稽古39
○南容三復白圭。南容、孔子弟子。名、适。白圭、大雅。抑篇之辭曰、白圭之玷、尚可磨也。斯言之玷、不可爲也。南容一日三復此語。蓋有意於愼言也。孔子以其兄之子妻之。妻、以女爲之妻也。
【読み】
○南容白圭を三復す。南容は孔子の弟子。名は适。白圭は大雅。抑の篇の辭に曰く、白圭の玷たるは、尚磨く可し。斯の言の玷たるは、爲む可からず、と。南容一日に此の語を三復す。蓋し言を愼むに意有るなり。孔子、其の兄の子を以て之に妻す。妻は、女を以て之の妻と爲すなり。

十一月廿一日
【語釈】
・十一月廿一日…寛政元年(1789)11月21日。

○南容三復白圭云々。辞と云ものは当坐の間に合て用をたしてゆきたかるものなれとも、是か殊の外我身を軽するのなり。間に合せて事は足りるものなれとも、心の方は一つつかけることそ。辞は草木の花のやふなもの。梅は梅、櫻は櫻ときっとわかるがよい。間に合はよい加减にをっつけることゆへ、梅の木に櫻花のさいたやふなもの。それてはわるい。そこて孔子修辞立誠と云はれた。辞と云ものは外へあらわれたもの。これをよくすれは内の誠か立つ。南容か、外のことはいらぬか、そこに気を付よふ、と。○三復は二六時中。かずはない。やかうえ々々々々と気を付た。衛の武公か九十五て此詩を作られた。九十五と云へは上もない極老なり。辞か大切ゆへ此句を述られたもの。玉の玷たは玉人へ云付れはどふやらこふやらなをるか、辞はなをしやふかない。南容はなるほととしげ々々と思ふたもの。人の辞は玉より大事しゃ。とってかへされす、云ひなをそふとしても云ひ返すことのならぬものしゃ。なにか孔子の門下に居てさま々々孔子の博文約礼の教のある中に、兎角これ斗り三復して時薬にされた。
【解説】
辞という外のことをよくすることで内の誠が立つ。欠けた玉は玉師に言い付ければ直すことができるが、辞は取って返すこともできず、直し様がない。
【通釈】
「南容三復白圭云々」。辞というものは当座の間に合わせで用を足したがるものだが、これが殊の外我が身を軽んずることになる。間に合わせで事は足りるものだが、それで心の方は一つずつ欠けることになる。辞は草木の花の様なもの。梅は梅、桜は桜とはっきりと分かるのがよい。間に合わせはよい加減に押し付けることなので、それは梅の木に桜の花が咲いた様なものであって悪い。そこで孔子が「修辞立其誠」と言われた。辞というものは外へ現れたもの。これをよくすれば内の誠が立つ。南容が、外のことは要らないが、そこに気を付けようと言った。三復は二六時中ということで数えるものではない。やが上に気を付けた。衛の武公が九十五でこの詩を作られた。九十五と言えば上もない極老である。辞は大切なものなのでこの句を述べられたもの。玉の欠けたのは玉師に言い付ければどうやらこうやら直るが、辞は直し様がない。南容がなるほどと、繁々と思ったのである。人の辞は玉よりも大事であり、取って返すこともできず、言い直そうとしても言い返すことのできないもの。孔子の門下にいて、孔子の博文約礼の教えが様々にある中で、何故かとかくこればかりを三復して時薬にされた。
【語釈】
・白圭…詩経大雅抑。「白圭之玷、尚可磨也。斯言之玷、不可爲也」。
・修辞立誠…易経乾卦文言伝。「子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也」。

某幼年の時、迂斎か黙最妙と云ふことを書てくれた。是薛文清の語て、ここか薛文清の見識なり。外へあらはれた処がよくても内はぬけてをる。直方先生の、巧言令色は寢あせをかくやふなものと云はれた。内がみなになったそ。人間は黙てをるて仁義礼智にこやしをする。人間はとかく黙止がよい。是か甚た学問の功夫になることそ。吾か誠を黙養すると云につつくことなり。黙止て居か冬の德。冬の何もない処から春のしいれをする。某なとも兎角黙てないぞ。先年朋友がなぶりてよこしたことがある。黙斎といへとあけたてしけけれは、戸口の破損たゆる間もなし。黙斎とは黙する家と書くか、黙せぬゆへあけたてしげしなり。戯謔のやふなことを爰て云はいかかなれとも、我名に付けてさへ功夫はならぬもの。兎角近ひ処てしるかよい。昔し内損と云より隣の亭主か内損したと云とひひく。南容か三復白圭。黙斎と名を付ても黙てないと云なれは、鼻の先に戒かある。○さて今婚礼をするに、かぶはどふだなどと云かある。孔子がかぶを云はしった。三復白圭、南容のかぶとみたもの。三復白圭、はてよいかぶをもった。あれを聟にしやふとなり。学問をせ子は此様なかふはしらぬ。町屋敷あるの、田地があるのと云にはかまわぬ。
【解説】
黙斎の黙は「黙最妙」とあり、人は黙ることで仁義礼智に肥やしをするもの。しかし、黙斎は黙ることができないと言う。近い処に戒めがある。この「三復白圭」が南容の株であり、それで孔子が彼を兄の子の婿にした。
【通釈】
私が幼年の時、迂斎が「黙最妙」ということを書いてくれた。これは薛文清の語で、ここが薛文清の見識である。外へ現れた処がよくても内は抜けている。直方先生が、「巧言令色」は寝汗をかく様なものだと言われた。内が台無しになったのである。人間は黙ることで仁義礼智に肥やしをする。人間はとかく黙るのがよい。これが甚だ学問の功夫になることで、自分の誠を黙養することに続くもの。黙っているのが冬の徳。冬の何もない処から春の仕入れをする。私などはとかく黙っていない。先年朋友がからかって手紙を遣したことがある。黙斎と言えど開け立て繁ければ、戸口の破損絶ゆる間もなし、と。黙斎とは黙する家と書くが、黙さないので開け立て繁しである。戯けの様なことをここで言うのはいかがかとも思うが、自分の名に関してでさえ、功夫ができないもの。とかく近い処で知るのがよい。昔内損したと言うよりも隣の亭主が内損したと言う方が響く。南容が三復白圭。黙斎と名を付けても黙っていないのだが、鼻の先に戒めがあるのである。さて今婚礼をするのに、株はどうだなどと言うことがある。孔子が株を言われた。三復白圭が南容の株だと見たもの。三復白圭、実によい株を持った。あれを婿にしようと言う。学問をしなければこの様な株は知れない。町屋敷があるとか田地があるということには構わない。
【語釈】
黙最妙…薛文清
・巧言令色…論語学而3。「子曰、巧言令色、鮮矣仁」。陽貨17にも重出。


稽古40
○子路無宿諾。子路、孔子弟子。姓、仲。名、由。宿、豫也。恐臨時多故。故不豫諾。
【読み】
○子路、宿して諾すること無し。子路は、孔子の弟子。姓は仲。名は由。宿は豫なり。時に臨み故多からんことを恐る。故に豫め諾せず。

○子路無宿諾。此は南容とは違ひ、殊外たくましき出すきる人なり。そんならなにもかもあとさき見すでありそふなもの。跡先き見すていなから胡乱に儉約はせぬ。○宿はよへと読み、まいかたからのことを云。来月の事を当月から約諾するやふなことをせぬ。子路かあの気象でむさと約束をせぬ。愼言の至極なり。云た通りのことかなら子は、子路なとは身をそかれるやふに思はれたもの。行と云、行か子は此方の行に疵かつき、此方の德に疵か付。言を愼まぬとうまい約束もするか、臨事にならぬなり。先行言而後と云もこれなり。子路なとがそこを合点したもの。そこを無宿諾也。そちか焼たらをれが材木はやろふと云ふ。なんとしてやられぬものなり。偖て言を愼と云ことゆへ威儀之則にあたる。心術のあらはれると云か全く言語の上がをもなり。
【解説】
子路はたくましくて出過ぎる人だが、彼は妄りに兼約をしなかった。これが慎言の至極である。言った通りにできなければ自分の行に疵が付き、自分の徳に疵が付くと思った。心術は言語の上に主として現れるもの。
【通釈】
「子路無宿諾」。子路は南容とは違い、殊の外たくましいが出過ぎる人である。それなら何もかも後先見ずでありそうなもの。後先見ずでいながら妄りに兼約はしない。宿はよべと読み、前々からのことを言う。来月の事を当月から約諾する様なことはしない。子路はあの気象でいながら矢鱈に約束はしない。慎言の至極である。言った通りのことができなければ、子路などは身を削がれる様に思われた。行くと言って行かなければ自分の行に疵が付き、自分の徳に疵が付く。言を慎まなければよい約束もするが、事に臨むとそうは行かなくなる。「先行其言而後」と言うのもこれ。子路などがそこを合点した人である。そこが「無宿諾」である。御前が焼けたら俺が材木を遣ろうと言う。どうして遣れる筈はない。さて、ここは言を慎むということなので威儀之則に当たる。心術が現れるは実に言語の上が主である。
【語釈】
・儉約…兼約の誤り。かねて結んだ約束。前約。
・先行言而後…論語為政13。「子貢問君子。子曰、先行其言、而後從之」。


稽古41
○孔子曰、衣敝縕袍、與衣狐貉者立而不恥者、其由也與。敝、壞也。縕、枲著也。袍、衣有著者也。蓋衣之賤者。狐貉、獸名。以其皮爲裘。衣之貴者。立、竝立也。恥謂愧其不如。言其不以貧富動其心也。
【読み】
○孔子曰く、敝[やぶ]れたる縕袍を衣て、狐貉を衣たる者と立ちて恥じざる者は、其れ由や。敝は壞なり。縕は枲著なり。袍は衣の著有る者なり。蓋し衣の賤しき者。狐貉は獸の名。其の皮を以て裘を爲る。衣の貴き者。立つは竝び立つなり。恥は其の如からざるを愧じるなり。其の貧富を以て其の心を動かさざるを言うなり。

○孔子曰、衣敝縕袍云々。是等は衣服の稽古なり。敬身の篇に、士志於道而耻悪衣悪食者未足与議と云ふことを一ちしまいに引てあり、それをしかに身に持たか子路なり。わたの出たきるものをきて羽二重の小袖をきて、のっしりとかまへてをるものと同道して耻ともなんともそれに心かない。今人にをふて向か立派て此方がきたないと、逃もせぬがとかくあたりか見られる。そこて、衣服からしてこちの心もきたなくなる。子路を勇と云も、今人の立派な状[なり]をして大口をきき、人の上へでてのさばりたかるよふなことてはない。そのやふなは、食ふものもないと云になるとひしゃ々々々となる。○不以貧富動其心也。是を推して万端の子路のよふすを見せることなり。
【解説】
衣服の良し悪しに心が動くと、心が汚くなる。子路は貧富のことでは心を動かさなかった。
【通釈】
「孔子曰、衣敝縕袍云々」。これらは衣服の稽古である。敬身の篇に、「士志於道而恥悪衣悪食者未足与議」ということを最後に引いてあるが、それを直に身に持ったのが子路である。綿の出た着物を着て羽二重の小袖を着て、のっしりと構えている者と同道して、それを恥とも何とも思わない。今人に逢って向こうが立派でこちらが汚ければ、それで逃げもしないが、とかくそこにい辛い。そこで、衣服からしてこちらの心も汚くなる。子路を勇と言うのも、今の人が立派な姿をして大口を利き、人の上へ出てのさばりたがる様なことではない。その様な者は、食う物ものもないということになれば拉げるもの。「不以貧富動其心也」。これを推して万端の子路の様子を見せたのである。
【語釈】
・士志於道而耻悪衣悪食者未足与議…敬身40の語。
・子路を勇…論語公冶長7。「子曰、道不行、乘桴浮于海。從我者、其由與。子路聞之喜。子曰、由也好勇過我、無所取材」。


