答廖子晦書條  四月二十六日
【語釈】
・四月二十六日…寛政5年(1793年)4月26日。

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答廖子晦書曰、死生之論、向來奉答所諭知性事人之問、已發其端而近答崇卿書論之尤詳。意明者一讀當已洞然無疑矣、而來書之諭尚復如此。雖其連類引義若無津涯、然尋其大指、則皆不出前此兩書所論之中也。豈未嘗深以鄙説思之、而直以舊聞爲主乎。既承不鄙又不得不有以奉報。幸試思之。蓋賢者見所以不能無失者、正坐以我爲主、以覺爲性爾。夫性者理而已矣。乾坤變化萬物受命。雖所禀之在我、然其理則非有我之所得私也。所謂反身而誠、蓋謂盡其所得乎己之理、則知天下萬物之理、初不外此。非謂盡得我此知覺、則衆人之知覺皆是此物也。性只是理、不可以聚散言。其聚而生、散而死者氣而已矣。所謂精神魂魄有知有覺者、皆氣之所爲也。故聚則有、散則無。若理則初不爲聚散而有無也。但有是理則有是氣。苟氣聚乎此、則其理亦命乎此耳。不得以水漚比也。鬼神便是精神魂魄、程子所謂天地之功用造化之迹、張子所謂二氣之良能、皆非性之謂也。故祭祀之禮以類而感、以類而應。若性則又豈有類之可言耶。然氣之已散者既化而無有矣。其根於理而日生者、則固浩然而無窮也。故上蔡謂我之精神即祖考之精神、蓋謂此也。然聖人之制祭祀也、設主立尸、炳蕭灌鬯、或求之隂、或求之陽、無所不用其極、而猶止曰庶或享之而已。其至誠惻怚精微恍惚之意、蓋有聖人所不欲言者。非可以世俗麤淺知見、執一而求也。豈曰一受其成形、則此性遂爲吾有、雖死而猶不滅、截然自爲一物、藏乎寂然一體之中、以俟夫子孫之求而時出以饗之耶。必如此説則其界限之廣狹安頓之處所、必有可指言者。且自開闢以來積至于今、其重併積疊計已無地之可容矣。是又安有此理耶。且乾坤造化如大洪爐。人物生生無少休息。是乃所謂實然之理不憂其斷滅也。今乃以一片大虚寂目之、而反認人物已死之知覺、謂之實然之理。豈不誤哉。又聖賢所謂歸全安死者、亦曰無失其所受乎天之理、則可以無愧而死耳。非以爲實有一物可奉持而歸之、然後吾之不斷不滅者、得以晏然安處乎冥漠之中也。夭壽不貳修身以俟之。是乃無所爲、而然者與異端爲生死事大無常迅速、然後學者、正不可同日而語。今乃混而言之、以彼之見爲此之説。所以爲説愈多而愈不合也。四十五。
【読み】
廖子晦に答うる書に曰く、死生の論、向來答えを奉り諭す所は生を知り人に事えるの問、已に其の端を發して近ごろ崇卿に答うる書の之を論ずる、尤も詳らかなり。明者一たび讀めば當に已に洞然として疑い無きの意にて、來書の諭も尚復此の如し。其の類を連ね義を引けば津涯無きが若しと雖も、然れども其の大指を尋れば、則ち皆此より前兩書の論ずる所の中を出ざるなり。豈未だ嘗て深く鄙説を以て之を思わずして、直に舊聞を以て主と爲さんや。既に不鄙を承て又以て報を奉ずること有らざるを得ず。幸に試みに之を思え。蓋し賢者の見の以て失う無きこと能わざる所の者は、正に我を以て主と爲し、覺を以て性と爲すに坐するのみ。夫れ性は理のみ。乾坤變化萬物命を受く。禀する所之れ我に在りと雖も、然れども其の理は則ち我の私するを得る所有るに非ざるなり。謂う所の身に反りて誠なるは、蓋し其の己に得る所の理を盡くせば、則ち天下萬物の理、初めより此に外ならざるを知るを謂う。我が此の知覺を盡くし得ば、則ち衆人の知覺皆是れ此の物と謂に非ざるなり。性は只是の理にて、聚散を以て言う可からず。其れ聚って生じ、散じて死する者は氣のみ。謂う所の精神魂魄知ること有り覺ること有る者、皆氣の爲す所なり。故に聚まれば則ち有り、散れば則ち無し。理の若きは則ち初めより聚散して有無なるを爲さざるなり。但し是の理有れば則ち是の氣有り。苟も氣此に聚まれば、則ち其の理も亦此に命ずるのみ。水漚を以て比するを得ざるなり。鬼神は便ち是れ精神魂魄、程子の謂う所の天地の功用造化の迹、張子の謂う所の二氣の良能は、皆性の謂いに非ざるなり。故に祭祀の禮は類を以て感じ、類を以て應ず。性の若きは則ち又豈類の言う可き有らんや。然して氣の已に散ずる者は既に化して有る無し。其の理に根いて日に生ずる者は、則ち固より浩然として窮むこと無きなり。故に上蔡の我の精神は即ち祖考の精神と謂うは、蓋し此の謂いなり。然して聖人の祭祀を制するや、主を設け尸を立て、蕭を炳し鬯を灌し、或いは之を隂に求め、或いは之を陽に求め、其極を用いざる所無くして、猶止々として庶わくば或いは之を享けんと曰うのみ。其の至誠惻怚精微恍惚の意は、蓋し聖人の言を欲せざる所の者有り。世俗麤淺の知見を以て、一を執りて求める可きに非ず。豈一たび其の成形を受ければ、則ち此の性は遂に吾に有りと爲し、死すと雖も而して猶滅せず、截然として自ら一物と爲し、寂然一體の中に藏し、以て夫れ子孫の求めを俟ちて時に出で以て之を饗すと曰んや。必ず此の如くなれば則ち其の界限の廣狹、安頓の處所、必指言す可き者有り。且つ開闢より以來積んで今に至り、其の重併積疊計に已に地の容れる可き無きなり。是れ又安んぞ此の理有らんや。且つ乾坤造化は大洪爐の如し。人物生生し少しの休息無し。是れ乃ち謂う所の實然の理は其の斷滅を憂えざるなり。今乃ち一片大虚寂を以て之を目て、反って人物已に死するの知覺を認め、之を實然の理と謂う。豈誤まらざるや。又聖賢の謂う所の全きを歸し死を安んずる者も、亦其の天に受くる所の理を失うこと無くば、則ち以て愧ずること無くして死す可しと曰うのみ。以て實に一物奉持して之を歸す可く有り、然る後吾の斷ぜず滅せざる者は、以て晏然として冥漠の中に安處するを得ると爲すに非ず。夭壽貳ず身を修め以て之を俟つ。是れ乃ち爲にする所無くして、然る者は異端の生死事大無常迅速の爲にし、然る後學ぶ者と、正に日を同じくして語る可からず。今は乃ち混じて之を言い、彼の見を以て此の説を爲す。説を爲すこと愈々多くして愈々合わざる所以なり。四十五。

この廖子晦への答書が儒仏の决断ぞ。野中傳右ェ門が今日は絶蔵主か肴を喰ふだらふと云たも此書を感心してのこと。佐々助三郎なども此書と前の連崇卿への書に感して歸正したと云ことしゃ。すれは某などが感心せぬと云ではないが、それほどに迠はをもはぬ。此二書感の深からぬと云は某などか仏學をせぬゆへぞ。仏学に力の有たものは此二書がてっきりと胸にこたへる。夲途に仏學をして手に入たものでなくてはこたへぬことと思ふ。我慢心の役に立ぬと云が爰でこれを尤と思ても、今更これを尤と云てはひけになるの、若輩にみへるのと云やうなは子供のやうな心いきぞ。山﨑先生夲んに仏心を得やうと學んだから、てっちりと答へて歸正された。
【解説】
この書が儒仏の分かれ目である。これは仏学を手に入れた者でなければわからないこと。山崎先生は真に仏心を得ようと学んだから、しっかりと帰正された。
【通釈】
この廖子晦への答書が儒仏の決断である。野中伝右衛門が今日は絶蔵主が肴を喰うだろうと言ったのもこの書を感心してのこと。佐々助三郎などもこの書と前の連崇卿への書に感じて帰正したということである。それなら私などが感心しないというわけではないが、それほどまでには思わない。この二書に感が深くないというのは私などが仏学をしないからである。仏学に力のあった者はこの二書がしっかりと胸に応える。本当に仏学をして手に入れた者でなくては応えないことだと思う。我が慢心は役に立たないというのがここで、これを尤もだと思っても、今更これを尤もと言うのでは引けになるとか、若輩に見えるという様なことでは子供の様な心意気である。山崎先生は本当に仏心を得ようと学んだから、しっかりと応えて帰正された。
【語釈】
・野中傳右ェ門…
・絶蔵主…
・佐々助三郎…

