第二十四 所欲不必沈溺の条  亥正月十六日  慶年録
【語釈】
・亥…寛政3年(1791)辛亥。
・慶年…北田慶年。東金市福俵の人。通称太兵衛。自家を「学思斎」とし、默斎に学ぶため他郷から来る人々を宿泊させると共に、子弟をそこで教導した。

所欲不必沈溺。只有所向便是欲。
【読み】
欲する所は必ずしも沈溺せず。只向かう所有れば便ち是れ欲なり。
【補足】
・この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

欲と云は此方が生きものて居るて、寒ひときは酒を一盃飲だらよかろふと云ことはありうちのことなり。これを沈溺とは云はれす。垩賢にもあるはづのことなり。それは沈溺ではないか、酒は孔子の御異見てもやめられぬと云が沈溺なり。はづかて違ふことそ。有所向云々。向ふと云はなづみのある処て云。物になづみのあるのか、偖わるい。料理の塩梅のよいを食てああよいと云か沈溺てはないが、同じやうでも不塩梅なものは喰れぬと云のか、はや欲なり。向と云字は一向と書とひたすらとよむ。兎角其方へひたすらになるがわるい。一寸と碁を打つの、將棊さすのと云が沈溺ではないが、一向それに掛るかわるい。望の多ひ一方づくのが欲なり。是を又上品に云はは、迂斎の、手前の子をものにしたいと云のは道理の當然、去りながら、夫れを無理無体にどふやっても是非ものにせふとする、そこか最ふ人欲になる。家内を掃除するは誰もせ子はならぬこと。なれともそれもきれい好と云になる、もふその好と云が欲ぞ。向ふ所あるが欲なり。孟子の寡欲と云か無所向で、そこのさらりとしたこと。心を養ふは無如寡欲。そこを根から無くしたのが濂渓なり。此語を孟子の註にも取て置れた。つまり寡欲に成ることなり。それが克己なり。
【解説】
人は生き物なので欲があるが、それが沈溺であっては悪い。一向が悪い。向かう所があるのが欲である。孟子の寡欲は「無所向」のことであり、寡欲になろうとするのが克己である。
【通釈】
人は生き物なので、寒い時は酒を一盃飲んだらよいだろうということはよくあることで、これを沈溺とは言わない。それは聖賢にもある筈のこと。それは沈溺ではないが、酒は孔子の御異見でも止められないと言うのが沈溺である。僅かなことで違って来る。「有所向云々」。向かうとは泥みのある処で言う。物に泥みのあるのが実に悪い。塩梅のよい料理を食ってああよいと言うのは沈溺ではないが、それと同じ様でも不塩梅なものは喰えないと言うのが直に欲である。向という字は一向と書くとひたすらと読む。とかくその方へ一向になるのが悪い。一寸碁を打ったり将棋を指すというのは沈溺ではないが、一向それに取り掛かるのが悪い。望みが多くて一方づくなのが欲である。これをまた上品に言えば、迂斎が、自分の子をものにしたいと言うのは道理の当然、しかしながら、それを無理無体にどうしても是非ものにしようとすると、もうそれが人欲になると言った。家内を掃除するのは誰もがしなければならないこと。しかし、それもきれい好きということになれば、もうその好きというのが欲である。向かう所のあるのが欲である。孟子が寡欲と言ったのが「無所向」のことで、さらりとしたこと。心を養うには「無如寡欲」。そこを根からなくしたのが濂渓である。この語を孟子の註にも取って置かれた。つまり寡欲になること。それが克己である。
【語釈】
・ありうち…世の中によくあること。ありがち。
・孟子の寡欲…孟子尽心章句下35。「孟子曰、養心莫善於寡欲。其爲人也寡欲、雖有不存焉者、寡矣。其爲人也多欲、雖有存焉者、寡矣」。
・孟子の註にも…孟子尽心章句下35集註を指す。


第二十五 明道先生曰子路亦百世之師の条

明道先生曰、子路亦百世之師。人告之以有過則喜。
【読み】
明道先生曰く、子路も亦百世の師なり。人之に告ぐるに過有るを以てすれば則ち喜ぶ。
【補足】
・この条は、程氏遺書三の拾遺にある。

此れは本語があり、垩人百世之師伯夷柳下惠是也。そこを明道の、伯柳計でない、子路も亦と、も亦を入れたが御發明なり。是はどう云処からの御發明なれば、堯舜文王の様な生知でどふもよさ過て、偖もこれは々々々と云はかりてつかまへ処なく、どふもつかまへをふせられぬ。そこて伯柳を師と出したはどれも一癖ある、つかまへ処のあるであれを云た。近付ではなけれども、伯の廉潔、柳下の和に無造作を聞て今日の人がさてもと感発して、それでよい人になるで云ふた。子路もそれて、孔門ても顔曽は能過て仕にくいか、子路を百世之師と云ふは、小書、人告之以有過則喜。爰のつかまへ処て云のそ。吾がわるいことを告られたとき甚悦ぶ。ぞっこんからの喜ひなり。今日の人も貴様又例のがわるいぞ、たしなまれよなどと云と、異見辱いとは云へとも、心中には面白ない。長咄せすと帰れかしと思ふ。子路は根から吾を能したがる。身をふく人故にどふがなしてよくしたいと思ふで過を告ると喜ぶ。江戸抔て隣屋鋪から土藏の鼠穴を知らせられたやうて、鼠穴がみへると告るとこれは誠に辱いと眞実に悦ぶか、又、貴様のことについてちと得御意たい、これ々々と云と、辱とは云が鼠穴しらせられたやうてはない。今日の人か子路を師にすると、今日から克己のとりかかり処がありて直に克己がなる。克己の工夫は水ばなれをよくするがよい。子路の此ことを聞たら及ばすなからと云程でなけれはならぬ。存養は月夜の明るやうにそろ々々する。克己は石火矢をほんと云せたやうに直にしるしを見することなり。そこで、一端な処からゆくが手段ぞ。孟子の伯夷柳下惠を出す。程子の子路を出す。庸医の手段に非す。
【解説】
孟子は百世の師として伯夷と柳下恵を挙げ、程子は子路を挙げた。それは、堯舜や文王は生知で克己の掴まえ処がないが、彼等には掴まえ処があるからである。
【通釈】
これには本となる語があって、それが「聖人百世之師伯夷柳下恵是也」である。そこを明道が、伯柳ばかりではなく「子路亦」と、亦を入れたのが御発明である。それはどういう処で御発明かと言うと、堯舜文王の様な生知ではどうもよ過ぎていて、実にこれはこれはと言うばかりで掴まえ処がなく、どうも掴まえ切ることができない。そこで伯柳を師と出したのは、どちらも一癖あり、掴まえ処があるので出したのである。近付きの人ではないが、伯夷の廉潔と柳下恵の和で無造作を聞いて今日の人がさてもと感発して、それでよい人になるから言ったこと。子路もそれで、孔門でも顔曾はよ過ぎて師にし難いが、子路を百世之師と言うのは、小書の、「人告之以有過則喜」だからで、この掴まえ処で言ったこと。自分が悪いことを告げられた時に甚だ悦ぶ。心の底から喜ぶ。今日の人も、貴様はまた例の悪いところが出たぞ、たしなみなさいなどと言われると、意見忝いとは言うが、心中では面白くない。長話をしないで早く帰らないかと思う。子路は根から自分をよくしたがる。身をふく人なので、どうにかしてよくしたいと思うから、過ちを告げると喜ぶ。江戸などで隣屋敷から土蔵の鼠穴を知らせられた様で、鼠穴が見えると告げるとこれは誠に忝いと真実に悦ぶが、一方、貴様のことについて少々御意を得たい、これこれと言うと、忝いとは言うものの、鼠穴を知らせられた様ではない。今日の人が子路を師にすると、今日から克己の取り掛かり処があって直に克己ができる。克己の工夫は水離れをうまくするのがよい。子路のこのことを聞いたら及ばずながらと言うほどでなければならない。存養は月夜の明ける様にそろそろと行う。克己は石火矢をぽんと言わせた様に、直に徴を見てすること。そこで、一端な処から行くのが手段となる。孟子が伯夷柳下恵を出す。程子が子路を出す。それは庸医の手段ではない。
【語釈】
・垩人百世之師伯夷柳下惠是也…孟子尽心章句下15。「孟子曰、聖人、百世之師也。伯夷・柳下惠是也」。
・人告之以有過則喜…孟子公孫丑章句上8。「孟子曰、子路、人告之以有過則喜」。
・生知…中庸章句20。「或生而知之、或學而知之、或困而知之、及其知之一也。或安而行之、或利而行之、或勉強而行之、及其成功一也」。
・得御意…①お考えをうけたまわる。②お目にかかる。
・庸医…凡庸な医者。やぶいしゃ。


第二十六 人語言緊急之条

人語言緊急、莫是氣不定否。曰、此亦當習。習到自然緩時、便是氣質變也。學至氣質變、方是有功。
【読み】
人の語言の緊急なるは、是れ氣の定まらざること莫きや否や。曰く、此れ亦當に習うべし。習いて自然に緩なるに到りし時、便ち是れ氣質の變れるなり。學は氣質の變るに至りて、方に是れ功有るなり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

