稽古27
○臼季使過冀、臼季、胥臣字。冀、晉邑。見冀缺耨、其妻饁之、敬相待如賓、與之歸、言諸文公、文公、晉君。名、重耳。曰、敬、德之聚也。能敬、必有德。德以治民。君請用之。臣聞出門如賓、承事如祭、仁之則也。文公以爲下軍大夫。
【読み】
○臼季使して冀を過ぎ、臼季は胥臣の字。冀は晉の邑。冀の缺[けつ]の耨[くさぎり]て、其の妻の之に饁[よう]するに、敬みて相待つこと賓の如くなるを見て、之と歸り、諸を文公に言いて、文公は晉君。名は重耳。曰く、敬は德を之れ聚むるなり。能く敬めば、必ず德有り。德は以て民を治む。君之を用いんことを請う。臣、門を出ずるに賓の如く、事を承るに祭の如くなるは、仁の則なりと聞く、と。文公以て下軍大夫と爲す。

十一月十六日
【語釈】
・十一月十六日…寛政元年(1789)11月16日。

○臼季使過冀。この章より夫婦の別を云。夫婦の間は別の字てとこ迠も立ることなり。歴々は重ひ方から別も立つもの。卑賤な者は、夫は水を汲み、婦は炊くゆへ、別か立ぬものなれとも、其軽ひ身に別の立つて、それから万端を推して知る。此章、百姓の女房か夫の弁当持て行くをみたこと。是を夫婦の稽古に挙たか靣白い。○舅犯や臼季は二人共に伯者のをんべいかつきなれとも、其れを大学へ載るも朱子の小学へ載るも、取挙る歴々の目からは遠慮はない。臼季も先王の世を去ること遠からす、餘沢を蒙りて居るゆへ善ひ眼かある。管仲晏子もそれ。舅犯か愛親爲宝と云。渠等は下腹に毛のないものなれとも、先王の餘沢て善ことをも爲し、善ことをも云ふ。臼季か今日使者に出て掘出を買て来たか眼力があってのこと。利休か弟子善道具を買ふも目鍳かあるゆへなり。臼季か夫婦の別て其人を見て取れり。○人を目利はなんても夫婦のをし並んたときのこと。尭の女を舜の奥方にして試み玉ふ。それとは違へとも、臼季も夫婦の別て掘出したものなり。されは目の付処は一つことなり。
【解説】
「臼季使過冀、臼季、胥臣字。冀、晉邑。見冀缺耨、其妻饁之、敬相待如賓、與之歸、言諸文公、文公、晉君。名、重耳」の説明。舅犯や臼季の時代は先王の世から程遠くないから、先王の余沢を蒙ることがあった。臼季が使者に出て掘出し物を見付けた。彼は眼力があったので、夫婦の別で冀缺を見て取った。
【通釈】
「臼季使過冀」。この章からは夫婦の別を言う。夫婦の間は別の字で何処までも立てるもの。歴々は重い方から別も立つもの。卑賤な者は、夫は水を汲み、婦は炊くので別が立たないものだが、その軽い身に別が立つので、それから万端を推して知ることができる。この章は百姓の女房が夫の弁当を持って行くのを見てのこと。これを夫婦の稽古に挙げたのが面白い。舅犯や臼季は二人共に覇者の太鼓持ちだが、それを大学に載せるのも朱子が小学に載せるのも、取り上げる歴々の目からすれば遠慮はない。臼季も先王の世を去ること遠からず、余沢を蒙っているので善い眼がある。それは管仲や晏子も同じ。舅犯が「愛親為宝」と言った。彼等は下腹に毛のない者だが、先王の余沢でよいことをもして、よいことをも言う。臼季が今日使者に出て掘出し物を買って来たのが眼力があってのこと。利休の弟子がよい道具を買うのも眼力があるからである。臼季が夫婦の別でその人を見て取った。人を目利きするには何でも夫婦がおし並んだ時がよい。堯は娘を舜の奥方にして試みた。これはそれとは違うが、臼季も夫婦の別で掘り出した。それなら目の付け処は同じである。
【語釈】
・舅犯…大学章句10。「舅犯、晉文公舅狐偃、字子犯。亡人、文公時爲公子、出亡在外也」。
・をんべい…諂い者。
・愛親爲宝…大学章句10。「舅犯曰、亡人無以爲寶、仁親以爲寶」。同集註。「仁、愛也。事見檀弓」。礼記檀弓下に、「舅犯曰、孺子其辭焉。喪人無寶、仁親以爲寶」とある。
・下腹に毛のない…老狼は下腹に毛がないという言い伝えから、老獪な人物に言う。

○曰、敬德之聚也。之の字と也の字あるゆへ山﨑先生聚り也と点せられたか、字心かそふてない。字心を取れは、德を之聚むと読子はならぬ。也の字有てもかまわぬこと。是か也の字にきめては、敬が效になる。因て先軰德を之聚むと読たり。○聚むはとふなれは、德は天德也。不敬なれは其德が逐電する。其無くなるものを聚むるか敬なり。○能敬めは德は独り手になる。遠くから才覚するものにあらす。もとよりそらに有明の月。それを敬むのみ。そこて德か成就する。○德以治民。爲政以德と云も是也。○君請用之。冀缺は人に治められる男てない、人を治る男しゃと見て、彼の田の中に居る男を取あけて民を治めさせるか善かろふと上へ進めり。丈夫な眼て見て取れり。
【解説】
「曰、敬、德之聚也。能敬、必有德。德以治民。君請用之」の説明。ここは徳を之聚[あつ]むと読む。不敬であれば徳が逐電する。その逐電する徳を敬によって聚めるのである。
【通釈】
「曰、敬、徳之聚也」。「之」の字と「也」の字があるので山崎先生が聚[あつま]りなりと点をされたが、字心はそうではない。字心を取れば、徳を之聚[あつ]むと読まなければならない。也の字があってもそれは構わない。これを也の字で決めては敬が効になる。そこで先輩も徳を之聚むと読んだ。聚むとはどういうことかと言うと、徳は天徳である。不敬であればその徳が逐電する。そのなくなるものを聚めるのは敬による。よく敬めば徳は独りでに成る。それは遠くから才覚するものではない。もとより空に有明の月。それを敬むのみ。そこで徳が成就する。「徳以治民」。「為政以徳」と言うのもこれ。「君請用之」。冀缺は人に治められる男ではない、人を治める男だと見て、あの田の中にいる男を取り上げて民を治められるのがよいだろうと上に薦めた。丈夫な眼で見て取った。
【語釈】
・爲政以德…論語為政1。「子曰、爲政以德、譬如北辰居其所而衆星共之」。
・冀缺…冀は晋の邑名。缺は晋の大夫郤缺。

○臣聞云々。上は我見識、以下は承り及んたことを述る。此語論吾と同しことなれとも、左傳か古い。左丘明か孔子の言を出したと云ことてなし。古よりあったこと。古語を孔子の示し玉ふと見へる。元亨利貞の字も克己の字も左傳に見ゆ。其類多し。仁之則也。覇者の張本の世話をする男共なれとも、古代は善いことを云。この仁之則也と云ことなとは後世知らぬこと。そこて漢唐の間、言ことならぬ。仁之則と云は詩書に見へぬことなれとも、仁はすなわち上の德のこと。大学て明德と云ひ、論吾て仁と云、皆同し。敬は心のうっかりや物にうつらぬ、主一にするを云。然れとも、靣壁てはない。平生賔や祭のやふなれはうっかりとはならぬ。其通りするて仁の丈木じゃとなり。たた仁にならふてはない。こふするのて仁之則しゃ、と。やっはり仲弓に告られた意そ。
【解説】
「臣聞出門如賓、承事如祭、仁之則也」の説明。この仁は徳のことで、それは大学の明徳、論語の仁と同じこと。敬は心がうっかりとしたり物に移らない様に主一にすることだが、それは面壁のことではない。「出門如賓、承事如祭」が仁の則である。
【通釈】
「臣聞云々」。上は自分の見識で言い、以下は承り及んだことを述べたもの。この語は論語と同じだが、左伝の方が古い。左丘明が孔子の言を出したということではない。古からあったこと。古語を孔子が示されたものと見える。元亨利貞の字も克己の字も左伝にある。その類は多い。「仁之則也」。覇者の張本の世話をする男共だが、古代はよいことを言った。この仁之則也などは後世の知らないこと。そこで漢唐の間でこれを言ことはできなかった。仁之則は詩書には見えないが、仁は即ち上の徳のこと。大学で明徳と言い、論語で仁と言うが、皆同じこと。敬は、心がうっかりとしたり物に移らない様に主一にすること。しかしながら、それは面壁ではない。平生が賓や祭の様であればうっかりとはならない。その通りをするので仁の定規となる。ただ仁になろうと思ってするのではない。この様にするので仁之則だと言う。これがやはり仲弓に告げられた意である。
【語釈】
・左傳か古い…この章は左伝僖公33年が出典である。
・元亨利貞…左伝襄公にある。
・克己…左伝昭公にある。
・仲弓に告られた…論語顔淵2。「仲弓問仁。子曰、出門如見大賓、使民如承大祭。己所不欲、勿施於人。在邦無怨、在家無怨。仲弓曰、雍雖不敏、請事斯語矣」。

