鬼神集説 正月廿二日 慶年録
【語釈】
・正月廿二日…寛政5年(1793年)1月22日。
・慶年…北田慶年。東金市福俵の人。通称太兵衛。篠原惟秀の兄。

1
理有明未盡處、如何得意誠。且如鬼神事、今是有是無。因説張仲隆曾至金沙堤、見巨人跡。此是如何。揚謂、冊子説、幷人傳説、皆不可信、須是親見。揚平昔見冊子上幷人説得滿頭滿耳、只是都不曾自見。先生曰、只是公不曾見。畢竟其理如何。南軒亦只是硬不信、有時戲説一二。如禹鼎鑄魑魅魍魎之屬、便是有這物。深山大澤、是彼所居處、人往占之、豈不爲祟。邵先生語程先生、世間有一般不有不無底人馬。程難之、謂、鞍轡之類何處得。如邵意、則是亦以爲有之。邵又言、蜥蜴造雹。程言、雹有大者、彼豈能爲之。豫章曾有一劉道人、嘗居一山頂結菴。一日、衆蜥蜴入來、如手臂大、不怕人、人以手撫之。盡喫菴中水、少頃菴外皆堆成雹。明日、山下果有雹。此則是冊子上所載。有一妻伯劉丈、致中兄。其人甚樸實、不能妄語、云、嘗過一嶺、稍晩了、急行。忽聞溪邊林中響甚、往看之、乃無止蜥蜴在林中、各把一物如水晶。看了、去未數里、下雹。此理又不知如何。造化若用此物爲雹、則造化亦小矣。又南劍鄧德喩嘗爲一人言、嘗至餘杭大滌山中、常有龍骨、人往來取之。未入山洞、見一陣青煙出。少頃、一陣火出。少頃、一龍出、一鬼隨後。大段盡人事、見得破、方是。不然、不信。中有一點疑在、終不得。又如前生後生、死復爲人之説、亦須要見得破。又云、南軒拆廟、次第亦未到此。須是使民知信、末梢(未稍)無疑、始得。不然、民倚神爲主、拆了轉使民信向怨望。舊有一邑、泥塑一大佛、一方尊信之。後被一無状宗子斷其首、民聚哭之、頸上泥木出舍利。泥木豈有此物。只是人心所致。先生謂一僧云。問、龍行雨如何。曰、不是龍口中吐出。只是龍行時、便有雨隨之。劉禹錫亦嘗言、有人在一高山上、見山下雷神龍鬼之類行雨。此等之類無限、實要見得破。問、敬鬼神而遠之、則亦是言有、但當敬而遠之、自盡其道、便不相關。曰、聖人便説只是如此。嘗以此理問李先生、曰、此處不須理會。先生因曰、蜥蜴爲雹、亦有如此者、非是雹必要此物爲之也。朱子語類三下同。
【読み】
理、明らかに未だ盡くさざる處有り、如何にして意誠なるを得ん。且つ鬼神の事の如き、今是れ有りや是れ無しや。因りて説に張仲隆曾て金沙堤に至り、巨人の跡を見る。此れ是れ如何。揚謂う、冊子に説く、幷に人の傳説、皆信ずる可からず、須らく是れ親に見すべし。揚平昔冊子上に見ゆ、幷に人の得るを説くに頭を滿し耳を滿す、只是れ都て曾て自ら見ざるなり。先生曰く、只是れ公の曾て見ず。畢竟其の理如何。南軒亦只是れ硬く信ぜず、時有りて戲れに一二を説く。禹鼎の魑魅魍魎の屬を鑄るが如き、便ち是れ這の物有り。深山大澤は、是れ彼の居る所の處にて、人の往きて之を占すれば、豈祟り爲さざるや。邵先生、程先生に語るに、世間一般に有にあらず無にあらざる底の人馬有り。程の難し、謂う、鞍轡の類何の處に得る。邵意の如きは、則ち是れ亦以て之を有りと爲す。邵又言う、蜥蜴雹を造る。程言う、雹に大なる者有り、彼豈能く之を爲さん。豫章に曾て一劉道人有り、嘗て一山頂の居りて菴を結う。一日、衆蜥蜴入り來ること、手臂の大の如く、人を怕れず、人手を以て之を撫でる。盡く菴中の水を吃し、少頃し菴外に皆堆く雹を成す。明日、山下果して雹有り。此れは則ち是れ冊子上に載する所。一の妻伯劉丈に有り、致中の兄。其の人甚だ樸實にして、妄語すること能わず、云う、嘗て一嶺を過ぎ、稍晩了、急行す。忽ち溪邊林中響き甚だしきを聞き、往きて之を看ると、乃ち無止の蜥蜴林中に在り、各々一物を把り水晶の如し。看了て、去ること未だ數里ならずして、雹を下す。此の理又知らず如何。造化若し此の物を用い雹を爲せば、則ち造化も亦小なり。又南劍の鄧德喩嘗て一人の爲に言う、嘗て餘杭の大滌山中に至り、常に龍骨有り、人往來し之を取る。未だ山洞に入らざるに、一陣の青煙の出るを見る。少頃し、一陣火出ず。少頃し、一龍出で、一鬼後に隨う。大段人事を盡くし、見得破、方に是なり。然らざれば、信ぜず。中に一點の疑在る有れば、終に得ず。又前生後生、死復人と爲すの説の如き、亦須らく見得破するを要すべし。又云う、南軒の廟を拆く、次第は亦未だ此に到らず。須らく是れ民の信ずることを知り、末梢(未稍)疑無からしむべくして、始めて得。然らざれば、民は神に倚り主と爲し、拆了る轉じて民の信向怨望せしむ。舊一邑に、泥塑し一大佛を、一方に之を尊信する有り。後一の無状の宗子に其の首を斷られ、民聚之を哭し、頸上の泥木舍利を出す。泥木豈此の物有らんや。只是れ人心の致す所。先生一僧に謂いて云う。問う、龍の雨を行うこと如何。曰く、是れ龍の口中吐出ならず。只是れ龍の行く時、便ち雨有りて之に隨う。劉禹錫も亦嘗て言う、人有り一高山の上に在り、山下を見れば雷神龍鬼の類雨を行う。此れ等の類限り無く、實に見得破を要す。問う、鬼神を敬して之を遠ざくは、則ち亦是れ有るを言い、但當に敬して之を遠ざけ、自ら其の道を盡くすべく、便ち相關せず。曰く、聖人は便ち説くこと只是れ此の如し。嘗て此の理を以て李先生に問う、曰く、此の處須らく理會すべからず。先生因りて曰う、蜥蜴雹を爲す、亦此の如き者有るも、是の雹は必ずしも此の物を要し之を爲すに非ざるなり。朱子語類三下同。


序文の至れり尽せりの文字をあてて見よ。至れりは正靣底の鬼神を説く。盡せりとは、鬼神はつまる所、氣を主に云ことゆへ、妖怪ていなことかある。これもないではないと尽したのなり。至れりは南軒程子の云やうに、正面の理で云。朱子のは氣の変までつきた。そこで此直方の編集の靣白は、正靣を出して後に妖怪を云はふと思ふに、妖怪咄をさきへ出して、後に正靣のことを出したか靣白い御趣向ぞ。鬼神は吾心でうんと呑込ことゆへ、さま々々不審なことを幷へてあとで呑込こと。依て初めに引て疑だらけなことを出して、後に正靣底なことを出したか面白いそ。序は御編集が出来て後に眞西山の語を見られて、是をとて直に入られた。さて、あの序のある上てあれを義理に立て巻を開いて見ると、眞初に怪物咄のあるも、序に正靣をあづけてうろたへさせぬやうにして、此妖怪咄なり。某など若いとき、この順を悦はなんたは、鬼神の正底なを初に云てあとを妖怪を出し、さばきを付さうなものと思たが、今考ると、この編集のしやう、靣白ぞ。だたい小学の吟味でなきゆへぞ。これが先つ編集のわけを云に、直方眼も手もきいたを知るへし。
【解説】
序文にある「至矣尽矣」の「至矣」は正面底の鬼神を説くことで言い、「尽矣」は、鬼神もないわけではないと尽くすところで言う。直方の編集は、序で正面底なことを言った上で、妖怪底な話から初めて正面底なことを説くものである。
【通釈】
序文の「至矣尽矣」の文字を当てて見なさい。至れりは正面底の鬼神を説く。尽くせりとは、鬼神はつまる所、気を主に言うことなので、妖怪底なことがある。これもないわけではないと尽くしたのである。至れりは南軒や程子の言う様に、正面の理で言う。朱子のは気の変まで尽きている。そこでこの直方の編集の面白さは、正面を出して後に妖怪を言うのかと思えば、妖怪話を先に出して、後に正面のことを出したのが面白い御趣向なのである。鬼神は自分の心でうんと呑み込むことなので、様々な不審なことを並べ、後で呑み込むのである。そこで初めに疑いだらけなことを引いて出して、後に正面底なことを出したのが面白い。序は御編集ができた後に真西山の語を見られて、これがよいとして直に入られた。さて、あの序のある上であれを義理に立てて巻を開いて見ると真っ先に怪物話があるのも、序に正面を預けて狼狽えさせない様にしたから、この妖怪話となるのである。私などが若い時、この順を悦ばなかったのは、鬼神の正面底なことを初めに言って、後で妖怪を出して捌きを付けそうなものだと思ったからで、今考えると、この編集の仕方は面白いもの。そもそも小学の吟味でないからである。これが先ず編集のわけを言ったことで、直方の眼も手も利いていることを知らなければならない。

