嘉言5
○陳忠肅公曰、幼學之士先要分別人品之上下。何者是聖賢所爲之事、何者是下愚所爲之事、向善背惡去彼取此。此幼學所當先也。顔子・孟子亞聖也。學之、雖未至亦可爲賢人。今學者若能知此、則顔・孟之事我亦可學。言温而氣和、則顔子之不遷漸可學矣。過而能悔、又不憚改、則顔子之不貳漸可學矣。知埋鬻之戲不如爼豆、念慈母之敎至於三遷、自幼至老、不厭不改、終始一意、則我之不動心、亦可如孟子矣。若夫立志不高、則其學皆常人之事。語及顔・孟則不敢當也。其心必曰、我爲孩童、豈敢學顔・孟哉。此人不可以語上矣。先生長者見其卑下、豈肯與之語哉。先生長者不肯與之語、則其所與語皆下等人也。言不忠信、下等人也。行不篤敬、下等人也。過而不知悔、下等人也。悔而不知改、下等人也。聞下等之語爲下等之事、譬如坐於房舍之中、四面皆墻壁也。雖欲開明不可得矣。
【読み】
○陳忠肅公曰く、幼學の士は先ず人品の上下を分別せんことを要す。何者か是れ聖賢の爲す所の事か、何者か是れ下愚の爲す所の事か、善に向い惡に背き彼を去り此を取る。此れ幼學の當に先んずべき所なり。顔子・孟子は亞聖なり。之を學べば、未だ至らざると雖も亦賢人と爲る可し。今の學者の能く此を知るが若きは、則ち顔・孟の事我も亦學ぶ可し。言温にして氣和せば、則ち顔子の遷さざることを漸く學ぶ可し。過ちて能く悔い、又改むるに憚らざれば、則ち顔子の貳びせざることを漸く學ぶ可し。埋鬻[まいいく]の戲の爼豆に如かざることを知り、慈母の敎の三遷に至れることを念い、幼より老に至りて、厭わず改めず、終始意を一にせば、則ち我の心を動かさざることも、亦以て孟子の如くなる可し。夫の志を立つるに高からざるが若きは、則ち其の學は皆常人の事のみ。語りて顔・孟に及べば則ち敢て當らざるなり。其の心に必ず曰う、我は孩童爲り、豈敢て顔・孟を學ばんや、と。此の人以て上を語ぐ可からず。先生長者、其の卑下なるを見れば、豈之と語るを肯[したが]わんや。先生長者、之と語るを肯わざれば、則ち其の與に語る所は皆下等の人なり。言忠信ならざるは、下等の人なり。行篤敬ならざるは、下等の人なり。過ちて悔ゆるを知らざるは、下等の人なり。悔いて改むるを知らざるは、下等の人なり。下等の語を聞き下等の事を爲すは、譬えば房舍の中に坐して、四面皆墻壁なるが如し。開明を欲すと雖も得可からず。

十二月朔日
【語釈】
・十二月朔日…寛政元年(1789)12月1日。

○陳忠粛公曰幼学之士云々。羽二重と木綿、伽羅と抹香、金と銕、此上下をしらぬ者は三つ子でもないが、肝心の人間に高下のあると云ことをしらぬ。これを一ち先きに知るが肝要なり。垩賢も今日の人も同じやふに目もあれば鼻もあるが、殊外万事にしうちが違ふ。よく分別してみやれ。どのやうなしうちか違ふ。○愚とは、なわにもたばにもかからぬ人を下愚と云が、あれはその愚てはあるまい、なみ々々の人のことであろうぞと、こふまづわけてみるがよい。内篇の立教に汎く愛衆而近仁も人品の分別をすること。人にえりきらいはわるいから廣愛衆と云。そうすると、わるい人も同腹中にするになるから近仁と云。人品の上下を分別したゆへなり。此吟味がないと、大きな垩人の道を学とも脇へひきこまれる。今川了俊が水隨方圓之器と云ことを書たがひくひやふなことで尤なことなり。天地の間は善悪の二つなり。さて、向ひ背くとは北牖を塞て南へ出るがよい。どちもまどても北の方はさむく南はあたたか。そうするが去彼取此なり。
【解説】
「陳忠肅公曰、幼學之士先要分別人品之上下。何者是聖賢所爲之事、何者是下愚所爲之事、向善背惡去彼取此。此幼學所當先也」の説明。人にも上下がある。体は同じでも、聖賢と凡人とは人品が違う。それを最初に知って置かなければならない。ここの「愚」は下愚のことではなく、凡人のことを言う。
【通釈】
「陳忠粛公曰幼学之士云々」。羽二重と木綿、伽羅と抹香、金と鉄、これらの上下は三つ子でも知らない者はいないが、肝心の人間に高下のあることを知らない。これを一番先に知るのが肝要である。聖賢も今日の人も同じ様に目もあれば鼻もあるが、殊の外万事に仕打ちが違う。それをよく分別して見なさい。どの様に仕打ちが違うのだろうか。「愚」は、縄にも束にも掛からない人を下愚と言うが、これはその愚のことではないだろう。並みの人のことだろうと、先ずはこの様に分けて見なさい。内篇の立教に「汎愛衆而親仁」とあるのも人品の分別をすること。人を選り好みするのは悪いから「汎愛衆」と言う。そうすると、悪い人も同腹中にすることになるから「親仁」と言う。これが人品の上下を分別したものである。この吟味がないと、大きな聖人の道を学んでも脇へ引き込まれる。今川了俊が「水随方円之器」と書いたのが低い様なことで尤もなこと。天地の間は善悪の二つである。さて、「向善背悪」とは、北窓を塞いで南へ出るのがよいということ。どちらも窓だが、北の方は寒く、南は暖か。そうするのが「去彼取此」である。
【語釈】
・陳忠粛公…陳瓘。字は瑩。神宗の時に諌官。王安石の新法に反対する。1062~1126
・汎く愛衆而近仁…小学内篇立教10。「孔子曰、弟子入則孝、出則弟、謹而信、汎愛衆而親仁、行有餘力則以學文」。

○去彼取此は上の向善背悪のこと。偖てここへただ垩賢と出しては空ゆへ、ぢきに急度人を出して見せたもの。それはどなたと云に、かの人の近付な顔子と孟子。此二人の衆は垩人には至らぬが薄紙一枚ほどなちがい。○亜と云が垩につぐと云ことなり。兎角ものは手本に能いをとるがよい。無筆な者が手習をするとても悪筆を手本にすると云はないはづ。よい手を手本にするがよい。手本がよいゆへ至らぬと云ても賢人にはなられる。此段のことを人が生質のちがい、ぶんのことと思がそうではない。○可学か学ばれると云こと。今迠は及もないことで手の届ぬことと思たが、学ばれるがさて重々な珎重のことじゃとなり。これがらが学ぶ手段。思はず知らず顔子の処へやることぞ。むか々々せいても役に立ぬから、先つ柔がよい。これがどうもならぬと云ことはない。これがならぬと云へばあまり大ちゃくの、誰もなることを云て、それがなると顔子不遷怒と云がそろ々々学ばれる。
【解説】
「顔子・孟子亞聖也。學之、雖未至亦可爲賢人。今學者若能知此、則顔・孟之事我亦可學。言温而氣和、則顔子之不遷」の説明。ここに近付きな顔子と孟子を手本として出した。彼等は紙一重で聖人に至れなかったので亜聖と言う。手本がよいので、これを学べば聖人に至れなかったとしても賢人になることはできる。
【通釈】
「去彼取此」は上の「向善背悪」のこと。さてここへただ聖賢を出しては空々しいので、直にはっきりと人を出して見せた。それはどなたかと言うと、人の近付きなあの顔子と孟子である。この二人の衆は聖人には至らなかったが、聖人とは薄紙一枚ほどの違いである。「亜」は聖に継ぐということ。とかくよいものを手本にするのがよい。無筆な者が手習をするにも悪筆を手本にするということはない筈。よい手を手本にするのがよい。手本がよいので、聖人に至れないとしても賢人になることはできる。この段のことを人は生質の違いで特別なことだと思うがそうではない。「可学」が学ぶことができるということ。今までは及びもないことで手の届かないことと思っていたが、学ぶことができるというのが実に重畳で珍重なことだと言ったのである。これからが学ぶ手段。思わず知らず顔子の処へ遣る。むかむかと急いても役に立たないから、先ずは柔らかなのがよい。これはどうにもならないということではない。これができないと言うのはあまりに横着である。誰もができることを言い、それができれば「顔子不遷怒」をそろそろと学ぶことができる。
【語釈】
・顔子不遷怒…論語雍也2。「哀公問、弟子孰爲好學。孔子對曰、有顏囘者好學、不遷怒、不貳過。不幸短命死矣。今也則亡。未聞好學者也」。

○漸は垩学の自然。一夜檢校と云ことはない。沙弥から長老へはじきにはゆかれぬ。そろ々々なり。寒あけから直にあたたかにはならぬ。子ともの手を引やふなもの。権藏草鞋をはかせてその手を引てあるく。それが仕舞には三度飛脚にもなる。さて又わるいことをしても何とも思はぬなれば、人間顔ではない。たま々々悔る人もある。そうすると顔子の不貳過と云がなる。沢一が、垩賢は思ひなれるがよいと云た。思ひなれるとすんど吾方に垩賢に似たことがある。顔子孟子は甚だ大盃で中々飲まれぬが、一と口々々々飲とつい上戸になる。孟子の母のよふにたへずあのやふにしこみたら、我之不動云々なり。不貳過不迁怒が顔子のかぶ。不動心が孟子のかぶ。不動心は養のこと。そろ々々やしなひ込むゆへ埋鬻から不動心ときた。ちょっときいては前の言温や過悔とちがい、御母儀の教から不動心とは取つかぬやふなれとも、これも今日からとてはならぬ。子共の時からわるい方へ行ぬやふにする。身にわるいことがないと、何處へ向ても耻いことも恐ろしいこともない。後ろからまてと声を掛てもこはくない。我にわるいことがなければ気は丈夫なもの。そこで母儀の教から不動心へかけて語る。
【解説】
「漸可學矣。過而能悔、又不憚改、則顔子之不貳漸可學矣。知埋鬻之戲不如爼豆、念慈母之敎至於三遷、自幼至老、不厭不改、終始一意、則我之不動心、亦可如孟子矣」の説明。学問はゆっくりと次第に沿ってすることで、一足飛びには行かないもの。小さな頃から絶えず仕込むので丈夫になる。
【通釈】
「漸」は聖学の自然で、一夜検校などということはない。沙弥から直ぐに長老へはなれない。それはゆっくりとしたこと。寒明けから直ぐに暖かにはならない。それは子供の手を引く様なもの。権蔵草鞋を履かせてその手を引いて歩く。それが仕舞いには三度飛脚にもなる。さてまた悪いことをしても何とも思わないのであれば、人間の顔ではない。偶々悔いる人もいる。そうすると顔子の「不貳過」ということが成る。沢一が、聖賢は思い慣れるのがよいと言った。思い慣れると、こちらに聖賢に似たことがしっかりとあるのがわかる。顔子や孟子は甚だ大盃なので中々飲み切れないが、一口ずつ飲むとつい上戸になる。孟子の母の様に絶えずあの様に仕込めば、「我之不動云々」である。「不貳過不遷怒」が顔子の株。「不動心」が孟子の株。不動心は養のこと。そろそろと養い込むので埋鬻から不動心と来る。一寸聞いては前にあった「言温」や「過悔」とは違い、御母儀の教えから不動心とは取り合わないことの様だが、これも今日からするのではならない。子供の時から悪い方へ行かない様にする。身に悪いことがないと、何処へ向かっても恥ずかしいことも恐ろしいこともない。後から待てと声を掛けられても恐くはない。自分に悪いことがなければ気は丈夫なもの。そこで母儀の教えから不動心へ掛けて語る。
【語釈】
・檢校…社寺の総務を監督する役。
・沙弥…出家して十戒を受けた少年僧。わが国では、少年に限らず、一般に、出家して未だ正式の僧になっていない男子。「沙弥から長老にはなれぬ」が、物事には順序があって、一足飛びにはゆかないということ。
・権藏草鞋…乳と紐とを布でつくった草鞋。武者草鞋。
・沢一…大神澤一。筑前早良郡原の人。瞽者。享保10年(1725)12月1日没。年42。佐藤直方門下。
・我之不動…孟子公孫丑章句上2。「我四十不動心」。
・埋鬻…埋は埋葬。鬻は商売。孟母三遷の中の話(小学内篇稽古2)。

