嘉言78
○范益謙座右戒曰、一、不言朝廷利害、邊報差除。二、不言州縣官員長短得失。三、不言衆人所作過惡。四、不言仕進官職、趨時附勢。五、不言財利多少、厭貧求富。六、不言淫媟戲慢、評論女色。七、不言求覓人物、干索酒食。又曰、人附書信、不可開拆沈滯。發人私書拆人信物。甚者、結爲仇怨。余得人所附書物、雖至親卑幼者、亦未嘗輙留。必爲附至。及人託於某處問訊于求、若事非順理、而己之力不及者、則可至誠辭却之。若已諾之矣、則必須達所欲。至於聽與不聽、則在其人。與人並坐、不可窺人私書。凡與賓客對坐、及往人家、見人得親戚書、切不可往觀、及注目偸視。若屈膝並坐、目力可及、則歛身而退、候其収書、方復進以續前話、若其人置書几上、亦不可取觀。須俟其人云某所惠書、云足下請觀之、方可一看。若書中事、無大小以至戲謔之語、皆不可於他處復説。凡入人家、不可看人文字。凡入人家、不可於几案上及書攀内、飜看人家書簡及記事冊子、錢穀文暦。若人將文字令己看、切不可於背後觀。皆無德之一端也。凡借人物、不可損壞不還。凡借一物、上至書冊下至器用苟得己者、則不須借。若不獲己、則須愛護過於己物、看用纔畢即時歸還。切不可以借爲名、意在没納、及不加愛惜、至有損壞。大率豪氣者於己之物多不自愛。若借人物、豈可亦如此。此非用豪氣之所。乃無德之一端也。凡喫飮食、不可揀擇去取。凡飮食、蒸餅去皮、饅頭去蔕、肉去脂皮之類。皆非成人所爲。乃癡騃無知而已。自非生硬臭惡與犯己宿疾之物、豈有不可食之理。與人同處、不可自擇便利。凡與人同坐、夏則己擇凉處、冬則己擇暖處、及與人共食多取先取。皆無德之一端也。見人富貴、不可歎羨詆毀。富貴高下人所共知。見親戚相識輙稱其富貴。若得其實、即是歎羨。可見不知義命。若不得實、即是嫉疾。用心不佳、莫此爲甚。凡此數事有犯之者、足以見用意之不肖。於存心脩身大有所害。因書以自警。
【読み】
○范益謙の座右の戒に曰く、一に朝廷の利害、邊報の差除を言わず。二に州縣官員の長短得失を言わず。三に衆人作す所の過惡を言わず。四に仕進官職、時に趨き勢いに附くことを言わず。五に財利の多少、貧を厭い富を求むることを言わず。六に淫媟戲慢、女色を評論することを言わず。七に人の物を求め覓[もと]め、酒食を干め索むることを言わず。又曰く、人書信を附かば、開拆沈滯す可からず。人の私書を發き人の信物を拆く。甚しき者は、結て仇怨と爲る。余人の附ける所の書物を得ては、至親卑幼の者と雖も、亦未だ嘗て輙く留めず。必ず爲に附け至る。人の某の處に於て問訊于求するを託し、事理に順うに非ずして、己の力及ばざる者の若きに及びては、則ち至誠に辭して之を却く可し。已に之を諾するが若きは、則ち必ず須く欲する所を達すべし。聽くと聽かざるとに至りては、則ち其の人に在り。人と並び坐しては、人の私書を窺う可からず。凡そ賓客と對坐し、及び人家に往き、人親戚の書を得るを見るは、切に往きて觀、及び目を注ぎて偸み視る可からず。膝を屈し並び坐して、目力及ぶ可きが若きは、則ち身を斂めて退き、其の書を収むるを候ちて、方に復た進みて以て前話を續け、其の人書を几上に置くが若きは、亦取りて觀る可からず。須く其の人某に惠む所の書と云い、足下之を觀んことを請うと云うを俟ちて、方に一看す可かるべし。書中の事の若きは、大小と無く以て戲謔の語に至るまで、皆他處に於て復た説く可からず。凡そ人の家に入りては、人の文字を看る可からず。凡そ人の家に入り、几案の上及び書攀の内に於て、人家の書簡及び記事の冊子、錢穀の文暦を飜看す可からず。人文字を將て己をして看せしむるが若きは、切に背後に於て觀る可からず。皆無德の一端なり。凡そ人の物を借りては、損壞し還さざる可からず。凡そ一物を借るに、上は書冊に至り下は器用に至るまで苟も己むを得る者は、則ち須く借るべからず。己むを獲ざるが若きは、則ち須く愛護すること己の物に過ぎ、看用纔に畢らば即時歸還すべし。切に借るを以て名と爲し、意は没納に在り、及び愛惜を加えず、損壞有るに至る可からず。大率豪氣なる者は己の物に於て多く自愛せず。人の物を借るが若き、豈亦此の如くなる可けんや。此れ豪氣を用うる所に非ず。乃ち無德の一端なり。凡そ飮食喫しては、揀擇[れんたく]し去取す可からず。凡そ飮食は、蒸餅は皮を去り、饅頭は蔕を去り、肉は脂皮を去るの類。皆成人の爲る所に非ず。乃ち癡騃無知のみ。生硬臭惡と己の宿疾を犯すとの物に非ざるよりは、豈食う可からざるの理有らんや。人と同じく處りては、自ら便利を擇ぶ可からず。凡そ人と同坐して、夏は則ち己凉處を擇み、冬は則ち己暖處を擇み、及び人と共に食いて多く取り先ず取る。皆無德の一端なり。人の富貴を見ては、歎羨詆毀す可からず。富貴の高下は人の共に知る所。親戚相識を見て輙く其の富貴を稱す。其の實を得るが若きは、即ち是れ歎羨す。義命を知らざるを見る可し。實を得ざるが若きは、即ち是れ嫉疾す。心を用うることの佳ならざる、此より甚しと爲るは莫し。凡そ此の數事之を犯す者有れば、以て意を用うるの不肖を見るに足る。心を存し身を脩むるに於て大いに害する所有り。因りて書して以て自ら警む。

二月朔日
【語釈】
・二月朔日…寛政2年(1790)2月1日。

○范益謙座右戒曰云々。ここに不言々々と云ふ字が七つある。これがたしなみなり。そのたしなみと云がすぐに敬のことぞ。小学の敬身と云は身をたしなむことで、たしなむと云ふは言語の上にはなをあるべきことなり。いつも云ふ、言は心の花。胸の中にわる井ものを置ゆへ、それが言語にあらわれて出る。わる井ことは决して胸の中にをかぬこと。胸の中にをかぬと云ふも、そとを敬むで中がよふなることなり。胡乱なことを云はぬと云ふで敬身になる。利害と云ふ文字は官府文字とて、あの方で役所でつかふ字なり。御益になることを利と云。御為にならぬことを害と云ふ。○邊報は、此方の長崎と云ふやふなところで外国界なり。そこの処にそれ々々役人があって、外国から彼れ此れのあるとき、上へ申上る。只今の御静謐のやふなことではのふて、世々にここで事がある。事があるとそれに付て此の者をやると云ふが差、御役御免と云ふが除。これを云べきことではない。たしなまふことなり。それをかる々々しく茶飲話にするは上をかるしめたことで、学者に决してあるまいことの、かつふつ云をふことではない。
【解説】
「范益謙座右戒曰、一、不言朝廷利害、邊報差除」の説明。小学の敬身は身を嗜むことだが、言語の上の嗜みが大事である。悪い心が言語に現れて出る。心に悪いことを置かなくするためには外を敬む。朝廷の利害や外国との折衝のことを批判するのは悪い。
【通釈】
「范益謙座右戒曰云々」。ここに「不言」という字が七つある。これが嗜みである。その嗜みと言うのが直ぐに敬のこと。小学の敬身は身を嗜むことで、嗜むというのは言語の上には尚更あるべきこと。いつも言う、言は心の花である。胸の中に悪いものを置くので、それが言語に現れて出る。悪いことは決して胸の中に置かない。胸の中に置かないと言うのも、外を敬むので中がよくなること。滅多なことを言わないと言うので敬身になる。「利害」という文字は官府文字で、中華の役所で使う字である。益になることを利と言い、ためにならないことを害と言う。「辺報」は、日本の長崎という様な所で外国界のこと。その処にそれぞれ役人がいて、外国からかれこれとある時に、上へ申し上げる。只今の御静謐の様なことではなく、世々に事がある。事があると、それに関してこの者を遣ると言うのが「差」、御役御免と言うのが「除」。これを言うべきではなく、嗜まなければならない。それを軽々しく茶飲み話にするのは上を軽んじたことで、学者には決してあってはならないこと。決してそれを言ってはならない。
【語釈】
・范益謙…范沖。字は元長。
・静謐…静かであること。特に、世の中がおだやかに治まること。

○不言州云々。それ々々の奉行がある。あの方の州縣官員はこの方の御勘定奉行のやうな格で、そこへゆかれてをる。云へば御代官のやふなものなり。○長短は全体で云ことで、よい役人わるい役人と云こと。○得失は、今度は出来た、これはしそこのふたと云。兎角これを云ひたがるものじゃが、云まじきことぞ。とくと考てみれば、よいをよいと云ひ、わるいをわるいと云ゆへよいやふなれとも、今度は出来た、今度不出来じゃと云ふが、どふやら界町を見て誉るやふて、上をかるしめるになる。学者などは別してたしなもふこと。此方に了簡のあるたけなをわるい。○不言衆人云々。上のことでなく、人のわるいことを云。誰と云ふことなく、知た筋のことを衆人と云ふ。江戸でも田舎でも兎角これがあって、昨日あの者が十方もないことを云はれたと云ふ。人のあらと云ふものは云ふてみたがるものなり。○不言仕進云々。奉公し、つか井をすること。○官は御役人のこと。人の目がける処が、奉公したいの、御役人になりたいかの二つなり。これらは道理の上で云へば手を出すことではない。自分に器量があれは出る。さて後世ははやみちがある。○趨時附勢ははぶりのよい処ぞ。あそこへ行とよ井と云ふ。そこへよりついて御膝を抱と云ふの筋なり。いよ々々奉公したくは、そのてではゆかぬぞと云ふ。うっかと学者もそのやふなことを云ひたがる。それを决して云ふまじきことなり。
【解説】
「二、不言州縣官員長短得失。三、不言衆人所作過惡。四、不言仕進官職、趨時附勢」の説明。役人の長短や得失は批判しない。人の粗を言わない。奉公や出仕のことで、羽振りのよい人を頼る様なことは言わない。
【通釈】
「不言州云々」。それぞれの奉行がある。中華の州県官員は日本の御勘定奉行の様な格で、そこへ赴任されている。言えば御代官の様なもの。「長短」は全体で言うことで、よい役人、悪い役人ということ。「得失」。今度はできた、これはし損なったと言う。とかくこれを言いたがるものだが、言ってはならない。じっくりと考えて見れば、よいをよいと言い、悪いを悪いと言うことなのでよい様だが、今度はできた、今度は不出来だと言うのが、どうやら堺町を見て誉める様で、上を軽んじることになる。学者などは特に嗜まなければならない。こちらに了簡があるだけ尚更悪い。「不言衆人云々」。御上のことではなく、人の悪いことを言う。誰と言うことなく、知った筋のことを衆人と言う。江戸でも田舎でもとかくこれがあって、昨日あの者が途方もないことを言われたと言う。人の粗は言って見たがるもの。「不言仕進云々」。奉公したり、使いをすること。「官」は御役人のこと。人の目掛ける処が、奉公したいか御役人になりたいかの二つである。これらは道理の上で言えば手を出すことではない。自分に器量があれば出る。さて後世は早道がある。「趨時附勢」は羽振りのよい処。あそこへ行くとよいと言う。これが、そこへ寄り付いて御膝を抱くと言う筋である。いよいよ奉公したければ、その方法では悪いと言う。うっかりと学者もその様なことを言いたがる。それは決して言ってはならないこと。

