第五十二 蘇季明問答  十二月廿一日  文七録
【語釈】
・十二月廿一日…寛政2年(1790年)12月21日。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。筆記力に優れる。

蘇季明問、喜怒哀樂未發之前求中、可否。曰、不可。既思於喜怒哀樂未發之前求之、又卻是思也。既思即是已發。思與喜怒哀樂一般。纔發便謂之和、不可謂之中也。又問、呂學士言當求於喜怒哀樂未發之前、如何。曰、若言存養於喜怒哀樂未發之前、則可。若言求中於喜怒哀樂未發之前、則不可。又問、學者於喜怒哀樂發時、固當勉強裁抑。於未發之前、當如何用功。曰、於喜怒哀樂未發之前、更怎生求。只平日涵養便是。涵養久、則喜怒哀樂發自中節。曰、當中之時、耳無聞目無見否。曰、雖耳無聞目無見、然見聞之理在、始得。賢且説、靜時如何。曰、謂之無物則不可。然自有知覺處。曰、既有知覺、卻是動也。怎生言靜。人説復其見天地之心、皆以謂至靜能見天地之心、非也。復之卦下面一畫、便是動也。安得謂之靜。或曰、莫是於動上求靜否。曰、固是。然最難。釋氏多言定、聖人便言止。如爲人君於仁、爲人臣止於敬之類、是也。易之艮言止之義。曰、艮其止、止其所也。人多不能止。蓋人萬物皆備、遇事時、各因其心之所重者更互而出。纔見得這事重、便有這事出。若能物各付物、便自不出來也。或曰、先生於喜怒哀樂未發之前、下動字、下靜字。曰、謂之靜則可。然靜中須有物始得。這裏便是難處。學者莫若且先理會得敬。能敬則知此矣。或曰、敬何以用功。曰、莫若主一。季明曰、昞嘗患思慮不定。或思一事未了、他事如麻又生。如何。曰、不可。此不誠之本也。須是習。習能專一時便好。不拘思慮與應事、皆要求一。
【読み】
蘇季明問う、喜怒哀樂の未だ發せざる前に中を求むるは、可なるや否や、と。曰く、不可なり。既に喜怒哀樂の未だ發せざる前に於て之を求めんと思うは、又卻って是れ思うなり。既に思えば即ち是れ已に發するなり。思うと喜怒哀樂とは一般なり。纔かに發せば便ち之を和と謂う、之を中と謂う可からず、と。又問う、呂學士は當に喜怒哀樂の未だ發せざる前に求むべしと言いしが、如何、と。曰く、若し喜怒哀樂の未だ發せざる前に存養すと言わば、則ち可なり。若し中を喜怒哀樂の未だ發せざる前に求むと言わば、則ち不可なり、と。又問う、學者は喜怒哀樂の發せし時に於て、固より當に勉強して裁抑すべし。未だ發せざる前に於ては、當に如何に功を用うべき、と。曰く、喜怒哀樂の未だ發せざる前に於ては、更に怎生ぞ求めん。只平日涵養せば便ち是なり。涵養すること久しくんば、則ち喜怒哀樂は發して自ら節に中る、と。曰く、中なる時に當たりては、耳に聞ゆる無く目に見ゆる無きや否や、と。曰く、耳に聞ゆる無く目に見ゆる無しと雖も、然れども見聞の理在りて、始めて得。賢且く説け、靜なる時は如何、と。曰く、之を物無しと謂わば則ち不可なり。然れども自ら知覺する處有り、と。曰く、既に知覺有れば、卻って是れ動なり。怎生ぞ靜と言わん。人復は其れ天地の心を見るを説くに、皆以て至靜能く天地の心を見ると謂うは、非なり。復の卦の下面の一畫は、便ち是れ動なり。安んぞ之を靜と謂うを得ん、と。或ひと曰く、是れ動上に於て靜を求むること莫きや否や、と。曰く、固より是なり。然れども最も難し。釋氏は多く定を言い、聖人は便ち止を言う。人君と爲りては仁に止まり、人臣と爲りては敬に止まるが如きの類、是れなり。易の艮は止の義を言えり。曰く、其の止に艮まるとは、其の所に止まるなり、と。人多く止まること能わず。蓋し人には萬物皆備り、事に遇う時、各其の心の重んずる所の者に因り更互して出ず。纔かに這の事重しと見得ば、便ち這の事の出ずる有り。若し能く物各々物に付さば、便ち自ら出て來らず、と。或ひと曰く、先生は喜怒哀樂の未だ發せざる前に於て、動の字を下すや、靜の字を下すや、と。曰く、之を靜と謂わば則ち可なり。然れども靜中には須く物有るべくして始めて得。這裏[ここ]は便ち是れ難き處なり。學者は且く先ず敬を理會し得るに若くは莫し。能く敬ならば則ち此を知らん、と。或ひと曰く、敬は何を以て功を用うるや、と。曰く、一を主とするに若くは莫し、と。季明曰く、昞嘗[つね]に思慮の定まらざるを患う。或は一事を思いて未だ了わらざるに、他事麻の如く又生ず。如何、と。曰く、不可なり。此れ誠ならざる本なり。須く是れ習うべし。習いて能く專一なる時便ち好し。思慮すると事に應ずるとに拘らず、皆一を求むるを要す、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

此章はどちどふしても呉服屋の云、ほしの入たのなり。ほしの入たひけものの筋で、いかほどとりなしをして見ても、ほしは入てをる。さて、中庸或問の吟味ではあの通なれども、得く用になる。得用になるとはいかがなれば、未発已発の功夫の体段を知るに甚た善いなり。中庸或問に朱子のあの通り弁してをかるるからは近思録に載せられそふもないものなれとも、それを載せられたは右のあやゆへなり。此章に云分んのあると云は議論のとりあひ、つぢつまの上のこと。全体の処はよい。まつ、この中庸の喜怒哀樂は、未発の中を道体の中に出則不是とちょっと見せてある。出則不是のことと合点すれば、ここをしてとるほどなことなり。これがなか々々ただのものの看てとられぬことなり。
【解説】
この条には間違いがあるが、全体としてはよいものである。それは、この条が未発已発の功夫の体段を知るのに甚だ善いからである。未発の中が道体篇にある「出則不是」のことだと見取ることができれば、ここを理解したのと同じである。
【通釈】
この章はどの様に考えても呉服屋の言う、ほしの入ったものである。ほしの入った引け物の筋で、どれほど取りなしをしてみても、ほしは入っている。さて、中庸或問の吟味ではあの通りだったが、ここは徳用になる。徳用になるとはどの様なことかと言うと、未発已発の功夫の体段を知るのに甚だ善いということ。中庸或問で朱子があの通り弁じて置かれたからは近思録に載せられそうもないものなのに、それを載せられたのはこの綾があるからである。この章に言い分があると言うのは議論の取り合い、辻褄の上のことであって、全体の処はよい。先ず、この中庸の喜怒哀楽については、道体の篇中で未発の中を「出則不是」だと少し見せてある。出則不是のことだと合点すれば、ここをして取るほどのこと。これが中々普通の者には見取れないことなのである。
【語釈】
・ひけもの…引け物。欠点があって価のさがった品物。
・未発の中…中庸章句1。「喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。
・出則不是…道体26。「中者天下之大本。天地之閒、亭亭當當、直上直下之正理。出則不是。惟敬而無失、最盡」。

又、存養の篇になりて、敬而無失ともふ一句ちらりと見せてをく。長いこといらずにこれですむこと。その上にこの章などの載てあるが、丁ど孟子の必有事勿正と云ふて、あとへ勿助長とだん々々のことを云やふなもの。合点のよいものは必有事勿正ですむが、よく合点せぬと間違になるゆへ、勿助長の、如宋人勿然のと云ふ。だたいよくすますものは必有事勿正ですむことぞ。ここへこの章の載たが未発已発の功夫する全備して至極よい。出則不是の、敬而無失のと云一句ですむは明道先生や伊川先生のやふな御方なり。未発已発は中々てもない合点のゆかぬことなり。前に云たが、道体の名義ぞ。道体の名義は名義ですむこと。無極而太極もあれてすむ。喜怒哀樂未発の中は功夫へ片足いれた人でなければすまぬ。ここで、大抵なことではない。名義て知るは第二着。未発已発の塩梅を覚へるは、功夫へはいるが第一なり。
【解説】
未発已発の功夫をするには「敬而無失」で済むことだが、それがよくわかる様にこの条を載せたのである。喜怒哀楽未発の中は功夫へ這い入らなければ得られない。
【通釈】
また、存養の篇になって、「敬而無失」ともう一回ちらりと見せて置く。長々と言う必要はなく、これで済む。その上にこの章などを載せてあるのが、丁度孟子が「必有事勿正」と言った後へ「勿助長」と補足を言う様なもの。合点のよい者は「必有事勿正」で済むが、よく合点しなければ間違いになるので、「勿助長」や「如宋人勿然」と言う。そもそもよく済める者は「必有事勿正」で済む。ここへこの章を載せたのが未発已発の功夫をすることの全備であって至極よいこと。「出則不是」や「敬而無失」という一句で済むのは明道先生や伊川先生の様な御方の場合である。未発已発は中々取っ掛かりもなく合点のいかないこと。前に言ったことだが、これは道体の名義と同じ。道体の名義は名義で済む。「無極而太極」もあれで済む。喜怒哀楽未発の中は功夫へ片足を入れた人でなければ済まない。そこで、大抵なことではない。名義で知るのは第二着であって、未発已発の塩梅を覚えるには、功夫へ入るのが第一である。
【語釈】
・敬而無失…存養18。「敬而無失、便是喜怒哀樂未發謂之中。敬不可謂中。但敬而無失、即所以中也」。
・必有事勿正…孟子公孫丑章句上2。「必有事焉、而勿正。心勿忘。勿助長也。無若宋人然」。
・無極而太極…道体1。太極図説の語。

丁度、酒を呑人でなければ酒の味を本道に知ぬやふなもの。大学の一旦豁然貫通の訳は学者が理で推て知れることなり。中庸の一旦恍然得要領の塲は功夫した人でなければ知れぬ。書物藝でとんとすまぬことなり。この酒よい、この酒はわるいと云は下戸でも知れるが、酔心のよいと云ふは上戸でなければ知らぬ。未発の中も功夫からでなければゆかぬ。山﨑先生の中和集説を作られたも、朱子、首章説に克己復礼で脩道之教を説きをとされた。ここで感心して作られたぞ。性道教の教は道体にあつかることなれとも、克己復礼の功夫を出したでここの塩梅が知れるなり。此筋は、そこへはえりた人でなければ、中庸の書を讀んでもこのやふなことは知れぬ。そこて、片足入れた人でとは云なり。
【解説】
大学の「一旦豁然貫通」は理で推すことで知ることできるが、中庸の「一旦恍然得要領」の場は功夫した人でなければわからない。朱子も中庸首章説で克己復礼によって脩道之教を説き落とされた。性道教の教えは道体に与ることだが、克己復礼の功夫を出すことでそれを得ることができる。
【通釈】
丁度、酒を飲む人でなければ酒の味を本当に知らない様なもの。大学の「一旦豁然貫通」のわけは学者が理で推すことで知ることできるが、中庸の「一旦恍然得要領」の場は功夫した人でなければわからない。書物芸では全く済まないことなのである。この酒はよい、この酒は悪いと言うのは下戸でもわかるが、酔い心地がよいということは上戸でなければわからない。未発の中も功夫からでなければ行き着けない。山崎先生が中和集説を作られたのも、朱子が首章説で、克己復礼で脩道之教を説きを落とされたのに感心して作られたのである。性道教の教えは道体に与ることだが、克己復礼の功夫を出したのでここの塩梅がわかるのである。この筋は、そこへ這い入った人でなければわからず、中庸の書を読んでもこの様なことはわからない。そこで、片足入れた人でなければと言うのである。
【語釈】
・一旦豁然貫通…大学章句5。「至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則眾物之表裏精粗無不到、而吾心之全體大用無不明矣。此謂物格。此謂知之至也」。
・一旦恍然得要領…中庸章句序。「一旦恍然似有以得其要領者」。
・脩道之教…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎」。

蘇季明は初して横渠に従て学び、後、伊川先生の方へきたなり。時にこの求中と云が蘇季明がす子からもみ出したことではない。横渠の門人では呂与叔が学問がよかったゆへ、この説も呂与叔を兼て云出したものなり。だたい呂与叔がこの根本。呂与叔が喜怒哀樂未発の前をたつ子、そこで中を求ふとして、ここでして取ると云ふた。ここも呂与叔にまきこまれて云たものなり。喜怒哀樂未発之前で中を求と云ふてもよいかと問ふた。伊川先生の、それはさん々々なことじゃ。其元は何と意得るかは知ぬが、求と云ふは、此方からとふこうと求るゆへに思慮へわたら子ばならぬ。尤、求と云たとて、欠落ものを印籠巾着を落してたつ子るやふなかたいぢのことてはないが、求と云へば思ふ上にあり。思て求子ばならぬ。思慮のをこらぬとき、求と云ことはならぬ。程子のこふ云はれた。前は思と云ものがまだ事へ出ぬものゆへ、未発のやふに心得たものなり。
【解説】
「蘇季明問、喜怒哀樂未發之前求中、可否。曰、不可。既思於喜怒哀樂未發之前求之、又卻是思也。既思即是已發」の説明。この問いの大元は呂与叔である。思うとはまだ事へ出ない時なので、未発の様に心得ての問いだが、求めるのは思慮に渡らなければできないことであって、それでは未発ではない。
【通釈】
蘇季明は初め横渠に従って学び、後に伊川先生の方へ来た人。時にこの「求中」というのは蘇季明が臑から揉み出したことではない。横渠の門人では呂与叔の学問が優れていたので、この説も呂与叔を含めて言い出したものである。そもそも呂与叔がこの根本。呂与叔が喜怒哀楽未発の前を尋ね、そこで中を求めようとして、して取るにはとここで言ったのである。そこで、ここも呂与叔に巻き込まれて言ったものである。喜怒哀楽未発之前で中を求むと言ってもよいかと問うた。伊川先生が、それは散々なことであって、貴方は何と考えたかは知らないが、求むというのは、こちらからどうのこうのと求めることだから、思慮へ渡らなければならない。尤も、求むと言っても落し物の様に、印籠や巾着を落として尋ねる様な片意地なことではないが、求むと言えば思う上でのことであって、思った上で求めなければならない。思慮の起こらない時には、求むということはできない。この様に程子が言われた。「前」とは、思うということがまだ事へ出ない時なので、未発の様に心得たのである。
【語釈】
・蘇季明…蘇昞。
・呂与叔…呂大臨。汲郡の人。程門の四先生の一人。

