第十一 坎之六四曰の条  三月六日  惟秀録
【語釈】
・三月六日…寛政3年辛亥(1791年)3月6日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

坎之六四曰、樽酒簋貳、用缶。納約自牖。終无咎。傳曰、此言人臣以忠信善道、結於君心、必自其所明處、乃能入也。人心有所蔽、有所通。通者明處也。當就其明處而告之、求信則易也。故曰納約自牖。能如是、則雖艱險之時、終得无咎也。且如君心蔽於荒樂、唯其蔽也故爾。雖力詆其荒樂之非、如其不省何。必於所不蔽之事、推而及之、則能悟其心矣。自古能諫其君者、未有不因其所明者也。故訐直強勁者、率多取忤、而温厚明辨者、其説多行。非唯告於君者如此、爲敎者亦然。夫敎必就人之所長。所長者、心之所明也。從其心之所明而入、然後推及其餘。孟子所謂成德達財、是也。
【読み】
坎の六四に曰く、樽酒簋貳[そんしゅきじ]、缶[ほとぎ]を用う。約を納るるに牖[よう]よりす。終に咎无し、と。傳に曰く、此れ言うこころは、人臣の忠信善道を以て、君心に結ぶに、必ず其の明らかなる所の處よりせば、乃ち能く入るるとなり。人心には蔽う所有り、通ずる所有り。通ずる者は明らかなる處なり。當に其の明らかなる處に就きて之に告ぐべく、信を求むること則ち易からん。故に曰、約を納るるに牖よりす、と。能く是の如くんば、則ち艱險の時と雖も、終に咎无きを得ん。且く君心の荒樂に蔽わるるが如き、唯其の蔽や故なるのみ。力めて其の荒樂の非を詆ると雖も、其の省みざるを如何にせん。必ず蔽われざる所の事に於て、推して之に及ばば、則ち能く其の心を悟らしめん。古より能く其の君を諫めし者、未だ其の明らかなる所に因らざる者有らず。故に訐直強勁[けっちょくきょうけい]なる者は、率[おおむ]ね多く忤[さからい]を取り、温厚明辨なる者は、其の説多く行わる。唯に君に告ぐる者此の如くなるのみに非ず、敎を爲す者も亦然り。夫れ敎は必ず人の長ずる所に就く。長ずる所とは、心の明らかにする所なり。其の心の明らかにする所に從いて入り、然して後に其の餘に推及す。孟子謂う所の德を成し財を達するもの、是れなり、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝坎卦六四の爻辞にある。

坎の卦と云が一つ六ヶしい卦なり。井戸へ落たの、穴藏へ落たのと云時節ぞ。通り町通る様な躰の時でない。役人も一つ六ヶしい塲をして取でなくてはならぬ。其して取と云が謀でして取ろふことではない。誠でして取ら子ばならぬ。心誠求之雖不中不遠。親の子ともをあつかふ様に誠があればよくして取る。坎の六四は役人の心得になることぞ。樽酒簋貳。一樽の酒重箱に飯もの敉少ひことを云。用缶は質素なを云もの。数少ても誠は通るもの。其上に仕方のよいを納約自牖と云。今約束の約は一つ轉用して云こと。斯ふ々々したいと云が約なり。こう々々斯ふしたいと云が、それが人が聞入れぬもの。そこを聞入れよい処からする。自牖なり。牖が靣白ひことで、正靣の入り口ではないが向のあかるい処へ持こんでする。そこでよく入る。忠信善道。善道を葉解が忠告而善道くと取りた。なるほど忠告而善道は樽酒簋貳納約自牖のことなれとも、ここは善ひ道理と云ことに見るべし。なぜなれば、下句の必自能入の手段が善く導くことなれば、上の句の善道は大臣以道事君の道なり。
【解説】
「坎之六四曰、樽酒簋貳、用缶。納約自牖。終无咎。傳曰、此言人臣以忠信善道、結於君心」の説明。難しい場を謀ではなく誠でして取る。「樽酒簋貳」で、数は少なくても誠ですればうまく行く。「納約自牖」は相手が聞き入れ易いところからすること。「善道」を葉解が忠告して善く導くと解釈したが、忠信と善い道理の意である。
【通釈】
坎の卦は難しい卦である。これは井戸へ落ちたとか穴蔵へ落ちたという時節のこと。通町を通る様な時のことではない。役人も難しい場を一つして取るのでなくてはならない。このして取るとは謀でして取ることではなく、誠でして取らなければならないこと。「心誠求之雖不中不遠」で、親が子供を扱う様に誠があればよくして取ることができる。坎の六四は役人の心得になること。「樽酒簋貳」。これは一樽の酒と重箱に少しの食べ物があることを言う。「用缶」は質素なことを言う。数が少なくても誠は通るもの。その上に仕方のよいことを「納約自牖」と言う。今言う約束の約はこれを転用して言ったこと。こうしたいと言うのが約である。こうしたいと言っても、人はそれを聞き入れないもの。そこを聞き入れ易い処からする。それが自牖である。牖が面白いことで、正面の入り口ではないが向こうの明るい処へ持ち込んでする。そこでよく入る。「忠信善道」。善道を葉解が忠告而善道と解釈した。なるほど忠告而善道は樽酒簋貳納約自牖のことだが、ここは善い道理のことと捉えなさい。それは何故かと言うと、下句の「必自能入」の手段が善く導くことなのだから、上の句の善道は「大臣以道事君」の道なのである。
【語釈】
・通り町…①目抜きの大通り。また、それにそった街すじ。②江戸の日本橋を中心にして南北に通じる大通り。北は神田須田町より南は芝金杉橋に至る。
・心誠求之雖不中不遠…大学章句9。「康誥曰、如保赤子、心誠求之。雖不中、不遠矣」。
・簋…礼器の一種で、穀物を盛るのに用いる。
・缶…瓦製の器。
・牖…あかりとり。
・大臣以道事君…論語先進23。「子曰、吾以子爲異之問。曾由與求之問。所謂大臣者、以道事君、不可則止。今由與求也、可謂具臣矣。」

自其所明處乃能入る。向にここからすればよく聞入るる人じゃと云処があるもの。人の心に蔽と明な処があるもの。迂斎曰、私は耳はよいが、さて目はわるいと云。蔽と通が必ある。通ると云はあの道樂に似合ぬ、先祖のことには深切と云があるもの。そこをさて結搆なこととそのあたたまりをさまさず、そこへもちこむことぞ。役人の大切なと云がどらほどよい理でも聞入れぬと云には、藥方よくても病人の呑ぬと同こと。役に立ぬ。雖艱險之時得無咎。こちの旦那はこまったものと一家中寄合のつくほどの時でも、此筋からゆけばよく聞入れると云ことがある。其蔽也故爾。道樂になるもの、きのう今日のことではないもの。一朝一夕にはならぬ。朱に交れば赤くなる。故爾は久しい跡からそろ々々わるくなる。これは事躰でもよく合点せよ。大名などは人がいかいことついてめったには道樂もならぬ。そろ々々ゆくもの。これがよい衆の上では学問の上り兼る程な間のあるもの。それを直すは六ヶしいこと。故爾なり。
【解説】
「必自其所明處、乃能入也。人心有所蔽、有所通。通者明處也。當就其明處而告之、求信則易也。故曰納約自牖。能如是、則雖艱險之時、終得无咎也。且如君心蔽於荒樂、唯其蔽也故爾。雖力詆其荒樂之非」の説明。人には蔽と通とが必ずあるが、大切なのは通であり、通じるところからする。人は聞き入れないことがあるが、それは「故爾」からであり、長い時を掛けて悪くなるのである。
【通釈】
「必自其所明処乃能入」。向こうには、ここからすればよく聞き入ることのできる人だという処があるもの。人の心には蔽と明な処があるもの。迂斎が、私は耳はよいが、さて目は悪いと言った。蔽と通とが必ずある。通では、あの道楽にも似合わず、先祖のことに深切なことだということがあるもの。そこを実に結構なことだとその温まりを冷まさず、そこへ持ち込むのである。役人にとって大切なことは通であり、どれほどよい理でも聞き入れないという時には、薬方がよくても病人がそれを飲まないのと同じこと。それでは役に立たない。「雖艱険之時得无咎」。こちらの旦那は困ったものだと一家中が思うほどの時でも、この筋から行けばよく聞き入れるということがある。「其蔽也故爾」。道楽になる者は、昨日今日から始まったことではない。一朝一夕にはならない。朱に交われば赤くなる。故爾は久しい間にそろそろと悪くなること。これは事体でよく合点しなさい。大名などは人が大層付いているから滅多に道楽をすることができない。そろそろと行くもの。これがよい衆の上では学問の上り難くなるほどの間があるもので、これを直すのは難しい。それは故爾だからである。

