第十二 釈氏妄意天性之条  五月六日  纖邸文録
【語釈】
・五月六日…寛政3年辛亥(1791年)5月6日。
・纖邸文…林潜斎。花沢文二。東金堀上(細屋敷)の人。寛延2年(1749)~文化14年(1817)

横渠先生曰、釋氏妄意天性、而不知範圍天用、反以六根之微、因縁天地。明不能盡、則誣天地日月爲幻妄。蔽其用於一身之小、溺其志於虚空之大。此所以語大語小、流遁失中。其過於大也、塵芥六合、其蔽於小也、夢幻人世。謂之窮理、可乎。不知窮理、而謂之盡性、可乎。謂之無不知、可乎。塵芥六合、謂天地爲有窮也。夢幻人世、明不能究其所從也。
【読み】
横渠先生曰く、釋氏は天性を妄意して、天用を範圍するを知らず、反って六根の微を以て、天地を因縁す。明盡くすこと能わずんば、則ち天地日月を誣[し]いて幻妄と爲す。其の用を一身の小に蔽い、其の志を虚空の大に溺れしむ。此れ大を語り小を語り、流遁して中を失う所以なり。其の大に過ぐるや、六合を塵芥にし、其の小に蔽わるるや、人世を夢幻にす。之を理を窮むと謂いて、可ならんや。理を窮むるを知らずして、之を性を盡くすと謂いて、可ならんや。之を知らざる無しと謂いて、可ならんや。六合を塵芥にすとは、天地を謂いて窮まり有りとするなり。人世を夢幻にすとは、明其の從[よ]る所を究むること能わざるなり、と。
【補足】
・この条は、正蒙の大心篇にある。

天性天用は吾儒の方て云、妄意と不知範圍は釈氏の方て云。天性は先つ中庸天命性、天用は率性之道をさして云。垩人の道は我に仁義の性かある。それが天性なり。仁義礼智の性て親に向へば孝、君に向へは忠、天性なりに忠孝して、五倫の親義別序信か即天用なり。因て子思の天命謂之性、其天性を妄意せぬこと。天命之謂性かなんのことなくすらりと云たこと。率性之謂道が別に道を栫はせぬ。天命のなりをする。それか即天用と云ものなり。時に仏はあたまで根が違ふゆへ妄意と云。それか釈の釈たる所。天命を向へをくは自然なれとも、釈氏は手前てするゆへ妄意なり。どこ迠も先日から云、以人為主かと云が動かぬさばきと知るべし。偖、垩人の道に範圍がある。何ほと天性を持ても範圍せ子は道のなりにゆかぬ。百姓不親五品不遜か舜の契に命して範圍すること。性なりにゆかぬゆへ範圍せ子はならぬ。何ても親義別序信を尽すを範圍と知れ。天叙有典勅我五典五なから惇せよも範圍すること。人か典法にそむいて道を失ふは範圍することならぬゆへなり。それて天用か正しくゆかぬ。範圍すると天性なりになる。それと云も天命性を知ら子は範圍もならぬゆへ、天性を儒者の本に立る。佛は其天に本つかず、我手で細工して本にする処か我胷中から出るゆへ、天用の範圍かならぬ。右云通り人か仁の性を持つゆへそれなりに親に孝、義の性をもつゆへそれなりに君に忠か天用を範圍するなり。
【解説】
「横渠先生曰、釋氏妄意天性、而不知範圍天用」の説明。「天性」は中庸の「天命性」のことで、「天用」は「率性之道」のことである。天命の通りにするのが天用である。仏は我が身に天命を置く。それが妄意なのである。また、天性を持っていても範圍をしなければ道の通りには行かない。範圍とは、天命に従うことで、親義別序信を尽くすことである。
【通釈】
「天性」と「天用」は我が儒の方で言い、「妄意」と「不知範圍」は釈氏の方で言う。天性は、先ずは中庸の天命性のことで、天用は「率性之道」を指して言う。聖人の道は己に仁義の性があり、それが天性である。仁義礼智の性で親に向かえば孝、君に向かえば忠で、天性の通りに忠孝をする。五倫の親義別序信が即天用である。そこで、子思の「天命謂之性」の天性を妄意してはならない。天命之謂性は何事もなくすらりと言ったこと。率性之謂道は別に道を拵えるものではない。天命の通りをする。それが即天用というもの。時に仏は最初から根が違うので妄意と言う。それが釈の釈たる所。天命を向こうへ置くのは自然なことで、釈氏は自分でするので妄意である。何処までも先日から言っている「以人為主」というところが確かな裁きだと知りなさい。さて、聖人の道に範圍がある。どれほど天性を持っていても範圍をしなければ道の通りには行かない。「百姓不親五品不遜」は舜が契に命じて範圍したこと。性の通りに行かないので範圍しなければならない。何でも親義別序信を尽くすことを範圍と知りなさい。「天叙有典敕我五典五惇」も範圍すること。人が典法に背いて道を失うのは範圍することができないためである。それで天用が正しく行かない。範圍すると天性の通りになる。それと言うのも天命性を知らなければ範圍もできないからで、それで天性を儒者は本に立てる。仏はその天に基づかず自分の手で細工をして、本にする処が自分の胸中から出るので天用の範圍ができない。右に言う通り、人は仁の性を持つのでそれなりに親に孝、義の性を持つのでそれなりに君に忠をする。それが天用を範圍するということ。
【語釈】
・天命性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離、非道也」。
・百姓不親五品不遜…書経舜典。「帝曰、契、百姓不親、五品不遜。汝作司徒。敬敷五教在寬」。
・天叙有典勅我五典五なから惇せよ…書経皋陶謨。「天敘有典、敕我五典五惇哉」。

さて仏は天性をうかかったやふても、妄意ゆへ範圍することを知す。又範圍がならぬゆへ妄意が見へる。つまる処は皆細工に落ると云こと。妄意したゆへ細工の天性なり。親を愛するは自然なれとも、出家するゆへ天用てない。昏礼して夫婦となる。天用なれともそれを迷と云。それて見れは、佛は性も道も皆違と見べし。先一と通りここの文義斯ふなり。此天性天用の字何か出処て幷へたか某出処は存ぜぬが、然し性はどちでも體に立。性か体ゆへ其對に天用とたてた見へる。中庸未発の大本は性、已發は情なれは用なり。天性と云字の相手は自天用にあたる。取り合はぬやふなれとも、考れは中庸二十五章目の章句に誠は以心言ふ本也道は以理言用也とあり、あれて理會すべし。性用と對し又本用と對してあるか、云へは對しそふはなさそふなことなれとも、文義にかまはす筭用の合ふことなり。因て其證拠に中庸を引くか丁どあたるやふになる。又ここの天性か中庸の誠自成と云やふな塲、天用は道自道の塲にもあたる。仏は本がわるく天用かわれて來るゆへ妄意の不知範圍のと云。さてこの章二句てすんて跡はこれを割て説けり。
【解説】
ここの天性は体であり、天用は用のことである。仏は妄意するから、その天性も細工物である。
【通釈】
さて仏は天性を窺った様でも妄意なので範圍することを知らない。また範圍ができないところに妄意が見える。つまる処は皆細工に落ちるということ。妄意をしたので細工の天性である。親を愛するのは自然なことだが、出家をするので天用ではない。婚礼して夫婦となる。これは天用だがそれを迷いと言う。それで見れば仏は性も道も皆違うと見なさい。先ずここの文義は一通りはこうである。この天性天用の字は何が出処で並べたのか私は知らないが、しかし性はどうしても体として立つ。性が体なのでその対に天用と立てたものと見える。中庸未発の大本は性で、已発は情だから用である。天性という字の相手は自ずと天用に当たる。これは取り合わない様だが、考えれば中庸二十五章目の章句に「誠以心言本也道以理言用也」とあり、あれで理会しなさい。性用と対し、また本用と対してあるが、それでは対しそうもない様だが、文義に構わず算用は合う。そこでその証拠に中庸を引くと丁度当たる様になる。またここの天性が中庸の「誠自成」と言う様な場で、天用は「道自道」の場にも当たる。仏は本が悪く天用が分かれて来るので妄意とか不知範圍などと言う。さてこの章はこの二句で済み、後のはこれを割って説いたもの。
【語釈】
・誠は以心言ふ本也道は以理言用也…中庸章句25集註。「誠以心言、本也。道以理言、用也」。
・誠自成…中庸章句25。「誠者自成也。而道自道也」。

反以六根之微因縁天地。妄意した処はどふなれば、其妄意をここへ語る。反の字、さかさまじゃと云ふ字。佛の説は吾儒のうらはらじゃから反と云。どこか反なれは、儒者は天を立て、天命性から打て出すゆへ上から論を立るに佛は反てなり。天から出さずに反て此微な小な処を本にして出る。あちは天命性をすり潰した説ゆへ垩人とうらはらなはつなり。六根と云、此五尺のからだに属して、天の字へ向てはあたまを上けさせられぬもの。然るに佛は本と取てすてやふとして、又それから意が起る。ここの張子の云やふが大ふよい。先日程子の去尽根塵云々とあり、仏はそれか平生の道、枯木死灰か渠か了簡なれとも、とと我軀穀に引ついている。其証拠は六根の微因縁天地と云、微眇な我からたで了簡出すゆへ六根から天地も因縁すと云。兎角我からだに持あましてのこと。此間の負飯の蟲と合ふ。このからだは棄ると云ながら、そこから出た理屈なり。我説をわかからだて立て、上の天へ氣かつかぬ。そこて我心から天地も生すると見たか因縁天地なり。
【解説】
「反以六根之微、因縁天地」の説明。儒者は天を立てて天命性から説くが、仏は小さな我が身を本にして説く。身を捨てて置きながら、そこから理屈を出す。ここの「因縁天地」は我が心から天地も生じるとすること。
【通釈】
「反以六根之微因縁天地」。妄意した処はどういうものかと、その妄意をここで語る。反の字は逆様だという字。仏の説は我が儒の裏腹なので反と言う。何処が反なのかと言うと、儒者は天を立て、天命性から打って出すので上から論を立てるが、仏は反である。仏は天から出さずに反ってこの微な小さな処を本にして出る。あちらは天命性を磨り潰した説なので聖人と裏腹な筈である。六根と言う、この五尺の体に属すので、天の字へ向かっては頭を上げさせられないもの。それなのに、仏は本を取って捨てようとして、またそれから妄意が起こる。ここの張子の言い様が大層よい。先日程子の「去尽根塵云々」があり、仏はそれが平生の道で枯木死灰が彼の了簡なのだが、つまりは我が躯殻に引っ付いているのである。その証拠に「六根之微因縁天地」と言い、微眇な自分の体で了簡を出すので、六根から天地も因縁すると言う。それは、とかく自分の体を持て余してのこと。この間の負版の蟲と合う。この体は棄てると言いながら、そこから出た理屈である。我が説を我が体で立てて上の天に気が付かない。そこで我が心から天地も生じると見たのが因縁天地である。
【語釈】
・去尽根塵…異端6の語。
・負飯の蟲…異端6。「負版之蠱」。

因縁か佛の文字にて、あの方で箸の上け下しに云。身代のわるいも子の病身も萬のこと皆因縁と云。此方て理を云やふなもの。かかるあやて斯ふと云か因縁なり。垩人は天命性と上を見て云。仏は心から云て、やはり一切唯心造の説て、山河大地の説もこれなり。此方か本とかたて天地は消る。あちに実したものはないと見る。そこて天地がこちの心て出來ると云。それが妄意にて、どふ妄意したと云に、以六根之微因縁天地か妄意の始めなり。然れとも、釈迦てなくてはこう見ることもなるまい。今佛と云が出來ては揚墨は害の小いこと。揚墨が仁義をつかまへて見そこなったは淺ひこと。佛か因縁天地はこちの胷て天地をこしらへると云ふ。大きな見やふなり。膽のつぶれること。されどそふ云ても悲ひことには筭用か合はぬ。なんぼそふ云てもどふも云尽されぬ。
【解説】
仏は自分の心を本にして、天地に実はなく、それは自分の心で拵えるものだと考える。それでは言い尽くすことはできない。
【通釈】
因縁が仏の文字であって、あの方ではいつもそれを言う。身代が悪いのも子の病身も、万の事柄を皆因縁と言う。それはこちらで理を言う様なもの。この様な綾でこうというのが因縁である。聖人は天命性と上を見て言う。仏は心から言い、それはやはり「一切唯心造」の説で、山河大地の説もこれである。自分を本として立てるので天地は消える。あちらに実したものはないと見る。そこで天地が自分の心でできると言う。それが妄意であって、どの様に妄意したのかと言うと、「以六根之微因縁天地」が妄意の始めである。しかしながら、釈迦でなくてはこう見ることはできないだろう。今仏というものができては楊墨の害は小さいもの。楊墨が仁義を捉まえて見損なったのは浅いこと。仏の因縁天地は自分の胸で天地を拵えること。それは大きな見方で肝の潰れること。しかし、その様に言っても悲しいことには算用が合わない。どれほどその様に言ってもどうも言い尽くすことはできない。
【語釈】
・一切唯心造…
・山河大地…道元。正法眼蔵。「山河大地、日月星辰」。

