第九 李籲問毎常遇事の条  戍十二月朔日 文司録
【語釈】
・戍十二月朔日…寛政2年庚戌(1790年)12月1日。
・文司…吉野文司。東金押堀の人。

李籲問、毎常遇事、即能知操存之意。無事時、如何存養得熟。曰、古之人、耳之於樂、目之於禮、左右起居、盤・盂・几・杖、有銘有戒。動息皆有所養。今皆廢此。獨有理義之養心耳。但存此涵養意。久則自熟矣。敬以直内、是涵養意。
【読み】
李籲[りやく]問う、毎常事に遇えば、即ち能く操存の意を知る。事無き時は、如何にして存養し得熟さん、と。曰く、古の人、耳の樂に於る、目の禮に於る、左右起居、盤・盂・几・杖、銘有り戒有り。動息皆養う所有り。今皆此を廢せり。獨り理義の心を養う有るのみ。但此の涵養の意を存せよ。久しくんば則ち自ら熟せん。敬以て内を直くするは、是れ涵養の意なり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

遇事即と云字は、何そ事に合たとき、そこの処をはなさすにと云ことしゃ。うっかりとする、視而不見聞而不聞になる。そこの処に油断をせず、直にと云ことそ。大学或問、不爲仰面貪て看鳥囘頭錯應人者幾希矣。今うっかりとした人か客の来たにも覚なく、靣を見てほい御出てごさるかと云は操存の意かないそ。一寸客に応するも手紙を書でも麁相のないやうにする。そこの処で操存はすることそ。操存とは、いつもの道を行くにとかくはかが行かぬ。是は狐ではないかと眉毛をぬらすと、狐に引れることはない。狐と氣かつくと、うかとはせぬ。そこの処は合点したが、無事のときにどふも切っかけがない。夫故に工夫がしにくい。爰か大事と李端伯か問たそ。尤あてどのない処が存養てはあれとも、中りかないからそこで此問が出た。今日の書物よみ、学者の氣のつかぬことなり。某なとか此様に講釈はしても知らぬ。
【解説】
「李籲問、毎常遇事、即能知操存之意。無事時、如何存養得熟」の説明。事に遇った時に油断をしないことで、「操存之意」はわかるが、無事の時はきっかけがないので存養の工夫がし難い。その時の対応を李端伯が質問した。
【通釈】
「遇事即」という字は、何か事に合った時、そこの処を離さずにということ。うっかりとすれば、「視而不見聞而不聞」になる。そこの処で油断をせず、直にということ。大学或問に、「不為仰面貪看鳥回頭錯応人者幾希矣」とある。今うっかりとした人が、客が来たのにも気付かず、その顔を見て、ほい御出ででござるかと言うのは「操存」の意がない。一寸客に応じるにも、手紙を書くにしても粗相のない様にする。そこの処で操存はすること。操存とは、いつもの道を行っているのに何故かうまく進まないので、これは狐に騙されたのではないかと眉毛を唾で濡らすと、狐に引かれることはないという様なこと。狐だと気が付けば、うっかりとはしない。そこの処は合点したが、事のない時にはどうもきっかけがない。そこで工夫がし難い。ここのところが大事だと李端伯が問うたのである。尤も当て所のない処が存養だが、当たりがないからそこでこの問いが出た。今日の書物を読む者や学者では気の付かないこと。私などは、この様に講釈はしてもそれを知らない。
【語釈】
・視而不見聞而不聞…大学章句7。「心不在焉、視而不見、聽而不聞、食而不知其味。此謂脩身在正其心」。
・不爲仰面貪て看鳥囘頭錯應人者幾希矣…大学或問。「其不爲仰面貪看鳥、回頭錯應人者幾希矣」。
・李端伯…李籲。緱氏の人。二程氏の語を記録し、師説と名付けた。程氏遺書第一巻がそれである。

曰、されはよとや。古之人云々。存養は全体で云。そこて事にかかるときてはない。夫故に、存養と気附位では役に立ぬ。氣の付ぬときのことなり。直方先生、小学は桑名の夜舟しゃと云へり。いつとなく七里行く。小学は洒掃應對云々をする内か存養なり。今日の役にたてすとも、あとか違ふそ。耳之於樂。古は鼻のさきか礼樂なり。平生と云でよい。今日の学者か舜の音樂を聞たとて、よくなる氣遣はない。虫藥を飲たようにはきかぬものそ。蘭じゃ待でもちらりとては匂いは移らぬ。日用万事のことかすくに礼樂ぞ。其上へ、古へは礼樂のせいろふてむされる。礼樂でひたしておる。藥種屋の匂ひのよいやうなもの。小僮迠て匂ふ。存養と云たとて坊主の座禪堂へ引込んでおるやうなてはない。いつも々々もと云心がけか存養なり。左右起居云々。平生立居ふるまいを云。盤盂几杖云々。日々用る道具て存養入るそ。
【解説】
「曰、古之人、耳之於樂、目之於禮、左右起居、盤・盂・几・杖」の説明。存養とは、気が付かない時にすることで、今は役に立たなくても、後で効果が出て来るもの。古は日常に礼楽があった。日頃の心掛けが存養なのである。
【通釈】
「曰」とは、それならということ。「古之人云々」。存養は全体で言うことで、事に取り掛かる時だけのことではない。そこで、存養と気付く程度では役に立たない。存養とは、気が付かない時のこと。直方先生が、小学は桑名の夜舟だと言った。知らない内に七里行く。小学は洒掃応対云々をする内が存養である。今日の役に立てなくても、後が違って来る。「耳之於楽」。古は鼻の先に礼楽があった。平生というのでよい。今日の学者が舜の音楽を聞いたとしても、よくなる気遣いはない。虫薬を飲んだ様には効かないもの。蘭奢待も少しだけでは匂いは移らない。日用万事のことが直に礼楽である。その上、古は礼楽の蒸籠で蒸される。礼楽で浸している。それは、薬種屋でよく匂う様なもの。小僧まで匂う。存養と言っても、坊主が座禅堂へ引っ込んでいる様なことではない。いつもという心掛けが存養である。「左右起居云々」。平生の立居振舞いを言う。「盤盂几杖云々」。日々に用いる道具で存養が心に入る。
【語釈】
・桑名の夜舟…桑名の七里の渡し。東海道は尾張の熱田から伊勢の桑名までの七里を船で渡る。これを「七里の渡し」と言う。
・蘭じゃ待…蘭奢待。聖武天皇の時代、中国から渡来したという名香。

有銘有戒。大ふ面白ことそ。湯王の盤の銘に苟日新も、どふやら手づつなことのやうで、垩人には食ひたらぬ様なれとも、銘をたのむと云か平生のこと故によいことになる。大戴礼なとにも、武王か丹書を太公より傳へてから何にも角にも銘を書て置たが湯王と同し意なり。盤に銘を書心からして垩人になられた。そこて湯王を誠敬日躋と云なり。是がずんと前方のやうな仕方て、垩人は直になりそふなものなれとも、平生の銘戒を看ると云て油断はないぞ。是か面白あやで、何ぼ心に油断がないと云てもそう々々はつづかぬもの。そこで銘戒ありと云へは外から膏藥をはったやうなれとも、輕ひことで合点するかよい。江戸の町抔て、店先きにて、たはこ無用と方々に書てある。あれか銘戒の親切な処と看ることそ。どのやうな不埒ものても、其下でたばこを呑むものはない。父の忌日に肴さへ喰ふやつが、煙艸無用にかまいそふもないものぞ。されとも、たはこ無用と云ふ張札の下て吹れぬは銘戒の調法そ。又、前ん殿様の御息が有難と云ても、ふと肴くへは役に立ぬ。其より門に魚鳥留と云のあるてよいそ。佛者か心法と云とこちの得手ものと云てかかっても、却て心をとりはづすか、垩賢のは地道にかかる。有銘有戒なり。武士の子が幼年から刀をさす。存養そ。夫故に、存養は軍を見て矢を矧やうなことではない。前廣にすることぞ。春の長閑な日に火の用心を觸るやうなものて、中々頼んても火事の出来る氣遣はない。入梅にも觸る。そこが不視戒謹不聞恐懼す。見付てからの用心はをそい。そこもめったに手のつけにくひ工夫ゆへ、平生銘戒のと業の上てするてよいそ。
【解説】
「有銘有戒。動息皆有所養」の説明。聖人は銘を書いて置いた。心に油断がないと言っても、それを長く続けるのは難しい。日頃から銘戒を見ているので油断がないのである。存養とは、前々からすることで、平生から有銘有戒と業の上でするのである。
【通釈】
「有銘有戒」。ここは大分面白いこと。湯王の盤の銘に「苟日新」とあるのも、どうやら拙いことの様で、聖人にしては物足りない様だが、銘を恃むことが平生のことなので、よいことになる。大戴礼などにも、武王が丹書を太公より伝えられてから何にでも銘を書いて置いたとあるのが、湯王と同じ意である。盤に銘を書く心からして、聖人になられたのである。そこで湯王を「誠敬日躋」と言う。ここはかなり初歩的な仕方であり、聖人は直ぐに成りそうなものだが、平生銘戒を看ると言うので油断がない。ここが面白い綾で、いくら心に油断がないと言ってもそうそうは続かないもの。そこで有銘有戒と言えば外から膏薬を貼った様だが、軽いことで合点するのがよい。江戸の町などで、店先に煙草無用と方々に書いてある。あれが銘戒の親切な処だと看なさい。どの様な不埒者でも、その下で煙草を呑むものはいない。父の忌日に肴さえ喰う奴が煙草無用に構いそうもないものだが、しかし、煙草無用という張札の下で煙草を吹かないのは銘戒の重宝なところである。また、前の殿様の恩沢が有難いと言っても、ふと肴を喰えば役には立たない。それより門に「魚鳥留」とある方がよい。心法と言うと、仏者は自分の得意なものだと言って掛かるが、却って心を取り損なう。聖賢の心法は地道に掛かる。有銘有戒である。武士の子が幼年から刀を差す。これが存養である。存養とは軍を見て矢を矧ぐ様なことではなく、前々にすること。春の長閑な日に火の用心を触れる様なもので、中々頼んでも火事の起きる気遣いはない。入梅にも触れる。そこが「不視戒謹不聞恐懼」である。見付けてから用心するのでは遅い。それもかなり手の付け難い工夫なので、平生から有銘有戒と業の上でするのがよい。
【語釈】
・苟日新…大学章句2。「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」。
・誠敬日躋…詩経商頌長発。「帝命不違、至于湯齊。湯降不遲、聖敬日躋」。
・前方…①ひかえ目であること。②旧式なこと。時代おくれなこと。
・魚鳥留…精進のため、喪中や忌日に魚鳥類を家の中にいれないこと。
・前廣…以前。まえかた。
・不視戒謹不聞恐懼…中庸章句2集註。「君子知其在我。故能戒謹不睹、恐懼不聞、而無時不中」。