如其不省何云々。めったに道樂がわるい々々々と計云てはきかぬ。醫者が差定った藥方つけてもきかぬがある。そこで樽酒簋貳納約自牖なり。人の上にはさま々々があるもの。道樂でも慈悲深ひがある。そこへもてゆきて、あなたが夜づめの長い時、小坊主がほく々々居眠る。それを不便に思召すがさて々々慈悲なさけあること。さて、道樂をなされば茶坊主はおろか御隠居様から一家中もみんなになりますと云へば、能悟其心。はっと云てきもつく。日比の御なさけ深いが皆無になるではこさらぬか、なるほどさうだと云。自牖なり。訐直強勁。訐は内証のわるいこと迠あばいてあけることを云。直はまっすく。これでして取ることもある。にべのないよいことなれとも、君の心にあたりのつよい方から今日中に引拂へと云るることあるぞ。此方に耻いことはないが君の為にならぬ。医者もかかって居たらどこぞでは一服もることもあろふ。取忤なれば詮もないこと。
【解説】
「如其不省何。必於所不蔽之事、推而及之、則能悟其心矣。自古能諫其君者、未有不因其所明者也。故訐直強勁者、率多取忤」の説明。「樽酒簋貳納約自牖」から言えば相手は納得をする。「訐直強勁」で言うと、相手が怒って聞き入れないこともある。
【通釈】
「如其不省何云々」。道楽が悪いとばかり滅多矢鱈に言うのでは聞き入れない。医者が適切な薬方をつけても効かないこともある。そこで「樽酒簋貳納約自牖」なのである。人には様々な者があるもの。道楽でも慈悲深い者がいる。そこへもって行って、貴方が夜詰めの長い時、小坊主がぽくぽくと居眠りをするのを見てそれを不便にに思し召すのが実に慈悲情けのあることですが、さて、道楽をなされば小坊主はおろか御隠居様から一家中までもが台無しになりますと言えば、「能悟其心」。はっと言って気が付く。日頃の御情け深いことが皆無になるではありませんかと言えば、なるほどそうだと答える。それが自牖である。「訐直強勁」。訐は内証の悪いことまで暴いて開けることを言う。直は真っ直ぐ。これでして取ることもある。それは当然によいことなのだが、君の心への当たりが強いから、今日中に引き払えと言われることもある。自分に恥ずかしいところはなくても、それでは君のためにはならない。医者に文句ばかりを言っていれば、何処かでは一服盛られることもあるだろう。「取忤」であればそれも仕方のないこと。

温厚明弁。これがよい文字なり。むさと向の耻をさらすやふなことを云ぬ。そこが温厚なり。なれともそれがにちゃくちゃでは役に立ぬ。そこが明弁なり。はきと云子ば聞取らぬ。これはどふでも清十良じゃ。某には明弁はあろふが温厚がない。二つ揃子はならぬこと。向へ腹を立せぬといつかして取る。いかにこちに私がないとても、君がそこらあたりつかみ散らした様な処へ理屈づめでもどふもゆかぬ。温厚明弁其説多行。為教者亦然。某などが前々あまり書生を訶りまわすからのだつものが出来ぬ。向の長処を本と手にすれは人がのだつ。先軰の云ふ、高ひ処へは火の見、ひくい処へは池と云がよい。道樂なものは銭つかいが多い。銭つかいの夛いものはよく惠むもの。そこへ同じ銭づかいなら斯ふ惠むがよいと云とよくきくもの。又しわいやつは奢らぬもの。それを某などは下卑たやつと訶るからゆかぬが、そこへもてきて、人は奢りたがるものだが貴様はをごらぬ、さてよいと云て、そこから道理を仕込めばよくゆく。孟子が君子所教者五つはきこへた。三宅先生の人の仕込のよいと云も爰を合点したからのこと。徳の方に進み早いものもあり、才から仕込み進みはやいもある。成徳達才、これなり。徳行顔淵閔子騫政事冉有季路。あの四科を孔門もさま々々だと見ることでない。得手た処のあそこからゆかせること。氣質変化を云ふ筋とはここらはあたりがちごうぞ。そこで人臣の差し當りての心得なり。
【解説】
「而温厚明辨者、其説多行。非唯告於君者如此、爲敎者亦然。夫敎必就人之所長。所長者、心之所明也。從其心之所明而入、然後推及其餘。孟子所謂成德達財、是也」の説明。「温厚」と「明弁」の二つが揃っていなければならない。教育も相手の長所を生かしてする。「成徳達才」で、徳から仕込む方がよい人もいて、才から仕込む方がよい人もいる。
【通釈】
「温厚明弁」。これがよい文字である。うっかりと相手が恥をさらす様なことは言わない。そこが温厚である。しかし、それが温厚過ぎては役に立たない。そこが明弁である。しっかりと言わなければ聞き取られない。これではどうあっても清十郎である。私には明弁はあるだろうが温厚がない。この二つが揃わなければならない。向こうに腹を立たせなければいつかして取る。いかにこちらに私がないとしても、君がそこ等辺りを掴み散らした様な処へ理屈詰めではどうもうまく行かない。「温厚明弁其説多行」である。「為教者亦然」。私などは前々からあまりに書生を訶り回すから優れた人ができない。向こうの長所を元手にすれば人が伸びる。先輩の言う、高い処へは火の見、低い処へは池がよい。道楽な者は銭使いが多い。銭使いが激しい人はよく恵むもの。そこへ同じ銭使いならこの様に恵むのがよいと言うとよく聞くもの。また、吝い奴は奢らないもの。それを私などは下卑た奴と訶るからうまく行かないが、そこへもって来て、人は奢りたがるものだが貴方は奢らない、それは本当によいことだと言って、そこから道理を仕込めばうまく行く。孟子の言った「君子所教者五」は尤もなことである。三宅先生は人の仕込みがうまいと言うのもここを合点したからのこと。徳から仕込む方が進みの早い者もあり、才から仕込む方が進みの早い者もある。「成徳達才」がこれである。「徳行顔淵閔子騫政事冉有季路」。あの四科で孔門も様々だと見てはならない。ここは得手の処から行かせること。気質変化を言う筋とは、ここ等は当たりが違う。そこで、これが人臣の差し当たっての心得なのである。
【語釈】
・清十良…桜木誾斎。名は千之。長崎聖堂教授となる。友部安崇の感化で神道に傾く。享保10年(1725)~文化元年(1804)
・君子所教者五つ…孟子尽心章句上40。「孟子曰、君子之所以教者五。有如時雨化之者、有成德者、有達財者、有答問者、有私淑艾者。此五者、君子之所以敎也」。
・徳行顔淵閔子騫政事冉有季路…論語先進2。「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。德行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏」。


第十二 恒之初六曰の条

恆之初六曰、浚恆。貞凶。象曰、浚恆之凶、始求深也。傳曰、初六居下、而四爲正應。四以剛居高、又爲二三所隔、應初之志、異乎常矣。而初乃求望之深。是知常而不知變也。世之責望故素、而至悔咎者、皆浚恆者也。
【読み】
恆の初六に曰く、恆に浚[ふか]し。貞ならば凶なり、と。象に曰く、恆に浚きことの凶なるは、始めに求むること深ければなり、と。傳に曰く、初六は下に居りて、四は正應を爲す。四は剛を以て高きに居り、又二三の隔つ所と爲り、初に應ずる志、常に異なり。而るに初は乃ち求望すること深し。是れ常を知りて變を知らざるなり。世の故素を責望して、悔咎[かいきゅう]に至る者は、皆恆に浚き者なり、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝恒卦初六の爻辞にある。

