第三十一 横渠先生曰学者捨礼義の条  四月廿一日  惟秀録
【語釈】
・四月廿一日…寛政3年辛亥(1791年)4月21日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

横渠先生曰、學者捨禮義、則飽食終日、無所猷爲、與下民一致。所事不踰衣食之閒、燕遊之樂爾。
【読み】
横渠先生曰く、學者禮義を捨てなば、則ち飽食すること終日にして、猷爲[ゆうい]する所無く、下民と致[むね]を一にす。事とする所は衣食の閒、燕遊の樂しみを踰えざるのみ、と。
【補足】
・この条は、正蒙の中正篇にある。

此学者と云字を氣を付て見ることぞ。学者の礼義を捨ると云ことは無ひ筈だに、礼義をば学者から捨て始るもの。いらざる小知惠で形についたこととていやがる。禅僧のわる悟りの筋なり。無学は下手律義で捨てぬ。却て頼もしい。知見めいた学者は礼を捨る。捨るとあんまりなことになる。そこで学者と云字で警戒になる。下民と云字が憎んだ字ではない。下主の樂くは寐樂くと云男共なり。家業に終日骨を折る。そこで寐たい、喰たいと云もきこへたが、明德新民の事をする学者が鍬を枕にする下民と同挌と云はつまらぬ。大僧正の地獄へ落たのなり。礼義を捨ると一致也。そこでゆだんするなと云のじゃ。礼義は形でする、外へつくとざっと見るとつい輕しめる。あの男の麻上下は心に忠信はないと、其れに氣がつくとをかしく思ふ。あれが天窓をさげるより、をれがさけぬがよいと云心になる。そこがわるざとりの本になる。愛敬尽事親とある。心が親切だとても親の前に大胡坐、そこがあんまりな処。親も心に如在はないとてゆるしもせふが、迂斎の、礼義と云が身のか子合じゃにと云れた。か子をはつれてはつまらぬ。借金を返さずに、私は返したより苦労にはすると云ても、金主は合点はせぬ。七賢八達のるい。人種不可失の筋のこと。心にきたないことはないが、躰がわるい。礼は形で仕込むこと。それをのけると上り兜の雨に逢ふ。はら々々になる。只棒が一本立たになる。土崩瓦裂、埒はない。今日はよい雨じゃとては寐ころんで酒、櫻のさいたにも酒、只それぎりの男になる。爰らへは好色だの金銀だのと云ざっかけものを出さぬが靣白ひ。夫よりもちっと上へゆく警戒ぞ。好色も金銀も貪らぬが一重帯で寐て居たがる。捨礼義なり。学者と云立派な字へ下民と一致とはり合せたで、さても々々々警発になる。そこが警戒の趣向ぞ。
【解説】
学者は礼義を形に付いたことだと言って嫌がり、それを外へ付いたことだと雑に見て軽んじるが、それでは下民と同じになる。迂斎が礼義は身の兼ね合いだと言った。心がよいだけではなく、行いもよくなければならない。
【通釈】
この「学者」という字を気を付けて見なさい。学者が礼義を捨てるということはない筈だが、学者からそれを捨て始めるもの。要らざる小知恵で、形に付いたことだと言って嫌がる。それは禅僧の悪悟りの筋である。無学の者は下手に律儀で捨てないから、却って頼もしい。知見めいた学者は礼を捨てる。捨てるとあんまりなことになる。そこで学者という字で警戒になる。「下民」という字は民を憎んだ字ではない。下民の楽は寝楽という様なもので、その様な男共が下民である。家業に終日骨を折る。そこで寝たい、喰いたいと言うのもよくわかるが、明徳新民の事をする学者が鍬を枕にする下民と同格というのでは詰まらない。それでは大僧正が地獄へ落ちたのと同じである。礼義を捨てると「一致也」。そこで油断するなと言うのである。礼義は形でするもの、外へ付いたことだと雑に見るとつい軽んじることになる。