近思録卷之十筆記
政事凡六十四條  三月朔日  邦直録
【語釈】
・三月朔日…寛政3年辛亥(1791年)3月1日。
・邦直…

先治体治法は上にきっと立て、政事は其上のこまかあたりなり。爰からいこう塩梅ものぞ。治体治法は立てもこまかな政事がいか子ば、治体治法の立たも役に立ぬ。立たことを政の上へ出すが政事なり。物にはかけ引と云ことありて、よいこともかけ引でわるくなる。医者の療治も目端がきか子ば役に立ぬ。役人のかけ引大切なり。それゆへ、政事は相手をつかまへてする上に彼是掛引あることで、迂斎もそふ云はれた。大將も一人で軍はならず、觀世も一人で能はならぬとなり。治体治法の立たのも事へ出す処に心得なければならぬ。そこが政事の々々たる処。こまかなことゆへ得手の不得手のと云がある筈。政事には冉有季路と云もそこなり。あの両人は此政治を得手られた。孔門のあの歴々衆の中で二人と云のが、あれも治体治法がならぬと云なれば、孔門の不調法なり。それでは欠けになるが、きまったことでなくして取る処の匕のまわるまわらぬなり。これで政事のあんばいを知べし。治体治法をする上の政事なり。いかさまそうもあろふぞ。此方に得手子ば手がまわらぬ。
【解説】
政事とは、治体と治法を上にしっかりと立てた上での細かな対応であり、大層塩梅が要るもの。また、政事は相手があってすることであり、掛け引きや取り回しがうまくなければならない。
【通釈】
政事とは、先ずは治体と治法を上にしっかりと立てた上での細かな対応である。ここからは大層塩梅が要る。治体と治法が立っても細かな政事がうまく行かなければ、治体や治法が立っても役に立たない。立ったことを政の上へ出すのが政事である。物には掛け引きがあって、よいことも掛け引き次第で悪くなる。医者の療治も目端が利かなければ役に立たない。役人の掛け引きは大切なこと。それで、政事は相手を捉まえてする上にかれこれと掛け引きのあることで、迂斎も、大将も一人で軍はできず、観世も一人で能はできないと言った。治体治法が立っても事へ出す処に心得がなければならない。そこが政事の政事たる処。細かなことなので得手不得手ということがある筈。政事には冉有季路と言うのもそこ。あの両人はこの政治が得手だった。孔門のあの歴々衆の中で得手は二人だと言っても、彼等は治体治法ができていないと言うのだから、それでも孔門の不調法となる。それでは欠けになるが、政事は決まったことではなく、取る処の匙の回る回らないということ。これで政事の塩梅を知りなさい。治体治法をした上での政事である。全くその通りだろう。自分が得手でなければ手が回らない。
【語釈】
・政事には冉有季路…論語先進2。「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。德行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏」。

毋曠庶官天工人其代之と、天地造化のかわりになるは役人なり。天の方にも役人がある。芳野の櫻が一夜に咲くは春風、東福寺の楓の紅葉するは秋風。あれもさせる役人あればこそなり。それと同く人の方には天下のこと一日二日に萬機。そこを取扱ふことゆへ、我に覚のある人でなければいかぬなり。さしつめな藥をもってもきかぬと云ことあり、それでもいかぬと云ことでなく、別に手段のあろふことぞ。政事は理屈第一でいかぬ。上の方に君、下の方に万民、その中に居て差別する政事ゆへ、とっくりと煮ととのへ子ばならぬなり。書経をあけて見ればすむことなり。上みにあの通り堯舜、中かに禹皐陶、あの垩賢達の問ひ合せある。堯舜から打立て禹皐陶迠の相談でする政事ゆへ至治と云。ここでくっつりとゆく処を見せる。中々氣あらではならぬ。やはり政事は天下の人の療治するやふなもの。この通りを守ら子ば首を切ると云やふな氣の短いことなく訶ることもあり、ゆるすこともあり、児共をそだてるやふなもの。こふ云しむけでこそ治体治法が挙る。小学にある通り、四十而始仕から五十命せられて太夫となった、天下のことに流通した何も角もして取る人が役人になることゆへいくはづなり。医学入門の中にありし、医は意なりとある。皆心のこまかな処なり。只高それた人の聞きを驚かすやふなことで療治いくものでない。大切の天下を預ることゆへ人情事変に達せ子ばならぬことなり。近思はどの篇でも至善につめると云内に曲折のあることなり。人を相手に取て至極の塩梅にゆくことぞ。これが政事の惣まくりぞ。
【解説】
天に天地造化の役人がいるから、人の方にも役人がいなければならない。それは理屈だけではうまく行かず、人情事変に達した人でなければならない。これは書経を見ればわかる。上に堯舜、中に禹皋陶で至治となる。
【通釈】
「無曠庶官天工人其代之」と、天地造化の代わりになるのは役人である。天の方にも役人がいる。吉野の桜が一夜に咲くのは春風、東福寺の楓が紅葉するのは秋風による。あれもさせる役人があればこそのこと。それと同じく、人の方にも天下のことが「一日二日万機」である。そこを取り扱うことなので、自分に覚えのある人でなければうまく行かない。差詰めな薬を盛っても効かないということがあるが、それで駄目だということではなく、別に手段があることだろう。政事は理屈第一ではうまく行かない。上の方に君、下の方に万民、その中にいて差別する政事なので、とっくりと煮整えなければならない。それは書経を開けて見れば済むこと。上にあの通り堯舜、中に禹皋陶、あの聖賢達の問い合わせがある。堯舜から打ち立てて禹皋陶までの相談でする政事なので至治と言う。ここで確かにうまく行く処を見せる。中々気が荒くてはできないこと。やはり政事は天下の人の療治をする様なもの。この通りを守らなければ首を切ると言う様な気の短いことなく、訶ることもあり、許すこともあり、それは子供を育てる様なもの。こういう仕向けでこそ治体治法が挙がる。小学にある通り、「四十而始仕」から五十歳で命ぜられて大夫となり、天下のことに流通して何もかもうまく処理する人が役人になることだからうまく行く筈である。医学入門の中に医は意なりとある。皆心の細かな処のこと。ただ高逸れた人が聞き手を驚かす様なことで療治がうまく行くものではない。大切な天下を預かることなので、人情事変に達しなければならない。近思はどの篇でも至善に詰めるということだが、その内に曲折がある。人を相手に取って至極の塩梅に行くこと。これが政事の総捲りである。
【語釈】
・毋曠庶官天工人其代之…書経皋陶謨。「兢兢業業、一日二日萬幾。無曠庶官、天工人其代之」。
・四十而始仕…小学内篇立教。「四十始仕方物出謀發慮道合則服從不可則去。五十命爲大夫服官政。七十致事」。


初条

伊川先生上疏曰、夫鐘、怒而擊之則武、悲而擊之則哀。誠意之感而入也。告於人亦如是。古人所以齋戒而告君也。臣前後兩得進講、未嘗敢不宿齋預戒、潛思存誠、覬感動於上心。若使營營於職事、紛紛其思慮、待至上前、然後善其辭説、徒以頰舌感人、不亦淺乎。
【読み】
伊川先生疏を上[たてまつ]りて曰く、夫れ鐘は、怒りて之を擊てば則ち武にして、悲しみて之を擊てば則ち哀なり。誠意の感じて入れるなり。人に告ぐるも亦是の如し。古人齋戒して君に告ぐる所以なり。臣前後兩[ふたた]び進講するを得たるも、未だ嘗て敢て宿齋預戒し、思いを潛め誠を存して、上の心を感動せしむるを覬[ねが]わずんばあらざりき。若使[もし]職事に營營とし、其の思慮を紛紛にし、上の前に至るを待ちて、然して後に其の辭説を善くし、徒に頰舌[きょうぜつ]を以て人を感ぜしめば、亦淺からずや、と。
【補足】
・この条は、程氏文集六にある。

伊川先生上疏曰夫鐘怒而擊之云々。これが役人の心得なり。事は大切なもの。ひびくものは心なり。それはどふなれば、あの鐘の音でも合点せよとなり。一つ鐘でもあれへ枝木をあてるに怒て擊ば武く。哀で擊ば哀し。此か此方の心の誠次第なり。誠さへあれば自然とあらはるる。まして告於人には猶更なり。役人の心得なり。役人は上をうけて下に命する処を、下で誠に左様とうけるやふにすることなり。此条は上へのことを云なり。先祖へ物を告る時が又四時の祭のときは齋戒なり。これもたま々々四時の祭ぐらいのことならばなりもせふが、君に申上る役人となれば平生あることじゃに、其時がこの通り斎戒ぞ。將適公所云々と小学にある通り、これも只身を清める計りでもなく、心の誠で向を感動することゆへ只ではいかぬなり。私義も古人を学ぶからは、只職事に営々などとと云ことは得仕らぬ、と。これも伊川の云ことゆへさぞひびきがよかろふなり。只のものがこんなことを云とわきで舌を出す。只一通りのことでなく、上へ申上ることなど中々出まかせに思慮を紛々とするなどと云ことはござらぬ。私存念寸志の処はどふぞ上の御心にひひかせるらるるやうにどの心持じゃと云なり。か子々々の心持を申し上ることなり。
【解説】
鐘の音と同じで、誠さえあれば自然とそれが相手に響く。誠の心で相手を感動させるのである。伊川は、君に上疏する際に、出任せに思慮を紛々することはないと、日頃の心持ちを申し上げた。
【通釈】
「伊川先生上疏曰夫鐘怒而擊之云々」の説明。これが役人の心得である。事は大切なもの。事に響くのは心である。それはどうしてかというのは、あの鐘の音で合点しなさいと言った。同じ鐘でもあれへ撞木を当てるのに怒って撃てば武く響き、哀しくて撃てば哀しく響く。これは自分の心の誠次第である。誠さえあれば自然とそれが表れる。ましてや人に告げることでは尚更である。これが役人の心得である。役人は上を受けて下に命じる処で、下に誠に左様なことだと受けさせる様にしなければならない。この条は上のことを言ったこと。先祖へものを告げる時やまた四時の祭の時は斎戒をする。これも偶の四時の祭ぐらいのことであればできるだろうが、君に申し上げる役人となれば、平生あることであっても、その時もこの通りに斎戒する。「将適公所云々」と小学にある通り、これもただ身を清めるだけでもなく、心の誠で向こうを感動させることなので簡単には行かないこと。自分も古人を学んでいるからは、ただ職事に営々などで仕えてはいないと言った。これも伊川の言ったことなのでさぞ響きがよかったことだろう。普通の者がこんなことを言うと脇で舌を出す。ただ一通りのことではなく、上へ申し上げることなどでは中々出任せに思慮を紛々するなどということはありません。私の存念寸志の処はどうか上の御心に響かせられる様にとの心持だと言った。かねてからの心持ちを申し上げたのである。
【語釈】
・夫鐘怒而擊之…孔子家語六本。「孔子曰、無體之禮、敬也。無服之喪、哀也。無聲之樂、歡也。不言而信、不動而威、不施而仁。志夫鐘之音、怒而擊之則武、憂而擊之則悲。其志變者、聲亦隨之。故志誠感之、通於金石、而況人乎」。
・將適公所…小学内篇明倫。「禮記曰、將適公所宿齊戒居外寢沐浴。史進象笏書思對命。既服習容觀玉聲乃出」。