今皆廢此。これからが氣の毒咄しなり。能道具かなくなった。今皆廃は、橋にらんかんのなくなったやうなもの。そこて火事のときに落る。人かよくなられぬ。獨とは、されともよいものが一つある。孟子猶芻豢之悦我口。理義之心を養ふと云が有となり。これはいつの世にもあるもの故にたのもしい。秦始皇が儒者を穴にし書を焚たが、此理義の養心もの迠焚くことはならぬ。理義の心を養ふは此方にあるものて養ふ。これははへぬきのものそ。丁ど火事のときにかけて行から喉かかわく。水一つと云ても何にもない。其ときは靜にして居れば、いつの間にやら津液の潤ひてかわきが止む。是はへぬきのうるをいで心を養ふ。たたい水があればよいか、水がないからつばを呑む。礼樂も戒もない。そこで理氣でやしなふ。是は桀紂の代てもあるそ。
【解説】
「今皆廢此。獨有理義之養心耳」の説明。昔あったよい道具も今はなくなってしまったが、理義の心を養うということが残っている。今は礼楽も戒めもないので、理気で心を養うのである。
【通釈】
「今皆廃此」。これからが気の毒話である。よい道具がなくなった。今皆廃は、橋の欄干がなくなった様なもの。そこで火事の時には落ちる。人がよくなることができない。「独」とは、しかしよいものが一つあるということ。孟子が「猶芻豢之悦我口」と言った。「理義之心」を養うということがあると言った。これはいつの世にもあるものなので頼もしい。秦の始皇帝が儒者を穴に埋めて書を焚いたが、この理義の心を養うことまでを焚くことはできない。理義の心を養うのは自分にあるもので養う。これは、生まれ付きのもの。丁度火事の時に駆けて行くから喉が渇く。水を一杯と言っても何もない。その時は静かにしていれば、いつの間にか唾の潤いで渇きが止む。ここは生まれ付きの潤いで心を養うこと。本来、水があればよいが、水がないから唾を呑む。そこには礼楽も戒めもない。そこで理気で養う。これは桀紂の世にもあること。
【語釈】
・猶芻豢之悦我口…孟子告子章句上7。「聖人先得我心之所同然耳。故理義之悅我心、猶芻豢之悅我口」。

存此涵養意云々。是は直に理義のことを云たもの。是をはなさすにすれは、理義が太ってくる。菊や牡丹にこやしをすれは、花のうるをいがよい。偖、涵養と云へはこやしとこそ云へ、仕方がしれぬゆへ、もう一つ大事なことを示す。さて、是か敬の字て事すむそ。百匁かけの蝋蠋も風があてると明りがわるい。そこでぼんぼりをかけるで百匁かけのあかりがする。凡人は人欲でさわかしいから心かてらぬ。そこへ敬と云ぼんぼりをかけると氣質人欲のそわたちがなくなって、そこて直内なり。直は理義と云まっすぐな細ひ道をまっすぐに行くことぞ。田の畔道を通るやうなもの。とちぞへ寄ると落る。人欲の外へ足をふみ出すと落る。孝心も体の可愛て親か度々呼べは、はてやかましひ、さまてもないことにぎゃふさんなと云てゆかぬ。そこか脇へ足の出たのぞ。偖、この直の字、日本ての和訓、すぐと云も聞へたことぞ。杦の木をすぎと訓するも、杉と云ものがなをいものゆへにすきと云。孟子も、以直而養ふ。直て浩然の氣になる。只金時弁慶のやうにつよいと云ことてはない。直は胸の中へ道理の外なものを置ぬことそ。江戸てもたをれものがあると辻番か出て押拂ふ。なせなれは、居る間じき人かをるからなり。人欲は心にをらぬ筈。人欲かいると天理は迯る。同坐はせぬ。偖、涵養は毎日々々掃除をするやうなもの。客かすいからを落す。直に掃からしてごみはない。今日の学者は朔日十五日にはくから役に立ぬ。存養は急な間には合ぬか、大事なものそ。非番はない。是程したからよかろふと云ことはないなり。
【解説】
「但存此涵養意。久則自熟矣。敬以直内、是涵養意」の説明。凡人は人欲で騒がしいから心が照らない。「直内」には敬を用いる。敬によって人欲が心に入って来られなくなる。直は理義という真っ直ぐな細い道を真っ直ぐに行くことで、胸の中へ道理の外のものを置かないこと。涵養とは、毎日掃除をする様なことで、毎日するのが大事なのである。
【通釈】
「存此涵養意云々」。これは直に理義のことを言ったもの。ここを離さずにすれば理義が太って来る。菊や牡丹に肥やしをすれば花の潤いがよい。さて、涵養とは肥やしだとこそ言うが、その仕方がわからないのでもう一つ大事なことを示す。さてここは敬の字で事が済む。百匁蝋燭も風を当てると明かりが悪くなる。そこでぼんぼりを掛けるから百匁蝋燭分の明かりがする。凡人は人欲で騒がしいから心が照らない。そこへ敬というぼんぼりを掛けると気質人欲の揺らぎがなくなり、そこで「直内」となる。直は理義という真っ直ぐな細い道を真っ直ぐに行くこと。それは田の畔道を通る様なもので、どちらかに寄ると落ちる。人欲という外へ足を踏み出すと落ちる。孝心であっても自分の体が可愛いので、親が度々呼べは、さて喧しいことだ、それほどでもないのに大袈裟なことだと言って行かない。そこが脇へ足が出たこと。さて、この直の字が日本の和訓ですぐと言うのもよくわかる。杦の木をすぎと訓するのも、杉というものが直いものなのですぎと言う。孟子も「以直而養」と言った。直で浩然の気になる。ただ金時や弁慶の様に強いということではない。直とは、胸の中へ道理の外のものを置かないこと。江戸でも行き倒れがあると辻番が出て追い払う。それは何故かと言うと、いてはならない人がいるからである。人欲は心にいない筈。人欲がいると天理は逃げる。同座はしない。さて、涵養は毎日掃除をする様なもの。客が吸い殻を落とす。直ぐに掃くから塵はない。今日の学者は一日と十五日に掃くから役に立たない。存養は急場には間に合わないが大事なもの。非番はない。これほどしたのだからもうよいだろうということはない。
【語釈】
・以直而養…孟子公孫丑章句上2。「其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之閒」。


第十 呂與叔嘗言の条

呂與叔嘗言、患思慮多、不能驅除。曰、此正如破屋中禦寇。東面一人來未逐得、西面又一人至矣。左右前後、驅逐不暇。蓋其四面空疎、盜固易入、無縁作得主定。又如虚器入水。水自然入。若以一器、實之以水、置之水中、水何能入來。蓋中有主則實、實則外患不能入、自然無事。
【読み】
呂與叔嘗て言う、思慮多くして、驅除すること能わざるを患う、と。曰く、此れ正に破屋中に寇を禦ぐが如し。東面より一人來りて未だ逐い得ざるに、西面より又一人至る。左右前後、驅逐して暇あらず。蓋し其の四面空疎なれば、盜は固より入り易く、縁りて主と作り得定まること無ければなり。又虚器の水に入るが如し。水は自然に入る。若し一器を以[もち]い、之を實[みた]すに水を以てして、之を水中に置かば、水何ぞ能く入り來らん。蓋し中に主有らば則ち實ち、實たば則ち外患入る能わず、自然に事無からん、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

偖、爰には前後中、程門の衆の心の問か三つあり、皆心のことに氣をつけて云たことぞ。あの漢唐を絶学と云も悪口のやうなれとも、漢唐に此様な問ひ合せはないそ。患は殊の外こまると云か、はや療治をする氣なり。不能驅除云々。人の心にうかぶへきことか浮べは重疂なことなれとも、思ふましきことを思ふてこまる。そふたい思は小利口なものに多くあるものそ。馬鹿には却てないものそ。今度焼たらは南向にせふの、北の方へ窓を付けよふのと役たいもないことを思ふそ。心と云ものは形ないものて、牛部屋に牛をつないたやうてはない。爰に手段かないと、丁ど白人の鱣をつかまへるやふなもので、手にあまるもの。鱣屋のやふにはならぬ。うなき屋はつかまへ処を知れは何のことはないぞ。此正如破屋中云々。こまる筈じゃ。あばらやじゃとなり。戸のしめりがないから盗人かすきな処から入る。たたい盗人は屋尻を切て入るものしゃに、方々か明ひてをるから屋尻を切に及はぬ。
【解説】
「呂與叔嘗言、患思慮多、不能驅除。曰、此正如破屋中禦寇。東面一人來未逐得、西面又一人至矣。左右前後、驅逐不暇。蓋其四面空疎、盜固易入、無縁作得主定」の説明。呂与叔が思い患うことが多くて困ると言ったことに対して、程子は、それは心に閉まりがないからであり、それでは様々な人欲が入って来るのは当然だと答えた。心は形のないものだが、掴まえ処がある。
【通釈】
さて、ここには前後を挟んで、程門の衆の心に関しての問いが三つあるが、皆心のことに気を付けて言ったことである。あの漢唐を絶学と言うのも悪口の様だが、漢唐にこの様な問い合わせはない。「患」は殊の外困ると言うのが、早くも療治をする気構えである。「不能駆除云々」。人の心に浮かぶべきことが浮かべは重畳なことだが、思ってはならないことを思うので困る。全体、思いは小利口な者に多くあるもので、馬鹿には却ってそれがない。今度家が焼けたら南向きにしようとか、北の方へ窓を付けようと詰まらないことを思う。心というものは形のないもので、牛部屋に牛を繋ぐ様なことではない。ここに手段がないと、丁度素人が鰻を掴まえる様なもので手に余る。鰻屋の様にはならない。鰻屋は掴まえ処を知っているので何事もない。「此正如破屋中云々」。困る筈だ、それではあばら屋だと言った。戸の閉まりがないから盗人が好きな処から入る。そもそも盗人は家尻を切って入るものなのに、方々が開いているから家尻を切るには及ばない。
【語釈】
・呂與叔…程伊川の門人。呂大臨の字。汲郡の人。

