稽古第四

孟子道性善。言必稱堯・舜。其言曰、舜爲法於天下可傳於後世。我猶未免爲郷人也。是則可憂也。憂之如何。如舜而已矣。摭往行、實前言、述此篇使讀者有所興起。
【読み】
孟子性善を道う。言えば必ず堯・舜を稱す。其の言に曰く、舜は法を天下に爲して後世に傳う可し。我猶未だ郷人爲るを免れず。是れ則ち憂う可し。之を憂えば如何すべき。舜の如くせんのみ、と。往行を摭[と]り、前言を實にし、此の篇を述べて讀む者をして興起する所有らしむ。

十一月朔日
【語釈】
・十一月朔日…寛政元年(1789)11月1日。

○此の前の立教明倫敬身は道理を説き、此の稽古からは人をみせたものなり。道理を説て其跡て人を見せると云か親切なことそ。道理と云ものは遠国の圖を見るやふなもの。何程明細ても、吾か直に行たとは別なり。稽古は手もなく、あの男は京へ行たと云のなり。それをきいて、そんならをれも行ふと思ひ立つことそ。そこてこれは旗に立つ者をつかまへて云ことなり。中々某なとか長﨑へ行れることてはないと云。東金の親仁なとか行くて、先生微笑して云へり。そこて、そんならをれも行ふと云。偖てこれか上段々を空理屈にせぬことなり。空理屈は役にたたぬ。成程尤なことと思へとも、そふもならぬものしゃと云。そこて、立教明倫敬身をした人があったと此篇を出してみせたものなり。人を出してみせると云かいやと云はせぬことそ。
【解説】
稽古は、立教明倫敬身をした人がいたことを見せたもの。道理を知っても、自らがしなければ何もならない空理屈となる。
【通釈】
この前の立教明倫敬身では道理を説き、ここの稽古からは人を見せる。道理を説いてその後で人を見せるというのが親切なこと。道理というものは遠国の図を見る様なもの。どれほど明細であっても、自分が直に行ったのとは別である。稽古は、あの男は京へ行ったと言えば、それを聞いて、それなら俺も行こうと、手もなく思い立つこと。そこで、これは旗に立つ者を掴まえて言ったこと。中々私などが長崎へ行けるものではないと言う。東金の親父などが行くので、先生が微笑して言った。そこで、それなら俺も行こうと言う。さてこれが上段々を空理屈にしないこと。空理屈は役に立たない。なるほど尤もなことだと思うが、そうもできないものだと言う。そこで、立教明倫敬身をした人がいたと、この篇を出して見せたもの。人を出して見せるというのが否と言わせないこと。
【語釈】
・東金の親仁…櫻木誾斎。名は千之。初め大木剛中、後に清十郎と称す。東金の人。長崎聖堂教授。文化1年(1804)5月1日没。年80。稲葉迂斎門下。

○孟子道性善云々。朱子の此語を爰へ引れたか、誰でもならぬことはないと云ことをしらせたものなり。古の人とて今の人とて、天から仁義礼智を授られた処にちかいはない。古の垩賢も耳目鼻口かあり、今の人も耳目鼻口かある。古の人も今の人もなんにもかわることは一つもない。昔も今も人の出来やふにちかいはない。皆人は性善なり。性善は刀に刄金のあるやふなもの。切られぬと云ことはない。人の学問をするをを子は、その性善をもってをるゆへなり。性善と道へりてはない。性善と、との字の捨假名を付ると、今を始と名義を打たやふになる。そふしたことではない。性善を道へりと、をの点で云がをんてもないこと。尭舜以来傳来の性善の話をしたことなり。是を人がわるく心得て、孟子は性善と云、荀子は性悪と云たと爭のやふに思ふか、そふしたことてはない。性善はきわまりたしれたこと。その話をしたことなり。性善と云話をして、其跡へ尭舜を出すか、立教明倫敬身の跡へ稽古の篇を出したと同しことなり。
【解説】
「孟子道性善」の説明。古の人も今の人も何も変わることはない。人は皆性善である。ここは性善と道えりではなく、性善を道えりと読む。性善は当然のことであって、その話をしたということ。
【通釈】
「孟子道性善云々」。朱子がこの語をここへ引かれたのが、誰でもできないことはないということを知らせたもの。古の人でも今の人でも、天から仁義礼智を授けられた処に違いはない。古の聖賢も耳目鼻口があり、今の人も耳目鼻口がある。古の人も今の人も何も変わることはない。昔も今も人のでき方に違いはない。人は皆性善である。性善は刀に刃金がある様なもの。それで切れないということはない。人が学問をする大根は、その性善を持っていることにある。性善と道えりではない。性善とと、との字の捨て仮名を付けると、これが始めと名義を打った様になる。そうしたことではない。性善を道えりと、をの点で言うのが当然のこと。堯舜以来伝来の性善の話をしたということ。ここを人が悪く心得て、孟子は性善と言い、荀子は性悪と言ったと争いの様に思うが、そうしたことではない。性善は極まり知れたこと。その話をしたということ。性善という話をして、その後へ堯舜を出すのが、立教明倫敬身の後に稽古の篇を出したのと同じこと。

又、性善の話をたらふくしてきかせても自暴自棄の人かありて、学問はとふしてもならぬと云。そこて、いや、をのしたちのやふなものにとんちゃくはない、たたい人は性善なものしゃ、尭舜がそのほんのしゃと云なり。此等は志ある人は度々孟子へ御礼を云筈。人欲のどろまみれて人にげさげにあしらはれる処を、孟子から性善のえふをもらふてをる。今百姓町人てさへ、其元の家は善ひ家抦しゃと云とうれしかる。孟子か万世の人に挌式を付られた。これかないと中々御坐へ出されぬことなり。性善と云ものか誰にも彼にもあるものゆへ、よくなると尭舜のやふになる。ここて人間か御目見以上になった。性善を持たとて、打捨てはならぬゆへ、さらばと思ひ立てすへきことなり。
【解説】
「言必稱堯・舜」の説明。人は性善をもっているので、よくなると堯舜の様になる。
【通釈】
また、性善の話をたらふく聞かせても自暴自棄の人がいて、学問はどうしてもできないと言う。そこで、いや、お前達の様な者に頓着はない、そもそも人は性善なもので、堯舜がその本物だと言う。これらのことでは、志のある人は度々孟子へ御礼を言う筈。人欲の泥まみれで人に見下げられあしらわれる処を、孟子から性善の號帯を貰っている。今百姓や町人でさえ、貴方の家は善い家柄だと言われると嬉しがる。孟子が万世の人に格式を付けられた。これがないと中々御座へ出せるものではない。性善というものが誰にも彼にもあるので、よくなると堯舜の様になる。ここで人間が御目見以上になる。性善を持ているとしても、それを打ち捨てていてはならないので、そこで思い立ってしなければならない。

これからが学問の大事。舜と云垩人が天下後世へ道を開てさしをかれた。性善を云ときは尭舜と云、後世へ法を遺すときは舜斗り云。丁寧な人にたんだへさせると、尭は云はすなせ舜斗り書たと云。そのあやか孟子の或問に詳なり。孟子斗り云処にいこふ挌別な思召ありとみへる。舜は殊外みのふりまわしの六ヶ敷垩人。古人に舜ほと身のふりまわしの六ヶ敷垩人はない。六ヶ敷親をもち、とふやってみてもゆかぬ。そこて舜を出すと人の手本になる。なんほ親孝行と云れても、私が親父のやふにむづかしい者はあるまいと云とき、舜は瞽瞍を親にもっても人倫を明にした。そこて尭と云より舜と云身のふりまわしのむつかしい垩人を出すて後世へ五倫の道か明になる。
【解説】
「其言曰、舜爲法於天下可傳於後世」の説明。性善は堯舜で言い、後世へ法を遺す時は舜だけで言う。それは、舜ほど身の振り回しの難しかった聖人はいなかったからである。
【通釈】
これからが学問の大事。舜という聖人が天下後世へ道を開けて置かれた。性善を言う時は堯舜と言い、後世へ法を遺す時は舜ばかりで言う。丁寧な人に探題えさせると、堯は言わずに何故舜ばかりで書いたのかと言う。その綾が孟子の或問に詳しくある。舜ばかりを言う処に大層格別な思し召しがあるものと見える。舜は殊の外身の振り回しが難しかった聖人である。古人で舜ほど身の振り回しの難しかった聖人はいない。難しい親を持ち、どうやって見てもうまく行かない。そこで舜を出すと人の手本になる。いかに親孝行をしろと言われても、私の親父の様に難しい者はいないだろうと言う時、舜は瞽瞍を親に持っても人倫を明らかにしたと言う。そこで堯というより舜という身の振り回しの難しい聖人を出すので後世へ五倫の道が明らかになる。

こふきいても、残念なことには吾が人となるへき手本を舜か出してをかれても、未免爲郷人也。くやしいことて、尊圓親王かあれほと書て置ても、悪筆はなをらぬ。是か学問をせぬものの耳へは入らぬこと。是を憂るは学者分上のことなり。俗人は二百十日ほとには思はぬ。畠の烟草に虫かつくほとにも思はぬ。さて憂る精神になったときどふすると云に、如舜而已。垩賢の語の理つりと云かこれなり。さて々々外に仕方はない。舜の通りと云ものなり。今日の人は熱くない灸はないかと云やふな馬鹿を云。憂れは舜の通りにすると云か、ちりもはいもつけぬことなり。もちと別に仕方はあるまいかと云はぬことそ。ここか稽古なり。舜を向に置てま子るより外はない。
【解説】
「我猶未免爲郷人也。是則可憂也。憂之如何。如舜而已矣」の説明。性善を持っていても郷人を免がれない。そこで舜の通りをする。
【通釈】
この様に聞き、自分が人となるべき手本を舜が出して置かれても、残念なことには「未免為郷人也」。悔しいことで、尊円親王があれほど書いて置いても、悪筆は直らない。これは学問をしない者の耳には不要なことで、これを憂うるのは学者分上のこと。俗人はこれを二百十日ほどには思わない。畠の煙草に虫が付くほどにも思わない。さて憂うる魂になった時にどうするかというと、「如舜而已」。聖賢の語は理釣りと言うのがこれ。さてさて外に仕方はない。舜の通りにする。今日の人は熱くない灸はないかという様な馬鹿を言う。憂えれば舜の通りにするというのが、塵も灰も付けないこと。もう少し別な仕方はないだろうかとは言わない。ここが稽古である。舜を向こうに置いて真似るより外はない。
【語釈】
・尊圓親王…尊円法親王。伏見天皇の皇子。名は守彦。青蓮院門主・天台座主となる。書家。1298~1356