是は先日の存羪の篇にも辞で心を知ることと云てあり、夫れと同ことて、存羪めいたことか克己にあり、克己めいたことが存養にある。克己存羪はとなり合なり。山﨑先生の存養貫其二者也と云たかそこなり。是らは詞て心の知るること。緊は、きひしく、急は、心のらいのないからなり。喧嘩口論を見るやふにきり々々することを緊急と云。そこで此の問が是氣不定やと、あまり緊急なは心の定らぬて致すことて無きやとなり。曰此亦當習云々。習と云は克己めかず存羪めいたことなり。それもそろ々々しろと云ふはどふも仕方がない、すてて置けと云やうではならぬ。其れを今日から習ふて、緊急てないやふにそろ々々せよ。そこは習て自然と云でなけれはならぬ。自然に言語も直るやうにせよ。
【解説】
「人語言緊急、莫是氣不定否。曰、此亦當習。習到自然緩時」の説明。人の言がせっかちなのは気が不定だからかとの問いに、習いによって言葉が緊急にならない様にしなさいと答えた。
【通釈】
先日の存養の篇にも辞で心を知るとあったが、ここもそれと同じことで、存養めいたことが克己にあり、克己めいたことが存養にある。克己と存養は隣合わせである。山崎先生が「存養貫其二者也」と言ったのがそのこと。ここ等は言葉で心が知れること。緊は、厳しく、急は、心に合間がないからである。喧嘩口論を見る様にきりきりとすることを「緊急」と言う。そこでここの問いは「是気不定」と、あまり緊急なのは心が定まらなくてするのではないかと聞いたのである。「曰此亦当習云々」。習とは克己めかず存養めいたこと。緩やかにしろと言ってもどうも仕方がないから捨てて置けと言う様では悪い。それを今日から習によって緊急でない様に緩やかにする。そこは習で、自然でなければならない。言語も自然に直る様にしなさい。
【語釈】
・辞で心を知る…存養56。「問、出辭氣、莫是於言語上用工夫否。曰、須是養乎中、自然言語順理。若是愼言語不妄發、此卻可著力」。
・存養貫其二者也…山崎闇斎近思録序の語。

そふすると便是氣質云々。変化と云ふて白いものが今じきに黑くなるやうに思ふが、そうでない。そろ々々するて元来の氣が変化するなり。若ひときは小尻咎した人じゃが、この頃はのっしりと成たと云ふ。そこが即変化なり。今日學問するものに工夫する人のないてしれぬが、今人の年を經て世間馴ると前とは違ふものぞ。それが端的わるいぐるみ前とちがふたとしるる。変化なり。徂徠なとが氣質変化はならぬと云ふか、若軰なものがすわと云とせきみて皃を赤くしたが、今は赤くならぬと云。それはわるずれなり。されども、そのわるいくるみ変化なり。すれは、よいことにも変化はあるはづなり。音樂を聞て正くなるも今樂がないで知れぬが、豊後節を聞てどふらくになる。端的で知るる。すればよい樂ではよくなるはたしかなり。氣質はせいの高い低とは違。変化するはつなり。方是有功。学問でそろ々々すると有功。そこが克己で、ぜひ変化しやうとする処が克己の工夫なり。すててをくは氣質を馳走するのなり。私と云は人欲も氣質も天理の外は皆私なり。それをその侭置ぬを克己と云。
【解説】
「便是氣質變也。學至氣質變、方是有功」の説明。緩やかにするので気が変化する。気質変化は悪いことでよくわかるが、逆に、よいことにもそれがある筈である。気質は背の高い低いとは違う。天理以外の私を放って置かないのが克己である。
【通釈】
そうすると「便是気質云々」。変化と言うので白いものが今直に黒くなる様に思うが、そうではない。緩やかにするので元来の気が変化する。若い時は鐺咎めをした人だが、この頃はのっしりとなったと言う。そこが即ち変化である。今日学問するものに工夫する人がいないのでわからないが、今、人が年を経て世間馴なれをすると前とは違うもの。それが端的悪いことも含めて前とは違うとわかり、それが変化である。徂徠などが気質変化は成らないと言うが、若輩な者がすわと言うと急いて顔を赤くしたが、今は赤くならないと言う。それは悪ずれである。しかしながら、その悪いのを込めての変化である。それなら、よいことにも変化はある筈である。音楽を聴いて正しくなることも今は楽がないのでわからないが、豊後節を聴いて道楽者になる。端的なことでわかる。そこで、よい楽でよくなるのは確かなのである。気質は背の高い低いとは違うから、変化する筈である。「方是有功」。学問を緩やかにすると「有功」。そこが克己で、是非変化しようとする処が克己の工夫なのである。捨てて置くのは気質を馳走すること。私というものは、人欲も気質も天理の外は皆私である。それをそのままに捨てて置かないのを克己と言う。


第二十七 問不遷怒云々の条

問、不遷怒不貳過、何也。語録有怒甲不移乙之説、是否。伊川先生曰、是。曰、若此則甚易。何待顏子而後能。曰、只被説得粗了、諸君便道易、此莫是最難。須是理會得因何不遷怒。如舜之誅四凶、怒在四凶。舜何與焉。蓋因是人有可怒之事而怒之。聖人之心本無怒也。譬如明鏡。好物來時便見是好、惡物來時便見是惡。鏡何嘗有好惡也。世之人固有怒於室而色於市。且如怒一人、對那人説話、能無怒色否。有能怒一人、而不怒別人者。能忍得如此、已是煞知義理。若聖人因物而未嘗有怒。此莫是甚難。君子役物、小人役於物。今見可喜可怒之事、自家著一分陪奉他。此亦勞矣。聖人之心如止水。
【読み】
問う、怒りを遷さず過を貳びせずとは、何ぞや。語録に甲を怒りしとき乙に移さざるの説有るは、是れなるや否や、と。伊川先生曰く、是れなり、と。曰く、此の若くんば則ち甚だ易し。何ぞ顏子を待ちて而る後に能くせん、と。曰く、只説き得て粗なるを被れば、諸君便ち易きを道[い]うも、此は是れ最も難きこと莫からんや。須く是れ何に因りて怒りを遷さざるかを理會し得べし。舜の四凶を誅するが如き、怒りは四凶に在り。舜何ぞ與らん。蓋し是の人に怒る可き事有るに因りて之を怒る。聖人の心には本より怒り無し。譬えば明鏡の如し。好き物來る時は便ち是れ好きものなるを見[しめ]し、惡しき物來る時は便ち是れ惡しきものなるを見す。鏡に何ぞ嘗て好惡有らん。世の人に固より室に怒りて市に色するもの有り。且つ一人を怒るが如き、那[か]の人に對して話を説くに、能く怒色すること無きや否や。能く一人を怒りて別人を怒らざる者有り。能く忍び得ること此の如くんば、已に是れ煞[はなは]だ義理を知れるなり。聖人の如きは物に因りて未だ嘗て怒り有らず。此れ是れ甚だ難きこと莫からんや。君子は物を役し、小人は物に役せらる。今喜ぶ可く怒る可き事を見れば、自家一分を著けて他[かれ]に陪奉す。此れ亦勞せり。聖人の心は止水の如し、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある。

何ぞ也は何ことそと云でなく、どの位のことじゃと問たで、文義のすめぬことでなく、どの位の位付でござりますかと云ことなり。語録に。御前様の語録にと云こと。怒甲不遷乙云々。甲乙は東金大網と云やふ。あの人この人と云やふなもの。甲乙の字は、蒙引にはあの人此人と兩人にあてて云。存疑には事の上で云、あれこれと云ことと見る。蒙引は、大工を怒て左宦にうつりたこと。存疑は、左官の來やうのをそいからぬりやうもわるいとうつすなり。説是否。あの説でよふござりますか、弟子衆の書違ひではないかと云。曰是なり。甲きりて乙に遷さぬは若此則甚易云々。根をしらぬものが得てこふ云ことあり。甚易と云はむざうさな云やう。顔子てなふても其位のことは出来ませふとは、曰只被説得粗了。此なたなとは其れを安ひと思ふは粗ひことなり。顔子の此の工夫甚だ六ヶ敷。いこうひまをとら子ばめったに中々ならぬことそ。其れを易ひと思ふは粗ひことじゃ。
【解説】
「問、不遷怒不貳過、何也。語録有怒甲不移乙之説、是否。伊川先生曰、是。曰、若此則甚易。何待顏子而後能。曰、只被説得粗了。諸君便道易」の説明。「怒甲不移乙」は易しいことで顔子でなくてもそれはできると問者が言ったのに対して、伊川は、それは粗い考えであると答えた。
【通釈】
「何也」とは、何事かということではなく、どの位のことかと問うたもので、文義が済めないのではなく、どの位の位付けですかということ。「語録」。貴方の語録にあるがということ。「怒甲不遷乙云々」。甲乙は東金大網と言う様なことで、あの人この人と言う様なもの。甲乙の字は、蒙引にはあの人この人と両人に当てて言うとあり、存疑には事の上で言うことで、あれこれということだとある。蒙引は、大工を怒ってそれが左官に怒りが遷ったこと。存疑は、左官が来るのが遅いので、それで塗り方も悪いと遷すこと。「説是否」。あの説でよいですか、弟子衆の書き違いではないかと言ったこと。「曰是」。甲だけで乙に遷さないのは「若此則甚易云々」と、根を知らない者によくこう言うことがある。甚易は無造作な言い方。顔子でなくてもその位のことはできるでしょうと言うのは、「曰只被説得粗了」。貴方などがそれを簡単だと思うのは粗い。顔子のこの工夫は甚だ難しいことで、大層時間を掛けなければ中々できないこと。それを易しいと思うのは粗いのである。
【語釈】
・蒙引…
・存疑…