又虚器入水云々。同しやうな譬を云れた。德利を水中へ入るとすう々々と水か入るか、德利へ水を一盃入れて川へ入ると水か入ることはならぬ。こなたは大海を手でふさぐやうて、只思ひを除きたかるか、彼うなきの譬て、つかまへ処を覚へると何の苦はない。盖中有主則實云々。これかつかまへる処を示す。是はあまり重くれて見ることてない。実と云は心の実しりとなりてをることそ。越後屋の手代なとは論するにも足らぬ者じゃか、商と云主あるそ。只心に賣物のことを思てをるから主一無適なり。あれも心に上留理や芝居のことを思ふてをらはさぞ間違たらけて有ふか、呉服屋のあの大勢の買手に間違ないは心の中に商より外はない。そこて何ても入ることはならぬ。
【解説】
「又如虚器入水。水自然入。若以一器、實之以水、置之水中、水何能入來。蓋中有主則實」の説明。徳利に水を一杯に入れて川の中に入れれば、後から水が入って来ることはない。心もそれと同じであって、満たせば外から入って来るものはない。
【通釈】
「又虚器入水云々」。同じ様なたとえを言われた。徳利を水中へ入れると水が入るが、徳利へ水を一杯に入れて川へ入れると川の水は入ることができない。貴方は大海を手で塞ぐ様で、ただ思いを除きたがるが、あの鰻のたとえの様に、掴まえ処を覚えると何も苦はない。「蓋中有主則実云々」。これが掴まえ処を示したこと。ここはあまり重々しく見なくてもよい。「実」とは心がぎっしりとなっていること。越後屋の手代などは論じるにも足りない者だが、商いという主がある。ただ心に売り物のことを思っているから「主一無適」である。あれも心で浄瑠璃や芝居のことを思っていればさぞ間違いだらけだろうが、呉服屋のあの大勢の買手に対しても間違いがないのは、心の中が商いより外にないからである。そこで、何も入ることはできないのである。
【語釈】
・主一無適…論語学而5集註。「敬者、主一無適之謂」。

狐につかるるは心の留主になった処そ。邪氣乘虚入。実と云は、外からものの入る間はない。能なし食巧み咁ひものを喰ひたかる。君子無求食飽の注に不暇及とある。甘ひものの人欲だの、喰たいものじゃのと云迠やりたてす、君子は隙がないとなり。道と云有主ゆへなり。大名の門から巾着切の入ることならぬ。門番かきっとしておるからそ。寺は大くても入る。外患不能入。有主ば馬鹿々々しい思慮はをこらぬ。自然と無事は何事もないときに、呂東来の、無事を非棄事也と云れた。捨るやうに思をふかと用心なり。さうしたことてはない。外のことを思はぬこと。そこかすくに無事なり。迂斎云、呂与叔が親切な意なれとも、病因を知らぬ問そ。をれか足のたるいも食のならぬも訳があると、病因を知ふことそ。盖からは病因を知せたものて、爰から掛れと云たなり。
【解説】
「實則外患不能入、自然無事」の説明。「実」とは、外からものが入る隙のないこと。孔子も道を主としたので、「不暇及」である。心を満たして外のことが入らない様にすれば「無事」となる。
【通釈】
狐に憑かれるのは、心の留守になった処からである。「邪気乗虚入」である。「実」とは、外からものが入る間のないこと。能なしの食道楽は甘いものを喰いたがる。「君子無求食飽」の注に「不暇及」とある。甘いものは人欲だの、喰いたいものだとなどとは言及せず、君子には暇がないと言った。それは、道という主があるからである。大名の門から巾着切は入ることができない。それは、門番がしっかりとしているからである。寺は大きくても入る。「外患不能入」。主があれば馬鹿々々しい思慮は起こらない。「自然」と「無事」は何事もない時のことで、呂東来は、無事のことを「非棄事也」と言われた。それは、捨てる様に思うだろうとの用心からである。そうしたことではなく、外のことを思わないこと。そこが直に無事である。迂斎が、呂与叔の問いは深切な意からのものだが、病因を知らないと言った。俺の足が怠いのにも、食が進まないのにもわけがあるのだと、病因を知らなければならない。「蓋」からは病因を知らせたもので、ここから取り掛かれと言ったのである。
【語釈】
・邪氣乘虚入…
・君子無求食飽…論語学而14。「子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事、而愼於言。就有道而正焉。可謂好學也已」。
・不暇及…論語学而14集註。「不求安飽者、志有在、而不暇及也」。


第十一 邢和叔言吾曹云々の条

邢和叔言、吾曹常須愛養精力。精力稍不足則倦、所臨事皆勉強而無誠意。接賓客語言尚可見。況臨大事乎。
【読み】
邢和叔言う、吾が曹は常に須く精力を愛養すべし。精力稍[やや]足らざれば則ち倦み、臨む所の事は皆勉強して誠意無し。賓客に接する語言にすら尚見る可し。況んや大事に臨みてをや、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一にある。

此章は丸に和叔か説なり。二程の思召に叶たからのせたもの。孔門の衆の語を論語へのせたと同ことなり。程子の語はない。精力。氣魂のことて、玉しいのことを云。色々云ても氣の上のことなり。偖、この章は医者めいて説くかよいそ。惣体ものは似たことても根の違ふことを知るかよい。仏の座禪と儒の靜坐は中は違へとも、靜坐する処は同しことそ。医者かじっとして靜にして精神をつかわぬか養生になる、と。儒の存養は似たことじゃか、医者は氣の為め、儒は理のためなり。されとも、医ても儒ても無用に精神を使はぬと云は同ことそ。爰か医者と相談のなる処じゃ。すれは、あれと一つてないと云に及ぬ。あまりせくこともないにせいたり、物を苦にしたり、面白咄を聞て大笑をするも元氣の毒なり。天からの元氣をついやさぬやうにするを愛羪と云。偖、胡敬斎が、朱子の調息之箴なとは作らぬ筈だと居業録に云てあるそ。あれは寸志て朱子をひいきしたことなれとも、目の届ぬのなり。神仙めくと後世の迷になると云たなれとも、知りよふか浅ひ。医者めくのよいことかある。それをやはり體のあつかひて理も活てをると云ことを知らぬなり。
【解説】
「邢和叔言、吾曹常須愛養精力」の説明。この章は医者めいて説くのがよい。医でも儒でも無用に精神を使わないのがよいと言うのは同じことであり、ただ、医者は気のため、儒は理のためにそれをする。天から貰った元気を費やさない様にすることを「愛養」と言う。気の扱い次第で理の死活ができる。
【通釈】
この章は丸ごと和叔の説である。二程の思し召しに叶ったから載せたもの。孔門の衆の語を論語へ載せたのと同じことである。ここに程子の語はない。「精力」。気魂のことで、魂のことを言う。色々と言っても気の上のことである。さて、この章は医者めいて説くのがよい。総体、ものは似ていても根が違うことを知りなさい。仏の座禅と儒の静座は中は違うが、静座する処は同じこと。医者がじっと静かにして精神を使わないのが養生になると言う。儒の存養はそれに似ているが、医者は気のため、儒は理のためにそれをする。しかし、医でも儒でも無用に精神を使わないというのは同じこと。ここが医者と相談のなる処である。そこで、医者と同じではないと言うには及ばない。あまり急くこともないのに急いたり、物を苦にしたり、面白い話を聞いて大笑いをするも元気の毒である。天から貰った元気を費やさない様にすることを「愛養」と言う。さて、胡敬斎が朱子は調息之箴などは作らない筈だと居業録で言っている。あれは朱子を贔屓して寸志で言ったことだが、目が届いていない。神仙めくと後世の迷いになると言う意だが、知り方が浅い。医者めくことでよいことがある。それがやはり、体の扱い次第で理も活きることを知らないからである。
【語釈】
・和叔…邢和叔。邢恕。陽武の人。
・胡敬斎…
・調息之箴…

無之則餒ゆとある。孟子の浩然のも氣と云たて前垩未發なり。氣の養はるるて道義か熟して来る。理に叶ふたよいことを云ても、氣の養かなけれはひびかぬ。道理に合せる計てなく、氣の上かわるけれは、理も手よはくなる。講席てもあくびの出ると云かわるいことそ。氣がたっふりとないからなり。平生の養かわるいから明日の客に今日からあくせくして精をつからす。こちにあまりかいないからじゃ。勉強而無誠意。迂斎云、不快なき花見にいたやうなもの。ふっくりとせぬ。早く内へ帰りたくなる。曽点の氣象と云もふっくりとしたことそ。暮春者春服既成も初めの琴を舎て立て、對曰なとと丁寧に記してある。ゆったりとした体なり。勉強体でない。無誠意は本んめかぬこと。大学の誠意のやふに重くれて看ることてないそ。花のやふでも生花のやうでなく、草臥たときに客の来たやふて、能ふ御座たと云ても誠意なしなり。
【解説】
「精力稍不足則倦、所臨事皆勉強而無誠意。接賓客語言尚可見」の説明。気を養うことによって道義が熟し、理が心に響く。平生の養いが悪いから精が疲れる。
【通釈】
「無之則餒」とある。孟子が浩然の気と言ったが、それが前聖未発のところである。気が養われるので道義が熟して来る。理に叶ったよいことを言っても、気の養いがなければ響かない。道理に合わせるだけではない。気の上が悪ければ、理も手弱くなる。講席でも欠伸が出るというのが悪いことで、気がたっぷりとないからである。平生の養いが悪いから、明日の客に今日からあくせくして精を疲れさせる。それは自分があまりに甲斐ないからである。「勉強而無誠意」。迂斎が、不快な花見にいる様なものだと言った。それではふっくりとしない。早く家に帰りたくなる。曾点の気象というのもふっくりとしたこと。「暮春者春服既成」も初めの琴を置いて立ち、「対曰」などと丁寧に記してある。ゆったりとした姿である。勉強風ではない。「無誠意」は本物めかないこと。ここは大学の誠意の様に重々しく見てはならない。花でも生花の様でなく、草臥れた時に客の来た様で、よくいらっしゃった言っても誠意がない。
【語釈】
・無之則餒ゆ…孟子公孫丑章句上2。「敢問何謂浩然之氣。曰、難言也。其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之閒。其爲氣也、配義與道。無是、餒也」。
・曽点の氣象…論語先進25。「點、爾何如。鼓瑟希、鏗爾、舍瑟而作。對曰、異乎三子者之撰。子曰、何傷乎。亦各言其志也。曰、莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。夫子喟然歎曰、吾與點也」。

