敬身13
冠義曰、凡人之所以爲人者禮義也。禮義之始在於正容體、齊顔色、順辭令。言人爲禮、以此三者爲始。容體正、顔色齊、辭令順、而後禮義備、以正君臣、親父子、和長幼。言三始既備、乃可以求三行也。君臣正、父子親、長幼和、而後禮義立。立猶成也。
【読み】
冠義に曰く、凡そ人の人爲る所以の者は禮義なり。禮義の始は容體を正しくし、顔色を齊え、辭令を順にするに在り。人の禮を爲むるに、此の三の者を以て始と爲すを言う。容體正しく、顔色齊い、辭令順にして、而して後に禮義備わり、以て君臣を正しくし、父子に親しみ、長幼を和す。三始既に備わりて、乃ち以て三行を求む可きを言うなり。君臣正しく、父子親しみ、長幼和して、而して後に禮義立つ。立は猶成のごとし。

十月十六日
【語釈】
・十月十六日…寛政元年(1789)10月16日。

○前の心術之要は敬以直内のこと。是より以下威儀之則は義以方内のことなり。垩学は何処ても敬義の外はない。威儀之則は外へあらはれたものゆへ、此内に言語のこと迠こもりてある。心の功夫は敬ばかりてすむ。そのあらはれて出たのか威儀之則。威儀之則とて、上下つきえもんをそろへる行儀ばかりとみるはわるい。言語もあらはれたもの。そこて言語のこともこめて云。○凡人之所以為人者礼義也は、人間は何て人間じゃと云吟味のいる処。いつも云、目の鼻のと云は、人間ほとてはないか、よかれあしかれ禽獣にもある。然れは人間と禽獣の違は此の礼儀の処なり。その礼義にかまわぬと云なれは、人間と生れて禽獣をしてをるのなり。人間と禽獣のわかる界目は礼義て分る。さて礼義の重と云になると幅の廣ひことて、人の行儀になったとき、大事小事いこふひろいものなり。その廣ひ始めの処は容体を正でからだの行儀か始なり。威儀之則に此の顔色のことのあると云か大切な字なり。容体の上に此顔色と云のあるて惣体か違ふことそ。顔色がわるいと行儀か立ぬ。あの人はくたびれたそふしゃの、靣倒そふなのと云は顔色てしれる。垩賢の教に顔色の教あるなとと云か無理なやふなことなれとも、顔色まて教のととくと云てほんのものになる。
【解説】
「冠義曰、凡人之所以爲人者禮義也。禮義之始在於正容體、齊顔色、順辭令」の説明。心術之要は「敬以直内」のことだが、威儀之則は「義以方内」のことで、外に現れたもの。人間と禽獣との違いはこの礼儀があるかないかである。礼義の最初は容体・顔色・辞令にある。
【通釈】
前の心術之要は「敬以直内」のことで、これ以下の威儀之則は「義以方内」のこと。聖学は何処でも敬義の外はない。威儀之則は外へ現れたものなので、この内に言語のことまでもがこもっている。心の功夫は敬のみで済み、その現れて出たのが威儀之則である。威儀之則と言っても、裃で衣紋を揃える行儀のこととばかり見るのは悪い。言語も現れたもの。そこで言語のこともこめて言う。「凡人之所以為人者礼義也」は、人間は何で人間なのかという吟味の入る処。いつも言う、目や鼻は、人間ほどではないが、よかれ悪しかれ禽獣にもある。それなら人間と禽獣との違いはこの礼儀の処である。その礼義に構わないと言うのであれば、それは人間と生まれて禽獣をしているのである。人間と禽獣とが分かれる境目は礼義である。さて礼義が重いことだということになると、それは幅の広いことで、人の行儀と言えば、大事小事と大層広いもの。その広いことの始めの処は容体を正すことで、体の行儀が始めである。威儀之則にこの顔色のことがある、これが大切な字である。容体の上にこの顔色があるので総体が違う。顔色が悪いと行儀が立たない。あの人は草臥れた様だ、面倒そうだというのは顔色でわかる。聖賢の教えに顔色の教えがあるなどというのが無理なことの様だが、顔色にまで教えが届くというので本物となる。
【語釈】
・敬以直内…易経坤卦文言伝。「直其正也、方其義也。君子敬以直内、義以方外。敬義立而德不孤」。

○正容体ばかりで顔色の吟味かないと、人形と同しことになる。人は顔色をよくすると云てよひ。弁を付て云ををならは、まんろくにさへなれは顔色は斉ふと云やふなもの。顔色を斉るとて分に顔色の斉やふはない。心かまんろくになってをれは顔色は斉ふ。心をそのば々々々へをくと顔色も其塲にをる。是は大切なことしゃと云と、はや顔色か大切な顔色になる。是を覚子はならぬと云と覚へる顔色になる。気か薄々しいと、人の所へ行き御愁傷と苦止[くやみ]を云ても、うわついたかをて苦止らしい顔色てはない。○辞令は口上のこと。孟子には辞命とあり、命と令は同しこと。口上と云ものかあらはれたもの。私心に如在はないと云ても、口上て云ところかわるくてはならぬ。人間の云へき様のことを云こと。
【解説】
容体だけで顔色がないのでは人形と同じ。心が真陸になっていれば顔色が斉う。顔色はその場次第で変わるもの。
【通釈】
「正容体」ばかりで「顔色」の吟味がないと、人形と同じことになる。人は顔色をよくするというのでよい。弁を付けて言うとすれば、真陸にさえなれば顔色は斉うという様なもの。顔色を斉えると言っても特別な仕方はない。心が真陸になっていれば顔色は斉う。心をその場に置くと顔色もその場にある。これは大切なことだと言うと、直ぐに顔色が大切な顔色になる。これを覚えなければならないと言うと覚える顔色になる。気が薄々しいと、人の所へ行き御愁傷と悔みを言っても、浮付いた顔で悔みらしい顔色ではない。「辞令」は口上のこと。孟子には辞命とあり、命と令は同じこと。口上というものは現れたもの。私心に如在はないと言っても、口上で言うところが悪くてはうまく行かない。それは、人間の言うべき様を言うこと。
【語釈】
・まんろく…真陸。たいらかなこと。また、公平なこと。十分なこと。また、完全なこと。
・孟子には辞命…孟子公孫丑章句上2。「宰我・子貢善爲説辭。冉牛・閔子・顏淵善言德行。孔子兼之、曰、我於辭命、則不能也。然則夫子既聖矣乎」。

○順辞令は評定所へ出るやふなもの。心に如在はない迚も、云ことかわるけれはぢきにそのぶんにさしをかれぬことそ。孔門に言語には宰我子貢と云も、たた語音かよひの弁舌かよいのと云てなく、辞令を順にしたもの。たたへら々々と口をきくを言語とは云はれぬ。使於四方不耻君命と云も辞令か順なり。古天子の太夫が大名へ使者にゆき、大名か他国へ使者をやるとき、於旅語ると云。向の国へ行き咄をするて德のあると德のないかしれる。それか正容体斉顔色順辞令のあらはれたもの。そのあらはれる処か道理に合て出る。そこを威儀之則と云。やっはり心術之要の通りに出ることなり。
【解説】
心に如在はないと言っても、言うことが悪ければ直ぐにそのまま放っては置けない。しかし、言語は口が上手いということではない。道理の通りに言うのである。
【通釈】
「順辞令」は評定所へ出る様なもの。心に如在はないと言っても、言うことが悪ければ直ぐに放っては置かない。孔門で言語には宰我子貢と言うのも、ただ語音がよいとか弁舌がよいということではなく、辞令を順にしたのである。ただへらへらと口を利くのを言語とは言わない。「使於四方不辱君命」も辞令が順なこと。古天子の大夫が大名へ使者に行き、大名が他国へ使者を遣る時、「旅に於て語る」と言う。向こうの国へ行って話をするから、徳があるかないかがわかる。それが正容体・斉顔色・順辞令の現れたもの。その現れる処が道理に合って出る。そこを威儀之則と言う。これがやはり心術之要の通りに出ること。
【語釈】
・孔門に言語には宰我子貢…論語先進2。「子曰、從我於陳蔡者、皆不及門也。德行、顏淵・閔子騫・冉伯牛・仲弓。言語、宰我・子貢。政事、冉有・季路。文學、子游・子夏」。
・使於四方不耻君命…論語子路20。「子貢問曰、何如斯可謂之士矣。子曰、行己有恥。使於四方、不辱君命。可謂士矣」。
於旅語

○礼と云ことになっては至て数多ひことゆへ、此三つか一ちの初にすること。礼と云ことは、孔子は垩人てさへ殷礼吾能言之、宋不足徴也の、問礼於老聃のと云て、垩人さへこのやふに吟味をする。甚た数多ひものなれとも、礼のかしま立はこれからする。人か人の目利をするに、あの人は馬鹿か、あの人は利口かと云か初ての出合てしれる。馬鹿利口は懇になら子はしれそふもなさそふなものなれとも、始ての出合に馬鹿そふたの利口そふたのと云がなんてしれると云に容体顔色辞令でしれる。今度は聟を取りあてたと云も、聟入にくる其日にしれる。偖て此の容体顔色辞令の三つて礼儀のむ子あげはすみ、此の三つかかけては人間のをもぶりてはない。人間の人間たる処はこれなり。禽獣にはとんとこれはない。礼義と云ても君臣父子長幼の三つがぬけては役にたたぬ。これを行ふは礼儀から出る。とかく礼義と云ことを云は子はならぬ。今日親切ごかしをすることを自慢する人かあるか、あれは礼義をやめやふとてのこと。これかないと薬の風を引たやふなもの。礼儀てなけれは行はならぬ。礼義は火事羽織のやふなもの。行は火を消すやふなもの。火事装束かなくては火消には出られぬ。
【解説】
言人爲禮、以此三者爲始」の説明。人は初めての出合いで馬鹿か利口かがわかる。それは、容体・顔色・辞令で知れるのである。また、礼義と言っても君臣・父子・長幼の三つが抜けては役に立たない。礼義は行の道具である。
【通釈】
礼は至って数の多いことなので、この三つを最初にする。礼では、聖人の孔子でさえ「殷礼吾能言之、宋不足徴也」や「問礼於老聃」とあり、この様に吟味をした。礼は甚だ数多いものだが、礼の鹿島立ちはこれからする。人が人の目利きをするのに、あの人は馬鹿か、あの人は利口かというのが初めての出合いでわかる。馬鹿か利口かは懇ろにならなければわからなそうなものだが、初めての出合いで馬鹿な様だ、利口な様だとわかるのは、容体・顔色・辞令で知れるのである。今度はよい婿を取ったと言うのも、婿入りに来るその日にわかるもの。さてこの容体・顔色・辞令の三つで礼儀の棟上は済む。この三つが欠けては人間の面振りではない。人間の人間たる処はこれ。禽獣には全くこれがない。礼義と言っても君臣・父子・長幼の三つが抜けては役に立たない。これを行うのは礼義からする。とかく礼義ということを言わなければならない。今日親切ごかしをすることを自慢する人がいるが、あれは礼義を止めようとしてのこと。これがないのは薬が風を引いた様なもの。礼義でなければ行はできない。礼義は火事羽織の様なもので、行は火を消す様なもの。火事装束がなくては火消には出られない。
【語釈】
・殷礼吾能言之、宋不足徴也…論語八佾9。「子曰、夏禮、吾能言之、杞不足微也。殷禮、吾能言之、宋不足微也。文獻不足故也。足、則吾能微之矣」。
・問礼於老聃…論語序説。「適周、問禮於老子。既反、而弟子益進」。
・かしま立…鹿島立ち。旅行に出で立つこと。門出。出立。

