薛士龍家見鬼條  正月廿八日  惟秀録
【語釈】
・正月廿八日…寛政5年(1793年)1月28日。
・惟秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812

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因論薛士龍家見鬼、曰、世之信鬼神者、皆謂實有在天地間。其不信者、斷然以爲無鬼。然卻又有真箇見者。鄭景望遂以薛氏所見爲實理、不知此特虹霓之類耳。必大因問、虹霓只是氣、還有形質。曰、既能啜水、亦必有腸肚。只纔散、便無了。如雷部神物、亦此類。
【読み】
薛士龍が家に鬼を見るを論ずるに因りて、曰く、世の鬼神を信ずる者は、皆實に有り天地の間に在りと謂う。其の信ぜざる者は、斷然として以て鬼無きと爲す。然るに卻って又真に箇を見る者有り。鄭景望遂に薛氏の見る所を以て實理と爲し、知らず、此れ特に虹霓の類のみなるを。必ずや大いに因りて問う、虹霓只是れ氣、還て形質有りや。曰く、既に能く水を啜れば、亦必ず腸肚有り。只纔に散れば、便ち無し。雷部の神物の如きは、亦此の類なり。

薛士龍が家に何やら異なことの有たことを鬼を見ると云。此間も云通り、鬼と云字か何かあやしいことの有たを鬼と云。○世の信鬼伸者実有云云。此信鬼神の信の字が信道の信のやうに正訓に見るはわるい。爰の信はまんまことも受るのぞ。まん直にうけるものが実有と心得て、天地の間に鬼神屋鋪がありて、其種の有るやうに思が、種はないぞ。されども眞箇に見たもののある時がさばけぬ。朱子南軒のやうに断然との無ひと理斗り云は埒はあいたが、氣の変でひょっと有たとき、人を悟すにこまる。
【解説】
「因論薛士龍家見鬼、曰、世之信鬼神者、皆謂實有在天地間。其不信者、斷然以爲無鬼。然卻又有真箇見者」の説明。鬼神は実際にいると信じる者がいるが、天地の間に鬼神屋敷はない。また、鬼神はいないと理で言えば、気の変で出た時は説明に困る。
【通釈】
薛士龍の家に何やら異なことがあったのを鬼を見ると言う。この間も言った通り、何か怪しいことのあったことを鬼と言う。○「世之信鬼神者実有云云」。この「信鬼神」の信の字を信道の信の様に正訓で見るのは悪い。ここの信はすっかりと受けること。すっかりと受ける者が「実有」と心得、天地の間に鬼神屋敷があって、その種がある様に思うが、種はないぞ。されども「真箇」に見た者のいる時は捌けない。朱子や南軒の様に「断然」とないと理だけで言えば埒は明くが、気の変でひょっとあった時は、人を悟すのに困る。

○所以見為実理。これを鄭景望が実理と云たを、朱子の此さばきが面白い。あの変なことを度法もないことと斗り思ふな。実理と云てもよいとなり。是が悪亦不可謂性云たと同こと。氣の変たと云ても、天地の中に有ることは変と云ものの有のが実理た。訂翁の、梅の木に人の首のなったと有ふとも、怪むことはないと云れた。実理を知たものは氣の変と片付る。子を産むは実理だか、ひょんな者の生るることもある。十月で産は定りだか、七八月で生るるもあり、眼前あること出してしれは、地藏極樂のさたよりばけものはよいもの。折節見るだけよし。地獄は見たものない。其筈よ、死た後のこと故なり。これ実理でない。
【解説】
「鄭景望遂以薛氏所見爲實理」の説明。気の変も天地の中にあることであり、それは実理である。眼前にあることを出して捌けばよい。地獄極楽の沙汰は死後のことだから、実理ではない。
【通釈】
○「所以見為実理」。鄭景望が実理だと言ったのに対する朱子のこの捌きが面白い。あの変なことを途方もないことだとばかり思うな。実理と言ってもよいと言った。これが「悪亦不可謂性」と言うのと同じこと。気の変だと言っても、天地の中にあることは、変というもののあるのが実理である。訂翁が、梅の木に人の首が生ったとしても、怪しむことはないと言われた。実理を知った者は気の変だと片付ける。子を産むのは実理だか、ひょんな者が生まれることもある。十月で産むのは定りだか、七八月で生まれることもあり、眼前にあることを出して知れば、地獄極楽の沙汰より化け物はよいもの。折節見るだけよい。地獄は見た者がいない。その筈で、死んだ後のことだからである。これは実理でない。
【語釈】
・悪亦不可謂性…
・訂翁…久米訂斎。京都の人。三宅尚斎門下。名は順利。通称は断二郎。尚斎の娘婿。1784年没。

○不知とは、をれもしかとは知ぬが。鄭景望が実理と云も靣白ひ。虹は日月と違て常にあるものでなく、いつ頃にといま暦にもなく不断有もせぬが、常理なれはこそ月令にはあり。虹なとは折節出て馴れたから何のことはない。其虹のやうに氣が聚って、其中に形のやうながありて、人の目にみへたで有を。幽灵もそのいきが。ただ不知とは、それでもあらふぞと同心した方のことばなり。殊不知と云。文勢とはちがふ。妖怪は氣の変なり。虹は変異でもなく、常にはなし。有はづのことでたま々々あるは実理としたものなり。
【解説】
「不知此特虹霓之類耳」の説明。虹は常にはないが、変異ではない。偶々出るから実理と言う。虹の様に気が聚まり、その中に形の様なものがあって、人の目に見えたのだろう。幽霊もそれだろう。
【通釈】
○「不知」とは、俺もはっきりとは知らないがということ。鄭景望が実理と言ったのも面白い。虹は日月とは違って常にあるものではなく、いつ頃に出ると今の暦にもなく、普段はないものだが、常理であるからこそ月令にはある。虹などは折節出て馴れているから何事もない。その虹の様に気が聚まり、その中に形の様なものがあって、人の目に見えたのだろう。幽霊もその域か。不知と言うのは、そうでもあろうと同心した方の言葉である。それを殊に不知と言う。文勢とは違う。妖怪は気の変である。虹は変異でもなく、常にはない。しかし、ある筈のことで、偶々あるから実理としたもの。

○心大因問。これは呉伯豊だ。朱門の歴々ぞ。不見処で問たでない。虹のはなしについて形あるかとの問じゃ。時に朱子が此やうに面白をかしふ云が趣向じゃ。虹が水を吸ふと云からは餌ふくろがあらふさとなり。されどもあれが一寸となくなるからは、急度した腹肚もあるまいとなり。知たがけにやりばなしを云。医者も下手はつかまへて云ふぞ。これがやはり又すしいあいさつなり。○雷部神物。雷の部にさま々々な神物がある。惟秀按に、夲草雷條有雷槌雷斧者、隕地下。あれか一時に形をなしたものとみへる。虹も氣が聚てああだが、神物あるからは薄墨で書たやうな膓か有ふ。
【解説】
「必大因問、虹霓只是氣、還有形質。曰、既能啜水、亦必有腸肚。只纔散、便無了。如雷部神物、亦此類」の説明。朱子は、虹は直ぐに消えるから水を吸うための腹はないだろうと言った。しかし、それは遣り放しに言ったのであり、雷には様々な神物があるから、それが一時に形を成したのだろう。神物があるからは、虹にも薄墨で書いた様な腹があるのだろう。
【通釈】
○「心大因問」。これは呉伯豊の語で、彼は朱門の歴々である。見処がなくて問うたのではない。虹の話について形はあるのかとの問いである。時に朱子がこの様に面白可笑しく言うのが趣向である。虹が水を吸うと言うからは餌袋があるのだろうが、あれは一寸でなくなるのだから、しっかりとした腸肚はないだろうと言う。知っているだけに遣り放しに言う。医者も下手な者は掴まえて言う。これがやはりまた涼しい挨拶である。○「雷部神物」。雷の部に様々な神物がある。惟秀按ずるに、本草雷條に雷槌雷斧なる者有り、地下に隕す。あれが一時に形を成したものと見える。虹も気が聚まってあの様になるが、神物があるからは、薄墨で書いた様な腹があるのだろう。
【語釈】
・呉伯豊…


鄭説有人條
3
鄭説、有人寤寐間見鬼通刺甚驗者。曰、如此、則是不有不無底紙筆。
【読み】
鄭説く、人有りて寤寐の間に鬼の刺を通じ甚だ驗なる者を見る。曰く、此の如きは、則ち是れ有らず無からず底の紙筆。

刺は名刺名札のこと。鬼神の所から口上書がきた。夫がはや胸中に的したことた。私親類の誰れ夫れが慥に見たとなり。如是則是云云。これも朱子がやりはなしを云れた。口上書と云は御家流か大橋かしっかと書てくることたが、そりゃ不有不無底紙筆だらふと馬鹿なやうに云たか、馬鹿にしたとみることでない。鬼神をみるにはこのやうなことか題になる。鬼神は氣についたこと。今ぞっとしてきたと云ことある。人に打れたでも驚かされたでもなくぞっとした。それが氣の聚るのぞ。昨日ふをもう一返と頼でもならぬことだか、たまさかに有こと。枕元に手紙のあるも此いきた。
【解説】
鬼神の所から口上書が来る。気が聚まることでぞっとすることもあるのだから、この様なこともないとは言えない。
【通釈】
「刺」は名刺や名札のこと。鬼神の所から口上書が来た。それが早くも胸中に的したこと。私の親類の誰それが確かに見たと言う。「如此則是云云」。朱子が遣り放しに言われた。口上書とは御家流か大橋かでしっかりと書いて来ることだが、それは「不有不無底紙筆」だろうと馬鹿にした様に言ったのだが、これは馬鹿にしたと見てはならない。鬼神を見るにはこの様なことが題になる。鬼神は気に関したこと。今ぞっとして来たということがある。人に打れたのでも驚かされたのでもなくぞっとした。それは気の聚まったのである。昨日をもう一遍と頼んでも叶わないことだか、希にあること。枕元に手紙のあるもこの域である。
【語釈】
・御家流…和様書道の一派。青蓮院流が江戸時代に至って大衆化したもの。江戸時代の公文書はこの書体に限られた。家様。
・大橋…大橋流。御家流の一派。江戸前期、大橋重政(1618~1672)の創始。松花堂から出て、書風は流麗。江戸幕府の文書にその筆跡が多い。


問伯有之事條
4
問、伯有之事別是一理、如何。曰、是別是一理。人之所以病而終盡、則其氣散矣。或遭刑、或忽然而死者、氣猶聚而未散、然亦終於一散。釋道所以自私其身者、便死時亦只是畱其身不得、終是不甘心死。御冤憤者亦然。故其氣皆不散。浦城山中有一道人、常在山中燒丹。後因一日出神、乃祝其人云、七日不返時、可燒我。未滿七日、其人焚之。後其道人歸、叫罵取身、亦能於壁間寫字。但是墨較淡、不久又無。揚嘗聞張天覺有一事亦然。鄧隱峰一事亦然。其人只管討身。隱峰云、説底是甚麼。其人悟、謝之而去。
【読み】
問う、伯有の事別に是れ一理と、如何。曰く、是れ別に是れ一理。人の以て病みて終に盡きる所は、則ち其の氣散ずるなり。或いは刑に遭い、或いは忽然として死ぬる者は、氣猶聚って未だ散ぜざるに、然るに亦一散に終える。釋道の以て自ら其の身を私する所の者は、便ち死する時は亦只是れ其の身を畱めて得ず、終に是れ死に甘心せず。冤憤を御する者亦然り。故に其の氣皆散らず。浦城山中に一道人有り、常に山中に在り丹を燒く。後、一日神を出るに因りて、乃ち其の人に祝して云う、七日に返らざる時は、我を燒く可し。未だ七日に滿ずして、其の人之を焚く。後、其の道人歸りて、叫罵し身を取り、亦能く壁間に於て字を寫す。但是れ墨較淡、久しからず又無し。揚嘗て聞く、張天覺に一事有りて亦然り。鄧隱峰が一事亦然り。其の人只管身を討つ。隱峰云う、説底是れ甚だ麼す。其の人悟り、之を謝して去る。

