第十九 革而無甚益条  三月十一日  邦直録
【語釈】
・三月十一日…寛政3年辛亥(1791年)3月11日。
・邦直…

革而無甚益、猶可悔也。況反害乎。古人所以重改作也。
【読み】
革むるも甚だしき益無くんば、猶悔ゆ可し。況や反って害あるをや。古人の改作を重んずる所以なり。
【補足】
・この条は、周易程氏伝革卦卦辞にある。

改革のことは治体の篇にとくと吟味の出てある通り、役人の心得の大切は、政事は人心の平かなと云が第一なり。新ひことは人心へうけのわるいもの。盤庚の都かへのときも下の為になることなれとも、中々下民が合点せなんた。そこ々々さま々々な利害を云て聞せたぞ。此等も氣を付てみよ。下は上次第と云ても、民か不平の心あってはならぬから、書経にある通同挌の者をさとすやうにする。替る段になると、いかほとよいことても人心の動き立ものなり。革るはよけれとも、無甚益はあまり能いこともないならは捨て置がよい。少々のよいと云てさへ可悔しゃから、反て害するは猶更なり。下卑た口上ても本と直にしか子るのそ。閔子騫も仍舊貫如之何云々と云へり。今迠のかよいと云へは役に立ずのやうなれとも、それのわけのあることなり。此筋のこと史記啇君が傳にあり、百の中ち百利のあることでなけれは革められぬ、と。きついことなり。必竟しかへぬことに云たもの。兎角役人の手抦たてかわるい。器量のあるものへの戒なり。
【解説】
政事は人心を平らかにすることが第一である。変革を民は中々納得しない。変革に益がないのであればしない方がよく、少しよくなることでさえ悔いが残るのだから、害があるのなら論外である。この条は手柄を立てようとする役人への戒めである。
【通釈】
改革のことは治体の篇にしっかりと吟味してある通り、役人の心得にとって大切なのは、政事は人心が平らかなのが第一ということである。新しいことは人心へ受けの悪いもの。盤庚が都替えをした時も、それは下のためになることだったのに、中々下民が合点しなかった。そこで、そこそこに様々な利害を言って聞かせた。これ等も気を付けて見なさい。下は上次第と言っても、民に不平の心があってはならないから、書経にある通りで同格の者を諭す様にする。革る段になると、どれほどよいことでも人心は動き立つもの。革るのはよいが、「無甚益」であまりよいこともないのであれば捨てて置くのがよい。少々よいという場合でさえ「可悔」だから、反って害することは尚更である。下卑た口上で言えば、本直にしかねるということ。閔子騫も「仍旧貫如之何云々」と言った。今までのがよいと言えば役立たずの様だが、それにはわけがある。この筋のことは史記商君の伝にあり、百の内に百利があるのでなければ革めることはできないと言う。それは厳しいことである。畢竟、革えないことを言ったもの。とかく役人が手柄を立てようとするのが悪い。これは器量のある者への戒めである。
【語釈】
・盤庚…書経盤庚。「盤庚五遷。將治亳殷、民咨胥怨。作盤庚三篇」。
・仍舊貫如之何…論語先進13。「魯人爲長府。閔子騫曰、仍舊貫、如之何。何必改作。子曰、夫人不言、言必有中」。
・史記啇君が傳…史記商君列伝。「杜摯曰、利不百、不變法。功不十、不易器。法古無過、循禮無邪」。


第二十 漸之九三曰利禦寇条

漸之九三曰、利禦寇。傳曰、君子之與小人比也、自守以正。豈惟君子自完其己而已乎。亦使小人得不陷於非義。是以順道相保、禦止其惡也。
【読み】
漸の九三に曰く、寇を禦ぐに利ろし、と。傳に曰く、君子の小人と比するや、自ら守るに正を以てす。豈惟君子自ら其の己を完くするのみならんや。亦小人をして非義に陷らざるを得しむ。是れ順道を以て相保ち、其の惡を禦止するなり、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝漸卦九三の象伝にある。漸卦九三は、「九三。鴻漸于陸。夫征不復、婦孕不育。凶。利禦寇。象曰、夫征不復、離羣醜也。婦孕不育、失其道也。利用禦寇、順相保也」である。

寇は元とあたり前て云へば軍や盗賊なとて云。それに用心するが禦なり。よせ付ぬそ。傳曰でその心持を云。君子之與小人比云々なり。君子の小人と比むと云も政事の篇ゆへそ。浪人儒者学友交りにないことなり。役人となればえり嫌ひはない。君子と小人との出合がある。そこであいつはわるいやつゆへ爰を一つと云やふなことはない。自守に以正也。漸之九三は上下ともに阴で其中にあるなれば、わるくするとかぶれかあるに自守以正するゆへそれかない。さて又それ計でなく、此方の身を全した上に小人の為になる。小人も君子か邪魔になってわるいことか出来ぬ。爰等はずんと平なことなり。訶ろふても異見せうでもなけれども、只君子の正くしてをるで小人がわるいことならぬ。君の精進日にもかまわず肴を喰ふと思ふ処へかたい男が扨も今日は君の御精進日でごさると云て食ふことならず。これで見れば我を守る程よいことはない。我か守た余りか小人へ及ふ。是以順道と云が角のないことで、何にあれかと云こともなくずんどふっくりとしたことなり。今何処でも云ことて、あの閙しひ中へ老人を一人相役にしたはなぜじゃと云へば、いやあれは同役の目みじゃと云も尤なことなり。役に立ずでも老人と云で若ひものの重しになる。若者もめったかならぬので若者の為になる。
【解説】
漸の九三は君子であり、上下に陰の小人に挟まれているが、「自守以正」なので小人に被れることがなく、それ以上に、小人のためにもなる。自分の正を守ることが人のためにもなるのである。
【通釈】
「寇」は本来普通に言えば軍や盗賊なとに言うこと。それに用心するのが「禦」である。寇を寄せ付けないこと。「伝曰」でその心持ちを言った。それは「君子之与小人比云々」である。君子が小人と並ぶと言うのも政事の篇だからであって、浪人儒者学友の交わりにそれはない。役人となれば選り好みはない。君子と小人との出合いがあっても、あいつは悪い奴だからここで一つ何かをすると言う様なことはない。「自守以正也」。漸の九三は上下が共に陰でその中にあるのだから悪くすると被れがあるが、自守以正なのでそれがない。さてまたそれだけでなく、自分の身を全くした上に小人のためにもなる。小人も君子が邪魔になって悪いことができない。ここ等は全く平らなこと。訶ろうとも異見をするのでもないが、ただ君子が正くしているので小人も悪いことができない。君の精進日にも構わず肴を喰おうと思う処へ硬い男が、さて今日は君の御精進日ですと言うので食うことができない。これで見れば自分を守るほどよいことはない。自分を守った余りが小人へ及ぶ。「是以順道」と言うのが角のないことで、何あいつがと言うこともなく、大層ふっくりとしたこと。今何処でも言うことで、あの騒がしい中へ老人を一人相役にしたのは何故かと聞けば、いやあれは同役の目付けだと言うが、それも尤もなこと。役立たずでも老人なので若い者の重しになる。若者も滅多なことはできないので若者のためになる。
【語釈】
・漸之九三は上下ともに阴で…漸の九三は陽で、上下の六二と六四は陰。


第廿一 旅之初六曰の条

旅之初六曰、旅瑣瑣、斯其所取災。傳曰、志卑之人、既處旅困、鄙猥瑣細、無所不至。乃其所以致悔辱、取災咎也。
【読み】
旅の初六に曰く、旅の瑣瑣たるは、斯れ其の災いを取る所なり、と。傳に曰く、志卑しき人は、既に旅困に處れば、鄙猥瑣細、至らざる所無し。乃ち其の悔辱を致し、災咎を取る所以なり、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝旅卦初六の爻辞にある。

