敬身19
○論語曰、車中不内顧、不疾言、不親指。内顧、回視也。禮曰、顧不過轂。三者皆失容且惑人。
【読み】
○論語に曰く、車中にては内顧せず、疾言せず、親指せず。内顧は回視なり。禮に曰く、顧るに轂を過ぎず、と。三の者は皆容を失い且つ人を惑わす。

十月廿一日
【語釈】
・十月廿一日…寛政元年(1789)10月21日。

○論語曰、車中不内顧云々。威儀之則は兎角心術之要と離れぬやふに合点することなり。威儀之則と心術之要とつり合て行てなけれは役にたたぬ。心ざまがそでなくて威儀之則をよくしよふとすると、もの眞似をするやふになる。此やふなことをよく心得やふことなり。呂東来か偏な方から論吾郷黨の篇はけつってしまふかよいと云た。かたでばかりすることと云ものはをかしいものて、此方か大の不埒て不撤薑食と云ことや短右袂のと云をしてはをかしいことなり。かたでばかり眞似てはなんにもならぬ。そこて東莱のじれて、郷黨の篇をぬくかよかろふと云たてあろふ。胡乱なことを云たてはあるまい。郷黨の篇にある通りのことをして、そこて心術之要と云根のあるを垩賢の学と云。威儀はかりよくしてはこしらへものになる。垩人の威儀之則は最初に心術之要と云を出して、其心術のなりか威儀之則へ出る。此か大事なことなり。此頃聞く、今泉の大身が、なに、をかさわらをけと云た、と。靣白ことそ。心から出ぬことは小笠原と云てしかることなり。心術之要が威儀之則へ出るて垩学の内外てりぬいた処なり。不顧を石原先生は、しりへにかへりみすと読むかよいと云た。読みにくいやふなれともきこへたことなり。
【解説】
「論語曰、車中不内顧」の説明。呂東莱が論語郷党の篇は削ってしまうのがよいと言った。形でばかり真似ても何もならない。心術之要という根があって威儀之則へ出るのが聖学である。「不顧」は後を振り返らないこと。
【通釈】
「論語曰、車中不内顧云々」。威儀之則はとかく心術之要と離れない様に合点すること。威儀之則と心術之要とが釣り合って行なわれるのでなければ役には立たない。心様が悪くて威儀之則をよくしようとすると、物真似をする様になる。この様なことをよく心得なければならない。呂東莱が偏りから論語郷党の篇は削ってしまうのがよいと言った。形でばかりする者は可笑しいもので、自分が大の不埒でありながら、「不撤薑食」や「短右袂」をしては可笑しいもの。形でばかり真似ては何もならない。そこで東莱がじれて、郷党の篇を抜くのがよいだろうと言ったのだろう。郷党は滅多なことを言ったものではないだろう。郷党の篇にある通りのことをして、そこに心術之要という根があるのを聖賢の学と言う。威儀ばかりをよくしては拵え物になる。聖人の威儀之則は最初に心術之要を出して、その心術の通りが威儀之則へ出る。これが大事なこと。この頃聞いたことだが、今泉の大身が、何、小笠原か、止めろと言ったという。それは面白いこと。心から出ないことは小笠原だと言って叱るべきである。心術之要が威儀之則へ出るのが聖学の内外を照り抜いた処。「不顧」を石原先生が、後方に顧みずと読むのがよいと言った。読み難い様だが、それでよくわかる。
【語釈】
・不撤薑食…論語郷党8の語。
・短右袂…論語郷党6。「褻裘長、短右袂」。
・石原先生…野田剛斎。名は德勝。七右衛門と称す。江戸の人。本所石原に住む。明和5年(1768)2月6日没。年79。佐藤直方門下。三宅尚斎にも学ぶ。

○疾の字は矢なとのついとゆく勢ひ書く字で、ものいいのするどくずいと云こと。このやふなことをせぬ。○親と云弁は、永井先生の自分からと云文義しゃと云へり。自分からと云で手づからの気味。此方てゆひをささぬこと。孟子の男女授受不親礼與、此のさきに王后親ら織玄紞も此親の字かある。是を靣を飾るではないか、歴々のことゆへ、後の方なとを餘りきょろつかは見ると云のは德を失ふたと云もの。車に載る人は仲間小者のよふてはない筈なり。車の上の人は道中ても目に立つことぞ。それかめったなことにゆびをさしては、人がなにことそと思ふ。
【解説】
「不疾言、不親指。内顧、回視也。禮曰、顧不過轂。三者皆失容且惑人」の説明。物言いが鋭いのは悪い。自ら指を指さない。歴々は目立つものだから、その様なことをしては徳を失うことになる。
【通釈】
「疾」の字は矢などがついと行く勢いで書く字で、物言いが鋭くずいと出ること。この様なことはしない。「親」は、永井先生が自分からという文義だと言った。自分からと言うので自らの気味となる。自分から指を指さないこと。孟子の「男女授受不親、礼与」や、この先の「王后親織玄紞」にもこの親の字がある。これは面を飾ることではないが、歴々のことなので、後の方などをあまりきょろきょろと見るというのは徳を失うというもの。車に載る人は仲間や小者の様ではない筈。車の上の人は道中でも目立つもの。それが滅多矢鱈に指を指しては、人が何事かと思う。
【語釈】
・永井先生…永井行達。号は淳庵。隱求、三右衛門と称す。江戸の人。元文5年(1740)7月28日没。年52。一名は誠之。佐藤直方門下。
・男女授受不親礼與…孟子離婁章句上17。「淳于髡曰、男女授受不親、禮與。孟子曰、禮也」。
・王后親ら織玄紞…小学内篇稽古43。「王后親織玄紞」。


敬身20
○曲禮曰、凡視上於面則敖、敖、慢也。敖則仰。下於帶則憂、憂則低。傾則姦。側頭旁視、心不正也。
【読み】
○曲禮に曰く、凡そ視ること面より上れば則ち敖り、敖は慢なり。敖れば則ち仰ぐ。帶より下れば則ち憂い、憂えば則ち低る。傾けば則ち姦なり。頭を側だて旁視すれば、心正しからざるなり。

○曲礼曰、凡視云々。人の目つかいと云ものか大事なもの。そこて色品を分けす朱子か尊瞻視と論吾を引て敬斎箴に書てをかれた。とかく目を安すづかいにせぬ。目のゆき次第に見るといこふざまかわるいときに、尊瞻視て目つかいのことはすんてをる。偖て此章はつんと事へ出してかるくみせる章なり。ものを見やふとするかあちなものじゃは、顔から上をみるか、みま井所を視るてもないか、吾を忘れてずををへいな体なり。見下す気もないか、顔より上をみて居れは向を見下たになる。あいつを安くしやふと云てもないか、上をみたと云か傲りたになる。此方て上を視よふ下をみよふのと云存念はないか、上の方をみると、はてををへいづらと云なり。心持に傲かあると吾を忘れて上の方を見るものなり。そんなら至極誤り入て下の方を見るがよいかとするに、それもわるい。とかく何事も恰好と云ものかありて、下を見ると、とふも惣体か気の毒らしくうてたていなり。親の喪を始め、病気てもなんても心の喜びなく、かしけて気の毒そふな顔をして、うなたれてと云か皆これなり。
【解説】
「曲禮曰、凡視上於面則敖、敖、慢也。敖則仰。下於帶則憂、憂則低」の説明。顔から上を見ると傲った様に見える。下を見るとうなだれている様に見える。目使いは「尊瞻視」がよい。
【通釈】
「曲礼曰、凡視云々」。人の目使いというのが大事なもの。そこで色品を分けずに朱子が「尊瞻視」と論語を引いて敬斎箴に書いて置かれた。とかく目を安使いしない。目の行き次第に見ると大層様が悪い時があるが、尊瞻視で目使いのことは済む。さてこの章は事へ出して軽く見せる章である。ものを見ようとするのは難しいもので、顔から上を見るのも、見てはならない所を見るわけでもないが、我を忘れて横柄な体になる。見下す気もないが、顔より上を見ていると向こうを見下すことになる。あいつを安くしようというのでもないが、上を見るというのが傲ったことになる。こちらに上を見よう下を見ようという存念はないが、上の方を見ると、はて大柄面だと言われる。心持に傲りがあると我を忘れて上の方を見るもの。それなら至極誤り入って下の方を見るのがよいかと言えば、それも悪い。とかく何事も恰好というものがあって、下を見ると、どうも総体が気の毒らしくだらりとした体となる。親の喪を始め、病気でも何でも心の喜びなく、悴けて気の毒そうな顔をして、うなだれているというのが皆これ。
【語釈】
・尊瞻視…論語堯曰2。「君子正其衣冠、尊其瞻視、儼然人望而畏之、斯不亦威而不猛乎」。

○傾則姦。脇の方を見ること。脇の方を見ると云ことはないはつのこと。正靣をみると云か目の本体なり。脇を見るは視まい処を見るのそ。さて々々私は何の気なしに脇の方を見ました、姦の字をつけるはと云と、はてさてそなたは横に目はあるまい、横を見れはそこを姦とは云。横を視と云は目つかいの外なり。脇を視ると云か心の正しからぬからのこと。わるいことを見出そふとしてのこと。そんならとふするかよいと云に、傲の憂の姦のと云名の付ぬやふにし、さてここしゃ、ここにわるいことを訶りた斗りてよくする仕方かない。よくするにはとふするがよいと云に、尊瞻視なり。某始に敬斎箴を引は為之故なり。
【解説】
「傾則姦。側頭旁視、心不正也」の説明。人の目は横に付いてはいない。脇を見るのは悪いことを見出そうとしてのことで、それは心が正しくないからする。
【通釈】
「傾則姦」。脇の方を見ること。脇の方を見るということはない筈。正面を見るというのが目の本体である。脇を見るのは、見てはならない処を見ることになる。さてさて私は何の気なしに脇の方を見ました、姦の字を付けるとはと言うと、はてさて貴方の目は横に付いてはいないだろう、横を見るのを姦と言うと答える。横を見るのは目使いの外のこと。脇を見るのは心が正しくないからである。悪いことを見出そうとしてのこと。それならどうするのがよいかと言えば、傲・憂・姦という名が付かない様にして、さてここである、ここは悪いことを訶っただけでよくする仕方がない。よくするにはどうするのがよいかと言えば、尊瞻視である。私が始めに敬斎箴を引いたのはこのためである。


