嘉言47
○夫有人民而後有夫婦。有夫婦而後有父子。有父子而後有兄弟。一家之親此三者而已矣。自茲以往至于九族、皆本於三親焉。故於人倫爲重也。不可不篤。兄弟者分形連氣之人也。方其幼也、父母左提右挈前襟後裾、食則同案、衣則傳服、學則連業、遊則共方。雖有悖亂之人、不能不相愛也。及其壯也、各妻其妻、各子其子。雖有篤厚之人、不能不少衰也。娣姒之比兄弟則踈薄矣。今使踈薄之人而節量親厚之恩。猶方底而圓蓋、必不合矣。惟友悌深至、不爲傍人之所移者免夫。
【読み】
○夫れ人民有りて而して後に夫婦有り。夫婦有りて而して後に父子有り。父子有りて而して後に兄弟有り。一家の親は此の三の者のみ。茲より以往九族に至るまで、皆三親に本づく。故に人倫に於て重しと爲す。篤くせざる可からず。兄弟は形を分ち氣を連ぬる人なり。方に其の幼なるや、父母左提右挈前襟後裾し、食わば則ち案を同じくし、衣せば則ち服を傳え、學ばば則ち業を連ね、遊ばば則ち方を共にす。悖亂[はいらん]の人有りと雖も、相愛せざること能わざるなり。其の壯なるに及びて、各々其の妻を妻とし、各々其の子を子とす。篤厚の人有りと雖も、少しく衰えざること能わざるなり。娣姒[ていじ]を之れ兄弟に比すれば則ち踈薄なり。今踈薄の人をして親厚の恩を節量せしむ。猶方底にして圓蓋なるがごとく、必ず合わず。惟友悌深く至り、傍人に之を移さるるを爲さざる者は免れん。

正月十一日
【語釈】
・正月十一日…寛政2年(1790)1月11日。

○夫有人民云々。是からは兄弟のことぞ。ここに四章載せてある語、何れも皆思入ありて云語なり。兄弟中は少しわるふても、少しの処からじきによくなるものぞ。僅の処からとけいがくるふて中かわるくなる。思入を咄してきかせると、さてもそふか、涙を流してかかるか兄弟中なり。さて天地開けると池に小鮒やめたかのわくやふにひょいと人が出来たぞ。種ない男、種ない女ができた。是は何の書にあるとて書たてはないが、こふなふてはならぬこと。自然なり。親と云程重いものはない。親も二番目のものなり。始は天地を親にして男女ができ、それから夫婦と云ものがあって子がある。これは親も本は夫婦から二番目なり。さて親子と云ものがあると一人斗りてはなく大勢あるぞ。ここが彼の始に云、をもい入れあって云処て、夫婦から父子、父子からじきに兄弟とくる。いこふ自然なもの。一家から始まりて数はいこふ多いことなれとも、それも夫婦父子兄弟の三つからきたものぞ。九族と立、吾高祖より三從兄弟まであり、数限もないことなれとも、皆此三つか本になる。
【解説】
「夫有人民而後有夫婦。有夫婦而後有父子。有父子而後有兄弟。一家之親此三者而已矣。自茲以往至于九族、皆本於三親焉。故於人倫爲重也。不可不篤」の説明。天地が開ける時に気化で人の男女ができた。天地を親にして男女ができて、それから夫婦ができて子ができた。そして、父子から兄弟と来る。夫婦・父子・兄弟の三者が族の本になる。
【通釈】
「夫有人民云々」。これからは兄弟のこと。ここに四章を載せてあるが、何れも皆思い入れがあって言った語である。兄弟仲は少し悪くても、少しの処から直によくなるもの。僅かな処から時計が狂って仲が悪くなる。思い入れを話して聞かせると、さてもそうかと涙を流してかかるのが兄弟仲である。さて天地が開けると池に小鮒やめだかが湧く様にひょいと人ができた。種のない男、種のない女ができた。これは何の書にあると言って書いたことではないが、こうでなければならず、自然なこと。親ほど重いものはないが、親も二番目のもの。始めは天地を親にして男女ができ、それから夫婦というものがあって子がある。親も本は夫婦から二番目のもの。さて親子というものは一人だけでなくて大勢ある。ここがあの始めに言う、思い入れがあって言う処で、夫婦から父子、父子から直に兄弟と来る。それは大層自然なもの。一家から始まって数は大層多いが、それも夫婦父子兄弟の三つから来たもの。九族と立ち、自分の高祖より三従兄弟まであり数限りもないが、皆この三つが本になる。

されともとかくあちなもので、人の心が親子と夫婦はむすひつけたものて、誰も是はざっと心得る者はない。とかく兄弟はそれとをとるもののやふにをもふ。そこて家内にいる内も分てもののやふに思ふ。甚だしけれは兄弟か身上にてもありつくと蜂をはろふやふにをもふ。私もやっかいを片付ましたと云か、さても々々々薄い世の中ぞ。上つ方て御連枝云かよい字ぞ。枝を連ると云ことなり。木は一本て枝はいくらもある。腕は一本て指の五本あるよふなもの。切て打捨られぬ。親と云木に枝のあるやふなもの。親の方てはとれのこれのと云ことはない。形はわけても身はつらなって居ることぞ。兄弟のことを云に、小いときのことを云がよいことぞ。とかく兄弟のことはちいさいときのことを思ひ出せ。父母左提右挈なり。頓と古今同情見るよふなことぞ。大勢子などをもつ者は三人一度に引つれて、とれこれとなく一つなり。飯を喰ふ時もぞろ々々ときてひとつに食ふ。六つになる子がををきくなると、はや五つになる子か其衣服をきる。大名なとにはこれはとんと覚のないことぞ。下々は余程身上のよい者でもこれがある。大名などの御身分でも下々にかふしたことがあるをきかば、さてもうらやましいとこれをしたふべきことぞ。これ兄弟の旨味なり。
【解説】
「兄弟者分形連氣之人也。方其幼也、父母左提右挈前襟後裾、食則同案、衣則傳服」の説明。兄弟のことは子供の時のことを思い出すのがよい。大勢の子を持った者は皆一緒に扱う。飯を食う時も一緒で、宛がう衣服も同じものである。
【通釈】
しかしながら、とかく妙なもので、人の心は親子と夫婦は結び付いたものとして、誰もがこれをいい加減に心得る者はないが、とかく兄弟はそれよりも劣るものの様に思う。そこで家内にいても別なものの様に思う。甚だしければ兄弟が身上にでもあり付くと蜂を払う様に思う。私も厄介者を片付けましたと言う。実に薄い世の中である。上つ方で御連枝と言うのがよい字である。枝を連ねるということ。木は一本で枝はいくらもある。それは腕が一本で指が五本ある様なもの。切って打ち捨てることはできない。親という木に枝のある様なもの。親の方ではどれこれということはない。形は分かれても身は連なっている。兄弟のことを言うには小さい時のことを言うのがよい。とかく兄弟のことは小さい時のことを思い出せ。「父母左提右挈」である。実に古今同情で、今見える様である。大勢の子を持った者は三人一度に引き連れて、どれこれとなく一つである。飯を喰う時もぞろぞろと来て一緒に食う。六つになる子が大きくなると、早くも五つになる子がその衣服を着る。大名などにはこれは全く覚えのないこと。下々はよほど身上のよい者でもこれがある。大名などの御身分でも下々にこうしたことがあると聞けば、実に羨ましいとこれを慕うべきこと。これが兄弟の旨味である。

○学則云々。学問をすると云段になりても、をらもゆかふと、とかく弟もゆきたがる。誰も彼も子共のときは皆こうしたものぞ。手習ひに兄が行くと云と弟もやると云ふ。一同に行くと云が連業なり。兄が馬の稽古すると弟もはや習ふと云ふて、せいもとどかぬ子も是非厩の側迠はゆく。子供のときはこふしたものゆへ、とかく何茂うしろをかへりみて、子共のときを思井出せと云ふことぞ。新ひ異見を云ふには及ぬ。をのしは子共の時はそうであったかと云ことぞ。子共の時のひっかいたりたたいたりして喧嘩をするが、喧嘩ぐるみに心はよいぞ。ここがさて々々思ひ入れな書きよふなり。待建門の夜軍、頼朝は義經子とものときは不能不相愛也。わるい人ても子共の時は兄弟中よい。それならばよい人はなをよさそふなものなれとも、年たけて女房でももつと中がわるくなる。兄弟のわるふなるのもひっきょふ女房から起ることぞ。此様なことを云ては家内で腹を立ふが、垩賢の教に腹を立せることはない。これは亭主の心入を云ふことぞ。女房と云ふ者は兄弟のよふに肉をわけたものではない。其遠々しいもののくると云がさしみづのする処ぞ。遠々敷ものゆへ自から情が薄し。亭主の弟の死んた時は亭主の泣くもらいなきはしよふが、我か里の弟のよふではない。何叓も肉をわけたよふにゆこふ筈はないが、ここは亭主のさじかけんにあるへきことぞ。
【解説】
「學則連業、遊則共方。雖有悖亂之人、不能不相愛也。及其壯也、各妻其妻、各子其子。雖有篤厚之人、不能不少衰也。娣姒之比兄弟則踈薄矣。今使踈薄之人而節量親厚之恩」の説明。小さい時は、兄弟はいつも一緒で、弟は兄を真似、兄弟仲がよいもの。兄弟仲が悪くなるのは女房からで、肉を分けた者ではない女房が差し水を入れる。但し、ここは女房に言うことではなく、亭主の匙加減が大事だということ。
【通釈】
「学則云々」。学問をするという段になっても、俺も行こうと、とかく弟も行きたがる。誰も彼も子供の時は皆こうしたもの。手習いに兄が行くと言えば弟もすると言う。一同に行くというのが「連業」である。兄が馬の稽古すると弟も直ぐに習おうと言って、背も届かない子でも厩の側まではどうしても行く。子供の時はこうしたもの。とかく何度も後を顧みて、子供の時を思い出せということ。新しい異見を言うには及ばない。お前は子供の時はそうだったがと言うのである。子供の時は引っ掻いたり叩いたりして喧嘩をするが、喧嘩ぐるみ心はよい。ここが実に思い入れのある書き様である。待賢門の夜軍、頼朝は義経が子供の時に「不能不相愛也」だった。悪い人でも子供の時は兄弟仲がよい。それならよい人は尚更よさそうなものだが、年長けて女房でも持つと仲が悪くなる。兄弟の悪くなるのも必竟女房から起こる。この様なことを言っては家内で腹を立てるだろうが、聖賢の教えに腹を立てさせることはない。これは亭主の心入れを言ったこと。女房という者は兄弟の様に肉を分けたものではない。その遠々しいものが来るというのが差し水の入る処。遠々しいものなので、自ずから情が薄い。亭主の弟が死んだ時は貰い泣きはするだろうが、それは自分の里の弟が死んだ時の様ではない。何事も肉を分けた様に行く筈はないが、ここは亭主の匙加減にあるということ。
【語釈】
・待建門の夜軍…待賢門の夜軍。平治の乱において、待賢門付近で合戦があった。内裏に陣した源義朝の軍を平氏は三千余騎の兵で攻め、平重盛は兵五百をひきいて源義平と一騎討を試みたが敗退する。
・娣姒…兄弟の妻。娣は年長、姒は年下の者。