幽灵に名の高いが唐で伯有、日夲で知盛だ。別是一理と云は伊川の語た。程門か此ことを片を付たかりて問たれば、伊川が別に是一理。爰て朱門かかたを付たかりて問たれは、朱子かやっはり又別に是一理。わけあることだと云から、程子や朱子のきげんのよい日にはよく説てきかせることかと思ふにさうてない。妖物を問ふ男に云てきかせては埒のあかぬことだから、其塲をぬくための答詞ぞ。学問か上るとすむ。聞に及ぬと云こと。子どものときくらやみをこはがるが、大人になるといつかこはくはない。それと同しこと。此男か伊川の別是一理と云た其理か聞たいとあるに、朱子が又別是一理と云たが、されとも此跡の朱子の答て別に一理もすむそ。幽灵をみるは何のこともないが、すわ幽灵にならうと云日にはなりにくいことだ。やみつかれて死子ば氣がちりて茶漬さへくわれぬ。幽灵になるは六ヶしいことだ。たま々々出るは学者の厄介になる。○或遭刑、或忽然而死者。死ぬでないに咎ぼっくり首をきられたり、又ふと死ぬ。これらはちらぬとは云ものの、どこぞでは散る。夫て古い幽灵はない。いつも々々々段々は出す。頼朝義經さへ死ぬと平知盛は出ぬ。長命な幽灵はない。
【解説】
問、伯有之事別是一理、如何。曰、是別是一理。人之所以病而終盡、則其氣散矣。或遭刑、或忽然而死者、氣猶聚而未散、然亦終於一散。伊川や朱子が「是別是一理」と言ったのは、妖物を問う男にそのわけを言って聞かせても埒が明かないからで、学問が上がればそれは済むもの。幽霊を見るのは容易いが、幽霊になるのは難しい。死ねばいつかは気が散るので、長命な幽霊はない。
【通釈】
幽霊として名高いのが唐では伯有、日本では知盛である。「別是一理」は伊川の語である。程門がこのことに片を付けたがって問うと、伊川が別是一理と言った。ここで朱門が片を付けたがって問うと、やはりまた朱子が別是一理と言った。わけあることだと言うのだから、程子や朱子の機嫌のよい日にはよく説いて聞かせることかと思えばそうではない。妖物を問う男に言って聞かせても埒の明かないことだから、その場を脱するための答詞である。学問が上がれば済む。聞くには及ばないということ。子供の時には暗闇を恐がるが、大人になるといつか恐くはなくなる。それと同じこと。この男が、伊川が別是一理と言ったその理を聞きたいと言うのに対して、朱子もまた別是一理とは言ったが、しかしながらこの後の朱子の答えで別に一理であっても済むもの。幽霊を見るのは何事もないことだが、実際に幽霊にならうと言う日にはなり難いもの。病み疲れて死ねば気が散って茶漬さえ食うことができない。幽霊になるのは難しいこと。偶々出るのでは学者の厄介になる。○「或遭刑、或忽然而死者」。死ぬ筈でないのに咎でぼっくりと首を切られたり、また、ふっと死ぬ。これ等は散らないとは言うものの、何処かでは散る。そこで古い幽霊はないもの。いつも度々は出ない。頼朝や義経でさえ、死ねば平知盛は出ない。長命な幽霊はない。
【語釈】
・伯有…伯有は鄭の卿で、子産に殺された。
・知盛…平知盛。平安末期の武将。清盛の子。重盛・宗盛の弟。権中納言。1180年(治承四)源頼政を宇治に滅ぼし、81年(養和一)源行家を美濃に破った。壇ノ浦の戦で「見るべき程の事は見つ」と入水。1152~1185

○釈道所以自私其身。爰らで呼ひ出されては佛者も迷惑た。私其身とは、垩賢は死ぬことや精神魂魄のことは夫なりにしてすててをく。仏者が多年観心して本來の靣目をしやう々々々とするから、そこへ氣がとまる。一文ためをしてためた金には精神がそれにとまる。そこで金箱を盗まれでもすると乱心したり病氣になる。これらがすぐに幽灵にちかいことだ。佛者が精神魂魄有知有覚を大事がる。そこで寂滅為樂と云ながら、とまるものがあり、のこる。きたないことだ。是が釈を排さうとて云たてはないが、つかまりて排釈のこもるも面白い。達磨面壁も氣がとまる。私と云ものなり。禹は八年かけあるいたぞ。太極の流行なり。
【解説】
「釋道所以自私其身者、便死時亦只是畱其身不得、終是不甘心死。御冤憤者亦然。故其氣皆不散」の説明。仏者は精神魂魄有知有覚を大事がる。それで気が留まる。それは私である。
【通釈】
○「釈道所以自私其身」。ここ等で呼び出されては仏者も迷惑である。「私其身」は、聖賢は死ぬことや精神魂魄のことはそれなりにして捨てて置くが、仏者は多年観心をして本来の面目をしようとするから、そこへ気が留まる。一文貯めをして貯めた金には精神がそれに留まる。そこで金箱を盗まれでもすると乱心したり病気にもなる。これ等が直に幽霊に近いこと。仏者は精神魂魄有知有覚を大事がる。そこで寂滅為楽と言いながら、留まるものがあり、残る。それは汚いこと。これが釈を排そうとして言ったことではないが、掴まることに排釈がこもるのも面白い。達磨面壁も気が留まる。それは私というものである。禹は八年駆けて歩いた。それが太極の流行である。
【語釈】
・禹は八年かけあるいた…孟子滕文公章句上4。「禹疏九河、瀹濟漯、而注諸海。決汝漢、排淮泗、而注之江。然後中國可得而食也。當是時也、禹八年於外、三過其門而不入」。

○焼丹出神。仙術を学ぶ者がすること。丹藥が成て夫を呑むと鶴に乘るの、鯉にのるのと云が出神の処だ。繪にも書てある。妙を得ると魂が形につかずにもをる。玉しい斗り出る。浦城道人自由を云た。をれ精神を出すがら骸はいらぬやうなものだが、まあかうしてをいて、をれが七日すぎて歸らずば焼けと云た。それをちと早く焼た。是が今の田舎の世話するものが葬礼をいそぐやうに、早く片を付けたがりてはやくやいたれば、何用あるてか戻て、をれがからだはどうしたとて、道人に似合ぬ怒たり恨たりした。これが骸をやはり約束通りにをけば何の手もないこと。又そっくり這入るで有ふ。そこがあちの妙になるに、魂斗りうろついて、なぜやいたなどと云て、夫がこうじて口斗りでなく壁にも書たが、夫がうす墨であったとなり。いかさま下馬札のやうではなかった筈なり。張天覚のことははしらず、鄧隱峯傳燈録に有ると幸子善の云はれし。
【解説】
「浦城山中有一道人、常在山中燒丹。後因一日出神、乃祝其人云、七日不返時、可燒我。未滿七日、其人焚之。後其道人歸、叫罵取身、亦能於壁間寫字。但是墨較淡、不久又無。」の説明。仙人が魂だけになり、体を残して出て行った。その際、七日過ぎて帰らなければ体を焼けと命じたのだが、命じられた者は七日を待たずに焼いてしまった。仙人は体を焼いたことを恨み、それを壁にも書いたが、それは薄墨だった。
【通釈】
○「焼丹出神」。仙術を学ぶ者がすること。丹薬ができてそれを呑むと鶴に乗ったり鯉に乗ったりすることができるというのが出神の処。絵にも書いてある。妙を得ると魂が形に付かないでいる。魂だけで出る。浦城の道人が勝手を言った。俺は精神を出すから骸は要らない様なものだが、まあこうして置いて、俺が七日過ぎて帰らなければ焼けと言った。それを少し早く焼いた。これが今の田舎の世話をする者が葬礼を急ぐ様に、早く片を付けたがって早く焼いたのだが、何用があってか戻り、俺の体はどうしたと言い、道人には似合わず怒ったり恨んだりした。これは骸をやはり約束通りにすれば何の問題のなかったことで、またそっくり這い入ったことだろう。そこがあちらの妙になることだが、魂だけがうろついて、何故焼いたなどと言い、それが高じて口だけではなく壁にも書いたが、それが薄墨だったという。いかにも下馬札の様ではなかった筈。張天覚のことは知らないが、鄧隠峯伝燈録にあると幸子善が言われた。
【語釈】
・下馬札…社寺などの境内で、そこで下馬すべきことを記した立札。
・幸子善…幸田子善。迂斎門下。1720~1792

是も道人が有たときに玉しいがぬけ出てたづ子たもの。何が尋子たれは、隱峯が何を云のだと云たれば、玉しいが氣がついて云わけしてにげたとなり。妖怪のことはこちのちそう次第で霊がつよくなるとよはるとの違いがある。相手の魂がよはいからつけこまれてよはりたが、鄧隱はみちきってをる。何んだと云と、使の者の門違いのやうに云わけしてきへた。妖は不勝徳しゃ。薛文靖でか有た。夜学してをらるるる上へ妖物が大きな手を出したから、持ていた朱筆で花と云字を掌へ書たれば、其手をむし々々としてをるほどに、水をかけけしてやったれば、すっとにげた。此方のあしらいにあることなり。三宅先生、ばけものやしきに居られたと云こと今ある書物にあるが、大かた窂から出られた當座に店賃がやすいから借りたで有ふ。其首末迂齊に細にきか子ども、多田先生が史記を真二つに切たと云も其ときのことなるべし。先生に嘲られてあの若い人が史記を二つにやられましたと、くひ々々笑れしと云。遺事にものせた。薛文靖ても尚翁でも、はや妖のせんをとるぞ。これで不正の鬼神は、人が正ければあたまはあがらぬなり。
【解説】
「揚嘗聞張天覺有一事亦然。其人只管討身。隱峰云、説底是甚麼。其人悟、謝之而去」の説明。「妖不勝徳」で、こちらの魂が強ければ、妖怪は頭を上げることができない。薛文靖や三宅先生も魂が強い。
【通釈】
これも道人がいた時に魂が抜け出て尋ねたもの。何かを尋ねると、隠峯が何を言うのだと言うと、魂が気付いて言い訳をして逃げたという。妖怪のことはこちらの馳走次第で霊が強くなったり弱くなったりするという違いがある。相手の魂が弱いから付け込まれて弱るが、鄧隠は充ち切っている。何だと言うと、使いの者が門違いをした様に言い訳をして消えた。妖は徳に勝たずである。薛文靖だっただろうか。夜学をしておられるところへ妖物が大きな手を出したから、持っていた朱筆で花という字を掌に書くと、その手をむじむじとしているので、水をかけて消して遣ると、すっと逃げた。こちらの対応にあること。三宅先生が化け物屋敷におられたということが今ある書物にあるが、大方牢から出られた当座で店賃が安いから借りたのだろう。その顛末を迂斎に細かに聞いてはいないが、多田先生が史記を真二つに切ったというのもその時のことだっただろう。先生に嘲られてあの若い人が史記を二つに切りましたと、ぐびぐび笑われたという。遺事にも載っている。薛文靖でも尚翁でも、早、妖の先を取る。不正の鬼神は、人が正ければ頭を上げることはできないのである。
【語釈】
・三宅先生…三宅尚斎。諱は重固。幼名は小次郎。丹治。
・多田先生…名は儀。字は維則。通称は儀八郎。東渓。平安の人。迂斎の推薦で館林侯に仕える。三宅尚斎門下。1702~1764
・薛文靖…薛徳温、薛敬軒。


伯有為厲之事條
5
伯有爲厲之事、自是一理。謂非生死之常理。人死則氣散、理之常也。它卻用物宏、取精多、族大而強死。故其氣未散耳。
【読み】
伯有厲を爲すの事、自ら是れ一理、と。生死の常理に非ざるを謂う。人死すれば則ち氣散ずるは、理の常なり。它は卻って物を用いること宏に、精を取ること多く、族大にして強死す。故に其の氣未だ散ぜざるのみ。

