第四 復之初九曰の条  正月十一日  惟秀録
【語釈】
・正月十一日…寛政3年辛亥(1791年)1月11日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

復之初九曰、不遠復。無祗悔。元吉。傳曰、陽、君子之道。故復爲反善之義。初、復之最先者也。是不遠而復也。失而後有復。不失則何復之有。惟失之不遠而復、則不至於悔。大善而吉也。顏子無形顯之過、夫子謂其庶幾、乃無祗悔也。過既未形而改、何悔之有。既未能不勉而中、処欲不踰矩、是有過也。然其明而剛。故一有不善、未嘗不知。既知未嘗不遽改。故不至於悔。乃不遠復也。學問之道無他也。惟其知不善、則速改以從善而已。
【読み】
復の初九に曰く、遠からずして復る。悔に祗[いた]ること無し。元吉なり、と。傳に曰く、陽は、君子の道なり。故に復を善に反る義と爲す。初は、復の最も先なる者なり。是れ遠からずして復るなり。失いて而る後に復ること有り。失わずんば則ち何の復ることか之れ有らん。惟之を失うこと遠からずして復らば、則ち悔に至らじ。大いに善くして吉なり。顏子に形顯する過無く、夫子其の庶幾[ちかき]を謂うは、乃ち悔に祗る無きなり。過既に未だ形[あらわ]れずして改む、何の悔か之れ有らん。既に未だ勉めずして中り、欲する所矩を踰えざること能わざるは、是れ過有るなり。然れども其れ明にして剛なり。故に一たび不善有れば、未だ嘗て知らずんばあらず。既に知れば未だ嘗て遽[にわか]に改めずんばあらず。故に悔に至らず。乃ち遠からずして復るなり。學問の道は他無し。惟其れ不善を知らば、則ち速やかに改めて以て善に從わんのみ、と。
【補足】
・この条は、程氏易伝の復卦初九の爻辞及び象伝にある。

病氣本復目出度は誰も知て、魂に本復のあることを知らぬ。復は本来の形にかへること。孟子の性善、大學の明德、本然形りを云。学問は其本との処へ復ること。三綱領の章句に以復其初とあり、復は工夫を帯た字の様なれとも、学問は道体形の爲學をすること故、其功夫ぐるみが本来なり。夫故、中庸脩道之謂教。教が道体らしくはないが、教ぐるみ道体ぞ。又、中庸に生知学知から困知勉行迠三段ある。学問のしむけはさま々々なれとも、皆復るのこと。其中に不遠而復が一番復り様のよい手ぎわなことぞ。無祗悔。悔と有から、火の氣もないと云でもないが、隣から煙が出ますとは云れぬ。手勢消口遠慮閉門は云付らぬ。陽君子之道と云が易の第一義なり。易は隂陽の形を象りたもの。陽計片落に君子とは云そうもないに、昼夜で一日なれとも昼を馳走する。明るいが君子の道。明德の明の字が陽を表じたもの。さて、陽を君子の道と立たから、九月の卦、十月の坤、陽はないか、天地は仕舞かと見た心細い処へ十一月が復。やれも目出度こと。初九は其中での一さきなり。復ると有から微恙はありたれとも、藥二三服で直りた。
【解説】
「復之初九曰、不遠復。無祗悔。元吉。傳曰、陽、君子之道。故復爲反善之義。初、復之最先者也。是不遠而復也」の説明。復とは本来の形に復ることで、学問がそれである。陽は君子の道であり、十月の坤卦で陰が無くなった後に十一月のこの復卦で陽が出て来る。初九はその最初の爻である。
【通釈】
病気本復が目出度いとは誰もが知ってるが、魂に本復のあることを知らない。復は本来の形に復ること。孟子の性善や大学の明徳は本然の姿を言う。学問はその本の処へ復ること。三綱領の章句に「以復其初」とあって、復は工夫を帯びた字の様だが、学問は道体の通りの為学をすることなので、その功夫を含めたことが本来である。それで、中庸に「修道之謂教」とある。教えは道体らしくないが、教えを含めて道体である。また、中庸に「生知」「学知」から「困知勉行」までの三段がある。学問の仕向けは様々だが、皆復るのことなのである。その中で「不遠而復」が復り方では一番手際のよいことである。「無祗悔」。悔とあるからは、火の気もないというわけでもないが隣から煙が出ていますなどとは言えない。手勢消口に遠慮閉門を言い付けることはできない。「陽君子之道」が易の第一義である。易は陰陽の形を象ったもの。陽という一方だけを君子とは言いそうもなく昼夜で一日なのだが、ここは昼を馳走する。明るいのが君子の道。明徳の明の字が陽を表したもの。さて、陽を君子の道と立てたから、九月の剥卦から十月の坤卦になると陽はなくなり天地はお仕舞いかと思った心細い処へ十一月が復卦である。さてもそれは目出度いこと。初九はその中で一番先である。復るとあるので、微恙があっても薬二三服で直る。
【語釈】
・以復其初…大学章句1集註。「學者當因其所發而遂明之、以復其初也」。
・中庸脩道之謂教…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂敎」。
・生知学知…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之、及其知之一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之、及其成功一也」。
・手勢…手下の兵卒。配下の軍勢。
・消口…消火にとりかかる場所
・遠慮…江戸時代の刑の一。微罪ある武士・僧尼に対し、門を閉じて籠居させたもの。
・初九…復卦。「初九。不遠復。无祇悔。元吉。象曰、不遠之復、以脩身也」。
・微恙…気分が少しすぐれないこと。軽い病気。

失而有復。失は子は復ることは入らぬ。文王孔子に復るはいらぬ。印判の入た巾着を落したから取かへす。賢人以下は一寸失ったものなれとも捨ふが早い。巾着も三十日もすぎて復れば其内には役人へ届け、印判でも彫ら子ばならぬ。不遠而復るに人を出せば顔子なり。顔子は役人の知た過はない。朋友の閔子も仲弓も過だなと嗅ぎつけることはならぬ。庶幾。顔氏之子其殆庶幾乎。下繋辞五章。胸の中の過も早知てふきけす。過既未形而改。胸の中のことゆへ、知たものは吾計これはと思をなをす。其後は二度出ぬ。今の学者は一文字引ぬものにも学者があれじゃとさげしまるる。顔子の跡乘には面目ないこと。不勉而中は垩人なり。所欲不踰矩是有過也。顔子は孔子の通でない処を過とふりむけたもの。なぜかをれは孔子の通でない。そこが過となり。
【解説】
「失而後有復。不失則何復之有。惟失之不遠而復、則不至於悔。大善而吉也。顏子無形顯之過、夫子謂其庶幾、乃無祗悔也。過既未形而改、何悔之有。既未能不勉而中、処欲不踰矩、是有過也」の説明。失うから復る。聖人は失うことがないから復が不要である。顔子は聖人ではないから過ちがあるが、聖人に近く、過ちを直ぐに改めるので朋友もその過ちに気が付かない。顔子の場合、孔子の通りでないのが過ちなのである。
【通釈】
「失而有復」。失わなければ復ることは要らない。文王や孔子に復の語は要らない。印判の入った巾着を落としたから取り返す。賢人以下は一寸失なっただけなので拾うのが早い。巾着も三十日も過ぎて復るのでは、その内には役人へ届け、印判もまた彫らなくてはならなくなる。「不遠而復」は、人を出せば顔子のことである。顔子に役人の知っている過ちはない。朋友の閔子騫や仲弓でも過ちだと嗅ぎつけることはできない。「庶幾」。「顔氏之子其殆庶幾乎」。下繋辞五章。胸の中の過ちも早く知って吹き消す。「過既未形而改」。胸の中のことなので、過ちと知ったことは自分でこれはと思い直し、その後は二度と出さない。今の学者は一文字も読めない者にもあれが学者だと蔑まされる。それは顔子の後乗りとしては面目のないこと。「不勉而中」は聖人のこと。「所欲不踰矩是有過也」。顔子が孔子と同じでない処を過ちと振り向けたもの。何故か俺は孔子の通りでない。そこが過ちだと言う。
【語釈】
・顔氏之子其殆庶幾乎…易経繋辞伝上5。「子曰、顏氏之子、其殆庶幾乎。有不善未嘗不知。知之未甞復行也。易曰、不遠復、无祇悔、元吉」。
・不勉而中…中庸章句20。「誠者、天之道也。誠之者、人之道也。誠者不勉而中、不思而得、從容中道。聖人也。誠之者、擇善而固執之者也」。
・不踰矩…論語為政4。「七十而從心所欲、不踰矩」。

其明而剛。明は知の惣まくり。剛は行の惣まくり。顔子は知も行もぬけきったもの。胸の中に少しわるいことあれば明で知て胸の内で噛みこなしてしまふ。さて氣味のよいこと。知て知るが早いか改るが早ひか間はない。未嘗不遽改。知行のするどいが韋駄天の様なり。そこで至明至健とも云。其うらが凡夫なり。吾をよいと思ふが凡夫の通情なもの。最初は吾をわるいと思へばこそ学問をばしたが、少しわけもすむ、又もとの病氣が起りて、をれもよほどと思ふ。夫がこうじてわるく見へる。朋友が見兼て異見をすれば、夫にもよしと歌があるとかざる。つまり改むまいとの言訳也。医者の見立違ひさま々々かざる。をれも外邪とは見たが、あの人に持病の積があるから積とかかりたと云。実は見そこないなり。皆まけをしみぞ。さて此まけをしみと云ことが我をはるものだから強い様に思はふが、弱いの一番なり。なぜと云へば、つよいはほっき折るるもの。ほいをれがわるかったと出るもの。まけをしみするものは犬の吠迯け、よはいの看板なり。顔子はつよい。至明至健。知るが早いか改るが早ひか、朋友切々偲々と云ても、異見の云人は入らぬ。火事を出さぬから火消がてれるやうなもの。
【解説】
「然其明而剛。故一有不善、未嘗不知。既知未嘗不遽改。故不至於悔。乃不遠復也」の説明。顔子は至明至健と強いから、過ちを知るのと改めるのとの間に差はない。その逆が凡夫であり、凡夫は言い訳や負け惜しみをする。それは弱いからである。
【通釈】
「其明而剛」。明は知の総捲りで、剛は行の総捲り。顔子は知も行も抜け切った者。胸の中に少し悪いことがあれば明で知って胸の内で噛みこなしてしまう。それは実に気味のよいこと。知で知るのが早いか改めるのが早いか、そこに間はない。「未嘗不遽改」。知行の鋭いところが韋駄天の様である。そこで「至明至健」とも言う。その逆が凡夫である。自分をよいと思うのが凡夫の通情である。最初は自分を悪いと思えばこそ学問をし始めたのに、少しわけが済んでくるとまたもとの病気が起こって俺も余程の者だと思う。それが高じて悪く見える。朋友が見かねて異見をすれば、それでもよいとする歌があると飾る。つまり改めないための言い訳である。医者が見立て違いを様々に飾る。俺も外邪とは見立てていたが、あの人に持病の癪があるから癪の治療をしたと言う。しかし、実は見損ないであり、皆負け惜しみである。さてこの負け惜しみは我を張るものだから強い様に思いがちだが、一番弱いことである。それは何故かと言えば、強い者はきっぱりと折れるもので、はい、俺が悪かったと出るもの。負け惜しみをする者は犬の吠え逃げで、それが弱い者の看板である。顔子は強い。至明至健で知るのが早いか改めるのが早いかで、「朋友切々偲々」とは言うが、その様な異見を言う人も不要である。火事を出さないから火消しがだらしなくなる様なもの。
【語釈】
・至明至健…論語顔淵1集註。「非至明不能察其幾。非至健不能致其決。故惟顏子得聞之」。
・朋友切々偲々…論語子路28。「子路問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、切切偲偲怡怡如也、可謂士矣。朋友切切偲偲。兄弟怡怡」。