此莫是最難云々。安ひと云かよく考て見よ。めったにならぬことそ。利休か茶は何のことはない、湯をたきらし茶を入れてたてる迠のことと云をふか、そこか中々安ひことてはなし。義之や子昂か手跡は何のことはない、天の字は天の字さ、これこふ書く、地の字はこふじゃと云か、中々眞似られぬ。書得る処の根かなけれはならぬ。人は怒を遷すに顔子ばかりを遷さぬと、たた顔子一人を孔子の云はれたはとうしたことと考へ見よ。先つ如舜之誅四凶云々。これて先一つ合点せよ。少とも怒が肉からは出ぬぞ。医者か病人に針をたてるやふなもの。病人はさぞ痛かろふか、日頃悪ひからとてたてはせぬ。積にたてるのなり。凡夫はとかくそこか違ふ。学者も不合口なには、何にあれらが講釈とけなすか、合口でなふても其章をよく讀取たら、これはさて々々と云子ばならぬ。そこが理なり。兎角ものにひいきと云は氣についたことて、角力取が二人出る。どちらも知らぬにはやこちらを勝せたいと云。碁打もそれで、こちらをあちらをとひいきする。こちで歯かみをすることにあらず。よい手をするのを、勝べき理のあるか勝べしと、いりもみすることてなし。誅四凶も舜の方に怒はない。
【解説】
「此莫是最難。須是理會得因何不遷怒。如舜之誅四凶、怒在四凶。舜何與焉」の説明。孔子は顔子のみを「不遷怒」と言った。凡夫の怒は肉身から出る。舜が四凶を誅したのも、四凶に怒られる理があったからである。
【通釈】
「此莫是最難云々」。易しいと言うがよく考て見なさい。滅多にできないことである。利休の茶は何事もない、湯を滾らせ茶を入れて立てるだけのことだと言っても、そこが中々簡単なことではない。羲之や子昂の手跡は何事もない、天の字は天の字で、これこの様に書き、地の字はこうだと言うが、中々真似られない。書き得る処の根がなければならない。人は怒を遷すのに顔子だけが遷さないと、ただ顔子一人を孔子が言われたのはどうしてかと考えて見なさい。「如舜之誅四凶云々」。これで先ず一つ合点しなさい。舜は怒が少しも肉身から出ない。医者が病人に針をたてる様なもの。病人はさぞ痛いだろうが、日頃憎いからと言ってたてはしない。癪だからたてるのである。凡夫はとかくそこが違う。学者も不合口な者には、あれ等の講釈などと貶すが、合口でなくてもその章をよく読み取ったら、これはさてもと言わなければならない。そこが理である。とかく物に贔屓するというのは気に付いたこと。相撲取りが二人出る。どちらも知らないのに早くもこちらを勝たせたいと言う。碁打ちもそれで、こちらをあちらをと贔屓する。こちらが悔しがることではない。よい手をする者、勝つべき理のある方が勝つべきだと思うのであって、いり揉みすることではない。「誅四凶」も舜の方に怒はない。
【語釈】
・舜之誅四凶…春秋左氏伝文公。「舜臣堯。賓于四門、流四凶族。渾敦、窮奇、檮杌、饕餮。投諸四裔」。書経舜典。「流共工于幽州、放驩兜于崇山、竄三苗于三危、殛鯀于羽山」。

因是人有可怒之事。怒こと有四凶で、怒べき処のあるで怒る。因んに々々々と禅録などにあるが、ちなみにとよむ。向ふによってあることなり。客かきたから多葉粉をだすやふなもの。そこか因なり。こぬに多葉粉盆出すことはないそ。垩人之心本無怒云々。垩人にも怒はあるものを無ひと云とをかしひやうじゃが、此無いと云は、たくはへて置ぬことを云。文王一怒安天下之民なり。王赫として斯に怒る。怒らぬことてはないか、たくはへてはをかぬ。向から怒へきことの来るて怒る。直方云、氣のもつれ、いれることはないとなり。譬如明鏡云々。鏡の方にたくはへたことはない。女が見る、女が移る。男が向ふ、男が見へる。此鏡へはめったなものはうつさぬの、ひげ奴はいやがるの、をれがひいきのものはかりうつすのと云ことはない。向ものを鸖でもみみづくでもうつす。鏡何有好悪。垩人の心もそれで、すらり々々々と理なりにうつる。あの鏡のうつしたやうに、跡はない。跡のないと云ことかよい。今も下人ともよりあひ主の批判するに、そちの旦那はどふしゃ。いや呵るてや、それでもよいことには跡はないと云ふ。これがよいことなり。奉公人も居つつく。凡人の通情か何にか三十日程跡のことを閻魔の帳をくるやふにくり出して云。そこで居たたまらぬ。兎角跡のないか鏡のやふでよい。
【解説】
「蓋因是人有可怒之事而怒之。聖人之心本無怒也。譬如明鏡。好物來時便見是好、惡物來時便見是惡。鏡何嘗有好惡也」の説明。聖人にも怒があるが、聖人はそれを貯えて置かない。それは鏡と同じで、相手の通りに映すだけで、あとにそれは残らない。
【通釈】
「因是人有可怒之事」。「怒在四凶」で、四凶に怒るべき処があるので怒る。因にと禅録などにあるが、ちなみにと読む。向こうに因ってあること。客が来たから煙草盆を出す様なもの。そこが因である。来ないのに煙草盆を出すことはない。「聖人之心本無怒云々」。聖人にも怒はあるのに、それをないと言うのは可笑しい様だが、このないと言うのは貯えて置かないことを言う。「文王一怒安天下之民」である。「王赫斯怒」。怒らないのではないが、貯えては置かない。向こうから怒るべきことが来るので怒る。直方が、気の縺れを入れることはないと言った。「譬如明鏡云々」。鏡の方で貯えることはない。女が見れば女が映る。男が向えば男が見える。この鏡は滅多なものは映さないとか、髭奴は嫌がるとか、俺の贔屓なものばかりを映すということはない。向かうものを鶴でも木菟でも映す。「鏡何有好悪」。聖人の心もそれで、すらりと理の通りに映る。あの鏡の映した様に、跡はない。跡がないということがよいこと。今も下人どもが寄り合いで主人の批判をするのに、お前の旦那はどうだと聞かれて、いやよく呵るが、それでもよいことには跡がないと言う。これがよいこと。奉公人も居続く。凡人の通情で、何か三十日ほど前のことを閻魔帳を繰る様に繰り出して言う。そこで居た堪れない。とかく跡のないのが鏡の様でよい。
【語釈】
・文王一怒安天下之民…孟子梁恵王章句下3。「詩云、王赫斯怒、爰整其旅、以遏徂莒、以篤周祜、以對于天下。此文王之勇也。文王一怒、而安天下之民」。詩は詩経大雅皇矣。

世之人固よりは、だたい多くあるものゆへ固と書た。有怒於室色於市。左傳の文字なり。室に怒るは夫婦喧嘩をしたやふなもの。其皃が東金市へ迠出る。何んにも不機嫌なことはないはづじゃと思ふに、出なから夫婦喧嘩して出た、たたりなり。怒一人對那人説話。外の人へ遷さぬと云が何のこともないやふなれとも、那の人と咄すに怒の色の出ぬことはないもの。役人なとにはあることて、女房や家来を呵ったときに下役のものか行合すと、こともないに呵らるる。さて々々今日はわるい日を喰合せた、側杖にあふたと云ことあり。否やと云は、これを心安ひと思ふかや、と。能怒一人而不怒別人云々。此れが垩賢と云ふではないが、大ふたしなみのよい人と云ふは別人にいからぬ者あり。子ともや吾甥を手ひどく呵る処へ隣の亭主が来る。是れはよう御出と別人へ怒をうつさぬたしなみなり。忍得て人へ出さぬのか、白人てもこれかあるなり。
【解説】
「世之人固有怒於室而色於市。且如怒一人、對那人説話、能無怒色否。有能怒一人、而不怒別人者。能忍得如此」の説明。怒りを他の場に持ち出すのはよくあること。また、怒りを別人に対してぶつけることもあるが、怒りをその様に遷さない人が聖賢以外にもいる。
【通釈】
「世之人固」は、そもそも多くあるものなので固と書いたもの。「有怒於室色於市」。これは左伝の文字。室に怒るとは夫婦喧嘩をした様なもの。その顔が東金の市にまで出る。何も不機嫌なことはない筈だと思うのだが、夫婦喧嘩をして出たのが祟ったのである。「怒一人対那人説話」。他の人へ遷さないというのは何事もないことの様だが、他の人と話すのに怒の色が出ないということはないもの。役人などにはあることで、女房や家来を呵った時に下役の者が行き合わすと、怒られることもないのに呵られる。さてさて今日は悪い日を喰い合わせた、側杖に遇ったということがある。「否」は、これを心安いと思うかと聞いたこと。「能怒一人而不怒別人云々」。これが聖賢だというわけではないが、大分嗜みのよい人の中には別人に怒らない者がいる。子供や自分の甥を手酷く呵る処に隣の亭主が来る。これはよく御出と、別人へ怒を遷さない嗜みを持っている。忍び得て人へ出さないことが素人にもある。
【語釈】
・怒於室色於市…春秋左伝昭公。「令尹子瑕言蹶由於楚子曰、彼何罪。諺所謂室於怒、市於色者、楚之謂矣。舍前之忿、可也。乃歸蹶由」。