○実前言は、立教明倫敬身の前て云たことを正金て見せるやふなもの。金を直にそこに積て置くやふなものなり。今日の人か、理屈はそふたか理屈の通りにはならぬものしゃと云。云たとをりになったを実と云。非知難行是難と云て、兎角云た通りにならぬものなり。実と云てなけれは人の心が靣白くならぬ。そなたか若し火事に遇たら材木はをれがやると約束してもうれしからぬ。ほんにやるとうれしかる。立教よ明倫よ敬身よと云ても、ならぬと云ては役にたたぬ。なることそ。石の吸物を食ふやふなことてはない。尭舜も仁義礼智かあれは我々もある。そんならこふしてはをるまいと云のなり。性善と云えふをもつと垩人のばへも行れる。人の旅立たをきいて、そんならをれもゆかふと云。徂徠や太宰か異端につつく害がここなり。○興起の咽をしめる男共そ。垩賢は学てもならぬものと云。それか垩人の思召に叶ぬことなり。性善は垩凡みなある。そこて興起する。興起すると云てよい。これかなけれはたのみはない。○さて、立教にある道理の通りした人かある。それはどなたと問はせてをいて、大任文王之母と読むほとのことなり。
【解説】
「摭往行、實前言、述此篇使讀者有所興起」の説明。理屈の通りになることを「実」と言う。実にする様、ここで興起するのである。徂徠や太宰は聖賢には学んでもなれないと言って興起しない。
【通釈】
「実前言」は、立教明倫敬身という前に言ったことを正金で見せる様なもので、金を直にそこに積んで置く様なもの。今日の人が、理屈はそうだが理屈の通りにはならないものだと言う。言った通りになったのを実と言う。「非知難行是難」と言い、とかく言った通りにはならないもの。実でなければ人の心が面白くならない。貴方がもしも火事に遇ったら材木は俺が遣ると約束しても嬉しがらない。本当に遣ると嬉しがる。立教だ、明倫だ、敬身だと言っても、ならないと言うのでは役に立たない。なること。石の吸物を食う様なことではない。堯舜にも仁義礼智があれば我々にもある。それならこうしてはいない筈だと言うのである。性善という號帯を持つと聖人の場へも行かれる。人の旅立ったのを聞いて、それなら俺も行こうと言う。徂徠や太宰が異端に続く害だと言うのがここ。「興起」の咽を絞める男共である。聖賢には学んでもなれないと言う。それが聖人の思し召しに叶わないこと。性善は聖凡皆にある。そこで興起する。興起すると言うのでよい。これがなければ頼みはない。さて、立教にある道理の通りをした人がいる。それはどなたかと問わせて置いて、そこで、「大任文王之母」と読むほどのこと。
【語釈】
非知難行是難…知ること難きに非ず、行うこと是れ難し。


稽古1
太任、文王之母、摯任氏之中女也。任、姓。文王、周君。摯、國名。王季娶以爲妃。太任之性端一誠莊、惟德之行。王季、周君。文王父。及其娠文王目不視惡色、耳不聽淫聲、口不出敖言。娠、振動。懷妊之意。生文王而明聖。太任敎之以一而識百。卒爲周宗。君子謂太任爲能胎敎。宗謂有德有功、爲百世不遷之廟。
【読み】
太任は文王の母、摯の任氏の中女なり。任は姓。文王は周君。摯は國名。王季娶りて以て妃と爲す。太任の性端一誠莊にして、惟れ德を之れ行う。王季は周君。文王の父。其の文王を娠むに及びて目惡色を視ず、耳淫聲を聽かず、口敖言を出ださず。娠は振動。懷妊の意。文王を生みて明聖なり。太任之に敎うるに一を以て百を識る。卒に周宗と爲る。君子、太任は胎敎を能く爲すと謂う。宗は德有り功有りて、百世遷らざるの廟と爲すを謂う。

○大任之性云々。此は最初に何者の筆かはしらぬか、婦人のことを書たに此四字てすんたそ。此前の夫婦の別にあるほとな婦人の道、外篇にさま々々な貞女を引、なにもかも一つにはきくるめて端一誠荘の外を出ることはない。此語か女の守り本尊になる。頓と女の精神はこれですむことなり。大任の生れ付がこふ云生れ付てあった。平生かいこふ正く外に心のないことを端一と云。人は色々さま々々な心のあると云か男ても女てもよくないか、女は別してのことなり。女と云ものは一人立のならぬものて、どこぞへよりつか子はならぬものそ。丁どつるものや葛かつらのよふに、吾一人はたたれすよってをるものなれとも、他のないと云てなけれはならぬ。方々から竹をたてると方々へからみ付。そこを外へからむことなく、全体の端一を婦人の德にしてをる。一人立のならぬと云がよく々々のことて、婦人謂嫁曰帰とあるて合点するかよい。親の側が側てありさふなものなれとも、生れてから娵に行く迠は中にぶらさかりてをるやふなもの。やると云はず帰へすと云かよい。娵入をして行くか始て夲道の家へ行たのなり。そふしたことしゃゆへ、方々へ行と云ことはならぬことそ。地は何処ても一つの天を相手にしてをる。そこて、相手を專にすると云かよい。
【解説】
「太任、文王之母、摯任氏之中女也。任、姓。文王、周君。摯、國名。王季娶以爲妃。太任之性端一誠莊、惟德之行。王季、周君。文王父」の説明。婦人は「端一誠荘」に尽きる。端一は、平生が正しく他に心のないこと。女は一人立ちができず、何かに寄り付いているものだが、その相手を専らにするのがよい。
【通釈】
「太任之性云々」。最初に何者が書いたのかは知らないが、婦人のことはこの四字で済む。この前の夫婦の別にあった婦人の道や、また、外篇でも様々な貞女を引いているが、何もかも一つに掃き包めて、この「端一誠荘」の外を出ることはない。この語が女の守り本尊になる。女の魂はこれですっかりと済む。太任の生まれ付きがこの様な生まれ付きだった。平生が実に正しく他に心のないことを端一と言う。人には色々様々な心があるというのが男でも女でもよくないことだが、女は特にそうである。女というものは一人立ちのできないもので、何処かへ寄り付かなければならないもの。丁度蔓ものや葛蔓の様に、自分一人では立てず、寄り掛かっているものだが、他に心がないというのでなければならない。方々から竹を立てると方々へ絡み付く。そこを他に絡むことなく、全体が端一であることが婦人の徳である。一人立ちができないと言うのがよくよくのことで、これは「婦人謂嫁曰帰」で合点しなさい。親の側が側でありそうなものだが、生まれてから娵に行くまでは中にぶらさがっている様なもの。遣ると言わずに帰すと言うのがよい。娵入りをして行くのが初めて本当の家へ行ったのである。そうしたことなので、方々へ行くということはならない。地は何処でも一つの天を相手にしている。相手を専らにするというのがよい。
【語釈】
・婦人謂嫁曰帰…春秋公羊伝隠公。「冬十月、伯姫歸于紀。伯姫者何。内女也。其言歸何。婦人謂嫁曰歸」。

○誠荘はものにかけひなたなく、微塵もつくろいかましいことのなく、水のつめたく火の熱ひよふに誠て、さて其誠の中にしゃきりとしたものかある。是か顔の方へ出る字なり。全体の正ひ方から戯譃[をとけ]も云にくいと云やふなか荘なり。婉娩聽従と云顔とは違て立派すきるやふなれとも、知た人の書たとみへる。柔かなものなれとも、荘と云字のあるか貞女のなりなり。垩人と德を合せた女中のことを書たことゆへ、たたものの書てはあるまい。詩巠にもありて、古から凶暴の若ひ者かそびやかすことかある。これは男のいたつらとは云へとも、もと婦人の荘がないゆへなり。荘と云になれは、中々戯謔も云はれぬ。ちょっと戯謔ても、どのやふなことにならふもしれぬ。貞女と云正しい方から荘と云德を持てをる。惣体のことか内から出た行て、人に聞てすることてはない。内の固有[もちまい]から出た行なり。一寸と云たやふなことなれとも、これらか周八百年つつく地基[ぢぎょう]とみるかよい。もはや天下か周へこやふと云ことゆへ、奥方迠かこれてありた。其腹に出来た御子ゆへ、生文王而明垩なはつなり。
【解説】
「誠荘」は、誠で、且つ、しゃっきりとしたこと。太任がこの様な人だったので、生まれた文王も明聖な筈である。
【通釈】
「誠荘」は、ものに陰日向なく、微塵も繕いがましいことがなく、水が冷たく火が熱い様に誠で、さて、その誠の中にしゃっきりとしたものがある。これが顔の方に出る字である。全体の正しい方から戯けも言い難いという様なのが荘である。「婉娩聴従」という顔とは違い、立派過ぎる様だが、ここは知った人が書いたものと見える。女は柔らかなものだが、荘という字があるのが貞女の体である。これは聖人と徳とを合わせた女中のことを書いたことなので、只者の書ではないだろう。詩経にもあり、古から凶暴な若い者が聳やかすことがある。これは男の悪戯とは言え、元は婦人の荘がないからのこと。荘ということになれば、中々戯けも言えない。一寸戯けても、それがどの様なことになろうかも知れない。貞女という正しい方から荘という徳を持っている。総体のことが内から出た行で、人に聞いてすることではない。内の持前から出た行である。これは一寸言ったことの様だが、これらが周が八百年続いた地基だと見なさい。最早天下が周へ来ようという時なので、奥方までがこの様だった。その腹にできた御子なので、「生文王而明聖」な筈。
【語釈】
・婉娩聽従…小学内篇立教2。「姆敎婉娩聽從」。
詩巠にもありて

○及其娠文王云々。ここて始めてつつしんたてはない。懐姙と云になっては挌別なことてありた。○口不出敖云々は、惣体の高慢なををへいつらなものを云こと。これかとんとでなんだ。平生も賢德婦人ゆへ、敖言と云ことなとはなかろふか、何を云も歴々の婦人ゆへ下さまにあしろふものかあるか、ををへいていか曽てなかった。○振動はこれ迠ない処て云。心に感する処から云なり。生民の詩にも動と云ことかある。○之意と云か振の字の心を解たもの。方々の女に聞て、何と孕むと振動と云ことがあるかと云ことてはない。孕と云か振の字のあんはいしゃと云ことなり。
【解説】
「及其娠文王目不視惡色、耳不聽淫聲、口不出敖言。娠、振動。懷妊之意」の説明。敖言はしない。振動は孕む意である。
【通釈】
「及其娠文王云々」。ここで初めて慎んだのではない。懐姙ということになっては格別なものだった。「口不出敖云々」。「敖言」は総体の高慢な横柄面な者を言ったこと。これが全く出なかった。平生も賢徳な婦人なので、敖言ということなどはなかったのだろうが、歴々の婦人には、何を言うにも下様にあしらう者がいる。その様な横柄な体は一度もなかった。「振動」はこれまではない処を言い、心に感じる処から言う。生民の詩にも動ということがある。「之意」と言うのが振の字の心を解いたもの。方々の女に、孕む時には振動ということがあるのかと聞くことではない。孕むというのが振の字の塩梅だということ。
【語釈】
・生民の詩…詩経大雅生民。

