人物だけができる。
【語釈】
・五百戒…比丘尼の守るべき戒律。
・鶉焼…餅菓子の名。皮薄く塩餡を入れた餅を焼鍋の上でこげ目をつけて焼いたもの。

疏通者皈於恣肆。ものの筋のつくことを疏通と云。櫛が毛筋をとをすていなこと。知者の底なことなり。其疏通が仏学をするといよ々々片々ずる。てっへんへのぼるやふになる。垩人の学は疏通にはそれによい藥をもることじゃが、あちは片ひらゆへ蜆子[けんす]が蝦を釣の、六祖が肉邊の菜と出る。此の国で一休が蜷川が女房の背をたたいたのと埒もないことがよいになる。悟ると云こと合点ゆかぬことなり。猫をきってもみる。何のことぞ。外を方にするの教がないからなり。名僧に盗をしたはないけれとも、何をしてもよいになる。あちの細工では枯槁が恣肆より外になる成り様はない。此佛之教所以爲隘也。天地の全ひと云字をどこ迠もかけて見ることぞ。佛法にたとへ氣質変化底なことがあろふとも、教の片々ゆへ只生れのままのことになる。天地へ差上る様な至善につまる人品は出来ぬ。迂斎の、仏は教が偏だから成就も偏だと云た。手短なよい弁なり。
【解説】
「疏通者歸於恣肆。此佛之敎所以爲隘也」の説明。仏は疏通すると恣肆に帰す。それは方外の教えがないからである。仏法にたとえ気質変化風なことがあったとしても、教えが偏なのでただ生まれたままのことになり、至善に詰まった人品はできない。迂斎が、仏は教えが偏だから成就も偏だと言った。
【通釈】
「疏通者皈於恣肆」。ものに筋が付くことを疏通と言う。これは櫛で毛筋を通すことではない。知者の様なこと。その疏通の者が仏学をするといよいよ偏になり、天辺へ登る様になる。聖人の学は、疏通に対してよい薬を盛ることなのだが、あちらは偏なので、蜆子が蝦を釣るとか、六祖が肉辺の菜などと言う。この国でも、一休が蜷川の女房の背中を叩いたという埒もないことがよいことになる。悟るということに合点が行かない。猫を斬ってもみる。それは何事か。外を方にする教えがないからである。名僧に盗みをした者はいないが、何をしてもよいことになる。あちらの細工では、枯槁か恣肆以外になることはない。「此仏之教所以為隘也」。天地の全いという字を何処までも掛けて見なさい。仏法にたとえ気質変化風なことがあろうとも、教えが偏なのでただ生まれたままのことになる。天地へ差し上げる様な至善に詰まる人品はできない。迂斎が、仏は教えが偏だから成就も偏だと言った。手短かなよい弁である。
【語釈】
・蜆子が蝦を釣…蜆子は、中国五代の禅僧で奇行の目立った人。毎日蝦を獲っては食べていた。
・六祖が肉邊の菜…六祖法寶壇經。「毎至飯時、以菜寄煮肉鍋。或問、則對曰、但喫肉邊菜」。
・猫をきってもみる…南泉斬猫。禅家公案の一。唐の南泉禅師が猫の子を斬った故事に基づく。

吾道則不然。これがたっふりとした語立で、ゆっくりと吾が方を云た。直方先生の、今の儒者の仏法を弁ずるは五良朝比奈の草摺引の様じゃと云れた。あのあやを知ろふことぞ。それでは两方ごかくの力づよと云ので、どちがまけるも知れぬ。そんなことではない。吾道は率性而已。これが流義だと云のなり。性は大学の序に云ふ仁義礼智。仁と云ほや々々したものも、義と云切れるものも、礼と云次第恰好のあるものも、智と云灵妙なものもある。色々のものを一つにしたことゆへ、どの様なものと云ことは云れぬ。太極圖説に其発之也仁其裁之也義、何でもかでも出る。垩人の方は大名の振舞、仏の方は行徳の温飩屋、いつでも温飩なり。率性と云はあれ見よ、知の出合もある。仁の出合もある。佛の性と云は只一つよい道具を持た様なもの。茶人の茶碗一つを大事がるのぞ。大名の処には官服も数鎗も金屏風も幕もある。斯理也垩人於易備言之。何もかもある。元祖を易で示された。この句を上で敬義内外のことを云たから、あのことをさしてむすんだと見るは甚わるい見様じゃぞ。あそこの敬義のことは一寸云たこと。爰は惣射をくくって云たこと。易をあけて見ろ。どこと云ことはない。こちのはたっふりとしたこと。易は隂陽で、それから寒暑昼夜、大名の土用干、何もかもある。隠者などならあの道具が一つよいのだの、此の掛物が一幅よいのと云てもあろふが、大名はそんなことではない。一寸をらが土用干をのそいてみやれ、なんでも無いものはない。天地の全なり。そこが易の書にあるじゃてと云たこと。
【解説】
「吾道則不然、率性而已。斯理也、聖人於易備言之」の説明。聖学は「率性而已」である。性とは仁義礼智であり、何もかもがある。それは易に全てが備わっているのと同じである。
【通釈】
「吾道則不然」。これがたっぷりとした語立てで、ゆっくりと自分の方のことを言ったもの。直方先生が、今の儒者が仏法を弁ずるのは曾我五郎と朝比奈の草摺引の様だと言われた。あの綾を知りなさい。両方が互角の力強さなので、それではどちらが負けるのかわからない。そんなことではない。我が道は「率性而已」。これが流儀だと言う。性は大学の序に言う仁義礼智である。仁というほやほやしたものも、義という切れるものも、礼という次第格好のあるものも、智という霊妙なものもある。色々なものを一つにしたので、どの様なものだとは言えない。太極図説に「其発之也仁其裁之也義」とあり、何もかもが出る。聖人の方は大名の振舞いで、仏の方は行徳の饂飩屋。いつでも饂飩である。率性はあれを見なさい。知の出合いもあり、仁の出合いもある。仏の性はただ一つよい道具を持った様なもの。茶人が茶碗一つを大事がるのと同じである。大名の処には官服も数鎗も金屏風も幕もある。「斯理也聖人於易備言之」。何もかもある。その元祖を易で示された。この句は上で敬義内外のことを言ったので、あのことを指して結んだと見るのは甚だ悪い見方である。あそこの敬義は一寸言っただけのこと。ここは全体を括って言ったこと。易を開けて見なさい。何処ということはない。こちらのはたっぷりとしたこと。易は陰陽で、それから寒暑昼夜、大名の土用干しには何もかもある。隠者などならあの道具が一つよいとか、この掛け物一幅がよいなどと言うのだろうが、大名はそんなことではない。一寸俺の土用干しを覗いて見なさい、何も無いものはない。天地の通りに全い。そこが易の書にあると言ったのである。
【語釈】
・草摺引…歌舞伎舞踊の一系統。長唄・荻江節。曾我五郎が朝比奈と鎧の草摺を引き合う荒事風江戸所作事で、草摺引物と総称。
・性は大学の序に云ふ仁義礼智…大学章句序。「蓋自天降生民、則既莫不與之以仁義禮智之性矣」。
・其発之也仁其裁之也義…朱子太極図説解。「蓋人稟陰陽五行之秀氣以生、而聖人之生、又得其秀之秀者。是以其行之也中、其處之也正、其發之也仁、其裁之也義」。

