嘉言69
○伊川先生言、人有三不幸。少年登高科、一不幸、席父兄之勢爲美官、二不幸、有高才能文章、三不幸也。
【読み】
○伊川先生言う、人に三の不幸有り。少年にして高科に登るは一の不幸、父兄の勢に席[よ]りて美官と爲るは二の不幸、高才有りて文章を能くするは三の不幸なり。

正月二十六日
【語釈】
・正月二十六日…寛政2年(1790)1月26日。

○伊川先生曰、人有三不幸云々。此章は直方先生の云通り、范魯公質の次章にある筈なり。なれどもここにあれば心術の功夫になることぞ。ここらのことなどが本知と俗知のちごふ処なり。世間の者の幸と思ふことを伊川先生はみな不幸と見られた。先つ人の上に幸不幸ほど心を動すことはない。よい仕合わるい仕合で額ののびちちみがある。額ののびちぢみで心はちごふことぞ。なにほどかしこふても、幸不幸ではいかふちが井あることなり。此章の不幸と云ふが俗知の水ばなれをすることぞ。この章を聞て、さても垩賢の幸不幸と云ふものはちごふたものぞと云へば、聞きやふのよ井のなり。これを聞けは今迠思ふたとはちがい、我が身に及して見れば、先日の四箴よりはるか目がさめたと云へば学問の入口、思込に目の付たと云ものぞ。四箴は重いこと。この章はかる井ことなれとも、こちのためにはこれかよいと云へばのりのつ井たなり。某が発明にあらず。ここらが孟子の手段ぞ。孟子は平生孔子を学と云はれて、さてかんはつして一と趣ありて、垩人は百世之師、伯夷桺下惠是也と云へり。このとき孔子よりはあの偏な两人を出して示された。この意が端的俗とはちかふぞ。訂斉先生、俗を脱しろと云はれた。俗を脱せぬと目鼻がつかぬ。学者も俗人のすることをうれしかる位では役に立ぬ。俗で悦ぶことは、この方では面白ふないと云ふでなければならぬなり。
【解説】
「伊川先生言、人有三不幸」の説明。聖賢の幸不幸は実に違ったもの。四箴は重いがこの章は軽いので人のためにはよい。それは孟子が、孔子ではなくて伯夷柳下恵を百世の師だと言ったのと同じである。そこが俗と違う処。
【通釈】
「伊川先生曰、人有三不幸云々」。この章は直方先生の言う通り、范魯公質の次章にある筈。しかし、ここにあれば心術の功夫になる。ここらのことなどが本知と俗知の違う処。世間の者が幸いと思うことを伊川先生は皆不幸だと見られた。先ず人の上に幸不幸ほど心を動かすことはない。よい仕合せ悪い仕合せで額の伸び縮みがある。額の伸び縮みで心は違って来る。どれほど賢くても、幸と不幸とでは大層違いがある。この章の不幸と言うのが俗知の水離れをすること。この章を聞いて、聖賢の幸不幸というものは実に違ったものだと言えば、聞き様がよい。これを聞いて、今まで思っていたのとは違い、我が身に及ぼして見れば、先日の四箴よりも遥かに目が覚めたと言えば学問の入口、思い込みに目が付いたというもの。四箴は重いことで、この章は軽いことだが、こちらのためにはこれがよいと言えば乗りが付いたのである。それは私の発明ではない。ここらが孟子の手段である。孟子は平生孔子を学ぶと言われたが、さて感発して一趣あって、「聖人百世之師也、伯夷柳下恵是也」と言った。この時に孔子ではなく、あの偏のある両人を出して示された。この意が端的俗とは違うこと。訂斎先生が俗を脱しろと言われた。俗を脱しないと目鼻が付かない。学者も俗人のすることを嬉しがる位では役に立たない。俗が悦ぶことは、こちらでは面白くないと言うのでなければならない。
【語釈】
・范魯公質の次章…范魯公質の章は小学外篇嘉言10を指す。
・孟子は平生孔子を学と云はれて…孟子公孫丑章句上2。「曰、伯夷・伊尹何如。曰、不同道。非其君不事、非其民不使。治則進、亂則退、伯夷也。何事非君、何使非民、治亦進、亂亦進、伊尹也。可以仕則仕、可以止則止、可以久則久、可以速則速、孔子也。皆古聖人也。吾未能有行焉。乃所願、則學孔子也」。
・垩人は百世之師、伯夷桺下惠是也…孟子尽心章句下15。「孟子曰、聖人、百世之師也。伯夷・柳下惠是也。故聞伯夷之風者、頑夫廉、懦夫有立志。聞柳下惠之風者、薄夫敦、鄙夫寛。奮乎百世之上、百世之下、聞者莫不興起也。非聖人而能若是乎。而況於親炙之者乎」。

○人有三不幸と下の句を云はず、なにが不幸と云に、病身しゃの、人に憎れるの、貧乏じゃのと云ことではない。それは俗知なり。伊川先生の不幸と仰らるるは少年登高科云々なり。年若で公義から重い御取扱ひで召出されると云ふ。これはあたりからも目出度と云ひ、親も悦ひ我もひん々々することなれとも、伊川先生がさん々々不仕合なこととなり。上の方へのぼりきるとそれぎり。我をよいと思ふ。もふのほらぬ。子ともの衣服にぬ井上けあるもたのもしいは、丈ののびるゆへぞ。それに上へでてはのびよふがない。高科にのぼり吾こそはと思ふ。はやそれきりなり。とかく学問も一年ましによくなると云はよい。我も先生かふの顔をすると云になれば、それぎりてあがらぬ。精を出す気もない。これが第一の不幸なり。
【解説】
「少年登高科、一不幸」の説明。年若で高科に登るのが一の不幸である。それは親も自分も周りも目出度いことだと言うが、不幸なことである。高科に登ってしまえば伸びようがない。そこで自分がよいと思えばそれぎりとなる。
【通釈】
「人有三不幸」と、下の句を言わずに、何が不幸かと言えば、それは病身や人に憎まれたり、貧乏などということではなく、それは俗知だと言う。伊川先生が不幸と仰せられるのは、「少年登高科云々」である。年若で公儀から重い御取り扱いで召し出されるという。これは周りからも目出度いと言われ、親も悦び自分も嬉しいことだが、伊川先生が散々に不幸せなことだと言った。上の方へ登り切るとそれぎりで自分をよいと思う。そこでもう登らない。子供の衣服に縫い上げのあるのが頼もしいのは、丈が伸びるからである。それに上へ出ては伸びようがない。高科に登って自分こそはと思う。早くもそれぎりである。とかく学問も一年増しによくなるというのがよい。自分も先生株の顔をするということになれば、それぎりで上がらない。精を出す気もない。これが第一の不幸である。

○席父兄云々。それで役がのほり、自分には德もなく才もなければ二つの不幸ぞ。○さて三番目の不幸がはなはだ学者の覚悟になることぞ。高才は格別な才ある人なり。高と云ふ字はさま々々つかふ文字。知見のあるも高ひなり。それではない。この高いと云はかさのあって人の上へこへることぞ。有高才と井ふかづんと學者の方で面白からぬことぞ。天道の道理をうんと呑込む。知見の高ひことでなく、もちまいにきれるものをもってをるのぞ。それゆへ高の字は君子にばかりあるではなく、世々の英雄豪傑にあって、はばのひろくありて、ことをしてとること。子張は過高な人。及もないていなり。されとも難與並為仁と云ふ。高いと云はたきりたことなれとも、そとへつくゆへわるい。道理へとをくなり、生れ付が増長する。
【解説】
「席父兄之勢爲美官、二不幸、有高才能文章、三不幸也」の説明。父兄によって役が登っても、自分に徳もなく才もなければ二番目の不幸である。三番目の不幸が高才で文章をよくすること。高才とは知見が高いことではなくて、切れるものを生まれ付きで持っていること。子張は過高な人だが、外に付くので悪い。道理に遠くなって、生まれ付きが増長する。
【通釈】
「席父兄云々」。父兄によって役が登り、それで自分には徳もなく才もなければ二つの不幸である。さて三番目の不幸が甚だ学者の覚悟になること。高才は格別な才のある人。高いという字は様々に使う文字。知見があるのも高いだが、それではない。この高いというのは嵩があって人の上を超えること。「有高才」というのが学者の方では実に面白くないこと。天道の道理をうんと呑み込む。知見の高いことではなく、持前に切れるものを持っているのである。そこで、高の字は君子にばかりあるのではなく、世々の英雄豪傑にもあって、幅広くあり、事をして取ること。子張は過高な人で及びもない体である。しかし、孔子が「難与並為仁」と言った。高いというのは滾ったことだが、外に付くので悪い。道理へ遠くなり、生まれ付きが増長する。
【語釈】
・難與並為…論語子張16。「曾子曰、堂堂乎張也。難與並爲仁矣」。

○能文章。これもつて学者はみめなことなれとも、気毒ながら不仕合と云ふ。みな俗人の了簡とはちごふぞ。いかさまそうで、文載道之器で大学論吾も文なれとも、よく作ると云はないことなり。文をよくすると云は道理の沙汰はないことぞ。はでな文章をかくなどと云ふことはない筈。徂徠太宰の学世間にはやるも文の害ぞ。朱子をわるく云ふもひら假名ならはああもあるまいが、なにを云ふもあの文章がよってもつかれぬこと。わるいこと迠文章でよく見へる。彼等も文章不得手ならば天下に毒を流すまい。然れば文章の才あるは、乱心者には物をあづけたよふなもの。どんなことをしよふもしれぬ。文章て垩賢の道を明かにはせず、却て害をなすなり。
【解説】
「能文章」が不幸である。文をよくすることに道理の沙汰はない。徂徠や太宰の学が世間に流行るのも文の害である。文章で聖賢の道を明かにはせず、害を成す。
【通釈】
「能文章」。これがあるので学者には見目なことだが、気の毒ながら不幸せだと言う。皆俗人の了簡とは違う。いかにもそうで、「文載道之器」で、大学や論語も文だが、よく作るということはないこと。文をよくすることに道理の沙汰はない。派手な文章を書くなどということはない筈。徂徠や太宰の学が世間に流行るのも文の害である。朱子を悪く言うのも平仮名ですればああでもないだろうが、何を言うにもあの文章でするので寄っても付かれない。悪いことまで文章でよく見える。彼らも文章が不得手であれば天下に毒を流さなかっただろう。それなら文章の才があるのは、乱心者に刃物を預けた様なもの。どんなことをするかも知れない。文章で聖賢の道を明かにはせず、却って害を成す。
【語釈】
文載道之器…文者載道之器。