○五、不言財利云々。身上もったものはこれがある。向から義なりなことでくれば垩賢もそのとをりするが、此方の手出しやふでふへると云ふ。これには殊外上手下手のあることで、をなじ身上をもっても手の出しよふがわるいと、ふやすことはさてをき、なくすやふになる。それゆへ、大概なものがこれを第一にする。子貢のことを於豊約之間不能無留情と云ふが、不受命而貨殖と云が孔子御喜びてないこと。人か兎角貧がいやで冨貴のことばかり話す。をれも一生の願に身帯をこれほどにと云ふ。いかさまと云相手ゆへそれでもすむが、誰ぞ心ある人が屏風のかげにをって聞たらば、耻ひことなり。これを口ちに云はず心にしまふてをけではな井が、耻ひと思へば云はぬもの。つまる処、いこふ耻ひことは云はぬもの。道落者が中間へは何もかも咄すが、なれとも友にも隠すことがある。口ちへ出すことは此位なことはとゆるすばのあるもの。それを云はぬとては親切な功夫でないやふなれとも云はぬ。心中をもなくすこと。
【解説】
「五、不言財利多少、厭貧求富」の説明。人は貧が嫌である。そこで、大概の人が財利を第一にする。財利を言ってはならない。
【通釈】
「五、不言財利云々」。身上を持った者にこれがある。向こうから義なりに来れば聖賢はその通りにするが、こちらの手の出し様で増えると言う。これには殊の外上手下手のあることで、同じ身上を持っても手の出し様が悪いと、増やすことはさて置き、なくす様になる。そこで、大概な者がこれを第一にする。子貢のことを「於豊約之間、不能無留情」とは言ったが、「不受命而貨殖」が孔子は御喜びでないということ。とかく人は貧が嫌で富貴のことばかりを話す。俺も一生の願いに身代をこれほどにしたいと言う。いかさまという相手なのでそれでも済むが、誰か心ある人が屏風の陰にいて聞かれれば、恥ずかしいこと。これを口に出さずに心にしまって置けということではないが、恥ずかしいと思えば言わないもの。詰まる処、大層恥ずかしいことは言わないもの。道楽者が中間へは何もかも話すが、友にも隠すことがある。口へ出すことは、この位のことはと許す場があるもの。それを言わないのは親切な功夫でない様だが、言わない。心中をもなくすこと。
【語釈】
・於豊約之間不能無留情…近思録出処24。「夫子貢之高識、曷嘗規規於貨利哉。特於豐約之閒、不能無畱情耳」。
・不受命而貨殖…論語先進18。「子曰、囘也其庶乎。屡空。賜不受命、而貨殖焉。億則屡中」。

○六、言淫云々。平生ざれことを云ひ、頓と御座へ出されぬことぞ。女童のより合ふて口をきくが淫媟戲慢なり。○女色は、女のきりょふのことを彼れ是れ云ふ。あれはよいのわるいのと云ふ。評論は吟味をつめて云ふことなり。我が色を好む心がふかきゆへ、そのやふにきりょふ評判をする。好まぬことは評判はせぬものなり。朝鮮や中蕐の女の評判はせぬ。我が世話になることゆへ評判をする。某などの酒の評判をするもすくからする。要助などははああと云ふて咄さぬ。心にすくものがあるゆへ咄す。然れば口ちで云ことばかりと思ふては違ふ。実が好色の心がふかいゆへ評論するなり。
【解説】
「六、不言淫媟戲慢、評論女色」の説明。戯言を言わない。女の器量は論じない。女の器量を論じるのは自分に好む心があるからである。
【通釈】
「六、言淫云々」。平生戯言を言うのは全く御座へ出せないこと。女童が寄り合って口を利くのが「淫媟戲慢」である。「女色」。女の器量のことをかれこれと言う。あれはよいの悪いのと言う。評論は吟味を詰めて言うもの。自分に色を好む心が深いので、その様に器量評判をする。好まないことは評判はしないもの。朝鮮や中華の女の評判はしない。自分の世話になることなので評判をする。私などが酒の評判をするのも好くから。要助などははああと言って話さない。心に好くものがあるので話す。そこで、口で言うことばかりと思っては違う。実に好色の心が深いので評論をするのである。

○七、不言求覓云々。人にものをくれろと云ふことがよふないことぞ。いんでん印籠の、祐乘の彫物のと云ふをくれろと云へばわるいと思ふが、花をくれろと云ふは風流に立てをるが、我心にきたないものがあるゆへもら井たがる。花を貰ふても、人にものをくれろと云ふ処は同じこと。金をくれろと云ひさへせ子ばよいと云ふことではない。○酒食云々はかるいことなれとも云はぬこと。大身などが人の内へ行て、何んと手作の濁醪は出来たかなどと云ふ。下卑たことでもないやふなれとも、そこかたしなみなり。仮初なことでも人に求めることはないことぞ。くれるかと胸に思ふさへわる井。思ふと思はぬで君子小人わかる。さてこの七つが殊外なんのこともないやふで、今日から此の覚悟になれば晩からもなることが垩賢の教。これが重ひことにあつかると云ふは、このよふな筋から凡夫の窟をぬけられぬなり。ところを彼のたしなみから凡夫の窟を脱け、上品な人にもなる。
【解説】
「七、不言求覓人物、干索酒食」の説明。人にものをくれとは言わない。人に求めるのは悪い。この七つの不言で凡夫の窟を抜けることができる。
【通釈】
「七、不言求覓云々」。人にものをくれと言うのがよくないこと。印伝の印籠や祐乗の彫物をくれと言えば悪いと思うが、花をくれと言うのは風流に立ったこと。しかし、自分の心に汚いものがあるので貰いたがるのである。花を貰うのも、人にものをくれと言う処は同じこと。金をくれと言いさえしなければよいということではない。「酒食云々」は軽いことだが、それを言わない。大身などが人の家へ行って、手作りの濁醪はできたかなどと言う。それは下卑たことでもない様だが、そこで嗜みである。仮初なことでも人に求めるものではない。くれるかと胸に思うことさえ悪い。思うと思わないとで君子と小人が分かれる。さてこの七つが何の事もない様で、今日からこの覚悟になれば晩からもできるというのが聖賢の教え。これが重いことに与ると言うのは、この様な筋から凡夫の窟を抜けることができなくなるからである。そこをあの嗜みから凡夫の窟を脱し、上品な人にもなる。
【語釈】
・いんでん…印伝。鹿革に漆塗りを施したもの。
・祐乘…後藤祐乗。室町中期の金工。名は正奥。通称、四郎兵衛。法印。美濃の人。足利義政に仕え、刀装具を作ったが、鑽法・図様・地金に新機軸を出し、後藤家の開祖となる。1440~1512

○又曰人云々。附はたのむこと。人より此の手紙を誰へ届けてくれよと云ふたとき、状をあけて見ることを開拆と云ふ。いつまても打捨てをくを沈滞と云ふ。注に細なり。○発人私書云々。道理を知るにも人情を知るがよい。思ひもよらぬとき、人の腹を立つことかあるものなり。どのやふなことでも腹をたたぬから、手紙の封を切りた位て腹は立ま井と思ふはちがいぞ。人情を知らず道理が明でのふては心得ちが井がある。手紙の封を切るなどと云ふが滅陀になることではな井が、心安だてでつ井するもの。この状をあの者の処へ届けてくれろと云ふとなんじゃなどと云ふて見る。何の事もな井、進物を届けぬと云ふであたかたきにもなる。或学者が某の処へ疑問を書てよこした。某も少し意あって見ずに返したが、いたつらな町人があけて見たれば殊外それを腹立て、以後あそこへは書はたのまれぬと云へりとなり。見やふことではない。○至親は従弟や従兄弟などと云ふものゆへどふでもよいが、そこが范益謙なり。じきにやる。
【解説】
「又曰、人附書信、不可開拆沈滯。發人私書拆人信物。甚者、結爲仇怨。余得人所附書物、雖至親卑幼者、亦未嘗輙留。必爲附至」の説明。人から頼まれた手紙を見てはならず、それを届けずに放って置くのは悪い。それで仲が悪くなることもある。親戚への手紙であっても直ぐに届ける。
【通釈】
「又曰人云々」。「附」は頼むこと。人からこの手紙を誰へ届けてくれと言われた時、状を開けて見ることを「開拆」と言う。いつまでも打ち捨てて置くのを「沈滞」と言う。注に細かくある。「発人私書云々」。道理を知るにも人情を知るのがよい。思いも寄らない時に人が腹を立てることがあるもの。どの様なことでも腹を立てないから、手紙の封を切った位で腹は立てないだろうと思うのは違う。人情を知らずに道理が明でなければ心得違いがある。手紙の封を切るなどというのは滅多にすることではないが、心安立てでついするもの。この状をあの者の処へ届けてくれと言うと、何だろうと言って見る。何の事もないと、進物を届けない。それから仇敵にもなる。ある学者が私の処へ疑問を書いて遣した。私も少し意があって見ないで返したが、悪戯な町人が開けて見たのでそれを殊の外に腹を立て、以後あそこへは書は頼めないと言ったそうである。見るべきことではない。「至親」は従弟や従兄弟などという者なのでどうでもよい筈だが、そこが范益謙である。直ぐに遣る。

