第三 四箴の條  亥正月九日
【語釈】
・亥…寛政3年(1791年)辛亥。

伊川先生曰、顏淵問克己復禮之目。夫子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。四者身之用也。由乎中而應乎外。制於外所以養其中也。顏淵請事斯語、所以進於聖人。後之學聖人者、宜服膺而勿失也。因箴以自警。視箴曰、心兮本虚、應物無迹。操之有要、視爲之則。蔽交於前、其中則遷。制之於外、以安其内。克己復禮、久而誠矣。聽箴曰、人有秉彝、本乎天性。知誘物化、遂亡其正。卓彼先覺、知止有定。閑邪存誠、非禮勿聽。言箴曰、人心之動、因言以宜。發禁躁妄、内斯靜專。矧是樞機、興戎出好。吉凶榮辱、惟其所召。傷易則誕、傷煩則支。己肆物忤、出悖來違。非法不道、欽哉訓辭。動箴曰、哲人知幾、誠之於思。志士厲行、守之於爲。順理則裕、從欲惟危。造次克念、戰兢自持。習與性成、聖賢同歸。
【読み】
伊川先生曰く、顏淵克己復禮の目を問う。夫子曰く、禮に非ざれば視る勿かれ、禮に非ざれば聽く勿かれ、禮に非ざれば言う勿かれ、禮に非ざれば動く勿かれ、と。四つの者は身の用なり。中に由りて外に應ず。外より制するは其の中を養う所以なり。顏淵斯の語を事とせんと請いしは、聖人に進む所以なり。後の聖人を學ぶ者は、宜しく膺[むね]に服して失う勿かるべし。因りて箴して以て自ら警む。視箴に曰く、心は本虚にして、物に應ずれども迹無し。之を操[と]るに要有り、視之が則と爲る。蔽前に交われば、其の中則ち遷る。之を外に制して、以て其の内を安んず。己に克ち禮に復らば、久しくして誠なり。聽箴に曰く、人に秉彝[へいい]有るは、天性に本づく。知誘い物化し、遂に其の正しきを亡う。卓たる彼の先覺、止まるを知りて定まること有り。邪を閑[ふせ]ぎ誠を存し、禮に非ずんば聽く勿し。言箴に曰く、人心の動は、言に因りて以て宜[の]ぶ。發するとき躁妄を禁ぜば、内斯[ここ]に靜專なり。矧[いわ]んや是れ樞機にして、戎を興し好しみを出だす。吉凶榮辱、惟れ其の召す所なるをや。易きに傷[やぶ]れば則ち誕[みだ]りにして、煩に傷れば則ち支なり。己肆[ほしいまま]なれば物忤[さか]い、出ずるとき悖れば來るとき違う。法に非ずんば道[い]わず、欽まんかな訓辭。動箴に曰く、哲人は幾を知り、之を思に誠にす。志士は行を厲[はげ]み、之を爲[い]に守る。理に順えば則ち裕かにして、欲に從えば惟れ危し。造次も克く念[おも]い、戰兢として自ら持す。習性と成れば、聖賢と歸を同じくす。
【補足】
・この条は、程氏文集八にある。

学問はつまり欲を無すると云ことなり。大学を明德ときき、孟子て性善と聞ても、はて筭用合て錢足らず。明德と云ても明德めかず、性善と云ても性善めかず。それは何者か邪魔をするなれば、皆欲なり。それゆへ垩賢の教はさて々々なれとも、つまる処欲をなくして本のものにすること。其本のものになる端的が仁の功夫なり。外のものではない。本来のなりが仁じゃ。そこを指して性善とも云、明德とも云じゃほとに、一生書を引つけて居れば学者じゃと思ふとも、欲をなくする合点がないなれば、やっはり凡夫なり。学問と云は欲をなくして仁になることぞ。其証拠は孔門三千子はみな同し藥で仁を目當にしてゆくなり。さて、其仁の功夫のしやうはさま々々あれとも、端的は欲をなくするにきまる。欲と云はいつも云時計のさび、喜世留のやに。鳴るはづのものがならず、通るはづのものが通らぬ。さひを取る。やにを取れば約束の通になる。結かうな約束のものを持て居てもそういかぬ。そこで人間の皮をかぶりても人間らしくない。そこを功夫して仁になることじゃ。その仁は欲をなくするにあることなり。
【解説】
聖賢の教えは欲を無くして本来の姿になることであり、その端的が仁の工夫である。学問とは欲を無くして仁になることなのであって、それがわからない学者は凡夫と同じである。
【通釈】
学問とは、つまり欲を無くすということ。大学を明徳と聞き、孟子で性善と聞いても、さて算用合って銭足らずである。明徳と言っても明徳めかず、性善と言っても性善めかない。それは何者が邪魔をするのかというと、皆欲である。それで、聖賢の教えは大したものなのだが、詰まる処、それは欲を無くして本来のものにするということなのである。その本来のものになる端的が仁の功夫であって、それ以外はない。本来の姿は仁である。そこを指して性善とも明徳とも言うのであって、一生書を引き付けていれば学者だと思っても、欲を無くす合点がなければやはり凡夫である。学問とは欲を無くして仁になること。その証拠は、孔門三千子は皆同じ薬で仁を目当てにしていた。さて、仁の功夫の仕方は様々だが、端的は欲を無くすことに極まる。欲とはいつも言う時計の錆、煙管の脂。鳴る筈のものが鳴らず、通る筈のものが通らない。錆を取り、脂を取れば約束の通りになる。結構な約束のものを持っていてもその通りに行かない。そこで人間の皮を被っていても人間らしくない。そこを功夫して仁になるのである。仁になるには欲を無くすことが必要である。

つまる処、心の功夫ぞ。心の功夫は心法ぞ。そこで禪坊主めく。そこで異学の徒が、そりゃ宋儒が心法を云、と。をかしいことなり。先つ克己復礼の字、左傳にもある。古よりありつらん。民受天地之中而生。此語などもあの春秋の世、戦國の主弑親弑の時分にも云たぞ。これもなにかあの文武周公からの学問さたが殘りて、それを聞つたへたには極りた。孔子の克己復礼と云も別に発明を云たではない。其筈ぞ。古から克己復礼をして欲を無した人が垩人になられたもの。湯王の誠敬日躋から何でも角でも皆仁の本来のなりになることなり。古の允執其中と云も分のことではない。左丘明なとが只の白徒の見識で、なか々々論吾から拔出してもってくることはならぬ。古から傳りてあったもの。先王の遺言ぞ。どっちとふしても学問の手かかりは克己復礼に帰着することなり。
【解説】
欲を無くすのは心の工夫であり、心法である。心の工夫は昔からあったものであって、克己復礼も孔子の発明ではなく、先王の遺言である。そこで、宋儒が心法を言うのは何も可笑しなことではない。学問の手掛りは克己復礼に帰着する。
【通釈】
詰まる処は心の功夫である。心の功夫は心法のこと。そこで禅坊主めく。そこで異学の徒が、それ、宋儒が心法を言ったと言う。それは可笑しなこと。先ず克己復礼の字は左伝にもある。古よりあったものだろう。「民受天地之中而生」。この語などもあの春秋の世や戦国の主弑親弑の時分にも言ったもの。これも何かあの文武周公からの学問沙汰が残り、それを聞き伝えたものなのである。孔子が克己復礼と言ったのも別に発明を言ったわけではない。その筈で、古から克己復礼をして欲を無くした人が聖人になられたのである。湯王の「誠敬日躋」。これは何もかも皆仁の本来の姿になること。古の「允執其中」というのも特別なことではないが、左丘明などのただの白徒の見識では、中々論語から抜き出してこれを引用することはできない。これは古から伝わってあったもので、先王の遺言である。どちらにしても学問の手掛りは克己復礼に帰着する。
【語釈】
・克己復礼…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己。而由仁乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。
・左傳にもある…春秋左伝昭公。「仲尼曰、古也有志。克己復禮、仁也。信善哉」。
・民受天地之中而生…
・誠敬日躋…詩経商頌長発。「帝命不違、至于湯齊。湯降不遲、聖敬日躋」。
・允執其中…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。

顔子に此通り示された。顔子は孔子とをっつかっつな人なり。克己と云も顔子の工夫はみれんみしゃくはない。一刀两断、欲と見ると眞二つ。顔子は大ふ手のまわりたこと。克己と示す、じきなり。そこで、朱子も大火鉢に火のはっ々々とをこって居る処へ雪の降たやうなもの、と。雪を人欲にしたもの。ちらりとふる。直にきへる。顔子は此通りぢゃほどに、出るほどの欲は皆ころしにする。これは只のものあてにならぬことなり。佐原の十良が一ノ谷を三浦の馬塲じゃと云た。顔子は佐原の十良なり。只のものは馬塲でさへ落ようかとあぶない。されとも、とど分なことではないから、只のものにも克己復礼と示す。余の者のならぬことを示すなれは役にたたぬこと。昔咄しかと知れとも、治世の具足の様なもの。今日の工夫にならぬ。そこで伊川の、あのするとい顔子へ孔子の克己復礼と示した功夫を四箴で学者に示す。あのするとい処へそろ々々ゆかるる。爰が忝いことなり。これも仕方でなる。これについてゆけと云こと。
【解説】
孔子が仁に至るには克己復礼をするのだと顔子に語ったが、顔子は孔子と同等なので直ぐに実践することができる。しかし、それは普通の者には難しいことだから、伊川が四箴を書いて学者に示したのである。
【通釈】
顔子にこの通り示された。顔子は孔子と同等の人である。克己と言っても顔子の工夫は未練未酌はない。一刀両断で、欲と見れば真っ二つにする。顔子は大分手が回るので、克己と示せば直ぐに行う。そこで、朱子も大火鉢に火のぱっぱっと熾っている処へ雪の降った様なものだと言った。雪を人欲と見なしたのである。ちらりと降ると、直ぐに消える。顔子はこの通りなので、出る欲は皆殺しにする。これは普通の者では当てにならないこと。佐原十郎が一ノ谷を三浦の馬場だと言った。顔子は佐原の十郎である。普通の者は馬場でさえ落馬するかもしれず危なっかしい。しかし、結局は特別なことではないから、普通の者にも克己復礼と示す。他の者のできないことを示すのであれば、それは役に立たないこと。昔話だということは知っていても、治世の具足の様なもので、それでは今日の工夫にはならない。そこで伊川が、あの鋭い顔子へ孔子が克己復礼と示した功夫を四箴で学者に示したので、あの鋭い処へぞろぞろと行くことができる。ここが忝いこと。これも仕方で成る。これに付いて行けということ。
【語釈】
・みれんみしゃくはない…未練未酌がない。きわめて冷淡で同情心がない。
・朱子も…朱子語類41。「顏子克己、如紅爐上一點雪」。
・佐原の十良…佐原十郎義連。義経の武将。
・馬塲…乗馬法を練習する所。