旅瑣々云々。旅の卦と云も面白字なり。山と火て、山はじっとして居、火は動くもの。一つ処に居ぬことなり。そこで旅のことになる。だけれとも易はなぞをかけるやふなもので、旅のことはかりてない。万端て云るることなり。瑣々は物のこせ々々した。はてなうるさい、打やりたいことを何やらあのやうにと云やふなことなり。この文義も旅と云ものは瑣々なものじゃと云ことではない。初六のことなり。初六と云はやすい男じゃ。旅にあって瑣々たりと云ことなり。初六の心の小ひこせ々々した方から災を取るなり。初六は何の卦てもそふじゃと云ことではなく、旅の卦ではわるい。初六は隂の塲の一ち下なり。先旅は羪難をへて行くものなり。事の上ても同しこと。いやはや寢る間もないと云ことがある。其時節には大ふやうにすればよいに、鄙猥瑣細てこせ々々なり。あのやうなうるさい人はないと云のかある。旅先きで二銭三銭のことで馬士と云合たり、大井川で一人と頼た川越に銭を子ぎり、手掛を落しては跡の宿迠取りに返る。其やふな心て道中はならぬ。致悔辱取災咎はずなり。人に指をさされ、雲助に迠にさもしい御待などと云るる。万事皆それて事の起りは例のしはみからと云がある。人に笑はるる段になると兎角左りまへになると迂斎云へり。本とのやうにかへらぬものた。それは瑣々なり。
【解説】
旅は艱難を経て行くものなのに、瑣瑣であっては「致悔辱取災咎」となる。事の上でもそれは同じである。忙しい時にも大様でなければならない。
【通釈】
「旅瑣々云々」。旅の卦というのも面白い字である。山と火て、山はじっとしているが火は動く。一つ処にいないので旅のことになる。しかし、易は謎を掛ける様なもので、旅のことばかりではない。これが万端に言えること。瑣々は物のこせこせしたこと。さて煩く放って置きたいことを何やらあの様にしているという様なこと。この文義も、旅とは瑣々なものだというとではない。初六のことである。初六は安い男だ。旅をしていて瑣々だということ。初六が心が小さくこせこせしているから災を取ることになる。何の卦でも初六はそうだというのではないが、旅の卦では悪い。初六は陰の場の一番下の爻である。旅は先ず艱難を経て行くもの。それは事の上でも同じこと。いやはや寝る間もないと言うことがある。その時節には大様にすればよいのに「鄙猥瑣細」でこせこせとしている。あの様に煩い人は他にいないということがある。旅先で二銭や三銭のことで馬士と言い合ったり、大井川で一人と頼んだ川越えから銭を値切り、手拭を落して前の宿まで取りに戻る。その様な心では道中ができない。「致悔辱取災咎」となる筈である。人に指を指され、雲助にまでもみすぼらしい御侍だなどと言われる。万事皆それで、事の起こりは例の吝みからである。人に笑われる段になるととかく左前になると迂斎が言った。元の様には戻らないもの。それは瑣々だからである。
【語釈】
・山と火…旅卦は火山旅。艮下離上。


第廿二 在旅而過剛云々条

在旅而過剛自高、致困災之道也。
【読み】
旅に在りて過剛もて自ら高しとするは、困災を致すの道なり。
【補足】
・この条は、周易程氏伝旅卦九三の爻辞にある。

旅にも色々あるから二つ出して示す。朱子にぬけめはない。前条はけち々々した人のことなり。爰はずんと元氣のある人なり。手あらぞ。何んにと人を呑むやうな人なり。江戸の市人口て云なら、はて大きな出入はないと云のぞ。それも我に贔屓のあるものの処てはよいにもせよ、旅は他国の近付もない処なれは、中々そんなことでは請取ぬ。こちが高ぶると向も高ぶる。風か吹と火事の大くなるやうなもの。自高ぶると向も高ぶる。高ぶるなれば災のある筈なり。前ではこせ々々したを戒め、爰は高ぶりを戒る。兎角人は道理を知子はならぬことなり。道理を知子ばしくじりが出来る。学易可無大過と云かそこなり。役人の戒になることそ。旅の心持を云たことても、役人の役をするも順路なこともあり、手取ものと云こともある。役の上には色々あろふとも、旅の中へ這入て合点せよ。在番や遠国役なとの類、添役加番抔もみな我落付て居る処てないから旅の心得てすればよいなり。
【解説】
前条では吝を戒め、この条では高ぶりを戒める。旅先で高ぶれば、相手も高ぶるから災いを被る筈である。
【通釈】
旅も色々とあるから二つ出して示した。朱子に抜け目はない。前条はけちな人のことで、ここは随分と元気のある人のことである。手荒で、何、と人を呑む様な人である。江戸の商人の口で言えば、大きな出入りがないと言う様なもの。それも自分に贔屓する者がいる処ではよいにしても、旅は他国で近付きもない処なのだから、中々その様なことでは請け取れない。こちらが高ぶると相手も高ぶる。風が吹くと火事が大きくなる様なもの。「自高」だと向こうも高ぶる。高ぶるのであれば災いがある筈である。前ではこせこせしたことを戒め、ここは高ぶりを戒める。とかく人は道理を知らなければならない。道理を知らなければしくじりができる。「学易可無大過」と言うのがそこ。これが役人の戒めになること。これは旅の心持ちを言ったことだが、役人が役をするのにも順路なこともあり、厄介なこともある。役の上には色々とあるだろうが、旅の中へ這い入って合点しなさい。在番や遠国役などの類、添役や加番なども皆自分が落ち着いている場ではないから旅の心得でそれをするのがよい。
【語釈】
・市人…①町に住む人。②商人。
・学易可無大過…論語述而16。「子曰、加我數年、五十以學易、可以無大過矣」。
・加番…定番を加勢して城を警衛する役。江戸幕府では大坂加番・駿府加番など。


第廿三 兌之上六曰の条

兌之上六曰、引兌。象曰、未光也。傳曰、説既極矣、又引而長之。雖説之之心不已、而事理已過、實無所説。事之盛、則有光輝。既極而強引之長、其無意味甚矣。豈有光也。
【読み】
兌の上六に曰く、引きて兌[よろこ]ぶ、と。象に曰く、未だ光らざるなり、と。傳に曰く、説[よろこび]既に極るに、又引きて之を長ぜしむ。之を説ぶ心已まずと雖も、事理已に過ぎ、實は説ぶ所無し。事の盛んなるときは、則ち光輝有り。既に極まるに強いて之を引き長ぜしむ、其の意味無きこと甚だし。豈光有らんや、と。
【補足】
・この条は、周易程氏伝兌卦上六の象伝にある。

兌ふは喜ふと云字てわるい字ではない。なれとも上六ゆへわるい。なぜわるいなれば、天地の中にある自然の兌ひでも上六のわるいは、上六は兌の卦の上で引て兌と云て、兌んだ上を引きのべてもふ一つ兌ばせることなり。未光也。人を兌ばせふとするのか全体魂のたぎらぬのじゃと戒たもの。唐津の合田忠藏、伯者之民驩虞如王者之民皥々如を引て云へり。好き引つけなり。伯者の兌ばせふとかかるのかすぐに光らぬのじゃ、上六ては止めてよい時分じゃに小人ゆへこの上も々々々々と兌はせる。迂斎の、上手の能はあっさりとする。下手のはあまりしすぎるて見物のものがいやかるとなり。天地の内にある兌ひゆへ事理とは云をふか、已に過るかわるい。一番鷄の鳴に何の吸物を出さぬかと云。そんなことをして兌せたかるのか小人なり。落し話も二つか三つてよい。落し話のすぎたもひょんなもの。二つほと話せば欝散してよいものなり。程子が人情変事に通して、事之盛則云々とは、花見も一度盛な時分に見れはよいもの。最ふ一度見よふと云のかわるい。蕎麥切も最はいらぬと云迠に食たかる。つまらぬことなり。豈有光也と云はずんとさみした云分なり。
【解説】
兌の上六は、喜んだ上で、その喜びを引き延ばすので悪い。小人は兌の上六であって、あっさりとしていない。
【通釈】
「兌」は喜ぶという字で悪い字ではない。しかし、上六なので悪い。何故悪いのかと言うと、天地の中にある自然の兌びでも上六が悪いと言うのは、上六は兌の卦の上では引いて兌ぶと言い、兌んだ上を引き延べてもう一つ兌ばせることだからである。「未光也」。人を兌ばせようとするのは全体魂が滾らないからだと戒めたもの。唐津の合田忠蔵が「伯者之民驩虞如王者之民皞々如」を引いてこれを説いた。よい引用である。伯者が兌ばせようとするのが直に光らないということで、上六は止めるのがよい時分なのに、小人なのでこの上もこの上もと兌ばせる。迂斎が、上手のする能はあっさりとしている。下手のはあまりにし過ぎて見物の者が嫌がると言った。天地の内にある兌びなので事理とは言うが、已に過ぎるのが悪い。一番鷄が鳴くのに吸物も何も出さないのかと言う。そんなことをして兌ばせたがるのが小人である。落し話も二つか三つでよい。落し話の過ぎるのも変なもの。二つほど話せば欝散してよい。程子は人情変事に通じているから、「事之盛則云々」言ったが、花見も一度盛んな時分に見ればよい。もう一度見ようと言うのが悪い。蕎麦切りももう入らないと言うまで食いたがる。それはつまらないこと。「豈有光也」と言ったのは、大層蔑んだ言い方である。
【語釈】
・合田忠藏…唐津
・伯者之民驩虞如王者之民皥々如…孟子尽心章句上13。「孟子曰、霸者之民、驩虞如也。王者之民、皞皞如也」。


第廿四 中孚之象曰の条

中孚之象曰、君子以議獄緩死。傳曰、君子之於議獄、盡其忠而已。於決死、極其惻而已。天下之事、無所不盡其忠。而議獄緩死、最其大者也。
【読み】
中孚の象に曰く、君子は以て獄を議して死を緩くす、と。傳に曰く、君子の獄を議するに於る、其の忠を盡くすのみ。死を決するに於る、其の惻を極むるのみ。天下の事には、其の忠を盡くさざる所無し。而して獄を議して死を緩くするは、最も其の大なる者なり。
【補足】
・この条は、周易程氏伝中孚卦の象伝にある。中孚卦の象伝は、「象曰、澤上有風中孚。君子以議獄緩死」である。