稽古42
○鄭子藏出犇宋。好聚鷸冠。鄭、國名。子藏、鄭文公子。宋、國名。鷸、鳥名。聚鷸羽以爲冠。鄭伯聞而惡之、使盗殺之。君子曰、服之不衷身之災也。詩曰、彼己之子不稱其服、子藏之服不稱也夫。衷猶適也。詩、曹風候人篇。
【読み】
○鄭の子藏、宋に出犇す。聚鷸冠[しゅういつかん]を好む。鄭は國の名。子藏は鄭文公の子。宋は國の名。鷸は鳥の名。鷸の羽を聚めて以て冠に爲る。鄭伯聞きて之を惡み、盗をして之を殺さしむ。君子曰く、服の衷[かな]わざるは身の災いなり。詩に曰く、彼の子其の服に稱[かな]わず、と。子藏の服稱わざるかな、と。衷は猶適のごとし。詩は曹風候人の篇。

○鄭子藏云々。子路なとのやふに、わたの出るきるものをきて何とも思はぬか、人にすくれた心ばへなり。凡人はいそかしい中ても立派をしたかる。子藏か居るへき処に居ることもならす、災難にあふて立派ところてはなさそふなものなれとも、冠に物好きをしやった。立派をするも時節かあるもの。口を四方に糊すると云ことかある。とふなりと食しさへすれは旅の身分てはよいに、冠を通用せぬみことな鳥の羽てした。○鷸と云に餘り吟味をせぬかよい。医者なとは吟味すること。本草をしらぬと医者の本かたたぬ。物産て人の命を助けるものか本草を知らぬと云ては薬物の不吟味になる。儒者はかまわぬこと。
【解説】
「鄭子藏出犇宋。好聚鷸冠。鄭、國名。子藏、鄭文公子。宋、國名。鷸、鳥名。聚鷸羽以爲冠」の説明。子蔵は災難に遇って出奔したが、それでも冠の物好きは変わることがなかった。
【通釈】
「鄭子蔵云々」。子路などの様に、綿の出た着物を着て何とも思わないのが人に優れた心栄えである。凡人は忙しい中でも立派をしたがる。子蔵がいるべき処にいることもならず、災難に遇って立派をするどころではなさそうなものだが、冠に物好きをした。立派をするにも時節があるもの。口を四方に糊するということがある。どうでも食いさえすれば旅の身分ではよいことなのに、冠を珍しく見事な鳥の羽でした。「鷸」はあまり吟味をしない方がよい。医者などは吟味をしなければならない。本草を知らないと医者の本が立たない。物産で人の命を助ける者が本草を知らないというのでは薬物の不吟味になる。儒者はそれには構わない。

○さて、追放にても遇て立派ななりをして通ると、牅を開けて見て、やれふといやつと云。浪人がをはをからして編笠をかふると云は浪人めいたことなり。鑓を持たせると云はにくいことそ。逃て行たさきてこのやふなことをするか、殺れることを我方からま子くやふなもの。穴がち親を害すると云てもない。それに悪ひやつしゃ、逃た先て栄耀をすると云て闇討にした。あんまりなことなり。どちがどふとも云はれぬことそ。切り人の知れぬことを盗と云が古の書の例なり。○君子曰。左傳なり。衣服か身の災になるそ。きましきものをきた。此の詩圣かあれに遇たなり。仲間かもみの襦伴をきてはつまらぬ。刑罸道具なり。心あろふかあるまいか、服之不衷身之災也。
【解説】
「鄭伯聞而惡之、使盗殺之。君子曰、服之不衷身之災也。詩曰、彼己之子不稱其服、子藏之服不稱也夫。衷猶適也。詩、曹風候人篇」の説明。出奔した者の身形がよいと人に憎まれるもの。それで子蔵は闇討ちに遭った。衣服が身の災いになったのである。
【通釈】
さて、追放にでも遇って立派ななりをして通ると、窓を開けて見て、やれ太い奴と言われる。浪人が落ちぶれて編笠を被るというのは浪人めいたこと。鑓を持たせるというのは憎いこと。逃げて行った先でこの様なことをするのが、殺されることをこちらから招く様なもの。それはあながち親を害するということでもない。それを、悪い奴だ、逃げた先で栄耀をすると言って闇討ちにした。それはあまりなことだが、どちらが悪いとも言えないこと。斬り手のわからないことを「盗」と言うのが古の書の例である。「君子曰」。これは左伝である。衣服が身の災になる。着てはならないものを着た。この詩経があれに遇ったこと。仲間が紅の襦袢を着ては悪い。それは刑罸道具である。心があろうがあるまいが、「服之不衷身之災也」である。
【語釈】
・をはをからして…尾羽打ち枯らす。前は相当な身分の人が落ちぶれて貧相になる。
・左傳…本文が左伝僖公24年である。
・詩圣…詩経国風曹候人。「維鵜在梁、不濡其翼。彼其之子、不稱其服」。


稽古43
○公父文伯退朝、朝其母。其母方績。文伯曰、以歜之家而主猶績乎。其母歎曰、魯其亡乎。使僮子備官。而未之聞邪。居、吾語女。夫民勞則思。思則善心生。逸則淫。淫則忘善。忘善則惡心生。沃土之民不材。淫也。瘠土之民莫不嚮義。勞也。是故王后親織玄紞、公侯之夫人加以紘・綖、卿之内子爲大帶、命婦成祭服、列士之妻加之以朝服。自庶士以下皆衣其夫。社而賦事、烝而獻功、男女效績、愆則有辟。古之制也。玄、黒色。紞、冠之垂前後者。紘、纓之無緌者。從下而上不結。綖、冕上之覆者。内子、卿之適妻也。大帶、緇帶也。命婦、大夫之妻也。列士、元士也。庶士、下士也。社、春分。祭社也。事、農桑之屬也。冬祭曰烝。烝而獻五穀布帛之功也。吾冀而朝夕脩我曰必無廢先人、爾今曰胡不自安。以是承君之官。余懼穆伯之絶嗣也。
【読み】
○公父文伯朝より退き、其の母に朝す。其の母方に績げり。文伯曰く、歜の家を以てして主猶績ぐか、と。其の母歎じて曰く、魯は其れ亡びんか。僮子をして官に備わしむ。而[なんじ]未だ之を聞かざるや。居れ、吾女に語げん。夫れ民勞すれば則ち思う。思えば則ち善心生ず。逸すれば則ち淫す。淫すれば則ち善を忘る。善を忘るれば則ち惡心生ず。沃土の民は材ならず。淫すればなり。瘠土の民は義に嚮[むか]わざること莫し。勞すればなり。是の故に王后は親から玄紞[げんたん]を織り、公侯の夫人は加うるに紘・綖を以てし、卿の内子は大帶を爲り、命婦は祭服を成し、列士の妻は之に加うるに朝服を以てす。庶士より以下は皆其の夫に衣す。社にして事を賦り、烝にして功を獻り、男女績を效[いた]し、愆[あやま]てば則ち辟有り。古の制なり。玄は黒色。紞は冠の前後に垂るる者。紘は纓の緌無き者。下に從して上りて結ばず。綖は冕上の覆う者。内子は卿の適妻なり。大帶は緇帶なり。命婦は大夫の妻なり。列士は元士なり。庶士は下士なり。社は春分。社に祭るなり。事は農桑の屬なり。冬の祭を烝と曰う。烝にして五穀布帛の功を獻るなり。吾、而の朝夕我を脩めて必ず先人を廢すること無かれと曰わんことを冀うに、爾今胡[なん]ぞ自ら安んぜずと曰う。是を以て君の官を承く。余、穆伯の嗣を絶たんことを懼る、と。

○公父文伯云々。歴々の家老ゆへわるい云よふてもない。御前は大勢家来もあるに自身にををうみますかと云たことなり。家督をとると主婦と云。これは主母と云心なり。あるまいことを云たてはないか、賢女の心は違ふたものなり。をのしは子共しゃと跡て剛異見を云ををとて云たもの。○夫民云々からは天下の人情を云。歴々から軽ひ者迠是れにもれることはない。身をこなして骨を折は心がちゃんとをり塲にをる。孟子の内にも心官思とあり、心はじっとしてをれは内に居て本役を勤る。事をすると閙ひ方へ心か行てをるゆへ、善心か自ら出てくる。○逸は上の労の裏。暇間てなんにもないと云になると、日の短きときも一日巨燵にあたりてをるから日が長ひと思ふ。心かのそんとしてさま々々になる。能なしの食だくみと云も此様な処から云ことなり。道理に付た方のことを善と云か、そのやふなことを思ひ出すひまはなく、わるいこと斗りたくみ出す。
【解説】
「公父文伯退朝、朝其母。其母方績。文伯曰、以歜之家而主猶績乎。其母歎曰、魯其亡乎。使僮子備官。而未之聞邪。居、吾語女。夫民勞則思。思則善心生。逸則淫。淫則忘善」の説明。家老である公父文伯が母に「猶績乎」と言うと、母が異見を言って答えた。事をすると忙しい方へ心が行くので、善心が自ら出て来る。心がのんびりとしていると悪いことばかりを出す。
【通釈】
「公父文伯云々」。公父文伯は歴々の家老なので悪い言い様でもない。貴方は大勢の家来があるのにまだ自身で績むのですかと言った。家督を取ると主婦と言う。これは主母という心である。あってはならないことを言ったのではないが、賢女の心は違ったもの。御前は子供だと、後に強異見を言おうとしてこの様に言った。「夫民云々」からは天下の人情を言う。歴々から軽い者までがこれに漏れることはない。身を粉にして骨を折れば心がしゃんと居り場にいる。孟子の内にも「心之官則思」とあり、心はじっとしていれば内にいて本来の役を勤める。事をすると忙しい方へ心が行っているので、善心が自ら出て来る。「逸」は上の労の裏。暇で何もないということになると、日の短い時も一日中炬燵にあたっているから日が長いと思う。心がのんびりとして様々になる。能なしの食巧みと言うのもこの様な処から言ったこと。道理に付いた方のことを善と言うが、その様なことを思い出す暇はなく、巧みに悪いことばかりを出す。
【語釈】
・心官思…孟子告子章句上15。「耳目之官不思、而蔽於物。物交物、則引之而已矣。心之官則思、思則得之、不思則不得也」。