迂斎の、此四箴は三門の高い処へ階をかけ、それへ縄をつけてゆけとなり。そこで此四箴は殊の外けっこうなことになる。必竟、近思に克己の篇目のあるも、顔子から一人なれは克己の篇も立られぬ。四箴と云からは、今日の人迠へ示す功夫なり。若只のもののならぬことならは、觀垩賢にでもある筈なり。学問の功夫、爰に帰着すること。それもこれも伊川の手抦なり。孔子が克己復礼と示す。顔子はうんと呑こみして取る氣ゆへ、目を問はるる。なる手ぎわゆへぞ。うんとする了簡ゆへに問はるる。京と行く氣のものは木曽海道とか東海道とか目をきく。行と云丈夫なゆへそ。行ぬきなれは、あたまて問はぬ。只の人はあぐむなり。孔子の克己復礼と示す。顔子はじきに合点なれとも、その仕方を問はれたもの。
【解説】
「伊川先生曰、顏淵問克己復禮之目」の説明。ここにこの条があるのも四箴によって今日の人も仁に至ることができるからであって、学問の工夫はここに帰着するのである。孔子が克己復礼と示したのを、顔子は直ぐに理解したのでその仕方である目を問われた。それは顔子が仁に成ろうとしたからである。
【通釈】
迂斎が、この四箴は、三門の高い処へ階を架け、それへ縄を付けて行けということ。そこでこの四箴は殊の外結構なことになる。畢竟、近思に克己の篇目があるのも、顔子一人だけのことであれば克己の篇も立てられないが、四箴と言うからは、今日の人にまで示す功夫なのである。もしも普通の者にはできないことであれば、観聖賢の篇にでもある筈。そこで、学問の功夫はここに帰着する。それもこれも伊川の手柄である。孔子が克己復礼と示す。顔子はうんと呑み込み、して取る気なので目を問われた。仁に成ろうとしたからである。うんと呑み込む了簡なので問われた。京へ行く気の者は木曽海道とか東海道とかと目を聞く。行くという丈夫な気があるからである。行かない気であれば、最初から問わない。普通の人は倦む。孔子が克己復礼と示す。顔子は直に合点したが、その仕方を問われたのである。

さて、吟味することは克己がなぜにしにくいなれば、克己をすると五尺のからだがいやがる。人間の心に本心と云ものありて、此が人間の難有さで善方へゆかふとする処を、體が合点せぬ。血氣でさま々々な樂をせふとする。今も金もちの金ためるよふにするも、只向へをいて見ようと云ことではない。詠たばかりでよいなれば、日光へゆきてああ結搆なとみるがよい。ただひかるもののことではない。あれも金をためて身を樂にせふと云ことなり。有身必自私する理ありて、五尺の體と欲がべったり引つけて懇をする。佛が捨身の行はしても、雪の降夜は寒くぞありけりぢゃ。さむい処へ玉子酒をもくると、つい呑む。仁王や金佛にそんなことはない。只身があるゆへそ。これがなければ何の六ヶしひことはない。とこ迠もいきた身の欲を取てすてることなり。
【解説】
克己が難しいのは体がそれを嫌がるからである。人には本心というものがあって善い方へ行こうとするが、それを体が嫌がる。血気で様々な楽をしようとするのである。そこで、体の欲を取って捨てることが必要なのである。
【通釈】
さて、ここで吟味しなければならないことがあって、克己が何故し難いのかというと、克己をすると五尺の体が嫌がるからである。人間の心には本心というものがあり、これが人間の有難さで善い方へ行こうとするが、それを体が合点しない。血気で様々な楽をしようとする。今も金持ちが金を貯める様にするのも、ただ向こうへ置いて見ようとしてのことではない。眺めるだけでよいのなら、日光へ行ってああ結構なものだと見ていればよい。ただ光るもののことではない。あれも金を貯めて身を楽にしようとしてのことである。「有身便有自私之理」であって、五尺の体と欲とがべったり引っ付いて懇ろとなる。仏が捨身の行はしても、雪の降る夜は寒くぞありけりである。寒い処へ玉子酒などが来るとつい呑む。仁王や金仏にその様なことはない。それはただ身があるからである。これがなければ何も難しいことはない。どこまでも生きた身の欲を取って捨てることなのである。
【語釈】
・有身必自私する理あり…克己22。「伊川先生曰、大抵人有身、便有自私之理。宜其與道難一」。

佛は偏そ。天地の中にない道なれとも、彼偏でしよいことかある。なせなれは、飲食男女人之大欲存す。そこを根から絶つ。此が難いことのしよいことなり。そこで佛者はそこをつかまいてをる。垩人の道はそんなは子たことはない。食は不厭精膾不厭細、妻子好し合とすら々々したことなり。佛は欲を捨さまに、身に備て居る欲迠根からなくそうとかかる。此方は肉を食ひ酒を飲。男女の交をたたす。其塲の欲らしい処をへいでまわること。佛は丸で絶つ。圣人のは酒を呑なからと云工夫なり。先己しと云が、その己しくるみ根がこれほどこまかなことなり。細にへぎわけたその己に克ふとするゆへ、克がするとてなけれはならぬ。私忰、金をあづけませぬゆへ道樂を致さぬと云はよいようなれども、ずんとあんどでない。金を渡しても氣遣のないでこそ本のものなり。中庸は易而難しはそこなり。
【解説】
仏は偏っていて、欲を根から絶つ。それでし易いものとなるが、聖人の道はその場その場の欲を剥いで廻るものであって、欲を根から絶つものではない。
【通釈】
仏は偏っている。それは天地の中にはない道だが、あの偏りで仕良いことがある。それは何故かと言うと、「飲食男女人之大欲存」を根から絶つからである。これが難しいことをし易くすることなのである。そこで、仏者はそこを掴まえている。しかし、聖人の道にはそんな跳ねたことはない。「食不厭精膾不厭細」、「妻子好合」とすらすらとしたこと。仏は欲を捨てる様にして、身に備わっている欲までを根からなくそうと掛かる。こちらは肉を食い酒を飲む。男女の交わりを正す。その場の欲らしい処を剥いで廻る。仏は全て絶つ。聖人のは酒を呑みながらする工夫である。先ず己と言うが、その己ぐるみ根はこれほど細かなことである。細に剥ぎ分け、己に克とうとするので、克が鋭くなければならない。私は忰に金を預けませんので道楽を致しませんと言うのはよい様だが、それはすっかりと安堵するものではない。金を渡しても気遣いがなくてこそ本物である。「中庸易而難」はそこのこと。
【語釈】
・飲食男女人之大欲存す…礼記礼運。「飲食男女、人之大欲存焉」。
・食は不厭精膾不厭細…論語郷党8。「食不厭精、膾不厭細」。
・妻子好し合…中庸章句15。「詩曰、妻子好合、如鼓瑟琴」。詩は詩経小雅常棣。
・中庸は易而難し…中庸章句9集註。「中庸易而難。此民之所以鮮能也」。

復礼。己に克た上にこれが入ることなり。垩学の實地なはここぞ。どこ迠も礼の字なり。親に孝行も心に如在ないと云ても、親の前て疂さわりがわるいは合点せぬ。礼は本然の矩合、天理の節文は中庸の好合ぞ。理と云はす礼と云ふ。窮理を挌物と云。物の字、礼の字皆親切なり。垩人の道の尊はここなり。とこ迠もしょげたことはない。礼と云がか子合を出して、とこまでもそれにはすれぬ様にすることなり。何でも道理のか子はあわす。五尺の體の喜ぶものは己しなり。垩凡の違と云も、凡夫は非礼に馳走をする。非礼と體はいこふ子んごろなり。親の精進日に鯛がくる。それもかたく食ぬ。人心そこへ了簡かはる。はや夕方になったと云。本心はそふなくて、五尺の体と腹がうれしかる。そこを五尺の体に非礼をつけぬやふに、非礼にならぬやうにとすることなり。
【解説】
礼とは道理の規矩であって、道理に外れないようにする。克己した上にこの礼が要る。凡夫は非礼に馳走をする。非礼と体は大層懇ろだが、体に非礼をさせない様にしなければならない。
【通釈】
「復礼」。己に克った上にこれが要る。聖学が実地であると言うのはここのこと。何処までも礼の字である。親に孝行するのも、心に如在ないと言っても、親の前で立居振舞が悪いのではいけない。礼は本然の規矩であり、「天理之節文」は中庸の「好合」である。理とは言わず礼と言う。窮理を格物と言うが、この物の字も礼の字も皆親切なものである。聖人の道が尊いと言うのはここのこと。何処までも悄げることはない。礼というのは、規矩を出してどこまでもそれに外れない様にすること。何にでも道理の規矩を合わせる。五尺の体が喜ぶものは私欲のすることである。聖凡の違いというのも、凡夫は非礼に馳走をすることにある。非礼と体は大層懇ろである。親の精進日に鯛が来るが、それも絶対に食わない。人心はそこで了簡が変わる。早くも夕方になったと言う。本心はそうでなくても、五尺の体と腹が嬉しがる。そこを五尺の体に非礼をさせない様に、非礼にならない様にとするのである。
【語釈】
・疂さわり…歩く時、足や着物の裾が畳にふれること。また、そのふれ具合。ひろく、立居振舞の意。
・天理の節文…論語顔淵1集註。「禮者、天理之節文也」。

勿れ々々は用心なり。其方へ心を付ることなり。そふしまい々々々々々と云ことなり。直方先生も、勿は番を付ることしゃと云へり。とかく番を付ぬからのさはぎなり。子ともが川へすべりこむ処へ守を付るから、すべり落ぬ。視やう聽ふと云処へ勿れ々々と守りを付ることなり。視聽言動の四のものは、人間とさへ生るると皆ある。偖、こう聞といかさまと思ふことなり。誰も彼も皆これじゃほどに、体かなくはどふとも勝手次第。体さへもては皆用心のせ子はならぬ。四のものをそれなりに捨て置を凡夫と云、それへ氣を付るが学者、其視聽言動か道理と一つになったが垩賢。垩人か何そ分の療治をするかと思へは、勿れ々々。一生もふよいと云ことはない。退之の、蓋棺始安しと云るる通り。曽子も啓我手啓我足。ここてこそなり。顔子と云へは顔子と思ひ、曽子と云へは曽子と分々に思はるるな。曽子がやっはり此工夫をした人なり。雨が降とて火の用心油断ならず。火は生きものなり。一寸とつく、はやじっとしてはをらぬ。人も身ありて働きある。そこで油断ならす。金や水が欠出したことはない。火はかけ出す。然れは人の学問と云は生きた体をつかまへてすることゆへ、前世の後世のと云ことはない。生れてから死ぬまでの此体に用心することなり。
【解説】
「夫子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。四者身之用也」の説明。「勿」とは、用心をすること。視聴言動は人間として生まれれば誰にでもあるが、それに用心をしないのが凡夫であり、それへ気を付けるのが学者であり、視聴言動が道理と一つになったのが聖賢である。道理と一つになるには一生を通して「勿」で体に用心をするのである。
【通釈】
「勿」は用心をすることで、その方へ心を付けること。そうはしないようにとすること。直方先生も、勿は番を付けることだと言った。とかく番を付けないから騒ぎとなる。子供が川へ滑り込む処に守を付けるから滑り落ちない。視よう聴こうとする処へ勿れと守を付けること。視聴言動の四つは、人間とさえ生まれれば皆にある。さて、この様に聞くと全くその通りだと思う。誰も彼も皆これだから、体がなければどうでも勝手次第だが、体さえ持てば皆用心をしなければならない。四つのものをそれなりに捨てて置くのを凡夫と言い、それへ気を付けるのが学者で、その視聴言動が道理と一つになったのが聖賢である。聖人が何か特別な療治をするのかと思えば、勿かれである。一生にもうよいということはない。韓退之が、「蓋棺始安」と言われた通りである。曾子も「啓我手啓我足」と言ったが、ここでこそ言うこと。顔子と言えば顔子と思い、曾子と言えば曾子と別々に思ってはならない。曾子はやはりこの工夫をした人である。雨が降っていても火の用心は油断がならない。火は生き物である。一寸点くともうじっとしてはいない。人も身があるから働きがある。そこで油断がならない。金や水が駆け出すことはないが、火は駆け出す。そこで、人の学問とは生きた体を掴まえてすることなので、前世や後世ということではなく、生まれてから死ぬまでの間、この体に用心をすることなのである。
【語釈】
・蓋棺始安し…韓愈。同冠峡。「棺を盖[おお]いて事乃[すなわ]ち了[あきらか]ならむ」。
・啓我手啓我足…論語泰伯3「曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手」。

