嘉言29
○呂氏童蒙訓曰、事君如事親、事官長如事兄、與同僚如家人、待羣吏如奴僕、愛百姓如妻子、處官事如家事、然後能盡吾之心。如有毫末不至、皆吾心有所未盡也。
【読み】
○呂氏童蒙訓に曰く、君に事うること親に事うるが如く、官長に事うること兄に事うるが如く、同僚に與すること家人の如く、羣吏を待つこと奴僕の如く、百姓を愛すること妻子の如く、官事を處すること家事の如くして、然して後に能く吾が心を盡す。毫末も至らざること有るが如きは、皆吾が心未だ盡さざる所有ればなり。

十二月廿六日
【語釈】
・十二月廿六日…寛政元年(1789)12月26日。

○是よりしては君臣の義なり。君臣の義の道理を知に、親切に此方の胸へ感動[ひひく]でなければ本に君臣之義を知たにならぬ。時に田舎の農人の身では君臣の義などといふては遠ひことのやうに思が、是も余義もないことなり。仕官するものなどは違へとも、学問をする身分では、假令田舎の百姓であろふとも君臣之義を明にして、びり々々と感動と云でなけれは五倫之道の明でないになる。君臣之義を聞て、さても々々々と胸へひびくのふては役に立ぬ。譬へは桺橋の要助老人などは七十になって一子もなく、某などの様に六十になっても女房もたぬものもあるが、父子の情を知らぬの夫婦の情を知らぬと云ては俗人はすまうが、学問をするものが父子の情はしらぬの夫婦の情はしらぬのと云ては、明五倫之道と云斈問に罅隙[あながあく]なり。そこで田舎に居ても明にしてをるでなければならぬ。
【解説】
たとえ田舎の百姓であったとしても、学問をする身分であれば、君臣之義を明かにしなければならない。それは、自分の胸へ親切に響くのでなければならない。
【通釈】
これからは君臣之義である。君臣の義の道理を知るには、自分の胸へ親切に響くのでなければ本当に君臣之義を知ったことにはならない。時に田舎の農人の身では君臣の義などというのは遠いことの様に思うが、それも余儀ないこと。仕官をする者は違ったものだが、学問をする身分では、たとえ田舎の百姓であろうとも君臣之義を明かにして、びりびりと響くのでなければ五倫之道を明かにするとは言えない。君臣之義を聞いて、まさにそうだと胸に響くのでなければ役には立たない。たとえば柳橋の要助老人などは七十になって一子もなく、私などの様に六十になっても女房を持たない者もいるが、父子の情を知らないとか、夫婦の情を知らないと言っては、俗人では済むだろうが、学問をする者が父子の情を知らないとか、夫婦の情は知らないというのでは、明五倫之道という学問に穴が開く。そこで、田舎にいても明にしていなければならない。
【語釈】
・桺橋の要助…大原要助。大網白里町柳橋の人。稲葉黙斎門下。

さて君臣之義の明にならぬを端的て云へは、先つ上下と隔て、誠か通しか子、遠ひ嚴重なもの。其上にそこへ知行俸禄と云ものが加はりて我が利害勝手が出。そこで昏冥なり。情意の通せぬと云。不親切に人欲の勝手づくがあって、是が明にならぬ本となり。是を百姓浪人でをるうちからぎり々々に済すてなければ小学校の明人倫と云明にあたらぬ。身に近く吟味すると云で、どのやふにするなれば、先づ事君致其身ことなり。今日奉公に出てありがたいと疂へ頭をさげる。其頭を付た畳が君臣之義のかすがいなり。他人が出て君よ臣よと二本の柱にかすがいうったなり。それからして、今日召出されたと云て朋軰をまわり、家老用人の所へゆき、もふ晩方になるとはや茶漬でも食ふ。其飯が喉へ入るや否や君の禄を食たなり。これ一命をさし上るのあたまなり。さて家来と云ても段々あり、三代相恩に禄を受て居るもあり、今日から奉公に出るもあれとも、君の禄にちがいはない。身は昨日参り、三度ならでは飯さへか食ひませぬと云ても、君の為めに命を捨子ばならぬ。これ急に報生以死なり。何程俸禄を傳ようと、又三日四日君禄を食ふとも、命を捨子はならぬと五臓六腑にひびくでなければ君臣之義に精彩がつかぬ。
【解説】
君臣之義が明にならないのは上下の隔たりがある上に、知行俸禄から利害勝手が出るからである。出仕は先ず「事君致其身」であり、古参も新参も、禄を食めば命を捨てる覚悟でなければならない。「報生以死」である。
【通釈】
さて君臣之義が明にならない端的を言えば、先ずは上下の隔たりがあり、誠が通り難くて遠い厳重なものだからである。その上、そこに知行俸禄というものが加わって、自分の利害勝手が出る。そこで昏冥になる。これを情意が通じないと言う。不親切に人欲の勝手尽くがあって、これが明にならない本である。これを百姓浪人でいる内からぎりぎりに済ますのでなければ、小学校の明人倫の明に当たらない。身に近く吟味するとはどの様にするかと言うと、先ずは「事君致其身」のこと。今日奉公に出られて有り難いと畳へ頭を下げる。その頭を付けた畳が君臣之義のかすがいである。他人が出て、君よ臣よと二本の柱にかすがいを打つ。それからして、今日召し出されたと言って朋輩を廻り、家老用人の所へ行き、もう晩方になると早くも茶漬でも食う。その飯が喉に入るや否や君の禄を食ったことになる。これが一命を差し上げる最初である。さて家来と言っても段々があり、三代相恩に禄を受けている者もあり、今日から奉公に出る者もいるが、君の禄に違いはない。身は昨日参ったので、三度の飯も食っていませんと言っても、君のために命を捨てなければならない。これが急には「報生以死」ということ。どれほど俸禄が伝わろうと、また三日四日君の禄を食むとしても、命を捨てなければならないと五臓六腑に響くのでなければ君臣之義に精彩が付かない。
【語釈】
・事君致其身…小学内篇立教13。「子夏曰、賢賢易色、事父母能竭其力、事君能致其身、與朋友交言而有信、雖曰未學、吾必謂之學矣」。
・報生以死…小学内篇明倫103。「報生以死、報賜以力。人之道也」。

奉公と云にも色々あって、禄仕と云抱関撃柝がある。家老の用人のと云と一通の足軽や門番はわけあいのちがったことなれとも、君の禄を食むと云処に違ふたことはない。違ふと云のは任の重と任の軽なり。禄を食む方に重の軽のと云ことはない。そうないと、君も盗人を畜ふてをく様なもの。君の方では、軽ひ身より足軽中間などはとうでもよいと思召そうとも、下々ではそう思ふことではない。吾々とても君恩大切とさへ思へば君臣之義を守たにちがいはない。ここが上に云子夏の事君能致其身も格式なしに云たもの。致と云は身を差上ること。靖献先王と云もそのことなり。吾が身にせぬと云が君臣之義の眞処[さなこ]ぞ。君臣之義の身にする身にせぬと云にあんばいあること。
【解説】
家老用人と足軽門番とでは任の軽重こそあれ、君の禄を食むのは同じこと。我が身を差し上げるというのが君臣之義の核子である。
【通釈】
奉公にも色々とあって、禄仕にも抱関撃柝がある。家老や用人と一通りの足軽や門番とでは訳合いが違うが、君の禄を食むという処に違いはない。違うというのは任が重いか軽いかであり、禄を食む方に重い軽いはない。そうでないと、君も盗人を畜って置く様なもの。君の方で軽い身の足軽や中間などはどうでもよいと思し召したとしても、下々はその様に思ってはならない。我々でも、君恩大切とさえ思えば君臣之義を守ることに違いはない。そこで、上に言う子夏の「事君能致其身」も格式なしに言ったもの。「致」は身を差し上げること。「靖献先王」と言うのもそのこと。我が身にしないというのが君臣之義の核子である。君臣之義を身にする身にしないということに塩梅のあること。
【語釈】
靖献先王…靖んじて先王に献ず?

珎しい所を見たいの、或は長﨑をみたいとて奉公をするは君臣之義を玩弄にするなり。吾黨にも直方を非議[わるく]云ひ、靖献遺言を主張する者もあり、されとも靖献遺言を根抦知らぬ。靖献遺言を知りたらば如那箇戯譃まじりに君につかへることはならぬ筈。福俵の太兵衛は仙寿院の百姓ゆへ、仙寿院の門番になりても太極からまっすくな君臣之義也。日比和歌か好ゆへ松島の方へ近ひ君に奉公をしてゆっくりと松島が見たいと云。もふ君臣之義を玩弄にするなり。君臣之義を玩弄するせぬは此方の見処覚悟にあること。ここで身体を改め臂を振て議論するでなければ君臣之義がはっきりとならぬ。某先年葛西に隱居たとき方々の学者へ、予は世の中を戯譃で渡るが奉公を戯譃ですることがならぬと云た。予は隱者ゆへ戯譃でもすむが、各々は君の禄を取なから戯譃をする。戯譃などと云ことを主へだそう筈のことではないぞ。垩人は不在其位不謀其政とはををせられるが、大隱は隱市朝とは云はぬ。朝廷が隱るべき塲処ではない。
【解説】
長崎へ行きたいとか松島へ行きたいからと奉公先を決めるのは君臣之義を玩弄するもの。奉公は戯けてするものではない。
【通釈】
珍しい所を見たいとか、或いは長崎を見たいとして奉公をするのは君臣之義を玩弄するもの。我が党にも直方を悪く言い、靖献遺言を主張する者もいるが、しかし、それは靖献遺言を根から知らないのである。靖献遺言を知れば、あの様に戯け混じりに君に仕えることはならない筈。福俵の太兵衛は仙寿院の百姓なので、仙寿院の門番になっても太極からは真っ直ぐな君臣之義である。日頃和歌が好きなので松島の方に近い君に奉公をしてゆっくりと松島が見たいと言えば、もう君臣之義を玩弄することになる。君臣之義を玩弄するかしないかはこちらの見処と覚悟にあること。ここで身体を改め臂を張って議論するのでなければ君臣之義がはっきりとはならない。私が先年葛西に隱居した時に方々の学者へ、私は世の中を戯けで渡るが奉公を戯けですることはできないと言った。私は隠者なので戯けでも済むが、各々は君の禄を取りながら戯けをする。戯けなどということは主へ出す筈のことではない。聖人は「不在其位不謀其政」とは仰せられるが、大隠は市朝に隠れるとは言わない。朝廷は隠れるべき場所ではない。
【語釈】
・福俵の太兵衛…北田慶年。太兵衛、榮二と称す。篠原惟秀の兄。東金市福俵の人。学思齋の主。黙斎門下。
・不在其位不謀其政…論語泰伯14。「子曰、不在其位、不謀其政」。憲問27にもある。
大隱は隱市朝