○悪心生。桀紂幽灵を始、なんてもわるいことは忘善ところから出るなり。それか天下の人のなり。其上に土地にあてて云ふ。是か親切なことそ。これらは大概に説くかよい。国て上国下国と云ことかある。上田下田と云は吟味をつめた方なり。爰はただよい地と云ふ。五穀のすら々々出来、骨の折れぬ処を沃土と云。女中なからもこふ云ことを云はれた。さて的中したことそ。ぬれ手てあわと云処ゆへ、人か手もなく成長して無働なもの。浅見先生の、ういつらいを知らぬから奢りたと云はれた。此様な処の人はとと役に立ぬものなり。学問をしてみても奉公してみても、のらりくらりとして成就かない。なにもかもしまらぬ。それゆへ土地をはなれてももどりてくる。そのかわりよいこともある。懐てそたったものゆへよいものになりか子る。遊に流れて、日待の多ひ村と云も奉公人や子供はうれしかる筈なれとも、よい年をして日待と云と機嫌かよい。ぶらりとしても食れるゆへなり。ぶらりとしても食れると安楽にしてをるゆへ、夏の蝋燭の様にぐにゃ々々々して了簡がきまらぬ。一人の器量てして出すことかならぬ。
【解説】
「忘善則惡心生。沃土之民不材。淫也」の説明。善を忘れることから悪いことが出る。憂い辛いを知らない者は役に立たない。沃土の人はぶらりとしていても食えて安楽だが、了簡が決まらず、一人前にはなれない。
【通釈】
「悪心生」。桀紂幽厲を始めとして、何でも悪いことは「忘善」のところから出る。それが天下の人の姿である。その上に土地に当てて言う。これが親切なこと。これらは大まかに説くのがよい。国に上国下国ということがある。上田下田というのは吟味を詰めたもので、ここはただよい地と言ったこと。五穀がすらすらとできて骨の折れない処を沃土と言う。女中ながらもこの様なことを言われた。これが実に的中したこと。濡れ手で粟という処なので、人が手もなく成長して無働きなもの。浅見先生が、憂い辛いを知らないから奢ったと言われた。この様な処の人はつまりは役に立たないもの。学問をしてみても奉公してみても、のらりくらりとして成就しない。何もかも締まらない。それで、土地を離れても戻って来る。その替わりによいこともあるが、懐で育った者なのでよい者になりかねる。遊びに流れる。日待の多い村というのも奉公人や子供は嬉しがる筈のものだが、よい年をして日待というと機嫌がよい。ぶらりとしていても食えるからである。ぶらりとしていても食え、安楽にしているので、夏の蝋燭の様にぐにゃぐにゃして了簡が決まらない。一人の器量でして出すことができない。
【語釈】
・幽…幽王。周王朝12代王。名は浧。宣王の子。申侯の娘姜氏を妃としたが、褒姒の愛に溺れ、申侯の率いる犬戎の軍に攻められ、驪山の麓で殺された。
・灵…厲王。周王朝10代王。名は胡。夷王の子。~前828

どふやりてもこふやりても出来ぬ土地のわるい処は、こやしをするとても大抵な骨折てはない。平生身をうませす楽にしつけぬゆへ義心か出てくる。下すの楽は寐楽なとと云て、寐ることをうれしかる。今日半日寐たと云ことを大和廻りをしたよりうれしく思ふ。平日骨折るからなり。それゆへをこりも出ぬ。楽をせぬゆへ心かしまる。しまるゆへ心がい処に居る。土地のよい処は遊か珍しくないゆへ甘物をくいたいと云。甘物をくふに銭かないからもふ博樗とくる。下民の通情をよく云たことて、管仲の燕安は酖毒と云もこれなり。労すると善人になり、逸すると悪人になる。○是故云々。始の績乎を云たもの。こなたの母て績ところか、古は天子の后か玄紞を織た。下の加の方は玄紞の上に玄綖を織たと云ことなり。
【解説】
「瘠土之民莫不嚮義。勞也。是故王后親織玄紞、公侯之夫人加以紘・綖、卿之内子爲大帶、命婦成祭服、列士之妻加之以朝服」の説明。瘠土は大層な骨折りをしなければ物が育たない。倦まずにするので義心が出る。労すると善人になり、逸すると悪人になる。
【通釈】
どう遣ってもこう遣ってもできない悪い土地の処は、肥やしをするにも大抵な骨折りではない。平生身を倦ませず楽に仕付けないので義心が出て来る。下衆の楽は寝楽などと言って、寝ることを嬉しがる。今日半日寝たことを大和廻りをしたことよりも嬉しく思う。それは平日骨を折るからである。それで奢りも出ない。楽をしないので心が締まる。締まるので心が居処にいる。土地のよい処は遊びが珍しくないので美味い物を食いたいと言う。美味い物を食うのに銭がないからもう博打と来る。これが下民の通情を上手く言ったことで、管仲が宴安は酖毒と言ったのもこれ。労すると善人になり、逸すると悪人になる。「是故云々」。始めの「績乎」を言ったもの。貴方の母が績むどころか、古は天子の后が玄紞を織った。下の「加」の方は玄紞の上に玄綖を織ったということ。
【語釈】
・燕安は酖毒…春秋左伝閔公。「宴安酖毒、不可懷也」。

○自庻士以下皆は、上は祭服ばかりこしらへたか、上着から犢鼻褌まてこしらへ、頓と越後屋にも冨山にも用のないこと。ふらりと懐手てをるやふな女や男はかつふつない。其時は上の法にそむくと彼御目付か来て出てしかる。当時魯の国てはかまわぬか、をれは古の道を知ておるから績と云た。公父文伯もあたまはあからぬことそ。天地の間に役のないものはない。女なとと云、別していそかしいと云ことをしらせたい。暮の一月を女のことを四十五日と云。よなべをしてをるゆへ三十日夜半寐ぬゆへ四十五日しゃと古人の云てあるぞ。それほどに勤め子はならぬ。学者なともここを気を付ること。冬の内を四十五日と思へは書物のはかもゆくなり。○偖々こなたは了簡違ひじゃ、なにやかやとやさしくしてくれるには及ぬ。異見を云てくれろと云弁しゃと迂斎云へり。をれは異見ても云てくれろかしに思ふに、今日のやふに主猶績乎と云はどふしたことしゃ。始の主猶績乎の意を吾冀は以下に云たもの。ををきな了簡違ひしゃ。をれは世間の母とは違ふ。そのやふな心て家老を勤てはつんとためにわるかろふ。公父文伯あいさつに何も無調法はないか、相手かちこふなり。
【解説】
「自庶士以下皆衣其夫。社而賦事、烝而獻功、男女效績、愆則有辟。古之制也。玄、黒色。紞、冠之垂前後者。紘、纓之無緌者。從下而上不結。綖、冕上之覆者。内子、卿之適妻也。大帶、緇帶也。命婦、大夫之妻也。列士、元士也。庶士、下士也。社、春分。祭社也。事、農桑之屬也。冬祭曰烝。烝而獻五穀布帛之功也。吾冀而朝夕脩我曰必無廢先人、爾今曰胡不自安。以是承君之官。余懼穆伯之絶嗣也」の説明。天地の間に役のない者はいない。女は特に忙しいもの。古は天子の后までが玄紞を織ったのである。母が公父文伯に、御前の了簡は違っていると言ったのである。
【通釈】
「自庶士以下皆」は、上は祭服ばかりを拵えたが、上着から褌までを拵えるので、越後屋にも富山にも全く用がない。ぶらりと懐手でいる様な女や男は全くいない。その様な者がいる時は、かの御目付が来て、上の法に背くと言って叱る。当時の魯の国では構わないことだが、私は古の道を知っているので績むと言った。それでは公父文伯も頭が上がらない。天地の間に役のない者はいない。女などは特に忙しいということを知らせたい。暮の一月を女のことで四十五日と言う。夜なべをして三十日夜半寝ないので、四十五日だと古人が言った。それほどに勤めなければならない。学者などもここに気を付けなさい。冬の内を四十五日と思えば書物も捗る。御前は実に了簡違いをしている、何やかやとやさしくしてくれるには及ばない。異見を言ってくれという弁だと迂斎が言った。私は異見でも言ってくれるのかと思ったのに、今日の様に「主猶績乎」と言うのはどうしたことか。「吾冀」は、始めの主猶績乎の意を以下に言ったもの。大きな了簡違いだ。私は世間の母とは違う。その様な心で家老を勤めては実に悪いだろう。公父文伯の挨拶に何も無調法はなかったが、相手が違う。
【語釈】
・かつふつ…全く。まるで。絶対に。


稽古44
○孔子曰、賢哉回也。一簞食、一瓢飮、在陋巷。人不堪其憂。回也不改其樂。賢哉囘也。囘、孔子弟子。姓、顔。字、子淵。簞、竹器。食、飯也。瓢、瓠也。言不以貧窶累其心而改其所樂也。
【読み】
○孔子曰く、賢なるかな回や。一簞の食、一瓢の飮、陋巷に在り。人其の憂いに堪えず。回や其の樂を改めず。賢なるかな囘や。囘は孔子の弟子。姓は顔。字は子淵。簞は竹器。食は飯なり。瓢は瓠なり。貧窶を以て其の心を累わして、而して其の樂しむ所を改めざるを言うなり。

○孔子曰賢哉云々。此章は学問の上て殊の外高ひこと。顔子の亜垩と呼れるもここの処。周茂叔も平生程子御兄弟へ、あそこをたつ子ろと云はれた。此段の吟味になりては切紙道具。是の重ひことを飲食之節に引たか靣白し。顔子の大賢になられたはどこなれは、貧乏を心にとめぬからなり。○不改と云か顔子の顔子たる処。貧乏と云も段々あれとも、食ひもののないと云ほとなことはないになんともない。ここはたたあらく顔子を合点させること。顔子は食ふものもないのになんともないと云処か飲食の稽古になる。顔子は一簞食一瓢の飲なり。今日うまいものを食ひするなとと云ことては、とんと人間にはなられぬ。たたこふ云へは顔子の男振をちいさくして見せるやふなれとも、小学の飲食てはこふ云ことなり。
【解説】
顔子が大賢になられたのは、貧乏を心に留めないからである。美味いものを食いたがる様では顔子の様にはなれない。
【通釈】
「孔子曰賢哉云々」。この章は学問の上で殊の外高いもの。顔子が亜聖と呼ばれるのもここの処。周茂叔も平生程子御兄弟に、あそこを尋ねろと言われた。この段の吟味になっては切紙道具。この重いことを飲食之節に引いたのが面白い。顔子が大賢になられたのは何処からかと言うと、貧乏を心に留めないからである。「不改」と言うのが顔子の顔子たる処。貧乏にも段々があるが、食物がないというほど貧乏なことはないのに何ともない。ここはただ粗く顔子を合点させたもの。顔子が食物もないのに何ともないという処が飲食の稽古になる。顔子は一簞の食、一瓢の飲である。今日美味いもの食いをするなどということでは、人間には全くなれない。ただこの様に言えば顔子の男振りを小さくして見せる様だが、小学の飲食ではこういうこと。
【語釈】
・顔子の亜垩…小学外篇嘉言5。「顔子・孟子亞聖也」。
・切紙道具…免許目録。