臨大事云々。天下国家て云。人事の上には大事と云ふある。今日て五三日つめきりと云ことあるも、其ときに草臥る。一大事をしりそこなふ。悪ひ人てよくも知るる。曹操は臨事氣盈とある。玉しいの養がちごう。そふなふて、あれほどなことをすることはならぬ。一大事の相談のとき、此方の元氣かなく盈ぬと仕損じができる。能書も不快のときは、いつもの氣象には書けぬ。すれは氣と云ものは馬鹿にされぬものじゃ。ひだるいときはいつものやうには異端も弁じられぬ。偖、存養をこんな処にあるを学者が聞て、医者てはなしと云はふか、是の養でなけれは秤かない。一大事と云ものは度々はないもの。若林の靣白ことを云た。若林の学問の手に入たと云も爰らて看へる。あの奴な人て、親の喪にも小身なものは食事して掛るかよいと云へり。家礼三日不食とあろふとも、茶漬ても食へとなり。あとに大事があるからと云た。礼を主張する学者は三日不食云をしてか、それもよかろけれとも、小身なものは手づからするゆへに三日食ぬては松脂もかけられぬ。穴も最ふ一尺と云処で掘りさすものぞ。精かなけれは一大事の本意遂られぬと云は、あの喪礼の心得にさへあるそ。
【解説】
「況臨大事乎」の説明。精が疲れれば一大事を仕損じる。若林が、喪礼は三日不食でも、小身者は自らがするのだから茶漬でも食えと言ったが、それは、精がなければ一大事の本意を遂げられないからである。
【通釈】
「臨大事云々」。天下国家のことで言う。人事の上には大事ということがある。今日で数日詰め切りということがあって、その時は草臥れて一大事を知り損なう。それは悪い人でよくわかる。曹操は「臨事気盈」とある。魂の養い方が違う。そうでなくては、あれほどのことをすることはできない。一大事の相談の時に、こちらに元気がなくて盈ちないと仕損じができる。能書も不快な時は、いつもの気象の様には書くことができない。そこで、気というものは馬鹿にできないもの。空腹な時はいつもの様には異端も弁じられない。さて、存養とはこんな処にあると学者が聞いて、学者は医者ではないと言い張るが、この養でなければ秤がないのと同じ。一大事というものは、度々はないもの。若林が面白いことを言った。若林が学問を手に入れたというのもここ等で見なさい。あの様な人だが、親の喪にも小身者は食事をして取り掛かるのがよいと言った。家礼に三日不食とあるが、この後に大事なことがあるのだから茶漬でも食えと言った。礼を主張する学者は三日不食をするのがよいだろうが、小身者は自らがするので三日も食わなくては松脂もかけられない。穴ももう一尺という処で掘り止まるもの。精がなければ一大事の本意を遂げられないというのは、あの喪礼の心得にさえあるのである。
【語釈】
・五三日…数日。
・臨事氣盈…
・小身…地位が低く、俸禄の少ない人。


第十二 明道先生曰学者全体此心の条

明道先生曰、學者全體此心。學雖未盡、若事物之來、不可不應。但隨分限應之、雖不中不遠矣。
【読み】
明道先生曰く、學者は此の心を全體せよ。學未だ盡くさずと雖も、若し事物來らば、應ぜざる可からず。但分限に隨いて之に應ぜば、中らずと雖も遠からじ、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

全くと云は詞字にすれは專と云意にもまわる。全を專とみるて一通りの詞字より重く、余のことなしに專に心を体する。どふ云ても重くなる。心は有難ひものて、備衆理而應万事者也。又、万物皆備於我も心へたたみ込てあること。心か尊ひから、そこて專一に此心を体せよと云ことなり。体は心を大黑柱にして、何もかも持かけること。全体此心と讀ては孟子の尽心のやうになる。全くは詞字。何ことはない。体此心と云か、何ことも心を目あてにすること。心はよいにした口上なり。「万能一心」と云も心のこと。よい聟を取たいと云も心のこと。邵子が心を為太極と云たも心。心て何もかもする。太極は造化の眞木。心が人の眞木なり。何ても心より外はない。学問も手や足でするものでないからそと云と、陸王が、それみよ、致知格物は入らぬと云か、そうはならぬ。此方は其上を其心を以て挌物致知するそ。
【解説】
「明道先生曰、學者全體此心」の説明。心は尊いから、専一にこの心を体さなければならない。心を専一に体すればよいと言うと、陸象山や王陽明が、それだから致知格物は要らないと言うが、そうではない。心を専一に体した上で格物致知をするのである。
【通釈】
「全」は詞字にすれば専という意にもなる。全を専と見なすと一般の詞字より重くなって、他のことはせず専らに心を体すると読むことになるが、どの様に言ったとしても重いこと。心は有難いもので、「備衆理而応万事者也」。また、「万物皆備於我」も心へ畳み込んだこと。心が尊いから、そこで専一にこの心を体せよということなのである。「体」とは、心を大黒柱にして何もかも持ち掛けること。「全体此心」と読んでは孟子の尽心の様になる。「全」は詞字であって、何のこともない。この心を体すと言うのが、何事も心を目当てにすること。心はよいものだとする口上である。「万能一心」と言うのも心のこと。よい婿を取りたいというのも心のこと。邵子が「心為太極」と言ったのも心のこと。心で何もかもする。太極は造化の真木で、心は人の真木である。何でも心より外はない。それは学問が手や足でするものではないからだと言うと、陸象山や王陽明が、それ見ろ、致知格物は要らないと言うが、そうではない。こちらはその上に、その心で格物致知をするのである。
【語釈】
・備衆理而應万事者也…大学章句1集註。「明德者、人之所得乎天、而虚靈不昧、以具眾理而應萬事者也」。
・万物皆備於我…孟子尽心章句上4。「孟子曰、萬物皆備於我矣。反身而誠、樂莫大焉。強恕而行、求仁莫近焉」。
・万能一心…万能足りて一心足らず。あらゆる事に達しているが、心の修養が足りない。
・心を為太極…

学雖未尽云々。尽は至善の至の字と同し。孟子の到至處か尽たのなり。其迠行つかぬけれとも、人は五倫日用と云かある。学問か上らぬとて、向て来る五倫日用ある。親が呼ても挌致ない内はめったに返事ならぬとは云れぬ。だたい至処につまるは垩人てなけれはならぬか、それたけ靣々式ほとにはなる筈。舜や曽子の様にならぬから、孝は出来ぬとは云れぬ。ただ分限相応かあるものそ。雖不中不遠矣。全く心を体せよか爰のこと。心の妙を云ものそ。是は大学の文字なれとも、あなかち大学の文章て云と當りか違ふ。孟子に度然後知長短物皆然心為甚。是て心のうそはならぬもの。雖不中不遠なり。注に本然の権度と云てあるて權度さへ立てはよい。そこをつかまへると余り違はないと云ことと云と王陸が悦ふが、喜ぶ程に云かよい。遠慮はないそ。王陸は心計立て云からわるい。程朱のは致知格物をするにしてをいて、心と出るからよい。爰は王陸に成程に説がよい。あまり用心すると、寒氣見廻に行て、殊の外寒ふごさるかやがて暖になると云には及はぬ。天地も寒ときは寒ひはかり、暑ひときは暑計。寒見回は只寒ひと云てよい。ここは只心はかりを主に云かよい。学問も別々そ。是挌致の跡の存羪なり。別々じゃ。知を云ときは知を云ぬく。心のときは心を云ぬく。あとさきをか子ることはない。搆ふことはないと云ぬく。時々一盃を云ぬくかよい。
【解説】
「學雖未盡、若事物之來、不可不應。但隨分限應之、雖不中不遠矣」の説明。人には五倫日用があり、聖人になれないとしても、分限相応になることはできる。ただ、権度さえ立てばよい。知を言う時は知を言い抜き、心の時は心を言い抜くのがよい。
【通釈】
「学雖未尽云々」。尽は至善の至の字と同じ。孟子の「到至処」が尽きたこと。そこまで行き着かないとしても、人には五倫日用というものがある。学問が上がらないとしても、向こうから来る五倫日用がある。親が呼んでも、格致のない内は滅多に返事をしてはならないとは言えない。そもそも至処に詰まるのは聖人でなければできないことだが、その分だけは各自相応に成る筈である。舜や曾子の様にならないから孝はできないとは言えない。ただ分限相応ということがあるもの。「雖不中不遠矣」。「全体此心」というのがここのこと。心の妙を言ったもの。ここは大学にある文字だが、あながち大学の文章で言うのとは当たりが違う。孟子に「度然後知長短物皆然心為甚」とあり、これだから心の嘘はならないのであり、それが雖不中不遠である。注に本然の権度とあるので、権度さえ立てばよい。そこを掴まえればあまり違いはないと言えば王陸が喜ぶが、喜ぶほどに言うのがよい。遠慮はいらない。王陸は心だけを立てて言うから悪い。程朱は致知格物をすると言って置いて、心と出るからよい。ここは王陸に成るほどに説くのがよい。あまり用心をし過ぎると、寒気見舞いに行って、殊の外寒いがやがて暖かになると言うほどになる。それは言うには及ばないこと。天地も寒い時は寒いだけ、暑い時は暑いだけ。寒気見舞いではただ寒いと言うのでよい。ここはただ心だけを主にして言うのがよい。学問も別々にする。これが格致の後の存養である。別々なのである。知を言う時は知を言い抜く。心の時は心を言い抜く。後先を兼ねることはない、構うことはないと言い抜く。時々に一杯に言い抜くのがよい。
【語釈】
・到至處…孟子序説。「或問於程子曰、孟子還可謂聖人否。程子曰、未敢便道他是聖人。然學已到至處」。
・雖不中不遠矣…大学章句9。「康誥曰、如保赤子。心誠求之、雖不中、不遠矣。未有學養子而后嫁者也」。
・度然後知長短物皆然心為甚…孟子梁恵王章句上7。「權然後知輕重、度然後知長短。物皆然。心爲甚」。
・本然の権度…孟子梁恵王章句上7集註。「若心之應物、則其輕重長短之難齊、而不可不度以本然之權度、又有甚於物者」。


第十三 居處恭云々の条

居處恭、執事敬、與人忠。此是徹上徹下語。聖人元無二語。
【読み】
居處には恭しく、事を執りては敬み、人と忠なり。此は是れ徹上徹下の語なり。聖人には元より二語無し。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

何のこともなく内に居るときのこと。恭は形の上のしゃんとしたこと。居處とはどのやうなことなれば、人を相手にせぬときのこと。一寸壁のすき間から除て見た処か恭なり。そこか居処なり。客の前ては誰も恭なれとも、垩人は石のかろふとの中でもと云が恭ぞ。女房の針仕事している側ても恭なり。是か内外打ぬきなことなり。執事敬。大小よらす何ぞ事の一つ向て来たときのこと。なけやりになく專一か敬なり。與人忠。親子兄弟から他人迠、吾身をはなれたものは人と云そ。新民と云ても天下の百姓てないやふなもの。吾ゆへに弟かよくなれは、弟も民なり。瞽叟底豫は舜の新民なり。それと同こと。我身をのけては皆人と云。忠は吾心の形を向へすっと出すこと。此三つか未発の工夫と違ふて、しっかりと見へる処を云。是を論語で孔子の仁のことに云た。仁は心のこと。内にはいって建立することかと云に、恭敬忠と外からのこと。
【解説】
「居處恭、執事敬、與人忠」の説明。独りでいる時にも恭であり、事がある時には専一にする。自分以外の人に対しては忠である。この恭敬忠は目に見えることである。
【通釈】
これは何事もなく家に居るときのこと。「恭」とは、形の上でしっかりとしていること。「居処」とはどの様なことかと言うと、人を相手にしていない時のこと。一寸壁の隙間から覗いて見ると恭である。そして、その場が居処である。客の前では誰もが恭だが、聖人は石の唐櫃の中でもというのが恭である。女房の針仕事している側でも恭。ここが内外打ち抜いたことである。「執事敬」。大小によらず、何か事が一つ向かって来た時のこと。投げ遣りででなく専一にするのが敬である。「与人忠」。親子兄弟から他人まで、我が身を離れた者は人と言う。新民と言っても、それは天下の百姓のことばかりではない様なもの。自分によって弟がよくなれば、弟も民である。「瞽瞍厎豫」は舜の新民である。それと同じこと。我が身を除いては皆人と言う。忠は自分の心の形を向こうへすっと出すこと。この三つが未発の工夫と違い、しっかりと見える処を言ったもの。これを論語で孔子が仁のこととして言った。仁は心のこと。内に入って建立することなのかと思えば、恭敬忠と外からのことである。
【語釈】
・かろふと…唐櫃。①からびつ。②棺。③墓石の下に設けた石室。
・瞽叟底豫…孟子離婁章句上28。「舜盡事親之道而瞽瞍厎豫。瞽瞍厎豫而天下化。瞽瞍厎豫而天下之爲父子者定。此之謂大孝」。