浚恒。これが役人の甚だ心得になること。勢と云ことを知ろふこと。勢は理外なこともある。火はをこる約束のものたゆへ火の用心する。なれども、入梅にはをこり兼る。兎角時節がある。時節がわるいとどうもゆかぬことがある。浚恒はどこ迠も自分の思ひつめた通りに行くものだと思ふ。恒は定りなり。偏屈にものを思ひつめた学者にあるもの。その合点ではわるい。貞しけれとも、貞なるはと两点ある。貞しけれとも凶と云があたり前の点なれとも、山﨑先生は根を知た、呑込んたから貞なるはと付けた。貞なるはと云が靣白ひことで、迂斎の、五月節句は帷子と心得ても、瘧をふるふにはわた入れ着てもよいと云はれた。貞がわるいと云ことがあるぞ。あの人はかたいと云はよい人なれとも、かたいでわるいことがある。始求深也。吾をよほどのものと思からの間違ぞ。新参の儒者抔が、人がをらなどにはかまはぬと不快を云。此頃かかへた医者がなじぇをれを用ひぬなと云。あまり律義にまじめになって、さう云心があるもの。だたい新参は人がまぜぬもの。主人へは藥はもられぬ。家中で藥を飲むもまだ仕合な首尾と思がよい。初六がをれをこうしてをく筈はないと不快を云が、だたいよい人でもあろふが、譜代のたわけは一と理屈云はるるが、新参はまだ皃も覚へぬから旦那が見向きもせぬ。其筈のことぞ。今度のことがをれでなくてはと思ふてもさうはこぬ。
【解説】
「恆之初六曰、浚恆。貞凶。象曰、浚恆之凶、始求深也」の説明。勢いには理外なこともあり、時節が悪ければうまく行かないもの。貞は貞しいことだが、貞で悪くなることがある。恒の初六は新参者である。新参者が自分の現状に不満を言っても、上はそれを聞き入れない。
【通釈】
「浚恒」。これが役人の甚だ心得になること。勢いということを知りなさい。勢いは理外なことにもある。火は熾る約束のものなので火の用心をするが、入梅の時に熾ることができない。とかく時節がある。時節が悪いとどうもうまく行かないことがある。浚恒は何処までも自分の思い詰めた通りに行くものだと思うこと。恒は定まりである。偏屈にものを思い詰めた学者にこれがあるもの。その合点では悪い。「貞」は、貞しけれどともと、貞なるはの二つの点ある。貞しけれども凶と言うのが当たり前の点だが、山崎先生は根を知りそれを飲み込んだから貞なるはと点を付けた。貞なるはと言うのが面白いことで、迂斎が、五月の節句は帷子と心得ていても、瘧で震えるのであれば綿入れを着てもよいと言われた。貞が悪いということがある。あの人は堅いというのはよい人のことだが、堅いので悪いことがある。「始求深也」。自分をよほどの者と思うところからの間違いである。新参の儒者などが、人が俺などには構わないと不快を言う。この頃抱えた医者が何故俺を用いないのかと言う。あまりに律儀に真面目になる者にその様に言う心があるもの。そもそも人は新参者を交ぜないもの。新参者が主人へ薬を盛ることはならない。家中の者が薬を飲むだけもまだ上首尾と思うべきである。初六が俺をこうして置く筈はないと不快を言うが、それはそもそもよい人だろうが、譜代の戯け者は一理屈言うことができても、新参はまだ顔も覚えていないから旦那が見向きもしない。それは当然のことである。今度のことは俺でなくてはと思っても、その様にはならない。

初六が九四と云正應はある。九四は家老勢盛であれとも、二三と云ふさへ隔があるから初六にはあまりかまはぬなり。今田舎から出た学者などが了簡ちがいが有る筈なり。自分ではをれこそと思ても、古参の方では中々あれも男ぶりもよいの、理巧そふに見へる位のことに思ふ。なんとしてめったに先生にはせぬ。初六がよいものであろふとも、只そっとそこで出たのなり。どふも用られぬ。うい々々しい。知常不知変。上戸が醉倒れて爰では梨子を喰たいと云口へ、いつもむまいものがよかろふとて鯛や鴨と出す。不知変なり。酢うどでよい処をむますぎるものを出す。実体な役人、かたい学者などがをれをこうする筈はあるまいと不断腹を立もの。行がよく不埒がないからではあろふが、そんないきづまりでは大勢の人をあつこう役人にはなられぬ。某が先年醫者の評判で云たことがある。医者が手抦をしたときの皃とはづしたときの皃と同じ皃で居るでなくては療治は上らぬ。大勢取扱ふことゆへ麁相もあろふが、其度々にめりこむ様に思てはどふもならぬ。はづしたときも平氣なやつは腹中が大きいからなり。そんな男は医者が上る。役人もをれをこうする筈はないと云は胸がせまい。堅く心得ては政事がならぬぞ。
【解説】
「傳曰、初六居下、而四爲正應。四以剛居高、又爲二三所隔、應初之志、異乎常矣。而初乃求望之深。是知常而不知變也」の説明。初六は新参者で九四の家老に正応しているが、その間に九二と九三の隔てがあるので家老は新参者に構わない。そこで、新参者が不満を言うのは胸が狭い。
【通釈】
初六には正応している九四がある。九四は家老で勢いが盛んだが、二爻と三爻という隔てがあるから初六にはあまり構わない。今田舎から出た学者などには了簡違いがある筈である。自分では俺こそと思っていても、古参の方では中々あれも男振りがよいとか利口そうに見える位のことと思うので、どうしても滅多矢鱈には先生にしない。初六がよいものであろうと、それはただすっとそこで出ただけのことで、どうも用いることはできない。初六は初々し過ぎる。「知常不知変」。上戸が酔い倒れてここでは梨を喰いたいと言うところに、いつでも美味いものがよいだろうと思って鯛や鴨を出す。それが不知変である。酢独活でよい処を美味過ぎるものを出す。実直な役人や堅い学者などが、俺をこうする筈はないだろうといつも腹を立てるもの。行いがよく不埒なことをしないからその様に思うのだろうが、そんなことで腹を立てていては大勢の人を扱う役人になることはできない。私が先年医者の批評して言ったことだが、医者は手柄をした時も失敗した時も、同じ顔でいるのでなければ療治は上がらない。大勢を取り扱うことなので粗相もあるだろうが、その度に落ち込む様ではどうにもならない。失敗した時も平気な奴は腹中が大きいからそれができるのである。そんな男は医者の腕が上がる。役人も、俺をこうする筈はないと言うのでは胸が狭い。堅く心得ては政事はできない。

責望故素。此以上は奉公するものの上で云こと。爰からは朋友其外世間廣く云こと。をれはあの者親の友だからとてその友になりた。親が死での跡でも親の友だからをれをば叔父と思へと云顔で出入りする。年礼にもなぜをれが処へさきへこぬと云てはらを立つ。祖父以来のなどと云ことを云が故素を責望するのぞ。吾は親切で子とも同前に思ふからさう云でもあろふが、いかいたわけなり。親の友は親同前と思ふはよい人の上のこと。さう思ものはない。後にはうとみ果てられて、又あの人が来て元禄時代の理屈をまく、すてておけと云るる。吾が伯父の方にさへ年礼にゆかぬ様なををちゃくもの、其筈のことなり。それをいつも々々々親の様にすると思ふはたわけたことなり。
【解説】
「世之責望故素、而至悔咎者、皆浚恆者也」の説明。「責望故素」では人に疎み果てられる。それは大戯けである。
【通釈】
「責望故素」。これから先のことは奉公する者の上で言うこと。ここからは朋友やその外世間広くを言ったこと。俺はあの者の親の友だからと思ってその人の友になった。親が死んだ後でも、親の友だったのだから俺を叔父と思えと言う顔で出入りをする。年礼にも何故俺の処へ先に来ないのかと言って腹を立てる。祖父以来などと言うのが責望故素である。親切から自分が子供同然に思ってその様に言うのでもあろうが、大層な戯けである。親の友は親同然と思うのはよい人に対してのことで、その様に思う者はいない。後には疎み果てられて、またあの人が来て元禄時代の理屈を撒いている、放って置けと言われる。自分の伯父の方にさえ年礼に行かない様な横着者であれば、そうなる筈である。それをいつも親の様にしなければならないと思うのは戯けたことである。


第十三 遯之九三曰の条

遯之九三曰、係遯。有疾厲。畜臣妾、吉。傳曰、係戀之私恩、懷小人女子之道也。故以畜養臣妾則吉。然君子之待小人、亦不如是也。
【読み】
遯の九三に曰く、係がれし遯なり。疾有りて厲[あや]うし。臣妾を養うは、吉なり、と。傳に曰く、係戀の私恩は、小人女子を懷[なつ]くる道なり。故に以て臣妾を畜養せば則ち吉なり。然れども君子の小人を待つ、亦是の如くならざるなり。
【補足】
・この条は、周易程氏伝遯卦九三の爻辞にある。

治体治法と云上に政事と云ことのあるがすみにくいこと。それを一条々々にとくと讀で見ると政事と云のあやが知るる。政事と云はちらり々々々とした手段のあることぞ。医書に藥の煎法用ひ様さま々々あると同こと。小柴胡を煎じるには去滓又煮ると云様なことで、政事と云はこまかな上のこまかなり。こまかなことが届か子ば治法もみんなにする。そこで直方先生の目はしをきかせろと云ことを度々云れた。学者同士でさへ目はしきか子ばならぬに、まして天下国家なり。目はしがきか子ばならぬ。されとも此方に知惠と云根がなければ目はしはきかぬもの。遯の九三、のかるる塲に居てのがるることゆへのかるるはよいが、係遯、どうかして足がとまった。のきはがはきとない。そこを有疾と云。あの人は先月御役願だときいたが、ずる々々だそうなと云るる。なぜだかうぢついておると云るる。別して学者などの見くるしいこと。されども道理と云は究りないもの。手前の方へはわるいことだが、畜臣妾吉なり。出し処でよいことになる。係遯は立派にないこと。学者の出處進退には風上にもをかれぬことなれとも、下女下男を取あつこうにはよい。男をみがくの有丈夫之志氣者のと云に見ぐるしいはわるいが、天地の間の道理はさま々々で、みがくと云ことばかりではない。下女下男は追出そうと思ふたも重年させることもあるでよい。
【解説】
「遯之九三曰、係遯。有疾厲。畜臣妾、吉」の説明。政事は目端を利かさなければならないが、それも知恵がなければできない。「係遯」は逃れられずにいることで悪いことだが、下女下男を扱うにはよいこと。
【通釈】
治体治法の上に政事ということがあるのが済み難いこと。それを一条毎にしっかりと読んで見ると政事の綾がわかる。政事には一寸した手段がある。医書に薬の煎法や用い方が様々あるのと同じこと。小柴胡を煎じるには滓を去ってまた煮ると言う様なことで、政事とは細かな上の細かなこと。細かなことが届かなければ治法も台無しにする。そこで直方先生が目端を利かせろと度々言われた。学者同士でさえ目端が利かなければならないのに、天下国家のことは尚更である。目端が利かなければならない。しかし、自分に知恵という根がなければ目端は利かないもの。遯の九三は逃れる場にいて逃れることなので、逃れるのがよいのだが、「係遯」で、どうしてか足が止まった。きっぱりと逃れることができない。そこを「有疾」と言う。あの人は先月御役願になったと聞いたが、ぐずぐずしているそうだと言われる。何故かうじうじしていると言われる。これは特に学者などには見苦しいこと。しかしながら、道理は窮まりないもの。これは自分の方には悪いことだが、「畜臣妾吉」である。出し処でよいことになる。係遯は立派なことでなく、学者の出処進退では風上にも置けないことだが、下女下男を取り扱うにはよい。男を磨く者や丈夫の志気ある者に見苦しいことは悪いが、天地の間の道理は様々で、磨くということばかりではない。下女下男には、追い出そうと思っても重年させることもあるのでよい。

