第三十三 横渠先生曰湛一の条  亥正月十九日  文七録
【語釈】
・亥正月十九日…寛政3年辛亥(1791年)1月19日。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。筆記力に優れる。

横渠先生曰、湛一、氣之本、攻取、氣之欲。口腹於飮食、鼻舌於臭味、皆攻取之性也。知德者屬厭而已。不以嗜欲累其心。不以小害大、末喪本焉爾。
【読み】
横渠先生曰く、湛一は、氣の本にして、攻取は、氣の欲なり。口腹の飮食に於る、鼻舌の臭味に於る、皆攻取の性なり。德を知る者は屬厭するのみ。嗜欲を以て其の心を累わさず。小を以て大を害し、末もて本を喪わざるのみ、と。
【補足】
・この条は、正蒙誠明篇にある。

学者は兎角理と計云て、氣と遠々しいそ。成程理が本尊ではあれとも、氣と云ことを知ら子は功夫に欠があるなり。人のわるふなるは氣。その氣でわるふなるを理で直すことなり。偖、太極圖説に無極の眞と計ではない。二五の精とある。あれは阴阳五行の氣なり。あそこに狼藉ものはない。たたい人の本体の氣にわるい筈はなし。湛一は靜にましりのないことなり。頓と天より人の拜領する処の氣にわるいことはないそ。人の本体にわるいものを持合せるではない。老子が澹恬虚無と云も同しこと。それては浮雲やふなれとも、そふではなし。老子はあれを本尊にするからわるい。この方ては氣を本尊にたてはせぬ。丁と氣を主にすれは女帝のやふなもの。文王の妃ほどよふても、天子には立ぬ。此方では理を立て氣をは立ぬ。さて孟母や程母は垩賢と幷ふ程な人そ。そこが氣にも理と幷ふことがある。孟子の夜氣平旦之氣清明と云ふは理と並ふなり。
【解説】
「横渠先生曰、湛一、氣之本」の説明。理は本尊だが、気を知らなければ学問の工夫に落度がある。人は気で悪くなるが、天から拝領した「湛一」の気が悪いということではない。しかしながら、聖学は理を本尊とし、気を本尊にはしないのである。
【通釈】
学者はとかく理ばかりを言い、気には縁遠い。なるほど理が本尊ではあるが、気ということを知らなければ功夫に欠けがある。人が悪くなるのは気から。気で悪くなるのを理で直すのである。さて、太極図説には「無極之真」とあるばかりではなく、「二五之精」ともある。あれは陰陽五行の気のことで、そこに狼藉者はいない。そもそも人の本体の気が悪い筈はない。「湛一」は静かで混じりのないこと。天から人が拝領する処の気に悪いことは全くない。人の本体が悪いものを持ち合わせているわけではない。老子が恬澹や虚無と言ったのも、それと同じこと。それでは浮雲の様だが、そうではない。老子はあれを本尊にするから悪い。こちらでは気を本尊に立てはしない。丁度、気を主にするのは女帝の様なもの。文王の妃ぐらいによくても、天子には立たない。こちらでは理を立てて気は立てない。さて、孟母や程母は聖賢と並ぶほどの人であり、そこで気も理と並ぶことがある。孟子が「夜気平旦之気清明」と言うのは理と並ぶものである。
【語釈】
・澹恬…老子偃武。「夫佳兵者不祥之器。物或惡之。故有道不處。君子居則貴左、用兵則貴右。兵者不祥之器、非君子之器。不得已而用之、恬惔爲上」。この註に、「嚴可均曰、御注作、恬淡。河上作、恬恢、一作、恬然。王弼作、恬澹」とある。
・夜氣平旦之氣清明…孟子告子章句上8。「其日夜之所息、平旦之氣、其好惡、與人相近也者幾希、則其旦晝之所爲、有梏亡之矣。梏之反覆、則其夜氣不足以存。夜氣不足以存、則其違禽獸不遠矣」。同集註。「平旦之氣、謂未與物接之時、清明之氣也」。

子思か垩学の証文に未發之中と云はれた。未發の中は氣を本尊にせす、理なり。されとも未發のなりか湛一、氣の本の塲所なれは、氣をそのやうに下さげにあしらうものではない。氣も大事のことになる。時に横渠は度々氣と云ことを云はれた。あれは、あれは口ては氣と云ふて多は理のこと。爰は御定の氣のことなり。さて、本体の氣は、加役衆に咎めらるるやうなうさんなものではないぞ。一念発らす澄みきりてをるそ。人の氣のわるいと云ふは、衣服の縁に垢のついたやふなもの。垢かつけは洗濯をする。氣がわるいとて、氣なりてをくことにあらす。理てをすべし。一念をこらす人欲に緇れぬは氣の本体。大学明德の注に本体之明未嘗息と云ふ。そこが本体の処。発るとわるい。湛一は何のことはない。鏡をといて蓋をしてをくやうなもの。そこで出すとさま々々な顔がうつる。氣と云ものかそこへ出てくるとさま々々なことになって、氣にさざ浪が立つ。湛一は銀の鉢へ水を汲て押入へ入れてをいたやふなもの。そこへ出し風か吹とそわ々々するなり。外物と云相手がくると手出しをしたかる。
【解説】
未発の中は理のことだが、その未発の姿が「湛一」であって、気の本来の場所である。一念が発らず人欲に塗れない時が気の本体であり、発すると悪くなる。
【通釈】
子思が聖学の証文である中庸で「未発之中」と言われた。未発の中は気を本尊にはせず、理のことである。しかしながら、未発の姿が「湛一」で気の本来の場所なのだから、その様に気を卑下して扱うものではない。気も大事なことになる。時に横渠は度々気ということを言われたが、あれは、口では気と言っているが、多くは理のこと。しかし、ここは御定りの気のことである。さて、本体の気は、加役衆に咎められる様な胡散臭いものではない。一念が発らず澄み切っている。人の気が悪いと言うのは、衣服の縁に垢の付いた様なものだからである。垢が付けば洗濯をする。気が悪いと言っても、気をそのままにして置くことではない。理で押すのである。一念が発らず人欲に塗れない時が気の本体。大学明徳の注に「本体之明未嘗息」とある。そこが本体の処。発ると悪い。湛一は何のことはない。鏡を研いで蓋をして置く様なもの。そこで、出すと様々な顔が映る。気というものがそこへ出て来ると様々なことになって、気に細波が立つ。湛一は銀の鉢へ水を汲んで押入れへ入れて置いた様なもの。それを出して風が吹くとそわそわとする。外物という相手が来ると手出しをしたがる。
【語釈】
・未發之中…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中」。
・加役…江戸時代の火付盗賊改の俗称。
・本体之明未嘗息…大学章句1集註。「但爲氣稟所拘、人欲所蔽、則有時而昏。然其本體之明、則有未嘗息者」。

攻は戦から云ひ、取も人のものを取ることなり。此方に勝氣があるから攻と云、取と云。勝氣か向のものを取なり。彼湛一はそふしたものにあらす。そこへ出ると、攻取なととわるくなる。文王や孔子のじっとしていらるるは湛一。凡夫は朝起てから晩の寢るまて攻取ぞ。何も角も此の方へ々々々々とからだの勝手をする。五尺の活た肉身、工面のよいよふにする。鼻や口はものをかぎ、味を知るもの。攻取てじっとしてはをらぬ。今日もをし付四つ半時分になる。それが九つ半にもなると、どふする々々々々と云て家来に飯をいそくなり。偖々仁義礼智の御人抦にも似合ぬと云。攻取氣之欲なり。克己は取てつぶすこと。湛一は氣之本て、本体の氣なり。欲をかわかす。氣をとってしめるぞ。ここて欲を取しめる語を出か克己篇なり。克己復礼をすると仁になる。
【解説】
「攻取、氣之欲。口腹於飮食、鼻舌於臭味、皆攻取之性也」の説明。勝気があるから「攻取」となる。それは、自分の身にとってよい様にすること。それが気の欲であり、その欲を取り去るのが克己である。
【通釈】
「攻」は戦から言い、「取」も人の物を取ることである。こちらに勝気があるから攻と言い、取と言う。勝気が向こうのものを取る。湛一はそうしたものではない。そこへ出ると、攻取などとなって悪くなる。文王や孔子がじっとしておられるのは湛一。凡夫は朝起きてから晩に寝るまでが攻取である。何もかも自分の方へと体の勝手をする。五尺の活きた肉身にとって工面のよい様にする。鼻や口はものを嗅ぎ、味を知るもの。攻取でじっとしてはいない。今日も間もなく四つ半時分になる。それが九つ半にもなると、どうするどうすると言って家来に飯を急がせる。それは全く仁義礼智の御人柄にも似合わないということで、「攻取気之欲」である。克己は取って潰すこと。湛一は「気之本」で、本体の気のこと。欲を干す。気を取って絞める。ここで欲を取り絞める語を出すのが克己の篇。克己復礼をすると仁になる。

知德者は德者と云と同しことになる。これは孔子の子路に告られたこと。子路がじれやった。陳蔡の供をしたとき、自有生民の孔子かひだるいめをしられたゆへ、君子亦有窮乎とせいたか德をしらぬのなり。德を知るか知見そ。子路は未た知見かこちのものにならぬ。德に目か付くとせかぬなり。攻取なとはかる々々となる。寒ひのひたるいのと云で心は動ぬ。屬厭はふだん野々宮高砂なり。凡夫は宿なし犬の欠けあるくやうに人欲を嗅てあるき、よいことかあろふかとて足をそらにする。屬厭てない。不以嗜欲云々。臭味の欲にはかまわぬ。迂斎云、加賀利家を、ああをしい、殿様がせいがひくいと云ふたれば、三國の主なればせいほしとも思はぬと舞をまいやったと云。丁とあのやふなもの。西行は風呂鋪包一つ負て冨士を見ている。西行は冨士さへ見れば外に御馳走は入らぬと云。屬厭なり。新蕎麥を喰たいとも思わぬ。それだから、大名の床にもかけらるると迂斎云へり。西行や一休なとか学者の頭を押へるは屬厭ゆへなり。
【解説】
「知德者屬厭而已。不以嗜欲累其心」の説明。徳に目が付けば心が動くことはない。それは属厭だからである。
【通釈】
「知徳者」は徳者と同じこと。これは孔子が子路に告げられたこと。子路が焦れた。陳蔡で供をした時、「自有生民」の孔子が糧を絶たれる目に遭ったので、「君子亦有窮乎」と急いたのは徳を知らないからである。徳を知るのが知見である。子路はまだ知見が自分のものになっていない。徳に目が付くと急くことはない。攻取などは簡単に成る。寒いことや空腹なことで心は動かない。「属厭」は普段から野々宮高砂で満足していること。凡夫は宿なし犬が駆け歩く様に人欲を嗅いで歩き、よいことがあるだろうかと落ち着くことがない。それは属厭ではない。「不以嗜欲云々」。臭味の欲には構わない。加賀の利家は、ああ惜しい、殿様の背が低いと言われたが、三国の主なのだから高い背が欲しいとも思わないと言って舞を舞ったと迂斎が言った。丁度あの様なもの。西行は風呂敷包み一つを背負って富士を見ている。西行は富士さえ見れば他に御馳走は要らないと言う。属厭である。新蕎麦を喰いたいとも思わない。それだから、大名の床にも掛けられると迂斎が言った。西行や一休などが学者の頭を押えるのは属厭だからである。
【語釈】
・知德者…論語衛霊公3。「子曰、由、知德者鮮矣」。
・自有生民…孟子公孫丑章句上2。「自有生民以來、未有孔子也」。
・君子亦有窮乎…論語衛霊公1。「在陳絶糧。從者病、莫能興。子路慍、見曰、君子亦有窮乎。子曰、君子固窮、小人窮斯濫矣」。
・屬厭…満足をすること。

