齊宣王問曰齊桓晋文之事章  四月朔旦  惟秀
【語釈】
・四月朔旦…天明8年(1788年)4月1日。
・惟秀…篠原惟秀。本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。

戦国の世には圣賢の道理などヽ云ことは夢にも知らぬこと。惠王が我邦を利せんと云は思ま々を云たもの。余義もなきことなり。宣王はよほと問はふと思ふての問なり。尤なことを垩人の仕方をやって治めた功業で大名頭じゃと云。之事と云。作田録曰、宣王は一つ問ふと思うて問たもの。斉桓晋文は甚よい。あのやふにもならるヽものじゃかと。直方先生の云巾着切の寄合ぞ。其中で斉桓晋文はよいと思ふての問なり。日本で信玄謙信大名の頭にすることと思ふやふなもの。
【解説】
「○齊宣王問曰、齊桓・晉文之事、可得聞乎。齊宣王、姓田氏、名辟彊。諸侯僭稱王也。齊桓公・晉文公、皆霸諸侯者。」の説明。宣王は斉桓・晋文をその功業から大名頭だと思った。あの様になれるかとの問いである。
【通釈】
戦国の世では聖賢の道理などということは夢にも知らないこと。恵王が自分の邦を利せんと言ったのは思ったままを言ったもので、余儀もないこと。宣王のはよほど問うてみようと思っての問いである。斉桓・晋文は尤もなことで、聖人の仕方でやって治めた功業があるから大名頭だと言った。「之事」と言う。作田録して曰く、宣王は一つ問おうと思って問うたもの。斉桓・晋文は甚だよい。あの様にもなることができるものかと問うた。直方先生が言う巾着切りの寄合の時である。その中で斉桓・晋文はよいと思っての問いである。日本で信玄や謙信を大名の頭に思うようなもの。
【語釈】
・直方先生…佐藤直方。五郎左衛門と称す。備後福山の人。江戸に住む。享保4年(1719) 8月15日没。年70。

○仲尼之徒と云は孟子の流義素性を云たものなり。こちの方と云弁。桓文のことを知ぬと云はづはないが、他人あしらいにしたものじゃ。論語などにちょっ々々々とあるは手柄なことと云までのこと。事業のこみ入たことは弟子も云はぬ。これで傳はらぬと云ことぞ。△董子曰。こヽで董子の人柄が知るヽ。これで覇者のまよいはない。羞と云が面白い。狩野家の弟子が堺町の看板や役者繪の咄がいこういやじゃ。どっちも繪じゃからとは云はぬ。其筈じゃ。孔子の道も天下を治る法。五覇も同ことなれども、いかふ塩梅の違たことじゃ。このわけは詐力が主で仁義は後にするぞ。それでも仁義でなくていかぬ時に仁義を出す。已■は猶後にする方じゃ。茶人が道具を仕舞てをくやふなもの。道具ずきが来ると出す。五覇のことを云は駿河町の越後屋へ行て古る着を買ふと云やふなものじゃ。無據ことなら新らしいを上げませふと云。
【解説】
「孟子對曰、仲尼之徒、無道桓・文之事者。是以後世無傳焉。臣未之聞也。無以、則王乎。道、言也。董子曰、仲尼之門、五尺童子羞稱五霸。爲其先詐力而後仁義也。亦此意也。以・已通用。無已、必欲言之而不止也。王、謂王天下之道。」の説明。孟子が桓・文のことを言わないのは知らなかったからではない。他人あしらいにしたのである。孔子の道も天下を治める法で、それは五覇も同じだが、塩梅が違う。五覇は詐力が主で仁義を後にする。
【通釈】
○「仲尼之徒」とは孟子の流儀・素性を言ったもの。こちらの方ではという弁である。桓・文のことを知らないと言う筈はないが、他人あしらいにしたもの。論語などにちょっちょっとと載せてあるのは手柄なことというまでのこと。事業の込み入ったことは弟子も言わない。それで伝わらないということ。△「董子曰」。ここで董子の人柄が知れる。これで覇者の迷いはない。「羞」というのが面白い。狩野家の弟子は堺町の看板や役者絵の話をするのが大層嫌である。どちらも絵だからとは言えない。その筈である。孔子の道も天下を治める法で、五覇も同じことなのだが、大層塩梅が違う。この訳は詐力が主で仁義を後にするからである。それでも仁義でなくてはうまくいかない時に仁義を出す。已■は猶後にする方である。茶人が道具を仕舞って置くようなもの。道具好きが来ると出す。五覇のことを言うのは駿河町の越後屋へ行って古着を買うというようなもの。拠無ければ新しいものを上げましょうと言われる。

○曰德如何則可以王云云。王と云は手が届くまいと存じたが、どのやうな德でならりゃふかと問たなり。民を保つと云ことは相手が有やふしゃが、そうでなし。こふすればうれしがると云ことではない。それでは伯者になる。明德を明にして保つこと。作田録曰、下の者を保んじ大切にしてよいやふに々々々々にするぞ。そうすれば王にならるヽ。誰も邪魔のしてはないぞ。有德になれば自然と保つと云ことがなるぞ。△愛護とは先祖代々の秘藏の重宝と云こと。圣賢の心から出ること。鍔ずきのつばを撫るやふぞ。○曰若寡人者云云。孟子は文章がよいから講釋も入らずすむぞ。曰可と云が孟子の坐なりで可也とは云まいと見てとって、何で可なることを知られたと問かへした。さてよう宣王は問たなり。堂と云はもとめて高い処に居たではなし。つ子の居る処。なるが若くなると云が見ぬいた。觳そくとこはヾヽゆくこと。人間が死地につくやうな底に見へたと云こと。禽獣ゆへ若くなると云ぞ。罪無してとあれば人で云ことじゃ。それを禽獣に云から若くなるじゃ。△鐘と云は樂器なり。宗廟祭祀の器なり。大切のこと。新しく鑄るときすききれをぬることなり。
