第十八 敬而無失の条  十二月六日  邦直録
【語釈】
・十二月六日…寛政2年庚戌(1790年)12月6日。
・邦直…

敬而無失、便是喜怒哀樂未發謂之中。敬不可謂中。但敬而無失、即所以中也。
【読み】
敬にして失うこと無きは、便ち是れ喜怒哀樂の未だ發せざる之を中と謂うものなり。敬は中と謂う可からず。但し敬にして失うこと無きは、即ち中なる所以なり。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

先敬の字はとこまても主一無適が判鑑そ。どこてもこれて方をつけることなり。ときに主一無適は、何そ事をつかまへて云へはすみよい文字なり。爰ては事をつかまへた主一無適てなく、惣体て云ことなり。惣体て云ときに主一無適のなりか違ふ。たとへは手帋を書ときは、其をうかとなく專一にかく。そこは事をつかまへた主一無適そ。扨、何のこともないときもある。どこやらつかまへ処ないから主一とも無適とも云れそもないか、何となく覚めてうか々々せぬ処か主一無適なり。絅斎の、心に一つ別に敬むと立て云ことはない筈、と。尤なことなり。これに似たことあり。統体の太極各具太極と云やふなもの。統体の太極が大くもなく、各具の太極が小くもない。やはり一つことなり。專言の仁、偏言の仁と云もそれなり。偏言なりか專言の仁なりを、主一無適の敬は事の上も全体ても同ことなり。事をつかまへ子は、とこと云押へ処ないから打やるてない。一口に云へは、目のさめたことなり。爰らは微妙なことて、手前て工夫をしたものてなければ知れぬことなり。迂斎の、覚へず知ずに敬の姿は見へるもの、何かうかとした家来か何心なくいる処を、今朝御前が御噂でと云とはきとなると云へり。不断こはいと思ものが噂でと云てしまる。一つつかまへて云へば、軽ひたばこを呑や茶碗を持上まてここぞ。されとも爰は何と云ことなく、只うか々々せぬ処を云。無失は論語の注に無閑断とある。一念の処てうかとなく見はってをることなり。先軰の心を張弓のやふにすると云か爰なり。
【解説】
「敬而無失、便是喜怒哀樂未發謂之中」の説明。敬は「主一無適」でする。主一無適は事で言うとわかり易いが、ここは事についてではなく、全体で言ったこと。それは、目が覚めてはっきりとしている様なことで、うっかりとせずに見張っていることである。
【通釈】
先ず敬という字は何処までも「主一無適」が判鑑である。どこでもこれで方を付けなさい。時に主一無適は、何か事を掴まえて言うとわかり易い文字である。しかし、ここは事を掴まえての主一無適ではなく、総体で言うこと。総体で言う時は主一無適の姿が違う。たとえば手紙を書く時は、うっかりとせずに専一に書く。それは事を掴まえた主一無適である。さて、何事もない時もある。何処やら掴まえ処がないから主一とも無適とも言えそうもないが、何となく覚めてうっかりとしていない処が主一無適である。絅斎が、心に一つ別に敬むと立てて言うことはない筈だと言った。それは尤もなことである。これに似たことがある。「統体一太極各具一太極」と言う様なもの。統体の太極が大きいわけでもなく、各具の太極が小さいわけでもない。やはりそれ等は一つである。「専言之仁偏言之仁」と言うのもそれで、偏言の姿が専言の仁の通りであり、主一無適の敬は事の上でも全体でも同じなのである。事を掴まえなければ何処という押え処がないが、それだからと言って捨てて置くのは悪い。一口に言えば、目の覚めたこと。ここ等は微妙なことで、自分で工夫をした者でなければわからない。迂斎が、覚えず知らずに敬の姿は見えるもの、何かうっかりとした家来が何心なくいる処に、今朝御前が御噂でと言えばはっきりとなると言った。普段から怖いと思っている者が噂をしているというので引き締まる。一つ事を掴まえて言えば、煙草を飲むことや茶碗を持ち上げる様な軽いことまでがこのこと。しかしながら、ここは何と言うこともなく、ただうかうかとしない処を言う。「無失」は論語の注に「不間断」とある。一念の処でうっかりとせずに見張っていること。先輩が、心を張弓の様にすると言ったのがここのことである。
【語釈】
・主一無適…論語学而5集註。「敬者、主一無適之謂」。
・統体の太極各具太極…太極図説朱解。「萬物統體一太極也。分而言之、一物各具一太極也」。
・專言の仁、偏言の仁…太極図説朱解。「所謂仁爲統體者、則程子所謂專言之而包四者是也。然其言蓋曰四德之元、猶五常之仁、偏言則一事、專言則包四者、則是仁之所以包夫四者、固未嘗離夫偏言之一事、亦未有不識夫偏言之一事而可以驟語夫專言之統體者也。況此圖以仁配義、而復以中正參焉。又與陰陽剛柔為類、則亦不得爲專言之矣、安得遽以夫統體者言之、而昧夫陰陽動靜之別哉。至於中之爲用、則以無過不及者言之、而非指所謂未發之中也。仁不爲體、則亦以偏言一事者言之、而非指所謂專言之仁也。對此而言、則正者所以爲中之榦、而義者所以爲仁之質、又可知矣。其爲體用、亦豈爲無説哉」。
・無失…論語顔淵5。「司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我獨亡。子夏曰、商聞之矣。君子敬而無失、與人恭而有禮、四海之内、皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也」。
・無閑断…論語顔淵5集註。「既安於命、又當脩其在己者。故又言、苟能持己以敬、而不閒斷」。

扨、敬而無失の語の起りはをもくれず、ずんど軽いことなり。司馬牛を子夏の喩して、こなたの様に憂ることはない。手前さへよくすれは四海の内が兄弟てあろふ、と。本、かるいことなり。そこをしりてのは違ふことなり。何となくはきとしていると云。論語を子思子の中庸へ合たもの。未発と云へはとこやら本来の面目と云やうに思ふ処を、あの司馬牛に云敬而無失じゃとなり。そこを柯先生の只、うかとなくきっともつるとふた心。更に無物と云ぞ。爰らは只のもののとんといかぬことぞ。中と氣が付、最ふ未発の中てない。直方先生、未発はあとて知れると云が名弁なり。若林の扇のたとへもここぞ。扇を揺すにたた何となく無念無想て一つ々々に揺か、そうと云氣もなくする処が未発の摸様なり。敬は洒掃応對の上にもあること。未発の中は心法の心の全体にあづかる大いことゆへ、仲間小者のとんとならぬこと。孔門傳授の心法と云も中にあることなり。
【解説】
「敬而無失」は本来、軽い意で言ったことだが、これを程子が中庸に合わせてこの様に言ったのである。未発の中は何となくはっきりとしていることで、中と気が付けば、もう未発の中ではない。未発の中は心法の心の全体に与る大きいことなので、仲間や小者では全くできないものなのである。
【通釈】
さて、「敬而無失」の語の起こりは重々しいことではなく、かなり軽いことからである。司馬牛を子夏が喩して、貴方の様に憂うることはない。自分さえよくすれば四海の内が兄弟となりだろうと言ったこと。元々は軽いことから出た語である。知った人はそこが違う。何となくはっきりとしていることだと言った。論語を子思子の中庸へ合わせたもの。未発と言えば何処か本来の面目と言う様に思う処を、あの司馬牛に、敬而無失だと言った。そこを柯先生がただ、うかとなくきっと持つると二心、更に無物と言った。ここ等は普通の者には全くできないこと。中と気が付けば、もう未発の中ではない。直方先生が、未発は後にわかると言うのが名弁である。若林の扇のたとえもここのこと。扇を揺らすのに、ただ何となく無念無想で一回毎に揺らすが、そうするという気もなく行う処が未発の模様である。敬は洒掃応対の上にもある。未発の中は心法の心の全体に与る大きいことなので、仲間や小者には全くできないこと。孔門伝授の心法も中にあることなのである。
【語釈】
・仲間…中世、公家・武家・寺院などに仕える従者の一。侍と小者との中間に位する。近世には武家の奉公人の一で、雑役に従事。足軽と小者の中間に位する。
・小者…武家の雑役に使われる者。身分の低い使用人。下男。丁稚

敬は軽く、中は地位か重い。そこて、敬不可謂中とは云われぬ。敬は一文字知ぬものにも示さるる。そんなら敬と中は別のものか。いやそうてない。敬而無失即所以中。未発の中を丸で持てば垩人ぞ。凡夫は其塲がちっとはかりある。そこて直方の、凡夫も未発の場はある、と。金鷄眠覚未発声が未発の場なり。未発の中は学者窺ひにくいことなれとも、又、はるか遠ひことてはない。はるか遠いなれは心法にならず。未發の塲がなければ無理強なり。堯舜の禅り渡しのとき執其中と云たを、子思の其中には發せぬ処がある筈とて未発を示されて、誰もかれも中の場はありても凡夫は其が長持かせぬ。そこを敬而無失。敬すれは、戒謹恐懼て中の本体にさせると云ことなり。長藏が凡夫は放心したか未発の摸様と云へり。あじな説なれとも、某ああそんなものほめるも、只なんとなくうかとして物思ひのない処か未発のもようなり。なれとも凡夫のは未発から人欲がつめかけて居るから、未発の場はありても中とは云はれぬ。其筈じゃは。未発が悪いから發したところも尤なり。扨、爰は道体の亭々當々直上直下之正理と云処へ合せ可見。道体ては中のすかたを見せたもの。爰は中の功夫にかかる処を見せたもの。
【解説】
「敬不可謂中。但敬而無失、即所以中也」の説明。敬は軽く、中は重い。未発の中を丸ごと持てば聖人となる。凡夫にも未発の場がある。しかし、凡夫は未発の時から人欲が詰め掛けているから、未発の場はあっても中とは言えない。「敬而無失」で、敬すれば戒謹恐懼で中の本体となる。
【通釈】
敬は軽く、中は地位が重い。そこで、「敬不可謂中」である。敬は一文字も知らない者にも示すことができる。それなら敬と中とは別なものなのかというと、いやそうではない。「敬而無失即所以中」。未発の中を丸ごと持てば聖人となる。凡夫はその場が少しだけある。そこで直方が、凡夫も未発の場はあると言った。「金鷄眠覚未発声」が未発の場である。未発の中は学者には窺い難いことだが、また、遙かに遠いことではない。遙かに遠ければ心法にはならない。未発の場がなければ無理強いである。堯舜が禅譲の時に「執其中」と言ったのを、子思がその中には発していない処がある筈だとして未発を示された。誰にも彼にも中の場はあるが、凡夫はそれが長持ちしない。そこを敬而無失で、敬すれば戒謹恐懼で中の本体にさせることができるということ。長蔵が凡夫は放心したところが未発の模様だと言った。それは妙な説だが、私があの様な言を褒めるのも、ただ何となくうっかりとして物思いのない処が未発の模様だからである。しかしながら、凡夫のそれは未発から人欲が詰め掛けているから、未発の場はあっても中とは言えない。その筈で、未発が悪いから発したところが悪いのも尤もなこと。さてここは道体の「亭々当々直上直下之正理」という処へ合わせて見なさい。道体では中の姿を見せ、ここは中の工夫に掛かる処を見せたもの。
【語釈】
・執其中…論語堯曰1。「堯曰、咨爾舜、天之暦數在爾躬。允執其中。四海困窮、天祿永終」。書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・戒謹恐懼…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞」。
・長藏…鵜沢恭節。鈴木恭節。通称は長蔵。黙斎門下。寛政元年(1789)、黙斎の推薦で館林藩主松平侯の儒臣となる。1762~1830
・亭々當々直上直下之正理…道体26。「中者天下之大本。天地之閒、亭亭當當、直上直下之正理。出則不是。惟敬而無失、最盡」。