○下軍大夫。晋には上軍中軍下軍の大夫あり。其つかさとる処て上中下か立つ。冀缺は今日迠耟を取て直に大夫となる。後世軍旅の事に人を撰むならは軍法と云へきに、夫婦の別て其軍の惣大將にせり。後世とは目利か違ふ。○ここに一と吟味あり、饁は其時の摸様にて、缺か善のか妻の善のか、どちの手抦か知れぬ。世に女房は挌段て夫は有るへかかりのもある。そこを是か女房の手抦にもせす、夫を取り上たて夫婦の別の則になる。前にも云、女は一人立ことならぬ蔓もののやふなもの。蕣なとか添竹に倚って立つ。女房の善も夫次第のもの。兎角夫の善方に落る。きっとした主人の処ては、とふらくな下女もためいきつく迠か敬むもの。女房か敬ふと云なれは、夫の方の手抦なり。
【解説】
「文公以爲下軍大夫」の説明。女は一人立ちのできない蔓物の様なものだから、女房がよいのも夫次第である。女房が敬む気になるのは夫の手柄なのである。
【通釈】
「下軍大夫」。晋には上軍・中軍・下軍という大夫があった。その司る処で上・中・下が立つ。今日まで鋤を取っていた冀缺が直ぐに大夫となった。後世は軍旅の事で人を撰ぶ際は軍法によるが、夫婦の別で軍の総大将にした。後世とは目利きが違う。ここに一吟味がある。饁はその時の模様で、缺がよいのか妻がよいのか、どちらの手柄なのかは知れない。世には女房が格段で夫は平凡なものもある。そこを女房の手柄にせず、夫を取り上げたので夫婦の別の則になる。前にも言ったが、女は一人立ちのできない蔓物の様なもの。朝顔などが添え竹に寄って立つ。女房がよいのも夫次第である。とかく夫のよい方に落ちる。きっとした主人の処では、道楽な下女も溜息を吐くまでも敬むもの。女房が敬もうというのであれば、それは夫の方の手柄である。
【語釈】
・饁…田間で食物を送り届けること。


稽古28
○公父文伯之母、季康子之從祖叔母也。文伯、魯大夫、公父は歜。母、敬姜也。康子、魯正卿。名、肥。康子往焉、門而與之言、皆不踰閾。、闢也。閾、門限也。仲尼聞之、以爲別於男女之禮矣。(■は門に爲
【読み】
○公父文伯の母は、季康子の從祖叔母なり。文伯は魯の大夫、公父歜。母は敬姜なり。康子は魯の正卿。名は肥。康子往くに、門を[ひら]きて之と言い、皆閾[よく]を踰えず。は闢なり。閾は門限なり。仲尼之を聞きて、以て男女を別つの禮と爲す。

○公父文伯之母云々。従祖叔母。をををぢよめなり。ぢぢをぢよめとも云ふ。此由緒見せるて男女の遠慮も入らぬ。大きなばばさまと云ことなり。然れは康子は寒によく来た、まあ巨燵に這入れとも云へきときに、きっとした礼式なり。○門而與之云々。親類あいさつゆへ勝手へ通るに奥と表の間の門て大婆々を始て、皆閾の内へ入らぬ。皆の字はよめも娘も皆閾をへたてたこと。そこを孔子の殊の外の感心にて、すくれた風儀なり。七年男女不同席。それを推て来るゆへ、年よっても嫌を避る。姪孫ても此通り。夫婦の別の身にしっかりとしたことなり。
【解説】
公父文伯の母は、誰に対しても閾を隔てて人と話をした。「七年男女不同席」を推したので、年が寄っても嫌を避けた。夫婦の別が身に付いているのである。
【通釈】
「公父文伯之母云々」。「従祖叔母」。大叔父娵である。爺叔父娵とも言う。この由緒を見せるので男女の遠慮も要らない。大きな婆様ということ。そこで、康子に寒いのによく来た、まあ炬燵に這い入れとも言うべき時に、きっとした礼式で応じる。「門而与之云々」。親類挨拶なので勝手へ通るものなのに、奥と表の間の門で大婆々を始めとして、皆が閾の内へ入らない。「皆」の字は娵も娘も皆閾を隔てたということ。そこを孔子が殊の外感心して、優れた風儀だと言った。「七年男女不同席」。それを推して来るので、年が寄っても嫌を避ける。姪や孫とでもこの通りである。これが夫婦の別がしっかりと身に付いたこと。
【語釈】
・七年男女不同席…小学内篇立教2の語。


稽古29
○衛共姜者、衛世子共伯之妻也。共伯蚤死。共姜守義。父母欲奪而嫁之。共姜不許。作柏舟之詩以死自誓。
【読み】
○衛の共姜は、衛の世子共伯の妻なり。共伯蚤く死す。共姜義を守る。父母奪いて之を嫁せんと欲す。共姜許さず。柏舟の詩を作りて、死を以て自ら誓う。

○衛共姜者云々。共姜者諡也。共伯、部屋住て若死せり。共姜は未た奥さまもありて御新造と云もの。眉毛のある内に再嫁せまいとなり。○父母欲奪而嫁之。是か後世沢山あることなり。古今理すりの愛情と気すりの愛情かある。可愛に二つはなけれとも、理すり気すりの違なり。年若な者を孀婦にして置はふびんなこと。再嫁させたいと云は気すり。若くても後家にして義を立させたいと云て不便かるは理すりなり。○奪字、得心せぬものを引たくるを云。此懸物くれすは持て行と云か奪なり。天からの義を親か奪て志を遂けさせぬ。人になろふと云を人にさせぬ。向に生へなりにあるを横取する。さてまた奪の字いんきんなことにもありて、喪の中、天下の政に其人を上から手を下けて頼む意て、奪情と云。喪の本意をとけさせぬ。このやふな見事なこともあり、只今の忌御免なり。どちしても本意をとけさせぬ段は奪ぞ。そこて三代にはない。
【解説】
愛情には理釣りと気釣りとがある。年若な者を孀婦にして置くのは不便だから再嫁させたいと言うのは気釣りで、若くても後家にして義を立たさせたいと言って不便がるのは理釣りである。「奪」は、天からの義を親が奪って志を遂げさせないこと。
【通釈】
「衛共姜者云々」。共姜は諡である。共伯は部屋住みで若死にした。共姜には未だ奥様もあって御新造というもの。眉毛のある内に再嫁はしないと言った。「父母欲奪而嫁之」。これが後世に沢山あること。古今理釣りの愛情と気釣りの愛情がある。可愛いことに違いはないが、これが理釣り気釣りの違いである。年若な者を孀婦にして置くのは不便だから再嫁させたいと言うのは気釣り。若くても後家にして義を立たさせたいと言って不便がるのは理釣りである。「奪」の字は、得心しない者を引っ手繰ることを言う。この掛物をくれなければ持って行くと言うのが奪である。天からの義を親が奪って志を遂げさせないこと。人になろうと言うのに人にさせない。向こうに生まれ付きにあるのを横取りをする。さてまた奪の字は慇懃なことにもあって、喪中、天下の政にその人を上が手を下げて頼む意で、これを奪情と言う。喪の本意を遂げさせない。この様な見事なこともあり、只今の忌御免である。どちらにしても本意を遂げさせない段は奪である。そこでこれは三代にはない。

