嘉言81
○伊川先生曰、大學、孔氏之遺書、而初學入德之門也。於今可見古人爲學次第者、獨頼此篇之存。而其他則未有如論孟者。故學者必由是而學焉、則庶乎其不差矣。
【読み】
○伊川先生曰く、大學は孔氏の遺書にして、初學德に入るの門なり。今に於て古人の學を爲むる次第を見る可きは、獨り此の篇の存するに頼[よ]る。而して其の他は則ち未だ論孟の如き者有らず。故に學者は必ず是に由りて學ばば、則ち其の差わざるに庶からん。

二月六日
【語釈】
・二月六日…寛政2年(1790)2月6日。

○伊川先生曰云々。これからは書物のよみやふを論じたものぞ。書物の読みやふと云が三代にはないことなり。三代には書物の読みやふと云ものがない。ここに書物のよみやふを出すが朱子の外篇の主意になる。尭舜禹湯文武三代は上の教てゆく。後世は書を読より端的なことはない。何もかも学問とは云ふが、書物を見子ばならぬ。さてまたこれでたりぬことがある。それを山崎先生蒙養集にくわしく論じてをかれた。蒙羪集の大切と云ふもあのやふなことなり。蒙養集に大切にあづかることがあるが、あれはひととをりのこと。此章以下のたらぬを出して書物の読みやふを出してをかれた。これが大切なり。今日の人の書物を読んでも役にたたぬは、書物の読みやふのわるいゆへ役に立ぬなり。書物の読みやふを知ると云ふが大事のことぞ。敬身の篇に書物の読みやふのあるは、敬身も読書からぞ。さて又横渠の書以維持此心と云はれて、書を読むは此の方の知惠をみかくことなれとも、その知惠をみがくが敬の功夫になる。これはほまちなり。書物を読と心がわきへちらぬ。餘意を云へば心を維持するの意なり。さて維持すると維持せぬの、益のあるないをのけて、読書は敬身の大本になる。その上書物を読てをるうちは心か静ぞ。然れはどちどふしても敬身に載るべきことなり。
【解説】
「伊川先生曰」の説明。これからは書物の読み様を論じたもの。三代は上の教えがあるから書物は必要ないが、後世は書を読まなければならない。しかし、今日の人が書物を読んでも役に立たないのは、書物の読み様が悪いからである。そこで、書物の読み様を知るというのが大事なこと。書を読むのは智恵を磨くことだが、その智恵を磨くのが敬の功夫になる。そこで敬身に載る。
【通釈】
「伊川先生曰云々」。これからは書物の読み様を論じたもの。書物の読み様というのは三代にはないこと。三代には書物の読み様というものはない。ここに書物の読み様を出すのが朱子の外篇の主意になる。堯舜禹湯文武の三代は上の教えで行くが、後世は書を読むほど端的なことはない。何もかも学問とは言うが、書物を見なければならない。さてまたこれで足りないことがある。それを山崎先生が蒙養集に詳しく論じて置かれた。蒙養集が大切だと言うのもこの様なことから。蒙養集には大切に与ることがあるが、あれは一通りのことで、この章以下の足りないことを出したのであり、書物の読み様を出して置かれたのである。これが大切なこと。今日の人が書物を読んでも役に立たないのは、書物の読み様が悪いからである。書物の読み様を知るというのが大事なこと。敬身の篇に書物の読み様があるのは、敬身も読書からのことだからである。さてまた横渠が「書以維持此心」と言われた。書を読むのはこちらの智恵を磨くことだが、その智恵を磨くのが敬の功夫になる。これはほまちである。書物を読むと心が脇へ散らない。余意を言えば心を維持する意である。さて維持するか維持しないか、益があるかないかを別としても、読書は敬身の大本になる。その上、書物を読んでいる内は心が静である。それならどちらにしても敬身に載るべきこと。
【語釈】
・書以維持此心…近思録致知74。「讀書少、則無由考校得義精。蓋書以維持此心。一時放下、則一時德性有懈。讀書則此心常在、不讀書則終看義理不見」。
・ほまち…主人に内密で家族・使用人が開墾した田畑、また、たくわえた金。個人の所有となる臨時収入。役得。へそくり。

○大学孔氏遺書は明道の語なり。それをいれひとつにして、全体伊川の語がながいゆへ伊川先生曰と云ふ。○門也の門が大事なり。客と云もやれ々々これはどふして御座たと云ふに、門どからでなくては入ることならぬ。そこで学問は門を知ること。そふでなくてはいることはならぬ。そこで学問を知ることぞ。論ずるに足らぬことなれども、朱子学と云ふて唐詩選を読なとと云ふは門を知らぬなり。德に入られぬことをすれは藝になる。德に入るには及はぬ、ただ書を読と云へば圍棋をうつも同じこと。德は天から拜領を吾がものにすること。その門が大学なり。次第が大事。をれは品川川崎なしに京へやってくれろと云てもならぬ。御三家の歴々から下々迠、京へゆくには品川川崎と行く。
【解説】
「大學、孔氏之遺書、而初學入德之門也」の説明。門を知らなければ学問に入ることはできない。ただ書を読むのは囲碁を打つのと同じこと。読むのには順序がある。
【通釈】
「大学、孔氏之遺書」は明道の語である。それを入れて一つにしたが、全体伊川の語が長いので「伊川先生曰」と言う。「門也」の門が大事。客もやれやれこれはどうしておられたのかと言っても、門からでなくては入ることはできない。そこで学問は門を知ること。そうでなくては入ることはできない。そこで学問を知るのである。これは論ずるに足りないことだが、朱子学と言いながら唐詩選を読むなどということは門を知らないのである。徳に入れないことをすれば芸になる。徳に入るには及ばない、ただ書を読めばよいと言えば囲碁を打つのと同じこと。徳は天からの拝領を自分の物にすること。その門が大学である。次第が大事。俺を品川川崎なしに京へ遣ってくれと言ってもそれはできない。御三家の歴々から下々まで、京へ行くには品川川崎と行く。

○独はかたじけなく云こと。古人は今な井ゆへしられそもないものなれとも、大斈と云うすいものあるで知れる。直方先生が山崎先生の没後に加茂に引込て、一年大学を見てをられたと云が学問のあがった筈なり。兎角斈問をかさてしたがる。直方先生の谷丹三郎を戒てやられたに、いろ々々な書物があるなら封を付て土藏へしまうてをけと云はれた。德に入には大学、それをのけては論語孟子なり。○其他と云ふたとて、論吾孟子は二番目にしてわるく云たことではない。論吾孟子は大学のことを云たものなれとも、大斈のやふに品川川さきとだん々々そろふてない。そこて大学の方がよい。
【解説】
「於今可見古人爲學次第者、獨頼此篇之存。而其他則未有如論孟者。故學者必由是而學焉、則庶乎其不差矣」の説明。今、古人はいないが、大学があるので学問に入ることができる。徳に入るには大学があり、その他には論語と孟子がある。論孟は順を踏んだものではないから、門に入るのには大学がよい。
【通釈】
「独」は忝く言うこと。古人は今はいないので知ることはできなそうなものだが、大学という粋なものがあるので知れる。直方先生が山崎先生の没後に加茂に引き込んで、一年大学を見ておられたという。それなら学問が上がった筈。とかく学問を嵩でしたがる。直方先生が谷丹三郎を戒めて、色々な書物があるなら封を付けて土蔵へしまって置けと言われた。徳に入るには大学、それを除けては論語と孟子である。「其他」とは言っても、論語孟子は二番目にして悪く言ったのではない。論語孟子は大学のことを言ったものだが、大学の様に品川川崎と順を踏んで揃っているものではない。そこで大学の方がよい。
【語釈】
・谷丹三郎…谷秦山。名は重遠。丹三郎と称す。土佐の人。享保3年(1718)6月30日没。年56。山崎闇斎門下。淺見絅斎にも学ぶ。


嘉言82
○凡看語孟、且須熟讀玩味、將聖人之言語切己。不可只作一場話説。看得此二書切己、終身儘多也。
【読み】
○凡そ語孟を看るには、且く須く熟讀玩味し、聖人の言語を將て己に切にすべし。只一場の話説とのみ作す可からず。此の二書を看得て己に切ならば、身を終うるまで儘[きわ]めて多し。

○凡看語孟云々。切己。これが殊外元気のつくことぞ。今の役に立ることなり。いつも云ふ、病気のとき妙薬を聞くやふなもの。某などがま虫の藥を儲てをるが親切にない。今食はれたと云ふ者があると親切。論吾孟子を読む人が今の役に立ぬ。○一場話説は時の話にしてしまう。論孟の話も一場の説話にすると見物するも同じこと。一場話説にせぬはどふなれば、我がををへいで人につきあたると孔子を見て、さてもと云ふてひひく。欲のしたたかあるを孟子の議論のかどのあるで見れば、人欲をかはかさぬ。この章などが君子になることがたっふりとあることを見せる。これをみてならぬと云へは切己でない。切己すれは終身儘多。ここらをよく合点すると出雲寺や須原屋も腹を立つことぞ。論孟の羽翼になるゆへ書物もかふが、そふなればいらぬことなり。ここらのことは、論吾孟子を本道に読んた人でなければしれることはならぬ。
【解説】
「切己」が元気の付くこと。論語孟子で己に切になれば、そこに君子になるためのことがたっぷりとあることがわかる。
【通釈】
「凡看語孟云々」。「切己」。これが殊の外元気の付くこと。今の役に立つこと。いつも言う、病気の時に妙薬を聞く様なもの。私なども蝮の薬を持っているが、それは親切ではない。今食われたと言う者がいると親切。論語孟子を読む人が今の役に立たない。「一場話説」は時の話にしてしまうこと。論孟の話も一場の話説にすれば見物するのも同じこと。一場話説にしないとはどういうことかと言うと、自分が横柄で人に突き当たると孔子を見て、実にそうだと響く。欲がしたたかにあるのを孟子の議論の廉のあるのを見れば、人欲を掻かない。この章などが、君子になることがたっぷりとあることを見せたもの。これを見てできないと言えば切己でない。切己にすれば「終身侭多」。ここらをよく合点すると、これが出雲寺や須原屋も腹を立てること。論孟の羽翼になるので書物も買うが、そうであれば書物も要らない。ここらのことは、論語孟子を本当に読んだ人でなければ知ることはできない。
【語釈】
・出雲寺や須原屋…書店の名。