第十九 司馬子微云々の条

司馬子微嘗作坐忘論。是所謂坐馳也。
【読み】
司馬子微は嘗て坐忘論を作れり。是れ謂う所の坐馳なり。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

此の条は先つ坐忘坐馳と云を合点すへし。坐忘坐馳は荘子の云たことなり。あの方で坐忘と云は上達の塲なり。坐馳はうろたへの場なり。こうあらくがてんすべし。坐忘はどうしたことなれば、先つ人間五尺のからだありて肉身あれば、その形体氣血に迷はされうろたへる。人欲と云も肉身ありてのこと。すてはてし身はなきものとおもへども雪の降夜は寂くこそあれぞ。ときに此體を枯木死灰のやうにすると何のことなく、あついにも寒いにも、照りても降りても何も思はず、偖それが、知惠がなければそうがてんすることも功夫することもならぬことそ。その知惠には思慮営為と云ものありて、とうかこうか人の世話迠する処を、荘子それを邪魔ものとして、それも無くして物の世話をすることもなく、心に一物なく、無念無想て居る。そうすると我に城郭をかまへたことなく天地一牧そ。そこを坐忘と云、もう天地太虚の氣と一になるから體と云ことも忘れと、人と我とにへだてかあるゆへ、とこかしこも忘れたらけぞ。
【解説】
人間には肉体があり、人欲によって狼狽える。その体を枯木死灰の様にすると何事もなくなる。その様にできるのも知恵によって合点し工夫するからであるが、荘子はその知恵までもなくし、心に一物も持たず、無念無想にすることで天地と一体になると言った。これが座亡である。
【通釈】
この条では先ず「座忘座馳」という語を合点しなさい。座忘座馳は荘子の言った語である。あの方では、座忘は上達の場のことであり、座馳は狼狽えの場である。この様に粗く合点しなさい。座忘はどうしたことかと言うと、先ず人間には五尺の体があり肉身があるので、その形体気血に迷わされ狼狽える。人欲というのも肉身があってのこと。捨て果てし身は無きものと思えども雪の降る夜は寂しくこそあれである。時にこの体を枯木死灰の様にすると何事もなく、暑いにも寒いにも、照っても降っても何とも思わなくなるが、さてそれは、知恵がなければその様に合点することも功夫することもできない。その知恵には思慮営為というものがあって、どうかこうかと人の世話までする処を、荘子がそれを邪魔物として、それもなくして物の世話をすることもなく、心に一物なく、無念無想でいる。そうすると自分に城郭を構えることもなくなって天地一枚となる。そこを座忘と言い、もう天地太虚の気と一つになるから体ということも忘れると言った。人と自分とに隔てがあるから、どこもかしこも忘だらけである。
【語釈】
・坐忘…荘子大宗師。「它日復見曰、囘益矣。曰、何謂也。曰、囘坐忘矣。仲尼蹵然曰、何謂坐忘。顏囘曰、堕肢體、黜聰明、離形去知、同於大通。此謂坐忘。仲尼曰、同則無好也、化則無常也。而果其賢乎。丘也請、從而後也」。
・坐馳…荘子人間世。「吉祥止止。夫且不止、是之謂坐馳」。

そこて胷中かどき々々することもなく、ひだるいの、食たいの、熱いの、寒いのと云ことない。こうしたなりで心のない知をつかはぬことを尊んで、そこを坐忘と云。なるほどふといやつなり。これほとなことを知りて居るゆへ垩人をも大ひ、ご苦労となぐさむなり。さて、坐馳とは、をなへての人はこれを坐と云はこふしたありなりなことて、すぐに上の坐忘の坐なり。心の脩行が手にへぬから、凡夫は心か居り場に居らず、時々心がかけ出す。心ほど心は體とは分んなものて、此章をきく此席の人も長﨑のことを思へば、心は長﨑へ行たのぞ。心の欠落なり。天津橋上舞胡孫。貴さまはそれて田舎にいても天津橋上の上てさるまわしを見ている。上總に居りても心は日本橋にあると云ことなり。そこでひっくりする。凡夫の姿はこうしたことそ。今日云たことは荘子の意にはちと合まいか、なれとも大抵間違はない。
【解説】
座馳は心が駆け出すこと。心と体とは別なもので、思うところに心は馳せる。
【通釈】
そこで胸中がどきどきすることもなく、空腹だの、食べたいだの、熱いの、寒いのと言うことがない。こうしたことで、心を無にし、知を使わないことを尊んで、そこを座忘と言う。なるほど荘子は太い奴である。これほどのことを知っているので聖人をも大いにご苦労と慰める。さて、座馳とは、普通の人がこれを座と言うのはこうした通りのことで、直に上の座忘の座のことである。心の修行が手に得られないから、凡夫は心が居り場に居らず、時々心が駆け出す。心こそは体とは別なもので、この章を聞いているこの席の人も長崎のことを思えば、心は長崎へ行ったのである。それは心の欠落である。「天津橋上舞胡孫」。貴方はそれで、田舎にいても天津橋上の上で猿回しを見ている。上総にいても心は日本橋にあるということ。そこでびっくりする。凡夫の姿はこうしたこと。今日言ったことは荘子の意とは少し合っていないだろうが、しかし大抵は間違えはない。
【語釈】
・天津橋上舞胡孫…人天眼目禅林方語。「胡孫騎鱉背、胡孫入布袋、四八郎象碁、鄭州出曹門、天津橋上漢、辯才逢蕭翼」。胡孫は猿の異称。

扨、司馬子徴もよほど手に入ったと思ふて坐忘論を作られた。すくに荘子の意を彼此申しのべた。よほどきめたと思処を程子が内兜を見秡て、あれが坐忘と思ふのがやっはり坐馳しゃとなり。こふ見られてはたまらぬことそ。爰らがいつも云、極楽へ往んと思ふ心こそ地獄へ落るはしめなりけりて、あそこへゆきたいは欲なり。はや地獄の媒なり。禪坊主が覚ろう々々々とさわく処がもふ悟らぬ処なり。とかくこせ々々した若者が兎角養生大事ちゃ々々々々と云が、やはりそれが不羪生になる。わるい若者はそんなことに氣の付ほどながよい。そんなこと、心によはい処あるからそ。萬病氣から生すとは云なり。爰は司馬子微を出して云がよい。荘子はよかろふとわるかろふとかまわぬ。司馬子微をつかまへて云ことなり。此が某が見とりなり。先つ荘子か垩人の道はそむくはのけて、そんなことかあるにもせよ、司馬子微などのそうあくせくするがもうよくないと云ことなり。学者が靜坐にかかる氣になると靜坐にならぬ様なものて、直方先生、ずいぶんがわるいと云もそこなり。坐も心に心のあるだけか、はやさはきなり。最ふよくない。存羪はいつとなくなることゆへ、いつも云通り大名の上品なは不断の養が違ふからぞ。中間か大名風をま子てもいかぬ。敬而無失が中ぢゃ、未発と云はとのようなものと云と坐馳になる。程門か未発の中を求むと云から程子に訶らるる。猿猴の月をとろふとするよふに、手をのはされてとられたぞ。そこが坐馳。そこをやはり履而不踐がよいぞ。上の敬而無失の次にこの条は、よきならへやうなり。
【解説】
司馬子微は座亡論を書いたが、程子は彼を座馳だと言った。司馬子微は座亡にあくせくするから、座馳なのである。大名が上品な様に、普段の存養が大事なのである。
【通釈】
さて、司馬子微もよほど手に入ったと思って座忘論を作られ、直に荘子の意をかれこれと申し述べた。よほど決めたと思う処を程子が内冑を見抜いて、あれが座忘と思うのがやっぱり座馳だと言った。この様に見られては堪らない。ここ等がいつも言う、極楽へ往かんと思う心こそ地獄へ落ちる始めなりけりで、あそこへ往きたいと思うのは欲であって、それが既に地獄への媒である。禅坊主が悟ろうと騒ぐ処がもう悟らない処である。こせこせとした若者がとかく養生が大事だと言うが、やはりそれが不養生になる。悪い若者であれば、その様なことに気が付く方がよい。それは、心に弱い処があるからである。万病気から生ずと言う。ここは司馬子微を出して言うのがよい。荘子はよかろうが悪かろうが構わない。司馬子微を掴まえて言うこと。これが私の見取りである。先ず荘子が聖人の道に背いていることは考えずに、そんなことがあるにもせよ、司馬子微などがその様にあくせくするのがもうよくないということ。学者が静座に掛かる気になると静座にならない様なもので、直方先生が、随分が悪いと言うのもそこのこと。座も心に心がある分だけ早くも騒ぎとなり、もうよくない。存養はいつとなくなることであり、いつも言う通り、大名が上品なのは普段の養が違うからである。中間が大名風を真似てもうまく行かない。「敬而無失」が中だから、未発とはどの様なものかと思えば座馳になる。程門が未発の中を求めると言うから程子に訶られる。猿猴の月を取ろうとする様に、手を伸ばして取ろうとされた。そこが座馳である。そこはやはり「履而不踐」がよい。上の敬而無失の次にこの条は、よい並べ方である。
【語釈】
・司馬子徴…司馬子微の誤り。司馬承貞。唐の温の人。号は白雲。潘師正に仕え、辟穀導引の術を伝えた。655~715
・ずいぶんがわるい…存養16講義。「直方先生の、或人へどうじゃ此頃は靜坐をするかと云たれは、随分いたましますと云た。其隨分がわるい。そう致されてはたまらぬ」。
・敬而無失…存養18の語。
・履而不踐…