○理有明未盡處云云。昨日云通り、鬼神集説は近思録の致知のぎり々々と云ことが能ここですむこと。それが夲と大学から出た意旨ぞ。学問は致知が明になら子は、ほっても誠意のならぬと云。大学のせんぎからして鬼神のことにうつりて、道理が明白に済ぬうちは理屈て推ても心意の上がすまぬ。此鬼神のことがすまぬとなにやら後ろ向て見たいやうに思るる。そこが大学の致知が手に入ぬと、理からけす知と云も、鬼神のことが明になら子ば外のことにもはきとすまぬことある筈ぞ。鬼神のことが明になると、済ぬことはない。そこを致知のぎり々々と云。とかく知か始なり。誠意も理か明になら子は出來ぬことなり。偖、鬼神のことか明になれは、はや祭祀をするきになる。小学て祭のことを事の上で合点しても、これが道理なりか道理なりでないか知ずに親に孝行をし、祭をするは、小学の知行でするものと知た斗りて行て其根の理は済ぬが、其理が大学の致知でしるる。
【解説】
「理有明未盡處、如何得意誠」の説明。学問は致知が明にならなければ、誠意にはならない。鬼神のことが明にならなければ外のこともはっきりと済まないことがあり、鬼神のことが明になれば、済まないことはなくなる。そこが致知の至極である。
【通釈】
○「理有明未尽処云云」。昨日言った通り、鬼神集説は近思録の致知の至極ということがよくここで済む。それは元、大学から出た意旨である。学問は致知が明にならなければ、決して誠意にはならないと言う。大学の詮議からして鬼神のことに移って、道理が明白に済まない内は理屈で推しても心意の上が済まない。この鬼神のことが済まないと何やら後ろ向いて見たい様に思われる。そこで大学の致知が手に入らないと、理から消す知と言っても、鬼神のことが明にならなければ外のこともはっきりと済まないことがある筈。鬼神のことが明になると、済まないことはない。そこを致知の至極と言う。とかく知が初めである。誠意も理が明にならなければできないこと。さて、鬼神のことが明になれば、早くも祭祀をする気になる。小学で祭のことを事の上で合点して、これが道理なりか道理なりでないかを知らずに親に孝行をし、祭をする。小学の知行でするものと知っているだけで行い、その根の理は済まないが、その理は大学の致知で知れるもの。
【語釈】
・ほっても…決して。どうしても。

親は大切なものを知て、其親か死ぬ、家礼の通りに祭ら子ばならぬと云ことを眞にしる。三宅先生の祭祀来挌説などの手抦と云も、小学で祭のことを事で覚へて、あの来挌をしると大学の知になりて自ら祭ら子ばならぬやうになり、やむに止まれぬやうになるそ。形でせす、乘りのつくが理を明して尽したのなり。直方の、鬼神のことを知ると祭がしたくてならぬものと云れたも、真知の精采て誠意になりた処。此話大ふ教になることぞ。鬼神集説を吟味しつめると知えの底のぬけると云も、鬼神のことを得と吟味するて自ら外のことも明にないことはなし。理が尽ぬと鬼神のことは知れぬ。知れぬと誠意にならぬ。祭をしても小笠原のやうになりて精采はない。知が明でないと、こはいことはないと聞かしても、子どものくらやみをこはがるやうで、やたけに思ても、理が明になら子ば誠意にはなられぬ。朱子の此一句は廣く云ことなれとも、明して尽すを鬼神の吟味にし、意誠を祭祀にかけるが一意旨新趣向なり。
【解説】
鬼神集説を吟味しつめると知恵の底が抜ける。ここは、「明尽」を鬼神の吟味に、「意誠」を祭祀に掛けて見る。
【通釈】
親は大切なものだと知り、その親が死ねば家礼の通りに祭らなければならないということを真に知る。三宅先生の祭祀来格説などを手柄と言うのも、小学で祭のことを事で覚え、あの来格を知ると大学の知になって自ら祭らなければならない様になり、已むに止まれない様になるからである。形でせず、乗りの付くのが理を明らかにして尽くしたのである。直方が、鬼神のことを知ると祭がしたくてならないものだと言われたのも、真知の精彩で誠意になった処。この話は大分教えになること。鬼神集説を吟味しつめると知恵の底が抜けると言うのも、鬼神のことをしっかりと吟味することで、自ら外のことも明でないことはなくなる。理が尽きないと鬼神のことはわからない。わからなければ誠意にならない。祭をしても小笠原の様になっては精彩はない。知が明でないと、恐いことはないと聞かしても、子供が暗闇を恐がる様で、弥猛に思っても、理が明にならなければ誠意にはなれない。朱子のこの一句は広く言ったことだが、「明尽」を鬼神の吟味に、「意誠」を祭祀に掛けるのが一意旨新趣向である。
【語釈】
・やたけ…弥猛。いよいよ勇み立つさま。

○且如鬼神事、今是有是無。直方は大まかな人ゆへ、点は浅見流がよいとして簡古にむさうさに付たが、爰は今に是ありや是れ無しやとよむがよいぞ。今有るものか無いものか、先つこう合点しやれと朱子の声をかけたことで、無いに極ったら鬼神と云ことはない筈。無きものなれは又六かしいこともない筈だが、有る證據には、夫このやうに張中隆なとが見巨人跡なれは、有るものぞ。無こと云たことてはない。人の跡は大概極たものじゃが、仁王の草鞋程の跡が有た。これはどうしたもの。然ればあるとみへた。けしからぬことぞ。
【解説】
「且如鬼神事、今是有是無。因説張仲隆曾至金沙堤、見巨人跡。此是如何」の説明。張仲隆などが巨人の跡を見たというのなら、鬼神は有る筈のこと。
【通釈】
○「且如鬼神事、今是有是無」。直方は大まか人なので、点は浅見流がよいとして簡古に無造作に付けたが、ここは今に是れ有りや是れ無しやと読むのがよい。今あるものかないものか、先ずはこう合点しなさいと朱子が声を掛けたのであって、ないに極まったら鬼神ということはない筈。ないものであればまた難しいこともない筈だが、ある証拠には、それこの様に張仲隆などが「見巨人跡」なので、あるのである。ないことを言ったのではない。人の跡は大概相応なものだが、仁王の草鞋ほどの跡があった。これはどうしたものか。それならあると見える。それは妙なこと。
【語釈】
・簡古…簡単で古色をおびていること。