已是煞知義理。義理を知れりとは、素人あしらいにしたものなり。なんぼてもそれはよいぞ。義理を知たと云ふもの、学者もはだしと云語意なり。忍ひ得るさへ義理を知たと云ものを、まして若垩人因物而未嘗有怒云々。これか則上文の垩人の心怒なしのことを云ことて、怒は七情の内て手とりものなれとも、垩賢は事のない内に怒の用意はしてをかぬ。店屋が客を待て蕎麥を打てをくやふてはない。因物て、出る怒を貯へてはをかぬ。私ともも左様でと云ふが、そふでない。凡夫は、今日はむか々々すると云日がある。人欲の工面のわるい日はむか々々なり。女房や召使もわるいこともないにむせふに白眼まわし、灰吹をひどくたたく。怒のしをき細工をしたかる。これを忍てさへに、まして爰をなくすることなれは、此莫是難なり。
【解説】
「已是煞知義理。若聖人因物而未嘗有怒。此莫是甚難」の説明。忍び得て怒を遷さなければ義理を知ることになる。しかし、聖人はその上であって、予め怒を持ってはいない。事がなければ怒はない。
【通釈】
「已是煞知義理」。義理を知っているとは、素人あしらいにしたもので、どれほどでもそれはよいこと。義理を知ったとは、学者にも負けないという語意である。忍び得ることでさえ義理を知ると言うのに、ましてや「若聖人因物而未嘗有怒云々」。これが則ち上文にある「聖人之心本無怒也」のことを言ったことで、怒は七情の内で最も厄介なものだが、聖賢は事がない内に怒の用意をしては置かない。店屋が客を待って蕎麦を打って置く様なことではない。「因物」で、出る怒を貯えては置かない。私共も同じだと言うが、そうではない。凡夫には、今日はむかむかすると言う日がある。人欲の工面の悪い日はむかむかする。女房や召使いも悪いこともないのに無性に白眼をして灰吹きを酷く叩く。怒の仕置細工をしたがる。これを忍ぶことでさえ難しいのに、ましてこれをなくすことは「此莫是難」である。

こふ説て、そこて君子小人のあやを云。役物と役於物とある。於の字のあるとないで垩凡の腹か知ることそ。役物。役と云はもと人足の長物をかつき此廻状をどこへ持ていけと使ふを役すと云。向のものなりてするゆへ、役しつかふなり。此方か道理の通りで心を動すことがないゆへに、向のものをこちでつかふなり。斯ふ訳はすんでも、偖、心にのらぬことなり。飢饉年に実のりがわるい。是はどふせうとさわぐ。もふ物に役せらるる。甚氣の毒なことには思へとも、飢饉じゃなと心をうこかさず、飢饉につかはれぬ。此砌はものをひっそにするがよいと云迠なり。又平生人が肴をくれる。かたじけないと云。これは辱ひぎりなり。是は咁ひと食ってをる。うまいぎりなり。物をつかふなり。あまりうまいなれば肴につかはれたになる。さて、飢饉て何もなけれは塩菜で湯漬ても食てをる。これはなんたることぞとさはぐ、はや是れ物に役せられたなり。日和がよいとて手を拍て悦ぶこともない。日和かよいなと云までで、日和の上に氣がいる。雨がふる、偖もこまったと頭痛はせぬ。雨がふるなと云まてて、氣が雨を下にしている。皆これ物を役すなり。小人役於物はものにつかわるる。それて中に於の字あり。病人が今日は雨てちと不出来、又は寒氣て不出来と云。天氣にこちがなやまさるる。病ゆへなり。冨潤屋。身代のもようはよいが、其主人はいつも金の手代をして、金につかはれている。陶淵明が帰去来の賦に自以心為形役と云へり。心は旦那、形は家来なれとも、いつも心が家来になる。何ぞ咁ひものを食たいと思ふ。咁ひものが旦那になり、心はもふ家来になる。なぜなれば、咁物の方へあたまをさげたになる。
【解説】
「君子役物、小人役於物」の説明。君子は物を使い、小人は物に使われる。肴を貰えば忝いと思い、それが美味ければ美味いと思うだけのこと。美味しいものを食いたいと思うのは、自分の心が物に使われているのである。
【通釈】
この様に説いて、そこで君子小人の綾を言う。「役物」と「役於物」とある。「於」の字があるとないとで聖凡の腹が知れる。「役物」。役とは、本来人足が長物を担ぎ、この廻状を何処へ持って行けと使うことを役すと言う。向こうのものの通りにするので、役し使うと言う。こちらが道理の通りで心を動かすことがないので、向こうのものをこちらで使うことができる。この様にわけは済んでも、さて、それが心に乗らないもの。飢饉の年は実りが悪い。これはどうしようかと騒ぐ。それでもう物に役せられる。甚だ気の毒なこととは思うが、飢饉だなと心を動かさず、飢饉に使われない。この折は物を質素にするのがよいと言うまでである。また、平生人が肴をくれる。忝いと言う。これは忝いだけのことである。これは美味いと食っている。美味いだけのことである。これが物を使うこと。あまりに美味ければ肴に使われたことになる。さて、飢饉で何もなければ塩菜で湯漬でも食っている。これは何たることかと騒げば、早くもこれが物に役せられたのである。日和がよいとしても、手を拍って悦ぶこともない。日和がよいなと言うまでのことで、日和の上に自分の気がいる。雨が降れば、さても困ったと頭を痛めることはない。雨が降るなと言うまでのことで、自分の気が雨を下にしている。皆これが物を役すということ。「小人役於物」は物に使われる。それで中に於の字がある。病人が今日は雨なので少々不出来、または寒気で不出来と言う。天気にこちらが悩まされる。病むからである。「富潤屋」。身代の模様はよいが、その主人はいつも金の手代をして、金に使われている。陶淵明が帰去来の賦に「自以心為形役」と言った。心は旦那で形は家来だが、いつも心が家来になる。何か美味いものを食いたいと思う。美味いものが旦那になって、心はもう家来になる。それは何故かと言うと、美味い物の方へ頭を下げるからである。
【語釈】
・冨潤屋…大学章句6。「富潤屋、德潤身、心廣體胖、故君子必誠其意」。
・自以心為形役…帰去来辞。「歸去來兮、田園將蕪、胡不歸。既自以心爲形役、奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫、知來者之可追。實迷途其未遠、覺今是而昨非」。

今見可喜可怒之事云々。怒をたくわへすしゃんとして居て、向に一寸のわるいことあれば一寸だけ怒る。喜もそれ。物によって、それ々々分れに應してせよ。小人は兎角物に役せらる。某幼年の時、迂斎へ出入大工ありて云。私は腹が立つと何のことも思ひませぬ。連花が逆になると云た。この頃も五十両ほどになることがあったに、腹の立ことがあるで手斧てたたきこはそふと思ふたて、つい五十両をも捨たと云ふたが、職人などは金もうけると云が太極じゃに、それをもいや腹立てすてる。不測なものぞ。自家著一分。此方よりそこへ匁方をつける。喜べきときは喜ひ、忿るへきときは怒るも丁とにしてそれきりなればよいに、兎角吾れと匁方をつける。陪は陪從とつつぎ、貴人に從ふにかく。奉は奉事とつつき、君父なとへつかふるやうに、をもいことに用る字。此で一分もち出す。そへる意なり。喜怒ともに匁方をつけるて此方から怒へ頭をさげて從ふのなり。此方で使ふべきに向ふにつかはれて、喜怒て心をらりにする。此亦労矣。垩學は仁になろふ々々々とてするに、仁になる邪魔をする喜怒の方へ往て頭を下け、匁方をつけ、馬鹿なことじゃ。さて々々骨を折り労すと云へしと、たわけにした口上なり。
【解説】
「今見可喜可怒之事、自家著一分陪奉他。此亦勞矣」の説明。物に因って対応する。そこに自分から重りを付けてはならない。喜怒を重く捉えると仁の工夫が台無しになる。
【通釈】
「今見可喜可怒之事云々」。怒を貯えずにしっかりとしていて、向こうに一寸悪いことがあれば一寸だけ怒る。喜もそれ。物に因り、それぞれその分れに応じてしなさい。小人はとかく物に役せられる。私が幼年の時、迂斎へ出入りする大工が言った。私は腹が立つと何も思わなくなる。蓮華が逆になると言った。その頃も五十両ほどになることがあったのに、腹の立つことがあるので手斧で叩き壊そうと思い、ついに五十両をも捨てたと言ったが、職人などは金も儲けるのが太極なのに、それをも腹を立てることで捨てる。怒は不測なもの。「自家著一分」。自分からそこに重りを付ける。喜ぶべき時は喜び、忿るべき時は怒るとしても、それが丁度のところでそれだけであればよいが、とかく自分の重りを付ける。陪は陪従と続き、貴人に従う際に書く。奉は奉事と続き、君父などへ使える様に、重いことに用いる字である。ここで一分持ち出す。これが添えるの意である。喜怒共に重りを付けるので、自分から怒へ頭を下げて従うことになる。自分が使ふべきなのに向こうに使われて、喜怒で心を台無しにする。「此亦労矣」。聖学は仁になろうとしてするものなのに、仁になる邪魔をする喜怒の方へ行って頭を下げ、重りを付ける。それは馬鹿なこと。さてさて骨を折り労することだと、戯けと見た口上である。
【語釈】
・連花が逆になる…

