鬼神集説遺言

先生序斯集、先君甫六歳。後一年而先師生矣。先生晩年講之先師録之。盖有成書而不傳焉。其説今僅存乎。先君弁志之本手澤之、餘者表出。如左名曰遺言。按、此正在正徳初、即見録中。而又解新立底、神廟曰如根津、社者足以相徴也。寛政癸丑端午後一日。後学信謹題。
【読み】
先生の斯の集を序すとき、先君甫か六歳なり。後一年にして先師生まる。先生晩年之を講じ先師之を録す。盖し成書有りて傳わらず。其の説今僅かに存す。先君志の本を弁じて之を手澤し、餘は表出す。左名の遺言と曰うが如し。按ずるに、此れ正に正徳の初めに在り、即ち録中に見る。而して又新立底あり、神廟は根津の如し、社は相徴するを以て足ると曰うなり。寛政癸丑端午後一日。後学信謹題。
【語釈】
・寛政癸丑…寛政5年(1793年)。
・信…稲葉黙斎。


とうしても名義からのことぞ。筭用なれは九々をしる。茶湯ていへば、これは風爐、これは水指としること。ここから吟味してゆくこと。○萬物頼之以生。隂陽は、大極の手代と云もここ。○天地之功用。これは奧のことにあらず。がんざりとした方。○漢の世こまでの鬼神は人の生死てばかりぞ。造化と釈き廣けたは宋朝。○天地之氣即人身之氣。ここが天人一致の処。天の日も石金より出来る。火も同じことじゃから、人の身はすぐに天地のかたまったもの。天地と人とは父母と子ぞ。異端ここをしらず、人間を別のものにして地獄極樂の説もあり。人にあれは天地にもある筈。天地になければ人にもない筈。○精氣為物。精は目にみへ、氣はみへす。飯は精、いげは氣。○血類。毛のはへるのと云も血の類。知覺。何でものを云やら形はない。○目もよくみへて馬鹿かある。馬鹿は魂につく。○勇決は、なんにと云とひこんだりするのぞ。○老耗して達者なは、魂かさきへ衰へれは達者にない。垩賢は魄から先へ衰ふ。○教之至。祭の一端で云ことば。これが聖人のきはめられたこと。合鬼與神。ここをよふ云れた。一旦はなれたものの合ふと云ことはない。誠がつまれば二度合と云ても、いきたと云ことにあらず。小栗なとのやうなことにあらず。魄はきえて何もない。其魄の氣はあるぞ。魂ばかりて祭れと云てきこゆるやうなれとも、魄で親とみへる。神主は魂をとってをく。魄も亦そまつにならぬ。魂も魄をやどにしてをる。○朱子の意を眞西山よく合点せられた。諸儒にはみへぬ。
【通釈】
どうしても名義からするもの。算用であれば九々を知る。茶湯で言えば、これは風炉、これは水指だと知ること。ここから吟味して行く。○「万物頼之以生」。陰陽は、大極の手代と言うのもここ。○「天地之功用」。これは奧のことではない。はっきりとした方のこと。○漢の世までの鬼神は人の生死ばかりで言う。造化と釈き広げたのは宋朝である。○「天地之気即人身之気」。ここが天人一致の処。天の日も石金からできる。火も同じことだから、人の身は直に天地の固まったもの。天地と人とは父母と子である。異端はここを知らず、人間を別のものにするから地獄極楽の説もある。人にあれば天地にもある筈。天地になければ人にもない筈。○「精気為物」。精は目に見え、気は見えない。飯は精、湯気は気。○「血類」。毛が生えるというのも血の類。「知覚」。どうしてものを言うのか、形はない。○目はよく見えるが馬鹿な者がいる。馬鹿は魂に付く。○「勇決」。何と言うと引っ込んだりするもの。○「老耗」して達者でも、魂が先に衰えると達者でない。聖賢は魄から先に衰える。○「教之至」。祭の一端で言う言葉。これが聖人の極められたこと。「合鬼与神」。よくここを言われた。一旦離れたものが合うということはない。誠が詰まれば二度合うと言っても、生きるということではない。小栗などの様なことではない。魄は消えて何もない。しかし、その魄の気はある。魂ばかりで祭れという様に聞こえるが、魄で親と見える。神主は魂を取って置く。魄もまた粗末にはできない。魂も魄を宿にしている。○朱子の意を真西山はよく合点された。諸儒にはわからない。
【語釈】
・小栗…小栗判官。蘇生の話がある。

1
○程子理の粗ではなけれとも、鬼神を云つぶす、卜筮のすじそ。張南軒も程子のくしぞ。大抵理の深密でなければ鬼神を云はぬ。又わるふすると経をわすれて変をすくやうになる。借家にをもやをとらるるぞ。五常などになに珎らしひことないなどと云ぞ。こうしたことがあるによりてをされぬなどと云は蕎麥切すくやうなもの。あほうはそれにたまされる。飯はめつらしいないと思ふ。十日くはせたらあきるてあらふ。変は切々はない。変はろくなことではない。皆害になることはかりぞ。すっきりとないやうにはならぬ。異端は変ばかりをうれしがる。怪物咄など云うちには八つまて竒妙はなし。務民之義敬鬼神遠之とあり、鬼神はじきにみたとて手抦にならぬ。見ぬとてひけにならぬ。親をしらぬ、ひげになる。○理か明になければ意は誠ならぬと云て、あとへ鬼神を出したが妙ぞ。発端にをきたるわけ別に記す。可見。信謂、別記不傳。最可借。○公不曽見。その方こそみ子、畢竟あるかなきかの理を知れ。見たの見ぬのと云ふにとんちゃくはない。○邵意。理外なこともあると。○萑の蛤になるも、ふる山の芋鰻魚、蜂か馬の尾に巣をかける。すれば蜥蜴も雹こしらゆる筈。○大段。人事を尽して上のこと。地こと覚て、その上のふし。八筭のすみた上の見一なり。不然不信中一点の疑と云は、どうしてもめったなと云ても、我も直にしれば、いやめったにをされぬと云ことがある。○一陳。さっとふること。雨てもすっとふるを云。○淫廟。そのやうにせふやうない神に祭ふわけないと云を合点して、あとに拆くへし。南軒もここに了簡なし。倚神為主。日蓮か罪にあい、前よりは一倍をもひつくやうなもの。思入が深くなる。○見得破。先君曰、雷の時、降神香をたく。暑氣に清暑益湯を飲む合点なればよし。香をたき、となへことを云て拜をするは大愚ぞ。とかく人叓を尽し見得破た上てなけれは神の咄はならぬ。蘓鉄に釘を打つと生るの、火浣布を火に入れてよくなるも中々急にもすまぬ。さぞそをした氣類あらん。ざっとあしらふがよし。正客にするとあしし。狐か火事の前夜鳴いたとて、稲荷堂をたてるは速なり。やはり雉か地震に鳴たと同し。○蜥蜴なけれは雹かないと云ふことにあらず。鳥山氏云、つけ火もあり、自火もあり。
【通釈】
○程子は理が粗いわけではないが、鬼神を言い潰すと卜筮の筋になる。張南軒も程子の筋である。大抵理を深密にしなければ鬼神を言わない。また悪くすると経を忘れて変を好く様になる。それでは借家に母家を取れることと同じである。五常などに何も珍しいことないなどと言う。こうしたことがあるから違いないなどと言うのは蕎麦切を好く様なもの。阿呆はそれに騙される。飯は珍しくないと思う。十日も食わせれば飽きるだろう。変に切なことはない。変は碌なことではない。皆害になることばかりである。それは、すっきりとないやうにはならない。異端は変ばかりを嬉しがる。怪物話などを言う内の八つまでは奇妙なことはない。「務民之義敬鬼神遠之」とあり、鬼神は直に見たとしても手柄にはならない。見ないとしても引け目にはならない。親を知らないのは引けになる。○理が明でなければ意は誠にならないと言い、その後に鬼神を出したのに妙がある。発端に置いたわけは別に記す。見なさい。信が言う、別記は伝わらず。最も惜しむべきこと。○「公不曾見」。その方こそ見えないが、畢竟あるかないかの理を知りなさい。見たとか見ないとかということ頓着はない。○「邵意」。理外なこともあると言う。○雀が蛤になるも、ふる山の芋鰻魚、蜂が馬の尾に巣を掛ける。それなら蜥蜴も雹を拵える筈。○「大段」。人事を尽くした上のこと。地のことを覚えて、その上の段。八算が済んだ上の見一である。「不然、不信。中一点疑」とは、滅多なことだと言っても、どうしても自分が直に知れば、いや滅多に否定することはできないということがある。○「一陣」。ざっと降ること。雨でもすっと降ることを言う。○淫廟の様なつまらない神を祭るわけはないと合点して、後に「拆廟」。南軒もここに了簡がなかった。「倚神為主」。日蓮が罪に遭い、前よりも一倍思い付く様なもの。思い入れが深くなる。○「見得破」。先君が、雷の時に降神香を焚くと言った。暑気に清暑益湯を飲む合点であればよい。香を焚いて、唱えごとを言って拝むのは大愚である。とかく人事を尽くして見得破った上でなければ神の話はできない。蘇鉄に釘を打つと生まれるとか、火浣布を火に入れてよくなるというのも中々急には済まない。さぞその様な気類があるのだろう。ざっとあしらうのがよい。正客にすると悪い。狐が火事の前夜に鳴いたとしても、稲荷堂を建てるのは拙速である。やはりそれは雉が地震に鳴いたのと同じ。○蜥蜴がなければ雹はないということではない。鳥山氏が、付け火もあり、自火もあると言った。
【語釈】
・務民之義敬鬼神遠之…論語雍也20。「樊遲問知。子曰、務民之義、敬鬼神而遠之。可謂知矣」。
・八筭…珠算で、二から九に至る八個の基数で除する方法。特殊な割声を用いる。
・見一…珠算における二桁以上の割算。

2
○雷部神物は部類眷屬のるい。隂陽のもめやい、色々氣に乘して奉行の手下をつかうやうそ。
【通釈】
○「雷部神物」は部類眷属の類。陰陽の揉め合い、色々な気に乗じて奉行が手下を使う様なこと。

3
○刺は口上書こと。鬼神まぼろしのやうにあって書付る。枕神と云やうなのぞ。
【通釈】
○「刺」は口上書こと。鬼神は幻の様にあって書き付ける。枕神という様なもの。

4
○七日不返時可焼我。これは儒でもかうぞ。死とそのまま。なにそ大事の出来るやうに寺へやるはわるい風俗ぞ。蘇生と云ことあり。○淡不久又無し。ひさしくはない筈。○討身。うろ々々としてなり。○隱峯、とんさく云て合点させた。そこで其人云わけあやまりました。此等はみな咄ぞ。有る無しを朱子の謂れたことに非す。
【通釈】
○「七日不返時、可焼我」。儒でもこの通りである。死ぬとそのままにする。何か大事なことができた様に寺へ遣るのは悪い風俗である。蘇生ということがある。○「淡不久又無」。久しくはない筈。○「討身」。うろうろとする。○「隠峯」、頓作を言って合点させた。そこでその人が悟って謝した。これ等は皆話の上のこと。有る無しを朱子は言われたのではない。

5
○「用物」。駕篭かきなとにはちがふ。蚤の死ぬと犬の死ぬ、はやちがふ。
【通釈】
○「用物」。駕篭舁きなどとは違う。蚤の死ぬのと犬の死ぬのとでは、既に違う。

6
○滞りてをるもの。人に乘りうつる。光りものの木の下に光る。みなそれに憑依する。禀得氣盛と云はうなぎの首のやうな。悪源太かにらんたもこの類。○仙人の世にみへぬこと、讀書續録にもあり。東方朔も唐の代にみへす。大方はうそそうな。○異端は変を常道に勝せたがる。怪のことあるとも、それを主張せずにすててをくがよし。先君云、人の金を、この中の員数をたま々々あててもやり、はやまいてもわけはすまい。よををみよ。朱子は理のないめったなことを色々あげたにわけあるそ。程子はここがない。
【通釈】
○滞っているもの。人に乗り移る。光り物が木の下に光る。皆それに憑依する。「禀得気盛」とは鰻の首の様なこと。悪源太が睨んだのもこの類。○仙人は世に見えない。それは読書続録にもある。東方朔も唐の代にはいなかった。大方は嘘の様だ。○異端は変を常道に勝たせたがる。怪のことがあるとしても、それを主張せずに放って置くのがよい。先君が、他人の金を、この中の員数を偶々当てたり、撒いたとしても分けたりはしないだろうと言った。よく見なさい。朱子が理のない滅多なことを色々と挙げたのにはわけがある。程子にはここがない。