死則氣散。これは定りだが、暴死のものは散りきらす、為厲こともあると云こと。子産を鬼神の情状を知るとほめるも爰のことぞ。霊のをりはがないから、人に憑るぞ。跡を立ればやむと云た。用物宏。これも子産が云たこと。左昭七年。伯有が大身で、思用調度か立派て澤山で、君にもをとらぬ大屋鋪を持た大身だ。取精多。魄がたっふりとして生れが至て丈夫、あぶらきりた方なり。其上族大。筋目で云ことなり。氏族も大ひ。此やうな人の病氣のときは君同然にとりもたるるもの。此やうなことが幽灵の種になると云が尤なこと。道橋に子ている乞食などは生れたうちから死たも同然じゃ。さきの世はあるかなきかはしら玉の露の命のをきところなきと云ふ。三日あとに食たままと云。これらは死だやうなもの。鱣なぞと云が精をとるの多きだ。あたまを切てあるに、一日もはく々々水をのんで活てをる。藥にもなるはつだ。
【解説】
死ねば気は散るのが常理だが、伯有の様な生まれ付きの人が強死すれば、気が散らないこともある。
【通釈】
「死則気散」。これは定まりだが、暴死した者は散り切らず、厲をなすこともあるということ。子産を鬼神の情状を知ると褒めるのもここのこと。霊の居り場がないから、人が憑れる。跡を立てれば止むと言った。「用物宏」。これも子産が言ったこと。左昭七年。伯有は大身で、思用する調度が立派で沢山で、君にも劣らない大屋敷を持った人。「取精多」。魄がたっぷりとして生まれが至って丈夫で、脂ぎった方である。その上「族大」。筋目で言うこと。氏族も大きい。この様な人が病気の時は君同然に取り持たれるもの。この様なことが幽霊の種になると言うのが尤もなこと。道端に寝ている乞食などは生まれた時から死んだも同然である。先の世はあるかなきかはしら玉の露の命の置き所なきと言う。三日前に食べたけと言う。これ等は死んだ様なもの。鰻などというのが「取精多」である。頭を切ってあるのに、一日もぱくぱくと水を飲んで活きている。薬にもなる筈である。
【語釈】
・子産…中国春秋時代の鄭国の政治家。氏は国。諱は僑。子産は字。鄭の穆公の孫。~前522
・鬼神の情状を知る…易経繋辞伝上4。「仰以觀於天文、俯以察於地理、是故知幽明之故。原始反終、故知死生之説。精氣爲物、遊魂爲變、是故知鬼神之情状」。
・用物宏…春秋左氏伝昭公七年。「及子産適晉。趙景子問焉、曰、伯有猶能爲鬼乎。子産曰、能。人生始化曰魄、既生魄、陽曰魂。用物精多、則魂魄強。是以有精爽、至於神明。匹夫匹婦強死、其魂魄猶能馮依於人、以爲淫厲。況良霄。我先君穆公之冑、子良之孫、子耳之子、敝邑之卿、從政三世矣。鄭雖無腆、抑諺曰、蕞爾國、而三世執其政柄、其用物也弘矣、其取精也多矣、其族又大、所馮厚矣。而強死、能爲鬼、不亦宜乎」。
・さきの世はあるかなきかはしら玉の露の命のをきところなき…


物怪神姦條
6
問、世俗所謂物怪神姦之説、則如何斷。曰、世俗大抵十分有八分是胡説、二分亦有此理。多有是非命死者、或溺死、或殺死、或暴病卒死、是他氣未盡、故憑依如此。又有是乍死後氣未消盡、是他當初稟得氣盛、故如此、然終久亦消了。蓋精與氣合、便生人物、游魂爲變、便無了。如人説神仙、古來神仙皆不見。只是説後來神仙。如左傳伯有爲厲、此鬼今亦不見。問、自家道理正、則自不能相干。曰、亦須是氣能配義、始得。若氣不能配義、便餒了。六十三。
【読み】
問う、世俗謂う所の物怪神姦の説は、則ち如何か斷せん。曰く、世俗大抵十分に八分是の胡説有り、二分は亦此の理有り。多く是れ命に非ずして死する者、或いは溺死、或いは殺死、或いは暴病卒死有り、是れ他の氣未だ盡きざる、故に憑依すること此の如し。又是れ乍死の後氣未だ消盡せざる有り、是れ他の當初に氣を稟得すること盛ん、故に此の如く、然るに終に久しく亦消了す。蓋し精と氣と合すれば、便ち人物を生じ、游魂變を爲し、便ち無了す。人の神仙を説くが如き、古來神仙皆見ず。只是れ後來の神仙を説く。左傳伯有の厲を爲すが如き、此の鬼今亦見ず。問う、自家の道理正しければ、則ち自ら相干すること能わず。曰く、亦須らく是れ氣の能く義を配すべくして、始めて得。若し氣の能く義に配すること能わざれば、便ち餒了す。六十三。

物怪神姦。あの條なとが彼の序文の至れる尽せりの処だ。いつわりがよくすむ。怪なことは十ある内に八つは胡説なもの。皆めったなことを云のだが、二分は又有此理じゃ。則上の條の伯有か用物宏云云の幽灵の出るはづかある。暴病卒死のものは常とちかふことあるぞ。氣がいきもので血腥いなどと云が、死だ後でも生てをるものある。横死の者も魂魄は离れるか、离れてもよるものがある。發りに鬼神の来挌のあると云で妖物のあるが知れた。正鬼神と邪鬼神と云わけこそあれ、よる段は一つことだ。そこで中庸鬼神の章の章句に昭明焄蒿悟愴、死すときのことが出てある。是か尤なこと。死たときの其氣発揚于上をこちへ呼かへす。そこへよると云ことある。それに付てもめったに俗人かはやふ葬埋したがると云がいやなこと。今散たたをはや埋る。三日迠に蘇ると云ことあるも、まだ尽ききらぬのなり。片すみて伽羅をたけば、その坐へあとから来たものが何か焼たそうなと云。煙りはちれとも匂ひはのこる。多葉粉もよいは匂ふが永い。たきものいつがいつまでも匂はせぬか、盛なはよほどの間のこることあるぞ。悪源太死ながら難波次郎をにらんだと云。雷になったと云はめったを云たなれども、あの盛なていの者はのこるぞ。
【解説】
「問、世俗所謂物怪神姦之説、則如何斷。曰、世俗大抵十分有八分是胡説、二分亦有此理。多有是非命死者、或溺死、或殺死、或暴病卒死、是他氣未盡、故憑依如此。又有是乍死後氣未消盡、是他當初稟得氣盛、故如此、然終久亦消了」の説明。神姦の説の八割は胡説だが、二割には理がある。死んだ時の気は尽き切らないから、それを呼び戻すことがある。伽羅を焚けば、煙は散っても匂いは残る。気もまた残ることがある。
【通釈】
「物怪神姦」。この条などが彼の序文の「至矣尽矣」の処。偽りがよく済む。怪しいことは十の内八つが胡説である。皆滅多矢鱈なことを言うが、しかし二分は「亦有此理」である。則ち前条にある伯有の「用物宏云云」の幽霊が出る筈がある。暴病卒死の者は常とは違うことがある。気は生き物で血腥いなどと言うが、死んだ後でも生きているものがある。横死の者も魂魄は離れるが、離れても倚るものがある。発揚して鬼神の来格があると言うので妖物のあることがわかる。正鬼神と邪鬼神と言うわけこそあるが、倚る段では同じである。そこで中庸鬼神の章の章句に「昭明焄蒿悽愴」とあり、死ぬ時のことが出ている。これが尤もなこと。死んだ時の「其気発揚于上」をこちらへ呼び返す。そこへ倚るということがある。それに付けても滅多に俗人が早く葬埋をしたがるというのが嫌なこと。今散ったのを早くも埋める。三日までに蘇るということもあって、まだ尽き切らないのである。片隅で伽羅を焚けば、その座へ後から来た者が何か焚いた様だと言う。煙は散っても匂いは残る。煙草がよいのも匂うのが永いから。焚き物もいつまでも匂いはしないが、盛んなものは余程の間残ることがある。悪源太は死にながら難波三郎を睨んだと言う。雷になったと言うのは滅多なことを言ったものだが、あの盛んな底の者であれば残る。
【語釈】
・昭明焄蒿悟愴…中庸章句16集註。「孔子曰、其氣發揚于上、爲昭明焄蒿悽愴。此百物之精也。神之著也」。
・悪源太…源義平。平安末期の武将。義朝の長男。勇敢で強く、一五歳の時、叔父義賢と戦ってこれを斬り、悪源太の異名を得た。後に平治の乱に父に従って奮戦、敗れて美濃に逃れたが、父の死後、単身京都に入って平氏をうかがい、捕えられて斬。1141~1160
・難波次郎…難波次郎経遠。
・雷になった…源義平が難波三郎経房に斬られる際に、雷になって蹴り殺してやると経房に言った。後に義平は雷神となって、経房を蹴り殺した。(平治物語)

○精氣為物游魂為変。孔子の死生のことを云れたのだ。諺に合せ、ものは离れると云。出来たものには數かあるから、尽るときは尽る。百目かけの蝋煬なくなるときはなくなる。是か天地の理て、目出度ことぞ。後来神仙。左傳の伯有ばけものもいつまでも出ず、仙人いつ迠も生てはをらぬ。そこて後来の仙人話と云がさきのことを云。山居して氣を煉り、木の実や松葉をくってをれは仙人になると云が、夫よりは東方朔や浦嶌に近付にするがよいが、昔の仙人は今なさに後来を云ふ。されとも是も迷ふとき、仙人が出てくる。漢武帝だまされた。はや山師がつくさ。君があの銅器は先年齊の桓公の処で見た器たと云。そこでさてはとのってきた。先生笑曰、武帝に齊の桓公とは仙人がよい趣向をとり合せた。拍子にいかなことだまされた。此以後千年生ると云は今知れぬことゆへ云たもの。漢の代に有た仙人なぞは宗朝までは有そうな者しゃが、ない。
【解説】
「蓋精與氣合、便生人物、游魂爲變、便無了。如人説神仙、古來神仙皆不見。只是説後來神仙。如左傳伯有爲厲、此鬼今亦不見」の説明。ものには命数があるからいつかは尽きる。化け物はいつまでも出てはおらず、仙人もいつまでも生きてはいない。
【通釈】
○「精気為物遊魂為変」。これは、孔子が死生のことを言われたもの。諺に合わせ、ものは離れると言う。できたものには命数があるから、尽きる時は尽きる。百目掛けの蝋燭もなくなる時はなくなる。これが天地の理で、目出度いこと。「古来神仙」。左伝にある伯有などの化け物はいつまでも出てはおらず、仙人もいつまでも生きてはいない。そこで後来の仙人話というのが後のことを言ったこと。山居して気を練り、木の実や松葉を食っていれば仙人になると言う。それよりは東方朔や浦島に近付きになる方がよいが、昔の仙人は今いないので後来を言う。しかしながら、それでも迷う時には仙人が出て来る。漢武帝が騙された。早くも山師が付いた。君のあの銅器は先年斉の桓公の処で見た器だと言う。そこで、それならと乗って来た。先生が微笑んで言った。武帝に斉の桓公とは仙人がよい趣向を取り合わせた。その拍子に大層騙された。此以後千年生きると言ったのは、今はそれを知ることができないから言ったもの。漢の代にいた仙人などは宋朝まで生きていそうな者だが、生きてはいない。
【語釈】
・精氣為物游魂為変…易経繋辞伝上4。「仰以觀於天文、俯以察於地理、是故知幽明之故。原始反終、故知死生之説。精氣爲物、遊魂爲變、是故知鬼神之情状」。
・東方朔…前漢の学者。字は曼倩。山東平原の人。武帝に仕え、金馬門侍中となる。ひろく諸子百家の語に通じ、奇行が多かった。伝説では方士として知られ、西王母の桃を盗食して死ぬことを得ず、長寿をほしいままにしたと伝える。前154頃~前93頃
・漢武帝だまされた…李少君が、武帝が持っている古い銅器を見て、斉の桓公がこの銅器を愛蔵しいるのを見たことがあると言ったこと。李少君は方士。