敬身21
○論語曰、孔子於郷黨恂恂如也。似不能言者。恂恂、信實温恭之貌。似不能言者、謙卑遜順、不以賢知先人之意。孔子居郷黨容貌詞氣如此。郷黨尚齒故也。其在宗廟・朝廷便便言。唯謹爾。便便、辨也。宗廟、禮法之所在。朝廷、政事之所出。言可以不明辨。故必詳問而極言之。但謹而不放爾。朝與下大夫言、侃侃如也。與上大夫言、誾誾如也。此君未視朝時也。諸侯上大夫、卿。下大夫、五人。侃侃、剛直也。誾誾、和悦而諍也。
【読み】
○論語に曰く、孔子郷黨に於ては恂恂如たり。言うこと能わざる者に似る。恂恂は信實温恭の貌。言うこと能わざる者に似るは、謙卑遜順、賢知を以て人に先だたざるの意なり。孔子郷黨に居て容貌詞氣此の如し。郷黨は齒を尚ぶ故なり。其れ宗廟・朝廷に在るや便便として言う。唯謹むのみ。便便は辨なり。宗廟は禮法の在る所。朝廷は政事の出る所。言は以て明辨せざる可からず。故に必ず詳問して極めて之を言う。但謹みて放にせざるのみ。朝にして下大夫と言えば、侃侃[かんかん]如たり。上大夫と言えば、誾誾如たり。此れ君未だ朝を視ざる時なり。諸侯の上大夫は卿なり。下大夫は五人なり。侃侃は剛直なり。誾誾は和悦して諍うなり。

○論吾曰、孔子於郷黨云々。手本にすることは礼記にと出したり垩人のと出す。きこへたことなり。礼は道理の恰好を出したもの。垩人は道理の恰好を身にもった人なり。孔子と云へは礼の通りに行た御方。そこて、礼と云も孔子と云もとちもひとつことなり。大きひこと小ひこと、皆何てもかでも道理の通りなり。いつも云、仲尼其大極乎と云かそれなり。今日の人も色々なうわさもあるか、規矩[かね]にならぬ。垩人は五尺のからたか太極故なにもかもよいそ。一在所の老人や親類の懇意なすうきな中のと云ことを郷黨と云。○恂々はつくろいのなく、むっくりとしたこと。つくろいのなくむっくりとして、さて行儀のよいか恂々なり。垩人の様子を一口に云ことゆへ、でまかせには云れぬ。つくろいのなくむっくりとして行儀のよいと云か何の事もないやふなことなれとも、是か垩人てなけれはならぬことなり。○似不能言者はとのやふな模様なれは、村の者の前に居るていをみるに、孔子がづんと御無調法なていて、咄をしてとることのならぬやふなていなり。今口無調法な人か、あれか咄たら靣白かろふか、私か咄てはわかりませぬと云か心底にまかせぬのなり。時に垩人はなにからなにまて行届たことなれとも、郷黨て咄をすることのならぬもののやふでありた。似と云か此章の見処ろなり。本に云ふことかなら子は垩人てはない。云ことのならぬもののよふてありた。これて垩人の上の云ををよふもないことそ。
【解説】
「論語曰、孔子於郷黨恂恂如也。似不能言者」の説明。礼は道理の恰好を出したもので、聖人は道理の恰好を身に持った人である。郷党での孔子は話をするのが無調法な体だった。
【通釈】
「論語曰、孔子於郷党云々」。手本にすることは礼記にと出したり聖人のと出したりする。それは当然なこと。礼は道理の恰好を出したもの。聖人は道理の恰好を身に持った人。孔子は礼の通りに行った御方。そこで、礼と言うのも孔子と言うのもどちらも同じこと。大きいことも小さいことも、皆何もかも道理の通りである。いつも言う、「仲尼其太極乎」がそれ。今日の人も色々な験もあるが、規矩にならない。聖人は五尺の体が太極なので何もかもよい。一在所の老人や親類の懇意な枢機な仲を郷党と言う。「恂恂」は繕いのなく、むっくりとしたこと。繕いのなくむっくりとして、さて行儀のよいのが恂恂である。これが聖人の様子を一口に言ったことで、出任せには言えないこと。繕いのなくむっくりとして行儀のよいというのが何の事もない様なことだが、これが聖人でなければできないもの。「似不能言者」はどの様な模様かと言うと、村の者の前にいる姿を見ると孔子は大層御無調法な体で、話をして取ることができない様である。今口の無調法な人を、あれが話したら面白いだろうが、私には話がわかりませんというのが心底に任せないということ。時に聖人は何から何まで行き届いているが、郷党では話をすることのできない者の様だった。「似」というのがこの章の見処である。本当に言うことができないのであれば聖人ではない。言うことのできない者の様だったということ。これが聖人の上の言い様もないこと。
【語釈】
・仲尼其大極乎…通書集註。孔子下39。「道德高厚、敎化無窮、實與天地參而四時同、其惟孔子乎。道高如天者、陽也。德厚如地者、陰也。敎化無窮如四時者、五行也。孔子其太極乎」。

○信実てつくろいのないこと。○温てむっくりとしたこと。○恭て行儀のよいこと。こんなことか至て大事なことそ。むさと一と口に云ては畏れあることの、又二十尋[はたひろ]ほとに云ては後世へ垩人の模様かしれす。後世は孔子へ御近付になるか第一ゆへ、一と口に云は子は之貌と云に合ぬ。ここを高上になそらへ云と垩人にあはぬ。いつも云、垩人のことは餘のことて譬ては知れぬ。仁のことを云にも、親か子を可愛かるは垩人の仁に似。ここらのこともただのことにはあはせられぬ。御しゅでんなとにつとめてをるをとなしい娘子か宿下りに来て両親の側にをるやふなもの。両親の処へ来たゆへつくろいはない。温和てむっくりとしてをる。つくろいかなく温和ては恭と云字か付られぬか、御しゅてんをつとめてをるゆへ行儀はよ井。御殿勤でも親の前ゆへををへいなかをもせぬ。そのやふなもやふなり。陳恒弑其君、孔子沐浴而朝の、誅少正卯、與聞国政、三月魯国大治と云垩人なり。郷黨ては親旧の御見舞申すと云と、むっくりとしたていてつくろふたこともなく、木地な云に云へぬ塩梅なり。垩人のあの御知惠て、頓とそれを郷黨ては出さぬ。そこか孔子はいこふ御無調法にみへた。
【解説】
恂恂、信實温恭之貌。似不能言者、謙卑遜順、不以賢知先人之意。孔子居郷黨容貌詞氣如此。郷黨尚齒故也」の説明。郷党で「恂恂」と言うのは、信実で繕いのなく、温でむっくりとして、恭で行儀がよい体である。郷党では智恵を出さない。
【通釈】
「恂恂」は、信実で繕いのない、温でむっくりとして、恭で行儀のよいこと。こんなことが至って大事なこと。無造作に一口に言っては畏れあることだが、また、大袈裟に言っては、後世、聖人の模様が知れない。後世は孔子へ御近付きになるのが第一なので、一口に言わなければ「之貌」に合わない。ここを高上に準えて言うと聖人に合わない。いつも言うことだが、聖人のことは他のことでたとえてはわからない。仁のことを言うにも、親が子を可愛がるのは聖人の仁に似る。ここらのこともただのことには合わせられない。ここが、御守殿などに勤めている大人しい娘子が宿下りに来て両親の側にいる様なもの。両親の処へ来たので繕いはない。温和でむっくりとしている。繕いがなく温和では恭という字は付けられないが、御守殿に勤めているので行儀がよい。御殿勤めなので、親の前でも横柄でない。その様な模様である。「陳恒弑其君、孔子沐浴而朝」や、「誅少正卯、与聞国政、三月魯国大治」という聖人である。郷党では親旧が御見舞申すと言うと、むっくりとした体で繕うこともなく、素地で言うに言えない塩梅である。聖人のあの御智恵でありながら、それを郷党では全く出さない。それで、孔子は大層御無調法な人に見えた。
【語釈】
・御しゅでん…御守殿。江戸時代、将軍の娘で、三位以上の大名に嫁したものの敬称。また、その居所。
・陳恒弑其君、孔子沐浴而朝…論語憲問22。「陳成子弑簡公。孔子沐浴而朝」。
・誅少正卯、與聞国政、三月魯国大治…論語序説の語。

垩人の德を龍にたとへてあるもそれなり。龍は薄の葉の露にもひそんてをるものなり。そふかとすると天下を大雨車軸にする。垩人は天と一牧な知惠て、さてなんのこともなく無調法なていなり。学者の人に憎れるは我知惠を鼻に出す。我知惠を鼻に出すなとと云か根のないゆへなり。貧乏者かたま々々金をもつとこりゃ々々々と云。大身は、金があれはあるほとないよふなていなり。丁と垩人の德をつむもそのやふなもやふそ。孔子か郷黨てはこふするものしゃなとと云へは小笠原になるか、そふてはない。たたの若者のやふなり。なせなれは、親類の寄てををはん振舞なとと云ときは、知惠をかりよふのなんのと云ことはない。世の中をしらす眞暗な親仁なとか上坐にをる。孔子もそこに御坐ると、をのしたちは若者しゃ、まっと食ひやれと云。孔子も其時ははい々々と云。これを小学に引て置るるからは、学者も此通にするかよい。なに、叔父てもものを云はせるものてはないと云はわるい。題目を唱へぬと地獄へ落ると云はは、黙止てをるかよい。垩人を手本にすると云ことは及もないことなれとも、こふしてみれは、今夜から覚悟になることなり。垩人か恂々と云ことゆへ、明日親類振舞にはちと云ことをひかへよふと云。そこか小学を我に受用にすると云ものなり。
【解説】
学者が人に憎まれるのは自分の智恵を出すからであり、根がないからである。郷党は智恵を出す処ではない。
【通釈】
聖人の徳を龍にたとえているのもそれ。龍は薄の葉の露にも潜んでいるもの。そうかと思うと天下を大雨車軸にする。聖人は天と一枚な智恵で、さて何のこともなく無調法な体である。学者が人に憎まれるのは自分の智恵を鼻に出すからで、自分の智恵を鼻に出すなどというのは根がないからである。貧乏者が偶々金を持つとこれこれと見せる。大尽は、金があればあるほどない様な体である。丁度聖人が徳を蘊むのもその様な模様である。孔子が郷党ではこうするものだなどと言えば小笠原になるが、そうではない。ただの若者の様である。それは何故かと言うと、親類が寄っての大盤振舞いなどという時は、智恵を借りようの何のということはないもの。世の中を知らず、真っ暗な親父などが上座にいる。孔子がそこにおられると、御前達は若者だ、もっと食いなさいと言われる。孔子もその時ははいはいと言う。これを小学に引いて置かれているからは、学者もこの通りにするのがよい。何、叔父でも物を言わせてなるものかと言うのは悪い。題目を唱えないと地獄へ落ちると言われれば、黙止しているのがよい。聖人を手本にするということは及びもないことだが、こうして見れば、今夜からの覚悟になる。聖人は恂恂というのだから、明日親類振舞いには少々言う事を控えようと思う。そこが小学を自分に受用するというもの。
【語釈】
・車軸…大雨が降ること。また、大雨。

