近思録巻之四筆記

存養凡七十條  十一月廿六日  惟秀録
【語釈】
・十一月廿六日…寛政2年(1790年)11月26日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

此の近く思の合点がないと、一生学問しても目はさめぬ。町人がいくらかせいても、なぜかをれが処は身帶が上らぬと云。夫には子細なくては叶ぬ。学問に精出しても上らぬには子細がある。其事を張子が病源何にか在ると云た。時計のくるふも中に云分がある。学問を精出しても上らぬには病源がある。病源に氣を付るが近く思なり。近く思子ば、業の上に間断がなくても吾へ得ることに遠い。此の近く思は大事の処へ氣の付くことと思へ。大事の処がぬけて居ては、学問は上らぬ。名作の刀がいくら有ても、目釘がなくては歒討はならぬ。そこで近思の字は大事の処を一つ合点すること。夫は思ふからなり。孟子が不思耳と云た。心の官は思ふ。学問する人に思はぬ人はないが、爰が大事の処とつかまへて思わぬから役に立ぬ。つく々々とおもへはやすき世の中を我身となげく心なりけりは役に立ぬ処を思て、大事の処を思ふて大事の処を思ぬからなり。額に皺をよせるも吾が此処がわるいと思ふで近く思なりと聞て、いつ迠も皺をよせても上らぬものじゃが、近く思ふは皺をも伸す。とても角ても思は子ばならぬこと。
【解説】
近思という字を理解しないと、一生学問をしても上達はしない。近く思うとは、大事な処に気が付くことであり、それは思うことから始まる。心の官は思うことであり、大事な処を思うのである。
【通釈】
この近く思うの合点がないと、一生学問をしても目は醒めない。町人がいくら稼いでも、何故か俺の処は身代が上がらないと言う。身代を上げるには子細を知らなくては叶わない。学問に精を出しても上がらないのには理由がある。その事を張子が「病源何在」と言った。時計が狂うのも中に言い分があるからである。学問を精出しても上がらないのには病源がある。病源に気を付けるのが近く思うということ。近く思わなければ、業の上に間断がなくても自分に得ることに遠い。この近く思うとは、大事な処に気が付くことだと思いなさい。大事な処が抜けていては、学問は上がらない。名作の刀がいくらあっても、目釘がなくては敵討ちはできない。そこで、近思という字は大事な処を一つ合点するということ。それは思うことから始まる。孟子が「不思耳」と言った。心の官は思うこと。学問をする人に思わない人はいないが、ここがが大事な処だと掴まえて思わないから役に立たない。つくづくと思えば安き世の中を我が身と嘆く心なりけりは、役に立たたない処を思って大事な処を思わないからそう言うのである。額に皺を寄せるのも自分のこの処が悪いと思うことだから、それも近く思うことだと聞いて、いつまでも皺を寄せても上がらないものだが、近く思えば皺をも伸ばす。兎に角、思わなければならない。
【語釈】
・病源何にか在る…為学91。「病源何在」。
・目釘…刀剣の身が柄から抜けないように孔に挿す竹・銅・鉄などの釘。めぬき。
・不思耳…孟子告子章句上6。「仁義禮智、非由外鑠我也。我固有之也。弗思耳矣」。孟子告子章句上17。「孟子曰、欲貴者、人之同心也。人人有貴於己者、弗思耳」。
・心の官は思ふ…孟子告子上15。「耳目之官不思、而蔽於物。物交物、則引之而已矣。心之官則思、思則得之、不思則不得也」。
・つく々々とおもへはやすき世の中を我身となげく心なりけり…新古今集。荒木田長延。つくづくと思へば安き世の中を心と嘆くわが身なりけり
・とても角ても…いずれにしても。所詮。

今の学者は思ぬから、近思録ときいては只近思録と心得、鞭策録と聞ては只鞭策録と別々に思ふ。夫れはわるい。どちも一つことなり。近く思ふ上へ鞭をあてることなり。近思録の出来た後、さま々々後篇ありたが、旨訣を知らぬから役に立ぬ。鞭策録が近思の後篇ぞ。朱子は四先生の語て、周張二程。近く思たから近思を編みた。夫を直方先生が近く思ふて、近思をあみた朱子の語を集めて鞭策録をあみたぞ。近く思ふた上を鞭をあてた。鞭策は乘り込む処へ用ること。学問は道体形りの爲学。ずら々々なれともそこへ鞭をあて子ば役に立ぬ。只ずら々々は名人かた氣になる。人は性善じゃ、明德じゃと云ても、近く思は子ば役に立ぬ。顔子が孔子の誨をきいて不違如愚と云ても、只あい々々てはない。拳々服膺。思ふで胸へたたき込だ。さてこそ三月不違仁になりた。思たからなり。そこでいつも云通り、近思の二字には先日御目にかかりた、最ふよいと云てはすまぬ。一度々々に丁寧に見るが近思なり。
【解説】
今の学者は思わないから近思録と鞭策録とを別なものと思うが、朱子は四先生の語で近く思って近思録を編み、直方先生は朱子の語を近く思って鞭策録を編んだのであって、両方共に近く思ったものなのである。顔子も「不違如愚」と孔子が言ったものの、実は「拳々服膺」で近く思っていたのである。
【通釈】
今の学者は思わないから、近思録と聞けばただ近思録のことだと心得、鞭策録と聞けばただ鞭策録のことだと別々に思うが、それは悪い。どちらも同じことで、鞭策録は近く思う上に鞭をあてること。近思録のできた後は様々な後篇があったが、旨訣を知らないからそれ等は役に立たない。鞭策録が近思の後篇である。朱子は四先生の語で、周張二程のこと。近く思ったから近思を編んだ。それを直方先生が、近く思って近思を編んだ朱子の語を集めて鞭策録を編んだのである。近く思った上に鞭をあてた。鞭策は乗り込む処へ用いること。学問は道体の通りの為学。それはすらすらとしたものだが、そこへ鞭をあてなければ役に立たない。ただすらすらでは名人気質になる。人は性善だ、明徳だと言っても、近く思わなければ役に立たない。顔子が孔子の教えを聞いて「不違如愚」と言っても、ただはいはいと言っていたのではない。「拳々服膺」である。思うことで胸へ叩き込んだ。それでこそ「三月不違仁」になったのであり、それは思ったからである。そこでいつも言う通り、近思の二字には先日御目に掛かったからもうよいと言うのでは済まない。その度毎に丁寧に見るのが近思である。
【語釈】
・不違如愚…論語為政9。「子曰、吾與囘言、終日不違如愚。退而省其私、亦足以發。囘也不愚」。
・拳々服膺…中庸章句8。「子曰、囘之爲人也、擇乎中庸、得一善、則拳拳服膺、而弗失之矣」。
・三月不違仁…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。

存養の字の出處を云へば孟子の存心養性の字なり。天から拜領の性はどこに宿りておると云に、心に宿りておる。心は性の入物なり。そこで心を存すれば性が羪るる。学問のつかまへ処は爰の処なり。性と心はいつも云通り、酒と德利なり。酒屋が德利をよく滌ぐは中の酒をよくせふとてのこと。德利がくさければ、中の酒に移り香がする。直方先生の云通り、性は律義なもの、心は道樂なもの。道楽なものと一つに居るから律義なものもゆだんがならぬ。今の学者が心を存せぬから中の性もわるくなる。樽を振り散らかすで中の酒はみんなになる。存羪はこやしなり。存羪を知ら子ば、仁義礼智を天から貰ひ捨にしておくのぞ。人には仁義礼智があると大ひ皃をしても、貰ひ捨で肥しをせぬは役に立ぬ。某か菊も松敬がくれたが、貰捨でこやしをせぬから花がよくない。松敬は肥をするから花見に客もある。仁義礼智のよくなるもわるいも手をき次第なり。操則存捨則亡。そこで存養が入る。
【解説】
存養の出処は孟子の「存心養性」であり、性は心に宿る。そこで心を存すれば性が養われる。直方は、性は律儀なもので心は道楽なものだと言った。道楽なものと一緒にいるから律儀なものも油断がならないのであり、心を存養しないと中の性も悪くなる。存養は心の肥やしであり、それで中の性もよくなる。
【通釈】
存養の字の出処を言えば孟子の「存心養性」の字である。天から拝領の性は何処に宿っているのかと言えば、心に宿っている。心は性の入れ物。そこで心を存すれば性が養われる。学問の捉まえ処はここの処である。性と心とはいつも言う通り、酒と徳利である。酒屋が徳利をよく濯ぐのは中の酒をよくしようとしてのこと。徳利が臭ければ、中の酒に移り香がする。直方先生の言う通り、性は律儀なもの、心は道楽なもの。道楽なものと一緒にいるから律儀なものも油断がならない。今の学者が心を存養しないから中の性も悪くなる。樽を振り散らかすので中の酒は台無しになる。存養は肥やしである。存養を知らなければ、仁義礼智を天から貰い捨てにして置くことになる。人には仁義礼智があると大きい顔をしても、貰い捨てで肥やしをしなければ役に立たない。私の菊も松敬がくれたものだが、貰い捨てで肥やしをやらないから花がよくない。松敬は肥やしをするから花見の客もある。仁義礼智のよくなるのも悪いのも手置き次第である。「操則存捨則亡」。そこで存養が要る。
【語釈】
・存心養性…孟子尽心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。妖壽不貳、修身以俟之、所以立命也」。
・松敬…
・操則存捨則亡…孟子告子章句上8。「孔子曰、操則存、舍則亡。出入無時、莫知其郷」。
・手をき…手置き。常に心を用いて取り扱っておくこと。

性は垩凡同じ目方に下されたものなれども、羪でよくもわるくもなる。存羪がなければよいものもよいに立ぬ。直方曰、どのやうなことでも草木は土を離れてはならぬ。人の性も存羪と、こやしなければつや々々とせぬ。土を離れたから正月の松飾り三日すぎると竹の葉ががさ々々する。凡人を今垩賢が見たら、さて々々見られぬざまと云はふ。存羪せぬから心がぐはら々々々する。柯先生が漢唐之間非無知者非無行者只無此存羪也と云た。漢唐はあの通り学者は盛なれとも作り花なり。色つやがない。存羪を知らぬからなり。漢唐の絶学を継くと云も外のことではない。存羪のあることなり。文字訓詁表向き一と通りのことはをもいことでも間に合ふものなれとも、中に及れぬことがある。かるい者が大名の服を借て着ても、日頃の下卑でどふも上品に及れぬ。大名は日頃の存羪で上品なり。これがいやと云れぬこと。長﨑屋源右ェ門が処へ阿蘭陀人見に大名の御隠居が近習をつれて忍んでゆきたれば、阿蘭陀人が今日の諸人の中には歴々が一人あると云たなり。大名は居風呂を上るときでも知れること。名のらずに知るる。上品なり。存羪もそれなり。
【解説】
天から与えられた性は人によっての差はないが、存養によってよくも悪くもなる。草木と土との関係の様に、人の性も存養という肥やしで艶々とする。漢唐は学問が盛んだったが存養がなかったので艶がない。上品な者と下卑た者とに歴然とした違いがあるのも存養による。
【通釈】
性は聖人も凡人も同じ目方で下されたものだが、養でよくも悪くもなる。存養がなければよいものもよいものとして立たない。直方が、どの様なことでも草木は土を離れては悪いと言った。人の性も存養という肥やしがなければ艶々としない。土を離れるから、正月の松飾りも三箇日が過ぎると竹の葉ががさがさとする。凡人を今聖賢が見たら、全く見られた様ではないと言うだろう。存養をしないから心が揺れ動く。柯先生が「漢唐之間非無知者非無行者只無此存養」と言った。漢唐はあの通りで学者は盛んだったが造花である。色艶がない。それは存養を知らないからである。漢唐の絶学を継ぐと言うのも外のことではない。存養があるということ。文字訓詁などでも、表向きのことは重い事でも一通りは間に合うものだが、中には及べないことがある。軽い者が大名の服を借りて着ても、日頃の下卑でどうも上品になれない。大名は日頃の存養によって上品である。これが否定することのできないこと。長崎屋源右衛門の処へオランダ人を見に大名の御隠居が近習を連れて忍んで行くと、オランダ人が今日の諸人の中には歴々が一人いると言った。大名は居風呂をあがる時でさえもわかる。名乗らなくてもわかる。それは上品だからである。存養もそれと同じである。
【語釈】
・漢唐之間非無知者非無行者只無此存羪也…近思録序。「漢唐之間非無知者也。非無行者也。但未曽聞存養之道」。
・漢唐の絶学を継く…為学95。「爲天地立心、爲生民立道、爲去聖繼絶學、爲萬世開太平」。
・長﨑屋源右ェ門…長崎屋源右衛門。江戸日本橋本石町3丁目の彼の家はオランダ人の定宿だった。