○自家道理云云。立派な問ぞ。此方が正くは犯すことはなるまいとなり。迂齊曰、病氣の時山伏か来て、何ぞ覚かこざらぬかと云れたときがこはかるもの、と。いかさま先年妼をと云。それから氣味がわるくなる。覚のないは道義がはり出すからこはくない。是はよいとひだが、道義て斗云。朱子の、こなたのがよいが、道理がよくても氣がよはいとをそれるもの。孟子の浩然の氣を前垩未発とほめるもそこのこと。道理の上に氣が強ければ鬼に金棒た。氣の養がないと道理もひける。陳不占道理はよくても氣がひけた。其道理に浩然の氣と云裏打をするて上もないことになる。道理斗で氣がないと、市井で云こはくはないが氣味がわるいの筋ぞ。太極圖の講釈はしてもをれは高みへのぼれはこはい。屋根やは道理は知ら子ども、氣に馴れがあるからなんとも思はぬ。何程義ても、氣と云が張ぬと干鮭梅干。餒へ了るとはこのことだ。
【解説】
「問、自家道理正、則自不能相干。曰、亦須是氣能配義、始得。若氣不能配義、便餒了」の説明。こちらの道理が正しければよいかとの問いに対して、朱子はそれはよいが、気が弱いと恐れることになると答えた。道理に浩然の気という裏打ちがなければならない。
【通釈】
○「自家道理云云」。立派な問いである。こちらが正しければ犯すことはできないだろうと言う。迂斎が、病気の時に山伏が来て、何か覚えがないかと言われた時は恐がるものと言った。いかにも先年腰元をと言う。それから気味が悪くなる。覚えのないのは道義が張り出すから恐くない。これはよい問いだが、道義でばかり言っている。朱子が、貴方の言うのもよいことだが、道理がよくても気が弱いと恐れるものだと言った。孟子の浩然の気を前聖未発と褒めるのもそこのこと。道理の上に気が強ければ鬼に金棒である。気の養がないと道理も引ける。陳不占は、道理はよくても気が引けた。その道理に浩然の気という裏打ちをするのでこの上もないことになる。道理だけで気がないと、市井で言う、恐くはないが気味が悪いの筋になる。太極図の講釈はしていても、高い所へ登れば恐い。屋根屋は道理は知らないが、気に馴れがあるから何とも思わない。どれほど義があっても、気が張らないと干鮭や梅干と同じ。「餒了」とはこのこと。
【語釈】
・前垩未発…孟子序説。「孟子性善、養氣之論、皆前聖所未發」。
・陳不占…新序義勇。「齊崔杼弑莊公也。有陳不占者、聞君難、將赴之、比去、餐則失匕、上車失軾。御者曰、怯如是、去有益乎。不占曰、死君、義也。無勇、私也。不以私害公。遂往、聞戰鬥之聲、恐駭而死。人曰、不占可謂仁者之勇也」。


死生有無條
7
問、死生有無之説、人多惑之。曰、不須如此疑。且作無主張。因問、識環記井之事、古復有此、何也。曰、此又別有説話。三下同。
【読み】
問う、死生有無の説、人多く之を惑う。曰く、須らく此の如く疑うべからず。且く主張無きを作せ。因りて問う、環を識り井を記すの事、古復此れ有り、何ぞや。曰く、此れ又別に説話有り。三下同。

惑之とは、とかくやっかいになる。借りた覚のあるに拂はぬ。覚があるゆへ掛とりの来たなぞは厄介にもならふが、死生有無、何のこはいことはないはづじゃに、厄介にするは惑たものだ。夕部はこそと云たの家がみっしりとしたのと惑ひからぞ。こなたは人多惑之と云が、手前がまどふたからの問で有ふ。手前の心ではどうだと云意から、不須如此疑と云へり。人が惑ふ々々と云がこなた惑ふだてはなきや。人の疑ふと云も、手前のせつなさで有ふ。是言外の意なり。されども人の字は吾も人もなり。
【解説】
「問、死生有無之説、人多惑之。曰、不須如此疑」の説明。「死生有無」を厄介に思うのは惑ったのである。人は多く惑うと言うが、それは自分が惑っているだけのこと。
【通釈】
「惑之」は、とかく厄介になること。借りた覚えがあるのに払わない。覚えがあるので掛取りが来るのは厄介にもなるだろうが、「死生有無」は何も恐いことはない筈なのに、厄介にするのは惑ったからである。昨夜はこそと音がしたとか、家がみっしりとしたと言うのは惑いから。貴方は「人多惑之」と言うが、自分が惑ったからの問いだろう。自分の心ではどうなのかという意から、「不須如此疑」と言った。人が惑うというのは貴方が惑ったのではないのか。人が疑うというのも、自分が切ないからだろう。これは言外の意である。しかしながら、人の字は自分も人もということ。

○主張と云は、人の怪談するに、そこへまかり出て彼や是やと取付引っ付云がわるい。夫が妖物のこやしになる。幽灵ひまでよく出ることよ。をらなどは閙くて幽灵処ではないと云がよい。妖物は人も居ぬ山奧へは出ぬ。人の処へ出る。人が主張し取あげるから出る。人通りの多い街へ□みせが出るやうなもの。朱子の此主張するなと云たが、人多惑之の妙藥た。是でよいに、此男誰が録か知ぬがこまったことで、夫でも厄介にして、識環記井のことを云た。このこと蒙求にあり。輪廻のことた。朱子があたまをかきなから、彼の例の別に説詞あり。今日のことにはゆかぬ、と。
【解説】
「且作無主張。因問、識環記井之事、古復有此、何也。曰、此又別有説話」の説明。妖物は人のいるところに出る。人が妖物のことを取り上げるから出るのであって、主張しないのがよい。
【通釈】
○「主張」とは、人が怪談をするところへまかり出て、かれこれと取っ付け引っ付け言うのが悪い。それが妖物の肥やしになる。幽霊は暇だとよく出る。俺などは忙しくて幽霊処ではないと言うがよい。妖物は人もいない山奥へは出ない。人のいる処へ出る。人が主張して取り上げるから出る。人通りの多い街へ□みせが出る様なもの。朱子がこの主張をするなと言ったのが、人多惑之の妙薬である。これでよいのにこの男、誰が録したのかは知らないが困ったことで、それでも厄介にして、「識環記井」のことを言った。このことは蒙求にある。輪廻のこと。朱子が頭を掻きながら、彼の例の「別有説話」、今は言ってもわからないだろうと言った。
【語釈】
・識環記井…蒙求。「鮑靚記井、羊祜識環」。鮑靚は前世で井戸に落ちて死んだことを記憶していた。羊祜は前世は隣家の子で,当時持っていた金の指輪のことを覚えていた。


紫姑神条
8
論及請紫姑神吟詩之事、曰、亦有請得正身出見、其家小女子見。不知此是何物。且如衢州有一箇人事一箇神、只録所問事目於紙、而封之祠前。少間開封、而紙中自有答語。這箇不知是如何。
【読み】
紫姑神を請け詩を吟ずるの事に論及し、曰く、亦正身を請得するに出見有り、其の家の小女子見る。知らず、此れは是れ何物ぞ。且く衢州に一箇の人一箇の神に事え、只問う所の事目を紙に録して、之を祠前に封す。少間封を開きて、紙中自ら答語有るが如し。這箇れ知らず、是れ如何。

紫姑神は、今云ふ雪隱神のことだ。大晦日に雪隱へあかりをとほす。諸國にすることて、是を祭るのだそうな。或者の妻が妾をにくんでいつも々々々雪隱の掃除をさせた。是か不浄のさうじだから、嫉妬でにくいからさせたことじゃ。王祥が継母が常に牛下を掃除せしむと云と同しことた。その上に、正月の十五日殺た其灵か、兼て雪隱の神になりて、はやり神になりたが靣白いことだ。印塔なぞと云が死者を多く埋めた処ゆへ、隂氣が聚るもの。雪隱なども娘子どものこはがるもの。隂所ゆへぞ。皆こはがる柏手ではやり出したれば、其灵が詩なとを吟じたと云ことた。顧重次郎曰、下女が詩なら百人一首などであらふ。
【解説】
雪隠の掃除をさせられていた妾が雪隠に神のなった。雪隠は娘子供が恐がるものだが、それは陰所だからである。人が恐がることから、霊が詩を吟じたなどということも出た。
【通釈】
紫姑神は、今言う雪隠神のこと。大晦日に雪隠へ灯りを灯す。諸国ですることで、これを祭るのだそうである。或る者の妻が妾を憎んでいつも雪隠の掃除をさせた。これは不浄の掃除だから、嫉妬で憎みさせたこと。王祥の継母が常に牛下を掃除させたというのと同じこと。その上に、正月の十五日に殺したその霊が、それから雪隠の神になり、流行り神になったのが面白いこと。印塔などというのが死者を多く埋めた処なので、陰気が聚まるもの。雪隠なども娘子供が恐がるもの。それは陰所だからである。皆が恐がる拍子に流行り出し、その霊が詩などを吟じたと言う。重次郎を顧みて言った。下女の詩であれば百人一首などだろう。
【語釈】
・王祥…晋朝の人。親孝行な人で、「臥冰求鯉」の故事がある。
・重次郎…中田重二郎。東金堀上の人。~寛政10年(1798)

○小女子見る。こちには夫よりきついのがある。詩よりきつい。正身が出た。芝居でするやうに出た。夫を小女子が見たとなり。人の惑てをる上を朱子が又けあげて迷はせるやうだが、是で惑がとけるもの。紫姑神斗でなく、まだある。衢州の神は、今年は踊に致そうか鳥居の建立に仕らふかと伺書を出すと、神が踊にせふと文字を以て答へる。これなとはとうしたものだとなり。浮氣な人は踊る、倹約な人は祠の脩復と出るは人の通情なれは、鬼神もそれにのるもの。邪氣神にも理なりはあらはれる。是を某か戯話するとはかりに思ふへからす。爰らの直方先生の編次に感心するがよい。前々條の自家道理云云、こちが慥なれは妖物が有ふとも何ともないとよい人のを出して、其次にとふもうつらす識環記井、妖物か有ると云たれは、別有説話とほかして、其あとへ又如何云云を出した。そこで合点せいと云條を幷へた。面白いことぞ。
【解説】
詩を書く神以上に、正身が出たということもあった。また、衢州の神は、今年は踊りにしようか鳥居の建立にしようかと伺書を出すと文字で答える。鬼神は人の通情に乗って現れるのである。
【通釈】
○「小女子見」。こちらにはそれよりもきついことがある。詩よりきつい。正身が出た。芝居でする様に出た。それを小女子が見たと言う。人の惑っている上を朱子がまた蹴上げて迷わせる様だが、これで惑いが解けるもの。紫姑神ばかりでなく、まだある。衢州の神は、今年は踊りにしようか鳥居の建立にしようかと伺書を出すと、踊りにしようと文字で答える。これなどはどうしたものだと言う。浮気な人は踊り、倹約な人は祠の修復と出るのが人の通情だが、鬼神もそれに乗るもの。邪気神も理なりには現れる。これを私が戯話をした様に思ってはならない。ここ等の直方先生の編次に感心するのがよい。前々条の「自家道理云云」で、こちらが確かであれば妖物があったとしても何ともないとよい人のことを出して、その次にどうもわかりの悪い人が「識環記井」と、妖物があると言うので、「別有説話」と放下して、その後へまた「如何云云」を出した。そこで合点しなさいという条を並べた。面白いこと。


問嘗問紫姑神條
9
問、嘗問紫姑神云云。曰、是我心中有、故應得。應不得者、是心中亦不知曲折也。
【読み】
問う、嘗て紫姑神を問いて云云。曰く、是れ我が心中に有る、故に應じ得。應じ得ざる者は、是れ心中亦曲折を知らざるなり。

