嘉言13
○胡文定公與子書曰、立志以明道・希文自期待、立心以忠信・不欺爲主本、行己以端莊・清愼見操執、臨事以明敏・果斷辨是非、又謹三尺、攷求立法之意、而操縱之、斯可爲政不在人後矣。汝勉之哉。治心脩身、以飮食・男女爲切要。從古聖賢自這裏做工夫。其可忽乎。
【読み】
○胡文定公の子に與うる書に曰く、志を立つるは明道・希文を以て自ら期待し、心を立つるは忠信・不欺を以て主本と爲し、己を行うは端莊・清愼を以て操執を見[しめ]し、事に臨みては明敏・果斷を以て是非を辨じ、又三尺を謹み、法を立つるの意を攷[かんが]え求め、而して之を操縱せば、斯に政を爲すこと人の後に在ざる可し。汝之を勉めよや。心を治め身を脩むるは、飮食・男女を以て切要と爲す。古より聖賢這の裏より工夫を做す。其れ忽[ゆるがせ]にす可けんや、と。

十二月十一日
【語釈】
・十二月十一日…寛政元年(1789)12月11日。

○胡文定は程子には御目にかからぬが、程子の没後此学の元気を付た人なり。学問は謝上蔡・楊亀山・游定夫、此三人て得られたぞ。偖て立派な子をもたれたなり。立派な子とは誰れなれば胡致堂・胡五峯で、其両人への書簡なり。まつ嘉言先日から読に横渠が一ち始て明道・伊川・邵康節ときて、今日胡文定で五人なり。此五人を除けて、跡は皆素人と合点するがよい。道理を得た人は横渠・明道・伊川・邵康節・胡文定ばかりなり。さて爰には読みやうも了簡して読まうことぞ。教をすると云は人をよくすることなり。人をよくしよふとて教をしても、筋が立ぬとたた教ても流義がぬけてくる。胡文定はあの通り名高ひ大儒なれとも、手前を手前に立ず、とかく学問は二程のことじゃとみられた。それゆへ子とも衆の学問の精神があのやうに立てをられた。ここもただよくしたいとて書を與たではない。子息へつかわされる処に傳来の意が備てをる。素人めいたことではないと合点するがよい。
【解説】
「胡文定公與子書曰」の説明。嘉言に出た人では、横渠・明道・伊川・邵康節・胡文定の五人だけが道理を得た人で、他は素人である。胡文定の子もまた優れた人だった。胡文定が子に与えた書には伝来の意が備わっていた。
【通釈】
胡文定は程子には御目に掛からなかったが、程子の没後この学に元気を付けた人である。学問は謝上蔡・楊亀山・游定夫の三人から得られた。さて、立派な子を持たれた。立派な子とは誰かと言うと、胡致堂・胡五峯で、これはその両人への書簡である。先ずは嘉言を先日から読んでいるが、横渠が最初で、それから明道・伊川・邵康節と来て、今日の胡文定で五人となる。この五人を除けば、他は皆素人だと合点しなさい。道理を得た人は横渠・明道・伊川・邵康節・胡文定だけである。さてここは了簡を持って読まなければならない。教えをするというのは人をよくすること。人をよくしようとして教えをしても、筋が立たないと流儀が抜けて来る。胡文定はあの通りの名高い大儒だが、自分を立てずに、とかく学問は二程のことだと見られた。そこで子供衆への学問の魂をあの様に立てておられた。ここもただよくしたいとして書いて与えたのではない。子息へ遣わされる処に伝来の意が備わっている。これが素人めいたことではないと合点しなさい。
【語釈】
・胡文定…胡安国。字は康侯。1074~1138
・謝上蔡…顕道。良佐。程氏門人。1050~1103
・楊亀山…伊川の門人楊時。字は中立。号は亀山。
・游定夫…二程門人。游酢。字は定夫。号は廌山。

○立志云々。堯舜の通りしようの、周孔の通りにしようのと云が御定なり。するに鼻の先の明道・希文と出すが趣向の親切なこと。朱子の外篇を作たぎり々々も此様な親切な処じゃと見るがよい。近ひ者を出すが外篇の外篇たる処。大学とか中庸とか尭舜とか周孔とか云そうなものを、鼻の先の明道・希文、あれを様子[てほん]にしろとなり。是がいこう親切なことぞ。近ひ処を様子にするでなければ学問の流義が立ず。佛者も釈迦をと云へばはづれはないが、日蓮とか法然とか云でよい。医者も仲景々々と云とまぎらかす。原運菴と云と義が立つ。仲景と云とわるくすると行くべき処へ行ぬ。運菴と云と、つきもののよふなれともはや傷寒と、丁どの処へゆく。明道・希文あの二人と云が殊外親切。鳩巣先生の、君父の恩が重ひ、垩賢の恩が重ひと云れた。なぜ師の恩が深いと云はれぬぞ。あの衆以上の歴々は天下の儒者を目凹[めくほ]に見てをるゆへにそうも云たであろうが、垩賢と云と斈の目指す把捉[つかまへ]處がない。そこで垩賢を師にすると云になりては、はや其弟子たちは学問が鹵莽[はっと]してくる。去る口実[しゃうこ]は他們[あのしう]の御弟子に朱子に疑を入れて彼れ是れ云はれた人もある。那[あれ]も咫尺を把捉ぬ害と見ゆる。
【解説】
「立志以明道・希文自期待」の説明。堯舜周孔と出さずに明道と希文を出すのに趣向がある。身近な人を出すのが外篇たるところである。聖賢を師としては掴まえ処がない。
【通釈】
「立志云々」。堯舜の通りをしようとか、周孔の通りにしようと言うのが御定まりのこと。それを鼻の先の明道と希文を出すのが趣向の親切なこと。朱子が外篇を作った至極もこの様な親切な処だと見なさい。近い者を出すのが外篇の外篇たる処。大学とか中庸とか堯舜とか周孔とかと言いそうなものを、鼻の先の明道・希文、あれを手本にしろと言った。これが大層親切なこと。近い処を手本にするのでなければ学問の流儀が立たない。仏者も釈迦をと言えば外れはないが、日蓮とか法然とかと言うのでよい。医者も仲景とばかり言うと紛らかしになる。原運菴と言うと義が立つ。仲景と言うと、悪くすると行くべき処へ行かない。運菴と言えば、付き物の様だが直ぐに傷寒だと、丁度の処へ行く。明道・希文の二人と言うのが殊の外の親切。鳩巣先生が、君父の恩が重い、聖賢の恩が重いと言われたが、何故師の恩が深いと言われなかったのか。あの衆以上の歴々は天下の儒者を軽く見ているのでその様に言ったのだろうが、聖賢と言うと学を目指す掴まえ処がない。そこで聖賢を師にするということになっては、早くもその弟子たちの学問が雑になって来る。その証拠は、あの衆の御弟子に朱子に疑を入れてかれこれと言われた人もいる。あれも咫尺を掴まえない害と見える。
【語釈】
・希文…范仲淹。北宋の詩人・文筆家。字は希文。蘇州呉県の人。仁宗に仕え辺境を守り、羌人から竜図老子と尊ばれた。989~1052
原運菴
・鹵莽…軽率で不用心なこと。事をなすのに粗略なこと。粗忽。

余亡友村士行藏も晩年高くとまりて信古堂と云へり。尤なこと。わるいことではないが、大止るだけ斈脉が鹵莽となってくる。垩人は信好古なれとも、今日廣く信古と云へば山崎先生直方先生と傳た学は第二段のやうになる。そこであと々々ではっとしたことになりて、世間の学者のていたらくになる。某や善太郎殿などはちょっと一つ講釈をするにも、直方先生の云はれたぞ、三宅先生の云はれたのと云がさても律義なと云をふが、我々などを律義なとも云れまい。これが某や善太郎殿の見処なり。某とて善太郎殿とて大きく云はれぬでもないが、兎角古風にどこ迠も諸先軰を云て学の脉が立てくる。胡文定の遠の者をださず明道・希文と出すで趣向のよいこと。此趣向ゆへ胡致堂も胡五峯もあの通り挌別な学者になられた。これから統を引て張南軒を生出されたぞ。挌段なものが胡五峯の手先で出来た。
【解説】
古の聖人を第一とすると、身近な師匠が第二段となる。黙斎や幸田が直方先生や三宅先生の言を引くのは律儀でするのではない。師匠の言を引くので学脈が立つ。胡文定がそれなので子もよかった。その子によって張南軒もできた。
【通釈】
私の亡き友の村士行蔵も晩年高く止まって信古堂と言った。それは尤もなことで悪いことではないが、大きく止まるだけ学脈が雑になって来る。聖人は「信而好古」だが、今日広く信古と言えば山崎先生や直方先生へと伝わった学が第二段の様になる。そこで後々は冴えないことになって、世間の学者の体たらくとなる。私や善太郎殿などは一寸一つ講釈をするにも、直方先生が言われたぞ、三宅先生が言われたぞと言う。それは実に律儀だと言われるが、我々などを律儀だとも言えないだろう。これが私や善太郎殿の見処なのである。私も善太郎殿も大きく言うことができないわけでもないが、とかく古風に何処までも諸先輩を言うことで学の脈が立って来る。胡文定が遠くの者を出さずに明道・希文と出すのが趣向のよいこと。この趣向なので、胡致堂も胡五峯もあの通りの格別な学者になられた。これから統を引いて張南軒を生み出されたのである。格段な者が胡五峯の手先でできた。
【語釈】
・村士行藏…村士玉水。名は宗章。別号は一齋、素山。行蔵、幸蔵と称す。江戸の人。信古堂を営む。村士淡齋の子。初め山宮雪樓に学ぶ。安永5年(1776)1月4日没。年48。稲葉迂斎門下。
・信好古…論語述而1。「子曰、述而不作、信而好古、竊比於我老彭」。
・善太郎…幸田誠之。晩に精義と改める。字は子善。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。寛政4年(1792)2月9日没。年73。私諡は穆靖。野田剛斎門下。
・張南軒…名は栻。字は敬夫。1133~1180

