敬身3
○孔子曰、非禮勿視、非禮勿聽、非禮勿言、非禮勿動。非禮者、己之私也。勿者、禁止之辭。
【読み】
○孔子曰く、禮に非ざれば視ること勿かれ、禮に非ざれば聽くこと勿かれ、禮に非ざれば言うこと勿かれ、禮に非ざれば動くこと勿かれ。非禮は己の私なり。勿は禁止の辭なり。

十月十一日
【語釈】
・十月十一日…寛政元年(1789)10月11日。

○孔子曰、非礼勿視云々。敬身は身てすることなり。ときにその身は、手や足の目の鼻のと云なり。手や足の目の鼻のと云形はいつも間違のないもの。たたくるふものは心なり。敬身と云てからが手や足と云形体でなく、目や鼻を捉るでもないか、此身をわるくするものは誰かわるくさせると云に心なり。さて其心はとふして狂ふなれは、目て視、耳て聞、足て働く処から、此方の心をくるわせる。そこて垩人の視聽言動に気を付ると云か垩人の実な教なり。つかまへとなく敬むてなく、視ことや聞ことに敬む。これか敬身のこはりなり。論吾では此語が仁のヶ條を云たこと。小学ては敬身のヶ條になる。視聽言動は垩人ても凡夫ても皆これか人に備りた働きなり。非礼て働くを凡夫と云、礼て働を垩賢と云。学問はその垩賢を眞似ること。そこて非礼にさせまいと勿々と云守を付る。勿は大名屋敷て火の用心をふれるやふなもの。火の用心と云声を聞と下女端女迠火を麁末にせぬ。心得かないと火事を出す。仏者は根から止る了簡をするゆへ、視す聽す枯木死灰になる。垩人のは見ること聞ことを止るてなく、見ることや聞ことに勿と云守を付るなり。心安ひやふて六ヶ敷。見さる聞さる言はさると云は片寄てへんなことゆへしよい。垩人のは視の聞のと云それに非礼をすまいとする。根からみまいの聞まいのと云は、直方先生の云、芦屋て火はたかれぬと云やふなもの。
【解説】
敬身は身ですること。身が悪くなるのは心が狂うからであり、心が狂うのは視聴言動があるからである。視聴言動は聖人にも凡夫にも皆あり、これが人に備わった働きである。仏者は視聴言動を根からないものにする。聖賢はこのそれぞれに勿を付けて非礼をさせない様にする。
【通釈】
「孔子曰、非礼勿視云々」。敬身は身ですること。時にその身とは手足目鼻である。手足目鼻という形はいつも間違いのないもの。ただ狂うものは心である。敬身とは言っても、それは手足という形体のことではなく、目や鼻を捉えることでもない。この身を悪くするものは誰かと言えば心である。さてその心はどうして狂うのかというと、目で視て、耳で聞き、足で働く処から、こちらの心を狂わせるのである。そこで聖人が視聴言動に気を付けるというのが聖人の実のある教えである。掴まえ所なく敬むのではなく、視ることや聞くことに敬む。これが敬身の小割である。論語では、この語は仁の箇条を言ったものだが、小学では敬身の箇条になる。視聴言動は聖人にも凡夫にも皆あり、これが人に備わった働きである。非礼で働くのを凡夫と言い、礼で働くのを聖賢と言う。学問はその聖賢を真似ること。そこで非礼をさせない様に勿々という守を付ける。勿は大名屋敷で火の用心を触れる様なもの。火の用心という声を聞くと下女や端女まで火を粗末にはしない。その心得がないと火事を出す。仏者は根から止める了簡をするので、視ず聴かず枯木死灰になる。聖人のは見ることや聞くことを止めるのではなく、見ることや聞くことに勿という守を付ける。心安い様でこれが難しい。見ざる聞かざる言わざると言うのは片寄って偏なことなのでし易い。聖人のは視る聞くというそれに非礼をしないようにする。根から見ない様にする、聞かない様にすると言うのは、直方先生の言う、芦屋で火は焚けないという様なもの。

偖て非礼は此方の非礼て向のものにとかはない。此の方に非礼かあって見ると、向のものはわるくはないか皆非礼になる。金は非礼てはないか、金をほしいと云と金が非礼になる。是を向の非礼とみす、こちの非礼に見れは功夫かこまかになる。世の中に美人と云がある。これかわるいことではない。こちの見る処て非礼になる。非礼なものをきくなと云は、伯夷不視悪色耳不聞悪声て、それは固りのことなれとも、向か非礼てなくてもこちの見るて非礼になる。視聽言動は人の働きて、それをこちて非礼にせぬことなり。此ことはつんと吟味の六ヶ敷ひことて、向の非礼と視る説もある。宇井小市なとも向の非礼と云た。どちどふしてもこちの非礼と云か細になる。先年野沢十九の云たに靣白ひことかある。石原先生か此方の非礼しゃと云たれは、いやそふ一ちやふに云れぬ。金は非礼てはないか、賄賂に包と非礼になる。紫檀や黒檀に非礼はないか、あれを三弦にすると非礼になる。美人は非礼ではないか、傾城になると非礼になると云た。靣白さは靣白が、つまり此方て云か細にて定説になるなり。
【解説】
非礼は自分の方にあるもので、自分の視聴言動に非礼があると、向こうが悪くなくても、向こうもまた非礼となる。
【通釈】
さて非礼はこちらの非礼で向こうのものに咎はない。自分の方に非礼があって見ると、向こうのものは悪くなくても皆非礼になる。金は非礼ではないが、金を欲しいと言うと金が非礼になる。これを向こうの非礼とは見ずに、こちらの非礼と見れば功夫が細かになる。世の中に美人というものがある。それは悪いことではない。それがこちらの見る処で非礼になる。非礼なものを聴くなと言うのは、「伯夷目不視悪色耳不聞悪声」で、それは固よりのことだが、向こうが非礼でなくてもこちらが見ることで非礼となる。視聴言動は人の働きであって、それをこちらが非礼にしないこと。このことは大層吟味の難しいことで、向こうの非礼と見る説もある。宇井小市なども向こうの非礼だと言った。どちらにしてもこちらの非礼と言う方が細かになる。先年野沢十九が言ったことに面白いことがある。石原先生が自分の非礼だと言うと、いやその様に一様には言えない。金は非礼ではないが、賄賂として包むと非礼になる。紫檀や黒檀に非礼はないが、あれを三弦にすると非礼になる。美人は非礼ではないが、傾城になると非礼になると言った。面白いことは面白いが、つまりはこちらで言う方が細かで定説となる。
【語釈】
・伯夷不視悪色耳不聞悪声…孟子万章章句下1。「孟子曰、伯夷目不視惡色。耳不聽惡聲」。
・宇井小市…宇井黙齋。初めの姓は丸子。名は弘篤。字は信卿。小一郎と称す。肥前唐津の人。天明1年(1781)11月22日、京都にて没。年57。久米訂斎門下。
・野沢十九…野澤弘篤。十九郎と称す。江戸の人。初め菅野兼山に学ぶ。佐藤直方門下。

○己の私と云かいこふ学問の大切な目の付どころ。何でも私と云ものの出来るか理の上からはとんとないことなり。人の上に靣倒しゃのををちゃくたのと云かあるか、大極にはないこと。肉かあるから靣倒しゃのををちゃくたのと云。大極にも仁義礼智にもとんとないことなり。皆それは肉へ付たこと。これて見れは人間の働は大極の働て道理のなりに働く筈なれとも、彼の私と云もののあるのて靣倒になる。非礼は非理と云と同しこと。道理の外のことなり。道理外と云ことは大極のしらぬこと。大極のしらぬことなれは非理なり。それを非理と云はす非礼と云に深ひあやのあることそ。朱子も礼の字を付るにわけのあることと云はれた。礼は理のあらはれた処から云。理の形のないものを形へ出してみせられたものなり。礼は本と、非はやだものなり。礼と云に非の字のあるか盗人の付てをるやふなもの。それへ勿と云か靣白ひことそ。先つ此の論吾の本文を考てみたかよい。此は克己と云ことに云れたことて、克己は軍そ。歒に勝つなり。ををしごとなり。それも此の勿と云て軍なしに克己も中にある。是を吾胸にのせてをくと、すくに此の勿て克己復礼もなることなり。勿と云は結搆な字て、盃なとも勿と云字を蒔繪にしてをくと内損はせぬ。銭箱や金箱に勿の字かあれは、身帯をすりつふすことはない。万端のこと、二六時中、勿々と云ことをわすれ子は、道理に違ふことはない。勿と云か身の守になる。
【解説】
理に私ということはない。非礼は非理と同じで、道理の外のこと。礼は理の現れた処であり、形のない理に形を付けたもの。論語の本文は克己を言ったもの。この勿で克己復礼もできる。
【通釈】
「己之私」というのが大層学問の大切な目の付け所である。何であっても、私というものができるのは、理の上からは全くないこと。人の上には面倒だとか横着だということがあるが、それは太極にはない。肉があるから面倒だとか横着などと言う。それは太極にも仁義礼智にも全くないこと。皆それは肉に付いたこと。これで見れば人間の働きは太極の働きで道理の通りに働く筈だが、あの私というものがあるので面倒になる。非礼は非理と同じで、道理の外のことである。道理の外ということは太極の知らないこと。太極の知らないことであれば非理である。それを非理と言わずに非礼と言うのには深い綾がある。朱子も礼の字を付けるのにはわけがあると言われた。礼は理の現れた処から言い、理という形のないものを形へ出して見せられたもの。礼は本当のものであり、非は疵物である。礼に非の字のあるのは盗人が付いている様なもの。それへ勿と言うのが面白い。先ずはこの論語の本文を考えて見なさい。これは克己を言われたことで、克己は軍である。敵に勝つのである。それは大仕事である。それもこの勿と言うので、軍なしで克己もその中にある。これを自分の胸に乗せて置くと、直ぐにこの勿で克己復礼もできる。勿は結構な字で、盃などにも勿という字を蒔絵にして置くと内損はしない。銭箱や金箱に勿の字があれば、身代を磨り潰すことはない。万端のこと、二六時中、勿々ということを忘れなければ、道理に違うことはない。勿が身の守になる。


敬身4
○出門如見大賓、使民如承大祭。敬以持己。己所不欲勿施於人。恕以及物。
【読み】
○門を出ずるに大賓を見るが如くし、民を使うに大祭を承くるが如くす。敬以て己を持つ。己の欲せざる所を人に施すこと勿かれ。恕以て物に及ぼす。

○出門云々。垩人のことばは出所はちかへとも中は同しこと。上には勿々とあり、勿は非礼を相手に置て、吾か非礼にならぬやふに勿々と云字を付たもの。ここは非礼を向に置すに云ふことなり。非礼はない。出門とて表門を出る立派なときてはないこと。えんがわへ出るも門、納戸へ入るも門て、身の出這入を出門と云。はれかましくないこと。そこて油断をすれはなり。一寸とえんかわへ出るにも御老中招請のやふにすることなり。そのやふな了簡になると、かるい処迠をこの通りにする。民は自分の領分の百姓のことなり。領分の百姓のことゆへかる々々しく手もなくとりあつこふ。かるい者ゆへ人足にも出るが、かるいものをなにあれかと見下て、なんてもないやふにする。これか心の御留主になるの本なり。ときにそのかるい民を使に日光御祭礼の、紅葉山御鏡ひらきのと云に供奉するよふ思ふ。夫[ぶ]に出て仲間奉公にくるものを、丁ど大祭を受たやふに取り扱ふなり。
【解説】
「出門如見大賓、使民如承大祭。敬以持己」の説明。「出門」は、縁側へ出たり納戸へ入る様なことで、そこでは油断をするもの。そこを御老中招請の様にするので、軽い処までをこの通りにすることになる。「民」は軽い者だが、大祭を受けた様に取り扱う。
【通釈】
「出門云々」。聖人の言葉は出所は違っても中は同じ。前条には「勿」とあり、勿は非礼を相手に置いて、自分が非礼にならない様にするために、勿という字を付けたもの。ここは非礼を向こうに置かずに言う。非礼はない。出門と言っても表門を出る様な立派な時ではない。縁側へ出るのも門、納戸へ入るのも門で、身の出入りを出門と言う。これが晴れがましくないこと。それは何故かと言うと、そこで油断をするからである。一寸縁側へ出るのにも御老中招請の様にする。その様な了簡になると、軽い処までをこの通りにすることになる。「民」は自分の領分の百姓のこと。領分の百姓のことなので、軽々しく手もなく取り扱う。軽い者なので人足にも出るが、軽い者を、何あれがと見下して、何でもない様にする。これが心の御留守になる本になる。時にその軽い民を使う時に、日光御祭礼や紅葉山御鏡開きという時に供奉することの様に思う。夫役で仲間奉公に来る者を、丁度大祭を受けた様に取り扱う。