紫姑神云云。中庸輯畧に、張九群君が、魂がよくものを云たが、こちに覚のないことを云とものを云ことがならぬ。碁を封して預けられてこまったとある。神怪にもこちの覚のあること斗がうつるもの。故に應じ得なり。いちごが萩の花の御小神かと云と、娘などが、あれが母の秘藏の着物なとと云。そこで氣味わるくなる。こちから灵をそたてる。太極を不言之妙と云は口に云れぬことの、さてそんなあやしいことはない。本のこと斗だ。夲の感應の妙と云も夢などにあるもの。夢が吾心のことをこしらへたやうなものなれとも、そこへ鬼神がのりうつるゆへ妙がある。薛文靖が六先生の賛を朱子に伺ふたの、山崎先生が太極圖説の夢だのと云が、誠のこちにあるが見はれたもの。知ぬことはどうも出ぬ。吾知ただけが鬼神へ感して一つになるもの。
【解説】
鬼神には、こちらに覚えのあることだけが移るもの。それに鬼神が乗り移るところに妙がある。自分の知った分だけが鬼神へ感じて一つになる。
【通釈】
「紫姑神云云」。中庸輯略に、張九群君が、魂はよくものを言うが、こちらに覚えのないことを言うと、ものを言うことができない。碁を封じて預けると困ったとある。神怪もこちらに覚えのあることだけが移るもの。故に應じ得である。苺は萩の花の御小神かと言えば、娘などが、あれが母の秘蔵の着物だなどと言う。そこで気味が悪くなる。こちらが霊を育てるのである。太極を不言之妙と言うのは口で表現することができないことであって、さてこの様な怪しいことはない。本当のことばかりである。本当の感応の妙というのは夢などにあるもの。夢は自分の心のことを拵えた様なものだが、そこへ鬼神が乗り移るので妙がある。薛文靖が六先生の賛を朱子に伺ったり、山崎先生が太極図説の夢だなどと言うのが、こちらの誠が現れたもの。知らないことはどうも出ない。自分の知っただけが鬼神へ感じて一つになる。
【語釈】
・不言之妙…太極図説朱解。「此天地之閒、綱紀造化、流行古今、不言之妙」。


鬼神憑依言語條
10
鬼神憑依言語、乃是依憑人之精神以發。問、伊川記金山事如何。曰、乃此婢子想出。問、今人家多有怪者。曰、此乃魑魅魍魎之爲。建州有一士人、行遇一人、只有一脚、問某人家安在。與之同行、見一脚者入某人家。數日、其家果死一子。
【読み】
鬼神の言語を憑依す、乃ち是れ人の精神に依憑し以て發す。問う、伊川の金山の事を記すこと如何。曰く、乃ち此れ婢子の出るを想う。問う、今人家多く怪者有り。曰く、此れ乃ち魑魅魍魎之を爲す。建州に一士人有り、行きて一人に遇うに、只一脚有り、某の人の家安くに在ると問う。之と同行し、一脚なる者某の人の家に入るを見る。數日、其の家果して一子を死す。

鬼神が人にのりうつり、ものを云はせるなぞと云ことが、何でも人の方にある精神をあちでかりるのだ。金山寺のことは東見録にあり、妻の水に溺れたを死したりとし、金山寺で法叓したれば、家の婢に乘うつり、吾は死せずと云。これは生灵なり。果して二三日すぎて其妻は無難てかへりた。妻の生霊か婢へ乘りたと云もその筈よ、婢が己が主のことゆへ、とうしたことにやと想ひつつけた処より乘りたもの。いかさま其家の妻の死たときは中間は泣か子ども、下女はなくは今日も必ずそれじゃ。まして水に溺れた。一入想ふ筈のこと。そこで朱子の、あの乘りうつりたは婢か想ひから出たと評したことなり。これを出るを想ふと点したは非なり。水に溺れたと云ふ事実をしりすぎて点を付そこなったなり。婢か水から出やうと想ったと云から想出るをと付たなり。さをではなし。婢か想ふから出たと云こと。想より出つと点すべし。尤水には出没と云字をつかふこともあれとも、婢が水から出やうと思ふたと云ことは呂與叔の筆に見へず。只婢が主婦をいとをしや々々々々々と想ふより出たと云ことなり。出の字を王祥孝感自誠中来ると云来るの字のあつかいにみるかよし。
【解説】
「鬼神憑依言語、乃是依憑人之精神以發。問、伊川記金山事如何。曰、乃此婢子想出」の説明。鬼神が人に憑依するとは、人の精神を鬼神が借りてのこと。金山寺のことは、婢が主婦をいとおしいと想ったので、主婦の生霊が乗り移ったのである。
【通釈】
鬼神が人に乗り移り、ものを言わせるなどということは、それも人の方にある精神をあちらで借りたこと。金山寺のことは東見録にあり、妻が水に溺れたのを死んだと思って金山寺で法事をすると、家の婢に乗り移り、私は死んでいないと言った。これは生霊である。果たして二三日過ぎてその妻は無難に帰って来た。妻の生霊が婢へ乗り移ったというのもその筈で、婢は自分の主のことなので、どうしたことだろうと想い続けたから乗り移ったのである。いかにもその家の妻が死んだ時は、中間は泣かなくても、下女は泣くというのは今日も必ずその通りである。ましてや水に溺れたのだから、一入想う筈である。そこで朱子が、あの乗り移ったのは婢の想いから出たことだと評した。これを出るを想うと点をするのは間違いである。それでは水に溺れたという事実を知り過ぎて点を付け損なったのである。婢が水から出ようと想ったとして、出るを想うと点を付けたのである。そうではない。婢が想うから出たということ。想うより出ずと点をしなければならない。尤も水には出没という字を使うこともあるが、婢が水から出やうと思ったということは呂與叔の筆にはない。ただ婢が主婦をいとおしいと想うことから出たということ。出の字を「王祥孝感自誠中来」の来の字の扱いと同じく見なさい。
【語釈】
・東見録…張横渠著?
・呂與叔…程伊川の門人。呂大臨の字。汲郡の人。
・王祥孝感自誠中来る…朱子語類歴代3。「王祥孝感、只是誠發於此、物感於彼。或以爲内感、或以爲自誠中來、皆不然。王祥自是王祥、魚自是魚。今人論理、只要包合一箇渾淪底意思、雖是直截兩物、亦強羇合説、正不必如此。世間事雖千頭萬緒、其實只一箇道理。理一分殊之謂也。到感通處、自然首尾相應。或自此發出而感於外、或自外來而感於我、皆一理也」。

○問、今人家多有怪者。有怪者と云もいかがな点ぞ。どうしても直方先生の自らの点であるまい。門人衆の中、善藏権八などででも点のことは任せたかも知ぬ。爰はどうでもよいが、同くは、問ふ今人家多有怪者ありとすて假名をして点するがよい。前にある魑魅魍魎は、禹王の鼎に鑄付けたは此やうなものもある々々とさま々々の怪物をほらせたこと。爰は只狐狸のわざてすると云と同ことで、化者のしはざと云こと。○一脚人がどこ村のたれそれが家はどこじゃと問たゆへ、あれこれと教たれば、そこへ這入りた。はて異なことと思たれは、其家に果してなり。さて前て別に有説話とうつらぬ男を追ひやって、跡へこちに覚のないことは鬼神もうつらぬとありて、さて一脚人もあると云て、次の条へ雨風露雷。ここが断案だ。此の正鬼神を出しては公事をさばいたもの。
【解説】
「問、今人家多有怪者。曰、此乃魑魅魍魎之爲。建州有一士人、行遇一人、只有一脚、問某人家安在。與之同行、見一脚者入某人家。數日、其家果死一子」の説明。今の人家の怪物は魑魅魍魎の仕業である。一脚人などもいるのである。
【通釈】
○「問、今人家多有怪者」。「有怪者」と言うのもよくない点である。どう見ても直方先生自らの点ではないだろう。門人衆の中の善蔵や権八などにでも点のことは任せたのかも知れない。ここはどうでもよいが、同じく言えば、問う今人家多有怪者ありと捨て仮名をして点をするのがよい。前にあった「魑魅魍魎」は、禹王がそれを鼎に鋳付けたのはこの様なものもあると、様々な怪物を彫らせたこと。ここはただ狐狸が業でするというのと同じことで、化け物の仕業だということ。○一脚人がどの村の誰それの家は何処だと問うので、あれこれと教えると、そこへ這い入った。はて異なことだと思っていると、その家で果たして異なことが起きた。さて前で「別有説話」と話のわからない男を追い遣って、その後に、自分に覚えのないことには鬼神も移らないとあり、さてこの条で一脚人もあると言って、次の条へ雨風露雷を出す。ここが断案である。この正鬼神を出して公事を捌いたのである。
【語釈】
・善藏…三輪執斎。江戸中期の陽明学者。名は希賢。字は善蔵。京都の人。崎門三傑の一人である佐藤直方に学ぶ。致良知の説を尊び、1712年王陽明の『伝習録』に標注を加えて翻刻し、中江藤樹・熊沢蕃山なきあと、江戸の地で陽明学の先駆をなした。和歌もよくした。著書『伝習録講義』『周易進講手記』『古文大学講義』など。1669~1744
・権八…小野権八。


雨風露雷條
11
雨風露雷、日月晝夜、此鬼神之跡也。此是白日公平正直之鬼神。若所謂有嘯於梁、觸於胸。此則所謂不正邪暗、或有或無、或去或來、或聚或散者。又有所謂禱之而應、祈之而獲、此亦所謂鬼神、同一理也。世間萬事皆此理、但精粗小大之不同爾。又曰、以功用謂之鬼神、即此便見。
【読み】
雨風露雷、日月晝夜、此れ鬼神の跡なり。此れは是れ白日公平正直の鬼神なり。謂う所の梁に嘯し、胸に觸ること有るが若し。此れ則ち謂う所の不正邪暗は、或は有り或は無く、或は去り或は來し、或は聚り或は散ずる者なり。又謂う所の之を禱りて應じ、之を祈りて獲る有り、此れ亦謂う所の鬼神、同一の理なり。世間萬事皆此の理、但精粗小大の同じからざるのみ。又曰う、功用を以て之を鬼神と謂う、即ち此れ便ち見る。

いかに鬼も慥にきけ計りを鬼神と思ふて雨風云云。これをは鬼神と思はぬ。程子は白日正路、正い鬼神斗りを云。だだい鬼神はこれだ。邪鬼神を云立るものは不思儀々々々と云に、心をとらるるからだ。孔子は氣也者神之盛、魄也者鬼の盛也と隂陽て云た。正鬼神ぞ。今人が日月は鬼神ともしるが、又風だ、又雨だと云て、鬼神と思はぬ。○嘯于梁。韓退之原鬼篇。部したことでもないが、人々知た記ゆへ出す。これは不正邪暗云云。散々なことだ。梅の花の咲たとは正い鬼神のしはさ。或来或去。妖物屋鋪いつも行列そろへてはをらす。今来た、見物に行たと云でもないが、どこてかひうと云。いやなことだ。
【解説】
「雨風露雷、日月晝夜、此鬼神之跡也。此是白日公平正直之鬼神。若所謂有嘯於梁、觸於胸。此則所謂不正邪暗、或有或無、或去或來、或聚或散者」の説明。鬼神には正と邪がある。程子は正しい鬼神のみを言った。人は日月が鬼神だとは知っているが、雨風が鬼神だということは知らない。
【通釈】
いかにも鬼のことは確かに聴いたが、そればかりを鬼神と思っているので、「雨風云云」。これを鬼神と思っていない。程子は白日正路で正しい鬼神だけを言う。そもそも鬼神はそれである。邪鬼神を言い立てる者は不思議なことだと言うが、それは心を取られるからである。孔子は「気也者神之盛也、魄也者鬼之盛也」と陰陽で言った。これが正鬼神である。今人は日月が鬼神だと知ってはいるが、また風や雨のことは鬼神と思わない。○「嘯于梁」。韓退之の原鬼篇。部にすることでもないが、人々が知っている記なので出した。これは「不正邪暗云云」で、散々なこと。梅の花が咲いたのは正しい鬼神の仕業。「或来或去」。妖物屋敷ではいつも行列を揃えているのではない。今来た、見物に行ったということでもないが、何処でかひゅうと言う。それは嫌なこと。
【語釈】
・氣也者神之盛、魄也者鬼の盛也…礼記祭義。「宰我曰、吾聞鬼神之名、不知其所謂。子曰、氣也者、神之盛也。魄也者、鬼之盛也。合鬼與神、敎之至也」。

