嘉言39
○王吉上疏曰、夫婦人倫大綱、夭壽之萌也。世俗嫁娶太蚤。未知爲人父母之道而有子。是以敎化不明而民多夭。
【読み】
○王吉疏を上して曰く、夫婦は人倫の大綱、夭壽の萌なり。世俗嫁娶すること太だ蚤し。未だ人の父母爲るの道を知らずして子有り。是を以て敎化明かならずして民多く夭す。

庚戌正月六日
【語釈】
・庚戌正月六日…寛政2年(1790)1月6日。

○王吉上疏曰云々。○夫婦の別を年始の會始めの講釈に読。目出度ひことなり。夫婦と云ふが垩人の道の本になる。夫婦と云ふが人道の三番叟なり。三番叟の始らぬ内は能も始らぬ。夫婦か人道の本になると云ふが天地とあいもんのをふたことぞ。易の始めは乾坤。これが天地の夫婦。下經に咸恒のあるは人間の夫婦なり。尭の舜へ天下を譲らるるにも二女降于媯汭と云が劈初頭[まつはしめ]。孔子の詩經を編集なさるにも関雎を始に出された。こふせぬと天地とわりふがあわぬ。天地とわりふのあわぬことは働きがならぬ。人間の天地間に居るは魚の水中にをるようなもの。水のふては魚は働くことならぬなり。人も天に似ぬことはならぬ。垩人の礼も大昏に始まると云ことぞ。その証文を中庸にも造端乎夫婦と云ふ。夫婦と云三番叟がのふては能が出されぬ。夫婦と云ふ三番叟が始まると、親子と云ふ高砂もあれば兄弟と云老松もある。
【解説】
「王吉上疏曰、夫婦人倫大綱」の説明。夫婦は聖人の道の本であり、天地と合紋のあったこと。夫婦があるから親子や兄弟がある。
【通釈】
「王吉上疏曰云々」。夫婦の別を年始の会の始めの講釈に読む。これが目出度いこと。夫婦というのが聖人の道の本になる。夫婦が人道の三番叟である。三番叟が始まらない内は能も始まらない。夫婦が人道の本になるというのが天地と合紋の合ったこと。易の始めは乾坤。これが天地の夫婦。下経に咸や恒があるのが人間の夫婦のこと。堯が舜へ天下を譲られるにも「二女降于媯汭」が先ず始め。孔子が詩経の編集をなさるにも関雎を始めに出された。こうしないと天地と割符が合わない。天地と割符の合わないことは働きがならない。人間が天地の間にいるのは魚が水中にいる様なもの。水がなくては魚は働くことができない。人も天に似なくてはならない。聖人の礼も大昏に始まる。その証拠に、中庸にも「造端乎夫婦」とある。夫婦という三番叟がなくては能が出せない。夫婦という三番叟が始まると、親子という高砂もあれば兄弟という老松もある。
【語釈】
・咸…澤山咸。「咸、亨。利貞。取女吉」。
・恒…雷風恒。長男(震)が長女(巽)の上にいて、夫婦の常道を意味する。
・二女降于媯汭…書経堯典。「帝曰、我其試哉。女于時、觀厥刑于二女。釐降二女于媯汭、嬪于虞」。
・大昏…天皇の結婚。
・造端乎夫婦…中庸章句12。「君子之道、造端乎夫婦。及其至也、察乎天地」。

仏者はここをつふすゆへ異端と云ふ。夫婦と云ふことをつぶしては根がら相談はならぬことぞ。飯を食はぬものへ膳を出す相談は入らぬ様なもの。客によぶ支度も食ふと云ふことあってこそなれ、食はずはよぶにも及はぬ。仏者などがやつきつと騒くが、天地に合ぬことをしてをるのじゃ。そんなら乱心同前なことであるかと云に、あの方にも能がある。其のふか甚ださむしいことで、観世もかへり新九郎もなく、舞臺に人が一人も居ぬ。あそこにうたわぬうたいがある。あそこに鳴ぬ皷があると云。凡夫の目には見へぬことなり。そこを道とするゆへ、仏法の高ひことは甚たしひことぞ。そこて朱子も其高過於大学而無実と云はれた。何を云も空理を云ふことゆへ無実と云なり。
【解説】
仏は夫婦を潰すので異端と言い、それは天地に合ったことではない。仏は何もないところに主宰があると言う。
【通釈】
仏者はここを潰すので異端と言う。夫婦ということを潰しては根から相談ができない。それは、飯を食わない者へ膳を出す相談は要らない様なもの。客に呼ぶ支度も食うということがあってこそするが、食わなければ呼ぶにも及ばない。仏者などがあれこれと騒ぐが、天地に合わないことをしているのである。それなら乱心同然なことかと言うと、あの方にも能がある。その能が甚だ寂しいことで、観世も帰り新九郎もなく、舞台に人が一人もいない。あそこに謡わない謡がある。あそこに鳴らない鼓があると言う。それは凡夫の目には見えない。そこを道とするので、仏法の高いことは甚だしい。そこで朱子も「其高過於大学而無実」と言われた。何を言っても空理なので無実だと言った。
【語釈】
・其高過於大学而無実…大学章句序。「異端虛無寂滅之敎、其高過於大學而無實」。

此の方のは女と云ふをつかまへて女房と云ひ、男と云ふをつかまへて亭主と云ふ。そこに道があると示すなり。あちは空理ゆへ役に立ぬ。されとも寂滅と云ふては凡夫の耳に入ず誰も知らぬゆへ、そこであの方でも一立のひくひ能を始めだした。その立のひくひと云は、地獄極楽の説を云ことかけは々々しくひく井ことなり。其上地獄極樂と云を誰も見たものはない。此様なひくひことを云にも、本が空寂の道ゆへつかまへどがない。兎角今目に見へず耳に聞かれぬ処を云ふ道で、教のために地獄を云へども、其地獄を見たものもないが、地獄があると云ふと人が迷ふ。つまり見ぬ戀にこがるるの筋でつかまへどはなし。そこで儒者がそうではないと两方訶り合う段になると五郎朝比奈草摺引の様になる。そのよふな草摺引をするやうなことではたたいないことぞ。
【解説】
仏は道は寂滅だとするが、それでは掴まえ処がなくて、誰にもわからないので地獄極楽を出す。地獄極楽を見た者もいないが、それがあると言って人を迷わす。
【通釈】
こちらは女というものを掴まえて女房と言い、男というものを掴まえて亭主と言い、そこに道があると示す。あちらは空理なので役に立たない。しかし、寂滅と言っては凡夫の耳に入らず誰も知ることができないので、そこであの方でも一つ立ての低い能を始め出した。その低い立てというのが地獄極楽の説を言うことで、それがけばけばしく低いこと。その上、地獄極楽を誰も見た者はいない。この様な低いことを言っても、本が空寂の道なので掴まえ処がない。とかく今目に見えず耳に聞けない処を言う道であって、教えのために地獄を言うが、その地獄を見た者もいないが、地獄があると言うと人が迷う。つまりは見ぬ恋に焦がれるの筋で、掴まえ処はない。そこで儒者がそうではないと言って、両方で訶り合う段になると五郎朝比奈草摺引の様になる。しかし、草摺引をする様なことではそもそもない。
【語釈】
・五郎朝比奈草摺引…曾我物語。曾我五郎時致が朝比奈三郎義秀と鎧の草摺を引き合う様子。

伊川の跡上断と云ふがある。高妙な論はのけて、天地に夫婦があるゆへ人間にも夫婦がのふてはならぬはづ。夫婦がないと天地に人種かつきるなり。人種がつきれば天地があきたなになってをるやふなもの。今長屋を造てあるも人を入れよふとてのことなり。人が居らぬなれば長屋も入らぬ。又たてるにも及ばぬことぞ。天地の間に万物が出来るや否や夫婦と云ふものがある。夫婦がなければ、家ばかりあって人の居ぬよふなもの。なせに夫婦をすて父子をすてるとたたるが跡上断なり。たた理上で云合ふと草ずり引になって、そこでこふ云ふとまたあちでも高妙なことを云ひ、さま々々なことを云ゆへ、あちのことはあまり云なと朱子も云はれた。跡上断が一ちよい。さて々々よふ思ふてもみよ。寂滅なとと云文字は正月めかぬことぞ。常若の御万歳と三河万歳の云がさても々々もひくひことなれとも、あれが天地の道に合ふたことぞ。天地無究なれば常若に目出度し。春になると萬木葉を生し、桺もみどりを含みにこ々々したことで、無常迅速と云よふな死ぬなどと云ふことはふっつとない。ほれ々々とした姿ぞ。
【解説】
天地に夫婦があるのだから、人にも夫婦がある筈である。伊川の迹上の断もあって、仏は相手にしない方がよい。
【通釈】
伊川に迹上の断ということがある。高妙な論は除けて、天地に夫婦があるのだから、人間にも夫婦がなくてはならない筈。夫婦がないと天地に人種が尽きる。人種が尽きるのは天地が空店になっている様なもの。今長屋を造るのも人を入れようとしてのこと。人がいないのであれば長屋も要らない。また建てるにも及ばない。天地の間に万物ができるや否や夫婦というものがある。夫婦がなければ、家ばかりがあって人のいない様なもの。何故夫婦を捨て父子を捨てるのかと祟るのが迹上の断である。ただ理上で言い合うと草摺引になって、そこでこちらが言うとまたあちらでも高妙なことを言い、様々なことを言うから、あちらのことはあまり言うなと朱子も言われた。迹上の断が一番よい。さてよく思って見なさい。寂滅などという文字は正月めかないこと。常若の御万歳や三河万歳の言うのが実に卑いことだが、あれが天地の道に合ったこと。天地無窮なので常若に目出度い。春になると万木が葉を生じ、柳も碧を含みにこにことして、無常迅速という様な死ぬなどということは全くない。惚れ惚れとした姿である。
【語釈】
・跡上断…近思録異端9。「不若且於迹上斷定不與聖人合。其言有合處、則吾道固已有。有不合者、固所不取。如是立定、卻省易」。

