第五十一 先生因言之条  三月廿一日  文司録
【語釈】
・三月廿一日…寛政3年辛亥(1791年)3月21日。
・文司…吉野文司。東金押堀の人。

先生因言、今日供職、只第一件便做他底不得。吏人押申轉運司状、頤不曾簽。國子監自係臺省、臺省係朝廷官。外司有事、合行申状。豈有臺省倒申外司之理。只爲從前人、只計較利害、不計較事體、直得恁地。須看聖人欲正名處、見得道名不正時、便至禮樂不興。是自然住不得。
【読み】
先生因りて言う、今日職に供[そな]わるに、只第一件は便ち他[か]の底[もの]を做[な]し得ず。吏人轉運司に申する状に押[おう]するとき、頤は曾て簽[せん]せず。國子監は自ら臺省に係り、臺省は朝廷の官に係る。外司に事有らば、合[まさ]に申状を行うべし。豈臺省より倒[かえ]って外司に申する理有らんや。只從前の人、只利害を計較するのみにして、事體を計較せざるが爲に、直[ただ]恁地[かくのごとき]を得。須く聖人の名を正さんと欲する處を看、名の正しからざる時は、便ち禮樂興らざるに至ると道[い]うを見得べし。是れ自然に住[とど]まり得ざるなり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一九にある伊川の語。

因言は今日供職。何のか咄の序でに云たことを因云とかく。今日とは、今のはあぢなことじゃと云ことそ。役人か當役のことを勤ることを供職と云。只第一件云々。さてこの第の字て文義を多くとりそこなふか、弟の字なしに見れは何のことはない。爲学の將第一等讓與別人とは違ふそ。第一番と云ことてはなし。あの一事かと云こと。做他底不得。第一件を指す。役をつとめるに付たことは明なはづにそれがならぬ。手前の役向の筋合一向わからぬと云は、この様なをかしいことはないそ。それはどふなれは、此比も吏人がヶ様々々じゃと出して云。吏人は小役人なり。轉運司は天下の運送を司る役ゆへに大ふはがきく。そこで尊て此方から状をやるぞ。押は書判を押すことなり。そこで吏人か伊川先生へ、御手前も御さっしゃれと云た。いや、をれはをすまいとなり。不曽簽。文字をかくことて、上の押すこと。自分得押さぬ。そこは一存ありてのこと。人々わけなしに押す。爰が直に做他底不得の処なり。世間のものは押すてもあろふが、拙者なとは押さぬ。押さぬ処が役抦の訳を知た処なり。其訳は下文にある。
【解説】
「先生因言、今日供職、只第一件便做他底不得。吏人押申轉運司状、頤不曾簽」の説明。伊川は供職にあっても一つだけしないことがあった。多くの吏人が転運司に申し状を付けたが、伊川はそれをしなかった。
【通釈】
「因言今日供職」。何かの話のついでに言ったことを「因云」と書く。「今日」とは、今のは悪いことだということ。役人が当役を勤めることを「供職」と言う。「只第一件云々」。さてこの第の字によって文義を多くの者が取り損なうが、第の字なしに見れば何の事はない。為学の「将第一等譲与別人」の第とは違う。ここは第一番ということではなく、あの一事がということ。「做他底不得」。これは第一件を指したこと。役を勤める上でのことは明な筈なのにそれができない。自分の役向きの筋合が一向にわからないとは、これほど可笑しいことはない。それはどうしてかと言うと、この頃の吏人はこの様にすると言う。吏人は小役人である。「転運司」は天下の運送を司る役なので大分羽が利く。そこで尊んでこちらから状を遣る。「押」は書判を押すこと。そこで吏人が伊川先生に貴方もそれをした方がよいと言った。しかし、いや、俺はしないと答えた。「不曽簽」。これは文字を書くことで、上にあった押すこと。自分は押さない。そこは一存あってのことで、人々は理由もなく押す。ここが直に做他底不得の処である。世間の者は押すだろうが、私は押さない。押さない処が役柄の訳を知っている処である。その訳は下文に書かれている。
【語釈】
・將第一等讓與別人…為学59の語。
・はがきく…羽が利く。羽振りがよい。勢力がある。幅が利く。

國子監自係臺省云々。伊川の當時の役なり。日本の大学頭なり。天子の大学挍の先生なり。をいらは御史臺尚書省にかかりたに、それに轉運司の方はなにも云ことはない。此臺省は御膝元の官なり。轉運司は遠國役ゆへ此方から申状をつけることはない。あの方より申状をつける筈なり。このやふなことは日本へあててはとりあはぬ譬なれとも、今日で云はは遠國の役の方より江戸の役人へこそ御機嫌伺の状をつけるなれとも、江戸の御膝元から遠國へ御機嫌伺はせぬ様なもの。それに、遠國の役人にあたまを下けるは一つ入用なことありてすると云が、計較利害なり。轉運司が天下の運送を司るからいろ々々な事に付調法なことかある。そこて氣に入様にするそ。利害と云ものはひょんなもので、迂斎の、大名の屋鋪ても元しめや金奉行が金を才覺すると家老より羽ぶりがよくなる。又側向も勢かつよくなると家老の方から手を入るやうにもなる。利害からしてさかさまになると云へり。そこで孔子の正名と云ふたぞ。礼樂云々。礼樂の興ると云が替りたものて自然なり。道理が正くなると礼樂がをこる。仲人あってふっくとした昏礼をこそ長生の家も出るか、何処からか得知れぬ女が来てさま々々なもめ合のあるに謡処てはない。兄を殺して天下をとるのと云に礼樂の興ろふよふはないそ。とんと名か正くない。住不得。道理が正ければ自然と礼樂が興らぬではをらぬ。中々むりに手拵ではゆかぬ。根がよければ自興るなり。
【解説】
「國子監自係臺省、臺省係朝廷官。外司有事、合行申状。豈有臺省倒申外司之理。只爲從前人、只計較利害、不計較事體、直得恁地。須看聖人欲正名處、見得道名不正時、便至禮樂不興。是自然住不得」の説明。伊川は国子監であり、転運司に申し状を付ける立場ではなく、申し状を書くべきなのは転運司の方である。今吏人が転運司に申し状を付けるのは利害からで、それで立場が逆様になったのである。正名でなければならない。名を正しくすることで礼楽は興る。
【通釈】
「国子監自係台省云々」。これが伊川の当時の役であり、日本で言えば大学頭である。それは天子の大学校の先生である。俺は御史台尚書省に係ったのだから転運司の方には何も言うことはない。この台省は御膝元の官である。転運司は遠国役なので、こちらから申し状を書くことはなく、向こうから申し状を付ける筈である。この様なことは日本に当て嵌まらないたとえだが、今日で言えば遠国役の方から江戸の役人へこそ御機嫌伺いの状を付けるが、江戸の御膝元から遠国へ御機嫌伺いはしない様なこと。それに遠国の役人に頭を下げるのは一つ必要なことがあってすると言うが、それが「計較利害」である。転運司が天下の運送を司るから色々な事に関して調法なことがある。それで気に入る様にする。利害というものはひょんなもので、迂斎が、大名の屋敷でも元締めや金奉行が金を才覚すると家老より羽振りがよくなる。また側向も勢いが強くなると家老の方から手を入れる様にもなる。利害から逆様になると言った。そこで孔子が正名と言った。「礼楽云々」。礼楽が興ると言うのは替わったことで、それは自然である。道理が正しくなると礼楽が興る。仲人がいてふっくりとした婚礼をしてこそ長生の家も出るが、素性の知れない女が来て様々な揉め合いがあっては謡どころではない。兄を殺して天下を取るのでは礼楽が興る筈がない。全く名が正しくない。「住不得」。道理が正しければ自然と礼楽が興らずにはおれない。中々無理に拵えるのではうまく行かない。根がよければ自ら興る。
【語釈】
・正名…論語子路3。「子路曰、衞君待子而爲政、子將奚先。子曰、必也正名乎。子路曰、有是哉。子之迂也。奚其正。子曰、野哉、由也。君子於其所不知、蓋闕如也。名不正、則言不順。言不順、則事不成。事不成、則禮樂不興。禮樂不興、則刑罰不中。刑罰不中、則民無所措手足。故君子名之必可言也。言之必可行也。君子於其言、無所苟而已矣」。


第五十二 学者不可不通世務条

学者不可不通世務。天下事譬如一家。非我爲則彼爲、非甲爲則乙爲。
【読み】
学者は世務に通ぜざる可からず。天下の事は譬えば一家の如し。我爲すに非ずんば則ち彼爲し、甲爲すに非ずんば則ち乙爲す。
【補足】
・この条は、程氏遺書二二下にある伊川の語。