○若夫云々。初に顔子孟子亜垩也とある。学問はああ云ものを手本にするもの。それを手本にせ子ば、志不高皆常人之事也。志がひくいゆへ、此道にもたつさわるがよいなどと云ても吾か精神が常人。段々顔子や孟子の咄が出ると、其時私共のことではないと云。○不敢当也。舩頭や駕篭舁に茶の湯の咄をするやうなもの。世間の俗学をする人は、学問をすると云ても心はみなこれなり。口へ出してこふ云人もないが、陳忠粛公が見て取た。逃る時は辞義をするもの。其様なわろふには上は告けられぬ。顔子孟子が望みにないなれば、どのやふな德のある人がありても咄はなるまい。仏になりたいと云へば釈迦の咄も達磨の咄もなるが、仏になる気はなくてただ寺をたてたいと云なれば、越後屋や冨士の手代も同じこと。釈迦も達磨も面白くはあるまい。これからの語りやふが面白ひ。
【解説】
「若夫立志不高、則其學皆常人之事。語及顔・孟則不敢當也。其心必曰、我爲孩童、豈敢學顔・孟哉。此人不可以語上矣」の説明。志が低いといざという時に逃げる。その様な者には上を語ぐことはできない。
【通釈】
「若夫云々」。初めに「顔子孟子亜聖也」とある。学問はあの様な者を手本にするもの。それを手本にしなければ、「志不高、皆常人之事也」である。志が低く自分の魂が常人なので、この道にも携わるのがよいなどと言っても、段々と顔子や孟子の話が出ると、その時は私共のことではないと言う。「不敢当也」。これが船頭や駕篭舁きに茶の湯の話をする様なもの。世間の俗学をする人は、学問をすると言っても心は皆これ。口に出してこの様に言う人もいないが、陳忠粛公が見て取った。逃げる時は辞儀をするもの。その様な人には上は語げられない。顔子孟子が望みでないのであれば、どの様な徳のある人がいても話はできない。仏になりたいと言えば釈迦の話も達磨の話もできるが、仏になる気がなくてただ寺を建てたいというのであれば、越後屋や富士の手代と同じこと。それでは釈迦も達磨も面白くはないだろう。これからの語り様が面白い。
【語釈】
・上は告けられぬ…論語雍也19。「子曰、中人以上、可以語上也。中人以下、不可以語上也」。

○學顔孟哉から下等の人と云がよいことぞ。先生長者も長刀あしらいにすると云へば、その人の出合ふ人はあるべかかりな下さげな人なり。それを下等の人と云。人足に出たり夫に出たり、屋鋪へ仲間に出る様な人なり。下等の字のあたりまへはそうみて置てなり。今日の学問をするものが、をれらは下等人ではあるまいと思が、此跡に迷惑なことを云はれたぞ。○言不忠信下等人也。爰で学者がちりをひ子ることぞ。高上な顔をしても間に合を云。言不忠信也。そんなら下等人じゃ。学問をしながらやりばなしをし、そむけたことをする。それがやっはり下等人。我垩賢にもならぬ前は不調法もありうちなことなれとも、是はひょんなことをしたと思ば其一心がよくなるなり。なれともそれをなんとも思はぬ。蠏が横行をしらぬやうなもの。
【解説】
「先生長者見其卑下、豈肯與之語哉。先生長者不肯與之語、則其所與語皆下等人也。言不忠信、下等人也。行不篤敬、下等人也。過而不知悔、下等人也」の説明。志を高く持たなければ、その相手になるのは下等の人だけになる。今の学者は自分を下等の人だと思っていないが、「言不忠信」以下が下等を語ったもの。
【通釈】
「学顔孟哉」から「下等人也」と言うのがよい。先生や長者が長刀あしらいにするというのであれば、その人の出合う人はありふれた下卑た人だけである。それを下等人と言う。人足に出たり賦役に出たり、屋敷へ中間に出る様な人である。下等の字の当たり前はその様に見て置いて、今日の学問をする者が、俺らは下等人ではないと思うが、この後に迷惑なことを言われた。「言不忠信、下等人也」。ここで学者が塵を捻ることになる。高上な顔をしても間に合わせを言う。それが「言不忠信也」である。それなら下等人だ。学問をしながら遣り放しをし、背いたことをする。それがやはり下等人である。自分が聖賢にならない前は不調法もあるものだが、これはひょんなことをしたと思えば、一心がよくなる。それを何とも思わない。それは、蟹が横行することを知らない様なもの。
【語釈】
・言不忠信…論語衛霊公5。「子張問行。子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立、則見其參於前也、在輿、則見其倚於衡也、夫然後行。子張書諸紳」。

○改は顔に墨のついたをふくやふなもの。それを改子は顔の墨をふかぬのなり。改はかりた金を返すやふなもので、かへしさへすればいつでもよいに兎角改ぬ。ここに四つ云たをみればいかう気のつまること。一つでも此ヶ条があれば学問しても下等人と云。顔孟をいやがり下等の咄を聞、下等のわざをするはなさけないことなり。○四面とは、今日ここにこうしてをるやうなもの。障子もあり窓もありてあかるいが、四面皆墻壁と云が四方をはりきったやうなもの。顔孟を手本にすれば知惠も行もよくなるが、顔孟を手本にせぬなればまっくらぞ。雖欲開明不可得矣也。
【解説】
「悔而不知改、下等人也。聞下等之語爲下等之事、譬如坐於房舍之中、四面皆墻壁也。雖欲開明不可得矣」の説明。顔孟を嫌がって下等の話を聞き、下等の業をするのは情けないこと。顔孟を手本にすれば知恵も行もよくなるが、顔孟を手本にしなければ、「四面皆墻壁」で真っ暗である。
【通釈】
「改」は顔に付いた墨を拭く様なもの。改めないのは顔の墨を拭かないのと同じである。改は、借りた金を返す様なもので、返しさえすればいつでもよいが、とかく改めない。ここに言う四つを見れば、大層気の詰まること。一つでもこの箇条があれば、学問をしても下等人と言う。顔孟を嫌がり下等の話を聞き、下等の業をするのは情けないこと。「四面」とは、今日ここにこうしている様なもの。障子もあり窓もあって明るいが、「四面皆墻壁」が四方を貼り切った様なもの。顔孟を手本にすれば知恵も行もよくなるが、顔孟を手本にしなければ真っ暗である。「雖欲開明不可得矣」である。


嘉言6
○馬援兄子嚴・敦、並喜譏議而通輕俠客。援在交趾還書、誡之曰、吾欲汝曹聞人過失、如聞父母之名。耳可得聞、口不可得言也。好議論人長短、妄是非政法。此吾所大惡也。寧死不願聞子孫有此行也。龍伯高敦厚周愼口無擇言、謙約節儉、廉公有威。吾愛之重之。願汝曹效之。杜季良豪俠好義、憂人之憂、樂人之樂、清濁無所失、父喪致客、數郡畢至。吾愛之重之。不願汝曹效也。效伯高不得、猶爲謹敕之士。所謂刻鵠不成、尚類鶩者也。效季良不得、陷爲天下輕薄子。所謂畫虎不成、反類狗者也。
【読み】
○馬援の兄の子嚴・敦、並びに譏議を喜[この]みて輕俠の客に通ず。援、交趾に在りて書を還し、之を誡めて曰く、吾汝の曹[ともがら]の、人の過失を聞くこと父母の名を聞く如くならんことを欲す。耳は聞くを得可し、口は言を得可からざるなり。好みて人の長短を議論し、妄りに政法を是非す。此れ吾が大いに惡む所なり。寧ろ死すとも子孫に此の行有るを聞くを願わざるなり。龍伯高は敦厚周愼にして口に擇ばん言無く、謙約節儉、廉公にして威有り。吾之を愛し之を重んず。汝の曹、之に效わんことを願う。杜季良は豪俠にして義を好み、人の憂いを憂い、人の樂しみを樂しみ、清濁失う所無く、父の喪に客を致し、數郡畢[ことごと]く至る。吾之を愛し之を重んず。汝の曹、效わんことを願わず。伯高に效いて得ずんば、猶謹敕[きんちょく]の士と爲らん。鵠[こく]を刻して成らざるも、尚鶩[ぼく]に類すと謂う所の者なり。季良に效いて得ずんば、陷りて天下の輕薄の子と爲らん。虎を畫きて成らず、反て狗に類すと謂う所の者なり。

○馬援云々。是迠は廣く人を教る道理を説き、これからさき二三章は手前の子や従子をつかまへて云こと。今職人や啇人が御あつらへと云がきこへた。廣く云とぢきにあてのあるはちがう。これからさきは吾が子や姪をじきにつかまへて云こと故、格別にひびきがよい。馬援が従子の嚴敦が两人なから譏議が大の好でありた。喜譏議の譏はそしると云字ゆへ、人をそしること。下の議もそしるとよむが、二字つつぐでかたのありてそしること。字のす條を知らぬと此ことがしれぬ。うばかかなどのよく人のことをわるく云と云は譏議ではない。是は今云評判と云やうなもの。人のことをわるく云ふ云よふがききごと。あの人もあの一口で直がなったと云。
【解説】
「馬援兄子嚴・敦、並喜譏議」の説明。これからの数章は自分の身近な人を掴まえて言うので格別に響きがよい。馬援の従子の厳と敦は譏議が大好きだった。譏議とは批評という様なこと。
【通釈】
「馬援云々」。これまでは広く人を教える道理を説き、これから先の二三章は自分の子や従子を掴まえて言う。今職人や商人が御誂えと言うのがよくわかる。広く言うのと直に当てのあるのとは違う。これから先は我が子や姪を直に掴まえて言うことなので、格別に響きがよい。馬援の従子の厳と敦が両人ながら「譏議」が大好きだった。「喜譏議」の譏はそしるという字なので、人を譏ること。下の議もそしると読むが、二字が続くので型があって譏ること。字の素性を知らないとこの意味がわからない。乳母嬶などがよく人のことを悪く言うが、それは譏議ではない。これは今言う評判という様なもの。人のことを悪く言う、その言い様が聞きもので、あの人もあの一口で価値が上がったなどと言う。
【語釈】
・馬援…字は文淵。諡は忠成侯。茂陵の人。伏波将軍となる。前14~49