第二十 伯淳昔在長安の条

伯淳昔在長安倉中閒坐。見長廊柱、以意數之。已尚不疑。再數之不合。不免令人一一聲言數之。乃與初數者無差。則知越著心把捉、越不定。
【読み】
伯淳昔長安の倉中に在りて閒坐す。長廊の柱を見、意を以て之を數う。已[お]えしとき尚疑わず。再び之を數えしに合わず。人をして一一聲言して之を數えしむるを免れず。乃ち初に數えし者と差い無し。則ち越[いよいよ]心を著[つ]けて把捉すれば、越定まらざるを知る。
【補足】
・この条は、程氏遺書二上にある。

明道あるとき公儀の御藏の柱を何本あるかと數へたれば、先に五十本とか六十本とか出たなり。再數之不合。ひまにまかせて數へたてたれは合ぬ。はて、靜に數へてみれは合ぬ。そこてもう心にちりが付たからと云て、側に居たものを頼まれた。一々声をかけて一本二本とかそへさせたなり。かそへ見たれば、初手にかそへたと合たなり。心と云ものはくせのつくものなり。あの垩人の様な人の御心でも一念の処からこうなり。心かあじにこだわると、手紙の返事ても七日と書たか六日と書たかと、使をよひかへし封きって見やふと思よふなこともある。かき金をかけても、又さくって見る。このやうな処からつい乱心をもするものぞ。則知は、それにつきて合点したとなり。ここの越の字はいよ々々と云意なり。こへると云も、をきをこへることゆへ、一つ意にをちる。心をつかまへるといよ々々わるい。寢やう々々々とすると寢られぬ。氣と云ものはかわったもの。夜が明ればよい、思へば明けす。奉公人が子むい々々々とをもへは早く夜か明ける。越不定がやはり坐馳の塲なり。爰はよく上の条へ合せるゆへ載たものなり。明道じゃに、あなたにさへかうしたこともあり、たいがへ存養の心得なり。朱子の心恙ありたと云も思ふべし。
【解説】
執心すると迷う。それが座馳の場である。明道でさえ、蔵の柱の本数で迷った。夜が明ければよいと思えば明けず、眠いと思えば夜が早く明ける。心を掴まえようとするのは悪い。
【通釈】
明道がある時公儀のお蔵の柱が何本あるかと数えると、先に五十本とか六十本とかであった。「再数之不合」。暇にまかせて改めて数えると合わない。はて、静かに数えてみれば合わない。そこでもう心に塵が付いたからと言って、傍にいた者に頼まれた。一々声を掛けて一本二本と数えさせた。数えてみると、初めに数えたのと同じだった。心というものは癖の付くもの。あの聖人の様な人のお心でも一念の処からこうなる。心が妙に拘ると、手紙の返事でも七日と書いたか六日と書いたかと、使いを呼び返し、封を切って見ようと思う様なこともある。繋金を掛けても、また探って見る。この様な処からつい乱心をもするもの。「則知」は、それについて合点したということ。ここの「越」の字はいよいよという意である。越えると言うのも、沖を越えることなので、同じ意に落ちる。心を掴まえるといよいよ悪い。寝ようとすると寝られない。気というものは変わったもの。夜が明ければよいと思えば明けない。奉公人が眠いと思えば早く夜が明ける。「越不定」がやはり座馳の場である。ここはよく上の条へ合ったことなので載せたのである。明道でさえもこうしたこともあるのだから、これが大体存養の心得となるのである。朱子の心恙ありと言ったことも考慮しなさい。
【語釈】
・をきをこへる…技芸などがとびはなれてすぐれている。
・坐馳…存養19の語。
・朱子の心恙ありた…


第二十一 人心作主不定の条

人心作主不定、正如一箇翻車。流轉動揺、無須臾停。所感萬端、若不做一箇主、怎生奈何。張天祺昔嘗言、自約數年、自上著牀、便不得思量事。不思量事後、須強把他這心來制縛。亦須寄寓在一箇形象。皆非自然。君實自謂、吾得術矣。只管念箇中字。此又爲中所繋縛。且中亦何形象。有人胸中常若有兩人焉。欲爲善、如有惡以爲之閒、欲爲不善、又若有羞惡之心者。本無二人。此正交戰之驗也。持其志使氣不能亂、此大可驗。要之聖賢必不害心疾。
【読み】
人心の主と作[な]り定まらざるは、正に一箇の翻車の如し。流轉動揺して、須臾の停まること無し。感ずる所萬端なれば、若し一箇の主を做[な]さずんば、怎生[いかん]ぞ奈何にせん。張天祺昔嘗て言へり、自ら數年を約し、牀に上著してより、便ち事を思量するを得ず。事を思量せざる後、須く強いて他[か]の這[こ]の心を把[と]り來りて制縛すべし。亦須く寄寓して一箇の形象に在らしむべし、と。皆自然に非ず。君實自ら謂う、吾術を得たり。只管箇の中の字を念ず、と。此れ又中の繋縛する所と爲りしなり。且つ中は亦何の形象あらん。人有り胸中に常に兩人有るが若し。善を爲さんと欲せば、惡有りて以て之が閒を爲すが如く、不善を爲さんと欲せば、又羞惡の心有る者の若し。本二人無し。此れ正に交戰の驗なり。其の志を持し氣をして亂すこと能わざらしむるは、此れ大いに驗ある可し。之を要するに聖賢は必ず心疾に害われず。
【補足】
・この条は、程氏遺書二下にある。

飜車は水車とは違ふ。龍輿車のよふなもの。されとも今の龍輿車は人の手を付るもの。飜車は手を付すにまわるものなり。とと動きつめなことを云譬へなり。凡夫の心は主がないゆへ飜車の様にうごきつめ。人々何ほど云ても動靜の二つなり。閙くても息をつく。某江戸に居る時、しかも火事のあるとき云たことちゃが、垩賢は火事ぢゃ、うちませをうつと、先靜ってをち付ては子をきる。すこしのらいがあるて動へくる。火事ぢゃと知る。のろりとしてはすまぬ時節なれとも、靜と云らいがある、動へくる。根が落付子ばうろたへる。凡夫は動に動なり。禹の三過其門不入。これほど閙鋪ことはなけれとも、禹王か馬からをちたことはない筈。兎角靜まったる大將てなけれはかかる時節に何んとも顔で居ることはならぬ。彼の直方の、荒たかが、ををよそれよ雜れてのるいも全たいか落付た処あるからぞ。
【解説】
「人心作主不定、正如一箇翻車。流轉動揺、無須臾停。所感萬端、若不做一箇主、怎生奈何」の説明。凡夫は、主がないので飜車の様に絶えず動き詰めである。人は動静の二つによるのであり、動には静がなくてはならない。
【通釈】
「飜車」は水車とは違う。龍輿車の様なもの。しかし、今の龍輿車は人が手を付けるものだが、飜車は手を付けなくても回るもの。つまりは動き詰めなことを言うたとえである。凡夫の心には主がないので飜車の様に動き詰める。人は何と言っても動静の二つである。忙しくても息をつく。私が江戸にいる時、しかも火事のある時に言ったことだが、聖賢は火事だとうちませが打たれると、先ず静まって落ち着いて跳ね起きる。少しの間があるので動へ来る。火事だと知れば、のろりとしては済まないところだが、静という間があるので動へと来る。根が落ち着かなければ狼狽える。凡夫は動に動である。禹の「三過其門不入」。これほど忙しいことはないが、禹王が馬から落ちたことはない筈。とかく静まった大将でなければ、この様な時に何ともない顔でいることはできない。あの直方の、荒れたかが、ををよそれよ雑じれての類も全体に落ち着いた処があるからである。
【語釈】
・龍輿車…竜骨車?
・三過其門不入…孟子滕文公章句上4。「禹八年於外、三過其門而不入」。

扨、その主をこしらへ子ばならぬ様になって来た。そこで主の拵へそこなった人出して見せたもの。医者の医按の間違たを聞て為になる。あまり祈りすきてはよくない。儉約もあまりすきるとよくない。わるい筋になる。即、司馬子微なとも祈りそこなふたのぞ。張天祺は横渠の弟、人品こつからは横渠にもまけぬほとの人なり。これほとな内にこれほとなことをしををせようときめることを約數年と云。毎日に云。これをしたらば、これをしたらよかろふと思いこんてもしたものなり。自上着牀。寢てからは、只子むいてよい。無念無想でぐっと寢るかよいと約したものなり。不得思慮事後。願立て、とう々々事を思量せぬやうになった。扨、これからじゃ。此迠はしふせたが、これからは其しふせたあとへもどらぬやうにする。中々又前の思量する心の出ぬ様にせうと強把他這心來制縛。此心が油断のやふなものぢゃから、こいつとんと縛り付て思量せぬやうにせうと制縛したものなり。禪の十牛の圖のやうに心をからげる氣なり。その上、寄遇は制縛心を今迠功夫した通に置き処へ寄せてをくなり。そのしあてた処へよせてをくなり。
【解説】
「張天祺昔嘗言、自約數年、自上著牀、便不得思量事。不思量事後、須強把他這心來制縛。亦須寄寓在一箇形象。皆非自然」の説明。張天祺は、寝てからは無念無想でいることを実践し、それを仕遂げた。また、心が前の状態に戻らない様に心を制縛し、寄遇させた。
【通釈】
さて、その主を拵えなければならない様になって来た。そこで主を拵え損なった人を出して見せたのである。医者は医按の間違えを聞くのが為になる。あまり祈り過ぎてはよくない。倹約もあまり過ぎるとよくない。悪い筋になる。即ち、司馬子微なども祈り損なったのである。張天祺は横渠の弟で人品骨柄は横渠にも負けないほどの人である。これほどの間にこれほどのことを仕遂げようと決めることを「約数年」と言う。毎日これをすればよくなるだろうと思い込んでしたものだろう。「自上着床」。寝てからは、ただ眠いのでよい。無念無想でぐっと寝るのがよいと約したのである。「不得思慮事後」。願を立て、とうとう事を思量しない様になった。さて、これからである。これまでは仕遂げたが、これからはその仕遂げる前に戻らない様にする。中々、また前の思量する心が出ない様にしようと「強把他這心来制縛」をする。心とは油断のならないものだから、しっかりとこいつを縛り付けて思量しない様にしようと制縛したのである。禅の十牛の図の様に心を絡げる気である。その上で、「寄遇」とは制縛した心を今まで工夫した通りに置き処へ寄せて置くこと。その為当てた処へ寄せて置くのである。
【語釈】
・司馬子微…存養19に出る。司馬承貞。唐の温の人。号は白雲。潘師正に仕え、辟穀導引の術を伝えた。655~715
・張天祺…張戩。張横渠の弟。横渠とともに二張と言われた。
・十牛の圖…中国、北宋代の禅籍。禅の修道の過程を、牧人と牛との関係になぞらえ、一○の絵と頌によって示したもの。廓庵禅師のものが広く行われ、尋牛・見跡・見牛・得牛・牧牛・騎牛帰家・忘牛存人・人牛倶忘・返本還源・入鄽垂手の順。狩野探幽・富岡鉄斎らの作品がある。

