嘉言10
○范魯公質爲宰相。從子杲嘗求奏遷秩。質作詩曉之。其略曰、戒、爾學立身、莫若先孝悌。怡怡奉親長、不敢生驕易。戰戰復兢兢、造次必於是。戒、爾學干祿、莫若勤道藝。嘗聞諸格言。學而優則仕。不患人不知、惟患學不至。戒、爾遠恥辱。恭則近乎禮。自卑而尊人、先彼而後己、相鼠與茅鴟、宜鑑詩人剌。戒、爾勿放曠。放曠非端士。周・孔垂名敎。齊・梁尚清議、南朝稱八達、千穢青史。戒、爾勿嗜酒。狂藥非佳味。能移謹厚性、化爲凶險類。古今傾敗者、歴歴皆可記。戒、爾勿多言。多言衆所忌。苟不愼樞機、災厄從此始。是非毀譽間、適足爲身累。舉世重交游、擬結金蘭契。忿怨容易生、風波當時起。所以君子心、汪汪淡如水。舉世好承奉、昂昂增意氣。不知承奉者、以爾爲翫戲。所以古人疾、籧篨與戚施。舉世重游俠、俗呼爲氣義。爲人赴急難、往往陷囚繋。所以馬援書殷勤戒諸子。舉世賤清素、奉身好華侈、肥馬衣輕裘、揚揚過閭里。雖得市童憐、還爲識者鄙。我本覉旅臣、遭逢堯・舜理。位重才不充、戚戚懷憂畏。深淵與薄冰、蹈之惟恐墜。爾曹當閔我。勿使增罪戻。閉門歛蹤跡、縮首避名勢。勢位難久居。畢竟何足恃。物盛則必衰。有隆還有替。速成不堅牢。走多顚躓。灼灼園中花、發還先萎。遲遲澗畔松、鬱鬱含晩翠。賦命有疾徐。青雲難力致。寄語謝諸郎。躁進徒爲耳。
【読み】
○范魯公質は宰相爲り。從子杲[じゅうしこう]嘗て奏して秩を遷さんことを求む。質、詩を作りて之を曉す。其の略に曰く、戒む、爾身を立てることを學ばば、孝悌を先にするに若くは莫し。怡怡として親長に奉じ、敢て驕易を生ぜず。戰戰復た兢兢、造次も必ず是に於てせよ。戒む、爾祿を干むることを學ばば、道藝を勤むるに若くは莫し。嘗て諸を格言に聞く。學びて優なれば則ち仕う。人の知らざるを患えず、惟學の至らざるを患う、と。戒む、爾恥辱に遠ざかれ。恭しければ則ち禮に近づく。自ら卑くして人を尊び、彼を先にして己を後にし、相鼠と茅鴟[ぼうし]と、宜しく詩人の剌[そしり]を鑑むべし。戒む、爾放曠なること勿かれ。放曠なるは端士に非ず。周・孔名敎を垂る。齊・梁清議を尚び、南朝に八達と稱し、千青史を穢す。戒む、爾酒を嗜むこと勿かれ。狂藥にして佳味に非ず。能く謹厚の性を移し、化して凶險の類と爲る。古今傾敗する者歴歴として皆記す可し。戒む、爾多言なること勿かれ。多言は衆の忌む所。苟も樞機を愼まざれば、災厄此より始まる。是非毀譽の間、適に身の累を爲すに足る。世を舉げて交游を重んじ、金蘭の契を結ばんと擬す。忿怨容易に生じ、風波時に當りて起る。所以に君子の心は汪汪として淡きこと水の如し。世を舉げて承奉を好み、昂昂として意氣を增す。承奉する者の爾を以て翫戲と爲すを知らず。所以に古人は籧篨[きょじょ]と戚施とを疾[にく]めり。世を舉げて游俠を重んじ、俗呼びて氣義と爲す。人の爲に急難に赴き、往往にして囚繋に陷る。所以に馬援の書、殷勤に諸子を戒む。世を舉げて清素を賤しみ、身を奉じて華侈を好み、肥えたる馬に輕き裘を衣、揚揚として閭里を過ぐ。市童の憐を得ると雖も、還て識者の鄙と爲る。我は本覉旅[きりょ]の臣、堯・舜の理に逢うに遭う。位重くして才充たず、戚戚として憂畏を懷く。深淵と薄冰と、之を蹈みて惟墜ちんことを恐る。爾が曹[ともがら]當に我を閔むべし。罪戻を增さしむること勿かれ。門を閉じて蹤跡を斂め、首を縮めて名勢を避く。勢位は久しく居り難し。畢竟何ぞ恃むに足らん。物盛んなれば則ち必ず衰う。隆有れば還て替有り。速かに成れば堅牢ならず。かに走れば多くは顚躓[てんち]す。灼灼たる園中の花、く發けば還て先ず萎む。遲遲たる澗畔の松、鬱鬱として晩翠を含む。賦命は疾徐有り。青雲力めて致し難し。語を寄せて諸郎に謝す。躁進は徒爲のみ、と。