○向来奉答。此の前に度々問答ありた。文集四十五に子晦の書もあり、論吾の不知生焉知死を云て論を立てたなどもある。朱子の答書短く云て塵をひ子らせることともじゃ。そこで已發其端と云れた。こまかには云ぬが元日端を発したとなり。○尤詳は前條崇卿の書ぞ。先日のとこれでこなたなどはとくみたらばよくすまふと思ふたとなり。処か又云こした。それが如無津涯。ばっとしたしまりもない、つかまへやうもない。書曰、渉大川如無津涯。兩書。垩門之学下学上上達、不能事人焉能事人。文集四十五、十七段、十九段。先輩如此が出してあるが、某が考には此前の知字事死の返書と崇卿への書にあててみたなり。
【解説】
「答廖子晦書曰、死生之論、向來奉答所諭知性事人之問、已發其端而近答崇卿書論之尤詳。意明者一讀當已洞然無疑矣、而來書之諭尚復如此。雖其連類引義若無津涯、然尋其大指、則皆不出前此兩書所論之中也。豈未嘗深以鄙説思之、而直以舊聞爲主乎。既承不鄙又不得不有以奉報。幸試思之」の説明。朱子は連崇卿への答書を読めばわかると思ったのに、また廖子晦が言って遣した。先輩はここにある「両書」を文集四十五としたが、知字事死の返書と連崇卿への答書と見ることもできる。
【通釈】
○「向来奉答」。この前に度々問答があった。文集四十五に子晦の書もあり、論語の「不知生焉知死」を言って論を立てたものなどもある。朱子の答書には短く言って塵を捻らすものもある。そこで「已発其端」と言われた。細かには言わないが元日に端を発したと言う。○「尤詳」は前条の崇卿の書のこと。貴方などは先日のとこれとでしっかりと見ればよく済むことだろうと思ったと言う。ところがまた言い遣した。それが「如無津涯」。ばっとして締まりもない、掴まえ様もない。書に、「渉大川如無津涯」とある。「両書」。「聖門之学下学而上達」、「不能事人焉能事人」。文集四十五、十七段、十九段。先輩はこの様に出したが、私の考えとしてはこの前の知字事死の返書と崇卿への答書に当てて見た。
【語釈】
・不知生焉知死…論語先進11。「季路問事鬼神。子曰、未能事人、焉能事鬼。敢問死。曰、未知生、焉知死」。
・塵をひ子らせる…恥かしさでもじもじしているさまにいう。
・渉大川如無津涯…書経微子。「今殷其淪喪、若渉大水、其無津涯。殷遂喪、越至于今」。
・垩門之学下学上上達…文集
・不能事人焉能事人…文集
・知字事死…

○賢者之見。子晦か書にとかく私など以我為主と云こした。此前條にも為我為主があるか爰にもある。爰は正にと云字で、詞が新しくなる。こなたがてきとこれを云からは病根じゃ。以覚か儒仏のさかひ。孔子の継善成性、孟子性善も天命が性と天へ一つにして云。凡そ垩賢の云はるる性のことは上では命、下では性。吾一己の覚ではない。あちで覚の字付たがるは吾一つ覚のあることで云たがるからぞ。佛と云字も本と覚の字。菩提と云も我か覚になりた。皆同しこと。仏心のことしゃ。けんぼ明德や性善のやうに云たがりても、あの方は仏と云もこれも覚の字じゃ。其覺は吾にあると云。これが儒仏のさかひじゃ。問ふに落ずかたるにをちる。以我主としますと云たぞ。坐はそこにすわりをること。これをつみせらるるとは、博奕する処に坐して、をれは其仲間としてつみせらる。坐と云はそこへすわりて働のとれぬことにも云。性善と云に此方の手抦はないことと思ふに、つかへたことはない。太極の理が人に賦したこと。こちの手抦ではない。性は理而已じゃ。天から云付ったこと。
【解説】
「蓋賢者見所以不能無失者、正坐以我爲主、以覺爲性爾。夫性者理而已矣」の説明。「以我為主」が病根であり、儒仏の境である。「天命性」の性は天では命、人では性であり、自分一己の覚りのことではない。「性者理而已」で、人が天から言い付かったのある。
【通釈】
○「賢者之見」。子晦が書中、とかく私などは「以我為主」だと言って遣した。前条にも為我為主があるがここにもある。「正」という字で言葉が新しくなる。貴方がはっきりとこれを言うからは、それが病根なのである。「以覚」が儒仏の境。孔子の「継善成性」、孟子の性善も天命が性と天へ一つにして言うこと。凡そ聖賢の言われる性のことは上では命、下では性。自分一己の覚りではない。あちらで覚の字を付けたがるのは、自分に一つ覚りのあることで言いたがるのである。仏という字も元は覚の字。菩提というのも我が覚りであり、皆同じこと。仏心のこと。あちらが明徳や性善の様に言いたがるが、仏というのも覚りの字からである。その覚りは自分にあると言う。これが儒仏の境である。問うに落ちず語るに落ちた。以我為主としますと言ったのである。「座」はそこに座っていること。これを罪せられると言うのは、博奕する処に座して、俺はその仲間であるとして罪せられること。座はそこに座って動きの取れないことにも言う。性善にはこちらの手柄はないと思うが、支えることはない。太極の理が人に賦したこと。こちらの手柄ではない。「性者理而已」である。天から言い付かったこと。
【語釈】
・継善成性…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也」。

○乾坤変化と云は人氣のないこと。ここで人氣と云弁を云は上の以我為主に對する弁ぞ。○所稟在我云云。窓から月のさすやうなもの。我窓が丸けれは丸く、三角なれは三角にさす。それ々々にさしこむが、こちの窓しゃからをれが月じゃと云ことはならぬ。月は天下一統の月ぞ。非有我之所得私也。あてかふたことなれけば、えりどりすることはならぬ。
【解説】
「乾坤變化萬物受命。雖所禀之在我、然其理則非有我之所得私也」の説明。月はこちらの窓の形通りに差すが、月自体は自分のものではない。
【通釈】
○「乾坤変化」は人気のないこと。ここで人気という弁を言うのは上の以我為主に対する弁である。○「所稟在我云云」。窓から月が差す様なもの。こちらの窓が丸ければ丸く、三角であれば三角に差す。それぞれに差し込むが、こちらの窓だから俺の月だと言うことはならない。月は天下一統の月である。「非有我之所得私也」。宛がったことではないので、選り取りすることはならない。

○反身而誠と出されたが靣白ひ。身心はこちのかたのこと。乾坤変化は自由にならずとも、ここは自由がなりそうなものだが、この方をせんぎするが天からのて、手を付ぬこと。反身而と云ても吾を主にするてはない。天を主にすることぞ。全露法王身の、釈迦のみな世界皆是我有の、こちからの筋ではない。拜領に疵を付ぬこと。さて爰に似てちがふこと一つあり。補傳に人心の霊莫不有知、而天下之物莫不有理と云は、人の心に有知と物の上にある理がもと一理ゆへ、向の理をこちの知か致る。こちと向とひびくなれとも、以我為主ではない。我知覚を尽せば衆人の知覺が尽さるると云。さうしたことはない。垩学は天を主とし仏学は心を主とすると云ものぞ。心の貴も天命の性具りてをるゆへぞ。知覚以下のことてない。魂魄がかいないと知覺がよはひ。精神がつよければいききったと云までのこと。知覚を尽すとれき々々とする。そこへ本来の靣目が光る。人欲かないとはづむと云。其睹欲深者、其天機淺、大宗師、と云たと同しこと。人欲ないと光る。そこを仏心仏性と云。こちの克己の工夫には云べけれとも、それを天命性の塲にしては吾を主にしたぞ。
【解説】
「所謂反身而誠、蓋謂盡其所得乎己之理、則知天下萬物之理、初不外此」の説明。人の心にある知と物の上にある理が元一理なので、向こうの理をこちらの知が致る。自分の知覚を尽くせば衆人の知覚が尽くせると言うのは間違いである。聖学は天を主とし仏学は心を主とする。人欲がないと光り、そこを仏心仏性と言うが、それを天命性の場で言うのは悪い。
【通釈】
○「反身而誠」と出されたのが面白い。身心はこちらの方のこと。乾坤変化は自由にならないが、ここは自由になりそうなもの。しかし、自分を詮議するというのも天からのことだから、自分から手を付けてはならない。反身而と言っても自分を主にするのではない。天を主にすること。「全露法王身」や、釈迦の「三界皆是我有」はこちらからの筋ではない。拝領に疵を付けないこと。さてここに似て違うことが一つある。補伝に「人心之霊莫不有知、而天下之物莫不有理」とあるのは、人の心にある知と物の上にある理が元一理なので、向こうの理をこちらの知が致る。それは、こちらと向こうとが響くことだが、以我為主ではない。我が知覚を尽くせば衆人の知覚が尽くせると言うが、そうしたことはない。聖学は天を主とし仏学は心を主とするというもの。心が貴いのも天命の性が具わっているからである。知覚以下のことでない。魂魄が甲斐ないと知覚が弱い。精神が強ければ生き切るというまでのこと。知覚を尽くすと瀝瀝とする。そこへ本来の面目が光る。人欲がなければ弾むと言う。「其耆欲深者、其天機淺」、大宗師、というのと同じこと。人欲がないと光る。そこを仏心仏性と言う。こちらでも克己の工夫にはそれを言うが、それを天命性の場で言えば、自分を主にすることになる。
【語釈】
・全露法王身…禅詩有省偈。洪壽作。「撲落非他物、縱橫不是塵。心河並大地、全露法王身」。
・世界皆是我有…法華経譬喩品。「今此三界、皆是我有。其中衆生、悉是吾子。而今此処、多諸患難。唯我一人、能為救護」。
・人心の霊莫不有知、而天下之物莫不有理…大学章句5補伝。「蓋人心之靈莫不有知、而天下之物莫不有理。惟於理有未窮、故其知有不盡也」。
・其睹欲深者、其天機淺…荘子大宗師。「其耆欲深者、其天機淺。古之眞人、不知説生、不知惡死」。