学問之道無他。以下手もなく云て学者への克己になる。復で顔子をかたるは先日の克復と同こと。上もない及れぬこと、四箴の綱から只の者も取付よい。その上まだうけよいが爰なり。顔子と云と一二万石の大名が國主の眞似のならぬ様に心得る。それは挌式のこと。学問で相応に及れることがある。一と口に云てきかそう。わるいと知たら早く改ること。此綱には誰も取付るる。ここから々々々々となり。從善而已。のみと切て離したが克己の眼目なり。のみて覚悟のきまるもの。外の相談の仕様はと云ぬこと。此病氣に痛くない針、苦くない藥は無かと尋るには及ぬ。そんな心があると孟子が見とる。世子疑吾言乎道一而已。これより外ないと云た。克己もそれなり。別に無巧法。見事づくでゆく仕方はない。垩人の教にこまかなこさいなことのないが垩人の教の教たる処ぞ。なんと借りた金を返さずに借金のぬける相談はないかと云へば、返すがよいと云。返すのよいは学者でなくても知たことと云。其知れた、手もないことをするか垩学の忝い処。從善而已がこのことじゃ。
【解説】
「學問之道無他也。惟其知不善、則速改以從善而已」の説明。顔子に至るその取掛りは、過ちを知ったら直ぐに改めることである。善に従う以外に方法はない。
【通釈】
「学問之道無他」。これ以下を簡単に言うのが学者への克己になる。復で顔子を語ったのは先日の克復と同じこと。この上もなく及ぶことのできないことだが、四箴の綱からなら普通の者でも取り付きよい。その上まだ受けよいのがこの条である。顔子と言うと、一二万石の大名に国主の真似ができないことの様に心得るが、それは格式のこと。学問で相応に及ぶことのできることがある。一口に言って聞かせよう。悪いと知ったら早く改めるのである。この綱には誰も取り付くことができる。ここから始めるのである。「従善而已」。已と切って離したのが克己の眼目である。已で覚悟が決まるもの。外に相談の仕方はなどとは言わないこと。この病気に痛くない針、苦くない薬はないかと尋ねるには及ばない。その様な心があると孟子は見て取った。「世子疑吾言乎道一而已」。これより外はないと言った。克己も同じである。別に巧法はない。鮮やかに行く仕方はない。聖人の教えに細かな小才なことのないのが聖人の教えの教えたる処である。借りた金を返さずに借金から抜ける方法は何かないかと聞かれれば、返すのがよいと言う。返すことがよいのは学者でなくても知っていることだと言うが、その知れた、わけもないことをするのが聖学の忝い処であり、「従善而已」はこのことなのである。
【語釈】
・先日の克復…克己3を指す。
・世子疑吾言乎道一而已…孟子滕文公章句上1。「孟子曰、世子疑吾言乎。夫道一而已矣」。
・別に無巧法…朱子語類41。「克己亦別無巧法。譬如孤軍猝遇強敵、只得盡力舍死向前而已。尚何問哉」。


第五 晉上九晉其角の条

晉之上九、晉其角。維用伐邑、厲吉無咎。貞吝。傳曰、人之自治、剛極則守道愈固、進極則遷善愈速。如上九者、以之自治、則雖傷於厲、吉且無咎也。嚴厲非安和之道、而於自治則有功也。雖自治有功、然非中和之德。故於貞正之道爲可吝也。
【読み】
晉の上九、其の角に晉[すす]む。維れ邑を伐つに用いば、厲しかれども吉にして咎無し。貞なるには吝なり。傳に曰く、人の自ら治むる、剛極まれば則ち道を守ること愈々固く、進むこと極まれば則ち善に遷ること愈々速やかなり。上九の如き者、之を以て自ら治めば、則ち厲に傷ると雖も、吉にして且つ咎無し。嚴厲は安和の道に非ざるも、自ら治むるに於ては則ち功有り。自ら治むるに功有りと雖も、然れども中和の德に非ず。故に貞正の道に於て吝す可しと爲す、と。
【補足】
・この条は、晋卦上九の程伝にある。

晋の卦は惣体がすすむと云の道理なり。進むは向へ々々とずっ々々とゆくこと。成程克己の姿なり。後へめりこむは克己の腰のぬけたなり。上九は進もすすむ。殊の外すすむ。進み上った処が角なり。のぼりつめた処を角とかけたもの。禽獣には手の、足の、皮の毛のと色々の処あるが、角はかたいむつかしいもの。一ち手ごはいもの。上九か陽の上りつめたてい。つよいことなり。するどなことは一とくせあるもの。害があるに用伐邑厲吉。つよいは人の方へ出してはわるいに、吾方へはよい。吾が支配処へ軍をするにはよいとなり。吾に軍をかけると云はないことなれとも、設て云なり。自欺と云様なもの。さて、承ればいこう人数を出さるるとのこと、何れへでござると云へば、さればのこと、胸の中へ人欲退治につかはすとなり。するどいは人をいじめるにはわるいが吾をいじめるはつよいほどよいじゃ。
【解説】
「晉之上九、晉其角。維用伐邑、厲吉無咎」の説明。晋卦は進むことを述べており、その最上段の角となる上九は陽爻で強さを表す。強いのは人の方へ出しては悪いが、自分へはよい。
【通釈】
晋の卦は総体が進むことについての道理である。進むは向こうへとずっと行くこと。なるほど克己の姿である。後ろへめり込むのは克己の腰が抜けたのである。上九は進むも進む。殊の外進んで進み上がった処が角である。上り詰めた処を角と繋けたもの。禽獣には手や足、皮の毛と色々な処があるが、角は固くて難しい一番手強いもの。上九は陽の上り詰めた姿で強いこと。鋭いことは一癖あるもの。害があるのに「用伐邑厲吉」。強いのは人の方へ出しては悪いが、自分へはよい。自分の支配処へ軍をするにはよいと言った。自分に軍を仕掛けるということはないことだが、ここはたとえで言ったこと。自欺と言う様なもの。さて、承れば大層人数を出されるとのことだが、どこに軍を出すのかと聞かれれば、それは胸の中へ人欲退治に遣わすと言う。鋭いのは人をいじめるには悪いが自分をいじめるには強いほどよい。
【語釈】
・角…晋の上九を指す。晋の上九は陽爻である。

貞吝。易は道理の融通したことゆへ、誰も彼も用るもの。そこで用心に此詞なり。するどなことは手前にはよいが、人へ出しては十分にない。吝しじゃとなり。了簡あって居れば今日から盃は手にとらぬと云はよいが、大雨風雪に供をする家来に酒は一滴もならぬと云て大勢に寒ひ目をさするはわるい。厲は一偏に手つよい。本途の道理に推出したときは片つりなり。凡そことは人へ出してよいと吾へ出してよいことがある。可辨ことじゃ。守道愈固。晋の上九が強すきれとも、手前を守るにはよい。すは守ると云日には固ひがよい。固くなければ守が守に立ぬ。ちと仰山なと云はるるで吾役に立。精進日には家内へはどんなことでも肴は入れぬと云がよい。はて喰さへせ子ばよいと云と精進のりきみがぬける。上九は仰山すぎた男なれとも、それがよい。嚴厲非安和之道。片づりたことは理の自然ではない。儼威儼恪親へ出してはわるい。嚴厲二字がとこへ出してもよい安和とは云れぬ。なれとも一旦にこぎ付ることにはよい。熊膽の様なもの。持藥にはならぬが片つりに苦ひで手抦がある。非中和之德。極上々吉とは云れぬ。
【解説】
「貞吝。傳曰、人之自治、剛極則守道愈固、進極則遷善愈速。如上九者、以之自治、則雖傷於厲、吉且無咎也。嚴厲非安和之道、而於自治則有功也。雖自治有功、然非中和之德。故於貞正之道爲可吝也」の説明。「厲」は一方に強いことで、全体としては偏ったもので、極上上吉とは言えないもの。しかし、自分を守るにはこの強く固いのがよい。
【通釈】
「貞吝」。易は道理が融通したことなので、誰も彼も用いるもの。そこで用心にこの詞を出した。鋭いことは自分にはよいが、人へ出してはよくない。吝だと言った。了簡があって今日から盃は手にとらないと言うのはよいが、大雨風雪に供をする家来に酒は一滴も飲んではならないと言って大勢に寒い目をさせるのは悪い。厲は一偏に対して手強いが、本当の道理に推し出した時は片吊りである。凡そ、事は人へ出してよい事と自分へ出してよい事とがある。これは議論すべきこと。「守道愈固」。晋の上九は強過ぎるが、自分を守るにはよい。守るという時には固いのがよい。固くなければ守りが守りとならない。少々大袈裟だと言われるので自分の役に立つ。精進日には家内へはどんなことでも肴は入れないと言うのがよい。さて喰いさえしなければよいと言えば精進の力みが抜ける。上九は大袈裟過ぎる男だが、それがよい。「嚴厲非安和之道」。片吊りなことは理の自然ではない。儼威儼恪を親へ出しては悪い。嚴厲の二字は何処へ出してもよいわけではなく、安和とは言えないが、一気に扱ぎ付けることにはよい。それは熊胆の様なもの。持薬にはならないが片吊りで苦いことに手柄がある。「非中和之徳」。晋の上九は極上上吉とは言えない。
【語釈】
・儼威儼恪…礼記祭義。「嚴威儼恪、非所以事親也」。


第六 損者損過云々の条

損者、損過而就中、損浮末而就本實也。天下之害、無不由末之勝也。峻宇雕牆、本於宮室、酒池肉林、本於飮食、淫酷殘忍、本於刑罰、窮兵黷武、本於征討。凡人欲之過者、皆本於奉養。其流之遠、則爲害矣。先王制其本者、天理也。後人流於末者、人欲也。損之義、損人欲以復天理而已。
【読み】
損とは、過ぎたるを損じて中に就き、浮末を損じて本實に就くなり。天下の害は、末の勝つに由らざる無し。峻宇雕牆は、宮室に本づき、酒池肉林は、飮食に本づき、淫酷殘忍は、刑罰に本づき、兵を窮め武を黷[けが]すは、征討に本づく。凡そ人欲の過ぎたる者は、皆奉養に本づく。其の流れの遠きときは、則ち害を爲す。先王の其の本を制[さだ]むるは、天理なり。後人の末に流るるは、人欲なり。損の義は、人欲を損じて以て天理に復るのみ。
【補足】
・この条は、損卦の程伝にある。

なんでも物には手入がある。手入をすると云になれば、何と云限はない。殊に学問には手入がある。易の損益が面白ことで、兎角物に勢と云ことがあって、吾を忘てさうなって来ることがある。果には道の自然の様にもなる。既に周監二代而都々乎文乎。夏殷にないことも備て周は上もなくよい。そこが文哉。その文から君も臣も奢が長じてどふも振れた勢になりた。そこで手入なくてはならぬ。孔子が礼樂のことも所損益可知と云たは、天下の勢でも手を入れ子ばならぬことがあるとのこと。増して人のからだは手入なくてはならぬ。克己の初條の損益はわるいをへらしてよいのを益す。あれが吾が德をつむことの大根になる大立たことを云。この条は克己の思ひ立にさても々々々と細かな処から手入をすること。損は手もなく過たをへらすであとの処が丁度になる。欲をへらすで天理が丁度になる。その手入のこと。
【解説】
「損者、損過而就中、損浮末而就本實也」の説明。ものには勢いがあって、自然と成って来るものだが、それには手入れがなければならない。この条は細かな処から手入れをすることを言い、過ぎた処を減らすことによって、天理に丁度なものとなる。
【通釈】
何でも物には手入れをするということがある。その、手入れをすることになれば、限りはない。殊に学問には手入れがある。易の損益が面白いことで、とかく物には勢いということがあり、我を忘れてその様になって来ることがある。その果てには道の自然の様にもなる。既に「周監二代而都々乎文乎」。夏や殷にないことも備わって周はこの上もなくよい。そこが「文哉」である。その文から君も臣も奢りが長じてどうも振れた勢いになった。そこで手入れがなくてはならなくなった。孔子が礼楽のことを「所損益可知」と言ったのは、天下の勢いでも手を入れなければならないことがあるからである。ましてや人の体は手入れがなくてはならない。克己の初条の損益は悪いことを減らしてよいことを益すこと。あれが自分の徳を積むことの大根になることで、大本を言ったこと。この条は克己の思い立ちで実に細かな処から手入れをすること。損は単に過ぎたところを減らすことで、それによって後の処が丁度になる。欲を減らすので天理が丁度になる。ここはその手入れのこと。
【語釈】
・周監二代而都々乎文乎…論語八佾14。「子曰、周監於二代、郁郁乎文哉。吾從周」。
・所損益可知…論語為政23。「子張問、十世可知也。子曰、殷因於夏禮。所損益可知也。周因於殷禮、所損益可知也。其或繼周者、雖百世可知也」。