十二月六日
【語釈】
・十二月六日…寛政元年(1789)12月6日。

○范魯公質は出処はすたった人なれとも、全体の人品は余程よい。偖、爰で出処の吟味は入らさることなれとも、是を云が吾黨諸先軰よりの流義なり。前にも後主と云処て、後主と書く筈ではない、後帝と書く筈と云がひょんなことをことわがるやうなれとも、頓とここらのあんばいが世間の儒者の知らぬことなり。范魯公質は本と五代の宰相で、それが宋の太祖へぢきに降参した。またそれから宋の宰相になられた。靖献遺言などではのぞみにないことぞ。されとも此語はよい故朱子の引れたことなり。○従子の従は子なみと云こと。そこでをひのこと。従父はをやなみと云こと。そこで叔父のこと。ここも我子なみと云ことなり。甥のことぞ。叔父が御老中をつとめてをるゆへ、叔父の手さきで格式をよくしたい願ひ。それが甚た范魯公質の気に入らぬ。不埒千万と呵るほどなことを詩を作て戒が、向をほぎ々々とさせることぞ。此詩などは唐の詩のやふに名人と云はれまいが、役に立つ詩なり。なにほど巧みに作ても、人の興起する詩でなければ詩の本意ではない。此等は若ひ者の戒になり、偖のりのつく詩なり。
【解説】
「范魯公質爲宰相。從子杲嘗求奏遷秩。質作詩曉之」の説明。范魯公質の従子が、叔父が高官なのを頼りに格式をよくしたいと願った。そこで、范魯公質は詩でそれを戒めた。
【通釈】
范魯公質は出処の廃った人だが、全体の人品は余程よい。さて、ここで出処の吟味は要らないことだが、これを言うのが我が党諸先輩よりの流儀である。前にも後主と言う処で、後主と書く筈ではない、後帝と書く筈だと言うのがひょんなことに拘る様だが、ここらの塩梅が世間の儒者の全く知らないこと。范魯公質は元は五代の宰相で、それが宋の太祖へ直に降参した。またそれから宋の宰相になられた。これが靖献遺言などでは望ましくないこと。しかし、この語はよいので朱子が引かれたのである。「従子」の従は子並みということ。そこで甥のこと。従父は親並みということ。そこで叔父のこと。ここも我が子並みということで、甥のこと。叔父が御老中を勤めているので、叔父の手先によって格式をよくしたいと願った。それが范魯公質は甚だ気に入らない。不埒千万と呵るほどなことを詩を作って戒めるのが、相手をほぎほぎとさせるもの。この詩などは唐の詩の様な名人のものとは言えないが、役に立つ詩である。どれほど巧みに作っても、人の興起する詩でなければ詩の本意ではない。これらは若い者の戒めになり、さて、乗りの付く詩である。
【語釈】
・范魯公質…范質。字は文素。
・前にも後主と云処…小学内篇嘉言7を指す。

立身は手前の身を建立すること。○驕易などと云が、古人の了簡は別なものぞ。兄弟中のわるいも親子中のわるいも我方の高ぶりから出ること。それゆへ是を頓と取てのけることなり。易はものをかろ々々しくすること。親のことも兄のこともかるはづみにする。これが若ひ者の甚た戒めになることなり。親や兄が文盲じゃと、それが顔に出て無礼が出る。○道藝は、二つにはなすことではない。道德が出来、をし立て一人前のなるは六藝を合はせて云。○格言はいたった辞と云ことで、垩賢の語は道理のぎり々々につまったもの。○学而優則仕は論吾の字。斈問してこちに道理がたっふりとあると奉公をする。こちに明德が出来て新民をするなり。医学が出来て療治をするやうなもの。冝敷披露を頼むと云やふなことはない筈。とかくどこ迠もまだ学問が足らぬ々々々と思ふ。何んでも名人と云にはなられぬものぞ。学問などはましてのことなり。
【解説】
「其略曰、戒、爾學立身、莫若先孝悌。怡怡奉親長、不敢生驕易。戰戰復兢兢、造次必於是。戒、爾學干祿、莫若勤道藝。嘗聞諸格言。學而優則仕。不患人不知、惟患學不至」の説明。「驕易」は高ぶることと見下すこと。人を頼るのではなく、自分が学問を身に付けるのが先だと言う。
【通釈】
立身は自分の身を建立すること。「驕易」などというのが、古人の了簡は別格なもの。兄弟仲が悪いのも親子仲が悪いのも自分の高ぶりから出ること。そこで、これをすっかりと取って除けなければならない。「易」はものを軽々しくすること。親のことも兄のことも軽はずみにする。これが若い者の戒めに甚だなること。親や兄が文盲だと、それが顔に出て無礼が出る。「道芸」は、二つに離して見ることではない。道徳ができて、それを押し立てて一人前になるのだが、それに六芸を合わせて言う。「格言」は至った辞ということで、聖賢の語は道理のぎりぎりに詰まったもの。「学而優則仕」は論語の字。学問をして、こちらに道理がたっぷりとあれば奉公をする。こちらに明徳ができて新民をする。それは、医学ができて療治をする様なもの。宜しく披露を頼むと言う様なことはない筈。とかく何処までもまだ学問が足りないと思う。簡単に名人にはなれないもの。学問などはましてのこと。
【語釈】
・学而優則仕…論語子張13。「子夏曰、仕而優則學、學而優則仕」。

○遠耻辱。人から辱をあたへられると云は、こちに辱をあたへられる根がなければあたへられぬものなり。鳶に糞をかけられたは無心なれとも、人からの辱を受るはそれとは違ふ。餘りすさいらしい顔をすると、なにあれがと云。○恭則近乎礼は、何事をするにも礼に遠くならぬやふに、礼へ々々とするがよい。礼は人を尊敬すること。辞譲の心なり。孟子が恭敬之心辞譲之端と云へり。○周孔云々。周公旦は周の宰相で天下へ教を施された。孔子は浪人ゆへ書を作て後世へ教をのこし、其教はなになれば、名教と云。名教は名についた処に教がある。父子と云名あれば孝と云教があり、君臣と云名があれば忠と云教がある。夫婦と云名があれば別と云教がある。悟をひらく筋とはちがう。一休や達磨の方では叔父も叔母もめっちゃにしてしまう。垩賢の教は心に如在のうても親や兄の前であぐらをかくなと云。
【解説】
「戒、爾遠恥辱。恭則近乎禮。自卑而尊人、先彼而後己、相鼠與茅鴟、宜鑑詩人剌。戒、爾勿放曠。放曠非端士。周・孔垂名敎」の説明。辱めを受けるのは自分にその根があるからである。礼をして人を尊敬しなければならない。周公旦と孔子によって名教が作られた。
【通釈】
「遠恥辱」。人から辱めを与えられるのは、こちらに辱めを与えられる根がなければ与えられないもの。鳶に糞を掛けられるのは無心だが、人からの辱めを受けるのはそれとは違う。あまり秀才らしい顔をすると、何あれがと言われる。「恭則近乎礼」は、何事をするにも礼に遠くならない様に、礼へ礼へとするのがよい。礼は人を尊敬することで、辞譲の心である。孟子が「恭敬之心」「辞譲之端」と言った。「周孔云々」。周公旦は周の宰相で天下に教えを施された。孔子は浪人なので書を作って後世へ教えを遺した。その教えは何かと言うと、名教と言う。名教は、名に付いた処に教えがあるということ。父子という名あれば孝という教えがあり、君臣という名があれば忠という教えがある。夫婦という名があれば別という教えがある。それは悟りを開く筋とは違う。一休や達磨の方では叔父も叔母も滅茶苦茶にしてしまう。聖賢の教えは心に如在がなくても親や兄の前で胡坐をかくなと言う。
【語釈】
・恭敬之心…孟子告子章句上6。「恭敬之心、禮也」。
・辞譲之端…孟子公孫丑章句上6。「辭讓之心、禮之端也」。