明不能尽なり。因縁天地をあちの味方になりて善く因縁天地と見たと云ふとき、とふもさしつかへて來る。垩人のは日用常行から道体性命迠筭用の合はぬことなし。あちは一から十迠首尾合して云ことならぬ。せつなくなって來て言とりにくい。そこを明不能尽と云。垩人は起我者其啇也の、賜也始可與言詩のと云ほと訳か立て味が深くなる。因縁を聞たとき、どふも筭用か合はぬ。天地無究ゆへ、とど因縁か云尽されぬ。そこで明して尽すことなら子は誣天地日月為幻妄なり。舞ひ納められぬゆへ誣る。天地日月ほと約束の違はぬものなし。あれを慥と云が儒者の見なり。此章張子の発明か三折あり、初めに妄意天性而不知範圍天用ゆへ我妄説を張て、ここて又宛轉して其初發心の妄意か一つ、それからをかしいことには六根之微て天地が出来ると云。三番めにつまり天地日月を誣子はならぬ。誰も日月はがんさりと見て大ふ慥なもの。然れとも天地日月をあの分にしては舞納められぬゆへのことなり。つめたい火、あつい水かあると云やふなもの。無いことを云を誣と云。日月は昼夜こんたんめくりて間ちかいなく至誠無已。たしかな合ひ印しは日月なり。それゆへ与天地合其德与日月合其明と圣人を語る。相よみは天地日月なり。それをたしかと云てはあちの筭用かあわぬゆへ、幻妄じゃ、あてにならぬと云。人か天地日月は慥なもの、拙者はあてになると存すると云と、いやこなたが死だら日ても月てもあるまい。靈明赫爍たるものかあって、日月も眼て見てのことと云。それか六根の微から天地を因縁するにて、以我為主見ゆへ幻妄でないことを幻妄と云は子はならぬ。これ迠て妄意天性から始てぎり々々か天地日月迠を妄意したとなり。
【解説】
「明不能盡、則誣天地日月爲幻妄」の説明。天地は無窮なので因縁では言い尽くせない。そこで、仏はそれを幻妄だと誣いる。天地日月ほど確かなものはないが、妄意によって、それまでも幻妄だと誣いざるを得なくなったのである。
【通釈】
「明不能尽」。あちらの味方になって因縁天地を善いものと見たとした時に、どうも差し支えて来る。聖人のは日用常行から道体性命まで算用の合わないことはない。あちらは一から十まで首尾を合わして言うことができない。切なくなるほど言い取り難い。そこを「明不能尽」と言う。聖人は「起我者其商也」や「賜也始可与言詩」と言うほどにわけが立って味が深くなるのだが、因縁を聞いた時にはどうも算用が合わない。天地は無窮なので結局は因縁では言い尽くせない。そこで、明にして尽くすことができないので「誣天地日月為幻妄」である。舞い納めることができないので誣いる。天地日月ほど約束の違わないものはない。あれを確かなものだと言うのが儒者の見である。この章は張子の発明が三折ある。初めに妄意天性而不知範圍天用なので自分で妄説を張り、ここでまた宛転して、一つ可笑しいことには、その初発の心の妄意が六根之微で天地ができると言い、三番目にはつまりその天地日月を誣いなければならないと言う。誰にも日月はしっかりと見えて大層確かなものだが、そうするのは天地日月をあのままにして置いては舞い納められないからである。冷たい火、熱い水があると言う様なもの。ある筈のないことを言うのを誣と言う。日月は昼夜昏旦巡って間違いなく「至誠無已」。確かな合印は日月である。それで「与天地合其徳与日月合其明」と聖人を語る。相読みは天地日月である。それを確かなものと言ってはあちらの算用が合わないので、「幻妄」だ、当てにならないと言う。人が天地日月は確かなものだ、私は当てになると思うと言えば、いや貴方が死んだら日も月もあるまい。霊明赫爍なものがあって、日月も眼で見てのことだと言う。それが六根の微から天地を因縁するのであって、「以我為主」の見なので幻妄でないことを幻妄と言わなければならないのである。これまでで、妄意天性から始まっての至極が天地日月までをも妄意したと言う。
【語釈】
・起我者其啇也…論語八佾8。「子曰、起予者。商也、始可與言詩矣」。
・宛轉…①ゆるやかに動くさま。②よどみなく調子のよいこと。
・至誠無已…中庸章句26。「故至誠無息」。
・与天地合其德与日月合其明…易経乾卦文言伝6。「夫大人者、與天地合其德、與日月合其明、與四時合其序、與鬼神合其吉凶」。

蔽其用於一身之小云々。右の訳ゆへ其用其志かこふまいる。釈氏の用、釈氏の志なり。上の天性天用へ此句をわけて見へし。天用を範圍することを知ぬゆへ其用を一心の小に蔽れ、天性を妄意するゆへ其志を虚空之大に溺すなり。天地の道理有物有則、あたる処て父子君臣夫婦朋友長幼それ々々用かありて、天命性か大きにはたらきをする。それを仏は一身に蔽はれ、からた一つに區々する。横渠の兼々云、仏は錢一文つかふことかならぬがこのやふな処からのことなり。圣人は身から家、家から平天下まてか範圍天用のこと。坐禪觀法して居るかそれを知らぬゆへなり。山奧へ引込んた迚身が自由にならぬもの。たたい物に則かあるゆへ物通なり。先日の無適無莫也と云て道理なりゆへ天下へ廣かる。仏は小いからだて天用を蔽はれ、心のをき処も身のをき処も埒はつかすもてあつかふなり。されとも妄意した。天性を云たいままを云ちらして志を虚空に溺して、あれか好き次第を云ゆへ流遁して中を失ふ。皆發端に天性を妄意したゆへなり。そこで本来の面目不生不滅を本にしてあそこで見る々々と云。
【解説】
「蔽其用於一身之小、溺其志於虚空之大。此所以語大語小、流遁失中」の説明。仏は天用を範圍することを知らないのでその用が一心の小に蔽われ、天性を妄意するのでその志が虚空の大に溺した。そして、流遁して中を失った。
【通釈】
「蔽其用於一身之小云々」。このわけで、「其用」と「其志」がこうなる。釈氏の用、釈氏の志のことである。上にある天性天用へこの句を渡して見なさい。天用を範圍することを知らないのでその用が一心の小に蔽われ、天性を妄意するのでその志が虚空の大に溺すのである。天地の道理は有物有則で、当たる処で父子君臣夫婦朋友長幼それぞれに用があり、天命性が大きな働きをする。それを仏は一身に蔽われて、体一つに区々とする。横渠がかねがね仏は銭一文を使うこともできないと言ったのがこの様な処からのこと。聖人は身から家、家から平天下までが範圍天用のこと。座禅観法をしているのはそれを知らないからである。山奥へ引っ込んだとしても身は自由にならないもの。そもそも物に則があるので物が通じるのである。先日も「無適無莫也」と言ったが、道理の通りなので天下へと広がる。仏は小さい体で天用を蔽われ、心の置き処も身の置き処も埒も明かずに持て余す。しかしながら妄意した。天性を言いたいままに言い散らし、志を虚空に溺し、好き次第を言うので流遁して中を失う。それは皆発端で天性を妄意したからである。そこで本来の面目や不生不滅を本にして、あそこで見えると言う。
【語釈】
・有物有則…孟子告子章句上6。「詩云、天生蒸民、有物有則、民之秉夷、好是懿德」。詩は詩経大雅烝民。
・無適無莫也…異端3を指す。

先日云禪がとき々々て御ふり合か違ふなり。始めは戒律を持ち、それから天台の義学になり、それから禪になり、それからは雲門か一棒だの、それから乾屎橛麻三斤などと云が、其志を虚空に溺したゆへ、あれらか云次第なり。吾儒は允執其中と云精一の訓か列垩かはらぬ。仏は我胷からの道ゆへどのやふなことも云。大和小学に人の父に語り見よ、人の子に語り見よは流遁して此様なことにまてなりたなり。大惠か脇の下をさかしたこと朱子の云れた。無着か卍庵禪師にありて裸て寸絲かけず、則天か前て法師が裸て行水をし、王履道か嶋の先きでさま々々な悪行か禅の邪魔にならぬと云も聞へた。流遁してそふはなりたぞ。あちは手前細工ゆへ勝手次第。吾儒は天命性に卛ふゆへ我ままはならぬ。垩人のは寸法かきわまる。一寸には一寸の目か付てそれへ合せる。あちはをれか一尺のをれか一寸のと云なり。規矩かないゆへ、そこて溺其志於虚空之大なり。段々あちの勝手を云て、大惠かときなとは言ことか何のことか知れぬやふになった。それか流遁失中なり。
【解説】
仏は自分の胸からの道なので自分勝手で色々である。彼等には規矩がない。しかし、儒学は「允執其中」という精一の訓が普遍なものとしてある。
【通釈】
先日も言ったことだが、禅はその時々で御振合いが違う。始めは戒律を持ち、それから天台の義学になり、それから禅になり、それからは雲門の一棒だとか、それから乾屎橛麻三斤などと言うが、志を虚空に溺したからあれ等は言いたい放題である。我が儒は「允執其中」という精一の訓が列聖変わらずにある。仏は自分の胸からの道なのでどの様なことをも言う。大和小学に人の父に語り見よ、人の子に語り見よとあるが、流遁してこの様なことにまでなったのである。大慧が脇の下を探したことを朱子が言われた。無着なところが卍庵禅師にあって寸糸も掛けなかったり、則天武后の前で法師が裸で行水をし、王履道が島の先では様々な悪行も禅の邪魔にはならないと言ったのもよくわかる。流遁してそうなったのである。あちらは手前細工なので勝手次第をする。我が儒は天命性に率うので我侭はならない。聖人のは寸法か窮まっている。一寸には一寸の目が付いてそれへ合わせる。あちらは俺の一尺、俺の一寸のと言い、規矩がないので「溺其志於虚空之大」となる。あちらは段々と勝手なことを言い始め、大慧の時などは何を言っているのかがわからない様になった。それが流遁失中である。
【語釈】
・雲門か一棒…雲門は雲門文偃禅師。唐末から五代にかけて活躍した僧。
・乾屎橛…法話の一。雲門和尚に修行僧が仏とは何かと尋ねると、乾屎橛だと答えた。乾屎橛は糞を掻き出す棒。
・麻三斤…法話の一。洞山和尚に修行僧が仏とは何かと尋ねると、麻三斤だと答えた。
・允執其中…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・人の父に語り見よ、人の子に語り見よ…
・大惠…大慧宗杲。正法眼蔵を編纂。宋代。
・無着…執着のないこと。無執。
・卍庵禪師…
・王履道…

其過於大也云々。好次第虚空を云ゆへ体の知れぬやふになるを過於大と云。さて此語大語小の文字は一身之小虚空之大の大小て、手前の語を手前て云へとも、これを讀ものは中庸の語を置て見べし。大小かだたい儒者の文字なり。天地に充る道ゆへ語大天下能く莫載焉語小天下能莫破焉と道の眼前を語れり。大小か中庸の道なり。佛は虚妄ゆへ末かとこもつばまれぬ。末かとふも々々々なり。垩人のはむつかしい筭用のやふなれとも、実ゆへとど筭盤か合て來る。あちはつかまへ処の蔕かない。あちは妄意、垩人は範圍かある。其過於大塵芥六合云々かやはり上のことを云て、蔽於小也夢幻人世は行事にあらはれるを云。六合。天地四方。それを塵芥に見ると云ふも、全体が虚無を云ゆへこの天地もそふ見る。そこて仏の行事か夢幻人世なり。人世は人の世の中にすむを云て人事のこと。人の世に處するを云。人の親と云も我今死子は親てはない、子ではないと云。たたい夢かあてにならぬもの。歳暮に金百両もろふた夢は何の役にたたぬ。実にもらへは三両ても調法。
【解説】
「其過於大也、塵芥六合、其蔽於小也、夢幻人世」の説明。仏は虚妄なので天地をも塵芥と見て、また、人の世を幻と見る。そこで末は算用違いになる。
【通釈】
「其過於大也云々」。好き次第に虚空を言うので得体の知れない様になることを「過於大」と言う。さてこの「語大語小」の文字は「一身之小虚空之大」の大小で、自分の語を自分で言ったことだが、これを読む者は中庸の語をここに置いて見なさい。大小はそもそも儒者の文字である。天地に充ちる道なので、「語大天下能莫載焉語小天下能莫破焉」と道の眼前を語ったもの。大小が中庸の道である。仏は虚妄なので末は何処も摘めない。末がどうも悪い。聖人のは難しい算用の様だが、実なのでつまりは算盤が合って来る。あちらは捉まえ処の蔕[へた]がない。あちらは妄意で聖人には範圍がある。「其過於大塵芥六合云々」がやはり上のことを言ったもので、「蔽於小也夢幻人世」は行事に現れることを言う。「六合」。天地四方。それを塵芥と見るというのも、全体が虚無を言うのでこの天地もその様に見る。そこで、仏の行事は夢幻人世である。人世は人の世の中に住むことを言い、人事のこと。人の世に処することを言う。人の親と言っても自分が今死ねば親でもない、子でもないと言う。そもそも夢は当てにならないもの。歳暮に金を百両貰った夢は何の役にも立たない。本当に貰えば三両でも調法である。
【語釈】
・語大天下能く莫載焉語小天下能莫破焉…中庸章句12。「天地之大也、人猶有所憾。故君子語大、天下莫能載焉。語小、天下莫能破焉」。