孚と云ても色々の字心あれども、和訓ては大底同しことなり。とんと心のほや々々した処が孚なり。親の子を思ふやうなことなり。それを象傳に孔子の御見立に議獄緩死、と。議獄とは公事をさばくことなり。さて緩死と云て、死をやめることてはなけれとも、とふかして々々々々々と緩べる了簡なり。もちっと詮義したらばと云て兎角殺さぬやうにする。緩死と云て只けさをかけることてはない。議獄てわけを付てをいてのことなり。死罪迠にあるまい々々々々と云か君子の中孚なり。此条の程子の思入れは二つの而已の字なり。君子の心入、此而已の字なり。これきりの振舞外に御馳走はないと云ことなり。手前に閙しひことあれは先つ手錠を云付ろと云。手錠なとにまあと云語意でするやうては下の迷惑なことなり。吟味に吟味をつめるが議獄なり。當人は悪事をし、わるいと云ても、其親兄弟にわるいことはないから、それらか心もこちへひびくなれは、どふなりとしてとすることゆへ中孚てなけれはならぬ。道理なりに落すことゆへ、はて不便とは云ことなれとも、そこに仕方はないから議獄中に丁寧に吟味する。此条を朱子の政事へ載せられたをみよ。役人のいこう心得になるべきことなり。罪人の詮義をする処か吾家内に病人てもあるときのやうな仕向そ。そふした親切の誠。近思の政事なとと云か大底なことてはない。始めに道体を打立て、爲学致知存養克己なととあれほとのことを歴て来た政事て三代の治に復する踏臺になる近思ゆへ、中々只のことてはない筈なり。
【解説】
「中孚之象曰、君子以議獄緩死。傳曰、君子之於議獄、盡其忠而已」の説明。吟味し詰めるのが議獄であり、緩死は死刑の詮議をすることである。それには誠がなければならない。
【通釈】
「孚」と言っても色々な字心があるが、和訓では大抵同じこと。心がすっかりとほやほやした処が孚である。それは親が子を思う様なこと。それを孔子が御見立して象伝に「議獄緩死」と言った。議獄とは公事を裁くこと。さて、緩死と言っても、死を止めることではないが、どうにかしてと緩める了簡である。もう少し詮議をすればと言ってとかく殺さない様にする。緩死と言うのはただ袈裟斬りをするだけのことではない。それは議獄でわけを付けて置いてのこと。死罪にするまでのことではないと詮議するのが君子の中孚である。この条の程子の思い入れは二つの「而已」の字であり、君子の心入れがこの而已の字である。この振舞以外に御馳走はない。自分が忙しければ先ず手錠を言い付けろと言う。手錠などのことはまあと言う様では下にいる者の迷惑となる。吟味に吟味を詰めるのが議獄である。当人は悪事をして悪いとはいっても、その親兄弟に悪い者がいなくて、それ等の心もこちらへ響き、どうにかしてとするので中孚てなけれはならない。道理の通りに落とすことなので、実に不便なこととは思うが、そこに仕方はないから議獄中に丁寧に吟味をする。この条を朱子が政事へ載せられたのを考えなさい。役人の大層心得になることである。罪人の詮議をする処が自分の家内に病人でもある時の様な仕向けである。そうした親切な誠である。近思の政事などというのが大抵のことではない。始めに道体を打ち立て、為学致知存養克己などとあれほどのことを経て来て、この政事が三代の治に復す踏み台になる近思なので、中々尋常なことではない筈。

决死なっては手もないこと。日の暮たやふなもの。どふそ明るくしたいと云てもならぬ。さてそこを何のこともないと云はずなり。極於惻。殊の外の泪たら々々。吾娘か労咳でも疾むと云やふにはっ々々と思ふ。そこか中孚ぞ。はてあれか悪い、あの筈じゃと云ても、筈は筈なれともと云のか中孚ぞ。山﨑先生の、仁と云ものは馬鹿なものじゃ、人の首をきりてをいて跡で泣と云へり。そんなら切ぬがよいかと云へは、切る筈ゆへ切てあとはほろ々々なり。君子は其中孚の意ゆへ無所不尽其忠。なにもかもと云内に大小かあるそ。雨が降から傘を貸ふと云のはずんと小なこと。議獄と云は最大者也。詮義が届子はつい無疾の難に逢ふもある。私をしたものかよいになることもある。そこて此二つは一ち大ひことなり。とと仁と云に落すことなり。哀矜而勿喜と云かそこなり。これかなけれは御法とをりて間違はあるまいか、うまみはないなり。
【解説】
「於決死、極其惻而已。天下之事、無所不盡其忠。而議獄緩死、最其大者也」の説明。死刑と決まっても、それを当然のことと思わないのが中孚である。仁で裁くのである。
【通釈】
「決死」になっては手立てはない。それは日の暮れた様なもの。どうか明るくしたいと言ってもそれはできない。さてそこを何でもないなどとは言わない。「極於惻」。殊の外泪が流れる。自分の娘が労咳でも疾むという様に思う。そこが中孚である。実にあれが悪い、そうなる筈だといっても、筈は筈だがと言うのが中孚である。山崎先生が、仁というものは馬鹿なものだ、人の首を斬って置いて後で泣くと言った。それなら斬らなければよいかと言えば、斬る筈なので斬って、後は涙を流す。君子はその中孚の意なので「無所不尽其忠」だが、それは何もかもと言ってもそこには大小がある。雨が降るから傘を貸そうと言うのはかなり小さなことで、議獄は「最大者也」である。詮議が届かなければつい無疾の難に逢うこともある。私をしたものがよいことになることもある。そこでこの二つは一番大きなことである。つまりは仁に落とすこと。「哀矜而勿喜」というのがそれ。これがなければ御法通りで間違いはないだろうが、甘味がない。
【語釈】
・哀矜而勿喜…論語子張19。「孟氏使陽膚爲士師。問於曾子。曾子曰、上失其道、民散久矣。如得其情、則哀矜而勿喜」。


第廿五 事有時而當過の条

事有時而當過。所以從宜。然豈可甚過也。如過恭過哀過儉、大過則不可。所以小過爲順乎宜也。能順乎宜、所以大吉。
【読み】
事は時有りて當に過ぐべし。宜しきに從う所以なり。然れども豈甚だしく過ぐ可けんや。恭に過ぎ哀に過ぎ儉に過ぐるが如き、大いに過ぐるは則ち不可なり。小しく過ぐるを宜しきに順うと爲す所以なり。能く宜しきに順うは、大いに吉なる所以なり。
【補足】
・この条は、周易程氏伝小過卦彖伝にある。

何の道理の上にもこれは是れてよいと云かある。道理に融通した人は物を偏屈に心得る了簡の者とは違ふ。そこが有時のそ。帳面につけて置れぬ。中庸道理ぞ。そこを垩人のよきほどに道理なりにする。當過とは折節は過たがよいとなり。そこをかたく聞くと中庸にも無過不及の中とあるなとと云。其過たが時によるなり。所以從宜。それがやはり中庸ぞ。さてこの御話は何でござると云へば、易に小過と云卦かある。過の字は病のある字なれとも、ときによってよい。だけれとも大過はわるい。迂斎の小過てよいは火事塲で小声は役にたたぬ。小過で高いがよい。又云、灸をすへるもそれじゃ、と。少ともよけいがよいぞ。灸を余計にすえたとて不調法にはならぬ。だたい爰の恭哀儉は過したとてくるしふないものゆへ、過るがよいなり。恭はいんぎんなり。哀も程のあることなれとも、親族のことゆへ泣過る程がよい。儉約の過るもよいなり。分限者の隠居なとには、あの老人はあの年になってもやはり木綿布子を着ると云やふなかあるもの。それはよし。されともあまり過たのわるいは左丘明耻之丘又耻之なり。哀も孔子の門人の子夏なとの泣すぎは失明、あまりなり。儉と云ても程かあるもの。大名衆か殿中てちり紙て鼻をかんではすまぬ。一汁三菜と云はよけれとも、黑米を大名が食てはつまらぬものなり。
【解説】
時によっては過ぎるのがよいこともある。しかし、それは小過の時であって大過は悪い。「恭哀倹」は少し過ぎる位がよい。但し、度を過ぎるのは悪い。
【通釈】
どの様な道理の上にもこれはこれでよいということがある。道理に融通した人はものを偏屈に心得る了簡の者とは違う。そこが「有時」である。帳面につけては置けない。それは中庸の道理である。そこを聖人はよいほどに道理の通りにする。「当過」は、折節は過ぎるのがよいということ。そこを硬く聞くと、中庸にも「無過不及中」とあるなどと言う。過ぎるのは時によってのこと。「所以従宜」。それがやはり中庸である。さてこの御話は何のことかと言うと、易に小過という卦がある。過の字は病のある字だが、時によってはよい。しかしながら大過は悪い。迂斎が、小過がよいのは火事場での小声は役に立たない様なもの。小過で声が高いのがよいと言った。また、灸をすえるのもそれだと言った。少し余計なのがよい。灸を余計にすえたとしても不調法にはならない。そもそもここの「恭哀倹」は過ぎても問題にならないものなので過ぎるのがよい。恭は慇懃である。哀にも程度があるが、親族のことであれば泣き過ぎるほどがよい。倹約が過ぎるのもよい。分限者の隠居などには、あの老人はあの年になってもやはり木綿布子を着るという様なことがあるもの。それはよい。しかし、あまりに過ぎるのは悪く、「左丘明恥之丘亦恥之」である。哀も孔子の門人の子夏などの泣き過ぎは、失明までしてあまりなこと。倹と言ってもほどがある。大名衆が殿中でちり紙で鼻をかんでは済まない。一汁三菜はよいことだが、黒米を大名が食っていてはつまらない。
【語釈】
・無過不及の中…中庸章句集註。「中者、不偏不倚、無過不及之名。庸、平常也」。無過不及は中庸章句集註に多出。
・左丘明耻之丘又耻之…論語公冶長25。「子曰、巧言、令色、足恭、左丘明恥之。丘亦恥之。匿怨而友其人、左丘明恥之。丘亦恥之」。
・子夏なとの泣すぎ…自分の子供が死んだ時に子夏が泣いて失明したこと。