○南朝云々。晋の世でも賢とて山林へ引込で、ただ毎日咄をして世の中を非に見てをる。虚清の談と云て老荘をうしろ立にして、何や彼やと顔に筋を立て云もをかしいとて面白く話をしてをる。其時分甚だこれか流行て、其筋へ入らぬと俗人々々と云た。それから天下が南北にわかれて、これが七賢の後日。七賢はこれより余程前で、あまりこれから遠いことでもない。此時分、八人の達と云た。これも脇へ行てさま々々なことをしたぞ。晋の七賢は俗人めかぬ斗りでなく、まだどこにやらかたい塲もあった。八達になってはちらし髪になりてをり、其中には名高者もあり、世説などにもあいつか来たら酒を呑ませるなと云て門をたてたれば、犬の穴から入て酒を飲だなどと云、たわいもないことがある。どれも器量ものであったゆへ、世間でちがった者じゃと習ふ気になった。いやはや千古の若ひ者の害になる。○青はあを竹のこと。昔、紙のないときあを竹にきり付たぞ。それからして書物のことを青史と云。○偖て今日歴々衆などの誹諧をするは道落よりはよけれとも、これも何も知らぬ。老荘めいた風流を主にすれば清議の前立とも云べし。名教の害にもなるぞ。
【解説】
「齊・梁尚清議、南朝稱八達、千穢青史」の説明。天下が南北に分かれたのは七賢の時よりもかなり後だが、八達のしていたことは七賢とあまり変わず、むしろ悪くなった。今の俳諧なども風流を主にすれば清議の前立であり、名教の害となる。
【通釈】
「南朝云々」。晋の世でも賢として山林へ引き込んで、ただ毎日話をして世の中を非と見ていた。それを虚清の談と言い、老荘を後ろ立てにして、何やかやと顔に筋を立てて言うのも可笑しいことだと、面白く話をしていた。その時分は甚だこれが流行って、その筋へ入らないと俗人と言われた。それから天下が南北に分かれる。これは七賢の後のことで、七賢はこれより余程前のことだが、これとあまり違ったことでもない。この時分、八人の達と言った。これも脇へ行って様々なことをした。晋の七賢は俗人めかないだけでなく、まだ何処かには堅い場もあった。八達になっては散らし髪になり、その中には名高い者もいたが、世説などにもあいつが来たら酒を呑ませるなと言って門を立てて置くと、犬の穴から入って酒を飲んだなどという、他愛もないことがあった。どれも器量者だったので、世間では違った者だと見て習う気になった。いやはや、これが千古の若い者の害になる。「青」は青竹のこと。昔、紙のない時には青竹に切り付けて書いた。それからして書物のことを青史と言う。さて今日歴々衆などの俳諧をするのは道楽よりはよいが、これも何も知らない。老荘めいた風流を主にすれば「清議」の前立とも言える。それが名教の害にもなる。

○佳味はよろしうないものじゃと云こと。うまくないものと云ことではない。平生いこう実体なかたい人も一盃のむと余の了簡になる。移すがこまりたもの。あの人の酒はよい酒でござると云が人の害にならぬゆへ云が、なんぼても移すなり。わるい薬にはきわまりた。酒をたん々々のむと分な人になる。近頃の仙臺様が酒が御きらいで、家中の者へ酒を呑な、人間が半分になると云れた。尤なことなり。泉屋退道が云た通り、酒を呑むは道落のはかもゆく。町六ほうも喧嘩のでかけに酒を呑でてる。そこではかがゆくなり。そこで是か一ち吟味すべきことなり。酒てしくしりた者か一人や二人でなく、きっとしてある。誰もこれじゃ。はてのしまいは家をつぶす。もと酒はよろこびものなれとも、つまりは御目出度ないになるなり。然れとも、昔からよいことにして飲む。万葉の歌にも、いにしえのよよのかしこき人だにも、ほろふるものは酒にぞありけると云歌あり。此様なことを云て酒の位迠よくなる。兎角酒の放蕩の道具立にしたがる。扨々若い者などへは安堵ならぬことなり。酒を呑むと堅ひ口ちをきかぬ人も兎角口をきく。
【解説】
「戒、爾勿嗜酒。狂藥非佳味。能移謹厚性、化爲凶險類。古今傾敗者、歴歴皆可記」の説明。酒を飲み続けると別人になる。また、道楽のはかが行く。酒でしくじった者は多い。気を付けなければならない。
【通釈】
「非佳味」は宜しくないものということで、美味くないものということではない。平生は大層実体で堅い人も一盃飲むと違った了簡になる。移すのが困ったもの。あの人の酒はよい酒だと言うのが人の害にならないから言うのだが、いくらでも移すから、悪い薬に極まる。酒を飲み続けると別な人になる。近頃の仙台様は酒が御嫌いで、家中の者へ酒を呑むな、人間が半分になると言われた。それは尤もなこと。泉屋退道が言った通り、酒を呑むと道楽のはかも行く。町六方も喧嘩の出掛けに酒を呑んで出る。そこではかが行く。そこでこれが一番吟味すべきこと。酒でしくじった者は一人や二人ではなく、沢山いる。誰もがこれ。果ては家を潰す。本来酒は喜びのものだが、つまりは御目出度くないことになる。しかし、昔からよいことにして飲む。万葉の歌にも、古の代々のかしこき人だにも、ほろぶるものは酒にぞありけるという歌がある。この様なことを言っては酒の位までがよくなる。とかく酒を放蕩の道具立にしたがる。若い者などには実に安堵のならないこと。酒を呑むと堅く口を利かない人もとかく口を利く様になる。
【語釈】
・仙臺様…陸奥仙台藩八代藩主伊達斉村(1774~1796)?七代藩主伊達重村(1742~1796)?
泉屋退道…