偖て神道のことじゃ。是が亦仏法にいやまけもせぬ不思議なことがあるが、是には夫婦と云のあるでよい。学者か仏法を呵りたつ井でに神道も呵りたがるが、神道は夫婦と云のあるゆへ異端と云はれぬ。されとも明夫婦之別と云ふとき、明倫の明の字であらふが始めを正したかりて、谷丹三郎や谷川淡斉など云か色々中蕐の字で註解をつけてはみるが似ぬなり。仏者とはちがい、夫婦の目出度処は同しことなれとも、明の別のと云ふ処にちとちがいがある。夫婦は目出度ことで、其夫婦と云ふ目出度あたたかなものへ別と云ふ太極のつめたいものを出す。夫婦と云ふはあたたかなものなれども、別と云ふつめたいものを出すて理に順ふなり。垩人の道は、つまり気に流れようとする処を気に流れず理に順ふようにすることぞ。其先祖は詩經に有物有則と云ふなり。朱子の、近年は物ばかりあって則りがないと戯れられたぞ。どこにもかしこにも夫婦はあれとも別がない。古今の天下の乱も世上の見苦しいことのあるのも別のないからのぞ。別を急度立るが小学の教なり。王吉は漢の宣帝の時諌議大夫を勤められた。其時申上けられたことぞ。上へ、云ふこともあらふに夫婦のことを云はるると云が垩人の道を略知た人なり。大概の人が天下を治ることを云ふて、夫婦のことなどは知れたことのよふに思ひ、或は上からをっかぶせて夫婦のことをば天下沙汰にせぬが多ひ。王吉の是を云ふが、王道の筋も少しは呑込んだ人にあらん。夫婦が五倫の内で一ち大切じゃと道理ばなしをしたそのあとで、夭壽之萌也と云ふが面白ひことぞ。
【解説】
神道は夫婦があるので異端ではない。しかし、聖学には「別」というものがある。夫婦という目出度く暖かなものに別という太極の冷たいものを出す。気に流れようとする処を別という冷たいものを出すので理に従うことになる。
【通釈】
さて神道のこと。これがまた仏法にも引けを取らない不思議なことがあるが、これには夫婦ということがあるのでよい。学者が仏法を呵った序に神道も呵りたがるが、神道は夫婦ということがあるので異端とは言えない。しかし、明夫婦之別と言う時、明倫の明の字のことだろうが、始めを正したがって、谷丹三郎や谷川淡斎などが色々と中華の字で註解を付けては見たが似合わない。仏者とは違い、夫婦の目出度い処は同じだが、明や別という処に少々違いがある。夫婦は目出度いことで、その夫婦という目出度く暖かなものに別という太極の冷たいものを出す。夫婦は暖かなものだが、別という冷たいものを出すので理に順うことになる。聖人の道は、つまりは気に流れようとする処を気に流れずに理に順う様にすること。その先祖は詩経の「有物有則」である。朱子が、近年は物ばかりがあって則がないと戯れられた。何処にもかしこにも夫婦はあるが別がない。古今の天下の乱も世上の見苦しいことのあるのも別がないから。別をしっかりと立てるのが小学の教えである。王吉は漢の宣帝の時に諌議大夫を勤められた。これはその時に申し上げられたこと。上に、言うこともあろうに夫婦のことを言われたのが聖人の道を略知った人である。大概の人が天下を治めることを言って、夫婦のことなどは知れたことの様に思い、或いは上からおっ被せて夫婦のことは天下沙汰にしないもの。王吉がこれを言ったのが、王道の筋も少しは飲み込んだ人だったからだろう。夫婦が五倫の内で一番大切だと道理話をしたその後に、「夭寿之萌也」と言うのが面白いこと。
【語釈】
・谷丹三郎…谷秦山。名は重遠。丹三郎と称す。土佐の人。享保3年(1718)6月30日没。年56。山崎闇斎門下。浅見絅斎にも学ぶ。
・谷川淡斉…谷川士清。字は公介。養順と称す。号は淡斎。伊勢津の人。安永5年(1776)10月10日没。年68。松岡仲良門下。
・有物有則…詩経大雅烝民。「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德」。

○夫婦人倫之大綱と道理をつかまへて、夭壽之萌也と五尺の體をつかまへて云ふ。ここのあんばいが理気妙合で、理からも云、気からも云ふ。江戸などて町人か子へ異見を云ふに、身持を大事にしろと云ふ親があれば、みたりに金銀をつこふなと云ふ親がある。身持を大事にしろと云は理の異見、みだりに金銀をつこふなと云は気の異見なれとも、どちも同じことぞ。身持がよければ胡乱に金銀はつかはぬ。金銀をつかわぬ人は身持もよい。朱子の小学を御編集なさるるに、ちょっ々々々と気のことを云はしゃるが御趣向ぞ。内篇を看よ。大温傷隂氣也と云ひ食不語寢不言と云も不徹薑食不多食と云ふ。医者のことを引て云はれて、理からも気からも手を入れて丁どになる。夭壽と云が親切なことぞ。書経にも昔人寿命が長く百年、其後は或は六七十年、今三十年などと云。霊樞などにも其筋が云てあるが、夫婦の間などに不慎あるで長生をせぬ。戦国の時分の人は長生。泰平の世に生れて身がだらけ、身持をゆるべるからして長壽がすくない。仁義礼智が大切ゆへからだを大切にする。からだが仁義礼智の入れ物なり。何程結搆な酒でも德利を打割となくなる。此の身體がな井と仁義礼智もなくなる。そこで垩賢の世には三十になって昏礼するとあるに、世俗嫁娶太蚤なり。昏礼と云は別のことではない。子孫をつぐと云が本。それにまだ親になるべき道も知らず昏礼をするゆへ、何にやらをどけのよふなことなり。頓と垩人の道にははづれたことぞ。
【解説】
「夭壽之萌也。世俗嫁娶太蚤」の説明。「夫婦人倫之大綱」は理で言い、「夭寿之萌也」は気で言う。これが理気妙合であり、理からも気からも手を入れるので丁度になる。体は仁義礼智の入れ物なので、体を大切にする。
【通釈】
「夫婦人倫之大綱」と道理を掴まえて言い、「夭寿之萌也」と五尺の体を掴まえて言う。ここの塩梅が理気妙合で、理からも言い、気からも言う。江戸などで町人が子へ異見を言うのに、身持を大事にしろと言う親があれば、妄りに金銀を使うなと言う親がいる。身持を大事にしろと言うのは理の異見、妄りに金銀を使うなと言うのは気の異見だが、どちらも同じこと。身持がよければ滅多に金銀は使わない。金銀を使わない人は身持もよい。朱子が小学を御編集なされる時に、ちょっとちょっとと気のことを言われるのが御趣向である。内篇を看なさい。「大温傷陰気也」と言い、「食不語寝不言」と言い、「不徹薑食不多食」と言い、医者のことを引いて言われて、理からも気からも手を入れて丁度になる。夭寿と言うのが親切なこと。書経にも昔の人は寿命が長くて百年、その後は或いは六七十年、今は三十年などと言う。霊枢などにもその筋があるが、夫婦の間などに不慎があるので長生をしない。戦国の時分の人は長生だが、泰平の世に生まれて身がだらけ、身持を緩めるから長寿が少ない。仁義礼智が大切なので体を大切にする。体は仁義礼智の入れ物である。どれほど結構な酒でも徳利を打ち割るとなくなる。この体がないと仁義礼智もなくなる。そこで聖賢の世には三十になって昏礼するとあるが、「世俗嫁娶太蚤」である。昏礼は特別なことではない。子孫を継ぐというのが本。それなのに、まだ親になるべき道も知らずに昏礼をするので、何やら戯けの様である。これが全く聖人の道に外れたこと。
【語釈】
・大温傷隂氣也…小学内篇立教2。「衣不帛襦袴。不用帛爲襦袴。太温傷陰氣也」。
・食不語寢不言…小学内篇敬身22。「孔子食不語、寢不言」。
・不徹薑食不多食…小学内篇敬身43。「不撤薑食。薑、通神明去穢惡。故不徹。不多食。適可而止。無貪心也」。
書経にも…書経無逸を指す?
・霊樞…黄帝内経霊枢。