さて朱子の学友は張南軒・呂東莱なり。呂東莱は近思彔を作る時共々にしたゆへ、朱子とのがれぬすっはりと合た中と思は俗眼ぞ。朱子の学友で南軒斗り朱子と同坐なり。呂東莱は全体学問に見処がない。今世間に朱子学々々々と云者、朱子学は一人もみへず。朱子学と称するもの、大率呂東莱の学なり。人か南軒も呂東莱も似たやうに思ふはををきに相違したことぞ。明の丘瓊山は大学衍義補を作て、朱子学的などから朱子の学を得た顔をするが、実は呂東莱を継く。そこで見所がない。薛文清は南軒を継れた方ぞ。そこで見所ありて理が明なり。今日の朱子学者皆々呂東莱なり。是を知た者は今の世の中にない。此様なことは朱子語類文集へ勝手通りをする人でなふては頓と知らぬことなり。それを知たが直方先生。あの様な大きな見処て兎角李退溪を出す。直方先生などの見処では李退溪取るに足らぬと云か子ることでもあるまいが、李退溪々と常に云て脇へ馳せぬやうにしたものなり。これも律義ではない。見識から出たこと。そこで迂斎や石原の先生のやうなものも出来たもの。兎角近ひ処を目当にするがよい。そこで学脉がふれぬ。胡文定などは始為士終為垩とも云ひか子ぬ人。それでをって明道・希文を様子にしろと云が甚た趣向あることなり。これらが誠に眞身な教方と云もの。大切なあやなり。
【解説】
朱子の学友は張南軒と呂東莱だが、呂東莱と朱子とがよく合った仲だと思うのは違う。呂東莱は学問全体に見所がない。丘瓊山は呂東莱を継ぎ、薛文靖が張南軒を継いだ。直方先生が李退渓のことを言うのは律儀からではなくて見識からのこと。そこで迂斎や石原先生もできた。身近な人を出すのがよい。
【通釈】
さて、朱子の学友は張南軒と呂東莱である。呂東莱は近思録を共に作ったので、朱子とは逃れずすっかりと合った仲だと思うのは俗眼である。朱子の学友では南軒だけが朱子と同座である。呂東莱の学問は全体に見処がない。今世間で朱子学と言う者の中に、朱子学は一人も見えない。朱子学と称するものは大率呂東莱の学である。人が南軒も呂東莱も似た様に思うのは大いに違う。明の丘瓊山は大学衍義補を作り、朱子学的などから朱子の学を得た顔をするが、実は呂東莱を継いだもの。そこで見所がない。薛文靖は南軒を継がれた方。そこで見所があって理が明である。今日の朱子学者は皆々呂東莱である。これを知った者は今の世の中にはいない。この様なことは朱子語類や文集へ勝手通りをする人でなくては全く知らないこと。それを知ったのが直方先生。あの様な大きな見処でとかく李退渓を出す。直方先生などの見処では李退渓は取るに足りないと言いかねないものだが、李退渓のことを常に言うことで脇へ馳せない様にしたもの。これも律儀ではなく、見識から出たこと。そこで迂斎や石原先生の様な者もできた。とかく近い処を目当にするのがよい。そこで学脈が振れない。胡文定などは「始為士終為聖」とも言いかねない人。それでいながら明道や希文を手本にしろと言うのが甚だ趣向のあること。これらが誠に親身な教え方というもので、ここに大切な綾がある。
【語釈】
・丘瓊山…明の瓊山の人。丘濬。字は仲深。号は深菴。
・薛文清…薛文靖。薛徳温。薛敬軒。
・始為士終為垩…荀子勧学。「學惡乎始、惡乎終。曰、其數則始乎誦經、終乎讀禮。其義則始乎爲士、終乎爲聖人」。

立志と立心は似たやうで違ふ。是を最初に吟味するがよひ。そこで志の方には期待と出す。期は今成るではないが、そうなろうと目指す処を云。手紙に期永日之時などと云も、今日のことでなくさきを云ことなり。先軰が明道へ十四五便学垩人をひき、希文の処へ先天下之憂而憂、後天下之楽而楽をひいて云れたが、是はよくあるまいと思ふ。此は自分の覚のある処で云とみへる。あの明道あの范希文と近い人を手本にしろと全体で云はれたこと。浅見先生もそう云はれた。徒古の垩人を斈ふとては切でないと云はれた。今日吾黨でも、山﨑先生のやうに、浅見先生のよふにとま子るがよい。
【解説】
「立心以忠信・不欺爲主本」の説明。「立志」は今成ることではないことを目指すこと。そこで「期待」と出した。
【通釈】
「立志」と「立心」は似た様で違う。これを最初に吟味しなさい。そこで志の方には「期待」と出す。期は今成るものではないが、そうなろうと目指す処で言う。手紙に「期永日之時」などと書くのも、今日のことでなくて先のことを言ったもの。先輩が明道には「十四五便学聖人」を引き、希文の処へ「先天下之憂而憂、後天下之楽而楽」を引いて言われたが、それはよくないと思う。これは自分の覚えのある処で言ったものと見える。あの明道あの范希文と、近い人を手本にしろと全体で言われたこと。浅見先生もそう言われた。ただ古の聖人を学ぶというのでは切でないと言われた。今日我が党でも、山崎先生の様に、浅見先生の様にと真似るのがよい。
【語釈】
・十四五便学垩人…近思録聖賢26。「横渠先生曰、二程從十四五時、便鋭然欲學聖人」。
・先天下之憂而憂、後天下之楽而楽…小学外篇善行66。「士當先天下之憂而憂、後天下之樂而樂也」。

○立心は今日からのことを云。上の立志は今日なることではないが、やがてと云こと。下の立心は今夜からなること。迂斎の、忠信不欺は心のすへ処と云た。今からそうでなけれはならぬ。忠信不欺はまことで迂偽をつかぬこと。是は成程今日からのこと。来年から迂偽をつくまいと云ことはない。迂偽を云はぬやうにと云ことは今夜からなること。今日の人は茶漬を振舞迠が誠でない。是を食はせずはわるかろうのと云。あの心のわるさが一生君子になられぬことなり。今日ここの講釈をきいてもありがたいとはきけとも、金をもらったほどには思はぬ。されとも千金にかへられぬと云。はや欺くぞ。誠な迂偽をつかぬほんの処からでなければならぬ。人の誠は傘にろくろ、扇の要めのやうなもの。ろくろなしには開くこともつばめることもならぬ。扇もそれなり。女房へも喚使も皆誠でなければならぬ。兎角これがならぬが、迂偽で間に合せると云はさりとは心へ無躾なことぞ。
【解説】
「立心」は今日から成ることを言う。「忠信不欺」は誠で嘘を吐かないことで、それは今日からもできること。嘘で間に合わせるのは心に対して不躾である。
【通釈】
「立心」は今日からのことを言う。上の「立志」は今日成ることではなくて、やがてということ。下の立心は今夜からできること。迂斎が、「忠信不欺」は心の据え処だと言った。今からそうでなければならない。忠信不欺は誠で嘘を吐かないこと。なるほどこれは今日から成ること。来年から嘘を吐かない様にするということはない。嘘を言わない様にするのは今夜からできる。今日の人は茶漬を振舞うまでが誠でない。これを食わせなければ悪いだろうと思う。あの心の悪さによって一生君子になれない。今日ここの講釈を有難くは聞いても、金を貰ったほどには思わない。しかし千金に換えられないと言う。それが既に欺くこと。誠で嘘を吐かない本当の処からでなければならない。人の誠は傘に轆轤、扇の要の様なもの。轆轤なしには開くことも窄めることもできない。扇もそれ。女房にも召使いにも皆誠でなければならない。とかくこれができないものだが、嘘で間に合わせるというのは、心へは実に不躾なこと。

人間の天からの御朱印は心。其心を相手にしてらりにするやうなことをする。学問の主本も迂偽のないやふにすること。迂偽のないと云が人間の本体。天地もこれできまり、垩人の心も誠ですむ。天地の間皆誠ですむなり。其誠で世の中に生れ出て取り飾りを云は横の所をする様なもの。魚の木に乘せ獣を海へ入れると同事。あれらはならぬが人間はかしこいだけわるい。取飾をしてもどうやらこうやらなると思ふ。それが殊外禁物。そこで是の忠信云々を主本にする。迂斎の、人欲は人欲としらで出すがよいと云はれた。迂斎などの云そうもないことなれとも、欺を気の毒に思て云たとみへる。兎角人欲へ金箔を付たがる。学問をするも迂偽にするものもある。主命でするもある。家の子じゃと家業にするもある。されとも是にはゆるすこともあり、世渡りのはしと思てふみみれは、誠の道にいるぞうれしきと云歌もありて、迂偽にして本になることもあるが、ここらの吟味になってはぬるけたことではない。蹴出か違ふことなり。そこか主本なり。
【解説】
学問の「主本」は嘘のない様にすることで、嘘がないのが人間の本体である。人はとかく人欲へ金箔を付けたがる。嘘から出た誠ということもあるが、ここは初手からそれとは違う。
【通釈】
人間の天からの御朱印は心。その心を相手にして台無しにする様なことをする。学問の「主本」も嘘のない様にすること。嘘がないというのが人間の本体。天地もこれで決まり、聖人の心も誠で済む。天地の間は皆誠で済む。その誠で世の中に生まれ出ていながら取り飾りを言うのは横の所をする様なもの。それは魚を木に乗せ獣を海へ入れるのと同じこと。あれらに取り飾りはできないが人間は賢いだけ悪い。取り飾りをしてもどうやらこうやらなると思う。それが殊の外禁物。そこでここの「忠信云々」を主本にする。迂斎が、人欲は人欲と知らずに出すのがよいと言われた。これは迂斎などの言いそうにもないことだが、欺を気の毒に思って言ったものと見える。とかく人欲へ金箔を付けたがる。学問をするにも嘘でする者もあり、主命でする者もある。家の子だと家業にする者もある。しかしこれには許すこともあり、世渡りの端と思うて踏み見れば、誠の道に入るぞ嬉しきという歌もあって、嘘から本当になることもあるが、ここらの吟味になってはその様な温けたことはない。蹴り出しが違う。そこが主本である。

人見せにすれば巾着を切るも同じことと云ほどなことなり。それゆへ此段になりて、脇目からはあじな男て偏見を云と云ほどでなければならぬ。うそにする位なこと、止めるがよいとたたることなり。そう云ては若ひ者などへはわるかろうと云が、これからでなけれはならぬ。胡文定のあたまで道統の列になるしむけ。こう合点するも明道・希文をつかまへてすること。明道・希文を様子にして、それを把捉るゆへすっはりとしてとることぞ。忠信不欺と云しこみて学問のぢりんから建立の出来ること。古の小学の闕を補ふと云も此様な処と見るがよい。本道の朝鮮人参でなければききがわるい。今の学者は人参入と云へは人参も入れると斗りぞ。きくきかぬの吟味はない。功夫も其通り埒はない。さて是迠はををづこふ。
【解説】
人見せにするのは盗人同然である。「忠信不欺」という仕込みで学問の基礎ができる。
【通釈】
人見せにするのであれば巾着を切るのも同じことというほどのこと。そこで、この段になっては、脇目からは妙な男で偏見を言うと言われるほどでなければならない。嘘にするくらいのことは止める方がよいと祟るのである。その様に言っては若い者などには悪いだろうと言うが、これからでなければならない。これが胡文定の最初に道統の列になる仕向けである。この様に合点するのも明道と希文を掴まえてすること。明道と希文を手本にしてそれを掴まえることで、すっぱりとして取る。「忠信不欺」という仕込みで学問の基礎から建立することができる。古の小学の闕を補うと言うのもこの様な処だと見なさい。本当の朝鮮人参でなければ効きが悪い。今の学者は人参入りと言えば人参も入れることとばかり思う。効く効かないの吟味はない。功夫もその通りで埒はない。さてこれまでは大略である。
【語釈】
古の小学の闕を補ふ