○貞女を立やふとするを貞女にさせぬ。理気のとりあつかひ、大切のこと。只の人は礼を知らぬゆへその筈なれとも、然し可愛と云て義を傷なふ、餓るときは人のものを盗んて食せる筈なり。無学の人の子を思ふは役にたたぬ。肉のある父母か我娘の義を奪とするは垩人の世にはない筈。後世名教の衰からかふしたたましひの親かある。○以死自誓。命かけの詩を作れり。和歌の感するも是なり。これて父母も再嫁させぬ。
【解説】
無学の人が子を思うのは役に立たない。理で捌かなければならない。共姜が柏舟の詩を作ったので、父母も再嫁させることを諦めた。
【通釈】
貞女を立てようとするのを貞女にさせない。理気の取り扱いが大切なこと。ただの人は礼を知らないのでその筈だが、しかし可愛いと言って義を害えば、餓えた時は人のものを盗んで食わせる筈。無学の人が子を思うのは役に立たない。肉のある父母が我が娘の義を奪おうとするのは聖人の世にはない筈。後世名教の衰えからこうした魂の親がいる。「以死自誓」。命懸けの詩を作った。和歌で感じるのもこれ。これで父母も再嫁させない。
【語釈】
・命かけの詩…詩経国風鄘柏舟。「汎彼柏舟、在彼中河、髧彼兩髦、實維我儀、之死矢靡它、母也天只、不諒人只。汎彼柏舟、在彼河側、髧彼兩髦、實維我特、之死矢靡慝、母也天只、不諒人只」。題下に「柏舟、共姜自誓也。衛世子共伯蚤死、其妻守義。父母欲奪而嫁之。誓而弗許。故作是詩以絶之」とある。


稽古30
○蔡人妻宋人之女也。既嫁而夫有惡疾。其母將改嫁之。女曰、夫之不幸乃妾之不幸也。奈何去之。適人之道、壹與之醮、終身不改。不幸遇惡疾。彼無大故、又不遣妾。何以得去。終不聽。酌而無酧酢曰醮。昏禮賛者三酳婿婦、而自酢。婿婦不與之酧也。
【読み】
○蔡人の妻は宋人の女なり。既に嫁して夫惡疾有り。其の母將に之を改め嫁せんとす。女曰く、夫の不幸は乃ち妾の不幸なり。奈何ぞ之を去らん。人に適くの道、壹たび之と醮[しょう]すれば、身を終うるまで改めず。不幸にして惡疾に遇う。彼に大故無く、又妾を遣らず。何を以て去ることを得ん、と。終に聽かず。酌して酧酢無きを醮と曰う。昏禮賛者三たび婿婦に酳して、自ら酢う。婿婦與に之れ酧せざるなり。

○蔡人妻宋人之女也。某先年の講にも曰尓[かく云ふ]と覚へき。この名氏知れぬか賞翫なり。詩圣の中淫奔に名氏あらはれたかある。美孟姜美孟弋の類。なにかしの氏と筋目正しひ。淫乱あるに。其れと引かへてこの名も知れぬものか此節操を立ると云は民之秉彛也。ここは何やら賣てありくものの子と云書出なり。人爵は軽くても、天爵は百万石なり。○女曰、夫之不幸云々。夫婦は一体一つ間のことゆへ妾か不幸となり。迂斎、女曰以下をよく合点もなされよと云弁となり。○承り及んた、彼の始の一与之醮也。○大故は当時一つあることと見へる。大略令書にもあるへし。叛逆ても企てるときは里方から女を取かへすことあるへし。それを大故と云。然るに夫に大故もなく、又、わたくしを去もせぬと云。扨、尭舜の世、文武の時は珍しくなけれとも、いつの世か知れぬか列女傳に載てある。誠に性善の処なり。
【解説】
寡婦が、夫の不孝は妻の不幸であり、夫に大故なく、離縁もしていないのに、ここを去ることはできないと言った。
【通釈】
「蔡人妻宋人之女也」。先年の私の講義でもこの様に言ったと思う。この氏名の知れないのが賞翫すること。詩経の中、淫奔の中に名字の現れたものがある。美孟姜美孟弋の類。何某の氏と筋目が正しい。淫乱があるにも拘らずである。それに比べてこの名も知れない者がこの節操を立てるというのは「民之秉彛」である。ここは何やら売って歩く者の子という書き出しである。人爵は軽くても、天爵は百万石である。「女曰、夫之不幸云々」。夫婦は一体で一つ間のことなので妾の不幸だと言う。迂斎が、女曰以下をよく合点しなさいという弁だと言った。承り及んだ、あの始めの「一与之醮」である。「大故」は当時一つあったことと見える。大略令書にもあることだろう。叛逆でも企てる時は里方から女を取り返すこともあるだろう。それを大故と言う。そこを、夫に大故もなく、また、私を去らせもしない。さて、堯舜の世や文武の時は珍しくもないが、いつの世か知れないが列女伝に載せてある。誠に性善の処である。
【語釈】
・詩圣の中…詩経国風鄘桑中。「爰采唐矣、沬之鄕矣。云誰之思、美孟姜矣。期我乎桑中、要我乎上宮。送我乎淇之上矣。爰采麥矣、沬之北矣。云誰之思、美孟弋矣。期我乎桑中、要我乎上宮。送我乎淇之上矣。爰采葑矣、沬之東矣。云誰之思、美孟庸矣。期我乎桑中、要我乎上宮。送我乎淇之上矣」。同題下に、「桑中、刺奔也。衛之公室淫亂、男女相奔、至于世族在位、相竊妻妾、期於幽遠、政散民流、而不可止」とある。
・民之秉彛…詩経大雅烝民。「天生烝民、有物有則。民之秉彝、好是懿德」。

○夫を大切にすると云は天性あること。傾城遊女にも思ふ心に此胸はないとは云はれぬ。それか無れは人の脉か切れる。上の段にも云、再嫁させやふと父母の方から此刄金を削る。世間多く父母や叔父叔母の方から貞女をくつすもの。学問するもの気を付へし。この再嫁をすすめるがどふらく者てなく、をとなしい者かするものなり。郷愿德之賊と云もそこなり。をとなしい顔て、若ひ者をあふして置ては結句よくないと云。それは仁義の良心に弓を引なり。学者はこの序によく合点せふこと。物を見事に片付やふとしてわるくする。鳩巣翁の再嫁説あり。某は合点せぬ。又、東渓の再嫁の説あり。東渓者多田先生之号。彼の説の中にも尤至極なことあり。其尤至極はきらふことなり。再嫁のことになりては学者は遠くへ引のいて相談はせぬことなり。扨、三宅先生はいこふ大義を重し甚激厲せり。復姓のことなともいかふきひしく、小野﨑先生復姓のことにつき、今遁るより外はないと云を迂斎告られたるに、三宅の、はあ舎人、そふ云ふがにげろと云はれよと一と口に挨拶されしなり。子を十人持て大名の家老なり。今夜遁ろとはするどき云分なれとも、大義の論になるといつもかふした三宅なり。
【解説】
妻が夫を大切にするのは天性である。世間多くは父母や叔父叔母によって貞女が崩されるもの。大人しい人がそれをする。鳩巣や東渓に再嫁説があり、それは尤も至極なものだが、その尤も至極を嫌う。再嫁のことは、学者にとっては逃げるほどのこと。
【通釈】
夫を大切にするのは天性としてあること。傾城遊女にも思う心にこの旨はないとは言えない。それがなければ人の脈が切れる。上の段でも言うが、再嫁させようと父母の方からこの刃金を削る。世間多くは父母や叔父叔母の方から貞女を崩すもの。学問する者は気を付けなさい。この再嫁を勧めるのが道楽者ではなく、大人しい者がするもの。「郷原、徳之賊」と言うのもそこ。大人しい顔で、若い者をあの様にして置いては結句よくないと言う。それは仁義の良心に弓を引くこと。学者はこの序によく合点しなさい。物を見事に片付けようとして悪くする。鳩巣翁に再嫁説があるが、私はそれを合点しない。また、東渓の再嫁の説がある。東渓は多田先生の号。彼の説の中にも尤も至極なことがある。その尤も至極は嫌うこと。再嫁のことになっては、学者は遠くへ引き退いて相談はしないのがよい。さて、三宅先生は大層大義を重んじて甚だ激厲した。復姓のことなどにも大層厳しく、小野崎先生が復姓のことについて、今遁れるより外はないと迂斎に告げられると、三宅が、はあ舎人、そうは言わずに逃げろと言いなさいと一口に挨拶された。彼は子を十人持った大名の家老である。今夜逃げろとは鋭い言い分だが、大義の論になるといつもこうした三宅である。
【語釈】
・郷愿德之賊…論語陽貨13。「子曰、郷原、德之賊也」。
・東渓…多田蒙斎。名は維則。一名は篤靜。儀八郎と称す。別号は東溪。秋田佐竹氏及び館林松平氏に仕える。京都の人。明和1年(1764)8月26日没。年63。三宅尚斎門下。
・小野﨑先生…小野崎舍人。本姓は在原。名は師由。初め團六と称す。秋田藩支封老職。宝暦2年(1752)10月8日、江戸にて没。年68。直方没後、三宅尚齋に学ぶ。子は師德。