第廿六 防小人之道云々条

防小人之道、正己爲先。
【読み】
小人を防ぐの道は、己を正すを先と爲す。
【補足】
・この条は、周易程氏伝小過卦九三の爻辞にある。

何ても向へ手を出さぬが、多くは垩賢の御定な守なり。たたい小人と名の付ほどな人を相手にすることはない。病犬のやうなもの。とは云ものの、蝮のやふてはない。小人にも羞悪之心あれは此方が正己をれは小人が動くことならぬ。此方の正で手が出ぬ。それより外に手段はない。役人の賄賂を取るやうな類も、取るなと制するより此方が取子ば向て食てかかりやふかない。扨この条は迂斎の上の漸の卦の隣にありそふなものと云り。迂斎又云、此語は小過の九三の語ゆへ、前条と幷べて出したであろふとなり。道理から云へは前の漸の卦と幷ぶがよけれども、前条と同卦の語ゆへここへ載たものなるべし。あまり細かな吟味はないことなり。
【解説】
小人にも羞悪の心があるから、こちらが自分を正せば小人は動くことができない。
【通釈】
何でも向こうへ手を出さないことが、多くは聖賢の御定まりの守りである。そもそも小人と名の付くほどの人を相手にすることはない。それは病犬の様なもの。そうは言うものの、蝮の様なものでもない。小人にも羞悪の心があるから、自分が「正己」でいれば小人は動くことができない。自分の正で手が出ない。それより外に手段はない。役人が賄賂を取る様な類も、取るなと制するより自分が取らなければ向こうで食ってかかる術がない。さて、この条を迂斎が上の漸の卦の隣にありそうなものだと言った。また、迂斎が、この語は小過の九三の語なので前条と並べて出したのだろうと言った。道理から言えば前の漸の卦と並べるのがよいのだが、前条と同卦の語なのでここへ載せたのだろう。あまり細かな吟味をすることはない。


第廿七 周公至公不私の条

周公至公不私、進退以道、無利欲之蔽。其處己也、虁虁然存恭畏之心、其存誠也、蕩蕩然無顧慮之意。所以雖在危疑之地、而不失其聖也。詩曰、公孫碩膚、赤舄几几。
【読み】
周公は至公にして私ならず、進退するに道を以てし、利欲の蔽無し。其の己を處するや、虁虁[きき]然として恭畏の心を存し、其の誠を存するや、蕩蕩然として顧慮の意無し。危疑の地に在りと雖も、其の聖を失わざる所以なり。詩に曰く、公は碩膚を孫[ゆず]り、赤舄[せきせき]几几たり、と。
【補足】
・この条は、程氏経説三詩の解狼跋の条にある。詩経国風狼跋は、「狼跋其胡、載疐其尾、公孫碩膚、赤舄几几。狼疐其尾、載跋其胡、公孫碩膚、德音不瑕」である。

周公を至徳と云も何も外のことはない。只公けと云ことなり。肉の手傳なく、道理で垢をぬき出した処が公けなり。身のふりまわしが理なりぞ。成王の御側を離て東山に居られたこともあれとも、只道理なりぞ。理外でどふこふと云ことなく、さっはとしたこと。これで先垩人と云札は付たぞ。周公の讒言に逢れてどふなろふとも知れぬ時節に虁虁然と敬む。垩人は向の相手で相塲のかはることはない。文王武王の父子兄弟の一処に居玉ふときからいつも々々々虁虁然なり。蕩蕩焉はぐわらり々々々々と水の流るるやふな躰なり。水に心はない。存誠也云々。上の処己と似た様て違ふ。変は身をふることではなく、至誠の誠のたっふりとあることなり。誠もちっとなれば易るもの。蕩蕩焉なれは源のあるなり。掘秡井戸なり。へりも立ずかんも立ず、水の沢山流るる躰なり。全体がたっふり々々々々ゆへ人の評判を顧るやうな顧慮の意はない。遠くの人の評判てさへよふないものじゃに、実の兄弟に謀叛人と云れてもさわかぬぞ。爰でさわか子ばさわぎ処はない。危疑の地にあってもなんともない顔なり。
【解説】
「周公至公不私、進退以道、無利欲之蔽。其處己也、虁虁然存恭畏之心、其存誠也、蕩蕩然無顧慮之意。所以雖在危疑之地、而不失其聖也」の説明。周公を至徳と言うのは公で道理の通りだからである。周公は敬み深く誠がたっぷりとある人なので、他人の評判を顧慮することもない。そこで騒ぐこともない。
【通釈】
周公のことを至徳と言うのも何も外のことではない。ただ公ということである。肉の手伝いがなく、道理で垢を抜き出した処が公である。身の振り回しが理の通りなこと。成王の御側を離れて東山におられたこともあったが、それもただ道理の通りにしたこと。理外でどうのこうのと言うことはなく、さっぱりとしていた。これで先ず聖人という札が付いた。周公が讒言に遇われてどうなるかも知れない時節に「虁虁然」と敬んでいだ。聖人は向かう相手によって相場が変わることはない。文王や武王が父子兄弟と一処におられる時からいつも虁虁然である。「蕩蕩焉」はがらりと水の流れる様な姿である。水に心はない。「存誠也云々」。上の「処己」と似ている様だが違う。虁は身を振ることではなく至誠の誠がたっぷりとあること。誠も少しであれば変わるもの。蕩蕩焉であれば源がある。それは掘り抜き井戸である。減りも干しもせずに水の沢山流れる姿である。全体がたっぷりしているので人の評判を顧みる様な顧慮の意はない。遠くの人の評判でさえ気に掛かるのに、実の兄弟に謀叛人と言われても騒がない。ここで騒がなければ騒ぐ処はない。そこで「危疑」の地にあっても何ともない顔となる。
【語釈】
・虁虁然…慎ましい様。
・蕩蕩焉…広く平らな様。

先垩人の心は中々某底のうかかわれぬことなり。じゃが一つ考がある。象が舜を弑そふとしても舜はやっはり象をかわゆかる。これらも伺れぬことなれとも、我弟が乱心して我を殺そうとしたとき憎いやつとは思ふまい。丁ど其やふなものて、舜の象を愛せらるもはかるべし。周公も二人の兄かあのとをりぞ。幼君の側に功ある叔父なれはと讒言をかまへるを何ともない躰と云はどふしたことやら計られぬが、今此席の衆もそこに錢を置たが見へぬと云たとて、はて氣の毒な、をれが取たと思ふであろふと云氣遣はすまい。これらで周公の心をはかるべし。垩人の御心はその大ひのとみゆ。垩人をつかまへて謀叛を巧むと云ても、垩人は何とも顔ずっしりなり。このやふなことは今の政をするものには入ぬやふなことなれとも、役人のずっしり落付たと云がよいことなり。一大事のあるときさはぐは誠がないからなり。
【解説】
象が舜を弑そうとしても舜は象を可愛がった。周公も管叔達の讒言にあったが動じなかった。一大事の時に騒ぐのは誠がないからである。
【通釈】
先ず聖人の心は中々私などの窺うことのできないことである。しかし、一つ考えがある。象が舜を弑そうとしても舜はやはり象を可愛がる。これ等も窺えないことだが、自分の弟が乱心して自分を殺そうとした時、弟を憎い奴とは思わないだろう。丁度その様なもので、舜が象を愛されたこともこれで推し量りなさい。周公も二人の兄があの通りだった。幼君の側で功ある叔父だからと讒言をしようとするのを何ともない風でいるのはどうしてなのか計り知れないが、今この席の衆も、そこに置いておいた銭が見えないと言ったとしても、実に気の毒なことだとは思うだろうが、俺が取ったと思うだろうという気遣いはしないだろう。これ等で周公の心を量りなさい。聖人の御心はそれの大きいものである。聖人を捕まえて謀叛を企んでいると言っても、聖人は何ともない顔でずっしりとしている。この様なことは今の政をするものには要らない様だが、役人もずっしりと落ち着いているというのがよい。一大事の時に騒ぐのは誠がないからである。
【語釈】
・象が舜を弑そふ…孟子万章章句上2及び3に記載がある。
・二人の兄…管叔が周公旦の兄で蔡叔は弟。

