第六 所以謂萬物一体者の条  五月朔日  纖邸文録
【語釈】
・五月朔日…寛政3年辛亥(1791年)5月1日。
・纖邸文…林潜斎。花沢文二。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

所以謂萬物一體者、皆有此理、只爲從那裏來。生生之謂易。生則一時生、皆完此理。人則能推、物則氣昏推不得。不可道他物不與有也。人只爲自私將自家軀殻上頭起意、故看得道理小了他底。放這身來、都在萬物中一例看、大小大快活。釋氏以不知此、去他身上起意思、奈何那身不得。故卻厭惡、要得去盡根塵。爲心源不定、故要得如枯木死灰。然沒此理。要有此理、除是死也。釋氏其實是愛身、放不得。故説許多。譬如負版之蠱、已載不起、猶自更取物在身。又如抱石投河、以其重愈沈、終不道放下石頭、惟嫌重也。
【読み】
萬物は一體なりと謂う所以の者は、皆此の理有りて、只那[か]の裏より來ると爲せばなり。生生を之れ易と謂う。生まるるときは則ち一時に生まれ、皆此の理を完うす。人は則ち能く推し、物は則ち氣昏くして推し得ず。他物は與に有らずと道[い]う可からず。人は只自私し將に自家軀殻上頭に意を起さんとするが爲に、故に道理を看得て他底[かれ]を小とす。這[こ]の身を放ち來り、都て萬物中に在りて一例に看ば、大小大に快活なり。釋氏は此を知らざるを以て、他[かれ]の身上に去[ゆ]いて意思を起こすも、那の身を奈何ともし得ず。故に卻って厭惡し、根塵を去り盡くすを得んと要す。心源定まらざるが爲に、故に枯木死灰の如くなるを得んと要す。然れども此の理沒[な]し。此の理有るを要めば、除[ただ]是れ死なり。釋氏は其の實は是れ身を愛して、放ち得ざるなり。故に説くこと許多なり。譬えば負版の蠱の如き、已に載せ起きざるに、猶自ら更に物を取りて身に在らしむ。又石を抱きて河に投ずるが如き、其の重きを以て愈々沈むも、終に石頭を放下すと道わず、惟重きを嫌うのみ。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

この条の語り出し、先つこの方の意を云。所以謂の三字、我儒で斯ふ云所はなり。此方の万物一体は斯ふと見て、心の中には指す処もありて向ふに當てあり、あの方て天地与我一体万物与我同根と云のが圣人の道と同ことと云へとも、似て違ふことあるを程子の知らぬ顔て先云へり。近理而大乱眞と云もここのこと。我儒のは皆有此理なり。天地の間に理なきものなし。禽獣草木にも理あるゆへ、皆有此理と云かありなりぞ。此塲をあの方て笑を含んでひそふして云へとも、此方はさまして云こと。皆太極で出來たゆへそれ々々理を持。程子のこれを云ふか太極のなりにて、太極圖にも上に丸がありて下にも氣化形化の丸があるが、皆ありなりなことなり。只爲從那裏來。太極のあそこから來たなり。爰をはたらいて云へば、天へ指をさしてあれあそこからと云もの。朱子答連嵩郷書に以天爲主以人爲主かと云るるがぎり々々の大切。わるく見ると儒佛か合一のやふになるか、身が主か天が主かと云ふてかたはつく。某がここの弁を天へ指をさすと云ふがそこなり。道之大原出於天と云もあそこからなり。万物一体皆有此理は、云へは発明てもなく靣白もないこと。これを汗をかいて悟をひらいたと云やふなことでなし。天地に孕れて居るゆへ一体と云ふ。あまり親切云はぬが儒の見とりと知るべし。
【解説】
「所以謂萬物一體者、皆有此理、只爲從那裏來」の説明。仏が「天地与我同根万物和我同体」と言うのと儒学で「万物一体」と言うのとは似て非なるものである。万物は太極でできたものだから皆理が備わっている。儒仏の違いは天を主とするか我が身を主とするかの違いである。
【通釈】
この条は語り出しで先ずこちらの意を言う。「所以謂」の三字は、我が儒がこの様に言う所はということ。こちらでは「万物一体」をこの様なものとして見るが、心の中では指す処もあって向こうに当てがあり、あちらで「天地与我一体万物与我同根」と言うのが聖人の道と同じことだと言うが、似て非なることがあるということを程子が知らない顔をして最初に言ったのである。「近理而大乱真」と言うのもここのこと。我が儒のは「皆有此理」である。天地の間に理のないものはない。禽獣草木にも理があり、皆有此理と言うのがあるがままのこと。この場をあの方では笑みを含んで秘蔵して言うが、こちらは覚まして言う。皆太極でできたのだからそれぞれに理を持つ。程子がこれを言うのが太極の姿のことであり、太極図にも上に丸があって下にも気化形化の丸があるのが皆あるがままのことである。「只為従那裏来」。太極のあそこから来たもの。ここを動きで言えば、天へ指を指してあれあそこからと言うこと。朱子答連嵩卿書に「以天為主以人為主」と言われたのが至極の大切。悪く見ると儒仏合一の様になるが、身が主か天が主かと言うので片は付く。私がここの弁を天へ指を指すと言うのがそこ。「道之大原出於天」と言うのもあそこからである。「万物一体皆有此理」は、いわば発明でもなく面白くもないこと。これは汗をかいて悟りを開いたという様なことではない。天地に孕まれているので一体と言う。あまり親切に言わないのが儒の見取りだと知りなさい。
【語釈】
・天地与我一体万物与我同根…「天地与我同根、萬物和我同体」。
・近理而大乱眞…中庸章句序。「則吾道之所寄不越乎言語文字之閒、而異端之説日新月盛、以至於老佛之徒出。則彌近理而大亂真矣」。
・道之大原出於天…漢書董仲舒伝。「道之大原出於天。天不變、道亦不變」。

生々之謂易。易でかぎりなく物が出來る。迂斎の、番所のあきはないと云はるる。天地之間壽夭もあれども、番所の役人跡から出來々々するゆへあきはない。生々之謂易か、それか何て出來ると云ふに從那裏來なり。阴阳は年よれとも、太極の白髪になったことなし。生則一時生而完此理人則能推物則氣昏推不得云々。人間も禽獣も何もかも皆此理て出來る。人則能推は此方で申すこと。人は氣上が善く、仁義礼智を備へるゆへなり。禽獣もあれたけに此理を完ふして不足はないか、氣が昏蔽ゆへ推すことならぬ。ここへ一寸と人物の論を示せり。人は明德を持つゆへ知識て合点する。推は動の字、偏つかぬ。物則氣昏推不得は物も太極は同ことなれとも、氣か昏ゆへいつも一種の振舞。鶎はいつも時、犬はいつも門。中て猿が一ちかしこく藝もするが、あの藝は無理なり。あれは柿をとって食ひ木へ登るが持前、あれぎりのこと。人物知惠は違へとも、太極て出来たに違はないゆへ万物一体と云。一体を親切らしく云はわるい。ここの一体は西の銘の意のやふてはなし。然し二つではないか西の銘の一体と云は仁のこやし。あれで頑へひびく。
【解説】
「生生之謂易。生則一時生、皆完此理。人則能推、物則氣昏推不得」の説明。太極の生成は限りがない。人も物も太極からできるが、人の気だけが善く、仁義礼智を完備しているので、人のみが理を推すことができる。
【通釈】
「生々之謂易」。易で限りなく物ができる。迂斎が番所に空きはないと言われた。天地の間には寿夭もあるが、番所の役人は後から後からできるので空きはない。「生々之謂易」が、それが何でできるのかと言えば「従那裏来」である。陰陽は年が寄るが、太極が白髪になったことはない。「生則一時生而完此理人則能推物則気昏推不得云々」。人間も禽獣も何もかも皆この理でできる。「人則能推」はこちらを言うこと。人は気が善く、仁義礼智を備えるからである。禽獣も相応にこの理を完うして不足はないが、気が昏蔽なので推すことができない。ここへ一寸人物の論を示した。人は明徳を持つので知識で合点する。推は動の字と同じで、これに偏は付かない。「物則気昏推不得」は、物も太極なのは同じだが、気が昏なのでいつも一種だけの振舞いである。鶏はいつも時、犬はいつも門。中でも猿が一番賢くて芸もするが、あの芸に理はない。猿は柿を取って食い木へ登るのが持ち前で、それだけのこと。人物は知恵は違うが、太極でできたことに違いはないので万物一体と言う。一体を親切らしく言うのは悪い。ここの一体は西の銘の意の様ではない。しかし、それと別物ということではないが、西の銘の一体というのは仁の肥やしであり、あれで頑へ響くものなのである。
【語釈】
・生々之謂易…易経繋辞伝上5。「生生之謂易、成象之謂乾、效法之謂坤」。

惻隠のはっと云が隣の息子の井へ落たも我子の如く、人の眼病でこちの目も痛むやうになる様にべったりとしたことぞ。ここでは其やふに親切な意に見ることでない。ここは太極で出来るて一体と云こと。それて不可道也物不與有也か親切を云はずにざっと云ことなり。人に垩人もあれとも太極の外はなく、物には虵や蝮もあれども、あれか好てはない。皆理外てはなし。蚤虱も太極の分れたもの。無不與有なり。太極の分れたものゆへ虱か蚤にも成らず、蚤が虱にもならぬ。理を受て出來るゆへ一定してかわらぬ。因て書筐から出たやふな虫が人のからだから涌たことなし。大ふたしかなこと。そこで萬物一体と云ふ。不可通は氣昏推不得へかけて云。推ことならぬと云ても太極かないとは云れぬ。頓と理外な物はない。こふして見れは、をれかひそふな抔と云べからず。とかく理を吾ものと秘藏かり大事にするそ。よいやふてわるい。どこまでも上の從那裏來と云に深意あることなり。
【解説】
「不可道他物不與有也」の説明。ここは西銘の様に仁で一体になることではなく、皆太極からできるので一体だと言ったもの。万物に理外なものはない。理は自分のものだと言って秘蔵してはならない。
【通釈】
惻隠のはっとするのが、隣の息子が井戸へ落ちたのも我が子の様に思い、人の眼病でこちらの目も痛む様にべったりとしたこと。ここはその様に親切な意に見ることでない。ここは太極でできるので一体ということ。それで「不可道也物不与有也」が親切を言わずにざっと言ったこと。人には聖人もいるが太極の外はなく、物には蛇や蝮もいるが、あれが勝手になったのではない。皆理外ではない。蚤虱も太極の分かれたもので、「無不与有」である。太極の分かれたものなので虱が蚤にもならず、蚤が虱にもならない。理を受けてできるので一定で変わらない。よって書箱から出る様な虫が人の体から湧くことはない。それは実に確かなこと。そこで「万物一体」と言う。「不可道」は「気昏推不得」へ掛けて言う。推すことができないと言っても太極がないとは言えない。全く理外な物はない。こうして見れば、俺の秘蔵などと言ってはならない。とかく理を自分のものと秘藏がり大事にする。それはよい様で悪い。何処までも上の「従那裏来」に深意がある。