注。又云佛有一箇覚之理。此小書きを引たが殊の外丁寧なことなり。似た様なことをひかれた。敬以直内、それめいたことあると云てたすけてをいて弁するが本文の語意ぞ。あらく云たもの。小書の方は、たとへそれめいたことがあったとて、それぐるみ役に立ぬとこまかに丁寧を云たことなり。覚の字が仏の字の字注なり。佛を大覚と云てある。全体覚と云が天から下された灵妙なものを悟ることなり。そんなものがあるとも知らずにおるが凡人のなりなり。佛道と云は覚るなり。これが禅にも限らず諸宗にあること。何と教を立てやふとも、心を主にするからは覚ると云理はあること。可以敬以直内矣云々。直内はつまり欲を無くして心の掃除するにつまれば、佛へもかして用らるる。そこてあちの覚ると云が敬以直内、心の掃除のことになる。可以と云語意はまあかり入れもなる、持て行たらつかはれもせふと云こと。それは成ろふけれとも、こちは義以方外两掛の挾筥にしておるに、この外を方の方は借さうと云ても間に合ふまい。なぜ親の病氣に遠方へ行く。元日になぜ礼に出ぬ。外を方がないと斯ふつめておいて、煙草を一服呑で跡を云た語意なり。要之其本亦不是。内外は自然なり。引切ってすることはならぬ。腫れ物は内の搆ひはなさそうなものだに、食が喰へぬ。敬以直内はしても、本がそでないから其直内のふりが違ふぞ。今日あの男は親の病氣の時は麁末にするが、旦那の病む時はさて々々よくすると云ふ。片方でもよいはよいがよけれども、本とないことじゃ。それは本不是なり。内外は一つなもの。欲知忠臣求於孝子之門なり。たたいほんのことは事親孝矣忠可移於君なり。又佛に克己底なことはありても復礼がないと云へとも、内外揃ぬゆへ其克己ぐるみ本手でない克己ゆへやくにたたぬ。それめいたことがあろふとも、めいたぐるみ役に立ぬ。
【解説】
又云、佛有一箇覺之理。可以敬以直内矣。然無義以方外。其直内者、要之其本亦不是」の説明。「覚」とは天から下された霊妙なものを悟ることで、仏道は覚ることである。仏も「敬以直内」は欲をなくして心の掃除をすることだからすることができるが、もう一方の「義以方外」をすることはできない。この内外は離すことのできないものだから、仏のすることは本から役に立たないのである。
【通釈】
注。「又云仏有一箇覚之理」。この小書を引いたのが殊の外丁寧なこと。似た様なことを引かれた。「敬以直内」めいたことがあると言って援けて置いて、仏を弁じるのが本文の語意であり、粗く言ったもの。小書の方は、たとえそれめいたことがあったとしても、それを含めて役に立たないと細かに丁寧に言ったのである。「覚」の字が仏の字の字注である。仏を大覚と言う。全体、覚とは天から下された霊妙なものを悟ることで、そんなものがあるとも知らずにいるのが凡人の姿である。仏道とは覚ること。これが禅に限らず諸宗にある。どの様な教えを立てようとも、心を主にするからは覚るという理はある。「可以敬以直内矣云々」。直内はつまり欲をなくして心の掃除をすることに帰着するのだから、仏も借りれば用いることができる。そこであちらの覚るというのが敬以直内で心の掃除のことになる。可以という語意は、まあ借り入れもできる、持って行ったら使うこともできるだろうということ。それはできるだろうが、こちらは義以方外で両掛けの鋏箱にしているから、この方外は貸そうと言っても間に合わないだろう。何故親が病気なのに遠方へ行く。元日に何故礼に出ない。方外がないとその様に詰めて置いて、煙草を一服呑んでその後を言う語意で、「要之其本亦不是」。内外は自然である。それを引っ切ってすることはならない。腫れ物は内には構いがなさそうなものだが、食べ物を喰えない。敬以直内はしても本が悪いから、その直内の仕方が違う。今日、あの男は親の病気の時は粗末にするが、旦那が病む時は実によくすると言う。片方でもよい方がよいが、それは本当のことではない。それは「本不是」である。内外は一つであり、「欲知忠臣求於孝子之門」である。そもそも本当のことは「事親孝矣忠可移於君」である。また仏には克己風なことはあるが復礼がないとも言うが、内外が揃わないから、その克己も本当のものでない克己なので役に立たない。それめいたことがあるとしても、めいたことも含めて役に立たない。
【語釈】
・欲知忠臣求於孝子之門…孫廷尉集。「求忠臣必於孝子之門」。
・事親孝矣忠可移於君…孝経広揚名。「子曰、君子之事親孝、故忠可移於君」。


第四 釋氏悕死生条

釋氏本怖死生爲利。豈是公道。唯務上達而無下學。然則其上達處、豈有是也。元不相連屬、但有閒斷。非道也。孟子曰、盡其心者、知其性也。彼所謂識心見性、是也。若存心養性一段事、則無矣。彼固曰、出家獨善。便於道體自不足。或曰、釋氏地獄之類、皆是爲下根之人、設此怖、令爲善。先生曰、至誠貫天地、人尚有不化。豈有立僞敎而人可化乎。
【読み】
釋氏は本より死生を怖れて利の爲にす。豈是れ公道ならんや。唯上達を務むるのみにして下學無し。然らば則ち其の上達の處、豈是れ有らんや。元より相連屬せずして、但閒斷有るのみ。道に非ざるなり。孟子曰く、其の心を盡くす者は、其の性を知る、と。彼の謂う所の心を識り性を見ること、是れなり。心を存し性を養う一段の事の若き、則ち無し。彼固より曰く、家を出で獨り善くす、と。便ち道體に於て自ら足らず。或ひと曰く、釋氏地獄の類は、皆是れ下根の人の爲に、此の怖れを設け、善を爲さしむ、と。先生曰く、至誠は天地を貫くに、人尚化せざる有り。豈僞敎を立てて人の化す可きこと有らんや、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一三にある明道の語。