○行己云々。これから小割に云。一つ自分の身へあらわれた処で云。忠信不欺は真丸にかたまりてあやぢのしれぬこと。忠信と斗りではしょうふをかためたやうなもの。あやちがたたぬ。そこで行己とくるなり。○以端荘清慎と云てあやちを付るなり。此方の行を四字に叶ふやうにする。端は何叓も正しいこと。是程なことはまづと云て見逃をするやうなことはない。兎角吾も人もそれても是でまづ読めると云。筆道と同じこと。まがりなりなり。端と云は一分でもまがるやうのことはない。荘は気象についた字なり。形の上も事の上もまんろくなことを端と云そ。荘はをごそかと云て、気象のうろりとべったりとせぬこと。是が人間のことをする處行の上のいきてをる処なり。是が顔色の方へも出れは気象の方へも出ることぞ。うでたと云も溺れたと云も荘でないが、荘と云のでたたしい。内に気象のしゃんとさへ々々とした身の摸様なり。
【解説】
「行己以端莊・清愼」の説明。端は何事も正しいことで、一分も曲る様のことはない。荘は気象に付いた字で厳かなこと。
【通釈】
「行己云々」。これからは小割に言う。一つ自分の身へ現われた処で言う。「忠信不欺」は真ん丸に固まって綾地の知れないこと。忠信ばかりでは菖蒲を固めた様なもので、綾地がはっきりとしない。そこで行己と来る。「以端荘清慎」で綾地を付ける。こちらの行を四字に叶う様にする。端は何事も正しいこと。これほどのことは先ずはと言って見逃しをする様なことはない。とかく自分も人も、それでもこれで先ずは読めると言う。それでは筆道と同じこと。曲り形である。端は一分も曲る様のことはないこと。荘は気象に付いた字。形の上でも事の上でも真ん丸なことを端と言う。荘は厳かなことで、気象がうろりとせず、べったりとしないこと。これが人間のことをする所行の上の活きている処で、これは顔色の方へも出れば気象の方へも出るもの。茹でるのも溺れるのも荘でない。荘というので正しい。内に気象がしっかりとして冴え冴えとした身の模様である。

清は欲を向に置て云字なり。此方がさっはりとさは々々として欲をはなれたものゆへ、心の中にきたないよごれのないことぞ。慎はつつしむことで、何叓も大事々々とかまへ、彼の戦々兢々と慎むこと。慎に清あるは荘に端ある様なものて、慎に清のあるが大事。慎むと云ても清がないと本のものでない。しだす町人は何叓も慎むが清がない。身帯を大事、金を大事と云は慎むていなれども、とど金のほしいと云よごれがある。慎む上に清のあるが心のさは々々とさっはりとなることなり。是が胡文定の見立て云はれたもの。何ぞにある語を見付て文章に書たことではない。法然や日蓮の念佛題目も、あれほど長い中からあれを出すのはたいていな学を出す了簡ではあるまい。文定も兎角端荘清慎のことよと四字題目にしたなり。
【解説】
「清」は欲から離れることで、「慎」は慎むこと。慎に清のあるのは荘に端のある様なもの。慎んでも清がないと本物ではない。蓄財する町人は何事も慎むが、それには金が欲しいという欲があって清ではない。
【通釈】
「清」は欲を向こうに置いて言う字である。自分がさっぱりとさばさばとして欲を離れたので、心の中に汚い汚れがない。「慎」は慎むことで、何事も大事と構え、戦戦兢兢と慎むこと。慎に清のあるのは荘に端のある様なもので、慎に清のあるのが大事。慎むと言っても清がないと本物ではない。蓄財する町人は何事も慎むが清がない。身代を大事、金を大事というのは慎む体だが、つまりは金が欲しいという汚れがある。慎む上に清のあるのが、心がさばさばとしてさっぱりとなること。これが胡文定が見立てて言われたもので、何かにある語を見付けて文章に書いたのではない。法然や日蓮の念仏題目も、あれほど長い中からあれを出すのは大抵な学を出す了簡ではないだろう。文定もとかく端荘清慎のことだと、この四字を題目にした。
【語釈】
・戦々兢々…論語泰伯3。「曾子有疾、召門弟子曰、啓予足。啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子」。詩は詩経小雅小旻。

○操はみさをで、此の方でそこの処をのがさずつかまへをる。それから執の字を付たもの。人の悪くなるも操がくつれるゆへなり。柁のない舩のよふなもの。何処へ行ふもしれぬ。人間と生てあの様のことはせまいと一旦操が立てもそれが何処へかゆく。それをつかまへることを執と云。貞女不見两夫と云心の女も世間沢山あるが、やがて其了簡がなくなる。執は馬に乘る者が手綱を持てをる様なもの。はなすと落る。そこで急度把持してをる。○見は、みると云てもあらはすと云てもよい。伊尹一介不以取諸人などか操執があらはれてみへるなり。あの人の所へ賂を持て行てみやれ、めったに取る人が取らぬ人かと云に子んもない。取りはせぬ。端荘清愼で心を掃除してをるゆへ操執がみへる。一寸も子ぼけたことはない。学者も、丁ど酒に醉て人の来たもしらず臥て居るやうに節義の立ぬ類は、操執なく子ぼけたのぞ。ところが端荘清愼で鍛て置ものゆへいつも々々々見操執なり。
【解説】
「見操執」の説明。人が悪くなるのも操が崩れるからである。「執」は馬の手綱と同じで把持すること。端荘清慎で心を掃除していれば「見操執」である。
【通釈】
「操」はみさおで、自分がそこの処を逃さずに掴まえている。そこで「執」の字を付けたのである。人が悪くなるのも操が崩れるから。それは梶のない舟の様なもので、何処へ行くかも知れない。人間と生まれてあの様なことはしてはならないと一旦は操が立ってもそれが何処かへ行く。それを掴まえることを執と言う。「貞女不見両夫」という心の女も世間には沢山いるが、やがてその了簡がなくなる。執は馬に乗る者が手綱を持っている様なもの。離すと落ちる。そこでしっかりと把持している。「見」は、みると言っても見わすと言ってもよい。「伊尹一介不以取諸人」などに操執が見われ見える。あの人の所へ賂を持って行ってみなさい、滅多矢鱈に取る人か取らない人かと思っていれば何の事もない。取りはしない。端荘清慎で心を掃除しているので操執しているのが見える。少しも寝惚けたことはない。学者も、丁度酒に酔って人の来たのも知らずに臥せている様な節義の立たない類は、操執がなくて寝惚けているのである。そこを端荘清慎で鍛えて置くのでいつも「見操執」である。
【語釈】
・貞女不見两夫…賢臣二君に仕ず、貞女両夫に見えず。小学内篇明倫59。「王蠋曰、忠臣不事二君、列女不更二夫」。
・伊尹一介不以取諸人…孟子万章章句上7。「伊尹耕於有莘之野、而樂堯舜之道焉。非其義也、非其道也、祿之以天下、弗顧也。繋馬千駟、弗視也。非其義也、非其道也、一介不以與人、一介不以取諸人」。

○偖て是迠てこちのことはすみて、臨事云々から事の上を処置[さばき]すること。萬端の用向が身分相応にある。武家は武家、百姓は百姓、町人は町人、さま々々事があってそれへのぞむ。事の来るは鯛や平目を儿上[まないた]にをくよふなもの。いざと出ても庖丁が鋭[きれ]ず手が動か子は料ることはならぬ。医者の療治をするよふなもの。医学のことてはならぬことぞ。様々病人に臨で、是には何がよい々々々々と云でなければならぬ。これが仕入仕込のいることで、今聞て間に合ふことではない。いくら尻をはしょり欠けて行こふとしても盲人はならぬやうなもの。致知挌物の学問をして此方を明にしてをると處置[さはく]ものがある。内篇に方物出謀と云もそれで、此通なことゆへ、處置くことにくにゃ々々々したことがない。
【解説】
「臨事」の説明。これからは事の上を捌くこと。人には万端の用向きが身分相応にある。それをうまく捌くのでなければならない。
【通釈】
さてこれまででこちらのことは済んで、「臨事云々」からは事の上を捌くこと。万端の用向きが身分相応にある。武家は武家、百姓は百姓、町人は町人と様々な事があってそれへ臨む。事が来るのは鯛や平目を俎板に置く様なもの。さあしようと出ても庖丁が切れず手が動かなければ料理することはできない。それは医者が療治をする様なもの。医学ではこれができなければならない。様々な病人に臨んで、それぞれに、これには何がよいと言うのでなければならない。これが仕入れ仕込みの要ることで、今聞いて間に合うことではない。いくら尻を端折って駆けて行こうとしても盲人にはできない様なもの。致知格物の学問をして自分を明にしていると捌くものがある。内篇に「方物出謀」とあるのもそれ。この通りのことで、捌くのにぐにゃぐにゃとしたことはない。
【語釈】
・方物出謀…小学内篇立教2。「四十始仕、方物出謀發慮。道合則服從、不可則去」。

○明敏果断は道理をみすかしたものゆへ、すか々々と事がさばける。敏ははやいことで、明でなければ早く出来ぬ。たとへは語類の何巻目をもってこいと云と、語類を不断見る人が早く持てくる。はやいと云は明からをこりたもの。物を大事々々とする人がある。至てよいが、それにも吟味がいる。知惠もあり、随分さばけると云が、大事々々とするは本道不知惠て决断[さばく]ことがならぬ。そこで大事々々とするがある。だたい明なれはひさしくかかりて思案してをる筈はない。扁鵲や仲景は其様に久しく考てをるまい。大工の棟梁も上手な奴が早く札を入れる。下手はあちへまわしこちへまわして埒が明ぬ。なぜなれば、しらぬゆへなり。果断はまた別なことで、知惠が明でも氣象がとみたり、怯弱人は果断のつよみがない。そこでならぬ。
【解説】
「以明敏・果斷」の説明。「敏」は早いことで、知恵が明でなければ早くはできない。物を大事にするにも、知恵がなくて捌くことができなくて大事にするということがある。また、知恵が明でも気象が弱ければ果断にはなれない。
【通釈】
「明敏果断」は道理を見透かしたことなので、これでずかずかと事が捌ける。敏は早いことで、明でなければ早くはできない。たとえば語類の何巻目を持って来いと言うと、語類を普段見ている人が早く持って来る。早いというのは明から起こるもの。物を大事にする人がいる。それは至ってよいことだが、それにも吟味が要る。知恵もあり、随分捌けるというものの、大事とするのは本当は不知恵で捌くことができず、そこで大事にすることがある。そもそも明であれば長いこと掛かって思案をしている筈はない。扁鵲や仲景はその様に久しく考えてはいなかっただろう。大工の棟梁も上手な奴が早く札を入れる。下手はあちらへ回しこちらへ回しして埒が明かない。それは何故かと言うと、知らないからである。果断はまた別なことで、知恵が明でも気象が澱んでいたり怯弱だったりする人は果断の強味がない。そこでできない。