○譏議と云が一つあって、人をわるく云よふの流義がある。馬援が時分などと云も後漢の始で、惣体王莽が乱も後漢の始に光武に取てしめられた。余程よい時ぞ。柔和平気ははやらぬ。譏議と云ものの始る時分なり。役に立ぬ者をなにあれがと云さま、この筋が流行る。又、これからして譏議に拍子がつきて面白く云ことが三国にあり、それを月旦評と云て會日を立て、人の巣穴を上手に云。あの月旦評と云が譏議のさへたのなり。だん々々ああなる筈。それから晋の世で清談と云の流行たも、月旦評の風流になりたもの。譏議と云筋に人をそしることがあって、またいつもの群れが人のことをわるく云と云。稽古してなるほどなこと。人のことをわるく云ことゆへ君子の出合ではない。通軽俠客なり。今日云男立のこと。大坂にたれなどと云のがあるがこれなり。○軽俠は史記に有、遊俠傳と云がある。軽の字のつくはどうなれば、此者ともは重くをちついた姿ではないものぞ。かる々々しくかかる。昨日近付になったものでも、なんぞと云とまかりちがへはをれが死ぬばかりじゃとたのまれるから、引く男ではないと云。嚴敦が其仲ヶ間入をした時に馬援が留守なり。
【解説】
「而通輕俠客」の説明。当時は譏議の始まる時分だった。三国の時には月旦評があったが、これは譏議に拍子が付いたもの。晋の世には清談が流行ったが、それは月旦評が風流になったもの。譏議には人を譏る筋があるので君子がするものではない。厳敦が軽侠の客の仲間入りをした時に馬援は遠国にいた。
【通釈】
譏議ということが一つあって、人を悪く言う、その言い方に流儀がある。馬援の時分などは後漢の始めで、総体、王莽の乱も後漢の始めに光武によって鎮圧され、よほどよい時だった。柔和平気は流行らず、譏議ということが始まる時分である。役に立たない者を、何あれがと言う様な、この筋が流行る。また、これからして譏議に拍子が付いて面白く言うことが三国にあり、それを月旦評と言い、会日を立てて人の巣穴を上手に言う。あの月旦評が譏議の冴えたもの。段々とそうなる筈で、それから晋の世で清談が流行ったのも、月旦評が風流になったもの。譏議という筋には人を譏ることがあって、またいつもの群れが人のことを悪く言う。それは稽古をしてするほどのこと。これは人のことを悪く言うことなので、君子の出合いではない。「通軽侠客」。今日言う男伊達のこと。大坂にいる某などというのがこれ。軽侠は、史記に遊侠伝というものがある。軽の字が付くのはどうしてかというと、この者共は重く落ち着いた姿ではないものだからである。軽々しく掛かる。昨日近付きになった者でも、何ぞの時に、罷り間違えれば俺は死ぬことになると頼まれ、そこで自分は引き受けない男ではないと言う。厳敦がその仲間入りをした時に馬援は留守だった。

○交趾は所の名で、今器物に交趾やきと云ものがある。中蕐の南の方で日本も近ひ方なとをぼゆ。そこて此事を聞て、それは以の外なことじゃ。さて々々わるいことをきいた。甚だわるいことじゃ。其方とも以後人のぬけなわるいことを聞ひたら父母の名をきくやふに思へ。此の譬を云が、親の名は云はぬものぞ。日本でははきともないが、中蕐では親の名は决して呼はぬことなり。司馬迁が父は司馬談と云から史記に談の字がない。朱子の親御を朱松と云はるるから、家礼に松脂のことを瀝青とかく。人のわるいことを聞たら耳へはいりても口には云はぬがよい。親の名は子の身では云はぬもの。日本でも爺様とは呼ふが何左衛門様とは呼はぬ。人のわるいことを耳で聞は御勝手次第。口からは决して云なとなり。面白口上ぞ。
【解説】
「援在交趾還書、誡之曰、吾欲汝曹聞人過失、如聞父母之名。耳可得聞、口不可得言也」の説明。馬援は人の過失を聞いくのは勝手だが、口には決して出してはならず、人の過失を聞いた時には、父母の名を聞いた様に思えと言った。中華では決して親の名を呼ばない。
【通釈】
「交趾」は所の名で、今器物に交趾焼きというものがある。中華の南の方で日本にも近い方だったと思う。そこでこのことを聞いて、それは以の外のことだ、実に悪いことを聞いた、甚だ悪いことだ。御前達、以後は人の抜けた悪いことを聞いたら父母の名を聞いた様に思えと言った。このたとえを言うのが、親の名は言わないものだからである。これは日本でははっきりとしないことだが、中華では親の名は決して呼ばないもの。司馬遷の父は司馬談というので史記には談の字がない。朱子の親御は朱松といわれるので、家礼に松脂のことを瀝青と書く。人の悪いことを聞いたら、耳にそれが入っても口には出さないのがよい。親の名は子の身では言わないもの。日本でも爺様とは呼ぶが何左衛門様とは呼ばない。人の悪いことを耳で聞くのは御勝手次第だが、口には決して出すなと言った。面白い口上である。

だたい馬援が大久保彦左ェ門と云やうな人なれとも、唐人だけ云ことは上手。遠国の波濤からこふ云ことを云てよこせば、従子などの身になりては涙の出ることぞ。大切のことだはさ。公儀の御政務のことも云ゆへ云はずにはをかれぬ。公儀の御政務のことをああこふではないと云。その云やうも上手に云。百年ほど前に御老中の六人あったとき、御老中六人しての六分別[むふんへつ]、二人のけたらなをも四家老[よかろふ]と云らくしゅを立た。これらが譏議なり。殊の外をれがそんなことがきらいじゃ。死でもよいほどに子や孫にそんな者あると云は聞もいやじゃとなり。さて人を二人出して、そこへしゃりやくをいれろと嚴敦に丁どの藥を用たもの。そこが龍伯高なり。
【解説】
「好議論人長短、妄是非政法。此吾所大惡也。寧死不願聞子孫有此行也」の説明。馬援が、政務のことはあれこれと言うものではない、死ぬとしてもその様なことを言う子孫がいない方がよいと言った。
【通釈】
そもそも馬援は大久保彦左衛門という様な人だが、唐人だけに言うことは上手である。遠国の波濤からこの様なことを言って遣せば、従子などの身では涙の出ることで、大切なことである。公儀の御政務のことも言うので、言わずには置けない。公儀の御政務のことはあれこれと言うものではないと言った。その言い様も上手だった。百年ほど前に御老中が六人いた時に、御老中六人しての六分別[無分別]、二人除けたら尚も四家老[よかろう]という落首を立てた。これらが譏議である。俺はそんなことが殊の外嫌いだ。死んでもよいと思うほどのことで、子や孫にそんな者がいるのは聞くのも嫌だと言った。さて人を二人出して、そこへ瀉薬を入れろと厳敦に丁度の薬を用いた。そこが龍伯高である。
【語釈】
・龍伯高…名は述。字は伯高。長安の人。

○敦厚は人物のうすでにないこと。地のよい黒縮緬。まき繪はないが昔ものの黒塗りの重箱と云よふなもの。目に立こともないが、兎角手敦な物好きのない身代のよい昔風の内などへ行てみると敦厚なもの。周愼は、どこと云ことなくゆき届いて、なにもかも大叓にかけてそこつにないこと。咄にくづがない。二つ尤なことを云たがあとはさん々々と云は擇なれとも、咄をしたが一つでもしいななことはなく、皆尤と云なり。○謙約云々。へりくだりて手前をよいにせず、そとへ出はったやうなことはなく、さっとのうたれぬやふにちんまりとしたこと。○儉と云がよいことで、奢をせぬことなり。何もかも惣体のことがをこりをせず、うちばなこと。これでは先づざっと君子なり。○廉公と云が、義のかどか立て苟もまけず、心がををやけでかたよりたことのなく、道理の通りなり。道理に従ふと云ものなり。○有威を気を付よ。今もただ此様な人は飾なく律義一遍で、ああけっこうな人とかるくあしらわれるもので、よんで留主をさせたり夜直[よとき]でもさせるやふな人品なれとも、此有威と云は人が畏れて近付れぬ。姫嶋庄内親父などがこれて、やすくよんでつかわれぬ処がある。をれが兼々龍伯高と云へは殊の外ただならず尊仰してたっとむが、そちたちも知てであろうと云ほどなこと。
【解説】
「龍伯高敦厚周愼口無擇言、謙約節儉、廉公有威。吾愛之重之。願汝曹效之」の説明。龍伯高の人柄を言う。「有威」は鈴木養察の様なことだと言う。
【通釈】
「敦厚」は人物が薄手でないこと。地のよい黒縮緬。蒔絵はないが、昔ものの黒塗りの重箱という様なもの。目に立つこともないが、とかく手敦く物好きのない身代のよい昔風の家などへ行って見ると敦厚なもの。「周慎」は、何処ということなく行き届いて、何もかも大事に心掛けて粗忽でないこと。話に無駄がない。尤もなことを二つ言っても後は散々というのが「択」だが、話をして一つも実のないことはなく、皆尤もである。「謙約云々」。謙って自分をよいとはせず、外へ出張る様なことはなく、察当を打たれない様にちんまりとする。「倹」というのがよいことで、奢らないこと。何もかも総体のことが奢りをせずに内場なこと。これでは先ずはざっと君子の風である。「廉公」は、義の廉が立って苟も曲げず、心が公で偏ったことがなく、道理の通りなことで、道理に従うということ。「有威」を気を付けて見なさい。今もこの様な人は飾りがなく律儀一遍で、ただああ結構な人だと軽くあしらわれるもので、呼んで留守をさせたり夜伽でもさせる様な人品だが、この有威ということがあるので人が畏れて近付けない。姫島の荘内親父などがこれで、気安く呼んで使うことのできない処がある。龍伯高と言えば、かねがね俺が殊の外ただならず尊仰して尊んでいることを御前達も知っているだろうと言うほどのこと。
【語釈】
・しいな…粃。秕。殻ばかりで実のない籾。また、果実の実らないでしなびたもの。
・姫嶋庄内親父…鈴木養察。莊内と称す。成東町姫島の人。安永8年(1779)12月25日没。年85。稲葉迂斎門下。