○及人託於云々は、人からたのむことありて、あそこへこふ云ふてくれよと云はば、それが道理でな井ことは、そのやふな不埒なことはない筈と云。たのまれたことが理に配ふたことでも手前の力に及はずは、御用捨にあづかりたいと云ふがよい。近比長藏が禄仕のやふなことを三左へたのむにも、出るが義か非義かを吟味してたのむ。それからさきにはかまわぬ。たのむ処迠は届ける。ここがかる井やふで人のたましいになること。何にもかも打ちなぐりてどふでもよ井と云ふことはなし。惣体たかぞれと云ふは本道なことでな井。ここのあやにすまぬのなり。これも心術の隠微にあづかることゆへ大切に見るべきことなり。
【解説】
及人託於某處問訊于求、若事非順理、而己之力不及者、則可至誠辭却之。若已諾之矣、則必須達所欲。至於聽與不聽、則在其人」の説明。人から頼まれて言うことでも、それが道理に合わないことは異見をする。頼まれたことが理に叶っていたとしても、自分の力が及ばなければ辞退をする。
【通釈】
「及人託於云々」は、人から頼まれたことがあって、あそこへこの様に言ってくれと言われれば、それが道理でないことであれば、その様な不埒なことはない筈だと言う。頼まれたことが理に叶っていたとしても自分の力が及ばなければ、御容赦に与りたいと言うのがよい。近頃長蔵が禄仕の様なことを三左に頼むのも、出るのが義か非義かを吟味して頼むべきで、それから先のことには構わない。頼む処までは届ける。ここが軽い様で人の魂になること。何もかも打ち撲ってどうでもよいと言うことではない。総体高逸れというのは本当のことでない。ここの綾に済まないのである。これも心術の隠微に与ることなので、大切に見るべきこと。
【語釈】
・長藏…鈴木恭節。字は子長。長藏と称す。大網白里町清名幸谷の人。鵜澤近義の第三子。館林藩儒臣。文政13年(1830)11月10日没。年55。黙斎門下。
・三左…河本仲遷。名は善。三左衛門と称す。丸亀藩士。稲葉迂斎門下。

○與人並坐云々。年始状もあれば蜜談もある。何であろふと人の書はこちから私書とすることなり。人が手紙を見て居る。それを見るはわる井。○切と云ふ字は必と云ふことにあたる。かたくこのとをりにすることなり。それをちと御見せ成されとそこへ往て觀たり、又は注目偸み視は、遠くから見ぬふりで見ることを云。又見やふとも思はぬが見へるなれば、そこを引込がよい。○几上云々。この一句などは格段に丁寧なことぞ。たれもこふもまづはせぬものなれとも、ここ迠云へり。范益謙の坐右銘に書てをかれたが、つまり子共衆への戒もあらふ。さてひらったいこと。○於他處云々は、これをはさて々々親切なことなり。○戯謔はをどけぞ。をどけは蜜談とちがいかるいことなれども、わきへ行て决して云はぬがよ井。このやふなことは瑣細なことなれども、心術のあぢなひつみをやめにすること。垩賢はむかったなりきりなり。此中こふ云ふことと云ふことは、害にならずとも垩賢は云はぬ。朱子の小学成垩賢抔摸と云はれた。ここらのことから敬めば垩賢にもなられることぞ。これを何に瑣細なことと云は英雄豪傑の云ふこと。垩賢になる下地をするにはこのやふなこと迠つつしむことなり。
【解説】
「與人並坐、不可窺人私書。凡與賓客對坐、及往人家、見人得親戚書、切不可往觀、及注目偸視。若屈膝並坐、目力可及、則歛身而退、候其収書、方復進以續前話、若其人置書几上、亦不可取觀。須俟其人云某所惠書、云足下請觀之、方可一看。若書中事、無大小以至戲謔之語、皆不可於他處復説」の説明。人が書を見ているのを窺うのは悪い。見えてしまう場合はそこから退出する。また、「戯謔」は言わない。
【通釈】
「与人並坐云々」。年始状もあれば密談もある。何であろうと人の書は、こちらからは「私書」とするもの。人が手紙を見ている。それを見るのは悪い。「切」という字は必ということに当たる。堅くこの通りにすること。それを一寸御見せなされとそこへ行って観たり、目を注いで偸み視るのは、遠くから見ない振りをして見るのと同じである。また、見ようとも思わなくても見えるのであれば、そこを引き込むのがよい。「几上云々」。この一句などは格段に丁寧なこと。誰も先ずはこうもしないものだが、ここまでを言った。范益謙が座右の銘に書いて置かれたが、つまりは子供衆への戒めでもあったのだろう。さて平たいことである。「於他処云々」は、これが実に親切なこと。「戯謔」は戯け。戯けは密談とは違って軽いことだが、決して脇へ行って言わないのがよい。この様なことは瑣細なことだが、心術の悪い歪みを止めにすること。聖賢は向かったなりだけである。先日はこの様なことがあったなどとは、害にならないとしても聖賢は言わない。朱子が「小学成聖賢杯模」と言われた。ここらのことから敬めば聖賢にもなれる。これを何、瑣細なことだと言うのは英雄豪傑の言うこと。聖賢になる下地をするには、この様なことまでを敬むのである。
【語釈】
小学成垩賢抔摸…朱子。小学は聖賢と成る杯模?

○凡入人家云々。上の窺人私書と似たやふでちごふことぞ。ここはなんであろふとかきもののこと。人に忌むこともあれば人に見られて迷惑なこともある。そふなりてからが人のものを手込にしやふ筈はない。○几案の上に大学があらふと小学があらふと見やふことではな井。○書攀の攀はよぢると云ふ字で書き物をのせてをくこと。此方の状さしなり。○記事冊子文歴は日記のるいなり。こまかにかくことを歴と云ふ。○飜看はひっかへして見ること。○若人將文字云々。みてくれと云こと。○背後は先軰の説にいろ々々といてあるが、ようない。亭主の引込んだこと。亭主のをらぬあとではみぬことぞ。背後の字、語類にも度々あるが、ところ々々々でちごふ。ここは亭主の引込たこと。そのあとで手を付ればわるい。これらはたしなむかよい。無徳のしっほを出したのなり。德のあって厚重な人はせぬことなり。
【解説】
「凡入人家、不可看人文字。凡入人家、不可於几案上及書攀内、飜看人家書簡及記事冊子、錢穀文暦。若人將文字令己看、切不可於背後觀。皆無德之一端也」の説明。人が置いていた書を看てはならない。亭主が引っ込んだ後に置いてある書を覗くのは悪い。
【通釈】
「凡入人家云々」。これが上の「窺人私書」と似た様で違うこと。ここは全ての書き物のこと。人に忌むこともあれば人に見られて迷惑なこともある。その様なことだから、人のものを手込めにする筈はない。几案の上に大学があろうと小学があろうと見るべきではない。「書攀」の攀はよじるという字で書き物を乗せて置くことで、日本の状差しのこと。「記事冊子文歴」は日記の類。細かに書くことを歴と言う。「飜看」は引っ返して見ること。「若人将文字云々」。見てくれと言うこと。「背後」は先輩の説に色々と説いてあるが、よくない。亭主の引っ込んだこと。亭主がいない後では見ないということ。背後の字は語類にも度々あるが、処々で違う。ここは亭主の引っ込んだこと。その後で手を付けるのは悪い。これらは嗜むのがよい。これが無徳の尻尾を出したのである。徳があって厚重な人はしないこと。

○凡借人物云々。人の物は借ぬと云ほどよ井ことはないが、若し借りたらば大切にするがよい。○損壊はきづをつけやふること。○不還はそれからずう々々ととめることぞ。○愛護は人のものを大事にすること。そんざさぬやふにする。○以借為名は不還の注なり。これがあまりたくさんはないことで、たま々々あることぞ。これがををちゃくでするでもないがうっかとすると、どうであれは茶の湯をせぬから茶臼はやく返さずともよかろふとて、つひ借り取りになる。これがわる井心術ぞ。ちょっと傘を借りてもすててをくと云ふことがわるい。心をそのやふに泥だらけにしてをこふはづはない。
【解説】
「凡借人物、不可損壞不還。凡借一物、上至書冊下至器用苟得己者、則不須借。若不獲己、則須愛護過於己物、看用纔畢即時歸還。切不可以借爲名、意在没納、及不加愛惜、至有損壞」の説明。人から物を借りないのがよいが、借りる場合は、それを大切にして、速やかに返さなければならない。
【通釈】
「凡借人物云々」。人の物は借りないというほどよいことはないが、もし借りるのであれば大切にするのがよい。「損壊」は疵を付け、破ること。「不還」はそれからずんずん留めること。「愛護」は人のものを大事にすること。疵付けない様にする。「以借為名」は不還の注である。これがあまり沢山はないことで、偶々あること。これは横着でするのでもないが、うっかりすると、どうもあれは茶の湯をしないから茶臼を早く返さなくてもよいだろうと言って、つい借り取りになる。これが悪い心術である。一寸傘を借りても放って置くというのが悪い。心はその様に泥だらけにして置く筈のものではない。

○大率云々。器量のある気がさ者のことなり。英雄の気象の人ゆへよい。直方先生が幼年のとき花壇をいぢりてをられ、手がよこれたとて着物でのこふたと云ふ。手前の方はそれでもよいが、人のものをそのとをりにする。人へそれを出してはわる井。豪気の出し処がちがふ。そふたい滞りのないことは君子の気象に叶たことゆへよ井こともあるが、たとへば我が内へ人の来たとき酒を振舞とて、人の内へ行て酒を出せ々々と云ふことではない。辞義をすることぞ。人のものを麁末にして元気のよいことに思ふは、さてもつまらぬことなり。凡夫のこころにはわるいことありて、冨人を見ると、あれらにはつかわせるがよいと云ふ。それは火をつけると同前な口上ぞ。豪気の出しちがいなり。学者なともわるふするとこれがある。そこをこれは無德の一端じゃとしかることなり。
【解説】
大率豪氣者於己之物多不自愛。若借人物、豈可亦如此。此非用豪氣之所。乃無德之一端也」の説明。豪気は英雄の気象でよいことだが、それを人に出しては悪い。人の物を粗末にしてはならない。
【通釈】
「大率云々」。これが器量のある気嵩な者のこと。英雄の気象の人なのでよいことではある。直方先生が幼年の時に花壇をいじっておられ、手が汚れたと言って着物で拭ったという。自分の方はそれでもよいが、人のものをその通りにする。人にそれを出しては悪い。豪気の出し処が違う。総体滞りのないことは君子の気象に叶ったことなのでよいこともあるが、たとえば自分の家に人が来た時に酒を振舞うからと言って、人の家に行って酒を出せと言ってはならない。辞儀をする。人のものを粗末にして元気のよいことに思うのは実に詰まらないこと。凡夫の心には悪いことがあって、富人を見ると、あれらには使わせるのがよいと言う。それは火をつけるのと同然な口上である。豪気の出し違いである。学者なども悪くするとこれがある。そこをこれは無徳の一端だと叱ったのである。

