第六十七 正心之始の条  寛政三年辛亥正月六日
【語釈】
・寛政三年辛亥…1791年。

正心之始、當以己心爲嚴師。凡所動作、則知所懼。如此一二年、守得牢固、則自然心正矣。
【読み】
心を正す始めは、當に己の心を以て嚴師と爲すべし。凡そ動作する所は、則ち懼るる所を知らん。此の如きこと一二年にして、守り得て牢固ならば、則ち自然に心正しからん。
【補足】
・この条は、経学理屈三の学大原上篇にある。

この章、存羪の内であらい功夫なり。其あらい功夫か大ふ受用になる。この正心を大学の正心のやふに重くして取はわるい。心が先、取をさめにくいもの。其取をさめにくいものに手始の功夫がある。心か取をさめにくいものと云て置と、とる手方角はない。そこをこの之始なり。以己心為嚴師。これか横渠の覚あること。心でに師匠にするがよいと示すが妙な手段なり。我心て我心を師にする。友とは違い、師は嚴ゆへ嚴師と云。一心と云へば心は一なれとも、善をする心あり、又悪をする心も出る。そこを、心を嚴師として功夫すると我心でわが手にこわくなる。そこゆへ何事もたしなむが嚴師とした所なり。さかつきにむかへばかわる心かな。たしなみないゆへのこと。どうしても呑ぬと云がある。それは心を嚴師とするゆへなり。徒然にわかこころさへたのみかたし、と。そこで嚴師と云。人が平生登戸舩や行德舟にのるか、ついにをちぬは心が嚴師ゆへなり。可笑い咄なれとも、小児や極老の者か小水を漏すは嚴師のぬけたのなり。大人は守かよいゆへそんな麁相はない。そこが嚴師。
【解説】
「正心之始、當以己心爲嚴師」の説明。この条は工夫を粗く言ったことで、ここを大学の正心の様に重く取り扱うのは悪い。正心は自分の心を師とすることから始まる。自分の心を師とすれば、自分のしていることが怖くなり、何事も嗜む様になる。
【通釈】
この章は、存養の中にあっては粗い功夫を言ったこと。その粗い功夫が大分受用になる。この「正心」を大学の正心の様に重く取り扱うのは悪い。心とは先ず、取り納め難いもの。その取り納め難いものに手始めとなる功夫がある。心は取り納め難いものと言って置くと、手の下しようはない。そこをこの「之始」である。「以己心為厳師」。これが横渠に覚えのあること。心なのにそれを師匠にするのがよいと示すのは妙な手段である。自分の心で自分の心を師にする。友とは違い、師は厳なので厳師と言う。一心と言うからは心は一つであるが、善をする心があり、また、悪をする心も出る。そこを、心を厳師として功夫すると自分の心で自分の手に怖くなる。そこで何事も嗜むと言うのが厳師とした所である。盃に向かえば変わる心かな。それは嗜みがないからである。どうしても呑まないと言うことがあるが、それは心を厳師とするからである。徒然草に、我が心さえ頼み難しとある。そこで厳師と言う。人が平生登戸舟や行徳舟に乗っても最後まで落ちないのは心が厳師だからである。可笑しい話だが、小児や極老の者が小水を漏らすのは厳師が抜けたからであって、大人は守りがよいのでその様な粗相はしない。そこが厳師なのである。
【語釈】
・わかこころさへたのみかたし…

何にたとへてもそうて、女が白無垢へ火のしをかけるか焦さぬ。あれも心に厳師あるゆへなれとも、それに我に守なく、向次第にするとしそこのふ。只今云あらい功夫と云がそれなり。心を嚴師にせぬと、手前のことがらりになる。小児は厳師ないゆへすててをくと焼米をも腹のさけるほと食ふ。大人はよきほど喰ふ。そこで、嚴師があると身がをさまる。この章の妙旨は、輕いことて心の取をさめがてんすへし。農家や町家ても頼母子とやらをする。あれを知ぬものか只きいたら人に貰ふと思をふが、我金を出して取のなり。又人へ金をあつけてそちへ置てくれろと云も、鼻の先へ置と使ふゆへなり。そちへをいてくれろ、我持てをれは使からと云は、必竟我に厳師ないゆへなり。そふせぬと皆我が簞笥へ入れてすむこと。だたい心の修練がよければ、そふじて甘口をどけたことはないはずのこと。今日寺まいりに出てつい悪所へよった、と。斯ふして見れは、見るは目の毒と云もとど嚴師ないゆへなり。他人難頼がそこなり。孔孟がついて居ても、どふもならぬ。我心のことなり。
【解説】
相手の通りにすると仕損なう。頼母子講も厳師がないからするのであり、金を使わないと決めればそれでよい筈である。これは自分の心のことであり、他人には頼み難いことなのである。
【通釈】
何にたとえてもそうで、女が白無垢へ火熨斗をかけるが焦がさない。あれも心に厳師があるからだが、そこで自分に守りがなく、向こう次第にすると仕損なう。只今言った粗い功夫というのがそれである。心を厳師にしなければ、自分が乱離になる。小児には厳師がないので放って置くと焼米をも腹の裂けるほど食う。大人はほどよく喰う。そこで、厳師があると身が治まる。この章の妙旨は、軽いことによって心の取り納めを合点すること。農家や町家でも頼母子とやらをする。あれを知らない者がただ聞いたら人に貰うと思うだろうが、自分の金を出して取るのである。また、人へ金を預けて、そちらに置いてくれと言うのも、鼻の先へ置くと使ってしまうからである。そちらへ置いてくれ、自分が持っていれば使うからと言うのは、畢竟自分に厳師がないからである。使わないと厳に決め、自分の箪笥へ皆入れれば済むこと。そもそも心の修練がよければ、総じて巧言や戯けたことはない筈。今日寺参りに出てつい悪所へ寄ったと言う。こうして見れば、見るは目の毒というのも結局は厳師がないからである。他人頼み難しがそのこと。孔孟が付いていても、どうにもならない。これは自分の心のことなのである。
【語釈】
・火のし…火熨斗。底のなめらかな金属製の器具で、中に炭火を入れ、その熱気を利用し、底を布に押し当ててしわをのばすもの。