ときに右の東渓再嫁の説へ三宅先生跋を書れてをかれたるに、左のみ訶りもせす柔かに評してある。三宅の平生に類せぬことなり。それと云も文辞はこはきもの。鳩巣東渓の文の善からしてのっひきならぬになりた。其筈そ。あの大儒たちの尤至極な論ゆへそ。某は其尤か不承知なり。因て某し彼の説を弁して置く一文あり。今日にも学者へ再嫁のこと問はは、隣てきけと云て名教を守るへし。先日も云ふ、貝原老人か日本人三年の喪をすると病死するの、太宰か役人は酒を飲むがよいと云は入ざる世話なり。飲なと云ても飲み、三年の喪をつとめよと云てもするものはない。再嫁も殊によれは免すと云に及はぬ。兎角学者がをとなしくかかりて垩人と凡人の間でのんべんぐらりをするは役にたたぬ。何そのことに付き名教はきひしく云か朱子への奉公なり。
【解説】
鳩巣や東渓は文がよいことからしてのっぴきならないことになった。要らざる世話はしなくてもよい。
【通釈】
時に右の東渓再嫁の説へ三宅先生が跋を書かれて置かれたが、それほど訶りもせず、柔らかに評してある。それは三宅の平生に似合わないこと。それと言うのも文辞は恐いもの。鳩巣や東渓は文がよいことからしてのっぴきならないことになった。その筈で、あの大儒達の尤も至極な論だからである。私はその尤もが不承知である。そこで私に彼の説を弁じて置いた一文がある。今日も学者が再嫁のことを問われれば、隣に聞けと言って名教を守りなさい。先日も言う通り、貝原老人が日本人が三年の喪をすると病死するとか、太宰が役人は酒を飲むとよいと言うのは要らざる世話である。飲むなと言っても飲み、三年の喪を勤めろと言ってもするものはない。再嫁も事によれば免ずとは言うに及ばない。とかく学者が大人しく掛かって聖人と凡人の間でのんべんだらりとするのは役に立たない。何かに付けて名教は厳しく言うのが朱子への奉公である。

講後再嫁説の話に及ふ。先生曰、説を書くに及はぬこと。小学てすむこと。天下の政をする人。天下て再嫁する者あるはそのときのこと。周礼にあらば周礼にあるてすむ。学者か説をかき、再嫁の腰をしするは渾厚の学者の俗に投すると云ものそ。
【解説】
再嫁説などは不要であり、小学で済むこと。再嫁する者があればその時に済ませばよい。再嫁のことを言うのは俗に投じるのと同じである。
【通釈】
講後、再嫁説の話に及ぶ。先生が、説を書くには及ばない。小学で済む。それは天下の政をする人のこと。天下に再嫁する者があればその時に済ますもの。周礼にあれば周礼にあると言うので済む。学者が説を書き、再嫁の腰押しをするのは渾厚の学者が俗に投じるというものだと言った。


稽古31
○萬章問曰、象日以殺舜爲事。立爲天子、則放之何也。孟子曰、封之也。或曰、放焉。萬章、孟子弟子。放猶置也。問何不誅也。孟子言舜實封之、而或者誤以爲放也。仁人之於弟也不藏怒焉、不宿怨焉。親愛之而已矣。藏怒謂藏匿其怒。宿怨謂留蓄其怨。
【読み】
○萬章問いて曰く、象は日に舜を殺すを以て事と爲す。立ちて天子と爲りて、則ち之を放つは何ぞや、と。孟子曰く、之を封ずるなり。或ひと曰く、放つ、と。萬章は孟子の弟子。放は猶置のごとし。何ぞ誅せざると問うなり。孟子は、舜は實に之を封じて、或者は誤ちて以て放つと爲すと言うなり。仁人の弟に於るや怒を藏さず、怨を宿[とど]めず。之を親愛するのみ、と。怒を藏すは、其の怒を藏し匿すを謂う。怨を宿むは、其の怨を留め蓄うるを謂う。

○万章問曰、象日以殺舜爲事。これから長幼の序の稽古なり。惣体小学は明倫か主にて、其通りの人を出すか稽古。申せは證拠を云なり。然るに長幼之序は此稽古を重に見かよい。明倫の方は一通りのことから示して、他人の長幼を多く言て兄弟の方か少いゆへ、稽古よりはきたいになる方かすくない。そこて明倫の長幼之序はあまり人心に感発し、のりてくることか甲斐ない。この稽古て始て親切なことなり。○舜爲法天下かここなり。舜の兄は弟のあるて大ふ後世へひひく。餘のことは垩人を手本にするは六ヶしい。この舜の兄弟ばかりは手本にしよい。是等か目の付処。かふ云出すを講釈の上手と云もの。万端を舜の通り、孔子の通りにせよと云は下戸に大盃でのませるなり。たた此兄弟のことは、誰ても舜を出すて学ひよいなりとはとふなれは、今日舜の弟の様な吾を殺ふと云兄弟はとこを尋てもない。皆相応な兄弟じゃから、そこへ舜のを出す、じきに睦ましくなるは端的そ。そこか学ひよいなり。○孟子の筆か以殺舜爲事と云。事は事業之事。爲事は、今云ふせふはいにすると云もの。二六時中殺を商賣にする。詩に兄弟闘墻外禦其侮と云て、子とものとき將棊にまけつかみあふ、直にきへるものなり。然るに象は日夜朝暮殺ふ々々と、舩人の舩、轎かきの轎のやふに心かける。天地開て古今の大悪人なり。○封之也。遠島てはない。一人の弟しゃもの。大名に封せり。
【解説】
「萬章問曰、象日以殺舜爲事。立爲天子、則放之何也。孟子曰、封之也。或曰、放焉。萬章、孟子弟子。放猶置也。問何不誅也。孟子言舜實封之、而或者誤以爲放也」の説明。小学は明倫が主で、稽古はその証拠として人を出したもの。しかし、長幼之序に関しては、明倫は一般的なので、稽古の方が深切である。聖人を手本にするのは難しいが、兄弟仲のことでは舜が手本となる。象は商売の様にして舜を殺そうとしたが、舜はその象を大名とした。
【通釈】
「万章問曰、象日以殺舜為事」。これからが長幼之序の稽古である。総体、小学は明倫が主で、その通りの人を出すのが稽古。言えば稽古はその証拠を出したこと。しかし、長幼之序はこの稽古を重く見るのがよい。明倫の方は一通りのことから示して、他人の長幼を多く言い、兄弟の方が少ないので、稽古よりは身に切になることが少ない。そこで明倫の長幼之序は人心に感発したり、乗って来ることではあまり甲斐がない。この稽古で初めて親切なことになる。「舜為法天下」がここのこと。舜という兄は弟がいたので大いに後世へ響く。他のことでは聖人を手本にするのは難しい。この舜の兄弟ばかりは手本にし易い。これらが目の付け処で、この様に言い出すのを講釈上手と言う。万端を舜の通り、孔子の通りにしなさいと言うのは下戸に大盃で飲ませる様なもの。ただこの兄弟のことは、舜を出すので誰でも学びよいと言うのはどういうことかと言うと、今日舜の弟の様に自分を殺そうという兄弟は何処を尋ねてもいない。皆相応な兄弟だから、そこへ舜を出せば直ぐに睦まじくなるのは端的なこと。そこが学びよいということ。孟子の筆が「以殺舜為事」と言う。事は事業の事。「為事」は、今言う商売にすると言うもの。二六時中殺しを商売にする。詩に「兄弟闘墻外禦其務」とあり、子供の時は将棋に負けて掴み合っても、憎しみは直ぐに消えるもの。それなのに、象は日夜朝暮殺そうと、舟人の舟、駕籠舁きの駕籠の様に心掛ける。天地開けて古今の大悪人である。「封之也」。遠島ではない。一人だけの弟だから大名に封じた。
【語釈】
・舜爲法天下…小学内篇稽古題下。「孟子道性善。言必稱堯・舜。其言曰、舜爲法於天下可傳於後世」。
・兄弟闘墻外禦其侮…詩経小雅常棣。「兄弟鬩于牆、外禦其務。毎有良朋、蒸也無戎」。