嘉言83
○讀論語者、但將弟子問處便作己問、將聖人答處便作今日耳聞、自然有得。若能於論・孟中深求玩味、將來涵養成、甚生氣質。
【読み】
○論語を讀む者は、但弟子の問う處を將て便ち己の問いと作し、聖人の答うる處を將て便ち今日の耳聞と作さば、自然に得ること有らん。能く論・孟の中に於て深く求め玩味し、將[も]ち來て涵養し成るが若きは、甚だ氣質を生ぜん。
【語釈】
・原文の元とした厩侯酒井氏刊行本の「若能於論・孟中深求玩味、將來涵養成、甚生氣質」の読みは上記の通りだが、黙斎は、「若し能く論・孟の中に於て深く求め玩味して將[も]ち來らば、甚生[いか]なる氣質を涵養し成さん」と読んでいる様である。

○讀論吾者云々。上の切己と云ふ字の訳がこの章て見へることぞ。上には論孟とあってここには論吾とあるは、弟子のことにかけて云ふゆへ論語ばかり云ふ。孔子の御門人は格別のことで、公孫丑などを出してひひかぬ。昔孔子の弟子の問ふたを手前の問ふた気になる。医者の脉論を吟味するも、手を出して見てもらふでなふては本のではない。直方先生の訓門人を弟子衆へ大事業に云はるるも、昔の人の病を我病のやふにするでなければならぬ。論吾孟子を手前へ玩味する。心は眞如の玉かつらなどと通用のうたいにも仏法のことがあるが、たたうたいとばかり思ふてしらぬ。江口にも仏法のたましいがあるか知らぬ。論吾を読もたたうかと読ゆへ、うたいをうたふも同じことなり。ちと歌をよむと、もふ道中をしても八橋で杜若の見よふが供の奴の見るとはちごふ。奴も見は見るがみやふがちこふ。今日の人の論吾をよむは奴の杜若を見たやふなもの。本の歌人でなくても公家衆の弟子になってをると、もふ杜若の見よふがちごふ。漢唐の間も論吾孟子をよんだか通事のよふなもの。玩味がない。今講釈をきくも、ききずててはやくにたたず。深求玩味し、それが心に入ると德になる。熟読玩味すると、さても々々々垩賢の語を食ひ覚へること。○涵養はこやしのやふなもの。書物を心のこやしにする。そふすると本との五兵衛六兵衛ではなく、ふんの人間になる。○成甚成気質は、どのやふにならふもほどのしれぬことを云ふ。
【解説】
孔子の弟子が問うたのを自分が問うた様に思う。論語孟子を自分のこととして玩味する。これで見方も変わる。熟読が玩味して涵養する。それで計り知れない人になることができる。
【通釈】
「読論語者云々」。前条の「切己」という字のわけがこの章で見える。前条には論孟とあってここには論語とあるのは、弟子のことに掛けて言うので論語ばかりで言う。孔子の御門人は格別なことで、公孫丑などを出しては響かない。昔、孔子の弟子が問うたのを自分が問うた気になる。医者の脈論を吟味するのも、手を出して見てもらうのでなければ本当のことではない。直方先生が訓門人を弟子衆へ大事業と言われたのも、昔の人の病を自分の病の様にするのでなければならないからである。論語孟子を自分のこととして玩味する。心は真如の玉葛などと通用の謡にも仏法のことがあるが、ただ謡とばかり思って、それを知らない。江口にも仏法の魂があるが、それを知らない。論語を読むにもただうっかりと読むのでは、謡を謡うのも同じこと。一寸歌を読むと、もう道中をしても八橋での杜若の見様が供の奴の見るのとは違う。奴も見るには見るが見様が違う。今日の人が論語を読むのは奴が杜若を見る様なもの。本当の歌人でなくても公家衆の弟子になっていると、もう杜若の見様が違う。漢唐の間も論語孟子を読んだが、それは通事の様なもので「玩味」がない。今講釈を聞くにも、聞き捨てでは役に立たない。「深求玩味」して、それが心に入ると徳になる。熟読玩味するのが、実にそうだと聖賢の語を食い覚えること。「涵養」は肥やしの様なもの。書物を心の肥やしにする。そうすると、前の五兵衛六兵衛ではなく、分の人間になる。「成甚成気質」は、どの様になるのか程が知れないことを言う。
【語釈】
・心は眞如の玉かつら…玉葛の語。金春禅竹作。源氏物語によって玉鬘(玉葛)が九州から逃れ出た物語を脚色、その死後の妄執を描く。
・江口…観阿弥作の原曲を世阿弥が改作した鬘物。江口の遊女が西行と歌を詠みかわしたこと、遊女が普賢菩薩の化身であったという伝説などを脚色する。


嘉言84
○横渠先生曰、中庸文字軰直須句句理會過、使其言互相發明。
【読み】
○横渠先生曰く、中庸の文字軰は直[ただ]須く句句理會し過ぎ、其の言を互に相發明せしむべし。

○横渠先生曰云々。朱子のここへ書物の並へよふがあらくつかふを並べられたが、四番目に中庸のあると云ふが動かぬことなり。はやまわりにすることはやくにたたぬ。道中記のやふに大学を先つさきにして論吾や孟子、道中がさま々々なり。一ちしまいの中庸はたか井処へのほるやふなもの。高い処へ登りて見ると、これまでの方々が一目にみへる。中庸の書は遠慮會釋なくををきいことをずっと云た。初學者が見ると、なにやらとりあわぬことなり。小児の鰹魚のさしみを見るやふに、ひいにとりあわぬ。そこでこれをしまいに見せると云がよ井。中庸の中へ横渠の立入て云れた。○軰は中庸の文字。などはと云ふこと。こふ云ふても、今章句かできてはめづらしくないよふなれども、朱子より前はごたまぜでをりた。そのとき横渠が見て取られた。右第何十何章は朱子のなされたこと。このないま井に横渠がこのとをりに見て取られた。朱子も、中庸一書、枝枝相對、葉葉相當と云はれた。上を受け上下べったりとをふたこと。一通りの者が見てはづんどふんなやふに思ふがそふてない。辞はぶんなやふでも中がつらぬいてをる。
【解説】
ここに中庸があるのが確かなことで、最後は中庸である。中庸の言は大きい。中庸は朱子が章句にして今の形になったが、その前はごた混ぜだった。そこを横渠が見て取られてこの様に言ったのである。
【通釈】
「横渠先生曰云々」。ここへの朱子の書物の並べ様が、粗く頭を並べられた様だが、四番目に中庸があるというのが動かないこと。早回りにすることは役に立たない。道中記の様に大学を最初にして論語や孟子と、道中が様々である。最後の中庸は高い処へ登る様なもの。高い処へ登って見ると、これまでの方々が一目に見える。中庸の書は遠慮会釈もなく大きいことをずっと言ったものなので、初学者が見ると、何やら取り合わない様である。小児が鰹の刺身を見る様で、一つに取り合わない。そこでこれを最後に見せるのがよい。中庸の中へ横渠が立ち入って言われた。「輩」は中庸の文字。などはということ。こう言っても、今章句ができては珍しくない様だが、朱子より前はごた混ぜになっていた。その時に横渠が見て取られた。右第何十何章と章句にしたのは朱子である。それがない前に横渠がこの通りに見て取られた。朱子も、「中庸一書、枝枝相対、葉葉相当」と言われた。これが、上を受けて上下べったりと合ったこと。一通りの者が見てはかなり格別な様に思うがそうではない。辞は格別な様でも中が貫いている。
【語釈】
・つかふ…頭甲。頭蓋骨。脳天。
・中庸一書、枝枝相對、葉葉相當…朱子語類62。「中庸一書、枝枝相對、葉葉相當。不知怎生做得一箇文字齊整」。


嘉言85
○六經須循環理會。儘無窮。待自家長得一格、則又見得別。
【読み】
○六經は須く循環して理會すべし。儘[きわ]めて窮まり無し。自家一格を長じ得るを待ちて、則ち又見得て別ならん。

