商人求諸陽條  三月十六日
【語釈】
・三月十六日…寛政5年(1793年)3月16日。

15
商人求諸陽、故尚聲。周人求諸陰、故尚臭灌用鬱鬯。然周人亦求諸陽、如大司樂言、圜鍾爲宮、則天神可得而禮。可見古人察得義理精微、用得樂、便與他相感格。此迺降神之樂。如舞雲門、乃是獻神之樂。荀子謂、伯牙鼓琴、而六馬仰秣。瓠巴鼓瑟、而流魚出聽。粗者亦有此理。又如虞美人草、聞人歌虞美人詞與呉詞則自動。雖草木亦如此。又曰、今有箇新立底神廟、縁衆人心邪向他、他便盛。如狄仁傑廢了許多廟、亦不能爲害、只縁他見得無這物事了。上蔡云、可者欲人致生之、故其鬼神。不可者欲人致死之、故其鬼不神。先生毎見人説世俗神廟可怪事、必問其處形勢如何。○八十七。
【読み】
商人諸れ陽を求むる、故に聲を尚ぶ。周人諸れ陰を求むる、故に臭を尚び灌は鬱鬯を用いる。然るに周人も亦諸れ陽を求むること、大司樂に、圜鍾の宮を爲すは、則ち天神の得て禮す可きを言うが如し。見る可し、古人の義理を察し得ること精微にして、得て樂を用い、便ち他と相感格す。此れ迺ち降神の樂なり。雲門に舞うが如きは、乃ち是れ獻神の樂なり。荀子謂う、伯牙の琴を鼓して、六馬仰秣す。瓠巴の瑟を鼓して、流魚出聽す。粗は亦此の理有り。又虞美人草に、人の虞美人の詞を呉の詞として歌うを聞くは則ち自ら動くが如し。草木と雖も亦此の如し。又曰く、今箇の新立底の神廟有りて、衆人の心邪に他に向かうに縁りて、他便に盛んなり。狄仁傑が如く許多の廟を廢了し、亦害を爲すこと能わず、只他に這の物事無きを見得了るに縁る。上蔡云う、可なる者は人之を生るると致すを欲する、故に其れ鬼神なり。不可なる者は人之を死すると欲する、故に其の鬼は神ならず。先生、人の世俗の神廟怪なる可き事を説くを見る毎に、必ず其の處の形勢如何と問う。○八十七。

商人求諸陽、故尚聲云云。此語は礼記の郊特性にある。商人尚声、周人尚臭と云語、陽に求る故尚声、隂に求る故尚臭とわけたなり。尚々と云は、其ときの御つり合と云きみなり。忠質文と云も、つまりさうなけれはならす、御振合の替るやうなり。夏は忠、殷は質、周は文と云が尚と云もの。尚声の、尚臭のと云云が、やはり時尚なり。灌用鬱鬯。臭を尚ぶゆへにかう云ことが始った。すれば何ても趣向なしにしたことではない。隂陽の氣の外はない。陽と云に声ほどのことはない。隂には臭ほどのことはない。大皷をうつと伽羅をたくとは、大皷は陽てにぎやか、臭は隂でしめやか。これか郊特性の語なれども、さう斗りではない。
【解説】
「商人求諸陽、故尚聲。周人求諸陰、故尚臭灌用鬱鬯」の説明。商は陽を求めるから声を尚び、周は陰を求めるから臭を尚ぶ。臭を尚んだので「潅用鬱鬯」をする。それは時の振り合いである。
【通釈】
「商人求諸陽、故尚聲云云」。この語は礼記の郊特性にある。「商人尚声」、「周人尚臭」という語は、陽に求めるから尚声で、陰に求めるから尚臭と分けたもの。尚は、その時の御釣り合いという気味である。忠質文というのも、つまりはそうでなければならず、御振り合いの替わる様なもの。夏は忠、殷は質、周は文というのが尚ぶもの。尚声や尚臭と言うのが、やはり「時尚」である。「潅用鬱鬯」。臭を尚ぶのでこういうことが始まった。それなら何でも趣向なしにしたことではない。陰陽の気の外はない。陽といえば声ほどのことはない。陰には臭いほどのことはない。太鼓を打つのと伽羅を焚くのとでは、太鼓は陽で賑やか、臭は陰でしめやか。これは郊特性の語だが、そうとばかりではない。
【語釈】
・礼記の郊特性…礼記上郊特性。「至敬不饗味、而貴氣臭也。諸侯爲賓、灌用鬱鬯。灌用臭也。大饗尚腶脩而已矣」。
・忠質文…論語為政23集註。「文質、謂、夏尚忠、商尚質、周尚文」。

○然るに周人亦求諸陽云云。周礼春官大司樂に此語かある。夫を爰へ出した。大司樂の官天神を祭るとき圜鍾為宮云云。声を尚ぶ方から此通に五声をととのへて、郊特性には商斗り陽に求るやうじゃか周にもある。○古人察得義理精微、用得樂。御老中招請にはきこへたが、祭りには樂はいらぬやうなり。ぢゃに義理の精微などと云は陽氣で神をむかふるぞ。○此迺降神之樂云云。周礼夲文にある通り、だん々々として六変すると天神皆降るとあるゆへ、降神の樂と云。雲門を舞ふもすぐに爰の夲文にあることなり。雲門を舞ふときにものを献するゆへ、献神之樂と云。古は此通り祭るに樂をしたぞ。今佛法で鉦や饒鈑を用ると云は、こちのを盗んだのなり。されとも寂滅為樂に陽物の音樂はをかしきぞ。
【解説】
「然周人亦求諸陽、如大司樂言、圜鍾爲宮、則天神可得而禮。可見古人察得義理精微、用得樂、便與他相感格。此迺降神之樂。如舞雲門、乃是獻神之樂」の説明。古は祭りをする時には楽をした。今仏法が鉦や鐃鈑を用いるのは、こちらのを盗んだことだが、寂滅為楽なのに陽物の音楽をするのは可笑しなこと。
【通釈】
○「然周人亦求諸陽云云」。周礼春官大司楽にこの語がある。それをここへ出した。大司楽の官が天神を祭る時は「圜鍾為宮云云」で、声を尚ぶ方からこの通りに五声を整える。郊特性では商だけが陽に求める様だが周にもある。○「古人察得義理精微、用得楽」。御老中招請ならよくわかるが、祭に楽は要らない様である。しかしながら、義理の精微などというのは陽気で神を迎えること。○「此迺降神之楽云云」。周礼の本文にある通り、段々として六変すると天神皆降りるとあるので、降神の楽と言う。「舞雲門」も直にここの本文にあること。雲門を舞う時にものを献ずるので、「献神之楽」と言う。古はこの通りで、祭るのに楽をした。今仏法が鉦や鐃鈑を用いるというのは、こちらのを盗んだのである。しかしながら、寂滅為楽に陽物の音楽は可笑しなこと。
【語釈】
・周礼春官大司樂…周礼春官宗伯。「凡樂、圜鍾爲宮、黄鍾爲角、大蔟爲徵、姑洗爲羽」。
・六変すると天神皆降る…周礼春官宗伯。「若樂六變、則天神皆降。可得而禮矣」。

○荀子謂、伯牙皷琴而云云。荀子を引たは與他相感格すると云に付て引たことそ。感通の道理は微妙なものぞ。伯牙は琴の絶妙な、六馬と云は、四馬に驂馬二疋つけるて六馬と云が惣名にして云。仰称するは、あをむいて聞ながら草を食ぞ。馬の耳へもひびいた。感通ぞ。○瓠巴鼓瑟而云云。瓠巴もそれで、荀子にあるが、伯牙ほど名高ないで人が知ぬが、流魚は馬とも違ひ、猶さら感ないものなれとも、鮒が浮み出て聞たとあり、瑟は食ものと違ふ。亀井戸の魚の食物に浮み出るは聞へたが、瑟をきいて浮むはさて々々竒妙な感なり。馬や魚の粗きものさへこれじゃと、上の精微用得樂へ引あててみよ。人と鬼神の感は尚更あるへきことなり。
【解説】
「荀子謂、伯牙鼓琴、而六馬仰秣。瓠巴鼓瑟、而流魚出聽。粗者亦有此理」の説明。馬や魚という粗いものでさえ伯牙や瓠巴の琴瑟に感通する。ましてや人と鬼神の感なら尚更あるべきこと。
【通釈】
○「荀子謂、伯牙皷琴而云云」。荀子を引いたのは「与他相感格」のことを言うため。感通の道理は微妙なもの。伯牙は琴の絶妙な人で、六馬とは、四馬に副馬を二頭付けるもので、それを惣名にして言う。仰秣とは、仰向いて聞きながら草を食うこと。馬の耳へも響いた。感通である。○「瓠巴鼓瑟而云云」。瓠巴もそれで、荀子にあるが、伯牙ほどに名高ではないので人は彼を知らないが、流魚は馬とも違って尚更感のないものだが、鮒が浮び出て聞いたとある。瑟は食物とは違う。亀井戸の魚が食物のために浮び出るのならわかるが、瑟を聞いて浮んで来るのは実に奇妙な感通である。馬や魚という粗いものでさえこうだと言う。上の「精微用得楽」へ引き当てて見なさい。人と鬼神の感なら尚更あるべきこと。
【語釈】
・荀子を引た…荀子勧学。「昔者瓠巴鼓瑟、而流魚出聽。伯牙鼓琴、而六馬仰秣」。