○凡喫飲食云々。この段なぜ飲食之節になれば、飲し食ひに女めかぬこと。茶碗酒を飲むの肴を頭から食ふのと云ふことではない。きみのよいと手抦にするではな井が、浅見先生などの食ひやふでもそれ。女め井たていはな井。若林が持参の餅を一口にされたとなり。古人は元気がさかんゆへ、鱚とあ井なめ湯取飯と云ふやふなことはない。このよふなことが学者にはないはづ。○揀擇はかれこれ吟味すること。吟味しやふことなれとも、そのやふにとふこふとすることではない。それをむつかしくするが去取なり。これらをよふ考てみれば、あの時分にやけたことが流行たとみへる。益謙も南宋になる間のことゆへ、徽宗欽宗に蔡京がたわけをしこみ、をごりをしたゆへ、このやふなことも下々迠蕐麗をごり柔弱にありたとみへる。平家二十餘年の間詩歌管弦に耽り乱をうちわすれ、あのとをりばら々々になりた。宋の世も蔡京が政を執てから徽宗に大馬鹿をつくさせてをるうち金から濫入せられ、徽宗欽宗はつ井金へとられたも、とふから世の中のろついた時節なり。宋も司馬温公のころからみへてをる。世の中がにやけたとみへて、子も女めいて物くふにも揀擇し、栄曜からして和がなことばかりしたそうなり。
【解説】
「凡喫飮食、不可揀擇去取」の説明。飲食は女めいてはならない。飲食は、吟味してよいものを食おうとするものではない。
【通釈】
「凡喫飲食云々」。この段が何故飲食之節になるのかと言うと、飲し食うことに女めかないことを言ったものだからである。それは茶碗酒を飲んだり魚を頭から食うということではない。気味のよいことを手柄にするのではないが、浅見先生などの食い様もそれ。女めいた体はない。若林が持参した餅を一口にされたという。古人は元気が盛んなので、鱚とあいなめ湯取飯という様なことはない。この様なことは学者にはない筈。「揀擇」はかれこれ吟味すること。吟味はしなければならないが、その様にどうこうとするものではない。それを難しくするのが「去取」である。これらをよく考えて見れば、あの時分ににやけたことが流行ったものと見える。益謙も南宋になる間のことなので、徽宗や欽宗に蔡京が戯けを仕込み、奢りをしたので、下々までが華麗奢り柔弱だったものと見える。平家は二十余年の間、詩歌管弦に耽り乱をうち忘れ、あの通りばらばらになった。宋の世も蔡京が政を執ってから徽宗に大馬鹿を尽くさせている内に金が乱入し、徽宗と欽宗は遂に金へ捕られたのだが、前々から世の中がのろついていた時節だった。宋も司馬温公の頃から趨勢が見えていた。世の中がにやけたと見えて、子も女めいて物を食うにも揀擇し、栄耀からして和なことばかりをしたそうである。
【語釈】
・若林…若林強斎。名は進居。新七と称す。一号は守中翁、晩年は寛齋、自牧。望南軒。京都の人。享保17年(1732)1月20日没。年54。浅見絅斎門下。

○蒸餅去皮。ずっとくわれるものなれとも、ほぞをばくわぬ。男たるもののすることではない。そのよふなよはいなりをするはうつけもののまっくらな者がすること。かわりたことを訶るやふなれとも、范益謙の時をためて呵りたもの。なにもあたるはづのものはない。生硬の持病痼疾にあたる物はくわぬがよい。それをのけて食はぬことはない。あの男のうちへゆくとどふもこまるなどと云ふことはあるまいことぞ。要助などををさへて義丹がきら井なものをくわせたと云ふが、このつよみを合点したもの。さて東坡兄弟は同格に世に聞へある名儒であったが、嶋へやられるとき、立塲でくはれぬ飯を東坡はすか々々食ふたか、弟の蘇子由は食ふことがならなんだ上でも、東坡の方がよいそふなと當時沙汰ありたことなり。これがくわれぬなどと云ふことはないはづ。
【解説】
凡飮食、蒸餅去皮、饅頭去蔕、肉去脂皮之類。皆非成人所爲。乃癡騃無知而已。自非生硬臭惡與犯己宿疾之物、豈有不可食之理」の説明。中る様な食物でなければ食えないものはない。男が蒸餅の皮を取り去って食わない様なことでは悪い。
【通釈】
「蒸餅去皮」。さっと食えるものなのだが、皮を食わない。それは、男たるもののすることではない。その様な弱いことをするのは空け者で真っ暗な者である。妙なことを訶る様だが、范益謙の時をためて呵ったもの。何も中る筈はない。生硬で持病痼疾に中る物は食わないのがよい。それを除けば食えないものはない。あの男の家に行くとどうも困るなどと言うことはあってはならないこと。要助などを押さえて儀丹が嫌いなものを食わせたというのが、この強味を合点したもの。さて、東坡兄弟は同格に世に聞こえのある名儒だったが、島へ遣られる時、立場で食えない飯を東坡はずかずかと食ったが、弟の蘇子由は食うことができなかったことからも、東坡の方がよいそうだと当時の沙汰があった。これは食えないなどと言うことはない筈。
【語釈】
・要助…大原要助。大網柳橋の人。
・義丹…和田儀丹。下総酒々井の人。医者。成東町に卜居。寛保4年(1744)1月5日没。

○與人同處云々。人とをるうへでをりばのよ井をえること。この講釈塲ても先きへきたものが角の方へゆく筈なれとも、便利はここがよ井と云て、先へきても動かずにをる。○見人冨貴不可云々。人の身帯のよ井や歴々を見たとき、君子はなんの気なしに交るか、平人は難羨か詆毀の二つなり。ああをなじ人間なれども、ああ云人もあると云なり。思ふて見るとあさまし井ことぞ。○難羨は順境でうらやみ、詆毀は逆境でそ子みなり。うらやむべきことてもなければわるく云べきことでもない。人の冨貴をきたなくうらやましかるが難羨、人の銭のあるをなにきたないと見るが詆毀なり。知惠のある人も此窟はぬけることならぬ。人の婦などが立派ななりをしてとをると下女などがうらやみ、又わるくも云。やっはり下女などの心入にかわらぬ。冨貴を見たとき心の動くも、よ井食ものや美服、それがきられぬゆへなり。野鷄や四十雀があれほと見叓なれとも、あれは羨まぬ。人の身帯のよいも野鷄や四十雀の色よ井もをなじことなり。あれば肉へ付たきたないことがな井ゆへ難羨詆毀せぬ。あれは松、あれは竹と云へはなんのこともない。
【解説】
「與人同處、不可自擇便利。凡與人同坐、夏則己擇凉處、冬則己擇暖處、及與人共食多取先取。皆無德之一端也。見人富貴、不可歎羨詆毀」の説明。人と一所にいる時に、よい場から動かないのは悪い。平人が富貴な人を見ると、「難羨」か「詆毀」となる。人の富貴を汚く羨ましがるのが難羨で、人に銭があるのを、汚いと見るのが詆毀である。それは心が動くからだが、富貴は羨むべきことでもなければ悪く言うべきことでもない。
【通釈】
「与人同処云々」。人と一所にいる上でよい居り場を得ること。この講釈場でも先に来た者が隅の方へ行く筈。「便利」はここがよいと言って、先に来ても動かずにいること。「見人富貴不可云々」。身代のよい人や歴々を見た時、君子は何の気なしに交わるが、平人は「難羨」か「詆毀」の二つである。同じ人間なのにあの様な人もいると言う。思って見ると浅ましいこと。難羨は順境で羨み、詆毀は逆境で嫉むこと。羨むべきことでもなければ悪く言うべきことでもない。人の富貴を汚く羨ましがるのが難羨、人に銭があるのを、何、汚いと見るのが詆毀である。智恵のある人もこの窟は抜けることができない。人の婦などが立派な身形をして通ると下女などが羨み、また悪くも言う。これがやはり下女などの心入れと変わらない。富貴を見た時に心が動くのも、よい食物や美服、それが着られないからである。雉や四十雀はあれほど見事だが、あれは羨まない。人の身代のよいのも雉や四十雀の色のよいのも同じこと。あれには肉に付いた汚いことがないので難羨詆毀をしない。あれは松、あれは竹と言えば何の事もない。

○親類や近付が来てももふ冨貴の話をする。其実と云字か見にくい字なり。冨貴の話をほんぼに云へば、うらやまし井に相違はない。羨やむことはないはづ。其様にさわ井だとてなるものではない。○不得実は本気で云はぬこと。本気で云ぬなればとど子たむ。慇懃に云へどもうらやむ。隣のむすめが立派をすると、隣のむすめとは云ず御姫様と云ふ。どふまわりて見ても、人の身帯のよいをうらやむにはきはまりた。学者などもこのことをかる々々と云ことではないぞ。もと冨貴に動くものをここに動ぬと云ことが、これが片手であがることではない。動かぬと云ふことはな井。どふでも動くぞ。すわ動くなれば、とにかく難羨か詆毀の二つなり。此外はなく、又これより上のわるいことはない。上段々云ふことはあら井やふで、ここで心術にかけて云ふでふか井ことになる。○凡此数事云々。これを云へば心ざまのよくないのなり。くるしふな井と犯すもあり、功夫がたらず犯すもある。つよくてもよわくてもこれにそむけば犯すのぞ。余程合点したとみへる学者もつい犯す。○存心と云字をみよ。づんと手のこんで羽二重ごしの処にこれがあれば邪魔になる。あらいよふな処を油断せぬが敬身の功夫なり。此章などを軽く思へば筭用ちがいぞ。吾人疱瘡も麻疹も仕舞た顔でいて一向凡心ぞ。前の張思叔は存養、此范益謙は警戒と見るべし。
【解説】
富貴高下人所共知。見親戚相識輙稱其富貴。若得其實、即是歎羨。可見不知義命。若不得實、即是嫉疾。用心不佳、莫此爲甚。凡此數事有犯之者、足以見用意之不肖。於存心脩身大有所害。因書以自警」の説明。富貴は騒いでもどうにもならないものだが、人はそれを羨むもの。ここにあることを、まあよいと言って犯す場合もあり、功夫が足りずに犯す場合もある。これに背くことは全て犯すことになる。前の張思叔の章は存養のことで、この章は警戒の章である。
【通釈】
親類や近付きが来ても、もう富貴の話をする。「其実」という字が見難い字である。富貴の話を本当に言えば、羨ましいに相違はない。しかし、羨むことはない筈。その様に騒いだとしてもどうにもなるものではない。「不得実」は本気で言わないこと。本気で言わないのであれば、つまりは妬むのである。慇懃に言っても羨む。隣の娘が立派をすると、隣の娘とは言わずに御姫様と言う。どう回って見ても、人の身代がよいのを羨むには極まった。学者なども軽々に言うものではない。本来、富貴に動くものをここで動かないと言うのは、これが片手で上がることではないからである。動かないということはない。どうでも動く。すわ動くことになれば、とにかく難羨か詆毀の二つである。この外はなく、また、これより上の悪いことはない。上段々に言ったことは粗い様で、ここで心術に掛けて言うので深いことになる。「凡此数事云々」。これを言うのでは心様がよくない。まあよいだろうと犯すこともあり、功夫が足りずに犯すこともある。強くても弱くてもこれに背けば犯すのである。余程合点したと見える学者もつい犯す。「存心」という字を見なさい。大層手が込み、羽二重越しの処にこれがあれば邪魔になる。粗い様な処を油断しないのが敬身の功夫である。この章などを軽く思うのは算用違いである。皆が疱瘡も麻疹も終えた顔でいて、一向に凡心である。前の張思叔の章は存養、この范益謙は警戒と見なさい。
【語釈】
・前の張思叔…小学外篇嘉言76を指す。