内へ入も使民も、とちも瑣細なことのやふなれとも、心の外はない。是て学問に非番のないことそ。ここはとふても打捨ることはない。打捨ると云ことは半時もない。大祭なとと云はいこふ大事のことて、心の拔ると云ことはない。なせそふすると云に、心の工夫は敬なり。敬て心をしゃんと持てをる。丹書の敬勝怠かこれなり。内の出入なとと云は人も見す、隣の者もしらぬゆへ、ここてする々々とゆるみたかる処を、敬以持己也。納戸出入にも如見大賔と云ゆへ、こちかひとつ俗人になって嘲てみれは馬鹿なことなり。とふても垩学は本気の沙汰てはこさるまいと云ほとなこと。そのやふにするはなせなれは、心か大切ゆへなり。此方の心か大事ゆへ、そこて此様にする。
【解説】
この様にするのは、心の工夫は敬だからである。心が大切だからするのである。
【通釈】
内へ入るのも民を使うのも、どちらも瑣細なことの様だが、心の外ではない。学問に非番はない。ここはどうでも打ち捨てることではない。打ち捨てるということは半時もない。大祭などというのは大層大事なことで、心が抜けるということなどはない。何故そうするのかと言うと、心の工夫は敬だからである。敬で心をしゃんと持っている。丹書の「敬勝怠」がこれ。内の出入りなどは人も見ず、隣の者も知らないことなので、ここでずるずると弛みたがる処を、「敬以持己」である。納戸の出入りにも「如見大賓」と言うのは、こちらが一つ俗人になって嘲って見れば馬鹿なこと。どうでも聖学は本気の沙汰ではないだろうと言うほどのこと。その様にするのは何故かと言うと、心が大切だからである。自分の心が大事なので、そこでこの様にする。
【語釈】
・丹書の敬勝怠…小学内篇敬身1にある。

○己所不欲云々。上は手前の胷のこと。此二句は人へ出すときのことを云。人へ出すと云ときは手前のいやなことは人には出さぬことなり。是か垩人の粗ひ様なことて、人間の心に的中するに是程なことはない。俗人は手前のいやなことは拂ひ除るやふにするか、それを人へ出すは何とも思はぬ。瑣細なことなれとも、手前の方に物入のあるときは除けるか、人の難義のときにはかまわぬ。そこを、手前のいやと思ふことは决して人の方へ出すと云ことはない。吾方も人の方もこれてのこることはない。そこて是か心術之要になる。
【解説】
「己所不欲勿施於人。恕以及物」の説明。自分が嫌と思うことは決して人の方へ出さない。
【通釈】
「己所不欲云々」。上は自分の胸のことで、この二句は人へ出す時のことを言う。人へ出す時は自分の嫌なことは人に出さない。これが聖人の粗い様なことで、人間の心に的中するのにこれほどのことはない。俗人は自分の嫌なことは払い除ける様にするが、それを人へ出すのは何とも思わない。瑣細なことだが、自分に物入りのある時は除けるが、人の難儀には構わない。そこを、自分が嫌と思うことは決して人の方へ出さない。自分の方も人の方もこれで残ることはない。そこでこれが心術の要になる。


敬身5
○居處恭、執事敬、與人忠。雖之夷狄不可棄也。恭主容、敬主事。恭見乎外、敬主乎中。之夷狄不可棄、勉其固守而勿失也。
【読み】
○居處恭しく、事を執るに敬み、人の與[ため]に忠。夷狄に之くと雖も棄つ可からざるなり。恭は容を主とし、敬は事を主とす。恭は外に見われ、敬は中に主たり。夷狄に之くも棄つ可からずは、其の固く守りて失うこと勿からんことを勉む。

○居処恭云々。平生用事のないときなり。俗人はこここそもふけものと一はいをする処そ。偖てこのときに指をさす者もないやふにする。そこか恭て心を大事にすると云かこれなり。花を生てをるを御客てもこさるかと云と、茶人かをかしかる。吾楽にこそ花はいける。あれらさへこれそ。学者か本道に吾を善くすることをしらす、外靣にかかるはかの茶人にもをとると云へし。客も何もないに行義をよくするか吾方の敬なり。敬は大小のへたてはないことそ。いかやふな者ても大事のことと云へは敬む。金や田地の證文も西の内紙にかくとはや敬む。それゆへ敬は誰もしったことなれとも、とかく毎日の小ひことにはやりばなしをする。東金へ買物かいにやるときをかしい。紙へ書く時はにじんだ筆て書く。事の択嫌ひをしては敬てはない。垩賢は向へつくことはない。吾方を第一にする。敬まぬと烟草の粉がそこらへこほれる。敬と云になれは、烟草の粉もこほさぬなり。
【解説】
「居處恭、執事敬」の説明。用事も何もない時に行儀をよくするのが敬である。敬に大小の隔てはない。敬は相手に関したことではなく、自分自身のことである。
【通釈】
「居処恭云々」。平生用事のない時のこと。俗人では、こここそ儲けものと好き勝手をする処である。さてこの時に指を指す者もいない様にする。恭で心を大事にすると言うのがこの条である。花を生けていると御客でもあるのかと聞く。それを茶人が可笑しがる。自分が楽しむためにこそ花を生ける。あれらでさえこうである。学者が本当に自分をよくすることを知らずに外面ばかりをするのは、あの茶人にも劣ると言うもの。客も何もないのに行儀をよくするのが我が方の敬である。敬に大小の隔てはない。どの様な者でも大事なことと言えば敬む。金や田地の証文も西の内紙に書くと早くも敬む。敬は誰もが知っていることなのだが、とかく毎日の小さいことには遣り放しをする。東金へ買物に遣る時が可笑しい。紙へ書く時は滲んだ筆で書く。事の選り嫌いをしては敬ではない。聖賢は向こうへ付いたことはない。自分を第一にする。敬まないと烟草の粉がそこらへこぼれる。敬ということになれば、烟草の粉もこぼさない。
【語釈】
・西の内紙…茨城県山方町西野内から産し、質はやや粗く強い楮製の生漉紙。

○與人の與の字などをよく々々味へてみるかよい。人と出合ひ頭らに気を付やふこと。今日の人は人と交る上にとかくへだてかある。山﨑先生の、俗人は人と吾との間に黒金の屏がかかりてをると云はれた。人に交るに柔和にほそい声はするか、それなりて誠か出ぬ。人と出合に心の誠のとをり向へ出す。誠て出合子は、人と出合か皆迂偽て出合なり。使ひの者に飯を食せる迠にこれかある。迂偽て茶積を食せても誠て食せても、その食者はとんちゃくはないか、迂偽て食せれはこちの心に穴かあく。客の来たとき酒の肴を出すにさへ忠不忠かある。ない肴をもってこい、なにある筈てあった、是ては飲ぬなとと云。小事と云へとも迂偽の大なるものなり。人と吾との間にしきりありては人間のなりてはない。
【解説】
「與人忠」の説明。人との出合いでは、心の誠の通りを向こうへ出す。誠で出合わなければ、人との出合いが嘘で出合うことになる。それで自分の心に穴が開く。
【通釈】
「与人」の与の字などをよくよく味わって見なさい。人との出合い頭に気を付けなければならない。今日の人は人と交わる上にとかく隔てがある。山崎先生が、俗人は人と自分との間に鉄の屏が掛かっていると言われた。人と交わるのには柔和で細い声はするが、それだけで誠が出ない。人との出合いでは、心の誠の通りを向こうへ出す。誠で出合わなければ、人との出合いが皆嘘で出合うことになる。使いの者に飯を食わせることにまでこれがある。嘘で茶漬けを食わせても誠で食わせても、食う者には頓着はないが、嘘で食わせればこちらの心に穴が開く。客が来た時に酒の肴を出すことでさえ忠不忠がある。ない肴を持って来い、何ある筈だ、これでは飲めないなどと言う。これは小事だが、嘘の大なるものである。人と自分との間に仕切りがあっては人間の姿ではない。

○雖之は、此事は何処へゆこふと離さぬことしゃと云こと。日本辞て云へは、唐天竺迠行ても此は離されぬと云ふやふなもの。唐天竺へ行ことはないか、離されぬ證拠に云たものなり。講後問、夷狄の道理沙汰ない国てはとふしてもよいかとするに、そのやふな処てもこれてなけれはならぬと云ことにみるは如何。先生頷て曰、吾説不是。次の章に通してよみき。浅見先生の弁に、なせ云なれは、此守かややとするとかわりたかるものと云れた。敬の忠のと云文字か人と交る上の守なり。此の守かないと、わるくすると替りたがる。人の飯をくふと云はどこでも食はぬと云ことはない。○不可棄と云かよい字なり。なにほと茶か好きても旅駕屋て茶湯もならぬか、食ひものは九つ時分になるとわるい立場へもよる。すててをかれぬものなり。
【解説】
「雖之夷狄不可棄也」の説明。これが何処へ行っても離せないもの。敬や忠が人と交わる上での守となる。そこで棄てることはならない。
【通釈】
「雖之」は、この事は何処へ行ったとしても離さないということ。日本の言葉で言えば、唐天竺まで行ってもこれは離せないと言う様なもの。唐天竺へ行くことはないが、離せない証拠に言ったもの。講後に、夷狄の道理沙汰のない国ではどうしてもよいかと言えば、その様な処でもこれでなければならないということと見るのはいかがでしょうと問うた。先生が頷いて言った。私の説はそうではない。次の章を通して読む、と。浅見先生の弁に、何故この様に言うのかと言うと、この守がややもすると変わりたがるものだからだとある。敬や忠という文字が人と交わる上の守である。この守がないと、悪くすると替わりたがる。人が飯を食うのも、何処でも食わないということはない。「不可棄」がよい字である。どれほど茶が好きでも旅籠屋で茶湯もしないが、食物は九つ時分になると悪い立場へも寄る。棄てては置けないものである。
【語釈】
・立場…江戸時代、街道などで人夫が駕籠などをとめて休息する所。

○恭と敬は裏合てとちもつつしむことなれとも、恭は形て云ひ、敬はわさにあらはれた上なり。敬は事をする上に、扇をつこふは外なれとも、内の敬てするゆへ敬主乎中と云。事を執るに敬む処を主乎中と云。○之夷狄云々。あそこへゆこふともはなされぬこと。侍は刀をはなさぬものしゃと思て大小はとこまてもはなさぬ。あのとをりに思ふこと。恭敬をはなれると人間のていてはない。そこてこれに御延引と云筋はない。
【解説】
恭主容、敬主事。恭見乎外、敬主乎中。之夷狄不可棄、勉其固守而勿失也」の説明。恭は形で言い、敬は事に現われた上のこと。外のことも内の敬でするので、「敬主乎中」と言う。恭敬を離れると人間の体ではない。
【通釈】
恭と敬とは裏合わせでどちらも敬むことだが、恭は形で言い、敬は事に現われた上のこと。敬は事をする上のことで、扇を使うのは外のことだが、内の敬でするので「敬主乎中」と言う。事を執るのに敬む処を「主乎中」と言う。「之夷狄云々」。あそこへ行ったとしても離さないということ。侍は刀を離さないものだと思い、大小は何処までも離さない。あの通りに思うこと。恭敬を離れると人間の体ではない。そこでこれに御延引という筋はない。


敬身6
○言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。盡己之謂忠、以實之謂信。篤、厚也。篤敬、厚而敬也。蠻、南蠻、貊、北狄。二千五百家爲州、二十五家爲里。
【読み】
○言、忠信にして、行、篤敬ならば、蠻貊の邦と雖も行われん。言、忠信ならず、行、篤敬ならずんば、州里と雖も行われんや。己を盡すを之れ忠と謂い、實を以てするを之れ信と謂う。篤は厚なり。篤敬は厚くして敬むなり。蠻は南蠻、貊は北狄なり。二千五百家を州と爲し、二十五家を里と爲す。