○六經須循云々。四書がすんでから六經にかかるがみへてをる。五經を六經と云は古は楽經があり、秦始皇か焼て其後はないが、昔のなを云ふゆへやっはり六経と云ふ。六經。易は天地の合文、書經は政を云ひ、詩経は人情を述て人心を正ふし、礼は三千三百の筋のわかる人の作法を云ひ、春秋は天下の治乱を云ふ。これをだん々々まわし々々々よむ。甚だをを井ことで、窮はない。をくふかしいゆへ学問の高下であんばいがちごふてくる。道理はこもりたもので、此方が甲斐ないとくら井が、あがるとさても々々々と云。年数で云ふならば六経をさきに見そうなものなれども、ふる井書に書經ほど久しい書はない。それから見そうなものなれども、そうはせぬ。大学をよみ、それから論孟中庸六経とかかる。これが宋朝始めて明になりたよみやふなり。四書が手に入りて六経をよめば、六經の六経たる処がしれる。四書を六経の階梯と云ふたとて、四書はなんのことない、心安ひと云ことではない。四書のすんだほどの目で見れば、六経の合点がゆくと云ふことなり。四書の眼力でなふて六經を見てははぜぬなり。
【解説】
六経を回して読む。六経は奥深く窮まりないものなので、こちらが甲斐ないとわからない。四書が手に入ってから六経を読むのである。
【通釈】
「六経須循云々」。四書が済んでから六経に掛かるということがここに見える。五経を六経と言うのは古は楽経があり、秦始皇が焼いたので、その後はなくなったが、昔の名を言うのでやはり六経と言う。六経。易は天地の合紋、書経は政を言い、詩経は人情を述べて人心を正しくし、礼は三千三百の筋が分かれて人の作法を言い、春秋は天下の治乱を言う。これを段々に回して読む。これが甚だ多いことで、窮まりがなく、奥深しいものなので、学問の高下で塩梅が違って来る。道理は篭ったもので、こちらが甲斐ないと暗いが、上がると実にその通りだと言う。年数で言うのであれば六経を先に見そうなもの。古い書としては書経ほど久しい書はない。それから見そうなものだが、そうはしない。大学を読み、それから論孟中庸六経と掛かる。これが宋朝で初めて明になった読み方である。四書が手に入って六経を読めば、六経の六経たる処がわかる。四書を六経の階梯とは言うが、四書は何の事もなく、心安いということではない。四書が済んだほどの目で見れば、六経の合点が行くということ。四書の眼力がなくて六経を見ても、わかりはしない。
【語釈】
・四書を六経の階梯と云ふ…近思録序。「晦庵朱先生曰、近思録好看四子六經之階梯。近思録四子之階梯。信哉是言也」。


嘉言86
○呂舍人曰、大抵後生爲學、先須理會所以爲學者何事。一行一住、一語一默、須要盡合道理。學業則須是嚴立課程。不可一日放慢。毎日須讀一般經書一般子書。不須多。只要令精熟。須靜室危坐讀取二三百遍。字字句句須要分明。又毎日須連前三五授、通讀五七十遍。須令成誦。不可一字放過也。史書毎日須讀取一卷或半卷以上、始見功。須是從人授讀、疑難處便質問、求古聖賢用心、竭力從之。夫指引者、師之功也。行有不至、從容規戒者、朋友之任也。决意而往、則須用己力。難仰他人矣。
【読み】
○呂舍人曰く、大抵後生學を爲むるには、先ず須く學を爲むる所以の者は何事ぞと理會すべし。一行一住、一語一默、須く盡く道理に合わんことを要すべし。學業は則ち須く是れ嚴に課程を立つべし。一日も放慢す可からず。毎日須く一般の經書、一般の子書を讀むべし。多くを須[もち]いず。只精熟せしめんことを要す。須く靜室に危坐し讀取すること二三百遍すべし。字字句句須く分明ならんことを要すべし。又毎日須く前の三五授を連ねて、通讀すること五七十遍すべし。須く誦を成さしむべし。一字も放過す可からざるなり。史書は毎日須く一卷或は半卷以上を讀取して、始めて功を見るべし。須く是れ人に從いて授讀し、疑難の處は便ち質し問い、古聖賢の心を用うるを求め、力を竭して之に從うべし。夫れ指引するは師の功なり。行いて至らざること有りて從容として規戒するは、朋友の任なり。意を决して往くは、則ち須く己の力を用うべし。他人を仰ぎ難し。

○呂舎人曰云々。これをあまりきりあげて云ふはわるい。これに似た語がある。楊亀山の、学の何の為と云ふたことあり。あれとはちごふ。あれはづんと学問の重ひ趣向を示そふとて云ふたこと。これは学かたを云たものなり。学問のしわざはどふ云ふしわざと合点すること。○一行一住一語云々。毎日ことをする上なり。学問はぶんにすることのやふに思ふ。後世を子がふ者が今看經と云ふか、烟草を吸も吹き出すも仏法でのふては面白な井ことぞ。何でも学者皆道理合せふと求るとみることなり。ここをよく見子ばならぬ。茶坊主の頭をはり、知行の百姓の公事をば大切にきくと云ふことはない。茶坊主のあたまとても、はられるやふにこしらへたあたまではない。なんでも道理にはつれたことはないはづ。○盡くと云字をみよ。ちょっとこしらへるも、大工の方にまげてすると云ことはない。舛はひつんではならぬ。烟草盆はよいと云ことはない。
【解説】
「呂舍人曰、大抵後生爲學、先須理會所以爲學者何事。一行一住、一語一默、須要盡合道理」の説明。学問の仕方は特別なものではなくて、普段のことを皆道理に合わせようと求めること。何でも道理に外れたことはない。
【通釈】
「呂舎人曰云々」。これをあまり切り上げて言うのは悪い。これに似た語がある。楊亀山が学は何のためかと言ったことがある。あれとは違う。あれは学問の非常に重い趣向を示そうとして言ったことで、これは学び方を言ったもの。学問の仕方はどういう仕方かと合点するのである。「一行一住一語云々」。毎日、ことをする上でのこと。学問は特別にすることの様に思う。後世を願う者が今看経と言うが、煙草を吸うのも吹き出すのも仏法でなくては面白くない。何でも学者は皆道理に合わせようと求めることだと見る。ここをよく見なければならない。茶坊主の頭を張り、知行の百姓の公事を大切に聞くということはない。茶坊主の頭であっても、張られるために拵えた頭ではない。何でも道理に外れたことはない筈。「尽」という字を見なさい。一寸拵えるにも、大工の方では曲げてするということはない。枡は歪んではならない。煙草盆はよいということはない。
【語釈】
・呂舎人…呂本中。字は居仁。童蒙訓の著者。
・看經…経文を黙読すること。経文を読むこと。読経。諷経。

○立課程。これらは一修行をしてみた者は手前で覚へあること。念仏もこれほどとなへ子ばならぬと云ふ。それでなければ親切でない。子共も何十遍よむと云ふてよ井。課程のない学問は行燈をけやぶりたよふなものでしっかとない。某社中の人、訓門人會も旧臘欠會になるべき処、今春迠のこりてをそふなりた。自分はかまわぬゆへどふでもよいが、なにやら何事もをそくなりたやふなり。これ、課程を破りたゆへなり。公用ならば、此様なことをそくなりては目付から察當がある。学問も目付から遠慮を云付られると云ふほどでなければならぬ。さてここの様な課程と云ふことが名人の上にはないことぞ。直方先生などにはない。程門にもこのやふなことはな井。あの衆はそのやふな弟子彫めいたことはない筈じゃ。委いよふなれども、中人はいろはを何遍かくと云ふで能書になる。今日は打捨と云ふ其端的が間断。そこかくついりになる。そらの曇るは雲のこと。日月にくもることはない。
【解説】
「學業則須是嚴立課程。不可一日放慢」の説明。学問は、課程を立てて、それを間断なくする。但し、課程は名人にはないことで、直方先生や程門などにそれはない。
【通釈】
「立課程」。これらが一修行をしてみた者には覚えのあること。念仏もこれほどに唱えなければならないと言う。それでなければ親切ではない。子供も何十遍も読むというのでよい。課程のない学問は行燈を蹴破った様なものでしっかりとしない。私の社中の人も、訓門人会も旧臘に欠会となるべき処、今春まで残って遅くなった。自分は構わないのでどうでもよいことだが、何やら何事も遅くなった様である。これは課程を破ったからである。公用であれば、この様なことが遅くなっては目付から察当がある。学問も目付から遠慮を言い付けられるというほどでなければならない。さてここの様な課程ということは名人の上にはないこと。直方先生などにはない。程門にもこの様なことはない。あの衆にその様な弟子彫めいたことはない筈。委い様だが、中人はいろはを何遍も書くので能書になる。今日は打ち捨てると言う端的が間断。そこが窟入りになる。空が曇るのは雲のこと。日月に曇ることはない。
【語釈】
・旧臘…去年の一二月。