何かわ知らぬがどふぞ上の御心にひびくやふにとするが、若又そふもなく、役義は講筵官なれば只講釈をすればよいと明日の講釈に何を云ををかなどと善辞説、誠のない薄い了簡て以頰舌感ずと云やふなことではない。頰舌はつらしたと云て易感の卦の字なり。だたい感心は心と心のことなり。それを外向で人に靣白からせるをとし話のやふなことでは理がつんでをるから笑へとも、とと落し話の様なれば、そんなことで上の心が感ぜらるるものではない。誠のない只の頰舌、今講釈上手と云をよいことと心得てをる。あさはかなことなり。本あるまいことぞ。なせにとなれば、孔門の言語には宰我子貢と云も道理が済でをるから云よふかよい。それも孔子の兎角二子のやふでなけれはならぬと云ことではない。垩人に似た有若も舌がまはらぬ。一貫の曽子も魯なり。こふしたことゆへ、垩賢はそんなことは筭用に入ぬ。講釈上手て上に感ぜよふと云ことではないと云が爰なり。
【解説】
辞説が善くても誠のない薄い了簡では「以頰舌感人」であって、相手に響かない。今は講釈上手がよいと思われているがそれは浅はかなこと。孔門で言語の優れていたのは宰我と子貢だが、彼等は孔子に評価されず、逆に、言語の劣る有若や曾子の方が評価は高い。聖賢は言語の優劣に頓着しない。
【通釈】
何かは知らないが、どうか上の御心に響く様にとするものだが、もしもまたそうでなく、役儀が講筵官なのでただ講釈をすればよいと、明日の講釈に何を言おうかなどと考えるのが「善辞説」であり、誠のない薄い了簡で「以頰舌感人」をするという様なことはない。頰舌は面舌と言い、易の咸卦の字である。そもそも感心は心と心のこと。それを外向きなことで人に面白がらせる落し咄の様なことを言うのは、それに理が詰まっているから笑うことはあっても、結局は落し咄の様だから、そんなことで上の心が感ぜられるものではない。それは誠のないただの頰舌であり、今は講釈上手がよいことだと心得ているが、それは浅はかなことで、本来ある筈のないこと。それは何故かと言うと、孔門の中で言語は宰我と子貢と言うのも道理が済んでいて言い方がうまいからである。それでも、孔子はとかく二子の様でなけれはならないとは言わなかった。聖人に似た有若も舌が回らない。一貫の曾子も魯である。こうしたことなので、聖賢はそんなことは算用に入れない。講釈上手で上に感じさせようということではないというのがここのこと。
【語釈】
・頰舌…易経咸卦上六。「上六。咸其輔頬舌。象曰、咸其輔頬舌、滕口説也」。
・言語には宰我子貢…論語先進2。「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。」德行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏」。
・一貫の曽子も魯…論語里仁15。「子曰、參乎、吾道一以貫之。曾子曰、唯。子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而已矣」。論語先進17。「柴也愚。參也魯。師也辟。由也喭」。

哲宗は幼君のことであれば、まずあのあらましで云たもの看よ。まづ政事の眞始がこふしたこと。此誠で動すでなければ頼みはない。去るに依て誠てなけれはひびきはない。某底の処の奉公人でも主人へ誠があれば挌別違ふはづなり。用がたりるから重年させると云とはちがふ。政事と云へば管仲晏子と思ふ。すでに孟子の弟子の公孫丑もそれなり。漢の陳平張良さて々々誠ざたはない。そこで長持がせぬ。親戚は誠で立たものゆへ、一旦遠国へ離散してもついしまいには本国へかへる。そこがいやと云はれぬことなり。肉をわけた親族ゆへなり。先王のことを長いことは云はすに民の父母と云は名言なり。誠の本のものですることじゃほどに、口で感じさせなどと云ふことはない。そこで爾ぢ何此予於管仲と曽西が腹を立た。あまりなことのやふなれども、孔門ては誠がなけれは称玩はならぬ。やはり孟子の功烈如彼其卑と云も誠がないから、あがり兜の雨にをふたやふにはら々々なり。然れば誠が本なり。
【解説】
政事の本は誠からである。政事と言えば管仲や晏子、陳平や張良と思われているが、彼等には全く誠沙汰はないので長持ちがしない。
【通釈】
これは哲宗が幼君の時のことだったので、先ずは大略を言ったものと看なさい。先ずは政事の最初がこうしたこと。この誠で動かすのでなければ頼みはない。そこで、誠でなければ響かない。私などの処の奉公人でも主人に対して誠があれば格別に違う筈である。用が足りるから重年させるというのとは違う。政事と言えば管仲や晏子と思う。既に孟子の弟子の公孫丑もその様に思っていた。漢の陳平や張良に全く誠沙汰はない。そこで長持ちがしない。親戚は誠で立ったものなので、一旦遠国へ離散しても最後には本国へ帰る。それが否定のできないこと。肉を分けた親族だからである。先王のことを長くは言わずに「民之父母」と言うのは名言である。誠を本にしてすることなので、口で感じさせようなどと言うことはない。そこで「爾何此予於管仲」と曾西が腹を立てた。あまりなことの様だが、孔門では誠がなければ賞玩することはならない。やはり孟子の「功烈如彼其卑」と言うのも誠がないからで、上り兜が雨に遭った様にぱらぱらとする。それで誠が本となるのである。
【語釈】
・公孫丑もそれ…孟子公孫丑章句上1。「公孫丑問曰、夫子當路於齊、管仲・晏子之功、可復許乎」。
・民の父母…大学章句10。「詩云、樂只君子、民之父母。民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母」。詩は詩経小雅南山有臺。
・爾ぢ何此予於管仲…孟子公孫丑章句上1。「爾何曾比予於管仲。管仲得君如彼其專也。行乎國政如彼其久也。功烈如彼其卑也。爾何曾比予於是」。
・あがり兜…端午の節句に飾る紙製のかぶと。


第二 伊川答人示奏藁云々の条

伊川答人示奏藁書云、觀公之意、專以畏亂爲主。頤欲公以愛民爲先、力言百姓飢且死、丐朝廷哀憐。因懼將爲寇亂可也。不惟告君之體當如是、事勢亦宜爾。公方求財以活人。祈之以仁愛、則當輕財而重民。懼之以利害、則將恃財以自保。古之時、得邱民則得天下。後世以兵制民、以財聚衆。聚財者能守、保民者爲迂。惟當以誠意感動、覬其有不忍之心而已。
【読み】
伊川人の奏藁を示せしに答うる書に云う、公の意を觀るに、專ら亂を畏るるを以て主と爲す。頤は公の民を愛するを以て先と爲し、力めて百姓の飢えて且[まさ]に死せんとするを言ひ、朝廷に哀憐を丐[こ]わんことを欲す。因りて將に寇亂を爲さんとするを懼れしめば可なり。惟に君に告ぐる體の當に是の如くなるべきならず、事勢も亦宜しく爾[しか]るべし。公は方に財を求めて以て人を活さんとす。之に祈[もと]むるに仁愛を以てせば、則ち當に財を輕んじて民を重んずべし。之を懼れしむるに利害を以てせば、則ち將に財を恃み以て自ら保たんとす。古の時、邱民を得れば則ち天下を得たり。後世は兵を以て民を制し、財を以て衆を聚む。財を聚むる者は能く守るとし、民を保んずる者は迂なりとす。惟當に誠意を以て感動せしめ、其の忍びざる心有らんことを覬[ねが]うべきのみ、と。
【補足】
・この条は、程氏文集九にある。