あの麻裃の男の心に忠信はないと、それに気が付くと可笑しく思う。あれが頭を下げるまで、俺は下げないのがよいという心になる。それが悪悟りの本になる。「愛敬尽事親」とある。心が親切だとてしても親の前に大胡座ではあんまりなこと。親も心に如在はないとして許しもしようがそれは悪い。迂斎が、礼義は身の兼ね合いなのにと言われた。兼ね合いを外れては詰まらない。借金を返さずに、私は返すよりも苦労をしていると言っても、金主は合点しない。それは七賢八達の類で、「人種不可失」の筋のこと。心に汚いことはないが、体が悪い。礼は形で仕込むこと。それを除けると上り兜が雨に逢うのと同じでばらばらになる。ただ棒が一本立っただけになる。土崩瓦裂で埒はない。今日はよい雨だと言って寝転んで酒、桜の咲いたのにも酒、ただそれだけの男になる。ここ等には好色や金銀という雑欠け物を出さないのが面白い。ここはそれよりもう少し上にある警戒である。好色も金銀も貪らないが一重帯で寝ていたがる。それが「捨礼義」である。学者という立派な字へ下民と一致と張り合わせたので、実に警発になる。そこが警戒の趣向である。
【語釈】
・愛敬尽事親…孝経天子章。「子曰、愛親者、不敢惡於人。敬親者、不敢慢於人。愛敬盡於事親、而德敎加於百姓、刑于四海。蓋天子之孝也、甫刑云。一人有慶、兆民賴之」。
・七賢…竹林七賢。阮籍・嵆康・山濤・向秀・劉伶・阮咸・王戎の称。
・八達…南朝で、生の本義に徹した八人。胡母輔之・謝鯤・阮放・阮孚・畢卓・羊曼・桓彝・光逸。
・人種不可失…世説。「阮仲容先幸姑家鮮卑婢。及居母喪、姑當遠移、初云當留婢。既發、定將去。仲容借客驢著重服自追之、累騎而返曰、人種不可失。即遙集之母也」。
・上り兜…端午の節句に飾る紙製のかぶと。


第三十二 鄭衛之音悲哀の条

鄭・衞之音悲哀、令人意思畱連。又生怠惰之意、從而致驕淫之心。雖珍玩奇貨、其始惑人也、亦不如是切。從而生無限嗜好。故孔子曰、必放之。亦是聖人經歴過。但聖人能不爲物所移耳。
【読み】
鄭・衞の音は悲哀にして、人の意思をして畱連[りゅうれん]せしむ。又怠惰の意を生ぜしめ、從りて驕淫の心を致す。珍玩奇貨と雖も、其の始めて人を惑わすや、亦是の如く切ならず。從りて無限の嗜好を生ず。故に孔子曰く、必ず之を放て、と。亦是れ聖人經歴し過ぎたるなり。但聖人は能く物を移す所と爲らざるのみ。

直方先生が上方淨瑠理は泣出す様じゃと云れた。鄭衛之音だとて皆泣くでもないが、男女のことの思ふ侭にならぬことを述べたことゆへ、それから出る節ゆへ、花を見ても月を見ても皆泣くふしなり。某が幼年のころ、上方節の相對死の文句に、灸を居へたもむだになったと云て泣く文句がありた。なるほど晩に死ぬものに灸はむだなり。それからしては高砂やと云ても東北と云ても泣くなり。目出度ことも皆悲哀になる。鄭衛も嬉しいこともあろふが、全躰が悲哀なり。鐘や太鞁が哀れではないが、佛者がうてば哀れなり。死ぬ方のことゆへぞ。丁度それと同こと。垩人の音樂は天地自然の音が出る。中和の氣ゆへ神人以和す。又雜樂に金時が首を子ぢ切る様なつよい声あろふとも、それではあまりひびかぬもの。淫樂は飲食男女人之大欲存す。こちに迎に出るものあるゆへへったりとひびく。大毒に此上はない。太宰が俗樂のわるいことを云て、跡へ三味線と云ものが出てはたまらぬと云た。箏三絃と並べて云が、箏は一と間ぬけた処のあるだけ雅樂の方へすこし近きなり。三絃ではたまりはない。太宰の此のことをひいてよむは日本の鄭衛之音へへったりと合せるのぞ。
【解説】
