第五十五 持其志無暴其氣  十二月廿六日  惟秀録
【語釈】
・十二月廿六日…寛政2年(1790年)12月26日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

持其志、無暴其氣、内外交相養也。
【読み】
其の志を持して、其の氣を暴[そこな]うこと無かれとは、内外交々[こもごも]相養うなり。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

此の持志の字は曽て孟子の発明ではなく、堯舜から孔子迠の学問が皆此の持志の外ではない。允執其中も朝聞道も持志からなり。志が持ちにくいもの。一旦ありても持ちつつけられぬもの。重荷にこまって人足が中途ですてるもの。そこを、肩を張ってこちの宿からさきの宿迠持ををせることぞ。学問のゆるむは肩のぬけたのなり。忠臣孝子の忠孝をする心は天地自然で人心には備てあるもの。誰にも彼にもちらとはあれとも、夫を持つづけぬから世の中に忠臣孝子がすくない。学問もそれではへぬきすることなれとも、よいとは知ても志が持つつけられぬ。始於為士終於為垩。凡夫がら垩人迠志を持つづけることぞ。志がぐはたり々々々々と落るもの。持つつくればなんのことはない。曽我兄弟が十八年の天津風。志をもちつづけて、さて氣が充てをるから手裏劔ではない。あゆみの板迠きりこんだは持志の届いたもの。学問も、君子になるも小人になるも、持志するとせぬとのこと。その志の上に一つ孟子の養氣と云もの入るとなり。
【解説】
「持其志」の説明。志は持ち難いもので、一旦はあったとしても持ち続けられないもの。忠孝をする心は天地自然なもので人心に備ったものだが、それを持ち続けないから忠臣孝子が少ない。君子と小人の違いは持志か否かによる。
【通釈】
ここの「持志」の字は決して孟子の発明ではなく、堯舜から孔子までの学問が皆この持志の外ではない。「允執其中」も「朝聞道」もこの持志からである。志は持ち難いもので、一旦はあったとしても持ち続けられないもの。重荷に困って人足が中途でそれを捨てるものだが、そこを、肩を張ってこちらの宿から先の宿まで持ち続けるのである。学問が弛むのは肩が抜けたのである。忠臣孝子が忠孝をする心は天地自然で人心には備わってあるもの。誰にも彼にも少しはあるが、それを持ち続けないから世の中には忠臣孝子が少ない。学問もそれで生え抜きになることなのだが、それがよいとは知っていても、志を持ち続けることができない。「始於為士終於為聖」。凡夫から聖人になるまで志を持ち続けるのである。志はがたりと落ちるものだが、持ち続ければ何事もない。曽我兄弟が十八年の長きに渡って志を持ち続けたが、さて気が充ちているから手裏剣などではなく、歩みの板まで切り込んだ。それは持志が届いたからである。学問も、君子になるのも小人になるのも、持志をするのかしないかの違いである。その志の上に一つ孟子が「養気」というものが要ると言った。
【語釈】
・持志…孟子公孫丑章句上2。「持其志、無暴其氣」。
・允執其中…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。
・朝聞道…論語里仁8。「子曰、朝聞道、夕死可矣」。
・始於為士終於為垩…
・あゆみの板…①歩いて渡るためにかけ渡す板。②船から船へ、または船から岸へかける橋板。歩みの板。③平安時代の木材規格。長さ二丈、厚さ二寸五分以上のもの。
・養氣…孟子公孫丑章句上2。「我知言。我善養吾浩然之氣」。

無暴其氣。これが孟子の発明で、前垩未發なり。垩賢も、打どめに出た人が格別なよいことを云もの。氣の方からも一つ手を入れ子ば、口は志々と云ても志だけにゆかぬもの。義之子昂ほどの能書でも、夕部はちらとも寐ぬと云になればいつもの通には書けぬ。手も志もいつもの通なれとも、氣の方にかけがあるからなり。孝心な子でも親の呼ふについ氣の付ぬことのあるは、氣のうっとりとなりたからのこと。そこて氣は如在にならぬもの。無暴其氣とは、手あてをよくして持前通りにすること。志は持つと云でりんとする。氣は至大至剛。天からのあてがいは浩然が持前なれとも、手あてがわるいとめそ々々となる。持前なりのはばになられぬ。氣が十分にないと、志にもかぢけがつく。端的云はふなら、腹がへると顔色がわるく見へる。氣は羪がよければ引立つ。迂斎曰、睡い時水で手水をつかふがよい。只子むい々々々と計り思と氣は次第にぐったりとなる。氣のつかれたときは庭を歩行くがよい。こんなことは医者も知たこと。医者は氣をつかまへて療治をする。此条も氣を羪ふで理の羪になる。手水をつかふの、庭を歩行のなんのと云は一旦に一寸したことの様なれとも、氣は理の助けをする。学問は志じゃと云ても片方ではすまぬ。
【解説】
「無暴其氣」の説明。これが孟子の発明である。持志であっても気を養わなければよくない。気は本来浩然であるが、手当が悪いと持ち前通りの姿とはならない。気を養うことが理の助けになる。
【通釈】
「無暴其気」。これが孟子の発明で、前聖未発のことである。聖賢でも、打ち止めに出た人が格別によいことを言うもの。気の方からも一つ手を入れなければ、口では志々と言っても志だけではうまく行かないもの。王羲之や陳子昂ほどの能書でも、昨夜は少しも寝ていないということになれば、いつもの通りには書けない。それは、手も志もいつもの通りだが、気の方に欠けがあるからである。孝心な子でも、親が呼ぶのについ気が付かないことがあるのは、気がうっとりとなったからである。そこで、気は如在にならないものなのである。「無暴其気」とは、手当てをよくして持ち前通りにすること。志は持つということで凛とする。気は至大至剛。天からあてがわれたのは浩然が持前なのだが、手当てが悪いとめそめそとなる。持ち前の通りの幅になることができない。気が十分にないと志も悴ける。端的に言えば、腹が減ると顔色が悪く見える。気は養がよければ引き立つ。迂斎が、眠い時には手水をするのがよいと言った。ただ眠いとばかり思うと気は次第にぐったりとなる。気の疲れた時は庭を歩き行くのがよい。こんなことは医者も知ったこと。医者は気を掴まえて療治をする。この条も気を養うことで理の養になる。手水を使うとか、庭を歩行するの何のと言うのは一旦の一寸したことの様だが、気は理の助けをする。学問は志だと言っても片方だけでは済まない。
【語釈】
・至大至剛…孟子公孫丑章句上2。「敢問、何謂浩然之氣。曰、難言也。其爲氣也、至大至剛、以直養而無害、則塞于天地之閒。其爲氣也、配義與道。無是餒矣。是集義所生者、非義襲而取之也。行有不慊於心、則餒矣」。
・かぢけ…悴け。やつれる。生気を失う。やせ衰える。かじかむ。

内外交羪。外科も本道も入る。学問は志なり。志は理なり。されとも氣と云裏打でなくてはゆかぬ。これが存羪の大事なり。不案内なものは無暴其氣は無暴其氣、浩然の氣と云は只浩然の氣と思ふ。暴ぬとじきに浩然そ。浩然の氣は肌ぬくことのやふに思ふ。そふしたことではない。どちともに氣が理の手傳をすること。持其志無暴其氣と云は親に孝行な上に氣根のよい様なもの。氣の丈夫な方から孝羪もよくとどく。親切な心で看病しても、氣がよわければつかれてほく々々居眠る。氣は大切なもの。高ひ処へ登るには、天命を知た学者より屋根やがよい。屋根やは氣の養が各別なり。天命を知てもぶる々々ふるへては、火事の方角も見そこのふ。
【解説】
「内外交相養也」の説明。学問は志であり、志は理だが、気という裏打ちがなくてはうまく行かない。これが存養での大事なところである。
【通釈】
「内外交養」。外科も内科も要る。学問は志であり、志は理である。しかしながら、気という裏打ちがなくてはうまく行かない。これが存養での大事なところである。不案内な者は、無暴其気は無暴其気、浩然の気はただ浩然の気と思う。しかし、暴わなければ直に浩然である。浩然の気を一肌脱ぐことの様に思うが、そうしたことではない。どちらも気が理の手伝いをすること。持其志無暴其気は、親に孝行な上に気根のよい様なもの。気の丈夫な方から孝養もよく届く。親切な心で看病をしても、気が弱ければ疲れてぽくぽくと居眠る。気は大切なもの。高い処へ登るには、天命を知った学者よりも屋根屋の方がよい。屋根屋は気の養が格別である。天命を知ってもぶるぶると震えては、火事の方角も見損なう。
【語釈】
・本道…漢方医の用語で、内科。


第五十六 問出辭氣云々の条

問、出辭氣、莫是於言語上用工夫否。曰、須是養乎中、自然言語順理。若是愼言語不妄發、此卻可著力。
【読み】
問う、辭氣を出すは、是れ言語上に於て工夫を用うること莫きや否や、と。曰く、須く是れ中を養うべく、自然に言語は理に順わん。若し是れ言語を愼みて妄りに發せざらしむは、此れ卻って力を著く可し。
【補足】
・この条は、程氏遺書一八にある伊川の語。