知惠の爽鬆で其上に気象につよみがある。一刀两断と云ことあり、大聚[おおけさ]に打離すと云やうなもの。あちを思いこちを思とかたがつかぬ。今日学問を悪く云は、結搆な埒の明ぬ人は云はぬもの。働のある人がなんに斈問と云が、学問のない者はならいがないゆへ明敏果断がない。それゆへちょっとした相談も鷄鳴く迠かかりたと云。明敏果断は無学では頓とならぬことなり。無学な者が明敏果断のなる顔をするが、成程明敏果断にみへる人もあれとも、一寸二寸の尺をしらぬ。曲尺なしにこれで一寸よ、是で二寸よときめるやうなもの。論に及ぬこと。偖又道理を知た人の事を埒明けることならずにしくじるは気象のさへぬなり。道理を知ての果断なり。さて何のこともないやふなれとも、これを出世させて云へば、舜其大知矣與と云ものぞ。
【解説】
知恵が爽やかでその上に気象に強味があると明敏果断である。明敏果断は無学ではできない。それは、無学は秤を持っていないからである。また、道理を知っていても事を捌けないのは、気象が冴えないからである。
【通釈】
知恵が爽やかでその上に気象に強味がある。一刀両断ということがあり、大袈裟に打ち離すという様なもの。あちらを思いこちらを思うと片が付かない。今日学問を悪く言うのは、結構な埒の明かない人では言えないもの。働きのある人が何、学問がと言うが、学問のない者は習いがないので明敏果断がない。そこで、一寸した相談も鶏が鳴くまで掛かったと言う。明敏果断は無学では全くできないこと。無学な者が明敏果断ができた様な顔をしているが、なるほど明敏果断に見える人もあるが、一寸二寸の尺を知らない。それは、曲尺なしに、これで一寸だ、これで二寸だと決める様なもので、論に及ばないこと。さてまた道理を知った人が事に埒を明けることができずにしくじるのは気象が冴えないからである。道理を知っての果断である。さてこれは何事もない様だが、これを出世させて言えば、「舜其大知矣与」というもの。
【語釈】
・舜其大知矣與…中庸章句6。「子曰、舜其大知也與。舜好問而好察邇言、隱惡而揚善。執其兩端、用其中於民。其斯以爲舜乎」。

○辨是非と云もやっはり執其两端用其中於民て、中ずみを取られた。昔年直方先生七十の年、京都へ啓行とき、東海道も木曽路も通りてみるに、歴々から軽い者に至る迠かしこい顔が一人もないと仰られしとぞ。誠に世上無斈なる人庻如此ありつべし。道理が明かなれはずずと済むが、道理がくらふては物のあやちがきれぬ。扨是迠か己一分の叓。臨事でさばくとても政をすることではない。政をするは浪人のかまわぬことなり。こう云てやっはり此方の持前のこと。是程に学問をきり々々迠吟味して、扨其上に又あとが面白ひ。
【解説】
「辨是非」の説明。直方先生が、京都に行く途中で色々な人を見たが、賢い顔は一つもなかったと言った。世に無学な人は多い。
【通釈】
「弁是非」と言うのもやはり「執其両端、用其中於民」で中心を取ること。昔年直方先生が七十の年に京都へ行かれた時、東海道も木曽路も通って見ると、歴々から軽い者に至るまで賢い顔が一つもなかったと仰せられたそうである。誠に世上無学な人は多くこの様なことだろう。道理が明らかであればずっと済むが、道理が暗くては物の綾地が切れない。さてここまでが自分一分のこと。事に臨んで捌くと言っても政をすることではない。政は浪人の構わないこと。この様に言っても、やはり自分の持前のこと。これほどに学問をぎりぎりまで吟味して、さてその上にまた後が面白い。

公儀の法度を三尺と云ふ。○前漢書の杜周が傳にありて、古へ紙なき時、三尺ほどな竹に法度を切付しなり。それより法度を三尺と云ふ。公儀の法度をいこうつつしむなり。我に学問あると当時のことは軽んずるものなれとも、そのないこと。法は全体へかけて云こと。三尺は當世の法度制札。法度は当時のもいれ、古のも入れ心得るがよし。まづ忠質文之制でも丁どに考る合点なり。古の事は今日用てはついえのあることもあり、用られることもある。直方先生の、兎角世の中へかまほこにしてだせと云はれた。骨がなければ骨もえらもたたず食はれる。世にあわぬことを云は見処のないなり。古の法をよく考て今へはめるやふにすること。このやふな処をしらぬと何もかも手に入らぬ。直方先生が平日面白いことを云て人が感心すると、これは語類にあると仰せられた。朱子の意を攷求めて合点なされたものゆへ、平日の説話が語類などと引迠もなふ皆語類なり。所謂かまぼこなり。
【解説】
「又謹三尺、攷求立法之意」の説明。公儀の法度を大層謹む。三尺は当世の法度制札で、法度は古今の法のこと。古の法をよく考えて今へ嵌める様にする。直方先生が面白いことを言うので人が感心すると、それは語類にあると言った。
【通釈】
公儀の法度を三尺と言う。前漢書の杜周伝にあって、昔、紙がない時に三尺ほどの竹に法度を切り付けた。それより法度を三尺と言う。公儀の法度を大層謹む。自分に学問があると今のことを軽んずるものだが、それをしない。法は全体へ掛けて言う。三尺は当世の法度制札。法度は当時のも入れ、古のも入れると心得なさい。先ずはこれが忠質文の制でも丁度に考える合点である。古の事は今日用いては費えのあることもあり、用いることのできることもある。直方先生が、とかく世の中へ蒲鉾にして出せと言われた。骨がなければ骨も鰓も構わず食える。世に合わないことを言うのは見処がないのである。古の法をよく考えて今へ嵌める様にする。この様な処を知らないと何もかも手に入らない。直方先生が平日面白いことを言うので人が感心すると、これは語類にあると仰せられた。朱子の意を「攷求」して合点なされたので、平日の説話が語類などを引くまでもなく皆語類である。これが謂う所の蒲鉾である。
【語釈】
・杜周が傳…漢書杜周伝。「周少言重遲、而内深次骨。宣爲左内史、周爲廷尉、其治大抵放張湯、而善候司。上所欲擠者、因而陷之。上所欲釋、久繫待問而微見其冤状。客有謂周曰、君爲天下決平、不循三尺法、專以人主意指爲獄、獄者固如是乎。周曰、三尺安出哉。前主所是著爲律、後主所是疏爲令。當時爲是、何古之法乎」。
・忠質文之制…論語為政23集註。「夏尚忠、商尚質、周尚文」。

政をするもそれ。古のことを考て今へあうやふにすると、尭舜と云ことを云はず今のなりで尭舜の意になる。○操はとる。○縦はゆるすで、操は本法のなりにつかまへること。縦は本法のとをりにせず、ちとやわらげてすることを云。先軰の説に、操縦とは法の通りにして法外の意あると云へり。近思政事明道為邑之条にてみるべし。医者も名人はそれなり。古人のくんだ通り法を用て、此薬にはこれを夛く入れてよいの、是れを减らすのと云ことて、さしひきしてあんばいをよくする。
【解説】
「而操縱之」の説明。「操」は本法の通りに掴まえることで、「縦」は本法の通りにせず、少々和らげてすること。差し引きをするのである。
【通釈】
政をするのもそれ。古のことを考えて今に合う様にすると、堯舜と言わずに今の通りで堯舜の意になる。「操」はとることで、「縦」はゆるすこと。操は本法の通りに掴まえること。縦は本法の通りにせず、少々和らげてすること。先輩の説に、操縦とは法の通りにして、法外の意があるとある。これは近思録の政事の明道為邑之条で見なさい。医者も名人はそれ。古人の組んだ通りに法を用いて、この薬にはこれを多く入れるとよい、これを減らすとよいと言い、差し引きして塩梅をよくするのである。
【語釈】
・近思政事明道為邑之条…近思録政事3を指す。

○斯とは、上をはなさず云口上ぞ。上の臨事がどうか政をすることのやふなれとも、政務のこと斗りではない。吾か女房や子に向ても明敏果断、下に居ても三尺を謹。こうろくぐをきめてをくと政も出来、人のあとへつくまいとなり。そこで斯の字をみよ。上段々のことは政ではないが、そうした仕込なればすぐに政をすることがなるぞ。本のことは僅なれともこれなり。政と云と貞観政要てもたすことのやふに心得てをるが、そうしたことではない。立志以明道・希文自期待、立心以忠信・不欺爲主本。こふ云ことできめると伊尹の様ではあるまいが、なみていの人のあとにはつくまい。是等を吾黨の斈問の流義と云。俗学はこまりたことは、餅屋は餅屋ゆへ、心のことは禅坊主に聞き、政のことは政談経済録と云。當坐まかないには成程随分よかろうが、ほんの政がそんなことで行くことではない。明道・希文を手本にしてきめてをくと政が手もなく出来る。此通りの仕込なれば天下国家の政が出来るなり。
【解説】
「斯可爲政不在人後矣」の説明。「臨事」は政務のことだけでなくて万端のこと。家でも明敏果断、下にいても三尺を謹む。そうすれば人の後にいることはない。政も「立志以明道・希文自期待、立心以忠信・不欺為主本」でよくなるのだが、俗学は心と政とは別なものと考えている。
【通釈】
「斯」は上を離さずに言う口上である。上の臨事がどうも政をすることの様だが、政務のことばかりではない。自分の女房や子に向かっても明敏果断、下にいても三尺を謹む。こう六具を決めて置くと政もでき、人の後に付くことはないだろうと言った。そこで斯の字を見なさい。上段々のことは政ではないが、そうした仕込みであれば直ぐに政をすることができる。本当のことは僅かなことでもこうなる。政と言うと貞観政要でも出すことの様に心得ているが、そうしたことではない。立志以明道・希文自期待、立心以忠信・不欺為主本である。この様に決めると伊尹の様ではないとしても、並大抵の人の後に付くことはないだろう。これらを我が党の学問の流儀と言う。困ったことに俗学は、餅屋は餅屋で、心のことは禅坊主に聞き、政のことは政談経済録と言う。なるほど当座賄いには随分とよいだろうが、本当の政がそんなことでうまく行く筈はない。明道と希文を手本にして決めて置くと政が手もなくできる。この通りの仕込みであれば天下国家の政ができる。

平生致知格物と云が大学でををきく云処。明道・希文と鼻の先きにある人を様子にしろとちいさく云で政もなる。ちいさく手短にゆくが面白ひ。手短と云ても小刀細工ではない。傳心のあることなり。此内に近思録十四篇の目を推したことがある。政もなると云はそこなり。當今の法をかへるではなく、三尺をつつしみ、其法中にさしひきある。直方先生の、御代官に今云付られると手代に聞合せてつとめるとはそこなり。ここの処を精を出せと何も彼もすんで、さて○治心修身云々。ここがいこう親切ぞ。子共が上方へ行く時、筥根で馬にのるなと云て、既に乘掛て乘る処でもう一つ云様なもの。
【解説】
「汝勉之哉。治心脩身」の説明。明道や希文という身近な人を手本にすることで政もできる。今の法を変えるのではなく、三尺を謹み、その法の中で差し引きをする。
【通釈】
平生致知格物をするというのが大学で大きく言う処。明道や希文と鼻の先にある人を手本にしろと小さく言うので政もできる。小さく手短に行くのが面白い。手短と言っても小刀細工ではない。伝心のあること。この内に近思録十四篇の目を推したことがある。政もできると言うのはそこ。当今の法を変えるのではなく、三尺を謹み、その法中で差し引きをする。直方先生が、今御代官を言い付けられば、手代に聞き合わせて勤めると言うのはそこ。ここの処に精を出せと言うので何もかも済み、さて「治心修身云々」である。ここが大層親切である。これは子供が上方へ行く時に、箱根では馬に乗るなと言い、既に乗り掛けている処でもう一度乗るなと言う様なもの。