○有子と云は珍重なことなれども、教をすることも知らぬ親ぞ。垩人の御製作と云ものはちがふたもので、三十で昏礼をすると云へば、親になってもうっかりとはせぬ。親なればただはをかぬ。擇於諸母与阿者也。小兒の内は親がしこむこと。十歳からでのふては師は受取らぬ。今世のは年若で子をもつゆへ、親と子か先手後手なことをしてをるゆへ、ろくたまな子の出来よふ筈はない。よく思て見れは自家の子を自家の子ではないと思ふがよい。天地始めていちど人が生れると、それからつついたものゆへ天地の子なり。然れは自己子と云も重ひことで天地の御用なり。天地へ年貢をはかるやふなもの。子に教をせず埒もないことをさせるは、しいな米を年貢にはかるようなものなり。天地は形ないゆへ、それでだまってをるが、地頭は其分ではすまぬ。吾子で教へず天地にはづれては决てならぬことぞ。若ひ内はからだのきまりかわるいゆへ、そこで夭をもする。武王の放代をさしったが八十ばかりの年。成王などは其比に生れたにて古人の氣体を知るべし。
【解説】
「未知爲人父母之道而有子」の説明。小児は親が仕込むものだが、年若で道理を知らなければまともに子を教えることはできない。子は天地の子であり、天地からの預かり物だから、しっかりと仕込まなければならない。また、若い内は体の決まりが悪いので、夭死もある。
【通釈】
「有子」は珍重なことだが、教えをすることも知らない親である。聖人の御製作は違ったもので、三十で昏礼をすると言えば、親になってもうっかりとはしない。親であればただでは置かない。「択於諸母与可者也」で、小児の内は親が仕込む。十歳からでなければ師は受け取らない。今世のは年若で子を持ち、親と子が先手後手なことをしているので、まともな子ができる筈がない。よく思って見れば自分の子を自分の子ではないと思うのがよい。天地が始まって一度人が生まれ、それから続いたものなので天地の子である。それなら自分の子も重いものであって、天地の御用である。それは天地への年貢を量る様なもの。子に教えをせずに埒もないことをさせるのは、粃米を年貢に出す様なもの。天地は形がないので、それで黙っているが、地頭はそれでは済まない。我が子に教えず天地に外れては決してならない。若い内は体の決まりが悪いので、そこで夭死をもする。武王が放伐をされたのが八十ばかりの年で、成王などはその頃に生まれたことからも古人の気体を知りなさい。
【語釈】
・擇於諸母与阿者也…小学内篇立教2。「内則曰、凡生子、擇於諸母與可者、必求其寛裕・慈惠・温良・恭敬、愼而寡言者、使爲子師」。
・しいな米…殻ばかりで実のない籾。

さて元氣も満る時でなけれは丈夫にならぬ。若ひ内は鬼ともくむと思ふが、垩人か二十を弱と云はれた。弱はよはいと云字なり。三十を壮と云ふて、ここで始めて固まる。三十にならぬ内は固にならぬ。俗に二十五の明月までそだつと云ふ。そのやふに長ものびるほどなことゆへ形體のよは井にはきまりた。若年はたひ々々食傷をするも脾胃のかたまらぬゆへなり。年長けてはあまりないものぞ。壮と云年にならぬ内は丈夫にない。そこでまたゆきつめたと思ふ、もふよはるものにて、養生はいこう大切なり。さてここの意が上天子の御身はもとより天下万民迠皆ここらがくらいゆへ教化不明而民多夭なり。教化不明は上の人倫大綱へかけ、民多夭は上の夭壽之萌也へかけて結んだもの。いかさま二十歳計の者はなま壁をみるよふなもの。乾けば丈夫になるが生壁はあたると疵がつく。偖て先刻から段々云とをり、夫婦と云ふが目出度の大本になる。此章などひく井やうな、中はたかひこと。旧臘會をさめの講釈甚たみぢかいよふでありたが、夫婦の別が正月の會始めに當んとしたは道のもとだてゆへ、ここに始をなさんため。今日一段の竒快なり。諸賢も亦戒て省るべし。
【解説】
「是以敎化不明而民多夭」の説明。三十を壮と言い、人は三十で固まり、それからまた弱って来るので養生が大切である。二十歳ではまだ弱いから、子を持つには早過ぎる。
【通釈】
さて元気も満ちる時でなければ丈夫にはならない。若い内は鬼とも組むとも思うが、聖人は二十を弱と言われた。弱は弱いという字である。三十を壮と言い、ここで始めて固まる。三十にならない内は固まらない。俗に二十五の明月まで育つと言う。その様に長けも伸びるほどのことなので、形体が弱い筈である。若年が度々食傷をするのも脾胃が固まらないからである。それは年長けてはあまりないもの。壮という年にならない内は丈夫でない。そこでまた行き詰めたと思うと、もう弱るもので、養生は大層大切である。さてここの意が上天子の御身は固より天下万民までが皆ここらが暗いので「教化不明而民多夭」である。教化不明は上の人倫大綱へ掛け、民多夭は上の夭寿之萌也へ掛けて結んだもの。いかにも二十歳ばかりの者は生壁を見る様なもの。乾けば丈夫になるが生壁は当たると疵が付く。さて先刻から段々と言う通り、夫婦というものが目出度いことの大本になる。この章などは低い様だが、中は高いこと。旧臘会の納めの講釈は甚だ短い様だったが、夫婦の別を正月の会の始めに当てようとしたのは道の本立てだからで、ここを始めとするため。これが今日一段の奇快である。諸賢もまた戒めて省みなさい。
【語釈】
・鬼ともくむ…強そうに見えるさま。
・垩人か二十を弱と云はれた…礼記曲礼上。「人生十年曰幼、學。二十曰弱、冠。三十曰壯、有室。四十曰強、而仕。五十曰艾、服官政。六十曰耆、指使。七十曰老、而傳。八十九十曰耄。七年曰悼。悼與耄、雖有罪、不加刑焉。百年曰期頤。大夫七十而致事」。
・旧臘…去年の十二月。客臘。


嘉言40
○文中子曰、婚娶而論財夷虜之道也。君子不入其郷。古者男女之俗各擇德焉。不以財爲禮。
【読み】
○文中子曰く、婚娶して財を論ずるは夷虜の道なり。君子は其の郷に入らず。古は男女の俗各々德を擇ぶ。財を以て禮と爲さず。

○文中子曰云々。ここがかの持参金のことなり。是が都にも田舎にもあることで、此傳来も久しいことぞ。隨の文仲子か頃からあって、朱子も家礼に温公の語を引て此叓を云てをかれた。学問などをするものは此様なことはあるまいことぞ。是を義の非義と云はず、えびすの道じゃと云か人の胷に的中すること。文仲子のすこしあたりありて云たかもしれぬが、垩人の道を外れたことを夷狄と云ふ。こふ云はれては胸に的中して迷惑なことなり。昏礼をするに、女房の方から金をもってくるなどと云ふことはげひたことに思ふて、道を通るにも其様な邑にはかからぬよふにすると、文仲子がにく々々と云はれた。あの邑にはかかるまい。正月しまいにけがらわしいと云なり。人間には廉耻と云がある。夷狄は廉耻がない。これを云が示以廉耻なり。
【解説】
文中子が、昏礼で持参金のことを言うのは夷虜の道だと言った。人間には廉恥があるが、夷狄には廉恥がない。
【通釈】
「文中子曰云々」。ここが持参金のこと。これが都にも田舎にもあることで、この伝来も久しいこと。隋の文仲子の頃からあって、朱子も家礼に温公の語を引いてこのことを言って置かれた。学問などをする者は、この様なことがあってはならないこと。これを義や非義とは言わず、夷虜の道だと言ったのが人の胸に的中すること。文仲子は少し当たりがあって言ったのかも知れないが、聖人の道を外れたことを夷狄と言う。この様に言われると胸に的中して迷惑なことである。昏礼をするのに、女房の方から金を持って来るなどということは下卑たことに思い、道を通るにもその様な邑には掛からない様にすると、文仲子が憎々しく言われた。あの邑には掛からない様にしよう。正月仕舞いに汚らわしいと言った。人間には廉恥があるが、夷狄には廉恥がない。これを言ったのが「示以廉恥」のこと。
【語釈】
・文中子…隋の王通の敬称。字は仲淹。
・正月しまい…正月仕舞い。正月の支度。新年を迎える用意。
・示以廉耻…小学内篇立教2集註にもある。

昏礼と云ふことは事もきようさんなことで、媒氏と云官があって、誰れは誰れよりやると、丁どのかけひきをいれる。財などと云ことは决してなひことぞ。礼式ばかりのことでない。心法を嚴にするがよい。此様なことは武士などはだたいきらいな筈。又学者は励むものなり。されとも厲と云ともほころびがきれるものぞ。なぜなれば、身上を大叓にする処からして中々今茲など昏礼どころではないと云へば、いや振舞ほどな物入はどうともなろふと云。此れか綻ひなり。飯を炊く女房がよいと三宅先生云へり。又役人以上録を持てをるものが、同格の家の女房でのふてはならぬと云もわるい。兎角手がるくさへすれは財は入らぬ。足輕のやふなものが女房を呼ぶと直に来た日から飯を炊が、それても女房を呼ふと云ふ本意にかけはなし。
【解説】
昏礼は仰山なことだが、財を量ることはない。昏礼は手軽くすれば財は要らず、それでも昏礼の本意に欠けはない。
【通釈】
昏礼ということは事も仰山なことで、媒氏という官があって、誰は誰より遣ると、丁度の掛け引きを入れる。財などということは決してないこと。礼式ばかりのことではない。心法を厳にするのがよい。この様なことは、武士などはそもそも嫌いな筈。また学者は励むもの。しかし、励むと言っても綻びが切れるもの。それは何故かと言うと、身上を大事にする処からして中々今年などは昏礼どころではないと言うと、いや振舞う程度の物入りはどうともなるだろうと言う。これが綻びである。飯を炊く女房がよいと三宅先生が言った。また役人以上の禄を持っている者が、同格の家の女房でなければならないと言うのも悪い。とかく手軽くさえすれば財は要らない。足軽の様な者が女房を呼ぶと直ぐに来た日から飯を炊くが、それでも女房を呼ぶという本意に欠けはない。
【語釈】
・今茲…今年。