俗儒と云ものはこまりたもので、司馬遷が史記を作り滑稽傳に淳于髠を載せ、班固など東方朔を載せ、避世金馬門などと云。避世と云は田舎へ去ること。事君ながら避世と云たは君臣の義を戯譃にしたのなり。俗儒ゆへあの様なことをならべたてて人の心を自墮落にし、名教をくらます。気の毒ぞ。君と云になっては日々に此身体はあちへ差上、此方のものでないと云へば、平生君を忘れると云ことはない。何ぞ侍や當世風世味經歴の人頓としらぬことなり。何そ侍は軍の時斗り命を捨てよふと云。学者の方の心持は、毎日々々こちのものではない、あちのものじゃ々々々々と思てをることぞ。是程に親切になければ君臣之義を玩弄にするになる。歴々の学者もわるうすると幼婢穉僕の出替の様な出処進退をする。あれらは一年の日雇をやとふた様なものゆへそれでもよいが、学者が其様ではならぬ。先つ君に仕へ様と云出際を大事にするがよい。
【解説】
俗儒は淳于髠や東方朔を君臣之義に挙げるが、それは名教を眩ますものである。
【通釈】
俗儒というものは困ったもので、司馬遷が史記を作り滑稽伝に淳于髠を載せ、班固などは東方朔を載せ、避世金馬門などと言う。避世は田舎へ去ること。君に事えながら避世と言うのは君臣の義を戯けにしたのである。俗儒なのであの様なことを並べ立てて人の心を自堕落にし、名教を眩ます。それは気の毒なことである。君ということになっては、日々にこの身体はあちらへ差し上げる。自分のものでないと言えば、平生君を忘れることはない。これは、何ぞ侍や当世風の世味経歴の人は全く知らないこと。何ぞ侍は軍の時ばかり命を捨てようと言う。学者の方の心持は、毎日々々こちらのものとせず、あちらのものだと思うもの。これほどに親切でなければ君臣之義を玩弄することになる。歴々の学者も悪くすると幼婢や丁稚の出替えの様な出処進退をする。あれらは一年の日雇いを雇った様なものなのでそれでもよいが、学者がその様ではならない。先ずは君に仕えようという出際を大事にしなければならない。
【語釈】
・避世金馬門…史記滑稽列伝。「陸沈於俗、避世金馬門。宮殿中可以避世全身、何必深山之中、蒿廬之下。金馬門者、宦署門也。門傍有銅馬、故謂之曰金馬門」。

さてまた忠臣不事二君と云語あり。歒に降参せぬなとと云はあらいこと。歒に降参するてなふても主人を多くとれば君臣之義に精彩がぬけてくる。小野﨑舎人殿の、門柱のををきひ処をみる、はやそこへ行きたがると云はれたことあり。門柱のををきい処へ行きたがると云がさて々々やうないことぞ。それでは尻は落付ぬ。何度主をかへふもしれぬ。軽ひ日時の奉公人でさへ、金のちっともををくとれる方へゆかうとすれば尻のすわらぬやつと云。ちっともよい処へゆかふと云へば、農家の作人でさへこふばしくは思はぬ。あちはわるい、こちがよいと云ては頓と君臣之義はすまぬことと理會するがよい。扨又人しらぬ君臣の義の重ひと云は韓の張良なり。是をよくしろうことぞ。張良は主に目見へもせず一粒も取らぬが、先祖からの御恩があるとてあれほどな歒討をも謀慮[もくろんだ]。某なども、張良のことを出されてはのっひきならぬことがある。某土井侯よりは一粒もとらず、あの家も早世あり、某一生に君五代もかわり、どれも目見もせぬが、張良から推せばのっひきならぬぞ。張良が事は各別に撿校することなり。
【解説】
「忠臣不事二君」と言うが、門柱の大きい処や少しでもよい処を探して主人を替えるのは悪い。張良は自分は韓の禄を食まなかったが、先祖からの御恩があるとして始皇帝の暗殺を目論んだ。これが君臣之義である。
【通釈】
さてまた「忠臣不事二君」という語もあるが、敵に降参しないなどと言うのは粗いこと。敵に降参しなくても、主人を多く取れば君臣之義に精彩が抜けて来る。小野崎舎人殿が、門柱の大きい処を見れば、早くもそこへ行きたがると言われたことがある。門柱の大きい処へ行きたがるというのが実によくないこと。それでは尻が落ち着かない。何度主を替えるかも知れない。軽い日時の奉公人でさえ、金を少しでも多く取れる方へ行こうとすれば、尻の据わらない奴だと言われる。少しでもよい処へ行こうと言えば、農家の作人でさえ望ましくは思わない。あちらは悪い、こちらがよいと言うのでは、君臣之義は全く済まないと合点しなさい。さてまた人の知らない君臣の義の重い者は韓の張良である。これをよく知りなさい。張良は主に目見へもせず一粒も取らなかったが、先祖からの御恩があるとして、あれほどんの敵討をも目論んだ。私なども、張良のことを出されてはのっぴきならないことがある。私も土井侯よりは一粒も取らず、あの家も早世で、私の一生に君が五代も替わり、誰とも目見えもしないが、張良から推せばのっぴきならないこと。張良の事は格別に吟味しなければならない。
【語釈】
・忠臣不事二君…小学内篇明倫59。「王蠋曰、忠臣不事二君、列女不更二夫」。
・小野﨑舎人殿…小野崎舍人。本姓は在原。名は師由。初め團六と称す。秋田藩支封老職。宝暦2年(1752)10月8日、江戸にて没。年68。直方没後、三宅尚齋に学ぶ。子は師德。

偖て溝口矦などはちがったことで、某へ對談に土井侯のことを云時は、いつでも某へそちが々々々と云はれて他人あしらいに云ぬ。今日殿中でそちのにをふたの、對客さきでそちのとゆるりと咄したと云はれた。そちのとは土井侯のことなり。溝口矦は某へ手前の扶持をくれてをきなから、土井侯のことをそちのがと云はれる。胸へもひひき、殊によりては吾々面目もないことぞ。如此君臣之義が離れぬものゆへ胸へひひく。是らでも礼に旧君の為めに服のあると云も粗伺はれることなり。君臣となっては大切な重いわけ合ひのあること。奉公をするにかる々々とした量簡では、即ち君臣之義を玩弄にするのじゃ。靖献遺言の保建大記のと云を主張しても、外皮ばかりにて中の味をしらぬ。それゆへぬるけた出処をしてをる。出処進退に臂をはらぬと官禄に目がつく。官禄に目が付とつよいことを云ふことはならぬ。つよいことを云と明日の程も知れぬ。そうすると女房もこまり、幼孩もこまるゆへ、つい柔和を食はせる。ここをよく撿校することなり。
【解説】
溝口侯は黙斎に扶持を出しながらも、土井侯のことをそちのがと言う。それは君臣が重い訳合いのあるものだからである。軽々とした了簡で奉公をするのは、君臣之義を玩弄するのである。出処進退をしっかりとしないと官禄に目が付く。官禄に目が付くと強いことを言えなくなり柔和なことをする。
【通釈】
さて溝口侯などは格段な人で、対談で私に土井侯のことを言う時は、いつでも私にそちがそちがと言われ、他人あしらいにしない。今日殿中でそちのに会ったとか、対客先でそちのとゆっくりと話したと言われた。そちのとは土井侯のこと。溝口侯は私に扶持をくれて置きなから、土井侯のことをそちのがと言われる。これが胸へも響き、殊によっては我々も面目もないこと。この様に君臣之義が離れないものなので胸へ響く。ここらでも、礼に「為旧君反服」とあるのがほぼ窺われること。君臣となっては大切な重い訳合いのあること。軽々とした了簡で奉公をするのは、即ち君臣之義を玩弄するのである。靖献遺言や保建大記を主張しても、外皮ばかりで中の味を知らない。そこで、ぬるけた出処をしている。出処進退に臂を張らないと官禄に目が付く。官禄に目が付くと、強いことを言うことはできない。強いことを言うと明日はどうなるかも知れない。そうすると女房も困り子供も困るので、つい柔和を食わせる。ここをよく吟味しなさい。
【語釈】
・旧君の為めに服…礼記上檀弓下。「穆公問於子思曰、爲舊君反服、古與。子思曰、古之君子、進人以禮、退人以禮。故有舊君反服之禮也。今之君子、進人若將加諸膝、退人若將隊諸淵。毋爲戎首、不亦善乎。又何反服之禮之有」。
・保建大記…歴史書。栗山潜鋒著。皇室の衰退を嘆く立場から、保元の乱から建久三年源頼朝の幕府開設までの政治の動きを記す。