就中。中は道理のかへ名なり。すきた処をへらして丁度の処へすること。行き過た舩を舩頭か梶をじりりと子ぢるてよきほどになる。馬の荷の片づるをなをすも此れなり。浮末は何となくさう云あやに成て来たこと。人の家でも何時何日から斯ふ成たと云こともないが、いつ知らず昔よりは事がふへた。夫を浮末と云。役にも立ぬことを馳走すると、よくなる瀬はない。損浮末而就本實。振かへって見た処が浮末だらけなり。さう氣が付けばこれをして何になると、就本實なり。譬ば本実は正宗の切れる。浮末はそれへ金目貫なり。なまくらで親の歒も討ぬ。刀に金目貫、何の益はない。印篭は藥さへもてばよいに、長門印篭は行德の舩頭もさげる。立派がよいとてめったと結搆に蒔繪。折角延齢丹を入ても、三日をけば早かはく。役に立ぬことは浮末なり。浮末を去ると人欲の数はいこう减ることぞ。泥の中へ這入る百姓が淺草海苔は挌別な風味と云ふはいかがなり。長老や和尚の喰ものを風味々々と云より、塩目よくこっくと煮たものがむまいと云がよい。
【解説】
「浮末」とは、何となくそうなったことで、役に立たないこと。「本実」は正宗の刀が切れる様なものであり、「浮末」はその金目貫である。
【通釈】
「就中」。「中」は道理の替え名である。過ぎた処を減らして丁度の処へすること。行き過ぎた船を船頭が梶をじりりとねじるのでよいほどになる。馬の荷の片吊るのを直すのもこれである。「浮末」とは、何となくそういう綾になって来たこと。人の家でも何時何日からこうなったということでもないが、いつとは知らず昔よりは事が増えた。それを浮末と言う。役も立たないことに馳走すると、よくなる瀬はない。「損浮末而就本実」。振り返って見た処が浮末だらけである。その様に気が付けば、これをして何になると思い、「就本実」となる。たとえば「本実」は正宗の刀が切れる様なもの。「浮末」はそれへ金目貫である。なまくらでは親の仇も討てない。刀に金目貫は何の益もない。印篭は薬さえ入れればよいのに、長門印篭は行徳の船頭も下げる。立派なものがよいと言って大層結構な蒔絵を描く。折角延齢丹を入れても、三日置けば早乾く。役に立たないことは浮末である。浮末を去れば人欲の数は大層減る。泥の中へ這い入る百姓が浅草海苔は格別な風味だと言うのは如何なものか。長老や和尚の食い物を風味なものと言うより、塩目よくこっくりと煮たものが美味いと言う方がよい。
【語釈】
・長門印篭…牛の革に黒漆を塗った印籠。秋月長門守屋敷から造り出したのでいう。

肴を沢山喰たが心持よいと云て、鍬を一鍬うつもはつみのよいがよいぞ。浮末をうれしかる根性からさま々々失墜して身帯をすりきる。下々がそふなっては、天下の御觸でもむさとは止ぬ。孔子の夫を悪まれて、吾從先進と云れた。蒔繪の重箱より日光膳がよいとなり。今は野人ても吸物は蓴菜がよいと云、鯛の目うしほと云たがる、沙汰のかぎりなり。実はむまくはないが浮末を喜ぶのなり。石原先生が面白こと云た。何ほと大名でも雪隱は三尺四方でよい筈と云れた。歴々は廣くして竒麗をさるるで心よいでもあろふが、実は就浮末のなり。浮末からは程を過るもの。浮末は法からは出ぬ。去によって大名ても三間ある脇ざしはささぬ。先年歴々の奧方の團[うちは]にしんくの總があり、夫に珊瑚珠が七つ付てありた。團は田樂火鉢の脇におくからして、大名商家のもたるるもとど風を出すまでなり。それに玉をつけるは、さりとは邪魔なことをせられたなり。醫者の藥箱にも硯箱などは入らぬこと。一寸かりてもすまふ。夫よりちっとも藥を餘慶に入れたがよい。銀のけさんはありて、ほい肉桂を忘れたと云。蝦夷錦の匕袋は立派なれども、大黄は氣がぬけた、黄茋は虫がとをしたと云。やくにたたぬ立派をするより性のよい藥を使ふたらよさそうなもの。内の療治をする醫者がやっはり浮末につく。さりとは頼ないこと。今の学者もそれて、克己々々と云ても表向子ぶとの上わなをし、外は巧言令色鴬聲で世を渡る工面をする。年をとるほどわるくなる。表向をよくすればよくするほど内の欠が立つ。浅間しいとは思はぬが、なんと皆が腹は立れまい。
【解説】
「浮末」を嬉しがる根性から失墜して身帯を擦り切らす。浮末に就いて表向きばかりをよくすればするほど内が欠けて行くのに、それを浅ましいとは思っていない。
【通釈】
肴を沢山喰って心持がよいと言って鍬を一鍬打つ。その様な弾みのよいのがよい。浮末を嬉しがる根性から様々と失墜して身帯を擦り切らす。下々がそうなっては、天下のお触れでも簡単にはそれを止めさせられない。孔子がそれを悪まれて、「吾従先進」と言われた。蒔絵の重箱より日光膳がよいと言ったのである。今は野人でも吸物は蓴菜がよいと言い、鯛の目の潮汁をと言いたがる。言語道断である。実は美味くはないのだが浮末を喜ぶのである。石原先生が面白いことを言った。どれほどの大名でも雪隠は三尺四方でよい筈だと言われた。歴々は広くして綺麗にされるので心よいだろうが、実は就浮末である。浮末は度を過ぎたものだが法からは外れたものではない。そこで、大名でも三間ある脇差は差さない。先年歴々の奧方の団扇に深紅の総があり、それに珊瑚珠が七つ付けてあった。団扇は田楽火鉢の脇に置くものであって、大名や商家がそれを持たれるのも結局は風を出すまでのこと。それに玉を付けるとは、全く邪魔なことをされた。医者の薬箱にも硯箱などは要らないもの。一寸借りても済むことだろう。それよりもう少し薬を余計に入れた方がよい。銀の文鎮はあるが、ほい肉桂を忘れたと言う。蝦夷錦の匙袋は立派だが、大黄は気が抜け、黄茋は虫が食っていると言う。役に立たない立派をするより性のよい薬を使ったらよさそうなもの。内の療治をする医者がやはり浮末に就く。それでは頼り無い。今の学者もそれで、克己と言っても表向きは根太の上直し。外は巧言令色鴬声で世を渡る工面をする。年をとるほど悪くなる。表向きをよくすればよくするほど内の欠けが多くなるが、それを浅ましいとは思っていない。これを聞いて、皆は決して腹を立てることはできないだろう。
【語釈】
・吾從先進…論語先進1。「子曰、先進於禮樂、野人也。後進於禮樂、君子也。如用之、則吾從先進」。
・けさん…卦算。圭算。文鎮。
・子ぶと…根太。癰の一種。

天下之害無不由末之勝也。浮末で本實につかぬを説たもの。太平がつつけば鑓長刀が出ぬから、上から下迠暖で何つとなく役に立ぬことの数がふへる。東金の町中あるいても役に立つ道具は多はあるまい。半分からさき、皆浮末なり。垩人は耒耜陶冶。道具はなくてならぬ物計り。當時は煙草を呑む道具迠が五穀から二番目とをもふ。末のかつなり。たばこは漸く百年以来のこと。今天下から百年以来始たものは賣買はならぬと觸れられたら大も小も町人はこまろふと思ふ。定て百年より前は事少であろふ。さて又末の勝と云ことが愛情からも起る。隣の子の下駄傘を持たに、つい吾子にもやる。つまり甘ひ物をたんと喰せて疳を出すの筋ぞ。此奢りと云が誰が奢り始めたと云が知れやうならば、上でそのままにはをかれぬであろふに、いつとなく勢の自然で出来たもの。知れぬにはこまった。夫から浮末だらけになりて、此の吸物は喰へぬの、此の羽織はきられぬと云。そこで師走の仕舞金も浮末の方から掛乞が来る。ついに耒耜陶からは掛乞は来ぬ。立派がつのりて孫の髪置の、袴着のに、娘に流行る着る物の、雛をやるのと浮末に費るから、老人は隠居所勝手の間で塩をなめて飯を喰ふ様になる。浮末はついに腹の足しに成たことはない。
【解説】
「天下之害、無不由末之勝也」の説明。聖人の道具はなくてはならない耒耜陶冶だけだったが、太平が続いて役に立たないものの数が増えた。それは浮末が勝ったのであり、それが奢りである。その奢りは自然となったもので、誰から始まったのかはわからない。
【通釈】
「天下之害無不由末之勝也」。浮末で本実に就かないことを説いたもの。太平が続けば鑓長刀は出ないから、上から下までが穏やかでいつとはなく役に立たないことの数が増える。東金の町中を歩いても役に立つ道具は多くないだろう。半分から先が皆浮末である。聖人は耒耜陶冶で、その道具はなくてならない物ばかり。今は煙草を呑む道具までが五穀から二番目と思う。末が勝つのである。煙草は漸く百年以来のこと。今天下から百年以来始めたものの売買はならないと触れられたら大人も子供も町人は困るだろうと思う。きっと百年より前は事が少なかったことだろう。さてまた「末之勝」ということが愛情からも起こる。隣の子が下駄傘を持ったので、つい自分の子にも買ってやる。つまりこれが甘い物を沢山喰わせて疳を出す筋である。この奢りというものが、誰から奢り始めたのかがわかるのであれば、上でそのままには捨て置かないだろうが、いつとなく勢いの自然と出来たもの。起こりがわからないのには困ったもの。それから浮末だらけになって、この吸物は喰えないとか、この羽織は着られないと言う。師走の仕舞金も浮末だから掛乞が来る。決して耒耜陶冶であれば掛乞は来ない。立派が高じて孫の髪置きや袴着、娘に流行る着物や雛を遣って浮末に費やすから、老人は隠居所の勝手の間で塩を舐めて飯を喰う様になる。浮末は決して腹の足しになったことはない。
【語釈】
・耒耜[らいし]…易経繋辞伝下2。「包犧氏沒、神農氏作。斲木爲耜、揉木爲耒、耒耨之利、以敎天下、葢取諸益」。
・陶冶…陶は瀬戸物師。冶は鍛冶屋。

あまつさへ其浮末で身帯がかれておるから、飢饉と云ほどでなくてもきつふさはぐなり。つまり浮末は人を殺すものと思がよい。商人も浮末をしこむ。凶年飢饉に雛や菖蒲太刀を仕込む。今年はいつもほどは賣ぬと云はをそい知惠なり。先王の世は役に立ぬ道具、立派すぎたものは賣らせぬ。垩人は竒技淫巧とて仕出しはさせぬ。是は何者が作りたと咎める。古の市の監と云は巾着切の番ではない。数罟不入汚池。魚の尺に滿ぬは賣らせぬ。野菜も熟せぬはならぬと、賣るまい物は市へ出させぬ。駿河の初茄子五つ入が五匁と、此ほどたわけたことはない。奢と浮末を禁ずれば、食用の足らぬことかない。食用足れば何の騒はない。すれば此一條を聞ても天下の治めから身の建立迠すむことぞ。末の勝で役に立ぬヶ条のふへるがこまったもの。此あとへ代々のわるいことを云。
【解説】
先王の世では役に立たないものや道具の立派過ぎたものは売らせない。寧ろ、それを作った者を咎める。奢りと浮末を禁じれば、生活に足りないものはなくなる。
【通釈】
それでなくても浮末で身帯が涸れているから、飢饉と言うほどでなくても大層騒ぐ。つまり浮末は人を殺すものだと思いなさい。商人も浮末を仕込む。凶年の飢饉に雛や菖蒲刀を仕込む。今年はいつもほどには売れないと言うのでは知恵が遅い。先王の世では役に立たないものや道具の立派過ぎたものは売らせない。聖人は奇技淫巧なものを仕出しはさせず、これは何者が作ったのかと咎める。古の市の監は巾着切りの番ではない。「数罟不入洿池」。尺に満たない魚は売らせない。野菜も熟さなければならず、売ってはならない物は市へ出させない。駿河の初茄子五つ入りが五匁などとは、これほど戯けたことはない。奢りと浮末を禁じれば、食用で足りないことはない。食用が足れば何の騒ぎもない。それで、この一条を聞いたことで、天下の治めから身の建立までが済むこととなる。末之勝で役に立たない箇条が増えるのは困ったもの。この後へ代々の悪いことを言う。
【語釈】
・数罟不入汚池…孟子梁恵王章句上3。「不違農時、穀不可勝食也。數罟不入洿池、魚鼈不可勝食也。斧斤以時入山林、材木不可勝用也。穀與魚鼈不可勝食、材木不可勝用、是使民養生喪死無憾也。養生喪死無憾、王道之始也」。