凡所動作則知所懼云々。事をする上のこと。爰へ持て来て、詩書に多く懼れる筋のあるも、平生戦々兢々として納戸や庭へ出るにも懼れると怪我はない。人の恠我すまじき処でするもの。臼井や函根では結句せぬ。わるくすると本町や石町でそれがあること。某抔の身分て云へは、御城なとへ出るとあたまからこわいが、御番衆などは平生なれてそふもあるまいか、然れとも、出御前御目附の吃々と云と皆しまって如何なるををちゃくものでも懼れる。學者は我心を御目付とみて我手に吃々と云と、心かはり弓のやふになる。人が物毎をそれぬから仕くじる。某など酒呑む人の吐血を見ても、此方の酒は別と思ふは油断大歒なり。夫を恐れぬが、どこぞて跡つきをする。朱子の漏舩や焼る舩に居るやふなと云。それは本とないことなれとも、其如く懼れることなり。正心之始が大学や中庸の意なれとも、厳師とあらく見せて、初馬の内はそふあらく功夫せよと云こと。どふか荘子が云そふなことなれとも、この手段か大ふ妙旨なり。
【解説】
「凡所動作、則知所懼」の説明。詩書にも懼れることが多くあるが、いつも懼れていれば怪我はない。人は物事を懼れないから失敗する。
【通釈】
「凡所動作則知所懼云々」。これは事をする上でのこと。ここへこれを持って来たのも、詩書に多く懼れる筋のことがあり、平生戦戦兢兢として納戸や庭へ出る際にも懼れていれば怪我がないからである。人は怪我をしなそうな処で怪我をするもの。碓氷峠や箱根では却って怪我はなく、悪くすると本町や石町で怪我をする。私などの身分で言えば、御城などへ出ると最初から懼れるが、御番衆などは平生慣れているので懼れもないだろう。しかし、出御の前に御目付が吃々と言うと皆引き締まり、どの様な横着者でも懼れる。学者は自分の心を御目付と見て自分の手に吃々と言えば、心が張り弓の様になる。人は物事を懼れないから失敗する。私などは、酒を呑む人の吐血を見ても自分の酒は別だと思うが、油断大敵である。それを恐れないと、いつかはその跡を継ぐ様なことになる。朱子が漏れ舟や焼ける舟にいる様なことだと言った。それは本来ないことだが、その様に懼れるのである。「正心之始」は大学や中庸の意だが、ここは厳師と粗く見せ、初心の内はその様に粗く功夫しなさいということ。どうもこれは荘子が言いそうなことだが、この手段が大きな妙旨なのである。

如此一二年守得云々。守得を之始へあてて云。我胷のことは親も女房も知らぬか、厳師とするで心が正くなる。自然心正矣は效を云て、これが今日大手廣げてはゆかぬが、一二年そふしたら自然に正くなろふ。存羪は自然でなければゆかぬ。藥にも解毒のよふなものは一と口で虫がぐふと云。地黄などはいつきくか知れぬか、自然にきくがそこなり。功夫するうちにいつか心か正くなる。この章は學者の心もちよくなることと思ふべし。中庸の戒懼、初学のどこからかかろふか知れぬ。この章は外の師は入らぬ。我心をつかまへた処かありて效をきくで、学者のはり合がある。どちしても書物よみとは違ふ。書物は知をみがく入口なれとも、それてはつれば、書は書、我は我なり。藥箱や酒樽のそばに居るやふなもの。此ような功夫を直にするで知致をすれは致知にははが行き、克己をすれば克己にはかか行く。存養は貫其二かこんなことなり。
【解説】
「如此一二年、守得牢固、則自然心正矣」の説明。存養は自然でなければうまく行かず、功夫をする内にいつしか心が正しくなる。書物を読むにしても、厳師を守らなければ書と心とが分かれたものになる。
【通釈】
「如此一二年守得云々」。「守得」を「之始」へ当てて言う。自分の胸のことは親にも女房にもわからないが、厳師とするので心が正くなる。「自然心正矣」は効を言ったことで、これは今日大手を広げて行けることではないが、一二年の間、その様にすれば自然に正くなるだろう。存養は自然でなければうまく行かない。薬でも解毒の様なものは一口で虫に効く。しかし、地黄などはいつ効くのかわからないが、自然に効くのがそこのこと。功夫をする内にいつしか心が正しくなる。この章は学者の心持ちがよくなることだと思いなさい。中庸の「戒懼」は、初学の者にはどこから取り掛かればよいかわからない。この章では外の師は要らない。自分の心を掴まえることから効が出るので学者の張り合いとなる。どちらにしても書物読みとは違う。書物は知を研く入口だが、それから離れれば、書は書、自分は自分となる。それは薬箱や酒樽の側にいる様なもの。この様な功夫を直にするので、知を致せば致知が捗り、克己をすれば克己が捗る。「存養貫其二」がこの様なことである。
【語釈】
・戒懼…中庸章句1。「君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞」。
・存養は貫其二…近思録序。「夫学之道在致知力行之二而存養則貫其二者也」。

なんでも之始が面白ひ。この方角ないと、どうもかかりよふはない。當年身上持直そふと思はば、雜煮食ふときからのこと。存羪は心の身上を持直すこと。今日一日はゆるせではない。之始へ番人を附るゆへ、少しでも見のがさぬ。人間は万能一心、心に帰着する。この手初の工夫を年始に講するは目出度こと。幸い今日開講にあたりた。直方先生雅樂矦で正月の開講憲問耻の章に當り、時に列席の上に或る諸矦の言はるるに、今日は年始の會なれば何ぞ目出度章を聞たいとなり。直方先生曰、この章ほと目出度いことはない。耻を知れは國が治り、耻を知ら子は國が乱る。天下の興廃皆耻を知ると知らさるとにあり、と。これが直方先生の頓知で云たことでなし。誠にそふて、耻が國家にかかることなり。其時の講方と云はやはり伊川幼君の講筵で顔樂の章をよまるるに聽者人君に切ならんと思たれは、顔子の一簞一瓢陋巷に置たは魯に賢君のないゆへと説をさめり。正月を祝して萬歳の来るよりは嚴師の来るが常若に御萬歳なり。
【解説】
「始」は、今思った時のことで、今から始めなければならない。年始にこの条を講じたが、それは目出度いこと。直方も憲問の恥の章を年始に講じたが、それは伊川が幼君の講筵で顔楽の章を読まれた意と同じである。
【通釈】
何としても「之始」が面白い。この方角がないと、どうも取っ掛かり様がない。今年は身上を持ち直そうと思えば、雑煮を食う時からのこと。存養は心の身上を持ち直すこと。今日一日だけは許せと言ってはならない。之始へ番人を付けるので、少しのことでも見逃さない。人間は万能一心で、心に帰着する。この手始めの工夫を年始に講じるのは目出度いこと。幸い今日の開講にこれが当たった。直方先生が雅楽侯の所で正月の開講の時、憲問の恥の章に当たり、時に列席にいた或る諸侯が、今日は年始の会なので何か目出度い章を聞きたいと言われた。そこで直方先生が、この章ほど目出度いことはない。恥を知れば国が治まり、恥を知らなければ国が乱れる。天下の興廃は皆恥を知るか知らないかにあると言われた。これは直方先生が頓知で言ったことではない。誠にその通りで、恥は国家に関わることである。その時の講方というのが、やはり伊川が幼君の講筵で顔楽の章を読まれる際に、聴く者がそれは人君に切ではないと思ったので、顔子の一簞一瓢陋巷に置いたのは魯に賢君がいないからであると説き納めたのと同じである。正月を祝して万歳が来るよりは厳師が来る方が常若に御万歳である。
【語釈】
・雅樂矦…
・憲問耻の章…論語憲問29。「子曰、君子恥其言、而過其行」。
・顔樂の章…論語雍也9。「子曰、賢哉囘也。一簞食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。囘也不改其樂。賢哉囘也」。