さて、其上に又遽伯玉の出處と云がある。其意へぬようなことを孔子が君子哉と云ひ、晏平仲か歒討をしそうなことをせぬ。それを朱子が儀礼通解の臣礼にとってをかれた。先つ此様なことは封を付てをくがよい。それでは君臣之義をぐにゃ々々々にしたようなれとも、あのやふなことは初頭撿挍せずともよい。上手の真似をたたものがするとしそこのふ。君臣之義の変に合ふたときは靖献遺言でぎり々々にきめ、常のことは先つ是れ程に又吟味することなり。草菜[いなか]に居ても君臣之義と云ものは是ほどきはとひものとみれば、粗君臣之義を伺ふたと云もの。今日読出す童蒙訓の第一句、ここにも塩梅あることぞ。前の父子之親に家人者有嚴君焉父母之謂也を引き、此へ事君如事親を引かれた。此朱子の引かれ様に氣を付ようことぞ。親と云ものは一家に居て、下々などは少々前に念比でもすむ親しひもの。其親に嚴君と云きっとした字を出して見せる。親を恭ふことを示すなり。
【解説】
遽伯玉や晏平仲の出処は今吟味しなくてもよい。親に厳君という字を出すのは親を恭うことを示したのである。
【通釈】
さて、その上にまた遽伯玉の出処というものがある。その素晴らしいことを孔子が「君子哉」と言い、晏平仲は敵討をしそうなことでもそれをしなかった。それを朱子が儀礼通解の臣礼に採って置かれた。先ずこの様なことは封を付けて置くのがよい。それでは君臣之義をぐにゃぐにゃにした様だが、あの様なことは最初に吟味しなくてもよい。上手の真似を普通の者がするとし損なう。君臣之義が変に遭った時は靖献遺言でぎりぎりに決め、常のことは先ずこれほどにまた吟味すること。田舎にいても、君臣之義というものはこれほどに際どいものだと見れば、ほぼ君臣之義を窺ったというもの。今日読み出す童蒙訓の第一句、ここにも塩梅がある。前の父子之親に「家人者有厳君焉父母之謂也」を引き、ここへ「事君如事親」を引かれた。この朱子の引かれ様を気を付けるのである。親というものは一家にいて、下々などが少々前に寝転んでも済む親しいもの。その親に厳君というきっとした字を出して見せた。これは、親を恭うことを示したのである。
【語釈】
・遽伯玉の出處…論語衛霊公6。「子曰、直哉史魚。邦有道如矢、邦無道如矢。君子哉蘧伯玉。邦有道則仕、邦無道則可卷而懷之」。
・晏平仲か歒討をしそうなことをせぬ…荘公が崔杼に殺された時に敵討をしなかったことか?
・家人者有嚴君焉父母之謂也…小学外篇嘉言15集註。「易曰、家人有嚴君焉、父母之謂也」。

○事君如事親。ここの配剤が面白いことぞ。君と云嚴重なものに仁の親切な甘味を出し、爺様と云ふ字を出して見せる。ここが大叓なり。今日江戸にて武家の供を見よ。寒中などに袴を股立取て歩行などは中々百姓の田へ入るにもまけぬことぞ。霜雪ををかして供をする。あの時の心持が毎日のことなれとも、親の病気の時、医者の処へ欠出して行くよふに思ふを如事親と云。仁の勝ちそふな処へ義を出し、義の勝そうな処へ仁を出すがあやのあること。朱子はそふ云思召てもな井かは知ぬが、読者が眼の管[さや]はずして見ればこれなり。○官長は頭の組頭のと云ふなり。是れに出合ふが表向でつきをふでなく、兄の様にする。何程兄弟中わるうても、兄は兄と思ふものぞ。官長は器量もあまり我と違ふこともないにあたまをさげることゆへ、せうことなしの様に心得る。然るに頭を兄と思へばしっくりとなって骨肉のよふにうまみあることぞ。
【解説】
「呂氏童蒙訓曰、事君如事親、事官長如事兄」の説明。君という厳重なものに親という仁の親切な甘味を出す。官長は器量も自分とあまり違わない者だが、官長には兄の様に事える。そこで骨肉の様な旨味が出る。
【通釈】
「事君如事親」。ここの配剤が面白い。君という厳重なものに仁の親切な甘味を出し、爺様という字を出して見せた。ここが大事である。今日の江戸の武家の供を見なさい。寒中などに袴を股立取って行くなどは百姓が田へ入るのにも中々負けないこと。霜雪を冒して供をする。あの時の心持は毎日のことだが、親の病気の時に医者の処へ駆け出して行こうとするのを如事親と言う。仁の勝ちそうな処へ義を出し、義の勝ちそうな処へ仁を出すのが綾のあること。朱子はそういう思し召しで言ったのではないかも知れないが、読者が眼の莢を外して見ればこの通りである。「官長」は頭で、組頭などということ。これに出合うのが表向きで付き合うのではなく、兄の様にする。どれほど兄弟仲が悪くても、兄は兄と思うもの。官長は器量も自分とあまり違わないのだが、それに頭を下げるので、仕方なくする様に心得る。そこを、頭を兄と思えばしっくりとなって骨肉の様に旨味が出る。
【語釈】
・股立取…股立を取る。袴の左右の股立をつまみ上げて腰の紐に挟む。

○同僚朋軰と交ることが、家内の者の通りに恩義て出合ふ。○群吏は大勢の下役。下役と云ふも本此方へつかわれるものなれとも、奴僕のようには思はれぬ。○奴僕は我が家にかふてをくもの。我が家にかふてをくものは親し井もの。つかふ処は似たやうでも、心持がちがふものなれども、侍群吏如奴僕なり。○愛百姓如妻子。ここが大叓のことそ。何程きびし井夫でも、子や女房のことは子だりこともつ井きくよふになる。百姓のときは理屈づめて法を押へてしたがる。成程、法がな井と物指なしにするよふでならぬことなれとも、法の通りにばかりすることにうまみはない。百姓を妻子の通りにすれば、臨時なことで痛ひ事も痒ひ叓も皆それ々々に届く。
【解説】
「與同僚如家人、待羣吏如奴僕、愛百姓如妻子」の説明。下役は奴僕の様に扱う。百姓には理屈詰めで法で押したがるものだが、それを妻子の様に扱う。
【通釈】
同僚や朋輩と交わるには、家内の者の様に恩義で出合う。「群吏」は大勢の下役。下役は本来こちらに使われる者だが、それを奴僕の様には思わない。奴僕は我が家に飼って置くもの。我が家に飼って置くものは親しいもの。使う処は似た様でも心持が違う。そこを「侍群吏如奴僕」である。「愛百姓如妻子」。ここが大事なこと。どれほど厳しい夫でも、子や女房のことは強請り事もつい応じるが、百姓の時には理屈詰めで法を押えてしたがる。なるほど、法がないと物指なしにする様でうまく行かないが、法の通りばかりをすると旨味はない。百姓を妻子の通りにすれば、事に臨んで痛い事も痒い事も皆それぞれに行き届く。

○處官事如家事は、上の役用を手前の家内の用向の通りにする。是は今にも役人へ云と、誰たとてそうでなくてなるものか、私などもそうでござるなどと空言を云ふが、そんなことではうかかわれぬことなり。我心に問て見るがよい。處官事如家事などと云ふことが垩賢でのふては中々なることではない。役人の上などはさま々々な用向で、天下などは一日二日に万機ありと云て、かすかきりもな井こと。それを一心の誠ですること。とうでも吾が家事とはちかふものぞ。そこで處官事如家事也。大名の家中もちょっ々々々と普請奉行が吟味もするが、手前の事のように砱碎[こまか]にな井。上からさっとふさへ受子ばよいと思ふもの。家事のことには人しらず細かな念を入れる。屋根などもここの処をば杉皮でつつめばくさらぬの、梁の真も油を入れるがよ井のと云ふが、上の普請のときは昔のより物入がな井などと云てただ手前の手抦にするが、実心がすくない。軽ひ小役人でも御姫様昏礼御用とて越後屋や冨山を召んで買ふときは餘り細な心配もないが、我か娘をかたづけるときは、これは地合がわる井の染がよふないのと云ひ、綿をすこし買ふにも気を付るが、御用と云と用向の通りすればよいと思ふ。処、官事如家事する者一人もあるや。あらば垩賢の心ぞ。御意得たし。中々あるま井。これ心術のことなり。挙世皆これに似た様にしてにが々々し井ことは、心がそでな井ぞ。處官事如家事は、つまり裏表のないことぞ。此了簡なれば垩賢の思召に叶ふ。是が事君の表向ばかりでな井ことなり。
【解説】
「處官事如家事」の説明。上の役用をこちらの家内の様に扱う。それは簡単な様だが、聖賢でなければ中々できないこと。用向きを自分のこととするのは難しいが、表裏なくするのである。
【通釈】
「処官事如家事」は、上の役用をこちらの家内の用向きの通りにすること。今もこれを役人に言うと、誰でもそうでなくてはならないことで、私などもそうだなどと空言を言うが、そんなことでは窺えないこと。自分の心に問うて見なさい。処官事如家事などということは聖賢でなければ中々できることではない。役人の上などには様々な用向きがあり、天下などには「一日二日有万機」と言って、用向きは数限りもない。それを一心の誠でするのである。それはどうでも自分の家事とは違うもの。そこで処官事如家事である。大名の家中でもちょこちょこと普請奉行が吟味もするが、自分の事のようには細かでなく、上から察当さえ受けなければよいと思うもの。しかし、家事のことには人知らず細かな念を入れる。屋根などもここの処を杉皮で塞げば腐らないとか、梁の芯に油を入れるとよいなどと言うが、上の普請の時には昔のよりも物入りがなかったなどと言って、それを自分の手柄にする。実心が少ない。軽い小役人でも、御姫様婚礼御用で越後屋や富山を呼んで買う時はあまり細かな心配もしない。自分の娘を片付ける時は、これは地合いが悪いの染がよくないのと言い、綿を少し買うにも気を付けるが、御用というと用向きの通りにすればよいと思う。そこを官事如家事とする者が一人でもいるだろうか。いれば聖賢の心である。お目に掛かりたいものだが、中々いないだろう。これが心術のこと。世を挙げて皆これに似た様なことで苦々しい。それは心が不甲斐ないからである。処官事如家事は、つまりは裏表のないこと。この了簡であれば聖賢の思し召しに叶う。これが君に事えるには表向きばかりのことでないということ。
【語釈】
・一日二日に万機あり…書経皋陶謨。「皋陶曰…一日二日萬機」。