○揚謂、冊子説云云。楊は包顕道ならん。是なれば陸象山が弟子なり。彼が云には、あると朱子の云るるを消して、いや冊子上これは御伽坊、魂などと云やうな妖けもの夲のことなり。書たものにもある。又人も云傳へるが不可信で、どうも埒もなきことじゃ。信しられぬと、須是親見。この親の字は上の傳説へつけて見よ。色々あることを云が、人の云つぎ云傳へて不曽自見。自ら見たものはなし。あらば見たものある筈なれは、人が云ふとも妖怪はないものでごさる、と。正い方なり。先生曰、只是公不曽見。そこで朱子の、いやそれはそなたが曽てみぬからなり。此迠見ぬとても、ひょっとしたときはどをしや。○畢竟其理如何。人の見たの吾は見ぬのと、見た見ぬの論をばやめにして、ある筈がない筈がとうじゃと吟味するがよい。冊子上や人の云は空言の偽り々々と消さずとも、有るものか無いものかを理できめるがよいそ。
【解説】
「揚謂、冊子説、幷人傳説、皆不可信、須是親見。揚平昔見冊子上幷人説得滿頭滿耳、只是都不曾自見。先生曰、只是公不曾見。畢竟其理如何」の説明。揚氏が、鬼神は冊子上や人の言い伝えにあるが、誰も見た者はいないから信じられず、鬼神はいないと言った。朱子は、お前がまだ見ていないだけだろう。見た見ないを言うよりも、ある筈かない筈かと理で決める方がよいと言った。
【通釈】
○「揚謂、冊子説云云」。揚は包顕道だろう。そうであれば陸象山の弟子である。彼が言うには、あると朱子が言われたのを消して、いや冊子上の御伽坊主の話で、魂などという様な化け物は本の中のことである。書いたものにもあり、また、人も言い伝えにもあるが、それは「不可信」であって、どうも埒もないことである。信じられないと、「須是親見」。この親の字は上の伝説へ付けて見なさい。色々とあることを言うが、それは人の言い継ぎ言い伝えで「不曾自見」。自ら見た者はいない。それがあれば見た者がいる筈であり、人が何と言おうと妖怪はないものだと言った。正い方である。「先生曰、只是公不曾見」。そこで朱子が、いやそれは貴方がまだ見ないから言うのである。これまで見なかったとしても、ひょっとした時はどうだろう。○「畢竟其理如何」。人が見たとか自分は見ないとか、見た見ないの論を止めて、ある筈か、ない筈か、どうだと吟味するのがよい。冊子上や人の言は空言の偽りだと消さなくても、あるものかないものかを理で決めるのがよい。

○南軒亦只是不信。そなた斗りでもない。南軒もかたく信ぜず。正さは正いが、こなたや南軒のやうにとかく無にしては尽ぬ処あるぞ。南軒も手前てはないと云るるが、新即戯説一二。をどけにかかりてあの人も妖けもの咄を一つ二つされた。定てかの朱子の南軒へ遠方訪れたときのことなるへし。濁酒三盃のときなるへし。この一つ二つはなしたが、全夲はないにきわまた人なり。それがあの人の流義なり。
【解説】
「南軒亦只是硬不信、有時戲説一二」の説明。南軒も鬼神を信じなかった。しかし、朱子とそのことを話したことはある。
【通釈】
○「南軒亦只是不信」。そなただけでもない。南軒も固く信じなかった。それは正しいには正しいが、貴方や南軒の様にとかくないとしては尽きない処がある。南軒も自分ではないと言われるが、新たに即、「戯説一二」。戯けてあの人も化け物話を一つ二つされた。きっと朱子が遠方の南軒のところへ訪れた時のことだったのだろう。濁酒三盃の時だろう。一つ二つ話しはしたが、全体はないに極まった人である。それがあの人の流儀である。
【語釈】
・南軒…張南軒。名は栻。字は敬夫。1133~1180

○禹鼎鑄云云。これはそなたや南軒はないと云ゆへ、そこで有せうこを引き、禹王の鼎を出した。鼎と云は祭器にも何にもきっとした事に出るもの。其きっとした道具に魑魅魍魎の形をつけた。戯ではないはつ。又、地獄の圖と違ふぞ。これはないことのそらことの圖なり。垩人はあることをほり付たなれは、禹の鼎と云か御伽ぼう、このやうにはあしらはれぬぞ。深山大沢はかり魑魅罔両のをる処、人間のをる所は邦幾千里から都鄙村落迠人のすみか。人の居ぬ山沢は鳥もかよはぬなれば、あのやうなものの居る所にはきはまりた。日夲では天狗なと居と云も聞へたことなり。徂徠、天狗は仙人じゃと云も面白し。をそろしき仙人なり。人往占之。いらざるそこへ隱居でもして引込では不為崇。天狗つぶても打たるることなり。
【解説】
「如禹鼎鑄魑魅魍魎之屬、便是有這物。深山大澤、是彼所居處、人往占之、豈不爲祟」の説明。禹王の鼎を魑魅魍魎の形がある。それは聖人である禹王がしたことだから戯れではない筈。また、深山大沢は魑魅魍魎の棲む処であり、その様なところへ行けば祟りのない筈はない。
【通釈】
○「禹鼎鑄云云」。これは貴方や南軒はないと言うので、そこである証拠をとして禹王の鼎を出した。鼎は祭器にでも何にでもきっとした事に出すもの。そのきっとした道具に魑魅魍魎の形を付けた。それは戯けでしたのではない筈。また、地獄の図とは違う。それはないことで空言の図である。聖人はあることを彫り付けのだから、禹の鼎は御伽坊主の様にはあしらえないもの。深山大沢は魑魅魍魎のいる処、人間のいる所は邦幾千里から都鄙村落までが人の住み家。人のいない山沢は鳥も通わないのだから、あの様なもののいる所に極まる。日本では天狗などがいると言うのもよくわかる。徂徠が、天狗は仙人だと言うのも面白いこと。恐ろしい仙人である。「人往占之」。不要にそこへ隠居でもして引っ込んでは「豈不為崇」。天狗礫でも打たれることになる。
【語釈】
・天狗つぶて…天狗礫。天狗の投げるというつぶて。どこからとも知れず飛んでくるつぶて。

○邵先生語程先生。これも上文の南軒を出すと同し意にて、伊川の正いをみせる。邵康節は易敉で変常もまき込て鵜呑と云やうな人なり。敉の妙から化け物も其中へたたき込である。ときに伊川まじめなり。理できめらるる。邵先生と二十年程一つ所に居られて、外のことは何でも咄さぬことはないが、易のことはとんとはなし合はなし。此段、東と西のやうに二家の易各別なり。日比邵子は人を弄玩する不恭な処ある御方ゆへ、伊川の一ちづなを路徑せまいと軽しめた意から、わざとこのやうな咄をするなり。不有不無底の人馬と云はどうなれば、人間士農工啇御定りの人なり。せいも大概六尺ほどあるもの。馬も南部から出ても何処から出ても、大方同じたけなもの。此御定りの外なものはなし。時に邵先生が人かとみれば人でなく、馬かとみれば馬でない。此やうなものもあるてさ。無と堅く心得るは偏屈ぞ。ただい天地の氣ぞ変で此やうなものがあるまいものでもないぞやと、どうらくに弘放底に云ふを、兼て嚴厲な御氣象から、伊川は理かをして、つめたく云。理と云ものは四角四靣な動ぬもので、ずるけたとほうもないつまらぬことはない筈。伊川などはそのやうなうつけたことはない。中々けがらはしいやうに心得て直にをし付る。
【解説】
「邵先生語程先生、世間有一般不有不無底人馬」の説明。邵康節が「不有不無底人馬」と言うと、伊川は、理から押して、理というものは四角四面な動かないものであって、途方もないつまらないことはない筈だと答えた。
【通釈】
○「邵先生語程先生」。これも上文で南軒を出すのと同じ意で、伊川の正しいところを見せる。邵康節は易数で変常も巻き込んで鵜呑みにするという様な人。数の妙から化け物もその中へ叩き込んである。時に伊川は真面目であり、理で決められる。邵先生と二十年ほど同じ所におられて、外のことは何でも話さないことはないが、易のことは全く話し合わない。この段、東と西の様に二家の易は各々別なものである。邵子は日頃人を弄玩する不恭な処がある御方なので、伊川の一途な路径は狭いと軽しめる意から、わざとこの様な話をしたのである。「不有不無底人馬」と言うのは何かと言うと、人間は士農工商御定まりである。背も大概は六尺ほどあるもの。馬も南部から出ても何処から出ても、大方同じ丈なもの。この御定まりの外なものはない。時に邵先生が、人かと見れば人でなく、馬かと見れば馬でない。この様なものもあるもの。無と堅く心得るのは偏屈だ。そもそも天地の気の変で、この様なものがないわけでもないと、道楽に弘放底に言うと、いつも厳厲な御気象から、伊川は理から押して冷たく言った。理というものは四角四面な動かないもので、ずるけた途方もないつまらないことはない筈。伊川などにその様な虚けたことはない。それを汚らわしく心得て直に押し付けた。