上へ申し上る下た書を奏藁と云。誰れ人か知らぬが伊川に相談をかけて、どふぞ御直し被下と云て越された。そこて伊川の御答に、觀公之意專以畏乱爲主。この分で置たら乱が興るでござろふと云が向の主意なり。惣体をどすと云はよふないこと。知惠のない児共ををどすことなれとも、食を喰て直に寢ると牛になると云。それさへよくない。幼子常視毋誑そ。なんほ親切でも乱と云をどしはわるい。論語子路勿欺の語類に唐の敬宗の驪山に遊ぶを諫めて、驪山へ行はわるい、若行かば必有大禍と朱子の訶られてあり。伊川の存寄は愛民を主に云なり。王荊公の事をとる時分飢饉が續たなり。此時でもあろふがをぼへず。丐朝廷哀憐。あいらが餓死ますと云たらひびこふぞ。不告君之体當如是。そんな乱などと云やふないまわしいことを君へ申さぬ筈なり。又時勢で云ても民を愛して求財以活人と云がよいなり。其許は乱と云ことからして財を散せと云ことにかかるやふな心持そふな。惣云ことてはゆくまい。只上の仁愛と云ことを申し上たらば民をすくふ御心になって軽財重民、財を散すであろふなり。貴様のやふに云たら、上でもあれが云通り乱が興らふも知れぬから金銀を仕舞てをけ、あれらが乱を興したらば、それから爲めの軍兵これでふせこうと云ふやふになるであらふぞ。
【解説】
「伊川答人示奏藁書云、觀公之意、專以畏亂爲主。頤欲公以愛民爲先、力言百姓飢且死、丐朝廷哀憐。因懼將爲寇亂可也。不惟告君之體當如是、事勢亦宜爾。公方求財以活人。祈之以仁愛、則當輕財而重民。懼之以利害、則將恃財以自保」の説明。君に乱が興ると威しを掛けるのは悪い。伊川は民が餓死すると言う方が響くだろうと言った。仁愛のことを申し上げれば「軽財重民」となり、財を施すことになるだろう。
【通釈】
上へ申し上げる下書きを「奏藁」と言う。誰なのかは知らないが伊川に相談を掛けて、どうぞ御直し下さいと言って遣した。そこで伊川の御答えが、「観公之意専以畏乱為主」。このままにして置いたら乱が興るでしょうというのが送り主の主意である。全体威すというのはよくないこと。知恵のない子供を威すことでも、喰って直ぐに寝ると牛になると言うが、それでさえよくない。「幼子常視毋誑」である。どの様に親切でも乱という威しは悪い。論語子路勿欺の語類に唐の敬宗が驪山に遊ぶのを諌めて、驪山へ行くのは悪い、もしも行けば必ず大禍があるだろうと朱子が訶られたことがある。伊川の考えは「愛民」を主に言う。王荊公が執政している時分に飢饉が続いた。この時のことだったのだろうが、それは確かでない。「丐朝廷哀憐」。彼等が餓死しますと言えば響くだろう。「不告君之体当如是」。乱などという様な忌まわしいことを君へは申さない筈である。また、時勢で言うにしても民を愛して「求財以活人」と言うのがよい。貴方は乱が興るから財を施せと進言する心持ちの様だが、そういうことではうまく行かないだろう。ただ、上の仁愛について申し上げれば民を救う御心になって「軽財重民」となり、財を施すだろう。貴方の様に言えば、上も、言った通りに乱が興るかも知れないから金銀を仕舞て置け、彼等が乱を興せば、そのために軍兵を使って防ごうと言う様になるだろう。
【語釈】
・幼子常視毋誑…小学内篇立教。「曲禮曰、幼子常視毋誑、立必正方不傾聽」。
・語類…朱子語類子路問事君章。「如唐人諫敬宗遊驪山、謂驪山不可行、若行必有大禍。夫驪山固是不可行、然以爲有大禍、則近於欺矣。要之、其實雖不失爲愛君、而其言則欺矣」。
・王荊公…王安石。

得丘民則得天下。武藏野の原のやふにさら地ではない。人のあるでこそなり。然れば民は国の本と云、国本のあやがしるるぞ。後世はさかさま。兎角上の威勢を強くして財を上へ引上けてをいて兵を立てをき、下から乱を興す勢ひのないやふにする。あの時分は兵農が分れて何こともないときは軍兵ともは只寐て居るやふなことなり。農のものを取り上けて食せてをく。又かわゆそふにそふもあらふはいのちをまとに掛け、軍あれば明日にも知れぬ命なり。孔明などはわづかの間なれとも、もはや一年もある軍なれば屯田と云ことをされた。わずかは古の道を知た人ゆへ、一年二年の間民から米穀を取ては續かぬと云処からされたもの。そのやふな了簡もなく、不埒ものともがかわゆけらに何ぞのときは首の落ることゆへ余義もないことなり。以財聚衆て兵がたしかなれば、一大事のときも何ともないと云て財て兵をあつめる。そこて民は少くなる。民か変をすれば兵をやって治める。此通りの勢ひになったゆへ、財をあつめ上の御爲ずくをして、經済者が金銀をこしらへ一大事のときでもびくともせぬと云て、萬全の謀りこととする。
【解説】
「古之時、得邱民則得天下。後世以兵制民、以財聚衆」の説明。人あっての天下だが、後世は君が威勢を強くして財を貯め、兵を立てて民を抑える。兵を強化するために財を聚めるので民が少なくなり、民が反乱を起こせば兵を遣る。また、経済者は金銀を拵え一大事の時でもびくともしない万全の謀をする。
【通釈】
「得丘民則得天下」。天下は武蔵野の原の様な更地ではない。人がいるからこその天下である。そこで民は国の本と言い、ここで国の本の綾が知れる。後世は逆様である。とかく上の威勢を強くして財を上へ引き上げて置いて兵を立てて置き、下から乱を興す勢いのない様にする。あの時分は兵農が分かれて、何事もない時は軍兵共はただ寝ているだけの様なもので、農の物を取り上げ、彼等を食わせて置く。また、そうするのも、可愛そうなことに命を的に懸け、軍があれば明日にも知れない命だからである。孔明などは僅かの間であっても、最早一年もある軍では屯田をされた。僅かでもとは古の道を知た人だからで、一年二年の間民から米穀を取っては続かないという処からされたもの。その様な了簡もなく、不埒者共が何もしないのは、気の毒にも何かの時には首の落ちることなので、それも余儀のないことである。「以財聚衆」で、兵がしっかりとあれば一大事の時も何ともないと言って財で兵を聚める。そこで民は少なくなる。民が変をすれば兵を遣って収める。この通りの勢いになったので、上が財を聚め、したい放題をして、経済者が金銀を拵え一大事の時でもびくともしないと言って、万全の謀をする。

聚財者能守。迂斎の、為能守、為の字ある心てみよ、財をあつむるものは人がよいと云なり。民を保って古の通りなれば迂と云ふ世の中ぞ。こふ云、何ぞのときは兵てはたらかせふと第一にする処へ或人のやふに云てはわるい。或人の奏藁もだたい下のものをすくをふ為に云たことなれとも、云ひ下手なり。乱と云ことを云と、たた上て用心ばかりする。又、ここへ以誠意感動すと出た。このやふにみかなくてはいかぬ。いかほど切り方がよくても味噌と醬油が悪く、又鰹節がなくては料理は食へぬ。誠意の感動は鰹節なり。不忍之心と云が献上道具なり。あの欲だらけな齊王が牛の首をたれて通るを見て、不忍の心が出て、はて氣の毒なと思はれた。これもひまなときは仁義の良心が出る。あまり褒ることてもなけれとも、それを堯舜の御心先王の心と孟子がきついふいちょう。不忍のほろ々々泪の出る処が人君の朝鮮人参。はて、あれらか死ぬか氣の毒なと云。すでに此節神宗の慟哭することありて、宋の民がへちをまくりて大勢死ぬと云をきき、はあっ々々々と云てついそれが本になりて若死なり。思へば王荊公などはにくいやつなり。神宗の若死も新法のそふどふからぞ。
【解説】
「聚財者能守、保民者爲迂。惟當以誠意感動、覬其有不忍之心而已」の説明。乱と言えば、上ではただ用心ばかりをする。誠意で君の心を感動させなければならない。
【通釈】
「聚財者能守」。迂斎が、為能守と為の字が上にあるものとして見なさい、財を聚めるには人がよいと言った。民を保って古の通りであれば「迂」と言う世の中である。この様な何かの時に兵を働かせることを第一にする処へ或る人の様に言っては悪い。或る人の奏藁も本来は下の者を救うために言ったことなのだが、言い下手である。乱と言うと、上ではただ用心ばかりをする。また、ここへ「以誠意感動」と出した。この様に実がなくてはうまく行かない。どれほど切り方がよくても味噌と醤油が悪く、また、鰹節がなくては料理は食えない。誠意の感動は鰹節であり、「不忍之心」というのが献上道具である。あの欲だらけの斉王が、牛が首を垂れて通るのを見て、不忍の心が出て、実に気の毒なことだと思われた。これも暇な時は仁義の良心が出るということ。あまり褒めることでもないが、それを堯舜の御心、先王の心と孟子が強く吹聴した。不忍のぽろぽろと泪の出る処が人君の朝鮮人参。さて、あれ等が死ぬのは気の毒だと言う。既にこの時節神宗は慟哭することがあった。宋の民がへちをまくり大勢死んだことを聞き、溜息をついていたが遂にそれが原因となって若死した。思えば王荊公などは憎い奴である。神宗の若死も新法の騒動からのこと。
【語釈】
・齊王が牛の首をたれて通るを見て…孟子梁恵王章句上7にある話。
・へちをまくりて…元豊四年(1081)の霊州の戦いと永楽城の戦いで西夏に敗れたことか?