小学論語には、鄙倍を遠く、鄙倍に遠さかりと点が二つにしてある。此問はどちとも定らぬときのこと。爰は遠ざかりの方の点の意なり。言の上に工夫をつけて謹むが鄙倍に遠かるのことかと問たなり。いや、兼ての内の羪によることじゃ、内の羪がよいと鄙倍には自然に遠さかると效の方で答たもの。下の愼言語の方は遠ざくのこと。遠く計で全躰の羪がないと役に立ぬ。全躰の羪の上に又言語の出さきをつつしむこととなり。工夫の全躰と一寸々々としたことの愼みを云。しわいはわるいと云は全躰の工夫。其上に、銭をつかうときにも又しわみを出すまいと氣を付ること。中庸の戒愼恐懼の上に謹獨のあると同こと。戒愼は全躰、謹獨は其内をこる処の功夫なり。
【解説】
内の養がよいと鄙倍には自然に遠ざかるが、言語の出先を慎むのも工夫である。工夫には二つあり、それは全体と事に当たる際の二つである。
【通釈】
小学と論語には、鄙倍を遠ざく、鄙倍に遠ざかりと点が二種類ある。この問いはどちらとも定まらない時のことで、ここは遠ざかりの方の点の意である。言の上で工夫を付けて謹むことが鄙倍に遠ざかることかと問うた。いや、前々からの内の養に由ることであって、内の養がよいと鄙倍には自然に遠ざかると効の方で答えたもの。下の「慎言語」の方は遠ざくの意。遠ざくだけで全体の養がないと役に立たたない。全体の養の上に、また言語の出る先を慎むことだと言った。工夫の全体と一寸したことについての慎みを言う。吝いのが悪いと言うのは全体の工夫。その上で、銭を使う時にもまた吝味を出なさい様にしようと気を付けること。これは、中庸の戒慎恐懼の上に謹独があるのと同じこと。戒慎は全体、謹独はその内に起こる処の功夫である。
【語釈】
・鄙倍…論語泰伯4。「君子所貴乎道者三。動容貌、斯遠暴慢矣。正顏色、斯近信矣。出辭氣、斯遠鄙倍矣」。
・戒愼恐懼…中庸章句1。「君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也」。


第五十七 先生謂繹曰の条

先生謂繹曰、吾受氣甚薄、三十而浸盛。四十五十而後完。今生七十二年矣。校其筋骨於盛年無損也。繹曰、先生豈以受氣之薄、而厚爲保生邪。夫子默然。曰、吾以忘生徇欲爲深恥。
【読み】
先生繹に謂いて曰く、吾氣を受くること甚だ薄く、三十にして浸[ようや]く盛んなり。四十五十にして而る後完し。今生くること七十二年なり。其の筋骨を盛年に校[くら]ぶるに損すること無し、と。繹曰く、先生豈[まこと]に氣を受くることの薄きを以てして、厚く生を保つを爲せるや、と。夫子默然たり。曰く、吾生を忘れ欲に徇[したが]うを以て深き恥と爲す、と。
【補足】
・この条は、程氏遺書二一上にある伊川の語。

浩然の氣から上条の辭氣とうけて、又爰が氣なり。存養を氣で云が面白ひ。先達ての邢和叔の条に医者めいたことを載てあるもこれなり。氣と云迠に吟味が届子ば学問はのらぬ。吾受氣甚薄。をれは氣の受様がうすいとなり。子共も犬噛合の中へも飛込む様なは、どふでも氣の受のあついからなり。をとなしいのは元氣の受のうすいのなり。先生はさかさまで、三十而浸盛。五十計が却て丈夫になりたとなり。七十二矣。伊川の今をれが七十二じゃと声をはってつよく云た。そこの処を語録者が矣とかいたもの。爰か伊川の有り形りを云れたことなれとも、脇から見るには手もなく学問の功じゃと見ること。なるほどさふて、伊川四十後記性益進とある。伊川は中年から覚がいやましようなられたぞ。
【解説】
「先生謂繹曰、吾受氣甚薄、三十而浸盛。四十五十而後完。今生七十二年矣。校其筋骨於盛年無損也」の説明。伊川は気を受けることが薄かったが五十歳頃になって丈夫になったと言う。学者はこれを学問の工夫のこととして捉えるのがよい。
【通釈】
浩然の気から前条の辞気と受けて、またここが気のことである。存養を気で言うのが面白い。先達ての邢和叔の条に医者めいたことを載せてあるのもこのこと。気ということにまで吟味が届かなければ学問は身に付かない。「吾受気甚薄」。俺は気の受け様が薄いと言った。子供でも、犬が噛み合う中へも飛び込む様な者は、どうでも気の受けが厚いのである。大人しいのは元気の受けが薄いのである。先生は逆様で、「三十而浸盛」。五十歳ばかりになって却って丈夫になったと言う。「七十二矣」。伊川が、今俺は七十二だと声を張って強く言った。そこの処を語録者が「矣」と書いたのである。ここは伊川がありのままを言われたことだが、脇から見る者は直ぐにこれを学問の功によってのことだと見なさい。なるほどその通りで、「伊川四十後気性益進」とある。伊川は中年になってから益々覚えがよくなられた。
【語釈】
・邢和叔の条…存養11。邢和叔は、邢恕。陽武の人。
・語録者…張繹。張思叔。寿安の人。
・伊川四十後記性益進…伊川四十後気性益進?

厚為保生。あなたは挌別の御手當じゃからとなり。此張思叔の云れやふが世間通用の言なり。されとも伊川へ云には足らぬこと。默然は腹を立たてはないが、伊川のちと面目ないと云た様な底で、いかさまさう云へば、はやとしよげたていなり。しばらくありて、吾以忘生徇欲。顔子も三十で若死じゃが、あれが此方で仕方なく手の付られぬじゃに、色々とすれば忘生なり。をらなどが天に限りあることを忘れて保生をして長生きをしたいなればこそ保羪をした。そこが徇欲なり。默然とだまっていたが爰のあやなり。為深耻。病身ものが保羪で長生するは手抦なことなれども、夫は只のもののこと。長生をしたがりたと云にをちては耻しいとなりとは、理ずりに云たもの。外には通用せぬこと。賜也不受命而貨殖す。身帯を上げたが孔門で耻とした様なもの。をれも長生したいとしたが耻しいと云れて、張思叔のさぞいたみ入たであろふ。此ことを南軒の全く天理じゃと云た。
【解説】
「繹曰、先生豈以受氣之薄、而厚爲保生邪。夫子默然。曰、吾以忘生徇欲爲深恥」の説明。伊川が長生きをしているのは長生きをしたいと思ってのことではない。道理に従わずに長生きを欲するのは恥である。
【通釈】
「厚為保生」。貴方は格別の手当をされたのでその様になったのですかと聞いた。この張思叔の言い方が世間通用の言である。しかし、伊川に対して言うには物足りない。「默然」とは、腹を立てたのではないが、伊川が少々面目ないといった様なことで、誠にその様に言えば、既によい年寄りになった風である。暫く間を置いて、「吾以忘生徇欲」。顔子も三十で若死したが、それはこちらには仕方のないことであり、手の付けられないことなのに、それを色々とするのは忘生である。俺などは天に限りのあることを忘れて保生をし、長生きをしたくて保養をしたと言うのが徇欲である。黙然と黙っていたのがここの綾である。「為深恥」。病身者が保養で長生きをするのは手柄なことだが、それは普通の者のこと。長生きをしたがることに落ちては恥ずかしいとは、理吊りに言ったもので、一般に通用することではない。「賜也不受命而貨殖」。子貢が身帯を上げたことを孔門で恥とした様なもの。俺も長生きをしたいと思うのが恥ずかしいと言われて、張思叔もさぞ恐縮したことだろう。このことを南軒が全く天理だと言った。
【語釈】
・賜也不受命而貨殖…論語先進18。「賜不受命、而貨殖焉。億則屢中」。
・南軒…張南軒。


第五十八 大率把捉不定の条

大率把捉不定、皆是不仁。
【読み】
大率把捉し定まらざるは、皆是れ不仁なればなり。
【補足】
・この条は、程氏外書一にある。

じっとつかまへる氣味なり。不定は、つかまへやふとしてもつかまらぬこと。心要在腔子裡。定らぬは腔子裡にあらぬなり。心を居処にをきたいもの。そうゆかぬが天下の通病。それを程子の医案が皆がそふじゃが、それか病根は心の不仁じゃと云た。只心の騒いのなんのと云とはちこう。大病しゃ。ざっとした振出し藥ではゆかぬ。本原の処がわるい。不仁は心の風をひいたのぞ。だたい喰物は苦しくはないものなれとも、風をひけば喰物が苦くなる。心が風をひけば親の病氣も苦にならぬ。子共の教もよいかげんにする。心が欲でかけ廻るからのことなり。すれば、不仁は大病ぞ。脉のわるい病人じゃ。
【解説】
心が居処にいないのが天下の通病であり、それは心が不仁だからである。心が欲で駆け回っているのである。
【通釈】
ここは、じっと掴まえる気味である。「不定」は、掴まえようとしても掴まえられないこと。「心要在腔子裏」。定まらないのは腔子裏に心がいないからである。心を居処に置きたいものだが、そう行かないのが天下の通病である。それを程子が医案を書いて、皆がそうだがその病根は心が不仁だからだと言った。これはただ心が騒がしいの何のと言うのとは違って、大病である。簡単な振出し薬では駄目である。本源の処が悪い。不仁とは心が風を引いたこと。そもそも食い物は苦しくないものなのに、風を引けば食い物が苦しくなる。心が風を引けば親の病気も苦にならない。子供の教えもいい加減にする。それは心が欲で駆け回るからである。そこで、不仁は大病なのである。脈の悪い病人である。
【語釈】
・心要在腔子裡…存養33の語。
・振出し藥…布の袋に入れたまま湯に浸し、振り動かしてその薬気を出す薬剤。湯剤。