○程難之云云。此難問もせいたやうなれども、さう斗てなく、禅機もあるやうなことが伊川にはある。孟子履之相似天下之足同也も理の常なり。人にあらぬ人、馬にあらぬ馬があると云ては鞍轡の類、どこで出来るとさたものなり。江戸でもあの大名衆のも、又、近在の小荷駄道具もみな大門通で拵へるが、其やをな馬にはこまらふ。又、其人のきる反物の幅も合まい。あちから玩弄したやうに云が、是も氣てくった語意なり。然れとも、此か理断なり。理てきはめる。邵先生のは氣の変て云はは、なるほと此やうなことも有こと。そこは朱子と一つなり。されとも又程子も風樹化成老人の類、望夫石のことをも云るるなれば、変を知ぬ人ではないが、如此御定りの理できめて云か程氏の家政なり。
【解説】
「程難之、謂、鞍轡之類何處得。如邵意、則是亦以爲有之」の説明。人でない人、馬でない馬があると言っては鞍轡や服は何処で作るのかと伊川が訊ねた。邵先生は気の変で言い、この様なこともあることなのだが、ここは伊川が理で言ったのである。
【通釈】
○「程難之云云」。この難問も急いた様だが、そうとばかりではなく、禅機の様なことが伊川にはある。孟子の、「屨之相似、天下之足同也」も理の常である。人でない人、馬でない馬があると言っては鞍轡の類は何処で作るのかと訊ねたもの。江戸でも、あの大名衆のも、また、近在の小荷駄道具もみな大門通りで拵えるが、その様な馬には困るだろう。また、その様な人が着るのでは、反物の幅も合わないだろう。あちらから玩弄したやうに言われ、ここも木で鼻を括った語意である。しかしながら、これが理断である。理て極める。邵先生のは気の変で言うので、なるほどこの様なこともあること。そこは朱子と同じである。しかしながらまた、程子も「風樹化成老人」の類や望夫石のことをも言われるのだから、変を知らない人ではないが、この様に御定まりの理で決めて言うのが程氏の家政なのである。
【語釈】
・履之相似天下之足同也…孟子告子章句上7。「聖人與我同類者。故龍子曰、不知足而爲屨、我知其不爲蕢也。屨之相似、天下之足同也」。
・風樹化成老人…
・望夫石…中国湖北省武昌の北山にある石。貞婦が出征する夫をこの山上に見送り、そのまま化して石となったと伝える。

○邵又言云云。蜥蜴か雹をつくると伊川へ又云出した。ここの程邵も皆上のと一手なとり合なり。程言、雹有大者云云。蜥蜴は小いものぞ。雹には甚大い、火打石ほどなもある。彼豈能為之。どうしてそんなことが取上けらるるものと理て又つめる。正理でをすと伊川の通りで、無いはづのことに極たことなれとも、無いと云てもひょっとあるときにはどうすると、朱子はとふに無いは知れて云に及ぬことなれども、姥かかの云ことまでをそれも有ふ々々と取て置て、そこであれはかうしたものとさばくが尽せりの処ぞ。
【解説】
「邵又言、蜥蜴造雹。程言、雹有大者、彼豈能爲之」の説明。邵子が、蜥蜴が雹を造ると伊川に言うと、蜥蜴は小さく雹は大きいからその様なことはないと伊川が答えた。ここの文脈が朱子の「尽矣」のところである。
【通釈】
○「邵又言云云」。蜥蜴が雹を造ると伊川にまた言い出した。ここの程邵も皆上のと同じ取り合わせである。「程言、雹有大者云云」。蜥蜴は小さいもの。雹には甚だ大きくて火打石ほどのものもある。「彼豈能為之」。どうしてそんなことが取り上げられるものかと理でまた詰める。正理で押すと伊川の通りで、ない筈のことに極まるが、ないと言ってもひょっとある時にはどうすると、朱子は既にないことは知れて言うに及ばないことなのだが、姥嬶の言うことまでを、それもあることだろうと取って置いて、そこであれはこうしたものだと捌くところが「尽矣」の処なのである。

○豫章曽有一劉道人云云。此から上文の冊子上と人の説とのことを以て、蜥蜴造雹か伊川のやうにないことと消されぬを□へ示された。如手臂大云云。人の臂ほどある蜥蜴か有た。これもめったにない。通用のでない。不怕人。蜥蜴はもとひびきををそるる。ちょっと草でも打と、虵などよりは直に早く迯るものじゃに、人ををそれぬ。是もめったにない。通用のでない。通用のでない、こいつはしぶといなどと人がなでてもにげぬ。先つ雹までやりたてず、此やうなとかけと云も怪いことぞ。氣の変て出來る迠でなく、深山頂上なれは、村里とちかふはづなり。
【解説】
「豫章曾有一劉道人、嘗居一山頂結菴。一日、衆蜥蜴入來、如手臂大、不怕人、人以手撫之」の説明。豫章に人の臂ほどもあり、人を怕れない蜥蜴がいた。この様な蜥蜴も怪しいことで、気の変でできるだけでなく、深山頂上であれば村里とは自ずと違う筈である。
【通釈】
○「豫章曾有一劉道人云云」。これから上文の冊子上と人の説とのことで、「蜥蜴造雹」がないことだと伊川の様には消せないことを揚子へ示された。「如手臂大云云」。人の臂ほどもある蜥蜴がいた。これも滅多にはなく、通用のものではない。「不怕人」。蜥蜴は本来音を怕れるもの。一寸と草でも打うと、蛇などよりは直ぐに早く逃げるものだが、人を怕れない。これも滅多にはないことで、通用のものではない。通用のではない、こいつはしぶといなどと言って人が撫でても逃げない。先ずは雹までのことは言わず、この様な蜥蜴も怪しいこと。気の変でできるだけでなく、深山頂上であれば村里とは違う筈である。

○盡吸菴中水云云。何かに有た水を残らす飲ほした。瓶のも桶のも皆尽した。少頃すると、そこらが堆く雹になりた。明日山下果有雹。箱根なら小田原、碓氷なら安中ぞ。そこの町人か来て、昨日はけしからぬ雹て有たと云た。このことはきっと冊子にあると出し、又、兎角人の云ことは信しられぬと揚が云から、又一つ朱子のたしかな人を出して、有一妻伯劉丈、其人甚樸実云云。をらが女房の伯父じゃが甚樸実で、褒美をやるから空言を云へと云ても、うそを得云ことならぬ人品とことはる。夫が云からは偽りてはあるまい。稍晩了急行云云。夕方ゆへいそいて通たに、何かくま笹の中がさわ々々とし、ごろつくやうにもひびき、あやしさに林中をのぞき込み見られたなり。無止はとめどもないほど沢山な蜥蜴そこ々々と居をって、それ々々に何やらもっている。水晶のやうなものを持ていた。竒異なことかなと思たぎりでさっ々々と山を下り、未敉里麓へをりると直に雹か降てきた。こなたは見ぬゆへ迂詐じゃと云ふが、こうしたことも有たはたしかなことぞ。只押し付ずと此理又不知如何。一概に片付られぬことなり。理のないことはない筈じゃからは、一と按し考へものなり。
【解説】
「盡喫菴中水、少頃菴外皆堆成雹。明日、山下果有雹。此則是冊子上所載。有一妻伯劉丈、致中兄。其人甚樸實、不能妄語、云、嘗過一嶺、稍晩了、急行。忽聞溪邊林中響甚、往看之、乃無止蜥蜴在林中、各把一物如水晶。看了、去未數里、下雹。此理又不知如何」の説明。大蜥蜴がそこ等の水を呑み尽くしたので周りが雹で堆くなり、翌日雹が降ったと冊子にある。また、朱子は自分の伯父のことを出し、水晶の様なものを持っている蜥蜴が沢山いるのを彼が見た後に雹が降って来たことを言った。冊子や人の言うことも、一概には片付けられず、理で一思案しなければならない。
【通釈】
○「尽吸庵中水云云」。何かにあった水を残らず飲み干した。瓶のも桶のも皆尽くした。暫くすると、そこ等が雹で堆くなった。「明日山下果有雹」。箱根なら小田原、碓氷なら安中である。そこの町人が来て、昨日は怪しからぬ雹だったと言った。このことはきっと冊子にあると出し、また、とかく人の言うことは信じられないと揚子が言うので、また一つ朱子が確かな人を出して、「有一妻伯劉丈、其人甚樸実云云」。俺の女房の伯父だが、彼は甚だ樸実で、褒美をやるから空言を言えと言われても、嘘を言うことのできない人品だと言って断る人である。それが言うのだから偽りではないだろう。「稍晩了急行云云」。夕方なので急いで通ると、何か熊笹の中がざわざわとして、ごろつく様にも響くので、怪しく思って林中を覗き込んで見られた。「無止」は止め処もないほど沢山の蜥蜴がそこそこにいて、それぞれに何かを持っている。水晶の様なものを持っていた。奇異なことだと思っただけでさっさと山を下り、「未数里」で麓へ下りると直ぐに雹が降って来た。貴方は見ないので嘘だと言うが、こうしたこともあったのは確かなこと。ただ押し付けるものではないと、「此理又不知如何」。一概に片付けられないこと。理のないことはない筈だから、一思案、考えものである。