○容体正顔色斉辞令順の三つて君臣父子長幼か出来る。○而後礼義立と云か、礼義と云とめて、さて小笠原てしまわぬことなり。礼義て交ると、そこでこそ人間の成就したと云もの。小笠原を覚るやふなことは云はぬ。親を目八分に見て親の処へ膳をもってでても親は喜はぬ。君へ不忠な心てそこへ太刀折紙をもってても君はよろこはぬ。○君臣正父子親長幼和にしををせた処か礼義立なり。これをしよふとての礼義。これなしに礼義の吟味するは圍棋をしらぬ者の処に圍棋盤のあると同しこと。なんの役に立ぬ。そこて人の人たる処は礼義しゃときめて、礼義と成就すれは人間一疋なり。礼義がなけれは、人間てはあれともちと人間と云字を小声て云は子はならぬ。残念なことなれとも、礼義かないと云なれは、人間と云字を小声て云ことなり。直方先生の打果そふと云ほどなことと云へり。をれを人間でないとはふとときと云はふか、礼義か立ぬとどふやら気の毒なれとも禽獣に似たてはないかへと云。礼義か立たと云なれは人間一疋なり。人か源平藤橘の吟味したかる。武士はなを町人や百姓まで、今こふしているか昔はと云。人間にそれでなくて大切の氏かある。なんなれは礼義か人間の氏なり。礼義か立子は、桓武天皇の子孫と云てもそれは人間とは云はれぬ。さて々々なさけないものしゃ。そんなら人間になるにはとふしたらならふと云に礼義也。礼義と云か威儀之則。威儀之則を吟味すれは礼義か立つ。礼義か立てはちゃき々々々の人間。気の毒なれとも、礼義か立子はををきな声はならぬことそ。
【解説】
「容體正、顔色齊、辭令順、而後禮義備、以正君臣、親父子、和長幼。言三始既備、乃可以求三行也。君臣正、父子親、長幼和、而後禮義立。立猶成也」の説明。礼義がなければ禽獣に近い。威儀之則を吟味すれば礼義が立つ。礼義が立てば人になる。
【通釈】
「容体正、顔色斉、辞令順」の三つで君臣・父子・長幼ができる。「而後礼義立」というのが、礼義と言い止めて、さて小笠原で仕舞わないこと。礼義で交われば、それでこそ人間の成就というもの。小笠原を覚える様なことは言わない。親を目八分に見て親の処へ膳を持って出ても親は喜ばない。君へ不忠な心でそこへ太刀折紙を持って出ても君は喜ばない。「君臣正、父子親、長幼和」とし遂げた処が礼義立である。これをしようとしての礼義。これなしに礼義の吟味をするのは囲碁を知らない者の処に囲碁盤があるのと同じことで、何の役にも立たない。そこで人の人たる処は礼義だと決めて、礼義で成就すれば人間一疋である。礼義がなければ、人間ではあっても一寸人間という字を小声で言わなければならない。残念なことだが、礼義がないというのであれば、人間という字を小声で言うのである。直方先生が、討ち果たそうというほどのことだと言った。俺を人間でないとは不届きだとは言うが、礼義が立たないと、どうも気の毒なことだが禽獣に似ているではないかと言う。礼義が立ったというのであれば人間一疋である。人が源平藤橘の吟味したがる。武士は固より町人や百姓までが、今こうしているが昔はと言う。人間にはそれとは違った大切な氏がある。それは何かというと、礼義が人間の氏である。礼義が立たなければ、桓武天皇の子孫と言っても人間とは言えない。実に情けないものである。それなら人間にはどうすればなれるのかと言うと礼義である。礼義が威儀之則。威儀之則を吟味すれば礼義が立つ。礼義が立てば生粋の人間である。気の毒なことだが、礼義が立たなければ大きな声では言えない。
【語釈】
・太刀折紙…①太刀・馬の進物目録とした折紙。②刀剣の鑑定状とした折紙。金四枚以上の貴重品に発行した。


敬身14
○曲禮曰、毋側聽。嫌探人之私也。側聽、耳屬于垣。毋噭應。毋淫視。毋怠荒。遊毋倨。立毋跛。坐毋箕。寢毋伏。歛髪毋髢。冠毋免。勞毋袒。暑毋褰裳。皆爲其不敬也。噭、號呼之聲也。淫視、流動睇眄也。怠荒、放散身體也。遊、行也。倨、慢也。跛、偏任也。箕謂坐展兩足狀、如箕舌也。伏、覆也。髢、髲也。毋垂餘如髲也。免、去也。祖、露體也。褰、袪也。
【読み】
○曲禮に曰く、側聽[そくてい]すること毋かれ。人の私を探るに嫌なればなり。側聽は、耳を垣に屬くなり。噭應[きょうおう]すること毋かれ。淫視すること毋かれ。怠荒すること毋かれ。遊びて倨ること毋かれ。立ちて跛すること毋かれ。坐して箕すること毋かれ。寢て伏すこと毋かれ。髪を斂めて髢[たい]すること毋かれ。冠して免[ぬ]ぐこと毋かれ。勞すとも袒すること毋かれ。暑くとも裳を褰[かか]ぐること毋かれ。皆其の不敬なるが爲なり。噭は號呼の聲なり。淫視は流動睇眄なり。怠荒は身體を放散するなり。遊は行なり。倨は慢なり。跛は偏任なり。箕は、坐して兩足を展べ狀ち、箕舌の如きを謂うなり。伏は覆なり。髢は髲なり。垂れ餘して髲の如くすること毋かれ。免は去るなり。袒は體を露すなり。褰は袪なり。

○曲禮曰、毋側聽云々。ここに毋と云字かしたたかある。毋と云ほと気のつまりたものはない。学問靣白ものなとと云はちかったこと。どふした因果て吾は学問にかかったそと云てなけれは学問は成就せぬ。箸のあけをろしに毋々と云ことなり。学問は丁と手前の方からなわめにかかるやふなもの。礼義の通りにしよふと思へは毋々と云をこらへ子はならぬ。いつても毋々と云か大切な処なり。脇の方へ首をかたむけてきき耳を立ることを側聽と云。これかひょんな形なり。人の耳と云ものはたたい用のないときはしまってをくものそ。此事を云と其時きくものなれとも、兎角人の云ことを聞たかる。皆それか威儀之則に叶はぬことそ。心術之要と威儀之則はつれ立て弓をひくもの。形か正と心も正しい。表で雪蹈の音かするとなんたなと云。人のことをきこふとせぬものしゃ。耳をまけるな。人の私を聞く気てはあるまいか、まけたと云かそれに似たと毋の字を付るなり。ここらか心術之要ときめすに云か靣白ひ。威儀之則をよくすれは自ら心術はよくなるはつ。そなたの耳をまけるは人の私をさぐるてはあるまいか、それに似たから以後御無用しゃと云のなり。
【解説】
「曲禮曰、毋側聽。嫌探人之私也。側聽、耳屬于垣」の説明。耳を傾けるのは、人の私を聴くのに似たことなので、してはならない。
【通釈】
「曲礼曰、毋側聴云々」。ここに「毋」という字がしたたかある。毋というほど気の詰まったものはない。学問は面白いものなどと言うのは違う。どうした因果で自分は学問に関わったのかと言うのでなければ学問は成就しない。箸の上げ下ろしにも毋々という。学問は丁度自分の方から縄目に掛かる様なもの。礼義の通りにしようと思えば毋々と堪えなければならない。いつも毋々と言うのが大切な処。脇の方へ首を傾けて聞き耳を立てることを「側聴」と言う。これがひょんな形である。そもそも人の耳というものは用のない時はしまって置くもので、事を言った時に聴くものなのだが、とかく人の言うことを聞きたがる。それが皆、威儀之則に叶わないこと。心術之要と威儀之則は連れ立って弓を引くもの。形が正しいと心も正しい。表で雪踏の音がすると何だろうと言う。人のことは聴こうとしないもの。耳を曲げるな。人の私を聴く気でもないだろうが、耳を曲げるというのがそれに似たことなので、そこで毋の字を付けるのである。ここらが心術之要と決めずに言うのが面白い。威儀之則をよくすれば自ずから心術はよくなる筈。貴方が耳を曲げるのは人の私を探る気ではないのか、それに似ているから以後は御無用だと言う。