湛一と云か偖々大ひ説出しなり。不断は理々とはかり云か、氣の本体なれは、氣はかりてもこれほどなこと。迂斎云、私欲はさわかしいものなり。其元との井土は大ふ水かわるいと云ふ。水のわるいてはなくて、朝から汲たゆへ濁たと云。汲と云私欲のさはがしいて仁義礼智か濁る。大小は孟子から来たもの。末は攻取の欲。本は氣の本の本なり。老荘か上座するもここなり。虚無を尊ふと、日用のことをそこらを燕ても飛てあるくやうに思ふ。孔子と幷ぶほどでも爰そ。佛者と老荘あまり違たことはない。仏者は本来の面目をつかまへやうとして欲をなくす。老子は混沌一元氣を押へんとして、日用のことをああさま々々うるさいことかあると云。こちの湛一は老仏に似たやうでちがふ。雪山へにげるの、ああうるさいのと云ことはない。中庸易而難もそれぞ。人欲を去るの目當がちこふ。この章、克己の篇に載たは攻取の欲を切て取ること。色食は性なりと云、そんなえふではとをさぬと云。君子不性はそこなり。
【解説】
「不以小害大、末喪本焉爾」の説明。仏者は本来の面目を掴まえようとして欲をなくし、老子は混沌一元気を押えようとして日用のことを煩わしく思うが、聖学は攻取の欲を切って取るのである。孟子も「君子不謂性」と言った。
【通釈】
湛一というのが実に大きな説き出し方である。普段は理とばかり言うが、これが気の本体のことなので、気だけのことでもこれほどのことになる。迂斎が、私欲は騒がしいものだ。貴方の井戸は大分水が悪いと言うが、それは水が悪いのではなく、朝から汲んでいたから濁ったのだと言った。汲むという私欲が騒がしいので仁義礼智が濁る。「大小」は孟子から来たもの。「末」は攻取の欲。本は「気之本」の本のこと。老荘が上座するのもここ。虚無を尊ぶと、日用のことをそこらに燕でも飛んでいる様に思う。孔子と並ぶほどでもここが違う。仏者と老荘はあまり違うことはない。仏者は本来の面目を掴まえようとして欲をなくす。老子は混沌一元気を押えようとして、日用のことをああ様々と煩いことがあると言う。こちらの湛一は老仏に似た様で違う。雪山へ逃げたり、ああ煩いなどと言うことはない。「中庸易而難」もそれ。人欲を去る目当てが違う。この章が克己の篇に載ったのは攻取の欲を切って取るため。色食は性だと言う様な、その様な絵符では通さないと言う。「君子不謂性」はそこのこと。
【語釈】
・大小…孟子告子章句上14。「體有貴賤、有小大。無以小害大、無以賤害貴。養其小者爲小人、養其大者爲大人」。
・中庸易而難…中庸章句9。「子曰、天下國家可均也。爵祿可辭也。白刃可蹈也。中庸不可能也。」。同集註。「均、平治也。三者亦知仁勇之事。天下之至難也。然不必其合於中庸、則質之近似者皆能以力爲之。若中庸、則雖不必皆如三者之難、然非義精仁熟、而無一毫人欲之私者、不能及也。三者難而易、中庸易而難。此民之所以鮮能也」。
・色食は性なり…孟子尽心章句下24。「孟子曰、口之於味也、目之於色也、耳之於聲也、鼻之於臭也、四肢之於安佚也、性也。有命焉、君子不謂性也」。


第三十四 纎惡必除の条

纖惡必除、善斯成性矣。察惡未盡、雖善必粗矣。
【読み】
纖惡も必ず除かれなば、善斯に性と成らん。惡を察して未だ盡くさずんば、善と雖も必ず粗ならん。
【補足】
・この条は、正蒙誠明篇にある。

克己の工夫にさま々々あり、針程な欲もあり、棒程な欲もある。針程な欲にも勝つ。火消の火を消すやうなもの。大な堂の火も消せは、一寸とした灰小屋の火も消す。纎悪なれはわるくもなさそふなものなれとも、とんと油断をせす、火の用心々々々々と觸るて火事か出来ぬ。わるいことか少とあると善は目を出さぬものなり。邪か一つふへると一つだけ元氣か衰へ、外邪が一つ除けは一つたけ元氣かますぞ。悪を除と善になる。百姓か草を除き螟を取ると、除きとっただけ稲かよくなるなり。察悪と云が大切なことそ。上句に纎悪とあり、学問か甲斐ないと少しことはとのこす。それからもへ出すなり。今の学者は氣か粗ひゆへ、悪と云と大酒飲むなの、密通をするなのと云ことと思ふ。そんなことなれは誰もなること。ここらて悪と云は至て細なことて、目鏡をかけて吟味することなり。よいことも只通さぬ。孝行程よいことはないか、其孝行かあてにならぬものなり。孝行じゃと云、それでは通ろふとする。孝行と云ても心は盗人のやふな奴かある。そこて只は通さぬぞ。悪か心にこび付てをるものなり。奉公人をよくつかふ、人つかひのよい主人と云は重疂なことなれとも、それにも筭盤を入れ、あいつらをいたわるとよく働く、得かつくと思へは心は大の人欲なり。朱子、陳安郷へ道理を知盗人かあると云はれた。黙斎なとか云そうなこと。それをあの朱子の口から云れたことなれは、とんと貧乏ゆすりもさせることではない。蟻の這出るも吟味をしよふこと。そふなけれは功夫かあらくなるなり。
【解説】
悪いことが少しでもあると善は芽を出さない。ここの悪とは至って細かなことで、小さなことでも吟味しなければ、工夫が粗くなる。
【通釈】
克己の工夫は様々とあって、針ほどの欲もあり、棒ほどの欲もある。針ほどの欲にも勝たなければならない。火消しが火を消す様なもの。大きな堂の火も消せば、一寸とした灰小屋の火をも消す。「繊悪」であれば悪くもなさそうなものだが、全く油断をせず、火の用心と触れるので火事が起こらない。悪いことが少しでもあると善は芽を出さないもの。邪が一つ増えると一つだけ元気が衰え、外邪を一つ除けば一つだけ元気が増す。悪を除くと善になる。百姓が草を除き螟虫を取ると、除き取っただけ稲がよくなる。「察悪」というのが大切なこと。上句に「繊悪」とあって、学問が甲斐無いと少しのことはよいだろうと残す。それから燃え出す。今の学者は気が粗いので、悪と言えば大酒を飲むな、密通をするなということと思う。そんなことであれば誰もできること。ここ等で悪と言うのは至って細かなことで、目鏡を掛けて吟味すること。よいこともただでは通さない。孝行ほどよいことはないが、その孝行が当てにならないもの。孝行だと言って通ろうとするが、孝行と言っても心は盗人の様な奴がいる。そこで、ただでは通さないのである。悪は心にこびり付いているもの。奉公人をうまく使う、人使いのうまい主人というのは重畳なことだが、それにも算盤を入れ、あいつ等を労るとよく働く、得になると思えば、その心は大の人欲である。朱子が陳安卿に道理を知る盗人がいると言われた。それは黙斎などが言いそうなこと。それがあの朱子の口から出たことであれば、全く貧乏揺すりもさせることではない。蟻の這い出るのも吟味をすべきである。そうでなければ功夫が粗くなる。
【語釈】
・螟…螟虫。草木の茎・枝などの髄に食い入る昆虫の幼虫の総称。特に蛾類のニカメイガおよびサンカメイガの幼虫の称。
・陳安郷…陳安卿。


第三十五 惡不仁の条

惡不仁、故不善未嘗不知。徒好仁而不惡不仁、則習不察、行不著。是故徒善未必盡義、徒是未必盡仁。好仁而惡不仁、然後盡仁義之道。
【読み】
不仁を惡む、故に不善は未だ嘗て知らずんばあらず。徒[いたずら]に仁を好むのみにして不仁を惡まずんば、則ち習えども察[あき]らかならず、行えども著[あらわ]れず。是の故に徒善は未だ必ずしも義を盡くさず、徒是は未だ必ずしも仁を盡くさず。仁を好みて不仁を惡み、然して後に仁義の道を盡くす。
【補足】
・この条は、正蒙中正篇にある。

これを、仁を好の甚と見るへし。好仁は元と方。悪不仁はそれをも一つつめたことなり。悪不仁から書出したか面白ひ。悪不仁と、ちっとそれほとてなしともよかろふ、きつ過ると云か、不善は其分んて捨て置れぬもの。手痛不善の吟味をせ子はならぬ。柔和仁熟謹厚の学者の知ることにあらす。人を見と学をすすめ、少とよいと竒特なこと々々々々々と云。それか君子でもあろふか、そんなことではならぬ。盗賊の吟味かつよいと盗賊かなくなる。学者の学問も吟味かつよけれは人欲はなくなるなり。司馬温公なとは好仁て悪不仁ぬ人なり。仏法をふせくは名教の助と云た。呂東来か仏法を其やふにふせぐことではないと云。其あとか仁斎ぞ。浮屑導香へ慇謹な手紙をやりたかるなり。惡不仁ぬと、こちまてわるくなる。
【解説】
「惡不仁、故不善未嘗不知。徒好仁而不惡不仁」の説明。不仁を悪まなければ自分まで悪くなるから、不善はそのままにしてはならず、強くその吟味をしなければならない。司馬温公も呂東莱も仁斎もそれをしなかった。
【通釈】
これは、仁を好むことの甚だしいことだと見なさい。「好仁」は元方で、「悪不仁」はそれをもう一つ詰めたこと。悪不仁から書き出したのが面白い。悪不仁を、それほどのことでなくてもよいだろう、きつ過ぎると言うが、不善はそのままには捨てて置けないもの。手痛く不善の吟味をしなければならない。それは柔和忍辱謹厚の学者の知ることではない。人を見ると学問を勧め、少しよいと奇特なことだと言う。それが君子でもあろうと思っているが、そんなことでは成ることはできない。盗賊の吟味が強ければ盗賊がいなくなる。学者の学問も吟味が強ければ人欲はなくなる。司馬温公などは仁を好んで不仁を悪まない人だった。仏法を防ぐのは名教の助けだと言った。呂東莱が、仏法をその様に防ぐことはないと言った。その後が仁斎である。浮屠道香へ慇懃な手紙を遣りたがる。不仁を悪まないと、こちらまで悪くなる。
【語釈】
・悪不仁…論語里仁6。「子曰、我未見好仁者、惡不仁者。好仁者、無以尚之。惡不仁者、其爲仁矣。不使不仁者加乎其身」。
・浮屑導香…佐藤直方に「辨伊藤仁斎送浮屠道香師序」がある。