心に嚴師をつけ子ば目出度はない。桀紂は心が中風してこの嚴師がないゆへ天下を失った。よしや足腰たたずとも、心が中風せぬと國家は治まる。海老をかさりて白髪になる迠と祝ふても、心が治ら子ば安堵はならぬ。人が外から来るものをいやがり、傷寒いやと云て明日は松の郷牛頭天王へかけ出す。本所のものが水をいやと云て本町へかけ出す。又、火事かいやと云て田舎へ引こむが、心へ火のまわり、心へ大水の来るを知ぬ。迂斎曰、武家が遠嶋改易になりても武運長久札はのこってあるとなり。然れは外からのことではなく、皆我心のこと。この正心之始か、今日の會始には大ふよいことなり。斯ふとけば素人をさとすやふなれとも、只うか々々千万巻書を読む人かやくにたたぬ。この存羪なればこそ辱い。博識じゃの詩文が上手じゃのと云は皆心かわるくなる。学問の功ここへきまりて、心の手入のことなり。漢唐を絶学の夢をとくのと云も、心へ氣のつかぬゆへのこと。この功夫、あらくて手始になる。それから一二年守得云々と効を系り、これほど功能あるに、ここへのりのつかぬは上皮の学問なり。
【解説】
桀紂は厳師がなかったので天下を失った。心が治まらなければ安堵はなく、全ては自分の心の問題なのである。学問の功は心の手入れにあるのであって、これに気が付かないのは上っ面の学問である。
【通釈】
心に厳師を付けなければ目出度くはない。桀紂は心が中風を病み、この厳師がなくて天下を失った。たとえ足腰が立たなくても、心が中風にならなければ国家は治まる。海老を飾って白髪になるまでと祝っても、心が治らなければ安堵はならない。人が外から来るものを嫌がり、傷寒は嫌だと言って明日には松の郷の牛頭天王へ駆け出す。本所の者が水を嫌だと言って本町へ駆け出す。また、火事が嫌だと言って田舎へ引き込むが、心へ火が回り、心へ大水が来るのを知らない。迂斎が、武家が遠島や改易になっても武運長久札は残っていると言った。そこで、全ては外からのことではなく、自分の心のこと。この「正心之始」が、今日の会始めには大層よいことである。この様に説けば素人を諭す様だが、ただうかうかと千万巻書を読む人は役に立たない。この存養があればこそ人は忝い。博識だの、詩文が上手だのと言うのは皆心が悪くなること。学問の功はここへ決まるのであり、それは心の手入れのことである。漢唐を絶学の夢を説くと言うのも、心へ気が付かないからである。この功夫は粗くて手始めになる。それから「一二年守得云々」と効を繋けた。これほど功能があるのに、ここへ気が付かないのは上っ面の学問である。
【語釈】
・漢唐を絶学の夢をとく…朱子語類51。「漢唐諸人説義理、只與説夢相似、至程先生兄弟方始説得分明。唐人只有退之説得近旁、然也只似説夢」。同93。「今看來漢唐以下諸儒説道理見在史策者、便直是説夢」。


第六十八 定然後始有光明の条

定然後始有光明。若常移易不定、何求光明。易大抵以艮爲止。止乃光明。故大學定而至於能慮。人心多則無由光明。
【読み】
定まりて然して後に始めて光明有り。若し常に移易して定まらずんば、何ぞ光明を求めん。易は大抵艮を以て止と爲す。止まれば乃ち光明あり。故に大學は定まるよりして能く慮るに至る。人心多くば則ち光明あるに由無し。
【補足】
・この条は、易説上篇の大畜にある。

先、大学に明德とある。明な德と云こと。孟子に性善、中庸に德性と云が明なものをさして云て、人の御朱印なり。人が其表德号計り聞て一人も明でない。そこをなせにと難を入れて見べし。人々昏い底でなぜ明德でないと問をかけたとき、平生ものに取られ、それからそれへうつり、昨日の風のやふにそわ々々して明な間かない。そこでこの章、明でない訳を云。それは定らぬ故なり。易大畜の卦の説なり。山天大蓄。天ほどめくりても、山の動ぬで靜まることあり。迂斎、山ほと定るものなしとも。大地震ても駿河の冨士が遠州と入かわらぬ。易で定るものに艮をのけてある。動かぬて光明が出る。五十匁掛の蝋燭も風吹に置ては五十匁掛の光がない。止乃光明は、風を防くにぼんぼりかけるが定た底なり。そこて五十匁掛の明りと云。人の明德も外物に馳せるゆへ明かない。今日発明な人も身の上のことにかれこれあくせくするゆへ、明な姿かない。深艸元政か、身を思ふ事業に足を空になすと云も、皆人欲にはせて眞暗でをる。深艸の少将が九十九夜も光明はない。それから身上かせく人も、奉公精出して立身かせぐ人も光明はない。人間のなりは光明に止まれは光明がある。かの五十匁掛へぼんぼりなり。
【解説】
人が明でないのは定まっていないからである。山は動かずに静まっている。その様に動かなければ光明が出る。外物に馳せると光明はない。
【通釈】
先ず、大学に明徳とある。それは明らかな徳ということ。孟子に性善、中庸に徳性とあるのが明らかなものを指して言ったことで、それが人の御朱印である。人はその表徳号を聞くばかりであって、一人も明な者はいない。そこを何故かと問題にして見なさい。人々は昏い姿であって、何故明徳ではないのかと問いをかけた時、平生物に取られ、それからそれへと移り、昨日の風の様にそわそわとして明な間がない。そこでこの章は、明でない訳を述べる。それは定まらないからであり、これが易大畜の卦の説である。山天大畜。天ほど巡るものでも、山が動かないので静まることがある。迂斎が、山ほど定まるものはないとも言った。大地震でも駿河の富士が遠州と入れ替わることはない。易で定まるものに艮を載せてある。動かないので光明が出る。五十匁掛の蝋燭も風の吹くところに置いては五十匁掛の光がない。「止乃光明」は、風を防ぐには雪洞を掛けるのが定まった姿ということ。そこで五十匁掛の明りと言う。人の明徳も外物に馳せるので明がない。今日発明な人も身の上のことにかれこれとあくせくするので明な姿がない。深草元政が、身を思う事業に足を空になすと言うのも、皆人欲に馳せて真っ暗でいること。深草の少将の九十九夜も光明はない。それから身上を稼ぐ人にも、奉公に精を出して立身を稼ぐ人にも光明はない。人間の姿は、光明に止まれば光明がある。あの五十匁掛に雪洞である。
【語釈】
・中庸に德性…中庸章句27。「君子尊德性而道問學、致廣大而盡精微、極高明而道中庸。温故而知新、敦厚以崇禮」。
・表德号…雅号。別号。あだな。
・易大畜の卦…易経乾下艮上大畜。山天大畜(畜は蓄ともある)。「彖曰、大畜、剛健篤實輝光、日新其德。剛上而尚賢。能止健、大正也。不家食吉、養賢也。利渉大川、應乎矣天也。象曰、天在山中大畜。君子以多識前言往行、以畜其德」。
・艮…易経艮下艮上艮。艮爲山。「彖曰、艮、止也。時止則止、時行則行、動靜不失其時、其道光明。艮其止、止其所也。上下敵應、不相與也。是以不獲其身、行其庭不見其人、无咎也」。
・深艸元政…日蓮宗の僧侶。能書家。元和9年(1623)~寛文8年(1668)
・足を空に…足が地に着かないほど、あわてて落ち着かないさま。
・深艸の少将が九十九夜…深草の少将は、小野小町のもとに九十九夜通ったという伝説上の悲恋の人物。