釈氏は、死生はをそれぬもの。あの方の歴々に悕れたものはないが、爰へ怖ると書たが靣白い。死生のことに彼是世話をやくたけ怖れたになる。妖物が出たら眞二つにと云は強い口上の様なれども、ぬき打になぞと云だけをそれたになる。怖れぬはと云だけ心のこたわりなり。生死のことにかれこれ云たけ、本怖るるからなり。道理には此様な塩梅の靣白あやなことがあるもの。下手棋が碁をあせる。下手なら向から来次第にしそうなものを、こちからあせる。下戸なら酒はしいさうもないものだに、下戸の無理強ひと云ことがある。世の中には此様なさかさまなことがあるもの。毀人倫去四大と云なから、死生のことにかれこれ世話をやく。垩人はのっほりとして死生のことなどに彼れこれは云ぬ。朝晩は親の機嫌をきいて、節句には上下で礼に出る。そんなことがいそがしいから何のことはない。生れたから死ぬこともあろふと輕く思てをる。佛が生死事大無常迅速と手ぎはなことを云が、あれが本と心の動きにっとりとないぞ。わるびれた処。死生々々といかいこと云だけ心のこだわりなり。丁度町人が武士に成て道中すると問屋塲で権高をする様なもの。生死を云たけ悟りたでない。斯ふして居ても今にも死ぬ、御用心々々々と云て一休がしゃれ首べをかづき出す。凡夫の正月の飾り海老、腰のかがむ迠いきたいと、あぢな祝をするものにはよい戒とも云はふけれ、やっはり怖る。某が今に死だとて清名幸谷は無くなりはせぬが、此方の一箇の身に取りては迷惑なことなれとも仕方はないこと。それを知らずに凡夫はうろたへる。為利。此の利の字が凡人の迷ふ利とはちがふ。佛者が輪廻を悟り三界を越る。世の中一と目に見る。凡夫の利は金銀名聞。それとはちごふが、つまり五尺のからだにもちあつかふて此をとってすて搆ふなと云こと。生老病死を天地自然と思へばなんのことはないが、それをうるさがりて一箇からだを安樂にしたがる。そこが利なり。それからして下さまな佛者は極樂へ行くと云。あいらは淺くて見よい利なり。後生願と云、あなたへ参たいと云利なり。あれと云も釈迦の初一心の処から云たことぞ。
【解説】
「釋氏本怖死生爲利」の説明。仏は死生を怖れない筈だが、死生を言うこと自体がそれを怖れているのである。聖人は日常に忙しいから死生に構う間はない。生老病死は天地自然なことだが、仏は我が身の一箇を大切にして煩う。そこで、後生を願い、遠くへ行きたいと願う。
【通釈】
釈氏は死生を怖れないもの。あちらの歴々に怖れた者はいないが、ここへ怖れると書いたのが面白い。死生のことにかれこれ世話を焼くだけ怖れたことになる。妖物が出たら真っ二つにすると言うのは強い口上の様だが、抜打ちにするなどと言うだけ怖れたことになる。怖れないと言う分だけ心の拘りとなる。生死のことにかれこれ言うのは、元々怖れているからである。道理にはこの様な塩梅、面白い綾がある。下手な者の碁は焦る。下手なら向こうから来次第にしそうなものを、こちらからして焦る。下戸なら酒を強いそうもないものだが、下戸の無理強いということがある。世の中にはこの様な逆様なことがあるもの。「毀人倫去四大」と言いながら、死生のことにかれこれと世話を焼く。聖人はのっほりとして死生のことなどをかれこれとは言わない。朝晩は親の機嫌を聞き、節句には裃で礼に出る。そんなことで忙しいから何のことはない。生まれたのだから死ぬこともあるだろうと軽く思っている。仏が「生死事大無常迅速」とうまいことを言うが、本来の心の動きはにっとりとせず、悪びれた処がある。死生と大袈裟に言うだけ心に拘りがある。丁度町人が武士になって道中をすると問屋場で権高をする様なもの。生死を言うだけ悟りがない。こうしていても今にも死ぬ、御用心と言って一休が髑髏を担ぎ出す。凡夫が正月に飾り海老をして、腰が屈むまで生きたいと妙な祝いをする。その様な者にはよい戒めとも言えようが、やはり怖れているのである。私が今死んだとしても清名幸谷はなくなりはせず、私一箇の身にとっては迷惑なことだが、それは仕方のないこと。それを知らずに凡夫は狼狽える。「為利」。この利の字が凡人の迷う利とは違う。仏者が輪廻を悟り三界を越え、世の中を一目に見る。凡夫の利は金銀名聞であり、それとは違うが、つまり五尺の体を持て余し、これを取って捨て、構わないということ。生老病死を天地自然なことと思えば何事もないが、それを煩って一箇の体を安楽にしたがる。そこが利である。それからして下様な仏者は極楽へ行くと言う。彼等のは浅くて見易い利である。後生を願い、遠くへ参りたいという利である。それというのも釈迦の初一心の処から出たこと。
【語釈】
・毀人倫去四大…異端3の語。
・生死事大無常迅速…道元禅師。宝慶記の冒頭の語。
・権高…気位の高いこと。傲慢な態度をとること。
・一休がしゃれ首べ…一休は正月に髑髏を持って「ご用心」と言いながら歩いた。「にくげなきこのしゃれこうべあなかしこ、目出度くかしくこれよりはなし」。「元旦は冥土の旅の一里塚、めでたくもあり、めでたくもなし」。
・三界…一切衆生の生死輪廻する三種の世界、欲界・色界・無色界。衆生が活動する全世界を指す。

豈是公道ならんや。何を云ても一箇身のためゆへに皆利なり。答連嵩郷書にも以天地為主那以我為主邪と朱子のつめられた。中庸を道の証文と云にも、首章の注に道之大原出於天の董子を引れた。公道に此のからだと云ことはない。天次第なり。釈迦の遺經に從前に生て居た内さへ腐ったものと見たからだじゃ、なぜ泣く。必皆々泣くなと云た。公道を知らぬ。吾か此の軀殻の裏に道は存してあることをば知らぬ。此からだはと外にするのが、一つ不生不滅の大切なものは別にあるを云たもの。佛者の意なれば尭舜の魂もいまだに一つ分んにあるやうにをもふから、とかく吾一箇の灵妙赫爍としたもの計りを云て、天地と流行せずに吾獨り私したものなり。高ひ佛者は地獄や輪廻は云まいが、分んに一つと云へばやはり輪廻そ。天地公共でないなり。
【解説】
「豈是公道」の説明。仏は自分のためにするから皆利である。仏は我が身に道が存していることを知らないから、不生不滅で大切なものが別にあると思う。「公道」とは天次第なことなのに、別に一つあると言えば天地公共ではない。
【通釈】
「豈是公道」。何を言っても我が身一箇のためなので皆利である。答連嵩卿書にも「以天地為主那以我為主邪」と朱子が問い詰められた。中庸を道の証文と言う際にも、首章の注に「道之大原出於天」と董仲舒を引かれた。公道にはこの体ということはなく、天次第である。釈迦の遺経に、従前に生きていた内でさえ腐ったものと見た体なのだから、何故泣く、皆々泣いてはならないとある。それは公道を知らないのである。自分のこのの躯殻の裏に道が存していることを知らない。この体はとそれを外にするのが、不生不滅の大切なものは別にあることを言ったもの。仏者の意では堯舜の魂も未だに別にある様に思う。そこで、とかく自分一箇の霊妙赫爍としたものばかりを言って、天地と流行せずに自分独りに私したもの。高い仏者は地獄や輪廻は言わないだろうが、別に一つと言えばやはり輪廻である。それでは天地公共でない。
【語釈】
・道之大原出於天…中庸章句首章注。「右第一章。子思述所傳之意以立言。首明道之本原出於天而不可易、其實體備於己而不可離。次言存養省察之要、終言聖神功化之極」。