第五十九 伊川先生曰致知云々の条

伊川先生曰、致知在所養。養知莫過於寡欲二字。
【読み】
伊川先生曰く、知を致すは養う所に在り。知を養うは寡欲の二字に過ぎたるは莫し、と。
【補足】
・この条は、程氏外書二にある伊川の語。

知の字に羪の字のあるはいかいことはない。近思でも此一章、中庸で廿七章の温故なり。温めるで德性を養ふになる。知は今日格一件明日格一件きわめては向へ々々とゆくもの。人と對すれば、さきの名をきくと又こちの人の名をきひて段々にゆくもの。去年の桜にしほりしてまた見ぬおくへとゆくこと。これ格知のあたりまへなり。夫に羪の入ると云で存羪に載る。これが大切なことで、小学からの大学なり。子共のとき放埒にしておいては大学の致知がかけられぬ。後世、小学の羪ひないから大学の致知がずっとかけられぬと云ことを或問に歎じてある。さま々々学問をしても致知に羪がないと、知の丁度の処までゆかれぬ。知のはばか一はいに廣められぬ。
【解説】
「伊川先生曰、致知在所養」の説明。知とは一つずつを窮めて先へと行くこと。しかし、存養がなければ知の幅を一杯に広められない。小学の養がなければ大学もうまく進まない。
【通釈】
知の字と養の字とが一緒にあることは多くない。近思でもこの一章、中庸では二十七章の温故である。温めることで徳性を養うことになる。知は「今日格一件明日格一件」と窮めては先へと行くもの。人と対すれば、相手の名を聞くとまたこちらの人の名を聞いて段々に行くもの。去年の桜にしおりしてまだ見ぬ奥へと行くこと。これが格知の当然である。それには養が要ることから存養に載る。これが大切なことで、小学からの大学である。子供の時に放埒にして置いては大学の致知に取り組められない。後世、小学の養いがないから大学の致知にしっかりと取り掛かれないということを或問に歎じてある。様々に学問をしても致知に養がないと、知の丁度の処まで行けない。知の幅を一杯に広められない。
【語釈】
・廿七章の温故…中庸章句27。「君子、尊德性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸、温故而知新、敦厚以崇禮」。同集註。「尊者、恭敬奉持之意。德性者、吾所受於天之正理。道、由也。温、猶燖温之温、謂故學之矣、復時習之也。敦、加厚也。尊德性、所以存心而極乎道體之大也。道問學、所以致知而盡乎道體之細也。二者脩德凝道之大端也。不以一毫私意自蔽、不以一毫私欲自累、涵泳乎其所已知。敦篤乎其所已能。此皆存心之屬也」。
・今日格一件明日格一件…致知9。「須是今日格一件、明日又格一件」。
・去年の桜にしほりしてまた見ぬおくへとゆく…西行法師。新古今集。「吉野山去年[こぞ]のしをりの道かへてまだ見ぬ方の花をたずねむ」。

羪知莫過於寡欲。知の本来は光るもの。羪がないと光ることがならぬ。風吹き、蝋燭ををけば吹消す。ぼんぼりをかけるが羪なり。知に羪がないと笹のうらに鈴なり。知の光るものも人欲と云風がつよくあたるから、知が照ることがならぬ。人欲の浪のさわ立って、月影がうつることがならぬ。欲がなければ明鏡止水。水に風があたら子ば十五夜の月がよくうつる。さて、寡欲と云は生れ付にもある。又、学問の工夫にもある。手もなくものずきのないこと。喰物も勝手から出せば其形りで、をいと云て喰ふ。着物も今日はこれをと云て女房が出せばずっと着る。嶋がらにはかまわぬ。寒くさへなければよい。無学なものにもこんな人もあれとも、学問ないは役に立ぬ。学者は初手からこれにはかかることぞ。直方先生なぞは、をれに何もよいことはないが、物好きがないと云れた。ここをは手前から受合れた。大な学問なり。ものずきがないと引れることがないから、知が本来なりに光る。欲に心がだみぬと先刻も云明鏡止水なり。爰をきくと、陸王がそりゃこそと云て嬉しがる。なるほどあれらは只のものてもない。爰の処をあまり合点しすぎてはづんたもの。なれとも陸王は致知がぬけた。此方は致知の篇でそこを仕ぬいての上の羪なり。爰て大きにちごふ。知に羪のないは貧乏者の金なり。ついなくなる。羪が大事ぞ。さて、ここの処はあれては陸象山ではないか、ああよんでは王陽明になりはせぬかときくほどによむことぞ。さうよむが此条の精彩ぞ。
【解説】
「養知莫過於寡欲二字」の説明。知は本来光るものだが、養がないと人欲に遮られて光ることはできない。「寡欲」とは物好きのないことで、物好きがなければ引かれることがないから、知が本来の通りに光る。陸王も寡欲を言うが、彼等には致知がない。
【通釈】
「養知莫過於寡欲」。知は本来光るもの。しかし、養がないと光ることができない。風が吹く中、蝋燭を置けばそれを吹き消す。そこで雪洞をかけるのが養である。知に養がないと笹の裏に鈴である。知という光るものも人欲という風が強く当たるから、知が照ることができない。人欲の浪が騒立って、月影が映ることができない。欲がなければ明鏡止水。水に風が当たらなければ十五夜の月がよく映る。さて、寡欲は生まれ付きにもある。また、学問の工夫にもある。それは何のこともなく、物好きのないこと。食い物も勝手から出たのをそのままに、おいと言って食う。着物も今日はこれをと言って女房が出せばすっと着る。縞柄には構わない。寒くさえなければよい。無学な者にもこんな人もいるが、学問のないのは役に立たない。学者は初めからこれに取り掛からなければならない。直方先生などは、俺に何もよいことはないが物好きがないと言われた。ここのところを自ら受け合われたのであり、大きな学問である。物好きがないと引かれることがないから、知が本来の通りに光る。欲に心が汚されなければ先刻も言う明鏡止水となる。ここを聞くと、陸象山や王陽明がそれでこそと言って嬉しがる。なるほど彼等は只者ではないが、ここの処をあまりに合点し過ぎて弾んだのである。しかし、陸王は致知が抜けている。こちらは致知の篇でそこを仕抜いての上の養であり、ここで大きく違って来る。知に養がないのは貧乏者の金である。終にはなくなる。養が大事。さて、ここの処はあれでは陸象山ではないか、あの様に読んでは王陽明になりはしないかと聞こえるほどに読みなさい。その様に読むのがこの条の精彩である。
【語釈】
・笹のうらに鈴…笹の紋の裏側が神楽鈴の紋になっていること?または、煩いこと?


第六十 心定者其言重以舒の条

心定者、其言重以舒。不定者、其言輕以疾。
【読み】
心の定まる者は、其の言重くして以て舒[の]ぶ。定まらざる者は、其の言輕くして以て疾[はや]し。
【補足】
・この条は、程氏外書一一にある。