何求光明。学者は光明を求めるがよいが、求めよふかある。求は、大学三綱領の上の明の字と同意。達磨が坐禪も光明にならふとてのこと。瓦の奉加のやふにあくせくはせぬ。あちでも定慧圓明と云。天地の間全躰理一ゆへ佛もすこしは似たことあり。そふなふて程門の歴々が惑ふはづはない。直方先生、操存を先き、精義を後にするも、鞭策録の次第もあたまから光明にせふではない。止るところに光明はある。佛の方は定か慧を生すると云ても入定する。こちは定て明になると云から平天下迠をする。しづまったる大將と云は靜から軍に勝つ。大將に靜か面白ひ。隠居所で引込でをるは靜ぎりなり。此方は靜から先の仕事がある。垩人の定むは雲泥の違ひなり。故大学定而至於能慮。定て慮があるは、医者一度脉を見て最ふ一へん取なをす。我か落付すによい醫案は出ぬはづ。定てからよい了簡もある。火事のときも定ると老人や児ともにも怪我はさせぬ。そふないと柱へあたま立つけて辷へる。定が本て慮るなり。人心多則無由光明。人心道心の人心と見ることでない。人の心と讀たいほどのこと。胷へさま々々うくを多いと云。只今俗か心の多い人と云は商賣なとをさま々々かへる人を云か、其たてのことでもない。蘇季明問答の思慮多しと同じこと。講釈しなからも餘のこと思ふと精彩はないはずなり。專一にそれへ定ると光明になる。
【解説】
聖学は光明を求めた上にすることがある。静かなだけでは悪く、その先には平天下がある。また、定まった上で慮る。しかし、思慮が多いと光明は出ない。そこで、専一に定むるのである。
【通釈】
「何求光明」。学者は光明を求めるとよいが、それには求め方がある。求は、大学三綱領の明明徳の上にある明の字と同意。達磨の座禅も光明になろうとしてのことだが、そこでは瓦の奉加の様にあくせくとはしない。あちらでも定慧圓明と言う。天地の間は全体が理一なので、仏にも少しは似たことがある。そうでなくては程門の歴々が惑う筈はない。直方先生が操存を先にして精義を後にするのも、鞭策録の次第も最初から光明にしようとしたわけではない。止まるところに光明はある。仏の方は定が慧を生じると言っても入定をする。こちらは定で明になるところから平天下までをする。静まった大将とは静だから軍に勝つ。大将に静かと言うのが面白い。隠居所で引き込んでいるのは静かなだけ。こちらには静から先の仕事がある。聖人の定むるのは彼等とは雲泥の違いである。「故大学定而至於能慮」。定まって慮りがあるとは、医者が一度脈を見てもう一回脈を取り直すこと。自分が落ち着かなければよい医案は出ない筈。定まることからよい了簡もある。火事の時も定まると老人や子供にも怪我はさせない。そうでないと柱へ頭を打ち付けて滑る。定が元になって慮るのである。「人心多則無由光明」。ここは人心道心の人心と見てはならない。人の心と読みたいほどのこと。様々に胸へ浮かぶことが多いと言う。只今俗人が心の多い人と言うのは商売などを様々と変える人を言うが、その様なことでもない。蘇季明問答にある思慮多しと同じこと。講釈をしながらも他のことを思えば精彩はない筈。専一にそれへ定まると光明になる。
【語釈】
・定慧圓明…
・蘇季明問答の思慮多し…存養52。「季明曰、昞嘗患思慮不定。或思一事未了、他事如麻又生」。


第六十九 動靜不失其時の条

動靜不失其時、其道光明。學者必時其動靜、則其道乃不蔽昧而明白。今人從學之久、不見進長、正以莫識動靜。見他人擾擾、非關己事、而所脩亦廢。由聖學觀之、冥冥悠悠。以是終身、謂之光明可乎。
【読み】
動靜其の時を失わずんば、其の道光明なり。學者は必ず其の動靜を時とせば、則ち其の道乃ち蔽昧せずして明白なり。今の人學に從うこと久しきも、進長を見ざるは、正に動靜を識ること莫きを以てなり。他人の擾擾たる、己に關する事に非ざるを見て、脩むる所も亦廢す。聖學より之を觀るに、冥冥悠悠たり。是を以て身を終う、之を光明なりと謂いて可ならんや。
【補足】
・この条は、易説中篇の艮卦彖伝にある。

やはり上の段と同意。動靜不失其時。すくに孔子の語に本ついて、艮の彖に時止則止時行不失其時と云から系けり。必竟、山は止るの縁なれば死物を云でなし。石や立臼石燈篭はあれきり。止るは、道理の処をしん木にしてしっとしてをる。道理へ止りてわるい方へ動ぬを云。天地も山は靜、川は動。すくに動靜か人のはたらき。動も靜も理なりにして時を失ぬと光明になる。理にそむくは皆間ぬけなり。親に孝、君に忠。丁どにあたり、それから萬端のことが道理の外へ手足を出さす理なりゆへ時を失はぬ。中庸の時に中すも道理なりゆへ恰好になる。夜は戸をしめ、昼はあける。夜は寐て、昼はをきる。盗人は夜るあけて出るが、それは天地にないこと。其夜は寐、朝は起て時なりにする。無適無莫が動靜を失ぬのなり。道理なりに止って光明でなければ三才と云はれぬ。道にそむいて光明の沙汰はない。
【解説】
「動靜不失其時、其道光明」の説明。ここは孔子の艮の卦を引用して言ったことで、止まるとは、道理の処を真木にしてじっとしていることで、道理へ止まって悪い方へ動かないことを言う。動も静も理の通りにして時を失わなければ光明になる。道に背けば光明の沙汰はない。
【通釈】
やはり上の条と同意である。「動静不失其時」。直に孔子の語に基づいて、艮の彖に「時止則止時行不失其時」とあるところから繋けた。畢竟、山は止まることに縁があるから死物として言うものではない。石や立臼石灯籠はあれだけのこと。止まるとは、道理の処を真木にしてじっとしていることで、道理へ止まって悪い方へ動かないことを言う。天地も山は静で、川は動。直にこの動静が人の働きである。動も静も理の通りにして時を失わなければ光明になる。理に背くのは皆間抜けである。親に孝、君に忠。丁度のところに当たり、それから万般のことが道理の外へ手足を出さず、理の通りなので時を失わない。中庸の「時中」も道理の通りなので恰好なものとなる。夜は戸を閉め、昼は開ける。夜は寝て、昼は起きる。盗人は夜に開けて出るが、それは天地にないこと。夜は寝、朝は起き、時に従ってする。「無適無莫」が動静を失わないということ。道理の通りに止まって光明となる。そうでなければ三才と言うことはできない。道に背けば光明の沙汰はない。
【語釈】
・艮の彖…易経艮卦彖伝。「彖曰、艮、止也。時止則止、時行則行、動靜不失其時、其道光明。艮其止、止其所也。上下敵應、不相與也。是以不獲其身、行其庭不見其人、无咎也」。
・時に中す…中庸章句2。「仲尼曰、君子中庸、小人反中庸。君子之中庸也、君子而時中。小人之中庸也、小人而無忌憚也」。
・無適無莫…論語里仁10。「子曰、君子之於天下也、無適也。無莫也。義之與比」。
・三才…易経説卦伝2。「昔者聖人之作易也、將以順性命之理。是以立天之道、曰陰與陽。立地之道、曰柔與剛。立人之道、曰仁與義。兼三才而兩之」。