○方底云々。あはぬたとへなり。兄弟は親しいものなれども、他人の入るでしっくりとない。女房は他人なり。それに万端のことをさせては兄弟の中もわるくなるべき勢なり。下世話に兄弟他人の初と云ふをわるくちに云たことと思ふべからず。戒になることなり。さて昔は宗子の法のたたしく、一処に居て兄弟一家で妻をもったが、今はわかれ々々々になるゆへ、なを情意うと々々しくなる。されともまだ家ははかれても兄弟の代は親しいが、それから其次はもふ従父兄弟に又再従兄弟になる。兄弟はもと甚た親しいものなれとも、なげかはしいことにこふなりては今日忌かかりではない。とんと三代目になると他人の姿をあらはした。さればかの下世話も心ある人が聞くと、さてもと胸にひひこふことぞ。兄弟他人の始めと云はば、他人にせぬよふにするがよい。ここを誠をふるふよふにすれば、どこ迠もつづこふことぞ。
【解説】
「猶方底而圓蓋、必不合矣」の説明。昔は宗子の法が正しく立っていて、兄弟一家で妻を持ったが、今は別々になっている。そこで尚更疎々しくなり、三代以降になると他人と同じになる。兄弟は他人の始まりと言うのなら、却って他人にしない様にすればよい。
【通釈】
「方底云々」。これは合わないたとえである。兄弟は親しいものだが、他人が入るのでしっくりとしない。女房は他人である。それに万端のことをさせては兄弟の仲も悪くなる筈である。下世話に兄弟は他人の始まりと言うが、これは悪口で言ったものと思ってはならない。これは戒めになること。さて昔は宗子の法が正しくて、一処にいて兄弟一家で妻を持ったが、今は別々になるので尚更情意が疎々しくなる。家は別れていても、まだ兄弟の代は親しいが、それから次はもう従父兄弟、また再従兄弟になる。兄弟は本来甚だ親しいものだが、嘆かわしいことにこうなっては、今日は忌掛かりではない。実に三代目になると他人の姿となる。そこであの下世話も心ある人が聞くと、尤もだと胸に響くことだろう。兄弟は他人の始めと言うのなら、他人にしない様にするのがよい。ここを誠を揮う様にすれば、何処までも続くことだろう。
【語釈】
・忌かかり…死者のけがれが及ぶとされ、喪に服するよう定められた親族の間柄・範囲。

○惟友悌云々。ここて本のよいを出してみせるなり。女房でもよぶとよい中もわるくなると云は、あるべかかりのできあいの兄弟なり。惟深至の文字が啇人の云御誂向ぞ。是か学問なふてはならぬことなり。兄弟中は友悌の二つ。これに吟味ないのは手置のわるい人の道具をみるよふで、疵がつく。学問して兄弟中の手置をよくするがよい。藥もたたをくとしょふがぬける。とかく友悌に手を入れることがかんじんなり。古人に哭の礼あるもきこへた。今は涙のでる人はなき、出ぬ人は泣ぬが、古人の出ぬ人はから泣になく。迂偽のやふなれとも、それからほんの涙がつい出る。ここらも友悌にこやしをすることぞ。学問は友悌を深くすることなり。○傍人はよそ々々しく云て、やっはり女房のこと。あつい兄弟中もつい女房でわるくなるものじゃ。友悌深至と云ならは、そのよふな気毒なことは免かりよふとなり。言々句々思入れあるしめしよふなり。
【解説】
「惟友悌深至、不爲傍人之所移者免夫」の説明。学問をして兄弟仲の手置をよくしなければならない。学問は友悌を深くすること。友悌深至であれば兄弟仲がよい。
【通釈】
「惟友悌云々」。ここで本のよいことを出して見せる。女房でも呼ぶとよい仲も悪くなると言うのは、平凡な出来合いの兄弟のこと。「惟深至」の文字が商人の言う御誂え向きである。これが学問でなければできないこと。兄弟仲は友悌の二つ。これに吟味がないと、手置の悪い人の道具を見る様で疵が付く。学問をして兄弟仲の手置をよくしなさい。薬もただ置いておくと性が抜ける。とかく友悌に手を入れることが肝心である。古人に哭の礼があるのもよくわかる。今は涙の出る人は泣き、出ない人は泣かないが、古人は、涙の出ない人は空泣きをした。それは嘘の様だが、それから本当の涙がつい出る。ここらも友悌に肥やしをすること。学問は友悌を深くすること。「傍人」はよそよそしく言ったものだが、やはり女房のこと。篤い兄弟仲もつい女房で悪くなる。友悌深至であれば、その様な気の毒なことは免がれるだろうと言った。言々句々、思い入れのある示し様である。


嘉言48
○柳開仲塗曰、皇考治家、孝且嚴。旦望弟婦等拜堂下畢、即上手低面聽我皇考訓誡。曰、人家兄弟無不義者。盡因娶婦入門異姓相聚、爭長競短漸漬日聞、偏愛私藏以背戻、分門割戸、患若冦讎、皆汝婦人所作。男子剛腸者、幾人能不爲婦人言所惑。吾見多矣。若等寧有是耶。退則惴惴、不敢出一語爲不孝事。開軰抵此頼之、得全其家云。
【読み】
○柳開仲塗曰く、皇考家を治むること、孝にして且つ嚴なり。旦望に弟婦等堂下に拜し畢り、即ち手を上げ面を低れて我が皇考の訓誡を聽く。曰く、人家の兄弟不義なる者無し。盡く娶婦門に入りて異姓相聚るに因りて、長を爭い短を競いて漸漬日に聞え、偏愛私藏して以て背戻して、門を分ち戸を割き、患、冦讎の若きにるは、皆汝婦人の作す所なり。男子剛腸なる者、幾人か能く婦人の言に惑わさるるを爲さざる。吾見ること多し。若等寧ろ是有るや、と。退きては則ち惴惴[ずいずい]として、敢て一語を出して不孝の事を爲さず。開の軰此に抵[いた]りて之を頼り、其の家を全くすることを得ると云えり。

○桺開仲塗曰云々。死後に親のことをたっとんで皇と云。皇はすへらきと云字で天子のことを云ゆへ、後ははばかって顕の字をつかふと浅見先生云へり。桺開仲塗が、我親父の存生であったときは毎月々朔望には兄弟どもやよめともを召て云ふてきかせることがある。たたい兄弟に兄弟らしふないと云ふらちな兄弟はない筈。大勢のよめのきたと云が他人のよりたのなり。子共五人あれば五人よめがくるなり。○争長云々。自然なことで、われをとかくよいにしたがる。亭主でからが、我妻がすくれたものなれば、利口でこまりはてるとは云はぬ。大勢のよめの中で一番よいと云ふが元気を得るものぞ。○競はわるい方もよひにしてみせたがる。何叓にもこれがあり、よいと云と元気をえる。とどわれをよいにしたがる。○漸漬はそろ々々しみこむきみ。串蚫などを水に漬してをくと段々しみこむ。あのよふなことなり。一日増とわるくなる。段々と目に見へず増長する。
【解説】
「柳開仲塗曰、皇考治家、孝且嚴。旦望弟婦等拜堂下畢、即上手低面聽我皇考訓誡。曰、人家兄弟無不義者。盡因娶婦入門異姓相聚、爭長競短漸漬日聞」の説明。柳開仲塗の父は、朔望に兄弟や娵を集めて訓戒をした。娵が来ることから、自分をよく見せたがり、悪いこともよい様に見せることが始まり、次第にそれが増長する。
【通釈】
「柳開仲塗曰云々」。死後に親のことを尊んで皇と言う。皇はすべらぎという字で天子のことを言うので、後はそれを憚って顕の字を使うと浅見先生が言った。柳開仲塗が、自分の親父が存生だった時は毎月の朔望に兄弟共や娵共を召して言って聞かせていたことがると言った。そもそも兄弟に兄弟らしくないという不埒な者はいない筈。大勢の娵が来るのは他人が寄ったのである。子供が五人あれば五人の娵が来る。「争長云々」。自然なことで、自分をとかくよいとしたがる。亭主ですら、自分の妻が優れていれば、利口で困り果てたとは言わない。大勢の娵の中で一番よいというのが元気を得るもの。「競」は悪い方のこともよいことにして見せたがること。何事にもこれがあり、よいと言われると元気を得る。つまりは自分をよいことにしたがるのである。「漸漬」はそろそろと染み込む気味。串鮑などを水に漬して置くと段々と染み込む。あの様なこと。日増しに悪くなる。段々と目に見えず増長する。
【語釈】
・桺開仲塗…氏は柳。名は開。字は仲塗。号は東郊野夫、補亡先生。
・朔望…旦望と同じ。一日と十五日。