嘉言79
○胡子曰、今之儒者、移學文藝于仕進之心、以收其放心而美其身、則何古人之不可及哉。父兄以文藝令其子弟、朋友以仕進相招。往而不返則心始荒而不治。萬事成咸不逮古先矣。
【読み】
○胡子曰く、今の儒者、文藝を學び仕進を于むるの心を移して、以て其の放心を收めて其の身を美しくせば、則ち何ぞ古人に之れ及ぶ可からざらんや。父兄文藝を以て其の子弟に令し、朋友仕進を以て相招く。往きて返らざれば則ち心始めて荒[すさ]みて治まらず。萬事の成ること咸古先に逮[およ]ばず。

○胡子曰云々。此章のつかまへ処は収と云字と荒と云ふ字を手に入ればよい。なんのこともない。わさやかさて学問するゆへよふない。小道具屋か硯箱ほどな物をひとつもたせてくるが、宗珉も祐乗もある。荒物屋の店はかさがあっても金めにならぬ。学業もそのやふなをやめにする。○文藝は三千子も学たが、今のは仕進を求めるためにする。その心をうつせばよい。道落者や博樗打も、あの心をよ井方へうつせばよくなる。放心を收めるは、心へこへをかけるやふなもの。今の学者博識があるが、それをこぢかへして放心を收めればよい。博識や文章て心はたん々々わるくなる。父兄も朋友も奉公して出世する方へあをきつける。鹿を追ふ猟師は山を見すで、仕進の方へ々々とするでとりとめもないやふになる。そこで手の下しやふがなくなって、皆出世を好む方へゆき、ばっとしてここと云とりしめもなくなるゆへ、成就することが古に及ぬと云もみなこのやふなことぞ。胡子のころの及第するは天下の風俗で、この方の武藝の稽古のふては御番入のならぬやふなもの。及第するすると云ところからあのよふになると云も、みな親兄弟朋友まで仕こまれたものゆへなり。
【解説】
仕進をするために文芸をするが、博識や文章で心は段々悪くなる。その心を遷して放心を求めるのである。及第が悪い。親兄弟や朋友にまで仕込まれて悪くなる。
【通釈】
「胡子曰云々」。この章の掴まえ処は「収」と「荒」の字で、それが手に入ればよい。何の事もない。業や嵩で学問をするのでよくない。小道具屋が硯箱ほどの物を一つ持たせて来るが、宗珉も祐乗もある。荒物屋の店は嵩があっても金目なものはない。学業もその様なことは止めにする。「文芸」は三千子も学んだが、今は「仕進」を求めるためにする。その心を遷せばよい。道楽者や博打打ちも、あの心をよい方へ遷せばよくなる。放心を求めるのは、心へ声を掛ける様なもの。今の学者は博識はあるが、それをこじ返して放心を求めればよい。博識や文章で心は段々悪くなる。父兄も朋友も奉公をして出世する方へ煽ぎ立てる。鹿を追う猟師は山を見ずで、仕進の方へとするので取留めもない様になる。そこで手の下し様がなくなって、皆出世を好む方へ行き、ばっとしてここという取り締めもなくなる。成就することは古に及ばないと言うのも皆この様こと。胡子の頃に及第するのは天下の風俗であって、それは日本で武芸の稽古がなくては御番入ができないという様なもの。及第するするというところからあの様になると言うのも、皆親兄弟や朋友にまで仕込まれたからである。
【語釈】
・宗珉…横谷宗珉。江戸時代の彫金師。
・祐乗…後藤祐乗。室町中期の金工。名は正奥。通称、四郎兵衛。法印。美濃の人。足利義政に仕え、刀装具を作ったが、鑽法・図様・地金に新機軸を出し、後藤家の開祖となる。1440~1512


嘉言80
○顔氏家訓曰、夫所以讀書學問、本欲開心、明目、利於行耳。未知養親者、欲其觀古人之先意、承顔、怡聲、下氣、不憚劬勞以致甘腝、惕然慙懼、起而行之也。未知事君者、欲其觀古人之守職無侵、見危授命、不忘誠諫以利社稷、惻然自念思欲效之也。素驕奢者、欲其觀古人之恭儉節用、卑以自牧、禮爲敎本、敬者身基、瞿然自失、歛容抑志也。素鄙吝者、欲其觀古人之貴義、輕財、少私、寡慾、忌盈、惡滿、賙窮、卹匱、赧然悔恥、積而能散也。素暴悍者、欲其觀古人之小心、黜己、齒舌存、含垢藏疾、尊賢容衆、苶然沮喪、若不勝衣也。素怯懦者、欲其觀古人之達生委命、強毅正直、立言必信、求福不回、勃然奮厲、不可恐懼也。歴茲以往、百行皆然。縱不能淳、去泰去甚、學之所知、施無不達。世人讀書、但能言之、不能行之。武人俗吏所共嗤詆、良由是耳。又有讀數十卷書、便自高大、陵忽長者、輕慢同列。人疾之如讎敵、惡之如鴟梟。如此以學求益、今反自損。不如無學也。
【読み】
○顔氏家訓に曰く、夫れ讀書學問する所以は、本心を開き、目を明かにし、行に利せんことを欲するのみ。未だ親を養うを知らざる者は、其の古人の意に先だち、顔を承け、聲を怡ばし、氣を下し、劬勞を憚らずして以て甘腝[かんなん]を致すを觀、惕然として慙懼し、起ちて之を行わんことを欲するなり。未だ君に事うることを知らざる者は、其の古人の職を守りて侵さるること無く、危を見ては命を授け、誠諫を忘れずして以て社稷を利するを觀、惻然として自ら念思し之を效わんことを欲するなり。素より驕奢なる者は、其の古人の恭儉にして用を節し、卑くして以て自ら牧[やしな]い、禮は敎の本と爲り、敬は身の基なるを觀、瞿然[くぜん]として自ら失い、容を斂め志を抑えんことを欲するなり。素より鄙吝なる者は、其の古人の義を貴び、財を輕んじ、私を少くし、慾を寡くし、盈つるを忌み、滿つるを惡み、窮せるを賙[にぎ]わし、匱しきを卹[めぐ]むを觀、赧然[たんぜん]として悔い恥じ、積みて能く散さんことを欲するなり。素より暴悍なる者は、其の古人の心を小にし、己を黜[しりぞ]け、齒[やぶ]れ舌存し、垢を含み疾を藏し、賢を尊び衆を容るるを觀、苶然[でつぜん]として沮喪し、衣に勝えざるが若くならんことを欲するなり。素より怯懦なる者は、其の古人の生に達し命を委[す]て、強毅正直、言を立つるに必ず信、福を求めて回らざるを觀、勃然として奮厲し、恐懼す可からざらんことを欲するなり。茲を歴て以往、百行皆然り。縱い淳なること能わざるとも、泰を去り甚を去り、之を學びて知る所、施して達せざること無し。世人書を讀むに、但能く之を言い、之を行うこと能わず。武人俗吏の共に嗤詆[ちてい]する所は、良[まこと]に是に由るのみ。又數十卷の書を讀むこと有れば、便ち自ら高大にし、長者を陵忽し、同列を輕慢す。人之を疾むこと讎敵の如く、之を惡むこと鴟梟[しきょう]の如し。此の如きは學を以て益を求むも、今反て自ら損す。學無きに如かざるなり。
【語釈】
・弊…敝。

○顔氏家訓曰云々。これ、面白ひことぞ。なんのためぞとみるべし。今日のためにすることではない。洒掃応對などは、あれは日々のなりをすること。ここは種にすること。そうして何のためにすると云ふにあやがある。○所以と云ふ字のかぶりてをるもこれなり。料理人は庖丁をとき、大工は鋸や手釿をといでをく。なぜにとくぞと云に、所以ある。そのためにするところにいこふ了簡ちかいがある。仕進を求めるためにすることでない。○開心云々。先つ知行を云たこと。人の万物の灵と云も心なり。そこで学問で心をよくすること。心が開けぬでは学問してもやくにたたぬ。さて心かうけあいにたたれぬもの。心か心で目をさますことなり。目は知惠の惣名。知惠がのふてはみやぶることはならぬ。
【解説】
「顔氏家訓曰、夫所以讀書學問、本欲開心、明目」の説明。読書学問は何のためにするのか、それをここで言う。それは仕進のためにするのではない。心をよくするためである。それで心を開けるのである。
【通釈】
「顔氏家訓曰云々」。これが面白いこと。何のためなのかと見る。今日のためにすることではない。洒掃応対などは、あれは日々にすべきことをすること。ここは種にすること。何のためにするのかと言うのに綾がある。「所以」という字が頭にあるのもそのこと。料理人は庖丁を研ぎ、大工は鋸や手斧を研いで置く。何故研ぐのかと言えば、所以がある。そのためにするところに大層了簡違いがある。仕進を求めるためにするのではない。「開心云々」。先ず知行を言う。人を万物の霊と言うのも心から。そこで学問で心をよくする。心が開けなければ学問をしても役に立たない。さて心が請け合えないもの。心が目を覚まさなければならない。目は智恵の総名。智恵がなくては見破ることはできない。

