第三十三 伊川先生曰人多説の条  亥二月六日  道生録
【語釈】
・亥…寛政3年辛亥。1791年。
・道生…

伊川先生曰、人多説某不敎人習擧業。某何嘗不敎人習擧業也。人若不習擧業、而望及第、卻是責天理而不修人事。但擧業既可以及第即已。若更去上面盡力求必得之道、是惑也。
【読み】
伊川先生曰く、人多く某人をして擧業を習わしめずと説く。某何ぞ嘗て人をして擧業を習わしめざらん。人若し擧業を習わずして、及第するを望まば、卻って是れ天理を責めて人事を修めざるなり。但擧業は既に以て及第す可くんば即ち已む。若し更に上面に去[ゆ]いて力を盡くし必得の道を求めば、是れ惑いなり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

先宋朝のなりが四六對なとと云文章を習ふ。それが挙業の文章にて此を上へ書て出して、それて取上けらるることなり。其について世の人が云たに、とかく伊川の処へは行ぬがよい、出世の妨になる。とかくしかって擧業を習はせぬと取沙汰したそ。大の評判ちかいそ。挙業、其ときのなりなり。只今御籏本衆の武藝を稽古さるる。それより御番入をさるるやふなもの。時の形なり。人皆な挙業を習はずに及弟するは、医学をせずに御目見医にならふとするやふなもの。及弟は上へ召出さるると屋鋪を下さるることゆへ云。第は屋鋪なり。弟の字を次第の字に云説あり。上中下三段あり、何にもせよ上へ召出さるること。及第を願ふなら隨分挙業の学をするかよい。天理は天命と同しこと。ものは運かあろふとて挙業を習はずに及弟出来ふと云ことはならぬ。天理は天道を云。こふして居てもよいと云か、そふ云ことはない筈のこと。果報は寢てまてと云やふなことはないこと。及第挙業の学問して及第すべし。
【解説】
「伊川先生曰、人多説某不敎人習擧業。某何嘗不敎人習擧業也。人若不習擧業、而望及第、卻是責天理而不修人事」の説明。挙業は当時の姿であり、及第を願うのであれば挙業の学をするのは尤もなことである。伊川が挙業を習わせないと批判するのは間違いである。
【通釈】
先ず宋朝の姿が四六対などという文章を習う。それは「挙業」の文章であって、これを書いて上に出して、それで採り上げられることになる。それについて世の人が、とかく伊川の処へは行かない方がよい、出世の妨げになる。とかく呵って挙業を習わせないと取り沙汰した。それは大きな評判違いである。挙業は時の姿である。只今御旗本衆が武芸を稽古され、それで御番入りをなさる様なもの。それが時の姿である。人が全く挙業を習わずに「及第」するのは、医学をせずに御目見医になろうする様なもの。及第は上へ召し出されると屋敷を下されるので、この様に言う。第は屋敷である。第の字を次第の字として言う説もある。上中下と三段あり、何にせよ上へ召し出されること。及第を願うのなら、随分と挙業の学をするのがよい。「天理」は天命と同じ。ものには運ということがあるだろうとして、挙業を習わずに及第することができるだろうというわけには行かない。天理は天道のこと。こうしていてもよいと言うが、そういうことはない筈である。果報は寝て待てという様なことはない。及第は挙業の学問をして成るものである。
【語釈】
・四六對…四六駢儷体のこと。
・挙業…科挙に及第するための勉強。本来は科挙の際に作る文章。

それほどの仕入をしたらは、それて置がよい。已んなり。それはわるいでは無いか、それから上を氣をもむかさん々々わるいなり。若林玄朔か、身代は少成に安んじ学問は小成に安すべからずと云ふた。玄朔一代の説そ。此ことを彼か墓表にも記しをくなり。其筈そ、学問は明德新民至善につめること。挙業か生産になることならそれてよい。已なんと云点、いかか已んと云語意てよい。已むてよし。已めよと点するもよけん切て片付ること。若更云々。其上にかれこれして、必得はぜひと云ことなり。ぜひともかわるい字。これ惑なり。及弟する程の仕込にしてやめれはよい。ぜひ及弟せふとて手をまわすはよくない。我黨の大切はここなり。それに心をつかふがわるい。是が心術の病になること。寒さに酒一盃のもふと云はわるいでないが、ぜひのまふとするかわるい。明道先生、盆水を樂まれたことあり。今兼好や牡丹好はまよいなり。碁を一番打たとてわるいことてもない。薄茶を一抔呑んとするとてわるくはない。心を煩わすがわるい。孔子のとき、太夫の家へ仕子ばならぬ時勢ゆへ子路も冉求も仕へたが、わるいことならば孔子の呵ふことなれとも、苦くないと見へる。苦しくないと云になると冉求がやふに仕を汲々とした。宋の時分も及第することあれとも、あるべかかりでよいなり。それ故、ものはあはいかよい。義理の通りは淡いもの。直方先生の、こびつきと云ことを云へり。これ惑なり。義理に害ないこともこびつく。それがわるい。
【解説】
「但擧業既可以及第即已。若更去上面盡力求必得之道、是惑也」の説明。挙業は及第するために学ぶのであって、それ以上は気を揉んでする必要はない。「必得」とするのが悪く、直方もこび付くのが悪いと言った。義理の通りは淡いものなのである。
【通釈】
それほどの仕入れをしたら、それで止めて置くのがよい。それが「已」である。挙業が悪いのではないが、それから上のことに気を揉むのが散々に悪い。若林玄朔が、身代は小成に安んじ学問は小成に安んずべからずと言った。玄朔一代の説である。このことは彼の墓表にも記してある。その筈で、学問は明徳新民至善に詰めること。挙業が生業になればそれでよい。已みなんという点、いかが已まんという語意でよい。已むのでよい。已めよと点をするのも予見を切って片付けること。「若更云々」。その上にかれこれして、「必得」は是非にということ。是非ともが悪い字。これが惑いである。及第するほどの仕込みをして止めればよい。是非及第しようとして手を回すのはよくない。我が党の大切なところはここである。これに心を使うのが悪い。これが心術の病になること。寒さに酒一盃飲もうと言うのは悪くはないが、是非とも飲もうとするのが悪い。明道先生が盆栽をを楽しまれたことがある。兼好や今の牡丹好きは惑いである。碁を一番打っても悪いことでもない。薄茶を一杯飲もうとしても悪くはない。心を煩わすのが悪い。孔子の時は大夫の家へ仕えなければならない時勢だったので子路も冉求も仕えたが、それが悪いことであれば孔子が呵っただろうに、苦しくないと見える。苦しくないということだったので、冉求の様に仕えを汲々とした者がいた。宋の時分も及第することがあるが、それはそれなりでよいこと。それで、ものは淡いのがよい。義理の通りは淡いもの。直方先生がこび付きと言った。これが惑いである。義理に害のないことでもこび付けば悪い。
【語釈】
・若林玄朔…名は弘篤。江戸の人。天明4年(1784)5月16日没。年45。幸田誠之門下。稲葉黙齋にも学ぶ。


第三十四 問家貧親老云々の条

問、家貧親老。應擧求仕、不免有得失之累。何修可以免此。伊川先生曰、此只是志不勝氣。若志勝、自無此累。家貧親老、須用祿仕。然得之不得爲有命。曰、在己固可。爲親奈何。曰、爲己爲親、也只是一事。若不得、其如命何。孔子曰、不知命、無以爲君子。人苟不知命、見患難必避、遇得喪必動、見利必趨。其何以爲君子。
【読み】
問う、家貧しく親老ゆ。擧に應じ仕を求むるに、得失の累い有るを免れず。何を修めば以て此を免る可き、と。伊川先生曰く、此は只是れ志氣に勝たざるなり。若し志勝たば、自ら此の累い無からん。家貧しく親老いしときは、須く用[もっ]て祿仕すべし。然れども之を得ると得ざるとは、命有りと爲す、と。曰く、己に在りては固より可なり。親の爲にするは奈何にせん、と。曰く、己の爲にすると親の爲にするとは、也[また]只是れ一事なり。若し得ずんば、其れ命を如何にせん。孔子曰く、命を知らずんば、以て君子爲ること無し、と。人苟も命を知らずんば、患難を見ては必ず避け、得喪に遇いては必ず動き、利を見ては必ず趨[はし]らん。其れ何を以て君子爲らん、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