○又如虞美人艸云云。虞美人は項羽寵愛の妾なり。項羽はあの通り剛強ゆへ、死ぬをも何とも思はぬなれとも、又却つよい方からあはれなこともある。項羽なとの仕舞は騅と云馬と此虞美人斗りになりたが、項羽が死すると虞美人も自ら首をは子て死だ。虞美人草は、虞美人を葬た墓の近所に竒怪なことあり。虞美人の歌とは丁ど平家などのやうに有て歌ふた。夫を謡ふと彼虞美人艸が葉と葉を合せて拍子をうつやうに動いた。草木と云へどもこの感あった。酒をふけは壁へ蚊が来る。またたびたくと猫がうつつぬかして来る。どうしてか天地の間、このやうなことがある。○又曰、今有箇新立底神廟云云。當時は是が法度ゆへ、むさと出来ぬが、法度でなくばいたらか出来やう。
【解説】
「又如虞美人草、聞人歌虞美人詞與呉詞則自動。雖草木亦如此。又曰、今有箇新立底神廟」の説明。虞美人草は虞美人の歌を歌うと葉と葉を合わせて拍子を打つ様に動いた。天地の間には何故かこの様なことがある。今の日本では神廟を立てるのは禁じられている。
【通釈】
○「又如虞美人草云云」。虞美人は項羽寵愛の妾である。項羽はあの通りの剛強なので、死ぬのをも何とも思わないが、また、却って強い方から哀れなこともある。項羽などの最期は騅という馬とこの虞美人だけになったが、項羽が死ぬと虞美人も自ら首を刎ねて死んだ。虞美人草は、虞美人を葬った墓の近所にあったが、奇怪なことが起きた。虞美人の歌は丁度平家などの様なものだった。それを謡うとあの虞美人草が葉と葉を合わせて拍子を打つ様に動いた。草木といえどもこの感通があった。酒を吹けば壁へ蚊が来る。またたびを焚くと猫がうつつを抜かして来る。どうしてか天地の間にはこの様なことがある。○「又曰、今有箇新立底神廟云云」。今はこれが法度なので、簡単にはできないが、法度でなければいくらかできるだろう。

○縁衆人心邪向他云云。上の條に民倚信為坐とあり、人の信向によりて盛になる。邪と云て横さまと云ことでもないか、文盲なものを云。人の死を何とも思はぬと云やうな邪てもないが、何でも文盲て、すぢもなく只有難々々と信向するて邪と云。邪宗と云。人殺させよと教もせぬが邪なり。凡そすぢないことをするで云。めったに信向するで向の邪も盛になり、祈りもきくは衆人の心が合力をしてやるのぞ。○如狄仁傑廢了云云。先日南軒の廟をくだいたは早いと云ふたは、南軒に付て朱子の趣向を云なり。淫祠を破るがわるいではないなり。狄仁傑か淫祠を多く打つぶしたが、なんとして害をなすことはならなんた。強く出るで祟ることはならす。百姓どもも肝をけし、御奉行さまのは挌別違ふたものと思なり。○縁他見得無這物事云云。傳奕が白眼付けたやうに、ばちをあてるならさああてて見よと、あたらぬ丈夫を見跋てすると、ばちあてることはならぬ。惣体鬼神感通の有と云理を能知れば、又祟などのないと云ことも知るることなり。
【解説】
「縁衆人心邪向他、他便盛。如狄仁傑廢了許多廟、亦不能爲害、只縁他見得無這物事了」の説明。人が筋のないことを信仰することによって邪が盛んになる。その祈りが通るのは、衆人の心が合力をしてそうなるのである。狄仁傑は淫祠を壊したが罰は当たらなかった。鬼神感通の理をよく知れば、祟りなどはないということがわかる。
【通釈】
○「縁衆人心邪向他云云」。上の条に「民倚神為主」とあり、人の信仰によって邪が盛んになる。邪と言っても横様ということでもないが、文盲な者を言う。人の死を何とも思わないという様な邪でもないが、何にしても文盲で、筋もなくただ有難いと信仰するので邪と言い、邪宗と言う。人殺しをしろと教えるわけではないが、邪である。凡そ筋のないことをするのでこの様に言う。滅多に信仰するので向こうの邪も盛んになる。祈りも通るのは衆人の心が合力をしてそうなるのである。○「如狄仁傑廃了云云」。先日、南軒が廟を砕いたのは早過ぎると言ったのは、南軒に対しての朱子の趣向を言ったこと。淫祠を破るのは悪いことではない。狄仁傑が淫祠を多く打ち潰したが、どうしても彼に害をなすことはできなかった。強く出るので祟ることはできない。百姓共も胆を消し、御奉行様は格別違ったものだと思った。○「縁他見得無這物事云云」。博奕が睨み付ける様に、罰を当てるのならさあ当てて見ろと、当たらないと丈夫に見抜いてすると、罰を当てることはできない。総体、鬼神感通のあるという理をよく知れば、また祟りなどのないということも知れること。
【語釈】
・民倚信為坐…理有明未尽処の条。「民倚神爲主」。
・狄仁傑…唐初の名臣。字は懐英。山西太原の人。高宗の時、江南に巡撫使となり、また突厥を追討、契丹の来襲を平らげるなど、功をたてた。則天武后に直諫し、国老として遇され、睿宗の時、梁国公に追封。文恵と諡す。630~700
・南軒の廟をくだいた…理有明未尽処の条。「南軒拆廟、次第亦未到此」。

○上蔡云、可者云云。是がわるくみると分んのことの出たやうに思が、是が上によく合たことぞ。只今云ふ通りに感挌ある。正鬼神を上文でとき、又感挌ない新立の淫祠を下に説て、そこて上蔡を引て爰でしめた。此は孔子の語にて礼記檀弓にあり、もと致生之不知致死之不仁とあり、致生之とは親を大切にするとて、死でも御淋しからふとて追腹てもきらせ、壙に入たり、又、毎日料理の膳を備るなとと云。是は不知の方、不知惠なことなり。致死之と云は、死たものが何に飲食するものぞ。酒を備たとて、いつ飲んだぞ。鬼神よりをれが飲むと云やうなは不仁なり。そこを上蔡は鬼神のことを能く合点した人ゆへ、よく云れた。
【解説】
「上蔡云、可者欲人致生之、故其鬼神。不可者欲人致死之、故其鬼不神」の説明。礼記檀弓にある「致生之」とは、親を大切に思い、追腹でも切らせて壙に入れたり、毎日料理の膳を備えるなどということで、これは不知である。また、「致死之」とは、死んだ者は飲食をしないから俺が供えるための酒を飲むという様なもので、これが不仁である。
【通釈】
○「上蔡云、可者云云」。これを悪く見ると別なことが出た様に思うが、これが上によく合ったこと。只今言った通りに感格がある。正鬼神を上文で説いて、また、感格のない新立の淫祠を下に説いて、そこで上蔡を引いてここで括った。ここは孔子の語で礼記檀弓にあり、元は「致生之不知致死之不仁」である。「致生之」とは親を大切にするとで、死んでも御淋しかろうとて追腹でも切らせて壙に入れたり、また、毎日料理の膳を備えるなどと言う。これは不知の方で、不知恵なこと。「致死之」とは、死んだ者が何で飲食をするものか。酒を備えても、いつ飲んだのか。鬼神より俺が飲むという様なのが不仁である。そこを上蔡は鬼神のことをよく合点した人なので、よく言われた。
【語釈】
・礼記檀弓…礼記檀弓上。「孔子曰、之死而致死之、不仁而不可爲也。之死而致生之、不知而不可爲也」。