○噭應は返事のきゃふさんに不相応なこと。唯而不諾の筋とは違ふ。上総なとてかややのふきかへのときかこれなり。屋根やは人情を愛惜してすこし小声て萱を出してくれろと云と、人足か大きな声てそれと云。ををきい声て返辞をすると云か君子のていてはない。噭應なとと云ことは清兵衛や五郎兵衛はしろと云てもすることはならぬ。是は生質なり。生質とて捨ることてはない。しっとりとした人にはこれかないもの。仰山に返辞をするか不敬と云斗りてなく、礼記の注に悖戻とあり、声を大きくすると云か向へあたるもの。中庸てなにもかも恰好がある。不相応な声て返辞をすると、向へあたりてはて仰山なと云。○淫視と云は目のやるまい方へやるなり。わきの方へ目のゆくこと。講釈を聞なからも誰か筆記をするなとみるは目かゆくまい方へ行たのなり。○人の体たは衣服を着てしゃんとしまりてをるもの。そこを取り乱してばっとしてをると云か怠荒なり。威儀がわるくべろりとなりてをる。それをせぬこと。
【解説】
「毋噭應。毋淫視。毋怠荒」の説明。大声を出すのは君子の体ではない。それは不敬ということだけでなく、向こうに当たるもの。また、脇目をせず、衣服をしゃんと着て、締まっていなければならない。
【通釈】
「噭応」は返事が仰山で不相応なことで、「唯而不諾」の筋とは違う。上総などで萱屋の葺き替えの時がこれ。屋根屋が人情を愛惜して少し小声で萱を出してくれと言うと、人足が大きな声でそれと言う。大きい声で返事をするというのが君子の体ではない。噭応などということは、清兵衛や五郎兵衛にはしろと言ってもすることはできない。これは生質である。生質と言っても捨てることではない。しっとりとした人にはこれがないもの。仰山に返事をするのは不敬というだけでなく、礼記の注に悖戻とあり、声を大きくするのは向こうへ当たるもの。中庸で何もかも恰好がある。不相応な声で返事をすると、向こうへ当たって仰山なことだと言われる。「淫視」は、目を遣ってはならない方へ遣ること。脇の方へ目が行くこと。講釈を聞きながらも誰が筆記をするのかなどと見るのは、目が行ってはならない方へ行ったのである。人の体は衣服を着てしゃんと締まっているもの。そこを取り乱して悪くなっているのが「怠荒」である。威儀が悪くべろりとなっている。それをしてはならない。
【語釈】
・唯而不諾…小学内篇明倫15。「禮記曰、父命呼唯而不諾」。
清兵衛
五郎兵衛
礼記の注に悖戻

○遊毋倨は、人のあるきつきに、人を下の目にみて吾一抔にかたをきってあるくと云ことをせぬ。人もなけにあるくと迂斎か云た。軽者の股引をはいてあるくにもこれかある。○毋伏と云はうつむいて子ることて、くったりとそこへ倒れたと云は人か目てもまわしはせぬかと云。人と云ものは寢ると云ことをもってをるゆへ、寢べきすがたがある。○歛髪云々は、あの方にそへがみと云ものかある。周の世から始めてあると事物紀原にもある。髪のつか子やふをそへかみなどのやふにするなと云。是か日本人の耳へは深切にないか、あの方ては人のうんとのみこむことて、誰かにもしれたことなり。なれとも、唐も後世になってはしれぬこととみへてさま々々説もあり、とと髪の結さまなり。今日もあれはをとなしい若ひ者てこさると云は髪の結ひやふてもしれるのなり。そんなこととみれは小学がこちの役に立つ。私なとの上総へこぬすこしまへに、江戸の若ひ者の髪なとと云かあたるとくつれるよふてあったぞ。あたるとくつれるやふな髪の結ひやふては、ひょんな髪の結ひやふなり。そんなことを戒ることなり。髪と云か唐では耳近ひこと。鳶口のやふなまけと云と日本の者の耳に近ひ。冠は邪魔なもの。そこてなんそと云ととってをきたかる。
【解説】
「遊毋倨。立毋跛。坐毋箕。寢毋伏。斂髪毋髢。冠毋免」の説明。人を見下し、肩を切って歩かない。寝る時は寝るべき姿がある。添え髪はしない。冠はしっかりといつも被る。
【通釈】
「遊毋倨」は、人の歩き方のことで、人を下目に見て我侭一杯に肩を切って歩かないこと。人もなげに歩くと迂斎が言った。軽い者が股引を履いて歩くのにもこれがある。「伏」は俯いて寝ることで、ぐったりとそこへ倒れると、人が目でも回したのではないかと言う。人は寝るということを持っているので、寝るべき姿がある。「斂髪云々」。唐には添え髪というものがある。周の世から始まったと事物紀原にもある。髪の束ね様を添え髪などの様にするなと言う。これは日本人の耳へは親切ではないが、唐では人の飲み込み易いことで、誰にもわかること。しかし、唐も後世になってはわからなくなったと見えて様々な説もあるが、つまりは髪の結い様のこと。今日もあれは大人しい若い者だというのは、髪の結い様でも知れるもの。その様なことだと見れば小学がこちらの役に立つ。私などが上総へ来る少し前、江戸の若い者の髪などというのが当たると崩れる様だった。当たると崩れる様な髪の結い様では、ひょんな髪の結い様である。そんなことを戒める。髪と言うのが唐では耳近いこと。鳶口の様な髷と言うと日本の者に耳近い。冠は邪魔なもの。そこで何かというと取って置きたがる。
【語釈】
・事物紀原…中国の類書。宋の高丞撰。

○人の心はうっとりとなる。そこか悪事の本になる。心法の大事と云はこちの行儀をよくせ子はならぬ。行儀をよくせ子は不敬になる。不敬たと怠勝敬也。敬身の一篇はとかく敬勝怠云々をとこ迠もわすれすにみることなり。あの勝負か地獄極楽の界ひ目なり。○倨は慢也は、急度せす、世の中鵜呑と云やふな、人を人くさいとも思はぬ。そふ云人はあるきつき迠かにくくなるそ。をごりあなとりももとひとつことて、漢の高祖か儒者をかるしめて、をれは三尺の劔て天下を治た、なに儒者がいるものかなととて足を洗ひなから挨拶した。傲と慢は付たものなり。じと々々とあるくてない。あるきよふが人を下た目にみるからして、足とりもちこふてくる。○埀餘如髢は、かみにひとつかさりかある。詩經にも鬒髪如雲不屑髢と云ことあり。周の世の風て、このそへかみと云ものを付るとみへる。
【解説】
「勞毋袒。暑毋褰裳。皆爲其不敬也。噭、號呼之聲也。淫視、流動睇眄也。怠荒、放散身體也。遊、行也。倨、慢也。跛、偏任也。箕謂坐展兩足狀、如箕舌也。伏、覆也。髢、髲也。毋垂餘如髲也。免、去也。祖、露體也。褰、袪也」の説明。行儀をよくしなければ不敬となる。不敬だと「怠勝敬」である。
【通釈】
人の心はうっとりとなる。それが悪事の本になる。心法の大事なところはこちらの行儀をよくすること。行儀をよくしなければ不敬になる。不敬だと「怠勝敬」である。敬身の一篇はとかく敬勝怠云々を何処までも忘れずに見ること。あの勝負が地獄極楽の境目である。「倨、慢也」は、はっきりとせず、世の中鵜呑みという様な、人を人臭いとも思わないこと。その様な人は歩き方までが憎くなる。倨るのも慢るのも元は一つ事で、漢の高祖が儒者を軽んじて、俺は三尺の剣で天下を治めた、何、儒者など要るものかなどと言って足を洗いながら挨拶をした。傲と慢は付いたもの。じっくりと歩くのではない。歩き様が人を下目に見るからして、足取りも違って来る。「垂余如髢」。髪に一つ飾りがある。詩経にも「鬒髪如雲不屑鬄」とある。周の世の風で、添え髪というものを付けた様である。
【語釈】
・怠勝敬…小学内篇敬身1の語。
・鬒髪如雲不屑髢…詩経国風鄘君子偕老。「玼兮玼兮、其之翟也。鬒髮如雲、不屑鬄也」


敬身15
○登城不指、城上不呼。爲惑人。將適舍、求毋固。適舍謂行而就人館。固猶常也。求主人物、不可以舊常。恐時或無。將上堂、聲必揚。警内人也。戸外有二屨、言聞則入。言不聞則不入。將入戸視必下。入戸奉扃、視瞻毋回。襌下曰屨。視必下、不舉目而視也。回、迴轉廣有瞻視也。皆不干掩人之私也。扃、關戸之木也。奉扃謂應小啓之以兩手奉戸置扃之處。戸開亦開、戸闔亦闔。不以後來變先。有後入者。闔而勿遂。示不拒人。毋踐屨、履他人之屨爲踐屨。毋踖席。躡他人之席爲踖席。摳衣趨隅。摳、提也。衣、裳也。趨猶向也。隅猶角也。既不踖席、當兩手提裳之前向席之下角、從下而升就己位也。必愼唯諾。唯諾、應對也。不先舉、見問乃應。
【読み】
○城に登りて指ささず、城上に呼ばず。人を惑わす爲なり。將に舍に適かんとすれば、求め固すること毋かれ。舍に適くは、行きて人の館に就くを謂う。固は猶常のごとし。主人の物を求むるに、舊常を以てす可からず。時に或は無からんことを恐る。將に堂に上らんとすれば、聲必ず揚ぐ。内人を警むるなり。戸外に二の屨有りて、言聞ゆれば則ち入る。言聞えざれば則ち入らず。將に戸に入らんとすれば視ること必ず下す。戸に入りて扃[けい]を奉げ、視瞻回らすこと毋かれ。下を襌にするを屨と曰う。視ること必ず下すは、目を舉げて視ざるなり。回は、迴轉して廣く瞻視すること有るなり。皆人の私を干し掩わざるなり。扃は關戸の木なり。扃を奉ぐは、小しく之を啓き、兩手を以て戸の扃を置く處を奉ぐに應うを謂う。戸開けば亦開き、戸闔[と]ずれば亦闔ず。後に來るを以て先を變えず。後に入る者有らん。闔じて遂[と]ぐること勿かれ。人を拒まざるを示す。屨を踐むこと毋かれ、他人の屨を履むを屨を踐むと爲す。席を踖[ふ]むこと毋かれ。他人の席を躡むを席を踖むと爲す。衣を摳げて隅に趨[むか]う。摳は提なり。衣は裳なり。趨は猶向のごとし。隅は猶角のごとし。既に席を踖まざれば、當に兩手にて裳の前を提げて席の下角に向い、下に從いて升りて己の位に就くべし。必ず唯諾を愼む。唯諾は應對なり。先ず舉げず、問われて乃ち應う。