7
人多惑之。とうもこの処かすまぬと、あたまをわらして云。○別有説話。先君曰、必竟何もないことそ。
【通釈】
「人多惑之」。どうもこの処が済まないと、頭をわらして言う。○「別有説話」。先君が、畢竟何もないことだと言った。

8
○紙中答語。先君云、理にはないこと。氣の変なり。なうかのやうなもの。なくさみにはなれとも実用にはならぬ。変なことを聞てさわくは理がひらけたゆへなり。良医は病家て色々病変云ても、ちっともさわくことない。
【通釈】
○「紙中答語」。先君が、理にはないことで、氣の変だと言った。能家の様なもの。慰みにはなるが実用にはならない。変なことを聞いて騒ぐのは理が塞がったからである。良医は病家で色々と病変を言っても、少しも騒ぐことはない。

9
○心中有故應す。をほへにあること故に應す。化物ときかぬ前はこはくはなし。先君云、盗賊なとは実体あるゆへこちにかまわすくるなり。
【通釈】
○「心中有故応」。覚えあることなので応じる。化物と聞く前は恐くない。先君が、盗賊などは実体があるのでこちらに構わず来ると言った。

10
○果死一子。どのやうなことありても、子つきにもひへにもならぬ。あちにもこのやうなことあると云てすみたこと。
【通釈】
○「果死一子」。どの様なことがあったとしても、熱気にも冷えにもならない。あちらにもこの様なことがあると言って済むこと。

11
○不正邪暗。でもあることぞ。禱るがないてはなけれとも、今ときのはめったなこと。周公旦庾黔婁か禱る、なるほと道理あり。此方の禱る、皆利徳。なるほど病を禱るまいものてない。死生有命と知た者はいのらぬ。さうなら禱ぬは不孝かと云へば、理を知てをるは不孝てないぞ。○以功用謂之鬼神即此便見。先君云、これか鬼神を見付たと云もの。
【通釈】
○「不正邪暗」。それでもあること。祈ることがないわけではないが、今時のは滅多なこと。周公旦や庾黔婁が祈る、なるほど道理がある。こちらが祈るのは皆利得から。なるほど病には祈らないこともないが、死生有命と知った者は祈らない。そうなら祈らないのは不孝かと言えば、理を知っているのは不孝ではない。○「以功用謂之鬼神、即此便見」。先君が、これが鬼神を見付けたというものだと言った。
【語釈】
・死生有命…論語顔子5。「子夏曰、商聞之矣。死生有命。富貴在天」。

12
○祟りをする神あるとき、政をする人聖賢なれは其侭やむものなり。知明にして天下に莅むゆへぞ。くらいと不正か出来る。北野千本杦も上のわるいとすばちのあてることは天理明なゆへならぬ。其鬼不神。この神の字は鬼神の神に非す。神妙な処。通書、神の字に看よ。
【通釈】
○祟りをする神がいる時、政をする人が聖賢であればそのまま止むもの。それは知が明で天下に莅[のぞ]むからである。知が暗いと不正ができる。北野千本杉も天理明だから、上が悪いと素鉢を当てたりはしない。「其鬼不神」。この神の字は鬼神の神ではない。神妙な処。通書の神の字として看なさい。

13
○神は子きのならはし。感得姦詐之氣。あやかると云の類。是は大極にはないことなり。
【通釈】
○神は禰宜の慣わし。「感得姦詐之気」。肖るという類。これは太極にはないこと。

14
做弄とは、それはと云て取り上ること。平鋪着と云は、なにのかのと云ことなしに常の心に平かなり。主人か色々の人のうわさなときくことすきな処の家来は、必す人のうわさを云。ここには狐はあるまいかなどと入らざる氣づかひすると狐がばかす。ここに腫れ物出来まいかと思は氣かつまりて出来るもの。何のとも思わぬものには邪鬼神はない。邵子の占も動く処で占たもの。
【通釈】
「做弄」とは、それはと言って取り上げること。「平鋪著」は、何の彼のと言うことなしに常の心が平らかなこと。主人が色々と人の噂などを聞くことが好きな処の家来は、必ず人の噂を言う。ここには狐がいるのではないかなどと要らざる気遣いをすると狐が化かす。ここに腫れ物ができないだろうかと思うと気か詰まってできるもの。何とも思わない者に邪鬼神はない。邵子の占も動く処で占ったもの。

15
○尚声尚臭。子丑寅のやうなもの。○粗者亦有此理。魚のきくと云ことはなけれとも、これらも来挌の方て粗ひこと。氣の感であると云ことは酢貝の類なり。貝に心はなけれとも、酢に感ずるとみへたり。知ぬものは貝に心あると思ふ。これて氣の感と云ことある。理はかりていかぬ。○新立。根津の類。○邪向他は、天照大神、春日より梶原を祭れは瘧かをつると云の類。○他便盛。ききもきくそ。松平豆州京の大佛を銭にせらるる。狄仁傑ぞ。○可者。うやまふへきもの。○致死之。なんに神霊あらふと、石瓦のやうにする。○不神。竒妙がないなり。○先君子云、一休か地藏に下帯をまき付たときは致死之の処。外の者ほどきたときは致生之ものゆへそこへとりつく。其鬼が神になる。○可怪とは、日光山天狗ひきさくと云るい。
【通釈】
○「尚声尚臭」。子丑寅の様なもの。○「粗者亦有此理」。魚が聞くということはないが、これ等も来格の方では粗いこと。気の感であるというのは酢貝の類である。貝に心はないが、酢に感ずると見える。知らない者は貝に心があると思う。この様に、気の感ということがあり、理ばかりではない。○「新立」。根津の類。○「邪向他」は、天照大神や春日よりも梶原を祭れは瘧が落ちると言う類。○「他便盛」。聞きも聞いた。松平伊豆守が京の大仏を銭に替えた。狄仁傑と同じである。○「可者」。敬うべきもの。○「致死之」。神霊があったとしても石瓦の様に見る。○不神。奇妙なことがない。○先君子が、一休が地蔵に下帯を巻き付けた時は「致死之」の処。外の者が解いた時は「致生之」のものなので、そこに取り付く。その鬼が神になると言った。○「可怪」は、日光山を天狗が引き裂くと言う類。

16
○以明當祭與不當祭。まへの衆人心邪向他よりのならひ、ここが大事そ。蘇我稲目は七堂からんでも祭らぬ筈なり。疑其有疑其無。閻魔と云もあらふが、せうつ川のうばかあれば、せつせくいってはがれさむいめをと疑ふ。恐懼畏怯ある。○獨看卻有病。明器のちがひもここぞ。邪氣も鬼神かある。明器は、扇を扇屋から取てきたと親の手なれたと一つにをもはれぬ、そのちがひ。しては筭用にはならぬ。とうやら親の手なれたは近付にあふたやうな。明器はこのすぢ。こっちは邪てあらふとも、あるはある。○可與不可両字。天子は天地を祭り諸侯山川。諸侯か天地を祭るは僭ぞ。きつけた使者がくれば合点しやらぬ筈。いやとも兄の処へは見舞ふ筈。いな処へ見舞たとは思わぬ。○法界觀と云は一切のこと我心から出ると見たもの。雀も親も一つなり。すれば祭るへき祭るへからさると云わけはわるいとあの方からは思たもの。
【通釈】
○「以明当祭与不当祭」。前の「衆人心邪向他」よりの並び、ここが大事である。蘇我稲目は七堂伽藍でも祭らない筈。「疑其有、疑其無」。閻魔がいたとしても、三途河の婆がいれば、急いて剥がされ寒い目をすると疑う。「恐懼畏怯」がある。○「独看卻有病」。明器の違いもここ。邪気にも鬼神がある。明器は、扇を扇屋から取って来たのと親の手馴れたのは一つに思えず、その違い。それは算用にはならないこと。どうやら親の手馴れれたのは近付に逢った様である。明器はこの筋。こちらは邪であったとしても、あるにはある。○「可与不可両字」。天子は天地を祭り諸侯は山川を祭る。諸侯が天地を祭るのは僭越である。気付いた使者が来れば合点はしない筈。必ず兄の処へは見舞う筈。変な処へ見舞ったとは思わない。○「法界観」は、一切のことが自分の心から出ると見たもの。雀も親も一つにする。それなら祭るべき祭るべからずと分けるのは悪いとあの方は思ったのである。
【語釈】
・せうつ川のうば…三途河の婆。奪衣婆。三途の川のほとりにいて、亡者の着物を奪い取り、衣領樹の上にいる懸衣翁に渡すという鬼婆。

17
○人鬼固是終歸於盡。天地人鬼神なれとも、天地は尽るがみへぬ。人はがんざりと死ぬ。天も十二万九千六百年と云へとも、まづはみへぬこと。○然誠意。この然るにが面白い。然れともつきはせぬぞと云のなり。根於理而生者浩然無究。魂氣は天にあるぞ。百年以前の神を祭ればある。あっちからは出るにあらす。誠意あれば至る。上下左右とて神道者のやうと云へは御幣がをどり、神主が動くやうになる。辨得とは、こふしたことはめったなこと、そうしたことあるはづと辨へる。小栗か餓鬼車にのったやうなことはない。小説云云。○唯心造を引くここの段は、祭なくてはならぬ。あることを何もないと云はわるい。祭の段になりて、あるとも祭る筈てなければ致死と云ことぞ。
【通釈】
○「人鬼固是終帰於尽」。天地人は鬼神であり、天地は尽きるところが見えない。人ははっきりと死ぬ。天も十二万九千六百年と言うが、先ずは見えない。○「然誠意」。この然るにが面白い。然れども尽きはしないと言ったのである。「根於理而生者浩然無窮」。魂気は天にある。百年以前の神を祭ればある。あちらから出るのではない。誠意があれば至る。「上下左右」と言っても、神道者の様に言えば御幣が踊り、神主が動く様になる。「弁得」は、こうしたことは滅多なこと、そうしたことある筈だと弁別すること。小栗が餓鬼車に乗る様なことはない。小説云云。○「唯心造」を引いたここの段は、祭らなくてはならないということ。あることを何もないと言うのは悪い。祭の段になっては、あるとしても祭る筈でなければ致死だということ。
【語釈】
・根於理而生者浩然無究…鬼神集説93。答廖子晦書。「其根於理而日生者、則固浩然而無窮也」。

18
○帝武敏。これから歴代のあやしいこと。此三条をしら子ばしまりがないそ。信按、此一句續前条之意。○祥瑞。このやうな処て異端を相手にすれば取り持ちのやうになるぞ。○併眞實。氣の妙用を云消はわるい。法蕐坊主一人無行儀すると皆するとをもふ。
【通釈】
○「帝武敏」。これからは歴代の怪しいこと。この三条を知らなければ締まりがない。信が按ずるに、この一句は前条の意に続く。○「祥瑞」。この様な処で異端を相手にすれば取り持ちの様になるぞ。○「併真実」。気の妙用を言い消すのは悪い。法華坊主が一人無行儀をすると皆がすると思う。

19
○天生之。このやうな筋から天神も木のまたから生れたと云ぞ。とうしてもこのやうなことは上代のこと。後世人事ひらけてないと云。そうもあらふ意て合点せよとなり。これほどと云書付は出されぬ。
【通釈】
○「天生之」。この様な筋から天神も木の股から生まれたとも言う。どうもこの様なことは上代でのこと。後世は人事が開けてこれはないと言う。そんなことだろうという意で合点しなさいと言う。これほどという書付は出せない。

20
孔子も取らしったを、見聞せぬと云てすてられぬ。日本も上代は色々あるそ。木曽の山家であることと江戸の町中にあるとは違ふなり。詩人がとてもないこと云たと云はあしし。孔子があられぬことを六經にとって置しやう筈はなし。
【通釈】
孔子も取られたことを、見聞しないからといって捨てることはできない。日本も上代には色々とあった。木曾の山家であることと江戸の町中にあることは違う。詩人がとんでもないことを言ったと言うのは悪い。孔子があり得ないことを六経に採って置く筈はない。