人只為自私自家軀殻上頭起意。人のかれこれ思て無常をも云。ここか程子の人物を語りて置て、さて人の了簡合かわるいとなり。佛老は我胸から建立して、天からてない。偖ここに某一つ発明あり。この句を異端へかけずに、この沢ゆへ異端が出來ると見へし。そこを廣く云へり。先日の師也過商也不及をここへかけて見よ。過不及が異端の種になる。道理を公共に見れはよいが、我胷て見ると道にそむく。これが異端の出來る根を云。そこで廣く人只と出す。禽獣は知惠かないゆへ持前のなりなれとも、人が知だけ私がある。先日もどこでか私意私欲のこと云たが、ここは私意なり。知見から始ること。此の私の字丁寧に吟味すへし。肉について欲をかわかすは私欲。私意は欲はなけれども、丁ど医者の見そこない。それと云が眼のさへぬにて自私なり。異端の出来る、根元からと知へし。中庸にも廿七章致廣大の章句か私意と有、知惠の字なり。知をきわめて私意のないやふにすると云は細工のないことなり。自家軀殻。そろ々々異端へやる。からだの上から了簡起すと云こと。ここへ持て来て彼以天爲主かが合ふ。上の從那裏來や道の大原出於天と云ふが公共の道理、垩賢の道なれとも、軀殻上頭からが異端をこる本なり。さて太極の道理を胷て理會すると云も我に靈妙あるゆへにて、それか生きた氣について生たものか道のやふなれとも、そこか見違て、本来は彼那裏より來るなり。そこて道体なり。我ものではなし。佛は吾心の灵妙なものを主張し、一切唯心造と云てこの胷から道体を云。仏のさとりは手前の金を人にあつけて、をれが金と云て向て流行すると云やふなもの。垩人のは日月のやふなもの。をれが日月と云ことはなし。金とは違ふ。学問は其胷て理會するなれとも、道は天なり。とこ迠も以我為主以天爲主の弁なり。
【解説】
「人只爲自私將自家軀殻上頭起意」の説明。仏老は天からではなく、自分の胸から建立するから、それで異端となる。人には知見があるから、それで私意ができる。肉についた欲は私欲であり、私意に欲はない。私意とは見立て違いのことである。躯殻上頭からするのが異端の起こる本となる。仏は自分の心の霊妙なものを主張するが、道は天にある。
【通釈】
「人只為自私自家躯殻上頭起意」。人がかれこれ思って無常をも言う。ここは程子が人物を語って置いて、さて人の了簡の合わせが悪いと言う。仏老は天からではなく、自分の胸から建立する。さてここで私に一つ発明がある。この句を異端へ掛けずにこの恩沢で異端ができると見なさい。そこを広く言う。先日の「師也過商也不及」をここへ掛けて見なさい。過不及が異端の種になる。道理を公共として見ればよいが、自分の胸で見ると道に背く。これが異端のできる根を言ったこと。そこで広く「人只」と出した。禽獣は知恵がないので持ち前の通りだが、人は知るだけ私がある。先日も何処かで私意私欲のことを言ったが、ここは私意のこと。それは知見から始まる。この私の字を丁寧に吟味しなさい。肉について欲を出すのは私欲であって、私意に欲はないが、丁度それは医者の見損ないと同じこと。それと言うのも眼が冴えないところからの自私である。異端のできるのは根元からのことと思いなさい。中庸二十七章の致広大の章句にも私意とあり、それが知恵の字のこと。知を極めて私意のない様にするというのは細工のないこと。「自家躯殻」。そろそろ異端へ行く。体の上から了簡違いが起きるということ。ここであの「以天為主」が合う。上の「従那裏来」や「道之大原出於天」というのは公共の道理で聖賢の道のことだが、躯殻上頭からが異端の起こる本となる。さて太極の道理を胸で理会するというのも自分に霊妙があるからであって、そこで生きた気に付いて生じたものが道の様だが、そこが見違いで、本来はあの那裏より来る。そこで道体である。それは自分のものではない。仏は自分の心の霊妙なものを主張し、「一切唯心造」と言ってこの胸から道体を言う。仏の悟りは自分の金を人に預けて、俺の金だと言って向こうで流行する様なもの。聖人のは日月の様なもの。俺の日月だと言うことはない。金とは違う。学問は胸で理会することだが、道は天である。何処までも「以我為主以天為主」の弁がある。
【語釈】
・師也過商也不及…異端2の語。
・廿七章致廣大の章句…中庸章句27集註。「不以一毫私意自蔽、不以一毫私欲自累。涵泳乎其所已知」。
・一切唯心造…

故看得道理小了他底。中庸天命性から無声無臭か天地の道理。それを拜領することて、向へあつけたてはない。人の息や血脉も天地にうけて天地の氣と共に動く。それも今ころりとなるとそれぎりで絶へる。なれとも天地の方て事はかけぬ。可笑ひことて、某迚もやかて柳橋の親父かやふにころりとなる。然るに天地の方で尭舜や孔子の死てもあちに事はかけぬ。佛はこちの胷て建立する道ゆへ天地を小くする。これをあちと見ると依旧大な道理なり。放這身來云々。学者へぢゃ程にこだわらぬかよい。繩を切って大海へ出すやふなもの。この身は天地のもの。此方一人のからだてない。釈迦や達磨の心性か往たり来たりするになる。又、衣や鉢の子を授るもそこなり。此方ては恭觀千歳心秋月照寒水と云かなにも尭舜之心が上みに堅ってあるてない。死して魂氣が天へ帰しては尭舜も桀紂も熊坂も一つになる。大な盗人になりたい迚、盗跖熊坂を祭ても受ぬ。天地へやると一枚の理になれとも、からたに縛れるゆへ小くなる。其縄を切てはなすと大きな道理になる。
【解説】
「故看得道理小了他底。放這身來」の説明。仏は天地の道理を拝領せず、身に縛られているのでその道理は小さくなる。身を放てば大きな道理となる。
【通釈】
「故看得道理小了他底」。中庸首章の天命性から末章の無声無臭までが天地の道理。それを拝領することであって、向こうへ預けるのではない。人の息や血脈も天地に受けたもので、天地の気と共に動く。それも今ころりとなるとそれぎりで絶える。しかし、天地の方では事欠かない。可笑しいことで、私などもやがては柳橋の親父の様にころりとなる。しかし、天地の方では堯舜や孔子が死んでも事欠かない。仏はこちらの胸で建立する道なので天地を小さくする。これを悪いと見れば依旧大な道理となる。「放這身来云々」。そこで学者はそれほど拘らないのがよい。縄を切って大海へ出す様なもの。この身は天地のもの。自分一人の体ではない。そうでないと釈迦や達磨の様に心性が往ったり来たりする様になる。また、衣や鉢の子を授けるのもそこである。こちらで「恭観千歳心秋月照寒水」と言っても、それは何も堯舜の心が上に固まってあるのではない。死んで魂気が天に帰れば堯舜も桀紂も熊坂も一つになる。大盗人になりたいと言って盗跖や熊坂を祭っても無駄である。天地へ遣れば一枚の理になるが、体に縛られるので小さくなる。その縄を切って離すと大きな道理になる。
【語釈】
・柳橋の親父…大原要助。
・依旧大…
・鉢の子…托鉢の僧が持って歩く鉄鉢。
・恭觀千歳心秋月照寒水…朱子文集巻4の斎居感興五言詩凡廿首の一。「恭惟千載之心。敬者是心之貞。聖人専是道心。秋月照寒水」。

一例看は上に人則能推とある。この段人只とあるを氣をつけてみよ。人か自私して別にのけるゆへ、釈迦や達磨の流が出来る。子思の天命性は人間から獅子も牡丹もそれて、一例に看て隔はない。雨のふるやふなもの。公方様の雨、万民の雨のと云こと天地になし。大小大。いかばかりかと云こと。快活は殊の外道理の活きて來ること。必竟禅坊主なとが本の道体を知らぬゆへ、どこへか引かるる。天地一牧ゆへと見れは、石原の先生て太極圖説の話をせられて氣散じなと云はるるが、拙者がの、ひそふなのと云ことないゆへなり。女なとか着るものや笄を簟笥へ仕舞てをいて折節出して見ては秘蔵する。異端もそれに引かるる。道はずう々々と流行するゆへ冷水一盃飲たやふなもの。何にもこだわることはなし。人も吝いと何事も快活てない。佛はしわい。金も山へ捨るやふなこともして悟ったと云へとも、道を握りつめて吝ひ。朱子の作弄してはなさぬと云へり。天命性は圣人も轎夫も同しこと。道体に隔はない。そこで天地と一枚と見れは快活なり。十五夜の月ををれか大事の月を見せふと云ことてない。あちは佛心仏性と云て我手て建立ゆへ快活てなし。九年酒のやふにしてたくわへをくことでなし。
【解説】
「都在萬物中一例看、大小大快活」の説明。自私するから仏の流儀ができる。天地は一体だから拘ることもなく、秘蔵する必要もない。仏は道を秘蔵しようとするから吝い。よって快活でない。
【通釈】
「一例看」では、上に「人則能推」とあり、この段に「人只」とあるのを気を付けて見なさい。人が自私して別に除けるので、釈迦や達磨の流儀ができる。子思の天命性は人間も獅子も牡丹も同じで、一例に看て隔てはない。それは雨の降る様なもの。公方様の雨、万民の雨ということは天地にない。「大小大」。大層ということ。「快活」は殊の外道理が活きて来ること。畢竟禅坊主などが本当の道体を知らないので、何処かへと引かれる。天地は一枚と見て、石原先生が溝口侯のところで太極図説の話をされた際に気散じと言われたが、それは自分のものだとか、秘蔵するということはないからである。女などが着る物や笄を箪笥へ仕舞って置いて折節出して見ては秘蔵する。異端もそれに引かれる。道はずんずんと流行するもので、それは冷水を一盃飲む様なもの。何も拘ることはない。人も吝いと何事も快活でない。仏は吝い。金を山へ捨てる様なことをもして悟ったと言うが、道を握り詰めて吝い。朱子が玩弄して離さないと言った。天命性は聖人も駕篭舁きも同じこと。道体に隔てはない。そこで天地と一枚と見れば快活である。十五夜の月を、俺の大事な月を見せようとは言わない。あちらは仏心仏性と言って我が手で建立するので快活でない。九年酒の様にして蓄え置くことではない。
【語釈】
・朱子の作弄してはなさぬ…朱子語類訓門人6。「大率禪學只是於自己精神魂魄上、認取一箇有知覺之物、把持玩弄、至死不肯放捨」。