小野﨑舎人殿の、こちの屋敷にはありかた料理と云ことあると云はれた。たとへは一汁一菜の料理たと世間をみるに、世間には一汁一菜斗りてくふものもあらふか、三菜と云。難有料理。又、一汁一菜なれは、世間には菜なしな者もあるに難有料理。又、飯と汁のときは、世間には粥を食ふてをるものもあるに難有料理。世間には食ふことのならぬ者あるに粥を食ふ。有りかた料理。とかく難有々々と足ることを知る。靣白き咄しなり。顔にしわをよせるほとなことをありかたいと云てにっこりと笑ふこと。これらか顔子の不改楽に仕寄を付ることなり。然れは分に安んしこれてもよい々々と云へは、一生あやまることはない。菜なとと云は栄耀の上は盛り、あれは飯を甘く食せやうとてのこと。顔子なとは云やふもない貧乏なり。歒へ降参すると云も、今迠の通り子共をはこくみ、女房に小袖を着せよふと思からなり。今日万鐘明日飢餓と云ふ心てなけれは飲食之節も魂ひかない。たたの小笠原の飲食になる。それを精神にもったか顔子を出した処なり。
【解説】
小野崎舎人が自分のところの屋敷には有難料理というものがあると言った。有難いと言って足りるということを知るのがよい。
【通釈】
小野崎舎人殿が、こちらの屋敷には有難料理というものがあると言われた。たとえば世間は一汁一菜の料理だと見れば、世間では一汁一菜ばかりで食う者もあるだろうが、こちらは三菜である。有難料理。また、一汁一菜であれば、世間には菜なしの者もあるのに有難料理。また、飯と汁の時は、世間には粥を食っている者もいるのに有難料理。世間には食うことのできない者もいるのに粥を食う。有難料理。とかく有難いと言って足りることを知る。面白い話である。顔に皺を寄せるほどのことを有難いと言ってにっこりと笑う。これらが顔子の「不改楽」に道を付けること。そこで、分に安んじてこれでもよいと言えば、一生誤ることはない。菜などは、栄耀の上では盛るが、あれは飯を美味く食わせようとしてのこと。顔子などは言い様もない貧乏である。敵へ降参するのも、今までの通り子供を育み、女房に小袖を着せようと思うからである。「今日万鐘明日飢餓」という心でなければ飲食之節も魂がなく、ただの小笠原の飲食になる。そこで魂に持った顔子を出した。
【語釈】
・小野﨑舎人…小野崎舍人。本姓は在原。名は師由。初め團六と称す。秋田藩支封老職。宝暦2年(1752)10月8日、江戸にて没。年68。直方没後、三宅尚齋に学ぶ。子は師德。
・今日万鐘明日飢餓…近思録出処39。「天下事、大患只是畏人非笑。不養車馬、食麄衣惡、居貧賤、皆恐人非笑。不知當生則生、當死則死、今日萬鐘、明日棄之、今日富貴、明日飢餓、亦不卹、惟義所在」。


右敬身。
【読み】
右、敬身なり。


稽古45
衛莊公娶于齊東宮得臣之妹。曰莊姜。美而無子。又娶于陳。曰厲嬀。生孝伯。早死。其娣戴嬀生桓公。莊姜以爲己子。衛、國名。莊公、衛君。齊、國名。東宮、太子。得臣、齊太子名。姜、齊姓。娣、女弟之從嫁者。嬀、陳姓。厲、戴、皆謚也。桓公、名完。公子州吁嬖人之子也。有寵而好兵。公弗禁。莊姜惡之。嬖、親幸也。石碏諫曰、臣聞愛子敎之以義方、弗納於邪。驕奢淫泆所自邪也。四者之來寵祿過也。石碏、衛大夫。方、道也。夫寵而不驕、驕而能降、降而不憾、憾而能眕者鮮矣。憾、恨。眕、重也。降其身則必恨。恨則思亂、不能自安自重。且夫賤妨貴、少陵長、遠間親、新間舊、小加大、淫破義、所謂六逆也。君義、臣行、父慈、子孝、兄愛、弟敬、所謂六順也。臣行君之義。去順效逆所以速禍也。君人者將禍是務去。而速之無乃不可乎。
【読み】
衛の莊公、齊の東宮得臣の妹を娶る。莊姜と曰う。美にして子無し。又陳に娶る。厲嬀と曰う。孝伯を生む。早く死す。其の娣戴嬀、桓公を生む。莊姜以て己の子と爲す。衛は國の名。莊公は衛の君。齊は國の名。東宮は太子。得臣は齊の太子の名。姜は齊の姓。娣は女弟の嫁に從う者。嬀は陳の姓。厲、戴は皆謚なり。桓公、名は完。公子州吁[しゅうく]は嬖人[へいじん]の子なり。寵有りて兵を好む。公禁ぜず。莊姜之を惡む。嬖は親幸なり。石碏諫めて曰く、臣、子を愛し之に敎うるに義方を以てし、邪に納れず。驕奢淫泆は自りて邪なる所なり。四の者の來るは寵祿過ぐればなりと聞く。石碏は衛の大夫。方は道なり。夫れ寵して驕らず、驕りて能く降し、降して憾[うら]みず、憾みて能く眕する者は鮮し。憾は恨。眕は重なり。其の身を降せば則ち必ず恨む。恨めば則ち亂を思いて、自ら安んじ自ら重んずること能わず。且つ夫れ賤の貴を妨げ、少の長を陵ぎ、遠の親を間[へだ]て、新の舊を間て、小の大に加え、淫の義を破るは、六逆と謂う所なり。君義に、臣行い、父慈に、子孝に、兄愛し、弟敬すは、六順と謂う所なり。臣は君の義を行う。順を去りて逆を效うは禍を速[まね]く所以なり。人に君たる者は將に禍は是れ務めて去らんとす。而るに之を速くは不可なること無からんや、と。

○此からは敬身の稽古。是を一つ吟味してみれは、敬身の稽古にはあれとも稽古らしくない。皆理屈を云たことて身に行た稽古てはない様なが、あの春秋之世に生れて此様な理屈を云か其人の稽古と見るかよい。爰の書き出しは石碏か異見を云前書とみるほとなこと。荘公か古今不思議な道落者なり。衛灵公も道落者なれとも、道落に筋が立てをる。荘公は魂ひか入替たやふしゃ。それをにをはせた文例なり。道落者の魂ひはとれもぶんなれとも、是等はなを分なり。灵公は顔のよいものに迷ふ。荘公はよい者に迷はぬ。○東宮は浅見先生なとの仰らるる通り、大名の惣領を云。文王八卦の震の卦にあてて云たもの。○荘姜は其妹なり。これを出すには及そもないに、すしよふの正ひことを云ふ。○妹と云は本腹の兄弟と云をみせる。これか賢女てあった。古の文王の妃にもをさ々々まけぬ賢女て、さて拔群の美女なり。○無子と云か年の十五年も過てもないとき書くことそ。ここは挨拶わるい。側によらぬことを云。容儀かすぐれて德のある処か気に入らぬそふなり。
【解説】
「衛莊公娶于齊東宮得臣之妹。曰莊姜。美而無子」の説明。荘公は際立った道楽者だった。賢女で抜群の美女だった荘姜を娶ったのだが、そこには近付かなかった。
【通釈】
これからは敬身の稽古である。これを一つ吟味してみれば、敬身の稽古にあるのだが、稽古らしくない。皆理屈を言ったことで身で行った稽古ではない様だが、あの春秋の世に生まれてこの様な理屈を言ったのがその人の稽古だと見なさい。ここの書き出しは、石碏が異見を言うための前書きと見るほどのこと。荘公は古今不思議な道楽者である。衛霊公も道楽者だが、道楽に筋が立っている。荘公は魂が入れ替わった様な人。それを匂わせた文例である。道楽者の魂はどれも違ったものだが、これらは特に違ったもの。衛霊公は顔のよい者に迷うが、荘公は顔のよい者には迷わない。「東宮」は浅見先生などの仰せられる通り、大名の惣領を言う。これは文王の八卦の震の卦に当てて言ったもの。「荘姜」はその妹である。これを出すには及びそうもないことだが、筋の正しいことを言ったのである。「妹」と言ったのは本腹の兄弟であることを見せたもの。これが賢女だった。古の文王の妃にもおさおさ負けない賢女で、さて抜群の美女だった。「無子」は、十五年過ぎてもない時に書くこと。これは挨拶が悪くて側に寄らないことを言ったもの。容儀が優れて徳のある処が気に入らない様である。
【語釈】
・文王八卦の震の卦…八卦の震は下から陽爻-陰爻-陰爻で長男を指す。

○又娶于陳。大名は再嫁はないか、これらか始てぐらいなり。こふ云礼儀正しひ人ありたか、頓と荘公か其様なものは嫌ひて、殊外大勢御部屋かありた。其むすこともか気に入りた。さて君の御気に入と云になると、それからよろつのわるいことか出てくる。それに好兵なり。重荷に小附と云がこれ。何そと云と劔戟好き。拔と云か僻せ一ちわるいくせなり。此上はないわるいことと合点するかよい。小学てたたこふ云た斗りでは、遠ひやふて今日の戒にならぬ。今に云へは兎角脇差をひ子くりまわすがすきなり。寵の上に兵を好むなれは悪のはかがゆく。迂斎の咄しに、鳥山君の、札さし和泉や源兵衛か、私共方の道落者の中ても酒を飲むのか道落のはかか行と云たれは、迂斎と剛斎の甚た称した。道落のはかが行くとはよく云たと云へり。
【解説】
「又娶于陳。曰厲嬀。生孝伯。早死。其娣戴嬀生桓公。莊姜以爲己子。衛、國名。莊公、衛君。齊、國名。東宮、太子。得臣、齊太子名。姜、齊姓。娣、女弟之從嫁者。嬀、陳姓。厲、戴、皆謚也。桓公、名完。公子州吁嬖人之子也。有寵而好兵。公弗禁」の説明。荘公は妾の子である州吁を寵愛した。州吁は兵を好んだ。
【通釈】
「又娶于陳」。大名に再嫁はないことだが、これらが初めてぐらいのこと。こういう礼儀正しい人がいたのだが、荘公はその様な者は実に嫌いだった。殊の外大勢の御部屋があり、その息子共が気に入っていた。さて君の御気に入るということになると、それからは万の悪いことが出て来る。それに加えて「好兵」である。重荷に小付というのがこれ。何かというと剣戟好き。抜くというのが一番悪い癖で、この上ない悪いことだと合点しなさい。小学でただこの様に言うだけでは、遠い様で今日の戒めにはならない。今で言えばとかく脇差を捻くり回すのが好きなこと。寵の上に兵を好むのであれば悪のはかが行く。迂斎の話に、鳥山君が、札差の和泉屋源兵衛が、私共の方の道楽者の中では、酒を飲むのが一番道楽のはかが行くと言ったと言うと、迂斎と剛斎が甚だ称した。道楽のはかが行くとはよく言ったと言った。
【語釈】
・鳥山…鳥山紀長。江戸の人。幕臣。稲葉迂斎門下。
・公子州吁…桓公が位に就いた後、州吁は出奔する。その後州吁は桓公を襲撃して殺し、位に就く。人望がなく、鄭に出兵(東門の役)するが失敗する。石碏と陳侯とが謀り、陳で処刑される。