係戀私恩。立派にはないこと。小坊主が砂糖を盗んでくふたに、さて々々にくいやつとは云はふが、年もゆかぬからそうもあろふ、かわいやと云こともある。盗をしたにかわいやは入らぬことなれとも、それがよい。あいらは其筈だ。今度から喰ふなと云ておくことぞ。女子小人は論語の字なり。遯の九三ひかれるは、不立派なが、下女下男よっほどわるいことあろふともゆるすがよい。刻剥なものと云がさうゆかぬもの。政をするものもあまり立派をするはわるい。麁相やあやまちでしたことはよほどなことでも不便をかけるがよい。高をくくってしたことはかるいことでもゆるされぬ。災眚赦肆怙終賊刑とあるぞ。されとも小孥小女の親心はさぞと私恩か出る。役人となれば米一俵のことでもゆるされぬ。臣妾には又心入の分なと云が別段な意ぞ。周公旦の畜臣妾吉とかけたか有難ひ心なり。武士は木口塲を大切にするとても、歴々のにげたと中間のにげたはちがをふ。すみから隅迠大人も小児も一つにしては、立派でも刻剥なり。此れらか役人の心得になる章なり。されともこれをあまり云すぎると世の中埒もないことになる。そこで然るになり。君子之待小人亦不如是也。上にある小人は臣妾、ここの小人は悪人のこと。大学で云媢疾の人。これは四夷に退けなり。驩兜放於祟山鯀殛羽山。四凶のるいなり。立派な人ではきびしくすること。
【解説】
「傳曰、係戀之私恩、懷小人女子之道也。故以畜養臣妾則吉。然君子之待小人、亦不如是也」の説明。政をする者が臣妾に対してあまりに立派をするのは悪い。高を括ってしたことは軽いことでも許してはならないが、誤ってしたことはよほどのことでも許すのがよい。但し、悪人に対しては厳しくしなければならない。
【通釈】
「係恋私恩」。これは立派なことではない。小坊主が砂糖を盗んで食ったのを、実に憎い奴だと言うことも、また、年もいかないからその様なこともあるだろう、可愛い奴だと言うこともある。盗みをしたのに対して可愛いは要らないことだが、それがよい。あいつ等はその筈だ。今度からは喰うなと言って置くのがよい。女子小人は論語の字である。遯の九三を引かれたのは、立派なことではないが、下女や下男がよほど悪いことをしたとしても、それを許すのがよいということ。刻薄な者というのがその様にできないもの。政をする者もあまりに立派をするのは悪い。粗相や誤ってしたことはよほどのことでも不便に思うのがよい。しかし、高を括ってしたことは軽いことでも許すことはできない。「災眚肆赦怙終賊刑」ともある。しかしながら、小男や小女への親心では、さぞそうだろうと私恩が出る。役人となれば米一俵のことでも許すことはできないが、また、臣妾には応分の心入れをするというのが別段な意である。周公旦の畜臣妾吉と繋けたのが有難い心である。武士は戦場を大切にするとは言っても、歴々が逃げたのと中間が逃げたのとでは違う。隅から隅まで大人も小児も一つにしては、立派でも刻薄である。これ等が役人の心得になる章である。しかし、これをあまり言い過ぎると世の中が埒もないことになる。そこで「然」である。「君子之待小人亦不如是也」。上にある小人は臣妾のことで、ここの小人は悪人のこと。それは大学で言う「媢疾」の人のことで、四夷に退けである。「驩兜放於祟山鯀殛羽山」で、四凶の類である。立派な人に対しては厳しくする。
【語釈】
・女子小人…論語陽貨25。「子曰、唯女子與小人爲難養也。近之則不孫。遠之則怨」。
・災眚赦肆怙終賊刑…書経舜典。「眚災肆赦、怙終賊刑、欽哉欽哉。惟刑之恤哉。流共工于幽州、放驩兜于崇山、竄三苗于三危、殛鯀于羽山、四罪而天下咸服」。
・媢疾…大学章句10。「人之有技、媢疾以惡之、人之彦聖、而違之俾不通、寔不能容、以不能保我子孫黎民、亦曰殆哉」。
・驩兜放於祟山鯀殛羽山…孟子万章章句上3。「萬章曰、舜流共工于幽州、放驩兜于崇山、殺三苗于三危、殛鯀于羽山、四罪而天下咸服。誅不仁也」。書経堯典にもある。
・四凶…共工、驩兜、三苗、鯀。


第十四 睽之象曰の条

睽之象曰、君子以同而異。傳曰、聖賢之處世、在人理之常、莫不大同。於世俗所同者、則有時而獨異。不能大同者、亂常拂理之人也。不能獨異者、隨俗習非之人也。要在同而能異耳。
【読み】
睽[けい]の象に曰く、君子は以て同じくして異なり、と。傳に曰く、聖賢の世に處する、人理の常に在りては、大いに同じからざること莫し。世俗の同じき所の者に於ては、則ち時有りて獨り異なり。大いに同じきこと能わざる者は、常を亂し理に拂[もと]る人なり。獨り異なること能わざる者は、俗に隨い非に習う人なり。要は同じくして能く異なるに在るのみ、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝睽卦象伝にある。睽卦象伝は「象曰、上火下澤睽。君子以同而異」である。

此章も又あんばいなり。垩賢の上が世間並と替ることはない。ないかと思へば又替ったこともある。今垩人が日本にござると正月は上下で松飾の下で雜煮喰てござる。そこは替らぬ。冠昏喪祭世間並でもあろふが、そのうちに並みでないものがある。士農工商旦那寺のあるは大に同しなり。それじゃとて親の身をそこへなげ出してまかせはせぬ。そこが異なりの処。今朋軰ともとるものがある。同役は乘合舩とはちごう。君命なり。それにもとるは君へ不礼になる。同役がすきでしたことではない、君命で同役になりたなりと云て賄賂を取たり非義をしたりする迠同くするはわるい。人理之常。世間の人なりなこと。昏礼元服同がよい。程朱も此国に生れたら月代をそるであろ。孔子宋に在ては章甫を服した。それでは只の人でごさるかと云に、有時独異なり。これがないと小人と垩人が一つことになる。並みを聞合せはせぬ。独異なり。今大名衆は御並み々々々と同席を聞合せるは上を重んじたこと。そんなら垩人も隣屋鋪の通りかと云に、そうせぬことがある。
【解説】
「睽之象曰、君子以同而異。傳曰、聖賢之處世、在人理之常、莫不大同。於世俗所同者、則有時而獨異」の説明。聖人は世間並みのことをするが、それだけではなく、独り異なることもする。
【通釈】
この章もまた塩梅のあること。聖賢は世間一般と変わることはない。しかし、変わることがないかと思えばまた変わったこともある。今聖人が日本におられれば正月は裃で松飾の下で雑煮を喰っておられる。そこは変わったことはない。冠婚喪祭も世間並みでもあろうが、その内に並でないものがある。士農工商に旦那寺があるのは「大同」である。それではと言って親の身をそこへ投げ出して任せはしない。そこが「異」の処である。今朋輩と悖る者がいる。同役は乗合船とは違い君命からのもの。それなのに悖るのは君への不礼になる。同役には好きでなったわけではない、君命で同役になったのだと言って、賄賂を取ったり非義をしたりすることまでを同じくするのは悪い。「人理之常」。世間の人の通りの姿である。婚礼元服は同じなのがよい。程朱もこの国に生まれたら月代を剃るだろう。孔子が宋にいた時に章甫を服した。それでは普通の人ではないかと言えば、「有時独異」である。これがないと小人と聖人とが同じことになる。並のことを聞き合わせはしない。独異である。今大名衆は御並みと言って同席に聞き合せるのは上を重んじるからのこと。それなら聖人も隣屋敷の通りかと言えば、そうはしないことがある。
【語釈】
・章甫…緇布。