釈氏以不知此云々。だたい道理は斯ふなれとも、見識て小くもする。そこを廣くかたりて、かわいや釈氏は知らぬとなり。中庸の證文がどこ迠も異端をひらいてあたまを上ヶさせぬ。佛が心の靈明赫爍を主張するゆへ、朱子も有知有覚ものを大切にすると云。仏は各別尊いやうに云へとも、もと二つはない。大名の金も中間の金も金に違はない。そこが天命の性なり。我かもののやふにするか違ひなり。山河大地の説は一切唯心造の説なり。なるほと此からだに靈妙を持てをるゆへ、あれは山、これは川と見る。それも此方が死ぬとあれもなくなる。然れば皆此心からと思ふ。されとも其心を上て天地が何に搆をふ。一心て天地を建立と云が、とかく奈何那身不得。からだにもちあつこふことはをかしいことぞ。天地の道理にかまはず此身て建立せふと云程なれとも、このからだにこまるは、身かあれは自ら飢寒かある。仏心仏性と云て悟ても、これに仕方かない。因て渠かすてはてたものは此からだとをもふ。いやものうるさものとする心のをき処かをき処ゆへ、身にもちあますなり。
【解説】
「釋氏以不知此、去他身上起意思、奈何那身不得」の説明。仏は心の霊明赫爍を主張するが、それは本来特別なものではない。仏は一心で天地を建立し、自分が死ねば全てはなくなると言うが、そこで彼等は我が身を持て余す。
【通釈】
「釈氏以不知此云々」。そもそも道理とはこの様なことだが、見識でそれを小さくもする。そこを広く語って、可愛そうに釈氏はそれを知らないと言った。中庸の証文が何処までも異端を闢いて頭を上げさせない。仏が心の霊明赫爍を主張するので、朱子も有知有覚のものを大切にすると言った。仏はそれを格別に尊い様に言うが、本来は別なものではない。大名の金も中間の金も金に違いはない。そこが天命の性である。自分のものの様にするのが間違いである。山河大地の説は一切唯心造の説である。なるほどこの体に霊妙なものを持っているので、あれは山、これは川と見える。それでも自分が死ねばあれもなくなる。それなら皆この心からのことだと思う。しかし、その心を上の天地がどうして構うだろうか。一心で天地を建立すると言うが、とかく「奈何那身不得」。体を持て余すのは可笑しいこと。天地の道理に構わず、この身で建立しようと言うほどだが、この体に困るのは、身があれば自ら飢寒があるからである。仏心仏性と言って悟っても、これには仕方がない。よって、彼は捨て果てるものがこの体だと思う。嫌うもの煩うものとする心の置き処が置き処なので、身を持て余すのである。
【語釈】
・有知有覚…朱子語類鬼神。「性即是理、不可以聚散言。聚而生、散而死者、氣而已。所謂精神魂魄、有知有覺者、氣也。故聚則有、散則無」。

故厭悪要得去尽根塵。道を得よふとするとき、からたて觸るものあり。六根六塵なり。根と云は所由來から云。六根あり。それに六塵か属く。耳目の二つても見聞せふの根かある。塵は其あたる処て穢るる。根塵のことは根と出る処を云。根と塵とは節要答呂子約書の能と所能のあやを云やふなもの。眼に視やふと云ふ根かある。其視る処か塵なり。此二つて心かかりになると見たもの。視聽は人の生きたはたらきなれとも、それを無そふとする。それさへ去ると、見ること聞くことにまよはぬと云。為心源不定。人の口上に若いときは何か何にも立ぬの、若ひ内は定らぬものじゃのと云か軽んじたこと。程子は佛を子ともあしらいなり。あの釈迦をつかまへて斯ふ云はるる。意外のやふなれども、見処がたきりて云へはそふなり。やかて圣人の道へ近く、さりとはこはいものなれとも、本の眼からは魂が定らぬと軽く云。あちは魂を定るものなれとも、根塵を去尽さふとするかさはかしく、天理を知ぬ。洪範の五事視聽のこと云てあり。耳目の聰明ことの外馳走すへきものに、それを潰そふが心源不定なり。正宗の刄をひき、明道の反鑑索照なり。必竟せつなかってのこと。こちてはそこをうろたへ悟らぬと云。さとらでさとるさとりなりけりなり。先年講説のときも云たと覚へたか、病人か食はふと云ゆへ持て行けはいやと云、淋いと云ゆへ看病人か行けはやかましいの、風でのぼせるのと云ふは病人ゆへどふもならぬ。
【解説】
「故卻厭惡、要得去盡根塵。爲心源不定」の説明。仏は「六根六塵」をなくそうとし、それがなければ迷わず魂が定まると言う。しかし洪範にもある通り、耳目は大切にすべきものである。それをなくそうとするのでは心は定まらない。
【通釈】
「故卻厭悪要得去尽根塵」。道を得ようとする時、体で触れるものがある。それが「六根六塵」である。根とは由って来る所から言う。六根があって、それに六塵が属く。耳目の二つにも見聞するという根がある。塵はその当たる処で穢れること。根塵は根と出る処を言う。根と塵とは節要の答呂子約書で能と所能の綾を言う様なもの。眼には視ようという根がある。その視る処が塵である。この二つで気懸かりになると見たもの。視聴は人の生きた働きだが、それをなくそうとする。それさえ去れば、見ること聞くことに迷わないと言う。「為心源不定」。人の口上に若い時は何も役に立たないとか、若い内は定まらないものだなどと言うが、それは軽んじたこと。程子は仏を子供あしらいにした。あの釈迦を捉まえてこの様に言われた。それは意外な様だが、見処が滾って言うのでその通りである。仏はかなり聖人の道に近くて恐ろしいものだが、本当の眼で見れば魂が定まらないと軽く言った。あちらは魂を定めようとして根塵を去り尽くそうとするが、それでは騒がしく、天理を知らない。洪範の五事に視聴のことがある。耳目の聡明は殊の外馳走すべきものなのに、それを潰そうとするのは「心源不定」である。正宗の刃を引き、明道の言う「反鑑索照」である。畢竟切ながってのこと。こちらはそれを狼狽え悟らないと言う。悟らで悟る悟りなりけりである。先年の講説の時も言ったと思うが、病人が食おうと言うので持って行けば嫌と言い、淋しいと言うので看病人が行けば喧しいと言う。風邪でのぼせるというのは、病人なのでどうにもならないこと。
【語釈】
・六根…六識を生ずる六つの感官。眼・耳・鼻・舌・身・意の総称。
・六塵…心を汚す六識の対象。色・声・香・味・触・法の六境。
・洪範の五事…書経洪範。「二、五事。一曰貌、二曰言、三曰視、四曰聽、五曰思。貌曰恭、言曰從、視曰明、聽曰聰、思曰睿。恭作肅、從作乂、明作晢、聰作謀、睿作聖」。
・反鑑索照…為学4の語。

故要得如枯木死灰。心にもちあつかいたこと。この語荘子か云たこと。精氣のないやふにと云へども、天地のいきものが、ぶどふでもちり々々艸でも切るとしほるる。枯木死灰は生たからたを精出てあふ成ろとかかる。せつなくてのことで、だたひ無理なこと。天下の者へ枯木死灰になれと天下中へふれても誰も合点はすまい。若もならは大病人などは程なくそれにもなろふ。脚夫か江戸まで日づけにゆくに枯木死灰になれと云てはうれしからぬ。そこて程子の枯木死灰にならすとも仕方もあろふが、それともにそれが御好ならはと、要有此理除是死也。これがましじゃと云こと。無送迎や物来順応がすら々々機嫌よいこと。偏なことはさしつまってのことなり。某は家来使ふまいと云ゆへなぜと問へば、家來が迯たり疫病て三人病てこりはてたもの。こちらによい家来を抱へたものは重年せよと云。家來に難義したものはす子る。夫があくんた跡のこと。大水のときは水はいや、火事の跡て火はわるいと云。皆こりたときのこと。何事ないものは、それは云はぬ。偖、この然れとも没此理云々からはまじ目になって云はるること。どふもこの理がなく、人作てならぬこと。誠に死生を怖るからぞ。無常じゃと見たがをこりなり。天地の方にはあわれとは思はふ筈はなし。清少納言が、花もちりての後はうたてくぞあると、咲かぬかよいと云。無常を観するも人はかりなり。本と微物ては無常とは思はぬものゆへ、花も散ての後はと云た。人も死での後はと云へば発明にはならす。天地生々之謂易。樹を伐ると萠蘖[ひこばへ]が出る。天地が枯木死灰にはならぬこと。生たからだを石瓦のやうにせふならこちにもあるか、達て御望ならころりとなるより外はない。上下の句、荘子の字。欲易死而已と云。
【解説】
「故要得如枯木死灰。然沒此理。要有此理、除是死也」の説明。そもそも枯木死灰は無理なことだが、それをしたければ死になさいと程子が言った。天地は絶えず生々し、枯木死灰にはならない。
【通釈】
「故要得如枯木死灰」。心に持て余すこと。この語は荘子が言ったこと。精気のない様にすると言っても、天地の生き物であれば葡萄でも散り散りになり、草も切れば萎れる。枯木死灰は生きた体を精出してあの様になろうと掛かること。それは切ないからのことで、そもそも無理なこと。天下の者に枯木死灰になれと天下中へ触れても誰も合点はしないだろう。もしもそうなる人がいるとすれば、大病人などはほどなくそれにもなるだろう。脚夫が江戸まで日着けで行くところで枯木死灰になれと言われては嬉しくはない。そこで程子が枯木死灰にならなくても仕方もあるだろうが、それも御好きであれば、「要有此理除是死也」と言った。死ぬ方がましだということ。「無将迎」や「物来順応」がすらすらとして機嫌のよいこと。偏なことは差し詰まってのこと。私は家来を使わないと言うので何故かと問えば、家来が逃げたり疫病で三人病んだりして懲り果てたからだと言う。こちらによい家来を抱えた者は重年しろと言う。家来に難儀した者は拗ねる。それは倦んだ後のこと。大水の時は水は嫌、火事の後で火は悪いと言う。皆懲りた時のこと。何事もない者は、それは言わない。さて、この「然没此理云々」からは真面目になって言われたこと。どうもこの理がなく、人作では悪い。それは誠に死生を怖れるからである。無常だと見たのがその起こりである。天地の方で哀れと思う筈はない。清少納言が、花も散りての後は転てくぞあると、咲かない方がよいと言う。無常を観するのは人だけである。本来微物は無常と思わないものなので、花も散りての後はと言った。人も死んでの後はと言っても発明にはならない。「天地生々之謂易」。樹を伐ると蘖が出る。天地は枯木死灰にはならない。生まれた体を石瓦の様にしたいのなら、こちらにも仕方があることだが、たってそれを御望みならころりとなるより外はない。上下の句は荘子の字。「欲易死而已」と言った。
【語釈】
・枯木死灰…荘子斉物論。「形固可使如槁木、而心固可使如死灰乎」。同知北遊。「形若槁骸,心若死灰,真其實知,不以故自持」。同庚桑楚。「身若槁木之枝而心若死灰」。同徐無鬼。「夫子物之尤也。形固可使若槁骸、心固可使若死灰乎」。
・日づけ…日着け。その日のうちに目的地へ達すること。
・無送迎…為学4。「明道先生曰、所謂定者、動亦定、静亦定、無將迎、無内外」。
・物来順応…為学4。「聖人之常、以其情順萬事而無情。故君子之學、莫若廓然而大公、物來而順應」。
・欲易死而已…

