嘉言56
董仲舒曰、仁人者正其誼、不謀其利。明其道、不計其功。
【読み】
董仲舒曰く、仁人は其の誼を正しくして、其の利を謀らず。其の道を明かにして、其の功を計らず。

正月十六日
【語釈】
・正月十六日…寛政2年(1790)1月16日。

○董仲舒曰云々。○三幅對の此の語が一つなり。此に並ふ語か二つある。諸葛孔明か一つ、張南軒が一つなり。此の董仲舒の語は殊外大切にあづかることて、孟子の上を行きたと云ふほどなことぞ。朱子も此語は度々引れた。白鹿洞の掲示にもとり、近思録にもとりてをかれた。学者の精神はここに帰着することなり。是を小学の敬身の心術に引れたは、人の心はよのことがましると其端的が心術をらりにしたのなり。我胸の中へ道理はかりいれれば心術の要なれとも、餘のものがいるとわるい。燈油に芥子粒ほど水が入るとはち々々するなり。油へ水が一滴いるや否やはっちり。人間は道理ばかりな筈ぞ。餘の物がいりてはならぬなり。其全体を董仲舒云へり。前漢後漢をかっさらへて一人と云は、此語を云はれたばかりで一人なり。此語は親王家の董仲舒へ、殷の三仁と云ものがあるそうなが、それをききたいと云。其筈ぞ。さてここの誼道の字みるべし。義は一事のうへへかけて云ふて、やっはり道理のことぞ。道は義の全体を云て、ちいそふ云へば義、ををきく云へは道と云ふて、ちがふたことはない。道理のなりを手に入れずにすれば義になる。香車の向へ出るよふなもの。香車と云ふものは向へゆくものゆへ、どこ迠も香車はゆく。直方先生云ふ、將戯盤がちいさけれはこそあれ、將棋盤がををきくは、香車は千里も二千里もゆかふとなり。義のなりをまっすくにし、真向に出るなり。
【解説】
この語と諸葛孔明の語と張南軒の語で三幅対である。心に道理だけを入れれば心術の要となるが、他のものが入ると悪い。義は一事で言い、道理のこと。道は義の全体を言い、小さく言うと義、大きく言うと道と言う。
【通釈】
「董仲舒曰云々」。この語が三幅対の一つである。これに並ぶ語が二つあり、諸葛孔明が一つ、張南軒が一つである。この董仲舒の語は殊の外大切に与ることで、孟子の上を行くというほどのこと。朱子もこの語を度々引かれた。白鹿洞の掲示にも取り、近思録にも取って置かれた。学者の精神はここに帰着する。これを小学の敬身の心術に引かれたのは、人の心は他のことが混じると、その端的は心術を台無しにすることになるからである。自分の胸の中に道理ばかりを入れれば心術の要だが、他のものが入ると悪い。灯油に芥子粒ほどの水が入るとぱちぱちする。油に水が一滴入るや否やぱっちりとなる。人間は道理ばかりの筈で、他の物が入ってはならない。その全体を董仲舒が言った。前漢後漢を引っ包めて一人と言うのは、この語を言われたことだけでもそうなのである。この語は親王家が董仲舒へ、殷の三仁という者がいるそうだが、それを聞きたいと言われて答えたもの。その筈のこと。さてここの「誼」と「道」の字を見なさい。義は一事の上に掛けて言い、やはり道理のこと。道は義の全体を言い、小さく言えば義、大きく言えば道と言って、違ったことではない。道理の通りを手を入れずにすれば義になる。それは香車が向こうへ出る様なもの。香車というものは向こうへ行くものなので、何処までも香車は行く。直方先生が、将棋盤が小さいからこそこうだが、将棋盤が大きければ、香車は千里も二千里も行くだろうと言った。義の通りに真っ直ぐになって、真っ向に出るのである。
【語釈】
・近思録にもとりてをかれた…近思録為学40と聖賢7を指す。
・殷の三仁…論語微子1。「微子去之。箕子爲之奴。比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉」。

○正は浅見先生が、たたいあるべきなりをすると云へり。道理のなりをして、こちの所存はちっともないこと。そふ聞てもならぬ。なぜならぬなれば、道理のなりは我肉の勝手にわるい。仁人は肉にひかれることがない。思慮に引れず道理をまっすぐにする。○利は義なりにすると利のよいものがついてくる。利にも段々ありて、利禄の利心のと云ふきたないことで、垩賢の口に挙けて云はぬことぞ。ときに利と云ふものが一つある。文言傳に出つ。親に孝行をすれば親が可愛がり、君に忠をすれば君の気に入る。これがわるいことではない。可愛かられたい気にいられたいと云に目かつくとわるい。利はさりとはいやなこと。孝行をして親に可愛かられたい、忠をして気にいられたいと云と、忠孝をするも手前の方のことになる。利欲とは違ふよふなれとも、利欲とひとつになる。利にはとんと目をかけずすることぞ。凡夫は利を目かけぬととんと手か出されぬ。利でないと人に合力もせぬ。大切な金を人にやることゆへ、利ではなさそうなものなれとも、さて奇特と云はれたいなり。とかく利を向に立て、それでする。仁人は利には頓とかまわぬ。利には気か付ぬ。何叓をするとても道理の大根の処を吟味する。政をするにも全体の処の道理の明なところからする。そこへ了簡をもってゆきてするなり。軍をするとても勝の負けるのと云ことではない。先祖の敵とてすること。今度の軍はどこ迠も主の歒、討た子ばならぬと云。
【解説】
「正」は道理の通りをすることだが、欲があるからそれができない。親に孝や君に忠はよいことだが、可愛がられたい、気に入られたいとしてするのは悪い。それは自分のためにするのであり、利欲である。仁人は利に全く構わない。
【通釈】
「正」は浅見先生が、そもそもあるべき通りをすることだと言った。道理の通りをして、こちらの所存は一寸もないこと。そう聞いてもできない。何故できないのかと言うと、道理の通りは自分の肉の勝手に悪い。仁人は肉に引かれることがない。思慮に引かれず道理の通りに真っ直ぐにする。「利」。義の通りにすると利のよいものが付いて来る。利にも段々があって、利禄や利心という汚いことは、聖賢は口に出して言わないもの。その利というものが文言伝に一つ出ている。親に孝行をすれば親が可愛がり、君に忠をすれば君の気に入る。それは悪いことではない。しかし、可愛がられたい、気に入られたいというのに目が付くと悪い。利は実に嫌なこと。孝行をして親に可愛がられたい、忠をして気に入られたいと言うと、忠孝をするのも自分の方のことになる。それは利欲とは違う様だが、利欲と同じになる。利には全く目を掛けずにする。凡夫は利を目掛けないと全く手を出せない。利でないと人に合力もしない。大切な金を人に遣ることなので、利ではなさそうなものだが、さて奇特と言われたいのである。とかく利を向こうに立てて、それでする。仁人は利には全く構わない。利には気が付かない。何事をするにも道理の大根の処を吟味する。政をするにも全体の処の道理の明なところからする。そこへ了簡を持って行ってする。軍をするのも勝ち負けということではない。先祖の敵なのでする。今度の軍は何処までも主の敵なので討たなければならないと言う。
【語釈】
・文言傳に出つ…乾卦文言伝1。「利者義之和也」。「利物足以和義」。

○明其道也。功のことは頓とかまわぬ。こふといて彼三幅對を云ふことぞ。先つ一つは蜀の孔明なり。成敗利鈍非臣之明所能逆睹と云ふ。功は計ることではない。勝たふとてすることではなく、孔明の軍などは勝の負けるのと云ことはなく、此天下は漢の天下じゃに、謀反人の曹操に天下を取られてはならぬとてする。勝とふと云ふことは自らも知らぬこと。負けやふもしれぬとなり。勝とふとてするは奕嫮打の了簡なり。道を明にすることゆへ、頓と功などと云ふことに目はくれぬ。道理のなりにする。去るによって孔明は功は立られなんだが、名はあのとをりに立てをる。本邦の楠もそれなり。湊川であのとをりあへのふ討死はしたれとも、名天壤とひとしふ立てをる。此て道をすることで、功のなんのと云ことはかたからないそ。
【解説】
孔明は功には目をくれず、道理の通りをした。そこで、功は立てられなかったが名は立った。楠も同じである。勝ち負けではない。
【通釈】
「明其道也」。功のことは全く構わない。この様に説いて、あの三幅対を言う。先ず一つは蜀の孔明である。「成敗利鈍非臣之明所能逆睹」と言った。功は計ることではない。勝とうとしてすることではなく、孔明の軍などは勝ち負けということはなく、この天下は漢の天下だから、謀叛人の曹操に天下を取られてはならないとしてするのである。勝つということは自らも知らないこと。負けるかも知れないと言った。勝とうとしてするのは博徒の了簡である。道を明にすることなので、功などということには全く目をくれず、道理の通りにする。そこで孔明は、功は立てられなかったが、名はあの通りに立っている。日本の楠もそれ。湊川であの通り敢えなく討死をしたが、名は天壌と等しく立っている。これで道をするのであって、功の何のということは少しもない。
【語釈】
・成敗利鈍非臣之明所能逆睹…後出師之表。「臣鞠躬尽力、死而後已。至於成敗利鈍、非臣之明所能逆覩也」。