今の学者が別なことしたがりて乱常拂理。丁度に往ぬ。常は上の人理之常の常なり。偏な人が並みと違ふもの。時世の形りにするでよい。武士は二本さすでよい。治世だ、無刀が目出たいと云ひ、惣髪がよい、半分剃たも偏なものじゃと云。入らざること。苦しふないことは世間並がよい。されとも隨俗習非。これはべったり俗人じゃ。時世々々だ、火葬もよい。堺町も立ててある、あれもよければこそ天下で立たと云。俗人は内証では法度を犯すことをもして、又勝手な処では公儀を云立てに引くもの。それこそ本の俗人ぞ。在同而能異耳。見た処のちかわぬで内の心の違ったことがいかいことあるもの。斉楚ほどな大国、臣下はいくらもあるが中の魂の忠信なはない。皆内はちこう。君子は見た処は一つで内が凡夫と違ふばかりじゃ。
【解説】
「不能大同者、亂常拂理之人也。不能獨異者、隨俗習非之人也。要在同而能異耳」の説明。「人理之常」から外れたことをすれば「乱常払理」でうまく行かない。軽いことは時世の通りにするのがよい。君子は見た目は凡夫と同じだが内が違う。
【通釈】
今の学者が別なことをしたがり「乱常払理」でうまく行かない。常は上の人理之常の常である。偏った人は並とは違うものだが、時世の通りにするのがよい。武士は二本差すのでよい。治世だから無刀が目出度いと言い、惣髪がよい、半分剃るのも偏なものだと言う。それは要らざること。軽いことは世間並みがよい。しかしながら「随俗習非」。これはべったりと俗人である。時世柄、火葬もよい、堺町もあるが、あれもよいからこそ天下で立ててあると言う。俗人は内証では法度を犯すことをもして、また、勝手な処では公儀を口実として引用するもの。それこそ本当の俗人である。「在同而能異耳」。見た処は違わないが、内の心の違うことが大層あるもの。斉楚ほどの大国には臣下がいくらもいるが、心中では、忠信の魂を持った者はいない。皆内は違う。君子は見た処は凡夫と同じで内が違うのである。
【語釈】
・惣髪…男の髪の結い方の一。江戸時代の儒者・医師・山伏・浪人・神官などの髪型。額の月代を剃らず、全体の髪を伸ばし、これを束ねて結ったもの。


第十五 睽之初九の条

睽之初九。當睽之時、雖同德者相與、然小人乖異者至衆。若棄絶之、不幾盡天下以仇君子乎。如此則失含弘之義、致凶咎之道也。又安能化不善而使之合乎。故必見惡人、則无咎也。古之聖王、所以能化姦凶爲善良、革仇敵爲臣民者、由弗絶也。
【読み】
睽の初九。睽の時に當たりては、德を同じくする者相與すと雖も、然れども小人の乖異する者至って衆[おお]し。若し之を棄絶せば、天下を盡して以て君子に仇せしむるに幾からずや。此の如くんば則ち含弘の義を失い、凶咎の道を致さん。又安んぞ能く不善を化して之をして合わせしめんや。故に必ず惡人を見ば、則ち咎无し。古の聖王、能く姦凶を化して善良と爲し、仇敵を革めて臣民と爲す所以の者は、絶たざるに由るなり。
【補足】
・この条は、周易程氏伝睽卦初九の爻辞にある。睽卦初九は「初九。悔亡。喪馬勿逐、自復。見惡人无咎。象曰、見惡人、以辟咎也。」である。

睽くと云字は一と六ヶし。六ヶしいこと何事もなく、大勢の同心したはよいものなれとも、睽の時は、そなたはそふか、をれはこふだと睽き合ひたことゆへ六ヶしい。今あの村のものは三つにも四つにもわれておると云は睽なり。雖同德者相與小人乖異者至衆し。睽の時節はわるいもの。宋朝であの大德の明道先生と司馬温公こまられた。王荊公には呂惠郷が與した。どふもよい人と合はなんだ。明道の方も天下中よいとは思ふが、向にもいかいこと王荊公方がある。同徳相與す。学友仲ヶ間はよいなれども、無学は多ひもの。それは皆そむいてをる。学者は六ヶしい。藝者はそれはきらいと云てもすむ。揚弓茶の湯きらいだと云てすむ。下戸が酒屋をこはさうとも云ぬが、学者はきらいと云ては居られぬ。無学が歒にして、大方寄合ってわるく云であろふと云てにくむ。朱子の呂東萊と出合ふに遠慮は有りそもないことじゃに、さし合なことがありたと云。先年の鵝湖寺は失計で有った、今度は脇道からまはりて出合ふと云たこともある。挾箱にでも腰をかけてゆる々々話そふと云。小人がにくむからのことぞ。よいものは妬るる。あの丸ひ孔子を桓魋が弑そうと云たぞ。これが政事の心得になることなり。今学者に役人にでもなれば俗人からのけものにさるる。四つを打たがまた垩人が来ぬわへと云。又そりゃ学者が通るはと云。学者と呼ぶは尊ぶではなくて嘲弄するのなり。そこをどっこいと角力を取るは了簡違ひなり。
【解説】
「睽之初九。當睽之時、雖同德者相與、然小人乖異者至衆」の説明。睽の時は人が睽[そむ]く時であり、対応が難しい。徳のある者が組んでも、無学の者が多くいて皆が睽く。学者も俗人に除け者にされるが、それをまともに相手にするのは悪い。
【通釈】
睽くという字は少々難しい字である。難しいことが何もなく、大勢が同心するのはよいものだが、睽の時は、貴方はそうか、俺はこうだと睽き合うので難しい。今あの村の者は三つにも四つにも割れていると言うのは睽である。「雖同徳者相与小人乖異者至衆」。睽の時節は悪いもの。宋朝では、あの大徳の明道先生と司馬温公がこれで困られた。王荊公には呂恵卿が与した。どうもよい人と組まなかった。明道の方を天下中がよいとは思ったが、向こうにも大層王荊公の味方がいた。「同徳相与」である。学友仲間はよいが、無学は多いもの。彼等は皆睽いている。学者は難しい。芸者はそれは嫌いと言えば済む。楊弓や茶の湯は嫌いだと言えば済む。下戸が酒屋を壊そうとも言わないが、学者は嫌いと言ってはいられない。無学が学者を敵にして、大方寄合って悪く言っているのだろうと思って憎む。朱子が呂東萊と出合うのに遠慮はありそうもないことだが、具合の悪いことがあったと言う。先年の鵝湖寺では失敬をした、今度は脇道から回って出合おうと言ったこともある。鋏箱にでも腰を掛けてゆっくりと話そうと言った。それは小人が憎むからである。よいものは妬まれる。あの丸い孔子を桓魋が弑そうと言った。これが政事の心得になること。今、学者が役人にでもなれば俗人から除け者にされる。四つ時になったのにまだ聖人が来ないぞと言われ、また、それ、学者が通るぞと言われる。学者と呼ぶのは尊んでのことではなくて嘲弄したこと。そこをどっこいと真っ向から応じるのは了簡違いである。
【語釈】
・同德…内卦の第一爻の初九と外卦の第一爻の九四が相対の位置にあり、どちらも陽爻なので徳を同じくするものとなる。
・鵝湖寺…呂東萊が鵝湖寺にて朱熹と陸象山を引き合わせた。鵝湖の会。1175年。
・桓魋が弑そう…論語序説。「去適宋。司馬桓魋欲殺之」。

盡天下は至て衆しのこと。天下中一つに成て君子方へ仇をすること。前々も云た、伊川先生が一と頃のことはこっちもわるかったと云たことがある。我輩激成之と云へり。温公や伊川の召出されたとき、善類の徒が王荊公の引込れた後をあまりわるくしたから、さきても又こっちをつよくそしり、あちかをこりてきた。失含弘之義。先日も泰の程傳無含弘之度の処で云たが、寛仁大度がよい。子ともがじれて泣にあたまをたたかれても泣。やまする工面がよい。わる者の方は熱にうかされたも同前ぞ。それにわるくさわると、致凶咎。朱子の東漢の名節は心から忠義が根すと云てほめたは、あのときあまり風俗のわるさに、それらに煎して呑せた藥なり。程子は名節が死ぬを手抦にするはあんまりなこと、道理を知らぬからと云はれた。いくらかよい人が死んだわるものと張り合ふから含弘の義を失ふた。役人は多く人の損ずることはせぬことじゃ。わるいものもそろ々々とよくしてやるがよい。化不善なり。
【解説】
「若棄絶之、不幾盡天下以仇君子乎。如此則失含弘之義、致凶咎之道也。又安能化不善而使之合乎」の説明。睽く者には「含弘」で当たるのがよく、ゆっくりと不善を化すのである。この仕方が悪ければ「致凶咎」となる。
【通釈】
「尽天下」は「至衆」のことで、天下中が一つになって君子の方へ仇をすること。前々にも言ったことだが、伊川先生が一頃のことはこちらも悪かったと言ったことがある。「我輩激成之」と言った。温公や伊川の召し出された時、善類の徒が王荊公の引っ込まれた後をあまりに悪くしたから、王荊公の徒もまたこちらを強く誹り、向こうが興って来た。「失含弘之義」。先日も泰の程伝の「無含弘之度」の処で言ったが、「寛仁大度」がよい。子供がじれて泣くのは頭を叩いても泣き止まない。止ませる工面をするのがよい。悪者は熱にうかされたのと同然である。それに悪く当たると、「致凶咎」である。朱子が東漢の名節を心から忠義が根差していると言って褒めたのは、あの時はあまりに風俗が悪かったので、それ等に薬を煎じて飲ませたのである。程子は、名節が死ぬことを手柄とするのはあまりなことで、道理を知らないからそう言うと言われた。いくらかよい人が死んだ悪者と張り合うから含弘の義を失うのである。役人は人が多く損することをしないのがよい。悪い者をゆっくりとよくしてやるのがよい。それが「化不善」である。
【語釈】
・善類の徒…
・泰の程傳…治体6を指す。
・東漢の名節…宋代に劉安節の名節などが出た。西漢の士は義を好まず、名節を挺ずる者少なく、東漢の士は義を尚び名節を挺ずる者が多い。東漢は後漢。西漢は前漢。