21
○若眞有。熊野權現のをとりに神馬あせをかくと云やうなはあしし。
【通釈】
○「若真有」。熊野権現の踊りに神馬が汗をかくという様なことは悪い。

22
○便是又有此理。定たことなれはかふは云れぬ。語立をみるべし。先はいなもの。魄なり。魂歸すなれはない筈なれとも、先つこふした理がある。天に三后なと云ふはあらさる筈ぞ。爰は学だけぞ。口で云れぬ。異端とは違たと思ふこと。理が天に合ふと云に違かあるぞ。よごれた人とは違ぞ。清明純粹でなければ理が合ぬ。存生の内人欲私にまみれては、死んても一にならぬ。微妙難説。人々相應に合点すること。人にどうこう問ふまではない。我にむと合点することなり。活すとは働のあるいきた処。学問だけぞ。○對鬼。日待月待するやうに日月にものはなけれとも、待って對す。○伊川卻疑ふ。此条は揃ふた大切な条そ。伊川のやうにきっはりとなひ。にやくやなと云へとも、にやくやな内に正理かあり、理か熟せ子ばならぬ。佛のいきなれば二十五のぼさつのやうになり、それにとら子ば伊川になる。只我武王に替りたいと思ふからは、過言などと思ふ意はない。親の死ぬとき云たいことかあるなれは、過言と思ふことはなひやうなもの。
【通釈】
○「便是又有此理」。定まったことであればこの様には言わない。語立を見なさい。先ずは異なものが魄である。魂が帰ればない筈だが、先ずはこうした理がある。天に三后などはありそうもない筈。ここは学だけのことで、口では言い表せない。異端とは違うと思いなさい。理が天に合うということに違いがある。汚れた人とは違う。清明純粋でなければ理が合わない。存生の内人欲の私に塗れては、死んでも一つにはならない。「微妙難説」。人々が相応に合点すること。人にどうこう問うまでのことではない。自分で合点すること。「活」とは働のある活きた処で、学問だけのこと。○「対鬼」。日待月待する様に日月にものはないが、待って対す。○「伊川卻疑」。この条は揃った大切な条である。伊川の様にはきっぱりとせず、にやくやだと言うが、にやくやな内に正理があって、理が熟さなければならないこと。仏の意気であれば二十五の菩薩の様になり、その様に取らなければ伊川になる。ただ自分が武王に替りたいと思うからは、過言などと思う意はない。親の死ぬ時に言いたいことかあるのなら、過言と思うことはない様なもの。

23
○林聞一。此条よい語ぞ。次第みるべし。文集などをゆづうせ子ばならぬこと。先つはいなことのやうなれとも、聖人かするからは須有此理。
【通釈】
○「林聞一」。この条はよい語である。次第を見なさい。文集などを融通しなければならない。先ずは異なことの様だが、聖人がするからは「須有此理」。

24
○以主宰説帝謂無形象。理でつかさとって居る方からばかり云ぞ。形はだしともながる。形はなけれとも、でもかうきっとしたことはある。神馬か汗かくなどと云やうなはなけれとも、あると見たもの。学者皆莫能答。えこたへぬはづぞ。
【通釈】
○「以主宰説帝謂無形象」。理で掌っている方からばかり言う。形はだしともながる。形はないが、しかしかの様にはっきりとしたことはある。神馬が汗をかくなどという様なことはないが、これはあると見たもの。「学者皆莫能答」。答えられない筈である。

25
○夢之事。どうやらしれぬぞ。前条と同こと。急に合点はいかぬこと。合点せうと思ふはわるい。融通せ子はならぬ。先君云、磁石の北にさす。虎珀の塵を吸ふ。酢貝の動く。そうした理があらふと思がよい。
【通釈】
○「夢之事」。どうも知れないことで、前条と同じこと。急に合点は行かない。合点しようと思うのは悪い。融通しなけえればならない。先君が、磁石が北を指す。琥珀が塵を吸う。酢貝が動く。そうした理があるのだろうと思うのがよいと言った。

26
○那天在眼前。古の垩人は皆天とものがたりじゃったぞ。天の岩戸で称冝の神へ云やうなことはあればめったなことぞ。今も、國持も学者も天とものを云へはよし。常人はわるいことのあるとき、天のめぐみもないなどと云ぞ。常は耻しふて出られぬ。舜の旻天に号泣も、常人号ふことならぬぞ。
【通釈】
○「那天在眼前」。古の聖人は皆天と物語りをした。天の磐戸で禰宜の神へ言う様なことがあれば、それは滅多なこと。今も、国持も学者も天とものを言えばよい。常人は悪いことがある時、天の恵みもないなどと言うが、常には恥ずかしくて出られない。舜の旻天に号泣も、常人には号すことはできないこと。
【語釈】
・称冝…禰宜。神主の下、祝の上に位する神職。
・舜の旻天に号泣…書経大禹謨。「帝初于歴山。往于田、日號泣于旻天」。孟子萬章章句上1にもある。

27
○尚鬼。日本の神通のやうなり。○且闕之可也。そのぶんにしてをきやれなり。朱子は合点なれとも、云てきかせることはならぬ。無理なものは、なに合点さへいったを云てきかせたを合点いくまいやうはないと云けれとも、上戸が下戸に酒のむまみを云やうなもの。むまいと云へは砂糖、からいと云へは蕃椒と思ふ。
【通釈】
○「尚鬼」。日本の神通の様なこと。○「且闕之可也」。そのままにして置けということ。朱子は合点しているが、言って聞かせることはできない。無理なことは、何、合点したことを言って聞かせれば合点が行かないことはないと言っても、それは上戸が下戸に酒の甘味を言う様なもの。甘いと言えば砂糖、辛いと言えば蕃椒だと思う。

28
○且莫要理會。このやうな処はなげやりにしやれと云ことにはあらず。文集語類のならひを合点すへし。
【通釈】
○「且莫要理会」。この様な処は投げ遣りにしなさいということではない。文集語類の並びを合点しなさい。

29
○第二着。前段を且つの字からのうつり、可思なり。將間とはと、かふする内て鬼神も自然としれるそ。孔子の人に事るを先にする筈とををせられた。前の両条に闕けと云てをいて、又第二着とよい並ひぞ。
【通釈】
○「第二著」。前段の「且」の字からの移りと思いなさい。「将間」と、こうする内に鬼神も自然に知れる。孔子の人に事えるのを先にする筈と仰せられた。前の両条に「闕」と言って置いて、また第二著というのもよい並びである。

30
○將礼熟讀便見。礼書にこをする、こふする。このとき膳をすえるとあるぞ。あそこになければ那須与一が一人狂言。○中庸にも鬼神為德と出てあれば、程子もないといはんやうなし。
【通釈】
○「将礼熟読便見」。礼書にこうする、この時に膳を据えるとある。あそこになければ那須与一の一人狂言。○中庸にも鬼神為徳と出ているのだから、程子もないとは言わない筈。
【語釈】
・鬼神為德…中庸章句16。「子曰、鬼神之爲德、其盛矣乎」。

31
○其神便霊は、頭痛がなをり、をこりもをちる。先君云、目やみかしゃ水を付る。目藥によいとおもをゆへきく。○自暖。ひへた処では木もはへぬ。飯のすへるもあたたかな処。人も汗をかく。人心あつまればあたたかになる。よってそこには色々できる。大神樂ほうかも年よりてはならぬ。柔らみのあるうちしながある。学もやはらかみなければやくに立ぬ。○衆心輻湊。元三大師も江戸中が皆参るによってきくとは上人の云ぬこと。○血肉。塩鱈などてはわるいはづ。こちの血肉で引出す。春日へ鹿をきってかける類。○人心聚処便有神。先君云、弥惣左ェ門稲荷はやりたまうなもの。家こと稲荷みな同しはつ。○正直な穪冝なれは神も正い筈。小がしこい称冝なれば、身にをしく思ふものをあげたらは、なをしてやらをの類を云であらふ。○出家が葵の御紋のけさをかける類。参詣のものが、先つ葵の御紋がとふとふなるぞ。これではよくないはづ。○服鬼神。鬼神をつかふ。人心苟正。こっちの口かあっちへあたるはづ。又曰一心定而鬼神服。先師録の曰、先生力らを入て云へり。
【通釈】
○「其神便霊」は、頭痛が治り、瘧も落ちる。先君が、目闇が灑水を付ける。目薬によいと思うので効くと言った。○「自暖」。冷えた処では木も生えない。飯の饐えるのも暖かな処から。人も汗をかく。人心が集まれば暖かになる。そこでそこには色々とできる。大神楽の奉賀も年が寄ってはできない。柔らか味のある内にしながある。学も柔らか味がなければ役に立たない。○「衆心輻湊」。元三大師も江戸中の者が皆参るから効くとは上人の言わないこと。○「血肉」。塩鱈などでは悪い筈。こちらの血肉で引き出す。春日に鹿を斬って掛ける類。○「人心聚処便有神」。先君が、弥惣左ェ門稲荷が流行る様なもの。家ごと稲荷は皆同じ筈だと言った。○正直な穪宜であれば神も正しい筈。小賢い穪宜であれば、身に惜しく思うものを上げれば直して遣ろうという類だろう。○出家が葵の御紋の袈裟を掛ける類。参詣の者が、先ず葵の御紋がと、図太くなる。これではよくない筈。○「服鬼神」。鬼神を使う。「人心苟正」。こちらの口があちらへ当たる筈。「又曰、一心定而鬼神服」。先師録に、先生が力を入れて言ったとある。

32
○衆人輻湊処這些便熱。先君云、目鏡て日月の光りをとるやふなもの。一面に火水の氣はうつらす。そこをあつまる処へくる。○臨時為壇。聖賢のは祭るときばかり。異端はふだんにしてをく。○夫妻子母。たれの孫しゃなどと云ふ。山夲氏云、鬼子母神は千人子をもち、末の子をたいてをる。雪隱神と荒神とか夫婦しゃのるい。神道とは、あっちのは道家。鳥山氏云、張李は色々と名のあること。
【通釈】
○「衆人輻湊処、這些便熱」。先君が、目鏡で日月の光を採る様なものだと言った。一面に火水の気は移らない。それが集まる処へ来る。○「臨時為壇」。聖賢は祭る時だけだが、異端は絶えず壇を置く。○「夫妻子母」。誰の孫だなどと言う。山本氏が、鬼子母神は千人の子を持ち、末の子を抱いていると言った。雪隠神と荒神とが夫婦だと言う類。「神道」とは言うが、あちらのは道家。鳥山氏が、張李は色々と名のあることだと言った。

34、35
○隂陽和風雨時。天を祭るに、大雷夕立などの具物も埒ちもなくなれば天はうけす。百神享之。いのると云ことがあり、いのりてが祈れば此應あり。二十五のぼさつうなづいたと云ことはない。
【通釈】
○「陰陽和、風雨時」。天を祭るにも、大雷や夕立などの具物も埒もなくなれば天は受けない。「百神享之」。祈るということがあり、祈り手が祈ればこの応がある。二十五菩薩が頷くということはない。

36
○既餒之氣。先君云、父の衰た氣へ子より合力をする。○雖知其無應之之理。いなことを云やる。
【通釈】
○「既餒之気」。先君が、父の衰えた気に子が合力をする。○「雖知其無応之之理」。嫌なことを言ったもの。

37
○内感と自誠中来とは、こちにあるゆへ向から感ずるとなり。また内感は向に相手あり、自誠中来とはすきと向に相手なし。梦をみるやうなこと。先師云、内感誠中と同し。二つともに我方てしまふたもの。誠かすくに鯉なりと云方を自誠中来とは云なり。あちに何もないをこちの誠で引出したものと云ふ。思ふことを夢にみる。我一人て仕込誠が鯉じゃと云ふ。朱子は、鯉がある、夫がうごいて来たとなり。程子のは天からあたへるはばけものらしふ思れた。魚と我と別て又同。氣相求るぞ。先君云、父母の急病に良醫のふとそこへきたやうなもの。さても一年にもこぬこの医か来たか、なさても孝感と云。それと同しこと。木によりて魚を求るではないぞ。袞合し説けはわけもなうなる。分二人咄するやうなもの。両方からひびきあふぞ。風のふくと波の動くも一氣ゆへぞ。先君云、大つづみ小つつみで両方からやあはあと云処は両物なり。さて一つづきは理一なり。首と尾とはあれとも、感通の処での一つぞ。その鐘がこちの耳へ入る。
【通釈】
○「内感」と「自誠中来」は、こちらにあるので向こうから感ずるということ。また内感は向こうに相手があり、自誠中来とは、全く向こうに相手がないもの。夢を見る様なこと。先師が、内感誠中と同じ。二つ共に我が方でしたもの。誠が直に鯉なりという方で自誠中来と言うと言った。あちらに何もないのをこちらの誠で引き出したものだと言う。思うことを夢に見る。自分一人で仕込み、誠が鯉だと言う。朱子は、鯉があって、それが動いて来たと言う。程子は天から与えられたとするのでは化物らしく思われた。魚と自分とが別でまた同じ。気が相求めるのである。先君が、父母の急病に良医がふとそこへ来た様なものだと言った。実に一年も来なかったこの医者が来たのが、中でも孝感だと言った。それと同じこと。木に縁りて魚を求めるではない。袞合して説けばわけもなくなる。二人話をする様なもの。両方から響き合う。風の吹いて波が動くのも一気だからである。先君が、大鼓と小鼓で両方からやあはあと打つ処は両物である。さて一続きは理一である。首と尾はあるが、感通の処で一つである。その鐘がこちらの耳に入る。