○仁人之於弟也云々。舜の御心なとに知りつつ悪みはせぬ。仁人は舜を云へとも廣く見る。人の本来を云こと。舜のと云と一度きりで種か生へぬやふになるゆへ廣く仁人と云。人の本体此からたは皆仁のはたらきなり。○不藏不宿はすらすら流れることを云。たたい仁は気血流行の如し。些と滞ると本道か外科かなり。人は仁の德かあるとすら々々流行する。其人か弟と顔の出合ふたときに何にも引かからぬ。扨むっとなりに出して其なりぎりを不藏怒焉と云。もと向て悪ひことするゆへ怒るか、其きりて蔵はせぬ。不宿怨焉はいつまてもいなと首ふる底の無を云。それきりて消へてずぶと流れる。胸に持て宿はせぬ。仁人ゆへ腹は立ぬと云て、弟か殺ふとするを舜か喜へは気狂の沙汰なり。只向ったとき斗りのこと。宿めるの藏すのと云氷の張ったことはない。
【解説】
「仁人之於弟也不藏怒焉、不宿怨焉」の説明。人の体は皆仁の働きである。仁の徳があれば人はすらすらと流行する。舜の怒りや怨みはただ向かった時だけのことで、それが滞ることはない。
【通釈】
「仁人之於弟也云々」。舜の御心などに、知りつつ悪むことはない。仁人は舜のことだが、ここは広く見て、人の本来を言ったもの。舜と言うと一度ぎりで種が生えない様になるので広く仁人と言う。人の本体であるこの体は皆仁の働きである。「不蔵不宿」はすらすらと流れること。そもそも仁は気血流行の如しで、一寸滞ると本道か外科のことになる。人は仁の徳があればすらすらと流行する。その人が弟と顔を出合わした時に何も引っ掛からない。さて、むっとなったままを出してそれだけで済ますのを「不蔵怒焉」と言う。元々向こうが悪いことをするので怒るのだが、怒っただけで蔵しはしない。「不宿怨焉」はいつまでも否と首を振る底がないことを言う。それぎりで消えてずっと流れる。胸に持って宿めはしない。仁人なのだから腹は立てないと言って、弟が殺そうとするのを舜が喜べは気狂いの沙汰である。怒や怨はただ向かった時だけのこと。宿めるとか蔵すという様な氷の張ったことはない。
【語釈】
・本道…漢方医の用語で、内科。

○親愛之而已矣。さしひきしてみるに親愛之而已矣。弟を可愛と云より外はない。諺に、きたない指でも切られぬと云。又、連枝と云ふて一つ幹から枝の出たもの。この心ゆへ、我を殺ふとしても弟をかわいかる外はない。因て某只今云、舜の兄弟は学びよいなり。親類か集りて彼これ兄弟中の異見云ふ処を外から出て、そなたの弟はそなたを殺ふとするか。曰、否。そんならよいがげんにせよ、可愛かれ、殺ふとするをさへ舜は可愛かりたと示すことなり。毎度云ふ、垩人は手本にしにくいが、これ斗りは手本にしよい。あのやふな弟かないゆへなり。あれを思へは兄弟挨拶はよくなる筈のことなり。扨、兄弟は怡々と云。全体かにこはこ々々々々なものなり。然れは、弟を呵るも親愛の情てあたまをはれはよいに、互に理屈を云て斧て割ってもわれぬ氷がはってある。
【解説】
「親愛之而已矣。藏怒謂藏匿其怒。宿怨謂留蓄其怨」の説明。兄は弟を可愛いと思うことに尽きる。自分を殺そうとしても弟を可愛がる外はない。そこで舜が手本となる。
【通釈】
「親愛之而已矣」。差し引きして見ると、親愛之而已矣。弟を可愛いというより外はない。諺に、汚い指でも切ることはできないと言う。また、連枝と言い、一つの幹から枝の出たもの。この心なので、自分を殺そうとしても弟を可愛がる外はない。そこでこれが只今私の言う、舜の兄弟は学びよいということ。親類が集まってかれこれ兄弟仲の異見を言う処を外から出て、貴方の弟は貴方を殺そうとするかと聞けば、それはないと言う。それならよい加減にして可愛いがれ、殺そうとする者をさえ舜は可愛いがったと示すのである。毎度言う、聖人は手本にし難いが、こればかりは手本にしよい。それはあの様な弟がいないからである。あれを思えば兄弟挨拶はよくなる筈。さて、兄弟は怡々と言う。全体がにこにこなもの。それなら、弟を呵るのも親愛の情で頭を叩けばよいのに、互いに理屈を言って、斧で割っても割れない氷が張っている。
【語釈】
・連枝…兄弟。特に貴人にいう。
・兄弟は怡々…論語子路28。「子路問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、切切、偲偲、怡怡如也。可謂士矣。朋友切切偲偲、兄弟怡怡」。

石原先生ここの講尺を某今に覚へて居るか、其時説るるに、我を殺ふと云弟を々々々々々々々々と幾たひかかへして云はるる斗りにて、あとはなんとも言はれすに仕舞ふたか、其席の御旗本衆なとにそれを聞て涙ぐみたもあり。雄弁よりは大德の人のは人にひひくものなり。扨又先生の弟軍兵衛大坂て死れたとき、某も行て其時の体をみるに、立つにもたたれぬ程の愁傷なり。そこて人へひひいたなり。この章て今夜からも兄弟中よくなるほとてなけれは興起にならぬ。舜を昔しかたりにしては所謂畵餅と云ものなり。鴻の池と書ては役にたたぬ。飲てあたたまら子は無益なり。この稽古の肉てあたたまることなり。○胸にぶす々々はいやなり。屋根へもへ出る火は消しよいか、椽の下でぶす々々火のまわりたはとふもならぬ。世に云幽灵や生灵か多く女なり。女か胸にもつものゆへなり。胸に持がふとるゆへ、兄弟中わるくなる。いつは斯ふ、いつはあふしたことありと閻魔の帳につけるゆへ、兄弟中善くなりやふはない。舜はそれなりに出たゆへあとかない。ととめると云ことがさん々々なことなり。
【解説】
心に滞るのは悪い。世に言う幽霊の多くは女だが、それは女が根に持つものだからである。宿めるというのが悪い。
【通釈】
石原先生のここの講釈を私は今も覚えているが、その時説かれるのに、自分を殺そうという弟をという処を幾度も繰り返して言われるだけで、後は何とも言われずに終えたが、その席の御旗本衆などにはそれを聞いて涙ぐんだ者もいた。雄弁よりは大徳の人の方が人に響くもの。さてまた先生の弟の軍兵衛が大坂で死なれた時に私も行ってその時の体を見たが、立つにも立てないほどの愁傷だった。そこで人に響いたのである。この章で今夜から兄弟仲がよくなるほどでなければ興起はできない。舜を昔語りにしては謂う所の画餅というもの。鴻の池と書いても役に立たない。飲んで温まらなければ無益である。この稽古の肉で温まるのである。胸にぶすぶすとするのは嫌なこと。屋根へ燃え出る火は消し易いが、縁の下でぶすぶす火が回るのはどうにもならない。世に言う幽霊や生霊の多くは女である。それは女が胸に持つものだからである。胸に持っているのが太るので、兄弟仲が悪くなる。いつかはこれがあり、いつかはああをしたことがあると閻魔帳に付けるので、兄弟仲がよくなる筈がない。舜はそれなりに出たので後がない。宿めるということが散々なこと。
【語釈】
・鴻の池…酒の名。


稽古32
○伯夷・叔齊、孤竹君之二子也。父欲立叔齊。及父卒、叔齊讓伯夷。伯夷曰、父命也。遂逃去。叔齊亦不肯立而逃之。國人立其中子。
【読み】
○伯夷・叔齊は孤竹君の二子なり。父叔齊を立てんと欲す。父卒するに及びて、叔齊、伯夷に讓る。伯夷曰く、父の命なり、と。遂に逃げ去る。叔齊も亦立つを肯[したが]わずして之を逃る。國人其の中子を立つ。