見悪人則無咎也。悪人散々なことと云そうなものを、だまって何のこともなくしておる。これらは名人藝なり。近思も致知存羪克己がすんで家道から出處の吟味が届て治体治法をふんで来た政事なれば至極なことなり。丁と大学の致知挌物誠意正心脩身とすんで、九章目で始て恕の字が出たゆへ一通でない。ここらでははや苟且姑息の間違にはならぬ。范忠宣公のまちがいを吟味するはそこなり。見悪人と云も爰らではよいなれども、始の程にはないこととをもへ。能化姦凶。七旬而有苗到于羽舞於两階。わるものがよくなること。只のものの手にはのらぬこと。迂斎曰、つまる処今のものは人をにくむ、と。憎んではひびかぬ。化さぬ筈た。悪不仁よいことなれども、只のものは兎角にくむ。化すが垩賢の本意なり。憎ぬから義絶せぬ。義絶せぬからどこぞでは化す。かかって居れば医者も功をなす。
【解説】
「故必見惡人、則无咎也。古之聖王、所以能化姦凶爲善良、革仇敵爲臣民者、由弗絶也」の説明。人は憎むので相手に響かない。響かないから化さない。聖人は憎まず義絶もしない。そこで人を化す。
【通釈】
「見悪人則無咎也」。悪人は散々なことだと言いそうなものだが、黙って何事もない様にしている。これは名人芸である。近思も、致知存養克己が済んで家道から出処の吟味が届き、治体治法を踏まえて来た政事だから、これは至極なこと。丁度、大学で致知格物誠意正心修身と済んで、九章目で初めて恕の字が出たのと同じで一通りのことでない。ここ等ではもう「苟且姑息」の間違いは起こさない。范忠宣公が間違いを吟味するのはそのためである。見悪人と言うのもこの場ではよいが、それは始めの頃に言うほどのことではないものと思いなさい。「能化姦凶」。「七旬而有苗到于羽舞於両階」で、悪者がよくなること。それは凡人の手に余ること。迂斎が、詰まる処、今の者は人を憎むと言った。憎んでは響かない。それでは化さない筈である。「悪不仁」はよいことだが、凡人はとかく憎む。化すのが聖賢の本意である。憎まないから義絶しない。義絶しないからいつかは化す。かかっていれば医者も功を成す。
【語釈】
・苟且姑息…優柔不断な言。
・范忠宣公…范純仁。范仲淹の次子。字は堯夫。
・七旬而有苗到干羽舞於两階…書経大禹謨。「帝乃誕敷文德。舞干羽于兩階。七旬有苗格」。
・悪不仁…論語里仁6。「子曰、我未見好仁者、惡不仁者」。


第十六 睽之九二の条

睽之九二。當睽之時、君心未合。賢臣在下、竭力盡誠、期使之信合而已。至誠以感動之、盡力以扶持之、明義理以致其知、杜蔽惑以誠其意。如是宛轉以求其合也。遇非枉道逢迎也。巷非邪僻由徑也。故象曰、遇主於巷。未失道也。
【読み】
睽の九二。睽の時に當たりては、君心未だ合わず。賢臣下に在り、力を竭し誠を盡くして、之をして信じ合せしむるを期するのみ。至誠にして以て之を感動し、力を盡くして以て之を扶持し、義理を明らかにして以て其の知を致し、蔽惑を杜[とざ]して以て其の意を誠にす。是の如く宛轉して以て其の合うを求むるなり。遇は道を枉げて逢迎するに非ざるなり。巷は邪僻して徑に由るに非ざるなり。故に象に曰く、主に巷に遇う。未だ道を失わざるなり、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝睽卦九二の象辞にある。睽卦九二は「九二。遇主于巷。无咎。象曰、遇主于巷、未失道也」である。

睽之九二。旦那も家来も背合せなり。あの様な乱世でも劉備と孔明が様なれば、成功はなしともむまいことなり。睽之時は譜代の一人ても旦那がふりむきもせぬ。そのときも下の賢徳ある臣がどうぞとする。睽た、すてておけと云へば、火消が子ころんで火事を見ておる様なもの。それはあるまいことぞ。尽力はわざの上のこと。尽誠は心の上のこと。使之信合。これが睽へかけたもの。睽いた時は信合でない。信合はふっくりとさせること。夫婦中わるくて去ったを無理に異見云てつれて来たは永もちはせぬ。君臣もそれなり。期するとは心の合ふ様に々々々々々々とあてはめること。そればかりが仕事じゃと云ことで而已と云。至誠以感動之。此以下は葉解がよい。至誠云々尽力云々の二句は臣の方からするが主なり。明義理云々。杜蔽惑云々は君の方をこふするなり。君が主なり。至誠以感動之。君の感動せぬは鉢はらいで誠意がないからなり。母親が熱のある子に茶づけをくはせあてるもの。医者はなま中明ゆへ此熱では喰へまいと云に、母がいく度も持て来て無心を云様にするからどうかして喰せる。夫からつい胃の氣を助けて藥がきく。君への異見も仕様がわるければ、君腹計り立せてゆかぬもの。盡力扶持之。仕方でよくなる。仕様がわるければ折角の親切も無になる。明義理以致其知。今日のことを今日異見するは一日ぎりなり。どうしても君の方に知が出来子ば長もちはせぬ。論語には斯ふある、中庸には斯ふあると云と、内から知がむかいに出る。杜蔽惑以誠其意。佞人がさま々々云と君の心がわるくなる。飲食から好色立身出世、こんなものの出ぬ様に其道をふさくと跡はよい心計りになる。
【解説】
「睽之九二。當睽之時、君心未合。賢臣在下、竭力盡誠、期使之信合而已。至誠以感動之、盡力以扶持之、明義理以致其知、杜蔽惑以誠其意」の説明。睽の時でも賢臣は君によく尽くす。君が相手にしないのは臣に誠意がないからである。また、君への異見も仕様が悪ければうまく行かない。君の知を育てる様にするのである。
【通釈】
「睽之九二」。旦那も家来も背合せである。あの様な乱世でも劉備と孔明の様であれば、成功はしなくてもよいもの。睽の時は譜代の一人でも旦那が振り向きもしないが、その時でも下の賢徳ある臣はよく尽くす。睽[そむ]いたのだから放って置けと言うのは、火消しが寝転んで火事を見ている様なもの。それはあってはならないこと。「尽力」は事の上のことで、「尽誠」は心の上のこと。「使之信合」。これが睽へ掛けたもの。睽いた時は信合でない。信合はふっくりとさせること。夫婦仲が悪くて去ったのを無理に異見を言って連れ戻しても長持ちはしない。君臣も同じである。「期」とは心が合う様にと当て嵌めること。それだけが仕事だと言うのが「而已」である。「至誠以感動之」。これ以下は葉解の註がよい。「至誠云々尽力云々」の二句は臣が主としてすること。「明義理云々杜蔽惑云々」は君をこの様にすることで、君が主である。「至誠以感動之」。君が感動せずに蜂払いをするのは臣に誠意がないからである。母親は熱のある子に茶漬けを食わせ宛がうもの。却って医者は明なので、この熱では喰えないだろうと言うが、母がいく度も持って来て無心に喰わせ様とするからどうにかして喰わせることができる。それからつい胃の気を助けて薬が効く。君への異見も仕様が悪ければ、君に腹を立たせるばかりでうまく行かない。「尽力扶持之」。仕方でよくなる。仕様が悪ければ折角の親切も無になる。「明義理以致其知」。今日のことを今日異見するのは一日だけのこと。どうしても君の方に知ができなければ長持ちはしない。論語にはこうある、中庸にはこうあると言えば内から知が迎えに出る。「杜蔽惑以誠其意」。佞人が様々に言うと君の心が悪くなる。飲食から好色、立身出世、こんなものの出ない様にその道を塞ぐと後はよい心だけになる。
【語釈】
・旦那…九五が君、九二が臣の位である。九二は陽爻なので賢臣となる。
・鉢はらい…蜂払い。物を聞き入れないでしりぞけること。
・なま中…生半。かえって。むしろ。いっそ。