○利於行は、行が道理のとをりにきれてくる。行がすら々々とゆく。学問なければならぬ。学問せぬものは性善の御かげてまかりなりにゆくが、きれぬ包丁て三枚にをろしたやふなもので、さっはりとな井。このために読書学問をする。このためにならずはをくがよい。禄のとりたひためにするなどと云ふは、さりとはさもしいことぞ。此章は人の心を開発する章なり。顔氏の覚のあった手段。李退渓、発心作端と節要の序にかかれたも、胸へきや々々と思ふその日が吉日。珍し井道理ではないが、学者のは子起ると云ふやふなが切なことなり。今迠親をもってはをれとも養ふと云ふことをしらずをりたものか、読書学問をして古人に近付になり、親をやしのふになる。
【解説】
「利於行耳」の説明。行が道理の通りに行くには学問がなければならない。今までは親を養うことを知らずにいても、読書学問をすることで古人に近付きになり、親を養うこととなる。
【通釈】
「利於行」。行が道理の通りに行く。行がすらすらと行く。それには学問がなければならない。学問をしない者も性善の御蔭で曲り形にも行くことができるが、切れない包丁で三枚に下ろした様なもので、さっぱりとしない。そのために読書学問をする。そのためにならないことであれば止めるのがよい。禄の取るためにするなどと言うのは実にさもしいこと。この章は人の心を開発する章で、顔氏の覚えのある手段である。李退渓が「発心作端」と節要の序に書かれたのも、胸へぎりぎりと思うその日が吉日。珍しい道理ではないが、学者が跳ね起きるという様なことが切なこと。今までは親を持ってはいても養うということを知らずにいたが、読書学問することで、古人に近付きになり、親を養うことになる。
【語釈】
発心作端…節要序。心を発するを端と作す?

○先意は親の云はぬさきに合点する。顔て承知する。わる井ことにはこれがあって、出頭人は旦那の気を早く呑み込む。朝には御坐れども、ちと御酒の御かんはと云ふと親もよろこぶなり。よ井こともわるいこともうっかとしてならぬなり。○劬労は、身上のわるいものなどの親を養ふは大抵なことではない。○甘腝はあまくやわらかなこと。うまいものはあまいについたもの。やわらかと云が皆けっこふなものと云ではないが、やわらかと云ふか美についたもの。○惕然慙懼は、読書学問したて、さて古人はちごふたものじゃとはづかしくなる。ああでのふてはならぬことじゃと浅見先生云へり。ああでなふてはならぬ。をれもああしよふと云ふ。迂斉の話に、京都で先年或人か家礼をよみたれば、その親がそれはなにと云書じゃと聞きたれは、朱子家礼と云ふで親の死たとき葬りをし、祭りをすることと云ふたれば、その親が、死でからより生てをるうちうま井ものでもくれろ、此比は腹もちがわるいと云たとなり。松脂をかけるのと云ふても、生前不如一盃之酒で、生た親に養をせ子ば書物をよんだか井はない。親はうれしがらぬ。そこで古人を見て惕然慙懼なり。未々と云ふが読書学問せぬまいを云。
【解説】
「未知養親者、欲其觀古人之先意、承顔、怡聲、下氣、不憚劬勞以致甘腝、惕然慙懼、起而行之也」の説明。読書学問をすることで、古人は違ったものであることがわかり、自分が恥ずかしくなる。そこで、自分もあの様になろうと思う。
【通釈】
「先意」は親が言う前に合点すること。顔色を見て承知をする。悪いことにはこれがあって、出頭人は旦那の気を早く呑み込む。朝ではありますが、一寸御酒の御燗でもと言うと親も喜ぶ。よいことも悪いこともうっかりとしてならない。「劬労」。身上の悪い者などが親を養うのは大抵なことではない。「甘腝」は甘く柔らかなこと。美味いものは甘いことに付いたもの。柔らかというのが皆結構なものというわけではないが、柔らかというのが美に付いたもの。「惕然慙懼」。読書学問をしたので、さて古人は違ったものだと恥ずかしくなる。あの様でなければならないことだと浅見先生が言った。ああでなければならない。俺もああしようと言う。迂斎の話に、京都で先年或る人が家礼を読んでいると、親がそれは何という書かと聞くので、朱子家礼だと言い、親の死んだ時に葬をして、祭をすることを書いた書だと言うと、その親が、死んでからよりも生きている内に美味いものでもくれ、この頃は腹持ちが悪いと言ったそうである。松脂を掛けると言っても、「生前不如一盃之酒」で、生きている親の養をしなければ書物を読んだ甲斐がない。それでは親は嬉しがらない。そこで古人を見て惕然慙懼である。未々と言うのが読書学問をしない前を言う。
【語釈】
・出頭人…幕府または大名の家で、君側に侍って政務に参与した人。三管領・四職と奉行または老臣の類。出頭衆。

○未知事君云々。古人の向ふの職ををかさずつとめると云ふとあるか、これが大事の文字なり。守職は、祐筆はまっほうにものをかいて人にかまわぬ。専一なり。これをよく合点しやふこと。今日の吾が役を守ることで、外に目を付ることはない。勘定役は筭盤を取てをると云か吾職なり。にぎやかではないやふなれとも、みいりがよい役をそまつにしては平生みいりがないゆへ、なんぞのときやくにたたぬ。○不忘誠諌は、上へ異見をすると云が家来の役なり。○社稷は国のこと。○惻然はこの方の胸にいたむこと。此の方の胸にひびき、今迠は君へ奉公もかるい年季者や仲間などのやふであった。これではならぬといたんで出る。○念思は思念と云ふ字もある。晏平仲が出仕するとき、政の事を思ふて頭を傾てとをりたと云。どうそ古人のよふになりたい々々々々と云ふ。なんでなるなれば、知と行でなる。さてこれまて君父と二つ出し、これから生れ付を出す。生質を変化すればそれがほんの学問なり。学問も忠孝のためにならず、気質変化のためにならぬ学問は役に立ぬ。
【解説】
「未知事君者、欲其觀古人之守職無侵、見危授命、不忘誠諫以利社稷、惻然自念思欲效之也」の説明。古人は自分の職を守り、人の職を侵さない。家来として誠諌し、社稷を利する。その古人の様になるには知と行とでなる。
【通釈】
「未知事君云々」。古人は向こうの職を侵さずに勤めるとあるが、これが大事な文字である。「守職」。祐筆は真っ直ぐにものを書いて人には構わない。専一である。これをよく合点しなさい。今日の自分の役を守るのであって、外に目を付けるものではない。勘定役は算盤を取るのが自分の職。それは賑やかではない様だが、実入りのよい役を粗末にしては、平生の実入りがないので何かの時には役に立たない。「不忘誠諌」。上へ異見をするというのが家来の役。「社稷」は国のこと。「惻然」は、自分の胸に痛むこと。こちらの胸に響き、今までは君への奉公も軽い年季者や中間などの様だった。これではならないと痛んで出る。「念思」は思念という字もある。晏平仲が出仕をする時、政の事を思って頭を傾けて通ったという。どうか古人の様になりたいものだと言う。何からそれになるのかと言えば、知と行とでなる。さてこれまで君父と二つ出し、これから生まれ付きを出す。生質を変化すればそれが本当の学問である。忠孝のためにならず、気質変化のためにならない学問であれば役に立たない。

○驕は気の高ぶること。心のをごり。○奢は外物のをごり。心がをごると外物のをごりもついてくる。をれは百姓でもただの百姓とはちがふと云ふ。ちごふと云処から、縮緬をきたとてかまうことはないと云ふ。驕奢な生れ付がある。をれはたたの物ではないと云ふやふな顔をする。そこで古人を見たとき、古人は儉約で金銀をめったにつかわぬ。気もひきくしわざもひきくする。兎角下の方につくと牧はれる。屋根もたかければ風にとられる。屋根がひくけれは風もあまりあてぬ。礼で守てかたをくつさぬ。礼譲と云が本になる。○敬は人の心のしまること。心がしまると何事もみなこれて、我が身でするの土臺になる。○基は静たる大將と云ふやふなもの。大將と云ふは大働をするものなれども、さわ井ではならぬ。三軍がしづまったところからする。觀世も楽屋に静にしてをるで、その日の能もよふできる。垩賢はみなこの敬でしたもの。湯王文王もこれなり。ところが驕奢なものはそれを知らぬが、読書学問して知った。○瞿然自失。石原先生があきれたやふなをもむきしゃと云はれ、浅見先生のぎょとすることと云へり。今迠よ井と思ふてをったが、これではならぬと云ふ。手前は自ら失したと、今迠かたで風をきったが殷勤になった。どふしてそふなりた。皆読書学問の效。さればけっこふなものとなり。
【解説】
「素驕奢者、欲其觀古人之恭儉節用、卑以自牧、禮爲敎本、敬者身基、瞿然自失、歛容抑志也」の説明。「驕」は心の驕りで、「奢」は外物の奢り。心が驕ると外物の奢りも付いて来る。古人は倹約をした。また、礼を守ったので形が崩れず、敬で静かなものだった。
【通釈】
「驕」は気の高ぶることで心の驕り。「奢」は外物の奢り。心が驕ると外物の奢りも付いて来る。俺は百姓でもただの百姓とは違うと言う。違うと言う処から、縮緬を着ても構うことはないと言う。驕奢な生まれ付きがある。俺はただの者ではないという様な顔をする。そこで古人を見た時に、古人は倹約で金銀を滅多に使わない。気も低くして業も低くする。とかく下の方に付くと牧われる。屋根も高ければ風に取られる。屋根が低ければ風もあまり当たらない。礼で守るので形を崩さない。礼譲が本になる。「敬」は人の心の引き締まること。心が締まると何事も皆よくなる。敬が自分の身でする土台になる。「基」は静まったる大将という様なもの。大将は大働きをするものだが、騒いではならない。三軍は静まったところからする。観世も楽屋に静かにしているので、その日の能もよくできる。聖賢は皆この敬でしたもの。湯王や文王もこれ。驕奢な者はそれを知らないが、読書学問をして知る。「瞿然自失」。石原先生が呆れた様な趣きだと言われ、浅見先生がぎょとすることだと言った。今まではよいと思っていたが、これではならないと言う。私は自失していたと、今までは肩で風を切っていたのが慇懃になった。どうしてそうなったのか。皆読書学問の効である。それなら結構なものである。