「鄭・衞之音悲哀」の説明。鄭衛の音は、男女の思う侭にならないことを歌ったものが多いので悲哀がある。淫楽はこちらによく響く大毒である。
【通釈】
直方先生が上方浄瑠璃は泣き出す様だと言われた。「鄭衛之音」だとしても皆泣くものでもないが、男女のことで思う侭にならないことを述べたことであり、それから出る節なので、花を見ても月を見ても皆泣く節となる。私が幼年の頃、上方節の心中の文句に、灸をすえたのも無駄になったと言って泣く文句があった。なるほど晩に死ぬ者に灸は無駄である。それからは高砂やと言っても東北と言っても泣く。目出度いことでも皆悲哀になる。鄭衛にも嬉しいこともあるだろうが、全体が悲哀である。鐘や太鼓自体は哀れではないが、仏者が打てば哀れである。それは死ぬ方のことだからである。丁度それと同じこと。聖人の音楽は天地自然の音が出る。中和の気なので「神人以和」。また雑楽に金時が首を捻じ切る様な強い声があるとしても、それではあまり響かないもの。淫楽は「飲食男女人之大欲存」で、こちらに迎えに出るものがあるのでべったりと響く。これ以上の大毒はない。太宰春台が俗楽の悪いことを言い、後に三味線というものが出ては堪らないと言った。箏三絃と並べて言うが、箏は一間抜けた処があるだけ雅楽の方に少し近い。三絃では堪らない。太宰のこのことを引いて読んだのは、日本の鄭衛之音へべったりと合わせるためである。
【語釈】
・神人以和…書経舜典。「八音克諧、無相奪倫、神人以和」。
・飲食男女人之大欲存…礼記礼運。「飲食男女、人之大欲存焉」。

留連。人の心はさらりとしたがよい。松郷の櫻、鬼蛇の躑躅、ああよいと云たぎり。跡へは残らぬ。男女のことは兎角流連する。山王祭りに赤坂奴のふる、跡へはのこらぬ。昔の祭り見物は児共計り嬉しがる。今のはをとなもうれしがる。手のこんだからぞ。堺町ものを呼ぶ、其の世話をするも皆手がこむ。吾がすきな処へもちこむ。好色めいたことを鬼神へ上けるぞ。祭るではなくて神をけがすのなり。日本でも天照太神の岩戸にこもりたときのことから始て樂が出来たとある。さらりとしたことなり。鬼神はさらりとしたでよいに、男女のことなとの情でする。さりとはつまらぬ。神拜に垢離をする、一寸手水をする。さらりとしたこと。穢濁を淨めることだに、それを吾がもち前の欲へもちこんで男女のことでするは、欲から欲へつなぐのなり。その上を淫樂でしみさせる。深草少將の九十九夜、初手からあの心ではないもの。一寸した留連から吾が人欲へつなぐ。そこであふした立派な悪名を残したもの。高雄の文覚もそれなり。一寸した留連からあの盛遠の時のつよみを失ふた。凡夫は人欲につながれては動きのとれぬもの。酒も二日醉する酒は留連なり。そこであたる。
【解説】
「令人意思畱連」の説明。人の心はさらりとしているのがよいが、男女のことはとかく流連する。鬼神を祭るにも今は男女の情を入れるが、それは神を穢すものである。
【通釈】
「留連」。人の心はさらりとしたのがよい。松の郷の桜や鬼蛇ヶ池の躑躅はああよいと言うだけのこと。後へは残らない。男女のことはとかく流連する。山王祭りに赤坂奴が振るのも後へは残らない。昔の祭り見物は子供だけが嬉しがったが、今のは大人も嬉しがる。それは手が込んだからである。堺町の者を呼ぶのも、その世話をする際も皆手が込んでいる。自分が好きな処へ持ち込む。好色めいたことを鬼神へ上げる。それは祭るのではなくて神を穢すのである。日本でも天照大神が岩戸に篭った時から初めて楽ができたとある。それはさらりとしたこと。鬼神はさらりとするのがよいのに、男女のことなどの情でする。それでは全く詰まらなくなる。神を拝むのに垢離をする、一寸手水をする。それはさらりとしたこと。穢濁を浄めることなのに、それを自分の持ち前の欲へ持ち込んで男女のことでするのは、欲から欲へ繋ぐのである。その上を淫楽で染みさせる。深草少将の九十九夜も初手からあの心ではない。一寸した留連から自分の人欲へ繋ぐ。そこであの様な立派な悪名を残したのである。高雄の文覚もそれである。一寸した留連からあの盛遠の時の強みを失った。凡夫は人欲に繋がれると動きが取れないもの。酒も二日酔いをする酒は留連である。そこで中る。