可者不可者とかけて、夫へ此孔子の語をわり込だ。可者とは、祭るへき正鬼神を云外、神ても先祖でも祭るはづのを可者と云。それをは生てあり々々と居らるるやうに、珍客貴人を招請するやうに祭るで千百年さきの先祖も来挌する。そこで其鬼神と云、其鬼とは正しい可者の鬼を云。神とはやく々々々と感挌することなり。不可者は邪鬼神て所謂淫祠そ。たとへは長田之熊坂のと云やうなは、今生ていても殺すべき奴らぞ。其祠ぢゃの神木しゃのと云は、こいつらはと打こはし廃る。其鬼不神で、そこては灵妙はならぬ。兎角こちのしむけに有こと。迂齊云、一休か関の地藏に褌をまきつけたも不神さましたのなり。扨又不神と云を正鬼神にしても、非其鬼祭之諂也。其合点なれは、其鬼不神なり。不可とはこちの當然にせぬことなり。
【解説】
「可者」は正鬼神である。「不可者」は邪鬼神であり、淫祠であり、そこに霊妙はない。「非其鬼祭之諂也」という合点がなければ正鬼神はない。
【通釈】
「可者」「不可者」と掛けて、それへこの孔子の語を割り込んだ。可者とは、祭るべき正鬼神を言う外、神でも先祖でも祭る筈のものを言う。それをは生きてありありとしておられる様に、珍客貴人を招請する様に祭るので千百年前の先祖も来格する。そこで「其鬼神」と言い、其鬼とは正しい可者の鬼を言う。神と早く感格すること。不可者は邪鬼神で、所謂淫祠である。たとえば長田や熊坂という様な者は、今生きていても殺すべき奴等である。祠や神木などは、こいつ等はと打ち壊し廃る。これは「其鬼不神」なので、そこでは霊妙はない。とかくこちらの仕向けにあること。迂斎が、一休が関の地蔵に褌を巻き付けたのも不神の様をしたのである。さてまた不神も正鬼神も、「非其鬼祭之諂也」という合点がなければ、其鬼不神である。不可とはこちらで当然としないこと。
【語釈】
・長田…長田忠致・景致父子?源義朝を殺す。
・熊坂…熊坂長範。平安末期の大盗。奥州に赴く金売吉次を美濃国(岐阜県)赤坂の宿に襲い、牛若丸に討たれたという伝説的人物。
・非其鬼祭之諂也…論語為政24。「子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不爲、無勇也。」

○先生毎見人説云云は、書に録者が書入たが、さて々々面白いことで、きめ処をきめたことなり。朱子が人の咄をよくきく人て、あたまから押つけるやうなはない。雲谷などに居られたときなどは、百姓ともを相手にしてさへ咄されたこともある。此やうなことも人が咄すとよふ聞れたが、さて、きめ処をきめらるる。其廟は山か丘か町中か、どこに有と云ことを聞く。ここがきめ処なり。勧進能を立るやうな処て幽灵も出にくい。幽灵も出て勝手のよいはある。又、鬼神の灵妙も山の灵氣をかりるで出来るはつ。迂齊云、弘法の伝授のと云がそれじゃて、愛宕や叡山のと云ふ深山の灵氣を借る処を見立た。貝原が京巡りの中に夲愛宕と云処あるゆへ、先年尋た。北山の方なり。是は何のこともない処しゃから、今の愛宕の坂か五十あるの何のと云高山ゆへ、山の灵氣をかりる処を見立たのなり。そこを朱子か知て居るで、形勢如何と問れたもの。兎角深山などの霊氣でぞっとする処あるて、人の信仰も挌別になることあり、深山幽谷は霊妙もあるもの。其灵妙ををやかたにし、灵を付る。狐虎の威をかるのなり。放下も種なくてはならぬ。兎角神灵と云は葬地も家礼に草木茂盛なとのことあるもそれなり。墓の脇へ人の鍋釜洗ふた水がながれ、一寸とほれ、直に水が出るやうな処へ先祖の墓はつかぬ筈のことぞ。神霊を置く処てなし。
【解説】
「先生毎見人説世俗神廟可怪事、必問其處形勢如何」の説明。朱子はよく人の話を聞く人だった。そこで、世俗が神廟の鬼神の怪事を言うと、「其處形勢如何」と尋ねた。霊妙は山などの霊気を借りてできる。
【通釈】
○「先生毎見人説云云」は、書に録者が書き入れたのが実に面白いことで、決め処を決めたこと。朱子は人の話をよく聞く人で、初めから押し付ける様なことはない。雲谷などにおられた時などは、百姓共を相手にしてさえ話されたこともある。この様なことも人が話せばよく聞かれたが、さて、決め処を決められる。その廟は山か丘か町中か、何処にあると聞く。ここが決め処である。勧進能を立てる様な処では幽霊も出難い。幽霊も出て勝手のよい悪いがある。また、鬼神の霊妙も山の霊気を借りてできる筈。迂斎が、弘法や伝教というのがそれで、愛宕や叡山という深山の霊気を借りる処を見立てた。貝原の京巡りの中に本愛宕という処があるので先年訪ねた。北山の方である。これは何ともない処だが、今の愛宕の坂が五十あるの何のという高山なので、山の霊気を借りる処を見立てたのである。そこを朱子か知っているので、「形勢如何」と問われたのである。とかく深山などの霊気でぞっとする処があって、人の信仰も格別になることもある。深山幽谷は霊妙もあるもの。その霊妙を親方にして霊を付ける。虎の威を借る狐である。放下も種がなくてはならない。とかく神霊と言うのは、葬地も家礼に草木茂盛などのことがあるのもそれである。墓の脇へ人が鍋釜を洗った水が流れ、一寸掘れば直ぐに水が出る様な処へ先祖の墓は作らない筈。そこは神霊を置く処ではない。
【語釈】
・勧進能…社寺の勧進のために催す大規模な能。後には単にそれを名目にして入場料を取る興行をさす。


答王子合書
16
答王子合書曰、謝氏致生致死之説、亦是且借此字、以明當祭與不當祭之意。致生之者、如事死如事生事亡、如事存是也。致死之者、如絶地天通、廢撤淫祀之類是也。若於所當祭者疑其有、又疑其無、則誠意不至矣。是不得不致生之也。於所不當祭者疑其無、又疑其有、則不能無恐懼畏怯矣。是不得不致死之也。此意與檀弓論明器處自不相害、如鬼神二字。或以一氣消息而言、或以二氣陰陽而言。説處雖不同、然其理則一而已矣。人以爲神便是致生之、以爲不神便是致死之。然此兩句獨看卻有病。須連上文看。可與不可、兩字方見道理實處、不是私意造作。若不然即是應觀法界一切唯心造之説矣。文集四十九下同。
【読み】
王子合に答うる書に曰く、謝氏生と致し死と致すの説、亦是れ且く此の字を借り、以て當に祭るべきか當に祭らざるべきかの意を明にす。之を生と致す者は、死に事えること生に事えるが如く亡に事え、存に事えるが如きの如き是れなり。之を死と致す者は、地天の通を絶し、淫祀を廢撤するの類の如き是れなり。若し當に祭るべき所の者に於て其の有るを疑い、又其の無きを疑えば、則ち誠意至らざるなり。是れ之を生と致さざるを得ざるなり。當に祭るべからざる者に於て其の無きを疑い、又其の有るを疑えば、則ち恐懼畏怯の無きこと能わざるなり。是れ之を死と致さざるを得ざるなり。此の意と檀弓明器を論ずる處と自ら相害せず、鬼神の二字の如し。或いは一氣消息を以て言い、或いは二氣陰陽を以て言う。説く處同じからずと雖も、然れども其の理は則ち一のみ。人以て神と爲せば便ち是れ之を生と致し、以て神ならずと爲さば便ち是れ之を死と致す。然るに此の兩句を獨看すれば卻って病有り。須らく上文を連ねて看るべし。可と不可とは、兩字は方に道理の實處を見て、是れ私意造作せず。若し然らざれば即ち是れ應觀法界一切唯心造の説なり。文集四十九下同。

謝氏致生致死之説云云。則ち上の段のことで、謝上蔡の語かよく取合せたのに王子合が見取ることならず、其答なり。礼記壇弓、之死而致生之不智、之死之不仁と孔子の語を謝上蔡の可と不可て云れたをかれこれと難してをこしたをさとすのなり。明當祭與不當祭之意。ここを知り分るてよい説と云。致生之者、如事死如事生云云。鬼神は料理備ても盖もあけぬほどなれば、潮の塩梅処ではないやうなれども、それを御老中招請のやうにするが事生事存の中庸の語の通りのわけぞ。
【解説】
「答王子合書曰、謝氏致生致死之説、亦是且借此字、以明當祭與不當祭之意。致生之者、如事死如事生事亡、如事存是也」の説明。礼記檀弓にある孔子の語を謝上蔡が可と不可で言われたことについて、王子合は見取ることができなかった。それは、中庸にある通り、「事死如事生、事亡如事存」でするのである。
【通釈】
「謝氏致生致死之説云云」。則ち前条のことで、謝上蔡の語がよく取り合わせてあるのに王子合が見取ることができないので、その答えである。礼記壇弓にある「之死而致生之不知、之死而致死之不仁」という孔子の語を謝上蔡が可と不可で言われたのを、かれこれと非難して遣したのを諭したのである。「明当祭与不当祭之意」。ここを知り分けるのでよい説と言う。「致生之者、如事死如事生云云」。鬼神は料理を供えても盖も開けないほどのことなので、潮の塩梅処ではない様だが、それを御老中招請の時の様にするのが「事生事存」という中庸の語の通りなのである。
【語釈】
・謝氏致生致死之説…商人求諸陽の条。「上蔡云、可者欲人致生之、故其鬼神。不可者欲人致死之、故其鬼不神」。
・礼記壇弓…礼記檀弓上。「孔子曰、之死而致死之、不仁而不可爲也。之死而致生之、不知而不可爲也」。
・事生事存…中庸章句19。「踐其位、行其禮、奏其樂、敬其所尊、愛其所親、事死如事生、事亡如事存、孝之至也」。