偖てもふ一つ、張南軒なり。張南軒か一も有所爲而後爲之則皆人欲之私而非天理之所存矣と云はれた。世の中のことが皆爲にする。爲にすれは道理にはづれる。そこで何ぞの為めと云は本のことではないと云はれた。朱子も何そと云と孔明と並へ称してをかれた。文盲な者か後世願をすることを、直方先生が地獄へ投げ銭をするよふなものと云はれた。今後世を願ふとやがてよいと云ふ。為めと云になると、よいことをするも道理の正面でなく功に目がつく。是を敬身の初に引たは、人の心に肉につくきたないものかある。それを取て道ばかりにすること。心術之要は正しひ中へやだものをいれぬこと。利の功のと云はやだものなり。此語がなせ結搆な語と云ふは、利の功のと云ををっはらって道理なりにする。頓と肉へ付た手抦や勝手は入れぬことぞ。仁人の心が心術を明にして、餘のものはすこしもいれぬ。
【解説】
張南軒は、為にするのは道理から外れると言った。為にすると功に目が付く。利や功を追い払って道理の通りにするのである。
【通釈】
さてもう一つは張南軒である。張南軒が、「一有所為而後為之、則皆人欲之私、而非天理之所存矣」と言われた。世の中のことを皆為にするが、為にすれば道理に外れる。そこで何かの為と言うのは本当のことではないと言われた。朱子も何かと言うと孔明と並べ称して置かれた。文盲な者が後世願いをすることを、直方先生が地獄へ投げ銭をする様なものだと言われた。今、後世を願うとやがてよいと言う。為ということになると、よいことをするのも道理の正面ではなくて功に目が付く。これを敬身の初めに引いたのは、人の心には肉に付いた汚いものがあるから、それを取って道ばかりにするということ。心術之要は正しい中へ疵物を入れないこと。利や功というのは疵物である。この語が何故結構な語なのかと言うと、利や功ということを追い払って道理の通りにするからである。肉に付いた手柄や勝手は全く入れない。仁人の心は心術を明にして、他のものは少しも入れない。
【語釈】
一も有所爲而後爲之則皆人欲之私而非天理之所存矣


嘉言57
○孫思邈曰、膽欲大而心欲小。智欲圓而行欲方。
【読み】
○孫思邈曰く、膽は大ならんことを欲して、心は小ならんことを欲す。智は圓ならんことを欲して、行いは方ならんことを欲す。

○孫思邈は唐の世の名医なり。ここに五臓六腑の膽と云ふ字あるゆへ医術から云たことと思ふが、此章のことには医の方のことは手傳たことはないと見ることぞ。浅見先生が、孫思邈が古言を傳へたであらふと云やった。是が語立をみるのみよふぞ。とかく医者の方についたことにはみへぬ。成程古の遺語を傳へて云たであらふ。医者の論にもけだかいことはあれとも、気についたとりまわし、それが理のためになる。此章のことは気に付た取まわしではない。理に合ふたことが養生にもならう。○膽は肝の腑で、六腑に膽と云ふものがある。是を和訓てきもと云ふ。きもと云ふもをかしい和訓なれども、きもと云ひ傳へてからして、きものふとひ男と云ふこともある。志に付た字なり。人のうんと受こんでむ子とするところは甚たををきひがよい。浅見先生が、なんたることでもびくともせぬことと云へり。人の精神がひくともせぬと云ふ。土臺がないと風か吹ても草か動てもはっ々々と思ふ。何程のこともないに苦労をして、はっ々々と云ふて気ををとすことだらけなり。曽子の自反而縮雖千万人吾往矣。なんでももってこいとどっさりとすわる。
【解説】
孫思邈は唐の世の名医だが、これは医の気に付いたことからの言ではない。胆は志に付いた字で、胆は大きくてびくともしないのがよい。
【通釈】
孫思邈は唐の世の名医である。ここに五臓六腑の胆という字があるので医術から言ったことだと思うが、この章は医の方のことが手伝ったことはないと見なさい。浅見先生が、孫思邈が古語を伝えたのだろうと言われた。これが語立ての見方である。とかく医者の方に関したことには見えない。なるほど古の遺語を伝えて言ったのだろう。医者の論にも気高いことはあるが、気に付いた取り回しが理のためになる。しかし、この章は気に付いた取り回しではない。理に合ったことが養生にもなることだろう。胆は肝の腑で、六腑に胆というものがある。これを和訓できもと言う。きもと言うのも可笑しな和訓だが、きもと言い伝えることからして、胆の太い男ということもある。志に付いた字である。人がうんと胸に受け込んでするところは甚だ大きいのがよい。浅見先生が、何事にもびくともしないことだと言った。人の精神がびくともしないと言う。土台がないと風か吹いても草が動いてもはっはっと思う。何でもないことに苦労をして、はっはっと言って気を落とすことだらけである。曾子が「自反而縮雖千万人吾往矣」。何でも持って来いとどっさりと据わる。
【語釈】
・自反而縮雖千万人吾往矣…孟子公孫丑章句上2。「昔者曾子謂子襄曰、子好勇乎。吾嘗聞大勇於夫子矣。自反而不縮、雖褐寛博、吾不惴焉。自反而縮、雖千萬人吾往矣」。

而と云ふ字のあるで、上も下もしめる字ぞ。ふるい字でいへば書經に直而温寛而栗云々と而々とある。ものをつなぐことばなり。膽欲大はかりでるとさしつかへる。心欲小と、其中へ而の字と云字を置くで、两方をこちのものにすることぞ。これかいこう心法を合点したことぞ。膽はををきくて心はいこう律義ながよい。心は正直に律義にする。そのことを弟子職などに小心翼々と云ふ。ここか今日の人はうらはらぞ。心が小でないゆへ大切にすべき道理を大切にせず、然らは大膽かと云に、何の叓もないに気がさは々々する。本のは全体の膽はををきくて、そうかと思へば心は律義なり。日用こまかなことにみな心がこまかにでて、ものをなぐらぬ。小と云たとてちいさくなることではない。よい加减にしろとなぐる処をこまかあたりにし、ものごと大事にする。なんでもかりそめにせぬことと浅見先生云へり。これを两掛にするが君子の心法なり。惣体人は知惠と行と二つでする。
【解説】
「胆欲大」ばかりで出ると差し支える。「心欲小」があるのでよい。胆は大きくて心は律儀なのがよい。「心欲小」は物事を大事にすること。
【通釈】
「而」という字があり、これが上も下も締める字。古い字で言えば書経に「直而温寛而栗云々」と而々とあり、ものを繋ぐ言葉である。「胆欲大」ばかりで出ると差し支える。「心欲小」と、その中へ而の字を置いて、両方を自分のものにする。これが大層心法を合点したこと。胆は大きくて心は大層律儀なのがよい。心は正直に律儀にする。そのことを弟子職などで「小心翼々」と言う。ここが今日の人は裏腹である。心が小でないので大切にすべき道理を大切にせず、それなら大胆かと言えば、何事もないのに気がざわざわする。本来は、全体の胆は大きくて、そうかと思えば心は律儀なもの。日用細かなことに皆心が細かに出て、ものを粗略にしない。小とは言っても小さくなることではない。よい加減にしろと粗略にする処を細か当たりをし、物事を大事にする。何でも仮初にしないことだと浅見先生が言った。これを両掛けにするのが君子の心法である。総体、人は知恵と行との二つでする。
【語釈】
・直而温寛而栗…書経舜典。「帝曰夔、命汝典樂、教冑子。直而温、寬而栗、剛而無虐、簡而無傲」。
・弟子職などに小心翼々…小学内篇立教9。「夙興夜寐、衣帶必飭、朝益暮習、小心翼翼。一此不懈。是謂學則」。

○智圓と云はどふなれば、智惠はとどこをらぬと云がよい。道理をよくしったか知惠ぞ。道理も知惠も形ちのないもの。直方先生所謂太極は筈と、是れなり。筈は道理でつかまへられぬ。其道理の形ないものを胸へをさめて道理なりにするを行と云ふ。道理は何の上にもあって、向からくるもの次第でちがふ。親に孝と君に忠はしかたがちがふ。何程君に忠じゃ、情の親切とても、懐中の饅頭を出して君へ上てはちがふ。父母へはそれがよし。それをよいよふにそれ々々にとりさばくが知惠ゆへ、圓でないとがたひしする。智欲圓と云が知を形容して云ふことなり。丸いものはさしつかへぬ。板の間へ鉄炮玉をころがすとごろ々々ころげる。片々へよると云ふのは知惠のないのそ。拙者五十年存しつめたと云は知惠のないのなり。圓てないゆへなり。昨日非而今日是と云か知惠の進むのぞ。昨日まて思ひつめたもわるいと云ふがよい。五十年思ひつめたと云はわるい。
【解説】
「智欲円」で、智恵は滞らないのがよい。道理は形がなくて向こうから来るもの次第で違うが、それを取り捌くのが智恵である。そこで智恵は丸くなければならない。思い詰めるのは智恵がないのである。
【通釈】
「智円」とはどういうことかと言うと、智恵は滞らないのがよい。道理をよく知ったのが知恵である。道理も知恵も形のないもの。直方先生が太極は筈と言うのがこれ。筈は道理で掴まえられない。その道理の形ないものを胸に納めて道理の通りにすることを行と言う。道理は何の上にもあって、向こうから来るもの次第で違う。親に孝と君に忠は仕方が違う。何ほど君に忠、情の親切と言っても、懐中の饅頭を出して君へ上げては違う。しかし、父母へはそれがよい。それをよい様にそれぞれに取り捌くのが知恵なので、円でないとがたぴしする。智欲円と言うのが知を形容して言ったこと。丸いものは差し支えない。板の間へ鉄砲玉を転がすとごろごろと転げる。片々へ寄るというのは知恵がないのである。拙者五十年まで存じ詰めたと言うのは知恵がないのである。それは円でないからである。昨日非而今日是と言うのが知恵の進むこと。昨日まで思い詰めたのも悪いと言うのがよい。五十年思い詰めたと言うのは悪い。
【語釈】
・昨日非而今日是…帰去来辞。「歸去來兮、田園將蕪、胡不歸。既自以心爲形役、奚惆悵而獨悲。悟已往之不諫、知來者之可追。實迷途其未遠、覺今是而昨非」。