これもよんところないこと。揚龜山の町人に成て商てもしたいかそれもをらはならぬ、どふでも禄仕するより外ないと云れた。親を養ふために奉公する。親ゆへとあれはよいが、それも是非出たいとかかるが失なり。だたい士は此方に道德をつんで行るるか本志と云は固よりのこと。親ゆへじゃとても奉公かせぐと云になれば肴うりのかついて歩やふなもの。本意ならぬことゆへ此免たいと云問なり。伊川先生曰云々。それは替たことを問やる。わざの上で奉公しやふと求るも、こちの志さへ立はよい。たたい煩はないこと。それは志のたぎらぬ故にどふやらと思ふ。志さへ勝たらは奉公しても本意ならぬとは思はぬ筈ぞ。為親禄仕と云義理かつきぬけると免れたいと云ことはない筈。禄仕は孟子の抱關撃折そ。かるい奉公なり。農工商か出来ぬから禄仕はするか、家老の用人などと云やふなことではない。足輕の火の用心ふれるから少しちと上へ出たものまてか禄仕なり。其かるい禄仕と云ても中々急に出来ることてない。鰯うるさへうりあまして帰ることあり。学者か禄仕かよいとてすら々々と相談の調ふものでない。為有命なり。此得の字は求之有道得之有命の得の字へかけて見るがよい。長藏かやふな禄仕も天命そ。早くうれた方なり。凡仕るに相談の出来ると出来ぬあり。此方のことによらぬは命なり。娘もぬいものもよくする、容義もよいがとかく縁遠ひと云かある。有命なり。奉公をせふと云も、とこぞては片付ふと思てをるかよい。それ迠は筆耕か箱入温石うりてもよい。
【解説】
「問、家貧親老。應擧求仕、不免有得失之累。何修可以免此。伊川先生曰、此只是志不勝氣。若志勝、自無此累。家貧親老、須用祿仕。然得之不得爲有命」の説明。親を養うために禄士をしたいが、それは本志でないので煩うと言ったのに対し、伊川は志さえ立てば煩うことではないと答えた。しかし、その禄士することにも命がある。
【通釈】
これも止むを得ないこと。楊亀山が町人になって商いでもしたいがそれも俺にはできない、どうしても禄仕するより外はないと言われた。親を養うために奉公をする。親のためであればよいが、それも是非出たいと掛かるのが「失」である。そもそも自分に道徳を積んで行うのが士の本志であるのは固よりのこと。親のためだからと言っても奉公を稼ぐというのであれば、それは魚売りが担いで歩く様なもの。本志でないことなのでこれを免れたいとの問いである。「伊川先生曰云々」。それは変わったことを問うものだ。業の上で奉公しようと求めるにしても、自分の志さえ立てばよい。本来煩うことではない。志が滾らないからどうしたらよいかと思うのである。志さえ勝てば奉公をしても本志でないとは思わない筈である。親のための禄仕という義理が突き抜ければ免れたいと言うことはない筈。禄仕は孟子の言う「抱関撃柝」であって、軽い奉公である。農工商ができないから禄仕はするが、家老の用人などという様なことではない。足軽が火の用心を触れることから、少しその上へ出た者までが禄仕である。その軽い禄仕といっても中々急にできることではない。鰯を売るのでさえ余して帰ることもある。学者が禄仕がよいと言ってもすらすらと相談が調うものではない。それは「為有命」である。この「得」の字は「求之有道得之有命」の得の字に掛けて見なさい。長蔵の様な禄仕も天命である。早く売れた方である。凡そ仕えることにも相談のできる時と出来ない時がある。自分のことによらないものは命である。娘も縫物もよくして、容儀もよいがとかく縁遠いということがある。それが「有命」である。奉公するにも、いつかは片付くだろうと思っているのがよい。それまでは筆耕か箱入温石売りをしていればよい。
【語釈】
・揚龜山…伊川の門人楊時。字は中立。号は亀山。
・志さへ勝…孟子公孫丑章句上2。「志壹則動氣、氣壹則動志也。今夫蹶者趨者、是氣也。而反動其心」。
・抱關撃折…孟子万章章句下5。「孟子曰、仕非爲貧也。而有時乎爲貧。娶妻非爲養也。而有時乎爲養。爲貧者、辭尊居卑、辭富居貧。辭尊居卑、辭富居貧、惡乎宜乎。抱關撃柝。孔子嘗爲委吏矣」。
・求之有道得之有命…孟子尽心章句上3。「孟子曰、求則得之。舍則失之。是求有益於得也。求在我者也。求之有道、得之有命。是求無益於得也。求在外者也」。また、万章章句上8に、「孔子曰、有命。孔子進以禮、退以義、得之不得曰有命」とある。
・長藏…鈴木(鵜沢)恭節。通称は長蔵。黙斎門下。寛政元年(1789)、黙斎の推薦で館林藩主松平侯の儒臣となる。1762~1830
・筆耕…①写字などによって報酬を得ること。また、その人。②文筆により生計をたてること。
・温石…焼いた軽石を布などに包んで身体を温めるもの。また塩を固めて焼いたもの、瓦などに塩をまぶして焼いたものを用いる。
・家貧親老…孔子家語致思。「子路見於孔子曰、負重渉遠、不擇地而休、家貧親老、不擇祿而仕」。

在己云々。問手の念の入たのなり。根か義理を知ぬの問ぞ。親か殊の外あせる。其ときはどふてござると云。それほど親か邪魔になれば天倫がすまぬ。ここか伊川てなけれは云れぬこと。為親為己とてわりることではない。我体だはかりなれは非義はせぬ、親のためなれは非義すると云はうけられぬ。学問は身一箇の学問なり。それか親に出るなり。為親の禄仕も出來る出來ぬに心を煩はさぬこと。親なれは理外をする、身のためには理なりをすると云ことはなし。禄仕するならはする筈てすることなり。出來る出來たはこちの方になし。親ゆへとあせるは命を知ぬなり。己れ一箇のことはどふともするか、為親と云といかさまと人かあけて通すゆへのことなり。爲親の為己のと云ことはない。
【解説】
「曰、在己固可。爲親奈何。曰、爲己爲親、也只是一事。若不得、其如命何。孔子曰、不知命、無以爲君子」の説明。自分のためなら非義をしないが親のためなら非義をするというのは悪い。学問は一つであり、親のためとか自分のためということはない。
【通釈】
「在己云々」。問い手が念を入れたのである。義理の根本を知らない問いである。親が殊の外焦る。その時はどうだろうと言う。それほど親が邪魔になれば天倫が済まない。ここが伊川でなければ言えないこと。「為親為己」と割り切れることではない。自分の体だけならば非義はしない、親のためなので非義をすると言うのは正しくない。学問は身一箇の学問であって、それが親に出る。親のための禄仕もできるできないと心を煩わさないこと。親のためならば理外をし、身のためには理の通りをするということはない。禄仕をするのならする筈ですること。できるできないはこちらの方のことではない。親のためと焦るのは命を知らないのである。己一箇のことはどうとでもするが、為親というといかにもと人が開けて通すから、そう考えるのである。爲親とか為己ということはない。

見患難云々。天命をよく合点すると患難はさけられぬにする。君子知命。雷かなると納戸へかけこむは可笑なり。必避かそのやふなもの。とふもさけられぬものを避はたわけぞ。雷て押入へはいるは人々笑ふが、れき々々の学者いろ々々とにげるなり。隨分患難にあふまいと思てもあとから逐かけてくるもの。必動云々。工面のよい方へかけ込むもの。尤道義の志か勝ぬゆへひょろつく。志か氣に勝と、どふこふと動まはることはない。然らは学者は道義を押し立てると魂か違。五文字の守にも及はぬ。
【解説】
「人苟不知命、見患難必避、遇得喪必動、見利必趨。其何以爲君子」の説明。天命を合点すれば患難は避けられないものだとわかる。志が気に勝てば動き回ることもない。道義を押し立てれば魂が決まる。
【通釈】
「見患難云々」。天命をよく合点すると患難は避けられないものと捉える。「君子知命」。雷が鳴ると納戸へ駆け込むのは可笑しい。「必避」はその様なもの。どうしても避けられないものを避けようとするのは戯けである。雷で押入に入るのは人々が笑うが、歴々の学者が色々と逃げる。随分と患難に遭わない様にしようと思っても後から逐い駆けて来るもの。「必動云々」。工面のよい方へ駆け込むもの。それも尤もなことで、道義の志が勝たないのでひょろつく。志が気に勝つとどうこうと動き回ることはない。そこで、学者は道義を押し立てると魂が違って来る。そうでなければ、子守をする娘にも及ばない。
【語釈】
・君子知命…論語堯曰3。「子曰、不知命、無以爲君子也。不知禮、無以立也。不知言、無以知人也」。
・五文字…①雑俳の一。五字題。五文字付け。②娘、少女のこと。