嘉言41
○早婚少聘、敎人以偸。妾媵無數、敎人以亂。且貴賤有等。一夫一婦庶人之職也。
【読み】
○早く婚し少くして聘するは、人を敎うるに偸[うす]きを以てす。妾媵[しょうよう]數無きは、人を敎うるに亂を以てす。且つ貴賤等有り。一夫一婦は庶人の職なり。

○早婚少聘云々。婚は男の方で云ひ、聘は女の方で云なり。年不相応にはやく昏礼をするは笑いことぞ。人情愛すればいそぐ。小児のせいのびるを悦び、柱に疵を付て毎日々々せいがのびたかとみる親の心ゆへいそぐはづなれとも、井かにしてもうす々々しいことぞ。親たる者は教をする筈。それにこのやふなことをするのは教人以偸也。さて乱と云ことは輕い者はないことではあるが、でも家督爭と云ことあり。國が大きけれは大ひほと兄弟中で爭ひ起る。さて人間は子孫を相續することが重ひと云ても分限を考へること。学者全体の道理に融通がないとさしつかへる。子がないと妾をかかへると云が、滅陀に妾を抱へやうことでもない。子孫のたへるたへぬを大切にするは上下のへだてもないが、と云て、肩へ棒ををふ者が裏店に居て、子かないから妾をとることではない。そこで一夫一婦庻人之職也と云。
【解説】
人間は子孫を残すことが重いことだが、妾を取るにも分限がある。庶人は本来、一夫一婦である。
【通釈】
「早婚少聘云々」。「婚」は男の方で言い、「聘」は女の方で言う。年不相応に早く昏礼をするのは可笑しいこと。人情を愛すれば急ぐ。小児の背が伸びるのを悦び、柱に疵を付けて毎日背が伸びたかと見るのが親の心なので急ぐ筈だが、それはどうでも偸々しいこと。親たる者は教えをする筈。それなのに、この様なことをするのは「教人以偸」である。さて「乱」は軽い者にはないことだが、家督争いということがある。国が大きければ大きいほど兄弟の間で争いが起きる。さて人間は子孫を相続することが重いとは言え、分限を考えなければならない。学者は全体の道理に融通がないと差し支える。子がないと妾を抱えると言うが、滅多に妾を抱えることでもない。子孫が絶えないことを大切にするのに上下の隔てはないが、そうは言っても、肩に棒を負う者が裏店にいて、子がないから妾を取るのは悪い。そこで「一夫一婦庶人之職也」と言う。

然れとも又大身が、をれは百姓ゆへ妾は抱へられぬと云も了簡違ひなり。是等もいこう心得のあろふことぞ。其分にしてをかふことではない。妾も抱へることのならぬものの子のないは、是天命なり。人分をつくされるほどつくすがよい。三宅先生があの貧究で、子のないことをいこうなげかれた。晩年一平が死で其後迂斉などへ、ああ先年妾を買ふ塲であろうものをと度々云はれたとなり。利害から推すことは垩賢君子の上にはかつふつない。さてむつかしい小斈の講釈と云はんか。今日斈者此様なこと迠云あけることがならぬ。そこでどこ迠も云は子はならぬ。そうなければ小斈の詳解や句讀をよむも同しことになるて教にならぬ。
【解説】
百姓でも大身であれば妾を抱えることもあるだろう。しかし、妾を抱えることのできない者に子がないのは、それは天命である。
【通釈】
しかしながら、また大身が、俺は百姓なので妾は抱えられないと言うのも了簡違いである。これらも大層心得のあることだろう。そのままにして置くべきことではない。妾も抱えることのならない者に子がないのは、それは天命である。人分を尽くせるほど尽くすのがよい。三宅先生があの貧窮で、子のないことを大層歎かれた。晩年に一平が死んで、その後迂斎などに、ああ先年が妾を買う場だったと度々言われたそうである。利害から推すことは聖賢君子の上には決してない。さてこれが難しい小学の講釈である。今日の学者はこの様なことまで言い解くことができない。そこで何処までも言わなければならない。そうでなければ小学の詳解や句読を読むのも同じことで、教えにならない。
【語釈】
・一平…三宅重德。字は長民。一平と称す。三宅尚斎の子。享保17年(1732)3月21日没。年31。


嘉言42
○司馬温公曰、凡議婚姻、當先察其壻與婦之性行及家法何如。勿苟慕其富貴。壻苟賢矣、今雖貧賤、安知異時不富貴乎。苟爲不肖、今雖富貴、安知異時不貧賤乎。婦者家之所由盛衰也。苟慕一時之富貴而娶之、彼挾其富貴、鮮有不輕其夫、而傲其舅姑。養成驕妬之性、異日爲患庸有極乎。借使因婦財以致富、依婦勢以取貴、苟有丈夫之志氣者能無愧乎。
【読み】
○司馬温公曰く、凡そ婚姻を議せば、當に先ず其の壻と婦との性行及び家法何如を察すべし。苟も其の富貴を慕うこと勿かれ。壻苟[まこと]に賢ならば、今貧賤と雖も、安んぞ異時富貴ならざるを知らんや。苟に不肖爲らば、今富貴と雖も、安んぞ異時貧賤ならざるを知らんや。婦は家の由て盛衰する所なり。苟も一時の富貴を慕いて之を娶らば、彼其の富貴を挾み、其の夫を輕んじて、其の舅姑に傲らざること有るや鮮し。驕妬の性を養い成し、異日患を爲すこと庸[なん]ぞ極り有らんや。借使[たとい]婦の財に因りて以て富を致し、婦の勢に依りて以て貴を取るとも、苟も丈夫の志氣有る者は能く愧ずること無からんや。

○司馬温公曰云々。温公の家範を作て教らるるとき、家法の条目に察と云一字を出された。○察と云は目を子むりて考へること。この一ち考へると云が大事なこと。古今昏礼の世話などをしたがる人があるものぞ。今日参りたは別のことでもない、御娘子と云。そうすると、それにはやけがつく。盃がてる。一言二言できまる。はやもうできましたと云中に察の字の沙汰はない。さて々々大切なことに無念をする。いそぐまじきことをいそぐなり。婿と婦とはつんとあんばいの大事なことなり。一生つれそふものゆへ、一年ぎりの奉公人ををくよふにしよふはづはない。よく察せ子ばならぬ。家法と云も大切なことぞ。家法がよいと、少々亭主が一杯飲んでも家が治まる。家内で身上大事にしても、そでない家風と云がある。わるいことがある。わるいことを見なれ聞なれてをるゆへようない。とかく昏礼などの吟味か、却て呉服屋へ行てとんすや縮緬をすかして見るほどに吟味がない。
【解説】
「司馬温公曰、凡議婚姻、當先察其壻與婦之性行及家法何如。勿苟慕其富貴」の説明。婿や婦は一生連れ添うものなので吟味が要る。察しなければならない。
【通釈】
「司馬温公曰云々」。温公が家範を作って教えられた時、家法の条目に察という一字を出された。察は目を瞑って考えること。この一つ考えるというのが大事なこと。古今昏礼の世話などをしたがる人がいるもの。今日参ったの他でもない、御娘子のことだと言う。そうすると、それに早気が付く。盃が出る。一言二言で決まる。早もうできたと言う内に察の字の沙汰はない。実に大切なことに無念をする。急ぐべきではないことを急ぐ。婿と婦とには大事な塩梅が要る。これは一生連れ添うものなので、一年限りの奉公人を置く様にする筈はない。よく察しなければならない。家法というのも大切なこと。家法がよいと、少々亭主が一杯飲んでも家が治まる。家内で身上を大事にしても、よくない家風というものがある。悪いことがある。悪いことを見慣れ聞き慣れているのでよくない。とかく昏礼などの吟味が、却って呉服屋へ行って緞子や縮緬を透かして見るほどにはない。

