第十 人而無克伐怨欲の条  亥正月十四日  文司録。
【語釈】
・亥…1791年。
・文司…吉野文司。東金押堀の人。

人而無克・伐・怨・欲、惟仁者能之。有之而能制其情不行焉、斯亦難能也。謂之仁、則未可也。此原憲之問、夫子答以知其爲難、而不知其爲仁。此聖人開示之深也。
【読み】
人にして克・伐・怨・欲無きは、惟仁者のみ之を能くす。之れ有れども能く其の情を制して行われざらしむるは、斯れ亦能くし難し。之を仁と謂わば、則ち未だ可ならざるなり。此れ原憲の問いに、夫子答うるに其の難きと爲すを知るも、其の仁爲るを知らざるを以てす。此れ聖人開示することの深きなり。
【補足】
・この条は、論語憲問2の「克伐怨欲、不行焉、可以爲仁矣。子曰、可以爲難矣。仁則吾不知也」がもとになっている。

先、克己の功夫と云は歒を打つやうなもの。歒を打には歒の皃を知ら子ばならぬ。さそ曽我兄弟も祐經か皃を知たかったで有ふ。克伐怨欲は歒の皃なり。只今克己々々と云ても歒の皃を知らぬ。知ら子ば討ふよふはない。偖、人欲はさま々々なれとも目指す処は此四つなり。克云々、此四つ持合せてをる。克と云こと、人欲の元めなり。子ともが角力をとるにもはや悦ふ。麁相て頭を柱へ打つけても柱をたたく。それかたん々々巧者がついて、慇懃なものはいんぎんをとなしい面をして心にはしたたか勝氣かある。年よって人の師になって、すんど德のこなれたふりをしてをとなしくても、そっと勝氣かある。どちどうしても克か骨からみになってやまぬものそ。
【解説】
「人而無克」の説明。克己の功夫は敵を討つ様なもので、「克伐怨欲」は敵の顔である。人にはこの四つがあり、その最初が克である。人は慇懃な顔をしていても、心には勝気がある。
【通釈】
先ず、克己の功夫というのは敵を討つ様なもの。敵を討つには敵の顔を知らなければならない。さぞ曾我兄弟も祐経の顔を知りたかったことだろう。「克伐怨欲」は敵の顔である。只今は克己と言うが敵の顔を知らない。知らなければ討てる筈はない。さて、人欲は様々だが目指す処はこの四つである。「克伐怨欲」というこの四つを人は持ち合わせている。その中で、克が人欲の始めである。子供は相撲をとるだけで早くも悦ぶ。誤って頭を柱へ打ちつけても柱を叩く。それが段々巧みになり、慇懃な者は慇懃で大人しい面をして、心にはしたたか勝気がある。年寄って人の師になり、大層徳のこなれた振りをして大人しくても、そっと勝気がある。どうしても克が骨絡みになって止まないもの。
【語釈】
・祐經…工藤祐経。鎌倉前期の武将。伊豆伊東の所領を従弟伊東祐親に奪われたので、これを狩場で傷つけ、その子河津祐泰を殺した。のち源頼朝の寵をうけたが、富士の巻狩に祐泰の遺子曾我兄弟に殺された。

伐は自慢をすることて、克と隣合せな人欲なり。克は人を相手にし、伐は吾一人て相手のない中もほこる。学者の義論するにも額へすぢを出して云はるもあり、又あまり云合ひもせずにたまって居て、吾をよいと思ふものそ。心中ても吾をよいと思ふても口へは出さぬ。表向へ見へて伐ると云より、伐らぬやうに見へてほこるか尚罪が重ひ。ずんと自慢はせぬ皃て自慢をするもの。これが、年がよると尚出るものぞ。学者は心術隠微と云吟味してかかることぞ。とかく心の底に吾より外にはと云て人を輕視する。皆伐りなり。何でも人に伐ると云病は外から見へるも見へぬもあるが、其れは隂症の傷寒と陽症の傷寒なり。とちも大病て命をとらるる処は同しこと。世俗から賢人じゃの君子じゃのと云るる人にもすんど心で高ぶる病があるもの。天下に吾一人と思ふ。是が人欲の日本一なり。直方先生云、日本一の人欲と云を知せてやろふと迂斎に云れた。はああと云たれは、吾をよいと思ふことじゃとなり。此病は一生ぬけぬものそ。
【解説】
「伐」の説明。「伐」は自慢をすること。とかく心の底で自分より外にはいないと思って人を軽視するのが伐である。直方先生が、日本一の人欲とは自分をよいと思うことだと言った。
【通釈】
「伐」は自慢をすることで、克と隣り合わせの人欲である。克は人を相手にし、伐は自分一人て相手のない時でも誇る。学者が議論するにも額へ筋を出して主張することもあり、また、あまり言い合いもせずに黙っていて、自分をよいと思うもの。心中で自分をよいと思っても口へは出さない。表向き見えて伐るというより、伐らない様に見えて誇る方が尚罪が重い。全く自慢をしない顔をして自慢をするもの。これが年寄ると尚出るもの。学者は心術隠微ということを吟味して掛からなければならない。とかく心の底で自分より外にはと思い、人を軽視する。皆伐である。何でも人に伐るという病は外から見えることも見えないこともあるが、それは陰症の傷寒と陽症の傷寒との違いであって、どちらも大病で命を取られる処は同じこと。世俗から賢人だとか君子だとかと言われる人でも大層心で高振る病があるもの。天下に自分一人と思う。これが人欲の日本一である。直方先生が、日本一の人欲ということを知らせてやろうと迂斎に言われた。はいと答えると、自分をよいと思うことだと言われた。この病は一生抜けないもの。

怨はうらみなり。是もさま々々ありて婆々[うば]かかのうらみはすんと浅はかなもの。いかにをれが女ぢゃと思ふてと云てあめやさめやとなくのもあるが、夫れはずんど取にも足らぬことそ。学者の恨はさうしたことてない。人不知而不慍の慍の類て含字入るやふに、怨の上に怨をそへてをる。怨は阴物なれとも怒と云て火を入るそ。吾を知らぬの、をれがなけれは此屋鋪はまっくらやみじゃの、或はいつ迠役替をせずにをくの、是の家中には目のあいた人かないのとつよみを云のか、それがやはり婆母嬶の怨みも同じことなり。欲は子とものときからこびりついておるそ。子ともは先欲はないやうなれとも、食ひものなとをむさぼる欲がある。此欲は生れ子のはいずる内からある。人の喰のを見ると食たがる。吾は喰仕廻ても兄の食ふを見てくいたがる。そんな欲は十が十一になるとそれがやんて来るか、やむてはなく、人欲か役替をしたのそ。却て年をとると立派な欲かふへて来るなり。夫れ故に日にまし好色の情欲なとか殊の外むさぼる。
【解説】
「怨・欲」の説明。「怨」は怨みであり、学者の怨みは「人不知而不慍」の慍の類で、怒を含んでいる。「欲」は子供の時からあるもので、最初は食い物を貪る様なことだが、年をとるとそれが役替をして、好色の情欲などが貪る様になる。
【通釈】
「怨」は怨みである。これも様々とあって、婆母嬶の怨みはかなり浅はかなもの。いかに私が女だからと思ってと言って大泣きをして怨むこともあるが、それは全く取るに足らないこと。学者の恨みはそうしたことではなく、「人不知而不慍」の慍の類であって、これが怒の字を含み、怨の上に怨を添えている。怨は陰物だが、怒と言って火を入れる。自分を知らないとか、俺がいなけれはこの屋敷は真っ暗闇だの、或いはいつまで役替をせずに置くのかとか、この家中には目の開いた人がいないなどと大きなことを言うのが、やはり婆母嬶の怨みと同じこと。「欲」は子供の時からこびりついている。子供は、先ずは欲はない様だが、食い物などを貪る欲がある。この欲は生まれ子が這いずる時からある。人が喰うのを見ると食べたがる。自分は喰い終えていても兄が食うのを見て食いたがる。そんな欲は十歳か十一歳になると止んで来るが、それは止むのではなく、人欲が役替をしたのである。却って年をとると立派な欲が増えて来る。それで、日増しに好色の情欲などが殊の外貪る様になる。
【語釈】
・あめやさめ…ひどく涙を流して泣くことを形容する語。
・人不知而不慍…論語学而1。「人不知而不慍。不亦君子乎」。
・含字入る…論語学而1集註に「慍、含怒意」とある。

飲食男女人之大欲存すと云ても、朝食を二度喰ふとは大人はいわぬ。好色になると十方もない方へも心か出てむさぼるものそ。祇園へゆく道て女を見る。ふりかへり々々々々々見る。あれかやはり朝飯を二度喰ふと同ことなり。詩出東門有女如雲雖則如雲非我思存縞衣綦巾聊樂我。これも好色の情の正い人の、妻子などはあれは妻ではないと見ることそ。一夫一婦庶人之職也と、あれか垩人の正しひ教そ。及其老也戒之在得。欲は年寄程増すものそ。いかさまきたないことて、人の応接に金銀ても持て行けば辞退をしてきれいなことを云て申受まいと云。庭前の牡丹や菊はどふじゃ。一枝と云。尤金銀とは違けれとも、むさほる心に違はない。越前のものには御國の雲丹はどうじゃと声をかける。これ欲るの心、こげついてあるのことなり。欲を床の間へをく内は学者てはない。其れをなくすか仁者なり。
【解説】
「惟仁者能之」の説明。欲は年寄るほどに増すもので、その欲をそのままにしている内は学者とは言えない。欲をなくすのが仁者である。
【通釈】
「飲食男女、人之大欲存」と言っても、朝食を二度喰うと大人は言わない。好色になると途方もない方へも心が出て貪るもの。祇園へ行く道で女を見る。振り返り振り返り見る。それがやはり朝飯を二度喰うと同じこと。詩に「出東門、有女如雲。雖則如雲、非我思存。縞衣綦巾、聊楽我」。これも好色の情の正い人が、あれは妻ではないと見ること。「一夫一婦庶人之職也」と、あれが聖人の正しい教えである。「及其老也、戒之在得」。欲は年寄るほど増すもの。それは本当に汚いことで、人が応接に金銀でも持って行けば辞退をして綺麗なことを言って申し受けないと言うが、庭前の牡丹や菊はどうだろうか。一枝欲しいと言う。尤もそれは金銀とは違うが、貪る心に違いはない。越前の者には御国の雲丹はどうかと声を掛ける。欲の心が焦げ付いてあるのである。欲を床の間へ置く内は学者ではない。それを無くすのが仁者である。
【語釈】
・飲食男女人之大欲存…礼記礼運。「飲食男女、人之大欲存焉」。
・詩出東門有女如雲雖則如雲非我思存縞衣綦巾聊樂我…詩経国風鄭出東門。「出其東門、有女如雲。雖則如雲、匪我思存。縞衣綦巾、聊樂我魂。出其闉闍、有女如荼。雖則如荼、匪我思且。縞衣茹藘、聊可與娛」。
・一夫一婦庶人之職也…小学嘉言。「早婚少聘敎人以偸。妾勝無數敎人以亂。且貴賤有等、一夫一婦庶人之職也」。
・及其老也戒之在得…論語季氏7。「孔子曰、君子有三戒。少之時、血氣未定、戒之在色。及其壯也、血氣方剛、戒之在鬭。及其老也、血氣既衰、戒之在得」。