○禱之而應、祈之而獲。願の叶たこと。應なり。周公武王の病を祈て愈りた。獲るしゃ。應はあちの方て云、獲はこちの方で云。○所謂鬼神と云が朱子の評判だ。ひうと云やうないや氣なことも雨を得たも同ことだが、精粗小大理には段々がある。理は一理だと云ても、さまでもない理がある。刄物で物をきるに、魚一尾きると人を切るは大小ちがふことなり。茄子一夲植ると云も理なれども、小い理なり。梁の上でひうと云たの、今ぞっとして胸さはぎしたのと云やうな氣は変、雨風は立派な鬼神ぞ。
【解説】
「又有所謂禱之而應、祈之而獲、此亦所謂鬼神、同一理也。世間萬事皆此理、但精粗小大之不同爾」の説明。願いが叶うことを「応獲」と言い、「応」はあちらの方で言い、「獲」はこちらの方で言う。理は一理とは言え精粗小大があり、変からの鬼神もあり、雨風の様な正しい鬼神もある。
【通釈】
○「祈之而応、祈之而獲」。願いの叶ったことが「応」である。周公が武王の病を祈って治った。これが「獲」である。応はあちらの方で言い、獲はこちらの方で言う。○「所謂鬼神」というのが朱子の評価である。ひゅうという様な嫌気なことも雨を得たのも同じことだが、「精粗小大」で理には段々がある。理は一理だと言っても、それほどでもない理がある。刃物で物を切るのに、魚を一尾切るのと人を切るのとは大小が違う。茄子一本植えるというのも理だが、小さい理である。梁の上でひゅうと言ったり、今ぞっとして胸騒ぎしたという様な気は変からだが、雨風は立派な鬼神である。

○又曰、以功用云云。疑もない正鬼神だが、此語て、朱子のをれが云ふ邪鬼神のやうなこともやっはりこれだ、をれが云のと是をくらべてみよ、程子のは不働きとぞ。理に大小がないから、どれも功用でないと云れぬ。すれば幽灵などと云ことがもっと手のこんた功用と云はづのこと。こなたのをどけはわるをどけだと云やうなもの。幽灵はわるをどけなり。此やうなことを敷衍弁説して云へば、よい樂を聞けばよくなる、わるい樂をきけはわるくなると云ふ氣味と同こと。詔樂をきけは性情か正くなる。浄るりをきけば心ざまかわるくなるぐるみ樂の樂たる処なり。剛二殿、もと某が竒論を云た。女は従ふが道しゃ。一に従へは貞女か、衆に従へば淫婦。されども従ふ段はちがはぬと云た。正鬼神の功用も邪鬼神の功用も、さて々々妙な処は一つことじゃ。中々人の手には出来す。狐のばけるはわるい働だが、やっはり妙のうちだ。石瓦ては化られぬ。かう合点すれば、此便見ると云へり。
【解説】
「又曰、以功用謂之鬼神、即此便見」の説明。朱子は理に大小はなく、功用でないものはないと言う。正鬼神の功用も邪鬼神の功用も、妙な処は同じである。
【通釈】
○「又曰、以功用云云」。雨風は疑いもない正鬼神だが、この語で、朱子が、俺の言う邪鬼神の様なこともやはりこれだ、俺の言うこととこれを比べて見なさい、程子の言うのは不働きだと言った。理に大小はないから、どれも功用でないとは言えない。そうでなければ幽霊などはもっと手の込んだ功用だと言う筈である。貴方の戯けは悪戯けだと言う様なもの。幽霊は悪戯けである。この様なことを敷衍弁説して言えば、よい楽を聞けばよくなり、悪い楽を聞けば悪くなると言う気味と同じこと。韶楽を聞けば性情が正しくなる。浄瑠璃を聞けば心様が悪くなる包み楽の楽たる処である。幸次郎殿、私の昔の奇論だが、女は従うのが道だ。一に従えば貞女だが、衆に従えば淫婦である。しかしながら従う段では違わないと言った。正鬼神の功用も邪鬼神の功用も、実に妙な処は同じこと。中々人の手ではできない。狐の化けるのは悪い働きだが、やはり妙の内である。石瓦では化けられない。この様に合点すれば、「此便見」と言える。
【語釈】
・詔樂…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅。服周之冕。樂則韶舞。放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。
・剛二殿…奥平棲遅庵。幸次郎。武蔵忍藩士。明和6年(1769)~嘉永3年(1850)


問道理有正條
12
問、道理有正則有邪、有是則有非。鬼神之事亦然。世間有不正之鬼神、謂其無此理則不可。曰、老子謂、以道蒞天下者、其鬼不神。若是王道脩明、則此等不正之氣都消鑠了。
【読み】
問う、道理に正有れば則ち邪有り、是有れば則ち非有り。鬼神の事も亦然り。世間に不正の鬼神有り、其れ此の理無しと謂うは則ち不可なり。曰く、老子の謂う、道を以て天下を蒞する者は、其の鬼、神ならず。若し是れ王道脩明すれば、則ち此等不正の氣は都て消鑠し了る。

此章で鬼神のことすっはりすむ。立派に説たこと。道理に邪も正もある。鬼神もそれなり。太極は理を引ぬいて云ても、隂陽の外にぶらさがりてはをらぬ。隂陽についてある。陽は善にあて、隂は悪にあてるは大分だ。隂をいつもわるいとは云れぬ。其隂陽の氣て働くなりが鬼神ぞ。邪鬼神もやっはり其隂陽だ。氣のくるふたまでのこと。さま々々のもの有ふとも、膽をつぶすことははない。伊川や南軒も鬼神斗り云て邪鬼神ないとは思ぬが、無いと云があの衆の流義だ。不正の鬼神は十呂盤に入れぬことた。秀曰、直方先生曰、氣の変は垩賢か小普請に入れてをく、と。
【解説】
「問、道理有正則有邪、有是則有非。鬼神之事亦然。世間有不正之鬼神、謂其無此理則不可」の説明。理は陰陽の気に付いてある。その陰陽の気で働くものが鬼神である。鬼神は陰陽だから正も邪もある。伊川や南軒は不正の鬼神を算用に入れないだけである。
【通釈】
この章で鬼神のことがすっぱりと済む。立派に説いてある。道理には邪も正もある。鬼神もそれ。太極は理を引き抜いて言うが、陰陽の外にはぶら下がっていない。陰陽に付いてある。陽は善に当て、陰は悪に当てるのは大分だが、陰をいつも悪いとは言えない。その陰陽の気で働くものが鬼神である。邪鬼神もやはりその陰陽である。気が狂ったまでのこと。様々なものがあったとしても、胆を潰すことはない。伊川や南軒も鬼神だけを言っても邪鬼神がないとは思わないが、それをないと言うのがあの衆の流儀である。不正の鬼神は算盤に入れない。惟秀が言った。気の変は、聖賢は小普請に入れて置くと直方先生が言った、と。
【語釈】
・秀…篠原惟秀。東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812
・小普請…禄高二百石以上三千石以下の非役の旗本および御家人。

○老子謂云云。これは老子が邪氣を盛にせぬことを云たもの。中庸に國家将亡妖蘖とある。さま々々妖怪あるぞ。くらい世にはわるいことがをこる。入梅に物のかびるやうなもの。夫がいくら有ふともかまはぬ。道理でをし立てゆけばよい。さうすると妖物がしょげてまける。其鬼不神とは働きの出きぬことを云たもの。三代のときは王道脩明で眞昼中のやうなゆへ、妖物はない。高宗肜日越有雊雉。たまさか有た。はや王を訓する。夫が脩明ぞ。はやあとは何のことない。あやしいことはつぶれるときのこと。明の末などさま々々怪なことありた。
【解説】
「曰、老子謂、以道蒞天下者、其鬼不神。若是王道脩明、則此等不正之氣都消鑠了」の説明。三代の時は王道修明で、妖物はなかった。暗い世に妖物が出る。明末などは妖物が多く出た。
【通釈】
○「老子謂云云」。これは老子が邪気を盛んにしないことを言ったもの。中庸に「国家将亡妖孽」とある。様々な妖怪ある。暗い世には悪いことが起こる。入梅に物の黴びる様なもの。それがいくらあったとしても構わない。道理で推し立てて行けばよい。そうすると妖物がしょげて負ける。「其鬼不神」は、働きの出きないことを言ったもの。三代の時は王道修明で真昼間の様なので、妖物はない。「高宗肜日、越有雊雉」。希にあれば、早くも王を訓ずる。それが修明である。早くも後は何事もない。怪しいことは潰れる時のこと。明の末などは様々に怪しいことがあった。
【語釈】
・老子謂…老子居位。「治大國若亨小鮮。以道蒞天下、其鬼不神。非其鬼不神、其神不傷人。非其神不傷人、聖人亦不傷人。夫兩不相傷、故得交歸焉」。
・國家将亡妖蘖…中庸章句24。「至誠之道、可以前知。國家將興、必有禎祥。國家將亡、必有妖孽。見乎蓍龜、動乎四體。禍福將至。善、必先知之。不善、必先知之。故至誠如神」。
・高宗肜日越有雊雉…書経高宗肜日。「高宗肜日、越有雊雉」。


論及巫人治鬼條
13
論及巫人治鬼、而鬼亦效巫人所爲以敵之者、曰、後世人心姦詐之甚、感得姦詐之氣、做得鬼也姦巧。
【読み】
巫人の鬼を治め、鬼も亦巫人の爲す所に效い以て之に敵する者に論及し、曰く、後世人心姦詐之れ甚だしく、姦詐の氣を感じ得、鬼も也た姦巧なるを做い得。

今何そのことに山師かついたと云。鬼神の山師が巫人だ。治鬼の治の字は惣体祈祷なとをすることても、鬼を治ると云、祝や咒詛のことをも云。そこて祟りの有ときなど、して取てもらふから治鬼と云。巫人が祈祷する。其形りになってさま々々な妖怪が出てくる。それて歒すると云。巫人は鬼神をつかふ。それで其つかふなりに人へあたるから歒と云じゃ。弊束を立ると動くの、何か取てのいたと云こともある。曰云云。これを朱子の云れやうが面白い。鬼神も人の魂へのるものだから、世人がえこじわるくさま々々手くろをするから、人の心がわるくなりてをる。人に姦詐な心があるから、天地の中に自づと姦詐な心がはいくはいして、鬼神もそれにあやかりて、えこちわるい鬼神が出來た。是があら神だの、たたるのと云強いことてなく、兎角えこぢわるいことだ。かうきいても落付ぬやうだが、土地の風のうつるといふも此やうなことぞ。人の疑ぬことで云はふなら、江南之橘入江北為枳もこのこと。えこぢわるい人心で感し得て、鬼神も姦巧になるぞ。感得字可味。
【解説】
鬼神は人の魂へ乗るもの。人に姦詐な心があるから、天地の中に姦詐な心が徘徊し、鬼神もそれに肖って依怙地悪くなる。人心を感じ得るので、鬼神も姦巧になる。
【通釈】
今何かにつけて山師が付いたと言う。鬼神の山師が巫人である。「治鬼」の治の字は総体祈祷などをするこなども、鬼を治めると言い、祝や咒詛のことをも言う。そこで祟りのある時などは、して取って貰うから治鬼と言う。巫人が祈祷をする。その形になって様々な妖怪が出て来る。それで敵すると言う。巫人は鬼神を使う。それで、その使う通りに人へ当たるから敵と言う。弊束を立てると動いたり、何かを取って去ったということもある。「曰云云」。この朱子の言い方が面白い。鬼神も人の魂へ乗るものだから、世人が依怙地悪く様々な手くろをして、人の心が悪くなっている。人に姦詐な心があるから、天地の中に自ずと姦詐な心が徘徊して、鬼神もそれに肖り、依怙地悪い鬼神ができた。これが荒神だの、祟るだのという強いことではなく、とかく依怙地悪いこと。この様に聞いても落ち着かない様だが、土地の風が悪くなるというのもこの様なこと。人が疑わないことで言うのなら、「江南之橘入江北為枳」もこのこと。依怙地悪い人心を感じ得て、鬼神も姦巧になる。「感得」の字を吟味しなさい。
【語釈】
・弊束…神に捧げる物。にきて。ぬさ。
・手くろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。手練手管


