敬身34
士冠禮、始加祝曰、令月令吉日始加元服。令、吉、皆善也。元、首也。棄爾幼志、順爾成德、壽考維祺。介爾景福。爾、女也。既冠爲成德。祺、祥矣。介、景、皆大也。因冠而戒、且勸之。女如是、則有壽考之祥、大女之大福也。再加曰、吉月令辰乃申爾服。辰、子丑也。申、重也。敬爾威儀、淑愼爾德、眉壽萬年永受胡福。胡猶遐也。遠也。三加曰、以歳之正、以月之令、咸加爾服。正猶善也。咸、皆也。皆加女之三服。謂緇布冠皮弁爵弁也。兄弟具在、以成厥德、黄耇無疆受天之慶。黄、黄髪也。耇、凍梨也。皆壽徴也。
【読み】
士冠禮、始加に祝して曰く、令月令吉日始めて元服を加う。令、吉は、皆善なり。元は首なり。爾の幼志を棄て、爾の成德に順わば、壽考まで維れ祺あり。爾の景なる福を介にせん。爾は女なり。既に冠すれば成德と爲す。祺は祥なり。介、景は、皆大なり。冠するに因りて戒め、且つ之を勸む。女是の如くならば、則ち壽考の祥有りて、女の大なる福を大にせん。再加に曰く、吉月令辰乃ち爾に服を申ぬ。辰は子丑なり。申は重なり。爾の威儀を敬み、淑[よ]く爾の德を愼まば、眉壽萬年永く胡[はる]かなる福を受けん。胡は猶遐のごとし。遠なり。三加に曰く、歳の正を以て、月之令を以て、咸爾の服を加う。正は猶善のごとし。咸は皆なり。皆女の三服を加う。緇布冠皮弁爵弁を謂うなり。兄弟具に在り、以て厥の德を成さば、黄耇[こうこう]まで疆[かぎ]り無くして天の慶を受けん。黄は黄髪なり。耇は凍梨なり。皆壽の徴しなり。

十月廿六日
【語釈】
・十月廿六日…寛政元年(1789)10月26日。

○心術之要から威儀之則ときて、内と外かそろふた。其跡へ衣服之制と飲食之節か出てある。此二つか人間の一時もはなれぬものなり。世間にはさま々々な物好もあるか、衣服をせぬ者はなく、飲食をせぬ者もない。そこて衣服と飲食ほと身に近ひものはない。中庸に道也者不可須臾離と云は、近ひ処に油断かあると道か離れると云こと。毎日の衣服、毎日の飲食、ここに道かある。あそこを粗畧にすると道か離れる。そこて此上に教のあるで急度つつしむなり。これをとふてもよ井と云と捕手方角はなくなる。つつしみをあさゆふなるる言葉と云哥もそれなり。小学の小学たる処もここにつまることなり。
【解説】
衣服を着ない者、飲食をしない者はいない。衣服と飲食ほど身に近いものはない。そこに道がある。
【通釈】
心術之要から威儀之則と来て、内と外とが揃った。その後へ衣服之制と飲食之節が出る。この二つは人間から一時も離れることのないもの。世間には様々な物好きがいるが、衣服を着ない者はなく、飲食をしない者もない。そこで衣服と飲食ほど身に近いものはない。中庸に「道也者不可須臾離」とあるのは、近い処で油断をすると道が離れるということ。毎日の衣服、毎日の飲食、ここに道がある。そこを粗略にすると道が離れる。そこで、この上に教えがあるからしっかりと敬むのである。これをどうでもよいと言うと途方もなくなる。慎みを朝夕なるる言の葉という歌もそれ。小学の小学たる処もここに詰まるもの。
【語釈】
・道也者不可須臾離…中庸章句1。「道也者、不可須臾離也。可離非道也。是故君子戒愼乎其所不睹、恐懼乎其所不聞」。
・つつしみをあさゆふなるる言葉…道歌。「慎みは朝夕なるる言の葉の、かりそめごとのうえにこそあれ」。

○士冠礼と士の字のつくか靣白ことそ。士と云字は上の方へも下の方へもやられる字なり。そこてこの士と云て上諸侯大夫もこれてゆくことて、さて下万民職人ても商人ても士と云方からつりをひいてゆくことなり。○元は人のあたまのことなり。四時の春を元と云も一年のあたまゆへ云。人間の体もあたまか元なり。垩人はなにもかも質素を好まっしゃるか、服周之冕と云。垩賢の冠と云ことを重くさっしゃるか人間の人間たる姿を見せることなり。ここをとふもよいと打捨てはをかれぬことそ。今は冠沙汰はないか、髪のまけやふてあれはとふ云ものてあろふと云かしれる。これはとふでもかまはす吾勝手心まかせにするか、人間の体の一ち上にあると云へは第一な処。とふてもよいと云てはちこふことなり。そこてあたまと云になっては至て気を付子はならぬことそ。外篇に、冠は子ともから大人になるの界目て、人間一疋になら子は元服はならぬとある。あたまはかり元服しても、心か前の通りてはならぬことなり。角べ獅子かくるとそれと云て欠出す。あのやふなことはそふいつ迠もあるものてもないか、惣体のたわけかいつまてもついてをるものなり。
【解説】
「士冠禮、始加祝曰、令月令吉日始加元服。令、吉、皆善也。元、首也」の説明。「元」は頭のこと。冠は人の一番上にあるものなので、どうでもよいとは言えない。また、頭ばかりが元服しても、心が前の通りではならない。
【通釈】
「士冠礼」と士の字が付くのが面白い。士という字は上の方へも下の方へも使える字である。そこで、士と言って上は諸侯大夫もこれで行き、さて下の万民も、職人でも商人でも士という方からつりをひいて行く。「元」は人の頭のこと。四時の春を元と言うのも一年の頭なので言う。人間の体も頭が元である。聖人は何もかも質素を好まれるが、「服周之冕」と言う。聖賢が冠を重くなされるのは、人間の人間たる姿を見せるものだからである。ここをどうでもよいと打ち捨てては置けない。今は冠の沙汰はないが、髪の曲げ様であれはどういう者かということがわかる。これはどうでも構わずに自分勝手、心任せにするが、人間の体の一番上にあると言えば第一の処なので、どうでもよいと言うのは違う。そこで、頭ということになっては至って気を付けなければならない。外篇に、冠は子供から大人になる境目で、人間一疋にならなければ元服はならないとある。頭ばかりが元服しても、心が前の通りではならない。角兵衛獅子が来るとそれと言って駆け出す。あの様なことはそういつまでもあるものでもないが、総体の戯けがいつまでも付いているもの。
【語釈】
つりをひいて
・服周之冕…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅。服周之冕。樂則韶舞。放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。
・外篇に…小学外篇嘉言22を指す。