生てはたらくものを云は大きなちがひじゃ。知覚は一人々々にかけて云こと。理は天に有るを公共に人へかけたもの。吾をこませは衆人もこれとは云はれぬこと。爰へ前條の崇卿の書を出してみること。知覚を尽すがあの方の大事。そこで把持作弄する。この心が大事だからこれを傳へやうとかかる。金持が沢山ためてなを々々をしむ。仏か性をす子からもみ出したからをしむ。金持す子からためたからをしむ。貧乏者かへってつかふ。をれには金が身につかぬ生れだそうなと云。これが却て公共ぞ。をれが月と云ことはない。天命性と云は上の方からのこと。たれにも有から垩賢はふけらかしはせぬ。さへた月、爰斗りでない。どこにも有ると云のぞ。性只是理。なんのことはない。聚るの散るのとそこへ人の生死をこめて云ことではない。太極圖説に知死生の説と云ても、死が大事と云ことではない。隂陽の兩端をしらせるまでのこと。性の話に聚散がなしに入らふ。生死は氣の上のこと。孫の生れたは聚、祖父の死たは散ぞ。氣は限りあるものゆへ聚散する。こちの性を云ときは理而已と云。あちのは氣とをとすなり。孟子の性出して告子を訶りたも氣で性を云からぞ。
【解説】
「非謂盡得我此知覺、則衆人之知覺皆是此物也。性只是理、不可以聚散言。其聚而生、散而死者氣而已矣。所謂精神魂魄有知有覺者、皆氣之所爲也」の説明。気で言うのは間違いである。性は理であり、聚散で言うものではない。死は気の聚散である。仏は性を気で言う。
【通釈】
生きて働くもので言うのは大きな違いである。知覚は一人一人に掛けて言うこと。理は天にあるが、それを公共に人へ掛けたもの。自分をこませば衆人もこれとは言えないこと。ここへ前条の崇卿の書を出して見なさい。知覚を尽くすのがあの方の大事。そこで「把持作弄」する。この心が大事だからこれを伝えようと掛かる。金持ちが沢山貯めても更に惜しむ。仏は性を臑から揉み出したから惜しむ。金持ちは臑から貯めたから惜しむ。貧乏者は却って使う。俺は金が身に付かない生まれの様だと言う。これが却って公共である。俺の月ということはない。天命性は上の方からのこと。誰にもあるから聖賢は吹けらかしはしない。冴えた月はここだけではない。何処にもあるということ。「性只是理」。何のことはない。聚散は人の生死を込めて言うことではない。太極図説に「知死生之説」とあるのも、死が大事ということではない。陰陽の両端を知らせたまでのこと。性の話には聚散なしに入る。生死は気の上のこと。孫が生まれたのは聚、祖父の死んだのは散である。気は限りあるものなので聚散する。こちらが性を言う時は「理而已」と言う。あちらのは気と落とす。孟子が性出して告子を訶ったのも気で性を言うからである。
【語釈】
・知死生の説…近思録道体1。太極図説。「原始反終、故知死生之説」。

○聚則有、散則無。聚有り。すてるものでない。婚礼元服目出たいと鯛をやる。散無は弔に乾物をやるのぞ。道理は聚散では云はぬ。孔子一隂一陽之謂道、周子無極而太極。聚散は云ぬ。理にいつなくなりますと云ことはない。乗桴而浮海は道の行れぬを嘆したこと。尭舜をいかしてほしひとは云はぬ。理を知たからそ。此やうに云たら理氣を蝦夷と長崎のやうにはないやうだが、理氣はなれたものてない。伊川の性論、性は理而已が證文なるにと云は、氣は付て有ふともひきぬいたもの。氣にはとほうもないことが出来る。中庸の章句、氣以成形而理亦賦る。可見。
【解説】
「故聚則有、散則無。若理則初不爲聚散而有無也。但有是理則有是氣。苟氣聚乎此、則其理亦命乎此耳」の説明。孔子も周子も理気を言うのに聚散のことは言わない。気は聚散するが、理に聚散はない。しかし、理気は離れたものではない。気に理が賦す。
【通釈】
○「聚則有、散則無」。「聚有」。捨てるものではない。婚礼元服目出度いと鯛を遣る。「散無」は弔いで、乾物を遣る。道理は聚散では言わない。孔子は「一陰一陽之謂道」、周子は「無極而太極」と言ったが、聚散は言わない。理にいつなくなりますということはない。「乗桴而浮海」は道が行われないのを嘆じたこと。堯舜を生かして欲しいとは言わない。それは理を知ったからである。この様に言えば、理気を蝦夷と長崎の様に離れたものの様だが、理気は離れたものではない。伊川の性論、「性即理」が証文なると言うのは、それに気は付いていようとも、それを引き抜いたものだからである。気には途方もないことができる。中庸の章句に、「気以成形而理亦賦」とある。これを見なさい。
【語釈】
・一隂一陽之謂道…易経繋辞伝上5。「一陰一陽之謂道。繼之者善也、成之者性也。仁者見之謂之仁、知者見之謂之知、百姓日用而不知。故君子之道鮮矣」。
・乗桴而浮海…論語公冶長7。「子曰、道不行、乘桴浮于海。從我者、其由與。子路聞之喜。子曰、由也好勇過我、無所取材」。
・伊川の性論…近思録道体38。「性即理也」。
・氣以成形而理亦賦…中庸章句1集註。「命、猶令也。性、即理也。天以陰陽五行化生萬物、氣以成形、而理亦賦焉。猶命令也」。

○不得以水漚比。時に此方の性の筋は是迠でよいが、子晦が水漚の譬を云てこした。この譬か楞厳から来たこと。人の性と死のことを水漚て譬だもの。本来の面目は水のやうなもの。人の生れた処は水の漚の出来たやうなもの。それが死ぬと又はなくなりてもとの水の水漚になる。本来の面目、これ人の性、これ死しても本来へかへってきへぬとみる。生た処か泡、きへた処が死で、もとへかへる。そこて不生不滅と見たもの。こちは尽れば尽たぎり。本にかへると云があの方のくせもの。死してもそこへきへす、本来にかへると云ふ。そうみたらば、なるほど君子の玉しいをもらって垩賢の亡た心がこちへきて、それを得ると云こともあらふ。調法なことぞ。此方で孔孟程朱の心を得ると云は学力て孔孟程朱の心になることあるじゃ。それも孔孟程朱の心がそらに不亡して有て、それがくると云ことではない。
【解説】
「不得以水漚比也」の説明。仏は本来の面目が人の性であって、死んでも本来へ帰って来て消えないと見る。それであれば、古人の魂を今得ることも可能である。しかし、儒が孔孟程朱の心を得ると言うのは学力ですることで、孔孟程朱の心が亡びずにあって、それが来るということではない。
【通釈】
○「不得以水漚比」。時にこちらの性の筋はこれまでのことでよいが、子晦が水漚のたとえを言って遣した。このたとえは楞厳経から来たこと。人の生と死のことを水漚てたとえたもの。本来の面目は水の様なもの。人が生まれた処は水の漚のできた様なもの。それが死ぬとまたなくなって、元の水の水漚になる。本来の面目は人の性であり、これが死んでも本来へ帰って来て消えないと見る。生きた処か泡、消えた処が死で、元へ帰る。そこで不生不滅と見る。こちらは尽きれば尽きて終わる。元に帰ると言うのがあちらの曲者。死んでもそこで消えず、本来に帰ると言う。その様に見れば、なるほど君子の魂を貰い、聖賢の亡んだ心がこちらへ来て、それを得るということもあるだろう。それは調法なことである。こちらで孔孟程朱の心を得ると言うのは学力で孔孟程朱の心になることがあるから。それも孔孟程朱の心が空に亡びずにあって、それが来るということではない。

あちは輪廻を遁れたがりて云が、つまりこれが輪廻にをちる。馬をむごくすれは馬になる。今生よいことすればよいものに生るると云。これはいやしいことぞ。うばかかに云こと。又不生不滅を云は高ことなれとも、其本来を見て把持作弄すると云。其流義が輪廻にをちる。感興詩、西方論縁業卑卑喩郡愚は地獄沙汰で輪廻ぞ。それから顧眄指心性は高し。されとも我ものとして不亡とするで輪廻にをちる。此方は消ればきへるぎりのこと。あとをふりかへってみるやうなことはない。垩人の道は新いぞ。腹がへれはくふ。くへははる。昨日のへりたのが又今日のへりにならず。昨日のはりたが今日ははりはせぬ。
【解説】
仏は輪廻から遁れたがって輪廻に落ちる。儒では消えれば消えるだけのことであって、いつも新しい。
【通釈】
あちらは輪廻を遁れたがって言うが、つまりこれが輪廻に落ちる。馬を酷くすれば馬になる。今生よいことすればよいものに生まれると言う。これは卑しいことで、姥嬶に言うこと。また、不生不滅を言うのは高いことだが、その本来を見て把持作弄すると言う。その流儀が輪廻に落ちる。感興詩にある、「西方論縁業卑卑喩郡愚」は地獄沙汰のことで輪廻のこと。「顧眄指心性」は高いこと。しかしながら、我が物として不亡とするので輪廻に落ちる。こちらは消えれば消えるだけのこと。跡を振り返って見る様なことはない。聖人の道は新しいもの。腹が減れば食う。食えば張る。昨日腹が減ったのがまた今日の減りにはならない。昨日の張ったのが今日は張りはしない。
【語釈】
・西方論縁業卑卑喩郡愚…感興詩16。「西方論縁業、卑卑喩群愚。流傳世代久、梯接凌空虚。顧盼指心性、名言超有無。捷徑一以開、靡然世爭趨。號空不踐實、躓彼榛棘途。誰哉繼三聖、爲我焚其書」。

○鬼神便是精神魂魄。水漚云云迠で一段落すんだ。爰はあたりのありて云たこと。文集の答語に子晦の云たをみればよくすむ。子晦が問に、さて祭のことにさしつかへること有と云てある。そこへあてたもの。あちは性と云も鬼神と云もごたまぜに云たがる。たたい性の近所へ鬼神と云ことが出やうはづはない。中庸に鬼神の章の出たは天命の性から費隱とうつりて、費隱と云が言其上下察。天地の中に道はみちきったこと。鬼神の章は物に体してのこさぬと云ことで出たもの。費隱の話から鬼神を發したもの。鬼神と云者に性と云ふの咄し出ることではない。仏者のかふれて精神魂魄を性とをもうからつい鬼神になり、性に生死をも合せて語るぞ。
【解説】
「鬼神便是精神魂魄、程子所謂天地之功用造化之迹、張子所謂二氣之良能、皆非性之謂也。故祭祀之禮以類而感、以類而應。若性則又豈有類之可言耶」の説明。仏は性と鬼神の区別がない。中庸で鬼神を言ったのは、費隠の話から鬼神を発したもの。鬼神に性の話が出ることはない。精神魂魄を性と思うのは間違いである。
【通釈】
○「鬼神便是精神魂魄」。「水漚云云」までで一段落済んだ。ここは当たりがあって言ったこと。文集の答語に子晦が言ったのを見ればよく済む。子晦の問いに、さて祭のことに差し支えることがあるとある。そこへ当てたもの。あちらは性も鬼神もごた混ぜに言いたがる。そもそも性の近所へ鬼神ということが出る筈はない。中庸に鬼神の章が出たのは、天命の性から費隠と移り、費隠というのが「言其上下察」で、天地の中に道は充ち切っているからである。鬼神の章は物に体して残さないことから出たもので、費隠の話から鬼神を発したもの。鬼神という者に性というの話が出ることはない。仏者の被れで精神魂魄を性と思うからつい鬼神のことを言い、性に生死をも合わせて語る。
【語釈】
・鬼神の章…中庸章句16を指す。
・費隱…中庸章句12。「君子之道費而隱」。
・言其上下察…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅旱麓。