習不察行不著也。俗学のなりかこれそ。知惠も行もよいやふでははっきりとない。今日の学者は知行かうす墨て書たやふぞ。知行は下馬札を書たやふにはっきりとするかよい。四十六士を忠臣てないと云と、それ忠臣ではないと云ひ、それから浅見先生の方へ行くと忠臣と云。それ忠臣とて、あっちこっちあるいて説かいろ々々になる。旅人か馬喰丁の宿引にひかれ、道案内次第に名所を尋てあるくやふなてないなり。そこて知惠を行ひも簾れの内から見るやふて、はっきりと見咎めることはならぬそ。習不察行不著なり。紋所を書ても上は繪を書ぬやうなもの。はっきりとない。徒善は心はかりの結講なり。母親の子を可愛がるやふなもの。も少と寢せてをいたがよいとて子をたわけにする。天下の政務でも家内のことても我身の上ても結講づくめは役に立ぬ。
【解説】
「則習不察、行不著。是故徒善未必盡義」の説明。知行ははっきりとしたものでなければならない。「徒善」は母親が子を可愛がる様なもの。それで子が戯けになる。結構尽くめは悪い。
【通釈】
「習不察行不著也」。俗学の姿がこれ。知恵も行もよい様で、はっきりとしない。今日の学者の知行は薄墨で書いた様である。知行は下馬札を書いた様にはっきりとするのがよい。四十六士を忠臣ではないと言うと、忠臣ではないと言い、それから浅見先生の方へ行くと忠臣だと言う。忠臣のことでさえ、あっちこっち歩いて説くと色々になる。それは、旅人が馬喰町の宿引きに引かれ、道案内次第に名所を訪ねて歩く様な姿である。そこで知恵も行も簾の内から見る様で、はっきりと見咎めることができない。「習不察行不著」である。紋所を書いても上絵を書かない様なもので、はっきりとしない。「徒善」は心ばかりの結構で、母親が子を可愛がる様なもの。もう少し寝かせて置く方がよいとして子を戯けにする。天下の政務でも家内のことでも我が身の上でも結構尽くめは役に立たたない。
【語釈】
・習不察行不著…孟子尽心章句上5。「孟子曰、行之而不著焉、習矣而不察焉、終身由之而不知其道者衆也」。

徒是は善に根のないのなり。徒是はこまった字ぞ。廿四孝を讀ものは舜の孝行も郭巨か孝行も一つに思か、郭巨は徒是なり。子を可愛かって親に不孝するものか多ひ。それに子を殺して親を大切にするはよいやふても徒是と云もの。知見の足らぬ者のすることはみなわるい。鄧伯道かやふなり。直方先生、鞭策排釈の二録を編集なされたかこの章の意なり。仁はこちにあるもの。不仁を悪むはこちへよせぬこと。学問のぎり々々はあの二書に止るなり。好仁ても不仁を悪まぬとはっきりとない。月代そりても髪の残たやふなり。鞭策てこちはすむ。好仁なり。排釈は向そ。悪不仁なり。
【解説】
「徒是未必盡仁。好仁而惡不仁、然後盡仁義之道」の説明。「徒是」は善に根がないこと。直方の鞭策録は自分の方のことで好仁、排釈録は向こうに対してのことで悪不仁である。
【通釈】
「徒是」は善に根がないこと。徒是は困った字である。二十四孝を読む者は舜の孝行も郭巨の孝行も一つに思うが、郭巨は徒是である。子を可愛がって親に不孝をする者が多い。そこで、子を殺して親を大切にするのはよい様でも、それは徒是というもの。知見の足りない者のすることは皆悪い。それは鄧伯道の様なもの。直方先生が鞭策排釈の二録を編集なされたのがこの章の意である。仁はこちらにあるもの。不仁を悪むのはこちらへそれを寄せないこと。学問の至極はあの二書に止まる。好仁でも、不仁を悪まなければはっきりとしない。それは、月代を剃っても髪が残った様なもの。鞭策でこちらは済む。それが好仁である。排釈は向こうのこと。悪不仁である。
【語釈】
・廿四孝…中国で、古今の孝子二四人を選定したもの。元の郭居敬の説。虞舜・漢文帝・曾参・閔損・仲由・董永・剡子・江革・陸績・唐夫人・呉猛・王祥・郭巨・楊香・朱寿昌・庾黔婁・老莱子・蔡順・黄香・姜詩・王褒・丁蘭・孟宗・黄庭堅。異説もある。
・郭巨…二十四孝の一。後漢の人。家が貧しく、母が減食するのを見て、一子を埋めようと思って地を掘ったところ、黄金が六斗四升出て、その上に、「天賜孝子郭巨」と刻んであったという。
・鄧伯道…


第三十六 責己者の条

責己者、當知無天下國家皆非之理。故學至於不尤人、學之至也。
【読み】
己を責むる者は、當に天下國家皆非なる理無きを知るべし。故に學びて人を尤めざるに至れば、學の至りなり。
【補足】
・この条は、正蒙中正篇にある。

先日讀た処に責上責下とある。あれと同しことなり。あの語なとは政事へ引けは政事のことになる。克己へ引けはなを面白ひ克己のことになる。ここも政事のことにもなるか、克己へ持てくるとなをよい。責己を克己の第一そ。人の咎にするはわるい。迂斎云、をれは隨分弓を射るか、邊て上留りを語たからそれて射そんじたと云。兎角人の咎にしたかるが、それかわるい。惡ひを云ひ立にすれは瞽叟ほどなわるい親父はない。其親を舜は尤々と云。そこて瞽叟底豫なり。唐の李泌か宰相は不言命と云た。天下のことを天命じゃとは云はぬことなり。天命じゃの時節じゃのと云は牢人の云ことそ。宰相は命と云はぬ。をれか目の黑ひ内はと云ぞ。どのやうなことか有ふと、あちのことてはない。此方のことと云なり。そこが克己になる。爲仁由己なり。克己は我胷て我胷へたたきこむこと。人を咎ることはない。聾の道中するやふなもの。これ々々と云ても、搆はすつっ々々と行。あたりのことを耳へ入れぬゆへ学問かあかる。あの男に学問を妨けられたと云。それか悪い。我方て妨られぬやふにするかよい。人を尤ぬやふになれは、こちのあがりたのなり。
【解説】
克己は自らが自分の胸に叩き込むことで、人を咎めることではない。人を咎めない様になれば、自分の学問が上がったのである。
【通釈】
先日読んだ処に「責上責下」とある。あれと同じこと。あの語などは政事へ引けば政事のことになる。克己へ引けば尚面白い克己のことになる。ここも政事のことにもなるが、克己へ持って来ると尚よい。「責己」が克己の第一であって、人の咎にするのは悪い。俺は随分と弓を射るが、隣で浄瑠璃を語ったからそれで射損じたと言う。とかく人の咎にしたがるが、それが悪いと迂斎が言った。悪い者を言い立てれば瞽瞍ほど悪い親父はいない。その親に舜は尤も尤もと言う。そこで「瞽瞍厎豫」となる。唐の李泌が「宰相不言命」と言った。天下のことを天命だと言わないということ。天命だとか時節だとかと言うのは囚人の言うこと。宰相は命とは言わない。俺の目の黒い内はと言う。どの様なことがあろうと、あちらのことではなく、自分のことだと言う。そこが克己になる。それが「為仁由己」である。克己は自分の胸で自分の胸へ叩き込むこと。人を咎めることはない。それは、聾が道中する様なもの。これこれと言っても、構わずずいずいと行く。辺りのことを耳へ入れないので学問が上がる。あの男に学問を妨げられたと言うが、それが悪い。自分が妨げられない様にするのがよい。人を咎めない様になれば、自分が上がったのである。
【語釈】
・責上責下…克己17の語。
・瞽叟底豫…孟子離婁章句上28。「舜盡事親之道而瞽瞍厎豫。瞽瞍厎豫而天下化。瞽瞍厎豫而天下之爲父子者定。此之謂大孝」。
・李泌…
・宰相は不言命…
・爲仁由己…論語顔淵1。「顏淵問仁。子曰、克己復禮爲仁。一日克己復禮、天下歸仁焉。爲仁由己。而由人乎哉」。


第三十七 潜心於道の条

有潛心於道、忽忽爲他慮引去者。此氣也。舊習纏繞、未能脱灑、畢竟無益。但樂於舊習耳。古人欲得朋友與琴瑟・簡編、常使心在於此。惟聖人知朋友之取益爲多。故樂得朋友之來。
【読み】
心を道に潛め、忽忽に他の慮の引き去るところと爲る者有り。此れ氣なり。舊習纏繞し、未だ脱灑すること能わずんば、畢竟益無し。但舊習を樂しむのみ。古人は朋友と琴瑟・簡編とを得て、常に心をして此に在らしめんと欲せり。惟聖人は朋友の益を取ること多しと爲すを知る。故に朋友の來るを得るを樂しむ。