○毎日書経を読む。子書は老荘のるいぞ。これをみれば力のないうちは迷ふが、我に定見あれば致知挌物のためになる。子類をよんでもよいと云ふ読みやふがある。大学論吾をよくよめば読でもよい。○精熟が大事。心をとめてよむと我がものになる。大勢人のあつまる処で大勢に近付になるとわするる。ををく書を見ればわすれる。大勢近付になりても、その内であれを聟にしよふと思へはせ井恰好も顔のやふすも覚へる。玉しいを入れると覚へるものぞ。こことぎろりと見れば一生わすれぬ。○読取は俗語。ただ読と云ことなり。識取と云字もあり、合点すること。取と云字はない心なれどもよい字なり。読みずててぬけてゆくでないこと。読と云に取と云字のあるで、云へばして取た意なり。
【解説】
「毎日須讀一般經書一般子書。不須多。只要令精熟。須靜室危坐讀取二三百遍。字字句句須要分明」の説明。大学論語をよく読めば、老荘の書を読んでも迷うことはない。読書には「精熟」が大事で、魂を入れて見ると覚える。読むことに取るという字があるのがして取るという意である。
【通釈】
毎日書経を読む。子書は老荘の類。これを見れば力のない内は迷うが、自分に定見があれば致知格物のためになる。子類を読んでもよいと言うのには読み様がある。大学論語をよく読めば、それを読んでもよい。「精熟」が大事。心を止めて読むと自分のものになる。大勢人が集まる処で大勢に近付きになると忘れる。多くの書を見れば忘れる。大勢近付きになっても、その内からあれを婿にしようと思えば背恰好も顔の様子も覚える。魂を入れると覚えるもの。ここだとぎろりと見れば一生忘れない。「読取」は俗語で、ただ読むということ。識取という字もあり、合点すること。取という字はない筈のことだが、よい字である。読み捨てて抜けて行かないこと。読に取という字があるのが、言えばして取ったという意である。

○前三五授云々。五十遍も七十遍もよむがよ井、と。さてかふよむ人はな井ぞ。○誦は声をあげてよむこと。声をあげてよめばうろんがない。大人になってのことゆへ子共のときのやふではない筈。ただふくすではない。知れぬ処はきくなり。○従容規戒云々。これがのふてはならぬものぞ。師は筋を付てわたし、道案内をしらせるやふなもの。それをかしこまったと云ふて行く、その道に道草がある。規戒は、さてそなたのはわるいと云ふ。師に聞たことを筋ちか井をする。さて筋ちかいを戒めるは朋友なれとも、我か方がきれ子は知も行もならぬ。手前の方からのばづみでなければとかくならぬ。
【解説】
「又毎日須連前三五授、通讀五七十遍。須令成誦。不可一字放過也。史書毎日須讀取一卷或半卷以上、始見功。須是從人授讀、疑難處便質問、求古聖賢用心、竭力從之。夫指引者、師之功也。行有不至、從容規戒者、朋友之任也。决意而往、則須用己力。難仰他人矣」の説明。声を上げて読めば胡乱がない。わからない処は聞く。師が導くのだが、弟子が筋違いをするもの。自分に力がなければ知も行もうまく行かない。
【通釈】
「前三五授云々」。五十遍も七十遍も読むのがよい。しかし、この様に読む人がいない。「誦」は声を上げて読むこと。声を上げて読めば胡乱がない。大人になってのことなので子供の時の様ではない筈。ただ復誦するのではない。わからない処は聞く。「従容規戒云々」。これがなくてはならない。師は筋を付けて渡す。それは道案内を知らせる様なもの。それを畏まったと言って行くのだが、その道に道草がある。「規戒」は、さて御前のは悪いと言うこと。師に聞いたことを筋違いをする。さて筋違いを戒めるのは朋友だが、自分の方が切れなければ知も行もうまく行かない。自分の方からの弾みでなければ、とかくうまく行かない。


嘉言87
○呂氏童蒙訓曰、今日記一事、明日記一事、久則自然貫穿。今日辨一理、明日辨一理、久則自然浹洽。今日行一難事、明日行一難事、久則自然堅固渙然冰釋、怡然理順。久自得之。非偶然也。
【読み】
○呂氏童蒙訓に曰く、今日一事を記し、明日一事を記し、久しければ則ち自然に貫穿す。今日一理を辨じ、明日一理を辨じ、久しければ則ち自然に浹洽す。今日一難事を行い、明日一難事を行い、久しければ則ち自然に堅固す。渙然として冰釋け、怡然として理順う。久しくして之を自得す。偶然に非ざるなり。

○呂氏童蒙訓曰云々。呂氏雜説と云ものがある。前の語はその内にあるゆへ呂舎人と出し、ここにもまた出すがぶんの人ではない。此章の語、今きひてはなんのこともない語なれとも、漢唐の間、ひとつほよりにしてもない。大学中庸を見だされたが明道伊川の道統をつがれた処ぞ。漢唐の間、いっちよいが董仲舒・韓退之。大切なよいことは云はれたれども、致知挌物の入り口ちになると云ことをしらぬ。又、呂本仲はあの宋に生れられて大学を見られたものゆへ、こふ云ふことを云はれた。この語立が宋てのふてはとんと云はれぬことなり。致知格物が入り口と云ふても、物と云ふを一つつづはきはめられられぬゆへ、天下中と云へば九十九里を大手をひろげてどふしやふこふしよふと云やふなもの。かかりようがない。致知格物はさしあたることを知ることなり。
【解説】
「呂氏童蒙訓曰」の説明。この様な語は漢唐の間ではない。董仲舒や韓退之でも致知格物が学問の入口になるということを知らなかった。呂本中が宋に生まれて大学を見たので、この様なことを言われたのである。致知格物は差し当たることを知ること。
【通釈】
「呂氏童蒙訓曰云々」。呂氏雑説というものがある。前条の語はその内にあるので呂舎人と出し、ここにもまた出すが別人ではない。この章の語は、今聞いては何事もない語だが、漢唐の間では一粒選りにしてもないもの。大学中庸を見出されたのが明道伊川の道統を継がれた処。漢唐の間で一番よいのが董仲舒と韓退之。大切なよいことは言われたが、致知格物が入口になるということを知らない。また、呂本中はあの宋に生まれられて大学を見られたので、こういうことを言われた。この語立てが宋でなければ全く言えないこと。致知格物が入口だと言っても、物を一つずつ決めることはできないから天下中のことだと言うのは、九十九里を大手を広げてどうしようこうしようと言う様なもの。それでは掛かり様がない。致知格物は差し当たることを知ること。

○今日記一事云々。致知格物もわるくこころへるとむだなことをする。今日記一事云々が面白ことで、毎日しらぬ処を見るよふなもの。そのたびに胸がそろり々々々とひらける。子共の知惠のひらけるがそれ。そろり々々々としたがひとつになるとよ井。某も初めてここへきたときは七藏家内の者より外知らぬが、それから鄰を知り、この比は村中の者を知りてをる。これも来た日から村中をしらふとてはならぬ。凡天下之物と初から云ふと狂乱するよふになる。一日に二十人近付になりては顔も覚へられぬ。格物はいそいでならず、ををさっはいでもならぬ。いそがずたまかにすること。事からさとるも理からさとるも同しことなり。事をすまして理を弁し、理をすまして事をきめることもある。医者の上手になるやふなもの。なにもかもひとつになって、それから上手になる。○貫は一文銭をため々々してさしへさすゆへ穿と云ふなり。
【解説】
「今日記一事、明日記一事、久則自然貫穿。今日辨一理、明日辨一理、久則自然浹洽」の説明。格物は急いではならず、大雑把でもならない。「今日記一事」である。また、事を済ますのも理を弁じるのも、悟ることでは同じである。
【通釈】
「今日記一事云々」。致知格物も悪く心得ると無駄なことをする。今日記一事云々が面白いことで、それは、毎日知らない処を見る様なもの。その度に胸がそろりそろりと開ける。子供の智恵の開けるのがそれ。そろりそろりとするのが一つになるとよい。私も初めてここへ来た時は七蔵の家内の者より外は知らなかったが、それから隣を知り、この頃は村中の者を知っている。これも来た日から村中を知ろうとしてはできない。初めから「凡天下之物」と言うと狂乱する様になる。一日に二十人に近付きになっては顔も覚えられない。格物は急いではならず、大雑把でもならない。急がず実直にするのである。事から悟るのも理から悟るのも同じこと。事を済まして理を弁じ、理を済まして事を決めることもある。それは医者が上手になる様なもの。何もかも一つになって、それから上手になる。「貫」が一文銭を貯めて銭差に差すのことなので「穿」と言う。
【語釈】
・七藏…鵜澤七蔵。鵜澤由齋の子。大網白里町清名幸谷の人。