第三 明道先生爲邑云々の条

明道爲邑。及民之事、多衆人所謂法所拘者。然爲之未嘗大戻於法、衆亦不甚駭。謂之得伸其志、則不可。求小補、則過今之爲政者遠矣。人雖異之、不至指爲狂也。至謂之狂、則大駭矣。盡誠爲之、不容而後去、又何嫌乎。
【読み】
明道邑を爲[おさ]む。民の事に及んでは、衆人の謂う所の法の拘する所の者多し。然れども之を爲すに未だ嘗て大いには法に戻らず、衆も亦甚だ駭[おどろ]かず。之を其の志を伸ぶるを得と謂わば、則ち可ならず。小補を求めば、則ち今の政を爲す者に過ぐること遠し。人之を異[あや]しむと雖も、指して狂と爲すに至らず。之を狂と謂うに至らば、則ち大いに駭かん。誠を盡くして之を爲し、容れられずして而る後に去らば、又何の嫌かあらん、と。
【補足】
・この条は、程氏文集九にある。

この章も政事のあんばいと合点すべし。どりゃ、をれがして見せうと云てもそふはいかぬ。明道などのは云にいへぬ塩梅なり。伊川の、をらが兄の明道と語り出したぞ。爲晉城之令たときなり。衆人所謂云々は天下一統役人のこまる。はて、一つにして見たいと思ても、法に所抱。公儀の定法あればそふならぬ。器量のあるものたから役人にする。そんなら一つせふとすれば法に抱さるる。衆人のこまった通りのことが明道にもあったなり。そんなら明道は役に立ぬかと思へば、これはこふするがよいとずっと出して為す。処が、それては法にそむくてあろふと思へば、上手のすることゆへ未戻法。大勢のものも未甚駭。はてかはったことをすると見へぬ。衆心が動くと大勢の人につきくずさるる。こんなことは浪人儒者の知らぬことなれとも、太極の道理を合点すると何ても自由ぞ。是等はいやと云はれぬことなり。小児苦い藥を呑ぬ。仲景がきても小児呑ぬと云には勝れぬ。そこを明道のさっしゃりやふがよくて、直方の云かまぼこにして食せるゆへ若ひものでも老人でも食はれる。
【解説】
「明道爲邑。及民之事、多衆人所謂法所拘者。然爲之未嘗大戻於法、衆亦不甚駭」の説明。新法が拘わるのでうまくできず、多くの人が困ったと言うが、太極の道理を合点すれば何でも自由にできる。明道がそれである。
【通釈】
この章も政事の塩梅と合点しなさい。どれ、俺がして見せようと言ってもそうは行かない。明道などの政事には言うに言えない塩梅がある。伊川が、俺の兄の明道はと語り出した。彼が晋城の令だった時のことである。「衆人所謂云々」は天下総じて役人が困っていること。さて、一つしてみたいと思っても「所謂法所拘者」で、公儀の定法があればそうはならない。器量のある者だから役人にする。そこで一つしてみようとすれば法に拘される。衆人の困った通りのことが明道にもあった。それなら明道は役に立たないかと思えば、これはこうしなさいとずっと出してする。それでは法に背くだろうと思えば、上手のすることなので「未戻法」。大勢の者も「未甚駭」。はて変わったことをするとも感じない。衆心が動くと大勢の人に突き崩される。こんなことは浪人儒者の知らないことだが、太極の道理を合点すると何でも自由である。ここ等は違うと言えないこと。小児が苦い薬を飲まない。仲景が来ても小児が飲まないのには勝てない。そこを明道のなさり様がよくて、直方の言う、蒲鉾にして食わせるので若い者でも老人でも食うことができる様になる。

然らばをらが兄などは違たものと云たら伸志と思ふてあろふが、又志の思ふ侭を伸たと云ほどではない。すはすると云段なれば三代の通りにするが明道の志なり。されとも宋朝の今の役人の政するから見れば過たること遠しなり。先爰は平に云なり。扨又何程太極道理合点じゃと云ても人のあやしむこともあれとも、じゃと云て狂と云ふやうにけしからぬと、いやはや今度の奉行は本氣の沙汰てはないなとと云ことはない。天下の人がをどろくやふではいかぬものなり。爰等の語意でからが政事のあんばいちこふ。一つして見せふとかかっても若い学者などのなることてない。腕をこく若ひ医者が外臺秘要をそふじして一つやって見ても、村菴や運菴などがあざ笑なり。はて、きかぬてさ々々々々々と云ふやふなもの。その筈なり。幕にてっほうやくにたたぬ。病人も役人もうけがわるい。それと云ても何としていかぬ。人の膽をつぶすことをしたとて何にそれでいくものぞ。土地がらと云こともあり、又唐の理屈かと云ふやうになってはうけがわるい。そこをかまぼこにすることなり。これが名人藝ぞ。
【解説】
「謂之得伸其志、則不可。求小補、則過今之爲政者遠矣。人雖異之、不至指爲狂也。至謂之狂、則大駭矣」の説明。明道は自分の志を伸ばしたのではなく、三代の通りにしたのである。それも人を驚かせる様なことはなかった。世間の人を驚かせる様では悪い。
【通釈】
そこで、俺の兄などは違った者だと言えば「伸志」と思うだろうが、また、志を思うがままに伸ばしたというほどのことではない。実際にする段階となれば三代の通りにするのが明道の志である。しかしながら、今の宋朝の役人が政をすることから見れば遥かに過ぎたことである。先ずここは平に言った。さてまたどれほど太極の道理を合点していると言っても人が怪しむこともあるが、それだからと言って「狂」と言うほどに怪しからんとか、いやはや今度の奉行は正気の沙汰ではないなどということはない。天下の人が驚く様ではうまく行かない。ここ等の語意からしても政事の塩梅が違う。一つして見せようと取り掛かっても若い学者などのできることではない。腕利きの若い医者が外台秘要を真似て一つやって見ても、村菴や運菴などが嘲笑う。はて、効かないと言う様なもの。その筈である。幕に鉄砲は役に立たない。病人も役人も受けが悪い。しようとしてもどうしてもうま行いかない。人の肝を潰す様なことをしたとしても、どうしてそれでうまく行くものか。土地柄もあり、また、唐の理屈でという様になっては受けが悪い。そこを蒲鉾にするのである。これが名人芸である。
【語釈】
・外臺秘要…王燾作。唐代。
・村菴…
・運菴…

尽誠爲之。是がないと明道が上手ものになる。明道は条例司も勤られた。王荊公の新法の職なり。氣慨あるものは荊公の新法と云へば勤めぬ。明道には功名と云ことも伯術と云ことも露ちりない。とんとこうした心て誠てかためた人ゆへ、能ある鷹はつめをかくすと云やふなこともない。不容而去は王荊公などと取合もあり、合点せなんたなり。何嫌乎と云はさっはとした、耻ヶしいこともなく、心にきらわしいこともない。それゆへ世間で世にすたれたと云をふがな、らちがあくまいと云ををがな、そんなことにはかまわぬ。政事をするものが誠なれば氣が雜らず太極の働きなり。是迠の三条は政事の遍の取かかりと合点すべし。三条とも誠の字を幷べたなり。
【解説】
「盡誠爲之、不容而後去、又何嫌乎」の説明。明道は誠を尽くしたのである。政事をする者が誠であれば気が雑らず太極の働きとなる。
【通釈】
「尽誠為之」。これがないと明道が上手者となる。明道は条例司も勤められた。それは王荊公の新法の職である。気概のある者は荊公の新法であれば勤めない。明道には功名ということも伯術ということも露塵もない。全てこうした心であって、誠で固めた人なので、能ある鷹は爪を隠すという様なこともない。「不容而去」は、王荊公などとの取り合いもあり、合点しなかったこと。「何嫌乎」はさっぱりとして恥ずかしいこともなく、心に嫌わしいこともない。それで、世間から世に廃れたと言われようが、埒が明かないだろうと言われようが、そんなことには構わない。政事をする者が誠であれば気が雑らず太極の働きとなる。これまでの三条は政事の篇の取っ掛かりと合点しなさい。三条とも誠の字を並べたのである。


第四 明道先生曰一命之士の条

明道先生曰、一命之士、苟存心於愛物、於人必有所濟。
【読み】
明道先生曰く、一命の士、苟も心を物を愛するに存せば、人に於て必ず濟う所有らん、と。
【補足】
・この条は、程氏文集一一にある。

これ迠はばの大いことを三條出し、これからは寸志なり。これが誠の目はへなり。爰のひびきは至てのことなり。鯛を二牧やっても人がひびかぬ。松露をすこしやっても心からで人が忝けながる。そこが誠なり。身分がかるくても誠は效のあるもの。爰が政事に目鼻のつく処なり。日本の位とは違ひ、一命の士はかるいことなり。軽いものだから、我了簡も出さずだまってをるのが一命の士の持まいなり。それも存心於愛物云々なり。人を済ふ身分でなくても全体の心が心を物を愛するに存すと云ふ、心のをき処が爰へ持てきたならばと云ことなり。きこへたことぞ。軽と云たとて戸をしめて引込で居と云ことてもない。向いあへば相手がある。然れば物を愛する心があれば有所済なり。役義はさてをき、これて見れば道中で辻駕籠に乘るにもこの心得あれば違ふ筈なり。愛のあるないでは大きく違ふぞ。誠あれば一命之士てもと云ことなり。
【解説】
心からのことは人が忝く思う。一命の士でも物を愛する心があれば人を済うことができる。
【通釈】
これまでは幅の大きいことを三条出したが、これからは寸志である。これが誠の芽生えである。ここの響きは至極こと。鯛を二枚遣っても心からでなければ人は響かない。松露を少し遣っても心からであれば人は忝く思う。そこが誠である。身分が軽くても誠は効のあるもの。ここが政事に目鼻の付く処である。日本の位とは違い、一命の士は軽いこと。軽い者だから、自分の了簡も出さずに黙っているのが一命の士の持ち前である。それでも「存心於愛物云々」である。人を済う身分でなくても全体の心が「存心於愛物」と言って、心の置き処をここへ持って来ればよい。それはよくわかる。軽いと言っても戸を閉めて引っ込んでいるということでもない。向い合えば相手がある。そこで、物を愛する心があれば「有所済」である。役儀はさて置き、これで見れば道中で辻駕籠に乗るにもこの心得あれば違って来る筈である。愛のあるないで大きく違う。誠があれば一命之士でも済うことができるということ。
【語釈】
・一命の士…官職には一命から九命まで九段階があった。一命は最も低い官職。