○婿苟賢矣云々。これは天下への教へ。此を斈者が聞て膝をなをすもあんまりなことなり。賢者と云婿なれば身代はよくすると云こと。是のよふなことを聞て末頼母敷思ふてうれしがる学者にろくなはない。文謂、俗学者の云ふことはこふのふても、大抵このやふなることを聚黨の間に語てをるなり。鄙陋の至り、挙て云へからず。みなこれはづかしき心ぞ。假令ひ口ちに云はずとも、心術はこのようなことを好む。学問の根をしらぬゆへなり。孟子の時、謂其不利語りければ有仁義而已と云へり。利害より外知らぬ者の云ふこと。貝原氏、財如臟とあるをよみて、反我してこれに近よらんことを恐る。五百石一粒かけてものるい、笑止なり。これは俗人を喩すことぞ。先達の話に、或る禅坊主云、人は欲に目鼻のつけたもの、と。左様な人々ゆへ温公の如此示は親切なことぞ。
【解説】
「壻苟賢矣、今雖貧賤、安知異時不富貴乎。苟爲不肖、今雖富貴、安知異時不貧賤乎」の説明。婿が賢者であれば身代がよくなると聞いて嬉しがるのは碌でもないこと。或る禅坊主が人は欲に目鼻の付けたものだと言った。
【通釈】
「婿苟賢矣云々」。これは天下への教え。学者がこれを聞いて膝を直す様ではあまりなこと。賢者という婿であれば身代をよくするということ。この様なことを聞いて、末を頼もしく思って嬉しがる学者に碌な者はいない。文二が言った。俗学者の言うことはこの様ではない様だが、大抵はこの様なことを衆党の間で語っているもの。卑陋の至りであり、挙げて言うことではない。皆これが恥ずかしい心である。たとえ口に出して言わなくても、心術はこの様なことを好む。それは学問の根を知らないからである。不利を語ると、孟子は「有仁義而已」と言った。これが利害より外は知らない者の言うこと。貝原氏が、「財如臟」とあるのを読んで、顧みてこれに近寄ることを恐れた。五百石一粒欠けてもの類で、笑止なこと。これは俗人を喩すもの。先達の話に、或る禅坊主が人は欲に目鼻を付けたものだと言ったとある。その様な人々なので温公がこの様に示したのは親切なこと。
【語釈】
・謂其不利…孟子告子章句下4。「宋牼將之楚、孟子遇於石丘。…軻也請無問其詳、願聞其指。説之將何如。曰、我將言其不利也」。
・有仁義而已…告子章句下4に対する答えだが、「有仁義而已」は孟子梁恵王章句上1にある。「孟子見梁惠王。王曰、叟、不遠千里而來、亦將有以利吾國乎。孟子對曰、王何必曰利。亦有仁義而已矣」。
・貝原…田原氏所蔵本では「日原」となっているが、貝原だろう。
財如臟…

○婦者家之云々。これからは大切にきこふことぞ。牝鷄あしたする、哲婦は傾国と云ふこともありて、累代功のあってつついた家も、わきからひょいと女のきたでつぶれることもあり、つつしむべきことぞ。学問をしても警戒をせぬと、する々々とこれからわるくなる。何に学者なとが此位なことがのふてなるものと云ても、ひょっと女房が気に入ったと云処から馬鹿にもなるものなり。我好悪て家の盛衰にもなる。是程つつしむべきことはない。女房をよい処からよぶと万端のことに兎角たかぶる。
【解説】
「婦者家之所由盛衰也。苟慕一時之富貴而娶之、彼挾其富貴、鮮有不輕其夫、而傲其舅姑」の説明。女で家が潰れることがある。警戒しなければならない。よいところから女房を呼ぶと、とかく高ぶるもの。
【通釈】
「婦者家之云々」。これからを大切に聞きなさい。「牝雞之晨」、「哲婦傾城」ということもあり、累代功があって続いた家も、脇からひょいと女が来て潰れることもあり、慎むべきこと。学問をしても警戒をしないと、ずるずるとこれから悪くなる。何、学者なとがこの位のことがなくてなるものかと言っても、ひょっと女房が気に入ったという処から馬鹿にもなるもの。自分の好悪で家の盛衰にもなる。これほど慎むべきことはない。女房をよい処から呼ぶと、万端のことでとかく高ぶる。
【語釈】
・牝鷄あしたする…書経牧誓。「王曰、古人有言曰、牝雞無晨。牝雞之晨、惟家之索」。
・哲婦は傾国…詩経大雅瞻卬。「哲夫成城、哲婦傾城」。

○驕妬と云ふが女のやまい。召使の下女にてもつとめのよい奉公人じゃと亭主がほめると、女房はあじに忌む。はやもふをかれぬと云ふ。是が最初冨貴を慕ふと云ふ処からなり。女房にたかぶりつく。女と云ものは、勢があるとそれから限りもないことになる。妲妃妹妃かぎりもない乱をするぞ。女房の御影で冨貴になったことを、凡夫は廉耻の心がないからまんまとしををせたと思ふが、男たる者か女房のをかげでよくなったなどと云ことは御坐へ出しては云はれぬことなり。是も温公のをっはだぬきになって云はれたことと見るがよい。浪人儒者などの畑のわきで云ふこと、どこへも知れぬことゆへ云ひよい。温公は歴々ゆへいこう方々へあたりさわりのあることぞ。温公か賢者ゆへ頓とそれにはかまわず云はれたなり。
【解説】
「養成驕妬之性、異日爲患庸有極乎。借使因婦財以致富、依婦勢以取貴、苟有丈夫之志氣者能無愧乎」の説明。「驕妬」が女の病である。女房の御蔭で身代がよくなるなどと言うのは恥ずべきことである。
【通釈】
「驕妬」が女の病である。召使いの下女を勤めのよい奉公人だと亭主が誉めると、女房は悪く思って忌む。早くももう置いてはおけないと言う。これが最初に富貴を慕うという処からのこと。女房に高ぶりが付く。女というものは、勢いがあるとそれから限りもないことになる。妲妃や妹喜が限りもない乱をする。女房の御蔭で富貴になったことを、凡夫は廉恥の心がないからまんまとし遂げたと思うが、男たる者が女房の御蔭でよくなったなどとは御座へ出しては言えないこと。これも温公のもろ肌脱いで言われたことだと見なさい。浪人儒者などが畑の脇で言うことは何処へも知れないことなので言いよいが、温公は歴々なので大層方々に当たり障りがある。温公は賢者なのでそれには全く構わずに言われたのである。
【語釈】
・妲妃…殷の紂王が有蘇氏を討って得た寵妃。
・妹妃…妹喜。桀王の妃。有施氏の娘。


嘉言43
○安定胡先生曰、嫁女必須勝吾家者。勝吾家、則女之事人、必欽必戒。娶婦必須不若吾家者。不若吾家、則婦之事舅姑必執婦道。
【読み】
○安定胡先生曰く、女を嫁するには必ず須く吾が家に勝る者なるべし。吾家に勝れば、則ち女の人に事うる、必ず欽[つつし]み必ず戒む。婦を娶るには必ず須く吾が家に若かざる者なるべし。吾が家に若かざれば、則ち婦の舅姑に事うるに必ず婦の道を執る。

○安定胡先生曰云々。さてもよく云ひととけた語ぞ。偖て、此語も麻上下を着て聞くほどな語ではないと思ふがよい。とかく今日の人の理屈を云は此様にゆき届かぬ。なせ行届ぬなれば、時のひょうして云ふことゆへ、あとさきがない。そこでゆき届ぬなり。云よふがよいゆへ丁どの処へ行届く。古人の利口と今人の利口は違ふ。なぜちがへば、彼の直方先生の所謂利口に猿がつく。そこで今人も理窟を手短には云へとも、大叓のつぼをはづす。それゆへあとのことがゆかぬ。安定胡先生が、をれが大事のことを教てやろふ、娘をかたづけるにかたづけよふがあるとなり。○嫁女必云々。さて今日の人も聞て耳よりなことそ。今日の人は以後無心でも云ためにれき々々へやりたがるが、それはちとあてかちごう。よい処へ行くと、娘の心にも舅姑を主のよふに思ふ。主のやふに思へば必欽必戒なり。をれはなんたる日の下で生れた仕合者ぞやと云心持ゆへつつしむ。
【解説】
「安定胡先生曰、嫁女必須勝吾家者。勝吾家、則女之事人、必欽必戒」の説明。安定先生の語は行き届いたもの。今の人は理屈を言っても、時の拍子で言うので後先がない。そこで行き届かない。今日の人は無心でも言うために歴々へ遣りたがるが、それは違う。よい処へ嫁がせると先方を主の様に思って慎むのでよいのである。
【通釈】
「安定胡先生曰云々」。さてもよく言い遂げた語である。さて、この語も麻裃を着て聞くほどの語ではないと思いなさい。とかく今日の人が理屈を言ってもこの様には行き届かない。何故行き届かないのかと言うと、時の拍子で言うので、後先がない。そこで行き届かないのである。これは言い様がよいので丁度の処へ行き届く。古人の利口と今人の利口とは違う。何故違うかと言うと、あの直方先生の謂う所の利口に猿が付くからである。そこで今人も理屈を手短には言うが、大事な壷を外す。そこで後のことがうまく行かない。安定胡先生が、俺が大事なことを教えて遣ろう、娘を片付けるには片付け様があると言った。「嫁女必云々」。さて、これが今日の人が聞いても耳よりなこと。今日の人は以後に無心でも言うために歴々へ遣りたがるが、それは一寸当てが違う。よい処へ行くと、娘の心も舅姑を主の様に思う。主の様に思えば「必欽必戒」である。俺は何たる日の下で生まれた幸せ者だろうという心持なので慎む。
【語釈】
・安定胡先生…胡瑗。字は翼之。993~1059