○杜季良を出したは、これもをれか子んごろなれとも、をのしたちの薬にはわるい。だたいこれが馬援によく合た人なり。殊の外気がさて、前の軽俠のをも振りのあった人。こちの軽俠と町ろくほうの気がさなどはちがへとも、大様は似たこと。浩然の気に北宮黝を出して置もそれなり。一つかさのあってつよいものをもってをる。義が本来から出てくる。しょうことなしに義をするは義がなまけて居る。豪俠な方から振い出して出ること。義に勇をもってをることを云。合力をするにも、夛分にはもれますまいと云のははづみがない。人の難義を手前の手に子ぶとの出来たやうに思から、はだをぬいてする。
【解説】
「杜季良豪俠好義、憂人之憂、樂人之樂」の説明。杜季良は気嵩で、義に勇を持った人である。
【通釈】
杜季良を出したのは、これも俺が懇ろにしている者だが、御前達の薬には悪いと言ったのである。そもそもこの人が馬援によく合った人で、殊の外気嵩で、前の軽侠の面振りのあった人。この人の軽侠と町六方の気嵩などは違ったものだが、大様は似たこと。浩然の気に北宮黝を出して置くのもそれ。一つ嵩があって強いものを持っている。義が本来から出て来る。仕方なく義をするのは義が怠けているもの。豪侠な方から奮い立って出ること。義に勇を持っていることを言う。合力をするにも、多分には漏れない様にと言ってするのでは弾みがない。人の難儀を自分の手に根太ができた様に思うから、肌を脱いでする。
【語釈】
・杜季良…名は保。字は季長。長安の人。
・北宮黝…孟子公孫丑上2。「北宮黝之養勇也、不膚撓、不目逃、思以一豪挫於人、若撻之於市朝。不受於褐寛博、亦不受於萬乘之君。視刺萬乘之君、若刺褐夫。無嚴諸侯。惡聲至、必反之」。

○清濁は色々に見へるが、清はよいもののこと。濁はわるい者のことなり。善ひ者も悪ひ者も杜季良が懐へ入れてもってこい々々々々々と云。そこて杜季良が所に吊がある、と。今江戸なぞで町の喧嘩に何組がふるって来たと云のなり。あの人の喧嘩と聞てはとて、町人の若い者などがかけてゆく。杜季良が日頃の義が届いてをるゆへ、近郷ふるひ、どこがすみもみなきて、頓と村へ入口から人が多くてはへりやうはないと云やうなり。をれがきつく愛するが、をのしにはわるい。猿に木に升ることを教へ、泥に泥をつくることを教ると云が、これをよいと云へばそれなり。必をのし達はあのま子はせぬがよい。龍伯高を眞似やれ。あれは真似そくなってもきづかいはない。これほどにならずしそくなった分んでも氣遣のないことじゃ。ものを大切に守りて律義な若ひ者と云になる。金もつかわず律義一遍なり。志のするどの者からはどふでもひくいが、扨々安堵な字なり。此薬はきかぬ迠も跡によいことがある。人形をこしらへる細工人がひしくひをこしらへるとてついあひるに出来た。
【解説】
「清濁無所失、父喪致客、數郡畢至。吾愛之重之。不願汝曹效也。效伯高不得、猶爲謹敕之士。所謂刻鵠不成、尚類鶩者也」の説明。馬援は龍伯高を真似ろと言う。そうすれば律儀な人となり、もしもし損なったとしても気遣いはない。
【通釈】
「清濁」は色々に見えるが、清はよい者のことで、濁は悪い者のこと。よい者でも悪い者でも杜季良が懐に入れて、さあ来なさいと言う。そこで、杜季良の所に吊があると言う。今江戸などで町の喧嘩に何組が奮って来たと言う。あの人の喧嘩と聞いてはと言って、町人の若い者などが駆けて行く。杜季良の日頃の義が届いているので、近郷が奮い、何処の者もが皆来て、村の入口から人が多くなり過ぎて、入り様がないという様になる。俺は大層彼を愛するが、御前には悪い。これをよいと言えば、それは猿に木に昇ることを教え、泥に泥を作ることを教えるのと同じである。決して御前達はあの真似をしてはならない。龍伯高を真似なさい。あれは真似をし損なっても気遣いはない。彼ほどにならずにし損なったとしても気遣いはない。彼を真似れば、ものを大切に守って律儀な若い者になる。金も使わずに律儀一遍である。志の鋭い者にすればどう見ても低い様だが、実に安堵な字である。この薬は効かないまでも後によいことがある。人形を拵える細工人が鴻を拵えようとしてつい家鴨になった。
【語釈】
吊…系図?吊り書?血縁?

○效季良不得、陥為天下軽薄子。軽薄の軽は、上の軽俠の軽を引て云へば道落者のこと。活達な方をしそこなうとこうなる。講釈もそれで、雄弁をま子そこなうと町ろくほうの口ちつかいになる。あまりは子たこともないが、品がよいと云のがよい。あまり活なま子をするとよくない。繪畫が乕をかく々々と思て犬になった。虎は百獸の懼れるもの。犬は棒で打てもにげる。虎が犬になったと云てはひょんなことなり。これからが人の心得になることで、上手得分下手の損と云がこれなり。禪坊主には一休のやうにさへたもあるが、をちついたのは語がなまなかじなものが一休の眞似をするとしそこなふ。医者も後世家をしてをればしそこないはないが、古法をやるとしそこのう。必杜季良かま子をしやるな。今もあること。两人ながら念頃なれとも、手本にしてよい懇と手本にしてわるい懇がある。馬援か従子をかわいがりて、こう云てよこしたがあわれなことぞ。此あわれと云か鳩巣子の雜話に云へる、那須與市が扇の的と同じことなり。馬援があの奴を思だせはなを々々あわれぞ。よく々々に思て遠国からかふ書てよこひたであろう。
【解説】
「效季良不得、陷爲天下輕薄子。所謂畫虎不成、反類狗者也」の説明。杜季良という闊達な方をし損なうと道楽者となる。それが虎を描いて犬になるということ。杜季良の真似をしてはならないと言った。
【通釈】
「效季良不得、陥為天下軽薄子」。軽薄の軽は、上の軽侠の軽を引いて言えば道楽者のこと。闊達な方をし損なうとこうなる。講釈もそれで、雄弁を真似し損なうと町六方の口使いになる。あまり跳ねたこともなく、品がよいというのがよい。あまりに闊な方の真似をするとよくない。絵描きが虎を描こうと思って犬になった。虎は百獣の懼れるもの。犬は棒で打っても逃げる。虎が犬になったと言ってはひょんなこと。これからが人の心得になることで、上手の得分下手の損と言うのがこれ。禅坊主には一休の様に冴えた者もいるが、落ち着いたのは語がなまなかじな者が一休の真似をするとし損なう。医者も後世家をしていればし損ないはないが、古法をするとし損なう。決して杜季良の真似をするなと言った。これが今もあること。両人ながら懇ろだが、手本にしてよい懇と手本にして悪い懇がある。馬援が従子を可愛がって、この様に言って遣したのが哀れなこと。この哀れというのが鳩巣子が雑話で言った、那須与一の扇の的と同じこと。馬援があの奴を思い出せば尚々哀れなこと。よくよくに思って遠国からこの様に書いて遣したのだろう。


嘉言7
○漢昭烈將終。敕後主曰、勿以惡小而爲之、勿以善小而不爲。
【読み】
○漢の昭烈將に終らんとす。後主を敕[いさ]めて曰く、惡の小なるを以て之を爲すこと勿かれ、善の小なるを以て爲さざること勿かれ、と。

○漢昭烈云々。ゆい言なり。だたいここに後主とかかず後帝と書く筈。小学ではその吟味は入らぬからその御搆へなく、三國志のなりに書たと、浅見先生が靖献遺言ゆへ、正統を守る方から気を付けをかれた。司馬温公などの云ぬことなり。此章がいかう肝要の語ぞ。惣体人の了簡がちっとなことはくるしくあるまいと思が、それがよくない。わるいことは少しでも决してせぬがよい。ちっとなことは大叓あるまいと思ふが、このちっとがちっとて居ぬもの。多葉粉の吸からがかやへうつりて大火叓になる。わるいことはちっとでも油断はならぬ。紂王の象箸を作たもわづかなこと。箕子がそれを歎たはその分で居ぬと思たものなり。大垤のくづるるも蟻穴よりすると云も、それに水がそろ々々と流れる。それから蠏が出る。そこでいつぞの水のときくづれるなり。それゆへ小悪でもゆるさぬことぞ。いつも云、蚊屋に穴のあいた様なもの。だん々々蚊が入りて寢られぬやうになる。小悪を油断をするとする々々と大悪に落込む。わづかなことと油断をせぬがよい。
【解説】
これが劉備の遺言である。少しのことは大事ないと思うが、それがそのままではいないもの。僅かなことに油断をしてはならない。
【通釈】
「漢昭烈云々」。遺言である。そもそもここは後主と書かずに後帝と書く筈。小学にその吟味は要らないから御構いなく、三国志の通りに書いたのだと、浅見先生の靖献遺言なので、正統を守る方から気を付けて置かれた。これが司馬温公などには言えないこと。この章が大層肝要な語である。総体人の了簡が一寸のことは苦しくないと思うが、それがよくない。悪いことは少しでも決してしないのがよい。一寸のことでは大事ないと思うが、一寸が一寸のままでいないもの。煙草の吸殻が茅へ移って大火事になる。悪いことは一寸でも油断はならない。紂王が象箸を作ったのも僅かなこと。箕子がそれを歎じたのはそのままではいないと思ったからである。大垤が崩れるのも蟻穴からと言うのも、それに水がそろそろと流れ、それから蠏が出る。そこでいつかは大水の時に崩れる。そこで、小悪でも許してはならない。いつも言う、蚊帳に穴の開いた様なもの。段々と蚊が入って寝られない様になる。小悪に油断をすると、するすると大悪に落ち込む。僅かなことだと言って油断をしてはならない。
【語釈】
・漢昭烈…蜀の劉備玄徳。162~223
・紂王の象箸を作た…小学内篇稽古22にこの話がある。

善ひことは、これ計りなんの役に立つものと云。それがさん々々わるい。ちょっとしたことに親に孝行と云はささいなことなれとも、灸の廻りをかいて進せるも、それが舜や曽子にも及ふ処。ささいなことでも馳走をして善はするがよい。えて人情で悪の小さいはすてず、善のちいさいはすてるものなり。た子い心がけかないゆへぞ。大学の誠意もこれからなること。是は繋辞傳の孔子の語をふまへて云はれつろうと、誰乎の考なり。いかさま孔子の云たことを云たであろう。偖々死にきわに天下はあの通りのことで、後主をつかまへて遺言するは大抵な人ではない。天下わけ目の大騒の時この通りのことを云か、垩賢ではないが、垩賢傳心のたたしいことと見るがよい。軍のことかかけ引のことでも云そうなものを、善を地みちにしろと云が垩人の道に叶たこと。伯者などに决してないこと。さればこそ孔子の語をふまへたであろふとも云なり。偖もあわれなことには、遺言は糠に釘を打たよふで一つもきかぬ。古今すぐれた劉備に古今すぐれた劉禅の役に立ずなり。
【解説】
人情から、悪の小さいのは捨てずに、善の小さいのは捨てるもの。これは繋辞伝の孔子の語を言ったものだろう。劉備が聖賢伝心の正しいこと言ったものの、劉禅にはこれが全く効かなかった。
【通釈】
善いことは、こればかり何の役に立つものかと言う。それが散々に悪い。親への一寸した孝行は瑣細なことでも、たとえば灸の周りを掻いてやるのも、それが舜や曾子にも及ぶ処。瑣細なことでも馳走をして善いことはするのがよい。人情から、悪の小さいのは捨てず、善の小さいのは捨てるもの。それは細かな心掛けがないからである。大学の誠意もこれから成ること。これは繋辞伝の孔子の語を踏まえて言ったものだろうと誰かが考えた。いかにも孔子が言ったことを言ったのだろう。天下があの通りでありながら、死に際に後主を掴まえて遺言をするとは大抵な人ではない。天下分け目の大騒ぎの時に、この通りのことを言う。それは聖賢ではないとは言え、聖賢伝心の正しいことだと見なさい。軍のことか掛け引きのことでも言いそうなものを、善を地道にしろと言うのが聖人の道に叶ったこと。これは伯者などには決してないこと。そこで、孔子の語を踏まえたのだろうとも言うのである。しかし、実に哀れなことには、遺言は糠に釘を打った様で一つも利かない。古今優れた劉備に古今役立たずに極まった劉禅である。
【語釈】
・繋辞傳の孔子の語…易経繋辞伝下5。「善不積不足以成名。惡不積不足以滅身。小人以小善爲无益而弗爲也。以小惡爲无傷而弗去也。故惡積而不可揜、罪大而不可解。易曰、何校滅耳、凶」。
・劉禅…劉備の子。後帝。207~271