これでみれば兎角役人は物を愛するの心が大切なり。月番なとと云になれば事多し。下役なと小役も軽い役人なれとも、使ても云付るそ。田舎て云へば名主などもそれなり。これもいこう使ひやうあらふことぞ。御用と云ても夜中でなくてもすむことあらん。軽い役なれば勢はなくとも明日ですむことならば夜中はやらぬなれば、はやこれほど違ふことなり。こうした心からするならば、天下はむまい塩梅になることなり。それゆへ仁政と云へば天子諸侯のことのやうなれとも、此心あれば人つかいのよい家には普代の親父も出来、又、ちっとした奴も來年迠居たがるやふなものぞ。そこはやはり同じこと。愛する心あれば、身分は違てもそれ々々に済ふ処ある筈なり。一命の士もをいらはどふでもよいと通さぬことなり。軽い役人がをらがさはぐはえんの下の力持と云ふ。そふしたことてはない。誠と云ふになれば済ふ処あるなり。
【解説】
一命の士であっても、俺はどうでもよいと言ってはならない。誠になれば済う処がある。
【通釈】
これで見ればとかく役人は物を愛する心が大切である。月番などは事が多い。下役などの小役も軽い役人であって、使いも言い付けられる。田舎で言えば名主などもそれである。これにも大層使い様があることだろう。御用と言っても夜中でなくても済むこともあるだろう。軽い役なので、急がず明日で済むことであれば夜中は遣らないとすれば、早くもこれほどの違いがある。こうした心からすれば、天下はうまい塩梅になる。そこで、仁政と言えば天子諸侯のことの様だが、この心があれば人使いのよい家には譜代の親父もでき、また、小者も来年までいたがる様なもの。それはやはり同じこと。愛する心があれば、身分は違ってもそれぞれに済う処がある筈である。一命の士でも俺はどうでもよいと言ってはならない。軽い役人が、俺が騒ぐのは縁の下の力持ちに外れると言うが、そうしたことではない。誠になれば済う処がある。


第五 伊川先生曰君子觀天水云々の条

伊川先生曰、君子觀天水違行之象、知人情有爭訟之道。故凡所作事、必謀其始。絶訟端於事之始、則訟無由生矣。謀始之義廣矣。若愼交結明契劵之類、是也。
【読み】
伊川先生曰く、君子は天水違行の象を觀て、人情に爭訟の道有るを知る。故に凡そ作す所の事は、必ず其の始めを謀る。訟端を事の始めに絶たば、則ち訟は由りて生ずること無し。始めを謀る義廣きかな。交結を愼み契劵を明らかにするが若き類、是れなり、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝訟卦象伝にある。訟卦象伝は、「象曰、天與水違行訟。君子以作事謀始」である。

君子觀天水違行之象。易訟の卦、うったへなり。天の方は上へすっ々々とゆく。水は下へ下る。つれ立てゆかれぬものなり。分々な姿ぞ。天と水がてん々々かせきなものゆへ、人情の上に訟と云ものがあるが知るる。同腹中なればそんなことはない。子んころ同士が道中で確執が出来る。ちょっとしたことでも一人は餅と云へば一人は酒と出る。爰に泊ふと云は、もふ一宿さきへと云ふ。太々講大和めぐりの町人多くそれなり。これ、自然の争なり。かるいことても人情のいやと云はれぬことなり。圣人が争い訟るなとと云ことはあるまいと云はずに、易訟の卦を掛られて天水て云なり。天地にそんなことはないやうなれとも、分なものあるからなり。そんなら出来る筋じゃからすててをくかと思へば、訟の出来ぬやふにする。その訟のとどめやふをする。絶訟端於事之始。風があれば、風にあたらぬものゆへあたらぬ様に用心する。屋鋪境へ榎をうえると云がよいなり。親子兄弟は親くても、兄弟から從兄弟再從兄弟となれば俗に云兄弟他人の始りて、つい争が出来るもの。田地公事と云も最初吟味なく事の初に絶へぬゆへなり。
【解説】
「伊川先生曰、君子觀天水違行之象、知人情有爭訟之道。故凡所作事、必謀其始。絶訟端於事之始、則訟無由生矣。謀始之義廣矣」の説明。争いは自然なものだが、それが起こらない様に、初めに絶って置くことが大事である。
【通釈】
「君子観天水違行之象」。これは易訟の卦で、訴えのこと。天の方は上へすっと行き、水は下へ下る。天水は連れ立って行けないもので、これは別々になった姿である。天と水はそれぞれ別に動くものだということから、人情の上に訟というものがあることが知れる。同腹中であればそんなことはない。懇ろ同士でも道中で確執ができる。ちょっとしたことでも一人が餅と言えば一人は酒と出る。ここに泊まろうと言えば、もう一宿先へ行こうと言う。太々講や大和巡りをする町人の多くがそれである。これが自然の争いである。軽いことではあるが、これが人情の否定できないところである。聖人には争い訟えるなどということはないだろうとは言わず、易訟の卦を繋けられて天水でたとえた。天地にそんなことはない様だが、別々なものがあるからそうなる。それなら訟は起こるのが筋だから放って置くかと思えば、起こらない様にする。その訟を止める様にする。「絶訟端於事之始」。風があれば、風には当たらないものなので、当たらない様に用心をする。屋敷境へ榎を植えるというのがよいこと。親子兄弟は親しくても、兄弟から従兄弟、再従兄弟となれば俗に言う兄弟他人の始りで、つい争いができるもの。田地公事も最初に吟味がなく、事の初めで絶たないから起こるのである。
【語釈】
・太々講…伊勢講。伊勢神宮を信仰する人々の団体。室町初期より各地に成立。一定の日に集まり飲食し、平生より醵金して交代で或いは総員で伊勢参宮し、太神楽を奉納した。

愼交結。人と信を失はぬやふにして、よい人なれともあれは子んごろすべき筈でないと云やふな、湯治塲の近付の類がしまいにはよくないことあるものなり。契券は證文なり。これも大腹中な人が何に證文と云てなげやりにする。それが甚だ不調法なことなり。某先年江都に住居せしとき、或誹諧師某が外から金子を請取て請取書に判を押したれば、甚さみして隠居めかぬと笑へり。そこで某が隠者だからなを押すと云へり。判と云へばつんとていのわるいやふなれども、慥に請取申候と云て片がつく。月到天心處とかくと風流らしく、何百文、何文とかくはきつい相違なれとも、これが訟なからしめんなり。六ヶ鋪のない前から印判を押すことなり。兎角役人が高上めきまきらかす。前々云通り英雄豪傑と云ことがはやりてからよくない。垩賢にはは子たことはなし。後世は益ないことをしゃれて大腹中にすればよいやふなれども、あとで六ヶ鋪が出きる。垩賢は商人のするやふに丁寧なり。それが高いなり。
【解説】
「若愼交結明契劵之類、是也」の説明。人から信を失わない様にしながら、交わりを慎み、証文を確かに作って置くのが争いをなくすことになる。太っ腹なら体裁はよいが、後で面倒が起こる。
【通釈】
「慎交結」。人からの信を失なわない様にしながら、よい人だがあれとは懇ろにすべき筈ではないという様にする。湯治場の近付きの類が仕舞いにはよくないことになることがあるもの。「契券」は証文である。太っ腹な人などは、何、證文などと言って投げ遣りにするが、それが甚だ不調法なこと。私が先年江戸に住居していた時、ある俳諧師が、私が他人から金子を請け取って請取り書に判を押したのを見て、甚だ見下して隠居めかないことだと笑った。そこで私が、隠者だから尚更判を押すと言った。判と言えば大層体裁が悪い様だが、確かに請け取り申し候と言うので片が付く。「月到天心処」と書けば風流らしく、それは何百文、何文と書くのとはかなりの相違だが、これが訟をなくさせることである。面倒になる前に印判を押すのである。とかく役人が高上めいて紛らかす。前々から言う通り、英雄豪傑が流行ってからがよくない。聖賢には跳ねたことはない。後世は益のないことに洒落るので、太っ腹にすればよい様に思うが、後で面倒が起こる。聖賢は商人のする様に丁寧である。それが高いということである。
【語釈】
・月到天心處…邵康節。清夜吟。「月到天心處、風來水面時。一般清意味、料得少人知」。


第六 師之九二云々の条

師之九二、爲師之主。恃專則失爲下之道、不專則無成功之理。故得中爲吉。凡師之道、威和竝至、則吉也。
【読み】
師の九二は、師の主爲り。專を恃めば則ち下爲るの道を失い、專ならざれば則ち成功の理無し。故に中を得るを吉と爲す。凡そ師の道、威和竝び至らば、則ち吉なり。
【補足】
・この条は、周易程氏伝師卦九二の爻辞にある。師卦九二は、「九二。在師中。吉无咎。王三錫命」である。