○娶婦云々。婦を取るならば貧究な所から取るがよい。是は風上に置くもいやがるが、こちの世話になりそふなをとると、やっはり上の嫁女意と同じことになる。凡夫は勝手づくで筭用合ぬ娘もれき々々へやり、婦もれき々々から取りたい。安定のとは筭用がちがふ。毎々周公のことを筭盤ききと云がこのよふな処ぞ。五畝之宅樹之以桑、骨を折らず金もいらずに老人が甘ひ物を食ひ、絹を着ることがなる。安定胡先生の云はれたよふなことでなければ家内順熟はない。随分合点しよきことなれとも、冨貴を慕ふゆへならぬ。又其上に家抦を云ふことが下々迠あるが、何に家抦か入るものぞ。家抦なとと云ふことは御摂家がなどのことなり。軽ひ者とても家抦と云ふこともあるまいことでもまたないが、それが取にたらぬことぞ。皆家を持つ邪魔になる。文謂、今日農人に至るまて此のあるは本を失ふた故なり。農人は名字書くすらならぬこと。昔の百姓は髪を藁て結、蔽衣を着て羽織と云ものなし。予祖父之頃まて如此なることとなり。百姓に甲乙はなきはつなれとも、後世豪家と云ものも出来、同し百姓なれとも貧家は土芥の如く思ふて、其體百姓風情にあらず。皆動止武家に習ふてすることぞ。上々よりも其咎めなく、却ゆるしをかるる。後世のてい、武家儉約にて百姓町人のよふになり、却て百姓町人武家の様をする。にくむべきことなり。これらよりして昏礼なども此様なことに及ぶことになり、且つ家内も不睦なり。是等も其実は百姓町人の奢。省すべきことなり。
【解説】
「娶婦必須不若吾家者。不若吾家、則婦之事舅姑必執婦道」の説明。貧窮な所から婦を娶るのがよいのだが、富貴を慕うのでこれができないもの。また、家柄などは家を持つ邪魔になる。今の人は本を失っている。武家は倹約をして百姓町人の様になり、百姓や町人は武家の様なことをしている。それは百姓町人の奢りからのこと。
【通釈】
「娶婦云々」。婦を娶るのであれば貧窮な所から娶るのがよい。これは風上に置くのも嫌がるが、こちらの世話になりそうな者を娶ると、やはり上の「嫁女」の意と同じことになる。凡夫は勝手尽くで算用に合わない娘でも歴々へ遣り、婦も歴々から取りたいと思う。それは安定とは算用が違う。毎々周公のことを算盤利きと言うのがこの様な処。「五畝之宅樹之以桑」で、骨を折らず金も要らずに老人が甘い物を食い、絹を着ることができる。安定胡先生の言われた様なことでなければ家内が順熟にはならない。随分合点し易いことだが、富貴を慕うのでこれができない。また、その上に家柄を言うことが下々にまでもあるが、どうして家柄が要るものか。家柄などということは御摂家などのこと。軽い者にも家柄ということがないというわけでもないが、それは取るに足りないこと。皆家を持つ邪魔になる。文二が言った。今日農人に至るまでこの様なことがあるのは本を失ったからである。農人は名字を書くことすらできない。昔の百姓は髪を藁で結い、蔽衣を着て、羽織というもはなかった。私の祖父の頃まではこの様なことだった。百姓に甲乙はない筈だが、後世は豪家というものもできて、同じ百姓でも貧家を土芥の様に思う。その体は百姓風情ではない。皆動止は武家に習ってする。これが上の咎めもなく、却って許して置かれる。後世の体は、武家は倹約をして百姓町人の様になり、却って百姓町人が武家の様なことをする。それは憎むべきこと。これらよりして昏礼などもこの様なことに及び、且つ家内も不睦である。これらもその実は百姓町人の奢からのことで、省すべきことだ、と。
【語釈】
・五畝之宅樹之以桑…孟子梁恵王章句上3、梁恵王章句上7、尽心章句上22の語。
・文…林潜斎。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。稲葉黙斎門下。
・動止…たちいふるまい。挙止。挙動。


嘉言44
○或問孀婦於理似不可取、如何。伊川先生曰、然。凡取以配身也。若取失節者以配身、是己失節也。又問或有孤孀貧窮無託者、可再嫁否。曰、只是後世怕寒餓死故有是説。然餓死事極小、失節事極大。
【読み】
○或ひと孀婦は理に於て取る可からざるに似る、如何と問う。伊川先生曰く、然り。凡そ取るは以て身に配するなり。節を失う者を取りて以て身に配するが若きは、是れ己の節を失うなり、と。又、或は孤孀貧窮して託する無き者有らば、再び嫁する可きか否かと問う。曰く、只是れ後世寒餓死を怕る故に是の説有り。然るに餓死は事極めて小、節を失うは事極めて大なり、と。

○或問孀婦云々。孀の字、女へんに霜と云字に書くは、浅見先生の、しもがれのさむしい意をふくんだことじゃと云へり。若ふてもよるところもないゆへ、霜もかれたていなり。夫が死て蕐も咲ぬはづ。春でもなく夏でもない。礼記に未亡人と云字がある。女は偕老同穴とて夫と一つ穴に葬り、百歳之後帰于其君と云ふこともあり、夫がのふては死だ同前なれとも、一日々々とまだ死なぬと云で未亡人と云ふなり。後世は垩賢の世を去ることが遠ひゆへ、左傳などに、親は一人、天下中が夫しゃと云ふ。あのよふなことがはやるゆへ、天下に夫一人と思ふ女はない。それからして後世孀婦のあきないが流行たが、或人もさすが程子へ御目にかかるほどの者ゆへ是はあるまいと云たれば、程子のさればよとなり。世間一統向の節を失ふたにかまわず、失節た婦を取る者の評判なり。
【解説】
「孀」は霜枯れで寂しい意を含んでいる。夫がいなくなった女は死んだも同然だが、まだ死なないので未亡人と言う。
【通釈】
「或問孀婦云々」。孀の字を女偏に霜という字に書くのは、浅見先生が、霜枯れの寂しい意を含んだことだと言った。若くても寄るところもないので霜枯れた体である。夫が死んでは花も咲かない筈。春でもなく夏でもない。礼記に未亡人という字がある。女は偕老同穴と言って夫と一つ穴に葬り、「百歳之後帰于其君」ということもあり、夫がいなくては死んだも同然だが、一日々々まだ死なないと言うので未亡人と言う。後世は聖賢の世を去ってから遠いので、左伝などに、親は一人、天下中が夫だと言う。あの様なことが流行るので、天下に夫一人と思う女がいない。それからして後世は孀婦の商いが流行ったが、或る人も流石に程子へ御目に掛かるほどの者なので、それはないことだろうと言うと、程子がそこでだと答えた。世間一統で言う節を失うことには構わず、節を失った婦を取る者の評判をした。
【語釈】
礼記に未亡人…左伝荘公にはあるが…
・偕老同穴…詩経国風王大車。「大車檻檻、毳衣如菼。豈不爾思、畏子不敢。大車啍啍、毳衣如璊。豈不爾思、畏子不奔。穀則異室、死則同穴。謂予不信、有如皦日」。
百歳之後帰于其君…百歳の後、其の君に帰す。
左傳などに、親は一人、天下中が夫しゃと云ふ…

○配と云ふも两方一身になること。女も昏礼をせぬ前は美濃帋と唐紙のよふにふん々々になってをるなり。処を美濃紙をもって行て裏うちをすれば一枚の紙になる。夫婦は體が二つで一つ。遠くの者でも女房にすれば一つなり。失節た者を取ればこちも失節なり。今盗賊の者を買へば公儀から咎めらるるよふなもの。又問も余義なひことぞ。何もならず食ふこともならぬゆへ、至極とわりを付たがる。此様なことを苦労にするは厚い親切な人がするもの。鳩巣多田再家の説を作りた。天地の間のこらず手をつかぬやふにせうとてこのやふな世話をやかるるが、程子などはそんなことにはとんとかまわぬ。木て鼻をこくりたよふなり。きるものがないとここへ死。食ひものがないと飢へ死ぬ。それをこはがるゆへなり。こはがりそふなこと。こんなことがこわいゆへ再嫁の説も出るであらふが、そのやふなことではない。成程餓死はめいはくなことなれとも、人間一度は死ぬものゆへ、づんとさわくことではない。夫婦は父子君臣の間にありてづんと重いことなれとも、失節と云なれば生きて居ても生きがいはない。
【解説】
夫婦は体が二つで一つ。節を失った者を取れば自分も節を失う。死ぬのは恐い。そこで再嫁の説も出て来るが、伊川などはそんなことには構わない。節を失っては生きる甲斐はない。
【通釈】
「配」は両方が一身になること。女も昏礼をする前は美濃紙と唐紙の様に別々になっている。そこを美濃紙を持って行って裏打ちをすれば一枚の紙になる。夫婦は体が二つで一つ。遠くの者でも女房にすれば一つである。節を失った者を取ればこちらも節を失う。今盗賊から買えば公儀から咎められる様なもの。また、この問いも余儀もないこと。何もならず食うこともできないので、至極なことだと理を付けたがる。この様なことを苦労にするのは篤い親切な人がするもの。鳩巣や多田が再嫁の説を作った。天地の間、残らず困らない様にしようとしてこの様な世話を焼かれるのだが、程子などはそんなことには全く構わず、木て鼻を括った様である。着る物がないとここで死ぬ。食物がないと飢えて死ぬ。それを恐がる。それは恐がりそうなこと。こんなことが恐いので再嫁の説も出るのだろうが、その様なことではない。なるほど餓死は迷惑なことだが、人間一度は死ぬものなので、騒ぐことでは全くない。夫婦は父子君臣の間にあってとても重いことだが、節を失うのであれば生きていても生き甲斐はない。
【語釈】
・多田…多田蒙斎?名は維則。一名は篤靜。儀八郎と称す。別号は東溪。秋田佐竹氏及び館林松平氏に仕える。京都の人。明和1年(1764)8月26日没。年63。三宅尚斎門下。