【解説】
「曰、德何如、則可以王矣。曰、保民而王、莫之能禦也。保、愛護也。曰、若寡人者、可以保民乎哉。曰、可。曰、何由知吾可也。曰、臣聞之胡齕。曰、王坐於堂上。有牽牛而過堂下者。王見之曰、牛何之。對曰、將以釁鐘。王曰、舍之。吾不忍其觳觫、若無罪而就死地。對曰、然則廢釁鐘與。曰、何可廢也。以羊易之。不識有諸。齕、音核。舍、上聲。觳、音斛。觫、音速。與、平聲。○胡齕、齊臣也。釁鐘、新鑄鐘成、而殺牲取血以塗其釁隙也。觳觫、恐懼貌。孟子述所聞胡齕之語而問王。不知果有此事否。」の説明。民を保つというのは明徳を明らかにして保つこと。罪無くしてとは人で言うこと。ここは禽獣に対して言うから若くなると言う。
【通釈】
○「曰、德何如、則可以王云云」。王というものには手が届かないだろうと思っていたが、どの様な徳でなることができるだろうかと問うた。民を保つということは相手が有るようだが、そうではない。こうすれば嬉しがるということではない。それでは伯者になる。明徳を明にして保つこと。作田録して曰く、下の者を保んじ大切にして、よいようによいようにとする。そうすれば王になることができる。誰も邪魔をする者はいない。有徳になれば自然と保つことが出来る。△「愛護」とは先祖代々の秘蔵の重宝ということ。聖賢の心から出ること。鍔好きが鍔を撫でるようなこと。○「曰、若寡人者云云」。孟子は文章がよいから講釈も要らずに済む。「曰、可」と言われたので、孟子が座成りに「可也」とは言わないだろうと見て取っていたので、何で可なのかがわかるのかと問い返した。さてよく宣王は問うたもの。「堂」とあるが、これは求めて高い処に居たのではない。常々居る処である。「觳觫」は怖々と行くこと。人間が死地に就くような底に見えたということ。禽獣なので若くなると言う。罪無くしてとは人で言うことだが、それを禽獣に言うから若くなるとなる。若くなるというのが見抜いた見方である。△「鐘」は楽器である。宗廟祭祀の器である。それは大切なこと。新しく鋳る時に釁ること。
【語釈】
・明德を明にして…大學章句経1。「大學之道、在明明德、在親民、在止於至善」。
・坐なり…座成り、座形。いいかげんな言動で、その場の都合をうまく合せること。まにあわせ。おざなり。
・すききれ…漉き切れ?隙間。ここは釁ることだろうが…。

○曰有之曰是心とは、じきにそこを指した。愛はしはいことと下の者が見た。△擴充は孟子の発明なり。たれにもかれにも少しはこの性がある。これをおしひろめること。察識とは、王の御手前で吾心のよいことを引出ん々々々と察識すること。作田録曰、誰でも彼でも仁は少は有が、そこて擴而充之。ひろめて行ふと王道を知らるヽそ。○秀録云、愚按善の有を察し識てと云こと。即とはじきにさすこと。以羊易牛。鯛のかはりにほうヾヽを使ふやうなことなり。○彼悪知之。あとから見て云ことて、心根を知らぬ。笑曰と云は面白いあんばいなことで、惻隱でしたことなれども孟子に問つめられて、はてひょんなことじゃ、其時はどふしたことで有ったか我身ながらも知れぬと。△設此難云云。難問して牛と羊とかへたことを問つめて、本心に善あることを得さしめるため。作田録曰、あヽ一寸惻隱が出て立ち切れがすると立かへりて見たものなり。時に宣王知らぬぞ。
【解説】
「曰、有之。曰、是心足以王矣。百姓皆以王爲愛也。臣固知王之不忍也。王見牛之觳觫、而不忍殺、卽所謂惻隱之心、仁之端也。擴而充之、則可以保四海矣。故孟子指而言之、欲王察識於此而擴充之也。愛、猶吝也。王曰、然。誠有百姓者。齊國雖褊小、吾何愛一牛。卽不忍其觳觫、若無罪而就死地。故以羊易之也。言以羊易牛、其迹似吝。實有如百姓所譏者。然我之心、不如是也。曰、王無異於百姓之以王爲愛也。以小易大。彼惡知之。王若隱其無罪而就死地、則牛羊何擇焉。王笑曰、是誠何心哉。我非愛其財、而易之以羊也。宜乎百姓之謂我愛也。惡、平聲。○異、怪也。隱、痛也。擇、猶分也。言牛羊皆無罪而死。何所分別而以羊易牛乎。孟子故設此難、欲王反求而得其本心。王不能然。故卒無以自解於百姓之言也。」の説明。「擴充」は孟子の発明であり、仁の端を拡充するのである。孟子は王自らが自分の心に善のあることを察識させようとした。
【通釈】
○「曰、有之。曰、是心」とは、直にそこを指したもの。愛とは、吝いことだと下の者が見たもの。△「擴充」は孟子の発明である。誰にも彼にも少しはこの性がある。これを押し広めること。「察識」とは、王自身で自分の心のよいことを引出そうと察識すること。作田録して曰く、誰でも彼でも仁は少しは有るので、そこで「擴而充之」。広めて行うと王道を知ることができる。○秀録して云く、愚按ずるに善の有ることを察し識ってということ。「卽」は直に指すこと。「以羊易牛」は、鯛の代わりに竹麦魚を使うようなこと。○「彼惡知之」。後から見て言うことで、心根を知らない。「笑曰」というのは面白い塩梅のあることで、惻隠でしたことなのだが孟子に問い詰められて、はてひょんなことだ、その時はどうしたことで有ったか我が身ながらもわからないと言った。△「設此難云云」。難問して牛と羊と替えたことを問い詰めたのは、本心に善のあることを得せしめるためである。作田録して曰く、ああ一寸惻隠が出て、立ち切れがすると立ち返って見たもの。時に宣王はそれを知らない。