○以飲食男女は前の清の字の中へはへりてをること。是を別段に云処が親切。尭舜周孔と云より明道・希文と云がしこうのあること。清の字の端的を云が趣向ゆへ、爰も飲食男女とたしたもの。是を分に一條出し、高上でない処に趣向があると浅見先生の云はれた。誠意正心脩身の大学のむ子上けもここに帰着すること。偖人の欲に飲食と好色ほど切なものはない。飲食はあとからもで々々々々々々する。今朝食ふても程なく亦くふ。そこでここに功夫が六ヶ鋪。まづいものはずんどそこ々々にする。身に切な処から心を動かす。八はしやまつものくふて杜若もそれ。飲食は身に切な処で云。いかほど風雅人も杜若を見ると何も食はせぬと云と見てはない。
【解説】
「以飮食・男女爲切要。從古聖賢自這裏做工夫。其可忽乎」の説明。ここは「清」の端的を言ったもので、そこで飲食男女という切なものを出した。身に切なことは心を動かす。
【通釈】
「以飲食男女」は前の「清」の字の中に入っていること。これを別段に言う処が親切である。堯舜周孔と言うよりも明道・希文と言う方が趣向がある。清の字の端的を言うのが趣向なので、ここも飲食男女と嗜む。これを別に一条出して、高上でないその処に趣向があると浅見先生が言われた。誠意正心修身の大学の棟上もここに帰着すること。さて、人の欲に飲食と好色ほど切なものはない。飲食は後からも後からもすること。今朝食っても程なくまた食う。そこでここの功夫が難しい。不味いものは実にそこそこにする。身に切な処から心を動かす。八橋や先ずもの食うて杜若もそれ。飲食は身に切な処で言う。どれほどの風雅人でも、杜若を見ると何も食わせないと言うのであれば見る者はいない。

さて好色なり。大斈の傳者も如好好色と云た。人のとりみだすが好色。よく々々のことで、火事で煙にまかれて逃るに命から々々な時節なれとも、そこに女が居ればはや女の方を見る。渡し塲で舟にのる女の方を見る。二六時中ぬける間はない。女からして家も覆墜。大概の人がなにくはぬ顔をしてをるが、胷中は余程虫にくわれてをる。浅見先生か筭用違と云ことを云はれた。何に付けても面白ひことぞ。今我々は食ひものにはかまわぬと云が、ちとそれは筭用ちがへ。飲食も好色も好に浅深厚薄はあれとも、ここに動ものないものはない。○這裏は飲食男女をさす。別段にこれを云が親切。垩賢でもここをそまつにはされぬ。飲食男女は人の大欲存す。是を鼻の先きのこととゆるかせにするなと云こと。
【解説】
飲食も好色も程度の浅深厚薄はあるが、これに動かない者はいない。これを忽せにしてはならない。
【通釈】
さて、好色のこと。大学の伝者も「如好好色」と言った。人が取り乱すのが好色。それはよくよくのことで、火事で煙に巻かれて逃げるのは命からがらな時節だが、そこに女がいれば早くも女の方を見る。渡し場で舟に乗る女の方を見る。二六時中抜ける間はない。女からして家をも潰す。大概の人が何食わぬ顔をしているが、胸中はよほど虫に食われている。浅見先生が算用違いと言われたのが何に付けても面白いこと。今我々は食物には構わないと言うが、一寸それは算用違い。飲食も好色も好きに浅深厚薄はあるが、ここに動かない者はいない。「這裏」は飲食男女を指す。別段にこれを言うのが親切である。聖賢でもここを粗末にはされなかった。「飲食男女人之大欲存」。これを鼻の先のことと忽せにするなと言ったのである。
【語釈】
・如好好色…大学章句6。「所謂誠其意者、毋自欺也。如惡惡臭、如好好色。此之謂自謙。故君子必愼其獨也」。
・飲食男女は人の大欲存す…礼記上礼運。「飲食男女、人之大欲存焉。死亡貧苦、人之大惡存焉。故欲惡者、心之大端也」。


嘉言14
○古靈陳先生爲居令、敎其民曰、爲吾民者、父義、能正其家。母慈、能養其下。兄友、能愛其弟。弟恭、能敬其兄。子孝、能事父母。夫婦有恩、貧窮相守爲恩。若棄妻不養、夫喪改嫁、皆是無恩也。男女有別、男有婦、女有夫。分別不亂。子弟有學、能知禮義廉恥。郷閭有禮、歳時寒暄皆以恩意往來、燕飮叙老少坐立拜起。貧窮患難親戚相救、謂借貸錢穀。昏姻死喪鄰保相助、無墮農業、無作盗賊、無學賭博、無好爭訟、無以惡陵善、無以富呑貧、行者讓路、少避長、賤避貴、輕避重、來避去。耕者讓畔、地有界畔。不相侵奪。斑白者不負戴於道路、子弟負重、執役、不令老者擔擎。則爲禮義之俗矣。
【読み】
○古靈の陳先生、居の令と爲り、其の民を敎えて曰く、吾が民爲る者は、父は義に、能く其の家を正す。母は慈に、能く其の下を養う。兄は友に、能く其の弟を愛す。弟は恭に、能く其の兄を敬う。子は孝に、能く父母に事う。夫婦恩有り、貧窮相守るを恩と爲す。妻を棄て養わざる、夫喪して改め嫁するが若き、皆是れ恩無きなり。男女別有り、男に婦有り、女に夫有り。分別して亂れず。子弟學有り、能く禮義廉恥を知る。郷閭禮有り、歳時寒暄皆恩意を以て往來し、燕飮に老少坐立拜起を叙つ。貧窮患難には親戚相救い、錢穀を借り貸しするを謂う。昏姻死喪には鄰保相助け、農業を墮すこと無く、盗賊を作すこと無く、賭博を學ぶこと無く、爭訟を好むこと無く、惡を以て善を陵ぐこと無く、富を以て貧を呑むこと無く、行く者は路を讓り、少は長を避け、賤は貴を避け、輕きは重きを避け、來るは去るを避く。耕す者は畔を讓り、地に界畔有り。相侵し奪わず。斑白の者は道路に負い戴かずんば、子弟重きを負い、役を執り、老者を擔擎せしめず。則ち禮義の俗と爲らん、と。

○古霊陳先生云々。其民と云字を氣を付て見るがよい。是迠て教を段々語りたが政のことばてはない。爰の教は政にかかる処。開巻に云とをり、小学の教は上からの息でなければならぬ。浪人儒者のならぬこと。孟子に三楽とて得天下英才教育之と云は甚大いことなれとも、あれは浪人もなることなり。孔子の顔子を得、明道や伊川の楊亀山・謝上蔡を得、朱子の黄勉斎・蔡九峯を得、山崎先生の直方先生や浅見先生を得られたがこれなり。これは相應々々に、此は某などもなる。学友の内て合点したものがあると其れと話をするが教育なり。村の風俗をよくしよふなどと云ことは中々近辺へ出されぬ。古霊の奉行になられた其陳先生の、其百姓なり。是からが始て古の小学校の振舞。此段になりては陳先生に孔子も孟子も及はぬ。孔子も孟子も浪人ゆへ、魯の国も雛の國も一つ葉もよくはされぬ。
【解説】
「古靈陳先生爲居令」の説明。ここは政の教えであり、村の風俗をよくすることを言う。それは浪人儒者の役ではない。
【通釈】
「古霊陳先生云々」。「其民」という字を気を付けて見なさい。これまで教えを段々に語ったが、それは政の言葉ではなかった。しかし、ここの教えは政に掛かるもの。開巻で言った通り、小学の教えは上からの息でなければならず、浪人儒者にはできないこと。孟子に三楽とあり、「得天下英才而教育之」は甚だ大きいことだが、それは浪人にもできる。孔子が顔子を得、明道や伊川が楊亀山や謝上蔡を得、朱子が黄勉斎や蔡九峯を得、山崎先生が直方先生や浅見先生を得られたのがこれ。これは相応にできることで、これは私などにもできること。学友の内に合点した者がいるとそれと話をするのが教育である。しかし、村の風俗をよくしようなどということは中々近辺に出せないこと。古霊の奉行になられた陳先生がその百姓へ教えた。これが初めての古の小学校の振舞いである。この段になっては孔子も孟子も陳先生には及ばない。孔子も孟子も浪人だったので、魯の国も雛の国も一つもよくはされなかった。
【語釈】
・古霊陳先生…陳襄。古霊は村名。1017~1080
・孟子に三楽…孟子尽心章句上20。「孟子曰、君子有三樂、而王天下不與存焉。父母倶存、兄弟無故、一樂也。仰不愧於天、俯不於人、二樂也。得天下英才而教育之、三樂也。君子有三樂、而王天下不與存焉」。
・仙…本来は「僊」である。

○其民と云字も吾民と云字も、我了簡一盃をする処から書た字なり。人の頭をはりてはすまぬが、吾子の頭ははりてもよいにはあんばいの面白きことなり。吾民と云が、をらが民と云こと。そこで教が施さるる。英才に義理を知らせることは浪人でもなるが小学はならぬ。學者は桀紂の世に生れても吾心をよくしやうと云からなる。そこで大学の教は一二人の出合でもなるが、小学を一村へと云ことは奉行でなければならぬ。今は上に奉行と云があると年貢でも取立ることと思は、皆古の小学の意のぬけたなり。教のぬけてをるとき、眞先きに教をしようと云から朱子のここへとられた。
【解説】
「敎其民曰」の説明。学者は自分の心をよくるのが第一のなで、それは二三人との出合いでもできるが、一村に小学を施すのは奉行の任である。
【通釈】
「其民」という字も「吾民」という字も、自分の了簡一杯をする処から書いた字である。人の頭を張っては済まないが、我が子の頭を張ってもよいというのには塩梅があって面白いこと。吾民は、俺の民ということ。そこで教えを施すことができる。英才に義理を知らせることは浪人でもできるが、小学は施せない。学者は桀紂の世に生まれても、自分の心をよくしようとすることだからできる。そこで大学の教えは一二人の出合いでもできるが、小学を一村へ施すということは奉行でなければできない。今は上に奉行というものがあると年貢でも取り立てることだと思うのは、皆古の小学の意が抜けたのである。教えの抜けている時、真っ先に教えをしようと言ったので、朱子がこれをここへ採られた。

○父は亭主、母は女房と如此譯してをくがよいぞ。注のしむけで見てしるべし。子を相手にして云へば父母と云ひ、家内を主に云へは亭主女房と云がよい。其家のある主になる父は是が一家の標的ゆへ、人君の替を家てはする。そこで易にも父のことを嚴君と云、家君とも云書く。亭主が急度せ子ばたをれた的居を見るやうなもの。標的がない。父は道理の通りして、義と云字は利をすこしもまぜぬこと。吾身代の為めにわるいと、こうせぬはづと思ふことでもするは義を横に子るのなり。兎角義を立てにせぬと利がそこて顔を出す。こうしては損のゆくことなれとも、こうせ子ばならぬと云が義。吾が勝手て義の頭をはることはわるい。旦那の家来をあまり呵るは悪るい。惠むがよいが、呵ると身代の為めにわるいとて呵らぬはわるい。呵るべきことは呵るが義なり。○正は義とべったりと合ふこと。
【解説】
「爲吾民者、父義、能正其家」の説明。父は一家の標的なので、道理の通りにしっかりとしなければならない。義を立てて利を入れない様にする。
【通釈】
「父」は亭主、「母」は女房とこの様に訳して置きなさい。注の仕向けで見て理解しなさい。子を相手にして言えば父母と言い、家内を主にして言えば亭主女房と言うのがよい。その家の主になる父は一家の標的なので、家では人君の代わりをする。そこで易にも父のことを厳君と言い、家君とも書く。亭主がしっかりとしないのは倒れた的射を見る様なもので、標的がない。父は道理の通りをする。「義」という字は利を少しも混ぜないこと。自分の身代のために悪いと、こうはしない筈だと思うことでもする。それは義を横にするのである。とかく義を立てて置かないと利がそれで顔を出す。こうしては損になるが、こうしなければならないと言うのが義。自分の勝手で義の頭を張るのは悪い。旦那が家来を酷く呵るのは悪い。恵むのがよいが、呵ると身代のために悪いとして呵らないのは悪い。呵るべきことは呵るのが義である。「正」は義とべったりと合うこと。
【語釈】
・嚴君…易経家人。「家人有嚴君焉、父母之謂也」。