○生文王云々。偖て段々目出度話になってくる。文王の御ちいさきとき、一つ聞と百色ほとつっとすめた。文王の孔子のと云は稽古なしにゆきた垩人。さて知た人の云に、是と云もあの武王から天下は得られたか、それをたんたへてみると文王がよかった。其文王の善ひと云も全体の教かよいゆへなり。牡丹を誉るも、是は冬の内の御手入かよかったそふてこさると云。文王は胎教かよかりた。利口な人はせせら笑ふことなり。そんなことをしたとてとふゆくものかと云。假令ゆくにしても、其様なものもないさと云。そこて、胎教をしたからあのやふな子を生んたと、胎教をした人をみせたものなり。是を悪ひ方へかけてみるとよくすむ。人の子になにか知れぬ頭瘡か出来ると胎毒しゃと云。親にあやかったものなり。然れは教のないと云ときは、懐姙すると其内からわるいことをして、悪ひ気にあやかる。文王の善は御袋様の手抦もある。○宗の権輿[をこり]はそもどふなれは、身に德のあり功のある。德斗りあっても功かないと、孔子のよふな垩人ても一生浪人てしまふた。文王は德かあって功もあった。そこて其廟は、周の世あらんかきりは移すと云ことはない。
【解説】
「生文王而明聖。太任敎之以一而識百。卒爲周宗。君子謂太任爲能胎敎。宗謂有德有功、爲百世不遷之廟」の説明。文王がよかったのは胎教がよかったからである。宗は徳と功があって興る。徳だけがあって功がないのは孔子の様なもの。文王は両方を持っていたので廟を立てることができたのである。
【通釈】
「生文王云々」。さて段々目出度い話になって来る。文王が小さな時、一つ聞くと百色ほどもすっとわかった。文王や孔子などは稽古なしにできた聖人である。さて、知った人が、これと言うのもあの武王から天下は得られたが、それを探題えて見ると文王がよかったからだと言う。その文王がよいと言うのも全体の教えがよいからである。牡丹を誉めるにも、これは冬の内の御手入れがよかったそうだと言う。文王は胎教がよかった。これを利口な人はせせら笑うことだろう。そんなことをしたとしてもどうしてうまくいくものかと言う。たとえうまくいったとしても、その様な者もいないものだと言う。そこで、胎教をしたからあの様な子を生んだと、胎教をした人を見せたのである。これは悪い方へ掛けて見るとよく済む。人の子に何かわからない頭瘡ができると胎毒だと言う。それは親に肖ったもの。それなら教えがないという時は、懐姙するとその時から悪いことをして、悪い気に肖る。文王がよいのは御袋様の手柄でもある。宗の興りはそもそもどういうことかと言うと、身に徳があって功があること。徳ばかりがあっても功がないと、孔子の様な聖人でも一生浪人で終える。文王は徳があって功もあった。そこでその廟は、周の世があらん限りは遷すことはなかった。
【語釈】
・権輿…はじまり。事の起り。発端。


稽古2
○孟軻之母、其舍近墓。孟子之少也、嬉戲爲墓間之事踊躍築埋。孟母曰、此非所以居子也。乃去舍市。其嬉戲爲賈衒。孟母曰、此非所以居子也。乃徙舍學宮之旁。其嬉戲乃設爼豆揖讓進退。孟母曰、此眞可以居子矣。遂居之。孟子幼時、問東家殺豬何爲。母曰、欲啖汝。既而悔曰、吾聞古有胎敎。今適有知而欺之。是敎之不信。乃買豬肉以食之。既長就學、遂成大儒。
【読み】
○孟軻の母、其の舍墓に近し。孟子の少なるや、嬉戲墓間の事を爲し踊躍築埋す。孟母曰く、此れ以て子を居く所に非ざるなり、と。乃ち去りて市に舍す。其の嬉戲賈衒[こげん]を爲す。孟母曰く、此れ以て子を居く所に非ざるなり、と。乃ち徙[うつ]りて學宮の旁に舍す。其の嬉戲乃ち爼豆を設け揖讓進退す。孟母曰く、此れ眞に以て子を居く可し、と。遂に之に居る。孟子の幼なる時、東家に豬を殺す何か爲ると問う。母曰く、汝に啖[くら]わしめんと欲す、と。既にして悔いて曰く、吾古は胎敎有りと聞く。今適[まさ]に知る有りて之を欺く。是れ之に不信を敎う、と。乃ち豬肉を買いて以て之に食わしむ。既に長じて學に就き、遂に大儒と成る。

○孟軻之母云々。是等か教を早くするの稽古なり。孟子は母の手て出来あかった大賢なり。始に文王と孟子を出したか、朱子の引きやふも靣白ひ。こともたいそふに教をした人を出す。是て人か興起する。文王も孟子も捨て置た人てはない。いこふ教のあった御方達て、その教やふがしかも此通りにはやかった。然れは、教と云ものは手をくれになってはならぬ。さて、孟子居所か寺の隣てあった。そこてなんそと云と人の死て親族の墓所て泣くことのあるそ。その眞似をしられた。これすらまた堺町の眞似をするよりはよかろふもしれぬ。孟母か、いや々々このやふなま子をしてはなるまいとて店替をさしった。どこでも子共なとと云はわけもなく眞似るものなり。子共ゆへ、はや前の踊躍築埋はもふやめになりて、此度は市の眞似になり、利賣をあちこちへひっはるま子をした。そこで今度は垩堂の脇と云やふな処へゆかれた。そこて礼式の吟味をし、学校は礼楽の吟味処なり。○揖譲云々は儀式の稽古をすることて、座拜立廻り。此方の小笠原のやふなことなり。そこてこここそ子を居く処しゃとて、そこに居られた。○矣の字のあるて、今度の宅は居あてたと喜ふ意なり。とを々々そこに居られた。外にわるいことかあろふと、孟子のためにさへよけれはよいと思ゆへなり。里が遠ひの、医者の処へ遠のと云にはかまわぬ。
【解説】
「孟軻之母、其舍近墓。孟子之少也、嬉戲爲墓間之事踊躍築埋。孟母曰、此非所以居子也。乃去舍市。其嬉戲爲賈衒。孟母曰、此非所以居子也。乃徙舍學宮之旁。其嬉戲乃設爼豆揖讓進退。孟母曰、此眞可以居子矣。遂居之」の説明。文王も孟子も教えを始めるのが早かった。孟母は孟子のためにならなければ居処を替えた。
【通釈】
「孟軻之母云々」。これらが教えを早く始める稽古である。孟子は母の手ででき上がった大賢である。始めに文王と孟子を出した、この朱子の引き様が面白い。ことも大層に教えをした人を出す。ここで人が興起する。文王も孟子も教えを放って置いた人ではない。大層教えのあった御方達で、その教え様がしかもこの通りに早かった。そこで、教えというものは手遅れになってはならない。さて、孟子の居所は寺の隣だった。そこで、何かというと人が死んで親族が墓所で泣くことがある。その真似をされた。これすらまだ堺町の真似をするよりはよいかも知れない。そこを孟母が、いやいやこの様な真似をしては悪いとして店替えをされた。何処でも子供などというものはわけもなく真似るもの。子供なので、早くも前の「踊躍築埋」は止めにして、今度は市の真似をして、利売をあちこちへ引っ張る真似をした。そこで今度は聖堂の脇という様な処へ行かれた。そこで孟子は礼式の吟味をした。学校は礼楽の吟味処である。「揖譲云々」は儀式の稽古をすること。座拝立ち回りで、日本の小笠原の様なこと。そこでこここそ子を居く処だとして、そこに居られた。「矣」の字は、今度の宅は居当てたと喜ぶ意である。遂にそこに居られた。他に悪いことがあろうと、孟子のためにさえよければよいと思ったからである。里が遠いとか、医者の処へ遠いということには構わない。

○幼時問云々。子共の問ゆへ、なんの気なしにこのやふなことを問たものなり。そこて孟母か寵愛の心から、をのしに食せるのしゃとあともさきもなく云た。ここか賢女なり。はてひょんなことををとけたそ。古は生れぬ前からえなの内て教かあったと云に、今適有知而欺之也。をれか益もないことを云た。迂偽を教へこむやふなものしゃとて、豬を買ふて、そりゃきたとてくわせた。ちょっとしたことなれとも、幼子常視毋誑をじきにしたなり。さて此やふなことをよく考てみたかよい。一日ごかしにしてしまふか女の心。その上に孟母はいとしや後家ぐらして銭もなかったろふ。日は暮るる、薪はぬれてと云哥もあり、難儀な教ところてはあるまい。そこの処て此やふにたまかに教ると云か、賢女てなけれはならぬことなり。前には卒爲周宗とあり、ここには遂爲大儒とある。文王や孟子の手抦にせぬことなり。垩人の御袋様かあった、賢者の御袋様かあったと云て稽古になる。いくら賢者ても女中のこと、是を今日心ある歴とした丈夫[をとこ]のみて吾子をよくしやふと思はぬはあんまりなこと。大任や孟母か精神から垩人大賢にしられた。今日の人の子を可愛かるのはたた可愛かるのなり。老牛舐犢と云ことあり、たたなめてをる。それと同しことそ。そこて女中てさへこの通り教た人かありたとみせたものなり。
【解説】
「孟子幼時、問東家殺豬何爲。母曰、欲啖汝。既而悔曰、吾聞古有胎敎。今適有知而欺之。是敎之不信。乃買豬肉以食之。既長就學、遂成大儒」の説明。孟母が、東家で豬を殺すのは孟子が食うためだと何気なく言ったが、それは嘘を教え込むことになるとして、豬を買って食わせた。太任や孟母は、女でありながらも魂から聖人大賢を作られた。
【通釈】
「幼時問云々」。子供の問いなので、何の気なしにこの様なことを問うたもの。そこで孟母が寵愛の心から、御前に食わせるのだと安易に言った。ここが賢女である。はてひょんなことを戯けて言った。古は生まれない前から胞衣の内に教えがあったというのに、「今適有知而欺之」だ。益もないことを私は言ったと思った。嘘を教え込む様なものだとして、豬を買って、それ来たと言って食わせた。一寸したことだが、「幼子常視毋誑」を直にしたもの。さてこの様なことをよく考えて見なさい。一日ごかしにしてしまうのが女の心。その上孟母は気の毒にも後家暮らしで銭もなかったことだろう。日は暮るる、薪は濡れてという歌もあり、難儀なことで教えどころではなかったことだろう。その処でこの様にたまかに教えるというのが賢女でなければできないこと。前条には「卒為周宗」とあり、ここには「遂為大儒」とある。ここは文王や孟子の手柄にしないこと。聖人の御袋様がいた、賢者の御袋様がいたと言うので稽古になる。いくら賢者でも女のこと、これを今日心ある歴とした男が見て、我が子をよくしようと思わないのはあまりなこと。太任や孟母が魂から聖人大賢を作られた。今日の人が子を可愛がるのはただ可愛がるだけ。「老牛舐犢」ということがあり、ただ舐めているだけ。それと同じこと。そこで女でさえこの通りに教えた人がいたと見せたもの。
【語釈】
・えな…胞衣。胎児を包んだ膜と胎盤。
・幼子常視毋誑…小学内篇立教3。「曲禮曰、幼子常視毋誑」。
・たまか…まめやかなこと。実直。つましいこと。倹約。
・老牛舐犢…後漢書楊震列伝。「操見彪問曰、公何瘦之甚。對曰、愧無日磾先見之明、猶懷老牛舐犢之愛。操爲之改容」。


稽古3
○孔子嘗獨立。鯉趨而過庭。鯉、孔子之子。字、伯魚。曰、學詩乎。對曰、未也。不學詩無以言。鯉退而學詩。事理通達、而心氣和平。故能言。他日又獨立。鯉趨而過庭。曰、學禮乎。對曰、未也。不學禮無以立。鯉退而學禮。品節詳明、而德性堅定。故能立。
【読み】
○孔子嘗て獨り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。鯉は孔子の子。字は伯魚。曰く、詩を學びたるか、と。對えて曰く、未だし、と。詩を學ばざれば以て言うこと無し、と。鯉退きて詩を學ぶ。事理通達して心氣和平す。故に能く言う。他日又獨り立てり。鯉趨りて庭を過ぐ。曰く、禮を學びたるか、と。對えて曰く、未だし、と。禮を學ばざれば以て立つこと無し、と。鯉退きて禮を學ぶ。品節詳明にして、德性堅定す。故に能く立つ。