○多言云々。のこらずわるいこと斗りも云はずよいこともあれとも、口ちききと云は人がうるさく思ふ。あれがきく、今日中にひろがると云。○金蘭は易の文字で金は堅ひ物。其堅ひ金をも切るような中と云ことで、二人寄て気の合た者の咄はにをいのよい蘭のやうなもの。これが本道の交り。それをする気なく、本のそれてはなくて、それに似るやうな気でいるを擬すと云。本道の交りでない證拠は、今迠懇と思たが怒りうらみる。昨日のつきあいて大喧嘩があったと云。金蘭と云にも根が道理から出ぬゆへ、いつどんなことか出来やふも知れぬ。○汪々云々。汪はををきな川などの、そこも知れずどたり々々々と大川の流れる摸様を云。実は跡が主なり。礼記君子交淡如水、小人交甘如醴。君子の交はなんのこともないゆへ水のやうなり。今水を飲でどうと云ことはない。淡がしつこくないことで、気の合たのと云肉についたことはない。誰へも彼れへも道理で出合ひ、此了簡なれば交がつつくが、いやみに親切立をするのはつつかぬ。
【解説】
「戒、爾勿多言。多言衆所忌。苟不愼樞機、災厄從此始。是非毀譽間、適足爲身累。舉世重交游、擬結金蘭契。忿怨容易生、風波當時起。所以君子心、汪汪淡如水。舉世好承奉、昂昂增意氣。不知承奉者、以爾爲翫戲。所以古人疾、籧篨與戚施」の説明。多言は人が煩く思う。本当の交わりは金蘭の様なものだが、今はそれを擬すだけである。君子の交わりは水の様なもの。誰にでも道理で出合うので交わりが続く。
【通釈】
「多言云々」。全て悪いことばかりでもなくてよいこともあるが、口利きというのは人が煩く思う。あれが話せば今日中に広がると言う。「金蘭」は易の文字で金は堅い物。その堅い金をも切る様な仲ということで、気の合った者が二人寄ってする話は匂いのよい蘭の様なもの。これが本当の交わりである。それをする気もなく、本当のそれではなく、それに似た様な気でいるのを擬すと言う。本当の交わりでない証拠は、今まで懇ろと思っていたのが怒り怨む。昨日までの付き合いで大喧嘩があったと言う。金蘭も根が道理から出ないので、いつどんなことが出るかも知れない。「汪々云々」。汪は大きな川などで、底も知れずにどたりどたりと大川の流れる模様を言う。実はここは後が主である。礼記に「君子之接如水、小人之接如醴」とある。君子の交わりは何事もないので水の様である。今水を飲んでどうということはない。淡はしつこくないことで、気が合うという肉に付いたことはない。誰へも彼へも道理で出合う。この了簡であれば交わりが続くが、嫌味に親切立をするのは続かない。
【語釈】
・金蘭…易経繋辞伝上8。「子曰、君子之道、或出或處、或默或語。二人同心、其利斷金。同心之言、其臭如蘭」。
・君子交淡如水、小人交甘如醴…礼記下表記。「君子之接如水、小人之接如醴。君子淡以成、小人甘以壞。小雅曰、盜言孔甘、亂是用餤」。

前には戒爾々と一句々々にあり、これから挙世々々を立にとりて云。世俗一統と云ふこと。家内のこらずのことを挙家と云。世間一統を挙世と云。人にもちあげられるとそれが面白ふなって元気か盛になる。○游俠は男立のこと。此出合が戦国の世から始ったことで、世俗で殊外勇気のやうに心得て義のある人じゃと云。成程是も根から義がないではない。筋を立て男を立るところに義はありはある。此者ともがなんぞと云と人の難義へ行く。今たれでも公辺のことはをそろしく逃るが、此游俠はこちから行く。牢に入らふとも面白ひと云。男立をする方から取るまいわざわいをとる。これも姪子の方に心あてがあって云たとみへる。○挙世とひろく云ても、此筋が此方へ烟のをしかけてくる処で云とみへる。世間がこれ々々じゃと云て、従子御の方にあることとみへる。
【解説】
「舉世重游俠、俗呼爲氣義。爲人赴急難、往往陷囚繋。所以馬援書殷勤戒諸子」の説明。遊侠にも義がないわけではないが、自ら進んで難儀へ赴き禍を取る。ここは従子にその傾向があると言ったのである。
【通釈】
前には「戒爾々」と一句一句にあり、これから「挙世々々」を立てて言う。これが世俗一統ということ。家内残らずのことを「挙家」と言い、世間一統のことを「挙世」と言う。人に持ち上げられるとそれが面白くなって元気が盛んになる。「游侠」は男伊達のこと。この出合いが戦国の世から始ったことで、世俗では殊の外勇気のある様に心得て義のある人だと言う。なるほどこれも根から義がないのではない。筋を立てて男を立てるところに義があるにはある。この者共が何かと言うと人の難儀に赴く。今は誰でも公辺のことは恐ろしくて逃れるが、この游侠はこちらから行く。牢に入れられようとも面白いと言う。男伊達をする方から取らなくてもよい禍を取る。これも姪子の方に心当てがあって言ったものと見える。挙世と広く言っても、この筋が自分の方へ押し掛けて来る処で言ったものと見える。世間をこうだとは言うが、従子御の方にそれがあったものと見える。