○母慈は、兎角可愛がるですむ。内主の役は召使迠是ですむ。あの家は、旦那はよけれとも内方にこまると云。女は事があっても决断こともせぬ。兎角可愛がると云が一ちよいことなり。○兄はただ弟を可愛がることぞ。○能愛其弟の能の字、能事とつつき、日月は物を照らすか能事、川は流れるが能事、山は動かぬが能事、兄は弟を可愛がるが能事。弟を可愛らぬと云は兄の風をひいたのなり。薬種もかさふくときかぬ。良知良能の能と同じことて、もちまいの能なり。固有[もちまへ]の通り天地自然のなりにする。淮南子が可謂能子矣の能の字がこれ。子たる者はそうする筈。○弟恭。奉公人が主の前や家老の前ではすることなれとも、兄弟は子とものときは一つふとんの中でくるうて居るもの。それを恭くする。是が弟の弟たる処。是をせ子ば、弟でも弟でないものがそこに居るのなり。弟は何も外に役はない。恭をするが猫の鼠を取る様なもの。また、人為子者は事親斗りか役。事親子ば席ふさげ。子のないも同しことなり。我が固有の通り事へ子ばならぬことなり。
【解説】
「母慈、能養其下。兄友、能愛其弟。弟恭、能敬其兄。子孝、能事父母」の説明。母は可愛がるのがよい。兄は弟を可愛がり、弟は兄に恭しくする。兄弟がそうしなければ兄弟とは言えない。また、子が親に事えなければ子がいないのと同じである。
【通釈】
「母慈」。とかく可愛いがることで済む。奥方の役は召使いまでへもこれで済む。あの家は、旦那はよいが奥方に困ると言う。女は事があっても決断をしないもの。とかく可愛いがるのが一番よい。「兄」はただ弟を可愛いがる。「能愛其弟」の能の字は能事と続き、日月は物を照らすのが能事、川は流れるのが能事、山は動かないのが能事、兄は弟を可愛いがるのが能事。弟を可愛いがらないというのは兄が風邪を引いたのである。薬種も風が吹くと効かない。それは良知良能の能と同じことで、持前の能である。持前の通り、天地自然の通りにする。淮南子の「可謂能子矣」の能の字がこれ。子たる者はそうする筈。「弟恭」。奉公人は主の前や家老の前では恭しくするものだが、兄弟は子供の時には一つ布団の中に包まれているもの。それを恭しくする。これが弟の弟たる処。これをしなければ、弟であっても弟でない者がそこにいるのと同じである。弟は何も外に役はない。恭をするのは猫が鼠を獲る様なもの。また、人の子たる者は親に事えることだけが役。親に事えないのであれば席を塞げ。それでは子がいないのと同じこと。自分の持前の通りに事えなければならない。
【語釈】
・可謂能子矣…小学内篇稽古11。

○偖て夫婦の間には恩と云ものが真柱になってをる。夫婦と云ものは他人と他人が二人よりたもので、名も今迠は知らぬ者も、媒士かあってふいと女房になる。そこで恩斗りで夫婦になってをる。恩かないと、只の女と男が並てをるので、女房と云ものも中々調法な者でこざるなどと云やふに、自家[てまへ]の喚使のやうに思のは恩を失たのなり。夫婦の間は睦と云がよい。偕老同穴と云こともあり。○さて其有恩のつかまへどを見せやふとて貧窮相守云々と書たが、是が通用のわるい字でてづつな書きやうなれとも、教民には親切。軽ひ者は貧窮で一入恩を失ふ。女房も此様な破れてをる貧窮な家ではあるまいと思ふたなどと云。そんなら米や金の女房にきたのなり。夫も女房をよぶ。もふ女房の里へ金を取られるなとと云て金銀が上になり、冨貴について恩がなくなる。冨貴からして大倫もかくものなれとも、有恩と云は、令女などは居止常依爽と云て、どこ迠もあちを向てをるぞ。
【解説】
「夫婦有恩、貧窮相守爲恩。若棄妻不養、夫喪改嫁、皆是無恩也」の説明。夫婦は恩で結ばれているもの。夫婦の間は睦まじいのがよい。軽い者は貧窮で一入恩を失う。
【通釈】
さて、夫婦の間には恩というものが真柱になっている。夫婦というものは他人と他人が二人寄ったもので、今までは名も知らなかった者も、媒士がいてふいに女房になる。そこで恩ばかりで夫婦になっている。恩がないと、ただの女と男が並んでいるだけなので、女房というものも中々調法な者だなどと言う様に、自分の召使いの様に思う。それは恩を失ったのである。夫婦の間は睦まじいのがよい。偕老同穴ということもある。さてその「有恩」の掴まえ所を見せようとして「貧窮相守云々」と書いた。これは通用では悪い字で下手な書き様だが、民を教えるには親切である。軽い者は貧窮で一入恩を失う。女房もこの様な破れている貧窮な家ではないだろうと思っていたなどと言う。それなら米や金の女房に来たのである。夫も里で女房を呼ぶと、もう女房の里に金を取られるなどと言って金銀が上になり、富貴に付いて恩がなくなる。富貴からして大倫も欠けるもの。そこを有恩で、令女などは「居止常依爽」と言い、何処までも夫の方を向いている。
【語釈】
・居止常依爽…小学外篇善行29。「令女聞即復以刀截兩耳、居止常依爽」。

○男女有別と云は惣体へかけて云こと。○男有婦女有夫とふたはなに書くが、女房でない女は女にせず、夫てない男は男にせぬこと。そこで別か立つ。出其闉闍、有女如茶。雖則如茶、匪我思且。縞衣茹藘、聊可與娯。にぎやかな処で女か多く通れともわきは見ぬ。あちこちみる処が別のないなり。女房もった夫も亭主ある女も、方々をみるうちはどんなことがをころうもしれぬ。此分別の立ぬ内は教をしやうとしても教はならぬ。みなこれからぶちこはしてしまう。今はゆるされるからよいと思ふは上も下も教のないゆへなり。ここの取扱がむづかしい。めしつかいの男女をも見ぬふり。どふあらふとも搆ぬと云へは知惠のあるやふに思ひ、こせ々々きびしくすると知惠がないと思が、搆ぬと云ことは三代の政にはないこと。ものを見のがしにするはわるいことに葢をしてとをす。左様の政を小康と云。本のことは男女の間から正しくせ子ばならぬ。爰を急度せ子は民を教ても本道にはならぬ。民を大勢持ても、かんじんの教がないとほころびか出来る。
【解説】
「男女有別、男有婦、女有夫。分別不亂」の説明。女房でない女は女とは見ず、夫でない男は男とは見ない。そこで別が立つ。男女の別が立たなければ教えはならない。ものを見逃しにするのは悪いことに蓋をするのと同じで、それでは小康である。
【通釈】
「男女有別」は総体へ掛けて言うこと。「男有婦、女有夫」と二つに書いたのが、女房でない女は女と見ず、夫でない男は男と見ないということ。そこで別が立つ。「出其闉闍、有女如茶。雖則如茶、匪我思且。縞衣茹藘、聊可與娯」で、賑やかな処では女が多く通るが脇を見ない。あちこちを見る処が別がないということ。女房を持った夫も亭主のある女も、方々を見る内にはどんなことが起こるかも知れない。この分別の立たない内は教えをしようとしても教えはできない。皆これから打ち壊してしまう。今は許されているからよいと思うのは、上にも下にも教えがないからである。ここの取り扱いが難しい。召使いの男女をも見ない振りをする。どうでも構わないと言うと知恵のある様に思い、こせこせと厳しくすると知恵がないと思うが、構わないということは三代の政にはない。ものを見逃しにするのは悪いことに蓋をして通すのである。その様な政を小康と言う。本当のことは男女の間から正しくしなければならない。ここをしっかりとしなければ民を教えても本物にはならない。民を大勢持っても、肝心の教えがないと綻びができる。
【語釈】
・出其闉闍、有女如茶。雖則如茶、匪我思且。縞衣茹藘、聊可與娯…詩経国風鄭出其東門。

そこで子弟有学と云。○子共大勢ありても目出度と云が、わるくすると虚樽[からたる]斗りならべてをくやふなもの。医者が藥のない藥箱をかつがせてあるくは何の役に立ぬ。子弟にも学と云実を入る。学とて作詩文章をかくことではない。学問のぎり々々は礼義廉耻也。○礼は身持をかたの上からよくすること。まぎらかしのならぬことで、すっはりとからだを道理の通りにして、義は其内の心か本道の道理になること。礼ありても義がないと猿に上下を着せた様なもの。礼と云て姿を道理に合せる。是をはなすことはならぬ。義は心の持まいで、心が道理の通りになる。礼を廉にあて、義を耻にあてれはよいやふなれとも、そうではない。礼儀の上に分に廉耻を出すが義をもう一つ云ほどのこと。義はこうはせまいと云から、はつかしいも其中にある。ここで文盲な者が気がつく。
【解説】
「子弟有學、能知禮義廉恥」の説明。子供が大勢いても教えがなければ目出度いとは言えない。学問の至極は「礼義廉恥」である。礼は形の上からよくすることで、義は心を道理の通りにすること。この礼義の上に更に廉恥を出す。
【通釈】
そこで「子弟有学」と言う。子供が大勢いると目出度いと言うが、悪くすると空樽ばかりを並べて置く様なもの。医者が薬の入っていない薬箱を担がせて歩くのでは何の役にも立たない。子弟にも学という実を入れる。学と言っても作詩や文章を書くことではない。学問の至極は「礼義廉恥」である。礼は身持を形の上からよくすること。これが紛らかしのできないことで、すっぱりと体を道理の通りにする。「義」はその内の心が本当の道理になること。礼があっても義がないと、猿に裃を着せた様なもの。礼と言って姿を道理に合わせる。これを離すことはならない。義は心の持前で、心が道理の通りになる。礼を「廉」に当て、義を「恥」に当てればよい様なものだが、そうではない。礼義の上に特に廉恥を出すのが義をもう一つ言うほどのこと。義はこうはしないということだから、恥ずかしいということもその中にある。ここで文盲な者が気が付く。