○今日行一難事云々。行の上はせつな井ことをしならふでなければならぬ。灸はからだへ火を付るゆへこらへられぬ。行も気質や欲でこらへられぬ。病身者が一日巨燵に居ても、火事と云ふとそふしてはをられぬゆへ出る。さて出たとてぢきに風もひかぬもの。難事も仕付ると丈夫になる。歴々の御身分になると毎日医者が脉を伺ふ。泰平の目出度ことなれども、そふした仕こみゆへ堅固にない。ならぬことをしつけ々々々するとよ井。ここが效で云ふたもの。今しよふと云ふは修行ゆへ、知も行も骨の折れること。それがしま井にはひとつになる。○渙然云々は、春になると東風が吹てほっこりとなって冰もとけてくる。学問もにこ々々するよふでなければうれしくな井。にぎりこぶして子む井目を子むらずにをりたが、つひにっこりとするやふになる。論吾の学而に不悦乎と云ふがこれ。弓射る人のゆがへりのするやふなもの。弓がへりをさせやふとてもならぬこと。茶湯もいつ迠もにきりこぶしてするやふではないぞ。○非偶然。受合の口上なり。ひょ井としたことではない。思ひもよらぬと云ふことはない。修行さへすれはよい。畠の野菜もよく出来たとき、さてそなたの牛房はよふ出来た、どふしてこふ出来たと云ふとにこ々々笑て、はてこしらへやふがちごふと云。非偶然也。
【解説】
「今日行一難事、明日行一難事、久則自然堅固渙然冰釋、怡然理順。久自得之。非偶然也」の説明。行は気質や欲によって障えられるが、それでも難しい事を仕付ける。知も行も骨の折れることだが、これで最後には一つになってにっこりとなる。これは偶然のことではない。
【通釈】
「今日行一難事云々」。行の上は切ないことをし習うのでなければならない。灸は体に火を付けることのなので堪えられないものだが、行も気質や欲で堪えられないもの。病身者が一日中炬燵にいても、火事と言うとそうしてはいられないので出る。さて出たとしても直ぐに風邪も引かないもの。難事も仕付けると丈夫になる。歴々の御身分になると毎日医者が脈を伺う。それは泰平の目出度いことだが、そうした仕込みなので「堅固」でない。難しいことを仕付けるとよい。ここは効で言ったもの。今しようというのは修行なので、知も行も骨の折れること。それが最後には一つになる。「渙然云々」は、春になると東風が吹いてほっこりとなって氷も解けて来る。学問もにこにこする様でなければ嬉しくない。握り拳をして眠い目を眠らずにいたのが、ついにっこりとする様になる。論語の学而で「不説乎」と言うのがこれ。これが、弓を射る人の弓返りのする様なもの。弓返りをさせようとしてもできない。茶湯もいつまでも握り拳でするものではない。「非偶然」。受け合った口上である。ひょいとしたことではない。思いも寄らないということはない。修行さえすればよい。畠の野菜もよくできた時に、さて貴方の牛蒡はよくできているが、どうしてこの様にできたのかと聞かれると、にこにこと笑って、さて拵え様が違うと言う。「非偶然也」である。
【語釈】
・不悦乎…論語学而1。「子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎」。


嘉言88
○前軰嘗説、後生才性過人者、不足畏。惟讀書尋思推究者、爲可畏耳。又云、讀書只怕尋思。蓋義理精深、惟尋思用意、爲可以得之。鹵莾厭煩者、决無有成之理。
【読み】
○前軰嘗て説く、後生才性人に過ぐる者は、畏るるに足らず。惟書を讀み尋ね思い推し究むる者を畏る可しと爲すのみ、と。又云う、書を讀むは只尋ね思うを怕る、と。蓋し義理の精深なる、惟尋ね思い意を用いて、以て之を得可しと爲す。鹵莾[ろもう]にして煩を厭う者は、决して成る有るの理無し。

○前軰嘗説云々。誰が云たことか、前に云たこととみへる。○後生はわか井者のこと。○才性過人は、もちまへの働が人にすぎて大抵なわか井者ではないと云ふ、人の上に立つきれものがある。ただの者ではないとこれをふ井ちゃうする。されどもそれは不足畏也。これは学者の方から云ふことなり。たた才性過人たとてこはくもなんともな井はどふなれば、一通りならぬ生付と云ふても、それぎりでしまふゆへこわくない。兎角学問をするものがこは井。学問をすればそれからは垩賢の地位にもいたる。私はこれほどに思ふがまだこんなことではあるまいと、垩賢を相手にして垩賢ぐる井をする。学問をせぬ者はかしかふてもそれぎり。才性過人はゆつり金をしまふてをくやふなもの。金が死でをる。
【解説】
「前軰嘗説、後生才性過人者、不足畏」の説明。才性の過ぎた若者は畏れるには足りない。それは生まれ付きだけで終えるからである。学問をする者が恐い。
【通釈】
「前輩嘗説云々」。誰かが言ったことか、前に言ったことと見える。「後生」は若い者のこと。「才性過人」は、持前の働きが人に過ぎて大抵な若者ではないということで、その様な人の上に立つ切れ者がいる。ただの者ではないとこれを吹聴する。しかし、それは「不足畏也」。これは学者の方から言うこと。ただ才性過人などは恐くも何ともないのはどうしてかと言うと、一通りでない生まれ付きだとは言っても、それぎりで終わるので恐くないのである。とかく学問をする者が恐い。学問をすればそれからは聖賢の地位にも至る。私はこれほどに思っていたがまだこんなことではないだろうと、聖賢を相手にして聖賢狂いをする。学問をしない者は賢くてもそれぎり。才性過人は譲り金をしまって置く様なもの。金が死んでいる。

○尋思はさっ々々とかせぐやふなもの。かせく人のはどのやふな身代になるもしれぬ。孔子の後生可畏も気質を云ふたことではない。文七などはうすどんなものと云ををか、書をよんで尋思ふゆへ、わるふすると今歴々の口をきく者も事によりてはとってなげらるるであらふ。ここは学問の功を云ふことぞ。もちまへはそれぎりなもの。こちにはものがある。才力はなるほど及はれぬが、自箇流の才力ゆへ、一つふみはずすと紙子を着て川へはまるよふなことをする。角力も手を知らぬとち井さな男にもなげられる。学問をせぬ才性の過人たは、素人か功者に医者の咄しをするよふなもの。それでも療治はならぬ。書を読でなふては夲のことはならぬ。学者もしり々々とするがよ井。味池儀平はきれぬよふな人なれともよく尋思ふたゆへ、あの大口ちな彦明が死た後迠儀平様々々々と云ふた。とかくきよふでをさぬことぞ。精深でなければならぬ。○鹵莾はばっとしたこと。吾友の妄りに直方先生の説を感するも損と德がある。直方先生や迂斉の語は人を悚動するゆへ、一ち二語覚へてそれでをしてとをろふとすると、しまいにはばっとしてくる。一字々々に字彙て引くやふなが煩なり。きよふばせてはならぬ。
【解説】
「惟讀書尋思推究者、爲可畏耳。又云、讀書只怕尋思。蓋義理精深、惟尋思用意、爲可以得之。鹵莾厭煩者、决無有成之理」の説明。読書をして、尋ね思うのがよい。直方先生の説を感ずるにも損と得とがある。じっくりと尋ね思うのがよく、器用に馳せてはならない。
【通釈】
「尋思」はさっさと稼ぐ様なもの。稼ぐ人はどの様な身代になるかも知れない。孔子が「後生可畏」と言ったのも気質を言ったことではない。文七などを薄鈍者と言うが、書を読んで尋ね思うので、悪くすると今歴々の口を利く者も事によっては取って投げられることだろう。ここは学問の功を言ったこと。持前はそれぎりなもの。こちらにはものがある。才力はなるほど及ばないが、自己流の才力なので、一つ踏み外すと紙子を着て川へ嵌る様なことをする。角力も手を知らないと小さな男にも投げられる。学問をしない才性の過ぎた人は、素人が巧みに医者の話をする様なもの。それでは療治はできない。書を読むのでなければ本当のことはできない。学者もじっくりとするのがよい。味池儀平は切れない様な人だったがよく尋ね思ったので、死んだ後まであの大口な彦明が儀平様と言っていた。とかく器用で押さないこと。「精深」でなければならない。「鹵莾」はばっとしたこと。私の友が妄りに直方先生の説を感ずるが、それにも損と得とがある。直方先生や迂斎の語は人を悚立するので、一二語覚えてそれでをして取ろうとすると、最後はばっとして来る。一字一字を字彙で引く様なことが「煩」。器用に馳せてはならない。
【語釈】
・後生可畏…論語子罕22。「子曰、後生可畏。焉知來者之不如今也。四十五十而無聞焉、斯亦不足畏也已」。
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。
・味池儀平…味池修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。
・彦明…唐崎彦明。名は欽。金四郎と称す。安芸竹原の人。竹原先生。唐崎清繼の第四子。辛齋の弟。長嶋藩に仕える。宝暦6年(1756)4月24日没。年43。三宅尚斎門下。
・悚動…「悚立」ともある。悚立とした。


嘉言89
○顔氏家訓曰、借人典籍、皆須愛護、先有缺壞、就爲補治。此亦士大夫百行之一也。濟陽江祿讀書未竟、雖有急速、必待卷束整齊、然後得起。故無損敗。人不厭其求假焉。或有狼籍几案、分散部秩、多爲童幼婢妾所點汚、風雨蟲鼠所毀傷、實爲累德。吾毎讀聖人之書、未嘗不肅敬對之。其故紙有五經詞義及聖賢姓名、不敢他用也。
【読み】
○顔氏家訓に曰く、人の典籍を借らば、皆須く愛護し、先ず缺壞[けっかい]有らば、就きて爲に補治すべし。此れ亦士大夫百行の一なり。濟陽の江祿は、書を讀みて未だ竟らざれば、急速有りと雖も、必ず卷束整齊を待ちて、然して後に起つことを得。故に損敗無し。人其の求め假るを厭わず。或は几案に狼籍し、部秩に分散すること有らば、多く童幼婢妾に點汚せられ、風雨蟲鼠に毀傷せらるるを爲し、實に德を累すと爲す。吾毎に聖人の書を讀み、未だ嘗て肅敬して之に對せずんばあらず。其の故紙に五經の詞義及び聖賢の姓名有らば、敢て他に用いざるなり。