偖、夢こそやくにたた子、人の世の中は慥なうこかぬものなり。然るに人世を夢幻にあしらふて、肉親の親子も死は其心もからたも無なる、夢幻じゃ、雨降ればふれ、風吹ばふけ、君父に忠孝も迷ひにて、人の世の中にあるは水の上の泡と云か、こちに別に一つよいものかあると重宝する。そこて天地人世を塵芥夢幻にして、見識も行事もあちに一つ立る本かありて彼本来の面目に取ついて居る。釈迦も一大事因縁の為に出現したの、達磨か祖師西來の意が此心性不生不滅なるものの爲と云。皆其見識其行事が妄意天性なり。最初に天性天用とある。天の字のつく。天で本だてにするのが此方のと云ふか眼の着け処。仏は我胷て一つ道を立て見そこない、楊墨は仁義に眼をつけて仕そこのふ。皆究理を知らぬゆへなり。ここも垩人の道は天性天用か則中庸の性道教、あのことは大学の致知、易の究理。皆ここを吟味することなるに、塵芥夢幻と云へは究理と云はれまい。
【解説】
仏は人の世を夢幻とし、死ねば心も体もなくなるとして、本来の面目を重宝にする。仏は我が胸で一つ道を立てて見損ない、楊墨は仁義に眼を付けて仕損なったが、それは窮理を知らないからである。
【通釈】
さて、夢こそは役に立たないものだが、人の世の中は確かでしっかりとしたものである。それなのに人世を夢幻とあしらって肉親である親子も死ねばその心も体もなくなる、夢幻だ、雨降れば降れ、風吹けば吹け、君父に忠孝も迷いであって、人の世の中にあるは水の上の泡の様なものだと言い、こちらに別に一つよいものがあるとしてそれを重宝にする。そこで天地人世を塵芥夢幻にして、見識も行事もあちらに一つ立てる本があって、あの本来の面目に取り付いている。釈迦も一大事因縁のために出現したとか、達磨の祖師の西来の意はこの心性不生不滅なもののためだと言う。その見識、その行事が皆妄意天性である。最初に天性天用とあり、天の字が付く。天を本立てにするのがこちらであるというのが眼の着け処。仏は我が胸で一つ道を立てて見損ない、楊墨は仁義に眼を付けて仕損なう。皆窮理を知らないからである。ここも聖人の道は天性天用が則中庸の性道教であり、それは大学の致知であり易の窮理であって、皆ここを吟味することなのだが、それを塵芥夢幻と言うのなら窮理とは言えないだろう。

謂之究理可乎なり。こちへもとして説くかそこなり。理ははへぬき。向の理を此方てきはめること。究理か平易な卑ひやふて高い文字なり。胸て道をこしらへるやふなことでなし。即凡天下之物と補傳に云。あれが儒仏分れる処。陸象山王陽明佛になるもここて知れる。致知挌物を知らぬは儒者と云て仏になる。理の字を出すはものの筋目のこと。究理なれは天性に率ふ。其なりの天用なり。雪山へ迯て胸がはれやふか、親をすてて行くと云筈はない。やはり淨梵王の側に居て脊を撫るはづのこと。あるときは淨梵王や奧方もないたであろふ。それて胸かはれやかと云はふか究理をしらぬ。さて佛が妄意ぐるみ魂は落付たこと。彼の八角磨盤走空裏と云様に鐵輪頂上にめぐらふか魂をちついてのことなれとも、必意夫れは心が明てなく頑石になったのにて、何ぼ識心見性と云ひ、入定して落付ても性を尽したはとは云れぬ。あちで定か惠を生すると云か、此方て小学か本になりて大学の挌物し、小学の靜から明になるか仏も似たことだらけなり。然るに此方は即凡天下之物と云、あの方の明覚は押付なり。儒者は筋を立たか正心誠意になりて天性天用なりにまいる。渠は無鳥の蝙蝠、性を尽したとは云はぬ。
【解説】
「謂之窮理、可乎。不知窮理、而謂之盡性、可乎」の説明。理は生え抜きであって、窮理をして天性に率う。致知格物を知らなければ儒者も仏になる。また、仏も魂は落ち着いているが、それは頑石になったのであって、性を尽くしたとは言えない。儒学では小学が本になって大学で格物し、小学の静から明になる。
【通釈】
「謂之窮理可乎」。こちらへ戻して説くのがそれ。理は生え抜きであり、向こうの理をこちらで窮める。窮理は平易で卑しい様だが高い文字である。胸で道を拵える様なことではない。「即凡天下之物」と補伝にある。あれが儒仏の分かれる処。陸象山や王陽明が仏になるのもここで知れる。致知格物を知らなければ儒者と言っても仏になる。理の字を出したのは物の筋目のこと。窮理だから天性に率う。その通りの天用である。雪山へ逃げて胸が晴れたとしても、親を捨てて行くという筈はない。やはり淨梵王の側にいて背を撫でる筈である。ある時は淨梵王や奥方も泣いたことだろう。それで胸か晴れやかと言い張るのでは窮理を知らない。さて仏は妄意だとしても魂は落ち着いている。あの八角磨盤走空裏と言う様に鐵輪頂上に巡るのも魂の落ち着いてのことだが、畢竟それは心が明でなく頑石になったのであって、どれほど「識心見性」と言い、入定して落ち着いても性を尽くしたはとは言えない。あちらでは定が恵を生じると言い、こちらでは小学が本になって大学で格物し、小学の静から明になる。仏も似たことだらけだが、しかし、こちらは即凡天下之物と言う。あちらの明覚は押し付けである。儒者は筋を立てることで正心誠意になり、天性天用の通りに参る。仏は無鳥の蝙蝠で、性を尽くしたとは言えない。
【語釈】
・即凡天下之物…大学章句5補伝。「是以大學始敎、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理而益窮之、以求至乎其極」。
・淨梵王…インド哲学における万有の原理ブラフマン(梵)を神格化したもの。仏教では色界の初禅天の主として、帝釈天と並んで諸天の最高位を占め、仏法の守護神とされる。密教では十二天の一として上方を守る。また、色界の初禅天。欲界を離れた天上界。
・八角磨盤走空裏…
・定か惠を生する…

謂之無不知可乎。皆張子の設けて云ことて、あたりをこまかに云に及はぬ。無不知は知をあま子く云。圭峯禅子知之一字は衆妙之門と云てもこちとは違ふ。又我道て鳶飛魚躍。道理は眼前のこと。柳はみとり花は紅ひと佛も云へば似たやふなり。あれは子、これは婦と云か道なるに、子は三界の首かせと云へば知と行事か一つにゆかぬ。つまりはこまりはてる。そこが朱子の不堪煩底人と云はるるなり。塵芥六合謂天地爲有究也。ここも上の塵芥夢幻を云。邵子の十二万九千六百年と云はるる。十二會の筋とは違ふ。為有究と云は、佛心仏性は不生不滅、天地の方は幻夢と云て我はかり限りないと云。あちも天か今直になくなると云てもないか、我方のなくならぬものを主に云からなり。そこて何劫々と云か、偖、劫数は無いものにしたもの。道理の自然てなく天地の無穹を知らぬ。極天罔墜と云て、古今前後かぎりないものを我心から為有究也と云。
【解説】
「謂之無不知、可乎。塵芥六合、謂天地爲有窮也」の説明。道理は眼前にある。仏は、仏心仏性は不生不滅だが天地の方は幻夢であって、自分だけが限りないと言う。天地が無窮なことを仏は知らない。
【通釈】
「謂之無不知可乎」。皆張子が作って言ったこと、中身を細かく言うには及ばない。「無不知」は知を遍く言う。圭峯禅子が知の一字は「衆妙之門」だと言っても、それはこちらとは違う。我が道では「鳶飛魚躍」で、道理は眼前のこと。柳は緑花は紅と仏も言い、それは似た様なこと。あれは子、これは婦というのが道なのに、子は三界の首枷と言うのでは知と行事が一つに行かない。つまりは困り果てる。そこで朱子が不堪煩底人と言われたのである。「塵芥六合謂天地為有窮也」。ここも上の「塵芥夢幻」のことを言う。邵子が十二万九千六百年と言われた。それは十二会の筋とは違う。「為有窮」とは、仏心仏性は不生不滅だが天地の方は幻夢だと言い、自分ばかりが限りないということ。あちらも天が今直になくなると言うのでもないが、自分の方のなくならないものを主にして言ったこと。そこで何かと劫々と言うが、さて劫数はないものとしている。それは道理の自然ではなく、天地の無窮を知らないのである。「極天罔墜」と言い、古今前後限りないものを、自分の心から「為有窮也」と言ったのである。
【語釈】
・圭峯禅子知之一字…
・衆妙之門…老子道経体道。「道可道非常道。名可名非常名。無名、天地之始。有名、萬物之母。故常無欲以觀其妙、常有欲以觀其徼。此兩者同出而異名、同謂之玄。玄之又玄、衆妙之門」。
・鳶飛魚躍…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅旱麓。
・柳はみとり花は紅ひ…自然のままで少しも人工の加わらないさま。また、物事に自然の理が備わっていることのたとえ。禅宗で、悟りの心境をいい表す句。
・不堪煩底人…
・極天罔墜…小学題辞。「幸玆秉彛極天罔墜、爰輯舊聞庶覺來裔」。

不能究其所從。此条、とどこの句のこと。妄意と最初に云へとも、ここを挌段に見へきことなり。所從を見子は本の見てない。あっちを根から悟てないとも云れぬ。たたの眼ては云れぬこと。佛は先きをくくり先きを枯す。いらさる苦労を買ふと云ものなり。余ほど悟を開たと云はふが、所從を見ることならぬ。道理皆根のあることて從来の所以あるもの。そこを吟味するとこれも道理々々と見る。天地の間理のないことなし。たとへは事親者不可不知医、どふてもよいはとは云はぬ。親の中風にそこにある枇杷葉湯を用ひやふと云は合点せぬ。あちは大束子に了簡せふとして從来を究めぬゆへ夢幻にする。從来がありて道は甚面白もの。小児を生育るも、生育てそれから教を施し段々に太極の道理も理會する。九年靣壁や山林へ引こんて悟ると云は從来を知ぬ。皆其筋のあることて、上に究理を説てここに究其所從と云か、これか筋なり。其村に居ても其村の筋を知子は所置はならぬ。大知ゆへ捌けると云ことはなし。理の裁分からわれることなり。即凡天下之物と云か礼の三千三百にも皆從來の理かある。高とを言はずにまていなことにさてもと云ことあり。中庸ても云たか、あちて翠竹黄花を云ても、費隠を語るに似たやふて本とか違ひ、鳶飛魚躍と違ふは、あちは似たと云ながらなぐる。つまり作用是性に落る。そこて魚が天へ飛、鳥が淵に躍ると朱子のたたらるる。子共の頬を撫る迠が理のわれて天命性から從て来たものなり。吾儒は道也者不可須臾離也をうけて費隱を云、釈氏は手前の道、手前の天用なり。會得三十捧會不得三十捧、そこを禅機なとと云て、此方ても深奧の大切な面白ことも取らす、或は鰕ても道を悟ると云。とど所從を究めす流遁して矢中なり。
【解説】
「夢幻人世、明不能究其所從也」の説明。天地の間に理のないことはなく、その道理には皆根がある。普通のことにも当然の理があるのである。この従り来たる所以を吟味すると道理が見える。仏は従来を究めないので人の世を夢幻とする。
【通釈】
「不能究其所従」。この条、つまりはこの句のこと。妄意と最初に言ったが、ここを格段に見なければならない。「所従」を見なければ本当の見ではない。また、あちらを根から悟ってはいないと言うこともできない。ただの眼では言えないこと。仏は先を括り先を枯らす。それは要らざる苦労を買うというもの。余程悟りを開いたと言い張るが、所従を見ることができない。道理には皆根があるのであって、従り来たる所以があるもの。そこを吟味するとこれも道理、それも道理と見える。天地の間に理のないことはない。たとえば「事親者不可不知医」であって、どうでもよいとは言わない。親の中風にそこにある枇杷葉湯を用いようと言えば合点はしない。あちらは大まかに了簡しようとして従来を究めないので夢幻にする。従来があるから道は甚だ面白いもの。小児を育てるのも、育ててそれから教えを施し段々に太極の道理も理会して行く。九年面壁や山林へ引っ込んで悟るのは従来を知らないのである。皆その筋のあることで、上に窮理を説いてここに「究其所従」と言うのが、これが筋である。その村にいてもその村の筋を知らなければ処置はできない。大知なので捌けるということはない。それは理の裁分が分かれてのこと。「即凡天下之物」というが、礼の三千三百にも皆従来の理がある。高いことを言わず、普通のことに全くその通りだということがある。中庸でも言ったが、あちらが「翠竹黄花」を言っても、それは「費隠」を語るのに似た様でいて本が違い、鳶飛魚躍とも違うのは、あちらは似ていると言いながらそれを粗略にするからである。つまり「作用是性」に落ちる。そこで魚が天へ飛び、鳥が淵に躍ると朱子が祟った。子供の頬を撫でることまでが、理が分かれて天命性から従って来たもの。我が儒は「道也者不可須臾離也」を受けて「費隱」を言うが、釈氏は自分の道、自分の天用である。「会得三十捧会不得三十捧」で、そこを禅機などと言い、自ら深奥で大切な面白いことも取らず、或いは海老でも道を悟ると言う。つまりは所従を究めず流遁して中を失っているのである。
【語釈】
・事親者不可不知医…家道14。「病臥於牀、委之庸醫、比之不慈不孝。事親者、亦不可不知醫」。小学外篇嘉言にもある。
・翠竹黄花…「青青翠竹、盡是真如、郁郁黄花、无非般若」。「青青翠竹、總眞如、鬱々黄花、無不般若」。
・費隠…中庸章句12。「君子之道、費而隱。夫婦之愚、可以與知焉」。
・作用是性…孟子告子章句上3集註。「生、指人物之所以知覺運動者而言。告子論性、前後四章、語雖不同、然其大指不外乎此、與近世佛氏所謂作用是性者略相似」。
・會得三十捧會不得三十捧…「道得るも三十棒、道得ざるも三十棒」。