惟務上達而無下学。天地間の一草一木の理から大学の格物致知、詩經書經と云わざについたことをよむ内に、いつの間にか心がぼんのりと道理が見へてくる。こちは下学と云わざにつくで上達する。あちは坐禅観法、下学なしの上達なり。斯ふ云るると、毎下な僧が、いや此方も師匠には父の如くつかへ兄弟子にもつかへる。法友もあり、經録を吟味して下学はあると云が、それは吾佛道を吾が手にわるく云のなり。そこでつまり火宅僧になる。釈迦の初一心はさうしたことでない。鉢をひらいて食を乞ふことぞ。今大寺の住侶なぞと云になっては中々火宅僧と云様なことてはない。庫裡方丈も立派で美食をし、僮僕もある。大名高家の通りなり。辨道書に太宰がよふ書たぞ。思ずしらず垩人の道の姿になりたなり。いかさま大寺を持てば五倫に似たことがある。師弟は父子に似た。法兄法弟は兄弟に似た。童僕あれば君臣なり。それはあの方の道をわるくしたものなり。だたいは上達ばかりなり。上達處豈有是也。上の小書の其本不是と同こと。其上達が心元ない。上達はたとへば鍔好きの鍔をなでる。たったものなでる。そこで古びのついた処で云ことだに、さうないは役に立ぬ。佛者は通身に汗出て悟ると云か、たとへ一旦悟りても漸々淡了る。下学のないは跡もどりがする。やくにたたぬ。こちの上達は致知存羪克己から段々修行して、警戒がありて跡戻はない。さればこそ顔曽に跡戻した話はきかぬ。
【解説】
「唯務上達而無下學。然則其上達處、豈有是也」の説明。聖学は下学という業から上達するが、仏は座禅観法で、下学なしの上達である。釈迦の時はそうではなかったが、今の仏は聖学の五倫に似たことがある。しかし、下学がないから次第に後戻りをして役に立たない。
【通釈】
「惟務上達而無下学」。天地間にある一草一木の理から大学の格物致知、詩経書経という業に付いたことを読む内に、いつの間にか心にほんのりと道理が見えて来る。こちらは下学という業に付くので上達する。あちらは座禅観法で、下学なしの上達である。この様に言われると、低い僧が、いやこちらも師匠には父の様に仕え兄弟子にも仕える。法友もいて経録を吟味するから下学はあると言うが、それは自分の仏道を自らの手で悪く言うこと。そこでつまり火宅僧になる。釈迦の初一心はそうしたことでない。それは鉢を開いて食を乞うこと。今大寺の住侶などということになっては中々火宅僧という様なことではない。庫裏や方丈も立派で美食をし、童僕もいる。それは大名や高家の様である。弁道書に太宰春台がうまく書いた。仏も思わず知らず聖人の道の姿になった。いかにも大寺を持てば五倫に似たことがある。師弟は父子に似、法兄法弟は兄弟に似る。童僕があれば君臣である。それはあちらの道を悪くするもの。そもそも仏は上達ばかりである。「上達処豈有是也」。これは前条の小書にあった「其本不是」と同じこと。その上達が心許ない。上達はたとえば鍔好きが鍔を撫でる様なこと。只管撫でる。そこで、古びの付いた処で言うことであって、そうでないのは役に立たない。仏者は身に通じて汗が出て悟ると言うが、たとえ一旦悟っても漸次淡くなって了る。下学がなければ後戻りする。それでは役に立たない。こちらの上達は致知存養克己から段々と修行して警戒があり、後戻りはない。そこで、顔曾に後戻りした話はない。
【語釈】
・観法…真理を心に思い浮べて明らかに悟ること。
・火宅僧…妻のある僧侶。妻帯僧。火宅は、煩悩が盛んで不安なことを火災にかかった家宅にたとえていう。現世。娑婆。
・たったもの…いちずなこと。ひたすら。

元不相連属。上の条の道の外無物物之外無道へあてて見るがよい。物の上が皆道と思へばさても靣白ことぞ。向のものも道、こちも道。毎日々々向て来る処が道と見るから連属する。垩人の教は小童の煙草盆を出す、飯焚きの飯を焚く、連属なり。周子の無極而太極、中庸の費而隠、皆そこを云なり。きれめはない。佛は爰はすてろ、本来の靣目をと云。間断じゃ。此方は生れてから死ぬ迠、元日から大晦日まで一とつづき、間断はない。爰は道ではないと見る処は間断なり。佛者は松嶋を夢で見る様なもの。足元がぬける。千住や越ヶ谷面白くないと云。垩人の道は千住の蹈出しから松嶋迠一とつづき。大哉垩人之道から三百三千のこまか割。あそこへ書く様の字はこれの、あの家へ平様の、こちへは金水引で進上と書くの、大名に奉公すれば、奧で鈴が鳴れば納戸や近習が老女に物を取り渡す迠のことが道の内なり。孔子も不仕無義と云はるる。さて々々靣白と云ことでもない。ただ道の形りぞ。山奧へは引込れぬ。天下之事人無不爲之理非甲為之則乙則必為す。人事は人がせ子ばならぬ。産婦の看病もする。労咳病みに灸をすへてもやる。これほど靣白ないことはないが、してやることぞ。都下市井住居隣の夫婦喧嘩も取りさへ子ばならぬ。顔子も陋巷でさぞそんな世話もしつろふ。佛の方は事をすてる。只爰だ々々と胸をたたく様な者ぞ。それ、火事と云へばすました顔てもいられぬぞ。昭々靈々底の禅だと云はさげすんだ云様なれども、事をすてるから下学はない。何もないと云もここらなり。よいことをえり取にしたがる。されとも仏も段々と御振合がちがうてくる。撲地非他物縱横不是塵山川及大地全露法王身と云ひ、不捨一法と云て跡からふいてまわるが、それは利口巧と云もの。あちは何もないことなり。この方は細かなり。医者の療治、疝氣の発ったも子ぶとの出來たも皆それ々々筋のあると云こと。それをは知らず、それをは子のけて出たがる内はさはぎなり。一生がすら々々とない。やがて死とみていそぐなり。斯ふ云て振返って見ると、つまり怖死生の方なり。怖死生と云ほどにあちの穴を突く位でなくては、あの大きな仏法はひしかれぬ。有間断非道也。爰て道也者不可須臾離をあてて見ることぞ。
【解説】
「元不相連屬、但有閒斷。非道也」の説明。物の上に皆道があると思うから「連属」する。しかし仏はよいものだけを選り取りして、多くを捨てるから「間断」がある。事を捨てるから下学がない。
【通釈】
「元不相連属」。前条の「道之外無物物之外無道」へ当てて見なさい。物の上が皆道と思えば、本当に面白いこと。向こうのものも道、こちらも道。毎日向かって来る処が道だと見るから「連属」する。聖人の教えは小童が煙草盆を出す、飯焚きが飯を焚く様なことで、連属である。周子の「無極而太極」や中庸の「費而隠」は皆そこを言ったこと。切れ目はない。仏はここは捨てろ、本来の面目をと言う。それでは間断である。こちらは生まれてから死ぬまで、元日から大晦日まで一続きで間断はない。ここは道ではないと見るのは間断である。仏者は松島を夢で見る様なもので、足元が抜ける。千住や越ヶ谷からでは面白くないと言う。聖人の道は千住の踏み出しから松島まで一続き。「大哉聖人之道」から「三百三千」の細か割りまでが続く。あそこへ書く様の字はこれ、あの家へは平様で、こちらへは金水引で進上と書くと言い、大名に奉公すれば、奥で鈴が鳴れば納戸や近習が老女に物を取り渡すことまでが道の内である。孔子も「不仕無義」と言われた。これは大層面白いということでもないが、ただ道の通りだということ。山奥へは引っ込まない。「天下之事人無不為之理」で「非甲為之則乙則必為」。人事は人がしなければならないこと。産婦の看病もする。労咳病みに灸をすえても遣る。これほど面白くないことはないがして遣る。都下市井住居隣の夫婦喧嘩も仲裁しなければならない。顔子もさぞ陋巷でそんな世話もしたことだろう。仏の方は事を捨てる。ただここだと胸を叩く様な者達である。それ火事だと聞けば澄ました顔でもいられない。昭々霊々風の禅と言うのは蔑んだ言い様だが、事を捨てるから下学はない。何もないと言うのもここのこと。よいことを選り取りにしたがる。しかしながら、仏も段々と御振り合いが違って来た。「撲落非他物縦横不是塵山川及大地全露法王身」と言い、「不捨一法」と言って後から吹聴して回るが、それは利口巧というもの。あちらは何もないことで、こちらは細かにあること。医者の療治でも、疝気の起こるのも根太のできるのも、皆それぞれに筋のあること。それを知らず、それを跳ね除けて出たがる内は騒ぎとなる。それでは一生がすらすらと行かない。やがて死ぬと見て急ぐ。この様に言って振り返って見ると、つまり死生を怖れる方のこと。怖死生と言うほどにあちらの穴を突く位でなくては、あの大きな仏法を拉ぐことはできない。「有間断非道也」。ここは「道也者不可須臾離」を当てて見なさい。
【語釈】
・費而隠…中庸章句12。「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉」。
・大哉垩人之道…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百威儀三千。待其人而後行」。
・不仕無義…論語微子7。「子路曰、不仕無義。長幼之節、不可廢也。君臣之義、如之何其廢之。欲潔其身、而亂大倫。君子之仕也、行其義也。道之不行、已知之矣」。
・天下之事人無不爲之理…
・非甲為之則乙則必為…政事52。「学者不可不通世務。天下事譬如一家。非我爲則彼爲、非甲爲則乙爲」。
・撲地非他物縱横不是塵山川及大地全露法王身…洪寿禅師。「撲落非他物。縦横不是塵。山河及大地。全露法王身」。
・不捨一法…