程子のはないと常理でをすが、爰のはどうしたことで有ふ。程子のも尤なことじゃは、造化若用此物為雹云云。造化が此やうなものを雇ふてする位ては小いことで、中々それでは間に合ぬ。雹は造化の氣て出来るは正面なり。又、氣の変て折節はからしたこともあると、爰のもめ合を吟味することなり。知と云ものは常でしり変でしり、常も変も理の領分になることなり。一つ知た斗では差支る、はたらかぬ、と。一を知て二を知ぬ。漢の高祖か王陵に、汝知其一未知其二と云るる。尤なことぞ。無学でも豪傑はちかふたものなり。知者見之謂知、仁者見之謂仁。伯夷は隘し、桺下恵は不恭も一を知て二を知ぬのなり。知見と云ものは、形せぬ知て形せぬ理を合点すること。片意智と云ことはわるし。鬼神と云ものは氣の上のこと。かうした変も有ものと云が、二を知るの処なり。雹と云ものは造化で出來る。時々は又蜥蜴もすると思へば、知えの幅がひろくさしつかへはないぞ。常道あり、又権道もある。天は流行する。滞らぬ。天の体は圓なり。知も欲圓はそこなり。
【解説】
「造化若用此物爲雹、則造化亦小矣」の説明。造化は蜥蜴がする様な小さなことではないが、気の変からはこの様なこともある。常道があって、また権道もある。常も変も理で知らなければならない。
【通釈】
程子はないと常理で押すが、ここはどうしたことだろう。程子が言うのも尤もなことで、「造化若用此物為雹云云」。造化がこの様なものを雇ってする位では小さいことで、中々それでは間に合わないもの。雹は造化の気でできると言うのは正面なことだが、また、気の変で折節はこうしたこともあると、ここの揉め合いを吟味するのである。知というものは常で知り変で知る。常も変も理の領分になるのである。一つ知っただけでは差し支える、働かないと言う。一を知って二を知らない。漢の高祖が王陵に、「公知其一未知其二」と言われた。それは尤もなこと。無学でも豪傑は違ったもの。「知者見之謂之知、仁者見之謂之仁」。伯夷が隘で柳下恵は不恭と言うのも一を知って二を知らないからである。知見というものは、形のない知で形のない理を合点すること。片意地は悪い。鬼神というものは気の上のこと。こうした変もあるものと言うのが二を知る処である。雹というものは造化でできる。時々はまた蜥蜴もすると思えば、知恵の幅が広く、差し支えはない。常道があり、また権道もある。天は流行する。滞らない。天の体は円である。「知欲円」はそこのこと。
【語釈】
・王陵…秦王朝の臣。前漢王朝の宰相。襄侯。安国侯。右丞相。~前188
・汝知其一未知其二…史記高祖本紀。「高祖置酒雒陽南宮。高祖曰、列侯諸將無敢隱朕、皆言其情。吾所以有天下者何。項氏之所以失天下者何。高起、王陵對曰、陛下慢而侮人、項羽仁而愛人。然陛下使人攻城略地、所降下者因以予之、與天下同利也。項羽妒賢嫉能、有功者害之。賢者疑之、戰勝而不予人功、得地而不予人利。此所以失天下也。高祖曰、公知其一、未知其二。夫運籌策帷帳之中、決勝於千里之外、吾不如子房。鎮國家、撫百姓、給餽饟、不絕糧道、吾不如蕭何。連百萬之軍、戰必勝、攻必取、吾不如韓信。此三者、皆人傑也。吾能用之。此吾所以取天下也。項羽有一范增而不能用、此其所以爲我擒也」。
・知者見之謂知、仁者見之謂仁…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣」。
・伯夷は隘し、桺下恵は不恭…孟子公孫丑章句上9。「孟子曰、伯夷隘、柳下惠不恭。隘與不恭、君子不由也」。
・知も欲圓…近思録為学40。「孫思邈曰、膽欲大而心欲小。智欲圓而行欲方」。

○又南剣鄧徳喩云云。又怪物咄なり。凡ふしぎなことなどは消してしまふが人を導く先生の役なり。孔子も不語怪力乱神は、御手前の用心はいらぬが弟子の惑をひらくためなり。そこを朱子は尤あやしい不測なことを云て、それをひらくが尽せりの処なり。有龍骨は本草にあり、人往て取るは薬にするなり。未入山洞。それをとりにゆくとき、また山の洞へは入ぬ前にふっと見たれば、青い烟りかほっと出た。頓て又火かほっと出た。をそろしい氣色となりて、そこで龍が出た。これはこちでも悦氣なは、龍のある処に龍骨かあると云からは、彼藥種や妄と見たくもあるものじゃか、一鬼隨後。これはきもをけすこと。一鬼と云て繪にあるやうな青鬼黒鬼と云やうなことではない。鬼と云はなにやら怪いものがと云こと。たいの知れぬものぞ。尽人事と云は、日用のことで云。家内のもつれを和睦することもならず、公事をさばくこともならぬ位て、鬼神のことを見破ることはならぬ。孔子の未能事人、いつくんぞ能事鬼はそこなり。小学の文義も済ぬに鬼神は早い。
【解説】
「又南劍鄧德喩嘗爲一人言、嘗至餘杭大滌山中、常有龍骨、人往來取之。未入山洞、見一陣青煙出。少頃、一陣火出。少頃、一龍出、一鬼隨後。大段盡人事、見得破、方是」の説明。鄧德喩が昔龍を見たという。それは人事を尽くした人だから見ることができたのである。
【通釈】
○「又南剣鄧徳喩云云」。また怪物話である。凡そ不思議なことなどは消してしまうのが人を導く先生の役である。孔子の「不語怪力乱神」は、自分の用心には不要だが、弟子の惑いを啓くためのもの。そこを朱子は尤も怪しい不測なことを言い、それを啓くのが「尽矣」の処である。「有龍骨」は本草にあり、「人往来取之」は薬にするのである。「未入山洞」。それを取りに行く時、まだ山の洞に入らない前にふと見ると、青い烟りがぽっと出た。暫くしてまた火かぽっと出た。恐ろしい気色となって、そこで龍が出た。これはこちらにも悦喜になるのは、龍のある処には龍骨があるというからは、彼の藥種屋も妄りに見たくもなるものだが、「一鬼随後」。これは肝を消すこと。一鬼と言っても絵にある様な青鬼や黒鬼という様なことではない。鬼と言うのは、何やら怪しいものがということ。得体の知れないものである。「尽人事」は日用のことで言う。家内の縺れを和睦することもできず、公事を捌くこともできない位で、鬼神のことを見破ることはできない。孔子の「未能事人、焉能事鬼」はそこ。小学の文義も済まないのに鬼神を言うのはまだ早い。
【語釈】
・不語怪力乱神…論語述而20。「子不語怪・力・亂・神」。
・未能事人…論語先進11。「季路問事鬼神。子曰、未能事人。焉能事鬼」。

不信中有一點疑在云云。不信と云が信仰せずと云ことでない。唐朝の俗語に信不及々々と云か合点のゆかぬことを云。不信中一點の疑と云は、合点がいかず根ずみのせぬ所から一點の疑か目に星の出たやうに、とかくぬけぬものなり。利口そうに祭祀来挌じゃの鬼神は氣上のことのと云ふとも、夲道にすまぬゆへ、学者がほぞ落のせぬことを云ひ、口に説ても、根ずみがせぬ。初学者のことでないと云が、不信中一点の疑かったは却て久しく邪魔になることある知もし、こじらかした知がある。知たやうて根ずみせず、さま々々のこと取付引付するやうになり、上達のさはりになる。昨日も云通り、つまり鬼神は大学致知の吟味なり。致知の功からなり。かの一旦豁然貫通で、貫通すると一人でに鬼神のこともくはらりとすむが、さうは云ても當分中々以て鬼神のことのすむやうにはいかぬ。是か直になれは、子貢が一貫も手抦でないことになる。今にはやける学者がろくに論語の講釈もきかず、はや鬼神を云。三つ子に毛のはへたやうなぞ。似合ぬことなり。
【解説】
「不然、不信。中有一點疑在、終不得」の説明。「不信」とは、合点できないこと。致知の吟味が済まないのに祭祀来格や鬼神のことを言うのでは上達の障りとなる。それは初学者に対して言ったことではない。
【通釈】
「不信。中有一點疑在云云」。「不信」とは、信仰しないということではない。唐朝の俗語に「信不及」というのが合点の行かないことを言う。「不信中一点疑」は、合点が行かず根済みしない所からで、一点の疑が目に星の出た様に、とかく抜けないものである。利口そうに祭祀来格だとか鬼神は気上のことだと言っても、本当は済まない。学者が臍落ちのしないことを口で説いても、根済みがしていない。初学者のことではないと言うのが、「不信中一点疑」は、却って久しく邪魔になることのある知もするし、拗らかす知もあるのである。知った様で根済みせず、様々なことを取っ付け引っ付けする様になり、上達の障りになる。昨日も言った通り、つまり鬼神は大学の致知の吟味なのである。致知の功から出る。あの一旦豁然貫通で貫通すると独りでに鬼神のこともすっかりと済むが、そうは言っても当分は中々鬼神のことが済む様には行かない。これが直にできれば、子貢に言った一貫も手柄でないことになる。今、急いた学者が碌に論語の講釈も聴かず、直ぐに鬼神を言う。それは三つ子に毛の生えた様で、似合ないこと。
【語釈】
・一旦豁然貫通…大学章句5註。「至於用力之久、而一旦豁然貫通焉、則衆物之表裏精粗無不到、而吾心之全體大用無不明矣。此謂物格、此謂知之至也」。
・子貢が一貫…論語衛霊公2。「子曰、賜也、女以予爲多學而識之者與。對曰、然。非與。曰、非也。予一以貫之」。