38
程子はこちから感するはかりを云。あちからくるもこちの氣ぞと、程子は妙なやうなことはいやかったもの。
【通釈】
程子はこちらから感ずることだけを言う。あちらから来るのもこちらの気だと言ったが、それは程子が妙なことを嫌がったからである。

39
○問垩人凡言鬼神。先君云、鬼神云云と云も理のことしゃ、と。氣をすてて問たもの。○人能順理。一つわるいことをすると、はや災をするやうにはないはつ。理にしたかへはよくなりてくる。這意思とは、かうしたわけこそあれ、きっと降ることはない。奉書か来たりさし紙はない。此則不問とは、不審はない。埒があいてをる。「禍福吉凶事」。禍氣福の氣と云ことはない。この理を云さま前の通りに云はわるい。
【通釈】
○「問聖人凡言鬼神」。先君が、鬼神云云と言うのも理のことだと言った。気を捨てて問うたもの。○「人能順理」。一つ悪いことをすると、早くも災いをするという様なことはない筈。理に順えばよくなって来る。「這意思」とは、こうしたわけこそあれ、きっと降ることはない。奉書が来たり差し紙はない。「此則不問」は、不審はない。埒が明いている。「禍福吉凶事」。禍の気福の気ということはない。この理を言う時には、前の通りに言っては悪い。

40
○只是氣。氣と出たが面白い。○才動必應。先君云、一氣の感。□に蝶の来るも砂糖に蟻のくる、どこからくるかしれぬ。一心に動く処。天地に感する。
【通釈】
○「只是気」。気と出したのが面白い。○「才動必応」。先君が、一気の感。□に蝶が来るのも砂糖に蟻が来るのも、何処から来るのかはわからない。一心に動く処で天地に感ずる。

41
○問鬼神便只是。ならびやう見るべし。氣ばかりと云、うつりよい。裏面神霊。雨も氣なれとも、あれに祈りと云ことはない。風も氣なれとも、雨の神風の神と云処、霊なる処を云。
【通釈】
○「問鬼神便只是」。並び様を見なさい。気ばかりと言うのが、わかりよい。「裏面神霊」。雨も気だが、あれに祈りということはない。風も気だが、雨の神、風の神という処は霊なる処を言ったもの。

42
○きり々々とめぐる、運轉さするものあり。形あるものに非す。風雨露雪いろ々々あることをつめて云へば大極なれど、孰か々々と云処に見あり。綱維はひっはる。主張ははり出す。
【通釈】
○きりきりと廻る、運転させるものがある。それは形あるものではない。風雨露雪など、色々とあることを詰めて言えば太極のことだが、「孰」という処に見がある。「綱維」は引っ張ること。「主張」は張り出すこと。

43
○天亦把捉不定。天もじだらく。帳の付けをとし。猿の木から落たのぞ。朱子などは天を自由に云はれたぞ。引付てこふ云ことはならぬ。天の不調法とえ人のいわぬ。○何嘗有意。小児の慮外のやうなもの。たれも一分たたぬと云やうなあぼうはない。失其常理。天の不調法なれとも、天がそうするてはない。氣がするぞ。○先つは人事有以致之ぞ。太平記に日の三つ見へたことあり。氣かわるふて虫目か子などのやうにて見へたか、又は見てが見そこなふたかなり。○不會変。十五夜かやみなれは、天下中一人も安心ならす。
【通釈】
○「天亦把捉不定」。天も自堕落で、帳の付け落としをした。猿が木から落ちたのである。朱子などは天を自由に言われた。引き付けてこう言うことはできないもの。天の不調法とは人の言えることではない。○「何嘗有意」。小児の慮外の様なもの。誰も一分も立たないという様な阿呆はない。「失其常理」。天の不調法だが、天がそうするのではない。気がするのである。○先ずは「人事有以致之」である。太平記に日が三つ見えたことがある。気が悪くて虫眼鏡などの様に見えたのか、または見手が見損なったかである。○「不会変」。十五夜が闇であれば、天下中一人も安心がならない。

44
○手足と云へは道具、魂魄といへはいきてをる。○生てをる時こそあれ、不升降なれば天地否の卦になる。○所合當然。先師云、當然なる合き所と点してしからん。○不可以聚散言。理に聚散かあれば孝行と不孝行の時あるはづ。○未便散盡と云て半分残るにあらず。むかしじゃこうの入た洗ふたが、とことなふと云こと。こすま子は氣がつきてないと云説もあり、つかへるぞ。○不由造化生々。土人形を打くだいてはこしらへするやうに。○為之立後。天神も正一位を賜たによってやんだと云類。道理のあることなればしてやる。○狐火をともすも造化。先君云、悪亦不可不言性の意ぞ。
【通釈】
○手足と言えば道具、魂魄と言えば生きている。○生きている時こそあれ、「不升降」であれば天地否の卦になる。○「所合当然」。先師が、当然なる合き所と点をした方がよいと言った。○「不可以聚散言」。理に聚散があれば孝行と不孝行の時がある筈。○「未便散尽」と言っても半分残るのではない。昔麝香の入っていたものを洗うと何処となく匂うということ。偏まなければ気が尽きてないという説もあるが、それでは支える。○「不由造化生々」。土人形を打ち砕いては拵える様に。○「為之立後」。天神も正一位を賜ったので止んだという類。道理のあることならして遣る。○狐火を灯すのも造化。先君が、「悪亦不可不言性」の意だと言った。
【語釈】
・天地否の卦…坤下乾上。天地否。
・悪亦不可不言性…近思録道体21。「善固性也。然惡亦不可不謂之性也」。

45
○安卿問礼記云云。かう問ふ筈。もと天の氣を受てこふなるによって、歸ると名を付た。行たもの反るやうにてはなし。とこへ行て云ふ塲所はなし。それなりにきへる。横渠のは、花は根にと云筋にてわるい方ぞ。○寃恨。むしって云つぶされて、ええ口惜きと云て死子はちらすあり。さるによって夜々くる。幽灵あるぞ。悪源太を殺たによりて夜来てとりころしたの、又九条殿か天神をとうやらせられたによって、代々若死の云のるい。あの札をとってくれよの筋ぞ。然亦不皆如此。またそうないがある。一概に云れぬ。異端は死だあとで祟りをするを只の人でないと云ぞ。垩人安於死。此筋からみれは、天神もあれかほんなればよくないぞ。比干も殺れた。ああ口惜と思るる筈しゃにそうはない。義理に安んじ義にあたって死ぬによって何とも思はぬ。さかれてもきれても何とも思はぬ。耻しらずとはぢしめられても上氣せす笑やうなもの。あほうと垩人かひとつぞ。常人は孫によめをとらずに死などと思ふことがある。安んせぬ。氣かいないによってならぬことあるぞ。
【通釈】
○「安卿問礼記云云」。この様に問う筈。もと天の気を受けてこうなるのだから、「帰」と名を付けた。行ったものが反る様なことではない。何処へ行くという場所はない。それなりに消える。横渠のは、花は根にという筋で悪い方である。○「寃恨」。むしって言い潰されて、ああ口惜しいと言って死ねば散らずにある。そこで夜々来る。幽霊はある。悪源太を殺したから夜来て取り殺したとか、また九条殿が天神をどうやらさられたから、代々若死と言う類。あの札を取ってくれの筋である。「然亦不皆如此」。またそうでないことがある。一概には言えない。異端は死んだ後で祟りをするので普通の人ではないと言う。「聖人安於死」。この筋から見れば、天神もあれが本当であればよくない。比干も殺されたて、ああ口惜しいと思われる筈だがそうではない。義理に安んじ義に当たって死ぬのだから何とも思わない。裂かれても切れても何とも思わない。恥知らずと辱められても上気せずに笑う様なもの。阿呆と聖人とが一つになる。常人は孫に嫁を取らずに死ぬのかなどと思うことがある。安んじない。気が甲斐ないからできないことがある。

46
○聚則不能不散。冨士山ほどても急にこそみへ子、いつかつぶれ子ばならぬ。先年のまけたは少々のかはり。人の指一きられたやうなもの。○生死は、わけは違ふても一つじゃと云こと。今ま人か生れるとそれからたったもの生長するぞ。死ぬまでは生長ぞ。わきからいへば死んだなれとも、其人は生長ぞ。前にも云通り、明け六よりたったものあける々々々と云て、くれ六になれば、はあくれたと云の、くれ六よりくれる々々々と云うち、はあ明たと云のぞ。夫を異端はわるく心得て、生死を大坂江戸と云やうに見たもの。大坂を知て、さて江戸をもしら子はならぬと見るゆへ、生をも知り死をも知ると云ことぞ。正徳二年の初は正月じゃと知りてのことなり。○死んだなれとも来るは、生たときの神ぞ。○鬼も人の死んだのぞ。姑には娵がなる。○事其所當時者。父でもないに親のやうにする筈はない。親類てもないはあっちから何をしゃると云筈。祈りきとうもうけぬはづ。
【通釈】
○「聚則不能不散」。富士山ほどでも急にこそ見えないが、いつかは潰れなければならない。先年のまけたは少々のかはり。人が指一本を斬られた様なもの。○生死は、わけは違っても一つだということ。今人が生まれるとそれから只管に生長する。死ぬまでは生長である。脇から言えば死んだことになるが、その人は生長である。前にも言った通り、明六つより只管に明けると言っても、暮六つになれば、はあ暮れたと言う。暮六つより暮れると言う内に、はあ明けたということになる。それを異端は悪く心得て、生死を大坂や江戸という様に見たもの。大坂を知って、さて江戸をも知らなければならないと見るので、生をも知り死をも知るということになる。正徳二年の初は正月だとは知ったこと。○死んでも来るのは、生きた時の神である。○鬼も人の死んだもの。姑には娵がなる。○「事其所当時者」。父でもないのに親の様にする筈はない。親類でもないのは、あちらから何を仰ると言う筈。祈り祈祷も受けない筈。
【語釈】
・たったもの…いちずなこと。ひたすら。

47
○又不全與他説。死はかうしたものと説きはなされす。若道不説。とかれぬかと思へは、生を知れは死を知ると云へは半分は説た。かいしきとかぬとは云れす。恁地。あれほどに説てある。
【通釈】
○「又不全与他説」。死はこうしたものだと説き話すことはできない。「若道不説」。説かないかと思えば、生を知れば死を知ると言うのは半分は説いたもの。全く説かないとは言えない。「恁地」。あの様に説いてある。
【語釈】
・かいしき…皆式。皆色。全く。すべて。少しも。

48
○一而二而一。理は一、氣は二。わるふ意得れは氣と理か二つになるゆへ、朱子かう云へり。兼と云へは二になるやうなぞ。
【通釈】
○「一而二、二而一」。理は一、気は二。悪く意を得れば気と理とが二つになるので、朱子がこの様に言った。「兼」と言えば二になる様である。

50
○精氣為物遊魂為変て鬼神。尹氏は遊魂為変を鬼神と云れた。わるいぞ。二つそろふて鬼神ぞ。○死んたは死んたなれとも、死んた上に生てをる道理あり。生てをる間た死ぬ道理あり。錯綜。いきた上にも鬼神あり、死た上にも鬼神あり。祭義を證拠に出した。
【通釈】
○「精気為物、遊魂為変」で鬼神だが、尹氏は遊魂為変を鬼神と言われた。それは悪い。二つ揃って鬼神である。○死んだのは死んだのだが、死んだ上に生きている道理がある。生きている間に死ぬ道理がある。「錯綜」。生きた上にも鬼神があり、死んだ上にも鬼神がある。祭義をその証拠に出した。

51
○髣髴。あるかあらぬかと云ほとのこと。升騰は氣のくはっ々々々とのぼる。感傷はしん々々としみわたり、ぞっ々々とする。
【通釈】
○「髣彿」は、あるかないかと言うほどのこと。「升騰」は、気がかっかっと昇ること。「感傷」は、深々と染み渡り、ぞっとすること。