孟子曰盡其心者知其性也。これも又向へかけること。これが孟子にある学問の大綱領。あちををすの大かぶなり。あちに似たことがありて、識心見性と云字がある。それは片へらなり。こちのをかしてやろふか。是なりとはせかずに云ふ口上ぞ。そちのも字も似たことたさうであろふじゃが、こちには又其上に存心養性と殊の外手のこんだ工夫がある。やりのやりばなしをしてはならぬこと。此方のこやしをするは中々そげた様なことではない。親子の縁を切っての女房を去るのとそんなざっかけない勿躰ないことでは、そんなことをこちからきけば大名が下々の茶碗酒を呑むを見る様なもの。さて々々あさましいことだと思ふ。此方には羪がある。心性はあらい風にもあてぬも、そっちの様に呵々大笑して悟ったと云てしまふやふなあらいことはない。此方は手容恭足容重云々、こふするで内がよくなる。德利をふりちらかすと中の酒もわるくなる。あの方は大釜の下へ薪をなげ込む様なあらいこと。此方のは十種香を嗅く様なり。心を大事にすると云日には大学の正心の傳の忿懥憂患ちっともつられぬ様にすることだに、あちの識心見性と云は只あそこの処だ、總在裏許だと云てすます。既に六祖が菩提本非樹明鏡亦非臺本来無一物何處慝塵埃。此方の存心と云は明鏡止水の様になること。それを見付て近付になったと云てなし。仏は近付に成ったと云てすますか本のことでない。識心見性、そこか本来靣目と云。それを見て何にするぞ。こちから云ときにはやっはり反鑑而索照なり。此方は君臣については君臣の義あり、父子については父子の慈孝、造端於夫婦、妻子好合鼓瑟琴、皆道の恰好な処ある。その道なりにゆく、そのためにするぞ。これが存心羪性のぎり々々なり。そっちが識心見性であろふが、から物なり。何の役に立ぬ。
【解説】
「孟子曰、盡其心者、知其性也。彼所謂識心見性、是也。若存心養性一段事、則無矣」の説明。聖学には「尽心知性」があり、仏にもそれに似た「識心見性」がある。しかし、聖学には「存心養性」という工夫があるが、仏にはそれがない。聖学は忿懥憂患に引かれない様にするが、仏は悟っただけで終わる。
【通釈】
「孟子曰尽其心者知其性也」。これもまた向こうへ掛けたこと。これが孟子にある学問の大綱領で、あちらを推す大株である。あちらにも似たことがあって、「識心見性」という字がある。しかしそれは似ていても傍片である。「是也」とは急かずに言う口上である。そちらのも字は似ているそうだが、こちらにはまたその上に「存心養性」という殊の外手の込んだ工夫がある。遣りっ放しにしてはならない。こちらが肥やしをするのはそれほど変わったことではない。親子の縁を切ったり、女房を捨てたり、その様なざっかけない勿体ないことをするのをこちらが聞けば、それは下々が茶碗酒を飲むのを大名が見る様なもので、本当に浅ましいことだと思う。こちらには養がある。心性は荒い風に当てない様なものであって、そちらの様に呵々大笑して悟ったと言って終わる様な粗いことではない。こちらは「手容恭足容重云々」と、こうするので内がよくなる。徳利を振り散らかすと中の酒も悪くなる。あちらは大釜の下へ薪を投げ込む様な粗いこと。こちらのは十種香を嗅ぐ様なこと。心を大事にするという日には、大学の正心の伝にある「忿懥憂患」に少しも吊られない様にすることなのに、あちらの識心見性は、ただあそこの処だ、「総在裏許」と言って済ましてしまう。既に六祖が「菩提本無樹明鏡亦非臺本来無一物何処惹塵埃」と言っている。こちらの言う存心とは明鏡止水の様になること。それを見付けて近付きになるということではない。仏は近付きになったと言って済ますが、それは本当のことではない。識心見性が本来の面目と言う。それを見て何とするのか。こちらで言えば、やはり「反鑑而索照」である。こちらは君臣については君臣の義があり、父子については父子の慈孝、「造端於夫婦」、「妻子好合鼓瑟琴」と、皆道の恰好な処がある。その道の通りに行く。そのためにする。これが存心養性の至極である。そちらも識心見性だろうが、それは空物である。それでは何の役にも立たない。
【語釈】
・盡其心者知其性也…孟子尽心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。妖壽不貳、修身以俟之、所以立命也」。
・手容恭足容重…礼記玉藻。「君子之容舒遲、見所尊者齊遫、足容重、手容恭、目容端、口容止、聲容靜、頭容直、氣容肅、立容德、色容莊、坐如尸」。小学内篇敬身にもある。
・忿懥憂患…大学章句7。「所謂脩身在正其心者。身有所忿懥、則不得其正。有所恐懼、則不得其正。有所好樂、則不得其正。有所憂患、則不得其正」。
・總在裏許…蕅益大師示念佛法門。「三藏十二部極則教理、都在裏許。千七百公案、向上機關、亦在裏許。三千威儀、八萬細行、三聚淨戒、亦在裏許」。
・菩提本非樹明鏡亦非臺本来無一物何處慝塵埃…恵能。「菩提本無樹、明鏡亦非臺、本來無一物、何處惹塵埃」。
・反鑑而索照…為学4の語。
・造端於夫婦…中庸章句12。「君子之道、造端乎夫婦」。
・妻子好合鼓瑟琴…詩経小雅常棣。「妻子好合、如鼓瑟琴。兄弟既翕、和樂且湛。宜爾家室、樂爾妻帑」。中庸章句15にもある。