峻宇彫牆。夏の世からなり。普請の立派、金張付の惣名なり。夏の大康が尸位と云てよくなかった。夫を歎て五人の弟が歌をつくりて諫めた。五子之歌、是れなり。日本でも鹿苑院義滿の金閣寺、東山義政の銀閣寺、それから太閤の政所の高臺寺、あれで萬事が見へるなり。天井板の透間の一寸した処も印篭程な蒔繪をもする。あの立派の出たはどこと云に、本宮室。人は禽獣とは違ふ。家なくてはならぬが、昔は雨露しのぐ迠なり。堯舜のときは土堦三尺茅茨不剪なり。奢はないにあの無拠雨しのきがこふじて峻宇彫牆。あんまりなことじゃ。
【解説】
「峻宇雕牆、本於宮室」の説明。普請が立派なものになったのは夏の世からである。堯舜の時の家は雨をしのげばよいものだった。その雨しのぎが高じて峻宇雕牆となった。
【通釈】
「峻宇彫牆」。夏の世からのこと。普請が立派で金張り付きの総名である。夏の太康は尸位でよくなかった。それを歎いて五人の弟が歌を作って諫めた。五子之歌がこれである。日本でも鹿苑院義満の金閣寺や東山義政の銀閣寺、それから太閤の政所の高台寺、あれで万事が見える。天井板の透き間の一寸した処でも印篭に描くほどの蒔絵をする。あの立派なことが出たのはどこからと言えば、「本於宮室」である。人は禽獣とは違う。家はなくてはならないが、昔は雨露をしのぐまでのこと。堯舜の時は「土階三尺茅茨不剪」である。奢りはなかったものの、拠所ない雨しのぎが高じて峻宇彫牆。それはあまりなこと。
【語釈】
・夏の大康が尸位…書経五子之歌。「太康尸位以逸豫。滅厥德」。
・五子之歌…書経五子之歌。「太康失邦。昆弟五人、須于洛汭、作五子之歌」。
・土堦三尺茅茨不剪…論語集解義疏泰伯。「溝洫田土通水之用也、禹自所居、土階三尺、茅茨不剪」。

酒池肉林。これが名高ひ紂王なり。長夜の飲をされた。硯蓋銚子では間に合ぬほどに肴の築山、酒の泉水。天子の勢で驕りた。下々はたまらぬ筈。それが彼の人身のがれられぬ喰ひ飲みからこふじたもの。そこで箕子歎曰彼為象箸必爲玉桮云々從是不可振也。人欲と云には寸法のないもの。思ふこと一つ叶へは又二つ三つ四つ五つ六つけしの世になる。遠方珍恠がほしくなる。欲にはとめのないもの。雀の子、腹はへらずとも親の来る度ひ口をあく。淫酷残忍。彼の紂王を云。車烈炮烙の刑のるいなり。罰は本と垩人も悦にはないこと。不得止のこと。わる者をすててをけばよいものの、邪魔たから殺す。殺しさへすればよいに、後世はさま々々の淫刑。苦しまするを慰にする。陵遲して死に処す。ずた々々のと云ことある。あまりむごいこと。
【解説】
「酒池肉林、本於飮食、淫酷殘忍、本於刑罰」の説明。酒池肉林は紂王のしたことで、それは飲食が高じたもの。「淫酷残忍」も紂王のことで、殺すだけでよいものを、様々な淫刑で苦しませることを慰みにする。
【通釈】
「酒池肉林」。これが名高い紂王のこと。長夜の飲をされた。硯蓋や銚子では間に合わないほどで、肴の築山、酒の泉水である。天子の勢いで驕った。それでは下々は堪らない筈。それがあの人身の逃れられない喰ったり飲んだりから高じたもの。そこで箕子が歎いて、「彼為象箸必為玉桮云々従是不可振也」と言った。人欲というものには寸法がない。思うことが一つ叶えばまた二つ三つ四つ五つ六つと消すものが増える世となる。遠方の珍怪が欲しくなる。欲は極まりないもの。雀の子、腹は減っていなくても親が来る度に口を開ける。「淫酷残忍」。あの紂王のこと。車裂きや炮烙の刑の類である。刑罰は本来聖人も悦んではしない。止むを得ずすること。悪者は捨てて置けばよいとはいっても、邪魔だから殺す。殺しさえすればよいのに、後世では様々な淫刑で苦しませることを慰みにする。陵遅刑にして死に処す。ずたずたにするということがある。それはあまりに酷いこと。
【語釈】
・硯蓋…口取肴などを祝儀の席で盛る広蓋の類。また、その盛った肴。
・箕歎曰彼為象箸必爲玉桮云々從是不可振也…史記宋微子世家。「箕子者、紂親戚也。紂始爲象箸。箕子歎曰、彼爲象箸、必爲玉桮。爲桮、則必思遠方珍怪之物而御之矣。輿馬宮室之漸自此始、不可振」。

窮兵黷武。これが漢の武帝の時の事。漢は高祖から文帝でよく治て其跡だから、武帝は埀拱而天下治の眞似もなる時なり。それを事足らぬ様に思て夷狄の方へも手が出したくなりて、あの武帝のたわけが穿鑿と云こと迠始めて処々へ穴をあけ、通路のない処は岩を掘ぬき朝比奈の切通の様なをこしらへて匈奴に通した。果は自らもこまりたたわけなり。夫を英雄と覚へた儒者もありた。日本でも、大閤などか只居れば何のこともないのに、物を知らぬから朝鮮攻なり。窮兵と云は兵をやる処迠やればよいに、どこまでもやる。黷武は、武は内に仕舞てをけば黷さぬに、無性に出すから武をけがすと云。本んのことは神武而不殺なり。やりばなしに出すはよくない。これが征討からなり。
【解説】
「窮兵黷武、本於征討」の説明。「窮兵黷武」は武帝や太閤のした様なことで、遣らなくてもよいところにまで兵を遣ったり、無闇に武を出すこと。それは征討から起きた。
【通釈】
「窮兵黷武」。これが漢の武帝の時のこと。漢は高祖から文帝までがよく治まってその後だから、武帝は「垂拱而天下治」の真似もできる時である。それを事足りない様に思って夷狄の方へも手を出したくなった。あの武帝の戯けは穿鑿ということまで始めて処々へ穴を開け、通路のない処は岩を掘り抜き朝比奈の切り通しの様なものを拵えて匈奴に通じ、果ては自らも困った戯け者である。それを英雄と見た儒者もいた。日本でも、太閤などがただいれば何事もないのに、物を知らないから朝鮮攻めである。窮兵とは兵を遣るべき処まで遣ればよいのに、どこまでも遣ること。黷武は、武は内に仕舞って置けば黷さないのに、無性に出すから武を黷すということ。本当のことは「神武而不殺」である。遣りっ放しに出すのはよくない。これが征討から起きたこと。
【語釈】
・埀拱而天下治…書経武成。「崇德報功、垂拱而天下治」。
・朝比奈の切通…鎌倉時代に金沢の六浦を鎌倉の外港とするために切り通された道。
・神武而不殺…易経繋辞伝上11。「古之聰明睿知、神武而不殺者夫」。

凡人欲は奉羪からなり。ひだるいから喰ふ。寒いから着る。夫迠のことを後には、縮緬は重い、羽二重と云。どの様な馬鹿を云出そうも知れぬ。田舎の富豪はまだ衣食にはさほどでもないが、某は三ヶ津を見たか、町人の奢りさて々々なこと多し。又、飲食も一寸そばきりを打つにも飛び粉がよいと云。絹篩の上の板に飛付たのさうな。夫を取るには、一升の粉を取るには蕎麥粉の一斗も取るほどかけ子はならぬとのこと。一寸のそばきりに是程のたはけなり。飯は湯取飯がよいと云、焚きほしはあたると云。大名の若殿多くはそれなり。それではたらきはならぬはづ。大名も何ぞの時は黑米飯に塩のかき立汁じゃと云に、あまりな驕奢なり。腹さへへら子ばよいにたわけたこと。むかし江戸の高間と云も奢。大坂て辰巳屋硝子の障子がありたと云、罰に合たなり。藥箱印篭椀などこぞ黑塗にするに、今は下駄もなり。夫では頭と足と同挌にするじゃ。垩人の入用なもの、耒耜陶冶計り。其外は服周之冕乘殷之輅。冠は立派、車は丈夫。これこそきこへたことじゃに今は火事にも塗笠をかぶる者か、雨降にも塗下駄と云をはくがあり、首と足の差別を知らぬ。
【解説】
「凡人欲之過者、皆本於奉養。其流之遠、則爲害矣」の説明。凡人の欲は「奉養」から起こる。田舎ではまだそれほどでもないが、都の町人の奢りは酷いものである。驕奢を好むのは戯けたこと。
【通釈】
凡人の欲は「奉養」からである。空腹だから喰う。寒いから着る。それだけのことを後には、縮緬は重い、羽二重をと言う。どの様な馬鹿なことを言い出すかも知れない。田舎の富豪はまだ衣食にはさほどでもないが、私は三都を見たことがあり、町人の奢りには酷いものが多かった。飲食も一寸蕎麦切りを打つにも飛び粉がよいと言う。絹篩の上の板に飛び付いたもののことだそうだ。それを取るには、一升の粉を取るには蕎麦粉を一斗も使わなければならないとのこと。一寸の蕎麦切りにこれほどの戯けをする。飯は湯取飯がよいと言い、炊干しは当たると言う。大名の若殿の多くがこれである。それでは働けない筈。大名も何かの時は黒米飯に塩の掻立て汁だというのに、あまりに驕奢なこと。腹さえ減らなければよいのであって、戯けたことである。昔江戸の高間というのも奢。大坂の辰巳屋に硝子の障子があったそうだが、罰に合った。薬箱や印篭、椀などこそ黒塗りにするが、今は下駄もそうする。それでは頭と足とを同格にすることになる。聖人の入用なものは耒耜陶冶だけで、その外は「服周之冕乗殷之輅」。冠は立派で車は丈夫。これこそわかり切ったことなのに、今は火事にも塗り笠を被る者や雨降りにも塗り下駄というものを履く者がいる。首と足の差別を知らない。
【語釈】
・三ヶ津…筑前の博多津、伊勢の安濃津、薩摩の坊津の総称。ここは三都。
・湯取飯…水を多く入れて炊いた後、その湯汁を取り去り、再び蒸した飯。
・焚きほし…炊干し。釜で炊いた飯。甑で蒸した強飯に対していう。
・黑米飯…玄米飯。
・服周之冕乘殷之輅…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅、服周之冕、樂則韶舞、放鄭聲、遠佞人」。