程子のこのやふに云はれたではっきりとなってきたぞ。思はなるほど未発らしいものなり。人が綿入羽織着茶漬を食ふてをるは見へるが、寒ひと思と空腹になったと思は見へぬゆへ未発と心得が、その思ふ、はや未発ではない。芥子粒胡麻錆ほども思ふ。ぢきにそこが已発なり。ここを未発と心得るとけんとうがちごふ。小書。程子の後に生れては、口ちばしの青い学者も未発已発のこと云が、程子が云はれ子ば中々知れぬこと。喜怒云々。にこ々々してをることがあり、そこかとをもふとよってもつかれぬやふに怒ることがあり、不幸てもあるとないてをり、そふするとやれ目出度と手拍子をうつこともある。思ふはそのやふに人の目に見へるものではない。誰でもだまさるるものなれとも、やっはり喜怒哀樂とをなじこと。他人からは一般ではないが、我心では一般なものなり。他人の目には見へぬが、思ふも発た処は喜怒哀樂とをなじことなり。
【解説】
思うとは目に見えないものなので未発の様だが、それは已発である。思いが発った処は喜怒哀楽と同じことなのである。
【通釈】
程子がこの様に言われたのではっきりとなって来た。思はなるほど未発らしいものである。人が綿入羽織を着て茶漬を食っているのは見えるが、寒いと思うのと空腹になったと思うのは見えないので未発と心得るが、その思うということが、既に未発ではない。芥子粒胡麻錆ほどでも思えば、直にそこが已発である。ここを未発と心得るのは見当違いである。小書。程子の後に生まれたので、嘴の青い学者も未発や已発のことを言うが、これは程子が言われなければ中々わからないこと。「喜怒云々」。にこにこしていることがあり、そうかと思うと寄り付けないほどに怒ることもあり、不幸でもあって泣いていそうな時もあり、やれ目出度いと手拍子を打つこともある。思うとはその様に人の目に見えるものではない。誰もが騙されるものだが、それもやはり喜怒哀楽と同じこと。他人にはわからないことだが、自分の心では当たり前なものである。他人の目には見えないが、思うも発った処は喜怒哀楽と同じことなのである。

纔發云々。みやれ、喜怒哀樂未発の前に中を求めやふ々々々々と云が見當がちごう。求と云と思になる。思と、はや喜怒哀樂の発して節に中るの和で、中ではない。中庸を見ぬがは知らぬが、発らぬときも発たときた一つものなれとも、発た処を和と云。思も已発にわたるゆへ、和の領分なり。中とは云はれぬ。孟子の仁と惻隠のことは明なり。中にをるは仁。発ると情へわたる。惻隠なり。人が仁と惻隠のことはよく合点するが、未発已発を合点することがならぬ。心にこふと思ふ、已発ぞ。未発の前をたづ子て中を求ふとをもふが中でない。これは何のことはない。時処を合点するがよい。和の、中のと云は道体の名義。ここのすまぬ内は功夫にかかられぬ。功夫にかかるには、名義の吟味にかから子ばならぬ。道体の名義の間違をせぬがよい。
【解説】
「纔發便謂之和、不可謂之中也」の説明。思うとは、喜怒哀楽が発して節に中るところの和であって、中ではない。発った処は和と言う。和や中は道体の名義のことであり、ここが済まない内は功夫に取り掛かることはできない。
【通釈】
「纔発云々」。見なさい。喜怒哀楽未発の前に中を求めようと言うのは見当違いである。求むと言えば思うことになる。思えば既に喜怒哀楽の発して節に中るところの和であって、中ではない。中庸を見ない者にはわからないことだが、発らない時も発った時も同じものだが、発った処を和と言う。思うも已発に渡ることなので和の領分にあり、中とは言えない。孟子の言った仁と惻隠の関係は明らかなこと。中にいるのは仁で、発ると情へ渡る。それが惻隠である。人は仁と惻隠のことはよく合点することができるが、未発已発を合点することができない。心にこうと思う、それが已発である。未発の前を尋ねて中を求めようと思うのは中でない。これは何のこともないことであって、時処を合点しなさい。和や中というのは道体の名義のこと。ここが済まない内は功夫に取り掛かれない。功夫に掛かるには、その前に名義の吟味に掛からなければならない。道体の名義を間違ってはならない。
【語釈】
・孟子の仁と惻隠…孟子公孫丑章句上6。「惻隱之心、仁之端也」。同集註。「惻隱・羞惡・辭讓・是非、情也。仁・義・禮・智、性也」。

又問呂学士云々。ここで呂与叔が出て来た。呂与叔が前々このことを云。喜怒哀樂未発の前に中を求と講究し、御存じの通り、呂与叔は心地一段のことはことの外功夫するが、喜怒哀樂之未発之前に中を求む、いかがとなり。迂斎の、これが間違ぐるみの手抦なりと云へり。求と云たは求ぞくない間違なれとも、程門のれき々々と云がこれぞ。このやふなことは漢唐の間には頓とないこと。漢唐を絶学と云も、このやふなことを知らぬからのことなり。博識達才で一とはばあるやふなれとも、あのやふな学者に喜怒哀樂求中なとと云病のあろふ筈はない。間違ぐるみの手抦と云がここなり。是が、わづかなことで思へわたると未発でないと云ことに蘇季明が氣がつかぬ。秘事は睫と云もこのやふなことなり。ちっとなことで違ふことぞ。
【解説】
「又問、呂學士言當求於喜怒哀樂未發之前、如何」の説明。呂与叔は「喜怒哀樂未発之前求中」と講究したが、それは間違いではあっても大きな手柄である。漢唐の学者にこの様なことを言える者などはいない。
【通釈】
「又問呂学士云々」。ここで呂与叔が出て来た。呂与叔が前々からこのことを言っており、喜怒哀楽未発の前に中を求むと講究していた。御存じの通り、呂与叔は心のことを殊の外功夫した人であって、喜怒哀楽未発之前に中を求めるのはいかがなものかと尋ねたのである。迂斎が、これが間違いを勘案しても手柄であると言った。求と言ったのは求め損いの間違いではあるが、程門の歴々というのがこれである。この様なことは漢唐の間には全くないこと。漢唐を絶学と言うのも、この様なことを知らないからである。博識達才で一幅ある様だが、あの様な学者に喜怒哀楽求中などという病がある筈がない。間違いを含めての手柄と言うのがここのこと。ここで、纔かなことでも思いへ渡ると未発ではないということに蘇季明は気が付かない。秘事は睫と言うのもこの様なこと。少しのことで違うのである。
【語釈】
・秘事は睫…秘事などというものは、案外ごく手近な所にあるもので、自分の睫と同じように不断、気が付かないだけである。

存養すとは求とちがい、不睹戒愼し不聞に恐懼なり。喜怒哀樂未発の塲を氣をつけると云ことではない。一念発らぬ処をか子々々愼でをることぞ。未発の塲を吟味することてはない。未発とも何ともないとき、ただ平生愼でをるなり。直方先生の、未発はあとで知れるものと云はれたが、さて々々合点した云はれやふなり。ここが未発かと云と、もふ未発の前に中を求るになる。未発に手のつけやふはない。たへず愼でをる。そふするとよく已発がよく出るなり。ここがよく出るなれば、未発がよいにきはまる。茶人がふたん羽箒ではいてをる。そこで塵が一つない。兎角ふだんと云処が存養なり。中庸の喜怒哀樂未発とて、ひぢをはってをることではない。喜怒哀樂の発らぬ前にここを存養せふと云でなく、ふだん存養してをることなり。不断火の用心をしてをるやふなもの。火事の出来る種がない。存養と云へば求ることはない。
【解説】
「曰、若言存養於喜怒哀樂未發之前、則可」の説明。未発の時に存養することは可能である。存養とは絶えず慎むことであり、それは求めることではなく、未発の場を吟味するということでもない。未発に手を付ける方法はないが、絶えず慎んでいると已発がよくなり、それで未発がよいことも知れる。
【通釈】
存養するとは求めるのとは違って、「不睹戒慎不聞恐懼」である。喜怒哀楽未発の場に気を付けるということではなく、一念が発らない処を前々から慎んでいるということ。未発の場を吟味することではない。未発とも何ともない時に、ただ平生慎んでいること。直方先生が、未発は後でわかるものと言われたが、本当によく合点した言われ様である。ここが未発かと言えば、もう未発の前に中を求めることになる。未発に手を付ける方法はない。絶えず慎んでいる。そうすると已発がよく出る。ここがよく出るのであれば、未発がよいのは当然のこと。茶人が絶えず羽箒で掃いている。そこで塵が一つもない。とかく普段からするという処が存養である。中庸の喜怒哀楽未発と言っても、肱を張っていることではない。喜怒哀楽の発らない前にここを存養しようと言うのではなく、絶えず存養をしていること。絶えず火の用心をしている様なもので、そこで火事の起こる種がない。存養に求めることはない。
【語釈】
・不睹戒愼し不聞に恐懼…中庸章句1。「天命之謂性。率性之謂道。脩道之謂敎。道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞」。

言求喜怒哀樂未発之前は、中をとふかこふかと胷の中でさがすになる。さがす心がはや未発でない。又問学者云々。ここが学者の手とりものなり。垩学心法の微妙もここにかぎることぞ。喜怒哀樂をすててをけば何もほ子を折ることはない。不睹戒愼し不聞恐懼すが未発の功夫になるなり。中を喜怒哀樂未発之前に求むと云と云へばわるいと云。そんならすててをくかと云に、すててをくと凡夫のなりになる。さっき云、てとりものと云がこれなり。すててをかれず。取れば面影ぞ。蘇季明が問ひかけが、わけをかへ名をかへ、一つ処の實な問なり。学者と云は我も人もと云と同じこと。上品な学問のしかたぞ。魂の建立にかかる学問なり。喜怒哀樂の発る処、ここが大事の処ゆへ固當勉強なり。これを大学へかけて見るがよい。中庸の発して中節和と云と氣がつかぬ。子思があの通り云ひはなしにしてをかれたが分のことではない。有所忿懥不得其正有所恐懼則不得其正當勉強なり。初心な内は大学と云へば大学と思ひ、中庸と云へば中庸と思ふが、大学中庸一致なことなり。大学は垩学の次第をしるし、中庸は道学の證文。どれも一致になる。喜怒哀樂の発りきは、功夫するなり。喜怒哀樂の発りきはを功夫するは勉強ぞ。
【解説】
「若言求中於喜怒哀樂未發之前、則不可。又問、學者於喜怒哀樂發時、固當勉強裁抑。於未發之前、當如何用功」の説明。中を求めると探すことになり、それは既に未発ではなくなる。求めると已発になってしまうが、未発を放って置けば凡夫と同じとなる。そこで、学者は喜怒哀楽の発る処で勉強をする。未発已発は中庸の「発而皆中節謂之和」のことだが、大学の「有所忿懥不得其正有所恐懼則不得其正」が「固当勉強」のことである。大学と中庸とは一致したものなのである。
【通釈】
「言求中於喜怒哀楽未発之前」は、中をどうかこうかと胸の中で探すことになる。探す心が既に未発ではない。「又問学者云々」。ここが学者の一大事である。聖学心法の微妙もここに極まる。喜怒哀楽を捨てて置けば何も骨を折ることはない。不睹戒愼して不聞恐懼することが未発の功夫になる。中を喜怒哀楽未発之前に求むと言うと言うのは悪いと言った。それなら捨てて置くのかというと、捨てて置くと凡夫の姿になる。先ほど手取り物と言ったのがこれである。捨てては置けないが、取れば面影である。蘇季明の問いかけは、わけを替え、名を替えてはいるが、本は同じ実のある問いである。「学者」とは、自分も人もと言うのと同じことで、ここは上品な学問の仕方を言う。魂の建立に係る学問である。喜怒哀楽の発る処、ここが大事な処なので、「固当勉強」である。これを大学へ掛けて見るのがよい。中庸の「発而皆中節謂之和」では気が付かない。子思があの通り言い放しにして置かれたが、それでよいということではない。「有所忿懥不得其正有所恐懼則不得其正」が「当勉強」である。初心な内は大学と言えば大学と思い、中庸と言えば中庸と思うが、大学と中庸は一致したこと。大学は聖学の次第を記したものであり、中庸は道学の証文であって、どちらも一致したもの。喜怒哀楽の発り際を功夫する。喜怒哀楽の発り際を功夫するのが勉強である。
【語釈】
・有所忿懥不得其正有所恐懼則不得其正…大学章句7。「所謂脩身在正其心者、身有所忿懥、則不得其正。有所恐懼、則不得其正」。

さて又喜ぶべきことても情にひかれると、喜ばなんだり喜び過たりする。怒まいときに怒ることもありて、それがまた人へかかるときは之其所親愛而辟焉之其所賤悪而辟焉。喜怒哀樂がわきの方へきれるなり。処をわきの方へきれぬやふにする。勉強なり。これが皆已発の功夫で、已発はつかまへ処があるゆへ云にか及ぶ、功夫するが、未発之前に功夫かあると云。ここが本領の本の処なれとも、つかまへどがないゆへ功夫の手段がつきか子る。呂与叔の云通り、喜怒哀樂未発の前に中を求むと云へは、それは又わるいと云。そこで手の下ろしかたにいきゃくする。ここが至極親切な問で、功夫の手に入らぬ処なり。そふ段々問ひつめられては伊川先生のやふな御方でもこまることぞ。なぜなれば、心の覚への出來ることを外からは示しにくいものなり。蘇季明がこのやふな問のでるも、前の存養於喜怒哀樂未発の前か合点ゆかぬからのことなり。中庸の戒愼恐懼のことを伊川先生が存養と出されたものぞ。存養とはやっはり戒愼のことなり。存養と云はなんとなくあてどなしにすること。何となくあてどなしにするがここの塲のこやしになる。未発も已発も何もかも一とつつきに戒愼恐懼々々々々とするが存養なり。
【解説】
喜怒哀楽が逸れた方へ行かない様にするのが勉強であり、これは皆已発の功夫だが、未発にも功夫がある。蘇季明の問いは、「存養於喜怒哀楽未発之前」を合点することができないからであって、絶えず存養をするのが未発の場を得る方法であり、未発も已発も何もかも一続きに戒慎恐懼をするのが存養なのである。
【通釈】
さてまた喜ぶべきことでも情に引かれると、喜ばなかったり喜び過ぎたりする。怒るべきでない時に怒ることもあって、それがまた人へ掛かる時は「之其所親愛而辟焉之其所賤悪而辟焉」である。喜怒哀楽が脇の方へ切れるのである。その処を脇の方へ切れない様にする。それが勉強である。これが皆已発の功夫で、已発は掴まえ処があるので当然に功夫をするが、未発之前にも功夫があると言う。ここが本領の本の処だが、掴まえどころがないので功夫の手段がつきかねる。呂与叔の言う通り、喜怒哀楽未発の前に中を求むと言えば、それはまた悪いと言う。そこで手の下ろし方に困惑する。ここが至極親切な問いで、功夫が手に入らない処である。その様に段々と問い詰められては伊川先生の様な御方でも困る。それは何故かと言うと、心に覚えのできることは外から示し難いからである。蘇季明にこの様な問いが出るのも、前の存養於喜怒哀楽未発の前が合点できないからである。そこで、中庸の「戒慎恐懼」のことを伊川先生が存養と出された。存養とは、やはり戒慎のことである。存養とは何となく当て所なしにすること。何となく当て所なしにすることがここの場の肥やしになる。未発も已発も何もかも一続きに戒慎恐懼するのが存養である。
【語釈】
・之其所親愛而辟焉之其所賤悪而辟焉…大学章句8。「所謂齊其家在脩其身者、人之其所親愛而辟焉、之其所賤惡而辟焉、之其所畏敬而辟焉、之其所哀矜而辟焉、之其所敖惰而辟焉。故好而知其惡、惡而知其美者、天下鮮矣」。
・いきゃく…違格。違却。困惑。