第三十五 或謂科挙事業の条

或謂科擧事業、奪人之功、是不然。且一月之中、十日爲擧業、餘日足可爲學。然人不志此、必志於彼。故科擧之事、不患妨功、惟患奪志。
【読み】
或ひと科擧の事業は、人の功を奪うと謂うも、是れ然らず。且つ一月の中、十日擧業を爲さば、餘日は學を爲す可きに足る。然れども人此に志さざれば、必ず彼に志す。故に科擧の事は、功を妨ぐるを患えず、惟志を奪うを患うるのみ。
【補足】
・この条は、程氏外書一一にある。

科挙はやはり挙業のこと。こまったものなり。時文と云其稽古なくてならぬは学者出進のてみせなり。論語や繋辞傳躰の文章こそはるかよいか、それではをさまらぬ。そこて時文のけいこか入る。丁ど今、目安を書に漢文て書てはすまぬやふなもの。其時の形りか四六對の文章てなけれはをさまらぬ。そこて学者か四書六經の外に科擧の文章を習ふ。これか学問のぢゃまになると云。伊川の、そふでない、何程かかるものぞとなり。此様なことはわざの上て云かよい。科挙の文とてあまり六ヶしいことてない。三十日の内十日時文を習て、あとはこちの学問をするかよい。是等の議論は今日ないことゆへ身に親切てないやふなれとも、今浪人儒者か大名の家来になると、はや武藝を稽古せ子はならぬ。そふすると学業の隙ないやふになり、武藝て学問か止むと云様に得て云ふものぞ。そふでない。相応に片付くものぞ。武藝もなり、学問もなるものなり。或人か科挙はこまったものと云も了簡の不調法て云。手間かとれるとて邪魔になることてない。志にあることなり。
【解説】
「或謂科擧事業、奪人之功、是不然。且一月之中、十日爲擧業、餘日足可爲學」の説明。科挙の勉強が学問の邪魔になると言うのは間違いである。それに時間を取られるからといって邪魔になるわけではない。
【通釈】
科挙とはやはり挙業のこと。それは困ったものである。時文という稽古がなくてはならいが、それが学者の出進の手見せである。論語や繋辞伝体の文章こそはるかによいが、それだけでは収まらない。そこで時文の稽古が要る。丁度今、目安を書くのに漢文で書いては済まない様なもの。その時の場が四六対の文章でなければ収まらない。そこで学者が四書六経の外に科挙の文章を習う。これが学問の邪魔になると言う。それを伊川が、そうではない、大して時間はとられないと言った。この様なことは業の上で言うのがよい。科挙の文といってもあまり難しいことではない。三十日の内十日は時文を習って、あとはこちらの学問をすればよい。これ等の議論は今日にはないことなので身に親切でない様だが、今浪人儒者が大名の家来になると、早くも武芸の稽古をしなければならない。そうすると学業をする隙がない様になり、武芸によって学問が止むと得てして言うもの。そうではない。相応に片付くもの。武芸も成り、学問も成る。或る人が科挙は困ったものだと言うのも、その了簡が不調法だからである。手間がとれるからといって、邪魔になりはしない。それは志の問題である。
【語釈】
・時文…中国の科挙の試験に課した文章詩賦の体。宋に始まり、やがて八股文と言われた。
・てみせ…手見せ。技量のほどを示すこと。
・目安…見やすくするために箇条書きにした文書。中世では箇条書きではない訴状・陳状をも言う。目安書。目安状。
・四六對…四六駢儷体のこと。

志于彼云々。科挙のことなり。学問も志かないと、當世の四六對文章てひまかないと云か、そふてない。上へ出やふ々々々と魂を奪はるる。これか業をとらるるてない。心をとらるるなり。或人か云わけに云たもの。科挙の文藝を学て經学か二段になると、そこて学業の功夫を奪るると云た。伊川中々うけぬ。功夫はうばわれず、心を奪るるとなり。時の文章を習て状元及弟にでもなると一生状元々々と人にも云はれ、それから宰相にもなる。唐ては此様なことゆへ文章も習ふ。今迠浪人て居ても、それて老中にもなる。日本人の文章習ふは漢士の人か聞たら、それは近比費なことと笑ふてあろふ。あのほうのこそそれを種に奉公する。俸禄にうばわれるなり。可懼ことなり。功をうははるるは取かへしがなる。志を奪るるになると取かへしのならぬもの。女の魂もそれぞ。一度志を奪ふと、はやそれて札つき。よい女房ても夫とを第二段にすると一日家事のせわやいても其分にならぬ。貞女なれは病身もの、年中臥て居てもすむことなり。学者も垩賢になろふと云魂かあれはよい。孔門の子路なとも太夫の家に奉公したれとも、魂は奪れぬて歴々なり。挙業の学も志さへはきとしてをれは、功を妨くとてそれて魂のうばはれやふ筈はない。今日讀処の三条か皆科挙のことなり。
【解説】
「然人不志此、必志於彼。故科擧之事、不患妨功、惟患奪志」の説明。或る人が、科挙を学ぶことで経学がその次になれば学業の功夫を奪われると言った。伊川は、功夫が奪われるのではなく心が奪われるのであると言った。
【通釈】
「志于彼云々」。これは科挙のことである。学問も志がないと、当世の四六対文章を学んでいるので隙がないなどと言うが、そうではない。上へ出ようして魂を奪われるのである。これは業が取られるのではない。心を取られるのである。ここは或る人が言い訳で言ったこと。科挙の文芸を学ぶことで経学がその次になるから、そこで学業の功夫を奪われると言った。伊川は中々それに同じない。功夫は奪われず、心が奪われると言った。時の文章を習って状元及第にでもなると一生状元々々と人にも言われ、それから宰相にもなる。唐ではこの様なことなので文章も習う。今まで浪人でいても、それで老中にもなる。日本人が文章を習うのを漢士の人が聞いたら、それは近頃ご苦労なことだと笑うだろうが、あの方こそ、それを種にして奉公をする。俸禄に奪われることになり、懼るべきことである。功を奪われるのは取り返しができるが、志を奪われるのは取り返しのできないもの。女の魂もそれで、一度志を奪われると直ぐに札付となる。よい女房でも夫を二の次にすれば、一日中家事の世話を焼いてもうまく行かない。貞女であれば、病身者で年中臥していてもうまく行く。学者も聖賢になろうという魂があればよい。孔門の子路なども大夫の家に奉公したが、魂は奪れなかったので歴々の一人なのである。挙業の学も志さえはっきりとしていれば、功を妨げるとしても、それで魂が奪われる筈はない。今日読む処の三条は皆科挙のこと。
【語釈】
・状元…中国で、進士の首席合格者。