能制其情。中にはあるか出さぬこと。是も中々出来ぬことそ。学者も議論をするにとかく勝氣になる。其れを上から押つけて出さぬやふにすることそ。不行はしっ々々と云て内から人心と人欲か連立て出る、それを押へること。中々是もしにくいことなれとも、仁とは云れぬ。仁は皆なくすこと。迂斎の億病ものの十面作たやふなもの。億病ても義理にからめられてどのよふな処へも出るか、長もちはない。又、欲は癰の出来たときに肉をそいて取て療治をするやふながよい。不行はよい膏藥を上からはってをくやうなものぞ。此垩人開示之深。まだ々々上かある。其を仁と云てはちごう。只今半分から先きでよくなる学問か流行する。それを俗学と云。知惠もなく行も実行でなくて只堪忍々々と云。手嶋とやらなり。人の金を持たをみてほしかるな、堪忍々々と云ても何の役には立ぬ。とかく筈と云字でなくては強くはない。きっとした先生かぶも手嶋をやとふてはやく人を直したかる。東金の親父なとかこれなり。湿ひぜんの上は直しなり。垩人は子ぶとを上は直しはせぬ。又、内の方からをこる金をほしがるなどは、上からなててをいては役に立ぬ。ほしからぬ筈と、筈できめることそ。
【解説】
「有之而能制其情不行焉、斯亦難能也。謂之仁、則未可也。此原憲之問、夫子答以知其爲難、而不知其爲仁。此聖人開示之深也」の説明。情を内に抑えることは中々できないことだが、「制情不行」を仁と言うことはできない。仁とは欲を無くすことなのである。欲を無くすには、その筈のところに決めるのがよい。
【通釈】
「能制其情」。中にはあるが出さないこと。これも中々できないこと。学者も議論をするととかく勝気になる。それを上から押え付けて出さない様にすること。「不行」はしっしっと言って、内から人心と人欲が連れ立って出るところを押えること。中々これもし難いことだが、これは仁とは言えない。仁は皆無くすこと。迂斎が、臆病者が十面作った様なものと言った。臆病でも義理に絡められてどの様な処へも出るが、長持ちはしない。また、欲は腫れ物ができた時に肉を削いで取って療治をする様にするのがよい。不行はよい膏薬を上から貼って置く様なもの。「此聖人開示之深」。まだまだ上があるのであって、それを仁と言うのは違う。しかし、今は半分から先でよくなる学問が流行するが、それを俗学と言う。知恵もなく行も実行でなくてただ堪忍と言う。それが手島とやらである。人が金を持ったのを見て欲しがるな、堪忍堪忍と言っても何の役にも立たない。とかく筈という字でなくては強くはない。毅然とした先生株も手島を採って早く人を直したがる。東金の親父などがこれである。湿り皮癬は上から直すが、聖人は根太を上直しはしない。また、内の方から起こることの中で金を欲しがることなどは、上から撫でていては役に立たない。欲しがらない筈と、筈で決めるのである。
【語釈】
・手嶋…手島堵庵。江戸中期の心学者。名は信。通称、近江屋嘉左衛門。京都の商人。石田梅岩に学び、心学の普及に努め、広く市民教育に尽力。1718~1786
・ひぜん…皮癬。疥癬。
・子ぶと…根太。癰の一種。

上手をして門人や学者の千人出来るを喜ふは俗人の心なり。只一二人てもほんのがよい。孟子の万章公孫丑、たった一両人。それさへ覚束ない人々なり。七篇の作を萬章之徒と有りても、韓退之大顚かも知れす、あてにならぬ。近思録も呂東莱が手傳をしたか、本んのことではないか知るべし。すれば学問と云ものは大事なもの。今日も師匠に人欲があると、丁と又世の中第一とそのやうな弟子が出来る。此条などは中々手習師匠の役には立ぬ。偖、孔子は此ほどに工夫をした。原憲ほどな大きひものをもそれは役に立ぬ、仁になれと云へり。垩人になら子は役に立ず。講釈塲の賑やかなは役に立ぬ。今口すぎ学問と云ことかあるか、それは其手習師匠に相応なことじゃ。佛者も塔堂建立しても本んの仏になる心てはない。堂塔建立せすとも玉しいて仏になる。学者も魂ていたる。魂のないは席ふさぎ掃てはき出すべし。
【解説】
原憲の「克伐怨欲不行」に対し、孔子はそれでではなく、仁になれと言った。魂で仁になるのである。
【通釈】
如才なくして門人や学者が千人できたのを喜ぶのは俗人の心である。ただ一人や二人でも本物がよい。孟子には万章と公孫丑のたった一両人だが、それでさえ覚束ない人々である。七篇を萬章の徒と作ったとあるが、韓退之と大顚かも知れず、当てにはならない。近思録も呂東莱が手伝いをしたが、それは本当のことではないことを知りなさい。そこで学問というものは大事なもの。今日も師匠に人欲があると、丁度また世の中第一と言う様な弟子ができる。この条などは中々手習師匠の役には立たない。さて、孔子はこれほどに工夫をした。原憲が言った「克伐怨欲」という大きいものをも、それは役に立たないから仁になれと言った。聖人にならなければ役には立たない。講釈場の賑やかなのは役に立たない。今口漱ぎ学問ということがあるが、それは手習師匠に相応なこと。仏者も塔堂を建立しても本当の仏になる心はない。堂塔を建立しなくても魂で仏になる。学者も魂で至る。魂のない者には席を塞いで掃き出さなければならない。
【語釈】
・七篇の作を萬章之徒…孟子序説。「退而與萬章之徒序詩書、述仲尼之意、作孟子七篇」。
・大顚…韓退之は、潮州に左遷された際、当地の傑僧大顚禅師と交流する。長安に帰って、大顚との交流を質問されるが、積極的には評価しない返答内容であったとのことである。かつて仏教を排斥し、後に熱心な仏教徒となった白居易とは異なり、韓退之は、基本的には排仏を貫いていた。


第十一 明道先生曰義理與客氣云々条

明道先生曰、義理與客氣常相勝。只看消長分數多少、爲君子・小人之別。義理所得漸多、則自然知得客氣消散得漸少。消盡者是大賢。
【読み】
明道先生曰く、義理と客氣とは常に相勝つ。只消長の分數の多少を看て、君子・小人の別を爲す。義理の得る所漸く多くば、則ち自然に客氣の消散し得て漸く少なきを知り得。消え盡きし者は是れ大賢なり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

是の客氣を前条の次へ出したが面白ことそ。克伐怨欲は本体にも本然にもないものゆへ客氣と云。客と云ものは外から来て、内にをるものてはない。仁は内に居るもの。客氣は外から来たもの。油へ水の入たやふなものて、水はもと油にはないものそ。是が不断軍をしてをる。偖、是の克伐怨欲は天から仁義礼智と一処に下されたものではない。義理はすくに仁義礼知のことを云。相勝は義理と人欲が軍をしてをる。客氣はとかくかさて人を推すものそ。是は仁義云々の中から出すことて、分に是がついておるそ。古から君子か小人に出合ふとそこにいたたまれぬ。垩賢が勝そふなものに、客氣の多ひにこぢつけらるる。
【解説】
「明道先生曰、義理與客氣常相勝」の説明。「克伐怨欲」は本来ないもので、外から来るものなので客気と言う。義理と客気はいつも戦っている。義理とは仁義礼智のこと。客気が多いと義理が負ける。
【通釈】
この客気を前条の次に出したのが面白い。「克伐怨欲」は本体にも本然にもないものなので客気と言う。客は外から来るもので、内にいるものではない。仁は内にいるもの。客気は外から来たもの。油へ水の入った様なもので、水は本来油にはないもの。これが絶えず戦をしている。さて、この克伐怨欲は天から仁義礼智と一緒に下されたものではない。義理は直に仁義礼智のことを言う。「相勝」は義理と人欲が戦をしていること。客気はとかく笠に着て人を推すもの。それは仁義礼智を中から出すもので、人には応分にこれが付いている。古から君子が小人に出合うといたたまれない。聖賢が勝ちそうなものなのに、客気が多いので、それに押さえ付けられる。

消長云々。いやと云れぬもの。義理の匁かかけると客氣の匁か重くなる。はかりの天秤のやうなもの。其匁方次第てよいとわるいとになる。義理と客氣と當分と云ことはない。義理が五匁、客氣五匁と云ことはないものそ。凡夫も学者も義理が八匁て客氣二匁なれは、先垩賢の方へそろ々々ちかい。そこを分數多少の吟味することなり。仁は丸に十匁なり。爲君子小人之別。爰は手前の胷て詮義するがよい。公義の与力同心を頼むことてはない。某なとか世間の学者を訶るも云様は尤なれとも、義理か客氣かと吟味してみるに、多は客氣から出る。孟子の異端を弁するは道理計て道のためなり。垩賢は道を任して異端を弁するが、某抔のは、ああ胷がわるいと云処から出るそ。云ことは義理でも分数に違があると皆客氣なり。道理至極のことも客氣てなけれは、それも私と祟るか克己なり。
【解説】
「只看消長分數多少、爲君子・小人之別。義理所得漸多、則自然知得客氣消散得漸少。消盡者是大賢」の説明。義理が少なくなると客気が多くなる。仁とは全てが義理の場合である。義理と客気とが等分になることはない。自分が君子か小人かは自分で詮議するものである。道理を言う場合でも、客気があってはならない。私を詮議するのが克己である。
【通釈】
「消長云々」。これが違うと言えないことで、義理の匁が欠けると客気の匁が重くなる。秤の天秤の様なもの。その匁方次第でよいのと悪いのとになる。義理と客気とが等分ということはない。義理が五匁、客気が五匁ということはない。凡夫も学者も義理が八匁で客気が二匁であれば、先ずは聖賢の方へそろそろと近くなる。そこで、「分数多少」の吟味をするのである。仁は全くて十匁である。「為君子小人之別」。ここは自分の胸で詮議をしなさい。公儀の与力や同心を頼むことではない。私などが世間の学者を訶るにも、言い方は尤もだが、義理か客気かと吟味してみると、多くは客気から出る。孟子が異端を弁ずるのは道理ばかりで道のためである。聖賢は道を任じて異端を弁ずるが、私などのは、ああ胸が悪いという処から出る。言うことは義理でも分数に違いがあると皆客気である。道理至極のことでも客気であってはならず、そこで私と祟るのが克己である。
【語釈】
・異端を弁する…孟子滕文公章句下9。「能言距楊墨者、聖人之徒也」。