存羪めいた克己あり、克己めいた存羪かある。これか克己篇と存羪の篇を見るの大事なり。潜心於道か克己めいた字ではない。これが学問の大事そ。無精の、無拠用て欠座したのと云ふをつかまへて、講釈を聞に出る抔と云やふな粗ひことではない。潜心於道は雪隠ても忘ることはない。他慮云々。他慮かこわいもの。上蔡か心中不可容絲髪と云たことあり。潜心於道には毛一本這入てもわるし。潜心於道と思ふ、他慮に引去也。これは余のものにはあらす。氣のしわざなり。氣の相手は志。そこて孟子に志と氣幷へて説てある。心は道に潜てをるか、他慮に引去なり。書物を讀て様々面白と云てをる。そこへ向から何そ来てさそわるるなり。
【解説】
「有潛心於道、忽忽爲他慮引去者。此氣也」の説明。「潛心於道」であっても「他慮引去」となるもの。それは気の仕業である。
【通釈】
存養めいた克己があり、克己めいた存養がある。これが克己の篇と存養の篇を見る大事なところである。「潜心於道」は克己めいた字ではない。これが学問の大事なところである。無精でとか、拠ん所ない用があって欠座したと言う者を掴まえて講釈を聞きに出るなどという様な粗いことではない。潜心於道は雪隠でも忘れることはない。「他慮云々」。他慮は怖いもの。上蔡が「心中不宜容絲髪」と言ったことがある。潜心於道には毛一本が這い入っても悪い。潜心於道と思うが、「他慮引去」である。これは他でもない、気の仕業である。気の相手は志。そこで孟子に志と気を並べて説いてある。心は道に潜んでいても、他慮に引去である。書物を読んで様々に面白いと言っているところに、向こうから何かが来て誘われる。
【語釈】
・心中不可容絲髪…為学27小註。「蓋言心中不宜容絲髪事」。
・孟子に志と氣幷へて説…孟子公孫丑章句上2の説。

氣なりからえんをとりて舊習もやっはり氣のこと。町人は学問しても商根情かぬけか子るもの。訂斎先生か若ひ学者へ俗を脱しろ々々々と云れた。役に立ぬやうなことなれとも、あそこか訂斎先生の豪強な処。俗を脱すれはずっとゆくとみたなり。居塲所次第に舊習があるもの。百姓は才力があってもかたりちぎて無調法かあり、道理を聞て感心もするか、全体にぬけぬものかある。これか人欲より六ヶしいものなり。屋根屋か来ても、今日は何とやらかとやら云日て屋根は葺れぬと云。其やふなあま口な馬鹿を云ては役に立ぬ。周公は冬至から四十五日過ると百姓を田へかからせた。今正月は田へは入らぬものと云ふ。それも入たから直に悪かろふとも思はぬか、人にはづれたらわるかろふと思ふ。学問は目を回したやふにさわぐかよい。元日計も藥をやめたかよいとてやめるか、されとも誰ぞ目を回して打かへると、それと云て藥を持てゆくなり。然らは元日には藥呑ぬものと云理はない。
【解説】
「舊習纏繞、未能脱灑、畢竟無益」の説明。旧習も気である。人に外れたことをするのは悪いと思うが、それは理によったものでなければ意味がない。訂斎は俗を脱しろと言った。
【通釈】
「気也」からの縁続きで、「旧習」もやはり気のこと。町人は学問をしても商い根性が抜けかねるもの。訂斎先生は若い学者に俗を脱しろと言われた。これが役に立たない様なことだが、あそこが訂斎先生の豪強な処。俗を脱すればずっと進むと見たのである。居場所次第で旧習があるもの。百姓は才力があっても片律儀で不調法があり、道理を聞いて感心もするが、全体に抜けないものがある。これが人欲より難しいもの。屋根屋が来ても、今日は何とかかんとか言う日で屋根は葺けないと言う。その様な甘口な馬鹿を言うのは役に立たない。周公は冬至から四十五日過ぎると百姓を田へ取り掛からせた。今、正月は田に入らないものと言う。入ったら直に悪いとも思わないが、人に外れたことをしたら悪いだろうと思う。学問は目を回した様に騒ぐのがよい。元日だけでも薬を止めるのがよいと思って止めても、誰かが目を回して倒れると、それと言って薬を持って行く。それなら元日には薬を呑まないものだという理はない。

いかさま舊習に難義と云か舊習を樂てをるなり。ここを横渠のいたつらを云たと云ほとに見ると活てくる。何に樂はいたさぬと云ても、どふしても樂にをちる。樂舊習てをるなり。人の自慢ほとわるいことはないか、あれは麁忽ゆへまたよい。私なとも数十年この体でと云から舊習を改るかと思へは、そふ云なから我ほどなものも又ないと思ふ。これ、樂舊習也。せわしい人は藥を一服飲て、もふきいたて有ふとて呑まぬ。舊習を直す氣かない。樂舊習也。舊習は樂むましきものそ。私かこぶも中々やふござるとは云はぬ。こぶも中々伽になりますと云ふは樂舊習なり。こふてはそんなたわけがないか、万事そのやうなり。樂舊習は、在郷ものの日待の晩に上留理をうなり出す。さぞ上るり大夫か聞たら笑てあろふ。祝義かあると、御子孫も繁昌と謡出す。觀世か聞たらは、笑てあろふぞ。
【解説】
「但樂於舊習耳」の説明。旧習は困ったものと言っても、それを止めないのは旧習を楽しんでいるのである。旧習は直さなければならない。
【通釈】
全く旧習には難儀をするとは言うが、それは旧習を楽しんでいるのである。ここを横渠が悪戯を言ったというほどに見るとここが活きて来る。何、楽しんではいないと言っても、どうしても楽に落ちる。「楽旧習」でいる。人の自慢ほど悪いことはないが、あれは粗忽なものなのでまだよい。私なども数十年この体でと言うから旧習を改めるのかと思えば、そう言いながら自分ほどの者もまたいないと思う。これが楽旧習である。忙しい人は薬を一服飲んで、もう効いただろうと思ってそれ以上は飲まない。旧習を直す気がない。楽旧習である。旧習は楽しんではならないこと。私の瘤も中々よいとは言わない。瘤も中々慰みになりますと言うのは楽旧習である。瘤ではそんな戯けはいないが、万事その様なこと。楽旧習は、在郷者が日待ちの晩に浄瑠璃を唸り出す様なこと。浄瑠璃大夫がそれを聞いたらさぞ笑うだろう。祝儀があると、御子孫も繁昌と謡い出す。観世が聞いたら笑うだろう。
【語釈】
・日待…農村などで田植や取入れの終った時などに、部落の者が集まって会食や余興をすること。

朋友か一つ、琴瑟か一つ、簡編が一つ。三つと見ることなり。此三つて療治にすれは、人の心をよくすることなり。朋友切々偲々。以文會友以友輔仁。それから琴瑟簡編。とんとこれをじょざいにしてをるゆへ、をのつからよくなるぞ。音樂は今ないから知れぬか、方々の息子に三味線を習はせると直にわるくなる。古の音樂かあのやふにきいたそふなり。三つある中で朋友が一ちよいと云。そこて、惟知垩人。朋友をよろこぶと云もそれなり。樂得朋友之來。論語首章の字て、意をは替て見るがよいそ。朋友がなくては中々学問はあからぬものそ。これを云横渠も、明道先生と云ふ朋友があって学問をしあけられた人なり。明道先生と云朋友がなけれは、横渠は仏学になる人。大心の章も西銘も定性書と云からきた。得朋友と云、この身帯から出来たものなり。
【解説】
「古人欲得朋友與琴瑟・簡編、常使心在於此。惟聖人知朋友之取益爲多。故樂得朋友之來」の説明。朋友が最初で次に琴瑟簡編である。朋友で学問は上がる。横渠も明道という朋友によって学問が上がった。
【通釈】
朋友が一つ、琴瑟が一つ、簡編が一つで、三つと見なさい。この三つを療治に使えば人の心をよくする。「朋友切々偲々」、「以文会友以友輔仁」で、それから琴瑟簡編である。全てこれを如在にしているので自ずからよくなる。音楽は今ないからわからないが、方々の息子に三味線を習わせると直きに悪くなる。古の音楽はあの様に聴いたそうである。三つある中で朋友が一番よいと言う。そこで、「惟知聖人」。朋友を楽しむというのもそれ。「楽得朋友之来」。論語首章の字で、意を替えて見なさい。朋友がなくては中々学問は上がらないもの。これを言う横渠も明道先生という朋友があって学問を仕上げられた人である。明道先生という朋友がなければ横渠は仏学になる人。大心の章も西銘も定性書というところから来た。得朋友と言い、この身帯からできたものなのである。
【語釈】
・簡編…書物。
・朋友切々偲々…論語子路28。「子路問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、切切偲偲怡怡如也、可謂士矣。朋友切切偲偲。兄弟怡怡」。
・以文會友以友輔仁…論語顔淵24。「曾子曰、君子以文會友、以友輔仁」。
・樂得朋友之來…論語学而1。「有朋自遠方來。不亦樂乎」。
・大心の章…正蒙大心。為学83。
・西銘…為学89。
・定性書…為学4。


第三十八 矯輕の条

矯輕警惰。
【読み】
輕を矯め惰を警む。
【補足】
・この条は、経学理窟五の気質篇にある。

顔子が問仁と、孔子か克己復礼と云はれた。顔子のやうな御方でも克己復礼と云はかりてはかかられぬゆへ、問目と云。それから非礼勿視聽言動なり。そこて畏たと云そ。それても学者は中々及れぬゆへ程子が四箴を書れた。それへ行くにも一つしたぢがいるそ。四箴が克己へ登る階梯なれとも、又手短に此四字を出すは克己の入口そ。親切なことなり。兎角に矯輕警惰とこ子はならぬなり。軽は麁相、惰は無情なり。とんと学問の禁物、この二つに止た。この段になっては朋友も師匠も何んにもならぬ。論語孟子を見ても役に立ぬ。無情ものの学問をしあけると云ふはならぬ。矯と警とそれ々々のあたりを見るべし。ふいとかるはつみに出るをちょいとこぢなをすぞ。早合点犬も食はぬと云はよい悪言なり。大切な道理もひょいと云ふと益はなし。そこへ落付の出きるかよい。居と云、いすわることかなけれはならぬ、と。論語にも居敬而行簡かそれなり。居敬がないゆへあとさきなしにゆく。そこをためるそ。きような医者か早く医按を付る。これもまづ不器用ものにはましじゃが、然とも考て二番目に出るは尻がすわるゆへよいことが出るはつなり。出来合細工のわるいも軽のとがなり。警怠は呼び惺すやふなもの。下女か子ふりながら火をたくと火の用心と声をかける。そこで目が覺るなり。輕と怠を人欲とみること。これで克己の篇に載たものなり。人欲と見ぬと軽は生れ付、怠は草臥。仏經にも睡欲とあり、日向へ出ると睡てをるか何も欲はないと思ふ。そこてさわぐ欲よりはよいやうなれとも、欲は同しことなり。
【解説】
四箴は克己の階梯であり、「矯軽警惰」は克己の入口である。軽は粗相で惰は不精であり、この二つは学問の禁物である。軽は居敬で矯める。
【通釈】
顔子が仁を問うと、孔子がそれは克己復礼だと言われた。顔子の様な御方でも克己復礼というだけではそれに取り掛かれないので「問目」と言った。それで「非礼勿視聴言動」と言われ、そこで畏まったと言った。それでも中々学者には及ぶことのできないものだから、程子が四箴を書かれた。しかし、そこへ行くのにも一つ下地がいる。四箴は克己へ登る階梯だが、また手短にこの四字を出したのは、これが克己の入口だからであり、親切なことである。とかく「矯軽警惰」でなければならない。軽は粗相で惰は不精であり、実に学問の禁物はこの二つに止まる。この段になっては朋友も師匠も何もならない。論語や孟子を見ても役に立たない。無情者が学問を仕上げるということはできない。矯と警とのそれぞれの当たり方を見なさい。ふいと軽はずみに出るところをちょいと抉じ直す。早合点は犬も食わぬと言うのはよい悪言である。大切な道理もひょいと言えば益はない。そこへ落着きができるのがよい。居という居座ることがなければならないと言った。論語にもある「居敬而行簡」がそれである。居敬がないので後先なしに行く。そこを矯めるのである。器用な医者は早く医按を付ける。これも先ずは不器用者よりは増しだが、しかし考えて二番目に出すのは尻が座っていてよいことが出る筈である。出来合細工が悪いのも軽の咎である。警怠は呼び醒ます様なもの。下女が眠りながら火を焚くと火の用心と声を掛ける。そこで目が覚める。軽と怠を人欲のことだと見なさい。それで克己の篇に載ったのである。人欲として見ないと軽は生まれ付きで怠は草臥れたこととなる。仏経にも睡欲とあって、日向へ出て睡っていれば何も欲はないと思う。そこで騒ぐ欲よりはよい様だが、欲は同じこと。
【語釈】
・顔子が問仁…論語顔淵1。
・四箴…克己3。
・居敬而行簡…論語雍也1。「仲弓曰、居敬而行簡、以臨其民、不亦可乎。居簡而行簡、無乃大簡乎」。