嘉言70
○横渠先生曰、學者捨禮義、則飽食終日、無所猷爲。與下民一致。所事不逾衣食之間、燕遊之樂爾。
【読み】
○横渠先生曰く、學者禮義を捨れば、則ち食に飽きて日を終わり、猷[はか]り爲す所無し。下民と致を一にす。事とする所は、衣食の間、燕遊の樂に逾ぎざるのみ。

○横渠先生曰云々。礼義は学者の身を平生寸法をあててするやふなもの。平生宿にをろふと礼義と云ふ寸法がある。これでよくなることそ。あぐらをか井て講釈を聞けばよ井が、かかれぬと云ものがある。親の前て頭巾をかぶりてをる。風さへ引かずは孝行であろふが礼義にかける。日用之間、これで礼義にかけるか、これで礼義にかけるかと吟味するがよい。横渠先生が世の中を見て云はれたものぞ。捨礼義なとと云ふは学問をせぬ者に云ひそふなものなれとも、俗人は知見なく律義ゆへ、却て格をはづすことがな井。わる井ことも達者にするが、学者ほどははたらきがな井。学者は全体見識があるゆへ、やりばなしをして礼を守らぬ。既に横渠の礼を以て教るを木札をかむよふじゃと、謝上蔡などがかるしめられた。この礼義と云がしつけかたでするやうなことではない。横渠の見識から出たなり。横渠も中庸を合点しられたゆへめったなことはない。礼も天の姿じゃと、三千三百を天理のあらはれたと見たものぞ。
【解説】
「横渠先生曰、學者捨禮義、則飽食終日、無所猷爲。與下民一致」の説明。平生、身に寸法を当ててするのが礼義である。俗人は知見がなくて律儀なので、却って礼儀に外れることはないが、学者が礼を守らないもの。
【通釈】
「横渠先生曰云々」。礼義は平生学者の身に寸法を当ててする様なもの。平生宿にいたとしても礼義という寸法がある。これでよくなる。胡坐をかいて講釈を聞けばよいが、かけないというものがある。親の前で頭巾を被っている。風邪さえ引かなければ孝行だろうが礼義に欠ける。日用の間、これで礼義に欠けるか、これで礼義に欠けるかと吟味しなさい。これは横渠先生が世の中を見て言われたもの。「捨礼義」などと言うのは学問をしない者に言いそうなものだが、俗人は知見がなくて律儀なので、却って格を外すことがない。悪いことも達者にするが、学者ほどは働きがない。学者は全体見識があるので、遣り放しをして礼を守らない。横渠が礼で教えるのを木札を噛む様だと、早くも謝上蔡などが軽しめられた。この礼義とは躾け方でする様なことではなく、横渠の見識から出たもの。横渠も中庸を合点されたので滅多なことはない。礼も天の姿だと、三千三百を天理が現れたものと見たもの。
【語釈】
・三千三百…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百威儀三千。待其人而後行」。

学者は舩頭や日雇取のやふではない筈なれとも、礼義を守らぬと云へは與下民一致で、それになる。學者ゆへ先生とよばれ人の師にもなれとも、登戸の舩頭や駕舁と同じことになる、礼義があると時々ふりかへりて見ればよ井が、礼義がないと平生のことが道理の外になる。○衣食之間云々。気に流れることと合点するがよい。よ井雨しゃ、この春雨にのまずにをらりょふぞと飲む。日和がよ井と、今日どこへそゆかふと云て出る。たたの息子なれはきこへたが、学者なり。学者なれとも礼義をかるしめたゆへそのやふにほころびがきれたぞ。この章、心術の要にのるはづぞ。内篇の心術之要のところをあけてみると、あれにみな合ふたことだらけなり。
【解説】
「所事不逾衣食之間、燕遊之樂爾」の説明。学者が礼義を守らなければ下民と同じである。礼義がないと道理に外れる。この章は心術の要に載るべきもの。
【通釈】
学者は船頭や日雇取りの様なことではない筈だが、礼義を守らないと言えば「与下民一致」で、それになる。学者なので先生と呼ばれて人の師にもなるが、それでは登戸の船頭や駕舁きと同じことになる、礼義があると時々振り返って見るのでよいが、礼義がないと平生のことが道理の外になる。「衣食之間云々」。これは気に流れることと合点しなさい。よい雨だ、この春雨に飲まずにいられようかと言って飲む。日和がよいと、今日何処へ行こうと言って出る。ただの息子であればそれもわかるが、学者である。学者だが礼義を軽しめたのでその様に綻びが切れる。この章は心術の要に載る筈。内篇の心術之要のところを開けて見ると、あれに皆合ったことだらけである。


嘉言71
○范忠宣公戒子弟曰、人雖至愚責人則明、雖有聦明恕己則昏。爾曹但常以責人之心責己、恕己之心恕人、不患不到聖賢地位也。
【読み】
○范忠宣公子弟を戒めて曰く、人至愚と雖も人を責むるは則ち明かに、聦明有りと雖も己を恕するは則ち昏し。爾の曹[ともがら]但常に人を責むるの心を以て己を責め、己を恕するの心もて人を恕せば、聖賢の地位に到らざるを患えず。

○范忠宣公戒子弟曰云々。かわりたもので、愚な人も人のことを批判して彼れ此れ云ふか、その段になるといこふ利口なことを云。○明は迂斉の弁に、ききことじゃと云ふこととなり。ちとを井てきたと云ふよふな男なれとも、人のことを云ふときはききことぞ。さるによって將棊も助言のときはよ井手が見へ、ここへ桂馬をうてなどと云ふ。○ゆびをりな人を聦明と云ふ。聦明な人ならば手前をよくをさめ脩行しそうなものなれとも、そふでない。○恕は手前へ尤をつけること。思ひやると云ことは人を思ひやることぞ。今日の人は手前の方へ思やりをする。子としてすこし孝行をすると、はやをれもよくすると自恕する。浅見先生の、をれも若ひ者ゆへ、これくらひなことはありうちなことじゃと云ふるいとなり。根にくらい処がある。医者に容躰をかくすよふなもの。このよふなくらいことはな井。我か方をだん々々紙燭をともして尋子るほどでのふてはならぬ。
【解説】
愚かな人でも他人のことを言う時はよいことを言うことがあるが、聡明な人であっても自分に思い遣りをするのは悪い。それは根が昏いのである。
【通釈】
「范忠宣公戒子弟曰云々」。変わったもので、愚かな人も人のことを批判してかれこれ言うが、その段になると大層利口なことを言う。「明」は迂斎の弁に、聞き事ということだとある。一寸遅れているという様な男でも、人のことを言う時は聞き事である。そこで、将棋も助言の時はよい手が見え、ここへ桂馬を打てなどと言う。指折りな人を「聡明」と言う。聡明な人であれば自分をよく修めて修行しそうなものだが、そうではない。「恕己」は自分に尤もを付けること。思い遣るということは人を思い遣ること。今日の人は自分の方へ思い遣りをする。子として少し孝行をすると、早くも俺もよくするものだと自恕する。浅見先生が、俺も若い者なので、これ位のことはある筈のことだと言う類だと言った。根に昏い処がある。それは医者に容体を隠す様なもの。これほど暗いことはない。自分の方を段々と紙燭を灯して尋ねるほどでなければならない。

大概世間の人こふなれとも、それをひっくりかへしさへすれはよ井。向へ出すつよみを我が方へ出せばよ井ぞ。人のことを云ふことを我が方へ出せば、それから垩賢にも至る。わづかのことで大違になる。秘事は睫で、向へ出すことを我へ出し、我へ出すことを向へ出す。わづかのこのしむけから垩賢の地位にも至られる。垩賢と凡夫のちが井はうらはら。そこに気が付けばぢきによくなる。この章などもいこふをもくれて見ることではない。今迠と了簡をちがへさへすればよ井。料理でもそれなり。下手な料理じゃとてすてろと云ふことではない。それをあちらこちらするとよくなるぞ。同じ物でよく食へるやふになる。凡夫と垩賢のちごふも、あちらこちらすると同じことになる。
【解説】
向こうへ出す強みを自分の方へ出す。引っ繰り返せばよい。この僅かな仕向けで聖賢にも至る。
【通釈】
大概世間の人はこうだが、それを引っ繰り返しさえすれはよい。向こうへ出す強みを自分の方へ出せばよい。人のことを言うのを自分の方へ出せば、それから聖賢にも至る。僅かなことで大違いになる。秘事は睫で、向こうへ出すことを自分に出し、自分へ出すことを向こうへ出す。僅かなこの仕向けから聖賢の地位にも至ることができる。聖賢と凡夫との違いは裏腹。そこに気が付けば直ぐによくなる。この章なども大層重くれて見ることではない。今までとは了簡を違えさえすればよい。料理もそれ。下手な料理だとしても捨てろと言うことではない。それをあちらこちらするとよくなる。同じ物でよく食える様になる。凡夫と聖賢とは違うが、あちらこちらすると同じことになる。


嘉言72
○呂榮公嘗言、後生初學且須理會氣象。氣象好時百事是當。氣象者辭令容止輕重疾徐、足以見之矣。不惟君子小人於此焉分、亦貴賤壽夭之所由定也。
【読み】
○呂榮公嘗て言う、後生初學且く須く氣象を理會すべし。氣象好き時は百事是れ當る。氣象は辭令容止の輕重疾徐、以て之を見るに足る。惟に君子小人此に於て分るるのみならず、亦貴賤壽夭の由りて定まる所なり。