師之九二、軍大將なり。軍を云たことなれとも、萬端人の臣たるもの、人の長たるもの、心得になることなり。上に君あって九二は臣の塲で大將なり。これが甚心いきの大切なこと。大將は天子から弓失を賜って天子に弓失を引ものを打て取ることなれとも、上に君と云ものあれば甚だ專なれば失爲下之道。さて又勢がないと犬も朋軰、鷹も朋軰と云やふになって動ぬ。大將となれば我下知に順ぬものは首を切ることなり。それては君をも憚らぬやふになる。そこで大將は只のものに預られぬことなり。武王も太公望を軍師にされた。あの誠な人て申分のない人ぞ。九二は内卦のまん中ゆへよい。得中爲吉なり。人のあなどることのならぬが威なり。そこへ和と云温和な云ふに云へぬむっくりとしたもので片方ずらぬことなり。いかさま御當家の最初の衆達威和幷ひ至りた。井伊本多榊原でもただつよく威斗ではない。それから御治世にならせられてからは土井の先祖てもそれなり。皆両方揃たなり。あなづられてならず、又離られてならぬ。並ひ至て御目出度ことなり。二つ揃て天下が泰平ぞ。
【解説】
大将は専横だと臣下の道を失い、勢いがなければ部下が動かない。そこで、大将には誰もがなれるわけではない。大将には威と和がなければならず、これが揃えば天下が泰平となる。
【通釈】
「師之九二」は軍大将のこと。これは軍を言ったことだが、万端人の臣たる者や人の長たる者の心得になること。上に君がいて、九二は臣の場の大将である。これが甚だ心意気の大切なこと。大将は天子から弓矢を賜って天子に弓矢を引く者を討ち取るものだが、上に君というものがあるので甚だ専横であれば「失為下之道」。さてまた勢いがないと犬も朋輩、鷹も朋輩という様になって動かない。大将となれば自分の下知に従わない者の首を切るもの。それで、君をも憚らない様になる。そこで、大将は普通の者に預けられないのである。武王も太公望を軍師にされた。誠な人で申し分のない人だからである。九二は内卦の真ん中なのでよい。「得中為吉」である。人が侮ることのできないのが「威」からである。そこに「和」という温和な言うに言えないむっくりとしたものがあって、それが偏らない。御当家の最初の衆達は実に威和が並び至っていた。井伊本多榊原もただ強くて威ばかりがあったのではない。それから御治世になられてからは土井の先祖もそれである。皆両方揃っていた。侮られてもならず、また、離れられてもならない。並び至って御目出度いこと。二つが揃うので天下が泰平となる。
【語釈】
・師之九二…師は陽爻が九二のみで他は陰爻。その九二が内卦の中心なので軍大将にたとえている。
・井伊本多榊原…徳川家康の四天王が、井伊直政、本多忠勝、榊原康政、酒井忠次である。
・土井の先祖…土井利勝。江戸前期の幕府老中・大老。下総古河の城主。徳川家康の従弟といわれる。七歳で秀忠に付属せられ、家康の死後は幕府第一の実力者。1638年(寛永15)大老。1573~1644


第七 世儒有論魯祀周公条

世儒有論魯祀周公以天子禮樂。以爲周公能爲人臣不能爲之功、則可用人臣不得用之禮樂。是不知人臣之道也。夫居周公之位、則爲周公之事。由其位而能爲者、皆所當爲也。周公乃盡其職耳。
【読み】
世儒に魯の周公を祀るに天子の禮樂を以てせしを論ずるもの有り。以爲えらく、周公能く人臣の爲す能わざる功を爲せば、則ち人臣の用うるを得ざる禮樂を用う可し、と。是れ人臣の道を知らざるなり。夫れ周公の位に居れば、則ち周公の事を爲す。其の位に由りて能く爲す者は、皆當に爲すべき所なり。周公は乃ち其の職を盡くせるのみ。
【補足】
・この条は、周易程氏伝師卦九二の爻辞にある。

世儒は王荊公がことなり。この評判もよほどよいと主しも自滿で云たことなり。それを伊川の弁するに、大名が天子の礼樂の通りの祭は出來ぬことじゃに、周公は御家門のことてはあり、殊になみや大抵な手抦ではない、人臣のならぬことされたゆへじゃ。あの成王は幼君、とんとあぶないやふな御身にてあの通りのことなり。それを人臣のならぬ手ぎわをしたゆへに君の方の御返礼も一通ならず、此通じゃとなり。なるほど功の処は云ぬいた云やうなれども、伊川のは又違たことなり。殊の外大そふに云へともそふではない。周公は攝政官なればあの通のことをさっしゃり、うちなことなり。當然ぞ。もち出しはない。それたから膽をつぶすことはない。あの通りをされ子ば周公の欠けになる。これで見れば、爲人君止於仁爲人之臣止於敬と云も余計にもち出しではない。やはり孟子の曽子の孝行を可矣と云ふやふなもの。然れば周公の事業、あの通りのことも大功とは云ををが、人臣のならぬ手ぎわをされたなどと云ことではない。十五夜の月の丸いを褒ることのないやふなもの。職分ぞ。迂斎の軽い弁を云へり。屋根屋の屋根をふき、左宦は壁をぬる。竒特と云ことではないとなり。何事なく云処が太極の道理なり。つんとかる々々したことなり。坐頭の平家をかたるやふなものと周公をそふ云てはもったいないと云ふやふなれども、知た云分なり。王荊公があまり吹聽もはずれなり。これで見れば政事もちっとのことを吹聽してよいと心得る、そんな心持でいくものではない。道理の當然きり々々をつくすが政事ぞ。それをめつらしそふに云ふは本んの王道てはない。後世はわるいが沢山ゆへよいをほめすぎる。
【解説】
王荊公が、周公は人臣のできないことをしたので天子の礼楽で祀られたと言って、周公に仮して自慢をした。これに対して伊川は、周公は自分の職分を果しただけだと言った。道理の当然を尽くすのが政事であり、職分を尽くすのを珍重することはない。
【通釈】
「世儒」とは王荊公のことで、これは自分の評判も余程よいと自慢して言ったこと。それを伊川が弁じて言った。天子と同じ礼楽で大名を祭ることはできないことだが、周公は天子の家柄であり、殊に並大抵の手柄ではなく、人臣のできないことをされたからであり、また、あの成王は幼君で、非常に危ない御身だったのであの通りのことをしたのであり、人臣のできない手際をしたので君の方の御返礼も一通りでなくあの通りだったのだと言ったのだろう。なるほど功の処は言い抜いた様な言い方だが、伊川のはまた違ったこと。殊の外大層に言ってはいるがそうではない。周公は摂政官なのであの通りのことをされただけで、それは内輪なこと。それは当然なことで特別なことではない。そこで、肝を潰すこともない。あの通りをされなければ周公の落度になる。これで見れば、「為人君止於仁為人之臣止於敬」というのも特別にしたことではない。それはやはり孟子が曾子の孝行を可矣と言う様なもの。そこで、周公のあの通りの事業も大功とは言えるが、人臣のできない手際をされたなどと言うことではない。十五夜の月が丸いのを褒めることのない様なもの。それは職分だからである。迂斎が軽い弁を言った。屋根屋が屋根を葺き、左官が壁を塗るが、それが奇特ということではないと言った。何事なく言う処が太極の道理である。それはつんと軽々としたこと。座頭が平家を語る様なものだと周公をその様に言っては勿体ないことだが、それが知った言い分である。王荊公の大した吹聴も的が外れている。これで見れば、政事も少しのことを吹聴してよいと心得ている様な、そんな心持ちではうまく行くものではない。道理の当然の至極を尽くすのが政事である。それを珍しそうに言うのは本当の王道ではない。後世は悪い者が沢山いたのでよい者を褒め過ぎる。
【語釈】
・爲人君止於仁爲人之臣止於敬…大学章句3。「爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信」。
・曽子の孝行を可矣…孟子離婁章句上19。「若曾子、則可謂養志也。事親若曾子者、可也」。


第八 大有之九三曰云々の条

大有之九三曰、公用享于天子。小人弗克。傳曰、三當大有之時、居諸侯之位、有其富盛。必用享通於天子、謂以其有爲天子之有也。乃人臣之常義也。若小人處之、則專其富有以爲私、不知公己奉上之道。故曰、小人弗克也。
【読み】
大有の九三に曰く、公用[もっ]て天子に享す。小人は克[あた]わず、と。傳に曰く、三は大有の時に當たり、諸侯の位に居り、其の富盛を有す。必ず用て天子に享通すとは、其の有を以て天子の有と爲すを謂うなり。乃ち人臣の常義なり。若し小人之に處らば、則ち其の富有を專らにして以て私と爲し、己を公にし上に奉ずる道を知らず。故に曰く、小人は克くせず、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝大有卦九三の爻辞にある。