○孔子嘗独立云々。さて段々しまいによい相手たらけを朱子か並へさしった。趨と云字は前の父子の親にも吟味のあったことて、堂下を走て通るか礼なり。足はやに行、そのとき孔子かよひかけさしって、そちは詩を学んてあるかとなり。これらてみれは古子をかへて教たと云かしれる。○詩を学んたかと云は誰にか頼んてをいたもの。そこて伯魚か学問の細な條目はしらぬか、また詩を学はぬと云ことゆへ、それはさん々々なことしゃ、詩かまっさきのことしゃ、詩を学はぬと云なれは、口を以ていてもものを云ことはならぬ。いいそこない、人中てものを一つ云ことかならぬ。是を聞て今の人かそれ詩しゃと云ことはない。人間に古今あると朱子の詩にもあり、今の人は詩にかかることてはない。なを中原還逐鹿ではないそ。今はそれよりよい大学や論吾と云ものかある。
【解説】
「孔子嘗獨立。鯉趨而過庭。鯉、孔子之子。字、伯魚。曰、學詩乎。對曰、未也。不學詩無以言。鯉退而學詩」の説明。古は子を替えて教えた。孔子が伯魚に、詩を学ばないと言い損ないをすると言った。しかし、人間には古今があり、今は詩に取り掛からなくても、それよりもよい大学や論語がある。
【通釈】
「孔子嘗独立云々」。さて段々と終わりに近づくに従って、朱子がよい相手ばかりを並べられた。「趨」という字は前の父子之親にも吟味のあったことで、堂下を走って通るのが礼である。足早に行く、その時に孔子が呼び掛けられて、御前は詩を学んだかと尋ねた。これらで見れば、古は子を替えて教えたということが知れる。詩を学んだかと言うのは誰かに頼んで置いたもの。そこで伯魚の学問の細かな条目は知らないが、まだ詩を学んでいないと答えたので、それは散々なことだ、詩は真っ先に学ぶものだ、詩を学ばなければ、口を持っていてもものを言うことはならない。言い損ないとなる。人中でものを一つも言うことはできない。これを聞いて今の人が、それ、詩をしようと言うのは違う。人間には古今があると朱子の詩にもあり、今の人が詩に取り掛からなければならないということではない。尚更中原還逐鹿ではない。今はそれよりもよい大学や論語というものがある。
【語釈】
・父子の親…小学内篇明倫15を指す。
人間に古今あると朱子の詩にもあり
・中原還逐鹿…魏徴の述懐詩。

○ここの詩を学はぬうちはものか云はれぬと云はとこをつかまへて云へは、事理通達而心気和平なり。詩を学は子は口かきけぬはつ。詩の御影てものを云ことかある。詩經は人情事変様々なことかあって、天下の道理にのこることはない。それに通することなり。こここそ後世の人の詩を云とは違ふ。昔は詩を作るかよいの作らぬかよいのと云ことはない。舜は作りて孔門ては詩を作らぬ。周公は作りても孔門は作らぬ。詩を学ふと云はたた詩經の吟味をすることなり。吟味してなんにすると云に、事理通達云々なり。使四方不耻君命と云こともあり、詩經を学はぬと云なれは、理を知りてもきくしゃくして、兎角こじり咎めする。処を詩を学と云なれは、気がふっくりとして、ものをいくらしりても気か和て何処へ行てもよい。胸か開けてをるゆへあぶなげがない。
【解説】
事理通達、而心氣和平。故能言」の説明。詩を学ぶと「事理通達而心気和平」となる。詩経には天下の道理が余さずある。詩を学ぶとは、詩経の吟味をすること。
【通釈】
ここの詩を学ばない内はものを言えないというのは、何処を掴まえて言うのかというと、「事理通達而心気和平」である。それなら詩を学ばなければ口が利けない筈。詩のお蔭でものを言うことがある。詩経は人情事変様々なことがあって、天下の道理に余すことはない。それに通じること。こここそ後世の人の詩を言うのとは違うこと。昔は詩を作るのがよいとか作らないのがよいということはなかった。舜は作って孔門は作らなかった。周公は作っても孔門は作らなかった。詩を学ぶというのは詩経の吟味をすること。吟味をして何にするのかというと、事理通達云々である。「使四方不辱君命」ということもあり、詩経を学ばないというのであれば、理を知ってもぎくしゃくして、とかく鐺咎めをする。そこを、詩を学ぶというのであれば、気がふっくりとして、ものをいくら知っても気が和らかで何処へ行ってもよい。胸が開けているので危な気がない。
【語釈】
・使四方不耻君命…論語子路20。「子貢問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、行己有恥。使於四方、不辱君命。可謂士矣」。

○学礼乎と云も、をのしは礼をとらほとかたを付たと云ことそ。礼記の素読をとらほどしたかと云ふてはない。前の学詩乎と云とはちこふ。礼をとらほと吟味して合点したそと云ことなり。礼を学はぬと云になれは、そこへてて押立て人一疋になってをることかならぬ。浅見先生の御弁に、身のしっかりとかたまることしゃと云へり。礼かないとどふも不丈夫なり。迂斎先生か靣白ことを云た。礼のかたしけなさは柱にくさひのあるやふなものしゃと云へり。柱を吟味して丈夫なぬきをとをしてもきし々々する。そこへくさひを打としっかりとなる。又迂斎先生の弁に、礼かなけれはたたまぬきるものを見るやふなものと云へり。たたむとしっかりとなる。ぬきちらして置ては取る手方角はなくなる。礼かないと、いくらちへかあっても、成程ぬきちらしてをいたきもののやふてしまらぬ。ここらか吾か今退而学ほとに是をしろふことなり。こなたは茶の湯をしらぬかと云と、それから始て茶盌をもちならふことのやふに思ふがそふではあるまい。礼と云ことてなけれは立ことはなるまい。今迠の了簡とは礼と云てちかってくることそ。
【解説】
「他日又獨立。鯉趨而過庭。曰、學禮乎。對曰、未也。不學禮無以立。鯉退而學禮」の説明。「学礼乎」は、礼をどれほど理解したかということ。礼を学ばなければ立つことはできない。礼で身がしっかりと固まるのである。
【通釈】
「学礼乎」も、御前は礼をどれほど片を付けたのかと聞いたこと。礼記の素読をどれほどしたかということではない。前の「学詩乎」とは違う。礼をどれほど吟味して合点したのかということ。礼を学ばないのであれば、そこへ出て押し立てて人一疋になっていることはできない。浅見先生の御弁に、身のしっかりと固まることだとある。礼がないとどうも不丈夫である。迂斎先生が面白いことを言った。礼の忝さは、柱に楔のある様なものだ、と。柱を吟味して丈夫な貫を通してもぎしぎしする。そこへ楔を打つとしっかりとなる。また、迂斎先生の弁に、礼がないのは畳まない着物を見る様なものだとある。畳むとしっかりとなる。脱ぎ散らかして置いてはどうしようもない。礼がないと、いくら智恵があっても、なるほど脱ぎ散らかしては置いた着物の様で締まらない。ここらが、自分が「今退而学」ほどにこれを知ろうすること。貴方は茶の湯を知らないのかと言うと、それから始まって茶碗を持ち習うことの様に思うが、そうではないだろう。礼ということでなければ立つことはできないことだろう。今までの了簡とは、礼ということで違って来る。

○立と云ことの訳は品節詳明而德性定。何もかも丁とよい恰好かあって、其恰好にあはせることなり。鶻輸呑棘[こしゃふまるのみ]てはない。そのはづのこと。礼儀三百威儀三千と云こともあり、何もかも細な礼かあり、それに礼か手に入らぬゆへ、今学者はいつも同しことを云そ。詳明てないゆへ。品節詳明て行をととく。料理人の上手もさま々々ことをしわける。品節詳明なり。一つものをよいやふにしかへてくわせるか料理の上手なり。このやふなことに異端はかまわぬ。異端は品節詳明かないゆへ乾飩屋のうどんをこ子るやふて、いつもそれなり。達磨なとはいつも壁を向てをるなり。学者は礼と云ものありて、此吟味をすると精神が丈夫になる。いかりのある舩をみるやふなもの。いかりや梶のついてをるか人の德性堅定するやふなもの。人の身の上も、礼かないと何処へ流れてゆこふもしれぬ。
【解説】
品節詳明、而德性堅定。故能立」の説明。「立」は、丁度よい恰好に合わせること。礼は細かくあるから、品節詳明で行き届く。異端は品節詳明がないのでいつも同じである。
【通釈】
立つということのわけは「品節詳明而徳性定」で、何もかも丁度よい恰好ということがあって、その恰好に合わせる。胡椒丸呑みではない。その筈である。「礼儀三百威儀三千」ということもあり、何もかも細かな礼があるが、それなのに礼が手に入らないので、今の学者はいつも同じことを言う。それは詳明でないからである。品節詳明で行き届く。上手な料理人は様々にことを仕分ける。品節詳明である。一つ物をよい様にし替えて食わせるのが料理の上手である。この様なことに異端は構わない。異端は品節詳明がないので、饂飩屋が饂飩を捏ねる様で、いつもそれだけ。達磨などはいつも壁を向いている。学者には礼というものがあって、この吟味をすると魂が丈夫になる。それは錨のある船を見る様なもの。錨や梶が、人を徳性堅定する様なもの。人の身の上も、礼がないと何処へ流れて行くかも知れない。
【語釈】
・鶻輸呑棘…胡椒の丸呑み。胡椒を丸呑みにしてはその味が分らないように、物事は咀嚼・玩味しなければ真義を知り得ないというたとえ。
・礼儀三百威儀三千…中庸章句27。「大哉聖人之道。洋洋乎、發育萬物、峻極于天。優優大哉、禮儀三百威儀三千。待其人而後行」。


稽古4
○孔子謂伯魚曰、女爲周南・召南矣乎。人而不爲周南・召南、其猶正牆面而立也與。爲猶學也。周南召南、詩首篇名。所言皆脩身齊家之事。正牆面而立、言即其至近之地、而已無所見、不可行也。
【読み】
○孔子、伯魚に謂いて曰く、女周南・召南を爲[まな]びたるか、と。人にして周南・召南を爲ばざれば、其れ猶正に牆に面して立つがごときか、と。爲は學に猶[おな]じ。周南召南は詩の首篇の名。言う所は皆身を脩め家を齊うる事。正に牆に面して立つは、其の至近の地に即き、已に見る所無く、行く可からざるを謂うなり。