圓はすんほうのきまらぬと見るがよいぞ。一旦豁然貫通と云ふも圓な処をするしごとなり。今人手張にとめてをく。まだそれすらよいが、ひょっとないとき、あとへもさきへも行ぬ。医人医書をくるも随分よいが、名医になると医書にない病人もよくするはづ。知惠があるとなにもかも自由にゆく。そう云ふと知すりな学者がうれしがるなり。ところを而の字で上へは子かへす。知惠のころけるよふに身持がころげてはわるいゆへ、身持は四角四面ながよい。圍棋盤のよふなものはころけぬ。身持は圍棋盤のよふながよい。これが天と地のよふなもの。天は圓なり。圓な中に春夏秋冬と流行する。あれが知の模様ぞ。地は行のもよふで、けたなり。いくら地震がいりても上総が下総にならぬ。かわらず動かぬものなり。かた々々づつと云ふが学問にはないこと。两方をするて学問と云ふ。今も膽の大ひ人もあるが、やりばなしをする。知のある人もあるが行がわるい。知惠は知惠、行は行とぶん々々になることなれば称美するに及ばぬ。而々と云で两方もちをう。
【解説】
円は寸法のないもの。知恵が転げる様に身持が転げては悪いので、身持は四角四面なのがよい。方なものは変わらず動かない。知行、円と方があるのが学問である。
【通釈】
円は寸法が決まらないものと見るのがよい。「一旦豁然貫通」と言うのも円な処をする仕事である。今人が手帳に留めて置く。それすらまだよいことだが、ひょっとそれがない時には後へも先へも行けない。医人が医書を繰るのも随分とよいが、名医になると医書にない病人もよくする筈。知恵があると何もかも自由に行く。そう言うと知釣りな学者が嬉しがる。そこを而の字で上に跳ね返す。知恵の転げる様に身持が転げては悪いので、身持は四角四面なのがよい。囲碁盤の様なものは転げない。身持は囲碁盤の様なのがよい。これが天と地の様なもの。天は円である。円な中に春夏秋冬と流行する。あれが知の模様である。地は行の模様で、方である。いくら地震で揺れても上総が下総にはならない。変わらず動かないもの。片々ずつというのは学問にはない。両方をするので学問と言う。今も胆の大きい人もあるが、遣り放しをする。知のある人もいるが行が悪い。知恵は知恵、行は行と別々になることであれば称美するには及ばない。而々と言って両方を持ち合う。
【語釈】
・一旦豁然貫通…大学章句5。「是以大學始教、必使學者即凡天下之物、莫不因其已知之理、而益窮之、以求至乎其極。至於用力之久、而一旦豁然貫通焉」。
・けた…けだ。方、角。四角な形。

知が圓でないと何もかもうらみだらけになる。親が死ぬと医者をかたきに思ふ。死生有命と合点すれば、死だとて医者を怨みはせぬ。命数のつきた処と思ふぞ。そんなら泣きもせず、どふならふとよいかと云に、喪服をきる。行ひなり。知惠で命数を合点するならば打捨ろと云ひそうなものなれとも、頓と精進をして減沱に酒も飲ま子ば肴も食はぬ。两方そろは子ばならぬことぞ。ときに今日の人は大くすべき膽はちいさくて、心はをふちゃくゆへ、事はやりばなしをする。らんさはぎになり、あちらこちらなり。さて董子と孫思邈をならべて近思録には可以為法と程子のうらいんがある。道統の書ゆへなり。小学は相印のない。烑灯とぼしてもとをられること。手前同勢でとをすなり。近思と小学、そこばかりの別なり。
【解説】
親が死んだ時に、それが命数だと合点するのは知で、精進をするのは行である。両方が揃わなければならない。近思録のこの語に程子の裏判があるのは、近思録が道統の書だからである。小学はその前段の書なので裏判がないのである。
【通釈】
知が円でないと何もかも怨みだらけになる。親が死ぬと医者を仇と思う。「死生有命」と合点すれば、死んだとしても医者を怨みはしない。命数が尽きた処だと思う。それなら泣きもせず、どうなってもよいかと言えば、喪服を着る。これが行である。知恵で命数を合点するのであれば打ち捨てろと言いそうなものだが、精進をして滅多に酒も飲まなければ肴も食わない。両方が揃わなければならない。時に今日の人は大きくすべき胆は小さくて、心は横着なので、事は遣り放しをする。それでは乱騒ぎになって、取留めがなくなる。さて近思録では董子と孫思邈を並べて「可以為法」と程子の裏判がある。それは道統の書だからで、小学には裏判がない。小学は提灯を灯しても通れるもの。自分を同勢として通すのである。近思と小学は、そこだけが違う。
【語釈】
・死生有命…論語顔淵5。「司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我獨亡。子夏曰、商聞之矣。死生有命。富貴在天。君子敬而無失。與人恭而有禮、四海之内、皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也」。
・可以為法…近思録為学40。「董仲舒謂、正其義、不謀其利。明其道、不計其功。孫思邈曰、膽欲大而心欲小。智欲圓而行欲方。可以爲法矣」。


嘉言58
○古語云、從善如登、從惡如崩。
【読み】
○古語に云う、善に從うは登るが如く、惡に從うは崩るるが如し。

○従善云々。人の心をよくするが何も別のことではない。よいことをしてわるいことをすてるより外はない。此章で其善悪に近つきにするもよふをみせるなる。ここがいこふ心術の功夫になる。よいことはいかふ太義なもの。○如登はのぼりさかのこと。灸をするなどは大人でもさて々々いやなこと。なきこそせ子、中々あだや大抵なことではないが、病をなをしたいと云ふ一心あるゆへこらへる。まどろむ最中の三月頃あさをきをする。大抵なことではない。わるい方のことははら々々と手廻のはやいものなり。○崩は自身をくづしてしまふことではない。はやいことを云ふ。如崩其角と云ふも、武王の軍に殷のものどものぢきに降参したこと。
【解説】
人の心をよくするには、善いことをして悪いことを捨てるより外はない。善いことは大儀なもので、悪いことは手回しのよいもの。「崩」は早いということ。
【通釈】
「従善云々」。人の心をよくするには何も別のことはない。善いことをして悪いことを捨てるより外はない。この章でその善悪に近付きをする模様を見せる。ここが大層心術の功夫になる。善いことは大層大儀なもの。「如登」は上り坂のこと。灸をするなどは大人でも実に嫌なこと。泣きこそしないが、中々並大抵なことではないが、病を治したいという一心があるので堪える。まどろむ最中の三月頃に朝起きをする。それは大抵なことではない。悪い方のことははらはらと手回しの早いもの。「崩」は自身を崩してしまうことではない。早いことを言う。「若崩厥角」と言うのも、武王の軍に殷の者共が直ぐに降参したこと。
【語釈】
・如崩其角…孟子尽心章句下4。「武王之伐殷也、革車三百兩、虎賁三千人。王曰、無畏、寧爾也。非敵百姓也。若崩厥角稽首」。

○悪とはどのよふなれば、肉へよいこと。人間わづか五十年、そのよふに学問して何にしやるぞ、酒を飲めと云ふ。その方へゆきよい。はら々々と其方へゆくが、よいことはとかく大義なり。垩賢のよいはのほると云ことを段々したもの。古から懐手した垩賢はない。うしろをふりかへってみたとき、悪名を得るに骨を折たことはない。晝夜美女を集め、淫乱酒色てまもなくわるくなる。崩と云はいこうはやい。皆々江戸などて町人の藏を建るを見られよ。吟味する藏は一年もかから子ば出来あがらぬが、こはすは一時ぞ。人の身持もそれで、今迠よい人も一時の中にわるくなる。久しくかかりて講釈を聞きたることも、三日江戸逗留の中にわるくなる。三十迠身持よい人も、さっそくわるくなる。身上をつぶすときは一時の中につぶしてしまふ。如し如しと形容をみせて心術の功夫にする。云ずてにしたよふで面白ひことぞ。
【解説】
悪は肉によいこと。今までよかった人でも一時の内に悪くなる。身上を潰すのは一時のことである。
【通釈】
悪とはどの様なことかと言うと、肉へよいこと。人間僅か五十年、その様に学問をして何をするのか、酒を飲めと言う。その方へは行きよい。はらはらとその方へ行くが、よいことはとかく大儀である。聖賢がよいのは登るということを段々としたから。古から懐手した聖賢はいない。後ろを振り返って見た時に、悪名を得るのに骨を折ったということはない。昼夜美女を集め、淫乱酒色で間もなく悪くなる。崩というのが大層早いこと。皆々江戸などで町人が蔵を建てるのを見なさい。吟味する蔵は一年も掛からなければでき上がらないが、壊すのは一時である。人の身持もそれで、今までよかった人でも一時の内に悪くなる。久しいこと講釈を聞いていた者も、三日江戸に逗留の内に悪くなる。三十まで身持のよかった人も、早速悪くなる。身上を潰す時は一時の内に潰してしまう。如し如しと形容を見せて心術の功夫にする。これが言い捨てにした様で面白いこと。