○呂栄公云々。嘗言は思ひ入れあるときつかふ字。一ち々々必すそふ云ふことでもないが、このやふなときは曰云はとかくかかぬなり。殊外思ひ入れあり趣向あるとき嘗言と云ぞ。○後世は若ひ者のこと。はじめて初入の学者のことぞ。○初学は今を春べとかかる者のことぞ。一ち初にこれを合点しろと、氣象と云ふことを云はれた。自分の思ひ入れて語を立るが、呂栄公が格段な見処の高ひ人ゆへ、御手前の心術の功夫をしられた処からして、今迠ないことを云はれた。○須と云ふ字、これをしら子ばならぬと、あとからまわりてこれをもちゆると云ふよふなもの。これが入口じゃ。これがなふてはならぬとなり。童蒙須知と云ふ書は子共はしら井で叶はぬと云こと。これが呂栄公の始めて方をくまれ盛りかけた薬ぞ。
【解説】
「呂榮公嘗言、後生初學且須理會氣象。氣象好時百事是當」の説明。初学の者は先ず気象を知らなければならないと呂栄公が言った。
【通釈】
「呂栄公云々」。「嘗言」は思い入れのある時に使う字。一々必ずそうだということでもないが、この様な時はとかく曰や云とは書かない。殊の外思い入れあり趣向のある時に嘗言と言う。「後世」は若い者のことで、初入の学者のこと。初学は今を春方と掛かる者のこと。一番初めにこれを合点しろと、気象のことを言われた。自分の思い入れで語を立てたが、呂栄公は格段に見処の高い人なので、御自身の心術の功夫を知られた処からして、今までにないことを言われた。「須」という字は、これを知らなければならないということで、後から回ってこれを用いるという様なもの。これが入口で、これがなくてはならないと言った。童蒙須知という書名は、子供は知らなければ叶わないということ。これが呂栄公が初めて方を組んで盛り掛けた薬である。
【語釈】
・呂栄公…呂希哲。字は原明。東莱の人。
・童蒙須知…朱子著。

まづ氣象と云ことをしりやれ。大事のことしゃとなり。つんど後世初学に云に及ひそもないものなれとも、ここが呂栄公のしをぼへたもの。迂斉の、気象はなんのこともないことじゃ、心もちのよいことじゃと云へり。病人は心もちがわるいと云ふ。病気はみな心もちのわるいのなり。学問も心のからくりがちがへば心持がわるい。知惠も行もすること、皆一気象なり。これから段々合点すれば、気象がよふないと、よいことにまで味がつかぬ。浅見先生はあのとをり恪実な人なれとも、或る時云はるるに、計較按排あってしそこなわぬこともあり、計較按排なくてしそこのふこともあるが、按排なくてしそこのふた方かはるかよいと云へり。直方先生などの云そふなこと。あの根ふかわ石のよふにずっしりとした御方のこのよふなことを云はるると云ふが知見ぞ。道理をのみこんだゆへなり。曽我兄弟のあゆみの板まできり付たと云ふがさて々々気象のよ井ことぞ。楚項羽が功あるものへ国をやろふ々々々と云て、つい印のつぶれるまでもっていたと云ふ。気象のわるいもののものをやるは、いくらやりても人がうれしがらぬ。客が来て半時もすぎてから御盃を出せよと云ゆへ、客も今日は用事もござるゆへそうしてはをられぬと云てかへる。
【解説】
気象が大事だとは、呂栄公がし覚えて言ったこと。迂斎が、気象は心持のよいことだと言った。気象が悪いと心持も悪くなる。
【通釈】
先ず気象ということを知りなさい。大事なことだと言った。後世の初学には全く言うに及びそうもないものだが、ここが呂栄公のし覚えたもの。迂斎が、気象は何の事もないことだ、心持のよいことだと言った。病人は心持が悪いと言う。病気は皆心持の悪いもの。学問も心の絡繰が違えば心持が悪い。智恵も行もすることは皆一気象である。これから段々に合点すれば、気象がよくないと、よいことにまで味が付かないことがわかる。浅見先生はあの通り恪実な人だったが、ある時、計較按排があってし損なわないこともあり、計較按排がなくてし損なうこともあるが、按排なくてし損なう方が遥かによいと言った。これが直方先生などの言いそうなこと。あの根府川石の様にずっしりとした御方がこの様なことを言われるというのが知見である。それは道理を飲み込んだからである。曾我兄弟が歩みの板まで斬り付けたというのが実に気象のよいこと。楚の項羽が功ある者へ国を遣ろうと言って、遂に印が潰れるまで持っていたという。気象の悪い者がものを遣っても、それではいくら遣っても人は嬉しがらない。客が来て半時も過ぎてから御盃を出せと言うので、客も今日は用事もあるからそうしてはいられないと言って帰る。

気象のわるいはしをれた花のよふなもの。梅の花であらふと桜の花であらふと人がもってくる。これはかたじけないとは云ふが、その人がかへるとそれをもってすてろと云ふ。気象のよふないは風ひ井た薬のよふなもの。かざひいては藥もきかぬ。肉桂も香がぬけると役に立ぬ。呂栄公のしをぼへたことで方をくまれたぞ。万端を気象でしてとられたとなり。是當はできばへかすることと迂斉云へり。名人のほりもの、宗眠か九つを撞とはや細工をやめよふと云たとなり。ずるけたよふなことなれども、気象を合点したもの。九つからさきはどみてくる。勸世宝生も内で夫婦喧嘩をしてきては、九州肥後もさへまいぞ。心ざわりがあってはさへぬ。本因坊も、我が子の疱瘡のときは圍棋を打てもさへまい。道で人にをうても、あれは今日はなせかあじじゃと云は氣象の出来不出来なり。
【解説】
気象の悪いのは薬効のなくなった薬の様なもの。気象が悪くては冴えない。
【通釈】
気象の悪いのは萎れた花の様なもの。梅の花であろうと桜の花であろうと、それを人が持って来る。これは忝いとは言うが、その人が帰るとそれを捨てろと言う。気象がよくないのは風を引いた薬の様なもの。風を引いては薬も効かない。肉桂も香が抜けると役に立たない。呂栄公がし覚えたことで方を組まれた。万端を気象でして取られた。「是当」は出来栄えのすることだと迂斎が言った。名人の彫り物、宗珉は九つを撞くと、もう細工を止めようと言ったという。これがずるけた様なことだが、気象を合点したもの。九つから先はどみて来る。観世や宝生も家で夫婦喧嘩をして来ては、九州肥後も冴えないだろう。心障りがあっては冴えない。本因坊も、我が子が疱瘡の時は囲碁を打っても冴えないだろう。道で人に会っても、あれは今日は何故か妙だと言うのは気象の出来不出来である。
【語釈】
・宗眠…横谷宗珉。江戸時代の彫金師。

さて気象は繪にかかれぬもの。辞令や容止であらわれるもの。姿やものいいがうき々々せぬ。かわりたもので、気象はをすにをされぬ。金を沢山もっては顔もうるはしい筈なれとも、はなすまい々々々々々と云からしてこせ々々と顔か貧乏づくりてくる。これらみな気象にあづかること。○軽は、そこへ出たよふすのかるはづみなこと。内に根がないゆへなり。はなはだて井がわるい。この方の匁か軽ひゆへふい々々と出て、ふかいたましいはな井。○重はをも々々としたこと。これがつけもったいでしたことではない。涵養と云ふ功夫すると重ひものなり。君子の上はづっしりとしたものて、話をするとてものり出て云ふやふなことはない。○疾徐はものいいのことぞ。疾ははやく云ひ、徐はものいいをしとやかにしづかに云ふことそ。軽重を容止にあて、疾徐を辞令にあてて見るがよい。惣体の品格もここの処でわかる。儀の封人が孔子に御目にかかりて感心したも、よふすの氣象を見たもの。孟子が斉の襄王を見てろくに話もされず、なが井ことも云はれぬが、望之不似人君と云はれた。とふもやふすが人君らしくみへなんだと云ふに、辞令容止輕重疾徐なり。
【解説】
「氣象者辭令容止輕重疾徐、足以見之矣」の説明。気象は辞令や容止で現れる。疾徐は辞令に、軽重は容止に当たる。姿や物言いに気象が出る。
【通釈】
さて気象は絵には描けず、「辞令」や「容止」で現れるもの。姿や物言いが浮き浮きとしない。変わったもので、気象は押すに押されないもの。金を沢山持っていれば顔も麗しい筈だが、それを離さない様にしようとするからこせこせと顔が貧乏造りになって来る。これらが皆気象に与ること。「軽」は、そこへ出た様子が軽はずみなこと。それは内に根がないからで、甚だ体の悪いこと。こちらの匁が軽いのでふいふいと出て、深い魂はない。「重」は重々としたこと。これは勿体を付けてすることではない。涵養という功夫をすると重いもの。君子の上はづっしりとしたもので、話をするにも乗って出て言う様なことはない。「疾徐」は物言いのこと。疾は早く言うことで、徐は物言いを淑やかに静かに言うこと。軽重を容止に当て、疾徐を辞令に当てて見るのがよい。総体の品格もここの処でわかる。儀の封人が孔子に御目に掛かって感心したのも、様子の気象を見たもの。孟子が斉の襄王を見て碌に話もされず、長いことも言われなかったが、「望之不似人君」と言われた。どうも様子が人君らしく見えなかったと言う。これが「辞令容止軽重疾徐」である。
【語釈】
・儀の封人…論語八佾24。「儀封人請見、曰、君子之至於斯也、吾未嘗不得見也。從者見之。出曰、二三子何患於喪乎。天下之無道也久矣。天將以夫子爲木鐸」。
・望之不似人君…孟子梁恵章句上6。「孟子見梁襄王。出語人曰、望之不似人君、就之而不見所畏焉」。