扨、形象の字すめにくいぞ。我方て拵て、事を思量せぬときの様にして置が形象なり。昔はむしょうに思たが、今は思ぬやうになった。その形象を心にとめてをくゆへ修行を思はぬやふにしたが、それに張天祺の心にきっかけがある。そこを形象と云。そのきっかけの通りの形りををきたいとなり。張天祺の胷てこしらへたもの、先つはこの筋なり。この条、点もをちつかす、形象の字はみにくい。爰の点を直してみやうならば、須寄寓在句。一箇形象は下へつけて種子の語にしてみる。天祺のやうに云ては、形象ありて皆自然てない。心はそうしたものでない。すら々々したもの。倒の処へはめやうとする様な手づつなことはわるいとなり。下の中亦何形象あらんに對してみれば、下へ付るもよいかなり。
【解説】
「形象」とは、張天祺が事を思量しない時の様にして置いた様に、自分で拵えたことを指す。形象があっては自然でない。心はすらりとしたものである。
【通釈】
さて、「形象」の字がわかり難い。自分の方で拵えて、事を思量しない時の様にして置くのが形象である。昔は無性に思ったが、今は思わない様になった。形象を心に留めて置くのだから、修行で思わない様にしたが、それでは張天祺の心に切っ掛けがあることになる。そこを形象と言う。その切っ掛けの通りの姿にして置きたいとした。張天祺の胸で拵えたものが、先ずはこの筋のこと。この条は点の打ち方も落ち着かず、形象の字も見難い。ここの点を直して見れば、「須寄寓在」で区切り、「一箇形象」は下へ付けて朱子の語にして見る。天祺の様に言っては、形象があって皆自然でない。心はそうしたものではなく、すらすらとしたもの。逆様の処に嵌めようとする様な不器用なことは悪いと言った。下の「中亦何形象」に比べて見れば、下へ付けるのもよいだろう。

さて、温公の吾得術。しををせて覚へたことあるとなり。何にもせよ、功夫したもの。中庸の心法は中たから、中々と毎ばん々々々思て寢ればずんとよい。中庸の中ですんとよいとなり。これはをかしいことぞ。そこて明道のをかしく思われて、そりゃ中に縛られたの中てすんとよいなり、これはをしいことそ。そこて明道のをかしく思はしって、そりゃ中に形象ある筈はない。中無定体。しはられてこそ中なれと云たもの。みな手に入ぬからぞ。温公も心の誠な処は垩人にもをとらぬ程なれとも、大学の格致かぬけたから白徒細工なり。遺書にはそれよりは珠數がよかろふとある。人を嘲弄するやうなれとも、道を任する方からはこうもあろふなり。ましないなら何てもよいと云氣なり。文會の点では珠數を持せてやった様にみゆる。念ずると云へは最ふ咒の筋なり。中臣秡はよいものならは、その通に身をするはよけれとも、唱へると云ことは垩人の方にはないことなり。三復白圭は唱へごとてはない。これでみよ。神道も佛道の念仏唱へるやうなは向は違へとも、とどの趣きは一つなり。中も温公のやうなれは、孔門の念仏になるそ。そこを無学と知るべし。
【解説】
「君實自謂、吾得術矣。只管念箇中字。此又爲中所繋縛。且中亦何形象」の説明。温公は中を念ずることを仕遂げたと言ったが、それは中に縛られたのであって、中に形象がある筈はない。念じるのは呪いの筋である。
【通釈】
さて、温公の「吾得術」。仕遂げて覚えたことがあると言った。何にせよ、工夫をしたのである。中庸の心法は中だから、毎晩中を思って寝ればかなりよい、中庸の中だからかなりよいと言った。これは可笑しいこと。そこで明道が可笑しく思われて、それは中に縛られたのであって、中に形象がある筈はないと言った。「中無定体」。温公の言は縛られてこそ中だと言ったものだが、それは皆手に入らないからである。温公も心の誠な処は聖人にも劣らないほどだが、大学の格致が抜けたから素人細工である。遺書には、それよりは数珠の方がよいだろうとある。人を嘲弄する様だが、道を任じる方からにはこの様にも言えるだろう。呪いなら何でもよいという気持ちからである。文会の点では数珠を持たせて遣った様に見える。念ずると言えばもう呪いの筋となる。中臣の祓はよいものだから、その通りに身をするのはよいが、唱えるということは聖人の方にはないこと。「三復白圭」は唱えごとではない。これで見なさい。神道でも仏道の念仏を唱える様なものは、向きは違っても、つまりその趣きは同じなのである。中も温公の様では孔門の念仏になる。それを無学と言うと知りなさい。
【語釈】
・中無定体…中庸章句2集註。「蓋中無定體、隨時而在、是乃平常之理也」。
・中臣秡…中臣の祓。大祓。古来、六月と一二月の晦日に、親王以下在京の百官を朱雀門前の広場に集めて、万民の罪穢を祓った神事。
・三復白圭…論語先進5。「南容三復白圭。孔子以其兄之子妻之」。
・君實…司馬光。1019~1086

有人胸中常云々。これからは最ふしばるの、中念ずるのと云ことをすてて、一つ本んのしかたを云示す為めに、先つ人の心のくせを云たもの。常人の心は皆若有两人そ。垩賢にはとんとない。垩賢の地位に至らぬ人は両人の様に心が定らぬ。親の忌日に精進すると云は誰も知て、なれともそこへ初鰹が来ると親父もすきで有たと云て買ふ。いらざる処へ親を出す。心にはきとした処なけれは、ついよいと思ふ。扨、そふかと思へは赤面することもある。兎角凡夫の心はきまらぬものなり。爰らは遠くのことと思ふな。面々皆これぞ。存羪した人てなけれは。皆两人を直方先生の、今の世に誠意の功夫をしたものは嘉右ェ門殿と重次良、養菴此三人計じゃと云へり。太平の世に生れて目出度と云ても、心中は天理人欲て保元平治の戦なり。金をかへそうと云、天理。反すと工面がわるいと云、人欲なり。このととのはてには、金を借り、人は死子かしと思ふ心がでる。進上と立派にかいても、心中にはをしい々々々と云氣がある。人の心鏡にうつるものならばさぞや見にくかるらんと云もそこなり。
【解説】
「有人胸中常若有兩人焉。欲爲善、如有惡以爲之閒、欲爲不善、又若有羞惡之心者。本無二人。此正交戰之驗也」の説明。聖賢の地位に至らない人は両人の様に心が定まらない。直方は、誠意の工夫をした者は嘉右ェ門殿と重次郎、養菴の三人だけだと言った。その他の人の心中は始終天理人欲の戦いである。
【通釈】
「有人胸中常云々」。これからはもう縛るとか中を念ずるということを捨てて、一つ本当の仕方を言い示すために、先ずは人の心の癖について言った。常人の心は皆「若有両人」である。聖賢にはそれが全くない。聖賢の地位に至らない人は両人の様に心が定まらない。親の忌日に精進するというのは誰でも知っている。しかしそこへ初鰹が来ると親父もこれが好きだったと言って買う。要らざる処へ親を出す。心にはきとした処がないので、ついよいと思う。さて、そうかと思えば赤面することもあって、とかく凡夫の心は決まらないもの。ここのところは遠くのことと思ってはならない。面々が皆この様である。存養をした人でなければそうではないとは言えない。「皆両人」を直方先生が、今の世に誠意の工夫をした者は嘉右ェ門殿と重次郎、養菴の三人だけだと言った。太平の世に生まれて目出度いと言っても、心中は天理人欲で保元平治の戦である。金を返そうと言うのが天理で、金を返すと工面が悪いと言うのが人欲である。とどの果てには、人は金を借りて死ぬものだと思う心が出る。進上と立派に書いても、心中には惜しいという気がある。人の心鏡に映るものならばさぞや醜かるらんと言うのもそこのこと。
【語釈】
・嘉右ェ門殿…山崎闇斎。
・重次良…重次郎。浅見絅斎
・養菴…永田養庵。
・人の心鏡にうつるものならば…我が心鏡に映るものならばさぞや姿の醜かるらん

功夫が此様なやたものを取扱ふことゆへ、しっかりと持其志使氣云々なり。中々咒のようなことではいかぬ。爰は存羪ても克己てもとり扱ふて、存養の塲で示す。克己をすることなり。書き出しは存羪なれとも、本道か一寸外科をよんたやふなもの。存養克己、とと一つことなり。海道筋の町塲の違いとはちごう。この様な杬から先きはこちではかまわぬとは云ぬ。はて、克己をせ子は、存養せ子ば克己もならす。克己は誠意の功夫、存養は正心の功夫にあたる。正心で忿懥の、恐懼のと云もこう云根がきまら子ばいかぬ。牀の内て思量せぬもめったに中々と云て念するも役に立ぬ。白人細工と云はそこなり。志の中には知も行もある。志も持ち道理のやうと云処をきめて、さて氣乱されぬ様にする。氣は垩賢にもひだるいの、寒いをらりにする。
【解説】
「持其志使氣不能亂、此大可驗。要之聖賢必不害心疾」の説明。「持其志」は存養でも克己でも取り扱うものである。克己をしなければ存養もならず、存養をしなければ克己もならない。克己は誠意の工夫、存養は正心の工夫にあたる。志の中には知行がある。
【通釈】
工夫とはこの様な疵のある者を取り扱うことなので、しっかりと「持其志使気云々」でなければならない。呪いの様なことでは中々うまく行かない。ここは存養でも克己でも取り扱うことで、存養の場で示しはしたが、克己をすることなのである。書き出しは存養だが、本道が一寸外科を読んだ様なもの。存養と克己は、結局は同じことである。街道筋の町場の違いとは違う。この杭から先はこちらは構わないとは言わない。さて、克己をしなければ存養もならず、存養をしなければ克己もならない。克己は誠意の工夫で、存養は正心の工夫に当たる。正心で忿懥や恐懼と言うのも、こういう根が決まらなくてはいけない。牀の中で思量をしないのも、滅多矢鱈に中と言って念ずるのも役に立たない。素人細工と言うのがそこのこと。志の中には知も行もある。志を持って道理の様にという処を決めて、さて気に乱されない様にする。気は聖賢をも空腹や寒さで台無しにする。
【語釈】
・本道…漢方医の用語で、内科。
・正心で忿懥の、恐懼の…大学章句7。「所謂脩身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正、有所恐懼、則不得其正。有所好樂、則不得其正、有所憂患、則不得其正」。