○致死之者、如絶地天通云云。これは書経呂刑の語で、地天の通を絶つとは、後来になりては兎角かるいもの迠か天地の祭にも手を出したがる。通を絶は、天子は天地を祭り、諸侯は山を祭る。其外の者が天地を祭ることはならぬと絶つなり。今裏店のかご舁日雇迠が月見の團子を窓から上けて祭ると天がうけとるやうに思が、甚不礼なり。そこを絶つと云は、祭るはづはないと禁絶して祭るまじきは祭ぬことそ。廃撤淫祀。狄仁傑のやうに打こはすぞ。○若於所當祭者云云。太夫は五祀、平士は先祖斗りぞ。祭るべき當然ゆへ、祭ら子はならぬ。いかさまとのやうな不孝者でも、現在生てをる親や祖父に食をすすめぬものはない。祭と云は死後に其通りのことすること。祭て膳を備へ子ばならぬこと。夫じゃに、疑其有疑其無。有か無いかと疑ふ位の心では誠意は至らぬ。不得不致生之。有無を疑はず、有るもの祭るへきものに决断して祭るゆへ、有聞其容声。あり々々とあるなり。
【解説】
「致死之者、如絶地天通、廢撤淫祀之類是也。若於所當祭者疑其有、又疑其無、則誠意不至矣。是不得不致生之也」の説明。後世、軽い者までが天地を祭るが、天子が天地を祭り、諸侯が山を祭るのであって、それ以外の者が天地を祭るのは悪い。祭るべきでないことをしないのを通を絶つと言う。また、大夫は五祀、平士は先祖だけを祭る。祭る時は有無を疑わず、あるものとして生前同様にするのである。
【通釈】
○「致死之者、如絶地天通云云」。これは書経呂刑の語で、地天の通を絶つとは、後来になってはとかく軽い者までが天地の祭にも手を出したがるが、通を絶つとは、天子は天地を祭り、諸侯は山を祭る。その外の者が天地を祭ることはならないと絶つこと。今裏店の駕籠舁きや日雇いまでが月見の団子を窓から上げて祭ると天が受ける様に思うが、それは甚だ無礼である。そこで絶つと言うのは、祭る筈はないと禁絶して祭ってはならないものは祭らないこと。「廃撤淫祀」。狄仁傑の様に打ち壊すのである。○「若於所当祭者云云」。大夫は五祀、平士は先祖だけを祭る。祭るべき当然なので、祭らなければならない。いかにもどの様な不孝者でも、現在生きている親や祖父に食を勧めない者はない。祭とは、死後にその通りのことをすること。祭って膳を備えなければならない。それなのに、「疑其有、疑其無」。有るか無いかと疑う位の心では誠意は至らない。「不得不致生之」。有無を疑わず、あるもの、祭るべきものと決断して祭るので、「有聞其声容」と、ありありとある。
【語釈】
・書経呂刑…書経呂刑。「無世在下、乃命重黎、絕地天通、罔有降格」。
・天子は天地を祭り、諸侯は山を祭る…礼記上曲礼下。「天子祭天地、祭四方、祭山川、祭五祀、歲遍。諸侯方祀、祭山川、祭五祀、歲遍。大夫祭五祀、歲遍。士祭其先」。
・狄仁傑…唐初の名臣。前条に「如狄仁傑廢了許多廟、亦不能爲害」とある。
・有聞其容声…有聞其声容?

○於所不當祭者云云。吾祭らぬはづのものを、あの稲荷へとなりからも繪馬を上るから、上けずはなるまいと云たがる。疑其無、又疑其有、則不能無恐懼畏怯云云。月に團子を上るは無礼と聞て上けぬが、去秋上け子は病たり、又は不仕合しゃ。兎角をしごとはわるいなととこはくなりてくるぞ。されは致死と片付ることぞ。此意、上蔡の意を指す。與檀弓論明器處自不相害。よく語意同し処へをち合なり。偖、此の明器と云は、古人か藁なとて人の形を拵て埋る。夫を明器と云は、藁てものま子のやうに人の形を拵てやるも孝子の心からはさて々々親を一人やっては定て御不自由でと思ひ、又、食用の道具なとを作るも鬼神を致生との心なり。明器と云ふも神明にした意なり。不致死て色々の手道具迠も上る。夫を段々後には手がこんて、俑を造る。為俑者其無後乎と云は、俑は人形ても手足を動かし、眼を見開くやうにする。其俑を入る、それはあまり生けりと仕過きて、不知惠の方なり。又なに鬼神か其やうなことがいるものかと、石瓦のやうにするは死としすぎた不仁の方なり。夫て明器を作るはよく、俑はわるいと云か主意なり。其意に謝氏の取合がよく合ふなり。
【解説】
「於所不當祭者疑其無、又疑其有、則不能無恐懼畏怯矣。是不得不致死之也。此意與檀弓論明器處自不相害」の説明。祭るべきでないものでも、それを祭らないと恐ろしく思うものだが、それは「致死」と片付けるのがよい。檀弓にある明器のことは、死んだ親を思ってのことで、「不致死」と思ってする。しかし、それに手が混んで俑となるのは生とし過ぎで悪い。
【通釈】
「於所不当祭者云云」。自分が祭らない筈のものを、隣もあの稲荷に絵馬を上げるからは、こちらも上げなければならないと言いたがる。「疑其無、又疑其有、則不能無恐懼畏怯云云」。月に団子を上げるのは無礼と聞いたので上げないことにしても、去秋に団子を上げなかったので病んだとか、または不幸せになったと言う。とかく押し事は悪いなどと恐くなって来る。そこで、「致死」と片付けるのである。「此意」とは、上蔡の意を指す。「与檀弓論明器処自不相害」。語意がよく同じ処へ落ち合う。さて、この明器とは、古人が藁などで人の形を拵えて埋めたものを指し、それを明器と言うのは、藁で物真似の様に人の形を拵えて遣るのも、孝子の心からは親を一人で遣ってはきっと御不自由なことだろうと思からで、また、食用の道具などを作るのも鬼神を「致生」と思う心からのこと。明器と言うのも神明にする意からである。「不致死」で色々な手道具までをも上げる。それが後には段々と手が混んで、俑を造る。「為俑者其無後乎」とは、俑は人形でも手足を動かし、眼を見開く様にする。その俑を入れては、あまりに生々とし過ぎて、不知恵の方になる。また、何で鬼神にその様なことが要るものかと、石瓦の様にするのは死とし過ぎた不仁の方である。それで、明器を作るのはよく、俑は悪いというのが主意である。その意に謝氏の取り合いがよく合う。
【語釈】
・をしごと…押し事。無理におしつけること。特に、神仏の奇特を信ぜず、それを否定するようなことを言うこと。
・檀弓論明器…礼記上檀弓下。「孔子謂爲明器者、知喪道矣。備物而不可用也、哀哉。死者而用生者之器也、不殆於用殉乎哉。其曰明器、神明之也。塗車芻靈、自古有之、明器之道也。孔子謂爲芻靈者善、謂爲俑者不仁、殆於用人乎哉」。

○如鬼神二字云云。子合が上蔡の語のさばけぬと云も、つまり鬼神のことを不案内なと見へた。そこを朱子の見とって上蔡の語の片を付て、又先つ鬼神と云ものはと語るのなり。或以一氣消息云云。天地開闢以来一氣でつづく。此一氣と云は細引のやうなり。それをう子らせると二氣になる。消息とは、其氣が天地の間に存してありて、伸たりちぢんだりするのなり。或以二氣隂陽云云。一氣をわけると二つになる。四季の一年の十二月と分る。一氣と云へは大ふりなやう。二氣と云へは片身をろしたやうなれとも、二氣とて十万石を五万石つつなしたやうなことではない。説處雖不同云云。一氣ても二氣でもつまり理は一つなり。
【解説】
「如鬼神二字。或以一氣消息而言、或以二氣陰陽而言。説處雖不同、然其理則一而已矣」の説明。天地開闢以来一気で続く。一気がうねって二気になる。二気は陰陽で言うこともあるが、理から言えば一つである。
【通釈】
○「如鬼神二字云云」。子合が上蔡の語をわからないと言うのも、つまりは鬼神のことが不案内だからだと思える。そこを朱子が見取って上蔡の語の片を付けて、また、先ず鬼神というものはと語った。「或以一気消息云云」。天地開闢以来一気で続く。この一気とは細引の様なもので、それをうねらせると二気になる。「消息」とは、その気が天地の間にあって、伸びたり縮んだりすること。「或以二気陰陽云云」。一気を分けると二つになる。四季の一年を十二月と分ける。一気と言えば大振りな様で、二気と言えば片身に下ろした様だが、二気と言っても十万石を五万石ずつに分けた様なことではない。「説処雖不同云云」。一気でも二気でもつまり理は一つである。