ここを伊川の甚だたましいから見ぬいたものなり。伊川の道統を得られたと云も、道理を見付たたましいがちがふ。眞儒と云もここの処。時に今学者が外見[をかめ]八目を云たがる。己か孀婦さへ娶ら子ば此章をも高声で云はれるが、万端に餓死は事極小が出るでなければほんのことではない。暮に三兩ちかふてさへ騒く。首陽山で死ぬことを伯夷は何とも思はぬ。あのやふな人の云のが本のこと。中々今の学者のなることではないが、此を宗旨にすることなり。とかく今やわらかなことがはやるゆへ、此様な処をぐにゃ々々々する。万端にこの出るやふにすることぞ。丸ひ垩人でさへ民無信不立の去食のと云はれた。人がひだるいと云ふと、やれ茶漬をくへと、手前のひだるい様にひびく圣人なれども、どうもならぬときは去食がよいとなり。
【解説】
「餓死事極小」が出る様でなければ本物ではない。丸い聖人だが、どうにもならない時には「去食」だと言った。
【通釈】
ここは伊川が魂から甚だ見抜いたもの。伊川が道統を得られたと言うのも、道理を見付けた魂が違うから。真儒と言うのもここの処。時に今学者が傍目八目を言いたがる。自分が孀婦さえ娶らなければこの章をも高声で言うことができるが、万端に「餓死事極小」が出るのでなければ本当のことではない。暮に三両違うだけで騒ぐ。首陽山で死ぬことを伯夷は何とも思わなかった。あの様な人の言うことが本当のことで、中々今の学者のできることではないが、これを宗旨にするのである。とかく今柔らかなことが流行るので、この様な処をぐにゃぐにゃにする。万端にこれが出る様にする。丸い聖人でさえ「民無信不立」や「去食」と言われた。人が空腹だと言うと、やれ茶漬を食えと言う。自分が空腹になった様に響く聖人なのだが、どうにもならない時は去食がよいと言った。
【語釈】
・民無信不立の去食の…顔淵7。「子貢問政。子曰、足食、足兵、民信之矣。子貢曰、必不得已而去、於斯三者何先。曰、去兵。子貢曰、必不得已而去、於斯二者何先。曰、去食。自古皆有死。民無信不立」。

信がなければ生きて居ても甲斐はない。道理を云ふときは、垩人でもこのよふなするどいことぞ。俗人へむくやふなよいことを云がさん々々わるい。大義を論ずるはやっこがよいぞ。我々が失節事極大と云ことは迂偽を云なれども迂偽がよい。けちなことを云は学者のことではないと見るがよ井。何でも明日死すとも道理にたかふことはせぬはづ。東金の親父長崎へ行たも死に行たのなり。そふなければ君臣之義でない。天下の儒者になりて講釈をするも道理とすりかへなり。死ぬ気でなければならぬことぞ。学者の仏にいぢめられるは死を恐るるゆへなり。他の下面有人自家上面無人なり。こんな処がさへぬと見所は出ず。
【解説】
学者は、明日死ぬとしても、道理に違うことはしないもの。死ぬ気でなければならない。仏に学者が虐められるのは死を恐れるからである。
【通釈】
信がなければ生きていても甲斐がない。道理を言う時は、聖人でもこの様に鋭い。俗人へ向く様なよいことを言うのが散々に悪い。大義を論ずるには奴がよい。我々が「失節事極大」と言うのは嘘を言うことになるが、嘘がよい。けちなことを言うのは学者の分ではないと見なさい。明日死ぬとしても、何でも道理に違うことはしない筈。東金の親父が長崎へ行ったのも死にに行ったのである。そうでなければ君臣之義ではない。天下の儒者となって講釈をするのも道理との摩り替えである。死ぬ気でなければならない。学者が仏に虐められるのは死を恐れるからである。「他下面有人、自家上面無人」である。こんな処が冴えないと見所が出ない。
【語釈】
・東金の親父…櫻木誾斎。名は千之。初め大木剛中、後に清十郎と称す。東金の人。長崎聖堂教授。文化1年(1804)5月1日没。年80。稲葉迂斎門下。
他の下面有人自家上面無人…他の下面に人有り、自家の上面に人無し。


嘉言45
○顔氏家訓曰、婦主中饋、唯事酒食衣服之禮耳。國、不可使預政。家、不可使幹蠱。如有聦明才智、識達古今、正當輔佐君子、勸其不足。必無牝雞晨鳴、以致禍也。
【読み】
○顔氏家訓に曰く、婦は中饋[ちゅうき]を主[つかさど]り、唯酒食衣服の禮を事とするのみ。國、政を預らしむ可からず。家、蠱[こと]を幹たらしむ可からず。聦明才智、識、古今に達すること有るが如きは、正に當に君子を輔佐し、其の不足を勸むべし。必ず牝雞晨に鳴きて、以て禍を致すこと無かれ。

○顔氏家訓曰云々。夫婦別に女の所作を出すが夫婦の別を明にすること。ただ貞女不見两夫と云ふても、所作がなければ平日かすまぬ。別が大本と云てもどうすることかわからぬ。そこで却てみだらになる。君臣之義に事を勤る上で云ふてあるもそこなり。ただ忠義々々と云すに奉公筋のことを出すと同しこと。事がないと精神ばかりで君臣の義にならぬ。夫婦の別も貞烈を云こともなく、まづ在中饋とつかまへ処で示す。何事も文字上にいかふ意味あること。今は同學の中に文字のある学者が一人も見へぬ。それゆへ書を読でも文字上分外の意思を見ることならぬ。朱子の編集の細があたり、それ々々にわけあることぞ。ここらもそれで、夫を大切と云ふても、女の役がなければ家内が治まらぬ。
【解説】
「顔氏家訓曰、婦主中饋」の説明。夫婦之別と言っても、所作がなければわからない。夫が大切だと言っても、女の役がなければ家内は治まらない。
【通釈】
「顔氏家訓曰云々」。夫婦の別に女の所作を出すのが夫婦の別を明らかにすることになる。ただ「貞女不更二夫」と言っても、所作がなければ平日が済まない。別が大本だと言ってもどうすることかわからない。そこで却って淫らになる。君臣之義を事を勤める上で言うのもそこ。ただ忠義とばかり言わずに奉公筋のことを出すのと同じである。事がないと魂ばかりで君臣の義にはならない。夫婦の別も貞烈を言うこともなく、先ずは「主中饋」という掴まえ処で示す。何事も文字の上に大層意味がある。今は同学の中に文字のわかる学者が一人も見えないので、書を読んでも文字上の分外の意思を見ることができない。朱子の編集の細か当たりのそれぞれにわけがある。ここらもそれで、夫が大切だと言っても、女の役がなければ家内が治まらない。
【語釈】
・貞女不見两夫…小学内篇明倫59。「王蠋曰、忠臣不事二君、列女不更二夫」。

女は内にをるべきことぞ。内に居て食物をこしらへるが役。假令大名の姫君であらふとも、これが役なり。料理をして舅姑に献ずると云が重ひことぞ。今武家にはこれがない。勢がなりにくいことなれとも、是が女の役と云ふことをしりてをればちこふなり。御酒の御かんのと云ふは百万石とらふともなること。今下々で身帯よい家の女房が世話をやくは、あれはまた損得からきたもの。ここらのことは損の得のと云ふことではない。それがをれが役じゃとかかるなり。垩賢が丁ど役をあてかわれた。政はとんときかぬことぞ。これは諸候大夫の上で云なり。政を聞せぬと云ふことではあれとも、またこちの了簡ものなり。婦人を用たで格別なのもある。武王乱民十人と云ふが有婦人なり。手傳をしたが一人あると云ふ。内々で人知らぬことはあらふが、格段なことはあるまい。女は仁義礼智が寸法がちいさく半减なり。でも天に並ぶ地と云があるゆへ坤を利牝馬之貞と云ふ。牝馬は女馬なり。女馬ゆへづんとやわらかなれとも、男馬ほどな働をする。
【解説】
「唯事酒食衣服之禮耳。國、不可使預政。家、不可使幹蠱」の説明。女は内にいて食物を拵えるのが役であり、諸侯大夫にあっては、女は政に与らせない。
【通釈】
女は内にいるべきもの。内にいて食物を拵えるのが役。たとえ大名の姫君であったとしても、これが役である。料理をして舅姑に献ずるというのが重いことだが、今の武家にはこれがない。勢いでなり難いことだが、これが女の役ということを知っていれば違って来る。御酒や御燗ということは百万石を取っていてもできること。今下々で身代のよい家の女房が世話を焼くのは、あれはまた損得から来たもの。ここらのことは損得ということではない。それが俺の役だと掛かるのである。聖賢が丁度の役を宛がわれた。政は全く聞かせない。これは諸侯大夫の上で言うこと。政を聞かせないということではあるが、それはまたこちらの了簡次第である。婦人を用いて格別になることもある。「武王乱民十人」と言うがその中に婦人がいた。手伝いをした女が一人いると言う。内々のことで人の知らないこともあっただろうが、それは格段なことではなかっただろう。女は仁義礼智の寸法が小さくて半減である。しかし、天に並ぶ地というものがあるので坤を「利牝馬之貞」とも言う。牝馬は女馬である。女馬なので至極柔らかだが、男馬ほどの働きをする。
【語釈】
・武王乱民十人…論語泰伯20。「舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人」。同集註。「十人、謂周公旦、召公奭、太公望、畢公、榮公、太顛、閎夭、散宜生、南宮适、其一人謂文母。劉侍讀以爲子無臣母之義、蓋邑姜也。九人治外、邑姜治内」。
・利牝馬之貞…易経坤卦。「坤、元亨。利牝馬之貞」。