○其在宗廟朝廷云々。ここか其大極乎の処。郷黨てはものを云ことのならぬやふてありたか、便々言也。宗廟朝廷は公辺むきのこと。孔子の宗廟にもなるか、魯の国の宗庿にみるかよいと迂斎か云た。○便々は辞の自由にまわりてわけたつことしゃと浅見先生の云へり。わけのたつてなけれは殿中のていてない。なにか結搆な人なれとも云ことかしれぬと云なれは、御用にたたぬ。さっはりとかた付け心持のよい云よふと云人か今日もあるが、そふ云人はそのかはりになんともない、鵜呑とかかるか、時に孔子の様子か大事々々と念を入れてさっしゃるてい。垩人のことは天地てかたる。天地は二つそろふたもの。片々はない。夏と云あついことかあれは、冬と云さむいものがある。垩人もそれと同しことて、恂々と云ふことかあれは便々と云がある。
【解説】
「其在宗廟・朝廷便便言。唯謹爾」の説明。宗廟や朝廷では便便である。便便は、辞が自由に回ってわけの立つこと。殿中ではわけが立たなければならない。
【通釈】
「其在宗廟朝廷云々」。ここが「其太極乎」の処。郷党ではものを言うことができない様だったが、「便便言」である。宗廟朝廷は公辺向きのこと。ここは孔子の宗廟とも言えるが、魯の国の宗廟のことと見るのがよいと迂斎が言った。便便は、辞が自由に回ってわけの立つことだと浅見先生が言った。わけが立つのでなければ殿中の体ではない。何か結構な人だが、言うことがわからないというのであれば、御用に立たない。さっぱりと片付けて心持のよい言い様の人が今日もいるが、その様な人はその代わりに、何ともない、鵜呑みだと掛かる。逆に、孔子の様子は大事なことだと念を入れておられる体。聖人のことは天地で語る。天地は二つ揃ったもので片々ではない。夏という暑いことがあれば、冬という寒いものがある。聖人もそれと同じことで、恂恂ということがあれは便便ということがある。

○便々はものの筋のわかる方から云字なり。そこて辨也と注す。あの方て料理のことに精辨と云字あり。二汁五菜かすら々々出来れはこれを書く。用向の多ひを義なりにすら々々と云てとる。上から出ることも下役のすることもすらり々々々と出る。なかかわかりてをるゆへこふなり。これを生質にみるはわるい。何ても重ひことは皆宗庿てする。祭のことと斗りとみるはわるい。他国から使者の来たときも大庿てするゆへ、大きくつくってをか子はならぬ。何もかも孔子の様子か皆此通りなり。役人がぐにゃ々々々にことをすると上の政に穴があく。本文に詳問而便々とはないか、あの便々も入大庿毎事問の下地なけれは便々はならぬ。不吟味なれは便々は云れぬなり。我か胸に落ぬをかつもりのことは云はれぬものなり。○詳問て吟味しつめた。そんならうかべだてをするかと云に、なにかあの垩人ゆへあぶなそふに曲をせす、自由自在をすると云ことはない。丁と能書がこばさぬやふなもの。名医の薬をもるもそれなり。名医になるといよ々々丁寧になる。
【解説】
便便、辨也。宗廟、禮法之所在。朝廷、政事之所出。言不可以不明辨。故必詳問而極言之。但謹而不放爾」の説明。ものの筋が分かれるので「便便」である。詳問するからよく筋が分かれる。しかし、言い様は極めて丁寧である。
【通釈】
「便便」はものの筋の分かれる方から言う字である。そこで「弁也」と注した。唐には料理のことに精弁という字がある。二汁五菜がすらすらとできるとこれを書く。多い用向きを義なりにすらすらと言って取る。上から出ることも下役のすることもすらりすらりと出る。中が分かれているのでこうなる。これを生質として見るのは悪い。何でも重いことは皆宗廟でする。これを祭のこととばかりに見るのは悪い。他国から使者が来た時も大廟でするので、大きく作って置かなければならない。何もかも孔子の様子が皆この通りである。役人がぐにゃぐにゃに事をすると上の政に穴が開く。本文には「詳問而便便」とはないが、あの便便も「入大廟毎事問」の下地がなければできない。不吟味であれば便便は言えない。自分の胸に落ちないことは言えないもの。詳問で吟味をし詰めた。それなら思った通りを言うのかと言えば、どうもあの聖人なので、危な気にも曲げなかったり、自由自在をするという様なことはない。丁度それは能書がこぼさない様なもの。名医が薬を盛るのもそれ。名医になるといよいよ丁寧になる。
【語釈】
・入大庿毎事問…論語八佾15。「子入大廟、毎事問。或曰、孰謂、人之子知禮乎。入大廟、毎事問。子聞之、曰、是禮也」。
をかつもり
うかべだて

○朝與下大夫云々。殿中のことをもふ一つ云。孔子と同挌な御方には理なりに云へ。○侃々はずか々々ゆくことしゃと浅見先生申されたなり。理のなりを云ことゆへ、そのもやふてつよくでる。人情めかぬことなり。道理にかんをしたか人情ゆへ、人にはなれることはないか、殿中てはない。人情になると、それは内証の出合なり。殿中は立派なものゆへ理ずりににべもしゃ々々りもなく手強く出たもの。鴬声は根からない。孔子か、御手前より身分の重い歴々の御方には、ものの仰せられやふがこは根か和らかに出る。声根は柔なれとも、理を非に曲ることはない。曲りそふになるをまっすくに云から、それを誾々と云。殿中に四十八鷹か出てをる。君もそこへ出て政事の相談をすることなれとも、また君がそこへ出ぬ、そこての咄し。私のことを云席てはない。上の御用に付たことゆへ誾々侃々の字かきこへた。
【解説】
「朝與下大夫言、侃侃如也。與上大夫言、誾誾如也。此君未視朝時也。諸侯上大夫」の説明。孔子は同格の人に対しては理なりに言うので侃侃だった。目上の人に対しては柔らかな声根で言ったが、理を曲げることはなかった。誾誾である。
【通釈】
「朝与下大夫云々」。殿中のことをもう一つ言う。孔子と同格な御方には理なりに言うので「侃侃」である。侃侃はずかずかと行くことだと浅見先生が申された。理の通りを言うので、その模様で強く出る。これは人情めかないもの。道理に燗をしたのが人情なので、人から離れることではないが、殿中にはこれがない。人情になると、それは内証の出合いとなる。殿中は立派なものなので、理釣りににべもしゃしゃりもなく手強く出る。鴬声は根からない。孔子は、自分より身分の重い歴々へのものの仰せられ様は、声音が和らかに出た。声音は柔らかだが、理を非に曲げることはない。曲りそうになるところを真っ直ぐに言うから、それを「誾誾」と言う。殿中に四十八鷹が出ている。君もそこへ出て政事の相談をするわけだが、まだ君がそこへ出ていないところでの話なので、私を言う席ではない。上の御用に関したことなので、誾誾侃侃の字がよくわかる。
【語釈】
・四十八鷹…それぞれの役の者が打ち揃っていること。

○卿大夫は天子にも大名にもあるか、大名は天子ほとには備らぬ。大名の上太夫、すくに卿のことしゃと云。○上大夫は家老、下大夫は用人と云へはあら々々は此方も似たなり。○和悦云々は、理なりに推してゆくゆへ手強ひ。手弱ひと云はわけのつ井て手弱くなるなり。理のなりに推してゆくと云は、医者の禁好物を云やふなもの。此症には酒はわるいと云ときは剛直に出るものなり。人情は、あの人は酒を飲ぬとぐさとなると云と、そんならちと飲むもよいかと云。そのときは剛直てないものなり。孔子の上に立つ人とものを云ときは、すっかり々々々々と云はす、にこはことして云ことなり。兄や叔兄と云とは違ふ。そこか而と云字て、上へは子かへす。しかしなからと出る。辞はやわらかて爭なり。而と云字てゆすりて云たて孔子のやふすかしれる。誾々の侃々のと云は一と口て孔子の模様をみせたものゆへ、これらか中々大抵な人の云たことてはないとみることそ。垩人の様子を千載の後に仰き見ると云もみなこれ、このやふなことなり。
【解説】
卿。下大夫、五人。侃侃、剛直也。誾誾、和悦而諍也」の説明。侃侃は理の通りにするので剛直である。誾誾は柔らかだが「諍」がある。それで、兄や叔兄に対する時とは違う。
【通釈】
卿大夫は天子にも大名にもあるが、大名は天子ほどには備わってはいない。大名の上大夫は直に卿のことだと言う。上大夫は家老で下大夫は用人と言えば大方は日本でも似たこと。「和悦云々」は、理なりに推して行くので手強い。手弱い時はわけがあって手弱くする。理の通りに推して行くというのは、医者が禁好物を言う様なもの。この症には酒は悪いと言う時は剛直に出る。人情では、あの人は酒を飲まないとぐっさりとなると言えば、それなら少々飲むのもよいかと言う。その時は剛直でないもの。孔子よりも上に立つ人とものを言う時は、ずかずかとは言わず、にこにことして言う。それは兄や叔兄に対するのとは違う。そこが「而」という字で、上へ跳ね返す。しかしながらと出る。辞は柔らかだが「諍」である。而という字で譲って言うので孔子の様子がわかる。誾誾侃侃というのは一口で孔子の模様を見せたものなので、これらが中々大抵な人のことを言ったのではないと見なさい。聖人の様子を千載の後に仰ぎ見ると言うのも皆これ、この様なこと。


敬身22
○孔子食不語、寢不言。答述曰語。自言曰言。聖人存心不他。當食而食、當寢而寢。言語非其時也。或曰、肺爲氣主而聲出焉。寢食則氣窒而不通。語言恐傷之也。亦通。
【読み】
○孔子食うに語らず、寢ぬるに言わず。答え述ぶるを語と曰う。自ら言うを言と曰う。聖人心を存して他ならず。食するに當りて食し、寢ぬるに當りて寢ぬ。言語其の時に非ざればなり。或は曰く、肺は氣の主と爲りて聲出ず。寢食すれば則ち氣窒りて通ぜず。語言すれば之を傷んこと恐る。亦通ず。

○孔子食不語云々。垩人の御心は心か本体のなりなり。心は専一なもの。心の專一なと云か心の本体。いつも心を鑑に譬て云かそれなり。鑑に物の移るは專一なもの。此の移たついでにもふ一つうつそふと云ことは鑑にはない。そのわきへ移らぬことを主一無適と云。それを生れなからしてとった親方は垩人。何ことに限らす垩人の御心は一通りに向て外を兼ることはない。食餌をするときは、心と食餌一牧になってをるゆへ人と咄はならぬ。人の寢るときも人に備たなりなり。起は昼の姿た、寢は夜の姿。起は天地の春夏のやふなもの。寢は秋冬の模様なり。そこて寢てものを云は、冬花のさくやふなもの。冬花をさかせると云ことは天地にはないことそ。
【解説】
「孔子食不語、寢不言」の説明。聖人の心は専一なもので、他を兼ねるということはない。食事をしている時に人と話をしたり、寝ていてものを言ったりすることはない。
【通釈】
「孔子食不語云々」。聖人は心が本体の姿である。心は専一なもの。心が専一であるというのが心の本体。いつも心を鑑にたとえて言うのがそれ。鑑に物が映るのは専一なもの。映った序にもう一つ映そうということは鑑にはない。脇に移らないことを主一無適と言う。それを生まれながらにして取った親方が聖人である。何事に限らず、聖人の御心は一通りに向いて外を兼ねることはない。食事をする時は、心と食事が一枚になっているので人と話すことはならない。人が寝るのも人に備わった姿である。起きているのは昼の姿で寝るのは夜の姿。起は天地の春夏の様なもので、寝は秋冬の模様である。そこで、寝てものを言うのは、冬に花が咲く様なもの。冬に花を咲かせるということは天地にはない。