徹上徹下云々。堯舜から禹湯文武、大賢から凡人迠、是より外のしごとはない。喉のかわくときに湯を呑やうなものて、大名から軽ひもの迠なり。学者かこれをすれは骸の建立になる。恭敬忠て、垩人の誠と云もこれ。中庸の篤恭而天下平なりも是なり。無二語。垩人の方にはあつらい向と云ことはない。是は樊遲に云はれた咄なれとも、樊遲きりて上の方の用に立ぬと云ことではない。孔門ては樊遲よりひくひものはないか、それでもこれなり。顔曽もこれそ。料理のよふに書院向の、御次向のと云ことはない。
【解説】
「此是徹上徹下語。聖人元無二語」の説明。聖人から凡人までがこの恭敬忠である。
【通釈】
「徹上徹下云々」。堯舜から禹湯文武、大賢から凡人までがこれより外の仕事はない。喉が渇く時に湯を飲む様なもので、大名から軽い者までがこれである。学者がこれをすれは骸の建立になる。恭敬忠を聖人の誠と言う。中庸の「篤恭而天下平」もこれ。「無二語」。聖人の方には誂え向きということはない。これは樊遲に言われた話だが、樊遲のみでそれ以上の者には役に立たないということではない。孔門には樊遲よりも低い者はいないが、それでもこの様に言われた。顔曾もこれ。料理の様に書院向き、御次向きなどということはない。
【語釈】
・篤恭而天下平…中庸章句33。「詩曰、不顯惟德、百辟其刑之。是故君子篤恭而天下平」。
・樊遲に云はれた咄…論語子路19。「樊遲問仁。子曰、居處恭、執事敬、與人忠、雖之夷狄、不可棄也」。


第十四 伊川先生曰学者須敬守此心の条

伊川先生曰、學者須敬守此心、不可急迫。當栽培深厚、涵泳於其閒、然後可以自得。但急迫求之、只是私己、終不足以逹道。
【読み】
伊川先生曰く、學者は須く敬して此の心を守るべく、急迫にす可からず。當に栽培すること深厚にして、其の閒に涵泳すべく、然して後に以て自得す可し。但し急迫に之を求めば、只是れ私己のみにして、終に以て道に逹するに足らず、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

明道は全く体此心と云たか仁。伊川は須敬守此心なり。明道の語は渾合して幅が大ぶり。伊川は語ぶりが端慤て、しっかりと云てとりつきよい。前条と爰か大きに違ふことてはないか、渾合したはつかまへにくい。敬守は取付よいそ。敬守は心の守をすること。迂斎先生の、外に道具はいらぬと云り。だたい心はけっこうなもの故に、敬み守さへすれはあふないことはない。偖、伊川の人心は人欲と云た。是は少とむりな云やうだが、知た人の云やふはよいものじゃ。人心々々と云内に人欲になる。又、人に色欲のあるも天地自然なり。されとも、好色の好の字てはや悪くなる。孔子の酒無量と云と、凡人かそれと云てのむか、守かないと手もなくなる。此守りか付てをるで心が本来になるぞ。
【解説】
「伊川先生曰、學者須敬守此心」の説明。敬守とは、心の守をすることで、敬み守りさえすれば危ないことはない。
【通釈】
明道にあっては「全体此心」が仁。伊川では「須敬守此心」である。明道の語は渾合しているので幅が大振りであり、伊川のは語振りが端慤で、しっかりと言うので取り付きがよい。前条とここが大きく違うわけではないが、渾合しているのは掴まえ難い。敬守は取り付き易い。敬守は心の守をすること。迂斎先生が、他に道具は要らないと言った。そもそも心は結構なものなので、敬み守りさえすれば危ないことはない。さて、伊川が人心は人欲だと言った。これは少し無理な言い様だが、知った人の言い方はよいもの。人心と言っている内に人欲になる。また、人に色欲があるのも天地自然である。しかし、好色の好の字で直ぐに悪くなる。孔子が「酒無量」だと言えば、凡人がそれと言って飲むが、守がないと遣り様もなくなる。この守が付いているので心が本来のものになる。
【語釈】
・全く体此心…存養12。「學者全體此心」。
・端慤…「端」はただしい。「慤」はまこと。きまじめ。
・酒無量…論語郷党8。「肉雖多、不使勝食氣。惟酒無量、不及亂」。

只全く体此心計りては、大抵の人には受用にならぬ。とかく心は油断はならぬ。道樂をするものも心はあるか、其なりの心を体しては以の外なり。全く体すると自ら道樂はせぬ。そこて、伊川の敬守ると云を一と細工にして、明道の全体此心と云ふでよい。偖て、二程は是を済したか、其次朱子なり。朱子の此まん中へ居処恭を出した。趣向あることて、此か近思の編集なり。二程の上下の条に心々と云ても、心は形かないからつかまへられぬ。そこて圣人は居処恭云々と出したもの。是か全く体、敬み守の姿そ。中へ工夫のつかまへ処を出したか編集の大切。思召有ることそ。恭敬忠かすくに敬守此心のことそ。敬守は全く体此心のこと。やはり一つことなり。事を舎ることてない。つかまへ処と云も爰のことなり。是を別にして、心計をいじりまわすと味噌の味噌臭ひになる。
【解説】
伊川の言う「敬守」を用いて、明道の「全体此心」をする。朱子は明道と伊川の語の間に「居処恭」を出したが、これが近思の編集の仕方である。「敬守」も「全体此心」も目に見えないものだが、その工夫として、間に「居処恭云々」を出したのである。
【通釈】
但し、「全体此心」だけでは、大抵の人は受用することができない。とかく心は油断がならない。道楽をする者にも心はあるが、適当に心を体するのは以の外である。全く体すれば自然と道楽はしない。そこで、伊川の敬守というのを一細工にして、明道の全体此心と言うのでよい。さて、二程はここを済ましたが、その次は朱子である。朱子はこの三条の真ん中に「居処恭」を出した。これが趣向のあることで、これが近思の編集である。二程が上下の条で心のことを言っても、心は形がないから掴まえられない。そこで聖人は居処恭云々だと出したもの。これが「全体」「敬守」の姿である。真ん中に工夫の掴まえ処を出したのが編集の大切なところで、朱子の思し召しがここにある。恭敬忠が直ぐに敬守此心のこと。敬守は全体此心のこと。やはり同じことである。事を捨てるのではない。掴まえ処と言うのもここのこと。これを別にして、心だけをいじり回すと味噌の味噌臭いのと同じになる。
【語釈】
・居処恭…存養13。「居處恭、執事敬、與人忠」。

不可急迫。是か漢唐の学者にいらぬ戒なり。程門なとは心々と云から急迫に呑となつむ。道理は急迫ては得られぬ。栽培深厚。学者は天地人三才と幷ふこと故、一寸したことてはならぬ。京都へ勤学に三年行きたらよかろふなぞと云ことではない。幷みや大体なことてはない。大百姓はこやしをしたたか仕込。少々ては大作はならぬ。涵泳と云は、とっくとそこへ落付たこと。医者の玄關に藥取の居るやうなことではない。をれか三番じゃと云て、早く持てかへりたかる。茶人か何のこともないに感心して、外の客の帰りてもいつも々々々庭へ出て靣白かる。藝者には却てある。それにはかやりに方をつけたかるは私なり。近思の私は上品なことそ。今の私は癖馬を賣付たり、人よりのり出たかりたり、人のものを取たかりする。そんな私は近思録の十里四方にはない。爰は自然てないことを私と云。爲学の内に觀天地之化乃可知とある。室ろ咲は天地の化でない。又早く來年にしたいと云は私なり。早く日か暮れはよいと云ても自由にはならぬ。何程作り花か生花のやうてはない。道理は調度の処てよいと云たものなり。
【解説】
「不可急迫。當栽培深厚、涵泳於其閒、然後可以自得。但急迫求之、只是私己、終不足以逹道」の説明。道理は急迫では得られない。また、並大抵のことでも得られない。急迫に方を付けたがるのは私だからであって、私とは、自然でないことを言う。道理は丁度の処がよい。
【通釈】
「不可急迫」。これが漢唐の学者には不要な戒めである。程門などは心々と言うから、急迫に飲み込むと泥む。道理は急迫では得られない。「栽培深厚」。学者は天地人三才と並ぶことだから、一寸したことでは悪い。京都へ勤学に三年行ったらよいだろうなどと言うことではない。並大抵なことではない。大百姓は肥やしをしたたかに仕込む。少々では大作はできない。「涵泳」とは、とっくりとそこへ落ち着くこと。医者の玄関に薬取りがいる様なことではない。彼等は俺が三番目だと言って、早く持って帰りたがる。茶人が何事もないことに感心して、他の客が帰ってもいつまでも庭へ出て面白がっている。芸者には却ってそれがある。急迫に方を付けたがるのは私である。近思の私は上品なこと。今の私とは、癖馬を売り付けたり、人より乗り出たがったり、人の物を取りたがったりすること。そんな私は近思録の十里四方にはない。ここは自然でないことを私と言う。為学の中に「観天地之化乃可知」とある。室咲きは天地の化ではない。また、早く来年にしたいと言うのは私である。早く日が暮れればよいと言っても自由にはならない。何ほど作り花をうまく作っても、生花の様ではない。ここは、道理とは丁度の処がよいと言ったのである。
【語釈】
・觀天地之化乃可知…為学17の語。
・室ろ咲…室の中で、春に咲く草木の花を冬のうちに咲かせること。また、その花。


第十五 明道先生曰思無邪の条

明道先生曰、思無邪。毋不敬。只此二句、循而行之、安得有差。有差者、皆由不敬不正也。
【読み】
明道先生曰く、思邪無し。敬せざる毋かれ。只此の二句のみ、循いて之を行わば、安得[いずく]んぞ差い有らん。差い有る者は、皆敬せず正しからざるに由る、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