成程役人が学者を軽するも聞へたことそ。学者が論語をひろげて子曰々々と云て書物さんまい計りしてをるから何の役に立ぬ。学者は致知格物の学をしながら天下國家を治ることがなら子は不通世務なり。丁度医者が本艸綱目の吟味がよふても療治が下手ては益にたたぬ。一家のことて合点するがよい。非我爲。どふも捨て置ぬことを云へり。飯たきか風を引たとて、昨日から食事をせぬとは云れぬ。誰そ替りてたか子ばならぬやふなもの。兎角只じろ々々見ているものそ。某などてさへ北窓の障子が破れると、下女がはるか某がはるかの二つなり。ああ寒ひ々々と見て居てはつまらぬ。此一家と云が面白ひ。家のことては涯も知るが、天下のことになると只見てをるものそ。彼大学の教は身から家へ、家から国、々から天下なり。じろ々々見て居てはつまらぬものなり。
【解説】
学者は致知格物の学をしながら天下国家を治めることができなければ役に立たない。世務をただ見ているのは悪い。
【通釈】
なるほど役人が学者を軽んじるのもよくわかる。学者が論語を広げて子曰と言って書物三昧ばかりをしているから何の役にも立たない。学者が致知格物の学をしながら天下国家を治めることができなければ「不通世務」である。丁度医者も本草綱目の吟味がよくても療治が下手では益に立たない。これを「一家」のことで合点しなさい。「非我為」。どうも捨てて置けないことを言ったこと。飯炊きが風邪を引いたとしても、昨日から食事をしていないとは言ってはいられない。誰かが替って炊かなければならない様なもの。それをとかくただじろじろと見ているもの。私などでさえ北窓の障子が破れると、下女がそれを貼るか私が貼るかの二つである。ああ寒いと見ていては、よくはならない。この一家と言うのが面白い。家のことでは高が知れているが、天下のことになるとただ見ているもの。あの大学の教えは身から家へ、家から国へ、国から天下へである。じろじろと見ていては、よくはならない。


第五十三 人無遠慮云々の条

人無遠慮、必有近憂。思慮當在事外。
【読み】
人は遠慮無くんば、必ず近憂有り。思慮は當に事の外に在るべし。
【補足】
・この条は、程氏外書二にある伊川の語。「人無遠慮、必有近憂」は論語衛霊公11の語。

此は無学な人でも知た語で、口では云へともばたり々々々とつきあたる。直方の、とかく壁に馬をのりかけると云へり。迂斎の、下手な將棊の様なもので、ひょんな処へこまをうつと思てをれは、あんの如くだいなしになる。其れを程子の思慮云々。今、さしあたりすることて、鼻の先と云ことそ。今はこうなれとも此分ではをらぬと、外のこと迠に氣を付るがよいとなり。此れ遠く慮へきことそ。段々に暖になるか、誰も巨燵やぐらを打こはすものもない。蚊屋もそれなり。とかく万端捨をいて、あとてをれかああなる筈と思ふていたと云もの。
【解説】
人は遠慮近憂という言葉を知ってはいるが、よく壁に突き当たる。鼻の先のことについても、その外のことにまで思慮しなければならない。
【通釈】
これは無学な人でも知っている語だが、口では言ってもばたりばたりと突き当たる。直方が、とかく壁に馬を乗り掛けると言った。迂斎が、下手な将棋の様なもので、ひょんな処へ駒を打つと思っていると案の定台無しになる。それを程子が「思慮云々」と言った。これは今、差し当たりすることで、鼻の先ということ。今はこうだがそのままではいないから、外の事まで気を付けるのがよいと言ったのである。これは遠く慮るべきこと。段々に暖かになるが、誰も炬燵櫓を打ち壊さない。蚊帳も同じである。とかく万端捨てて置くので、俺は後でああなる筈だと思っていたと言われる。


第五十四 聖人之責人也云々の条

聖人之責人也常緩。便見只欲事正、無顯人過惡之意。
【読み】
聖人の人を責むるや常に緩し。便ち只事の正しきを欲するのみにして、人の過惡を顯わす意無きを見る。
【補足】
・この条は、程氏外書七にある。

垩人は人を責めぬと云ことではない。隨分責めもする。ただにこ々々笑てをると云は不親切なり。責めらるるが、其責やうが凡人のせめよふとは違ふ。殊の外人の方はゆっくとしたことぞ。穀梁傳に善善緩惡惡短て、人のよいことは大ふほめて、わるいことはちらりと云てをく。二度と顔も出されぬ様ないた々々しく責はせぬ。此等は役人の心へになることて、そこにいたたまれぬ様にしかる役人なとかあるもの。それては人種かつきてしまふ。垩人は大ふ平なことて、あれを事の正いやうにしてやりたいはかりなり。にくいではない。垩人のは額に墨の付たや腰のものの反りを打たを知せるやうに、それ、顔に墨がついてじゃ、脇指のそりを打ったと云て、凡人はとかく人の過悪を知せたかる。大せい人を集て此れ聞っしゃれ、こなたがきたなら云をふと思たと云て人に知せる。垩人のはいつも云、親の子を可愛がると同ことで、とふそ忰に異見云て下されと云そ。廣めるではない。とかく役でも勤めるものが、人の能ことはだまっていて、惡ひことと云と針を棒ほとに云ひひろめるなり。
【解説】
聖人も人を責めるが、その方法は凡人とは異なる。聖人は平らであって、事の正い様に人をして遣りたいだけであって、過悪を言い広めはしない。
【通釈】
聖人は人を責めないということではない。随分責めもする。ただにこにこ笑っているのは不親切である。責めはされるが、その責め方が凡人の責め方とは違う。殊の外人の方へはゆっくりとする。穀梁伝に「善善緩悪悪短」とあり、よいことは大いに褒めて、悪いことはちらりと言って置く。二度と顔も出せない様な痛々しい責めはしない。ここ等は役人の心得になることで、そこにいたたまれない様に訶る役人などがいるもの。それでは人種が尽きてしまう。聖人は大分平らなことで、人を事の正い様にして遣りたいだけである。憎いのではない。聖人のは額に墨の付いたことや腰の物の反りを打ったのを知らせる様に、それ、顔に墨が付いている、脇指が反りを打ったと言うだけだが、凡人はとかく人の過悪を知らせたがる。大勢人を集めて、これ、聞きなさい、貴方が来たら言おうと思っていたと言って人に知らせる。聖人のはいつも言う親が子を可愛がるのと同じで、どうか忰に異見を言って下さいということ。それは広めるのではない。とかく役などを勤める者が、人のよいことは黙っていて、悪いことといえば針を棒ほどに言い広めるもの。
【語釈】
・善善緩惡惡短…春秋穀梁伝僖公及び春秋公羊伝僖公。「君子惡惡疾其始、善善樂其終」。春秋公羊傳昭公。「君子之善善也長、惡惡也短。惡惡止其身、善善及子孫」。
・人種…役に立て得る人の数。また、広く人間。


第五十五 伊川先生云今之守令云々の条

伊川先生云、今之守令、惟制民之産一事不得爲。其他在法度中、甚有可爲者。患人不爲耳。
【読み】
伊川先生云う、今の守令は、惟民の産を制する一事のみ爲すを得ず。其の他は法度中に在りて、甚だ爲す可き者有り。人の爲さざるを患うるのみ、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある伊川の語。

此章は今日へ的切な章なり。經済は学問なくてはならぬと云ふが爰て知るそ。さて政事も及はれると及れぬがある。此章なとは及はれる語なり。それに今日学者が及れぬと云は益に立ぬ。守は州の大守、令は縣の令、つまり奉行なり。されとも今日日本へあててとの位なと云ははきと知ぬか、とちも勤方にあまりの違はないと心得べし。大い塲を勤か守、小い塲をつとめるが令なり。先日の州縣の章へあててみよ。州の方は太守、縣の方は令なり。唯制民之産云々。是が第一のこと。民と云ものはをかしいものそ。民の産は民の方て如在ありそもないものじゃか、此方から拵へてあてかわ子はならぬもの。あちの勝手次第にしてをいてはならぬ。後世のはあち次第にするゆへ治まらぬ。古三代の政はどこもかしこも同し様にしてあつける。昔の人ても今の人ても唐も日本も同情て、吾身代をよくもとふと云に如在はない筈て、致知挌物や克己をせよなら成らぬとも云はふか、身代は慾心についたことゆへ身上は持筈なれとも、捨て置てはもてぬものそ。そちの身上は其方のよいやふにしろとは云はぬ。其では垩人の政ではない。
【解説】
民の産は上で拵えてあてがってやらなければならないものであり、放って置いては聖人の政ではない。
【通釈】
この章は今日へ適切な章である。経済は学問がなくてはならないということをここで知りなさい。さて政事にもできることとできないこととがある。この章などはできる話である。それなのに今日の学者ができないと言うのでは役に立たない。「守」は州の太守で「令」は県の令、つまり奉行である。しかしながら、今日の日本に当ててどの位になるのかははっきりとは知らないが、どちらも勤め方にあまり違いはないと心得なさい。大きい場を勤めるのが守で、小さい場を勤めるのが令である。先日の州県の章に当てて見なさい。州の方は太守、県の方は令である。「唯制民之産云々」。これが第一のこと。民というものは可笑しいもの。民の産は民の方で抜かりはない様なものだが、こちらで拵えてあてがわなければならないもので、あちらの勝手次第にして置いてはならない。後世はあちら次第にするので治まらない。古三代の政は何処もかしこも同じ様にして預ける。昔の人でも今の人でも唐でも日本でも同情で、自分の身代をよく保とうとすることには如在がない筈で、致知挌物や克己をしろと言えばできないとも言い張るだろうが、身代は慾心についたことなので身上は持つ筈なのだが、これが放って置いては持てないもの。そちらの身上はそちらのよい様にしろとは言わない。それでは聖人の政ではない。
【語釈】
・州縣の章…政事42を指す。
・制民之産…孟子梁恵王章句上7。「明君制民之産。必使仰足以事父母、俯足以畜妻子、樂歳終身飽、凶年免於死亡。然後驅而之善。故民之從之也輕。今也制民之産、仰不足以事父母、俯不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉」。