52
○想像。直にはない。どこやらか。施哀。坐を作てなくことがある。魄を埋めははや涙か出る。哀みとは云は子とも、外の処をとをるとちがふ。
【通釈】
○「想像」。直にはない。何処からか来る。「施哀」。座を作って泣くことがある。魄を埋めると早くも涙が出る。哀しみとは言わなくても、外の処を通ると違うもの。

53
○自然如此。たれがするとなく。鳶飛魚躍。きらりっと道しゃ。
【通釈】
○「自然如此」。誰がするということなし。「鳶飛魚躍」。きらりとした道である。

54
○代謝。春か夏になれは両方からあいさつ時冝をする意。番人の交代の合点。然又去那裏見得。有方でない。手にとらふやふはない。
【通釈】
○「代謝」。春が夏になれば両方から挨拶辞儀をする意。番人の交代の合点。「然又去那裏見得」。ある方ではない。手に取ることはできない。

55
○土にうづんだ体はこぬによって、魂魄ともにくると云は人の合点せぬことぞ。主とする処は魂なれとも、魄を祭らぬは垩人の意に非す。魂魄ともにつれだちてくる。料理のあんはいに念をいるるも魂魄かこ子はならす。如事生とも云ふ。幽灵と云もとかく魄をかりてくるぞ。土の中のをかりてくるにあらす。十月に魄を祭ることあるぞ。神主は魄そ。来則倶来。○消散而無餘。のこればゆうれい。○僧道。こうち法印がくづれぬの、弘法のと云るい。いづれは魚肉などをくふものは早くくされもせふ。あつやさむさにだらけ、きっと身を持つことかなくはくづるるはつ。○弁色。もののわけみへてなり。正しい顔色と云は非なり。○忠誠感動天地之氣否。それでは天地の氣が手傳ふ。そふてない。自散。天地の氣にはあづからぬ。百物之精。萬物と同し。犬の死にもちっと氣味合あるぞ。
【通釈】
○土に埋めた体は来ないから、魂魄共に来ると言うのは人が合点しない。主とする処は魂だが、魄を祭らないのは聖人の意ではない。魂魄共に連れ立って来る。料理の塩梅に念を入れるのも魂魄が来なければならないから。「如事生」とも言う。幽霊もとかく魄を借りて来る。土の中のを借りて来るのではない。十月に魄を祭ることがある。神主は魄である。「来則倶来」。○「消散而無余」。残れば幽霊。○「僧道」。弘智法印が崩れないとか、弘法のという類。いずれは魚肉などを食う者は早く腐れもするだろう。暑さや寒さにだらけ、きっと身を持つことができなければ崩れる筈。○「弁色」。もののわけが見えたこと。正しい顔色ということではない。○「忠誠感動天地之気否」。それでは天地の気が手伝うことになる。そうではない。「自散」。天地の気には与らない。「百物之精」。万物と同じ。犬の死にも一寸気味合いがある。
【語釈】
・こうち法印…弘智法印。下総に生れ、弥彦山で修行しながら、座禅したまま入滅。西生寺に彼の即身仏が安置されている。

56
○忽然而来忽然而往。いつとなしに其ままなり。ここか霊ある処なり。
【通釈】
○「忽然而来、忽然而往」。いつとはなしにそのまま。ここが霊ある処である。

57
○間有然者亦不能皆然。又必そうでもない。昼鳴くこともあり、まつは夜づり。先君云、ここてむつかしいぞ。
【通釈】
○「間有然者、亦不能皆然」。また必ずしもそうでもない。昼鳴くこともあり、先ずは夜吊り。先君が、ここが難しいと言った。

58
○人生初間是先有氣。笛か出来てあとから音か出る。ここは有此理而有此氣と云の理氣の論にはあらず。○神發知矣。うごか子ばしられぬ。形出来子ば魂と云ことはない。魄は形の方。石黒氏云、小児のときのことを後に皆忘るは知覚精神か薄いゆへ。これて魄の初にあるがしれた。
【通釈】
○「人生初間是先有気」。笛ができて後から音が出る。ここは「有此理而有此気」という理気の論ではない。○「神発知矣」。動かなければ知れない。形ができなければ魂ということはない。魄は形の方。石黒氏が、小児の時のことを後に皆忘れるのは知覚精神が薄いからだと言った。これで魄が始めにあるのが知れた。
【語釈】
・有此理而有此氣…

59
○安卿問体與魂有分別。先君云、魂恐魄之誤。魂と云分別はをんてもないこと。○心は全体。其内てきっとしたものを魂魄と云。魂魄と名がつくと、はやりつとしたものぞ。心には寒暑のわけはない。隂陽と云と同しこと。心之精爽。
【通釈】
○「安卿問体与魂有分別」。先君が、魂は恐らく魄の誤りだと言った。魂という分別はとんでもないこと。○心は全体。その内ではっきりとしたものを魂魄と言う。魂魄と名が付くと、早くもしっかりとしたもの。心には寒暑の分けはない。陰陽というのと同じこと。「心之精爽」。

60
○火をたく。むかふは見へぬ。水はすきとをりて見へる。茶碗に銭を入て二三間とをくからみれは見へぬ。水を入れるとみへる。内影するによって、つりあげて底がすきとをりて上へみへる。もと氣のはたらきぞ。理はみへぬ。筈が理ぞ。何間では見へぬと云ことがもりつけ筭用つめにしてすんてをるけれとも、氣てみへる。理てをされぬこと。氣のはたらきは理てをされぬ。理とちがふことあり。○之盛也。先君云、ここで霊をふくむ処。けしずみとをこる火とのちかいなり。
【通釈】
○火を焚くと向こうは見えない。水は透き通っているので見える。茶碗に銭を入れて二三間遠くから見れば見えない。水を入れると見える。内影をするので、吊り上げて底が透き通って上に見える。それは元、気の働きであり、理は見えない。筈が理である。何間離れれば見えないということが盛り付け算用詰めにして済んでいるが、気で見える。それは理では推せないこと。気の働きは理では推せない。理と違うことがある。○「之盛也」。先君が、ここが霊を含む処。消し炭と熾る火との違いである。

61
○曰非也。隂陽と云へはひろい、鬼神と云へは切な処あり、皆一つぞ。あたり処で云ぞ。鬼神がたらぬと云ことに非す。通生死而言は、いきたとても死たとてもなり。説体不説魄。体はからだのこと。体が魄でない。休についてあるもの。此語是而未尽は精神。呼吸は体て云によって体にて云ひとも、なかる所以々々と云はそうさするものぞ。○發出来為耳目之精明。先君云、水晶のやうなと云は体なり。それか外へ出る処を云へは耳のきこへ目のみへるやうなものなり。月て云へはあの輪はかりて外のくらい処は魄なり。光の外へうつる処、魂なり。水晶にも魂と魄とあり。人も固より二色なり。○人生時魂魄相交。みへはせぬ。蔵受。箱のふたをしめるは魄。ふたをあるは魂。たたみこむは魄ぞ。運用ははたらく。記憶。すぎさりたことをそこにたたみこんでをる。馬鹿に覚のよいものがある。利根でものに覚のないがある。覚のよいははたらきでないゆへなり。和覚底是魄。をぼへてをる処。知覚発出来底又是魂。知覚かはたらき出処、扇も冬あると魄てをぞが魂発出。○精神で魂になることもあり、又魂魄の二つになることもある。精神魂魄のときは四つ。○聰明。そうたい目がよくみへ耳かよくきこへること。道理かよくききわけるは垩人のこと。盗人の方にもあるは魄のもちまへぞ。爰の聰明には目昏耳聵とあり。○載は、のってをること。営は、ひか々々なり。魄を魂からのる。営、かがみをといてをくやうなもの。魂魄。両方からやしなふ。熱而生涼冷而生暖。これは隂根陽陽根隂こと。水火の用を相済すは自然の固有なり。專氣。氣をつかはぬ。致柔。ぎごはなことはせぬ。取にくい棚のものはとらぬ。着にくいかたびらはきぬ。無理をしてよそへゆかぬ。碁を打て居る。やはらかなこと。道家。医者などもこの内。今の医者は人の為にとする。我壽するやうにした。今は人ていかそうとする。仁かと思へは己か渡世ぞ。○馳騖。堂などたてんとぞ。
【通釈】
○「曰非也」。陰陽と言えば広く、鬼神と言えば切な処があるが皆一つである。当たり処で言う。鬼神が足りないということではない。「通生死而言」は、生きていても死んだ後もということ。「説体不説魄」。体はからだのこと。体が魄なのではない。魄は体に付いてあるもの。「此語是而未尽」は精神。呼吸は体で言うが、体で言うとしても、そうでない所以と言うのはそうさせるものだからである。○「発出来為耳目之精明」。先君が、水晶の様なと言うのは体のことで、それが外へ出る処を言えば、耳が聞こえ目の見える様なものだと言った。月で言えばあの輪は仮で外の暗い処は魄である。光の外へ映る処が魂である。水晶にも魂と魄とがあり、人も固より二色である。○「人生時魂魄相交」。見えはしない。「蔵受」。箱の蓋を閉めるのは魄。蓋を開けるの魂。畳み込むの魄である。「運用」は働くこと。「記憶」。過ぎ去ったことをそこに畳み込んでいる。馬鹿に覚えのよい者がいる。利口でも覚えの悪い者がいる。覚えのよいのは働きでないからである。「知覚底是魄」。覚えている処。「知覚発出来底又是魂」。知覚が働き出る処で、扇も冬あると魄でをぞが魂で発出する。○精神で魂になることもあり、また魂魄の二つになることもある。精神魂魄の時は四つ。○「聡明」。総体、目がよく見えて耳がよく聞こえること。道理をよく聞き分けるのは聖人のこと。盗人の方にもあるのは魄の持ち前である。ここの聡明には「目昏耳聵」とある。○「載」は、乗っていること。「営」は、ぴかぴかである。魄に魂が乗る。「営」、鏡を研いて置く様なもの。「魂魄」。両方から養う。「熱而生涼、冷而生暖」。これは「陰根陽、陽根陰」のこと。水火の用を相済ますのは自然の固有である。「専気」。気を使わない。「致柔」。義強なことはしあに。取り難い棚のものは取らない。着難い帷子は着ない。無理をして他所には行かず、碁を打っている。柔らかなこと。「道家」。医者などもこの内。今の医者は人のためにとする。昔は自分が長生きをする様にした。今は人を生かそうとする。それは仁かと思えば自分の渡世のためである。○「馳騖」。堂などを建てようとする。

62
○形之神氣の神。とちらもたましい、形はない。人形に魂魄と云は云れぬ。精爽はきっすい、ひかる処。花さき芽出るやうななり。先君云、胴人形に脉はうたす。霊は脉のうつ処そ。○耳目の役は肴屋肴を洗て出すの、其上でさしみになりとも膾になりとも料理人次第は心なり。纔説知便是主於心。知ると云ことはとかれす。はや心のわざなり。舌て知て、知る者は心なり。舌上より過るものの是非善悪を知るは心て知る。知る方は心のもちまへ。垩人の香をきくは香ききほどにない。熟せ子ばならす。道理を知るには誰も及はぬ。○中風したいと云も魄の衰へに、それから魂もうっとりとなる。先君曰、知に年よらず。魄には年かよるなり。去年のことを思ひ出せはみへるやうにきこへるやうなか、心の知なりでもみへもきこへもせぬなれは、心知と体魄とはちかふ。さて又胴人形には体はあれとも魄はなし。○不是附。そう云へは一物何ぞにわけるやうにすると三世相のやうに魂魄のやとがあるになる。わかれぬかと云へば二つぞ。とうがらしの赤は体、からいは魂魄。からいととうがらし二とはいはれぬけれとも、久くをけはからみのぬけるあるぞ。赤さは赤くても、すれば二つてないとも云はれす。人参も補へは人参、氣のぬけたあり。本の人参とはいはれぬ。でも、人参でないとも云れぬ。附た云へは二て火のやうなもの。火にひかりかついたと云れぬ。かたれば二つにもなる。二と云へば両方から合ふぞ。固有は自然。
【通釈】
○「形之神、気之神」。どちらも魂で形はない。人形に魂魄があるとは言えない。「精英」は生粋、光る処。花が咲き芽の出る様なこと。先君が、胴人形は脈を打たない。霊は脈を打つ処だと言った。○耳目の役は魚屋が魚を洗って出すのと同じで、その上で刺身になるとも膾になるとも料理人次第なところが心である。「纔説知、便是主於心」。知るということは説くことができない。それは早くも心の業である。舌で知るが、知る者は心である。舌上より過ぎるものの是非善悪を知るのは心で知る。知る方は心の持ち前。聖人が香を聞くのは香聞きほどではない。熟さなければならない。しかし、道理を知ることでは誰も及ばない。○中風したいと言うのも魄の衰えで、それから魂もうっとりとなる。先君が、知は年が寄らない。魄には年が寄ると言った。去年のことを思い出せば見える様、聞こえる様だが、それは心の知の姿でも、見えも聞こえもしないことがある。そこで心知と体魄とは違うのである。さてまた胴人形には体はあるが魄はない。○「不是附」。そう言って一物を何かに分ける様やうにすると三世相の様に魂魄の宿があることになる。しかし、分かれないかと言えば二つである。唐辛子の赤は体、辛いのは魂魄。辛いのと唐辛子とは二とは言えないが、久しく置けば辛味が抜ける。赤いことは赤くても、それなら二つではないとも言えない。人参も補えば人参だが、気の抜けたのがある。本当の人参とは言えないが、人参でないとも言えない。附いたと言えば二つで火の様なもの。火に光が付いたとは言えないが、語れば二つにもなる。二と言うのは両方から合うこと。固よりあるのが自然である。
【語釈】
・香きき…香聞き。香をかぎわける競技。聞香
・三世相…過去・現在・未来を見通す意。易者。