○答述云々。何事もないときは言語を分けぬか、ここは言語を分け子はならぬ。そこて答述曰語云々。○垩人存心云々。垩人はあるなりに順て云をふと云。今日人は心か專一てないから、なんでもやらずのかさずするゆへ、飯を食て居ても家来に用を云付る。見苦しひていなり。このやふなことか垩人にあろふ筈かない。寢て居て、もふなん時なととは云ぬことなり。時ならぬことかあると人か異なことになる。花はいつもあれとも春が花の盛。それか冬花のさいたやふなもの。凡夫の体は不断時ならぬことをする。○或曰肺爲気主云々。朱子の思召あることとみゆ。医者の云ことをとかくひく。これか学問の手に入たのなり。医者のことは気に付、儒者のことは理についたものなり。其理と気は人の上にもったもので、隣合せなものなり。此前にも太温傷隂気也と医者のことて云。垩人のことを医家のことて云ふ。是は了簡あってのこととみへる。垩人のことは道理て云そふなものなれとも、孔子も人間ゆへ五臓六腑にはかまわぬと云ことはない。孔子も風を引こともあらふ。肺気は声の本内へ入るるものあるに、内から出るとどんちゃんしてわるい。
【解説】
答述曰語。自言曰言。聖人存心不他。當食而食、當寢而寢。言語非其時也。或曰、肺爲氣主而聲出焉。寢食則氣窒而不通。語言恐傷之也。亦通」の説明。答述することを「語」と言い、自らが言うことを「言」と言う。今日の人は心が専一でないから、飯を食っていても家来に用を言い付ける。「或曰肺為気主云々」は医者のことで言ったもので、朱子には了簡があってこれを出した。孔子も人間なのである。
【通釈】
「答述云々」。何事もない時は言と語を分けないが、ここでは言語を分けなければならない。そこで答述曰語云々である。「聖人存心云々」。聖人はある通りに順って言うべき時に言う。今日の人は心が専一でないから、何でも遣らず逃さずにするので、飯を食っていても家来に用を言い付ける。それは見苦しい体である。この様なことが聖人にある筈はない。寝ていて、もう何時かなどとは言わないこと。時ならないことがあると人が変なことになる。花はいつもあるが春が花の盛り。それが冬に花の咲いた様なもの。凡夫の体は普段から時ならないことをする。「或曰肺為気主云々」。これが朱子の思し召しのあることと見える。医者の言うことをとかく引く。これが学問の手に入ったこと。医者のことは気に付き、儒者のことは理に付いたもの。その理と気は人が持っているもので、隣合わせなもの。この前にも「太温傷陰気也」と医者のことで言った。聖人のことを医家のことで言う。ここは了簡があってのことと見える。聖人のことは道理で言いそうなものだが、孔子も人間なので五臓六腑には構わないということはない。孔子も風邪を引くこともあっただろう。「肺気」。肺は本来声を内に入れて置くものなのに、内から出るとどんちゃんして悪い。
【語釈】
・太温傷隂気也…小学内篇立教2。「不用帛爲襦袴。太温傷陰氣也」。


敬身23
○士相見禮曰、與君言言使臣、與大人言言事君、與老者言言使弟子、與幼者言言孝弟于父兄、與衆言言忠信・慈祥、與居官者言言忠信。言使臣者、使臣之禮也。大人、卿大夫也。言事君者、臣事君以忠也。祥、善也。
【読み】
○士相見禮に曰く、君と言えば臣を使うことを言い、大人と言えば君に事うることを言い、老者と言えば弟子を使うことを言い、幼者と言えば父兄に孝弟ならんことを言い、衆と言えば忠信・慈祥を言い、官に居る者と言えば忠信を言う。臣を使うを言うは、臣を使うの禮なり。大人は卿大夫なり。君に事うるを言うは、臣君に事うるに忠を以てするなり。祥は善なり。

○士相見礼曰云々。歴々の出合を書たこと。をりめたかいこと。そこに身体の礼式あるなり。されとも言語がわるくては、行儀斗りよくてもほんのことてな井。礼に昏義の冠義のと云かある。これらも見礼の中の義と見るかよい。歴々の出合か一通てはあるまいはつなり。人足か問屋塲に寄合て咄をしてをる、あのやふなさまてはないはづ。ものの云よふを書てをくか、つまる処用に立つことしゃと迂斎云へり。浅見先生か、辞と云ものをたんだへてみれは無理さへ云は子はよいことなれとも、無理を云はぬと云斗りてなく、よしないことを云筈はないとなり。伊川弟子の刑和叔か、大工か来れは大工の咄し、左官か来れは左官の咄をし、あるべかかりの同じこと斗り云たれは、程子がなぜそのやふに世上ていな同しこと斗り云と云たれは、なにも云ことかないと云へり。そこて程子の、云ことかなくは云ぬかよいとなり。浅見先生か、辞と云ものは由しないことを云かわるい。くづか出ると云た。外篇に口無択言と云かくつのないことなり。修辞立誠と云こともあり、段々云へは、どこでも迂斎の用に立つこと斗り云と云か靣白ひことなり。
【解説】
「士相見禮曰、與君言言使臣、與大人言言事君、與老者言言使弟子、與幼者言言孝弟于父兄」の説明。行儀がよくても言語が悪くてはならない。詰まるところは、用向きがなければ言わないということ。
【通釈】
「士相見礼曰云々」。これは歴々の出合いを書いたもので、折目高いこと。そこには身体の礼式がある。しかし、言語が悪くては、行儀ばかりがよくても本当のことではない。礼には昏義や冠義というものがある。これらも見礼の中の義だと見なさい。歴々の出合いは一通りではない筈で、人足が問屋場に寄り合って話をしている、あの様なことではない筈。ものの言い方を書いて置くのが、詰まる処、用に立つことだと迂斎が言った。浅見先生が、辞というものを探題えて見れば無理さえ言わなければよいということだが、無理を言わないというばかりでなく、由無し事を言う筈ではないと言った。伊川の弟子の刑和叔が、大工が来れば大工の話、左官が来れば左官の話をして、その場その場で同じ様なことばかりを言うので、程子が何故その様に世上風に同じことばかりを言うのかと聞くと、何も言うことがないからだと答えた。そこで程子が、言うことがなければ言わなければよいと言った。浅見先生が、辞というものは由無し事を言うのが悪い。屑が出ると言った。外篇に「口無択言」とあるのが屑のないこと。「修辞立誠」ともあり、段々に言えば、何処でも迂斎の用に立つことばかりを言うというのが面白い。
【語釈】
・刑和叔…邢和叔。邢恕。陽武の人。
・口無択言…小学外篇嘉言6。「龍伯高敦厚周愼口無擇言、謙約節儉、廉公有威」。
・修辞立誠…易経乾卦文言伝。「子曰、君子進德脩業。忠信所以進德也。脩辭立其誠、所以居業也」。

さてここに言へは々々々と字か六つあるか、寢そべりて云やふなことは一つもないと意得るがよい。今日の人の咄は寢そべりて云やふなことを云ゆへろくたまなことは云はぬ。端的なことは病家へ行きて病人の咄をするやふなもの。老者は極老の蓍老と云ことてはない。子や孫をもった人のことを云。四十になる人ても此老かある。それには若ひ物を事ふことを咄す。言々と云が皆ただのから咄はない。今日の咄と云はなんとも浅間なことを云。垩賢の咄は前々にもあるとをり、孝悌忠信の咄をする。これか丁と飯を食やふなもの。そんなことを咄す。是は出来ましたと云ことてはない。いつも々々々孝悌忠信なり。孝悌忠信はしれたことと思て、とかく異なことのみをこのむそ。季桓子も替りたものを土から掘出すと孔子をよびにやる。これはなにときの。孝弟をきこふとせぬ。
【解説】
聖賢は孝悌忠信のことを話す。それは一回限りのことではなく、いつもすることである。
【通釈】
さてここに言という字が六つあるが、寝そべって言う様なことは一つもないと心得なさい。今日の人の話は寝そべって言う様なことばかりで碌なことを言わない。端的、病家に行って病人の話をする様なもの。老者は極老や耆老ということではない。子や孫を持った人のこと。四十になる人でもこの老がいる。それには若い者を使うことを話す。言々というのは皆ただの空話ではない。今日の話は何とも浅間しいことを言う。聖賢の話は前々にもあった通り、孝悌忠信の話をする。これが丁度飯を食う様なもの。そんなことを話す。これはできましたと言うことではない。いつも孝悌忠信である。孝悌忠信は知れたことだと思って、とかく異なことのみを好む。季桓子も変わった物を土から掘り出すと孔子を呼びに遣った。これは何の時のものかと聞くが、孝弟を聞こうとはしない。
【語釈】
・ろくたま…陸たま。碌たま。ろくに。ろくろく。
・季桓子も替りたものを土から掘出す…孔子家語弁物。「季桓子穿井、獲如玉缶、其中有羊焉。使使問孔子曰、吾穿井於費、而於井中得一狗、何也。孔子曰、丘之所聞者、羊也。丘聞之木石之怪夔魍魎、水之怪龍罔象、土之怪羵羊也」。