○偏愛は我夫ばかりを大叓にすること。これはまだそうもあるへきことなり。これを夫が女房ばかりかわいがると云ふ説もあるが、これはわるい。浅見先生も我が夫ばかり大事にすることじゃと云へり。家内のことは方々が丁どに行き届か子ばぶつくさの起る本になる。我夫ばかり大切にして脇を他人あしらいにすれば、さま々々な怨みつらみをたくはへをくなり。浅見先生があのとをりの御方なれとも、知易者知盗乎で、天下の人の人情をしられたことを云へり。此事はまつあちへはしらせるながたちを云ふことと云へり。是を知らせるなと云がわるくなるの本なり。知らせるなと云が内證ことぞ。兄弟と云ふものは隱すことなくそたったもの。そこへ女房かくると彼れや此れやと隱すことがある。古は一所に居て妻を持たが後世はこれはない。一所に居たものが別宅をしよふと云ふが皆女房から起るなり。親と云ものはいつも子共を膝のそばにをきたいものなれども、彼れや此れやの叓が起るゆへ、いっそ遠くへやりた井とをやも云ふ。兄弟中が歒同士のよふになる。偖て是を朔日十五日に云ふは不人情なことのやふなれとも、これて釘がきくなり。大勢の兄弟か妻子を持てから中のわるくなると云へば、女房がうらうちをするにはきはまりた。
【解説】
「偏愛私藏以至背戻、分門割戸、患若冦讎、皆汝婦人所作」の説明。「偏愛」は自分の夫をだけを大事にすること。「私蔵」は人に知らせず隠すこと。兄弟に隠すということはないものだが、女房が来ると隠すことも起こる。古は一家が一所で妻を娶って暮らしていたが、今は別に暮らしている。それも女房から起こったこと。
【通釈】
「偏愛」は自分の夫ばかりを大事にすること。これはまたそうもあるべきこと。これを夫が女房ばかり可愛がるとする説もあるが、それは悪い。浅見先生も自分の夫ばかりを大事にすることだと言った。家内のことは方々が丁度に行き届かなければ紛争の起こる本になる。自分の夫ばかりを大切にして脇を他人あしらいにすれば、様々な怨み辛みを蓄え置くことになる。浅見先生はあの通りの御方だが、「知易者知盗乎」で、天下の人の人情を知っているので、ここは先ずはあちらには知らせるなということだと言った。これを知らせるなと言うのが悪くなる本である。知らせるなと言うのが内証のこと。兄弟というものは隠すことなく育ったもの。そこへ女房が来るとかれこれと隠すことができる。古は一所にいて妻を持ったが後世はそれがない。一所にいたものが別宅をしようと言うのは皆女房から起こるもの。親というものはいつも子供を膝の側に置きたいものだが、かれこれと事が起こるので、いっそ遠くへ遣りたいと親も言う。兄弟仲が敵同士の様になる。さてここを朔日十五日に言うのは不人情なことの様だが、これで釘が効く。大勢の兄弟の仲が妻子を持ってから悪くなると言えば、女房がその裏打ちをするのには極まった。
【語釈】
・知易者知盗乎…易経繋辞伝上8。「子曰、作易者、其知盗乎」。

○男子の心を剛腸と云。詩人などの腸と云ふもこれなり。下戸がよふない肴で出せる、また上戸の腸を知らぬと云ことあり、その腸なり。女童は論すること足らぬものぞ。男と云ふ腸をもったものが、取に足らぬ女の云ことにだまされるよふなことはしそもないものぞ。是が出来ぬかと大勢のものを並て置て見廻して、をのしたちにはないかはしらぬが、もしもあるかと毎日々々同し手なことを云ふ。それがすんで退ても気味がわるくてならなんだ。自分なども親のしたを頼にして家もつぶさす此年迠もちつづけた。いつも々々々旦望にはならべてをいて、をのしたちにありはすまい、あるかと云ふてはよめの方を見、まだむすこどもの方を見る。こふ云ふつよ井ことを云て、事の出来そふなももみけし々々々々する。今は異なことで身なども云をふとも存ずるが、又忰は忰なれともよめはよめと云たけ遠慮すると云。尤なやふなれども、俗人の通情なり。今日の人にはよく思はれよふと云ふ欲心があるゆへ、教べき婦を教へず、訶るへき家来を訶らぬが、仁ではない。よく思はれよふとしてのこと。よく思はれよふとするから嚴厲てない。嚴厲でない処からわるくなり、事がをこる。一家の主人たる者は目をむき出して呵ると云でなければ治らぬことなり。文謂、此語今人の肺腑に当る。昨夜至便廃書嘆息以為。嗚呼先生無子無婦。然通人情。誠作易者知盗乎也。治一家者不察之故不能治。
【解説】
「男子剛腸者、幾人能不爲婦人言所惑。吾見多矣。若等寧有是耶。退則惴惴、不敢出一語爲不孝事。開軰抵此頼之、得全其家云」の説明。剛腸な男が取るに足りない女の言うことに騙される筈はないものだが、その様なことがあるかと旦望毎に問い、この様な厳しい事を言うことで事が起こらない様にした。今この様なことは遠慮があって言えないと言うのは、人によく思われたいという欲心があるからである。一家の主人は厳厲でなければならない。
【通釈】
男子の心を「剛腸」と言う。詩人などが腸と言うのもこれ。下戸がよくない肴を出させると、まだ上戸の腸を知らないと言うことがあるが、その腸である。女童は論ずるにも足りないもの。男という腸を持った者が、取るに足りない女の言うことに騙される様なことはないもの。これができないかと大勢の者を並べて置いて見回して、お前達にはないかは知らないが、もしかするとあるかと毎日同じことを言う。それが済んで退いても気味が悪くてならなかった。自分なども親のしたことを頼りにして家も潰さずにこの年まで持ち続けた。いつも旦望には並べて置いて、お前達にはないことだろう、あるかと言っては娵の方を見、また息子共の方を見る。この様な強いことを言って、事が起こるのを揉み消す。今は違ったことで、私なども言おうとも思うが、また忰は忰、娵は娵と言うだけ遠慮すると言う。それは尤もなことの様だが、俗人の通情である。今日の人にはよく思われようという欲心があるので、教えるべき婦を教えず、訶るべき家来を訶らないが、それは仁ではない。よく思われようとしてのこと。よく思われようとするから厳厲でない。厳厲でない処から悪くなり、事が起こる。一家の主人たる者が目を剥き出して呵るのでなければ治まらない。文二が言った。この語、今人の肺腑に当たる。昨夜便至り書を廃し嘆息して以て為す。嗚呼先生子無く婦無し。然るに人情に通ず。誠に易を作る者は盗を知れるかなり。一家を治むる者、察せざる故に治むること能わず、と。
【語釈】
・文…林潜斎。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。稲葉黙斎門下。


嘉言49
○伊川先生曰、今人多不知兄弟之愛。且如閭閻小人、得一食必先以食父母。夫何故。以父母之口重於己之口也。得一衣必先以衣父母。夫何故。以父母之體重於己之體也。至於犬馬亦然。待父母之犬馬、必異乎己之犬馬也。獨愛父母之子、却輕於己之子。甚者至若仇敵。舉世皆如此。惑之甚矣。
【読み】
○伊川先生曰く、今人多くは兄弟の愛を知らず。且く閭閻[りょえん]の小人の如きも、一食を得れば必ず先ず以て父母に食わしむ。夫れ何の故ぞ。父母の口は己の口より重きを以てなり。一衣を得れば必ず先ず以て父母に衣す。夫れ何の故ぞ。父母の體は己の體より重きを以てなり。犬馬に至るまで亦然り。父母の犬馬を待するは、必ず己の犬馬に異なれり。獨り父母の子を愛するは、却て己の子より輕し。甚しき者は仇敵の若きに至る。世を舉げて皆此の如し。惑うの甚しきなり。