この方から持てるよふに板行て押たやうにして仕向る。箸をもてぬ子ともにくくめる様に斯ふするものだと教ゆるぞ。とんと紋切方を拵へて渡すなり。此をする筈の守令だに、することがならぬとはどふしたことそ。伊川なとはあまりなことじゃとをかしく思はれた。守令の身分でそれをせぬは、丁度医者が藥箱へ謡本や歌書を入てあるくやふなものて、急病人の処で先もの食て杜若なとと俳諧を云ては以の外なことなり。さて下の句かまたあるてやとなり。其他在法度中。さて今日の役人の口上に、昔はそふなろふが今は天下の御法かあるからならぬ々々々と云が、其御法の中て隨分なることかある。古の井田でなくてはならぬと云はにげ口上なり。井田でなふても仕手は何でも一つするなり。仕てなる章と云ものなり。
【解説】
今は法度があるからできないと言うのは逃げ口上である。この章はすればできることを言う。
【通釈】
こちらで持てる様に板行て押した様にして仕向ける。箸を持てない子供にくぐめる様にこうするものだと教えるのと同じ。すっかりと紋切型を拵えて渡す。それをする筈の守令なのに、することができないとはどうしたことか。伊川などはあまりなことだと不審に思われた。守令の身分でそれをしないのは、丁度医者が薬箱へ謡本や歌書を入れて歩く様なもので、急病人の処で、先ず物食って杜若などと俳諧を言うのは以の外である。さて下に句がまだあると言う。「其他在法度中」。さて今日の役人の口上に、昔はそうだろうが今は天下の御法があるからできないと言うが、その御法の中て随分とできることがある。古の井田でなくてはならないと言うのは逃げ口上である。井田でなくても上手な者は何でも一つする。これは、してできる章というもの。
【語釈】
・先もの食て杜若…八橋や先ず物食って杜若。八橋は愛知県知立市の東部、逢妻川の南の地名。伊勢物語の東下りに杜若の名所として詠まれたところ。丘に業平塚がある。


第五十六 明道先生作縣云々の条

明道先生作縣、凡坐處、皆書視民如傷四字。常曰、顥常愧此四字。
【読み】
明道先生の縣と作[な]りしとき、凡そ坐す處には、皆民を視ること傷むが如しの四字を書す。常に曰く、顥は常に此の四字に愧ず、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある。

此が上の段とうらはらなり。此章は形でま子られぬことぞ。爰は明道の全く垩人の通りなり。縣は、上の条の令のこと。凡と云字のあるて、玄関にも書院にも居間にも此書付がありたなり。斯ふ云奉行を持ては誠に民の父母と云ものぞ。是が孟子にあり、文王のことそ。先民をみること子の如しと云て沢山じゃに、其上に如傷。腫物にさわる様なり。はっ々々と云やふなことなり。さぞいたからんとするなり。此四字を方々にはってをいて、扨々耻い々々と云れた。常に是四字と云をみよ。忘れる間はない。あまり文王にをとらぬ。これて迹は聞に及はぬ。奉行が支配の百姓をはれものにさわる様に思ふなれば、外のことは何にも云に及ばぬ。そこで政事にのってをる。扨、上の伊川の条は治法の上の政事、この章は治体の上の政事と心得へし。靣白ことそ。仕方は上の条、心持は此条そ。上もない政事そ。
【解説】
明道は聖人の通りであって、「民之父母」に加えて「視民如傷」を実践した。前条は治法の政事であり、この条は治体の政事である。
【通釈】
これは上の条と裏腹である。この章は形では真似られないことで、ここは明道が全く聖人の通りだったこと。「県」は、上の条の令のこと。「凡」という字があるから、玄関にも書院にも居間にもこの書付があったのである。この様な奉行を持てば誠に民の父母というもの。これが孟子にあって、文王のことである。先ず民を視ること子の如しというだけで沢山なのに、その上に「如傷」。腫物に触る様である。それははっはっという様なこと。さぞ痛かろうと思う。この四字を方々に貼って置いて、本当に恥ずかしいと言われた。「常此四字」とあるのを見なさい。忘れる間はない。これはあまり文王にも劣らないこと。これで後は聞くには及ばない。奉行が支配の百姓を腫物に触る様に思うのであれば、外のことは何にも言うには及ばない。そこで政事に載っている。さて、上の伊川の条は治法の上の政事で、この章は治体の上の政事と心得なさい。面白いこと。仕方は上の条、心持ちはこの条である。この上もない政事である。
【語釈】
・民の父母…大学章句10。「詩云、樂只君子、民之父母。民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母」。詩は小雅南山有臺。
・如傷…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒、而好善言。湯執中、立賢無方。文王視民如傷、望道而未之見」。


第五十七 伊川毎見人論前軰之短云々の条

伊川毎見人論前輩之短、則曰、汝輩且取他長處。
【読み】
伊川は人の前輩の短を論ずるを見る毎に、則ち曰く、汝輩且くは他[か]の長處を取れ、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある。

伊川は嚴厲な吟味つよい御方なり。其故に人を論する上がいた々々しいかと思へは曽てさうてない。前軰云々。学者の上にも役人の上にもありて、短は手ぬけ不出来と云ことなり。此は隨分学者役人の上にある筈で、其を吟味すまいことてはないか、惣体人の心と云ものが、人の事を論する日には縄にもたばにも掛らぬ様に云さますが人情、多くはそふしたものぞ。汝軰云々。たとへは温公の孟子を疑ひ楊雄を尊ぶは前軰の短なり。それを云拍子からして温公をば何でもない様に云たがるが、あの温厚和平な上に才力もあり、垩人の徳行ある人なれは並ひない人なり。そこを取がよい。取他長処。凡何人ても事の上にはこれは不出来とわるいでもあろふか、短のわきに必長処があるもの。そこをとれと云り。惣体一切のものに短には必長ある。藥種でも附子なとは毒艸なれとも、あれほどめぐらすものはない。今日の学者が人の評判をする、短斗り取て長の処はしらぬふりをしてをるなり。
【解説】
伊川は厳厲だが、人を論ずる際は長ずるところを取った。人には短所もあるが、その脇に必ず長所があるもの。
【通釈】
伊川は厳厲で吟味強い御方である。それで人を論ずる上が手厳しいかと思えば全くそうではない。「前輩云々」。これが学者の上にも役人の上にもあって、短は手抜け、不出来ということ。これは随分と学者や役人の上にある筈で、それは吟味してはならないことではないが、総体人の心というものは、人の事を論ずる日には縄にも束にも掛からない様に言い下すのが人情で、多くはそうしたもの。「汝輩云々」。たとえば温公が孟子を疑い楊雄を尊ぶのは前輩の短である。それを調子に乗って温公を何でもない様に言いたがるが、彼は温厚和平な上に才力もあり、聖人の徳行のある人であって並びない人である。そこを取るのがよい。「取他長処」。凡そ何人でも事の上にはこれは不出来と悪いこともあるだろうが、短の脇には必ず長処があるもの。そこを取れと言ったのである。総体一切のものに関して、短には必ず長がある。薬種でも附子などは毒草だが、あれほど巡らすものはない。今日の学者が人の評判をする時は、短ばかりを取って長の処は知らないふりをしている。


第五十八 劉安礼云王荊公云々の条

劉安禮云、王荊公執政、議法改令。言者攻之甚力。明道先生嘗被旨赴中堂議事。荊公方怒言者、厲色待之。先生徐曰、天下之事、非一家私議。願公平氣以聽。荊公爲之媿屈。
【読み】
劉安禮云う、王荊公の政を執る、法を議し令を改む。言者之を攻むること甚だ力[つと]む。明道先生嘗て旨を被り中堂に赴きて事を議す。荊公方に言者を怒り、色を厲しくして之を待つ。先生徐[おもむろ]に曰く、天下の事は、一家の私議に非ず。願わくは公氣を平にして以て聽け、と。荊公之が爲に媿屈[ぎくつ]す。
【補足】
・この条は、程氏遺書付録にある。