嘉言59
○孝友先生朱仁軌隱居養親。常誨子弟曰、終身讓路不枉百歩。終身讓畔不失一叚。
【読み】
○孝友先生朱仁軌、隱居して親を養う。常に子弟を誨えて曰く、身を終うるまで、路を讓るとも百歩を枉げず。身を終うるまで、畔を讓るとも一叚を失わず、と。

○孝友先生云々。隠居。今云ふ隠居とはちがふ。此の隠居と云は奉公をせぬこと。論吾が出処になるかなり。あの方では奉公せぬことをみめなことにする。今日本邦の勢とはちごふ。奉公せぬ人がをれも奉公せぬとて自慢することではない。あの方では身に少し藝でもあると上からとりもちてがあり、又さそい人もある。そこで隠居と云ふことがみめになる。此の辺などで白輪や密柑をもったものの処へ蜜柑買がゆくと、この密柑はうる蜜柑ではないと云ふ。はてあぢな人と云。身に藝あれば、上からもとりもちさそいてもあるゆへ、われも々々々とでることになってをる処を隠居なり。子共や弟、家内の若い者へ教へをなすに奇代な面白ひことを云はれた。一代のかんじょふをしたことと迂斎云へり。
【解説】
中華では少し芸があると人に取り上げられる。そこで、隠居をするのがよいことになる。日本の隠居とは違う。
【通釈】
「孝友先生云々」。隠居は今言う隠居とは違う。この隠居は奉公をしないこと。論語が出処だろうか。中華では奉公をしないことをよいこととする。今日の日本の勢いとは違う。奉公をしない人が、俺も奉公をしないと自慢することではない。中華では身に少し芸でもあると上に取り持ち手があり、また、誘い手もある。そこで隠居ということがよいことになる。この辺などで白輪や蜜柑のある者の処へ蜜柑買いが行くと、この密柑は売る蜜柑ではないと言う。はて妙な人だと言う。身に芸があれば、上が取り持ち、誘い手もあるので、我も我もと出ることになっている処を隠居する。子供や弟、家内の若い者へ教えをするのに希代な面白いことを言われた。一代の勘定をしたのだと迂斎が言った。
【語釈】
・孝友先生…朱仁軌。字は徳容。弟は教則、字は少連で、則天武后の時の名臣。

○譲と云ふ字は、人をつきまはし、我上に立たふとするを八年教譲あり、八つばかりの時分からこれを教るなり。これが小笠原で教るやうなことではない。人よりさきに出ぬよふに々々々々とする。そのことを子孫へ示された。道を譲ることがある。何を知らぬものでも道のぬかるときは譲るが、とかく人情が急き気勝ち気。これが人の心の病なり。譲るべき路もをしのけゆきたがる。わるい合点で、人のあとに立と損のやふに思ふ。一生まちあわせたとて百歩ともちがいはすまい。人の心に、人のものはへらさせ、吾がものはへらすまいとする。田をもった者は畔ををとせばひろくなる。とかく田畑並て争論の起るもこれなり。譲るがよい。ここが君子小人のちがい。一生譲たとて一叚とはちがふまい。これは寸尺を急度あてずに云ふことぞ。六尺二寸を一間と立、六間のことと云へり。今畔を争ふもささいなこと。さりとはみながかれこれと云が、一叚とは失まい。あらいよふなれとも、甚た心術の工夫になると合点するがよい。
【解説】
とかく人情は急気勝気があるので、人の後に立つと損をした様に思う。そこで譲るということができないもの。しかし、一生道を譲ったとしても、百歩も譲ることにはならないだろうし、一生畔を譲ったとしても一段も譲ることにはならないだろう。
【通釈】
「譲」という字は、人を突き回し、自分が上に立とうとするところを「八年教譲」とあり、八つばかりの時分からこれを教えるのである。これは小笠原で教える様なことではない。人より先に出ない様にとする。そのことを子孫へ示された。道を譲ることがある。何も知らない者でも道が泥濘んでいる時は譲るが、とかく人情が急気勝気であって、これが人の心の病である。譲るべき路も押し退けて行きたがる。悪い合点で、人の後に立つと損をした様に思う。一生待ち合わせたとしても百歩も違いはしないだろう。人の心に、人のものは減らさせ、自分のものは減らさない様にしようとする。田を持った者は畔を落とせば広くなる。とかく田畑で争論の起こるもこれから。譲るのがよい。ここが君子小人の違い。一生譲ったとしても一段とは違わないだろう。これは寸尺をしっかりと当てずに言うこと。六尺二寸を一間と立て、六間のことと言う。今畔を争うのも瑣細なこと。実に皆がかれこれと言うが、一段とは失わないだろう。粗い様だが、甚だ心術の工夫になることだと合点しなさい。
【語釈】
・八年教譲…小学内篇立教2。「八年出入門戸、及即席飮食、必後長者。始敎之讓」。
・一叚…一段。一反。六尺を一間、六間を一段とする。

譲らず、吾が方をはりだすほど君子の邪魔になることはない。書會などても兎角吾か説をよいにしたがる。あれは垩賢の意を合点することで私ではない。正面にこきつけ子ばならぬが、ささいなことはどうしてもよい。あまり理屈はると、文義はそれでもよかろふが、心へ甚だきずを付るなり。顔を赤めて云ふが道を任ずるよふなれとも、それが勝ち気なり。譲れは平和になる。順境逆境と云ふこと、自省彔にあり、譲るが順境、我をたてるか逆境。この章も心のこやしになると合点するがよい。食ひ足りぬ語のやふに見へるが、いかふ玉しいにわりこんだ語なり。
【解説】
書会などでもとかく自分の説を主張するが、それは勝気である。譲れば平和になる。
【通釈】
譲らず、自分の方を張り出すほど君子の邪魔になることはない。書会などでもとかく自分の説をよいとしたがる。あれは聖賢の意を合点することであって、私のことではない。正面に扱き付けなければならないことだが、瑣細なことはどうでもよい。あまりに理屈張ると、文義はそれでもよいだろうが、甚だ心へ疵を付ける。顔を赤らめて言うのは道を任ずる様だが、それが勝気である。譲れば平和になる。順境逆境ということが自省録にある。譲るのが順境で自分を立てるのが逆境。この章も心の肥やしになると合点しなさい。食い足りない語の様に見えるが、大層魂に割り込んだ語である。


嘉言60
○濂渓周先生曰、聖希天、賢希聖、士希賢。伊尹・顔淵大賢也。伊尹恥其君不爲堯・舜、一夫不得其所、若撻于市。顔淵不遷怒、不貳過、三月不違仁。志伊尹之所志、學顔子之所學、過則聖、及則賢。不及則亦不失於令名。
【読み】
○濂渓周先生曰く、聖は天を希い、賢は聖を希い、士は賢を希う。伊尹・顔淵は大賢なり。伊尹は其の君の堯・舜と爲らず、一夫も其の所を得ざるを恥ずること、市に撻たるるが若し。顔淵は怒りを遷さず、過を貳びせず、三月仁に違わず。伊尹の志す所を志し、顔子の學ぶ所を學ばば、過ぐれば則ち聖、及ばば則ち賢。及ばざるも則ち亦令名を失わず。

○濂渓周先生云々。学問は心をよくすることより外はない。学問をして何にすると云ふに、心をよくすること。心をよくせぬ学問なれば藝者と同しこと。經書よんで文章をかくことと思ふるいはさても々々々なり。漢唐夢を説くと云がきこへたこと。論吾や孟子詩經書経に註をし世話をやいたが、つい藝になりた。周茂叔に至て始めて不傳の学を遺經に得られたと云ふも垩賢の語をこやしにして手前の心をよくしられた。仁義礼智は心に入れてをくもの。入れ物がそこ子てをるゆへ仁義礼智に迠にをひがぬけてをる。直方先生、心は道落なものと云へり。これをよくせ子はならぬ。偖て此章のことは志学の章と云ふなり。それもどこの処と云へば、とど心をよくすること。伊尹顔渕を云ふが心へ説き付ることゆへ、不傳の学を遺經に継と云ふ。道統にあづかること。
【解説】
「濂渓周先生曰」の説明。学問は心をよくすることで、芸ではない。それを初めて継いだのは周濂渓である。心は仁義礼智の入れ物だから、入れ物が悪ければ仁義礼智までが抜ける。
【通釈】
「濂渓周先生云々」。学問は心をよくするより外はない。学問をして何をするかと言えば、心をよくすること。心をよくしない学問であれば芸者と同じこと。経書を読んで文章を書くことと思う類は実に悪い。漢唐夢を説くと言うのがよくわかる。論語や孟子詩経書経に註をして世話を焼いたが、遂に芸になった。周茂叔に至って初めて不伝の学を遺経に得られたと言うのも、聖賢の語を肥やしにして自分の心をよくされたからである。仁義礼智は心に入れて置くもの。入れ物を損ねているので仁義礼智まで匂いが抜けている。直方先生が心は道楽なものだと言った。これをよくしなければならない。さてこの章を志学の章と言う。それも何処の処からかと言えば、つまりは心をよくすることから。伊尹顔淵を言うのが心へ説き付けることなので、不伝の学を遺経に継ぐと言う。これが道統に与ること。
【語釈】
・漢唐夢を説く…朱子語類51。「漢唐諸人説義理、只與説夢相似、至程先生兄弟方始説得分明。唐人只有退之説得近旁、然也只似説夢」。同93。「今看來漢唐以下諸儒説道理見在史策者、便直是説夢」。
不傳の学を遺經に得られた