【語釈】
・留連…遊興にふけって帰るのを忘れること。いつづけること。
・垢離…神仏に祈願するため、冷水を浴び身体のけがれを去って清浄にすること。
・深草少將…小野小町のもとに九十九夜通ったという伝説上の悲恋の人物。僧正遍昭あるいは大納言義平の子義宣かといわれるが不詳。
・高雄の文覚…平安末から鎌倉初期の真言宗の僧。俗名は遠藤盛遠。もと北面の武士。誤って袈裟御前を殺して出家し、熊野で苦行。後に高雄山神護寺を中興。東寺大修理を主導したほか、源頼朝の挙兵を助勢。幕府開創後その帰依を受けたが、頼朝没後佐渡に流され、三年後召還される。1139~1203

生怠惰之意。音樂が心に入って惰がつく。鄭衛の音が山で木を切る時や田を耕す時には似合ぬ。そこでひまにしてききたくなる。すれば今淫樂をやめぬ内は身帯をもつこともならぬ。怠りは怠りぎりではをらぬもの。致驕淫之心。今の百姓は最中驕淫なり。それはどなたが師匠と云に、淫乱の上るりなり。一生土ほじり役に立つものかと云。それからは衣服も立派をする。雖珍玩奇貨。ここを横渠のよく事情を知て書れたもの。珍玩奇貨は珊瑚琥珀玉だの七宝の床餝りだのと云。又茶器の類、印度茶碗も只のものが見てはそれがなぜ高ひものたと云。祐定正宗も武士こそ好め、皆が皆迠は好まぬ。上るりは誰が耳にも入る。これがことの外な驕りと云ことでもないが、これで一盃飲めるはと云段には、心はらりになることぞ。玩珍奇貨は死物故、それほどに人の心を動かさぬが、鄭衛の音は活物ゆへ人を動すことがをびたたしい。
【解説】
「又生怠惰之意、從而致驕淫之心。雖珍玩奇貨、其始惑人也、亦不如是切」の説明。鄭衛の音は仕事に合わないから怠惰の心が生じ、暇を作って聞く様になり、それから驕淫の心が生まれる。
【通釈】
「生怠惰之意」。音楽が心に入って惰が付く。鄭衛の音は山で木を切る時や田を耕す時には似合わない。そこで暇を作って聞きたくなる。そこで、今淫楽を止めない内は身帯を持つこともならない。怠りは怠りのままではいないもの。「致驕淫之心」。今の百姓は驕淫そのままである。それはどなたが師匠かと言うと、淫乱の浄瑠璃である。一生土ほじりをして役に立つものかと言う。それからは衣服も立派をする。「雖珍玩奇貨」。ここは横渠がよく事情を知って書かれたもの。珍玩奇貨は珊瑚や琥珀玉、七宝の床飾りのことであり、また茶器の類や井戸茶碗などもそれで、凡人が見ると、それが何故高いのかと言う。祐定正宗も武士こそ好むが、皆が皆までは好まない。浄瑠璃は誰の耳にも入る。これが殊の外の驕りということでもないが、これで一盃飲めると言う段になると、心は台無しになる。玩珍奇貨は死物なのでそれほどに人の心を動かすものではないが、鄭衛の音は活物なので人を動すことが夥しい。
【語釈】
・印度茶碗…井戸茶碗。朝鮮産の抹茶茶碗の一種。古来茶人に珍重され、最高のものとされる。
・祐定正宗…長船祐定と岡崎正宗。刀剣。