さて、朱子は此編集のとき、するどいことにて秡差しに思召あり、もっと科挙のあたまをはる語を幷べんと思召なれとも、呂東来のまあこれてよかろふ々々々々と云れたゆへ、これてをかれた。朱子の思召にはあわぬ。朱子は科挙を抑へる語を出したい思召とみへる。東來は科挙か好てあった。近思録をあむ手傳はしたれとも俗儒なり。それゆへ晩年は十方もないことになった。論語の講釈は空にをちる、左傳か實じゃと云れた。朱子も肝をつぶし、こはけしからぬことになったと、東来の没後別段に東来派を弁じられた。東莱博議を作れた。朱子とは大ふ趣の違たこと。さるによって堀川の源藏が跋をした。あのやふなものが跋をすれは朱子と違たは見へること。学問々々と云ても心法へ立入らぬは皆そふしたこと。朱子の出處の篇に程子の語を出しやふにも科挙のあたまを押すことをかかるるはづを、この位てやみたは朱子の本意には叶はぬ。其事は文集五十四時子雲に答る書にあり、それと云も何の為なれは、出処の道はときめくかさん々々わるい。呂東萊なとはときめく心のある人。朱子と幷ふ人なれとも挙業の世話なぞされた。博議か其ための書なり。
【解説】
朱子は編集の中で科挙のことをもっと批判したかったのだが、呂東莱がこれでよいだろうと言うのでそのままにして置かれたのである。東莱は時めく心のある人で、科挙が好きだった。
【通釈】
さて、鋭いことに朱子はこの編集の時、抜き差しに思し召しがあって、もっと科挙の頭を叩くための語を並べようと思われたのだが、呂東莱がまあこれでよいだろうと言われたので、このままにして置かれた。これは朱子の思し召しには合わない。朱子は科挙を抑える語を出したかったと見える。東莱は科挙が好きだった。近思録を編む手伝いはしたが俗儒である。それで晩年は途方もないことになった。論語の講釈は空に落ちる、左伝が実だと言われた。朱子も肝を潰し、これはけしからんことになったと、東莱の没後は格別に東莱派を弁駁された。東莱は博議を作れたが、それは朱子とは大分趣の違ったこと。それから堀川の源蔵が跋を作った。あの様な者が跋をすれは朱子と違うことがよく見える。学問々々と言っても心法へ立ち入らないものは皆そうしたこと。朱子が出処の篇に程子の語を出す際には科挙の頭を押すことを書かれる筈だが、この位で止めたのは朱子の本意に叶わないこと。その事は文集五十四時子雲に答うる書にあり、それというのも何のためかと言えば、出処の道は時めくのが散々に悪いからである。呂東莱などは時めく心のある人だった。朱子と並ぶ人だが挙業の世話などをされた。博議がそのための書である。
【語釈】
・源藏…伊藤仁斎。

挙業のこと、世上一般氣の毒とこそ云へし。道学者のせわやくに及ぬ。禄を目かけることゆへ無用と云でよいことそ。科挙のせわやく人なれは、皆学問はらりになる。魂をみかくと云でなければならぬ。魂をみかかぬなれは、上へ進んた処か一寸したことを本望かる。出處の根かたぎら子は、禄にはかり目かついて上の用に立ぬ。出処は編屈なものと合点すべし。先日の不爲妻求封前任暦子なぞ伊川の當世の振合に達せぬことたらけ。不調法なと云やふなことか出處の魄なり。某年記を録する中、諸先軰の道德を書に淺見先生のことを如磐石と記した。子ぶかわ石のやうにづっしりとしたと書た意なり。あの先生なとを改めて何にもほめることはない筈のやふなれとも、子ぶかわ石のやふて、君子用れは行ひ、すつれはかくるなれとも、出處はすなをながさん々々わるい。此条も志を奪でとめるがそれなり。
【解説】
科挙などは道学者が世話を焼くことではない。科挙は禄を目掛けることだから無用である。出処では偏屈がよく、素直なのは悪い。
【通釈】
挙業のことは、世上一般気の毒とこそ言うべきこと。それを道学者が世話を焼くには及ばない。禄を目掛けることだから無用のことと言えばよい。科挙の世話を焼く人であれば学問は皆台無しになる。魂を磨くというのでなければならない。魂を磨かないのであれば、上へ進んだ処で一寸したことを本望と思う。出処の根が滾らなければ、禄にばかり目が付いて上の役には立たない。出処は偏屈なものだと合点しなさい。先日の「不為妻求封前任暦子」など、伊川は当世の振合いに達しないことだらけ。不調法なことだと言う様なことが出処の魄である。私が年記を録する中で、諸先輩の道徳を書く際に浅見先生のことを「如磐石」と記した。根府川石の様にずっしりとしている意で書いたのである。あの先生などを改めて何も褒めることはない筈だが、根府川石の様である。君子は「用之則行舍之則蔵」とは言うが、出処は素直なのが散々に悪い。この条も「奪志」で止めたのがそのこと。
【語釈】
・不爲妻求封前任暦子…出処31の語。
・用れは行ひ、すつれはかくる…論語述而10。「子謂顏淵曰、用之則行、舍之則藏。惟我與爾有是夫」。

士君子道德ありて出るは順なもの。我に德を積て引込てをるはだたい目出度ことてはない。椽の下に居るやふなものなれとも、そこには尊むへきことあり。上へ出るはたれでも靣白もの。そこへ義理と云ものを出すはめったに出ぬことを云。道を行ふは学者の任なり。孔子も不仕無義とも云へり。大学に明德かあれは必新民あり、このやふなことをかさにきて、学者かどちどふしても上へ出たかる。つまり人欲からのこと。俸禄を目かけれは貨利之欲。名をあけよふとすれは名利之欲。克己復礼は学問の全体。貨利名利をとってのけた克己篇の後の出處篇なり。そこの吟味なり。
【解説】
「不仕無義」や新民のことを言って学者は出たがるが、それは人欲からのこと。克己復礼で貨利名利の欲を取って除けた後に出処となる。
【通釈】
士君子が道徳があって出るのは順なもので、自分に徳を積んで引っ込んでいるのはそもそも目出度いことではない。それは縁の下にいる様なものだが、そこには尊ぶべきことがある。上に出るのは誰でも面白いもの。そこへ義理というものを出すのは滅多に出ないことを言うため。道を行うのは学者の任である。孔子も「不仕無義」とも言った。大学にも明徳があれば必ず新民があり、そこで、学者はこの様なことを笠に着て、どうしても上へ出たがる。つまりそれは人欲からのこと。俸禄を目掛ければ貨利之欲で、名を挙げようとすれば名利之欲。克己復礼は学問の全体である。出処篇は貨利名利を取って除けた克己篇の後のことであって、ここはそこの吟味なのである。
【語釈】
・不仕無義…論語微子7。「子路曰、不仕無義」。


第三十六 横渠先生曰世禄之栄の条

横渠先生曰、世祿之榮、王者所以録有功、尊有德、愛之厚之、示恩遇之不窮也。爲人後者、所宜樂職勸功、以服勤事任、長廉遠利、以似述世風。而近代公卿子孫、方且下比布衣、工聲病、售有司、不知求仕非義、而反羞循理爲無能、不知蔭襲爲榮、而反以虚名爲善繼。誠何心哉。
【読み】
横渠先生曰く、世祿の榮は、王者の功有るを録し、德有るを尊び、之を愛し之を厚くして、恩遇の窮まらざるを示す所以なり。人の後爲る者の宜しく職を樂しみ功を勸めて、以て事任に服勤し、廉を長じ利を遠ざけて、以て世風を似述すべき所なり。而るに近代の公卿子孫は、方且[まさ]に下りて布衣に比し、聲病を工[たくみ]にし、有司に售[う]り、仕を求むるは義に非ざるを知らずして、反りて理に循うを羞じて能無しと爲し、蔭襲の榮爲るを知らずして、反りて虚名を以て善く繼ぐと爲す。誠に何の心ぞや。
【補足】
・この条は、張横渠文集策問第五にある。