○孔子謂伯魚曰云々。上の詩を学のことなれとも、是は其後にをりかへして云たこととみへる。是等も文字のあたりを合点するかよい。此前のは返辞をきいて詩を学は子はならぬ、礼を学は子はならぬと云。此章は向の挨拶をきこふとて呼ひかけたことてはない。そこて挨拶はないはつなり。返辞をきくときと聞ぬときの乎の字の置き字を合点するかよい。そなたは旅をしたがどふしゃときくこともあり、又、そなたは旅をしたか須磨明石の景色はと云の乎の字なり。そこて返辞はないはつ。周南召南を学は子は事理通達かないから、鼻の先へ子り塀をかけたやふて、向へゆかれぬ。此詩を読まぬと云なれは、頓と自振廻はならぬ。そこて、周南召南の詩を読むかよい、大切なことしゃと仰られたことそ。詩と云たとてたたのことてはない。後世の師は薬を取り去ると云のてはない。詩を読ても身も脩まらす家も斉ぬと云なれは、德利に酒のないよふなもの。一つも役にたたぬ。周南召南は身と家内のことなり。ここかわるいと云なれは、相談はならぬ。周南召南を読子は至近之地か動かぬ。ここを知えあてて云かよい。詩を学はす読ぬと云なれは、鼻の先きのことかしれぬ。そこてこれか入口しゃ。吾か身か脩まらす家内かよくないと云になっては、なんほ博学ても詩文通達てても、とんとゆかぬことなり。何事も家内か大事。先祖を祭ることても人をよふことても、朝をきはや夫婦喧嘩をしてならぬ。先祖の膳をすへやふと思やさき、女房とぶつくさしてはゆかぬ。
【解説】
周南召南を学ばなければ事理通達がないから、鼻の先に牆が立った様である。周南召南は身と家内のことであり、どれほど博学でも詩文通達だったとしても、身と家内がうまく行かなければ悪い。
【通釈】
「孔子謂伯魚曰云々」。上は詩を学ぶことを言ったものだが、これはその後に折り返して言ったことと見える。これらも文字の当たりを合点しなさい。この前のは返事を聞いて詩を学ばなければならない、礼を学ばなければならないと言うこと。この章は向こうの挨拶を聞こうとして呼び掛けたことではない。そこで挨拶はない筈。「乎」の置き字は、返事を聞く時と聞かない時があることを合点しなさい。貴方は旅をしたがどうだったかと聞くこともあるが、ここは、貴方は旅をしたが須磨明石の景色はよいという時の乎である。そこで返事はない筈。周南召南を学ばなければ事理通達がないから、鼻の先へ練り塀を掛けた様で、向こうへは行けない。詩を読まないというのであれば、自らの振り回しは全くできない。そこで、周南召南の詩を読むのがよい、大切なことだと仰せられたのである。詩と言ってもただのことではない。後世の師が薬を取り去ると言うことではない。詩を読んでも身も修まらず家も斉まないというのであれば、それは徳利に酒のない様なもので一つも役に立たない。周南召南は身と家内のこと。ここが悪いと相談はできない。周南召南を読まなければ「至近之地」で動かない。ここを智恵に当てて言うのがよい。詩を学ばず読まないというのであれば、鼻の先の事がわからない。そこでこれが入口となる。我が身が修まらず家内がよくないのであれば、どれほど博学でも詩文通達でも、全くうまく行かない。何事も家内が大事。先祖を祭ることでも人を呼ぶことでも、朝起きて早くも夫婦喧嘩をしていては悪い。先祖の膳を据えようと思う矢先に女房とぶつくさしてはうまく行かない。

偖此篇は立教の人と云やふなもの。前の立教の通りを身に持た人なり。仏法て云へは、前は菩提、ここは菩薩なり。身にもった人なり。ここをこふとうに云へは、つまり前の立教をした人と云こと。つめて云と立教人しゃ。
【通釈】
さて、この篇は立教の人という様なもの。前の立教の通りを身に持った人である。仏法で言えば、前は菩提、ここは菩薩である。身に持った人である。ここを高等に言えば、つまり前の立教をした人ということ。詰めて言うと立教人である。


右立教。
【読み】
右、立教なり。


稽古5
虞舜父頑母嚚象傲。克諧以孝、烝烝。乂不格姦。虞、氏。舜、名。父、瞽叟。心不則德義之經爲頑。母、瞽叟後妻。舜繼母也。口不道忠信之言爲嚚。象、舜後母弟。傲、慢、不友、言並惡。諧、和。烝、進也。言能以至孝諧和頑嚚昏傲、使進進以善自治不至於姦惡。史記云、舜父瞽叟盲、而舜母死。瞽叟更娶妻而生象。象、傲。瞽叟愛後妻子、常欲殺舜。舜避逃。及有小過、則受罪。順事父及後母與弟。日以篤謹匪有懈。
【読み】
虞舜は父頑に、母嚚に、象傲る。克く諧[かな]うるに孝を以てし、烝烝たり。乂[おさ]めて姦に格らざらしむ。虞は氏。舜は名。父は瞽叟。心、德義の經に則らざるを頑と爲す。母は瞽叟の後妻。舜の繼母なり。口、忠信の言を道わざるを嚚と爲す。象は舜の後母の弟。傲は慢で友ならず、並に惡を言う。諧は和。烝は進なり。能く至孝を以て頑嚚昏傲を諧和し、進に進みて善を以て自ら治めて姦惡に至らざらしむるを言う。史記に云う、舜の父瞽叟は盲にて、舜の母死す。瞽叟更に妻を娶りて象を生む。象は傲る。瞽叟は後妻の子を愛し、常に舜を殺さんと欲す。舜避け逃る。小過有るに及び、則ち罪を受く。父及び後母と弟とに順い事うる。日に以て篤く謹みて懈る有るに匪ず。

○虞舜云々。前からの受もよい。此前に舜爲法於天下可傳後世とある。その舜がぢきにここにある。爲法於天下とはなんのことてこさるかと云。遠くに置ては小学がなんにもならぬ。爲法於天下とて物尺[ものさし]や斗[ます]のことと思ふことてはない。あれも垩人のしたことなれとも、あのやふなことてはない。量[はかり]は守隨てすみ、斗は樽屋藤左衛門てすむ。そも爲法於天下とはとふなれは、舜はあの六ヶ敷親父を相手にして人倫を明にした。そこてどこへ出してもこれかよい。垩人の上にも学[ま子]られることと学られぬことかある。吾垩人のやふによくなると云ことこそ六ヶ敷けれ、こちには舜よりちとよい親をもってをる。舜のやふな孝行はなるまいか、そちの親父は瞽叟のやふかと云に、子を思ふやみに迷ふ親なり。そこて舜と云ことをもってくるとゆかぬことはない。親に孝行と云も餘の垩賢を出すと荷か重ひ。舜と云ことを出すと荷か軽くなる。瞽瞍と云親父の行状は書きやふかない。石瓦のやふてひひくことなく、少しも思ひやりはない。なんともかとも云はれぬなり。その頑にまた母嚚と云手代か付てをる。このを婆々かこまりたものて、不断ないことを云て、あちをつつきまわしこちをつつきまわす。その上に弟の象と云大盗人かある。いかな者ても御暇申さ子はならぬ処を、
【解説】
「虞舜父頑母嚚象傲」の説明。舜は瞽瞍という難しい親父を相手にして人倫を明らかにした。瞽瞍ほどの親はいないのだから、人は舜を真似ることができる筈である。そこで「舜為法於天下」と言う。しかも舜には嚚な母と大盗人の象という弟までがいた。
【通釈】
「虞舜云々」。前からの受けもよい。この前に「舜為法於天下可伝於後世」とある。その舜が直にここにある。為法於天下とは何のことかと言う。遠くに置いては小学が何にもならない。為法於天下と言っても物差や枡のことと思うのは違う。これらも聖人のしたことだが、その様なことではない。秤は守隨で済み、枡は樽屋藤左衛門で済む。そもそも為法於天下とはどういうことかと言うと、舜はあの難しい親父を相手にして人倫を明らかにした。そこで何処へ出してもこれがよい。聖人の上にも真似られることと真似られないことがある。自分が聖人の様によくなることほど難しいことはないが、こちらは舜よりも一寸よい親を持っている。舜の様な孝行はできないだろうが、御前の親父は瞽瞍の様かと言えば、子を思う闇に迷う親である。そこで、舜ということを持って来れば、うまく行かないことはない。親へ孝行も他の聖賢を出すと荷が重い。舜を出すと荷が軽くなる。瞽瞍という親父の行状は書き様がない。石瓦の様で響くことなく、思い遣りは少しもない。何とも言い様がない。その「頑」にまた「母嚚」という手代が付いている。この御婆が困ったもので、絶えずありもしないことを言って、あちこちを突付き回す。その上に弟の象という大盗人がいる。それではどの様な者でも御暇申さなければならないとする処を、
【語釈】
・舜爲法於天下可傳後世…小学内篇稽古題下。「孟子道性善。言必稱堯・舜。其言曰、舜爲法於天下可傳於後世」。
・守隨…①秤製造の老舗。武田信玄の頃から始まる。②守随彦太郎。江戸の秤職人。彼の秤が公定の秤とされた。
・樽屋藤左衛門…江戸の町年寄の一人。彼の枡が公定枡とされた。

○烝々乂不挌姦。ここか舜の舜たる処なり。ここらのことはとふもはかられぬことなり。此の六ヶ敷塲を舜かあちへまわしこちへまわして色々とさしった。此時の舜のなされかたか、ありへかかりの病人てはないなりと云てよの薬を出したてはない。舜の孝心からなされたものなり。烝はむすと云字て、そろり々々々とこしきに井龍をかけてむすやふに、舜の德てむしたもの。どふやれこふやれ歯のたちそもないことを、歯のたつよふにした。姦はかるいことにも云、大悪にも云。これも極悪なことを云姦なはつなれとも、そふてあるまい。瞽叟や象のもちまいのすってもはたいてもならぬ姦。傲なれとも、舜か禍を得させぬよふにしたは、なされかたのよいゆへなり。
【解説】
「克諧以孝、烝烝。乂不格姦」の説明。舜は彼の両親や弟に孝心で応じた。舜の徳で彼等を蒸したのである。「姦」は瞽瞍達の持前を言ったもの。
【通釈】
「烝々乂不格姦」。ここが舜の舜たる処。ここらのことはどうも計り知れないこと。この難しい場を舜はあちへ回しこちへ回して色々とされた。この時の舜のなされ方が、尋常な病人ではないと言って特別な薬を出す様なことではなく、孝心からなされたもの。「烝」は蒸すという字で、そろりそろりと甑に蒸籠を掛けて蒸す様に、舜の徳で蒸したのである。どうしても歯の立ちそうもないものを、歯の立つ様にした。「姦」は軽いことにも言い、大悪にも言う。ここも極悪なことを言う姦の筈だが、そうでもないだろう。瞽瞍や象の持前の磨っても叩いてもならない姦である。「傲」な人だったが、舜が禍を得させない様にしたのは、なされ方がよかったからである。