垩人之心如止水。水瓶へ水をたたへたやうに心にさざなみの立ぬことを湛然止水と云、怒ることがすめばあとに影はない。怒を外へ遷すと云は元来心の本体ではない。よって垩賢になると怒を遷すことのないと云は、理のはたらき計りで氣働きを用ぬゆへなり。凡夫は其裏なり。氣でのぼせる。肉から出るなり。山﨑先生の、山庄太夫の草紙を見て腹は立ても遷らぬと云れた。繪双紙を見て怒たは肉が手傳ぬゆへ、人にうつらぬ。山庄太夫が大悪人じゃ。怒氣て彼繪双紙を見てをるとき、そこへ腰元が茶を出す。常の通りで呑。繪双紙の怒はうつらぬものなり。女房をしかりたときはまっくろにのぼせる。そこへ下女茶をもって出る。大だわけが、飲たければこちから召ぶ、と。又、王莽や安禄山がことをよんても、憎ひと思へど古人を怒るは子ともや家来にはうつらぬ。然れば忿は肉につくことなり。
【解説】
「聖人之心如止水」の説明。怒ることが済めばそのあとに影はない。聖賢は怒を遷すことがないとは、理の働きばかりで気の働きを用いないから言うのである。山崎先生が、本を読んで怒ることがあっても、それが他に遷ることはないと言った。忿は肉に付いたことなのである。
【通釈】
「聖人之心如止水」。水瓶へ水を湛えた様に心に細波が立たないことを「湛然止水」と言い、怒ることが済めばそのあとに影はない。怒を外へ遷すのは元来心の本体ではない。そこで、聖賢になると怒を遷すことがないと言うのは、理の働きばかりで気の働きを用いないからである。凡夫はその逆である。気で逆上せる。肉から出るのである。山崎先生が、山椒大夫の草紙を見て腹は立っても、怒は遷らないと言われた。絵双紙を見て怒ったことは肉が手伝わないので人に遷らない。山椒太夫は大悪人だ。怒気であの絵双紙を見ている時に、そこへ腰元が茶を出す。常の通りにそれを呑む。絵双紙の怒は遷らないもの。女房を叱った時は真っ黒に逆上せる。そこへ下女が茶を持って来る。大戯けが、飲みたければこちらから呼ぶと言う。また、王莽や安禄山のことを読んでも、憎いとは思うが、古人を怒ることは子供や家来には遷らない。そこで、忿は肉に付いたことなのである。


第二十八 人之視最先の条

人之視最先。非禮而視、則所謂開目便錯了。次聽、次言、次動、有先後之序。人能克己、則心廣體胖、仰不愧、俯不怍。其樂可知。有息則餒矣。
【読み】
人の視は最も先なり。禮に非ずして視ば、則ち謂う所の目を開けば便ち錯[あやま]るなり。次は聽、次は言、次は動にして、先後の序有り。人能く己に克たば、則ち心廣く體胖かにして、仰いでも愧じず、俯しても怍じず。其の樂しみは知る可し。息むこと有らば則ち餒[う]ゆ。
【補足】
・この条は、程氏外書三にある。

此条は何のこともない条なれとも、色々なことの一つに成たと云に氣をつけて見よ。論語の克己から語り出して大學の誠意になり、孟子の三樂の章にうつり、それがはづるると浩然の氣は無くなると出た。短い章に何もかもある。先日四箴て云通り、四つの内ても此視と云が壹初なり。心の動は視ると云処から先觸して聽言もあとからつつく。最先なりと云を迂斎先生、爰が重ひことじゃ、ここが大事じゃぞと云ことなり、と。非礼而視云々。是は向の非礼ともこちの非礼ともとらるるが、姦声乱色聽明に不留と云へは向のことそ。是を此方の非礼にみるなり。金は非礼ではないが、金を見てあの金をと思ふ。そこが非礼なり。人の女房非礼てはないが目迎して曰く、美而艶。もふ非礼でないものても、こちの視るが非礼なれは皆非礼になる。
【解説】
「人之視最先。非禮而視」の説明。この条は論語から大学、孟子と、色々とある条である。「視」が最初となるが、本来非礼でないものでも、自分が非礼なところを持って視るのが「非礼而視」である。
【通釈】
この条は何という事もない条だが、色々なことが一つになっていることに気を付けて見なさい。論語の克己から語り出して大学の誠意になり、孟子の三楽の章に移り、それに外れると浩然の気はなくなると出した。短い章に何もかもある。先日四箴で言った通り、四つの内でもこの視が最初である。心の動は視るという処を先触れにして、聴も言も後から続く。「最先」を迂斎先生が、ここが重いことだ、ここが大事ということだと言った。「非礼而視云々」。これは向こうの非礼ともこちらの非礼とも捉えることができるが、「姦声乱色不留聡明」と言うのだから向こうのこと。それを自分の非礼として見るのである。金は非礼ではないが、金を見てあの金を欲しいと思う。そこが非礼である。人の女房は非礼ではないが、目迎して美にして艶と言えば非礼である。非礼でないものでも、こちらの視るところが非礼であれば皆もう非礼になる。
【語釈】
・論語の克己…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮、爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己、而由仁乎哉。顏淵曰、請問其目。子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。顏淵曰、囘雖不敏、請事斯語矣」。
・大學の誠意…大学章句6。「富潤屋、德潤身、心廣體胖。故君子必誠其意」。
・孟子の三樂…孟子尽心章句上20。「孟子曰、君子有三樂。而王天下不與存焉。父母倶存、兄弟無故、一樂也。仰不愧於天、俯不怍於人、二樂也。得天下英才而教育之、三樂也。君子有三樂。而王天下不與存焉」。
・四箴…克己3を指す。
・姦声乱色聽明に不留…礼記楽記。「姦聲亂色、不留聰明。淫樂慝禮、不接心術」。
・目迎して曰く、美而艶…春秋左氏伝桓公。「宋華父督見孔父之妻于路。目逆而送之。曰、美而豔」。

開目便錯了。見るものにつけて皆あるそ。隣屋鋪の桜の木を見て、あれをほしひと思ふ。もふ非礼なり。見るが大事なもので、こちに非礼がなけれはよいか、こちに非礼の心があると皆見るものが非礼になる。聽もそれで同く大事のことなれとも、視る方に魂がよっている。そこで視るの次きにつく。言は心のあらはるるものなれとも、言には残す処もあるもの。視と聽とは向なりに皆はたらき出るもの。動は三つを兼てとこへも出る。そこて四つに有先後之序なり。人之視最先とあるて視るを棒鼻にして、三つを序て克己で非礼をよせつけぬ。勿れ々々と云て、非礼になるまい々々々々と非礼に勿を入れるなり。
【解説】
「則所謂開目便錯了。次聽、次言、次動、有先後之序」の説明。視聴は相手の通りに働き、動は視聴言を兼ねる。視聴言動には順序がある。この四つを並べ、勿れで非礼にならない様にするのである。
【通釈】
「開目便錯了」。見るものに関して皆あること。隣屋敷の桜の木を見て、あれを欲しいと思う。それがもう非礼である。見るのは大事なことで、こちらに非礼がなければよいが、こちらに非礼の心があると皆見るものが非礼になる。聴もそれで同じく大事なことだが、視る方に魂が寄っているから、そこで視ることの次に就く。言には心が現れるものだが、言は残す処もあるもの。視と聴は向こうの通りに皆働き出る。動は三つを兼ねてどこへも出る。そこで四つに「有先後之序」である。「人之視最先」とあるので視ることを最初にして、三つを連ねて克己で非礼を寄せ付けない。勿とは、非礼にならない様にしようとすることで、非礼に勿を入れるのである。
【語釈】
・棒鼻…いちばん先。最初。先頭。

克己則心廣体胖と大学になった。克己て人欲をなくする、直に仁になる。誠意の工夫も克己の工夫も同しことて、其つまり人欲を去り仁になるて心廣体胖になる。心がのっしりとして来たなり。町人抔の金をもふけるにかんぼふをやつし髪結ぶ隙もないと云を、公家や大名の歴々が見てはさても々々々と思ふべし。学問はなふても装束て常々のっしりとした躰から見ては、偖もせはしいものと思はるべし。増てや垩賢の目からは、顔子が瓢單陋巷ても心は千疂鋪て居る。小人は藏を大く建て置てもからくた道具て透間かないかせせこましい。垩賢のは中に人欲と云からくたがなく虚で、心はひろ々々して何ても這入る大な藏の様なが君子の模様なり。師走の掛取のちょこ々々々歩行やふでは。垩賢へ御前さまは胖な御様子てござりますと云。ほふそうかと手前では胖じゃとは思はぬ。心廣体胖は誠意の驗なり。
【解説】
「人能克己、則心廣體胖」の説明。人欲を去って仁になるので心広体胖になる。小人の心は、大きな蔵でも人欲というがらくた道具で一杯な様なもの。聖賢の心は虚で広々としていて何でも這い入る大きな蔵の様なものである。心広体胖は誠意の験である。
【通釈】
「克己則心広体胖」と大学になった。克己で人欲をなくせば、直に仁になる。誠意の工夫も克己の工夫も同じことで、結局は人欲を去って仁になるので心広体胖になる。心がのっしりとして来たのである。町人などが金を儲けるために顔貌をやつし、髪を結ぶ暇もないと言うのを、公家や大名の歴々が見て、全くその通りだと思うだろう。学問はなくても装束で常々のっしりとした風体をしている者から見れば、本当に忙しいことだと思われるだろう。ましてや聖賢の目からは、顔子が瓢箪陋巷でも心は千畳敷でいると見る。小人は蔵を大きく建ててもがらくた道具で隙間がなく、せせこましい。聖賢のは中に人欲というがらくたがなく虚で、その心は広々として何でも這い入る大きな蔵の様なもの。これが君子の模様である。師走の掛取りがちょこちょこ歩き行く様なことではない。聖賢へ御前様は胖かな御様子てございますと言う。ほうそうかと言って、自分では胖かだとは思わない。心広体胖は誠意の験である。
【語釈】
・瓢單陋巷…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一簞食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。