生無限嗜好。歌淨瑠璃は栄耀の上わ盛ゆへ、山の奧でして面白はない。藝者をこちへ呼ぶと云日には料理も丁寧、坐鋪も掛物も立派をする。垩人がそれは不埒とばかり云そふな処を、ことの外こわがる。必放之と云れた。そこを張子の評判がよい見取りぞ。垩人が色々それにあてられたものを見て經歴したとなり。今あの男はしてくったものと云が經歴なれとも、爰は垩人の見ごりをした經歴のことぞ。畠の水練鞍掛けの稽古ではない。方々の息子の其毒にあてられてわるくなったを見て、これではたまらぬと云のなり。經歴と云が理でをす計でゆかぬもの。上手でさへあらば若ひ醫者でもよい筈だに、老医が云ったと云様なもの。老医は廿四年に一度はやる麻疹も三四度もしてくったもの。但垩人能不爲物見移耳。爰は張子の云ひわけなり。うつらぬ男が斯を聞て、そんなら孔子も御若ひ時堺町へござりたかと云。そうしたことでない。爰は作易者其知盗乎なり。小人の心も知ってはあれとも、垩人に氣つかいはないか、学者への戒めなり。学者にもあまい戒の様なれども、輕ひ相手でもこちの心を奪ふと云にあふてはたまらぬ。そこで爰へ警戒をつけることなり。
【解説】
「從而生無限嗜好。故孔子曰、必放之。亦是聖人經歴過。但聖人能不爲物所移耳」の説明。聖人は鄭衛の音を恐れた。それは聖人がこれを経験して知っていたからである。聖人はそれに心を奪われることはないが、学者は心を奪われない様に戒めなければならない。
【通釈】
「生無限嗜好」。歌浄瑠璃は栄耀の最上なので、山奥でそれをしては面白くない。芸者をこちらへ呼ぶという日には料理も丁寧に、座敷も掛物も立派をする。聖人がそれは不埒とばかりに言いそうな処を、殊の外恐がって、「必放之」と言われた。そこを張子の判断がよい見取りである。聖人が色々とそれに当てられたのを見て、聖人も「經歴」したと言った。今あの男はして食った者だというのが経歴だが、ここは聖人の見懲りをした経歴のことである。畠の水練や鞍掛けの稽古ではない。方々の息子がその毒に当てられて悪くなったのを見て、これでは堪らないと言ったのである。経歴は理で推すだけではうまく行かないもの。上手でさえあれば若い医者でもよい筈だが、老医が言ったという様なもの。老医は二十四年に一度流行る麻疹も三四度も経験している。「但聖人能不為物所移耳」。ここは張子の言い訳である。理解の悪い男がこれを聞いて、それなら孔子も御若い時に堺町へ行かれたのかと言うが、そうしたことでない。ここは「作易者其知盗乎」である。小人の心も知っているので聖人に気遣いはなく、これは学者への戒めである。学者には甘い戒めの様だが、軽い相手でもこちらの心を奪うということになっては堪らない。そこで、ここへ警戒を付けるのである。
【語釈】
・必放之…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅。服周之冕。樂則韶舞。放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。
・見ごり…見懲り。見て懲りること。見て恐れつつしむこと。
・作易者其知盗乎…易経繋辞伝上8。「子曰、作易者、其知盗乎」。


第三十三 孟子曰反經の条

孟子言反經、特於鄕原之後者、以鄕原大者不先立、心中初無作、惟是左右看、順人情、不欲違、一生如此。
【読み】
孟子の經に反るを言う、特に鄕原の後に於てする者は、鄕原は大なる者先に立たず、心中初めより作すこと無く、惟是れ左右に看、人情に順いて、違うを欲せず、一生此の如くなるを以てなり。