存羪のある学問は体がちごふ。存羪ないと学問がよそ々々しくなる。存羪はこちへ得る処で云。それがないなれば、いくら学問しても異見を名代できくやふなもの。伯父の呼ひつけたに手代をやりては身に切付けぬ。異見は皃と皃を合せるでよくきくもの。それも裏へしみこませるのなり。存羪なければ精彩[つや]滋味[あんばい]がない。知と云ても帳靣に付た様、行と云ても歯を喰しばってした様になる。存羪で二つの者がふっくりとなる。致知と克己の間にをいたがそこの処ぞ。今日の列席にも存羪は始て聞たものもあろふが、それでなしとも致知が先日すんで今日から存羪と思ふは不案内なり。道体も為学もそばを通りた様では役に立ず、致知にも存羪は入る。この跡の克己にも存羪が入るが、何も角も一とくるめにしての存羪なり。いつも云通り、小学の教からが存羪なり。八歳から小学校へ入れておくで別の人になる。そこでじきに大学の致知へうつらるる。大学のつっかかりは致知なれとも、前に小学と云羪がある。致知の魂にも克己の魂にも存羪がなる。そこで致知も誠意もなりたもの。
【解説】
存養は自らが得てするものであり、存養によって精彩や滋味が出てふっくりとなる。道体も為学も傍を通っただけでは役に立たない。また、致知にも克己にも存養は係わっていて、何にでも存養が入る。
【通釈】
存養のある学問は模様が違う。存養がないと学問がよそよそしくなる。存養は自分に得る処で言う。それがないのなら、いくら学問をしても異見を名代が聞く様なもの。伯父が呼び付けたのに、手代を遣っては身に切り付かない。異見は顔と顔とを合わせるのでよく効くもの。それも内へ染み込ませるのである。存養がなければ精彩や滋味がない。それでは、知と言っても帳面に付ける様で、行と言っても歯を喰いしばってする様なことになる。存養で二つのものがふっくりとなる。致知と克己の間に存養を置いたのはそのためである。今日の列席にも存養は初めて聞いた者もあるだろうが、それでなくても致知が先日済んで今日から存養と思うは不案内である。道体も為学も傍を通っただけでは役に立たない。致知にも存養は入り、この後の克己にも存養が入るのであって、何でも一括めにしての存養である。いつも言う通り、小学の教えからして存養である。八歳から小学校へ入れて置くので格別の人になる。そこで直に大学の致知へ移ることができる様になる。大学の取っ掛かりは致知だが、前に小学という養がある。致知の魂にも克己の魂にも存養がなる。そこで、致知も誠意も存養が成ったものなのである。

さて、此存羪と云字を一と口に云へば敬なり。その敬はどのやうなものと云に、心をはっきりとすること。心がゆるむと夫から様々なわるいことが出て来る。ゆるみなく、ぐる々々生てはたらくなれば、わるくはならぬ。天水桶の水はよとみだからくさる。流水はくさらぬ。人の心も張弓なればくさらぬ。いつも々々々さうするが存羪なり。孔子の逝者如斯乎不舎昼夜。なせ敬たと云に往者過来者續きの、純亦不已のと云て、しまいに其要只在謹獨と云た。謹獨は敬。敬は間断ないこと。道体が間断ないから、為学も間断ないとぎり々々へつめたもの。その中へ這入て見ると、敬とも存羪とも云なり。心を張弓にしておけはいきて来る。そこでこそ仁義礼智が本とのものになる。存羪は、十四篇の中の皆いきものになること。
【解説】
存養を一口に言えば敬であり、敬とは心をはっきりとさせて緩ませないことである。孔子の「逝者如斯乎不舍昼夜」を敬のことだと言ったのは、集註に「其要只在謹独」とあることでもわかる。謹独は敬であり、敬に間断はない。道体にも間断はなく、為学にも間断はない。
【通釈】
さて、この存養という字を一口に言えば敬である。その敬とはどの様なものかと言えば、心をはっきりとすること。心が緩むとそれから様々な悪いことが出て来る。緩みなく、ぐるぐる活きて働けば悪くはならない。天水桶の水は澱んでいるから腐る。流水は腐らない。人の心も張弓であれば腐らない。いつもそうするのが存養である。何故、孔子の「逝者如斯乎不舍昼夜」を敬と言うのかと言うと、「往者過来者続」や「純亦不已」と言って、最後には「其要只在謹独」と言ったことでわかる。謹独は敬。敬は間断のないこと。道体には間断がないから為学にも間断はないと至極へ詰めたもの。その中へ這い入って見ると、敬とも存養とも言う。心を張弓にして置けば活きて来る。それでこそ仁義礼智が本のものとなる。存養とは、近思録十四篇の中の全てが活き物になること。
【語釈】
・張弓…弦をかけて張った弓。また、その形をしたもの。
・逝者如斯乎不舎昼夜…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」。
・往者過来者續き…論語子罕16集註。「天地之化、往者過、來者續」。
・純亦不已…論語子罕16集註。「及其至也、純亦不已焉。又曰、自漢以來、儒者皆不識此義。此見聖人之心、純亦不已也。純亦不已、乃天德也」。
・其要只在謹獨…論語子罕16集註。「有天德、便可語王道。其要只在謹獨」。


初条

或問、聖可學乎。濂渓先生曰、可。有要乎。曰、有。請問焉。曰、一爲要。一者無欲也。無欲則靜虚動直。靜虚則明、明則通。動直則公、公則溥。明通公溥、庶矣乎。
【読み】
或ひと問う、聖は學ぶ可きか、と。濂渓先生曰く、可なり、と。要有りや、と。曰く、有り、と。請問す、と。曰く、一を要と爲す。一とは無欲なり。無欲ならば則ち靜なるとき虚にして動なるとき直なり。靜なるとき虚ならば則ち明らかに、明らかなれば則ち通ず。動くとき直ならば則ち公にして、公ならば則ち溥[あまね]し。明通公溥ならば、庶からん、と。
【補足】
・この条は、周濂渓の通書聖学篇にある。

或問云々。これが通書の語なり。問答の記録でないが定て自問自答でもあろふ。されとも問人のあるまいとも云はれぬ。李初平なそ問たかも知れぬ。問そうな老爺なり。垩可学乎。只のものの問ふはうそ々々しい。此様な問は子ともが高ひ学者でなくては云ふまい。今のものは好学論の学以至乎垩人之道と聞ても看板に計りかける。俗学は石の吸物じゃとをもふ。今時の学者は垩人に至るときいても心元ないと思ふが、曽てそうないこと。道があいてをる。可也とは、いかにもと云こと。爰へ僅可而未盡の詞と出すとちがいなり。むむと云やうなもの。あの方で伺書の下け札に可と云字が書てをりる。ききとどけたと云こと。さうじゃ、学れるとも云こと。有要乎はつかまへ処をきくこと。請問がいよ々々所望な文字なり。
【解説】
「或問、聖可學乎。濂渓先生曰、可。有要乎。曰、有。請問焉」の説明。今の者は好学論の「学以至乎聖人之道」と聞いても、それを看板に掛けるだけで心許なく思うが、聖人への道は開いているのである。「可也」とは、その通りだということ。「有要乎」は、掴まえ処を聞くこと。
【通釈】
「或問云々」。これは通書の語である。問答の記録はないので、きっと自問自答したのだろう。しかし、問う人がいなかったとも言えない。李初平などが問うたかも知れない。彼は問いそうな老爺である。「聖可学乎」。凡人の問いははっきりとしないものだから、この様な問いは子供か高い学者でなくては言わないだろう。今の者は好学論の「学以至乎聖人之道」と聞いても、それを看板に掛けるだけ。俗学はそれを石の吸物だと思う。今時の学者は聖人に至ると聞いても心許ないことだと思うが、決してそうではない。道が開いている。「可也」とは、いかにもということ。ここは「僅可而未尽」の言葉として出すのとは違う。その通りだと言う様なもの。あの筋では伺書の下げ札に可という字が書かれて裁可が下りる。聞き届けたということ。そうだ、学ぶことができるということ。「有要乎」は、掴まえ処を聞いたこと。「請問」と言うのが、いよいよ所望する時の文字である。
【語釈】
・李初平…
・石の吸物…食えないから、役に立たないという意か?
・僅可而未盡…論語学而15集註。「可者、僅可而有所未盡之辭也」。雍也1集註にもある。
・下け札…下紙。公文書などに貼り下げて意見・理由などを書きつけた紙。

曰一為要。爰が殊外大事な語なり。周子の云ことなぞはいつも道体も為学もつり合なことを云。垩賢の語には噛んで喰せるやうなこともあるが、周子は殊の外もげて簡古に出たもの。されとも、妙なことには道体形りな為学のつり合を云のなり。今道中をするものはしたたかなものをもてゆく。垩人は殊の外遠ひ道中なれとも、道具は邪魔になる、入らぬと頓と純一に雜らぬ処をさして示したもの。垩可学乎の答ゆへ、次第楷級揃へて工夫を示さうなものをさうなく、本来の本然形りを示たもの。本来は只一じゃとなり。油皿に胡麻ほど水がありてもはやは子る。一は雜りのないこと。だたい人の本然には雜りはなく、垩人の通りにして渡したもの。雜りがなければ垩人のとをりなり。すれば学ぶのなろふの処ではない。色々なものさへ入れ子ば早垩人に行く支度なり。それに凡夫は浅間しいもので、色々な心がある。子産が人心不同如人面とはよくも云たが、程子がそれを只是私心と云れた。本とはかわることはないもの。そこをつかまへて一と示した。雜りさへ取てのければ垩人の方へはや乘り出したのなり。
【解説】
「曰、一爲要」の説明。聖人に至るには純一であって雑りがないことが必要である。人の本然の姿は「一」であり、一は雑りのないもの。人の本然は聖人の通りだから、雑りを除けば聖人へと向かう一歩になる。
【通釈】
「曰一為要」。ここが殊の外大事な語である。周子の言うことなどは、いつも道体にも為学にも釣合ったことを言う。聖賢の語には噛んで喰わせる様なこともあるが、周子は殊の外省略して簡古に出した。しかし、妙なことにはそれで道体の通りの為学という釣合を言っているのである。今道中をする者は沢山の物を持って行く。聖人は殊の外遠い道中だが、道具は邪魔になるものだ、要らないものだと完全に純一で雑らない処を指して示したもの。これは「聖可学乎」の答えなので次第階級揃えて工夫を示しそうなものを、そうではなく、本来の本然の姿を示したもの。本来はただ「一」だと言った。油皿に胡麻ほどの水があっても直ぐに跳ねる。一は雑じりのないこと。そもそも人の本然には雑じりはなく、聖人の通りにして渡したもの。雑じりがなければ聖人の通りとなる。それなら学べば聖人になるだろうと言う処のことではない。色々なものさえ入れなければ早聖人に行く支度となる。しかし、凡夫は浅ましいもので、色々な心がある。子産が「人心不同如人面」とはよく言ったが、程子はそれを、「只是私心」と言われた。本は変わることはないもの。そこを掴まえて一と示した。雑じりさえ取って除ければ、既に聖人の方へ乗り出したことになる。
【語釈】
・簡古…簡単で古色をおびていること。
・子産…春秋、鄭の大夫。公孫僑。東里の子産とも言われ、国僑と称せられる。晋楚の間にあってよく内外を治めた。
・人心不同如人面…左伝。襄公31年。「人心之不同也、如其面焉」。
・只是私心…道体27。「伊川先生曰、公則一、私則萬殊。人心不同如面、只是私心」。