○登城不指云々。城はひろいことばで秦の始皇が萬里長城と云もあり、なんてもたかいことを云。登城と云はわきからみへるほふても云ひ、上に登城とあって、又、下の句て城上と云はよぶことゆへ、あらためて書たとみへる。指はみる方、呼は聞く方なり。田舎なとにはないか、江戸なとて子供か屋根へ登ってわるくすると人にさわがせる。人を迷はすなり。そこて子共かと云てしまふか、大人なとかそんなことかありては馬鹿々々しいことなれとも、ここらてもちょっとなんのかことて騒かせると、はて埒もない人じゃ、思もよらす人をさわかせたなとと云て皆か家へ帰へる。そんなことにみれは小学かこちの受用になる。たた城と正靣にみれは田舎てはないことになる。大工か番木をこしらへてくる。これをたたいてみやふとて、たたくましきときたたくはわるい。撃拆[ひょうしぎ]てもそれなり。たたくましき時たたくと人をさわかせるゆへ、すましきことしゃとなり。
【解説】
「登城不指、城上不呼。爲惑人」の説明。してはならないところでしてはならないことをしない。それをすれば人を騒がせることになる。
【通釈】
「登城不指云々」。城は広い言葉で、秦の始皇帝の万里の長城というものもあり、何でも高いことを言う。「登城」は脇から見る方でも言い、上に登城とあり、また、下の句の「城上」は呼ぶことについてのことなので、改めて書いたものと見える。「指」は見る方、「呼」は聞く方である。田舎などにはないが、江戸などで子供が屋根へ登り、悪くすると人を騒がせる。人を迷わすのである。そこは子供だからと言って納めるが、大人などにその様なことがあっては馬鹿々々しい。ここらでも一寸何かのことで騒がせると、はて埒もない人だ、思いも寄らず人を騒がせたなどと言って皆が家に帰る。その様に見れば小学がこちらの受用になる。ただ城と正面に見れば田舎ではないことになる。大工が板木を拵えて来る。これを叩いて見ようと言って、叩いてはならない時に叩くのは悪い。拍子木でもそれ。叩くべきでない時に叩くと人を騒がせるから、それをしてはならない。

○適舎云々は、注のしむけか逗留にゆくやふなことて、とっくりとそこに落付、前方こふてあったゆへ、今度もこうと求めぬことなり。古は歴々は別間かあって人を宿した。人の所へ行き、こふしてほしいものしゃとたたいのことを云。偖、此文義は昔こふてあったから今もこふと云は此文義にはよくあたれとも、これは常のことを云なり。とこもかしこも板行てをしたやふに思へとも、そふはならぬものなり。前方しても今ないことかある。それを吾内のやふにしよふはづはない。小用塲のわきには手水鉢かある筈と云。なせないと云。ないうちかある。そのときは遠ひ処迠ゆくかよい。此心得かないとわるい。舘に付とき、これしきなことは遠慮せすともよかろふと云。そこを遠慮する事なり。これくらいなこととて、豆腐の吸物をそば切のあとて必とすると亭主かこまる。田舎ては豆腐もないときかある。葛水をと云。葛のないことかある。凡夫はひょっとする思やりもなく、ばか々々しい子つをふき出す。亭主に大きくこまらせる客の不遠慮斗りて家内大騒きなり。ここらもやはり不竭人之歡の心持なり。
【解説】
「將適舍、求毋固。適舍謂行而就人館。固猶常也。求主人物、不可以舊常。恐時或無」の説明。前はこうだったので、今度もこうだと求めない。また、何もかも板行で押した様に思うのは悪い。違うこともある。
【通釈】
「適舎云々」は、注の仕向けは逗留に行く様なことで、とっくりとそこに落ち着いて、前はこうだったから、今度もこうだと求めないこと。古は歴々には別間があって人を宿した。人の所へ行き、こうして欲しいものだとあらましを言う。さて、この文義は昔こうであったから今もこうと思うということで、それは文義としてよく合ったものだが、これは常のことを言ったもの。何処もかしこも板行で押した様に思っても、そうはならないもの。前にはあっても今はないことがある。それを自分の家の様に振舞う筈はない。小用場の脇には手水鉢がある筈なのに何故ないのだと言う。しかし、ない家もある。その時は遠い処まで行きなさい。この心得がないと悪い。館に着くと、これくらいのことは遠慮しなくてもよいだろうと言う。そこを遠慮するのである。これくらいのことと思って、豆腐の吸物を蕎麦切りの後には必ず出すものだとすれば亭主が困る。田舎では豆腐もない時がある。葛水をと言う。葛のないことがある。凡夫は一寸した思い遣りもなく、馬鹿馬鹿しい熱を吹き出す。亭主を大いに困らせ、客の不遠慮で家内が大騒ぎになる。ここらもやはり「不尽人之歓」の心持である。
【語釈】
・不竭人之歡…小学内篇明倫96。「曲禮曰、君子不盡人之歡、不竭人之忠。以全交也」。

○将上堂云々。今、人の処へ行に先へ人をやり物申ふと云もあり、あの方はすっとゆくとみへる。對坐してをる処へそっと入るはわるい。どふ云しさいのことやらしれぬ。决してはへらぬことなり。戸に入るとき、こちの気の高ぶらぬやふにする。こちの心持のたかふらぬやふに下をみると云か敬なり。○扃は、多田先生か京都の堂、上方にこふ云普請かたかあると云た。○迴轉廣有瞻視は、あちこち見まわさぬことて、敬斎箴にも尊瞻視と云字あり、きろつかは々々々々々とみるはよくない。目玉をくる々々まわしてみる。流動睇盻とは違ふ。あちは目玉をまわすこと。是はみる方を廻轉と云。迂斎のなににか咄に脇から使の来たとき、あまり方々をみるからあやしいやつと思て其後きいたれは盗人てあったと云。なるほと盗人なとはそふてあろふ。人の内へ行き、きろ々々見るべきことはないはつなり。○不干掩人之私は、見るに掩と云は、向てみせまいとするをそっとみるゆへ掩と云。○奉扃云々。三宅先生の片手では子ぬことと云た。片手てもゆくものとみへるか、そんなことをせぬ。
【解説】
「將上堂、聲必揚。警内人也。戸外有二屨、言聞則入。言不聞則不入。將入戸視必下。入戸奉扃、視瞻毋回。襌下曰屨。視必下、不舉目而視也。回、迴轉廣有瞻視也。皆不干掩人之私也。扃、關戸之木也。奉扃謂應小啓之以兩手奉戸置扃之處」の説明。対座している中に入って行くのは悪い。戸に入る時は気が高ぶらない様に下を見る。室に入って方々を見るのは悪い。
【通釈】
「将上堂云々」。今、人の処へ行くのに先に人を遣って物申すということもあるが、唐では直接に行くものと見える。対座している処へそっと入るのは悪い。どの様な仔細があるかも知れない。決して入らないこと。戸に入る時は、こちらの気が高ぶらない様にする。こちらの心持が高ぶらない様に下を見るというのが敬である。「扃」は、多田先生が京都の堂など、上方にこの様な普請の仕方があると言った。「廻転広有瞻視」は、あちこち見回すことで、敬斎箴にも「尊瞻視」という字があり、ぐるぐると見るのはよくない。目玉をくるくる回して見ることだが、それは流動睇盻とは違う。あちらは目玉を回すことで、これは見る方を廻転すると言う。迂斎の何かの話に、脇から使いの来た時、あまりに方々を見るから怪しい奴だと思ってその後聞くと、盗人だったそうである。なるほど盗人などはそうだろう。人の家に行き、ぎろぎろと見るべきことはない筈。「不干掩人之私」。見るのに掩うと言うのは、向こうで見せない様にしているものをそっと見るので掩うと言う。「奉扃云々」。三宅先生が片手で跳ねないことだと言った。片手でできると見えても、そんなことはしない。
【語釈】
・多田先生…多田蒙斎。名は維則。一名は篤靜。儀八郎と称す。別号は東溪。秋田佐竹氏及び館林松平氏に仕える。京都の人。明和1年(1764)8月26日没。年63。三宅尚斎門下。
・尊瞻視…敬斎箴。出典は、論語堯曰2。「君子正其衣冠、尊其瞻視、儼然人望而畏之、斯不亦威而不猛乎」。
流動睇盻

○戸開亦開云々。茶人か自慢を云はつ、茶人なとかわるいことても亭主のしたことはなをさすそのとをりにしてをく。わきからきて向のものをかへよふはつはない。○亦闔と云此亦の字は、たてる相談になりてたてるときのたてやふに、またあとからもくるゆへ手のはへるほどはあけてをく。茶人の方にみなこれかある。にじりあがりをあがるに一番二番の客が皆はへるやふに開てをく。それをたてきれは、しんばりをかわぬ斗りにしたもの。あとからもくるやふにする。こぬやふにすれはこばむなり。こばまぬやふにしたもの。是等の語、威儀之則にあるは細にゆき届いたこととみるがよい。理は一と処合点すれは何もかもよいはづ。あとから来る者かあると云なれは、今にこの講席の座付まてのしやふか違ふはづなり。跡から来る者のよいやふにすわるを、すわりよふの上手と云。一ち々々小学を守る人もあらふか、なんほ戸をあけかけをいても、あかり口をふさいてをいてはたてたよりわるい。講席て人のすわりやふのよくなるよふにすると云か、すくにここの文義の済んだのなり。前々から講席をつめやふわるさに、後に来たものこまる。
【解説】
「戸開亦開、戸闔亦闔。不以後來變先。有後入者」の説明。戸を閉める時は少し開けて置く。塞ぐと後から来る人を拒むことになる。
【通釈】
「戸開亦開云々」。茶人が自慢を言わず、悪いことでも亭主のしたことは直さずにその通りにして置く。脇から来て向こうのものを変える筈はない。「亦闔」の「亦」の字は、閉める相談になって閉める時の閉め方に、まだ後からも来るので、手が入るほど開けて置く。茶人の方には皆これがある。躙り口を上がるのに一番二番の客が皆入れる様に開けて置く。それを閉め切れば、心張り棒を掛けた様なこととなる。後からも来れる様にする。来ない様にすれば拒むことになる。拒まない様にしたもの。これらの語が威儀之則にあるのは細かに行き届いたことだと見なさい。理は一処を合点すれば何もかもよい筈。後から来る者があるというのであれば、今この講席の座付の仕方までが違う筈。後から来る者のよい様に据わるのを、据わり様が上手だと言う。一つ一つ小学を守る人もあるだろうが、どれほど戸を開け掛けて置いても、上がり口を塞いでは閉めるより悪い。講席で人の据わり様がよくなる様にするというのが、直にここの文義の済んだことになる。前々から講席の詰め方が悪いから、後から来た者が困る。