○曰無傷。下でどう申てもくるしからぬことなり。術とはな仕方と云こと。朱子もわるいことの手くろなことを權謀術数と云。こヽは手くろなしの上手じゃ。見牛未見羊。宣王の心をくみとりて、さらば申しませふと云こと。△無傷。学者心得べきことぞ。こちにあしきことなくは人のかれこれ云ことにかまはぬこと。法の巧とは仕方の上手なこと。見牛。この時佛は渡らぬけれども、こヽが佛者のまちがい迠が最う知るヽ。殺生戒と云は無せふに云こと。圣賢のはあはれむもあはれめども、用向となってはせ子ばならぬこと。此心とは不忍之心。故礼。無故則不殺羊と小学にあり。不見不聞に食からよいが、見ずにものどへつかへると云は仏者じゃ。そんなら殺す役人は不仁かと云へば、君の御用じゃ。何もさしつかへはないぞ。学者の先祖の祭をするに牛羊も殺すも、こちに重い祭があるからなんともない。○戚々とは心へひヾくこと。学者にはこれがあるとよいが、今の人はまれじゃ。藝者にはかへってある。鼓打などのあそこがと云と、こふ打てばよいと云と、じきにきく人が心にひヾいてがてんすること。
【解説】
「曰、無傷也。是乃仁術也。見牛未見羊也。君子之於禽獸也、見其生、不忍見其死、聞其聲、不忍食其肉。是以君子遠庖廚也。遠、去聲。○無傷、言雖有百姓之言、不爲害也。術、謂法之巧者。蓋殺牛旣所不忍、釁鐘又不可廢。於此無以處之、則此心雖發、而終不得施矣。然見牛、則此心已發而不可遏、未見羊、則其理未形、而無所妨。故以羊易牛、則二者得以兩全而無害。此所以爲仁之術也。聲、謂將死而哀鳴也。蓋人之於禽獸、同生而異類。故用之以禮、而不忍之心、施於見聞之所及。其所以必遠庖廚者、亦以預養是心、而廣爲仁之術也。王說曰、詩云、他人有心、予忖度之、夫子之謂也。夫我乃行之、反而求之、不得吾心。夫子言之。於我心有戚戚焉。此心之所以合於王者何也。說、音悦。忖、七本反。度、待洛反。夫我之夫、音扶。○詩、小雅巧言之篇。戚戚、心動貌。王因孟子之言、而前日之心復萌、乃知此心不從外得。然猶未知所以反其本而推之也。」の説明。仏と聖賢とは違う。仏は殺生戒であり、聖賢は哀れむことは哀れむが、しなければならない時はする。先祖の祭をするために牛羊を殺すのは、こちらに重い祭があるからである。
【通釈】
○「曰無傷」。下がどの様に申しても苦しくない。「術」とは仕方ということ。朱子も悪いことで手くろなことを権謀術数と言った。ここは手くろ無しの上手である。「見牛未見羊」。宣王の心を汲み取って、それなら申しましょうと言った。△「無傷」。学者の心得るべきこと。こちらに悪しきことがなければ人が彼此言っても構わない。「法之巧」とは仕方の上手なこと。「見牛」。この時仏は渡らないが、ここで仏者の間違いまでもがもう知れる。殺生戒というのは無性に言うこと。聖賢のは哀れむことは哀れむが、用向きとなってはしなければならない。「此心」とは「不忍之心」である。「故用之以禮」。「無故則不殺羊」と小学にある。見ず聞かずに食うからよいが、見てもいないのに喉に支えるというのは仏者である。それなら殺す役人は不仁かといえば、君の御用である。何も差し支えはない。学者が先祖の祭をするために牛羊を殺すのも、こちらに重い祭があるから何ともない。○「戚戚」とは心へ響くこと。学者にはこれがあるとよいが、今の人には稀である。芸者には却ってある。鼓を打つ者などがあそこがどうもできないと言うと、この様に打てばよいと言えば、直ぐに聞いた人が心に響いて合点する。
【語釈】
・手くろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。
・無故則不殺羊…小学敬身44。「禮記曰、君無故不殺牛、大夫無故不殺羊、士無故不殺犬豕。君子遠庖厨、凡有血氣之類弗身踐也」。

○曰復於王。もふけて云ことじゃ。これでは孟子の雄弁と云ことも知れたこと。四計表はさヽれるが羽箒がもたれぬ。秋は毛のさき細くなる。遠くにおいて有がさきの細い迠見へて、こちに車に槇木がつんであるが見へぬと云はれたら王許之乎。不用力。羽箒ても上けやうと思は子ば上からぬ。△蓋天地之性より已下本途をかたる。人之與人とは人同士のこと。人が手を負てくるとはっと思う。犬の死であるにはそれほどにはない。推廣と云段ては、けっく禽獣の方へとヾくことには仕にくいぞ。但不肯為。牛羊に出る仁が百姓には猶出るはづなれども、それが出ぬは欲が有ゆへ、こっちも大御用あり、物入りなど云て少々の凶年にはゆるさぬ。
【解説】
「曰、有復於王者曰、吾力足以舉百鈞。而不足以舉一羽。明足以察秋毫之末、而不見輿薪。則王許之乎。曰、否。今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與。然則一羽之不舉、爲不用力焉。輿薪之不見、爲不用明焉。百姓之不見保、爲不用恩焉。故王之不王、不爲也。非不能也。與、平聲。爲不之爲、去聲。○復、白也。鈞、三十斤。百鈞、至重難舉也。羽、鳥羽。一羽、至輕易舉也。秋毫之末、毛至秋而末銳。小而難見也。輿薪、以車載薪。大而易見也。許、猶可也。今恩以下、又孟子之言也。蓋天地之性、人爲貴。故人之與人、又爲同類而相親。是以惻隱之發、則於民切、而於物緩。推廣仁術、則仁民易、而愛物難。今王此心能及物矣、則其保民而王、非不能也。但自不肯爲耳。」の説明。天地の性は人が最も貴い。人と物とは違う。牛羊に対して出る仁が百姓には尚更出る筈だが、それが出ないのはしないだけであり、また欲が有るからである。