○伊川先生曰云々。此章がまた思ひ入れある章なり。兄弟のことを云をうとて親のことをしたたか云。兄弟中のことを示そうとて親のことを云ふが彼の思入れなり。先つ兄弟はなしはやめにして其日ぐらしなかるい肩へ棒を置くものが学問もせずどふでもよいが、何ぞ食ひ物を得るととかく親父へ々々々と云ふ。下女でもなんぞ得ると明日の便に親にと云ふ。何故ぞと云に、以父母之口重於己之口也。親の口は我が口より重をしりてをる。きるもののときも思ひ出す。絹をすこしもろふても、はや親仁のえりまきにしよふとて親にやる。是がわけのふてするではない。時のはづみでひょふしをとりちがへてするではない。
【解説】
「伊川先生曰、今人多不知兄弟之愛。且如閭閻小人、得一食必先以食父母。夫何故。以父母之口重於己之口也。得一衣必先以衣父母。夫何故。以父母之體重於己之體也」の説明。この章は親のことを大層言って兄弟仲のことを示したもの。父母の口は自分の口よりも重いから親を先にする。
【通釈】
「伊川先生曰云々」。この章がまた思い入れのある章である。兄弟のことを言おうとして、親のことを大層言う。兄弟仲のことを示そうとして親のことを言うのがかの思い入れである。先ず兄弟の話は止めにして、その日暮らしの肩へ棒を置く様な軽い者などは学問もしなくてもどうでもよいが、何か食い物を得るととかく親父へと言う。下女でも何か得るものがあると明日の便に親へと言う。それは何故かと言うと、「以父母之口重於己之口也」。親の口が自分の口より重いことを知っているからである。着る物の時も思い出す。絹を少し貰っても、直ぐに親仁の襟巻きにしようと言って親に遣る。これはわけがなくてするのではない。時の弾みで拍子を取り違えてするのではない。
【語釈】
・閭閻…閭は里の門。閻は里中の門。

○至於犬馬亦然。人情がそうしたもの。隠居で可愛がる猫と云ふがあるもの。母親の大叓にする猫と云ふなれば、硯蓋に口をつけてもうたれぬ。猫さへそれなり。此様に親のことを云ゆへ親孝行の章かと云に、そこが思入れなり。とかく親の子をば我子ほどには思はれず。兄弟と出さず父母之子と云ふが面白ひ。兄弟はなんぞと云に父母之子也。何故と云がたたりて云ふこと。親の口が重ひゆへ我口より大切にし、さて至於犬馬也。そんならなぜ親の子は我子よりかるくする。甚しいはあたかたきのよふになる。不届千万と云はず惑と云ふがいかふひひくことぞ。思入れなり。饅頭一つやりてさへ親はよろこぶ。大勢の兄弟をかはいかりたらばなをよかろふ。親に不孝をすると云はれてはならぬゆへ親はよくするが、兄弟と云ふと、それが不届の、これが不届などと云ふ。此の雲霧をきりてみせたいがとかく見へぬ。がどを取そこのふたよふなもの。善い道具を麁末にして、わるい道具を大切にすると同じこと。さて今迠は兄弟わるかったがくらいことじゃと開くこと。不埒なことと開くではない。不埒と云ふと役人めく。今迠のわる井を今迠はなぜこふであったぞと開くことなり。
【解説】
「至於犬馬亦然。待父母之犬馬、必異乎己之犬馬也。獨愛父母之子、却輕於己之子。甚者至若仇敵。舉世皆如此。惑之甚矣」の説明。親が可愛がる犬馬でさえ大事にするのに、親の子を大事にしないのは何故なのかと言う。親の子は兄弟である。兄弟を大事にしないのは門違いなことで、惑いである。
【通釈】
「至於犬馬亦然」。人情がそうしたもの。隠居が可愛がる猫ということがあるもの。母親が大事にする猫であれば、硯蓋に口を付けても打たない。猫でさえそれである。この様に親のことを言うので親孝行の章かと言えば、これが思い入れである。とかく親の子を自分の子ほどには思わない。兄弟と出さずに「父母之子」と言うのが面白い。兄弟は何かと言えば父母之子である。「何故」と言うのが祟って言ったこと。親の口が重いので自分の口よりも大切にして、さて「至於犬馬」である。それなら何故親の子を自分の子よりも軽くするのか。甚だしい者は仇敵の様になる。不届千万とは言わずに「惑」と言うのが大層響くこと。これが思い入れである。饅頭を一つ遣ってさえ親は悦ぶ。大勢の兄弟を可愛がれば尚更よいだろう。親に不孝をすると言われてはならないので親はよくするが、兄弟というと、それが不届だ、これが不届だなどと言う。この雲霧を切って見せたいがとかく見えない。これが門を取り損なった様なもの。これが善い道具を粗末にして、悪い道具を大切にするのと同じこと。さて今までは兄弟仲の悪かったのは暗かったからだと開くのである。不埒なことだと開くのではない。不埒と言うと役人めく。今まで悪かったことを、今までは何故こうだったのだろうと開くのである。


嘉言50
○横渠先生曰、斯干詩言兄及弟矣、式相好矣、無相猶矣。言兄弟宣相好、不要相學。猶似也。人情大抵、患、在施之不見報則輟。故恩不能終。不要相學、己施之而已。
【読み】
○横渠先生曰く、斯干の詩に、兄及び弟と、式[もっ]て相好し、相猶[ゆう]すること無かれと言う。兄弟は宣しく相好すべし、相學ぶを要せざるを言う。猶は似なり。人情は大抵、患い、之を施して報を見ざれば則ち輟[や]むに在り。故に恩終ること能わざるなり。相學ぶを要せず、己之を施すのみ。

○横渠先生曰云々。此の詩は普請をして家内のいはいを云たこと。其中に此句がある。向の方の眞似をすること。横渠がそこをきつい御感心。兄弟と云ふものは中をよくするがよい。向の眞似をするがわるい。とかく向のま子をする。賣辞には買辞と云ふがあることで、あいつこふするからをれもこふすると云。それかわるい。○患はこまりたものと云こと。此方からすると向からもする。我子が疱瘡の時、弟がこぬ。そふすると弟の子のとき打捨て置けと云ふ。あれかこぬうちは正月の年礼に行ぬと云ふ。そのよふなことは他人や公辺向にはあらふとも、兄弟にはないはづ。顔がみたいと云はづなり。兄弟中などて帳面に付てくるよふなことはないはづなり。こちのしたことを、丁どの返礼をせぬと打捨て置けと云ふはわるい。鶴林玉露に兄弟の章がある。たしか出家の作りたものかなり。なをよいなり。とかく兄弟はわすれられぬもの。出家などは人倫をはなれたもので、兄弟を迷ひと云ふても、あとからをっかけてくる。兄弟ほど交のながいものはないとなり。子共のときから八十になっても互に無事に兄弟寄合ふてをるかある。○さて此似と云字は此章のをもいれ。なにぞ他人の世話をやいてやると返礼に進物がくる、と。進物をうけようとてはせぬと云ふことを云ではないか、他人すらそれぞ。兄弟がそれではならぬことなり。是が横渠の始めて文義の、詩経の文義はそふでもない。何からをこるなれば、をれはこふするのにあれはこふすると云ふ処からをこる。これはぶんにながい談義を云には及ぬ。独て合点なることなり。
【解説】
兄弟は真似をするのが悪い。あいつがこうするから俺もこうすると言うのが悪い。
【通釈】
「横渠先生曰云々」。この詩は普請をして家内の祝いを言ったもの。その中にこの句がある。向こうの方の真似をすること。横渠がそこにとても感心した。兄弟というものは仲をよくするのがよい。向こうの真似をするのが悪い。とかく向こうの真似をする。売り言葉に買い言葉ということがある。あいつがこうするから俺もこうすると言う。それが悪い。「患」は困ったものということ。こちらがすると向こうもする。自分の子が疱瘡の時に弟が来ない。そうすると弟の子の時に打ち捨てて置けと言う。あれが来ない内は正月の年礼には行かないと言う。その様なことは他人や公辺向きにはあるとしても、兄弟にはない筈。顔が見たいと言う筈である。兄弟仲などに帳面に付けて繰る様なことはない筈。こちらのしたことを、丁度に返礼をしなければ打ち捨てて置けと言うのは悪い。鶴林玉露に兄弟の章がある。確か出家の作ったものだったかと思う。そうであれば尚更よい。とかく兄弟は忘れられないもの。出家などは人倫を離れたもので、兄弟は迷いだと言っても、後から追い掛けて来る。兄弟ほど交わりの長いものはないと言う。子供の時から八十になっても互いに無事に兄弟が寄り合っていることもある。さてこの「似」という字はこの章の思い入れ。何か他人の世話を焼いて遣ると返礼に進物が来ると言う。進物を受けようと思ってしたのではないということを言ったのではないが、他人ですらそれ。兄弟がそれではならない。これが横渠の初めての文義で、詩経の文義はそうではない。兄弟の不仲は何から起こるかと言うと、俺はこうするのにあれはこうするという処から起こる。これは特に長い談議を言うには及ばない。独りで合点することができること。
【語釈】
・此の詩…詩経小雅斯干。


嘉言51
○伊川先生曰、近世淺薄、以相歡狎爲相與、以無圭角爲相歡愛。如此者安能久。若要久、須是恭敬。君臣・朋友皆當以敬爲主也。
【読み】
○伊川先生曰く、近世は淺薄にして、相歡狎[かんこう]するを以て相與すと爲し、圭角無きを以て相歡愛すと爲す。此の如き者は安んぞ能く久しからん。久しからんことを要すが若きは、須く是れ恭敬すべし。君臣・朋友は皆當に敬を以て主と爲すべし。