さて此章、與同僚如家人と云あり、大勢の傍軰やなかまのつきあいを、家の内て親族の出合ふようなり。さて百姓は天下へはばのひろ井ををきな字。其はばのひろひへ妻子と云ふ親しひものを出す。御代官でも御郡代でも、百姓の名が帳面にはあらふとも、ついに顔も見たことはな井筈なり。ときにそれを如妻子と云が小学の道なり。此通になって吾が心に気を付て見るがよ井。一通りに御奉公精を出せなどと云はたたのもののこと。學問をせは目を睡て考て見がよい。君に事るが親のようが親のよふでないかとみるがよい。朋軰を家人のよふか、いかにも百姓を妻子のよふにするがと吟味してみる。そうすれば、吾が心を一杯に尽したと云もの。兎の毛の末ほどいかかと云ことあれば、心を尽さぬと云もの。心が尽ぬと云なれば、本の君臣之義ではな井。なんぞと云と世儒の覚てをる蒙求などにあるは漢唐の間のことで、ほんのことではない。此通のことが孔子や文王とひとつになること。是で古の仁政と云もみへることなり。大抵のことではならず、あら井ことではならぬぞ。
【解説】
「然後能盡吾之心。如有毫末不至、皆吾心有所未盡也」の説明。御奉公に精を出せなどと一通りに言うのは普通の者のことで、学者は、君に事えるのに親の様か、朋輩を家人の様にしているか、百姓を妻子の様にしているかと吟味し尽くすのである。
【通釈】
さてこの章、「与同僚如家人」とあり、大勢の朋輩や仲間の付き合いを、家の内で親族の出合う様にする。さて百姓は、天下へ幅広い大きな字である。その幅の広い者に妻子という親しい者を出す。御代官でも御郡代でも、帳面には百姓の名があっても、遂に顔も見たことはない筈だが、それを如妻子と言うのが小学の道である。この通りになって自分の心に気を付けて見るのがよい。御奉公に精を出せなどと一通りに言うのはただの者のこと。学問をしているのであれば目を瞑って考えて見なさい。君に事えるのが親の様か親の様ではないかと考えて見なさい。朋輩を家人の様にしているか、いかにも百姓を妻子の様にしているかと吟味して見る。そうすれば、我が心を一杯に尽くしたというもの。兎の毛の末ほどもそうではないということがあれば、心を尽くさないというもの。心が尽きないというのであれば、本当の君臣之義ではない。何かと言うと君臣之義と言うが、世儒の覚えている蒙求などにあるものは漢唐の間のことで、本当のことではない。この通りのことが孔子や文王と一つになること。これで古の仁政というものも見える。大抵のことでは成らず、粗くては成らない。

これからさきの章も奉公むきのことを書示すぞ。君臣の義とて君へ顔を合せたことばかりではない。凡そ奉公すぢをなんでも君臣之義として小学の教にあわせること。山崎先生、朱書抄略を段々よむと、しょてはきっとした君臣之義ありて、しまいには政の事委曲さま々々なことがあるぞ。近思録に治体治法政事がみな君臣之義を事業にあらわすなり。あの通りにすれば君臣之義を仕ををせる。君臣之義を事に出てなければ、届ひたとは云はれぬことぞ。そこで孟子の管仲を功烈如彼卑と云も十分に届かぬ。一たん天下を治て、孔子も若其仁哉若其仁哉と云はれたが、のちにゆるんだ。何でも桓公の云ふなりになりたぞ。楊亀山が譏て、唯唯すと云はれた。たたあい々々と云てをられた。桓公内嬖六人、大勢庻子ありて桓公が死ぬとちきに家督争で、桓公の尸から虫の出るにとりかたづけがならなんだと云。管仲の功烈の卑なり。大学に明德親民とありて、そこで至善とくる。みなぎり々々につまるでなければならぬ。古の小学の欠を補ひ、風化の万一と云も心のそこから此様に子りこむことぞ。ここが復古の小学なり。政談や経済録などのとんとしらぬことなり。
【解説】
君臣之義は事に出さなければ届かない。管仲は一旦は天下を治めたものの、後には桓公の言いなりにした。桓公が死んでも放って置かれたのは、管仲が「功烈如彼卑」だったからである。
【通釈】
これから先の章も奉公向きのことを書き示したもの。君臣の義と言っても君へ顔を合わせることばかりではない。凡そ奉公の筋は何でも君臣之義として小学の教えに合わせる。山崎先生の朱書抄略を段々読むと、初手はしっかりとした君臣之義があって、最後には政の事が委曲様々にある。近思録の治体治法政事が皆君臣之義を事業に表したもの。あの通りにすれば君臣之義を仕遂げられる。君臣之義を事に出すのでなければ届いたとは言えない。そこで、孟子が管仲を「功烈如彼卑」と言ったのも十分に届かないから。一旦は天下を治めたので孔子も「如其仁、如其仁」と言われたが、後に弛んだ。何でも桓公の言う通りにした。それを楊亀山が譏って、唯唯すと言われた。ただはいはいと言っておられた。桓公には内嬖が六人いて大勢の庶子がいたが、桓公が死ぬと直ぐに家督争いとなり、桓公の尸から虫が出ても取り片付けることができなかったという。これが管仲の功烈の卑である。大学に明徳親民とあって、そこで至善と来る。皆ぎりぎりに詰まらなければならない。古の小学の欠を補い、風化の万一と言うのも心の底からこの様に練り込むこと。ここが復古の小学である。これが政談や経済録などには全くわからないこと。
【語釈】
・功烈如彼卑…孟子公孫丑章句上1。「管仲得君如彼其專也。行乎國政如彼其久也。功烈如彼其卑也」。
・若其仁哉若其仁哉…論語憲問17。「子曰、桓公九合諸侯、不以兵車。管仲之力也。如其仁。如其仁」。
楊亀山が譏て、唯唯すと云はれた…
・風化の万一…小学序。「庶幾有補於風化之萬一云爾」。


嘉言30
○或問簿佐令者也、簿所欲爲、令或不從奈何。伊川先生曰、當以誠意動之。今令與簿不和、只是爭私意。令是邑之長、若能以事父兄之道事之、過則歸己、善則唯恐不歸於令、積此誠意、豈有不動得人。
【読み】
○或ひと、簿は令を佐くる者なり、簿の爲さんと欲する所、令或は從わずんば奈何と問う。伊川先生曰く、當に誠意を以て之を動かすべし。今令と簿と和せざるは、只是れ私意を爭うなり。令は是れ邑の長、能く父兄に事うるの道を以て之に事え、過は則ち己に歸し、善は則ち唯令に歸せざらんことを恐れ、此の誠意を積むが若きは、豈人を動かし得ざること有らんや、と。