先王制其本。凶年に成てから酒法度間に合ぬ。禹悪旨酒。禹王下戸ではない。飲で見て旨ひから、ああ是かくせものじゃと云はるる。周公旦第一の酒詰なり。元服昏礼祭の備へ、その外はゆるされぬ。別して群飲を禁ずるなり。父母妻子と飲むに酒の長することなし。今の店屋の酒、下々寄合以の外のことなり。村々の風俗も群飲から起り、獄訟もここから起ること。先王の制本さて々々わけあることにて、士君子以上は一献之礼賓主百拜。百拜と云礼がつめたいから飲過ぬ。斯ふ曲尺をあてて天理へかへすことを示された。流於末者人欲也。梶がなければ舩が行付次第になる。田舎大尽の子が江戸便があると、何ぞ珍ひものを買て来いと見ぬさきからの驕りを云。何んぞ珍な料理はないかと云。珍い趣向にむまいことはないもの。いやむまくなしとも珍かよいとたわけを云。今日本では、鯛を出せば亭主の挨拶にも是れは何もござらぬにとは云ぬものじゃと某に伯父が云た。その鯛を又さま々々仕出をする。濱の塩で濱でやくから天地自然むまいものだに、今は濱焼ははやらぬ、それは古手なこと、小川鯛がよいと云。なんの彼のと却てむまくなくする工面。あまりのは子をやるで本を失ふ。むまいものを喰たいと云さへ人欲じゃに、其人欲の上にもまだ見へと云欲を出す。人欲の中の人欲なり。末の末と云。浮末なり。
【解説】
「先王制其本者、天理也。後人流於末者、人欲也」の説明。先王はわけがあって本を制した。それは天理に復すためである。驕ると本を失う。人はただでさえ人欲があるのに、その上に見栄を張る。浮末である。
【通釈】
「先王制其本」。凶年になってから酒法度と言っても間に合わない。「禹悪旨酒」。禹王は下戸ではない。飲んでみて美味いから、ああこれが曲者だと言われた。周公旦は第一に酒誥をした。元服婚礼祭の備え、それ以外は許さなかった。特に群飲を禁じた。父母妻子と飲んで酒が長じることはない。今の店屋の酒や下々寄り合いは以の外のこと。村々の風俗も群飲から起こり、獄訟もここから起こった。先王の制本は本当にわけのあることで、士君子以上は「一献之礼賓主百拝」。百拝という礼が冷たいから飲み過ぎない。この様に、曲尺をあてて天理へ復すことを示された。「流於末者人欲也」。梶がなければ船が流れの行き着くままになる。田舎の富豪の子は江戸便があると、何ぞ珍しい物を買って来いと見る前からの驕りを言う。何か珍らしい料理はないかと言う。珍らしい趣向に美味いものはないもの。いや、美味くなくても珍らしいのがよいと戯けを言う。今日本では、鯛を出せば、亭主が挨拶にこれは何もございませんがとは言わないものだと私に伯父が言った。その鯛にまた様々な仕出しをする。濱の塩で濱で焼くから天地自然で美味いものなのに、今は濱焼きは流行らない、それは有り触れたことで、小川鯛がよいと言うが、それは何やかやと却って美味くなくする工面。あまりに跳ねたことをするので本を失う。美味いものを喰いたいと言うのさえ人欲なのに、その人欲の上にもまだ見栄という欲を出す。人欲の中の人欲であり、これを末の末と言う。浮末である。
【語釈】
・禹悪旨酒…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒而好善言」。
・酒詰…書経酒誥。康誥に、「成王既伐管叔・蔡叔、以殷餘民封康叔。作康誥・酒誥・梓材」とある。
・群飲…書経酒誥。「厥或誥曰、群飲、汝勿佚」。
・獄訟…うったえ。訴訟。訴獄。
・一献之礼賓主百拜…礼記楽記。「壹獻之禮、賓主百拜。終日飲酒而不得醉焉」。

損人欲。へってよいものに是程なはない。偸兒に鍋を取られたは不自由。人欲をへらして不自由はない。鬼に瘤を取られたなり。此損の字を書て正五九月柱に張るがよい。只のものが見たら損んなことをしたかと思をふが、学者の損の字は欲をへらすこと。御手前様には人欲の留主と承りた。さぞ御さびしかろふと云と、いや其代り此頃は天理が皈参してをると云。一時も明き店ではをらぬ。今人大屋店がり。欲が大々と寐ておる。夫を切て取るが克己なり。しををせた処で明德性善本とのものになる。先刻の処にも而已がある。又爰にもある。どなたの御細工だと云に、伊川と云細工人同作なり。いつでも而已より外はない。克己無巧法。別の相談はない。
【解説】
「損之義、損人欲以復天理而已」。欲を減らして困ることはない。欲を減らして天理に復すのである。今の人は欲が大きな顔をして寝ている。
【通釈】
「損人欲」。減ってよいものにこれほどのことはない。盗人に鍋を取られたのでは不自由となるが、人欲を減らして不自由になることはない。それは、鬼に瘤を取られるのと同じである。この損の字を書いて正月五月九月に柱に張りなさい。普通の者が見るとつまらないことをすると思うだろうが、学者の損の字は欲を減らすこと。貴方様には人欲が留守だと承った。さぞ御寂しかろうと問われると、いやその代わりにこの頃は天理が帰参していると答える。一時も空き店ではいない。今の人は大屋の店借り。欲が大きな顔をして寝ている。それを切って取るのが克己である。それを仕遂げた処で明徳性善という本来のものになる。先刻の処にも「而已」の語があり、またここにもそれがある。どなたの御細工かと言えば、伊川という細工人が両方を作ったのである。いつでも而已より外はない。「克己無巧法」。別の相談はない。
【語釈】
・正五九月…旧暦の正月と五月と九月との称。忌むべき月として結婚などを禁じ、災厄をはらうために神仏に参詣した。
・先刻の処にも而已…克己4を指す。
・克己無巧法…朱子語類41。「克己亦別無巧法。譬如孤軍猝遇強敵、只得盡力舍死向前而已。尚何問哉」。


第七 夬九五曰莧陸夬夬の条

夬之九五曰、莧陸、夬夬、中行无咎。象曰、中行无咎、中未光也。傳曰、夫人心正意誠、乃能極中正之道、而充實光輝。五心有所比、以義之不可而決之、雖行於外、不失其中正之義、可以无咎、然於中道未得爲光大也。蓋人心一有所欲、則離道矣。夫子於此、示人之意深矣。
【読み】
夬[かい]の九五に曰く、莧陸[けんりく]なり、夬[さ]るべきを夬る、中行に咎无し、と。象に曰く、中行において咎无しとは、中未だ光[おお]いならざるなり、と。傳に曰く、夫れ人は心正しく意誠ならば、乃ち能く中正の道を極めて充實光輝す。五心に比する所有り、義の不可なるを以てして之を決せば、外に行いて、其の中正の義を失わず、以て咎无かる可しと雖も、然れども中道に於て未だ光大を爲すを得ざらん。蓋し人心一たび欲する所有らば、則ち道を離れん。夫子此[ここ]に於て、人に示す意深し。
【補足】
・この条は、夬卦九五象伝の程伝にある。

夬がつよいものの勢よく弱いものを打てとること。そこで克己に重疂なこと。人欲は強ひものの様なれとも御坐へ出されぬものだから弱い。強盗と云ても夜る来る。弱ひからなり。此方が今人欲に蹈付られておるから人欲を強と思ふが、人欲はよはいもの。それを打て取るが克己なり。夬もそのことなり。某が幼年の時、鍾馗か鬼を押へ付た繪のある團扇をもちた。夫れに迂斎の賛を書れた。勇猛提利釼百鬼悉退散となり。今人が人欲に負るからなれ、鬼を怯がるは鍾馗でないからなり。鍾馗なればなんのこともなく鬼をつかみつぶす。夬は克己には氣味のよいこと。夬は隂の弱ひものを取て押へること。夬の時節てはあれとも、時に九五は云分んがある。九五は莧陸なりとこう見る文義ぞ。九五の底が莧陸に似たと見ること。莧陸は馬歯莧のこと。和名、むまひゆ、ぬべりひゆ。これがほき々々折るるものなれとも、いこう隂氣に感するもの。拔て日向にをいてもどこ迠も水氣を慕って早くしほれぬもの。水の縁に感あるもの。夬は五陽が揃て一隂を氣味よく取てなげること。九五が上の一隂の隣におるから隂に少し懇な氣味かある。九五も陽なれとも、何と云ても隂が向三軒两隣。少はひいきな心もある。道理は尤なれとも可愛そふにと云心持がある。丁度の莧陸の隂氣を慕ふていなり。時に夬の時節ゆへ莧陸なれとも、そふはひかされず一入に夬夬。やが上に夬る。親類縁者てもすか々々取てなけてゆく。夬る上にも最ふ一つさくること。
【解説】
「夬之九五曰、莧陸、夬夬」の説明。「夬」は強い者が弱い者を勢いよく打って取ることで、克己によい。人欲は人前に出せない弱いものだから、それを打って取るのが克己である。しかし、九五は陽だが、最上段に陰がいるので陰にも懇ろなところがある。そこで九五を「莧陸」とたとえるが、そこを「夬夬」と取って投げるのである。
【通釈】
「夬」とは強い者が勢いよく弱い者を打って取ること。そこで克己には重畳である。人欲は強いものの様だが人前に出せないものだから弱い。強盗も夜る来る。それは弱いからである。自分が今人欲に踏み付けられているから人欲を強いものだと思うが、人欲は弱いもの。それを打って取るのが克己である。夬もそのこと。私が幼年の時、鍾馗が鬼を押さえ付けた絵のある団扇を持っていた。それに迂斎が「勇猛提利釼百鬼悉退散」と賛を書かれた。それは今の人が人欲に負けるからであって、鬼を怯がるのは鍾馗でないからである。鍾馗であれば何事もなく鬼を掴み潰す。夬は克己には気味のよいこと。夬とは陰の弱いものを取って押さえること。夬の時節ではあっても、時に九五には言い分がある。九五は「莧陸」だと、この様に見るのがここの文義である。九五の姿が莧陸に似ていると見る。莧陸は馬歯莧のこと。和名はうまひゆ、すべりひゆ。これがぽきぽきと折れるものなのだが、大層陰気を感じるもの。抜いて日向に置いても、何処までも水気を慕って早く萎れることがない。水の縁に感がある。夬とは五陽が揃って一陰を気味よく取って投げること。九五が上の一陰の隣にいるから陰に少し懇ろな気味がある。九五も陽なのだが、何と言っても陰が向こう三軒両隣で、少しは贔屓する心もある。道理としては尤もだが可哀相にという心持ちがある。丁度、莧陸が陰気を慕う様なもの。時に夬の時節なので莧陸なのだが、そうは引かされず一入に「夬夬」。弥が上に夬[さく]る。親類縁者でもずかずか取って投げて行く。夬る上にもう一つ夬るのである。
【語釈】
・夬…夬卦。乾下兌上。澤天夬。最上段の爻に陰がいて、その下の五爻が全て陽の卦。

押肌ぬいて九五もすれとも、少しひかれる心がある。ひかれるとても中行無咎。中々隂にだき込れはせぬ。賄賂はうけぬ。無咎なり。無咎がだたい易で十分な字ではない。根から無いを無咎とは云ぬ。咎もあるかと思たに、無咎なり。本んによいのは吉也の、元吉也のと云。中行無咎は周公旦の辞なり。中未光は孔子なり。中行無咎の中の字と中未光の中の字とは二たはなにかへて見ること。周公旦はたとへひかれる心があろふとも夬夬した。中行無咎とかけた。孔子は、中行無咎と聞けばこれでよさはよいが、どこにか十分にない処がある。中未光也とかけたもの。孔子が九五の腹を見ぬいて云たことと見ることぞ。周公旦の無咎と云れたて表向はすんだが、さっはりとせぬ処あるとなり。これはいこう思召ある詞ぞ。
【解説】
「中行无咎。象曰、中行无咎、中未光也」の説明。「中行无咎」は周公旦の辞で、「中未光」は孔子の語である。周公旦は、引かれる心があっても夬夬とするので中行无咎であると繋け、孔子は、中行無咎でも、どこか十分でない処があるから中未光也と繋けた。
【通釈】
押し肌脱いで九五をしても、少し引かれる心がある。しかし、引かれると言っても「中行无咎」。中々陰には抱き込まれはしない。賄賂は受けない。そこで、无咎である。そもそも无咎は易では十分な字ではない。根から無ければ无咎とは言わない。咎もあるかと思ったが、无咎である。本当によいことは「吉也」や「元吉也」と言う。中行无咎は周公旦の辞であり、「中未光」は孔子の語である。中行无咎の中の字と中未光の中の字とは別な意として見ること。周公旦は、たとえ引かれる心があろうが、夬夬としたので中行无咎であると繋け、孔子は、中行无咎と聞けばこれでよいことはよいが、どこか十分でない処があるから中未光也と繋けたもの。孔子が九五の腹を見抜いて言ったことだと見なさい。周公旦が无咎と言われたので表向きは済んだが、さっぱりとしない処があると言うのである。これは大層思し召しのある言葉である。
【語釈】
・押肌ぬいて…「肌脱ぐ」は、身を入れて尽力すること。それを強めて言った語。