彼固曰出家獨善。固の字一寸見るとよみにくい。日ごろと云ことなら素の字を書く筈じゃが、爰はこちに尽心知性のことがあるが、そっちの識心見性だが存心養性がないと祟りてこふ云たら、あちでも恩でもないこと、出家独善と云存養がござると云はんと、そこが彼固曰ふなり。独善は家内を離れて修行する。山奧に引こんでよくなること。それが儒の存心養性じゃ。此出家獨善で成佛すると云はふ。云へは云はるるもの。橋杭に埃がかかれば水が流れぬ。埃をさらへば水は流るる。識心見性したものは存心羪性にもなると云はふが、便於道体不足なり。道体に去り嫌はない。爰がわるいとにげて行く、きろふものある。そこが足らぬの処。すればとこ迠も出家独善は私なり。さける処のあるで吾方の足らぬ処あるぞ。吾方のたらぬ処あるで道体の看に足らぬ処あるなり。手に入るとさける筈はない。手習も至善になると、いろはを書ても篆書を書てもよい。垩人は全体のよさにさけることはない。
【解説】
「彼固曰、出家獨善。便於道體自不足」の説明。仏は「出家独善」があると言うが、好き嫌いがあるから私である。聖人は全体がよいから避けることはない。
【通釈】
「彼固曰出家独善」。「固」の字は一寸見ると読み難い。日頃ということなら素の字を使う筈だが、ここはこちらには「尽心知性」があり、そちらにも「識心見性」があるが、そちらには「存心養性」がないと祟ったところで、あちらもそれはとんでもない、「出家独善」という存養があると言うだろうと、そこで「彼固曰」である。独善は家内を離れて修行する。山奥に引っ込んでよくなること。それが儒における存心養性であり、この出家独善で成仏すると主張する。言えば言えるもの。橋杭に埃がかかれば水が流れない。埃を浚えば水は流れる。識心見性した者は存心養性にもなると言うが、「便於道体不足」である。道体に好き嫌いはない。ここが悪いと逃げて行ったり、嫌ったりするところがある。そこが足りない処。そこで、何処までも出家独善は私である。避ける処があるので自分の方に足りない処がある。自分に足りない処があるので道体の看に足りない処がある。それを手に入れれば避ける筈はない。手習も至善になると、いろはを書いても篆書を書いてもよい。聖人は全体がよいから避けることはない。

或釈氏地獄之類。爰はとんと別の話とみるがよい。何も上から受けたと云ことはない。地獄咄もをかしいこと。あの高い佛者の云さふもないことじゃが、趣向あることとみへた。為下根之人。仏の方で六根と云こともある。鈍根利根のと云一つ根のあるさし塲のある処から根と云字がつく。上根は発明、下根は下品下列文盲の人なり。今談儀参りの徒、下根なり。説僧の云ふ一句々々に南無々々と云説法をきいて、たれも敢問ふと云こともなく。請益と云たものもなく、又如此則弟子之惑滋甚しともついに云ぬ。只嫁をいじらぬものだの、家来をむごくつかはぬものだのと云、佛弟子の目蓮の母も慳貧ゆへ地獄へ落たなぞと云。今日たれもあいらは下根だと下た目に見るが、今の学者は近思の咄をきいて文義もすんでも、何ぞの時どふも胸の内をどつく。垩賢の道に心のはれぬ処ある内は、これもやっはり下根なり。地獄極樂のことは大概出家も虚談とは思はふが、設此怖令為善。さりとは御親切千万なり。斯ふして見れば、権謀術数伯者に計りあるとは云れぬ。仏者には手はありそもないものなれども、悲ひことには垩人の道でないことには思の外なこと。悟りをひらいて権謀をする。御人抦にも似合ぬ。鍋のぞきをするあなたが爰にござりたかと云ことがあるぞ。
【解説】
「或曰、釋氏地獄之類、皆是爲下根之人、設此怖、令爲善」の説明。地獄極楽のことは仏も虚談とは思っているだろうが、それを怖れさせて善をする様にするのだと言う。それは全くのお節介であって、仏は悟りを開いて権謀をする。
【通釈】
「或釈氏地獄之類」。ここは全く別の話だと見なさい。何も上を受けたことではない。地獄話も可笑しいこと。あの高い仏者の言いそうもないことだが、趣向のあることと見える。「為下根之人」。仏の方に六根ということもある。鈍根利根という一つ根のある差し場のある処から根という字が付く。上根は発明で、下根は下品下劣文盲の人のこと。今の談義参りの徒は下根である。説僧の言う一句一句に南無南無という説法を聞いて、誰も敢て問うこともなく。請益と言った者もなく、また、「如此則弟子之惑滋甚」とも遂に言うことはない。ただ嫁は苛めないものだとか、家来を惨く使わないものだと言い、仏弟子の目蓮の母も慳貧で地獄へ落ちたなどと言う。今日誰もが彼等は下根だと軽蔑するが、今の学者は近思の話を聞いて文義も済んでも、何かの時にどうも胸の内をどつく。聖賢の道に心の晴れない処がある内は、それもやはり下根である。地獄極楽のことは出家も大概は虚談だと思っているだろうが、「設此怖令為善」。全く御親切千万である。こうして見れば権謀術数は伯者にばかりあるとは言えない。仏者にその様なことはありそうもないことだが、悲しいことには聖人の道でなければ思いの外のことがある。悟りを開いて権謀をする。御人柄にも似合わない、鍋覗きをする貴方がこんな所にいたのかということがある。
【語釈】
・六根…六識を生ずる六つの感官、眼・耳・鼻・舌・身・意の総称。
・請益…会釈して許しを請うこと。
・目蓮…釈尊十大弟子の一。神通第一と称された。餓鬼道に苦しむ母を救うために僧に供養したと伝え、これが盂蘭盆会の起源という。
・慳貧…物を惜しみむさぼること。けちで欲ばりなこと。