第十二 或謂人莫不知和柔寛緩の条

或人謂、人莫不知和柔寛緩。然臨事則反至於暴厲。曰、只是志不勝氣、氣反動其心也。
【読み】
或人謂う、人は和柔寛緩を知らざること莫し。然れども事に臨めば則ち反って暴厲に至る、と。曰く、只是れ志氣に勝たず、氣反って其の心を動かせばなり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一七にある伊川の語。

この章は無学や初学の魂のかいないものには戒にならぬ条なり。大言を云やふなれとも、某や行藏以上の爲にはよい。役に立ずの儒者ともは聞ても爲にならぬ。前に克己怨欲、其から客氣、次に此章なり。先この学術の上て克伐は役に立ずにはない病なり。客氣もそれなり。人を推付て吾人の上へ出たかりたり、英雄豪傑にある病。禄を目がけるの、銭設けする儒者にはない。商人は銭さへ設けれは只旦那様々々々と云が、一つ道を任ずると云氣概のあるものか其に付て肩をはって出る。そこが客氣なり。兎角吾に得手た方からして出るものそ。そこを抑へるが克己なり。和柔寛緩云々。人へつきあたらぬ胷の廣ことて、是になりたいものと心かけることそ。
【解説】
「或人謂、人莫不知和柔寛緩」の説明。克伐や客気は英雄豪傑にある病で、役に立たない儒者にその病はない。「和柔寛緩」は人と衝突しない胸の広いことで、その様に心掛けなければならない。
【通釈】
この章は無学や初学など、魂のしっかりとしていない者には戒めにならない条である。大言を言う様だが、私や行蔵以上のためにはよい。役立たずの儒者共では聞いてもためにならない。前に克伐怨欲、それから客気があって、次にこの章である。先ずこの学術の上では、克伐は役立たずにはない病で、客気も同じである。人を推し付けて自分が人の上へ出たがったりする人や英雄豪傑にある病で、禄を目掛けたり、銭儲けをする儒者にはない病である。商人は銭さえ儲ければただ旦那様旦那様と言うだけ。一つ道を任じるという気概のある者が、それにつけて肩を張って出る。そこが客気である。とかく自分の得意な方から出るもの。そこを抑えるのが克己である。「和柔寛緩云々」。人と衝突しない胸の広いことで、この様になりたいものだと心掛けなさい。
【語釈】
・行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。享保14年(1729年)~安永5年(1776年)。

然臨時云々。日頃の奴が出て来る。大たわけ。其れが人間のざまかと出る。仲山甫の德の模様を柔和と詩にも云ふ。よいことなり。兎角人々平生の平和なときとは違て、腹か立てくるとあらっほく手あらくなる。やはり上の客氣なり。平生暴厲を出すまいとすれとも、とかく出る。志不勝氣なり。至暴厲はとふ云ことなれは、日頃わるいことゆへ出すまいと心掛るぞ。それか志なり。出すまいとは思へとも、出るは氣にまけたのなり。禁酒々々と云ても、盃に向へは替る心哉なり。そふ思ひながら彼哥にある、ついに此身はなり。浅間しの人心なり。某が生氣が兎角腹が立てならぬ。そこで近年の工夫に何にも角も雜念忿戻と書し、扇や諸道具に記してあるかとふもならぬ。克己最難し。長藏がをらぬで訶る相手なさに怒がそうもないが、長藏が居るときは指たることてもないに一日呵てをる。今は忿る數がへったやうなれとも、一六にくるものは心安くてもそれもないか、側にをったら出るであろふ。まさが下女では出ぬぞ。
【解説】
「然臨事則反至於暴厲。曰、只是志不勝氣、氣反動其心也」の説明。日頃「暴厲」を出さないようにするのが「志」であり、それでも「暴厲」が出るのは「志不勝気」だからである。黙斎も「雑念忿戻」を扇や諸道具などに記して暴厲を抑えようとしているがどうにもならないと言う。
【通釈】
「然臨時云々」。日頃の奴が出て来る。それは大戯けなこと。それが人間の様かというものが出る。仲山甫の徳の模様が柔和だと詩にも言う。それがよいこと。とかく人は平生の平和な時とは違って、腹が立って来ると荒っぽく、手荒くなる。やはり上の客気である。平生「暴厲」を出さないようにしようとするが、とかく出る。それが「志不勝気」である。「至暴厲」とはどういうことかと言うと、日頃悪いことなので出さないようにしようと心掛る。それが志であって、出さないようにしようとは思うが、それが出るのは気に負けたからである。禁酒と言っても、盃に向かえば変わる心哉。そう思いながらあの歌にある、ついにこの身はである。浅間しいのが人心である。私はとかく生気が腹を立ててならない。そこで近年の工夫として、何もかにも雑念忿戻と、扇や諸道具などに記してあるがどうにもならない。「克己最難」。長蔵がいないので訶る相手がなく、怒がそれほどでもないが、長蔵がいる時は大したことでもないのに一日中訶っている。今は忿る数が減った様だが、一六に来る者は心安くて怒ることもないが、側にいつもいたら怒が出るだろう。しかし、まさか下女では出ない。
【語釈】
・仲山甫…詩経烝民。「仲山甫之德、柔嘉維則。令儀令色、小心翼翼」。周代、魯の献公の子。樊侯。宣王の卿士となって周室を補佐した。
・長藏…鵜澤(鈴木)恭節。通称は長蔵。黙斎門下。寛政元年(1789)、黙斎の推薦で館林藩主松平侯の儒臣となる。1762~1830

さて某が口へ出して忿戻かやまぬ々々々と云も、やはり亭主が出て留主をつかふの筋なり。克己せ子ば役に立ぬ。すれは工夫は六ヶしきことぞ。爰等は委く考へて看がよい。兎角俗学には此和柔寛緩か多ひものなり。其れを呵ろう々々々とて某なとか暴厲になる。それはわるいか、しあけの処は和柔寛緩てなくてはならぬ。めったに人をきめ付たり、あまりこじり咎めをする人は頭にもなられぬもの。ましてや垩賢をや。そこてかふてなけれは氣質変化てない。爰は上はみがきの処そ。顔子克己復礼の内には欲も氣質の偏も皆取てすてることゆへ、こふあるなり。欲はすてたか氣質は本の通りと云ことはない。
【解説】
怒ってばかりでは人の上にも立てず、聖賢にもなれない。仕上げの処は和柔寛緩でなくてはならない。顔子の克己復礼は欲も気質の偏りも皆取って捨てることである。
【通釈】
さて私が口へ出して忿戻が止まないと度々言うが、それはやはり亭主が出て留守を使うの筋である。克己をしなければ役に立たない。そこで工夫が難しい。ここ等はよく考えてみなさい。とかく俗学にはこの和柔寛緩が多いもの。それを訶ろうとして私などが暴厲になる。しかし、それは悪いことで、仕上げの処は和柔寛緩でなくてはならない。滅多矢鱈に人を決め付けたり、あまりに鐺咎めをする人は頭にもなることができないもの。ましてや聖賢にはなれない。そこで、この様でなければ気質変化でない。ここは上磨きの処。顔子の克己復礼は欲も気質の偏りも皆取って捨てることなので、こうである。欲は捨てたが気質は本の通りということはない。
【語釈】
・こじり咎め…往来ですれ違った時、互いの刀の鐺が打ちあたるのを無礼として咎めだてること。転じて、わずかなことを咎めだてすること。


第十三 人不能祛思慮の条

人不能祛思慮、只是吝。吝故無浩然之氣。
【読み】
人の思慮を祛[はら]うこと能わざるは、只是れ吝なればなり。吝なるが故に浩然の氣無し。
【補足】
・この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

是は限もなく胷からはいて出るものにて、人欲てない思慮もありて様々あるそ。限りもなく出るゆへに蘇季明にも如麻生となり。夏草のはへるやうに、ぬいても々々々も出る。荀子所謂偷心也。学問の功夫は思慮すへきことを思慮して、思慮すましきことを思慮せぬこと。ときにそれがならぬと云は、只是吝る。其れがしはいのじゃと云ふか程子の発明なり。其れがしわいのじゃと聞てはてなと氣がつく。金銭にしわいとは違ふてをれとも、引れる処があるからのことぞ。そこをしわいと云。金銭のしわいも引れるのそ。痰を吐てしわいとは引れす。とかく思慮はこまったものだ々々々々々々々と云ながら、凡夫は兎角思慮と念ごろだそ。蚊や虱をいやかる程なれば、どふかして除くものぞ。どのやうなをふちゃくものでも夏は蚊屋をつりて寐る。此れ蚊をふせぐ。思慮をは蚊ほとふせく。
【解説】
思慮は限りなく胸から湧いて出るものだが、学問の工夫は、思慮すべきことを思慮することである。それができないのは「吝」だからである。吝とは引かれること。引かれるのを防がなければならない。
【通釈】
これは限りもなく胸から湧いて出るもので、人欲でない思慮もあり、様々なものである。限りもなく出るので蘇季明問答にも「如麻生」とある。夏草が生える様に、抜いても抜いても出て来る。荀子の言うところの「偷心」である。学問の功夫は思慮すべきことを思慮して、思慮すべきでないことを思慮しないこと。時にそれができないというのは、「只是吝」だからである。それが吝いからだというのが程子の発明である。それが吝いからだと聞いて、はてなと気が付く。金銭に吝いのとは違うが、引かれる処があるからのこと。そこを吝いと言う。金銭に吝いのも引かれたのである。痰を吐くのは吝いものに引かれるのではない。とかく思慮は困ったものだとよく言っても、凡夫はとかく思慮と懇ろである。蚊や虱を嫌がるほどのことであれば、どうにかしてそれを除くもの。どの様な横着者でも夏は蚊帳を吊って寝る。これが蚊を防ぐ方法であり、思慮をも蚊の様に防ぐのである。
【語釈】
・如麻生…存養52。「或思一事未了、他事如麻又生」。
・偷心…