第十三 大易不言有無条

大易不言有無。言有無、諸子之陋也。
【読み】
大易は有無を言わず。有無を言うは、諸子の陋なり。
【補足】
・この条は、正蒙の大易篇にある。

この条が横渠の殊の外見た章なり。横渠にはあぶない説もあれとも、それ迚も道の全体の処に云違はせぬ。靜虚一大を程子のにが笑せられたこともあれとも、道統かこの章ても見へる。この章がすむと老仏に迷はない。道統の傳か明道伊川と同格の位付もこの章て知れることなり。さて又此章、易から見出して老仏をせめられた。諸子を責めやふとして發したことではない。大易のはこふじゃ、あの徒ともはさて々々陋なりと云見とりなり。短けれとも大切の章と知るべし。易は廣大悉具とあり、大哉易也とも云て易に天地の道理皆具りて靣白ことなれとも、不言有無。垩人の云はぬて道を理會せよなり。不言有無か大易の大易たる所。名立かましく云あの老荘なとか下卑ちゃ々々々々と云るるなり。下卑とはどふなれは、道の有り処にうろたへる。道の有所にうろたへるはどふなれは、老仏か道をたしかに見ずに、道はこのやふなものと道の居処を我方でこしらへる。依て渾沌未聞や不生不滅、本来空か道の居処をたつ子て胸て建立する。上への帒、こちらの巾着にあると云て、それへ道をつるす。虚無寂滅を上につるして、それから出来るやふに思ふ。そこて道かそれにあるかと云やふに、持佛堂の阿弥陀のやふに了簡するなり。圣人は易に天地のなりを語りて其上に道あり、何から何か出來るてなし。一阴一阳之謂道継之者善也。そこの所なり。仁者見之曰之仁知者見之曰之知。見処次第のこと。道はこれとつかまへて見せぬ。百姓日用而不知。斯ふと云た迠のこと。易に有無は言はぬ。彼老子か無を立て有を生すると云。我立たものあるゆへ奧の院からの、本来からの、それからのと見るて、居処かきはまる。易はずふ々々と行く処が道なり。そこて歴々の語は違ふことて、朱子の周子は滾説すと云はるる。一動一靜のあの中に太極の道理があって、有とも無とも云はぬ。
【解説】
易は天地の道理が皆具わったものだが、道は有無を言わずに理会するものである。老荘は渾沌未聞や不生不滅、本来空と言って道の有り場を自らの胸で建立する。しかし、聖人は易で天地の姿を語り、その上に道があるとする。また、老子は無を立てて有を生じると言うが、こちらは一動一静の中に太極の道理があるとして、有とも無とも言わない。
【通釈】
この条は横渠が殊の外よく見た章である。横渠には危ない説もあるが、それさえも道の全体の処での言い違いはない。「清虚一大」を程子が苦笑いされたこともあったが、彼が道統であることがこの章ても見える。この章が済めば老仏に迷うことはない。道統の伝が明道や伊川と同格の位付けにあるのもこの章て知れる。さてまたこの章は易から見出して老仏を責められたもので、諸子を責めようとして言ったことではない。大易のはこうだ、あの徒共は本当に陋だという見取りである。短い文だが大切な章と知りなさい。易は「広大悉具」とあり、「大哉易也」とも言って、易には天地の道理が皆具わっていて面白いものだが、「不言有無」。聖人が有無を言わずに道を理会しろと言った。「不言有無」が大易の大易たる所。名立てがましく言うあの老荘などを、下卑なことだと言われた。下卑と言うのはどういうことかと言うと、道の有り処に狼狽えるからである。道の有り所に狼狽えるのはどうしてかと言うと、老仏は道を確かに見ず、道はこの様なものと道の居り処を自分の方で拵えるからである。そこで、渾沌未聞や不生不滅、本来空と言って道の居り処を尋ねて胸で建立する。上の袋がこちらの巾着にあると言って、それへ道を吊るす。虚無寂滅を上に吊るして、それからできる様に思う。そこで道がそれにあると言う風に、持仏堂の阿弥陀の様に了簡する。聖人は易で天地の姿を語ってその上に道があるとする。何かから何かができるのではない。「一陰一陽之謂道継之者善也」がそこの所で、「仁者見之曰之仁知者見之曰之知」が見処次第ということ。道はこれと捉まえて見ることはしない。「百姓日用而不知」は、こうだと言ったまでこと。易は有無を言わない。あの老子が無を立てて有を生じると言う。自分で立てたものがあるので、奥の院からとか、本来からとか、それからと見るので居処か窮まる。易はずんずんと行く処が道である。歴々の語は格段で、朱子が周子は滾説すと言われた。一動一静のあの中に太極の道理があって、有とも無とも言わない。
【語釈】
・靜虚一大…朱子語類張子書2。「問、橫渠有清虚一大之説、又要兼清濁虚實。曰、渠初云清虚一大、爲伊川詰難、乃云、清兼濁、虚兼實、一兼二、大兼小」。
・易は廣大悉具…易経繋辞伝下10。「易之爲書也、廣大悉備」。
・大哉易也…道体1。「大哉易也、斯其至矣」。
・一阴一阳之謂道継之者善也…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知」。百姓日用而不知は孟子告子章句下2集註にもある。
・周子は滾説す…

さてこの章の正意は有増斯ふて、この有無の説を荻野庄右衛門か善く云てあり。擔當雜志に見ゆ。直方先生の朱批を請ふたれは、言へはすくに直方の説なり。又石原の先生晩年に不言有無之説あり、大ふよい説て、云へは一世一代の書と云ほとのこと。迂斎も跋を書けり。併、國字物ゆへはっきとないゆへ、某竊に文に書てあり。この説はいつぞ見へし。黙斎艸巻二十丁酉雜録に見ゆ。石原先生の言秡たは善太郎殿も、靣白けれとも併ら不言と云文義の正靣てないと云へり。石原先生の意は不言を名言せぬと見て、無とも有とも不名言の意になる。然れは善太郎殿のか文義よし。張子は不言と云がざっと云はれたこと。云てないと云ことになる。さて石原の先生の説一寸つまみて云はふか、大易不言有無はたたい有ものを有る、無ものを無しとしたこと。有無か何にも道体の名義ではない。なるほと有無か道体になろふはづはない。無か有になると云は道体の名義になる。有無が道体になるやふになるが、つかまへて道の居処こしらへるなり。今日五月六日は有る。明日になれは今六日は無、今明日七日は無なれとも、明日は有になる。昼夜もそれ。有無は靣をあらはして動靜のなりなり。あの動靜が道てなく、動靜の動靜たる所以ん、有無の有無たる所以が道なり。然れは有無をつかまへ道とするは妄見にて、異端はそれをつかまへて道とする。荻野と先師にて備る。あれにて埒をつくへし。
【解説】
「大易不言有無」を張子は有無を言わないことの意で言ったが、石原先生の説を要約すると、有るものを有るとし、無いものを無いとすることである。本来有無は道体の名義ではない。有無は面を現した動静の姿であり、その動静が道なのではなく、動静の動静たる所以、有無の有無たる所以が道である。老荘は有無自体を道体の名義とするが、それは妄見である。
【通釈】
さてこの章の正意はあらましこの様なことで、この有無の説を荻野庄右衛門がうまく言っている。担当雑志にある。それは直方先生が朱批を請うたものなので、言わば直に直方の説である。また、石原先生の晩年に不言有無之説があり、それは大分よい説で、言わば一世一代の書と言うほどのこと。迂斎も跋を書いた。しかし国字物なのではっきりとしないから、私が密かに文に書いて置いた。この説はいつか見なさい。黙斎草巻二十丁酉雑録にある。善太郎殿も、石原先生の言い抜いたところは面白いが、しかしながら不言という文義を正面から言ったものではないと言った。石原先生の意は不言を明言しないことだと見たもので、無とも有とも明言しない意となる。それなら善太郎殿の方が文義はよい。張子が不言と言ったのは粗く言われたことで、言ってはならないということ。さて石原先生の説を一寸摘まんで言えば、大易不言有無はそもそも有るものを有る、無いものを無しとしたこと。有無は何も道体の名義ではない。なるほど有無が道体になる筈はない。無が有になると言えば道体の名義になる。有無が道体になる様にするのは、掴まえて道の居り処を拵えること。今日の五月六日は有る。明日になれは今の六日は無い。今は明日の七日は無いが、明日は有ることになる。昼夜もそれ。有無は面を現した動静の姿である。あの動静が道なのではなく、動静の動静たる所以、有無の有無たる所以が道である。そこで、有無を捉まえて道とするのは妄見であり、異端はそれを捉まえて道とする。ここは荻野と先師で完備する。あれで埒が明くだろう。
【語釈】
・荻野庄右衛門…
・善太郎…幸田子善。名は誠之。善太郎と称す。江戸の人。迂斎と野田剛斎に学ぶ。享保5年(1720)~寛政4年(1792)


第十四 浮圖明鬼条

浮圖明鬼謂、有識之死、受生循環、遂厭苦求免。可謂知鬼乎。以人生爲妄見。可謂知人乎。天人一物、輒生取舍。可謂知天乎。孔・孟所謂天、彼所謂道。惑者指遊魂爲變爲輪廻、未之思也。大學當先知天德。知天德、則知聖人、知鬼神。今浮圖劇論要歸、必謂死生流轉、非得道不免。謂之悟道、可乎。悟則有義有命、均死生、一天人。惟知晝夜、通陰陽、體之無二。自其説熾傳中國、儒者未容窺聖學門牆、已爲引取、淪胥其閒、指爲大道。乃其俗達之天下、致善惡・知愚・男女・臧獲、人人著信。使英才閒氣、生則溺耳目恬習之事、長則師世儒祟尚之言。遂冥然被驅。因謂聖人可不脩而至、大道可不學而知。故未識聖人心、已謂不必求其迹、未見君子志、已謂不必事其文。此人倫所以不察、庶物所以不明、治所以忽、德所以亂。異言滿耳、上無禮以防其僞、下無學以稽其弊。自古詖淫邪遁之辭、翕然竝興。一出於佛氏之門者、千五百年。自非獨立不懼、精一自信、有大過人之才、何以正立其閒、與之較是非、計得失哉。
【読み】
浮圖は鬼を明らかにして謂う、有識の死するや、生を受けて循環し、遂に苦を厭いて免れんことを求む、と。鬼を知ると謂う可けんや。人生を以て妄見と爲す。人を知ると謂う可けんや。天人は一物なるに、輒[すなわ]ち取舍を生ず。天を知ると謂う可けんや。孔・孟謂う所の天は、彼謂う所の道なり。惑える者遊魂變を爲すを指して輪廻と爲すは、未だ之を思わざればなり。大學は當に先ず天德を知るべし。天德を知れば、則ち聖人を知り、鬼神を知る。今、浮圖、要歸を劇論するに、必ず死生流轉は道を得るに非ずんば免れずと謂う。之を道を悟ると謂いて、可ならんや。悟れば則ち義有り命有り、死生を均しくし、天人を一にす。惟晝夜を知り、陰陽に通じ、之を體して二つ無し。其の説熾んに中國に傳わりしより、儒者未だ聖學の門牆を窺う容[べ]からざるに、已に引取するところと爲り、其の閒に淪胥して、指して大道と爲す。乃ち其の俗之を天下に達し、善惡・知愚・男女・臧獲、人人に信を著くを致せり。英才閒氣をして、生まれては則ち耳目恬習の事に溺れ、長じては則ち世儒祟尚の言を師とせしむ。遂に冥然として驅[か]らる。因りて聖人は脩めずして至る可く、大道は學ばずして知る可しと謂う。故に未だ聖人の心を識らざるに、已に必ずしも其の迹を求めずと謂い、未だ君子の志を見ざるに、已に必ずしも其の文を事とせずと謂う。此れ人倫の察らかならざる所以、庶物の明らかならざる所以、治の忽[ゆるがせ]にせらるる所以、德の亂るる所以なり。異言耳に滿つるも、上は禮の以て其の僞を防ぐこと無く、下は學の以て其の弊を稽[かんが]うること無し。古より詖淫邪遁の辭、翕然[きゅうぜん]として竝び興る。一に佛氏の門より出ずる者、千五百年なり。獨立して懼れず、精一にして自ら信じ、大いに人に過ぐる才有るに非ざるよりは、何を以て正しく其の閒に立ち、之と是非を較べ、得失を計らんや。
【補足】
・この条は、正蒙の乾称篇にある。

この条も今日横渠の最初の條と先似たれとも、最初のは全体を云。これは輪廻なり。最初の條より郭は小さけれとも、天性を妄意するからは輪廻にせ子はならぬ。さて某か今日の説なり。実に知ると、若しと孔氏から廻状か來て、苦しふないほどに輪廻の説を云へと云てもどふも云れぬ。輪廻を云へば中庸の天命性を刪ら子はならぬと答てやると、善く云た、そふじゃと御賞美あるべし。天命性はずふ々々と行て迹へもどらぬ。偖又釈氏の方でも相手の高いものへは高上を云、卑いものへは輪廻を云へとも、必竟妄意天性からは輪廻を云は子はならぬ。それで上の条でも以六根之微因縁天地のことをきめて置けり。浮圖はあの方の字てはなく、佛陀と云か浮圖と聞へる。今蠻名のやふなもの。かぼちゃをかぼちゃと云に字心はない。明鬼は鬼神の咄しするを此方ては折節はなすこと。道体のことになって居る。あちは平生この咄して放下の種にする。不断言か輪廻の惣まくりなり。
【解説】
「浮圖明鬼謂」の説明。仏は天性を妄意するから輪廻と言わなければならなくなる。もしも輪廻を正しいとすれば中庸の天命性は削らなければならない。また鬼神はこちらでは道体のことだが、仏はそれを放下の理由とする。
【通釈】
先ずはこの条も今日の横渠の最初の条と似ているが、最初の条は全体を言い、ここは輪廻を言う。最初の条より規模は小さいが、仏は天性を妄意するから輪廻と言わなければならない。さて私の今日の説だが、本当に知れば、孔子から廻状が来て、苦しくないから輪廻の説を言えと言われても、どうも言うことができない、輪廻を言えば中庸の天命性を削らなければならないと答えて遣ると、よく言った、その通りだと御賞美されることだろう。天命性はずんずんと行って後へ戻らない。さてまた釈氏の方でも高い相手には高上を言い、低い者へは輪廻を言うが、畢竟妄意天性からは輪廻を言わなくてはならない。それで上の条でも「以六根之微因縁天地」のことを決めて置いたのである。浮図はあちら字ではなく、仏陀が浮図のことの様である。それは今の蛮名の様なもの。南瓜をかぼちゃと言っても、それに字心はない。「明鬼」。こちらでは鬼神の話を折節するが、それは道体のこと。あちらは平生この話をして放下の種にする。いつもそれを言うのが輪廻の総捲りである。
【語釈】
・天性を妄意…異端12。「横渠先生曰、釋氏妄意天性」。
・天命性…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・以六根之微因縁天地…異端12。「反以六根之微、因縁天地」。