論語不重不威とあり、そこが言でみへる。重舒て心の定不定が知るる。人焉廋哉々々々々と云てある。何ほどかざっても内のことが知れるもの。生れ付のことはかくされぬもの。中にも言語は別してかくされぬもの。不定者云々。大学にも定而后靜とある。道理の落付のない内はざは々々する。夫は何で知るると云に、ものを云で知るる。落つきがあれば心の底から道理形りをじっかり々々々々と出る。言は見へるもの。心は見へぬもの。見へるもので見へぬものが知るる。心が落付ぬと早言なり。懸河之如流と云てほめてみても雄弁ではない。本んの如流と云は水のすら々々流るる様に、順に根のあって次第の乱れぬこと。へら々々と口のきくは雄弁ではない。心の定まらず、たわいないのぞ。李延平の侯師垩を輕しめられたかなども侯師はずっしりとない処からなり。延平は一体の根がちごふ。心定むが根なり。さへたことも道理の落付から出たさへなり。答問にて可見。
【解説】
言語によって心の定不定がわかる。どの様に飾っても言語は隠せない。言という見えるもので、心という見えないものがわかる。心が不定であれば、その言は雄弁ではない。
【通釈】
論語に「不重不威」とあり、そこが言語によって見える。「重舒」で心の定不定がわかる。「人焉廋哉。人焉廋哉」とも言っている。どれほど飾っても内のことが知れるもの。生まれ付きのことは隠すことができない。中でも言語は特に隠せないもの。「不定者云々」。大学にも「定而后静」とある。道理の落ち着きがない内はざわざわとする。それは何でわかるのかと言えば、ものを言うことでわかる。落ち着きがあれば、心の底から道理の通りがしっかりと出る。言は見えるもので、心は見えないもの。見えるもので見えないものがわかる。心が落ち着かないと早口になる。懸河之如流と言って褒めてみても、それは雄弁ではない。本当の如流とは水のすらすらと流れる様に流れに根があって次第の乱れのないこと。へらへらと口をきくのは雄弁ではない。心が定まらず、思慮がないのである。李延平が侯師聖を軽んじたことなども、侯師がしっかりとしていない処からのこと。延平は一体の根が違う。心を定めるのが根である。冴えたことを言うのも道理の落ち着きから出た冴えなのである。延平答問でこれを見なさい。
【語釈】
・不重不威…論語学而8。「子曰、君子不重則不威。學則不固」。
・人焉廋哉…論語為政10。「子曰、視其所以、觀其所由、察其所安、人焉廋哉。人焉廋哉」。
・定而后靜…大学章句1。「知止而后有定。定而后能靜。靜而后能安。安而后能慮。慮而后能得」。
・侯師垩…


第六十一 明道先生曰人有四百四病の条

明道先生曰、人有四百四病、皆不由自家。則是心須敎由自家。
【読み】
明道先生曰く、人には四百四病有りて、皆自家に由らず。則ち是れ心は須く自家に由らしむべし、と。
【補足】
・この条は、程氏外書一二にある。

これが病名の大数をあげたこと。維摩經と千金方とにある。不由自家。こちの知たことではない。病は向から来る。今市井の者が、人がらにも似合ぬ疫病をと云がをかしい。武王も癘虐の病に遇ふとある。垩人でも天地の氣にあふて病むは仕方はない。この語立でが、病はこちにあつからぬが心はこち次第、どふともなることと云こと。病は医者の領分。心は学者の領分。病人が医者にかろしめらるるが尤なことで、是迠は療治、これから先きはこなたの心持次第と云。其心持で取り直すと云ことがならぬもの。心は工夫によること。草根木皮はたのまれぬ。韓持国は高ひ人なり。されとも病中に音樂を聞れて、夫で心を慰したことあり。夫を朱子がわるいことに云てある。これも只のものならほめることなれとも、学者が心を慰するに音樂を頼んでは下卑たぞ。邵子の眞樂攻心。樂くてどふもならぬ々々々々々々と云たは仰山で、顔子の所樂ではないとこそ云へ、高ひことぞ。学者の心を病むは耻なり。伯牛が病は耻でなし。たた学者のふら々々のやみ氣病むは耻なり。心は活物。殊に吾にあるもの。夫を自由に持て廻して働かせることのならぬか耻なり。氣を病むと心が働くことがならぬ。子夏が失明たは心が泣たから耻なり。学者は喜怒哀樂で相塲がくるふてはならぬことぞ。さふは云ものの、心を教由自家にがならぬもの。先日の以心使心則可なりかここぞ。兼好か、吾心さへ頼みがたきと云た。人情づりなり。学問の上ると云は外のことではない。吾心が云ことをきくことぞ。迂斎が、下手の馬を乘る様で自由にすることがならぬと云た。よく凡夫の心を知りたのなり。
【解説】
病は外から来るもので、仕方のないことである。よって、恥にはならない。しかし、心は学者の領分であり、自分次第でどの様にもなる。心は活物で自分の内にある。それを自由に働かせることができないのは学者にとっての恥である。学問が上がるとは、自分の心が言うことを聞くようになることである。
【通釈】
これは病名の大数を挙げたこと。維摩経と千金方とにある。「不由自家」。こちらの知ったことではない。病は向こうから来る。今市井の者が、人柄にも似合わない疫病だと言うのが可笑しい。武王も厲虐の病に遇うとある。聖人でも天地の気に遇って病むのは仕方がない。この語立てが、病はこちらに与らないことだが心はこちら次第でどうにでもなるということ。病は医者の領分、心は学者の領分。病人が医者に侮られるのが尤もなことで、これまでは療治で、これから先は貴方の心持次第だと言う。その心持では取り直すことができないもの。心は工夫に由るのであって、草根木皮にはそれができない。韓持国は高い人である。しかし、病中に音楽を聴かれて、それで心を慰めたことがある。それを朱子が悪いこととして言っている。これも普通の者なら褒めるところだが、学者が心を慰めるのに音楽を頼んでは下卑たことになる。邵子が「真楽攻心」と、楽しくてどうにもならないと言ったのは仰山で、顔子の「所樂」ではないとこそ言え、高いことである。学者が心を病むのは恥である。伯牛の病は恥ではない。ただ、学者がふらふらして病み気を病むのは恥である。心は活物。殊にそれは自分にあるもの。それを自由に持って廻して働かせることのできないのが恥なのである。気を病むと心が働くことができない。子夏が明を失ったのは心が泣いたからで、それが恥である。学者が喜怒哀楽で相場が狂っては悪い。そうとは言うものの、心を「教由自家」ができないもの。先日の「以心使心則可」がここのこと。吉田兼好が、我が心さえ頼み難きと言った。それでは人情吊りである。学問が上がるとは外のことではない。自分の心が言うことを聞くことである。迂斎が、下手な者が馬に乗る様で自由にすることができないと言った。凡夫の心をよく知った言である。
【語釈】
・維摩經…大乗経典の一。三巻。鳩摩羅什訳のほかに、呉の支謙訳、唐の玄奘訳がある。
・千金方…漢方医書。孫思邈(隋唐)著。
・癘虐…書経周書金滕。「武王有疾。周公作金縢。…惟爾元孫某、遘厲虐疾」。
・韓持国…韓維。雍丘の人。神宗の時翰林学士に進み、開封の知事となる。哲宗の時に門下侍郎になり、太子少傅で致仕。1017~1098
・眞樂攻心…
・顔子の所樂…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一簞食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。
・伯牛が病…論語雍也8。「伯牛有疾。子問之、自牖執其手。曰、亡之。命矣夫。斯人也、而有斯疾也。斯人也、而有斯疾也」。
・子夏が失明…子夏が自分の子供が死んだ時に泣いて失明したこと。
・以心使心則可…存養54の語。
・吾心さへ頼みがたき…


第六十二 謝顕道云々の条

謝顯道從明道先生於扶溝。一日謂之曰、爾輩在此相從、只是學顥言語。故其學心口不相應。盍若行之。請問焉。曰、且靜坐。伊川毎見人靜坐、便嘆其善學。
【読み】
謝顯道明道先生に扶溝に從う。一日之に謂いて曰く、爾輩此に在りて相從うに、只是れ顥の言語を學ぶのみ。故に其の學は心口相應ぜず。盍[なん]ぞ若[かくのごと]く之を行わざる、と。請問す。曰く、且く靜坐せよ。伊川は人の靜坐するを見る毎に、便ち其の善く學ぶを嘆ぜり。
【補足】
・この章は、程氏外書一二にある。