先生曰至誠貫天地云々。爰が道統の人でなくては云へぬ返事だ。爰へ答て云たい様なことがいかいことあるものだに、爰で一とたて云と却て小い。すっはりと云そふな処を大様に云ておくが道を得た人の返答じゃ。それでどふして化す。理が無しと云ても化すこともある。既にこれほど天下中に廣がった仏法を偽て化す、理はないと云ぬくか道統の人の口上なり。化す筈で化せぬは舜に有苗驩兜、垩人の誠でさへ化せぬ。それじゃに仏法に化したものがありても化せぬと云。理から云こと。あれがはやりますと云。いくらはやろふとも理にないこととのけたもの。索隠行怪後世有述我則不為之なり。まんまと行ても理がないと云が道統の口上ぞ。
【解説】
「先生曰、至誠貫天地、人尚有不化。豈有立僞敎而人可化乎」の説明。聖人でも全ての人を化すことはできなかった。仏は多くの人を化したが、それは偽りで化したのであって本物の化ではない。そこに理はない。
【通釈】
「先生曰至誠貫天地云々」。ここが道統の人でなくては言えない返事である。ここに答えて言いたいことが大層あるものだが、ここで長々と言うと却って小さい。すっぱりと言いそうな処を大様に言って置くのが道を得た人の返答である。そこで、どうして化すものかと言った。理が無いと言っても化すこともある。既にこれほど天下中に広がった仏法を、偽りで化したのであって理はないと言い抜くのが道統の人の口上である。化す筈で化せないのは「舜有苗驩兜」で、聖人の誠があっても化せないもの。それなのに仏法に化した者がいても化せないと言う。それは理から言ったこと。あれが流行りますと言う。いくら流行ろうが、理にないことだと除ける。「索隠行怪後世有述我則不為之」である。まんまと行っても理がないと言うのが道統の口上である。
【語釈】
・舜に有苗驩兜…書経舜典。「放驩兜于崇山、竄三苗于三危」。孟子万章章句上3にもある。
・索隠行怪後世有述我則不為之…中庸章句11。「子曰、素隱、行怪、後世有述焉、吾弗爲之矣。君子遵道而行、半塗而廢、吾弗能已矣。君子依乎中庸。遯世不見知而不悔、唯聖者能之」。


第五 学者於釈氏之説条

学者於釋氏之説、直須如淫聲美色以遠之。不爾、則駸駸然入其中矣。顏淵問爲邦。孔子既告之以二帝三王之事、而復戒以放鄭聲遠佞人。曰、鄭聲淫、佞人殆。彼佞人者、是他一邊佞耳。然而於己則危、只是能使人移、故危也。至於禹之言曰、何畏乎巧言令色。巧言令色、直消言畏。只是須著如此戒愼、猶恐不免。釋氏之學、更不消言常戒。到自家自信後、便不能亂得。
【読み】
学者は釋氏の説に於て、直[ただ]須く淫聲美色の如くにして以て之を遠ざくべし。爾[しか]らずんば、則ち駸駸然として其の中に入らん。顏淵邦を爲むるを問う。孔子既に之に告ぐるに二帝三王の事を以てして、復戒むるに鄭聲を放ち佞人を遠ざくるを以てす。曰く、鄭聲は淫にして、佞人は殆し、と。彼の佞人は、是れ他[かれ]の一邊の佞なるのみ。然り而して己に於て則ち危きは、只是れ能く人をして移らしむ、故に危きなり。禹の言に至りては曰く、何ぞ巧言令色を畏れんや、と。巧言令色は、直畏ると言うを消[もち]うるのみ。只是れ須著[すべから]く此の如く戒愼すべきも、猶免れざるを恐る。釋氏の學は、更に常に戒むと言うを消いず。自家自ら信ずる後に到りては、便ち亂し得ること能わず。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

兎角よらぬがよいと云こと。異端も一理あること。一理あることの片々へよったことゆへ、つい人がかけこむ。一方づいたことははつみのある仕よいもの。中庸は平常底で却てなりにくい。易而難し。釈氏は難い様でなりよい。靣白ひから人もよるなり。如淫声美色。出雲の国のをくに、それから堺丁、今そこへ踊子が来たとは伯父にも話されぬこと。御坐へ出されぬこと。釈氏は立派で、そこへ出されぬ様なものではない。後世三聖の図掛物にもなる。それを淫声美色と同格にあしろふが面白ひことぞ。滅多に用心せよと云こと。駸々然。程門老佛に淫した。そこへゆくまい々々々々と思ふてついゆくなり。あの垩人の孔子が大賢の顔子へつける三王の礼樂のことなり。此地位では用心は入りそもないものだに、放鄭声、遠佞人なり。鄭声には心を取られ、佞人を用るとこちが殆し。
【解説】
「学者於釋氏之説、直須如淫聲美色以遠之。不爾、則駸駸然入其中矣。顏淵問爲邦。孔子既告之以二帝三王之事、而復戒以放鄭聲遠佞人。曰、鄭聲淫、佞人殆」の説明。異端にも一理あるが、偏っている。釈氏は立派な様だが、それを淫声美色と同格に扱った。
【通釈】
とかく近寄らないのがよいということ。異端にも一理ある。一理あるが一偏に寄るので、つい人が駆け込む。一方に付いたことは弾みがあってし易いもの。中庸は平常風で却って成り難い。「易而難」。釈氏は成り難い様で成りよい。面白いから人も寄る。「如淫声美色」。出雲阿国、それから堺町、今そこへ踊り子が来たとは伯父にも話せないこと。それは御座へ出せないこと。釈氏は立派で、御座へ出せない様なものではない。後世は三聖の図などの掛物にもなる。それを淫声美色と同格に扱うのが面白い。それは厳しく用心しなさいということ。「駸々然」。程門が老仏に淫した。そこへ行かない様にしようと思っていながらつい行く。ここはあの聖人の孔子が大賢の顔子へ告げた三王の礼楽のこと。この地位なら用心は要らない筈なのに、「放鄭声遠佞人」である。鄭声には心を取られ、佞人を用いるとこちらが殆い。
【語釈】
・易而難し…中庸章句9。「子曰、天下國家可均也。爵祿可辭也。白刃可蹈也。中庸不可能也」。同集註。「三者難而易、中庸易而難」。
・三聖…老子・孔子・釈尊。
・三王の礼樂…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅。服周之冕。樂則韶舞。放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。