子夏か死生有命と云て氣用心するから、子の死だとき目を泣つふした。かうしたことゆへ捨てはをかれぬから、直きを以養ふ。そこで、かなしいときはたっふりと泣て、さて何つ迠も泣て目を泣つぶす様なことはない。氣は大食をすれば一日食はずに居てもこまらぬ。ひだるい寒いて君父をも如在にする。氣に乱さるるのなり。身あれば必自私するの理あり。誰しもこうしたことなり。心疾。先達ても云通り、乱心のことにもなる。労症や氣鬱の疾のことにもなる。ここは乱心のことではなし。風を引たとは違ふ。心氣の疾はこちの不調法なり。とこやら心持のわるいと云は、こちの心持にあることそ。扨、心疾に害せられぬはとうしたこととふりかへりて見たとき、主のあるとないとなり。其主をこしらへる。制縛の、念するのと云てつい心疾になる。そこて持其志養氣が大切なり。
【解説】
気は「以直養」。身があれば気に乱されて心疾となるものだが、そうなるかならないかは主があるかないかによる。しかし、主を拵えるのに制縛や念じたりすれば、つい心疾になる。
【通釈】
子夏が「死生有命」と言って気に心を用いるから、子の死んだ時に目を泣き潰した。こうしたことなので気を捨てては置けないから、「以直養」。そこで、悲しい時はたっぷりと泣いて、さて、いつまでも泣いて目を泣き潰す様なことはない。気は大食いをすれば一日食わずにいても困らないが、空腹や寒さで君父をも如在にする。気に乱されるのである。「有身便有自私之理」。誰しもこうしたこと。「心疾」。先達ても言った通り、乱心のことにもなり、労症や気鬱の疾のことにもなる。しかし、ここは乱心のことでもなく、風邪を引いたのとも違う。心気の疾は自分の不調法からである。何処やら心持ちが悪いと言うのは、自分の心持ちにあること。さて、心疾に害せられないとはどうしたことかと振り返って見た時、それは主があるかないかの違いである。その主を拵えるのに、制縛や念ずると言うからつい心疾になる。そこで「持其志養気」が大切なのである。
【語釈】
・死生有命…論語顔淵5。「子夏曰、商聞之矣。死生有命、富貴在天」。
・直きを以養ふ…孟子公孫丑章句上2。「其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之閒」。
・身あれば必自私するの理あり…克己22。「伊川先生曰、大抵人有身、便有自私之理。宜其與道難一」。


第二十二 明道先生曰某寫字時云々の条

明道先生曰、某寫字時甚敬、非是要字好、只此是學。
【読み】
明道先生曰く、某字を寫す時甚だ敬むは、是れ字の好きを要むるに非ず、只此のみ是れ學なればなり。
【補足】
・この条は、程氏遺書三にある。

何叓にもよらぬ。物を書するに甚た敬しました。甚の字を見よ。中々大底なことてはない。役人の丁寧に書は用向あるからぞ。明道のは何と云ことなく、いつと云こともない。不断甚だ敬むなり。此も人前て立派に善く書ふとて敬しては、影日向のあるぞ。一寸した東金へやる買物の書付迠に丁寧を尽すか敬そ。此語の存羪に載たも面白あやぞ。分限者の、一文銭も小判の端と云やふなもの。道に欠闕がないからぞ。垩人の道に爰は捨ろと云ことはないから、一の字をやりばなしにする、もうそこにぬけがある。はや道に穴があくなり。軽いことても重いことでも同ことぞ。直方先生の、宰相の政の仕落も草履取の草履を落したも同ことと云。そこなり。巨細精粗皆道ぞ。道に穴のあく処は、天下に一人たるものの仕そこないも輕いものの仕そこないも一つことなり。そこが君子の道費にして隠ぞ。
【解説】
「明道先生曰、某寫字時甚敬」の説明。明道先生は字を書く際には絶えず敬んだ。それは、聖人の道がどこにもあるから、何につけても疎かにはできないからである。
【通釈】
何事にもよらず、物を書くのに甚だ敬んだ。この甚の字を見なさい。中々大抵なことではない。役人が丁寧に書くのは用向きがあってのこと。明道のは何と言うこともなく、いつと言うこともない。絶えず甚だ敬んだ。これも、人前で立派にうまく書こうとして敬むのでは陰日向がある。東金へ一寸買い物に遣る際の書付けにまで丁寧を尽くすのが敬である。この語が存養に載ったのも面白い綾のあること。分限者が、一文銭も小判の端だと言う様なもの。それは、道に欠闕がないからである。聖人の道にここは捨てろと言うことはないから、一の字を遣りっ放しにすれば、もうそこに抜けがあり、早くも道に穴が開く。軽いことでも重いことでも同じこと。直方先生が、宰相の政の仕落ちも草履取が草履を落とすのも同じことだと言った。そこである。巨細精粗が皆道である。道に穴の開く処では、天下に一人たる者の仕損いも軽い者の仕損いも同じこと。そこが「君子之道費而隠」である。
【語釈】
・君子の道費にして隠…中庸章句12。「君子之道、費而隱」。

非是要字好。此れは弟子への御咄しなり。候師垩などがやうなそそうとはちがふ。先生のいつもの御丁寧か出たと笑わんこともありつらん。そこで此是学と示されたらしいものなり。垩賢の道にここはのけると云ことはない。異端はけとばす。垩賢は内から地道にゆく。松嶋へ行には千住からじか々々。松嶋へばかり飛でと云ことはない。さて又、道に高明な処ある。そこ□明道の得手もの。さてこんな処に欠がない。某がもと書たものの中にもある。又恭節が、爰が曽点の氣象かと館林から問てよこした。字をうつすにもつつしむが爰の道と見たは曽点の氣象なり。されとも明道の地位に曽点とならへるはあしい。明道は曽点の上をゆく人なり。とは云ものの、此是と見た処は曽点の意なり。迂斎の、髪をなでるやうなものとなり。柯先生の、石のかろふとの中ても衣紋をつくろふと云もここなり。今日は節句じゃからとは云はぬ。たれに見せふとてのことてはない。わづかな処に天理人欲がある。見せふとてするは人欲。是学と云は天理なり。朱子の執妍迷はそこぞ。
【解説】
「非是要字好、只此是學」の説明。これは、「甚敬」を明道の丁寧さから来ると弟子が思うことに対しての注意である。字を寫すにも敬むのが道であると明道が見たのは曾点の気象に通じる。僅かな処に天理人欲があり、見せようとしてするのは人欲からである。
【通釈】
「非是要字好」。これは弟子へのお話である。候師聖などの様な粗相な者とは違う。先生のいつものご丁寧が出たと笑うこともあったことだろう。そこで「此是学」と示されたものらしい。聖賢の道にここは除けると言うことはない。異端は蹴飛ばす。聖賢は内から地道に行く。松島へ行くには千住から着実に行く。松島辺りへ飛んで行くなどということはない。さてまた、道には高明な処ある。そこが明道の得手ものである。さて、こんな処に欠けがない。私が前に書いた中にもある。また恭節が、ここが曾点の気象かと館林から問うて寄越した。字を寫すにも敬むのが道だと見たのは曾点の気象である。しかし、明道の地位を曾点と並べるのはよくない。明道は曾点の上を行く人である。しかし、そうは言うものの、「此是」と見た処は曾点の意である。迂斎が、髪を撫でる様なものと言った。柯先生が、石の唐櫃の中でも衣紋を繕うと言うのもここのこと。今日は節句だからとは言わない。誰かに見せようとしてのことではない。僅かな処に天理人欲がある。見せようとしてするのは人欲。「是学」は天理である。朱子の「執妍迷」とはそこのこと。
【語釈】
・候師垩…
・恭節…鵜沢恭節。鈴木恭節。通称は長蔵。黙斎門下。寛政元年(1789)、黙斎の推薦で館林藩主松平侯の儒臣となる。1762~1830
・曽点の氣象…論語先進25の話を指す。
・柯先生…山崎闇斎。
・かろふと…唐櫃。棺。墓石の下に設けた石室。
・執妍迷…


第二十三 伊川先生曰聖人不記事の条

伊川先生曰、聖人不記事、所以常記得。今人忘事、以其記事。不能記事、處事不精、皆出於養之不完固。
【読み】
伊川先生曰く、聖人事を記[しる]さんとせず、所以に常に記し得。今人の事を忘るるは、其の事を記さんとするを以てなり。事を記すこと能わず、事を處すること精[くわ]しからざるは、皆養うことの完固ならざるに出ず、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書三にある。