○或問簿佐令者也云々。令は百姓を治めるが役。簿は其下役なり。下役は帳面をはなさずもってをるもの。そこで主簿と云。簿は其事を直にすることはない。頭へ云なり。身分軽ひが簿が大事なこと。明道先生も始は簿をつとめられた。朱子も同安の主簿になられたことあり。これもあちでは御直参なり。さて簿に善ひ者があって、百姓のためになることをしようと云ふとき令がきかぬ。いかかせんとの問なり。ここでそのときはこふやるとよいと云手段ありては伯者のすることで、此糸を引けばあの人形が口をあくのと云は手くだぞ。そこて伊川先生が、いやさ誠が大事じゃ、誠なれば動かすと云はれた。伊川の此荅などが垩人の荅なり。其誠が急な間に合はぬものなれとも、此方の誠がつむと人の心迠ぶんになる。このことをあれへしらせずにと云ふ。誠意て動かすと云がよいことぞ。誠意と云は、譬へは人の泣くよふなもの。泣くとぶんな気になる。喚使もそれなり。一年中怠慢て、さて不埒なやつと思ても、出替に泣ととめてやりたくなる。中々辨口ですることではない。泣くと云でひびく。それゆへ誠なれば動ぬと云ことはない。誠がないととんと何叓もならぬ。よ井人になって誠が積と向へひびくなり。今の體を見るに、御頭と下役が頓と不知なていじゃが、あれは自分をはり、我をよ井に立るゆへのことじゃ。吾が親や兄へ事へるよふにしたならばひびきそふなものじゃ。これらが大切なこと。わるいことはこちの無調法にして、善ひ叓は向の手抦にする。是はいくらさわいでも凡夫の手際にはならぬ。今田舎ても組頭が名主の仕落のあるときは、吾したことのやふにする。此様なれはさて々々とひびかぬことはあるまい。
【解説】
簿は令の下役である。令が簿の言うことを採り上げない時はどうすればよいかとの問いである。そこで手管を使うのは伯者である。誠でするのがよい。誠を積めば人を動かす。また、自分の親や兄に事える様にすれば響く。悪いことは自分の無調法にして、善いことは相手の手柄にすれば響くもの。
【通釈】
「或問簿佐令者也云々」。「令」は百姓を治めるのが役で、「簿」はその下役である。下役は帳面を離さずに持っているもの。そこで主簿と言う。簿はその事を直にすることはない。頭へ言う。身分は軽いが簿は大事なこと。明道先生も始めは簿を勤められた。朱子も同安の主簿になられたことがある。これも中華では御直参である。さて簿に善い者がいて、百姓のためになることをしようという時に令が聞かない。どうすればよいかとの問いである。ここでその時はこうするとよいという様な手段があるのは伯者のすることで、この糸を引けばあの人形が口を開けるというのは手管である。そこで伊川先生が、いや誠が大事だ、誠であれば動かすと言われた。伊川のこの答えなどが聖人の答えである。その誠は急な間には合わないものだが、こちらが誠を積むと人の心までが別格になる。このことをあれに知らせずにはと言う。誠意で動かすというのがよいこと。誠意とは、たとえば人の泣く様なもの。泣くと分な気になる。召使いもそれ。一年中怠慢で、さて不埒な奴だと思っても、出替に泣くと留めて遣りたくなる。弁口ですることでは中々ない。泣くので響く。そこで、誠であれば動かないということはない。誠がないと全く何事もできない。よい人になって誠を積むと向こうへ響く。今の様子を見れば、御頭と下役とが実に不知な体だが、あれは自分を張り、自分をよいと立てるからのこと。自分の親や兄に事える様にすれば響きそうなもの。これらが大切なこと。悪いことはこちらの無調法にして、善いことは向こうの手柄にする。これはいくら騒いでも凡夫の手際ではできない。今田舎でも名主に手抜かりがある時は、組頭が自分がしたことの様にする。この様であれば、響かないことはないだろう。


嘉言31
○明道先生曰、一命之士、苟存心於愛物、於人必有所濟。
【読み】
○明道先生曰く、一命の士も、苟も心を物を愛するに存せば、人に於て必ず濟う所有らん。

○明道先生曰云々。天下のためになり一国のためになることは老中や家老の所作で、一番の人でなければならぬ。○一命之士は軽い身分の者なり。是等は知行扶持方を取ても政事などにはあつかるものではないが、さて誠は届くもの。手前の心持の処が人へいた々々しくないやふに、難義をせぬやふにとすると、かわりたものしゃは、身分が軽ひから人へ及ぶ筈はないが、人を済ふなり。其精神が人のためになる。此語などは上へも下へもひびくことぞ。役人は、精出そうか此方の手際にはゆかぬ々々々と云が、誠があれば身分が軽ふても救ふことなる。軽と云に中間頭ほど軽い者はない。足軽の部屋小頭などいこふかるいものなれとも、吾が心が誠で人を愛すると云になれば、中間がかぜをひけば世話のやきようもちがふことぞ。中間頭のしかたによりて仲間が文王の民のやふにもなる。今日名主組頭などはまだそんななことではない。一村を預り地頭ではとんと名主や組頭にうちまかせてをくなれは、この一心あればひびくなり。
【解説】
「一命之士」は軽い身分の者だが、誠があれば向こうに届く。
【通釈】
「明道先生曰云々」。天下のためになり一国のためになることは老中や家老の所作で、一番の人でなければならないこと。「一命之士」は軽い身分の者。これらは知行扶持方を取っても政事などには与る者ではないが、さて誠は届くもの。自分の心持の処が、人へ痛々しくない様に、難儀をしない様にとすると、妙なもので、身分が軽いから人へ及ぶ筈はないが、これが人を済うことになる。その精神が人のためになる。この語などは上へも下へも響くもの。役人が精を出しても自分の手際ではうまく行かないと言うが、誠があれば身分が軽くても救うことができる。軽いと言えば中間頭ほど軽い者はいない。足軽の部屋小頭などは大層軽い者だが、自分の心が誠で人を愛するということになれば、中間が風邪を引けば世話の焼き様も違う。中間頭の仕方によっては中間が文王の民の様にもなる。今日の名主組頭などはまだその様なことではないが、一村を預かる地頭が名主や組頭に全てを任せて置くのであれば、この一心があれば響くもの。

又此語を一人の歴々のきかれて、一命之士さへ如此ことじゃに吾々身分ではとひびき、上の人にも親切なり。兎角に智惠をだしたり理屈を出したがる。書物をよめの学問をしろのと云ても一つ葉もひびくことではない。たた田舎でも村の者を可愛ゆく吾が子のやふに思へば向へひひくなり。今学者なども理屈ばかり云ゆへひひかぬ。可愛かると云ふ仁がなければひひかぬ。此心で国の一人と云ふ歴々になりたとき、とんと愛物と云二字でひびこうことぞ。是が仁政のさなごを云たもの。政のことを義政と云はず仁政と云がありかたいこと。仁は愛物、天地の春の德。これが生物の本になるなり。人も愛すると云あたまがあれば人へひびくことぞ。
【解説】
一命之士でさえ届くのだから、歴々なら尚更である。理屈ばかりでは届かない。仁で響く。政は仁政が有難いもの。
【通釈】
またこの語を一人の歴々が聞かれて、一命之士でさえこの様なことなのに、我々の身分では尚更なことだと響き、上の人にも親切である。とかく知恵を出したり理屈を出したがる。書物を読めとか学問をしろと言っても一つも響くことはない。ただ田舎でも村の者を我が子の様に可愛く思えば向こうへ響く。今学者なども理屈ばかりを言うので響かない。可愛がるという仁がなければ響かない。この心で、国の一人という歴々になった時に、「愛物」という二字で実に響くことだろう。これが仁政の核子を言ったもの。政のことを義政と言わずに仁政と言うのが有難いこと。仁は愛物、天地の春の徳。これが生物の本になる。人も愛するという頭があれば人に響く。


嘉言32
○劉安禮問臨民。明道先生曰、使民各得輸其情。問御吏。曰、正己以格物。
【読み】
○劉安禮、民に臨むことを問う。明道先生曰く、民をして各々其の情を輸[いた]すことを得せしむ、と。吏を御むるを問う。曰く、己を正して以て物を格す、と。

○劉安礼云々。ここにのってある明道の語はとれ々々も一行半の語なれども結搆な語ぞ。つづれのにしきなり。つつれの錦は京都の見物もの。僅か一寸か二寸のきれなれども、此語などが垩賢のきれなり。道を得た人でなければ中々此様なことは云はれぬことぞ。貞観政要ではな井。明道の精神からでたもの。劉安礼か手短に聞にきた。それへ明道の御荅に何れの事を荅と思へば、下の者が上へ云た井ことのあるとき、理も非もかまわず腹一盃を云はせてみるがよい。とかくに下の情がつきぬ。後世はとかく威でをすことに思ひ、訴訟人をだまれ々々々と云ふ。此事を云たいと云から訴訟に出たもの。だまることなら内に居てすむ。三代以後は法をもって維持して下情が上へ達せぬが、情をつくすようにするがよい。小兒が痒々と云と、母が抓てやるにどこだ々々々とかゆ井処へかきあてるぞ。情をつくさするとはその様なことなり。あのやふに不理屈ても云はせて、とっくりとようだ井をきくがよ井。そうすれば不埒ぐるみほんのことを云ふ。○御吏は下役をつかふことなり。御の字、浅見先生が六藝の御と同じことで、古車に馬を繋てつかふた、あのよふなものと云はれた。稽古なければならぬことなり。ここも馬や牛をつかふよふに、つかひやうわるいとつかわれぬ。そのつかふつかいやふが稽古なければならぬ。其稽古があぢなことで手もなく、予をたたしくすれば、向もただしくなるなり。御頭が賂とらぬと云ばかりで下役もとらぬなり。別に手のな井ことなり。
【解説】
三代の後は法で民を押さえるので下の情が上に達しない。民は情を尽くさせるのがよい。それで本当に言いたいことがわかる。下役を使うには稽古がなければならない。しかし、それは簡単なことであって、自分を正しくすることで向こうも正しくなる。
【通釈】
「劉安礼云々」。ここに載っている明道の語はどれも短い語だが結構な語で、綴れ錦である。綴れ錦は京都の見物もの。僅か一寸か二寸の布だが、この語などが聖賢の布で、道を得た人でなければこの様なことは中々言えない。貞観政要ではない。明道の魂から出たもの。劉安礼が手短に聞きに来た。明道がそれに答えるのに、何を言うかと思えば、下の者が上に言いたいことがある時は、理も非も構わず腹一杯を言わせて見るのがよいと言った。とかく下の情は尽きないもの。後世はとかく威で押すことと思い、訴訟人に黙れと言う。この事を言いたいから訴訟に出たのであって、黙るのであれば家にいても済む。三代以後は法で維持するので下の情が上に達しないが、情を尽くす様にするのがよい。小児が痒いと言うと、母が何処だと言って痒い処を掻き当てる。情を尽くさせるとはその様なこと。あの様に不理屈でも言わせて、とっくりと容体を聞くのがよい。そうすれば不埒ぐるみ本当のことを言う。「御吏」は下役を使うこと。御の字は、浅見先生が六芸の御と同じことで、古は車に馬を繋いで使った、あの様なものだと言われた。それは稽古がなければできないこと。ここも馬や牛を使う様に、使い様が悪いと使うことができない。その使い様は稽古がなければならない。その稽古が妙なもので手もなく、自分を正しくすれば向こうも正しくなる。御頭が賂を取らないというだけで下役も取らない。別に手はない。
【語釈】
・劉安礼…字は立之。明道の弟子。