此章全く宋のついへを呵たこと。世禄は先王の德澤。垩人のあつい思召て、天下に功あるものへは子がやくにたたずでも世々禄を下さる。孫曽孫の代から百代になりても永々先祖の通り下さる。あれが子孫じゃによってと云。いかさまそふも有ふこと。宋の趙普かやふなもの、上から王号まて下され挌段な取扱であった。宋には世禄と云こと、今日御當代のやふには立てをら子とも、各別有功のものにはあった。爲人後者云々。此文字はつ子には養子に行たことを云なれとも、ここではそふでない。為其後者と云こと。其有功の人の後をさす。濡手て粟をつかむ。今此方の大名の家でも大臣などと云て、まつ初手から番頭なとになるのかこれなり。ここの論はまつ宋の時体を知子はすまぬことなり。布衣は浪人の惣名。あの方は浪人から上へすすむ。宋朝にも世禄の家はたまさかある。韓琦冨弼と云程てなけれはなし。それゆへ世禄は天下の統て御制法ではなく、たま々々なれとも、其類かいかいことありたゆへ、近代公郷子孫と出たぞ。先祖の家督をとってじっとして禄をとってをるてこそ世禄の栄て上の思召もとどくのに、布衣の浪人の眞似していろ々々とかせぎ、御役つかんとするはどふしたものぞ。公郷子孫は役人より上て、大名同様のけてあるのに、手入をして我方から上へ出たかりかせぐ衆が多ひ。折角上からは世禄を下されてをくゆへそれでかせがすとよいに、兎角出たかる。
【解説】
「横渠先生曰、世祿之榮、王者所以録有功、尊有德、愛之厚之、示恩遇之不窮也。爲人後者、所宜樂職勸功、以服勤事任、長廉遠利、以似述世風。而近代公卿子孫、方且下比布衣、工聲病、售有司」の説明。「世禄」とは先王の徳沢、聖人の思し召しであり、功臣の子孫に禄を与えること。先祖の家督を貰ってじっとしていることこそよいことなのに、布衣の浪人の真似をして色々と稼ぎたがる者が多い。
【通釈】
この章は実に宋の費えを呵ったもの。「世禄」は先王の徳沢、聖人の厚い思し召しで、天下に功のある者へはその子が役立たずでも世々禄を下さる。孫曾孫の代から百代になっても永々と先祖の通り下さる。あれの子孫だからと言う。いかにもその様なこともあるだろう。宋の趙普の様な者は、上から王号まで下され格別な取り扱いだった。宋の世禄は今日の御当代の様にはしっかりとしたものではないが、格別功のある者にはあった。「為人後者云々」。普通この文字は養子に行たことを言うが、ここではそうではない。「為其後者」ということ。その功ある人の後を指す。濡れ手で粟を掴むこと。今日本の大名の家でも大臣などがあり、初手から番頭などになるのがこれである。ここの論は先ず宋の様子を知らなければ済まないこと。「布衣」は浪人の総名。中国では浪人から上へ進む。宋朝にも世禄の家は数多くある。しかし、韓琦や富弼というほどでなければならない。それで、世禄は天下押し並べての御制法ではなく偶々のことなのだが、その類が大層あったので、「近代公卿子孫」と出したのである。先祖の家督を貰ってじっとしていてこそ世禄の栄で上の思し召しも届くのに、布衣の浪人の真似をして色々と稼ぎ、御役に就こうとするのはどうしたものか。公卿子孫は役人より上で大名同様に別格なものなのに、手入れをして自分から上へ出たがり稼ぐ衆が多い。上から折角世禄を下されているので稼がなくてもよいのに、とかく出たがる。
【語釈】
・趙普…幽州薊の人。宋朝建国の第一の功臣。趙匡胤から社稷の臣として,絶対の信頼を寄せられた。
・當代…①現在の天皇。②現在の戸主。当主。
・韓琦…北宋の宰相。字は稚圭。河南安陽の人。仁宗・英宗・神宗に歴仕し、英宗の時に魏国公に封。范仲淹と共に韓范と称される。神宗の時に上疏して王安石の新法の非を説いたが用いられず、病死。著「安陽集」「韓魏公集」。1008~1075
・冨弼…北宋の人。契丹との外交交渉で活躍した。范仲淹と共に副宰相に就任した。

羞循理は恩遇のきはまらぬを云なり。それなりにするが循理なれとも、只をって知行をとるは羞じゃと云。一理あるやふなれとも、つまり浪人の立身かせぎが羨山敷なりて、只をるは無能じゃと名を付て科挙めいたことをしてはやく用られたかる。これ求仕の非義たるを知らず。蔭襲云々。先祖のかげをつく。先祖のかけて禄をとってをるはみめなこと。此が上の厚い思召なるからは只禄をとりてすむのに、歴々の身分を持て四六ついの文章なと書、私なとは御恩の報しやふがないゆへと云ても、實は天下へ我器量を見せたかるのなり。上の挌別の思召てあふしてをくのに、浪人のやふに立身かせきするは偖々氣の毒なこと。農工商はかせぐかあたりまへ。別してかるい商人はかたへ棒をかづき、今日一日々々とかせがぬと飢ると云ことゆへかせぐてよい。士君子はそれとは違い、のっしりとしているか當り前なり。孟子の時、何もせずにのっしりとしてをるかとふしたことと疑もそれなり。すわりて居るゆへそ。ざて難と云吟味ありたれともそふでない。挊と云ことはせぬこととみへたぞ。諺に侍食ず高楊枝と云ことあり、是が士君子の心を云たものなり。
【解説】
「不知求仕非義、而反羞循理爲無能、不知蔭襲爲榮、而反以虚名爲善繼。誠何心哉」の説明。世禄を受けているだけでは羞だと思っているが、それは立身稼ぎをしたいのであって、天下へ自分の器量を見せたいだけである。農工商は稼ぐのが当たり前であり、士君子はのっしりとしているのが当たり前なのである。
【通釈】
「羞循理」は恩遇が極まらないことを言う。その通りにするのが循理だが、ただ知行を取るだけなのは羞だと言う。それには一理ある様だが、つまりは浪人の立身稼ぎが羨ましいのであって、ただいるだけでは無能だと名付け、科挙めいたことをして早く用いられたがる。これが「不知求仕非義」である。「蔭襲云々」。先祖の蔭を継ぐ。先祖のお陰で禄を取るのは光栄なこと。ここが上の厚い思し召しからなのでただ禄を取っているだけでよいのに、歴々の身分を持っていながら四六対の文章などを書き、私などは御恩の報いようがないのでなどと言うが、実は天下へ自分の器量を見せたがってのことなのである。上の格別の思し召しであの様にして置くのに、浪人の様に立身稼ぎをするのは実に気の毒なこと。農工商は稼ぐのが当たり前。特に軽い商人は肩で棒を担ぎ、今日一日一日と稼がなければ飢えるので、稼ぐのがよい。士君子はそれとは違い、のっしりとしているのが当たり前。孟子が時に何もせずにのっしりとしており、それはどうしたことかと疑われたのもそれである。座っているだけだからである。座の難という吟味があったが、そうではない。働くことはしないものと見える。諺に侍食わずに高楊枝とある。これが士君子の心を言ったもの。
【語釈】
・孟子の時、何もせずにのっしりとしてをるかとふしたことと疑…

世禄は上から役に立ずに下さる。上の思召と先祖恩に隨てをるかよい。それに何の彼のとさわぐ。あまり御恩かをもい、安からぬと云ものもあろふが、そこをよく合点し知るべきこと。我方に道德の出来たに上てすててはをかぬ。それにかせくことはなし。丁と井伊本多酒井榊原と云やふなもの。蔭襲の栄なり。それじゃにどふこふとつなぐの何のと云ことはいらぬこと。下によい人あっても上へ取あける。ことに世禄の歴々は恩てもないこと御用ひあるは必定なり。それにちょろ々々々さはぐことはなし。御恩を報したいの何のと云はのけて、先其道德を磨くへし。ただ天下第一位になりたい、進みたいのなり。そこて色々とさはく。近代公郷の子孫と出して横渠のじかに戒られたことなり。説ひろげるといつの世にも戒にならぬことはないことなり。
【解説】
立身稼ぎをしなくても、道徳ができれば上が捨てては置かない。騒ぐことはなく、先ずは道徳を磨くのである。
【通釈】
世禄は上から役に立たなくても下さるもの。上の思し召しと先祖の恩に随っているのがよい。それなのに何のかのと騒ぐ。あまりに御恩が重いので安んじられないと言う者もあるだろうが、そこをよく合点し知らなければならない。自分に道徳ができれば上が捨てては置かない。そこで、稼ぐことはない。丁度井伊・本多・酒井・榊原という様なもの。蔭襲の栄である。それなのにどうのこうのと繋ぐの何のと言うことは要らない。下によい人があれば上が採り上げる。殊に世禄の歴々は恩があるから用いられるのが必定。そこで、ちょろちょろと騒ぐことはない。御恩を報いたいの何のと言うのは除けて、先ずは道徳を磨きなさい。ただ天下第一位になりたい、進みたいと思うから色々と騒ぐ。近代公卿の子孫と出して横渠が直に戒められた。説き広げるといつの世にも戒めにならないことはない。


第三十七 不資其力而利其有の条

不資其力而利其有、則能忘人之勢。
【読み】
其の力に資[よ]りて其の有を利とせずんば、則ち能く人の勢いを忘れん。
【補足】
・この条は、張横渠正蒙の作者篇にある。