○伊川先生曰云々。歡狎は中のよいと云ふこと。殊外合口なり。中のよいと云ふはよいことなれども、中のよいと云ふを賞翫することではない。中よし気の合ふた友と云になれは、旦那が機嫌のわるいと云とき、よびにやるとよくなると云ふ。本の友と云ふはそうしたものてはない。それはじょふたんをすると云ふものぞ。道理をみがきをふか朋友の任。○與は與黨とも書き、くみなり。今与力と云ふも、もちあふてすること。あのむれこのむれと云が一組になる。私あれに頭を打れてもたまりてをりますと云。頭を打れてもだまりてをると云ことは太極にはないこと。丸い出合、かどのとれたと云ふはほめることではない。孟子を有圭角と云ふ。八十まで圭角であった。今は學問をするものも圭角がないなり。世間つれてくる。がどのないをはほめるもの。近江之垩人と云ふも德がこなれて圭角がないと云こと。されども孟子にはありたなり。一日にこ々々してをると云ふは根がない。あま水のたまりたよふなもの。○朋友と云ふものはすきに始めたものではない。だたい朋友と云ふものは苦ひ藥を飲むよふなものでいやなもの。そうなければならぬ筈なり。今朋友のわけがたたぬゆへ、ながくもたぬ。朋友は向の人抦へ気を付てやること。気の合ふたと云友につづいたことはない。朋友の根がちごふ。
【解説】
仲がよいとか、角が取れているのは賞翫することではない。道理を磨き合うのが朋友である。
【通釈】
「伊川先生曰云々」。「歓狎」は仲がよいということ。殊の外の合口である。仲がよいというのはよいことだが、仲がよいことは賞翫することではない。仲良しで気の合った友とは、旦那が機嫌の悪い時に、彼を呼びに遣ると機嫌がよくなるという様なもの。本当の友はそうしたものではない。それは冗談をするというもの。道理を磨き合うのが朋友の任である。「与」は与党とも書き、与むこと。今与力というのも、持ち合ってすること。あの群れこの群れというのが一組になる。私はあれに頭を打たれても黙っておりますと言う。頭を打たれても黙っているということは太極にはないこと。丸い出合い、角の取れたというのは誉めることではない。孟子を「有圭角」と言う。八十まで圭角だった。今は学問をする者に圭角がない。世間擦れをして、角のないのを誉めるもの。近江の聖人と言うのも徳がこなれて圭角がないということ。しかし、孟子にはあった。一日中にこにこしているというのでは根がない。それは雨水の溜まった様なもの。朋友というものは好きで始まるものではない。そもそも朋友というものは苦い薬を飲む様なもので嫌なもの。そうでなければならない筈。今朋友のわけが立たないので、長く持たない。朋友は向こうの人柄に気を付けて遣ること。気の合う友に続いたことはない。朋友の根が違う。
【語釈】
・孟子を有圭角…孟子序説。「孟子有些英氣。纔有英氣、便有圭角、英氣甚害事」。
・近江之垩人…中江藤樹。1608~1648


嘉言52
○横渠先生曰、今之朋友擇其善柔、以相與、拍肩執袂、以爲氣合、一言不合怒氣相加。朋友之際、欲其相下不倦。故於朋友之間主其敬者、日相親與、得效最速。
【読み】
○横渠先生曰く、今の朋友は其の善柔を擇びて、以て相與し、肩を拍ち袂を執りて、以て氣合うと爲し、一言合わざれば怒氣相加う。朋友の際は、其の相下るに倦まざらんことを欲す。故に朋友の間に於て其の敬を主とする者は、日に相親與し、效を得ること最も速かなり。

○横渠先生曰云々。結搆な気の合ふたと云ふ友と出合ふは損なり。○善柔と云は垩賢の損なりと捨たもの。凡夫はそれをひろふ。今の朋友がこれなり。わかい者のおどけをふが相與拍肩云々なり。中がよいと思ふと、どふかした拍子で腹を立て、中がわるくなる。向へ下るがよい。下るがよいとても訳なしに頭を下ることてはない。益を得るものゆへ万端に気を付てすること。ここらえも晏平仲の久而敬之を引くかよい。敬を重くすると久くつつくなり。
【解説】
気が合うだけでは朋友とは言えない。敬を主として相手に下る様にするのがよい。
【通釈】
「横渠先生曰云々」。結構な気の合う友と出合うのは損になる。「善柔」は聖賢には損だと捨てたもの。凡夫はそれを拾う。今の朋友がこれ。若い者が戯け合う姿が「相与拍肩云々」である。仲が良いと思えば、どうかした拍子で腹を立て、仲が悪くなる。向こうへ下るのがよい。下るのがよいとしてもわけなしに頭を下げるのではない。益を得るものなので万端に気を付けてする。ここらにも晏平仲の「久而敬之」を引くとよい。敬を重くすると久しく続く。
【語釈】
・久而敬之…小学内篇稽古35。「孔子曰、晏平仲善與人交。久而敬之」。


嘉言53
○童蒙訓曰、同僚之契、交承之分、有兄弟之義。至其子孫亦世講之。前軰專以此爲務。今人知之者蓋少矣。又如舊舉將及嘗爲舊任按察官者、後己官雖在上、前軰皆辭避坐下坐。風俗如此。安得不厚乎。
【読み】
○童蒙訓に曰く、同僚の契、交承の分は、兄弟の義有り。其の子孫に至りても亦世々之を講ず。前軰は專ら此を以て務と爲す。今人之を知る者蓋し少なし。又舊の舉將及び嘗て舊任の按察官爲る者の如きは、後に己の官上に在りと雖も、前軰皆辭し避けて下坐に坐す。風俗此の如し。安んぞ厚からざるを得んや。

○童蒙訓曰云々。ここは吾がつとめかたに付た朋友の上で云ふこと。朋軰にも兄弟と云ふばかある。同格の上て云ふとき、先役と云ふものがある。兄のよふなもの。今つとめる人は弟のよふなもの。此家抦もすうきがあると云ふ。あの人のあとを請取て勤たと云ふ。昔の人はあついことでこふあったか、今は心がうすいゆへ昔のことはとんとわすれてをる。宋朝の姿を云ふこと。今もこれがあるぞ。○舊挙將は我を取上た御頭のこと。一寸見ると官名のやふにみるが、それはわるい。武官についた役を將と云。我を取り上げた御かしらのことなり。文義にすっはりとあてずとよい。我小普請でをったを取り上けると、そのときの小普請支配ぞ。それを舊挙將と云ふ。○按察官は、遠国役をつとめてをるによこめにくるものがある。本邦の百日目付のよふなもの。其役人がみて格別なものと云ふて、それが本になって立身し、向はやっはり昔の役て居て、こちはぬけて上にをるか、昔の人は心があついゆへ、そこもとにをいては格別なことじゃと下坐にをられた。右近將監様などがこれで、大岡越前公は寺社奉行の時の御師匠番てあった。後老中になられても格段に御丁寧なことてありたと多田先生云へり。これらなどかよくここにをふたことなり。
【解説】
朋輩にも兄弟の様なことがあり、先役は兄の様なもの。また、自分を取り上げてくれた人よりも上に就くことになったとしても、その人の下座に着くなどして大事に扱う。
【通釈】
「童蒙訓曰云々」。ここは自分の勤め方に関して、朋友の上で言ったこと。朋輩にも兄弟と言う場がある。同格の上で言う時、先役というものがある。それは兄の様なもの。今勤める人は弟の様なもの。この家柄にも数奇があると言う。あの人の後を請け取って勤めたと言う。昔の人は厚いことでこうであったが、今は心が薄いので昔のことはすっかりと忘れている。ここは宋朝の姿を言ったことだが、今もこれがある。「旧挙将」は自分を取り上げた御頭のこと。一寸見ると官名の様に見えるが、それは悪い。武官に付いた役を将と言う。自分を取り上げた御頭のこと。ここは文義にすっぱりと当てなくてもよい。自分が小普請でいたのを取り上げた時の小普請支配、それを旧挙将と言う。「按察官」は、遠国役を勤めているところへ監視に来る者で、日本の百日目付の様なもの。その役人が見て格別な者だと言う。それが本になって立身したのだが、向こうはやはり昔の役でいて、こちらは抜け出て上にいる。昔の人は心が厚いので、貴方は格別な人だと下座におられる。右近将監様などがこれで、大岡越前公は寺社奉行の時の御師匠番だった。後老中になられても格段に御丁寧なことだったと多田先生が言った。これらなどがよくここに合ったこと。
【語釈】
・右近將監様…松平武元。肥後守と称す。上野館林藩主。幕府老中。安永8年(1779)7月25日没。年67。稲葉迂斎門下。
・多田先生…多田蒙斎。名は維則。一名は篤靜。儀八郎と称す。別号は東溪。秋田佐竹氏及び館林松平氏に仕える。京都の人。明和1年(1764)8月26日没。年63。三宅尚斎門下。


嘉言54
○范文正公爲參知政事時、告諸子曰、吾貧時、與汝母養吾親、汝母躬執爨、而吾親甘旨未嘗充也。今而得厚祿、欲以養親、親不在矣。汝母亦已早世。吾所最恨者。忍令若曹享富貴之樂也。吾呉中宗族甚衆。於吾固有親踈。然吾祖宗視之、則均是子孫、固無親踈也。苟祖宗之意無親踈、則飢寒者、吾安得不恤也。自祖宗來、積德百餘年、而始發於吾得至大官。若獨享富貴而不恤宗族、異日何以見祖宗于地下。今何顔入家廟乎。於是恩例俸賜常均於族人、幷置義田宅云。
【読み】
○范文正公、參知政事爲る時、諸子に告げて曰く、吾貧しき時、汝の母と吾が親を養い、汝の母躬[みずか]ら爨[さん]を執りて、吾が親の甘旨未だ嘗て充たざりき。今にして厚祿を得、以て親を養わんと欲して、親在さず。汝の母も亦已に早世す。吾最も恨む所の者なり。忍びて若の曹をして富貴の樂みを享けしむ。吾が呉中の宗族甚だ衆し。吾に於ては固より親踈有り。然れども吾が祖宗より之を視れば、則ち均しく是れ子孫にして、固より親踈無し。苟も祖宗の意親踈無ければ、則飢寒の者、吾安んぞ恤[あわ]れまざるを得んや。祖宗より來[このかた]、德を積むこと百餘年にして、始めて吾に發して大官に至るを得。獨り富貴を享けて宗族を恤れまざるが若きは、異日何を以て祖宗を地下に見ん。今何の顔にて家廟に入らんや、と。是に於て恩例俸賜常に族人に均しくし、幷びに義田宅を置くと云う。