【通釈】
○「曰、有復於王」。設けて言ったこと。これで孟子の雄弁も知れる。四斗俵は持ち上げられるが羽箒は持てない。秋は毛の先が細くなる。遠くに置いてある毛の先の細いところまでが見えて、こちらに車に薪が積んであるのが見えないと言われたら、「王許之乎」。「不用力」。羽箒でも持ち上げようと思わなければ持ち上がらない。△「蓋天地之性」より以下は本筋を語る。「人之與人」とは人同士のこと。人が手を負って来るとはっと思うが、犬の死んでいるのはそれほどに思わない。「推廣」という段では、結局は禽獣の方へまで届くことはし難い。「但自不肯爲耳」。牛羊に出る仁が百姓には猶出る筈だが、それが出ないのは欲が有るからで、こちらも大御用があって物入りだなどと言って少々の凶年では許さない。

○曰不爲者云云。冨士山を横だきにして北海を飛こへよと云ことはたれにきかせてもならぬことしゃが、向にある桃の花や杜若を取てこいと伯父や兄から云付られてならぬと云はふはせざるなり。たれがにもなることなり。△求外ことをまたず。泪は百度なくにも假りるに及ぬが、金は弐朱ても才覚せ子はならぬ。○老吾老。吾親を大切にするで人の親にもせうばんさせる。子を可愛がるもこれじゃ。大学の絜矩と同じ。運於掌。木棟子や玉のやうなものを手のひらでころ々々させること。咽の渇く時湯を呑は天子も庻人も同じこと。寒いときの火鉢、暑い時の凉は誰もよい。此心をあげてこれを擴るぞ。これでは天下も自由になることぞ。其恩を推さずになると妻も子も御暇申すになるぞ。獨何與とは宣王の心にあたって云。△老人を老人あしらいにして老人のよいやふにすること。人之老人之父兄とは天下中くるめて云こと。王反之。釋迦や佛などは親をすてヽ虎に股の肉を食はせる鳩にもくはせる。宣王のもそれと似たものじゃ。牛に思が及んで百姓をすてヽおくはいかんとなり。
【解説】
「曰、不爲者與不能者之形、何以異。曰、挾太山以超北海、語人曰、我不能。是誠不能也。爲長者折枝、語人曰、我不能。是不爲也。非不能也。故王之不王、非挾太山以超北海之類也。王之不王、是折枝之類也。語、去聲。爲長之爲、去聲。長、上聲。折、之舌反。○形、状也。挾、以腋持物也。超、躍而過也。爲長者折枝、以長者之命、折草木之枝。言不難也。是心固有、不待外求。擴而充之、在我而已。何難之有。老吾老、以及人之老、幼吾幼、以及人之幼、天下可運於掌。詩云、刑于寡妻、至于兄弟、以御于家邦。言舉斯心加諸彼而已。故推恩足以保四海、不推恩無以保妻子。古之人所以大過人者無他焉、善推其所爲而已矣。今恩足以及禽獸、而功不至於百姓者、獨何與。與、平聲。○老、以老事之也。吾老、謂我之父兄。人之老、謂人之父兄。幼、以幼畜之也。吾幼、謂我之子弟。人之幼、謂人之子弟。運於掌、言易也。詩、大雅思齊之篇。刑、法也。寡妻、寡德之妻。謙辭也。御、治也。不能推恩、則衆叛親離。故無以保妻子。蓋骨肉之親、本同一氣、又非但若人之同類而已。故古人必由親親推之、然後及於仁民、又推其餘、然後及於愛物。皆由近以及遠、自易以及難。今王反之、則必有故矣。故復推本而再問之。」の説明。自分の親を大切にすることから始めて人の親にも及ぼす。子も同じ。これで天下も治めることができる。仏は親を棄てて虎や鷹に自分の肉を食わせる。
【通釈】
○「曰、不爲者云云」。富士山を横抱きにして北海を飛び越えるということは誰に聞かせてもできないことだが、向こうにある桃の花や杜若を取って来いと伯父や兄から言い付けられて、できないと言うのは、しないのである。誰でもできること。△「不待外求」。泪は百度泣いても借りるには及ばないが、金は二朱でも才覚しなければならない。○「老吾老」。自分の親を大切にすることから人の親にも相伴させる。子を可愛がるのもこれ。大学の「絜矩」と同じ。「運於掌」。無患子や玉のようなものを掌でころころさせること。咽が渇く時に湯を呑むのは天子も庶人も同じこと。寒い時の火鉢、暑い時の涼は誰もよい。この心を挙げてこれを拡める。これで天下も自由になる。その恩を推さないと妻も子も御暇申すになる。「獨何與」とは宣王の心に当たって言う。△老人を老人あしらいにして老人のよいようにする。「人之老、謂人之父兄」とは天下中をくるめて言ったこと。「王反之」。釈迦や仏などは親を棄てて虎に股の肉を食わせる。鷹にも食わせる。宣王のもそれと似たものだ。牛に思いが及んで百姓を放って置くのは如何と言った。
【語釈】
・大学の絜矩…大学章句伝10。「所謂平天下在治其國者、上老老而民興孝、上長長而民興弟、上恤孤而民不倍。是以君子有絜矩之道也。所惡於上、毋以使下。所惡於下、毋以事上。所惡於前、毋以先後。所惡於後、毋以從前。所惡於右、毋以交於左。所惡於左、毋以交於右。此之謂絜矩之道」。