有識之死生受生循環。有識は知惠のことを云でなく、有情のことなり。いけとし生けるもののこと。有情の者の死た性を生るる者が受てくる々々まはると云。これが天命性を知れは言れぬ。天からずっ々々と出るゆへこのやふな小ひことてない。以六根之微因縁天地と云か天地を此方へつけて我胸からゆへ、このやうな妄を云。それからして高いことも云。或は又しら々々しくだますことも云ふ。誰は普賢の再来、彼は文珠の生れかはりと云。寒山拾得か云そふもないことて、そなたの心さまかわるいゆへ牛になると云。何牛がと云僧の名を呼だれは、のろりとそこへ牛が出る。あれらか高い見ゆへ人をたわけにしてだますやふなれとも、とど手前から建立の道ゆへ受生循環を云は子はならぬ。輪廻をこへ、三界を越るかこれなり。
【解説】
「有識之死、受生循環」の説明。仏は、生きている物が死ぬと、その性を生まれる者が受けて輪廻すると言う。仏は知見が高いので人を戯けと思って騙すが、自分から建立した道なので、輪廻を言わなければならなくなったのである。
【通釈】
「有識之死生受生循環」。有識は知恵のことではなく、有情のことで、生きとし生ける物のこと。有情の者の死んだ性を生まれる者が受け、くるくる廻ると言う。しかし、天命性を知ればそれは言えない。天からずっと出るのだから、この様な小さいことではない。「以六根之微因縁天地」と言うのが天地をこちらへ付けて自分の胸からのことなので、この様な妄を言い、それからして高いことをも言う様になる。或いはまた白々しく騙すことも言う。あれは普賢菩薩の再来だ、文殊の生れ変わりだと言う。それは寒山や拾得が言いそうもないこと。また、貴方の心様が悪いので牛になると言う。何牛がと言う僧の名を呼べば、のろりとそこへ牛が出る。彼等は見が高いので人を戯けと思って騙すが、つまりは自分から建立した道なので「受生循環」を言わなければならなくなったのである。輪廻を越え、三界を越えるのがこれである。
【語釈】
・寒山…唐代の僧。天台山の近くに拾得と共に住み、奇行が多く、豊干に師事したと伝える。その詩は「寒山詩」中に収載。文殊の化身と称せられ、画題にされる。
・拾得…唐代の僧。天台山の近くに寒山と共に住み、奇行が多く、豊干に師事したと伝える。その詩は「寒山詩」中に収載。普賢の化身と称せられ、画題にされる。

厭苦求免可謂知鬼乎。とふしたことなれは、則釈迦が死を涅槃と云も輪廻を免るるゆへなり。只の人のは死は輪廻する。釈迦大滅後そこを免る。仏心なり。不生不滅になりて道を得たものか涅槃に入る。人か人に生れかわるの、人か牛馬に生れかはると云ゆへ輪廻を免れたがる。可謂知鬼乎は、すいがらは下へ落、烟は上へのぼるで手もなく理會すること。循環輪廻は手のこんたこと。それては天地がいそかしくなる。あの大な天地がそれて間に合ことでない。鬼神を知ぬゆへのことなり。怖死生の見からこそ斯は言へ、彼程子一例に看るなれはそれは出ぬ。先日の処に放這身來云々大小大快活をここへ持て來て見へし。天地万物の上へ置と快活、輪廻のことなし。釈氏怖死生や、或は將軀穀上頭起意ゆへ輪廻も云。たたい無いことは一壮つつ灸するやふなもの。一壮目の熱いが二壮目の熱になるてない。灸は一壮つつ新にあつい。労咳やみはあつくないと云は人々別々ゆへなり。細工て出来ることでない。求免が小刀細工ゆへ、鬼を知ると云はれぬ。
【解説】
「遂厭苦求免。可謂知鬼乎」の説明。仏は輪廻を唱えるから、それを免れるために釈迦の死を涅槃と言い、道を得た者が涅槃に入ると言う。しかし、天地は快活で輪廻などはない。それは鬼神を知らないのである。
【通釈】
「厭苦求免可謂知鬼乎」。これはどうしたことかと言うと、則ち釈迦の死を涅槃と言うのも輪廻を免れるためである。普通の人の死は輪廻する。釈迦は大滅の後にそこを免れる。これが仏心である。不生不滅になって道を得た者が涅槃に入る。人が人に生まれ変わったり、人が牛馬に生まれ変わると言うので輪廻を免れたがる。「可謂知鬼乎」。吸殻は下へ落ち、煙は上へ上るから、それはわけもなく理会することができるが、「循環輪廻」は手の混んだことなので、それでは天地が忙しくなる。あの大きな天地がそれで間に合う筈はない。それは鬼神を知らないからである。「怖死生」の見からこそこの様に言うが、あの程子の「一例看」であれば輪廻は出ない。先日の処にあった「放這身来云々大小大快活」をここへ持って来て見なさい。天地万物の上へ置くと快活で、輪廻のことはない。「釈氏怖死生」や、或いは「將躯殻上頭起意」なので輪廻も言う。そもそもこれは無いのであって、それは一壮ずつ灸をする様なもの。一壮目の熱が二壮目の熱になるのではない。灸は一壮ずつ新たに熱い。労咳病みは熱くないと言うのは、人はそれぞれだからである。細工でできることではない。「求免」は小刀細工だから、それでは鬼を知るとは言えない。
【語釈】
・怖死生…異端4。「釋氏本怖死生爲利」。
・一例に看る…異端6。「放這身來、都在萬物中一例看、大小大快活」。
・將軀穀上頭起意…異端6。「人只爲自私將自家軀殻上頭起意、故看得道理小了他底」。

以人生爲妄可謂知人乎。人世ほと慥なことはない。桜は花にあらはれにけり。それてたしかなり。それも夢幻しと云ゆへ上て鬼を知らぬと云。ここて人世と云は五倫で云べし。それを為妄、人を知ぬなり。垩人の未能事人焉能事鬼も事人は親に仕へること。其心て親の神靈に事ると示すも、親は実なものゆへ実て一ち慥なものを以てしれぬ鬼を示す。然るに其人生るを妄と云。人を知とは云へぬなり。天人一物輒生取舎可謂知天乎。たたい垩人の道て云とき、人は一箇の小天地のなりを人かもつ。易ても中庸ても天を語れは人を出し、人を語れは天に本つき、天人合一を語る。佛は天と人を別に云。天性を取て人をすてる。天なりが人にあるか合一なるに、それを二つと云か生取舎なり。能天を知るものは人に試ると云。朱子の、あたまの圓いは天、足の方は知となり。天人割符が合ゆへ二つにならぬ。小学題辞でまだ紙鳶をあける小児にも初手から天人合一を示す。そふなけれは半分の道になる。
【解説】
「以人生爲妄見。可謂知人乎。天人一物、輒生取舍。可謂知天乎」の説明。人世は確かなものだが、それを夢幻と言うのは鬼神を知らないのである。親に事えるという実事から鬼神を知る。人は一箇の小天地であり、天が人の内にあるから、儒学は天人合一を語るが、仏は天性を取って人を捨てる。
【通釈】
「以人生為妄可謂知人乎」。人世ほど確かなことはない。桜は花にあらわれにけり。それで確かなのである。それも夢幻と言うので、上で鬼を知らないと言った。ここの人世は五倫を言ったこと。それが妄なので人を知らない。聖人の「未能事人焉能事鬼」も、「事人」は親に仕えること。その心で親の神霊に事えると示したのは、親は実なものなので、実で一番確かなものによってよくわからない鬼を示すことなのである。それを「人生為妄見」と言う。それでは人を知るとは言えない。「天人一物輒生取舍可謂知天乎」。そもそも聖人の道で言う時、人は一箇の小天地の姿を持っている。易でも中庸でも天を語れば人を出し、人を語れば天に基づいて天人合一を語る。仏は天と人とを別に言う。天性を取って人を捨てる。天の通りが人にあるのが合一なのに、それを別だと言うのが「生取舍」である。よく天を知る者は人に試みると言う。朱子が、頭の丸いのは天、足の方は地と言った。天人割符が合うので別にはならない。小学の題辞で、まだ凧を揚げる小児にも最初から天人合一を示す。そうでなければ半分の道になる。
【語釈】
・桜は花にあらはれにけり…源頼政。詞花和歌集。「深山木のその梢ともみえざりし、桜は花にあらはれにけり」。
・未能事人焉能事鬼…論語先進11。「季路問事鬼神。子曰、未能事人。焉能事鬼。敢問死。曰、未知生、焉知死」。
・人は一箇の小天地…

孔孟所謂天彼所謂道。此れは一寸みると一つことに落るやふなれともそふてなし。訳あることなり。此方ては天と云ことか彼の方ては云はれまい。道とは云べし。天の字を青ひ空を見て云でなし。獲罪於天無所禱の、建諸天地不悖のと孔孟は天の弟子なり。天は本かたゆへ天と語る。此方て天道と云へは、天はわり府の合たこと。あちは佛道と立る。それをつかまへて道と云か本んてない。茶人さへ茶道と云やふなもの。因てここは天を冠せぬをたたりて云。天ては私せられぬ。あちは天へかけず私の細工ゆへ妄意の道をたてる。我この心を主張し、不生不滅を重宝して公てないゆへ彼か道と云。孔孟は天と云はるるかすくに道のことなり。あちは吾建立の道なれは、天とは云はれまいなり。
【解説】
「孔・孟所謂天、彼所謂道」の説明。儒学は天と道との割符が合っているので天道と言うが、仏は私細工なので天とは言わずに仏道と言う。
【通釈】
「孔孟所謂天彼所謂道」。これは一寸見ると同じところに落ちる様だがそうではない。これにはわけがある。こちらで言う天を、彼等は天とは言えないだろう。しかし道とは言うだろう。天の字は青い空を見て言うことではない。「獲罪於天無所禱」や「建諸天地不悖」と言う天のことで、孔孟は天の弟子である。天は本方なので天と語る。こちらで天道と言う、その天は割符の合ったたこと。あちらは仏道と立てる。それを捉まえて道と言うが、それは本当のものではない。それは、茶人さえも茶道と言う様なもの。そこで、ここは天を冠しないことを祟って言ったこと。天では私をすることができない。あちらは天へ掛けずに私の細工なので妄意の道を立てる。我が心を主張し、不生不滅を重宝して公でないので「彼所謂道」と言った。孔孟が天と言われるのは直に道のこと。あちらは自分で建立した道なのだから、天とは言うことはできないだろう。
【語釈】
・獲罪於天無所禱…八佾13。「王孫賈問曰、與其媚於奧、寧媚於竈、何謂也。子曰、不然、獲罪於天、無所祷也」。
・建諸天地不悖…中庸章句29。「考諸三王而不繆、建諸天地而不悖。質諸鬼神而無疑。百世以俟聖人而不惑。質鬼神而無疑、知天也。百世以俟聖人而不惑、知人也」。
・本かた…本方。①卸店。問屋。②事業の資本を出す人。資本家。

惑指遊魂為変為輪廻。ここの語意は中にも可笑ことはとなり。仏のことて別して了簡違ひは、繋辞を出してあれを輪廻と云。放勲徂落と云も尭の魂は天へ歸し、魄は地へ降るゆへ云。今日斯して居るは目出度こと。阴阳か結ひ合てだきつきて居るて、魂魄か守て居るゆへなり。そこて遊魂の遊は遊行と云やふなもの。魂か遊くとはたりと倒れる。只死だことを遊魂為変と云。孔子の辞は死た子細を説て聞せて、人は死は魂か遊となり。只今何ぞて人事を知らす、眼をまわしたときがこの姿のこと。孔子は死のことを云れたれは、未知生則焉知死と云はふが輪廻とはとってもつかぬこと。然るに輪廻か我建立の道ゆへ、それてここから建立されるかと思ふ。必竟文義も知らぬ。未之思也なり。
【解説】
「惑者指遊魂爲變爲輪廻、未之思也」の説明。仏の大きな了簡違いは繋辞を用いて輪廻を言ったことである。孔子は人が死ぬと魂が遊くと言っただけである。
【通釈】
「惑指遊魂為変為輪廻」。ここの語意は、中でも可笑しいことにはということ。特に仏の大きな了簡違いは、繋辞を出してあれを輪廻だと言ったこと。「放勲徂落」と言っても、堯の魂は天へ帰し、魄は地へ降りるからその様に言うのである。今日こうしているのは目出度いこと。陰陽が結び合い抱き付いているのであって、魂魄が守っているからである。それで、遊魂の遊は遊行という様なもの。魂が遊くとばたりと倒れる。死ぬことをただ遊魂為変と言ったのである。孔子の辞は死んだ仔細を説いて聞かせて、人は死ねば魂が遊くと言ったもの。今、何かで人事不省になって眼を回した時がこの姿である。孔子は死のことを言われたが、「未知生則焉知死」と言い張るのが輪廻とは似ても似つかないこと。それを、輪廻が自分で建立した道なので、ここから建立されたかと思う。畢竟文義も知らない。「未之思也」である。
【語釈】
・遊魂為変…易経繋辞伝上4。「易與天地準。故能彌綸天地之道。仰以觀於天文、俯以察於地理、是故知幽明之故。原始反終、故知死生之説。精氣爲物、遊魂爲變、是故知鬼神之情状」。
・放勲徂落…孟子万章章句上4。「堯典曰、二十有八載、放勳乃徂落。百姓如喪考妣、三年四海遏密八音」。