さて又その上に鬼神と云ことを人間の上て斗云ことでない。孔子、蓍を堞ることにも行鬼神と云はるる。程子は天地の功用で語る。又、張子は二氣の良能と云。どっちどうしても皆非性之謂なり。どれ々々も皆性とは云ぬと目をさまさせたもの。性は天命性、性は即理、無戸無臭ぞとなり。又、造化の二氣のと神灵ある所を云たゆへ、そこであとへ祭のことをかけたもの。皆氣についたこと。以類々々と云が皆氣のこと。天子は天下を持ちをるから天を祭る。諸矦は国を持てをるから山川をまつる。只の人も身を持てをるから先祖を祭る。類と云字が氣に付た字なり。理に類と云ことはない。理にそれ々々なれば仁は天子に斗り、只のものは義斗りでよい。中間は子い々々ですむ。智はとりあけろと云になる。祭は類がある。氣じゃからぞ。理には天子諸矦と云類ないから、中間まて入て性善と云。
【解説】
ここで言う程子や張子の語は気で言ったもので、性のことではない。祭は気に関したことなので類で言うが、理に類ということはない。理には類がないから、天子諸侯から中間までが性善である。
【通釈】
さてまたその上、鬼神は人間の上でばかり言うことでない。孔子は蓍で占うことも鬼神を行うと言われた。程子は天地の功用で語る。また、張子は二気の良能と言う。どちらにしても「皆非性之謂」である。どれも皆性とは言わないと目を醒まさせたもの。性は天命性、性即理、無声無臭だと言い、また、造化、二気と神霊のある所を言うので、そこで後に祭のことを掛けたもの。それは皆気に付いたこと。「以類」と言うのが皆気のこと。天子は天下を持っているから天を祭る。諸侯は国を持っているから山川を祭る。普通の人も身を持っているから先祖を祭る。類という字は気に付いた字である。理に類ということはない。理がそれぞれであれば、仁は天子にだけで、普通の者は義だけでよい。中間ははいはいと言うだけで済み、智は取り上げろということになる。祭には類があるのは気だから。理には天子諸侯という類はないから、中間までを入れて性善と言う。
【語釈】
・無戸無臭…中庸章句33。「上天之載、無聲無臭。至矣」。詩経大雅文王。「上天之載、無聲無臭」。

○既化而無有。今寒氣のなくなったやうなものでも綿入羽織はすてられぬと云は、根於理生者、浩然無究に又冬が来る。直次は若くても両親ながらない。太兵衛は五十以上で母がある。目出たいことしゃが、それもいつか化す。無窮と云は、すはってをらぬことしゃ。今五つになる子が家督のあてと云。心細いことじゃが、それが浩然無窮があてじゃ。這ふ子が又子を産む。天地を無窮と云は消滅変化するなりにたへぬことじゃ。迂齋の度々云て笑れた。氣の小い男が山から松かざりを切り出すをみて、あれでは絶やうと云が、あらんかぎりは出来る。仏が本来の靣目ちらと見て秘蔵がる。道理はかぎりはない。祭祀の靣白いが、今そこには無ものを有にしたてるやうなもの。氣は散てないに、又理の有る処から祭れは来挌する。朱子の浩然無窮を云てあとを上蔡へかけたが靣白い。合ぬやうに見へるが、垩人祭祀のぎり々々爰ぞ。口は先祖の恩か難有と云ても、鬼神の情状をしらぬでは役に立ぬ。わるさとりに悟った人に云せたら、先祖へ膳をすへるは滑川へ銭ををとしたも同ことと云はふ。いかさま飯も酒ものみもくひもされぬ。しかしそうでないことは、吾精神がやっはり祖考の精神じゃ。形はないものの、吾精神で活てある。下の伯豊の發明ですむ。
【解説】
「然氣之已散者既化而無有矣。其根於理而日生者、則固浩然而無窮也。故上蔡謂我之精神即祖考之精神、蓋謂此也」の説明。天地は無窮であり、消滅変化をしながら絶えない。気は散って何もないが、理がある処から祭れば来格する。それが祭である。自分の精神は祖考の精神だから、形はなくても自分の精神で祖考は活きてある。
【通釈】
○「既化而無有」。今寒気がなくなった様でも綿入れや羽織は捨てられないと言うのは、「根於理生者、浩然無窮」でまた冬が来るから。直次は若くても両親共にない。太兵衛は五十歳以上になっても母がいる。目出度いことだが、それもいつかは化す。無窮とは、座ってはいないこと。今五つになる子が家督の当てと言う。心細いことだが、浩然無窮が当てなのである。這っている子がまた子を産む。天地を無窮と言うのは消滅変化をするままで絶えないこと。迂斎が度々言って笑われた。気の小さい男が山から松飾りを切り出すのを見て、あれでは絶えるだろうと言ったが、ある限りはできる。仏が本来の面目をちらりと見て秘蔵したがる。道理に限りはない。祭祀が面白いのは、今そこにはないものをあることに仕立てる様なものだからである。気は散って何もないが、また理がある処から祭れば来格する。朱子が浩然無窮を言って、その後に上蔡へ掛けたのが面白い。合わない様に見えるが、聖人の祭祀の至極はここである。口では先祖の恩が有難いと言うが、鬼神の情状を知らなくては役に立たない。悪悟りで悟った人に言わせたら、先祖へ膳を据えるのは滑川へ銭を落としたのも同じことだと言う。いかにも飯も酒も飲みも食いもされない。しかしそうでないことには、自分の精神がやはり祖考の精神なのである。形はないものの、自分の精神で活きてある。それは下の伯豊の発明で済む。
【語釈】
・直次…
・太兵衛…
・滑川へ銭ををとした…青砥藤綱の話。鎌倉中期の武士。上総の人。北条時頼に仕え、引付衆となる。性廉潔。鎌倉滑川に銭十文を落とし、天下の財の喪失を惜しみ、五十文の費用を使ってこれを探させた。

○然垩人設尸云云。此の然にと云字を出もののやうに見ることでない。靣白いこと。吾精神即祖考精神。是がいこふ人のはづみすぎるほどな語た。あまりはづみすぎると吾も先祖も同ことだと云。そんなら祭祀を設るにも及はぬと云。今日をれか鯛の吸物したたかくふた。鰹のさしみも喰ふた。先祖の祭ったも同ことと云。陸象山が六経註我の筋になる。吾體さへあれば先祖も有ると云になると、祭祀せずとも我精神で祭もすむと云やうになる。尸はなを以入らぬと云。そこで然るにとうちたものなり。成程、子か活て居て口をきくは親の口きくのぞ。某が講尺するもやはり迂斎の呼吸だけれとも、設主と云が親切ぞ。神主は栗の木じゃと云ふても立子ばならぬ。尸を立るもこちに精神は有ふとも、此やうな丁寧をする。爰らで垩人の鬼與神合す、敎之至なりも合点せうこと。氣をも神をもよひ迎ふ。丁どそのやうに、我精神の上へ尸や木主をも用るはごく々々のことなり。庶或享之而已。のみも面白い。さま々々のことをするがつまる。これぎりのこと。誠をはぬき出すぎりのことなり。而已と云か餘念なきこと。享るを子がふばかりのまことなり。至誠惻怚は孝子の祭をする上で云。精微恍惚は祭祀の来挌の上で云。そこの処は垩人不欲言。をしむでも傳授ごとてもない。すまぬ人に云てきかせても聞とることはならぬ。
【解説】
「然聖人之制祭祀也、設主立尸、炳蕭灌鬯、或求之隂、或求之陽、無所不用其極、而猶止曰庶或享之而已。其至誠惻怚精微恍惚之意、蓋有聖人所不欲言者」の説明。「我之精神即祖考之精神」は弾み過ぎると自分の体さえあれば祭祀をしなくてもよいということになる。そうではなくて、自分の精神の上に尸や木主を用いるのである。
【通釈】
○「然聖人設尸云云」。この「然」という字を出過ぎたことの様に見てはならない。それは面白いこと。「我精神即祖考精神」。大層これは人が弾み過ぎるほどの語である。あまり弾み過ぎると自分も先祖も同じことだと言うことになる。それなら祭祀を設けるにも及ばないと言う。今日俺は鯛の吸い物を沢山食った。鰹の刺身も食った。それは先祖を祭ったのと同じことだと言う。それでは陸象山の「六経註我」の筋になる。自分の体さえあれば先祖もあるということになると、祭祀をしなくても自分の精神で祭も済むと言う様になる。尸は尚更要らないと言う。そこで然るにと言ったのである。なるほど、子が活きていて口を利くのは親の口を利くのである。私が講釈をするのもやはり迂斎の呼吸であり、「設主」というのが親切である。神主は栗の木だと言っても立てなければならない。尸を立てるのも、こちらに精神はあるとしても、この様な丁寧をする。ここ等で聖人の「合鬼与神、教之至也」も合点すべきこと。気をも神をも呼んで迎える。丁度その様に、我が精神の上へ尸や木主をも用いるのは至極のことである。「庶或享之而已」。已というのも面白い。様々なことをするが、つまりこれだけのこと。誠を抜き出すだけである。「而已」というのが余念のないこと。享るのを願うだけの誠である。「至誠惻怚」は孝子が祭をする上で言い、「精微恍惚」は祭祀の来格の上で言う。そこの処は「聖人不欲言」。惜しんだのでも伝授事でもない。わからない人に言って聞かせても聞き取るとることはできない。
【語釈】
・六経註我…六経、我を註す。我、六経を註せんや。
・神主は栗の木…春秋公羊伝文公。「虞主用桑。練主用栗。用栗者、藏主也」。
・鬼與神合す、敎之至なり…礼記祭義。「宰我曰、吾聞鬼神之名、不知其所謂。子曰、氣也者、神之盛也。魄也者、鬼之盛也。合鬼與神、敎之至也」。