宋の学を禪学めいたとそしるも尤なことて、心々と云からしてそふも云ふけれとも、さう云は中へ這入て見ぬからじゃ。偖、朱子の幷へやうも面白ひ。体此心から居処恭、敬守此心。其から此章なり。思無邪毋不敬は詩經と礼記なり。論語を見て禪学めいたと云ものはないぞ。詩と礼に是やふな平直な語かある。此れが直くに心法のことなりと云か存養のきり々々なり。思無邪は、人のことは何ことても皆胸から出。堯舜の善いも桀紂のわるいも心からて、外てはない。そこで思無邪より外はない。是は幅の廣ひこと。毋不敬は、煙艸も敬ぬと吹からを落す。楊枝つかふに敬がないと歯くきをやふる。そんなら小ひことかと云に、天下國家を治るにも敬からなり。此二句循行なり。循と云は幷木に付て行けは京へ行くと云やうなもの。世間の人の越度不調法も是に違ふからなり。あの通りにすれは垩賢になる。思無邪毋不敬には外に發明は云れぬ。只あれてよい。あの通にしろと云り。偖又、なぜ存養のぎり々々と云へば、存養は六ヶしいことはない。何んても是につまると云ことそ。丁と腰の物を買ふに切れものかと云と同ことで、切さへすれは是より外に望はないなり。
【解説】
宋学が心のことばかりを言うので禅学めいていると言うのも尤もなことだが、中に這い入って見ていないからその様に言うのである。「思無邪」は、人のことが皆心に由るから言うのである。「毋不敬」は、小さなことから天下国家のことまでが敬に由るから言うのである。この二句が存養の至極であり、ただこれに随えば聖賢になることができる。
【通釈】
宋学を禅学めいていると譏るのも尤もなことで、宋学が心のことばかりを言うからそうも言うだろうが、その様に言うのは中へ這い入って見ないからである。さて、朱子の並べ方が面白い。「体此心」から「居処恭」、その次に「敬守此心」。それからこの章である。「思無邪」と「毋不敬」は詩経と礼記の語である。論語を見て、それを禅学めいていると言う者はいない。詩と礼にこの様な平直な語がある。これが直ぐに心法のことだと言うのが存養の至極である。思無邪は、人のことは何事でも皆胸から出たことで、堯舜の善いのも桀紂の悪いのも心からで、その外に由るものではない。そこで思無邪より外はない。これは幅の広いこと。毋不敬は、煙草も敬がないと吸い殻を落とす。楊枝を使うのに敬がなければ歯茎を破る。それなら小さなことかと言えば、天下国家を治めるのも敬からである。「此二句循行」。循とは、並木に随って行けば京へ行くという様なもの。世間の人の越度や不調法もこれに違うからである。あの通りにすれば聖賢になる。思無邪と毋不敬には他に発明を言うことはない。ただあれでよい。あの通りにしろと言うだけ。さてまた、これが何故存養の至極と言うのかというと、存養は難しいことではなく、何でもこれに行き詰まるということだからである。丁度、腰の物を買うのに切れ物かと聞くのと同じことで、刀は切れさえすれば、それより外に望みはないのである。
【語釈】
・思無邪…詩経魯頌駉。「駉駉牡馬、在坰之野。薄言駉者、有駰有騢、有駠有魚、以車繹繹。思無邪、思馬斯徂」。尚、論語為政2に、「子曰、詩三百、一言以蔽之。曰、思無邪」とある。
・毋不敬…礼記曲礼上。「曲禮曰、毋不敬、儼若思、安定辭安民哉」。


第十六 今学者敬而不見得の条

今學者、敬而不見得、又不安者、只是心生。亦是太以敬來做事得重。此恭而無禮則勞也。恭者私爲恭之恭也。禮者非體之禮、是自然底道理也。只恭而不爲自然底道理、故不自在也。須是恭而安。今容貌必端、言語必正者、非是道獨善其身、要人道如何。只是天理合如此、本無私意。只是箇循理而已。
【読み】
今の學者は、敬すれども見得ず、又安からざる者は、只是れ心生なればなり。亦是れ太だ敬を以ち來り事と做[な]し得て重ければなり。此れ恭しくして禮無くんば則ち勞することなり。恭とは私に恭を爲す恭なり。禮とは體に非ざる禮にして、是れ自然底の道理なり。只恭しくして自然底の道理を爲さず、故に自在ならざるなり。須く是れ恭しくして安らかなるべし。今容貌必ず端[ただ]しく、言語必ず正しき者は、是れ獨り其の身のみ善くし、人に如何と道[い]うを要[もと]むるを道うに非ず。只是れ天理合[まさ]に此の如くなるべく、本より私意無し。只是れ箇の理に循うのみ。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

程子の息の吹かかった学者と思ふがよい。書物讀ではないぞ。敬と云ことを合点ゆへ、敬をはすれとも、中に敬の仕方にわるいのがある。そこで程子の未た々々と云へり。不見得。是を一本に自得ともあるが、これは得[とく]と見得ぬと云がよい。それで嘉点本に一作自とも何とも書てをかれぬ。敬の效の外から見へぬことぞ。得るとけば々々しく見へぬもの。からやう書きも柱隠ても書きたがる様ではけば々々しい。よくなれば目立ぬものぞ。茶人も、曲った柱でも立たがる内は茶は手に入ぬ。敬が手に入ると敬めかぬものそ。東坡が敬を打こはしたがるは不届じゃけれとも、朱公掞なとがしゃんと恭敬をして、敬が手に入ぬからしばられたやふにでをかしい塲がありたと見へた。皆手に入ぬものそ。不安者云々。あぶない体なり。茶を知ぬ人の茶器を持たやうなもの。馬て云へは鞍のすわらぬやふなことて、きまりを知ぬなり。生也。いかにしても手に入らぬことなり。此条が伊川の弟子衆の皃を見て、大勢の人にあてて云たことぞ。弟子衆の中に勉強と不安ものと有たと見ゆる。生は初心に心得たもの。垢のとれぬのそ。果のもかたく実のりて甘味はまた々々出ぬ。前方じゃとなり。
【解説】
「今學者、敬而不見得、又不安者、只是心生」の説明。敬はけばけばしくないもので、これを得ても目立つことはない。「不安者」は未熟なのである。
【通釈】
「今学者」とは程子の息の吹き掛かった学者だと思いなさい。書物読みのことではない。敬ということを合点しているので敬をするのだが、中には敬の仕方の悪い者がいる。そこで程子がまだまだだと言ったのである。「不見得」。ここを一説には「自得」とするものもあるが、これはしっかりと見得ないという方がよい。それで嘉点本には「一作自」とも何とも書いて置かれなかった。不見得は、敬の効が外から見えないこと。得れば、けばけばしくは見えないもの。唐様書きも柱隠しでも書きたがる様ではけばけばしい。よくなれば目立たないもの。茶人も、曲がった柱でも立てたがる内は茶は手に入らない。敬が手に入ると敬めかないもの。蘇東坡が敬を打ち壊したがるのは不届だが、朱公掞などがしっかりと恭敬をしても敬が手に入らず、縛られた様で可笑しい場があったものと見える。皆手に入らない者達である。「不安者云々」。危ない姿である。茶を知らない人が茶器を持った様なもの。馬で言えば、鞍の据わらない様なことで、決まりを知らないこと。「生也」。どの様にしても手に入らないこと。この条は、伊川の弟子衆の顔を見て、大勢の人に当てて言ったこと。弟子衆の中に勉強する者と不安者とがいたものと見える。生は初心で心得ること。まだ垢が取れていない。果物なら堅く実って甘味がまだ出ないこと。未熟だと言ったのである。
【語釈】
・嘉…山崎闇斎。
・からやう書き…唐様の文字を書くことを業とする人。また、その文字を巧みに書く人。
・柱隠…柱の表にかけて装飾とするもの。竹・板・陶器或いは金属・ガラスの類で造り、多く書画などを描いたもの。はしらかけ。
・朱公掞…

勉強と云は舩頭に麻上下着せたやうなもの。夫れと云が敬をどこぞから持て来たやふに思ふた故なり。いつも云、敬は鳥の枝にとまり、しゃんとして羽をしめた形りそ。又、木にとまったも足て握りつめはせぬ。人もにぎりこぶしてはほんの姿てない。敬は、只我持前のなりで、りきんだ体ではない。垩人の敬はけば々々しく目立はせぬ。垩賢平居敬と云ても、娵や娘の側てりきんたことはない。今日はよい天氣と云て菓子ても食てをらるるであろふ。そこが敬ぞ。立派なりきんだよふにするから仰山になる。そこて、途中あるくにも人が見て、あれ敬が通ると云やうになる。敬は心から形へあらわれたものて、何そ事にするものてはない。宗伯か礼者で威義正しかったか、敬を事となして手に入らなんた。そこで宗伯が通ると市井のものか、あれ勅使か通ると云て俗人に馬鹿にされた。二山弥三郎が上下着て眞木をわった。眞木も上下で破たら尚よかろふとをもふが、敬と云は、業に付たがこれみよ敬じゃと看ることてない。そこで小学が敬なり。何にも推出して敬と云。一事にすることではない。敬と思はぬ処が敬なり。直方先生の、或人へどうじゃ此頃は靜坐をするかと云たれは、随分いたましますと云た。其隨分がわるい。そう致されてはたまらぬ。
【解説】
「亦是太以敬來做事得重」の説明。敬は自分本来の姿であって、それを力んでするのは悪い。一事にするものではない。
【通釈】
勉強とは船頭に麻裃を着せた様なもの。それと言うのも、敬をどこからか持って来た様に思うからである。いつも言うが、敬とは、鳥が枝に止まってしゃんと羽を閉じた姿である。また、木に止まっていても足で握り詰めてはいない。人も握り拳では本当の姿でない。敬はただ自分の持ち前の姿であって、力んだ姿ではない。聖人の敬はけばけばしく目立ちはしない。「聖賢平居敬」と言っても、娵や娘の傍で力むことではなく、今日はよい天気だと言って菓子でも食っておられる。そこが敬である。力んで立派な様にするから仰山なことになる。そこで道を歩くにも人が見て、あれ敬が通ると言われる様になる。敬は心から形へ現れたもので、事として何かをするものではない。宗伯は礼者で威儀も正しかったが、敬を事としたので手に入らなかった。そこで宗伯が通ると市井の者が、あれ勅使が通ると言い、俗人に馬鹿にされた。二山弥三郎が裃を着て薪を割った。薪も裃で割ったら尚よいだろうと思ったのだが、敬とは、業に付いて、これを見なさい、これが敬だと言うことではない。そこで小学が敬なのである。何にも推し出して敬と言うのであり、一事にすることではない。敬と思わない処が敬である。直方先生が或る人に、どうだこの頃は静座をするかと尋ねると、随分致しますと答えた。その随分が悪い。そう致されては堪らない。
【語釈】
・宗伯…柳田求馬。迂斎門下。名は義道。号は村松樵夫。城代の息子。野田剛斎にも師事。黙斎と共同で「胡子知言」を校刊。天明4年(1784年)7月22日没。行年47歳。
・二山弥三郎…