○伯夷叔斉孤竹君之二子也。この間の講釈にも云ふ、餓死した二人の浪人なり。どこの日雇取かと云に孤竹の君の二子なり。武王のことて高ひに、亦、旧このことありた。たきりたことともなり。○孤竹の君、叔斉を可愛かりて立やふと云。叔斉は沙汰のかきりと云て辞す。兄弟だん々々にちあいて互に逃る。○父之命也の間に長ひこと次第あることと見へし。父之命なりと云すてに逃去と云ことに非す。あちこちをしあふても埒つかぬ。○遂の字、とふ々々なり。とふ々々欠落せり。○不肯立は大極へ棒を引たことなり。国か我か身へころんて来ても大極へたたぬと云て肯んせぬ。
【解説】
孤竹の君は次男の叔斉を立てようとしたが、叔斉はそれを辞退し、伯夷は父の命には背けないから後を継ぐのを辞退した。二人は共に辞退して逃げ去った。
【通釈】
「伯夷叔斉孤竹君之二子也」。この間の講釈にも出た、餓死した二人の浪人である。何処の日雇取りかと思えば孤竹の君の二子である。武王のことでも高いことなのに、また、その前にもこの様なことがあって、滾ったことである。孤竹の君は叔斉を可愛がって立てようとした。叔斉は以の外のことだと言って辞した。兄弟が色々と押し付け合って互いに逃げた。「父之命也」の間には長いこと次第があったものと見なさい。父之命也と言い捨てて逃げ去ったということではない。あちこちし合っても埒が明かなかった。「遂」の字は、とうとうである。とうとう欠落した。「不肯立」は太極に基づいたこと。国が自分の身の方に転んで来ても太極に背くと言って肯んじなかった。
【語釈】
・この間の講釈…小学内篇稽古23を指す。「武王伐紂。伯夷・叔齊叩馬而諫」。

○伯夷は天倫にかまわす父の命を重くみる。放伐をわるいと云もここの魂と同し。世の中に君父に悪るひかある。そのわるいには常例てをされぬことあれとも、伯夷は君と云肉から放伐の理もわるいと云ひ、酒に酔てとほふもないこと云ても父の命と、父と云肉から放伐の理もくる。皆権道を知らぬ。そこか伯夷たる処なり。親は不尤ても父の命を守るは子の役と云。いつもの思こみか爰へも出たものなり。父の乱命には従はぬ筈なれとも、そこをくまぬ。乱命ても父命じゃとくる。武王へ天の命じられても君しゃとくる。理にかまはずに父と君との肉を守るか伯夷なり。○伯夷なとは国に心ないことは知れたこと。先日も云、望々然として去るなり。あとさきの了簡ないか伯夷の伯夷たる処なり。中子を立やふか立まいか、それにとんちゃくはない。所謂垩の清なるもの。一線路に鉄炮玉のぬけた処なり。
【解説】
伯夷は天倫よりも父の命を重く見る。そこで放伐も悪いと言う。伯夷に権道はない。理よりも君命を重んじた。
【通釈】
伯夷は天倫に構わず父の命を重く見る。放伐を悪いと言ったのもここの魂と同じ。世の中の君父には悪い者もいる。その悪い君父へは常例で押せないこともあるが、伯夷は君という肉から放伐の理も悪いと言い、酒に酔って途方もないこと言っても父の命だとしてそれを守る。父という肉から放伐の理も言う。皆権道を知らないのだが、そこが伯夷たる処である。親は不尤でも父の命を守るのは子の役だと言う。いつもの思い込みがここへも出る。父の乱命には従わない筈だが、そこを斟酌しない。乱命でも父命だと来る。武王へ天が命じられても君だと来る。理に構わずに父と君の肉を守るのが伯夷である。伯夷などは国に心がないことは知れたこと。先日も言った、「望々然去之」である。後先の了簡はないのが伯夷の伯夷たる処である。中子を立てようが立てまいが、それに頓着はない。所謂「聖之清者」である。一線路に鉄砲玉の抜けた処である。
【語釈】
・望々然として去る…孟子公孫丑章句上9。「孟子曰、伯夷、非其君不事、非其友不友。不立於惡人之朝、不與惡人言。立於惡人之朝、與惡人言、如以朝衣朝冠坐於塗炭。推惡惡之心、思與鄕人立、其冠不正、望望然去之、若將浼焉。是故諸侯雖有善其辭命而至者、不受也。不受也者、是亦不屑就已」。
・垩の清なるもの…孟子万章章句上9。「孟子曰、伯夷、聖之清者也。伊尹、聖之任者也。柳下惠、聖之和者也。孔子、聖之時者也」。


稽古33
○虞・芮之君、相與爭田、久而不平。乃相謂曰、西伯仁人也。盍往質焉。乃相與朝周。入其境、則耕者讓畔、行者讓路。入其邑、男女異路、班白不提挈。入其朝、士讓爲大夫、大夫讓爲卿。二國之君感而相謂曰、我等小人。不可以履君子之庭。乃相讓、以其所爭田爲間田而退。天下聞之、而歸者四十餘國。
【読み】
○虞・芮[ぜい]の君、相與に田を爭い、久しくして平がず。乃ち相謂いて曰く、西伯は仁人なり。盍[なん]ぞ往きて質さざらん、と。乃ち相與に周に朝す。其の境に入れば、則ち耕す者は畔を讓り、行く者は路を讓る。其の邑に入れば、男女路を異にし、班白は提挈せず。其の朝に入れば、士は大夫と爲るを讓り、大夫は卿と爲るを讓る。二國の君感じて相謂いて曰く、我等は小人なり。以て君子の庭を履む可からず、と。乃ち相讓りて、其の爭う所の田を以て間田と爲して退く。天下之を聞きて、歸する者四十餘國あり。

○虞芮之君相与爭田云々。是からは朋友の交を云。○この公事さばいてもらはふと云て御領分へ足を蹈込んて見れは、譲畔譲路なり。○入其朝、士譲爲大夫。文王の御殿へ出たときなり。前のは一と目に見たこと。ここは模様て云。○感而相謂曰。気耻くなりて互に顔を見合せて云底なり。必也令無訟なり、篤恭天下平もそれ。垩賢の妙、是なり。○ざまのわるいていを小人と云。茶人の羽帚の処て麥は打れぬ。艸鞋ては君子の庭履まれぬ。○間田は靣白ひことなり。初手は爭ふたれとも、譲り合て主のない田ゆへ間田と云。○虞芮の君の朋友交を言ふと見るかよい。朋友の信か文王て興起す。
【解説】
ここは虞芮の君の朋友之交を言ったもの。文王によって朋友之信が興起した。
【通釈】
「虞芮之君相与争田云々」。これからは朋友之交を言う。この公事を裁いて貰おうと言って御領分へ足を踏み込んで見ると、「譲畔譲路」である。「入其朝、士譲為大夫」。これは文王の御殿へ出た時のこと。前のは一寸目に見たことで、ここはその模様で言う。「感而相謂曰」。気恥ずかしくなって互いに顔を見合わせて言う底である。「必也令無訟」や「篤恭天下平」もそれ。聖賢の妙がこれである。様の悪い体を小人と言う。茶人が羽箒で掃く処で麦は打てない。草鞋では君子の庭を履めない。「間田」とあるのが面白い。初手は争ったが、譲り合って主のない田なので間田と言う。ここは虞芮の君の朋友之交を言ったものだと見なさい。朋友之信が文王で興起する。
【語釈】
・必也令無訟…論語顔淵13。「子曰、聽訟、吾猶人也。必也使無訟乎」。
・篤恭天下平…中庸章句33。「詩曰、不顯惟德。百辟其刑之。是故君子篤恭而天下平」。詩は詩経周頌烈文。


稽古34
○曾子曰、以能問於不能、以多問於寡、有若無、實若虚、犯而不校。昔者吾友嘗從事於斯矣。友指顔淵也。
【読み】
○曾子曰く、能を以て不能に問い、多を以て寡に問い、有りて無きが若く、實にて虚きが若く、犯して校らず。昔、吾が友嘗て事を斯に從う。友は顔淵を指すなり。