大學當先知天徳。大学の学者と云やふなもの。それゆへにここのさばき小学躰にてはすまぬ。道体の上なれは大学者のこと。大学者は天道のことを先知るへし。天徳はやはり明徳のこと。張子の詞の上の上手と云もの。上に孔孟所謂天とかけて明徳と云てははり合がわるいゆへのこと。天德と語る。天徳も明徳も同しことゆへ明徳の章句に人所乎得天ともあり、大学は異端の相手ないゆへ天を出さずに明徳てよい。ここは異端か相手ゆへ天徳と云。知天徳則知垩人知鬼神。天德なりの垩人なり。大学に明徳とある。あの通りか垩人なり。そこで跡へふりかへり見れは天人一物も知れる。近思の初の道体かこの次の垩賢になるもそこなり。知鬼神は人の死たが鬼神なり。天徳なりが垩人、垩人も死すれは鬼神なり。なんのこともない。尭舜孔子上に鬼神になって天地一牧なり。佛の云やふに、夫から先きへ輪廻はなさぬ。其生也栄其死也衰も死生のこと。その孔子の生れてをられたが死なれたるなり。それからそれと云ことなし。輪廻はたとへは二十里四方の間を往たり來たりすると云様なもの。それてもやはり向へ進むそ。偖ここはざっと云たこと。斯ふなれは輪廻なとはうってもよらぬことなり。
【解説】
「大學當先知天德。知天德、則知聖人、知鬼神」の説明。ここの「天徳」は明徳のこと。天徳の通りが聖人で、聖人も死ねば鬼神となるのである。
【通釈】
「大学当先知天徳」。ここは大学の学者という様なものであって、そこでここの捌きは小学などでは済まないこと。道体の上のことだから大学者のこと。大学者は天道のことを先ず知らなければならない。天徳はやはり明徳のことで、これが張子の言葉の上の上手ということ。上に「孔孟所謂天」とあるので、それに掛けて明徳と言っては張り合いが悪いからこの様に言ったのである。天徳と語ったが、天徳も明徳も同じことなので、明徳の章句に「人之所得乎天」ともあり、大学は異端の相手をしないので天を出さずに明徳でよいが、ここは異端が相手なので天徳と言う。「知天徳則知聖人知鬼神」。天徳の通りの聖人である。大学に明徳とある。あの通りが聖人である。そこで後を振り返って見ると「天人一物」というのもわかる。近思の始めの道体がこの次の聖賢になるのもそこのこと。「知鬼神」は、人の死んだのが鬼神である。天徳の通りが聖人で、聖人も死ねば鬼神である。何事もない。堯舜や孔子は上で鬼神になって天地一枚である。仏の言う様に、それから先に輪廻はしない。「其生也栄其死也衰」も死生のこと。孔子の生まれておられたのが死なれたのである。それからそれへということはない。輪廻はたとえば二十里四方の間を往ったり来たりするという様なもの。それでもやはり向こうへ進む。さて、ここはざっと言ったこと。こうなれば全く輪廻などに寄り付くことはない。
【語釈】
・人所乎得天…大学章句1集註。「明德者、人之所得乎天、而虚靈不昧、以具衆理而應萬事者也」。
・其生也栄其死也衰…論語子張25。「其生也榮、其死也哀、如之何其可及也」。

今浮圖劇論要歸必謂死生流轉非得道不免之悟道可也。そふしても下卑たことと落すことなり。極論要歸はあちの折紙傳授にする。死生流轉は何か苦労もここ、何か修行もここ、さま々々に生れかわり死かわると云。非得道不免は先刻の涅槃なり。彼の大滅度なり。其魂は不生不滅、それを佛心仏性と云。あとのは牛馬なとの皆すてる処のものなり。得道者はかりと云が一人一箇のこと。天命性でない。我胸てして、天地自然の生死を我方て仕舞て生死流轉と云。この見処が甚下卑た処なり。得道者の外は倍臣又者と云やふにして、佛は身代よく、其余は達磨や臨斎計りなり。其たま々々よいのを心性とたて、天地公共てないそ。天へ本つかぬゆへ、極論したとき輪廻の外は何もない。そこか下卑なり。それて悟道と云ふはをかしい。
【解説】
「今浮圖劇論要歸、必謂死生流轉、非得道不免。謂之悟道、可乎」の説明。仏心仏性は涅槃のことで、仏はそれ以外を皆捨てる。それでは天地公共ではない。
【通釈】
「今浮図劇論要帰必謂死生流転非得道不免之悟道可也」。その様なことをしても下卑たことだと落とす。「極論要帰」はあちらが折紙伝授にすること。「死生流転」はどの様な苦労もこれ、どの様な修行もこれで、様々に生まれ変わり死に変わると言う。「非得道不免」は先刻の涅槃のことで、あの大滅度のことである。その魂は不生不滅、それを仏心仏性と言う。他は牛馬などと同じで、皆捨てる処のもの。道を得た者だけというのが一人一箇のことで、天命性ではない。我が胸でして、天地自然の生死を自分で作って生死流転と言う。この見処が甚だ下卑た処である。道を得た者の外は倍臣や又者という様なこととする。仏は身代がよいものとし、その他では達磨や臨済だけだとする。その偶々よいのを心性と立てるが、それは天地公共ではない。天に基づかないので、極論すれば輪廻の外は何もない。そこが下卑である。それで「悟道」と言うのは可笑しなこと。
【語釈】
・滅度…涅槃のこと。悟りを得て生死の苦を超越すること。また、入滅すること。

注。悟則有義有命均死生一天人。この條、小注か重いこと。本文は向をつかまへて辨する計りなり。ここは本を語りてあちの卑か知れる。譬は君子食無求飽居無求安云々と同しこと。この語の訳のあるは不及暇也と云、敏於事と云は飯をかみ々々語類を見る様なもの。こちに急なことあるゆへ外へ及ふ間はない。本の道を知ぬゆへ死生輪廻にかかって見る。本の道を知れは有義有命なり。そふしたものをつかまへてをれはうろたへた見処の出る間はないなり。あちはせつなくなって山林へ引こみ、それから輪廻をこしらへ出し、佛心の仏性のと古錢を仕廻てをくやふに思ふ。本の道は今する。平生のこと。天下の政ても庶人の職ても人の接ても當然かありて、義命なりをする。それにかかるゆへ均死生一天人。えり取をして生取舎やふな隔はない。それて死生天人も一になる。大きな道、本んのさとりなり。死たい生たい我勝手はない。西銘に存則順事没則吾寧し。物すきはない。隠居したい、立身したい、せつなかってもとふもならぬ。欲安則安而已。義命を知ぬゆへさわかしい。一天人かふっくりとしたこと。天なりのはたらきする。禅坊主の悟りは悟でなく、中庸か悟りなり。天なりを人かするゆへ天人合一と云。小学人を仕込むに初めに天を云ふて、俾爲師者知所教而弟子所以学と云ふ。こちは天人の外なし。
【解説】
悟則有義有命、均死生、一天人」の説明。道は平生のことを羲命の通りにするものだから、狼狽える間はない。禅坊主の言う悟りは間違いであり、中庸が悟りである。
【通釈】
注。「悟則有義有命均死生一天人」。この条は小注が重要である。本文は向こうを掴まえて弁ずるだけだが、ここは根本を語るのであちらの卑が知れる。たとえば「君子食無求飽居無求安云々」と同じこと。この語にわけがあって、「不暇及也」や「敏於事」と言うのは飯を噛みながら語類を見る様なこと。こちらに急なことがあるので外へ及ぶ間はない。本当の道を知らないので死生輪廻に掛かって見る。本当の道を知れば「有義有命」である。そうしたものを掴まえていれば狼狽えた見処の出る間はない。あちらは切なくなって山林へ引っ込み、それから輪廻を拵え出し、仏心仏性と古銭をしまって置く様に思う。本当の道は今することで、平生のこと。天下の政にも庶人の職にも人の接し方にも当然があって、義命の通りをする。それに掛かるので「均死生一天人」である。選り取りをして取舎を生じる様な隔てはない。それで死生天人も一つになる。それは大きな道で本当の悟りである。死にたいとか生きたいとかと言う自分勝手はない。西銘に「存吾順事没吾寧」とあり、物好きはない。隠居したいとか立身したいと切ながってもどうにもならない。「欲安則死而已」で、義命を知らないから騒がしい。一天人がふっくりとしたこと。天の通りの働きをする。禅坊主の悟りは悟りではなく、中庸が悟りである。天の通りを人がするので天人合一と言う。小学で人を仕込むのに、始めに天を言って、「俾為師者知所教而弟子所以学」と言う。こちらには天人の外はない。
【語釈】
・君子食無求飽居無求安…論語学而14。「子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉。可謂好學也已」。
・不及暇也…論語学而14集註。「不求安飽者、志有在而不暇及也。敏於事者、勉其所不足」。
・存則順事没則吾寧し…為学89。西銘。「存吾順事、沒吾寧也」。
・欲安則安而已…欲安則死而已。
・俾爲師者知所教而弟子所以学…小学内篇立教。「子思子曰、天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎。則天明遵聖法述此篇、俾爲師者知所以敎而弟子知所以學」。

惟知昼夜通阴阳体之無二。とれも大きなことなり。これか迷はぬ奧の院なり。知昼夜を私共にあかるいゆへ昼と存すると云。そふ云知てない。人の生れたは昼、人の死は夜のやふなもの。萬端を昼夜の眼て知るゆへ底のぬけた知なり。通阴阳は、人の上に親切なはこれほとのことなし。これて推すと何も知る。寒暑も阴阳なり。人のからだも元氣は陽、血は隂、心は阳、身は阴なり。これてはれやかにすみて皆阴阳て片つく。邵子の平居にこ々々もここの根すみからなり。体之無二は、道と我とか一つになりて知が行に出る。知たやふで行はぬは眞知でなし。致知を体すると誠意正心になる。この小書は知行合一と見ること。知昼夜通陰陽は知見、有義有命は行事にて、それをごたまぜにしたとき知行合一なり。悟りた知か行に出ると云かこちのさとりなり。そこて此方のを斯ふ出せは、あちのわるいは云はずに知るる。
【解説】
推知晝夜、通陰陽、體之無二」の説明。知っていても行なわないのは真知でない。道と自分とが一つになって知を行に出す。それが知行合一である。
【通釈】
「惟知昼夜通陰陽体之無二」。どれも大きなこと。これが迷わないための奥の院である。「知昼夜」は、私共にとっては明るいのが昼だと言う様な知ではない。人の生まれたのが昼で、人の死ぬのが夜の様なこと。万端を昼夜の眼で知るのであって、底の抜けた知である。「通陰陽」ほど人の上に親切なことはない。これで推すと何でも知れる。寒暑も陰陽である。人の体も元気は陽で血は陰、心は陽で身は陰である。これで晴れやかに済んで皆陰陽で片付く。邵子が平居にこにこなのもここの根済みから。「体之無二」は道と自分とが一つになって知が行に出ること。知った様で行なわないのは真知でない。致知を体すると誠意正心になる。この小書は知行合一のことだと見なさい。「知昼夜通陰陽」は知見、「有義有命」は行事で、それを混ぜこぜにした時が知行合一である。悟った知が行に出るというのがこちらの悟りである。そこで、こちらのをこの様に出せば、あちらは悪いと口に出さなくてもそれがわかる。

自其説熾傳中國云々。直方先生の昼る妖物は出ぬと云はるる。異端の熾んになるは衰世ゆへなり。孟子の後は董仲舒韓退之、珎客か二人計なり。上に道は明になく、儒者は道しらす。彼両人とても董子はどふやら足腰かよはく、退之も未たうはつく。一はいなものは仏道なり。因て佛法か漢に来て唐に盛んなり。已爲引取。對决なしにあちへ行たなり。淪胥其閒指爲大道は手を引合ふて川へ落るやふなもの。指爲大道を有義有命云々の小書へもとりて見へし。大道と仏から看板を出したてなく、本の道を知らぬ。淪胥の者共かこちから信して大道と云。俗は早く這入るもの。近年烟艸のはやって來たかそふなり。三代將軍のときからのこと。仏の行はるるかあれと同し。乃其俗達之天下致善悪知愚云々著信。よい人わるい人炊夫浣婆まて人々信仰して、さて々々有難と云。この人心へ入ることあるを合点すへし。あの通に工夫ないゆへなり。洒掃応對も入らす、それを大くして致知挌物もせぬ。只わるいことすれは地獄と云。殊の外一寸とのことなり。人の入やすいはつなり。
【解説】
「自其説熾傳中國、儒者未容窺聖學門牆、已爲引取、淪胥其閒、指爲大道。乃其俗達之天下、致善惡・知愚・男女・臧獲、人人著信」の説明。異端が熾んになるのは衰世だからで、孟子の後は仏道が盛んだった。仏では洒掃応対も致知格物も要らない。ただ悪いことをすれば地獄へ落ちると言うだけだから、人がそれに入り易い筈である。
【通釈】
「其説熾伝中国云々」。直方先生が昼に妖物は出ないと言われた。異端が熾んになるのは衰世だからである。孟子の後は董仲舒と韓退之、珍客はこの二人だけである。上に道が明でなく、儒者は道を知らない。あの両人でさえ、董子はどうやら足腰が弱く、退之も未だ浮付く。元気なのは仏道である。そこで、仏法が漢に来て唐に盛んだった。「已為引取」。対決をしないであちらへ行った。「淪胥其間指為大道」は手を引き合って川へ落ちる様なこと。「指為大道」では「有義有命云々」の小書へ戻って見なさい。大道は仏から看板を出したのではない。彼等は本当の道を知らない。淪胥の者共が自分から信じて大道と言った。俗は早く這い入るもの。近年煙草の流行って来たのがそれである。それは三代将軍の時からのこと。仏が行なわれるのがあれと同じ。「乃其俗達之天下致善悪知愚云々著信」。よい人から悪い人、炊夫や洗い婆まで人々が信仰して実に有難いと言う。これが人心へ入るということがあることを合点しなさい。あの通りで、工夫をしないからである。洒掃応対も要らず、それを大きくして致知格物もしない。ただ悪いことをすれば地獄へ落ちると言う。それは殊の外一寸のこと。人が入り易い筈である。
【語釈】
・淪胥…引っ張り合って落ち込むこと。
・臧獲…使用人。臧は男で獲は女。