○ただ詳解をみるやふに、勿遂とは戸をあけかけてをくことと云。それなれは、かなを付て置と誰れもしれること。今は通俗三国志くらいのことはたれもよめるゆへ、假名てもあれは隨分よむことかなるか、それくらいのことてしまふなら講釈はせすともよい。このやふに講席の坐付のしやふ迠にみれは威儀之則か今日の役に立つ。○毋踖席は、此前に一席四人とあれは、四人つめなものて吾も人もをる。そのとき人の席をふむことをせぬ。○摳衣云々は上と連綿にみるかよい。他人の席をふむはわるいと云。そんならとふするかよいと云に、吾か席にのほるとき、摳衣趨隅て、すみの方へすわる。○必愼唯諾は、あいさつのしよふに気を付ること。成程唯諾なとのでてあると云か大事なこと。咄がしみれはそふはないか、すわりてここてもの云かわるいと言語同断。唯諾か、敬む処のきっかけが大事。あともさきもなく客の方から云は礼てなし。そこて愼唯諾、此語を出す。
【解説】
「闔而勿遂。示不拒人。毋踐屨、履他人之屨爲踐屨。毋踖席。躡他人之席爲踖席。摳衣趨隅。摳、提也。衣、裳也。趨猶向也。隅猶角也。既不踖席、當兩手提裳之前向席之下角、從下而升就己位也。必愼唯諾。唯諾、應對也。不先舉、見問乃應」の説明。これを講席の座付の仕方のことまでのことと見れば威儀之則が今日の役に立つ。人と同席する際は人の席を踏まない。自分が席に着く時は隅に据わる。客の方から話してはならない。
【通釈】
ただ詳解を見る様に、「勿遂」とは戸を開け掛けて置くことだと言うのであれば、仮名を付けて置けば誰もがわかること。今は通俗三国志くらいのことは誰もが読めるので、仮名でもあれば随分と読むこともできるが、それくらいのことで終えるのなら講釈はしなくてもよい。この様に講席の座付の仕方のことまでのことだと見れば威儀之則が今日の役に立つ。「毋踖席」は、この前に一席四人とあれば、四人詰めなもので、そこに自分も人もいる。その時に人の席を踏まないこと。「摳衣云々」は上と連綿に見なさい。他人の席を踏むのは悪いと言う。それならどうするのがよいかと言えば、自分が席に上る時に「摳衣趨隅」で、隅の方へ据わるのである。「必慎唯諾」は、挨拶の仕方に気を付けること。なるほど唯諾などの出ているのが大事なこと。話が染みればそうではないが、据わってここで物言いが悪いと言語同断。唯諾という敬む処の切っ掛けが大事。後先もなく客の方から言うのは礼ではない。そこで慎唯諾と、この語を出す。
【語釈】
・此前に一席四人…小学内篇明倫7。「坐不中席。一席四人、席端爲上」。


敬身16
○禮記曰、君子之容舒遲。見所尊者齊遬。謙愨貌。遬猶蹙蹙也。足容重、舉、欲遲也。手容恭、高且正也。目容端、不邪睇而視也。口容止、不妄動也。聲容靜、不噦欬也。頭容直、不傾顧也。氣容肅、似不息者。立容德、德、得也。立則磬折。如人授物與己、己受得之之形也。色容莊。勃如戰色。
【読み】
○禮記に曰く、君子の容は舒遲なり。尊ぶ所の者を見ては齊遬[せいそく]す。謙愨の貌。遬は猶蹙蹙のごとし。足の容は重く、舉るに遲きを欲するなり。手の容は恭しく、高く且つ正しくするなり。目の容は端しく、邪睇して視ざるなり。口の容は止み、妄動せざるなり。聲の容は靜かに、噦欬せざるなり。頭の容は直く、傾顧せざるなり。氣の容は肅み、息せざる者に似る。立つ容は德に、德は得なり。立てば則ち磬折す。人物を授け己に與え、己之を受け得るの形の如くするなり。色の容は莊にす。勃如として戰色あり。

○礼記曰、君子之容云々。容貌のいををよふない処。容を舒遅と云は、容貌と云ものは斉整嚴粛のきっとするか教のつねなり。急度板天神のやふにすることを斉整嚴粛と云。君子のもよふはその斉整嚴粛の急度すると云、かどのとれたを舒遅と云。これらは及はれぬこと。荘と云ふ行儀のよいか教なれとも、君子を云ゆへ、その行儀のよいか手にいりて云ををよふもなくゆるやかにのんびりとしたていのことなり。書体ても、字書の楷正をしらぬ内に丸く書てもつかまへとのないやふになる。初手は字書を吟味して、それからふっくりとなる。居合腰と云やふなことてなく、君子の体はのっしりとしたこと。大学に体胖と云もこんなていなことなり。そのやふにゆるやかゆへ、いつもゆるやかかと云にそふてはない。向から尊ひ人がくると彼の舒遲のゆるやかなにっとりとした容がしまりてちじんてくる。公家衆の蹴鞠塲に居るやふなていて、向から歴々衆かこさるとしゃんと容かしまりてくる。あれか斉遬の摸様なり。遬は寛大の裏て、しまることとみるかよい。○謙愨貌は、此てををよふにのっしりとしたと云はわるい。ぢり々々とちぢむていなり。歴々の前へ出てはををやふにあるくと云か無礼になる。それゆへ毎々もありた通り、貴人の前てはすか々々とあるかぬか敬になると云かこれなり。今迠の舒遲とちがい、ぢりっとなったことなり。これから一ヶ條つつみせたもの。
【解説】
「禮記曰、君子之容舒遲。見所尊者齊遬。謙愨貌。遬猶蹙蹙也」の説明。君子の模様は斉整厳粛のきっとしたものだが、それがあって、廉が取れたのを舒遅と言う。しかし、尊い人が来る時は容が締まって縮む。それが「斉遬」の模様である。
【通釈】
「礼記曰、君子之容云々」。容貌の言い様のない処。「容舒遅」とは、容貌というものは斉整厳粛できっとするのが教えの常である。きっと板天神の様にすることを斉整厳粛と言う。君子の模様は斉整厳粛のきっとしたものだが、その廉が取れたのを舒遅と言う。これらは及ぶことのできないこと。荘という行儀のよいのが教えだが、君子を言うので、その行儀のよいのが手に入って言い様もなく緩やかにのんびりとした体である。書体でも、字書の楷正を知らない内に丸く書くと捉まえどころのない様になる。初手は字書を吟味して、それからふっくりとなる。居合腰という様なことではなく、君子の体はのっしりとしたもの。大学で体胖と言うのもこんな体である。その様に緩やかなので、いつも緩やかなのかというとそうではない。向こうから尊い人が来ると、かの舒遅の緩やかなにっとりとした容が締まって縮んで来る。それは公家衆の蹴鞠場にいる様な体で、向こうから歴々衆が来られるとしゃんと容が締まって来る。あれが「斉遬」の模様である。遬は寛大の裏で、締まることと見なさい。「謙愨貌」は、これで大様にのっしりとするというのは悪い。じりじりと縮む体である。歴々の前へ出ては大様に歩くと無礼になる。そこで毎々あった通り、貴人の前ではずかずかと歩かないのが敬になると言うのがこれ。今までの舒遅とは違い、縮む。これからは一箇条ずつを見せたもの。
【語釈】
板天神
・体胖…大学章句6。「富潤屋、德潤身。心廣體胖。故君子必誠其意」。

○足容重の重と云字は地をたやすくはなれぬこと。しっとり々々々々とあるく。なにしらぬかるい者でからか、町の手代ても帳を付るやふな者は飛てあるくやふなことはせぬか、前髪のある奴穉は使なとにあるくに中を飛てあるく。足容重なとと云か人に備りたなりて、これか付けもったいをするてはないか、容貌も気分につれるものなり。德は厚重だが、足はひこすかすると云ことはない。のっしり々々々々と歩むと云か足歩の本体なり。牛なとの車を引てあるくか此体ぞ。そこて牛かつまついてころんたと云ことはない。馬は折節つまつくこともある。○目容端は目の一方へ端正なことなり。脇を見ると云か皆心ざまのわるいのぞ。○口容止は、口もとか口上を云はぬときは繪に書たやふてをるはつ。茶臼は引ぬときはしっとしてをる。口をきかぬ時はしゃんとしてをると云か体用なり。人の咄を聞て口かむつ々々すると云は止てない。云ことの来らぬ内は云はぬことなり。
【解説】
「足容重、舉、欲遲也。手容恭、高且正也。目容端、不邪睇而視也。口容止、不妄動也」の説明。足は本来のっしりと歩くもの。そこで躓かない。目は脇を見ない。脇を見るのは心様が悪いからである。口は言うことのない時はじっとしているもの。
【通釈】
「足容重」の重という字は地を容易く離れないこと。じっとりと歩く。何も知らない軽い者でも、町の手代でも帳を付ける様な者は飛んで歩く様なことはしないが、前髪のある丁稚は使いなどで飛んで歩く。足容重などというのが人に備わった姿で、これが勿体を付けてするのではないが、容貌も気分に連れるもの。徳が厚重で、足はひょこすかするということはない。のっしりと歩むというのが足歩の本体である。牛などが車を引いて歩くのがこの体である。それで、牛が躓いて転ぶということはない。馬は折節躓くこともある。「目容端」は目が一方へ端正なこと。脇を見るというのは皆心様が悪いからである。「口容止」は、口元が口上を言わない時は絵に描いた様にしている筈。茶臼は挽かない時はじっとしている。口を利かない時はしゃんとしているというのが体用である。人の話を聞いて口がむずむずするというのは止ではない。言うことがない時は静かにしているもの。