傳曰、夫人はもふけて、だれでもほんのことはこふしたものと云こと。心正意誠。大学の字じゃ。必大学の通りに見よと云ことでもないが、さう見てもよい。順が逆まゆへ見にくいこともあるが、先つ大学のとをりに見るにした時に、誠意正心が次第なれとも、あたる処の工夫なりで正からも云ことなり。大学の正心と云か有所好樂不得其正。心が少しても引れてゆくと夫れに取らるるか、正ければ兼て格知した通りの意誠になるゆへ何にてもひかれることもあるかと云に、ちっともひかれはせぬ。心正意誠なれはまいないがふっても取る様なことはないほとに能極中正之道、心が光りきってをる。そこを充実光輝と云たなり。これまでにちっとも云分のないを云。九五はそれとはちごふてと下文にうつる。
【解説】
「傳曰、夫人心正意誠、乃能極中正之道、而充實光輝」の説明。「心正意誠」は大学とは順が違うがそれと同じく見てよい。心が正しければ意は誠になって、何にも引かれることはない。「能極中正之道」で心が光り切っているので「充実光輝」と言う。
【通釈】
程伝にある「夫人」はたとえで言ったことで、誰でも本当のことはこうしたものということ。「心正意誠」。これは大学の字。必ずしも大学の通りに見ろということでもないが、その様に見てもよい。順が逆様なので見難いこともあるが、先ずは大学の通りに見ることにした時に誠意正心が順番ではあるが、当たる処の工夫に従って正心からも言うことがある。大学の正心は「有所好楽不得其正」。心が少しでも引かれて行くとそれに取られるが、正しければ前から格知した通りの意誠になるので、何かに引かれることがあるかと言えば、少しも引かれない。心正意誠であれば賄が降っても取る様なことはないほど、「能極中正之道」と心が光り切っている。そこを「充実光輝」と言ったのである。これまでは少しも問題のないことを言い、九五はそれとは違うと言って下文に移る。
【語釈】
・有所好樂不得其正…大学章句7。「所謂脩身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正。有所恐懼、則不得其正。有所好樂、則不得其正。有所憂患、則不得其正」。

五心有所比。九五も仕打に云分はないが、五心と云は孔子の中未光の中の字へあてたもの。道理で夬をはぬるが、可愛そふにあれともと云心がある。比むと云は理外な可愛処があるもの。知らぬ犬が子共を喫ふたと云。夫れ打殺せと云が、吾が飼犬か人をあやめればにくいやつ殺せとは云が、不便な心もある。そのことなり。然於中道未得為光大。心の内で親むと云字が油断のならぬこと。忌日に精進は落ぬけれとも好物が鼻のさきにある。鯛が来たで心がうごめく。人欲と云は外へ皃を出さずとも、む子の内でうごめく処で云分になる。周公の無咎と云たに孔子のわり入て見て、内の親んで居るをてらぬ処があると云。則離道矣。是を大事に見ることぞ。今離るると知らずに離るるもの。道者須臾不可離の下に戒愼於不睹を出して道を離れぬにかけ、離れそうな処へ戒懼とかけたはこのことなり。
【解説】
「五心有所比、以義之不可而決之、雖行於外、不失其中正之義、可以无咎、然於中道未得爲光大也。蓋人心一有所欲、則離道矣」の説明。「比」は、理外なことを感じること。周公が无咎と言ったが、孔子は内で親しむから照らない処があると言った。
【通釈】
「五心有所比」。九五もその振舞いに言い分はないが、五心とは孔子の「中未光」の中の字へ当てたもの。道理で夬を刎ねるが、可哀相だという心がある。「比」には理外で可哀相と思う処があるもの。知らない犬が子供を噛んだと聞けばそれ打ち殺せと言うが、自分の飼い犬が人を危めればに憎い奴、殺せとは言っても不便に思う心もある。そのこと。「然於中道未得為光大」。心の内で親しむという字が油断のならないこと。忌日に精進は怠らないが、好物が鼻の先にある。鯛が来たことで心が蠢く。人欲は、外へ顔を出さなくても胸の内で蠢く処で問題となる。周公が無咎と言ったが、そこに孔子が割り入って見て、内で親しんでいるから照らない処があると言った。「則離道矣」。ここを大事に見なさい。今、離れるとは知らずに離れるもの。「道者須臾不可離」の下に「戒慎於不睹」を出して道を離れないことに繋けたが、離れそうな処へ戒懼と繋けたのはこのことである。
【語釈】
・道者須臾不可離…中庸章句1。「道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞」。

夫子於此云々。孔子の中未光を殊の外深意と見るものか漢唐にはない。ここらが濂洛の眼なり。そふたい漢唐は只行義よくしてをる迠のこと。こんな処へのぞいて見ると云は程子以来なり。克己は表向よくても内に云分ありてはならぬ。そこで第五倫が弟の子の病氣のときには十起ても、心に云分があるを私と名乘て出たなどがよほどなことなり。わざの学問では知られぬこと。野沢十九良の、前漢より後漢によい人が多ひと云はれた。こんな人のことなり。中未光は魂へ切込だことゆへさてさて深ひこと。垩人の道が孔子で大成したと云もこの様なこと。徂徠などが其孔子迠見処のあさいでかるくする。徂徠は俗に投する学なり。垩人の意の深いことをも淺く説くて俗人の勝手によいやふになるが、俗に投すると云もの。其投俗は権謀術數、すぐに伯者なり。手くろで人のきげんをよくする。魂へわりてこんでよくすることは、人々いやがるなり。垩人之道は魂へわりこむこと。其証拠には、天子で云へば皇建有極。心を正くして身を天下の目當となるやふにする。周子が浪人の工夫に主靜立人極也。天子は吾よくなりて其上に民に極を賜ふ。天下中の人の胸をよくする。これが本で、それから出る政。明德新民なり。
【解説】
「夫子於此、示人之意深矣」の説明。漢唐は行儀ばかりの業の学問だった。克己は表向きがよくても内に問題があってはならない。「中未光」は魂へ割り込んだこと。魂へ割り込むことは人々の嫌がることだが、聖人の道は魂へ割り込むことであり、自分がよくなった上で民をよくする。
【通釈】
「夫子於此云々」。孔子の「中未光」を殊の外深意があると見る者が漢唐にはいない。ここ等が濂渓二程の眼力である。総体、漢唐はただ行儀をよくしているだけのこと。こんな処へ覗いて見るということは程子以来のことである。克己は表向きがよくても内に問題があってはいけない。そこで第五倫が弟の子が病気の時には十回起きても心に言い分があるのを私と名乗って出たなどというのが余程のことである。それは、業の学問では知ることのできないこと。野沢十九郎が前漢より後漢によい人が多いと言われたのは、この様な人を指してのことである。「中未光」は魂へ切り込んだことなので、実に深いこと。聖人の道が孔子で大成したと言うのもこの様なこと。徂徠などは見処が浅いので、その様な孔子までを軽く見る。徂徠は俗に投ずる学である。聖人の意の深いことをも浅く説くので俗人の勝手にはよい様になるが、それは俗に投ずると言うもの。その投俗は権謀術数で、直ぐに伯者である。手練手管で人の機嫌をよくする。魂へ割り込んでよくすることは人々の嫌がることだが、「聖人之道」とは魂へ割り込むこと。その証拠には、天子で言えば「皇建有極」。心を正しくして身を天下の目当てとなる様にする。周子は浪人の工夫として「主静立人極也」と言った。天子は自分がよくなって、その上で民に極を賜う。天下中の人の胸をよくする。これが本となって、それから出るのが政である。これが「明徳新民」である。
【語釈】
・第五倫…小学外篇善行。「或問第五倫曰、公有私乎。對曰、昔人有與吾千里馬者。吾雖不受毎三公有所選擧心、心不能忘而亦終不用也。吾兄子嘗病。一夜十往退而安寢。吾子有疾。雖不省視而竟夕不眠。若是者豈可謂無私乎」。第五倫のことは後漢書にある。
・野沢十九良…野沢弘篤。
・孔子で大成…孟子万章章句下1。「孟子曰、伯夷、聖之清者也。伊尹、聖之任者也。柳下惠、聖之和者也。孔子、聖之時者也。孔子之謂集大成」。
・手くろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。手練手管。
・皇建有極…書経洪範九疇。「五、皇極。皇建其有極」
・主靜立人極…道体1。「而主静立人極焉」。

其胸へわり込むと云が克己なり。孔子の春秋にも趙盾弑其君と書せり。胸へわりこんだ処。實は従弟の趙穿が弑した。春秋誅意なり。斯ふした胸から出る政でなければならぬ。そこで近思の治体、心から立つ。去に由て、書經は二帝三王の政のことなれとも、蔡九峯が書經の序に心の字九つ迠出された。学者天下に傳[つて]があるものならば、爰の仕法、彼この仕向とさま々々の時事を云はふが、心へわりこむの、政は心と云から立つと云ことを知たものも云ものもあるまい。そこはせふこともない。俗儒なり。そんなことは、河村瑞軒や角倉有意などのしたわざも、いこふ天下に利あることぞ。但し垩人の道からはとろいことなり。朱子などは天子の御前で申上らるる、とかく誠意正心なり。その筋は上の厭はるると内意を云たれば、これを申上ずして我君を欺んやと云へり。当時の君の好であろふが嫌ひてあろふが是より外に云ことは知らぬと云れた。これが孔子の道を得られた処なり。治法のことは同安から南康當役になりてはあの通りのことともなり。
【解説】
胸へ割り込むのが克己である。河村瑞軒や角倉了意の事業は天下を利したが、それは聖人の道とは言えない。朱子は天子の前でも誠意正心のことを述べた。心のことなのである。
【通釈】
その胸へ割り込むというのが克己である。孔子の春秋にも「趙盾弑其君」と書かれている。そこが胸へ割り込んだ処で、実は従弟の趙穿が弑したのだが、これが春秋誅意である。この様な胸から出る政でなければならない。そこで、近思の治体は心から立てる。そこで、書経は二帝三王の政のことが書かれているのだが、蔡九峯は書経の序に心の字を九つも出された。学者は天下につてがあるものだから、ここの仕法、この仕向けと様々の時事を言い述べるが、心へ割り込むことや、政は心ということから立つことを知った者もそれを言う者もいないだろう。それは仕方のないことで、俗儒だからである。そんなことで言えば、河村瑞軒や角倉了意などのした行いも大層天下に利のあることだが、聖人の道からはとろいこと。朱子などは天子の御前で申し上げられることはとかく誠意正心のこと。その筋は上の厭われることだと内意を言われれば、これを申し上げなければ我が君を欺くことになると言った。当時の君が好きであろうが嫌いであろうがこれより外に言うことは知らないと言われた。これが孔子の道を得られた処である。治法のことは、同安から南康の当役になって、あの通りのことなのである。
【語釈】
・趙盾弑其君…春秋宣公。「秋、九月乙丑。晉趙盾弑其君夷皋。穿弑也。盾不弑」。
・春秋誅意…論語憲問15。「夫子之言、亦春秋誅意之法也」。
・河村瑞軒…江戸前期の商人・土木家。瑞見・瑞軒とも書く。十右衛門・平太夫と称。伊勢の人。地理・土木の術に長じ、安治川・淀川・中津川の治水工事、また東回り・西回り航路を完成。これらの功で旗本に登用された。1618~1699
・角倉有意…角倉了以。江戸初期の豪商・土木家。名は光好。洛西嵯峨に住む。算数・地理を学び、1604年(慶長九)頃より安南国に朱印船(角倉船)を派遣して貿易を営む。嵯峨の大堰川・富士川・天竜川の水路を開き、また、京都に高瀬川を開削。1554~1614