○聦明才智識達古今云々。文母の孟母の伊川の母公のと云がこれなり。夫の為になる婦人なり。女は内と云ふが、とかく奥向のしをきをするより外はない。これがあぶない加减で、わるくするとしそこなふ。漢の呂后、唐の則天、本邦尼將軍、みなわるい女が出で晨を鳴とわるい。○當輔佐君子云々は、人しらぬこと。丁ど鰹節のやふなもの。客が料理をほめるは汁やひらのことなれとも、実は鰹節のだしのきいたのなり。鰹節をついにほめたことはない。鰹節か補佐するなり。大德の女中が亭主のためになるが是なり。咳拂をすると牝雞晨鳴以致禍なり。
【解説】
「如有聦明才智、識達古今、正當輔佐君子、勸其不足。必無牝雞晨鳴、以致禍也」の説明。「聡明才智識達古今」で夫のためになる婦人は文母や孟母、伊川の母公などである。その反対は、漢の呂后、唐の則天、日本の尼將軍である。「牝雞晨鳴」だと禍を招く。
【通釈】
「聡明才智識達古今云々」。文母や孟母、伊川の母公というのがこれで、夫のためになる婦人である。女は内と言い、とかく奥向きの仕置きをするより外はないが、これが危ない加減で、悪くするとし損なう。漢の呂后、唐の則天、本邦の尼將軍、皆悪い女が出て晨に鳴く。それは悪い。「当輔佐君子云々」は、人の知らないことで、それは丁度鰹節の様なもの。客が料理を誉めるのは汁や平のことだが、実は鰹節の出汁が効いているからよいのである。しかし、鰹節を誉めることは決してない。鰹節が補佐をする。大徳の女中が亭主のためになるのがこれ。女が咳払いをすると「牝雞晨鳴以致禍」である。
【語釈】
・牝雞晨鳴…書経牧誓。「王曰、古人有言曰、牝雞無晨。牝雞之晨、惟家之索」。


嘉言46
○江東婦女略無交游。其婚姻之家或十數年間未相識者。唯以信命贈遺致殷勤焉。鄴下風俗專以婦持門戸、爭訟曲直、造請逢迎、代子求官、爲夫訴屈。此乃恒・代之遺風乎。
【読み】
○江東の婦女は略々交わり游ぶこと無し。其の婚姻の家或は十數年の間未だ相識らざる者あり。唯信命贈遺以て殷勤を致す。鄴下[ぎょうか]の風俗專ら婦を以て門戸を持ち、曲直を爭訟し、造請逢迎し、子に代りて官を求め、夫の爲に屈を訴う。此れ乃ち恒・代の遺風なり。

○江東婦女云々。あとへ人の知った善ひ邑と悪ひ邑を出して見せる。先江東はずんど善ひ邑で、何にとのふ昔から傳来たものぞ。国の山川の風と云こともあれは、おのづから形勢ありて、其の風と云ことあり。江東は女ののさばらぬ国なり。無と云字の上に略の字あるをみよ。公義へ口ち書きの時はかかれぬ字ぞ。江東も廣いゆへ、みながみなで出てあるかぬでもないが、大概見るにない。よめ入りの時の衣服も土用ぼしぎりと見へる。これなればけがはない。姉の叔母のと云ふも、昏礼をしても壻にもしみ々々と近付にならぬと云くらいなり。睦婣任恤にはそむいたよふなれども、ただ餅でもやるの、手紙でもやるのと云ふてすます。○鄴下風俗云々。ここは女のでさばる風俗なり。そこじゃとてもそのやふにわるい女ばかりあり、たわけな男ばかりもあるまいが、隣でも近所でもそうするゆへ、それをするのを義理の當然と思ふぞ。そこを風俗とは云なり。身帯も女房でもち、とかく何叓も女房が出子ばならぬやふに思ふてをる。人品よい分別らしい顔をして妻に承はって御挨拶曰ふと云ふ。
【解説】
「江東婦女略無交游。其婚姻之家或十數年間未相識者。唯以信命贈遺致殷勤焉。鄴下風俗專以婦持門戸」の説明。最後に善い邑である江東と、悪い邑である鄴を出した。江東では女がでしゃばらず、身内もしみじみとは近付きにならないが、鄴では女がでしゃばる。鄴は皆がそれを当然のことと思っている。これを風俗と言う。
【通釈】
「江東婦女云々」。最後に人の知っている善い邑と悪い邑とを出して見せた。先ず江東は大層善い邑で、善いことが何となく昔から伝わって来た。国に山川の風ということもあれば、自ずから形勢があって、その風ということがある。江東は女がのさばらない国である。「無」という字の上に「略」の字があるのを見なさい。これは公儀への口書の時には使えない字である。江東も広いので、皆が皆出て歩かないわけでもないが、大概は見ても人がいない。嫁入りの時の衣服も土用干しだけのことと見える。これであれば怪我はない。姉や叔母も、昏礼をしても婿にもしみじみと近付きにはならないという位である。それは「睦姻任恤」には背いている様だが、ただ餅でも遣ったり、手紙でも遣ったりして済ます。「鄴下風俗云々」。ここは女のでしゃばる風俗である。そこでもその様に悪い女ばかり、戯けな男ばかりでもないだろうが、隣でも近所でもそうするので、それをするのを義理の当然と思う。それを風俗と言う。身代も女房で持ち、とかく何事も女房が出なければならない様に思っている。人品よく分別らしい顔をしていながら、妻に承り、御挨拶申すと言う。
【語釈】
・睦婣任恤…周礼地官司徒。「一曰六德、知・仁・聖・義・忠・和。二曰六行、孝・友・睦・姻・任・恤」。

○爭訟曲直。邑に何叓あっても女が出る。○造請は地頭や頭へ伺ふこと。○逢迎は、役人か来たと云ふと、そこへ女が出る。巡檢の時のよふな道の掃除にも杖をついて出る。夫が邑で押付られて目を出すことならぬにも、女房が出て恐なから申上るとうったへる。古今ないわるい風俗。かかが市兵いのこふじた風俗になったのなり。亭主はいつもぐわんせよりをのふてをる。是と云もづんと根のあることで、昔の恒代之遺風にやあらめとなり。戦国の頃、燕の太子に丹と云人あり、秦の始皇に虜となりて、始皇が殊外燕丹をむこふされ、牛部屋の掃除をするよふなことをさせたかして、そこでいこふ残念なことと怒るうちあちこちし、燕の国へ逃げて帰り、此の意趣がへしをしようと思ひ、是は天下の壮士を集れば、此の鬱憤をははらすとて、天下の壮士を招かれしなり。荆軻などのことも此時のことなり。味方するとても道德な人はない。血気の力士なり。
【解説】
「爭訟曲直、造請逢迎、代子求官、爲夫訴屈。此乃恒・代之遺風乎」の説明。鄴では何にでも女が出るが、それは恒代の遺風である。それは燕の太子丹の頃から始まった。
【通釈】
「争訟曲直」。邑に何事が起きても女が出る。「造請」は地頭や頭に伺うこと。「逢迎」。役人が来たというと、そこへ女が出る。巡検の時の様に、道の掃除にも杖を突いて出る。夫が邑で押し付けられて目を出すことができない時にも、女房が出て恐れながら申し上げると訴える。古今ない悪い風俗である。嬶市兵衛の高じた風俗になったのである。亭主はいつも観世縒を縒っている。それというのも大層根のあることで、昔の恒代の遺風だと言う。戦国の頃、燕の太子に丹というが人いて、秦の始皇の虜となったが、始皇が殊の外燕丹を酷く扱い、牛部屋の掃除をする様なことをさせるかしたので、そこで大層残念なことと怒っている内にあちこちして燕の国に逃げて帰り、その意趣返しをしようと思い、天下の壮士を集めればこの鬱憤を晴らせるだろうと、天下の壮士を招かれた。荊軻などのこともこの時のこと。味方になるとしても道徳のある人ではなくて血気の力士だった。
【語釈】
・恒代…恒と代は共に燕・趙の故地。

その天下の壮士をあつめるに、進物をやるの料理を出すのと云はめづらしくないゆへ、何でも天下の士を得れば此鬱憤をかへすと、奥方や妻を出して酒宴をさせとけ々々々と、よろこはせるの伯術からしたことなり。そこで女のそこへ出てもてなして、女でなうてはいかぬと云。一時のことが後世迠の風にのこりたなり。さて風俗はさま々々あると、しまいに此様なを出してをくと、どのよふなものでもこれをよいと云ふ者はない。然らば内に居ると云にしくはない。江東は縁者でも顔を見ぬと云ふ。餘りとを々々しいよふなれとも、やっはりこれがよい。女の出ると云ふがぢきに天下国家をみだすなり。そこで是を結章に出して戒められたものぞ。
【解説】
女が出ると直に天下国家を乱す。縁者でも顔を見ないという江東の様なのがよい。
【通釈】
その天下の壮士を集めるのに、進物を遣ったり料理を出すということは珍しくないことで、何にしても天下の士を得ればこの鬱憤を晴らせるだろうと、奥方や妻を出して酒宴をした。これが喜ばせることを伯術でしたのである。そこで女がそこへ出てもてなし、女でなければうまく行かないと言った。一時のことが後世までの風に遺ったのである。さて風俗は様々だと、最後にこの様なことを出して置けば、どの様な者でもこれをよいとは言わない。そこで、内にいるのがよい。江東は縁者でも顔を見ないという。それはあまりに遠々しい様だが、やはりこれがよい。女が出ると直に天下国家を乱す。そこでこれを結章に出して戒められたのである。