爰らはあと先きの意を汲みはかって字心より足してみるべし。物を覚へよう々々々々とせぬとなり。せぬと云が爰の意ぞ。全たいに心が存して居るから忘れぬ。覚やうともせぬが親の子の死だ日を忘れぬ様に、なんとして忘れぬ。尤爰等は親切てはなけれとも、先あらくたとへたもの。直方の、普請の繪圖をして出すと、その繪圖をしたものは忘れても、大工は忘れぬと云へり。あくせく覚へようとはせぬが、全体に其家を建てやうと云ほどの心からは、大工は覚へて居るはづなり。まさしく覚のよいではない。普請のわけのすんだのぞ。道理が手に入と忘ることはない。事の上には忘することもある。孟子も其三人我忘たりと云へり。なに、孟献子の客じゃもの、一々覚へることはない。道理の方忘るることのあるは心に乘ぬからのこと。覚のよいわるいとは違ふ。家のことは女房がよく覚るもの。召任のものは不断内にをりて覚へぬ。垩人は道理と一枚ゆへぞ。記事は覚へること。
【解説】
「伊川先生曰、聖人不記事、所以常記得。今人忘事、以其記事」の説明。存養があれば、ものを覚えようとしなくても忘れることはない。事の上では忘れることもあるが、道理を得れば忘れることはない。これは覚えの良い悪いとは違う。
【通釈】
ここ等は前後の意を汲み量り、字心を足して見なさい。ものを覚えようとはしないと言った。しないというのがここの意である。全体に心が存しているから忘れない。覚えようとしなくても、親が子の死んだ日を忘れない様に、何としても忘れない。尤もここ等は親切な言い方ではく、先ずは粗くたとえたもの。直方が、普請の絵図を書いて出すと、その絵図を書いた者は忘れても、大工は忘れないと言った。あくせく覚えようとはしないが、全体にその家を建てようというほどの心があるのだから、大工は覚えている筈である。まさしく覚えがよいということではない。普請の仕方が済んだのである。道理が手に入ると忘れることはない。事の上では忘れるということもある。孟子も「其三人我忘」と言った。何も孟献子の客だから一々覚えることはない。道理の方で忘れることのあるのは心に乗らないからである。覚えの良い悪いとは違う。家のことは女房がよく覚えるもの。召使いの者は普段から内にいても覚えない。聖人は道理と一枚なのである。「記事」とは覚えること。
【語釈】
・其三人我忘たり…孟子萬章章句下3。「孟獻子、百乘之家也。有友五人焉。樂正裘、牧仲、其三人則予忘之矣。獻子之與此五人者友也、無獻子之家者也。此五人者、亦有獻子之家、則不與之友矣」。

處事。処置が丁度にいかぬ。爰らは善悪と云様にあらく見ることてはない。善のなかでも取さばきの有ることなり。丁度にいかぬは、處とは云はれず。善いもの揃ふても献立がわるけれは精いとは云はぬ。看よ、今の学類中の中から、役向のことから、それに限らずずんどよくないことだらけ。そこで凡夫が学者は下手なり。私は覚がわるいと云はすんど品のわるいことなり。直方先生の、わするると云をはばらしく云ことではないとなり。男ぶりがわるくなる。孟子も三人は忘たと云ひ、明道加倍の數をわすれたは味方らしく云へとも、大な間違ぞ。忘るるを主張するは老荘の見。伊川などは四十以後記臆益進と云ことあり。爰は只のことではない。子とものあまり遊ひにこさられて、つい飯を食ことを忘るる。伊川の哲宗の前で講釈するとき、色々の古事を引るる。汲流すようてありしとなり。そこで范純仁がか肝をつぶされて、どうして其ように覚へてごさらると問たれば、伊川の、これがどう覚へて居るるぞと云へり。某が講釈とても一々手帳からくり出すでもない。それにつれて出てくるものなり。それへ縁のあることから、さま々々なことか出てくる。器用なものても昨日今日からでは覚へられぬが、不器用でも久しく仕こんだは違ふものぞ。存羪ある人は覚へがよいと云は、道と一つになったからぞ。
【解説】
「不能記事、處事不精、皆出於養之不完固」の説明。「処」とは、丁度のところである。覚えが悪いというのは、本当は品が悪いのである。存養のある人は覚えがよいと言うのは、道と一つになっているからである。
【通釈】
「処事」。処置が丁度に行かない。ここ等は善悪と言う様に粗く見ることではない。善の中でも取り捌きがある。丁度に行かなければ処とは言えない。善いものが揃っていても、献立が悪ければ精しいとは言わない。見なさい。今の学類の中も、役向のことも、それに限らず全くよくないことだらけである。そこで、凡夫が学者は下手だと言う。私は覚えが悪いと言うのは、本当は品が悪いのである。直方先生が、忘れるとは、幅で言うことではないと言った。それでは男振りが悪くなることになる。孟子も三人は忘れたと言い、明道が加倍の数を忘れたのはそれに味方をする様だが、それは大きな間違いである。忘れることを主張するのは老荘の見。伊川などは「四十以後記憶益進」と言った。ここは普通のことではない。子供によく遊びに来られて、つい飯を食うことを忘れる。伊川が哲宗の前で講釈する時は色々な故事を引用された。それは汲み流す様だったそうである。そこで范純仁が肝を潰されて、どうしてその様に覚えておられるのかと問うと、伊川は、これがどうして覚えているものかと答えた。私の講釈にしても、一々手帳から繰り出すわけでもない。それに連れて出て来るもの。それに縁のあることから、様々なことが出て来る。器用な者でも昨日今日からでは覚えられないが、不器用でも長いこと仕込んだことは違うもの。存養のある人は覚えがよいと言うのは、道と一つになっているからである。
【語釈】
・明道加倍の數をわすれた…
・四十以後記臆益進…
・范純仁…范忠宣。范仲淹(范文正)の次子。


第二十四 明道先生在澶州日の条

明道先生在澶州日、脩橋、少一長梁。曾博求之民閒。後因出入、見林木之佳者、必起計度之心。因語以戒學者、心不可有一事。
【読み】
明道先生澶州に在りし日、橋を脩むるに、一長梁を少[か]けり。曾て博く之を民閒に求む。後出入するに因り、林木の佳なる者を見れば、必ず計度の心を起せり。因って語りて以て學者を戒む、心に一事有つ可からず、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書二下にある。

明道の令のとき、なにか長梁がたりなんだ。先つそれも見つけて橋は出来た。其以後、とこぞへ出る度にかの長梁のことを思へたされたとなり。橋さへ出来れは木はいらぬのに、さてよい木などと思はるる処がものに匂のとまる様なもので、心の着したのぞ。氣の上にはとかくあとへのこさるることあり。そこて計度の前の心が出たもの。これからをして云へは孟子の云るる通り、術不可不愼も爰へあてて見よ。心がかぶれるもの。武士の荒物をためすなどと云こと、罪人をためすことなればなにも殺すことではないが、あれを仕つけると、路人を見てもあの胴はよい胴じゃと思ことになろふ。さん々々なことで、人の心をらりにすることなり。田舎などは江戸とは違い、火葬を家々のものが自ら手をつけ焼くぞ。さて々々悪なこと。浪人儒者のとんと手のととかぬことなれば火葬を禁することはならずとも、大切な心をらりにすることなれは、せめて焚亡坊主が三ヶの津のようにあればせめてよし。村の者ともが自らするぞ。あれを忍てするなれば、なんでも悪いことにならぬことはない。明道ほどな人で無將迎無内外と定性書に仰せられたことゆへ、用心すべきこと。心がよると、よりただけの心をけかす。人の骸をやくことを何とも思はぬからは、あの残忍な心が立派になっていろ々々な処へ出やうぞ。
【解説】
「明道先生在澶州日、修橋、少一長梁。曾博求之民閒。後因出入、見林木之佳者、必起計度之心」の説明。心は被れるもの。それで台無しになる。心が寄ると、寄った分だけ心を汚す。田舎では家々の者が自らの手で火葬をするが、人の骸を焼くことを何とも思わないという残忍な心が成長すれば、色々な悪い事をすることになる。
【通釈】
明道が澶州の長官だった時、何故か長梁が足りなくなったが、先ずはそれも見付けて来て橋はできた。それ以後、何処かへ出掛ける度にあの長梁のことを思い出されたそうである。橋さえできれば木は要らないのに、さてもよい木だなどと思われる処が物に匂いの留まる様なもので、心が着したのである。気の上にはとかく後へ残ることがある。そこで「計度」の前の心が出たもの。これから推して言えば、孟子の言われた通りで、「術不可不慎」もここへ当てて見なさい。心は被れるもの。武士の荒物を試すなどと言うのは罪人を試すことなので何も殺すことではないが、あれを仕馴れると、路人を見てもあの胴はよい胴だと思うことにもなるだろう。散々なことで、人の心を台無しにする。田舎などでは江戸とは違い、火葬を家々の者が自ら手を下して焼く。それは全く悪いこと。浪人儒者には全く手の届かないことなので火葬を禁じることはできないが、大切な心を台無しにすることなので、せめて焚亡坊主が三都の様にいればよいが、村の者共が自らする。あれを忍んでするのであれば、何でも悪いことにならないことはない。明道ほどの人が「無将迎無内外」と定性書で仰せられたのだから、用心しなければならない。心が寄ると、寄った分だけ心を汚す。人の骸を焼くことを何とも思わないのだから、あの残忍な心が成長して色々な処へ出ることだろう。
【語釈】
・術不可不愼…孟子公孫丑章句上7。「孟子曰、矢人豈不仁於函人哉。矢人惟恐不傷人、函人惟恐傷人。巫匠亦然。故術不可不愼也」。
・三ヶの津…三箇津。筑前の博多津、伊勢の安濃津、薩摩の坊津の総称。三津。ここは三都のこと。京都・江戸・大坂。
・無將迎無内外…為学4。定性書。「明道先生曰、所謂定者、動亦定、静亦定、無將迎、無内外」。

又最ふ一つをして云に、財猶臟も爰なり。何より調法。人にさてもとすく処で心はらりになる。訂斎の余り貧窮ゆへ、一と年医者をしたれば金も出き、暮の仕舞もよかったとなり。そこでこう金が出きてはらりじゃと、ひしと医者をやめた。尚翁の道統なり。訂斎なとのやうなを實に道統と目の付でなければ存養は讀れぬ。學者が詩文も出来るとて喜べとも、それはやはり女の紗綾ちりめんのたち縫も出来ると云様なものぞ。縫物が出来ても不埒なものは女房にされぬ。不埒と云は心のことなり。そこで、心によこれをつけぬやふにするを第一とする。存養なり。
【解説】
金は調法なものだが、訂斎は金があっては心が台無しになるとして医業を止めた。心に汚れを付けない様にすることを第一とするのが存養である。
【通釈】
また、もう一つ推して言えば、「財猶膩」もこのこと。財は何よりも調法。人がさてもと好く処で心は台無しになる。訂斎があまりに貧窮したので一年間医者をすると金もできて暮の勘定もよかったそうだ。そこでこの様に金ができては台無しだと、ぴったりと医者を止めた。やはり、訂斎は尚翁の道統である。訂斎などの様な者を実に道統の人と目を付けるのでなければ存養を読むことはできない。学者が詩文もできると言って喜ぶが、それはやはり女が紗綾縮緬の裁ち縫いもできると言う様なもの。縫物ができても不埒な者は女房にはできない。不埒と言うのは心のこと。そこで、心に汚れを付けない様にすることを第一とする。これが存養である。
【語釈】
・財猶臟…講学鞭策録23。「財、猶膩也。近則汚人。豪傑之士耻言之」。