○如前生後生云云。これは、あそこのむこは隣村の誰が生れがはりて来たと云やうな佛者の輪廻の説なり。隣の亡兒か額にあさ有たが、こちの子に丁とあるのはをされぬ生れ替りたと云。亦須要見破得。此破と云字は俗語なれとも、看破説破、みやぶりときやぶる正面の字なり。それは只あるまいこととすてずして、見得破と云は、心に疑のないほどに見破ることなり。上からをしつけをっかぶせ見ず、あけてみるやうなか破なり。そうでもあらふが、理で云へばないことなれとも、氣であやかったでも有ふぞなり。人の死生昼夜の如く日日新なり。生れかはってくると云やうな輪廻の説はないこと。氣にはあやかると云はあることなり。たいた伽羅の匂か手拭に移るやうに、伽羅か手拭に生れかはったではない。あやかって留たのなり。此やうにあやかることもあるゆへ、似た人か生れても、それも氣の聚て凝る端にちょっとあやかったて有ふはないことでもなし。此筋先軰の説あるなり。鳩巣先生の云れしこともありと覚ゆ。訂齋先生も云れたかと思ふ。
【解説】
「又如前生後生、死復爲人之説、亦須要見得破」の説明。生まれ変わって来るという様な輪廻の説はないが、気には肖るということがある。肖って、似た人が生まれることもある。
【通釈】
○「如前生後生云云」。これは、あそこの婿は隣村の誰々が生まれ変わって来たと言う様な仏者の輪廻の説である。隣の亡児の額にあざがあったが、こちらの子にも丁度それがあるのは確かに生まれ変わりだと言う。「亦須要見破得」。この「破」という字は俗語だが、「看破説破」、見破り説き破るという正面の字である。ただそれはないことと捨てない。見得破は、心に疑いのないほどに見破ること。上から押し付けおっ被せるのではなく、開けて見る様なのが破である。その通りで、理で言えばないことだが、気で肖ることもあるだろう。人の死生は昼夜の様に「日日新」である。生まれ変わって来るという様な輪廻の説はないが、気には肖るということはある。焚いた伽羅の匂いが手拭に移るが、伽羅が手拭に生まれ変わったのではない。肖って留まったのである。この様に肖ることもあるので、似た人が生まれるのも、それも気の聚って凝る端に一寸肖ることもなくはない。この筋では先輩の説がある。鳩巣先生が言われたこともあったと思う。訂斎先生も言われたかと思う。
【語釈】
・日日新…大学章句2。「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」。
・鳩巣先生…室鳩巣。1658~1734
・訂齋先生…久米訂斎。京都の人。三宅尚斎門下。名は順利。通称は断二郎。尚斎の娘婿。1784年没。

○又云、南軒折廟云云。此一節も皆あたりのあることて、上の不然不信中有一點疑在を受て見よ。氣かさに人を叱り押付ても人の意はとれぬもの。南軒はあの清爽な氣禀に知見の高峻な方から、あと先の計較安排なくくっはときってのける。天子の御前てもすっ々々と学識なりが出たぞ。折廟の次第とはこれも例の手に出た。奉行のとき、雨を祈るとて舜の廟にゆかれたれば、象か像もあり、廡下に即天か像もあり、幕なとをけっこうにしてあるを見て、即日江の中に投け棄られたこと、南軒集の答書にあり。此が手きはなことなれとも、朱子の意に合ぬ。愚民どもは何のわきまへなく、舜の御秘藏の弟ごの象へと云へは只ならす思ひ、唐の世の女帝様とあかめ尊んで願望きくことに思ふを、奉行の勢であの悪婆々が祠たたきつぶせとて打こはしても、どうやらもったいなく思ひ、ぶる々々ふるやうになり、去るに由て下役人がこはがり、両脚のなへたもあり。然れは惑のひらけぬなれは益はなし。
【解説】
「又云、南軒拆廟、次第亦未到此」の説明。南軒は清爽な気禀で高峻な知見のある人だったので、奉行の時に淫祠を叩き潰そうとしたことがある。しかし、民はそれを勿体なく思い、下役人の中には恐がる者もいた。淫祠を叩き潰しても、惑いが開けないのであれば益はない。
【通釈】
○「又云、南軒拆廟云云」。この一節も皆当たりのあることで、上の「不然不信。中有一點疑在」を受けて見さない。気嵩に人を叱り押し付けても人の意は得ないもの。南軒はあの清爽な気禀で知見の高峻な方から、後先の計較按配なくすっかりと切って除ける。天子の御前てもすっと学識の通りが出る。拆廟の次第も例の手でしたこと。奉行の時に雨を祈ると言って舜の廟に行くと、象の像もあり、庇の下に即天の像もあり、幕などを結構にしてあるのを見て、即日江の中に投け棄てられたことが南軒集の答書にある。これは手際なことだが、朱子の意に合わない。愚民共は何のわきまえもないので、舜の御秘蔵の弟の象といえばただならない人だと思い、即天は唐の世の女帝様だと崇め尊んで願望を聞いてくれると思っているのを、奉行の勢いであの悪婆の祠を叩き潰せと言って打ち壊そうとしても、どうやらそれも勿体なく思い、ぶるぶると震える様になり、そこで下役人の中には恐がって両脚の萎えた者もいた。そこで、惑いが開けないのであれば益はない。

そこて朱子のあれはちと早いと思はるると云ふは、須使民知信云云。淫祠は祭らすと云道理を民がとくと知て、あとてこはい心なくてすればよし。末稍無疑始得。成る程淫祠は無福と疑ないやうになりて明に呑込やうに教て、そこで打こはす程にせふことぞ。只今日夲なとても、もし管相亟の宮のわきに熊坂や日夲左衛門が祠があればこはす筈のことなれとも、盗人悪る者ともしらずして信じてをらは、却て倚神為主なり。其神に倚るとは、祠はなくても其神を心にこめて主とするから、祠を折了てもいよ々々神をば信じ、折つくをは怨む。いや、をらが娘の疱瘡のとき祈ったれは、さて々々しるしがあった、有難いことじゃと云をこはすと、どうも人が得心せす。日蓮が難にあへば遇ほど信仰が深くなるやうなもの。
【解説】
「須是使民知信、末梢(未稍)無疑、始得。不然、民倚神爲主、拆了轉使民信向怨望。」の説明。淫祠は祭らないという道理を民がしっかりと知った後に、それを壊すのでなければならない。淫祠が悪いものだと知らずにそれを信じるのは「倚神為主」であって、その祠を壊せば、益々その神を信じ、拆了した者を怨むことになる。
【通釈】
そこで朱子が、あれは少々早過ぎると思われると言うのは、「須使民知信云云」。淫祠は祭らないという道理を民がしっかりと知り、後で恐くなることもなくてすればよい。「末稍無疑始得」。なるほど淫祠は無福だと疑いのない様になり、それを明らかに呑み込める様に教え、そこで打ち壊す様にしなければならない。只今の日本などでも、もしも管丞相の宮の脇に熊坂や日本左衛門の祠があれば壊す筈のことなのだが、盗人や悪者だとも知らないで信じていれば、却って「倚神為主」である。神に倚るとは、祠はなくてもその神を心に込めて主とするから、祠を拆了してもいよいよ神を信じ、拆了した者を怨むことになる。いや、俺の娘が疱瘡の時に祈ったら実に効き目があった、有難いことだと言っているところを壊すのでは、どうも人が得心しない。日蓮が難に遭えば遭うほど信仰が深くなる様なもの。
【語釈】
・管相亟…管丞相。菅原道真。845~903
・熊坂…熊坂長範。平安末期の大盗。奥州に赴く金売吉次を美濃国(岐阜県)赤坂の宿に襲い、牛若丸に討たれたという伝説的人物。
・日夲左衛門…白波五人男の頭領である日本駄右衛門のモデル。浜松付近で強盗を重ねていた盗賊。延享4年(1747)2月4日に捕縛され、同年3月11日に処刑される。