學者必時其動靜。学者が艮の卦を我ものにすることなり。たた艮卦の卦体をみるはかりなればやくにたたぬ。あれから動靜を時にする。易も子ともの訓蒙圖彙のやふなことではやくにたたぬ。垩人天地を合散して、艮は山、坎は水と云て、赤本のこれか牛、これが馬と云やふなことでなし。学者は艮の体を見て孔孟の時止則止時行則行と云からは、人のふるまいを艮の通りにすべきことなり。天地日が暮ると戸を立るに、出好きは七十致事と云ても、竹の内のすく子ほとの年てもやはりあくせくする。引込すきは最ふ忰が十五になるとはやゆづると云て、隠居所へ遁る。時動靜をと云は出好き引込すきはない。艮の通りにする。垩之時と云も理なりをすること。孔子流と云はなし。天理の通りゆへ、不蔽昧なり。只今学者經済めき、或隠者めき、道の外に得手を云て私はと寸志を云か、道理なりかよい。得手方は蔽昧する。君子の事をするは、言へはをれは何か知らぬと云よふなもの。理なりを私はと云はぬ。秤りものさしをそこへ投出すなり。私は八寸有ると思ふとは云はぬ。五匁あろふと存するとも云はぬ。秤を出すが明白て大ふらくなこと。石原先生の太極圖説話しせられて、さて々々氣散なこととなり。異端は本来の面目をたつ子、覇者は拔かぬ太刀の高名をやる。皆蔽昧なり。
【解説】
「學者必時其動靜、則其道乃不蔽昧而明白」の説明。ただ艮の卦の形を見ているだけでは役に立たず、艮の通りに振舞わなければならない。「時動静」は得手をすることではなく、道理の通りにすること。理の通りであれば私意は出ない。理という秤や物差しを使えば明白で楽である。
【通釈】
「学者必時其動静」。これは、学者が艮の卦を自分のものにすることである。ただ艮卦の卦体を見ているだけであれば役には立たない。あれから動静を時にする。易も子供の訓蒙図彙の様なことでは役に立たない。聖人が天地を合散して、艮は山、坎は水と言ったが、それは赤本にこれが牛、これが馬とある様なことではない。艮の体を見て孔孟が「時止則止時行則行」と言ったのだから、学者は人としての振舞いを艮の通りにしなければならないのである。天地日が暮れると戸を立てるのに、出好きは「七十致事」といっても、武内宿禰ほどの年でもやはりあくせくする。引っ込み好きは、もう忰が十五になると早くも譲ると言って、隠居所へ遁れる。「時動静」に出好き引っ込み好きはない。それは艮の通りにすること。「聖之時」と言うのも理の通りをすることで、それは孔子流と言うことではない。天理の通りなので、「不蔽昧」である。只今の学者は経済めき、或いは隠者めき、道の外に得手を言って私はと寸志を言うが、道理の通りなのがよい。得手方をするのは蔽昧である。君子が事をする時は、たとえば俺は何なのかは知らないという様なもの。理の通りを私はと言わない。秤や物差しをそこへ投げ出すのである。私は八寸あると思うとは言わない。五匁あると思うとも言わない。秤を出すのが明白であり、大いに楽なこと。石原先生が太極図説の話をされた時に、実に気散じなことだと言った。異端は本来の面目を尋ね、覇者は抜かぬ太刀の高名をする。それ等は皆蔽昧である。
【語釈】
・訓蒙圖彙…子供に教える書?
・赤本…赤色を主とした極彩色の表紙の少年向き講談本。
・七十致事…礼記曲礼上。「大夫七十而致事」。致事は官職を辞すること。
・竹の内のすく子…武内宿禰。大和朝廷の初期に活躍したという伝承上の人物。
・垩之時…孟子万章章句下1。「孟子曰、伯夷、聖之清者也。伊尹、聖之任者也。柳下惠、聖之和者也。孔子、聖之時者也」。

今人從学之久云々。素人は学問せ子ば昔の顔と云もきこへたこと。從学と云から艸鞋はいて一つ処に居る。利かぬ藥をのんで具足の上から灸をする様なものなり。不見進長は身のふるまいを知らぬゆへのこと。動靜の理なりにすると向へはこぶことなれとも、動靜を知らず、いつも知ずり行ずりか全躰を知らぬゆへのこと。だたい知の、行のと別々に云ことなし。識動靜と云段には知か重の、行か重のと争して居ては間に合ぬ。それはつまり道理知らぬことに落る。これを存養に載せ、存養らしく見へぬなれとも面白いことなり。道理を知らぬゆへ、定見かない。そこて光明もない。照らぬか學問しらぬゆへのこと。此方に定かない故なり。
【解説】
「今人從學之久、不見進長、正以莫識動靜」の説明。ただ従学しているだけでは進長はない。それは動静を知らずにいつも知吊りか行吊りだからであって、知行は別なものではないのである。道理を知らないので定見がなく、そこで光明もない。それは学問を知らないからである。
【通釈】
「今人従学之久云々」。素人は学問をしなければ昔の顔と言うのもよくわかる。従学というので草鞋を履いて同じ処にいるが、それは効かない薬を飲み、具足の上から灸をする様なもの。「不見進長」は、身の振舞いを知らないからのこと。動静の理の通りにすれば向こうへ進むことになるが、動静を知らずにいつも知吊り行吊りなのは、全体を知らないからである。そもそも知と行は別々に言うことはない。「識動静」という段になると、知が重いとか行が重いとかと争っていては間に合わない。それはつまり道理を知らないことに落ちる。これを存養に載せたのが、存養らしく見えないことだが面白いことである。道理を知らないから定見がない。そこで光明もない。照らないのは学問を知らないからであり、自分に定がないからである。

見他人之擾々云々。人か他の人で動く。擾、繁擾の擾。たたいこちの世話にならぬことなり。某が窗で見るに、東金の市へ行くものは市へ行と見た迠のこと。学問前方の内は、人の方で我方がかわるもの。それて我脩行もすてるものなり。ここでそろ々々存養の実が見へる。隣の頭痛てこちの仙氣をやむかそのこと。此方につかまへ処がないと向のことか世話になる。人の一日題目唱へるを聞たとて、こちか發心せふでない。市井あたり近所かさま々々なもの。壁一と重て種々のわるいことを耳目に觸るが、兎角學問しても人か世話になる。此方に覺悟か定れば世話になる。知見か定ぬゆへ。道中て雲介がきたないとてこちの世話にはならぬか、學問して、得て人のことを世話したかるもの。人の吾を聞たびに心がそうか々々々動く。迷惑なことはない。人に引倒さるるかあるもの。勤学に出て人のわるくなるもある。学挍へ来てもこれがあり、人の心はうつるもの。人の方で此方もすてる。
【解説】
「見他人擾擾、非關己事、而所修亦廢」の説明。他人の擾擾は自分と関係はないことだが、それによって自分が変わり、修行も捨てることにもなる。それは定見がないからである。
【通釈】
「見他人之擾々云々」。人は他の人によって動く。擾は繁擾の擾。そもそもそれはこちらに関係のないことである。私が窓から見るにしても、東金の市へ行く者は市へ行くと見るだけのこと。学問に初心な内は、他人によって自分が変わるもの。それで自分の修行も捨てることになる。そろそろここに存養の実が見える。隣の頭痛でこちらが疝気を病むというのがそのこと。こちらに掴まえ処がないと向こうのことが気になる。人が一日中題目を唱えるのを聞いたとしても、それで自分が発心するわけではない。市井、辺り近所は様々なもの。壁一重で種々の悪いことが耳目に触れるが、とかく学問をしても人が気になる。自分に覚悟が定まれば他人を気にすることはない。それは知見が定まらないからである。道中で雲助が汚いとしても、それは自分に関係はないが、学問をすると、得てして人を気にしたがるもの。人の話を聞く度に心がそうかと動く。それほど迷惑なことはない。人に引き倒されることがあるもの。勤学に出て人が悪くなることもある。学校へ来てもこれがあって、人の心は移るもの。他人のことで自分も捨てる。
【語釈】
・發心…菩提心を起すこと。また一般に、あることをしようと思い立つこと。発意。発起。