○素鄙吝云々。ことの外しわ井者のこと。驕奢のうらなり。驕奢は陽がち、鄙吝は隂がちぞ。雨降のやふに心がしまる。心がしまるゆへ金銭もしめる。それからして口もきかぬやふになる。儉約とはちが井、とかくださぬやふする。それが鄙吝なり。しわ井の奢るの何のと云ふことはないはづ。義理のさしづとをりにすべきことなり。きらしてのなんのと云ふことのなく、義が主て義にさしづを蒙るから、金か大事じゃのなんのと云ふことなく義のとをりにする。○そこで軽財少私云々なり。財の足がかるい。すべきことをする。しわいものはすべきこともせぬ。少私は貴義からくること。○盈はからに對した字。十分にあるはきらふことぞ。みつればかくるなり。足らぬと云がよ井ことぞ。十五夜がよいと云ふと、もふ十六日かけるなり。もののいっはいにあふれるほどあるを満と云ふ。
【解説】
「素鄙吝者、欲其觀古人之貴義、輕財、少私、寡慾、忌盈」の説明。「鄙吝」は殊の外吝い者のこと。それは倹約とは違って、とかく出さない様にする。そもそも驕奢や鄙吝ということはない筈で、義理の指図通りにすべきである。
【通釈】
「素鄙吝云々」。殊の外吝い者のことで、驕奢の裏である。驕奢は陽勝ちで鄙吝は陰勝ち。雨降りの様に心が締まる。心が締まるので金銭も締める。それからして口も利かない様になる。これは倹約とは違い、とかく出さない様にする。それが鄙吝である。吝いの奢るの何のということはない筈。義理の指図通りにすべきこと。それは散財家の何のということではなく、義が主で義に指図を蒙るから、金が大事だの何のと言うことではなく、義の通りにするのである。そこで「軽財少私云々」である。財が足りると軽く、すべきことをする。吝い者はすべきこともしない。「少私」は「貴義」から来ること。「盈」は空に対する字。十分にあるのは嫌う。盈つれば虧く。足りないというのがよいこと。十五夜がよいと言っていると、もう十六日には欠ける。ものが溢れるほど一杯にあることを「満」と言う。

○悪満と云が凡夫のうらぞ。凡夫はみてたうへをみてよふとする。これが養性の筋にもなる。もふ一口と云ふ。それで食傷をする。養性もよきほどすればよ井。○賙窮は全体の困究。これをすくふ。鄙吝なしわ井人はにぎりつめることを第一にする。そこで古人を見たとき面を赤くする。古人の書を用るゆへこふなり。これなればよみやふのよ井と云もの。合力すべきはづを合力せぬとて顔を赤くする。その赤くすると云ふが至極けっかふなこと。赤くすると云かよ井。明道の謝氏を惻隠の心と誉られたもここなり。今迠にぎりつめたものかつかををと云ふ。そこて出入の者も旦那がよふなりましたと云ふ。なんでよふなりたと云に、読書学問なり。兎角学問が平生へ出ぬ。一つ々々にしるしのあることぞ。
【解説】
「惡滿、賙窮、卹匱、赧然悔恥、積而能散也」の説明。古人の書を読むので、吝い人も今までの自分を恥じて握り詰めたものを使う様になる。
【通釈】
「悪満」というのが凡夫の裏である。凡夫は満ちた上を満たそうとする。これが養性の筋にもなる。もう一口と言う。それで食傷をする。養性も程よくすればよい。「賙窮」は全体の困窮。これを救う。鄙吝で吝い人は握り詰めることを第一にする。そこで古人を見た時に面を赤くする。古人の書を用いるのでこうなる。そうであれば読み様がよいというもの。合力すべき筈を合力しないと言って顔を赤くする。その赤くするというのが至極結構なこと。赤くするというのがよい。明道が謝氏を惻隠の心と誉められたのもここ。今まで握り詰めた者が使おうと言う。そこで出入りの者も旦那がよくなりましたと言う。何でよくなったのかと言うと、読書学問である。とかく学問が平生へ出ない。これが、一つ一つに験のあること。
【語釈】
明道の謝氏を惻隠の心と誉られた

○素暴悍云々。これからは財宝にかからぬ。暴悍はあとさき見ずの不歒者のことで、奴ながさつなものぞ。拍子になると火の中へも飛込と云ふ気がさ者で、暴悍を鼻にかける。学問をせぬものゆへ我が生れ付をよ井と思ふはづ。○古人は心が律義ぞ。孔子はあの大きな呉服橋を通るにも頭がちぢみ、坐頭かくるとそこは箱段じゃ、ここにはもふせんがある、誰がそこにいたと云ふ。○黜己は、この鼻かと向へのりでるが凡夫のくせなれとも、手前をとかくあとへさけるが、これが本といやな語に取ると老子めいた語になる。退一歩になる。そふ見ぬことなり。○齒はあらく見せること。つよいものははかないものじゃ。かたい歯がよるとをちる。舌はやわらかなものなれとも、此の舌はいつ迠も無事でをる。○含垢は左傳の文字で、人の方のこと。人のわるいことを垢と病で譬て云ふ。○苶然はしをれること。世話言に青菜に塩をかけたと云ふもこれなり。○沮喪ははばみうしのふで、しゃっきはったが殊外よはりてきたそ。今迠うでまくりてをりたが律義になって、殊外しをらし井ていになりた。何の薬でよくなりたなれば、読書學文でよふなりた。
【解説】
「素暴悍者、欲其觀古人之小心、黜己、齒舌存、含垢藏疾、尊賢容衆、苶然沮喪、若不勝衣也」の説明。暴悍は自分の生まれ付きを頼りにして後先を見ない不敵者のこと。聖人は逆に小心で自分のことを後にする。歯は硬くても年を取れば落ちるが、柔らかい舌はいつもある。読書学問によって、暴悍もよくなる。
【通釈】
「素暴悍云々」。これからは財宝には掛からない。暴悍は後先見ずの不敵者のことで、奴の様ながさつな者。拍子が付くと火の中へも飛び込むという気嵩者で、暴悍を鼻に掛ける。学問をしない者なので、自分の生まれ付きをよいと思う筈。古人は心が律儀である。孔子はあの大きな呉服橋を通るにも頭を縮め、座頭が来るとそこは箱段だ、ここには毛氈がある、誰がそこにいたと言う。「黜己」。この鼻がと向こうへ乗り出るのが凡夫の癖だが、自分をとかく後へ下げる。これを本来の嫌な語に取ると老子めいた語になって、退一歩になる。そうは見ないこと。「歯」は粗く見せたこと。強いものははかないもの。硬い歯が年寄ると落ちる。舌は柔らかなものだが、この舌はいつまでも無事でいる。「含垢」は左伝の文字で、人の方のこと。人の悪いことを垢と病に譬えて言う。「苶然」は萎れること。世話の語で、青菜に塩をかけたと言うのがこれ。「沮喪」は阻み失うことで、しゃっきりとしたものが殊の外弱って来ること。今まで腕捲りでいたのが律儀になって、殊の外しおらしい体になった。何の薬でよくなったのかと言えば、読書学問でよくなった。
【語釈】
・箱段…玄関の上がり台。
・含垢…春秋左伝宣公伝15年。「諺曰、高下在心、川澤納汙、山藪藏疾、瑾瑜匿瑕、國君含垢、天之道也」。

○素怯懦云々。大の懦弱者ぞ。暴悍のうらなり。とかく弱ひ。弱ひ方からさま々々縁引を頼み、神佛に信心をする。吾一人で心細井やうになる。そこであそこここをたのむ。○達生は生死の理に達すること。生死の明なことぞ。○委命は、天命があるゆへこちの自由にならぬものじゃ。とかく生死はかぎりあるもの。○強毅はまっすくに道理なりなこと。暴悍はただつよひゆへくせ者て役にたたぬ。垩賢のつよいは道理のかたまりたゆへ、わきからうごかすにびくつかぬ。心のまっすぐに邪のな井こと。わきへひかれすうぶのままな心が立てをる。○立言云々。云ひ出す口上のこと。懦弱にかけて見ることぞ。懦弱な者は云ふことが云ふことにたたぬ。あたりを見て云ふこともならぬ。垩賢のは云ふにまちが井がない。此の事は御聞捨になさってくれろと云ふはでまかせゆへなり。垩賢の云ふことは万世へとをりぬける。○求福云々。詩經の字。○不回が大事の字なり。一刻もはやくと云はぬ。道理なりなこと。長生をした井と云ふても長命地藏とはこぬ。羪性をしろと云ふ。
【解説】
「素怯懦者、欲其觀古人之達生委命、強毅正直、立言必信、求福不回」の説明。怯懦な者は弱い方から様々な縁引を頼み、神仏にも信心をする。しかし、天命は思い通りにならないもの。暴悍はただ強いだけだが、聖賢は道理で固まっているからびくともしない。言にも間違いはなく、福を求めて焦らない。
【通釈】
「素怯懦云々」。これは大の懦弱者で、暴悍の裏である。とかく弱い。弱い方から様々な縁引を頼み、神仏に信心をする。自分一人では心細くなる。そこであそこここを頼む。「達生」は生死の理に達することで、生死の明なこと。「委命」。天命があるので、命はこちらの自由にはならないもの。とかく生死は限りあるもの。「強毅」は真っ直ぐに道理の通りなこと。暴悍はただ強いだけなので、曲者で役に立たない。聖賢が強いのは道理で固まっているからで、脇から動かしてもびくともしない。これが、心が真っ直ぐで邪のないこと。脇へ引かれず初心のままの心が立っている。「立言云々」。言い出す口上のことで、懦弱に掛けて見ること。懦弱な者は言うことが言うことに立たない。辺りを見て言うこともならない。聖賢のは言うことに間違いがない。この事は御聞き捨て下さいと言うのは出任せだからである。聖賢の言うことは万世へ通り貫ける。「求福云々」。これは詩経の字。「不回」が大事な字。一刻も早くとは言わない。道理の通りのこと。長生をしたいと言っても長命地蔵とは来ない。養性をしろと言う。
【語釈】
・求福…詩経大雅旱麓。「豈弟君子、求福不回」。