何にが彼の王荊公なり。先日から度々云か是も大抵な人ではない。先つ王荊公が神宗に用ひられて何もかも皆堯舜の道を称した。何でも此通にすれは堯舜の代になりますと出た人なり。中々伯者などを目かけた人てはない。すれはあたまから軽んするやふなことてなし。然れとも是新法でみんなにした。只口では堯舜々々と云たが、手前の通てないと人を仇歒のやふにしやった。其一心はらちもなかったぞ。言者云々は大勢なり。此時よい人と云ては韓琦富弼歐陽永叔を始として、なんても皆向ふにまはった。それをみな押片付てしまふた。さてこの言者は役義でない。孟子の言責なととは違ふ。何でも荊公の向鼻にまわって否と云もののことを云。張天祺なとが一番に云やった。明道先生嘗被旨云々。明道にも其席へ加れと云付られた。中堂は老中部屋なり。時に荊公の殊の外腹立皃で、なにか眼をいからして爭ふていた。甚せいた躰にみへたぞ。
【解説】
「劉安禮云、王荊公執政、議法改令。言者攻之甚力。明道先生嘗被旨赴中堂議事。荊公方怒言者、厲色待之」の説明。王荊公は伯者とは違って堯舜の道を唱えたが、それで政事を台無しにした。かれは批判する者を仇敵の様に扱った。
【通釈】
何が王荊公か。しかし先日から度々言っているが、彼も並大抵な人ではない。先ず王荊公は神宗に用いられ、何もかにも皆堯舜の道を称した。何でもこの通りにすれは堯舜の代になりますと言って出た人である。中々伯者などを目掛けた人ではない。それであれば頭から軽んじる様なことではない。しかしながらこの新法で台無しにした。ただ口では堯舜と言っていたが、自分の言う通りでないと人を仇敵の様に扱い、その一心は埒もなかった。「言者云々」は大勢である。この時よい人と言えば韓琦富弼歐陽永叔を始めとして誰もが皆王荊公に反対した。それを皆片付けてしまった。さてこの「言者」は役儀のことではない。孟子の「言責」などとは違って、何でも荊公の向鼻に回って否と言う者のことを言う。張天祺なとが一番にそれを言った。「明道先生嘗被旨云々」。明道にもその席へ加われと言い付けられた。「中堂」は老中部屋である。時に荊公が殊の外腹を立てた顔で何か眼を怒らして争っていた。それは甚だ急いている様だった。
【語釈】
・韓琦…北宋の宰相。字は稚圭。河南安陽の人。仁宗・英宗・神宗に歴仕し、英宗の時に魏国公に封。范仲淹と共に韓范と称される。神宗の時に上疏して王安石の新法の非を説いたが用いられず、病死。著「安陽集」「韓魏公集」。1008~1075
・富弼…契丹との外交交渉で活躍した。范仲淹と共に副宰相に就任した。
・歐陽永叔…欧陽修。北宋の政治家・学者。江西廬陵の人。字は永叔。号は酔翁・六一居士。諡は文忠。唐宋八大家の一。仁宗・英宗・神宗に仕え、王安石の新法に反対して引退。著「文忠集」「新唐書」「新五代史」「集古録」「毛詩本義」など。1007~1072
・孟子の言責…孟子公孫丑章句下5。「曰、吾聞之也。有官守者、不得其職則去。有言責者、不得其言則去。我無官守、我無言責也。則吾進退、豈不綽綽然有餘裕哉」。
・張天祺…張戩。張横渠の弟。1031~1089
・劉安禮…劉立之。安は宗の誤り。程氏門人。

先生徐曰云々。いこうゆっくりとした体なり。明道の徳も爰らて知る。そふたい物を怒り爭ふと云が皆我をはるのなり。かの荊公、どこ迠も手前をよいに立る氣ぞ。そこは小人なり。明道などは何でも道理形りをするゆへにずんと落付た体なり。是が明道の心に支度はない。そこで出た処が大ふゆるりとした体なり。天下之事云々。偖今日の相談の義は天下の事で甚重ひことなり。中々自分々々のことにあらず。然るに其様に立腹の体はよふござりまいとなり。まあ隨分しづかに平氣に被成たらよかろふと云へり。さすがの我慢ものでも面目ない皃で一言もてなんだ。ひりりとなって媿屈てちりをひ子っていた。なるほとこの章なとが政事にある筈なり。とかく役人抔が我が云出したことを引ぬもの。それては下々のものはみんなになる。大ふ役人の心得になることそ。
【解説】
「先生徐曰、天下之事、非一家私議。願公平氣以聽。荊公爲之媿屈」の説明。怒り争うのは我を張るからであり、自分をよいとして我を張る荊公は小人である。天下のことは個人的なことではないのだから静まれと明道が荊公に言った。
【通釈】
「先生徐曰云々」。大層ゆっくりとした様子である。明道の徳もここ等で知れる。総体物を怒り争うというのが皆我を張るからである。あの荊公は何処までも自分をよいと立てる気で、そこは小人である。明道などは何でも道理の通りをするのでしっかりと落ち着いた体である。明道の心に支度はない。そこで出た処が大分ゆるりとした体となるのである。「天下之事云々」。さて、今日の相談の儀は天下の事で甚だ重いことで、全く中々自分のことではない。それなのにその様に立腹していてはよくないでしょうと言ったのである。まあしっかりと静かに平気なられたらよいだろうと言った。流石の高慢者でも面目ない顔になって一言も言えなかった。ひりりと「媿屈」になって塵をひねっていた。なるほどこの章などが政事にある筈である。とかく役人などが自分の言い出したことを引かないもの。それでは下々の者は台無しになる。これは大いに役人の心得になること。
【語釈】
・ちりをひ子って…塵をひねる。恥かしさでもじもじしているさまにいう。


第五十九 劉安礼問臨民条

劉安禮問臨民。明道先生曰、使民各得輸其情。問御吏。曰、正己以格物。
【読み】
劉安禮民に臨むを問う。明道先生曰く、民をして各々其の情を輸[いた]すを得しむ、と。吏を御するを問う。曰く、己を正しくして以て物を格す、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書付録にある。
【語釈】
・劉安禮…劉立之。安は宗の誤り。程氏門人。

民を下へをいて上から臨むことなり。さて大勢のものを支配する中になってどふするがよいと云へり。明道の民各云々。是各の意のあることと看べし。先唐も日本も古今同情で、下々には尤不届もをふちゃくもあれとも、先下々は上をばはばかってひかへるものぞ。どふぞこのことか上へ届けばよいが、兎角中人がさしとめつかへてをること多し。そこで各と云字が面白ひ。誰てもそれ々々に何であろふとも一先上へ届かせたいものなり。惣体願のことと云ものは何そのときに一度にくるまりて云ものなれとも、其ては下の者の意か上へ届ぬ。各と云は一軒別に願をとけさせる意なり。それゆへに是情の字は情願とつつきて私はヶ様々々とありなりを上へとけさする。其内てよいことは取上け、わるいことは教てやるそ。威勢で押し付ることではない。病人に容体を云はせる様なものそ。其れにだまりませい々々々々々々と云はきこへぬことなり。だまってをるなら家に寢てをるがよいなれとも、をろかなものがあまり口すきて、とほふもないことで禍を取ることもあるか、それはひかへてやることもあろふ。又隣里郷黨も氣をつけるもの。それにあたまからたまれ々々々と云は天下にないことそ。問御吏。下役の取扱なり。下役のものはどふでござると云に、其れは手前の身のふるまいを正して、その曲にはすれたときは向を正してやることそ。とかく頭が手本ぞ。物は人を云、禽獣艸木のことではない。人情を物情ともかくなり。
【解説】
民を支配する時は、民の願いを聞き遂げなければならない。そこで、よいことは取り上げ、悪いことは教えるのである。民の願いを聞かないのは悪い。また、下役を取り扱うには自分を正して手本となることが重要である。
【通釈】
民を下に置いて上から臨むこと。さて大勢の者を支配することになったらどうするのがよいかと聞くと、明道が「民各云々」と言った。この「各」に意があると見なさい。先ずは唐も日本も古今同情で、尤も下々には不届者も横着者もいるが、先ずは下々は上をはばかって控えるもの。どうかこのことが上へ届けばよいのだが、とかく中人が差し止めて支えていることが多い。そこで各という字が面白い。誰でもそれぞれに何であろうとも、一先上へ届かせたいもの。総体願い事というものは何かの時に一度にまとめて言うものだが、それでは下の者の意が上へ届かない。各というのは一軒毎に願いを遂げさせる意である。それでこの情の字は情願と続き、私はこの様だと、その通りを上へ伝えることである。その内でよいことは取り上げ、悪いことは教えてやる。威勢で押し付けるのではない。それは病人に容体を言わせる様なもの。その時に黙りなさいと言うのは悪い。黙っているのなら家に寝ている方がよい。また、愚かな者があまりに言い過ぎて途方もないことで禍を取ることもあるが、それを控えてやることもできるだろう。また隣里郷党も気を付けるもの。それなのに最初から黙れと言うのは天下にないこと。「問御吏」。これは下役の取り扱いである。下役の者はどうですかと尋ねると、それは自分の身の振る舞いを正して、その基準に外れた時は相手を正してやることだと言った。とかく頭が手本となる。物は人を言い、禽獣草木のことではない。人情を物情とも書く。


第六十 横渠先生曰凡人云々の条

横渠先生曰、凡人爲上則易、爲下則難。然不能爲下、亦未能使下。不盡其情僞也。大抵使人、常在其前、己嘗爲之、則能使人。
【読み】
横渠先生曰く、凡そ人上爲るは則ち易く、下爲るは則ち難し。然れども下爲ること能わずんば、亦下を使うこと能わず。其の情僞を盡くさざればなり。大抵人を使うに、常に其の前に在りて、己嘗て之を爲さば、則ち能く人を使わん、と。
【補足】
・この条は、経学理窟三にある。

凡人云々。この文義は一寸字をそへて見るがよい。なべての人が上たることは易く、下たることは難しと心へるか、そふしたことてない。其れは心ないものの云ことそ。上たる頭と云ものはよいもので、勢てぐっと仕付る、ならぬことはないと云が、なる程そんなこともあろふか、さふしたことてない。然不能爲下云々。吾か下に居て其為下則難しをして喰た男てなくては下の使ひよふを知らぬ。是か代々家老などに多くあるものそ。皆下々の情を知らぬからなり。其故に下から段々難義困窮をした人でなけれは下の思ひやりはないそ。下の情は吾か其塲を經てゆくて知る。下の情を知ぬと有難迷惑と云ことかあり、又こまらせふとすることに下は何ともない、幸にすることがある。政事は丁度の黑星へあたら子はならぬ。そふないと欺かれだまされ一盃食ふたりする。皆情僞に通せぬからなり。
【解説】
下から段々とし遂げた人でなければ下を使うことはできない。情偽を知らないと、欺かれ騙され一盃食ったりする。
【通釈】
「凡人云々」。この文義は一寸字を添えて見なさい。ここは、凡ての人が上にあることは易く、下にあることは難しいと心得ているが、そうしたことではないと言ったこと。それは心ない者の言うこと。上たる頭というものはよいもので、勢いてぐっと仕付けるのでできないことはないと言うが、なるほどその様なこともあるだろう。しかし、そうしたことではない。「然不能為下云々」。自分が下にいて「其為下則難」を遣り遂げた男でなくては下の使い方がわからない。これが代々の家老などに多くあるもので、皆下々の情を知らないからである。それで下から段々と難儀困窮をした人でなければ下への思い遣りはない。下の情は自分がその場を経て行くので知れる。下の情を知らないと有難迷惑ということがあり、また、困らせようとしても下は何ともなく、幸せにすることもある。政事は丁度の黒星へ当たらなければならない。そうでないと欺かれ騙され一盃食ったりする。それは皆「情偽」に通じていないからである。
【語釈】
・黑星…的の中央にある黒点。的の真ん中。