古へ三公は、天子の御前てすわってをって咄をしてをる。未発か已発かと云はず、ずっとすわりて御前で咄をしてをる。そこが存養なり。未発の世話ではないが、只平日涵養ぞ。平日涵養をしてをると、何事もない前に心がしっとりとをちついてくる。そこで存養と云も涵養と云もあてなしにすることなり。かわったもので、これがあとで知れるものぞ。夜る寐るやふなものなり。夜寐るがあすの為ではないが、夜るとっくりと寐た人はどことなく元氣よい。昨夜は寐か子たと云人はどうそされたかと云やふな面向なり。朝飯を食た人と食はぬ人は先へゆきてのはたらきがちごふ。未発の功夫をあてがあってすると思ふと大にちがふ。未発の功夫にあてはない。平日涵養をするでちがふてくるなり。ぶんに一つ功夫の手段を付られぬものなり。功夫のてつつな人は、未発と云とまくりかけるやふに思ふ。そふするとこまる。子思が未発の塲を示したと云はどのやふな処なれば、人々へ喜怒哀樂があるかと云ふと、いかにもござると云。誰でも知りたこと。さて、朝から喜づめでをるかと云にそふてはない。喜ふとも怒ともつかす、なんともつかず発らぬ塲がある。そこが中の塲じゃと示されたものなり。そこを戒愼恐懼々々々々と平日功夫すると、何のかのといじることはなく、自然とよくなる。牡丹や菊へ去年の冬こへをするやふなもの。去年の冬糞をしたときは知れぬが、當春になって爛滿とさいたと云。然れば去年のこやしじゃのと知れる。喜怒哀樂未発の前とて追ひかけるやふに心得るとちごう。そふするとどふもならぬ。
【解説】
「曰、於喜怒哀樂未發之前、更怎生求。只平日涵養便是。涵養久、則喜怒哀樂發自中節」の説明。未発の功夫は平日涵養である。存養も涵養も当てなしにすると、後にその効が知れる。子思は未発の場があると示したが、戒愼恐懼して平日功夫をすることにより、その場が自然によくなる。未発を追い駆けてはならない。
【通釈】
古の三公は、天子の御前で座って話をしているだけ。未発か已発かと言わずに、ずっと座って御前で話をしている。そこが存養である。未発の世話をするのではなく、「只平日涵養」なのである。平日涵養をしていると、何事もない前に心がしっとりと落ち着いて来る。そこで、存養も涵養も当てなしにすることなのである。変なもので、これが後に知れるもの。それは、夜寝る様なもの。夜寝るのは明日のためではないが、夜とっくりと寝た人はどことなく元気である。昨夜は寝られなかったと言う人はどうかされたのかという様な顔振りである。朝飯を食った人と食わない人とでは先へ行っての働きが違う。しかし、未発の功夫を当てがあってすると思うと大いに違う。未発の功夫に当てはない。平日涵養をするから違って来る。その時だけ功夫の手段を一つ付けるということはできない。功夫の下手な人は、未発と言うと捲り駆ける様に思う。そうすると困る。子思が未発の場を示したというのはどの様な処かと言うと、人々には喜怒哀楽があるのかと言えば、いかにもある。それは誰でも知ったこと。さて、朝から喜び詰めでいるかと言えばそうではない。喜ぶのでも怒るのでもない、何ともつかない発らない場がある。そこが中の場だと示されたのである。そこを戒慎恐懼して平日功夫をすると、何のかのといじることはなく、自然とよくなる。牡丹や菊へ前年に冬肥えをする様なもの。前年に冬肥えをした時にはわからないが、当春になって爛漫に咲いたと言う。そこで、去年の肥やしのお陰だとわかる。喜怒哀楽未発の前と言っても追い駆ける様に心得るのは違う。そうするとどうにもならない。
【語釈】
・三公…中国で最高の位にある三つの官職。太師・太傅・太保。

更にと云が合点した人の口上なり。未発は知らず存養するがむまみぞ。喜怒哀樂未発の前に求めよふとて出来ることではない。求められさへすれば求る相談にしたいものなれとも、求られぬ。求ると已発になる。そんなら中庸は役にたたぬかと云に、そふではない。はりあいのないやふなことで出来ることなり。未発と云処をいじる相談は出来ぬが名立かましく云な。便是がすくに功夫じゃ。是は、ここではぜなりでよい。是非の是なり。道体篇ては是[これ]なりがよい。彼是の是れなり。ここもこれなりでむまいこれと点すれば、平日涵養がここじゃと云ことゆへ味はあれとも、ここは求中と云はわるいと云にあてて、涵養するは是なれば是でよいなり。未発の功夫がふんにあるではない。平日涵養するとそこの処からよくなると、向ををちつかせ、涵養すると喜怒哀樂が無理に出ぬ。うれしいと云と限りもなく喜び、腹を立とあとも先もなく腹を立つ。それが喜も丁どよい加減、腹を立つも丁どよい加減と云。どふしてそふじゃと云に、未発がよいゆへ已発もよい。そこが自の処なり。直方先生の所謂柳生殿の刀がこれなり。秡かぬ前がよいゆへ秡くと切れる。刀は元日も指してをる。その御慶と云処がちごふてをるゆへ、秡とたまらぬ。秡てからよく切れると云ことはない。切る処は平日涵養のきいた処ぞ。平日涵養すると喜怒哀樂して自中節なり。
【解説】
未発に手を入れることはできないからと言って、中庸が役に立たないわけではない。未発の功夫は平日涵養することである。平日涵養すれば未発がよくなり、自ずから已発もよくなる。
【通釈】
「更」と言うのが合点した人の口上である。未発は知らず、存養することが旨味である。喜怒哀楽未発の前に求めようとしても、それはできることではない。求められさえすれば求める相談をしたいものだが、それは求められないこと。求めると已発になる。それなら中庸は役に立たないのかと言えば、そうではない。張り合いのない様なことでできること。未発という処をいじる相談はできないが名立てがましく言ってはならない。「便是」が直ぐに功夫である。是は、ここではぜなりでよい。是非の是である。道体篇ではこれなりがよい。彼是の是である。ここもこれなりで、甘いこれと点をすれば、平日涵養はここだということになって味はあるが、ここは求中と言うのは悪いということに当てて、涵養するのは是だから是でよい。未発の功夫は別にあるのではない。平日涵養するとそこの処からよくなると、向きを落ち着かせて涵養すると喜怒哀楽が無理に出ることはない。嬉しいと言うと限りもなく喜び、腹を立てると後も先もなく腹を立てる。それが、喜ぶ時も丁度よい加減、腹を立てる時も丁度よい加減と言う。どうしてそうなのかと言えば、未発がよいので已発もよい。そこが「自」の処である。直方先生の言う、柳生殿の刀がこれである。抜く前がよいから抜くと切れる。刀は元日も指している。その御慶という処が違っているので、抜くと堪らない。抜いてからよく切れるということはない。切れる処は平日涵養の効いた処である。平日涵養すると喜怒哀楽して「自中節」である。
【語釈】
・名立かましく…ことさら悪い評判を立てるようである。わざとらしい。

昨晩ふと思出したことあり。涵養久則喜怒哀樂自節に中ると伊川先生の云はれた。これから子じかへして未発を知ることなり。子ぢかへして見ると云弁がここのはたらきなり。日頃涵養するてよいと云ことを知るがよい。喜怒哀樂は我が心にも覚のあること。人の目にも見へる処から子じかへすと未発がよくみへる。喜怒哀樂のよくなった処が未発の存養のよいと云ことを知るがよい。たとへば庭前の草をほめるも根をほってみてほめはせぬが、枝や葉のよいは根のよいに相違はない。あのもっこくやなんてんもはてよい勢と云で、根はみずと知れる。根は何にと云ことてはない。未発にわさはされ子とも、発する処のよいは未発がよいと云て知れるなり。已発のよいは未発のよいゆへぞ。弁慶が七つ道具を背負て昼寐をしてをるやふなもの。昼寐をしてをる内が、ただものとはちこふはつなり。たたいつよい坊主なり。をきて七つ道具を振逈してから始てつよいてはない。喜怒哀樂も未発と云どだいなければならぬ。是非体用があるなり。弁慶が叡山の釣鐘をとふやらしたと云が、だたい釣鐘をいじらぬ前がつよいぞ。刀の鞘へ治ってをる処ではきれるかきれぬかは知れぬが、手の内のさへたで秡ぬ前から切れると云が知れる。これまでですっはりと未発のこと、殊の外よく知れる。云ぶんのあると云はこれからさきのことなり。
【解説】
喜怒哀楽から未発を見ると、未発がよく見える。已発がよいのは未発がよいからである。喜怒哀楽も未発という土台がなければならない。
【通釈】
昨晩ふと思い出したことがある。「涵養久則喜怒哀楽自中節」と伊川先生が言われた。これからねじり返して未発を知るのである。ねじり返して見るという弁がここの働きである。日頃涵養するのでよいということを知りなさい。喜怒哀楽は我が心にも覚えのあること。人の目にも見える処からねじり返すと未発がよく見える。喜怒哀楽のよくなった処が、未発の存養によいということを知りなさい。たとえば庭前の草を褒めるのも、根を掘って見て褒めはしないが、枝や葉がよいのは根がよいからに相違はない。あのもっこくや南天もさてもよい勢いと言うところから、根は見なくてもわかる。根はどうかと言う様なことはない。未発に煩わされなくても、発する処がよいのは未発がよいということでわかるのである。已発がよいのは未発がよいからである。弁慶が七つ道具を背負って昼寝をしている様なもの。昼寝をしている内が普通の者とは違う筈である。そもそも強い坊主である。起きて七つ道具を振り回してから、初めて強いとわかるのではない。喜怒哀楽も未発という土台がなければならない。是非体用があるのである。弁慶が叡山の釣鐘をどうやらしたと言うが、そもそも釣鐘をいじる前が強いのである。刀が鞘へ納まっている処では切れるか切れないかはわからないが、手の内の冴えたところで抜く前から切れることがわかる。これまでのことですっぱりと未発のことが殊の外よくわかる。言い分があると言うのはこれから先のことである。

曰當中之時云々。これからさま々々なよいことたらけで、兎角にあちらへまわりこちらへまわりてしっかりとない。記録者がかきちらした。給仕のものの麁相で硯蓋をこほしてそれをつんだやふなもの。とふもとまらぬ。朱子が對値せぬと云はれた。字のをき処がすっはりとよくない。もとの通りになりか子る。記録にちかいはあれとも先大概よいゆへ近思録に載たが、落着のつきか子ると云は、聞ちがへと字のうへのちがひなり。伊川の妙旨は皆見へてをる。此蘓季明問答ではわからぬが、程子の平生の吟味て見へるなり。そこで伊川に不調法のないはたしかなり。記録のわるいで落着のつきか子るが此章の氣の毒ぞ。
【解説】
「曰、當中之時、耳無聞目無見否」の説明。ここには間違いがあるが、それは記録者の粗相によるものである。
【通釈】
「曰当中之時云々」。これからが様々なよいことだらけなのに、とかくあちらへ回りこちらへ回ったりしてしっかりとしない。記録者が書き散らした。給仕の者の粗相で硯蓋をこぼしてそれを積んだ様で、どうも落ち着かない。そこで、朱子が対値せずと言われた。字の置き処が全くよくない。元の通りになりかねる。記録に違いはあるが、先ず大概はよいので近思録に載せたが、落ち着きかねると言うのは、聞き違いと字の上の違いからである。伊川の妙旨は皆見えている。それはこの蘇季明問答ではわからないが、程子の平生の吟味で見えている。そこで、伊川に不調法がないのは確かである。記録が悪いので落ち着きかねるのがこの章の気の毒なところである。

當中之時耳無聞目無見。これが蘓季明の心得違で問たものなり。聞見と云ことは人の息をかよわす内はあるものなり。陳仲子が三日ものを食はず死だやふで大概あった。そこで耳無聞目無見と云ぞ。人間に見聞と云ことがなければ死だやふなものなり。あれも三日食はぬで死だ様であるからして、ああかいたものなり。学者の本領の功夫に死だやふにする筈はない。蘇季明もこれほどすまぬ人ではないが、この話を聞て筆記する人が蘇季明ではない。これは学問をのけて、中蕐の字を知た人はこふはかかぬ。日本人が假名つかいの下手なやふなものなり。いろはで書もかきにくいものなり。その上、筆記する人がわからず書たものゆへに、見聞と云字があたまでわからぬ。然れども、字なりて云と蘇季明の本の心に合ぬと云ほどでなければあとの返事に合ぬ。
【解説】
見聞がなければ死んだ様なものであり、学者の本領の功夫が、死んだ様にする筈はない。ここの見聞という字は筆記者の誤りである。
【通釈】
「当中之時耳無聞目無見」。これが蘇季明の心得違いで問うたもの。聞見ということは人が息を通わしている内はあるもの。陳仲子が三日物を食わず、大概死んだ様だった。そこで耳無聞目無見と言う。人間に見聞ということがなければ死んだ様なもの。これも三日食わず死んだ様だったので、あの様に書いたもの。学者が本領の功夫で、死んだ様にする筈はない。蘇季明もこれほど済めない人ではないが、この話を聞いて筆記する人は蘇季明ではない。学問のことでなくても、中国の字を知っている人はこの様には書かない。日本人なのに仮名遣いが下手な様なもの。いろはで書くのも書き難いもの。その上、筆記する人がわからないで書いたものなので、見聞という字が最初からわからない。字の通りに言えば蘇季明の本心に合わないと言うほどでなければ、後の返答に合わない。
【語釈】
・陳仲子…