此恭而無禮則勞。板天神。昔からある病そ。恭は礼らしいものをなせ無礼と云に、足の容は重しと云たとて、火事のとき呉服橋の外をすり足であるけば馬鹿なことそ。礼は丁どの恰好の処て云。其恰好にはつるるを無礼と云。小市が火事のときはさわかしく欠るて心か安らかになる、と。よい弁そ。足か靜じゃと心か落付ぬ。そこで労するなり。火の子の降るに居處恭と靜にしておることてはない。居風呂てはあくらかくがよい。料理も割めか一寸つつ正しくても不塩梅では食れぬ。恭而無礼則労す。是が不断の云やうとは違ふから、恭者と云のなり。本のことてない。者の字を付て云は、文字の常のあたりてないに筋を付るときに云ことそ。字注てはない。私為恭云々。恭はよけれとも、私にするからわるい。理に叶はぬこと。夜も上下を着て寐るやふなもの。上下て寐るからは正くてよさそふなものしゃに、上下をそこへ出す所てない。理か開けぬと礼か役に立ぬ。何ぼ恭かよいとて嶋原や吉原へすり足て行やふなもの、たわけぞ。又、わり膝て堺町を見るやふなものて、出し処が違ふ。
【解説】
「此恭而無禮則勞也。恭者私爲恭之恭也」の説明。礼とは恰好の処を指して言うもので、丁度のところから外れることを無礼と言う。恭であっても、それが丁度のものでなければ悪い。また、理が開けなければ礼は役に立たない。
【通釈】
「此恭而無礼則労」。板天神。これが昔からある病である。「恭」は礼らしいものなのに何故「無礼」と言うかと言うと、「足容重」と言っても、火事の時に呉服橋の外を摺り足で歩くのは馬鹿なことだからである。礼は丁度な恰好の処で言う。その恰好に外れることを無礼と言う。小市が、火事の時は騒がしく駆けるので心が安らかになると言った。よい弁である。足が静かだと心が落ち着かない。そこで労する。火の粉が降っていれば、「居処恭」と静かにしている場合ではない。居風呂では胡座をかくのがよい。料理も割目が一寸ずつ正しくても、不塩梅では食えない。「恭而無礼則労」である。ここは普段の言い方とは違うから、「恭者」と言う。それは本来の意ではない。「者」の字を付けて言うのは、文字が通常の言い方でない場合に筋を付けるためである。字注ではない。「私為恭云々」。恭はよいものだが、私にするから悪い。それは理に叶わないこと。夜も裃を着て寝る様なもの。裃で寝るからは正しくてよさそうなものだが、そこは裃を出す所ではない。理が開けなければ礼が役に立たない。どれほど恭がよいと言っても、それでは島原や吉原へ摺り足で行く様なもので、戯けたこと。また、割り膝で堺町を見る様なもので、出し処が違う。
【語釈】
・板天神…
・足の容は重し…礼記。「君子之容舒遲、見所尊者齊遫、足容重、手容恭、目容端、口容止、聲容靜、頭容直、氣容肅、立容德、色容莊、坐如尸」。
・小市…宇井黙斎。久米訂斎門下。名は弘篤。通称は小一郎。別名丸子弘篤。肥前唐津の人。天明元年(1781)、57歳で没。弟子に千手旭山があり、旭山の孫弟子が橋本佐内である。

礼者非體之礼云々。出處のある字なり。礼記にも家語にも無体之礼と云字かある。非体之礼。形のないもの故に差し定たことはない。そこへ出し爰へ出すこと故に、中無定体と云語のやうなもの。定体なれは子莫か中になる。太極圖説に仁義中正とあるそ。中と云字を礼にあてたも爰なり。親へ出すことを君へは出されぬ。振舞の帰りにまんじうを隠居へ持て行くはよいけれとも、君へは早わるい。礼は云に云へぬ恰好な処ゆへ、非体の礼と云。須是恭安。仕舞を論語てしめたもの。恭而安は孔子のことを語たもの。申々夭々なり。明道の終日端坐如泥塑人云々と、きっとしたやうても世間へ交るときはにっとりとした体なり。恭而礼なり。一團の和氣は安なり。
【解説】
「禮者非體之禮、是自然底道理也。只恭而不爲自然底道理、故不自在也。須是恭而安」の説明。礼には形がない。もしも形があれば子莫の中と同じになる。礼は恰好の処を言うが、恰好の処は人それぞれに異なる。孔子は「恭而安」であり、明道は「恭而礼」だった。
【通釈】
「礼者非礼之礼云々」。出処のある字である。礼記にも家語にも「無体之礼」という字がある。「非体之礼」は、形のないものなので、さし定まったことはない。そこへ出しここへ出すことなので、「中無定体」という語の様なもの。定体であれば子莫の中になる。太極図説に「仁義中正」とある。中という字を礼に当てたのもここのこと。親へ出すことを君へは出せない。振舞いの帰りに饅頭を隠居へ持って行くのはよいが、君へは早くも悪い。礼は言うに言えない恰好な処なので非体之礼と言う。「須是恭安」。最後を論語で締めた。「恭而安」は孔子のことを語ったもの。「申々夭々」である。明道は、「終日端座如泥塑人云々」と厳しい様でも、世間と交わる時はにっとりとした姿である。それが「恭而礼」であり、「一団和気」は安である。
【語釈】
・無体之礼…礼記孔子閒居。「孔子曰、夙夜其命宥密、無聲之樂也、威儀逮逮、不可選也。無體之禮也。凡民有喪、匍匐救之。無服之喪也」。孔子家語六本。「孔子、無體之禮、敬也」。
・中無定体…中庸章句2集註。「蓋中無定體、隨時而在、是乃平常之理也」。
・子莫か中…孟子尽心章句26。「孟子曰、楊子取爲我。拔一毛而利天下、不爲也。墨子兼愛。摩頂放踵、利天下爲之。子莫執中。執中爲近之、執中無權、猶執一也。所惡執一者、爲其賊道也。舉一而廢百也」。
・仁義中正…道体1。「聖人定之以中正仁義、聖人之道仁義中正而已矣」。
・恭安…論語述而37。「子温而厲、威而不猛、恭而安」。
・申々夭々…論語述而4。「子之燕居、申申如也、夭夭如也」。
・終日端坐如泥塑人云々…聖賢21。「謝顕道云、明道先生坐如泥塑人。接人則渾是一團和氣」

今容貌云々。をれは世間のものとは違ふたものじゃと見せることではない。をれは今の世の伯夷たと云やうな心いきの人があるもの。不埒千万な塲に居ても思の外世を非に見て、きっとしたものかあるもの。ありそもない処にあるそ。学者かそんなことをあてにすることてはない。学者の方ては仲ヶ間にせぬ。学者の敬の工夫は斯ふなりてはならぬことそ。天理當然如此云々。是か袴をたたむやうなもの。今しわい人と云ことてはない。しわだらけにしてをけば天理にはづるる。学者のすることは天理なり。又、髪月代をするもやはり天理なり。そこて先日の処にも誠敬とあるぞ。天理へべったりと合ふしたことぞ。敬に誠て裏打をしたやふなり。無思邪は誠毋不敬也。混沌未分の、本来の靣目を見るのと云は私意なり。水の下へ流るるか循。理而已は、いつも直方の、鼻から飯の食れぬやふなもの。口の近所しゃからと云ても、理のないはならぬ。魚の水、鳥の木になり。敬も別のことてはない。只理にしたかふのみ。阿蘭陀の妙方てはない。
【解説】
「今容貌必端、言語必正者、非是道獨善其身、要人道如何。只是天理合如此、本無私意。只是箇循理而已」の説明。学者は自負などしたりせず、天理に合致させるのが敬の工夫となる。敬とは理に従うだけのことなのである。
【通釈】
「今容貌云々」。俺は世間の者とは違った者だと見せることではない。俺は今の世の伯夷たと言う様な心意気の人がいるもの。不埒千万な場にいても、思いの外世を非と見て、厳めしくする者がいるもの。それがありそうもない処にある。学者はそんなことを当てにしてはならない。学者の方ではそんなものを仲間にしない。学者の敬の工夫はその様になってはならない。「天理当然如此云々」。ここが袴を畳む様なもの。今言う吝い人ということではない。皺だらけにして置けば天理に外れる。学者のすることは天理である。また、髪月代をするのもやはり天理。そこで先日の処にも「誠敬」とある。それは天理へべったりと合したことで、敬に誠で裏打ちをした様なこと。「無思邪誠毋不敬也」。混沌未分や本来の面目を見るなどと言うのは私意である。水が下へ流れるのが「循」。「理而已」は、いつも直方が言う、鼻から飯は食えない様なこと。口の近所だからと言っても理がなければできない。魚は水、鳥は木であって、敬も別のことではない。ただ理に従うのみ。オランダの妙法ではない。
【語釈】
・誠敬…存養5。「臨大震懼、能安而不自失者、惟誠敬而已」。
・無思邪…存養15の語。「明道先生曰、思無邪。毋不敬」。


第十七 今志于義理而云々の条

今志於義理而心不安樂者何也。此則正是剩一箇助之長。雖則心操之則存、舍之則亡、然而持之太甚、便是必有事焉而正之也。亦須且恁去。如此者只是德孤。德不孤、必有鄰。到德盛後、自無窒礙、左右逢其原也。
【読み】
今義理に志して心安樂せざる者は何ぞや。此れ則ち正[まさ]に是れ一箇の之が長ずるを助くるを剩すなり。則ち心は之を操らば則ち存し、之を舍てなば則ち亡ぶと雖も、然れども之を持すること太甚[はなはだ]しくんば、便ち是れ必ず事とする有りて之を正[あらかじ]めするものなり。亦須く且く恁[かくのごと]く去[ゆ]くべし。此の如き者は只是れ德孤なればなり。德は孤ならず、必ず鄰有り。德の盛なるに到りし後、自ら窒礙無く、左右其の原[みなもと]に逢わん。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