今吾黨の学をするものはとかく心と云こと。中未光と云からの克己にて、さて克己のゆるむ処を鞭策して標的へ行くこと。夫へきりこむことのならぬは俗儒と云れて腹は立れぬ。さればこそ、直方先生の鞭策録、排釈録、道学標的を編れた。これで少もまぎらはならぬ。直方は編集の書で看よ。まぎらかすことはならぬが見へてある。心術々々とかかるから、直方を人のいやかるも尤なり。世間めく學者には狐に黑札なり。浅見先生の靖献遺言、あれを受用に見る日には首を軒らるるも何共思ぬこと。されとも當分のことでないからどうやらこうやら紛らもなるから、そこで好む人も多ひ。つひなんぞ士の筋にもなるか、心術の功夫は端的のことゆへ人がいやかる。王道と云は中未光の吟味か入て克己からすること。とかく心術が本になる。夫なしに政をするは伯者なり。曽子の孫の曽西を管仲に比したれば、大に腹立た。屠兒にても比したやうなていなり。祖父の師匠の孔子が管仲が功を褒るときのは如其仁哉々々々々と云れたれとも、垩学にはよせつけぬと云ことを曽西か知たからそ。ここらのあやを知て董仲舒が仲尼之門三尺之童耻謂五覇と云れた。只今の儒者が程朱の後に生れて道体性命の話をきいても、心に本つかず、心に割こまぬから、伯者のすることをもうらやむ。義利の弁にくらいから、道理に向てさへることがならぬ。皆覇心が除ぬのぞ。つまり己に克ぬからのことと形をつけることぞ。示人之意深矣とあるから段々と、かくは敷衍するなり。
【解説】
我が党の者は心術から始め、克己が緩む処を鞭策して標的へ行くのである。心術の功夫は端的なことなので人は嫌がるが、王道もそこから始まる。今の者は己に克たないから、伯者を羨み、道理に冴えがない。
【通釈】
今我が党の学問をする者はとかく心と言わなければならない。「中未光」というところからの克己で、さて克己が緩む処を鞭策して標的へ行くのである。それへ切り込むことができないのならば、俗儒と言われても腹を立てることはならない。それでこそ、直方先生が鞭策録、排釈録、道学標的を編まれたのである。これで少しも紛らかしはならない。直方の編集の書で看なさい。紛らかすことはならないことがそこに見えてある。心術と掛かるから、直方を人が嫌がるのも尤もなことである。世間めく学者には狐に黒札である。浅見先生の靖献遺言を受用に見るのであれば、首を斬られても何とも思わない筈だが、それは当座のことではないからどうやらこうやら紛らかしもなり、そこで好む人も多い。つい何ぞ侍の筋にもなるが、心術の功夫は端的のことなので人が嫌がる。王道には中未光の吟味が必要で、それは克己からする。とかく心術が本になる。それなしに政をするのは伯者である。曾子の孫の曾西が管仲と比べられて、大いに腹を立てた。それは屠児にでも比べられた様だった。祖父の師匠の孔子が管仲の功を褒める時に「如其仁哉如其仁哉」と言われたが、それでも聖学には管仲を寄せ付けないことを曾西が知っていたからである。ここ等の綾を知って董仲舒が「仲尼之門三尺之童恥謂五覇」と言われた。只今の儒者が程朱の後に生れて道体性命の話を聞いても心に基づかず、心に割り込まないから、伯者のすることをも羨む。義利の弁に暗いから、道理に向かって冴えることができない。皆覇心が除けないのである。つまり己に克たないからのことだと片を付けなさい。「示人之意深矣」とあるから段々に、そうして敷衍するのである。
【語釈】
・狐に黑札…能勢の稲荷で「黒札」と称する表面を黒々と塗った護符を出した。これを所持する者は野狐に化かされず、また狐つきに罹った者にこの札を示すとたちどころに平癒すると言い伝えられた。
・曽西を管仲に比したれば…孟子公孫丑章句上1。「或問乎曾西曰、吾子與子路孰賢。曾西蹵然曰、吾先子之所畏也。曰、然則吾子與管仲孰賢。曾西艴然不悅。曰、爾何曾比予於管仲。管仲得君、如彼其專也。行乎國政、如彼其久也。功烈、如彼其卑也。爾何曾比予於是」。
・如其仁哉…論語憲問17。「子曰、桓公九合諸侯、不以兵車、管仲之力也。如其仁、如其仁」。
・仲尼之門三尺之童耻謂五覇…孟子梁恵王章句上7。「董子曰、仲尼之門、五尺童子羞稱五霸。爲其先詐力而後仁義也、亦此意也」。
・義利の弁…梁恵王章句上1の話。


第八 方説而云々の条

方説而止、節之義也。
【読み】
説ぶに方[あた]りて止まるは、節の義なり。
【補足】
・この条は、節卦彖伝の程伝にある。節卦は兌下坎上で、兌は説、坎は険の意。ここは節卦彖伝の「説以行險、當位以節」を説いたもの。

是から殊の外手短な克己なり。克己は大きいことなれとも、そこ爰小ひこそくり普請からするでよいこともある。只大ひこと計り克己々々と云てはあらいことぞ。克己は大も小もして丸で欲をなくして天理へ皈ること故、小ひ方からするも深切なこと。方説はさて々々よいと出たこと。夫には人がひかるるもの。これは大ことも小こともある。好色から立身、それから酒料理も庭もふしんも花壇もなり。そこへ道理を省るが止るなり。喜ぶことには喜に引るるもの。さてもよいと云処でゆだんをせぬこと。河漏[そばきり]も嚙む様になりてはくへぬと云。嚙む様になってやめるは方説而止るの道ではない。未だ喰へるとき止める。是を知ら子は、鹿を逐獵師山を見ずになる。出頭鼻つくもこのこと。出頭人と云ものは知行俸禄は云にも及ず、女房の持病にも妙藥を賜り、忰が疱瘡と云、一角を下さる。これは有難い、あまり勿躰ない。爰が油断のならぬと見子は鼻をつく。安安而能移もそこなり。うつる、止るらしくはないが、あまりよさすぎる、はや吾へ省て脇へのく。欲に流れぬのなり。拍子の辨へがないと道理へもどらぬ。克己は道理へもどる。しゃんと節して止るでよい。銭のほしくないものは名、名を好ぬものは銭と出るもの。果をつけるかよい。
【解説】
説ぶことに人は引かれるが、そこで油断せず、道理を省みる。過ぎない様にして止まるのである。すっかりと欲をなくして天理に帰るのが克己なのである。
【通釈】
ここからは殊の外手短な克己である。克己は大きいことだが、そこここの小さな普請からすることでよいこともある。ただ大きいことばかりを克己と言うのは粗いこと。克己は大も小もして全く欲をなくして天理へ帰ることなので、小さい方からするのも深切なこと。「方説」はさてさてよいと出たことで、それには人が引かれるもの。これには大きなことも小さなこともある。好色から立身、それから酒料理も庭も普請も花壇もそれである。そこで道理を省みるのが「止」である。喜ぶことでは喜に引かれるものだが、実によいという処で油断をしないこと。蕎麦切りも噛む様になっては喰えないと言う。噛む様になって止めるのは「方説而止」の道ではない。まだ喰える時に止める。これを知らなければ、鹿を逐う猟師山を見ずになる。出頭人が鼻を突くと言うのもこのこと。出頭人という者は知行俸禄は言うにも及ばず、女房の持病にも妙薬を賜り、忰が疱瘡と言えば一角を下される。これは有難い、あまりに勿体ないと思うところで、油断がならないと見なければ鼻を突く。「安安而能遷」もそこのこと。移るのは止まることらしくないが、あまりに良過ぎると直ぐに自省して脇へ除ける。それは欲に流れない様にすることである。拍子の弁[わきま]えがないと道理へと戻らない。克己は道理へ戻ること。しっかりと節して止まるのでよい。銭の欲しくない者は名、名を好まない者は銭と出るもの。その結果を考えて見なさい。
【語釈】
・こそくり…小さな修繕。
・出頭…出頭人。室町時代から江戸時代の初めにかけて、幕府または大名の家で、君側に侍って政務に参与した人。三管領・四職と奉行または老臣の類。
・鼻つく…鼻突く。主君などが、叱る。勘当する。鼻を突く。
・安安而能移…礼記曲礼上。「賢者狎而敬之、畏而愛之、愛而知其惡、憎而知其善、積而能散、安安而能遷。臨財毋苟得、臨難毋苟免、很毋求勝、分毋求多。疑事毋質、直而勿有」。


第九 節之九二不正之節也の条

節之九二、不正之節也。以剛・中・正爲節、如懲忿窒欲、損過抑有餘、是也。不正之節、如嗇節於用、懦節於行、是也。
【読み】
節の九二は、不正の節なり。剛・中・正を以て節と爲すは、忿[いかり]を懲らし欲を窒[ふさ]ぎ、過ぎたるを損じ餘り有るを抑うるが如き、是れなり。不正の節は、嗇の用を節し、懦の行を節するが如き、是れなり。
【補足】
・この章は、節卦九二の程伝にある。

上の章は短ひ章でも節の卦の面目が見へる。時に九二と云は自分が陽で隂の塲におるから塲が正くない。夫故節[ほとよ]くする氣なれとも、ほんの道理に叶でほどよいではない。一と働なる身で居てせぬのなり。療治もなる医者が無性に用心して、かるい病人をも外へ見せろ々々々々々と云。又、何も覚なく人の骸を手習双紙にするよりましとも云をふが、あまり引込思案なり。九二もそれなり。一つ其根を知るがよい。爰の經文に不出門庭凶也とあるもそれに付ての論なり。如懲忿窒欲。九二は不正之節だからよいのを一つ語て聞さう。怒はわるいもの。腹が立つと親兄弟も見さかへぬもの。其忿をへらしてをさへる。窒欲は人欲に目張をして洩りをとめる。大切な藥も藥鍋の洩りから皆になる。そこを止める。これが節の姿なり。節を只出はらぬがよいと云様に云と不正之節なり。周公旦の不正の節を凶と云たは譬て、云はば節用はよいこと。論語にも節用愛民とある。
【解説】
「節之九二、不正之節也。以剛・中・正爲節、如懲忿窒欲、損過抑有餘、是也」の説明。九二は陽が陰の場にいるので場が正しくない。しかし、節はただ出張らないだけでなく、「懲忿窒欲」をするのでよい。
【通釈】
前章は短い章であっても節の卦の面目がそこに見える。時に九二は、自分が陽なのに陰の場にいるから場が正しくない。そこで、ほどよくする気はあるが、本当の道理に叶ってほどよいのではない。一働きすることができる身でいながらしないのである。療治もできる医者が無性に用心をして、軽い病人をも他の医者に見せろと言う。また、何の覚えもなくて人の体を手習草紙にするよりもましだとも言うが、それはあまりに引っ込み思案である。九二もそれ。一つその根を知りなさい。ここの経文に「不出門庭凶也」とあるのも、それについての論である。「如懲忿窒欲」。九二が「不正之節」だからよいということを一つ語って聞かそう。怒は悪いもので、腹が立つと親兄弟も見境がつかなくなる。その忿を減らして抑える。窒欲は人欲に目張りをして洩れを止めること。大切な薬も薬鍋の洩れから台無しになる。そこを止める。これが節の姿である。節をただ出張らないのがよいと言えば不正之節となる。周公旦が不正の節を凶と言ったのはたとえであって、言ってみれば節用はよいこと。論語にも「節用愛民」とある。
【語釈】
・九二…節卦九二。「不出門庭。凶。象曰、不出門庭、凶、失時極也」。
・節用愛民…論語学而5。「子曰、道千乘之國、敬事而信、節用而愛人、使民以時」。