直方先生が中風はからだのゆるみ、それが心のゆるみからをこると云た。無理なやうで学者の功夫には至てよい。こちの警発になることなり。集解が矯輕警怠か二つて一つこと。相根さすものじゃと云ふた。浮いた軽いことから怠は出るものなり。この説は論語の注の驕吝相因から出たもの。軽はふい々々としたこと、怠はべろりとしたことなれとも、両方から出るものなり。発明な注なり。ふいと商をする、直に止るもの。軽ひから怠なり。本道の商人は、さしてもうけもないか三代これをいたすと云。大好菴が丸藥のやうなもの。軽くないからあのやふに一つ商を久くするなり。学者も根からしこむと軽の怠のと云はない。迂斎の、軽と云も怠と云ふも道に進ぬことと云へり。道に進ぬ、邪なり。学問はどこまても氣を理てなをすことなり。
【解説】
根から仕込めば軽や怠ということはない。学問は何処までも気を理で直すことである。
【通釈】
直方先生が中風は体の緩みであり、それは心の緩みから起こると言った。これは無理な様で学者の功夫には至ってよく、こちらの警発になること。集解に、矯軽警怠は二つで一つであり、相根差すものだとある。浮いた軽いことから怠は出るもの。この説は論語の注の「驕吝相因」から出たもの。軽はふいふいとしたことで怠はべろりとしたことだが、両方から出るものである。これが発明な注である。ふいと商をすれば直に止まるもの。軽いから怠である。本当の商人は、それほど儲けもないが三代これを致すと言う。大好庵の丸薬の様なもの。軽くないからあの様に一つの商いを久しくするのである。学者も根から仕込むと軽や怠ということはない。迂斎が、軽というのも怠というのも道に進まないことだと言った。道に進まないのは邪である。学問は何処までも気を理で直すことである。
【語釈】
・驕吝相因…論語泰伯11集註。「驕、氣盈。吝、氣歉。愚謂、驕吝雖有盈歉之殊、然其勢常相因」。
・大好菴…芝の大好庵?


第三十九 仁之難成久矣の条

仁之難成久矣。人人失其所好。蓋人人有利欲之心、與學正相背馳。故學者要寡欲。
【読み】
仁の成り難きは久し。人人其の好む所に失するなり。蓋し人人に利欲の心有りて、學と正に相背馳す。故に學者は欲を寡なくせんことを要す。
【補足】
・この条は、経学理窟三の学大原上篇にある。

迂斎か、久は孔子の時分からを思ひ出して云ことと云へり。孔子が七十子を教るに皆仁々と云。それを出して教ながら、仁則我不知、焉ぞ得仁のと云。なせ仁になりにくいと云に、人々に好と云かある。好は氣の方へあたりのよいもの。それからしてならぬ。なせ好むかわるいと云へは、奧の院に人欲がある。奉公人は立身かせき、商人はもうけたがる。背馳かどふも利欲の心か出て背せる。そこて手取ものは欲なり。学者は欲を少くするか第一のこと。寡欲かいこう克己の篇ては丁法になる。これまて寡欲の字か三度あるそ。克己の功夫は寡欲からしてとることなり。欲か少ひなれは、少しの火事は揉消よいと同し。寡くなるそ。寡欲てもあてにならぬことかある。朱子か人最不可曉と云はれた。ぬけめもなく直方先生か鞭策録にもとられた。衣服飲食に物好かなけれは宦禄を求め、それかなけれは好色、好色かなけれは金が大の好物。凡夫の寡欲とみへるは一色のこと。つんとあてにならぬ。一つ欲は寡ひやふても又こちにそれだけの欲かある。
【解説】
人は好むことがあるから、それで仁に成り難い。好むのは欲からである。そこで寡欲が大層重宝なのだが、寡欲と言っても人には多くの欲があるのである。
【通釈】
迂斎が、「久」は孔子の時分のことを思い出して言ったことだと言った。孔子が七十人の弟子を教えるのに皆仁々と言った。それを出して教えながら、「仁則我不知」、「焉得仁」と言った。何故仁に成り難いのかと言えば、人々に「好」ということがあるからである。好は気の方へ当たりのよいもの。それからして悪い。何故好むのが悪いのかと言うと、奥の院に人欲があるからである。奉公人は立身稼ぎをしたがり、商人は儲けたがる。「背馳」は、どうも利欲の心が出て背かせること。そこで厄介なのは欲である。学者は欲を少なくするのが第一。寡欲が大層克己の篇では重宝なことになる。これまでに寡欲の字が三度ある。克己の功夫は寡欲からし遂げること。欲が少なければ、少しの火事は揉み消し易いのと同じで寡になる。寡欲でも当てにならないことがある。朱子が「人最不可曉」と言われた。抜け目なく直方先生がこれを鞭策録に引用された。衣服飲食に物好きがなければ官禄を求め、それがなければ好色、好色がなければ金が大の好物。凡夫の寡欲と見えるのは一色のことで、全く当てにならない。一つ欲は寡ない様でも、またこちらにそれだけの欲がある。
【語釈】
・仁則我不知…論語憲問2。「克伐怨欲、不行焉、可以爲仁矣。子曰、可以爲難矣。仁則吾不知也」。
・焉ぞ得仁…論語公冶長19。「子張問曰、令尹子文、三仕爲令尹。無喜色。三已之、無慍色。舊令尹之政、必以告新令尹。何如。子曰、忠矣。曰、仁矣乎。曰、未知。焉得仁」。
・寡欲の字か三度…存養59。克己2。克己39。
・人最不可曉…講学鞭策録20。朱子語類13にある語。

此は生れ付に厚薄はあれとも、寡欲な人は仕合そ。山の手へ火の見をたてるやふなもの。直に仁にもならるる。欲が多ひと中々仁になられぬそ。思ふことひとつかなへばまた二つて、欲はたん々々ふへてくるものなり。直方の話に、何か好じゃと云たれば、しばらく考て私は何も角も一ち好でござると云たとなり。をかしい話なれとも聞へた。蕎麥切好と云と、ひょっと温飩のとき損そ。酒と云と、又餅のときはづかれては残念なり。そこで何も角もと云た。凡夫のありていを云へは、何もかも一ち好きなり。今日の人が皆これだ。巧言令色とをく病てはかりでもつなり。巧言令色と臆病がなくては、ありたけのか皆出るてあろふ。もしありたけの人欲をだすと、其分にはしてをかれぬことなり。刑罪にも合ふぞ。
【解説】
欲は段々と増えてくるもの。その欲をその通りに出せば刑罰に遇うことにもなる。
【通釈】
これは生まれ付きに厚薄のあることだが、寡欲な人は幸せである。それは山の手へ火の見を建てる様なもので、直に仁にもなることができる。欲が多いと中々仁になることはできない。思うことひとつかなえばまた二つで、欲は段々と増えてくるもの。直方の話に、何が好きかと聞かれ、暫く考えて私は何もかも一番好きでござると言ったとある。可笑しい話だがよくわかる。蕎麦切好きと言うと、ひょっと饂飩の時に損をする。酒と言えばまた、餅の時に外されて残念である。そこで何もかもと言った。凡夫の有様を言えば、何もかも一番好きなのである。今日の人が皆これ。巧言令色と臆病だけで保っている。巧言令色と臆病がなければ、ありったけの欲が皆出ることだろう。もしもありったけの人欲を出せば、そのままではいられず、刑罪に遇うことにもなる。


第四十 君子必不避他人之言の条

君子必不避他人之言、以爲太柔太弱。至於瞻視亦有節。視有上下。視高則氣高、視下則心柔。故視國君者、不離紳帶之中。學者先須去其客氣。其爲人剛行、終不肯進。堂堂乎張也、難與竝爲仁矣。蓋目者人之所常用、且心常託之。視之上下、且試之。己之敬傲、必見於視。所以欲下其視者、欲柔其心也。柔其心、則聽言敬且信。人之有朋友、不爲燕安、所以輔佐其仁。今之朋友、擇其善柔以相與、拍肩執袂、以爲氣合。一言不合、怒氣相加。朋友之際、欲其相下不倦。故於朋友之閒、主其敬者、日相親與、得效最速。仲尼嘗曰、吾見其居於位也、與先生竝行也。非求益者、欲速成者。則學者先須温柔。温柔則可以進學。詩曰、温温恭人、維德之基。蓋其所益之多。
【読み】
君子は必ずしも他人の言を避けて、以て太[はなは]だ柔太だ弱なるを爲さず。瞻視[せんし]に至りても亦節有り。視に上下有り。視高ければ則ち氣高く、視下ければ則ち心柔かなり。故に國君を視る者は、紳帶の中を離れず。學者は先ず須く其の客氣を去るべし。其の人と爲り剛行ならば、終に肯て進まじ。堂堂乎たり張や、與に竝びて仁を爲し難し。蓋し目は人の常に用うる所にして、且つ心常に之に託す。視の上下もて、且く之を試みん。己の敬傲は、必ず視に見[あらわ]る。其の視を下さんと欲する所以の者は、其の心を柔かにせんと欲するなり。其の心を柔かにせば、則ち言を聽くこと敬にして且つ信あらん。人の朋友有るは、燕安の爲ならず、其の仁を輔佐する所以なり。今の朋友は、其の善柔なるものを擇びて以て相與し、肩を拍[たた]き袂を執りて、以て氣合すと爲す。一言合わずんば、怒氣相加う。朋友の際、其の相下りて倦まざるを欲す。故に朋友の閒に於て、其の敬を主とする者、日に相親與し、效を得ること最も速やかなり。仲尼嘗て曰く、吾其の位に居り、先生と竝び行くを見る。益を求むる者に非ず、速やかに成るを欲する者なり、と。則ち學者は先ず須く温柔なるべし。温柔ならば則ち以て學に進む可し。詩に曰く、温温たる恭人は、維れ德の基なり、と。蓋し其の益する所多ければなり。
【補足】
・この条は、経学理窟二の気質篇にある。