宛轉求其合。君の為と云日には只立派をして仕去ることではない。宛轉が一手でないこと。此手でゆかずはあの手とさま々々すること。荘子にある字でころげることにもつかふ。弁のよいことにも。つまりさま々々なものを食せて食付かすることぞ。遇非枉道。只遇とひょっと出た様だが、睽卦九二の本文に遇主于巷とあるから遇とかいたもの。君の思召にあふとても非杜道逢迎。わるい方へやるまいとかれやこれやすること。遇と云へばわるいやふにもきこへるが、わるいのでない。いそがしいと云も丁度舜の孳々為善、一日いそかしい様にすること。盗蹠が悪をするに朝から晩迠閙い様にするでない。遇主于巷。巷と云字は大道をのけて云こと。京三条上る町下る町と云様なもの。茨からたちの方の巷でない。未失道也。宛轉求其合と云ひ、遇主于巷ときけばわるい方へつれてゆく様だが、そうでない。巷は本通りではないが此の一丁目、爰の二丁目の横町、爰彼しこから迎に出るでなくては君の心のよくなることはない。病人に藥用るも此藥方外ないと云も尤なことなれとも、親切な上からはさま々々して見子ばならぬ様に思ふことなり。此藥でゆかずは天命しゃと思へと云は親切がうすい。食羪にも玉子や鱣徳な喰ものでよくすることもある。かれやこれやするは見處のない療治に見ゆるが、医者も吾が子の病むときの藥方などにはさま々々をするもの。それが親切からなり。君への異見も其親切でなくてはのらぬことぞ。
【解説】
「如是宛轉以求其合也。遇非枉道逢迎也。巷非邪僻由徑也。故象曰、遇主於巷。未失道也」の説明。臣は君を悪い方へ行かせない様にと様々なことをいつも行うのである。それでなければ君には響かない。
【通釈】
「宛轉求其合」。君のためと言うのはただ立派なことをし遂げることではない。宛轉は一手ではないこと。この手でうまく行かなければあの手でと様々とする。荘子にある字で転げることにも弁のよいことにも使う。つまり様々なものを食わせて食い付かすこと。「遇非枉道」。ただ一寸遇と出た様だが、睽卦九二の本文に「遇主于巷」とあるからここに遇と書いたのである。君の思し召しに遇うとしても「非杜道逢迎」。悪い方へは行かせない様にとかれこれする。遇と言えば悪い様にも聞こえるが、ここは悪いことではない。忙しくすると言うのも、それは丁度舜の「孳々為善」と同じで、一日中忙しくすること。盗蹠が悪事をするのに朝から晩まで忙しくするわけではない。「遇主于巷」。巷という字は大道を除いて言うこと。京三条上る町下る町と言う様なもの。茨枳殻の方の巷でない。「未失道也」。宛轉求其合と言い、遇主于巷と聞けば悪い方へ連れて行く様だが、そうではない。巷は本通りではないがここの一丁目やここの二丁目の横町であって、ここかしこから迎えに出るのでなくては君の心がよくならない。病人に薬用いるにも、この薬方の外はないと言うのも尤もなことだが、親切からは様々にして見なければならない様に思う。この薬でうまく行かなければ天命だと思えと言うのでは親切が薄い。食養にも玉子や鰻などの徳な食い物でよくすることもある。かれこれするのは見処のない療治に見えるが、医者も自分の子が病む時の薬方などには様々なことをするもの。それは親切からである。君への異見もその親切でなくては乗って来ない。
【語釈】
・宛轉…荘子天下。「縱脱無行、而非天下之大聖、椎拍輐斷、與物宛轉、舍是與非、苟可以免、不師知慮、不知前後、魏然而已矣」。
・孳々為善…孟子尽心章句上25。「孟子曰、雞鳴而起、孳孳爲善者、舜之徒也。雞鳴而起、孳孳爲利者、蹠之徒也」。


第十七 損之九二曰の条

損之九二曰、弗損益之。傳曰、不自損其剛貞、則能益其上。乃益之也。若失其剛貞而用柔説、適足以損之而已。世之愚者、有雖無邪心、而惟知竭力順上爲忠者。蓋不知弗損益之之義也。
【読み】
損の九二に曰く、損らさずして之を益す、と。傳に曰く、自ら其の剛貞を損せずんば、則ち能く其の上を益す。乃ち之を益すなり。若し其の剛貞を失いて柔説を用いば、適[まさ]に以て之を損するに足るのみ。世の愚者には、邪心無しと雖も、惟力を竭して上に順うことのみ忠と爲すを知る者有り。蓋し損らさずして之を益す義を知らざるなり、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝損卦九二の爻辞にある。損卦九二は「九二。利貞。征凶。弗損益之。象曰、九二利貞、中以爲志也」である。

損はだたい下をへらして上へ益すことなれとも、爰は下に德あるものがあれば、上へ道理をすすめるに我方をまげぬで上の方が益す。九二か上の六五へ正應して益を付ること。惣体益すと云はあまるをへらして足らぬを益すことしゃに弗損益之。云ちがいではないかと云にこれが面白ひことで、学者で云はば方々へ駈てゆきてなりとも教たら親切でよさそふなものだに、書生を遠くからよび付る。有来而学無往而教之礼。吾をへらさぬで向の益になる。人を教る者は樂々と炬燵にいる。弟子の方は雪霜をふんでくる。吾を尊大にするではないが、吾をへらさぬで向の為になる。これは朋友の上で云こと。君の方で云はば御伽のものはさま々々靣白ひことをして馬に成り牛に成り、君の氣に入るがよさそうなものなれとも、それはこちをへらすから君の方がまさぬ。きぶいけらいはしゃんとして手前をへらさぬから君がますなり。
【解説】
余りを減らして足りないところを益すのが損益なのに、「弗損益之」は自分を減らさずに相手を益すのである。厳格な家臣は厳格を通すから君が益す。
【通釈】
損はそもそも下を減らして上へ益すことなのだが、ここは下に徳のある者がいれば、上へ道理を勧める際に自分の方を枉げないので上の方が益すということ。九二は上の六五へ正応して益を付ける。総体益すというのは余りを減らして足りないところを益すことなのに「弗損益之」。言い違いではないかと思えば、これが面白いことで、学者で言えば、方々へ駈けて行ってもして教えれば親切でよさそうなものだが、書生を遠くから呼び付ける。「有来而学無往而教之礼」で、自分を減らさないので向こうの益になる。人を教える者は楽々と炬燵にあたっている。弟子の方は雪霜を踏んで来る。自分を尊大にするのではないが、自分を減らさないので向こうのためになる。これは朋友の上で言うこと。君の方で言えば御伽の者は様々な面白いことをして馬になったり牛になったりで、君の気に入るのがよさそうなものなのだが、それはこちらを減らすから君の方が益さない。厳格な家来はしっかりとしていて自分を減らさないから君が益す。
【語釈】
・有来而学無往而教之礼…論語述而7集註。「蓋人之有生、同具此理。故聖人之於人、無不欲其入於善。但不知來學、則無往敎之禮。故苟以禮來、則無不有以敎之也」。