○與衆言云々。ひろく云ひ、とつなんと云。みかけたことななく云ふこと。目指すことなく咄をするは衆と云ふなり。いつも々々々此御料理か出る。○慈は仁のなり。仁德かあると人をむこいと云ひ、可愛らしいと云ものをもってをる。凡夫は利欲か一はいにふさかりてをるゆへ心強く、むこいこと斗りてくらす。○祥は浅見先生の、意地のわるいことのなく、どく々々しいことのないことと言と云れた。今日の人は人の難儀をなんとも思はすなげやりにしてしまふ。祥は春霞と云やふなときつこふ字なり。風がそよともせす霞立てと云か祥なり。人を追轉してもこちの勝手をすると云ことなとはない。さて、上に忠信慈祥と云ひ、下にたた忠信とある。在官ものは慈祥は入らぬと云ことてはない。誰てもこれをはなれてはならぬか、居官者と云処ては忠信斗り出すは、とかく役人と云ものは誠か第一なり。ここに慈祥と云つれかあると忠信のひひきが甲斐ないゆへ、忠信はかり引秡て云。医家の所謂單法單用なり。たた煎湯の中へ人参と云はすと独参湯てききがよい。外のことを云はす忠信と斗り一味云でききかよいそ。
【解説】
「與衆言言忠信・慈祥、與居官者言言忠信。言使臣者、使臣之禮也。大人、卿大夫也。言事君者、臣事君以忠也。祥、善也」の説明。「衆」は相手を特定しないで言う時に使う。「慈」は仁の姿であり、「祥」は意地悪くなく、毒々しくないこと。衆には忠信慈祥で、官には忠信のみを出したのは、役人というものは忠信が大事だから、それを引き抜いて出したのである。
【通釈】
「与衆言云々」。ここは広く言ったことで、とつなんと言ったこと。見掛けたことではなくて言うこと。目指すことなく話をするのを「衆」と言う。いつもいつもこの御料理が出る。「慈」は仁の姿。仁徳があれば、人を酷いと言い、可愛らしいと言うものを持っている。凡夫は利欲で一杯に塞がっているので心強く、酷いことばかりで暮らす。「祥」は浅見先生が、意地の悪いことのなく、毒々しいことのないことだと言われた。今日の人は人の難儀を何とも思わず、投げ遣りにしてしまう。祥は春霞という様な時に使う字である。風がそよともせずに霞立ってというのが祥である。人を追い転ばしても自分の勝手をするということなどはない。さて、上には忠信慈祥と言い、下にはただ忠信とのみあるが、官に居る者には慈祥は要らないということではない。誰でもこれを離れてはならないが、官に居る者という処で忠信ばかりを出すのは、とかく役人というものは誠が第一だからである。ここに慈祥という連れがあると忠信の響きが甲斐ないので、忠信ばかりを引き抜いて言う。医家の謂う所の単法単用である。煎湯の中に人参と言わなくても独参湯で効きがよい。他のことを言わずに忠信とだけ、一味で言うので効きがよい。
【語釈】
とつなん

文義にはいかかあるや。忠信を引秡て單法に説がききのよいと云は某今日ここを読の寸志なり。忠信斗り云てよのことを云はぬて忠信のさへか違ふ。君の御用をつとめるなとと云は忠信が一ち大事なり。父子は肉をわけ、兄弟は枝を連子たものゆへ親切は出るが、君はいこふ厳重に情意の通せぬものなり。そこて忠信と云ひり々々とするものかないと君臣の間か苟且[けりゃう]になる。まあこふしてをけと云。そこて忠信を一味かんをして飲せ子はならぬ。外篇に處官事如家事とあり、家内のことは忠信なもの。身をつりた方へはでるが兎角上へは出か子るものなり。○使臣之礼の礼の字はたた書た字てはない。論吾の君使臣以礼、臣事君以忠と云孔子の語をあてて書たものなり。
【解説】
忠信だけを言って他のことを言わないことで忠信の冴えが出る。君臣は厳重で情意の通じないものなので、忠信でないと仮令になる。
【通釈】
文義にはどの様にあるのだろうか。忠信を引き抜いて単法に説くと効きがよいと言うのは、私が今日ここを読む際の寸志である。忠信ばかりを言って他のことを言わないので忠信の冴えが違う。君の御用を勤めるなどという時は忠信が最も大事である。父子は肉を分け、兄弟は枝を連らねたものなので親切は出るが、君は大層厳重で情意の通じないものである。そこで忠信というひりひりとするものがないと君臣の間が仮令になる。まあこうして置けと言う。そこで忠信を一味燗をして飲ませなければならない。外篇に「処官事如家事」とあり、家内のことは忠信なもの。身に関した方へは出るが、とかく上へは出かねるもの。「使臣之礼」の礼の字はただ書いた字ではない。論語の「君使臣以礼、臣事君以忠」という孔子の語を当てて書いたもの。
【語釈】
・處官事如家事…小学外篇嘉言29の語。
・君使臣以礼、臣事君以忠…論語八佾19。「定公問、君使臣、臣事君、如之何。孔子對曰、君使臣以禮、臣事君以忠」。


敬身24
○論語曰、席不正不坐。聖人心安於正。故事之小者、不正則不處。
【読み】
○論語に曰く、席正しからざれば坐せず。聖人の心は正しきに安んず。故に事の小なる者も、正しからざれば則ち處らず。

○論吾曰、席不正云々。成程、食不語寢不言か、思へはあああろふ筈なり。さてこれか格段に及ひないと空を見上るやふなことてはなく、今日から眞似てもなることて、いかさまと胸へ響くことなり。かるいことても垩人の御心か同しことそ。云へは取込なときはどふでもよいよふなことなれとも、兎角御気にすまぬ。心術之要と威儀之則かつれ立て、両方から持合せ子はならぬと云かこれなり。しきものがまかりては假にもすわらぬ。なせなれは、御心かまからぬゆへなり。今日の竒麗好の役に立ぬと云かこれそ。様々な欲あり、銭すき金すき好色すき、心はとろまみれてきれいをする。此方の心と根抦つりあはぬ。不断横様たらけて、多葉粉盆をまけてもつとしかる。をかしいことなり。○心安於正と云か、正ひことてなけれは目が子むられぬと云やふなもの。正と云てなけれは落付ぬ。曽子か死にぎはに簀をかへたも目か子むられぬとなり。よくもつもりてみれはとふてもよさそふなことなれとも、夜が夜中ても正くないことはそふしてはをかれぬ。とふもしょふことかない。心術か正と威儀もよくせ子はならぬ。威儀と心術は影と形のやふなもの。垩人の如此なるも、内外のつり合たと云ものなり。
【解説】
聖人は心が曲っていないから、敷物が曲っていれば据わらない。心術之要と威儀之則とが連れ立っているのである。今の綺麗好きは、心は泥まみれなのに外は綺麗にする。それでは内と外とが釣り合わない。
【通釈】
「論語曰、席不正云々」。なるほど、「食不語、寝不言」が、思えばその通りな筈。さてこれが格段に及びそうもないことだと空を見上げる様なことではなく、今日から真似ることもできることで、いかにもと胸に響くこと。これは軽いことだが、聖人の御心がこれと同じ。取り込んでいる時はどうでもよい様なことだが、とかく御気が済まない。心術之要と威儀之則とが連れ立って、両方から持ち合わせるのでなければならないと言うのがこれ。敷物が曲っていては仮にも据わらない。それは何故かと言うと、御心が曲っていないからである。今日の綺麗好きが役に立たないと言うのがこれ。様々な欲があり、銭好き金好き好色好きで、心は泥まみれなのに綺麗をする。それでは自分の心と根から釣り合わない。普段が横様だらけなのに、煙草盆を曲げて持つと叱る。それは可笑しいこと。「心安於正」は、正しいことでなければ目が眠ることができないという様なもの。正でなければ落ち着かない。曾子が死際に簀を易えたのも目が眠られないから。欲が積もればどうでもよさそうなことだが、夜が夜中でも正しくないことはそうしては置けない。それはどうも仕方がないことで、心術が正しいと威儀もよくしなければならない。威儀と心術は影と形の様なもの。聖人がこの様なのも、内外が釣り合っているからである。
【語釈】
・食不語寢不言…小学内篇敬身22の語。
・曽子か死にぎはに簀をかへた…礼記檀弓上。「曾子寢疾。病。樂正子春坐於床下。曾元・曾申、坐於足。童子隅坐而執燭。童子曰、華而睆、大夫之簀與。子春曰、止。曾子聞之、瞿然曰、呼。曰、華而睆、大夫之簀與。曾子曰、然、斯季孫之賜也。我未之能易也。元起易簀。曾元曰、夫子之病革矣。不可以變。幸而至於旦。請敬易之。曾子曰、爾之愛我也不如彼。君子之愛人也以德。細人之愛人也以姑息。吾何求哉。吾得正而斃焉。斯已矣。舉扶而易之。反席未安而沒」。


敬身25
○子見齊衰者、雖狎必變、見冕者與瞽者、雖褻必以貌、齊衰、喪服。冕、各有制。貴者之盛服也。瞽、無目者。狎謂素親狎、褻謂燕見、貌謂禮貌也。哀有喪、尊有爵、矜不成人。凶服者式之、式負版者。式、車前横木。有所敬則俯而憑之。負版、持邦國圖籍者。式此二者、哀有喪、重民數也。周禮、獻民數於王。王拜受之。其重如此。
【読み】
○子、齊衰者を見れば、狎るると雖も必ず變じ、冕者と瞽者とを見れば、褻ると雖も必ず貌を以てし、齊衰は喪服なり。冕は各々制有り。貴者の盛服なり。瞽は目無き者なり。狎は素親しみ狎れるを謂い、褻は燕見を謂い、貌は禮貌を謂うなり。喪に有るを哀しみ、爵有るを尊び、不成人を矜む。凶服者には之に式し、版を負う者に式す。式は車前の横木なり。敬う所有れば則ち俯して之に憑る。版を負うは、邦國の圖籍を持する者なり。此の二の者を式するは、喪有るを哀しみ、民の數を重んずるなり。周禮に、民數を王に獻ず。王拜して之を受く、と。其の重んずること此の如し。

○子見斉衰者云々。懇意な近しひ間ても喪服を着て親の忌中と云になれは、殊外不断の心安とはちかわせることなり。○貌は此方の姿を変へて向を恭ふこと。此方のをりめをかへることなり。○礼貌と云注は孟子て、たたあしら井にせす改める処を礼貌と云。垩人の至誠惻怛からかふなり。垩人の御心の有難はひひきかちこふ。手前の親を大切にするゆへ、人の親の喪にあふたときもはっと思はしゃる。これか小笠原て出来ぬことなり。私共か孫左ェ門か喪あるとて雖褻必以貌と云て、常より改て慇懃をすると却て無礼になる。誠なしにかたてはならぬものそ。皆誠からすると云てなけれはならぬ。迂斎の門人にか喪のある者の処へ手紙をやるには、様と云字をつ子より慇懃にかいてやったと云がありた。誠かあって、さてこのやふにすると云かよいなり。
【解説】
懇意な者でも不幸があれば、容貌を改めて対する。それも誠なしに形でしては悪い。
【通釈】
「子見斉衰者云々」。懇意で近しい間でも喪服を着て親の忌中ということであれば、殊の外普段の心安さとは違わせる。「貌」は自分の姿を変えて向こうを恭うことで、自分の折目を変えること。「礼貌」という注は孟子で、普段のあしらいにせず、改める処を礼貌と言う。聖人の至誠惻怛からこうなる。聖人の御心の有難さは響きが違う。自分の親を大切にするので、人の親の喪に遭った時ははっと思われる。これが小笠原ではできないこと。私共の孫左衛門に喪があるとしても、「雖褻必以貌」と言って、普段より改めて慇懃をすると却って無礼になる。誠なしに形でしては悪い。皆誠からするというのでなければならない。迂斎が喪のある門人の処へ手紙を遣る時に、様という字をいつもより慇懃に書いて遣ったという。誠があって、さてこの様にするのがよい。
【語釈】
・礼貌と云注は孟子…孟子離婁章句下30。「公都子曰、匡章、通國皆稱不孝焉。夫子與之遊、又從而禮貌之。敢問何也」。孟子告子章句下14。「孟子曰、所就三、所去三。迎之致敬以有禮、言將行其言也、則就之。禮貌未衰、言弗行也、則去之」。
孫左ェ門…鵜澤孫右衛門?大網白里町清名幸谷の人。稲葉黙斎門下。