輕薄なものは、御前は垩人のやうてこさると云もあるか、それは甘口ぞ。又めったなことは云れぬと云があるが、それも本のことてなければわるごふの入たのなり。知ばかりはるとむごいことをもするものそ。とかく近思の政事は知仁そろふてなくてはならぬ。だましもくはす、さて又仁愛と云がよい。中々浸潤之譖膚受之愬も喰はぬ。偖、迂斎先生の爰て面白こと云たそ。今役人が相談を掛られたときに、横渠の為下者でなけれは下を使ふことならぬと云に、代々の家老の類、其子が輕ひ役にもならぬ身分はどふせふぞ。すれは此横渠の語が無用になる。私は修行の爲に輕ひ小役人になりたいと云ことはならぬ事体なり。とふもこまると云に、そこが学問なり。学問をすれは上に居ても下たることか知れる。迂斎の、歌人は居ながら名所を知ると云へり。六十余州あるきはせぬが、名所旧跡を知る。学問をすれは知が明になり、さて古今の成敗天下の事体が知れてくる。爰は迂斎の此説て補ふたほどのことなり。
【解説】
政事は知と仁が揃うのでなければならない。騙されもせず、且つ仁愛がある。軽い役をすることのできないほどに身分の高い者には学問がこれに替わる。学問によって知が明になる。
【通釈】
軽薄な者が貴方は聖人の様だと言うこともあるが、それは甘口である。また、滅多なことは言えないと言う者もいるが、それも本当のことでなければ悪功が入ったのである。知ばかりを張ると酷いことをもするもの。とかく近思の政事は知仁が揃うのでなければならない。騙されもせず、さてまた仁愛というのがよい。中々「浸潤之譖膚受之愬」も喰わない。さて、迂斎先生がここで面白いこと言った。今役人が相談を掛ける時に、横渠の通り下為る者でなければ下を使うことができないと言えば、代々の家老の類でその子が軽い役になれない身分ではどうしたらよいか。それではこの横渠の語が無用になる。私は修行のために軽い小役人になりたいと言うことのできない身分であってどうも困ると言った。しかし、そこで学問である。学問をすれば上にいても下為ることが知れる。迂斎が歌人はいながらにして名所を知ると言った。六十余州を歩きはしないが、名所旧跡を知っている。学問をすれは知が明になり、そこで古今の成敗天下の事体が知れて来る。ここは迂斎のこの説で補った程度の内容である。
【語釈】
・わるごふ…悪功。①わるふざけ。②悪く功を積んでいること。悪達者。
・浸潤之譖膚受之愬…論語顔淵6。「子張問明。子曰、浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂明也已矣。浸潤之譖、膚受之愬、不行焉、可謂遠也已矣」。


第六十一 坎維心亨云々の条。

坎維心亨。故行有尚。外雖積險、苟處之心亨不疑、則雖難必濟、而往有功也。今水望萬仞之山、要下即下、無復凝滯之在前。惟知有義理而已、則復何囘避。所以心通。
【読み】
坎は維れ心亨る。故に行くに尚ぶこと有り。外は險を積むと雖も、苟[も]し之に處り心亨りて疑わずんば、則ち難しと雖も必ず濟[わた]りて、往きて功有らん。今水萬仞の山より望むに、下らんと要せば即ち下り、復凝滯の前に在る無し。惟義理有るを知るのみならば、則ち復何をか囘避せん。心の通ずる所以なり。
【補足】
・この条は、横渠語録にある。坎卦は「習坎、有孚。維心亨。行有尚」である。

どうあっても坎の卦は六ヶ鋪ひ。役人もそれて、天下の人を相手にすれはむつかしい。わるい同役もあり、又さばけぬ公事もある。其れ故に政事は六ヶしい。郷黨親族の交りは仕よい。あとを縫てくれるものもあり、又殊の外情深ひ人もあるものそ。たた政事は推出して六ヶしい。それに軽々鋪經済はゆくものじゃと心得る学者は経済のあんばいをなめてみぬ人なり。なれとも役人の存念次第になるそ。さてこの行て有尚迠が孔子の語なり。何程太義なことても吾存念かしゃっきと立つと成らぬことはない。尤しにくいことあるは固りなれとも、こち次第なり。さて坎の卦は中か陽て両方隂てとりまいてをる。陽を隂かしまいてをるなり。さて何んでも吾方の根ずみのせぬことはしてとれぬもの。必済而云々。水から云詞なり。志が一决するとどのやうなことでもとんとゆく。今水とは、先あれをみやれとなり。萬仞之山。高ひ山て下の水を望む。江の臺の様な処からも了簡かきまると下るなり。一の谷坂落しもするそ。凝滯なしなり。大井川も京へ行ふと云心から向へこすが、向へこす用なくてなぐさみにはならぬそ。知有義理而已なり。親の歒を打つ様なも曽我兄弟は大ふ身上向は違ふなれとも、義理を知ると向の勢ひにはをそれぬ。豫襄や張良なそもそれなり。向の勢を忘るる心てなくてはかかられぬ。
【解説】
「坎維心亨。故行有尚。外雖積險、苟處之心亨不疑、則雖難必濟、而往有功也。今水望萬仞之山、要下即下、無復凝滯之在前。惟知有義理而已」の説明。政事は郷党親族の交わりとは違って難しいものだが、自分の存念次第でできるもの。しかし、相手の勢いを忘れるほどの存念がなければ取り掛かれるものではない。
【通釈】
どうあっても坎の卦は難しい。役人もそれで、天下の人を相手にするのは難しい。悪い同役もいて、また捌けない公事もある。それで政事は難しい。郷党親族の交わりは仕易い。あとを繕ってくれる者もいて、また、殊の外情深い人もいるもの。ただ政事は特に難しい。それで、軽々しく経済はできるものだと心得る学者は経済の塩梅を嘗めたことのない人なのである。しかしながら、それは役人の存念次第でできること。さてこの「行有尚」までが孔子の語である。何ほど大儀なことでも自分の存念がしゃっきりと立てばできないことはない。尤もし難いことのあるのは固よりだが、それもこちら次第である。さて坎の卦は中が陽で両方に陰が取り巻いている。陽を陰が囲んでいるのである。さて何でも自分が根済みしていないことはし遂げられないもの。「必済而云々」。水でたとえた詞である。志が一決するとどの様なことでもすっかりと行く。「今水」とは、先ずあれを見なさいということ。「万仞之山」。高い山から下の水を望む。鴻之台の様な処からでも了簡が決まると下る。一の谷の坂落しもする。「無凝滞」である。大井川も京へ行こうという心から向こうへ越すが、向こうへ越す用がなく、慰みでは越すことはできない。「知有義理而已」。親の敵を討つ様なことでも、曾我兄弟は身上では大分向こうと違っていたが、義理を知ると向こうの勢いに恐れることはない。豫襄や張良なども同じである。向こうの勢いを忘れる心でなくては取り掛かれない。
【語釈】
・坎の卦は中か陽て両方隂てとりまいてをる…坎卦は内卦と外卦の真ん中(九二と九五)が陽で、その他は陰である。
・江の臺…鴻之台。国府台。古代、下総の国府の所在地。1538年(天文七)および1564年(永禄七)、小田原の北条氏の軍が、房総の小弓御所足利氏や里見氏の軍を破った古戦場。
・曽我兄弟…曾我十郎祐成と曾我五郎時致の兄弟が、苦節17年にして親の敵の工藤祐経を討ち果たした。
・豫襄や張良…豫襄は主君の智伯を殺した趙襄子を暗殺しようとした。張良は始皇帝を暗殺しようとした。