・虎に股の肉を食はせる…栴檀摩提太子が虎の母子のために我が身を食わせたこと。
・鳩にもくはせる…シビ王が鳩を助けるために鷹に自分の肉を与えたこと。

○心爲甚。心にも秤、物さしが有て是は是、非は非とするもの有り。宣王のものさしは短い。秤も牛と百姓の貫目がちがいたやふじゃ。△心之應物。両替屋と仕立屋は秤の物差しを離す間はない。○抑王興甲兵。さて申上ますは牛を可愛がるはよいこと。兎角軍ををこして御家來の首はのりづけにしたやふで、さはらば落るやふなことは御かまいない。本然の権度と云は格致の工夫をつんだものにはなくてはならぬが、軍をおこしてやることは心に快きはづはない。こヽではちょっと本然の権度が出るなり。作田録曰、牛のときはよいが、一つ望と云と家來の死ぬことにもかまはぬ。民の方にうすいのなり。武人の武大功は細勤をかへりみずと云の筋なり。△抑とは反語の辞の時もあり、こヽは発語の辞。○王曰否云云。大望があること。これで大功は細勤をかへりみずと、そこら中をけちらかす。○人欲が主になりて本然の權度がなくなる。心よからぬと云てはちょっと權度が出るなり。
【解説】
「權然後知輕重。度然後知長短。物皆然。心爲甚。王請度之。度之之度、待洛反。○權、稱錘也。度、丈尺也。度之、謂稱量之也。言物之輕重長短、人所難齊、必以權度度之而後可見。若心之應物、則其輕重長短之難齊、而不可不度以本然之權度、又有甚於物者。今王恩及禽獸、而功不至於百姓、是其愛物之心重且長、而仁民之心輕且短、失其當然之序、而不自知也。故上文旣發其端、而於此請王度之也。抑王興甲兵、危士臣、構怨於諸侯、然後快於心與。與、平聲。○抑、發語辭。士、戰士也。構、結也。孟子以、王愛民之心所以輕且短者、必其以是三者爲快也。然三事實非人心之所快、有甚於殺觳觫之牛者。故指以問王、欲其以此而度之也。王曰、否。吾何快於是。將以求吾所大欲也。不快於此者、心之正也。而必爲此者、欲誘之也。欲之所誘者、獨在於是。是以其心尙明於他而獨暗於此。此其愛民之心所以輕短、而功不至於百姓也。」の説明。心にも秤や物差しがある。牛は可愛がるが軍を興して家来が死ぬのを構わないのは民に薄いのである。それは人欲が主になって本然の権度がなくなるからである。
【通釈】
○「心爲甚」。心にも秤や物差しが有って、是は是、非は非とするものが有る。宣王の物差しは短い。秤も牛と百姓の貫目が違ったようである。△「心之應物」。両替屋と仕立屋は、秤の物差しを離す間はない。○「抑王興甲兵」。さて申し上げれば牛を可愛がるのはよいこと。兎角軍を興して御家来の首は糊付けにしたようで、触れば落ちるようなことには御構いなしである。本然の権度というものは格致の工夫を積んだ者にはなくてはならないが、軍を興してやることは心に快い筈はない。ここではちょっと本然の権度が出る。作田録して曰く、牛の時はよいが、一つ望むということになると家来が死ぬことにも構わない。民の方に薄いのである。武人の武、大行は細謹を顧みずという筋である。△「抑」とは反語の辞の時もあるが、ここは発語の辞。○「王曰、否云云」。大望があること。これで大行は細謹を顧みずと言って、そこら中を蹴散らかす。○人欲が主になって本然の権度がなくなる。快からぬと言ってちょっと権度が出る。
【語釈】
・大功は細勤をかへりみず…史記項羽本紀。「大行不顧細謹、大礼不辭小讓」。

○曰王之所大欲。采色はとこかざりのるい。便嬖。御側小姓や寵愛の御酌をする女中のことかと、澤山あることを知て居て問はれたなり。秦楚はこの時一番つよい国で有たを参勤させるやふに仕たいで有ふが、只今迠のなされ方ては出来ぬことじゃ。松杉の木の上で鯉鮒を尋るやふなものじゃ。○王曰若是其甚與。仕て取ふと思うたに、さて力の落きったことじゃ。可得聞與とは、氣味がわるくなったによって、わけを聞たがること。鄒、一萬石位の大名。楚は薩摩ほとの強。犬と雞のくいあいて、叶ふべきやうはないはづ。せぬはづのこと。△殆蓋。どちも弁のつけにくい字なり。作田録曰、反其本。そふより外にないと。この蓋などとふもすめぬぞ。古人の書は其やふに釘づけてなく色々につかふそうなり。そこでこれはまあなどヽ説を付けてもよからんと先生云へり。
【解説】
「曰、王之所大欲、可得聞與。王笑而不言。曰、爲肥甘不足於口與。輕煖不足於體與。抑爲采色不足視於目與。聲音不足聽於耳與。便嬖不足使令於前與。王之諸臣皆足以供之。而王豈爲是哉。曰、否。吾不爲是也。曰、然則王之所大欲可知已。欲辟土地、朝秦・楚、莅中國而撫四夷也。以若所爲求、若所欲、猶緣木而求魚也。與、平聲。爲肥・抑爲・豈爲・不爲之爲、皆去聲。便・令、皆平聲。辟、與闢同。朝、音潮。○便嬖、近習嬖幸之人也。已、語助辭。辟、開廣也。朝、致其來朝也。秦・楚、皆大國。蒞、臨也。若、如此也。所爲、指興兵結怨之事。緣木求魚、言必不可得。王曰、若是其甚與。曰、殆有甚焉。緣木求魚、雖不得魚、無後災。以若所爲、求若所欲、盡心力而爲之、後必有災。曰、可得聞與。曰、鄒人與楚人戰、則王以爲孰勝。曰、楚人勝。曰、然則小固不可以敵大、寡固不可以敵衆、弱固不可以敵彊。海内之地、方千里者九。齊集有其一。以一服八、何以異於鄒敵楚哉。蓋亦反其本矣。甚與・聞與之與、平聲。○殆・蓋、皆發語辭。鄒、小國。楚、大國。齊集有其一、言集合齊地、其方千里、是有天下九分之一也。以一服八、必不能勝。所謂後災也。反本、說見下文。」の説明。この時一番強い国の秦・楚を参勤させるのは木に上って魚を獲ようとするようなもの。敵う術はない。