○声容静は小声て云のてはない。発しやふのしっとりとしたこと。用向次第に声は違ふ筈ぞ。火事塲て下知をするは声は違へとも、静はとこまでもあることて、をとさたのない静てはない。声に根のあること。今日の人のものを云は奪はれてものを云ゆへ、くわさ々々々してしゃくりや咳をせいたてい。此静は語音に根のあることとみるかよい。○頭容直はすこしもまからぬやふにする。首かまかりたと云ては全体かつまらぬ。屏風を立掛たやふて、打見た処か人の体でない。○不傾顧て首をまけて脇の方をみぬこととみへるか、必竟ひつんてをらぬこと。まがらぬこととさへみれはすむ。文按に頭はまっすくにするものしゃと云て、注に不傾顧とあるは功夫字をみせたやふなもの。まっすくにすると云はわきをふりむいて見るやふなことをせぬことしゃと云たのなり。本文は薬をのめと云、注は禁好物を云なり。
【解説】
「聲容靜、不噦欬也。頭容直、不傾顧也」の説明。「声容静」は声に根のあること。「頭容直」は頭を曲げないこと。
【通釈】
「声容静」は小声で言うのではない。その発し方がしっとりとしていること。用向き次第で声は違う筈。火事場で下知をする時の声は違うが、静は何処でもあることで、音沙汰のない静ではない。声に根のあること。今日の人がものを言うのは奪われて言うので、がさがさしてしゃっくりや咳を咳いた体である。この静は語音に根のあることだと見なさい。「頭容直」は少しも曲らない様にする。首が曲れば全体が詰まらない。これは屏風を立て掛けた様で、見た処が人の体でない。「不傾顧」とあるので首を曲げて脇の方を見ないことと見えるが、畢竟歪んでいないこと。曲らないこととさえ見れば済む。文が按ずるに頭は真っ直ぐにするものだと言って、注に不傾顧とあるのは功夫の字を見せた様なものである。真っ直ぐにすると言うのは脇を振り向いて見る様なことをしないことだと言ったのである。本文は薬を飲めと言い、注は禁好物を言ったのである。
【語釈】
・文…林潜斎。初め花澤文二と称す。名は秀直。東金市堀上の人。丸亀藩儒臣。文化14年(1817)5月6日没。年68。稲葉黙斎門下。

○偖て是迠のことか皆つまかへとのあることて、気はつかまへとはないか、偖てこれか大事にあづかることなり。医者の脉をみるに嘘吸をそろへると云か脉をみるの用事。気のせか々々せぬやふにする。似不息者は孔子のことを出してみせた。孔子の御様子か息遣ひをなされぬと云やふてあったと論吾にある。そのやふにすること。息つかいを荒くすると云か新鳥を駕へ入れたやふなもの。○立容德はむっくりとしたてい。德は道德の德て、何てももののてづつになくするていを云。ずっかりとわけもなく立と云は德なていてない。すっと立でなく、立てをるその模様か楽器の磬のよふてあった。是は立つときのなりを合点しよいよふに出してみせたもの。日本はこの注のあるてなを六ヶ敷なれとも、これはこちて云のけぞって立ぬことて、海老の背中をみるやふにしてをって、しゃきばってをらぬこと。前へここんたやふな姿なり。○受得之之形の得は、德は得也の得てはない。心ばへて云た。注、これを句讀かなをしてしゃっきりと立て方正に立ことと云た。君子と云字あるから朱子はかふ注を出した。○荘は急度活てみへるていを荘と云。ぐったりとした顔しゃののほんとした顔じゃのと云は荘てはない。○勃如戦色て、孔子なとかこのやふてありた。心がゆるむと顔もゆるんてみへるもの。あぶなかるやふなかをを勃如戦色と云。
【解説】
「氣容肅、似不息者。立容德、德、得也。立則磬折。如人授物與己、己受得之之形也。色容莊。勃如戰色」の説明。気はせかせかとしない様にする。立つ時は仰け反らない。顔は「荘」でしっかりと活きるもの。心が弛むと顔も弛んで見える。
【通釈】
さて、これまでのことが皆掴まえどころのあること。気は掴まえどころはないが、これが大事に与ること。医者の脈を見るのに呼吸を揃えるというのが脈を見る時の用件である。気がせかせかとしない様にする。「似不息者」は、孔子のことを出して見せたもの。孔子の御様子が息遣いをされない様だったと論語にある。その様にすること。息遣いを荒くするというのが新鳥を籠へ入れた様なもの。「立容徳」はむっくりとした体。徳は道徳の徳で、何でも不器用でなくする体を言う。ずっかりとわけもなく立つというのは徳な体ではない。すっと立つのではなく、立っているその模様が楽器の磬の様だった。これは立つ時の姿を合点し易い様に出して見せたもの。日本ではこの注があることで尚更難解になるが、これはこちらで言う仰け反って立たないことで、海老の背中を見る様に、鯱張って折らないこと。前へ屈んだ様な姿である。「受得之之形」の得は、「徳、得也」の得ではない。心栄えで言う。注ではこれを句読仮名をして、しゃっきりと立って、方正に立つことだと言う。君子という字があるから朱子はこの様に注を出した。「荘」はしっかりと活きて見える体を言う。ぐったりとした顔やのほほんとした顔というのは荘ではない。「勃如戦色」。孔子などがこの様だった。心が弛むと顔も弛んで見えるもの。危ながる様な顔を勃如戦色と言う。
【語釈】
・似不息者…論語郷党4。「屏氣似不息者」。
・磬…吊り下げ、撞木で打ち鳴らす楽器。中国、秦・漢時代には「へ」の字形の板石を用いた。磬折は敬礼の一。立ったままで腰を前方に折り曲げるもの。警屈。


敬身17
○曲禮曰、坐如尸、立如齊。尸者神象。如尸則其莊可知。齊者致其精誠之至。如齊則肅而靜可知。
【読み】
○曲禮に曰く、坐するには尸の如く、立つには齊するが如くす。尸は神の象。尸の如くなれば則ち其の莊を知る可し。齊は其の精誠を致すの至り。齊する如ければ、則ち肅にして靜なることを知る可し。

○曲礼曰、坐如尸云々。平生すわりてをるときのこと。先祖祭に尸と云ものかある。平生不行儀でもををちゃくものてもこのときは殊外つつしむ。なせなれは、吾先祖のかわりになってをると、叔父や吾が親がこちを給仕をすると云をもいことゆへ、其時はいこふ行儀をよくするもの。それを假て来て戒たもの。納戸の炬燵のわきにをるときも尸になったときの通りにしろ。此二つは今は頓とないゆへ耳遠ひか、中国のよいと云は古三代は尸と云かあり、天下に皆斉と云かありた。これがいこふつつしま子はならぬものて、そのときはたれてもよい。そこてそれをつれて来たもの。毎日その通りにしろ、と。そうする合点なれは自然とよい。これらか小笠原てはつつかぬ。行儀か心術と連立子はならぬ。心術の功夫すれは自ら行儀か尸のとをりになる。一念ちらりともうりゃうかをこっても、それをやめにするか斉なり。そのやふにすれはいつてもよいはづぞ。
【解説】
尸は先祖の代わりをする重いことなので、その時は行儀よくするもの。普段からその通りにする。また、雑念が入るのを防ぐのが斉である。この二つを心術の功夫で毎日する。
【通釈】
「曲礼曰、坐如尸云々」。平生据わっている時のこと。先祖祭に尸というものがある。平生不行儀でも横着者でもこの時は殊の外謹む。それは何故かと言うと、自分が先祖の代わりになるのは、叔父や自分の親がこちらの給仕をするという重いことなので、その時は大層行儀をよくするもの。それを借りて来て戒めたもの。納戸の炬燵の脇にいる時も尸になった時の通りにする。この二つは今は全くないので耳遠いが、中国がよいと言うのは、古三代は尸ということがあり、天下には皆斉ということがあった。これが大層謹まなければならないもので、その時は誰もがよい。そこでこれを引いたもの。毎日その通りにしなさいと言った。そうする合点であれば自然とよい。これらが小笠原では続かない。行儀が心術と連れ立たなければならない。心術の功夫をすれば自ずから行儀が尸の時の通りになる。一念にちらりと魍魎が起こっても、それを止めるのが斉である。その様にすればいつでもよい筈。


敬身18
○少儀曰、不窺密、密、隱處也。嫌伺人之私。不旁狎、旁猶妄也。不得妄與人狎習。不道舊故、言知識之過失。不戲色、戲、弄也。言暫變傾爲非常也。毋拔來、毋報往、拔、赴、皆疾也。人來往所之、當有宿漸、不可卒也。毋瀆神、瀆、慢也。毋循枉、前日之不正、不可復遵。毋測未至、測、意度也。毋訾衣服・成器、訾、思也。成猶善也。思此則疾貧。毋身質言語。質、成也。聞疑則傳疑。成之恐有誤。
【読み】
○少儀に曰く、密なるを窺わず、密は隱處なり。人の私を伺うに嫌し。旁[みだ]りに狎れず、旁は猶妄のごとし。妄りに人と狎れ習うを得ざるなり。舊故を道わず、知識の過失を言う。戲色せず、戲は弄なり。暫く變傾の非常を爲すを言うなり。拔き來ること毋かれ、報き往くこと毋かれ、拔、赴は、皆疾なり。人來往して之く所は、當に宿漸有り、卒にす可からざるなり。神を瀆すること毋かれ、瀆は慢なり。枉れるに循うこと毋かれ、前日の不正は、復た遵う可からず。未だ至らざるを測ること毋かれ、測は意度なり。衣服・成器を訾[おも]うこと毋かれ、訾は思なり。成は猶善のごとし。此を思えば則ち貧を疾む。身[みずか]ら言語を質すこと毋かれ。質は成なり。疑を聞かば則ち疑を傳う。之を成さば、誤り有らんことを恐る。