轉は、これまてよりいかふなり。民か信仰して却て流行るものぞ。正しくても守屋大臣を人は悪むやうに、南軒をも、あの御奉行がこはしたがどうてもだいばじゃと云。是は朱子の事情に通じた云分なり。されとも民可使由之不可使知ゆへ、知から開くことは難いことじゃに、因て形からする筈てもあれども、急なことはあとへ害のもどることを云ぞ。三代には淫祠はあたまでない。後世はあるにして、あれは急にすることは服さぬもの。知のない民なれば、するどいことを見て、こはい斗て御尤と受とらす。学者でさへ鬼神のことをすまさうとしても、どをも知のきはまらぬうちは疑の出るでみよ。
【解説】
民は知で開くのは難しい。そこで形からするのだが、急にすると却って害を生じる。学者でさえ、鬼神のことを済まそうとしても、知が窮まらない内はどうも疑いが出る。
【通釈】
「転」は、これまでよりも強くということ。民が信仰するので却って流行るもの。正しくても守屋大臣を人は悪む様に、南軒をも、壊したあの御奉行はどうでも提婆だと言う。これは朱子の事情に通じた言い分である。しかしながら、「民可使由之、不可使知之」で、知から開くのは難しく、そこで形からする筈でもあるが、急なことは後に害となるもの。三代には、淫祠は初めからないが、後世はある。それがあるから急にすると人が服さないもの。知のない民なのだから、鋭いことを見ては恐がるだけで、御尤もなことだとは受け取らない。学者でさえ鬼神のことを済まそうとしても、知が窮まらない内はどうも疑いが出ることで見なさい。
【語釈】
・守屋大臣…物部守屋。敏達・用明天皇朝の大連。尾輿の子。仏教を排斥して蘇我氏と争い、塔を壊し仏像を焼く。用明天皇の没後、穴穂部皇子を奉じて兵を挙げたが、蘇我氏のために滅ぼされた。~587
・だいば…提婆達多。斛飯王の子。釈尊の従弟。阿難の兄弟。出家して釈尊の弟子となったが、後に背いて師に危害を加えようとして事成らず、死後無間地獄に堕ちたという。
・民可使由之不可使知…論語泰伯9。「子曰、民可使由之、不可使知之」。

○旧有一邑、泥塑一大佛、一方尊信之云云。此一節も民倚神為主を云。南軒ほどのするどいことを理でしていても、却で民の惑のた子になることもあるぞとはどうなれば、一邑泥塑大佛。土て拵へたものゆへほうろくも同しなれども、人の難有々々とするて神が倚るもの。時に無状宗子、とほうもないあばれむすこが有て、人の信仰するをさか馬に乘て、あくたれ者ゆへにどれをれがきゃつが首をふつっと云て泥塑の首を切た。土てこしらへた物なれとも、中には眞木かあるて泥木とは云なり。舎利は仏者の秘藏もので、何やら丸くひか々々するものでふへるとやら云て今もある。骨身と翻訳す。中々泥木に此やうなもの有ふ筈はないに、是か出たは、人心の所致の信のあつまるあたたまりでかうしたことがある。むかし京洛中で八坂の塔がまがる々々々といひ出したを、三宅先生の、いやさあるまいことでもない。京中のものが曲る々々と云人心のよる所でさうもある筈、と。是がここによく合ふなり。朱子の意をよく知て云れたことなり。そのとき迂齊へ、若い衆がきいて何云ふと笑が、人心の灵のよるには微妙なことあるてやと云へり。
【解説】
「舊有一邑、泥塑一大佛、一方尊信之。後被一無状宗子斷其首、民聚哭之、頸上泥木出舍利。泥木豈有此物。只是人心所致」の説明。泥塑の大仏の首を切ったら舎利が出て来たことがあるが、それは民の信が集まった結果である。京洛中で八坂の塔が曲ると言い出したこともあるが、三宅先生が、京中の者が曲ると言う、その人心の倚る所から、その様なこともあると言った。迂斎も、人心の霊が倚るには微妙なことあるものだと言った。
【通釈】
○「旧有一邑、泥塑一大佛、一方尊信之云云」。この一節も「民倚神為主」を言ったこと。南軒ほど鋭いことを理でしていても、却って民の惑いの種になることもあるとはどうしてかと言うと、「一邑泥塑大仏」。土で拵えたものなので焙烙と同じ様なものだが、人が有難いと思うので神が倚るもの。時に「無状宗子」で、途方もない暴れ息子がいて、人の信仰するのを逆馬に乗り、悪たれ者なので、どれ、俺があいつの首を打つと言って泥塑の首を切った。土で拵えた物なのだが、中には真木があるので泥木と言う。「舎利」は仏者の秘蔵のもので、何やら丸くぴかぴかするもので、増えるとやら言い、今もある。「骨身」と翻訳する。中々泥木にこの様なものがある筈はないのにこれが出たのは、「人心所致」の信が集まった温まりでこうしたことになったのである。昔、京洛中で八坂の塔が曲ると言い出したのを三宅先生が、いや、それもないことでもない、京中の者が曲ると言う、その人心の倚る所でその様なこともある筈だと言った。これがここによく合う。朱子の意をよく知って言われたこと。その時、若い衆がこれを聞いて、何を言うかと迂斎に向かって笑ったが、人心の霊が倚るには微妙なことあるものだと迂斎が言った。
【語釈】
・ほうろく…焙烙。炮烙。素焼きの平たい土鍋。火にかけて食品を炒ったり蒸焼きにしたりするのに用いる。炒鍋。早鍋。

○先生謂一僧云。問、龍行云云。ここの記録がしれか子る。此一僧が此座にいたとみへる。此僧に朱子の疑ひをあれに正さふと云ことでもない。又あたりて云ふたとも見へぬ。爰の御咄の調子に僧に向て云なり。問ふは朱子の問ふなり。世間て龍か雨をふらす々々々と云が、こな檨なとは何と思ふと云れたなり。曰不是龍口中出。此は僧が答なり。龍か口中から吐出すと云ことてもあるまい。一氣さそうで竜がをこると雨か隨之ならん、と。僧のよい答へやうなり。僧の答は是ぎりなり。龍禹錫からは朱子のなるほとさうじゃ。禹錫の説にもさうあると丁どをうたれたなり。このやうな雷神龍鬼が色々有たとこから怪物咄をならべ立て、要見得破と云が朱子の尽矣の処なり。根を知て根元ならへて合点すると、小児か色々子だりを云ても母親がをい々々と云て何でも受込て、さうして一つもきかぬやうなもの。あのやうな躰が見得破った所ぞ。いろ々々のことは小児のやにを云のぞ。小児を見破て取あげぬ。されとも虫か痛いとて泣く。夫をばさはぐ。そこは母親は見得破らぬから医者をよふなり。医者はさはがず、泣ても何のこともない。苦しうない、すててをけと云ふ。そこは医者が見得破たのなり。
【解説】
「先生謂一僧云。問、龍行雨如何。曰、不是龍口中吐出。只是龍行時、便有雨隨之。劉禹錫亦嘗言、有人在一高山上、見山下雷神龍鬼之類行雨。此等之類無限、實要見得破」の説明。朱子が僧に、世間では龍が雨を降らすと言うが、どう思うかと訊ねたところ、僧は、龍が口中から雨を吐き出すということでもないだろうと答えた。色々なことを言われても、「見得破」ということが大事である。
【通釈】
○「先生謂一僧云。問、龍行云云」。ここの記録がよくわからない。この一僧がこの座にいたと見える。この僧によって朱子の疑い正そうとしたのでもない。また、祟って言ったとも見えない。ここの御話の成り行きで僧に向かって言ったのである。「問」は朱子が問うたのである。世間では龍が雨を降らすと言うが、貴方などは何と思うかと言われた。「曰不是龍口中出」。これは僧の答えである。龍が口中から雨を吐き出すということでもないだろう。一気が誘って竜が起こると雨がこれに随うのだろうと言った。よい答え様である。僧の答えはこれだけである。龍禹錫からは、なるほどそうだ、禹錫の説にもこうあると、朱子が相槌を打たれたのである。この様な雷神龍鬼が色々とあったところから怪物咄を並べ立て、「要見得破」と言うのが朱子の「尽矣」の処である。根を知って根元を並べて合点すると、小児が色々と強請りを言っても、母親がはいはいと言って何でも受け込んみながら、そうして一つも聞かない様なもの。あの様な姿が見得破った所である。色々とあるのは小児の強請りを言うのと同じ。小児を見破って取り上げない。しかし、虫が痛いと言って泣く時は騒ぐ。そこは、母親は見得破れないから医者を呼ぶ。医者は騒がず、泣いていても何事もなく、苦しくない、捨てて置けと言う。そこは医者が見得破ったのである。