○言忠信云々。此の本語を出して読かよい。子張問行と云の答なり。孔門の子張は才力の高ひ人に一疋じゃと云はるるに心持のあった人て、人か十間飛は二十間飛ばふと云気象の人ぞ。そこて、何処へ行ても行はれぬと云ことないと云ふ此義を聞たいと云。ここか大事のことなり。行はれふとすると向へ目か付。そこて孔子か其返辞にこちの方て云へり。ここか勝ふと打つな、負けしと打てと云と同しこと。勝ふと打と向へ目を出す。負けじと打はこちの六具をしめる。こちかよけれは向へ手を出すことはない。平生云ことか頓と信て、先つこふ云たものしゃなとと云ことはない。胸中て思なりのことを口へ出す。
【解説】
「言忠信」の説明。これは、子張が「行」を問うたことへの孔子の答えである。行なえると思うと、向こうへ目が付くが、自分をよくすれば向こうへ手を出す必要はない。そこで、胸中で思った通りを出せばよいのである。
【通釈】
「言忠信云々」。ここは本語を出して読むとよい。これが「子張問行」への答えである。孔門の子張は才力が高く、人に一疋だと言われたいという心持のあった人で、人が十間飛べば二十間飛ぼうという気象の人である。そこで、何処へ行っても行なえないことはないという、その義を聞きたいと言う。これが大事なことである。行なえるとしてすると、向こうへ目が付く。そこで孔子がその返事として、こちらの方のことで言った。ここは勝とうと思って打つな、負けないと思って打てと言うのと同じこと。勝とうと思って打つと向こうへ目を出す。負けないと思って打つのは、こちらの六具を締めるもの。こちらがよければ向こうへ手を出すことはない。平生言うことが全くの信で、先ずこう言うものだなどと言うことはない。胸中で思った通りのことを口へ出す。
【語釈】
・本語…論語衛霊公5。「子張問行。子曰、言忠信、行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉。立、則見其參於前也、在輿、則見其倚於衡也、夫然後行。子張書諸紳」。

○行篤敬か手前の身てすること。それかうすててない。諸道具て云へは、下塗をして其上へ塗りたのなり。一返や二返ではない。今日の人か大事のことしゃ、身持をよくするかよいと云はたま々々のこと。たま々々は吾身に付ぬ。平生を大事にすると吾方の行か篤くなる。当坐ばかりと云のてはない。かけ流しの当坐はかりと云は役に立ぬ。とこ迠も敬むと云。それか吾ものになると、南蛮北狄へ行こふともととこをりはない。切れのない小判は江戸ても長﨑てもどこでも請取る。不の字かその裏なり。これかわるい字て、兎角に不と云ふやだものか付きたかる。不と云か凡夫の惣名。口上て云ことには砂糖を食やふな甘ひことを云か、それか皆迂偽なり。ちょっと一日よいことをしても、不の字ゆへひっかへると途方もないことをする。○里と云ものはひいきのしてのををいもの。蠻貊にあててみるかよい。朝鮮や琉球へ行たやふなもの。近付もなんにもないが、これてさへ人に交れは行なわれる。忠信てなく篤敬てないと云になれは、女房や子にさへ行はれぬ。そこて、なんても向へ目を出すことてはない。人間は此方の言行か大事しゃと云ことなり。
【解説】
「行篤敬、雖蠻貊之邦行矣。言不忠信、行不篤敬、雖州里行乎哉」の説明。平生を大事にすることで、自分の行が篤くなる。それで、何処へ行っても滞りはない。人間は自分の言行が大事である。しかし、これに「不」の字が付くと皆嘘になる。
【通釈】
「行篤敬」は、自分の身ですることで、それが薄手でないこと。これを道具で言えば、下塗りをしたその上に塗るのである。それは一遍や二遍ではない。今日の人が大事なことだ、身持をよくしなさいと言うのは偶々のこと。偶々では自分の身に付かない。平生を大事にすると自分の行が篤くなる。当座ばかりということではない。掛流しの当座ばかりでは役に立たない。何処までも敬むと言う。それで自分のものになれば、南蛮北狄へ行ったとしても滞りはない。疵のない小判は江戸でも長崎でも何処でも請け取る。「不」の字がその裏である。これが悪い字で、とかく不という疵物が付きたがる。不が凡夫の惣名。口上では砂糖を食う様な甘いことを言うが、それが皆嘘である。一寸一日よいことをしても、不の字なので、引っ繰り返ると途方もないことをする。「里」には贔屓をする者が多いもの。蠻貊に当てて見なさい。それは、朝鮮や琉球へ行った様もの。近付きも何もないが、これでさえ人に交われば行なうことができる。忠信でなく篤敬でないのであれば、女房や子にさえ行なわれない。そこで、何であっても向こうへ目を出すことではない。人間は自分の言行が大事だということ。

○胷の中に一つのこしても盡とは云はれぬ。袋の底をはたき出すやふにする。○実はかさりのないこと。ないをないと云ひ、あるをあると云ふ。もふ一返きいてみよふと云は実のない人のこと。千乘之国不信其誓而信子路之一言と云も子路か実のあるゆへなり。○篤は一返塗てなく手厚ひ。ひっきょふ、篤敬か心法のことで、心法のことか合点なけれは此注からが済ぬ。是か六ヶ敷やふて六ヶ敷ないこと。気か付と本気になる。其上にもふ一っ返念を入れてみやふと云ことはない。たるむ処をしゃっきりとする。それか敬のなりなり。行を篤敬と云は、折節よくてもたちぎれかして篤敬てない。それは入梅中はれたやふなもの。すこし日か照ても遠方へ行には傘をもた子ばならぬ。段々に敬をしつめて今日も明日も敬てないと云ことはない。貧乏人か、をれも今日銭かあるそへと云て人に笑はせる。大身は、今年は例年よりちと金か不足だはと云ことはあるか、いつてもないと云ことはない。行、それなり。
【解説】
盡己之謂忠、以實之謂信。篤、厚也。篤敬、厚而敬也。蠻、南蠻、貊、北狄。二千五百家爲州、二十五家爲里」の説明。行を篤敬と言うのは、敬をし詰めることで、いつも敬をすること。それは、大尽がいつも金を持っている様なもの。
【通釈】
胸の中に一つ残しても「尽」とは言えない。袋の底を叩き出す様にする。「実」は飾りのないこと。ないことをないと言い、あることをあると言う。もう一遍聞いて見ようと言うのは実のない人のこと。「千乗之国不信其盟、而信子路之一言」と言うのも、子路に実があるからである。篤は一遍塗りではなくて手厚いこと。必竟、篤敬が心法のことで、心法のことを合点できなければ、この注も理解することはできない。ここが難しい様で難しくないこと。気が付くと本気になる。その上にもう一遍念を入れて見ようということはない。弛む処をしゃっきりとする。それが敬の姿である。行を篤敬と言うのは、折節がよくても立消えがしては篤敬でないからである。それは入梅中に晴れた様なもの。少し日が照っても遠方へ行くには傘を持たなければならない。段々に敬をし詰める。今日も明日も敬でないということはない。貧乏人が、俺も今日は銭があるぞと言って人を笑わせる。大尽は、今年は例年よりも少し金が不足だと言うことはあっても、ないということはいつもない。行がそれ。
【語釈】
・千乘之国不信其誓而信子路之一言…論語顔淵12集註。「千乘之國、不信其盟、而信子路之一言。其見信於人可知矣」。


敬身7
○君子有九思。視思明、聽思聦、色思温、貌思恭、言思忠、事思敬、疑思問、忿思難、見得思義。視、無所蔽則明、無不見。聽、無所壅則聦、無不聞。色、見於面者。貌、舉身而言。思問則疑不蓄。思難則忿必懲。思義則得不苟。
【読み】
○君子に九の思い有り。視に明を思い、聽に聦を思い、色に温を思い、貌に恭を思い、言に忠を思い、事に敬を思い、疑に問わんことを思い、忿に難を思い、得るを見ては義を思う。視るは、蔽う所無ければ則ち明かにて、見えざる無し。聽くは、壅う所無ければ則ち聦にて、聞かざる無し。色は面に見わる者。貌は身を舉げて言う。問うを思えば則ち疑いを蓄えず。難を思えば則ち忿りを必ず懲す。義を思えば則ち得ること苟もせず。

○君子有九思云々。思は平生心かけにすること。つまる処、九つの功夫かあるとかくこと。九つの功夫と云ふなれとも、功夫は百度参のさしをなけるやふなわさに付たことてはない。平生こふととなへたして心がけること。上の思はすわり字。下の思は功夫字なり。そのとき々々々々にそれと違ふまいと思ことなり。非礼勿視云々と云やふはちかへとも同ことになる。わるいことをみるとそふはやるまいと云。勿がそふはさせまいと云。ここの思ふ々々と云は善ひ方へ願をかけること。願をかけるを思と云。思と云はひとしを親切な字なり。とかく思かよい。心にこふしたいと云は心の底から思ひ入子はならぬもの。思ふ念力岩をとをすと云。今日の人の学問の成就せぬと云か思かないゆへなり。なりたいと思一念かあれは岩をとをすて成就せぬと云ことはない。つくは山は山しけ山しげけれど思ひ入るにはさわらさりけりの哥と同しこと。沢一か、垩賢になろふとならは思ひ狎れるかよいと云た。垩賢には中々及もない、目のかけられぬことと云が、なるほどそふではあらふか、それか思をいれぬのなり。此方が思さへすれは垩賢にもなられるものをもってをる。そこて孟子か称尭舜と云。そのたのもしいものをもってはをれとも、九の思かなけれは朝鮮の地割を聞やふて役に立ぬ。是を親切に思へは吾ものになる。そこてこれがいこふ心術之要になる。
【解説】
「君子有九思」の説明。思うとは、心の底から思うのでなければならない。人は聖賢にもなるものを持っているが、九思がなければそれも役には立たない。
【通釈】
「君子有九思云々」。「思」は平生の心掛けにするもの。詰まる処は九つの功夫があると書いた。九つの功夫とは言え、功夫は百度参りの匙を投げる様な事に付いたことではない。平生がこうだと唱え出して心掛ける。上の思は据わり字で、下の思は功夫の字である。その時々にそれと違うまいと思うこと。「非礼勿視云々」とは言い様は違うが同じことになる。悪いことを見るとそうはしない様にしようと言う。勿がそうはさせないということ。ここの思はよい方へ願を掛けること。願を掛けるのを思と言う。思は一入親切な字である。とかく思うのがよい。心でこうしたいと思うのは、心の底から思い入るのでなければならない。思う念力岩を通すと言う。今日の人の学問が成就しないというのは思がないからである。なりたいと思う一念があれば岩を通すで成就しないということはない。つくば山は山しげ山しげけれど思い入るにはさわらざりけりという歌と同じこと。沢一が、聖賢になろうとするのであれば、思い狎れるのがよいと言った。聖賢には中々及びそうもない、御目に掛かれないことだと言うが、なるほどそうではあるだろうが、それが思を入れないのである。思いさえすれば聖賢にもなることのできるものをこちらは持っている。そこで孟子が「称堯舜」と言った。その頼もしいものを持ってはいるが、九の思がなければ朝鮮の地割を聞く様で役には立たない。これを深切に思えば自分のものになる。そこでこれが大層心術の要になる。
【語釈】
・非礼勿視…小学内篇敬身3。出典は論語顔淵1。
・つくは山は山しけ山しげけれど思ひ入るにはさわらさりけり…源重之。「つくば山は山しげ山しげけれど思ひ入るにはさはらざりけり」。
・沢一…大神澤一。筑前早良郡原の人。瞽者。享保10年(1725)12月1日没。年42。
・称尭舜…孟子滕文公章句上1。「滕文公爲世子。將之楚、過宋而見孟子。孟子道性善、言必稱堯舜」。