○清素はもののしっそなこと。かざりのない質素なこと。浅見先生の弁に、さっはりとした方から清の字をかくと云はれた。百姓などの手織の白木綿を襦伴に着てをるのが清素なり。昔はそうであったろう。なんのこともないこと。庭の竹を伐てくれば灰吹も出来、芦を伐てくれは喜勢留のらをも出来る。それがだん々々をごりてくる。三ヶ津て田舎者の様じゃと云。田舎は質素であったものを、今は田舎も質素をいやしむ。○肥馬云々は、公西蕐がことを云たことからして立派をする文字なり。それをしたがる。第一の立派をするに馬と衣装ほどなはない。田舎でも冨貴は馬で見へる。佐野源左ェ門が馬のやふなは寸志斗りの馬なり。貧乏らしい馬と云がある。それでも百姓の用に足る。然るに今此馬は少し蹴もするが、みた処がよいと云て買のぞ。万事用方をのけてすることは皆わるい。衣服を立派にして、己をば大政大臣のやふな心持でとをるが、何にかと思へは衣類の立派がうれしいじゃ。さて々々ひくいなり。市塲の子共などかうらやむ。范魯公質の従子御立か叔父に老中をもったゆへ、定てこれであったらう。此様なことは心ある者は嘲笑てさしこそしやうが、ほめはせぬなり。
【解説】
「舉世賤清素、奉身好華侈、肥馬衣輕裘、揚揚過閭里。雖得市童憐、還爲識者鄙」の説明。清素を賎しみ立派を好むのは卑い心である。心ある者はそれを嘲笑うことはあっても、決して誉めはしない。
【通釈】
「清素」はものの質素なこと。飾りがなくて質素なこと。浅見先生の弁に、さっぱりとした方から清の字を書いたと言われた。百姓などが手織りの白木綿を襦袢に着ているのが清素である。昔はそうだっただろう。何事もないこと。庭の竹を伐って来れば灰吹もでき、芦を伐って来れば煙管の羅宇もできる。それが段々奢って来る。都で田舎者の様だと言う。田舎は質素だったが、今は田舎も質素を卑しむ。「肥馬云々」は、公西赤のことを言ったことからして立派をするという文字である。それをしたがる。立派をするのに馬と衣装ほどのことはない。田舎でも富貴は馬で見える。佐野源左衛門の馬の様なのは寸志ばかりの馬である。貧乏らしい馬と言うものがある。それでも百姓の用には足りる。それなのに今、この馬は少し蹴りもするが、見た処がよいと言って買う。万事用方を除けてすることは皆悪い。衣服を立派にして、自分が太政大臣になった様な心持で通るが、何かと思えば衣類の立派が嬉しいのである。それは実に卑いこと。市場の子供などがそれを羨む。范魯公質の従子の出立ちが、叔父に老中を持っているのできっとこの様だったのだろう。この様なことは心ある者は嘲笑って馬鹿にこそするだろうが、誉めはしない。
【語釈】
・公西蕐…論語雍也3。「子曰、赤之適齊也、乘肥馬、衣輕裘。吾聞之也、君子周急不繼富」。公西の名は赤、字は子華。
・佐野源左ェ門…佐野源左衛門尉常世。鎌倉武士。謡曲「鉢木」の主人公。痩せ馬を駆っていち早く鎌倉へ馳せ参じる。

○覉旅臣とは、をれも外から来たものじゃと云が、実はこれもかさりて云たものなり。天下の宰相になってをるが知る通りのをれがことじゃ、どのやうな御咎を仰付られやうかとあやうく思。○勿が、そのやうなことを吹かけてくれるなと云やふなもの。○閉門云々。勢のある身分なれともほどなく引込んと心得ると、実事を期しても云はるる。又、今こうしてをるが何事にうちばにして恐れつつしむ意を形容しても云はるるなり。惣体世間のことが盛んなと思と衰ろへる。よく合点しやれ。老中の従子じゃなどとはへぬいたよふに思ふとちがう。○速云々は、べったりと立身のことにかけて云。自然との実のありてすることは丈夫なれとも、実がなくて急にすることは丈夫でない。松は無調法なをそいていなれともいつ迠もある。これをじつじにみてもよいとなり。ようのでかをそいものと云。をのしたちも花になるな、松になりやれ。皆が花は見にゆくが、松を見にはゆかぬが、をれが了簡そうでない。
【解説】
「我本覉旅臣、遭逢堯・舜理。位重才不充、戚戚懷憂畏。深淵與薄冰、蹈之惟恐墜。爾曹當閔我。勿使增罪戻。閉門歛蹤跡、縮首避名勢。勢位難久居。畢竟何足恃。物盛則必衰。有隆還有替。速成不堅牢。走多顚躓。灼灼園中花、發還先萎。遲遲澗畔松、鬱鬱含晩翠。賦命有疾徐。青雲難力致。寄語謝諸郎。躁進徒爲耳」の説明。范魯公質は、自分が外から来た者であり、今宰相になってはいるが、いつ咎があるかも知れない。ほどなく隠居しようと思うと言った。盛んなものは衰える。老中の従子は生え抜きではない。花は直ぐに枯れるが松はいつまでもある。松の様なのがよい。
【通釈】
「覉旅臣」とは、俺も外から来た者だと言ったのだが、実はこれも飾って言ったもの。天下の宰相になってはいるが、知っての通りで、俺はどの様な御咎を仰せ付けられるのかと怪しく思う。「勿」が、その様なことを吹き掛けてくれるなと言う様なもの。「閉門云々」。勢いのある身分だが、ほどなく引き込もうと心得ると、実事を期しても言われた。また、今はこうしているが、何事も内場にして恐れ慎むという意を形容しても言われた。惣体世間のことは盛んだと思っていると衰える。よく合点しなさい。老中の従子だなどと生え抜きの様に思うのは違う。「速云々」は、べったりと立身のことに掛けて言う。自然と実があってすることは丈夫なものだが、実がなくて急にすることは丈夫でない。松は無調法な遅い体だがいつまでもある。これを実事として見てもよい。松の出方は遅いものだと言う。御前達も花になるな、松になれ。皆は花を見に行くが、松を見には行かない。しかし、俺の了簡はそうでないと言った。


嘉言11
○康節邵先生子孫曰、上品之人不敎而善、中品之人敎而後善、下品之人敎亦不善。不敎而善非聖而何。敎而後善非賢而何。敎亦不善非愚而何。是知、善也物吉之謂也。不善也者凶之謂也。吉也者、目不觀非禮之色、耳不聽非禮之聲、口不道非禮之言、足不踐非禮之地。人非善不交、物非義不取。親賢如就芝蘭、避惡如畏蛇蝎。或曰不謂之吉人、則吾不信也。凶也者、語言詭譎、動止陰險、好利、飾非、貪淫、樂禍、疾良善如讎隙、犯刑憲如飮食。小則身滅生、大則覆宗絶嗣。或曰不謂之凶人、則吾不信也。傳有之、曰、吉人爲善、惟日不足。凶人爲不善、亦惟日不足。汝等欲爲吉人乎。欲爲凶人乎。
【読み】
○康節邵先生、子孫をめて曰く、上品の人は敎えずして善、中品の人は敎えて而る後に善、下品の人は敎うるも亦不善なり。敎えずして善なるは聖に非ずして何ぞ。敎えて而る後に善なるは賢に非ずして何ぞ。敎うるも亦不善なるは愚に非ずして何ぞ。是に知る、善は吉を之れ謂うなり。不善は凶を之れ謂うなり。吉は、目、非禮の色を觀ず、耳、非禮の聲を聽かず、口、非禮の言を道わず、足、非禮の地を踐まず。人善に非ざれば交らず、物義に非ざれば取らず。賢に親づくこと芝蘭に就くが如く、惡を避くること蛇蝎を畏るるが如し。或は之を吉人と謂わずと曰うとも、則ち吾は信ぜざるなり。凶は、語言詭譎[きけつ]、動止陰險、利を好み、非を飾り、淫を貪り、禍を樂しみ、良善を疾[にく]むこと讎隙の如く、刑憲を犯すこと飮食の如し。小なれば則ち身をし生を滅し、大なれば則ち宗を覆し嗣を絶つ。或は之を凶人と謂わずと曰うとも、則ち吾は信ぜざるなり。傳に之れ有り、曰く、吉人は善を爲すに、惟日足らず。凶人は不善を爲すに、亦惟日足らず、と。汝等吉人と爲らんと欲するか。凶人と爲らんと欲するか、と。