○悪之を浅見先生の、悪む下心は太子の害になると云た。成程有寵而好兵と云なれは、太子の邪魔になるにはきわまりた。石碏か子は公子州吁ととも々々わるいことをしたゆへ殺したなり。○臣聞云々。本道にかわゆいと思へは義てする筈なり。君の方から寵禄かなけれはつんと誰もふりかへりてみるものもない。勢のないものなり。世間の言ばにも、大名の二男に生れるより家老の惣領に生れるかよいと云ことかある。大名ても二男以下は勢のないてよし。それか上へもへ出るは寵禄か過るゆへなり。先つは十人なみの者か寵禄あれはそれにのる。寵禄がありても驕らぬ者があるが、それはすくない。いったんは奢りても、をれは此様にのってはなるまいとひきく出す者はない。さて一旦くだしてもこふはあるまい筈と怨か起る。とふも家老にをされる筈はないと朝夕心持かよくない。心持かよくないと、そろ々々謀反の心か起る。居り塲に心を落付けることかならぬ。口上に云はれぬことにいかいことある。怨む段になるとわきから世話か出てくる。春秋の世から後世迠もみなこれかある。
【解説】
「莊姜惡之。嬖、親幸也。石碏諫曰、臣聞愛子敎之以義方、弗納於邪。驕奢淫泆所自邪也。四者之來寵祿過也。石碏、衛大夫。方、道也。夫寵而不驕、驕而能降、降而不憾、憾而能眕者鮮矣。憾、恨。眕、重也。降其身則必恨。恨則思亂、不能自安自重」の説明。公子である州吁が「有寵而好兵」であれば、太子が邪魔になるのは必然である。石碏が荘公を諌めた。子は義で教えるもの。君の寵禄があると子は驕るものだが、寵禄がなければ勢いはなくなる。驕っている者が諌められると、やがて謀叛の心が起こる。
【通釈】
「悪之」。浅見先生が、悪む下心は太子の害になるからだと言った。なるほど「有寵而好兵」であれば、太子が邪魔になることは確実である。石碏の子は公子州吁と共に悪いことをしたので殺された。「臣聞云々」。本当に可愛いと思えば義でする筈。君の方からの寵禄がなければ振り返って見る者は誰もいない。勢いのないもの。世間の言葉にも、大名の二男に生まれるよりも家老の惣領に生まれる方がよいとある。大名でも二男以下は勢いがないのでよい。それが上へ萌え出るのは寵禄が過ぎるからである。先ずは十人並みの者も寵禄があればそれに乗る。寵禄があっても驕らない者もいるが、それは少ない。一旦は奢っても、俺がこの様に乗っては悪いと引き下す者はいない。さて一旦引き下がっても、こうではない筈だと怨みが起こる。どうも家老に推される筈はないと朝夕心持がよくない。心持がよくないと、そろそろと謀叛の心が起こる。居り場に心を落ち付けることができない。口上に出せないことが大層ある。怨む段になると脇から世話が出て来る。春秋の世から後世までに皆これがある。

○六逆と云ものを追拂て六順になるてなけれはならぬ。○陵はをし付ること。是迠のことか皆よこさまなことなり。○君義臣云々。此六つの揃ふか道理のなりなこと。高ひ処から水を流すやふなもの。道理のなりと云か至て御目出度こと。道理の通りに命令すれは、臣か命令なりにする。○人君は禍を速くものてはない。禍のこぬやふにとそれをはき出すか役。○務去と云はををはだぬいてするほとなことと迂斎云へり。禍はこちの国へはくるなとををはた拔てする筈。迂斎の、是迠立教明倫の通論にして見ろと云た。此次の章から敬身の通論なり。
【解説】
「且夫賤妨貴、少陵長、遠間親、新間舊、小加大、淫破義、所謂六逆也。君義、臣行、父慈、子孝、兄愛、弟敬、所謂六順也。臣行君之義。去順效逆所以速禍也。君人者將禍是務去。而速之無乃不可乎」の説明。「六逆」を追い払って「六順」になるのでなければならない。人君は禍を招いてはならず、禍を掃き出すのが役である。
【通釈】
「六逆」というものを追い払って「六順」になるのでなければならない。「陵」は押し付けること。これまでのことが皆横様なこと。「君義臣云々」。この六つの揃うのが道理の通りなこと。それは、高い処から水を流す様なもの。道理の通りというのが至って御目出度いこと。道理の通りに命令をすれば、臣は命令の通りにする。人君は禍を速くものではない。禍が来ない様にとそれを掃き出すのが役。「務去」とは、大肌を脱いでするほどのことだと迂斎が言った。禍はこちらの国へは来るなと大肌を脱いでする筈。迂斎が、これまでを立教明倫の通論として見なさいと言った。この次の章からが敬身の通論である。


稽古46
○劉康公、成肅公、會晉侯伐秦。成子受脤于社不敬。脤、宜社之肉。盛以脤器。故曰脤。宜、出兵祭社之名。劉子曰、吾聞之、民受天地之中以生。所謂命也。是以有動作・禮義・威儀之則、以定命也。能者養之以福、不能者敗以取禍。是故君子勤禮、小人盡力。勤禮莫如致敬。盡力莫如敦篤。敬在養神。篤在守業。國之大事在祀與戎。祀有執膰、戎有受脤、神之大節也。膰、祭肉。交神之大節也。今成子惰。棄其命矣。其不反乎。
【読み】
○劉康公、成肅公、晉侯に會して秦を伐つ。成子脤[しん]を社に受けて敬しまず。脤は、社に宜するの肉。盛るに脤器を以てす。故に脤と曰う。宜は、兵を出して社を祭るの名。劉子曰く、吾之を聞く、民は天地の中を受けて以て生まる。謂う所の命なり。是を以て動作・禮義・威儀の則有り、以て命を定む。能くする者は之を養いて以て福し、能くせざる者は敗りて以て禍を取る、と。是の故に君子は禮を勤め、小人は力を盡す。禮を勤むるには敬を致すに如くは莫し。力を盡すには篤を敦くするに如くは莫し。敬は神を養うに在り。篤は業を守るに在り。國の大事は祀と戎とに在り。祀に膰[はん]を執ること有り、戎に脤を受くること有るは、神の大節なり。膰は祭の肉。神に交わるの大節なり。今成子惰る。其の命を棄つ。其れ反らざらんか、と。

○刘康公云々。天子の卿をつとめるものゆへ公爵なり。国主てはなし。軍の時は先つ社壇へ祭をして出る。至て重ひ厳しいこと。其時門出の祭をする。祭のときはつんとやりばなしなていてありた。○脤器はそなへものをなにやら貝へ入れて祭ることて、蛤貝そふなり。ひもろきと云和訓はひもろの木のこと。神を祭るときひもろの木を立て、それへ幣を立てる。祭に用ゆるゆへ、ひもろきと云とみへる。○刘子曰云々。此の口上なとか中々大抵な言てはない。此言を云やったか刘子の稽古になる。古の垩人の云はれたことを聞傳ていやったもの。○道理の名を中と云。中とは丁となぎり々々と云やふな弁てはない。中と云かがた々々へより邪まにすぢかったよふなことはない。中庸の中も天地の理を云。天から命をせられると云か外のことてはない。砂糖は甘く唐辛は辛ひと云やふに、人間は天地の中を受けて生れるから万物の灵とも云。天地人三才とも云。いくら馬か丈夫ても牛か達者ても、よってもつかれぬことそ。人間には禽獣にないわけあいのものかある。それは何なれは、中を受け生る。
【解説】
「劉康公、成肅公、會晉侯伐秦。成子受脤于社不敬。脤、宜社之肉。盛以脤器。故曰脤。宜、出兵祭社之名。劉子曰、吾聞之、民受天地之中以生。所謂命也」の説明。軍の時は社壇へ祭をして出るものだが、その時に成の粛公が不敬だった。それを見て劉康が、人は天の中を受けて生まれたものだと言った。
【通釈】
「劉康公云々」。彼等は天子の卿を勤める者なので公爵であって国主ではない。軍の時は先ず社壇へ祭をして出る。至って重く厳しいことなので、その時に門出の祭をする。その祭の時が遣り放しの体だった。「脤器」は供え物を何やら貝へ入れて祭ることで、蛤貝だそうである。神籬[ひもろき]という和訓はひもろの木のこと。神を祭る時にひもろの木を立て、それへ幣を立てる。祭に用いるので、ひもろきと言うものと見える。「劉子曰云々」。この口上などが中々大抵な言ではない。この言を言ったのが劉子の稽古になる。古の聖人が言われたことを聞き伝えて言ったもの。道理の名を中と言う。中とは丁度のぎりぎりという様な弁ではない。中とは、一方へ寄り、邪魔に筋違った様なことではない。中庸の中も天地の理を言ったもの。天から命を下されるというのが外のことではない。砂糖は甘く唐辛子は辛いという様に、人間は天地の中を受けて生まれるから万物の霊とも言う。天地人三才とも言う。いくら馬が丈夫でも牛が達者でも、寄り付くこともできないこと。人間には禽獣にない訳合いのものがある。それは何かと言うと、中を受けて生まれたからである。
【語釈】
・天地人三才…易経説卦伝2。「昔者聖人之作易也、將以順性命之理。是以立天之道、曰陰與陽。立地之道、曰柔與剛。立人之道、曰仁與義。兼三才而兩之」。

そこて禽獣なとにない、○有動作礼義威儀之則也。身の働て云ひ、道理の上て云たもの。外へみへる処かさてもああこそあらめと云か威儀也。人のもちまいてないことはゆかぬもの。威儀之則を段々しこんて行と、中を受て生れた命か丁とにきまる。天から命をくたさると、こちて定める。定とていじることてはない。威儀之則をつつしむと定と云。○命は天の方なれとも定は人のこと。そこて孟子の立命、説卦傳にも至命と云ことかある。天から拜領の命とて上に手だしをすることてない。受たままてたわいなしになってをる処を、動作威儀之則をつつしむてしゃんとなる。是を云たか道学の正理の元祖になるなり。俗学は性理のことは宋から始ると思ひ、又、吾黨の学者は近思彔や大学はをくふかしいことに思ひ、左傳なとにはとることはないと思は文字かかいないゆへなり。此様な語てみよ。左傳なとは垩人の世を去ることか遠くないからずいぶん結搆な語がある。去るによって徂徠なとは左傳を読て足ることとも思ふ。命を上にをいて此方て存心養性、あれをするて、定命につかまへとはない。威儀て定るなり。
【解説】
「是以有動作・禮義・威儀之則、以定命也」の説明。人は天の中を受けて生まれたものだから、人には動作・礼義・威儀の則があって、これで命を定める。命は掴まえ処がない。それは動作・礼義・威儀で定めるのである。
【通釈】
そこで、禽獣などにはない「動作礼義威儀之則」がある。これは身の働きで言い、道理の上で言ったもの。外へ見える処であの様でこそあるべきだというのが威儀である。人の持前でないことはうまく行かないもの。威儀之則を段々仕込んで行くと、中を受けて生まれた命が丁度に決まる。天から命を下されると、こちらで定める。定めると言っても弄ることではない。威儀之則を敬むことを定めると言う。命は天の方のことだが定めるのは人のこと。そこで孟子に立命、説卦伝にも至命ということがある。天から拝領の命と言っても上に手出しをすることではない。受けたままで他愛なくなっている処を、動作威儀之則を敬むのでしゃんとなる。これを言ったのが道学の正理の元祖になる。俗学は性理のことは宋から始まると思い、また、我が党の学者は近思録や大学は奥深いことと思うが、左伝などに取ることはないと思うのは文字が甲斐ないからである。この様な語で見なさい。左伝などは聖人の世を去ることが遠くないから随分と結構な語がある。そこで、徂徠などは左伝を読めば足りるとも思った。命を上に置いてこちらで存心養性、それをするのであって、定命には掴まえ処はない。威儀で定めるのである。
【語釈】
・孟子の立命…孟子尽心章句上1。「孟子曰、盡其心者、知其性也。知其性、則知天矣。存其心、養其性、所以事天也。妖壽不貳、修身以俟之、所以立命也」。
・説卦傳にも至命…易経説卦伝1。「昔者聖人之作易也、幽贊於神明而生蓍。參天兩地而倚數。觀變於陰陽而立卦、發揮於剛柔而生爻、和順於道德而理於義、窮理盡性以至於命」。