○視は、ものを見とかめやふと云か視なり。誰ても物を視と云か、人の働てみてをる。凡夫はたたそれをとをすか、目の本体に心かけること。視るはなを思明と云功夫なり。○明はみるほとなものに皆是非邪正のわかることなり。凡夫は明を思はぬゆへ、なにもかも是非邪正かわからす、みることやきくことに迷て不埒なことを善ひと受る。○聽は、今のことばなんたなと云て理の是非を聞なり。心に曇りかあるゆへ贔屓偏頗かありて、其家の出頭の云ことはなんても尤と云。気に入たものの云ことは、わるいこともなるほどそれがよかろふと云。聽の聦のと云德を失たのなり。人の色は温ながよい。温と云か人の本体。人の色にもさま々々ありて、人を下た目に見る顔なとは温てないもの。又、うっとりとしたも色にあらはれる。此も温とは云はれぬ。云に云へぬと云顔かあるもの。垩賢の顔をみて人の帰服するも、皆温な処からそ。しゃんとしてうづたかいてい。ぐったりしたと云は本体ではない。
【解説】
「視思明、聽思聦、色思温、貌思恭」の説明。視るものに対して是非邪正をわける。聴は理の是非を聞くこと。温や恭が人の本体である。
【通釈】
「視」。ものを見咎めようとするのが視である。物を視るというのは、誰でも人の働きによって見る。凡夫はそれをただ通すが、目の本体に心掛けるのである。視る端で思明という功夫をする。「明」。視るもの全てに皆是非邪正が分かれる。凡夫は明を思わないので、何もかも是非邪正が分からず、視ることや聴くことに迷って不埒なことをよいと受ける。「聴」は、今の言葉は何だと言って理の是非を聞くこと。凡夫は心に曇りがあるので贔屓偏頗があり、その家の出頭の言うことは何でも尤もだと言う。気に入った者の言うことは、悪いことでもなるほどそれがよいだろうと言う。それは、聴聡という徳を失ったのである。人の色は温がよい。温が人の本体である。人の色にも様々あって、人を下目に見る顔などは温ではないもの。また、うっとりとするのも色に現れるが、これも温とは言えない。言うに言えないという顔があるもの。聖賢の顔を見て人が帰服するのも、皆温な処からである。しゃんとして堆い体。ぐったりとしているのは本体ではない。

○忠は誠て内のあらはれたもの。梅は梅と思ひ、櫻は櫻と思ふ。人のもったことて、その心のなりを云か誠なれとも、心にないことを口て云。鸚鵡か人の眞似をして人をよぶやふなもの。明日登城をせよと云ても、鸚鵡なれは吾心にないことを云ゆへ登城はならぬ。忠てなくてものを云へは、云たか云たに立ぬ。心にないことを云へは、人間ていて鳥獣の眞似をすると同こと。忠と云か人間の辞の正靣。○事思敬は、何事をするにも大切にする。此位なことはどふでもとせぬ。疑と云ものはしまふてをくへきものてはない。疑は胸中の毒なり。人の胸は物を知覚して、是非をもってをる。知覚か心の内のはたらきなり。とふかこふか落ぬことのあるとき、問へはぢきに胷は晴れるか、問ぬと曇る。人にしれぬことを問はぬと云なれは、心は常に曇りて明覚を失ふ。何の手もないことて、知れぬことは問答なれとも、とかく問はぬ人がある。人にものをきくことを耻に思。そこて、不耻下問と云語もある。なかにまた無性な人があって、知れぬことをまあこふしてをけ々々と云。それてはいつも明なることはない。
【解説】
「言思忠、事思敬、疑思問」の説明。忠は心の通りの誠で、それを口に出す。疑は胸中の毒であり、疑があれば問えば済むのだが、それを恥と思ったり、放って置く者がいる。それでは明になることはない。
【通釈】
忠は誠で内の現われたもの。梅は梅と思い、桜は桜と思う。それは人が持っているもので、その心の通りを言うのが誠だが、心にないことを口に出す。それは鸚鵡が人の真似をして人を呼ぶ様なもの。明日登城せよと言っても、それが鸚鵡であれば、自分の心にないことを言うのだから登城はできない。忠でなくてものを言えば、言ったことが言ったこととして立たない。心にないことを言えば、人間でいて鳥獣の真似をするのと同じこと。忠が人間の辞の正面である。「事思敬」は、何事をするにも大切にすること。このくらいのことはどうでもよいとはしない。「疑」はしまって置くべきものではない。疑は胸中の毒である。人の胸は物を知覚して、是非を判断するものを持っている。知覚が心の内の働きである。どうかこうか腑に落ちないことがある時、問えば直ぐに胸が晴れるが、問わないと曇る。人にわからないことを問わないというのであれば、心は常に曇って明覚を失う。それは何の手もないことで、わからないことは問答すればよいのに、とかく問わない人がいる。人にものを聞くことを恥だと思う。そこで、「不恥下問」という語もある。中にはまた無性な人がいて、わからないことをまあこうして置けと言う。それではいつまでも明になることはない。
【語釈】
・不耻下問…論語公冶長15。「子貢問曰、孔文子何以謂之文也。子曰、敏而好學、不恥下問、是以謂之文也」。

○七情の中て怒と云が、まてしばしのなく急に出るもの。垩賢の毎々怒斗り引秡て語るも一ち六ヶ敷ものゆへなり。是は人の生付によって甲乙もありて、先つは腹立早ひと云かををひもの。怒のほのふが盛になる。そこをたしなま子は後難ができる。刄傷にも及ふと云時、ここて拔てはならぬと思。後難なり。○得なとと云か粗ひやふなことで、これが一ちのしまいにあるがきこへた。欲か手傳と利害をみる方からして暗んでくる。人のものかこちへくると云と、平人はぞく々々するほとにうれしがる。○義は、人かものをくれよふとしても貰てよいわけか、貰てわるいわけかを吟味するなり。此の九つの功夫をすると悪くなりよふはない。是を心掛ると、ちとわるくなれと云てもわるくはならぬ。此心掛かなけれは、よくならふとしてもよくはなられぬ。だたい明の聦のと云は人間の本体。凡夫は蔽ひ閑[ふさか]る。昼中ても戸をたてて置と暗ひ。蔽なり。丁と耳をふさくと云なれはきこへぬか、誰も知たこと。耳はふさかぬか、心がふさかれてくらい。そこて理か理にみへす、非か非にみへぬ。
【解説】
「忿思難、見得思義。視、無所蔽則明、無不見。聽、無所壅則聦、無不聞。色、見於面者。貌、舉身而言」の説明。怒は急に出るもので、一番難しい。それを嗜まないと後難ができる。また、人から物を得る時、それがよいのか悪いのかを吟味しなければならない。明や聡は人間の本体だが、凡夫はそれを蔽い塞ぐ。
【通釈】
七情の中で怒というのが、待て暫しのなく急に出るもの。聖賢が毎々怒ばかりを引き抜いて語るのも、これが一番難しいものだからである。これは人の生まれ付きによって甲乙もあり、先ずは腹立ち早いというのが多いもの。怒の炎が盛んになる。そこを嗜まなければ後難ができる。刃傷にも及ぶという時、ここで抜いてはならないと思う。そうでないと後難である。「得」などというのが粗い様なことで、これが一番仕舞いにあるのがよくわかる。欲が手伝うと利害を見る方から暗んで来る。人の物がこちらへ来るというと、平人はぞくぞくするほどに嬉しがる。「義」は、人が物をくれようとする時、それを貰うのがよいわけか、貰うのが悪いわけかを吟味するもの。この九つの功夫をすると悪くなり様がない。これを心掛けると、一寸悪くなれと言っても悪くはならない。この心掛けがなければ、よくなろうとしてもよくはなれない。そもそも、明や聡は人間の本体である。凡夫はそれを蔽い塞ぐ。昼中でも戸を立てて置くと暗い。それが蔽である。丁度耳を塞げば聞こえないのは誰もが知っていること。耳は塞がないが、心が塞がれて暗い。そこで理が理と見えず、非が非と見えない。

○思問則疑云々。兎角問ふ心掛があれは疑はない。胸の中に疑の多と云は心もちのわるいことなり。垢微[こみ]を懐中するやふなもの。知らぬことは問てしまへはさっはとなる。問はぬと云なれは、ひょんなものか懐中にあるなり。懐中なとと云は塵一つもない処なり。人の喧嘩口論をするは難を思はぬゆへなり。後難などと云は、そのときは思ひ付ぬもの。○思難なとと云は学者分上には甘口なやふなれとも、そふてない。怒のときはのほせてくるゆへ忍はぬ。そこをここて口論に及ては妻子にも難義か及ふと難を思ふ。○懲は易の字を用て注す。
【解説】
思問則疑不蓄。思難則忿必懲」の説明。疑があれば問えばよい。それをしないのは懐中に塵を入れている様なもの。人が喧嘩や口論をするのは難を思わないからである。
【通釈】
「思問則疑云々」。とかく問う心掛けがあれば疑はない。胸の中に疑が多いというのでは心持が悪い。それは塵を懐中する様なもの。知らないことは問うてしまえばさっぱりとなる。問わないというのでは、ひょんなものが懐中にあることになる。懐中などというのは塵一つもない処である。人が喧嘩口論をするのは難を思わないからである。後難などというのは、その時は思い付かないもの。「思難」などというのは学者の分上には甘口な様だが、そうではない。怒の時は上せているので忍ばない。そこをここで口論に及んで妻子にも難儀が及ぶと難を思う。「懲」は易の字を用いて注したもの。
【語釈】
・懲は易の字…易経損卦。「象曰、山下有澤損。君子以懲忿窒欲」。易経繋辞伝下5。「子曰、小人不恥不仁、不畏不義、不見利不勸、不威不懲。小懲而大誡、此小人之福也。易曰、履校滅趾、无咎、此之謂也」。

○得は、学問をせぬものは甚た喜ふこと。得るか来ると俗人は夕べの夢見かよかったと云ほとなことなれとも、学問の方からは殊の外吟味のいること。今日我々初め学者なとか急に人欲のなくなると云こともあるまいが、俗とひとしくよろこぶことはない筈。もしあらは、今日からやめるかよい。人に衣服を貰ふ。寒気を防ひてよいか、とふして貰たと云筋を立るかよい。上の視聽とちがい、見得と云ことは日々度々はない。度々あれは俗人は仕合と思て天から降たやふに心得る。凡夫のさもしい心と云かこれなり。処を学問するものは、是は取る筈か、是は取ぬ筈かと云吟味をかける。これか粗ひ様なことなれとも、孔子も、及其老也戒之在得と云はれた。とかく取る工靣をする。若ひときはきれ口ちをきいても、年かよるとほしくなる。老人紙子羽織を貰。さて暖てよいか、筋の立ぬに貰っては着ぬ。血気か衰ると寒時、今風をひくと云。そこを人か酒を飲せる。此酒は筋のない酒と云と、ここへ死ぬとものむまいと云。ここに一つ英雄のまきらかしか出来て、学者かわるくなる。あれ斗りのものを取たとて何の事かあろふ、小な器量しゃと云。英雄のまきらかしでしそこなふ。筋かわから子は、ちっとのものてもとるまいと云。伊尹か一介不取諸人と云て、それが天下へ出て政をすると、耻一夫不得其所若撻于市なり。伊尹を小器量と云べきや。浪人のとき、すばしり一疋も人のものをとるまいと云。それか出て天下のことをするとこれなり。
【解説】
思義則得不苟」の説明。物を得ることが来ると、とかく人はそれを取る工面をする。そこを、貰う筈か貰わない筈かと吟味をする。ここに英雄の紛らかしということがあり、それくらいの物を取ったとしても大したことではないと言う。そんなことではし損なう。
【通釈】
「得」を学問をしない者は甚だ喜ぶもの。得ることが来ると、俗人は昨夜の夢見がよかったと言うほどに喜ぶが、学問の方からは殊の外吟味の要ること。今日我々を始め学者などが急に人欲がなくなるということもないだろうが、俗と等しく喜ぶことはない筈。もしそれがあるのなら、今日から止めるのがよい。人に衣服を貰う。それは寒気を防いでよいが、どうして貰ったのかという筋を立てるのがよい。上の視聴とは違い、見得ということは日々度々はないこと。度々あれば、俗人は幸せなことだと思って天から降りた様に心得る。凡夫のさもしい心というのがこれ。そこを学問する者は、これは取る筈か、これは取らない筈かと吟味を掛ける。これが粗い様なことだが、孔子も、「及其老也戒之在得」と言われた。とかく取る工面をする。若い時は威勢のよい口を利いても、年が寄ると欲しくなる。老人が紙子羽織を貰う。さて暖かくてよいが、筋が立たないのに貰うのでは着ない。血気が衰えると寒時、今風を引くと言う。そこを人が酒を飲ませる。この酒は筋のない酒だと言うと、ここで死ぬとしても飲まないと言う。ここに一つ英雄の紛らかしができて、それで学者が悪くなる。あればかりの物を取ったとしても何の事があるものか、小さな器量だと言う。英雄の紛らかしでし損なう。筋がわからなければ、一寸の物でも取らないと言う。伊尹は「一介不以取諸人」と言い、それが天下へ出て政をすると、「恥一夫不得其所若撻于市」である。伊尹を小器量と言うべきだろうか。浪人の時には洲走り一匹でも人の物を取るまいと言う。それが出て天下のことをするとこうである。
【語釈】
・及其老也戒之在得…論語季氏7。「孔子曰、君子有三戒。少之時、血氣未定、戒之在色。及其壯也、血氣方剛、戒之在鬥。及其老也、血氣既衰、戒之在得」。
・一介不取諸人…孟子万章章句上7。「非其義也、非其道也、一介不以與人、一介不以取諸人」。
・耻一夫不得其所若撻于市…近思録為学1。「伊尹恥其君不爲堯舜、一夫不得其所、若撻于市」。書経説命下。「予弗克俾厥后惟堯舜、其心愧恥、若撻于市」。
・すばしり…洲走り。ぼらの稚魚。