○亦貴賎云々。これが発明の上の発明ぞ。無理なことを云ふたやふなり。貴は公家衆の大名衆のと云なり。賎は日傭取りの馬追のと云のるいぞ。人の壽命と云ふものは死生有命て、人の方で手のつけられぬものぞ。ところを貴賎壽夭之所由定也と云ふが知った云やふなり。人の氏すじょふが天から定まるものではない。道徳のある人は尊く、道德のない人は賎しい筈そ。定也。仁者壽と云が顔子にさわることではない。仁者はあれこれとさわぐことがないゆへ壽のもよふぞ。さま々々あれやこれやとさわぐは、風の吹ところで蝋燭を燈してをくやふなもの。ぢきにたつ心をもむだんになると天命ををへずにしまふ。そこで寿も夭も気象からすることなり。医者に柎子つかひと云があって、柎子でとかく病氣をなをす。ぶんなよふなことでしをぼへた療治の手段ぞ。呂栄公も氣象でしをぼへたもの。学問はつまり此心をよくすると云が大事ぞ。その大事の心も気象がさへ子ばよくならぬ。
【解説】
「不惟君子小人於此焉分、亦貴賤壽夭之所由定也」の説明。人の寿命は「死生有命」で、人には手を付けられないものだが、道徳のある人は尊く、道徳のない人は賎しい筈で、また、仁者は騒ぐことがないので寿の模様となる。
【通釈】
「亦貴賎云々」。これが発明の上の発明である。無理なことを言った様である。「貴」は公家衆や大名衆などということ。「賎」は日雇取りや馬追いなどという類。人の寿命というものは「死生有命」で、人の方には手の付けられないもの。そこを「貴賎寿夭之所由定也」と言うのが知った言い様である。人の氏素性は天から定められたものではない。道徳のある人は尊く、道徳のない人は賎しい筈。これが御定りである。「仁者寿」と言うのは顔子に障ることではない。仁者はあれこれと騒ぐことがないので寿の模様なのである。様々あれやこれやと騒ぐのは、風の吹く所で蝋燭を燈して置く様なもの。直に立つ心を揉む段になると天命を終えずにしまう。そこで寿も夭も気象からすることなのである。医者に附子使いという者がいて、とかく附子で病気を治す。特別なことの様で、し覚えた療治の手段である。呂栄公も気象でし覚えたもの。学問はつまりこの心をよくするというのが大事。その大事な心も気象が冴えなければよくはならない。
【語釈】
・死生有命…論語顔淵5。「司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我獨亡。子夏曰、商聞之矣。死生有命。富貴在天。君子敬而無失。與人恭而有禮、四海之内、皆兄弟也。君子何患乎無兄弟也」。
・仁者壽…論語雍也21。「子曰、知者樂水、仁者樂山。知者動、仁者靜。知者樂、仁者壽」。

直方先生が奥方へ、をれにうてた顔があるか、あらばしらせよとぞ。あとをつぐ弟子ゆへ迂斉や石原先生へ云はれそうなもの。奥方をたのまれたと云ふがきこへた。学者を相手にしてはうてた顔もな井が、奥方はがくやのがくやなり。相手にしてとりかざりもなにもな井ものぞ。これで直方先生などにうてた顔はなかったが見へる。さて呂栄公の奥方の云はれたことが渕源彔に載てある。呂栄公の奥方が、六十年ほど夫婦になってをったが、ついにかををあかくしたを見たことがないと云へり。公は殊の外功夫をなされた人で、橋が落て駕舁ともに川へをちて、すこしも心を動かさぬ。みな渕源彔に詳にあり、それもこれも気象からきたもの。をれは酒を沽ふと、書物をかりるより外よふないものじゃと云ふ詩をつくりたことあり。気象かわるいとよ井ことをした処が石地の茄子のよふで、あぢにひすぼまる。貝原か威儀の則にあてたか此章を字であてたものなり。容止と云字あるからしてそふみたとみへる。気象は心なり。気象が辞令容止でみへるゆへ威儀の則ではない。心術之要なり。
【解説】
直方先生が、俺に茹でた顔があれば知らせろと奥方に言った。これで、直方先生などには茹でた顔はなかったことがわかる。呂栄公も、奥方が六十年の間に一度も顔を赤くしたのを見たことがないと言った。呂栄公は殊の外気象の功夫をされた人である。貝原は、ここに容止とあるのでこれを威儀の則に当てたが、ここは気象が辞令容止で見えることを言ったのもで、心術の要である。
【通釈】
直方先生が奥方に、俺に茹でた顔があるか、あれば知らせろと言った。後を継ぐ弟子なのだから、迂斎や石原先生に言われそうなものを、奥方に頼まれたというのがよくわかる。学者を相手にしては茹でた顔もしないが、奥方は楽屋の楽屋なので、相手にして取り飾ることは何もないもの。これで直方先生などに茹でた顔はなかったのが見える。さて呂栄公の奥方の言われたことが淵源録に載せてある。呂栄公の奥方が、六十年ほど夫婦になっているが、一度も顔を赤くしたのを見たことがないと言った。公は殊の外功夫をなさった人で、橋が落ちて駕籠舁きと共に川へ落ちても、少しも心を動かさなかった。皆、淵源録に詳しくあるが、それもこれも気象から来たもの。俺は酒を売ろうと、書物を借りるより外に用はないものだという詩を作ったことがある。気象が悪いとよいことをした処が石地の茄子の様で、悪く萎む。貝原はこれを威儀の則に当てたが、それはこの章を字で当てたもの。容止という字があるからそう見たものと見える。気象は心である。ここは気象が辞令容止で見えることを言うのだから、威儀の則ではない。心術の要のことである。


嘉言73
○攻其惡無攻人之惡。蓋自攻其惡日夜且自點檢、絲毫不盡、則慊於心矣。豈有工夫點檢他人耶。
【読み】
○其の惡を攻めて人の惡を攻むること無かれ。蓋し自ら其の惡を攻めて日夜且く自ら點檢し、絲毫も盡さざれば、則ち心に慊[あきた]らず。豈他人を點檢するに工夫[いとま]有らんや。

○攻其悪云々。朱子の並べやふに思召あることぞ。責人則明が前にあるゆへ、この章を其次に出すがよいはずに、中に氣象と云ふことををいて、あとさきでこれを云が面白ひ。范忠宣公の云ふたことをもふ一つ云たものなり。時々刻々にわるくはないかと我を吟味して、人のことは打捨てをくがよい。かまわぬと云ことではないが、百姓が人の田の手傳ひのならぬやふなもの。朋友の悪は責ることもあるが、人のことにかかられぬ。その筈ぞ。こちの身を修め子はならぬ。吾か方が病人ゆへ人の看病はならぬ。これ迠論吾の語で、盖自攻其悪云々。これからが呂栄公の了簡。兎角この方を々々々々とかかること。
【解説】
自分を吟味して、人のことは打ち捨てて置くのがよい。自分の身を修めなければならないのだから、人に構う余裕はない。
【通釈】
「攻其悪云々」。朱子の並べ様に思し召しのあること。「責人則明」が前にあるので、この章をその次に出すのがよい筈なのに、中に気象ということを置いて、後先でこれを言うのが面白い。范忠宣公の言ったことをもう一つ言ったもの。時々刻々に悪くはないかと自分を吟味して、人のことは打ち捨てて置くのがよい。それは人に構わないということではないが、百姓が人の田の手伝いのできない様なもの。朋友の悪は責めることもあるが、人のことには掛かれない。その筈で、こちらの身を修めなければならない。自分の方が病人なので人の看病はできない。これまでが論語の語で、「蓋自攻其悪云々」からが呂栄公の了簡。とかく自分をと掛かるのである。
【語釈】
・責人則明…小学外篇嘉言71。「范忠宣公戒子弟曰、人雖至愚責人則明、雖有聦明恕己則昏」。
・氣象…小学外篇嘉言72。「呂榮公嘗言、後生初學且須理會氣象」。

○點檢はあの方の官府文字で御吟味と云ことで、あちこちと吟味をすることなり。吟味をしてもどうかととかぬ処があるとそこが心かがり。これをよい加减と思ふと為己の学でない。これは鄰りの人も知らぬことぞ。我が手に我が胸をさかしてみて、さてよくないことのあるとき安堵せぬことぞ。茶人の羽帚てはくやふなもの。一つでも垢微がありては人も知ら子とも、我が心か安せぬ。利休が客をまたせてを井て庭の鉢前の小石をならへたと云ふ話が茶人の方にある。どうも石のつみやふがわるふては、客はどふであらふとも利休の心が安ぜぬ。みな向ふに付たことではのふて、みなこちの心のことぞ。してみれば、人にかかることではない。こちがいそがしい。子貢方人。子曰、賜也賢乎哉。夫我不暇と云はれた戒もそれで、孔子が、をれはどふも人のことにかかってをるひまがないと云へり。我が家内之事がををくて鄰りの亭主の世話迠はやかれぬ。心の功夫の人にかまわれぬことで、吾一人ですることぞ。直方先生、つんほて旅をすると云ことを云はれたことあり。つんぼはこれ々々ちとまたれよと云ふてもずぶ々々とかまわずゆく。ここは人へ手出すはわる井。我をよく々々吟味することぞ。
【解説】
心によくないことがある時は安堵しないもの。心の功夫は自分がすることだから、人の方へ手を出すのは悪い。
【通釈】
「点検」は中華の官府文字で御吟味ということ。あちこちと吟味をすること。吟味をしてもどうも届かない処があるとそこが心掛かり。これをよい加減に思うと為己の学ではない。これは隣の人も知らないこと。自分の手で自分の胸を探して見て、さてよくないことがある時には安堵しないもの。茶人が羽箒で掃く様なもの。一つでも塵があっては、人はそれを知らなくても、自分の心が安んじない。利休が客を待たせて置いて庭の鉢前の小石を並べたという話が茶人の方にある。どうも石の積み様が悪くては、客はどうであろうと利休の心が安んじない。皆向こうに付いたことではなく、こちらの心のこと。してみれば、人に掛かることではない。こちらが忙しい。「子貢方人。子曰、賜也賢乎哉。夫我則不暇」との戒めもそれで、孔子が、俺はどうも人のことに掛かっている暇がないと言った。自分の家内の事が多くて隣の亭主の世話までは焼けない。心の功夫は人に構わず、自分一人ですること。直方先生が、聾で旅をするということを言われたことがある。聾はこれこれ一寸待ちなさいと言ってもずんずんと構わずに行く。ここは人へ手を出すのは悪い。自分をよくよく吟味すること。
【語釈】
・子貢方人。子曰、賜也賢乎哉。夫我不暇…論語憲問31。「子貢方人。子曰、賜也、賢乎哉。夫我則不暇」。