公用享于天子。殊の外たっふりとして目出度が大有なり。有はたもつと云ことゆへ、何もかもたっふりと沢山あることなり。そこで大有の第一に見へるは天下のことなり。九三は天下のたっふりとしたことで、内卦の上で大名にあたる。天子から云へば臣で、天子をのけて云ふに大名のことなり。天下のものは皆天子の臣ぞ。いかさま大名は大有のすがたなり。大名の國は天子から預けてをく。國は諸侯の國でも寄てある処は天子から賜わったのなり。それに付ては領分から出るものを天子に奉るなり。小人不克。これはどふなれば、小人は兎角私して不德なものゆへ中々なることでない。冨盛が大名のなりぞ。以其有爲天子之有。我が有を天子の有とする。そこで献上ものと云も、この国も天子の土地と思ふからぞ。をびたたしひ諸大名すくれたものを献上に出すもこちのものとせぬなり。今も東金から蜜柑献上と云もこれなり。これがちっとでも私せぬ処なり。御沙汰なしと云ことはない。これが献上のことを云て、臣下たるものは誠も何も角も差上ることなり。だたい周公の辞は貢もののことを云たことなれども、人臣の君に仕へて身を委子るもこれぢゃとをとすことなり。大有の君が何なりと々々々と望むから、君を諫めることから何もかも殘しはせぬなり。易不可爲典要で、いつも云こく餅なり。
【解説】
「大有」はたっぷりとあることで、その九三は大名に当たる。大名の国は天子から賜ったものなので、産物を天子に奉る。自分の有を天子の有とするのである。小人は私するので天子に享すことができない。
【通釈】
「公用享于天子」。殊の外たっぷりとして目出度いのが「大有」である。「有」は保つということなので、何もかもたっぷりと沢山あること。そこで、大有で第一に見えるのは天下のことである。九三は天下のたっぷりとしたことで、内卦の上で大名に当たる。天子から言えば臣で、天子を除いて言えば大名のことになる。天下の者は皆天子の臣。いかにも大名は大有の姿である。大名の国は天子が頂けて置いたものだから、国は諸侯の国でもその大元の処は天子から賜ったものである。そこで、領分から産出したものを天子に奉る。「小人不克」。これはどういうことかと言うと、小人はとかく私する不徳な者なので中々天子に享すことができない。「富盛」は大名の姿を言ったこと。「以其有為天子之有」。自分の有を天子の有とすること。そこで献上物と言うのも、この国を天子の土地だと思うからである。諸大名が優れた夥しいものを献上に出すのも自分のものとしないからである。今も東金から蜜柑献上と言うのもこれ。これが少しも私にしない処である。御沙汰なしということはない。ここは献上のことを言って、臣下たる者は誠も何もかも差し上げることを述べたもの。そもそも周公の辞は貢物ことを言ったものだが、人臣が君に仕えて身を委ねるのもこれだと決めること。大有の君が何でも望むから、君を諌めることを含め、何もかも残しはしない。「易不可為典要」で、いつも言う黒餅である。
【語釈】
・易不可爲典要…易経繋辞伝下8。「易之爲書也、不可遠。爲道也屢遷、變動不居、周流六虚、上下无常、剛柔相易、不可爲典要、唯變所適」。
・こく餅…黒餅。①紋所の名。餅にかたどった円紋で、円内の白いものを白餅、黒いものを黒餅といったが、後には黒は石に通ずるのでともに石持と呼んだ。福岡黒田氏の家紋。②定紋を描くべき所を白抜きにして染めあげた衣服地。

是が皆公なことゆへ小人弗克なり。小人は天下に奉る氣がない。我がものとするは私なり。迂斎の臧武仲以防求爲後於魯を引て讀めり。小人の心は兎角得たものをはなさぬなり。魯に求むと云がすんとわるい。とんと君からあずけたことゆへ、君のものとすれは防を居しくと云、あふしたことはない筈。小人の心は富有を專にする。学者も大切な弁書筆記などは朋友にも秘め、何ぞのときに云ををとする。弘毅の章の語類にありし、菊すきが名花の根を一本も人にやるはいやがるとなり。これが小人の魂ひぞ。書を人にかすをいやがる類も皆私なり。それが君の方へ出ることゆへ、推して見るととほふもないことになる。そこで鄙夫共可事於君乎と云を考へよ。さて爰へ又あてて見よ。朱子の存しも竒ぬ、冉求を殺父與君不從と云。集註の仕向けをもみよ。兎角不奪不饜ぞ。萬に取千焉千取百焉云々なり。これも富有を專にするなれば、どふあらふもしれぬ。圣人は公けぞ。丁ど月を御貸申ふと云ことのないやふなもの。公けゆへぞ。上の下のとへだてはない。これが大有の目出度ことなり。大有の時分に小人の出るはさて々々氣の毒なこと。さまで大盗人と云ことでもなけれとも、我に垣をしてにきりたものをはなすまいと云心なれば、どふならふも知れぬなり。学者も我をよいにしたがりて、向をこちの幕下につけたがる。これが政事の上でも朋友の上でも同じことなり。公けな心なれば、こちのを向へすふ々々とやるなり。
【解説】
小人は富有を専らにするが、聖人は公である。上下の隔てのないのが大有である。
【通釈】
これが皆公なことなので、「小人弗克」である。小人は天下に奉る気がない。自分のものとするのは私である。迂斎が「臧武仲以防求為後於魯」を引いてここを読んだ。小人の心はとかく得たものを離さないもの。魯に求むと言うのが極めて悪い。全て君が預けたことなので君のものとすれはよく、防に立てこもるという様なことはない筈。小人の心は富有を専らにする。学者も大切な弁書や筆記などは朋友にも秘め、何かの時に言おうとする。弘毅の章の語類にあったことだが、菊好きは人に名花の根を遣るのは一本でも嫌がるとある。これが小人の魂である。書を人に貸すのを嫌がる類も皆私である。それが君の方へ出るので、これを推して見れば途方もないことになる。そこで「鄙夫共可事於君乎」を考えなさい。さてここへまた当てて見なさい。思いも寄らず冉求を「殺父与君不従」と言った、あの朱子の集註の仕向けも併せて見なさい。とかく「不奪不饜」である。「万取千焉千取百焉云々」。これも富有を専らにするものだから、どうなるかも知れない。聖人は公である。丁度月を御貸し申そうと言うことのない様なもの。それは公だからである。上下の隔てはない。これが大有の目出度いこと。大有の時分に小人の出るのは実に気の毒なこと。大盗人と言うほどのことでなくても、自分に垣をして握ったものを離さない様にする心であれば、どうなることかも知れない。学者も自分をよい者としたがって、向こうをこちらの幕下につけたがる。これは政事の上でも朋友の上でも同じこと。公な心であれば、こちらのを向こうへすっと遣る筈である。
【語釈】
・臧武仲以防求爲後於魯…論語憲問15。「子曰、臧武仲以防求爲後於魯。雖曰不要君、吾不信也」。
・鄙夫共可事於君乎…論語陽貨15。「子曰、鄙夫可與事君也與哉。其未得之也、患得之。既得之、患失之。苟患失之、無所不至矣」。
・殺父與君不從…論語先進23。「子曰、弑父與君、亦不從也」。同集註。「言二子雖不足於大臣之道、然君臣之義則聞之熟矣。弑逆大故必不從之。蓋深許二子以死難不可奪之節、而又以陰折季氏不臣之心也。尹氏曰、季氏專權僭竊。二子仕其家而不能正也。知其不可而不能止也。可謂具臣矣。是時季氏已有無君之心。故自多其得人。意其可使從己也。故曰弑父與君亦不從也。其庶乎二子可免矣」。
・不奪不饜…孟子梁恵王章句上1。「苟爲後義而先利、不奪不饜」。
・萬に取千焉千取百焉…孟子梁恵王章句上1。「萬乘之國弑其君者、必千乘之家。千乘之國弑其君者、必百乘之家。萬取千焉、千取百焉、不爲不多矣」。


第九 人心所從多所親愛の条

人心所從、多所親愛者也。常人之情、愛之則見其是、惡之則見其非。故妻孥之言、雖失而多從、所憎之言、雖善爲惡也。苟以親愛而隨之、則是私情所與。豈合正理。故隨之初九、出門而交、則有功也。
【読み】
人心の從う所は、親愛する所の者多し。常人の情、之を愛せば則ち其の是なるを見、之を惡まば則ち其の非なるを見る。故に妻孥の言は、失うと雖も從うこと多く、憎む所の言は、善しと雖も惡しと爲す。苟も親愛を以て之に隨わば、則ち是れ私情の與する所なり。豈正理に合わんや。故に隨の初九に、門を出でて交わらば、則ち功有りという。
【補足】
・この条は、周易程氏伝随卦初九の爻辞にある。