仰不愧天俯不怍人。三樂なりと孟子が云れた。天地一はいに心か廣り、本来の形り程な樂ましいことはない。天地にもはじぬ心はのふ々々としたことなり。其樂可知。これらが只の人の云るることてない。仰俯してはじぬ。それか垩人の樂みじゃなどと云と噂咄のやうになれとも、可知て孔顔の樂も孟子の樂も思ひやらるると云は、それへ立よりてやかて其れ程の人でなけれは斯ふは云はれず。理屈つめて云た口上でなきなり。有息則餒矣。人欲で餒なり。凡夫は人欲と云川留かある。曽点の章にも人欲尽處天理流行と、川浚をしたやふにすら々々ゆくなり。人欲はもちへついた鳥のやうで、あそこ爰へべったり々々々々なり。餒と云ふは病氣てなくてもどふかしたやら元氣がない。三度つつ食ふに一度も食はぬゆへ元氣がないやふに、人欲でべったりとよわる。天理で人は活き々々するに、其れか人欲はかりで居るで、これ浩然の氣のなくなったのなり。太極形りの氣を浩然の氣と云なり。酒を飲で浩然之氣を養ふたと云は大間違なり。あれは外から元氣をつけるのなり。浩然はこっちの本然の氣を云。強盗はつよいもののやうなれとも、熊坂日本左ェ門ても甚よはい。土龍の日向を嫌ふやうに夜働きをする。隂物て甚よはいはもと欲なれはなり。孔子の吾未見剛者も欲のない処で云。人は欲かないと剛ひものなり。人欲から皆よわくなる。そこでうゆがよくすむ。
【解説】
「仰不愧、俯不怍。其樂可知。有息則餒矣」の説明。「仰不愧天俯不怍人」は心の伸び伸びとしたことで、それが聖人の楽しみである。しかし、凡人は人欲で餒えるので天理が流行しない。人は人欲によって浩然の気がなくなり、弱る。その浩然とは、自分の本然の気について言ったものである。
【通釈】
「仰不愧天俯不怍人」。「三楽」と孟子が言われた。天地一杯に心が広がる。本来の姿ほど楽ましいことはない。それは天地にも愧じないことで、心が伸び伸びとしたこと。「其楽可知」。これ等が普通の人には言えることではない。仰俯して愧じない。それが聖人の楽しみだなどと言うと噂話の様になるが、「可知」で孔顔の楽も孟子の楽も思い至ることができると言ったのは、それへ立ち寄り、やがてそれ程の人にならなければこの様に言うことはできない。理屈詰めで言った口上ではない。「有息則餒矣」。人欲で餒ゆ。凡夫は人欲という川留めがある。曾点の章にも「人欲尽処天理流行」と、川浚いをした様にすらすらと行く。人欲は黐に付いた鳥の様で、そこここへべったりとしている。餒とは病気でなくてもどうしたのか元気がないこと。三度ずつ食うところを一度も食わないので元気がない様に、人欲でべったりと弱る。天理で人は活き活きとするのに、それが人欲ばかりでいる。それは浩然の気がなくなったのである。太極の通りの気を浩然の気と言う。酒を飲んで浩然の気を養ったと言うのは大間違いである。あれは外から元気を付けるのである。浩然とはこちらの本然の気を言う。強盗は強いものの様だが、熊坂日本左ェ門でも甚だ弱い。土竜が日向を嫌う様に夜働きをする。陰物が甚だ弱いのは本が欲だからである。孔子の「吾未見剛者」も欲のない処で言う。人は欲がないと剛いもの。人欲から皆弱くなる。そこで餒ゆと言うのがよく済む。
【語釈】
・人欲尽處天理流行…論語先進25集註。「曾點之學、蓋有以見夫人欲盡處、天理流行、隨處充滿、無少欠闕」。
・熊坂日本左ェ門…熊坂長範。平安末期の大盗。奥州に赴く金売吉次を美濃国(岐阜県)赤坂の宿に襲い、牛若丸に討たれたという伝説的人物。
・吾未見剛者…論語公冶長11。「子曰、吾未見剛者。或對曰、申棖。子曰、棖也慾。焉得剛」。


第二十九 聖人責己感也の条

聖人責己感也處多、責人應也處少。
【読み】
聖人は己が感を責むるや多きに處り、人の應を責むるや少きに處る。
【補足】
・この条は、程氏外書七にある。

感はこちより仕出すことを感と云、こちから仕出したを向て受るを応と云。もの申すと云が感、どれと云が應。旦那か家来を惠むは感。それを受て家来の働くは應なり。責己は御手前の方を大切に看る。孟子の人を愛して不親反其仁と云か己れを責て、これは吾方のしかけかわるかろ々々々々と看るなり。論語で躬自厚薄責人、小学に不竭君子人之歡なども、此方をせめて人へ目をかけぬ。垩賢の学は手前を建立することで、其ぎり々々は人不知而不慍なり。處は、居多とも處多とも、書ことあり。處多は多い方にいつもをる氣味なり。處少も同じ文意。どっちの方こっちの方と云やふなものなり。責人之應也處少は、少と云が巧言令色鮮仁矣と云詞の類て、鮮と云ふがたえてないこと。この少もそれなり。克己にこれを引くは、克己は手前のことはかりで人の方に搆ふことはない。人をわるく云内は垩賢になる氣違いはない。克己は只手前を々々々とすることぞ。爲仁由己豈由人哉はそこなり。克己は人にかまわぬそ。迂斎云、向より返礼をとる心はさらになきなり。この方のことなればなり。
【解説】
こちらが仕出すのが「感」で、相手がそれに応じるのが「応」である。聖学は自分についてのことであり、自分を責めるが人には構わない。克己がそれである。
【通釈】
「感」とは、こちらから仕出すことで、こちらから仕出したのを向こうで受けるのを「応」と言う。物申すと言うのが感で、どれと言うのが応。旦那が家来に恵むのは感。それを受けて家来が働くのは応である。「責己」とは、自分をしっかりと看ること。孟子の「愛人不親反其仁」と言うのが責己で、これは自分の仕掛けが悪いのだろうと看ること。論語の「躬自厚薄責人」や、小学の「不竭君子人之歓」なども、自分を責めて人へ目を掛けないこと。聖賢の学は自分を建立することで、その至極は「人不知而不慍」である。「処」は、居多とも処多とも、書くことがある。「処多」は多い方にいつもいる気味で、「処少」も同じ文意である。どっちの方こっちの方と言う様なもの。「責人之応也処少」では、少というのが「巧言令色鮮仁」という言葉の類で、鮮とは絶えてなくなっていること。この少もそれ。克己にこれを引いたのは、克己は自分のことばかりで人の方に構うことはないからである。人を悪く言う内は聖賢になる気遣いはない。克己はただ自分に対してすること。「為仁由己豈由人哉」はそのこと。克己は人に構わない。迂斎が、向こうから返礼を貰う心は更にないことだと言った。それは自分のことだからである。
【語釈】
・人を愛して不親反其仁…孟子離婁章句上4。「孟子曰、愛人不親、反其仁。治人不治、反其智。禮人不答、反其敬。行有不得者、皆反求諸己。其身正、而天下歸之。詩云、永言配命、自求多福」。
・躬自厚薄責人…論語衛霊公14。「子曰、躬自厚、而薄責於人、則遠怨矣」。
・不竭君子人之歡…小学内篇明倫。「曲禮曰、君子不盡人之歡、不竭人之忠、以全交也」。
・人不知而不慍…論語学而1。「人不知而不慍。不亦君子乎」。
・巧言令色鮮仁矣…論語学而3。「子曰、巧言令色、鮮矣仁」。
・爲仁由己豈由人哉…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己。而由人乎哉」。


第三十 謝子與伊川別一年の条

謝子與伊川先生別一年。往見之。伊川曰、相別一年、做得甚工夫。謝曰、也只去箇矜字。曰、何故。曰、子細檢點得來、病痛盡在這裏。若按伏得這箇罪過、方有向進處。伊川點頭。因語在坐同志者曰、此人爲學、切問近思者也。
【読み】
謝子伊川先生と別るること一年。往きて之を見る。伊川曰く、相別るること一年、甚[いか]なる工夫を做[な]し得たるか、と。謝曰く、也[また]只箇の矜の字を去りしのみ、と。曰く、何の故ぞ、と。曰く、子細に檢點し得來れば、病痛は盡く這の裏に在り。若し這箇[しゃこ]の罪過を按伏し得ば、方[はじ]めて向進する處有らん、と。伊川點頭す。因りて坐に在りて志を同じくする者に語げて曰く、此の人の學を爲す、切に問い近く思う者なり、と。
【補足】
・この条は、程氏外書十二にある。