孟子が經に反ると云ことを云れた。是が儒者のつかまへ処。萬世不易の定法のことを經と云。垩人の詞を經と云もこのゆへぞ。經は天地はへぬきのこと。学問はそこの定法の処へかへること。經ははへぬき、反るが学者の事業ぞ。いくら讀でもうは々々しては反るではない。身になるが反るなり。道統の傳と云も爰へ反った者計りを集めたもの。孟子が七篇の末へこれを云れた。そこに張子の発明がある。それほどの結搆なものはあたまから云出しそふなことを郷愿の跡へ出した。それはどふなればと云が張子の発明なり。さて郷愿が一つ学者の邪魔になるもの。そんならどの様なわるものかと云に、わるい人ではない。其一在処近郷でやれよいと云人なり。愿は愨なりで、つつしみ深ひたしかな人ぞ。されとも垩人の名づけをやではなくて、一郷で名をつけたから郷愿と云。これが人のさきへ立ってあるく。何もかもしてとる、世俗のためにはなるよい男なり。それを孔孟がなぜわるく云なれば、この經と云ことの邪魔になる。なせにと云に、大者不先立。己が方にきたいがないから自己流なり。致知挌物をせぬから魂に磨がない。
【解説】
「孟子言反經、特於鄕原之後者、以鄕原大者不先立」の説明。万世不易の定法を経と言い、学問はその定法に反ること。孟子が郷愿の後に反経を出したことの説明が張子の発明である。郷愿は謹み深い人で世俗のためになる人だが、経の邪魔となる。それは魂を磨かない自己流の人だからである。
【通釈】
孟子が経に反ると言われた。これが儒者の捉まえ処である。万世不易の定法を経と言う。聖人の詞を経と言うのもこのためである。経は天地生え抜きのもの。学問はそこの定法の処へ反ること。経は生え抜きだから、そこに反るのが学者の事業である。いくら読んでもうはうはとしているのでは反るではない。身になるのが反ること。道統の伝もここへ反った者だけを集めたもの。孟子が七篇の末でこれを言われた。そこに張子の発明がある。それほど結構なものなら最初から言い出しそうなものだが、郷愿の後へ出した。それはどうしてかと言うのが張子の発明である。さて郷愿が一つ学者の邪魔になるもの。それならどの様な悪者かと言うと、悪い人ではない。その一在処や近郷で実によい人だと言われる人である。愿は愨で、謹み深い確かな人である。しかしながら聖人が名付け親ではなくて一郷で名を付けたから郷愿と言う。これが人の先へ立って歩く。何もかもして取り、世俗のためにはなるよい男である。それを孔孟が何故悪く言うのかというと、この経ということの邪魔になるからである。それは何故かと言うと、「大者不先立」で、自分を鍛えていないので自己流だからである。致知格物をしないから魂に磨きがない。
【語釈】
・經に反る…孟子尽心章句下37。「君子反經而已矣。經正、則庶民興。庶民興、斯無邪慝矣」。
・愿は愨なり…孟子尽心章句下37集註。「荀子、原愨。字皆讀作愿。謂謹愿之人也」。

初無作。学問なしは魂かきまりのないもの。左右。あちを見こちを見。順人情。よく人の皃を見るもの。人もあまりきついもわるいと云。若ひ男を見ると、人は身持が大事、酒も大酒はわるいがあまり一水ものまぬも不拍子と云、親をば兎角大事にと、垩賢に似たことを云てもこちに一向きまりのないこと。そこで学者の方にもちっとでも郷愿めいたことがあれば、其日から魂はらりなり。学者の方にあとさきの利害をはかるの、人の皃をしるのと云心が露ほどそこにあっても、そこからくさりのゆくことぞ。これらが温厚篤実の学者の知らぬこと。今学者が弟子を取たときに、向のすきな書を讀だりさきへ合せたりするは学者の郷愿なり。今迠朱子をよいと云ても向の歴々がきらいなれば、それへ合せて朱子もあそこの処がちとと云、又甚しいのは今迠の徂徠をやめて、今朱子学のはやるに合せる。