一無欲。上の句の一を要とすとつまり同しことなれとも、一を要とすは純一な塲を示したこと。下の一は無欲は畢竟ずる処、一と云は無欲な事じゃと、一と云ても無欲と云て別なことではないとなり。是か爰で計り周子の斯ふ云たでなく、太極圖の主靜立人極の下の小書にも無欲故靜と云た。爰等が大事の見所なり。陸象山が太極圖説を似せものと云て、通書を難有がる。目の届ぬなり。爰も圖説も同こと。某がこのころ心付たことがある。通書の注、ここの処にあぢな太極兩儀を出され、入らぬ註を朱子のかけられた様たが、まさしく陸子へあてた用心とも云れぬが、そんな塩梅有と見ようことぞ。そこて一は太極也。凡そ雜るは二つなり。君に忠、親に孝と云は一な処。雜るとああ靣倒と云。夫が不忠不孝なり。一なればそんなことはない。君父を大事ともをもふ。又面倒なとも思ふ。雜りなり。君父の忠孝は性の本然から。だたい知たことなれとも、そうならぬは人欲なり。そこで楊亀山が人欲非性と云た。あの亀山の語は斯ふはめてみることぞ。一を要とす。其一は無欲。さればこそ人欲は非性。斯ふをとすことぞ。主靜立人極も欲と云ざっかけない。きたないものを取てのければ本体なりぞ。それが人の太極ぞ。そこが垩人の方なり。大学の三綱領の註に去舊染之汚とある。穢れがなくなると天から拜領の顔になる。泥まぶれなればきたない。そっちへゆけと云。泥を洗て来れば垩人がそこにをれと云。欲がないと太極の本体、仁義礼智の本然になる。欲さへなければよいとなり。いわれをきけば靣白やは爰のことぞ。垩凡共に拜領の処ではかけはないが、凡夫は欲でへらす。堯舜のよいと云は無欲なり。垩人と云大そうなものを、欲さへなければ斯ふしゃとよむが近く思はせるのぞ。
【解説】
「一者無欲也」の説明。「一為要」は純一な場を示したもので、「一者無欲」の一は無欲なことであり、つまりは同じく太極のことである。雑じると、たとえば忠孝にも不忠不孝が加わって二つになる。そうなるのは人欲からである。楊亀山は「人欲非性」と言ったが、一は無欲だから、そこで人欲は性ではないのである。堯舜がよいのは無欲だからであって、聖人には欲さえなければなれると読むのが近く思うことである。
【通釈】
「一無欲」。上の句の「一為要」と結局は同じことだが、一為要は純一な場を示したことで、ここの一無欲は、詮じ詰めれば一とは無欲なことだと言ったこと。一と言っても無欲のことであって、それ等は別なことではないと言ったのである。これは周子がここだけでこの様に言ったものではなく、太極図の「主静立人極」の下の小書にも「無欲故静」と言っている。ここ等が大事な見所である。陸象山が太極図説を似せ物だと言って通書を有難がる。それは目が届かないのである。ここも図説も同じこと。私はこの頃気付いたことがある。妙なことに、通書の注でここの処に「太極両儀」を出された。不要な註を朱子が掛けられた様だが、それはまさに陸子に対する用心からだとも言えないが、そんな塩梅もあると見るべきである。そこで、一とは太極なのである。凡そ雑じるのは二つだからである。君に忠、親に孝というのは一である。雑じるとああ面倒だと言う。それが不忠不孝である。一であればそんなことはない。君父を大事とも思う。逆に、面倒だとも思うのは雑じりである。君父の忠孝は性の本然からとは、そもそも知れたことだが、そうならないのは人欲があるからである。そこで楊亀山が「人欲非性」と言った。あの亀山の語はこの様に嵌めて見るのがよい。一為要の一は無欲。それでこそ人欲は非性。この様に落とすのである。主静立人極も欲という雑欠けはないのであって、汚いものを取って除ければ本体の姿となる。それが人の太極であり、そこが聖人への手法である。大学の三綱領の註に「去旧染之汚」とある。穢れがなくなると天から拝領の顔になる。泥まみれなら汚いからそっちへ行けと言われ、泥を洗って来れば聖人がそこに居れと言う。欲がないと太極の本体、仁義礼智の本然になる。欲さえなければよいと言った。謂われを聞けば面白いとはここのこと。聖凡共に拝領の処に欠けはないが、凡夫は欲で減らす。堯舜がよいと言うのは無欲だからである。聖人という大層な者には、欲さえなければなれると読むのが近く思わせること。
【語釈】
・畢竟ずる…詮じ詰める。
・人欲非性…朱子語類。「龜山言、天命之謂性。人欲非性也。天命之善、本是無人欲、不必如此立説。知言云、天理人欲、同體而異用、同行而異情。自是它全錯看了」。
・去舊染之汚…大学章句1集註。「言既自明其明德、又當推以及人、使之亦有以去其舊染之污也」。

靜虚動直は体用を語りたもの。靜は発らぬ。動はをこりた処。靜は体、動は用なり。爰の虚直の字を殊の外了簡合をつけるが、爰へ了簡合をつけるとちごう。虚と云は一形りなこと。一が太極なりゆへ、中へ餘のものが這入らぬから虚なり。無病は虚ひぞ。病は外から這入たもの。後藤左一が諸病積と云た。人は先天の氣を後天の氣で羪ておるもの。羪よければ血氣がすら々々めぐりて病は入らぬ。人の本来形りに逗留はない。人欲と云ものて滞ると、仁義礼智に風があたりて病む。一なれば病まぬ。餘のものが這入ると病むなり。直とは虚な形りを云。虚と云も直と云も餘のものの入らぬこと。ぎくしゃくとつかへぬさわりのない処が直ぞ。文字はよみにくいもの。虚と聞て青空を見、直と云と竿を立たやうに思ふが、そんなことでない。只餘のものの雜らぬこと。一は無欲と云一の字を、どこがどこ迠も虚へも直へも出してみること。虚も直も理の外のものがない。理の外なものがあるとすらりと出ぬ。藝術の師がすらりとすらりとと云かよいこと。其木刀をもってずっとござれ々々々々々々と云。其ずっとがならぬもの。虚でなければすっとゆかれぬ。ずっとが虚直の形りなり。利休が、なんのことはない、抦杓ですっと酌めと云が、それがならぬ。抦杓を握りつめるか落とすかなり。握りもつめずをとしもせぬ。そこがすらりなり。
【解説】
「無欲則靜虚動直」の説明。静は未発で動は已発、静は体で動は用である。虚とは一の通りのことで、一は太極なので、中へ他のものが這い入らないから虚なのである。また、直は虚な姿を言い、これもまた他のものが這い入らず、すらすらと行くこと。虚にも直にも中に理外のものはない。
【通釈】
「靜虚動直」は体用を語ったことで、静は発らず、動は発った処。静は体で動は用。ここの虚直の字に殊の外了簡合わせを付けたがるが、ここへ了簡合あわせを付けるのは間違いである。虚とは一の通りのこと。一は太極なので、中へ他のものが這い入らないから虚なのである。無病は虚である。病は外から這い入ったもの。後藤左一が諸病積むと言った。人は先天の気を後天の気で養うもの。養がよければ血気がすらすらと巡って病は入らない。人の本来の姿に逗留はない。人欲というもので滞ると、仁義礼智に風が当たって病む。一であれば病まない。他のものが這い入ると病むのである。また、直とは虚な姿を言う。虚も直も他のものが入らないこと。ぎくしゃくと支えず、障りのない処が直である。文字は読み難いもので、虚と聞けば青空を見、直と言えば竿を立てた様に思うが、そんなことではない。ただ他のものが雑じらないこと。一者無欲也の一の字を、何処までも虚へも直へも出して見ること。虚も直も理外のものはない。理の外のものがあるとすらりと出ない。芸術の師がすらりとすらりとと言うのがよいこと。その木刀を持ってずっと来なさいと言う。そのずっとができないもの。虚でなければずっとは行けない。ずっとが虚直の姿である。利休が、何でもない、柄杓ですっと酌めと言うが、それができない。柄杓を握り締めるか落とすかしてしまう。握り締めもせず落としもしない。そこがすらりである。
【語釈】
・後藤左一…後藤艮山。名は達。字は有成。俗称は左一郎。養庵とも号した。1659~1733

さて、通書はよみにくいもの。周子が通書に中は和なりと云てある。中と和を一つに云と未發を知らぬ様に思はるるが、そうしたことでない。爰の靜虚は未發、中。動直は已發、和なり。中庸は傳授の心法。爰を周子の知らぬ筈はない。爰を知ら子ば根がない。不傳の学を遺經に継だと云ても、ここを得子は、寺をひらか子ばならぬ。中は和なりと云ても、中庸を知た証拠は爰ぞ。虚は未発の中なり。動直は節に中るの和なり。直と和は文字訓詁の上ではいかう違った字なれとも、道理形りにすらりと出た処の向へ行届たは和なり。上手指物屋のひき出しひづまぬは直なり。ひつまぬからぐあひよいは和なり。一つにをつるぞ。
【解説】
周子が通書で「中也者和也」と言ったが、ここの静虚は未発の中で、動直は已発の和のこと。静虚は未発の中であり、動直は節に中る和である。道理の通りにすらりと直に出た処が向こうへ行き届いたのが和である。
【通釈】
さて、通書は読み難いもの。周子が通書で「中也者和也」と言っている。中と和を一つのこととして言うと未発を知らない様に思えるが、そうしたことでない。ここの静虚は未発の中で、動直は已発の和である。中庸は伝授の心法。ここを周子が知らない筈はない。ここを知らなければ根がない。不伝の学を遺経に継いだとは言っても、ここを得なければ寺を開かなければならない。中也者和也とは言っても、中庸を知った証拠はここにある。静虚は未発の中であり、動直は節に中る和である。直と和は文字訓詁の上では大層違った字だが、道理の通りにすらりと直に出た処が向こうへ行き届いたのが和である。上手な指物屋の引出しが歪まないのは直であり、歪まないから具合がよいのは和である。そこで、一つに落ちる。
【語釈】
・中は和なり…通書師弟篇。「惟中也者、和也、中節也、天下之逹道也、聖人之事也」。
・不傳の学を遺經に継だ…