○尊有爵云々。今の尊は向の威を恐れけいはくをするなり。また尊はぬと云になれは歴々をなんとも思はぬ。垩人のはそふてはない。爵か動かぬものて、日月の上にあるやふなものなり。天地自然に上へ出るものかある。知惠も行も尊にたらぬ人なれとも、爵と云ことか重ひことゆへ、なにほと内証の出合ても尊なり。○不成人はさて目暗なり。垩人の御心に目のないものをみるときや々々と思召さるるゆへはら々々と恭ふ。以貌かきついことそ。馬の跡に立って蹈まれそふなは、たれも欠付てそれ馬がと云。座頭なとと云はかるくするものなり。それを恭と云。これはとんと垩人の上の窺かはれぬことぞ。○凶服者云々。上の服は御近付を云、これからはたた見るもののことを云、と。これも浅見先生の弁なり。○式は車に載て通にも會釈をすることなり。孔子の御叮嚀はとふ云わけなれは、御丁寧なはづ。○王拜受之て、百姓と云へはかるい者て、夫役に出て駕篭も長持も負擔ものなれとも、一国の者の名かあるはいこふ重ひことゆへ、天子もこの通りなり。そこて孔子かこふあったはづぞ。
【解説】
「爵」は日月のある様に確かで重いもの。そこで尊ぶ。「不成人」は盲人で、それも矜む。天子は民の数を大事にした。孔子もそれと同様で、人には丁寧だった。
【通釈】
「尊有爵云々」。今の尊は向こうの威を恐れて軽薄をすること。また尊ばないということになれば歴々をも何とも思わない。聖人のはそうではない。爵は確かなもので、日月が上にある様なもの。天地自然に上に出るものがある。智恵も行も尊ぶには足りない人でも、爵ということが重いことなので、どれほど内証の出合いでも尊ぶ。「不成人」は盲人である。聖人の御心は、目の見えない者を見るとはらはらと思し召されるのではらはらと恭う。「以貌」が難しいこと。馬の後に立って踏まれそうになれば、誰もが駆け付けてそれ馬がと言うが、座頭などは軽くするもの。しかし、それを恭と言う。これは実に聖人の上でのことで窺われないこと。「凶服者云々」。上の服は御近付きを言い、これからはただ見た者のことを言う。これも浅見先生の弁である。「式」は車に乗って通るにも会釈をすること。孔子の御丁寧はどういうわけかと言うと、御丁寧な筈なのである。「王拝受之」で、百姓と言えば軽い者で、夫役に出て駕篭も長持も担ぐ者だが、一国の者の名があるのは大層重いことなので、天子もこの通りである。そこで孔子もこの様であった筈である。


敬身26
○禮記曰、若有疾風・迅雷・甚雨、則必變、雖夜必興、衣服冠而坐。敬天之怒。
【読み】
○禮記に曰く、疾風・迅雷・甚雨有るが若きは、則ち必ず變じ、夜と雖も必ず興き、衣服冠して坐す。天の怒を敬む。

○礼記曰、若有疾風云々。迂斎か靣白ことを云はれた。とふも天人一体と云ことをしらぬうちは、なせこんなことを云たやら理會かゆくまいと云へり。親子の一体はしりたゆへ、親の気色のわるいとき、はなうたもうたわぬ。其上を云へは、人間は天地と一体。西銘をこしらへたも、此様な処からひひいて出来たものなり。天人一体か心にのりてをるゆへ、疾風迅雷甚雨か垩賢の御心へひり々々とひひいた。それからこれか礼になりて、天下中の人にこふせよと出たなり。莫大なたたならぬ風を疾風と云。迅雷も、ごろ々々となりて露かあけたと云のてはない。ひしゃ々々々となる、ををがみなりと云のなり。そふ云風やそふ云雷か鳴ると夜るか夜中てもしゃんと起て装束をしかへ、番にでも出るやふに急度なってをる。人のからだは至てちいさけれとも、天地之生人を尊しとすともありて、人は万物の中て上坐をするゆへ、天地へあいさつをする筈。此様な天地の怒のせつでもだまってをれは挨拶をせぬのなり。これをすれは御目見以上の役分が立つなり。
【解説】
人間は天地と一体である。そこで、疾風迅雷甚雨が聖人の心に響く。人は天地に挨拶をしなければならないもの。
【通釈】
「礼記曰、若有疾風云々」。迂斎が面白いことを言われた。どうも天人一体ということを知らない内は、何故こんなことを言うのか合点が行かないだろうと言った。親子が一体なのは知っているので、親の気色が悪い時は鼻歌も歌わない。その上を言えば、人間は天地と一体。西銘もこの様な処から響いてできたもの。天人一体が心に乗っているので、疾風迅雷甚雨が聖賢の御心へひりひりと響いた。それからこれが礼になって、天下中の人にこの様にしなさいと出た。莫大なただならない風を疾風と言う。迅雷も、ごろごろと鳴って露が明けたというものではない。ぴしゃぴしゃと鳴る大雷ということ。その様な風や雷が鳴ると夜が夜中でもしゃんと起きて装束を替え、番にでも出る様にきりっとなっている。人の体は至って小さいものだが、「天地之性、人為貴」ともあり、人は万物の中で上座をする者なので、天地へ挨拶をする筈。この様な天地の怒の際でも黙ってるのは挨拶をしないのである。これをすれば御目見以上の役分が立つ。
【語釈】
・天地之生人を尊しとす…孝経聖治。「子曰、天地之性、人爲貴」。

○敬天之怒は詩經の文字。平生ないことは皆天の怒なり。臆病者か大さわぎをして、それ香を焼と云のるいは何も天人一体をしりたてはない。又、すっほりとした顔をしてをるのも天の子と云ものてはない。俗人はあぢなだてをして此雷て一抔飲ふと云なり。酒もりもやめて、さて甚敷雷と云て顔も改てくるか天への挨拶。敬怒なり。このやふな処の塩梅かよくすめれは、詩經や書經なとに説てあることかすめる。山﨑先生なとの神道に流れさしったと云も、此様な処かあまりすみすきたゆへなり。然れとも、天人唯一と云ことになっては、また別に吟味あることなり。挌致かつまるとすむ。すめは惑はなしと云吟味なり。
【解説】
天の異常には顔を改めるのが天への挨拶である。格致が詰まるとここがわかる。わかれば惑いはない。
【通釈】
「敬天之怒」は詩経の文字。平生にないことは皆天の怒である。臆病者が大騒ぎをして、それ香を焚けと言う類は天人一体を何も知らないからである。また、間の抜けた顔をしているのも天の子というものではない。俗人は妙な伊達をして、この雷で一杯飲もうと言う。酒盛りも止めて、さて甚だしい雷だと言って顔も改めるのが天への挨拶。それが敬怒である。この様な処の塩梅がよく済めば、詩経や書経などに説いてあることが済める。山崎先生などの神道に流れられたというのも、この様な処があまりに済み過ぎたからである。しかし、天人唯一ということになっては、また別に吟味のあること。格致が詰まると済む。済めば惑いはないという吟味である。
【語釈】
・敬天之怒…詩経大雅板。「敬天之怒、無敢戲豫。敬天之渝、無敢馳驅」。
・天人唯一…山崎闇斎が唱えた考え。


敬身27
○論語曰、寢不尸、居不容。尸謂偃臥、似死人也。惰慢之氣不設於身體。雖舒布其四體、而未嘗肆也。居、居家。容、容儀。不容非惰也。但不若奉祭祀見賓客而已。申申夭夭是也。
【読み】
○論語に曰く、寢ぬるに尸せず、居るに容せず。尸は偃臥、死人に似るを謂うなり。惰慢の氣を身體に設けず。其の四體を舒べ布すと雖も、而して未だ嘗て肆にせざるなり。居は居家。容は容儀。容せざるは惰るに非ざるなり。但祭祀に奉じ賓客を見るが若くならざるのみ。申申夭夭、是なり。

○論吾曰、寢不尸云々。○偃は伏すことなり。草上之風必偃と云字もありて、つっふして子ることなり。死人のよふなさまをせぬことそ。浅見先生の、偃臥はあをのけに子ることしゃと云へり。そこて不審に存して某假名本の句読詳解をみたれは、詳解にもあをのけに子るとあるか、これはうつむけなことなり。殊更またあをのけとみることなれは、李退渓の不審を云はづはない。李退渓の疑は文會に載せてあり、某ここにすこし発明あり。浅見先生の筆記は弟子の記彔のあやまりかもしれぬ。李退渓の不審は不審のしそこないなり。死たものかあをのけと云ことはないはつ。路はしの倒れ死もつっふすてみよ。尸は棺へ入れるとき仰臥で、人が入棺させるためにあをのけにする。死た者は偃臥てうつむけゆへ、そこてそのやふな寢様をするななり。これで見れは、孔子はよこにげしなったとみへる。
【解説】
浅見先生が、偃臥は仰向けに寝ることだと言ったが、それはうつ伏せに寝ることである。死んだ者は偃臥で俯きなもの。その様な寝姿をしてはならない。
【通釈】
「論語曰、寝不尸云々」。「偃」は伏すこと。「草上之風必偃」という字もあって、突っ伏して寝ること。死人の様な様はしない。浅見先生が、偃臥は仰向けに寝ることだと言った。そこで、私が不審に思って仮名本の句読詳解を見ると、詳解にも仰向けに寝るとあったが、これはうつ伏せのこと。殊更また仰向けと見るのであれば、李退渓が不審を言う筈はない。李退渓の疑いは文会に載せてあるが、ここに少し私の発明がある。浅見先生の筆記は弟子の記録の誤りかも知れない。李退渓の不審は不審のし損ないである。死んだ者が仰向けということはない筈。路端の倒れ死も突っ伏しているのを見なさい。尸は棺へ入れる時には仰臥だが、人が入棺させるために仰向けにするのである。死んだ者は偃臥で俯きなので、そこで、その様な寝様をするなと言ったのである。これで見れば、孔子は横に寝なさったものと見える。
【語釈】
・草上之風必偃…論語顔淵19。「季康子問政於孔子曰、如殺無道、以就有道、何如。孔子對曰、子爲政、焉用殺。子欲善、而民善矣。君子之德風。小人之德草、草上之風必偃」。
・げしなった…御寝成る。おやすみになる。