○人以為神便是云云。神と不神の字もすめまいかと思はるる程のこと。是を云てやるが王子合のためによいことと見ゆる。学問はかいない男なり。正か邪か、祭るべきか祭らぬかを糺すことなり。正い鬼神でも、こちで祭らぬ筋なれは、こちのかかりでないとする。非其鬼と論語にある。源平藤橘もそれなり。○然此两句云云。致生致死を説きはなしにすると、致ぬ々々と云かこちの了簡て、鬼神を拵るやうになりて、却て有病ぞ。上文を連子看は、上の可不可と云を引付て見よ。可なる者だから祭るは致生之なり。不可なる者だから祭らぬは致死之なり。爰が大切のきまり、道理の実然なり。不私意造作者。天地の鬼神、人の鬼神、其鬼神を致す々々と云からしてこちの心でこしらへるやうにしては以の外のことなり。鬼神之徳其盛乎哉とあり、夫も孔子の心でこしらへるではない。
【解説】
「人以爲神便是致生之、以爲不神便是致死之。然此兩句獨看卻有病。須連上文看。可與不可、兩字方見道理實處、不是私意造作」の説明。正か邪か、祭るべきか祭らないべきかを糺す。可なる者だから祭るのは「致生之」であり、不可なる者だから祭らないのは「致死之」である。但し、こちらの心で拵えることではない。
【通釈】
○「人以為神便是云云」。これは、神と不神のこともわからないかと思われてのこと。これを言って遣るのが王子合のためによいことと見える。学問は甲斐ない男である。これは、正か邪か、祭るべきか祭らないべきかを糺すこと。正しい鬼神でも、こちらに祭らない筋があれば、こちらの関わりでないとする。「非其鬼」と論語にある。源平藤橘もそれ。○「然此両句云云」。致生致死を説いただけでは、不致がこちらの了簡になって、鬼神を拵える様になり、却って「有病」である。「連上文看」は、上の可不可を引き付けて見ること。可なる者だから祭るのは「致生之」である。不可なる者だから祭らないのは「致死之」である。ここが大切な決まりで、道理の実然である。「不私意造作者」。天地の鬼神、人の鬼神、その鬼神を致すということからしてこちらの心で拵える様にしては以の外である。「鬼神之徳其盛乎哉」とあり、それも孔子の心で拵えたものではない。
【語釈】
・非其鬼…論語為政24。「子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不爲、無勇也」。
・源平藤橘…奈良時代以来その一門が繁栄して名高かった四氏。源氏・平氏・藤原氏・橘氏の称。
・鬼神之徳其盛乎哉…中庸章句16。「子曰、鬼神之爲德其盛矣乎」。

○若不然即是應觀法界云云。これは蕐厳経にあることなり。應はべしと云こと。観は例の仏者の觀の字なり。さて、法と云字は天地の中一切の徴物迠こちのものと物を殘さぬことで、界は世界の界て、天下中を法中の物と云こと。一切国土にあるもの皆唯心造で、只心からなり。心かあるで、向に山がある、あれは山と見、川がある、あれは川じゃなどとみる。心でつくる。鳩や萑でも名のりてこぬが、こちの心で鳩よ萑よとするなれば、心が造るなり。山河大地と云も此ことなり。心て造るとみた。佛説なり。天地もこちから天地としてやるで天地と云ものもあると、皆此方を主にした見処なり。何もかもこちの心を建立していくこと。向のものは假もの。我を真にする垩学は心と理なり。佛は物理はすてて、吾心を主にする道なり。そこで唯心造なり。是はここにいらぬことのやうなことに出すはどうなれば、致生之致死之と致す々々と云をわるく取て、鬼神もあると見ればある、無いと思ふとなくなもなると云やうにすると佛の唯心造にをちて、鬼神をこちでこしらへるになる。さうしたことてはない。
【解説】
「若不然即是應觀法界一切唯心造之説矣」の説明。仏は天下にある全ては皆自分の心で造ったものだと言う。心があるから山や川もそれと知れると言う。しかし、聖学は心と理とでするもの。「致生之致死之」を悪く取ると仏の唯心造に落ちる。
【通釈】
○「若不然即是応観法界云云」。これは華厳経にあること。「応」はべしということ。「観」は例の仏者の観の字のこと。さて、「法」という字は天地の中にある一切の微物までが自分のものだとして物を残さないことで、「界」は世界の界で、天下中が法中の物ということ。一切国土にあるものが皆唯心造で、ただ心からのこと。心があるので、向こうに山があると、あれは山だと見て、川があれば、あれは川だなどと見る。心で造るのである。鳩や雀でも名乗っては来ないが、こちらの心で鳩だ雀だとするのだから、心が造るのである。山河大地というのもこのこと。心て造ると考えた。これは仏説である。天地もこちらから天地として遣るので天地というものもあるのだと、皆自分を主にした見処なのである。何もかもこちらの心を建立して行くこと。向こうのものは仮のもの。自分を真にする聖学は心と理とでする。仏は物理は捨てて、自分の心を主にする道である。そこで唯心造なのである。これはここに入らないことの様だが、これを出したのは、致生之致死之と致すということを悪く取って、鬼神もあると見ればある、ないと思えばないことにもなるという様にすると仏の唯心造に落ちて、鬼神をこちらで拵えることになる。そうしたことではない。
【語釈】
・山河大地…道元。正法眼蔵。「山河大地、日月星辰」。


又曰細看前書諸説條
17
又曰、細看前書諸説、謝氏之言大概得之。若以本文上下考之、即誠不免有病。乃若其意、則所謂致生之者即是人以爲神、致死之者即是人以爲不神之意耳。天神地示人鬼、只是一理、又只是一氣。中庸所云未嘗分別人鬼不在内也。人鬼固是終歸於盡。然誠意所格、便如在其上下左右。豈可謂祀典所載不謂是耶。奇怪不測皆人心自爲之。固是如此。然亦須辨得是合有合無。若都不分別、則又只是一切唯心造之説、而古今小説所載鬼怪事、皆爲有實矣。此又不可不察也。
【読み】
又曰く、細かに前書の諸説を看るに、謝氏の言は大概之を得。若し本文上下を以て之を考えれば、即ち誠に病有るを免がれず。乃ち其の意の若きは、則ち謂う所の之を生と致す者は即ち是れ人以て神と爲し、之を死と致す者は即ち是れ人以て神ならずと爲すの意のみ。天神地示人鬼は、只是れ一理、又只是れ一氣。中庸云う所の未だ嘗て人鬼を分別し内に在らざるなきなり。人鬼は固より是れ終に盡に歸す。然るに誠意の格す所は、便ち其の上下左右に在るが如し。豈祀典載す所是れを謂わずと謂う可けんや。奇怪不測は皆人心自ら之を爲す。固より是れ此の如し。然るに亦須らく是れ有を合し無を合すを辨得すべし。若し都て分別せずば、則ち又只是れ一切唯心造の説にして、古今小説載す所の鬼怪の事、皆實有りと爲すなり。此れ又察せざる可からず。

又曰、細看前書諸説、謝氏之言大概得之。あれほど云てやったに未だ子合か聞入れぬとみへて、くだらぬこと云てこしたとみへた。そこで朱子の謝氏のよいのを大概とはいかがのやうなれとも、王子合が中庸の夲文の正面に引付て云ゆへ、夫にしても大概合ふではないかと云こと。若以夲文上下考之云云。中庸に引合してはちと病もあると云は、中庸の夲文か始めに天地の鬼神から齊明盛服、以承祭祀。洋々乎、如在其上、如在其左右と正しい鬼神を語るに、致生致死と、可の不可と云沙汰はない筈のこと。いかさま中庸の正解章句には取れぬなれは、夲文から云へは病もあるが、上蔡の意で考てみれは又すまぬこともない。所謂致生之云云。孔子の生けりと致すと云は祭べき筋で、今でも先祖を祭に福酒でもいただくは、是為神之。致死之。淫祠や邪鬼神なとを祭てあれは、是は祭るまじきものゆへ不神としてかまはす。かまはぬと鬼神も一句もあがらぬを不神と云。つまり子合がとかく鬼神のことに根ずみなさに、根のすんだ上蔡などのはせた説がのらす。天神地示人鬼、只是一理云云。此句も上の条の其理は則一而已と同手段なり。
【解説】
又曰、細看前書諸説、謝氏之言大概得之。若以本文上下考之、即誠不免有病。乃若其意、則所謂致生之者即是人以爲神、致死之者即是人以爲不神之意耳。天神地示人鬼、只是一理、又只是一氣。
【通釈】
「又曰、細看前書諸説、謝氏之言大概得之」。あれほど言って遣ったのに未だ子合が聞き入れないと見え、下らないことを言って遣したと見える。そこを、朱子が謝氏のよい言を大概と言うのは妙な様だが、王子合が中庸本文の正面に引き付けて言うので、それにしても大概は合うではないかと言ったのである。「若以本文上下考之云云」。中庸に引き合わせては一寸病もあると言うのは、中庸の本文が始めに天地の鬼神から「斉明盛服、以承祭祀。洋々乎、如在其上、如在其左右」と正しい鬼神を語っているのだから、「致生致死」とか、「可不可」という沙汰はない筈のこと。いかにも中庸の正解章句には合わないので、本文から言えば病もあるが、上蔡の意で考えて見れば、また済まないこともない。「所謂致生之云云」。孔子が生まれけりと致すと言うのは祭るべき筋で、今でも先祖を祭るのに福酒でも頂くのは、「是為神之」である。「致死之」。淫祠や邪鬼神などを祭ってあれば、これは祭ってはならないものなので「不神」として構わない。構わなければ鬼神も一言も言えないのを不神と言う。つまり、子合がとかく鬼神のことに根済みがないから、根の済んだ上蔡などの爆ぜた説がわからない。「天神地示人鬼、只是一理云云」。この句も前条の「其理則一而已」と同じ手段である。
【語釈】
・天地の鬼神から齊明盛服、以承祭祀。洋々乎、如在其上、如在其左右…中庸章句16。「子曰、鬼神之爲德其盛矣乎。視之而弗見、聽之而弗聞、體物而不可遺。使天下之人、齊明盛服、以承祭祀。洋洋乎、如在其上、如在其左右。詩曰、神之格思、不可度思、矧可射思。夫微之顯、誠之不可揜、如此夫」。
・致生致死と、可の不可…商人求諸陽の条。「上蔡云、可者欲人致生之、故其鬼神。不可者欲人致死之、故其鬼不神」。