よいことなれとも、如嗇節於用。しわいものの儉約なり。金をめったにつかわぬものと云から尤なこと。道理で云かとをもへはしわいから。親の大病に人参買にもおしむ。懦節於行。關東の猪武者と云。行は出はるものだに夫を出すぎぬ。至極よいかと思てよくきけば懦弱ものなり。何事も中を見ぬことは知れぬもの。中へ這入て詮義して見たれば臆病ものなり。あてにならぬ。垩賢の身は父母之遺躰と云から夜道などはせぬと云かと思へばそふてはなく、根が臆病からなり。吾氣質のしわいや臆病を成就したがりてのこと。つまり氣質を以易の節の卦主張するになる。さても見処のないと云に是程はない。学者の謙退遜順は節な底なり。節は出してよいこともある。又、わるいこともある。出す処へは出し、出すまい処へは出さぬか節なり。小學のものが輕慢同列侮詈長者。これはわるいか、任道者は出はることも大言も云は子ばならぬ。孟子の楊墨を闢かるるに弁をふるへば、不案内な者か好弁と云た。そこで孟子が吾豈好辨哉吾不得已と云た。それが孟子の門庭を出た処なり。出す処へは出すが節なり。盗賊奉行の捕り方に捕りそこない御免と云て滅多に捕る。待てと云ても盗賊でないものもある。さりとは麁相なれとも、それにかまわぬは盗人をきびしくするからぞ。門庭を出たなり。
【解説】
「不正之節、如嗇節於用、懦節於行、是也」の説明。節は出張らないことだが、「嗇節於用」や「懦節於行」は道理から出たことではない。吝や懦弱は気質であり、気質で節の卦を説くものである。節は、出す処へ出し、出してはならない処へは出さないことが大切である。
【通釈】
節はよいことだが、「如嗇節於用」。これは吝い者の倹約である。金は滅多矢鱈に使わないものと言うから尤もなこと。道理で言うのかと思えば吝いから。親の大病に人参を買うのにも惜しむ。「懦節於行」。関東の猪武者と言う。行は出張るものだが出過ぎない。それは至極よいことかと思ってよく聞けば懦弱者である。何事も中を見なければわからない。中へ這い入って詮議して見ると臆病者だった。当てにはならない。聖賢が「身也者父母之遺体」と言うから夜道などをしないと言うのかと思えばそうではなく、根が臆病だからである。それは、自分の気質にある吝いことや臆病を成就したがってのことで、つまり気質で易の節の卦を主張する。見処がないと言うのにこれほどのことはない。学者の謙退遜順は節な姿である。節は出してよいこともあるし、また、悪いこともある。出す処へ出し、出してはならない処へは出さないのが節である。小学の者が「軽慢同列侮詈長者」。これは悪いが、道を任ずる者は出張ることも大言も言わなければならない。孟子が楊墨を闢かれるために弁を揮うと、不案内な者が「好弁」と言った。そこで孟子が「吾豈好弁哉吾不得已」と言った。それが孟子の門庭を出た処である。出す処へは出すのが節である。盗賊奉行の捕り方が捕り損い御免と言って滅多矢鱈に捕る。待てと言っても捕まえるが、その中には盗賊でない者もいる。それでは粗相となるが、それに構わないのは盗人を厳しくするからである。これが門庭を出ること。
【語釈】
・身は父母之遺躰…礼記祭義。「曾子曰、身也者、父母之遺體也。行父母之遺體、敢不敬乎」。
・孟子の楊墨を闢かるる…孟子滕文公章句下9。「閑先聖之道、距楊墨、放淫辭、邪説者不得作」。
・好弁…孟子滕文公章句下9。「公都子曰、外人皆稱夫子好辯。敢問何也。孟子曰、予豈好辯哉。予不得已也」。

山﨑先生、直方先生などは見迯しなく弁するから人がにくむほどのこと。任道からなり。夫を知らいで温々恭人是德之基、山﨑氏曽不思之哉と苦労さるるが、曽て夫に及ぬこと。却て鳩巣先生などのあれほどな学識文才で徂徠を弁じられぬが不出門庭なり。公儀の儒宦と成ては徂徠が異説は是非弁ぜ子ばならぬことなり。先つ公儀の学問の根を知ろふことぞ。國初林家を御用ひの始め、道春の四書の新注を讀れた。夫れを公家衆から、朱子の新注は勅許なくてはよまれぬことと咎められた。其時権現様の、朱註か人の為になるなら新註ゆるすべきと仰られて事すみたなり。これより四書の本は家々にて重刻しても何れより咎なきことなり。すれば公儀は國初から朱子学。御代々朱子学と張り出したことなり。然れは、一旦公義の儒者と成ては、あの時の徂徠学天下に流行するを見ては居られぬ。任なり。然れとも、鳩巣先生道德純熟默養してをられた。学識もあり、文章にも冨た人。鬼に金棒なり。當時の任は先生の外はないことじゃに、竟い弁ぜぬ。千きんの弩けい鼠の為に機を発せぬ。徂徠の学がはやるから杜門をられた、と。それを弟子衆が吹聽するは合点ゆかず。とかく謙退遜順な方から節せられたなるかなり。知も行も及もないことなれとも、日比温々恭人と目が付て闇斎なとを不德と思て居られたによってかなり。然れとも、宦儒で居て公儀の学へ弓を引く様な異説を弁せぬ。謙遜のすぎたるかなり。とかく学者吾任に當ったときは、謙退離れて弁せ子ばならぬこと。徂徠は古学の先王のと云立、古文字と云。つまりは文辞からのこと。そこで文筆なきものには手にあまる。鳩巣先生は文章平坦古雅。徂徠が佶倔獒呀とはりあふことなり。それに弁せられぬは節にあはぬやふに思はるる。某などがやふないろは書く様なことては出来ぬ。
【解説】
山崎先生や直方先生が人から憎まれるほど弁じるのは道を任ずるからであり、鳩巣先生などが学識文才でありながら徂徠を弁じられないのが「不出門庭」である。公儀の学問は家康が許可した朱子学である。鳩巣は官儒でありながら異学の徂徠を弁じないのは任を果たしておらず、節に中ったものでない。
【通釈】
山崎先生や直方先生などは見逃しなく弁じるから人が憎むほどのこと。それは道を任ずるからである。それを知らないので「温々恭人是徳之基、山崎氏曽不思之哉」と忠告をされたが、そもそもそれには及ばない。却って鳩巣先生などがあれほどの学識文才で徂徠を弁じられないのが「不出門庭」である。公儀の儒官となれば徂徠の異説は是非弁じなければならない。先ず公儀の学問の根本を知りなさい。国初に林家を用いた際、道春が四書の新注を読まれた。それを公家衆から、朱子の新注は勅許がなくては読んではならないことだと咎められた。その時に権現様は、朱註が人のためになるのなら新註を許すべきだと仰せられて事が済んだ。これより四書の本は家々で重刻しても何処からも咎められないことになった。それなら公儀は国初から朱子学であって、御代々朱子学と張り出したのである。そこで、一旦公儀の儒者となれば、あの時分に徂徠学が天下に流行するのを見てはいられない。任である。しかしながら、鳩巣先生は道徳純熟で黙養しておられた。学識もあり、文章にも富んだ人で鬼に金棒な人である。当時の任は先生の外はできないことなのに、ついに弁じなかった。千鈞の弩弓鼠のために機を発せずで、徂徠の学が流行るから門を閉じられたと弟子衆が吹聴するのは合点がゆかない。とかく謙退遜順な方から節せられたのだろうか。知も行も申し分ないが、日頃温々恭人に目が付いて闇斎などを不徳な者と思っておられたからだろうか。しかし、官儒でいて公儀の学へ弓を引く様な異説を弁じなかったのだから、謙遜が過ぎたのだろうか。とかく学者が自分の任に当たった時は、謙退から離れて弁じなければならない。徂徠は古学や先王と言い立て、古文字と言う。つまりは文辞からのこと。そこで文筆の力のない者には手にあまる。鳩巣先生は文章平坦古雅だから、徂徠の佶屈聱牙と張り合う人である。それなのに弁じられなかったのは節に合わない様に思われる。私などの様ないろはを書く段階では、それはできないこと。
【語釈】
・佶倔獒呀…佶屈聱牙。韓愈。進学解。文章が堅苦しく難解で、読みにくいこと。

又一種節々と云ても謙退で横平にあたることもあり、容貌詞氣は謙て心の高ふる有。只大言を云ひ、出はって謙遜になるあやもある。どこでも温々恭人と心得ることてはなし。克己へなじぇこんなことを云なれば、心の底からの吟味なり。とかく克己は身ををしまぬかつまりの処。首の坐まで身を惜まぬで日蓮がひかる。朱子の晩年偽学の禁に遇れ、一言のことで嶋へもやらるる時節、親しい友や門人の中でもちと弟子もへらし講論もやめるがよいと云たに中々きかぬ。壁立萬仭とある。此等はつまり理で一己の欲を入ぬこと。克己に上もないこと。又、徂徠か程朱をわるく云。悪言などは此方からいかほどにそしろふとも云たりぬことそ。今日吾友も万事世の中を柔和忍辱でわたる。それはつまり身かばいにあたる。身をかばふは克己姿でない。凡そ異学を弁するに遠慮はなし。時事と云は和漢ともに上へかかることこそ云れ子、学問上では云るることなり。只柔和忍辱と出るは、ちと氣概あれば俗人も耻ること。これより推して俗儒の甲斐ないも知るへし。とかく耻を知らぬ族らが多い。徂徠派が大名へ抱へらるるに論語徴でよんでは家老用人が合点せぬから、宗旨は徂徠で集註でよむ。堀川学と称しても、今時は大名の家へでもゆかば、多は大学もよむべし。利欲紛挐の域に入れば沙汰の限り。このやうな粗跡でさへ一つ振ふことはならぬて心身の建立はならす。程朱をわるく云はまだも元氣よし。云ぬと云。人欲はさて々々なり。
【解説】
節とは、いつでも温々恭人でいることではない。朱子も日蓮も出張った。柔和忍辱で世を渡るのは、自分の身を庇うからであり、それは恥である。程朱を悪く言う徂徠派が集註で講義をし、大学を否定する古学派が大学で講義をするのは言語道断である。
【通釈】
また一口に節々と言っても謙退で横柄に当たることもあり、容貌言葉使いは謙でありながら心の高ぶることもある。ただ大言を言っても、出張って謙遜になる綾もある。何処でも温々恭人だと心得ることではない。克己に何故こんなことを言うのかというと、心の底からの吟味だからである。とかく克己は身を惜しまないことが詰まり処である。首の座まで身を惜しまないので日蓮が光る。朱子が晩年偽学の禁に遇われ、一言のことで島へ流される時節、親しい友や門人の中からも、少し弟子も減らし講論も止めた方がよいと忠告されたのに中々それを聞かない。「壁立万仭」とある。ここ等はつまり理だけにして、一つも己の欲を入れないことで、克己にはこの上もないこと。また、徂徠が程朱を悪く言うが、悪言などはこちらもどれほど譏っても言い足りないこと。今日我が友も万事世の中を柔和忍辱で渡る。それはつまり身を庇うものである。身を庇うのは克己姿でない。凡そ異学を弁じるのに遠慮は要らない。時事は和漢共に上へ掛かることで言うことこそできないが、学問上では言うことができる。ただ柔和忍辱と出ることは、少々気概があれば俗人でも恥じること。これより推して俗儒の甲斐ないことも知りなさい。とかく恥を知らない輩が多い。徂徠派が大名へ抱えられ、論語徴を読んでは家老や用人が合点しないから、宗旨は徂徠でありながら集註を読む。堀川学と称しても、今時は大名の家へでも行けば、多くは大学をも読むだろう。利欲紛挐の域に入れば言語道断。この様な粗跡でさえ振うことができなくて、身の建立はできない。程朱を悪く言うのはまだ元気がよいが、それも言わないと言う。人欲は困ったものである。
【語釈】
・偽学の禁…韓侘冑により朱熹の学問は偽学とされる。慶元二年(1196)
・忍辱…忍辱は、六波羅蜜の一。もろもろの侮辱・迫害を忍受して恨まないこと。
・堀川学…伊藤仁斎の唱えた古義学の別称。仁斎の邸宅は京都近衛の南、堀川の東にあった。