○人間の中で少しも引をひをせぬ不足ないことを垩人と云ふ。今日の人は仁義礼智を持たと云ふ御朱印ばかりで金主にひかれてをる。天の下された通りみなもってをると云ふがよい。さて希と云もををきいがよい。垩人になりてもただぶらりとしてはをらぬ。天をあをのいて見て、さて々々天は及はぬものと云ふ。垩人も五尺のからだがあるゆへ天ほどなはたらきが出来ぬ。天は寒暑往来自然にすら々々ゆく。そこを垩人が見られて、誠にすくやかなとどこふりのないものじゃ、どふそあのよふにと子ごふて、ぶらとしてこれでよいとは思召ぬ。天の姿を見て希なり。
【解説】
「聖希天」の説明。人の中で不足のない者が聖人である。その聖人も天に及ぶことができないと言う。天は自然にすらすらと行く。聖人には五尺の体があるので天ほどの働きはできない。しかし、天を希う。
【通釈】
人間の中で少しも引負いのない、不足のない者を聖人と言う。今日の人は仁義礼智を持ったという御朱印ばかりで金主に引かれている。天の下された通りに皆持っているというのがよいこと。さて希うのも大きいのがよい。聖人になってもただぶらりとしていてはいない。天を仰いで見て、さても天は及ばれないものだと言う。聖人も五尺の体があるので天ほどの働きはできない。天は寒暑往来自然にすらすらと行く。そこを聖人が見られて、誠に健やかな滞りのないものだ、どうかあの様にと希い、ぶらりとしてこれでよいとは思し召さない。天の姿を見て希う。

○賢人は学知の人なり。垩人にヶ條ではちがはぬが、垩人のつぎなもの。今は垩賢のことが不案内ゆへ、垩人は明け六つに目がさめ、賢人は五つごろ目がさめると思ふと迂斉云へり。帳面の上はひとつて德が成就せぬゆへつかまへてする塲がある。垩人の自然を見てあのよふになりたいと云ふ。直方先生曰、垩人と賢人のちがいは木履と草履のよふなものとなり。草履は大義でない。木履もちかいはなひが、蹈み反へそふと云用心がある。垩人は草履ゆへ蹈み反す気遣はない。賢人は木履ゆへ蹈み反すまいと云ふ力がつく。賢人は垩人にならふとする。
【解説】
「賢希聖」の説明。賢人は学知の人で、まだ徳が成就しない人。賢人は聖人を希う。
【通釈】
賢人は学知の人。聖人に箇条では違わないが、聖人の次の者。今は聖賢のことが不案内なので、聖人は明け六つに目が覚め、賢人は五つ頃に目が覚めると思うと迂斎が言った。帳面の上では同じだが、徳が成就しないので掴まえてする場がある。聖人の自然を見てあの様になりたいと言う。直方先生が、聖人と賢人との違いは下駄と草履の様なものだと言った。草履は大儀ではない。下駄も違いはないが、踏み返そうという用心がある。聖人は草履なので踏み返す気遣いはない。賢人は下駄なので踏み返すまいという力が付く。賢人は聖人になろうとする。

○士は格式で云ふ士でわない。垩賢の道を願ふ人のこと。希とて書を読むことではない。今は藝になってをるゆへ文字をよむこととばかり思ふ。ここで云のはそんなことではない。書を読むことを家業にしても士とは云はれぬ。又、士は志の上から云ふことぞ。彼の向に賢を置て願ふ。これを生きて働く字と見るがよい。生きて働けは向へすすむ。朔日か二日になると十五日か十六日になる。道理の生きて働くなりに向へ々々とする。希ふの働かないと一處にじっとしてをる。不達者な人ても一里行て泊ふとも、向へ行けばとを々々と伊勢迠行。足が何程達者でも、炬燵に居てはそれきり。向へ願をかけるが学者の了簡なり。向へ足をすすめると云ふも大賢を出して手本にすることなり。
【解説】
「士希賢」の説明。士は聖賢の道を希う人だが、それは書を読むことではない。大賢を目指して一歩ずつ進む人である。
【通釈】
士は格式で言う士ではない。聖賢の道を希う人のこと。希うと言っても書を読むことではない。今は芸になっているので文字を読むこととばかり思う。ここで言うのはそんなことではない。書を読むことを家業にしても士とは言えない。また、士は志の上から言うこと。あの向こうに賢を置いて希う。これを生きて働く字と見るのがよい。生きて働けば向こうへ進む。朔日が二日になり、十五日が十六日になる。道理の生きて働く通りに向こうへ行こうとする。希うのに働きがないと一処にじっとしている。不達者な人が一里行って泊ったとしても向こうへ行けば、最後は伊勢まで行く。足がどれほど達者でも、炬燵にいてはそれぎりである。向こうへ願いを掛けるのが学者の了簡である。向こうへ足を進めるというのも大賢を出して手本にすること。

○伊尹顔渕大賢とは、これはただほめて云ことではない。そうすると碑の銘を書たになる。是、学者へ示したことぞ。士への進物、ここが入用なり。伊尹などは心術のするどいことぞ。奉公するからは我が君を尭舜のよふにしよふと云心掛。天下の人に一人でも所を得ず、離散する者のないよふにする。此時志が志ゆへ、君が尭舜のやふにならず、一人でも離散する者があると胸にひり々々とひびいて、さて面目もないことじゃとて、日本橋のよふな人の大勢見てをる処でうたれるよふに思ふ。上もない至善に目を付て御膝元は云にや及ぶ。松前長崎のはてに一人離散する者があってもうたれるよふに思ふ。中々伯者などの胸にはないこと。伯者ははあと云てしまう。ここを心術にたたりて云は子ばならぬ。管仲晏子王珪魏徴、名高ひ男ともなれともこのやふなことはない。伊尹などは水のまじらぬまっすぐな心で君へ事へられた。
【解説】
「伊尹・顔淵大賢也。伊尹恥其君不爲堯・舜、一夫不得其所、若撻于市」の説明。伊尹顔淵は学者の目指す相手である。伊尹は君を堯舜にしようと思い、一人でも離散する者がいるのを恥じた。
【通釈】
「伊尹顔渕大賢也」とは、ただ誉めたことではない。そうすると碑の銘を書くのと同じである。これは学者へ示したこと。士への進物で、これが入用である。伊尹などは心術の鋭い人。奉公するからは自分の君を堯舜の様にしようという心掛けで、天下の人に一人でも所を得ず、離散する者のない様にする。この時の志が志なので、君が堯舜の様にならず、一人でも離散する者があると胸にびりびりと響いて、さて面目もないことだとして、日本橋の様な人の大勢見ている処で撻たれる様に思う。この上ない至善に目を付けるものの、御膝元も言うには及ばない。松前長崎の果てに一人離散する者があっても撻たれる様に思う。これが中々伯者などの胸にはないこと。伯者ははあと言って放って置く。ここは心術に祟って言わなければならない。管仲・晏子・王珪・魏徴は名高い男共だったが、この様なことはない。伊尹などは水の混じらない真っ直ぐな心で君へ事えられた。
【語釈】
・王珪…諌議大夫。魏徴と共に唐の太宗の補佐をする。

○七情の一つ怒をだして云ふ。怒と云ものは、やがはら立になってくると向ふ見ずにかかるもの。そこを一つ世話をやく。あとの六情はよい加减にしよい。心術にそれを云ふは怒のついでにそばづへをあてる。それを遷と云ふ。腹の立たついでに咎のない者へあたる。怒は怒りぎりにする。○過は心得ちかい、しそこない。凡夫はふだんに過だらけ。顔子などはそのよふに過がいかいことはないが、垩人にならぬ内ははりあい時の拍子でしそこないもある。義之や子昴が点をうちそこなったよふなもの。過や怒りはありそもないものと云はうが、本あることなり。あっても遷さぬ、再せす。そこが垩人とちかふ処なり。これを吾が方へくらべたとき、さて々々顔子の大賢がしれた。またしても々々々々々ある。今異見に行く人などがくっ々々笑ながらまたかと云ふて行く。不断隣へもしれ、番木をうつよふな過をたび々々するなり。
【解説】
「顔淵不遷怒、不貳過」の説明。怒は最も扱い難いもの。怒は怒りぎりにするのがよいのだが、怒の序に側杖をする。顔子は聖人ではないので怒や過もあるが、それがあっても遷さず、再びしない。
【通釈】
七情の一つの「怒」を出して言う。怒というものは、腹が立って来ると向こう見ずに掛かるもの。そこを一つ世話を焼く。あとの六情はよい加減にし易い。心術にこれを言うのは、怒の序に側杖を当てるからで、それを「遷」と言う。腹の立った序に咎のない者へ当たる。怒は怒りぎりにするのがよい。「過」は心得違い、し損ない。凡夫は普段から過だらけ。顔子などはその様には過が多くはないが、聖人にならない内は張り合いの時の拍子でし損ないもある。それは王義之や陳子昴が点を打ち損なった様なもの。過や怒はありそうもないものと言うが、これが本来あること。あっても遷さず、再びしない。そこが聖人とは違う処である。これを自分の方と比べた時に、さてさて顔子の大賢がよくわかる。またしてもまたしてもある。今異見に行く人などがくっくっと笑いながらまたかと言って行く。普段から隣にも知れ、番木を打つ様な過を度々する。