不可有一事。長留をするとよくない。有するのことについて、直方先生の、にくいやつなれとも佛者はきついことある。明惠上人所化、同道にて行かるるとき、金が道にをちてあるを供の所化、よほど通りすごして金が落てござりましたと云たれば、明惠が重いものをよくここまで持て來たと云しとなり。あの調法な金をそう思ふと云は本のことではなけれども、学者がそんなま子が夢にもなるまい。爰等は何も非義なことはない。先年のことが今迠留在すると云がもうじゃくした処なり。太極圖説を讀ても昨日の講釈が今日の親の看病の処へ出ては、まう留在なり。茶も何のこともなく呑むでよい。あの茶入れはと云。着した処なり。そこで、月の隈ある濱千鳥哉と利休のしからるる。道具に心をとめるともう茶でない。して見れば、藝者などに心法を取られた様なものなり。今の集註の文義とは違へとも、垩人過化存神の妙と云を、心に物を留ぬことにする。尤、張子や程門の文義取そこないなれとも、大ふ大切な心術にあつかることなり。朱子も文義の外ではよいと云へり。子ともが昨日祭りを見たのがそこで、今日迠のこりてをる。直方の、定性書はすらすらすることと云へり。そうすると老荘めく様に思へとも、中は違ふなり。無適無莫与義共に從ふなり。
【解説】
「因語以戒學者、心不可有一事」の説明。心は着してはならない。「聖人過化存神之妙」も、心に物を留めない様にすることと見ることができる。心は「無適也無莫也義之与比」でなければならない。
【通釈】
「不可有一事」。長く留めるのはよくない。「有」について、直方先生が、憎い奴だが仏者にはしっかりとしたところがあると言った。明恵上人に所化が同道して行かれた時、金が道に落ちていて、よほど通り過ごしてから供の所化が金が落ちておりましたと言うと、明恵が重いものをよくここまで持って来たものだと言ったそうである。あの調法な金をその様に思うのは本来ではないが、学者には、そんな真似は夢にもできないだろう。ここ等には非義なことは何もない。先年のことが今まで留在するというのがもう着した処である。太極図説を読んでも昨日の講釈が今日の親の看病の処へ出てはもう留在である。茶も何事もなく飲むのでよい。あの茶入れはと言う。それが着した処である。そこで、月の隈ある濱千鳥哉と利休が訶られた。道具に心を留めるともう茶ではない。それから見れば、芸者などに心法を取られた様なもの。今の集註の文義とは違うが、「聖人過化存神之妙」は心に物を留めない様にすること。尤も、張子や程門の文義は取り損なったものだが、大分心術に与る大切なことではある。朱子も文義の外ではよいと言った。子供が昨日祭りを見たというのがそれで、今日までそれが残っている。直方が、定性書はすらすらすることだと言った。そうすると老荘めく様に思えるが、中は違う。「無適也無莫也義之与比」である。
【語釈】
・明惠上人…鎌倉前期の華厳宗の僧。諱は高弁。紀伊の人。高雄山の文覚について出家。華厳・密教を学ぶ。後に栂尾に高山寺を営み、華厳宗中興の道場とし、また栄西が将来した茶樹を栽培。著に法然の浄土宗を批判した「摧邪輪」などがある。1173~1232
・所化…僧侶の弟子。寺で修行中の僧。
・垩人過化存神の妙…論語学而10集註。「聖人過化存神之妙、未易窺測」。
・無適無莫与義共に從ふ…論語里仁10。「子曰、君子之於天下也、無適也。無莫也。義之與比」。


第二十五 伊川先生曰入道莫如敬の条

伊川先生曰、入道莫如敬。未有能致知而不在敬者。今人主心不定、視心如寇賊而不可制。不是事累心、乃是心累事。當知天下無一物是合少得者。不可惡也。
【読み】
伊川先生曰く、道に入るには敬に如くは莫し。未だ能く知を致して敬に在らざる者有らず。今の人は心を主とし定めず、心を視ること寇賊の如くにして制す可からず。是れ事心を累わすにあらずして、乃ち是れ心事を累わすなり。當に天下に一物として是れ少[か]き得合[べ]き者無きを知るべし。惡む可からざるなり、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書三にある。

道理を我に得んとするには心にあることなり。かんじんの心が放心してはならぬから、莫如敬。それもこれものけて敬と云より外はないぞ。でも又大學の致知はどうでござると云と、さればよ、その致知も存養がなければいかぬ。心がうかとしては致知もならぬ。端的此席でも心がうかとしては讀そこない、聞そこのう。医者の本艸の吟味も敬でなければいかぬ。觀世が能も敬でなければ高砂か老松かしれぬ。さて、敬の相談になったとき、外向ばかり居合腰やしゃきばることではない。主心としてあきだなでなく、留主居を付ることなり。それがならぬから不定と云に、そこて我心がかたきになる。心如寇賊なり。道樂になるも盗をするも皆心からぞ。大切なものなり。火と云ものはすんと調法なもの。朝夕下女迠がいこうこはくはないものなれとも、いろりの下に居す、置処がちごうともふ大火事。火消も迯子ばならぬ。水も洪水のときは人民の居処もない様になる。丁度其やうに、心ほどこはいものはない。事か心を累てはない。向ふのものにかまふことはない。爰らも定性書にあてて見よ。横渠などが外物をきらわれた。客がたわけをしてもこちのよごれにはならぬことなり。向からこんなことが來たからこうなったと云は心累事なり。迂斎、弓の下手が傍でせきばらいをしたからはづれたと云。そうではない。下手ゆへ。悪筆かだたいわるいを、向ふでさわいたからと云は無理なり。人心の人心たる処は三綱領の備窮理應万事。心のなりぞ。こちの咎でそうなったのなり。熱のあるもの、飯を食へとも糠をかむようじゃと云。向は糠でなくても此方に熱があるからぞ。兎角定性書の意なり。合て見るべし。
【解説】
道理を得るのは心ですることだが、具体的には敬で行う。敬は心を主として留守居を付けること。事が心を累わすのではなく、心が事を累わすのであり、自分の落度で累うのである。
【通釈】
道理を自分に得るのは心の問題である。肝心の心が放心してはできないから、「莫如敬」。それもこれも除けて、敬と言うより外にはない。それでもまた、大学の致知はどうなのかと聞けば、その致知も存養がなければいけないのである。心がうかうかとしていては致知もできない。端的、この席でも心がうかうかとしては読み損いや聞き損いがある。医者の本草の吟味も敬でなければうまく行かない。観世の能も敬でなければ高砂か老松かわからない。さて、敬をするのは、外見だけで居合腰やしゃきばったりすることではない。心を主として、空き店でなく留守居を付ける。それができないから「不定」と言い、そこで自分の心が敵となる。「心如寇賊」。道楽者になるのも盗みをするのも皆心からで、心は大切なもの。火というものはかなり調法なもの。朝夕下女までが大して怖がらずに使うものだが、囲炉裏の下におらず、置き処が違えばもう大火事になり、火消しも逃げなければならなくなる。水も洪水の時は人民の居処もない様になる。丁度その様に、心ほど怖いものはない。事が心を累わすのではない。向こうのものに構ったことではない。ここ等も定性書に当てて見なさい。横渠などが外物を嫌われた。客が戯けをしてもこちらの汚れにはならない。向こうからこんなことが来たからこうなったと言うのは「心累事」である。迂斎が、弓の下手な者が傍らで咳払いをしたから外れたと言うが、そうではない。下手だからだと言った。そもそも悪筆なのが悪いのを、向こうで騒いだからだと言うのは無理な話である。人心の人心たる処は三綱領の「具衆理応万事」。これが心の姿である。こちらの咎でそうなったのである。熱のある者は、飯を食っても糠を噛む様だと言う。向こうは糠でなくてもこちらに熱があるからである。これがとかく定性書の意である。それと合わせて見なさい。
【語釈】
・しゃきばる…こわばる。堅くなる。痙攣して硬直する。
・備窮理應万事…大学章句1集註。「明德者人之所得乎天、而虚靈不昧、以具衆理而應萬事者也」。


第二十六 人只有一箇天理の条

人只有一箇天理、卻不能存得。更做甚人也。
【読み】
人には只一箇の天理有るのみなるに、卻って存し得ること能わず。更に甚[いか]なる人と做[な]らん。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

三才、性善の、明德のと結搆な名のついたも外のことてはない。天理を以てをるからぞ。此が人間の御朱印そ。それちゃに存羪し得ることがならぬから、何人とせふぞ。どふも直段がふまれぬと云やうなもの。伽羅は匂のあるでこそ伽羅なり。匂はぬ伽羅が大な皃をしてはつまらぬ。
【解説】
人は天理をもっているからこそ人であるのに、存養を仕遂げることができないのであれば人の資格はない。
【通釈】
三才や性善、明徳などと結構な名が人に付いたのは外でもない、天理を持っているからである。これが人間の御朱印である。それなのに、人は存養を仕遂げることができないから、どの様な人と言えばよいのだろうか。どうも値踏みをすることができないという様なもの。伽羅は匂いがあるからこそ伽羅である。匂わない伽羅が大きな顔をするのは悪い。


第二十七 人多思慮不能自寧の条

人多思慮、不能自寧、只是做他心主不定。要作得心主定、惟是止於事。爲人君止於仁之類。如舜之誅四凶、四凶已作惡、舜從而誅之。舜何與焉。人不止於事、只是攬他事、不能使物各付物。物各付物、則是役物。爲物所役、則是役於物。有物必有則。須是止於事。
【読み】
人の思慮多く、自ら寧んずること能わざるは、只是れ他[か]の心の主と做[な]り定まらざればなり。心の主と作[な]り得て定まらんことを要めば、惟是れ事に止まるのみ。人君と爲りては仁に止まるの類なり。舜の四凶を誅せしが如き、四凶已に惡を作せば、舜從いて之を誅せり。舜何ぞ與らん。人の事に止まらざるは、只是れ他の事を攬[と]り、物をして各々物に付せしむること能わざればなり。物各々物に付するは、則ち是れ物を役するなり。物の役する所と爲るは、則ち是れ物に役せらるるなり。物有れば必ず則有り。須く是れ事に止まるべし。
【補足】
・この条は、程氏遺書一五にある伊川の語。