嘉言8
○諸葛武侯戒子書曰、君子之行、靜以脩身、儉以養德。非澹泊、無以明志。非寧靜、無以致遠。夫學須靜也。才須學也。非學、無以廣才、非靜、無以成學。慆慢、則不能研精、險躁、則不能理性。年與時馳、意與歳去、遂成枯落、悲歎窮廬、將復何及也。
【読み】
○諸葛武侯、子を戒むる書に曰く、君子の行は、靜以て身を脩め、儉以て德を養う。澹泊に非ざれば、以て志を明かにすること無し。寧靜に非ざれば以て遠きを致すこと無し。夫れ學は須く靜なるべし。才は須く學ぶべし。學ぶに非ざれば、以て才を廣むること無く、靜なるに非ざれば、以て學を成すこと無し。慆慢なれば、則ち精を研くこと能わず、險躁なれば、則ち性を理むること能わず。年、時と與に馳せ、意、歳と與に去り、遂に枯落と成り、窮廬に悲歎すとも、將[は]た復た何ぞ及ばん、と。

○諸葛武侯云々。是は善い子をもって生板に釘がきいた。始終のなりゆき死に様か親の戒を身にもって二代の忠臣。そこが生板に釘なり。さて、漢唐の間の珍客は董仲舒・孔明・韓退之、此三人なり。道理の正大な処をみてとり、三人の中で精神の垩賢に近くぬけた処は孔明ぞ。其替、学問がかいない。董仲舒と韓退之は学問がよかった。それゆへ董仲舒と韓退之の語はとこでもきまりか格別にゆく。此章も肝門干要は云たが、しっかりときまりはあの衆ほどにゆかぬ。さてこれが垩賢の語を聞傳へてのべられたことではない。手前に覚えたことを云はれて、まづは手抦なことではある。少も理屈で云たことではない。自分にこれほどなことの覚へありて云たことぞ。是がすっはりと垩学の功夫にをふたことなり。何を云も大学などの様につぢつまが合ぬ。ぬき々々に云へばまた垩賢の語に合たこと。世間で孔明と云と軍法のことに精しいと計り思が、其軍法も学問がなければならぬ。是が誰に習ったでもなく、あの美質で学問のことを合点したそ。此行は知行と云、智惠を相手にした行とは違ふ。君子の上をくくりて行と書たもの。云へば行状の行と同じこと。行ひと云へばなんでも行計ではなく、あの中に知行はある。かさで云て、知も其内に入れて云ことぞ。古ひ題に君子行と云ことあり、道落者の悪所がよいすることを少年行と云。これが君子のなり、どら者のなりを云ことぞ。君子の惣体の状りを行と云。そうぐるはに云ことなり。
【解説】
「諸葛武侯戒子書曰、君子之行」の説明。漢唐の間の珍客は董仲舒・孔明・韓退之の三人であり、中でも孔明は魂が聖賢に近い人だった。しかし、学問は甲斐がなかった。これは自分に覚えたことを言ったものなので聖賢の語に合う。ここの「行」は知行の行ではなくて行状の意である。
【通釈】
「諸葛武侯云々」。これはよい子を持って生板に釘が利いたこと。始終の成り行きや死に様が親の戒めを身に持ち二代に渡っての忠臣だった。そこが生板に釘である。さて、漢唐の間の珍客は董仲舒・孔明・韓退之の三人である。三人の中でも、道理の正大な処を見て取り、魂が聖賢に近く抜けた者は孔明である。その代わりに学問が甲斐ない。董仲舒と韓退之は学問がよかった。そこで、董仲舒と韓退之の語は何処でも決まりが格別である。この章も肝門肝要は言っているが、決めはあの衆ほどには行かない。さてこれは聖賢の語を聞き伝えて述べられたものではなく、自分に覚えたことを言われたもの。先ずは手柄なことではある。少しも理屈で言ったことはない。これほどのことを自分に覚えがあって言った。これがすっかりと聖学の功夫に合ったこと。何を言うにも大学などの様には辻褄が合わないものだが、覚えがあって言えばまた聖賢の語に合うもの。世間で孔明と言うと軍法のことに精しいとばかり思うが、その軍法も学問がなければならない。これは誰に習ったのでもなく、あの美質で学問のことを合点したのである。この「行」は知行という智恵を相手にした行とは違う。君子の上を括って行と書いたもの。言えば行状の行と同じこと。行いと言えば何でも行ばかりではなく、あの中に知行はある。これは嵩で言い、知もその内に入れて言うこと。古い題に君子行ということがあり、道楽者の悪所通いをすることを少年行と言う。これが君子と道楽者の姿を言ったこと。君子の総体の姿を行と言う。総構えを言ったのである。
【語釈】
・二代の忠臣…諸葛亮孔明(181~234)と子の諸葛瞻(227~263)。諸葛瞻は降伏を勧めに来た魏の使者を斬り、綿竹に陣を敷いて敗死した。瞻の子の尚も敵陣に突入して死ぬ。

○静以脩身云々。先づこれが手前の腹中から出たことで、学問の全体と云か静と云処の大本がなければ頓と出来ぬと語たもの。去りとは呑込んだ云様なり。周茂叔の主静而立人極と云もこれて、静を本とにせ子ば何こともならぬ。脩身は知行ともにこめて云ふこと。静を本と立にして斈問をし、智惠も行も磨礱と、それが體の脩復と云ものじゃと学問の惣体知行をこめて云ことなり。○儉以養德。是は欲をなくすことで、兎角此無欲と云てなけれはゆかぬ、と。これが到底[とど]存養にあたることぞ。儉は儉約の儉で物好きなく、欲のないこと。ものを貪らず栄曜をしたいと云心のないこと。ひだるくさへなければよい、寒くさへなければよいと云。それなれば外物にひかれぬ。以養德也。さて静の字は存養であるべきに、此句の静が存羪てなく、ただこれか本になって智惠も行もよくなって身も脩る。静以脩身は学問にあて、儉以養德は存羪にあてるがよい。
【解説】
「靜以脩身、儉以養德」の説明。「静以修身」は、学問は静が本になるので、静で身を修復すること。「倹以養徳」は、欲をなくすこと。それで外物に引かれることはなく、徳を養うことになる。静以修身は学問に当て、倹以養徳は存養に当てるのがよい。
【通釈】
「静以修身云々」。先ずこれが自分の腹中から出たことで、学問の全体は静という大本がなければ全くできないと語ったもの。実に飲み込んだ言い様である。周茂叔の「主静而立人極」というのもこれで、静を本にしなければ何事もならない。修身は知行共に込めて言うこと。静を本立にして学問をして、智恵も行も磨くのが体の修復というものだと、学問の総体を知行を込めて言ったのである。「倹以養徳」。これは欲をなくすことで、とかく無欲でなければうまく行かないと言った。これがつまりは存養に当たる。倹は倹約の倹で物好きがなく、欲のないこと。ものを貪らず、栄耀をしたいという心のないこと。空腹でさえなければよい、寒くさえなければよいと言う。それであれば外物に引かれない。そこで「以養徳」である。さて静の字は存養であるべきだが、この句の静は存養ではなく、ただこれが本になって智恵も行もよくなって身も修まるということ。静以修身は学問に当て、倹以養徳は存養に当てるのがよい。
【語釈】
・主静而立人極…太極図説の語。近思録道体1。

○非澹泊云々は、儉以養德のことを直に引掛たもの。澹泊は欲のなくさらりとしたことぞ。よひ字なり。本と水のやふにさらりとしたものはあわいもの。さらりとしてしつこくないことを澹と云。寒ひから綿入をもってくる。うんと云。飯が出来たと云。うんと云。なんでも欲がない故すら々々とゆく。孔子飯厭精膾不厭細がこれ。公子荊が苟完と云もこれなり。すらりとしたこと。こうせ子はならぬの、どうせ子はならぬのと云ことなく、栄曜をせぬ方から德が羪はれる。○志は志于学の志とは違ふ。心志ともつづき、志心ともつづく。志と云で心のことなり。中庸の無悪志と云語もあり、心のこと。ここの明を明倫の明のやうに見るとわるい。心を明快爽にすると云文義なり。明快と云字もあり、心のさっはりとなること。欲があると胷がむやくやと色々な願がありて垢微たらけなり。それがないから心がさわやかになってをる。明志の字はちとよすぎれとも、清明在躬志気如神とみるがよい。無欲でないと心がさわ々々とならぬ。
【解説】
「非澹泊、無以明志」の説明。澹泊は欲がなくてさらりとしたこと。栄耀をしないので徳が養われる。「志」は心のことで、「明志」は心を明快にすること。
【通釈】
「非澹泊云々」は、倹以養徳のことを直に引掛けたもの。澹泊は欲がなくてさらりとしたこと。よい字である。清水の様にさらりとしたものは淡いもの。さらりとしてしつこくないことを澹と言う。寒いから綿入を持って来る。うんと言う。飯が出来たと言う。うんと言う。何でも欲がないのですらすらと行く。「孔子食厭精、膾不厭細」がこれ。公子荊が苟完と言ったのもこれ。すらりとしたこと。こうしなければならないとか、どうしなければならないと言うことなく、栄耀をしない方から徳が養われる。「志」は「志于学」の志とは違う。心志とも志心とも続き、志と言っても心のことである。中庸に「無悪志」という語もあり、心のこと。ここの明を明倫の明の様に見ると悪い。心を明快爽にするという文義である。明快という字もあり、心がさっぱりとなること。欲があると胸にもやもやと色々な願いが出て塵だらけになる。それがないから心が爽やかになっている。明志は少々良過ぎる字だが、「清明在躬志気如神」のことだと見なさい。無欲でないと心が爽やかにならない。
【語釈】
・孔子飯厭精膾不厭細…論語郷党8。「食不厭精、膾不厭細」。
・公子荊が苟完…論語子路8。「子謂衞公子荊。善居室。始有、曰、苟合矣。少有、曰、苟完矣。富有、曰、苟美矣」。
・志于学…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。
・無悪志…中庸章句33。「詩云、潛雖伏矣、亦孔之昭。故君子内省不疚、無惡於志。君子之所不可及者、其唯人之所不見乎」。詩は詩経小雅正月。
・清明在躬志気如神…礼記下孔子閒居。「清明在躬、氣志如神。嗜欲將至、有開必先。天降時雨、山川出雲」。