○小儀曰、不窺密云々。此章心術の要へ載りそふなことなり。心術之要と威儀之則は隣合せなものて、裏からもかかりて表からもかかるゆへ、とちらも云こととみへる。心術之要へもいれられれは威儀之則へもいれられる。訾衣服成器戯色のと云字もあれはなり。古の語なれは、此後威儀之則と云篇か小学か出きやふかとて云たてはなけれは、とちへも通することとみへる。そこかなを甘ひ味なり。心術之要と威儀之則は分々に国を隔たことてはない。そこてどちへものりそふな語か載てをるが、どちへも賞味のあることとみるかよい。蜜はあらはてないこと。それを伺はぬことそ。迂斎かそれを、かげをのぞこふとせぬことしゃと云た。なせなれは、こちの心術がそれでは正くない。あれかりきんてをるか、目掛や女房の処にいたをみたいと云は心術がわるい。君子は心の正ひ方からしてものをみる迠がをふよふなもの。
【解説】
「少儀曰、不窺密、密、隱處也。嫌伺人之私」の説明。ここは心術之要に入れてもよさそうなものだが、心術之要と威儀之則は隣合わせで、どちらへも通じるものなのである。君子は顕わでないところを覗かないもの。
【通釈】
「小儀曰、不窺密云々」。この章は心術之要に載りそうなこと。心術之要と威儀之則は隣合わせなもので、裏からも掛かり、表からも掛かる。どちらでも言えることと見える。心術之要へも入れられれば威儀之則へも入れられる。それは、「訾衣服成器戯色」という字もあるからである。古の語であれば、この後に威儀之則という篇が小学にできることだろうとして言ったものではないのだから、どちらへも通じることと見える。そこに尚更甘い味がある。心術之要と威儀之則は別々に国を隔てたことではない。そこでどちらへも載りそうな語が載せてあって、どちらへも賞味のあることだと見なさい。「密」は顕わでないこと。そこを窺ってはならない。迂斎がそれを、陰を覗こうとしないことだと言った。それは何故かと言うと、こちらの心術がそれでは正しくない。あれが力んでいるが、妾や女房の処にいるのを見たいと言うのは心術が悪い。君子は心が正しいので、見ることまでが大様なもの。

私か先年迂斎にかくして鴻池を買ひ、置処かないから書藏の二階の階子の下にかこひをき、のみ口の方へ菅笠をつるして隱してをいたれは、迂斎の土屋殿からか帰て假間てあって、藏へ書物を取に行たが、それをばとを々々見付なんた。それを人の評に、先生は見付てもしらぬ顔をしたと云た。それは役人なとの意そ。君子は心か正しいゆへ、物をさかし出すやふなことはない。正靣にないものはみてこぬ。しってしらぬ顔をするなとと云ことはないこと。迂斎なとはこんなことをみると訶る先生なり。人の私を窺ふ心かないから見付ぬのなり。凡夫はこせ々々とこみづをつくから、君子をみては一と間ぬけたやふなれとも、そこか心術之正と云もの。をれか一目みるとやらぬなとと云は俗知の利口なり。
【解説】
かつて黙斎が内緒で書蔵に酒を隠した時、迂斎はそこへ行っても酒のことを言わなかった。それは、迂斎がものを探したりはしない人だったからである。
【通釈】
私が先年迂斎に隠して鴻池を買い、置き処がないから書蔵の二階の階子の下に囲って置き、呑み口の方へ菅笠を吊るして置くと、迂斎が土屋殿からか帰って仮間であって、蔵へ書物を取りに行ったが、その酒をとうとう見付けなかった。それを人が評して、先生は見付けても知らない顔をしたのだと言った。それは役人などの意である。君子は心が正しいので、物を探し出す様なことはしない。正面にないものは見ない。知って知らない顔をするなどということはない。迂斎などはこんなことを見ると訶る先生である。人の私を窺う心がないから見付けないのである。凡夫はこせこせと小さなことを突くから、君子を見ると一間抜けた様に思うが、そこが心術之正というもの。俺が一目見るとしないなどと言うのは俗知の利口である。
【語釈】
・鴻池…酒の名。
假間
・こみづ…小さいこと。ささいなこと。

○不旁狎は、前の不好狎てすんてをる。これか心術之要と裏合な処なり。わけなしに懇になるそ。人と懇はよいか、みくるしいと云ことあり、いつもの処と人に目を付られるか旁狎なり。○不道旧故は人の昔咄をせぬことそ。人の昔のことと云にはさま々々なわるいこともあり、それをあたまのはげて尤らしい顔をするを、あのをやぢも若ひときは流行羽折を着てと云。さてそふであったかと云。今急度した武士になってをるを、本は武士てはないと云。今あのやふに尤らし井顔をするか、本は大の道落者と云。こんなことを云がえて人にあるものて、决して云ましきことなり。
【解説】
「不旁狎、旁猶妄也。不得妄與人狎習。不道舊故、言知識之過失」の説明。人と懇ろになるのはよいが、わけなしに懇ろになるのは悪い。人の昔話はしない。
【通釈】
「不旁狎」は、前にあった「不好狎」でこれは済む。これが心術之要と裏合わせな処である。わけなしに懇ろになる。人と懇ろになるのはよいが、見苦しいということがあり、いつもの処と人に目を付けられるのが「旁狎」である。「不道旧故」は、人の昔話をしないこと。人の昔のことには様々な悪いこともあり、それで頭の禿げて尤もらしい顔をする者を、あの親父も若い時は流行羽織を着ていたと言う。さてそうだったのかと言う。今しっかりとした武士になっている者を、元は武士ではないと言う。今あの様に尤もらしい顔をしているが、元は大の道楽者だと言う。こんなことを言うのがよく人にあるもので、決して言ってはならないことである。
【語釈】
・不好狎…小学内篇敬身9。「曲禮曰、禮不踰節、不侵侮、不好狎」。

○戯色はひょふきんな生れ付な人にあるもの。餘所へ行き、すい酒を飲せられてくると酸ひ顔をする。このやふなことか軽浮て心術の害になり、をちき、こんな目をしてしかりたと異な顔をしてみせる。女童笑ふそ。さして大義にもあつからぬやふて、威儀之則にはつれたことなり。それは顔を手弄[もてあそひ]にするやふなもの。色と云は人に備りものて、もてあそびにしよふものてはない。○弄の字は、たとへは役人か權を出すまい処へ出すと弄權と云。人はをとけた顔せぬ筈にをとけをするゆへ弄顔と云。不断と顔をかへることを非常と云。小抦くれぬかと云へはべっかっこふと目くり出す。君子はせぬ。
【解説】
「不戲色、戲、弄也。言暫變傾爲非常也」の説明。戯けた顔をするのは顔を弄ぶのである。人は戯けた顔をしないもの。
【通釈】
「戯色」はひょうきんな生まれ付きの人にあるもの。余所へ行き、酸い酒を飲ませられて来ると酸い顔をする。この様なことが軽浮で心術の害になり、伯父貴もこんな目をして叱ったと変な顔をして見せる。それを女童が笑い、大して大義にも与らない様だが、威儀之則には外れたこと。それは顔を弄ぶ様なもの。「色」というのは人に備わったもので、弄ぶものではない。弄の字は、たとえば役人が権を出してはならない処へ出すのを弄権と言う。人は戯けた顔をしない筈のものなのに戯けをするので弄顔と言う。普段とは顔を変えることを「非常」と言う。小柄をくれないかと言えば、あかんべいと目を繰り出す。そんなことは、君子はしない。
【語釈】
・べっかっこふ…べっかんこ。べっかっこう。あかんべい。

○毋拔来云々。先日もこれに似たやうなことあり。人の処へ無性にゆき、無性に来るやふなことをせぬ。人と懇も此頃ならぬ。所謂[いわれ]のあることて往来すへきことなり。祖父の代からの懇と云へは宿漸あるなり。○宿の字は宿儒と書き宿将とも書て、今てないことを云。今の大名にも宿漸がありて、あの家は誰殿の御懇意の由緒と云ことかある。ふいとくるやふなかわるい。我々式の召使も新参者か、毎日々々この方の旦那へくる人かござるが、あれは御親類中ててもこさるかと云。いやあれは去年の湯治塲からの懇意と云。湯治塲て一寸と出合た者か縁者のよふてはよふないことそ。人の交りと云ものは至て懇意と云てからか、大病だの不幸たのと云のあるを脇からもしらせてやると云ほどなを宿漸とみるかよい。元服のことはあれか所へ知らせ子はなるまいの、婚礼を無沙汰にもなるまいのと云くらいなこと。ひょいと見舞に行きてから甚た心安くなったと云は宿漸てない。
【解説】
「毋拔來、毋報往、拔、赴、皆疾也。人來往所之、當有宿漸、不可卒也」の説明。人と無闇に懇ろになるのは悪い。宿漸という、昔から懇ろとする者がいて、それがよい。
【通釈】
「毋抜来云々」。先日もこれに似た様なことがあった。人の処へ無性に行き、無性に来る様なことはしない。人と懇ろにするのもこの頃は悪い。謂われのあることで往来すべきである。祖父の代からの懇ろと言えば「宿漸」がある。宿の字は宿儒とも書き宿将とも書いて、今でないことを言う。今の大名にも宿漸があって、あの家は誰殿の御懇意の由緒ということがある。ふいと来る様なのが悪い。我々の様な召使いでも、新参者が、毎日こちらの旦那のところへ来る人がありますが、あれは御親類仲ででもございますかと言う。いやあれは去年の湯治場からの懇意だと言う。湯治場で一寸出合った者が縁者の様ではよくない。人の交わりというものは至って懇意なものだとは言うが、大病だの不幸だのということがある時、脇からも知らせて遣るというほどな者を宿漸だと見なさい。元服のことはあれの所へ知らせなければならないだろう、婚礼を無沙汰にもできないだろうと言うくらいのことで、ひょいと見舞いに行ってから甚だ心安くなったというのは宿漸ではない。