上蔡が一年ぶりで伊川へいってあはれた。往見之とは、伊川の方へ謝子の往て見るなり。伊川曰別一年做得甚工夫云々。一年程御意得ぬかどのやうな工夫をしたそ、と。尋常ならとれ程の書を讀だと問ふ。書は学問の楷子てあるてよむか第一のことじゃか、そのやふなことてはなく、どのやうな工夫をせしやとは今の学者とは立こえたことなり。書は形たへ切込む工夫にとりつく迠の楷子なり。今人は工夫の無ひて、そこて書は自ら書、吾は自ら吾でとんと分ん々々になる。伊川なとのは書物詮義てはない。三國の呂蒙が子別三日刮目可相侍と、あれたちさへ云た。上蔡なとのは余の者と違ふ。そこで甚の工夫をせしやと声をかけられたものそ。也た只去箇矜字云々。語勢のある云やふなり。通鑑を讀たか、讀ましたと云とは違ふて、也た只は何をと云でもないがと、しっかりと云はぬときか也只の字なり。何をと申すてもごさりませぬか、去矜字。去ると云ては、上蔡などのはただ氣の付たではない。きひしく工夫する人故、去りきった処て云ふなり。矜はとかく学問の邪魔と存するで、先これを去ましたと云。
【解説】
「謝子與伊川先生別一年。往見之。伊川曰、相別一年、做得甚工夫。謝曰、也只去箇矜字」の説明。書は学問をする手引きだが、上蔡に会った伊川は書のことを問わずに学問の工夫について質問をした。それは、書は学問の工夫に至るまでの段階に必要なものであり、上蔡はそれよりも上の段階の人だからである。上蔡は「也只去箇矜字」と、学問の邪魔となる矜を去ったと答えた。
【通釈】
上蔡が一年振りに伊川のところへ行って会われた。「往見之」とは伊川の方へ謝子が往って見えたこと。「伊川曰別一年做得甚工夫云々」。一年ほどお目に掛からなかったがどの様な工夫をしたのかと尋ねた。普通ならどれほどの書を読んだのかと問う。書は学問の手引きなので、それを読むのが第一のことだが、その様なことではなく、どの様な工夫をしたのかと尋ねたのは、今の学者とは懸け離れたことである。書は形へ切り込む工夫に取り付くまでの梯子である。今の人は工夫がないので、そこで書は自ら書、自分は自ら自分で全く別なものとなる。伊川などの話は書物詮議ではない。三国時代に呂蒙が「子別三日刮目可相侍」と、あれ等でさえこの様に言っている。上蔡などは他の者とは違う。そこでどの様な工夫をしたのかと声を掛けられたのである。「也只去箇矜字云々」。語勢のある言い方である。通鑑を読んだかと聞かれて、読みましたと答えるのとは違って、也只は何をということでもないがと、しっかりと言わない時が也只の字である。何をと申すこともございませんが、「去矜字」。去ると言っても、上蔡などのはただ気を付けただけではない。厳しく工夫する人なので、ここは去り切った処で言ったこと。矜はとかく学問の邪魔だと思ったので、先ずはこれを去りましたと言った。
【語釈】
・子別三日刮目可相侍…三国志呉書呂蒙。「士別三日、即更刮目相待」。

曰何故。人の病は矜にも限らぬに、別けてこれを去たと云は何故と問はる。此答へなとの様子て上蔡を百世之師と思ふほどなれば、今日ここを聞とったと云ものなり。百世之師と子路を云たか、上蔡もまけぬ答なり。人の病は矜はかりてないか、これを眞先に去ると申すは、子細檢點云々。檢點。考見ること。病數々ごされとも、細に考て見ますに兎角自慢するより起ることと見つけましたと云。今日の人もいやと云れぬ公病なり。自慢するを昔から俗語に何か、みそを上ると云。それはたれにもみゆるか、人しらぬ矜かある。そこて子細と云字がこまかにせんきするになり。自慢にも、隂症と陽症との傷寒あるやうで、打まけを活に云自慢は陽症て、人も、あれ自慢がどこへかゆくの、みそやか通るとも云。又、靜に謙退遜順て跡じさりする人も心の中て自慢する。口へ出してこのやうなことがなるかの、此か出来るかと云すとも、己れをよいと思ふ。最ふ矜になる。老人が若い衆どふじゃのと云も心の高ふりぞ。金銀を遣ひつかはぬにもあるそ。金をまきちらして高ぶる。これは見へることなれとも、をれか遣はぬと云、もと奥深くほこる。凡夫と云ものはしわいにも自慢する。人にもの振舞にも、何とあそこてもこふしたものをくわすかの、菜數はないがこふした塩梅はかりをと云。学者か講釈するにも、をいらは弁舌はわるいが見こま子ばこふは讀ぬ、と。どちどふしても人に無ふてならぬ通病なりと考へました、と。そこが子細の檢点なり。考其趣誠愚なりの筋なり。かしこそふなことか愚なり。
【解説】
「曰、何故。曰、子細檢點得來、病痛盡在這裏」の説明。病は自慢することから起こる。その病は誰にでもあるので、これを去らなければならない。そのことを上蔡は細かに考え見て悟り、行った。
【通釈】
「曰何故」。人の病は矜に限ったものではないのに、特に矜を去ったというのは「何故」かと問われた。この答えなどの様子で上蔡を「百世之師」と思うほどになれば、今日ここを聞き取ったと言うもの。百世之師と子路のことを言ったが、上蔡もそれに負けない答えである。人の病は矜ばかりではないが、これを真っ先に去ると申したのは、「子細検点云々」だからである。「検点」。考え見ること。病は数々ありますが、細かに考えて見ると、とかく自慢することから起こると見付けましたと言った。これが今日の人でも否定できない公病である。自慢することを昔から俗語で何かで味噌を上げると言う。それは誰にも見えるが、人の知らない矜がある。そこで、子細という字が細かに詮議するということ。自慢にも、傷寒に陰症と陽症がある様に、打負けを勝つと言う自慢は陽症で、人も、あれ、自慢が何処へか行くとか、味噌屋が通るとも言う。また、静かに謙退遜順で後退りする人も心の中で自慢する。口へ出してこの様ことが成るか、これができるかと言わないとしても、自分をよいと思う。それがもう矜になる。老人が若い衆にどうだと言うのも心の高振りである。金銀を使ったり使わなかったりすることにもこれがある。金を巻き散らかして高振る。これは見えることだが、俺は金を使わないと言って奥深く矜る。凡夫という者は吝いことにも自慢をする。人に物を振舞うにも、何とあそこでもこうしたものを食わすか、菜数はないがこうした塩梅ばかりはなどと言う。学者が講釈をするにも、俺は弁舌は悪いが見込まなければこの様には読めないと言う。矜はどうしても人になくはない通病だと考えましたと言った。そこが「子細検点」である。矜は、「考其趣誠愚」の筋である。賢そうなことが愚なのである。
【語釈】
・百世之師…克己25。「明道先生曰、子路亦百世之師」。
・みそを上る…自分のことを自慢する。手前味噌をならべる。
・考其趣誠愚…

按伏得這箇罪過。按は、吟味のこと。役人の内ても吟味方と云も按の字なり。伏は、吟味し咎をちたこと。昨日の吟味てとふ々々火付にをちましたと云やうな字の意なり。罪過と出したはもふ病痛などと云てはない。これが第一の罪過と存して吟味しとげましたと云。罪と出したから按伏とつかふたものなり。方有向進處矜と云字か学問を向へやらぬもの。これを取たら進みあかろふと存まする、と。学問は己れをよくせふとするに、それを吾れをよいと思へは、この上へよくはならぬはつなり。医者は病を直すためにたのんて、未たよくならぬに能い々々とて病根をかくすやふて、それてはいつも病ひはいえぬ。點頭はいかにも々々々々と云のて、伊川の感心の御様子の見へるやふなり。在座同志の者。謝氏の学友のこと。遊定夫や皆もいたてあろふ。此人爲学切問近思者也。近く思ふとは矜りめかぬ処に矜りのあるものと思付たが上蔡の目付処て、これ近く思ふたなり。今日の人は、あの男の様に自慢するものはないと云ふてわれにはないと思ふのは、近く思はぬからなり。そふたい矜りらしくない処に矜のあると云を近くをもへ。
【解説】
「若按伏得這箇罪過、方有向進處。伊川點頭。因語在坐同志者曰、此人爲學、切問近思者也」の説明。矜を取れば学問が進むのであって、自分をよいと思えばそれ以上は進まない。上蔡は近思により、矜めかないところに矜があることに気付いた。
【通釈】
「若按伏得這箇罪過」。按は、吟味のこと。役人の内で吟味方と言うのも按の字のこと。伏は、吟味し咎落ちたこと。昨日の吟味で遂に火付に落ちましたと言う様な字の意である。「罪過」と出したのは、もう病痛などと言うことではないからである。これが第一の罪過と思って吟味仕遂げましたと言った。罪と出したから「按伏」と使った。「方有向進処矜」という字が学問を向へ遣らないこと。これを取ったら進み上がるだろうと思いますと言ったのである。学問は自分をよくしようとするものなのに、自分をよいと思えば、それ以上によくはならない筈である。医者を病を治すために頼んでおきながら、まだよくならないのにもうよいと言って病根を隠す様なもので、それではいつまでも病は癒えない。「点頭」はいかにもその通りだということで、伊川の感心した御様子が見える様である。「在座同志者」。謝氏の学友のこと。游定夫や他の皆もいたことだろう。「此人為学切問近思者也」。近く思うとは、矜りめかない処に矜りのあるものだと思い付いたのが上蔡の目付処で、それは近く思ったからである。今日の人は、あの男の様に自慢する者はいないと言うが、自分にはそれがないと思うのは近く思わないからである。総体、矜りらしくない処に矜があるということを近く思いなさい。
【語釈】
・遊定夫…二程門人。游酢。字は定夫。号は廌山。