因説神怪條
14
因説神怪事、曰、人心平鋪著便好。若做弄、便有鬼怪出來。
【読み】
神怪の事を説くに因りて、曰く、人心平鋪の著なる便ち好し。若し弄ずるを做せば、便ち鬼怪有りて出來す。

此条が怪しいことのあるときの落付を示したこと。朱子の説の内、作無主張と爰の平鋪著と、朱書抄畧にある與鬼做頭の三語が同しさばきなり。平鋪著はすらりと何げもないこと。便好は其氣もなければよい。神怪がそこへ出ることはならぬ。程子の屋鋪へ妖物が出た。下女などかこはがりたに、程母のつんとさはがす、下女どもか太皷をうつと云たれは、撥をやらふかと云れた。夫ては妖物もあきれるの、やれ々々と云てのり出てきくはそだてるのぞ。夫はと云て取上るはこやすのだ。すらりとしてをれは何のことはない。與鬼做頭底、如何とみよと云も、人か怪いことを云たときにはやこちがさわだつ。做頭とは、其あたまが大事と云ことなり。鬼神はこちの相手次第だ。それはと云とそだつ。へへんと云てをると何のことはない。妖物の咄のあたまが大事で、そこを做頭と云。市井の俗語、てらすと云ことあり。鬼神をてらすがよい。さぞきくてあらふと思ふを平鋪著にするて鬼かしょげる。編次を力を付てみよ。怪いことにはき々々と片を付ぬうちにほっこりとすんでくる。これがならべ方の趣ぞ。
【解説】
怪しいことがある時には、それを気に掛けないのがよい。気に掛けるのは相手を育てることになり、相手にするのはそれを肥やすことになる。
【通釈】
この条は怪しいことがある時の落ち着きを示したこと。朱子の説の内、「作無主張」とここの「平鋪著」と、朱書抄略にある「与鬼做頭」の三語が同じ捌きである。平鋪著はすらりと何気もないこと。「便好」は、その気もなければよいということ。神怪はそこへ出ることができない。程子の屋敷に妖物が出た。下女などは恐がったが、程母はつんと騒がず、下女共が太鼓を打っていると言うので、撥を遣ろうかと言われた。それでは妖物も呆れる。やれやれと言って乗りが出て、それを聞きては育てることになる。それはと言って取り上げるのは肥やすことになる。すらりとしていれば何事もない。与鬼做頭底で、この様に見なさいと言っても、人は怪いことを言った時には直ぐにこちらが騒立つ。「做頭」は、最初が大事ということ。鬼神はこちら次第である。それはと言えば育つ。へへんと言っていると何事もない。妖物の話は最初が大事で、そこを做頭と言う。市井の俗語にてらすということがある。鬼神をてらすのがよい。さぞ聞くことだろうと思うことを平鋪著にするので鬼がしょげる。力を付けて編次を見なさい。怪しいことにはっきりと片を付けない内からほっこりと済んで来る。これが並べ方の趣である。
【語釈】
・作無主張…問死生有無之説の条の語。

講後餘論
先生謂諸生曰、こちのことは甚あるにしたこと。其あるに形のないことだ。そこで無極而太極と云。かうして見れば、上の無極と云あたりも、下の太極と云あたりもくっつりと済てくるぞ。有にして形のないものだによって、そこて流義がなく、ぐる々々廻ってゆく。仏者があたまで無いものに取上けてをいて、其夲来を見せやうとするに因て見た々々と云処ては、見たものが邪魔になる。有知有覚かさしつかへる。こちは有るも々々々形かないて流義が立ず、そこて人事も義とともに比ぶと云ぞ。あちのは甚流義を立たもの。其流義を立るから甚た禁好物かある。女房父子甚だすききらいと云ものぞ。すら々々とせぬ。
【解説】
儒では、太極をあるが形がないものとするが、仏は最初からないものとする。そこで見た時に困る。有知有覚が差し支えになる。仏は流儀を立てるから禁好物があり、すらすらとしない。
【通釈】
先生が諸生言った。儒では甚だあるとする。あるが形はない。そこで「無極而太極」と言う。こうして見れば、上の無極という当たりも、下の太極という当たりもぐっつりと済んで来る。あるが形がないものなので、そこで流儀がなく、ぐるぐる廻って行く。仏者が最初からないものとして取り上げて置いて、その本来を見せようとするので、見たという場では、見たものが邪魔になる。有知有覚が差し支える。こちらは色々とあるが形がないので流儀が立たず、そこで人事も「義之於比」と言う。あちらは甚だ流儀を立てる。その流儀を立てるところから甚だ禁好物がある。女房父子は甚だ好き嫌いなものだと言う。すらすらとはしない。
【語釈】
・無極而太極…太極図説の語。
・義とともに比ぶ…論語里仁10。「子曰、君子之於天下也、無適也、無莫也、義之於比」。

○理と氣をはっきりと分て近付になりてをくことぞ。夫があたるなりに出てくるから、そこで人心道心の別もある。顧剛次郎曰、道心と人心とは理と義との感動より出る。此やうに講釈し、皆々もよくすむは忨ばしいは道心、理で感する。されども講釈のいやなは氣が草臥る。天理人情と云も理と氣のもめあい。ふっくりとゆくと云ふこと。そこの処に味あること。学問は持合せた理と氣との料理の上手になることだ。○何んとなく鞭策と近思の字かとくと合点のゆかぬものた。思ふと云へば静に柔かなやうに心得、鞭と云へば強くさはがしいやうに思ふけれども、近思も鞭策もどちも魂を入ることだ。今日の学者、とど精神がない。
【解説】
道心と人心は理と義との感動による。天理人情も理と気の揉め合いであり、それでふっくりと行く様にするのが学問である。
【通釈】
○理と気をはっきりと分けて近付きになって置く。それが当たった通りに出て来るから、そこで人心道心の別もある。剛次郎を顧みて言った。道心と人心は理と義との感動によって出る。この様に講釈して、皆々もよく済むのが悦ばしいのは、道心の理で感ずるから。しかし、講釈が嫌になるのは気が草臥れるから。天理人情というのも理と気の揉め合いでふっくりと行くということ。そこの処に味がある。学問は持ち合わせた理と気とで料理が上手になる様なこと。○何となく鞭策と近思の字がしっかりとは合点できないもの。思うと言えば静かに柔らかな様に心得、鞭と言えば強く騒がしい様に思うが、近思も鞭策もどちらも魂を入れること。今日の学者には、つまり魂がない。
【語釈】
・剛次郎…奥平棲遅庵。幸次郎。武蔵忍藩士。明和6年(1769)~嘉永3年(1850)

○筆記といふものは書物へは的切なもの。語録と云ものは書物へ的切てないものだ。語録が宋朝に始りて、漢唐の儒者にない。それでみよ。訓話の学と云が知れた。上總の書生、前々から筆記はあるが語録はない。近思録を四子の階梯と云が筆記ではない。語録のことだ。己れが前々から云、上總の陋習と云が、すがき学問と云がこのことだ。○鬼神の実事と云は、つまり祭をするにをちることだ。さうないと近思の道体ぎりで事はかけぬと云ふになる。道体は鬼神に近付になること。祭は鬼神へ奉公することだ。道体ばかりで祭をせぬの役に立ぬと云は、不忠なものか靖献遺言を誦するやうなもの。
【解説】
筆記は書物に的切で、語録は書物に的切なものでない。語録は宋朝から始まった。上総には、筆記はあるが語録はない。上総の学問は陋習である。道体は鬼神に近付きになることで、祭は鬼神へ奉公すること。道体と祭の両方をしなければ役に立たない。
【通釈】
○筆記というものは書物へ的切なもの。語録というものは書物へ的切でないもの。語録は宋朝から始まったもので、漢唐の儒者にはない。それで見なさい。訓詁の学というのがよくわかる。上総の書生、前々から筆記はあるが語録はない。近思録を四子の階梯とは言うが筆記ではなく、語録のこと。私が前々から上総の陋習と言うが、すがき学問と言うのがこのこと。○鬼神の実事は、つまり祭をすることに帰着する。そうでないと近思の道体だけで事は欠かないということになる。道体は鬼神に近付きになること。祭は鬼神へ奉公すること。道体だけで祭をしないのでは役に立たないと言うのは、不忠な者が靖献遺言を誦ずる様なもの。
【語釈】
・四子の階梯…山崎闇斎近思録序。「晦庵朱先生曰、近思録好看四子六經之階梯。近思録四子之階梯。信哉是言也」。

○向剛次郎曰、是からさきが貴様への餞け。竊に訓門人の意だ。今度上總へ来やうと云志から某が議論もきき、諸生と吟味したことも、是から歸て親父様の伽をするとが一つに落るでなくては実に学ぶと云れぬ。さうないと、学問が孝悌にをちず、孝悌にをちぬは活潑々地でない。活潑々地を中庸で鳶飛魚躍とはぜたとき斗り云ことと思ふが、さうでない。なんのことない処に活潑々地をみよ。親父様学問信向ゆへ、はる々々と貴様ををこは、定て江戸を立て来るとき送って出て悦んだて有ふ。学問上けたさの悦なり。そりゃ理づりの悦た。又今度歸って顔をみて、ようかへりたのと云悦は氣づりの悦ひた。理づりは世間にまれなこと。氣づりは澤山にあること。学者は理づりを速にすることなれども、父子の間は理づりも氣づりもどちがかたじけないと云ことはなし。然れは学問と親の腰をなでるとか、つんと一つなり。こちからあてがいにせぬこと。一つにするが活潑々地じゃ。
【解説】
剛次郎に言う。親が剛次郎を上総へ遣すときに悦んだのは、学問を上げたいという理吊りの悦びであり、帰って来た時に喜ぶのは気吊りの悦びである。学者は理吊りを速やかにしなければならないが、父子の間では、理吊りも気吊りも大事である。学問と親の腰を撫でることとが全く同じである。
【通釈】
○剛次郎に向かって言った。これから先が貴方への餞。竊に訓門人の意である。今度上総へ来ようという志から私の議論も聞き、諸生と吟味したことも、これから帰って親父様の伽をすることも一つに落ちるのでなくては実に学ぶとは言えない。そうでないと、学問が孝悌に落ちない。孝悌に落ちなければ「活潑潑地」でない。活潑潑地を中庸で「鳶飛魚躍」と言うので、はぜた時ばかりで言うことと思うが、そうでない。何事もない処に活潑潑地を見なさい。親父様は学問を信仰しているのではるばる貴方を遣したが、きっと江戸を発つ時には送りに出て悦んだことだろう。学問上げたさの悦びであり、それは理吊りの悦びである。また、今度帰って顔を見て、よく帰って来たと言う時の悦びは気吊りの悦びである。理吊りは世間に希なことで、気吊りは沢山あること。学者は理吊りを速やかにしなければならないが、父子の間は、理吊りと気吊りのどちらかが忝いということはない。そこで、学問と親の腰を撫でることとが、全く同じこと。こちらで分別はしない。一つにするのが活潑潑地である。
【語釈】
・活潑々地…中庸章句12集註。「故程子曰、此一節、子思喫緊爲人處、活潑潑地、讀者其致思焉」。
・鳶飛魚躍…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は、詩経大雅旱麓。