曰雖耳無聞云々。耳も聞へず目も見へぬと云此答がつまらぬは、字のわけが頓とすまぬ。見聞はないやふでも、見聞の理はあると云ふ。これはとふでも視聽の字を書ちかへたものなり。見聞の字があの方でもはきとわかりか子ることと見へて、答呂子約書答石子重書に朱子の丁寧にかきわけられた。問の文面に答たもの。當りまいて云へば、無聞無見と云はないことはとあるべきを、中はあらはれぬゆへ何もないやふなれともそふでない。見たり聞たりするはたらきはないが、見聞の道理はなくてかなはぬ。そふないと死んたものを未発にみるやふになる。そふ云ことはない。未発の塲はいこふ氣が清明で魂魄が出てはたらきはせぬが、生きてをるなり。人の本領の死物になるやふなことはないことぞ。見のきくのと云はたらきはないが、見聞と云魂魄の処でまつ未発の氣象を合点しよふことぞ。
【解説】
「曰、雖耳無聞目無見、然見聞之理在、始得」の説明。「見聞」の字は「視聴」を書き違えたものである。未発では見聞することはできないが、見聞の道理はなくてはならない。その道理がないと死物となる。未発の場は気が清明であって、魂魄が出て働きはしないが、生きているのである。
【通釈】
「曰雖耳無聞云々」。耳も聞こえず目も見えないと言うこの答えが詰まらないのは、字のわけが全く済まないからである。見聞はない様でも、見聞の理はあると言うが、これはどうしても視聴の字を書き違えたものである。見聞の字は中国の方でもはっきりとはわかりかねると見えて、答呂子約書答石子重書に朱子が丁寧に書き分けられた。これは質問の文面に答えたもの。当り前に言えば、無聞無見ということはないとすべきだが、中は現れないので何もない様だがそうではない。見たり聞いたりする働きはないが、見聞の道理はなくてはならない。そうでないと死んだものを未発として見る様になる。そういうことはない。未発の場は大層気が清明であって、魂魄が出て働きはしないが、生きているのである。人の本領が死物になる様なことはない。見るとか聞くとかという働きはないが、見聞という魂魄の処で先ず未発の気象を合点しなさい。

直方先生の手に入られたと云は、伐木丁々山更幽、この句をだして、これが未発の氣象じゃと云はれた。これらで未発の塲を合点しよふことぞ。伐木丁々は、木こりがよきをもってどったり々々々々と木をきる。その音が我耳へ入るゆへ、いきてをる。ああなるなと念もをこさず木をきる音をこっとり々々々々と聞。甚靜な未発のていなり。くわっこ鳥が深山の中てくわっこ々々々々と啼てをる。鳥の啼く声が耳へ入ら子ば石燈籠や金佛もをなじこと。しってはいるが念を起さぬ。根から聞へぬではなくて、念を起さぬなり。陶淵明が菊を東籬の下に取り、悠然として南山を見ると云ふは已発のやふで未発の氣象なり。あのやふなささいな菊を取るとて、大手をひろけるやふなことはない。終南山に對してをるも、何んにも南山についてどふこふと云ことはない。見へるは生きてをるゆへ見へる。南山じゃなと一念起らぬは未発なり。
【解説】
未発とは生きたものである。耳目には入るが一念を起こさない。これが未発の気象である。
【通釈】
直方先生がこれを手に入れられたので、「伐木丁々山更幽」という句を出して、これが未発の気象だと言われた。これ等で未発の場を合点しなさい。伐木丁々は、樵が斧を持って木を伐ること。その音が自分の耳へ入るので、生きている。ああ鳴っていると念も起こさず木を伐る音を静かに聞く。甚だ静かな未発の姿である。郭公が深山の中で啼いている。鳥の啼く声が耳へ入らなければ石燈籠や金仏も同じこと。知ってはいるが念を起こさない。根から聞こえないのではなくて、念を起こさないのである。陶淵明が菊を東籬の下に取り、悠然として南山を見ると言うのは已発の様で未発の気象である。あの様な些細な菊を取るということは、大手を広げてする様なことではない。終南山に対しているのも、何も南山についてどうこうと言うことではない。見えるのは、生きているから見えるのである。南山だなという一念が起こらないのは未発である。
【語釈】
・伐木丁々山更幽…杜甫。題張氏隱居。「春山無伴獨相求、伐木丁丁山更幽」。
・よき…斧。斧の小形のもの。

入相の鐘に花やちるらんを直方先生が未発の氣象と云はれたも、入相の鐘の音がする、それがわれに知れ子ば死人も同前。念は起らず聞てをる。未発ぞ。桜の花の落るは見へるが、桜の花の落を見てさはきはせぬ。落るに念を起さぬが未発の氣象なり。死だやふになることではない。念慮はをこらず生きてをることなり。某若林が扇をつかふたとへを毎々ほんそうするもこれなり。若林も殊の外あれらで学問がよくきこへる。合点した云やふぞ。扇を箱へ入れてしもふてをくことを未発と見たがるが、それでは扇をころしてそこを未発と見るになる。人と對して話をしてをりなから扇をつかふ。それ、扇とも云はず手は動く。そこが未発なり。死だ人の様に未発を見れば、中庸の心法役にたたぬになる。未発はさへきってをこらずにをることぞ。扇はうこいても、心はうこかぬて靜なり。あまり何んにもない様に云ては中庸の未発が死やふになる。見聞之理と云いきたものがなければならぬ。
【解説】
念慮が起こらないで生きているのが未発の気象である。それは冴えきっていながら一念が発らないでいることである。
【通釈】
入相の鐘に花や散るらんを直方先生が未発の気象と言われたのも、入相の鐘の音がするのを自分がわからなければ死人も同前である。念は起こらず、聞いているのが未発である。桜の花の落ちるのは見えるが、桜の花の落ちるのを見て騒ぎはしない。落ちることに念を起こさないのが未発の気象である。死んだ様になることではない。念慮は起こらずに生きている。私が若林の扇を使うたとえを毎々するのもこのこと。それ等のことで殊の外若林の学問がよくわかる。合点した言い方である。扇を箱へ入れて仕舞って置くことを未発と見たがるが、それでは扇を殺してそこを未発と見ることになる。人と対して話をしていながら扇を使う。それ、扇とも言わずに手は動く。そこが未発である。死んだ人の様に未発を見れば、中庸の心法は役に立たないことになる。未発は冴えきっていながら発らないでいること。扇は動いても、心は動かないので静かである。あまり何もない様に言っては中庸の未発が死ぬ様になる。「見聞之理」という生きたものがなければならない。
【語釈】
・入相の鐘に花やちるらん…新古今和歌集。能因法師。「山ざとの春の夕暮きてみれば入相の鐘に花ぞ散りける」。
・若林…若林強斎。

賢且説けが教の手段。こちから云はかりては向の不呑込が知れぬ。向に云はせてをくぞ。未発は云にか及ぶ靜なものなれとも、こなた説てみやれ、あの靜なときを靜とばかりではあるまい、どのやふなものぞと云てみやなり。此章は重荷にこづけ、かへす々々々も字のかきやふからがちこふてをる。語類に此説あり。無の字を有の字とかきちかへたには極った。謂之有物則不可と云ことのかき誤りなり。さればそこでこさる。あそこに一つあると云はわるいけれとも、然に自なり。未発の塲はしたたか立羽なものがあると思ふとちごふが、知覚と云いきたものがある。この蘇季明の答が至てよい。程子と同格に合点した返事ぞ。これで今云ふ記録者がめったをかいたと云が知れるなり。蘇季明がめったな者なれば、このやふな答は出ぬはつ。蘇季明などが昨日今日の学問をはじめ出した人でない。未発の塲に物のあると云はちがいじゃ。知覚の生きたものがあると云。至てよい云よふぞ。こふして見れば記録にちがいがあると見へる。視聽を見聞と書き違たと見へる。やはりさっき云ふ、日本の假名つかいのわるいなり。未発とて、死んだもののやふてあろふはづはない。
【解説】
「賢且説、靜時如何。曰、謂之無物則不可。然自有知覺處」の説明。ここで記録者が「謂之有物則不可」と言うべきところを「謂之無物則不可」と誤って記した。しかし、蘇季明の答えは至ってよいもので、未発の場に物はなく、知覚という生きたものがあると言った。
【通釈】
「賢且説」が教えの手段。こちらから言うばかりでは向こうの不呑込みがわからない。そこで、向こうに言わせて置くのである。未発は言うに及ばず静かなものだが、貴方がそれを説いてみなさい。静かな時は静だと言うばかりではあるまい。どの様なものかを言ってみなさいと言った。この章は重荷に小付でどの様に考えても、字の書き方からして間違っている。語類にこの説がある。「有」の字を「無」の字に書き違えたのには極まった。「謂之有物則不可」と言うべきところを書き誤まったのである。それでそこ、あそこに一つあると言っては悪いが、「然自有知覚処」である。未発の場にはしたたか立派なものがあると思うと違うが、知覚という生きたものがある。この蘇季明の答えが至ってよい。程子と同格に合点した返事である。これで今言った、記録者が滅多矢鱈なことを書いたということがわかる。蘇季明がいい加減な者であれば、この様な答えは出ない筈。蘇季明などは昨日今日に学問を始め出した人ではない。未発の場に物があると言うのは間違いであり、知覚という生きたものがあると言う。至ってよい言い方である。こうして見れば記録に間違いがあると見える。視聴を見聞と書き違えたものと見える。やはりさきほど言った、日本で仮名遣いの悪いのと同じこと。未発と言っても、死んだものの様である筈はない。
【語釈】
・重荷にこづけ…重荷に小付。重い負担の上に、さらに負担の加わること。

曰既有云々。これからが、朱子の云はるる不可曉がこれぞ。既有知覚云々。これが程子の定論に合はぬ。何にやらこの章が舞ひをさめられぬ答が出てをるなり。ときにこれを丁寧に訳をつけると面白ひあやにもなる。そこは某先年自ら筆記をかきをいたが、近思ではをふやふに見るがよい。或問に不可曉とあるからは、とこまても不可曉を入れてよむがよい。それが吾黨書を讀むの要なり。ここも深藏殿の、そのた衆は朱子にかたんするのじゃと云にもなろふが、なれとも朱子次第がよい。讀様でこの章がよくなると云へば手抦なれとも、朱子と云尺度權衡が不可曉と云へば、後世かれこれ云ては、よくても却てよいがわるくなる。なんとしてをさまらぬ々々々々々と見ることぞ。第一説きにくいと云は、蘇季明が未発の塲にも知覚の生きたものがある、と。いこふよい云やふぞ。それに程子がそこをなじらしったやふに見へる。知覚があると云が、知覚と云名は動へ屬した名なり。靜とは云にくいではないかとなり。ここがちっとづつあたりの面白やふて、をとし処へをちか子る。程子の本意でも未発は生きたものなれとも、知覚と云、をどり出るになる。そふすると、この塲が知覚ずりになるなり。
【解説】
「曰、既有知覺、卻是動也。怎生言靜」の説明。ここがわかり難く、朱子が「不可曉」と言ったところである。知覚があると言うが、知覚という名は動へ属した名であって、静とは言い難いではないかと程子が言った。
【通釈】
「曰既有云々」。これからが、朱子の言われた「不可曉」である。「既有知覚云々」。これは程子の定論に合わない。何やらこの章が舞い納められない答えを出した。時にこれを丁寧にわけをつけると面白い綾にもなる。それについては私が先年自ら筆記を書き置いたが、近思では鷹揚に見るのがよい。或問に不可曉とあるからは、どこまでも不可曉を入れて読むのがよい。それが我が党の書を読む要諦である。ここも深蔵殿が、貴方衆は朱子に加担しているのだと言うことにもなろうが、しかしながら朱子の通りがよい。読み様でこの章がよくなると言えば手柄になることだが、朱子という尺度権衡が不可曉と言えば、後世かれこれ言うのは、それがよいものであっても却ってよいのが悪くなる。何としても納まらないこととして見るのである。第一、説き難いと言うのは、蘇季明が未発の場にも知覚の生きたものがあると言ったのは、大層よい言い方である。それなのに程子がそこをなじられた様に見えるからである。知覚があると言うが、知覚という名は動へ属した名であって、静とは言い難いではないかと言った。ここは少しずつ当たりが面白い様だが、落とし処へ落ちかねる。程子の本意も未発は生きたものとするものだが、知覚と言えば躍り出ることになる。そうすると、この場が知覚吊りになる。
【語釈】
・深藏殿…

成程、こなたの云も尤ぞ。得て皆そふ思ふ。皆と云へとも、王弼が易の注をするとき、靜な塲で天地の心を知ると云た。老荘の学で易を注したぞ。十一月のさむいときが復なり。天地の心はうこくものではない。あのやふに十一月のしつまりかへりた靜な塲で知れるとなり。皆と云ふ字は表立た王弼なれとも、学者が王弼ずりになる。靜なが天地之心で、道を靜虚無為にするためぞ。この復の卦を見やれ。十一月、さむくてならぬでも一陽が出た。一陽は出てもさび々々としつまりた、そこが天地の心と云てあろふが、どっちしても一陽のうこくものがある。十一月を靜と云は見違なり。世間は靜でも、中をあけて見ると靜ではない。動てをる。上手德ぶん下手のそんで、知覚と云も云やふがよければよい。知覚ずりになるとさわかしくなる。まづかふしたことなれとも、しかれば季明有知覚が尤になる。兎角に朱子の云はるる通り、對値せぬ。どふも云ことにきまりがない。
【解説】
「人説復其見天地之心、皆以謂至靜能見天地之心、非也。復之卦下面一畫、便是動也。安得謂之靜」の説明。王弼は、天地の心は動くものではなく、十一月の静まりかえった静かな場でそれがわかると言った。しかし、それは道を静虚無為にするためのものであって、復の卦には一陽という動くものがあるから、十一月を静と言うのは見違いである。ところが、それなら季明の言った「有知覚」が尤もなことになる。そこで、ここのところはどうも決めかねるところなのである。
【通釈】
なるほど、貴方が言うのも尤もなことである。総じて皆その様に思う。皆とは言うが、王弼が易の注をする時に、静かな場で天地の心を知ると言った。老荘の学で易の注をしたのである。十一月の寒い時が復である。天地の心は動くものではない。あの様に十一月の静まりかえった静かな場でわかると言った。皆という字は表立っては王弼のことだが、学者が王弼吊りになっている。静かなものが天地之心と言うのは、道を静虚無為にするためである。この復の卦を見なさい。十一月は寒くてならないが一陽が出た。一陽は出ても寂々と静まっていて、そこを天地の心と言うのだろうが、どちらにしても一陽という動くものがあるから、十一月を静と言うのは見違いである。世間は静でも、中を開けて見ると静ではなく、動いている。上手の徳分下手の損で、知覚と言うのも言い方がよければよい。知覚吊りになると騒がしくなる。先ずこうしたことなのだが、それなら季明の言った「有知覚」が尤もなことになる。とかく朱子の言われる通り、対値しない。どうも言うことに決まりがない。
【語釈】
・王弼…三国の魏の儒者。字は輔嗣。老荘の学にも通じ、文辞に堪能。漢儒の易註を排撃、「周易注」を撰し、また「老子注」を著す。226~249
・復の卦…復卦彖伝。「彖曰、復亨、剛反也。動而以順行。是以出入无疾、朋來无咎。反復其道、七日來復、天行也。利有攸往、剛長也。復其見天地之心乎」。