○三月は久しいこと。久しいうちに仁になりてをる。仁と云ことはいこう咄しの六つヶ敷いこと。仁を人の性と云ふときは一つものに思てをる。天からの御朱印と云へば誰ももってをることで、仁とばかり云ふときはいこふ重ひことなり。金持はふっていなもの。一两二两もった者はををい。仁とゆるすことは垩人以上ぞ。仁義々々ならぬことしゃと孔子の口からさへ云はれた。顔子が垩人にすりはらいな人ゆへ、久しい間仁と云位付の塲にをられた。すこしくもりたことあれとも、久しい間頓と仁なり。仁は心のこと。心をこふきりあげたことゆへ、そこで大賢と云ふ。あのとをりすれば学問のしかたの至善につまりたのぞ。
【解説】
「三月不違仁。」の説明。仁は重いもので、仁だと許すのは聖人以上のこと。顔子は久しく仁になっているので大賢なのである。
【通釈】
三月は久しいこと。久しい内、仁になっている。仁ということは大層話の難しいこと。仁を人の性と言う時は一つものに思っている。天からの御朱印と言うのは誰もが持っているということだが、仁とばかり言う時は大層重いこと。金持は払底なもの。一両二両を持った者は多い。仁と許すのは聖人以上のこと。仁義はならないことだと孔子さえも言われた。顔子が聖人に近い人なので、久しい間仁という位付けの場におられた。少し曇ったことはあるが、久しい間は全くの仁である。仁は心のこと。心をこの様に切り上げたので、そこで大賢と言う。あの通りにするのが、学問の仕方の至善に詰まったこと。

○過則垩。手本の上をすぎること。ひょっと手本よりよくは垩人。周茂叔のこふ云はれてから其後過た人は一人もな井が、理の注文を云ふことゆへ、こふ云は子ばならぬ。そこでこのことはしまってをけと云ほどなことなれとも、またなるまいものでもない。ならぬと云へば理の欠になる。賢人の德がこなれれば垩人。然れば垩人になられぬと云ことではない筈。賢人を手本にして、手本の通りなれば賢なり。これでしまふたこと。人々垩賢の書を見るに文字ばかり見て心を見ぬ。これでしまったが、周茂叔の思召が亦不失於令名と云は、膳のとれたあとへごだんをだすよふなもの。むく々々した学者に元気を付ること。及ぬものもあらうが、じゃと云ても手本のよいはよいものじゃ。このとをり学問をすればよい。名は失ふまい。
【解説】
「志伊尹之所志、學顔子之所學、過則聖、及則賢。不及則亦不失於令名」の説明。賢人という手本を目指し、手本の通りになれば賢人、それを超えれば聖人である。そうならなかったとしても、これを目指せば令名を失うことはない。
【通釈】
「過則聖」。手本の上を過ぎること。ひょっと手本よりもよくなれば聖人。周茂叔がこの様に言われてから、その後に過ぎた人は一人もいないが、理の注文を言ったことなので、この様に言わなければならない。そこでこのことはしまって置けと言うほどのことだが、またできないものでもない。できないと言えば理の欠けになる。賢人の徳がこなれれば聖人。それなら聖人にはなれないということはない筈。賢人を手本にして、手本の通りであれば賢人である。これで仕舞う。人々が聖賢の書を見るのに、文字ばかりを見て心を見ない。これで終えることだが、周茂叔の思召しで「亦不失於令名」と言ったのは、膳の取れた後に後段を出す様なもの。これがむくむくとした学者に元気を付けること。及ばない者もいるだろうが、それでも手本はよい。この通りに学問をすればよい。名は失わないだろう。
【語釈】
・ごだん…後段。江戸時代、饗応の時に飯の後に他の飲食物を出したこと。

人の上に名と云ふことがある。あれは学者じゃなと云へば令名。利欲にはせ、気質にとどまると令名を失ふ。豫譲はかへりうちになったれとも忠臣と云ひ、不忠と云人のないか不失於令名なり。行はれぬ、やくにたたぬと云を中道而廢と云。今人はならぬと云てあたまから志がちいさくなり、利害得喪のことになっては学者めかぬことをする。そのよふなことをして俗人にも指をさされると云が失於令名たのなり。吾黨の学者も一つまけて時めいたり、人に合せるよふな義論をするとわるい。今の学者は向を正そうとせず、向へあわせる。それから学問を向へ賣るになる。我か方に得たことを出すでなく、向のすきなことを出すなり。そこで見臺にのせられぬことを云ふ。舌耕と云て渡世に講釈のする、ををきなわるいことでもない。天木の為貧の説と云ふものあり、あれも不失於令名のしむけなり。舌耕をするも心術にたたりてみること。雜書を読めは令名を失ふたになる。三宅先生が、食はれすはしほせんべいをうろうと云はれた。これがよいことぞ。近年はこれが今へむくとて学問をあわせるはわるい。道を我に得よふと云心のないゆへなり。
【解説】
利欲に馳せ、気質に留まると令名を失う。学者も人に合わせるのは悪い。それでは学問を売ることになる。学問を合わせるのは、道を自分に得ようという心がないのである。
【通釈】
人の上に名ということがある。あれは学者だなどと言われるのは令名。利欲に馳せて気質に留まると令名を失う。豫譲は返り討ちになったが忠臣と言われ、不忠と言う人のいないのが「不失於令名」である。行えない、役に立たないというのを「中道而廃」と言う。今の人はできないと言い、最初から志が小さく、利害得喪のことになると学者めかないことをする。その様なことをして俗人にも指を指されるというのが失於令名である。我が党の学者も一つ曲げて時めいたり、人に合わせる様な議論をすると悪い。今の学者は向こうを正そうとせず、向こうに合わせる。それからは学問を向こうへ売ることになる。自分の方に得たことを出すのではなく、向こうの好きなことを出す。そこで見台に乗せられないことを言う。舌耕と言い、渡世に講釈のするのは大して悪いことでもないが、天木に為貧の説というものがあり、あれも不失於令名の仕向けである。舌耕をするにも心術に祟って見なければならない。雑書を読めば令名を失ったことになる。三宅先生が、食えなくなれば塩煎餅を売ろうと言われた。これがよいこと。近年、これが今に向くと言って学問を合わせるのは悪い。それは、道を自分に得ようという心がないからである。
【語釈】
・豫譲はかへりうちになった…小学内篇稽古25を参照。
・中道而廢…論語雍也10。「冉求曰、非不説子之道、力不足也。子曰、力不足者、中道而廢。今女畫」。
・天木…天木時中。善六と称す。尾張知多郡須佐の人。元文1年(1736)9月16日没。年40。初め佐藤直方に学ぶ。三宅尚斎門下。


嘉言61
○聖人之道入乎耳存乎心、蘊之爲徳行、行之爲事業。彼以文辭而已者陋矣。
【読み】
○聖人の道は耳に入りて心に存し、之を蘊みて徳行と爲り、之を行いて事業と爲る。彼の文辭のみを以てする者は陋し。

○聖人之道云々。いっちさきのこと。垩人の道を初手吾が方へ聞くこと。○入於耳は講釈を聞くと云ふことばかりではない。なんでも書物を読んで感心するも、師にきいても皆入於耳なり。心にあっと思ふも入於耳なり。その入た初はなの垩人の道も、それきりにしてはなんともならぬ。どこへかなくなってしまふ。それをさてもと感心し、必にとめてをくことぞ。道理が形ないものゆへ、いつの間にかにげる。鴬や雲雀は駕籠の内へ入れてをくゆへにげぬが、心は形がないゆへとこへかゆく。
【解説】
「入乎耳」で聖人の道を聞いても、心に留めなければそれは何処かへ行ってしまう。
【通釈】
「聖人之道云々」。一番先のこと。聖人の道を初手に自分が聞くこと。「入乎耳」は講釈を聞くということばかりではない。書物を読んで感心するのも、師に聞いても皆入乎耳、心にあっと思うのも入乎耳である。その入った当初の聖人の道も、それぎりにしては何にもならない。何処へかなくなってしまう。それをさてもと感心し、必ず留めて置く。道理は形のないものなので、いつの間にか逃げる。鴬や雲雀は駕籠の中に入れて置くので逃げないが、心は形がないので何処かへ行く。