不自損其剛貞則益其上。地頭へ御用金を上るはこちをへらすから上が益す。それは定りなり。爰はあの家にはよい家来があると云はるるから上が益す。或大名で若殿に守りがついて屋鋪中ぶら々々あるくとき、物頭が足輕をつれて家中をあるくとき出合ふた。物頭が辞冝をしておられたれば、守り役の人が其元のつれられた同勢をさきへ立てて駈て御目にかけられよ、さうすれば若旦那の機嫌よいと云たれは、物頭が其元方は御機嫌取りにそんなことをせられて慰め申されよ、此方は中々そんなことはせぬと云た。其塲のしらけることなれとも、こちをへらさぬが上の為めと云になれば斯ふなければならぬこと。齊宣王が如寡人就而可見者と云た。孟子が不幸有病とてゆかれず。高ぶるではないが、こっちをまけぬが上への進物になる。医者が禁好物をゆるさぬと同こと。殿の方ではをれも是程に快氣したに小盃で少し位はよさそうなことと云ても中々ゆるさぬ。それが病人の為になる。用柔説適足以損之。柔説と云ことでない。悦とよむがよい。損の内卦が兌なり。兌はよろこぶなり。柔説が世間者にあること。近習のものも心は親切、君を大切とは思ふが、こちをへらさぬが君の為と云合点のない男ともなり。どふかなしてきげんよくしたいと思ふ拍子から柔説が出る。わるもの佞人と見ることてもない。知の足らぬ男なり。
【解説】
自分を枉げないことが上への進物になる。柔説を用いて君に尽くすのでは君は益さない。それは知の足りない人である。
【通釈】
「不自損其剛貞則益其上」。地頭へ御用金を上げるのは、こちらを減らすから上が益す。それは御定まりである。ここでは、あの家にはよい家来がいると言われるから上が益す。或る大名で若殿に守が付いて屋敷中をぶらぶらと歩いている時に、物頭が足軽を連れて家中を歩いているのに出合った。物頭が辞宜をしておられると、守役の人が貴方の連れられている同勢を先へ立て、駈けて御目にかけられよ、そうすれば若旦那の機嫌がよくなると言うと、物頭が貴方方は御機嫌取りにそんなことをして慰められよ、こちらはその様なことは決してしないと言った。これはその場が白けることだが、自分を減らさないのが上のためということだから、こうでなければならない。斉の宣王が「如寡人就而可見者」と言うと、孟子が「不幸有病」と言って行かなかった。高ぶるのではないが、こちらを枉げないことが上への進物になる。それは、医者が禁好物を許さないのと同じこと。殿の方では俺もこれほどに快気したのだから小盃で少し位はよさそうなことと言っても中々許さない。それが病人のためになる。「用柔説適足以損之」。柔説[じゅうせつ]と言うのではなく、悦[えつ]と読むのがよい。損の内卦は兌である。兌は悦ぶこと。柔説が世間の者にある。近習の者も心は親切で君を大切とは思うが、こちらを減らさないのが君のためという合点のない男共である。どうにかして機嫌をよくしたいと思う拍子から柔説が出る。それを悪者や佞人だと見てはならない。知の足りない男なのである。
【語釈】
・物頭…武家時代の職制で、弓組・鉄砲組などを率いる者。武頭。足軽大将。
・如寡人就而可見者…孟子公孫丑章句下2。「孟子將朝王、王使人來曰、寡人如就見者也。有寒疾、不可以風。朝將視朝、不識可使寡人得見乎。對曰、不幸而有疾。不能造朝」。
・損の内卦が兌…損は山沢損で兌下艮上。


第十八 益之初九曰の条

益之初九曰、利用爲大作。元吉无咎。象曰、元吉无咎、下不厚事也。傳曰、在下者本不當處厚事。厚事、重大之事也。以爲在上所任、所以當大事、必能濟大事、而致元吉。乃爲无咎。能致元吉、則在上者、任之爲知人、己當之爲勝任。不然、則上下皆有咎也。
【読み】
益の初九に曰く、用[もっ]て大作を爲すに利ろし。元[おお]いに吉にして咎无し、と。象に曰く、元いに吉にして咎无きは、下厚事せざればなり、と。傳に曰く、下に在る者は本より當に厚事を處すべからず。厚事とは、重大の事なり。上に在るものの任ずる所と爲るを以て、所以に大事に當たりては、必ず能く大事を濟[な]して、元いに吉なるを致す。乃ち咎无しと爲す。能く元いに吉なるを致さば、則ち上に在る者、之を任ずるに人を知ると爲し、己は之に當たりて任に勝[た]うと爲す。然らずんば、則ち上下皆咎有り、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝益卦初九の象辞にある。

益之初九曰利用爲大作。なんであろふと其時一大事の大事を大作と云。天下でも一国でも此事こそと云のなり。御家門方列坐での相談と云ほどのこと。一と通りならぬ変なことゆへこれを仕事にすると云ことでもないが、爰ではすると云が塲なり。其塲にをり合せたものがせ子ばならぬことゆへ、そこで周公旦の用心で、これは只のものではならぬ、元吉と云男でなければしとげられぬ、並み底のものはならぬと云た。象曰。それへ孔子が詞をかけて、元吉なれば無咎下不厚事。位徳兼備の人は元吉だからよいが、だたい下にをるものはをもいことはならぬとなり。周公旦の大作を孔子が厚事と註をした。又それを程子が在下者本不當處厚事と云た。いかほど云付られても下のものはならぬ。重大は厚重とつづいて天下国家一代一度の大事なり。為在上所任。上から云付らるることはのかれられぬもの。伊尹太公能済大事。まんまと仕とけて無咎なり。
【解説】
「益之初九曰、利用爲大作。元吉无咎。象曰、元吉无咎、下不厚事也。傳曰、在下者本不當處厚事。厚事、重大之事也。以爲在上所任、所以當大事、必能濟大事、而致元吉。乃爲无咎」の説明。一大事を「大作」と言う。周公旦は、「元吉」の男でなければそれをすることができないと言い、孔子は、本来下の者がそれをしてはならないと言い、程子は、上から言いつけられても下の者にはできないと言った。
【通釈】
「益之初九曰利用為大作」。何であろうとその時の一大事を大作と言う。天下でも一国でもこの事こそと言う時である。それは御家門方列座での相談というほどのこと。尋常でない異変なので、これを仕事にするということでもないが、ここは為すという場である。その場に居合わせた者がしなければならないことなので、そこで周公旦が用心して、これは普通の者ではできない、「元吉」の男でなければし遂げられない、並の者ではできないと言った。「象曰」。それへ孔子が詞を繋けて、「元吉無咎下不厚事」と言った。位徳兼備の人は元吉だからよいが、本来下にいる者は重いことをしてはならないと言ったのである。周公旦の大作を孔子が厚事と註をした。またそれを程子が「在下者本不当処厚事」と言った。いかに言い付けられても下の者にはできないと言ったのである。「重大」は厚重と続き、天下国家一代一度の大事である。「為在上所任」。上から言い付けられることは逃れられないもの。伊尹や太公は「能済大事」でまんまとし遂げて無咎である。

能致元吉云々。なるかならぬか先つして見せふと云ものに云付ては目か子ちかい。又受るものもそれではならぬ。あたまからして取ろふと見ることでなくてはならぬ。上の目が子もあれでなくてはと云こと。云付られるものもをれでなくてはと云こと。これを人で云はば太公の紂王、周公旦の管蔡を罸し、伊尹の太甲を桐に放。其以下ては霍光昭邑王を廃したことなどよくして取たことなり。當之為勝任。周公の洛邑を制せられたなども大作なり。大名の庭へ一寸した亭[ちん]を立る位のことではない。此条を政事にひいたは天下国家のことに大作と云厚事がある。一と通の了簡でむさとかかるは役人ではない。政事にはさま々々な章があるが、これをくるめて政事のことにする。こうした人なればあぶなげなしにして取る。上の含弘、大作は大きな心いき。大同小異の納約自牖の睽の九二の傳のこまかな心いき。心がゆったりで仕方の上がこまかで浚恒。杓子定規でない。これをかっさらへて胸の上へをく男が政事の役人になると云こと。大きなことぞ。
【解説】
「能致元吉、則在上者、任之爲知人、己當之爲勝任。不然、則上下皆有咎也」の説明。大作は、上の者も受ける者もそれを最初からして取る気持ちでなければうまく行かない。一通りの了簡で無造作に取り掛かるのでは役人とは言えない。
【通釈】
「能致元吉云々」。できるかできないかはわからないが先ずはしてみようと言う者へ言い付けては眼鏡違いである。また、受ける者もそれではいけない。最初からして取ろうと思うのでなくてはならない。上の眼鏡もあれでなくてはと思うのでなければならない。言い付けられる者も俺でなくてはということ。これを人で言えば太公が紂王を、周公旦が管蔡を罸し、伊尹が太甲を桐に放したこと。それ以下で言えば、霍光が昌邑王を廃したこと。このことなどがよくして取ったということである。「当之為勝任」。周公が洛邑を制されたことなども大作である。これは大名の庭へちょっとした亭を立てる位のことではない。この条を政事に引いたのは天下国家のことに大作という厚事があって、一通りの了簡で無造作にそれに取り掛かるのでは役人とは言えないということ。政事には様々な章があるが、これを包めて政事のことにする。こうした人であれば危な気なくして取る。上の「含弘」とここの大作は大きな心意気のこと。それは大同小異で「納約自牖」、睽の九二の伝の細かな心意気があり、心がゆったりとして仕方が細かで「浚恒」ということ。杓子定規でない。これ等を掻っ浚って胸の上へ置く男が政事の役人になるということ。それは大きなこと。
【語釈】
・周公旦の管蔡を罸し…書経蔡仲之命。「惟周公位冢宰、正百工。群叔流言、乃致辟管叔于商、囚蔡叔于郭鄰」。
・伊尹の太甲を桐に放…書経太甲上。「太甲既立。不明。伊尹放諸桐。三年、復歸于亳」。孟子万章章句上6にもある。
・霍光…前漢の政治家。字は子孟。霍去病の異母弟。武帝に仕えて匈奴を征し、太子の傅となり、昭帝の時、大司馬大将軍。~前68
・昭邑王…昌邑王の劉賀。前漢の武帝の子である昌邑哀王髀の子。昭帝の崩後、嗣立されたが、品行が悪く、即位から二十七日にして廃された。
・含弘…政事15の語。
・大同…政事14の語。
・納約自牖…政事11の語。
・睽の九二の傳…政事16を指す。
・浚恒…政事12の語。