嘉言74
○大要前軰作事、多周詳。後軰作事、多闊略。
【読み】
○大要前軰の事を作すは、多くは周詳。後軰事を作すは、多くは闊略。

○大要前軰云々。大要はををかたと云ふこと。ことをくくりて云とき、大畧の大要のと云。要と略とは筋は違ふたこともあれども、大要、ひとつにまわりてこふしたことじゃ。○周詳は、周はいこふめんみつにゆきわたりたこと。詳はこまかにあたりのあること。一ち々々道理の規矩にあたりて喙をいれることのならぬよふにしられた。さて後世の人のことをするを見るに、さて々々つまらぬことじゃ。闊略は、ばっとしてきまらぬこと。なすべきことをせず、やめたりする。しごとをさせてみたとき、つんどやりばなしなぬけだらけじゃ。これがどうして心術の部に載ると云ふに、ものをなぐるとなぐるだけ心がぬける。事はみな道理の備たもの。なぐるとそれだけぬけになる。そこで、なにこともみな道理なりにしっか々々々ときめることぞ。
【解説】
後世の人は事をするのに闊略で、事をなぐって抜けだらけである。ものを投げ遣りにするとその分だけ心が抜ける。
【通釈】
「大要前輩云々」。「大要」は大方ということ。事を括って言う時に、大略や大要と言う。要と略とは筋の違ったこともあるが、大要は一つに回ってこうしたことだということ。「周詳」。「周」は大層綿密に行き渡ったこと。「詳」は細かに当たりのあること。一々道理の規矩に当てて、嘴を入れられない様にされた。さて後世の人が事をするのを見ると、実に詰まらないもの。「闊略」は、ばっとして決まらないことで、すべきことをせず、止めたりする。仕事をさせて見た時に、酷く遣り放しで抜けだらけである。これがどうして心術の部に載るのかと言えば、ものを投げ遣りにすると投げ遣りにしただけ心が抜けるからである。事は皆道理の備わったもの。投げ遣りにするとそれだけ抜けになる。そこで、何事も皆道理の通りにしっかりと決めるのである。

闊略は、なぐりてまにあわせるなり。此章は人の上を云よふで、手前のことを云ふたと見ることぞ。呂栄公の見処がここへ届ひたから云た。此章は律義な行ひすりな人が云ふた様にみへるがそふでない。まつ知見からものをなぐるが夛いが、それは知見のたらぬ処ぞ。周詳は、知見のな井学者はものを丁寧にするもの。身帯をしあけるよふな人は帳面をつける迠丁寧にするもので、それはたたをとなしい息子と云ふやふなもの。ここで周詳と云ふはそのやふなことではない。道にあなをあかせぬやふにしたもの。ここが見処なり。礼義三百威儀三千、みな道ぞ。ここはよ井とすてる処はない。そこで周詳でのふてはならぬなり。老仏は、雨降らば降れ、風吹かば吹けと云ふ。闊略なり。そこを中をけちらすよふにする。それでもよかろふが、道の方はあなだらけ。
【解説】
ここは行で言ったことではなく、知見で言ったもの。ものを投げ遣るのは知見が足りないのである。「周詳」は、道に穴を開かせない様にすること。ここはよいと捨てることのできる様なものはない。
【通釈】
「闊略」は、投げ遣って間に合わせること。この章は人の上を言う様で、自分のことを言ったことと見ること。これは、呂栄公の見処がここへ届いたから言ったこと。この章は律儀な行い釣りな人が言った様に見えるがそうではない。先ず、知見からものを投げ遣る者が多いが、それは知見が足りない処。「周詳」。知見のない学者はものを丁寧にするもの。身代を仕上げる様な人は帳面を付けることまでに丁寧にするものだが、それはただ大人しい息子という様なもの。ここで周詳と言うのはその様なことではない。道に穴を開かせない様にすること。ここが見処である。礼儀三百威儀三千が皆道である。ここはよいと捨てる処はない。そこで周詳でなくてはならない。老仏は、雨降れば降れ、風吹けば吹けと言う。それは闊略である。そこで中を蹴散らす様にする。それもよいだろうが、道の方は穴だらけ。
【語釈】
・礼義三百威儀三千…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百威儀三千。待其人而後行」。

このとをり先軰の事を周詳にするは行とばかり見ることではない。知見と見ることぞ。気象から引付ゆへ、云ひ人によりても見よふことぞ。云ひ人の心をしりて云へば語がいきてくる。周詳と云が心術のつやになる。闊略を高ひことのやふに思ふが、気象のつやが却てなくなる。なせつやがなくなると云に、律義な人は正月も丁寧に礼にあるく。闊略な、ああよいてやと云ふ人は礼にあるかぬ。高ひやふなれども、あるかぬと云にぬけがある。そのぬけはどこぞではくしゃ々々々となる。迂斎や諸先生なとが年礼などにあるかれ、あまり俗すぎたと云よふであったが周詳からなり。これ道理を見たものなり。あぢにさへた様な、却て快活てはな井もの。事を畧すと、畧す処に道がかけてをるゆへわるい。書經に事事と云は反てさえたことなり。こふみれは瑣細なこと迠ひひ井て、偖面白ぞ。
【解説】
前輩が事を周詳にしたのは知見からのこと。周詳が心術の艶になる。闊略では気象に艶がなくなる。妙に冴えたことは、却って快活ではないもの。
【通釈】
この通りで、先輩が事を周詳にするのは行とばかり見るのではなく、知見と見ること。気象から引き付くのだから、言い手によっても見なさい。言い手の心を知って言えば語が生きて来る。周詳が心術の艶になる。闊略を高いことの様に思うが、気象の艶が却ってなくなる。何故艶がなくなるのかと言うと、律儀な人は正月も丁寧に礼に歩く。闊略で、ああよいさと言う人は礼に歩かない。それは高い様だが、歩かないということに抜けがある。その抜けは何処かではぐしゃぐしゃになる。迂斎や諸先生などが年礼などに歩かれるのがあまりに俗過ぎるという様だったが、これが周詳からである。これが道理を見たもの。妙に冴えた様なことは、却って快活ではないもの。事を略すと、略す処で道が欠けるので悪い。書経に「事事」と言うのが却って冴えたこと。この様に見れば瑣細なことにまで響いて、さて面白い。
【語釈】
・事事…書経説命中。「惟事事乃其有備」。


嘉言75
○恩讎分明、此四字非有道者之言也。無好人三字、非有德者之言也。後生戒之。
【読み】
○恩讎分明、此の四字は有道者の言に非ざるなり。無好人の三字は、有德者の言に非ざるなり。後生之を戒めよ。

○恩讎云々。えてこれが学者にありたがる。恩は恩、仇は仇とはっきりとわける。竹は竹、木は木とわける。よいよふなことでわるい。范睢がこれをした。一飯之德必償睚眦之怨必報。茶漬を一飯ふるまわれたも、かたじけないと恩をかへす。をれをあちに見たものがあるが、それにもきっとあだをかへす。さて々々いやな心持ぞ。范睢などはあのとをりらちもない者ゆへきこへたが、晋の文公にこれがありた。わるくしたものを、後諸侯の旗頭になっても怨をしかへす気がありた。かりたものはかへし、かした物は取ると云ふ。よいことのやふなれとも、天下の道理は、舛の角を楊枝であらふやふにしてはうまみがなくなる。
【解説】
范睢が「一飯之徳必償、睚眥之怨必報」と言ったが、この様にはっきりと分けるのは悪い。
【通釈】
「恩讎云々」。これが学者にありがちである。恩は恩、仇は仇とはっきりと分ける。竹は竹、木は木と分けるのは、よい様で悪い。范睢がこれをした。「一飯之徳必償、睚眥之怨必報」。茶漬を一飯振舞われても、忝いと恩を返す。俺を悪く見た者がいると、それにも必ず仇を返す。実に嫌な心持である。范睢などはあの通り埒もない者なので当然のことだが、晋の文公にこれがあった。悪くした者を、後に諸侯の旗頭になっても怨みをし返す気があった。借りた物は返して、貸した物は取ると言う。よいことの様だが、天下の道理は、枡の角を楊枝で洗う様にしては甘味がなくなる。
【語釈】
・范睢…秦の宰相。生没年不詳。字は叔。
・一飯之德必償睚眦之怨必報…史記范睢蔡沢列伝。「昭王召王稽、拜爲河東守、三歳不上計。又任鄭安平、昭王以爲將軍。范睢於是散家財物、盡以報所嘗困厄者。一飯之德必償、睚眥之怨必報」。
・晋の文公…姓は姫。名は重耳。前697~前628

○無好人云々。ああよい人はな井はと云ふ。ちがいもなくよ井人はな井。小利口にきこへ、いかさまと云が、それがさん々々な文字そ。人は仁義礼智と云結搆なものをもってをるゆへ、今迠盗人をしてもこれはわる井ことをしたとやめれば、それからだん々々垩賢にもなられるものがある。そこを孟子が性善と仰られた。よ井人がないなどと云ふは、木のめの出る処へにへ湯をかけるやふなもの。かりにも云べきことではない。さてここに有道有德の字あり。一つに云へば同しことになるが、筋を立るがよい。わけてあればこれも吟味してみやふことぞ。有道も書經にあれとも、有道は論吾の文字を出処にすべし。有德は書經の文字なり。有道は道理を知った人のこと。この方に道理が融通してをるゆへ筭用づめなことはない。
【解説】
よい人はいないと言うのは悪い。人は誰もが仁義礼智を持っている。「有道」は道理を知った人のことで、論語が出処であり、「有徳」は書経が出処である。
【通釈】
「無好人云々」。ああよい人はないと言うが、完璧によい人はいない。小利口に聞こえて、いかにもと思うが、これが散々な文字である。人は仁義礼智という結構なものを持っているので、今まで盗人をしてもこれは悪いことをしたと止めれば、それからは段々と聖賢にもなれるものがある。そこを孟子が性善と仰せられた。よい人がないなどと言うのは、木の芽が出る処へ煮え湯を掛ける様なもの。仮にも言うべきことではない。さてここに有道と有徳の字がある。一つに言えば同じことになるが、筋を立てるのがよい。分けてあるのだから、これも吟味して見なさい。書経にも有道とあるが、有道は論語の文字を出処にしなさい。有徳は書経の文字。有道は道理を知った人のこと。こちらに道理が融通しているので、算用尽くめなことはない。