人々とかく思慮が多ひとひょこすかしてをる。迂斎の、一寸そとをあるくにも穴へをちると云へり。何や角にうろたへる。さま々々なことを胸へ置からぞ。ごたまぜが悪い。そこで止於事。爰等が程子でなければとんと云はれぬことなり。心が定らずは靜にせよとてもありそふなことを、止於事と云が名人の手段なり。云に云へぬことの、偖実地なことなり。兎角発明は空、空理に馳するものじゃに、処を心がさわかしくなるからは、さしあたる事に止るかよいとなり。手紙を書ならば手紙を書くに止るがよい。馬に乘ならば馬、弓なれば弓、何なろふとそこへ向てきた道理なりにすると心は靜なもの。事に止るがならぬぞ。今日は講釈に往ふと思ふ処、家内に病人あるからゆかれす。そのときは看病するに止るぞ。そこをあちこちするでうろたへる。今日のさしあたることの當然をすてて向へ行ふとするから心がうろたへる。川留ならば、そこで落付くて碁盤を出すかよい。川のあく迠はふりむいても見ぬと云がよい。
【解説】
「人多思慮、不能自寧、只是做他心主不定。要作得心主定、惟是止於事」の説明。程子は、心が定まらなければ静にせよとは言わず、「止於事」と言った。向かって来た道理の通りに事に止まるのがよく、色々とするから狼狽える。
【通釈】
人はとかく思慮が多いとひょこひょことする。迂斎が、一寸外を歩くにも穴へ落ちると言った。何にでも狼狽える。それは様々なことを胸へ置くからであって、ごた混ぜにするのが悪い。そこで「止於事」。ここ等は程子でなければ全く言えないこと。心が定まらなければ静にしなさいとでも言いそうなところを、止於事と言うのが名人の手段である。これが言うに言えないことで、さて、実地のことである。とかく発明は空で、空理に馳せるものだが、心が騒がしくなるのなら、差し当たる事に止まるのがよいと言った。手紙を書くのなら手紙を書くことに止まるのがよい。馬に乗るのなら馬、弓であれば弓、何であろうとそこへ向かって来た道理の通りにすれば、心は静かなものとなる。しかし、事に止まることができない。今日は講釈に行こうと思った処、家内に病人があって行けない。その時は看病をすることに止まる。そこをあちこちするから狼狽える。今日差し当たることの当然を捨てて向こうへ行こうとするから心が狼狽える。川留めなら、そこで落ち着いて碁盤を出すのがよい。川が開くまでは振り向きもしないというのがよい。

事と云処へ君と出たは面白ひあやなり。為人君止於仁。此が本と文王のことで存羪には合ぬ様なれとも、君か仁に止ると云も事に止るなり。文王と云へとも外に止る功夫はない。心か事に止まるで靜になると云も分に相談はいらぬ。きまらぬと止らぬ。一寸したことても止は忝ひものぞ。大三が長﨑へ行たも老人をひとりやりては済ぬと云きまりから心が靜になる。尤我も珍い処を見たいてもあろふなれとも、いろ々々動く。父の供と止りたで靜なり。濱見物の節とはちごう。いこうかいくまいは事に止らぬのぞ。兄弟が病氣と云をきけばかけ出すも、行ふと云に極りて、それへ專一ゆへさわかぬ。大学の定靜安慮と云もそこそ。定は靜になる。如舜之誅四凶。舜に疂筭するようなことはない。刑せ子ばならぬゆへ從誅之。從の字をみよ。萑の口をあいたところへ親の餌を入れたのぞ。四凶も口をあくゆへ誅たものぞ。迂斎、つまり四凶が自滅じゃと云へり。爰がやはり事に止る処なり。理はいつもかうしたもの。理なりに遠慮はない。親の腫物へ針ぞ。ふだんとは分なこと。事にととまるゆへ丁度にゆくなり。致知格物と同じこと。良知ですむと思ふは間違なり。譬へば五刑之屬三千ありて、それかそれ々々に丁度にいく。
【解説】
「爲人君止於仁之類。如舜之誅四凶、四凶已作惡、舜從而誅之。舜何與焉」の説明。「為人君止於仁」も事に止まること。事に止まるから心が静になる。舜が四凶を誅したのも事に止まり理に従っただけであり、事自体は四凶が引き起こしたことなのである。
【通釈】
事という処へ「君」と出たのが面白い綾である。「為人君止於仁」。ここは元々文王のことで存養には合わない様だが、君が仁に止まると言うのも事に止まること。文王と言っても外に止まる工夫はない。心が事に止まるので静になる。そのことに格別な相談は要らない。決まらなければ止まらない。一寸したことでも止は忝いもの。大三が長崎へ行ったのも老人を独りで遣っては済まないという決まりからで、それで心が静になる。尤も、自分も珍しい処を見たいということもあったのだろうが、色々と動くところを、父の供をすると止まったから静となる。濱見物の節とは違う。行こうか止めようかと考えるのは事に止まらないのである。兄弟が病気だと聞けば駆け出すのも、行こうということに極まって、それへ専一だから騒がない。大学で「定静安慮」と言うのもそこ。定で静になる。「如舜之誅四凶」。舜に畳算をする様なことはない。刑さなければならないから「従誅之」。従の字を見なさい。雀が口を開けたところへ親が餌を入れたのである。四凶も口を開けたから誅した。迂斎は、つまりは四凶が自滅したのだと言った。ここがやはり事に止る処である。理はいつもこうしたもの。理の通りで遠慮はない。親の腫物へ針をするのと同じ。それは普段することとは別なこと。事に止まるから丁度に行くのであって、致知格物と同じ。良知で済むと思うのは間違いである。たとえば「五刑之属三千」で、それがそれぞれに丁度に行く。
【語釈】
・為人君止於仁…大学章句3。「爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信」。
・大三…櫻木大三郎。櫻木誾斎の二男。天保14年(1843)9月22日没。年77。
・定靜安慮…大学章句1。「知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得」。
・舜之誅四凶…書経舜典。「流共工于幽州、放驩兜于崇山、竄三苗于三危、殛鯀于羽山。四罪而天下咸服」。
・疂筭…かんざしなどを畳の上に落し、その落ちた所から畳の編み目を端まで数えて、その丁・半の数で吉凶を占うもの。
・五刑之屬三千…書経呂刑の語。

物各付物なり。腫物の大小て膏藥を切る。道理次第でするから、垩賢に心になやまされると云ことはない。垩賢の心は理なりゆへ、君へはこう、家来へはこうと五倫の中がよい。ひだるいとき飯、渇したとき湯。ずら々々したことぞ。此で心か安泰になる。ひだるいときに靜坐と云は間違なり。物各つまる処事に止るのぞ。今日の人、向の物でこちの心がうごく。向にとんじゃくはない。そこを役物と云。此方次第ぞ。何のこともなけれとも、垩凡の別を向のものにとんちゃくはない。あれは酒だなと見て、よいかげんに呑む。伯夷不見悪色云々も向から遊女の來る、戸を立ることではない。遊女迠のこと。凡夫は向から来るところでこちがうつる。知誘物化すなり。物に所役は此方から下坐をするのぞ。物の方から使ようふになる。旦那が家来につかはるる筋なり。孔子の酒は無量、凡夫は最ふ呑ま子ば叶はぬと云。そこで、ものの方から呼すてに逢ふ様なもの。茶人が此茶碗でのめは味がよいと云なれば、こちが旦那なり。これで呑子ばならぬと云と家来なり。曽点の嗜羊棗と云は別たんなことなり。佛は皆捨るで、はて色食性なり。ぢゃから捨ることはない。人欲ほど動くものはなけれども、中にも飲食男女なり。顔子の四勿も事に止るなり。あまり氣をもむ。
【解説】
「人不止於事、只是攬他事、不能使物各付物。物各付物、則是役物。爲物所役、則是役於物。有物必有則。須是止於事」の説明。聖賢は道理次第だから心が悩まされることはない。向こうから来るものに頓着してはならないし、捨てることもならない。物に使われる様になれば、主従逆転である。
【通釈】
「物各付物」。腫物の大小に従って膏薬を切る。道理次第でするから、聖賢には心が悩まされるということはない。聖賢の心は理の通りなので、君へはこう、家来へはこうと五倫の中がよい。空腹の時は飯で、渇した時は湯。それぞれに応じたこと。これで心が安泰になる。空腹な時に静座をするのは間違いである。物の各々詰まる処は事に止まるのである。今日の人は、向こうの物でこちらの心が動く。しかし、向こうに頓着することはない。そこを「役物」と言う。自分次第である。何事もないことだが、聖凡の別は向こうの物に頓着をするかしないかである。あれは酒だなと見て、よい加減に飲む。「伯夷不見悪色云々」も、向こうから遊女が来たとしても戸を立てることはない。遊女だと言うまでのこと。凡夫は向こうから来るところで自分が移る。「知誘物化」である。「物所役」は自分から下座をすること。物の方が自分を使う様になる。それは、旦那が家来に使われる筋である。孔子は酒が無量だが、凡夫はもう飲まなければ叶わないと言う。物の方から呼び捨てにされる様なもの。茶人がこの茶碗で飲めば味がよいと言えば、こちらが旦那であり、これで飲まなければならないと言えば家来である。曾点の「嗜羊棗」と言うのは別段なこと。仏は皆捨てるが、さて、「色食性也」だから、捨てることはない。人欲ほど動くものはないが、中でも飲食男女が動く。顔子の「四勿」も事に止まること。人はあまりに気を揉んでいる。
【語釈】
・伯夷不見悪色…孟子万章章句下1。「孟子曰、伯夷、目不視惡色。耳不聽惡聲。非其君不事、非其民不使」。
・知誘物化…論語顔淵1集註。「其聽箴曰、人有秉彝。本乎天性。知誘物化、遂亡其正」。
・酒は無量…論語郷党8。「肉雖多、不使勝食氣。惟酒無量、不及亂」。
・嗜羊棗…孟子尽心章句下36。「曾晳嗜羊棗、而曾子不忍食羊棗」。
・色食性なり…孟子告子章句上4。「告子曰、食色、性也。仁、内也。非外也。義、外也。非内也」。
・四勿…論語顔淵1。「子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動」。