孟子の忘勢と云ことを云た。孟献子は魯國の一番家老で大臣のれき々々なり。重ひ人とも思はず、そこへ五人の友か行ていた。勢を忘るるなり。人と云は相手をさして云こと。孟献子か友の方から孟献子をさして云こと。こちは浪人、向は斤倉なり。それを膝組て咄す。それが忘勢なり。輕ひものか大人にあふと云は孟献子か友勢をわする。是か上品なことなり。とふして忘るると云に、横渠のそこを云て聞せやう、資其力云々。そふたい歴々と近付きになりたいと云はちとづつ合力を受たい。資力なり。歴々と近付と、只の浪人と思ふな、こちの御家老とこんいと云と、足輕かはや辞冝のしやふも違ふ。門のわきへ行くとはや門番か頭を下るやふになる。皆向の力によるのなり。迂斎先生の狐虎の威をかると云はれた。狐はかしこいものゆへ虎につれ立て行ゆへ百獸かをそるる。今も伽のものと云やふなもあり、何もなくてとふしてかくらす。其筈そ。御歴々へ出入ると云。これか向の有を利とするなり。よい処へ出たと云のか利とするなり。其外浪人儒者ても十人が九人迠は有を利とするなり。
【解説】
孟献子の友が勢いを忘れたのは「不資其力而利其有」だからだと横渠が言った。浪人や儒者の十人中九人までが有を利している。
【通釈】
孟子が「忘勢」と言った。孟献子は魯国の一番家老で大臣の歴々である。それを重い人だとも思わず、そこへ五人の友が行き来していた。これが忘勢である。「人」とは相手を指して言うことで、孟献子の友の方から孟献子を指して言ったこと。こちらは浪人、向こうは金蔵である。それが膝を組んで話す。それが忘勢である。軽い者が大人に逢うにも、孟献子の友が勢いを忘れる様なのが上品である。どうして忘れるのか、そこを横渠が言って聞かせようと、「資其力云々」。総体歴々と近付きになりたいと言うのは少しずつ援助を受けたいからで、それが「資力」である。歴々と近付きになって、ただの浪人と思うな、こちらの御家老と懇意だと言うと、もう足軽のお辞儀の仕方も違って来る。門の脇へ行くと早くも門番が頭を下げる様になる。それは皆向こうの力に由るものである。迂斎先生が虎の威を借る狐だと言った。狐は賢いもので、虎に連れ立って行くから百獣が恐れる。今も伽の者という様な者がいて、何もないのにどうしてか暮らす。その筈で、御歴々へ出入ると言う。これが向こうの有を利とすること。よい処へ出たというのが利とすること。その外浪人や儒者の十人中九人までが有を利としている。
【語釈】
・忘勢…孟子尽心章句上8。「孟子曰、古之賢王、好善而忘勢。古之賢士、何獨不然。樂其道而忘人之勢。故王公不致敬盡禮、則不得亟見之。見且猶不得亟、而況得而臣之乎」。
・孟献子…孟子万章章句下3。「孟獻子、百乘之家也。有友五人焉。樂正裘・牧仲、其三人則予忘之矣。獻子之與此五人者友也、無獻子之家者也。此五人者、亦有獻子之家、則不與之友矣。」。

説大人則藐之勿視其巍々然。勢を忘れたことなり。輕ひものか大名の処へ行くと何もかも違ふゆへ、違たものじゃとをもふもの。それても何のわるいこともないやふて、只其魂か向にしつけらるる本となり。それては講釈もひひかぬなり。五人の友家老の前ても何とも思はぬは、ものを貰ふてもない。ほしひと思わぬからなり。今の学者仕官して道理を振ふことのならぬは、浪人のときとは違ふゆへ向へあわせる。講釈もむくやふによむ。いやな欲心あるものそ。成程勢のよい人と子んころすると禄もころけてくるやふになる。去によって其人の前てはあたまはあからぬ。つめて云へは皆利心からをこることなり。鳩巣先生の、学者人に忌まるるはよし、慢れるのは役に立ぬと云へり。偖々名言ぞ。力に資り有を利する心あれは忌れはせぬ。慢らるるなり。
【解説】
今の学者が仕官をしても道理を振るうことのできないのは、向こうに合わせるからである。勢いのよい人と懇ろになろうとするのは利心からである。
【通釈】
「説大人則藐之勿視其巍々然」。これが勢いを忘れること。軽い者が大名の処へ行くと何もかも違うので、違うものだと思うもの。それは何も悪いこともない様だが、ただそれが、自分の魂が向こうに仕付けられる本となるのである。それでは講釈も響かない。五人の友が家老の前でも何とも思わないのは、ものを貰うわけでもなく、欲しいとも思わないからである。今の学者が仕官をして道理を振るうことのできないのは、浪人の時とは違うので向こうに合わせるからである。講釈も相手に向く様に読む。そこには嫌な欲心があるもの。なるほど勢いのよい人と懇ろになると禄も転げて来る様になる。そこで、その人の前では頭が上がらない。詰めて言えば皆利心から起こること。鳩巣先生が、学者は人に忌まれるのはよい、慢られるのは役に立たないと言った。実に名言である。力に資り有を利する心があれば忌まれはしない。慢られる。
【語釈】
・説大人則藐之勿視其巍々然…孟子尽心章句下34。「孟子曰、説大人、則藐之。勿視其巍巍然。堂高數仞、榱題數尺、我得志弗爲也」。


第三十八 人多言安於貧賤の条

人多言安於貧賤。其實只是計窮力屈、才短不能營畫耳。若稍動得、恐未肯安之。須是誠知義理之樂於利欲也。乃能。
【読み】
人多く貧賤に安んずるを言う。其の實は只是れ計窮まり力屈し、才短くして營畫すること能わざるのみ。若し稍[やや]動き得ば、恐らくは未だ肯て之に安んぜじ。須く是れ誠に義理の利欲より樂しきを知るべし。乃ち能くせん。
【補足】
・この条は、張横渠経学理窟五の気質の条にある。

横渠の人情に通したことなり。今も我にためしたことなくて余程目方の重ひことを切てはなす男あり、貧乏ものか私なとは貧賤何とも思ひませぬと云。どふか顔子のやふなれとも、其やふに顔子かめったにあるものてない。計究云々。身代もなをす氣でもできぬ。今身代をわるくするものは才短故なり。子貢は才力あるゆへ貨殖。とふもしかたかないから安たと云。不働て首ぬけかならずにどふ安することかなるものぞ。ちと利口じゃとはや其様なことを云てみたかる。老人か病付とはや我々老人のことゆへとくにかくあるへきこと、忰をたのむなど云ふ人侭多し。死生を見ぬいたやふなり。万物之灵ゆへ其様なことをも云へとも、一两や二两のことてさはぐ根性て何として死に安するものそ。寒ごりか裸てかけるやふなもの。あれも裸て寢ころんでは一時もいられぬ。あまり寒さに風を入けりなり。とかく貧乏ものか顔子の仲ヶ間入たかり、身代のよいものをあじにあざけりたり何かする。横渠はあのやふな実心な人じゃか人のだましはくわぬ。黄勉斎か貧究て今年もならぬ々々々と云たれは、朱子のなせならぬと云た。いかさま尤なこと。今年もわるい々々々と云は出來たことではない。皆貧乏を云立るか不調法なゆへなり。
【解説】
「人多言安於貧賤。其實只是計窮力屈、才短不能營畫耳」の説明。多くの人が貧賎に安んじると言う。それは顔子の様だが、実は才力がないだけである。
【通釈】
これは横渠の人情に通じた話である。今も自分で試したこともなく、よほど重いことを言い切る男がいて、貧乏者が私などは貧賎を何とも思いませんなどと言う。それは顔子の様だが、その様に顔子が滅多矢鱈にいるわけがない。「計究云々」。身代を直す気でもそれができない。今身代を悪くする者は「才短」だからである。子貢は才力があるので貨殖をした。どうも仕方がないから安んじたとは言うが、働かず首が回らなくてどうして安んじることができるものか。少し利口だと直ぐにその様なことを言ってみたがる。老人が病み付くと早くも、我々は老人なので前々からこうなることはわかっていた、忰を頼むなどと言う人がよくいる。死生を見抜いた様であり、万物の霊なのでその様なことをも言うが、一両や二両のことで騒ぐ様な根性でどうして死に安んじるものか。それは寒垢離が裸で駆ける様なもの。あれも裸で寝転んでいては一時もいられない。あまり寒さに風を入れけりである。とかく貧乏な者が顔子の仲間に入りたがり、身代のよい者を悪く嘲ったりなどする。横渠はあの様な実心な人だが人の騙しは食わない。黄勉斎が貧窮で今年もならないと言うので、朱子が何故ならないのかと言った。いかにもそれは尤もなことで、今年も悪いと言うのは事実に基づくことではない。皆貧乏を言い立てるのが不調法なのである。
【語釈】
・寒ごり…寒垢離。寒中に社寺に詣で冷水を身に浴びて神仏に祈願すること。町の家々を巡り水を浴びる行をもいう。
・黄勉斎…名は幹。字は直卿。1152~1221