由乎中而應乎外。心のなり、理の自然がこうしたことと方を付て見るべし。何でも心でないことはない。視たり聽たりは向ふを相手にしたことなれとも、其れも皆中ちからのことじゃ。迂斎の、水を飲たいと云やうなもの、と。呑水は向のもので外なれども、呑たいと云は心なり。そこで垩賢の教が制於外云々とくることなり。爰て工夫を示す。上の由乎中云々はありなりなこと。爰は功夫。異端と違ふもここなり。あちは心て心を知り、目か目を視、口で口をかむと云やふに殊外閙鋪ことなり。垩人の教は平なこと。中ち々々と云ふと親切にも聞へ高上にも聞るか、却て空になる。そこで外に制す。孔子の勿れ々々と示すがすぐに外に制したもの。人間の心のわるくなるも、外向の方を無用心ゆへ中からわるくなる。まふ一つ分んに手を入ることはない。蘇季明問答の於動上求靜と云がそこなり。心は手のつけられぬもの。そこて四の外へ出た処て療治すると中がよくなる。垩学の実地な妙処は爰なり。小学は子ともか上客。それに朱子か此四箴を引れた。子ともには過るやうなれとも、全体外を用心するて中のこやしになることて、大ふ実地なことゆへに引れたもの。佛が本来無一物、本心に塵の付き処はないと云。そんな高ひこと云ても空理で実がないから、過於大学而無實と云。あれも珎しいことゆへめったにない。二人か三人。やはり孔門に顔子のあるやふなものなれとも、あちはならぬことをむりにする。此方は此教て顔子のやふにもならるる筋かあいて居る。そこで小学へも載たもの。爰らで序にある一高卑合遠近者垩人之道也と云も合点せよ。
【解説】
「由乎中而應乎外。制於外所以養其中也」の説明。視聴は向こうを相手にしたことだが、それはこちらに心があってのことである。ここに工夫があって、外を制することが心をよくすることになる。心は手が付けられないものだが、四つが外へ出た処で療治をすると中がよくなる。ここが実地であり、仏などは、心は本来無一物だと言うが、彼等は「過於大学而無実」である。
【通釈】
「由乎中而応乎外」。心の姿、理の自然がこうしたことだと方向を付けて見なさい。何でも心でないことはない。視たり聴いたりするのは向こうを相手にしたことだが、それも皆中からのこと。迂斎が、水を飲みたいという様なものだと言った。飲み水は向こうのもので外のことだが、飲みたいというのは心である。そこで聖賢の教えが「制於外云々」と来るのである。ここで工夫を示す。上の「由乎中云々」はそれだけのことだが、ここは功夫であり、異端と違うのもここ。あちらは心で心を知り、目が目を視、口で口を噛むという様に殊の外忙しい。聖人の教えは平らなこと。中へと言うと親切にも聞こへ高上にも聞こえるが、却って空になる。そこで外に制す。孔子の勿かれと示すのが直ぐに外に制したこと。人間の心が悪くなるのも外向きの方が無用心だからで、それで中から悪くなるのである。もう一つ別に手を入れることはない。蘇季明問答で「於動上求静」と言うのがそこのこと。心は手が付けられないもの。そこで四つが外へ出た処で療治をすると中がよくなる。聖学の実地な妙処はここである。小学は子供相手のもの。それに朱子がこの四箴を引かれた。子供には過ぎた様だが、全体外を用心することで中の肥やしになるのであって、大分実地なことだから小学に引かれたもの。仏が、本来無一物、本心に塵の付き処はないと言う。その様な高いことを言っても空理で実がないから、「過於大学而無実」と言う。あれも珍しいことなので滅多に人が出ない。二人か三人で、やはり孔門に顔子がいる様なものだが、あちらは成らないことを無理にする。こちらはこの教えで顔子の様にもなることができる筋が開いている。そこで小学へも載せたのである。ここ等で序にある「一高卑合遠近者聖人之道也」も合点しなさい。
【語釈】
・於動上求靜…存養52。「或曰、莫是於動上求靜否」。
・過於大学而無實…大学章句序。「異端虚無寂滅之敎、其高過於大學而無實」。
・一高卑合遠近者垩人之道也…近思録序。「竊謂一高卑合遠近者聖人之道也」。

顔子事斯語。大ふ氣味のよいことなり。学者論語に如愚とあれは只だまって居る人と思へども、此語を事とす。孟子には舜何人也我何人也とあり、爰も畏りましたと云ことなり。礼は謙遜なものゆへ、私義身不肖にはごされとも、どこ迠も彼勿れ々々の教の通りを仕ませふとなり。顔子は此勿々か靣白くなりてきた。そこが好学なり。只のものは、勿れと云とそちへやれとはき出す。そこて相談はならぬ。扁鵲か藥もはき出せばきかぬ。顔子の事とした其こふじた処か不遷怒不貳過。そこで今也亡哉と殊の外をしまるる。学者も此勿れ々々て憤発せよ。滕文公か性善の話を聞て事此語とは出ぬ。又、帰によられて何ぞ外にはと云たれば、こちの店にはごさらぬ、外のものは賣ませぬと云はれた。顔子はなろふか私ともはと云とき、顔子にも仁義礼智あれは面々鋪にもある。それをならぬと云なれは、當時の辞で云へはをふちゃくとも云、孟子ては自暴自棄とも云。さて学者もこふ聞たらは、及はすながら行ふともいっそやめるとも、どふともするがよし。そこてこそ爰をよんだと云ものなり。学問は道中じゃ。行ぬ氣ならかへれ。する氣ならは行け、進め。不進日に退なり。
【解説】
「顏淵請事斯語、所以進於聖人」の説明。顔子は「勿」を実践した。それが彼の好学である。人には本来仁義礼智があるのに、仁に成れないと言うのなら、それは横着であり、自暴自棄である。学問は旅と同じであって、進まなければならない。進まなければ退いてしまう。
【通釈】
「顔子事斯語」。これが大分気味のよいこと。学者は論語に「如愚」とあるので、顔子をただ黙っている人だと思っているが、「事斯語」。孟子には「舜何人也我何人也」とあり、ここも畏まりましたということ。礼は謙遜なものなので、私儀身不肖ではありますが、どこまでもあの勿かれの教えの通りを致しますと言ったのである。顔子はこの勿が面白くなってきた。そこが「好学」である。普通の者は、勿かれと言えばそちらへ遣れと吐き出す。そこで相談ができない。扁鵲の薬も吐き出せば効かない。顔子は事としたが、その高じた処が「不遷怒不貳過」である。そこで「今也亡哉」と殊の外惜しまれた。学者もこの勿かれで憤発しなさい。滕文公が性善の話を聞いても事斯語とは言わない。また、帰りに寄られて何か外にはと尋ねると、こちらの店にはございません、外のものは売りませんと言われた。顔子は仁に成ることができるだろうが私共はできないと言う時、顔子にも仁義礼智はあるが面々にさえもそれがあるのに、それができないと言うのであれば、今の言葉で言えば横着とも言い、孟子では自暴自棄とも言うもの。さて学者もこう聞けば、及ばずながら行こうとするも、寧ろ止めるとも、どうとでもすればよい。それでこそここを読んだというもの。学問は道中である。行かない気なら帰れ。する気なら行け、進め。「不進則日退而已矣」である。
【語釈】
・如愚…論語為政9。「子曰、吾與囘言、終日不違如愚。退而省其私、亦足以發。囘也不愚」。
・舜何人也我何人也…孟子滕文公章句上1。「顏淵曰、舜何人也、予何人也。有爲者亦若是」。
・好学…論語雍也2。「哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顏囘者好學、不遷怒。不貳過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好學者也」。
・滕文公か性善の話を聞て…孟子滕文公章句上1にある。
・自暴自棄…孟子離婁章句上10。「孟子曰、自暴者、不可與有言也。自棄者、不可與有爲也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也」。
・不進日に退…論語雍也10集註。「畫而不進、則日退而已矣」。

後学ふ者と云が忝いことなり。伊川の御身から當時の学者、それから今日講する者も聞く者も皆此中間なり。爰か学者の官位そ。学垩人と云かあをのいて冨士を見るやふなことてはない。行く筋がある。長病な人か早く湯に入たいと云。とど垢を落そふと云ことなり。学者も身の垢を落すこと。垩賢は体がきれいぞ。つまり此身のことなり。天へ掛橋ではないほどに、服膺而勿失なり。中庸に顔子のことを拳々服膺とあり、それを後の学者へかけたもの。昔咄にせぬことなり。金銀のことにてみよ。誰ても金を落した話はすくなし。服膺なり。道理はそれほとに無いから、今爰で聞たことも五六町行くともふぬける。禹拜昌言。一度々々に頭をさげるなり。顔子の服膺したやふに今日の学者も服膺するがよいと云ことなり。そこで此四箴か皆の役に立ことなり。人への振舞てはない。自警む。されとも垩賢の語は明德を云へは新民はついて回るやうに、学者は私共これへも少し被仰付よと望べきことなり。古文眞宝にも此文はよい文じゃとて引てあり。そんなことはない。此四箴て垩賢にも至らるる程のこと。惣体大切な文は長くはないもの。世間の学者が色々と長い文を書ても、そりゃ茅小屋にかやの沢山あるやうなもの。盗人も持てゆかぬ。此文さへあれは、此えふで通らるる。四箴は外の方からする功夫なり。これには大ふわけのあることなり。
【解説】
「後之學聖人者、宜服膺而勿失也。因箴以自警」の説明。「学聖人」は身の垢を落とすことと同じで、つまりは我が身についてのことなのである。顔子が服膺した様に今日の学者も服膺しなければならない。また、それは自警しなければならないものであり、外からする工夫なのである。
【通釈】
「後学者」というのが忝いことである。伊川ご自身から当時の学者、それから今日講じる者もそれを聞く者も皆この仲間である。ここが学者の官位。「学聖人」というのは仰向いて富士を見る様なことではない。行く筋がある。長病な人が早く湯に入りたいと言う。それは結局、垢を落そうということ。学者も身の垢を落すのである。聖賢は体が綺麗である。つまりこの身のことなのである。天へ掛け橋ではなく、「服膺而勿失」である。中庸に顔子のことを「拳々服膺」とあり、それを後の学者へ掛けたもの。昔話にはしないこと。金銀のことで見なさい。金を落とした話をする者は少ない。これが服膺である。道理はそれほどではないから、今ここで聞いたことも五六町行くともう抜ける。「禹拝昌言」。その時々に頭を下げる。顔子が服膺した様に今日の学者も服膺しなさいということ。そこでこの四箴が皆の役に立つ。これは人へ振舞うものではなく、自らが警むこと。しかしながら、聖賢の語は明徳を言えば新民が付いて廻る様なものだから、学者は私共へも少し仰せ付けられよと望べきことである。古文真宝にもこの文はよい文だと引用してあるが、そんなことではない。この四箴で聖賢にも至ることのできるほどになる。総体大切な文は長くないもの。世間の学者が色々と長い文を書いても、それは茅小屋に茅が沢山ある様なもの。盗人も持って行かない。この文さえあれば、この絵符で通ることができる。四箴は外の方からする功夫であって、これには大きなわけがある。
【語釈】
・拳々服膺…中庸章句8。「子曰、回之爲人也、擇乎中庸、得一善、則拳拳服膺而弗失之矣」。
・禹拜昌言…書経皋陶謨。「禹拜昌言曰、俞」。
・古文眞宝…先秦以後宋までの詩文の選集。20巻。宋の黄堅編。前集10巻は古詩、後集10巻は古文の模範とするものを集めたもの。