由垩学觀之云々。今人從学と云からは、学者のことは知るる。其人も垩学するではあろふか、爰は本とふの学を云。冥冥悠々は、本の垩学から見ればくらく埒のあかぬことなり。学如不及云々と追かけ逐まわして行く。あれは志の向へ行ぬけることを云てさわがしいでなし。志学から三十而立、四十而不惑も眞すくに行ぬけることを云て間断はないなり。又、学者は間断なくても動靜の時を知らぬとたたさわぐはかりてわるい。其やふな学問は冥々悠々てやくにたたぬ。書物を懐中し、机て一生仕舞たなり。とふらくものは挌別なれとも、学問しながらここを見ぬ。皆落付た顔て知らぬなり。直方先生、与惣左が落付た顔しても、うろたいとなり。合点ゆかぬなり。永井玄厚に答る書にあり。
【解説】
「由聖學觀之、冥冥悠悠」の説明。学者は間断があってはならないが、しかし、動静の時を知らなければただ騒ぐばかりで悪い。それは「冥冥悠悠」であって役には立たない。
【通釈】
「由聖学観之云々」。「今人従学」と言うからは、学者のことはわかった。その人も聖学をするのだろうが、ここは本当の学を言ったこと。「冥冥悠々」は、本当の聖学から見れば昏く埒の明かないこと。「学如不及云々」と追い掛け逐い廻して行く。それは志が向こうへ行き抜けることを言うのであって騒がしいことではない。志学から三十而立、四十而不惑も、真直ぐに行き抜けることを言い、そこに間断はない。また、学者は間断がなくても動静の時を知らなければただ騒ぐばかりで悪い。その様な学問は冥々悠々で役に立たない。書物を懐中し、机で一生を終えるのである。道楽者は論外だが、学問をしていながらもここを見ない。皆落ち着いた顔をしていて知らないのである。直方先生が、与惣左が落ち着いた顔をしていても、狼狽えであると言ったが、それは合点が行かないからである。永井玄厚に答うる書にある。
【語釈】
・学如不及云々…論語泰伯17。「子曰、學如不及、猶恐失之」。
・志学から三十而立、四十而不惑…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學。三十而立。四十而不惑」。
・与惣左…
・永井玄厚…

以是終身謂之光明可乎。他人擾々云々、迂斎、鞭策録の講のとき、世の中はさむさひだるさ何やかやとなりあるきに年はくれけりを引た。卑陋な哥なれともそうなり。今六十になるが茶漬計りくうてあたまか兀けたと云。をれも人間と云へとも、光明でなければ大な顔はならぬ。可乎なり。これか存養のように見へぬか、仕方かわるいと光明にならぬ。光明になるようにと存養することなり。この章、輕いことて合点すべし。只今田舎の役人でも身持よく知惠があれは百姓かこわがるもの。其村の光明なり。人の全体の本躰は光明なり。知行そうをふに具てある処て人かこわがるか、光明の体は其大なことなり。博識でも達才でも、藝者めいては光明はない。王勃・揚烱・照隣・賓王、藝の上の四傑なり。斐行儉か浅露と云て光明はない。知行をつむと光明あり。玉ある山はかかやくと云。
【解説】
「以是終身、謂之光明可乎」の説明。人の本体は光明だが、博識や達才だとしても、芸者めいていては光明はない。光明になるには知行を積まなければならない。そこで存養をするのである。
【通釈】
「以是終身謂之光明可乎」。「他人擾々云々」を、迂斎が鞭策録の講義の時に、世の中は寒さひだるさ何やかや隣歩きに年は暮れけりを引いて説いた。卑陋な歌だがその通りである。今六十になって茶漬けばかりを食っていたから頭が禿げたと言う。俺も人間だとは言うが、光明でなければ大きな顔はできない。「可乎」である。これが存養の様には見えないが、仕方が悪いと光明にはならない。光明になる様にと存養をするのである。この章は軽いことで合点しなさい。只今田舎の役人でも身持よく知恵があれば百姓は怖がるもの。これがその村の光明である。人の全体の本体は光明である。知行相応に具わってある処で人が怖がるが、光明の体とはそれが大きくなったことなのである。博識でも達才でも、芸者めいては光明はない。王勃・揚烱・照隣・賓王は芸の上の四傑だが、裴行倹が浅露と言い、光明はない。知行を積むと光明がある。玉ある山は輝くと言う。
【語釈】
・王勃…初唐の詩人。字は子安。隋末の王通の孫。詩賦に秀で、その詩は品格高尚、辞藻清麗。647~675
・揚烱…初唐の詩人。則天武后朝の宮廷詩人。650~695頃
・照隣…盧照鄰。唐、范陽の人。字は昇之。号は幽憂子。
・賓王…初唐の詩人。浙江の人。李敬業と共に則天武后に反旗を翻し、敗れて失踪。~684
・斐行儉…裴行倹字は守約。絳州聞喜の人。裴仁基の次男。顕慶二年(657)、長安令に上ったが、武則天の皇后冊立に反対して西州都督府長史に左遷された。西域で歴戦して功績を挙げる。619~682
・斐行儉か浅露と云…小学善行60にある。

動靜時を失はぬと光明。因てそれを存養すると光明になる。学者にも底のわるい学者と云かある。ちょっ々々々とかけまわるなり。存養ないゆへなり。誠意の章、心廣体胖と云は、痩せた翁か青の布子をきていても体胖なり。淵源録に如貴人とあるがそれなり。きらはわるくても光明がある。非無知非無行惟未知存養之道也と山﨑先生云われたが、いつもこちへひびくやふなり。某など口耳三寸の学で、直方先生より先達の口真似にて光明はない。存養は我に覚へなけれは光は出ぬ。迂斎の、武士の交り頼みある中の酒宴哉と謡ふてもひひかぬ。某前々云、喜怒哀樂の未発の中は功夫へ片足入れ子はすめぬと云か大切なり。この可乎と云をうかと見ぬかよい。をれらはこの列てなくそふてないと思ふが、存養を知らぬなれは謂之光明可乎なり。さげすんだ語ゆへ、我はこの外と思てはやはり可乎なり。この章、存養の貴を云。
【解説】
動静の時を失わないことを存養すれば光明になる。「心広体胖」に光明がある。存養を知らなければ「光明可乎」の列である。
【通釈】
動静の時を失わなければ光明。因ってそれを存養すると光明になる。学者にも体の悪い学者という者がいて、ちょこちょこと駆け回る。それは存養がないからである。誠意の章で「心広体胖」とあるが、痩せた翁が青色の布子を着ていても体胖なのである。淵源録に「如貴人」とあるのがそれである。綺羅は悪くても光明がある。「非無知非無行惟未知存養之道也」と山崎先生は言われたが、それはいつも自分に響く様である。私など口耳三寸の学で、直方先生から先達までの口真似であって光明はない。存養も自分に覚えがなければ光が出ない。迂斎の、武士の交わり頼みある中の酒宴哉という歌を謡っても響かない。私が前々から言う、喜怒哀楽の未発の中は功夫へ片足入れなければ済めないと言うのが大切なところ。この「可乎」ということをうっかりとして見てはならない。俺等はこの列ではなく、その様ではないと思っても、存養を知らないのであれば「謂之光明可乎」である。蔑んだ語なので自分はこの外だと思うのではやはり可乎である。この章は、存養の貴いことを言う。
【語釈】
・誠意の章…大学章句6。「富潤屋、德潤身。心廣體胖。故君子必誠其意」。
・如貴人…
・きら…綺羅。外見の美しさ。はなやかさ。
・非無知非無行惟未知存養之道也…近思録序。「漢唐之間非無知者也。非無行者也。但未曽聞存養之道」。