敬身8
○曾子曰、君子所貴乎道者三。動容貌斯遠暴慢矣、正顔色斯近信矣、出辭氣斯遠鄙倍矣。貴猶重也。容貌、舉一身而言。暴、粗厲也。慢、放肆也。信、實也。正顔色而近信、則非色莊也。辭、言語、氣、聲氣也。鄙、几陋也。倍、與背同。謂背理也。言道雖無所不在、然君子所重者在此三者而已。蓋皆脩身之驗、爲政之本、非莊敬誠實涵養有素者不能也。
【読み】
○曾子曰く、君子道に貴ぶ所の者三あり。容貌を動かして斯に暴慢に遠く、顔色を正して斯に信に近く、辭氣を出して斯に鄙倍に遠し。貴は猶重のごとし。容貌は一身を舉げて言う。暴は粗厲なり。慢は放肆なり。信は實なり。顔色を正して信に近ければ、則ち色莊に非ざるなり。辭は言語、氣は聲氣なり。鄙は几陋なり。倍は背と同じ。理に背くを謂うなり。道在らざる所無しと雖も、然れども君子重んずる所の者は此の三の者に在るのみを言う。蓋し皆身を脩むるの驗、政を爲むるの本、莊敬誠實涵養の素有る者に非ざれば能わざるなり。

○曽子曰、君子所云々。道は大小軽重の隔はなく、茶を飲にも道はありて、爰に近くないと云処はない。皆道なり。しかし其道に重すると云処かある。重すると云は人の体たのやふなもの。頭から足の先き迠血気か滿て何処を突ても痛か、首か一ち大事。腹と云もあれは脉ところもある。背に腹はかへられぬと云俗語も腹の重ひを見せたことなり。重と云処をみせるか功夫の趣向なり。君子の上は何もかも道なれとも、重ひか三つある。三つと云は何なれは、容と顔色言語の三つなり。三つ一つにひっ付たものて一つ処なり。是を得る段になりては全体にあつかることて、これか道理をからだへ切込こと。道理の吾にあるないは容貌辞気顔色の三つより外ない。容貌顔色辞気の三つは君子も小人も皆是て働てをる。そこて曽子がよびかけて、それを述へられた。人の体を動すは容貌。生た人は容皃を身持てあちこちと働かせる。そこを凡夫はわるく働せる。君子はよく働せる。一心の働は容皃辞気の働きなり。これか兼ての素功のあることて、此敬身にある中のことをのこらす功夫をしてをると暴慢と云ものかない。
【解説】
「曾子曰、君子所貴乎道者三」の説明。道に大小軽重の隔てはないが、君子には重いものが三つある。それは「容貌・顔色・辞気」である。一心の働きは容貌顔色辞気の働きである。
【通釈】
「曾子曰、君子所云々」。道には大小軽重の隔てはなく、茶を飲むことにも道はあって、ここに近くないという処はない。皆道である。しかし、その道に重んずるという処がある。重んずるというのは人の体の様なもの。頭から足の先までに血気が満ちていて何処を突いても痛いが、首が一番大事なもの。腹というのもあり、脈処もある。背に腹は替えられないという俗語も腹が重いことを見せたもの。重という処を見せるのが功夫の趣向である。君子の上は何もかも道だが、中に重いものが三つある。その三つとは、容貌と顔色と言語の三つである。ここでは、この三つを一つに引っ付けて一つにした。これを得る段になっては全体に与ることで、これが道理を体へ切り込むこと。道理が自分にあるかないかは「容貌辞気顔色」の三つより外はない。容貌顔色辞気の三つで君子も小人も皆働いている。そこで曾子が呼び掛けて、それを述べられた。人の体を動かすのは容貌。生きた人は容貌を身に持ってあちこちと働かせる。そこを凡夫は悪く働かせ、君子はよく働かせる。一心の働きは容貌辞気の働きである。これがいつもの素行からのことで、この敬身にある中のことを残らず功夫をしていると「暴慢」ということがない。

○遠と云字は頓と暴慢の方が少しもない。暴慢らしいことのなく、それけのとれたことなり。今医者の口上にとれたと云ことかある。病ひけのとれたか遠った気味。今人の、あの人はかどがとれたの垢がとれたのと云か遠ったなり。○暴慢は凡夫の惣名。殊外平生身の働かいこふがさつな、そこらしふ蹴散かすやふな、とかく荒手に出るてい。浅見先生の弁に、がさくさとざまくにあらびたていしゃと云はれた。これをさる歴々衆かわるくとって、軽ひもののなりだと斗りみる。手廻りの奴か紺のだいなしを着て出たことのやふに思か、歴々ても悪ひ人には暴と云容皃か出てくる。慢はそれとはぶんなことで、たらけたてい。取りしめもなくべったりとなりて、どふだ、煩はせぬかと云やふなていなり。凡夫の容皃のとりまわしか此二つなもの。暴てなけれは慢、慢てなけれは暴て、此の二つなものなり。
【解説】
「動容貌斯遠暴慢矣」の説明。「暴慢」は凡夫の惣名で、暴は身の働きががさつ、慢はだらけた体を言う。
【通釈】
「遠」は「暴慢」の方が少しもないということ。暴慢らしいことがなく、それ気の取れたこと。今医者の口上に取れたということがある。病の気が取れたのが遠の気味。今の人が、あの人は角が取れたとか垢が取れたと言うのが遠である。「暴慢」は凡夫の惣名。「暴」は平生身の働きが殊の外がさつで、そこら中蹴散らかす様なことで、とかく荒手に出る体。浅見先生の弁に、がさくさとざまくに荒びた体だとある。これをあの歴々衆が悪く取って、軽い者の姿とばかりに見る。それは手回りの奴が紺のだいなしを着て出たことの様に思うが、歴々でも悪い人には暴という容貌が出て来る。「慢」はそれとは別なことで、だらけた体。締まりもなくべったりとなって、どうだ、煩ってはいないかと言われる様な体である。凡夫の容貌の取り回しはこの二つである。暴でなければ慢、慢でなければ暴で、この二つである。
【語釈】
・ざまく…乱雑粗忽な様。ぞんざいな様。
・手廻り…常に側近くに侍するもの。主将の傍近く守護する兵士。
・だいなし…近世、奴僕などの着る筒袖の着物。多く、紺無地。

○正顔色。誰が上にもあることて、ものの改る上にいつもあることなり。えもんをつくるやふなもの。改るときは正すなり。田舎でもはれな客の来たとき袴ても着て出たていは正す。ここの処て凡夫は分なものをこしらへる。腹が立てもにこはこする。気味の悪ひそっとするときも、気味のわるくない強ひ顔をして見せる。○近信がうそのなく、こしらへたことのない、信のとをりの顔色。内の正なりに顔色も正しひ。平生の正が口上を云上にあらはれて出る。ここて言語の功夫かないとでほふだいを云になる。でほふだいと云は言語のなりてはない。脩辞立誠と云こともあり、平生の辞を浪に云はす、鄙倍と云やふなことは頓とない。
【解説】
「正顔色斯近信矣」の説明。改まる時には顔色を正す。それは信の通りの顔色なので正しい。凡夫の顔色は嘘で、心と違う顔をする。
【通釈】
「正顔色」。誰の上にもあることで、ものの改まる上にはいつもあること。衣紋を作る様なもの。改まるときは正す。田舎でも晴れがましい客が来た時は袴でも着て出て、体を正す。ここの処で凡夫は別なものを拵える。腹が立ってもにこにことする。気味の悪いぞっとする時も、気味の悪くない強い顔をして見せる。「近信」が嘘のなく、拵えることのない、信の通りの顔色である。内の正の通りに顔色も正しい。平生の正が口上を言う上に現われて出る。ここで言語の功夫がないと出放題を言うことになる。出放題というのは言語の姿ではない。「修辞立誠」ということもあり、平生の辞を妄りに言わない。「鄙倍」という様なことは全くない。
【語釈】
・脩辞立誠…易経乾卦文言伝。「九三曰、君子終日乾乾、夕惕若、厲无咎、何謂也。子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也」。

○鄙と云はさもしいけひたことと浅見先生の云はれた。道理にはつれたと云ことでもないか、さもしい下鄙たと云か凡夫のすかたなり。此頃は銭か三文こさらぬと云はあなかちこれがわるいてもないか、君子のよばぬ口上なり。あのやふなを鄙と云。德を積まぬと鄙かでる。英雄も鄙か出る。をれも今年中にはくたはるはへと云。垩賢はそんなことは云はぬ。訂斎先生などがたかそれた人なれとも、私百年の後にはなとと云れた。遠鄙倍功、夫をした人ゆへなり。辞の鄙と云か君子のなりでない。○倍は、まき舌て云をふとも倍と云かある。道理にそむいたことを倍と云。万葉時分の辞て上品に云ても倍と云。日本の古にも向西てをかむなと云ことか、あれかなんにもわけがない。日本にはわけのないことがををい。耳にはうるわしい辞にもきこへるか、道理に背たことがいかいことある。理にくらいゆへなり。垩賢にはない。凡夫は尤らしいことを云ても倍なり。○遠は、それたけかとれたこと。皆さ迠もないことのやふなれとも、容皃辞気は德の符て、容皃や辞気を正くすれは心か正くなる。外のことから心術へくる。此から德か成就する。これか出来子はまへかた人間。これか出来れは成就したなり。
【解説】
「出辭氣斯遠鄙倍矣」の説明。さもしく下卑たのが凡夫の姿であり、徳を積まないと鄙が出る。道理に背いたことを倍と言う。それは理に暗いからである。容貌や辞気を正しくするので心が正しくなる。外のことから心術へ来る。これから徳が成就する。
【通釈】
「鄙」とは、さもしい下卑たことだと浅見先生が言われた。道理に外れたということでもないが、さもしく下卑たのが凡夫の姿である。この頃は銭が三文もないと言うのは強ち悪いことでもないが、君子は言わない口上である。あの様なことを鄙と言う。徳を積まないと鄙が出る。英雄も鄙が出る。俺も今年中にはくたばるぞと言う。聖賢はそんなことは言わない。訂斎先生などは高逸れた人だったが、私の百年の後にはなどと言われた。「遠鄙倍功」をした人だからである。辞の鄙というのが君子の姿ではない。「倍」。巻き舌で言っても倍ということがある。道理に背いたことを倍と言う。万葉時分の辞で上品に言っても倍がある。日本の古にも西に向いて拝むなどということがあったが、あれには何のわけもない。日本にはわけのないことが多い。耳には麗しい辞にも聞こえるが、道理に背いたことが大層ある。それは、理に暗いからである。聖賢にはない。凡夫は尤もらしいことを言っても倍である。遠は、それだけが取れたこと。皆それほどでもないことの様だが、容貌辞気は徳の符で、容貌や辞気を正しくすれば心が正しくなる。外のことから心術へ来る。これから徳が成就する。これができなければ前方の人間。これができれば成就したのである。