有德は我が身に徳のある人のこと。徳と云ふが自然とはへたものではない。段々た子くして道理を我か方もったもの。そこでよ井人がな井などとは云はぬ。有德は冨顕者の身帯をしだしたやふなもの。儉約さへすれば身代はよくなるゆへ、そこで金はもたれぬものじゃとはいはぬ。有德者が本修行てなりたものゆへ、無好人なとと云ふことは决して云はぬ。わけて見れば、有道有德の字もこのとをりかわることぞ。有道者は小市や行藏、有德者は義丹や庄内がこれなり。なせ某が亡友を出せば、外篇は近ひ方へ々々々々と説くゆへ、今日講釈をする人も近ひ方へ々々々々とすることぞ。かるく云ふで文字もやふすみ、外篇の姿なり。
【解説】
「有徳」は自分の身に徳のあること。徳は生まれながらにあるものではなく、育てなければならないもの。有道者は小市や行蔵、有徳者は義丹や庄内である。
【通釈】
有徳は自分の身に徳のある人のこと。徳は自然と生えたものではない。段々と育て、道理を自分に持ったもの。そこで、よい人がないなどとは言わない。有徳は分限者が身帯を仕出した様なもの。倹約さえすれば身代はよくなるので、そこで金は持てないものだとは言わない。有徳者は本来修行でなったものなので、無好人などとは決して言わない。分けて見れば、有道と有徳の字もこの通り違ったもの。有道者は小市や行蔵、有徳者は義丹や庄内がこれ。何故私が亡友を出すのかと言うと、外篇は近い方へと説くので、今日講釈をする人も近い方へとすること。軽く言うので文字もよく済む。これが外篇の姿である。
【語釈】
・小市…宇井黙齋。初めの姓は丸子。名は弘篤。字は信卿。小一郎と称す。肥前唐津の人。天明1年(1781)11月22日、京都にて没。年57。久米訂斎門下。
・行藏…村士玉水。名は宗章。別号は一齋、素山。行蔵、幸蔵と称す。江戸の人。信古堂を営む。村士淡齋の子。初め山宮雪樓に学ぶ。安永5年(1776)1月4日没。年48。稲葉迂斎門下。
・義丹…和田儀丹。下総酒々井の人。医者。成東町に卜居。寛保4年(1744)1月5日没。稲葉迂斎門下。
・庄内…鈴木養察。莊内と称す。成東町姫島の人。安永8年(1779)12月25日没。年85。稲葉迂斎門下。


嘉言76
○張思叔座右銘曰、凡語必忠信、凡行必篤敬、飮食必愼節、字畫必楷正、容貌必端莊、衣冠必肅整、歩履必安詳、居處必正靜。作事必謀始、出言必顧行、常德必固持、然諾必重應、見善如己出、見惡如己病。凡此十四者我皆未深省。書之當座隅、朝夕視爲警。
【読み】
○張思叔座右の銘に曰く、凡そ語は必ず忠信、凡そ行は必ず篤敬、飮食は必ず愼節、字画は必ず楷正、容貌は必ず端莊、衣冠は必ず肅整、歩履は必ず安詳、居處は必ず正靜。事を作すには必ず始めに謀り、言を出だすには必ず行を顧み、常德は必ず固く持ち、然諾は必ず重く應じ、善を見ては己出だすが如くし、惡を見ては己病むが如くす。凡そ此の十四の者は我皆未だ深く省みず。之を書して座隅に當りて、朝夕視て警と爲す。

○張思叔座右銘曰云々。十四句あるが、みな必々と云ふ字がある。視聴言動に勿と云ふ字をつけるやふなもの。非礼勿視非礼勿聴云々はわるいものを向にをいて、そふはさせまいと云のなり。ここはよ井ことを出して、是非そふなければならぬ々々々と必と云字をつけた。非礼勿視は敵を防くやふなもの。ここは士卒をやしのふやふなものなり。いつでもわすれることなく、兎角こふしよふ々々々々々として、鼻の先にその戒ををくことぞ。湯王のやふな垩人でも盤に銘を書てをかれた。戒は不断はなのさきにをくでよ井。毎日々々箸の上け下けに戒る。
【解説】
「張思叔座右銘曰」の説明。勿は、是非そうしてはならないということだが、この「必」は、是非この様にしなければならないということ。戒めは鼻の先に置くのがよい。
【通釈】
「張思叔座右銘曰云々」。ここに十四句あるが、全部に必という字がある。これが視聴言動に勿という字を付ける様なもの。「非礼勿視、非礼勿聴云々」は悪いものを向こうに置いて、そうはさせないと言ったものだが、ここはよいことを出して、是非そうでなければならないと必という字を付けたのである。非礼勿視は敵を防ぐ様なもの。ここは士卒を養う様なもの。いつでも忘れることなく、とかくこうしようと、鼻の先にその戒めを置く。湯王の様な聖人でも盤に銘を書いて置かれた。戒めは普段から鼻の先に置くのでよい。毎日の箸の上げ下げまでをも戒める。
【語釈】
・張思叔…張繹。字は恩叔。伊川門下。
・視聴言動に勿…小学外篇嘉言68を指す。
・湯王のやふな垩人でも盤に銘を書てをかれた…大学章句2。「湯之盤銘曰、苟日新、日日新、又日新」。

○凡語必忠信。御見舞と云て役所の用談に来たときは隨分たしなみ、忠信の本のことを云ふても、子共がそこにをる、もふあれは子共じゃとうそを云へば必でな井。人間天地の間印判と云ふものをなくすと云ほどでのふては本のことではない。人が忠信でないゆへ印判を押す。万物には迂偽はない。人に迂偽あり。此箴必の字が親切なり。必がないとたま々々する。必と云ふ字でいつも々々々なり。○凡行必篤敬は、いこふ手厚くつつしむことぞ。○愼節は、平生飲食をするにほどよくする。易に愼言語節飲食とあるを合せて云。○飲食は口あたりよいものゆへ、とかくつつしまぬ。爽口多為病と邵康節の詩にもあり。名医森喜内、人を戒て云ふ。そこ元酒を飲るるが摺鉢にいっはい飲んでもよいか、しまいにいやと思ふ盃その一盃が病になるぞよと云へり。からだは仁義礼智の太極の理を入れる入れ物なり。その入れ物をぶちこはしてはどうもならぬことなり。飲食のつつしみ、一大事はそこのことなり。
【解説】
「凡語必忠信、凡行必篤敬、飮食必愼節」の説明。天地の間で人だけが嘘を吐く。嘘を吐くから印判もできた。体は仁義礼智という太極の理を入れる入物だから、飲食を慎む。
【通釈】
「凡語必忠信」。御見舞いと言って役所から用談に来た時には随分と嗜んで忠信の実なことを言うが、子供がそこにいると、もうあれは子供だからと嘘を言う。それでは必でない。人間が天地の間に印判というものをなくすと言うほどでなければ本当のことではない。人が忠信でないから印判を押す。万物に嘘はない。人に嘘がある。この箴の必の字が親切なこと。必がないと偶々だが、必という字があるのでいつもする。「凡行必篤敬」は、大層手厚く慎むこと。「慎節」は、平生飲食をするのに程よくすること。易に「慎言語節飲食」とあるのを合わせて言う。飲食は口当たりのよいものなので、とかく慎まない。「爽口多為病」と邵康節の詩にもある。名医の森喜内が人を戒めて、貴方は酒を飲まれるが、擂鉢一杯に飲んでもよいが、最後に嫌と思うその一盃が病になるぞと言った。体は仁義礼智という太極の理を入れる入物。その入物を打ち壊してはどうにもならない。飲食の慎みが一大事と言うのはそこのこと。
【語釈】
・愼言語節飲食…易経頤卦。「象曰、山下有雷頤。君子以愼言語、節飮食」。
爽口多為病…邵康節。口の爽やかなる、多くは病を為す。
・森喜内…江戸の人。医者。稲葉迂斎門下。

○字畵必楷正は、やりばなしをかかぬこと。か井書にかくことではない。きっとたたしくかくことぞ。人に見せるためにかくことではない。はれな処へ手紙をやるときは楷正なものなれども、古る井紙に心覚などちょっと書てをく、どふでもよ井と云ふもの。そのときも楷正。見るの見ぬのと云のあやではない。○端荘は、正ひとをごそかと云にちとあたりちが井あることぞ。袴のひだをなをすは端、すわりた処のきっとしたが荘なり。容貌と顔色の上のことなり。丁寧にゆきをそろへても、荘でないと不埒ななりなもの。講後先生曰、端荘はからだのなりはかりを云ひ、えもんをそろへるは肅整なり。○安詳はしっとり々々々々とあるく。足とりのきまりたことなり。平人はあるくに專一でな井ゆへ植た艸花を蹈だり穴へ落たりする。
【解説】
「字畫必楷正、容貌必端莊、衣冠必肅整、歩履必安詳」の説明。人が見るか見ないかには構わず、字はしっかりと正しく書く。「端荘」は体の様子で言い、身形を揃えるのが「粛整」である。
【通釈】
「字画必楷正」は、遣り放しに書かないこと。楷書で書くことではない。しっかりと正しく書く。人に見せるために書くのではない。晴れな処へ手紙を遣る時は楷正なものだが、古い紙に心覚えなどを一寸書いて置くのはどうでもよいと言うもの。その時も楷正でする。人が見る見ないという綾ではない。「端荘」。正しいと厳かとには一寸当たりの違いがある。袴の襞を直すのは端、据わった処がきっとしているのが荘である。これが容貌と顔色の上のこと。丁寧に裄を揃えても、荘でないと不埒な姿なもの。講後に先生が言った。「端荘」は体のなりばかりを言い、衣紋を揃えるのは「粛整」である、と。「安詳」はしっとりと歩くことで、足取りの決まったこと。平人は歩くのに専一でないので植えた草花を踏んだり穴へ落ちたりする。