嘉言33
○伊川先生曰、居是邦不非其大夫。此理最好。
【読み】
○伊川先生曰く、是の邦に居りては其の大夫を非らず。此の理最も好し。

○伊川先生曰云々。是邦はどこであらふともと云ふ時つかふ字なり。其国の長になる人を大夫と云。此語家語にあり、たた人々に上の御役人をわるく云はぬがよ井。伊川先生、そこを読でいこう御感心なされた。さて々々是は面白ひことじゃ。これらも志ある人の覺悟と理會するがよい。志のな井者は信口[てまかせ]なことを云。老中の云ふことや家老の云ふことは君も同こと。奉行は君の意をほうじてするもの。君をばははかれとも、役人はそしりての多ひものなれども、ここを合点すればそしらぬ。そうでなければ君臣之義でない。犬も朋軰、鷹も朋軰と云が、そうではない。家老は君にかわりてする。それゆへ、大夫をなんとも思はぬと云が君をなんとも思はぬになる。そうなると、それが乱の初めなり。何の叓もな井叓のようなれとも、○此理最好。心ある者は、大夫をそしると云ことはとんとなひ。軽ひ者の身分としてかる々々と上のことを批判をするなどと云ふがあさはかなことぞ。わるくすると上の政のことを茶呑咄にもしたがる。なんであろうとも、上のことはつつしむと云が君臣之義の大叓なり。坤六二を人臣の爻にしてあれとも、とんと下の者はつつしむを重にするが大事のことになってをる。
【解説】
老中や家老の言うことは君の言と同じであり、奉行は君の意を奉じてするもの。そこで、大夫を何とも思わないのは君を何とも思わないのと同じである。心ある者は、大夫を誹ることは決してない。慎むことが大事である。
【通釈】
「伊川先生曰云々」。「是邦」は何処であろうともと言う時に使う字である。その国の長になる人を大夫と言う。この語は家語にあって、ただ人々に、上の御役人を悪く言わないのがよいと言ったこと。伊川先生がそこを読んで大層御感心なされた。これが実に面白いこと。これらも志のある人の覚悟だと理解しなさい。志のない者は出任せなことを言う。老中の言うことや家老の言うことは君の言と同じこと。奉行は君の意を奉じてするもの。君には憚るものだが、役人には誹り手が多いもの。しかし、ここを合点すれば誹らない。そうでなければ君臣之義ではない。犬も朋輩、鷹も朋輩と言うが、そうではない。家老は君に代わってする。そこで、大夫を何とも思わないのは君を何とも思わないということになる。そうなると、それが乱の初めとなる。これが何事もない様なことだが、「此理最好」。心ある者は、大夫を誹ることは決してない。軽い者の身分で軽々と上のことを批判をするなどというのは浅はかなこと。悪くすると上の政のことを茶飲み話にもしたがる。何であろうとも、上のことは慎むというのが君臣之義の大事である。坤六二を人臣の爻にしてあるが、下の者は慎むことを重にするのが実に大事なこと。
【語釈】
・家語…孔子家語曲礼子夏問第43。「居是邦則不非其大夫」。
・坤六二…坤卦六二。「六二。直方大。不習无不利。象曰、六二之動、直以方也。不習无不利、地道光也」。


嘉言34
○童蒙訓曰、當官之法、唯有三事。曰清、曰愼、曰勤。知此三者、則知所以持身矣。
【読み】
○童蒙訓に曰く、官に當るの法、唯三事有り。曰く清、曰く愼、曰く勤。此の三の者を知らば、則ち身を持つ所以を知る。

○童蒙訓曰云々。古人の語に唯と云字のあるがさま々々な処をひっくくることぞ。官などはをひただしくことのあって、大手を廣げてかかるやふなことなれども、たった三色のことじゃとくくりをしらせたもの。車の矢がををくても眞[こく]の所にきまる。此の三つが、奉公する者は毎朝々々思ひ出さ子ば叶はぬと云ことぞ。○清は心に欲のな井こと。全体君臣之義と云ふても、地址[どだい]からそうじをよくするでなければならぬ。鄙夫可與事君と云は心か清でな井ことなり。欲がありては、上下を着て立派にして出ても頭から泥淄[まびれ]。清と云がすこしもかってづくなことのなく、きよいことぞ。此御役仰付られてから殊外いそがし井が、そのかわりちと役得があると云かふへば、なんとなくのるぞ。これ清でなひ。余程よいものもそんなことを云ふがなんともかともなり。とんと口へ出して云はれぬ。きたない心入ぞ。取るの増すのと云ふことを口外へだして云ふ。笑止千万なることなり。それで奉公するまっさきに金をとりにゆくよふなもの。学問をする段になりては、此年は仕まいがよいと云ふ。もふそれが心のよごれになる。文謂、訂斎先生医療をして暮に金子十两よりこれはよいと思召されて、これではならぬとやめたと云も清之甚也。
【解説】
「童蒙訓曰、當官之法、唯有三事。曰清」の説明。官の法はたった三つで済む。「清」は心に欲がなく、少しも勝手尽くなことがないこと。
【通釈】
「童蒙訓曰云々」。古人の語に「唯」という字があるのが様々な処を引っ括ってのこと。官などは夥しく事があって、大手を広げて掛かる様なことだが、たった三色だと括って知らせたもの。車の矢は多くても轂の所に集まる。奉公をする者はこの三つを毎朝思い出さなければ叶わないということ。「清」は心に欲のないこと。全体君臣之義と言っても、土台からよく掃除をしなければならない。「鄙夫可与事君」というのは心が清でないこと。欲があっては、裃を着て立派にして出ても頭から泥塗れである。清は少しも勝手尽くなことはなくて清いこと。この御役を仰せ付けられてからは殊の外忙しいが、その代わりに一寸役得があるということが増えれば、何となく乗る。これは清ではない。余程よい者もそんなことを言うのは何としたことか。実に口に出して言えない、汚い心入れである。取るとか増すということを口外へ出して言うのは笑止千万なこと。それで奉公するのは真っ先に金を取りに行く様なもの。学問をする段になって、この年は仕舞いがよいと言えば、もうそれが心の汚れになる。文が言った。訂斎先生が医療をして暮に金子は十両あればそれでよいと思し召され、これではならないと止めたのも清の甚だしいことだ、と。
【語釈】
・鄙夫可與事君…小学内篇明倫56。「鄙夫可與事君也與哉」。
・文…林潜斎。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。稲葉黙斎門下。

○慎は元日から大晦日まで、すっと一日のやふにせ子ばならぬ。今日人も始ては大叓にするもの。今日少々無調法でもしくじらぬはつつしむ方からなり。心がつつしめば、何でもわるいことはない。軽い者の口上に奉公人七十五日と云が慎のぬけてくるなり。数年の久しい間を大事々々とする。○勤はものに精の出ること。奉公第一とする。打捨てはならぬ。はたらきつめるなり。何んでも其叓をずか々々する。此三つが奉公をするの肝要なり。是がしれると奉公ばかりではない。君子になられるとなり。政とてぶんに出ることはな井。この通りにすれば吾身一生しそこないはない。持身の文字を、此三つをよくすれば身にあぶな井ことはない。官路あぶなくないとも見へるが、それはよふない。なぜなれは、首尾よくつとめ持身と云ては心術がわるい。これで一生身を持ち、道にそむかぬと云文義にとるべし。
【解説】
「曰愼、曰勤。知此三者、則知所以持身矣」の説明。二つ目は「慎」で、久しい間を大事にする。三つ目は「勤」で、ものに精を出すこと。しかし、首尾よく勤めて身を持つと言うのは心術が悪い。この三つで一生身を持ち、道に背かないということ。
【通釈】
「慎」は元日から大晦日まで、ずっと一日の様にしなければならない。今日、人も初めてのことは大事にするもの。今日少々無調法でもしくじらないのは慎む方からのこと。心が慎めば、何も悪いことはない。軽い者の口上に奉公人七十五日とあるのが慎の抜けて来ること。数年の久しい間を大事にする。「勤」はものに精の出ること。奉公第一とする。打ち捨ててはならない。働き詰めるのである。何でもその事をずかずかとする。この三つが奉公をする際の肝要である。これがわかれば奉公ばかりではなく、君子にもなることができると言った。政と言っても特別に出ることはない。この通りにすれば我が身一生し損ないはない。「持身」の文字は、この三つをよくすれば身に危ないことはないということ。これは官路が危なくないとも見えるが、それはよくない。それは何故かと言うと、首尾よく勤めて身を持つと言うのでは心術が悪い。これで一生身を持ち、道に背かないという文義に取りなさい。


嘉言35
○當官者、凡異色人皆不宜與之相接。巫祝・尼媼之類尤宜踈絶、要以清心省事爲本。
【読み】
○官に當る者は、凡そ異色の人皆宜しく之と相接わるべからず。巫祝・尼媼[におう]の類は尤も宜しく踈絶すべく、心を清くし事を省くを以て本と爲さんことを要す。