この章は高ぶりを戒たことなり。高ぶりと云は人欲の甚しひのそ。如何となれは、仁になるは何も角も打すてつぶすこと。高ぶると我はかりよいと思て我を立るゆへ、さかさまに学問をするやふなものなり。学問は及ぬことをどふそ々々々至ん々々とすることなり。それを我を立て、よい々々とすれは、我か上て学は下なり。さかさまなり。大柔大弱。やはらかみを入れて人に從ひ、むふくりとして高ぶらす、のり出ぬ。是か外から何と云ふかとてすることにあらす、わけあって大柔大弱にするなり。これは学者の方ては尊ふ字でなし。わるくすれは、多は呵りもする文字なり。然るにあとで云ことのあるゆへ、不断丁法せぬ字を出したものそ。物を見るはあいた目で見るゆへ勝手次第なれとも、見るに見やうかある。物を見るにも上下のあるはここへ吟味をかけるなり。
【解説】
「君子不必避他人之言、以爲太柔太弱。至於瞻視亦有節。視有上下」の説明。学問は自分の至らないところに至ろうとすることだが、高ぶると自分をよいと思うので、自分が上で学問が下となる。それでは逆様である。
【通釈】
この章は高ぶりを戒めたもの。高ぶりは人欲の甚だしいこと。それはどの様なことかと言えば、仁になるとは何もかも打ち捨てて潰すことだが、高ぶると自分ばかりをよいと思って自分を立てるので、逆様に学問をする様なものとなる。学問とは自分が及ばないことをどうか至ろうとしてすること。それを、自分を立て、自分をよいとすれば、自分が上で学は下となる。それでは逆様である。「太柔太弱」。柔らか味を入れて人に従い、ふっくりとして高ぶらず、乗り出ない。これは外から何と言われようかと思ってするのではなく、わけがあって太柔太弱にするのである。これは学者の方で尊ぶ字ではなく、悪くすれば、その多くは呵りもする文字である。しかしながら、後で言うことがあるので、普段重宝としない字をここに出したのである。物を見るのは開いた目で見るので勝手次第に見ることができるが、そこには見方がある。物を見るにも上下があるとは、ここへの吟味を掛けた言葉である。

視高則志驕とあって、人と對するに此方の氣分が高く人を三分五厘に見るときは、何、あいらかと云心しゃゆへ、つひ目も上を見なり。下は、人を恭敬遜順するときはいっはいに見ぬ。始視面中視抱終視面か皆見ること。一寸した目つかひて悵に付ことあり。これか皆氣に付たことなり。名主の見る目と組下の見る目は違ふ。名主とて平百姓とて何にもそのやうにかわりたこともないか、どふも名主は皆揃たかなと云と、組下は臺所からすべり上るは見よふかちごふ。此等は上總でのこと。江戸抔てはどちも一つに思ふてをるなり。奉公人はいりませぬかとて来る下女下男の目と、茶の間にあぐらかいてこれと云ふて其ものをかかへる旦那の目とは違ふ。
【解説】
「視高則氣高、視下則心柔。故視國君者、不離紳帶之中」の説明。見ることでも、高ぶって見る時と恭敬遜順で見る時とは見方が違う。目の使い方次第で恨みを買うことがある。
【通釈】
「視高則志驕」とあって、人と対する際に自分の気分が高く人を三分五厘に見る時は、何、あいつ等がという心だから、つい目も上を見る。下とは、人を恭敬遜順する時などにしっかりと見ないこと。「始視面中視抱終視面」が皆見ること。一寸した目使いで悵みを買うことになるが、これが皆気に付いたこと。名主の見る目と組下の見る目とは違う。名主も平百姓も何もその様に違ったこともないが、どうも名主が皆揃ったかなと言えば、組下が台所から急いで来るのは見方が違うからである。ここ等は上総でのこと。江戸などではどちらも一つに思っている。しかし、奉公人は要りませんかと言って来る下女や下男の目と、茶の間に胡座をかき、これと言ってその者を抱える旦那の目とは違う。
【語釈】
・始視面中視抱終視面…小学内篇明倫。「士相見禮曰、凡與大人言始視面中視抱卒視面毋改衆皆若是。若父則遊目毋上於面毋下於帶若不言立則視足坐則視膝」。

仁義の道理から出ぬを客氣と云。仁義から出ることは道理なりなり。我も久く学問すると一ちよいと思ふもの。大な了簡違なりになる。曽子に誰も及ぶものはない。上總の病て、をれが數年学問してすまぬ、若衆かと云。若衆がとうによくなってをるそ。去る證拠は、年たけたものかよければ師はいつも能筈なれとも、師の云そこないを弟子のなをすこともあるものなり。これらか皆理なりて、それをなに若ひ者かと云は客氣なり。剛行は、不断は馳走すること。ここてはわるい。知惠もなく、道理にかまわす手強く出るなり。つよいはよけれとも、人が十間飛ば二十間飛と云。そふしたことはない。人を蹴落し、たたつよくするはわるい。道を求る心かなく只強ひと、どふしゃをれをみよと云へは、どふやら團十郎かにらめるやふなり。
【解説】
「學者先須去其客氣。其爲人剛行、終不肯進」の説明。客気は道理から出るものではない。若者を年上の者が見下すのもこの客気からである。ここの「剛行」は、道を求める心がなくてただ強いこと。
【通釈】
仁義の道理から出ないものを「客気」と言う。仁義から出ることは道理の通りである。久しく学問をすると自分が一番よいと思うもの。それは大きな了簡違いである。曾子に誰も及ぶ者はない。上総の病で、俺が数年学問しても済まないのに若衆が済むものかと言う。しかし、若衆の方が遙かに早くよくなっている。その証拠は、年上の者がよければ師はいつもよい筈だが、師の言い損ないを弟子が直すことがあるもの。これ等が皆理の通りで、それを何、若い者がと言うのは客気である。「剛行」は、普段はよいと馳走する字だが、ここでは悪い意である。知恵もなく、道理に構わず手強く出ること。強いのはよいが、人が十間飛べば二十間飛ぶと言う。そうしたことはない。人を蹴落としたり、ただ強くするのは悪い。道を求める心がなくてただ強いのであれば、どうだ俺を見ろと言っても、どうやら団十郎が睨んだ様である。

子張は外を飾ていかめしい人なり。堂は一ち高く立派に出来たもの。ひさしの軒のと云やふではない。そこを堂々と形容する。子張は立羽なつっはって見へる男ぶりなり。曽子が、どふもあの男か立羽さにうるさいとなり。仁は心の正味、心の正味は立羽なことを出すあんばいではない。高盛の料理のやふて立派ても、食ぬは役に立ぬ。後ろに柱、前に何とか云ふ。氣合ふた友と云句あり。張ひじてない。くつろいで偖々と云か仁の意思なり。立羽でも食ふものかない料理あり。客もさあ々々内へ帰て酒を一抔飲ふと云。面白からぬ振まいなり。子張は肩で風をきるやうな人なり。成程月を見なから切り口上て、今晩は誠に滿月でござりますとしゃちこばっては名月に對する氣象にならぬ。仁には外の立羽が敵藥。剛毅木訥はあともさきもない。ちっとも飾はないそ。余り新いから肴をもって來たとて窓から投て行やふなか仁に近ひ処。心は至て深切てよい。大名の進物のやうにかたひし々々々々つり臺て干鯛箱は何にもならす、うまみはない。人の聞と云も視が手傳ふ。目が人の精神なり。座頭も利根なれとも、目のないたけ見とらぬことがある。じろりと見ると、今日は相談はならぬはへとみてとるなり。
【解説】
「堂堂乎張也、難與竝爲仁矣。蓋目者人之所常用」の説明。子張は外を飾る人だったので、曾子が彼のことを叱った。仁は心のことであり、外を飾るのは悪い。
【通釈】
子張は外を飾る厳めしい人である。「堂」は一入高く立派にできたもので、庇や軒という様なものではない。そこを堂々と形容した。子張は立派で、突っ張って見える男ぶりである。曾子が、どうもあの男の立派さは煩いと言った。仁は心の正味であって、心の正味は立派なことを出す様な塩梅ではない。高盛の料理の様に立派なものでも、食わなければ役に立たない。後ろに柱、前に何とかと言う。気の合った友という句もある。張臂をすることではない。くつろいでさてさてと言うのが仁の意思である。立派でも食うものがない料理がある。客もさあ家へ帰って酒を一杯飲もうと言う。それは面白くない振舞いである。子張は肩で風を切る様な人。なるほど月を見ながら切り口上で、今晩は誠に満月でござりますと鯱張っては名月に対する気象にはならない。仁には外の立派が敵薬。「剛毅木訥」は後先もない。そこに少しも飾りはない。あまりに新しいから肴を持って来たと言って窓から投げる様なのが仁に近い処であり、心が至って深切なのでよい。大名の進物の様に、がたびしと釣台で干鯛箱を運んでも何にもならず、甘味はない。人の聞くことも視が手伝う。目が人の精神である。座頭も利根だが、目がないだけ見取れないことがある。じろりと見れば、今日は相談はできないぞと見て取ることができる。
【語釈】
・後ろに柱、前に何…後ろに柱、前に酒。
・敵藥…①配合のぐあいによって毒となる薬。②食い合せて毒になるもの。食い合せ。
・剛毅木訥…論語子路27。「子曰、剛毅木訥近仁」。
・利根…かしこい性質。利口。利発。特に仏教で、宗教的素質・能力がすぐれていること。
・堂堂乎張也、難與竝爲仁矣…論語子張16。「曾子曰、堂堂乎張也、難與竝爲仁矣」。