○非寧静云々。上の静を受て云たもの。をちつきしづまると云が本立になら子はならぬ。不断さわがしいと云ては学問の工夫か遠大にならぬ。遠大はやはり明道などの云っしゃる教以遠大の遠大と同じこと。智惠も行も至極にゆき、其塲にゆきつめること。静が本立にならぬと咫尺之間の学問になりて、格段と云学問にならぬ。とかく静と云でなければ学問の行所迠ゆかぬ。学問は静でなる。存羪は無欲でする。○夫学云々。この処に見やうがあって、見やうとはどふなれは、此章を二筋に立てわけて見るがよい。どふわけると云に、上へ先づ静以脩身と倹以養徳を二鼻にして、儉以養徳の下へ非澹白無以明志をいれ、静以脩身の下へ非寧静無以致遠をいれ、これからあともたかいちがいにいれてみるとよくすむ。
【解説】
「非寧靜、無以致遠。夫學須靜也」の説明。落ち着き静まるのでなければ学問は遠大にならない。学問は静で成り、存養は無欲でする。この章は静以修身と倹以養徳を二本立てにして見るのがよい。
【通釈】
「非寧静云々」。これは上の静を受けて言ったもの。落ち着き静まるというのが本立にならなければならない。普段が騒がしくては学問の工夫が遠大にならない。遠大はやはり明道などの言われた「教以遠大」の遠大と同じことで、智恵も行も至極に行き、その場に行き詰めること。静が本立にならないと咫尺の間の学問になって、格段な学問にはならない。とかく静というのでなければ学問が行き所まで行かない。学問は静で成る。存養は無欲でする。「夫学云々」。この処に見様があって、その見様とはどういうことかと言うと、この章を二筋に立てて分けて見るのがよいということ。どの様に分けるのかと言うと、先ずは上の静以修身と倹以養徳を二鼻にして、倹以養徳の下に非澹白無以明志を入れ、静以修身の下に非寧静無以致遠を入れ、これから後も互い違いに入れて見るのである。それでよく済む。
【語釈】
・教以遠大…嘉言90。「明道先生曰、君子敎人有序。先傳以小者近者、而後敎以大者遠者。非是先傳以近小、而後不敎以遠大也」。
・咫尺…近い距離。

○才須学。才を人が説きそこのふ。やはり上の德と云字へかけてみるがよい。德須学と云へば上とつつき、才としたゆへ、人が横からひとつ出たやうに思が、才は内のあらわれたもの。仁義礼智に力らを付て出るが才ゆへ、德の上の才量なり。天から拜領の才德ゆへ、御朱印のよふなものじゃ。なれともすててはをかれぬほどに学がよい。才須学也。德がありてもそれがまがる。そこを学問で矯るがよい。斈問をするは矯揉することなり。斈問がないと人は性善なものと云きりでしまう。性善ぎりで打捨てをく。性善と云宿札のある斗りですててをく。学問するとそれがひろまる。これほどには孔明は届くまいが、大学の八條目は廣才のことなり。近思録の十四巻も廣才のことなり。学問の矯揉でためさ子はひろまらぬ。
【解説】
「才須學也。非學、無以廣才」の説明。「才」は徳の現れたもの。徳があるだけでは曲るので、学問で矯める。性善のままでは悪い。学問をすると「広才」となる。
【通釈】
「才須学」。人が才の字を説き損なう。やはり上の徳という字へ掛けて見るのがよい。徳須学と言えば上と続く。才としたので、人が横から一つ出た様に思うが、才は内の現れたもの。仁義礼智に力を付けて出るのが才だから、徳の上の才量のことである。天から拝領の才徳なので、御朱印の様なもの。しかし、放って置くことはできないので学ぶのがよい。「才須学也」。徳があってもそれが曲る。そこを学問で矯めるのである。学問をするのは矯揉をすること。学問がないと人は性善なものと言うだけで終える。性善だけで打ち捨てて置くのは、性善という宿札のあるだけで捨てて置く様なもの。学問をするとそれが広まる。これほどには孔明は思っていなかっただろうが、大学の八条目は広才のこと。近思録の十四巻も広才のこと。学問の矯揉で試さなければ広まらない。

○さて学問は結搆なものと学問に手柄を付て、其学問が静でなければ成就がないから非静無以成学と云。小学は静で、その上に大学と云ものがあるが、何叓も静を土臺にせ子ばならぬ。窮理と云も静が本とになら子ばならぬ。直方先生へ、誰かうかつに急になるものが、先生へもう一年早く見へたらよかろうと云たれは、直方先生の、もう一年早く来たらば一年早くやむであろうとなり。心のをちついた処から学問か成就してゆく。それがないと中から下できへてしまう。静と云は上の寧静のこと。寧静でないと慆慢と云。○慆慢はばっとしたこと。心がはっとなって、そは々々としまりのないこと。心がしまりなくそは々々するとべったりと惣体かをこたりてくる。○静と云が学問の惣名になり、斈問を精く吟味するを精義入神と云。致知挌物究理の道理のくはしいをまたもみがき々々々する。伽羅と抹香をきうけるよふなことではない。精微の精でいこう委しいこと。慆慢でべったりとなりてをるとそれがならぬ。無以致遠の裏釘をしめたもの。慆慢は上の寧静の反對。
【解説】
「非靜、無以成學。慆慢、則不能研精」の説明。心の落ち着いた処から学問が成就して行く。「寧静」でないのを「慆慢」と言う。慆慢になると総体が怠る。
【通釈】
さて学問は結構なものだと学問に手柄を付けて、その学問は静でなければ成就しないから「非静無以成学」と言う。小学は静で、その上に大学というものがあるが、何事も静を土台にしなければならない。窮理も静が本にならなければならない。直方先生に、誰が迂闊に急に成るものか、先生にもう一年早く合えたらよかっただろうと言うと、直方先生が、もう一年早く来ていれば一年早く辞めていただろうと言った。心の落ち着いた処から学問が成就して行く。それがないと中から下で消えてしまう。静は上の寧静のこと。寧静でないのを「慆慢」と言う。慆慢はばっとしたこと。心がばっとなって、そわそわと締まりのないこと。心に締まりがなくてそわそわとすると、べったりと総体が怠って来る。静が学問の総名になる。学問を精しく吟味することを「精義入神」と言う。致知格物窮理で道理の精しいことをまたも磨きをかける。それは伽羅と抹香を嗅ぎ分ける様なことではない。精微の精なので大層委しいことだが、慆慢でべったりとなっているとそれができない。ここは無以致遠の裏釘を締めたもの。慆慢は上の寧静の反対である。
【語釈】
・精義入神…易経繋辞伝下5。「精義入神、以致用也。利用安身、以崇德也。過此以往、未之或知也。窮神知化、德之盛也」。

○險躁は上の澹泊の反對を云たことで、心の動くことぞ。慆慢はなんとなくしまりのないこと。是險躁は欲に引れてあちこちすること。躁はさはがしいことで、險はあぶないこと。欲のあるはきょっ々々々とあぶないものぞ。人欲を目がけてきょっ々々々とさはぐ。○性は德性ゆへ上儉以養德のことにかかる。句讀などが初心な云分ぞ。理の字にこまりて気質の性じゃと云た。なぜなれば、本然は手を付ることはない。理るとあるから氣質を理ると見た。そうでないなり。理は脩理とつつき、何でも心法の工夫、存養の功夫をすることを云。凡功夫は皆脩理ぞ。欲がなければ性が理められるが、欲があるゆへ心法の功夫してもなら子ば存羪の功夫してもならぬ。欲がなければ何が来てもふりむかぬが、欲があると振り向て動く故、德を養ふことがならぬ。是迠のこと、前に云通り静以脩身と儉以養德を上にをいて、二筋にして皆ひとつ塲へもっていって説くこと。前に夫学須静からははだをかへて云が、ぶんなことではない。偖是れ程なことが孔明の胸から出てこふ云ことなれとも、心掛がわるいとならぬ。学問はこのやふに六ヶ鋪ことそ。それを合点しても及ぬと云てをく。及ぬは我がぶら々々してをるゆへなり。ぶら々々してをる内に日月はずう々々と向へゆき、此方の学問はじっとしてをる。さっき講釈を始たときと今はもふちがう。
【解説】
「險躁、則不能理性。年與時馳、意與歳去」の説明。「険躁」は「澹泊」の反対で、欲に引かれて心が動くこと。「理」は気質の性を理めることではなく、心の功夫、存養の功夫をすること。欲がなければ性を理めることができる。学問は大変なことなので、それを理解はしても及ばないと言うのは、自分がぶらぶらとしているからである。
【通釈】
「険躁」は上の澹泊の反対を言ったことで、心の動くこと。慆慢は何となく締まりのないことで、この険躁は欲に引かれてあちこちすること。躁は騒がしいことで、険は危ないこと。欲があるときょろきょろとして危ないもの。人欲を目掛けてきょろきょろと騒ぐ。「性」は徳性なので上の倹以養徳のことに掛かる。句読などは初心な言い分である。理の字に困って気質の性だと言った。それは何故かと言うと、本然は手を付けることはない。理めるとあるから気質を理めると見た。しかし、そうではない。理は修理と続き、何でも心法の工夫、存養の功夫をすることを言う。凡そ功夫は皆修理である。欲がなければ性が理められるが、欲があるので心法の功夫をしてもうまく行かなければ存養の功夫してもうまく行かない。欲がなければ何が来ても振り向かないが、欲があると振り向いて動くので、徳を養うことができない。これまでのことは、前に言った通り静以修身と倹以養徳を上に置いて、二筋にして皆一つ場へ持って行って説くこと。前にある夫学須静からは肌を変えて言うが、それと別なことではない。さて、これほどのことが孔明の胸から出たのだが、心掛けが悪いとうまく行かない。学問はこの様に難しいこと。それを合点しても及ばないと言って済ます。及ばないのは自分がぶらぶらとしているからである。ぶらぶらとしている内に日月はずんずんと向こうへ行き、自分の学問はじっとしている。先ほど講釈を始めた時と今とはもう違う。