○康節邵先生曰。上品は一ちよく生れた人のこと。一ちよく生れついたとはとうなれば、性善なりで手の入らぬことぞ。○中品な人は、生れ付た処は上品のやうではないが、教ると上品の人の様になる。○下品之人。これがなさけないこと。親や師匠が口ちをすくしてもよくならぬ。○不教而善は堯舜や文王のやうな人。○教而云々。顔子孟子の様な人なり。○愚はなわにもたばにもかからぬ者のことを云文字なれとも、其様な下愚は又よい人のすくないやうに、これも拂底なもの。是は廣く学問の役にたたぬ人のことを云。そうしてみれば気の毒ながら面々も此仲ヶ間なり。教をしても、をれが方でと一つよこなことを考る。扁鵲が居ても頓と薬がもられぬ。学問のことをきいたがいやはやと云。そふ云たで垩賢の道がちいさくはならぬ。我がわるいのなり。こうしてみて、この名はなんだと外を聞てみるに、外のことではない。
【解説】
「康節邵先生子孫曰、上品之人不敎而善、中品之人敎而後善、下品之人敎亦不善。不敎而善非聖而何。敎而後善非賢而何。敎亦不善非愚而何」の説明。上品は性善の通りで堯舜の様な人。中品は教えると上品になる人で、顔孟の様な人。下品は教えても無駄な人。上品も下品も払底である。学問をしても及ばないと言うのは自分が悪いのである。
【通釈】
「康節邵先生曰」。「上品」は最もよく生まれた人のこと。最もよく生まれ付くとは、性善の通りで手の要らないこと。「中品」の人は、生まれ付いた処は上品の様ではないが、教えると上品の人の様になる。「下品之人」。これが情けないことで、親や師匠が口ちを酸くして言ってもよくならない。「不教而善」は堯舜や文王の様な人。「教而云々」は顔子や孟子の様な人。「愚」は縄にも束にも掛からない者のことを言う文字だが、その様な下愚もまた、よい人が少ない様にこれも払底なもの。これは広く学問の役に立たない人のことを言う。そうして見れば気の毒ながら面々もこの仲間である。教えをしても、俺の方ではと一つ違ったことを考える。扁鵲がいても薬を全く盛れない。学問のことを聞いたがいやはや及ばないと言う。その様に言っても聖賢の道が小さくはならない。自分が悪いのである。こうして見て、この名は何だと外に聞くのは無駄なこと。外のことではない。

○是知云々はかけたもの。邵康節は孔子以来の易で、世の中のことを何もかも易でみる。そこで天地の間を吉凶の二つと見たもの。子孫を戒めるに吉凶の二つで戒められた。人が吉凶をよそ々々しく思が、それは必竟易が手に入らぬからのことなり。吉凶はこちの精神にある。○非礼なものを見ず、非礼なものの処へゆかぬこと。偖、正面はふらちな処へ行ぬことなれとも、ここも克己復礼のところの吟味と同じことで、こちの心で云がよい。家老の所へも五節句暑寒にゆけば礼なり。其の外の日にけいはくに行と非礼なり。先祖の墓所の修復しても非礼がある。人によく思はれよふと思ふ心があってすると非礼。若ひ者がしみに髪を結も非礼がある。心は大の好色でも、こうすればあの人によく思はれるとてすれば非礼。ものは大事なもので、たとへは衣装法度をつつしみ質素なものをきると云はよいが、今日はきたないものをきるでむく日じゃと云と非礼になる。凡そ心にいやみのあることは皆非礼。このやうなことのない人を吉人と云。ぞくこんからよいことを好むを如就芝蘭と云。よい匂のある草で鼻から先へすすむ。梅屋鋪へゆくに匂ひがすると鼻から先すすむ。そこを就と云。賢者をそのやうにすることなり。○蛇蝎はくちなわなり。人かをそるるからをれも恐るると云はず、たれでもほんにいやがる。
【解説】
「是知、善也物吉之謂也。不善也者凶之謂也。吉也者、目不觀非禮之色、耳不聽非禮之聲、口不道非禮之言、足不踐非禮之地。人非善不交、物非義不取。親賢如就芝蘭、避惡如畏蛇蝎。或曰不謂之吉人、則吾不信也」の説明。吉凶はこちらの魂にある。非礼なものを見ず、非礼なものの処へ行かないとあるが、これは克己復礼の吟味と同じで、自分が非礼をしないことと見る。
【通釈】
「是知云々」は掛けたもの。邵康節は孔子以来の易で、世の中のことを何もかも易で見る。そこで天地の間を吉凶の二つと見たもの。子孫を戒めるのに吉凶の二つで戒められた。人は吉凶をよそよそしく思うが、それは畢竟易が手に入らないからのこと。吉凶はこちらの魂にある。非礼なものを見ず、非礼なものの処へ行かない。さて、正面は不埒な処へ行かないことだが、ここも克己復礼の吟味と同じで、こちらの心で言うのがよい。家老の所へも五節句や暑寒に行けば礼だが、その外の日に軽薄に行くと非礼である。先祖の墓所の修復をしても非礼がある。人によく思われようと思う心があってすると非礼。若い者が地味に髪を結うのにも非礼がある。心は大の好色でも、こうすればあの人によく思われるとしてすれば非礼。ものは大事なもので、たとえば衣装法度を慎み質素なものを着るのはよいが、今日は汚いものを着る方がよい日だと言えば非礼になる。凡そ心に嫌味のあることは皆非礼である。この様なことのない人を吉人と言う。ぞっこんからよいことを好むのを「如就芝蘭」と言う。よい匂いのある草で鼻から先へ進む。梅屋敷へ行くと、匂いがすると鼻から先に進む。そこを就と言う。その様に賢者と親しむのである。「蛇蝎」は蛇。これは人が恐れるから俺も恐れるとは言わない。誰もが皆嫌がる。