復何回避云々。腕押をするさへ大男には掛られぬか、心通る故回避はせぬ。令女か鼻や耳を切たは心が通りたからなり。あの令女も娘子なり。不断は灸のかぶれにさへこまる。あの貞節が心通るなり。是から見れは今ときの役人がどふもゆかぬ々々々と云は氣の毒なことなり。凝滞の心て跡さき見て身搆をするのなり。義理を外にするからなり。偖爰へ手つよい条を三條出したを出処へこめて見るがよいそ。彼三宅先生の出処が四つあると云へる通り、政事にも将退の意あれは心通る。とかく道理の通りなれは跡をふりむくことはない筈ぞ。するどい心なれは通る。役人も吾心を通るか々々々と思ふがよい。さて重ひことは知らぬが、田舎の役人ても一寸したことをさばくに心亨るか、亨らぬを一つ々々に考て見るがよい。まあ々々こふしてをけと云が、それでは下のものはみんなになる。医者も押付療治と云かある。五七日は氣遣もないと見ると、まあ々々こふしてをけとよい位に藥をやってをくは往而有尚てはないなり。
【解説】
「則復何囘避。所以心通」の説明。うまく行かないのは凝滞の心があるからで、後先を見て身構えをし、義理を外にするからである。心が通れば回避はしない。
【通釈】
「復何回避云々」。腕相撲をするのでさえ大男には戦えないものだが、心が通るので回避はしない。令女が鼻や耳を切ったのは心が通ったからである。あの令女も娘子である。普段は灸の被れにさえ困っている。あの貞節が心通ること。これから見れば今時の役人がどうもうまく行かないと言うのは気の毒なこと。それは凝滞の心で後先を見て身構えをするからで、義理を外にするからである。さてここへ手強い条を三条出したが、これを出処を込めて見なさい。あの三宅先生が出処は四つあると言った通り、政事にも将退の意があれば心が通る。とかく道理の通りであれば後ろを振り向くことはない筈。鋭い心であれば通る。役人も自分の心が通るか否かを思いなさい。さて重いことは知らない田舎の役人でも、一寸したことを裁くにも心が亨るか亨らないかと一々考えて見るのがよい。まあこうして置けと言うと、それでは下の者は台無しになる。医者も追っ付け療治ということがある。暫くは気遣いがないと見れば、まあこうして置けといい加減に薬を遣って置くのは「往而有尚」ではない。
【語釈】
・令女…小学内篇善行。「令女聞即復以刀截兩耳居止常依爽。…令女於是竊入寢室以刀斷鼻蒙被而臥」。資治通鑑。「爽從弟文叔妻夏侯令女、早寡而無子、其父文寧欲嫁之。令女刀截兩耳以自誓、居常依爽。爽誅、其家上書絶昏、強迎以歸、復將嫁之。令女竊入寢室、引刀自斷其鼻、其家驚惋」。
・将退…
・五七日…人の死後、三十五日目。追善の仏事を営む。ここは単に五日七日。


第六十二 人所以不能行己云々の条

人所以不能行己者、於其所難者則惰、其異俗者、雖易而羞縮。惟心弘、則不顧人之非笑、所趨義理耳。視天下、莫能移其道。然爲之、人亦未必怪。正以在己者、義理不勝。惰與羞縮之病、消則有長、不消則病常在。意思齷齪、無由作事。在古氣節之士、冒死以有爲、於義未必中。然非有志概者莫能。況吾於義理已明、何爲不爲。
【読み】
人の己を行うこと能わざる所以の者は、其の難き所の者に於ては則ち惰り、其の俗に異なる者には、易しと雖も羞縮すればなり。惟心弘くんば、則ち人の非笑を顧ず、趨く所は義理のみ。天下を視るに、能く其の道を移すこと莫し。然れども之を爲すに、人亦未だ必ずしも怪しまず。正[まさ]に己に在る者、義理勝たざるを以てなり。惰と羞縮との病、消えなば則ち長ずること有り、消えずんば則ち病常に在り。意思齷齪[あくそく]たらば、事を作すに由無し。在古氣節の士、死を冒して以てすること有るは、義に於て未だ必ずしも中らず。然れども志概有る者に非ずんば能くすること莫し。況や吾は義理に於て已に明らかなれば、何爲[なんす]れぞ爲さざらん、と。
【補足】
・この条は、横渠易説の大壮卦にある。

此章も上の通に合点すれは大概よい。上も義理を知ること。此章も所趨義理耳とつまる。人所以不能行己と云は横渠先生に見すかされた。此れて大躰はつれはないぞ。大賢と云がこはいもので、誰てもこふ云れてはにけることはならぬ。偖此れが四書の文義も一と通りは済だ人なり。すれは手前の身が一通りよいかと云に、あれか学者かなとと云るるは不能行己なり。迂斎の中風疾みのあるくやふなと云へり。ちんばてはないが、ちんばのやうなり。其訳を下へ云た。於其所難云々。学者々々と云ても行に出ぬ。なぜそふだと云に惰なり。孔孟のことかよいことなら隨分するか、中々以てかたいことなり。そこてをこたる。上蔡は性偏なる処よりかちもち去れと云へり。一ち大い処のかちにくい処からゆけとなり。それがならぬことなり。それはとふしても惰なり。とかく寢酒をやめることかならぬ。
【解説】
「人所以不能行己者、於其所難者則惰」の説明。人が行に出ないのは惰だからである。学問は難しいことなので惰る。
【通釈】
この章も前条の通りに合点すれば大概はよい。上も義理を知ることで、この章も「所趨義理耳」と詰まる。「人所以不能行己」とは、横渠先生には見透かされた。これで大体外れはない。大賢は恐いもので、誰でもこの様に言われては逃げることはならない。さてこれが四書の文義も一通りは済んだ人である。それなら自分の身は一通りよいかと言えば、あれが学者かなどと言われるのは「不能行己」だからである。迂斎が中風病が歩く様なことだと言った。跛ではないが跛の様である。そのわけを下で言った。「於其所難云々」。学者とは言っても行に出ない。何故そうなのかと言えば「惰」だからである。孔孟のことがよいことなら随分とする筈だが、中々それは難しいこと。そこで惰る。上蔡は性偏な処から勝って持ち去れと言った。一番大きい処で勝ち難い処から行けということ。それができない。それはどうしても惰だからである。とかく寝酒を止めることができないもの。
【語釈】
・上蔡…謝上蔡。

さてもふ一つある。其所難は人欲ゆへによはるもきこへた。顔子にさへ克己復礼とつげられたなれは欲は六ヶしひか、もふ一つかをかしひことそ。異俗と云ことあり、此は何にも我勝手にわるいこともなく欲にもさわらぬか、とかく世間を見合せる。隣て何とか云はふとて羞縮。此が第二着に生れた人なり。これをせずはわるかろふと云て、見合せて松飾や鬼は外と抔をする様なもの。此れらは年貢とはちごふ。せすともよいことぞ。役人才足はなし。のほり雛なとかざるが、どれも皆せずともよいことなり。節句前に生れた子なと来年にしたとてもよいに、それと云てさはいで雛を買ふ。あほふなり。もと玩なり。ほしかるとき買てやりてすむことなり。俗をこはがるやふな器量のない学者たのみない。人の非り笑ふは筭用に入れずともよいぞ。なぜなれは、此方にはつかまへる処かあるぞ。つかまへ処は義理のみなり。
【解説】
「其異俗者、雖易而羞縮」の説明。欲に障わられないのも難しいことだが、世間に合わせて羞縮するので悪くなる。学者が世間を気にする必要はない。ただ義理だけを捉まえるのである。
【通釈】
さてもう一つある。「其所難」は人欲なので弱るのもよくわかる。顔子にさえ克己復礼と告げられたのだから欲は難しいが、もう一つが可笑しなこと。「異俗」ということがあり、これは何も自分勝手に悪いことをするのでもなく欲にも障わらないが、とかく世間を見合わせること。隣で何とか言うといって羞縮する。これが第二等に生まれた人である。これをしなければ悪いだろうと言って見合わせ、松飾や鬼は外などをする様なもの。これ等は年貢とは違って、しなくてもよいこと。役人の催促はない。昇り雛などを飾るが、どれも皆しなくてもよいこと。節句前に生まれた子などには来年にしてもよいのに、それと言って騒いで雛を買う。それは阿呆である。本来は玩具であって、欲しがる時に買って遣れば済むこと。俗を恐がる様な器量のない学者は頼み難い。人が誹り笑うのは算用に入れなくてもよい。それは何故かと言うと、自分には捉まえる処があるからである。捉まえ処は義理だけである。

心弘云々。人の云ことは心にきき入れぬ。丁度通りの人が道ばたて子ともか何とか云を心にかけ、ふりむいて供の者に今あの子ともは何と云た、きいてみろとは云はぬ様なものなり。不顧と云がそのやふなていなり。それに隣て何とか云ととかく氣にかけるはかいない学者なり。偖これにもいたづらなをふちゃくものかありて、高ふりてするもあるか、此方のは義理々々と云に閙い。そんなことのひまはない。名医か六尺の看板かわるしとも心にかけはせぬ。評判がよふござると云を悦ぶは團十郎なり。学者などはそのやふなことて動くやうては益に立ぬ。そふした学者が政事をしてたのみはない。義理次第と云が骨なり。視天下云々。だい々々とした語なり。無移其道。世間の振合てこの方の了簡の変るではたのみはない。孟子居天下之廣居云々の意なり。
【解説】
「惟心弘、則不顧人之非笑、所趨義理耳。視天下、莫能移其道」の説明。世間を気にする様では甲斐がない。評判を気にするのは歌舞伎役者のすること。
【通釈】
「心弘云々」。人の言うことは心に聞き入れない。丁度通る人が道端で子供が何かを言っているのを心に掛け、振り向いて供の者に今あの子供は何と言ったか聞いてみろとは言わない様なこと。「不顧」とはその様なこと。それなのに隣で何か言うととかく気に掛けるのは甲斐ない学者である。さて、これにも悪戯な横着者があって、高ぶってすることもあるが、こちらは義理で忙しくてそんな暇はない。名医は六尺の看板が悪かったとしてもそれを気にすることはない。評判がよいのを悦ぶのは団十郎である。学者などがその様なことで動く様では役に立たない。そうした学者が政事をするのでは頼み難い。ここは義理次第と言うのが骨である。「視天下云々」。広々とした語である。「無移其道」。世間との振り合いで自分の了簡が変わるのでは頼みはない。これは、「孟子居天下之広居云々」の意である。
【語釈】
・孟子居天下之廣居…孟子滕文公章句下2。「居天下之廣居、立天下之正位、行天下之大道、得志與民由之。不得志獨行其道、富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈。此之謂大丈夫」。孟子尽心章句上36。「孟子曰、王子宮室車馬衣服多與人同、而王子若彼者、其居使之然也。況居天下之廣居者乎。魯君之宋、呼於垤澤之門。守者曰、此非吾君也。何其聲之似我君也。此無他、居相似也」。