惣体、今と云は弟子衆へ親切な詞なり。弟子の皃を見て、今こなた衆と云のそ。循理則裕と云て、循理へは安樂な筈。わるいことは大義な筈。中庸に小人行險而求幸とある。あれは仕にくいこと。義理なりをするは安樂なもの。循理はあかるみへ出たやふな筈だに、其に皆がくるしい体じゃ。何也云々と云たことそ。是にはどふても訳かあるか、皆が氣が付ぬ。をれが云てきかそふぞ。正是てつきりとなり。一箇助之云々剩すが病そ。是からが程門の手抦なり。本んに学ふから此病がある。今学者が異学の、訓詁のと云て呵ても、吾黨の学者も程朱の訓詁なり。病のないは重疂たけれとも、学問不精なり。今はこんな病人は子からないそ。助長は必竟精を出す学者にある病なり。あまりのことに此方から手を出すことて、天地なりにゆかぬそ。偖、孟子の譬へはばかなことから云たが、今苗を助けて長する者はないが、学者にも精を出すからして此癖がつく。
【解説】
「今志於義理而心不安樂者何也。此則正是剩一箇助之長」の説明。循理であれば安楽で、悪いことは大儀な筈だが、循理であっても安楽でないのは助長だからである。学者がそうなるのは精を出すからで、今の学者にその様な者はいない。
【通釈】
全体、「今」というのは弟子衆に対して親切な言葉である。弟子の顔を見て、今貴方はと言ったのである。「循理則裕」と言って、循理であれば安楽で、悪いことは大儀な筈。中庸に「小人行険而求幸」とあるのは仕難いことを言う。義理の通りをするのは安楽なもの。循理は明るみへ出た様な筈のことなのに、皆苦しい態である。そこで、「何也云々」と言った。これには必ずわけがあるが、それに皆が気付かない。俺が言って聞かそう。「正是」で尽きる。「一箇助之云々剰」」が病である。これからが程門の手柄である。本当に学ぶからこの病がある。今学者が異学や訓詁だと言って呵るが、我が党の学者も程朱の訓詁である。病のないは重畳だが、それでは学問不精である。今はこの様な病人は根からない。「助長」は畢竟精を出す学者にある病である。余計なことに自ら手を出すことで、それで天地の通りに行かない。さて、孟子のたとえは馬鹿なことで言い、今苗を助けて長ずる者はいないが、精を出すから学者にもこの癖が付く。
【語釈】
・循理則裕…
・小人行險而求幸…中庸章句14。「上不怨天、下不尤人。故君子居易以俟命。小人行險以徼幸」。
・助長…孟子公孫丑章句上2。「宋人有閔其苗之不長而揠之者」。

藝で云へば早やけなり。はやけは、今日は頭痛かするから行れぬと云てぶら々々する者にはないか、大矢數てもせふと掛るものにはあるもの。とかくあて氣のある人にあるそ。馬なれは、つけたかるのなり。剩はあまること。將棊の角行か二枚あるやうなもの。置所かない。垩賢のは、をさまり処へ治まる。口中に舌か二枚あるては余る。鼻毛は多くてもあまらぬか、ほこりか入ても邪魔になる。たい精出すは学如不及云々とあれはきついなれとも、助長てないから余すとは云れぬそ。爰に一つこしゃくしていそぐと剩すになる。精出すは水車のまわるやふなものて、中へ真木ざっはを一つ入るる、はや回らぬ。余すからそ。理外に精を出すとあまるなり。操則存云々はよいか、余りいじり過るを甚と云。舟頭の梶をいじるやふにきりり々々々とするかよいそ。迂斎先生云、持藥を寒三十日飲むを三日に呑んて仕舞たぞ。
【解説】
「雖則心操之則存、舍之則亡、然而持之太甚」の説明。助長とは、芸で言えば早気である。理外に精を出すと剰る。
【通釈】
芸で言えば早気である。早気は、今日は頭痛がするから行けないと言ってぶらぶらとする者にはないが、大矢数でもしようとする者にはあるもの。とかく当て気のある人にあること。馬であればつけたがる者。「剰」とは余ること。将棋の角行が二枚ある様なもの。置き所がない。聖賢のは、納まり処へ納まる。口中に舌が二枚あるのでは余る。鼻毛は多くても余らないが、埃が入ると邪魔になる。大精を出すのは「学如不及云々」とあるから大変なことだが、これは助長でないから剰すとは言えない。ここに一つ小癪をして急ぐと剰すことになる。精を出すのは水車の回る様なもので、中へ真木雑木を一つ入れると直ぐに止まる。それは剰すからである。理外に精を出すと剰る。「操則存云々」はよいが、あまりいじり過ぎることを「甚」と言う。船頭が梶をいじる様にぎりりぎりりとするのがよい。迂斎先生が、寒三十日で飲む持薬を三日に呑んでしまったのだと言った。
【語釈】
・大矢數…江戸時代、京都の三十三間堂などで陰暦四~五月に行なった通矢の競争。
・学如不及…論語泰伯17。「子曰、學如不及、猶恐失之」。
・操則存…孟子告子章句上8。「孔子曰、操則存、舍則亡。出入無時、莫知其郷」。

便是必有事。孟子の至極の処を云た。有事にわさかある。其業を仕事にすることなり。理なりにすることを忘れぬこと。此弁は、古人の語にも踏んてふまぬと云た。踏は踏むなれとも、踏みやうがわるいとどもかついてわるい。あまり心かつくとわるい。筆をとるもうかとすると落す。握りつめると書れぬ。落しも握りつめもせぬことそ。若林が、未發を氣なしに扇を遣ふやうなものじゃと云へり。握りつめも落しもせぬ。すら々々することそ。必有事なり。心なく使ふか正てもせす、忘れもせぬのなり。勿正は自然てないそ。子ともを成人させたいとて、爰へこいと柱に疵をつけてあてて待なり。さふすると、夜の目も子られぬ。氣も魂もだいなしになる。そこか早氣なり。学問が手に入らぬ。あわてさわくものぞ。こなた衆は有事の迹に正てするか待ていたそ。須且恁去。文會に且の字不可閑過と云た。助長や正てするはわるいか、まあ其れかよいと云こと。是か程子の思召あること。やかて安樂になろふと云こと。やかて上かろふと云こと。是か忘れたにはましそ。精を出すからなり。早氣ぐるみにどこそてはよいと云ふそ。利休が柄杓をもつやふに、握りつめも放しもせぬ。初て習ふ者は握りつめてさざいからの様な手になるけれとも、ひさくを落したにはましぢゃなり。まあそふにぎりつめてをくべし。やがて柔になろふなり。
【解説】
「便是必有事焉而正之也。亦須且恁去」の説明。心を費やさないのが勿正勿忘だと若林が言った。予めするのは悪いが、しかし、それも忘れるよりはましである。また、予めする内に上達して行く。
【通釈】
「便是必有事」。孟子の至極の処を言った。有事に業がある。その業を仕事にすることで、理の通りにすることを忘れないこと。この弁は、古人の語にも踏んで踏まぬとある。踏むには踏むのだが、踏み方が悪いとどもが付いて悪い。あまり心が付くと悪い。筆を執るにもうっかりすると落とす。握り詰めると書くことができない。落としも握り詰めもしないこと。若林が、未発とは何気なく扇を使う様なものだと言った。握り詰めも落としもしない。すらすらとすること。「必有事」である。心なく使うのが勿正で、勿忘である。勿正の正は自然でない。子供を成人させたいと言っても、爰へ来いと柱に疵を付けて当てにして待つ。そうすると夜も寝られず、気も魂も台無しになる。そこが早気である。それでは学問が手に入らずに慌て騒ぐ。貴方には有事の後に正ですることが待っていたのだと言った。「須且恁去」。文会で且の字を「不可閑過」と言った。本来、助長や正でするのは悪いが、まあそれもよいということ。ここが程子の思し召しのあること。やがて安楽になるだろう、やがて上達するだろうということ。これは忘れるよりはましで、それは精を出すからである。早気を含め、どこかではよくなると言った。利休が柄杓を持つ様に、握り詰めも離しもしない。初めて習う者は握り詰めて栄螺殻の様な手になるが、柄杓を落とすよりはましである。まあその様に握り詰めて置きなさい。やがて柔らかになるだろう。
【語釈】
・踏んてふまぬ…
・勿正…孟子公孫丑章句上2。「必有事焉而勿正。心勿忘。勿助長也」。
・さざいから…栄螺殻。転じて、拳骨。握り拳。

只是德弧也云々。理屈つめてさひしひ。是の至か陳仲子なり。いつ迠も握りつめれは弧なり。其から異端にもなる。不弧は易なれとも、ここは論語の有隣のゆったりとした德の云れぬことて、わきからも親みたすける意なり。爰は有隣て論語の通りそ。德盛は易の繋辞傳の字なり。德盛に仁熟と云こともありて、德の成就なり。学者が理屈つめに吾氣質の得手を主張してさま々々なことを云のは、ごつ々々して役に立ぬ。とかく今の学者は六ヶしく理屈を云から家内にいやかられる。親の氣を置く子と云も爰そ。理がこうすると非の一倍と云もよい下世語なり。それはどふと云に、心の根か空礙してをる。胸の中ぎくしゃくしてをるから家内も其通なり。存羪を知ぬと道理がふっくりと得られぬ。安樂にもならぬ。てありたやうで、ぎくしゃく差つかへる。自分の心がいばらからたちてとげ針のやうなり。こふでもない、ああでもないから安樂でない。左右逢其原云々。皆合はぬやうなれとも、仕回には合ふ。学問成就すると何もかも一つになる。太極も誠も仁とも中とも云。皆道体なり。道体も為学も致知も存羪も何もかもふっくりとゆくことそ。六君子益氣湯は藥種はさま々々なれとも、煎れは皆一つになることなり。
【解説】
「如此者只是德孤。德不孤、必有鄰。到德盛後、自無窒礙、左右逢其原也」の説明。心を詰めると弧になる。心が窒礙していると行動もぎくしゃくとする。窒礙することがなければ全てが一つになる。学問が成就すると何もかも一つになる。
【通釈】
「只是徳弧也云々」。理屈詰めで寂しい。この至りが陳仲子である。いつまでも握り詰めれば弧である。それから異端にもなる。「不弧」は易の語だが、ここは論語の「有隣」の意で、ゆったりとした徳を言われたことで、脇からも親しみ助ける意なのである。ここは有隣で論語の通りである。「徳盛」は易の繋辞伝の字。「徳盛仁熟」と言うこともあって、徳の成就である。学者が理屈詰めに自分の気質の得手を主張して様々なことを言うのはごつごつとして役に立たない。とかく今の学者は難しく理屈を言うから家内に嫌がられる。親が心配する子と言うのもこのこと。理が高じると非の一倍と言うのもよい下世話である。それは何故かと言うと、心の根が窒礙しているからである。胸の中がぎくしゃくしているから、家内もそれと同じである。存養を知らないと道理をふっくりと得ることができない。安楽にもならない。手がある様でいて、ぎくしゃくと差し支える。自分の心が棘枳で棘針の様である。こうでもない、ああでもないと言うから安楽でない。「左右逢其原云々」。皆合わない様だが、最後には合う。学問が成就すると何もかも一つになる。太極も誠も仁とも中とも言って、皆道体のことである。道体も為学も致知も存養も何もかもふっくりと行く。六君子益気湯は薬種は様々だが、煎じれば皆一つになる。
【語釈】
・陳仲子…
・不弧…易経坤卦文言伝。「直其正也、方其義也。君子敬以直内、義以方外。敬義立而德不孤」。
・有隣…論語里仁25。「子曰、德不孤、必有鄰」。
・德盛…易経繋辞伝下5。「精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。神知化德之盛也」。
・德盛に仁熟…正蒙神化篇。「大可爲也。大而化不可爲也。在熟而已。易謂窮神知化、乃德盛仁熟之致、非智力能強也」。