釈氏其實是愛身放不得。上に釈氏の沙汰のない前は廣く放這身來と云て、ここへそれをもって來て放不得と云が、某しはいと云弁がここなり。からだは入らすとすてるは悟りなり。そこは吝くないやふなれとも、仏心仏性のと大事がるが、それが即身を愛してのこと。天にはをれかのと云ことはない。月にをれか月と封は付られぬ。我道具を二重箱にして重宝し、或は脚からも出した金は長者がつかはぬ。然るに天地自然に愛すると云ことはない。必竟胷からもみ出すゆへ愛する。勿把金針度與人。とかくをしかるゆへ愛する。この身もやはり上の軀穀のことなり。先日釈氏怖死生と云。あれも怖はせぬか、推して云へはをそるるなり。某前に書て置けるか、仏はすてるふりてすてぬなり。吝稟なものの錢をつかふがあてにならぬ様なもの。故説許多。こちは一阴一阳之謂道と空へ向て讃をしたもの。吾からだのことでなし。子思の天命性と宿札打て置れた。皆万代の證文になる。あちは馬祖はこふ云の、臨済はあふ云のとそれ々々にかはる。朱子、斎戒変爲義学との意にてもとこしらへたこと。色々に云ふなり。乾屎橛麻三斥と翻轉し、即身即仏非心非佛なと反復する。原の白隠か掃地潑水相公來る。そんなことてはないと云ふた。あちこち説許多なり。我儒は尭舜惟一の訓てすむ。
【解説】
「釋氏其實是愛身、放不得。故説許多」の説明。体は不要だと言って捨てるのは悟りだが、仏心仏性と大事がるのが即ち、身を愛してのこと。仏は捨てる振りをして捨てない。また、仏は「説許多」だが、こちらは「惟精惟一」のみである。
【通釈】
「釈氏其実是愛身放不得」。上に釈氏の沙汰のない時は広く「放這身来」と言い、ここへそれを持って来て「放不得」と言う。私が吝いと言った弁がここのこと。体は要らないと言って捨てるのは悟りである。そこは吝くない様だが、仏心仏性と大事がるのが即、身を愛してのこと。天には俺のだと主張することはない。月に俺の月だと封は付けられない。自分の道具を二重箱に入れて重宝にし、或いは脚からも出した金は長者は使わない。しかしながら、天地自然に愛するということはない。必竟それは胸から揉み出すから愛するのである。「勿把金針度与人」。とかく推し量るので愛する。ここの身もやはり上の躯殻のこと。先日「釈氏怖死生」と言った。あれも怖れはしないが、推して言えば怖れているのである。私が前に書いて置いたが、仏は捨てる振りをして捨てない。それは吝稟な者が銭を使うのが当てにならない様なもの。「故説許多」。こちらは「一陰一陽之謂道」と空へ向かって讃をする。自分の体のことではない。子思が天命性と宿札を打って置かれた。それが皆万代の証文になる。あちらは、馬祖はこう言ったとか臨済はあの様に言ったとそれぞれに変わる。朱子は斎戒変為義学の意で本来拵えたこと。色々に言う。乾屎橛、麻三斤と翻転し、即身即仏非心非仏と反復する。原の白隠が「掃除潑水相公来」。そんなことではないと言った。あちこちと「説許多」である。我が儒は堯舜惟一の訓で済む。
【語釈】
・勿把金針度與人…朱子語類朱子1。「所謂鴛鴦繡出從君看、莫把金針度與人、他禪家自愛如此」。
・釈氏怖死生…異端4。「釋氏本怖死生爲利」。
・一阴一阳之謂道…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也」。
・斎戒変爲義学…朱子語類釈氏。「佛氏乘虚入中國。廣大自勝之説、幻妄寂滅之論、自齋戒變爲義學」。
・乾屎橛…法話の一。雲門和尚に修行僧が仏とは何かと尋ねると、乾屎橛だと答えた。乾屎橛は糞を掻き出す棒。
・麻三斥…麻三斤。法話の一。洞山和尚に修行僧が仏とは何かと尋ねると、麻三斤だと答えた。
・原の白隠…江戸中期の臨済宗の僧。名は慧鶴、号は鵠林。駿河の人。若くして各地で修行、京都妙心寺第一座となった後も諸国を遍歴教化、駿河の松蔭寺などを復興したほか多くの信者を集め、臨済宗中興の祖と称された。気魄ある禅画をよくした。1685~1768
・掃地潑水相公來…白隠。
・惟一…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。

譬如負販之蠱云々。説許多へ此譬をかけるかよし。去尽根塵の枯木死灰のと手前から云なから、その通にならぬ。それと云が自然でないゆへのこと。負販の虫にて欲易死而已より外なし。柳文負販の傳あり。この虫かそこの塵ここの芥、あたりにあるものをいやか上に我背へつける。たん々々負てくるしむゆへ人か取てやれは、又自ら負ふと桺子厚のことあり。佛かそふなり。根塵を去ふとしても去れぬ身から苦労すると云やふなもの。又如投石抱河云々。又ここに投河のことかある。今朝廣瀬の脚夫か去年五月今日梅原か贈られし枯魚を持し來り、同六日江戸にて溺死のこと追念し、羅山詩集を開けば不圖直に小奚を悼みの和哥ありて感しき。この句又投河のことあり。これ偶ふか、程子のまだあるなり。石を抱てすてぬゆへ、いよ々々沈む。根塵を去り枯木死灰を欲し、手前の胸てして万物の上へ置かぬ。心て心を病むと云も万物一体をしらぬゆへと迂斎云へり。道理を一つ我建立すると云はとふても石を抱くのなり。身か重くなる。此譬はつまり放不得のことなり。物を負ひ石を抱く。皆放つことのならぬ。
【解説】
「譬如負版之蠱、已載不起、猶自更取物在身。又如抱石投河、以其重愈沈、終不道放下石頭、惟嫌重也」の説明。仏は根塵を去ろうとしても去れず、自らが苦労する。道理を自分の内に建立するのは石を抱いて河に投じるのと同じ。それでは身を放つことはできない。
【通釈】
「譬如負版之蠱云々」。「説許多」にこのたとえを掛けるのがよい。「去尽根塵」や「枯木死灰」と自分から言いながら、その通りにはならない。それというのが自然でないからのこと。「負版之虫」だから「欲易死而已」より外はない。柳文に負版の伝がある。この虫がそこの塵ここの芥と辺りにあるものをいやが上に自分の背へ積む。負い過ぎて苦しむので人が取って遣れば、また自ら負うと柳子厚が言った。仏がそれである。根塵を去ろうとしても去れず、自らが苦労するという様なもの。「又如投石抱河云々」。またここに投河のことがある。今朝、広瀬の脚夫が去年五月の今日に梅原から贈られた枯魚を持って来て、同六日、江戸で溺死したことを追念して羅山詩集を開くと図らず直に小奚を悼む和歌があって感じ入った。この句にはまた投河のことがある。これは偶々だが、程子の方はまだある。石を抱えて捨てないので、いよいよ沈む。根塵を去り枯木死灰を欲し、自分の胸でして万物の上へ置かない。心で心を病むというのも万物一体を知らないからだと迂斎が言った。道理を一つ自分の内に建立するというのはどうでも石を抱くことになる。身が重くなる。このたとえはつまり「放不得」のこと。物を負い石を抱く。それでは皆身を放つことができない。
【語釈】
・桺子厚…柳宗元。773~819
・小奚を悼みの和哥…


第七 人有語導氣者条

人有語導氣者。問先生曰、君亦有術乎。曰、吾嘗夏葛而冬裘、飢食而渇飮、節嗜欲、定心氣。如斯而已矣。
【読み】
人に導氣を語る者有り。先生に問いて曰く、君も亦術有りや、と。曰く、吾嘗て夏に葛して冬に裘し、飢うれば食いて渇すれば飮み、嗜欲を節し、心氣を定む。斯くの如きのみ、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書四にある。

これは佛てなく仙術のことなり。宋朝などでも余程はやったこと。導氣は、按摩導引なと云かこの導なり。つまり氣を錬ることて、医者には縁あり。それから修行して仙人にもなる。氣の持やふを導氣と云。喜怒か氣のさわりになる。老子の如嬰兒かそれゆへなり。惻隠の發も不養生、あまり親切なは導氣の邪魔なり。石井左仲か疱瘡の療治に心を尽し、我病中に其事を語た。それほとの親切てなけれは仁の沙汰にも入らぬか、導氣摂養にはわるい。そこて人かせかせてもにこ々々して、彼嬰兒をして居る。此方の氣はつかはぬ。偖この男か導氣のこと仕覚へたと見へる。程子へも少しは自慢て氣のこと仕伏たと語たてあろふ。君亦有術乎。先生も氣の子りやうを只は通すまい。他分こちに違ふまいと自慢の意が見へる。語意が千歳へのこるもの。この問がつっかかりた語でない。曰吾嘗夏葛而冬裘云々。或人は伊川の何をかと聴耳立たとき、夏は帷子、冬は綿入、空腹に飯、咽のかわくに湯、身についた欲を節すると云。丁との礼にかなはせるか節。それを絶てはない。節すと云をよくみよ。寒ひに酒少しが咎てはない。直方先生、呑たい々々々と云かわるいとなり。有所好樂不得其正と云。節せぬなり。
【解説】
「人有語導氣者。問先生曰、君亦有術乎。曰、吾嘗夏葛而冬裘、飢食而渇飮、節嗜欲」の説明。これは仙術への弁である。導気を会得した者が伊川に術のことを尋ねると、伊川はただ「吾嘗夏葛而冬裘、飢食而渇飲、節嗜欲」だと言った。
【通釈】
これは仏のことではなく仙術のこと。宋朝などでもこれがかなり流行った。「導気」は、按摩導引などというのがこの導である。つまり気を錬ることで、医者はこれに縁がある。それから修行して仙人にもなる。気の持ち様を導気と言う。喜怒が気の障りになる。それで老子が「如嬰児」と言った。惻隠の発も不養生、あまりに親切なのは導気の邪魔である。石井左仲が疱瘡の療治に心を尽くし、自分の病中でもその事を語った。それほどの親切でなければ仁の沙汰にも入らないが、導気摂養には悪い。そこで、人が急かせてもにこにこしてあの嬰児をしている。こちらは気を使わない。さて、この男は導気のことを仕覚えたものと見える。程子へも少しは自慢で気のことをし終えたと語ったのだろう。「君亦有術乎」。先生も気の練り様を簡単なこととはしないだろう、多分こちらと違わないだろうと自慢する意が見える。この語意が千歳へ残るもの。この問いは突っ掛かって言った語ではない。「曰吾嘗夏葛而冬裘云々」。或る人が伊川が何を言うのかと聞き耳を立てると、夏は帷子、冬は綿入、空腹には飯、咽が渇けば湯、身に付いた欲を節すると答えた。丁度の礼に叶わせるのか節で、絶つことではない。「節」と言うのをよく見なさい。寒い時に少々酒を飲んでも咎はない。直方先生が、呑みたいと言うのが悪いと言った。「有所好楽不得其正」と言う。それは節をしないからである。
【語釈】
・導引…①道家で行う一種の治療、養生法。関節・体肢を屈伸・動作させたり、静座・摩擦・呼吸などを行なったりする。長生の法という。②按摩。
・如嬰兒…老子道経能為。「載營魄抱一、能無離。專氣致柔、能嬰兒」。
・石井左仲…
・有所好樂不得其正…大学章句7。「所謂脩身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正。有所恐懼、則不得其正。有所好樂、則不得其正。有所憂患、則不得其正」。