扶溝に從ふとあれば、この前にいこう仕入れ仕込のあること。隨身して昼夜精出した後のこと。只大和めぐりの供に行たではない。先生に從て道中さきでも日夜精出した。これは竒特なこととほめそふな処を、をぬし達の学問はあぢな学問だ。只をれが云ことをきく計りしゃと訶りた。成程これがさふしたもので、隨身弟子と云ても只言語なもの、中庸の未発已発の、敬義内外のと只先生のよいこと云たを真似るもの。そこが心口不相應なり。をれが云ことを云から口はよいが、心と取合ぬ。心へはたたみこまぬ。そこの処はどふだとたたりたなり。上蔡なとは只今のものの筆記学問とはちごふと云は知れたことなれとも、丁度大名の側坊主の様で不断殿の近所におるから殿の口上の上は能く呑込ても、只口ま子と云やふなもの。請問。こふ云れては誰ても問はふが、只のものとはちごう。上蔡などは事あれ笛と搆へたこと。兼ての心がどのやふなことでもあぐみはせまい。なんでもせふとしたことぞ。詞の上が心口不相應とならどのやうにせふぞと、一々曲尺にあててわざをすることかと思へば靜坐をしやれとなり。さても思の外なことなり。言から言を受てはどの様な結搆なことても心口不相應じゃ。暇な時に靜にすわってをれば、いつとなく心に落付きが出来て、心がのび々々となって手前のものになるとのこと。今の学者の、学而がすんたから八佾、八佾がすんだから、これからは為政とゆくは只論語中をかけまわる様なもの。心がそうかけまわっては道理のすわり処がない。靜坐で心がしっとりとなってからは早、学而時習之とよむ処からして前とは別段なことになる。
【解説】
「謝顯道從明道先生於扶溝。一日謂之曰、爾輩在此相從、只是學顥言語。故其學心口不相應。盍若行之。請問焉。曰、且靜坐」の説明。師の口上を真似るだけででは「心口不相応」である。心と言語とが相応になるには静座がよい。静座で心が落ち着き、心が自分のものになる。
【通釈】
扶溝に従うとあれば、この前に大層仕入れや仕込みがあって、随身して昼夜精を出した後のこと。ただ大和巡りの供に行った様なことではない。先生に従って道中先でも日夜精を出した。これは奇特なことだと褒めそうな処を、お前達の学問は悪い学問であって、ただ俺の言うことを聞くだけだと訶った。なるほどこれがそうしたもので、随身の弟子と言ってもただ言語上のことに関して、中庸の未発已発や敬義内外などと、ただ先生がよいことを言ったのを真似るだけのもの。そこが「心口不相応」である。俺の言うことを真似て言うから口はよいが、心と取り合わない。心へは畳み込まない。そこの処はどうなのだと祟ったのである。上蔡などは只今の者の筆記学問とは違った人だというのは知れたことだが、丁度大名の側坊主の様で、絶えず殿の近所にいるから殿の口上のところは能く呑み込んでも、それはただの口真似という様なもの。「請問」。こう言われては誰でも問おうとするが、ここが普通の者とは違う。上蔡などは事あれ笛と構える。普段からどの様なことでも心を倦ませず、何でもしようとしたのである。詞の上が心口不相応であるのならどの様にすればよいのかと問うと、それは一々曲尺に当てて事をすることかと思えば、静座をしなさいと言われた。全く思いの外の返答である。言から言を受けるのはどの様な結構なことでも心口不相応である。暇な時に静かに座っていれば、いつとはなく心に落ち着きができ、心が伸び伸びとなって自分のものになるとのこと。今の学者が、学而が済んだから八佾、八佾が済んだから為政と進めるのはただ論語の中を駆け回る様なもの。心がその様に駆け回っては道理の据わり処がない。静座で心がしっとりとなれば、早くも「学而時習之」と読む処からして前とは別段なものになる。
【語釈】
・扶溝…河南省にある県名。
・敬義内外…易経坤卦文言伝。「直其正也、方其義也。君子敬以直内、義以方外。敬義立而德不孤」。
・上蔡…謝顕道。

毎人。一人や二人でないこと。これが謝氏に云た計ではないとぞ。嘆善学。毎々人靜坐するをみれば、さてよく学問するとほめたこと。靜坐を別にするは禪の坐禪になる。客が来て遇ふと云に、拙者只今靜坐に取りかかりましたと云ことではない。靜坐は心との相談なり。禪の小僧が坐禪堂に引込んで居ても、そこを出るとはや門前で犬をうつ様なは役に立ぬ。印籠巾着は根付でをんもりとなる。学者は靜坐で心がをんもりとなりて、夫からは何事もよくすむ。禪の坐禪は靜ぎりなり。此方は挌物致知。天下の書を見る。それを爰の処へはき込むことなり。靜坐で身につくことそ。直方先生の靜坐の説が韞藏録にある。跡部の録なり。学者の見子ばならぬことなり。靜坐集説は尾張のものの集めたものて、直方の序がある。これもすぐに直方の書なり。さて、直方先生の靜坐の説を若林のわるく云れた。強斎は神道に流れられた。夫と云も、あの高邁な生質に心法のつよい方からであろふ。あの衆の神道へゆくなぞが並みのことではない筈。さて、心法の工夫のつよいにしては、直方の靜坐の説は上もないよいこと。夫をわるいと云れた若林の意、これ計はとんと某もすめぬと思ふぞ。ただ俗儒の靜坐を異なこととするとはちかふべし。疑へきことなり。
【解説】
「伊川毎見人靜坐、便嘆其善學」の説明。静座を座禅堂などで別にするのは禅の座禅である。禅の座禅は静だけだが、聖学の静座には格物致知がある。ところで、直方先生の静座の説を若林強斎が悪く言われた。心法の工夫が強い彼が静座の説を悪く言うのは解せないことである。
【通釈】
「毎人」。これは、一人や二人に対してではく、謝氏だけに言ったのではないということ。「嘆善学」。毎々人が静座するのを見て、本当によく学問をすると褒めたのである。静座を別にするのは禅の座禅になる。客が来て遇おうとする時に、拙者只今静座に取り掛かりましたと言うことではない。静座は心との相談である。禅の小僧が座禅堂に引き込んでいても、そこを出ると早くも門前で犬を打つ様なことでは役に立たない。印籠巾着は根付によって重しが付く。学者は静座で心に重しが付いて、それからは何事もよく済む。禅の座禅は静だけだが、こちらには格物致知がある。天下の書を見るのも、それをここの処へ掃き込むためである。それは静座で身に付くこと。直方先生の静座の説が韞藏録にあって、それは跡部の録である。学者の見なければならないもの。静座集説は尾張の者が集めたもので、それに直方の序がある。これも直に直方の書である。さて、直方先生の静座の説を若林が悪く言われた。強斎は神道に流れられた人で、それと言うのも、あの高邁な生質に加え、心法の工夫が強かったからだろう。あの衆が神道へ行くなどというのが並のことではない筈。さて、心法の工夫が強いにしては、直方の静座の説はこの上なくよいことなのに、それを悪いと言われた若林の意、こればかりは全く私も済めかねると思っている。ただ俗儒の静座を異なこととするのとは違うだろう。疑うべきことである。
【語釈】
・跡部…跡部良顯。佐藤直方門下。

偖又、存養篇是迠のは程子の詞なり。それを靜坐の条でとめた。朱子の思召あることかも知れぬ。存羪も一株にせぬこと。靜坐と云も事にせぬことなれとも、存羪の工夫をするには靜坐と云に目が付子ば本んの処まで行き届れぬことぞ。直方先生の、靜坐は人の処へ行て、髪月代に致しかかりました、只今御目にかかろふ、暫時待れよと云様なときがよい靜坐の仕時と云れた。これて靜坐に仕時のあることを合点せふこと。人に待せらるるときが只のものののっつそっつするもの。其時すらりとして、きげんをよくして靜に坐しておるがよい。又御成の時、縄を張って大屋や町代がいかな大名でも通れぬ。学者も會讀に行くがをそくなるとていかに待わびても済ぬ内はいかな通さぬ。そこを辻番の脇で靜坐をする心ておるが大の德分んなり。田舎て寄合にさきへ行たに人は寄らぬ。これは損なことと見ることでない。ここもよい靜坐なり。学者の心の工夫はどこでもなる。ゆだんもすきもないこと。啇の上手か思の外な処でもふける。欲のふかいものがころんでも砂をつかむと云。学者も轉んでも砂をつかむと云様なが工夫にはよい。これが法外の教なり。玄關からものもふと云ても、靜坐にかかりた、返事はせぬの、親の呼ぶにたった今靜坐にかかりたにやかましいと云は以の外なり。それは靜坐でいりもみするのなり。伊川はことの外そこをよく仕て取た人ゆへ、人の靜坐するを見れば善学ぶと嘆したもの。
【解説】
静座の仕時は、人に待たせられている時がよい。学者の心の工夫はどこでもできるのである。しかし、静座に執着してはならない。それでは静座でいり揉みをすることになる。
【通釈】
さてまた、存養の篇もここまでが程子の詞である。それを静座の条で締めた。これは朱子の思し召しなのかも知れない。存養も一つ事にしないこと。静座というのも事にしないことだが、存養の工夫をするには静座ということに目が付かなければ本当の処まで行き届くことはできない。直方先生が、静座は人の処へ行き、髪月代に致し掛かりましたが、只今御目に掛かりましょう、暫時お待ち下さいという様な時がよい静座の仕時だと言われた。これで静座に仕時のあることを合点しなさい。人に待たせられる時は、普通の人は伸っつ反っつとするもの。その時にすらりとして、機嫌をよくして静かに座しているのがよい。また、御成の時には縄を張り、大屋や町代がどの様な大名でも通さない様にする。学者も会読に行くのが遅くなると思うが、どの様に待ちわびても御成の済まない内はどうしても通さない。そこを辻番の脇で静座をする心でいるのが大きな益である。田舎でも、先に寄合に行ったが人が寄らない。これは損なことと見ることではない。ここもよい静座である。学者の心の工夫はどこでもできる。そこで、油断も手抜きない。商い上手が思いの外の処で儲ける。欲の深い者は転んでも砂を掴むと言う。学者も転んでも砂を掴むという様にするのが工夫にはよい。これが法外の教えである。玄関から物申すと言われても、静座に掛かったから返事はしないとか、親が呼ぶのにたった今静座に掛かったのに喧しいと言うのは以の外である。それは静座でいり揉みをしているのである。伊川は殊の外そこをよく仕て取った人なので、人が静座をするのを見れば善く学ぶと嘆じたのである。


第六十三 横渠先生曰云々の条

横渠先生曰、始學之要、當知三月不違、與日月至焉、内外賓主之辨、使心意勉勉循循而不能已。過此幾非在我者。
【読み】
横渠先生曰く、始學の要は、當に三月違わざると、日月に至ると、内外賓主の辨を知り、心意をして勉勉循循として已むこと能わざらしむべし。此を過ぐれば幾[ほとん]ど我に在る者に非ず、と。