今若上から勝手向のことを云付られたらはとふしたものそ。我身代をわるくするなれは、旦那の身代もつぶすてあろふ。其不調法て孔子の顔子の曲肱一簞の食は中々うかかはれぬ。浪人儒者か私は畠の側をまわるか好。籬に瓢たんの下った貧居の躰、白かべ作りよい。これより外望ないなとと云ふそ。処へ誰殿のをうわさと云と覺へず笑をふくみ、ほほんと云。初手に瓢たんすきと云たは誰も搆はぬゆへのこと。搆手かあると実としてはをらぬ。初は、私は病身でごさるなとと云ても、駕籠を進せやふと云と然らばと云。駕の内ではどふこふとさま々々なことをあんじるが、道のためはなく、多くは名の為利の為めそ。其筈よ、凡夫の水はなれのせぬ故なり。碁打も茶人も名人になると、それか靣白さにめったに百石や二百石はめかけぬ。雪中には夜の八つときにも起て茶をも立る。碁打もそれなり。これは茶と碁とにつかまへ処ありてのこと。
【解説】
「若稍動得、恐未肯安之」の説明。自分が貧賎であれば、たとえ用いられても人の身代を潰すことになるだろう。貧賎にいて、他に望みはないなどと言っても、名利に動くもの。それは自分に掴まえ処がないからである。
【通釈】
今もしも上から勝手向きのことを言い付けられるとすればどうしたものか。自分の身代を悪くするのであれば、旦那の身代も潰すだろう。その不調法で孔子や顔子の曲肱一簞食を窺うことは中々できない。浪人や儒者が私は畠の側を回るのが好きで、籬に瓢箪の下がった貧居の姿、白壁も作り易い。これより外に望みはないなどと言う。そこへ誰殿がお噂をしてと言われると覚えず笑みを含み、ほほうと言う。初めに瓢箪好きと言ったのは誰にも構わないから言ったこと。構う相手があるとじっとしてはいない。初めは、私は病身ですなどと言っても、駕籠を出しましょうと言われるとそれならと言う。駕籠の内ではどうこうと様々なことを案じるが、それは道のためではなく、多くは名と利のためである。その筈で、凡夫の水離れができないからなのである。碁打ちも茶人も名人になると、それが面白くて滅多に百石や二百石を目掛けることはしない。雪中、夜の八つ時にも起きて茶をも立てる。碁打ちも同じである。これは茶と碁に掴まえ処があるからである。
【語釈】
・曲肱…論語述而15。「子曰、飯疏食、飮水、曲肱而枕之。樂亦在其中矣。不義而富且貴、於我如浮雲」。
・一簞の食…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一簞食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。

ただの学者は義理をつかまへた覺へなし。儀理は自ら義理、吾は自ら吾。とをくによりてをるぞ。樂になろふ筈はなし。学者は義理をみかくものなれは、義理か学者のつかまへ処なり。学者か苦労なことかあるとて酒を一盃のんたと云は頼もしくない。論語か樂みになると云になれはよい。論語をよむについて直方先生、得一两句悦は好学論の実生へじゃと云へり。一两句か胷にのるといかさまときげんかよかった。そふすると義理の利欲より樂を知たのなり。朱子の、大切のことには心與理會と云はれた。此段になると又違ふなり。靣白さが禄処てはない。歴々になり、駕籠にのらす歩は心もちのよいものてあろふ。なれとも義理の靣白と云を知ると中々官禄て氣ののぼるやふなことはない。乃能。乃の字はあいを置て云こと。初からかる々々しく安於貧賎なとと云は大な違ぞ。知義理之樂於利欲。そこては始てこれかなることなり。
【解説】
「須是誠知義理之樂於利欲也。乃能」の説明。学者は義理を磨くもの。義理は利欲よりも楽しいものなのである。義理の面白さを知れば官禄に目掛けることはない。
【通釈】
ただの学者は義理を掴まえた覚えはない。義理は自ずから義理、自分は自ずから自分で、遠くに離れている。楽になれる筈がない。学者は義理を磨くものであって、義理が学者の掴まえ処である。学者が苦労なことがあると言って酒を一盃飲むのは頼もしくない。論語が楽しみになればよい。論語を読むことについて直方先生が、「得一両句悦」は好学論の実生えだと言った。一両句が胸に乗るといかにも機嫌がよかった。それで、義理が利欲より楽しいことを知っていたのである。朱子が、大切なことには「心与理会」だと言われた。この段になるとまた違ったことで、その面白さは禄処ではない。歴々になって駕籠に乗らず歩くのは心持のよいことだろう。しかしながら義理の面白さを知ると中々官禄で上気する様なことはない。「乃能」。乃の字は間を置いて言うこと。初めから軽々しく「安於貧賎」などと言うのとは大きな違いである。「知義理之楽於利欲」。そこで初めてこれが成る。
【語釈】
・得一两句悦…致知38。「論語有讀了後全無事者、有讀了後其中得一兩句喜者」。
・心與理會…


第三十九 卒條

天下事、大患只是畏人非笑。不養車馬、食麄衣惡、居貧賤、皆恐人非笑。不知當生則生、當死則死、今日萬鐘、明日棄之、今日富貴、明日飢餓、亦不卹、惟義所在。
【読み】
天下の事、大患は只是れ人の非笑するを畏るるのみ。車馬を養わず、麄を食し、惡しきを衣、貧賤に居れば、皆人の非笑するを恐る。當に生くべくんば則ち生き、當に死すべくんば則ち死し、今日の萬鐘は、明日之を棄て、今日富貴にして、明日飢餓するも、亦卹[うれ]えず、惟義在る所のみなるを知らざるなり。
【補足】
・この条は、張横渠経学理窟四の自道の条にある。

天下之事云々。世の中に大な氣の毒と云こと出來た。たたい太極の方には損も得もないことそ。只今の学者が世間の人のさま々々と非り笑ふことを氣の毒かることあるか、垩賢の心は彼太極を上に置て、あれにそむくまいと云より外はなし。それに学者か俗人のかれこれ云を畏るること、これ今日天下の学者の大患此上はない。世間の人の心つかいは、今迠忰をは湯取飯て育てたに食麁く、羽二重着てをったものか衣悪く、馬にのり駕にのったものか寢て居て星の見へる屋に居る、このなりになり下りたと人の笑を恐るるなり。此学者の席ても、あまり弁當の食の黑ひと人も見るものじゃと云心あるもの。甲斐の德本が着る物を引くりかへして着たと云。にくいやつなれども、どふもここの処かぬけたぞ。障子を反古で張り、小倉半紙て行燈張、あまりなことじゃと云ひ、あまり人目かいかかと云。それか大患なり。其魂て中々出処なとかなるものてない。学者は人の非笑にはとんとかまはぬこと。初に太極を上に置と云かこれなり。
【解説】
「天下事、大患只是畏人非笑。不養車馬、食麄衣惡、居貧賤、皆恐人非笑」の説明。世の中には大層人の誹笑を患う人がいるが、本来、太極の方には損も得もない。学者は太極に背かない様にしようとするより外はない。人目を気にするのが「大患」なのである。
【通釈】
「天下之事云々」。世の中には大層気の毒なことがあるが、そもそも太極の方には損も得もない。只今の学者が世間の人から様々と誹り笑われることを気の毒がるが、聖賢の心はあの太極を上に置いて、あれに背かない様にしようとするより外はない。それに学者が俗人からかれこれ言われるのを畏れることは、今日の天下の学者の「大患」としてこれ以上のことはない。世間の人の心遣いは、今まで忰を湯取飯で育てたのに今は食が粗く、羽二重を着ていたものが衣悪く、馬に乗り駕籠に乗っていたものが寝ていて星の見える屋にいる、この様な姿になり下がったと人が笑うのを恐れるものである。この学者の席でも、あまり弁当の飯が黒いと人が見るものだと思う心があるもの。甲斐の徳本が着る物をひっくり返して着たと言う。憎い奴だが、どうもここの処に通じている。障子を反古で張り、小倉半紙で行燈を張るのはあまりなことだと言い、大層人目を気にする。それが大患である。その魂で出処などが中々成るものではない。学者は人の「非笑」を全く構わないのがよい。始めに太極を上に置くと言うのがこのこと。
【語釈】
・甲斐の德本…室町時代末期の永正10年(1513年)に三河国に生まれ、乾室または知足斎と号し、医を業とし、駿河・甲斐・相模・武蔵の諸国を巡り、甲斐にあっては武田氏に仕えた。
・反古…書画などを書き損じた不用の紙。