定心氣は惣体の心もちのこと。定は動ぬを云。定性書の定がこれなり。どふせうこふせふは定らぬか、理なりにすることと迂斎云。理なりにせぬと定らぬもの。天命を知ると定る。雷かあたまの上へ落てはたまらぬが、あれに別に定めやふはない。然るに雷に心の動ぬやふはあるまいかと云ときに、雷は天地にあること。雷に撃ころされたものもあり、あることの來るはどふもならぬ。そこで定る。朱子の在水裏云々も是非に及はぬと云まてのことなり。そこを定ると云。別法なし。生死の大ひこと、それさへ定るからは平生のことは定るはつなり。それかないゆへ箸の上けをろしにさわぐ。昨日貴様の御噂と云と、それはとふ云こととはやこちから迎に出る。どふ云はふとも放下[うっちゃっ]て置かよい。此方を理なりにするて向に頓着はない。ここを知ぬゆへ、心氣がうは々々して風ふきの蝋燭なり。伊川の斯心得て、これより外は何も知らぬとなり。
【解説】
「定心氣。如斯而已矣」の説明。心気を定めるとは、向こうに頓着せず、こちらが道の通りにすること。
【通釈】
「定心気」は総体の心持ちのこと。定は動かないことを言う。定性書の定がこれ。どうしようこうしようと言うのでは定まらない、理の通りにすることだと迂斎が言った。理の通りにしなければ定まらないもの。天命を知ると定まる。雷が頭の上に落ちては堪らないが、あれに対する特別な定め方はない。しかし、雷に心が動かない様にする方法はないかと言えば、雷は天地のこと。雷に撃ち殺された者もいて、あることが来るのはどうにもならない。その様に思うことで定まる。朱子の「在水裏云々」も仕方がないと言うまでこと。そこを定めると言う。他に方法はない。生死の大きいことまで定めるのだから、平生のことは定まる筈である。それがないので箸の上げ下ろしにまで騒ぐ。昨日貴様の御噂でと言うと、それはどういうことかと早くもこちらから迎えに出る。どの様に言われても放って置くのがよい。こちらを理の通りにするのが大事であって、向こうに頓着はない。ここを知らないので、心気がうはうはする。それは風が吹く中の蝋燭である。伊川はこの様に心得て、これより外は何も知らないと言ったのである。
【語釈】
・在水裏…朱子語類朱子4。「死生有命、如合在水裏死。須是溺殺、此猶不是深奧底事、難曉底話」。

この通りか自然のこと。大学の誠意正心かここの塲。克己復礼もここ。跡は胷がすらりとして七情に奪はれぬ。修養家は一つ修練あること。鈆汞[えんこう]龍虎のと云。龍は水に属し阴て魄、虎は風に属し火で阳魂とす。皆假名で、つまり魂魄をへったりだきつかせてはなれぬやふにするを導氣と云。寐られぬときに梅干をなめて子れは寐られると云が、寐られずは垩賢の書でもよめ。梅干なめるかそれも術の内そ。道家は術がある。息つかい迠仕方あるなり。垩学ては寐られぬは人欲多いゆへ心さわかしさのこと。寐られずは書でも尋繹して味へ。或はそれても寐られすは起きて何そ用を足すがよい。垩賢のは理から定めること。外に術はない。偖、佛とは違へとも、導氣のことも圣賢の道にそむくゆへ弁せらるる。この矣の字も、語録にて門人の一寸記したゆへ文章の吟味は入らぬか、このとき伊川の此外に何もないと語意がつよかったゆへにこそ矣の字を記者か用たなり。尻声かつよかったなり。
【解説】
聖賢は理から定めるのであって、術では定めない。導気も聖賢の道に背くので弁じられたのである。
【通釈】
この通りなのが自然なこと。大学の誠意正心がここの場。克己復礼もここ。後は胸がすらりとして七情に心が奪われない。修養家には一つ修練がある。鈆汞が龍虎などと言う。龍は水に属し陰で魄、虎は風に属して火で陽魂とする。皆たとえて言ったことで、つまり魂魄をべったり抱き付かせて離れない様にするのを導気と言う。寝られない時に梅干を舐めれば寝られると言うが、寝られなければ聖賢の書でも読め。梅干を舐めるのが術の内である。道家には術がある。息使いにまで仕方がある。聖学では、寝られないのは人欲が多いからのことで、それは心の騒がしさであるとする。寝られなければ書でも尋繹して味わえ。或いはそれでも寝られなければ起きて何か用を足すのがよい。聖賢のは理から定めることで外に術はない。さて、仏とは違うが、導気のこともそれが聖賢の道に背くので弁じられた。この「矣」の字も語録で門人が一寸記しただけのことだから吟味は要らないことだが、この時に伊川がこの外には何もないと言った、その語意が強かったので矣の字を記者が用いたのである。言葉尻が強かったのである。
【語釈】
・鈆汞…
・尋繹…たずね調べること。研究すること。


第八 佛氏不知阴阳昼夜死生古今条

佛氏不識陰陽・晝夜・死生・古今。安得謂形而上者、與聖人同乎。
【読み】
佛氏は陰陽・晝夜・死生・古今を識らず。安んぞ形而上なる者を謂うこと、聖人と同じきを得んや。
【補足】
・この条は、程氏遺書一四にある明道の語。

佛を不識と云も此方から見破て云。あちでは十分に知た顔で知らぬなり。阴阳昼夜死生古今か天地のはたらきはこびなり。天地はかきりなけれとも、この四でずう々々と向へ往が見へる。それを知るが此方て大事かることでなく、これか天地の道と見ること。それて圣人の道は滞らぬ。仏氏は滞る。滞らぬは向へすっ々々と万古進てゆく。仏の因果報応、どうでもうつり香がする。垩人の道は大風のとき伽羅を炊くやふなもの。仏はとめて殘る。だだい道はとめられぬに、とめるたけかうるさい。そこを不識と云ふ。今朝思ひ出せしか、今日人の他出するやふなもの。東金よりここへ今朝來たものか宿へ帰るときは、ここへ來ただけ持て帰るではない。天地は向へ行きぬける。からたは宿へ歸りても我身は向へ行く。前に別れた者に五年過てあへば、向の年のよりたがよく見ゆれども、今朝東金より來た者のは眼に見へぬが、来ただけの年はよる。今年今月只今は一度きりで向へ年ははこんて行く。易は逆数と云もそれにて、向へすすみて跡へかへることなし。去年から今年、今年より來年とすすむ。前かこいしくなるかいやな見識。をらが若ひときはと云か、あとへふり返るゆへなり。向へすすむて、それて流行する。太極圖解に綱記造化流行古今と云もここの大切の処。阴阳昼夜死生古今滞らずずっ々々と行くが道のなりぞ。迂斎の講日一六と云に始てより、某か今日讀迠は八十年にもなろふが、此後文七抔が續と又向へ行て古今滞りはせぬ。
【解説】
天地の働きは「陰陽昼夜死生古今」と先へ絶え間なく進み、戻ることはない。それで流行する。しかし、仏は止まり滞り、後ろを思う。
【通釈】
仏を「不識」と言うのもこちらから見破って言ったこと。あちらは十分に知った顔をしているが知らないのである。「陰陽昼夜死生古今」が天地の働き、運びである。天地は限りないが、この四つでずんずんと向こうへ往くのが見える。それを知ることはこちらで大事がることでもなく、これが天地の道だと見るだけのことである。それで、聖人の道は滞らないが、仏氏のは滞る。滞らないから向こうへすっすっと万古進んで行く。仏の因果応報はどうしても移り香がする。聖人の道は大風の時に伽羅を焚く様なもの。仏は止まって残る。そもそも道は止められないものなのに、それを止めるだけ煩い。そこを不識と言う。今朝思い出したことだが、今日人が他出する様なもの。東金よりここへ今朝来た者が宿へ帰る時は、ここへ来た分を持って帰るわけではない。天地は向こうへ行き抜ける。体は宿へ帰っても我が身は向こうへ行く。前に別れた者に五年過ぎて会えば、向こうの年が寄ったことがよくわかるが、今朝東金より来た者の年が寄るところは眼に見えない。しかし、来ただけの年は寄る。今年今月只今は一度限りで、向こうへ年を運んで行く。易は逆数と言うのもそれで、向こうへ進んで後に返ることがない。去年から今年、今年より来年と進む。前が恋しくなるのが嫌な見識。俺が若い時はと言うのが後へ振り返ることである。向こうへ進むから、それで流行する。太極図解で「綱紀造化流行古今」と言うのもここの大切な処。陰陽昼夜死生古今で滞らずにずっずっと行くが道の姿である。迂斎の講日は一六から始まり、それから私が今日読むまでに八十年にもなるだろうが、この後文七などが続けるとまた向こうへ行って古今滞りはしない。
【語釈】
・易は逆数…卦の最下位を初、次を二、次を三、次を四、次を五、最上を上とすること。
・綱記造化流行古今…太極図説朱解。「此天地之閒、綱紀造化、流行古今、不言之妙」。
・一六…毎月一と六のつく日。この日は、休日・稽古日・寄合日・講釈日などであった。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。筆記力に優れる。