思慮は人欲のたすけをするものて、金を設けるも好色も思慮から出来るなり。思慮は重宝なものなり。君子になるも小人になるも思慮なれば、めったな思慮は其ままにされぬ筈。そこて克己の吟味なり。迂斎云、上蔡の硯を打わった様なれば立派にゆく。偖、今日の下々のものが、吾々は立派な形りをする身分でない、衣装法度誠に御尤な御ふれと知つつろの羽織を仕廻てをく。土用干するはどふぞ。蛍篭てもはってしまいそふなものに、いつぞは出して用る氣なり。これ吝るなり。冬巨燵を出兼るよふなもの。今行く々々々と云ながら行ぬも、とかく巨燵の方へ尻を吝るなり。そこに思ひのこす氣があるは、浩然の氣かないなり。
【解説】
思慮は人欲の助けをするから、そのままにしては置けない。そこで克己が必要となる。吝と引かれるのは浩然の気がないからである。
【通釈】
思慮は人欲の助けをするもので、金を儲けるのも好色も思慮からできる。思慮は重宝なもの。君子になるのも小人になるのも思慮からで、悪い思慮はそのままにしては置けない筈。そこで克己の吟味となる。迂斎が、上蔡が硯を打ち割った様にすれば立派に行くと言った。さて、今日の下々の者が、我々は立派な姿をする身分ではない、衣装法度は誠に御尤もな御触れだと知りつつ、絽の羽織を仕舞って置く。それを土用干しするのはどうしたことだ。蛍篭にでも張って仕舞いそうなものだが、いつかは出して用いる気である。これが吝である。それは、冬に炬燵を出難い様なもの。今行くと言いながら行かないのも、とかく炬燵の方へ尻を吝るのである。そこに思い残す気があるのは、浩然の気がないからである。

無浩然之氣なり。下女がもし旦那と、昼寢を起すと、もちとこふしてをいてくれろと云ぞ。さて浅間しきことなり。下女にむしんを云やうなものなり。迂斎云、子むいときに手水をつこふが浩然の氣じゃと云へり。迂斎又常に云、床について子られぬと云も人欲があるからと云たぞ。迂斎などは四つ過に子るに、枕をかさす直に子入る。そこへ行て障子へあたると直に目がさめ、誰じゃと声をかける。私でござると云。はやいびきをかく。是等は無病で達者でありたからとは云ものの、全く欲がないからなり。偖、此章は存養にありそうな処を克己にあるは、存羪と克己とあまり違はぬもの。存羪でそろ々々しそふな処を一と太刀に打つ。克己の一刀両断は浩然の氣でなくてはならぬに吝るよふなこと。そこで克己になるなり。
【解説】
人欲がなければ悪い思慮は出ない。克己は浩然の気で人欲を一刀両断にする。
【通釈】
「無浩然之気」。下女がもし旦那と、昼寝をしているのを起こすと、もう少しこうして置いてくれと言う。それは実に浅ましいことで、下女に無心を言う様なもの。迂斎が、眠い時に手水を使うのが浩然の気だと言った。迂斎がまた常に言ったことだが、床に就いて寝られないというのも人欲があるからだ、と。迂斎などは四つ過ぎに寝るのに、枕を使わずに直に寝入る。そこへ行って障子に触ると直ぐに目が醒め、誰だと声を掛ける。私ですと言う。直ぐにいびきをかく。これ等は無病で達者であったからとはいうものの、全く欲がないからである。さて、この章は存養にありそうな処だが、それが克己にあるのは存養と克己とがあまり違わないものであって、存養でゆっくりとしそうな処を一太刀にここで打つためである。一刀両断は浩然の気でなくてはならないのに吝る様なことがある。そこで克己なのである。


第十四 治怒爲難の条

治怒爲難。治懼亦難。克己可以治怒、明理可以治懼。
【読み】
怒を治むるは難しと爲す。懼れを治むるも亦難し。己に克たば以て怒りを治む可く、理を明らかにせば以て懼れを治む可し。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

兎角怒が手とりもの。一つつのって出る。仕方が仕憎ひ。仲景が傷寒を本にして、外を雜病と云た。一ち療治のしにくいは熱病なり。熱病は火に屬す。七情の内ても怒か六ヶしい。火に屬すからぞ。それさへ治れはあとはしよい。大学にも忿懥と云そ。治懼云々。懼もこまりたもの。丁と瘧を医者の手とりものと云も爰のことて、傷寒とは違ふがとかく後ろの方からぞっ々々とする。いかにもとふもこまる。未練のこととは思へとも、こはければせふことなし。克己以治怒。是が方付けなり。怒は克て打てとる。怒か火のもへ上る様にはら立て出る。其れは吾を是と心得るから怒は出るそ。去によって公義の御用向のとき、生れ付の怒は出さぬ。怒は子ともや女房へ出るもの。道理なりをすれは怒は出ぬ。すれは怒は欲の一盃に出たのなり。いつも云、下女下男か今日はをらが旦那よってもつかれぬと云。茶を上れと云ても腹を立る。茶を呑めに腹を立筈はない。直方先生所謂そば杖なり。火のほこったのぞ。去によって上の客氣の章で熱をとれと云た。熱さへとれは何のことはない。
【解説】
「治怒爲難。治懼亦難。克己可以治怒」の説明。怒は七情の中で火に属しているから、その対応が難しい。怒は自分を正しいと思うことから起こるもので、道理の通りにすれば怒は出ない。
【通釈】
とかく怒が厄介なもので、一々乗って出る。そこで、その対応が難しい。仲景が傷寒を本にして、外の病気を雑病と言った。一番療治がし難いのは熱病である。熱病は火に属す。七情の内でも怒が難しいものだが、それは火に属すからである。それさえ治れば後はし易い。大学にも「忿懥」と言う。「治懼云々」。懼も困ったもの。丁度瘧[おこり]を医者が厄介だと言うのもここのことで、傷寒とは違うがとかく後ろの方からぞっとする。いかにもどうも困る。未練なこととは思っても、怖ければ仕方ない。「克己以治怒」。これが処方である。怒は克で打って取る。怒が火の燃え上がる様に腹を立てて出る。それは自分を是と心得るからで、それで怒が出るのである。公儀の御用向きの時に生まれ付きの怒は出さない。怒は子供や女房に出るもの。道理の通りをすれば怒は出ない。怒は欲が一杯に出たことである。いつも言うことだが、下女下男が今日は俺の旦那は寄り付くこともできないと言う。茶を召し上がれと言っても腹を立てる。茶を呑めということに腹を立てる筈はない。直方先生の言うところの側杖である。火が熾ったのである。それで、上の客気の章で熱を取れと言ったのである。熱さえ取れば何事もない。
【語釈】
・仲景…張仲景。河南省南陽県の人。長沙の太守を勤める。「傷寒雑病論」を著した。
・忿懥…大学章句7。「所謂脩身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正。有所恐懼、則不得其正」。

明理可以治懼。直方先生の鬼神集説の初に理有未明尽と云たか、明でない方からさま々々の妖恠にも迷ふ。偖、地獄極樂は云にや及ぬことて子ともたましなれとも、此座中ても生き灵死灵と云ものはあることと云るるとをそるるものもあろふが、理を明にするれは、妖恠がそこへ來て踊を踊ふともばけ物が三味線引ふとも何ともない。これもあることと思へはこわいことはない。座頭が三味線引けば銭でもやる。化け物もそれと思へは何のことはない。よい慰と思てをることそ。妖恠は氣の変と片付ると何のことなく、狐狸のわざてもあろふと思ふてをれとなり。程子の母御は妖恠が太鼓をたたいて出たれば、撥をかそふか々々々々々々と云ふた。妖恠をなぐさまふと云た。伊川に或人が伯有かことを問たに別に一理と云れたが、其一理と云は本別にはないことそ。やがて其一理を聞ふてはない。学問が上れは聞ずとも疑は晴れるなり。丁と成人になるとくらやみのこわくないやふなもの。それと同ことそ。理が明になれは决断がつく。強くなるは理明なり。御成御供刻限と云とすっと出て行く。遠くの面々、八つても七つでも出る。こはくはない。此方が一途になれはこはくも何ともない。其ことを鬼神も道をさくとも云ふ。親の急病には三里ある処でも、夜中にずっとかけ出す。あの道に妖恠がとは云はぬそ。理と云ものは物の筋ぞ。今すぢむちうと云俗語、尤なことなり。無中なればうろたゆる、明なれはをそろしいことはない。
【解説】
「明理可以治懼」の説明。理に明であれば懼れることは何もない。学問が上達すれば自然と疑いが晴れ、理が明になる。
【通釈】
「明理可以治懼」。直方先生の鬼神集説の初めに「理有未明尽」とあるが、明でないことから様々な妖怪にも迷うことになる。さて、地獄極楽は言うに及ばず子供騙しだが、この座中でも生霊死霊というものがあるのだと言われるとそれを懼れる者もあるだろうが、理を明にするれは、妖怪がそこへ来て踊りを踊ろうとも、化け物が三味線を弾こうとも何ともない。これもあることだと思えば怖いことはない。座頭が三味線を弾けば銭でも遣る。化け物もそれと同じと思えば何事もない。よい慰めと思っているのがよい。妖怪は気の変と片付ければ何事もなく、狐狸の仕業でもあるのだろうと思っていなさいと言ったのである。程子の母御は妖怪が太鼓を叩いて出たので、撥を貸そうかと言った。妖怪を慰めようとして言ったのである。伊川に或る人が伯有のことを問うと、「別是一理」と答えられたが、その一理とは本来別にはないこと。やがてその一理を聞こうということではない。学問が上がれば聞かなくても疑いは晴れる。丁度成人になると暗闇が怖くない様なもの。それと同じこと。理が明になれは決断がつく。強くなるには理明である。御成御供の刻限だと言うとすっと出て行く。遠くの面々が、八つでも七つでも出る。怖くはない。自分が一途になれば怖くも何ともない。そのことを鬼神も道を避くとも言う。親の急病には三里ある処でも、夜中にさっと駆け出す。あの道に妖怪がいるなどとは言わない。理というものは物の筋である。今筋無中という俗語があるのが尤もなこと。無中であれば狼狽える。明であれば恐ろしいことはない。
【語釈】
・伯有…伯有は鄭の卿で、子産に殺された。朱子語類3に「伊川云、左傳伯有之為厲、又別是一理」とある。
・鬼神も道をさく…史記李斯列伝。「斷而敢行、鬼神避之、後有成功」。


第十五 堯夫他山之石の条

堯夫解他山之石可以攻玉。玉者温潤之物。若將兩塊玉來相磨、必磨不成。須是得他箇麤礪底物、方磨得出。譬如君子與小人處。爲小人侵陵、則脩省畏避、動心忍性、增益豫防。如此便道理出來。
【読み】
堯夫他山の石は以て玉を攻[おさ]む可きを解く。玉は温潤の物なり。若し兩塊の玉を將[も]ち來りて相磨さば、必ず磨し成らず。須く是れ他箇の麤礪なる物を得べくして、方[はじ]めて磨し得出だす。譬えば君子の小人と處るが如し。小人の侵陵するところと爲らば、則ち脩省畏避し、心を動かし性を忍び、增益豫防す。此の如くんば便ち道理出で來る。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