○貴猶重は重する意なり。尊とて頭をさけることてはない。重は頭を下けるとはちこふ。火事と云ははこれをもって迯けろと云か尊ひ重するなり。そこて重器と云。○放肆は、人のからたの体かこれより外はないもの。暴と放肆の二つなものなり。色荘に、浅見先生のにせものと訳をつけてをかれた。顔色かよくても心かよくない。楊亀山も此色荘にたまされて聟にした。すっとのかは、方猟に與したやつなり。顔色に油断はならぬ。○辞気の辞と云はしれたことなれとも、気の字の付は、辞には気かついてあるもの。そこて上品と下品がわかる。のびをするも歴々とかるい者はわかる。辞には必気か付くものなり。孟子に魯君之宋、呼於垤沢之門。守者曰、此非吾君也。何其声之似我君也と云た。歴々は咳迠声気か違ふ。凡夫は利害得喪斗り第一にする。これも容皃顔色よかろふ筈はない。○脩身と云のしるしてこそなるなり。ぬれ手てあは米と云ことはない。孟子梁襄王を見て、望之不似人君と云も、襄王か容貌の動しやふかわるかった。平生自分に存養の功夫をすれはこれかなる。軍を見て矢をはくやふては間に合ぬ。日頃功夫の素あるてなけれはならぬと驗みみる。論吾てはこれを功夫とみる。ここては驗とみる説なり。蒙養集に委細のこと詳なり。
【解説】
貴猶重也。容貌、舉一身而言。暴、粗厲也。慢、放肆也。信、實也。正顔色而近信、則非色莊也。辭、言語、氣、聲氣也。鄙、几陋也。倍、與背同。謂背理也。言道雖無所不在、然君子所重者在此三者而已。蓋皆脩身之驗、爲政之本、非莊敬誠實涵養有素者不能也」の説明。顔色は油断がならない。辞には気が付く。そこで人柄がわかる。修身の験がなければ容貌・顔色・辞気がよくなる筈はない。論語ではこれを功夫と見るが、小学では験と見る。
【通釈】
「貴猶重」は重んずる意である。貴と言っても頭を下げることではない。重は頭を下げるのとは違う。火事と言われればこれを持って逃げろというのが貴く重んずること。そこで重器とも言う。「放肆」は、凡人の体の姿がこれより外はないもの。暴と放肆の二つである。「色荘」に、浅見先生が贋物と訳を付けて置かれた。顔色がよくても心がよくない。楊亀山もこの色荘に騙されて婿にした。透波の皮の方猟に与した奴である。顔色に油断はならない。「辞気」の辞は知れたことだが、気の字が付くのは、辞には気が付くものだからである。そこで上品と下品がわかる。伸びをするのも歴々と軽い者とではわかる。辞には必ず気が付くもの。孟子に「魯君之宋、呼於垤沢之門。守者曰、此非吾君也。何其声之似我君也」とある。歴々は咳まで声気が違う。凡夫は利害得喪ばかりを第一にする。それで容貌顔色のよい筈はない。修身の験でこそ成る。濡れ手で粟米ということはない。孟子が梁の襄王を見て、「望之不似人君」と言ったのも、襄王の容貌の動し様が悪かったから。平生自分に存養の功夫をすればこれが成る。軍を見て矢を矧ぐ様では間に合わない。日頃の功夫の素があるのでなければならないと、験と見る。論語ではこれを功夫と見る。ここは験と見る説である。蒙養集に委細のことが詳しくある。
【語釈】
・重器…国の貴重な宝物。重宝。重い役目。大切な人物。孟子梁恵王下11に出ている。
・すっとのかは…透波の皮。かたり。盗人。盗人根性。
方猟
・魯君之宋、呼於垤沢之門。守者曰、此非吾君也。何其声之似我君也…孟子尽心章句上36。「魯君之宋、呼於垤澤之門。守者曰、此非吾君也。何其聲之似我君也。此無他、居相似也」。
・望之不似人君…孟子梁恵王章句上6。「孟子見梁襄王。出語人曰、望之不似人君、就之而不見所畏焉」。


敬身9
○曲禮曰、禮不踰節、不侵侮、不好狎。禮所以辨尊卑等級。故不踰越節度。禮主於敬、自卑而尊人。故不得侵犯侮慢於人。習近而不加敬、則是好狎。脩身踐言。謂之善行。踐、履也。言履而行之。
【読み】
○曲禮に曰く、禮は節を踰えず、侵し侮らず、好しみ狎れず。禮は尊卑の等級を辨ずる所以なり。故に節度を踰越せず。禮は敬を主とし、自ら卑くして人を尊ぶ。故に人に侵犯侮慢することを得ず。習近して敬を加えざれば、則ち是れ好み狎るる。身を脩め言を踐む。之を善行と謂う。踐は履なり。履みて之を行うを言う。

○曲礼曰、礼不踰節云々。礼と云はそれ々々に次第あり、家老の次には用人と云やふにわかる。それをたた守ること。叔父の先きへ立つことはならぬ。跡から行。礼はとかく人を尊なり。人をなんてもないもののやふにすることは頓とない。こなたの腹には何かあるなと云たれは、汝かやふな者数百人を容るると答たことかある。しかもこれも禍に遇た。是か晋の世の口上なり。礼ては殊外嫌ふことそ。こなたは善ひ人と聞たか、こなたの親父殿とはどらほど違ふなと云たれは、そなたのやふな客は親父のときはこなんたと云た。靣白挨拶なれとも、小学ては禁物なり。人と懇にするもよいか、餘りみくるしく度々行き、我々式て云はは、向のものの夫婦いっしょに炬燵に居たと云処迠ゆく。甚ひのは飯もこちへもってこいとて、我内から飯迠よんて食ふてをるもある。とかく礼は節をこへぬものしゃ。是を小学の心術の要にひかれたはとふなれは、此かいこふ心術の功夫になる。ここか仏者の心法とちこふ処なり。仏者は本をくくりてわざにかまはぬ。垩人の教はこんな処からきめる。事は打遣れと云。そこか拔になる。そこて一休か蜷川新左ェ門か女房の背中をたたいた。ひょんなこと、をとけをする。
【解説】
「曲禮曰、禮不踰節、不侵侮、不好狎」の説明。礼にはそれぞれに次第があり、それを踰えてはならない。とかく、人を尊ぶのである。仏者は事に構わないが、こちらは事を大事にする。
【通釈】
「曲礼曰、礼不踰節云々」。礼にはそれぞれに次第があり、家老の次には用人という様に分かれている。それをただ守る。叔父の先へ立つことはならない。後から行く。礼はとかく人を尊ぶこと。人を何でもないものの様にすることは全くない。貴方の腹には何があるかと尋ねられ、お前の様な者数百人を容れると答えたことがある。しかもこれで禍いに遭った。これが晋の世の口上であり、礼では殊の外嫌うこと。貴方はよい人だと聞いたが、貴方の親父殿とはどれほど違うのかと尋ねられ、貴方の様な客は親父の時には来なかったと答えた。面白い挨拶だが、小学では禁物である。人と懇ろにするのもよいが、あまりに見苦しく度々行く。我々の様なことで言えば、向こうの夫婦が一緒に炬燵に居るという処にまで行く。甚だしいのは飯もこちらへ持って来いと言って、自分の家から飯まで呼んで食っている者もいる。とかく礼は節を踰えないもの。これを小学の心術の要に引かれたのはどうしてかと言うと、これが大層心術の功夫になるからである。ここが仏者の心法と違う処で、仏者は本を括って事には構わない。聖人の教えはこんな処から決める。事は打っ遣れと言うと、そこが抜けになる。そこで一休が蜷川新左衛門の女房の背中を叩く。ひょんなこと、戯けをする。
【語釈】
こなたの腹には何かあるなと云たれは、汝かやふな者数百人を容るると答た

○礼所以辨云々。先役と後役か二三日ちごふても、後役は先役の跡にたつ。礼と云はなんのこともなく、そのとをりすることなり。儀式をこへぬことそ。○踰越節度は本文のことをををきく云たもの。何の身分にはこれと云ことかある。四品は一段のことゆへ侍従のすることをしてもよいと云にそれをせぬ。九千九百石とっても一万石の大名のすることをせぬ。手前をひきさけて人を侮ることかある。晋の世なとか流行ものてありて、老荘か浮蕐にもなるか、礼ては戒ること。江戸の町なとて云、人を茶にすると云ことかある。高慢な体なり。こなたは雁門の太守じゃ、さそ鳫の味をしりたてあらふと云ことあり、ここらのことは礼てはさん々々なことなり。
【解説】
禮所以辨尊卑等級。故不踰越節度。禮主於敬、自卑而尊人。故不得侵犯侮慢於人。習近而不加敬、則是好狎」の説明。身分を踰えてはならない。また、高慢な体は礼では散々なこと。
【通釈】
「礼所以弁云々」。先役と後役は二三日の違いでも、後役は先役の後に立つ。礼というのは何のこともなく、その通りをすることで、儀式を踰えてはならない。「踰越節度」は本文のことを大きく言ったもの。何の身分にはこれということがある。四品は一段のことなので侍従のすることをしてもよいと言ってもそれはしない。九千九百石を取っても一万石の大名のすることはしない。自分を引き下げて人を侮ることがある。それが晋の世などの流行物で、老荘が浮華にもなるが、礼では戒める。江戸の町などで、人を茶にするということがある。それは高慢な体である。貴方は雁門の太守だからさぞ雁の味を知っていることだろうと言うことがあり、ここらのことは礼では散々なこと。
【語釈】
・浮蕐…うわついていて、華やかなこと。外面だけはなやかで実質のないこと。

○脩身践言云々。上の句はとれも軽ことて、不好狎とは、たた無性に寐ころんて、人の内へ行ても吾家のやふにするはよくないなとと云ひ、それから脩身践言とは上へかからぬやふな辞なり。曲礼ゆへ此通に心掛るものしゃとかたりてみせて、その軽ひことか大事しゃ、よくなるには何事も大事しゃ、身て行ことなり。云たことを云なかしにしてをいてはむたになる。言行あふよふに心掛る。口ては何ても云はれるものなれとも、身てはならぬ。
【解説】
「脩身踐言。謂之善行。踐、履也。言履而行之」の説明。上にあるのは軽いことだが、その軽いことが大事なのである。また、言行が合う様に心掛ける。
【通釈】
「修身践言云々」。上の句はどれも軽いことで、「不好狎」は、ただ無性に寝転んで、人の家に行っても我が家の様にするのはよくないなどと言うこと。それから見ると「修身践言」は上に関係のない様な辞だが、これは曲礼なので、この通りに心掛けるものだと語って見せて、その軽いことが大事だ、よくなるには何事も大事だ、身で行うことだと言ったのである。言ったことを言い流しにして置いては無駄になる。言行の合う様に心掛ける。口では何でも言えるものだが、身ではそうはならない。


敬身10
○樂記曰、君子姦聲・亂色不留聦明。淫樂・慝禮不接心術。惰慢・邪辟之氣不設於身體。使耳目鼻口心知百體皆由順正、以行其義。不留聦明謂不停於耳目也。術猶道也。不接心術謂心不存念也。
【読み】
○樂記に曰く、君子は姦聲・亂色、聦明に留めず。淫樂・慝禮、心術に接せず。惰慢・邪辟の氣、身體に設けず。耳目鼻口、心知百體をして皆順正に由らしめ、以て其の義を行う。聦明に留めずは、耳目に停めざるを謂うなり。術は猶道のごとし。心術に接せずは、心念を存せざるを謂うなり。

○楽記曰、君子云々。姦の字は惣体、姦巧姦佞なととつつく時とは違ふ。姦は淫乱の淫とみるかよい。ここの姦声乱色と云は淫乱と云字をわりて書たもの。何か證拠なれは、官府て密夫のことを姦夫と云。淫の字をかきかへたもの。姦声と云て淫声と云と同しことなり。乱色は役者か顔を赤く染めて出たことも乱色と云か、ここはあれとはぶんにみるかよい。淫乱と云字をわけたゆへ、あなかち顔を丹て塗たことてはない。女の躍り藝者なとかさま々々着飾って出たやふな処をさして云なり。耳や目にそれをいれぬこと。なせなれは、こちの聰明を汚すもの。浄瑠理なとかなき出すやふな声。高砂のぢぢばばと云はよい。いっそ死たいと云文句にふしを付る。大の淫声なり。そこへ三弦か出ては此上もないものにあわせたのなり。此上もなきものと云か徂徠か太宰かの弁なり。三弦に合せるて淫声の至善にしつめた。淫声は国からてよい風儀なれは取り上もせぬが、たたわけのないことか俗礼なり。今もあり、迂斎か毎々そふ云た。上み一人の御前へ熊坂か出てもつまらぬ。盗人か出てはをかしきものなり。猩々舞とて畜生の酒に酔た眞似をする。甚たつまらぬことなり。
【解説】
「樂記曰、君子姦聲・亂色不留聦明」の説明。姦声は淫声に同じ。乱色は踊り芸者が着飾っている様なこと。それは聡明を汚すものだから、これを見聞きしてはならない。浄瑠璃などの泣き出す様な声、これに三弦が加わっては淫声の至善に詰まる。
【通釈】
「楽記曰、君子云々」。「姦」の字は総体、姦巧姦佞などと続く時とは違う。姦は淫乱の淫だと見なさい。ここの「姦声乱色」と言うのは淫乱という字を割って書いたもの。何がその証拠かと言うと、官府では密夫のことを姦夫と言う。それは淫の字を書き換えたもの。姦声と言っても淫声と同じこと。「乱色」。役者が顔を赤く染めて出たことをも乱色と言うが、ここはあれとは別なことだと見なさい。淫乱という字を分けたのだから、強ち顔を丹で塗ったことではない。女の踊り芸者などが様々々に着飾って出た様な処を指して言う。耳や目にそれを入れてはならない。それは何故かと言うと、こちらの聡明を汚すからである。それは、浄瑠璃などの泣き出す様な声である。高砂の爺婆というのはよい。いっそ死にたいという文句に節を付ける。それが大の淫声である。そこへ三弦が出てはこの上もないものに合わせたことになる。この上もなきものというのが徂徠か太宰の弁である。三弦に合わせるので淫声の至善に詰まる。淫声は国柄でよい風儀であれば取り上げもしないものだが、ただわけのないことが俗礼である。今もそれがあり、迂斎が毎々こう言った。上一人の御前へ熊坂が出ては詰まらない、と。盗人が出ては可笑しいもの。猩々の舞と言って畜生が酒に酔った時の真似をする。それは甚だ詰まらないこと。
【語釈】
・熊坂…熊坂長範。平安末期の大盗。
・猩々…能の一。唐土の潯陽江にすむ霊獣の猩猩が酒に浮かれて舞を舞い、孝子高風を祝福する。