敬身28
○子之燕居、申申如也、夭夭如也。燕居、間暇、無事之時。申申、其容舒。夭夭、其色愉。
【読み】
○子の燕居するや、申申如たり、夭夭如たり。燕居は間暇にして無事の時なり。申申は其の容舒ぶ。夭夭は其の色愉わし。

○子之燕居云々。孔子の御顔の様子かうるわしい云ををよふもない顔でをられた。先年直方先生の講習のとき、石原先生か王凝常居慄如也、子弟非公服不見を読ましったれは、直方先生のあんまりしゃと云はれた。垩人の御様子がそのよふにりきんたなりではない。娘子なとかきて爺様々々と云処て、評定所て訟事を折やふな顔てはないはつ。孔子の御様子がのひ々々としてござりた。夭の字を詩経に桃の花てたとへてあるてよくすめた。ひ井らきの葉のよふなは夭々てない。これか垩人は御気か付れす弟子か書たもの。孔子も御門人衆か記彔にされると、それはなにしゃ々々々々と云はっしゃる。かたから孔子はしらっしゃらぬぞ。なにかあの孔子の御弟子衆ゆへ生写を書れた。
【解説】
孔子の顔は伸び伸びとしていた。それを孔子自身は気にもしていなかった。
【通釈】
「子之燕居云々」。孔子の御顔の様子は麗しく言い様もないものだった。先年、直方先生の講習の時に、石原先生が「王凝常居慄如也、子弟非公服不見」を読むと、直方先生があまりなことだと言われた。聖人の御様子はその様に力んだ姿ではない。娘子などが来て爺様という様なものであって、評定所で訟事を裁く様な顔ではない筈。孔子の御様子は伸び伸びとしておられた。夭の字を詩経に桃の花でたとえてあるのでよくわかる。柊の葉の様なものでは夭々ではない。これが聖人は御気が付かれず、弟子が書いたもの。孔子も御門人衆が記録をされると、それは何だと言われる。孔子は少しも知っておられない。何でもあの孔子の御弟子衆のことなので、生き写しを書かれた。
【語釈】
・王凝常居慄如也、子弟非公服不見…小学外篇善行48の語。
・夭の字を詩経に桃の花てたとへてある…詩経国風周南桃夭を指す。


敬身29
○曲禮曰、並坐不横肱、爲害旁人。授立不跪、授坐不立。爲煩尊者俛仰受之。
【読み】
○曲禮に曰く、並び坐するに肱を横たえず、旁人を害する爲なり。立てるに授くるに跪かず、坐せるに授くるに立たず。尊者俛仰して之を受くるを煩わす爲なり。

○曲礼曰、並坐云々。毎々江戸なとてををくみたか、見物や芝居なとて喧嘩かある。あれも人の邪魔になるゆへなり。ちんまりとして、人へあたらぬやふにするかよい。○尊者と云字はないほとにみるかよい。ありなりをだしたとみへる。長幼之序なとにはあるへきことて、威儀之則へは出さぬかよい。
【通釈】
「曲礼曰、並坐云々」。毎々江戸などで多く見たが、見物や芝居などで喧嘩がある。あれも人が邪魔になるからである。ちんまりとして、人に当たらない様にするのがよい。「尊者」という字はないほどに見るのがよい。あるがままを出したものと見える。長幼之序などにはあるべきことだが、威儀之則へは出さない方がよい。


敬身30
○入國不馳、馳、善躪人。入里必式。不誣十室。
【読み】
○國に入りては馳せず、馳すれば善く人を躪む。里に入りては必ず式す。十室を誣いず。

○入国云々。野中なとは勝手次第なれとも、城下の人こみの処てのりをのるやふなことはわるい。馬の欠出すなとと云ことは別して子共なとはあふないものなり。○善躪人の善の字、詩經に女子善思とあって、女と云ものはよくもあんじをするものしゃと云。今善くふる雨と云は、はてよくふる雨と云のなり。えてふむものしゃと云ことなり。○里は両方に門がありてひとかまへゆへ、野原のやふてはないはづ。里はちいさく云ほとがよい。ちいさい村ても、なにここらかと云ことはない。會釈をするか威儀のなりそ。ふみちらして通ると云はわるい。今も村中を、鼻の先を大声てうたをうたふて通ると云ことはない筈。さるによって、喧嘩なともこれて出来ることあるなり。
【解説】
城下に入れば馬を馳せない。人を傷付けない様にする。里に入っては挨拶をする。
【通釈】
「入国云々」。野中などでは勝手次第だが、城下の人込みの中で馬乗りをする様なことは悪い。馬が駆け出すなどというのは、特に子供などには危ないもの。「善躪人」の善の字は、詩経に「女子善懐」ともあり、女というものはよくも案じるものだと言う。今善く降る雨だと言うのは、じつによく降る雨だということ。ここは得て躪[ふ]むものだということ。「里」は両方に門があって一構えなので、野原の様ではない筈。里は小さく言うほどよい。小さい村でも、何、ここらがと言うことはない。会釈をするのが威儀の姿である。踏み散らして通るというのは悪い。今も村中を、鼻の先を大声で歌を歌って通るということはない筈。そこで、喧嘩などもこれから起こることもある。
【語釈】
・女子善思…詩経国風鄘載馳。「陟彼阿丘、言采其虻。女子善懷、亦各有行。許人尤之、衆稚且狂」。


敬身31
○少儀曰、執虚如執盈、入虚如有人。重愼。
【読み】
○少儀に曰く、虚しきを執るには盈つるを執るが如くし、虚しきに入るには人有るが如くす。重く愼む。

○少儀曰、執虚云々。からものをとること。水のない手水鉢をとり、から德利をとる。それをとるにもあるやふなり。江戸なとに明店かありて、それに槇木なとをつんてをく。そこへいるに亭主のある内のよふなり。利口な者かきくと、いかいたわけと云ことなり。いらぬことをするやふなれとも、いらぬよふなことをするか小学の小学たる処。小学は敬の建立することなり。すか々々とするのは歴々ていてない。
【解説】
空のものを扱うのに、ものが入っている時の様にする。小学は敬の建立をするものであって、要らない様なことをするのが小学の小学たる処である。
【通釈】
「少儀曰、執虚云々」。空のものを執ること。水のない手水鉢を取り、空徳利を取る。それを取るのにも中身がある様にする。江戸などに明き店があって、そこに薪などを積んで置く。そこに入るのは亭主のいる家の様にする。利口な者がこれを聞くと大層戯けなことだと思う。要らないことをする様だが、要らない様なことをするのが小学の小学たる処。小学は敬の建立をするもの。ずかずかとするのは歴々の体ではない。


敬身32
○禮記曰、古之君子必佩玉。比德。右徴・角、左宮・羽、玉聲所中。趨以釆薺、釆薺、詩篇名。趨時歌以爲節。行以肆夏。登堂之樂節。周還中規、反行也宜圜。折還中矩。曲行也宜方。進則揖之、退則揚之。然後玉鏘鳴也。揖之謂小俛。揚之謂小仰。鏘、聲貌。故君子在車則聞鸞和之聲、行則鳴佩玉。是以非辟之心無自入也。鸞在衡。和在式。自、由也。以君子恒聞鸞和佩玉之正聲。是以非類邪僻之心無由入也。
【読み】
○禮記に曰く、古の君子は必ず玉を佩ぶ。德に比す。右に徴・角、左に宮・羽、玉聲の中る所なり。趨るに釆薺[さいし]を以てし、釆薺は詩の篇名。趨る時に歌いて以て節を爲す。行くに肆夏を以てす。堂に登るの樂節。周還は規に中り、反り行くや宜しく圜なるべし。折還は矩に中る。曲り行くや宜しく方なるべし。進めば則ち之を揖し、退けば則ち之を揚ぐ。然して後に玉、鏘[しょう]として鳴る。之を揖するは小しく俛くを謂う。之を揚ぐるは小しく仰ぐを謂う。鏘は聲の貌なり。故に君子車に在れば則ち鸞和の聲を聞き、行けば則ち佩玉を鳴らす。是を以て非辟の心自りて入ること無し。鸞は衡に在り。和は式に在り。自は由なり。君子恒に鸞和佩玉の正聲を聞くを以てす。是を以て非類邪僻の心由りて入ること無し。

○礼記曰、古之君子云々。君子の上か不断物好きはない。それゆへ衣取蔽寒と云。又、衣服の制度と云があり、あたまはさらしてもよいか、あたまにも冠と云がある。これか人間を人間にしてとる処なり。その外をすれは紂王か玉抔をこしらへると箕子か諌た。時に古之君か腰に玉を付けさしった。今聞てはなぜだなと云ほとなこと。比德と云点を、浅見先生の德を比すとなをするがよいと云へり。此の点は玉の德にこちを比すと云ことなり。をとなをせは、こちの德をあの玉に比すと云ことになる。人の德は中和の云ををやふもないと云がよい。天地の間にはさま々々万物がある。此玉と云か飢渇ためにもならぬか、諸物にすくれて中和な摸様をもったものなり。ついえなやふなれとも、玉を吟味してこちの德があの德になるやふにする。浅見先生の、右左にかわりはない、右と左を立ませに云たものとなり。そふでもあろふが、ちとはあたりのあることかもしれぬ。堂を降てあるくときはすら々々とはやめてあるくなり。眞西山の衍義に、采薺肆夏は今の詩にないから人がしらぬか、是かやっはり今の詩にある楚次の詩か薺肆にあたり、時邁の詩か肆夏にあたるとあり、すれは今もあることなり。○周還云々。向へ行てこちへもとること。まんまるくあるくなり。馬の輪乘をするやふなことそ。さて他出しても京都や江戸の本町なとは道が立派に溝をみかげ石て包んてある。あのやふな処てまがるとき、丁との処をまかる。如矩にするかよい。平生家をあるくと玉との云合がよい。是か誠に士君子の体なり。のけそりて、そりてありくことなとはあるまいことなり。
【解説】
「禮記曰、古之君子必佩玉。比德。右徴・角、左宮・羽、玉聲所中。趨以釆薺、釆薺、詩篇名。趨時歌以爲節。行以肆夏。登堂之樂節。周還中規、反行也宜圜。折還中矩。曲行也宜方。進則揖之、退則揚之。然後玉鏘鳴也。揖之謂小俛。揚之謂小仰。鏘、聲貌」の説明。君子は玉を腰に付け、自分の徳を絶えずその玉と比していた。
【通釈】
「礼記曰、古之君子云々」。君子の上には普段から物好きはない。それで「衣取蔽寒」と言う。また、衣服の制度というものがあり、頭は曝してもよいが、頭にも冠という物がある。これが人間を人間にして取る処である。その外をするというのは、紂王が玉杯を拵える様なことで、箕子はそれを諌めた。時に古の君は腰に玉を付けておられた。今聞いてはそれは何故だろうと言うほどのこと。「徳に比す」という点を、浅見先生が徳を比すと直すのがよいと言った。ここの点は玉の徳にこちらを比すということ。「を」と直せば、こちらの徳をあの玉に比すということになる。人の徳は中和の言い様もないというのがよい。天地の間には万物が様々とある。この玉は空腹の足しにもならないものだが、諸物に優れて中和な模様を持ったもの。費えなことの様だが、玉を吟味して、こちらの徳があの徳になる様にする。浅見先生が、右左に違いはない、右と左とを一緒に言ったものだと言った。そうでもあるだろうが、少しは当たりのあることかも知れない。堂を降りて歩く時はすらすらと速めに歩く。真西山の衍義に、「采薺肆夏」は今の詩にはないから人が知らないが、これがやはり今の詩にある楚辞の詩が薺肆に当たり、時邁の詩が肆夏に当たるとあり、それなら今もあるもの。「周還云々」。向こうへ行ってこちらへ戻ることで、真ん丸く歩くこと。馬の輪乗をする様なこと。さて他出しても京都や江戸の本町などでは道が立派で溝を御影石で包んである。あの様な処で曲る時、丁度の処を曲る。矩の様にするのがよい。平生家を歩くと玉との言い合いがよい。これが誠に士君子の体である。仰け反って、反って歩くことなどはあってはならないこと。
【語釈】
・衣取蔽寒…小学外篇善行80。「平生衣取蔽寒、食取充腹。亦不敢服垢弊以矯俗干名。但順吾性而已」。
・紂王か玉抔をこしらへると箕子か諌た…史記宋微子世家。「箕子者、紂親戚也。紂始爲象箸。箕子歎曰、彼爲象箸、必爲玉桮。爲桮、則必思遠方珍怪之物而御之矣。輿馬宮室之漸自此始、不可振」。
・時邁…詩経周頌時邁。