63
○鬼神は虚分。人も死んたと云へばまづないの、ないかと云へは祭て感する。
【通釈】
○「鬼神虚分」。人も死んだと言えば先ずはないが、ないかと言えば祭で感ずる。

64
○吹きからの灰吹へをちるは魄、けむりは魂なり。無不之也。天地へ飛散る。とこと云ことはない。
【通釈】
○吸殻が灰吹に落ちるのは魄、煙は魂。「無不之也」。天地へ飛散るが、何処ということはない。

65
○説得大概。鄭玄なり。どうしてもこまかにはない。○地水火風。先君云、地水は隂なり、火風は陽なり。地水は魄の方、火風は魂の方。魂からきへるは祟りはせぬはづ。内からきへるゆへなり。急死か刄でする。魄の方よりつぶれるゆへ魂かのこること。散かぬることもあるはづ。釈氏か云のも、魂魄の味に叶ふゆへ引付たもの。○恬淡虚無は医者の太極、胸中に一物たくはゆるを滞りとした。○氣か細になるとは、氣をしづめるか細。
【通釈】
○「説得大概」。鄭玄の語。そうしても細かではない。○「地水火風」。先君が、地水は陰で、火風は陽だと言った。地水は魄の方、火風は魂の方。魂から消えれば祟りはしない筈。内から消えるから祟る。急死か刃傷で死ぬ。魄の方より潰れるので魂が残ることがある。散れないこともある筈。釈氏が言うのを引いたのも、魂魄の味に叶うからである。○恬淡虚無は医者の太極で、胸中に一物を蓄えることを滞りとした。○気が細になるとは、気を静めるのが細である。

66
○以漸。どっかりとはない。
【通釈】
○「以漸」。どっかりとしない。

67
○星をち石となる。形へつくはみな魄なり。虎魄威骨と云ことも皆魂の方にあらす。
【通釈】
○星が落ちて石となる。形へ付くのは皆魄である。「虎魄威骨」ということも皆魂の方のことではない。
【語釈】
・虎魄威骨…

69
○祭りと云からは魂の方斗のはづ。然るに魄をすてたか面白ことなり。まづ神主と墓は神主か重なり。俗人か位牌ては落涙せずに、墓所でこの下にごさるとをぼへてをる。それゆへ位牌を拜するは正月の礼のやうにして、一重へだててをもふてをる。魄は、いはばどろになれは神はかりのはづなり。されともその死骸はどうしても、たばこぼんや茶碗のかけとは一にはいはれぬこと。そこて孔子の鬼と神とを合するとはの玉ふぞ。
【通釈】
○祭と言うからは魂の方ばかりの筈だが、そこで魄を捨てないで語るのが面白い。先ずは神主と墓は神主の方が重い。俗人が位牌では落涙せずに、墓所でこの下におられるとを覚えている。それで位牌を拝するのは正月の礼の様にして、一重隔てて思っている。魄は、言わば泥になれば神ばかりの筈。しかしながら、その死骸はどうしても、煙草盆や茶碗の欠片とは一つに言えないこと。そこで孔子が鬼と神とを合すると仰った。

70
○明道有無。とうもかた付られぬと云はれた。断之曰有は、根からなけれはこのやうにむつかしくはいはれぬ筈。たとへはそこもと猫はあるかと問れたとき、なければ何のこともない。ないと云なり。或はよそへもゆくことあるゆへ片付はせ子とも、あれはこそむつかしく云。○人の身でも、さしてじっとをすとそこにあたたまりありて、はや氣かよると同しこと。何でも氣のあつまる処に霊をなす。されど明道先生のやうな人、あほうなことじゃとやぶると人の氣がほんにとぢるゆへ霊もなくる。行状石佛放光事。手負ひ、左の手から血の出るときとまら子は、右の腕に血をぬりてここのきずが重いと云と、はや氣がうつるゆへ血とまる。氣會聚。これをあまり云と神道者になる。信長天台山を焼はらふたやふにすると妙はない。景氣すざまじき処には天狗もあり、大名小路にはなく、みょうぎ山にはある。○天子の天を祭るも骨肉のつづきはなけれとも、理があるゆへ通すること。五倫の中に君臣夫婦朋友は骨肉同然なり。それと同こと。凡そ氣を知ら子は云れぬこと。氣斗り云へは参同契になり、理斗りとけは伊川のやうになる。理てつかへると氣て云、氣てつかへると理で云そ。さう云へはとうやら自由な云分にきこゆる。異端なども儒学はえかたな云分と云。いかにもえかたな云分ぞ。それはひろさのこと。異たんは帷子きるばかりで一偏なゆへ、冬こまるぞ。丁ど猫と鼠と二つかはれぬやうに異端は云ふことなれとも、それは六疂鋪の座鋪ゆへなり。こちのは千疂鋪ゆへ、しきりをすれは猫も鼠もかはること。並行而不相悖とはそうしたことなり。
【通釈】
○「明道有無」。どうも片付けられないと言われた。「断之曰有」は、根からなければこの様に難しくは言われない筈。たとえば貴方には猫はいるかと問われた時、なければ何のこともない。ないと言う。或いは猫も他所へ行くことがあるので片付けはしないが、あればこそ難しく言う。○人の身でも、さしてじっと押すとそこに暖まりができる。早くもそれは気が寄るのと同じ。何でも気の聚まる処で霊を成す。しかしながら、明道先生の様な人は阿呆なことを言うと非難すると、人の気が本当に閉じるので霊もなくなる。行状石仏放光事。負傷して、左の手から血の出て止まらなければ、右の腕に血を塗ってここの傷の方が重いと言うと、早くも気が移るので血が止まる。「気会聚」。これをあまり言うと神道者になる。信長が天台山を焼き払った様にすると妙はない。景気の凄まじい処には天狗もいる。大名小路にはなく、妙義山にはいる。○天子の天を祭るのも、骨肉の続きはないが、理があるので通ずる。五倫の中にある君臣夫婦朋友は骨肉同然である。それと同じこと。凡そ気を知らなければ言えないこと。気ばかりを言えば参同契になり、理ばかりで説けば伊川の様になる。理で支えると気で言い、気で支えると理で言う。そう言うとどうやら自由な言い分に聞こえる。異端なども儒学は勝手な言い分と言う。いかにも勝手な言い分である。それは広さのこと。異端は帷子を着るばかりで一偏なので、冬に困る。丁度猫と鼠と二つが替れない様に異端は言うが、それは六畳敷の座敷だからである。こちらのは千畳敷なので、仕切りをすれば猫も鼠も替る。「並行而不相悖」とはそうしたこと。
【語釈】
・参同契…曹洞宗の経典。青原行思禅師の法嗣、石頭希遷禅師によって撰せられた。
・並行而不相悖…中庸章句30。「萬物並育而不相害、道並行而不相悖」。

71
○一源中。太極。無間隔。これならは養子も感するかと云へは、それはめったと云もの。丁と御老中をとらまへて、そごもとも太極の一源中ゆへ私か兄弟と云やうなもの。合てんせられまい。
【通釈】
○「一源中」。太極。「無間隔」。これなら養子も感ずるかと言えば、それは滅多と言うもの。丁度御老中を捉まえて、貴方も太極の一源中なので私の兄弟だと言う様なもの。合点はされないだろう。

72
○故能如此。をぢゃれと云と其まま。與自家不相關。根が一ならは虎を祭らば感じそうなものなれど、只かんぜす。母上と云も祭るべきと云ふの理を云。○兄のある内弟は祭らぬこと。もし又愚な兄で一圓祭のことを合点せずは、兄の死んたやうなものなり。兄の名代としてまつること。をれがためにもととさまちゃとはいはぬ。もし諸矦奪宗やうなは、天子の命なればそこは祭はず。○因國。丁ど格式の卑ものか歴々の基の相手に出て、これは御下手ののと云てうつやふなもの。格式の重いものかみて、あれらさへ上の御前て我まま云。まして、我ほなどはと云は埒もないこと。何ほど軽くても基と云が縁となる。丁ど又盃が合歓て、かるいものの盃で歴々のまいるやうなもの。
【通釈】
○「故能如此」。いなさいと言うとそのままいる。「与自家不相関」。根が一つであれば虎を祭っても感じそうなものだが、何も感じない。「母上」というのも祭るべき理を言ったもの。○兄のある内は、弟は祭らない。もしもまた愚かな兄で全く祭のことを合点しなければ、兄は死んだ様なもの。兄の名代として祭る。俺にとっても父様だとは言わない。もしも諸侯奪宗の様なことがあれば、それは天子の命だから祭る筈。○「因国」。丁度格式の卑い者が歴々の碁の相手に出て、これは御下手だと言って打つ様なもの。格式の重い者が見て、あれ等でさえ上の御前で我侭を言う。ましてや私ほどの者ならと言うのは埒もないこと。何ほど軽くても碁というものが縁となる。丁度また盃が歓を合わし、軽い者の盃に歴々が参る様なもの。
【語釈】
・一圓…さらに。一向。全然。
・諸矦奪宗…

73
○有箇物事。きっとそこに神かやとる。社のあるやうなもの。○厥初生民。五萬歳ても我身へ相傳る。よの身はどこから々々々々とせんぎすれば、木のまたからは生れたからは。生れたからは、厥初から先祖まで一氣ぞ。
【通釈】
○「有箇物事」。確かにそこに神が宿る。それは社のある様なもの。○「厥初生民」。五万歳でも我が身へ相伝わる。私の身は何処から来たのかと詮議をすれば、木の股から生まれた。厥初から先祖までが一気である。

74
○不仁。石瓦のやうに思ふなり。不知。この墓の下にいきてごさと思ふ。遞遷。一つ動とそう々々うごく。宿かへなり。遷。やとかへ。そのあとへ々々々。毀。根からたやすなり。此氣接續。此氣か五百歳でもつついてをる。すれは養子はせまいもの。今をれか先祖が三度も五度も養子になりたもしれぬ。此氣依舊。三百年すぎても我身から段々たづ子てみる。其事杳茫。この方ごときは、三百年以前では去年のやうにないはづとする。垩賢七日戒三日齊。去年のやうになる。○めったに鬼神をまつるは諂と云もの。我娘を傾城にうるやうなもの。我女がかわゆさのことにあらず。我身がかはゆさのことぞ。時の執權人を見て、顔かくはせたきほどにくけれど、我身の為なれは輕薄する。つんと利害のみてするからは、非其鬼云云のことなり。氣脉の由緒もないに祭るべきやうなし。周公旦の祭は兄の為と云の義理かあり、今のはめったに諂ふぞ。
【通釈】
○「不仁」。石瓦の様に思う。「不知」。この墓の下で生きておられると思うふ。「遞遷」。一つ動くとぞろぞろと動く。宿替えである。「遷」。宿替え。その後へということ。「毀」。根から絶やすこと。「此気接続」。この気が五百歳でも続いている。それなら養子はしないもの。今俺の先祖は三度も五度も養子になったのかも知れない。「此気依旧」。三百年過ぎても我が身から段々と尋ねてみる。「其事杳茫」。私ごときは、三百年以前では去年の様ではない筈とする。聖賢は「七日戒、三日斉」で去年の様になる。○滅多矢鱈に鬼神を祭るのは諂いというもの。我が娘を傾城に売る様なもの。それは我が娘が可愛くてのことではない。我が身が可愛いからする。時の執権人を見て、顔かくはせたきほど憎いが、我が身のために軽薄をる。実に利害のみでするので、「非其鬼云云」となる。気脈の由緒もないのに祭るべきではない。周公旦の祭は兄のためという義理があるが、今のは滅多矢鱈に諂うもの。
【語釈】
・七日戒三日齊…礼記坊記。「子云、七日戒、三日齊。承一人焉以爲尸。過之者趨走、以敎敬也」。
・非其鬼…論語為政24。「子曰、非其鬼而祭之、諂也。見義不爲、無勇也」。