或曰莫是於動上云々。さて、先つ蘇季明問答のうたかはしいと云は耳無聞目無見から安得之靜迠なり。これからは何もうたかわしいことはない。朱子の問者轉而之它と云はれた。它に往きは行きたが、これから先きにうたかわしいことはない。蘇季明問答に済ぬことがあると云と、どこもかしこも疑しいと思ふがそふてない。ちからのないものが口を出し、力らのないものが筆記したゆへきまらぬことはあれとも、或曰からは筋の立たことぞ。莫是於動上。是と云字が上をさす字で、下文をぞくす字なり。古へのことをさせば一ち上へこれと云。莫の字の下へ是とかくときは是と云字、これと指すことなし。ここのこれも必さしばはない。或の問が動上て靜を求と云。これが上の句の穿鑿ではない。惣体、垩賢の学問は形ない処をつかまへてどふこふと云ではあるまい。事をする上をつかまへて功夫するてはないかとなり。筋の立たよい問ぞ。なる程垩賢の学問に何にも本来の面目をたつ子るやふなことはない。わさの上から求ることなり。これがこの句のあたりまへそ。それともが前へひったりとつけたい子かいならば相談がある。
【解説】
「或曰、莫是於動上求靜否」の説明。ここは、事をする上を掴まえて功夫するのではないのかと聞いたのであって、筋の立ったよい問いである。聖賢の学問は形のない処を掴まえてするものではない。
【通釈】
「或曰莫是於動上云々」。さて、先ず蘇季明問答が疑わしいというのは「耳無聞目無見」から「安得之静」までである。これからは何も疑わしいことはない。朱子が「問者亦転而之它」と言われた。它に往くには行ったが、これから先に疑わしいことはない。蘇季明問答に済まないことがあると言えば、どこもかしこも疑わしいと思うが、そうではない。力のない者が口を出し、力のない者が筆記をしたので決まらないことはあるが、「或曰」からは筋が立っている。「莫是於動上」。「是」という字は上を指す字で、下文を属させる字である。前のことを指すのなら一番上に是と置く。莫の字の下へ是と書く時は、是という字はこれと指すものではない。ここの是も必ずしも指し場はない。或る人の問いが動上で静を求むと言う。これは上の句の穿鑿ではない。全体、聖賢の学問は形のない処を掴まえてどうこうするものではないだろう。事をする上を掴まえて功夫するのではないのかと言ったのであり、筋の立ったよい問いである。なるほど、聖賢の学問には何も本来の面目を尋ねる様なことはないのであって、事の上から求めるのである。これがこの句の当たり前のところである。それ等を前へぴったりと付けたいと願うのならば、ここに相談がある。
【語釈】
・問者轉而之它…中庸或問。「至於動上求靜之云、則問者亦轉而之它矣」。

涵養久則喜怒哀樂発自中節。あれへ合すれば合もする。どふも未発は手をつけられぬ。涵養久ければ動が中節なり。動く上の喜怒哀樂をつかまへて、そこの中節は求靜ので、未発の見へぬ処がよくなくてはならぬ。喜怒哀樂の動上へ氣をつけ勉強裁抑と云たを、程子が、いやさ涵養すれば自ら中節とは動上求靜にもなる。靜な処から動かよくなる。程子のあとへ氣をつけてはをかれたれとも、これて通する意もあるなり。曰固是。よい発明と云ことでもない。云にか及ぶ、垩学はそふしたもの。さて、すんとかたいものじゃ。中庸の章句にある通り、易而難也。垩学は空理ではないが、つんど難ひ。難ひは偏てないゆへぞ。偏なことは難ひやふでもしよい。灸の皮切をこらへるやふなもの。
【解説】
「曰、固是。然最難」の説明。喜怒哀楽という動上で「勉強裁抑」をするのも一策だが、涵養すれば自ら節に中り、「動上求静」にもなる。しかし、それは甚だ難しいことであり、難しい理由は偏りがないからである。
【通釈】
「涵養久則喜怒哀楽発自中節」に合わせようとすれば合いもする。どうも未発は手を付けられないもの。涵養久しければ動が節に中るのである。動く上の喜怒哀楽を掴まえ、それが節に中るためには静を求めることから成るので、未発の見えない処がよくなくてはならない。喜怒哀楽の動上へ気を付けて「勉強裁抑」と言ったのを、程子が、いや、涵養すれば自ら節に中るとは「動上求静」のことにもなる、静な処から動がよくなると後へ気を付けて置かれたが、これで通じる意もあるのである。「曰固是」。よい発明ということでもない。言うには及ばず聖学とはそうしたものであって、さて、酷く難しいものだ。中庸章句にある通り、「易而難也」である。聖学は空理ではないが、かなり難しい。難しいのは偏でないからである。偏なことは難しい様でもし易い。それは、灸の皮切を堪える様なもの。
【語釈】
・易而難也…中庸章句9集註。「中庸易而難」。

仏者の方で定の字を云。止に似たことぞ。定も動ぬことゆへ靜な塲なり。定も止も似たやふなことで、中はちごふてをることぞ。あちのは、何も角も天地の間にきやかなことをたたきつぶす。そふすると、昼はわるくて夜ばかりがよいと云になる。春夏はいやと云て、秋冬ばかりがよいと云やふなものなり。兎角あの方は動くを悪むぞ。にぎやかな目出度ことは打つぶそふと云。定と云と止と云が似たやふでちごふと云かこれなり。垩学は靜がよいの動がよいのと云ことはない。動靜は自然。垩学はひらきの臼のやふなもので、この方のもの好ではない。開く様にもすれば闔やふにもする。佛者は昼も見付の戸を闔てをくやふなものなり。止はすぐに有物有則のことじゃ。止とて、しっとして目を子むりてをることではない。火事があると、それとて欠け出る。かけ出た処が止なり。
【解説】
「釋氏多言定、聖人便言止。如爲人君於仁、爲人臣止於敬之類、是也」の説明。「定」と「止」とは似ているが、中身が違う。仏は動を嫌い、天地の間の賑やかなことは何もかも叩き潰す。聖学では、動静を自然なものと見て応じる。止は直に「有物有則」のことである。
【通釈】
仏者の方では「定」と言うが、これが「止」に似たこと。定も動かないことなので静な場である。定も止も似た様なことだが、中は違っている。あちらのは、何もかも天地の間の賑やかなことを叩き潰す。そうすると、昼は悪くて夜ばかりがよいということになる。それは、春夏は嫌と言って、秋冬ばかりがよいと言う様なもの。とかくあの方では動くことを悪く思う。賑やかな目出度いことは打ち潰そうと言う。定と止とが似た様で違うと言うのがここである。聖学は静がよいとか動がよいなどと言うことはない。動静は自然なもの。聖学はひらきの臼の様なもので、こちらの物好きはない。開く様にもすれば閉じる様にもする。仏者のは、昼も見付の戸を閉めて置く様なもの。止は直に「有物有則」のこと。止と言っても、じっとして目を瞑っていることではない。火事があると、それと言って駆け出る。駆け出た処が止である。
【語釈】
・ひらき…
・有物有則…詩経大雅烝民。「天生烝民、有物有則」。孟子告子章句上6にもある。

直方先生が、仏者はたった一つの理屈を方々へ出したかる。綿入羽織を一つもって土用の中もそれをきやふと云様なもの。垩学はそふでない。丁とよい加減のひやうり次第で衣服を着替る。春になる、綿入一つ。もそっと暖になるともふ袷せ。それから夏になると帷子。まっと熱ければ生絹[すずし]羽織をきるなり。その時々、道理次第にする。それが止たのなり。その止たなりがすくに靜ぞ。止ら子ば靜でない。そこで、こちのは大く違ことぞ。あの方のは靜な様で靜でない。家内がうるさいと思ふ。もふ靜ではない。女房産をする、いやなり。そこで雪山へ迯こんて靜にしようと云。垩人のはそふでない。暮にはかけ乞もくれば松飾もする。そこが靜なり。達磨も少林で面壁をしてをるは靜。そこへ御慶と云て礼者がくる。はやうるさがると靜にならぬ。垩人も靜に面壁でもしてをるかと云に、そふてない。正月は礼にあるく。公冶長の処へ女をやり、又、南容の処へ兄の女をやると云。さぞさま々々な仕度も入たてあろふぞ。それから越後屋へも行く。頓と止とても靜にしてをるやふなことはない。釋氏の定と垩人の止とを幷べて出して、この下へ主靜而立人極と云でも出しそふなものなれとも、為人君止於仁云々と、大学のにぎ々々しいものを出すが面白ことぞ。人の君となっては仁にととまるは、天下の人を相手にしたことなり。相手次第に止るなり。夫婦は夫婦、父子は々とそれ々々に止そ。
【解説】
仏は一つの理屈で進むが、聖学はその時々の道理次第に順応する。それが「止」であり、その姿が「静」である。
【通釈】
直方先生が、仏者はたった一つの理屈を方々へ出したがると言った。綿入羽織を一つ持ち、土用の中でもそれを着ようと言う様なもの。聖学はそうではない。丁度よい加減に日和次第で衣服を着替える。春になれば綿入一つ。もう少し暖かになるともう袷。それから夏になると帷子。もっと暑ければ生絹羽織を着る。その時々で道理次第にする。それが止であり、その止の姿が直に静である。止まらなくては静ではない。そこで、こちらは仏とは大きく違うのである。あちらの方は静な様で、静ではない。家内が煩いと思う。もう静ではない。女房が産をすると嫌がる。そこで雪山へ逃げ込んで静にしようと言う。聖人のはそうではない。暮には掛け乞も来れば松飾りもする。そこが静である。達磨も少林で面壁をしているのは静。そこへ御慶と言って礼者が来る。早くも煩がって静にはならない。聖人も静かに面壁でもしているのかと言えば、そうではない。正月は礼に歩く。公冶長の処へ娘を嫁がせ、また、南容の処へ兄の娘を嫁がすと言う。さぞ様々な仕度も要たことだろう。それから越後屋へも行く。止と言っても全く静かにしている様なことはない。釈氏の定と聖人の止とを並べて出して、この下へ「主静而立人極」などでも出しそうなものなのに、「為人君止於仁云々」と、大学の賑々しいものを出すのが面白い。人の君となって仁に止まるのは、天下の人を相手にしてのこと。相手次第に止まるのである。夫婦は夫婦、父子は父子とそれぞれに止まる。
【語釈】
・雪山…雪山成道。釈尊は過去世に雪山で修行し、悟りを開いて成道した。
・かけ乞…掛乞い。掛売りの代金を取り立てること。また、その人
・公冶長の処へ女をやり、又、南容の処へ兄の女をやる…論語公冶長1。「子謂公冶長、可妻也、雖在縲絏之中、非其罪也。以其子妻之。子謂南容、邦有道不廢。邦無道免於刑戮。以其兄之子妻之」。
・主靜而立人極…道体1。太極図説の語。
・為人君止於仁…大学章句3。「爲人君、止於仁、爲人臣、止於敬、爲人子、止於孝、爲人父、止於慈、與國人交、止於信」。

易之艮云々。易の艮がこふしたこと。止其所はうこかぬ処なり。大学に止至善と云たとて、余計なことを出したでない。大学へ礼を云ことではない。こふなふてかなはぬこと。明德新民も至善に艮まらぬと、あながあいてくるなり。許魯斎が小学を神明の如く尊んだと云が、大学を知らぬ男なり。垩学はととまりに止ら子は何にもならぬ。至善が垩人の持出ではない。小学は地輪からしたてることゆへ、外篇に色々中から下の人を出すが至善ではない。どれもきり々々にはつまらぬ。先つこれきりでよいと云ことは、大学の吟味にはない。大学に至善のあるは、中庸に誠あるやふなもの。天地位焉萬物育焉も未発の功夫をぎり々々につめたからのことなり。この章は心法でかたり出し、その心法のぎり々々にきめることゆへ、この位でよいなどと云ことはない。至善の至極へつめること。未発の功夫をきり々々につめると天地位萬物育焉なり。それでは誰も止ることはならぬ、そんなら大学中庸は無理なことを教へ、小児を飛脚にやるやふなことかと云にそふではない。誰もかれも未発な結搆なものをもってをる。未発の結搆な人をもってをる人ゆへ、この功夫をさせる。猿に藝をしこむやふなことではない。どうもなる人なり。大学も人の為め、中庸も人の為め。いこふ結搆な物をもってをるゆへ、学問をせ子はならぬ。
【解説】
「易之艮言止之義。曰、艮其止、止其所也。人多不能止」の説明。小学は至極に詰まったものではないが、大学は至極に詰まるものである。大学に至善があるのは、中庸に誠がある様なものであって、「天地位焉万物育焉」も未発の功夫をぎりぎりに詰めたものである。止まりどころに止まらなければならないが、至善に止まるのは無理な様に思える。しかし、人は未発に結構なものを持っているからそれが成るのである。そこで、学問をしなければならない。
【通釈】
「易之艮云々」。易の艮はこうしたこと。「止其所」は動かない処である。大学に「止至善」と言うからといって、ここに余計なものを出したわけではない。大学へ礼を言うことではない。こうでなくては叶わないこと。明徳新民も至善に艮まらないと穴が開いて来る。許魯斎が小学を神明の如く尊んだというが、大学を知らない男である。聖学は止まりどころに止まらなければ何にもならない。至善は聖人だけのものではない。小学は基礎から仕立てることなので、外篇に色々と中以下の人を出すが、それは至善ではない。どれも至極には詰まらない。先ずこれだけでよいということは、大学の吟味にはない。大学に至善があるのは、中庸に誠がある様なもの。「天地位焉万物育焉」も未発の功夫をぎりぎりに詰めたからのこと。この章は心法で語り出し、その心法の至極に決めることなので、この位でよいなどということはない。至善の至極へ詰めること。未発の功夫をぎりぎりに詰めると天地位万物育焉である。それでは誰も止まることはできず、大学や中庸は無理なことを教えるもので、小児を飛脚に遣る様なことかと言えばそうではない。誰も彼も未発に結構なものを持っている。未発に結構なものを持っている人だから、この功夫をさせる。猿に芸を仕込む様なことではない。どうにでもなるのが人である。大学も人のため、中庸も人のため。人は大層結構なものを持っているので、学問をしなければならない。
【語釈】
・易之艮…易経艮卦彖伝。「彖曰、艮、止也。時止則止、時行則行、動靜不失其時、其道光明。艮其止、止其所也。上下敵應、不相與也。是以不獲其身、行其庭不見其人、无咎也」。
・止至善…大学章句1。「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善」。
・許魯斎…
・天地位焉萬物育焉…中庸章句1。「致中和、天地位焉、萬物育焉」。