○勃然は字書奮厲の皃とあるが、今迠とをもぶりのかわりたこと。孟子につよく云はれて斉の宣王勃然変色も、愼子の勃然曰と云も、胸へあたるきついことを云へば、あまりなことを云と勃然なり。御符も戴けと云。古人を見てしゃっきりとなる。わけも知らず彼岸に肴をくはぬと云ふ。道理が丈夫でないゆへするはずぞ。くらやみはこはくな井と云ふても子共はこはかる。これほど生れ付を四つ出して云ふが、これきりではなくかぎりはないことなれとも、重ひを出して云へばこんなものなり。今日の人の書をよんでもわるいは、よみやふのわるいなり。朱子論語の始めに読法を出してをかれたも、論吾孟子をよんでもををくは読やふがわるいゆへ読法を出された。直方先生か、読法は性根を入れて見ることじゃと云はれた。性根を入れ、玉しいを入れてよむとよい。
【解説】
「勃然奮厲、不可恐懼也。歴茲以往、百行皆然」の説明。今日の人が書を読んでも悪いのは、読み方が悪いのである。論語の始めに読法があるのも、読み方が悪いので朱子がそこに置いたのである。
【通釈】
「勃然」は字書に奮厲の貌とあるが、今までと面振りが変わったこと。孟子に強く言われて斉の宣王が勃然として変色したのも、慎子が「勃然曰」と言ったのも、胸へ当たるきついことを言えば、あまりなことを言うと勃然とするもの。御符も戴けと言う者が古人を見てしゃっきりとなる。わけは知らないが、彼岸には肴を食わないと言う。道理が丈夫でないからそうする筈。暗闇は恐くないと言っても子供は恐がる。これほどに生まれ付きを四つ出して言ったのも、これぎりではなく限りないことだが、重いものを出して言えばこんなもの。今日の人が書を読んでも悪いのは、読み方が悪いのである。朱子が論語の始めに読法を出して置かれたのも、論語孟子を読んでも多くは読み様が悪いからである。直方先生が、読法は性根を入れて見るものだと言われた。性根を入れ、魂を入れて読むとよい。
【語釈】
・斉の宣王勃然変色…孟子万章章句下9。「王曰、請問貴戚之卿。曰、君有大過則諫、反覆之而不聽、則易位。王勃然變乎色」。
・愼子の勃然曰…孟子告子章句下8。「魯欲使愼子爲將軍。孟子曰、不教民而用之、謂之殃民。殃民者、不容於堯舜之世。一戰勝齊、遂有南陽。然且不可。愼子勃然不悦曰、此則滑釐所不識也」。

○縦に不能云々。これからが顔氏家訓かまけられた。不能淳。ここが彼のまけのところぞ。淳一になる。それがならすとも甚たわるいことを去るがよい。○去泰云々。ひとつとしてよいことはな井。あいそつきるほどなこと。一ち何か重ひと云ふに泰がある。その中をさがして見て、それを去ること。○学之は、学問して今かかること。知識のひらける処が大事なもの。子共の内はなによりもちあそびものをほしがる。それから十三四になると扇子てもやる。知識のひらけるなり。學者もそれで今迠のことを笑ふ位になると、それからゆきつきのきはまり処はない。そこを世人とあとへかへしたもの。ここを前の胡子の章の語と一つに見るがよ井。これほどに益があるのに、世人のはわが方へえぬ。ここが今の儒者の文藝と云ふと同しこと。槙七郎左ェ門が經学しりのすじ。經学のうわさばかり云ふてをる。そこで武人俗吏に笑れる。学問をいやがる方から云でもあらふが、学者にこのましいことがないゆへ云ふ。俗人と格別にちがった叓があると、そふ々々またかるしめるものでもない。
【解説】
「縱不能淳、去泰去甚、學之所知、施無不達。世人讀書、但能言之、不能行之」の説明。淳一にならなければ、甚だしいことを去ればよい。知識が開ければ極まりないことになるのだが、世人はそれを得ようとしない。
【通釈】
「縦不能云々」。これからが顔氏家訓が負けられたこと。「不能淳」。ここがあの負けたところ。淳一になる。それがならないとしても甚だ悪いことを去るのがよい。「去泰云々」。一つとしてよいことはない。愛想の尽きるほどのこと。その中で何が一番重いかと言うと泰である。中を探して見て、それを去る。「学之」は、学問をして今取り掛かること。知識の開ける処が大事なもの。子供の内は何より持ち遊び物を欲しがる。それから十三四歳になると扇子でもやる。知識が開けるのである。学者もそれで、今までのことを笑う位になると、それからは行き着く極まり処はない。そこを「世人」と前に返した。ここを前条の胡子の章の語と一つに見るのがよい。これほどに益があるのに、世人は自分の方へ得ない。ここが今の儒者は文芸だと言うのと同じこと。これが槙七郎左衛門の経学知りの筋。経学の噂ばかりを言っている。そこで武人俗吏に笑われる。学問を嫌がる方から言うのでもあろうが、学者に好ましいことがないので言う。俗人とは格別に違うことがあるなどと、その様にまた軽しめるものでもない。
【語釈】
・槙七郎左ェ門…槇元眞。七郎右衛門と称す。美濃の人。加納藩主松平丹波守光重に仕え、後に第二子戸田光正の家宰となる。元禄4年(1691)夏没。山崎闇斎門下。子の元勝、孫の秀武は迂斎に学ぶ。

○武人は、夷狄界へ行くの、武官の書を読まずにをるもののことなり。○俗吏は、ものをか井たり筭盤でつとめるもの。相応に間にをふて無てはならぬものなり。をれらは書は読ぬがあの斈者を見やれと云ふ。古人を見ても気質変化もせ子ば、君をもっても思念もせず、親をもっても孝行もせぬ。そこで武人にかろしめらるる。○又有読云々。その上にまだあると云こと。學問をすれば俗人の知らぬことをしるゆへ、自高大に自分からたかくもち上てかかる。斈問をすればどふしても知識もあがり高大になる。我が方で高くもてなす。だたい高大には向ふからすることで我方からしやふことではない。道理を吾が心に子らずうはのそらにしてをるゆへ、三分五倫に人をあしらい、年をとりても文盲な者は何も知らぬゆへ、何にあの老人がと云ふ。垩人は老人をばうやまう。○長者と名がつけば若ひ者とは一つにせず、渡し舟でも老人は會釋する。それが垩人の意なり。○さて又たたい同役は軽慢する筈のものではな井。処をなにあれが知るものかと云。同役は駕舁の片棒のやふなもの。二人でかくやふにしたもの。二人でか井てゆく様に、同列で互につとめることぞ。それにあれが一文字もしらずと云ふ。長者は年の詮義なり。同役は我か片棒なり。すればそこへ己が学を出し、鼻にかけるは筋ちがいなり。これかとど道を知らぬ見処のないと云ものぞ。学者がどふも讎歒のやふにならふはづはない。さりとは読みやふのわるいのなり。
【解説】
「武人俗吏所共嗤詆、良由是耳。又有讀數十卷書、便自高大、陵忽長者、輕慢同列」の説明。古人を見ても気質変化せず、君に念思、親に孝行をしなければ、書も読まない武人俗吏に軽んじられる。また、学問をすると俗人の知らないことを知るので自ら高大になり、人を見下げる。長者も見下し、同役も軽慢にする。それは読み様が悪いのである。
【通釈】
「武人」は、夷狄界へ行ったり、武官で書を読まずにいる者のこと。「俗吏」は、ものを書いたり算盤で勤める者で、相応に間に合い、なくてはならないもの。俺等は書は読まないが、あの学者を見ろと言う。古人を見ても気質変化もしなければ、君を持っても念思もせず、親を持っても孝行もしない。そこで武人に軽しめられる。「又有読云々」。その上にまだあると言う。学問をすれば俗人の知らないことを知るので、「自高大」に自分から高く持ち上げて掛かる。学問をすればどうしても知識も上がって高大になる。自分の方で高くもてなす。そもそも高大にもてなすとは、向こうがすることであって、自分からすることではない。道理を自分の心で練らずに上の空にしているので、三分五倫に人をあしらい、年を取っても文盲な者は何も知らないのだから、何あの老人がと言う。聖人は老人を敬う。「長者」と名が付けば若い者とは一つにせず、渡し舟でも老人には会釈をする。それが聖人の意である。さてまた、そもそも同役は「軽慢」にする筈のものではない。そこを何あれが知るものかと言う。同役は駕舁きの片棒の様なもので、二人で舁く様にしたもの。二人で舁いて行く様に、同列で互いに勤めるのである。それをあれが一文字も知らないと言う。長者は年の詮議であり、同役は自分の片棒のこと。それならそこへ自分の学を出し、鼻に掛けるのは筋違いである。これがつまりは道を知らず見処がないということ。どうして学者が讎敵の様になる筈があろうか。実に読み様が悪いのである。

○悪はいやかること。ああまたけたいのわる井儒者がきたと云ふ。ををくは学者の方のわるいなり。○求益はづですることを、思ひよらず人にいやがられて学問て損をする。病をなをそふとて薬毒にあたりたよふなもの。○不如無学は親切な口上とみること。この字が迂斉の額にもあり、学問と云ふは人の為めになることなれとも、学やふがわるいゆへ役にたたぬ。ないがましじゃと云ふこと。本気で云ふたことではない。薬のな井がよ井と云はは薬を吟味するがよ井。親切なことになるとこふ云ふ口上があるもの。家来が害をなすといっそ家来はな井がよ井と云。なくてはならぬものぞ。学問もそれ。そこでこれからさきへ伊川先生を出したが朱子の御編集なさるの意趣あることなり。読書の仕方わるければ右の通り、読書の仕様と云は此次の章から段々云。
【解説】
「人疾之如讎敵、惡之如鴟梟。如此以學求益、今反自損。不如無學也」の説明。人に軽んじられる多くは学者の方が悪いからである。それでは学ばない方がよいと言った。しかし、これは本気で言ったことではなく、親切に言った口上である。学問はなければならないもの。
【通釈】
「悪」は嫌がること。ああまた希代な悪い儒者が来たと言う。その多くは学者の方が悪いのである。益を求める筈でしたことが、思いも寄らず人に嫌がられ、学問で損をする。それは、病を治そうとして薬毒に中った様なもの。「不如無学」は親切な口上だと見なさい。この字が迂斎の額にもあり、学問は人のためになることだが、学び様が悪いので役に立たない。ない方がましだと言うこと。これは本気で言ったことではない。薬はない方がよいと言うのであれば、薬を吟味するのがよい。親切なことになるとこういう口上があるもの。家来が害をなすと、いっそのこと家来はない方がよいと言う。家来はなくてはならないもの。学問もそれ。そこでこれから先へ伊川先生を出したのが朱子の御編集の意に趣きのあること。読書の仕方が悪ければ右の通りだが、読書の仕方はこの次の章から段々に言う。
【語釈】
・迂斉の額…稲葉迂斎の諭学者文。「先君子諭學者文曰、…不然則為人之弊噫不如無學也。二三子其思之」。冬至文三子の遺文の一にもある。