○養之。朝起て髪月代をするか養なり。山﨑先生の、石のかろふとの中てもえもんをつくるやふなものと云がこれなり。公家衆のよいも平生かよい。○敬在養神は、此方のすることか道理に叶へは自から鬼神の思召にも叶ふ。何にも別のことではない。是迠の云分ををきな敬身の稽古なり。古の垩賢の遺言を傳へ来たか刘子の正道の稽古なり。口ちま子てはない筈。祀をなんてもないことに思ひ、それて脤を受ては禍を取る。本君子は歴々のことを云。礼を平生のつとめにすると、外向斗りのことてはなく、これか立命じりんになる。どこ迠も立命のことに見るへし。これ道理を爛熟した人てなくてはしれぬ。下々の身分の者は何の事なしに犂钁をもって田を耕せはよい。○勤礼と云か何も別のことてはない。武王は上下を着て出ること。○尽力と云は、百姓は钁を持て出るなり。これはあらいことて、そのあらいか内へ子りこむ処になる。此精神て命か定られるそ。
【解説】
「能者養之以福、不能者敗以取禍。是故君子勤禮、小人盡力。勤禮莫如致敬。盡力莫如敦篤。敬在養神」の説明。動作・礼義・威儀を勤めれば鬼神の思し召しに合う。君子は礼を勤め、小人は力を尽くす。尽力とは、百姓であれば钁を持って出ること。
【通釈】
「養之」。朝起きて髪月代をするのが養である。山崎先生が、石の唐櫃の中でも衣紋を作る様なものと言うのがこれ。公家衆がよいのも平生がよいから。「敬在養神」。自分のすることが道理に叶えば自ずから鬼神の思し召しにも叶う。何も特別なことではない。これまでの言い分が大きな敬身の稽古である。古の聖賢の遺言を伝え来たのが劉子の正道の稽古である。これが口真似ではない筈。祀を何でもないことに思い、それで脤を受けては禍を取ることになる。本「君子」は歴々のことを言う。礼を平生の勤めにすると、外向きばかりのことではなくて、これが立命の基礎になる。何処までも立命のことだと見なさい。これが理を爛熟した人でなくてはわからないこと。下々の身分の者は何事もなく犂钁を持って田を耕せばよい。「勤礼」は何も別のことではない。それは、武王が裃を着て出ること。「尽力」とは、百姓が钁を持って出ること。これは粗いことで、その粗いのが内へ練り込む処になる。この魂で命が定められる。

○敬はものを大事にして何に事てもなぐると云ことはなく、洞々属々と云もこれなり。いつも々々々大鉢へ水をいれて歩行くやふな心。そこて、如履薄氷と云。平生本町三町目を通にも如履薄冰なり。偖て道学のさなこの処か左傳にある。○篤は浅見先生の、この上を々々々々とすることと云へり。一通にはかやりをし、手早て一人てすることを五人てすると云は誉て誉られぬこと。人の働くへき一人のことを其上え々々々々とあつくする。五人前働と云はよいやふなことてなかくつつかぬ。このやふにあら々々しく云か、これをするて心か内にいる。○養神と云神は存養の至極を云たもの。神は吾か精神なり。吾の神を養に敬と云ことを至極にする。養神は供養をしてものを先祖へ具ることと云説あり。古人の説なれとも、某は不受此説。
【解説】
「敬」は、洞々属々や如履薄氷という様なもの。「篤」はこの上をこの上をとすること。「養神」の神は自分の魂を言う。
【通釈】
「敬」は、ものを大事にして何事も粗略にしないこと。洞々属々もこれ。いつも大鉢に水を入れて歩く様な心。そこで、如履薄氷と言う。平生本町三町目を通るにも如履薄氷である。さて道学の核子の処が左伝にある。「篤」は浅見先生が、この上をとすることだと言った。一通りに手早くして、一人で五人分をするというのは誉められないこと。人の働くべき一人のことをその上へと篤くする。五人前を働くというのはよい様なことで長く続かない。この様に粗々しく言うが、これをするので心が内にいる。「養神」の神は存養の至極を言ったもの。神は自分の魂のことである。自分の神を養うために敬を至極にする。養神は供養をしてものを先祖へ具えることという説がある。古人の説だが、私はこの説を採らない。
【語釈】
・洞々属々…小学内篇明倫6集註に、「洞洞、質愨貌。屬屬、專一貌」とある。
・如履薄氷…論語泰伯3。「曾子有疾、召門弟子曰、啓予足。啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子」。詩は詩経小雅小旻。

○講後文曰、前に受脤于社不敬は此章の母字。能者致福不能者致禍と云ことも、とかく鬼神のことにしてみたきことなり。こちを敬は天地の鬼神も致福。わるけれは鬼神もはなれる。それからして下を上下て二つつつに説かれたものとみへるなり。然してみれは、古人の説恐は是にちかからん。先生曰、古人の説よし。予は説あしし。其上在守業と對句あれは一入予説あしし。
【解説】
花沢文二が、これはとかく鬼神のことで見るのがよいと言った。
【通釈】
講後に文二が言った。前にある「受脤于社不敬」はこの章の母字。「能者致福不能者致禍」も、とかく鬼神のことにして見るべきである。こちらが敬めば天地の鬼神も致福。悪ければ鬼神も離れる。それからして下を上下で二つに分けて説かれたものと見える。それから見れば、恐らく古人の説はこれに近いものだろう、と。先生が、古人の説はよい。私の説は悪い。その上に「在守業」と対句があれば、一入私の説は悪いと言った。
【語釈】
・文…林潜斎。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。稲葉黙斎門下。

○守業は、職人なら職人、百姓なら百姓て、脇へ手を出さぬこと。守と云ことに付て思出した。先年清兵衛へ戯て云。百姓へ土金の傳をしよふそ。某は神道は学はぬゆへ土金の傳はしらぬか、金は地から出るものとさへ思へは百姓を精出す。簟子にいくら金かあってもなくなる。地から金か出るゆへ土金の傳と云。すきやくわさへもって出ると金はたまる。それを迂遠[まだるく]思と守業気がなくなり守業か薄くなる。先王の末作を抑ると云ふかある。百姓は大義なものゆへ兎角脇のことをしたかるか、どこ迠もすきくわをもち糞を弄ると云か百姓の業なり。思ひよらぬ金をもらふたとてうれしかるは役にたたぬ。百姓の納元は地より外にないと云へはすむこと。さて是迠君子小人の上を云ひ、これから国の大事と云は祭と軍ほとなことはないときめたもの。鬼神へ交ると云ことの一ち大切な一ち重ひことなり。それを何のことなくかろんしてかかりたと云か、人間の様子てはないと云ほとに強く訶りたもの。犬や猫にえんの上から投てやりてもその肴に食ひつくよふなもの。犬は脤ても辞義はせぬ。もふあれてはたまるまいと歎したもの。
【解説】
「篤在守業。國之大事在祀與戎。祀有執膰、戎有受脤、神之大節也。膰、祭肉。交神之大節也。今成子惰。棄其命矣。其不反乎」の説明。百姓は土金の伝がよい。土から金が出る。百姓は大儀なのでとかく脇のことをしたがるが、何処までも鋤鍬を持って糞を弄るというのが百姓の業である。国にあっては祭と軍が大事なことなのに、粛公はそれを疎かにしたのだから無事には済まないだろうと劉康は思った。
【通釈】
「守業」は、職人なら職人、百姓なら百姓で、脇へ手を出さないこと。守ということに付いて思い出したことがある。先年清兵衛へ戯れて言った。百姓へ土金の伝をすべきである。私は神道を学ばないので土金の伝は知らないが、金は地から出るものとさえ思えば百姓が精を出す。箪笥にいくら金があってもなくなる。地から金が出るので土金の伝と言う。鋤や鍬さえ持って出れば金は貯まる。それをまだるく思うと守業の気がなくなって守業が薄くなる。先王の末作を抑えるということがある。百姓は大儀なものなのでとかく脇のことをしたがるが、何処までも鋤鍬を持って糞を弄るというのが百姓の業である。思いも寄らない金を貰ったと嬉しがるのは役に立たない。百姓の納元は地より外はないと言えば済む。さてこれまでに君子小人の上を言い、これからが国の大事のことと言うのは、祭と軍ほど大事なことはないと決めたもの。鬼神へ交わるということでは一番大切で一番重いこと。それを何事もなく軽んじて掛かったというのが、人間の様子ではないと言うほどに強く訶ったもの。犬や猫に縁の上から肴を投げて遣ると、それに食い付く様なもの。犬は脤でも辞儀はしない。もうあれでは堪らないだろうと歎じたもの。
【語釈】
清兵衛
先王の末作を抑る

○中和は中庸の中和と同しこと。ときに未発已発は孔子さへ云はれぬことなれとも、やっはりこれを未発已発の中和にあてて見るかよい。発らぬ前を中と云。それか外へあらはれた処を和と云。誰ても人の心に体用のないものはない。戒愼不睹恐懼不聞と云中の塲て功夫をすると喜怒哀楽がをこりて中の節。精神がぬけてをるからそふならぬ。どこでもこふもたせてみること。左傳時分にこふ云ことはあるまいと云をふか、気か付かず云やっても後世て説くときはこふみるべきことなり。上の敬々と云も程朱の云はるるやふな功夫とも云はれぬことなれとも、ここに敬々と云かやっはり主一無適を云たものなり。
【解説】
左伝の頃に未発已発のことはないが、ここの中和は中庸のそれと同じである。敬は主一無適を言ったもの。
【通釈】
中和は中庸の中和と同じこと。時に未発已発は孔子でさえ言わなかったことだが、やはりこれを未発已発の中和に当てて見なさい。発らない前を中と言う。それが外へ現れた処を和と言う。心に体用のない者は誰もいない。「戒慎不睹恐懼不聞」という中の場で功夫をすると喜怒哀楽が発って節に中る。しかし、魂が抜けているとそうはならない。何処でもこの様に見るのである。左伝時分にこの様なことはないだろうと言うだろうが、気が付かずに言ったとしても、後世で説く時はこの様に見るべきである。上の敬々も程朱の言われる様な功夫とも言えないが、ここの敬々が、やはり主一無適を言ったもの。
【語釈】
・戒愼不睹恐懼不聞…中庸章句1。「天命之謂性、率性之謂道、脩道之謂教。道也者、不可須臾離也。可離、非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞。莫見乎隱、莫顯乎微。故君子愼其獨也。喜怒哀樂之未發、謂之中。發而皆中節、謂之和。中也者、天下之大本也。和也者、天下之達道也。致中和、天地位焉、萬物育焉」。