○凶也者語言云々。いやなこと。隂柔な処からみたもの。易者の語立なり。易のあんばいを知た処が語中にあらわれてをる。凶は隂気のしわざ。此の言ひ出しに気を付て見るがよい。隂柔のことをいやに云。女がなくてはならぬものなれとも、男が女めくとわるい。惣体わるいことはぐわさ々々々と目にみへぬ。ものを一つ云てもとかくありていになく、手のある云やういやな気味ぞ。あとさきをかへりみて云。耳に入てはよい道理に合たことを云ても、手のある云やうをする。彼の大久保彦左ェ門は詭譎がない。そこで善て吉につく。道理にそむいたことも云が、全体が陽はさっはりとする。詭譎はない。いつわってさま々々に云が、とかくいやな気味なり。此根をしると、孔子が郷愿德賊也と仰せられたも隂の方ぞ。これ邵康節の凶人を語言詭譎と云がひとつに落るそ。挨拶するにもすらりと云へばよいが、こう云てあげ足をとられてはなるまいと云。ちょっと事をするにも魚鱗鶴翼をかまへて云。
【解説】
「凶也者、語言詭譎」の説明。凶は陰気の仕業である。詭譎は凶である。作為して言うのは悪い。
【通釈】
「凶也者語言云々」。嫌なこと。陰柔な処から見たもので、易者の語立である。易の塩梅を知った処が語中に現われている。凶は陰気の仕業。この言い出しを気を付けて見なさい。陰柔を嫌なこととして言う。女はなくてはならないものだが、男が女めくと悪い。総体悪いことははっきりとは目に見えず、一つ言ってもとかく有体でないが、手のある言い様をするのは嫌な気味である。後先を顧みて言う。耳に入れてはよく、道理に合ったことを言っても、手のある言い様をする。あの大久保彦左衛門には「詭譎」がない。そこで善で吉に付く。道理に背いたことも言うが、全体が陽でさっぱりとして詭譎はない。偽って様々に言うのが、とかく嫌な気味である。この根を知ると、孔子が「郷原徳之賊也」と仰せられたのも、陰の方のことだとわかる。これが邵康節の凶人を語言詭譎と言ったのと一つに落ちる。挨拶をするにもすらりと言えばよいが、こう言って揚げ足を取られてない様にしようと言う。一寸事をするにも魚鱗鶴翼を構えて言う。
【語釈】
・郷愿德賊也…論語陽貨13。「子曰、郷原、德之賊也」。

よふすのしれぬことを動止隂險と云。あの人か来そふなものと云にこぬ。きはせまいと云にくる。兎角様子がしれぬ。君子のはなにもかもかげひなたなく、身持もさらりとして手のあることはない。迂斎の、此の八字を一つに云に、とと良直でないと云た。綿に針をつつんだやふなもの。笑ふ中が針じゃ。綿はやわらかなもの。やわらかなのゆへつかむと針でつく。笑中之刀と云字あり、笑から機嫌がよいと思てそばへよると、人の身をぞっきりと切る。朱子の王梅溪文集の序も是を根にして書れたもの。このこと天木時中の假名文の中にあり。
【解説】
「動止陰險」の説明。「動止陰険」は様子の知れないこと。ここは綿で針を包んだ様なこと。
【通釈】
様子の知れないことを「動止陰険」と言う。あの人が来そうなものだと思うと来ない。来ないだろうと思うと来る。とかく様子が知れない。君子は何もかも陰日向なく、身持もさらりとして手のあることはない。迂斎が、この八字を一つに言えばつまりは良直でないことだと言った。綿で針を包んだ様なもの。笑う中に針がある。綿は柔らかなもの。柔らかなので掴むと針で突く。笑中之刀という字があり、笑うから機嫌がよいと思って側へ寄ると、人の身をぞっきりと切る。朱子の王梅渓文集の序もこれを根にして書かれたもの。これが天木時中の仮名文の中にある。
【語釈】
・天木時中…善六と称す。尾張知多郡須佐の人。元文1年(1736)9月16日没。年40。三宅尚斎門下。初め佐藤直方に学ぶ。

○さて好利。をとなしい腹をえぐりてみると利より外はない。此の飾りと云がわるいことで、非の上を段々塗る。しめりた上にかびのつくやうなもの。○淫は淫乱の淫で、ただなみていの好色を好でなく、だん々々ふかくなる。禍はよけるものなれとも、其中へべったりとはへりてをる。好むまじきものをこのむ。凶の極々をとめに云。小くて身を兦し、大きければ家をつぶす。○傳有之云々。書經のことば。孟子か、善ひことに精を出せは堯舜、悪ひことに精を出せば盗蹠と云た。ここ吉人もいそがしいければ、凶人もいそがしい。あきないをするものはあきないでいそがしい。道落をするものは道落でいそがしいなり。吉人がのぞみか凶人がのぞみか、養性がよいと長生、不養性をすると夭。をのしたちはどちがよいと云たこと。親切な語と見ることぞ。
【解説】
「好利、飾非、貪淫、樂禍、疾良善如讎隙、犯刑憲如飮食。小則身滅生、大則覆宗絶嗣。或曰不謂之凶人、則吾不信也。傳有之、曰、吉人爲善、惟日不足。凶人爲不善、亦惟日不足。汝等欲爲吉人乎。欲爲凶人乎」の説明。凶は、それが小さければ身を亡ぼし、大きければ家を潰す。吉人も善で忙しければ、凶人も不善で忙しい。
【通釈】
さて「好利」で、大人しい腹を抉って見ると利より外はない。この飾りというのが悪いことで、非の上を段々と塗る。それは、湿った上に黴の付く様なもの。「淫」は淫乱の淫で、ただ並大抵の好色ではなく、段々と深くなる。禍は避けるものだが、その中にべったりと入っている。好むべきでないものを好む。凶の極々を最後に言った。小さければ身を亡ぼし、大きければ家を潰す。「伝有之云々」。これが書経の言葉。孟子が、善いことに精を出せは堯舜、悪いことに精を出せば盗跖だと言った。ここの吉人も忙しければ、凶人も忙しい。商いをする者は商いで忙しい。道楽をする者は道楽で忙しい。吉人が望みか凶人が望みか。養性がよいと長生、不養性をすると夭逝。お前達はどちらがよいかと言ったのである。親切な語だと見なさい。
【語釈】
・書經のことば…書経泰誓中。「我聞吉人爲善、惟日不足。凶人爲不善、亦惟日不足」。
・善ひことに精を出せは堯舜、悪ひことに精を出せば盗蹠…孟子尽心章句上25。「孟子曰、雞鳴而起、孳孳爲善者、舜之徒也。雞鳴而起、孳孳爲利者、蹠之徒也。欲知舜與蹠之分、無他。利與善之閒也」。