此章なとが初學の克己の工夫の章で、学者の一と元氣つける処なり。偖、邵子は安而成れりと明道の行状に書れた。大ふふっくりと成て死だ人ぞ。なれとも若いときは冬不爐夏不翣。厳い工夫でありた。大ふするどく工夫をした人なり。それを知てこの条をよめは、さればこそとすむことなり。他山之石云々。向の山の石と云こと。其を取て大切な玉を磨くとなり。玉者温潤なもの。云をふやうもないものて、德を玉に比するも聞へたなり。玉は潤ふた体で、偖、しゃっきとしたもの。前の和柔とは違ふ。べた々々したものではない。和柔は綿ぼうしのやうなこと。玉は水々とした上に堅ひものて、大ふよい体ぞ。さて玉を玉にするには玉ては出きぬ。手さわりのあらいざら々々した砥石でなくてはあの温潤な玉はとぎ出されぬ。麁礪底のものでなくてはならぬそ。
【解説】
「堯夫解他山之石可以攻玉。玉者温潤之物。若將兩塊玉來相磨、必磨不成。須是得他箇麤礪底物、方磨得出」の説明。邵康節は「安而成」と明道が言ったほどだが、初学の頃は大層鋭い工夫をした。玉を磨くのは玉によってではなく、粗い砥石でなければならない。
【通釈】
この章なとが初学の克己の工夫の章で、学者に一つ元気付ける処である。さて、邵子は「安而成」だと明道が行状に書かれた。大分ふっくりと成って死んだ人だある。しかしながら若い時は「冬不爐夏不翣」と厳しい工夫で、大分鋭く工夫をした人だった。それを知ってこの条を読めば、それでこそと理解することができる。「他山之石云々」。向こうの山の石ということ。それを取って大切な玉を磨くと言う。「玉者温潤之物」。言い様もないもので、徳を玉にたとえるのもよくわかる。玉は潤った風で、さて、しゃきっとしたもの。前にあった「和柔」とは違う。これはべたべたしたものではない。和柔は綿帽子の様なこと。玉は瑞々しい上に堅いもので、とてもよい姿である。さて玉を玉にするのは玉ではできない。手触りの粗いざらざらとした砥石でなくてはあの温潤な玉は研ぎ出せない。それは「麤礪底物」でなくてはならない。
【語釈】
・他山之石…詩経小雅鶴鳴。「鶴鳴于九皋、聲聞于野。魚潛在淵、或在于渚。樂彼之園、爰有樹檀、其下維蘀。它山之石、可以爲錯。鶴鳴于九皋、聲聞于天。魚在于渚、或潛在淵。樂彼之園、爰有樹檀、其下維穀。它山之石、可以攻玉」。
・和柔…克己12。「人莫不知和柔寛緩」。
・堯夫…邵康節。

譬如君子与小人居云々。是は君子の方がみんなになるであろふと脇から氣遣するに大ふ得がつく。侵陵云々。小人がわるいじをして君子をつきまわす。さうすると君子か我方を省るそ。動心忍性。孟子の字。どのやふなことでもこらゆるぞ。横に車を押すゆへ大ふ心をもむなり。増益預防云々。殊の外難義をするてよくなる。爲學の篇に困進人のことて可愛子には旅をさせろとなり。伯母かあいたいの、親類へ逗留にゆくと云やふなことては役に立ものてはない。旅は品川からわらじに足をくわれ、其から雲助にいじめらるる。それてよくなる。今日の學者は克己の功夫はならぬ。只吾人欲の為によいこと計を云々て、左様且又を云て、それて何年学んても役に立つ氣つかひはない。其ては吾ためにも人の爲にもならぬ。
【解説】
「譬如君子與小人處。爲小人侵陵、則修省畏避、動心忍性、增益豫防。如此便道理出來」の説明。小人と一緒にいるのが君子のためになる。小人によって自分を省み、どの様なことにも絶えることで自分がよくなる。
【通釈】
「譬如君子与小人居云々」。これでは君子の方が台無しにになるだろうと脇から気遣いをするところで、大いに得ることがある。「侵陵云々」。小人が悪意地をして君子を突き回す。そうすると君子が自分を省みる。「動心忍性」。孟子の字。どの様なことでも堪える。横車を押すので大分心を揉む。「増益預防云々」。殊の外難儀をするのでよくなる。為学の篇に「困進人」と、可愛い子には旅をさせろとある。伯母が会いたがるから行くとか、親類へ逗留に行くという様なことでは役に立ちはしない。旅は品川から草鞋に足を喰われ、それから雲助に虐められ、それでよくなる。今日の学者は克己の功夫ができない。ただ自分の人欲のためによいことばかりを言い、左様且又を言うから、それで何年学んでも役に立つ気遣いはない。それでは自分のたにも人のためにもならない。
【語釈】
・動心忍性…孟子告子章句下15。「故天將降大任於是人也、必先苦其心志、勞其筋骨、餓其體膚、空乏其身、行拂亂其所爲。所以動心忍性、曾益其所不能」。
・困進人…為学87。

美しづくを云ては学問はあからぬ。いかつき議論をするものは、よくは云はぬ。唐彦明が、断次良か義論をするは千両屋鋪を取上けらるる様な面つきだと云た。今日の人は玉と玉との出合の様で役に立ぬ。某抔精出す時分は小市や行藏か大音て義論をする。隣屋鋪て立聞する程て有たそ。初手から丸にろくなはない。今は擇善柔而友とすと云て、とかく柔なものを相手にする。程子の不善人と処すべしと云れた。上蔡記憶の部にあり、わるいじの男の角のあるものがよい。迂斎の頃は節要の會にも観水翁の丸いに多田先生の温潤、其れに野沢のあらひいじはりて咄も面白かりた。麁礪底の角のある男てなくてはこの方の磨にはならぬ。角のとれたは仕舞のことそ。偖、此章は邵子のことを丸て程子の咄されたのなり。存羪の刑和叔の条と同し。さて、朱子の是を克己へのせたは、手荒なことて克己になるを云なり。
【解説】
先達の議論は激しく、柔らなことは言わなかった。角の取れるのは最後になってのことであり、手荒なことが克己となる。
【通釈】
きれいごとを言っていては学問は上がらない。厳つい議論をする者は、立派なことを言わない。唐彦明が、断二郎が議論をする時は千両屋敷を取り上げられる様な顔付きだと言った。今日の人は玉と玉との出合いの様であって役に立たない。私などが精を出した時分は小市や行蔵が大音で議論をした。それは隣屋敷で立ち聞きできるほどであった。初手から丸くなっているものに碌なものはいない。今は「択善柔而友」と言って、とかく柔なものを相手にする。程子が不善の人と共にしなさいと言われた。それが上蔡記憶の部にあって、悪意地の男で角のある者がよいとのこと。迂斎の頃は節要の会にも丸い観水翁に多田先生の温潤、それに野沢の荒い意地っ張りで話も面白かった。「麤礪底」の角のある男でなくては自分を磨くことにはならない。角の取れるのは最後になってのこと。さて、この章は邵子の言ったことをそのまま程子が話されたのであって、それは存養の刑和叔の条と同し。さて、朱子がこれを克己へ載せたのは、手荒なことで克己になることを言うためである。
【語釈】
・唐彦明…唐崎彦明。三宅尚斎門下。芸州竹原の人。黙斎の親友。彦明は伊勢長島藩主増山候に仕えたが、ある事件で禁固に処せられたとき、黙斎はその救援に献身したという。なお竹原は頼山陽の出たところでもある。~1758
・断次良…久米訂斎。京都の人。名は順利。通称は断二郎。~1784
・小市…宇井黙斎。久米訂斎門下。名は弘篤。通称は小一郎。別名丸子弘篤。肥前唐津の人。天明元年(1781)、57歳で没。弟子に千手旭山があり、旭山の孫弟子が橋本佐内である。
・行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。享保14年(1729年)~安永5年(1776年)。
・擇善柔而友…克己40。「今之朋友、擇其善柔以相與」。
・観水翁…長谷川克明。長谷川觀水。源右衛門。
・多田先生…多田維則。多田儀八郎。
・野沢…野沢弘篤。野沢十九郎。
・刑和叔の条…存養11。


第十六 目畏尖物の条

目畏尖物。此事不得放過。便與克下。室中率置尖物、須以理勝他。尖必不刺人也。何畏之有。
【読み】
目は尖れる物を畏る。此の事は放過することを得ず。便ち與[ため]に克ち下せ。室中に尖れる物を率置するに、須く理を以て他[かれ]に勝つべし。尖れるもの必ず人を刺さざるなり。何の畏るることか之れ有らん。
【補足】
・この条は、程氏遺書二下にある。

きれもの、其外きりのとがり、刄物のるいか目をつかふと云。尖物に限らす、人によって畏るものかあるものそ。女のはりものをするを見ても、あのしんしが此方へくるやふにをもふもの。武家なとて土用干のときに腰物か廿腰もぬいてあると、どふやら氣味がわるいもの。是かある病そ。便與克下云々。そんならそれを引ませふと云はうばかかの云こと。其尖物をそこへ置て、やはり其れくるみに克下せなり。偖、虫のきらひなものは虫を押へて持て見るかよい。こわいものの側へよらぬ氣かわるい。雷きらいな人か押入へはいってをると云はよくない。そこへ出てをるがよい。尖物をいくらもをいて見るがよい。大工が三人居たら三人の錐をかりて目の前へ出すがよい。出しても目がつかぬ。そこからなれてよくなる。偖、克己は手輕なことから掛るがよい。此条なとは学者に云やふなことではない。只の男に云た様なれとも、此手あらなことてよい。何にかきらす克つことなり。某が母が孟母の教とも云程のことあり。某が幼少のときは大ふ氣がよわく、一切いきものきらい、犬の子迠もこわくてならなんた。あるとき母が謾頭と五色の半切をそこへをいて、これ爰へこいと云から行しに、これをやろふと云た。六つ計のときであろふ。大ふ嬉くて取にいたに、乳母と母が彼の犬子を出して、夫れがほしひなら是の犬を抱て十へんあるけ、そうしたら此をくりょうと云れた。心にほしいもののあるから犬子をだいて其れを貰ふた。人欲と云ものはこわいものじゃ。子とも心ても紙や万十がほしさに犬を抱てあるいたそ。其れを抱てから後はあまり犬子がこわくなかった。これが便ち与に克下したのなり。
【解説】
人はそれぞれに畏れるものがあるが、それから離れているのではなく、それを克ち下すことによって、怖くなくするのである。
【通釈】
切れ物やその外錐の尖った様なもの、刃物の類が目を突こうとすると言う。「尖物」に限らず、人によって畏れるものがあるもの。女が縫い物をするのを見ても、あの縫い針がこちらへ来る様に思うもの。武家などで土用干しの時に腰物が二十腰も抜いてあると、どうやら気味が悪いもの。これがよくある病である。「便與克下云々」。それならそれを引っ込めましょうと言うのは姥嬶の言うこと。その尖物をそこへ置いて、やはりそれをも含めて克ち下すのである。さて、虫を嫌いな者は虫を押さえて持って見るのがよい。怖いものの側へ寄ろうとしない考えが悪い。雷を嫌いな人が押入に入っているというのはよくない。そこへ出ているのがよい。尖物をいくらでも置いて見なさい。大工が三人いたら三人の錐を借りて目の前へ出しなさい。出しても目を突くことはない。そこから慣れてよくなる。さて、克己は手軽なことから取り掛るのがよい。この条などは学者に対して言う様なことではなく、普通の男に言う様なことだが、この手荒なことがよい。何に限らず克つこと。私の母に孟母の教えとも言うほどのことがある。私が幼少の時は大分気が弱くて一切の生き物を嫌い、犬の子までも怖くてならなかった。ある時母が饅頭と五色の半切紙をそこへ置いて、これ、ここへ来いと言うから行くと、これを遣ろうと言った。六歳ばかりの時のことだっただろう。大層嬉しくて取りに行くと、乳母と母があの子犬を出して、それが欲しいのならこの犬を抱いて十回歩け、そうしたらこれをあげようと言われた。心に欲しいものがあるから子犬を抱いてそれを貰った。人欲というものは怖いもの。子供心でも紙や饅頭が欲しくて犬を抱いて歩いた。それを抱いてから後はあまり子犬が怖くなかった。これが「便与克下」である。
【語釈】
・きれもの…よく切れる刃物。