四者身之用也と云は一体て云こと。これに甲乙はありそもない様なれとも、人間の大切は視にあることなり。此事は張子の云はれしなり。不断魂は目によっているもの。同し働きでも視は大切なことそ。医者も病人の眼中を見る。孟子も莫善眸子云。爰に入ることはなけれとも、人の玉しい眼によりて居ると云で、視が一ち先きなり。仁義礼智も何そのときは仁と云て、其中に義礼智はあることなり。人の眞先きにあるは視なり。程子も人之視最先きと云へり。これから了簡も出るもの。視の戒も本を語ら子ばならぬ。やはり道体爲学と示す様に、本を語りてそれから工夫なり。
【解説】
視聴言動の中では視が最も先であり、本となる。仁義礼智も仁が本であり、その中に義礼智はある。
【通釈】
「四者身之用也」とは一体として言うこと。これに甲乙はありそうもない様だが、人間の大切なところは視にある。これは張子が言われたことで、いつも魂は目に由っているもの。同じ働きでも視は大切である。医者も病人の眼中を見る。孟子も「莫善眸子」と言った。ここに入ることはないが、人の魂は眼に由っていると言い、視が一番先となる。仁義礼智も何かの時は仁と言い、その中に義礼智はあるのである。人に真っ先にあるのは視である。程子も「人之視最先」と言った。これから了簡も出るもの。視の戒めも本を語らなければいけない。道体為学と示す様に、やはり本を語ってそれから工夫をするのである。
【語釈】
・莫善眸子…孟子離婁章句上15。「孟子曰、存乎人者、莫良於眸子。眸子不能掩其惡。胸中正、則眸子瞭焉。胸中不正、則眸子眊焉」。
・人之視最先き…

心兮本虚。前にも由乎中而應乎外と本来のなりを示す。心の道体なり。心に流義はない。泣き男の、笑ひ男のと云やうなことはない。本虚と云はそこなり。何ても向からくるなりなことで、泣もする、笑もする。偖、何てもあてしろはない。云やうはさま々々なれとも、明德を虚灵不昧と云も同しことなり。心のなりは虚なものそ。虚じゃから向次第で笑ひ出したり泣き出したりとんと流義はないことそ。そこで心の機嫌の取扱を知と自由になることなり。手もなく垩賢は心のとりあつかいがよいからそ。凡夫はそこを知らぬからあの通りなり。夫故、前々心のことは鏡にたとへるもここなり。至て明て、さて何もない。楊貴妃の皃かいつまても移てあるならば、さぞ見物に行てあろふそ。日本ても衣通姫なとは、衣通姫の見た鏡とて奴か向へは奴かうつる。心はこふしたものなり。平生の茶呑話からささいなこと迠皆心が出る。いつも云、虎を捕ふとする心も蚤を執ふとする心も同しことなり。虎をとる心が大くもなく、蚤をとる心が小くもない。虚て応するなり。分限者が千金のあつかいをするも、ささいな蕗のとふをどふこふと云意迠が同じこと。そこは虚なり。伊川の此四箴を作らるるときの心も御慶申入ると云ときも同じことじゃほどに、こふして見れば心はよくもわるくもなる筈。油断のならぬは心なり。馬屋に馬を繋てをくとは違ふ。此ころ西國咄を聞けば、心は西國の方へ行てをる。偖々竒妙なものそ。灵臺と云もそこなり。正宗の刀より小さな親父がこはい。迂斎の、仁王より兒共かこわい、と。だたい本来こうしたことなり。
【解説】
「視箴曰、心兮本虚、應物無迹」の説明。心の本来は虚であり、相手次第で動くもの。それは鏡が相手次第に映すのと同じである。
【通釈】
「心兮本虚」。前にも「由乎中而応乎外」と本来の姿を示した。ここは心の道体のこと。心に流儀はない。泣き男や笑い男という様なことはない。本虚と言うのはそこのことで、何でも向こうから来る通りにして、泣きもするし笑いもする。さて、何でもあてしろはない。言い様は様々だが、明徳を「虚霊不昧」と言うのも同じこと。心の姿は虚なもの。虚だから向こう次第で笑い出したり泣き出したりして、そこに全く流儀はない。そこで心の機嫌の取り扱いを知ると自由になる。それが簡単にできるのは、聖賢は心の取り扱いがうまいからであって、凡夫はそこを知らないからあの通りである。それで、前々から心のことを鏡にたとえるのである。至って明で、さて何もない。楊貴妃の顔がいつまでも映っているのなら、さぞや見物に行くことだろう。日本でも衣通姫などで言えば、衣通姫の見た鏡だと言っても奴が向かえば奴が映る。心はこうしたもの。平生の茶呑み話から些細なことにまで皆心が出る。いつも言う、虎を捕らえようとする心も蚤を掴まえようとする心も同じ。虎を捕る心が大きくもなく、蚤を捕る心が小さくもない。虚で応じるのである。分限者が千金の取り扱いをするのも、些細な蕗の薹をどうのこうのと言う意までが同じこと。そこは虚である。伊川がこの四箴を作られた時の心も、御慶び申し入ると言う時の心も同じことであって、こうして見れば心はよくも悪くもなる筈。油断がならないのは心である。馬屋に馬を繋いで置くのとは違う。この頃西国話を聞けば、心は西国の方へ行っている。心は本当に奇妙なもので、霊台と言うのもそこのこと。正宗の刀より小さな親父が怖い。迂斎が、仁王より子供が怖いと言った。そもそも、本来はこうしたことなのである。
【語釈】
・虚灵不昧…大学章句1集註。「大學者、大人之學也。明、明之也。明德者、人之所得乎天、而虚靈不昧、以具衆理而應萬事者也」。
・衣通姫…日本書紀で允恭天皇の妃。美しい肌の色が衣を通して照り輝いたという。
・灵臺…魂のあるところ。精神。心。

操之有要。前にも制於外とあり、顔子の克己復礼之目も伊川の四箴もこの操と云ことなり。勿れ々々のきめ処かある。そこを操ると云。顔子か克己復礼の目を問はれた。伊川のは又其細目なり。いつも云通り、漢唐を絶学の、説夢のと云ふはこんな処に目があかぬから云そ。幾度論語を讀ても何の役に立ぬ。操之有要なとと云ことは漢唐の分ては云はれぬことなり。爰か勿々へ綱を引ことなり。勿と云てもそれがならぬ。そこて綱を付る。視爲之則。視る鼻の処をきっかけにするがよい。功夫には定木がなければならぬ。そこを則と云。視処が大事じゃと云て、うろりとはならぬ。大ふ的切なこと。非礼を視る心て靣白くなってくる処を視まいとする。某が弁じゃか、視る処を切かけにすると云がそこなり。大切のことになると好色の譬か一ちよい。大学の誠意に傳者か如好好色と云れた。其好と云も最初は視ると云ことなり。只我にある欲と思ふな。初手は視ると云ことじゃほとに、そこを切かけにせよ。視るから事がをこる。大火事にするなと云ことなり。烟草の吹からはよかろふと思ふてすてをき、隣へ往て用を足すともう其内に大事になる。好色の筋も尤人々の氣質で厚薄はあれとも、初手視た処が烟草の吹からなり。好色は人にあるとても、此方から尋てもあるかぬ。視てをこる。江戸の裏店を一間つつ傘の古骨を尋る様なことではない。視る鼻てそふなる。何程な好色者も毎日尋てあるきはせぬ。一目見しより戀となりけり。此が皆手んでに覺のあること。人間のありかたさに、あんまりなことはないもの。それも視る処てついわるくなる。目は見るが役なり。そこへ目かくしをすると見へぬ。心の見る処へわるくなるものが見へてくる。
【解説】
「操之有要、視爲之則」の説明。「勿」の決め処が「操」である。それには視る処が大事となる。欲は自分自身にあるものだと思うのは間違いであり、視ることから悪くなる。そこで、視ることを手掛りにするのである。
【通釈】
「操之有要」。前にも「制於外」とあり、顔子の「克己復礼之目」も伊川の四箴もこの「操」ということにある。「勿」に決め処があって、そこを操と言う。顔子は克己復礼の目を問われたが、伊川のはそのまた細目を言った。いつも言う通り、漢唐を絶学とか夢を説くと言うのはこんな処に目が開かないからである。幾度論語を読んでも何の役にも立たない。「操之有要」などということは漢唐の分際では言えないことである。ここが勿かれへ綱を引くこと。勿かれといってもそれができない。そこで綱を付ける。「視為之則」。視る間近の処を切っ掛けにするのがよい。功夫には定規がなければならない。そこを則と言う。視る処が大事だと言うことで、これをいい加減にしてはならない。大分的切なこと。非礼を視ると心が面白くなって来るが、そこを視ないようにする。私の弁だが、視る処を切っ掛けにすると言うのがそこのこと。大切なことでは好色のたとえが一番よい。大学の誠意で伝者が「如好好色」と言われた。その好というのも最初は視ることからである。ただ自分にある欲のことだと思ってはならない。初手は視るということだから、そこを切っ掛けにしなさい。視るから事が起こる。大火事にするなということ。煙草の吸い殻位はよいだろうと思って放って置き、隣へ往って用を足すと、もうその内に大事になる。尤も好色の筋も人々の気質によって厚薄はあるだろうが、初手視た処が煙草の吸い殻である。好色は人にあるといっても、自分から尋ねて歩くことはない。視ることで起こる。江戸の裏店を一間ずつ歩く様な、傘の古骨を尋る様なことではない。視る先でそうなる。何ほどの好色者も毎日尋ねて歩きはしない。一目見しより恋となりけり。これが皆それぞれに覚えのあること。人間は有難いことに、あんまりなことはないもの。それでも視る処でつい悪くなる。目は見るのが役目である。そこへ目隠しをすると見えない。心は見ることによって悪くなるものが見えて来る。
【語釈】
・説夢…朱子語類51。「漢唐諸人説義理、只與説夢相似、至程先生兄弟方始説得分明。唐人只有退之説得近旁、然也只似説夢」。同93。「今看來漢唐以下諸儒説道理見在史策者、便直是説夢」。
・如好好色…大学章句6。「所謂誠其意者、毋自欺也。如惡惡臭、如好好色。此之謂自謙。故君子必愼其獨也」。同集註。「使其惡惡則如惡惡臭、好善則如好好色、皆務決去、而求必得之、以自快足於己。不可徒苟且以殉外而爲人也」。