○問、敬鬼神而遠之云云。ここて揚が論語の語思ひ出して、なるほと敬神而遠之じゃ。されとも鬼神があればこそ敬するの遠さくのと云。すれば有には極った。有はあれとも、當敬而遠之、自盡其道。これがはや楊がのけものにする意からなり。不相關。ここのあんばいが孔子の思召とちがうたぞ。不相關は、もてあつかいうるさく思ふからぞ。孔子の遠けるとはちとふりをかへた云分なり。さはらぬ神に祟りなしの筋ぞ。鬼神に食ひ合なしにしてるなり。朱子の、いやさうでもなく、垩人便説云云。垩人かああ仰られたよとまてて、爰に六かしい意をこめて、引而不發なり。垩人の遠くは、直方の、今の者は鬼神へ祈りをし、色々の子だりことをする。鬼神を伯母様のやうに思ふと云。そこて垩人の遠くとは云へり。すてものにすることではない。不相關と云へは、いろは子ばささわりないと云へは、酒狂にはかまはぬとするやうぢゃなり。そこて朱子の御答は、まあ垩人のああ仰らるること急にすみにくいは、敬するならば君父でみよ。遠けはせず。佞人を遠ければ敬しはせぬ筈。
【解説】
「問、敬鬼神而遠之、則亦是言有、但當敬而遠之、自盡其道、便不相關。曰、聖人便説只是如此」の説明。「敬鬼神而遠之」と孔子も言うから鬼神はいるものだが、それは「不相関」なことだと揚子が言った。朱子は、鬼神に関わらないと言うのなら、敬することもない筈であると言った。今の者は鬼神へ祈りをし、色々な強請りごとをする。遠ざくとは、その様なことをしない意である
【通釈】
○「問、敬鬼神而遠之云云」。ここで揚子が論語の語を思い出して、なるほど「敬神而遠之」だが、鬼神があればこそ敬するとか遠ざくと言う。それならあるに極まる。しかし、あるにはあるが、「当敬而遠之、自尽其道」である。これが早くも楊子が鬼神を除け者にする意から言ったこと。「不相関」。ここの塩梅は孔子の思し召しとは違う。不相関は、持て扱うのを煩く思うから言う。孔子の遠ざけるとは一寸振りを変えての言い分である。触らぬ神に祟りなしの筋である。鬼神に食い合いなしにしていること。朱子が、いやそうでもなく、「聖人便説云云」。聖人があの様に仰せられただけで、ここには難しい意を込めて、「引而不発」である。聖人が遠ざくことについて、直方が、今の者は鬼神へ祈りをし、色々な強請りごとをする。鬼神を伯母様の様に思うと言った。そこで聖人が遠ざくと言ったのである。捨て物にすることではない。不相関と言い、弄わなければ障りがないと言えば、酒狂には構わないとする様なこと。そこで朱子の御答えは、まあ聖人があの様に仰せられるのは急には済み難いが、敬は君父ですることを見なさい。遠ざけはしない。佞人は遠ざけるから敬しはしない筈だと言ったのである。
【語釈】
・敬鬼神而遠之…論語雍也20。「樊遲問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣」。
・引而不發…孟子尽心章句上41。「君子引而不發、躍如也。中道而立、能者從之」。

ここのあんばいはむづかしさに、嘗以此問李先生。朱子もをわかいとき、敬の遠くと云はどの位な氣位にすることじゃと思て座先生に問たに、其ほどらいをば答へす、こなたが問たとて急に悟しにくい。不須理會。まあさうしてをけと云れた。口でさとしにくいこと。やがてすまふ、さうしてをく内にいつか知るる。其返答はせずに延平が右の問に、因曰蜥蜴云云。論語のことは打やるて、とかげの咄をされた。ありだけの雹を蜥蜴かつくると思ふことでもなし。又、蜥蜴のつくるもあり。然れは片付るはわるい。敬而遠くと云も直にすましたいと片付るはわるい。まあさうしてをけと云るるは意味あるへきことなり。朱子も片を付す、延平も埒を付す。鬼神のことはいつとなしに合点ゆくべし。なにことのおはしますかはしらねとも、かたじけなさになみたこほるるで、鬼神を敬するも遠くも一度にすむことなり。
【解説】
「嘗以此理問李先生、曰、此處不須理會。先生因曰、蜥蜴爲雹、亦有如此者、非是雹必要此物爲之也」の説明。昔、朱子が若いときに敬や遠ざくのことを李延平に質問すると、李先生は、直ぐにそれを悟ることは難しいからそのままにして置けと言われた。また、蜥蜴について、ありったけの雹を蜥蜴が造るわけでもないが、蜥蜴が雹を造ることもあるだろう、直ぐに片を付けるのは悪いと言った。いつかはわかるのである。
【通釈】
ここの塩梅が難しいので、「嘗以此問李先生」。朱子もお若い時に、敬や遠ざくというのはどの位な気位にすることかと思って李先生に問うと、そのほどあいは答えずに、貴方が問うても急には悟し難い。「不須理会」。まあそのままにして置けと言われた。口では諭し難いこと。やがて済むことだろう。そうして置く内にいつかはわかる。その返答はせずに延平が右の問に対して、「因曰蜥蜴云云」。論語のことは打っ遣って、蜥蜴の話をされた。ありったけの雹を蜥蜴が造ると思うことでもない。また、蜥蜴が造ることもある。それなら片を付けるのは悪い。「敬而遠」というのも直に済ましたいと片を付るのは悪い。まあそうして置けと言われるのは意味のあるべきことである。朱子も片を付けず、延平も埒を付けない。鬼神のことはいつとはなしに合点するだろう。何事のおわしますかは知らねども、忝さに涙こぼるるで、鬼神を敬するのも遠ざくのも一度に済む。
【語釈】
・なにことのおはしますかはしらねとも、かたじけなさになみたこほるる…西行法師が伊勢神宮に参拝した時に作った歌。

無礼はならず、子だりは云れず、只なにとなく泪こぼるるぞ。凡そ有無の間に合点せふことで、これらは六かしいことなれども、無と云てもある、有と云ても必すかうと云はれぬ。故に二つ合点してをくがよいぞ。延平が蜥蜴の答へを論語の敬而遠くへ比して云はれたではなし。論語の意味合も急には示しにくいかに、夫に付てつひと蜥蜴のことを云て、これをでも一片に片つけるはわるいと云れたことなり。あとから見れはなにとなく此さばきて言外に論語もすむことぞ。楊は不相干とするのが、やはり最初の不可信と云見がから、どうしてもつめたくさます方ぞ。夫では鬼神の妙は語られぬことなり。朱子のいくじのないやうに答へられたが、やはり合点さする手段なり。此條開巻にのせられたはいこう面白ぞ。はや朱子流のさばきがみへて、急迫に片付す。意味の深長を窺ふべきなり。
【解説】
延平の蜥蜴の話は、これでさえも一片に片を付けるのは悪いと言われたこと。この条が開巻にあるのがよい。意味の深長を見なさい。
【通釈】
無礼はならず、強請りは言えず、ただ何となく涙がこぼれる。凡そ有無の間で合点すべきことで、これ等は難しいことだが、ないと言ってもある、あると言っても必ずこうだとは言えない。そこで、二つを合点して置くのがよい。延平は蜥蜴の答えを論語の敬而遠に比して言われたのではない。論語の意味合いは急には示し難いので、それにつけて一寸蜥蜴のことを言い、これでさえも一片に片を付けるのは悪いと言われたのである。後から見れば何となくこの捌きで言外に論語も済むもの。揚子が「不相関」とするのは、やはり最初の「不可信」という見からで、どうしても冷たく冷ます方である。それでは鬼神の妙は語れない。朱子は意気地のない様に答えられたが、それがやはり合点させる手段である。この条を開巻に載せられたのは大層面白いこと。早くも朱子流の捌きが見え、急迫には片付けない。意味の深長を窺うべきである。