○顔氏家訓曰云々。これ迠書物の見やふを云。ここは書物を大事にすること。書物を大事にすると云はすへなことなれとも、ここが道理の存すること。書物を大切にするはどふなれば、垩賢の道が書物にのりてあるゆへ、そこで一通の諸道具のやふにすることではない。學者の弊は道理を知ると気象か活大になって、なに書物がとそまつにする。それを戒める。○愛護は大事にすること。愛はをしむとよみ、しわい者の金ををしむやふな意なり。護は守りをするやふな意なり。借りた書をけつれもせぬやふにする。外題紙のはなれたをはるやふにする。人の行にもいこう段格のあること。そのこれが一つなり。急な用あると、それをよみしまふてもとの処へしまふて出る。そふするゆへ、人もあそこへ借すは内にしまってをくも同じことしゃと云ふ。
【解説】
「顔氏家訓曰、借人典籍、皆須愛護、先有缺壞、就爲補治。此亦士大夫百行之一也。濟陽江祿讀書未竟、雖有急速、必待卷束整齊、然後得起。故無損敗。人不厭其求假焉」の説明。書物には道理が備わっている。学者は道理を知ると気象が活大になって書物を粗末にしがちだが、そこを戒める。
【通釈】
「顔氏家訓曰云々」。これまでは書物の見方を言い、ここは書物を大事にすることを言う。書物を大事にするというのは末なことだが、ここに道理が存する。書物を大切にするのは何故かと言うと、聖賢の道が書物に載ってあるので、そこで書物は一通りの諸道具の様にするものではない。学者の弊は道理を知ると気象が活大になって、何、書物がと粗末にする。それを戒める。「愛護」は大事にすること。愛は愛しむと読み、吝い者が金を愛しむ様な意である。護は守りをする様な意である。借りた書を毛擦れもしない様にする。外題紙の離れたのを貼る様にする。人の行にも大層違いがある。これがその一つである。急な用があると、それを読んでしまい、元の処へしまって出る。そうするので、人もあそこへ借すのは内にしまって置くのも同じことだと言う。

○部秩云々。語類の中に論吾かあり、文集の中に古文の前集があると云ていなり。丁と今の町家など道落者の内に、八文字屋の夲の上に浄瑠理本などがとりちらしてある。学者にもそれがありたかる。吾黨の学者が英雄豪傑の真似をしたがるゆへ、やりばなしをするが出来たことのやふに思ふぞ。誰でも親の位牌が萱小屋にありてははっと思ふであらふぞ。垩賢の書も道理がそなわってある。それをこのやふにすれば德を累はすなり。○其故紙云々。反古の中に五経をと井た説など筆記の切れや、孔子の尭舜のと云ふ字を書た紙を喜世流の掃除にはせぬはつ。瑣細なことなれとも、高ひ学者がかまわぬ。それがわるい。
【解説】
「或有狼籍几案、分散部秩、多爲童幼婢妾所點汚、風雨蟲鼠所毀傷、實爲累德。吾毎讀聖人之書、未嘗不肅敬對之。其故紙有五經詞義及聖賢姓名、不敢他用也」の説明。聖賢の書を粗末にするのは徳を累わすものである。五経の語や孔子・堯舜の字が書いてある切れ端を煙管の掃除に使うことはない筈。
【通釈】
「部秩云々」。語類の中に論語があり、文集の中に古文の前集があるという体である。丁度今の町家などの道楽者の家で、八文字屋の本の上に浄瑠璃本などが取り散らかしてあるが、学者にもそれがあるもの。我が党の学者が英雄豪傑の真似をしたがるので、遣り放しをするのが優れたことの様に思う。しかし、誰でも親の位牌が萱小屋にあってははっと思うだろう。聖賢の書に道理が備わっている。それを遣り放しにすると徳を累わす。「其故紙云々」。反古の中に五経を説いた説などの筆記の切れ端や、孔子や堯舜という字が書いてある紙を煙管の掃除に使うということはない筈。瑣細なことだが、高い学者がそれを構わない。それが悪い。
【語釈】
・八文字屋…江戸時代の版元。
・反古…書画などを書き損じた不用の紙。


嘉言90
○明道先生曰、君子敎人有序。先傳以小者近者、而後敎以大者遠者。非是先傳以近小、而後不敎以遠大也。
【読み】
○明道先生曰く、君子人を敎うるに序有り。先とし傳うるに小なる者近き者を以てして、而して後に敎うるに大なる者遠き者を以てす。是れ先ず傳うるに近小を以て、而して後敎うるに遠大を以てせざるに非ざるなり。

○明道先生曰云々。朱子の小學の御編集をなされるに、再応の御手がまわらぬそふなり。この章も始めの廣立教の中にある筈。それがついここへ出たものなりと先軰の説あり。此章、人を教るに作意のないことを云ふ。教も腹中へ相応でなければゆかぬ。乳を呑む子共に親とひとつものは食はせられぬ。可愛く思ても相応なものを食はせ子ばならぬ。この方からどふするのこふするのと云ふことはな井。着物を人に着せるやふなもの。向に合ふゆきたけがある。小学校へ入れをいて、大学はとってをくことではないが、大学に入る人でなふては教られぬ。能書が子共にいろはを書てやる。初て来る子共にむつかしいことをかいてはやられぬ。向の習ふ時分がある。さて先軰の説の通り、ここにあるはづの語てはないが、されとも上の大学孔氏遺書から書の見やふを云、それから教の次第あるを示し、此次の異端へかけるなれば、やはりこのままで次の章へををばもある。学者と云ふ者が一夜檢挍ではない。即心則佛のと云やふなことはない。垩人の道にはない。一はしごづつのほるから上野の中堂へものぼる。羽のはへて飛ぶやふなことはないぞ。
【解説】
人を教えるには序がある。向こうに習う時分がある。子供には子供に合った教えがよい。大学に入る人でなければ遠大なことを教えることはできない。
【通釈】
「明道先生曰云々」。朱子が小学の御編集をなされるのに、再応の御手が回らなかったそうである。この章も始めの広立教の中にある筈。それがついここへ出たものだとする先輩の説がある。この章は人を教えるのに作意はないことを言う。教えも腹中へ相応でなければうまく行かない。乳を呑む子供に親と同じものは食わせられない。可愛く思っても相応なものを食わせなければならない。こちらからどうするのこうするのということはない。それは着物を人に着せる様なもの。向こうに合った裄丈がある。小学校へ入れて置いて、大学は取って置くことではないが、大学に入る人でなければ教えられない。能書が子供にいろはを書いて遣る。初めて来る子供に難しいことを書いては遣れない。向こうに習う時分がある。さて先輩の説の通り、ここにある筈の語ではないが、しかし、上の「大学孔氏之遺書」から書の見方を言い、それから教えの次第があることを示し、この次の異端へ掛けるのであれば、やはりこのままでも次の章へ合う場もある。学者は一夜検校ということではない。即心則仏という様なことはない。それは聖人の道にはない。梯子を一つずつ昇るから上野の中堂へも昇ることができる。羽が生えて飛ぶ様なことはない。
【語釈】
・大学孔氏遺書…小学外篇嘉言81を指す。
・一夜檢挍…江戸時代、千両の金を納めて、にわかに検校になったもの。転じて、にわかに富裕となること。


嘉言91
○明道先生曰、道之不明、異端害之也。昔之害近而易知、今之害深而難辨。昔之惑人也、乗其迷暗。今之入人也、因其高明。自謂之窮神知化、而不足以開物成務。言爲無不周徧、實則外於倫理。窮深極微而不可以入堯・舜之道。天下之學非淺陋固滯、則必入於此。自道之不明也、邪誕妖妄之説競起、塗生民之耳目、溺天下於汙濁。雖高才明智膠於見聞、醉生夢死不自覺也。是皆正路之蓁蕪、聖門之蔽塞。闢之、而後可以入道。
【読み】
○明道先生曰く、道の明かならざるは、異端之を害すればなり。昔の害は近くして知り易く、今の害は深くして辨え難し。昔の人を惑わすや、其の迷暗に乗る。今の人に入るや、其の高明に因る。自ら之を神を窮め化を知ると謂いて、以て物を開き務を成すに足らず。言は周徧ならざること無しと爲して、實は則ち倫理を外にす。深きを窮め微なるを極めて以て堯・舜の道に入る可からず。天下の學淺陋固滯に非ざれば、則ち必ず此に入る。道の明かならざるにより、邪誕妖妄の説競い起り、生民の耳目を塗り、天下を汙濁に溺らす。高才明智と雖も見聞に膠[こう]して、醉生夢死して自ら覺らざるなり。是れ皆正路の蓁蕪、聖門の蔽塞なり。之を闢きて、而して後に以て道に入る可し。