○居處必正静は、平生宿に居るにもまんろくにしゃんとしてをる。用向のな井ときゆへ、惣体のをちつ井たこと。形ばかりへかけることではない。心へかけて見ることぞ。明道先生終日端坐如泥塑人と云がこれなり。今日の人はひまでをりながらいそがしいよふなり。○作事云々は、なんぞ事をすること。事と云へは改た事と見るがよ井。烟草を吸ふも事をするなれども、作事と云へば改たことぞ。平人はものにうつりやす井なり。ものにかかりてするはあとのつつがぬ本なり。なまなかじなことをしてあとへも先へも動かぬ。○常德は書圣の文字でもあらふが、をぼへす。全体の徳のこと。全体の我がもちまへから云こと。さてもいつもかわらぬと云ふ。ちがいました々々々々々々と云ふはをぼつかないこと。○固持と云ふてじょふぶなり。
【解説】
「居處必正靜。作事必謀始、出言必顧行、常德必固持」の説明。用向きのない時は体も心も落ち着いていなければならない。事をする時は前もってよく考える。徳を固持するのでいつも変わることがない。
【通釈】
「居処必正静」。平生宿にいるにも真陸でしゃんとしている。用向きのない時なので、総体の落ち着いたこと。これは形ばかりへ掛けることではない。心へ掛けて見ること。「明道先生終日端坐如泥塑人」と言うのがこれ。今日の人は暇でいながら忙しそうである。「作事云々」は、何か事をすること。事と言えば改まった事と見るのがよい。煙草を吸うのも事だが、作事と言えば改まったこと。平人はものに遷り易い。ものに掛かってするのは後が続かなくなる本である。中途半端なことをするので後へも先へも動かない。「常徳」は書経の文字でもあろうが、それは確かではない。全体の徳のこと。全体の自分の持前から言うこと。いつも実に変わらないと言う。度々違いましたと言うのでは覚束ない。「固持」と言うので丈夫である。
【語釈】
・明道先生終日端坐如泥塑人…小学外篇善行70。「明道先生終日端坐如泥塑人。及至接人、則渾是一團和氣」。

○然諾云々。人と約束をし、承知したと云ふには、とんと間に合ひを云ふことではない。隨分あとさきを考てするがよい。善いことを、手前のときほめられたかってする。吾病気の時は親切なもので実にいやに思ふ。わる井ことをそのやふにいやに思ふ。張思叔は伊川の晩年の弟子なり。初、身分のかるい人で、傭賃[ひよふとり]をしてをったが、或時御役人がとをるとて道の掃除などをし、ほどのふ通りたれば思叔も見てをって、どふしてあのやふになりたと人に問たれば、学問でなりたと云ふた。それから学問にかかったぞ。この銘はあまり文字もたくましふな井が、年長ていろはをならふてかいたやふではない。三宅先生云ふ、この章以下三章、衣服飲食威儀之則じゃと云はれた。
【解説】
「然諾必重應、見善如己出、見惡如己病。凡此十四者我皆未深省。書之當座隅、朝夕視爲警」の説明。間に合わせの約束はしない。人の善は自分が誉められた様に思い、悪は自分が病気になった時の様に嫌う。
【通釈】
「然諾云々」。人と約束をして、承知したと言う時は、決して間に合わせで言ってはならない。随分と後先を考えてするのがよい。人の善いことは、自分が誉められた様に思う。自分が病気の時は親切なものでも実に嫌に思う。悪いことはその様に嫌に思う。張思叔は伊川の晩年の弟子である。初めは身分の軽い人で、日雇取りをしていた。ある時御役人が通るからと道の掃除などをしていると、程なく通ったので思叔もそれを見て、どうしてあの様になったのかと人に問うと、学問でなったと言われた。それから学問に掛かったのである。この銘はあまり文字も逞しくはないが、年長でいろはを習って書いた様ではない。三宅先生が、この章以下の三章は衣服飲食威儀之則だと言われた。


嘉言77
○胡文定公曰、人須是一切世味淡薄、方好。不要有富貴相。孟子謂堂高數仭、食前方丈、侍妾數百人、我得志不爲。學者須先除去此等、常自激昂。便不到得墜墮。常愛諸葛孔明、當漢末、躬耕南陽不求聞達。後來雖應劉先主之聘、宰割山河、三分天下、身都將相、手握重兵、亦何求不得、何欲不遂、乃與後主言成都有桑八百株、薄田十五頃、子孫衣食自有餘饒、臣身在外別無調度、不別治生以長尺寸。若死之日、不使廩有餘粟、庫有餘財、以負陛下。及卒果如其言。如此軰人、眞可謂大丈夫矣。
【読み】
○胡文定公曰く、人須く是れ一切の世味淡薄なるべくして、方に好し。富貴の相有るを要せず。孟子、堂の高さ數仭、食前方丈、侍妾數百人なるは、我志を得とも爲さずと謂う。學者須く先ず此等を除き去り、常に自ら激昂すべし。便ち墜墮を得るに到らず。常に、諸葛孔明、漢の末に當り、南陽に躬耕して聞達を求めず。後來劉先主の聘に應じ、山河を宰割し、天下を三分し、身將相を都[す]べ、手に重兵を握り、亦何を求めてか得ざらん、何を欲してか遂げざらんと雖も、乃ち後主の與[ため]に、成都に桑八百株、薄田十五頃有り、子孫の衣食自ら餘饒有り、臣の身外に在りて別に調度すること無く、別に生を治めて以て尺寸を長さず。死する日の若きは、廩に餘粟有り、庫に餘財有らしめて、以て陛下に負[そむ]かずと言う。卒するに及びて果して其の言の如きなるを愛す。此の如き軰の人は、眞に大丈夫と謂う可し。

○胡文定公曰云々。殊外すぐれて豪傑な人で、一生貧乏な咄かきら井であった。貧乏な話をすると、くれろと云ふやふで面白な井となり。すべて世の中のことにちっとものぞみをかけるとわるくなる。○一切は、をっくるんで云ことぞ。○世味は世の中をわたるにあんばいのあること。あちへまわしこちへまわしすると我も立身をし、人にも調法かられる。浅見先生も鞭策録の序にををヶ條にしてこれを書てをかれた。今田舎者が江戸へゆくと在郷者が来たと云ふ。それが本のこと。田舎者でも田舎者と見へぬと云ふは世味になれてをるゆへなり。今山からきりて来たと云よふながよ井。ずる々々と世味に流れる者ゆへ、世味などと云ふはざっとほかすがよい。浅見先生が、しつこいことあるが、しつこくないがよ井と云はれた。立身したと云ふははあと云へばよ井が、それはとのり出てききたがる。立身などと云ふは、つんどざっとして、上を雁などの飛よふに思へばよ井が、それをとかくききたがる。冨貴らしいことあるをづんと好まぬこと。つまり外物ぞ。仁義の沙汰になりては、我々とても歴々も同じことぞ。石原先生の云ふとをり、行水をするときは大名もわれ々々も同じことと云へり。
【解説】
「胡文定公曰、人須是一切世味淡薄、方好。不要有富貴相」の説明。望みを掛けると悪くなる。世味に流されてはならない。立身や富貴などは外物なのだから、それに執着はしない。仁義から言えば、人は誰もが同じである。
【通釈】
「胡文定公曰云々」。殊の外優れた豪傑な人で、一生貧乏な話が嫌いだった。貧乏な話をすると、くれと言う様で面白くないと言う。全て世の中のことに少しでも望みを掛けると悪くなる。「一切」は、ひっ包んで言ったこと。「世味」。世の中を渡るには塩梅がある。あちらへ回しこちらへ回しすると自分が立身をして、人にも調法がられる。浅見先生も鞭策録の序に大箇条にしてこれを書いて置かれた。今田舎者が江戸へ行くと在郷者が来たと言われる。それが本当のこと。田舎者でも田舎者に見えないというのは世味に慣れているからである。今山から切って来たという様なのがよい。ずるずると世味に流れるものだが、世味などというものはざっと放下すのがよい。浅見先生が、しつこいことがあるが、しつこくないのがよいと言われた。立身したと言うのには、はあと言えばよいが、それはと乗り出して聞きたがる。立身などということは、実にざっとして、上を雁などが飛ぶ様に思えばよいが、それをとかく聞きたがる。富貴らしいことがあるのを全く好まない。つまりはそれは外物である。仁義の沙汰になっては、我々も歴々も同じこと。石原先生の言う通りで、行水をする時は大名も我々も同じこと。
【語釈】
・鞭策録の序…講学鞭策録序。「世味經歴之熟者、不乗虚投間、引己以入鄙僻壊墮之域耶」。

○堂高云々は見上げて見るやふなことぞ。どふぞ々々々と子がふてをるが凡夫の心。そこで孟子が、あれがなってもせぬと云はれた。石原先生が、雪隠は大名でも三尺四方ですむと云はれた。見処がな井とすまいをををきくし、女中なと大勢あることを結搆と思ふ。孟子は結搆と思はぬ。○激昂は、水を上への方へはたきあげること、はりあげることと浅見先生云へり。冨貴と云ふとべた々々となるが、学者は義理で激昂すべきことぞ。ここはつよいがよい。上品めかず、りきむことなり。顔子のけたか井はここへ云ふことではない。子路の狐貉云々も激昂したもの。道理ではりあげる。○不到得云々。激昂せぬとだら々々となる。はつみがなくなるとその方へをちる。をかし井たとへのよふなれとも、天が地をつりてをる。めり々々とをちそふなものなれとも、気がくる々々まわるゆへ落ちぬ。天の元気なり。学者も元気がつよ井と天が地をつりあげてをるよふに、めったにめたとはならぬ。わるくすると人欲にくったりとをち、瓦の解るやふにぐはら々々々となる。そこをつきあげるやふにひちをはるがよい。
【解説】
「孟子謂堂高數仭、食前方丈、侍妾數百人、我得志不爲。學者須先除去此等、常自激昂。便不到得墜墮」の説明。孟子は「堂高数仞、榱題数尺」で「食前方丈、侍妾数百人」でも、それを結構なものだとは思わなかった。学者は義理で激昂する。
【通釈】
「堂高云々」は見上げて見る様なこと。どうかどうかと願っているのが凡夫の心。そこで孟子が、あの様になってもしないと言われた。石原先生が、雪隠は大名でも三尺四方で済むと言われた。見処がないと住まいを大きくして、女中などが大勢あることを結構なことだと思う。孟子はそれを結構なことだとは思わない。「激昂」は、水を上の方へ叩き揚げること、張り上げることだと浅見先生が言った。富貴というとべたべたとなるが、学者は義理で激昂すべきもの。ここは強いのがよい。上品めかず、力むこと。顔子の気高いことはここで言うことではない。子路の狐貉云々も激昂したもの。道理で張り上げる。「不到得云々」。激昂をしないとだらだらとなる。弾みがなくなるとその方へ墜ちる。可笑しいたとえの様だが、天が地を吊っている。めりめりと墜ちそうなものだが、気がくるくると回るので墜ちない。これが天の元気である。学者も元気が強いと天が地を吊り上げている様に、滅多にめり込まない。悪くすると人欲にぐったりと墜ち、瓦の崩れる様にがらがらとなる。そこを突き上げる様に肘を張るのがよい。
【語釈】
・堂高…孟子尽心章句下34。「孟子曰、説大人則藐之、勿視其巍巍然。堂高數仞、榱題數尺、我得志弗爲也。食前方丈、侍妾數百人、我得志弗爲也。般樂飮酒、驅騁田獵、後車千乘、我得志弗爲也。在彼者、皆我所不爲也。在我者、皆古之制也。吾何畏彼哉」。
・子路の狐貉…論語子罕26。「子曰、衣敝縕袍、與衣狐貉者立、而不恥者、其由也與。不忮不求、何用不臧。子路終身誦之。子曰、是道也。何足以臧」。