心常に託之視之上下。浅見先生の点なり。晩に来やれと云ても、向て腹を立つ。何の腹立ことのないに腹を立つは目つかいか違ふゆへぞ。をれだとてそふ安くされることはないと云ふ。人に物振舞に向て腹立はこちの氣の高ぶるからなり。うぬかとも云はぬに大抦とてほふをふくらしても、我を請取ぬは目なり。もの云に同し。今日は寒ひなと云ても向か腹を立も目なり。皆目にあらはるる。柔になれとて御姫様のやふになれと云ことてはない。客氣にあたまをあけさせぬことなり。吾友張也とあるも聞へたことなり。曽子の呵た口上になる。曾子以友輔仁と云はれて難與並爲仁と云はるれば、大きな子張の不調法なり。輔は互にぞっこん打ぬいて心と心か出合ひ、強ひも戒め弱も戒。これと云かぎりはない。それに仁を成かたしなれは友で友の役に立ぬ。湯治塲の近付のやふなか氣合なり。御前の処へ毎日來るは誰てござると云と、去年の湯治塲の近付と云そ。いつも々々々のことを倦ぬ。久而敬なり。いつも々々々同ことにするがよい。
【解説】
「且心常託之。視之上下、且試之。己之敬傲、必見於視。所以欲下其視者、欲柔其心也。柔其心、則聽言敬且信。人之有朋友、不爲燕安、所以輔佐其仁。今之朋友、擇其善柔以相與、拍肩執袂、以爲氣合。一言不合、怒氣相加。朋友之際、欲其相下不倦」の説明。何も腹立つことはない筈なのに相手が腹を立てるのは目使いが悪いからであり、それは気が高ぶるからである。ここの「柔」とは、客気に頭を上げさせないことで、「気合」とは、湯治場で親しくなる様なこと。
【通釈】
「心常託之視之上下」。浅見先生の点である。晩に来いと言っても、向こうでは腹を立てる。何も腹立つことはないのに腹を立てるのは目使いが違うからである。俺もその様に安く見下されることはないと言う。人に物を振舞う際に向こうで腹を立てるのは、こちらの気が高ぶるからである。御前がとも言っているわけではないのに横柄なことだと頬を脹らますが、自分が請け取られないのは目からのこと。目がものを言ったのと同じである。今日は寒いなどと言っても向こうが腹を立てるのは目からである。皆目に顕れる。柔らになれといっても御姫様の様になれということではない。それは客気に頭を上げさせないことである。「吾友張也」とあるのもよくわかる。ここは曾子が呵った口上である。曾子が「以友輔仁」と言われて「難与並為仁」と言われたのだから、大きな子張の不調法である。輔は互いにぞっこん打ち抜いて心と心が出合い、強いのも戒め、弱いのも戒める。これという限度はない。そこが仁を成り難しであれば、友であっても友の役には立たない。湯治場での近付きの様なものが「気合」である。御前の処へ毎日来るのは誰かと聞くと、去年の湯治場の近付きだと言う。いつものことを倦まない。それが「久而敬」である。いつも同じこととしてするのがよい。
【語釈】
・吾友張也…論語子張15。「子游曰、吾友張也、爲難能也。然而未仁」。
・以友輔仁…論語顔淵24。「曾子曰、君子以文會友、以友輔仁」。

朋友出合も敬を主にするかよい。朱子の張南軒かこれなり。殊外の敬しゃ。朱子は南軒より十も二十も学問は上そ。何も角も揃た学問て南軒なとを手軽に思ふかと云に、中々そうではない。遠ひ道を行て訪るることそ。南軒は至てきよふな人。きようからは、朱子なとをはまだるいと思はれそふなものなれとも、そふでない。朱子の一座話のことても用らる。ここに窓かあったら宜ふと云。直に大工を呼にやる。朱子を尊ふことあつくて、役に立ぬことても朱子のことを用る。それて万端へをして見ることなり。未発の中か朱子と合はす、朱子と合はす。朱子の方から手帋を再応やらぬ内に、そちかよいと道て書ををくる者に遇ふたと云。今のは負けをみをする。朋友は火消のやふなもの。今学者は門をたてて火消をいれぬなり。
【解説】
「故於朋友之閒、主其敬者、日相親與、得效最速」の説明。朋友の関係は敬を主にするのがよい。それは朱子における張南軒である。南軒は器用な人だったが朱子を尊んだ。
【通釈】
朋友の出合いも敬を主にするのがよい。朱子と張南軒がこれで、殊の外の敬である。朱子は南軒より十も二十も学問は上。何もかも揃った学問なので南軒などを手軽に思うのかと言えば、中々そうではない。遠い道を行って訪れた。南軒は至って器用な人。その器用さから、朱子などを間怠いと思われそうなものだが、そうではない。朱子の一座話のことでも用いられる。ここに窓があったらよいだろうと朱子が言えば、直ぐに大工を呼びに遣る。朱子を尊ぶこと厚く、役に立たないことでも朱子の言うことを用いる。それで万端へ推して見る。未発の中が朱子と合わなかった時、朱子の方から手紙を再度送る前に、貴方の考えがよいと言って書を送る者に遇ったと言う。今の人は負け惜しみをする。朋友は火消しの様なもの。今の学者は門を立てて火消しを入れない。

仲尼曰の引付て、さて々々靣白し。この語は小児を呵りたこと。爰ては小児てなし。惣体へかけて見ることそ。小児のことゆへ烟艸の火ても取なから聞けはよいか、大人と同しことにしてをる。中々益なとを求るものてはない。よこに引くはへたていなり。朱子の日頃敏底不如鈍底と云もこれ。安仁呉生をしかるもそれそ。手回しよく早くするはほめることてはない。それたけ高ぶりかある。甘は和を受て、甘ひへ塩を加ればよくなる。和はやくにたたぬやふて人のことを受る。温柔でくせかない小児の、いろはのときから手になるまいと云かある。すらりと書はよくなる。衛武公九十五て詩を作られた。年寄とわかいものを何とも思はぬもの。とんと人をあなとることなく、あれかと云客氣はない。基か下地と云こと。僻のない和なれは、仁にならるるなり。温々恭人は一物かない。そこて何てもいれる。我にたかふりと云一物かあると、袋の中にいばらからたちのあるやふて、なにもかもいれぬなり。
【解説】
「仲尼嘗曰、吾見其居於位也、與先生竝行也。非求益者、欲速成者。則學者先須温柔。温柔則可以進學。詩曰、温温恭人、維德之基。蓋其所益之多」の説明。手回しよくすることは褒められるべきことではない。それは、そこに高ぶりがあるからである。「温々恭人」には高ぶりがないから何でも入れることができる。高ぶりがあると何も入れることができない。
【通釈】
「仲尼曰」の引き合わせで、実に面白くなる。この話は小児を呵ったことだが、ここでは小児のことではなく、全体へかけて見ること。小児のことだから煙草の火でも取りなから聞けばよいが、大人と同じこととして語っている。それは中々益などを求めることなどではない。横に並ぶのは下手な者の姿である。朱子が日頃、「敏底不如鈍底」と言うのもこのこと。安仁や呉生を呵るのもそのためである。手回しよく早くするのは褒められることではない。それだけ高ぶりがある。甘は和を受ける。甘いものに塩を加えればよくなる。和は役に立たない様で人のことを受ける。温柔で癖がない小児でも、いろはを書く時からものにならはないだろうと思われることがある。すらりと書く者はよくなる。衛武公は九十五歳で詩を作られた。年寄ると若い者を何とも思わないもの。しかし、武公には全く人を侮ることもなく、あれがという客気はない。「基」は下地のこと。僻のない和だから仁になることができる。「温々恭人」は一物がない。そこで何でも入れる。自分に高ぶりという一物があると、袋の中に棘枳がある様で、何も入れることができない。
【語釈】
・仲尼曰…論語憲問47。「闕黨童子將命。或問之曰、益者與。子曰、吾見其居於位也。見其與先生竝行也。非求益者也。欲速成者也」。
・敏底不如鈍底…
・安仁呉生…
・温々恭人…詩経大雅抑。「荏染柔木、言緡之絲。温温恭人、維德之基」。抑篇には、「抑、衛武公刺厲王、亦以自警也」とある。


卒 条

世學不講、男女從幼便驕惰壞了、到長益凶狠。只爲未嘗爲子弟之事。則於其親已有物我、不肯屈下。病根常在。又隨所居而長、至死只依舊。爲子弟、則不能安灑埽應對、在朋友、則不能下朋友。有官長、則不能下官長、爲宰相、則不能下天下之賢。甚則至於徇私意、義理都喪。他只爲病根不去、隨所居所接而長。人須一事事消了病、則義理常勝。
【読み】
世學の講ぜられざる、男女幼きときより便ち驕惰もて壞[くず]れ、長ずるに到りて益々凶狠[きょうこん]なり。只未だ嘗て子弟の事を爲さざるが爲なり。則ち其の親に於て已に物我有りて、肯て屈下せず。病根常に在り。又居る所に隨いて長じ、死に至るまで只舊に依る。子弟と爲りては、則ち灑埽應對に安んずること能わず、朋友に在りては、則ち朋友に下ること能わず。官長有れば、則ち官長に下ること能わず、宰相と爲りては、則ち天下の賢に下ること能わず。甚だしきは則ち私意に徇い、義理都て喪うに至る。他[また]只病根を去らず、居る所接する所に隨いて長ずるが爲なり。人は須く一に事事に病を消し了わるべく、則ち義理常に勝たん。
【補足】
・この条は、経学理窟三の学大原篇にある。

世学不講。小学の嘉言に載せ、小学ては教のことを主にする。近思録ては克己のことになる。この方のとりやふてとちにも主意あることぞ。畢竟小児の時よりの病をなをさぬなり。母の懐に居るときからの癪積、これはとれにくいものそ。其れをとらずにをくと七十になっても隠居所にをる。其ときもある。まつその如く、我慢なとも小児のときからあるもの。いっかどな大人になってから出ると云ことてはない。未生の人欲はないもの。顔を替へ形をかへて出るなり。今世学不講は書物を讀のはやる、はやらぬてはなし。此頃は級第の学かあったゆへ、世間は大に学問さわぎなり。それに学不講とは、然とも克己の功夫をするやふな学問はけっしてないゆへ今世学不講なり。何程藥は飲ても持前の病氣はなをさぬなり。
【解説】
「世學不講」の説明。人欲は小児の時からあるのであって、大人になって出て来るのではない。小児の頃の病は取り難いものだが、それを克己で取り除くのである。「世学不講」とは、克己の功夫をしないから言ったこと。
【通釈】
「世学不講」。これは小学の嘉言に載せてあり、小学では教えのことを主にしているが、近思録ではこれが克己のこととなる。こちらの取り方次第でどちらにも主意がある。畢竟、これは小児の時からの病を治さないこと。母の懐にいる時からの癪積があり、これが取れ難いもの。それを取らずに置くと七十歳になってもそれが隠居所にいる。その様な時もある。先ずその様に、高慢なども小児の時からあるもので、一角の大人になってからそれが出るということではない。未生の人欲はないのであって、顔を替へ形を変えて出る。今、「世学不講」とは、書物を読むことが流行るか否かではない。その頃は級第のための学があったので、世間では大いに学問が盛んだった。それなのに「学不講」と言うのは、しかしながら克己の功夫をする様な学問は決してないので、それで今は「世学不講」と言ったのである。どれほど薬は飲んでも持前の病気を治すことはしない。