○明道先生曰云々。外篇のあんばい、さて々々面白ひことぞ。幸田翁が、をれはとかく外篇をよむ。外篇がよいと云はれたが、そふであろふぞ。外篇は手近ひことで高くもなる。若い御旗本衆にきかせるによ井筈ぞ。それは幸田の仕覚へたものなり。頃日も段々外篇を講し来て幸田のことを思出した。学者へ井るにぶんな療治のききかけんがある。三代には書物はない。よく々々あって詩経書經なり。後世はつっかけが書を読むより外仕方はない。そこで書をよむが敬身のぎり々々になる。身をよくするに書物より外はとんとな井。鋸かんながなくては大工のならぬやふなもの。書物を読と云ふでなければ学問はならぬ。ときにそこへ邪魔をするものがある。その邪魔をするものが異端なり。
【解説】
「明道先生曰、道之不明、異端害之也」の説明。後世は書物からでなければ学問に入る仕方はない。しかし、その邪魔をするのが異端である。
【通釈】
「明道先生曰云々」。外篇の塩梅が実に面白い。幸田翁が、俺はとかく外篇を読む。外篇がよいと言われたが、その通りだろう。外篇は手近いこと。それで高くもなる。若い御旗本衆に聞かせるのにはよい筈である。それは幸田の仕覚えたもの。先日から段々と外篇を講じて来て幸田のことを思い出した。学者へ入るには特別な療治の効き加減がある。三代に書物はない。よくよくあったとしても詩経や書経である。後世は、学問の取り掛かりは書を読むより外に仕方はない。そこで書を読むのが敬身のぎりぎりになる。身をよくするには書物より外は全くない。それは、鋸や鉋がなくては大工の仕事ができない様なもの。書物を読むというのでなければ学問はできない。時にそこへ邪魔をするものがある。その邪魔をするものが異端である。
【語釈】
・幸田翁…幸田誠之。晩に精義と改める。字は子善。善太郎と称す。江戸の人。幕臣。寛政4年(1792)2月9日没。年73。私諡は穆靖。野田剛斎門下。

宋朝の儒者がとんと異端にさらわれてしまうた。呂舎人も大学の筋も呑込れたが、しまいにはつい仏法に胴腹をずぼんとしてやられた。程門にも上蔡も仏のかぶれがあり、游定夫もかぶれがある。明道のこのやふなことを云はっしゃる口の下から、倍其師説而淫老仏者又有之也。中々上総や江戸ではやる仏法のやふなことではない。あの方も漢の明帝の時に仏法始めて渡り、それから三國西晋の頃迠は、心あるものはかたはらいたく思ふこと。七難即滅などと云ふて、わるいことをすると地獄へ落ちると云ひ、大力金剛の閻魔十王のと云ふが、後世明道の時分のは中々そんなことではない。梁の時達磨か来て、それから仏法か大きく高くなり、それから六祖の臨済偽山曹の洞の德山大彗のと云ふが出て、いやはやよってもつかれぬ禅僧ともができ、彼の本来の面目を云ふところが垩人の太極を云に似たことぞ。こちで理の形な井ことを云へば、あちでは何もないところを云ゆへ、彌近理而大乱眞也。幸なことには今日日本の仏法などにはこれはとんとな井。明道の昔と云ふが、今の上総や江戸の作法がこれなり。
【解説】
「昔之害近而易知、今之害深而難辨。昔之惑人也、乗其迷暗」の説明。宋儒がすっかりと異端に被れた。異端が初めて中華に入ったころは、悪いことをすると地獄に落ちるなどと詰まらないことを言っていたが、梁の時に達磨が来て、それから仏法が大きく高くなり、高僧も出て、本来の面目などと言うので侮れないものとなった。
【通釈】
宋朝の儒者がすっかりと異端に攫われてしまった。呂舎人も大学の筋も呑み込まれたのだが、最後はつい仏法に胴腹をずぼんとして遣られた。程門でも上蔡も仏の被れがあり、游定夫にも被れがある。明道がこの様なことを言われた口の下から、「倍其師説而淫於老仏者又有之矣」。これが上総や江戸で流行る仏法の様なことでは中々ない。中華でも漢の明帝の時に仏法が初めて渡り、それから三国西晋の頃までは、心ある者は片腹痛く思っていた。七難即滅などと言って、悪いことをすると地獄へ落ちると言い、大力金剛や閻魔十王がと言っていたが、後世明道の時分は中々その様なことではない。梁の時に達磨が来て、それから仏法が大きく高くなり、それから六祖、臨済偽山曹の洞の徳山大慧のという者が出て、いやはや寄り付きもできない禅僧共ができて、彼の本来の面目を言うところが、聖人が太極を言うの似たもの。こちらで理に形のないことを言えば、あちらでは何もないところを言うので、「彌近理而大乱真矣」。幸いなことには今日の日本の仏法などにこれは全くない。明道が昔と言うのが、今の上総や江戸の作法がこれ。
【語釈】
・倍其師説而淫老仏者又有之也…中庸章句序。「至其門人所自爲説、則雖頗詳盡而多所發明、然倍其師説而淫於老佛者、亦有之矣」。
六祖の臨済偽山曹の洞の德山大彗の
・彌近理而大乱眞也…中庸章句序。「則吾道之所寄不越乎言語文字之閒、而異端之説日新月盛、以至於老佛之徒出、則彌近理而大亂眞矣」。

○今之入人也云々。一通りでなく、中庸にある高明なり。欲のなく高上な人がとかく仏法が面白くなって一味くわへたくなる。學問をせずさみするものの迷ふは邪魔にはならぬか、高ひ人が迷ふ。○自謂之窮神云々。仏者の云ふことではな井。易にある孔子の語とすこしかわりた。明道は、そらだめて云はれるゆへこふ云たもの。○神は、理の灵妙なはかられぬことを云ふ。○化は造化で、春か夏になり、夏か秋になり、秋が冬になる。あれはどうしてああなると云ふ根を知ること。これが儒者の大事の処。あの方でも心か形がないゆへにたことを云。本来面目も不生不滅を云て、あちでそれをこの方の窮神知化の筋のことに仕成す。そのなりは似たやふなれども、この方には開物成務と云ことがある。それがならぬからはこちのとはちごふと云ことなり。垩人が天下の人に教をし、万物かひらける。后稷が民に稼穡を教られた。天は教ることならぬゆへ、上たる人がつくらせて、そふしてさばく。それで天下の用がたりる。窮神知化方は似たやふなふりに云なすが、開物云々ができま井。横渠の畀之一銭則必乱と云はれた。釋迦は煩はしき堪へざる人じゃと朱子云へり。初発心が、ああ妻子はきたない、父母はうるさい。雪山へにげた。開物成務ためにはならぬことなり。あれも太子ゆへ逃けたあとで王を立てたであらふ。そふなければ国がつぶれてしまふ。太極に形の無を云ふときは似たやふで役にたたぬ。自謂は思と云意なり。あちの心底をこめて云ふ。こふ云ふ気てあろふが、不足以開物成務也。心いきたたりて云たもの。
【解説】
「今之入人也、因其高明。自謂之窮神知化、而不足以開物成務」の説明。高明な人が仏に迷う。仏は本来の面目と言って、それをこちらの窮神知化の筋にするが、こちらで言う開物成務が仏にはない。太極に形のないことを言うのは似ているが、開物成務がないのは悪い。
【通釈】
「今之入人也云々」。一通りなことでなく、中庸にある「高明」である。欲がなくて高上な人が、とかく仏法が面白くなって一味を加えたくなる。学問を軽んじてしない者は迷って邪魔になることはないが、高い人が迷う。「自謂之窮神云々」。これは仏者で言うことではない。易にある孔子の語とは少し変わっているが、明道はそらだめで言われるのでこの様に言ったもの。「神」は、理の霊妙な計られないことを言う。「化」は造化で、春が夏になり、夏が秋になり、秋が冬になる。あれはどうしてああなるという根を知ること。それが儒者の大事の処。あの方でも心は形がないので似たことを言う。本来の面目も不生不滅を言い、それをあちらではこちらの窮神知化の筋のことに仕成す。その様子は似ている様だが、こちらには「開物成務」ということがある。それができないからはこちらのとは違うということ。聖人が天下の人に教えをして万物が開ける。后稷が民に稼穡を教えられた。天は教えることができないので、上にある人が作らせて、そうして捌く。それで天下の用が足りる。窮神知化の方は似た様な振りに言い成すが、開物成務はできないだろう。横渠が「畀之一銭則必乱」と言われた。釈迦は煩わしい堪えざる人だと朱子が言った。初発心が、ああ妻子は汚い、父母は煩いとして雪山へ逃げた。それでは開物成務のためにはならない。あれも太子だったので逃けた後で王を立てたことだろう。そうでなければ国が潰れてしまう。太極に形のないことを言う時は似ている様でも、それでは役に立たない。「自謂」は思うという意で、あちらの心底を込めて言う。この様に言う気だろうが、「不足以開物成務」である。心意気に祟って言った。
【語釈】
・中庸にある高明…中庸章句26。「故至誠無息。不息則久、久則徴。徴則悠遠。悠遠、則博厚。博厚、則高明。博厚、所以載物也。高明、所以覆物也」。同27。「故君子尊德性、而道問學、致廣大、而盡精微、極高明、而道中庸」。
・窮神…易経繋辞伝下5。「窮神知化、德之盛也」。
そらだめ
・開物成務…易経繋辞伝上11。「子曰、夫易何爲者也。夫易開物成務、冐天下之道」。
・畀之一銭則必乱…近思録致知71。「釋氏錙銖天地、可謂至大。然不嘗爲大、則爲事不得。若畀之一錢、則必亂矣」。