75
○死而不亡。この方の八幡春日のやうに云たもの。五摂家が祭てはよし。常のものは祭らぬ筈。見理明者とはなになしに自然になり、甚當はいやと云はれぬ処をよく云つのた。
【通釈】
○「死而不亡」。日本の八幡や春日の様に言ったもの。五摂家が祭るのならよい。常の者は祭らない筈。「見理明者」とは、何とはなしに自然になること。「甚当」は、違うと言えない処をよく言ったということ。

76
○倶来は魂も魄もなり。るい々々としてはない。あっちゃの内に祭るとあっとこたへる妙ぞ。一氣の流傳。他人の誠敬は涙か損。○子孫の祭らぬときは音もなく臭もなし。祭るとあっとこたへる。我等はまぎれもない子孫と云ても、誠の意つくさすに通ずると云ことはなし。生霊の時は父母不機嫌までのこと。祭ではすきと通ぜす。
【通釈】
○「倶来」は魂も魄もということ。累々としてはない。あちらの内に祭るとあっと応える妙がある。「一気之流伝」。他人の誠敬は涙の損。○子孫が祭らない時は音もなく臭いもない。祭るとあっと応える。我等は紛れもない子孫だと言っても、誠の意を尽くさずに通ずるということはない。生霊の時は父母が不機嫌なだけのことだが、祭では全く通じない。

77
○とうしてもらんとうはらは常の処とはちがふ。そうたいゆうれい一旦はあれとも、長くはつづかぬはづ。先君曰、幽灵百年もつづくことはない。後はなくなる。丁ど化物やしきが町家になるとなふなるやうなもの。たしかなことてはない。幽隂。指さすけれど、らんとうはらはこふぞ。それゆへ專ら指せはわるい。こっちこそかはっても、あっちはふだんぞ。ちょっとした隂陽はきへる。子孫の祭るになっては、無尽。尤不得專以云云。こう云へは石のわれたやうなもので、あとに何ものこらず、祭るべきやうもないぞ。
【通釈】
○とうしても墓場は常の処とは違う。総体幽霊は、一旦はあっても長くは続かない筈。先君が、幽霊は百年も続くことはない、後はなくなると言った。丁度化物屋敷が町家になると化物がいなくなる様なもの。確かなことではない。「幽陰」。指差すとしても、墓場はこの様なものだから、専ら指すのは悪い。こちらこそ変わっても、あちらは変わらない。一寸とした陰陽は消える。子孫が祭ることになっては「無尽」である。「尤不得専以云云」。こう言えば石の割れた様で、跡に何も残らず、祭るべき術もない。
【語釈】
・らんとうはら…卵塔場。墓場。墓地。

78
○相奪予享。いなことぞ。夢はめったなもの。孔子などにはない。是如何或是は、いかなることをしらずそ。あとから義理でをすことぞ。這念。うかむもあり、不覚に見ることもあり、ちょっとしたことで見ることもあり、今時うばかかの云、夢に夕べ伯母さまそ。あり々々とみて、何とやらものあはれそうにしと々々ときてなどと云。なんのやくにも立ぬことなり。ちょっとしたことみることある。歌をしたり詩などを覚へ、御夢想の又うつつなとに、夢の中にこふしたあると云。
【通釈】
○「相奪予享」。妙なこと。夢は滅多矢鱈なもので、孔子などにはない。「是如何或是」は、どの様ことかを知らないということ。後から義理で推すのである。「這念」。浮かぶこともあり、不覚に見ることもあり、一寸としたことで見ることもあって、今時姥嬶の言う、夢で昨夜伯母様がである。ありありと見て、何やらもの哀れそうにしとしとと来てなどと言う。それは何の役にも立たないこと。一寸したことを見ることがある。歌をしたり詩などを覚え、御夢想のまた現などに、夢の中にこうしたことがあると言う。

79
○古人自始死。いきてをる時からどうかくときれたことはない。接續。今日のはとんとはなれる。釁亀。あたらしくすること。ふるい壁に水をかけてその上をするやうなこと。ひさしいはとりあはす。
【通釈】
○「古人自始死」。生きている時からどうかく途切れたことはない。「接続」。今日のは実に離れる。「釁亀」。新しくすること。古い壁に水を掛けてその上をする様なこと。久しくは取り合わない。

81
○這箇何曽動。いきかへるなととうごきはない。畢竟是帰。易にかへると云はたとへぞ。
【通釈】
○「這箇何曾動」。生き返るなどという動きはない。「畢竟是無帰」。易に帰ると言うのはたとえである。

82
○問人之死也不知魂魄便散否。あまり知れたこと。田舎よりきく弟子であらふ。此事難説。すでにとかれたになぜときにくいとあれは、かたちのあるやうに云はれぬ。手形はやられた。
【通釈】
○「問、人之死也、不知魂魄便散否」。あまりに知れたこと。田舎からの弟子なのだろう。「此事難説」。既に説かれたのに何故説き難いのかと言えば、形のある様には言えないからである。しかし、手形は遣った。

83
○喪祭をせいを出してするものあり、それならは鬼神集説などを吟味する筈。そのわけはかいしきぞ。○其子幼稚或他郷。この間がきれるとみた。親切な問ぞ。自家精神自在這裏。あっちはどうと云ことはない。こっちさへあたらしければ其ままこざる。用あってわきへいったに無沙汰な不通せうと云ことはない。日雇をやとふやうなもの。久しくやとはぬゆへこぬと云ことはない。あとの月祭らぬゆへ今月まつるまいと云ことはない。
【通釈】
○喪祭を精を出してする者がいる。それならは鬼神集説などを吟味する筈。そのわけはかいしきこと。○「其子幼稚、或他郷」。この間が切れると見た。親切な問いである。「自家精神自在這裏」。あちらはどうということはない。こちらさえ新しければそのままにいる。用があって脇へ行ったから、無沙汰で不通にしようということはない。日雇を雇う様なもの。久しく雇わないから来ないということはない。後の月に祭らないから今月は祭らないということはない。
【語釈】
・かいしき…皆式。皆色。全く。すべて。少しも。

84
○如此卻為不誠。わるい論ぞ。筭用で云へはかうぞ。慰するはこれで我心がとける。野沢氏云、あは丁と父の名代にその子を振舞やふなもの。それで氣の延ることあるぞ。恍惚。どこつかまへ処もない。古人用尸。ちょっとみれはをかしいものなれともにをもの。こがにほうと云より、あれがにほふと云ものがあれはちがふぞ。如此なれとも、後世尸はするなとあり、此方誠なれは神と心が通するなれとも、みこと云ものがくるい出れはどこやら神のぢき々々のやうなぞ。盃のとりもちをする意味ぞ。後世でするなどいはれたが尤ぞ。古の質朴でこそよけれ、今の筭用たけくこがしこい、入用なことばかりをするやな心ではそかしくなる。七月のをどりを十月をどるやふなもの。女房などもこれは何事をなさるると合点すまい。此方からこそをかしけれ、するものは何もない。れき々々の能するやうなもの。西尾殿がかくれもない大名と云て出られたれば、御断に及すと云れたよし。○附着。神のみこへのりうつるそ。生人。狐つきに膳をすゆる。狐かくふやうな。師巫。子ぎは子孫てはなけれとも。
【通釈】
○「如此卻為不誠」。悪い論である。算用で言えばこうなる。慰めをするのはこれで、自分の心が解ける。野沢氏が、あれは丁度父の名代にその子を振舞う様なものだと言った。それで気が延びることがある。「恍惚」。何処という掴まえ処もない。「古人用尸」。一寸見れば可笑しいものだが臭うもの。子が臭うと言うより、あれが臭うというものがあれば違う。この様なことだが、後世は尸をするなとある。自分が誠であれば神と心が通ずるわけだが、巫女という者が狂い出れば、何処やら神が直に来た様である。盃の取り持ちをする意味である。後世でするなと言われたのが尤もなこと。古の質朴でこそよいものだが、今の算用高く小賢い、入用なことばかりをする嫌な心では可笑しくなる。七月の踊りを十月に踊る様なもの。女房などもこれは何事をなされると言って合点はしないだろう。こちらから見ればこそ可笑しいが、する者は何ともない。歴々のよくする様なもの。西尾殿が隠れもない大名と言って出られると、御断りするには及ばないと言われたそうである。○「附著」。神が巫女へ乗り移る。「生人」。狐憑きに膳を譲る。狐が食う様である。「師巫」。禰宜は子孫ではなくてもする。
【語釈】
・西尾殿…西尾藩の土井利意あたりか?

85
○亦無鬼神。めったな問ぞ。當祭亦有氣類。もと氣類ではなけれとも、當の字で氣類と云。上戸が上戸を思ひ、碁すきが碁の相手を思ふ。学者の孔子を思ふ。皆その氣類なり。
【通釈】
○「亦無鬼神」。滅多な問いである。「当祭亦有気類」。本来は気類ではないが、当の字で気類と言う。上戸が上戸を思い、碁好きが碁の相手を思う。学者が孔子を思う。皆その気類である。

86
○須自理會得。人にききてはすまぬ。一分で見出さ子はならす。祖考卻去人。先君云、今こそ天地と一となりてをれ、だたい人なれは。未人。我から五十年か八十年なま々々しい。又笑曰。古のやうに云て、その上に又笑はれてなり。爰に味あり。とかく口上ては云はれぬと云の意。信案、作怪了、盖指上文求之似易句。
【通釈】
○「須自理会得」。人に聞いては済まない。自分で見出さなければならない。「祖考卻去人」。先君が、今こそ天地と一つとなっているのは、そもそも人だからであると言った。「未久」。自分から五十年か八十年前までは生々しい。「又笑曰」。古の様に言って、その上にまた笑われて言った。ここに味がある。とかく口上では言えないという意である。信が按じるに、「作怪了」は、盖し上文の「求之似易」の句を指さん。

87
○抑眞有氣。身のししまる、ぞっとすること。雲車。廿五のぼさつ雲にのると云やうなはめったそ。けれともくるはくるぞ。其間か天理ぞ。
【通釈】
○「抑真有気」。身が締まってぞっとすること。「雲車」。二十五の菩薩が雲に乗ると言う様なことは滅多なこと。けれども来るには来る。その間が天理である。

88
○問性即是理。先君云、問は理と氣と引はなして別にとくゆへ、理は常にあれとも氣はないはづと云ことなり。答は理氣一まいを云。理かあれは氣もある処。くはしきことなり。異端は合点せす、目にものがみへ子ば同心せぬ。くはしゃがつかむのなんのと云ぞ。儒者は勿論手ににぎる理を主としてをるぞ。理と氣とはなれぬ。孟子の言実に眞なりと合点せ子ばならぬ。書きぬいてもをきたい条ぞ。信按、孟子指性善。養氣餘意。
【通釈】
○「問、性即是理」。先君が、この問いは理と気とを引き離して別に説くもので、理は常にあるが気はない筈だということだと言った。答えは理気が一枚であることを言う。理があれば気もある処で、これは詳しいこと。異端はこれを合点せず、目にものが見えなければ同心はしない。火車婆が掴むの何のと言う。儒者は勿論手に握った理を主としている。理と気とは離れない。孟子の言は実に真なりと合点しなければならない。書き抜いても置きたい条である。信が按ずるに、孟子は性善を指す。養気は余の意なり。
【語釈】
・くはしゃ…火車婆?悪心の老婆。鬼婆。