第三十一 思叔詬詈僕夫の条

思叔詬詈僕夫。伊川曰、何不動心忍性。思叔慙謝。
【読み】
思叔僕夫を詬詈[こうり]す。伊川曰く、何ぞ心を動かし性を忍びざる、と。思叔慙じ謝す。
【補足】
・この章は、程氏外書十二にある。

何にか思叔が召仕を詬詈、しかりののしりたなり。此も細に氣を付てみよ。伊川の側でのことなれば、我々式のやうに見苦しふ呵つめたてもあるまいか、それても最ふ伊川のゆるさぬ。不動心忍性。吾心にこふあるまいことの向から來たことなり。それは胸中のもめるものなり。そこを、心を動すと云、動すが藥なり。家来へのこと故我侭が出るか、君や頭ではわるくともまつはこらへる。そふじて心を動すことのくるをじっとうけるか功夫になる。何とそこを堪忍せられぬかと云れて、思叔慙謝。これが克己の端的ぞ。家来を呵るも人欲なり。家来のわるいを呵るは旦那の役とも云べけれとも、詈と云か最わるい。悪いことをしたとき、そふするものてはないそと云は、子ともの清書を直してやるやうなものなり。詬詈と云になると、うぬはと云のになるは義についたことてなく、氣につくことになる。又、悪ひを見て呵らぬは佛者の善悪不二邪正一如と云やふて、いやはや佛法は有難ひもの。和尚も納所も草履取も隔てなく一つ所で飯も食ふと云ふは條理分派のないことなり。大学の之其所親愛而辟。何する之所て辟む々々と云ふが氣について出ることゆへ、これを克己て一偏になる処を打てとるゆへに、そこてこれを爰に出した。
【解説】
人を叱るにも詬詈であってはならない。詬詈は義からではなくて気についたこと。思叔は伊川に注意されて慙謝した。これが克己の端的である。
【通釈】
何かで思叔が召使いを叱り罵った。ここも細かに気を付けて見なさい。伊川の傍でのことなので、我々ごときの様に見苦しく呵り詰めたのでもないだろうが、それでももう伊川は許さない。「不動心忍性」。自分の心にあるべきでないことが向こうから来たこと。それで胸中が揉める。そこを、心を動かずと言い、動かないのが薬となる。家来へのことだから我侭が出るが、君や頭では、相手が悪くても先ずは堪える。総じて心を動かすことが来るのをじっと受けるのが功夫になる。何とかそこを堪忍することはできないかと言われて、「思叔慙謝」。これが克己の端的である。家来を呵るのも人欲からのこと。家来が悪いのを呵るのは旦那の役目とも言えるが、「詈」というのが最も悪い。悪いことをした時、そうするものではないと言うのは、子供の清書を直してやる様にするもの。詬詈ということになり、お前はと言うのは義についたことではなく、気についたこと。また、悪いのを見て呵らないのは仏者が「善悪不二邪正一如」と言う様なものであって、いやはや仏法は有難いもの。和尚も納所も草履取りも隔てなく同じ所で飯も食うというのは条理分派のないこと。大学に「之其所親愛而辟」。何かをする所で辟々と言うのが、悪いことが気によって出るからで、偏る処を克己で打って取る。そこでこれをここに出したのである。
【語釈】
・思叔…張繹の字。伊川の門人。
・動心忍性…孟子告子章句下。「故天將降大任於是人也、必先苦其心志、勞其筋骨、餓其體膚、空乏其身、行拂亂其所爲。所以動心忍性、曾益其所不能」。
・納所…寺院で、施物を納め、また、会計などの寺務を取り扱う所。また、それをつかさどる僧。
・之其所親愛而辟…大学章句8。「所謂齊其家在脩其身者、人之其所親愛而辟焉、之其所賤惡而辟焉、之其所畏敬而辟焉、之其所哀矜而辟焉、之其所敖惰而辟焉。故好而知其惡、惡而知其美者、天下鮮矣」。


第三十二 見賢便思齋の条

見賢便思齋。有爲者亦若是。見不賢而内自省。蓋莫不在己。
【読み】
賢を見ては便ち齋[ひと]しからんことを思ふ。すること有る者は亦是の若し。不賢を見ては内に自ら省みる。蓋し己に在らざる莫し。
【補足】
・この条は、程氏外書二にある明道の語。

克己は手前をよいと思はぬこと。道理の外のものを私と云。思齋は賢者を見て、をれも負ることはないと云は客氣て氣につくこと。賢人はああ別なもの、とうそああなりたいと思ふは、われをよいとをもわぬのなり。上は曽子の語て、すらりとしたこと。有爲者。顔子の立志の勇氣手強語なり。その二つ合せた。柔和なものと奴なものを、それを組合せたのか程子の御趣向なり。思齋はすらりとしたこと。爲ること有るは舜。何人そと腕まくりしてかかるのなり。士は希賢と云と同こと。賢を見てぜひせいではとかかるが克己なり。賢は手きわに及ぬ、ならぬことと云ふ。直に自棄なり。見不賢云々。不仁を見て、あれも人間の同類とすてをく。何処ぞてそれか出るが偖々あれは不埒じゃ、あれに似たことは毛すじ一本ほどあってもならぬと内に自省るなり。
【解説】
「思斎」は柔和で、「有為者」は手強い言い方である。賢者を見て、それになりたいと思うのが克己であり、舜の様になりたいと思うのもそれと同じである。
【通釈】
克己とは、自分をよいと思わないこと。道理の外のものを私と言う。賢者を見て俺も負けることはないと言うのは客気からであって、気に付いたこと。賢人はああ別なもの、どうぞあの様になりたいと思うのは、自分をよいとを思わないことであり、それが「思斎」である。上は曾子の語で、すらりとしたこと。「有為者」。顔子の立志の勇気で手強い語である。それ等を二つ合わせた。柔和なものと手強いものを組み合わせたのが程子の御趣向である。思斎はすらりとしたこと。有為者は舜のこと。それを「何人也」と腕捲りして掛かるのである。「士希賢」と言うのと同じこと。賢を見て是非ならなくてはと掛かるのが克己である。賢は手際に及ばない、できないことだと言えば、それが直に自棄である。「見不賢云々」。不仁を見て、あれも人間の同類だと捨てて置く様なことが何処かで出るが、実にあれは不埒なことだ、あれに似たことは毛筋一本ほどであってもならないと内に自省する。
【語釈】
・思齋…論語里仁17。「子曰、見賢思齊焉。見不賢而内自省也。」。
・有爲者…孟子滕文公章句上1。「顏淵曰、舜何人也。予何人也。有爲者亦若是」。
・士は希賢…為学1。「濂渓先生曰、聖希天、賢希聖、士希賢」。
・自棄…孟子離婁章句上10。「孟子曰、自暴者不可與有言也。自棄者不可與有爲也。言非禮義、謂之自暴也。吾身不能居仁由義、謂之自棄也」。

莫不在己。賢を見て齋んことを願ふで克己になるは聞へたが、不賢を見て克己はああしたことはせましと思ふて工夫になる。すれはどれも皆己れにあることて、医者か医書を見て療治する斗てなく、人の見立そこなふたを十方もない療治をしてとあさける計てなく、いや、をらにもあんなことはないかと省るて德をとる。ころんても砂をつかむと云やふに賢を見ては齋ひことを願ひ、不賢を見てはあれにはなるまいと、善悪とも己れが学問になる。今日の学者は思ひ込か甲斐ないのて、よいを見ては及はれぬとし、わるいを見てはあれか人間のさまなものかとそしる計て役に立ぬ。克己の工夫はそれではすまぬ。賢を見てはああせひにとかかり、不賢を見てはああぜひせましとする。皆己が心にあることなり。
【解説】
不賢を見て、その様にならないようにするのも克己の工夫である。賢を見ても、不賢を見ても克己の工夫になるのであるのだから、克己は自分の心のことなのである。
【通釈】
「莫不在己」。賢を見て、それに斉しくなることを願うことが克己になるのはわかったが、不賢を見ての克己は、ああしたことはしないと思うことによって工夫となる。それならどれも皆自分にあることで、医者が医書を見て療治をするだけでなく、人の見立て損なったのを途方もない療治をしたと嘲るばかりでなく、いや、俺にもあんなことはないだろうかと省みるので徳を得る。転んでも砂を掴むと言う様に、賢を見ては斉しいことを願い、不賢を見てはあれにはならない様にしようと思うことで、善悪共に自分の学問となる。今日の学者は思い込みが甲斐無いので、よいことを見ては及べないとし、悪いことを見てはあれが人間の様なものかと譏るばかりで役に立たない。克己の工夫はそれでは済まない。賢を見てはああ是非になりたいと掛かり、不賢を見てはああ是非しない様にしようとする。皆自分の心ですることである。