嘉言12
○節考徐先生訓學者曰、諸君欲爲君子而使勞己之力、費己之財、如此而不爲君子猶可也。不勞己之力、不費己之財、諸君何不爲君子。郷人賤之、父母惡之、如此而不爲君子猶可也。父母欲之、郷人榮之。諸君何不爲君子。又曰、言其所善、行其所善、思其所善、如此而不爲君子、未之有也。言其不善、行其不善、思其不善、如此而不爲小人、未之有也。
【読み】
○節考徐先生、學者を訓えて曰く、諸君君子爲らんと欲して己の力を勞し、己の財を費さしめ、此の如くにして君子と爲らざるは猶可なり。己の力を勞せず、己の財を費さず、諸君何ぞ君子と爲らざる。郷人之を賤しみ、父母之を惡み、此の如くにして君子と爲らざるは猶可なり。父母之を欲し、郷人之を榮とす。諸君何ぞ君子と爲らざる、と。又曰く、其の善なる所を言い、其の善なる所を行い、其の善なる所を思い、此の如くにして君子と爲らざるは、未だ之れ有らざるなり。其の不善を言い、其の不善を行い、其の不善を思い、此の如くにして小人と爲らざるは、未だ之れ有らざるなり、と。

○節孝除先生訓学者曰云々。是等もさのみ深ひ道理でもないが、云様が面白ゆへ教の上手になる。よい道理でも云ようがよくないとひびかぬ。これを皆へきかせると、いかさま不調法と云。たた儉約せよと云はず、こなたなどのやうで金はたまる筈じゃになせたまらぬのと云やうなもの。君子となるだんになりてもむづかしければならぬ。朝晩欠あるき、ありたけの金を入れても出来ぬなれば尤なれとも、骨は折れまひ。不断の通り子て、不断の通り起る。学問に金銭の入ると云こともない。至極云やうの上手。だたい親がきろうても君子になるはそっとなられるもの。然れとも、それなればなられぬとても云分が立が、学問するなどは親の心ではよろこぶもの。人も心ではそしろうと、みめなことに云。をれには芋の烹たも知らぬが、何も彼も知たそうなと云のになぜ君子にならぬと云て一句も出ぬ。
【解説】
「節考徐先生訓學者曰、諸君欲爲君子而使勞己之力、費己之財、如此而不爲君子猶可也。不勞己之力、不費己之財、諸君何不爲君子。郷人賤之、父母惡之、如此而不爲君子猶可也。父母欲之、郷人榮之。諸君何不爲君子」の説明。節孝除先生は人への諭し方が上手だった。労して金を使わなければ君子になれないというのであれば君子になる必要はない。しかし、君子になるのには労することも金を使うことも不要である。また、君子になるのを郷人や父母が嫌うのであれば君子になる必要はない。しかし、君子になるのは誰もが喜ぶもの。
【通釈】
「節孝除先生訓学者曰云々」。これも大して深い道理でもないが、言い様が面白いので教えの上手となる。よい道理でも言い様がよくないと響かない。これを皆へ聞かせると、いかにも不調法なことだと言う。ただ倹約をしろとは言わず、貴方などの様であれば金は貯まる筈なのに、何故貯まらないのかと言う様なもの。君子となる段でも、難しく言っては上手く行かない。朝晩駆け歩き、有りっ丈の金を入れてもできないのであれば君子になろうとしないのも尤もなことだが、骨は折れないだろう。普段の通りに寝て、普段の通りに起きる。学問に金銭が要るということもないと言った。至極言い様が上手である。そもそも親が嫌ったとしても君子にはそっとなることができる。しかし、人が嫌うのであれば君子にはなれないと言うのも言い分が立つが、学問をすることなどは親も心では喜ぶもの。人も心では謗っても、立派なことだと言う。俺は芋を烹るのも知らないが、何もかも知っているそうなのに、何故君子にならないのかと言うので一句も出ない。
【語釈】
・節孝除先生…除積。字は仲車。胡瑗(安定)の高弟。1028~1103

○又曰からが面白。前には抑揚がある。邪魔のしてがあるならばまだもしゃとやわらかに云。これからはたたい外から邪魔をすることはならぬものじゃ。なぜなれば、学問が我心でするものゆへ、父母じゃの郷人じゃのと云相手の入るものではない。丁と心喪のよふなもの。五十日さかやきをのばすは表に付たことなれとも、喪は誰も知らぬ。喪でない顔でする。本の実学は一人で嗜でするゆへ親も女房もしらぬ。邪魔が入れたくてもいれやうがない。言行思を、わるい方をするといつとなくわるくなる。偖てここの云やうがちょっとしたことなれとも、釘のききやうがよい。つんと教の上の上手ゆへ、朱子のこれへとられたもの。
【解説】
「又曰、言其所善、行其所善、思其所善、如此而不爲君子、未之有也。言其不善、行其不善、思其不善、如此而不爲小人、未之有也」の説明。学問は自分の心でするものであって、父母や郷人という相手が要るものではない。それは心喪の様なもの。「言行思」が悪いと小人になる。
【通釈】
「又曰」からが面白い。前には抑揚があった。邪魔の仕手があるのならまだもしもと柔らかに言ったが、これからは、そもそも外から邪魔をすることはならないものだと言う。それは何故かと言うと、学問は我が心でするものであって、父母や郷人という相手が要るものではないからである。それは丁度心喪の様なもの。五十日月代を伸ばすのは表に付いたことだが、喪は誰も知らず、喪でない顔でする。本当の実学は一人で嗜んですることなので親も女房もそれを知らない。邪魔を入れたくても入れようがない。「言行思」で悪いことをするといつとなく悪くなる。さてここの言い様は一寸したことだが、釘の利き様がよい。ずんと教えが上手なので、朱子がここに載せられたのである。