斈問と云へば書物のことと思ひ、今年あたり此凶年に書物買ふてやられぬと云が、礼義廉耻を学しれば豊凶は入らぬぞ。尤致知挌物の斈問すると云段になれば二十一史十三経迠も見ることもあれとも、軽い者の斈問をするはそふしたことではない。礼義廉耻を知らせること。史記左傳では廉耻は知れぬ。去れとも妙薬を飲せるやうに、此黒焼でなをると云ことではない。たた今日小学を読と廉耻が出てくる。有学の入口ちはこれなり。是迠には今もなること。陳先生がないからうか々々してをる。うか々々して教がないと、それから帳外。親はなきのなみだ。頓と斈のない時の禍はかず々々限もないことなり。今日利口の役人などが、百姓が斈問をして何をするなどと茶の湯の様に学問を心得るは笑止なことなり。
【解説】
史記や左伝では廉恥はわからない。小学の入口は廉恥を知ることである。そこをうかうかとしていると禍が限りなく起こる。
【通釈】
学問と言えば書物のことと思い、今年あたりはこの凶年なので書物を買って遣れないと言うが、礼義廉恥を学んで知れば豊凶は不要なこと。尤も致知格物の学問をするという段になれば二十一史十三経までをも見ることもあるが、軽い者が学問をするのはそうしたことではない。礼義廉恥を知らせるのである。史記左伝では廉恥はわからない。しかし、これは妙薬を飲ませる様に、この黒焼で治るということではない。ただ今日小学を読むと廉恥が出て来る。有学の入口はこれ。これまでには今も成ることだが、陳先生がいないからうかうかとしている。うかうかとして教えがないと、それからは帳外で、親は泣きの涙である。学のない時の禍は数限りもない。今日利口な役人などが、百姓が学問をして何をするのかなどと茶の湯の様に学問を心得るのは笑止なこと。
【語釈】
・黒焼…動植物を土製の容器などに入れて蒸焼きにすること。また、そうしたもの。薬用などにする。

○郷閭云々。ををきい村も小い村もと云で、人のすまってをる処をのこさず云。是斗りは今日ものこりてある。学者が今は礼がない々々々々と云、村々のむしゃのよふなことは本道のことでないと云が、あれを本立にして教ること。正月は年始の礼、寒暑の見舞。○恩意は、今日も親類中でつけ届をするが親切でなけれはならぬ。心はそでなしとも、来れは表向の礼には叶が、教をする段になれば、恩意て往来をするでなければならぬ。死人があると云と曲衣[しちをおい]てなりとも賻金をやろうと云が恩意なり。無理無体にやるはうまみがない。恩意から出ぬことは味はない。畵餅と云字あり。あの男が中風したと聞てはと欠出す。恩意か村の出合にでるなり。せったかた々々木履片々て行けはなを親切が見へる。皆恩意ぞ。
【解説】
「郷閭有禮、歳時寒暄皆以恩意往來、燕飮叙老少坐立拜起」の説明。今でも村には礼は残っているが、それは恩意でしなければ味はない。
【通釈】
「郷閭云々」。大きい村も小さい村もということで、人の住んでいる処を残さずに言う。こればかりは今日も遺っている。学者が今は礼がないと言い、村々の舞社の様なことは本当のことではないと言うが、あれを本立にして教えるのである。正月は年始の礼、寒暑の見舞いである。「恩意」。今日も親類仲で付け届けをするが、それは親切でなけれはならない。心はそうでなくても、行けば表向きの礼には叶うが、教えをする段になっては、恩意で往来をするのでなければならない。死人があると聞けば質に置いてでも賻金を遣ろうというのが恩意である。無理無体に遣るのでは甘味がない。恩意から出ないことには味がない。画餅という字がある。あの男が中風したと聞いてはと駆け出す。恩意が村の出合いに出る。雪駄片々木靴片々で行けば尚更親切が見える。皆恩意である。
【語釈】
むしゃ
・賻金…死者の遺族に贈る財物。香奠。

陳先生がたた者でないがしれる。一通の村を教るなどと云ことではない。さて、郷黨序歯て年老を先に立る。田舎などは随分なるべきこと。仕官などの方では、殿中でこれはならぬこともある。田舎はなれとも此様な礼もなくなるが、人欲からわるくなると思がよい。金銀を主にすると老者もあとへ下たる。身上のよいわるいはあれとも、百姓はもと同格なり。去る地頭の名主へ賜ふ口上書に、百姓とも無事でよろこぶと云状の来たを見た。然れば其百姓ともと云ともの字の中には土藏のあるもあれば草鞋をうるもあるが、上からは一つ百姓と見る。老人なれとも軽い者故、あれはあとに立つべき者と云は殿中にはあるべきことの、一在所には甚たない筈なり。兎角大身な者は金を鼻にかける。世の中の人が其鼻にかける金をけいはくをして目がけむさぼる。此二つなり。そこで高ぶって、あれらはとあしろう人も、へつろう人も皆と云欲から出る。すは金が上坐をする、はや老少の礼はなくなる。金をもちて冨豪な人の内へ行ても、すっと床の間の前へすわりよってつかれぬやうな顔をしてをるのは、皆郷閭に教のない処から出たもの。
【解説】
年老を先に立てることなどは殿中ではできないことだが、田舎ではできる。それができないのは人欲からである。身上によい悪いはあるが、百姓は本来同格である。とかく大尽は金を鼻に掛け、人は軽薄をして金を目掛ける。金を上にすれば礼はなくなる。
【通釈】
陳先生が只者でないのがわかる。一通りに村を教えたのではない。さて、「郷党序歯」で年老を先に立てる。それは田舎などでは随分とできる筈のことだが、仕官などの方では、殿中でこれはできないこともある。田舎ではできるのに、この様な礼もなくなるのは人欲から悪くなるのだと思いなさい。金銀を主にすると老者も後へ下る。身上によい悪いはあるが、百姓は本来同格である。ある地頭が名主に与えた口上書に、百姓共無事で喜ぶと書かれた状が来たのを見た。その百姓共という共の字の中には土蔵のある者もいれば草鞋を売る者もいるが、上からは一つの百姓と見る。老人だが軽い者なので、あれは後に立つべき者だと言うのは殿中にはあるべきことだが、一在所には決してない筈である。とかく大尽な者は金を鼻に掛ける。世の中の人がその鼻に掛ける金を軽薄をして目掛けて貪る。この二つである。そこで高ぶって、あれらはとあしらう人も、諂う人も皆この欲から出る。金が上座をすれば、直ぐに老少の礼はなくなる。金を持つ富豪な人の家にでも行くと、すっと床の間の前に据わって寄り付けない様な顔をしているのは、皆郷閭に教えがない処からのこと。
【語釈】
郷黨序歯…郷党では歯に序[つい]ずる。

○貧窮艱難云々。貧窮は何となくわけない貧乏。艱難はしさいのあるなり。其時親戚の分が見てをらぬ。金銭を此様な時もかさぬなれは親類たる処の詮はないは。○昏礼は一生に一度外ない重いこと。人の死ぬも一世一代に一度外ない。そのとき鄰保から助けるなり。昏礼は人をよぶてものが入る。人の死ぬは棺椁のもの入がかかる。今の様に桶へ入れば何も入らぬことなれども、棺椁に物入あることなり。今それには物入はなくて外のことに費がある。あれも佛法が手傳てからもの入りがあるが、あれにすることではない。棺椁の用意。古棺椁無度の棺七寸と云ことのあるも、昔天下一統に棺椁に入れたことなり。火でやいたり、そこらへもっていってすてるやうなことはない。金銭入ること故賻金と云もありて、物入をたすける。今日所謂香奠なり。
【解説】
「貧窮患難親戚相救、謂借貸錢穀。昏姻死喪鄰保相助、無墮農業」の説明。貧窮艱難の時に親戚が助けないのであれば、それは親類ではない。婚礼や死喪は物入りなものなので隣保が助ける。但し、死喪の物入りは棺椁のためのものである。今の香典が隣保の助けの一つである。
【通釈】
「貧窮艱難云々」。貧窮は何となくわけのない貧乏だが、艱難には仔細がある。その時に親戚が助けない。この様な時にも金銭を貸さないのであれば親類ではない。婚礼は一生に一度しかない重いこと。人の死ぬのも一世一代に一度しかない。その時に隣保が助ける。婚礼は人を呼ぶので物入りである。人が死ぬと棺椁の物入りがある。今の様に桶へ入れれば何も要らないが、棺椁に物入りがある。今それには物入りはなくて外のことに費えがある。あれも仏法が手伝ってから物入りとなったが、あれにする必要はない。棺椁の用意のためである。「古者棺椁無度、中古棺七寸」とあるのも、昔は天下一統に棺椁に入れたからである。火で焼いたり、そこらへ持って行って棄てる様なことはない。金銭が要ることなので賻金ということもあり、物入りを助ける。今日謂う所の香典である。
【語釈】
・古棺椁無度の棺七寸…孟子公孫丑章句下7。「古者棺椁無度。中古棺七寸。椁稱之」。

○鄰保は向ふ三軒两鄰と云様なもの。上総などで入地と云がこれ。偖てこれには様々説あり、周の世では五人組合を鄰と云、隨唐以後は四軒組合を鄰と云、三軒組合を保と云。某はひとつであろうと思ふ。四人を一人ぬいて三人かもしれぬ。○墮と云字、百姓の省べきことなり。かわりたもので、此方の仕方でをつるをちぬの字がつく。これには次第階級ありて、墮すとてあたまで田地を質に置くことではない。周の世では一夫受百歩之田。そこに上農夫中農夫下農夫のあるは此方の精を出すと出さぬのなり。農業をうっかりとしてをるとずる々々と墮る。夫故なんでもゆるりとさせると云が殊外毒なり。ひまち々々々と度々云のは上から農業を墮させるなり。昔田畯の勸農官のと云がありて、百姓の田の脇に江戸の自身番の様に小屋掛して居り、棒でも引て歩行て百姓がのらをこくと呵る。これ墮させぬことなり。
【解説】
「堕」は田地を売る様なことではなく、百姓が仕事を怠けること。周の世では一夫に百畝の田を任すが、農夫に上中下があったのは自分が精を出したか出さなかったかの違いである。また、当時は江戸の自身番の様な勧農官という職があった。
【通釈】
隣保は向こう三軒両隣という様なもの。上総などで入地と言うのがこれ。さてこれには様々な説があり、周の世では五人組合を隣と言い、隋唐以後は四軒組合を隣と言い、三軒組合を保と言う。私は一つだっただろうと思う。四人を一人抜いて三人かも知れない。「堕」は百姓が省みるべきこと。それは妙なことで、自分の仕方で堕ちる堕ちないの字が付く。これには次第階級があって、堕とすと言っても直ぐに田地を質に置くことではない。周の世では「一夫受百畝之田」。そこに上農夫中農夫下農夫があるのは自分が精を出したか出さなかったかの違いである。農業をうっかりとしているとずるずると堕ちる。そこで、何でもゆるりとさせるというのが殊の外の毒である。日待ちを度々言うのは上から農業を堕とさせるのである。昔田畯の勧農官ということがあって、百姓の田の脇に江戸の自身番の様に小屋掛けしており、棒でも引いて歩いて百姓が怠けていると呵る。これが堕とさせないためのもの。
【語釈】
・一夫受百歩之田…孟子万章章句下2。「耕者之所獲、一夫百畝。百畝之糞、上農夫食九人、上次食八人、中食七人、中次食六人、下食五人、庶人在官者、其祿以是爲差」。