未必怪云々。此方の匁が軽ひと人かあやしむもの。それゆへに孔孟をもそしるものはあれとも、あやしむものはない。日蓮は首の座へ直てもちっとも心はうこかぬ。つかまへ処あるからそ。それ故に学者も俗人に異見を云はるるくらいては益に立ぬ。あれほと云たからこちの形りになったなとと云は学者にはないことぞ。そこて前の心亨を爰へあてて見るがよい。ひょこすか欠巡るやうな学者ては益に立ぬ。根府川石の様にどっさりとすわってをることそ。正以在已者云々。是はわるい方を云て、上の所難惰異俗へかけて云なり。なせと云に、此方にある義理がそれに勝ことかならぬ。下世話に云、あやふやした男じゃと云のなり。小田原相談そ。何ともわからぬ。みな義理のかたぬゆへなり。
【解説】
「然爲之、人亦未必怪。正以在己者、義理不勝」の説明。心を動かさずにどっしりとしていなければならない。あやふやな者は義理が勝たないのである。
【通釈】
「未必怪云々」。こちらの匁が軽いと人が怪しむもの。そこで、孔孟を誹る者はいるが怪しむ者はいない。日蓮は首を切られる場になっても少しも心を動かさなかった。それは捉まえ処があるからである。そこで、学者も俗人に異見を言われる位では役に立たない。あれほど言ったのでこちらの言う通りになったなどと言われることは学者にない。前の「心亨」をここへ当てて見なさい。ひょこひょこと駆け巡る様な学者では役に立たない。根府川石の様にどっしりと据わっているのである。「正以在已者云々」。これは悪い方のことを言ったことで、上の「所難惰異俗」へ掛けたこと。それは何故かと言うと、自分にある義理がそれに勝てないからである。下世話で言う、あやふやな男だということ。それは小田原評定で、何ともわからない。皆義理が勝たないからである。
【語釈】
・心亨…政事61。「坎維心亨」。

病消則有長。是病か直ると学問もあがる。この有長を莫能移其道へあててみよなり。不消則病常云々。爰へ来て見れはすっはりと政事にあるか聞へたそ。病かきへす齷齪。玉しいか色々となるから羞縮まる。その故に心か定らぬ。心の二半な学者は俗人にはをとる。俗人は利害のことになるといこふ丈夫になる。身上をあけたいと云欲心からして一筋になるもの。学者は義理へ半分人欲へ半分てどちもよはい。義理をだそうとしても手前の工面がわるいゆへについ引込むそ。在古氣節之士。東漢の名節や荊軻が類。死ぬことをなんとも思わぬ。道理の當然てなけれとも、めったにはならぬ。志概は甚た大ひ。たぎり切てをる。いこふ胷が丈夫なり。概はをふむ子と云字て、志の大旨の処か丈夫なり。況吾云々。学者へかけて云。人非笑をいとふ内は学問はあからぬなり。此条つまり義理と云の外に何も見合ることはなきを云。政事に載たと云も学者が役人にてもなると浪人のときと振合か違ひ、近思を聞ても又そふでもござらぬと孔孟を脇の方へやりたがるものへの戒ぞ。
【解説】
「惰與羞縮之病、消則有長、不消則病常在。意思齷齪、無由作事。在古氣節之士、冒死以有爲、於義未必中。然非有志概者莫能。況吾於義理已明、何爲不爲」の説明。惰と羞縮の病が消えないので「齷齪」となり、それで心が定まらない。学者は義理と人欲とが半々で弱いものだが、古気節の士でも一筋になることができるのだから、学者も義理の通りに一筋に行かなければならない。
【通釈】
「病消則有長」。この病が治ると学問も上がる。この有長を「莫能移其道」へ当てて見なさい。「不消則病常云々」。ここへ来てみれば、これが政事にある意味がすっぱりとわかる。病が消えないので「齷齪」となる。魂が色々と移るから「羞縮」となる。それで心が定まらない。心の二半な学者は俗人にも劣る。俗人は利害のことになると大層丈夫になる。身上を上げたいという欲心から一筋になるもの。学者は義理へ半分、人欲へ半分でどちらも弱い。義理を出そうとしても自分の工面が悪いのでつい引っ込める。「在古気節之士」。これは東漢の名節や荊軻の類で死ぬことを何とも思わない者。道理の当然ではないが、滅多にはすることができないこと。「志概」は甚だ大きく滾り切っていることで、大層胸が丈夫である。概は概ねという字で、志の概ねの処が丈夫なこと。「況吾云々」。学者へ掛けて言う。人の非笑を厭う内は学問は上がらない。この条はつまり義理の外は何も見合わせることはないことを言う。これが政事に載ったのも、学者が役人にでもなると浪人の時と振り合いが違って来て、近思を聞いてもまたそうでもございませんと孔孟を脇の方へ遣りたがるから、その戒めとして載せたのである。
【語釈】
・齷齪…了見が狭いこと。心がこせついていること。
・二半…事のどちらとも決定しないこと。どちらつかず。
・東漢の名節…宋代に劉安節の名節などが出た。西漢の士は義を好まず、名節を挺ずる者少なく、東漢の士は義を尚び名節を挺ずる者が多い。東漢は後漢。西漢は前漢。


第六十三 姤初六云々の条

姤初六、羸豕孚蹢躅。豕方羸時、力未能動。然至誠在於蹢躅、得伸則伸矣。如李德裕處置閹宦、徒知其帖息威伏、而忽於志不忘逞。照察少不至、則失其幾也。
【読み】
姤の初六、羸豕[るいし]蹢躅[てきちょく]に孚あり。豕は羸[よわ]き時に方[あた]りては、力未だ動くこと能わず。然れども至誠は蹢躅に在り、伸ぶるを得ば則ち伸びん。李德裕の閹宦を處置するが如き、徒に其の帖息威伏するを知るのみにして、志の逞[たくま]しくするを忘れざるを忽[ゆるがせ]にせり。照察少しく至らざれば、則ち其の幾を失えり。
【補足】
・この条は、横渠易説の姤卦初六の条にある。

先今日横渠の政事を四つよむか、此条と初めの条を知惠と落すこと。中の二条は道理のたくましい。惣体道理のたくましいと云ははげしく叱ることなり。知と云へはうんと一つ見てとるてなくては、又してとることはならぬ。そこて政事は只たくましい計ではゆかぬ。うんと一つ鵜呑にかかるてなくて手ぬけかある。大事のしををみんなにする。此章なとは全く知へ解あたることぞ。そこて見処を見子はならぬ。姤は五月の卦て五陽なり。隂はよはい躰て一つなり。そこて羸豕なり。上に陽か五つありて下はうこくこともならぬ。何やらやせこけた豕とみへても、あれか油断はならぬ。蹢躅とは子まわる。この豕は死んだそうなと思へはそうてない。至誠云々。豕のもち前なり。あれがたけって人をかけるそ。蜘のそら死をするよふなものて、死たと思へはかけ出して巣をかける。今靜たと云ても、其を油断すると時節を待てをこる。あの一の隂がなにこわいものじゃと云ふにそふでない。なに小人かあれ式と君子の五人が油断すると、一人の小人にあけ足をとられる。何でももののきめ処が大事なり。それほどてなくともよさそうなものと云に、きっと蹈つけらるる。
【解説】
「姤初六、羸豕孚蹢躅。豕方羸時、力未能動。然至誠在於蹢躅、得伸則伸矣」の説明。政事は道理を逞しくするだけではうまく行かず、知を飲み込んでいなければならない。姤の初六の羸豕も油断はならない。
【通釈】
先ず今日は横渠の政事を四つ読むが、この条と初めの条は知恵のことだと思いなさい。中の二条は道理の逞しいこと。総体道理が逞しいと言うのは激しく叱ること。知と言って、うんと一つ見て取るのでなくては、またして取ることはできない。政事はただ逞しいだけではうまく行かない。うんと一つ鵜呑みにして取り掛からなければ手抜けができて、大事の潮合いを台無しにする。この章などは実に知へ解き当たること。そこで見処を見なければならない。「姤」は五月の卦で五陽であり、陰は弱くて一つだけである。そこで「羸豕」となる。上に陽が五つあるから下は動くこともできない。何やら痩せこけた豕と見えるが、それが油断はならない。「蹢躅」と跳ね回る。この豕は死んだ様だと思っているとそうではない。「至誠云々」。これが豕の持ち前である。あれが猛って人を追い駆ける。蜘蛛が空死をする様なもので、死んだと思えば駆け出して巣を架ける。今静かだと言っても、油断をすると時節を待って興る。あの一陰など何が恐いものかと言うが、そうではない。何あれ如き小人がと君子の五人が油断すると、一人の小人に揚げ足を取られる。何でもものの決め処が大事である。それほどてなくともよさそうなものと言うが、きっと踏み付けられる。
【語釈】
・姤…初六のみが陰で、あとは陽爻。
・羸豕…よわよわしい豚。
・蹢躅…本来は足がすくんで先に進めない様だが、ここでは跳躍の意に取る。