【通釈】
○「曰。王之所大欲」。「采色」は床飾りの類。「便嬖」。御側小姓や寵愛の御酌をする女中のことかと、それが沢山あることを知っていて問われた。秦・楚はこの時一番強い国であったが、これを参勤させるようにしたいのだろうが、只今までのなされ方では出来ない。それは松杉の木の上で鯉鮒を尋ねるようなものである。○「王曰、若是其甚與」。して取ろうと思ったのに、さて力の落ち切ったことである。「可得聞與」とは、気味が悪くなったので、その訳を聞きたがること。鄒は一万石位の大名で、楚は薩摩ほどの強国である。犬と鶏の食い合いで、敵う術はない筈だから、戦はしない筈のこと。△「殆・蓋」。どちらも弁の付け難い字である。作田録して曰く、「反其本」。そうするより外にないと言った。この蓋などはどうも済めない。古人の書はその様に釘付けでなく色々に使うそうである。そこでこれはまあなどと説を付けてもよいだろうと先生が言った。

○今王發政施仁  四月六日  惟秀録
此前に宣王の牛をむごいと云はれた。脉のよい病人には容躰がわるくても藥がやらるヽ。そこで惠王より宣王の方に孟子の氣がある。宣王はどうらくめいてもずんとよい処あり。そこでこふなされよふとじかに云こと。藏於王之市とは其塲へうりものをかつきこむこと。塗とは木曽をゆくと上州へかヽらずに、甲州へゆけば人がよいと云こと。疾其君とは、今迠の君が天下中皆わるいゆへ、宣王へかけこんであの国には居られませぬと云てをもむき來ること。軍をして王たることでない。仁政を行ふと自然とくること。△作田録曰、孟子が王になりやうを教へたと疑を云がこヽを知らぬゆへなり。之本と云がこヽなり。こちから望ではないぞ。文王も天下を取たいとは云ぬぞ。ほんのよいもの近所でよいものと云はるヽがよい。はやり医者のこしらへでするは、遠くからむかいはくるが近所では知らぬ。不求而至。圣賢の流義が皆これじゃ。禄在其中。湯武もこれじゃ。
【解説】
「今王發政施仁、使天下仕者皆欲立於王之朝、耕者皆欲耕於王之野、商賈皆欲藏於王之市、行旅皆欲出於王之塗、天下之欲疾其君者皆欲赴愬於王。其若是、孰能禦之。朝、音潮。賈、音古。愬、與訴同。○行貨曰商、居貨曰賈。發政施仁、所以王天下之本也。近者悦、遠者來、則大小強弱非所論矣。蓋力求所欲、則所欲者反不可得。能反其本、則所欲者不求而至。與首章意同。」の説明。軍をするから王なのではない。仁政を行えば人は自然に集まる。天下を取ろうとしなくても「不求而至」である。湯・武もそうであった。
【通釈】
○「今王發政施仁」  四月六日  惟秀録
この前に宣王が牛を酷いと言われた。脈のよい病人には容体が悪くても薬を与えることができる。そこで恵王よりも宣王の方に孟子の気がある。宣王は道楽めいてもずんとよい処がある。そこでこうなされよと直に言う。「藏於王之市」とは、その場へ売り物を担ぎ込むこと。「塗」とは、木曾を行くには上州に掛からず、甲州へ行けば人がよいということ。「疾其君」とは、今までの天下中の君が皆悪いので、宣王へ駆け込んで、あの国には居られませんと言って赴き来ること。軍をするから王なのではない。仁政を行うと自然と来る。△作田録して曰く、孟子が王の成り方を教えたと疑いを言うが、それはここを知らないからである。「之本」というのがここのこと。こちらから望むのではない。文王も天下を取りたいとは言わなかった。本当によいものは、近所でよいものと言われるのがよいもの。流行医者の拵えでするのは、遠くから迎えは来るが近所では知らない。「不求而至」。聖賢の流儀は皆これ。「祿在其中」。湯・武もこれ。
【語釈】
・四月六日…天明8年(1788年)4月6日。
・禄在其中…論語爲政18。「子曰、多聞闕疑、愼言其餘、則寡尤。多見闕殆、愼行其餘、則寡悔。言寡尤、行寡悔、祿在其中矣」。論語衛靈公31。「子曰、君子謀道不謀食。耕也餒在其中矣。學也祿在其中矣。君子憂道不憂貧」。

○王曰吾惛ふしてとそ。よほど聞しみて云はれたこと。此惛の字氣質と人欲をごたませにして云はれたこと。作田録曰、宣王もよほど気がついてたぞ。いやはや何も知らぬもの、どふぞ教を受たいと。○無恒産。すぎはいのこと。此すぎわいと云ははなれやすいものじゃ。はなれて食ものがなくて心をかはさぬものは貴いことじゃ。これは学文でなるが、町人百姓はすぎはいがないと貧の盗みになる。學文のないゆへ性善ぐるみにくらましてくる。蒙引がつろ々々と説ておいた。よい氣の付けやうなり。放とは今迠の律義をすてヽわきへゆく。辟はひがみをして丁寧をせぬ。邪ははや云ふんもない。移はどふするものじゃゝゝゝゝゝゝゝゝと云て火付や屋尻切となる。侈は一はいをすること。刑之。盜賊奉行は取るを手柄じゃが、上の方から見てはさてもむごいことじゃ。罔。鳥をあみで取るやうにとること。△恒の心もひだるくなると固有の善心でなくなる。唐辛のからいも砂糖の甘いもうせるやふになる。士嘗学問。此士は格式で云ことではない。こヽは学者の学んで見ることじゃ。知義理で盗をせぬになる。作田録曰、盗人の種はないぞ。ひだるくてならぬゆへ善心もなくなるぞ。義理を知ると云段になりては中々動かぬぞ。