○當官は御役をつとめること。○異色人と云ふが垩賢の世にはな井が、後世これがあるなり。士農工啇の外の者が重ひ役人の所へ行て居る。百姓は行くことならぬが、出家の山伏のと云が行てをるやうにしこなす。其縁からさま々々むすぶこともある。そんなものをよせぬことじゃ。これがさま々々わるいことをつけこむ。御定のものはゆかれす、異色の人かゆく。五雜俎にも云てある。出家などが山奥から出た顔をして重ひ人の側にをるが、あれほどにくいものはな井と云へり。をれらは別段のことじゃと云気になってをる。乱民なり。○清心は万端こまかなことにもかけても云がよ井。そうして事のををくないやふにへらすがよい。阿部矦の鶉をはなされたも此筋なり。鶉をかふたとてそのやふにわるいことでもないが、鶉が好と云と、よい鶉をもたものがあげたいと云たれば、したたかな鶉をはなした。好と云ふと、それからむすぶ。誹諧がわるいことではないが、もふそこへつけこむ。中々つ子は側によることもならぬが、茶の湯口切ゆへ同坐すると云ふ。鶉の意が合点ゆけば、中々藝術でもめったにせぬことなり。言行録に包孝粛公か李仲和之祖と一僧舎に書をよみしに、其所の豪家の前を通るとき招き、其後よびによこした。李氏は行んとしたれば包孝粛の、それはよふないことじゃ、吾済[わかみ]異日守此郡こともあるに、えんになりてわるいとてゆかぬ。後、果して其所奉行になりた。そこで釘がきく。役人はすこしものずきかありてもわる井。
【解説】
役人の側にいることは百姓にはできないことだが、出家や山伏はそれができる。これが悪いことで乱民である。物好きがあると、それによって人に付け込まれる。物好きがないのがよい。
【通釈】
「当官」は御役を勤めること。「異色人」は聖賢の世にはないが、後世はこれがある。士農工商の外の者が重い役人の所に居着く。百姓は行くことはできないが、出家や山伏が居着く様になる。その縁から様々に結ぶこともある。そんな者は寄せない様にする。これが様々に悪いことで、付け込む。御定まりの者は行けず、異色の人が行く。五雑俎にも、出家などが山奥から出た顔をして重い人の側にいるが、あれほど憎いものはないとある。俺等は別段のことだという気になっている。これが乱民である。「清心」は万端細かなことに掛けて言うのがよい。総じて事が多くならない様に減らすのがよい。阿部侯が鶉を放されたのもこの筋のこと。鶉を飼ってもそれほど悪いことでもないが、鶉が好きだと言うと、よい鶉を持った者があげたいと言ったので、多くの鶉を放した。好きと言うと、それから結ぶことになる。俳諧は悪いことではないが、もうそこへ付け込む。いつもは側に寄ることも中々できないが、茶の湯の口切なので同座すると言う。鶉の意を合点すれば、中々芸術も滅多にしないもの。言行録に包孝粛公が李仲和之祖と一僧舎で書を読むのに、その所の豪家の前を通る時に招かれ、後には呼びに遣られた。李氏が行こうとすると、包孝粛が、それはよくないことだ、自分は異日にこの郡の守になることもあるかも知れないのに、縁になっては悪いとして行かなかった。後に果たしてその所の奉行になった。そこで釘が利く。役人は少しでも物好きがあっては悪い。
【語釈】
阿部矦…阿部正興?因幡守と称す。上総佐貫藩主。明和1年(1764)3月11日没。年32。
・言行録に包孝粛公か李仲和之祖…朱子語類129。「先生因泛言交際之道、云、先人曾有雜録冊子、記李仲和之祖、同包孝肅同讀書一僧舍、毎出入、必經由一富人門、二公未嘗往見之。一日、富人俟其過門、邀之坐。二公託以他事、不入。他日復招飯、意廑甚。李欲往。包公正色與語曰、彼富人也、吾徒異日或守鄕郡。今妄與之交、豈不爲他日累乎。竟不往。後十年、二公果相繼典鄕郡」。
・包孝粛公…包拯。包青天、包待制。字は希仁。999~1062


嘉言36
○後生少年乍到官守、多爲猾吏所餌、不自省察、所得毫末、而一任之間不敢復擧動。大抵作官嗜利、所得甚少而吏人所盗不貲矣。以此被重譴。良可惜也。
【読み】
○後生少年乍[たちま]ち官守に到り、多く猾吏の餌する所と爲し、自ら省察せず、得る所毫末にして、一任の間、敢て復た擧動せず。大抵官と作りて利を嗜めば、得る所甚だ少くして吏人の盗む所貲[はか]られず。此を以て重譴[ちょうけん]を被る。良[まこと]に惜しむ可し。

○後生少年云々は呂本仲のみて云はれたもの。みてをるに、あの穴へ落ちよう々々々々と思ふと、あんの如くふちへをちる。あの方ではちっと文章でもかくとえらはれて、それからして年若でも公儀へよびだされ、上の御目鏡で奉行にもなる。奉行になっても根が年若ゆへ役に立ぬ。○猾吏は浅見先生の、をぞいこすい役人と云ふことじゃと云はれた。もっと弁を付て云へば、下腹に毛のな井と云よふなもの。たとへばその官人がなにぞこれがなくてならぬと云と、もうこちのものと云て猾吏がうまみをくらわせてうれしからせる。茶入を一つもってやるの筋じゃと迂斉云へり。兎角なんとなく心面白くなってよろこばし井ゆへ、その猾吏を用ると、もとわる井ものゆへもっての外なわるいことが出来て、不敢復挙動がうごきのとれぬこと。それからことがやぶれてくる。何程云ひ訳をしてみても、こちのだしたにちがいはない。もらはいでもすむほどなものをもらって下でぬすむところははかられぬ。僅なものを取て御役を召しはなされる。年若でよい役になったと云ことはよいことの様なが、あのやふなことがいかいことある。省事となんのこともなひ。よ井亭をこしらへたいの、遊参所をこしらへたいと云から金もほしくなる。何もいらぬと云へばよくがない。よくがないと禍はこぬ。若ひ衆がみる。穴へをちると示したなり。
【解説】
中華では年が若くても文章でも書けると奉行になることもあるが、若い者は役に立たない。猾吏がそれに取り入って悪事を重ねる。しかし、欲がなければ猾吏は取り入ることができない。
【通釈】
「後生少年云々」は呂本仲が見て言われたもの。見ていると、あの穴へ落ちるだろうと思える。案の如く淵へ落ちる。中華では少々文章でも書けると撰ばれて、それからして年若でも公儀へ呼び出され、上の御目鏡で奉行にもなる。奉行になっても根が年若なので役には立たない。「猾吏」は浅見先生が、悍い狡い役人ということだと言われた。もっと弁を付けて言えば、下腹に毛がないという様なもの。たとえばその官人が何にしてもこれがなくてならないと言うと、もう自分がと言って、猾吏が旨味を食らわせて嬉しがらせる。茶入れを一つ持って遣るの筋だと迂斎が言った。とかく何となく心が面白くなって喜ばしいので、その猾吏を用いる。それは元々悪いものなので、以の外な悪いことができて、「不敢復挙動」で動きが取れなくなる。それからことが破れて来る。どれほど言い訳をして見ても、こちらが出したことに違いはない。貰わなくても済むほどのものを貰っても、下で盗むところは量り切れない。僅かなものを取って御役を取り上げられる。年若でよい役になったということはよいことの様だが、その様なことが大層ある。それを省みれば何の事もない。よい亭を拵えたいとか遊山所を拵えたいと思うから金も欲しくなる。何も要らないと言えば欲はない。欲がないと禍は来ない。若い衆を見て、彼等が穴へ落ちると示したもの。
【語釈】
・呂本仲…これは呂舎人雑録の語。呂本仲は中書舎人だった。
・をぞい…悍い。わる賢い。ずるい。


嘉言37
○當官者、先以暴怒爲戒。事有不可、當詳處之。必無不中。若先暴怒、只能自害。豈能害人。
【読み】
○官に當る者は、先ず暴怒を以て戒と爲す。事不可なる有らば、當に詳かに之を處すべし。必ず中らざること無からん。暴怒を先にするが若きは、只能く自ら害す。豈能く人を害せんや。

○當官云々。暴怒と云が役人の大叓の心掛にすること。急に腹を立つことを暴怒と云ふ。とかく事をする上に卒[にわか]にむっとせくと云ふことあり、王荊公などもせいて、明道先生が天下のことは一家のことではない、御気を静にせられよと云はれて、あの大膽者なれとも赤面せられた。十分よ井ことであらふとも、腹を立てはわるい。腹立まきれに其分にならぬと云ふと、向を害するより先つ此方を害することがあるゆへ、しつかにするがよ井。とかく急にせくからして、こちがさきに腹を立でみなになってそこのふことになる。古も今も唐も日本もとかく怒から事をやぶることが夛し。
【解説】
「暴怒」は急に腹を立てること。「暴怒」だと、相手を害するよりも先に自分を害する。静かにするのがよい。
【通釈】
「当官云々」。「暴怒」ということを役人は大事に心掛けなければならない。急に腹を立てることを暴怒と言う。とかく事をする上で俄にむっと急くことがあり、王荊公なども急いて、明道先生が天下のことは一家のことではない、御気を静かにされよと言われて、あの大胆者が赤面した。十分によいことであったとしても、腹を立ては悪い。腹立ち紛れにその分にはならないと言うと、向こうを害するよりも先ずこちらを害することがある。そこで、静かにするのがよい。とかく急に急くことから、こちらが先に腹を立てて台無しになって損なうことになる。古も今も唐も日本もとかく怒から事を破ることが多い。


嘉言38
○當官處事、但務着實。如塗文字、追改日月、重易押字、萬一敗露、得罪反重、亦非所以養誠心、事君不欺之道也。
【読み】
○官に當りて事を處するには、但着實ならんことを務む。文字を塗し、日月を追改し、押字を重易するが如きは、萬一敗露せば、罪を得ること反て重く、亦以て誠心を養い、君に事え欺かざる所の道に非ざるなり。