そこて李徳裕を引た。是が名高ひ人で唐の宰相なり。閹宦は宦者なり。是等が唐の世て此前には様々なことをしたが、李徳裕が出てから天下は安泰になった。そこて奄宦かくっともすっとも云ことならぬ。それも徳裕ゆへなり。そこて手前でもして取たと思ふた。衛國公に封しられた。重ひ宰相なり。それほとなれとも李徳裕が油断ありたなり。帖息威服云々。宦者ともべったりと降伏して頭かあからなんたゆへ仕ををせたとをもへとも、志不忘逞。爰が至誠蹢躅の処なり。死た様に思ても油断はならぬと氣が付けはよいに、李徳裕ほとても気遣はないと思ふたが手ぬけなり。奄宦ともがやかて々々々と待か子てかの持前を含んでいたぞ。武宗一代迠はよかったか、武宗崩ぜられた跡は閹宦共寄合て宣宗をたてて、それからは徳裕が手抦のある宰相たから彼をはいやに思召て役を取上させた。そこてちらりとした処で氣を付るがよい。迂斎のあと火を大切にしろと云へり。あと火を油断すると穴藏へも入る。そこて目のさやがはづれ子は何も角もらちあかず、医者も目はしがきかぬと療治はならぬ。医者も傷寒の中は蚤取り目なり。労咳のときは帖息云々してをるから失其幾也。とかく長い内には手ぬけがあるものそ。
【解説】
「如李德裕處置閹宦、徒知其帖息威伏、而忽於志不忘逞。照察少不至、則失其幾也」の説明。李徳裕ほどの者でも宦官に油断した。小さなことでも気を付けなければ長い内には手落ちができるもの。
【通釈】
そこで李徳裕を引いた。これが名高い人で唐の宰相である。「閹宦」は宦官のこと。彼等が唐の世で以前は様々なことをしていたが、李徳裕が出てから天下は安泰になった。そこで閹宦はぐっともすっとも言うことができなくなった。それも徳裕のお蔭である。そこで自分でもして取ったと思った。衛国公に封じられた。重い宰相である。それほどの人だったが李徳裕にも油断があった。「帖息威服云々」。宦官共がべったりと降伏して頭が上がらなかったのでし遂げたと思ったが、「志不忘逞」。ここが「至誠蹢躅」の処である。死んだ様に思っても油断はならないと気が付けばよかったが、李徳裕ほどでも気遣いはないと思ったところが手抜けである。閹宦共がやがていつかはと待ちかねて、あの持ち前を含んでいた。武宗一代まではよかったが、武宗が崩じられた跡は閹宦共が寄合って宣宗を立て、それからは徳裕が手柄のある宰相だったので彼を嫌だと思し召して役を取り上げさせた。そこで、ちらりとした処で気を付けるのがよい。迂斎が後火を大切にしろと言った。後火を油断すると穴蔵へも入る。そこで、目の鞘が外れなければ何もかも埒が明かず、医者も目端が利かないと療治はできない。医者も傷寒の内は蚤取り目になるが、労咳の時は帖息云々をしているから「失其幾也」。とかく長い内には手抜けがあるもの。
【語釈】
・李徳裕…字は文饒。唐の武宗の宰相。787~849
・帖息…安定して静かになること。


第六十四 卒条

人敎小童、亦可取益。絆己不出入、一益也。授人數數、己亦了此文義。二益也。對之必正衣冠、尊瞻視。三益也。常以因己而壞人之才爲憂、則不敢惰。四益也。
【読み】
人の小童を敎うる、亦益を取る可し。己を絆ぎて出入せざらしむるは、一の益なり。人に授くること數數[しばしば]すれば、己も亦此の文義を了す。二の益なり。之に對するに必ず衣冠を正し、瞻視[せんし]を尊[たか]くす。三の益なり。常に己に因りて人の才を壞[やぶ]るを以て憂えと爲さば、則ち敢て惰らず。四の益なり。
【補足】
・この条は、横渠語録にある。

人教小童亦可取益云々。此章は後の教学の末にある筈と葉解も云たが成程そふなり。されとも只きをつけた計ではきとなし。教学の末と入かへるがよい。あの末に政不足與間か政事の末にあるべきなり。先軰も此小童の条のことか語類に説あるゆへ、やはり政事の篇へ出たか朱子の意とも云はれたれとも、あれは朱子の近思の篇なとも手がまはらぬからあそこにあると云へは、いよ々々間違には究まりたなり。さて此条の意は小童の大勢きて素讀ても習ふはいやなもので、これを面倒かるが学者通情の病なり。絆己云々。今日は濱見物にゆかふと云処へ子ともが素讀にくる。自出ることもならぬ。是一益也。是が存羪の一ヶ条になる。横渠は人のいやかることを益と云は、もふけとしたものなり。成程そふで、余りかけあるくよりじっとしているが垩賢の体なり。授人數々云々。子ともの覺のわるいて此方かよくすむことかあるもの。讀書千遍其義自通なり。あれを教たて思ひ出したと云こともあるなり。
【解説】
「人敎小童、亦可取益。絆己不出入、一益也。授人數數、己亦了此文義。二益也」の説明。小童を教えるのは嫌なもので、これを面倒がるのが学者通情の病である。しかし、その嫌なことが学者の益になる。子供を教えることで外に出ることも少なくなり、自分でも教えている内容がよくわかる様になる。
【通釈】
「人教小童亦可取益云々」。この章は後の教学の末にある筈だと葉解も言ったが、なるほどその通りである。しかしながら、葉解はただそれに気付いただけではっきりとしない。教学の末と入れ替えるのがよい。あの末にある「政不足与間」が政事の末にあるべきである。先輩もこの小童の条のことが語類に説いてあるので、やはり政事の篇へ出したのが朱子の意だと言われたが、朱子の近思の篇なども手が回らなかったからあそこにあるなどと言うから、いよいよその間違いは究まる。さてこの条の意は、小童が大勢来て素読でも習うのは嫌なもので、これを面倒がるのが学者通情の病である。「絆己云々」。今日は濱見物に行こうという処へ子供が素読に来る。それで自ずと出ることもできない。「是一益也」。これが存養の一ヶ条になる。横渠が人の嫌がることを益と言うのは、それを儲けとしたからである。なるほどその通りで、あまり駆け歩くよりはじっとしている方が聖賢の姿である。「授人数々云々」。子供の覚えが悪いので自分の方でよくわかって来ることがあるもの。「読書千遍其義自通」である。あれを教えたので思い出したということもある。
【語釈】
・讀書千遍其義自通…朱子訓学斎規。「引古人云、讀書千遍、其義自見」。三国志魏書王朗伝。「讀書百遍而義自見」。

正衣冠。是も今はあまりないが、人の師たるものは大ふあるべき筈なり。子ともと云ものは正直に師を大事にするもの。それへ示すために我こふあるへき筈て、我行義もよくなる。常以因己云々。今市井や田舎ても師の人抦次第で手習子の身持かわるくなる。師か茶碗酒大あぐらなれは子ともがま子る。とかくわるいことはま子やすいものぞ。こふして見れは子ともを教ることはいやなことなり。愼むがよし。それを思ふてこの方の益にすると云は、人の捨る処でもうける様なもの。子ともを教るが挌物究理の端的と云ものてもない。それより語類文集の吟味するがよいが、そこを端的てないとすてることてもない。それをするこれもすると云てよいそ。石原先生や迂斎なとは七十以上て素讀抔を教へられた。某や行藏なとか又あいつらが大学の素よみかと邪魔にしたが、やっはり子ともを教へられた。村田や大坂や平六などが来たなり。有徳者の躰なり。教学をして教るものか子ともを靣倒かると云はつまらぬことなり。子ともはよく教へれはどふともなるものて、成人のすりからしよりは垩賢君子の方へも導きよいものなり。
【解説】
「對之必正衣冠、尊瞻視。三益也。常以因己而壞人之才爲憂、則不敢惰。四益也」の説明。子供は真似し易いものだから、子供を教えることで自分の行儀もよくなる。子供を教えることは格物窮理ではないが、その両方をするのがよい。石原先生や迂斎は七十を過ぎても子供を教えていた。
【通釈】
「正衣冠」。これも今はあまりないが、人の師たるものはこれが大分あるべき筈である。子供というものは正直に師を大事にするもの。それへ示すために、自分がこうあるへき筈をすることで自分の行儀もよくなる。「常以因己云々」。今市井や田舎でも師の人柄次第で手習子の身持ちが悪くなる。師が茶碗酒で大胡座でいれば子供がそれを真似る。とかく悪いことは真似し易いもの。こうして見れば子供を教えることは嫌なことで慎むのがよい。その様に思っていながら自分の益にすると言うのは、人の捨てる処で儲ける様なもの。子供を教えることが格物窮理の端的というものでもない。それより語類や文集の吟味をする方がよいが、そこを端的でないと捨てることでもない。それをしてこれもするというのがよい。石原先生や迂斎などは七十以上て素読などを教えられた。私や行蔵などがまた大学の素読かと彼等を邪魔にしたが、やはり子供を教えられた。村田や大坂や平六などが来た。有徳者の姿である。教学をして教える者が子供を面倒がるのは詰まらないこと。子供はよく教えればどうともなるもので、成人の擦り枯らしよりは聖賢君子の方へも導きよいもの。
【語釈】
・行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。別号は一斎。門下に寛政三博士の一人である岡田寒泉がいる。享保14年(1729)~安永5年(1776)
・村田…
・大坂…
・平六…