稽古47
○衛侯在楚、北宮文子見令尹圍之威儀、文子、名括。圍、楚公子名。言於衛侯曰、令尹其將不免。詩云、敬愼威儀、維民之則。令尹無威儀。民無則焉。民所不則以在民上。不可以終。公曰、善哉。何謂威儀。對曰、有威而可畏、謂之威。有儀而可象、謂之儀。君有君之威儀、其臣畏而愛之、則而象之。故能有其國家、令聞長世。臣有臣之威儀、其下畏而愛之。故能守其官職、保族、宜家。順是以下皆如是。是以上下能相固也。衛詩曰、威儀棣棣、不可選也。棣棣、富而閑也。選、數也。言君臣・上下・父子・兄弟・内外・大小、皆有威儀也。周詩曰、朋友攸攝、攝以威儀。攸、所也。攝、依也。言朋友之道、必相敎訓以威儀也。故君子在位可畏、施舍可愛、進退可度、周旋可則、容止可觀、作事可法、德行可象、聲氣可樂、動作有文、言語有章、以臨其下。謂之有威儀也。
【読み】
○衛侯楚に在り、北宮文子、令尹圍の威儀を見て、文子、名は括。圍は楚の公子の名。衛侯に言いて曰く、令尹は其れ將に免れざらんとす。詩に云う、威儀を敬み愼む、維れ民の則、と。令尹威儀無し。民則ること無し。民の則らざる所を以て民の上に在り。以て終うる可からず、と。公曰く、善いかな。何を威儀と謂う、と。對えて曰く、威有りて畏る可き、之を威と謂う。儀有りて象る可き、之を儀と謂う。君に君の威儀有れば、其の臣畏れて之を愛し、則りて之を象る。故に能く其の國家を有[たも]ち、令聞世に長し。臣に臣の威儀有れば、其の下畏れて之を愛す。故に能く其の官職を守り、族を保ち、家に宜し。是より以下皆是の如し。是を以て上下能く相固し。衛の詩に曰く、威儀棣棣たり、選う可からず、と。棣棣は富みて閑うなり。選は數なり。君臣・上下・父子・兄弟・内外・大小、皆威儀有るを言うなり。周の詩に曰く、朋友攸[もっ]て攝[たす]く、攝くるに威儀を以てす、と。攸は所なり。攝は依なり。朋友の道は、必ず相敎訓するに威儀を以てするを言うなり。故に君子位に在りて畏る可く、施舍愛す可く、進退度とす可く、周旋則る可く、容止觀る可く、作事法る可く、德行象る可く、聲氣樂しむ可く、動作文有り、言語章有り、以て其の下に臨む。之を威儀有りと謂う、と。

○衛侯在楚云々。文子かたたならぬものなり。吾に德かなけれは人の様子もみてとられぬもの。垩人よく垩人をしると云語もそれて、自己に德かなふては人を見てはかることはならぬ。北宮文子が、ああ令尹はのがれまいとなり。のかれまいとはとふなれは、威儀を愼まぬからあの人の処へ悪事災難かゆくてあろふ。威儀は習ふてもなることゆへかるいことてありそふなものなれとも、これか天下の人の姿をあわせることゆへ威儀は重ひことになる。臆病な士もあり、勇気な町人もあれとも、大小指と臆病ても士と云。いくら勇気かありても無刀ては士とは云はれぬ。威儀はあんなものて、外向からこしらへたやふなことなれとも、目にもみへて動かされぬものなり。形はまかりても心はまからぬと云たかるを、心はまがるまいと威儀を愼めと云。眞西山の衍義に、威儀を説たに文子ほとなはないと云てあり。上に立つ人か愼威儀。それを下て眞似ることなり。○民之則にならぬものが上に居りては、火事のとき纏を巻て懐中したやふなもの。此語を衛侯か聞れて、偖々是はかたしけない咄を承玉はった、自分なとも威儀と云ことを知らぬてもないか、さて々々また挌段なことと云。今迠はたた威儀と心得たか、それ不免と云ほとなことならは、これからは大事にかけやふと問たことなり。
【解説】
「衛侯在楚、北宮文子見令尹圍之威儀、文子、名括。圍、楚公子名。言於衛侯曰、令尹其將不免。詩云、敬愼威儀、維民之則。令尹無威儀。民無則焉。民所不則以在民上。不可以終。公曰、善哉。何謂威儀」の説明。令尹が威儀を慎まないのを見て、文子が令尹は災難に遭うだろうと言った。上に立つ人が威儀を慎むと、それを下が真似てよくなる。
【通釈】
「衛侯在楚云々」。文子はただならない人である。自分に徳がなければ人の様子も見て取れないもの。聖人はよく聖人を知るという語もそれで、自分に徳がなくては人を見て量ることはできない。北宮文子が、ああ令尹は遁れられないだろうと言った。遁れられないだろうと言ったのはどうしてかと言うと、威儀を慎まないので、あの人の処へ悪事災難が行くだろうということ。威儀は習ってもできることなので軽いことの様だが、これが天下の人の姿を合わせることなので、威儀は重いことになる。臆病な士もいて、勇気のある町人もいるが、大小を差すと臆病でも士と言う。いくら勇気があっても無刀では士とは言えない。威儀はその様なもので、外向きから拵えた様なことだが、目にも見えて確かなもの。形は曲っても心は曲らないと言いたがるところを、心は曲らないとしても威儀を慎めと言う。真西山の衍義に、威儀を説いた人では文子ほどの者はいないと言ってある。上に立つ人が「慎威儀」で、それを下で真似る。「民之則」にならない者が上にいては、それは火事の時に纏を巻いて懐中した様なもの。この語を衛侯が聞かれて、実にこれは忝い話を承った、自分なども威儀ということを知らないのでもないが、さてもまた格段なことだと言った。今まではただ威儀と心得たが、これが「不免」というほどのことであれば、これからは大事に心掛けようとして問うた。
【語釈】
眞西山
・詩云…詩経大雅抑。「無競維人、四方其訓之、有覺德行、四國順之。訏謨定命、遠猶辰告、敬愼威儀、維民之則」。

○對曰云々。威はをつることて、人のしんしゃくに思こと。○畏とてにらめるてもなく。魚鱗鶴翼をかまへるてもないか、急度しまりたことはあなどられぬもの。浅見先生の、巻舌て云たとて畏れるものてはないが、かる々々とされぬ。なにとなく神明のやふにこわがると云へり。そなたは呵るか、いや呵もせぬ。子めるか、いや子めもせぬと云。たたこわい。石原先生なとがこれでありた。にこ々々して居れたか、兎角きひわるくてはやく暇乞をしてかへりたいほどに恐れたそ。さて草木てさへ威儀あるそ。笹じゃのすすきしゃのと云はなんのこともないか、大木の松なとはあなとられぬもの。上に立ほとな威儀をもってをると、其臣畏而愛之。愛かないと虎狼をこわかるになる。
【解説】
「對曰、有威而可畏、謂之威。有儀而可象、謂之儀。君有君之威儀、其臣畏而愛之」の説明。威儀を慎めば人に侮られることはない。
【通釈】
「対曰云々」。威は落ちるもので、人が斟酌して思うもの。「畏」とあっても、これが睨むのでもなく、魚鱗鶴翼を構えるのでもないが、しっかりと締まったことは侮れないもの。浅見先生が、巻舌で言ったとしても畏れるものではないが、軽々と扱えない。何となく神明の様に恐がることだと言った。貴方は呵るか、いや呵りもしない。睨むか、いや睨みもしないと言う。ただ恐い。石原先生などがこれだった。にこにことしておられたが、とかく気味悪くて早く暇乞いをして帰りたいほどに恐れた。さて草木でさえ威儀がある。笹だの薄だのというのは何事もないが、大木の松などは侮れないもの。上に立つほどの威儀を持っていると、「其臣畏而愛之」。愛がないと虎狼を恐がる様になる。

○則而象之。下の者か皆上の通りになる。○令聞長世は、よい名かきこへる。こふ云ことてあれは他国からあなとられす、むさと軍もしかけられぬ。○順是は、とこもかしこもこれてゆくと、順の字ををもくれす辞字に見るかよい。威儀をととのへる。此の則りから上も下もよくなる。一と通りに思召なと又詩を引たそ。詩を引はものを詠歎して云こともあるか、ここは威儀のまたもある々々と引たもの。兎角威儀と云ことか大事。○棣棣不可選也は、をちかしらなく、とこもかしこもよいこと。容のふんにみことなと云てなけれは威儀てはない。これか士君子以上でをもにかけること。○富而閑也と云は、公家衆なとの様子かこれなり。あなた方とて挌別に德のあると云咄もきかぬか、とかくあたまのさかるやふなり。いつも云、葵祭なとに公家衆の出らるるか威儀棣棣不可選也の模様なり。
【解説】
「則而象之。故能有其國家、令聞長世。臣有臣之威儀、其下畏而愛之。故能守其官職、保族、宜家。順是以下皆如是。是以上下能相固也。衛詩曰、威儀棣棣、不可選也。棣棣、富而閑也。選、數也」の説明。「令聞長世」だと、他国からも侮られず、安易には軍も仕掛けられない。威儀は容が特段に見事なこと。
【通釈】
「則而象之」。下の者が皆上の通りになる。「令聞長世」は、よい名が聞こえること。これであれば他国からも侮られず、安易には軍も仕掛けられない。「順是」は、何処もかしこもこれで行くということで、順の字は重たくせずに辞字として見なさい。威儀を整える。この則から上も下もよくなる。一通りに思し召すなと、また詩を引いた。詩を引くのはものを詠歎してのこともあるが、ここは威儀の例がまだあると引いたもの。とかく威儀ということが大事。「棣棣不可選也」は、おちかしらなく、何処もかしこもよいこと。容が特段に見事であるというのでなければ威儀ではない。これは士君子以上が主に心掛けること。「富而閑也」。公家衆などの様子がこれ。貴方方に格別に徳があるとの話も聞かないが、とかく頭の下がる様になる。いつも言う、葵祭などに公家衆の出られるのが「威儀棣棣不可選也」の模様である。
【語釈】
・詩を引た…詩経国風邶柏舟。「汎彼柏舟、亦汎其流。耿耿不寐、如有隱憂。微我無酒、以敖以遊。我心匪鑒、不可以茹。亦有兄弟、不可以據。薄言往愬、逢彼之怒。我心匪石、不可轉也。我心匪席、不可卷也。威儀棣棣、不可選也。憂心悄悄、慍于群小。覯閔既多、受侮不少。靜言思之、寤辟有摽。日居月諸、胡迭而微。心之憂矣、如匪澣衣。靜言思之、不能奮飛」。
をちかしら