靜虚則明明則通。さてこれか重疂なことには、中庸の誠則明矣明則誠矣からして、凡そ子思の誠を語た処の句ぶりぞ。さて、靜虚動直と体をすへておいて、靜虚は道理のてりぬくこと。動直は其れなりのづっと出たこと。今日の人は未發ががくそくするから已発がよくない。迂斎曰、昼の内あくせく欲をかくから、夢に迠欲なことを見る。それでは明通ではない。どちどふしてもたまらぬ。凡夫は不断まっ黑に堅まる。大学或問にある昏蔽之極ぞ。明と通は二つてはなし。通は明の至極ぞ。日の照るは明なり。納戸のすみ迠明るいは通なり。公は一なりに出て私がない。片々でないこと。唐の玄宗が兄弟中はよかりたが、好色で夫婦の間は乱離なり。公ではないことは悲ひもの。夫婦の間の乱れから、可愛と思ふ子を殺した。一色のよいは公でない。直方曰、氣質のよいは凍雨[ゆうたち]のやうなもの。馬の背をわけると云。此村は降らぬと云。凡夫の形りが片々明るくても、片々はくらい。氣質に公はないもの。ここらは氣質の性から垩人の田地へ行く咄しなり。
【解説】
「靜虚則明、明則通。動直則公」の説明。静虚は道理の照り抜くことで、動直はその通りにずっと出たことだが、今日の人は未発が揺らぐから已発がよくない。明と通は別なものではない。通は明の至極である。日が照るのは明で、納戸の隅まで明るいのは通である。公は一の通りで私がないこと。一方だけがよいのは公ではない。そこで、気質は公ではない。
【通釈】
「靜虚則明明則通」。さてこれが重畳なことには、中庸で「誠則明矣明則誠矣」と子思が誠を語った処と凡そ同じ語振りである。さて、静虚動直と体を据えて置き、静虚は道理の照り抜くことで、動直はその通りにずっと出たことだと言う。今日の人は、未発が揺らぐから已発がよくない。迂斎が、昼の内にあくせくと欲を掻くから、夢にまで欲を見ると言った。それでは明通でなく、どうしても堪らない。凡夫は絶えず真っ黒に堅まっているが、それが大学或問にある「昏蔽之極」である。明と通とは別なものではない。通は明の至極である。日が照るのは明で、納戸の隅まで明るいのは通である。公は一のままに出て私がないこと。それは片方だけではないということ。唐の玄宗は兄弟仲はよかったが、好色で夫婦の間は乱離骨灰だった。公ではないことは悲しいもので、夫婦の間の乱れから、可愛いと思っていた子を殺した。一色だけがよいのは公でない。直方が、気質のよいのは夕立の様なもので、馬の背をわけるのと同じだと言った。この村は降らないと言う。凡夫の姿は片方が明るくても、もう一方は暗い。気質に公はない。ここ等は気質の性から聖人の領分へ行く話である。
【語釈】
・誠則明矣明則誠矣…中庸章句21。「自誠明謂之性。自明誠謂之敎。誠則明矣。明則誠矣」。
・昏蔽之極…大学或問。「然而本明之體得之於天、終有不可得而昧者。是以雖其昬蔽之極、而介然之頃一有覺焉、則即此空隙之中而其本體已洞然矣」。
・馬の背をわける…馬の背の片方には雨が降り、片方には降らぬ意で、夕立などが、ごく近い区域でここには降り、あそこには降らぬさまにいう。

溥と云は、爰は日中に成りた、こちらの村では夜は明けぬと云ことはない。溥はどこへも彼しこへも行わたること。それから見れば、人君の出頭人だの、御氣に入りだのと云が浅間しいこと。人道は天地と合は子ばならぬ筈。氣に入りの子だの、氣に入りの家頼じゃのと云ことも、其人のよいわるいでありもすれとも、為人君止於仁。そんなことはない筈。大名の庭を照る日の、掃き溜を照る日のと云別はない。これ見よ。此章は道体形りの為学じゃ。明通公溥はなんと垩人ではあるまいかやとなり。此に工夫はないが、此の通り純一に雜りがないと明通公溥になる。夫を心がけろと云こと。朱子が、此章は至て明白で注にも及ぬと云た。成程、一を為要と云て、一は無欲。段々跡を説たから注も入らぬと云やうなもの。学者に吾が手につかまへて這入れと云こと。朱子の注解入らぬと云たがすぐに注なり。そこをよく合点せふこと。一を要と云け出しから、次第階級そろへて云た。すれば爰はすみよいと云はふこと。通書と太極圖説はすみにくいもの。夫れをすみよいと云ふたはわけがある。吾が方でするより外はないと云こと。すれば此章を靣白く讀むの、靣白くきいたのなぞと云は、朱子の思召に叶ぬ。一を要とすときいたら、今夜から夫をすることぞ。そこが近く思ふなり。かるいことにも一はある。人にものを云とても鴬聲、親切だて。人に面白ひ人と思れたいのと云は、はや雜りなり。
【解説】
「公則溥。明通公溥、庶矣乎」の説明。「溥」とは、どこへも行き渡ることで、贔屓はない。純一で雑りがないと「明通公溥」になるのであって、ここを心掛けるのである。それは自らで行うことである。
【通釈】
「溥」とは、ここは昼間になったが、こちらの村ではまだ夜が明けていないなどということはないのと同じ。溥は何処へも行き渡ること。それから見れば、人君の出頭人だの、御気に入りだのというのが浅ましいこと。人道は天地と合わなければならない筈。気に入りの子だの、気に入りの家来だのと言うことも、その人のよい悪いでそうなったりもするが、「為人君止於仁」であって、そんなことはない筈。大名の庭を照る日と掃き溜めを照る日とに違いはない。それを見なさい。この章は道体の通りの為学である。「明通公溥」は何と聖人らしいことではないかと言ったのである。ここに工夫はないが、この通りに純一で雑じりがないと明通公溥になる。それを心掛けなさいということ。朱子が、この章は至って明白で注をするにも及ばないと言った。なるほど、「一為要」と言って、「一無欲」と段々にその後を説いたのだから注も要らないと言う様なもの。自分の手で掴まえて這い入れと学者に言ったのである。朱子が注解は要らないと言ったのが直に注である。そこをよく合点しなさい。一為要と言う蹴出しから、次第階級を揃えて言った。そこで、ここは済みよいと言うことができる。通書と太極図説は済み難いもの。それを済みよいと言ったのにはわけがある。それは、自分でするより外はないということ。そこで、この章を面白く読むとか、面白く聞いたなどと言うのは朱子の思し召しに叶ったことではない。一為要と聞けば、今夜からそれをする。そこが近く思うことなのである。軽いことにも一はある。人にものを言うにも鴬声で親切ごかし、人に面白い人と思われたいなどと言うのは、はや雑じりである。
【語釈】
・出頭…立身出世や主君の寵愛において、他よりまさっていること。
・為人君止於仁…大学章句3。「爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信」。

垩人は心の形りが向に出ること一也。只のものはまじる。時分なら茶漬を参れと云ても、一でないのは靣白ふない。俗に云ふ海道茶漬なり。旅の見送りに折角御無事で皈らしゃれと云ても、子の初旅ほどてはない。一ではない。夫をばそれにしておいて、別に垩人になる稽古をしたがる。さて々々いやなことなり。女房ほど親いものはないが、凡夫は夫婦の中にも魚鱗鶴翼がある。奉公人をやれ大事の、よふ出来たのとほめるも仕業に精を出させるため。その端的は盗人なり。朱子の陳安郷に、道を学ひ仁義をなすの盗人ありと云れた。安郷をあてたことなれとも、さうも思ふまいが、雜る処が盗人なり。口上の内に蔭日當があれば、地獄へ落るの種なり。大学の誠意を人鬼の關と云も、俗に云地獄極樂の境と云こと。誠は一也。存養の始めに一と云ことを云が靣白ひ。これが垩人になる稽古になる。稲寺滿願寺に水が一滴入ても一とは云れぬ。中庸の誠と云も此の一のことなり。
【解説】
聖人は心と行為とが一つになっているが、凡人の心は雑じるから一でない。それを放って置いて聖人になる稽古をするのは悪い。雑じりがある例は盗人で、朱子は道を学び仁義を為す盗人がいると言われた。心を一にすることが重要であり、中庸の誠もこの一のこと。
【通釈】
聖人は、その心の姿が向こうに出たことと一つになっている。凡人の心は雑じる。頃合いだから茶漬を食べろと言っても、一でない者の心は面白くない。俗に言う街道茶漬である。旅の見送りにきっと御無事で帰って来いと言っても、それは子の初旅ほどのことではなく、一ではない。それを放って置いて、別に聖人になる稽古をしたがるが、それは本当に嫌なこと。女房ほど親しいものはないが、凡夫は夫婦の中にも諍いがある。奉公人をやれ大事だとか、よく出来たなどと褒めるのも仕業に精を出させるため。その端的は盗人である。朱子が陳安卿に、道を学び仁義を為す盗人がいると言われた。安卿に当てて言ったことだが、そう思わないで雑じる処が盗人なのである。口上の内に陰日向があれば、地獄へ落ちる種となる。大学の誠意を人鬼の関と言うのも、俗に言う地獄極楽の境ということ。誠は一である。存養の始めに一ということを言うのが面白い。これが聖人になる稽古となる。稲寺や満願寺に水が一滴入っても、一とは言えない。中庸の誠もここにある一のことである。
【語釈】
・海道茶漬…街道湯漬。街道筋などで旅人に供する簡単な湯漬飯。海道湯漬。
・魚鱗鶴翼…陣形。魚鱗は、魚の鱗の様な形に並ぶもの。人字形で、中央部を敵に最も近く進出させる。鶴翼は、鶴が左右のつばさを張ったように、敵兵を中にとりこめようとする陣形。両翼に鉄砲隊を配置。
・陳安郷…陳安卿。
・稲寺滿願寺…酒の名。


第二 伊川先生曰陽始生の条

伊川先生曰、陽始生甚微。安靜而後能長。故復之象曰、先王以至日閉關。
【読み】
伊川先生曰く、陽の始めて生ずるや甚だ微なり。安靜にして而して後に能く長ず。故に復の象に曰く、先王は以て至日に關を閉ず、と。
【補足】
・この条は、易の復卦象伝の程伝にある。

存羪とヶ条に立れば大そうに聞へるが、つまり手入をすること。本来よいものも手入をせ子ばらりになる。鍔好きの鍔はた子く手入をするで挌別になる。た子くと云が存の字なり。存羪もかるいことで合点するがよい。减夜食一口則生得九十九とある。夫と同ことで、存羪はいつのとき、爰でのためとて目には見へぬが、喰ひものをひかへる。日比の心がけて長生のもとになる。今みよ。金持は肴うりが肴を買へと云て來ても、道具屋が目貫を買へと云ても中々買ぬ。あながち其肴の銭、目貫の金がのこりていると云でもないが、つまり身上をあける。日比が一つになりて金もちになる。存養も、別にこれと云何と名の付元手はないが、いつとなくよくなる。陽始生。十一月は復の卦なり。一陽が出来た、それつかへではそだたぬ。た子くしてそだてる。春になると、そろ々々綿入羽織はをもい。袷羽織と出る。夫から暖氣と云になる。段々のびて純陽の四月になる。夫が彼の此頃の冬至からなり。垩人は天地に則る。一旦なことはない。そろ々々なり。子の生れたときは目出度ことゆへ躍りでもをどりそふなものを、靜に々々と云は安靜而後能長すなり。少しのよいことをさはぐとみんなになる。生れ子の枕元で角力の大鼓をたたいては、其子はそたたぬ。
【解説】
「伊川先生曰、陽始生甚微。安靜而後能長。故復之象曰」の説明。存養は手入れをすること。それは、日々の心掛けで長生きもし、金持ちにもなる様なこと。十一月の復の卦で陽が生まれるが、その陽を大切に育てて純陽の四月へと進んで行く。
【通釈】
存養と箇条として立てれば大層なことの様に聞こえるが、つまりは手入れをすること。本来はよいものも手入をしなければ滅茶苦茶になる。鍔好きの鍔は細やかに手入れをするので格別なものになる。細やかにすると言うのが存の字の意である。存養も軽いことで合点するのがよい。「減夜食一口則生得九十九」とある。それと同じことで、存養は、いつかのためにとか、ここでのためにと言う様な目に見えることではないが、食い物を控えるという日々の心掛けが長生きの元となる。今を見なさい。金持ちは魚売りが魚を買えと言って来ても、道具屋が目貫を買えと言っても中々買わない。あながちその買うべき魚の銭や目貫の金が遺っているので金持ちだと言うのでもないが、結局は身上を上げる。日頃の節約が一つになって金持ちになる。存養も、別にこれと言って何々と名の付く元手はないが、いつと言うことなくよくなる。「陽始生」。十一月は復の卦である。一陽ができたから、直ぐに使えと言うのでは育たない。細やかに育てる。春になると、そろそろ綿入羽織は重いから袷羽織と出る。それから暖気という季節になる。段々伸びて純陽の四月になる。それがこの頃の冬至から始まるのであって、聖人は天地に則り、一旦で終わることはない。そろそろとである。子が生まれた時は目出度いことなので躍りでも躍りそうなものだが、静かにするのは「安静而後能長」だからである。少しのよいことを騒ぐと台無しになる。生まれた子の枕元で角力が太鼓を叩いては、その子は育たない。
【語釈】
・た子く…細やかにの意?