○曽子曰、以能問於不能。此はしっかりとした朋友の交なり。孔門の誰有ふ曽子か顔子を云へり。朋友の信にこれほとなことはない。○知行の上の十分を能と云。手高になることをたっふりと持つ。○以多問於寡云々。ここもやはり上と似たこと。文辞はすへて斯ふかかるもの。これは数て云。事て云へは、二十一史を見た者か十八史畧斗り見た者に問なり。○朋友はみかき合ふこと十分ても、もっと善くせふ々々々々て誰にても問ふ。後世世間上手がわる心て問ことあり、顔子のは得やふ々々々と云。旅には小児にても路を問。○実。一舛に一舛。虚。底に一二合有や無。昔しをらか朋友かここをつかまへたとなり。朋友つき合の本なり。今日のはこの裏にて、人か善こと云へは、をれか帳靣にもそふ有ると云。孔子見其進、不見其止との玉ふ。今日朋友の交り斯ふなれは、垩賢の域に至る。○友指顔淵也。これて稽古と迂斎云へり。
【解説】
曾子が顔子のこと話した。顔子はよく知っていながらもっとよくなろうとして誰にでも問うた。曾子は顔子を友と呼んだ。これが朋友之交である。
【通釈】
「曾子曰、以能問於不能」。ここはしっかりとした朋友之交である。孔門の誰あろう曾子が顔子のことを言った。朋友之信にこれほどのことはない。知行の上の十分を「能」と言う。手高くになることをたっぷりと持つ。「以多問於寡云々」。ここもやはり上と似たこと。文辞は全てこの様に掛かるもの。これは数で言う。事を出して言えば、二十一史を見た者が十八史略だけしか見ていない者に問うということ。朋友は磨き合うのが十分でも、もっとよくしようとして誰にでも問う。後世の世間上手が悪心で問うことがあるが、顔子のは得ようして問うのである。旅には小児にでも路を問う。○「実」。一枡に一枡。「虚」。底に一二合あるかと思えばない。昔俺の朋友がここを掴まえたと言った。これが朋友付き合いの本である。今日のはこの裏であって、人がよいこと言えば、俺の帳面にもそうあると言う。孔子が「見其進、不見其止」と仰った。今日朋友之交がこの様であれば聖賢の域に至る。「友指顔淵也」。これで稽古になると迂斎が言った。
【語釈】
・見其進、不見其止…論語子罕20。「子謂顔淵曰、惜乎。吾見其進也。吾未見其止也」。


稽古35
○孔子曰、晏平仲善與人交。久而敬之。晏平仲、齊大夫。名、嬰。
【読み】
○孔子曰く、晏平仲善く人と交わる。久しくして之を敬う。晏平仲は齊の大夫。名は嬰。

○孔子曰、晏平仲善与人交。初手の通りには万叓しにくいもの。然るに何年も初手の通りなり。一寸したことて重ひこと。是か天地のなり。昔にかわらぬか天地の天地たる処。人間も初手の通にはげぬか本んのこと。手をしたことは兀[はけ]る。まき繪は兀るかもくろじは本のものゆへ兀けぬ。○人を敬ふへき筈でするはづの、はけることはない。我黨の学者朋友の中のわるいも敬がぬける故のこと。直而勿有と云へとも、人の説を笑ふ。
【解説】
天地は昔から変わらないもの。人も初手の通りなのが本来の姿である。
【通釈】
「孔子曰、晏平仲善与人交」。初手の通りには万事し難いもの。そこを何年も初手の通りである。これが一寸したことで重いこと。これが天地の姿で、昔から変わらないのが天地の天地たる処。人間も初手の通りに剥げないのが本当のこと。手を入れたことは剥げる。蒔絵は剥げるが無患子は本物なので剥げない。人は敬うべき筈で、そうするのだから剥げることはない。我が党の学者が朋友仲の悪いのも敬が抜けるからである。「直而勿有」とは言っても、人の説を笑う。
【語釈】
・直而勿有…小学内篇敬身2の語。


右明倫。
【読み】
右、明倫なり。


稽古36
孟子曰、伯夷目不視惡色、耳不聽惡聲。
【読み】
孟子曰く、伯夷は目に惡色を視ず、耳に惡聲を聽かず。

○孟子曰、伯夷目不視悪色。心術の要の稽古なり。伯夷心を大切にせし人なり。孤竹の譲り、武王の馬を叩へたも心を汚すまいなり。心は目や耳かけがす。耳目か外物をうける故とてなり。そこて耳目のはたらきへ気を付けり。○見聞は目の見へ耳のきこへる全体を云。生きものゆへきこへるを聞と云。視聽は力らの入ること。あれをきこふそこれを視やふそと云なり。見聞視聽分けてみるへし。この不視不聽は視まいそ、聽まいそとすること。たた不見不聞は盲目や聾なり。伯夷は斯云ふ潔白へ気を付けり。○伯夷孤竹君之子。先日も云通り、註に届ぬことあり。孤竹君之子は直に上にあること。此はら々々に註せしゆへ、そこて句読なとも本注を乱したかも知れぬ。
【解説】
目や耳が心を汚すので、伯夷は「不視不聴」で気を付けた。見聞は、目が見えて耳が聞こえること。視聴は、あれを聞こう、そこれを視ようとすること。尚、「伯夷孤竹君之子」という註がある様だが、酒井氏刊行本にはこれが削除されている。
【通釈】
「孟子曰、伯夷目不視悪色」。心術の要の稽古である。伯夷は心を大切にした人である。孤竹で譲り、武王の馬を叩いたのも心を汚さないためである。心は目や耳が汚す。それは、耳目が外物を受けるからである。そこで耳目の働きに気を付ける。見聞は目が見えて耳が聞こえる全体を言う。生き物なので聞こえるのを聞くと言う。視聴は力の入ったことで、あれを聞こう、そこれを視ようとすること。見聞と視聴は分けて見なければならない。この「不視不聴」は視まい聴くまいとすること。不見不聞はただの盲目や聾である。伯夷はこの様に潔白で気を付けた。「伯夷孤竹君之子」。先日も言う通り、註に届かないことがある。孤竹君之子は直に上にあること。これはばらばらに註をしたので、そこで句読なども本注を乱したのかも知れない。


稽古37
○子游爲武城宰。子曰、女得人焉爾乎。曰、有澹臺滅明者。行不由徑、非公事未嘗至於偃之室也。子遊、孔子弟子。姓、言。名、偃。武城、魯下邑。澹臺、姓。滅明、名。字、子羽。徑、路之小而捷者。公事、如飮射讀法之類。
【読み】
○子游は武城の宰爲り。子曰く、女人を得たるか、と。曰く、澹臺滅明なる者有り。行くに徑に由らず、公事に非ざれば未だ嘗て偃の室に至らず、と。子遊は孔子の弟子。姓は言。名は偃。武城は魯の下邑。澹臺は姓。滅明は名。字は子羽。徑は路の小にして捷き者。公事は飮射讀法の類の如し。

○子游爲武城宰云々。この章も心術なり。なんそのことて心術かわるくなるもの。針ほと棒ほどと云ふ詞あり、人の心に針ほとても邪魔になることあり、又、棒ほとても胸のさはりにならぬ事あり。後世いやみと云、あのいやみか心術の大害と見へし。迂斎、あの丁寧な口に、人欲はあけて人欲と出すかよいと云へり。直方の云はれそふなこと。それと云も、心術の功夫せしゆへこのやふなことも出る。人に物をもらはれて惜みつつやりてをんみせ顔するか、それよりはやらぬが心術かよい。心術に少も油虫たけてはならぬ。其吟味を云へは、禅坊主と云か昨日や今日のことてなく、昔からのこと。それか此章てみへる。○人の頭たる者は人を見出すか第一なり。御定のことて、汝得人焉尓乎なり。
【解説】
「子游爲武城宰。子曰、女得人焉爾乎」の説明。針ほどのことでも心術の害となることがある。
【通釈】
「子游為武城宰云々」。この章も心術のこと。何かに付けて心術が悪くなるもの。針ほど棒ほどという詞があり、人の心に針ほどのことがあっても邪魔になることがあり、また、棒ほどのことでも胸の障りにならないことがある。後世嫌味と言う、あの嫌味が心術の大害だと見なさい。迂斎が、あの丁寧な口で、人欲は開けて人欲と出すのがよいと言った。それは直方が言われそうなこと。それというのも、心術の功夫をしたからこの様な言葉も出るのである。人に物を強請られ、惜しみつつ遣って恩見せ顔をするよりも、遣らない方が心術にはよい。心術には少しあっても悪い。油虫ほどでもならない。その吟味を言えば、禅坊主というのが昨日や今日のことではなく、昔からそうである。それがこの章で見える。人の頭たる者は人を見出すのが第一である。それが御定まりのことなので、「女得人焉爾乎」である。