荻野庄右衛門か、くらやみがこわくは毎晩くらやみへ行がよい、しまいにはこはくないものだと云た。小野﨑先生の咄に、氣痛のものが至て頭が痛んて頭へ手をつけるな々々々々々々と云たに、或人が頭をむりに押へてしたたかこつってやりた。それから頭の痛やみしとなり。よい療治そ。其から直ったなれば、理外のやふなことなれとも、氣を相手にしたことは手ひどいがよい。文義のすまぬは手ひどくしてもすまぬなり。偖、此章は高それて見ることでない。統て克己は手かるに手もなくして取ることを云たもの。克己と云へは顔子とばかり心得て重ひことにをもふが、尤軽ひことてはないが、一ついぢを出すと云ことぞ。いじを出すと云は大工童もなることた。今日の学者は兎角いじがない。いじさへ出せは人欲はよわる。人欲は思の外よはいものて、あれ程つよけれとも、義貞義經も勾當の内侍と靜が出るとくにゃ々々々とよわる。克己をすれは中々欲のあたまは上らぬ。孔子未見剛者も聞へたことそ。どふも此尖物が来て目をさす筈はない。其ない筈と云筈の字を出して、それからかかるかよいそ。
【解説】
文義は手酷くしても無駄だが、気を相手にしたことは手酷いのがよい。克己は軽いことではないが、意地を出すことで人欲は弱る。ない筈と心に決めて、取り掛かるのである。
【通釈】
荻野庄右衛門が、暗闇が怖ければ毎晩暗闇へ行きなさい、最後には怖くなくなるものだと言った。小野崎先生の話に、気痛の者が酷く頭が痛んで、頭へ手をつけるなと言ったのに、ある人が頭を無理に押さえて大層小突いてやった。それから頭の痛みが止んだそうだ。よい療治である。理外の様なことではあるが、それから直ったのだから、気を相手にしたことは手酷いのがよい。しかし、文義の済まないのは手酷くしても済まない。さて、この章は高逸れと見てはならない。おしなべて克己は手軽に手もなくし遂げることを言ったもの。克己と言えば顔子とばかり心得て重いことと思うが、尤も軽いことではないが、一つ意地を出すということである。意地を出すのは大工童にもできること。今日の学者はとかく意地がない。意地さえ出せば人欲は弱る。人欲は思いの外弱いもので、あれほど強い義貞や義経も勾當の内侍と静御前が出るとくにゃくにゃと弱る。克己をすれば中々欲の頭は上がらない。「孔子未見剛者」もよくわかる。どうやってもこの尖物が来て目を刺す筈はない。そのない筈という筈の字を出して、それから取り掛かりなさい。
【語釈】
・荻野庄右衛門…
・小野﨑先生…小野崎舎人。本姓大田原。出羽秋田の人。牛島随筆に「小野崎師由、雅量通長」とある。直方晩年の門人。直方の子就正が秋田の佐竹候に仕えたのは、師由の推挙によったとある。
・勾當の内侍…「太平記」にみえる美女。後醍醐天皇に仕えて勾当内侍となり、のち新田義貞の妻となる。義貞の戦没を聞いて琵琶湖に投身したとも剃髪して後世を弔ったとも伝える。
・孔子未見剛者…論語公冶長11。「子曰、吾未見剛者。或對曰、申棖。子曰、棖也慾、焉得剛」。


第十七 明道先生曰責上責下の条

明道先生曰、責上責下、而中自恕己、豈可任職分。
【読み】
明道先生曰く、上を責め下を責めて、中自ら己を恕するもの、豈職分に任[た]う可けんや、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書五にある。

此條は学者が迯たかるを迯さぬことを云たものぞ。自恕之門と云門から入て手前は樂をしたかるか、克己は胷中のことて、人のことにかかわりたり、胷のごみを掃込んてかくしたりしては役に立ぬ。其あくたもくたを取てのけることそ。責上云々。上下とはかりあれとも、左右前後もこめて見ることぞ。大學の絜矩と同こと。責上は人のこと計兎や角責ることなり。責下云々は下を責ることて、とかく身勝手を云そ。自恕己云々。范忠宣公の云たときには朱子の大學或問に弁じてある。なぜ弁じたなれは、恕の字は本と人へ出すことを己と吾へ出すことにとれは天下の理にくるいが出来るから、行義正しい大学て弁したものぞ。爰の恕は合点した人の一寸云たことなり。人の方へ出すことを吾へ出すからわるい、人を訶りて吾をしからずかわるいと云たことなり。可任職分。天職とつつき、役のことてない。大学の序の職分のこと。拜領のものを組立て吾をよくすることたに、吾をそふしてをいては仁義礼智を持た職分はないそ。偖、此条を克己へのせたは、克己は吾方のことだからと云こと。文義の取やふで、もし政事の篇にあれは政のことにもなろふ。両方かけて云はるるて面白ことぞ。伊尹が一夫も不得其所云々は、吾体をきたへて人の咎にせぬこと。爰も克己する人に、吾にかまわす人計きたへたかる。それては仁義礼智の役は勤らぬと云こと。
【解説】
恕は本来人に対してのことなのに、それを自分に対して言うのでは天下の理に狂いができることになる。それで、朱子は范忠宣公の言った「以恕己之心恕人」を、大学或問で弁じた。一方、人を訶って自分を訶らないのは悪い。それでは職分を任じることはならない。この職分とは天から拝領の仁義礼智を組み立てて自分をよくすることである。
【通釈】
この条は学者が逃げたがるのを逃がさないことを言ったもの。「自恕之門」という門から入って自分は楽をしたがるが、克己とは胸中のことであって、人のことに関わったり、胸の塵を掃き込んで隠したりしては役に立たない。その芥もくたを取って除けること。「責上云々」。上下とだけあるが、左右前後も込めて見なさい。これが大学の「絜矩」と同じこと。責上は人のことばかりをとやかく責めること。「責下云々」は下を責めることで、とかく身勝手を言う。「自恕己云々」。范忠宣公が言った時のことは朱子が大学或問に弁じてある。何故弁じたのかと言うと、恕の字は本来人へ出すことなのに、それを己と言って自分へ出すことにとれば天下の理に狂いができるから、行儀正しい大学で弁じたのである。ここの恕は合点した人が一寸言ったこと。人の方へ出すことを自分へ出すのは悪く、人を訶って自分を訶らないのも悪いと言ったのである。「可任職分」。職分は天職と続くもので、役のことではない。大学の序にある職分のこと。拝領のものを組み立てて自分をよくすることなのに、自分をそうして置いては仁義礼智を持った職分はない。さて、この条を克己へ載せたのは、克己は自分のことだからである。文義の取り方次第で、もしも政事の篇にあれば政のことにもなるだろう。両方に掛けて言うことができるのが面白い。伊尹が「一夫不得其所云々」は、自分の体を鍛えて人の咎にしないこと。ここも克己をする人の中に自分には構わず人ばかり鍛えたがる人がいるが、それでは仁義礼智の役は勤まらないと言ったのである。
【語釈】
・あくたもくた…芥もくた。つまらないもの。また、人のこまごまとした欠点。芥藻屑の転。
・絜矩…大学章句10。「所惡於上、毋以使下。所惡於下、毋以事上。所惡於前、毋以先後。所惡於後、毋以從前。所惡於右、毋以交於左。所惡於左、毋以交於右。此之謂絜矩之道」。
・范忠宣公…宋代。范文正公の子供。大学或問に彼が言った「以恕己之心恕人」を説いてある。
・大学の序の職分…大学章句序。「其學焉者、無不有以知其性分之所固有。職分之所當爲、而各俛焉以盡其力」。
・伊尹が一夫も不得其所…為学1。「伊尹恥其君不爲堯舜、一夫不得其所、若撻于市」。もとは書経説命下の「予弗克俾厥后惟堯舜、其心愧恥、若撻于市。一夫不獲、則曰時予之辜」。


第十八 舎己從人の条

舍己從人、最爲難事。己者我之所有、雖痛舍之、猶懼守己者固、而從人者輕也。
【読み】
己を舍[お]きて人に從うは、最も難き事と爲す。己とは我の有する所にして、痛く之を舍くと雖も、猶己を守る者の固くして、人に從う者の輕きを懼る。
【補足】
・この条は、程氏遺書九にある。