至日閉關。先王の趣向なり。方々の見付の戸をたて、通りのものを止めた。何にさっしゃると云に、陽を育てる。これが垩人の世の行届た思召なり。後世はこふせぬからわるいの、凶年だの、今度から閉關やふにするがよいと云ことでもないが、古への先王の冬至を取立るのなり。夫が垩人と天が同腹中で合紋がよく合からの仕打なり。爰が天地の脉のなをる処。人も忝ひことには、どの様にわるくなりても脉はきれぬもの。医者が大病人を見て脉に見処があると云。今の学者に存羪などと云はうつらぬことなれども、此章でいこう目出度こと。人の善を取立るには、せわしく騒しくてはならぬもの。垩人になるは遠ひことなれとも、一を要ときけば路があいた。それと云も、少しのよいを取立ると段々よくなる。垩人は人をすてぬ。ちっとのよいを羪はせてよくする。小学君臣之義に承順其美と云も、一陽來復の処をそだてる。周公旦の成王を取り立るなぞが、さぞさうであろふ。存羪はそろ々々なり。克己とはたてが違う。克己無巧法と云て、克己は手あらがよい。禁酒するには德利を打こはす。存羪はさう手あらにはゆかぬ。そろ々々なり。補藥は、たんてきにはきかぬ。山皈来で追出すとはちこう。藥も頓服のと云は、追出しか下しなり。地黄はそろ々々なり。存羪はた子いことで、肥しと同こと。肥しもあまりきついはわるい。つよい肥しをすると栽え物の葉がちじける。ここらで百姓が夫れをあまり肥へすぎた、はずんだと云もきこへた。
【解説】
「先王以至日閉關」の説明。先王は冬至の日に戸を立てて陽を育てた。人もそれと同じで、善を育てるには騒がしくしたり忙しくしてはならない。小さな善を育てて段々とよくする。その手法は細やかであり、手荒いのがよい克己とは逆である。
【通釈】
「至日閉関」。先王の趣向である。方々の見付の戸を立てて、通りの者を止めた。何をされるのかと言えば、陽を育てる。これが聖人の世の行き届いた思し召しである。後世はこの様にしないから悪いとか、凶年だとかと言って、今度から閉関するのがよいと言うのでもないが、古の先王は冬至を取り立てたのである。それは聖人と天とが同腹中で、合紋がよく合うのでできた仕業である。ここが天地の脈の治る処。人も忝いことには、どの様に悪くなっても脈は切れないもの。医者が大病人を看て脈に見処があると言う。今の学者に存養などは映らないことだが、この章で大層目出度いことになる。人の善を取り立てるには、忙しく騒がしくしてはならない。聖人になるのは遠いことだが、「一為要」と聞けば路が開く。それと言うのも、少しのよいところを取り立てると段々とよくなる。聖人は人を捨てない。少しのよいところを養わせてよくする。小学で君臣之義に「将順其美」と言うのも、一陽来復の処を育てること。周公旦が成王を取り立てたことなどが、さぞそうだったことだろう。存養はそろそろであり、克己とは仕方が違う。「克己無巧法」と言って、克己は手荒いのがよい。禁酒をするには徳利を打ち壊す。存養はその様に手荒くてはうまく行かない。そろそろとである。補薬は直ぐには効かない。山帰来で追い出すのとは違う。薬も頓服などというのは追い出すか下すためである。地黄はそろそろとである。存養は細やかなことで、それは肥やしと同じこと。肥やしもあまりきついのは悪い。強い肥やしをすると植えた物の葉が縮ける。ここ等で百姓が、それをあまりに肥え過ぎだ、弾んだと言うのもよくわかる。
【語釈】
・見付…枡形を有する城門の、外方に面する部分。番兵の見張る所。
・一を要…存養1。「一爲要」。
・小学君臣之義に承順其美…小学内篇明倫。「孔子曰、君子事君、進思盡忠、退思補過、將順其美、匡救其惡、故上下能相親」。
・克己無巧法…朱子語類41。「克己亦別無巧法。譬如孤軍猝遇強敵、只得盡力舍死向前而已。尚何問哉」。


第三 動息節宣の条

動息節宣、以養生也。飮食衣服、以養形也。威儀行義、以養德也。推己及物、以養人也。
【読み】
動息節宣は、以て生を養うなり。飮食衣服は、以て形を養うなり。威儀行義は、以て德を養うなり。己を推して物に及ぼすは、以て人を養うなり。
【補足】
・この条は、易の頤卦震下艮上の程伝にある。

頤の卦の程傳なり。頤は羪なり。人のものを喰ふ方から、後天の氣を養ふことに卦を繋けた。其の羪の字の縁から存羪の字へあてたもの。羪にさま々々あると云ことなり。動息節宣は左傳に子産が云たことと覚へた。動息は、うこいたりやすんだりすること。人の休みつめ働きつめはわるい。道中に立塲のあるは動息なり。節はちぢめる意。宣は杜預か注に散ると云た。息をついたりちぢめたり、あがきを付ること。人の命をつづかせる仕掛けがこれなり。人は活物ゆへ皿を箱へ入れて置た様ではわるい。のべちぢめで羪ふなり。飲食衣服はくったり着たり。これが骸の羪ひになる。寒ければ綿入、暑ければ帷子。衣服の形を羪ふはきこへたが、飲食は外から内へ入るもの。形にかまわぬ様にみへるが、これが第一の羪なり。動息節宣は手足をのべたりちぢめたり、手前にもちたもので羪ふこと。飲食衣服は外から来たもので羪ふこと。飲食の形を羪ふが、よく見へることがあるぞ。酒を飲めは人がよい色と云。又、腹がへると、こなたはなんとかしたかと云。色に出るものぞ。形と云筈なり。
【解説】
「動息節宣、以養生也。飮食衣服、以養形也」の説明。「動息」は、休んだり動いたりすることで、「節宣」は、縮めたり伸ばしたりすること。人は活物だから、動息節宣で養う。「飲食衣服」は食ったり着たりすることで、これが体を養うことになる。動息節宣は自分自身にあるもので養い、飲食衣服は外から来たもので養うことである。
【通釈】
この章は、頤の卦の程伝である。頤は養。人が物を喰うところから、後天の気を養うことで卦を繋けた。その養の字の縁から存養の字へ当てたもの。養は様々だということ。「動息節宣」は、左伝で子産の言ったことだろう。動息は、動いたり休んだりすること。人が休み詰め働き詰めでは悪い。道中に休憩場があるのは動息である。節は縮める意。宣は杜預が注で散ることだと言った。息をついたり縮めたりして、足掻きを付けること。人の命を続かせる仕掛けがこれである。人は活物なので皿を箱へ入れて置た様では悪い。伸べたり縮めたりして養うのである。「飲食衣服」は食ったり着たりすること。これが骸の養いになる。寒ければ綿入れ、暑ければ帷子。衣服が形を養うのはよくわかるが、飲食は外から内へ入るものだから形に構わない様に見える。しかし、これが第一の養である。動息節宣は手足を伸べたり縮めたりと、自分が持っているもので養うこと。飲食衣服は外から来たもので養うこと。飲食で形を養うことについて、よくわかることがある。酒を飲めば人がよい色だと言う。また、腹が減ると、貴方はどうかしたのかと言う。飲食は色に出るもの。形と言う筈である。
【語釈】
・頤の卦…頤は下顎。内卦の震卦には動の性格があり、外卦の艮卦には止の性格がある。下顎を動かして物を食うところから、養の意が出た。
・子産…春秋、鄭の大夫。公孫僑。東里の子産とも言われ、国僑と称せられる。晋楚の間にあってよく内外を治めた。
・杜預…晋の人。字は元凱。諡は成。用兵に優れ、杜征南とも呼ばれる。「左伝経伝集解」を著す。

威儀行義は外のことなれとも、此の形を脩ると云で内の德が羪るる。垩賢の教は内外交羪ふ。佛者は威儀行義をすてて、只心法と云。いこうよい様なれとも、ぬきみを指した様なもの。垩賢の教は拔き身を鞘へをさまるやふにする。威儀行義で内の德を羪ふ。そこで克己計りでなく、復礼なり。行義と云は珍らしい字でよみにくいか、今ま人のぎょうぎと云ことではない。それは日本口なり。それは上の威儀のことなり。事を行ふ上のこと。それがすじのわかりて義理の通で、云へきやうないよいことを云。義を行ふとみるは手づつなり。これも外から内をよくすることぞ。内に德をもちても外が不埒なれば内は羪はれぬ。
【解説】
「威儀行義、以養德也」の説明。威儀行義によって形を修めることで内にある徳が養われる。行義は威儀と同じ意であり、行儀のことではなく、義を行うということでもない。内に徳を持っていても外が不埒なら、徳を養うことはできない。
【通釈】
「威儀行義」は外に関したことだが、この形を修めることで内の徳が養われる。聖賢の教えは内外交々養うもの。仏者は威儀行義を捨てて、ただ心法と言う。それは大層よい様に思われるが、抜き身を差した様なもの。聖賢の教えは抜き身が鞘へ収まる様にする。威儀行義で内の徳を養う。そこで、克己ばかりではでなく、復礼なのである。行義は珍しい字で読み難いが、今、人の言う行儀のことではない。それは日本で言うものである。ここは上の威儀のことで、事を行う上のこと。筋が分かれて義理に通りで、言い様もなくよいことを言う。これを、義を行うと捉えるのは拙劣な見方である。これも外から内をよくすること。内に徳を持っていても外が不埒であれば、内にある徳を養うことができない。

推己及物云々。これは程傳で次手に云たこと。近思て存羪と云には入らぬ字のやうなれとも、学問は明德親民なり。明德は自ら明にすることで吾計りの様なれとも、人の方へかかるほどなこと迠がこちにあること。新民か明々德の中にある。吾計りよいとは云ぬ。推己及物。恕のことなり。存羪に恕と云は、一寸きくと養人と云文字が伊川の的切にないことを云れたかと云に、人の上へのこと迠がこちの存養の領分になりておる。其筈ぞ。人は相手ぞ。相手は向なれとも、恕は此方なり。丁ど大学或問に新民を分内當然と云てある。匹夫ても学問の志あれば、己が明德は云にも及ばず、新民をもすることそ。かるいものても妻子はある。夫れをそれ々々によく治るは新民であるまいか、歴々となれば夫を只手ひろくなる迠のこと。推己及物羪人なり。人を羪ふこと迠がこちの領分になりておる。論語で云へば、学而時習之。習之の内に有自朋遠方来はある。やはり明德新民なり。ここも羪ふことがさま々々あるか、くくって云へば此の四つだと云こと。
【解説】
「推己及物、以養人也」の説明。学問は「明徳親民」であり、新民が「明明徳」の中にある。そこで、この語がある。「推己及物」は「恕」のことで、人を養うことまでがこちらの領分になる。
【通釈】
「推己及物云々」。これは程伝でついでに言ったこと。近思で存養と言う処には要らない字の様だが、学問は「明徳親民」である。明徳は自らが明らかにすることで、自分だけのことの様だが、人の方へ掛かるほどのことまでがこちらにある。新民が明明徳の中にある。自分だけでよいとは言わない。推己及物は「恕」のこと。存養で恕と言えば、一寸聞くと「養人」という文字は伊川が適切でないことを言われたものかと思えるが、人の上のことまでが自分の存養の領分になっているのである。その筈で、人は相手である。相手は向こうのことだが、恕はこちらのことである。丁度大学或問に新民を「分内当然」とある。匹夫でも学問をする志があれば、自分の明徳は言うにも及ばず、新民をもすることになる。軽い者でも妻子はある。それをそれぞれによく治めるのを新民と言うことはできないものの、歴々となればそれをただ手広くするまでのこと。「推己及物以養人也」。人を養うことまでがこちらの領分になっている。論語で言えば、「学而時習之」の「習之」の内に「有自朋遠方来」があるということ。やはり明徳新民である。ここも養うことが様々あるが、それを括って言えば、この四つだということ。
【語釈】
・分内當然…