孔子の教はとど仁と玉を落すこと。唐彦明が、諺に萬能一心と云が、孔門の教は万能一仁じゃと云た。顔子から樊遲迠仁の脩行なり。とれも仁なれとも、相手でどふもそふゆかぬ。時に顔子は全体が仁になりて、三月の後はちょいと月に村雲なり。孔子ほどでなくても一躰が仁なり。日月至は外の弟子衆なり。一日に一度、一月の中に一度ちらりと仁になること。其なったときの形りは顔子と同腹中なれとも、仁が全躰にない。段合ひを云へば、孔子の処には金がいつもある。顔子もいつもあるが、ひょっとして今日はないと云ことがある。外の衆は給金ても取たとき計りあるやふなもの。内外は、内は亭主、外は客なり。客は長居はせぬ。ここの内外賓主の弁が親切。そこで爲学の初に顔子の所学を学べと云てあげた。あれを目當にすること。餘の衆は客なり。客ではつまらぬ。日月今一寸来たをこちのものにしたい、亭主になりたい々々々々とすること。これが一大事の学問なり。過此云々。顔子からさきのこと。非在我者。此方の工夫でゆかぬこと。古びると同こと。あたまのはげる様なもの。はげさせふとするはならぬ。顔子も力一はいに舩をば漕くが、それからさきは水次第なり。朱子の、水到而舩浮殆非在我者と云れた。
【解説】
孔子の教えは仁を得ることにある。孔子は全体が仁であり、顔子もそうなのだが、三月の後に仁が欠けることがあり、その他の弟子は一日に一度、一月の内に一度だけ、ちらりと仁になる。顔子より上のことは、こちらの工夫ではできないものである。
【通釈】
孔子の教えは、つまりは仁に玉を落とすこと。唐崎彦明が、諺に万能一心とあるが、孔門の教えは万能一仁だと言った。顔子から樊遅までが仁の修行である。どれも仁のことだが、相手によってどうもその通りに行かない。時に顔子は全体が仁になっていて、「三月」の後は少々月に叢雲だが、孔子ほどではないとしても一体が仁である。「日月至」は外の弟子衆のことで、一日に一度、一月の内に一度だけ、ちらりと仁になる。そのなった時の姿は顔子と同様だが、仁が全体にない。その違いを言えば、孔子の処には金がいつもある。顔子もいつもはあるが、ひょっとすると今日はないということがある。外の衆は給金でも取った時だけある様なもの。「内外」は、内は亭主、外は客である。客は長居をしない。ここの「内外賓主之弁」が親切。そこで、為学の最初に「学顔子所学」を挙げた。あれを目当てにするのである。他の衆は客である。客ではつまらない。日月今一寸来た仁を自分のものにしたい、亭主になりたいと思ってするのである。これが一大事の学問である。「過此云々」。これは顔子から先のこと。「非在我者」。こちらの工夫ではできないことで、古びるのと同じである。それは頭が禿げる様なもの。禿げさせようとすることはできない。顔子も力一杯に舟を漕ぐが、それから先は水次第である。朱子が、「水到而船浮殆非在我者」と言われた。
【語釈】
・唐彦明…唐崎彦明。三宅尚斎門下。芸州竹原の人。黙斎の親友。彦明は伊勢長島藩主増山候に仕えたが、ある事件で禁固に処せられたとき、黙斎はその救援に献身したという。なお竹原は頼山陽の出たところでもある。~1758。
・萬能一心…万能足りて一心足らず。
・三月…論語雍也5。「子曰、囘也、其心三月不違仁。其餘則日月至焉而已矣」。
・水到而舩浮殆非在我者…


第六十四 心清時少云々の条

心清時少、亂時常多。其清時、視明聽聰、四體不待羈束而自然恭謹。其亂時反是。如此何也。蓋用心未熟、客慮多而常心少也。習俗之心未去、而實心未完也。
【読み】
心は清き時少なく、亂るる時常に多し。其の清き時、視は明らかに聽は聰[と]く、四體は羈束を待たずして自然に恭謹なり。其の亂るる時は是に反す。此の如きは何ぞや。蓋し心を用うること未だ熟せず、客慮多くして常心少なければなり。習俗の心未だ去らずして、實心未だ完からざればなり。
【補足】
・この条は、経学理屈四の学大原下篇にある。

この発語の処は誰が見ても存羪めいたこと。末の処は克己めいたこと。克己の、存羪のと門はちがへとも、根はちかわぬ。心清時少しとは、これは皆に覚のあること。心は明鏡止水。ものの来次第にうつること。垩人にはうつらぬと云ことでは、垩人の心も向から風あたればさざ浪も立てとも、あとは靜なり。鏡も妍媸好悪うつりたぎりて残りはせぬ。無送迎無内外なり。凡夫はいつもさわがしいからすむ間がない。其清時。たま々々よいときのあること。濁りづめ曇りづめでないか人間の有難さなり。家内に病人もなく、身帯もよく、人からせかせることもなく、いこふ喜ぶことも、いこふ悲むこともないことがあるもの。これが仕合なことで、そんなときか視明聽聰なり。こんな処から王陽明が挌物なしに凡夫から堯舜に乘付け様と云。これが高ひことて、人の迷ふことなり。そこて、三宅先生などか京都で一生王学を辨しられた。
【解説】
「心清時少、亂時常多。其清時、視明聽聰」の説明。心は明鏡止水でものの来次第に映るが、凡夫はいつも騒がしいから清む間がない。それでも偶には清む時があって、それが人の有難いところである。それで、王陽明は格物がなくても聖人になることができると言った。
【通釈】
この最初の処は誰が見ても存養めいたことで、末の処は克己めいたこと。克己や存養と言って門は違うが、根は違ったことではない。「心清時少」は皆にも覚えのあること。心は明鏡止水で、ものの来次第に映る。聖人も映らないということではなく、聖人の心も向こうから風が当たればさざ波が立つこともあるが、その後は静である。鏡も妍媸好悪が映るだけでそれが残ることはなく、「無将迎無内外」である。凡夫はいつも騒がしいから清む間がない。「其清時」。偶々よい時がある。濁り詰め曇り詰めでないのが人間の有難いところである。家内に病人もなく、身帯もよく、人から急かされることもなく、大層喜ぶことも、大層悲しむこともないことがあるもの。これが幸せなことで、そんな時が「視明聴聡」である。この様な処から、王陽明が格物なしで凡夫から堯舜に乗り付けることができると言う。これが高いことで、人の迷うことである。そこで、三宅先生などが京都で一生王学を弁駁された。
【語釈】
・妍媸…論語雍也2集註。「如鑑之照物、妍媸在彼、隨物應之而已」。
・無送迎無内外…為学4。「明道先生曰、所謂定者、動亦定、静亦定、無將迎、無内外」。

不待羈束自然恭謹。馬をつなくこと。そんなせわなしに心が手入なしによい。阿波の鳴戸は浪風もないときなり。よいときは斯ふても、反之。心が人欲のさは立で、目も見へず耳も聞へぬ様になる。人々今節季の心なぞがこれなり。又、向の人が来たと云て、さきから来たものをわるく思ふ。それがこちの心の乱れからなり。海水が浪立てば滿月もうつることはならぬ。凡夫は人欲騒動で胸の中は大乱なり。爰の清時と云を垩人の塲の様に見ることではない。凡夫も清時がある。をらが旦那も今日の様なればよいと家来が云ふ。清むと濁るで子うちがちごふ。用心未熟。存養の工夫の熟せぬこと。何事にもうまぬと云かあるもの。酒でからが呑習はいかいこと飲こともあるが、又、今日はゆかぬと云日がある。本の上戸は五臟六府を飲ふせて、いつも々々々呑む。未熟は成り上りの学問なり。本の金持でない。
【解説】
「四體不待羈束而自然恭謹。其亂時反是。如此何也。蓋用心未熟」の説明。人欲の騒ぎ立ちによって目も見えず耳も聞こえない様にもなるが、それは自分の心の乱れから起こるのである。心が清むのと濁るのとでは大違いであり、存養の工夫が熟さなければ本当の学問ではない。
【通釈】
「不待羈束自然恭謹」。馬を繋ぐこと。その様な苦労もせず、手入れも要らずに心がよい。たとえれば、阿波の鳴戸で浪風のない時のこと。よい時はこの様でも、「反之」。心が人欲の騒立ちで、目も見えず耳も聞こえない様になる。今の節季の人の心などがこれである。また、向こうの人が来たと言って、それを悪く思う。それはこちらの心の乱れから起こること。海水が浪立てば満月も映ることはできない。凡夫は人欲騒動で胸の中が大乱である。ここの清時を聖人の場の様に見ては間違いである。凡夫にも清時がある。俺の旦那も今日の様であればよいがと家来が言う。清むと濁るで値打ちが違う。「用心未熟」。これは、存養の工夫が熟していないこと。何事にも倦まないということがあるもの。酒でさえ飲み覚えの時は大層飲むこともあるが、また、今日はあまり飲めないと言う日がある。本当の上戸は五臓六腑で飲み切って、いつも飲む。未熟は成り上がりの学問であって、本当の金持ちではない。