○中庸所云未嘗分別人鬼不在内也。中庸でからふが人鬼を分別せぬと云ことではない。初めに鬼神之為徳其盛矣乎と天地の鬼神を出してあるゆへ、章句に鬼神天地之功用而造化之迹なりとあり、下の一節は使天下之人、齊明盛服云云とあるゆへに、礼記の其氣發揚于上、為昭明、焄蒿、悽愴。此百物之精也、神之著也との語を引て、天地の鬼神と人鬼とは分ってみへるそ。○人鬼固是終歸於盡云云。一理一氣と云て天地の氣は尽ぬか、人は死ぬでがんざりとみへる。尽たえへそれぎりかと思へは、然るに誠意所挌云云。天地の造化の氣は万年も尽ぬ。人の氣は尽るやうなれとも、其尽た神をすじの者か誠意て祭れば来挌する。天地て五穀や桃梅の花実の出来て散り、又出来るやうに、人鬼も同じく子孫か誠意で祭るとそこへよる。祭祠来挌説に、江河のたとへから天と祖考と我と段々に出して合一無間とある。そこが上下左右に在る処なり。
【解説】
「中庸所云未嘗分別人鬼不在内也。人鬼固是終歸於盡。然誠意所格、便如在其上下左右」の説明。中庸でも、鬼神と人鬼を分けている。また、天地の気は尽きず、人の気も尽きるものではない。子孫が誠意で祭れば人鬼は来格する。
【通釈】
○「中庸所云未嘗分別人鬼不在内也」。中庸であっても人鬼を分別しないということではない。初めに「鬼神之為徳其盛矣乎」と天地の鬼神を出してあるので、章句に「鬼神、天地之功用、而造化之迹也」とあり、下の一節には「使天下之人、斉明盛服云云」とあるので、礼記の「其気発揚于上、為昭明、焄蒿、悽愴。此百物之精也、神之著也」の語を引いて、天地の鬼神と人鬼とを分けてあるのが見える。○「人鬼固是終帰於尽云云」。一理一気と言い、天地の気は尽きないが、それが人の死ぬことではっきりと見える。尽き絶えてそれ切りかと思えば、「然誠意所格云云」。天地の造化の気は万年も尽きない。人の気は尽きる様だが、その尽きた神をその筋の者が誠意で祭れば来格する。天地で五穀や桃梅の花実ができては散り、またできる様に、人鬼も同じく子孫が誠意で祭るとそこへ倚る。祭祠来格説に、江河のたとえから天と祖考と自分とを段々に出して「合一無間」とある。そこが「在上下左右」という処である。
【語釈】
・鬼神天地之功用而造化之迹…中庸章句16集註。「程子曰、鬼神、天地之功用、而造化之跡也」。
・其氣發揚于上、為昭明、焄蒿、悽愴。此百物之精也、神之著也…中庸章句16集註。「孔子曰、其氣發揚于上、爲昭明焄蒿悽愴。此百物之精也、神之著也。正謂此爾」。礼記下祭義からの引用。

○豈可謂祀典所載云云。いろ々々ありて、道理て説た所も祭のこと。上で云た処もある。礼記に何礼何義と云題もここなり。そこの根を知るとすめるそ。○竒恠不測云云。これも又あの方から云てきたとみゆる。竒怪。ふしぎな鬼神と云類。あれは皆人の心ですることであると子合から云てをこしたとみへる。固是如此。成程そうじゃと朱子の答てをいて、然に亦須弁得云云。心がすると斗り推付ると、それは迷しゃとのけてしまふになるから、合有合無を弁へよ。たとへは地獄と云は有ることか無いことかと分別せよ。理てをして吟味してみよと云やうなもの。只人心て為るのと斗りのけると、又只是彼の一切唯心造之説になるか、あれは向にあるものを無いにして、こちの心から出来ることと云のぞ。あれては心は大くなるが、其代りに天地は小さくなる。異端はとほうもない不合点なものそ。
【解説】
「豈可謂祀典所載不謂是耶。奇怪不測皆人心自爲之。固是如此。然亦須辨得是合有合無。若都不分別、則又只是一切唯心造之説」の説明。奇怪不測な鬼神は人心が拵えたものだと王子合が言って遣した。朱子は理で推して吟味しなさいと答えた。心ですると言って除ければ「一切唯心造」になる。
【通釈】
○「豈可謂祀典所載云云」。「祀典所載」には色々とあって、道理で説いた所も祭のこと。上で言った処もある。礼記に何礼とか何義とある題もここのこと。そこの根を知ると済める。○「奇怪不測云云」。これもまたあの方から言って来たものと見える。「奇怪」。不思議な鬼神という類で、あれは皆人の心ですることであると子合から言って遣したものと見える。「固是如此」。なるほどそうだと朱子が答えて置いて、「然亦須弁得云云」。心がするとばかり押し付けると、それでは迷いだと除けてしまうことになるから、「弁得合有合無」で、たとえば地獄はあるかないかと分別しなさい。理で推して吟味してみろと言う様なもの。ただ人心でできるとばかり言って除けると、「又只是一切唯心造之説」になる。あれは向こうにあるものをないことにして、こちらの心からできると言うのである。あれでは心は大きくなるが、その代わりに天地は小さくなる。異端は途方もない不合点者である。

○古今小説所載鬼恠事、皆為有實矣。鬼怪のこと、たしかに證拠もある。只心の迷ひと斗り云はれぬ。向に有るでどうもならぬ。先日も云、伯有か幽灵のやうに、只一人斗りみたなら人心がするとも云はふが、鄭の国中の者がみたれはあるぞ。そこを不可不察なり。兎角王子合か上蔡の説を不審するも、根か済ぬのぞ。上蔡は鬼神の説には甚た手抦ある人なり。爰にも限らず、題目をなして思議に入るからして、祖考精神即自家の精神と云類までみな手に入た説ともなり。それをかれこれ云はこちのすまぬのなり。
【解説】
「而古今小説所載鬼怪事、皆爲有實矣。此又不可不察也」の説明。伯有のことを見ても、鬼神は確かにあるのである。上蔡は鬼神の説には甚だ手柄のある人だが、その説を王子合が不審に思うのは、根が済まないからである。
【通釈】
○「古今小説所載鬼怪事、皆為有実矣」。鬼怪のあることは確かな証拠もある。ただ心の迷いとばかりとは言えない。向こうにあるのだからどうにもならない。先日も言ったが、伯有が幽霊の様に、ただ一人だけが見たのなら人心がするとも言えるだろうが、鄭の国中の者が見たのだから、それはあるのである。そこを「不可不察」である。とかく王子合が上蔡の説を不審に思うのも、根が済まないからである。上蔡は鬼神の説には甚だ手柄のある人。ここに限らず、題目を作って思議に入ることから、「祖考精神即自家精神」という類までが皆手に入れた説である。それを彼これ言うのはこちらが済まないのである。
【語釈】
・伯有…伯有は鄭の卿で、子産に殺された。


問履帝武敏條
18
問、履帝武敏。曰、此亦不知其何如。但詩中有此語。自歐公不信祥端、故後人纔見説祥端皆闢之。若如後世所謂祥端固多僞妄。然豈可因後世之僞妄、而併眞實者、皆以爲無乎。鳳鳥不至、河不出圖。孔子之言、不成亦以爲非。八十一下同。
【読み】
問う、帝の武の敏を履む。曰く、此れ亦其の何如を知らず。但詩中に此の語有り。歐公の祥端を信ぜざるより、故に後人纔に祥端を説くを見て皆之を闢く。後世謂う所の祥端の如きは固より僞妄多し。然るに豈後世の僞妄に因りて、眞實なる者を併せ、皆以て無と爲す可けんや。鳳鳥至らず、河圖を出ず。孔子の言、亦以て非と爲すと成らず。八十一下同。