使英才間氣云々。これ迠一はいになったことを云。さて上には取に足らぬものを云、ここてはれき々々を云。英才は天下の柱になるへきに、氣の毒なは耳目恬習て稽古なしにそれになる。今日貴賤ともに念仏か題目を覚へる如し。碁將棊や手習ても人か教子は出来ぬか、南無阿弥陀佛と云には誰も習はすに染る。謡さへ我々は宝生新之亟に稽古したと云ぞ。念仏は誰に習ふた。いや、生れをちるとききをぼへたなり。然れは仏に入はよく々々やすきことなり。後世のは迷ふと云迠に及はす、恬習であふなり。長則師世儒祟尚之言は、これは英才て儒学をするゆへ氣つかいないと云に、歴々の儒者かとっくに半分佛に足を入て居る。張子のたんてき揚大年なとを向へ置てのことと見へる。それから王荊公東坡なともそれなり。遂冥然被驅。滅獲は勿論、英才間氣迠も引こまるるか其筈のこと。大近理而乱眞なり。
【解説】
「使英才閒氣、生則溺耳目恬習之事、長則師世儒祟尚之言。遂冥然被驅」の説明。生まれ落ちた時から人は念仏を聞き覚えるのだから、仏に稽古は不要なのである。仏は「近理而大乱真」であって、多くの英才が引き込まれた。
【通釈】
「使英才間気云々」。これまでで仏が盛んになったことを言った。さて上では取るに足りない者を言い、ここでは歴々を言う。英才は天下の柱になるべきなのに、気の毒なことに「耳目恬習」で稽古なしにそれになる。今日貴賎共に念仏や題目を覚える様なもの。碁将棋や手習いも人が教えなければできないが、南無阿弥陀仏と言うことは誰もが習わずに染まる。謡でさえ、我々は宝生新之丞で稽古したと言う。念仏は誰に習ったのか。いや、生まれ落ちると聞き覚えるのである。それなら仏に入るのは実に簡単なこと。後世は迷うことは不要で、恬習で合う。「長則師世儒祟尚之言」。英才が儒学をするので気遣いはないと言えば、歴々の儒者がとっくに半分仏に足を入れている。端的、これは張子が楊大年などを向こうへ置いて言ったことと見える。それから王荊公や蘇東坡などもそれである。「遂冥然被駆」。臧獲は勿論、英才間気までもが引き込まれるのはその筈のこと。「近理而大乱真」である。
【語釈】
・間氣…何年かに一人出るといった立派な人物。
・揚大年…
・大近理而乱眞…中庸章句序。「則吾道之所寄不越乎言語文字之閒、而異端之説日新月盛、以至於老佛之徒出、則彌近理而大亂眞矣」。

因謂垩人可不脩而至云々。宋朝の高ひ学者の禅に迷ふか斯ふなり。明道の、昔の惑人也乘其迷暗今之入人也因其高明と云。そこて其徒か、垩人もこちの全体の処て至られる、垩人の大道もあの禅機の処てゆくと云。王陽明か六経註於我と云も其の筋にて、そこを大道不学而知ると云。今日の学者か高それを苦労するか、此節それはない。今は皆臧獲の仲ヶ間なり。故未識垩人心已謂不必求其迹。学者の佛にかぶれたは咎の重いことなり。迹は四子六經へかけて云へし。跡から其心を知る。然るに垩人の心もしらす、迹に求るは末と云。論語孟子讀法の心を用る所以と云を大切に見へし。讀書の上で垩人の心を先知と云ことはなさそふなものに、それを先知子は帰着かない。そろ々々あの垩人の出から垩人の心かしれる。吉月必朝服而朝の、沐浴而朝の、或は色勃如也足躍如也、或は申々夭々、少正卯を誅も三月大治る、皆あの跡で知ること。あちの徒は糟粕と云て論孟へも頓悟をかけたかる。未見君子志已謂不必事其文。君子の志は学者の志なり。其文は、曽子問のこまかなことや我日三省はすてて顔子の喟然や曽點て合点と云。看板は儒て内症は禪なり。程門でからか其病あり。其極か陸氏王氏なり。
【解説】
「因謂聖人可不修而至、大道可不學而知。故未識聖人心、已謂不必求其迹、未見君子志、已謂不必事其文」の説明。宋朝の高い学者が禅に迷った。仏は聖人の大道も禅機で行き着くことができると言い、また、聖人の心も知らずに、その迹を求めることは不要だと言う。彼等は頓悟を大切にする。儒者でも看板は儒で内証は禅の者がいて、その極まりが陸象山と王陽明である。
【通釈】
「因謂聖人可不修而至云々」。宋朝の高い学者が禅に迷ったのがこの様なこと。明道が、「昔之惑人也乗其迷暗今之入人也因其高明」と言った。そこでその徒が聖人もこちらの全体の処で至ることができる、聖人の大道もあの禅機の処で行くと言う。王陽明が「六経註於我」と言ったのもその筋のことで、そこを「大道不学而知」と言う。学者は高逸れたことに苦労をするものだが、今日はそれがない。今は皆臧獲の仲間である。「故未識聖人心已謂不必求其迹」。学者が仏に被れたのは咎の重いこと。「迹」は四子六経へ掛けて言ったものだろう。迹によって心を知るものなのに、聖人の心も知らず、迹に求めるのは取るに足りないことだと言う。論語孟子読法にある「所以用心」を大切に見なさい。読書の上で聖人の心を先ず知るということはなさそうなものだが、それを先ず知らなければ帰着がない。そろそろとあの聖人が出るから聖人の心が知れる。「吉月必朝服而朝」、「沐浴而朝」、或いは「色勃如也足躩如也」、或いは「申々夭々」で、少正卯を誅しても「三月大治」、皆あの迹で知る。あちらの徒はこれを糟粕と言い、論孟へも頓悟を掛けたがる。「未見君子志已謂不必事其文」。君子の志は学者の志である。「其文」は、曾子が細かに問うたことや「我日三省」のことで、それを捨てて顔子の喟然や曾點で合点すると言う。看板は儒で内証は禅である。程門でさえもその病があった。その極まりが陸象山と王陽明である。
【語釈】
・昔の惑人也乘其迷暗今之入人也因其高明…聖賢17。「昔之惑人也、乘其迷暗、今之入人也、因其高明」。
・六経註於我…王陽明
・心を用る所以…讀論語孟子法。「程子曰、學者當以論語孟子爲本。論語孟子既治、則六經可不治而明矣。讀書者當觀聖人所以作經之意與聖人所以用心、聖人之所以至於聖人」。
・吉月必朝服而朝…論語郷党6。「吉月、必朝服而朝」。
・沐浴而朝…論語憲問22。「陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝。告於哀公曰、陳恆弑其君。請討之」。
・色勃如也足躍如也…論語郷党3「君召使擯、色勃如也、足躩如也」。同4。「過位、色勃如也、足躩如也。其言似不足者」。
・申々夭々…論語述而4。「子之燕居、申申如也、夭夭如也」。
・三月大治…論語序説。「十四年乙巳、孔子年五十六。攝行相事、誅少正卯、與聞國政。三月、魯國大治」。
・糟粕…荘子外篇天道。「桓公讀書於堂上。輪扁斲輪於堂下、釋椎鑿而上、問桓公曰、敢問、公之所讀爲何言邪。公曰、聖人之言也。曰、聖人在乎。公曰、已死矣。曰、然則君之所讀者、古人之糟粕已夫」。
・我日三省…論語学而4。「曾子曰、吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎」。
・顔子の喟然…論語子罕10。「顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅、瞻之在前、忽焉在後。夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮。欲罷不能、既竭吾才。如有所立卓爾。雖欲從之、末由也已」。
・曽點…論語先進25。「莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸」。

此人倫所以不察庶物所以不明。此害か天下へひろかりて天下か昏くなる。其ことを下文へ廣く云。直方先生の排釈録の編集、向を弁するはかりてなく、經濟や学者の魂へもかけてあり、事へも心へもかけるかここの意なり。仏を弁するにこの害あるゆへのこと。某近年の發明に佛は農作に迠害になる。勸学の文、勸農の文あり、これか本か違ふと学問も濡手で粟。それからは農業も咒と出るやふに、つとめなく佛を用るやふになる。根か虚の道なり。咒て手迹は上らぬ。管公の硯の海のぬける迠習か尤なり。百姓か祈れは五穀かよく出来ると云に至る。さて和漢仏のひろまったか此方は垩徳太子、異國は楚王英なり。初歴々かせ子は勢がつかぬもの。この二人かどちも親王家なり。其害の甚きは、馬子か祟峻帝を弑したも、垩徳太子か其歒をは討たづに、あれも因縁と云て乱臣賊子をすてて置く。羅山先生の、八耳皇子弑天皇と春秋の法て書せり。日本数百年の後にあの罪を明す。林家の不朽の特筆なり。佛徒は人倫の根を絶からは斯ふなるはつなり。人倫所以不察庶物所以不明は孟子て書けり。舜を人倫庶物て云てあり。これて理と事の上か二つにならぬが見へる。範圍天用の処なり。ここかこの上に知天徳と垩人の字あるゆへ言外のあたりある。靣白ことなり。天子の佛を用て天下の乱るるも人倫不察庶物不明ゆへにて、梁武かそれなり。
【解説】
「此人倫所以不察、庶物所以不明」の説明。仏が広がると天下が暗くなる。仏は農業にまで害をなす。日本で仏が広がったのは聖徳太子からである。羅山は「八耳皇子弑天皇」と言って太子の罪を明らかにした。天子が仏を用いて天下が乱れるのは「人倫不察庶物不明」だからである。
【通釈】
「此人倫所以不察庶物所以不明」。この害が天下へ広がって天下が昏くなる。そのことを下文へ広く言った。直方先生の排釈録の編集は向こうを弁ずるだけではなく、経済や学者の魂へも掛けてあり、事へも心へも掛けるのがここの意である。仏を弁じるのはこの害があるからである。私の近年の発明だが、仏は農作にまで害になる。勧学の文や勧農の文があるが、本が違うと学問も濡手で粟だと言い、それからは農業も呪いからと言う様になって、努力することなく仏を用いる様になる。仏は根が虚の道である。占いでは手跡は上がらない。管公が硯の底の抜けるまで習うと言ったのが尤もなこと。百姓が祈れば五穀がよくできると言うにまで至る。さて、和漢での仏の広まりは、日本では聖徳太子、異国では楚王英からである。最初に歴々がしなければ勢いがつかないもの。この二人はどちらも親王家である。その害の甚だしさは、馬子が祟峻帝を弑したほどのこと。それも聖徳太子がその敵を討たず、あれも因縁と言って乱臣賊子を放置したからである。羅山先生が「八耳皇子弑天皇」と春秋の法で書かれた。それは日本で数百年の後にあの罪を明かしたもので、林家の不朽の特筆である。仏徒は人倫の根を絶つからこうなる筈である。「人倫所以不察庶物所以不明」は孟子にあり、舜を人倫庶物で言ってある。これで理と事の上が別にならないことが見える。これが範圍天用の処である。ここがこの上に「知天徳」と聖人の字があるので言外の当たりがあって面白いこと。天子が仏を用いて天下が乱れるのも人倫不察庶物不明だからであって、梁武がそれである。
【語釈】
・人倫所以不察庶物所以不明…孟子離婁章句下19。「孟子曰、人之所以異於禽獸者幾希。庶民去之、君子存之。舜明於庶物、察於人倫。由仁義行、非行仁義也」。
・管公…菅原道真。
・楚王英…後漢3代目の皇帝である明帝の異母弟。仏教を信仰した。
・八耳…聖徳太子。
・範圍天用…異端12の語。
・梁武…南北朝時代の人。蕭衍。