○周徧は、森羅萬象みな仏法じゃと云ひ、不捨一法などと云ふてなにもかもすてぬと云が、実は則外云々。これからか明道の迹上の断。親だの女房だのと云ふ、それを外にする。父子は俗縁、女房はもたぬと云ふ。周徧ではな井。すききらいが多いぞ。あの方のはふかいことて、急に合点ゆかぬ。尭舜は日用をずか々々してゆく。父子は俗縁などと云ふが尭舜の道へ弓を引くことなり。○天下之学云々。今日にはないこと。宋の人は、役立ぬ学者は論吾にかぶりついて佛にはならぬ。役に立そふなたかい人がなる。流行と云かかわりたもので、晋の世で清談の流行が七賢はかりではない。たれもかれもあのよふなことを云ふ。宋朝で禅学のはやる。躍藝子まで云ひ、酒やの樽ひろ井まで如何なる是れ佛と云ぞ。ならしてみるに、佛にもいらず、垩賢の学にもいらぬ役に立ず古今多し。その役に立ずはかまいはな井。少し片腕になるものがいる。ここが嘆しきなり。
【解説】
「言爲無不周徧、實則外於倫理。窮深極微而不可以入堯・舜之道。天下之學非淺陋固滯、則必入於此」の説明。仏は、森羅万象は皆仏法だと言うが父子や妻を捨てる。仏にも入らず、聖賢の学にも入らない役立たずが古今多いが、役に立ちそうな高い人が仏に被れた。宋朝では禅学が流行った。
【通釈】
「周徧」。森羅万象は皆仏法だと言い、不捨一法などと言って、何もかも捨てないと言うが、「実則外云々」である。これからが明道の迹上の断。親だの女房だのという、それを外にする。父子は俗縁、女房は持たないと言う。それでは周徧ではない。好き嫌いが多い。あの方のは深いことなので、急に合点が行かない。堯舜は日用をずかずかとして行く。父子は俗縁などと言うのが堯舜の道へ弓を引くもの。「天下之学云々」。これが今日にはないこと。宋では、役に立たない学者は論語にかぶり付いているので仏にはならない。役に立ちそうな高い人がなる。流行というのが変わったもので、晋の世の清談の流行は七賢はかりのことではない。誰も彼もがあの様なことを言う。宋朝で禅学が流行ったのが、踊り芸子までが言い、酒屋の樽拾いまでが如何なる是れ仏と言う。均して見ると、仏にも入らず、聖賢の学にも入らない役立たずが古今多い。その役立たずに構うことはない。少し片腕になる者がいる。ここが嘆かわしいこと。
【語釈】
・迹上の断…近思録異端9。「不若且於迹上斷定不與聖人合。其言有合處、則吾道固已有。有不合者、固所不取。如是立定、卻省易」。

○邪誕云々。道理にそむ井たこと。誕はいつわりと云ふこと。釋迦が生れると生れたなりで上と下へ指をさして、天上天下唯我獨尊と云ふたと云。まっかなうそでもあらふが、その道を許大にすること。地獄極楽も今日うばかかの云とはちかふ。先年原の白隠が江戸へ来て地獄極楽を云ふたが、あれが云のはたか井。な井を知りてしゃあ々々々として云ふ。律義眞法ではない。そこをいつはりと云ふ。吐舌などと禅録にある。あとでしゃあ々々々とした顔ぞ。道理にないあやしいことを云ふ。黄蘗が母が黄蘗を追かけて行て大義渡の上て死たれば、死だなとは思ふてもふりかへりても見ぬ。すずと行きたれば、母の身は為男子乗大光明上生夜魔天宮と云ふ。大の邪誕なり。寒山などかたか井ことを云ふてもよくない。出家の名を呼だれば牛か来た。それ牛になったと云ふたことあり。空理ゆへすき次第にいろ々々なことを云ふ。そこで辨じにく井。高ひ方へゆけば卑ひ方へもゆく。
【解説】
「自道之不明也、邪誕妖妄之説競起、塗生民之耳目、溺天下於汙濁」の説明。仏は真っ赤な嘘を平気で言って、彼らの道を大きく見せる。その嘘は自ら知っていて言うのである。道理にない怪しいことを言う。高い方へも卑し方へも行く。
【通釈】
「邪誕云々」。これが道理に背いたこと。誕は偽りということ。釈迦が生まれると生まれたなりで上と下に指を指して、天上天下唯我独尊と言ったと言う。真っ赤な嘘だろうが、これでその道を許大にする。地獄極楽も今日の姥嬶が言うのとは違う。先年原の白隠が江戸へ来て地獄極楽のことを言ったが、あれが言うことは高い。ないことを知っていてしゃあしゃあとして言う。律儀全うではない。そこを偽りと言う。吐舌などと禅録にある。後でしゃあしゃあとした顔をすること。道理にない怪しいことを言う。黄檗の母が黄檗を追い掛けて行って大義渡りの上で死ぬと、死んだなとは思っても振り返っても見ない。ずんずんと行くと、母の身は男子となり、大光明上に乗って夜魔天宮に生まれたと言う。それは大の邪誕である。寒山などが高いことを言ってもそれはよくない。出家の名を呼ぶと牛が来た。それ牛になったと言ったということがある。空理なので好き次第に色々なことを言う。そこで弁じ難い。高い方へ行けば卑い方へも行く。
【語釈】
・原の白隠…江戸中期の臨済宗の僧。名は慧鶴、号は鵠林。駿河の人。若くして各地で修行、京都妙心寺第一座となった後も諸国を遍歴教化、駿河の松蔭寺などを復興したほか多くの信者を集め、臨済宗中興の祖と称された。気魄ある禅画をよくした。1685~1768
・黄蘗…黄檗希運。中国唐代の禅僧。福州閩県の人。百丈懐海に師事した。弟子に臨済義玄がいる。断際禅師。~850頃

○高才明智。この中へは王荊公や東坡もはへりてをる。王荆公は儒者の邪魔になり、天下の政もかきまわした人。東坡は朱子も四書の註にとったほどなことなれとも佛になりた。かはりたもので、佛になると垩賢の書までが佛まじりに見へる。こちがいつともなしに佛法に迷ふてをるゆへ、論吾も佛にみへる。さるによって張無垢が論吾の注をした。湖南の学者の見過知仁の説きやふもすぐに佛なり。どの學者も一生覚悟を開ひた者はない。なぜなれば、あちがたた者ではない。達磨の臨済のと云は影子をみた者ともなり。不案内な者はあの方には道はないと思ふが、道のないものは天地の間にはな井。その道のかけぼしを見付て云ゆへ人を動す。されともかげぼしゆへ、どのやふな顔かしれぬ。道の目や鼻はみぬ。そこで影子なり。
【解説】
「雖高才明智膠於見聞」の説明。仏に被れると聖賢の書までが仏混じりに見える。仏法に迷うので、論語も仏に見える。仏は只者ではないが、彼らは影法師を見ているので、道の姿は見えない。
【通釈】
「高才明智」。この中へは王荊公や東坡も入っている。王荊公は儒者の邪魔になり、天下の政も掻き回した人。東坡は朱子も四書の註に取ったほどだったが仏になった。変わったもので、仏になると聖賢の書までが仏混じりに見える。こちらがいつともなく仏法に迷っているので、論語も仏に見える。そこで、張無垢が論語の注をした。湖南の学者の「観過知仁」の説き様も直ぐに仏である。どの学者も一生覚悟を開いた者がない。それは何故かと言うと、あちらが只者ではない。達磨や臨済は影法師を見た者共である。不案内な者はあの方には道はないと思うが、天地の間に道のないものはない。その道の影法師を見付けて言うので人を動かす。しかし影法師なので、どの様な顔なのかは知れない。道の目や鼻は見えない。そこで影法師である。
【語釈】
張無垢
・見過知仁…論語里仁7。「子曰、人之過也、各於其黨。觀過、斯知仁矣」。

○醉生夢死て一生さとらぬ。覚りが大事。覚りは知惠の本体。向てさとる々々々と云ふが、こちからはさとらぬと云ふ。さとれば親に孝をするはづ。○蓁蕪はとをりの邪魔をするなり。道の明にないゆへ。昔し頼朝の屋敷と云ふても艸だらけ。あちからはふさき、こちからはふさいでをる。それを闢くでなければならぬ。朱子御一生任して佛を排した。その語が語類文集にあり、それを直方先生の集めて排釋彔を作られた。道にいろふとしても邪魔かありては入られぬ。そこてその邪魔をのけてよくすること。敬身のしま井にのるはづなり。嘉言の題下に有物有則を出し、終て異端を辨するで結んだはさて々々なり。
【解説】
「醉生夢死不自覺也。是皆正路之蓁蕪、聖門之蔽塞。闢之、而後可以入道」の説明。仏は覚ると言うが、こちらではそれを覚るとは言わない。仏は道の邪魔をするから、それを闢かなければならない。朱子は一生仏を排することを任じ、直方先生は排釈録を作った。道の邪魔は除ける。
【通釈】
「酔生夢死」で一生覚らない。覚りが大事。覚りは智恵の本体。向こうは覚る覚ると言うが、こちらではそれを覚らないと言う。覚れば親に孝をする筈。「蓁蕪」は通る邪魔をすること。それは道が明でないからである。昔の頼朝の屋敷は草だらけ。あちらから塞ぎ、こちらから塞いでいる。それを闢くのでなければならない。朱子は御一生任じて仏を排した。その語が語類文集にあり、それを直方先生が集めて排釈録を作られた。道に入ろうとしても邪魔があっては入れない。そこでその邪魔を除けてよくする。これが敬身の最後に載る筈のこと。嘉言の題下に「有物有則」を出し、終わりを異端を弁ずることで結んだのが実によい。

右廣敬身。
【読み】
右、敬身を廣む。