学者のくせにとかく学上でははづみ、学業の外ははづまぬは、理をたしかに見付ぬのなり。太極圖説の吟味も親の寐酒のときの吸物の塩梅をするも一つことだ。きけは親仁さま一盃なるさうじゃ。人子の身は酒の口取までを太極とみること。太極の條理分派だから、孝経のぎんみするも太極のなり。料理を心がけるも孝行の分分派なり。塩のからい吸物を親へ出しては活潑々地てはない。をれが思ふに顔子などは孔子のござったとき、吸物からくしては出すまい。顔子のさへがそこ迠に出る。親への孝と云は渾然たる一理。其事へやうは粲然條理あることなり。
【解説】
学上では弾み、学業の外では弾まないのは、理を見付けていないのである。孝経の吟味をするのも太極の姿であり、親の料理を心掛けるのも孝行の分派である。親への孝は渾然たる一理である。
【通釈】
学者のくせにとかく学上では弾み、学業の外では弾まないのは、理を確かに見付けていないのである。太極図説の吟味も親の寝酒の時の吸物の塩梅をするのも同じこと。聞くところ、親父様は一盃なるそうである。人の子の身は酒の口取までを太極と見るのである。太極の条理分派だから、孝経の吟味をするのも太極の姿であり、料理を心掛けるのも孝行の分派である。塩辛い吸物を親へ出しては活潑潑地ではない。俺が思うには、顔子などは孔子のいらっしゃった時、吸物を辛くしては出さなかっただろう。顔子の冴えがそこまでに出る。親への孝は渾然たる一理であり、その事え様は粲然として条理のあること。
【語釈】
・口取…口取肴。饗膳で、吸物と共に先ず出す取肴。

桑名で事へる孝の仕方と在番さきで事へる仕方とはちがふ。周公の在番さきの慰労し辛苦をいたはらるると云か詩経て見ゆ。今日太平の世。ただの在番なれども大儀なり。さま々々の不手都合あるうちで、つまり女のないことだ。老ては一入のこと。周公は若ものでも、女房にわかれるをはや思ひやらるる。又、老人は行役将婦人。今はかうした事体にはならぬが、婦人よく養ふと云詮もある。女は養ひにえてたと云性かある。国では兄ご夫婦かあり、下女もある。其ときと今御老父の在番さきと、事へやうの違でなくては太極の條理分派もめっちゃになる。然れば女のかはりをすると心得るがよい。是から戯に云はふなら、氣質人欲に勝ときが剛次郎、親に事るときは柔次郎、剛柔合せるがよい。親は天、子は地だ。地の道は柔がよい。易にも臣の道なり、妻の道なり、地の道なりとある。舜はあの大垩人で、瞽瞍に丁稚のやうにつかはれたと直方先生の云へり。
【解説】
在番では女がいないのが不都合の一番である。女は養いに優れるという性がある。親に事えるには女の様に柔でするのがよい。
【通釈】
桑名で事える孝の仕方と在番先で事える仕方とは違う。周公が在番先の慰労をし、辛苦を労わられたというのが詩経に見える。今日は太平の世で、ただの在番なのだが大儀なこと。様々な不都合のある内で、つまりは女がいないことが一番である。老いては一入のこと。周公は若者に対しても、女房と分かれるを早くも思い遣られた。また、老人は「行役将婦人」で、今はこうした事態にはならないが、婦人はよく養うと言う詮もある。女は養いに優れるという性がある。国では兄御夫婦がいて下女もある。その時と今御老父の在番先とでは、事え方が違うのでなくては太極の条理分派も滅茶苦茶になる。そこで、女の代わりをすると心得るのがよい。これから戯れに言うとすれば、気質人欲に勝つ時が剛次郎、親に事える時は柔次郎、剛柔合わせるのがよい。親は天、子は地である。地の道は柔がよい。易にも「臣道也、妻道也、地道也」とある。舜はあの大聖人でありながら、瞽瞍に丁稚の様に使われたと直方先生が言った。
【語釈】
・詩経…
・行役将婦人…礼記曲禮上。「大夫七十而致事。若不得謝、則必賜之几杖、行役以婦人」。
・易…易経坤卦文言伝。「直其正也、方其義也。君子敬以直内、義以方外。敬義立而德不孤。直方大、不習无不利、則不疑其所行也。陰雖有美、含之以從王事、弗敢成也。地道也、妻道也、臣道也。地道無成、而代有終也」。

子どもでも学問する者は、親もけむたく思ふてかる々々とはつかはぬ。親に氣を置せると云ことが又不孝だ。学者吾を忘れて見識を親へも出したがるもの。学問をしろとゆるされたにあまへるのじゃ。学者の不孝と云ことはないはづのこと。学者は何ことに付てもきまって出る。何も訶らふやうもないが、其きまればきまるほどぎくかはとして面白みか出ぬもの。つい親の意に合ぬこと出来る。そこを理の悦をも一つにするが活潑々地たと云は、親子さし向いでもどや々々咄して心置ないやうにするほど互に悦ひなことは有まい。兄娵も下女もあたりに居らぬなれは、在番さきの孝行は女の代り迠と氣を付てゆら々々と事へることぞ。陶渕明の、親戚之情話を悦ふを思がよい。全体渕明などか自得がある。なぜなれは、あの詩の上手な処でもみへる。歡親戚之情話か曽点氣象がある。親類のうちには馬鹿な男もある。疝氣の毒だと云程なもあらふに、それに情話をよろこひ、しんみになりてふったりとする。爰は滋味親切むまいことだ。夫に今の学者が書物をいぢりまはす位の学問て、親や親類にきづい者だと見らるるは、陶淵明にきついまけやうだ。
【解説】
学者に不孝ということはない筈だが、親に気を置かせるのは不孝なことである。陶淵明は親戚の情話を悦んだ。今の学者が書物を弄り回す程度の学問で、親や親類に我侭な者だと見られるのでは、陶淵明に劣る。
【通釈】
子供でも学問をする者は、親も煙たく思い、軽々とは使わない。親に気を置かせるということがまた不孝なこと。学者が我を忘れて見識を親へも出したがるもの。それは、学問をしろと許されたことに甘えたのである。学者に不孝ということはない筈のこと。学者は何事に付けても決まって出る。何も訶り様もないが、それが決まれば決まるほどぎくしゃくとして面白味が出ないもので、つい親の意に合わないことができる。そこを理の悦びをも一つにするのが活潑潑地だと言うのは、親子差し向かいでもどやどやと話をして、心置きない様にするほど互いに悦びになることはないだろう。兄娵も下女も辺りにいないのだから、在番先の孝行は女の代わりまでをすることだと気を付けてゆらゆらと事えるのである。陶淵明が親戚の情話を悦ぶのを思うのがよい。全体、淵明などには自得がある。それは何故かと言うと、あの詩の上手な処でもそれが見える。「悦親戚之情話」に曾点の気象がある。親類の内には馬鹿な男もいる。疝気の毒というほどの者もいるだろうが、それなのに情話を悦び、親身になってふっくりとする。ここは滋味親切甘いこと。それなのに、今の学者が書物を弄り回す程度の学問で、親や親類に気随な者だと見られるのは、陶淵明に対して酷い負け様である。
【語釈】
・親戚之情話…帰去来辞。「歸去来兮。請息交以絶游。世與我而相遺、復駕言兮焉求。悦親戚之情話、樂琴書以消憂」。
・曽点氣象…論語先進25。「莫春者、春服既成。冠者五六人、童子六七人、浴乎沂、風乎舞雩、詠而歸。夫子喟然歎曰、吾與點也」。

○先生又曰、此間も剛の字のことを云たが、ありゃどうでもよいが、とかく名も学者めくがわるい。茶人めくから曲った柱を立ることとばかり思ふ。ぬくは目立つもの。直方先生が、をれは中蕐へ行ても五郎左衛門しゃ、名は辻番のよめるがよいと云はれた。深藏どのや行藏などもちと学者めいた方だ。あれも山宮の弟子のとき行蔵とかいた。だん々々と迂齊に親炙し高論どもをきいて、後には小耻しくなりて幸の字に改たぞ。そこ元なども親仁さまの付た名とは思はれぬ。尤剛の字が人欲に勝つにはよい字だが、幸の字も俗な字ではないは、通書に幸の章がある。人之生不幸不聞過大不幸無耻とある。あれが氣質変化の夲になる。過をきくことを幸と周子云るるをきりまはして、幸の字が高いことになる。小学で人有三不幸、少年而登高科云云を不幸と云字へもてり合ふてよいことだ。
【解説】
めくのはよくない。行蔵も後に恥ずかしくなって幸蔵と改めた。剛の字は人欲に勝つにはよい字だが、幸の字もまたよい。通書にもあり、小学にも照り合う。
【通釈】
○先生がまた言った。この間も剛の字のことを言ったが、あれはどうでもよいが、とかく名も学者めくのが悪い。茶人めくから曲がった柱を立てることとばかり思う。めくは目立つもの。直方先生が、俺は中華へ行っても五郎左衛門だ、名は辻番が読めるのがよいと言われた。深蔵殿や行蔵なども一寸学者めいた方である。あれも山宮の弟子の時に行蔵と書いていたが、迂斎に段々と親炙して高論なども聞いて、後には小恥ずかしくなって幸の字に改めた。貴方などのも親父様の付けた名とは思えない。尤も剛の字は人欲に勝つにはよい字だが、幸の字も俗な字ではないと言うのは、通書にも幸の章がある。「人之生不幸、不聞過。大不幸、無恥」とある。あれが気質変化の本になる。過ちを聞くことを幸いと周子が言われたのを切り回して、幸の字が高いことになる。小学にある「人有三不幸、少年而登高科云云」の不幸と言う字へも照り合ってよい。
【語釈】
・深藏…
・行藏…村士玉水。江戸の人。名は宗章。別号は一斎。門下に寛政三博士の一人である岡田寒泉がいる。享保14年(1729)~安永5年(1776)
・山宮…山宮雪樓。三宅尚斎門下。
・人之生不幸不聞過大不幸無耻…通書幸。「人之生不幸、不聞過。大不幸、無恥。必有恥則可敎、聞過則可賢」。
・人有三不幸、少年而登高科云云…小学外篇嘉言。「伊川先生言、人有三不幸。少年登高科、一不幸。席父兄之勢爲美官、二不幸。有高才文章、三不幸也」。

或とき直方先生の日夲一の人欲と云ことがある、知てかと迂齊に云れた。吾をよいと思ふことだとなり。とかく吾非をきくが氣質変化の初入なり。然れば剛も幸も皆功夫の手段なれども、通用せぬ字を名にすれば物ずきらしく見へる。左やうな氣味なことのあるは心にあまみがあるになる。あまいことあると刄物も切れぬ。某が黙齋で口をきく。つまらぬことなり。然れば名もあてにならす、通用の方が取得なり。ここは知見なり。功夫を名に出すもちとけば々々しいぞ。剛も一と派立って人欲にそらぬまけぬと云ことにも見へるが、ちと辻番はよめぬ。されどもかう聞て、然らは以後はきっと改めやうと云やうに心得るにも及す。隨分それでもよし。只知見が出来れは其こと斗りではなし。何となく意旨のちがをことあることなり。そこは又別なことなり。各外に理會すれば、云に云へぬ面白み出来て何に有ても人を相手にしたりすることはなし。
【解説】
とかく自分の非を聞くのが気質変化の最初である。通用しない字を名にすれば物好きらしく見えるが、それはつまらないこと。知見ができれば名のことだけではなく、色々なことに面白味が出て来る。
【通釈】
ある時、直方先生が日本一の人欲があるが、知っているかと迂斎に言われた。それは自分をよいと思うことだと言った。とかく自分の非を聞くのが気質変化の初入りである。そこで、剛も幸も皆功夫の手段だが、通用しない字を名にすれば物好きらしく見える。その様な気味があると、心に甘みがあることになる。甘いことがあると刃物も切れない。私が黙斎として口を利く。それはつまらないこと。それなら名も当てにならず、通用の方が取り得となる。ここは知見である。功夫を名に出すのも少々けばけばしいこと。剛も一派立って人欲によって反らない、負けないということにも見えるが、辻番は一寸読めない。しかしながら、この様に聞いて、それなら以後はきっぱりと改めようという様に心得るにも及ばない。これでも随分とよい。知見ができればただそれだけではない。何となく意趣の違うことがある。そこはまた別なこと。各々外に理会すれば、言うに言えない面白味ができて、何があっても人を相手にしたりすることはない。