すすむは氣なれとも、すすむ所以か道にて、無くなるも生するも天地の流行、道のなりなり。佛は阴阳昼夜死生古今をすて、外に一つ道を見ふとする。こちはここに道あると知る。あちで無常迅速と云其なりがすぐに本来の面目と氣が付ず、外に見付やふとそこに滞る。とど根ずみのせぬにて阴阳昼夜云々の取あつかいに合点かない。そこを道とすることを知らぬ。安得謂形而上者与垩人同乎。あちも高ひことは此方に似たことを云か、此方の形而上じゃの垩人のと同じのとは云はぬ。安得謂の三字か形而上だの垩人のと同のと云れぬと云こと。ここに與の字あるゆへ、仏の方の形而上か此方の垩人の道と同しことぢゃと云はふが、それとは違ふ。中々そふは言はせぬ、と。文義のとりやふであちでも形ないを道とし、こちても形ないを道とするゆへ形而上があちにもあれども、其形而上がこちの垩人の道と同しことと思はふか、似て違ふと云やふに見へるかそれはわるい。節要六答韓無咎書に云てあり。根からあちのは知らぬと云ことなり。
【解説】
進むのは気だが、進む所以が道である。仏は天地の流行を捨ててその外に道を見ようとする。仏にも形而上があり、それが聖人の道と同じだと思うことも、それは似て違うものだと思うことも間違いである。仏は根から道を知らないのである。
【通釈】
進むのは気だが、進む所以が道であって、無くなるのも生じるのも天地の流行、道の姿である。仏は陰陽昼夜死生古今を捨てて外に一つ道を見ようとする。こちらはここに道があると知る。あちらで無常迅速と言うその姿が直に本来の面目であることに気付かず、外に見付けようとする。そこが滞りである。つまりは根済みがしないからであって、陰陽昼夜云々の取り扱いに合点がない。そこを道とすることを知らない。「安得謂形而上者与聖人同乎」。あちらも高いことではこちらに似たことを言うが、こちらの形而上と同じだとか、聖人のと同じだとは言えない。「安得謂」の三字が、形而上だとか聖人のと同じだとかとは言えないということ。ここに「与」の字があるので仏の方の形而上がこちらの聖人の道と同じことだと主張するが、それとは違う。中々その様には言わせない。文義の取り方であちらでも形ないものを道とし、こちらでも形ないものを道とするので形而上があちらにもあり、その形而上がこちらの聖人の道と同じと思うのだろう。そこで、これは似て違うことの様に見えるが、その様に見るのは悪い。節要六答韓無咎書にこれを言ってある。根からあちらは知らないのである。


第九 跡上の断の条

釋氏之説、若欲窮其説、而去取之、則其説未能窮、固已化而爲佛矣。只且於迹上考之、其設敎如是、則其心果如何。固難爲取其心、不取其迹。有是心則有是迹。王通言心迹之判、便是亂説。故不若且於迹上斷定不與聖人合。其言有合處、則吾道固已有。有不合者、固所不取。如是立定、卻省易。
【読み】
釋氏の説は、若し其の説を窮めて、之を去取せんと欲せば、則ち其の説の未だ窮むること能わざるに、固より已に化して佛と爲らん。只且く迹の上に之を考うるに、其の敎を設くること是の如くんば、則ち其の心果たして如何。固より其の心を取りて、其の迹を取らざるを爲し難し。是の心有らば則ち是の迹有り。王通の心迹の判を言えるは、便ち是れ亂説なり。故に且く迹の上に於て聖人と合わざるを斷定するに若かず。其の言に合う處有らば、則ち吾が道固より已に有り。合わざる者有らば、固より取らざる所なり。是の如く立て定めば、卻って省易なり。
【補足】
・この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

この章、仏を弁するにあらくかかる。伊川の跡上の断と云かこれなり。学者の則になることなり。欲究其説而去取之。あちの窠窟を知ら子は撞れぬゆへ、昔から斯ふ出るはつなり。佛經や禪録を見て去取せんと云。地理を知子は軍はならぬやふなもの。なる程そふするかよいはつなり。朱子の佛を弁するのよいも、若ひとき仏学してあちを知ぬいて居るゆへのことなり。其説未能究固已化而為佛。中々仏のことか見られぬもの。あちを弁するに仏説をきわめる迚、還って此方があぶない。遊所へ迎に往たものかつい一抔のむ内に心が替るやふなもの。迂斎の漆にかぶれる者がうるし屋へゆくとなり。仏を弁するにもあんばいあること。根から知らずにはならぬが、それからして引こまるることあり。
【解説】
「釋氏之説、若欲窮其説、而去取之、則其説未能窮、固已化而爲佛矣」の説明。仏を知らなければ仏を弁じることはできないが、仏を知ろうとしてそれに引き込まれることもある。
【通釈】
この章では仏を粗く弁じる。伊川の迹上の断と言うのがこれで、学者の則になること。「欲窮其説而去取之」。あちらの巣窟を知らなければ撞くことができないので、昔からこの様に出る筈のこと。仏経や禅録を見て去取すると言う。それは、地理を知らなければ軍はできない様なもの。なるほどそうするのがよい筈である。朱子の仏を弁するのがよいのも、若い時に仏学をしてあちらを知り抜いているからである。「其説未能窮固已化而為仏」。中々仏のことは見られないもの。あちらを弁じるために仏説を窮めると言うが、それでは却ってこちらが危ない。遊所へ迎えに行った者がつい一杯飲む内に心が変わる様なもの。迂斎が、漆に被れる者が漆屋へ行くのと同じだと言った。仏を弁じるにも塩梅がある。根から知らないのでは弁じられないが、それをすることで引き込まれることがある。
【語釈】
・跡…事、行い。

只且於迹上考之。ここかよい。仏經禅録と云はずに、あれか出家するかわるい、なぜ親をすて、なぜ天地自然の女房を持ぬと云。高妙な訳もあろふか、訳迠は聞まい。何ほど心か清淨ても悟りを開いても、跡がつまらぬ。孩提之童無不知愛其親。これはすってもはげぬ。水昌の白かそれなり。無知な子が親の方へ這って行く。それに縁を切るは何事そ。某前々云、天地に天と云夫とあれは地と云女房あり。仏も犬に出家せよと云ぬか犬のか天地自然なり。五倫を捨れは心か淨くなると云。それかつまらぬ。宋のはやりものが仏なり。佛と云ても今日の仏とは違ふ。初め学者て揚大年なとから東坡なとも、つまり仏なり。その後は程子の息きもかかれとも佛めいた。本の仏は大ふ高上なこと。ここの席のものやこのあたりの者は迷はぬ。游揚の歴々て淫佛老とある。正献公呂栄公も足を入れた。それからして張無垢になりたなり。皆学者ゆへ跡はとらぬ。あの高妙な処を取ると云。そこて為難取其心不取其跡なり。心はよいゆへ取て跡は取ぬと云こと、たたい無ひこと。此の語か責るてなく、そふならぬなり。
【解説】
「只且於迹上考之、其設敎如是、則其心果如何。固難爲取其心、不取其迹」の説明。仏は五倫を捨てれば心が清浄すると言うが、それが悪い。宋では仏教が流行ったが、それは今日とは違って学者によるものである。高妙なところを取って迹は捨てたが、それは本来有り得ないこと。
【通釈】
「只且於迹上考之」。ここがよい。仏経禅録とは言わずに、あれが出家するのが悪い、何故親を捨て、何故天地自然の女房を持たないと言う。それには高妙な訳もあるのだろうが、訳までは聞かない。どれほど心が清浄でも悟りを開いても、迹が詰まらない。「孩提之童無不知愛其親」。これは擦っても剥げない。水晶の白いのがそれである。無知な子が親の方へ這って行く。それに縁を切るとは何事か。私が前々に言ったことだが、天地に天という夫があれば地という女房がある。仏も犬に出家しろとは言わない。それが犬の天地自然である。五倫を捨てれば心が浄くなると言うが、それか詰まらないこと。宋の流行りものが仏である。仏と言ってもそれは今日の仏とは違う。初めは学者からのことで、楊大年などから蘇東坡なども、つまりは仏である。その後は程子の息も掛かったが仏めいた。本当の仏は大分高上なこと。ここの席の者やこの辺りの者は迷わない。游楊の歴々でも「淫仏老」とある。正献公や呂栄公も足を入れた。それからして張無垢となった。皆学者なので迹は取らず、あの高妙な処を取ると言った。そこで「為難取其心不取其迹」である。心はよいので取って迹は取らないと言うのはそもそもないこと。この語は責めているのではなく、その様にはならないということ。
【語釈】
・孩提之童無不知愛其親…孟子尽心章句上15。「孩提之童、無不知愛其親者。及其長也、無不知敬其兄也」。
・揚大年…
・游…二程門人。字は定夫。号は廌山。
・揚…伊川の門人楊時。字は中立。号は亀山。
・正献公
・呂栄公…
・張無垢…

有是心則有是跡。これらは一通の見でない。無学のものても迹上は見へる。ここは精いこと。心と跡か二つてない。体用一源顕微無間なり。太極と心は二てなく、某毎々云、太極圖説の後論を見よ。あれでよくさはけると云がこれらのあやなり。道体性命の論も家礼に一つになるかそこのこと。因て心と迹かどふも二つにはならぬ。顕微無間にて内のなりか事へあらはれる。仏の見は虚や空を道と云ゆへ事かあの通にて、善悪不二邪正一如などと云。なるほど親も入らず君も入らぬはつのこと。吾儒は寛なり。仁と云性から親について孝、義と云ふ性から君を押さへて忠をする。皆仁義礼智の実から出る。書に五なから敦せよと云。父子君臣の迹か慥なこと。佛は道体か不案内、半分取ふと云。それも形したものはならふか、丁ど魚を片身のけるやふなものじゃが、形ない道をどふせふぞ。洋々乎発育萬物優々乎礼義三百威儀三千が心と迹なり。迹を取るの心を取のと半分は根からならぬことなり。
【解説】
「有是心則有是迹」の説明。体用一源顕微無間で心が事へ表れる。心と迹は別にはならない。仏がそれを分けようとするが、それは無理なこと。
【通釈】
「有是心則有是迹」。これ等は一通りの見ではない。無学の者でも迹上は見える。ここは精いこと。心と迹は別なものではなく、「体用一源顕微無間」である。太極と心は二つではない。私が毎々言うことだが、太極図説の後論を見なさい。あれでよく捌けると言うのがこれ等の綾である。道体性命の論も家礼と一つになるのがそこのこと。よって、心と迹がどうも二つにはならない。顕微無間で内のことが事へ現れる。仏の見は虚や空を道とするので事があの通りで、「善悪不二邪正一如」などと言う。なるほどそれでは親も要らず君も要らない筈である。我が儒は寛で、仁という性から親について孝、義という性から君を押さえて忠をする。それは皆仁義礼智の実から出たこと。書に「五惇」とある。それは父子君臣の迹が慥かなこと。仏は道体が不案内だから、半分を取ろうとする。それも形したものならできようが、丁度魚を片身除ける様なことで、形のない道をどうするのか。「洋々乎発育万物優々乎礼義三百威儀三千」が心と迹のこと。迹を取るとか心を取ると、半分を言うのは根からできないこと。
【語釈】
・体用一源顕微無間…致知49の語。
・五なから敦せよ…書経皋陶謨。「天敘有典、敕我五典五惇哉」。
・洋々乎発育萬物優々乎礼義三百威儀三千…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百、威儀三千。待其人而後行」。