○范文正公云々。老中の下に付て政をする役なり。若時は貧究で自身と飯を炊き、浪人の身ゆへ两親にうまいものを進ぜなんだ。○未嘗充と云ふが、甘ひ物をあけたこともありたが、ないがちでありたと云ふこと。今になってこここそと思ふに两親はもはや死なれた。それに付て甚た残念なことがひとつある。其方共は懐手で楽をしてをり、こふあるべき當然のことと思ふ。それが残念じゃ。其方ども何と思ふぞ。ならば赤脚にして田えでもいれ、中間にでもしてつかいたいが、参政の子、それもならぬほどに忍にくひが忍でをるといたみいらせ、さてあわれなことなり。因て今一つしたいことがあるとこれを恩報しにする。
【解説】
「范文正公爲參知政事時、告諸子曰、吾貧時、與汝母養吾親、汝母躬執爨、而吾親甘旨未嘗充也。今而得厚祿、欲以養親、親不在矣。汝母亦已早世。吾所最恨者。忍令若曹享富貴之樂也」の説明。范文正公は若い時は貧窮していたので、両親に美味い物も差し上げることができないまま、両親は亡くなってしまった。今、自分の子供は楽をして、それが当然のことだと思っている。
【通釈】
「范文正公云々」。参知政事は老中の下に付いて政をする役である。若い時は貧窮で自ら飯を炊き、浪人の身なので両親に美味いものを進ずることができなかった。「未嘗充」は、美味い物を上げたこともあったが、それは僅かなことだったということ。今になってこれからはと思えば両親は最早死なれた。それに付けて甚だ残念なことが一つある。お前共は懐手で楽をしており、それがこうあるべきで当然のことと思っている。それが残念である。お前共は何と思っているのか。それであれば裸足で田にでも入れ、中間にでもして使いたいが、参政の子なのでそれもできず、忍び難いが忍んでいると痛み入らせて、さて哀れなことだと言い、そこで今一つしたいことがあると、これを恩返しとした。
【語釈】
・范文正公…范仲淹。北宋の詩人・文筆家。字は希文。蘇州呉県の人。仁宗に仕え辺境を守り、羌人から竜図老子と尊ばれた。989~1052

○呉中云々。自身に飯を炊たと云ふがここにをりたときぞ。再従兄弟もあり、三従兄弟もある。是を名をだして云へば甚だいかいことある。だんだんととをくなると年始にも行ぬと云があり、某なども江戸に大勢親類があるか、尾州にも三従兄弟などあるつもりなり。名もしらず。其外遠のは年始状もやらぬよふになる。今は忌もかからぬことゆへ死しても知せずしらぬよふになる。南部などにも親類あるが、名もしらぬやふなり。これは甚だあるまいことなれとも、諸国に離るると忌のないとによる。気の毒なことなり。それほど遠くても先祖から云へは同し由緒なり。高祖のためには某も皆同しことなり。ここらの処は圖を書てみるほどてなければならぬ。前々も云ふとをり、九族の圖をよふ大切にみるべきことぞ。たとへば三従兄弟と云へばいかふ遠けれども、吾もそれも皆高祖の為めには玄孫なり。国の圖ても見るよふに思ふが、国の圖のやふに思てはちがふ。高祖からだん々々わかれる。わかれると遠くなるが、上からは一つ子孫なり。圖を見ると講釈をするよりよい。先生発此言切名教最的當也。記者於是反身而不可不
【解説】
「吾呉中宗族甚衆。於吾固有親踈。然吾祖宗視之、則均是子孫、固無親踈也」の説明。親戚は諸国に離れるのと忌のないことによって疎遠になる。呉中には范文正公の親類が沢山いた。三従兄弟と自分とは高祖から言えば同じ玄孫であり、一つの子孫である。
【通釈】
「呉中云々」。自ら飯を炊いたというのがここにいた時のこと。再従兄弟もあり、三従兄弟もある。これを名を出して云へば甚だ多くいる。しかし、段々と遠くなると年始にも行かなくなることもある。私なども江戸に大勢親類があるが、尾州にも三従兄弟などがある様である。しかし、名も知らない。その外にも遠い者へは年始状も遣らない様になる。今は忌も掛からないなので死んでも知らせず、知らない様になる。南部などにも親類があるが、名も知らない。これは甚だあってはならないことだが、諸国に離れるのと忌のないことによる。気の毒なことである。それほど遠くても先祖から言えば同じ由緒である。高祖のためには私も皆も同じこと。ここらの処は図を書いて見るほどでなければならない。前々も言った通り、九族の図を大切に見なければならない。たとえば三従兄弟と言えば大層遠い者だが、自分も彼も皆高祖にとっては玄孫である。これを国の図でも見る様に思うが、国の図の様に思うのは違う。高祖から段々と分かれる。分かれると遠くなるが、上からは一つの子孫である。図を見るのが講釈をするよりわかり易い。先生此の言を発する、名教を切るに最も的當なり。記者は是に於て身に反りてせざる可からず。

范文正公が参知政事になられたを御手前の手抦にせず、先祖からの德でこのよふになりた。死で先祖の御咎めほども知れぬ。死ぬは遠ひことじゃ。まづ生てをる内に親類をめぐまふとなり。たとへは従父兄弟をそまつにするはいかさま兄弟のやふにせぬも尤と人も許すが、吾こそ従兄弟なれは、祖父の方からは吾も従兄弟も同じ孫じゃから、其孫をそまつにしてはどふも家庿に向かはれぬとなり。親類を救ふ田地を別にしてをかれた。是ををれが死でも間違はせるなとなり。ここは通論でなにもかもひとつにすることで、さてまたこの上で云ふとき、内篇に孝有不時と云ひ、風樹嘆など云ふか合ふことぞ。
【解説】
「苟祖宗之意無親踈、則飢寒者、吾安得不恤也。自祖宗來、積德百餘年、而始發於吾得至大官。若獨享富貴而不恤宗族、異日何以見祖宗于地下。今何顔入家廟乎。於是恩例俸賜常均於族人、幷置義田宅云」の説明。先祖からの徳で参知政事になったのだから、親類を恵もうと范文正公が言った。親類を救うために田地を別にして置かれた。
【通釈】
范文正公が参知政事になられたのを自分の手柄にせず、先祖からの徳でこの様になったのだから、死んでからは先祖の御咎めほども知れない。死ぬのは遠いこと。先ずは生きている内に親類を恵もうと言った。たとえば従父兄弟を粗末にするのは、いかにも兄弟の様にしないのも尤なことだと人も許すが、自分の従兄弟であれば、祖父の方からは自分も従兄弟も同じ孫なのだから、その孫を粗末にしてはどうも家廟に向くことができないと言う。親類を救うために田地を別にして置かれた。これを俺が死んでも間違わせるなと言った。ここは通論で何もかも一つにするものだが、さてまたこの上で言う時、内篇にある「悌有不時」や風樹の嘆などというのが合うこと。
【語釈】
・孝有不時…小学内篇明倫105。「親戚既没、雖欲孝誰爲孝。年既耆艾、雖欲悌誰爲悌。故孝有不及、悌有不時、其此之謂歟」。


嘉言55
○司馬温公曰、凡爲家長必謹守禮法、以御羣子弟及家衆、分之以職、謂使之掌庫廩・廐庫・庖厨・舎業・田園之類。授之以事、謂朝夕所幹及非常之事。而責其成功、制財用之節、量入以爲出、稱家之有無、以給上下之衣食及吉凶之費、皆有品節而莫不均一、裁省冗費、禁止奢華、常須稍存贏餘、以備不虞。
【読み】
○司馬温公曰く、凡そ家長と爲りては必ず謹みて禮法を守り、以て羣子弟及び家衆を御し、之に分つに職を以てし、之をして庫廩・廐庫・庖厨・舎業・田園を掌らしむるの類を謂う。之に授くるに事を以てし、朝夕幹たる所及び非常の事を謂う。其の成功を責め、財用の節を制し、入るを量りて以て出だすことを爲し、家の有無を稱[はか]りて、以て上下の衣食及び吉凶の費を給し、皆品節有りて均一ならざること莫く、冗費を裁省し、奢華を禁止し、常に須く稍贏餘[えいよ]を存して、以て不虞に備うべし。