○淫楽慝礼かををい。節分晩にざるをつるせば目か多ひから鬼かこぬと云。豆をかそへて年の数ほど食ふ。先生坐中を見て笑て曰、坐禅豆もくふことのならぬ歯て豆を食ふ。甚たをかしいことしゃ。こんなことは君子のとんと胸へいれぬこと。ははんと云て人か云はは、あいさつしてをくかよい。胸のわるいことはせぬかよい。先生励声曰、俗てはすることの、世間てはこふすることと云ふて一とヶ條にすると、つい吾もそふする気になる。○惰慢と邪辟は分なものてはない。惰慢に付た邪辟なり。迂斎の弁に、をとけて幽灵の眞似をしてみせたり、犬の眞似をするか惰慢邪辟しゃと云た。狂言するてもないか、そのやふなことをせぬことそ。礼記なとか垩賢の遺語がしれる。心のてら々々と照る処か邪がかかるとくもりて、かの灵臺を煩す。商人かしろものを大事にする。君子は心を大事にする。なぐさみになり脩養になるとて蕐陀か五禽と云ことをした。あれは医者て脩養して長生すれはよいと云からして猿の眞似も虎の眞似もする。暴じゃの惰慢じゃのと云ことはぶんにしたものなり。垩賢は此方に仁義礼智に疵を付まいとするから、そこてこのやふにする。すへき当然を行ふと云か皆疵を付ぬことなり。○心術と云は心の道と云ことて、心の持ちやふに道かある。心はこふもちなすものと云なり。○不接心術は、心はこふもちなすものと、その邪魔になるゆへ、そこて不接なり。肉の方で靣白ことはとんと出さぬことそ。
【解説】
「淫樂・慝禮不接心術。惰慢・邪辟之氣不設於身體。使耳目鼻口心知百體皆由順正、以行其義。不留聦明謂不停於耳目也。術猶道也。不接心術謂心不存念也」の説明。俗のすることも世間通用だと、ついそれをしてしまうもの。戯けて幽霊や犬の真似をする様なことを「惰慢邪辟」と言う。心術は心の道であり、肉が面白がる様なことは決してしてはならない。
【通釈】
「淫楽慝礼」が多い。節分の晩に笊を吊るせば目が多いから鬼が来ないと言う。豆を数えて年の数ほど食う。先生が座中を見て笑って言った。座禅豆もうまく食うことのできない歯で豆を食う。それは甚だ可笑しいことで、こんなことは君子は全く胸に入れないこと。ははんと人が言えば、挨拶をして置きなさい。胸の悪いことはしないのがよい。先生が声を励まして言った。俗ですることを、世間ではこうするものだと言って一箇条にすると、つい自分もそれをする気になる。「惰慢」と「邪辟」は別なものではない。惰慢に付いた邪辟である。迂斎の弁に、戯けて幽霊の真似をして見せたり、犬の真似をするのが惰慢邪辟だとある。狂言をするわけでもないのに、その様なことをしてはならない。礼記などで聖賢の遺語がわかる。心のてらてらと照る処に邪が掛かると曇って、かの霊台を煩わす。商人は代物を大事にするが、君子は心を大事にする。慰みになり修養になるとして華陀が五禽ということをした。彼は医者で、修養して長生すればよいという方から猿の真似も虎の真似もする。それは暴や惰慢とは別なことでしたもの。聖賢は自分の仁義礼智に疵を付けまいとするから、そこでこの様にする。すべき当然を行うというのが皆疵を付けないこと。心術とは心の道ということで、心の持ち様に道がある。心はこの様に持つものだと言ったのである。「不接心術」は、心はこの様に持つものだから、その邪魔になるものには接しないということ。肉の方で面白いことは全く出さない。
【語釈】
灵臺を煩す
・しろもの…代物。①売買する商品。品物。②品物を売った代金。銭。
・蕐陀…後漢末・魏初の名医。字は元化。麻沸散(麻酔薬)による外科手術、五禽戯と称する体操などを始める。魏の曹操の侍医になったが、のち殺された。
・五禽…医療体操の五禽の戯(虎、鹿、熊、猿、鳥)。


敬身11
○孔子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉。可謂好學也已。不求安飽、方有事於學。不暇以此爲心也。敏於事、不敢怠也。愼於言、不敢忽也。有道謂知此道而能體之者。道則事物當然之理、人之所共由者也。正謂正其是非。
【読み】
○孔子曰く、君子、食、飽かんことを求むること無く、居、安からんことを求むること無く、事に敏にして言に愼み、有道に就きて正す。學を好むと謂う可きのみ。安飽を求めず、方に學に事とすること有り。此を以て心と爲すに暇あらざるなり。事に敏にするは、敢て怠らざるなり。言に愼むは、敢て忽にせざるなり。有道は、此の道を知りて能く之を體する者を謂う。道は則ち事物當然の理、人の共に由る所の者なり。正は其の是非を正すを謂う。

○孔子曰、君子食云々。前はよくないものをよせす、邪魔になるものをよせぬこと。ここはなにをしごとにすると云に、こちをよくすることを仕事にしてをる。こちの方をよくするて暇間かないから、どこまでもうまいほとくふと云ことはない。もふ一つ菜かありてく井たいなとと云は飽なり。君子か不飽と云たとて、腹にたまらぬほとくふと云ことではない。隨分腹にたまるほとはくふことなり。甘ひ物食ひする人か此頃はほき々々とくひませぬと云。ほき々々と云か甘ひものをとっくりとくふことなり。それを飽と云。○居無求安は、犬なと土間へころり々々々と子る。人間は雨露にあてられぬ筈に生れたもの。外には子ぬか、屋根さへあれはすむ。○敏事は、何事も平生することがさっさとすむ。手早にはかのゆくやふにずか々々する。○言はでほふたいを云たかるもの、いっはいを云たがるものなれとも、とかく言はひかへめ々々々々とする。これて学問上なしなれとも、就有道而正。これでこそ好学とは云べきことなり。
【解説】
「孔子曰、君子食無求飽、居無求安、敏於事而愼於言、就有道而正焉。可謂好學也已」の説明。君子は自分をよくすることに忙しくて暇がないから、食に飽くこともなく、居所も屋根さえあればよいとする。事は素早く行い、言を控え、道に就いて正す。
【通釈】
「孔子曰、君子食云々」。前条はよくないものを寄せず、邪魔になるものを寄せないこと。ここは何を仕事にするのかと言うと、こちらをよくすることを仕事にする。こちらの方をよくすることで暇がないから、旨い物を何処までも食うということはない。もう一つ菜があれば食いたいなどと言うのは「飽」である。君子が「無飽」だと言っても、腹に溜まることのないほどしか食わないということではない。随分と腹に溜まるほどは食う。旨い物食いをする人が、この頃はほぎほぎと食いませんと言う。このほぎほぎというのが旨い物をとっくりと食うこと。それを飽と言う。「居無求安」。犬などは土間でごろりと寝る。人間は雨露には当てられない筈のものとして生まれたもの。外には寝ないが、屋根さえあれば済む。「敏於事」は、何事も平生することがさっさと済むこと。手早に計が行く様にずかずかとする。「言」は出放題になり易いもので、言いたい放題をしたがるものだが、とかく言は控えめにする。これで学問に上なしとなるのだが、「就有道而正」。これでこそ好学と言うべきもの。

○有事於学か靣白辞て、安飽を戒るときかある。ここは戒てはない。そこてなを々々靣白し。これをするか非義なとと云のてはないが、こちの学問がいそかしくてそんなひまはない。そこて人欲の逗留がない。さま々々人欲か内にありても、学問を励むことか水車の轉るやふて不暇なり。そんなことにかかるひまかない。吾かすへきことをさっ々々とする。道と云字は君子の道を身に得ると云。事物当然の道をわれにもつこと。凡夫はもたぬ。仏道と云ても、異端は道にはなれてをる。事物当然てない。仙人になることを道家と云。それ皆此道にははつれたことなり。当然と云道を身に持てをるか君子。道を身に持ぬか凡夫。君子のよいはなせよいと云に、求道、このやふにいそかしい。直方先生か、学者の寄合は博樗打の寄合の様なかよいと云れた。あいらは吸物の塩梅もしらす、庭の杜若も見す、かとふ々々々とうつ。今日学者のやふになまぬるいことてはない。君子は道を求めるにいそかしくて、人欲かきてもそれをしよふと云ひまかない。盗人を追欠まわすやふなり。上の段の姦声乱色云々かきこへた。食ひものにさへかまわぬ。家も雨にさへぬれ子はよいと云ことしゃ。
【解説】
不求安飽、方有事於學。不暇以此爲心也。敏於事、不敢怠也。愼於言、不敢忽也。有道謂知此道而能體之者。道則事物當然之理、人之所共由者也。正謂正其是非」の説明。学問をするのが忙しくて人欲に関わる暇がない。道を求めると言っても、それは君子の道であり、事物当然の道である。仏道も道家も事物当然の道に外れている。
【通釈】
「有事於学」が面白い辞で、安飽を戒める時があるが、ここはその戒めではない。そこで尚更面白い。これをするのは非義などということではないが、こちらの学問が忙しくてそんな暇はない。そこで人欲の逗留がない。様々な人欲が内にあっても、学問を励むのが水車の回る様で不暇である。そんなことに関わる暇がない。自分がすべきことをさっさとする。「道」という字は君子の道で、これを身に得ること。事物当然の道を自分に持つこと。凡夫はそれを持たない。仏道と言っても、異端は道に離れている。事物当然でない。仙人になることを道家と言うが、それが皆この道に外れたこと。当然という道を身に持っているのが君子。道を身に持たないのが凡夫。君子がよいのは何故かと言うと、道を求めることがこの様に忙しい。直方先生が、学者の寄合いは博打打ちの寄合いの様なのがよいと言われた。彼等は吸物の塩梅も知らず、庭の杜若も見ず、勝とう勝とうとして打つ。今日の学者の様に生温いものではない。君子は道を求めるのに忙しくて、人欲が来てもそれをしようとする暇がない。それは盗人を追い掛け回す様である。これで前条の「姦声乱色云々」がよくわかる。食物にさえ構わない。家も雨にさえ濡れなければよい。


敬身12
○管敬仲曰、畏威如疾、民之上也。畏威、如畏疾病、此民之上行。從懷如流、民之下也。從心所思如水流行、此民之下行。見懐思威、民之中也。威、畏也。見可懷則思可畏、此民之中行。
【読み】
○管敬仲曰く、威を畏るること疾の如くなるは、民の上なり。威を畏るること、疾病を畏るるが如くなるは、此れ民の上行なり。懷[おもい]に從うこと流るるが如くなるは、民の下なり。心の思う所に從うこと水の流行するが如くなるは、此れ民の下行なり。懐を見て威を思うは、民之中なり。威は畏なり。懷う可きを見て則ち畏るる可きを思うは、此れ民の中行なり。