王通言心迹之判便是乱説。文中子心迹の判根からつまらぬ。乱道なり。胡乱の説と云こと。王通か心と迹かわかると云は魏徴と問答してのこと。魏徴へこなたの云ふのは迹のこと、をれか云のは心のことて云と云たことあり。さて、それもことによれば言ふ筋もあれと、本と心迹は一なもの。分ることはならぬ。迹はわるいが道はよいと云ことなし。能書も書た所てよい。義之子昂も筆跡て見へる。あの人は心は能書、書た処は悪筆と云ことなし。親や女房はいやがり出家して、心はいとわぬとは云はぬ。中庸そこの証文に君子之道為端於夫婦と云ふ。裏店の者も女房を持つ。尭も二女にのっとるを觀る。自然のなりゆへ言其上下察也なり。そこて仏のわるいを跡上て断定す。不与垩人合云々。垩人の道と合ことも有ふか、其合ふことはとふもこちにある。ここがよいさばきなり。如是立定却省易。佛を知らすともよい。親に孝、君に忠せよ。越前の永平寺へ行くことはない。周公の造言乱民之刑、若ひものにもこふときめること。仏説をかれこれ世話すると却てあちへかぶれる。この迹上の断て省易なり。
【解説】
「王通言心迹之判、便是亂説。故不若且於迹上斷定不與聖人合。其言有合處、則吾道固已有。有不合者、固所不取。如是立定、卻省易」の説明。迹は悪いが道がよいということはない。伊川は、仏は迹がないから悪いと断じた。こちらは親に孝、君に忠をすればよい。仏に関わると却ってあちらに被れる。
【通釈】
「王通言心迹之判便是乱説」。文中子の「心迹之判」は根から詰まらないもので、乱説である。胡乱の説ということ。王通が心と迹が分かれると言ったのは魏徴と問答してのこと。魏徴へ貴方の言うのは迹のこと、俺は心のことで言ったのだとある。さて、それもことによれば言える筋もあるが、本来心迹は一つなもの。分かれることはならない。迹は悪いが道はよいということはない。能書も書くのでよい。王義之や陳子昂も筆跡で見える。あの人は心は能書、書いた処は悪筆ということはない。親や女房は嫌がって出家をしながら、心は厭わないとは言えない。中庸にその証文として「君子之道為端於夫婦」とある。裏店の者も女房を持つ。堯も二女に則るのを観る。それは自然の姿なので「言其上下察也」である。そこで仏の悪いことを跡上で断定する。「不与聖人合云々」。聖人の道と合うこともあるだろうが、その合うことはどうもこちらにある。ここがよい捌きである。「如是立定却省易」。仏を知らなくてもよい。親に孝、君に忠をしなさい。越前の永平寺へ行くことはない。周公の「造言乱民之刑」で、若い者にもこうするものだと決める。仏説をかれこれ世話すると、却ってあちらへ被れる。この迹上の断で省易である。
【語釈】
・王通…隋。文中子。584頃~618頃
・判…分かれること。区別。
・君子之道為端於夫婦…中庸章句12。「君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地」。詩は詩経大雅旱麓。
・尭も二女にのっとるを觀る…書経堯典。「帝曰、我其試哉。女于時、觀厥刑于二女。釐降二女于媯汭、嬪于虞。帝曰、欽哉」。
・言其上下察也…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。
・省易…簡易。
・造言乱民之刑…周礼地官司徒。「以郷八刑糾萬民。一曰不孝之刑、二曰不睦之刑、三曰不姻之刑、四曰不弟之刑、五曰不任之刑、六曰不恤之刑、七曰造言之刑、八曰亂民之刑」。


第十 神僊説の条

問、神仙之説有諸。曰、若説白日飛昇之類、則無。若言居山林閒、保形錬氣、以延年益壽、則有之。譬如一鑪火、置之風中則易過、置之密室則難過。有此理也。又問、揚子言、聖人不師仙、厥術異也。聖人能爲此等事否。曰、此是天地閒一賊。若非竊造化之機、安能延年。使聖人肯爲、周・孔爲之矣。
【読み】
問う、神仙の説諸れ有りや、と。曰く、白日飛昇すと説くが若き類は、則ち無し。山林の閒に居り、形を保んじ氣を錬り、以て年を延[のば]し壽を益すと言うが若きは、則ち之れ有り。譬えば一鑪の火の如き、之を風の中に置けば則ち過ぎ易く、之を密室に置けば則ち過ぎ難し。此の理有り、と。又問う、揚子言う、聖人の仙を師とせざるは、厥の術異なればなり、と。聖人は能く此等の事を爲すや否や、と。曰く、此は是れ天地閒の一賊なり。若し造化の機を竊むに非ずんば、安んぞ能く年を延さん。聖人をして肯て爲さしめば、周・孔之を爲さん、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

神仙之説もやはり前の導氣のことなり。前は修行するを云。修行して成就を神仙と云。必竟どちも同こと。ここの編集、陰陽昼夜の前後へ導氣神仙のこと載て、其あとを謝顕道で結んたも思召あること。なろふ有りや諸と疑ふもなるほと尤なり。瓢箪から駒の、鸖に乘のと云へはありそもないこと。そこて有やとなり。白日飛昇云々。人を欺くこと無いこととなり。人の知見可笑もの。今人にだまされぬことを自慢するか、さて々々よくたまされる。仙人か羽かはへて飛の、地獄へ落るのと招きこまれる。食はぬ々々々と云ながら、狗ひんがと云。どふしてかたまされる。たたい物の種類があること。牛馬は飛ぬが萑や蝉は飛ぶ。鯨は大ひか陸ては蝦蟆[ひきかへる]よりもはたらくことならぬ。天地自然の一定の分ありて人作てならぬ。人のはたらき、淺見先生の孔明は天地を胴かへしにすると云へとも、孔明もはしごて屋根へ上ふか、飛ふことはならぬ。人か夢を見てさへ昨夜はたわけと云か、ましてや地の下に獄か有ふと思ふはあやまり。知惠のないことなり。則無と云か押しことてなく、道理て極める。
【解説】
「問、神仙之説有諸。曰、若説白日飛昇之類、則無」の説明。神仙の説は無い。物には天地自然の一定の分があり、それは人作ではできないもの。鶴に乗ることや天狗や地獄を信じるのは知恵がないからである。
【通釈】
「神仙之説」もやはり前の導気と同じことで、前のは修行することを言い、修行して成就したのを神仙と言うが、畢竟どちらも同じこと。ここの編集は陰陽昼夜の前後に導気と神仙のことを載せ、その後を謝顕道で結んでいるのが思し召しのあること。成ることがあるのか諸はと疑うのもなるほど尤もなことである。瓢箪から駒だの、鶴に乗るだのと言えば、それはありそうもないこと。そこで有りやと言った。「白日飛昇云々」。人を欺くことはないことだと言った。人の知見は可笑いもの。今人に騙されないことを自慢するが、実によく騙される。仙人に羽が生えて飛ぶとか、地獄へ落ちるなどと招き込まれる。騙されないと言いながら、狗賓がと言う。どうしてか騙される。そもそも物には種類がある。牛馬は飛べないが雀や蝉は飛ぶ。鯨は大きいが陸では蟇蛙よりも動くことができない。これ等には天地自然の一定の分があって人作ではできない。人の働きについて浅見先生が、孔明は天地を胴返しにすることはできる。しかし、彼も梯子で屋根へ上ることはできても飛ぶことはできないと言った。人は夢を見てさえ昨夜は馬鹿なことをと言うが、ましてや地の下に獄があると思うのは誤りであって、そう言うのは知恵がないからである。「則無」は押し事で言ったのではなく、道理で極めたのである。
【語釈】
・前の導氣…異端7を指す。
・狗ひん…狗賓。天狗の異称。
・押しこと…押し事。無理におしつけること。特に、神仏の奇特を信ぜず、それを否定するようなことを言うこと。

若言居山林云々有之と云てここに則無と云か、有るも理、無も理てきめる。江戸なとさわかしくて精神も散やすく、田舎なとには長命も多し。何にも知らすに心力を使はず靜ゆへなり。然れは只の者さへ靜な処は長壽勝手なものに、況や山林に引込保形錬氣ては尤のこと。からだもつかい切るもの。この保か養生の字。医者か久立久座をいましめるも形の保ちやふなり。眼の視やふ耳の聽やふもありて、身上よく持人かつかいやうと云ことがある。つかいやふて金も減らぬ。修行て飯も食ひやふありて、それから後は食はすとも保れると云。錬氣は保形の本になることなり。見聞は氣なり。そこを氣を子ると散らぬ。ほっこりと精氣を使ふ。調息箴に魚のこと云てあり。あれか水に隨て游きはっと口をあいて水を呑、又はっと水を吹く。よいあんはいなり。蝦蟆を仙にとるも聞へた。靜ゆへなり。萑のやふては仙てない。氣につれて動靜するとよい。譬如一鑪火云々。今身代もち、物の仕末で同じ米同じ薪でも減らぬ。巨燵の火と火鉢の火ても、巨燵はふとんのかかるて違ふ。天へ飛と云は迂詐、養生はあることなり。如何さま迹上のあとに此条の出たも尤なり。誰か聞ても知れる。小童のにも分ることなり。
【解説】
「若言居山林閒、保形錬氣、以延年益壽、則有之。譬如一鑪火、置之風中則易過、置之密室則難過。有此理也」の説明。気を練って養生することはできる。それは使い様のことで、動静を上手にするとよくなる。
【通釈】
「若言居山林云々有之」と言い、ここで「則無」と言ったが、有るも理、無しも理で決める。江戸などは騒がしくて精神も散り易いが、田舎などには長命も多い。何も知らず心力を使わなくて静だからである。そこで、普通の者でさえ静な処は長寿勝手なものなのに、況んや山林に引っ込んで「保形錬気」なら尤もなこと。体も使い切れるもの。この保が養生の字である。医者が久立久座を戒めるのも、それが形の保ち様だからである。眼に見様や耳に聞き様ということもあり、身上をよく保つ人には使い様ということがある。使い様で金も減らない。修行にも飯の食い様もあって、それから後は食わなくても保てると言う。錬気は保形の本になること。見聞は気だが、その気を練ると散らない。ほっこりと精気を使う。調息箴に魚のことがある。あれが水に随って泳ぎ、ぱっと口を開けて水を呑み、またぱっと水を吹く。それがよい塩梅である。蟇蛙を仙人にたとえるのもよくわかる。静だからである。雀の様では仙でない。気に連れて動静するとよい。「譬如一鑪火云々」。今身代を持つのも、物の仕末によって、同じ米、同じ薪でも減らない。炬燵の火と火鉢の火でも、炬燵は布団が掛かっているから違う。天へ飛ぶと言うのは嘘だが、養生はある。迹上の後にこの条が出たのもいかにも尤もなこと。誰が聞いてもわかる。小童にもわかること。