あとのほめ辞か詩なり。詩はたたいすらりとしたものなり。この詩ばかりは詩人が巧に褒めたぞ。公孫碩膚。周公は極上々吉、あまりよいからあの通讒言に逢たと云。孫るは謙退の意なり。あまり今夜は月がさへたゆへ雲が出た。雲にゆつりたと云意なり。あまりよすぎるからのことじゃとなり。だけれとも、こちが全体よいから赤舃几几たりぞ。舃は履なり。赤色のくつなり。二重うらのある履か舃なり。さてここを装束のことで云ふか面白。履をはき衣服を着してそこをゆらり々々々とあるかるるとなり。替たもので、心に私があると足迠がどきつく。周公などにそんなことは决してない。孺子將不利孺子と云た。万民か服してはをり、あのやうなも天下を取ふとする下心じゃなとと云ても、我に私なけれは何とも思はぬ。
【解説】
「詩曰、公孫碩膚、赤舄几几」の説明。詩では、周公があまりによいからあの通りの讒言に遇ったと言う。しかし、周公は私がないのでそれを何とも思わない。
【通釈】
その後の褒め辞が詩である。詩はそもそもすらりとしたものだが、この詩ばかりは詩人が巧みに褒めた。「公孫碩膚」。周公は極上上吉であまりによいからあの通りの讒言に遇ったと言う。「孫」とは謙退の意である。あまりに今夜は月が冴えたので雲が出た。雲に譲ったという意である。あまりによ過ぎるからだと言った。しかしながら、こちらの全体がよいから「赤舄几几」である。舄は履のこと。赤色の履で、二重裏のある履が舃である。さてここを装束のことで言ったのが面白い。履を履き衣服を着てそこをゆらりゆらりと歩かれる。変わったもので、心に私があると足までがどきどきする。周公などにはその様なことは決してない。「孺子将不利孺子」と言った。万民が服しているが、あの様なことも天下を取ろうとする下心からだなどと言われても、自分に私がなければ何とも思わない。
【語釈】
・孺子將不利孺子…書経金滕。「武王既喪。管叔及其群弟、乃流言於國曰、公將不利於孺子。周公乃告二公曰、我之弗辟。我無以告我先王。周公居東二年、則罪人斯得。于後、公乃爲詩以貽王。名之曰鴟鴞、王亦未敢誚公」。


第廿八 採察求訪云々の条

採察求訪、使臣之大務。
【読み】
採察求訪は、使臣の大いなる務めなり。
【補足】
・この条は、程氏経説三詩解の皇皇者華にある。詩経小雅皇皇者華に「君遣使臣也、送之以禮樂、言遠而有光華也」とある。

詩の小雅に皇々者蕐と云かある。惣体天子から大名の国へ上使を被遣ことなり。其国の善悪を見て來ることて、其済だあとで、やれ太義で有たと云ときの詩なり。此条も其傳にも引。程子のきり々々の処を説れた。國の善悪を見る役なとは年々の御義式はかりではない。国々の見処を見てくることなり。天子から諸侯の国へ郷太夫をつかわさるは国のありなりを見てくるゆへ、只の御使てはないほどに使臣の大務なり。つまる処此方て云へは巡見なり。土地の美悪、風俗の善悪から政事のやうす迠見てくることなり。何処の国からは何献上と云やうな一度見れはすむやうなことではない。
【解説】
天子が諸侯の国へ卿大夫を遣わされるのは、その国の実態を見て来ることであり、大務である。
【通釈】
詩の小雅に「皇々者華」とある。総じて、天子から大名の国へ上使を遣わされることである。その国の善悪を見て来ることで、それが済んだ後で、やれ大儀であったと言う時の詩である。この条もその伝に引いている。程子が至極の処を説かれた。国の善悪を見る役などは年々の御儀式ばかりではなく、国々の見処を見て来ること。天子が諸侯の国へ卿大夫を遣わされるのは国の実態を見て来ることなので、ただの御使ではなく、「使臣之大務」である。詰まる処、日本で言えば巡見である。土地の美悪、風俗の善悪から政事の様子までを見て来ること。何処の国からは何を献上という様な一度見れば済む様なことではない。


第廿九 明道先生與呉師礼云々の条

明道先生與呉師禮談介甫之學錯處、謂師禮曰、爲我盡達諸介甫。我亦未敢自以爲是。如有説、願往復。此天下公理、無彼我。果能明辨、不有益於介甫、則必益於我。
【読み】
明道先生、呉師禮と介甫[かいふ]の學の錯[あやま]れる處を談ぜしとき、師禮に謂いて曰く、我が爲に盡く諸を介甫に達せよ。我も亦未だ敢て自ら以て是と爲さず。如し説有らば、願わくば往復せん。此れ天下の公理にして、彼我無し。果たして能く明辨せば、介甫に益有らざるとき、則ち必ず我に益有らん、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

此条は明道先生の公けなことを出して見せる。役人は公けと云てすむことなり。前の周公の処も公のことなれとも、あれなとは学ひにくひか、爰は此通り見へた公と云ことゆへ、学者の学はるることなり。明道の心底を云へは周公といやまけはせぬが、爰は事の上て云ことゆへ、じか付に学者もこふなることに合点すべし。温公の常々云はるるに、をれは何もさしてよいことはなけれとも、此のことは人前て云れぬと云ことはないとなり。明道なとかそれなり。かげことと云ものは人へよくひひくもの。貝原か愼思録に、人のことをかけてよく云たりわるく云たりするは、向て云よりは喜怒する処か大く違ふものと云へり。王荊公が学問のあやまりからさま々々の新法をして、さて々々あやまりたそ。先此御話を呉師礼となされたことなり。そふして明道かこのことを殘ず介甫に云てくりゃれとなり。自分なとの云こともこれが急度よいでもござるまいか、そこは道理の尽ぬゆへわるいと思ふならは、又仰せ被遣やふにとなり。これかずんと公なことぞ。これでよいと云て、火事のときをれか一番に消したなどと云たかるやふではつまらぬことなり。学者の戒になることそ。政務の上もそれて、此度のことは誰か勝たなとと效をつめるやふてはないことそ。同役と中かわるいと云も我か功を立たかるゆへなり。市の駕篭かきの片棒なとか一人上手ても一人下手なれは、もふそのことを口へ出して云のか、あれらはそうもあろふことなれとも、役人にも其心あるものなり。明道のは平かに大ふ公なことて、不有益于介甫則必有益于我となり。
【解説】
明道が呉師礼に、話したことを残らず王荊公に伝えてくれることを頼み、自分の言うことが間違っていればそれを指摘して欲しいと言った。それは明道が公だからである。
【通釈】
この条は明道先生が公であることを出して見せたこと。役人は公なのがよい。前の周公の処も公のことだが、あれなどは学び難いが、ここはこの通りに見える公なので、学者も学ぶことができる。明道の心底を言えば、周公に簡単に負けるものではないが、ここは事の上で言うことなので、直に学者もこうなることを合点しなさい。温公が常々言われるに、俺は何も大してよいこともないが、このことは人前で言えないということはない、と。明道などかそれである。陰言というものは人へよく響くもの。貝原益軒が慎思録に、人のことを陰でよく言ったり悪く言ったりするのは、直接に言うよりも喜怒する処が大きいものだと言った。王荊公が学問の誤りから様々な新法をして大層間違えた。先ずこの御話を呉師礼となされた。そうして明道がこのことを残らず介甫に言ってくれと言った。自分などの言うこともこれが絶対によいということでもないだろうが、そこは道理が尽きないので悪いと思うならば、また仰せ遣わされる様にと言った。これがすっかりと公なこと。これでよいと言って、火事の時に俺が一番に消したなどと言いたがる様では悪い。ここは学者の戒めになること。政務の上もそれで、この度のことは誰が勝ったなどと功を競う様なことではない。同役と仲が悪いというのも自分が功を立てたがるからである。市の駕篭舁きの片棒などは一人が上手でももう一人が下手であれば、もうそのことを口に出して言う。あれ等ならそうもあるだろうが、役人にもその心があるもの。明道のは平かで大層な公なので、「不有益于介甫則必有益于我」と言った。
【語釈】
・前の周公の処…政事27を指す。
・呉師礼…銭塘の人。字は安仲。徽宗の初年に右司諌となる。直秘閣知宿州に至る。
・介甫…王安石。王荊公。


第三十 天祺在司竹云々の条

天祺在司竹、常愛用一卒長。及將代、自見其人盗筍皮、遂治之無少貸。罪已正、待之復如初、略不介意。其德量如此。
【読み】
天祺は司竹に在りしとき、常に一卒長を愛用せり。將に代わらんとするに及び、自ら其の人の筍皮を盗むを見、遂に之を治めて少しも貸[ゆる]すこと無し。罪已に正さるれば、之を待つこと復初めの如く、略[いささ]かも意に介せず。其の德量此の如し。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