此並へやうなども、鬼怪なことも人心からすると云を、夫では一切唯心造の説になる。たた迷ひだ々々々と云ふと早く片は付くが、あとで又公事が起る。迷ひと斗り云と、孔子の詩をけづるに生民の詩などを取てあるが、あれもないことと消れはすまいと云意からの編次なり。后稷を姜嫄の娠んたときのことを云た詩なり。天子春分に天を祭るに郊禖を配して御相伴にする。此祭が則ち子孫の續だことを祈るの祭で野原でする。そこで、先禖を出す筈ぞ。帝は、天帝を云。武敏、武はあしあと、敏は足の大指。其足跡を姜嫄がふむとびり々々とひびいて天から娠んだなり。此事を問れたに、不知其如何。爰を不知と云が朱子の朱子たる処。どこ迠も無理に知たにするは俗儒なり。先年旱のとき、文二を呼かけ、いつ雨ふる、それが知れずは学問なにのやくに立すと云百姓あり。是も尤なり。あの人は知ぬことはないと云を知と思ふ。知れぬことあると云迠が知の内になるは、大ていでは合点ゆくことでなし。知れぬことは知れぬですむ。天地の内に幽明なこともあるもの。又、珍しからぬことでも、目はどうしてみへ、耳はどうして聽へると問るると、岐伯も黄帝も一と通りは云ふても、さう々々は云れぬ。但詩中有此語。どうしてかかうしたこともあるぞ。
【解説】
「問、履帝武敏。曰、此亦不知其何如。但詩中有此語」の説明。鬼怪なことも人心からのことだと言うのなら、詩経生民に「履帝武敏」とあるのをどうするのか。これを否定することはできないだろうとの問いに、朱子は「不知其如何」と答えた。わからないことがあるということを知ることまでが知である。天地の内には幽明なこともあるもの。
【通釈】
この並べ方なども、鬼怪なことも人心からのことだと言えば、それでは一切唯心造の説になる。ただ迷いだと言えば早く片は付くが、後でまた公事が起こる。迷いとばかり言うのなら、孔子が詩を告げるのに生民の詩などを取ってあるが、あれもないことだと消すことはできないだろうという意からの編次である。后稷を姜嫄が孕んだ時のことを言った詩である。天子が春分に天を祭るのに郊禖を配して御相伴する。この祭は子孫が続いたことを祈る祭で、野原でする。そこで、先ず禖を出す筈である。「帝」は、天帝を言う。「武敏」、武は足跡、敏は足の大指。その足跡を姜嫄が踏むとびりびりと響いて天から孕んだのである。この事を問われたのに、「不知其如何」と答えた。ここを不知と言うのが朱子の朱子たる処。何処までも無理に知ったことにするのは俗儒である。先年旱の時、文二を呼び掛けて、いつ雨が降るのか、それがわからないのなら学問は何の役にも立たないと言った百姓がいた。これも尤もなこと。あの人は知らないことはないということを知と思っている。知らないことがあるということまでが知の内になるということは、大抵では合点の行くことでない。知らないことは知らないで済む。天地の内には幽明なこともあるもの。また、珍らしくなさそうなことでも、目はどうして見え、耳はどうして聞こえるのかと問われると、岐伯も黄帝も一通りのことは言うことはできても、そうそうは答えられない。「但詩中有此語」。どうしてかこの様なこともある。
【語釈】
・生民の詩…詩経大雅生民題辞。「生民、尊祖也。后稷生於姜嫄、文武之功、起於后稷。故推以配天焉」。同生民。「厥初生民、時維姜嫄、生民如何。克禋克祀、以弗無子。履帝武敏歆、攸介攸止。載震載夙、載生載育。時維后稷」。
・郊禖…
・岐伯…岐山の麓に住んでいた伯爵。医学に通じ、六名医(岐伯・雷公・伯高・鬼臾区・少師・少兪)の先頭に立つ。
・黄帝…中国古代伝説上の帝王。名は軒轅。三皇五帝の一。「黄帝内経」は中国最古の医学書で、黄帝と岐伯ら六名医との問答形式で構成される。

○自歐公不信祥端云云。永叔は名高い人て、たぎったもの。宋朝て国初以来学問に少とも目鼻の付たは此人などなり。程子などの以前、真宗などは漢の武帝からつりを取そうな不思議好きて、色々の祥瑞かあり、かうした不思義があるの、ああした祥瑞があるのと云ふ。天書などのことあり。其後に出た永叔ゆへ、あたまくだしに云つぶす勢なり。夫が卓越なゆへ、それからして、後人見説祥瑞闢之。それからして、人々か永叔にならふて、祥瑞はないにして取のけるほと。後世所謂祥瑞なとは偽妄がある。夫と同挌には云へぬ。雨風かたま々々あらは大ひ祥瑞とも云はふが、有つけたで人か何とも思す。だたい祥瑞はあのやうなもののたま々々なるのぞ。○鳳鳥不至云云。永叔などはきらふたが、孔子は祥瑞をなつかしがった。たま々々有ので祥瑞なり。鳳凰もふだん居ると鶴も同前に思ふ。まれに有で祥瑞なり。目出度世てあった。それを孔子の嘆しられた。孔子を文盲なことを云とは云はれまい。
【解説】
「自歐公不信祥瑞、故後人纔見説祥瑞皆闢之。若如後世所謂祥瑞固多僞妄。然豈可因後世之僞妄、而併眞實者、皆以爲無乎。鳳鳥不至、河不出圖。孔子之言、不成亦以爲非」の説明。欧陽脩が祥瑞を信じなかったので、後人もそれに倣った。後世で言う祥瑞には偽妄が多いが、孔子が「鳳鳥不至云々」と言ったことを偽妄とは言えないだろう。祥瑞は偶々あるからそう言うのである。
【通釈】
○「自欧公不信祥端云云」。永叔は名高い人で、滾った人。宋朝で国初以来、学問に少しでも目鼻の付いたのはこの人などである。程子などの以前、真宗などは漢の武帝からつりを取りそうな不思議好きで、色々な祥瑞があり、こうした不思議がある、ああした祥瑞があると言う。天書などのことあった。その後に出た永叔なので、頭下しに言い潰す勢いである。それが卓越なので、それからして、「後人見説祥瑞闢之」。それからして、人々が永叔に倣って、祥瑞はないとして取り除けるほどだった。「後世所謂祥瑞」などは偽妄があるから、それと同格には言えない。雨風が偶々にしかなければ大きな祥瑞とも言えるだろうが、ありふれているので人は何とも思わない。そもそも祥瑞はあの様なものが偶々にあるから言う。○「鳳鳥不至云云」。永叔などは嫌ったが、孔子は祥瑞を懐かしがった。偶々あるので祥瑞なのである。鳳凰も普段からいれば鶴も同然に思う。希にあるので祥瑞である。目出度い世だった。それを孔子の嘆じられた。孔子が文盲なことを言ったとは言えないだろう。
【語釈】
・歐公…欧陽脩。北宋の政治家・学者。江西廬陵の人。字は永叔。号は酔翁・六一居士。諡は文忠。唐宋八大家の一。仁宗・英宗・神宗に仕え、王安石の新法に反対して引退。1007~1072
・真宗…宋朝第三代皇帝。
・鳳鳥不至…論語子罕8。「子曰、鳳鳥不至、河不出圖。吾已矣乎」。


時挙説履帝武敏條
19
時舉説履帝武敏歆攸介攸止處曰、履巨跡之事有此理。且如契之生。詩中亦云、天命玄鳥降而生商。蓋以爲稷契皆天生之耳。非有人道之感、非可以常理論也。漢高祖之生亦類此。此等不可以言盡。當意會之可也。
【読み】
時舉帝の武の敏を履むの歆は介する攸止む攸の處を説いて曰く、巨跡を履むの事、此れ理有り。且つ契の生が如し。詩中に亦云う、天玄鳥に命じ降りて商を生む。蓋し以て稷契皆天之を生むと爲すのみ。人道の感有るに非ず、常理を以て論ずる可きに非ざるなり。漢の高祖の生も亦此に類す。此等言を以て盡くす可からず。當に之を意會して可なるべし。

説くとあれば、時挙が朱子の容餘て詩経のこの詩を説たことなり。歆。をとろくともうこくとも。歆くは、姜嫄の武敏を見てほっとひびいたこと。攸介。足あとの大いこと。攸止。その足あとへ姜嫄の手前の足をふみ留たこと。○曰、履巨跡之事有此理。朱子おさばきなり。此やうなことは常でないから理外なことに心得るが、さうでない。假令たま々々有ふとも、かふしたこともあるはづと云理があるなり。天地の中にあることに、変なことてもたたい理のないことはなし。此上後日又あるまいとも云はれぬ。
【解説】
「時舉説履帝武敏歆攸介攸止處曰、履巨跡之事有此理」の説明。常でないことは理外に思うが、そうではない。天地にあるものは、それが変であっても、理はないとは言えない。
【通釈】
説くとあるので、これは時挙で朱子が容余で詩経のこの詩を説いたこと。「歆」。驚くとも動くとも読む。歆くとは、姜嫄が武敏を見てほっと響いたこと。「攸介」。足跡の大きいこと。「攸止」。その足跡へ姜嫄が自分の足を踏み留めたこと。○「曰、履巨跡之事有此理」。朱子の捌きである。この様なことは常でないから理外なことに心得るが、そうではない。仮や偶にあったとしても、こうしたこともある筈だという理がある。天地の中にあることは、変なことであっても、そもそも理のないことはない。その上後日また出ないとも言えはしない。
【語釈】
・時挙…
・容餘…
・詩経…詩経大雅生民。「厥初生民、時維姜嫄、生民如何。克禋克祀、以弗無子。履帝武敏歆、攸介攸止。載震載夙、載生載育。時維后稷」。