○曰有澹臺滅明者云々。大きな声して孔子の前て云ゆへ何そ大そふなことかと思ふに、行不由徑なり。御用の外はかつふつ参らぬ。是を平人か聞と何それはと云。是を心術へ出したは殊の外魂にあつかること。この徑か非義てもない。然るを第一に云は、浅見先生の弁に、徑に由らぬは土臺か違と云へり。全体の魂か本式ゆへ、それて万端か知れる。そこて土臺と云へり。かりにも徑なと通ることならぬと、事に泥んて見ることてない。徑はちか道のこと。○不由徑は手まわしなことの好きなこせつかぬことと浅見子云なり。こせ々々は大中至正公平高明てない。利口を云ても小刀てきさむは徑になる。道理によらす利害によるは皆徑の筋なり。再嫁はならぬと云てよし。ことによれは免すと云は徑なり。三年の喪と云かほんのこと。漢文帝以月易日と云。徑に由たことは先王取り玉はぬ。○子游のこと、またあいよみかある。武城て音楽を教へり。もっと手短なことあるへきに、子游大ざはやか故そふなり。今の儒者役か子游子夏を文学々々と云から何藩文学なととかくか、孔門文学のたましひはみることならぬ。○未嘗至偃之室。けいはく者、道をつけたかるもの。然るに中々行かぬ。年始の礼も御慶と云て直にかへる。上へつなきすることなきを見て取れり。○公事は云々。この注、殿中の公事てないを見せる。○読法は御定書をよむなり。
【解説】
「曰、有澹臺滅明者。行不由徑、非公事未嘗至於偃之室也。子遊、孔子弟子。姓、言。名、偃。武城、魯下邑。澹臺、姓。滅明、名。字、子羽。徑、路之小而捷者。公事、如飮射讀法之類」の説明。子游は澹台滅明を見出したと孔子に言い、彼は径に由らない人だと言った。この径は近道のこと。道理によらずに利害によるのは皆径の筋である。
【通釈】
「曰有澹台滅明者云々」。大きな声を出して孔子の前で言うので何か大層なことかと思えば、「行不由径」である。御用の外は絶対に参らない。これを平人が聞くと何だそれはと言う。これを心術へ出したのは殊の外魂に与ることだからである。この径が非義でもない。それを第一に言うのは、浅見先生の弁に、径に由らないのは土台が違うということだと言ったが、全体の魂が本式なので、それで万端が知れる。そこで土台と言ったのである。仮にも径などを通ることはならないなどと、事に泥んで見ることではない。径は近道のこと。不由径は、手回しなことが好きでこせこせする様なことをしないことだと浅見子が言った。こせこせは大中至正公平高明ではない。利口を言っても小刀で刻むのでは径になる。道理によらずに利害によるのは皆径の筋である。再嫁はならないと言うのでよい。事に依れば免ずると言うのは径である。三年の喪が本当のこと。「漢文帝以月易日」と言う。径に由ったことは先王は取られない。子游のことはまだ相読みがある。武城で音楽を教えた。もっと手短かなことがあるだろうに、子游は大層爽やかなのでそうした。今の儒者役が子游や子夏を文学と言うから何藩文学などと書くが、孔門の文学の魂を見ることができない。「未嘗至偃之室」。軽薄者は道を付けたがるもの。そこを中々行かない。年始の礼も御慶と言って直ぐに帰る。上へ繋ぎをする様なことをしないのが見て取れる。「公事云々」。この注は殿中の公事ではないことを見せたもの。「読法」は御定書を読むこと。
【語釈】
・かつふつ…全く。まるで。絶対に。
漢文帝以月易日
・子游子夏を文学…論語先進2。「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。德行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏」。


稽古38
○高柴自見孔子、足不履影、啓蟄不殺、方長不折。高柴、即高子皋也。不履影謂不敢履孔子之影。敬之至也。啓蟄、蟲獸胎卵之時。長謂草木發生也。折、毀折也。衛輒之難、出而門閉。或曰、此有徑。子羔曰、吾聞之、君子不徑。曰、此有竇。子羔曰、吾聞之、君子不竇。有間使者至、門啓而出。
【読み】
○高柴、孔子を見てより、足は影を履まず、啓蟄は殺さず、方長は折らず。高柴は即ち高子皋なり。影を履まずは、敢て孔子の影を履まざるを謂う。敬の至りなり。啓蟄は、蟲獸胎卵の時。長は草木の發生するを謂うなり。折は毀い折るなり。衛の輒[ちょう]の難に、出ずれば門閉ず。或ひと曰く、此に徑有り、と。子羔曰く、吾之を聞く、君子は徑よりせず、と。曰く、此に竇[とう]有り、と。子羔曰く、吾之を聞く、君子は竇よりせず、と。間[しばら]く有りて使者至り、門啓きて出ず。

○高柴自見孔子云々。威儀と取るはわるい。やはり心術なり。○今日も供をするに主の影か足もとへ来て避けにくいか、高柴は孔子の影をあちにさけてふまぬ。○敬之至也は直に心術と見るかよい。沓や裳を履てはならぬか、影はふんだとて咎めもないか、心の底にどふも履れぬ。誠は一つに出ることゆへ万端へそれか連れ立って出る。○衛輒之難云々。彼の名高ひ衛の騒動なり。衛の乱は、俗に云泥を棒て打つと云ものなり。孔子の、高柴は出て来ると兼て思召せり。案の如くのがれて出つ。○乱の前に城中に居て既に出んとしたときのこと。扨この大騒のとき平生の気どりなり。或人は子羔へ殊の外親切して律義な人ゆへ、どふかなして遁れさせたいとする。
【解説】
「高柴自見孔子、足不履影、啓蟄不殺、方長不折。高柴、即高子皋也。不履影謂不敢履孔子之影。敬之至也。啓蟄、蟲獸胎卵之時。長謂草木發生也。折、毀折也。衛輒之難、出而門閉。或曰、此有徑」の説明。高柴は普段孔子の影を履むのも躊躇う人だった。衛輒の難の時、孔子は高柴が無事に城から出て来るだろうと思った。
【通釈】
「高柴自見孔子云々」。これを威儀と取るのは悪い。やはり心術のことである。今日も供をするのに主の影が足元へ来て避け難いが、高柴は孔子の影を妙に避けて履まない。「敬之至也」は、直に心術と見なさい。沓や裳を履いてはならないが、影は履んだとしても咎めもない。しかし、心の底にどうも履めないものがある。誠は一つに出ることなので万端へそれが連れ立って出る。「衛輒之難云々」。かの名高い衛の騒動である。衛の乱は俗に言う、泥を棒で打つと言うもの。孔子は、高柴は出て来ると前から思し召していた。案の如く遁れて出た。乱の前に城中にいて、そこから出ようとした時のこと。さて、この大騒ぎの時に平生の気取りだった。或る人は子羔に殊の外親切で律儀な人なので、何とかして遁れさせたいとした。
【語釈】
・衛輒之難…衛の太子蒯聵が衛国に入って国君である輒が魯に出奔した事件。この事件で子路は死ぬ。

○吾聞之君子不徑云々。平生たばこのむときのこと。鉄炮玉の来るとき、何ことないときの声て云なり。○孔子之柴也愚也との玉ふ。変なときはとふてもよさそふなものに、かの足不履影、敬之至と云か、とこへも心がまてに一つやふに出る。そこて竇は犬の通る処ぞ。そこて出まいと云たぞ。人は犬のやふてはない筈そ。○致知挌物て竇よりてもよいか、今日の人は利口をはやく合点してすっとの皮。海に千年川に千年、土臺かない。ここか心術のをもりになること。騒動の時は斯ふと云と心のきょろつきがある。いつも同しやふに出るか魂のきたいなり。変のときも心のかはらぬが心術之所以爲心術也しゃ。
【解説】
「子羔曰、吾聞之、君子不徑。曰、此有竇。子羔曰、吾聞之、君子不竇。有間使者至、門啓而出」の説明。高柴は変時でも平時と同じだった。騒動の時はこうすると言うと心が動く。いつも同じ様に出るのが心術というもの。
【通釈】
「吾聞之、君子不径云々」。平生の、煙草を喫む時の様だった。鉄砲玉が来る時、何事もない時の様な声で言った。孔子は「柴也愚」と言われた。変時はどうでもよさそうなものだが、かの「足不履影、敬之至」で、何処へも心までが一つに出る。そこで、竇は犬の通る処だからそこからは出ないと言った。人は犬の様ではない筈。致知格物から言えば竇より出てもよいものだが、今日の人は利口を早く合点して透波の皮である。海千河千の土台がない。ここが心術の重りになること。騒動の時はこうすると言うと心がきょろつく。いつも同じ様に出るのが魂の本来である。変時も心が変わらないのが「心術之所以為心術也」である。
【語釈】
・孔子之柴也愚也…論語先進17。「柴也愚、參也魯、師也辟、由也喭」。
・すっとの皮…透波の皮。かたり。盗人。盗人根性。
・心術之所以爲心術也…心術の心術たる所以なり。