○言君臣上下云々。皆詩の本意に叶はす説たもの。とこもかしこもこれをはなれることはない。大ひこと小ひことみな威儀かある。今日は客かないから威儀はいらぬの、雨か降からいらぬのと云ことはない。烟草を吸も納戸の角に居るにも皆威儀かいる。○周詩曰云々。此詩はもと祭のことて云。朋友が祭の手傳に来る。それこれと云ことてはなく、上下をきて装束を正くしてくる。○言朋友之道云々。ここは断章取義て本意にはかまわぬ。祭にかけす、朋友交之道にかけた。迂斎なとか集成は誤としたそ。詩圣とふんなことにとった。されともやはり集成のやふに詩の本意にして、言朋友之道からを切磋のことにすへし。朋友の交は威儀から交ることしゃ。心の悟のことてはない。
【解説】
「言君臣・上下・父子・兄弟・内外・大小、皆有威儀也。周詩曰、朋友攸攝、攝以威儀。攸、所也。攝、依也。言朋友之道、必相敎訓以威儀也」の説明。大小に関わらず、皆威儀がある。朋友之交も威儀から交わるもの。
【通釈】
「言君臣上下云々」。皆詩の本意に構わずに説いたもの。何処もかしこもこれを離れることはない。大きいこと小さいことに皆威儀がある。今日は客がないから威儀は要らないとか、雨が降るから要らないなどということはない。烟草を吸うにも納戸の角にいるにも皆威儀が要る。「周詩曰云々」。この詩は元々は祭のことで言ったもの。朋友が祭の手伝いに来る。それこれと言うことではなく、裃を着て装束を正しくして来る。「言朋友之道云々」。ここは断章取義で本意には構わない。祭に掛けず、朋友交之道に掛けた。迂斎などが集成を誤りとした。詩経とは別なことに取った。しかし、やはり集成の様に詩の本意にして、言朋友之道から切磋のことにしなさい。朋友之交は威儀から交わるもので、心の悟りのことではない。
【語釈】
・周詩…詩経大雅既酔「既醉以酒、既飽以德。君子萬年、介爾景福。既醉以酒、爾殽既將。君子萬年、介爾昭明。昭明有融、高朗令終。令終有俶、公尸嘉告。其告維何、籩豆靜嘉。朋友攸攝、攝以威儀」。

皆威儀からかかることと威儀の処を十分説き廣けて、○故君子在位云々。これからさきか殊外ほとらいの六ヶ敷こと。是程にならへたてて云ことゆへ、一句々々に主意の立てなけれはならぬことなり。一と通りに云へはみな似たことになってしまふ。それ々々に塲所々々のあたりを気を付て説かよい。二句つつ組合せて説くことそ。威儀と云を大切にみ子はならぬ。居へき座にすわりてをるか位なり。家老は家老の塲に居るか位。そこを見た処かをどし付ることもないか、たたをるにさてあなとられぬものがある。何と云こともないか、今田舎ても亭主かきびしけれは、若ひ者か来ても今日は内しゃと云とかへる。
【解説】
「故君子在位可畏」の説明。いるべき座に据わっているのが位である。ただそこにいるだけで侮れないものがある。
【通釈】
皆威儀から掛かることと威儀の処を十分に説き広げて、「故君子在位云々」。これから先が殊の外程合いの難しいこと。これほどに並べ立てて言うことなので、一句一句に主意を立てなければならない。一通りに言えば皆似たことになってしまう。それぞれの場所の当たりを気を付けて説きなさい。二句ずつ組み合わせて説くのである。威儀を大切に見なければならない。いるべき座に据わっているのが位である。家老は家老の場にいるのが位。それを見た処で脅し付けることもないが、ただいるだけで侮れないものがある。何ということもないが、今田舎でも亭主が厳しければ、若い者が来ても今日は家にいると言うと帰る。

○施舎は、施は事をすること。舎はなにもせぬことて、是迠のことをやめろと云たやふなこと。今度はこふ云御法度か出た。是迠かようなれとも、以後それに及はぬと云か舎なり。下は様々な評議をし、評判をするものなれとも、仰渡されのあったとき、殊の外下がよろこんでうき々々として、こふこそあるべきことじゃと云。のってきて可愛と云ほとてなけれは政もうまみはない。施舎可愛て浅見先生の、しをらしく受ることじゃと云へり。向の德かあって出るゆへ人がやれもと受る。こふてなけれはならぬ。後生願の婆々の十念を受るやふなもの。愛するていそ。○進退可云々が云に云へぬとりまわし。とりまわしは人か見るもの。それゆへ人の大勢をる処のはれかましい処へゆくはいやかる。取りまわしがわるいと若ひ者なとかぐっと笑。向の笑か無礼なれとも、こちの威儀かわるいゆへ笑れる。出つけた人か大名の書院なとて衝立のわきから出ると、さてもよいとりまわしと云。すわりてをるか、上下つきからこちの方を見る処から、誠に繪にもかかれるやふじゃと云があるもの。
【解説】
「施舍可愛、進退可度、周旋可則」の説明。「施舎」の施は事をすることで、舎は今までのしていた事を止めること。上に徳があるので、下が喜んでそれを受ける。「進退・周旋」は身の取り回しであり、それが見事でなければならない。
【通釈】
「施舎」は、施は事をすること。舎は何もしないことで、これまでのことを止めろと言う様なこと。今度はこういう御法度が出た。これまでのことは以後それには及ばないというのが舎である。下は様々な評議をして評判をするものだが、仰せ渡された時に、殊の外下が喜んでうきうきとして、こうでこそあるべきことだと言う。乗って来て可愛いというほどでなければ政も甘みはない。「施舎可愛」を浅見先生が、しおらしく受けることだと言った。向こうに徳があって出るので、人がそれと言って受ける。こうでなければならない。後生願いの婆々の十念を受ける様なもの。愛する体である。「進退可云々」が言うに言えない取り回しである。取り回しは人が見るもの。そこで、人の大勢いる晴れがましい処へ行くのを嫌がる。取り回しが悪いと若い者などがくっと笑う。向こうが笑うのは無礼なことだが、こちらの威儀が悪いので笑われる。出慣れた人が大名の書院などで衝立の脇から出ると、実によい取り回しだと言う。据わっていても、裃付きからこちらの方を見る処から、誠に絵にも描けない様だということがあるもの。

○可観。浅見先生の、可観とはあれてこそなかめられると云へり。○作事は容止に對したもの。容止はなにも事をせぬときのことて、さて用向にかかって事をするは作事なり。○德行云々。そふたいの行て云。作事は箸のあけさけすること迠を云。これは全体のをを立たことてはない。○可法とは、なにもかもあの人のしやる通りにするかよいと云ことなり。○声気はこは子なり。これもあらはれたものゆへ威儀のことにかかる。公家衆声と云あり。市塲の商人声もある。何ても人のものを云にも気と云ものかついてをる。こいよと呼ふにもよいとわるいかある。むつかしいひ子るやふな声かあり、ひょんとした声もある。ところか威儀のよい君子ゆへ、人々かこちからたのしいとかかることて、可楽は人の向から云ことなり。人を呼ふ声から咳をする声迠かたたの人てはない。
【解説】
「容止可觀、作事可法、德行可象、聲氣可樂」の説明。「容止」は何も事をしない時のことで、その時の姿がよい。「作事」は事をすることで、それが人の模範となる。声も好ましい。それが威儀である。
【通釈】
「可観」。浅見先生が、可観とはあれでこそ眺められることだと言った。「作事」は容止に対してのもの。容止は何も事をしない時のことで、さて用向きに掛かって事をするのは作事である。「徳行云々」。総体の行で言う。作事は箸の上げ下げをすることまでを言う。これは全体の大立ったことではない。「可法」とは、何もかもあの人のする通りにするのがよいということ。「声気」は声音である。これも現れたものなので威儀のことに掛かる。公家衆声ということがあり、市場の商人声もある。何でも人がものを言うには気というものが付いている。こいよと呼ぶにもよいのと悪いのがある。難しい捻る様な声があり、ひょんとした声もある。ところが威儀のよい君子なので、人々の方から楽しいと掛かる。「可楽」は人が向こうから言うこと。人を呼ぶ声から咳をする声までがただの人ではない。

○動作云々。これはあらくとるかよい。前の作事はわさの上のををたったこと。是は身の立居振舞のことて、つんとかるいことそ。客のあるときつっと勝手から出る。そのていかああたたならぬことしゃと云。飯を出すと椀のあけやふ迠かよい。○言語有章は、咄をし、用談をしてものを云ひ、云ひやふか筋のわかれてそれ々々に道理にをちる。慇懃に云かと思へは、ををへいを云は従兄弟あしらい。有章てない。文章と云と筆を取てかくことと斗り思ふ。其事を鳩巢の雜話に云てあり。これは身をふるにもものを云にもあやのあること。ものを云ことや身をふることも、そのやふに筆てかくことかあやのあるゆへ、そこをあとから文章と云。あれははるかのち始りたもの。何謂威儀と問はれたものゆへ、右段々のことか威儀しゃと云たもの。人々威儀かないから德性がらりになる。令尹がやふては甚あぶない。威儀て令尹を見て取られたり。前にも云通り、あの春秋の世に生れてこれほとな理屈を云が、己に得た処あるて敬身の稽古になる。明倫に通論あり、敬身には通論なけれとも、ここのしまいのは其敬身まてをあはせて通論と出された。山﨑先生、合敬身通して論之と云へり。
【解説】
「動作有文、言語有章、以臨其下。謂之有威儀也」の説明。「動作有文」は立居振舞いがよいこと。「言語有章」は言い様に筋が分かれて皆道理に落ちること。
【通釈】
「動作云々」。これは粗く取るのがよい。前の「作事」は業の上の大立ったこと。これは身の立居振舞いのことで、実に軽いこと。客のある時につっと勝手から出る。その体がただならないことだと言う。飯を出すと椀の開け様までがよい。「言語有章」は、話をし、用談をしてものを言い、その言い様が筋が分かれてそれぞれに道理に落ちること。慇懃に言うかと思えば、横柄を言うのは従兄弟あしらいで、有章ではない。文章というと筆を取って書くこととばかり思う。その事を鳩巣が雑話に書いてある。これは身をふるにもものを言うにも綾のあること。ものを言うことや身をふることも、その様に筆で書くことが綾のあることなので、そこを後に文章と言う様になった。あれは遥か後に始まったもの。「何謂威儀」と問われたので、右段々のことが威儀だと言ったもの。人々は威儀がないから徳性が台無しになる。令尹の様では甚だ危ない。威儀で令尹を見て取られた。前にも言った通り、あの春秋の世に生まれてこれほどの理屈を言うのが、己に得た処があるので敬身の稽古になる。明倫に通論があり、敬身には通論がないが、ここの仕舞いはその敬身までを合わせて通論と出されたもの。山崎先生が、敬身を合わせて通して之を論ずと言った。


右通論。
【読み】
右、通論なり。

小學内篇筆記