○司馬温公曰云々。家の惣体のをさめよふ、通論にしてみせたもの。治家には礼法かなければ治められぬ。治まら子はこはれた舞臺で舞をするやふなもの。舞臺がこはれて、觀世宝生でもまわれぬ。此章は身代むきのことて道理の幅がなく、通論てはないよふなり。ときに趣向あること。家人嚴君と云ふはこまかなことでなく全体のこと。丁ど近思の治体のよふなもの。治体のつぎに治法のあるが、ここの礼法の守るよふなものなり。国はををきく家はちいさいけれとも仕方は同じこと。家人嚴君と云は家を治める治体。礼法は治法ぞ。体ばかりで法なけれは、大工が上手でも鰹節小刀ではならぬ。又法ありても体なけれは、大工の下手が七つ道具そろふても出きぬ。とかく礼法かなくてはならぬこと。三尺剱で天下を取たと云もそう云たばかりなれば、紙子を着て川へいるやうなものなり。礼法の目があっても家内か皆ふところ手ではならぬ。各じごとがある。
【解説】
「司馬温公曰、凡爲家長必謹守禮法、以御羣子弟及家衆、分之以職」の説明。家を治めるには礼法がなければならない。それは近思録で治体の次に治法のある様なもの。また、礼法の目があっても家内が懐手をしていてはならない。各々に仕事がある。
【通釈】
「司馬温公曰云々」。これは家の総体の治め様を通論にして見せたもの。家を治めるには礼法がなければ治められない。治まらなければ、それは壊れた舞台で舞をする様なもの。舞台が壊れては、観世や宝生でも舞えない。この章は身代向きのことで道理の幅がなくて通論ではない様だが、そこに趣向がある。「家人厳君」というのは細かなことではなくて全体のこと。それは丁度近思録の治体の様なもの。治体の次に治法のあるのが、ここの礼法を守ると言う様なもの。国は大きく家は小さいが仕方は同じ。家人厳君というのは家を治める治体で、礼法は治法である。体ばかりで法がなければ、大工が上手でも鰹節小刀では何もできない様なもの。また法があっても体がなければ、下手な大工が七つ道具を揃えても何もできない様なもの。とかく礼法がなくてはならない。三尺の剣で天下を取ったと言っても、そう言うだけでは、紙子を着て川へ入る様なもの。礼法の目があっても家内が皆懐手ではならない。各々に仕事がある。
【語釈】
・家人嚴君…易経家人彖伝。「家人有嚴君焉、父母之謂也」。
・三尺剱で天下を取た…漢書高帝紀1下。「吾以布衣提三尺取天下」。劉邦の語。

○庖厨。大小にかきらず、臺所をよくをさめると云でなければならぬ。臺所のしよふがわるいとよい身帯もわるくなる。又奉公人も難義する。ここの家に重年したいと奉公人の云も臺所のしむけがよいからぞ。ここはかるいことの一大事。身帯の倹約をするも親に孝をするも臺所にかかることなり。理に大小はなし。左様な臺所のこと打やれと云はれぬ。太極の道理から吟味するとすててをく処はないことなり。臺所へ手がまわらぬ、はや老父母の羪もととかぬ。善太郎殿は太極々々と云ふがこれを知た人ぞ。世人も山崎派の学者は心法のことはかり云て日用を知らぬと云が不案内な評判なり。本のはそうでない。又世上筭盤第一な人を見るに甚だをかしいことあるぞ。日夜そろばんに心を用ても身代わるいは太極をしらぬそろばんゆへなり。太極と云ことを合点すれば臺所や摺鉢米櫝の上にもあり、几板[まないた]貝杓子の上にもある。朱子の生蛇をつかふと仰られたもこのよふな処なり。今の学者は太極が手に入らぬゆへ皆死た蛇をつかふてをるゆへ日用を知らぬなどと沙汰するぞ。○業はやしきのこと。やしきのことを業と云は、地代も入り普請もあるゆへ、此用掛りあるとぞ。事を云付るにも得手々々がある。垩人の道を学ぶすらそれがありて、德行顔渕云々、政事には冉有季路と得手な方につかふとはやいそ。子どもにもそれ々々あるなり。○非常と云は大風で牆を吹き倒した。又火事などと云なり。
【解説】
謂使之掌庫廩・廐庫・庖厨・舎業・田園之類。授之以事、謂朝夕所幹及非常之事」の説明。台所の仕向けがよくなければならない。台所は軽いことだが理に大小はないから捨てては置けない。山崎派が心法ばかりを言って日用を知らないと言うのは山崎派を知らないのである。
【通釈】
「庖厨」。大小に限らず、台所をよく治めるというのでなければならない。台所の仕様が悪いとよい身代も悪くなる。また、奉公人も難儀をする。ここの家に重年したいと奉公人が言うのも台所の仕向けがよいから。ここは軽いことだが一大事である。身代の倹約をするのも親に孝をするのも台所に掛かること。理に大小はない。その様な台所のことは打ち遣れとは言えない。太極の道理から吟味をすると、捨てて置く処はない。台所に手が回らなければ、早くも老父母の養も届かない。善太郎殿は太極々々と言うが、これを知った人である。世人も山崎派の学者は心法のことばかりを言って日用を知らないと言うが、それは不案内な評判である。本当はそうでない。また、世上算盤第一の人を見ると甚だ可笑しいことがある。日夜算盤に心を用いても身代の悪いのは太極を知らない算盤だからである。太極ということを合点すれば、それは台所や擂鉢、米櫃の上にもあり、俎板や貝杓子の上にもある。朱子が生きた蛇を使うと仰せられたのもこの様な処である。今の学者は太極が手に入らないから皆死んだ蛇を使い、日用を知らないなどと沙汰をする。「業」は屋敷のこと。屋敷のことを業と言うのは、地代も入り普請もあるからで、これが用掛りのあること。事を言い付けるにも得手不得手がある。聖人の道を学ぶことにさえそれがあって、徳行は顔淵、政事は冉有季路と得手な方に使うと早い。子供もそれぞれである。「非常」は大風で牆が吹き倒れたり、火事などということ。
【語釈】
・善太郎…幸田誠之。晩に精義と改める。字は子善。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。寛政4年(1792)2月9日没。年73。私諡は穆靖。野田剛斎門下。
・生蛇をつかふ…朱子語類89。礼六。「伯量問、殯禮可行否。曰、此不用問人、當自觀其宜。今以不漆不灰之棺、而欲以磚土圍之、此可不可耶。必不可矣。數日見公説喪禮太繁絮、禮不如此看、説人都心悶。須討箇活物事弄、如弄活蛇相似、方好。公今只是弄得一條死蛇、不濟事」。
・德行顔渕云々、政事には冉有季路…論語先進2。「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。德行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏」。

○成功が大事。それ々々のかかりありても出来あがりの吟味せぬとわるい。あの畑はそちの請取と云ふ。今年惣体の作はよいが、なぜあれはわるいと云ふ。そこてすててをかれぬ。○財用云々。いかいことつかい、とふてもあとさきの了簡してつかへばそふは入らぬもの。あるとてめったにつかふことではない。これを知らぬと身帯が子てをるよふなもの。身帯が子てをってはさん々々なことぞ。養生のよふなもの。すわりてばかり居るも立ってばかり居るも養生にわるい。○節と云ふことが大事。今年はどらほとときめるがよい。これほどならばこれほどにつかふてゆくことなり。軽いよふなことて万端にあることなり。
【解説】
「而責其成功、制財用之節、量入以爲出」の説明。出来上がりを吟味しなければならない。あるからと言って滅多矢鱈に使うのは悪い。「節」が大事である。
【通釈】
「成功」が大事。それぞれの掛かりがあっても出来上がりの吟味をしないと悪い。あの畑は御前の請け取りだと言う。今年は総体に作がよいが、何故あれは悪いのかと言う。そこで捨てては置けない。「財用云々」。大層使う。後先の了簡をして使えばどうもそれほどは要らないもの。あるからと滅多矢鱈に使うものではない。これを知らないと身代が寝ている様なもの。身代が寝ていては散々なこと。これが養生の様なもの。据わってばかりいるのも立ってばかりいるのも養生には悪い。「節」ということが大事。今年はどれほどと決めるのがよい。これほどであればこれほどに使おうと言う。これが軽い様なことで万端にあること。

○家之有無を稱らぬと身代が子てをるよふなもの。身代はをきてはたらくがよい。いつも一なれば滕平伯が黒藥は何にもよいと云が、たたい藥と云ものは病を見てもる筈なり。さて今は金をかり出すなどと云ふことをじまんそうに云か、それは田地をうるの本。身代つぶす支度ぞ。どちどうしても吾が家の格合をは定て田地の入毛は定らぬ物を以て定を格合にせふとする。これみよ、足らぬ筈なり。有無をはからぬと無調法がをこる。直方先生か餓饉年には犢鼻褌もせぬがよいと云はれた。俗人はかわりたことで、君子のかたくすることをやりばなしにして、君子のさっはりとすることをかたく心得る。知惠が本手の処から出ぬゆへ、粥もすすられぬ凶年にも伊勢海老とくる。垩人はあれほど葬喪を大切にするが、顔子の死だとき、椁を請たれば不機嫌でありた。凶年な時は先祖の祭りをさへ减少すると云こと、礼書にみへたり。
【解説】
「稱家之有無、以給上下之衣食及吉凶之費」の説明。家の有無を称らないと無調法となる。俗人は君子が堅くすることを遣り放しにして、君子がさっぱりとすることを堅くするものと心得る。
【通釈】
家の有無を称らないと身代が寝ている様なもの。身代は起きて働くのがよい。いつも一つであれば、滕平伯が黒薬は何にもよいと言ったのと同じだが、そもそも薬というものは病を見て盛る筈である。さて今は金を借り出すなどということを自慢そうに言うが、それは田地を売る本である。それが身代を潰す支度である。どちらにしても、自分の家の格合を定めて、田地の入毛は定まらない物で定めて格合にしようとする。これを見なさい、足りない筈である。有無を称らないと無調法が起こる。直方先生が飢饉の年には褌もしないのがよいと言われた。俗人は変わったもので、君子が堅くすることを遣り放しにして、君子がさっぱりとすることを堅くするものと心得る。知恵が本来の処から出ないので、粥も啜れない凶年にも伊勢海老と来る。聖人はあれほどの葬喪を大切にするが、顔子が死んだ時に椁を請われると不機嫌だった。凶年の時は先祖の祭りさえ減少するということが礼書に見える。
【語釈】
滕平伯
格合
入毛
・顔子の死だとき、椁を請たれば不機嫌でありた…論語先進7。「顏淵死。顏路請子之車以爲之椁。子曰、才不才、亦各言其子也。鯉也死、有棺而無椁。吾不徒行以爲之椁、以吾從大夫之後、不可徒行也」。
凶年な時は先祖の祭りをさへ减少する