蔽交於前其中遷。はて向のものにとんじゃくはないと云ても、ついこちの心が移る。此方から御迎に出る筋なり。心が移るものじゃから、外向を用心せ子ばならぬ。わるいものもよいものも向次第てこちが移る。心がだたいこうしたものゆへ心を操る。則も致知をするも向を相手にする。そこで、朱子が大切なことになると、心理と外と内と云。堺町は向のものなれとも、つい此方が道樂になる。蔽はははを博く云かよい。薛文靖の靣白ことを云はれた。非礼と計見るな。兎角前へくることて心は動くもの、と。又其下に好なことを見ると動とある。それを柯先生の、すきなことでなくてもと云れた。此か又其上を云たことなり。文會に可好の二字。可去はそこ。我好なことへ動くと云とははがせまくなる。そこで用心が甲斐なくなる。爰らは中々只のことではない。譬は某なとのやうに酒か好なれは、其酒をすこさぬやうに工夫すると云へは親切なやうなれとも、そふするとせまくなる。爰は何ても彼てもなり。制之於外云々。蔽の前にくる処で外に制す。兎角心にある々々と云は反て心の工夫を知ぬなり。爰へ克己復礼を丸に出したは伊川の思召あるべきことなり。先軰の説もない。前に四者身之用也と云は惣体へかかること。視聽言動と云へは、視は一ち先て大ふ大切なことゆへ、爰へありたけのことを出して示すなり。そんなら外のことは入らぬかと思へは、此視が世話をやいてあとの三つへ渡すことなり。此視が易で云へば思過半と云やうなもの。心は不断視に寄てをるものゆへ、此をよくするとあとは隙になるほどのことなり。
【解説】
「蔽交於前、其中則遷。制之於外、以安其内」の説明。心は悪いことにも善いことにも遷るものだから、外に対して用心をしなければならない。「蔽」は、自分の好みのみでなく、前に来ること全体について言う。前の「四者身之用也」は総体で言ったことで、「視聴言動」の視は聴言動に渡る大切な語なのである。
【通釈】
「蔽交於前其中遷」。やはり向こうのものに頓着はないと言っても、ついこちらの心が遷る。それは、こちらから御迎えに出る筋である。心は遷るものだから、外向きを用心しなければならない。悪いものにもよいものにも向こう次第でこちらが遷る。心はそもそもこうしたものだから、心を操る。則るのも致知をするのも向こうを相手にすること。そこで、朱子はこれが大切なことだとして、心理外内と言った。堺町は向こうのものだが、ついそれで自分が道楽になる。蔽は幅を博く言うのがよい。薛文靖が面白いことを言われた。非礼とばかり見るな。とかく前へ来ることで心は動くものだ、と。また、その下に好きなことを見ると動くとある。それを柯先生が、好きなことでなくても動くと言われた。これがまたその上を言ったこと。文会に「可好」の二字。「可去」とはそこのこと。自分の好きなことへ動くと言えば幅が狭くなる。そこで用心が甲斐無くなる。ここ等は中々普通のことではない。たとえば私などの様に酒が好きであれば、その酒を過ごさない様に工夫をすると言えば親切な様だが、そうすると狭くなる。ここは何でもということ。「制之於外云々」。蔽が前に来る処で外に制す。とかく心にあると言うのは却って心の工夫を知らないのである。ここへ克己復礼をそのまま出したのは、伊川の思し召しがあってのこと。先輩の説もないが、前に「四者身之用也」とあるのは総体へ掛かることだが、「視聴言動」と言えば、視は一番先で大分大切なことなので、ここへ全部を出して示したのである。それなら外のことは要らないのかと思えば、この視が世話を焼いて後の三つへ渡すのである。この視が易で言えば「思過半」という様なもの。心はいつも視に由っているものなので、これをよくすると後は暇になるというほどのことなのである。
【語釈】
・心理と外と内…
・薛文靖…薛徳温、薛敬軒。
・思過半…易経繋辞伝下9。「知者觀其彖辭、則思過半矣」。

久而誠矣。克己復礼は仁の功夫。其功夫がだん々々積でこちのものになり、つまった処が誠なり。さて、論語本文爲仁の字も大切な吟味あることなり。山﨑先生、大和小學に五つ点を付てある。この大切にあつかると云はなせなれば、点の付けやうで功夫のあんばいが違ふ。語類の説を見るにも見やうあり、わるくすると違。大切なり。点は倭小学に預け、わけは文會ですむことなり。朱子の譬にも川へごみが溜ると水が流れぬ。それを浚へは尤に流るる。さろふと直に流るる処か間はないことなり。克己は爲仁工夫。それをする、直に仁なり。然に伊川の久而と云へはらいのあるやうなれとも、克己復礼にも若ひ姿とふるびた処かある。去によって顔子も三月不違仁。不違と云たけがもう違る処て、まだ若ひ姿なり。三月の久い内、孔子と同腹中であとにちっと云分んあるなり。此がもう一度と云ことではなけれとも、そこが若ひ処で垩人になりすまさぬ内は此通なり。そこで顔子を垩人乎と云と、どうしてと云。克己復礼をし、其れから又一つと云やふに、仁に官位はない。克己をすればじきに仁。されとも久而と云も、ようはふるびの付た処なり。名作ものでも荒身と云やうなもの。と云ても誠と仁を分々に思ふはあしし。誠は仁の本来のなりを云。仁になれは誠。其誠と云こぎつまった垩人の塲なり。そこて孔子の教が仁になれとは云へとも、誠になれとは云はぬ。仁になれは誠。誠は成就の処そ。
【解説】
「克己復禮、久而誠矣」の説明。仁の工夫である克己復礼を積んで、それが詰まって誠となる。「久」とは古びである。克己をすればそれが直に仁であり、仁になれば誠であり、誠が窮まったのが聖人の場なのである。そこで、孔子は誠になれとは言わず、仁になれと言う。
【通釈】
「久而誠矣」。克己復礼は仁の功夫。その功夫を段々積んで自分のものになり、詰まった処が誠である。さて、論語本文にある「為仁」の字も大切な吟味のあること。山崎先生が大和小学に五つ点を付けた。これが大切に預かるというのは何故かと言うと、点の付け方によって功夫の塩梅が違って来る。語類の説を見るにも見方があって、悪くすると違って来る。そこで大切なのである。点は倭小学に預け、そのわけは文会で済む。朱子のたとえにも、川へ塵が溜ると水が流れない。それを浚えば尤もに流れるとある。浚うと直に流れる処が、間断のないこと。克己は為仁の工夫。それをすれば直に仁である。そこを伊川が「久而」と言えば間断がある様だが、克己復礼にも若い姿と古びた処がある。そこで顔子も「三月不違仁」である。「不違」と言うだけもう違う処があるのであって、そこがまだ若い姿なのである。三月の久しい内は孔子と同腹中だが、後に少し言い分がある。これがもう一度ということではないが、そこが若い処で、聖人になり済まさない内はこの通りである。そこで顔子は「聖人乎」と聞かれれば、どうして聖人であろうかと言う。克己復礼をしてそれからまた一つという様な、仁にその様な官位はない。克己をすれば直に仁。しかしならが「久而」と言うのも、つまりは古びの付いた処なのである。それは名作物でも新身という様なもの。そうとは言え、誠と仁を別なものと思うのは悪い。誠は仁の本来の姿を言う。仁になれば誠。その誠が扱ぎ詰まったのが聖人の場である。そこで、孔子の教えは仁になれとは言うが、誠になれとは言わない。仁になれば誠。誠は成就の処である。
【語釈】
・大和小學…日本で作った日本人用の小学か?倭小学も同じ。
・三月不違仁…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。
・垩人乎…

人有秉彝云々。学問の相談はこれからなり。いつも御定りの天から拜領ものかある。孟子の性善と云もそこなり。秉彝か手前で仕出たことてはない。本乎天性なり。唐辛子が自分で辛くせふと云ことはならぬ。こんなことては間違もなく合点すれとも、秉彝も天性も心と云宿屋でついわるくなる。そこは虚なゆへなり。心は生たもの。そこで天理が備てあるかと思へは、こちの方にはあつい寒いの肉身に付たことある。中庸の序に人心道心と云はそこなり。いくら常をとりても人心の手引て人欲地獄へをちる。油断ならぬことなり。
【解説】
「聽箴曰、人有秉彝、本乎天性」の説明。人には天性として備わったものがあるが、同時に身に付いた欲がある。天性を保とうとしても人心によって悪くなるから油断がならない。
【通釈】
「人有秉彝云々」。学問の相談はこれからのこと。いつも御定まりの天から拝領のものがある。孟子が性善と言うのもそこ。秉彝は自分で仕出したことではなく、「本乎天性」である。唐辛子が自分で辛くしようということはならない。こんなことなら間違いもなく合点するが、秉彝も天性も心という宿屋でつい悪くなる。それはそこが虚だからである。心は生きたもの。そこで天理が備わっているかと思えば、こちらの方には暑い寒いの肉身に付いたことがある。中庸の序で人心道心と言うのはそこのこと。いくら常を保とうとしても、人心の手引きで人欲地獄へ落ちる。油断のならないことである。
【語釈】
・秉彝…「彝」は常。「秉」は手に持つこと。「秉彝」は常道をしっかりと守ること。

知誘物化。此知の字、仁義礼智の智でないと云もあしし。又一つと云もあしし。爰らはよく合点せよ。その塲に至ら子は知れぬことなり。人心道心と云ても迂斎の云通、鳩部屋のやうに分んにしきりはない。礼智の智は是非を知りわけることなり。爰の知は、知覚の知ても知識ても同しこと。雉子か鳴たは鳥が鳴たはと知ることなり。圖説にも神発して知とあり、生れ立に物音て驚くと云もこれなり。扨、誘の字も、柯先生の点はみちびき、淺見先生はそれをなをしてみちかれと云点なり。此のかれと云点が當り前の文字の通ぞ。なせなれは、好学論の靜の字から下も爰も礼記の樂記の語を後ろ立にしたもの。樂記は知、外に誘かれとある。こちの知はこうして居れとも向からみちびかれ、そこてつい向の物の通になるゆへ物化すと云。柯先生もそれは知てなり。なせに知てこふ点を付られたなれは、たたいこちの知か誘くなり。そふなふてはなるものてなし。江戸の下々律義な親父が私女めを誰かつれて迯たと云て、向はかりの咎に腹をたつ。これ誘れの意なり。されとも本此方の女めも好色と云ものあるからそ。娘も合点てともに迯たれは、誘れてはなし。誘きの意なり。仁王や金佛をつれて迯はせぬ。金や財布の方に行ふと云ことはない。女は知そ。こちから迯るそ。若ひものか江都へ出ると見付も立派になり、道樂にもなる。そこは化なり。朱にましはれは赤くなる。此方は朱てはなけれとも、朱に化した処なり。奉公にやりて渡り徒士のすれからしと云も物化したなり。他國の者が江戸辞をつかふ。しまいには化するなり。
【解説】
「知誘物化」の説明。仁義礼智の智は是非を知り分けることだが、ここの「知」は知覚の知である。「誘」は楽記の語を後ろ盾にしたものだから、みちびかれと読むのがよい。知が向こうに誘かれ、向こうの通りになるのが「物化」である。山崎先生がみちびくと読んだのは、自分の知で誘くことがなければその様にならないからである。
【通釈】
「知誘物化」。この知の字は仁義礼智の智ではないと言うのも悪く、また同じであると言うのも悪い。ここ等はよく合点しなさい。これは、その場に至らなければわからないこと。人心道心と言っても迂斎の言う通り、鳩部屋の様に別々にする仕切りはない。礼智の智は是非を知り分けること。ここの知は、知覚の知と言っても知識と言っても同じこと。雉子が鳴けば、鳥が鳴いたと知る。図説にも「神発知矣」とあり、生まれ立つと物音で驚くと言うのもこれである。さて、誘の字は、柯先生の点はみちびき、浅見先生はそれを直してみちびかれと点をした。このかれという点が当たり前な文字の通りのこと。それは何故かと言うと、好学論の静の字から下もここも礼記の楽記の語を後ろ盾にしたもの。楽記には、「知誘於外」とある。こちらの知はこうしていても向こうから誘かれ、そこでつい向こうの物の通りになるので「物化」と言う。柯先生もそれは知ってのこと。何故知っていてこの様に点を付けられたのかと言うと、そもそも自分の知が誘くからである。そうでなければ成るものではない。江戸の下々で律儀な親父が自分の娘を誰かが連れて逃げたと言って、向こうばかりの咎として腹を立てる。これが誘かれの意である。しかしながら、本来自分の娘も好色というものがあるからそうなったのである。娘も合点で共に逃げたのだから、誘かれではない。これが誘くの意である。仁王や金仏を連れて逃げはしない。金や財布の方に行こうということはない。女は知で、自ら逃げた。若い者が江戸へ出ると見付きも立派になり、道楽にもなる。そこは化である。朱に交われば赤くなる。自分は朱ではないが、朱に化した処である。奉公に遣って渡り徒士の擦れ枯らしになったというのも物化したこと。他国の者が江戸詞を使う。そして、最後には化す。
【語釈】
・神発して知…道体1。「形既生矣、神發知矣」。
・知、外に誘かれ…礼記楽記。「人生而靜、天之性也。感於物而動、性之欲也。物至知知。然後好惡形焉。好惡無節於内、知誘於外。不能反躬、天理滅矣」。
・見付…見付き。みかけ。外観。外貌。
・渡り徒士…江戸時代、小禄の旗本などに渡り奉公した侍。