○心不則德義云々は左傳の字なり。德義之經と云は秉民彛て、たれにもかれにもあるものなり。孟子か孺子の井に入るを見ると人がはっと云。怵惕惻隠之心かあるゆへと云。見ず知ずの老人をもはっと云て介抱をする。人の心と云ものはそふしたものしゃに、かの瞽瞍か人の難義を何とも思はす、ほんと云たきりのをやちなり。○則はもと向へものを置て此方からそれをのりにすることなり。心不則德義之經爲頑と云は瞽叟の心て、則る則らぬを云ことてはない。人と云ものはたたい德義の經なものしゃに、曽てそれらしくないことを云。瞽叟か何んにもしらす、そこて石瓦のやふてひびきかない。このやふなことを重く云てはわるい。かるくすまさぬと、字の奧の院がこふした意から出た字なり。これは舜のこと叮嚀にみせるために父母の行状を細に出したもの。さそさふもあったろふ。舜の母の云ことか苟且言[かりそめこと]も兎角迂僞なり。かりに云ふも迂僞て固めた人なり。舜の垩人てなくては中々をさまるまい。王祥なとの母もどふもならぬ御袋様なれとも、此の婆々は、鯉がくひたいの梨子を大事にしろのと云て、子たりことをとき々々云たけしよい。舜の母はまるて迂僞て固めて望みも好みもなく、不断栗のえかを出してつつくよふなり。王祥か母より相手にとりてわるい。その上に弟の象か慢不友て人を何とも思はす、諺所謂手相ぞろい。それを並悪と云なり。
【解説】
虞、氏。舜、名。父、瞽叟。心不則德義之經爲頑。母、瞽叟後妻。舜繼母也。口不道忠信之言爲嚚。象、舜後母弟。傲、慢、不友、言並惡」の説明。瞽瞍達の悪い行状を出すのは、舜のことを丁寧に見せるためのもの。舜の母は嘘で固めた人で、それは王祥の母よりも悪かった。
【通釈】
「心不則徳義云々」は左伝の字。「徳義之経」は「民之秉彛」で、誰にも彼にもあるもの。孟子が、孺子が井に入るのを見ると人がはっと言う。それは怵惕惻隠の心があるからだと言った。見ず知らずの老人をもはっと言って介抱をする。人の心というものはそうしたものなのに、あの瞽瞍は人の難儀を何とも思わず、ほうと言うだけの親父である。「則」は本来向こうへ物を置いて、こちらがそれを則にすること。心不則徳義之経為頑というのは瞽瞍の心のことで、則る則らないということではない。そもそも人というものは徳義の経なものなのに、全くそれらしくないことを言う。瞽瞍が何も知らず、そこで石瓦の様で響きがない。この様なことを重く言っては悪い。軽く済ますのであって、字の奧の院はこうした意から出た字である。これは舜のことを丁寧に見せるために父母の行状を細かに出したもの。さぞそうであったことだろう。舜の母の言うことは仮初のことでもとかく嘘だった。仮に言うことも嘘で固めた人なので、舜という聖人でなくては中々収まるものではない。王祥の母などもどうにもならない御袋様だったが、この婆は、鯉が食いたいとか梨子を大事にしろと言って、強請り事を時々言うだけし易い。舜の母は丸で嘘で固めて望みも好みもなく、いつも栗のいがを出して突付く様だった。王祥の母よりも相手に取って悪い。その上に弟の象が「慢不友」で人を何とも思はなかった。諺で謂う所の手相揃いである。それを「並悪」と言う。
【語釈】
・心不則德義…春秋左伝僖。「公耳不聽五聲之和爲聾、目不別五色之章爲昧、心不則德義之經爲頑、口不道忠信之言爲嚚。狄皆則之、四姦具矣」。
・秉民彛…詩経大雅烝民。「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德」。
・怵惕惻隠之心…孟子公孫丑章句上6にこの話がある。
・王祥…小学外篇善行11にこの話がある。

○進々と云はそろ々々することて、いったんではない。世間に六ヶ敷親もあろふか、手前の子を殺そふと云親もあるまい。瞽叟のわるいか舜の垩人と同しことなり。先生微笑曰、わるいの至善につまりたのなり。殺さふと云時は逃け、すこしの過はじっとしてをられた。垩人は太子申生の仕方とはうはてなり。舜はにける、申生は親の手にかかって死ぬを安堵してをる。無調法なことそ。舜は垩人て申生を引付にもならぬことなれとも、舜のは逃けやふ迠が上手てあろふ。聦明睿智て逃る。されとも擲れるくらいのこと、擲れる。弟に事ると云ことはなさそふなことなれとも、まかりちかったときは弟につかへる。是等の意旨を受けて大戴礼にも事弟ことを書てある。わるい弟をもったら兄の方から弟を兄のやふにしろとあるか、わるく取ると心術の害になりて法にならぬゆへ小学には載せぬなり。經傳通解に取てあり、あれは大学以上の書ゆへなり。このやふなわるい弟をもったときは事るかよい。さて々々是等のことは凡夫の胸に頓とのらぬことなり。垩人てなふてはなか々々ならぬことそ。
【解説】
諧、和。烝、進也。言能以至孝諧和頑嚚昏傲、使進進以善自治不至於姦惡。史記云、舜父瞽叟盲、而舜母死。瞽叟更娶妻而生象。象、傲。瞽叟愛後妻子、常欲殺舜。舜避逃。及有小過、則受罪。順事父及後母與弟。日以篤謹匪有懈」の説明。舜を殺そうした瞽瞍は悪の至極である。舜は、殺されそうな時は逃げ、少しの過ちはじっとしておられた。それは太子申生とは違う。舜は逃げ様までが上手だった。また、弟にも事えた。悪い弟には事えるという仕方がある。
【通釈】
「進々」はそろそろとすることで、一旦だけのことではない。世間には難しい親もいるだろうが、自分の子を殺そうと言う親もいないだろう。瞽瞍が悪いのは舜が聖人であるのと同じこと。先生が微笑んで、悪い至善に詰まったのだと言った。殺そうという時は逃げ、少しの過ちはじっとしておられた。聖人は太子申生の仕方よりも上手である。舜は逃げ、申生は親の手に掛かって死ぬのに安堵した。それは無調法なこと。舜は聖人であって申生を引き合いに出すことではないが、舜は逃げ様までが上手だったことだろう。聡明睿智で逃げる。しかし、殴られるくらいのことでは殴られる。弟に事えるということはなさそうなことだが、場合によっては弟にも事える。これらの意旨を受けて、大戴礼にも事弟のことが書いてある。悪い弟を持てば、兄の方から弟を兄の様にしなさいとあるが、これを悪く取ると心術の害になって法にならないので小学には載せない。経伝通解には取ってあるが、あれは大学以上の書だから載せてある。この様な悪い弟を持った時は事えるのがよい。さてさてここらのことは凡夫の胸には全く乗らないことで、聖人でなくては中々できないこと。
【語釈】
・太子申生…礼記檀弓上。「晉獻公將殺其世子申生。公子重耳謂之曰、子蓋言子之志於公乎。世子曰、不可。君安驪姫、是我傷公之心也。曰、然則蓋行乎。世子曰、不可。君謂我欲弑君也。天下豈有無父之國哉。吾何行如之。使人辭於狐突曰、申生有罪。不念伯氏之言也。以至于死。申生不敢愛其死。雖然、吾君老矣、子少、國家多難、伯氏不出而圖吾君。伯氏苟出而圖吾君、申生受賜而死。再拜稽首乃卒。是以爲恭世子也」。


稽古6
○萬章問曰、舜往于田號泣旻天。何爲其號泣也。孟子曰、怨慕也。我竭力耕田共爲子職而已矣。父母之不我愛、於我何哉。號泣于旻天、呼天而泣也。怨慕、怨己之不得其親而思慕也。於我何哉、自責不知己有何罪耳。非怨父母也。帝使其子九男二女、百官・牛羊・倉廩備、以事舜於畎畝之中。天下之士多就之者。帝將胥天下而遷之焉。爲不順於父母、如窮人無所歸。帝、堯也。胥、相視也。遷之、移以與之也。如窮人之無所歸、言其怨慕迫切之甚也。天下之士悅之人之所欲也。而不足以解憂。好色人之所欲。妻帝之二女、而不足以解憂。富人之所欲。富有天下、而不足以解憂。貴人之所欲。貴爲天子、而不足以解憂。人悅之、好色富貴、無足以解憂者。惟順於父母可以解憂。人少則慕父母、知好色則慕少艾、有妻子則慕妻子、仕則慕君、不得於君則熱中。艾、美好也。不得、失意也。熱中、躁急心熱也。大孝終身慕父母。五十而慕者予於大舜見之矣。
【読み】
○萬章問いて曰く、舜田に往きて旻天に號泣す。何爲れぞ其れ號泣するや、と。孟子曰く、怨み慕うなり。我力を竭して田を耕し子爲るの職を共するのみ。父母の我を愛せざるは、我に於て何ぞや、と。旻天に號泣すは、天を呼びて泣くなり。怨み慕うは、己の其の親に得られざるを怨みて思い慕うなり。我に於て何ぞやは、自ら己に何の罪有るかを知らざるを責むるのみ。父母を怨むに非ざるなり。帝其の子の九男二女をして百官・牛羊・倉廩を備えて、以て舜に畎畝の中に事えしむ。天下の士之に就く者多し。帝將に天下を胥[ひき]いて之に遷さんとす。父母に順ならざるが爲に、窮人の歸する所無きが如し。帝は堯なり。胥は相視るなり。之を遷すは、移して以て之に與うるなり。窮人の歸する所無きが如しは、其の怨慕迫切の甚しきを言うなり。天下の士之を悅ぶは人の欲する所なり。而して以て憂いを解くに足らず。好色は人の欲する所なり。帝の二女を妻として、而して以て憂いを解くに足らず。富は人の欲する所なり。富天下を有して而して以て憂いを解くに足らず。貴は人の欲する所なり。貴きこと天子と爲りて、而して以て憂いを解くに足らず。人之を悅ぶこと、好色・富貴あるも、以て憂いを解くに足る者無し。惟父母に順にして以て憂いを解く可し。人少なれば則ち父母を慕い、好色を知れば則ち少艾[しょうかい]を慕い、妻子有れば則ち妻子を慕い、仕うれば則ち君を慕い、君に得られざれば則ち中に熱す。艾は美好なり。得られずは、意を失うなり。中に熱するは、躁急にして心熱するなり。大孝は身を終るまで父母を慕う。五十にして慕う者は予大舜に於て之を見る、と。

○万章問曰云々。偖て孟子の時分にも舜の説話か方々にあって、不審なことしゃ、舜が天を呼て泣かしった。これか誠の至極なり。名主の所へ行て云とは違ふ。さしつまりたときに天を呼ものなり。人は天地の内に孕まれてをるゆへ難義なときは自然と天を呼。不作と云と皆かああ天道様と云。せつないときはわれをわすれて天と云ことか出る。自然なり。さて学者か古之事をしり、異事を記したかるか、それは帳靣の上てはかりしりたのなり。たたい本道に知ると云は心を知ること。孟子は数千歳の後に生れて、舜と兄弟のよふに舜の心をしりてをられた。舜の心を知らぬと云なれは、左伝や史記なととひとつになる。舜か何の事もなく怨み慕てつい泣たもの。泣けはよいかと云ことてはない。小児か痛処のあるときたたなく。ないたとてなをるものかたわけめとて、大人か薬を付てやる。垩人か親に得られぬことをたた泣かしった。孟子か舜の御心を云はしったもの。頓とをれか役は精を出して耕作するか役ゆへちっとも懈らず耕作するに、とふしてかこちにわるいことあるとみへ、御気に入らぬやらと泣なり。凡夫はここてうっちゃれと云。舜のはそふてはない。ここか垩人の誠なり。○責不知己有何罪耳を浅見先生の弁に、なにさまよしこそあろふこのわけしらぬ、かなしやと泣くことと云へり。何そ気に入らぬことかあろふ、それをしらぬ、かなしとなり。甚た情の逈りたことて、天道も知ることなしと云なとと同しことなり。
【解説】
「萬章問曰、舜往于田號泣旻天。何爲其號泣也。孟子曰、怨慕也。我竭力耕田共爲子職而已矣。父母之不我愛、於我何哉。號泣于旻天、呼天而泣也。怨慕、怨己之不得其親而思慕也。於我何哉、自責不知己有何罪耳。非怨父母也」の説明。切ない時は我を忘れて天を呼ぶことがあるが、これが自然である。精を出して耕作をしているのに父母に愛されないのは自分に悪いことがあるからだろうが、それがわからないと、舜が天に向かって泣いた。孟子は舜の心を知っていて、この様に言ったのである。
【通釈】
「万章問曰云々」。さて孟子の時分にも舜の説話が方々にあって、不審なことだ、舜が天を呼んで泣かれた。これが誠の至極であり、名主の所へ行って言うのとは違う。差し詰まった時に天を呼ぶもの。人は天地の内に孕まれているので難儀な時は自然と天を呼ぶ。不作といえば皆がああ天道様と言う。切ない時は我を忘れて天を呼ぶことがある。これが自然である。さて学者が古の事を知り、異事を記したがるが、それは帳面の上でばかり知るのである。そもそも本当に知るというのは心を知ること。孟子は数千歳の後に生まれて、舜と兄弟の様に舜の心を知っておられた。舜の心を知らないというのであれば、左伝や史記などと同じになる。舜は何の事もなく怨み慕ってつい泣いたのである。泣けばよいということではない。小児が痛い処のある時にはただ泣く。泣いても治るものか、戯けめと言って、大人が薬を付けて遣る。聖人が親に得られないのでただ泣かれた。これが、孟子が舜の御心を言われたもの。俺の役は精を出して耕作することなので、少しも懈らずに耕作したのに、どうしてか自分に悪いことがあるらしく、御気に入らないのだろうと泣いたのである。凡夫はここで止めようと言うが、舜はそうではない。ここが聖人の誠である。「責不知己有何罪耳」を、浅見先生の弁に、何か理由があるのだろうが、そのわけがわからない、悲しいことだと泣くことだとある。何か気に入らないことがあるのだろうが、それがわからない、悲しいことだということ。甚だ情の廻ったことで、天道も知ることなしと言うのと同じこと。