○存はじっととめること。さてもと感心するとにがさぬよふにする。とかく耳ぎりでぬかすがわるい。駕籠耳と云はにげ口上なり。道春の、駕籠耳ならその駕籠をいつ迠も水に漬てをくがよいとなり。そうすると、いつのまにか聞たことがわがものになる。道理はつつむほどよい。垩人の道を向から聞て此方にたくはへるとこちの德行になる。こやしのよふなもの。干鰯と麥はぶんなり。干鰯は海の物、麥ははたけの物なれども、こへに入れば麥がよく出来る。聞た道理をこちへつつむとこちの德行になる。地黄のやふなもの。飲むと色つやかよくなる。德行になれば家内が治まる。斉家なり。国へ出せば国か治る。治国。天下へ出せば天下が治る。平天下なり。これを事業と云。入於耳たをはなさず胸中の宝物にする。講釈が上手ゆへ儒者などと云はあさましいこと。こふ云て、あとで彼以文辞而已者と、彼と云ふがよそ々々しく云ふこと。文字せせりなどをするはさてもげびたことぞ。書物はすてるものではないが、文辞而已がわるい。花見に行ても弁当ばかりくふて花を見ぬよふなもの。今垩人がないゆへ垩賢の書を読ま子ばならぬ。道理は文字の上に備りてをるゆへ、道は書で得ることなり。文辞にくったくするはいこふげびたことぞ。見れば古文辞などとて名乘て出るが、周茂叔に見られたら笑はれるであろふ。
【解説】
とかく耳ぎりで終えるのが悪い。道理は蘊むほどよく、それで徳行となる。また、それを事業にすれば、斉家治国平天下となる。しかし、文辞に拘泥するのは下卑たことである。
【通釈】
「存」はじっと留めること。さてもと感心すると逃がさない様にする。とかく耳ぎりで終えるのが悪い。籠耳は逃げ口上である。道春が、籠耳ならその籠をいつまでも水に漬けて置くのがよいと言った。そうすると、いつの間にか聞いたことが自分のものになる。道理は蘊むほどよい。聖人の道を向こうから聞いてこちらに蓄えるとこちらの徳行になる。それは肥やしの様なもの。干鰯と麦とは違ったもの。干鰯は海の物で麦は畑の物だが、肥えに入れれば麦がよくできる。聞いた道理をこちらへ蘊むとこちらの徳行になる。地黄の様なもの。飲むと色艶がよくなる。徳行になれば家内が治まる。斉家である。国へ出せば国が治まる。治国である。天下へ出せば天下が治まる。平天下である。これを事業と言う。耳に入ったものを離さずに胸中の宝物にする。講釈が上手だから儒者だなどと言うのは浅ましいこと。こう言った後に「彼以文辞而已者」と言う。彼と言うのがよそよそしく言うこと。文字せせりなどをするのは実に下卑たこと。書物は捨てるものではないが、文辞而已が悪い。それは、花見に行っても弁当ばかりを食って花を見ない様なもの。今は聖人がいないので聖賢の書を読まなければならない。道理は文字の上に備わっているので、道は書で得るものだが、文辞に屈託するのは大層下卑たこと。見れば古文辞などと名乗って出るが、周茂叔に見られたら笑われることだろう。
【語釈】
・駕籠耳…籠耳。籠が水をつつぬけにするように、聞いたことをすぐに忘れてしまうこと。


嘉言62
○仲由喜聞過、令名無窮焉。今人有過不喜人規、如護疾而忌醫。寧滅其身而無悟也。噫。
【読み】
○仲由過を聞くを喜びて、令名窮まり無し。今人過有りて人の規すを喜ばず、疾を護りて醫を忌むが如し。寧ろ其の身を滅ぼしても悟ること無し。噫。

○仲由喜聞過云々。垩賢になるには過を改めるより外にしかたはない。子路は人の、こなたはわるいと云ふと、それを殊外うれしがられた。そうするからしてよい名がかきりなく云傳へた。人情がこまったものて、ずっ々々もへる火をしらせればうれしがるが、学者は垩人になることを願へば、過を知らせたならばさぞうれしがりそふなものじゃに、うつらぬことを云などとて用ず。病気の時は何より医者がよ井はづ。病気で居りなから医者をきらふよふなもの。医者をきろふてはよくなりよふはない。
【解説】
子路は過を言われると喜んだ。過を言われるのを嫌うのは、医者を嫌う様なもの。それではよくなる筈はない。
【通釈】
「仲由喜聞過云々」。聖賢になるには過を改めるより外に仕方はない。子路は、人から貴方は悪いと言われると、それを殊の外嬉しがられた。そうすることからしてよい名が限りなく言い伝えられた。人情が困ったもので、ぶすぶすと燃える火を知らせれば嬉しがるが、学者は聖人になることを願うのだから、過を知らせればさぞ嬉しがりそうなものなのに、映らぬことを言うなどと言って用いない。病気の時は何より医者がよい筈。これが病気でいながら医者を嫌う様なもの。医者を嫌ってはよくなる筈はない。


嘉言63
○明道先生曰、聖賢千言萬語、只是欲人將已放之心約之、使反復入身來。自能尋、向上去。下學而上達也。
【読み】
○明道先生曰く、聖賢の千言萬語は、只是れ人の已に放てる心を將ちて之を約して、反復して身に入り來らしめんことを欲するのみ。自ら能く尋[つ]がば、上に向い去かん。下學して上達するなり。

○明道先生曰云々。此の章をまい々々迂斉などが点をなをして読だが、某も此頃までなをさずともよいと思ふたが、なをすがよいなり。入身来ら使んを欲すと改むべし。垩賢のをびたたしふいわれたことがみな心へたたみこむこと。心をよくすることで、心をよくするとて、ぶんによくしようはない。心のわるいは心が他出してをるゆへなり。その他出した心を内へつれてくることぞ。内へかへればよい。内へかへらぬとわるい。道落息子がひょい々々々と見へなくなると親がこまったやつと云。学者の上にもそれがありて、心がどこへか欠落をする。○約之はしめること。皷打が皷の緒をきり々々とするとなりだす。緩でかた々々になるとならぬなり。
【解説】
聖賢の千言万語は皆心をよくすること。それは、放った心を連れて来ること。
【通釈】
「明道先生曰云々」。この章を毎々迂斎などが点を直して読んだ。私もこの頃までは直さなくてもよいと思っていたが、直すのがよい。身に入り来らしめんを欲すと改めなさい。聖賢の夥しく言われたたことが皆心へ畳み込むこと。心をよくすることで、心をよくすると言っても、特別によくする仕方はない。心が悪いのは心が他出しているからである。その他出した心を内へ連れて来ること。内へ帰ればよい。内へ帰らないと悪い。道楽息子がひょいひょいと見えなくなると親が困った奴だと言う。学者の上にもそれがあって、心が何処かへ欠落をする。「約之」は締めること。鼓打ちが鼓の緒をぎりぎりと締めると鳴り出す。緩くてがたがたしては鳴らない。

○反復は丁寧にくりかへすと云ことではない。向へはなった心をこちへ引かへすこと。心を居り所の中へ入れることぞ。垩賢が、欲は口ちをすくして云はれたこと。放た心を内へいれてやる。それより外はない。心は居処にさへすわれば霊妙なものゆへ、あとはだん々々よくなる。垩賢は医者が上手ぞ。自[みずから]は自[おのずから]にもまわる。意はちがふたよふでひとつ。功夫の自然にゆく処か自[おのずから]。力らを入るときは自[みずから]。欲と云が垩賢の思召。学者放た心を自求、それぎりと云ことではない。思へは則善心生すと云たも女中なれとも、反復した人なり。○上達は上へあがること。艸木のずあいののびるよふなもの。垩人になるには致知挌物さま々々したが多くあるか、皆心を家の内にをくと云より外はない。下学と云ふと字彙でもひくよふに思ふ。もっともあれも下学なれとも、親切に云へは心より外はない。
【解説】
心は霊妙なものなので、居処にさえ据われば、後は段々とよくなるものだが、そのままでは悪い。下学して上達するのである。
【通釈】
「反復」は丁寧に繰り返すことではない。向こうへ放った心をこちらへ引き戻すこと。心を居り所の中へ入れること。「欲」は、聖賢が口を酸くして言われたということ。放った心を内へ入れて遣る。それより外はない。心は霊妙なものなので、居処にさえ据われば、後は段々とよくなる。聖賢は医が上手。自[みずから]は自[おのずから]にも回る。意は違った様で同じである。功夫が自然に行く処が自[おのずから]。力を入れる時は自[みずから]。欲と言うのが聖賢の思し召し。学者は、放った心を自ら求めるだけでよいということではない。「思則善心生」と言ったのも、女中ではあるが反復した人である。「上達」は上へ上がること。草木のずあいの伸びる様なもの。聖人になるには様々と致知格物をすることがあるが、皆心を家の内に置くというより外はない。「下学」と言うと字彙でも引く様に思う。尤もあれも下学だが、親切に言えば心より外はない。
【語釈】
・なった心をこちへ引かへす…孟子告子章句上11。「孟子曰、仁、人心也。義、人路也。舍其路而弗由、放其心而不知求、哀哉。人有雞犬放、則知求之。有放心、而不知求。學問之道無他。求其放心而已矣」。
・思へは則善心生す…列女伝母儀伝魯季敬姜。「夫民勞則思、思則善心生、逸則淫、淫則忘善、忘善則惡心生」。
ずあい
・上達…論語憲問37。「子曰、莫我知也夫。子貢曰、何爲其莫知子也。子曰、不怨天、不尤人。下學而上達。知我者、其天乎」。


嘉言64
○心要在腔子裏。
【読み】
○心は腔子の裏に在らんことを要す。

○心要在腔子裏はすくに上の段のこと。同し語なれとも、格式のちこふことを合点しよふことぞ。前は垩賢の書、皆この為と云こと。是の章にじかづけにそれを此方の宗旨に云ことなり。因て此章重し。入身来をことばをかへたことで、放心のうわさを云たことなり。じっとしてさへをれば何の事もない。浅見先生が、心がぬけてくると、目にみることも耳にきくことも是非がわからぬと云へり。是非の理がくらくなるは人間の姿ではない。腔子はからだのことで、心はからだにをればよい。脇差もさやにをさまればよひ。火も火入れに入るとよい。心も居るべき処にをればよい。心要腔子裏と云ふてもせせりてはわるい。外のしむけでなるもの。それを次の章で云ふ。
【解説】
前条は聖賢の書が皆心のためだと言い、この章は心が人の宗旨だと言う。腔子は体のことで、心は体の中でじっとしていれば何事もない。
【通釈】
「心要在腔子裏」は直に上の段のこと。同し語だが、格式が違うことを合点しなさい。前条は聖賢の書が皆このためということ。この章は直付けにそれをこちらの宗旨として言ったこと。そこでこの章は重い。これは身に入れて来ることを言葉を替えたことで、放心の噂を言ったこと。じっとしてさえいれば何事もない。浅見先生が、心が抜けて来ると、目に見ることも耳に聞くことも是非がわからないと言った。是非の理が暗くなるのは人間の姿ではない。腔子は体のことで、心は体にいればよい。脇差も鞘に納まればよい。火も火入れに入るとよい。心もいるべき処にいればよい。心要腔子裏と言ってもせせるのは悪い。外の仕向けでなるもの。それを次の章で言う。