視の箴と聽の箴とはたちが違ふ。惣体ものを聽に付て此方の了簡のかわることを云なり。淺見の四箴附考に諸説を取られてある。可考。得手方になると化するものなり。物をめんとふかる人か兎角老子風になる。又礼文学者がさま々々なこじり咎めをする。そのやふにさま々々なことの出来るも本聽と云処からそふなる。楊墨のあのやうに偏になったも本と聽と云処からあの通になる。仁義を聞ふとするからの聞そこないそ。毛一本て天下の爲になると云てもいや々々ならぬと云へは、又一人は頭のてっへんから足のつま先き迠御勝手次第となけ出す。つまらぬことなり。了簡違の出るも天性に本つかす、道理の方へ本つかぬ処から正を失ふたのなり。徂徠なとか十方もないことを云て前賢をそしる。遂に亡其正なり。圖説に正は知に當りて中正仁義とある。異端は初めわるい方を聞て正しい方を亡したもの。聽の聰を失ふた。それから利口ものかころんても砂をつかむと云類から、人の方にはかまわぬ。陽虎が爲冨不仁爲仁不冨なとと色々な工面をして、とと人の方にはかまわぬ。紂王の知足以閉諫から祭無益なとと云が皆ここから。亡正からなり。数百人にこへたら卓と云。つっ立たことなり。私共の村にはと云にろくなはないもの。先覺。本と伊尹の云たことて、我は天民先覺と吾口からちと太平なと云ほとなことなれとも、本知の知たる処はこふしたことなり。秉彝。天性の明德がぎら々々と明に充滿して居るゆへ、横道へは行ぬ。
【解説】
「遂亡其正。卓彼先覺」の説明。楊墨や徂徠などの様な了簡違いが起きるのも、天性に基づかず、道理に基づかないからで、正を失ったのである。
【通釈】
視の箴と聴の箴とは質が違う。ここは、総体ものを聴くに付けて自分の了簡が変わることを言う。浅見先生の四箴附考に諸説を取られてある。それで考えなさい。得手方になると化すもの。物を面倒がる人がとかく老子風になる。また、礼文学者が様々な鐺咎めをする。その様に様々なことが起こるのも、その元は聴くという処からそうなるのである。楊墨があの様に偏になったのも、元は聴という処からあの通りになったのである。仁義を聞こうとしての聞き損いである。毛一本で天下のためになると言っても、いや、それはできないと言えば、またもう一人は頭のてっぺんから足の爪先まで御勝手次第と投げ出す。それはつまらないこと。了簡違いが起こるのも、天性に基づかず、道理の方へ基づかない処からで、正を失ったのである。徂徠などが途方もないことを言って前賢を譏る。それが「遂亡其正」でる。図説に正は知に当たって中正仁義とある。異端は初めに悪い方を聞いて正しい方を亡くしたのである。聴の聡を失ったのである。それからは、利口者は転んでも砂を掴むと言う類から、人の方には構わない。陽虎は「為富不仁為仁不富」などと色々な工面をしたが、結局は人の方には構わなかった。紂王が「知足以距諫」から「祭無益」などと言ったのが皆ここからで、亡正からのこと。数百人に長ずることを卓と言い、それは突っ立ったことである。私共の村にはと言うことに碌なものは無いもの。「先覚」。元は伊尹の言ったことで、「予天民之先覚者也」と、これは自分の口からは少々大柄なと言うほどのことだが、本来、知の知たる処はこうしたこと。秉彝で天性の明徳がぎらぎらと明に充満しているので、横道へは行かない。
【語釈】
・こじり咎め…鐺咎め。往来ですれ違った時、互いの刀の鐺が打ちあたるのを無礼として咎めだてること。転じて、わずかなことを咎めだてすること。
・毛一本て天下の爲になると云てもいや々々ならぬと云へは、又一人は頭のてっへんから足のつま先き迠御勝手次第となけ出す…孟子尽心章句上26。「孟子曰、楊子取爲我。拔一毛而利天下、不爲也。墨子兼愛。摩頂放踵利天下、爲之」。
・圖説に正は知に當りて中正仁義とある…朱子語類94。「中是禮之得宜處、正是智之正當處」。
・爲冨不仁爲仁不冨…孟子滕文公章句上3。「陽虎曰、爲富不仁矣。爲仁不富矣」。
・知足以閉諫…史記殷本紀。「帝紂資辨捷疾、聞見甚敏。材力過人、手格猛獸。知足以距諫、言足以飾非」。
・祭無益…書経泰誓中。「謂己有天命、謂敬不足行、謂祭無益、謂暴無傷、厥監惟不遠」。
・我は天民先覺…孟子万章章句上7。「予、天民之先覺者也。予將以斯道覺斯民也。非予覺之、而誰也」。

爰の止[とまり]に大學を引れたが面白い。視の箴は本来の誠へ落し、爰は聽ことゆへに知惠へ落ることぞ。ぢゃほとに有定。爰がきまらぬから、俗学は仏も一理あると思ひ、老荘も一理あると思ふ。爰を知ていると、いくら似せ人参を持て来ても合点せぬ。其外物の目利の類も知見にあることなり。商人かをとなしひ人か来[もっ]て来たから、似せ金をとったとは云はぬ。皆此方の目にあることと思ふへし。伊川のこのやうに云て置ぬと、つい王陽明か様になる。さて、知をみかいても、我にはゆるせ鋪嶌のの道と出る。そこてよくない。閑邪けは誠存す。閑邪は熱を追やうなもの。そこて舌の黄色なもなをる。知が明になると似せ金は取ぬ。俗人は折角耳を持ても役に立ぬ。朱子が、俗学のことを知ること弥多して心愈窒ると云はそこなり。定ら子ば其筈そ。直方の末期之様子見届け度候と云はるるも、定らぬ人が多ひから云たもの。顔子なとは博我以文と止りを知られたものなり。
【解説】
「知止有定。閑邪存誠、非禮勿聽」の説明。「知止」があれば偽物に騙されることはないが、これがないから仏や老荘にも一理あると言う様になる。
【通釈】
ここの止めに大学を引かれたのが面白い。視の箴は本来の誠へ落としたが、ここは聴くことなので知恵へ落ちること。そこで「有定」となる。ここが決まらないから、俗学は仏にも一理あると思い、老荘にも一理あると思う。ここを知っていると、いくら偽人参を持って来ても合点しない。その様な外物の目利きの類も知見によること。商人は、大人しい人が持って来たから贋金を掴まされたなどとは言わない。皆自分の目にあることと思いなさい。伊川がこの様に言って置かなければ、つい王陽明の様になる。さて、知を磨いても、我には許せ敷島の道と出る。そこでよくない。「閑邪誠存」。閑邪は熱を追う様なもの。そこで舌の黄色いのも治る。知が明になると贋金は取らない。俗人は折角の耳を持っていても役に立たない。朱子が俗学のことを、知ること弥々多くして心愈々窒がると言ったのはそのこと。定まらなければその筈。直方が末期の様子見届けたく候と言われたのも、定まらない人が多いから言ったこと。顔子などは「博我以文」という止まりを知っておられた。
【語釈】
・大學を引れた…大学章句1。「知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得」。
・我にはゆるせ鋪嶌のの道…慈円。人ごとに一つの癖はあるものを我には許せ敷島の道。敷島の道は、和歌の道。歌道。
・閑邪けは誠存す…易経乾卦文言伝。「九二曰、見龍在田、利見大人、何謂也。子曰、龍德而正中者也。庸言之信、庸行之謹、閑邪存其誠、善世而不伐、德博而化。易曰、見龍在田、利見大人、君德也。」。
・知ること弥多して心愈窒る…
・博我以文…論語子罕10。「夫子循循然善誘人。博我以文、約我以禮」。

言箴曰人心之動。さて、言ばの箴は視聽から見れは少とあらくもありそうなことなり。受用かあらいやうなり。それを殊の外長く云はるるなり。言ばわ外へついたものゆへ、どふあろふとふいて取ふと思へとも、中々そふいかぬことなり。言で心をらりにする。因言以宣。言によら子は療治はされぬ。啞はものを云はぬ。療治がなりにくい。言は心のなりなもの。作人がををあつひと云ふ。はて、言はずと知たことと云は手つつな云分なり。心の発て出た処なり。其言に勿れをつけて躁妄を禁す。惣体道理話ても、さはかしくものを云を躁と云。伊川か躁妄の字て見ぬかれた。妄は子ばり出しても道理にそむいたことを云。論語の遠鄙倍。鄙は躁の方、倍は妄の方なり。とと此二つなものなり。某なとも学問の御影でめったに妄はなけれとも、躁の方なり。口をきき過るからはつい人に厭われ、大風の吹たあとのやうじゃと嘲けらるる。其躁妄を勿れ々々と禁すると内斯靜專。内とは何とどなたのことじゃ。曰心なり。学問は心をよくすることなり。言の箴と云か大切にあつかるもここなり。躁妄を禁さへすれは、心は靜專なり。心は明鏡如止水とある。敬の功夫も主一無適。そこは專なり。其心の工夫は敬じゃから、とと一つことなり。心の本体こふしたものゆへ、そふなる様にする処が靜專なり。言をつつしむが心の爲めになる。脇から来ることが内の爲になることなり。土藏のしたみも脇から来る風雨の爲にする。あれてよいことなり。こちの工夫のとどかぬで大さわぎになる。一言のことで天下の乱ともなる。易に言行は君子の樞機とある。日頃念頃なものがつい口論になり、刃傷に及ふこともある。一言の処が大切なり。
【解説】
「言箴曰、人心之動、因言以宜。發禁躁妄、内斯靜專。矧是樞機」の説明。言は心が発って出た処であり、その言に勿かれを付けて躁妄を禁じるのである。躁とは騒がしくものを言うことで、妄とは道理に背いたことである。躁妄を禁じれば心は静専になる。また、敬の工夫も主一無適で専だから、発禁躁妄と同じである。一言が天下の乱ともなることから、言は慎まなければならない。
【通釈】
「言箴曰人心之動」。さて、言の場の箴は視聴から見れば少々粗くもありそうなこと。受用が粗い様である。それを殊の外長く言われた。言の場は外へ付いたものなので、どうでも吹いて取ろうと思っても、中々そうはいかない。言で心を台無しにする。「因言以宣」。言に由らなければ療治はできない。啞はものを言わないから療治がし難い。言は心の通りのもの。作人がおお暑いと言う。はて、言わなくても知れたことと言うのは下手な言い分である。それは心が発って出た処である。その言に勿かれを付けて躁妄を禁じる。総体、道理話であっても、騒がしくものを言えば躁と言う。伊川が躁妄の字で見抜かれた。妄は粘り出したとことであっても道理に背いていれば妄と言う。論語の「遠鄙倍」は、鄙は躁の方、倍は妄の方である。結局はこの二つである。私なども学問の御影で滅多に妄はないが躁の方はある。口をきき過ぎるから、つい人に厭われ、大風の吹いた後の様だと嘲けられる。その躁妄を勿れと禁じると「内斯静専」。内とは何とどなたのことか。それは心である。学問は心をよくすること。言の箴が大切なものとなるのもここ。躁妄を禁じさえすれば、心は静専である。心は明鏡如止水とある。敬の功夫も主一無適。そこは専である。その心の工夫は敬だから、つまりは同じこと。心の本体はこうしたものだから、そうなる様にする処が静専である。言を慎むのが心のためになる。脇から来ることが内のためになるのである。土蔵の下見も脇から来る風雨のためにする。あれがよいこと。こちらの工夫が届かなければ大騒ぎになる。一言が天下の乱ともなる。易に言行は君子の樞機とある。日頃懇ろな者がつい口論になり、刃傷に及ぶこともある。一言の処が大切である。
【語釈】
・遠鄙倍…論語泰伯4。「君子所貴乎道者三。動容貌、斯遠暴慢矣。正顏色、斯近信矣。出辭氣、斯遠鄙倍矣。籩豆之事、則有司存」。
・言行は君子の樞機…易経繋辞伝上8。「言行君子之樞機。樞機之發、榮辱之主也。言行、君子之所以動天地也。可不愼乎」。