○管敬仲曰云々。威は威刑とつつき、公儀の御法度を畏れること。是は論吾の里仁篇の君子懐刑と云、或問に此語を愼罸と云語と並へ證してあり。威を天威とみ、天の威を恐れると云やふにをもくれて云ことてはない。上の御威光を畏れ、法度ををそれることを、病をいやに思ほとにそっとする。人の心か御法度を病ほと畏るると云ことなれは民之上也。○従懐云々は、わるいことてはなくともしたいと思ふことをすら々々とする。それか人間の内ていっちわるい。これらを吟味してみること。わるいことには限らす、さまてもなくても、すら々々するとよふないこと。なんてもものは用心かある。あぶない々々々々と云か全体の覚悟になる。曽子なとか一生戦々兢々てしまわしった。思なりにすると云合点なれは、非義は固りのこと、非義てなくても是程わるいことはない。孔子か七十になって従心所欲不踰矩と云。桀紂のあのとをりになったも吾思なりにしたゆへなり。吾了簡次第にすると云なれは、それからはみなはた々々とわるくなる。
【解説】
「管敬仲曰、畏威如疾、民之上也。畏威、如畏疾病、此民之上行。從懷如流、民之下也。從心所思如水流行、此民之下行」の説明。「威」は天威ではなく、上の威光のことで、法度を畏れる者は「民之上」である。用心をすることもなく、したいことをするのは「民之下」である。
【通釈】
「管敬仲曰云々」。威は威刑と続き、公儀の御法度を畏れること。これが論語の里仁篇では「君子懐刑」と言い、或問にはこの語を「慎罸」という語と並べて証してある。威を天威と見て、天の威を恐れるという様に重々しく言うことではない。上の御威光を畏れ、法度を畏れることを、病を嫌だと思うほどにぞっとする。人の心が御法度を病ほどに畏れるというのであれば「民之上也」。「従懐云々」は、悪いことではないとしても、したいと思うことをすらすらとすること。それが人間の内で一番悪い。これらを吟味して見る。悪いことには限らず、さほどでもなくても、すらすらするのはよくない。何でもものには用心が必要である。危ないと思うのが全体の覚悟になる。曾子などは一生を戦々兢々で終えた。思った通りにするという合点であれば、非義は固よりのこと、非義でなくてもこれほど悪いことはない。孔子が七十になって「従心所欲不踰矩」と言った。桀紂があの通りになったのも自分が思った通りにしたからである。自分の了簡次第にするというのであれば、それからは皆ばたばたと悪くなる。
【語釈】
・君子懐刑…論語里仁11。「子曰、君子懷德、小人懷土。君子懷刑、小人懷惠」。
・戦々兢々…論語泰伯3。「曾子有疾、召門弟子曰、啓予足。啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子」。詩は詩経小雅小旻。
・従心所欲不踰矩…論語為政4。「子曰、吾十有五而志于學、三十而立、四十而不惑、五十而知天命、六十而耳順、七十而從心所欲、不踰矩」。

善ひと悪ひを二つ出して、一ちしまいに中を出したか管仲の存よりとみへる。大勢の人の戒にこれかなるゆへこれてとめたとみへる。懐はこふともくろむこと。見るはみかけるきみ。心にこふしよふとみかける。そのはなて思威なり。こふしては御咎めにあをふと云。江戸へ行き縮緬の着物を買ふと云ふそのとき、此衣装法度に縮緬はかわれまいと、思威なり。管仲の此語か天下の人ををしなへて民と云。それを敬身のしまいに朱子の載せられたに趣向あることなり。是迠に丹書を始め顔子のことも曽子のこともありて、こきあけたことかある。小学は全体の教の書て、民は可使由之也。はばのひろいこと。大概の人には御法度をつつしむと云なれは、身は失はぬ。御法度を思はぬと云なれは、とのやふなことをするもしれぬ。御仕置て首を切られるも上の威を畏れぬゆへなり。敬身の篇に上の威を畏れることのあるなとか、なるほと可使由之也。この通りにすれは先王の民の通りになる。
【解説】
「見懐思威、民之中也。威、畏也。見可懷則思可畏、此民之中行」の説明。しようと思った際に畏れるのは「民之中」である。法度を慎めば身を失うことはない。
【通釈】
善いことと悪いことを二つ出して、最後に中を出したのが管仲の考えと見える。これが大勢の人の戒めになるのでこれで止めたものと見える。「懐」はこうと目論むこと。「見」は見掛ける気味。心にこうしようと見掛ける。その時に「思威」である。こうしては御咎めに遭うだろうと言う。江戸へ行き縮緬の着物を買うというその時、衣装法度によれば縮緬は買えないだろうと「思威」する。管仲のこの語は天下の人を押し並べて民と言う。それを敬身の最後に朱子が載せられたのには趣向がある。これまでに丹書を始め顔子のことも曾子のこともあって、扱き上げたことがある。小学は全体の教えの書で、「民可使由之」である。それは幅の広いこと。大概の人は御法度を慎めば身を失うことはない。御法度を思わないというのであれば、どの様なことをするかも知れない。御仕置で首を切られるのも上の威を畏れないから。敬身の篇に上の威を畏れることがあるなどというのが、なるほど可使由之である。この通りにすれば先王の民の通りになる。
【語釈】
・民は可使由之也…論語泰伯9。「子曰、民可使由之、不可使知之」。

是迠か心術之要と云。兎角心を道に叶へること。術と云か大切なことて、心をあまりいじりちらすと仏者のやふに、かの味噌の味噌くさい。又、伯者なとの心ゆきは拔ぬ太刀の高名をしたかる。猫撫声はするか、心はみなうそ。それか心術のまかりたのなり。池に酒をいれ、蝗を食のるい、皆心術の曲りたと云もの。心術之要と云は心を道理のなりにすること。道理のなりになるとてふんなことはない。やっはり敬勝怠と、本のなりになる。さて靣白ことて、心術之要は術のあってないこと。功夫をよくすれは心術かよくなる。手前もしらぬほとなこと、こふするのどふするのとあちこちいしることはない。あともさきもないこと、はて私も存し付ましなんたと云。斉の宣王も、是誠何心哉は道理なりに出て我に手くろなき心術なり。それゆへ心をいろ々々といろふことはない。道理のなりにすること。つまる処、右の丹書曰以下の通にすれは心かやたものにならぬ。丁と道理の通になる。右にある語を吾か工夫すると云なれは、心にかなめを打つやふなもの。扇は十間十二間あるか、要かないとはら々々になる。扇は要一つてもつ。傘はろくろ一つてもつ。今日の人は要をもたぬゆへよくない。徒然草に兼好か我心さへたのみがたしと云は、要かないゆへたのまれぬ。右にある通りに道理に叶はせるか心術之要なり。垩賢のよいは心かよい。王者と伯者のわかるも心のよいとわるいの心術にかかる。禹湯文武の天下を保たは心術かよいゆへ保た。心術のよいことて允執中と云。学者の学問をするのも心術をよくすること。君子と云も心術のよいことを云。大学明德と云も心。学問はどこかとこ迠も心と云にきめることなり。
【解説】
「心術之要」とは、心を道に叶えること。心は色々と弄るものではなく、道の通りにするのである。丹書曰からの条で功夫することが心術の要となる。
【通釈】
これまでを心術之要と言う。それはとかく心を道に叶えること。術というのが大切なことで、心をあまり弄り散らすと仏者の様に、かの味噌の味噌臭いになる。また、伯者などの心意気では、抜かぬ太刀の高名をしたがる。猫撫で声はするが、心は皆嘘。それは心術の曲ったのである。池に酒を入れ、蝗を食うの類は、皆心術が曲っているというもの。心術之要とは心を道理の通りにすること。道理の通りになると言っても特別なことではない。やはり「敬勝怠」で本の通りになる。さて面白いことで、心術之要は術のあってないこと。功夫をよくすれば心術がよくなる。自分も知らないほどのことは、こうするのどうするのとあちこち弄ることはない。後先見ずに、さて私も存じ付きませんでしたと言う。斉の宣王の「是誠何心哉」は道理の通りに出て、自分に手くろのない心術である。そこで、心を色々と弄ることはない。道理の通りにする。詰まる処、右の丹書曰以下の通りにすれば心に疵が付かない。丁度と道理の通りになる。右にある語を自分が工夫すると言うのであれば、それは心に要を打つ様なもの。扇は十間十二間あっても、要がないとばらばらになる。扇は要一つで保つ。傘は轆轤一つで保つ。今日の人は要を持たないのでよくない。徒然草に兼好が我心さえたのみがたしと言ったのは、要がないから頼み難いのである。右にある通りに道理に叶わせるのが心術之要である。聖賢がよいのは心がよい。王者と伯者が分かれるのも心のよいと悪いとの心術に係ること。禹湯文武が天下を保ったのは心術がよいから。心術がよいので「允執中」と言う。学者が学問をするのも心術をよくすること。君子と言うのも心術のよいことを言う。大学の明徳も心。学問は何処までも心ということに決める。
【語釈】
・蝗を食…唐の太宗が蝗を呑んだ話。
・敬勝怠…敬身1の語。
・是誠何心哉…孟子梁恵王章句上7。「王笑曰、是誠何心哉。我非愛其財而易之以羊也、宜乎百姓之謂我愛也」。
・手くろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。手練手管。
・允執中…書経大禹謨。「人心惟危、道心惟微。惟精惟一、允執厥中」。


右明心術之要。
【読み】
右、心術の要を明かにす。

○講後、歴々は冨貴ゆへ上品なれとも、不德なれは鄙倍暴慢はあると云に因て、文、将門飯をくひこほし拾て食たること、及近年某の国のことを挙く。先生これを頷けり。又、顧小川曰、幼少のとき諸老会に侍す。小野﨑先生、迂斎へ去る放蕩なる大名の噂をして、近習の者にわひ等かよいかと思ふてと云やるけな、と。これ鄙倍を云へり。其侯、果して若隱居されしよし。後會に先生曰、先日心術の終り、管仲の章、上の丹書の敬義より顔子の克己の目に比すれはいこふ粗ひことのやふなれとも、小学の正靣なり。天下の人民先王の化にて道に由らしむると云も心術にかかることなり。公儀の御觸を畏るる民なれは正直の心術て、これ良民なり。たとへは酒の法度を承玉てもなんにと思ひ、心中ては三日法度かと心得、或は田螺を貯へよとあるをも、まだるいことのやふに心得る族もあらん。これ威を畏れさるなり。左のみ大なる咎もなきやふなれとも、これ大事にあつかることなり。春秋誅意と云も心術にたたる吟味なり。心法の吟味なくて經済なると思ふ学者は性のぬけた薬種て療治するやふなものそ。小学に心術之要あるは王政の朝鮮人参そ。徂徠や太宰か何として知らふそ。
【解説】
ここは丹書の敬義や顔子の克己の目に比べると粗い様だが、これが小学の正面である。公儀の御触れを畏れる民であれば正直の心術であり、良民である。心法の吟味がなければ経済もできはしない。
【通釈】
講後、歴々は富貴なので上品だが、不徳であれば鄙倍暴慢はあるということから、文二が将門が食いこぼした飯を拾って食ったこと、及び、近年のある国のことを挙げた。先生がこれに頷いた。また、小川を顧みて言った。幼少の時に諸老会に侍した。その時、小野崎先生が迂斎にある放蕩な大名の噂をして、近習の者に、お前達によいと思ってしたと言ったそうだ。これが鄙倍を言ったこと。その侯は果たして若隠居されたそうである、と。後会に先生が、先日の心術の終わりに管仲の章があり、それは上の丹書の敬義や顔子の克己の目に比べると大層粗いことの様だが、これが小学の正面であると言った。天下の人民を先王の化で道に由らしむると言うのも心術に係ること。公儀の御触れを畏れる民であれば正直の心術で、これは良民である。たとえば酒の法度を承っても何とも思わず、心中では三日法度かと心得、或いは田螺を貯えよとあるのを、まだるいことの様に心得る族もあることだろう。これが威を畏れざるということ。それほど大きな咎もない様だが、これが大事に与ること。「春秋誅意」と言うのも心術に祟る吟味のこと。心法の吟味がなくて経済ができると思う学者は、性の抜けた薬種で療治をする様なもの。小学に心術之要があるのは王政の朝鮮人参である。徂徠や太宰がどうしてそれを知っていようか。
【語釈】
・文…林潜斎。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。稲葉黙斎門下。
・小川…小川省義。幼名は磯次郎、興十郎。後に市右衛門。東金市東士川の人。文化11年(1814)6月21日没。年81。後に稲葉迂斎門下。稲葉黙斎に学ぶ。
春秋誅意