客慮は、あるまいふい々々としたことの来ること。上総のものの上総におるは客でない。唐津のものの上総へ来たなり。胸の上へがさま々々のものが来て、日本橋の橋の上の様なり。このことを荀子が偸心と云、佛は流注想と云。常心は客慮へ對したこと。垩賢の上のことと云ことではない。わるいくるみ思ふべきことがある。客慮はきまらぬ思ひ。常心は思べきことを思ふこと。きまらぬ思は、たとへよいことを思てもわるいことなり。朱子の、泛々底の意慮と云へり。大水のとき、两国の川へ下駄や古わらじ色々の埃の流れくること。猫兒の鞠をころがしても花をなげてもをどけくるふて飛付は客慮。屋根で鼠がごそりと云ても聞耳を立るは常心なり。
【解説】
「客慮多而常心少也」の説明。本来でないことを思うのが「客慮」であり、思うべきことを思うのが「常心」である。子猫が鞠にじゃれるのは客慮で、鼠の音に聞き耳を立てるのが常心である。
【通釈】
「客慮」とは、あるべきでなく不意のことが来ること。上総の者が上総にいるのは客でない。唐津の者が上総へ来たのである。胸の上に様々の物が来て、日本橋の橋の上の様になる。このことを荀子は「偸心」と言い、仏は流注想と言う。「常心」は客慮に対したこと。聖賢の上のことを言ったのではない。悪いことを含めて思うべきことがある。客慮は決まらない思いで、常心は思うべきことを思うこと。決まらない思いは、たとえよいことを思っても悪いことである。朱子が、泛々底の意慮だと言った。大水の時に、両国の川へ下駄や古草鞋など色々な塵が流れて来る様なこと。子猫が鞠を転がしても花を投げても戯け狂って飛び付けば客慮。屋根で鼠がごそっと音を立てるのに聞き耳を立てるのは常心である。
【語釈】
・偸心…
・流注想…朱子語類21。「釋氏所謂流注想、如水流注下去」。

習俗之心未去。是は上のことを云たことではない。もふ一つ別のことを云たこと。客慮をやめて常心になれとは、心のふい々々と出る、きまらぬことを防げのこと。習俗之心云々は克己めいたこと。欲があれば習俗のたわいもない了簡合が出ること。訂斎の俗を脱せよ々々々々々と云はるるが尤なこと。学者も人欲がぬけぬから、やはり俗の通りか不意々々と出る。をらなどには俗習はないと思は浅見先生の所謂筭用ちがいなり。吾黨の学者が俗学よりは人に憎るるが早ひが、まだ憎まるるなどに俗習が脱せぬぞ。其証拠には、何ぞと云と義理がさへぬ。心に人欲があるからやはらもする。まだ外人からにくむは早ひぞ。
【解説】
「習俗之心未去」の説明。学者も人欲が抜けないから、俗がそのまま不意に出る。我が党でも、心に人欲があるから力行することができず、義理が冴えない。俗習を脱していないから、俗人に憎まれるにはまだ早いのである。
【通釈】
「習俗之心未去」。これは上のことを言ったものではなく、もう一つ別のことを言われたのである。客慮を止めて常心になれとは、心が不意に出て決まらないことを防げということ。ここの「習俗之心云々」は克己めいたこと。欲があれば習俗の他愛もない了簡合わせが出る。訂斎が、俗を脱せよと言われたのが尤もなこと。学者も人欲が抜けないから、やはり俗がそのまま不意に出る。俺などに俗習はないと思うのは、浅見先生の言う所の算用違いである。我が党の学者は俗学よりも人に憎まれるのが早いが、まだ憎まれるほどには俗習が脱していない。その証拠には、何かというと義理が冴えない。心に人欲があるから曲がったこともする。そこで、まだ外人から憎まれるには早いのである。
【語釈】
・外人…①仲間以外の人。疎遠な人。②敵視すべき人。

實心は義理の心のこと。中庸で云へば道心なり。實心は利害をはかる筈のことではないといつもは心得ておるが、すは何ぞと云と欲から心がをこる。学者のほろを乱すは欲からなり。其時は、やはり俗と一つになる。なぜと云へば、人心が勝て道心が不働だからなり。すれば、俗人が学者を別段のやふに思て憎むがあまり丁寧すぎたこと。俗の目からは違った人品の様に思ふが、欲があるからは、やはり一つなことなり。今の学者も口さきは大中論孟程朱の表具でよく見へるが、中は俗なり。表具が立派だからからやふかと思へば、やっはり中は俗筆なり。胸の中に俗習の、人欲のと云をたくしこんであるから、清時は少ひ筈なり。床の間へ畑の物や苐くづを入れてあるから羽箒はつかはれぬ。欲を取ると云が存養のぎり々々なり。存養貫二者。此条は克己を目當にと云が爰のこと。欲がありては存養はならぬ。一休西行、欲や俗習はないが存養がない。あの上に存養のあるが此方の学問なり。異端は、欲は去りよい。こちは五倫のあるで習俗も欲も去りにくい。中庸は達磨の女房もちた様なもの。中庸易而難もこのこと。先生又曰、習俗云々は知見のことにも見てよし。
【解説】
「而實心未完也」の説明。「実心」は義理の心のことで、中庸の道心である。欲があるから乱れるが、それは人心が勝って道心が働かないからである。欲があれば、学者も俗人と同じであり、欲を取り除くのが存養の至極である。一休や西行に欲や俗習はないが存養がない。異端は欲を去り易い。こちらは五倫があるので習俗も欲も去り難い。そこで、「中庸易而難」なのである。
【通釈】
「実心」とは、義理の心のこと。中庸で言えば道心である。実心は利害を量ることではない筈といつもは心得ているが、何か急な場があると欲から心が発る。学者が母衣を乱すのは欲からである。その時は、やはり俗と一つになる。それは何故かと言えば、人心が勝って道心が働かないからである。そこで、俗人が学者を特別な者の様に思って憎むのはあまりに丁寧過ぎたことである。俗人の目からは違った人品の様に思われるが、欲があるからは、やはり同じなのである。今の学者も口先は大中論孟程朱の表具でよく見えるが、中は俗である。表具が立派だから唐様かと思えば、やはり中は俗筆である。胸の中に俗習や人欲というものをたくし込んであるから、清時は少い筈である。床の間へ畑の物や苐屑を入れてあるから羽箒は使えない。欲を取るというのが存養の至極である。「存養貫二者」。この条は克己を目当てにすると言ったのがここのこと。欲があれば存養はできない。一休や西行に欲や俗習はないが存養がない。あの上に存養があるのがこちらの学問である。異端は欲を去り易い。こちらは五倫があるので習俗も欲も去り難い。中庸は達磨が女房を持った様なもの。「中庸易而難」もこのこと。先生がまた、習俗云々は知見のこと見てもよいと言われた。
【語釈】
・存養貫二者…近思録序。「夫学之道在致知力行之二而存養則貫其二者也」。
・中庸易而難…中庸章句9集註。「中庸易而難。此民之所以鮮能也」。


第六十五 人又要得剛の条

人又要得剛。太柔則入於不立。亦有人生無喜怒者、則又要得剛。剛則守得定不囘、進道勇敢。載則比他人、自是勇處多。
【読み】
人は又剛なるを得るを要す。太だ柔ならば則ち立たざるに入る。亦人の生まれながらにして喜怒無き者有り、則ち又剛なるを得るを要す。剛ならば則ち守り得定まりて囘[よこしま]ならず、道に進むこと勇敢なり。載は則ち他人に比べ、自ら是れ勇なる處多し。

存羪ても克己でも強ひことてなくては仕ををせることはならぬと云で剛の字なり。学問は太極を本立てにする。太極は隂陽で片つりと云ことはないが、此条が藥の飲様と云た様なもの。医者の瀉藥の時に補のことは云ぬ。藥用のときは片々で云てつよいことなり。さて、克己は目をむき出してすること、存羪は目を眠りてすることと覚るはわるい。どちにも剛が入る。又今日は克己、翌日は存羪と云ことでもない。克己も存羪も一度にすること。存羪は補藥、克己は瀉藥の様なもの。補藥は無性に柔と覚るは了簡違なり。補にも剛かなければ補ひたてられぬ。瀉は勿論剛なり。柔則入於不立。唐も日本も今も昔も柔は多ひもの。今の世に云結搆人と云のなり。これがわるいものて、柔は物をこわさぬはつのものの様なれとも、これが却て物のこわれるもの。女は婉娩聽從、やはらかがよいとて仕込か、つまりを烈女と云てある。こふなければならぬこと。めったにやわらかがよいと云と、夫の云ことをきく次でに他人の云ことをもきけば聞そこないになる。
【解説】
「人又要得剛。太柔則入於不立」の説明。存養は補薬で克己は瀉薬の様なものであり、どちらも剛である。剛でなければ仕遂げることはできない。柔は物を壊さない様だが、却ってこれが物を壊すのである。
【通釈】
存養でも克己でも強くなければ仕遂げることはできないので「剛」の字がここにある。学問は太極を本立てにする。太極は陰陽で片吊ることはないが、この条は薬の飲み方という様なこと。医者は瀉薬を使う時に補薬のことは言わない。薬用の時は一方で言うのが剛いことになる。さて、克己は目を剥き出してすることで、存養は目を瞑ってすることだと覚るのは悪い。どちらにも剛が入る。また、今日は克己、翌日は存養ということでもない。克己も存養も一度にすること。存養は補薬、克己は瀉薬の様なもの。補薬は無性に柔らかなものだと覚えるのは了簡違いである。補薬にも剛がなければ補い切れない。瀉薬は勿論剛である。「柔則入於不立」。唐でも日本でも今も昔も柔は多いもの。それは、今の世に言う結構人というものである。これが悪いもので、柔は物を壊さない筈のものの様だが、却ってこれで物が壊れるもの。女は「婉娩聴従」で柔らかなのがよいとして仕込むが、その最後は烈女と言う。こうでなければならない。滅多矢鱈に柔らかなのがよいと言うと、夫の言うことを聞く序でに他人の言うことまでをも聞くことになって、聞き損いになる。
【語釈】
・瀉藥…下剤。
・補…補薬。衰えた精力を補うために用いる薬。
・婉娩聽從…小学内篇立教。「女子、十年不出。姆敎婉娩聽從、執麻枲、治絲繭、織紝組紃、學女事、以共衣服。觀於祭祀、納酒漿籩豆葅、醢禮相助奠」。本は礼記内則。