出好。貴様のそう云ことならは、なにがさてと云も一言の辞からなり。ならぬも言ば、なるも言ば。然れば大切なり。辞の云やうで借りた金も當暮返さすに済ことあるもの。又、直に公邊にもなる。こんなことでは左傳なとを覺て居るとよいそ。とんと一言で色々になるなり。軍に出ることも目出度酒盛でかへることもある。又、軍になることもある。吉凶榮辱。此で辞の是非及ふ処の廣くなることを見せたもの。私は人のことにはかまいませぬと云はせぬ。人のこと迠にかかることなり。前の視聽にも此程のことはない。あの人一人堪忍せぬで此村はみんなになると云こともあるなり。伊川は數千年の後に生れて此を書れた。南容三復白圭、四箴をは知られまいがあの通なり。もふこれて云仕廻たと云程なれとも、傷易則誕傷煩則支とそろへて云れた。爰は上と一つに云はわるい。蒙引もよく氣を付た。全体は大だてを云へば躁妄の二つなれとも、あとほと思入ありて云へり。易と云は、うそを云氣もなくうそをつく。うそも伯者の謀で空言をつくや金借りなとの空言をこしらへて云とは違ふ。只輕はづみな処からついうそをつくなり。權現様の浚河に被在とき、御側の若ひ衆にうそに似た本んは云なとの上意、さて々々申さふ様なき言の謹みなり。此も軽はづみな処を戒たものなり。
【解説】
「興戎出好。吉凶榮辱、惟其所召。傷易則誕、傷煩則支」の説明。言はたった一言で色々なことになり、人のことにまで影響を与えるものである。ここの「易」は軽はずみに嘘をつくことだが、その様な軽いことまでも慎まなければならない。
【通釈】
「出好」。貴方がそういうことならば、何をさて置きと言うのも一言の辞からである。ならぬも言の場、なるも言の場。そこで大切なのである。辞の言い様で借りた金も当暮返さずに済むこともある。また、直ぐに公沙汰にもなる。こんなことは左伝などを覚えているとよい。たった一言で色々なことになる。軍に出ることも目出度い酒盛で帰ることもある。また、戦いになることもある。「吉凶栄辱」。ここで言の辞の是非に及ぶ処が広くなることを見せたもの。私は人のことには構いませんとは言わせない。人のことまでに係わることである。前の視聴にもこれほどのことはない。あの人一人を堪忍できないのでこの村が台無しになるということもある。伊川は数千年後に生まれてこれを書かれた。南容は「三復白圭」で、四箴は知らなかっただろうがあの通りである。もうこれで言い終えたというほどのことだが、「傷易則誕傷煩則支」と揃えて言われた。ここは上と合わせて言うのは悪い。蒙引もよく気を付けた。全体の大立を言えば躁妄の二つのことだが、後ほど思入れがあって言ったこと。「易」とは、嘘を言う気もなく嘘をつくこと。嘘も伯者が謀で空言をついたり、金借りなどが空言を拵えて言うのとは違う。ただ軽はずみな処からつい嘘をつく。権現様が駿河に居られた時のこと、御側の若い衆に嘘に似た本当は言うなとの上意は、本当に申し様のない言の謹み方である。これも軽はずみな処を戒めたもの。
【語釈】
・公邊…①公儀。おおやけ。②おもてむき。おおやけざた。
・南容三復白圭…論語先進5。「南容三復白圭。孔子以其兄之子妻之」。
・蒙引…四書蒙引や易経蒙引があるが

易い方から僞りを云。学者の義論も臍の下から出ぬのは皆薄く道理か引立ぬそ。誕は虚誕と云て、根からない空言を云ことなり。釈迦が母の腹をけやぶって出たの、生るとじきに上下へ指ざして天上天下唯我獨尊と云た、と。あまり乘過る。みな虚誕なり。道は先王の作たものと徂徠がひょっと云た。これも程朱をわるく云をふとて、ついあの様なことを云出す。あとから靜にみれは、云は子ばよいことなり。臍の下から出ぬことは皆あの通そ。傷煩支。枝に枝を咲せて色々云ことなり。今日の御出は何でござると云れてやふ々々本のが出る。又、あまり短ひもよくない。かの鷹可被下候と云もあんまりなり。世説に庸言不煩とあり。論語の語でもみよ。皆短ひ。一筆啓上から恐惶謹言迠、筋の立てすむこと。一寸と云こともあまり揃ひ過たも煩しひ方なり。薛文靖の、黙最妙也と云へり。だまって居ると云がずんと妙思あるものなり。某が黙斎とついたもこれからなり。十四五のときなり。するに今に口をきく。
【解説】
「誕」は虚誕であり、空言である。話は長いのも悪いが、短過ぎるのも悪い。黙っていることには妙思がある。黙斎という名は「黙最妙也」が由来である。
【通釈】
易い方から偽りを言う。学者の議論も臍の下から出ないものは皆薄くて道理が引き立たない。「誕」は虚誕と言い、根からない空言を言うこと。釈迦が母の腹を蹴破って出たとか、生まれると直に上下へ指さして「天上天下唯我独尊」と言ったというが、それはあまりに乗り過ぎであって、皆虚誕である。道は先王の作ったものと徂徠が唐突に言った。これも程朱を悪く言おうとしたのであって、ついあの様なことを言い出す。後から静かに見れば、言わなければよいこととわかる。臍の下から出ないことは皆あの通りである。「傷煩支」。これは、枝に枝を咲かせて色々と言うこと。今日の御出は何の用ですかと言われて、漸く本題が出る。また、あまり短いのもよくない。かの鷹下され可く候と言うのもあまりなこと。世説に「庸言不煩」とある。論語の語を見なさい。皆短い。一筆啓上から恐惶謹言まで、筋が立って済む。一寸ということもあまり揃い過ぎては煩わしい方になる。薛文靖が、「黙最妙也」と言った。黙っているということで大層妙思があるもの。私が黙斎と名付いたのもこれによる。それは十四五の時のこと。しかしながら、今になってはよく口をきく。
【語釈】
・庸言不煩…庸言は煩わず
・黙最妙也…

たとひ向のためになることを云ても、己肆物忤なり。人の頭となるものは尤心得あるべきことなり。向のためにはなっても向で合点せぬなれば、よく々々此方に云分あることなり。何ことも我等か合点と云ても云やふが肆なれば、向がうけ付ぬを忤ふと云。漢の高祖なと足を洗ながら儒者に逢た。口上も肆なり。待よりは爰かよかろふと武帝の厠て逢はれた。其心では言も肆ぞ。出ること悖れは来ること違。大学言悖て出るから来たもの。向が悪言を云ふと此方ても悪言を云。町六方の盗人と云へば、火付めと云やふなことなり。学者はこのやうなことこそなけれ、やっはり此筋がある。こちに向ふか服せず合点せぬと云のが悖ふなり。非法不道。爰へ孝經を引て、非先王之法言不道とある。孝經もつまり孝は仁からなれは仁の建立。西銘は其孝を以て天へ孝行なり。そこでつまり仁と云ことなり。皆縁があるそ。辞に乱りなことを云と親に迠及ふじゃほどに欽哉訓辞。孝經をさして云。食ふ氣もなかったが食たの、言ふ氣もなかったがつい言たのと云は欽まぬのそ。
【解説】
「己肆物忤、出悖來違。非法不道、欽哉訓辭」の説明。向こうのためになることであっても、向こうが承知をしなければこちらに問題があるのである。言い方が肆であってはならない。軽はずみなことを言うことで大変なことにもなるから欽まなければならない。
【通釈】
たとえ向こうのためになることを言っても、「己肆物忤」となることがある。人の頭となるものはこれを最も心得なければならない。向こうのためにはなっても向こうで合点しなければ、よくよくこちらに問題があるのである。何事も我等は合点していると言っても、言い方が肆であれば、向こうが受け付けないことを忤と言う。漢の高祖などは足を洗いながら儒者に会った。口上も肆だった。待つよりはここでの方がよいだろうと武帝が厠で会われた。その様な心では言も肆である。出ること悖れば来ること違う。これは大学の「言悖而出」から来たもの。向こうが悪言を言うとこちらでも悪言を言う。町六方の盗人であれば、火付盗賊改という様なこと。学者はこの様なことこそないが、やはりこの筋がある。こちらに向こうが服せず合点しないというのが悖である。「非法不道」。ここへ孝経を引いた。「非先王之法言不道」とある。孝経もつまり孝は仁からだから仁の建立のこと。西銘はその孝によって天への孝行をすることを言う。そこでつまり仁ということになる。皆縁がある。辞は、妄りなことを言うと親にまで及ぶほどのことだから「欽哉訓辞」。孝経を指して言う。食う気もなかったが食ったとか、言う気もなかったがつい言ったと言うのは欽んでいないのである。
【語釈】
・言悖て出る…大学章句10。「德者本也。財者末也。外本内末、爭民施奪。是故財聚則民散、財散則民聚。是故言悖而出者、亦悖而入。貨悖而入者、亦悖而出」。
・非先王之法言不道…孝経卿大夫。「非先王之法服不敢服。非先王之法言不敢道。非先王之德行不敢行」。

動箴曰。動と云てもどれほどなことかか子合のしれぬことなり。非礼の動をあらく云へは、酒醉て踊と云やふなことにみへる。それは戒に足らぬ。動くは惣体の振舞から。事をする上が皆動なり。平生人へ応する上から手前の事を処する迠皆動なり。それゆへ大ふかかる処が重ひ。大學の經文も致知挌物の細が形りに誠意正心とこまかにいく。その一ち仕廻に以脩身為本と云処へつめたぞ。爰もそれで、言はよくしれること、動はほとの知れぬことなれども、前の視聽言の三つのものが一つになって動くゆへ重いことなり。哲人は知の上て語り、志士は行の上で語る。惣体知の方は上品なものなれども、これぎりでをくと片へらになる。そこで志士と行を出す。知とくらべて見るとげびたやうなれとも、これでなければ仁の建立はならぬ。知の知たる処はちらりとした処を知でなければ哲とは云れぬ。中庸の心法大学の学術も謹独とある。人のことをあまりせせることはない。人の見付ぬ処を独て知る。とんなことなれは、胷の中でちらりと見付る。哲人も垩人でないから悪いこともあれとも、直に知て打けすゆへ火消の来るやうなことはない。今の学者はすててをく。そこで大火事になり火消がくる。そこで離道之遠と章句に云。朋友の方からも見へるやうては謹独の知幾のとは云れぬ。
【解説】
「動箴曰、哲人知幾、誠之於思。志士厲行、守之於爲。順理則裕」の説明。「動」は人に応じることから自分の事を処すまでの全体の振舞いについてのことである。大学にも「以修身為本」という処へ詰めるとある。「哲人」は知の上で語り、「志士」は行の上で語る。知だけでは偏るから行を出す。知とは胸の中のちらりとしたことを知ることで、哲人はそのちらりとしたことを直ぐに知で打ち消すので大事にはならない。
【通釈】
「動箴曰」。動と言ってもどれほどのことかは量り知れ難い。非礼の動を粗く言えば、酒に酔って踊るという様なことに見える。それは戒めるには足らない。動くのは全体の振舞いから。事をする上が皆動である。平生人へ応じることから自分の事を処すまでが皆動である。それで、この処が大分重いこと。大学の経文も致知格物の細かな通りに誠意正心と細かに行き、その最後は「以修身為本」という処へ詰める。ここもそれで、言はよくわかることで、動は程度の知れないことだが、前にあった視聴言の三つのものが一つになって動くので重いこととなる。「哲人」は知の上で語り、「志士」は行の上で語る。総体知の方は上品なものだが、これだけで放って置くと偏ったものになる。そこで志士と行を出す。知と比べて見ると下卑た様だが、これでなければ仁の建立はできない。知の知たる処はちらりとした処を知ることであって、それを知らなければ哲とは言えない。中庸の心法や大学の学術にも「謹独」とある。人のことをあまり漁ることはない。人の見付けない処を独で知る。それはどの様なことかと言うと、胸の中でちらりと見付ける。哲人も聖人ではないから悪いこともあるが、直に知で打ち消すので火消しが来る様なことはない。今の学者はそれを捨てて置く。そこで大火事になって火消しが来る。それで、「離道之遠」と章句で言う。朋友の方からも見える様では謹独や知幾とは言えない。
【語釈】
・以脩身為本…大学章句1。「自天子以至於庶人、壹是皆以脩身爲本」。
・離道之遠…中庸章句1集註。「人雖不知而己獨知之、則是天下之事無有著見明顯而過於此者。是以君子既常戒懼、而於此尤加謹焉。所以遏人欲於將萌、而不使其滋長於隱微之中、以至離道之遠也」。