○世俗麤浅知見。これが朱子の比の禅かぶれともをつかまへて云こと。さてつまり廖子晦にあたること。と云て子晦があらげてのげちらかすと云人品でもない。学問の力らもあり、又いこうよい人ぞ。ただかぶれあり。張無垢が論吾の解を洪水猛獣とも云へり。それを大慧に虫合ふてからのこと。其風なことが流行りて、南軒の方の衆中もかぶれた。湖南一派がつまり麤浅の病ある也。祭祀のことに付て子晦こまると云るるが、なんとしてあらひことですむことでないとなり。
【解説】
「非可以世俗麤淺知見、執一而求也」の説明。廖子晦は学力もあり、よい人だったが、禅に被れた。当時は禅が流行り、湖南一派も同様だった。
【通釈】
○「世俗麤浅知見」。これは朱子が当時の禅被れ共を掴まえて言ったことで、つまりは廖子晦に当たったこと。そうとは言え、子晦は荒げて除け散らかす様な人品でもない。学問の力もあり、また大層よい人である。ただ被れがある。張無垢が論語の解を「洪水猛獣」とも言った。それは大慧に虫合わせをしたからのこと。その様なことが流行って、南軒の方の衆中も被れた。つまりは湖南一派に麤浅の病がある。祭祀のことに付いて子晦が困ると言われたが、何とも粗いことで済むことでないと言う。
【語釈】
・張無垢…

○豈曰一受其成形云云。そこで爰があちを弁ずるときの、あの方で夲来の靣目を見て本心を得ると佛性と立たもの。吾か得道した心が天地の内にとまってをって、又生れて出ると云。そこで兎角性のあとへ鬼神のことを云がくせなり。朱子の自天降生民と語らるる。性は公共たに、遂為吾有があちの私じゃ。こちは預り物、拜領物と云やうに、吾ものにならす。挌式のわるいと云やうだが却てよい。吾有と云がひょんなもの。あちのは歴々計りと云ことになる。天地始りてからの人は数も限りもないが、その中で釈迦の達磨のと云は亡びぬと云になる。
【解説】
「豈曰一受其成形、則此性遂爲吾有、雖死而猶不滅」の説明。仏は本心を得るとそれを仏性と言い、得道した心が天地の内に留まってまた生まれ出ると言う。儒は性を自分のものとはしない。
【通釈】
○「豈曰一受其成形云云」。そこでここがあちらを弁ずる時のこと。あの方で本来の面目を見て本心を得ると、それを仏性と立てる。自分の得道した心が天地の内に留まっており、また生まれて出ると言う。そこでとかく性の後へ鬼神のことを言うのが癖となる。朱子が「自天降生民」と語られた。性は公共なのに、「遂為吾有」と言うのがあちらの私である。こちらでは預り物、拝領物だと言い、自分のものとはしない。それでは格式が悪い様だが却ってよい。吾有というのがひょんなもの。あちらのでは歴々ばかりということになる。天地が始まってから人は数限りもないが、その中で釈迦や達磨は亡びないということになる。
【語釈】
・自天降生民…大学章句序。「大學之書、古之大學所以敎人之法也。蓋自天降生民、則既莫不與之以仁義禮智之性矣」。

○截然は、天地の造化と一つきれることじゃ。紙子羽織の内に三寸ほどな錦のあるやうに一物とする。天地の内、弥太も平太も死ぬが、そこに釈迦達磨の佛心佛性が一つ別にしきれてをるやうに云。寂然一体云云。人の死後は目にみへぬ。天地一体の中に其氣がとまってをって、子孫の祭をする時にどりゃ々々々と云て出てくるやうに云。界限。それ々々にぶつきれになってをるやうにとく。間口七間の呉服やと九尺だなのとぎやと云やうに云ぞ。孔安国なとは大店、養引なとは小店と云のぞ。鬼神になりても界限をかまへるになる。○自開闢以来云云。とかくきへぬ々々々と云にこまる。このやうなざっかけなことを云てさとすやうな不調法な子晦でもないが、向の言を一つ々々につめるにはかう云は子ばならぬ。こちは亡ればそれぎりだに、そちは寂然一体の中にあると云。それて殊の外地がたりまい。無地之可容。をき処もあるまい。鬼神はあちの云やうに亡ひぬと云がわるい。祭る時になって出来てくると云で丁宝だ。しゃんと有ると云とすまぬ。
【解説】
「截然自爲一物、藏乎寂然一體之中、以俟夫子孫之求而時出以饗之耶。必如此説則其界限之廣狹安頓之處所、必有可指言者。且自開闢以來積至于今、其重併積疊計已無地之可容矣。是又安有此理耶」の説明。仏は鬼神になっても界限を構えると考える。それでは置き所が足りなくなるだろう。亡びればそれで終えるのである。
【通釈】
○「截然」は、天地の造化と一つ切れること。紙子羽織の内に三寸ほどの錦がある様に一物とする。天地の内、弥太も平太も死ぬが、そこに釈迦や達磨の仏心仏性が一つ別に仕切れている様に言う。「寂然一体云云」。人の死後は目に見えない。天地一体の中にその気が留まっていて、子孫が祭をする時にどれどれと言って出て来る様に言う。「界限」。それぞれにぶつ切れになっている様に説く。間口七間の呉服屋と九尺棚の研屋という様に言う。孔安国なとは大店、養引などは小店だと言うのである。鬼神になっても界限を構える。○「自開闢以来云云」。とかく消えないというのには困る。この様な拙劣なことを言って諭す様な不調法な子晦でもないが、向こうの言を一つ一つ詰めれば、この様に言わなければならない。こちらは亡びればそれだけのことなのに、貴方は寂然一体の中にあると言う。それでは殊の外地が足りないだろう。「無地之可容」。置き処もないだろう。あちらの言う様に、鬼神は亡びないと言うのが悪い。祭る時になって出て来ると言うので調法である。しっかりとあると言っては済まない。
【語釈】
・孔安国…前漢の儒者。字は子国。孔子12世の孫。武帝の初年、孔子の旧宅から得た蝌蚪文字で記された古文尚書・礼記・論語・孝経を、当時通用の文字と校合して解読し、その学を伝えた。また、これらの書の注釈を作った。
・養引…

○乾坤造化云云。爰へ程子を引た。文會の十五にある。天地を大洪炉にたとへた。文會に遺書に云たと云て引てあるは全く此章の入用のために引た。天地之間如洪爐云云。程子のさっはりと云て引てあるは全く此章の入用のために引た。天地之間をかれた天地は大きな火鉢。ものがずっ々々ときへる。洪炉一点の雪がさすとなくなるが、物がはっ々々と出来る。出来もするが消へもする。大たたらぞ。○実然之理。爰へ廖子晦が手前の見処をかいて、さうせずは断滅になるとと云。得手方で云たもの。そこを向の語を取て、こなたが苦労がるが、それに及はぬこと。杞人憂天。列子。をちやうかと苦労したと云。実然之理は極天而無墜。をちることはない。詩では天命於穆不已、中庸で至誠無息、易て鼓万物而與垩人不同憂。こちの理は断滅はせぬ。知らでや雪の白く降る。断滅のない処。○一片大虚寂。あの方で云こと。あの方てあてる処が人を知覚と云を漚にしたやうなもの。漚が消ると水になる。太虚寂じゃと云。こちの無声無臭と云処へあてるじゃ。どこへ云も以覚為主の外にない。
【解説】
「且乾坤造化如大洪爐。人物生生無少休息。是乃所謂實然之理不憂其斷滅也。今乃以一片大虚寂目之、而反認人物已死之知覺、謂之實然之理。豈不誤哉」の説明。天地は大きな踏鞴であり、断滅なくものができる。死ぬと知覚がなくなり大虚寂だと言うが、実然の理は亡ぶことはないから、断絶を憂うには及ばない。
【通釈】
○「乾坤造化云云」。ここに程子を引いた。文会の十五にある。天地を大洪炉にたとえた。文会に、遺書として言ったことだと言って引いてあるのは全くこの章の入用のために引いたもの。「天地之間如洪爐云云」。程子がさっぱりと言って引いてあるのは全くこの章の入用のために引いたもの。天地の間に置かれた天地は大きな火鉢。ものがずっずっと消える。洪炉一点の雪は差すとなくなるが、物がぱっぱっとできる。できもするが消えもする。大踏鞴である。○「実然之理」。ここへ廖子晦が自分の見処を書いて、そうしなければ断滅になると言う。それは得手の方で言ったもの。そこを向こうの語を取って、貴方は苦労がるが、それには及ばない。「杞人憂天」。列子。天が落ちるだろうと苦労したと言う。実然之理は極天而無墜。落ちることはない。詩には「天命於穆不已」、中庸に「至誠無息」、易に「鼓万物而与聖人不同憂」。こちらの理は断滅しない。知らでや雪の白く降る。これが断滅のない処。○「一片大虚寂」。あの方で言うこと。あの方で当てる処は人の知覚を漚とした様なもの。漚が消えると水になる。大虚寂だと言う。こちらの無声無臭という処へ当てたのである。何処で言っても「以我為主」の外ではない。
【語釈】
・洪炉一点の雪…碧巌録。紅炉上一点の雪。
・杞人憂天…列子天瑞。「杞國有人憂天地崩墜。身亡所寄、廢寢食者。又有憂彼之所憂者、因往曉之、曰、天、積氣耳。亡處亡氣。若屈伸呼吸、終日在天中行止、奈何憂崩墜乎。其人曰、天果積氣。日月星宿、不當墜耶」。
・天命於穆不已…詩経周頌維天之命。「維天之命、於穆不已、於乎不顯、文王之德之純」。
・至誠無息…中庸章句26。「故至誠無息」。
・鼓万物而與垩人不同憂…易経繋辞伝上5。「顯諸仁、藏諸用、鼓萬物而不與聖人同憂」。