道理のなりにするそ。人は當然あって、活たいとて活られもせす、死たいとて死なれもせぬ。然れは今日萬鐘明日饑餓て心を動すことはない。万鐘はどれ程と云ことてなく、知行の一ち多いこと。家中もの抔の云口にはばるほどな知行のと云のなり。去るに偏笠になる。今日冨貴、あすは食ふものもないと云に、それを何とも思はぬ。はてあちな人と云ことではない。かの太極を上に置くゆへ、そふしたいこふしたひ好きの嫌のはない。太極次第にする。冨貴と饑餓は違たもの。冨貴は千石二千石取たと云のそ。それか浪人すると辻にも立と云ことゆへ中々から手でなることではなし。上の段にある乃能すとここの不卹をはり合せ可見。道理を慥にみると飢餓しても卹はせぬ。只向から来次第にしようと云か出処の大切なり。孔子は進むに礼を以てし、退くに道を以す、義と与に比ぶゆへ氣をもむことはない。氣のうえからは冨貴と飢餓は違へとも、道理で云へは同じこと。伊尹は出へき理ゆへ出る。顔子は處るへき理ゆへをる。出處の大事は道理のなりにすること。
【解説】
「不知當生則生、當死則死、今日萬鐘、明日棄之、今日富貴、明日飢餓、亦不卹、惟義所在」の説明。道理の通りにすれば、「今日万鐘明日饑餓」でも心を動かすことはない。ただ向こうから来次第に応じるのが出処には大切である。
【通釈】
道理の通りにする。人は当然、活きたいと言っても活きられもせず、死にたいと言っても死ぬこともできない。それなら「今日万鐘明日饑餓」で心を動かすことはない。万鐘はどれほどということではなく、知行の一番多いこと。家中の者などの言う、口にはばるほどの知行ということ。それが編笠になる。今日は富貴で明日は食うものもないというのに、それを何とも思わない。実に変な人だということではない。あの太極を上に置くので、そうしたいこうしたい、好き嫌いということはない。太極次第にする。富貴と饑餓は違ったもの。富貴は千石二千石取ったということ。それが浪人になると辻にも立つということなので中々空手でできることではない。前条にあった「乃能」とここの「不卹」を張り合わせて見なさい。道理を慥かに見ると飢餓をしても卹うことはない。ただ向こうから来次第に応じるのが出処の大切。孔子は進むのに礼をもってし、退くのに道をもってした。「義之与比」なので、気を揉むことはない。気の上からは富貴と飢餓は違ったものだが、道理で言えば同じこと。伊尹は出るべき理なので出る。顔子はいるべき理なので処る。出処の大事なところは道理の通りにすること。
【語釈】
・義と与に比ぶ…論語里仁10。「子曰、君子之於天下也、無適也。無莫也。義之與比」。

とかく浪人すると身すぼらしくなるもの。大なことを云て付元氣しても、あなたは此頃はあちじゃと云様に顔つきもの云ぶり迠違ふ。そこで替りたものか見てとる。隣の女房などか縫ものをしながら、あなたも付元氣そふなと云ものそ。婦人なとに見ぬかるるやふでは大な耻と云もの。奉公をして肩で風をきるときと浪人してこそ々々あるくは違ふなり。道理をつかまへぬ内は本道の元氣は出ぬ。付け元氣てをすやふなことは本の出處てはない。古の名僧はとれも違ふたことそ。傳教を始め法然でも日蓮ても仏法をつかまへたゆへ大寺の住寺にしてもよけれは道心坊にしてもよい。それをのけては仏法をつかまへぬゆへ大寺を持せてをけはよく見へるか、そこに居られぬやふになると見苦くなる。学者出世しても浪人しても同し皃でなけれは役に立ぬ。医師も病人か死ても活ても同し皃なれは名人なり。五人つつけて直すと皃がいそ々々する。一と村て疱瘡を二三人もころすとまわり道をする様になる。此方につかまへ処かなけれは是なり。此方に道を得ると、召出したも知行召はなされたも同しこと。某ここへ名僧や名医のことを引て云か趣向のあることと思へし。
【解説】
貧賎によって顔付きや言葉遣いも違って来るもの。空元気で押して出る様なことは本当の出処ではない。最澄や法然、日蓮などは大寺の住持になっても道心坊になっても同じ顔である。病人が死んでも生きても同じ顔をしているのが名医である。
【通釈】
とかく浪人になるとみすぼらしくなるもの。大きなことを言って空元気をしても、貴方はこの頃悪くなったと言われる様に、顔付きやものの言い振りまでが違って来る。そこで変わったところが見て取れる。隣にいる女房などが縫物をしながら、貴方も空元気の様だと言うもの。婦人などに見抜かれる様では大きな恥というもの。奉公をして肩で風を切る時と浪人してこそこそ歩く時とは違うもの。道理を掴まえない内は本当の元気は出ない。空元気で押す様なことは本当の出処ではない。古の名僧は誰もが違っていた。伝教を始め法然でも日蓮でも仏法を掴まえているので大寺の住持にして道心坊にしてもよい。彼等を除いた者は仏法を掴まえていないので大寺を持たせて置けばよく見えるが、そこにいられない様になると見苦しくなる。学者は出世をしても浪人をしても同じ顔でなければ役に立たない。医師も病人が死んでも活きても同じ顔であれば名人である。五人続けて治すと顔がいそいそとする。一村で疱瘡を二三人も殺すと回り道をする様になる。自分に掴まえ処がなければこうなる。自分に道を得ると、知行を授かるのも取り上げられるのも同じこと。私がここへ名僧や名医のことを引いて言うのが趣向のあることと思いなさい。
【語釈】
・傳教…最澄の諡号。
・道心坊…乞食坊主。

直方先生、学者不及日蓮之説をつくろふと云はれたもここに感慨ありてのこと。今日の学者孔孟程朱の後に生れて異端を弁することはなろふか、中々日蓮なとの玉しいに及ぶことはならぬ。近思出処の道は後漢の名節のやふにたた腕をこくことではない。義理をつかまへて働くことなり。此条も今日萬鐘明日飢餓ときりり々々々と一命へをしよせてとめたかそれなり。子夏なとの垩門に生れて忠の字の義を云ふの挌別なと云も、事君委其身。此委ると云、これが臣たるものの上を云ぬいたことそ。加増下されてうれしいの、知行下されて嬉のと云ことはういたこと。もと奉公は死に出たと云ほどに合点すべし。委は身をさし出してとふなりと料れと云こと。机の上へのせてをくやふなもの。それゆへ何ぞ侍のまきらかすとは違ふことなり。出處の道は無学ては知れぬことなり。
【解説】
近思の出処は義理を掴まえること。本来の奉公は我が身を差し出すことであり、知行を授かって嬉しいなどということはない。
【通釈】
直方先生が「学者不及日蓮之説」を作ろうと言われたのもここに感慨があってのこと。今日の学者は孔孟程朱の後に生まれて異端を弁駁することはできようが中々日蓮などの魂に及ぶことはできない。近思出処の道は後漢の名節の様にただ腕を扱くことではなく、義理を掴まえて働くこと。この条も「今日万鐘明日飢餓」とぎりりぎりりと一命へ押し寄せて止めたのがそれ。子夏などが聖門に生まれて忠の字の義を言うことが格別だというのも「事君委其身」だからである。この委ねるということが臣たる者を言い抜いたこと。加増されて嬉しいとか、知行を下されて嬉しいと言うのは浮いたこと。本来奉公は死に出るというほどのことだと合点しなさい。委は身を差し出してどうなりと料れと言うこと。机の上へ載せて置く様なもの。それで、侍が何やら紛らかすのとは違う。出処の道は無学ではわからないことなのである。
【語釈】
・後漢の名節…宋代に劉安節の名節などが出た。西漢の士は義を好まず、名節を挺ずる者少なく、東漢の士は義を尚び名節を挺ずる者が多い。東漢は後漢。西漢は前漢。
・事君委其身…論語学而7。「子夏曰、賢賢易色、事父母、能竭其力、事君、能致其身。與朋友交、言而有信。雖曰未學、吾必謂之學矣」。同集註に、「致、猶委也。委致其身、謂不有其身也」とある。