○故君子云々。養生のよい人か不断養生する。そこて胡乱なものは食はぬ。薬になるものを食ふ。垩賢のなさることがいつも々々々心を大切にする。心のわるくならぬやふにすると云は、天から拜領の仁義礼智の御朱印に傷を付まいとてのことなり。心と云か道落ものてわるくなる。その心をよくするによのものてはならぬから、君子在車云々なり。耳によいことを聞てをるゆへよい。黙止てをれ。今鴬か啼と云其時はけちな心はない。きたないざまや人をたをそふと云魚鱗鶴翼はない。ほぎ々々となる。玉の音を不断きいてをるゆへ横様な心は出ぬ。わるいことは近思彔警戒に、閲機事之久機心必生、盖方其閲時心必喜。既喜則如種下種子とあり、よい音きくもそれなり。音を聞と其方へ心かよって心か和てをるゆへ、わる井心なとかなにをたよりにいろふそ。いるた子かな井。○非類は人間のさまてない、あしさまなことを云。これからして轉用すれは、良家てないことにもなる。良家は士農工商のことを云。その外てかわらものなとのことなり。非類と云字のをこりは無性なものを云と味池義兵の云へり。あるましき心なとと云が、玉の正しひ音を聞てをるゆへ非辟のいることはない。かなしい淨瑠理を聞て出家しよふと云。無常も出る。正しくないからなり。垩賢のはさっくりとしたことなり。
【解説】
「故君子在車則聞鸞和之聲、行則鳴佩玉。是以非辟之心無自入也。鸞在衡。和在式。自、由也。以君子恒聞鸞和佩玉之正聲。是以非類邪僻之心無由入也」の説明。君子はよいことをいつも聞いているので心がよい。悪いことが入る余地がない。
【通釈】
「故君子云々」。養生のよい人は普段から養生をする。そこで滅多なものは食わず、薬になるものを食う。聖賢のなさることはいつも心を大切にする。心が悪くならない様にするというのは、天から拝領の仁義礼智の御朱印に傷を付けない様にしようとしてのこと。心は道楽者で悪くなる。その心をよくするのには他のものではならないから、「君子在車云々」である。耳によいことを聞いているのでよい。黙っていなさい。今鴬が啼くというその時にけちな心はない。汚い様や人を倒そうという魚鱗鶴翼はない。ほぎほぎとなる。玉の音を普段から聞いているので横様な心は出ない。悪いことは近思録警戒に、「閲機事之久、機心必生。盖方其閲時、心必喜。既喜則如種下種子」とあり、よい音を聞くのもそれ。音を聞くとそちらへ心が寄って心が和すので、悪い心などは何を頼りにして入ることができるだろうか。入る種がない。「非類」は人間の様ではなく、悪し様なことを言う。これから転用すれば、良家でないことにもなる。良家は士農工商のことを言う。その外のことで、河原者などのこと。非類という字の起こりは無性な者を言うと味池儀平が言った。あるまじき心などということはない。玉の正しい音を聞いているので、「非辟」が入ることはない。悲しい浄瑠璃を聞いて出家しようと言う。無常も出る。それは正しくないからである。聖賢のはさっぱりとしたこと。
【語釈】
・閲機事之久機心必生、盖方其閲時心必喜。既喜則如種下種子…近思録警戒22。「伊川先生曰、閲機事之久、機心必生。蓋方其閲時、心必喜。既喜則如種下種子」。
・かわらもの…河原者。中世、河原に住み、卑賤視された雑役や下級遊芸などに従った者。
・味池義兵…味池修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。


敬身33
○射義曰、射者進退周還必中禮、内志正外體直、然後持弓矢審固。持弓矢審固、然後可以言中。此可以觀德行矣。内正外直、習於禮樂有德行者也。
【読み】
○射義に曰く、射る者は進退周還必ず禮に中り、内志正しく外體直くして、然して後に弓矢を持つこと審固なり。弓矢を持つこと審固にして、然して後に以て中るを言う可し。此に以て德行を觀る可し。内正しく外直きは、禮樂を習いて德行有る者なり。

○射義曰云々。段々威儀之則をしっとりと語らしって一ちしまいを弓て止た。それしゃのすることはさて々々違たものなり。形は心のなりのあらはれたもの。弓てとめては垩人の威儀之則を藝にをとすやふなれとも、そふてない。これか威儀のきり々々をだしたになる。花はいつもあるか、春か花盛。弓の稽古する上に威儀はあつまりたもの。そこて射義て云。射有乎似君子と大切の中庸にもあり、全体のあらはれるものなり。さあ今日からと云てはならぬので、いこふしいれしこみのいるものなり。矢を取て弓にかけさへすれはよかろふか、行義かよくなけれはならぬ。平生出る形が礼式の規矩に合てをるゆへ、内の心ばへがわきの方へひつまぬ。夫婦喧嘩をして己でて行と云やふな気象て弓はいられぬ。をさ々々垩賢にもはぢぬほどてなけれはならぬ。渋谷丹右ェ門は、学問をしよう々々々と云た。韓退之は文から道を暁り、丹右ェ門は弓から道を信した。誰れ某しか米の直を聞とてかるしめたぞ。
【解説】
「射義曰、射者進退周還必中禮、内志正外體直、然後持弓矢審固」の説明。弓の稽古をする上に威儀が集まる。射は行儀がよくなければならない。
【通釈】
「射義曰云々」。段々と威儀之則をしっとりと語られて最後にを弓で止めた。射は実に違ったもの。形は心の姿が現れたもの。弓で止めては聖人の威儀之則を芸に落とす様だが、そうではない。これが威儀の至極を出したもの。花はいつもあるが、春が花の盛り。弓の稽古をする上に威儀が集まる。そこで射義で言う。大切な中庸にも「射有似乎君子」とあり、全体が現れるもの。さあ今日からと言ってもできることではなく、大層仕入れ仕込みの要るもの。矢を取って弓に掛けさえすればよいのだが、行儀がよくなければならない。平生の出る形が礼式の規矩に合っているので、内の心栄えが脇の方へ歪まない。夫婦喧嘩をして御前は出て行けと言う様な気象では弓を射ることはできない。おさおさ聖賢にも恥じないほどでなければならない。渋谷丹右衛門が、学問をしようと言った。韓退之は文から道を悟り、丹右衛門は弓から道を信じた。誰かが米の値を聞くと言って軽んじた。
【語釈】
・射有乎似君子…中庸章句14。「子曰、射有似乎君子。失諸正鵠、反求諸其身」。
・渋谷丹右ェ門…渋谷義通。丹右衛門と称す。阿波の人。土浦藩及び阿波藩に仕える。元文5年(1740)7月28日没。年79。稲葉迂斎門下。

○審固云々。弓も手も子らい処も丁との処へ行くを審と云。丈夫にそろは子はならぬ。審は手前のこまかなこと。固は手前の丈夫なこと。渋谷丹右ェ門が、たっふりと搆へて気息の滿る処てはなせと云たとなり。其弓勢の音か云に云へぬことてありたと云。誰ても彼ても中たさは中てたいが、こちの六具かきまら子はあたることはない。射義を重くするもそこて德かみへるゆへ。德行がをさまらぬと、そこへ出たさまか見苦しひ。德行か弓てみへる。文七、沢宮のこと、灵臺の説解、学は射を主とす。又、郊特牲の註、択賢も射てのことなり。このとをりてなけれはならぬ。弓矢の御糺か德がゆくてはないか、威儀か弓や矢にある。是等は藝術てきめるなれは、ならぬと云はををぢゃく者なり。誰てもなることて、これを心術にををようふするか垩賢の教の内外そろふたことなり。
【解説】
「持弓矢審固、然後可以言中。此可以觀德行矣。内正外直、習於禮樂有德行者也」の説明。「審固」の審は自分が細かく丁度に行くことで、固は自分が丈夫なこと。徳行が弓で見える。これは芸で決めることなので、誰もができることである。
【通釈】
「審固云々」。弓も手も狙い処も丁度の処へ行くことを「審」と言う。丈夫に揃わなければならない。審は自分の細かなことで、「固」は自分の丈夫なこと。渋谷丹右衛門が、たっぷりと構えて気息の満ちる処で放せと言ったそうである。その弓勢の音が言うに言えないことだったという。誰でも彼でも中てたいことは中てたいが、こちらの六具が決まらなければ中ることはない。射義を重くするのもそこで徳が見えるからである。徳行を修めないと、そこへ出た様が見苦しい。徳行が弓で見える。文七、沢宮のこと、霊台の説解、学は射を主とする。また、郊特牲の註、択賢も射でのこと。この通りでなければならない。弓矢の御糺しで徳が進むのではないが、威儀が弓や矢にある。これらは芸術で決めることなので、できないと言うのは横着者である。誰でもできることで、これを心術に合う様にするのが聖賢の教えの内外揃ったところである。
【語釈】
・沢宮…礼記下射義に沢と宮のことがある。
・郊特牲…礼記上の篇の一。


右明威儀之則。
【読み】
右、威儀の則を明かにす。