○垩賢所謂歸全安死。爰にをかしいことがある。是は朱子の方から云ことなれとも、子晦の書に小人曰死君子曰終の語を引てある。小人の死は衆人なみで死す。手もないこと。君子曰終と云は、君子は本来の靣目を見付て死たから終ると云ものぞと云はぬばかりに君子曰終の語があるなり。仏道えたものは金を得て死而不亡。只のものとはちかふと云た意ぞ。そちでそれを云はづんかちかふ。こちにも西銘にも有るが、こちのは別段と云ことでないとなり。爰を初め反身而誠と云ふへてり合せて見ることぞ。こちは庇をつけぬ。丸なりてかへぬ。安堵なと云までのこと。かうして死たものは死後迠がちがふと云ことはなひ。垩賢の死と凡夫のはちがふとうかとするとさう思ふが、なるほどよいわるいはあらふが、散るに何も替りはない。あちのは把持作弄、す子からもみ出すからのこと。達磨九年かかりた。をかしいこと。直指人心見性成佛と云は道体の外をみるのぞ。○晏然安處。寂滅為楽と云と同こと。荘子が息我以死、大宗師、は人をばかにしたこと。寂滅為樂はさうでなく、仏の心を得ると寂滅か為樂だ。不断不滅のものがいつもてら々々してをると云。寂滅に樂は有そもないものだに、これて為楽の形りだ。君子曰終と引合せるが其手はくはぬ。晏然と云ことを云がこちのにないこと。
【解説】
「又聖賢所謂歸全安死者、亦曰無失其所受乎天之理、則可以無愧而死耳。非以爲實有一物可奉持而歸之、然後吾之不斷不滅者、得以晏然安處乎冥漠之中也」の説明。子晦は小人の死と君子の死とは違い、君子は「死而不亡」だと言う。それは把持作弄をするからである。聖賢も凡夫も死んで散るのは変わりない。
【通釈】
○「聖賢所謂帰全安死」。ここに可笑しいことがある。これは朱子の方から言ったことだが、子晦の書に「小人曰死君子曰終」の語を引いてある。小人の死は衆人並に死ぬ。簡単なこと。「君子曰終」というのは、君子は本来の面目を見付けて死んだから終わると言うのだと、そう言わぬばかりに君子曰終の語がある。仏道を得た者は金を得て「死而不亡」で、普通の者とは違うという意である。そちらがそれを言うのは身分が違うということ。こちらにもそれはあり、西銘にもあるが、こちらのは別段ということでないと言う。ここは初めにあった「反身而誠」に照り合わせて見なさい。こちらは疵を付けない。丸のままで変えない。それは安堵なことだと言うまでのこと。こうして、死んだ者は死後までが違うということはない。聖賢の死と凡夫の死は違うと、うっかりとするとその様に思うが、なるほどよい悪いはあるだろうが、散ることに何も変わりはない。あちらのは把持作弄、臑から揉み出すからのこと。達磨が九年掛かった。それは可笑しいこと。「直指人心見性成仏」は道体の外を見たのである。○「晏然安処」。「寂滅為楽」と同じこと。荘子の「息我以死」、大宗師、は人を馬鹿にしたこと。寂滅為楽はそうでなく、仏の心を得ると寂滅が為楽だということ。不断不滅のものがいつもきらきらとしていると言う。寂滅に楽はありそうもないものだが、これが為楽の姿である。君子曰終と引き合わせようとしても、その手は食わない。こちらは晏然などとは言わない。
【語釈】
・小人曰死君子曰終…
・直指人心見性成佛…禅語。「直指人心、見性成佛」。
・寂滅為楽…涅槃経。「諸行無常 是正滅法 生滅滅己 寂滅爲樂」。
・息我以死…荘子大宗師。「如兩忘而化其道。夫大塊載我以形、勞我以生、佚我以老、息我以死。故善吾生者、乃所以善吾死也。夫藏舟於壑、藏山於澤、謂之固矣」。

○夭壽不貳。孟子の尽心知性の処の埒を付るがこれぞ。とどの処がいかさま人間人事の内の大事が死生ぞ。今年は不作の金を損しつのとちがふ。一生一度の大事ゆへ、人が爰て動く。馴れたことは暮六つ打たに涙は流さぬ。死生もあの通りに思ふこと。異端でも夭壽不貳の底があるが、荘子が女房の死だに擊盆つまらぬ。此方は妻には一年の喪と云。そこか修身たのじゃ。さしあたりの道理をしてをる。それが無所為而然りじゃ。死ぬにしたくはない。垩賢生きるまで生てほっくり死ぬ。あちは支度をする。死生事大無常迅速、六祖談経にある。五祖か弟子大衆に向って、をぬしたちうか々々していてはなるまい。無常迅速だ。夲来の靣目みずに死ではなるまいと云たときのこと。神秀が身は是菩提樹心如明鏡臺もこれを云れて唱ぞ。六祖か何處慝塵埃を云たもこのときのこと。つまり面目みたのぞ。そこを悟りと云。生死事大とあちは支度する。こちは死子ば死だぎりのこと。死ぬについてあとに用ることはない。○今乃混而言之。佛の意てこちのを説くからごたまぜになる。あちの見処でこちの説をなす。云へば云ほど合ぬとなり。さて今日某か君子曰終を主に云から寂滅為樂へをとしてをろしたが一と赴向あることと思へ。朱子の答書にも子晦の書にも寂滅為樂にかけてはないが、かう読が見た処あるぞ。涅槃と云もそこなり。
【解説】
「夭壽不貳修身以俟之。是乃無所爲、而然者與異端爲生死事大無常迅速、然後學者、正不可同日而語。今乃混而言之、以彼之見爲此之説。所以爲説愈多而愈不合也」の説明。死生は一生一度の大事だが、そこで差し当たりの道理をするのである。仏は死に対して支度をする。本来の面目も見ようとする。
【通釈】
○「夭寿不貳」。孟子の尽心知性の処の埒を付けるのがこれ。結局は、まさに人間人事の内の大事が死生である。今年は不作で金を損したと言うのとは違う。一生一度の大事なので、人がここで動く。馴れたことでは、暮六つを打っても涙は流さない。死生もあの通りに思うのである。異端でも夭寿不貳の底があるが、荘子が女房の死んだのに鼓盆はつまらないこと。こちらでは妻には一年の喪と言う。そこが「修身」である。差し当たりの道理をする。それが「無所為而然」である。死ぬことにしたくはない。聖賢は生きている内は生きてぽっくりと死ぬ。あちらは支度をする。「死生事大無常迅速」、これが六祖談経にある。五祖が弟子や大衆に向かって、お前達はうかうかとしていてはならない。無常迅速だ。本来の面目を見ずに死んではならないと言った時のこと。神秀が「身是菩提樹、心如明鏡台」もこれを唱えたこと。六祖が「何處惹塵埃」と言ったのもこの時のこと。つまり面目を見たのである。そこを悟りと言う。生死事大とあちらは支度をする。こちらは死ねば死んだだけのこと。死ぬことに関して後に用いることはない。○「今乃混而言之」。仏の意でこちらのを説くからごた混ぜになる。あちらの見処でこちらの説を成す。言えば言うほど合わないと言った。さて今日私が君子曰終を主に言うから寂滅為楽へ落として説いたのが一趣向あることだと思いなさい。朱子の答書にも子晦の書にも寂滅為楽に掛けてはいないが、この様に読むのが見る処があるからである。涅槃というのもそのこと。
【語釈】
・夭壽不貳…孟子尽心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。殀壽不貳、修身以俟之、所以立命也」。
・女房の死だに擊盆…荘子至楽。「莊子妻死、惠子吊之、莊子則方箕踞鼓盆而歌。惠子曰、與人居、長子老身、死不哭亦足矣、又鼓盆而歌、不亦甚乎。莊子曰、不然。是其始死也、我獨何能無概然。察其始而本無生。非徒無生也、而本無形。非徙無形也、而本無氣。雜乎芒芴之間、變而有氣、氣變而有形、形變而有生。今又變而之死。是相與爲春秋冬夏四時行也。人且偃然寢於巨室、而我噭噭然隨而哭之、自以爲不通乎命、故止也」。
・神秀…北宗の禅僧。第五祖弘忍の弟子。
・身は是菩提樹心如明鏡臺…神秀の偈。「身是菩提樹、心如明鏡台。時時勤払拭、莫使惹塵埃」。
・六祖…慧能。五祖弘忍の付法を受け、六祖大師、曹渓大師などと称せられる。禅宗の大成者。門人が南地に隆盛したので、その法系を南宗禅という。638~713
・何處慝塵埃…慧能の偈。「菩提本無樹、明鏡亦非台。本来無一物、何處惹塵埃」。