○且如契之生云云。且はここではまあと云弁でなし。又一つあると云弁なり。契之生。商頌玄鳥に出。契の生るるもやはり巨跡とにたことなり。是も春分郊禖の祀のときのこと。簡秋は契の母なり。玄鳥の卵を呑て娠んだ。人道之感と云は男女搆精て娠むこと。其やうなこと、なんぞ寐席の沙汰なしぞ。御定りの道理て論しられぬ。すれは天地の間にかうしたこともある。天地の始りは氣化て出来た。それは知れたこと。其後は形化斗りなり。疑はないが、此二人は形化のとき氣化て生れたゆへ、きもつぶるることそ。されとも是は古いこと。尭舜のときのことゆへそうもないが、後世まのあたりに漢高祖之生るる、ただではなし。高祖の母御が大澤の陂に居眠りをしてをられた。何か大雷大雨まっくらになったゆへ、高祖の父いてみられたれば龍が交り、それから娠れた。よって高祖の顔か竜に似たと云こともあり、此等以不可以言尽。此やうなことを折角に、今日中に片を付やう、訳を濟そうのと云てはいかす。
【解説】
「且如契之生。詩中亦云、天命玄鳥降而生商。蓋以爲稷契皆天生之耳。非有人道之感、非可以常理論也。漢高祖之生亦類此。此等不可以言盡」の説明。契も后稷と同様なことから生れた。それは古い時のことだが、後世で見ても、漢の高祖は龍が交わっているところにいて、それから孕んだ事実がある。
【通釈】
○「且如契之生云云」。「且」はここではまあという弁ではなく、また一つあるという弁である。「契之生」。商頌玄鳥にある。契が生まれたのもやはり巨跡と似たこと。これも春分の郊禖の祀の時のこと。簡秋は契の母である。玄鳥の卵を飲んで孕んだ。「人道之感」とは男女構精で孕むこと。その様なことがなく、何でも寢席の沙汰はない。御定まりの道理て論じることはできないこと。それなら天地の間にこうしたこともあるもの。天地の始まりは気化である。それは知れたこと。その後は形化だけである。それに疑いはないが、この二人は形化の時に気化で生まれたのだから、それは胆の潰れること。しかしながら、これは古いこと。堯舜の時のことなのでよくわからないが、後世を見ると、現実に「漢高祖之生」が常ではないかった。高祖の母御が大沢の堤で居眠りをしておられた。何か大雷大雨で真っ暗になったので、高祖の父が行って見られると龍が交わり、それから孕んだ。そこで高祖の顔が竜に似ているということもあり、「此等以不可以言尽」。この様なことが折角あるのに、今日中に片を付けよう、わけを済まそうと言うのでは悪い。
【語釈】
・契之生…詩経商頌玄鳥。「天命玄鳥、降而生商。宅殷土芒芒、古帝命武湯、正域彼四方」。
・郊禖…
・男女搆精…易経繋辞伝下5。「天地絪縕、萬物化醇、男女構精、萬物化生」

當意會之可也とは、いつの間にかうんとのみこむやうになること。若くても疑ぬ者もあり、年よりてもすめぬ者もある。其筈て、無いことをこれはとうして々々々々と問るるとこまるもの。隂陽かさま々々変化するからさま々々竒妙なこともある。ひくい譬で云はば、今朝したたか食ふたれば、昼飯比にも腹がへらぬと云は常理なり。夫を却て朝飯をしたたか食ふたれば、大ぶ早く腹がへったと云ときもある。是は常理ではないが、ものはどうも筭用つめにいかぬ。炬燵に寐て居る某などと比すれば、角力とりや作人などの食事は十倍も多そうなものじゃか、又そうもない。筭用つめでないこと多し。宵に早く寐たで、却て朝目のさめか子ることあり。是も常ではないが、左やうなことはいくらも瑣細なことゆへ取あけず、そこで疑もせぬ。定理斗で云れぬことなり。是は小いことなれども、大い事の上にも是がある。天地の物氣化と云は天の御世話、形化の方はあいらが方てするで、天地は樂な筋なり。されとも形化の以後は氣化は変なり。形化は常理なり。尭舜の子に天下をゆづらず他人にゆつるは、あのときは定理なり。今又子にゆつらす人に與へては大さはぎなり。されとも禅受と云こともありたことなり。今は形化てないと大さはぎなり。なれども初は氣化と云こともありた。其氣化か又有たとみれば何のことはないから、張子説もそこを見たものなり。
【解説】
「當意會之可也」の説明。陰陽が様々に変化をするから様々な奇妙なことがある。その瑣細なことは人も取り上げず、疑いもしない。天地の初めは気化が常理であり、その後は形化が常理である。しかし最初に気化はあったのだから、契や后稷のこともあると見れば何事もない。
【通釈】
「当意会之可也」とは、いつの間にかうんと飲み込む様になるということ。若くても疑わない者もあり、年が寄っても済めない者もいる。その筈で、ないことをこれはとうしてかと問われると困るもの。陰陽が様々に変化をするから様々な奇妙なこともある。卑いたとえで言えば、今朝大層食ったので、昼飯頃にも腹が減らないと言うのは常理である。それを却って朝飯を大層食ったが、大分早く腹が減ったと言う時もある。これは常理ではないが、ものはどうも算用詰めには行かない。炬燵に寝てい私などと比べれば、角力取りや作人などの食事は十倍も多そうなものだが、またそうでもない。算用詰めでないことが多い。宵に早く寝たので、却って朝目の醒めかねることもある。これも常ではないが、左様なことはいくらもある。それは瑣細なことなので取り上げず、そこで疑いもしない。定理ばかりでは言えないこと。これは小さいことだが、大きい事の上にもこれがある。天地の物で気化というのは天の御世話から。形化の方は私達の方ですることなので、天地にとっては楽な筋である。しかしながら、形化以後になって気化があるのは変である。形化は常理である。堯舜が子に天下を譲らず他人に譲ったのは、あの時は定理である。今また子に譲らないで人に与えては大騒ぎである。しかしながら、禅受ということもあったこと。今は形化でないと大騒ぎだが、始めの頃は気化ということもあった。その気化がまたあると見れば何事もない。張子説もそこを見たもの。


問玄鳥詩條
20
問、玄鳥詩呑卵事、亦有此否。曰、當時恁地説必是有此。今不可以聞見不及定其爲必無。
【読み】
問う、玄鳥の詩に卵を呑む事、亦此れ有りや否や。曰く、當時恁地き説は必ず是れ此れ有らん。今聞見の及ばざるを以て定め必ず無と爲す可からず。

有りや否は、あのやうなことも有たかとの問なり。必是有此。詩経にあるから有たで有ふぞ。今不可以聞見不及云云。見聞の及ぬを以て片をちに必無いとするもわるい。常理で推付ると生民の詩も玄鳥の詩もうそうじゃと云はふが、片推にするでなし。又つき上けて云と神道者になる。又、そこを知わけ子は学者でないと、急にすまさうと主張するもわるいぞ。鬼神などの取扱は究挌のつまりぞ。急にならず。常理て斗りつぶして仕まふは高いやうでも小学の知なり。そこをあるとして置て主張せぬと云が大学の知惠なり。
【解説】
見聞が及ばないからそれはないとするのも、必ずあるとするのも悪い。常理だけで潰すのは高い様でも小学の知である。主張しないのが大学の知恵である。
【通釈】
「有此否」は、あの様なこともあったのかとの問いである。「必是有此」。詩経にあるからあったのだろう。「今不可以聞見不及云云」。見聞が及ばないからと片落ちに「必無」とするのは悪い。常理で推し付けて、生民の詩も玄鳥の詩も嘘だと言い張るが、片推しにすることではない。また、突き上げて言うと神道者になる。また、そこを知り分けなければ学者ではないと、急に済まそうと主張するのも悪い。鬼神などの取り扱いは窮格の至極である。急にはできない。常理ばかりで潰してしまうのは高い様でも小学の知である。そこをあるとして置いて主張しないというのが大学の知恵である。
【語釈】
・生民の詩…詩経大雅生民。「厥初生民、時維姜嫄、生民如何。克禋克祀、以弗無子。履帝武敏歆、攸介攸止。載震載夙、載生載育。時維后稷」。
・玄鳥の詩…詩経商頌玄鳥。「天命玄鳥、降而生商。宅殷土芒芒、古帝命武湯、正域彼四方」。