又問楊子言垩人不師僊云々。或人すめてきて又問ふなり。楊子雲仙術を呵る。さて仙術は大抵老子を祖に立る。適周問礼於老子と云ゆへ、道家から垩人もこちの弟子と云。これを揚雄は訳か違ふとやはらかに云。程子はつよく呵らるる。とど程子の楊雄にも當たことなり。偖、隂陽昼夜の条は佛へ落す。この章は道家のことなれとも、異端は何もかも同こと。ここへ阴阳昼夜をはめて見へし。天地にものをととめることなし。皆向へ々々と行くか太極のなりにて、川上の歎が道体爲学一つこと。天地逝者は滞らぬ。俤のかわらて年のははないこと。易るが天地のなりなり。術を以天地の氣の消へるをはなすまいとするは盗人なり。盗人とはあまりなやふなれとも言て聞せやう。小児の成長が老人になる。今朝か日暮になるか実理なるに、それを暮せまいとする。道りなりをして垩人も死ぬ。盗人と云は、迂斎先生知行取の軍役に出へき人を减すと云。馬を持ずに金をためやふなり。六月の氷、あれとても実は自然てない。伐氷の家もあるが、天子の御勢ても日本國中皆氷と云ことはならぬ。使垩人肯爲周孔爲之矣。垩人がしてよいなれは先周公の周礼三百官あれとも、仙人になれと云法はない。この法かあらは皆か喜しからふ。垩人これはきらいなこと。天地と割符が合はぬ。孔子の怪力乱神語り玉はぬ。詩書執礼なり。此間もそふ思ふたが、仙術のことはさてをき、死ぬさへ知り玉はぬ。両楹之間は死ぬ。夢を見たに付て哲人それと云れたまてのことなり。此上論語にないこと。あれさへあてにならぬ。凡そ圣人に奇妙なことあらは、いつ死ぬと知るへきことなり。それに知らぬ。因て異端の云ことは水をかけべし。
【解説】
「又問、揚子言、聖人不師仙、厥術異也。聖人能爲此等事否。曰、此是天地閒一賊。若非竊造化之機、安能延年。使聖人肯爲、周・孔爲之矣」の説明。天地は滞らずに向こうへと行くもので、絶えず易わるもの。それを止めようとするのは盗人である。道理の通りをして死んで行くのが実理なのに、術で延命しようとするのは悪い。聖人は天地の通りだから仙術を嫌う。聖人は自分の死も気にしない。
【通釈】
「又問揚子言聖人不師僊云々」。或る人もわかって来てまた問うた。揚子雲が仙術を呵った。さて仙術は大抵老子を祖に立てる。「適周問礼於老子」とあるので、道家から聖人もこちらの弟子だと言われる。これを揚雄は訳が違うと柔らかに言ったのだが、程子は強く呵られた。つまり程子は楊雄にも祟ったのである。さて、陰陽昼夜の条は仏へ落としたもので、この章は道家のことだが、異端は何もかも同じこと。ここへ陰陽昼夜を嵌めて見なさい。天地にものを止めることはない。皆向こうへと行くのが太極の姿であって、川上の歎が道体為学一つこと。天地逝く者は滞らない。面影は変わらず年に関係はない。易わるのが天地の姿である。術によって天地の気が消えるのを離さない様にとするのは盗人である。盗人とはあまりな様だが、そのわけを言って聞かせよう。小児が成長するから老人になる。今朝が日暮になるのが実理なのに、それを暮れない様にとする。道理の通りをして聖人も死ぬ。盗人とは、迂斎先生が知行取りの軍役に出るべき人を減らすことだと言った。馬を持たずに金を貯めようとする。六月の氷も実は自然ではない。伐氷の家もあるが、天子の御勢いでも日本国中皆氷ということはできない。「使聖人肯為周孔為之矣」。聖人がしてよいことは、先ずは周公の周礼三百官があるが、仙人になれという法はない。この法があれば皆が喜しいだろう。しかし、聖人はこれが嫌いである。天地と割符が合わない。孔子は怪力乱神を語られない。詩書執礼である。この間もそう思ったが、仙術のことはさて置き、死ぬことさえ知らない。両楹の間は死ぬ。夢を見たので哲人がその様に言われたまでのこと。その上これは論語にないことで、それさえ当てにならない。凡そ聖人に奇妙なことがあれば、いつ頃死ぬと知るべきなのに知らない。そこで、異端の言うことには水を掛けなければならない。
【語釈】
・楊子…前漢の学者。字は子雲。四川成都の人。前53~後18。
・楊子雲仙術を呵る…揚子方言君子篇。「聖人不師仙、厥術異也。聖人之於天下、恥一物之不知。仙人之於天下、恥一日之不生」。
・適周問礼於老子…論語序説。「適周、問禮於老子。既反、而弟子益進」。
・川上の歎…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫、不舍晝夜。」
・怪力乱神…論語述而20。「子不語怪・力・亂・神」。
・詩書執礼…論語述而17。「子所雅言、詩・書。執禮、皆雅言也」。
・死ぬさへ知り玉はぬ…論語先進11。「季路問事鬼神。子曰、未能事人。焉能事鬼。敢問死。曰、未知生、焉知死」。
・両楹之間…堂上?


第十一 謝顕道の条

謝顯道歴擧佛説與吾儒同處、問伊川先生。先生曰、恁地同處雖多、只是本領不是、一齊差卻。
【読み】
謝顯道、佛説の吾が儒と同じき處を歴擧して、伊川先生に問う。先生曰く、恁地[かくのごとく]同じき處多しと雖も、只是れ本領是ならず、一齊に差卻す、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある。

この条も迹上の断と一つに落る。学者の樂になることなり。跡上とこの条て片つくか、初学ここに落着すべし。謝氏あらゆる仏経や禅録を經傳と引合せたもの。たたい同ことあるゆへ大に近理とも云。仏の有物先天地無形本寂寥は無極而太極に合ひ、青々翠竹盡是真如鬱々黄花無非般若は鳶飛魚躍に似たれとも、必竟本領の違ふを知らずに似たを喜ぶなり。合ふやふて一体の根か異なり。迂斎の、たとひ切支丹ても一筋はよいことをも云はふか、それても邪法となり。或は其説は一理あると思ふとも、やはり役人氣て許さぬ筈。天主と云へは、あれか方て天を本にすると云をふが、本領か違ふ。天と云たとてほんのことてはない筈なり。此間も羅山文集に、嶋原の乱の前に羅山先生の邪蘓宗と問答せしこともあり、あれらも一理屈を搆へる。それても邪法なり。石原の先生、切支丹の外其余宗は御法度てないか皆本領か違ふ。幸に免れたのなり。垩人の道に一と処ほとは似たとて何にも言立にならぬ。跡上の断とこの章か一つに落ることて、この章本領の処て不是を見へし。我しらすに贔屓になると似たことかよく見へるもの。丁と謀叛人の人へ親切をするやふなもの。親切しても本領が違ふ。王莽ても甚学問したもの。新法も出してあれほとなれとも逆臣なり。中へ這入てかれこれ世話せすとも本領てすむ。この本領と上の跡上の断で仏にいじられることはない。本領跡上の処か違へは其余は何もかも皆わるい。
【解説】
異端もこちらに似たことがあるが、本領は違う。本領が違い、迹上が違えば何もかも悪い。
【通釈】
この条も迹上の断と一つに落ち、学者が楽にできること。迹上とこの条て片付くのであって、初学はここに落着しなさい。謝氏があらゆる仏経や禅録を経伝と引き合わせた。そもそも同じことがあるから大いに近理とも言う。仏の「有物先天地無形本寂寥」は無極而太極に合い、「青々翠竹尽是真如鬱々黄花無非般若」は「鳶飛魚躍」に似ているが、畢竟本領が違うのを知らずに似ていることを喜ぶものである。合っている様で一体の根が異なっている。迂斎が、たとえ切支丹でも一筋はよいことをも言うが、それでも邪法だと言った。或いはその説が一理あると思っても、やはり役人気で許さない筈。天主と言うのだから、あの方も天を本にすると言うだろうが、本領が違う。天と言っても本当のことではない筈。この間も羅山文集に、島原の乱の前に羅山先生が耶蘇宗と問答したことが載せてあり、あれ等も一理屈を構えるが、それでも邪法である。石原先生が切支丹以外の宗は御法度ではないが、皆本領が違う。幸に御法度を免れたのであると言った。聖人の道に一処ほど似ているとしても何も言い立てることはならない。迹上の断とこの章が一つに落ちることで、この章は本領の処で不是であることを見なさい。我れ知らずに贔屓になると似たことがよく見えるもの。それは丁度謀叛人が人に親切をする様なもの。親切をしても本領が違う。王莽も甚だ学問をした。新法も出してあれほどだったが逆臣である。中へ這い入ってかれこれ世話をしなくても本領で済む。この本領と上の迹上の断で仏に弄られることはない。本領や迹上の処が違えばその余は何もかも皆悪い。
【語釈】
・迹上の断…異端9。
・大に近理…中庸章句序。「則吾道之所寄不越乎言語文字之閒、而異端之説日新月盛、以至於老佛之徒出、則彌近理而大亂眞矣」。
・有物先天地無形本寂寥…
・青々翠竹盡是真如鬱々黄花無非般若…「青青翠竹、盡是真如、郁郁黄花、无非般若」。「青青翠竹、總眞如、鬱々黄花、無不般若」。
・鳶飛魚躍…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅旱麓。

講後の話に、傅説を夢に感したは美事ゆへ却て論も起り、初学急にすまぬゆへ迷ひにもなる。某が脚夫かこと、脚夫はあれきりの者にて某もさのみ親切もなく、それ迠のことなり。然るに風と小奚か溺死のことに偶中すると傅説を夢に得たも同し感通の理にてあれとも、還て脚夫か方か輕ひことゆへ一塲の話になりて迷にならぬ。感通感応の微妙は合点すれは何てもみへることなり。
【解説】
傅説を夢に感じるのは初学にはわかり難いことで迷いにもなる。感通感応の微妙は合点すれば何でも見えること。
【通釈】
講後の話で、傅説を夢に感じたのは美事なので、却って論も起こり、初学には直ぐにわからないことなので迷いにもなる。私の言った脚夫のことだが、脚夫はあれだけの者で私もそれほど親切をすることもなく、それまでのこと。しかしながら、ふと小奚の溺死のことに偶中すると、それは傅説を夢に得たのと同じく感通の理ではあるが、却って脚夫の方が軽いことなので一場の話で迷いにならない。感通感応の微妙は合点すれば何でも見えること。
【語釈】
・傅説を夢に感した…史記殷本紀。「武丁夜夢得聖人、名曰説。以夢所見視群臣百吏、皆非也。於是迺使百工營求之野、得説於傅險中」。