凡夫の水ばなれのせぬ中はこの屈は離れられぬ。大学に於所親愛辟むとあり、これが凡情の動かぬことなり。我に親しいものの云ことはきくものなり。今あの人へは貴様云て下されと云がある。親愛ゆへ貴様の云ことはよくきくと云ふ。これが太極の前へは出されたことではない。可愛ものの云ことはききがよい。そこが人心のひずみなり。同じ我子でも愛子と云がある。そこで利口な兄が、このことはあれに云はせるがよいと云。これで見れば賄と云も親愛と云処からつけこむ。張儀などがそれが上手なり。懐王の御部屋へ賄ってつけこんだぞ。酒屋にもひいきがある。我贔負なれば、よい酒もあれがのはよいと云ふ。舌の味迠がちごうと見へる。きつい迷ひなり。故妻孥之言雖矢云々。上下着て同役の前での理屈はよけれとも、女房や子供のときにはそふでない。そこで、利口なやつがとふに内にまわってきめ処をきめると云そ。兎角愛てほろを乱す。所謂之言雖善云々。尤なこともわるくきく。あじなものぞ。故隨の初九出門云々。兎角一ち向にかかる。その初九に周公の古今の魂を見拔て出門而交と云なり。随にも親むと云処、私があるゆへ表門を押開てあかるみへ差出して交ると云ことなり。これでは有功な筈なり。贔負ひんばと云ことはない。理なりをする。日頃かまはずすることなり。惣体縁ひきを求めるは門の内でのことなり。出門而交は理なりぞ。
【解説】
人は親愛する者の言うことに従い易いものだが、それが迷いともなり、付け込まれる本にもなる。親愛は私である。「出門而交」は理の通りである。
【通釈】
凡夫が水離れしない内はこの弊から離れられない。大学に「於所親愛辟」とあり、これが凡情の動かないこと。自分に親しい者の言うことは聞くもの。今あの人へは貴様が言って下さいということがある。親愛なので貴様の言うことはよく聞くと言う。これは太極の前に出せることではない。可愛い者の言うことはよく聞く。そこが人心の歪である。同じ自分の子でも愛子ということがある。そこで利口な兄が、このことはあれに言わせるのがよいと言う。これで見れば賄いも親愛という処から付け込むもの。張儀などはそれが上手だった。懐王の御部屋へ賄いをして付け込んだ。酒屋にも贔屓がある。自分の贔屓の者であれば、あれの酒はよいと言う。舌の味までが違って来ると見える。それは大変な迷いである。「故妻孥之言雖失云々」。裃を着て、同役の前での理屈はよいのだが、女房や子供の時にはそうではない。そこで、利口な奴がとっくに内に回って決め処を決めると言う。とかく愛で幌を乱す。「所憎之言雖善云々」。尤もなことも悪く聞く。それは味なもの。「故随初九出門云々」。とかく直向にする。その初九に周公の古今の魂を見抜いて出門而交と言った。随にも親しむという処があるのは私があるからで、そこで表門を押し開けて明るみへ差し出して交わるのである。これなら有功な筈である。贔屓偏頗ということはなく、理の通りをする。日頃を構わずにそれをする。総体縁引を求めるのは門の内でのこと。出門而交は理の通りである。
【語釈】
・於所親愛辟む…大学章句8。「所謂齊其家在脩其身者、人之其所親愛、而辟焉。之其所賤惡、而辟焉。之其所畏敬、而辟焉。之其所哀矜、而辟焉。之其所敖惰、而辟焉」。
・懐王…楚王。名は熊槐。威王の子。~前297
・妻孥…妻子。


第十 隨九五之象曰の条

隨九五之象曰、孚于嘉、吉、位正中也。傳曰、隨以得中爲善。隨之所防者過也。蓋心所説隨、則不知其過矣。
【読み】
隨の九五の象に曰く、嘉[よき]に孚ありて、吉なりとは、位正中すればなり、と。傳に曰く、隨は中を得るを以て善と爲す。隨の防ぐ所の者は過ぐることなり。蓋し心に説隨する所あらば、則ち其の過ぐるを知らざらん、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝随卦九五の象伝にある。

孚于嘉云々。何んでも隨は道理のことゆへ、よひことに隨ひ、わるいことに隨わぬことなり。なれとも道理はつめたく肉身はあたたかなもの。そこでつい肉のあたたかなものに從ふ。これもあながち熱ひ寒ひひだるいの肉身に隨ふはかりでなく、これは面白ひとうれしみの付くは理外なれば肉身に付たことなり。道理をすててかけこむ。君子はよい方へ隨ひ、小人はわるい方へ隨ふ。善に随ふか悪に随ふかの二つなものぞ。九五は君の塲なり。下の六二の臣にべったりと随。そのよいのは道理に隨ふた人ゆへぞ。一っはいに隨ふから孚于嘉なり。舜は五人の臣にべったりと隨ふ。武王は十人に隨ふ。それから下っては劉備が孔明に從ふ。よく々々なことぞ。をれが死んだ後は忰役にたたずは其方天下を取やれと迠云たぞ。誠の至極なり。五も阳なれば九も阳。阳と阳で正いなり。五は外卦のまん中ゆへ中と云なり。なぜよいなれば、よいものに隨ふ処が一すぢなることゆへ、そこでよきほどな道理に隨ていく。よい筈なり。だたい隨はこの方のからだをまん中に置て云ことではない。どこへてもまへろふと云ことゆへ、わるければどんな処へ隨ふもしれぬ。先つ役人はすなをがよい。なぜすなをのよいは、我を立ず道理に隨ふからよい。されとも得中と云でなければめったなり。何でも角でもと云なれば本のことではない。中を得てこそなり。
【解説】
「隨九五之象曰、孚于嘉、吉、位正中也。傳曰、隨以得中爲善」の説明。随は道理に従うことだが、道理は冷たく肉身は温かいので、人は肉身に従い易い。嬉しくなることも理に外れていれば肉身に随うことになる。九と五は共に陽で正しく、五は外卦の真ん中なので中である。九五は君の場であり、下の六二の臣に随う。随は中を得た上でなければならない。
【通釈】
「孚于嘉云々」。何と言っても随は道理に従うことなのだから、よいことには随い、悪いことには随わないのがよい。しかし、道理は冷たく肉身は温かなもの。そこでつい肉の温かな方に従う。これもあながち熱さや寒さ、空腹などということばかりが肉身に随うことでなく、これは面白いと嬉しい気持ちになることも、それが理外であれば肉身に付いたことなのである。それは道理を捨てて駆け込むこと。君子はよい方へ随い、小人は悪い方へ随う。善に随うか悪に随うかの二つである。九五は君の場であり、下の六二の臣にべったりと随う。それがよいのは道理に随う人だからである。一杯に随うから孚于嘉である。舜は五人の臣にべったりと随い、武王は十人に随った。それから下っては劉備が孔明に従った。それはよくよくなこと。俺が死んだ後は忰が役に立たなければお前が天下を取れとまで言った。これが誠の至極である。五も陽で九も陽。陽と陽なので正しい。五は外卦の真ん中なので中と言う。何故これがよいのかと言うと、よいものに随う処が一筋なので、そこでよい道理に随って行くからであって、これはよい筈である。そもそも随は自分の体を真ん中に置くと言うことではなく、何処へでも参ろうと言うことなので、悪ければどんな処へ随うかも知れない。先ず役人は素直なのがよい。何故素直がよいのかと言うと、我を立てず道理に随うからよい。しかしながら、「得中」でなければ滅多矢鱈となる。何もかもということであれば、それは本来のことではない。中を得てこそ本来である。
【語釈】
・舜は五人の臣にべったりと隨ふ…論語泰伯20。「舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人」。

隨にはこまりたことある。隨すきるで取乱すことある。なぜなれば、いかさまとのってかかると過るを知らぬものなり。これが戒めやふことぞ。これは大事あるまいと云にも役人の心得大切なり。すく処でかたずんでくる。そこで道理に叶はぬなり。医者も瀉藥つかい補藥つかい、もふかたずりたのぞ。医者は人の命をあつかりて居るものなればめったなことはせぬが、その方に仕覚ありてそれで手柄をすると、腕に力は覚へたりとつい掛引を忘るるものなり。其段になると鹿を追う猟師不見山。役人もこのすきなと云ことあるかなきかと考へ見るべし。某なども酒がすきなれば、我を忘れ若ひものにも一盃はくるしふあるまいと思ふ。医者の禁好物も我がすきなものはゆるすものなり。阿部豊後殿の鶉をはなされたと云ふのが、あれから万事もちこむと思ふたもの。某処へ来る衆ても三味線の稽古をすると云たら大きに不埒なと呵らふが、茶の湯と云と、それはあまりわるくもあるまいと云氣になる。それも我が好きから片へらになる。ついふわ々々とそふなるものなり。茶の湯の害どらほどになろふも知れぬことなり。九五は隨ふほどよい。孔子の中を得ると云たで動きのとれぬことなり。只のものの隨ふはあてにならぬとなり。伊川が此よふに云は子ば中々これほどには見られぬことなり。所防者過也と云が尤なり。とっこいと留るでよいことなり。あの人の喜ひ隨ふは何ぞと役人は氣をつけべきことなり。重い役人は勿論、軽い役人でも下はみな上をみてをるものゆへ、ついそこからつけこまるる。悦ふと云処からは油だんのならぬことなり。
【解説】
「隨之所防者過也。蓋心所説隨、則不知其過矣」の説明。随い過ぎると偏って悪い。自分の好きなことから偏り易くなる。自分が悦ぶことで人が付け込んで来る。
【通釈】
随には困ったことがあり、随い過ぎて取り乱すことがある。それは何故かと言うと、いかにもと乗って掛かるのは過ぎることを知らないからである。これを戒めなくてはならない。これは大事にはならないだろうと言う時にも役人には心得が大切である。過ぎる処で偏って来る。そこで道理に合わなくなる。医者も瀉薬使いや補薬使いというのは、既に偏ったのである。医者は人の命を預かっているものなのだから滅多矢鱈なことはしないが、その仕方に覚えがあり、それでうまく治療をしたことがあると、自分の腕を過信してつい判断を間違えるもの。その段になると鹿を追う猟師山を見ずである。役人もこの過ということがあるかないかを考えて見なければならない。私も酒が好きなので、我を忘れて若い者にも一盃はよいだろうと思う。医者の禁好物も自分の好きなものは許すもの。阿部豊後殿が鶉を放されたというのが、あれから万事を持ち込むと思ったからである。私の処へ来る衆も三味線の稽古をすると言えば大いに不埒なことだと呵るだろうが、茶の湯と言うと、それはあまり悪くもないだろうという気になる。それも自分の好きなことから偏ったのである。ついふわふわとそうなるもの。茶の湯の害がどれほどのことになるのかも知れない。九五は随うほどよいが、孔子が中を得ると言ったので動きがとれなくなる。普通の者が随うのは当てにならないことだと言ったのである。伊川がこの様に言わなければ、中々これほどには見れないもの。「所防者過也」と言うのが尤もなことである。どっこいと留まるのでよい。あの人の喜び随うのは何故かと役人は気を付けなければならない。重い役人は勿論、軽い役人でも下は皆上を見ているものなので、ついそこから付け込まれる。悦ぶという処から油断のならないことになる。
【語釈】
・阿部豊後殿…