佞人他一邊佞耳。これが見にくい文字ぞ。あれはあちの一邊の佞。あいつがわるいのだが、さうしておかれぬにはあれでこちのわるくなることじゃ。於己危。これは蝮の様なもの。他一邉の蝮なれども喰つくからすてておかれぬ。是能使人移。佞人がどふがなしてこちをわるくする。堅い人へ行てはかたく合せる。道樂をするものの処へ行ては道樂の話をする。又だまってをる日もある。こまったものなり。そこでつい引込るる。惡人なれば人も用心する。佞人は跡では知れるが一寸目利のならぬもの。こはいもの。多くはかたい人の利口ものにある。よくみへるもの。佛法もそれなり。人欲沢山なものならよいに、佛は孔子の云ふ克己と云ふ、其克己ていで欲はのける。そこで人の迷になる。
【解説】
「彼佞人者、是他一邊佞耳。然而於己則危、只是能使人移、故危也」の説明。悪いのは仏だが、それでこちらも悪くなる。仏に欲が多ければわかり易いが、仏も克己風なことをして欲を除けるので、人の迷いになる。
【通釈】
「佞人他一辺佞耳」。これがわかり難い文字である。あれはあちらの一辺の佞で、あいつが悪いのだが、それを放って置けないのは、あれでこちらが悪くなるからである。「於己危」。これは蝮の様なもの。他一辺の蝮なのだが喰い付くから放って置けない。「是能使人移」。佞人はどうしてもこちらを悪くする。堅い人のところへ行っては堅く合わせ、道楽をする者の処へ行っては道楽の話をする。また、黙っている日もある。それは困ったもの。そこでつい引き込まれる。悪人であれば人も用心をする。佞人は後ではわかるが一寸の目利きではわからないもので怖いもの。多くは堅くて利口な者にある。それはよく見えるもの。仏法もそれ。人欲が沢山であればよいのだが、仏は孔子の言う克己風なことをして欲は除ける。そこで人の迷いになる。

禹之言曰何畏乎巧言令色。これを引たはまだある々々々々と云のなり。思ひ出したもの。禹王の、巧言令色のものはこはいものだが、それもこっちが六具をかためればなんのことはないと云た。こはくはないと云ただけがこはものなり。恐るべきことなり。先日も云た、知も行も警戒の入ると云もこのこと。東萊一派が行に警戒がないから事功に馳る。陸象山知に警戒なさに主張大過、吾をよいと云。朱子が五峯のことを云て笑れた。五峯は佛を弁するが得手なり。されどもその弁するが手前の片足這入て居るとなり。どふやら引込れそうであぶない。近年某に佛を弁ずるにはあちのことを能知て云がよいと云た人がある。それも尤なこと。歒の皃を見覚るの筋でよいことだろふが、こちがよはければ韓退之の云ふ擒になると云筋もある。黙斎が排釈は衣通姫の繪を見て云。ほんの衣通姫をみずに弁すると云たが、我々か衣通姫に遇ふて戀慕したらひょんなものぞ。
【解説】
「至於禹之言曰、何畏乎巧言令色。巧言令色、直消言畏」の説明。禹は巧言令色を畏れないと言ったが、実は恐れていたのである。警戒がなければ引き込まれる。仏を弁じるには仏を知らなければならないと言う人がいるが、こちらが弱ければ引き込まれる。
【通釈】
「禹之言曰何畏乎巧言令色」。これを引いたのはまだあるということ。思い出したもの。禹王が巧言令色は怖いものだが、それもこちらが六具を固めれば何事もないと言った。怖くはないと言っただけ怖いのである。これは恐るべきこと。先日、知にも行にも警戒が要ると言ったのもこのこと。東萊一派が行に警戒がないから事功に馳せる。陸象山は知に警戒がないから主張が大過で自分をよいと言う。朱子が五峯のことを言って笑われた。五峯は仏を弁じるのがうまい。しかしながら、その弁じる中に自分の片足が這い入っていると言った。どうやら引き込まれそうで危ない。近年私に仏を弁じるにはあちらのことをよく知った上で言うのがよいと言った人がいる。それも尤もなこと。敵の顔を見覚える筋なのでよいことだろうが、こちらが弱ければ韓退之の言う擒になるという筋もある。黙斎の排釈は衣通姫の絵を見て言うもの。本当の衣通姫を見ずに弁じると言うが、我々が衣通姫に遇って恋慕したら妙なことになる。
【語釈】
・禹之言曰何畏乎巧言令色…書経皋陶謨。「何憂乎驩兜。何遷乎有苗。何畏乎巧言令色孔壬」。
・韓退之の云ふ擒…
・衣通姫…日本書紀で允恭天皇の妃。皇后忍坂大中姫の妹、弟姫。皇后の嫉みを憚って河内国茅渟に身を隠した。美しい肌の色が衣を通して照り輝いたという。

如此戒愼云々。これが佛法をよく知た人と云のなり。知れば油断はせぬ。油断するは不案内からなり。堅ひ親は息子の戒めが不用心なり。吾が若ひ時道樂をすれば案内を知ておるから油断はせぬ。堺町へんへも観音へもやらぬ。四つを打ても皈らぬと云と其分にはせぬと云。かたいものはついに自火を出したことのないゆへ油断をする。向の方を知らぬから佛法もひとなめなめては苦鋪もあるまいと云。それから大騒にもなる。不消言常戒。戒るなどと云ふ様なまだるいことてはない。戒ると云は徳利に酒三献に限るべしと書た様なもの。あたまでそこへ徳利をよせつけぬと云がよい。併、いつがいつ迠もさうこはいものではない。自家自信。道学がこちのものに成ては氣つかいはない。此の信の字が朝聞道の注の人知而信者為難の信の字なり。信はこちを信すること。朝聞道の知になりてはこちを乱すことはならぬ。佛に用心の入るは初手のうちのこと。後には佛法などにあたまをはらるる様なことはない。
【解説】
「只是須著如此戒愼、猶恐不免。釋氏之學、更不消言常戒。到自家自信後、便不能亂得」の説明。道学を身に付ければ仏は怖いものではない。知があれば油断はない。仏に用心が必要なのは初手の内のことである。
【通釈】
「如此戒慎云々」。これが仏法をよく知った人ということ。知れば油断はしない。油断するのは不案内だからである。堅い親は息子の戒めに不用心である。自分が若い時に道楽をしたのなら案内を知っているから油断はしない。堺町辺りへも観音へも遣らない。四つを打っても帰らなければそのままにはしないと言う。堅い者は今まで自火を出したことがないので油断をする。向こうを知らないから仏法も一舐めしても苦しくないだろうと言う。それから大騒ぎにもなる。「不消言常戒」。戒めるなどという様なまだるいことではない。戒めるというのは徳利に酒三献に限るべしと書く様なもので、最初からそこへ徳利を寄せ付けないという方がよい。しかし、いつがいつまでもそう怖いものではない。「自家自信」。道学がこちらのものになれば気遣いはない。この信の字が「朝聞道」の注にある「人知而信者為難」の信の字である。信はこちを信じること。朝聞道の知になればこちらを乱すことはできない。仏に用心が必要なのは初手の内のこと。後には仏法などに頭を張られる様なことはない。
【語釈】
・人知而信者為難…論語里仁8集註。「皆實理也。人知而信者為難。死生亦大矣。非誠有所得、豈以夕死爲可乎」。