【解説】
「王曰、吾惛、不能進於是矣。願夫子輔吾志、明以敎我。我雖不敏、請嘗試之。惛、與昏同。曰、無恆產而有恆心者、惟士爲能。若民、則無恆產、因無恆心。苟無恆心、放辟邪侈、無不爲已。及陷於罪、然後從而刑之、是罔民也。焉有仁人在位、罔民而可爲也。恆、胡登反。辟、與僻同。焉、於虔反。○恆、常也。產、生業也。恆產、可常生之業也。恆心、人所常有之善心也。士嘗學問、知義理。故雖無常產、而有常心。民則不能然矣。罔、猶羅網。欺其不見而取之也。」の説明。町人百姓は生業がないと貧しくて盗みをする。恒の心も饑くなると常の善心もなくなるが、義理を知ることで盗みをしなくなる。
【通釈】
○「王曰、吾惛」。よほど聞きしみて言われた。この「惛」の字は気質と人欲とをごた混ぜにして言われたこと。作田録して曰く、宣王もよほど気が付いて言ったぞ。いやはや何も知らぬもの、どうぞ教えを受けたいと言った。○「無恆產」。生業のこと。この生業というのは離れやすいもの。離れて食い物がなくても心を変えないのは貴いこと。これは学問でなることができるが、町人百姓は生業がないと貧しくて盗みをする。学問がないので性善ぐるみに暗ましてくる。蒙引につらつらと説いてある。よい気の付けようである。「放」とは今までの律儀を捨てて脇に行くこと。「辟」は僻んで丁寧をしない。「邪」ははや言い分もない。「侈」はどうするものかと言って火付けや屋尻切りとなる。「侈」は一杯をすること。「刑之」。盗賊奉行は捕るのが手柄だが、上の方から見ては実に酷いことである。「罔」。鳥を網で捕るように捕ること。△恒の心も饑くなると常有の善心でなくなる。唐辛子が辛いのも砂糖が甘いのも失せるようになる。「士嘗學問」。この士は格式で言ったことではない。ここは学者が学んで見たこと。「知義理」で盗みをしなくなる。作田録して曰く、盗人の種はない。饑くてならないので善心もなくなる。義理を知るという段になっては中々動くものではない。
【語釈】
・すぎはい…すぎわい。生業。

○是故明君云云。浪人儒者などは論語は借りどりておる。明君の仕方はそれではいかぬ。食はれるやうすぎわいをさせてやること。終身。こヽは見にくいぞ。夕立雨にあふても一生の難義と云、一生のむまいものを食ふたと云。これ孟子のときの俗語なるべし。作田録曰、終身と云がみにくいことぞ。死ぬ迠と云ことでなし。難義にあったものが一生の苦労をしたと云やうなもの。○今也制民之産。生産のたらぬやうに上から仕かけじゃ。そこで親の長生をこまると云ほどになる。両親を死子かしに思ふ者はないはづじゃが、足らぬゆへじゃ。それで子をまびくと云。樂歳に苦と云こと、下情によく通したものじゃ。あとからゝゝゝゝと追はれるゆへ焼け石にみずじゃ。尤凶年よりはよけれども、せつないぞ。唐の德宗の豊年に民共は樂むかと云はるヽを陸宣公のいさめて云はれたこと国本論にあり。人君のこれを知り玉ふことはありがたし。奚暇治礼義。孟子のことを迂遠と云は理の通らぬ時ゆへぢゃ。まわり遠いことでなし。学問も身上がよくなふてはならぬこと。そこで身上のこと、産のことをといた。△作田録云、邪人を退治したと云ときは平声、平治したと云ときは去声なり。
【解説】
「是故明君制民之產、必使仰足以事父母、俯足以畜妻子、樂歳終身飽、凶年免於死亡、然後驅而之善。故民之從之也輕。畜、許六反、下同。○輕、猶易也。此言民有常產、而有常心也。今也制民之產、仰不足以事父母、俯不足以畜妻子、樂歳終身苦、凶年不免於死亡。此惟救死而恐不贍。奚暇治禮義哉。治、平聲。凡治字、爲理物之義者、平聲、爲己理之義者、去聲。後皆放此。○贍、足也。此所謂無常產、而無常心者也。」の説明。明君は民が食えるように生業をやらせる。今は上が民の生産を沮んでいる。
【通釈】
○「是故明君云云」。浪人儒者などは論語を借り取りする。明君の仕方はそれではうまく行かない。食えるように生業をさせてやるのである。「終身」。ここは見難い。夕立雨に遇っても一生の難儀と言い、一生の美味いものを食ったと言う。これは孟子の時の俗語なのだろう。作田録して曰く、終身というのが見難いこと。死ぬまでということではない。難儀に遇った者が一生の苦労をしたと言うようなもの。○「今也制民之產」。生産が足りないように上から仕掛けるので、親の長生きを困ると言うほどになる。両親を死ねばよいと思う者はない筈だが、足りないのでそう思う。それで子を間引くと言う。樂歳に苦しむというとは、下情によく通じたもの。後から後からと追われるので焼け石に水である。尤も凶年よりはよいが、切ないこと。唐の徳宗が豊年に民共は楽しむと言われたのを陸宣公が諌めて言われたことが国本論にある。人君がこれを知りたまうことは有難いことである。「奚暇治禮義」。孟子のことを迂遠と言うのは理の通らない時だからである。廻り遠いことではない。学問も身上がよくなくては成らない。そこで身上のこと、産のことを説いた。△作田録して云く、邪人を退治したという時は平声、平治したという時は去声。
【語釈】
・国本論…松平定信著?