第七十 卒条

敦篤虚靜者、仁之本。不輕妄、則是敦厚也。無所繋閡昬塞、則是虚靜也。此難以頓悟。苟知之、須久於道實體之、方知其味。夫仁亦在熟之而已。
【読み】
敦篤虚靜なるは、仁の本なり。輕妄ならざるは、則ち是れ敦厚なり。繋閡昬塞する所無きは、則ち是れ虚靜なり。此は以て頓悟し難し。苟も之を知らば、須く道に久しく實[まこと]に之を體すべくして、方[はじ]めて其の味を知る。夫の仁も亦之に熟するに在るのみ。

敦篤虚靜者仁之本。先つ仁と云ことなり。仁のことは手の付ようはないものなり。玉の如くのもの。天から拜領して本体仁なり。それゆへさま々々さし水邪が入て仁氣かなく、我持ながら誰も知らぬ。そこで一つ横渠の仁のことを人々得させようでこのこと云へり。敦篤は及もないことと思ふことでない。仁は今日や明日のことに及はなけれとも、敦篤は尻の重みのあるよふなこと。今日ものにうきるか敦篤てない。風吹の紙や鳥の羽のようなり。敦篤の底は、茶臼などは中か実しているゆへ、づっしりとしてわさ々々でない。落付重みがある。今日人の生付でも、ものに急に乘たり腹を立たりするに頼母しいものはない。薄手なことは早くあらわれるもの。貧乏人が金一两か二两てあらわれる。分限者は大金でも知れぬ。器物でも一度で兀るがあり、投ても丈夫ながある。呂与叔か土用中厳然危坐を見て、程子の敦篤と云われた。あれらでもこの摸様を合点すべし。あのことが親の歒討の手抦てもなく、胡坐しても咎てはないか、そこにあること。遽伯玉下公門は某もなること。いつも々々々あれはならぬ。六十化すもあそこから至たと思はるる。虚靜は胸のせきふさきするものの裏なり。氣質人欲は虚靜でない。胷のすいてあるまじきもののないを虚靜と云。みがき立た烟管は中に塞りがないゆへ烟がよく通る。仁は重いことなれとも、敦篤の心がけせよ。そうすると仁の本になると云。初に云如く、これで仁の功夫の仕よいことを見せたものなり。
【解説】
「敦篤虚靜者、仁之本」の説明。仁には至り難いが、敦篤虚静には至ることができる。敦篤は落ち着いていて重みのあること。虚静とは、胸が空いてあってはならないものがないこと。敦篤虚静を心掛ければ、それが仁の本となる。
【通釈】
「敦篤虚静者仁之本」。先ずは仁のことである。仁には手の付けようはなく、玉の如きもの。天から拝領した本体が仁だが、そこに様々な差し水や邪が入って仁気がなく、自分で持っていながら誰もそれを知らない。そこで横渠が一つ仁のことを人々に得させようとしてこのことを言った。敦篤は及びもないことだと思ってはならない。仁には今日や明日のことでは及びそうもないものだが、敦篤は尻の重みのある様なこと。今日ものに浮かれるのは敦篤ではない。それは、風に吹かれる紙や鳥の羽の様なもの。敦篤の姿は、茶臼などの様に中が実しているのでそわそわとせず、ずっしりとしている。落ち着いていて重みがある。今日の人の生まれ付きで、急に機嫌がよくなったり腹を立てたりするが、そこに頼もしいことはない。薄手なことは早く現れるもの。貧乏人は金一両か二両で現れる。分限者は大金でも現れない。器物でも一度で剥げるものもあり、投げても丈夫なものもある。呂与叔が土用に厳然と正座をしているのを見て、程子が敦篤と言われた。あれ等からもこの模様を合点しなさい。それが親の敵討をした手柄のことでもなく、また、胡座をしていても咎められはしないが、敦篤はそこにある。「蘧伯玉下公門」は私もできることだが、いつもそれをすることはできない。「六十化」もあそこから至ったことと思われる。虚静とは、胸の席塞ぎすることの逆である。気質人欲は虚静ではない。胸が空いてあってはならないもののないことを虚静と言う。磨き立てた煙管は中に塞がりがないので煙がよく通る。仁は重いことだが、敦篤の心掛けをしなさい。そうすれば仁の本になると言った。初めに言った様に、これで仁の功夫がし易くなるということを見せたのである。
【語釈】
・呂与叔か土用中厳然危坐…存養50。「昔呂與叔六月中來緱氏。閒居中、某嘗窺之、必見其儼然危坐。可謂敦篤矣」。
・遽伯玉下公門…小学内篇稽古。「衛靈公與夫人夜坐聞車聲轔轔至闕而止過闕復有聲。公問夫人曰、知此謂誰。夫人曰、此蘧伯玉也。公曰、何以知之。夫人曰、妾聞禮下公門式路馬所以廣敬也。夫忠臣與孝子不爲昭昭信節不爲冥冥惰行。蘧伯玉衛之賢大夫也。仁而有智敬於事上此其人必夫以闇昧廢禮是以知之。公使人視之果伯玉也」。
・六十化す…論語憲問26集註。「按莊周稱伯玉行年五十、而知四十九年之非。又曰、伯玉行年六十、而六十化」。原文は荘子雑篇則陽にある。