それは目出度と云たれば、萬物皆備と云ふた。むつかしいことがある。人は萬物の靈たけ六ヶしいぞ。禽獣は学問なしに誠を尽してをる。鷄は時さへ告れば鷄の誠、犬は門さへ守れば犬の誠なり。人間は萬物皆備ただけ、遇事時各因其心之所重也。尤、靈とて鼻を高くすると善悪分れ萬事出と云氣の毒がある。そこて人間は学問をして、鼻を高くしたりすることぞ。犬や鷄に存養の功夫はいらぬが、人間はさま々々なことを思だけ心がわるくなる。火と水とは靈妙なだけ、洪水大火の憂あり。よのものにこの憂はない。そこで、はたらきのあるものほどこはいものはない。靈妙なだけわるいことがあるぞ。所重はその方へ一偏になる。大学に之所の二字あり。そこで引かかる。辟焉々々と云も、その処が重くなってでる。ずら々々と水の流れるやふに出ればらくなもので、そふなれば垩賢も多く出来るが、重くなる、それからして本心も失ふ。重くなるが面をかへ容をかへて出る。更互は、いれちがへ々々々々々てることじゃと三宅先生云へり。またいつもの辟が出たと云。この重と云はその人の人欲にもより氣質にもよるが、氣質はこまりたものなり。病氣はさま々々なれとも、あの人のもちまへの積にこまると云やふなもの。
【解説】
「蓋人萬物皆備、遇事時、各因其心之所重者更互而出」の説明。止まるのは、人が万物の霊なだけに難しい。人は「万物皆備」から様々なことを思う分だけ心が悪くなり、心が偏って重くなることから本心をも失う。偏って重くなるのは人欲や気質によるが、気質というものは困ったものである。
【通釈】
それは目出度いことだと言うと、「万物皆備」という難しいことがある。人は万物の霊なだけに難しい。禽獣は学問がなくても誠を尽くしている。鶏は時さえ告げれば鶏の誠、犬は門さえ守れば犬の誠である。人間は万物皆備だけ、「遇事時各因其心之所重也」。尤も、霊だからと言って鼻を高くすると「善悪分万事出」という気の毒がある。そこで、人間は学問をすることによって、鼻を高くしたりするのである。犬や鶏に存養の功夫は要らないが、人間は様々なことを思う分だけ心が悪くなる。火と水は霊妙なだけ、洪水大火の憂いがある。他のものにこの憂いはない。そこで、働きのあるものほど怖いものはない。霊妙なだけ悪いことがある。「所重」はその方へ一偏になること。大学に「之所」の二字がある。そこで引っ掛かる。「辟焉」と言うのも、その処が重くなって出ること。すらすらと水が流れる様に出れば楽なもので、そうなれば聖賢も多くできるが、重くなるところから始まって本心も失う。重くなるということが面を変え容を変えて出る。「更互」は、入れ違いに出ることだと三宅先生が言った。またいつもの辟が出たと言う。この重はその人の人欲にもより気質にもよるが、気質は困ったものである。病気は様々だが、あの人の持ち前の癪には困ると言う様なもの。
【語釈】
・善悪分れ萬事出…道体1。「五性感動而善惡分、萬事出矣」。
・大学に之所の二字…大学章句10。「民之所好好之、民之所惡惡之。此之謂民之父母。…好人之所惡、惡人之所好、是謂拂人之性。菑必逮夫身」。
・辟焉…大学章句8。前出。

見得這事云々。むかふ処のこと。これは人々のもちあわせた積なり。これは人々でちごふと合点するがよい。好色を好む人は好色てない色のでまじきことまで好色めいて見へる。思ひ付ぬことに立羽をする。皆かた々々にかたぶいて重くなる。またれいのが出たと云ふ。この話がよのことになりたやふなれとも、止を云にもとついてきたもの。程子の語の妙也。易の艮の止をひき、萬物備でうけて、所重の咄になった。猫は鼠をとるに一偏ゆへ、鼠のごそとする、うごく。肴をよぶ声がしては動かぬ。人は万物の霊ゆへ動くかずがををい。禽獣は偏ゆへひびくぞ。てもまた有情だけ、狐が油鼠で一はい食ことがあるなれとも、感かすくない。同声の鳥が啼くと首を引立、友犬が吠とをきかへるはかりのことぞ。物各付物とよいが、なんぞへ重くなる。酒を飲む人が垩人の無量をうしろたてにしてはちこふぞ。酒を呑むも垩賢と凡夫とはちごふぞ。垩賢は物各付物で、さて、酒を飲たればあたたまってよいと云まてのことなり。禹王は人々が垩人とはちごふゆへ、これを飲むと後世わさわいをしだすと見たが垩人の目なり。酒を呑で、それから不了簡もできる。これは酒をのんだではなくて、酒にのまれたぞ。荒井筑後殿の詩に、一抔二抔人飲酒三抔四抔酒飲人と云もそれて、兎角酒にひかれる。物各付物と云は、暑いとき扇を出してあをぐやふなればととこをることはない。それきりなり。
【解説】
「纔見得這事重、便有這事出。若能物各付物、便自不出來也」の説明。人は万物の霊なので動く数が多く、禽獣は偏なので響く。「物各付物」であれば偏らず、滞ることもない。
【通釈】
「見得這事云々」。向かう処のこと。これは人々の持ち合わせた癪のことで、それは人によって違うものと合点しなさい。好色を好む人は好色でなく、色の出なそうなことまで好色めいて見える。思い付かないことに立派をする。皆一方に偏って重くなる。そこで、また例のものが出たと言う。ここは話が逸れた様だが、「止」を言うことに基づいて出たもので、程子の語の妙である。易の艮の止を引いて、「万物備」で受け、「所重」の話になった。猫は鼠を捕るのに一偏なので、鼠がごそと音を立てると動くが、魚を呼ぶ声がしても動かない。人は万物の霊なので動く数が多い。禽獣は偏なので響く。しかしまた有情なだけ、狐が油鼠で一杯食うこともあるが、感が少ない。同声の鳥が啼くと首を引き立て、友犬が吠えると起きて振り向くだけのこと。「物各付物」であればよいが、どこかへ重くなる。酒を飲む人が聖人の無量を後ろ盾にするのは間違いである。酒を飲むにも聖賢と凡夫とでは違う。聖賢は物各付物で、さて、酒を飲めば温まってよいというまでのこと。禹王は人々が聖人とは違うので、これを飲むと後世災いをし出すと見た。これが聖人の目である。酒を飲むことから不了簡も起こる。これは酒を飲んだのではなくて、酒に飲まれたのである。荒井筑後殿の詩に、「一杯二杯人飲酒三杯四杯酒飲人」とあるのもそれで、とかく酒に引かれる。物各付物とは、暑い時に扇を出して扇ぐ様なことで、滞ることはない。それだけのことである。
【語釈】
・油鼠…油で揚げた鼠。狐をつる餌。
・垩人の無量…論語郷党8。「肉雖多、不使勝食氣。惟酒無量、不及亂」。
・これを飲むと後世わさわいをしだすと見た…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒而好善言」。同集註。「戰國策曰、儀狄作酒。禹飲而甘之。曰、後世必有以酒亡其國者。遂疏儀狄而絶旨酒。書曰、禹拜昌言」。
・荒井筑後殿…

理なりなことをすれば心に偏なことはない。着することもない。並川五市が寐酒三抔と碁は孔子の異見でもやめられぬと云たと云が、凡夫の出合ではよかろふが、学者の口上ではない。これらがなづんだのなり。なつむとそれにひかれる。向ふからくることをそれなりにあしろふ。すら々々さら々々したこと。仏者は捨身の業とて人欲を丸で絶つ。丸で絶つも難ひことなれとも、德利を打こわすやうで、根から酒のそばへよらぬなれば何のことはないが、此方のは物をそこへ置て丁どにする。女房ももち子もありて、また子がないと云なれば、妾もかかへる。そふして好色へはへらぬことぞ。ここでふりかへりて見れば、上文の最難しなり。女房もあり妾もありて好色にみたれぬ。そこで六ヶしい。ここらの語脉を見ぬと初手云たことに見へぬが、やっはり前に合ふなり。全体はをもしろい。記録が無調法ぞ。不調法ぐるみこの段は、筋は立てをる。動上求靜から定止の儒佛をときつけ、艮の止るから垩人の止於仁と出し、人は萬物のそなはりたから物各とをとす。さて々々面白なり。
【解説】
理の通りのことをすれば心が偏ることもなく、執着することもない。仏者は捨身の業と言って人欲を全て絶つが、聖学は物をそこへ置いて丁度に対応する。そこで難しいのである。
【通釈】
理の通りのことをすれば心に偏なことはない。執着することもない。並川五市が寝酒三杯と碁は孔子の異見でも止められないと言ったというが、凡夫の会話ではそれもよいだろうが、学者の口上ではない。これ等が泥んだということなのである。泥むとそれに引かれる。向こうから来ることをそれなりにあしらう。それは、すらすらさらさらとしたこと。仏者は捨身の業と言って人欲を全て絶つ。全て絶つのも難しいことだが、それは徳利を打ち壊す様であって、初めから酒の傍へ寄らなければ何事もないのである。しかし、こちらの方は物をそこへ置いて丁度にする。女房も持ち、子もあって、まだ子が少ないというのであれば、妾も抱える。そうして好色へは入らない様にする。ここで振り返って見れば、上文の「最難」である。女房もあり妾もあって好色に乱れない。そこで難しい。ここ等の語脈をよく見なければ、初手に言ったことと同じ様には見えないが、やはり前に合うのである。全体は面白いが、記録が不調法なのである。不調法を勘案しても、この段の筋は立っている。「動上求静」から「定止」の儒仏を説きつけ、艮の止まるから聖人の「止於仁」と出し、人は「万物皆備」から「物各」と落とす。実に面白いことである。
【語釈】
・並川五市…並川五一朗。京都の儒者。

或曰先生云々。大事の処を問ふたぞ。まづ下動字下靜字かと云に及ひそもないものぞ。未発は靜には極まりたと片付れば、此問はもとないはづなり。処をよい問と云はとふなれば、靜と云たとて仏者のやふに枯木死灰になることではない。何事もないうちにしゃんといきたものがある。靜で動を含んでをるぞ。然れば名の下しにくいことぞ。さっきの既有知覚却是動也かわからぬなかて、靜の字と動の字のもめあいがある。わけある尤な問ぞ。記録者がわきできいて聞間違があるゆへ、或人も蘇季明も何でもないもののやふに思ふが、筆者はどふ云ものかは知れぬが、季明も或人もどれともそのやふに不調法なものともではない。ちからのあるものどもぞ。此問も心ある問なり。曰謂之靜可。云にも及ばぬ。靜と云は子ばならぬ。已発は動、未発は靜なり。可はそれでをだやかと云やふなもの。須有物始得。物の字は、云へばあの方の俗語のやふなもの。禪禄に有物先天地と云字あり。有物とて喜世流や茶碗のやふなものがあるではない。いきたものがあること。しゃんとした主宰がなければならぬ。
【解説】
「或曰、先生於喜怒哀樂未發之前、下動字、下靜字。曰、謂之靜則可。然靜中須有物始得」の説明。未発は静だが、それは仏の枯木死灰の様なものではなく、その中にしっかりと生きたものがある。それが主宰である。
【通釈】
「或曰先生云々」。大事な処を問うた。先ずは「下動字下静字」とは言い出せそうもないもの。未発は静に極まったと片付ければ、この問いは本来ない筈である。それをよい問いだと言うのはどうしてかと言うと、静と言ったとしても仏者の様に枯木死灰になることではないからである。何事もない内にしっかりと生きたものがある。静で動を含んでいるのである。それなら、名は下し難いこと。さっきの「既有知覚却是動也」がわからない中で、静の字と動の字の揉め合いがある。わけのある尤もな問いである。記録者が脇で聞いて聞き間違いがあるので、或る人も蘇季明も何でもない者の様に思うが、筆者はどの様な者かは知らないが、季明も或る人もどちらもその様に不調法な者共ではない。力のある者共である。この問いも心ある問いである。「曰謂之静可」。言うにも及ばないことで、静と言わなければならない。已発は動、未発は静である。「可」とは、それで穏やかになるという様なもの。「須有物始得」。「物」の字は、敢えて言えば中国の俗語の様なもの。禅禄に「有物先天地」という字がある。有物と言っても煙管や茶碗の様なものがあるのではない。生きたものがあるということ。しっかりとした主宰がなければならない。
【語釈】
・禪禄…圜悟克勤(北宗から南宗にかけての臨済宗の禅僧)著。
・有物先天地…