○帝使其子云々。舜の思ひ切りのないことを云たもの。孝行らしい人かあっても、これからさきはとふもならぬと云て、怨慕ののりけかぬけてしまふ。尭か天下を譲らしゃる思召ゆへ、心ゆきはきいてをれとも、ためそうふとて九人の御子達を舜へ御附人にしられた。是等は昔のことゆへとふしたことやらはかられぬこと。○牛羊云々は臺所をもつと云やふなもの。○天下之士多就之者は、此時のことを書たもの。天下の者か皆舜に帰服した。このことを史記か書た。一年而所居成聚、二年成邑、三年成都とあり、これを垩人の過化存神之妙と云。天下を舜へ渡そふと云がぶらさがりて見へてをる。これは本望とちとぶんな心にもなるかと思ふに、爲不順於父母、如窮人無所帰也。上もないことゆへちと機嫌かよくなるかと云に、たた親の気に入らぬが苦労になる。そのやふすか枕を持てあるく居所のない乞食のよふなり。九男は親王なり。二女は公主なり。それを妻にして、それに乞食のやふしゃとはとふなれは、舜の御心か宿無しのやふになってをる。なせなれは、なにもかも手に付ぬ。孟子てなけれはこふは云ぬことなり。舜の心を見て取たにこれほとなことはない。舜がこふ云塲にならしっても、中々よいめにあったなとと云やふな御心はない。
【解説】
「帝使其子九男二女、百官・牛羊・倉廩備、以事舜於畎畝之中。天下之士多就之者。帝將胥天下而遷之焉。爲不順於父母、如窮人無所歸。帝、堯也。胥、相視也。遷之、移以與之也。如窮人之無所歸、言其怨慕迫切之甚也」の説明。舜に天下を渡そうとしているのに、舜はただ親の気に入らないことを苦労にする。
【通釈】
「帝使其子云々」。舜が諦めないことを言ったもの。孝行らしい人がいても、これから先はどうにもならないと言って、怨慕の乗り気が抜けてしまう。堯は天下を譲られる思し召しなので、心意気は聞いているが、試そうとして九人の御子達を舜の御付人にした。これらは昔のことなので、どうしたことなのか、推測することはできない。「牛羊云々」は台所を持つという様なもの。「天下之士多就之者」は、この時のことを書いたもの。天下の者が皆舜に帰服した。このことを史記が書いた。「一年而所居成聚、二年成邑、三年成都」とあり、これを「聖人過化存神之妙」と言う。天下を舜へ渡そうということがぶら下がっているのが見える。これは本望と一寸その気になるかと思えば、「為不順於父母、如窮人無所帰」である。この上もないことなので、一寸機嫌がよくなるかと思えば、ただ親の気に入らないことが苦労になる。その様子が枕を持って歩く居所のない乞食の様だった。九男は親王で、二女は公主である。それを妻にして、それなのに乞食の様だとはどういうことかと言うと、舜の御心が宿無しの様になっていたからである。それは何故かと言うと、何も手を付けない。孟子でなければこの様には言えない。舜の心を見て取ったのにこれほどのことはない。舜はこの様な場になられても、よい目に遇ったなどと言う様な御心は中々ない。
【語釈】
・一年而所居成聚、二年成邑、三年成都…史記五帝本紀舜帝の語。
過化存神之妙…論語学而10集註。「聖人過化存神之妙」。

○天下之士悦之人之所欲也云々。さて々々はや舜を知た人は孟子なり。ここに不足々々と云ことがいかいことある。なにをもって来てもたらぬ。不足せまいことを不足するか舜の舜たる処。人の吾に服すると云は一人二人つこふ小奴穉ても、給金とらすともとめて下されと云へはうれしいもの。帰服ほとよいことはないに、そんなことてはなく、天下中か帰服した。而の字かのこらすついてある。それてもと云ことなり。それを悦はぬものはないに、それても不足以解憂也。なせ不足解憂なれは、こちに苦労なことかある。たた瞽瞍の方のあたりのわるいことか胷にある。皆々冨貴をひょろ々々々望むか、舜へは天下か来た。人情か替たものて、すこし舛進しても悦ふものなり。刀ほとうるさいものはないか、百姓か帯刀許されるとあれを悦ひ、君から馬具ても拜領と云へは機嫌かよくなり酒を振舞。家中者か僅か一段役あかることをよろこぶ。舜のは甚ひことて、天子になることかそこへ来てをる。それても憂かほとけぬ。此憂の解きやふは好色てもゆか子は冨貴てもゆかぬ。直方先生の云、乳母の留主に子共の泣くやふなもの。人形をやりてもなにをやりてもやまぬか、乳母がくるとちきになきやむ。いろ々々なことかくるか悦はぬ。たた父母に得られたい斗りなり。
【解説】
「天下之士悅之人之所欲也。而不足以解憂。好色人之所欲。妻帝之二女、而不足以解憂。富人之所欲。富有天下、而不足以解憂。貴人之所欲。貴爲天子、而不足以解憂。人悅之、好色富貴、無足以解憂者。惟順於父母可以解憂」の説明。天下中が帰服しても舜の憂いを解くには足りない。ただ父母に得られたいだけである。
【通釈】
「天下之士悦之人之所欲也云々」。さてさて舜を知った人は孟子である。ここに「不足」ということが大層ある。何を持って来ても足りない。不足でなさそうなことを不足とするのが舜の舜たる処。人が自分に服するというのは、一人や二人の小丁稚を使う場合でも、給金を貰わなくても置いて下さいと言われれば嬉しいもの。帰服ほどよいことはない。しかも、その様なことではなく、天下中が帰服した。ここに「而」の字が残らず付いている。これはそれでもという意である。それを悦ばない者はいないのに、それでも「不足以解憂」である。何故不足解憂なのかと言うと、こちらに苦労なことがある。ただ瞽瞍の当たりの悪いことが胸にある。皆は富貴をひょいひょいと望むが、舜へは天下が来た。人情とは変わったもので、少し昇進しても悦ぶもの。刀ほど煩いものはないが、百姓が帯刀を許されるとあれを悦び、君から馬具でも拝領と言えば機嫌がよくなり酒を振舞う。家中の者が僅か一段役が上がることを喜ぶ。舜は甚だしいことで、天子になることがそこへ来ている。それでも憂いが解けない。この憂いの解き様は好色でも富貴でもうまく行かない。直方先生の言う、乳母の留守に子供の泣く様なもの。人形を遣っても何を遣っても泣き止まないが、乳母が来ると直ぐに泣き止む。色々なことが来るが悦ばない。ただ父母に得られたいだけである。

○人少則慕父母云々。これからは舜の一生の孝行を云の枕辞なり。そこてひろく人のなりを云。生れたときは誰も彼も父母を慕ふか、成人すると段々向の相手か違てくる。相手のちこふて来るてこちの心かふんになる。好色の心かてる。もふ欲か一つふへてきたなり。わかい女のことを艾と云。美女のことなり。それに付て親の方をわすれる。昔の生れたときとはちかい、成人するに隨て欲かふへ相塲がかわる。奉公するとどふなりと君にえられたいとする。君の御気に入らぬと胸ががさつかわしてつんとあしな心もちになる。吾より才力かなく、あとより来た者がずか々々加増立身して、君から此方をばふりかへりてみることもないと云になれは、表向てはなにこともないかををしても、づんと内できをもむ。○熱中は胸のもへることしゃと浅見先生の仰られた。心がさわかしくなる。軽ひ日ときの奉公人てさへこれかある。そふなり。まして三代相恩て君の前の不首尾と云なれは、熱するはつなり。ときにかけなかしのてきあいの人間はこふしたものなれとも、大孝と云に名の付人は相塲はかわらぬ。天窓のはける迠同しちょふし。これは大孝なものをひろく云たもの。をれか五十になって慕たものを端的にみた。○予於大舜見之なり。ここに朱子の説もあり、舜か五十歳になって天下の攝政官になられた。是迠慕たと云へは一生慕なり。
【解説】
「人少則慕父母、知好色則慕少艾、有妻子則慕妻子、仕則慕君、不得於君則熱中。艾、美好也。不得、失意也。熱中、躁急心熱也。大孝終身慕父母。五十而慕者予於大舜見之矣」の説明。人は成人するに従って欲が増えて相場が変わるが、舜は大孝で、いつも相場が変わらなかった。
【通釈】
「人少則慕父母云々」。これからが舜の一生の孝行を言う枕詞であり、ここで広く人のなりを言う。生まれた時は誰も彼も父母を慕うが、成人すると段々向かうの相手が違って来る。相手が違って来るのでこちらの心が変わる。好色の心が出ると、もう欲が一つ増えて来る。若い女のことを「艾」と言う。美女のこと。それで親の方を忘れる。昔生まれた時とは違い、成人するに従って欲が増えて相場が変わる。奉公するとどうしても君に得られたいと思う。君が御気に入らないと胸ががさついて実に悪い心持になる。自分よりも才力がなく、後から来た者がずかずかと加増立身して、こちらは君から振り返って見られることもないということであれば、表向きは何事もない顔をしていても、内では実に気を揉む。「熱中」は胸の燃えることだと浅見先生が仰せられた。心が騒がしくなる。軽い日雇いの奉公人でさえこれがある。そうなのである。ましてや三代相恩でありながら、君の前で不首尾であれば熱する筈。時に掛け流しの出来合いの人間はこうしたものだが、「大孝」と名の付く人は相場が変わらない。頭の禿げるまで同じ調子である。これは大孝な者を広く言ったもの。俺は五十になって慕った者を端的に見た。「予於大舜見之」である。ここに朱子の説もあり、舜は五十歳になって天下の摂政官になられた。これまで慕ったと言えば一生慕ったのである。


稽古7
○楊子曰、事父母自知不足者其舜乎。不可得而久者、事親之謂也。孝子愛日。
【読み】
○楊子曰く、父母に事えて自ら足らざるを知る者は其れ舜か。得て久しくす可からずとは、親に事うるの謂なり。孝子は日を愛[お]しむ。