呉伯豊問條
94
呉伯豐問、鬼神之義。來敎云、只思上蔡祖考精神便是自家精神一句、則可見其苗脈矣。必大嘗因書以問正淳。正淳云、祖考是有底人、便是有此理。爲子孫者、能以祖考之遺體致其誠敬以饗之、則所謂來格者蓋眞有此理也。然必大嘗讀大極圖義有云。人物之始以氣化而生者也。氣聚成形、則形交氣感、遂以形化而人物生生變化無窮。是知、人物在天地間、其生生不窮者固理也。其聚而生散而死者則氣也。有是理則有是氣。氣聚於此則其理亦命於此。今所謂、氣者既已化而無有矣。則所謂理者、抑於何而寓耶。然吾之此身即祖考之遺體。祖考之所具以爲祖考者、蓋具於我而未嘗亡也。是其魂升魄降、雖已化而無有、然理之根於彼者既無止息。氣之具於我者復無間斷。吾能致精竭誠以求之。此氣既純一而無所雜、則此理自昭著而不可掩。此其苗脈之較然可睹者也。上蔡云、三日齋、七日戒、求諸陰陽上下、只是要集自家精神。蓋我之精神即祖考之精神、在我者既集、即是祖考之來格也。然古人於祭祀必立之尸。其義精甚。蓋又是因祖考遺體、以疑聚祖考之氣。氣與質合、則其散者庶乎復聚。此敎之至也。故曰、神不歆非類、民不祀非族。必大前書所疑、今日之來格者、非前日之發揚于上者。固非是矣。而正淳之説、言理而不及氣。若於存亡聚散之故察之不密、則所謂以類而爲感應者益滉漾而不可識矣。故再此、仰瀆尊聽。欲望、更賜一言以釋所蔽不勝萬幸。曰、所喩鬼神之説甚精密、叔權書中亦説得正當詳悉。大抵人之氣傳於子孫、猶木之氣傳於實也。此實之傳不泯、則其生木雖枯毀無餘、而氣之在此者猶自若也。此等處但就實事。推之反復玩味自見意味眞實深長。推説太多、恐反成汨沒也。正淳所論誠爲踈略。然恐辭或未盡其意耳。五十二。
【読み】
呉伯豐問う、鬼神の義。來敎に云う、只上蔡、祖考の精神は便ち是れ自家の精神の一句を思えば、則ち其の苗脈を見る可し。必大嘗て書に因りて以て正淳に問う。正淳云う、祖考は是れ有底の人、便ち是れ此の理有り。子孫爲る者は、能く祖考の遺體を以て其の誠敬を致し以て之を饗せば、則ち謂う所の來格する者は蓋し眞に此の理有るなり。然るに必大嘗て大極の圖義を讀むに云う有り。人物の始めは氣化を以てして生ずる者なり。氣聚の形を成すは、則ち形交わり氣感じ、遂に以て形化して人物生生變化窮まり無し、と。是れに知る、人物天地の間に在りて、其の生生窮まらざる者は固より理なり。其の聚まりて生じ散じて死ぬ者は則ち氣なり。是の理有れば則ち是の氣有り。氣此に聚れば則ち其の理も亦此に命ず。今謂う所の、氣は既已に化して有ること無し、と。則ち謂う所の理は、抑々何に於てして寓するや。然るに吾の此の身は即ち祖考の遺體。祖考の具して以て祖考と爲す所の者は、蓋し我に具わって未だ嘗て亡びざるなり。是れ其の魂升り魄降り、已に化して有ること無しと雖も、然るに理の彼に根ざす者は既に止息無し。氣の我に具うる者も復間斷無し。吾能く精を致し誠を竭くし以て之を求む。此の氣既に純一にして雜する所無ければ、則ち此の理自ら昭著して掩う可からず。此れ其の苗脈の較然として睹る可き者なり。上蔡云う、三日齋、七日戒、諸陰陽上下に求めるは、只是れ自家の精神を集めるを要す。蓋し我の精神は即ち祖考の精神、我に在る者既に集まれば、即ち是れ祖考の來格なり。然るに古人の祭祀に於て必ず之が尸を立つ。其の義精甚。蓋し又是れ祖考の遺體に因りて、以て祖考の氣を疑聚す。氣と質と合えば、則ち其の散る者は復聚るに庶し。此れ敎えの至りなり。故に曰く、神は非類を歆けず、民は非族を祀らず。必大前書に疑う所、今日の來格は、前日の上に發揚する者に非ず。固より是に非ず。而して正淳の説は、理を言いて氣に及ばず。若し存亡聚散の故に於て察すること密ならざれば、則ち謂う所の類を以てして感應を爲す者益々滉漾して識る可からず。故に此を再びし、仰いで尊聽を瀆す。欲望す、更に一言を賜い以て蔽う所を釋せば萬幸に勝たず。曰く、喩す所の鬼神の説は甚だ精密、叔權書中も亦説き得て正當詳悉。大抵人の氣の子孫に傳うる、猶木の氣の實に傳うるがごときなり。此の實の傳えて泯びざるは、則ち其の生木の枯毀し餘無きと雖も、而して氣の此に在る者は猶自若なるがごとし。此等の處は但實事に就く。之を推して反復玩味すれば自ら意味眞實に深長なるを見る。推説太だ多きは、恐らくは反て汨沒と成る。正淳の論ずる所は誠踈略爲り。然るに恐らくは辭或いは未だ其の意の盡くせざるのみ。五十二。

此伯豊の條で編集を終ると云が意思あることぞ。鬼神集説も排釋も子晦の書でしめになってすむことじゃ。つまり此条ではあの廖子晦に答る書が通快にすむから出したもの。伯豊手抦ものぞ。子晦は年ばいで、朱子のあれほどに云たにまだ以我為主の窟ぞ。朱子をしょさいにする意もないが、心にしみがある。伯豊年若でもかぶれのないと云ひ、殊にさとくてよく云れた。あの章のとめになる。来教は朱子の短ひことを云てやられた。上蔡の語をよくみると、あの上に苗脉かみへると云ことを示された。前條にも有る通り、垩人も云にくかる来挌のこと、今の学者の手の届かぬことじゃ。吾か今からだになってをると云ほど慥なことはない。爰で苗脉がみへる筋かわかりてをる。そのこと、正淳伯豊は近所だゆへ問にやりたに、祖考有底人云云。もと有た人じゃ。其生きうつしが此身じゃ。それで祭れは来挌はある、と。云そこないはない。まっすぐ通のを答をた。有此理と云などが子晦とうらはらで、祖考はうせたが理はきっと有る。氣はうせても理があると、理すりを云やりた。
【解説】
「呉伯豐問、鬼神之義。來敎云、只思上蔡祖考精神便是自家精神一句、則可見其苗脈矣。必大嘗因書以問正淳。正淳云、祖考是有底人、便是有此理」の説明。伯豊は年が若くても被れがなく、聡い人だった。自分の体があるというのが最も確かなこと。先祖の生き写しが我が身である。そこで祭れば来格がある。正淳は、祖考は理だと言う。
【通釈】
この伯豊の条で編集を終えるというのが意思あること。鬼神集説も排釈録も子晦の書で締めれば済むが、つまりこの条ではあの廖子晦に答える書が痛快に済むから出したもの。伯豊の手柄である。子晦は年輩で、朱子があれほど言ったのにまだ「以我為主」の弊がある。朱子を如在にする意はないが、心に染みがある。伯豊は年が若くても被れがなく、殊に聡くてよく言われた。そこであの章の締めになる。「来教」は、朱子が短く言って遣ったこと。上蔡の語をよく見ると、あの上に「苗脈」が見えると示された。前条にもある通り、来格は聖人も言い難いもので、今の学者には手の届かないこと。自分が今体になっているというほど確かなことはない。ここで苗脈が見える筋か分かれている。そのことで、正淳と伯豊は近所なので問いに遣ると、「祖考有底人云云」。元いた人である。その生き写しがこの身である。そこで祭れば来格はあると言う。これに言い損ないはない。真っ直ぐにその通りを答えた。「有此理」と言うことなどが子晦とは裏腹で、祖考は失せたが理は確かにある。気は失せても理があると、理吊りを言って遣った。
【語釈】
・伯豊…
・正淳…

○呉伯豊か太極の解で鬼神のことを合点された、と。器用な眼ぞ。人物之始云云は五行の解の処そ。氣化から形化へうけて人物生々にぎ々々しく物が出来る。此に知るからが伯豊の発明を云たもの。人傑が理斗りを申すけれとも、私存よりはさう斗とは存せぬとなり。理とは氣のわけを付てはっきと理氣をわけて云たもの。爰の伯豊の見処と云が、朱子の鬼神沙汰を云たにゆっくりと理氣のさばきをしてをる。爰が趣向なこと。形化氣化のことを云てをいて、氣者既化而無有。祖考は七十年も以前に死た。ない。
【解説】
「爲子孫者、能以祖考之遺體致其誠敬以饗之、則所謂來格者蓋眞有此理也。然必大嘗讀大極圖義有云。人物之始以氣化而生者也。氣聚成形、則形交氣感、遂以形化而人物生生變化無窮。是知、人物在天地間、其生生不窮者固理也。其聚而生散而死者則氣也。有是理則有是氣。氣聚於此則其理亦命於此。今所謂、氣者既已化而無有矣」の説明。伯豊は、形化気化のことを言った後に理と気とをはっきりと分けて言った。
【通釈】
○呉伯豊は太極の解で鬼神のことを合点されたという。器用な眼である。「人物之始云云」は五行の解の処のこと。気化から形化へ受け、人物の生々がにぎにぎしくなって物ができる。「是知」からが伯豊の発明を言ったもの。貴方は理ばかりを申されるが、私の考えではそうとばかりとは思わないと言う。「理也」は気との分けを付けてはっきりと理気を分けて言ったもの。ここの伯豊の見処が、朱子の鬼神沙汰を言うのにゆっくりと理気の捌きをする様なもの。ここが趣向ある。形化気化のことを言って置いて、「気者既化而無有」。祖考は七十年も前に死んで今はいない。

○所謂理と云は只ひろく云たこと。上の所謂氣とは手前のわけた氣のこと。下の所謂理者於何寓耶は正淳の云た理をもこめて云。寓耶と云が正淳へあたりて云たこと。死で氣がないとこそ云へ、氣がなくて理はどこへとまらふ。吾と云は遺體じゃ。祖考の氣がある。其元の祖祢にも仁義礼智も耳目鼻口もある。そのないはない。具てありなり。未嘗亡。百年立ふか二百年立ふがたへぬ。祖考の氣は散ったが、理之根於彼者既無止息。理にきれ間はない。先祖が有たればこそ今吾からだがある。源平藤橘の始ったときの息が今迠ついでをる。直方の祭りがしたくてならぬはづと云るる。間断ときれはない。喜連川で足利の祖を祭るだらふが理くつづめでするでなく、氣でつづいてをる。
【解説】
「則所謂理者、抑於何而寓耶。然吾之此身即祖考之遺體。祖考之所具以爲祖考者、蓋具於我而未嘗亡也。是其魂升魄降、雖已化而無有、然理之根於彼者既無止息。氣之具於我者復無間斷」の説明。祖考があるので自分の体がある。自分の体は祖考お遺体である。理に切れ間はなく、祖考と自分とが気で続いているから祭があるのである。
【通釈】
○「所謂理」はただ広く言ったこと。上の所謂気は自分の分けた気のこと。下の「所謂理者於何寓耶」は、正淳の言った理をも込めて言う。寓耶というのが正淳へ当たって言ったこと。死んで気がないとこそ言え、気がなければ理は何処へ止まるのだろうか。自分というのは遺体である。祖考の気がある。貴方の祖祢にも仁義礼智も耳目鼻口もある。それがない者はいない。具わってある。「未嘗亡」。百年経とうが二百年経とうが絶えない。祖考の気は散ったが、「理之根於彼者既無止息」。理に切れ間はない。先祖があればこそ今自分の体がある。源平藤橘の始まった時の息を今まで継いでいる。直方が祭をしたくてならない筈だと言われた。間断途切れはない。喜連川は足利の祖を祭るだろう。それは理屈詰めでするのではなく、気で続いているからである。
【語釈】
・源平藤橘…奈良時代以来その一門が繁栄して名高かった四氏。源氏・平氏・藤原氏・橘氏の称。
・喜連川…喜連川氏。足利基氏を初代とする家系。