○無作盗賊。此講席も皆百姓なれとも、百姓の聞て腹を立ことであろう。あんまりな云やふじゃと思へとも、はて盗賊とて分に盗人の系図もなければ種もない。そこでそこらに物を置ても豊年にはなくならぬが、飢饉年には前にほしてある物もなくなる。誰が盗人と云もないが、飲食が切なものゆへ食ひものがない、盗人になる。先生の游民を禁ずるもそれなり。食ひつぶしの多いと云が盗人の方へしよりを付るなり。兎角食物のなくなると云が盗賊へくる勢なり。陳先生の思召をしらぬとはっと思ふこと。孟子に無恒産者無常と云が是也。田舎の静な処にそだつゆへ貞実な気もある。盗人ときそうもないものなれとも、食物がないと盗む。日でりがあろうと水損があろうと、古は三年ほどの米も蓄て置と民菜色はないと云へり。菜色する、はや盗の心が出る。そこて無墮農業の對句に無作盗賊と出したはさて々々的切なり。
【解説】
「無作盗賊」の説明。人に盗人の系図はないが、食物がないと盗人になるもの。孟子にも「無恒産者無恒心」とある。
【通釈】
「無作盗賊」。この講席も皆百姓だが、百姓が聞いて腹を立てることだろう。あまりな言い様だと思うだろうが、さて盗賊と言っても特別に盗人の系図もなければその種もない。そこでそこらに物を置いても豊年にはなくならないが、飢饉の年には前に干してある物もなくなる。誰が盗人と言うことでもないが、飲食が切なものなので、食物がないと盗人になる。先生が游民を禁ずるのもそれ。食い潰しが多いというのが盗人の方へ仕寄りを付けることになる。とかく食物がなくなるというのが盗賊へ行く勢いとなる。陳先生の思し召しを知らないと粗忽になる。孟子に「無恒産者無恒心」とあるのがこれ。田舎の静かな処に育ったので貞実な気もある。盗人とは言いそうもないものだが、食物がないと盗む。旱があろうと水損があろうと、古は三年ほどの米も蓄えて置くので民に菜色はないと言った。菜色をすれば、早くも盗の心が出る。そこで「無堕農業」の対句に「無作盗賊」と出したのは実に的切である。
【語釈】
・無恒産者無常…孟子滕文公章句上3。「民之爲道也、有恆産者有恆心。無恆産者無恆心。苟無恆心、放辟邪侈、無不爲已」。
民菜色はない…「民無菜色」。

○賭博の博は勝負のこと。公儀には本因坊安井仙覺、將棋は宗桂などありて、此は大きな声ですることなり。たたし賭と云が大きな声で云はれぬこと。賭はかけをすること。其金をかけると云がわるい。それゆへかけると云は圍碁所でも將棊処でもうざまの尽る程いやがること。あれが吾か職になると云へば圍碁盤へしめもはるほどなこと。それを世上でかけ圍碁うつはなんとしたることやと嘆くであろうぞ。その賭と云もので下々迠したがる。かけをすればぢきにはくちなり。本ど勝の心を挿でをるゆへ勝が面白くて、其上にかけをしてとることをする。さて心ざまの鄙陋なることぞ。盗賊と遠近を爭はぬ。ここを皆々よく刻骨でつつしめやと陳先生の日雇取に迠禁せられた。たたい勝負か皆人の心をあらけるもの。大身な者にはあるまいが、賭をして子共へ是をさせるは盗気をしこむやうなもの。いやはや村の役人などいくらさま々々なことを云ても、たたい制すべきことを知らぬとそこで一日くらしに悪くなるなり。農業に不精だと盗賊になり、賭博からも盗賊になるなれば、甚たをそろしきことなり。然るにここを、よいわさ、其位のことを打捨て置けと云ふと大腹中な器量あるよい役人と心得る。これがいつも云英雄のひきたをしなり。
【解説】
「無學賭博」の説明。囲碁や将棋も賭けでするのは悪い。博打は勝とうとする心があるので勝つのが面白く、その上に賭けをして金を取ることもできる。しかし、それは卑陋な心であって盗賊と同じである。勝負は人の心を荒げる。慎まなければならない。
【通釈】
「賭博」の博は勝負のこと。公儀には本因坊の安井仙覚、将棋では宗桂などがいて、これは大きな声ですること。但し、賭は大きな声で言えないこと。賭は賭けをすること。金を賭けるというのが悪い。そこで、賭けるというのは囲碁所でも将棋処でもうざまの尽きるほどに嫌がることで、あれが自分の職になるとなれば囲碁盤へ注連も張るほどになる。そこで、世上では賭け囲碁を打つとは何たることだと嘆くもの。その賭けということを下々までがしたがる。賭けをすれば直に博打である。元々勝つ心を挿んでいるので勝つのが面白く、その上に賭けをして金を取ることをする。さてそれは心様が卑陋なもので、盗賊と違いはない。ここを皆々よく骨に刻んで慎めと陳先生が日雇取りにまで禁じられた。そもそも勝負は皆人の心を荒げるもの。大身な者にはないことだろうが、賭けをして子供へこれをさせるのは盗気を仕込む様なもの。いやはや村の役人などがいくら様々なことを言っても、そもそも制すべきことを知らないと、そこで一日毎に悪くなる。農業に不精だと盗賊になり、賭博からも盗賊になるのであれば、甚だ恐ろしいこと。然るにここを、よいだろう、その位のことは打ち捨てて置けと言えば大腹中で器量のあるよい役人だと心得る。これがいつも言う英雄の引き倒しである。
【語釈】
うざま

○好争訟は、拠處なく起る爭訟はあるべし。この好むと云が全ひ百姓にはない。ををくはこれに是非しりもちがあるぞ。大抵律義な百姓は公義へ出ると縛られると聞傳へ、甚をそるるものなり。ときにそこへさま々々な者がはへりこむゆへ、ふといことをききふといことをしりて其手は是でゆく、われはこれでよいと云。それから好爭訟と云が出来る。好むまじき者を好む。公儀へ出さぬうち、其好の一字がこちで刑罸道具なり。何から何迠陳先生このやふに云はれたが大抵な人ではない。悪事をする人は、吾が悪ひ方から元気がついて人を押し付る。又吾がしんたいよいと貧乏な者を呑む。呑は呑み尽すなどとつつき、冨貴な方の威光から、人をなんでもない顔をする。
【解説】
「無好爭訟、無以惡陵善、無以富呑貧」の説明。争訟はなくならないものだが、それを好むのが悪い。悪事をする人は、自分の悪い方から元気が付いて人を押し付ける。また、富貴な者は人を何でもないものだと思う。
【通釈】
「好争訟」。拠所なく起きる争訟はある筈のこと。この好むというのが全い百姓にはない。多くはこれに是非の後ろ楯があるもの。大抵律儀な百姓は公儀へ出ると縛られると聞き伝えて、甚だ恐れるもの。時にそこへ様々な者が入り込むので、太いことを聞き知って、その手はこれで行く、俺はこれでよいと言う。それから好争訟ができる。好むまじきものを好む。公儀へ出さない内から、その好の一字がこちらの刑罸道具となっている。何から何まで陳先生がこの様に言われた。大抵な人ではない。悪事をする人は、自分の悪い方から元気が付いて人を押し付ける。また、自分の身代がよいと貧乏な者を呑む。「呑」は呑み尽くすなどと続き、富貴な方の威光から、人を何でもないとする顔でいる。

○耕者云々はあまり干要にないことのやうなれとも、陳先生の小学に叶ふた教ようと云がここなり。遥か後世の宋の世に生れて復古の政なり。かの稽古にある文王の通りにする合点なり。来避去は迂斎の、何の手もなく書た字と見るがよいと云はれた。往来と云字ゆへ、さる方はどうと云ことはない。上の少長貴賎軽重の字とはちがふ。別にみるがよい。畔が大事。後世界論のををひもここから起る。○侵は人知らず、そっとこちのものにする。武家でさいこれが戒になる。人々の鄰家と中のわるいも生け垣の結ひやふがこちへ出たのどうのと云、侵す筋になるからなり。○さて五十二にも及ふ老人が出ると、そうしてをかれよと云が子弟の役。此の通り守ると先王の民と云ものぞ。○為礼義之俗は久しぶりてと云やうなもの。漢唐の間も治りたれとも礼義がない。礼義でなければたのみにはない。外篇もこれ迠は学者で学者同志の教。ここの陳先生の條の教は政のこと。民へしかけなり。そこてづぶにむかしの小学の通りに教へたか、教が国初にもあると引れた。
【解説】
「行者讓路、少避長、賤避貴、輕避重、來避去。耕者讓畔、地有界畔。不相侵奪。斑白者不負戴於道路、子弟負重、執役、不令老者擔擎。則爲禮義之俗矣」の説明。隣家との仲が悪くなるのも、境界を侵すことから起こることがある。老人には重い荷を持たせない。漢唐の間も治まってはいたが礼義がなかった。そこで当てにはならない。
【通釈】
「耕者云々」はあまり肝要でないことの様だが、陳先生の小学に叶った教え様というのがここ。遥か後世の宋の世に生まれながらも復古の政である。あの稽古にある文王の通りにする合点である。「来避去」を迂斎が、何の手もなく書いた字だと見なさいと言われた。往来という字なので、去る方はどうということはない。上の少長・貴賎・軽重の字とは違う。別に見なさい。「畔」が大事である。後世界論が多いのもここから起きる。「侵」は人知らずにそっとこちらのものにすること。武家でさえこれが戒めになる。人々の隣家と仲が悪いのも生垣の結び様がこちらへ出たのどうのと言い、侵す筋になるからである。さて五十二にも及ぶ老人が出ると、それはこちらでしますと言うのが子弟の役。この通りに守ると先王の民というもの。「為礼義之俗」は久し振りでと言う様なもの。漢唐の間も治まってはいたが礼義がなかった。礼義でなければ頼みはない。外篇もこれまでは学者で学者同志の教えだったが、ここの陳先生の条の教えは政のことで民への仕掛けである。そこで、すっかりと昔の小学の通りに教えた教えが国初にもあったと引かれたのである。


右廣立教。
【読み】
右、立教を廣む。

右廣立教。是で三代の小学のとをりにむかふから廣と云。三代の立教程なことが後世あるから廣と云。内篇は朱子の作られたことなれとも、古のことゆへあれを直きに三代にする。外編は後世のことゆへあれを廣めた。廣と云てもさっと云たことではない。どちも同しく甚だ大切なことなり。却て廣た方が親切なと云が外篇の主意なり。廣の字は廣敬の廣むるの字心なり。されとも斈者の受用には御成さきも御茶壷もどっちも大切にすること。これ、内外篇一致の旨也。
【解説】
「右廣立教」の説明。後世にあって三代の小学の通りにするので「広」と言う。内篇も外篇もどちらも大切なものだが、外篇は広める意が親切である。
【通釈】
「右広立教」。ここで三代の小学の通りに向かうから「広」と言う。三代の立教ほどのことが後世にあるから広と言う。内篇は朱子が作られたものだが、古のことなので直にあれを三代とする。外編は後世のことなのであれを広めると言う。広と言ってもざっと言ったのではない。どちらも同じく甚だ大切なこと。却って広めた方が親切というのが外篇の主意である。広の字は広敬の広の字心である。しかし、学者の受用には御成先も御茶壷もどちらも大切にすること。これが内篇外篇一致の旨である。
【語釈】
御成さきも御茶壷も…徳川将軍も茶壷もの意か?届け先も茶壷もの意か?