さて、此章を威儀行義羪德が主で、動息節宣飲食衣服は枕詞と見るはわるい。なんても凡からだに付たことは皆存羪と見ること。骸を羪ふが大事なことぞ。貝原が羪生訓を高ぞれな学者は笑ふことなれども、あれがよいことなり。そこで此条も動息節宣。醫者めいたこと迠が存羪なり。骸は性の入れもの。からだなくてはならぬ。然れば羪は入ること。骸をらりにするも欲からなり。仁義礼智をらりにするも欲からなり。そこで、心と身に羪をすること。此章は為学の張子の六有か何もかも学問と云と同ことで、何もかも羪と云こと。そこでかるく見るがよい。
【解説】
体に関したことは何でも皆存養のことである。骸を台無しにするのも仁義礼智を台無しにするのも欲からなので、そこで心と身とに養をする。
【通釈】
さて、この章を「威儀行義養徳」が主で、「動息節宣飲食衣服」は枕詞だと見るのは悪い。何でも凡そ体に関したことは皆存養のことだと見なさい。骸を養うことが大事なこと。貝原益軒の書いた養生訓を高逸れた学者は笑うが、あれがよいこと。そこでこの条も動息節宣で、医者めいたことまでが存養である。骸は性の入れ物だから、体がなくてはならない。それなら養は必要である。骸を台無しにするのも欲からで、仁義礼智を台無しにするのも欲からである。そこで、心と身とに養をする。この章は、為学にある張子の「六有」が何もかも学問だと言うのと同じことで、何もかも養だということ。そこで軽く見るのがよい。
【語釈】
・六有…為学88を指す。


第四 愼言語云々の条

愼言語以養其德、節飮食以養其體。事之至近而所繋至大者、莫過於言語・飮食也。
【読み】
言語を愼みて以て其の德を養い、飮食を節して以て其の體を養う。事の至って近くして繋る所の至って大なる者は、言語・飮食に過ぎたるは莫し。
【補足】
・この条は、易の頤卦象伝の程伝にある。

大旨は前条と同こと。前条の注にもなる。前条では行義の中に愼言語は這入てをる。愼言語飲食、象傳の字。夫れへ程子の注をしたもの。前は頤の卦の経。ここは象傳なり。言語飲食とかるいことの不断あることを云で羪の親切になる。言語はかるい様で大事なもの。つつしみは朝夕馴るる云の葉の、仮初のことから大事にもなるもの。節飲食以羪其體。これもたび々々あること。此の度び々々あることほど大事なことはない。事之至近。日々あることにゆだんがならぬ。禍從口出病自口入ると孔頴達が正義の註に引たそふな。仮りそめの一言で大事にも及ふ。酒から吐血になる。言と食い物が皆此口の出入なり。こはいものなれとも、軍に出る様なればゆだんはせぬが、つんと平生の毎日々々のことゆへ、そこでゆだんが出きる。存養は輕ひ処から謹むこと。
【解説】
ここは、言語飲食という軽くて普段あることで言うので養の親切になる。日々あることに油断をすると、大事にもなる。存養は軽い処から謹むのである。
【通釈】
概ねは前条と同じこと。これが前条の注にもなる。前条では行義の中に「慎言語」は這い入っている。「慎言語飲食」は象伝の字で、それに程子が注をしたもの。前条は頤の卦の経であり、ここは象伝からである。言語飲食という軽く普段あることで言うので養の親切になる。言語は軽い様だが大事なもの。慎みは朝夕馴るる言の葉ので、仮初のことから大事にもなるもの。「節飲食以養其体」。これも度々あること。この度々あることほど大事なことはない。「事之至近」。日々あることには油断がならない。「禍従口出病自口入」と孔穎達が正義の註に引用したそうだ。仮初の一言で大事にも及ぶ。酒から吐血になる。言と食い物が皆この口の出入からである。それは怖いもの。軍に出る様なことだと油断はしないが、全く平生毎日のことなので、そこで油断が出て来る。存養は軽い処から謹むこと。
【語釈】
・愼言語…頤卦象伝。「象曰、山下有雷頤。君子以愼言語、節飮食」。
・つつしみは朝夕馴るる云の葉の…道歌。「つつしみは朝夕なるる言の葉のかりそめごとのうえにこそあり」。
・禍從口出病自口入…「禍從口出、病從口入」。


第五 震驚百里の条

震驚百里、不喪匕鬯。臨大震懼、能安而不自失者、惟誠敬而已。此處震之道也。
【読み】
震驚すること百里なるも、匕鬯[ひちょう]を喪わず。大いに震懼するに臨み、能く安んじて自ら失わざる者は、惟誠敬のみ。此れ震に處する道なり。
【補足】
・この条は、易の震卦卦辞の程伝にある。卦辞は「震、亨。震來虩虩。笑言啞啞。震驚百里、不喪匕鬯」。

存羪は日比の出ること。向からはどの様な者が出るも知れぬ。巧言令色でまぎらをするは隙な時のこと。存羪なければ、変のある時ほろを乱す。金銀財宝のことから命に及ぶこと迠向から来るか、その時は見処次第なり。大方うろたへぬはない。松井材菴が大風覆無根之樹傷寒殺腎虚之人と云語を予に示したことありき。根が丈夫なれば動かぬ。存羪の根しめよければ大難にめげぬ。不喪匕鬯。匕は杓子の様なもの。鬯は鬱鬯の酒。夫れを取りて祭に備へやうと思時、大雷がをちかかる。なんともない。これが日頃にあること。震は雷なり。それにもかきらず、地震でも盗賊ても。不意な時のこと。この安じてがならぬこと。平生存羪の根入りがふかければ、遁れぬ塲と安堵することなり。遠嶋改易切腹でもなんとも思はぬ。これが西銘の意なり。天からもって來ることは、どの様なことでも迯げぬ。死ぬことでも、親の云付け、父母のない国はないと云て、ゆっくとして居る。文王の羑里もどこか行ふとはせぬ。自安は、肱をはりたり元氣を出したりではならぬこと。東坡が土氣色も爰で見ること。日頃伊川をわるく云て、敬を打破せんと云たが、存羪なしはぶる々々なり。伊川の涪州へ行るる舩中は不喪匕鬯じゃ。嶋へ流さるる舩中で大風に逢ふたがなんともない。浅見先生の根府川石をすへた様しゃと云れた。この石と云見立が面白ひ。安の字から來た。石のすわった体が中々動こふ様には見へぬもの。雷が落ても石臼は騒かぬ。
【解説】
「震驚百里、不喪匕鬯。臨大震懼、能安而不自失者」の説明。人の身に降り掛かることには色々とあるが、大難に遭っても存養があれば、根がしっかりとしているから安んじることができる。天から降りて来ることには逃れずに応じる。これが西銘の意である。伊川は涪州に流された時も動じなかった。
【通釈】
存養は日頃のことが出ること。向こうからはどの様なことが出るとも知れない。巧言令色で紛らかすのは暇な時のこと。存養がなければ変のある時に狼狽える。金銀財宝のことから命に及ぶことまでが向こうから来るが、その時は見処次第である。大方狼狽えない者はいない。松井材庵が「大風覆無根之樹傷寒殺腎虚之人」という語を私に示したことがあった。根が丈夫であれば動かない。存養の根締めがよければ大難にもめげない。「不喪匕鬯」。匕は杓子の様なもの。鬯は鬱鬯の酒。それを取って祭に備えようと思った時に大雷が落ち掛かったが何ともない。これが日頃の存養に係ったこと。震は雷のことだが、それに限らず、地震や盗賊など、不意な時のことを言う。この「安」ができないこと。平生存養の根入りが深ければ、遁れられない場だと安堵する。遠島改易切腹でも何とも思わない。これが西銘の意である。天から持って来ることに対しては、どの様なことでも逃げない。死にそうになっても、それは親の言い付けであり、父母のいない国はないと言って、申生はゆっくとしていた。文王は羑里に幽閉されても、何処かに行こうとはしなかった。「自安」の場では、肘を張ったり元気を出したりしてはならない。蘇東坡が土気色なのもここでわかる。日頃伊川を悪く言って、敬を打破しようと言ったが、存養がなくては震えてしまう。伊川が涪州へ行かれた時、船中の伊川は不喪匕鬯だった。島へ流される船中で大風に遭ったが何ともない。浅見先生が根府川石を据えた様だと言われた。この石という見立てが面白い。安の字から来たもの。石の据わった態が中々動く様には見えないもの。雷が落ちても石臼は騒がない。
【語釈】
・松井材菴…
・大風覆無根之樹傷寒殺腎虚之人…
・根府川石…神奈川県小田原市根府川に産する板状節理のある輝石安山岩。板石・石碑などに用いる。

誠敬而已。此敬の字の上へ誠の字の付たが靣白。既に涪州の舩中でも或ものがどふしてさふなると云たれば、伊川の誠敬而已と云た。誠敬は敬のいきること。それで不喪匕鬯かなる。誠の字がないと死敬。つけ焼刄ではゆかぬこと。敬はしゃんとしたことなれとも、すらりとしたこと。鳥の木に止りておる形りが誠敬ぞ。梅の枝に鴬の止っておるに、うかとして眠ったら落そうなもの。にぎりつめたらかたくなにみへる筈。うっかともせぬ、握りつめもせず、すらりとしゃんとほそっておる。あれが誠敬のすがたなり。存羪があれば天禄閣から落はせぬ。江戸へ行に登戸舩に乘たら破舩することもあろふが、水に落たときは死ぬとより外覚悟はない。そこが誠敬で、日比にあること。朱子の合在水裡死と云た。死ぬとより外覚悟はない。玄界灘で難風に逢たらどふこふと云工夫は其時はない。死ぬこととをもへ。伊川の魂が此通りにきまりたもの。こふきまらせるが存羪なり。これがなければ漢唐も夢を説と云れぬが、只垩賢の書のうわさをしておりた。日本人が中蕐の噂する様なもの。程子になりては存羪と云て身になることそ。之道と云が別に稽古はない。これで大雷にも遠嶋改易にもなんともないとなり。
【解説】
「惟誠敬而已。此處震之道也」の説明。誠敬は敬が活きること。誠がなければ敬は死んだものとなる。誠敬は、しゃんとして、また、すらりとしたものであって、それは鴬が木の枝に掴まってさえずる様なものである。
【通釈】
「誠敬而已」。敬の字の上に誠の字が付いたのが面白い。既に涪州の船中でも、或る人がどうしてその様にできるのかと聞くと、伊川は誠敬而已だと言っている。誠敬は敬が活きること。それで「不喪匕鬯」ができる。誠の字がないと死敬。付け焼き刃ではできない。敬はしっかりとしたものだが、また、すらりとしたもの。鳥の木に止まっている姿が誠敬である。梅の枝に鴬が止まるのも、うっかりとして眠ったら落ちそうなものだし、握り詰めたら頑なに見える筈。うっかりともせず、握り詰めもせず、すらりと、また、しゃんとしてさえずっている。あれが誠敬の姿である。存養があれば天禄閣から落ちはしない。江戸へ行くにも、登戸から船に乗って破船することもあるだろうが、水に落ちた時は死ぬと覚悟するより外はない。そこが誠敬で、日頃の存養による。朱子が「合在水裡死」と言った。死ぬより外の覚悟はない。玄界灘で難風に遭ったら、その時はどうこうという工夫はない。死ぬと思いなさい。伊川の魂はこの通りに決まったもので、この様に決まらせるのが存養である。これがないのなら漢唐は夢を説くと言うことはできない。彼等はただ聖賢の書の噂をしていただけで、それは日本人が中華の噂する様なもの。しかし、程子ともなれば存養と言うので、これが身になることとなる。「之道」に特別な稽古はない。これで大雷にも遠島や改易にも何ともないと言う。
【語釈】
・天禄閣…漢の揚雄は天禄閣から身を投じた。
・合在水裡死…朱子語類朱子4。「死生有命、如合在水裏死。須是溺殺、此猶不是深奧底事、難曉底話」。