書の大禹謨舜のことをほめてあるか、舜は吾方にしたたか善ひことがありなから、己れをすてるぞ。垩人の心は凡心ては計られぬことなり。其位のことはをれも知たとは云ぬ。意必固我かないゆへぞ。我と云てはり出すことはない。そんならきたない心はない。なぜそうないと云に、道理形りを喜ぶからぞ。凡人は人がよいことをすると、其れはをれが三日前にをいたと云て口惜がる。あれにやられたと云ふそ。天地一牧じゃから、をれがと云ことはない。最爲難事。是が学者へかけたもの。垩人は何のことなくあふしたもの。学者の難事なり。己者我之所有云々。こちのこと。我は私欲のこと。をれがのじゃと云ことゆへに我慢を出すまいと思ふても出るものそ。節要の會なとてもどふがなして吾説をよいにしたがるもの。從人者軽也。人の文義を聞ても、まあそれにしろと云。ほんのよいてもないがまあ々々それもよいと云やふに、人の方へ從ふときは安くあしろふを軽しと云。
【解説】
舜は自分が善いにもかかわらず、己を捨てる。それは「意必固我」がないからである。しかし、それが学者の難事である。私欲があるので自分の説をよいと思い、人に従うことは軽くあしらう。
【通釈】
書経大禹謨で舜のことを褒めているが、舜は自分の方に大層善いことがありながら、己を捨てる。聖人の心は凡心には推し量れないこと。それ位のことは俺も知っているなどとは言わない。「意必固我」がないからである。我と言って張り出すことはない。それなら汚い心はない。何故そうかと言えば、道理の通りを喜ぶからである。凡人は人がよいことをすると、それは俺が三日前にして置いたことだと言って口惜しがる。あれにやられたと言う。天地一枚だから、俺がと言うことはない。「最為難事」。これが学者へ掛けたもの。聖人は何という事もなく、あの様なものだが、それが学者の難事である。「己者我之所有云々」。これがこちらのこと。我とは私欲のこと。俺のだと思っているので、慢心を出さない様にしようと思っても出るもの。節要の会などでもどうにかして自分の説をよいものとしたがるもの。「従人者軽也」。人の文義を聞いても、まあそれにしろと言う。本当によいのでもないが、まあそれもよいという様に、人の方へ従う時は安くあしらうのを軽しと言う。
【語釈】
・意必固我…論語子罕4。「子絶四。毋意、毋必、毋固、毋我」。

迂斎云、人に從ふを麁相にすることと云へり。人の方は不生々々に軽くあしろふきみなり。とりにくい文字なり。それよかろふと從ふで軽ひなれはよいに、そふした軽の文義てない。人の方を軽くすることなり。舎己從人は、垩人は道理がすきだから、道理でさへあれは道理次第にする。をれかと云ことはなし。医者が吾子の疱瘡は誰か直しても腹は立ぬか、爰は垩人の通りなり。をれもあれは知とは云ぬが、他人のときはそふはゆかぬ。をれが大躰よくしてをいたに医者をかへたと云。人の療治て病人の快氣したをはあまり嬉しくは思はぬ。吾匕の離れたて腹が立。私なり。よいことは舜の方にある。舜の方へよいことをもってゆくは、濱へ鰯を進物のやうなり。山から濱へ鰯を進物にする程不調法なことはないか、舜の方ては道理はこちにもあるとは云はぬは、理を嬉しかるからのことなり。今の学者は道理を受ぬ。西銘をそれて訂頑と云。我と云氷がはってをるからなり。
【解説】
よいと思って人に従うのではなく、人を軽くあしらうのが悪い。聖人は道理次第で従うが、今の学者は道理を受けない。西銘を訂頑と言うのと同じで、我という氷が張っているからである。
【通釈】
迂斎が、人に従うことを粗相にすることだと言った。人の方のことは不承不承に軽くあしらう気味のこと。これが取り難い文字である。それがよいだろうと従って軽いのであればよいが、そうした軽の文義ではなく、人の方を軽くするのである。「舍己従人」は、聖人は道理が好きだから、道理でさえあれば道理次第にする。俺がということはない。医者も、自分の子の疱瘡を誰が直しても腹は立てない。ここが聖人の通りのことである。その時には俺もそれは知っていたとは言わないが、他人の時はその様には行かない。俺が大体よくして置いたのに医者を替えたと言う。他人の療治で病人が快気したことをあまり嬉しく思わない。自分の匙が離れたことで腹が立つ。これが私である。よいことは舜の方にある。舜の方へよいことを持って行くのは濱へ鰯を進物する様なこと。山から濱へ鰯を進物にするほど不調法なことはないが、舜の方で道理はこちらにもあると言わないのは、理を嬉しがるからである。今の学者は道理を受けない。西銘を訂頑と言うのはそこのこと。我という氷が張っているからである。


第十九 九德最好の条

九德最好。
【読み】
九德は最も好し。
【補足】
・この条は、程氏遺書七にある。

書の皐陶謨にある皐陶の云たことて、寛而粟柔而立の類九つあるそ。欲は根のないものて、はへぬきなものではない。ふい々々と出る。氣質は生れ付て欲よりは根かあるなれとも、色の白い黑ひとは違ふ。直せはなをるが、寛而粟云々と云か即氣質変化にあたる。ゆるやかに生れたものは其計なれは、爉燭を火へくべたやふになる。そこへ粟とくる。而の字は子じかへす。而の字は流れそふな処を上へ子ぢかへす字なりと迂斎の云り。子じかへし々々々々すれば氣質か丁どよいほどになる。偖、近思の葉解がいつも不手際するが、此下に九德を一々出したがよいことなり。爰て九德を一ち々々よんてはあまりなかくなる。あの通を吟味すること。爰ては何ても人と云か生れ付形りてはすまぬから、子じかへし々々々々々して人になれとなり。葉解を見るがよい。
【解説】
欲は根のないものだが、気質は生まれ付きのもので根がある。そして、気質は直すことができるもの。人は生まれ付きのままでは悪いから、捻じ返しをする。寛のままでは悪いから栗と出るのである。
【通釈】
書の皋陶謨にある皋陶の言ったことで、「寛而栗」、「柔而立」の類が九つある。欲は根のないもので、生え抜きのものではない。ぷいぷいと出る。気質は生まれ付きで欲よりは根があるものだが、色が白いとか黒いというのとは違う。気質は直そうとすれば直るが、寛而栗云々というのが即ち気質変化に当たる。寛に生まれたものは、そのままにして置けば蝋燭を火へくべた様になるので、そこへ栗と出る。「而」の字は捻じ返すこと。而の字は流れそうな処を上へ捻じ返す字だと迂斎が言った。捻じ返しを何回もすれば気質が丁度よいほどになる。さて、近思の葉解がいつも不手際をするが、この下に九徳を一々出したのがよいこと。ここで九徳を一々読んではあまりに長くなる。あの通りを吟味すること。ここでは何としても人というものは生まれ付きのままでは済まないから、捻じ返しをして人になれということ。葉解を見なさい。
【語釈】
・寛而粟柔而立…書経皋陶謨。「皋陶曰、寬而栗。柔而立。愿而恭。亂而敬。擾而毅。直而温。簡而廉。剛而塞。彊而義」。


第二十 飢食渇飲の条

飢食渇飮、冬裘夏葛。若致些私吝心在、便是廢天職。
【読み】
飢うれば食し渇すれば飮み、冬には裘し夏には葛す。若し些かの私吝の心を致さば、便ち是れ天職を廢するなり。
【補足】
・この条は、程氏遺書六にある。

上の条は氣質変化。此条は全く欲を取てのけること。此八つの文字が天からふりむけのことを云たことそ。先天から仁義礼智下されたけれとも、其計では生きてはをられぬ。そこで衣食がなくてはならぬ。禽獣には羽毛があるが、人は裸なり。そこで人には冬裘し、夏は薄もの着る。皆天のふりむけなり。人の方のはたらきと計り思ふが、其働きくるみ天のふりむけなり。ときに此飢食渇飲からして私吝の心がをこる。温公の衣取蔽寒食取充腹。焼塩ても二汁五菜ても同しこと。そこへ私吝出て甘いものを喰たかるか、命さへつつけはよいに、ああこふしたいどふしたいと天のふり向けの外の願を出して、そこて廢天職。天職はやはり上の職分のこと。中庸の序に道心を一身の主と云が天職なり。
【解説】
人は天から仁義礼智を下されているが、衣食渇飮冬裘夏葛でなければ生きてはいられない。それ等は人の働きによるものの様だが、これも天から人に与えられたものなのである。しかし、これ等から私吝の心が起きて、天職を廃することになる。
【通釈】
前条は気質変化のことで、この条は全く欲を取って除けること。この八つの文字が天から振り向けられたものを言ったこと。人には先ず、天から仁義礼智を下されているが、そればかりでは生きてはいられない。そこで衣食がなくてはならない。禽獣には羽毛があるが人は裸である。そこで人は冬に裘し、夏は薄物を着る。皆天の振り向けである。それが人の方の働きによるものとばかり思っているが、人の働きを含めて天の振り向けである。時にこの飢食渇飲から私吝の心が起こる。温公の「衣取蔽寒食取充腹」。焼塩でも二汁五菜でも同じこと。そこへ私吝が出て甘いものを喰いたがるが、命さえ続けばよいのに、ああこうしたいどうしたいと天の振り向け以外の願いを出す。そこで「廃天職」。天職はやはり上にあった職分のこと。中庸の序に道心を一身の主と言うのが天職のこと。
【語釈】
・衣取蔽寒食取充腹…司馬光。訓倹示康。「平生衣取蔽寒、食取充腹。亦不敢服垢弊、以矯俗干名。但順吾性而已」。
・上の職分…克己17。「明道先生曰、責上責下、而中自恕己、豈可任職分」。
・道心を一身の主…中庸章句序。「從事於斯、無少閒斷、必使道心常爲一身之主、而人心毎聽命焉、則危者安、微者著、而動靜云爲、自無過不及之差矣」。

人心を主にするが天職をすつるなり。夫故大學に顧諟天之明命。其方へ向てをるが天職なり。こなたの職分何でこさると云に、顧明命。これが私か役と云へば天職ぞ。あれにちりをつけまい々々々々と目をつけてをる。そこでつまり撫さする。凡夫は人欲をなでさする。夫故論語に無求食飽とあり、註に不暇及とかいたを氣をつけよ。天職をいそかわしい。衣食について欲はない。それなことをする暇がないとなり。又、志道而耻悪衣悪食者未足與議也と、私吝いがいやなもの。又、一等下なことか、口に喰たいは外につけはせぬが私吝なり。食は舌と咽との一寸の間を通るうちのこと。鳩尾の處へくると、甘いものでもはや何のこともない。寒いから着たいは聞へたが、縮緬でなければならぬと云は私なり。
【解説】
人心を主にすると天職を捨てることになる。聖人は天の明命を大事にするが、凡夫は人欲を大事にする。服を着るのは天命だが、縮緬を着たいと言うのは私である。
【通釈】
人心を主にすると天職を捨てることになる。それで、大学に「顧諟天之明命」とある。その方に向いているのが天職である。貴方の職分は何かと聞けば、「顧明命」だと言う。これが私の役だと言えば天職である。あれに塵を付けない様にしようと目を付けている。そこでつまり撫で擦る。凡夫は人欲を撫で擦る。そこで、論語に「無求食飽」とあり、註に「不暇及」と書いてあるのを気を付けて見なさい。天職で忙しい。衣食に関した欲はない。そんなことをする暇がないと言う。また、「志道而恥悪衣悪食者未足与議也」とあり、私吝は嫌なもの。また、一等下なことで、喰いたいと外に告げないのが私吝である。食は舌と咽との一寸の間を通るうちのこと。鳩尾の処へ来ると甘いものでも既に何事もない。寒いから着たいと言うのはわかるが、縮緬でなければならないと言うのは私である。
【語釈】
・顧諟天之明命…大学章句1。「大甲曰、顧諟天之明命」。本は書経太甲上。
・無求食飽…論語学而14。「子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言。就有道而正焉。可謂好學也已」。
・不暇及…論語学而14集註。「不求安飽者、志有在、而不暇及也」。
・志道而耻悪衣悪食者未足與議也…論語里仁9。「子曰、士志於道、而恥惡衣惡食者、未足與議也」。