這事云々。これがどちらも人をさとしにくい処ぞ。靜と云と死だもののやふに思ひ、生て動くものと云と知覚ずりになってぎょふさんになる。靜で生きたものがあると見るがよい。そのことを曉すに敬と云て云をさめるより外に云をさめやふはない。しまいを敬へをとすがここの手段なり。我を敬むはとこを敬むなれば、胷の上から形体の上まて敬にはつれないやふにする。敬勝怠吉と云語もあり、何事も敬より外はない。ただ敬々とはまるがよい。うやまわぬとつかまへどがない。敬むと未発の塲も自然と知れる。ここの塲を合点すればよい。敬の脩業を合点するに二つあり。こふ云ことと知たばかりでは道体の明義はかりなり。献立はかり知て食はぬやふなものぞ。ここを合点すると、受用になる足ができるなり。そこで、足目ともに到と云になる。敬の功夫をすると未発の塲も合点すれば、功夫もできてくる。功夫へ片足入れ子ば得られぬと云が、ここらもみよなり。そふないと、いかほどよくすましても下戸。ちいさな盃で酒をなめたやふなもの。大盃でゆっくりと飲むと酒の味を知る。そこで一旦豁然貫通と一旦恍然得要領のとりあつかへも知れる。
【解説】
「這裏便是難處。學者莫若且先理會得敬。能敬則知此矣」の説明。とかく静と言うと死んだものの様に思い、生きて動くものと言うと知覚吊りになるが、静で生きたものがあると見るのがよい。それを理解するには敬に由るしかない。敬の修行は知行の二つがあり、それは道体の名義を明らかにすることと、功夫をすることである。
【通釈】
「這事云々」。これがどちらであっても人を諭し難い処である。静と言うと死んだものの様に思い、生きて動くものと言うと知覚吊りになって大袈裟になる。静で生きたものがあると見るのがよい。そのことを曉すのには敬で言い納めるより外に言い納める仕方はない。仕舞いを敬へ落とすのがここの手段である。自らを敬むとは何処を敬むのかと言うと、胸の上から形体の上まで敬に外れない様にすること。「敬勝怠吉」という語もあり、何事も敬より外はない。ただ敬々と嵌るのがよい。敬わないと掴まえどころがない。敬むと未発の場も自然とわかる。ここの場を合点すればよい。敬の修行を合点するには二つの方法がある。こういうことだと知るだけでは道体の名義を明らかにするだけになる。それは、献立だけを知って食わない様なもの。ここを合点すると、受用になる足掛かりができる。そこで、足目共に到るということになる。未発の場でも敬の功夫をするものと合点すれば、功夫もできて来る。功夫へ片足を入れなければ得られないということをここ等からも見なさい。そうでないと、どれほどよく済ましても下戸。小さな盃で酒を舐めた様なもの。大盃でゆっくりと飲むと酒の味がわかる。そこで「一旦豁然貫通」と「一旦恍然得要領」の取り扱いもわかる。
【語釈】
・敬勝怠吉…小学内篇敬身。「丹書曰、敬勝怠者吉。怠勝敬者滅。義勝欲者從。欲勝義者凶」。

鳩巣先生が中庸首章の説を未定の説と云はれたが、あなたがたほどでも皆書物の上の吟味と見へる。山﨑先生は人を呵謙ることもなく、上、朱子をわつらはすと云が敬の工夫をしたゆへ、克己復礼で脩道の教を説と、げにもと云ふ。これが知ではあれとも、行へ片足いれた人が知ると云はここらなり。そふすると、戒愼不睹恐懼不聞もすむ。これらがとんと功夫とは知れぬ或人が下動字下靜字と云も、ここの処を合点すれば手に入ことなり。未発の求中と云へば高くきこへ、敬の功夫すると云は手づつなやふに心得るが、敬むで我方へほっこりと得るぞ。そんなら敬からかかろふと敬の功夫を問ふ。敬何以用功。敬をしたいとぢきに敬へくひつく。ここを手もなく示すが示しやふの大事なり。莫如主一。講訳を聞ならば講釈に專一になり、道をあるくには道をあるくに專一になり、心があれこれと云と居処がなくなる。向へとどまってをると心がをり処にをる。
【解説】
「或曰、敬何以用功。曰、莫若主一」の説明。室鳩巣は知のみの人だったが、山崎先生は知行をした人だった。敬を功夫することで未発を得るが、そのためには専一になることが必要である。専一に止まれば、心は居処に落ち着く。
【通釈】
鳩巣先生が中庸首章の説を未定の説と言われたが、貴方ほどの人でも皆書物の上の吟味のみと見える。山崎先生は人を呵ったり謙ったりすることもなく、上、朱子を患わすと言ったのが敬の工夫をしたからで、克己復礼で修道の教えを説くと朱子が言ったのを、その通りだと感心した。これは知のことではあるが、行へ片足入れた人が知るというのがここ等のこと。そうすると、「戒慎不睹恐懼不聞」も済む。これ等が功夫のこととは全くわからない或る人が「下動字下静字」と言うのも、ここの処を合点すれば手に入ること。未発の求中と言えば高く聞こえ、敬の功夫するのは稚拙な様に心得るが、敬むことで自分へほっこりと得るのである。それなら敬から取り掛かろうと敬の功夫を問う。「敬何以用功」。敬をしたいと直ぐに敬へ食い付く。ここを直ぐに示すのが示し方の大事なところ。「莫如主一」。講訳を聞くのなら講釈に専一になり、道を歩くには道を歩くのに専一になる。心があれこれとすると居処がなくなる。向こうへと止まっていると心が居処にいる。

季明曰云々。病症を出して云。御耻鋪と云やふなもの。日頃第一の苦労を出した。たた不定きりなればまだよいか、いこふていがわるい。如麻に出ます、と。仏法て云流注想と云、荀子の偸心もこれなり。先きから先きへ本なしに枝から枝へうつる。朱子同安の任のとき、鐘をごんとつく。またをはらぬ内に他の事を思たとて戒てをかれた。如麻と云は、麻のはへるやふにかきりなくでること。松や竹のはへるやふではなく、かぎりなくはへてとりつくされぬものなり。それからのたとへぞ。
【解説】
「季明曰、昞嘗患思慮不定。或思一事未了、他事如麻又生。如何」の説明。季明が日頃の一番の苦労をとして、思慮が不定のみならず、後から後へと事が出て来ると言った。
【通釈】
「季明曰云々」。病症を出して言う。お恥ずかしいと言う様なもの。日頃ある一番の苦労を出した。ただ不定だけならばまだよいか、大層体が悪い。「如麻」に出ますと言った。仏法で言う流注想、荀子の偸心もこれである。先から先へ本なしに枝から枝へ移る。朱子が同安の任の時、鐘をごんと撞いてその音が終わらない内に他の事を思ったと言って、戒めて置かれた。如麻とは、麻の生える様に限りなく出ること。松や竹が生える様なものではなく、限りなく生えて取り尽くせないものである。それからのたとえである。
【語釈】
・流注想…朱子語類。曾子曰吾日三省吾身章。「釋氏所謂流注想、如水流注下去」。
・偸心…

曰不可云々。さん々々なことじゃ。此不誠云々は、思ひ多ひ処が胷がけりょうふになる。人の心は誠なと云が本来のなり。思ひがあとからは出々々々々々々すると根なし葛になる。不誠が人間の根のなくなることになる。これてこまりたものぞ。かるい病症を出して云が、それが不誠の本と大病に云が面白ひ。咳はこはくないが、それが病の全体の本になる。これがををいに天下の公病なり。風ひいても咳は出るが、労咳になってはもふいきぬ。根のたへるになる。語類に、側に壷を置て一悪念が発ると黑豆をかた々々へいれ、一善念が発るとかた々々へ白豆をいれ、晩ごとにかぞへて見れば、始は黑豆ををく、後は白豆がををい。最後には白豆もなかりたとなり。習と云は、手づつな卑いやふなれども、あのやふな卑いやふなことからするがよい。それからたん々々しをふせる。今日の学者はあたまから上品なことをしたがる。高そふに見へるが実用でない。中間がえよふをすると、中間仲ヶ間でよい衆のま子をすると云がきこへた。紺のだいなしをきて居ながら大名の呑盃て飲んても何にもよいことはない。今の学者、よい衆のま子をすると伊川見て、習へとひくく云へり。未発之前に求中と云はず、習ふがよい。それがこふずるとよくなる。實についたことは、ていはわるく見へるが受用になる。求中はよいやふで役に立ぬ。專一になるがよい。ここが他人をたのみがたい処ぞ。專一とあったとて、顔をうなだれて居ると云ことでない。これを心法のくすりと云。
【解説】
「曰、不可。此不誠之本也。須是習。習能專一時便好」の説明。心は誠であるのが本来の姿だが、思いが多くて心がなおざりになる。そこで、「習」がよい。今日の学者は最初から上品なことをしたがるが、それは実用ではない。伊川は、今の学者がよい衆の真似をするのを見て、習えと卑く言ったのである。習は実用なので受用となる。
【通釈】
「曰不可云々」。それは散々なことである。「此不誠云々」は、思いの多い処で胸がなおざりになる。人の心は誠というのが本来の姿。思いが後から続いて出ると根なし葛になる。不誠が人間の根のなくなることになる。これが困ったもの。軽い病症を出して、それが不誠の元と大病として言うのが面白い。咳は怖くないが、それが病の全体の元になる。これが大いに天下の公病である。風邪を引いても咳は出るが、労咳になってはもう生きられない。根が絶えることになる。語類に、側に壷を置いて一悪念が発ると黒豆を一方へ入れ、一善念が発るともう一方へ白豆を入れ、晩毎に数えて見れば、始めは黒豆が多く、後は白豆が多くなったが、最後には白豆もなくなったとある。「習」とは、稚拙で卑い様だが、あの様な卑い様なことからするのがよい。それから段々と仕遂げて行く。今日の学者は最初から上品なことをしたがる。高そうに見えるが実用ではない。中間が栄耀をすると、中間仲間でよい衆の真似をすると言うのもよくわかる。紺のだいなしを着ていながら大名の飲む盃で飲んでも何もよいことはない。今の学者はよい衆の真似をすると伊川が見て、習えと卑く言った。未発之前に求中とは言わず、習うのがよいと言ったのである。それが高じればよくなる。実についたことは、体は悪く見えるが受用になる。求中はよい様で役に立たない。専一になるのがよい。ここが他人を頼み難い処である。専一とあるからと言っても、顔をうなだれているということでない。これを心法の薬と言う。
【語釈】
・だいなし…近世、奴僕などの着る筒袖の着物。多く、紺無地。

不拘云々。内外の功夫を兼たことなり。思慮がををくてこまると云。思慮がををいの、事が多いのと云にはかまわぬ。どこまでも主一なり。蘇季明が、思慮がををいの、事が多ひのと云ふが、それにかかわることでない。どちと云ことなく、主一になれ。一になると心がをちつき処にをる。心はをちつき処にさへをれば、靜なものなり。武藝の稽古はさわかしいものなれとも、專一ゆへ靜にをちついてをる。いろ々々なことが出、鉄鉋をうっても專一ゆへ靜ぞ。主一と云がてき々々の功夫なり。さて々々名義も功夫ものこらぬけっこふな條なり。
【解説】
「不拘思慮與應事、皆要求一」の説明。思慮や事に構わず「主一」になれば、心が落ち着き処にいて静となる。
【通釈】
「不拘云々」。内外の功夫を兼ねたこと。思慮が多くて困ると言うが、思慮が多いとか、事が多いということに構うことはない。どこまでも「主一」である。蘇季明が、思慮が多い、事が多いと言うが、それに拘わったことではない。どちらということなく、主一になりなさい。一になると心が落ち着き処にいる。心は落ち着き処にさえいれば静なもの。武芸の稽古は騒がしいものだが、専一なので静に落ち着いている。色々なことが出るが、鉄砲を撃ったとしても専一なので静である。主一というのが適々の功夫である。この条は、実に名義も功夫も言い残すことのない結構な条である。


第五十三 人於夢寐間の条

人於夢寐閒、亦可以卜自家所學之淺深。如夢寐顚倒、即是心志不定、操存不固。
【読み】
人は夢寐の閒に於て、亦以て自家學ぶ所の淺深を卜う可し。如し夢寐に顚倒せば、即ち是れ心志定まらず、操存固からざるなり。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

名人の幷べやふなり。喜怒哀樂未発の中と云ことを蘇季明問答にとっくりと出、あれが垩賢てき々々の心法てををごとなり。そのことの話の序に夢のことを出した。夢のことを出した。夢は筭用の外なもの。これが存養の篇に載たと云が、殊の外あんはいのあることなり。幷べやふの面白と云は、未発ははかられぬもの。夢もそれて、手のつけられぬものなり。こんな夢は見まいと云てうけ合にもたたれぬ。未発の中、とふこふと手をつけることならぬ。たた平生涵養をするてよい。さま々々夢を見ると云が平生にあつかること。肝心な処を夢で面目を失ふ。夢にあるまいことを見るは顚倒なり。夢に二色あるとみるがよい。理外なことを夢に見ることあり。よしや理のあることでも、そふあるましきことを夢に見れば顚倒なり。たとへば庭の榎の木が目鼻がついてをとりををどる夢を見る。理外なことで云にも及はす顚倒なり。理にあるべきことでも、そふあるまいことを見れば顚倒と云。先月か予がゆめに長藏と村士幸藏が同道してきた。これは理外ではないが、をなしやふな年に見へた。正しくない夢ではないが、十五六年以前に五十近で死たものが長藏と同前に見へる筈はない。丁との処とはちこうは心にうきた処のあるなり。これらは皆夢の上で云こと。
【解説】
夢も未発と同じく推し量れないものである。そこで、平生涵養をする。あってはならないことを夢に見るのを「顛倒」と言い、それは心に浮いた処があるからである。
【通釈】
これが名人の並べ方である。喜怒哀楽未発の中ということを蘇季明問答にとっくりと出したが、あれが聖賢適々の心法で大事なものなのである。そのことの話の序でに夢のことを出した。夢は計算外なもの。これが存養の篇に載ったというのが、殊の外塩梅のあること。並べ方が面白いと言うのは、未発は推し量れないものだが、夢も同じで手の付けられないものである。こんな夢は見ないと請け合うことはできない。未発の中はどうのこうのと手を付けることはできない。ただ平生涵養をするのでよい。様々な夢を見るというのが平生に与ること。夢で肝心な処の面目を失う。あってはならないことを夢に見るのは「顛倒」である。夢には二色あると考えなさい。理外なことを夢に見ることがある。たとえ理のあることでも、そうであってはならないことを夢に見れば顛倒である。たとえば庭の榎の木に目鼻が付いて、それが踊りを踊る夢を見る。それは理外なことで、言うにも及ばずそれが顛倒である。理にあるべきことでも、そうであってはならないことを見れば顛倒と言う。先月だったか私の夢に長蔵と村士幸蔵とが同道して来た。これは理外ではないが、同じ様な年に見えた。正しくない夢ではないが、十五六年以前に五十近くで死んだ者が長蔵と同じく見える筈はない。丁度の処と違うのは心に浮いた処があるからである。これ等は皆夢の上で言うこと。
【語釈】
・蘇季明問答…存養52。
・長藏…鈴木恭節。清名幸谷の人。鵜澤近義の三男。寛政元年(1789)に黙斎の推薦で館林藩主松平公の儒臣となる。宝暦12年(1762)~天保元年(1830)
・村士幸藏…村士玉水。稲葉迂斎門下。江戸の人。行蔵。後に幸蔵に改める。一斎。信古堂を営んで子弟を教授する。享保14年(1729)~安永5年(1776)