誠之於思。孔子の顔子になぜに思のことを示さぬぞと云た説もあり、洪範にも思は大切のことになってある。それを爰へ出したはをそまきな様なれとも、四箴と云も皆思からをきたことなり。思と云は動於心とあり、思ふと云も佗に思ふことではない。是程食はくへともなぜに脉がわるいなと知る。そこで大火事にはならぬ。思誠は人之道也。思でちらりとした処で功夫をする。さて志士の行つりは何やらかいないやうなれとも、つまる処耻を知たのぞ。耻之於人大也ともあり、顔に泥付たは落す。それを落さずに置が耻なり。志士は大ふ汗水になって哲人とはきつい相違のやうなり。致知挌物をして、それか行に出ることなり。小学を聞ても親に孝行をせふと云氣も出ぬ。それは志士と云はれぬ。朱子などは四五歳て初て孝經を讀れたとき、不如此者非人と云れた。偖々違たもの。動と云は何でもかでもなり。そこを理に順はせることなり。伯夷叔齊はかたへらなり。中庸難能はそこなり。知惠も理に順ふと云より外ない。行ひと云も理の通りをすることなり。今私存よりと云ことを云が、あの私と云ことをやめたい。論語にとか大学か存よりにはと云へはよい。請状に私共と書くは給金さへ出せばよいと云て、大な顔て私と書。理なりゆへに裕か。大名の供揃、明六つならは明六つとしゃんときまって居るゆへ差つかへなく裕かなり。商ひの筋ても壹匁は々々。まけても進せよふと云は氣味のわるいことなり。丸いものは分んまわしでする。公方様の御紋でも此外はないと云は裕かなり。中庸傳授の心法と云も理に順ふことそ。何も分んのことはない。
【解説】
「思」とは心が動くことである。思いを誠にするのが人の道である。「志士厲行」は、恥を知ることである。また、動は全体の振舞いだから、それを理に順わせなけれなければならない。理の通りにすれば私が出ず、裕となる。
【通釈】
「誠之於思」。孔子は顔子に何故思のことを示さなかったのかという説もあって、洪範にも思は大切なこととしてある。それをここへ出したのは遅蒔きな様だが、四箴というのも皆思からを来たことなのである。思は「動於心」とあり、思うと言っても佗に思うことではない。これほど食うには食っているが何故か脈が悪いと知る。そこで大火事にはならない。思誠は人の道である。思で、ちらりとした処で功夫をする。さて志士の行吊りは何やら甲斐無い様だが、詰まる処恥を知ったのである。「恥之於人大也」ともあり、顔に付いた泥は落とす。それを落とさずに置くのが恥である。志士は大分汗水をかくので哲人とはかなりの相違がある様だが、致知格物をしてそれが行に出ること。小学を聞いても親に孝行をしようという気も出ない。それは志士とは言えない。朱子などは四五歳で初めて孝経を読まれた時、「不如此者非人」と言われた。実に違っている。動は何もかもであり、そこを理に順わせること。伯夷叔斉は偏っている。「中庸難能」はそこのこと。知恵も理に順うというより外はない。行いというのも理の通りをすることである。今私存じよりと言うが、あの私と言うのを止めたい。論語にとか大学にあるにはと言えばよい。請状に私共と書くのは給金さえ出せばよいと思ってのことで、それで大きな顔で私と書く。理の通りなので裕。大名の供揃えは、明六つなら明六つとしっかりと決まっているので差し支えがなく裕である。商いの筋でも一匁は一匁。負けてあげようというのは気味の悪いこと。丸いものは規で書く。公方様の御紋でもこの外のことではないというのは裕である。中庸伝授の心法というのも理に順うこと。何も特別なことはない。
【語釈】
・思は大切…書経洪範。「二、五事。一曰貌。二曰言。三曰視。四曰聽。五曰思。貌曰恭。言曰從。視曰明。聽曰聰。思曰睿。恭作肅。從作乂。明作晢。聰作謀。睿作聖」。
・動於心…
・佗…思いわずらうこと。気落ちすること。
・耻之於人大也…孟子尽心章句上7。「孟子曰、恥之於人大矣」。
・中庸難能…中庸章句3。「子曰、中庸其至矣乎。民鮮能久矣」。中庸章句9集註。「中庸易而難、此民之所以鮮能也」。

從欲云々。さっきから云通り、ずんと安堵ならぬことなり。あぶないものは欲なり。口あたりはよくても道理にそむけたことは欲なり。何でも本来のなりでないものは皆欲なり。世説に隠者か家もうるさくいやになりて舟に住居したものあり。それがやっはり人欲そ。裕でないなり。從欲惟危。此は上の順理の反對なり。その理なりと云は、非礼の非の字をとって礼になることなり。小笠原のすり足は礼のかるいことなり。礼は天理の節文とある。何でもかでも皆これへはめることなり。造次のかりそめなことにもやりばなしをせふかとうかとせぬ。医者も珎しい病人は大切にすれとも、不断取扱病で仕そこなふ。そこで曽子の戦々兢々とされたやふに不断つつしむことなり。なんとこれがならぬか、いやどふもめんどふぢゃと云。そんならやめるがよし。垩人には及ひもないと云ならは未たしもなり。仰之弥高し。よってもつかれぬことじゃから、先は尤とも云をふぞ。戦々自持は及もないと云はれぬこと。其証拠は君命何そ云つけらるる、はや戦兢そ。
【解説】
「從欲惟危。造次克念、戰兢自持」の説明。理の通りにするとは、非礼の非を取り払って礼になること。礼は天理の節文だから、何でも礼に嵌めなければならない。些細なことにもうっかりとせず、それを戦々兢々と続けなければならない。「戦兢自持」は不可能なことではない。
【通釈】
「従欲云々」。さっきから言う通り、全く安堵してはならない。危ないものは欲である。口当りはよくても道理に背いたことは欲である。何でも本来の通りでないものは皆欲である。世説に隠者ことがあって、家も煩く嫌になって、それで舟に住居した者がいた。それがやはり人欲である。裕でない。「従欲惟危」。ここは上の順理の反対である。理の通りというのは、非礼の非の字を取って礼になること。小笠原の摺り足は礼の軽いこと。礼は天理の節文とある。何もかも皆これへ嵌めること。造次の仮初なことでも遣りっ放しにしたのではないかと考え、うっかりとしないこと。医者も珍しい病人は大切にするが、普段取り扱っている病で仕損なう。そこで曾子が「戦々兢々」とされた様に絶えず慎むのである。何としてもこれができないとか、いやどうも面倒だと言う。それなら止めるのがよい。聖人には及ぶことができないと言うのならまだしもである。「仰之弥高」。寄っても追いつけないことだから、先ずは尤もだとも言えば言える。しかし、「戦兢自持」は及びもないとは言えない。その証拠は君命を何か言い付けられれば、早くも戦兢である。
【語釈】
・礼は天理の節文…論語学而12集註。「禮者、天理之節文、人事之儀則也」。
・戦々兢々…論語泰伯3。「曾子有疾。召門弟子曰、啓予足、啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子」。詩は、詩経小雅小旻。
・仰之弥高し…論語子罕10。「顏淵喟然歎曰、仰之彌高、鑽之彌堅。瞻之在前、忽焉在後」。

習与性成。不断箸のあげをろしに氣を付ることじゃほとにならぬとは云はせぬ。いつの間にやらそふなる。爰の垩賢は直ぐに孔子と顔子なり。顔子と出しそふなものなれとも、顔子も若死ゆへこふ出さ子ばならぬ。垩賢になると云はそろ々々なり。いつの間にかはぞ。手習子の手のあがるやふに垩賢にもなる理がある。そこで習与性成なり。いそぐことは塗師屋左官でさへ請取ぬ。越後屋へ信濃の子ともの奉公にくると、とんと京談になる。習と云ものは五尺の體がいやがる。せつない思をして近思の講釈を聞も、人心は悦ぬ処を道心でしめる。何でも五尺の体に自由をさせず、穹屈にすることなり。そこが人欲に縁を切ることそ。此邉で云へは鴻の臺と云処から克己と示すと、どふもならず及ぬことになる。せふと思へは取りもつかれず、あたりをみれば岩巖石。かの頭あぶなしの筋なり。処を此四箴と云て人々綱にとりつくことなり。此近思の篇も大学の致知と云篇を出したから誠意とでも出しそふな処を、克己と欲をつかまへて云た字を篇目にしたで親切なり。やっはり、易に穹理とあるからそれでよさそふなものなれとも、大学に致知挌物とある様なもの。物をつかまへて云てまぎらはならぬ。だたい爰へは入らぬことなれども、此も序でに合点すべし。物をつかまへて知をきわめ、欲をつかまへて克滅す。力行が克己。垩学實功夫なり。
【解説】
「習與性成、聖賢同歸」の説明。聖賢にはいつの間にかなる。四箴によって、人心が悦ばない処を道心で締め、何でも五尺の体に自由をさせず窮屈にさせて人欲と縁を切る。物を掴まえて知を窮め、欲を掴まえて克滅する。力行するのが克己である。これが聖学の実功夫である。
【通釈】
「習与性成」。普段の箸の上げ下ろしに気を付けるほどのことができないと言いはしない。いつの間にかそうなる。ここの聖賢は直に孔子と顔子のこと。顔子と出しそうなものだが、顔子も若死なのでこう出さなければならない。聖賢になるのはじっくりとしたこと。いつの間にかである。手習子の腕が上がる様に、聖賢にもなる理がある。そこで習与性成である。急ぐことは塗師屋や左官でさえ請け取らない。越後屋へ信濃の子供が奉公に来ると、すっかり京言葉になる。習いというものは五尺の体が嫌がる。切ない思いをして近思の講釈を聞くにも、人心が悦ばない処を道心で締める。何でも五尺の体に自由をさせず、窮屈にすることで、そこが人欲と縁を切ること。この辺りで言えば鴻の台という処から克己と示すと、どうにもならず及びもないことになる。しようと思っても取り付くこともできず、辺りを見れば岩巌石。あの頭危なしの筋である。そこをこの四箴ということで人々が綱に取り付くのである。この近思の篇も、大学の致知という篇を出したからは誠意とでも出しそうな処を、克己という欲を掴まえた字を篇目にしたのが親切である。やはりこれが、易に窮理とあるからそれでよさそうなものなのに、大学に致知格物とある様なもの。物を掴まえて言うから粉らかしはならない。そもそもここへは要らないことだが、ここも序でに合点しなさい。物を掴まえて知を窮め、欲を掴まえて克滅する。力行が克己。これが聖学実功夫である。
【語釈】
・鴻の臺…
・易に穹理…易経説卦伝1。「昔者聖人之作易也、幽贊於神明而生蓍。參天兩地而倚數。觀變於陰陽而立卦、發揮於剛柔而生爻、和順於道德而理於義、窮理盡性以至於命」。