此条も公なことなり。司竹は竹藪の役人なり。此方の材木奉行と云やうな類のものなり。卒長は足輕や同心の小頭のやふなもの。これかずんと天祺か氣に入りなり。もふ天祺か他の役に易んとする時分に盗筍皮。筍皮は竹の子の皮なり。これも御法のあることなり。そこで無少貸。鞭うたれたであろふなり。罪已正待之云々。とんとあとは何のことなし。略不介意なり。そこを程子の御評判に徳量如此となり。まず愛用して贔屓に思てやるのにそれか盗をしたなれは、をれか名を下すかとか何んとか云ををなり。処を正してのあとは不介意と云なれは量の大ひなり。服中の大いのそ。某か毎々思ふことじゃか、直方先生の弟子小野嵜先生抔はうけあふて天祺にまけぬ人なり。扨又靣白ことある。先年あるものか迂斎に云た。天祺かやうに盗をしたものを跡てすててをいたら釘かきくまい、我々は追拂ふてあろふと云へり。そこて迂斎の、それが直に天祺に及はぬ処しゃとなり。靣白あいさつなり。器量があれは緩くても釘かきくものなり。いかさま只の人かしたらは釘がきくまいもしれぬ。
【解説】
天祺はお気に入りの卒長でも法を犯せばそれを罰する。しかし、罰した後は以前通りに扱った。それは腹が大きいからである。盗みをした者を放って置くのではしめしがつかないと考える様では天祺に及ばない。
【通釈】
この条も公のこと。「司竹」は竹藪の役人であり、日本で材木奉行と言う様な類のもの。「卒長」は足軽や同心の小頭の様なもの。これを天祺がかなり気に入っていた。もう天祺が他の役に易ろうとする時分に「盗筍皮」。筍皮は筍の皮である。これにも御法がある。そこで「無少貸」。鞭打たれたのだろう。「罪已正待之云々」。後は全く何事もなく、「略不介意」である。そこを程子が評価して「徳量如此」と言った。先ずは愛用して贔屓に思ってやっているのに、それが盗みをしたのであれば、俺の名を汚すのかとか何とか言うだろう。そこを、正した後は「不介意」と言うのだから量が大きいのである。それは腹中が大きいのである。私が毎々思っていることだが、直方先生の弟子の小野崎先生などは天祺に負けない人だと請け合うことができる。さてまた面白いことがある。先年ある者が迂斎に言った。天祺の様に盗みをした者をそのまま放って置いたら釘が利かないだろう、我々なら追い払うだろうと言った。そこで迂斎が、それが直に天祺に及ばない処だと言った。面白い挨拶である。器量があれは緩くても釘が利くもの。尤も普通の人がそれをすれば釘が利かないだろう。
【語釈】
・天祺…張戩。張横渠の弟。1031~1089
・小野嵜先生…小野崎舎人。師由。本姓大田原。出羽秋田の人。牛島随筆に「小野崎師由、雅量通長」とある。直方晩年の門人。直方の子就正が秋田の佐竹候に仕えたのは、師由の推挙によったとある。


第三十一 因論口將言而囁嚅条

因論口將言而囁嚅云、若合開口時、要他頭、也須開口。如荊何於樊於期。須是聽其言也厲。
【読み】
因りて口將に言わんとして囁嚅[しょうじゅ]するを論じて云う、若し合[まさ]に口を開くべき時ならば、他の頭を要むとも、也[また]須く口を開くべし。荊何の樊於期に於るが如し。須く是れ其の言を聽くや厲なるべし、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書三にある明道の語。

囁嚅。本と韓退之の云たこと。兎角に方々の差合を勘へたり。禍をさけて云をふと思ても、くじ々々して云はずにしまふを囁嚅と云。話をしかけそふにしてしもふなり。直方の、むく々々してしまふことじゃと云へり。こふ云ことを退之の云たか、その話になりて学者なとにそんなことはない筈じゃとなり。学者は用向のある當然のことを云からそんなことはない。須開口そ。ずっと云て仕舞はつなり。云へきことならは、たとひ頭をくれろと云ことでも口を開きはきと云へし。強ひことなり。云へきことなれは役人に腹を切れよと進めるやうなもの。これほと云にくいことはないか、云筈の理なら云へし。さて爰の荊軻樊於期のことは集解にもある朱説の通りなり。たたいこれか近思の御座へ出されたことではない。されともはき々々したことにこれより上はない。荊軻かことももふ二度ない珎ひことなり。誰も知た燕丹か秦の始皇に囚れあまりな目にあふてかへり、其鬱忿をはらさんとてのこと。荊軻か燕丹に頼まれ樊於期に向て、こなたの首を下されよ、首をもって行くと必始皇喜で對靣すると云たれば、じきに首を切て出した。於期は始皇の悪む者なるゆへなり。たたいこれか道理に叶ふたではなけれとも、これか英雄の壮志てぐず々々せぬ処は扨々きたないことなり。そこて跡へ垩人を出して聴其言也励し。はげしいと云字は疾のある字なれともよいことになる。なせなれは、人の口上と云も我に私しある二半なことはぐにゃ々々々する。道理のか子通りのことを云にはしゃっきりとする口上も、今云鴬声と云か役人の上なとには別してありたかることなり。道理のさへきったことは厲なもの。世の中は左様でござる、御尤と云は厲でない。某抔存じた人ては石原先生抔は厲てあった。よふ来やったなとと云口上がふっくとして、さて々々ぐにゃ々々々とせす厲なり。これか何の為なれば、役人のぬらつくことを戒たものなり。とかく我利害を思ふとぬるける。
【解説】
人の口上は道理の通りを言うことだから、しっかりと言い切らなければならない。「聴其言也厲」でなければならないのである。厲でないのは私があるからで、自分の利害を思うのではぬるける。
【通釈】
「囁嚅」。元は韓退之の言ったこと。とかく方々の差し合いを勘案したり、禍を避けて言おうと思っても、ぐじぐじして言わないで置くのを囁嚅と言う。話をしかけようとして止めること。直方が、むくむくして止めることだと言った。これを退之が言ったのは、話をする際に、学者などにそんなことはない筈だということ。学者は用向きのある当然のことを言うからそんなことはない。「須開口」である。しっかりと言い切る筈である。言うべきことであれば、たとえ頭をくれということでも口を開いてはっきりと言わなければならない。それは強いこと。言うべきこととは役人に腹を切れと進める様なもの。これほど言い難いことはないが、言う筈の理であれば言わなければならない。さてここの荊軻と樊於期のことは集解にもあって朱説の通りである。本来これは近思の御座へ出すことのできることではない。しかしながら、はきはきとしたことにこれより上はない。荊軻のことも二度とない珍しいことである。誰もが知っていることだが、燕丹が秦の始皇に囚われて酷い目に遭って帰り、その鬱憤を晴らそうとしてのこと。荊軻が燕丹に頼まれ、樊於期に向かって、貴方の首を下さい、首を持って行けば必ず始皇帝が喜んで対面するだろうと言うと、直ぐに首を切って出した。それは於期が始皇帝の悪む者だからである。そもそもこれは道理に叶ったことではないが、これが英雄の壮志であってぐずぐずとしない処は実にきたないこと。そこで後へ聖人を出して「聴其言也厲」。厲しいという字は問題のある字だが、ここではよいことになる。それは何故かと言うと、人の口上も自分に私がある様な二半なことではぐにゃぐにゃする。道理の曲尺の通りを言う際にはしゃっきりとする口上も、今言う鴬声というのが役人の上などには特にありがちである。道理の冴え切ったことは厲なもの。世の中は左様でござる、御尤もと言うのは厲でない。私などが知っている人では石原先生などが厲だった。よく来たなどと言う時の口上がふっくとして、全くぐにゃぐにゃとしなくて厲だった。ここは何のためにあるのかと言うと、役人がぬらつくのを戒めたのである。とかく自分の利害を思うとぬるける。
【語釈】
・囁嚅…韓愈。送李愿歸盤古序。「伺候於公卿之門、奔走於形勢之途、足將進而趑趄、口將言而囁嚅、處污穢而不羞、觸刑辟而誅戮。徼倖於萬一、老死而後止者、其於爲人賢而不肖何如也」。
・聴其言也励…論語子張9。「子夏曰、君子有三變。望之儼然、即之也温、聽其言也厲。」
・二半…①事のどちらとも決定しないこと。どちらつかず。②武家で、譜代と抱者との間の人の格式。


第三十二 須是就事上学条

須是就事上學。蠱振民育德。然有所知後、方能如此。何必讀書、然後爲學。
【読み】
須く是れ事上に就きて學ぶべし。蠱は民を振[すく]い德を育[やしな]う。然れども知る所有りて後、方に能く此の如し。何ぞ必ずしも書を讀みて、然して後に學と爲さん。
【補足】
・この条は、程氏遺書三にある明道の語。