○當官處事云々。御用のことをとり捌くこと。これが兎角はたらき々々々々とくる。をれははたらきがある、才力があるとそれにまかせるが、ただの者の才力にろくたまなことはな井。御用をつとめるに才力をふるふことではない。実と云ことでするなり。○実と云はきじな迂詐のな井よふ々々々々にとするがよ井。それが第一。是か奉公人の精神ぞ。人の横手を打て誉ることはよかろふか、それより誠なと云がよ井。珍異ことや人の気の付ぬと云ふでもないが、たた本道にでるを着実と云。是が天地の姿。寒ひと羽折を着、腹がへると飯をくふよふなもの。皆実なり。重ひことも軽ひこともしめて皆実と云がよ井。着実は俗語で、実を着ると云文字なれども、つまり実と云こと。何叓も実を着ると云がよ井こと。これからさきは実をつとめす不埒な者を出して戒にする。そんなことは今日誰もしてはないが、左様なかるい役人あるではな井が、それにちら々々似たことがある。是も昨日今日役になりてする者はな井が、久しくつとめると、あぶながらぬ方から様々なことをする。
【解説】
「當官處事、但務着實」の説明。御用を勤めるのは才力を揮うことではなく、実でする。それは、嘘のない様にすること。
【通釈】
「当官処事云々」。御用のことを取り捌くこと。これをとかく働きでする。俺は働きがある、才力があると言ってそれに任せるが、ただの者の才力に碌なことはない。御用を勤めるのは才力を揮うことではなく、「実」でするもの。実は生地なことで、嘘のない様にとするのがよい。それが第一。これが奉公人の魂である。人が横手を打って誉めることもよいことだろうが、それよりも誠なのがよい。それは珍しいことや人が気が付かないことというのでもないが、ただ本道で出るのを「着実」と言う。これが天地の姿。寒いと羽織を着て、腹が減ると飯を食う様なもの。皆実である。重いことも軽いことも全て皆実でするのがよい。着実は俗語で、実を着けるという文字だが、つまりは実ということ。何事も実を着けるというのがよいこと。これから先は実を勤めない不埒な者を出して戒めにする。そんなことは今日誰もする者はいないし、その様な軽い役人がいるのでもないが、それにちらちらと似たことがある。これも昨日や今日役になってする者にはないが、久しく勤めると、危ながらない方から様々なことをする。
【語釈】
・横手を打て…感じ入り、または思いあたった時などに、思わず両手を打ち合わすこと。

○文字は帳面などに書てあるもののこと。それがさしつかへになると、これはけせばなんのこともないとする。○摖はすること。小刀ですってよの字をいれかへる。自己の勝手てすることもあるべし。又は人のためにする也。七月とあるが八月と書けばなんのこともない、書きなをすがよいなとと云。書き判は宋朝から初りたこと。一寸としたことに用る。王安石が石と云字をちょっと書たことあり。あれらがをこりなり。手短で、さて自筆て書たことゆへ人も眞似にく井。此方でも今書き判は重ひことになってをる。重ひことにはかへって印判は用ぬ。是をあの時分わる心で書きなをすことがあったそうなり。これもたかをくくるからをこったこと。どふしてもよい、これで人のためになるなとと云ふ。是等も呂本仲の兼々ちらと見て子めて云はれたことたと也。百姓のためになることでも、先々の役人の名を書きかへたと云へば罪が重くなる。さて罪のことはさてをき、そのよふな君臣之義はない筈。誠な心でするでなければならぬ。五倫皆誠でする。君と云ものは嚴重な親しくないものなれとも、それへも此誠と云で忠義をする。
【解説】
「如塗摖文字、追改日月、重易押字、萬一敗露、得罪反重、亦非所以養誠心」の説明。宋朝では書物を書き替えることがあった。そこで花押をする様になった。書物を書き替えるなどというのは君臣之義ではない。
【通釈】
「文字」は帳面などに書いてあるもののこと。それが差し支えになると、これは消せば何事もないとする。「摖」は擦ること。小刀で擦って違う字に入れ替える。自分の勝手ですることもあるだろうし、または人のためにすることもある。七月とあるが八月と書いてもどうしたこともない、書き直すのがよいなどと言う。書判は宋朝から始まったこと。一寸したことに用いる。王安石が石という字を一寸書いたことがある。あれらが起こりである。手短で、さて自筆で書いたことなので人も真似し難い。日本でも今書判は重いことになっている。重いことには却って印判は用いない。あの時分は悪心で書き直すことがあったそうだ。これも高を括るから起こったこと。どうでもよい、これで人のためになるなどと言う。これらも呂本仲が前々よりちらりと見て睨めて言われたこと。百姓のためになることでも、先々の役人の名を書き替えたと言えば罪が重くなる。さて罪のことはさて置き、その様な君臣之義はない筈。誠な心でするのでなければならない。五倫は皆誠でする。君というものは厳重な親しくないものだが、それへもこの誠で忠義をする。
【語釈】
・書き判…花押。

○不欺と云ふが誠のこと。書ものを書きかへたと云ふがじきに君をだますになる。迂偽と云字は甚たつつしまふことぞ。さて是に付ては執事者なとの心得になることがある。今田舎でも村役をつとめる者に地頭をだまそうと云ふ者はかりはないが、なんぞのとき迂偽を云気になる。是をこふすれば所のためによいと云ふ。これと云も、いつとなく伯者や英雄豪傑のすることを聞傳て、役を勤る者などがそのやうに律義ではならぬ迂偽をすることもある。村のためにはよいなとと云ひ、或はすこしの物入をいとふて罪を得ることもある也。其上に田舎などの者は稽古がないゆへしよふをしらぬ。又知ったふりで不埒をすることもあらふこと。大切に心得へし。とかく正道なればよし。欺と云はどちどうしてわるいこと。法あってその通りに心かけること。さて垩人の法は後世の邪魔にならぬ。漢唐以来の法は一旦人の為めになりてもわるいがある。さて法は大事なもの。法の立やふわるいと心ならす欺か子はならぬことがある。是は法の無調法也。法を出してをいて、法の外にとりさばく。法と云ものある類は、初の法の出しよふわるいのなり。
【解説】
「事君不欺之道也」の説明。書物を書き替えるのは君を騙すものである。村のためになるからと言って嘘を吐くことがあるが、それは伯者や英雄豪傑の仕方であり、法の立て方が悪いので欺かなければならなくなるのである。
【通釈】
「不欺」というのが誠のこと。書物を書き替えたというのが直ぐに君を騙すことになる。嘘という字は甚だ慎まなければならないもの。さてこれに付いては事を執る者などの心得になることがある。今田舎でも村役を勤める者に地頭を騙そうという者ばかりはいないだろうが、何かの時に嘘を言う気になる。これをこうすれば在所のためによいと言う。それと言うのも、いつとなく伯者や英雄豪傑のすることを聞き伝えて、役を勤める者などがその様に律儀ではならない嘘を吐くこともある。村のためにはよいなどと言い、或いは少しの物入りを嫌って罪を得ることもある。その上に田舎などの者は稽古がないので仕方を知らない。また、知った振りで不埒をすることもあるだろう。大切に心得なさい。とかく正道であればよい。欺はどう見ても悪いこと。法があってその通りに心掛けるのである。さて聖人の法は後世の邪魔にならないものだが、漢唐以来の法は一旦は人のためになっても悪いところがある。さて法は大事なもの。法の立て様が悪いと心ならず欺かなければならないことがある。これは法の無調法である。法を出して置いて、法の外で取り捌く。その様な法の類は、初めの法の出し方が悪いのである。

○外篇の君臣之義に政を出すと云が、山﨑先生、朱書抄略編集の意もこれそ。垩賢の外の法は欺か子ばならぬことがつひ出来てくるは気の毒なり。欺と云こと、どこ迠もわるいこと也。小學は三代の古へかへすことゆへ欺かぬやうにすること。赳々武夫、公矦の腹心。あの兎を追ふて居るは誰ぞと云ふ。其れが家老にしてもよい。とんと三代は迂偽などと云の通用はない。陳同甫なとの架漏率補小康などのよふなことではない。欺かぬと云て君臣之義は立つことなり。これでもささいなことのよふなれども、道学をききはつりた人の云ことはこのようなこと。誠と云が天地から垩人皆これなり。大学も誠意正心と云ふが大事。誠からして君臣の義もとりたてることそ。貞観政要の講釈をありがたく思ふ様なことでは君臣之義の正味はぬける。蝗を喰ふやふな覇王は上から欺を示すの也。
【解説】
三代は嘘などは全くなかった。欺かないので君臣之義が立つ。誠が大事なのである。
【通釈】
外篇の君臣之義に政を出すというのが、山崎先生の朱書抄略編集の意もこれ。聖賢の外の法は欺かなければならないことがついできて来る。それは気の毒なこと。欺は何処までも悪い。小学は三代の古に帰すことなので欺かない様にする。「赳々武夫、公侯之腹心」で、あの兎を追っているのは誰かと言う。それは家老にしてもよい人である。三代は嘘などの通用は全くない。陳同甫などの「架漏率補小康」などの様なことではない。欺かないと言うので君臣之義が立つ。これが瑣細なことの様だが、道学を聞きかじった人の言うことはこの様なこと。誠というのが天地から聖人までが皆これ。大学も誠意正心が大事。誠からして君臣の義も取り立てる。貞観政要の講釈を有難く思う様なことでは君臣之義の正味は抜ける。蝗を喰う様な覇王は上から欺を示すもの。
【語釈】
・赳々武夫、公矦の腹心…詩経国風周南兔罝。「肅肅兔罝、椓之丁丁。赳赳武夫、公侯干城」。
陳同甫なとの架漏率補小康…
・ききはつりた…聞きかじる。一端を聞く。
・蝗を喰ふやふな覇王…唐の太宗が蝗を呑んだことを指す。