○反其本。大和めぐりをするには路銀が入る。其才覚が入る。治天下撫四夷にもから手てはいかぬ。仁政と云ことが入るぞ。作田録曰、始めに願はと云たそ。いやたヾはならぬゆへ本とにかへられよと。本に反ると云ふ路銀かなくてはゆかれぬぞ。○五畝之宅。此語は又出ましたかと云ほどのことじゃが、これが本になる。大工の家を建るにいつも曲尺すみさし。これで大名の坐鋪も茶の湯坐敷も出来る。天下中の脉を一人ゝゝ見るやふなことてはならぬこと。以桑。無用のものを植させぬ。此方の屋敷の八重櫻を御ろうじろと云ことでなし。衣帛。下に百姓でも絹じゅばん。孟子の仕かけは質素なことでいかふ冨たことじゃ。食ふべきものは不断肉、衣るべきものはつ子に帛。今の大盡はすはと云と立羽な奢じゃ。されとも老人も帛も着ず肉でもない。歯のないに塩でくふかすわと云と表むきをいこうをごる。作田録曰、肉の出來るではないが、其なるやうにしておくぞ。○謹云云。よく療治をうけること。今日の藥はよいと云てはおかぬ。其上孝悌の人参入を呑む。不負戴。御鷹匠のときも若いものがつヾらをかついて年よりは廻状の方へゆく。これは上の一人一人にしてゆくてない。自然の教へ。不王者未之有。春になって咲ぬ櫻はない。作田録曰、王道と云はやつきゃつと云てなることでないゆへ、そふして居て王道をなされいと。
【解説】
「王欲行之、則盍反其本矣。盍、何不也。使民有常產者、又發政施仁之本也。說見下文。五畝之宅、樹之以桑、五十者可以衣帛矣。雞豚狗彘之畜、無失其時、七十者可以食肉矣。百畝之田、勿奪其時、八口之家可以無飢矣。謹庠序之敎、申之以孝悌之義、頒白者不負戴於道路矣。老者衣帛食肉、黎民不飢不寒、然而不王者、未之有也。」の説明。天下を治めるには仁政でなければならない。それには常産が必要である。今の金持はすわという時には大層奢るが、孟子の仕掛けでは、老人は食うものは常に肉、着るものは常に帛である。それで自然に王となる。
【通釈】
○「反其本」。大和巡りをするには路銀が要る。その才覚が要る。天下を治め四夷を撫するにも空手ではうまく行かない。仁政ということが要る。作田録して曰く、始めに願わくはと言った。いや簡単にはできないので本に反られよと言った。本に反るという路銀かなくては行くことはできない。○「五畝之宅」。この語は又出ましたかと言うほどのことだが、これが本になる。大工が家を建てるには何時も曲尺と墨刺。これで大名の座敷も茶の湯座敷も出来る。天下中の脈を一人々々見るようなことは出来ない。「以桑」。無用のものを植えさせない。こちらの屋敷の八重桜をご覧じろということではない。「衣帛」。百姓でも下には絹襦袢。孟子の仕掛けは質素なことで大層富んだもの。食うべきものは絶えず肉、衣るべきものは常に帛。今の大尽はすわというと立派な奢りだが、老人は帛も着ず肉でもない。歯がないのに塩で食うが、すわというと表向きを大層奢る。作田録して曰く、肉が出来るのではないが、それが出来るようにして置く。○「謹云云」。よく療治を受けること。今日は薬はいらないと言わせては置かない。その上に孝悌の人参入りを呑む。「不負戴」。御鷹匠の時も若い者が葛籠を担いで年寄りは廻状の方へ行く。これは上が一人々々にしていくことではない。自然の教えである。「不王者、未之有」。春になって咲かぬ桜はない。作田録して曰く、王道というのは奴彼と言って出来ることでないので、そうしておいて王道をなされよ、と。

△之法。人政と云は心じゃが、心ばかりありても法がたヽいではいかぬ。上農夫は九人を養うと云。あの方の大尽と云は同じ田百畝をもってもつくりやうのよいて大と小の農夫が分る。いつれ百畝じゃ。今日本の大尽と違う。王政之本。けたかいことと心得るではない。今ま人に金をやると礼を云が、それはそれぎりのこと。精を出せと云はさて金よりよい。常生之道。百姓ほどの丈夫なものはない。徂徠や太宰も云、直方の裏店が澤山出來ては持をふされぬと云はれた。作田録曰、救米と云は病気のとき藥を呑するやうなもの。常生の道ではないぞ。仁心仁聞。あのかたい殿さまなれども、今年もこまる、食れぬと云もの。食傷したものを脊中をさすりても藥やら子ば澤を蒙りたてはない。澤は産を利すること。此章黜覇功。下の方によいことなれども心がそでない。可愛がれども全体まヽ子あしらいじゃ。不忍之政とは役目一と通りでないこと。覇者の政は入れ歯て物を食ふやふなと云。うまみのないこと。茶屋の料理のよいは大名よりうまい。金袋圓や太好庵も御典藥よりよいが、藥を吟味するは賣るためで有て病を直したいではない。丁どむせふに水を田へかけるやうなものなり。王者の政は春雨のしっほりと降りたやふなもの。精切。心まで切り入て、あちの心まで云たこと。蔽固既深。愚曰、人欲にすれのあたったほどのこと。
【解説】
音、見前章。○此言制民之產之法也。趙氏曰、八口之家、次上農夫也。此王政之本、常生之道。故孟子爲齊梁之君各陳之也。楊氏曰、爲天下者、舉斯心加諸彼而已。然雖有仁心仁聞、而民不被其澤者、不行先王之道故也。故以制民之產告之。○此章言、人君當黜霸功、行王道。而王道之要、不過推其不忍之心、以行不忍之政而已。齊王非無此心、而奪於功利之私、不能擴充以行仁政。雖以孟子反覆曉告、精切如此、而蔽固已深、終不能悟。是可歎也。」の説明。仁政というのは心だが、法が立たなければうまく行かない。覇者の政は無性に水を田へ掛けるようなもの。王者の政は春雨がしっぽりと降ったようなもの。
【通釈】
△「之法」。仁政というのは心だが、心ばかりがあっても法が立たなければうまく行かない。上農夫は九人を養うと言う。あの方の大尽は同じ田百畝を持っても作り方の善し悪しで大と小とに農夫が分かれる。しかし、いずれも百畝であり、今の日本の大尽とは違う。「王政之本」。気高いことと心得るのではない。今人に金を遣ると礼を言われるが、それはそれ切りのこと。精を出せと言うのはさて金よりもよい。「常生之道」。百姓ほど丈夫な者はない。徂徠や太宰も、直方の裏店が沢山出来ては保ち果せないと言われた。作田録して曰く、救い米というのは病気の時に薬を呑ますようなもの。常生の道ではない。「仁心仁聞」。有難い殿様だが、今年も困る、食えないと言うもの。食傷した者には背中をさすってでも薬を呑ませなければ沢を蒙ったとは言えない。「澤」は産を利すること。「此章言、人君當黜霸功」。下の方によいことなのだが心が違っている。可愛がるが全体が継子あしらいである。「不忍之政」とは役目一通りでないこと。覇者の政は入歯で物を食うようなものだという。それでは旨味がない。茶屋の料理のよいものは大名のものよりも美味い。金袋圓や太好庵も御典薬よりよい。薬を吟味するのは売るためであって病を治したいからではない。丁度無性に水を田へ掛けるようなもの。王者の政は春雨がしっぽりと降ったようなもの。「精切」。心まで切り入って、あちらの心まで言ったこと。「蔽固已深」。愚曰く、人欲に擦れのあたったほどのこと。