○枯落は、動物は死とをつるゆへ落と云でなりはてること。其時ああ若い時から精出して学問すればよかったと云てももう役に立ぬ。○究廬はさび々々としたこと。すみあれ屋根に穴があき、壁の穴のあいて貧乏者のやふなことで年寄たこと。ざん子んじゃと云ても年寄てはならぬ。浅見先生が、兎角はせると云はなつ々々と思ふたにはや秋になると歌を引れた。きのふまて早苗とりしかいつのまに稲葉そよきて秋風ぞ吹。さて某もう一つ引く歌がある。何事も行て祷らんと思ひしに神無月にもなりにけるかな。末書が陶淵明の盛年再不来と朱子の勧学の文を引た。貝原も備考に引てあったと思た。
【解説】
「遂成枯落、悲歎窮廬、將復何及也」の説明。年を取ってから、若い時に学問をして置けばよかったと言うのは手遅れである。
【通釈】
「枯落」は、動物は死ぬと落ちるので「落」と言い、成り果てること。その時にああ若い時から精出して学問をすればよかったと言ってももう役に立たない。「窮廬」は寂々としたこと。荒み荒れて屋根に穴が開き、壁に穴が開いて貧乏者の様になって年寄ったこと。残念だと言っても年寄っては何もできない。浅見先生が、とかく馳せるというのは、夏々と思うたに早秋になると歌を引かれた。昨日こそ早苗とりしがいつのまに稲葉そよぎて秋風ぞ吹く。さて私にもう一つ引く歌がある。何事も行きて祈らむと思いしに神無月にもなりにける哉。末書は陶淵明の盛年不重来と朱子の勧学の文を引いたもの。貝原も備考に引いていたと思う。
【語釈】
・きのふまて早苗とりしかいつのまに稲葉そよきて秋風ぞ吹…古今和歌集。「きのふこそさなへとりしかいつのまにいな葉そよぎて秋風の吹」。
・何事も行て祷らんと思ひしに神無月にもなりにけるかな…曾禰好忠。「何事も行きて祈らむと思ひしに神無月にもなりにける哉」。
・盛年再不来…陶淵明雑詩12首其1。「人生無根蔕、瓢如陌上塵。分散随風転、此已常身非。落地成兄弟、何必骨肉親。得歓当作楽、斗酒聚比隣。盛年不重来、一日難再晨。及時当勉励、歳月不待人」。
・勧学…朱子偶成。「少年易老學難成。一寸光陰不可輕。未覺池塘春草夢。階前梧葉已秋声」。


嘉言9
○柳玼嘗著書、戒其子弟曰、夫壞名災己、辱先喪家。其失尤大者五。宜深誌之。其一、自求安逸靡甘澹泊、苟利於己不恤人言。其二、不知儒術、不悦古道、懵前經而不恥、論當世而解頥、身既寡知惡人有學。其三、勝己者厭之、佞己者悦之、唯樂戲談、莫思古道、聞人之善嫉之、聞人之惡揚之、浸漬頗僻、銷刻德義。簪裾徒在、廝養何殊。其四、崇好優遊、耽嗜麯蘖、以衘杯爲高致、以勤事爲俗流。習之易荒、覺已難悔。其五、急於名宦匿近權要、一資半級雖或得之、衆怒羣猜、鮮有存者。余見名門右族、莫不由祖先忠孝・勤儉、以成立之、莫不由子孫頑率・奢傲、以覆墜之。成立之難、如升天、覆墜之易、如燎毛。言之痛心。爾宜刻骨。
【読み】
○柳玼[りゅうへん]嘗て書を著し、其の子弟を戒めて曰く、夫れ名を壞[やぶ]り己に災し、先を辱しめ家を喪[うしな]う。其の失の尤も大なる者五つ。宜しく深く之を誌[しる]すべし。其の一、自ら安逸を求め澹泊に甘んずること靡く、苟も己を利して人の言を恤[うれ]えず。其の二、儒術を知らず、古道を悦ばず、前經に懵[くら]くして恥じず、當世を論じて頥[い]を解き、身既に知ること寡くして人の學有るを惡む。其の三、己に勝る者は之を厭い、己に佞う者は之を悦び、唯戲談を樂しみ、古道を思うこと莫く、人の善を聞きては之を嫉み、人の惡を聞きては之を揚げ、頗僻[はへき]に浸漬し、德義を銷刻す。簪裾[しんきょ]徒[いたずら]に在るも、廝養[しよう]と何ぞ殊ならん。其の四、優遊を崇び好み、麯蘖[きくげつ]を耽り嗜み、杯を衘[ふく]むを以て高致と爲し、事を勤むるを以て俗流と爲す。之に習えば荒[すさ]み易く、覺るとも已に悔い難し。其の五、名宦に急にして權要に匿れ近づき、一資半級或は之を得ると雖も、衆怒り羣猜[そね]み、存する者有ること鮮し。余、名門右族を見るに、祖先の忠孝・勤儉に由りて、以て之を成立せざる莫く、子孫の頑率・奢傲に由りて、以て之を覆墜せざる莫し。成立の難きは、天に升るが如く、覆墜の易きは、毛を燎[や]くが如し。之を言いて心を痛む。爾宜しく骨に刻むべし、と。

○柳玼嘗著書戒其子弟曰云々。名は自己の名を云。壊ると云が疵を付ることなり。惣体名斗り壊ると云ことはないものなり。実を壊るから名をやぶる。侍ではないと云は侍にあるまい心を持ち、金銭をほしがり、博樗を打、人間にあるまいことをする。そこで遠嶋改易になりて先祖迠名が出る。古今方々を見るに、禍にをふた人門に武運長久と云札が張てあるが、其亭主はとうに遠嶌になってをる。其病根が五色ある。これからか先きの五つがいかう親切。先生笑曰、中蕐の手嶋也。これを假名になをしたらば、大名小名朔日十五日よむがよし。警戒に甚たよかろう。
【解説】
「柳玼嘗著書、戒其子弟曰、夫壞名災己、辱先喪家。其失尤大者五。宜深誌之」の説明。実を壊るので名を壊ることになる。古今栄えた家が子孫によって潰されるもの。その原因の主なものは五つある。
【通釈】
「柳玼嘗著書戒其子弟曰云々」。「名」は自分の名のこと。「壊」というのが疵を付けること。総体名ばかりを壊るということはないもので、実を壊るから名を壊る。侍ではないと言うのは侍にあるまい心を持ち、金銭を欲しがり、博打を打ち、人間にあるまいことをするからである。そこで遠島改易になって先祖までの名が出る。古今方々を見ると、禍に遭った人門に武運長久という札が張ってあるが、その亭主はとっくに遠島になっている。その病根が五色ある。これ先の五つが大層親切なこと。先生が、中華の手島堵庵だと笑って言った。これを仮名に直して大名小名は朔日と十五日に読むのがよい。甚だ警戒によいだろう。
【語釈】
・柳玼…字は直清。唐代の名門の人。

○求安逸は、手もなくらくがしたいと云ことなり。とふやら老荘めいたことなれとも、體のたわけとなること。西行や一休は異端なれとも欲がない。今のらくをしたいと云て巨燵にをる人はさま々々な欲がある。○苟利於己不恤人言。先生笑曰、いやはや殊外的中なことぞ。手前の工面のよいやうに斗りして、人の言はとんとかまわぬ。自己の勝手によいことがあると、人がわるく云てもなんとも思はぬ。詩經にも人之言可畏とあるが、人がなんと云たとてかもうものかと云。人欲のつよみの勝手をみせたもの。
【解説】
「其一、自求安逸靡甘澹泊、苟利於己不恤人言」の説明。第一に楽をすることを欲すること。それで様々な欲が出る。また、自分の工面ばかりを構って人の意見を聞かないこと。
【通釈】
「求安逸」は、簡単に楽をしたいということ。これがどうやら老荘めいたことだが、体が戯けになること。西行や一休は異端だが欲がない。今、楽をしたいと言って炬燵にいる人には様々な欲がある。「苟利於己不恤人言」。先生が、いやはや殊の外的中したことだと笑って言った。自分の工面のよい様にばかりして、人の言には全く構わない。自分の勝手によいことがあると、人がそれを悪く言っても何とも思わない。詩経にも「人之言可畏」とあるが、人が何と言おうが構うものかと言う。これが人欲の強みの勝手を見せたもの。
【語釈】
・人之言可畏…詩経国風鄭将仲子。「仲可懷也、人之多言、亦可畏也」。

○不知儒術。前経にくらしとは甚たすみけのないことぞ。直方先生の弟子の杦森養德が腹に墨気がないと云ことを云へり。書を読まぬ者のことなり。書を読まぬ故、我胸に明德と云字もなければ新民と云字がない。垩賢のことが書にのってある。その古のことをしらずともなんとも思はぬ。咫尺之間のことより外はしらぬ。なぜなれば、前経に懵いゆへなり。学問すれば古の垩賢の咄をしてをるが、何も知らぬから役に立ぬ咄を面白そふに笑ふ。○解頥を医書などにあごのはなれることに云ふが、そうではない。あごのはなれるほどに笑ふこと。頓と熱気にも寒へにもならぬことを火鉢を弄りながら笑てをる。何にも知ることなく、己が知らぬ斗りでをればよいが、人の知たをいやがる。なぜなれば、我を輕んじられよふとてのこと。人が学問をすれは、火の用心がわるいの借た金を返さぬのと云なればきろうもきこへたが、そうではない。たた我をやすくされると思ふなり。君子は人をたわけと云顔をせぬもの。其外がする。
【解説】
「其二、不知儒術、不悦古道、懵前經而不恥、論當世而解頥、身既寡知惡人有學」の説明。二つ目は、書を読まないこと。古のことを知らず、目先のことだけをする。そこで、役に立たないことを話して笑っている。その上、人が知ることを嫌がる。それは自分が軽んじられると思うからである。
【通釈】
「不知儒術」。前経に懵いと言うのは甚だ墨気のないこと。直方先生の弟子の杉森養徳が腹に墨気がないということを言った。これが書を読まない者のこと。書を読まないので、自分の胸に明徳という字も新民という字もない。書には聖賢のことが載っている。その古のことを知らなくても何とも思わない。咫尺の間のことの外は知らない。それは何故かと言うと、前経に懵いからである。学問をすれば古の聖賢の話をするものだが、何も知らないから役に立たない話をして面白そうに笑う。「解頥」は、医書などには頤の離れることとあるが、ここはそうではない。頤の離れるほどに笑うこと。熱気にも寒気にも全くならないことなのに、火鉢を弄りながら笑っている。何も知ることがなくても、自分が知らないだけでいればよいが、人が知るのを嫌がる。それは何故かと言うと、自分が軽んじられると思うからである。人が学問をして、火の用心の仕方が悪いとか、借りた金を返せと言えば、それを嫌うのもよくわかるが、そうではない。ただ自分を卑くされると思う。君子は人を戯けとする様な顔はしないもの。君子以外がそんな顔をする。
【語釈】
・杦森養德…杉森養德。長崎の人。通詞。佐藤直方門下。後に稲葉迂斎に学ぶ。