第二十一 獵自謂云々の条

獵、自謂今無此好。周茂叔曰、何言之易也。但此心潛隱未發。一日萌動、復如前矣。後十二年、因見、果知未也。云、明道先生年十六七時好田獵。十二年暮歸、在田野閒、見田獵者不覺有喜心。
【読み】
獵は、自ら謂う、今此の好み無し、と。周茂叔曰く、何ぞ言うことの易きや。但此の心潛隱して未だ發せざるのみ。一日萌動せば、復前の如くならん。後十二年、見るに因りて、果たして未だしきを知れり。云う、明道先生年十六七の時、田獵を好む。十二年暮に歸りて田野の閒に在りて田獵する者を見て覺えず喜心有り。
【補足】
・この条は、程氏遺書七にある。

克己の工夫はして取たと云。請合のならぬもの。あとからは々々々々々なり。一生一代思の京見物大和巡とは違ふ。偖、此章は明道先生の周茂叔に訶られたことなり。あの衆にはそんなことはあるまいと云に、さて々々上品なことなり。ちらりと胷の動く、はや欲にしたものなり。獵はししがりのこと。かりについて自謂となり。偖、明道の獵を好まれたは十四五のときからのことを、周茂叔に見へたは十七八計のときのことなり。そこて周子の、獵のすきなはなくなりきったと思やるな、すきなことは隠れてをるものと云へり。是が周子の工夫して覺あって云たもの。すきなことははや絶きりてないと思ふても、ふいと出るものとなり。
【解説】
「獵、自謂、今無此好。周茂叔曰、何言之易也。但此心潛隱未發。一日萌動、復如前矣」の説明。欲は次々に出て来るもので、明道ほどの人でも同様である。周茂叔が、好きなことは絶えてなくなったと思っても、不意に出るものだと言った。
【通釈】
克己の工夫は仕遂げたと言うが、それは請け合えないもので、後から次々に欲が出て来る。一生一代と思う京見物、大和巡りとは違う。さて、この章は明道先生が周茂叔に訶られたこと。あの衆にそんなことはないだろうと思うが、ここは全く上品なこと。ちらりと胸が動く、それを早くも欲としたもの。猟は猪狩のこと。狩について自ら言った。さて、明道が猟を好まれたのは十四五の時からのことで、周茂叔の所に行ったのは十七八頃の時のこと。そこで周子が、猟好きがなくなり切ったと思うな、好きなことは隠れているものだと言った。これが、周子が工夫をし、覚えがあって言ったもの。好きなことは既に絶えてなくなったものと思っても、不意に出るものだと言った。

後十二年因見云々。あんの如く其内に心が起った。果知未。まだちゃとなり。委細は注でよくしるる。小書。暮は年の暮か日の暮かとちでもよい。有喜心。吾れを忘れて面白ひと云た。獵がすきと云ても明道ゆへ、孟子にある馮婦が虎を捕へた様な馬鹿なことはないが、胷でのりがきたものなり。克己はかたいことなり。根たをしにしてはへる種のないと云てなくてはならぬ。明道などは学問は顔曽へゆく人で、夫れにこれなり。垩人へをさ々々をとらぬ人なり。此頃は定性書をかかれた後のことなれとも、工夫はそうはゆかぬものぞ。して取たと思ふは淺見先生の所謂筭用ちがいなり。若い者の禁酒あてにならぬ。克己最難。なりにくいこと。是學者の警発にすることなり。
【解説】
「後十二年、因見、果知未也。云、明道先生年十六七時好田獵。十二年暮歸、在田野閒、見田獵者不覺有喜心」の説明。克己は欲を根倒しにすることだから、仕遂げたと思ってはならない。これが学者の警発にすることである。
【通釈】
「後十二年因見云々」。案の定、その内に心が起こった。「果知未」。まだだと言う。委細は注でよくわかる。小書。「暮」は年の暮でも日の暮でもどちらでもよい。「有喜心」。我を忘れて面白いと言った。猟が好きと言っても明道のことなので、孟子にある馮婦が虎を捕えた様な馬鹿なことはないが、胸に乗りが来たのである。克己は難しいことである。根倒しにして生える種がないというのでなくてはならない。明道などは、学問は顔曾に匹敵する人だが、その人がこれである。聖人に殆ど劣らない人がこれである。この頃は定性書を書かれた後のことだが、工夫はそうは行かないもの。仕遂げたと思うのは浅見先生の言う所の算用違いである。若い者の禁酒は当てにならない。「克己最難」。成り難いこと。これが学者の警発にすることである。
【語釈】
・馮婦が虎を捕へた…孟子尽心章句下23。「晉人有馮婦者。善搏虎。卒爲善士。則之野。有衆逐虎。虎負嵎。莫之敢攖。望見馮婦、趨而迎之。馮婦攘臂下車。衆皆悅之、其爲士者笑之」。


第二十二 伊川先生曰大抵云々の条

伊川先生曰、大抵人有身、便有自私之理。宜其與道難一。
【読み】
伊川先生曰く、大抵人は身有れば、便ち自私の理有り。宜[うべ]なり其の道と一なり難きは、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書三にある。

惣体人それて、身のないものはない。身は五尺の骸なり。は子火を子へなげつけると云もきこへた。氣がついたら取りかへしもしようが、かわゆい子でさへからだが別々ゆへなり。夫れで骸ほどかわゆいものはない。子よりも吾方へべったり引つけたものゆへなり。之理とは、ある筈と云こと。氣稟理有善悪の理と同こと。自私するも餘義もない。子の腫物は、親は痛はない。子か風を引ても親が嚏は出ぬ。迂斎の、これをなんの爲に云なれば、病因を知らせてやると云へり。堤と云は切れやすいものちゃと云ようなもの。切れやすいからつくなと云ことではない。用心せよと云ことなり。宜云々を直方先生が人欲に尤をつけたことではないと云はれた。丁と人心惟危と云様なもの。危から仕方ないと云ことではない。氣をつけるがよいと云ことぞ。與道云々。道とは道理のこと。非義の録は受まいと思ふが、少し非義ても餓死するには増しじゃ、ひだるいから受と云なり。精進日じゃから酒は呑まいと云心が一つ。されとも寒いから一盃と云心が一つ。そこで難一なり。後ろにひじを引ものが有るからなり。是の肉身が邪魔をするぞ。王義之も肱を引れては書かれぬ。
【解説】
人は我が身が可愛い。それで、自私するのも余儀ないことだが、ここはそれを用心しなさいと言ったこと。心が道と一つになり難いのも、欲が後ろで肱を引くからである。
【通釈】
総体、人はそうであって、身のない者はいない。身は五尺の骸である。跳ね火を子へ投げ付けると言うのもよくわかる。気が付いたら取り返しもするだろうが、それは可愛い子でさえ体が別々だからである。それで骸ほど可愛いものはない。子よりも自分にべったりと引き付けたものだからである。「之理」とは、ある筈ということで、「気稟理有善悪」の理と同じこと。自私するのも余儀はない。子の腫物は、親は痛くはない。子が風邪を引いても親がくしゃみはしない。迂斎が、これは何のために言ったのかといえば、病因を知らせて遣るためだと言った。堤は切れ易いものだと言う様なもの。切れ易いから築くなということではない。用心しなさいということ。「宜云々」を直方先生が、人欲が尤もなことだと言ったのではないと言われた。丁度「人心惟危」と言う様なもの。危ないから仕方がないということではない。気を付けなさいということ。「与道云々」。道とは道理のこと。非義の禄は受けないと思ったが、少し非義でも餓死するよりは増しだ、空腹なので受けると言う。精進日だから酒は呑まない様にするという心が一つ。しかし、寒いから一盃という心が一つ。そこで「難一」である。それは、後ろに肱を引くものがあるからである。この肉身が邪魔をする。王羲之も肱を引かれては書くことができない。
【語釈】
・氣稟理有善悪…道体21。「生之謂性。性即氣、氣即性、生之謂也。人生氣稟、理有善惡」。
・人心惟危…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。


第二十三 罪己責躬の条

罪己責躬不可無。然亦不當長留在心胸爲悔。
【読み】
己を罪し躬を責むるは無かる可からず。然れども亦當に長く留めて心胸に在らしめ悔を爲すべからず。
【補足】
・この条は、程氏遺書三にある伊川の語。

是はよいこと。吾をよいと思ふはわるいが、是はよく我かわるいを云ぞ。私はこん病かあるの、私はたらいのと云。是てなけれは氣質変化はならぬか、是も餘り長く其れを云てをるもよくない。克己の工夫は端的ながよいぞ。朱子の誰にか答る書にも、病を云を、朱子の其れを人に云て何の役に立と云た。悪いと思はばなをすでよい。人に悪いことを云は、つまり吾氣質を推して通すじゃなり。迂斎云、藥も長く呑と藥毒にあたるぞ。さて々々私も学問か上らぬと云は親切なやうなれとも、そんならそれて克己をするかと思へばそうもせぬ。克己は独りてするかよい。直方先生の、それは破れた茶碗ををつけて見るやうなものと云へり。とかくどうも々々々と云。藥も呑ずに持病々々と云ようなもの。夫よりだまって藥を呑がよい。
【解説】
克己の工夫は端的なのがよく、また、自分独りで行うものである。学問が上がらないと人に言う前に、克己を実践すべきである。
【通釈】
ここはよいことについて言う。自分をよいと思うのは悪いが、ここは自分の悪いところをよく言うことについて言う。私はこの病があるとか、私は怠いと言う。自分を責めなければ気質変化は成らないが、それもあまり長く言っているのもよくない。克己の工夫は端的なのがよい。朱子が誰かに答える書の中で、病のことを人に言って何の役に立つのかと言った。悪いと思えば直せばよい。人に自分の悪いことを言うのは、つまり自分の気質を推して通すことである。迂斎が、薬も長く飲むと薬毒に中ると言った。全く私は学問が上らないと言うのは切実な様だが、それならそれで克己をするのかと思えばそうはしない。克己は独りでするのがよい。直方先生が、それは割れた茶碗を押し付けてみる様なものだと言った。とかくどうしてもと言う。薬も飲まずに持病だと言う様なもの。それより黙って薬を飲む方がよい。