第六 人之所以不能安其止者の条

人之所以不能安其止者、動於欲也。欲牽於前而求其止、不可得也。故艮之道、當艮其背。所見者在前、而背乃背之、是所不見也。止於所不見、則無欲以亂其心、而止乃安。不獲其身、不見其身也。謂忘我也。無我則止矣。不能無我、無可止之道。行其庭、不見其人。庭除之閒、至近也。在背則雖至近不見。謂不交於物也。外物不接、内欲不萌。如是而止、乃得止之道、於止爲无咎也。
【読み】
人の其の止まるところに安んずること能わざる所以の者は、欲に動かさるればなり。欲前に牽きて其の止まるを求むるは、得可からざるなり。故に艮の道は、當に其の背に艮[とど]まるべし。見る所の者は前に在りて、背は乃ち之に背く、是れ見えざる所なり。見えざる所に止まらば、則ち欲の以て其の心を亂すこと無くして、止まること乃ち安し。其の身を獲ずとは、其の身を見ざるなり。我を忘るるを謂うなり。我無くんば則ち止まる。我無きこと能わずんば、止まる可き道無し。其の庭に行きて、其の人を見ず。庭除の閒は、至って近し。背に在らば、則ち至って近しと雖も見えず。物に交らざるを謂うなり。外は物接せず、内は欲萌さず。是の如くにして止まらば、乃ち止まる道を得、止まるに於て咎无しと爲す。
【補足】
・この条は、易の艮卦卦辞の程伝にある。

易の艮卦なり。艮は山なり。天地は動くもので、其中に一つ山と云動ぬものがある。衆星の動に北極は動ぬ。傘轆轤が動ぬ。さま々々動く中に動ぬものがある。夫が工夫の本になる。そこで人へあてて見るに、なんで動くと云に、動せるものは欲なり。止りは至極の処。大学の至善の止りの様に、動きのとれぬ止りの処へ止ろふとは思ふが、肱をひくものがある。動于欲なり。盃に向へば替る心なり。吾も人も学問するからは、好色のことでも勝手次第をする道樂ものとは違ふ。学者は止りに安んずる氣ではあるが、つひひかれるもの。欲牽于前。学問でもするものは、欲をこちから子り出さうとはせぬが、あちから御見舞申す。此頃余程欲もうすらぎたと思ふ処へ、さきから御見舞申す。そこでほろをみだす。みんなになるもあり、半分になるもある。そこで克己は入ることなり。艮其背。これが伊川の発明なり。此文義が明道と伊川とは違ふ。孔子と明道と同しこと。艮其背、定性書にもあるが、あれとは爰をば違へてよむこと。明道伊川の文義の別々なことは、語類の艮の部にあり。さて、明道のを云子ば爰がわからぬ。明道のは、人の四肢百骸なんでも動ぬものはないが、背計りは動ぬ。そこて止ると云こと。伊川は、背は物を見ぬもの。目はものを見る。その見るからして馬鹿をつくすに、背はじっとしておる。見ぬことのたとへなり。又、背はみへぬと云こと。
【解説】
「人之所以不能安其止者、動於欲也。欲牽於前而求其止、不可得也。故艮之道、當艮其背。所見者在前、而背乃背之、是所不見也」の説明。人が動くのは欲によってだが、人の体の中で動かないところが一つあり、それが背である。艮の卦の解釈については、明道と伊川とは異なっている。明道の意は、何でも人の四肢百骸で動かないものはないが、背だけは動かない。そこで止まると言うのであり、伊川の意は、背は物を見ず、目はものを見る。見るから馬鹿を尽くすのであって、背は見ないことのたとえとするものである。
【通釈】
これは易の艮卦のことである。艮は山。天地は動くものだが、その中に一つ、山という動かないものがある。衆星は動くが北極星は動かない。傘の轆轤は動かない。様々と動くものがある中に動かないものがある。それが工夫の本になる。そこでこれを人へ当てて見ると、何故動くのかと言えば、動かせるものは欲である。「止」は至極の処。大学の至善の止まりの様に、動きのとれない止まりの処へ止まろうとは思うが、肱を牽くものがある。それが「動於欲」である。盃に向かえば替わる心なりである。自分も人も学問をするからは、好色のことも勝手次第にする道楽者とは違う。学者は止まりに安んじる気はあるのだが、つい牽かれるもの。「欲牽於前」。学問をする者は、欲をこちらから練り出そうとはしないが、あちらから挨拶に来る。この頃余程欲も薄らいだと思っている処へ、先方から挨拶に来る。そこで取り乱す。それで台無しになることもあり、半分になることもある。そこで克己が必要なのである。「艮其背」。これが伊川の発明である。この文義は、明道と伊川とでは違っていて、孔子と明道とは同じ意である。艮其背は定性書にもあるが、ここはあれとは違った読み方をしなさい。明道と伊川の文義が違っていることは、語類の艮の部に書かれている。さて、明道の意を言わなければここがわからない。明道の意は、何でも人の四肢百骸で動かないものはないが、背だけは動かない。そこで止まると言うのである。伊川の意は、背は物を見ず、目はものを見る。見るから馬鹿を尽くすが、背はじっとしている。背は見ないことのたとえであり、また、背は見えないということである。
【語釈】
・易の艮卦…艮下艮上。艮。艮為山。「艮其背不獲其身。行其庭不見其人。无咎」。
・衆星の動に北極は動ぬ…論語為政1。「子曰、爲政以德、譬如北辰居其所、而衆星共之」。
・定性書…為学4を指す。

欲以云々。見るで今迠の心を乱す。人欲のふへるは見るからなり。斉から女樂を贈るとても、先き觸では季桓子もうかれはせぬ。さほどにも思はぬが、そこへ八十人ぞろ々々来たて三日不朝なり。田舎の娘は堺町見ぬから子だりはせぬ。江戸のものは見るから、妻子が芝居を子だる。人欲の取扱はさま々々な議論は入らぬ。見ぬでよい。背中の合点がよいとなり。見ぬほど安んじたことはない。忘我。あの女を我ものにしたい。あの金を我かにしたい。酒を飲みたい。うまいものを喰ひたい。吾か肉の為め。金銀も好色も人の為に世話はせぬ。我為めなり。無我則止る。肉身に目がなければ道理次第に止る。行其庭不見其人。権門方へ行たにやれ々々と云れて喜ふは立身加増、身が可愛からなり。立身加増に望がなければ孟献子が友の様なもの。魯國の御家老さまと云氣はない。庭除は近ひ譬なり。背は一寸手の届く処なれとも見られぬ。夫は物に交らぬからなり。盃に向へばかわるを向はせぬ。これが七年男女不同席と同こと。幼年から交らせぬ。
【解説】
「止於所不見、則無欲以亂其心、而止乃安。不獲其身、不見其身也。謂忘我也。無我則止矣。不能無我、無可止之道。行其庭、不見其人。庭除之閒、至近也。在背則雖至近不見。謂不交於物也」の説明。欲はわが身が可愛くてするのであり、我が身に目が行かなければ道理次第に止まることができる。目で見ることから心を乱し、人欲も増える。そこで見ず、交わらない様にする。
【通釈】
「欲以云々」。見るので今まで心を乱して来た。人欲が増えるのは見るからである。斉から女楽を贈ることでも、知らせだけなら季桓子も浮かれもせず、さほどにも思わないが、そこへ女楽が八十人もぞろぞろと来たので「三日不朝」である。田舎の娘は堺町の芝居を見たことがないから、見たいとねだりはしない。江戸の者は見るから、妻子が芝居をねだる。人欲の取り扱いについては様々な議論は要らない。見なければよい。背中という合点の仕方がよいと言った。見ないほど安んじたことはない。「忘我」。あの女を我が物にしたい。あの金を我が物にしたい。酒を飲みたい。うまいものを喰いたい。それ等は自分の肉のためであって、金銀も好色も人のために世話を焼くものではない。自分のためである。「無我則止」。肉身に目がなければ道理次第に止まる。「行其庭不見其人」。権門方へ行き、やれやれと言われて喜ぶのは立身加増を思ってのことで、我が身が可愛いからである。立身加増に望みがなければ孟獻子の友の様なもの。魯国の御家老様という気はない。「庭除」は近いたとえである。背は手の一寸届く処だが見ることはできない。それは物に交わらないからである。盃に向かえば変わる心かななどと、心を向かわせない。これが「七年男女不同席」と同じこと。幼年から交わらせないのである。
【語釈】
・斉から女樂を贈る…論語微子4。「齊人歸女樂。季桓子受之、三日不朝。孔子行」。
・堺町…東京都中央区蠣殻町の北にあった町。江戸時代に歌舞伎・浄瑠璃・操芝居などがあり繁昌した。
・権門…①官位高く権勢のある家柄。②権門にまいないする意から、賄賂。
・孟献子…孟子万章章句下3。「孟獻子、百乘之家也。有友五人焉。樂正裘・牧仲、其三人則予忘之矣。獻子之與此五人者友也、無獻子之家者也。此五人者亦、有獻子之家、則不與之友矣」。
・七年男女不同席…礼記内則。「七年、男女不同席。不共食」。