無喜怒者。粥のやふな男と云こと。俗に云鼠取らずなり。喜びそうなことをあまり喜もせず、怒りそうなことをも怒らぬ。藥の煎じからききそうできかぬ。そんな男もちと性根を入るるがよい。載比他人。自分なども外のものから見れば勇氣はある方と横渠の自ら云た。これが自滿と云でもわるいくせと云たでもないが、工夫の方の仕覚を云たもの。いこう学者の為になること。此章は存羪めかぬことにみへるが、勇と云で存羪にはよいこと。此勇が中庸の知仁勇の勇なり。存養に勇は入らぬ様なれとも、存羪は漬ておくことゆへ、守りがなくてはひたされぬ。守りがないと一寸々々と取上るからひたさる間がない。いつも々々々漬ておくか守りからなり。存羪を只靜坐々々と計りではゆかぬことがある。守得定でつっ立なり。
【解説】
「亦有人生無喜怒者、則又要得剛。剛則守得定不囘、進道勇敢。載則比他人、自是勇處多」の説明。ここの「勇」が中庸の「知仁勇」の勇であり、これが存養にはよい。存養は絶えず漬けて置くことなので、守りがなくてはならない。
【通釈】
「無喜怒者」。粥の様な男ということ。俗に言う鼠取らずである。喜びそうなことをあまり喜もせず、怒りそうなことをも怒らない。薬の煎じ方からして効きそうで効かない。そんな男も少々性根を入れるのがよい。「載比他人」。自分なども外の者から見れば勇気のある方だと横渠が自ら言った。これが自慢ということでも悪い癖ということでもないが、工夫の方で仕覚えたことを言ったもの。これが大層学者のためになる。この章は存養めかないことに見えるが、「勇」と言うので存養にはよい。この勇が中庸の「知仁勇」の勇である。存養に勇は要らない様だが、存養は漬けて置くことなので、守りがなくては浸すことができない。守りがないと一寸々々と取り上げるから浸される間がない。いつも漬けて置くのは守りから成る。存養はただ静座と言うばかりではうまく行かないことがある。「守得定」でしっかりと立つのである。
【語釈】
・中庸の知仁勇…中庸章句20。「知・仁・勇三者、天下之達德也」。


第六十六 戯謔不惟害事の条

戲謔不惟害事、志亦爲氣所流。不戲謔、亦是持氣之一端。
【読み】
戲謔は惟[ただ]に事を害すのみならず、志も亦氣の流す所と爲る。戲謔せざるは、亦是れ氣を持する一端なり。
【補足】
・この条は、経学理屈三の学大原上篇にある。

をどけと云ことは天地自然なあるべき筈のものとはちごふ。だたいないことなり。理は、木は木、金は金と云こと。をどけは木を木と云はず、金を金と云はずに人の心に乘る様にすること。理巧でなくては云れぬこと。理の助けをもするが、上から咎めはなしとても、きっとしたときには云れぬこと。元日御城でをどけたものはない。衛の武公を云た詩にも善戯謔不為虐と云てもある。孔子も先言者戯耳とも云れた。一寸したことはいこふわるいと云ことでもないが、をどけと云も巧んですることゆへわるいことなり。どふも云ぬことぞ。ようない証拠は急度した処では出ぬもの。心安ひ友達でも昏礼の座鋪でをどけは云れぬ。旅立の暇乞に死でこいとは云れぬ。為氣所流。をどけもわるいと計りは云れぬ。家内のぶつくさするよりよい様なれども、氣にひかれて是からわるくなる。本になろふかも知れぬ。そこでせぬことぞ。志は不埒はせぬもの。をどけはゆたんのならぬもの。人の女房にをどける次でについ不埒の本にもなる。然ればをどけはこわいもの。ゆるかせにはならぬこと。
【解説】
「戲謔不惟害事、志亦爲氣所流」の説明。戯けは本来あるべきことではなく、悪いものである。その証拠には、厳粛な場ではそれが出ない。戯けによって気に引かれることになり、それから不埒なことにもなりかねない。
【通釈】
戯けは天地自然にあるべき筈のものとは違い、そもそもないことである。理は、木は木、金は金ということ。戯けは木を木と言わず、金を金と言わずに人の心に乗る様にすること。理巧でなくては言えないことで理の助けをもするが、それが上から咎めがないとしても、厳粛な時には言えないこと。元日御城で戯けた者はいない。衛の武公を言った詩にも「善戯謔不為虐」とある。孔子も「前言戯之耳」と言われた。一寸したことは大層悪いというのでもないが、戯けというのも企んですることなので悪いことであり、どうも言ってはならないこと。よくない証拠には、厳粛な処では出ないもの。心安い友達でも婚礼の座敷で戯けは言えない。旅立の暇乞いに死んで来いとは言えない。「為気所流」。戯けも悪いとばかりは言えず、家内がぶつくさするよりはその方がよい様だが、気に引かれてここから悪くなり、それで本当のことになるかも知れない。そこで、戯けをしてはならない。志は不埒はしないもの。戯けは油断のならないもの。人の女房に戯ける序でに、それがつい不埒の本にもなる。そこで戯けは怖いもの。ゆるがせにすることはできない。
【語釈】
・善戯謔不為虐…詩経国風淇奧。「善戲謔兮、不爲虐兮」。
・先言者戯耳…論語陽貨4。「子曰、二三子、偃之言是也。前言戲之耳」。

持氣一端。をどけをせぬで持氣がなる。しっかり々々々々としてゆくでよい。そんなら学問と云は笑もせぬものかと云に、をどけでなくとも笑ふことはあるもの。をどけは手のこんたもの。それでわるい。能の狂言や堺町は手のこんだをとけなれとも、これから何とさし定てあるから此方の心持次第であまり氣もうかぬもの。学者か此方からをどけを云となれば、をどけた跡に氣がうく。氣は正大流行なものを浮ひただけ流行にくさりがつく。そこから不孝不忠へくさりゆく。氣の流行をとどめるでわるい。三宅先生の生腰坐と云が氣を持つのことなり。若ひ時、若者同士をどけて背後からわっと云るるとびっくりする。びっくりだけ羪にならぬ。横渠の若い時にをどけはかまいはないことと思れたが、晩年いこふわるいこととして此章なり。東銘もをとけを戒たこと。同しことなれとも、爰は持氣の字のあるだけちごう。整齊嚴肅麻上下ですり足でをどけは云れぬもの。をどけを云ぬが持氣の一端なり。
【解説】
「不戲謔、亦是持氣之一端」の説明。戯けをしないことで気を持することができる。戯けは気の流行を止めるので悪い。
【通釈】
「持気一端」。戯けをしないので持気が成る。しっかりとして行くのでよい。それなら学問とは笑いもしないものかと言えば、戯けでなくても笑うことはあるもの。戯けは手の込んだもの。それで悪い。能の狂言や堺町は手の込んだ戯けだが、これから何とさし定まっているから自分の方の心持ち次第であまり気も浮かないもの。学者が自分から戯けを言うのであれば、戯けた後に気が浮く。気は正大流行なものなものだが、浮いただけ流行が腐り、そこから不孝不忠が腐って行く。気の流行を止めるので悪い。三宅先生が「生腰座」と言うのが気を持つこと。若い時、若者同士が戯けていて、背後からわっと言われるとびっくりとする。そのびっくりとするだけ養にはならない。横渠は、若い時には戯けを言っても構わないと思われていたが、晩年は大層悪いことだと考えてこの章を作った。東銘も戯けを戒めたことで、ここと同じことではあるが、ここは持気の字があるだけ違う。整斉厳粛麻裃に摺り足で戯けは言えないもの。戯けを言わないのが持気の一端である。
【語釈】
・生腰坐…