それでは只向の方へ合せるので、そんな学ひ様では一生学んでもこちの身へは来ぬ。そこで警戒なり。醫者は氣に付たもの。氣の上の間違を草根木皮でなをすから專ら氣でよい筈だに、醫者も郷愿めいてはゆかぬ。酒もちっとはよいの、餅の差合な病人にも下戸のくいものだなぞと云ては藥はきかぬ。学者は理に付たこと、尚更なり。郷原めいたことがあると、そこは腐ったとをもへ。油断はならぬ。世の中が手に入って世味經歴か上手になると、思はず知らず郷愿になる。浅見先生が鞭策録序に世味經歴の四字を書たはそこへやるまいとての戒めぞ。学者も人の師匠にでもなるか、又大名の儒者にでもなるか、講書が生産のためにでもなるとこれが出たがる。以の外のことぞ。
【解説】
「心中初無主、惟是左右看、順人情、不欲違、一生如此」の説明。郷愿はよいことを言うが、魂に決まりがない。世味経歴が上手になると、思わず知らず郷愿になるもので、学者が人に合わせるのは悪い。
【通釈】
「初無作」。学問がなくては魂が決まらない。「左右」。あちこちを見ること。「順人情」。よく人の顔を見るもの。人もあまり厳しいのは悪いと言う。若い男を見ると、人は身持ちが大事、酒も大酒は悪いが、却って一水も飲まないのも不拍子と言う。とかく親を大事にしろと聖賢に似たことを言っても、自分には一向に決まりがない。そこで、学者の方に少しでも郷愿めいたことがあれば、その日から魂は台無しになる。学者の方に後先の利害を量ったり、人の顔を知ろうとする心が露ほどあったとしても、そこから腐って行く。これ等は温厚篤実の学者の知らないこと。今学者が弟子を取った時に向こうの好きな書を読んだり、相手に合わせたりするのは学者の郷愿である。今まで朱子をよいと言っていても向こうの歴々が嫌いであれば、それに合わせて朱子もあそこの処が一寸と言い、また甚だしい者は今までの徂徠を止めて今流行の朱子学に合わせる。それではただ向こうへ合わせるだけで、その様な学び様では一生学んでも自分の身へは来ない。そこで警戒をする。医者は気に付いたもの。気の上の間違いを草根木皮で治すから専ら気でよい筈なのに、医者も郷愿めいては悪い。酒も一寸はよいとか、餅が差し合う病人に、それは下戸の食物だなどと言っていては薬は効かない。学者は理に付くのだから、尚更のこと。郷原めいたことがあれば、そこは腐ったと思え。油断はならない。世の中が手に入って世味経歴が上手になると、思わず知らず郷愿になる。浅見先生が鞭策録序に世味経歴の四字を書いたのはそこへ行かせないための戒めである。学者も人の師匠にでもなるか、または大名の儒者にでもなるかして講書が仕事になるとこれが出たがる。それは以の外のこと。

さて一つ云ことがある。近思録に伯者を辨ずる部は立てぬ。どふしたことなれば、治体の篇があれば伯者は弁じらるる。伯者も天下の治めに仕形の上にわるいことはないが、心を捨てて置からわるい。伯者の天窓ををさへるは治体にあづけて置ことぞ。警戒の末へ郷原を出したは異端へかける仕舞の用心とをもへ。郷愿は、鄭衛の音の、伯者の、異端のと云立派な相手ではないが、寐轉て居て淨瑠璃を聞くのではない。節句の礼に來て立派を云が、これが小異端なり。先生顧秀曰、郷愿を小異端と云ふがなんとよい弁であろふ。垩人のことにかまはずに利口を云て自己流でおしてまはる。学問わるいとも云ぬが、ちらり々々々と学者をあざ笑ふ。誰れそれにこふしたことがあると云て、人聞に学者をわるいと思はせる。それと云も自己流からぞ。伯者は垩人の道を自己流でみんなにする。異端は天地自然の道理を自己流でみんなにする。郷原は羞悪是非の心を自己流でみんなにする。