男女ともに驕惰そ。この章て目さす歒は驕惰なり。ここらの讀やふは小学めかずに説がよい。小学は子とも正客。灸をするぞよと云てもきく。母親か股たぶらをつめるもきく。驕惰か小児のときからある。それを取てつぶすと云か大学の功夫にて、近思の克己を語る語りやふなり。人の心は驕か惰の二つでらりになる。驕惰の二つの悪德て仁義らしいことがとんとなくなる。そこで尚驕惰の元氣かつよくなってくる。到長凶狠は驕惰に功者か入ると凶狠になる。始終どこまても驕惰かついて行なり。あたりに人もないやふに人を人くさいとも思はぬ。すなをな内は顔を赤くするか、それか後は我侭一盃をする。手もなく欲にわるごふのいりたことなり。相応に小知惠もあり働もあるか、親を何とも思はぬ。親と吾がへだ々々になる。
【解説】
「男女從幼便驕惰壊了、到長益凶狠。只爲未嘗爲子弟之事」の説明。「驕惰」が敵である。驕惰が仁義を台無しにする。その驕惰に悪功が加わると「凶狠」になる。
【通釈】
男女共に「驕惰」である。この章で目指す敵は驕惰である。ここ等の読み方は小学めかずに説くのがよい。小学は子供が正客。灸をするぞと言うだけでも効く。母親が股座を抓っても効く。驕惰が小児の時からある。それを取って潰すというのが大学の功夫であり、近思で克己を語る語り方である。人の心は驕か惰の二つで台無しになる。驕惰の二つの悪徳で仁義らしいことが全くなくなる。そこで尚更驕惰の元気が強くなって来る。「到長凶狠」は、驕惰に功が入ると凶狠になるということ。始終どこまでも驕惰が付いて行く。辺りに人はいないと思う様に、人を人臭いとも思わない。素直な内は顔を赤くするが、それが後には我が侭一杯をする。簡単に欲に悪功が入ったのである。相応に小知恵もあり働きもあるが、親を何とも思わない。そこで、親と自分との区別がなくなる。
【語釈】
・凶狠…悪いこと。狠はねじけること。
・わるごふ…悪功。悪く功を積んでいること。悪達者。

不肯出下か驕惰なり。さま々々別れ、居りば々々々で名が替る。小児のときの驕惰がそろ々々大くなると土藏へ入てもこわからぬ。夫れから女房も持ち、奉公人なれは出仕をする。田舎なれは役人になる。やっはり煮たり焼ひたり、かの驕惰ててくる。ここを偖々と思ふか驕惰をくだく克己なれとも不思、耳さはりとは耻しひこと。子をもつと子を訶るにも驕惰かある。子を訶るにも我子とものときのてしかる。大学挍へ入ても驕惰があるゆへ、なとあれかと云。とどなりつめた処が天下の宰相なり。宰相にもなる人ゆへ其やふにわるい人ではないか、内證の驕惰かのけぬ。又、ここを人欲の甚とみること。天下の政はよい人をとりあくるより外はない。賢德ある人を用るかよいか、驕惰と云積か合点せぬ。世々の史傳をよんて見れはしるるなり。天下の賢はこの方へあたりのひどいもの。齊宣王の処へ孟子か出てものを云はす、非心をせむと云。賢臣は人欲の邪魔になるものなり。
【解説】
「則於其親已有物我、不肯屈下。病根常在。又隨所居而長、至死只依舊。爲子弟、則不能安灑埽應對、在朋友、則不能下朋友。有官長、則不能下官長、爲宰相、則不能下天下之賢」の説明。人は成長に応じて、その場に応じた驕惰が出て来るが、その詰まりが宰相である。宰相は賢徳ある人を用いるべきだが、驕惰が邪魔をする。それは、賢臣が人欲の邪魔になるからである。
【通釈】
「不肯屈下」が驕惰である。様々に別れ、居り場次第で名が替わる。小児の時の驕惰がそろそろと大きくなると、土蔵へ入っても怖がらない。それから女房をも持ち、奉公人であれば出仕をする。田舎であれば役人になる。やはり煮たり焼いたり、あの驕惰が出て来る。ここを偖々と思うのが驕惰を砕く克己だが、その様に思わず、耳障りなことだと思うのは恥ずかしいこと。子を持つと子を訶るのにも驕惰がある。子を訶るのにも自分が子供の時の様に訶る。大学校へ入っても驕惰があるので、あれなどがと言う。その成り詰めた処が天下の宰相である。宰相にもなる人なので、その様に悪い人ではない筈だが、内証にある驕惰を除けることができない。また、ここは人欲の甚だしいことだと見なさい。天下の政はよい人を採り上げるより外にはない。賢徳ある人を用いるのがよいことなのだが、驕惰という癪積がそれを合点しない。世々の史伝を読んで見ればこれがわかる。天下の賢は自分にとっては当たりの酷いもの。斉の宣王の処へ孟子が出ても何も言わず、非心を格すと言う。賢臣は人欲の邪魔になるものなのである。
【語釈】
・非心をせむと云…孟子離婁章句上20。「孟子曰、人不足與適也。政不足間也。惟大人爲能格君心之非。君仁莫不仁、君義莫不義、君正莫不正。一正君而國定矣」。

徇私意か一寸とみるとすめぬこと。驕惰は重く私意はかるいやふなに甚則とはどふそ。私意は驕惰の手のこんたことなり。王荊公を悪人と思と違。大儒なり。達才を以て夸るゆへ、皆私意になって道理のことはなくなる。宋の世は王荊公てつぶれたと云ほどなり。王荊公かとかく人の云を用ぬ。張天祺か深切て云たれは、扇をかさして、そなた衆は学問をせられたが我は何も知ぬと云た。このやふに迠なるなり。心のをこりは、御親切忝とても人の云ことは用ぬ。をれはこれてよいとて我学問をこれてよいとするは私意に徇なり。天下の經済のことても道理を知ぬ。道理を知ぬ方からふり返って見ず、功名を立やふとする。揚龜山外邊用計云々と云はれた。あれか私意と云ものなり。それか何なれば病根なり。
【解説】
「甚則至於徇私意、義理都喪。他只爲病根不去、隨所居所接而長。人須一事事消了病、則義理常勝」の説明。私意は驕惰の手が混んだこと。自分や自分の学問をこれでよいと思うのは「徇私意」である。
【通釈】
「徇私意」は一寸見ただけではわからないこと。驕惰は重く私意は軽い様だが、それを「甚則」と言うのはどうしてなのか。私意は驕惰の手が混んだこと。王荊公を悪人と思うのは間違いであって、大儒である。達才をもって驕るので皆私意になり、道理のことはなくなる。宋の世は王荊公で潰れたというほどのこと。王荊公はとかく人の言うことを用いない。張天祺が親切から助言をすると、扇をかざして、あなた方は学問をされたが私は何も知らないと言った。この様にまでなる。心の驕りは、御親切忝いと言っても人の言うことは用いない。俺はこれでよいと思う。自分の学問をこれでよいとするのは私意に徇うである。天下の経済のことでも道理を知らないから、振り返って見ないで功名を立てようとする。「楊亀山外辺用計云々」と言われた。あれが私意というものである。それは何かと言えば病根である。
【語釈】
・王荊公…王安石。北宋の政治家。字は介甫、号は半山。江西臨川の人。唐宋八大家の一。1021~1086
・張天祺…張戩。張横渠の弟。横渠とともに二張と言われた。
・揚龜山外邊用計云々…

先生株にでもなると驕惰はないと思ふ。我心を見れはやっはりあるなり。矯輕警惰の相因の同しことて、驕惰も相因ものなり。氣か高ふれは吾をよいと思ふ。そふすると先輩のこともわするるやふになるなり。温故而知新かと云も聞く処を尊ぶから驕らす、知新は惰らす。驕惰は人相書て見ると自慢を云人を見ると驕とし、枕をして子てをるを惰と見るか、それては違ふなり。両人のことてはなし。一人の身にこの二つ持合てをるものなり。驕惰か一生の病なり。医者を呼にやるとこぬ。昨日はなせ御出てないと云と、少と用事と云。持病の疳積ゆへ、笑てをるなり。病根不去ゆへ、新ひ様体を云てもかの持病か出たと見ることなり。此条へったりと克己へかけて云べし。我胷中を一々吟味して見て、驕惰か々々かと吟味する。驕惰の病はなくなる。驕惰のある内はけっして人欲はとれぬことなり。
【解説】
人は驕と惰の両方を持ち合わせており、それは一生の病である。自分は驕惰ではないかといつも吟味しなければならない。
【通釈】
先生株にでもなると驕惰はないと思う。しかし、自分の心を見ればやはりある。「矯軽警惰」の「相因」と同じことで、驕惰も相因である。気が高ぶれば自分をよいと思う。そうすると、先輩のことをも忘れる様になる。「温故而知新」というのも聞く処を尊ぶから驕らず、また、知新は惰らないこと。驕惰とは、人相書を見て自慢を言う人を驕と見て、枕をして寝ている人を惰と見るが、それでは違う。それ等両人のことではない。一人の身にこの二つを持ち合わせているのである。驕惰は一生の病である。医者を呼びに遣っても来ない。昨日は何故御出でないのかと聞くと、少々用事があったと言う。持病の癇癪なので笑っている。「病根不去」で、新しい容体を言ってもあの持病が出たと見立てる。この条はべったりと克己へ掛けて言いなさい。自分の胸中を一々吟味して見て、驕惰か驕惰かと吟味する。そうすると驕惰の病はなくなる。驕惰のある内は決して人欲は除けない。
【語釈】
・矯輕警惰…克己38。
・相因…論語泰伯11集註。「驕、氣盈。吝、氣歉。愚謂、驕吝雖有盈歉之殊、然其勢常相因」。