○毋瀆神は、今の神頼みに行のはさん々々なことなり。神と云ものか根からないてはない。隨分あるが、中々なみやた井ていで鬼神の交はならぬこと。今のはあそこを頼みたらよかろふと滅陀無性に尊ふか、中々鬼神は顔出もするものてはない。凡夫はとかく鬼神に心安立をする。直方先生の、鬼神を叔母様のよふに思ふとなり。ちょっとしたことも頼む々々と云。それを瀆すと云なり。よく々々なことて、生た人ても重ひ人の処へ、此事はとて一寸としたことも相談に行と腹を立つ。復たたわ井もないことを云とて機嫌がわるい。内分てすむことをこれはとて出すゆへ、をれか耳へそんなこと迠入れるかと云。今日の人の鬼神を頼み行と云は鬼神を咄相手にするやふなもの。
【解説】
「毋瀆神、瀆、慢也」の説明。鬼神との交わりは並大抵でできることではないが、人は一寸したことでも神頼みをする。それは神を涜するのである。今の人が鬼神を頼むのは、鬼神を話相手にする様なもの。
【通釈】
「毋涜神」。今の神頼みに行くのは散々なこと。神ということが根からないのではない。随分とはあるが、中々並や大抵で鬼神の交わりはできないこと。今はあそこを頼めばよいだろうと滅多無性に尊ぶが、鬼神は中々顔出しをするものではない。凡夫はとかく鬼神に心安立てをする。直方先生が、鬼神を叔母様の様に思うと言った。一寸したことも頼むと言う。それを「涜」と言う。それはよくよくなことで、生きた人でも、重い人の処へ、この事はと一寸したことまでを相談に行くので腹を立てる。また他愛もないことを言うと言って機嫌が悪くなる。内分で済むことをこれはと言って出すので、俺の耳へそんなことまでを入れるのかと言う。今日の人の鬼神を頼みに行くというのは鬼神を話相手にする様なもの。
【語釈】
・心安立…親しさになれて遠慮のないこと。

○毋循枉は、わるいことのあるはその日きりになをすはつ。一日々々にそふしてをきたかる。左傳に效尤と云ことあり、わるいことをまたその上にま子をする。丁と書きそこなふた繪を手本にするやふなもの。わるい々々々としりなからすると云ことが世間に多くあり。○毋測未至は心術の功夫の至て大事なこと。さしあたる言葉はかり思へたた帰らぬむかし知らぬ行末と云哥あり。またそこへこぬことを思、をれか子共か出来たらはと云。それからしては心術の病てさま々々なことを思ひ、若し火事かあったらはと云て、ないことを思ふ。もとさあたる今の事か閙敷筈。それにまたないこと迠思はどふしたことそ。君子は毎日々々忙しひぞ。このやふながかへらぬむかししらぬ行末を思のそ。測と云は、どふしやふこふしよふと云てはかることが利害から測ると浅見先生の云へり。測る々々と云かををくは利害なり。身勝手をしよふと云。ことのこぬ前まてはかる。
【解説】
「毋循枉、前日之不正、不可復遵。毋測未至、測、意度也」の説明。悪いと知りながらするということが世間には多くある。悪いことがあれば直ぐに直す。また、今の事が忙しい筈だから、未だ至らないことを測るのは悪い。測ることの多くは利害からのもの。
【通釈】
「毋循枉」は、悪いことがあればその日限りで直す筈。それを一日一日とそのままにして置きたがる。左伝に「效尤」とあり、悪いことをまたその上に真似をする。丁度それは書き損なった絵を手本にする様なもの。悪いと知りながらするということが世間には多くある。「毋測未至」は心術の功夫の至って大事なこと。さしあたる言葉ばかり思えただ帰らぬ昔知らぬ行末という歌がある。まだそこへ来ないことを思い、俺に子供ができたらと言う。それから始まって心術の病で様々なことを思い、もし火事があったらと、ないことを思う。本来は沙汰のある今の事が忙しい筈。それなのにまだないことまでを思うのはどうしたことか。君子は毎日が忙しい。この様なことが、帰らぬ昔知らぬ行末を思うということ。「測」は、どうしようこうしようと言って測ること。それは利害から測ると浅見先生が言った。測ることの多くが利害からである。身勝手をしようと言う。事の来ない前まで測る。
【語釈】
・左傳に效尤…春秋左伝に、「尤而效之、罪又甚焉」等、多数ある。
・さしあたる言葉はかり思へたた帰らぬむかし知らぬ行末…良寛。「さしあたるその事ばかり思えただ帰らぬ昔知らぬ行く末」。

○衣服云々。これより上はないとよくしたかること。玩物喪志と云ことあり。人間は物好きのないと云ほとよいことはない。物好きがあると、それから万つのわるいことかわ井て出る。公子荊かこれなり。苟完、なかなか靣白、これてもよいと云て始終なか々々てしまった。先つ假普請てこさる。近年の内にしなをす。ざっとしたのとふのと云は立派にしたいからなり。寒山なともなににかの詩に、絹を買ふてあやをえらふと云たことあり。なんてもこれてよいと云ことを云はす、此縮緬がと立派をする気味になる。司馬温公の衣取蔽寒と云も皆これと一つ功夫にをちることなり。ものずきのないと云はかるいやふなことなれとも、物好のないからして貧を厭はぬ。なせなれは、よいものがほしいと云と、貧乏ては買れぬから貧をいやになる。ものにかまわぬほとよいことはない。某か水戸の伯父などが貧乏て長屋のしきりの壁を芦つてし、よそから手紙のきた、それをはり付てしぶをひいてをいた。それゆへ貧乏を何共思はぬ。結搆をしたがると、結搆をしたいと云に心が付てまわる。朱子の、孔明かあれほとな事業をしたも寡欲からしたとほめられた。孔明はあれほとになりても無別調度とて浪人の時のていなり。管仲かよふになりたいのと云と心術の病になる。貧乏をいとはぬと云か学者の大事なり。
【解説】
「毋訾衣服・成器、訾、思也。成猶善也。思此則疾貧」の説明。物好きでないのがよい。物好きでなければ貧を厭わない。公子荊や孔明などがそれであり、貧乏を厭わないのが学者の大事である。
【通釈】
「衣服云々」。これより上はないほどによくしたがる。玩物喪志ということがある。人間は物好きのないというほどよいことはない。物好きがあると、それから万の悪いことが沸いて出る。公子荊がこれ。「苟完」で、中々面白い、これでもよいと言って、始終中々だった。先ずは仮普請です。近年の内にはし直します。直ぐにどうのこうのと言うのは立派にしたいから。寒山なども何かの詩に、絹を買って綾を選ぶと言ったことがある。なんでもこれでよいとは言わず、この縮緬がと立派をする気味になる。司馬温公の「衣取蔽寒」というのも皆これと同じ功夫に落ちること。物好きでないというのは軽いことの様だが、物好きがないから貧を厭わない。それは何故かと言うと、よいものが欲しいと言えば、貧乏では買えないから貧を嫌になる。ものに構わないほどよいことはない。私の水戸の伯父などが貧乏で長屋の仕切りの壁を葦簀でして、他所から来た手紙を貼り付けて渋を引いて置いた。貧乏を何とも思わない。結構をしたがると、結構をしたいということに心が付いて回る。朱子が、孔明があれほどの事業も寡欲からしたのだと褒められた。孔明はあれほどになっても「無別調度」で浪人の時の体だった。管仲の様になりたいと言うと心術の病になる。貧乏を厭わないのが学者の大事である。
【語釈】
・公子荊…論語子路8。「子謂衞公子荊。善居室。始有、曰、苟合矣。少有、曰、苟完矣。富有、曰、苟美矣」。
絹を買ふてあやをえらふ…寒山。
・衣取蔽寒…小学外篇善行80。「平生衣取蔽寒、食取充腹。亦不敢服垢弊以矯俗干名。但順吾性而已」。
・無別調度…三国志諸葛亮伝。「初、亮自表後主曰、成都有桑八百株、薄田十五頃、子弟衣食、自有餘饒。至於臣在外任、無別調度、隨身衣食、悉仰於官、不別治生、以長尺寸。若臣死之日、不使内有餘帛、外有贏財、以負陛下。及卒、如其所言」。

○毋身質言語は、ものに説を付るとき、吾か罷り出てかたを付るはわるい。心底にをちつかぬことはをくがよい。それをむりにかたを付ると後学を誤ることかある。程子や朱子の俟識者の俟後君子と云。あの歴々てをれがときめてもよさそふなことを、俟後君子なとと云がここをつつしんたもの。朱子の、古書の文義をかたをつけるは義理文勢事證の三つてきめれはきまると云て、さて又俟識者とあるは君子の心術なり。きめるはわるい。徂徠か異説を云は疑から云。己か疑を説に立て古人をわるいにし、辨道辨名を著し、海内を誤ること幼年の時分からの心のたかぶりなり。たかふりかこふすると知かくらむなり。ひとりてきめるは質言語なり。疑則傳疑と云かよい。きめるは心術の病なり。文按に田子方は孔門子夏の弟子にて当時名称せられしか、ついに学問にてたかぶりの心つき、其学なかれて荘周傲物軽世の学に到ると呂東莱き云へり。先生今日評徂徠、最警発多。
【解説】
「毋身質言語。質、成也。聞疑則傳疑。成之恐有誤」の説明。自分が罷り出て片を付けるのは悪い。無理に片を付けると後学を誤ることがある。程子や朱子は「俟識者」や「俟後君子」と言った。徂徠は説を立てて古人を悪いものとした。それは高ぶりからのこと。
【通釈】
「毋身質言語」。ものに説を付ける時に、自分が罷り出て片を付けるのは悪い。心底に落ち着かないことは置いておくのがよい。それを無理に片を付けると後学を誤ることがある。程子や朱子は「俟識者」とか「俟後君子」と言う。あの歴々であれば俺がと決めてもよさそうなものだが、俟後君子などと言うのがここを謹んだもの。朱子が、古書の文義に片を付けるには義理・文勢・事証の三つで決めればよいと言って、さてまた俟識者とあるのが君子の心術である。決めるのは悪い。徂徠が異説を言うのは疑から。自分の疑を説に立てて古人を悪いことにして、弁道や弁名を著した。海内を誤ったのは幼年の時分からの心の高ぶりからのこと。高ぶりが高じると知が眩む。一人で決めるのは「質言語」である。「疑則伝疑」がよい。決めるのは心術の病である。文が按ずるには、田子方は孔門の子夏の弟子で、当時名を称されたが、遂に学問に高ぶりの心が付き、その学は流れて荘周傲物軽世の学に到ると呂東莱が言った。先生の今日の徂徠への評は最も警発の多いののである。
【語釈】
俟識者
俟後君子
義理文勢事証