○品節云々。それ々々のしながある。さま々々のしながある。さま々々事はちがへとも、行届処はひとつ。家老にはよい料理を下され、足軽には乾肉と云ふが、どちもひだるくさせてはならぬ。品節はありて、さて均一にゆくこと。奉公人がやれ安楽な、何年もいたいと云ふも均一でのふてはそふ云はぬ。先正月雜煮くふもうれしがる下女があれば、こごとを云ふ下男もあると云はわるい。均一でないからなり。それから公事訴訟もをこる。兄弟中のわるくなるもこれからぞ。均一を知ればわるくはならぬ。兄は立派なものをきる。兄だけゆへなり。宗領の通りにせず。品節はありても大勢の子ともにそををふに正月物をやるて均一なり。そふないと、それからだん々々わるいことをこるものなり。各具の太極のと徳川流のと云も、やっはり身帯持にもあるとみるがよい。
【解説】
「皆有品節而莫不均一」の説明。品節があって均一にする。兄だけは立派なものを着るのが品節ということだが、正月には皆の子供に物を遣るので均一である。
【通釈】
「品節云々」。それぞれの品がある。様々な品がある。様々に事は違うが行き届く処は一つ。家老にはよい料理を下され、足軽には乾肉だが、どちらも腹をすかせてはならない。品節があり、さて均一にする。奉公人がやれ安楽だ、何年もいたいと言うのは、均一でなくてはその様には言わない。先ずは正月に雑煮を食うだけで嬉しがる下女がいれば、小言を言う下男もいるというのは悪い。それは均一でないからで、それから公事訴訟も起こる。兄弟仲の悪くなるのもこれから。均一を知れば悪くはならない。兄は立派なものを着る。それは兄だけで、他は宗領の通りにはしない。品節はそうでも、大勢の子供に相応に正月には物を遣るので均一である。そうでないと、それから段々悪いことが起こるもの。各具の太極、徳川流と言うのも、やはり身代を持つことにもあると見るのがよい。
【語釈】
各具の太極…太極図説集註?「一物各具一太極也」。
徳川流

冗はむだのこと。つかいやふにむだのあること。さして栄耀をせずともとりしめがなければ財がへる。了簡ありてつかへばついへはない。先月買ふてあったにかわぬとて、雨の降るに市へゆき買ふものについえなものはないもの。入用にはないが、安いから買ふてをくと云はついへ。金鍔を買ふてくるのるいなり。さて垩賢の書に金を大切にするはつかうみちがありてのこと。飛脚の足を大切にするよふなもの。金銀つかふわけがある。そのつかふためにしまふてをく。しまふてをく処は君子の大事にするも小人の大事にするも同じことなれとも、心根がちかふぞ。そこて君子小人同行異情と云ふなり。君子は入用あって大事にする。凡夫は金が好きなり。又金を山へすてると云が、すてる筈はない。
【解説】
「裁省冗費」の説明。取り締めがなければ財が減る。聖賢の書に金を大切にすることがあるのは使う道があってのことで、小人とは金を大事にする心根が違う。小人は金自体が好きなのである。
【通釈】
「冗」は無駄のこと。使い方に無駄があること。大して栄耀をしなくても取り締めがなければ財が減る。了簡があって使えば費えはない。先月買ってあったから買わないと、雨が降るのに市へ行って買う者に費えはないもの。入用にはないが、安いから買って置くと言うのは費えで、金鍔を買って来る類である。さて聖賢の書に金を大切にすることがあるのは使う道があってのこと。それは飛脚が足を大切にする様なもの。金銀を使うわけがある。それに使うためにしまって置く。しまって置く処は、君子が大事にするのも小人が大事にするも同じことだが、心根が違う。そこで「君子小人同行異情」と言う。君子は入用があって大事にする。凡夫は金が好きなのである。また金を山へ捨てると言っても、捨てる筈はない。
【語釈】
君子小人同行異情…朱子語類101楊中立に「天理人欲、同體而異用、同行而異情」とあるが…

○奢はをごりなり。料理もひだるくないために食へばよいが本なれども、うまいと云迠はきこへたこと。奢と云はうまいの外にさま々々むづかしいことがある。このことを謝上蔡などの云はれたこと、論語精義にあり。又明の世のこと、五雜俎にある。時ならぬものなどを求めこしらへる。今日までも二月竹の子の、三月茄子を食ふのと云て、かるいものなど一月つかふほとな入用を以て初物を求める。実は珍らしいと云たきりてうまくないもの。衣類も迂斉などの云、このかのこがひとつををいゆへ御姫様の御めしにならぬなどと云ふるい。さてもをごりの甚だしきなり。近比は舩頭などが三井小紋とか云て文字を尻にをっかけてをる。文字なとと云ものがそうしよふものではないが、泰平の世で奢蕐になってきたゆへ、小紋もあるべかかりでは面白ふないゆへちらしかきを小紋にする。気さわりなことなり。役にたたぬをこりからなり。それをやめると、それから金銀もをのづとたくわへられふ。
【解説】
「禁止奢華」の説明。高い金を出して初物を求めたり、洒落た着物を着たがる。それは奢華だからである。それを止めれば金銀も自然に貯まる。
【通釈】
「奢」は奢りである。料理も空腹にならないために食えばよいというのが本来だが、美味いというところまではわかる。奢は、美味いという外に様々な難しいことがある。このことを謝上蔡が論語精義に言っている。また、明の世のことが五雑俎にある。時ならないものなどを求め拵える。今日でも二月に筍、三月に茄子を食うと言って、軽い者などが一月使うほどの入用を費やして初物を求める。実は、それは珍らしいというだけで美味くはないもの。衣類も迂斎などの言う、この鹿の子が一つ多いから御姫様が御召しにならないなどという類は実に奢りの甚だしいものである。近頃は船頭などが三井小紋とかと言って文字を尻に書いている。文字などというものはその様にするものではないが、泰平の世で奢華になって来たので小紋も普通のものでは面白くなく、散し書きを小紋にする。それは気障りなことで、役に立たないことを奢りからする。それを止めると、それから金銀も自ずから蓄えられる。

たんてき病人や火事のと云ふ不意な入用あること。そのためにたくわへをくぞ。国に三年のたくはへがなければ国非其国と云ふことあり、国迚国持ばかりのことでない。かるくてもををきいものは歴々も同じこと。三年のたくはへなくてはならぬこと。今日冨豪なと云農家も多けれとも、三年のたくはへありや、心元なし。三年のたくわへならぬ身上ではなけれとも、奢りにををはるるゆへたくわへ出来ざることなり。これを通論にのせるは、身代わるいと教をしよふとしてもならぬ、朋友に信と云ても朋友の貧究が金かなければすくわれぬ。ここが身代を仕入仕やふよくなければ身がふられぬ。ここが垩学な処。内篇にある通論の道理を行ふ下地を後世の人の云たをだしてみせるなり。碁盤のふて棋はうたれぬ。平天下に生財大道のあるもやっはり一つことなり。
【解説】
「常須稍存贏餘、以備不虞」の説明。金を蓄えるのは急な入用のためだが、奢りから蓄えができない。身代が悪いと教えをしようとしてもできず、朋友の貧窮は金かなければ救えない。そこで、それを言うためにこれをここに載せたのである。
【通釈】
端的、病人や火事で不意な入用があるもの。そのために蓄えて置く。国に三年の蓄えがなければ「国非其国」と言うことがあり、国と言っても国持ばかりのことではない。軽くても大きい者は歴々とも同じこと。三年の蓄えがなくてはならない。今日富豪などと言う農家も多いが、三年の蓄えはあるのだろうか、心許ない。三年の蓄えのできない身上ではない筈だが、奢りに蔽われるので蓄えができない。これを通論に載せるのは、身代が悪いと教えをしようとしてもできず、朋友に信と言っても朋友の貧窮は金かなければ救えないからである。ここが身代の仕入れ仕様がよくなければ身が振れないということ。ここが聖学の処。内篇にある通論の道理を行う下地を後世の人の言を出して見せた。碁盤がなくては碁は打てない。大学の平天下の章に生財大道のあるのもやはりこれと同じこと。
【語釈】
・国非其国…礼記上王制。「國無九年之蓄、曰不足。無六年之蓄、曰急。無三年之蓄、曰國非其國也」。
・生財大道…大学章句10。「生財有大道、生之者衆、食之者寡。爲之者疾、用之者舒。則財恆足矣。仁者、以財發身。不仁者、以身發財」。


右廣明倫。
【読み】
右、明倫を廣む。