嘉言65
○伊川先生曰、只整齊嚴肅則心便一、一則自無非僻之干。
【読み】
○伊川先生曰く、只整齊嚴肅なれば則ち心便ち一、一なれば則ち自ら非僻の干す無し。

○伊川先生曰云々。心を内にをくと云ふても、禅坊主の坐禅をするよふなしむけとはちがふ。外からせ井して内をよくする。○整斉嚴肅はかるい功夫で行儀をよくすること。浅見先生が、ゆきをそろへずかたまへさがりにきものをきるは整斉でないと云はれた。整斉嚴肅は外についたことで、心を引しめる。木に鳥などがとまりてをるに、空を大鳥が舞ふとじっかりと羽をしめる。あのやふなもやふぞ。一口ちに云へばきり々々しゃんと云こと。きり々々しゃんとと云ふが外についたこと。外についたことが心の役に立ちそもないものなれども、外がよいと心が一になる。外から内へきくこともある。膏薬をつけて腫物がなをる。腫物がなをれば熱迠とれたと云ふことあるなり。心の本体は一つなもの。乕をとるとのみをとるはちがへども、どちも心の一になるは同じこと。蚤でもうっかりとしては、一でないから取られぬ。心か一になるや否や、よこさまなものは井らぬ。此方に虚した処があると邪気がそれからいる。大風倒無根之木、傷寒殺腎虚之人。腎虚したと云よはりから、風を引ひても死ぬ。
【解説】
「整斉厳粛」は軽い功夫で、行儀をよくすること。整斉厳粛という外に付いたことで、心を引き締めて内をよくする。
【通釈】
「伊川先生曰云々」。心を内に置くと言っても、禅坊主が座禅をする様な仕向けとは違う。外から制して内をよくする。「整斉厳粛」は軽い功夫で、行儀をよくすること。浅見先生が、裄を揃えず片前下がりに着物を着るのは整斉でないと言われた。整斉厳粛は外に付いたことで、心を引き締めること。木に鳥などが止まっていると、空を大鳥が舞うとしっかりと羽を締める。あの様な模様である。一口に言えばぎりぎりしゃんということ。ぎりぎりしゃんとと言うのが外に付いたこと。外に付いたことは心の役に立ちそうもないものだが、外がよいと心が一つになる。外から内へ効くこともある。膏薬を付けて腫物が治る。腫物が治れば熱まで取れたということもある。心の本体は一つなもの。虎を捕るのと蚤を取るのとは違うが、どちらも心が一つになるのは同じこと。蚤でもうっかりとしては、一でないから取れない。心が一つになるや否や、横様なものは入らない。こちらに虚な処があると邪気がそれから入る。「大風倒無根之木、傷寒殺腎虚之人」で、腎虚したという弱りから、風を引いても死ぬ。


嘉言66
○伊川先生甚愛表記君子莊敬日彊、安肆日偸之語。蓋常人之情纔放肆、則日就曠蕩、自檢束、則日就規矩。
【読み】
○伊川先生甚だ表記の君子莊敬なれば日に彊く、安肆なれば日に偸[おこた]るの語を愛す。蓋し常人の情纔かに放肆なれば、則ち日に曠蕩に就き、自ら檢束すれば、則ち日に規矩に就く。

○伊川先生曰云々。愛と云ふ字が筭用の外な字とみるがよい。胸へをちこんでこぬこと、愛せぬもの。上戸の酒を呑もそれほど甘くもないが、甘くない処に面白みがある。此礼記の語をよふ云ひかなへたとて、きつく伊川先生が御好きなり。○荘敬はをごそかにつつしむなり。しゃんとすると精神がしっかりとなる。花生へ水をますやふなもの。水をますか敬。敬は燈心をかき立るよふなもの。ぶらりとしてほしいままになればたわいもなくなる。南風にあたると者もぐったりとなる。のろりとなると云になれば、とるて方角はなくなる。土用中の蝋燭をみるよふに、一日こしにわるふなる。そこを規矩になるよふにする。大名の近習番などは檢束する塲にをるゆへ行義がよい。見識がたかいとこのよふなことをかるく思ふが、ここを檢束は引しめるやふにせぬと心法はらりになることぞ。
【解説】
「荘敬」は厳かに敬むこと。しゃんとすると精神がしっかりとなる。検束して引き締めないと心法が台無しになる。
【通釈】
「伊川先生云々」。「愛」という字は算用の外の字だと見なさい。胸へ落ち込んで来ないことは愛せないもの。上戸が酒を呑むのも、それほど甘くもないが、甘くない処に面白みがある。この礼記の語がよく言い叶えたものだと、伊川先生が大層御好きだった。「荘敬」は厳かに敬むこと。しゃんとすると精神がしっかりとなる。これが花活けの水を増す様なもの。水を増すのが敬。敬は灯心を掻き立てる様なもの。ぶらりとしてほしいままにすれば他愛もなくなる。南風に当たるとものがぐったりとなる。のろりとなるということになれば、途方もなくなる。土用中の蝋燭を見る様に、一日越しに悪くなる。そこを規矩になる様にする。大名の近習番などは検束する場にいるので行儀がよい。見識が高いとこの様なことを軽く思うが、ここを検束して引き締めないと心法が台無しになる。
【語釈】
・礼記…礼記表記。「子曰、君子莊敬日強、安肆日偷。君子不以一日使其躬儳焉、如不終日」。


嘉言67
○人於外物奉身者、事事要好。只有自家一箇身與心、郤不要好。苟得外物好時、却不知道自家身與心、已自先不好了也。
【読み】
○人、外物の身を奉ずる者に於て、事事好からんことを要す。只自家一箇の身と心と有り、郤て好からんことを要せず。苟も外物の好きを得る時は、却て自家の身と心と、却て已に自ら先ず不好にし了るを知道せざるなり。

○人於外物奉身云々。きるものであらふと食物であらふと皆外物なり。仁義礼智ではない。初物の、甘ひ物のと云は外物。よいものがきたいの、よいものくひたいの、よひものがほしいのと云ふ。そんなら我が心と身をもよいものにしそうなものなれとも、かんじんの身と心はよいを好まぬ。かわりたもので、外物のよいを好ほど心はそれにひかれる。普請が立派に出来るとそれだけ心はわるい。自慢をするきが出来、節なしの板がよい、備後表でなければならぬのと云ふ。それたけ心はわるい。そこで下女が茶をもって出たとき、すこしこぼすとををさわぎ。某などの茶碗も一つて二た月くふほどのものもあるが、下女がわりでもすると怒りがつよい。茶碗のよいだけ喜怒哀楽の怒がむちゃくちゃになる。よ井きせるをもつと、をとしたときををさわぎ。わるいがよい。○苟は、かりにもよいものを得る、はや大事にする。そのたんてき、心はわるくなる。心の大切をしらは外物のよ井をすこしでも好はづはない。公子荊があれほどな歴々で、さっとした普請ても苟完。これでよい々々と云はれた。外物のきたないほど心の方はよくなる。心を大切に思へば外物はすてる筈。心の邪魔になるものを馳走する筈はない。わるいことはあぶら虫のよふなもの。百姓は作物に虫がたかるとひとつぼよりに取る。虫かたかるとなんにもならぬ。外物は虫なり。外物を馳走するは心に虫をたけるやふなものぞ。
【解説】
人は外物を好むほどには我が身と心を好まないもの。外物を好むと、それだけ心が悪くなる。外物は油虫の様なもの。外物を馳走するのは心に油虫をたからせる様なもの。
【通釈】
「人於外物奉身云々」。着物であろうと食物であろうと皆外物であって仁義礼智ではない。初物、甘い物というのは外物。よいものを着たい、よいものを食いたい、よいものが欲しいと言う。それなら自分の心と身もよいものにしそうなものだが、肝心の身と心はよくなるのを好まない。変わったもので、外物がよいと好むほど心はそれに引かれる。普請が立派にできるとそれだけ心は悪くなる。自慢をする気ができて、節なしの板がよい、備後表でなければならないと言う。それだけ心は悪い。そこで下女が茶を持って出た時に少しこぼすと大騒ぎ。私などの茶碗も一つで二月食えるほどのものもあるが、下女がそれを割りでもすれば怒りが強い。茶碗がよいだけ喜怒哀楽の怒が無茶苦茶になる。よい煙管を持つと、落とした時に大騒ぎ。そこで、悪いのがよい。「苟」。仮にもよいものを得ると、早くも大事にする。その端的が、心が悪くなる。心が大切なことを知れば、外物がよいとは少しも思う筈がない。公子荊があれほどの歴々で、ざっとした普請でも「苟完」。これでよいと言われた。外物が汚いほど心の方はよくなる。心を大切に思えば外物は捨てる筈。心の邪魔になるものを馳走する筈はない。悪いことは油虫の様なもの。百姓は作物に虫がたかると一粒選りに取る。虫がたかると何にもならない。外物は虫である。外物を馳走するのは心に虫をたからせる様なもの。
【語釈】
・苟完…論語子路8。「子謂衞公子荊。善居室。始有、曰、苟合矣。少有、曰、苟完矣。富有、曰、苟美矣」。