さて、集解なぞか見所がない。爰を定性書へ合せたかる。迂斎の爰の書入れに定性書の意でなしとある。定性書と爰とは佛の大乘小乘と同こと。定性書は物に交りながらひかれぬこと。爰は根から交らぬのぞ。定性書はそこへ酒肴をおいて飲ぬこと。爰は根から德利や盃をよせつけぬこと。定性書よりはばは小さひが趣向のあること。佛の捨身の業の様なり。なんでもそこへ欲をよせつけぬこと。氣の小さい学者が、それでは佛意ではござらぬかと云はふが、爰は克己の存養なり。そこへよせつけぬでよい。これを云たら間違ふも知れぬが、闢異端如淫声美色當遠之と同こと。かたからよせぬがよい。孟子が能言而拒楊墨者垩人之徒也とある。向のことをよく知って、穴をついて隅から隅迠打ては遁れはないが、そうする内には、わるくするとさきへ引込るる。韓退之が擒をのこすの語はそこぞ。そこで、あらく迹上で断じてよせつけぬがよい。淫声美色、こはい々々々と云でよい。夫子見南子。子路の腹を立てた。あれがよいぞ。爰の存羪はとんと人欲と縁を切ることなり。爰が彼の初条の一を要とすに落ること。物に交はら子は一なり。一なれば人欲が御免なされと云て来ても入れぬ。
【解説】
ここは定性書の意とは違う。定性書は物に交わって牽かれないことで、ここは根から交わらないこと。物に交わらず、すっかりと人欲と縁を切れば「一為要」となる。
【通釈】
さて、集解などには見所がない。ここを定性書へ合わせたがる。迂斎のここの書き入れに、定性書の意ではないとある。定性書とこことは仏の大乗小乗と同じこと。定性書は物に交わって牽かれないこと。ここは根から交わらないこと。定性書はそこへ酒肴を置いて飲まないこと。ここは根から徳利や盃を寄せ付けないこと。定性書より幅は小さいが趣向のあることで、仏の捨て身の業の様に、何でもそこへ欲を寄せ付けないこと。気の小さい学者が、それでは仏意ではないかと言い張るが、ここは克己の存養である。そこへ寄せ付けないのでよい。これを言うのは間違いかも知れないが、「闢異端如淫声美色当遠之」と同じことで、始めから寄せ付けないのがよい。孟子に「能言而拒楊墨者聖人之徒也」とある。向こうのことをよく知って、穴を突いて隅から隅まで打てば遁れ様はないが、そうする内に悪くすると相手の方へ引き込まれる。韓退之の「擒不濫数」の語はそのこと。そこで、荒く迹上の断で寄せ付けないのがよい。淫声美色は怖いものだと言うのでよい。「夫子見南子」に子路が腹を立てたが、それがよい。ここの存養はすっかりと人欲と縁を切ること。ここがあの初条の「一為要」に落ちること。物に交わらなければ一である。一であれば、人欲が挨拶に来ても入れることはない。
【語釈】
・闢異端如淫声美色當遠之…論語為政16集註。「程子曰、佛氏之言、比之楊・墨、尤爲近理。所以其害爲尤甚。學者當如淫聲美色以遠之」。
・能言而拒楊墨者垩人之徒也…孟子滕文公章句下9。「能言距楊・墨者、聖人之徒也」。
・韓退之が擒をのこす…元和聖徳詩。「戰不貪殺、擒不濫數」。
・迹上で断じて…異端9。「故不若且於迹上斷定不與聖人合」。
・夫子見南子…論語雍也26。「子見南子。子路不説」。

外物不接内欲不萌。外物の向からくるのを、こちから迎に出るもの。内欲は七情の欲なり。この方にもち合せのもの。内におる生きたもの。好色飲食が別してなり。これが甚しいから、外物がものもふと云て来ると内欲がどをれと云て書院へ通す。そこで立派な凡夫になる。又、外物がさそわずとも、内欲はこちからも出るもの。天癸の至るで男も女も十四五になれば好色の心もひらく。山奥の寺でも内欲はある。又、喰い時になれば腹が減る。これはさし定った人の欲なり。それぐるみ取れと云は佛見なり。それをすてろではないが、艮其背はとんと見へぬことなり。見ぬに欲は出ぬもの。
【解説】
「外物不接、内欲不萌。如是而止、乃得止之道、於止爲无咎也」の説明。内欲は七情の欲で、人の持ち合わせのもの。内欲は外物が誘わなくても自然と出ることもあり、それまでを捨てろと言うのは仏見である。
【通釈】
「外物不接内欲不萌」。外物が向こうから来ると、こちらから迎えに出るもの。内欲は七情の欲で、こちらの持ち合わせのもので、内にある生きたもの。好色飲食が特にそれである。これが甚だしいから、外物が挨拶に来ると内欲がどれどれと言って書院へ通す。そこで大層な凡夫になる。また、外物が誘わなくても、内欲はこちらから出るもの。天癸が至るので男も女も十四五になれば好色の心も開く。山奥の寺でも内欲はある。また、喰い時になれば腹が減る。これは決まり切った人の欲である。それをも含めて取り払えと言うのは仏見である。それを捨てろと言うのではないが、艮其背とは、全く見えないことで、見なければ欲は出ないもの。
【語釈】
・七情…礼記礼運。「何謂人情。喜怒哀懼愛惡欲」。
・天癸…素問上古天真論。「岐伯曰、女子七歳、腎氣盛、齒更髮長。二七而天癸至、任脈通、太衝脈盛、月事以時下、故有子」。二七は十四歳。天癸は月経。


第七 明道先生曰若不能存養の条

明道先生曰、若不能存養、只是説話。
【読み】
明道先生曰く、若し存養すること能わずんば、只是れ説話のみ、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

今時の学者は今日始て存養と云ことをきくものもある。それで若と云字がうつらぬが、明道などの寄合は存養はあるものにして云。そこでこの若の字が面白い。若存羪ないなら話じゃとなり。説話は生味のないことを云。売なことなり。いくら讀でも存養ないと人参の煎じからじゃ、大病人の処へもてゆきても蚊いぶしに外ならぬ。それでは論孟をよんでも太平記に少し理屈のある様なもの。存羪なくてはこちのものにはならぬ。延平答問に説なり説なりと処々ある。いたみ入た口上なり。迂斎曰、只是説話は献立を見てひっこませる様なもの。三汁五菜と有ても腹のたしにはならぬ。料理の看板を見て皈るのなり。牧七郎左ェ門が、經学者に成れ、垩学知りになるなと浅見佐藤二先生に云た。これがいこう警発になりたと二先生の度々云れた。咄はこはくないもの。だんびら物をぬいたと云ても咄はこはくない。今此坐でぬけば、九寸五分でもこはい。劉伯倫が大酒を飲たと聞ても、今日の寒さの足しにはならぬ。只是説話と云て置て、跡が面白い。そんなら垩賢の方付はなんとじゃと云に。
【解説】
存養がなければ書を読んでも自分のものにならず、説話に終わる。それでは身に切でない。
【通釈】
今時の学者は今日初めて存養ということを聞くものもある。それで「若」という字がわかり難いが、明道などの寄合いでは存養は既にあるものとして言っている。そこでこの若の字が面白い。若しも存養がないのなら説話だと言う。説話は生味のないことを言う。それは受け売りである。いくら読んでも存養がないと、人参の煎じたものを大病人の処へ持って行っても蚊燻しに外ならないのと同じ。それでは論孟を読んでも太平記に少し理屈のある様なもの。存養がなくては自分のものにはならない。延平答問に「説也」と処々にあるが、それは痛み入る口上である。迂斎が、「只是説話」は献立を見せて引っ込ませる様なものだと言った。三汁五菜とあっても腹の足しにはならない。料理の看板を見て帰るのと同じ。槙七郎左ェ門が、経学者になれ、聖学知りになるなと浅見佐藤二先生に言った。これが大層警発になったと二先生が度々言われた。話は怖くないもの。段平物を抜いたと言っても咄では怖くない。今この座で抜けば、九寸五分でも怖い。劉伯倫が大酒を飲んだと聞いても、今日の寒さの足しにはならない。只是説話と言って置いて、その後が面白い。それなら聖賢の処方はなんかと言えば、それは次章にある。
【語釈】
・牧七郎左ェ門…槇元眞。七郎右衛門と称す。美濃の人。加納藩主松平丹波守光重に仕え、後に第二子戸田光正の家宰となる。元禄4年(1691)夏没。子の元勝、孫の秀武は迂齋に学ぶ。
・だんびら物…刃の幅の広い刀。
・劉伯倫…劉伶。竹林の七賢の一人。酒好きで有名。211~300


第八 聖賢千言萬語の条

聖賢千言萬語、只是欲人將已放之心、約之使反復入身來。自能尋向上去、下學而上達也。
【読み】
聖賢の千言萬語は、只是れ人已に放たれし心を將[もっ]て、之を約し反復して身に入り來らしめんことを欲す。自ら能く尋ね向上し去[ゆ]かば、下學して上達せん。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

人將已放心約之反復入身来。此語が出子ばならぬ。垩賢の教は人の心へこやしをすること。會津中將公の、論孟は腹の立れぬ異見をきく様なものと云れた。已放之心は凡夫の惣名。其放った心を欠落ものを追かける様にして引もどすこと。堯舜は允執其中。放さぬこと。惟精惟一は放さぬ工夫。約之。もとの鞘へ納ること。取乱しては元のさやへは這入らぬ。いつも云通り、振舞て取乱した椀家具其侭では這入らぬ。平は平、坪は坪と袋に入れてちんまりとするで這入る。心も本来形りにすれは軀殻裏に入る。約之は一と口に云へば何のこともないが、六ヶしいこと。氣質も人欲も氣形りにのびてゆきた処をそろ々々丁寧にしてし、ゆっくりと丁度の処へはめること。反復。本との身から出たから、身の中へかへすこと。心か身に入れは酒醉の酒のさめたやうになる。酒醉を寐かすが尤なこと。醒れば本との心になる。心が身の中へはまると靜りて上品になる。心はたたい上品なり。灵臺とも灵府とも云て下卑たことはないもの。本と胸の中に盗人博奕打はないもの。心の本然は無極而太極なり。それにやだものはない。それで、内へさへ来ればよいもの。尋向上去。これからは手付なしにもゆく。心か内に居て本のものにさへなれば下学而上達なり。下学は約して入る。上達は向上去なり。これからは世話入らずによくなる。わるくなりやうはない。陽に向ふ花木は春に逢ふことやすきのぞ。関所はない。すら々々なり。して見れば、垩賢の千言万語は胸へたたみこむことなり。たたみこむと説話ではない。存羪なり。
【解説】
聖賢の教えは人の心へ肥やしをするためにある。心の本然は無極而太極であって、そこに下卑たところはない。学者は放心を引き戻して本来の場に据え、下学而上達しなければならない。
【通釈】
「人将已放心約之反復入身来」。この語が出なければならない。聖賢の教えは人の心へ肥やしをするためにある。会津中将公が、論孟は腹の立たない異見を聞く様なものだと言われた。「已放之心」は凡夫の総名。その放った心を、欠落者を追い駆ける様にして引き戻すこと。堯舜は「允執其中」。それは放さないこと。「惟精惟一」は放さない工夫。「約之」。元の鞘へ納めること。取り乱しては元の鞘へは納まらない。いつも言う通り、振舞いで取り乱した椀家具はそのままでは這い入らない。平は平、坪は坪と袋に入れれば小さくまとまって這い入る。心も本来の通りにすれば体の内側に入る。約之は一口に言えば何のこともないものだが、それは難しいこと。気質や人欲が気の通りに伸びて来た処をそろそろと丁寧にして、ゆっくりと丁度の処へ嵌めること。「反復」。本の身から出たのだから、身の中へ返すということ。心が身に入れば、酒酔いの酒が醒めた様になる。酒酔いを寝かすのが尤もなこと。醒めれば本来の心になる。心が身の中へ嵌まると静まって上品になる。心はそもそも上品なもの。霊台とも霊府とも言って、心に下卑たことはない。本来、胸の中に盗人や博奕打ちはいない。心の本然は無極而太極である。それに疵物はない。そこで、内へさえ来ればよくなる。「尋向上去」。これからは手付けなしでも行くことができる。心が内にいて本のものにさえなれば「下学而上達」である。下学は約して入る。上達は「向上去」である。これからは世話要らずによくなる。悪くなり様はない。陽に向かう花木は春に逢うことが容易である。そこに関所はない。すらすらとしている。そこで、聖賢の千言万語は胸へ畳み込むことなのである。畳み込めば説話ではなく、存養である。
【語釈】
・會津中將公…保科正之。正四位下肥後守左近衛中将。徳川秀忠の四男。
・已放之心…孟子告子章句上11。「學問之道無他。求其放心而已矣」。
・允執其中…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・灵臺…魂のあるところ。精神。心。
・灵府…魂の宿るところ。心。
・やだ…焼物のきず。転じて、人の欠点や悪い癖。
・下学而上達…論語憲問37。「子曰、不怨天、不尤人。下學而上達。知我者其天乎」。