学問よいことだから公義から立ててある。仏法もをされぬことは公儀から立ててある。とどがたよらぬがよいではないか、それ故をいらは学ばずともよく合点してじゃと云てをる。忰には素讀もさせると云、ついに学問わるいとは云ずにをとなしくかまへて、つまり学問をそしりかけるものは郷愿なり。道樂ものの学問をわるく云はその筈のことときくから誰も受取らぬが、郷愿が尤な皃て前巾着でじとり々々々と水をさす。垩学の大害なり。德行の君子と見へて水をさすから德の賊なり。孔孟の口を揃へてにくまれたも尤なこと。警戒から異端へゆく間に郷愿のことのあるを心をとめてみれば、ことの外のこわものは郷原ぞ。さう思へば朱子の編集に限もない意のあること。某がこうよんたら又默斎が鑿説なとも云はふが、さく説でも斯ふみると警戒にはなるぞ。吾黨で渾厚底をしかるは郷愿めくまいためぞ。道学標的の序もそこぞ。
【解説】
伯者を弁じる部が近思録にないのは、治体の篇で弁じることができるからである。この警戒に郷愿を出したのは、次が異端であり、郷愿は小異端だからである。伯者は聖人の道を、異端は天地自然の道理を、郷原は羞悪是非の心を皆自己流で台無しにする。郷愿は表立っては学問を悪いとは言わないが、心の中では嘲笑い、学者は悪いものだと人に思わせる。郷愿は聖学の大害であり、徳行風で学者を誹るから徳の賊なのである。
【通釈】
さて一つ言うことがある。近思録に伯者を弁ずる部は立てていない。それはどうしたことかと言うと、治体の篇があれば伯者を弁じることができるからである。伯者も天下の治めに当たり、仕方の上では悪いことはないが、心を捨てて置くから悪い。伯者の頭を押さえることは治体に預けて置く。警戒の末へ郷原を出したのは異端へ掛けるための最後の用心と思え。郷愿は、鄭衛の音や、伯者や異端という立派な相手ではないが、寝転んで浄瑠璃を聞くことはしない。節句の礼に来て立派なことを言うが、これが小異端である。先生が惟秀を顧みて言った。郷愿を小異端と言うのが何とよい弁だろう。聖人のことには構わずに利口を言って、自己流で推して廻る。学問を悪いとも言わないが、ちらりちらりと学者を嘲笑う。誰それにこうしたことがあると言って、噂で学者を悪いと思わせる。それと言うのも自己流だからである。伯者は聖人の道を自己流で台無しにする。異端は天地自然の道理を自己流で台無しにする。郷原は羞悪是非の心を自己流で台無しにする。学問はよいことだから公儀が立てたのであり、仏法が攻撃されないのも公儀が立てたからである。つまり偏らないのがよいというわけでもないが、俺は学ばなくてもよく合点していると言う。忰には素読もさせると言い、決して学問を悪いとは言わずに大人しく構えているが、結局は学問を誹りかける者は郷愿である。道楽者が学問を悪く言うのはその筈のことだと聞くから誰もそれを信じないが、郷愿が尤もな顔でじっとりと噂を広める。聖学の大害である。徳行の君子と見えて水を差すから徳の賊である。孔孟が口を揃えて憎まれたのも尤もなこと。警戒から異端へ行く間に郷愿のことがあるのを心を留めて見れば、殊の外恐ろしいのは郷原である。この様に思えば朱子の編集には限りもない意があるのがわかる。私がこう読んだら、また黙斎が鑿説を言うなどとも言うだろうが、鑿説だとしても、こう見ると警戒にはなる。我が党で渾厚風を叱るのは郷愿めかないためである。道学標的の序もそこのこと。
【語釈】
・前巾着…前提げ。巾着の上に紐通しをつけ、帯革をつけて前腰にさげるもの。印鑑・鍵など貴重品を入れた。安永(1772~1781)頃、京坂地方で流行。