○吾能致精竭誠。致精は精神をつくすこと。それが誠を竭すになる。こちの全体を尽すこと。とこ迠も氣て云こと。どこ迠も誠を尽すと云ても、精爽さわやかにないはつづかぬ。草臥がつく。氣で云が、此理昭著。萬正淳が此理と云たは理くつづめ。爰の昭著は親切にたしかなと云こと。言其上下察なりと同こと。先祖のことも理氣の二つでなくてはならぬが、氣から申て昭著になる。先生の仰らるる苗脉も爰らでみへるやうにごさるとなり。上蔡の三日齋、七日戒。あとへ祖考云云を申して、人へ云付て親を思出して祭ては精神は聚らぬ。三日七日の齋戒で所為齋者をみるは精神の聚ったもの。其聚ったものだからすぐに吾精神は祖考精神。此方が聚ればそこがすくに来挌の処じゃ。肉を以てをるから来挌すると斗り云と毎日感挌だらけじゃ。
【解説】
「吾能致精竭誠以求之。此氣既純一而無所雜、則此理自昭著而不可掩。此其苗脈之較然可睹者也。上蔡云、三日齋、七日戒、求諸陰陽上下、只是要集自家精神。蓋我之精神即祖考之精神、在我者既集、即是祖考之來格也」の説明。気で言うのが親切で確かになる。上蔡の言う三日斎、七日戒は自家の精神を集めることで、それで来格となる。肉があるから来格すると言えば、毎日が感格だらけである。
【通釈】
○「吾能致精竭誠」。「致精」は精神を竭くすこと。それが誠を竭くすことになる。こちらの全体を尽くすこと。何処までも気で言う。何処までも誠を尽くすと言っても、精爽で爽やかでなければ続かない。草臥れが付く。気で言ったのが、「此理昭著」。万正淳が「此理」と言ったのは理屈詰め。ここの昭著は親切に確かなことだと言ったもので、「言其上下察」と同じこと。先祖のことも理気の二つでなくてはならないが、気から申すので昭著になる。先生の仰せられる苗脈もここ等で見える様だと言う。上蔡の三日斎、七日戒。後へ「祖考云云」を申して、人に言い付け、親を思い出して祭っては精神が聚まらない。三日七日の斎戒で斎をなす所の者を見るのは精神が聚まったものだから。その聚まったものが直に「我精神祖考精神」。こちらが聚まればそこが直に来格の処。肉を持っているから来格するとばかり言うと、毎日が感格だらけになる。
【語釈】
・言其上下察…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵。言其上下察也」。詩は詩経大雅旱麓。

○然古人於祭祀必立之尸。爰を先刻伯豊ですめると云たがこのこと。其義精しが伯豊の見処じゃ。自家精神だ、尸にも及はぬかと云に、尸を立るが親切なり。十分祖考の精神だけれとも、尸を立ると云が其義精しだ。先祖の氣のよるべきものをば皆聚ることだ。同姓の親類を皆聚るも遺体と云入用がある。遺器遺物も氣が重宝ぞ。先日も云た手あかのしみのと云が祭では結搆からるることぞ。古着屋やすくかふは理ばかりぞ。○氣與質合則云云。氣は陽、質は隂。そこで鬼神と合す、教之至なりじゃ。一々正淳理で云。伯豊は氣をそへて云。此質の字は遺體の体にあたる。
【解説】
「然古人於祭祀必立之尸。其義精甚。蓋又是因祖考遺體、以疑聚祖考之氣。氣與質合、則其散者庶乎復聚。此敎之至也」の説明。尸を立てるのが「其義精」である。先祖の気の寄るべきものを聚める。
【通釈】
○「然古人於祭祀必立之尸」。先刻伯豊で済むと言ったのがこのこと。「其義精」が伯豊の見処である。自家精神があるから尸は要らないかと言えば、尸を立てるのが親切である。祖考の精神で十分ではあるが、尸を立てるというのが其義精である。先祖の気の寄るべきものを皆聚める。同姓の親類を皆聚めるにも遺体という入用がある。遺器遺物も気が重宝である。先日も言った手垢や染みと言うのが祭では結構がられること。古着屋が安く買うのは理ばかりである。○「気与質合則云云」。気は陽、質は陰。そこで「合鬼与神、教之至也」である。正淳は一々理で言う。伯豊は気を添えて言う。この質の字は遺体の体に当たる。
【語釈】
・鬼神と合す、教之至なり…礼記祭義。「宰我曰、吾聞鬼神之名、不知其所謂。子曰、氣也者、神之盛也。魄也者、鬼之盛也。合鬼與神、敎之至也」。

○故曰。遺体が主じゃゆへ、神不歆非類、民不祀非族。菅原氏てなくて天神は祭られぬ。先達私申上るに、今日の来挌する神は死ぬときの其氣発陽がくるでないと云たは見そこないじゃとなり。○正淳之説。理を云て氣を云はぬ。聚る散るは生たときが聚。散るは魂魄のはなれるときのこと。すれは両方てなくてはならぬことじゃに、其訳はこまかにないとなり。此やうに甚長くいはれたがすこしも云そこないはないと云は、朱門の顔子と云もきこへた。あとは皆朱子の印可じゃ。上蔡など云ちかい多ひが、鬼神の説精密なは手からぞ。伯豊若けれとも、これを云た。学問のよいが知れた。○大抵云云。先祖は死でも此方に残る。それを木でたとへた。譬喩十分不親切と云ても、これをは十分親切の、庭の梅が落てあち通りの木になる。祭を実事で云ときが丁どこのいきぞ。
【解説】
「故曰、神不歆非類、民不祀非族。必大前書所疑、今日之來格者、非前日之發揚于上者。固非是矣。而正淳之説、言理而不及氣。若於存亡聚散之故察之不密、則所謂以類而爲感應者益滉漾而不可識矣。故再此、仰瀆尊聽。欲望、更賜一言以釋所蔽不勝萬幸。曰、所喩鬼神之説甚精密、叔權書中亦説得正當詳悉。大抵人之氣傳於子孫、猶木之氣傳於實也。此實之傳不泯、則其生木雖枯毀無餘、而氣之在此者猶自若也。此等處但就實事。推之反復玩味自見意味眞實深長」の説明。上蔡は鬼神の説が精密なのが手柄であり、伯豊は若いが彼の学問はよい。先祖は死んでもこちらに残る。木の種がまた同じ木となる。
【通釈】
○「故曰」。遺体が主なので、「神不歆非類、民不祀非族」。菅原氏でなくては天神は祭れない。先達て私が申し上げた、今日の来格する神は死んだ時の気が発陽して来るのではないと言ったのは見損ないだと言う。○「正淳之説」。理を言って気を言わない。聚まる散るは生きた時が聚。散るのは魂魄の離れる時のこと。それなら両方なくてはならないことなのに、そのわけが細かでないと言う。この様に甚だ長く言われても、少しも言い損ないはないと言うところから、彼を朱門の顔子と言うのもよくわかる。後は皆朱子の印可である。上蔡などには言い違いが多いが、鬼神の説が精密なのは手柄である。伯豊は若いが、これを言った。彼の学問のよいことがわかる。○「大抵云云」。先祖は死んでもこちらに残る。それを木でたとえた。譬喩十分不親切とは言うが、これは十分に親切で、庭の梅が落ちてあの通りの木になる。祭を実事で言う時が丁度この意気である。

○推説太多。鬼神の説すみてのことだ。それを段々いひすぎると、枝に枝がさいていよ々々すみにくい。正淳が云やうがあらいとこふ云へ、わるいことはない。言とりのつきぬのぞ。それで意がつきぬ。心で大がい合点したで有ふとなり。子晦などはちからのある云分なれとも、皆害になる。正淳は害はない。○ざっと見ると廖子晦ぎりでよいとみへるが、此条であの條がよくすむと云が大切の見取ぞ。最初は子晦崇卿をも鬼神集説へは載せす。排釈録ばかりの思召なれとも、どうしてものせ子ばならぬになりたとなり。左すれば此語そのときからも、あの二書をもたせての巻軸にせいで叶ぬことなり。山崎先生も此語に目を著てをかれた。文會中庸の部にあるなり。
【解説】
「推説太多、恐反成汨沒也。正淳所論誠爲踈略。然恐辭或未盡其意耳」の説明。正淳の言い方は粗いが、彼は大概のところを合点していた。子晦の言は害になるが、正淳の言に害はない。最初は子晦崇卿をも鬼神集説へは載せなかったが、どうしても載せなければならなくなった。
【通釈】
○「推説太多」。鬼神の説が済んだ上のこと。それを段々と言い過ぎると、枝に枝が咲いていよいよわかり難い。正淳の言い方は粗いとそ言え、悪いことはない。言い取りが尽きていないのである。それで意が尽きない。心で大概は合点したことだろうと言う。子晦などは力のある言い分だが、皆害になる。正淳に害はない。○ざっと見ると廖子晦への答書だけでよいと見えるが、この条であの条がよく済むというのが大切な見取りである。最初は子晦崇卿をも鬼神集説へは載せなかった。排釈録だけへの思し召しだったが、どうしても載せなければならなくなったと言う。それならこの語はその時から、あの二書に持たせての巻軸にしなければならないこと。山崎先生もこの語に目を着けて置かれた。文会中庸の部にある。