○楊子云々。不足々々と云をしるかよい。是かしれぬものなり。兎角平人はをれも相応にすると思ふ。これか浅間しいことそ。利口ゆへ自慢はせぬか、心てはすると思。孝行ところてはない。たた寒くなひやふにしたきりなり。本道の孝行は足らぬ々々々と思ふ。揚雄かよく云た。舜の孝行は天をつきぬくほとて、さて沢山とは思召さぬ。不足は、吾か可愛子の看病をするとき自慢をせぬやふなものしゃと浅見先生の云はれた。何とよい看病人てはあるまいかと云はぬ。とかく親のときには自慢か出て、親の看病をしたにをれほとなものは此邑にはあるまいと云なり。さていつも々々々親か存生てはをらぬもの。
【解説】
「楊子曰、事父母自知不足者其舜乎」の説明。本当の孝行とは、十分だとせず、足りないと思うこと。我が子の看病を自慢する者はいないが、とかく親の看病には自慢が出るもの。
【通釈】
「楊子云々」。「不足」を知りなさい。これが知れないもの。とかく平人は俺も相応にすると思う。これが浅間しいこと。利口なので自慢はしないが、心では相応にすると思う。孝行どころではない。ただ寒くない様にしただけである。本当の孝行は足りないと思うこと。楊雄がよく言った。舜の孝行は天を突き抜くほどだが、さてこれで沢山だとは思し召さない。不足は、自分の可愛い子の看病をする時は自慢をしない様なものだと浅見先生が言われた。何とよい看病人ではないかなどとは言わない。しかし、とかく親の時には自慢が出て、俺ほど親の看病をした者はこの邑にはいないだろうと言う。さて、いつまでも親は存生ではないもの。
【語釈】
・楊子…揚雄。楊雄。前漢の学者。字は子雲。四川成都の人。前53~後18

○不可得而久かそれて、交の永くないものなり。六藝の注に考老と云字のあるもきこへた。書画ても親と云字と老の字は並たことになる。親と云へは老の方なり。その筈そ。早くても十八九て子をもちても十八違ふ。をそけれは、晩年になって子をもつ人もある。そこて中々ゆるりと孝行かしられるものてはない。偕老同契のよふになかくはないもの。今日も設かった々々々々とをしむ。浅見先生か、へるからをしむと云ことしゃと云へり。今日一日孝行、はや一日たけへる。入合は人の命をこすりとりと云句あり。吾もそふなれとも、親は固よりのこと。○孝子愛日と云は、舜なとて云は子はならぬこと。今日中々ないこと。譬て云へは奉公人のやぶいりに来たやふなもの。軽ひ者も重ひものもやふいりのとき、はやもふ一日になったかと云。孝子の事親か三日やふいりに行たよふに思ふから、なにもかも大事とする。
【解説】
「不可得而久者、事親之謂也。孝子愛日」の説明。親との交わりは永くないもの。そこで日を愛しむ。
【通釈】
「不可得而久」がそれで、交わりの永くないもの。六芸の注に考老という字があるもよくわかる。書画でも親という字と老の字は並んだことになる。親と言えば老の方である。その筈で、十八九で早く子を持っても十八違う。遅ければ、晩年になって子を持つ人もいる。そこで中々ゆっくりと孝行ができるものではない。偕老同穴の様に永くはないもの。今日も儲かったと愛しむ。浅見先生が、減るから愛しむということだと言った。今日一日孝行をすれば、早くも一日だけ減る。入相は人の命を擦り取りという句がある。自分もそうだが、親は固よりのこと。「孝子愛日」とは、舜などで言わなければならないこと。今日中々ないこと。たとえて言えば奉公人が薮入りに来た様なもの。軽い者も重い者も薮入りの時は、早もう一日になったかと言う。孝子が親に事えることを三日薮入りに行った様に思うから、何もかも大事とする。
【語釈】
六藝の注に考老
・入合…日の入る頃。夕暮。


稽古8
○文王之爲世子、朝於王季日三。雞初鳴而衣服至於寢門外、問内豎之御者曰、今日安否如何。内豎曰、安。文王乃喜。内豎、小臣。掌通内外之命。及日中又至亦如之。及莫又至亦如之。莫、夕也。其有不安節、則内豎以告文王。文王色憂、行不能正履。節謂居處、故事、履蹈地也。王季復膳、然後亦復初。食上必在視寒暖之節、食下問所膳、命膳宰曰、末有原。應曰、諾。然後退。在、察也。末猶勿也。原、再也。勿有所再進、爲其失飪、臭味惡也。退、反其寢。
【読み】
○文王の世子爲るや、王季に朝すること日に三たび。雞初めて鳴きて衣服して寢門の外に至り、内豎の御者問いて曰く、今日の安否如何、と。内豎曰く、安し、と。文王乃ち喜ぶ。内豎は小臣。内外の命を通ずるを掌る。日中に及びて又至りても亦之の如し。莫に及びて又至りても亦之の如し。莫は夕なり。其れ節に安んぜざること有れば、則ち内豎以て文王に告ぐ。文王色憂えて、行くに正しく履むこと能わず。節の謂いは居處、故事の履蹈の地なり。王季膳に復りて、然して後に亦初めに復る。食上れば必ず寒暖の節を在視し、食下れば膳する所を問い、膳宰に命じて曰く、原[ふたた]びすること有る末[な]かれ、と。應えて曰く、諾、と。然して後に退く。在は察なり。末は猶勿のごとし。原は再なり。再び進むる所有る勿かれは、其の飪を失い、臭味の惡からん爲なり。退は其の寢に反るなり。

○文王之爲世子云々。文王の部屋棲てこさるときのことを、なんのことなくありなりを書たもの。天下を三分にした殊外ををき井御方て、親に事るがかるい者のやふてありた。○孔氏曰の注は山﨑先生か集成に本注とあるゆへ出してをかれたか、これは誤て出したものなり。○問内豎之御者は、奥向に泊りて御側を勤める番人に、何と昨晩はとふあったなときく。よいと云と、文王のやふすかいそ々々してかへる。○不安節は、ちと常とは違たこと。なにも大病の難治と云ふ病てはない。すこしいつもとちかった。何のこともないか、常はよく子るか昨夜は寢られなんたと云か不安節也。云立にするほとのことてはないか、聞くゆへ云は子は越度になる。そふきくと、文王のあるくに足元かよど々々して、ころは子はよいと云やふなり。ここか垩賢の御心そ。すこし云分のあると云にも此通りなり。○居処は平生のいどころ。○故事は平生の通りのこと。これにはさま々々なことあり。
【解説】
「文王之爲世子、朝於王季日三。雞初鳴而衣服至於寢門外、問内豎之御者曰、今日安否如何。内豎曰、安。文王乃喜。内豎、小臣。掌通内外之命。及日中又至亦如之。及莫又至亦如之。莫、夕也。其有不安節、則内豎以告文王。文王色憂、行不能正履。節謂居處、故事、履蹈地也」の説明。部屋住みの時の文王は親の様子を気遣った。親がいつもと同じだといそいそとした様子だが、少しでもいつもと違うと足元がふらつくほどに動揺した。
【通釈】
「文王之為世子云々」。これは、文王が部屋住みでおられた時のことを、何事もなくありのままに書いたもの。天下を三分にした殊の外大きい御方でありながら、親に事えるのは軽い者の様だった。「孔氏曰」の注は山崎先生が集成に本注とあるので出して置かれたものだが、これは誤って出したもの。「問内豎之御者」は、奥向きに泊って御側を勤める番人に、昨晩はどうだったかと聞いたこと。よいと言われると、文王はいそいそとした様子で帰った。「不安節」は、一寸常とは違ったことで、何も大病の難治のという病ではない。いつもと少し違っていた。何事もないことだが、常はよく寝るが昨夜は寝られなかったというのが不安節である。言い立てにするほどのことではないが、聞かれて答えなければ落ち度になる。それを聞くと、文王は歩くのにも足元がよどよどして、転ばなければよいがという様だった。ここが聖賢の御心である。言い分が少しあってもこの通りである。「居処」は平生の居所。「故事」は平生の通りのこと。これには様々なことがある。

○飯を何抔と云細なこともある。御膳は平生の通りなれとも、今日はなせか烟草を召上ヶられぬと云。ちと違ふた、熱気てもあると云。わつかなこと。病気か平愈して御定の通りなれは、文王も不断のとをりなり。○末有原は今の歴々にはあたまてないこと。同しものを二度あけると云ことは决してないか、なにを云にも文王の時分は昔を去ること遠くないもの。よって二度さし上けることもあるとみへる。
【解説】
「王季復膳、然後亦復初。食上必在視寒暖之節、食下問所膳、命膳宰曰、末有原。應曰、諾。然後退。在、察也。末猶勿也。原、再也。勿有所再進、爲其失飪、臭味惡也。退、反其寢」の説明。親が前と同じになると、文王も普段の通りに戻った。
【通釈】
飯を何杯食ったという細かなことまでがある。御膳は平生の通りだが、今日は何故か煙草を召し上がられないと言う。一寸違う、熱気でもあると言う。僅かなこと。病気が平癒して御定まりの通りになれば、文王も普段の通りである。「末有原」は今の歴々には全くない。同じものを二度上げるということは決してないが、何と言っても文王の時分は昔を去ること遠くはない。そこで、二度差し上げることもあったものと見える。


稽古9
○文王有疾、武王不説冠帶而養。文王一飯亦一飯。文王再飯亦再飯。欲知氣力箴藥所勝。
【読み】
○文王疾有れば、武王冠帶を説かずして養う。文王一たび飯すれば亦一たび飯す。文王再び飯すれば亦再び飯す。氣力は箴藥の勝る所を知らんことを欲す。

○文王有疾云々。また此の文王の御子の武王もやはりそのとをりのことて、文王御病氣のときはとふも寢つかれぬ。その寢つかれぬと云か心の誠から出ることて、礼式てすることてはない。文王の御側に歴々もをるゆへ、付てをら子はならぬてもない。手がまわらぬと云ことてもないか、わきへゆかれす目がはなされぬ。文王か食につくと、武王もをなしかけ目にあかる。兎角飲食て精気か違ふものなり。食事がすくなけれは元気もさへられる。そこてここの処へ此薬てはいかかと云。これかこふするものと云法ではない。武王の此一心から放伐もしたこととみるかよい。文王と武王てはしかたかちこふ。前文王がこふなされたから、をれもこふしよふと武王かなさりはせぬ。帳靣てするやふなことはひとつもない。みな誠なり。その誠はとふ出るもしれぬ。みな誠の心てする。文王を養ふも此心、紂王を伐も此心。神道者なとか己か心をもって垩人を疑ふそ。とこへ行ても垩人は此誠なり。忠節も本の忠節はこれから出る。偖て此段か垩人の孝行と云ことゆへ、これほとに云は子は文王や武王の字にあたらぬ。
【解説】
文王が病気の時、武王は一緒に食事をして、どの薬がよいかをはかった。武王は帳面でする様なことはなく、皆誠でした。紂王を伐ったのもこの誠からしたこと。
【通釈】
「文王有疾云々」。また文王の御子の武王もやはりこの通りで、文王が御病気の時はどうも寝付かれない。その寝付かれないというのが心の誠から出たことで、礼式ですることではない。文王の御側には歴々もいるので、付いていなければならないわけでもなく、手が回らないということでもないが、脇へも行けず、目が離せない。文王が食に着くと、武王も同じ量だけ召し上がる。とかく飲食で精気が違うもの。食事が少なければ元気も障えられる。そこでここの処へはこの薬ではいかがかと言う。これがこうするものという法があるのではない。武王のこの一心から放伐もしたものと見なさい。文王と武王では仕方が違う。前に文王がこうなされたから、俺もこうしようと武王がなさりはしない。帳面でする様なことは一つもない。皆誠である。その誠はどの様に出るかも知れない。皆誠の心でする。文王を養うのもこの心、紂王を伐つのもこの心。神道者などが自分の心をもって聖人を疑う。何処へ行っても聖人はこの誠である。忠節も本当の忠節はこれから出る。さてこの段が聖人の孝行ということなので、これほどに言わなければ文王や武王の字に当たらない。