○諸葛孔明云々。よのものと云ふと了簡ちかい。孟子が垩人百世之師、伯夷桺下惠、これなりと云ふと同し。諸葛孔明と目を付たに思召あることぞ。顔子がよかろうと云は不断のこと。王魯斉が孔明を慕ふて長嘯と号したを後改めたは、あれは学問全体につ井たこと。胡文定の云はるるはあれとはちがふ。孔明を出すに趣向がある。これにあたりあることぞ。孔明は世味軽歴になるはなへ出た人。咳拂ひをして出た井じふんに、南陽に百姓と同じことに田を耕してをられた。そこを劉備がとりだされ、それからは浅見先生の云ふ、孔明は天下をどふかへしにする器量て劉備に用られ、表へ出ては軍大將、内に居ては摂政の役をしられた。南陽でたがやすときとちが井、食前方丈もなる。劉備も死後にをれが子か役にたたずはをぬし天下をとれと云ふたほどなことで、自由な身分なれどもそれをせぬ。成都有桑八百株云々なり。
【解説】
「常愛諸葛孔明、當漢末、躬耕南陽不求聞達。後來雖應劉先主之聘、宰割山河、三分天下、身都將相、手握重兵、亦何求不得、何欲不遂、乃與後主言成都有桑八百株、薄田十五頃、子孫衣食自有餘饒」の説明。孔明は南陽で田を耕していたところを劉備が用いた。孔明は食前方丈もできる地位にいたが、全くそれをしなかった。
【通釈】
「諸葛孔明云々」。違う人が出た思うのは了簡違いである。孟子が「聖人百世之師也。伯夷柳下恵是也」と言ったのと同じ。諸葛孔明と目を付けたのに思し召しがある。顔子がよいと言うのは普段のこと。王魯斎が孔明を慕って長嘯と号していたのを後に改めたのは、あれは学問全体に関したこと。胡文定の言われるのはあれとは違う。孔明を出すのに趣向がある。これには当たりがある。孔明は世味軽歴になる始めに出た人。咳払いをして出たい時分に、南陽で百姓と同じ様に田を耕しておられた。そこを劉備が採り出され、それからは浅見先生の言う、孔明は天下を胴返しにする器量で劉備に用いられ、表へ出ては軍大将、内にいては摂政の役をされた。南陽で耕している時とは違い、食前方丈もできる。劉備も死後に、俺の子か役に立たなければお前が天下を取れと言ったほどで、自由な身分だったがそれをしない。「成都有桑八百株云々」である。
【語釈】
・垩人百世之師、伯夷桺下惠、これなり…孟子尽心章句下15。「孟子曰、聖人、百世之師也。伯夷・柳下惠是也」。
王魯斉

○調度は、浅見先生の弁に道具ひゃうしきと云はれた。身についた用向のつかふもののこと。調はととのへると云ふ字ゆへ人の身につく。衣服飲食なくてならぬものをととのへること。調は調理調度の調。度は名物度数の度。さま々々一色でないこと。格別になにも所持したこともなければ、子孫のためにこれと云ふこともない。死だら御吟味仰付られよとなり。自賛して披露するやふなれとも、これが忠臣の心。俗人の情は私がと我ことをよひ様に並へ立て云たがる。孔明の潔白なするどひことを云ふたもの。これが本の大丈夫と云ふものぞ。この字は孟子がをこりで、一疋の大の男と云こと。これからして大丈夫々々々と云ふに心得ちが井がある。手抦をたて、いろ々々人を驅り集めて国を動すことをする英雄豪傑を云ふが、胡文定の方で大丈夫と云ふはそれとはちごふ。ちっとも世間めいたことのな井を云ふ。朱子の荅陳同甫書にあって、鶴林玉露にのってあるなり。大丈夫と云へは勢の強ひていなことと思ふ。本邦の頼朝や太閤を大丈夫とも云をふが、欲があるゆへぐにゃ々々々になる。孔子が我未見剛者と云はれた。人欲のあるうちはつよいとはいわれぬ。義経義貞も匂當内侍、静と云ふとその方へめた々々となる。
【解説】
「臣身在外別無調度、不別治生以長尺寸。若死之日、不使廩有餘粟、庫有餘財、以負陛下。及卒果如其言。如此軰人、眞可謂大丈夫矣」の説明。孔明は格別に所持するものもなければ、子孫のために遺すものもなかった。これが大丈夫である。大丈夫には世間めいたことがない。欲がある内は大丈夫ではない。
【通釈】
「調度」は、浅見先生の弁に道具ひょうしきとある。身に付いた用向きに使うもののこと。調は整えるという字なので人の身に付く。衣服飲食、なくてはならないものを整えること。調は調理調度の調。度は名物度数の度で、様々で一色でないこと。格別に何も所持したこともなければ、子孫のためにこれということもない。死んだら御吟味を仰せ付けなさいと言う。これは自賛して披露する様だが、これが忠臣の心。俗人の情は、私がと自分のことをよい様に並べ立てて言いたがる。孔明が潔白で鋭いことを言った。これが本当の大丈夫というもの。この字は孟子が起こりで、一疋の大の男ということ。これからして大丈夫ということに心得違いがあり、手柄を立て、色々な人を駆り集めて国を動かす英雄豪傑のことを言うが、胡文定の方で大丈夫と言うのはそれとは違う。少しも世間めいたことのないことを言う。これが朱子の陳同甫に答うる書にあり、鶴林玉露に載っている。大丈夫と言えば勢いの強い体だと思う。日本の頼朝や太閤を大丈夫とも言うだろうが、欲があるのでぐにゃぐにゃになる。孔子が「我未見剛者」と言われた。人欲のある内は強いとは言えない。義経や義貞も匂當内侍や静と言うとその方へめためたとなる。
【語釈】
ひゃうしき
・大丈夫…孟子滕文公章句下2。「景春曰、公孫衍・張儀豈不誠大丈夫哉。一怒而諸侯懼、安居而天下熄。…居天下之廣居、立天下之正位、行天下之大道。得志與民由之、不得志獨行其道。富貴不能淫、貧賤不能移、威武不能屈。此之謂大丈夫」。
・我未見剛者…論語公冶長11。「子曰、吾未見剛者。或對曰、申棖。子曰、棖也慾、焉得剛」。
・匂當内侍…「太平記」にみえる美女。後醍醐天皇に仕えて勾当内侍となり、のち新田義貞の妻となる。

○孔明は世味淡薄からで君臣の名分を明にし、漢の天下をかへすと云ふより外はない。管仲あれほど功業はあれとも管氏にははや三歸がある。欲がなければ大丈夫なり。孔明は醜女を取られた。悪女なれども、其元にもまけぬ婦人じゃと人が云へるとなり。朱子の寡欲と評せられた。昏礼をするとてもきりゃふ吟味といふふやふににやけたことはない。上戸も酒の飲れぬ日は手強みへてなにやらさびしく、なに飲まずとよ井と云が、旅をするにもここらに酒屋はないかと尋子る。とかく欲でにわかに弱みがつく。大丈夫と云ふが孔明の軍に勝つことを云ふたことではない。欲のな井ことなり。古の垩賢みな欲はないが、孔明を云ふが面白ひ。子がいの叶ふ塲に居てせぬ。孔明は君臣の義はかりではへぬき。餘のことをせぬ人なり。
【解説】
孔明は寡欲で君臣の名分を明かにした。孔明大丈夫と言ったのは軍についてのことではなく、欲のないこと。孔明は君臣の義ばかりで、他のことはしなかった。
【通釈】
孔明は世味淡薄から君臣の名分を明かにした。漢の天下に返すより外はない。管仲にはあれほど功業はあったが、管氏には既に三帰があった。欲がなければ大丈夫である。孔明は醜女を娶られた。それでは悪女だが、人に劣らない婦人だと人が言ったそうである。朱子が寡欲と評された。昏礼をするにも器量吟味という様なにやけたことはない。上戸も酒が飲めない日は手強く見えて何やら寂しく、何、飲まなくてもよいとは言うが、旅をするにもここらに酒屋はないかと尋ねる。とかく欲で俄に弱味が付く。大丈夫とは、孔明が軍に勝つことを言ったのではない。欲のないこと。古の聖賢は皆欲がないが、孔明を言うのが面白い。願いの叶う場にいてもしない。孔明は君臣の義ばかりが生え抜きで、他のことはしない人。
【語釈】
・三歸…論語八佾22。「或曰、管仲儉乎。曰、管氏有三歸、官事不攝。焉得儉」。三帰は三つの邸宅、または三国から妻を娶ったこと。
・朱子…別の写本には周子とある。