89
○先つ理かあれば氣はその理についてあり。孔子があればその霊は天地の間にあり。此是説天地氣化之氣否とは、天地氣化はなるほどたへまいか、今日の人の氣はたへもせうかと云問なり。曰此氣只一般。祖考の氣なれば天地の氣と一般なれば、一般ては生々する。たへぬ。はかてばわかてとも其実只一般なり。日生無究。形はなけれとも、一度天地の間に出たと云氣はいつまでもある。先国主死して子孫かない時、跡の国主か祭たとき感する。佛者無縁法界と立ると、こっちをぬすんで理屈をつけたぞ。儒者の子孫のないを祭は、其人をさして一人に膳をすへるそ。札子のしれたは后妃を別々に祭る。しれぬは合て祭る。異端椀一つにもって天下中を一つに祭る。一粒つつくふてもたらず、けいはくなことなり。千石や一万石てはならす。○道理合如此便有此氣。理かあると氣かある。めいやうぞ。孔子を冬木屋が祭りては通せぬ。○一氣でへったりかと云へは、天地人と別々になる。人自看得るを要す。とこの和尚かさう云たの何の書にあるのと云は辻番の拍子木。
【通釈】
○先ず理があれば気はその理に付いてある。孔子があればその霊は天地の間にある。「此是説天地気化之気否」とは、天地気化はなるほど絶えないだろうが、今日の人の気は絶えもするだろうかとの問いである。「曰此気只一般」。祖考の気であれば天地の気と一般だから、一般で生々する。絶えない。墓では分かつが「其実只一般」である。「日生無窮」。形はないが、一度天地の間に出たという気はいつまでもある。先ず国主が死んで子孫がない時は、後の国主が祭った時に感ずる。仏者が無縁法界と立てたのは、こちらのを盗んで理屈を付けたのである。儒者が子孫のない者を祭る時は、その人を指して一人に膳を据えるのである。札子の知れた者は后妃を別々に祭る。知れない者は合わせて祭る。異端は椀一つで天下中を一つに祭る。それでは一粒ずつ食っても足りず、軽薄なことである。千石や一万石ではできない。○「道理合如此、便有此気」。理があると気がある。不思議なことである。孔子を冬木屋が祭っては通じない。○一気でべったりかと言えば、天地人と別々になる。「要人自看得」。何処の和尚がその様に言ったとか、何の書にあると言うのは辻番の拍子木である。
【語釈】
・札子…
・冬木屋…深川の材木商。

90
○都是理都是氣。理氣をかうさばか子ばやくに立ぬ。皆理と云てもすむ。我は氣と云てもすむ。云たいままなよい条ぞ。理と氣とは一つかと云へは、理と氣とませるそ。理氣をかうさばか子ばやくに立ぬ。山川は今寒暑の氣と一つつき。先祖は何もなけれども、我に氣かつつきあり。垩賢は両方ともになし。そこを問たをかう答られた。我金と天下の金と二ものに非す。我金を人へやると公共なり。祖考も此公共之氣。○天子與天地相關。彗星か出ると御幸もならぬ。しかれは親類なり。日雇取はかまはす。○今行垩賢之道。いま学者なり。これでみれば俗学者は通せぬ筈。○神道ていなめまつりと云を加茂などてする。これを取たもの。秋陽退云云。
【通釈】
○「都是理、都是気」。理気をこの様に捌かなければ役に立たない。皆理と言っても済む。自分は気だと言っても済む。言いたいままなよい条である。理と気とは一つかと言えば、理と気とを混ぜるのである。理気をこの様に捌かなければ役に立たない。山川は今寒暑の気と一続き。先祖は何もないが、自分に気が続いてある。聖賢は両方ともにない。そこを問うたのをこの様に答えられた。自分の金と天下の金とは二つものではない。自分の金を人へ遣ると公共である。「祖考此公共之気」。○「天子与天地相関」。彗星が出ると御幸もできない。それなら親類である。日雇取りは構わない。○「今行聖賢之道」。今の学者である。これで見れば俗学者は通じない筈。○神道で新嘗祭ということを加茂などでする。これを取ったもの。「秋陽退云云」。

91
○上蔡所謂若要有云云。それならこっちの自由次第かと問ぞ。有と云心からは感するによって有そ。ないと云心ては感せぬによってないそ。○總腦。かぶたって、これが先祖と一かまへかまへてをるを云。總脳ないと云は不断ぞ。あっちにたれが先祖と云ではない。一つそ。是を總脳ないと云。祭るとき、しゅずのやをにこぬと云か總脳あると云もの。
【通釈】
○「上蔡所謂若要有云云」。それならこちらの自由次第かと問うた。あるという心では感ずるからあり、ないという心では感じないからない。○「総脳」。株立って、これが先祖と一構えをしているのを言う。総脳がないというのは不断のこと。あちらに誰の先祖がいるということではない。一つである。これを総脳がないと言う。祭る時に、数珠の様には来ないというのが総脳あるというもの。

92
○答連崇卿。天地の性か我性じゃによって、死ぬとはやと此云ひ立て様は合点ゆかす。○或大名隱居して、親子は一つじゃとて我まました人あり。親子は一所と云も云手によりて是非あり。○以天地為主。云に不及。万古不易。非有我之得私。旦那の藏へかへすようなもの。以我為主。六道銭も入る、せうつ川のうはも我一人行とみたもの。知其陋。上人のちょっと知たは血の池はいかがとす。改名換姓。頼朝はたれが生れがはりじゃ。北条時政かしせふほうと云坊主と云やうに名をかへる。
【通釈】
○「答連崇卿」。天地の性か我が性なので、死ぬと直ぐにと、この言い立て様は合点が行かない。○或る大名が隠居して、親子は一つだとして我侭をした人がいた。親子は一所と言うのも言い手によって是非がある。○「以天地為主」。言うには及ばない。万古易らない。「非有我之得私」。旦那の蔵へ返す様なもの。「以我為主」。六道銭も入る、三途の川の姥も自分一人が行くと見たたもの。「知其陋」。上人で一寸知っている者は血の池はどうしたものかと言う。「改名換姓」。頼朝は誰の生まれ代わりだ。北条時政はか四摂法という坊主という様に名を変える。
【語釈】
・しせふほう…四摂法。布施摂、愛語摂、利行摂、同事摂。

93
○衆人之知覚皆是此物。尭の子にたはけはないはつ。○性てないと云か靣白。氣とみたもの。氣ばかりかと云ふは所指か氣そ。○類。氣になってはたれが筋と云かある。根於理。先君云、池をほれば鯉のわくも人の身に虱の生するも、氣化の所は理のなりに氣か出来てくるなり。○界限。義経や知盛か鳩部屋のやうに。○不可同日而語。あれらは死た後を大事かる。此方は死た後かまいない。あっちの見てこっちの説しゃく定木そ。○連崇卿廖子晦此二條、排釈録一とつたぞ。まづはとらぬがよけれとも、鬼神をも排釋をも此やうに云たはないぞ。
【通釈】
○「衆人之知覚皆是此物」。堯の子に戯けはない筈。○性でないと言うのが面白い。気と見たもの。気ばかりと言うのは指す所が気なのである。○「類」。気になっては誰の筋ということがある。「根於理」。先君が、池を掘れば鯉の湧くのも、人の身に虱が生ずるのも、気化の所は理の通りに気ができて来るのである。○「界限」。義経や知盛が鳩部屋の様にいる。○「不可同日而語」。あれ等は死んだ後を大事がる。こちらは死んだ後は構わない。あちらの見でこちらを説くのは杓子定規である。○連崇卿と廖子晦の二条は排釈録にもある。先ずは入れない方がよかったが、鬼神をも排釈をもこの様に言った者はいない。

94
○正淳。先君云、正淳の論は正くはあれとも、氣のことをそへて云ず、只理はかりで云ふなり。爰か畧なる処ぞ。○寓耶。理のやどり処どこそ。具於我。鼻も目も祖考のぞ。先祖の方には理がたへずにあり、我方には氣がつづいてをる。在我者既集即是祖考之来格也。鳥をとるにを鳥のあるやうなもの。○心中がこふ誠になれば、そこを来格とみたもの。我によりてあつめ子ばならぬ。手をしめるとあたたまる。○尸を立るから御影をたてるが大事ないと云説一筋あり。此条別に記す。信謂、今不傳、可惜。○氣與質は、先祖の氣と尸の質となり。土になりてをる。ない形を尸を代にたてる。教之至也。なにもかもそろふた処。○發揚于上。人の死する時のこと。その散りた氣を祭る。人あつめることぢゃに、その氣でないと云へはどこの氣やらすまぬ。これは前書の疑ふ処はもとより是にあらず。○固非是矣。どこからくるやらしれぬになる。○滉瀁。氣をいはずに感することをいへはばつとしたことぞ。恐辞或未尽。心には合点してをるであらふ。○集説終。先君云、鬼神の論は氣ゆへ人かまぎるれとも、丁と情の咄か好色に流るるやふなもの。あぶない処に味あり。
【通釈】
○「正淳」。先君が、正淳の論は正くはあるが、気のことを添えて言わずにただ理ばかりで言う。そこが略な処だと言った。○「寓耶」。理の宿り処は何処か。「具於我」。鼻も目も祖考のもの。先祖の方には理が絶えずにあり、自分の方には気が続いている。「在我者既集、即是祖考之来格也」。鳥を捕るのに囮のある様なもの。○心中がこの様に誠になって、そこを来格と見た。自分から集めなければならない。手を握ると暖まる。○尸を立てるから御影を立てるのは大事でないという説が一筋ある。この条は別に記す。信が謂う、今は伝わらず、惜しむ可し。○「気与質」は、先祖の気と尸の質である。土になっている。ない形を、尸を代わりに立てる。「教之至也」。何もかも揃った処。○「発揚于上」。人の死ぬ時のこと。その散った気を祭る。人を集めることなのに、その気でないと言えば、何処の気なのか済まない。前書の疑う処は固よりこれではない。○「固非是矣」。何処から来るやら知れないことになる。○「滉瀁」。気を言わずに感ずることを言うのは悪い。「恐辞或未尽」。心では合点しているのだろう。○「集説終」。先君が、鬼神の論は気のことなので人が紛れるが、それは丁度情の話が好色に流れる様なもの。危ない処に味がある。

三箚之篇既成。所謂題目者備焉。乃可以入思議者亦思過半也。但題目在彼思議在己。雖有題目、而無思議者何得乎。常山有寶。有意於寶者得之。此言亦然。深於思議者其得之。意題目既備矣。吾輩其可不思欤。頃先生謂惟秀曰、春日所説劉元城事実誤而品藻亦差。至比之一名家、則却是道出張乖崖也。又曰、遺言中称鳥山氏者、是紀長、佐藤子弟子、江都官士也。其山夲氏者、名立善、先君子門人也。石黒氏有二人。一、先君子同藩唐津之人。一、平治太。亦江都官士。受業於先師。此人侍家塾。在先君晩年、今審鍳先君墨痕、正中年之筆鋩、乃唐津石黒尚志者也。野沢氏、名弘篤、諸先生之交友、而初受学於菅野兼山也矣。先生此言皆雖不關大義、而今詳舉之使覧者知其毎事以實、又纖悉不遺耳。
門人 篠原惟秀謹書
【読み】
三箚の篇既に成る。謂う所の題目は備われり。乃ち以て思議に入る者も亦思い半ばに過ぐ。但題目彼に在り思議己に在り。題目有りと雖も、而して思議無き者は何ぞ得んや。常山に寶有り。寶に意有る者は之を得ん。此の言も亦然り。思議に深き者は其れ之を得ん。意うに題目既に備わりぬ。吾輩其れ思わざる可けんや。頃先生惟秀に謂いて曰く、春日劉元城を説く所の事は実に誤ち、而して品藻も亦差う。之を一名家に比すに至っては、則ち却って是れ張乖崖を道い出すなり。又曰く、遺言の中鳥山氏と称す者は、是れ紀長、佐藤子の弟子、江都の官士なり。其れ山夲氏なる者は、名は立善、先君子の門人なり。石黒氏二人有り。一は先君子同藩唐津の人。一は平治太。亦江都の官士。業を先師に受く。此の人家塾に侍る。先君晩年に在り、今先君墨痕を審鍳するに、正に中年の筆鋩、乃ち唐津の石黒尚志なる者なり。野沢氏、名は弘篤、諸先生の交友にして初め学を菅野兼山に受くなり、と。先生の此の言は皆大義に關せずと雖も、而して今詳に之を舉げ覧者をして其の毎事を實を以て知らしめ、又纖悉に遺さざらしむるのみ。
門人 篠原惟秀謹書
【語釈】
・篠原惟秀…東金市堀上の人。北田慶年の弟。与五右衛門。医者。1745~1812