○勝己者云々。偖々人情にあること。のり出て口をききたいが、自己より上だと口がきかれぬゆへ、いやなり。茶飯を振舞も諂者をよんで振舞ふ。○唯樂戯談は、をかしい咄をすることをうれしかる。歴々へ伽に行くも、まつは戯譃の上手な者が出入。そなたの来たて今夜久しぶりで大笑ひをしたと云。兎角をどけを人か好むものなり。○古道を知るとちょっ々々々とふりかへりて見る。ふりかへりてみるとわるいことはせぬ。古道を思はぬゆへ勝手次第をする。筆道も知らずにちくらやうをかくやうなもの。○嫉之は、しっとの気味。美女がくると邪魔になるゆへ悪女かにくむ。善いことは邪魔なもの。きらしてがあると我がしわいにさわるゆへ、それはをこりと云ものじゃと云。悪いことがあると云といかひよろこび。迂斎の、人が人のわるいことはよろこぶものじゃ、御暇と云てたた多葉粉入をしまっても、人のわるい咄が出るとまた多葉粉入を出すと云た。悦人之悪と云咄に舎人殿が、或者か湯治に行て土産を買てこぬゆへ、家内の者ともがなぜ土産を買て御出なされぬと云たれば、いやをれが土産よりよいものをかふてきた、人の噂を聞て来たが、これを咄したら大概の土産より皆がよろこぶであろふと云たと云へり。
【解説】
「其三、勝己者厭之、佞己者悦之、唯樂戲談、莫思古道、聞人之善嫉之、聞人之惡揚之」の説明。三つ目は、自分より優れた者を嫌い、佞者を喜ぶ。古道を思わず勝手次第をし、人の善いことを妬み、人の不運や失敗を喜ぶ。
【通釈】
「勝己者云々」。実にこれが人情である。乗り出て口を利きたいが、自分よりも上だと口が利けないので嫌なのである。茶飯を振舞うにも諂う者を呼んで振舞う。「唯楽戯談」は、可笑しい話をするのを嬉しがること。歴々へ伽に行くにも、先ずは戯けの上手な者が出入する。貴方が来たので今夜は久し振りに大笑いをしたと言う。とかく人は戯けを好むもの。「古道」を知るとしばしば振り返って見る。振り返って見ると悪いことはしない。古道を思わないので勝手次第をする。筆道も知らずにちくら様を書く様なもの。「嫉之」は嫉妬の気味。美女が来ると邪魔になるので悪女が憎む。善いことは邪魔なもの。金離れのよい者がいると自分が吝いのに障るので、それは奢りというものだと言う。人に悪いことがあれば大層喜ぶ。迂斎が、人は他人に悪いことがあると喜ぶもので、御暇と言って煙草入れをしまっても、人の悪い話が出るとまた煙草入れを出すと言った。「悦人之悪」という話で舎人殿が言った。或る者が湯治に行って土産を買って来ないので、家内の者共が何故土産を買って来られなかったのかと聞くと、いや俺は土産よりもよいものを買ってきた。人の噂を聞いて来たので、これを話したら大概の土産よりも皆が喜ぶことだろうと言った、と。
【語釈】
ちくらやう
・舎人…小野崎舍人。本姓は在原。名は師由。初め團六と称す。秋田藩支封老職。宝暦2年(1752)10月8日、江戸にて没。年68。直方没後、三宅尚齋に学ぶ。子は師德。

○頗僻はかたっほうへよりたこと。よこそっほうにつんむいた、よくないことぞ。○浸漬しは、ひたしつけるでじっくとなること。わるい方へそのやうにひたる。去年池に入れた杉皮のやうじゃ。○銷は、けすと云字で德義のなりをなくすこと。金目拔も火の中へいるときへる。金を火に入れ、一角をやすりでをろすやふで、道德の形をなくすこと。○簪は冠のこと。そうすると冠をきたきりのこと。猿に烏帽子をきせたやふなもの。簪裾きりで歴々ではない。
【解説】
「浸漬頗僻、銷刻德義。簪裾徒在、廝養何殊」の説明。それで、悪い方へ浸漬し、德義がなくなる。その様な人は猿に烏帽子を着せた様なもの。
【通釈】
「頗僻」は片方に寄ったことで、横外方に向いてよくないこと。「浸漬」は、浸し漬けるのでじっくりとなること。悪い方へその様に浸る。去年池に入れた杉皮の様である。「銷」は、消すという字で徳義の形をなくすこと。金の目貫も火の中へ入れると消える。金を火に入れ、一角をやすりで下ろす様で、道徳の形をなくすこと。「簪」は冠のこと。そうすると冠を着ただけのことで、猿に烏帽子を着せた様なもの。簪裾だけでは歴々ではない。
【語釈】
・一角…ウニコール。一角獣。漢方薬になる。

○優遊は詩経の字。家語などにもあり、ゆっくりとしたこと。よい方へも用る字ぞ。のっしりとし、のろりとしてをるを此上ない結搆なことじゃと思。○麯蘖はこうじのこと。こうじ好きと云ことではない。酒のことなれとも、しらで云はぬこと。金をと云はずに山吹色と云やうなもの。これをいかふ高上なことに思ひ、酒を飲をいこうけたかいことに位を付たがる。人欲に表具をするやふなもの。飲ぬ者をば下目にみる。晋の世でも飲たとけだかいことにしてある。○勤事は、歴々は登城をすると毎日出、百姓は耕作をすること。それをひくいことに云。らくをすることをよいとするゆへ、これにはなれやすいなり。○習之易荒は入り口ち。○覚己難悔はなりすました処なり。なりすましてはやめられぬもの。
【解説】
「其四、崇好優遊、耽嗜麯蘖、以衘杯爲高致、以勤事爲俗流。習之易荒、覺已難悔」の説明。四つ目は、ゆったりとして、酒に耽ることを高上なことと思う。仕事をするのを卑いことだと思う。
【通釈】
「優遊」は詩経の字。家語などにもあり、ゆっくりとしたこと。よい方へも用いる字だが、のっしりと、のろりとしていることをこの上ない結構なことだと思う。「麯蘖」は麹のことだが、麹好きということではない。酒のことだが、直接酒とは言わない。それは、金と言わずに山吹色と言う様なもの。これを大層高上なことと思い、酒を飲むのを大層気高いこととして位を付けたがる。それは人欲に表具をする様なもの。飲めない者を下目に見る。晋の世でも飲むことを気高いことにしてある。「勤事」は、歴々が登城をするために毎日出て、百姓が耕作をすること。それを卑いことに言う。楽をすることをよいと思うので、これには慣れ易い。「習之易荒」は入口。「覚己難悔」は成り済ました処。成り済ましては止められないもの。
【語釈】
・優遊…詩経では、小雅白駒、采菽、大雅巻阿にある。孔子家語では、儒行解と子路初見にある。

○急於名官と云ことが田舎にはすくないから、これだけ学問をするによい。兎角名官の重い高官の人になりたいと云が第一。名とは一目立た官位になりたいと立身を願ひ、我が器量を磨礱ことは第二段にしてをく。○權は権門のことなり。○要は政をするから云ことそ。人を取り上る方へそっとゆく。よく考てみるがよい。悪所でも行くならそっと行きそうなもの。重い人の処へ行にそっと行かずとよさそうなことなれとも、行ずとすむに行からこそ々々と行く。人の知らぬやうに近付になりたい。○一資半級はすこしよい位のこと。少しよくてもまだ人がさま々々と批判する。大官大禄になりてもと云はず、一資半級と出したが思入ありて云はれたことなり。少し斗りは聞こともあろうが、しょせんよくなってもけいはくでよくなった。出世はあと迠つついた者はない。思へばあほうな骨折心遣と云もの。よいことは道理のなりにはへたことゆへなくなることはない。道理にそむいたことゆへ存しよう筈はないなり。
【解説】
「其五、急於名宦匿近權要、一資半級雖或得之、衆怒羣猜、鮮有存者」の説明。五つ目は、名官を得ようと人を採り上げる人の所へ隠れて行く。それで少々よい官を得たとしても、それは軽薄でなったことなので長続きはしない。
【通釈】
「急於名官」ということが田舎には少ないから、それだけ学問をするにはよい。とかく名官で重い高官の人になりたいというのが第一。名は一目立った官位で、それになりたいと立身を願い、自分の器量を磨くことは第二段にして置く。「権」は権門のこと。「要」は政をすることで言う。人を採り上げる方へそっと行く。よく考えて見なさい。悪所でも行くのならそっと行きそうなもの。重い人の処へ行くのにそっと行かなくてもよさそうなものだが、行かなくてもよい所へ行くからこそこそと行く。人の知らない様に近付きになりたいのである。「一資半級」は少しよい位のこと。少しよくなってもまだ人が様々に批判をする。大官大禄になってもとは言わずに一資半級と出したのが思い入れあって言われたこと。少しばかりは効果もあるだろうが、よくなっても所詮は軽薄でよくなったのである。出世が後まで続いた者はいない。思えば阿呆な骨折心遣いというもの。よいことは道理の通りに生えたことなので、なくなることはない。これは道理に背いたことなのであり続ける筈はない。

○名門右族は名ある家と云こと。井伊・本多・榊原と云やうなもの。○祖先忠孝云々。先祖が此通りの德をもふけてをるゆへ、それからあの通りになりたもの。憂患に生きて安楽に死で先祖は皆忠孝勤儉なれとも、子孫は安楽にそたったゆへ、世の中をいたひことともかゆいことともしらず、憂目つらい目にあわぬから、さま々々なをごりをし、先祖は甲冑で知行も取りたが、もう縮緬も重ひと云。或は手前の氏を鼻にかけ、歴々筋なれともついそれからつぶれるやふにもなる。百姓なれば先祖は雨風にうたれて身上あげたに、子孫は百姓と云姿はなく、身分不相応なことをし、邑の者にををへいをしてつい身帯をつぶす。一文の銭をためて千两にすることゆへ、天へのぼるやうなことなり。それを忽ちになくしてしまう。これを思ばいこうこわいことじゃ。○燎毛は手もないこと。桺玼がいかう重い家で、家法ありなどと云もこのやふなことであろう。廣く教のことを云でなく、子孫をつかまへて云が親切なり。○刻骨は死でも忘れるなと云こと。今これをきくものが直きに自己へ體歛[ひきつけ]て宜刻骨と云ほどてなければ役に立ず。内篇の立教に、為師者知所以教、而弟子所以学がこれなり。異見を上をとをすと云やうではわるいことなり。
【解説】
「余見名門右族、莫不由祖先忠孝・勤儉、以成立之、莫不由子孫頑率・奢傲、以覆墜之。成立之難、如升天、覆墜之易、如燎毛。言之痛心。爾宜刻骨」の説明。先祖は皆忠孝勤倹であっても、子孫は安楽に育ったので奢る。それで家や身代を潰すことになる。身代を盛り上げるのは天に昇るほどのことだが、それを潰すのは忽ちのこと。
【通釈】
「名門右族」は名のある家のこと。井伊・本多・榊原という様なもの。「祖先忠孝云々」。先祖がこの通りの徳だったので、それからあの通りになったのである。憂患に生きて安楽に死んで、先祖は皆忠孝勤倹だったが、子孫は安楽に育ったので、世の中が痛いとも痒いことも知らず、憂き目辛い目に遭わないから、様々な奢りをする。先祖は甲冑で知行も取ったが、もう縮緬も重いと言う。或いは自分の氏を鼻に掛けるので、歴々の筋でも遂にそれで潰れる様にもなる。百姓であれば先祖は雨風に打たれて身上を上げたのに、子孫は百姓という姿ではなく、身分不相応なことをして、邑の者に大柄をして遂に身代を潰す。一文の銭を貯めて千両にすることなので、天へ昇る様なことである。それを忽ちになくしてしまう。これを思えば大層恐いこと。「燎毛」は手もないこと。柳玼は大層重い家で、家法があるというのもこの様なことだろう。広く教えのことを言うのではなく、子孫を掴まえて言うのが親切である。「刻骨」は死んでも忘れるなということ。今これを聞く者が直ぐに自分に引き付けてて「宜刻骨」と言うほどでなければ役に立たない。内篇の立教の「為師者知所以教、而弟子知所以学」がこれ。異見を通す様では悪い。
【語釈】
・為師者知所以教、而弟子所以学…小学立教題下。「俾爲師者知所以敎、而弟子知所以學」。