書物藝の役に立ぬことを云。学医と云かあるもの。医学はよくても病人にかけては役に立ぬかあり、学者も青表紙の学問と云がある。一日書物にかかって居ても役に立ぬ。何のか書に皃有章句と云文字あり、白髪親父になる迠書にかかっていても役に立ぬ。易蠱の卦もこれ程な仕事のあることなり。振民育徳、と。然るにからは用心して云ことなり。有所知後方云々。事上に付て学ふと云ても根はこふしたことなり。根から医学をせぬものか療治はならぬ。爰はよく句を切て合点すべし。何必讀書からは前の事上につくを云ことなり。大名衆には儒者役と云かあって、大躰多くは字を讀む役なり。爰は集解がよく云た。たたい此本語は子路が云たことで孔子の悪彼佞者と御呵あったことなり。爰はよいことになる。
【解説】
書物芸は役に立たない。事上に就いて学ばなければならない。子路は「何必讀書然後爲學」と言って孔子に叱られたが、ここではよい意でこれを用いている。
【通釈】
ここは書物芸の役に立たないことを言う。学医ということがある。医学はよくできても病人に関しては役に立たない者がいて、学者にも青表紙の学問ということがある。一日書物に取り掛かっていても役に立たない。何かの書に「顔有章句」という文字があって、白髪の親父になるまで書に掛かっていても役には立たない。易の蠱の卦にもこれほどの仕事がある。「振民育徳」である。「然」からは用心して言ったこと。「有所知後方云々」。事上に就いて学ぶと言っても根はこの様なこと。根本から医学をしない者に療治はできない。ここはよく句を切って合点しなさい。「何必読書」からは前の事上に就くことを言ったこと。大名衆には儒者役という者がいて、大体その多くは字を読む役である。ここは集解がよく言っている。そもそもこの本語は子路が言ったことで、孔子が「悪夫佞者」と呵られたことだが、ここではよいことの意である。
【語釈】
・皃有章句…
・易蠱の卦…易経蠱卦象伝。「象曰、山下有風蠱。君子以振民育德」。
・悪彼佞者…論語先進24。「子路使子羔爲費宰。子曰、賊夫人之子。子路曰、有民人焉。有社稷焉。何必讀書、然後爲學。子曰、是故惡夫佞者」。


第三十三 先生見一学者忙迫云々条

先生見一學者忙迫、問其故。曰、欲了幾處人事。曰、某非不欲周旋人事者、曷嘗似賢急迫。
【読み】
先生一學者の忙迫なるを見て、其の故を問う。曰く、幾處の人事を了えんと欲す、と。曰く、某は人事に周旋するを欲せざる者に非ざるも、曷[なん]ぞ嘗て賢の似[ごと]く急迫ならん、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書三にある。

忙迫は殊の外閙ヶ鋪がってかけまわることなり。十二月を月迫と云もそれなり。先のつまったと云やうなことなり。そこで程子のなぜにそうしやと、問其故なり。幾処の人事と云は指を折て段々かそへ立る様なことなり。段々ここにもかしこにもと申し述た。こふしたことゆへいやはや茶を飲むひまもないなとと云。そこで程子の御答に、なる程閙ヶしかろふ。西行のやふに人事をすてて置ふ筈はない。人事は用事と同しことなり。周旋は何もかも殘さずに世話をやくことなり。警戒の篇に周羅事とあるなり。先はあれに似たことなり。あま子く廻って角から角まで片をつけることなり。出入のものが度々朝も晩もくるなとにも周旋と書く。そのやうなことなり。動容斡旋と云ものも家の中で云ことで、上ったりをりたりくる々々まわることにつかふたもの。そこで、爰で周旋と云は家内のことから何から何迠世話をする。家をもてばさて々々閙いものなり。程子の、をれじゃと云てそれを捨てはせぬから欲せぬてはなけれとも、こなたのやふに年中かけまわるやふてはないとなり。
【解説】
程子が、忙迫となって周旋している学者に、自分も事を捨てはしないが貴方の様に忙しくはしないと言った。
【通釈】
「忙迫」は殊の外忙しく駆け回ること。十二月を月迫と言うのもそれで、先が詰まったと言う様なこと。そこで程子が何故そうなのかと、「問其故」。「幾処人事」は指を折って段々と数え立てる様なこと。段々と、ここにもかしこにも人事があると申し述べた。こうしたことなのでいやはや茶を飲む暇もないなどと言う。そこで程子が答えて、なるほど忙しいのだろう。西行の様に人事を捨てて置く筈はないと言った。人事は用事と同じこと。「周旋」は何もかも残さずに世話を焼くこと。警戒の篇に「周羅事」とあり、先ずはあれに似たこと。遍く廻って隅から隅まで片付けること。出入の者が度々朝も晩も来ることなどにも周旋と書く。その様なこと。「動容斡旋」というのも家の中で言うことで、上がったり下りたりくるくる回ることに使う。そこで、ここでの周旋は家内のことから何から何まで世話をすること。家を持つと実に忙しいもの。程子が、俺もそれを捨てはしないからしたくないのではないが、貴方の様に年中駆け回る様なことはしないと言った。
【語釈】
・周羅事…警戒23。「周羅事者、先有周事之端在心」。
・動容斡旋…孟子尽心章句下33。「孟子曰、堯舜、性者也。湯・武、反之也。動容周旋中禮者、盛德之至也」。

此条の幷べやうも靣白い。上に就事上で学とあり、こふきくと事の外閙ヶしくなるから此条で戒る。周公の周礼三百宦ゆきとどいたことで、中々ぶらりとしたことではない。だけれとも、さはぎ巡ってかけあるくやうなことはない。さわげばはかがゆかず、落付と、さわがしいことなければはかがゆく。又例のか世話をやくと云のがある。これもよいことなれどもなぜに嘲哢さるるなれば、玉しいがこせ付くから人がうるさかる。別して上たる人がこせ付くと政事がふっくりとはせぬ。孔明のことを誰か詩に閑暇ありと云た。あの天下の政を統べ軍の最中に居た人なり。有閑暇とは知た云分なり。もしは張良てもあるならは閑暇とも云をふか、孔明を閑暇とは見られぬ。よく云たぞ。孔明ほど行届いた人はないが閑暇あり、忙迫ではない筈なり。
【解説】
騒いでしては行き届かない。落ち着いてすれば捗る。騒ぐのは魂がこせこせとしているからである。あの孔明でさえも有閑暇だった。
【通釈】
この条の並べ方も面白い。前条に「就事上学」とあり、この様に聞けば殊の外忙しくなるからこの条で戒める。周公の周礼三百官が行き届いたことで、中々ぶらぶらとしたことではない。しかしながら、騒ぎ巡って駆け歩く様なことはない。騒げば捗らず、落ち着くと騒がしくないので捗る。また例のが世話を焼くと言うことがある。これもよいことなのだが何故嘲哢されるのかと言えば、魂がこせこせしているからで、それで人が煩がる。特に上の人がこせこせすると政事がふっくりとしない。孔明のことで誰かの詩に閑暇有りとあった。あの天下の政を統べ軍の最中にいた人を有閑暇とは知った人の言い分である。もしも張良であれば閑暇とも言うだろうが、孔明を閑暇とは見られない。よく言ったこと。孔明ほど行き届いた人はいないが、閑暇があるから忙迫ではない筈。
【語釈】
・周礼三百宦…周礼で定めた三百官。天官冢宰・地官司徒・春官宗伯・夏官司馬・秋官司寇・冬官考工記。
・閑暇あり…


第三十四 安定之門人云々の条

安定之門人、往往知稽古愛民矣。則於爲政也何有。
【読み】
安定の門人は、往往古を稽[かんが]え民を愛するを知る。則ち政を爲すに於て何か有らん。
【補足】
・この条は、程氏遺書四にある。

前に急迫かわるいと云てをいて、とと事の上へ落すことなり。安定はずんと懿実で弟子の仕込が丁寧なり。しこみがよいから弟子衆に役に立ものが出来た。先土臺がよい。爰らは文章の学へかけてみよ。文章をかけばずんどみへにもなり聞へもよいなれとも、天下の役に立ぬもの。用向さへ足ればすむ。今日手帋書にも文盲なれは昨日は御馳走大酒忝ひと云のを、疇昔酪酊なととこびてかけはよいやうなれとも、どちでも昨日の礼状なれは同しことなり。孔子も辞達而止むと云なり。梅の花を見ても病氣はなをらぬ。実なれは藥にもなる。梅干は病人のためにもよし。人の文花も只の文章なれは役に立ぬ。稽古愛民。稽古は細工てないことしゃと迂斎云へり。又愛民は実にこふ思ふことなり、と。いかなる人ても政をするに民を愛せぬと云ものはなけれとも、その御しきせの愛民はやくにたたぬ。迂斎の実にと云たは靣白。ほんぼの処から出るゆへ矣の字をすへたもの。こふした人か上に居れは下々はよいはつなり。そこで程子の請合なり。稽古て細工をせす、愛民かほんぼの処から出る愛なれはよいと程子の請合れたなり。
【解説】
胡安定の弟子に役に立つ者がいるのは、師が懿実な人で弟子の仕込みが丁寧だったからである。それは土台がよいということである。安定は稽古愛民を教えたが、その稽古は細工ではなく、愛民は実から出たものでなければならない。
【通釈】
前に急迫が悪いと言って置いて、結局は事の上へ落とした。安定は実に懿実な人で弟子の仕込みが丁寧だった。仕込みがよいから弟子衆に役に立つ者ができた。先ずは土台がよい。ここ等は文章の学と比べてみなさい。文章を書けばかなり見栄にもなり聞こえもよいが、天下の役には立たない。用向きさえ足りれば済むこと。今日手紙を書くにも、文盲なので昨日は御馳走大酒忝いと書くところを、疇昔酩酊などと媚びて書けばよい様だが、どちらも昨日の礼状であることは同じこと。孔子も「辞達而已」と言った。梅の花を見ても病気は治らない。実であれば薬にもなる。梅干は病人のためにもよい。人の文華もただの文章であれば役に立たない。「稽古愛民」。稽古は細工ではないと迂斎が言った。また、愛民は実にこう思うことだと言った。どの様な人であっても、政をするにあたって民を愛さないと言う者はいないが、お仕着せの愛民は役に立たない。迂斎が実にと言ったのが面白い。真実の処から出るので「矣」の字を据えたのである。こうした人が上にいれば下々はよい筈である。そこで程子が請け合った。稽古で細工をせず、愛民が真実の処から出る愛であればよいと程子が請け合われたのである。
【語釈】
・安定…胡安定。胡瑗。字は翼之。993~1059
・疇昔…①きのう。昨日。②先日。先ごろ。また、昔。
・辞達而止む…論語衛霊公40。「子曰、辭、達而已矣」。
・稽古愛民…胡安定は経義斎と治事斎を設けた。稽古は経義斎に属し、愛民は治事斎に属す。
・ほんぼ…本本。本式。本当。真実。