不輕妄則是敦篤。輕い方から。道理の見分けもない薄ひ人に道理沙汰はない。友達か来て窗から誘引ふと、何の訳なく花見か濱見物かも知らすにかけ出すが輕妄なり。道理ないはづなり。かるはづみ出さぬか敦篤と云もの。輕妄か邪心とは違ども、本然てないものあるゆへ妄と云。よく々々じゃは、輕いと云人は死生にかかる医者を頼むにも輕はすみが出る。医按を聞ながらも傍のあの人のこともどふか面白ひと云。輕妄は心の穴なり。氣どりのよい医とほめる。平生は死の字もきらいなからだても、大切なことにかるはづみを出す。輕と云はふだん德利をふるやふなもの。中はらりになる。敦篤な人は着るものの着やふ迠違たもの。賢者でもあるまいが、公家のあるくは官位の方で大ふ上品なり。そこて有德や位にあるものの似た所で君子とも大人とも云。顔子はそきらでも、公家のやうで有ふなり。
【解説】
「不輕妄、則是敦厚也」の説明。軽はずみをしないのが敦篤である。軽妄は邪心とは違って、本然でないものがあるので妄と言う。
【通釈】
「不軽妄則是敦篤」。軽い方で言う。道理の見分けもできない薄い人に道理の沙汰はない。友達が来て窓から誘われると躊躇することなく、花見なのか濱見物かも知らずに駆け出すのが軽妄である。それでは道理はない筈である。軽はずみをしないのが敦篤というもの。軽妄は邪心とは違うが、本然でないものがあるので妄と言う。それはよくよくなことで、軽い人は死生に関わる時に医者を頼むのにも軽はずみが出る。医案を聞きながらも傍のあの人のことがどうしても面白いと言う。軽妄は心の穴である。気取りのよい医者だと褒める。平生は死の字も嫌いなのに、大切なことに軽はずみを出す。軽とは絶えず徳利を振っている様なもので、それでは中の酒が台無しになる。敦篤な人は着物の着方までが違う。賢者というのでもないだろうが、公家が歩く時は官位から大層上品である。そこで有徳や位にある者に似た所から君子とも大人とも言う。顔子は粗末な衣服を着ていても、公家の様であっただろう。
【語釈】
・そきら…

繋閡昬塞。閡は礙と通す。計時はさびて狂ふ。烟管はやにて烟が出ぬ。人は氣質人欲て繋閡かある。兎角好色や財利の欲が引かるるもの。厚薄もあれとも、それか皆引かるる。それがないと中か明て虚靜なり。偖、上で云通、敦篤かどふもならぬと云ことでなし。これか先つ仁のすがたなり。愛之理ときき、人を愛し、これか仁ぢゃと云やうに合点しても、それはあてにならぬ。敦篤虚靜で本の姿になる。繋閡昬塞の余のものないと、もとより空に有明の月まて。斯ふ聞て置たら仁か得られやふ。知之須久於道実体之。仁を知てない。ここの知の字は訳を知と云ことなり。仁になるには仁を知ると云ことなれとも、先軰の皆そふ云てあり。この医案で筋が知れようから、それから道理にはまれなり。仁は体認する。それをそろ々々仁の枝折と知るべし。仁亦在乎熟之而已。仁も一寸なめたでない。上戸のとっくりと醉たやふなもの。稲寺鴻の池でもしじめ貝一はいてはきかぬ。孟子の云はるる通り、大抵では得られぬ。
【解説】
「無所繋閡昬塞、則是虚靜也。此難以頓悟。苟知之、須久於道實體之、方知其味。夫仁亦在熟之而已」の説明。人は気質人欲で繋閡がとなるが、それがなければ虚静である。仁に至るには、その仕方を知らなければならなず、先ずは敦篤虚静となるのである。仁を得るのは並大抵のことではない。
【通釈】
「繋閡昬塞」。閡は礙に通じる。時計は錆びて狂う。煙管は脂で煙が出ない。人は気質人欲で繋閡がある。とかく好色や財利の欲に引かれるもの。そこには厚薄もあるが、それでも皆引かれる。それがないと中が明になって虚静である。さて、上で言う通り、敦篤はどうにもならないということではない。これが先ず仁の姿である。「愛之理」と聞いて、人を愛するのが仁だという様に合点しても、それは当てにならない。敦篤虚静で本来の姿になる。繋閡昬塞という他のものがなければ、もとより空に有明の月までのこと。この様に聞いて置けば仁が得られるだろう。「知之須久於道実体之」。これは仁を知ることではなく、ここの知の字はそのわけを知るということである。仁になるには仁を知らなければならないのだが、先輩は皆その様に言っている。この医案で筋がわかるだろうから、それから道理に嵌りなさいと言う。仁とは体認すること。それがそろそろ仁の道標になることだと思いなさい。「仁亦在乎熟之而已」。仁は一寸舐めることではなく、上戸がとっくりと酔った様なもの。稲寺や鴻の池の酒でも、蜆貝一杯だけの量では効かない。孟子が言われた通り、大抵なことでは得られない。
【語釈】
・愛之理…論語学而2集註。「仁者、愛之理、心之德也」。孟子梁恵王章句上2集註。「仁者、心之德、愛之理」。
・人を愛し…孟子離婁章句下28。「仁者愛人、有禮者敬人。此仁禮之施。愛人者人恆愛之、敬人者人恆敬之」。

この章、よい所にあり、次の巻の克己の縁よし。仁の字が克己の繋ぎ。貫其二、しっかりと見へる。偖、熟が大切。今日の人は順礼の札や千社まいりの札のやふで、何の役にたたぬ。学文をそふ通すことでなし。鍔好のなで、茶人の羽箒なり。ふだんはくなり。何の為とあててなくする。咁い所は熟にあり。迂斎、大神樂の曲ばちもこちではならぬとなり。達才ても、あれはならぬ。存養は熟のよいかここなり。熟がなくて一寸よいは當にならぬ。今日の処も存養と云へは敬のことなれとも、そふ見へぬ。何と云ことなれば、敬で此を仕こむことなり。徂徠か敬を知らずに何を敬む々々々々と云ても、異見を云はるると云も、敬勝怠を知ぬからなり。小学の闕を敬で補ふも全躰のこと。それを胸へたたむか存養なり。致知かすんたから、これから存養、存養が片ついてから、これから克己と疱瘡麻疹のやふに垩賢の教はない。別に克己、別に存養なし。いつ迠もそれを存養する。答馮竒礼書に致知力行究竟之法と云が死ぬ迠のことなり。致知克己を死ぬ迠すること。存養とは云なり。
【解説】
ここの仁の字で、次巻の克己へと繋げる。存養は熟さなければならないが、それは敬で仕込む。存養とは、致知克己を死ぬまで行うことである。
【通釈】
この章はよい場所にあって、次の巻の克己に縁がよい。仁の字が克己の繋ぎである。「貫其二」がしっかりと見える。さて、「熟」が大切。今日の人は巡礼の札や千社参りの札の様で、何の役にも立たない。学問はその様に行ってはならない。鍔好きが鍔を撫で、茶人が羽箒を使っていつも掃いている。何のためでもなく当てなくそれをする。甘い所は熟にある。迂斎が、大神楽の曲撥も自分には鳴らせられないと言った。達才であってもそれはできない。存養は熟がよいというのがここのこと。熟がなくて一寸よいのは当てにならない。今日の処も、存養と言えば敬のことなのに、その様には見えない。ここは何のことかと言えば、敬でこれを仕込むこと。徂徠が敬を知らず、何を敬むのかと言い、異見を言うのも、「敬勝怠」を知らないからである。小学で闕を敬で補うと言うのも全体のこと。それを胸へ畳み込むのが存養である。聖賢の教えは、致知を済ませたから存養、存養が片付いたから、これから克己に取り掛かるという様な、疱瘡麻疹の様なものではない。別に克己、別に存養ではない。いつまでもそれを存養する。答馮奇礼書に致知力行究竟之法とあるのが死ぬまでのことを言ったこと。致知克己を死ぬまでする。それを存養と言うのである。
【語釈】
・貫其二…近思録序。「夫学之道在致知力行之二而存養則貫其二者也」。
・敬勝怠…小学内篇敬身。「丹書曰、敬勝怠者吉。怠勝敬者滅。義勝欲者從。欲勝義者凶」。
・小学の闕を敬で補ふ…大学或問初条にある。