治所以忽徳所以乱。書の益稷に在治忽とあり、忽になるて天下か治らぬ。天下の治は理なりて治る。忽て乱るは丁と養生のやふなもの。脉をとり藥を施し看病に寢る間もないと云て療治もとどく。然るに方角て医者を呼の御符のと云。佛の空理を、それか天下の為めの、御先祖の爲めに陀羅尼と云ゆへ忽なり。或はあなたが御引取の、又は御仕置塲にもさま々々牌なども立てありて、悪人が天堂に生れ、又七難即滅のと云。あれをあてにするて政も忽になりて乱る。徳所以乱は巧言乱徳とありて、上手云ふで徳は皆になる。屏風も曲ら子ば立ぬ、どふらくしてもきめ所あると云。そこて遠佞人と云もそこなり。さて仏か高ことも卑ひことも根はないことなれとも、文盲は文盲、高ひ者には高やふに向の胸をひらく。上と下との惑になる。両末の学と云。それをここへかけて徳所以乱と云。
【解説】
「治所以忽、德所以亂」の説明。仏は空理だから、仏を信じてすれば忽となり、天下が乱れる。仏は知見の高い人には高く、低い人には低く言うから、これを両末の学と言う。
【通釈】
「治所以忽徳所以乱」。書の益稷に「在治忽」とあり、忽せになるから天下が治まらない。天下の治は理の通りで治まる。忽で乱れるのは丁度養生の様なこと。脈をとり薬を施し看病に寝る間もないというので療治も届く。それを方角を見て医者を呼んだり御符を貰うなどと言う。仏の空理で、天下のため、御先祖のために陀羅尼を誦ずると言うので忽となる。或いはあなたが御引取の、または御仕置場にも様々な牌などが立ててあり、悪人が天堂に生まれ、七難即滅などと言う。あれを当てにするので政も忽せになって乱れる。「徳所以乱」は「巧言乱徳」ともあり、上手を言うので徳は台無しになる。屏風も曲らなければ立たない、道楽をしても決め所はあると言う。そこで、「遠佞人」と言うのもそこのこと。さて仏が言う高いことも卑いことも根はないことなのだが、文盲には文盲、高い者には高い様に向こうの胸を開くから上と下との惑いになる。そこで両末の学と言う。それをここへ掛けて徳所以乱と言う。
【語釈】
・在治忽…書経益稷。「予欲聞六律、五聲、八音。在治忽」。
・陀羅尼…梵文の呪文を翻訳しないで、そのまま読誦するもの。一字一句に無辺の意味を蔵し、これを誦すればもろもろの障害を除いて種々の功徳を受けるといわれる。
・巧言乱徳…論語衛霊公26。「子曰、巧言亂德。小不忍、則亂大謀」。
・遠佞人…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅。服周之冕。樂則韶舞。放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。

異言滿耳無礼以防其偽云々。日本抔も王代からこの防かない。伊川之家不用浮屠於洛有一二人家化之とあれとも、浪人などの身分で天下へはととかぬ。此方の今日は嶋原のばてれんの後旦那寺をもつことが官府の法になりては誰でも佛と交は絶れぬ。最ふ百五六十年にもなる。上無礼以防其偽か張子のきめた処なり。礼を云はなぜなれば、文字の出処では離婁の篇の上無礼下無学の文字が出処なれとも、佛へは周礼の八刑から云べし。郷三物郷八刑でして、あれか周礼の民を糾す法なり。造言の刑かありて、ここの異言かあの刑に當る。垩賢の世でも天下か廣ゆへ其様な者かありて、司徒かゆるさぬ。火事に火消見なれぬものは同心か縛るのなり。後世は勝手次第になり、今ま日本ではから命令てそれ々々旦那寺かなけれはならぬ。下無学以稽其弊。程門淫於仏老の淫も好色てうっかとなると同じ。皆歴々なれとも、我知らずあちへ向て行たものなり。其弊これほとのことはなけれとも、うかとして、丁と上戸の酒はあたらぬと思のなり。其中に英才間氣もあれとも弊を知らず。漢唐の間此弊を弁じた者は迹にも先にも仏骨の表はかりなれとも、あれも粗なり。終、あちの下になりて太顚問答で指をくわへた。
【解説】
「異言滿耳、上無禮以防其僞、下無學以稽其弊」の説明。島原の乱以降、日本では旦那寺を持たなければならなくなったから、誰も仏と縁を絶つことはできない。ここの「礼」は孟子が出処だが、これは周礼の八刑から言ったことで、仏の異言を許してはならない。しかし皆仏の弊を知らなかったから、英才間気も仏に染まった。
【通釈】
「異言満耳無礼以防其偽云々」。日本などでも王代からこの防ぎがない。「伊川之家不用浮屠於洛有一二人家化之」とあるが、浪人などの身分では天下に届かせることはできない。今日の日本では、島原のバテレンの後は旦那寺を持つことが官府の法になったので、誰も仏と交わりを絶つことはできない。それはもう百五六十年にもなる。「上無礼以防其偽」が張子の決め処。礼のことを言うのは何故かというと、文字の出処は離婁の篇の「上無礼下無学」だが、仏へは周礼の八刑から言ったこと。「郷三物郷八刑」でするのが周礼の民を糾す法である。それには造言の刑があり、ここの異言がその刑に当たる。聖賢の世でも天下が広いのでその様な者がいるが、それを司徒は赦さない。火事に見慣れない火消しがいれば同心が縛る。後世は勝手次第になって、今日本では空命令でそれぞれに旦那寺がなければならない。「下無学以稽其弊」。「程門淫於仏老」の淫も好色でうっかりとなるのと同じ。皆歴々だが、知らない内にあちらへ向かって行った。これほどの弊はないが、うっかりとしたのである。それは丁度上戸が酒は中らないと思うのと同じ。その中には英才間気もいたがこの弊を知らなかった。漢唐の間でこの弊を弁じた者は後にも先にも仏骨の表を書いた韓退之だけだが、彼も粗かった。終にはあちらの僕になって大顚問答で指をくわえた。
【語釈】
・伊川之家不用浮屠於洛有一二人家化之…治法17。「正叔云、某家治喪、不用浮圖。在洛亦有一二人家化之」。
・上無礼下無学…孟子離婁章句上1。「上無禮、下無學、賊民興、喪無日矣」。
・周礼の八刑…周礼地官司徒。「以鄕八刑糾萬民。一曰不孝之刑、二曰不睦之刑、三曰不姻之刑、四曰不弟之刑、五曰不任之刑、六曰不恤之刑、七曰造言之刑、八曰亂民之刑」。
・郷三物…周礼地官司徒。「以鄕三物敎萬民、而賓興之。一曰六德、知・仁・聖・義・忠・和。二曰六行、孝・友・睦・姻・任・恤。三曰六藝、禮・樂・射・御・書・數」。
・太顚…韓退之は、潮州に左遷された際、当地の傑僧大顚禅師と交流する。長安に帰って、大顚との交流を質問されるが、積極的には評価しない返答内容であったとのことである。かつて仏教を排斥し、後に熱心な仏教徒となった白居易とは異なり、韓退之は、基本的には排仏を貫いていた。

自古詖淫邪遁翕然幷興。楊墨を元祖にした詞なり。孟子の相手は楊墨、其後そこからもここからもさま々々ふりをかへて異説を云へとも、とどこの四の外はない。其甚いか釈氏なり。一出於仏氏之門千五百年云々か始にある佛老之害甚於楊墨なり。さま々々異端あれとも、異端の成就したが佛なり。群垩の道を孔子で大成し、異端さま々々なれとも成就は仏氏。一出於仏氏之門か悪い方へべったりと極上上吉につまりて垩賢の道を害するに此上なし。偖論をのこし千五百年を云か考て云ときのこと。孟子道統のことに由尭舜至於湯五百有餘歳由孔子而来百有餘歳と云やふなもの。横渠のとき、佛氏か昨日や今日でないゆへ唯の者の手にはゆかぬ。孟子の懼れてと云か片手わざてゆかぬゆへのこと。程子なとも議論のときは軽く云へとも、あれを今排斥するにはむつかしいゆへ、張子の中々書生の此角青くてはゆかぬとなり。非獨立不懼精自信云々。学問を丈夫にきめて足もとの立たか独立不懼なり。孟子の我知言かひょろ々々々てないゆへのこと。斯ふなれはかふじゃ、迷はない。精一は知行の合一を云。自信は今日の学者も尭舜精一の訓も知れとも、向のことのやふに思は自信てない。ここは中庸の智仁勇をか子て云やふなものなり。何以正立其間与之較是非計得失哉。向を相手にして排斥のことなり。只口て云てはならぬ。ここは横渠の手前へ任したことか言外にあり。
【解説】
「自古詖淫邪遁之辭、翕然竝興。一出於佛氏之門者、千五百年。自非獨立不懼、精一自信、有大過人之才、何以正立其閒、與之較是非、計得失哉」の説明。異端の中で成就したのが仏である。仏は長い間盛んだったので、それを排斥するのは簡単なことではない。学問をしてしっかりと立ち、自らが任じてしなければならない。
【通釈】
「自古詖淫邪遁翕然幷興」。楊墨を元祖にした詞である。孟子の相手は楊墨だった。その後そこかしこから様々に姿を変えて異説を言うが、結局はこの四つ以外はない。その甚だしいのが釈氏である。「一出於仏氏之門千五百年云々」が、初めにあった「仏老之害甚於楊墨」である。様々な異端があるが、異端の内で成就したのが仏である。群聖の道を孔子が大成した。異端は様々だが成就したのは仏氏で、「一出於仏氏之門」が悪い方へべったりと極上上吉に詰まり、聖賢の道を害するのにこれ以上のことはない。さて論を残して千五百年と言ったのが考えて言う時のこと。それは、孟子が道統のことで「由堯舜至於湯五百有余歳由孔子而来百有余歳」と言う様なもの。横渠の時は仏氏が昨日や今日に始まったことではなかったので普通の者ではそれに対応することはできない。孟子が懼れてと言ったのは、片手業ではうまく行かないからである。程子なども議論の時は軽く言うが、あれを今排斥するのは難しいので、張子も書生の嘴が青くてはうまくいかないと言ったのである。「非独立不懼精一自信云々」。学問を丈夫に決めて足元からしっかりと立ったのが独立不懼である。孟子の「我知言」がひょろひょろでないから言えること。この様になればこうである、迷いはない。「精一」は知行合一を言う。「自信」。今日の学者も堯舜の精一の訓も知っているが、向こうのことの様に思うのは自信ではない。ここは中庸の智仁勇を兼ねて言う様なもの。「何以正立其間与之較是非計得失哉」。向こうを相手にして排斥すること。ただ口で言うのではうまく行かない。ここは横渠が自分で任じたことが言外にある。
【語釈】
・佛老之害甚於楊墨…異端1。「明道先生曰、楊・墨之害、甚於申・韓、佛・老之害、甚於楊・墨」。
・由尭舜至於湯五百有餘歳由孔子而来百有餘歳…孟子尽心章句下38。「孟子曰、由堯・舜至於湯、五百有餘歲。若禹・皋陶、則見而知之、若湯、則聞而知之。由湯至於文王、五百有餘歲。若伊尹・萊朱、則見而知之、若文王、則聞而知之。由文王至於孔子、五百有餘歲。若太公望・散宜生、則見而知之、若孔子、則聞而知之。由孔子而來、至於今、百有餘歲。去聖人之世、若此其未遠也。近聖人之居、若此其甚也。然而無有乎爾、則亦無有乎爾」。
・孟子の懼れて…孟子滕文公章句下9。「楊・墨之道不息。孔子之道不著。是邪説誣民、充塞仁義也。仁義充塞、則率獸食人、人將相食。吾爲此懼。閑先聖之道、距楊・墨、放淫辭、邪説者不得作。作於其心、害於其事。作於其事、害於其政。聖人復起、不易吾言矣」。
・我知言…孟子公孫丑章句上2。「我知言。我善養吾浩然之氣」。
・尭舜精一の訓…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・中庸の智仁勇…中庸章句20。「天下之達道五、所以行之者三。曰、君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也。五者、天下之達道也。知・仁・勇三者、天下之達德也。…子曰、好學近乎知。力行近乎仁。知恥近乎勇」。

偖この条のことこれてすんたか、異端を弁するは学者の任にて一つ肌を脱く処。近思異端の篇、直方先生の排釈録も根は道体を知ること。こちの道体て向を消す。又迹上の断は天下へ出して經濟の大切、大に近理と云議論の上の道のすりはらいのことは世間へ度々出されぬ。それは誰ありて合点せふぞ。迹上の断は五倫を破る上ゆへ誰かにも知れる。御式目にも忠孝を励むへしとある、なせ親をすてる、なせ引込と云。あちも萬行最中不捨一法と云ひ、父母經もあれとも、眼前五倫を絶て山林へ迯れは忠孝にはづれた。これを責る迹上は近思て云へは治法のこと。跡上の断は治法の役に立つ。然れは釈氏か道を弁するは道体を知ること。政務の上ては跡上の断てすべし。全体にかかるか異端の篇なり。
【解説】
異端を弁じるのは学者の任であり、これが道体を知ることになる。迹上の断が治法の役に立つ。
【通釈】
さて、この条のことはこれで済んだが、異端を弁じるのは学者の任であり、一肌脱ぐ処。近思録の異端の篇も直方先生の排釈録も根は道体を知ること。こちらの道体で向こうを消す。また、迹上の断は天下に出して経済の大切さを言う。大いに理に近しと言う議論の上の道のすりはらいなことは世間へ度々は出せないことで、それは誰でも合点すること。迹上の断では五倫を破るので誰にもわかる。御式目にも忠孝を励むべしとある、何故親を捨てる、何故引っ込むと言う。あちらも「万行最中不捨一法」と言い、父母経もあるが、眼前五倫を絶って山林へ逃れれば忠孝に外れる。これを責る迹上は近思で言えば治法のこと。迹上の断は治法の役に立つ。そこで、釈氏の道を弁じることが道体を知ることになる。政務の上は迹上の断でしなさい。全体に掛かるのが異端の篇である。
【語釈】
・迹上の断…異端9を指す。
・萬行最中不捨一法…「不受一塵万行門中不捨一法」。