第三十五 門人有曰吾與人居云々の条

門人有曰、吾與人居、視其有過而不告、則於心有所不安。告之而人不受、則奈何。曰、與之處而不告其過、非忠也。要使誠意之交通、在於未言之前、則言出而人信矣。又曰、責善之道、要使誠有餘而言不足、則於人有益、而在我者、無自辱矣。
【読み】
門人曰える有り、吾人と居り、其の過有るを視て告げずんば、則ち心に於て安んぜざる所有り。之を告げて人受けずんば、則ち奈何、と。曰く、之と處りて其の過を告げざるは、忠に非ざるなり。誠意の交通をして未だ言わざる前に在らしむるを要めば、則ち言出でて人信ぜん、と。又曰く、善を責むるの道、誠餘り有りて言足らざらしむを要せば、則ち人に於て益有りて、我に在る者、自ら辱しむること無し、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書四にある。

此条も一寸したことなれとも、同役交の上に入ることなり。直に門人が我身にかけて云。與人居も学友計でなく、ひろく云ことゆへ政事によいなり。これが一寸のことでなく、不断出合もののことなり。先向にわるいことありて、ああではない、氣毒なと思ふてもたまって居る。とふも心底が安んせぬ。毎たかやふに存ますか、併折角申しても向て請のわるいときはとうしたものとなり。目にあまるやうなことは氣の毒なもの。此中のことはとうした、忘れたかなとと云のは申よいことなれとも、御座へ出されぬことのあるときは云に云はれぬもの。云にしてもきかぬ。凡夫は膈の証なり。食たものをはき出す。垩人でさへ好問に、凡夫ていて人のことを請ぬ。爰の御答て門人と明道の挌式の違をみよ。向か請ずはどふせふと云のは成敗についた云分なり。向て請けやうか請まいかそれを筭用することでなく、すっと云ことなり。その云ぬ外が大切じゃとなり。かくだんなことなり。先づ云はぬ前から向て信仰してをる。そう云処へ云からしきに信するなり。どこでも本のことは六ヶ鋪もの。或人は、こう問たからそれに又こう云と云やうなことてもあろふかと思たれは、只誠と云ことなり。誠なしに云へは鉢はらいぞ。
【解説】
「門人有曰、吾與人居、視其有過而不告、則於心有所不安。告之而人不受、則奈何。曰、與之處而不告其過、非忠也。要使誠意之交通、在於未言之前、則言出而人信矣」の説明。凡人は人前に出して言えないことを言われると、それを聞き入れない。それで黙っているのだが、心が安らがないのでどうすればよいかと人が問うと、程子はすっと言えばよいと答えた。大切なのは言葉の外のところにある。誠があれば言う前から相手はこちらを信じるのである。
【通釈】
この条も一寸したことだが、同役交わりの上では必要なこと。直に「門人」と言うのが自分の身に掛けて言ったこと。「与人居」も学友ばかりでなく、広く言うことなので政事によい。これが偶にではなくて普段出合う者のこと。先ず向こうに悪いことがあって、そうではない、気の毒なことだと思っても黙っているが、どうも心底が安らかでない。いつも違っている様に思っているのだが、しかし折角申しても向こうで請けの悪い時はどううしたものかと尋ねた。目に余る様なことは気の毒なもの。この間のことはどうした、忘れたかなどと言うのは申し易いことだが、御座へ出せないことのある時は言うに言えないもの。それを言ったとしても聞かない。凡夫は膈の病で食ったものを吐き出す。聖人でさえ「好問」なのに、凡夫如き者が人の言うことを請けない。ここの御答で門人と明道の格式の違いを見なさい。向こうが請けなければどうしようと言うのは成敗に関した言い分である。向こうで請けようが請けまいがそれを算用するのではなく、すっと言うのである。しかし、言う外のことが大切なのだと言う。それは格段なこと。先ずは言う前から向こうで信仰している。その様な処へ言うから直に信じるのである。何処でも本当のことは難しいもの。或る人は、この様に問うたから、それにまたこう言えばよいという様なことでもあろうかと思っていると、ただ誠だと言われた。誠なしに言えば蜂払いをされる。
【語釈】
・此中…此の中。この間。先ごろ。このじゅう。
・膈の証…膈の病。飲食物が胸につまるように感ずる病症。今の胃癌・食道癌などに当るという。
・好問…中庸章句6。「子曰、舜其大知也與。舜好問而好察邇言、隱惡而揚善。執其兩端、用其中於民。其斯以爲舜乎」。
・鉢はらい…蜂払い。物を聞き入れないでしりぞけること。

責善之道云々。これは朋友にあることなり。よい弁で云て聞せふと云ことてない。誠有余そ。然れは誠はききのよいもの。いやと云れぬなり。人へひひくは誠ぞ。陸象山が講釈を聞て泪をこほしたと云のか弁のよいてはない。だたいあの象山が欲がないから義利のひひきがよい。それゆへ先度も云通り、講釈は上手と心得てをるはあさはかなことなり。弁のよいは蘇秦張儀ぞ。誠と云ものは三汁五菜よりは利休の一汁三菜の方かよいと云。あんばいが違ふなり。そこが誠有餘処ぞ。某抔も云やふはよい。それは古今の書を見て道理をしり、又道落をもして下情に通してをる。だから異見の云やうは上手なり。するにすっへりきかぬ。要助抔は世間をも何にもしらぬ親父なれとも、病人と云へははっと云、はや涙くむやうな人ゆへききがよい。口さきで云ふのは代大匠けづる浮雲ひことなり。然れはとかく誠々とたたき込ことなり。政事始めに三條に誠のことを出して、又ここへ出した。あの人が一寸御目にかかろふと云ともうふ汗か出ると云。そこが云ぬ前からきく処なり。誠なしに弁舌て云と、何とそうしたことが学者もこさるかなとと辞咎めをする。俗に云、辞多けれは品すくなし。そうすると十分の道理を云ても又例のかよいかげんにして帰れはよいなとと云。それは何なれは、肝心の誠がないからなり。
【解説】
「又曰、責善之道、要使誠有餘而言不足、則於人有益、而在我者、無自辱矣」の説明。弁舌がよいだけでは相手に響かない。誠で響くのである。
【通釈】
「責善之道云々」。これは朋友にあること。よい弁で言って聞かせようということではない。「誠有余」である。誠は利きがよいもの。相手も違うと言えなくなる。人へ響くのは誠である。陸象山が講釈を聞いて泪をこぼしたというのは弁のよいからではない。そもそもあの象山には欲がないから義利の響きがよい。そこで先にも言った通り、講釈は上手なのがよいと心得るのは浅はかなこと。弁のよいのは蘇秦や張儀。誠というものは三汁五菜よりは利休の一汁三菜の方がよいと言うこと。塩梅が違う。そこが誠有余の処である。私なども話はうまい。それは古今の書を見て道理を知り、また道楽もして下情に通じているから異見の言い様が上手なのである。しかしながら、それが全く利かない。要助などは世間も何も知らない親父だが、病人と聞けばはっと言って早くも涙ぐむ様な人なので利きがよい。口先で言うのは大匠に代わって削る様で実がない。そこで、とかく誠々と叩き込むのである。政事の始めの三条で誠のことを出し、またここへ誠を出した。あの人が一寸御目にかかろうと言うともう汗が出ると言う。そこが言う前から利く処である。誠なしに弁舌で言うと、何とそうしたことが学者もあるのかなどと言葉咎めをされる。俗に言う、言葉多ければ品少なしで、そうすると十分の道理を言っても、また例のが出た、いい加減に帰ればよいなどと言われる。それは何故かと言うと、肝心の誠がないからである。
【語釈】
・陸象山が講釈を聞て泪をこほした…
・要助…大原要助。大網柳橋の黙斎門下。
・代大匠けづる…老子制惑。「夫代司殺者殺、是謂代大匠斲。夫代大匠斲、希有不傷其手」。