さて、夢は氣についたものぞ。学問の淺深にあつかると祟るは存養あるないのあやぞ。夢は隂のもちまいゆへ、垩賢の夢でも昼のことのやふではないはづ。夢にうかばぬと云ほどなが定たの至極なり。心が活物ゆへ、胷中へ記臆したことを魂が魄と交ると夢に見るが、隂分ゆへ、昼の人事明白のあととはちこふことはあろふが、あらはれたことではない。わが心で、これはつまらぬ々々々々と見ることぞ。此方の心が定て道理にいちずになるとつがもない事が夢にうつるはづはない。夜分陽氣がとぢてをる。こちの氣が盛なれば、よこさまなものはでぬ。心のとりをさめが丈夫なればよいが、あちこちとうこくとまんろくな夢は見ぬ。さま々々な語の内でも夢のことの存養にあるが大切なことなりとすべしと云て、学問のたけもうらなはれる。千乘の国もゆつるとある。又、百两の金もうけまいと云。それでも銭をひろふ夢を見たらば、此方の胷を吟味するがよい。そこが卜すべしなり。
【解説】
胸中に記憶したことで魂が魄と交わると夢に見るが、心が定まって道理に一途になれば、つまらない夢を見ることはない。夢は陰の領分だが、こちらの気が盛んであれば邪な夢は見ない。悪い夢を見た際は、自分の胸を卜うのである。
【通釈】
さて、夢は気に関わったもの。ここで、学問の浅深に与ると祟ったのは、存養があるかないかの綾である。夢は陰の持ち前なので、聖賢の夢でも昼のことの様ではない筈。夢に浮かばないというほどのことが定まった至極である。心は活物なので、胸中へ記憶したことで魂が魄と交わると夢に見るが、それは陰の領分なので昼の人事明白の跡とは違うことはあるだろうが、自分の心で、これは現れることではない、これはつまらないことだと見る。こちらの心が定まって道理に一途になれば、些細な事が夢に映る筈はない。夜分は陽気が閉じているが、こちらの気が盛んであれば横様なものは出ない。心の取り納めが丈夫であればよいが、あちこちへ動くとよい夢を見ることはない。様々な語の内でも、夢のことが存養にあるということが大切なことである。「可以卜」というところで、学問の高さも占われる。千乗の国でも譲るとある。また、百両の金も受け取らないと言うが、それでも銭を拾う夢を見れば自分の胸を吟味するのがよい。そこが可以卜である。
【語釈】
・つが…小指から人差指までの幅。
・よこさま…横方。横様。当然でないこと。道理にそむくこと。よこしまなこと。非道。
・まんろく…真陸。十分なこと。また、完全なこと。
・千乘の国もゆつる…孟子盡心章句下11。「孟子曰、好名之人、能讓千乘之國。苟非其人、簞食豆羹見於色」。


第五十四 人心所繋著の条

問、人心所繋著之事果善、夜夢見之、莫不害否。曰、雖是善事、心亦是動。凡事有朕兆入夢者、卻無害。捨此皆是妄動。人心須要定、使他思時方思、乃是。今人都由心。曰、心誰使之。曰、以心使心則可。人心自由、便放去也。
【読み】
問う、人心繋著する所の事果たして善ならば、夜夢に之を見て、害あらざること莫きや否や、と。曰く、是れ善事なりと雖も、心は亦是れ動くなり。凡そ事の朕兆有りて夢に入る者は、卻って害無し。此を捨てなば皆是れ妄動なり。人心は須く定まるを要すべく、他[かれ]をして思う時に方[まさ]に思わしめば、乃ち是なり。今の人は都て心に由る、と。曰く、心は誰か之を使う、と。曰く、心を以て心を使わば則ち可なり。人心自ら由らば、便ち放たれ去く、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

夢の二段目に精微な論がある。所繋著と云は、心にとめてをくことなり。心にとめてをか子ば夢には見ぬ。随分よいことを夢に見る。よいことならばくるしくはあるまい。金をやらふと思ふて、金をやる夢をその晩に見るやふなもの。よいことぞ。然るにそれがわるい。精微の論と云がここなり。づんとよい方のことなれとも、それぐるみに本のことてない。たたい人の心は送迎なく一度々々に出て應じ、それできへてしもふがよい。過化存神を諸先生の説が今の集註とはあわぬが、心法へはよい。きへてしもふゆへ、心がいきてくる。またこぬことが胷へくればわるい。夢も凡事有朕兆入と云ことありて、この方の心はうごかず、向からいることがある。朱子なども、親類を夢に見ると是非翼日親類から手紙のきたことがあると云。氣の上の妙で、これは向の感なり。直方先生も夢のことを鬼神集説にとられた。妙なことなり。そこで鬼神にあつかる。近思録は学問の功夫にとるゆへ、夢で平生をためす。たたい夢の説は、理の氣にのってはたらくに微妙なことを見せるなり。
【解説】
「問、人心所繋著之事果善、夜夢見之、莫不害否。曰、雖是善事、心亦是動。凡事有朕兆入夢者、卻無害」の説明。夢は本当のことではないから、たとえよい夢でも悪い。夢の説とは、理が気に乗って働く微妙なところを見せるものなのである。
【通釈】
夢の第二段目に精微な論がある。「所繋著」とは、心に止めて置くこと。心に止めて置かなければ夢には見ない。随分よいことを夢に見る。よいことならば悪くはないだろう。金を遣ろうと思い、金を遣る夢をその晩に見る様なもので、それはよいことである。ところが、それが悪い。精微の論と言うのがここのこと。随分とよい様なことだが、それを含めて本当のことではない。そもそも人の心は将迎をせず、一度々々に出たことに応じ、それで消えてしまうのがよい。「過化存神」に対する諸先生の説は今の集註とは合わないが、心法へはよい。消えてしまうので心が生きて来る。まだ来ないことが胸へ来れば悪い。しかし、夢も「凡事有朕兆入」ということがあって、こちらの心は動かず、向こうから入ることがある。朱子なども、親類を夢に見ると必ず翌日親類から手紙が来たと言う。気の上の妙で、これは向こうの感である。直方先生も夢のことを鬼神集説に採られた。妙なことなので、鬼神に与ることとしたのである。近思録は学問の功夫として採るので、夢で平生を試す。そもそも夢の説とは、理が気に乗って働く微妙なところを見せるものなのである。
【語釈】
・過化存神…論語学而10集註。「聖人過化存神之妙、未易窺測」。

高宗が傅説を夢に見られた。傅説と近付なればきこへた。夢に見た畫姿が傅説に似たと云も微妙なことで、あちからきさしが入たものなり。これをのけるとよいことでも妄想ぞ。夢と云はたたいないはつ。消してをくべきことぞ。程子のきひしい御議論なり。孔子の周公を夢に見られたは、道を行なをふと云親せつから見られたことなれとも、あれも毎晩見ればほめたことてない。薛文清が周子を夢に見て太極圖を聞、山﨑先生が周子を夢に見て太極圖解のことを聞かれた。よい夢なれとも程子の議論では、あれも十分にてはよくはない。わるくすると孔子までさび矢を射かけるやふになれとも、夢は向からくるを正に立る。こちから迎ればうごきなり。これが、程子の思志意思笑語は齊ではないと云論と一つなり。又、世話に樂廣やらが、夢は心にあることが出ると云ことに付て、車に乘て鼠穴を通る夢を見ぬものと云てあり。又、因夢想夢と云ふがあるが、因夢はここの朕兆なり。夢ては我がうごきを吟味すること。至て心法へするどい吟味ぞ。荘子が垩人には夢はないと云ふが、虚無から云こそわるけれ、よく云たことぞ。心に動がなければ夢は見ぬ。土井利延侯、常に迂斎の講釈をきいて感心しけるが、この章に至て講後だまりてをらるるゆへ、迂斎のすまぬかと思てこの章のことを云たれば、氣の毒そふにをれは夢と云ことを知らぬと云はれた。氣質で見ぬでもあろふが、至てしづかなことなり。
【解説】
「捨此皆是妄動」の説明。朕兆による夢以外は妄想である。本来、夢は本当のことではないのだから、消して置くべきものなのである。よい夢であっても、それをいつも見ているのは悪い。また、心が動かなければ夢を見ることはない。
【通釈】
高宗が傅説を夢に見られた。傅説と知り合いなのだから、それは当然なことである。夢に見た絵姿が傅説に似ているというのも微妙なことで、あちらから兆しが入ったのである。この様な夢以外はよいことでも妄想である。夢はそもそもない筈のもので、消して置くべきこと。それが程子の厳しい御議論なのである。孔子が周公を夢に見られたのは、道を行おうという切実さから見られたことではあるが、あれも毎晩見れば褒められたことではない。薛文清が周子を夢に見て太極図を聞き、山崎先生が周子を夢に見て太極図解のことを聞かれた。それはよい夢ではあるが、程子の議論によれば、いつもその夢を見ていてはよくない。悪くすると孔子にまで錆矢を射かける様になるが、夢とは、向こうから来るそれを正しく立てるもので、こちらから迎えれば動きとなる。これが、程子が思志意思笑語は斉ではないと入った論と同じことである。また、世話に楽広だったか、夢は心にあることが出るということに関して、車に乗って鼠穴を通る夢は見ないものだと言っている。また、「因夢想夢」ということがあるが、因夢とは、ここの朕兆のこと。夢では自分の動きを吟味しなければならない。これが心法への至って鋭い吟味である。荘子が聖人には夢はないと言った。虚無から言ったのは悪いものの、よく言った。心に動がなければ夢は見ない。土井利延侯がいつも迂斎の講釈を聞いて感心していたが、この章に至り、講義の後に黙っておられるので、迂斎がよくわからないのかと思ってこの章のことを聞くと、気の毒そうに俺は夢ということを知らないと言われた。気質から見ないのでもあろうが、至って静かなことである。
【語釈】
・高宗…殷の武丁。
・傅説…殷の武丁(高宗)の賢相。土木工事の人夫(刑徒)から宰相に登り、殷の中興の業を完成。
・孔子の周公を夢に見られた…論語述而5。「子曰、甚矣吾衰也。久矣、吾不復夢見周公」。
・薛文清…薛徳温。薛敬軒。
・思志意思笑語…礼記祭義。「齊之日、思其居處、思其笑語、思其志意、思其所樂、思其所嗜」。
・樂廣…晉書に「樂廣字彦輔、南陽淯陽人也」とある。
・因夢想夢…夢に因りて夢を想う?
・垩人には夢はない…荘子大宗師。「古之真人、其寢不夢、其覺無憂」。
・土井利延侯…唐津藩主。分家土井備前守利清の長男。

心が定と、昼のさめてをる内いろ々々なものがうかばぬ。寐てはなをのことなり。使他云々。思ふことのあったときは思ふがよい。心が定と用向もないに思はせぬ。用向もないに思ふは、火事もないとき纏をもって出るやふなものなり。今日の人は、火事のないに火消を出すやふなことぞ。今の人は心まかせなり。心と云道落ものがいっはいをするゆへ大さはぎ。曰心誰云々。はてそふ云ことがあるか。心より外につかいてはあるまいに、たれが心をつかふとなり。曰以心云々。一寸と聞と耳さわりな語なり。朱子もこのことをといてをかれた。禪の觀心のやふなり。觀心くさいことのやうなり。そこで有病かと問たれば、朱子のこの語に病はない、主宰を云たものぞとなり。とふやら心が心と云へば茶碗でも二つならべたやふなれとも、上の心は主宰の心、下の心ははたらく処なり。往ふと云も心、ゆくまいと云も心。ゆくまいと云心がゆかうと云心を抑へる。人心道心も鳩部屋のやふにしきりはないが、人心を道心がつこふやふなればよい。精進をちたいと云人心を道心がをちさせぬ。ただ手足は出されぬ。つかふものがある。そこが主宰の心なり。
【解説】
「人心須要定、使他思時方思、乃是。今人都由心。曰、心誰使之。曰、以心使心則可」の説明。心が定まれば、用向きもないのに思う様なことはない。「以心使心」にある上の心は主宰の心、下の心は働く処を指して言う。道心が人心を使うのがよいこと。人心が勝手に動けば台無しになる。
【通釈】
心が定まれば、昼の醒めている内に色々なものが浮かばない様になる。寝ては尚更である。「使他云々」。思うことがあった時は思うのがよい。心が定まれば、用向きもないのに思う様なことはない。用向きもないのに思うのは、火事のない時に纏を持って出る様なもの。今日の人は、火事がないのに火消を出す様である。今の人は心委せ。心という道楽者がし放題を尽くすので大騒ぎである。「曰心誰云々」。果たしてそういうことがあるだろうか。心より外に使い手はないだろうに、誰が心を使うのかと聞いた。「曰以心云々」。ちょっと聞くと耳障りな語である。朱子もこのことを説いて置かれた。これは禅の観心の様で、観心臭いことの様である。そこで病があるのかと問えば、朱子のこの語に病はない。これは主宰を言ったものだと言う。どうやら心が心を使うと言えば茶碗でも二つ並べた様だが、上の心は主宰の心、下の心は働く処で言う。往こうと言うのも心、往かないようにしようと言うのも心。往くまいという心が往こうという心を抑える。人心と道心も鳩部屋の様な仕切はないが、人心を道心が使う様であればよい。精進を終わりにしたいという人心を道心が終わりにさせない。手足を出すわけではなく、使うものがある。それが主宰の心である。
【語釈】
・觀心…自己の心を観察すること。仏道修行の根本として特に天台宗で重視する。

ただ心しだいにすると方角はなくなる。和尚の留主に小僧が鷄を追ひ欠けてあるくやふなもの。心に主がないとめったになる。主があるとよい。夢から全体の心のことになったが、これを夢へをとすことなり。平生心がきっとしてをると十方もない夢は見ぬ。こちの功夫したいとて、夢まで自由になる。敬の功夫すると夢までかしこまる。今日の人は夢まであぐらをかいて居る。寐酒が止められぬやふで、存養の功夫はなるまい。存養の功夫は、悪摩はをのづと降伏ぞ。人心が自由をして酒を飲むと、胷の中に妖恠がある。存養の功夫すると妖物を退治せぬ内に、もふめったなものは出ることはならぬ。
【解説】
「人心自由、便放去也」の説明。心に主がいなければ途方もなくなる。自分の功夫次第で、夢まで自由になるのであり、敬の功夫で夢まで畏まる。
【通釈】
ただ心次第にすれば途方もなくなる。和尚の留主に小僧が鶏を追い掛けて歩く様なもの。心に主がないと滅多矢鱈になる。主があるとよい。夢から全体の心のことになったが、ここは夢へ落とすことを言ったもの。平生心がしっかりとしていれば途方もない夢は見ない。こちらの功夫次第で、夢まで自由になる。敬の功夫をすると夢まで畏まる。今日の人は夢にまで胡座をかいている。寝酒が止められない様では、存養の功夫は成らないだろう。存養の功夫をすれば、悪魔は自ずと降伏する。人心が自由をして酒を飲む様では、胸の中に妖怪がいる。存養の功夫をすれば、妖物を退治する前に既に滅多なものは出ることができない。