○そこて棄尓幼志と云。偖て元服のことやなにかかこの通りなり。○寿考なとと云か、寂滅爲楽の無常尽速のと云ことはない。あのやふなことは北風の吹のてつめたいそ。此様なことか垩人の教のふく々々したことなり。是等の語か皆鳫帽子親の云ふことなり。尤らしい男を頼て鳫帽子親にすると云が、たた年にあやかるなとと云ことてはない。此教訓をする。成德と云に、今日の人は元服てもすると十方もないわるしゃれくるいをする。○再加曰云々。行義をよくするかすくに德を愼むなり。威儀をよくすれは内の德かよくなる。○三加云々。○緇布冠云々。句読には三ところにありて、始加緇布冠、再加に皮弁、三加に爵弁なり。それを朱子は三つをここにしめて出された。三つの冠のいることかある。なんの時はなんの冠を用ると云ことあるゆへ、その三色を元服の時する。
【解説】
「棄爾幼志、順爾成德、壽考維祺。介爾景福。爾、女也。既冠爲成德。祺、祥矣。介、景、皆大也。因冠而戒、且勸之。女如是、則有壽考之祥、大女之大福也。再加曰、吉月令辰乃申爾服。辰、子丑也。申、重也。敬爾威儀、淑愼爾德、眉壽萬年永受胡福。胡猶遐也。遠也。三加曰、以歳之正、以月之令、咸加爾服。正猶善也。咸、皆也。皆加女之三服。謂緇布冠皮弁爵弁也」の説明。冠は成徳のためのものだが、今の人は元服をすると途方もなくなる。
【通釈】
そこで「棄尓幼志」と言う。さて元服のことも何もかもがこの通りである。「寿考」などというのが、寂滅為楽や無常迅速などということではない。あの様なことは北風が吹くので冷たい。この様なことが聖人の教えのふくふくとしたこと。これらの語が皆烏帽子親の言うこと。尤もらしい男を頼んで烏帽子親にするというのは、ただ年に肖るなどということではない。この教訓をする。冠は成徳のためなのに、今日の人は元服でもすると途方もない悪戯れや悪狂いをする。「再加曰云々」。行儀をよくするのが直ぐに徳を慎むこと。威儀をよくすれば内の徳がよくなる。「三加云々」。「緇布冠云々」。句読は三処あって、始加に緇布冠、再加に皮弁、三加に爵弁である。朱子はこの三つをここにまとめて出された。三つの冠を必要とすることがある。何の時は何の冠を用いるということがあるので、その三色を元服の時にする。

○兄弟云々。親族の目出度さかへると云かよいなり。要助殿なとはこれなり。年よりて大勢栄て兄弟ある。目出度ことなり。鶴林玉露に兄弟の交ほと久しひものはないと云へり。女房も二十ばかりからよぶゆへ、これもそのやふに交か久しくないか、竹馬と云ことかあって、兄弟は子共のときから交て、吾か八十五になれは弟は八十てそこにをる。一ち交りの久しひものなり。冠礼に兄弟を上客に云か靣白ことなり。六ヶ敷儒者か、兄弟のあるものはそふ云ををか、ひょっと兄弟のないもののあったときはどふすると云。そふこしられてはならぬことなり。そのときはこふ云まい。天気もよふてと云てあらふ。凍はこると云字で、ふく々々した肉もかわいて堅く骨付くやふなことを見立て云字なり。梨の字あるからして人がなしはだと云と、あのことではないなしと云た。注はない。老人のからたに垢のよふにほち々々ういたものかあるか、あれを云ことなり。
【解説】
「兄弟具在、以成厥德、黄耇無疆受天之慶。黄、黄髪也。耇、凍梨也。皆壽徴也」の説明。親族が栄えるのが目出度いこと。兄弟は女房とは違い、子供の時からの交わりで、最も交わりの久しい者である。
【通釈】
「兄弟云々」。親族の目出度く栄えるというのがよいこと。要助殿などがこれ。年が寄って大勢栄えて兄弟がある。目出度いことである。鶴林玉露に兄弟の交わりほど久しいものはないとある。女房も二十ばかりから呼ぶので、交わりはその様に久しくはないが、竹馬ということがあって、兄弟は子供の時からの交わりで、自分が八十五になれば弟は八十でそこにいる。一番交わりの久しいものである。冠礼に兄弟を上客に言うのが面白い。難しい儒者が、兄弟のある者はそうも言えるだろうが、ひょっと兄弟のない者のある時はどうするのかと言う。その様に抉られては仕方がない。その時はこの様には言えないだろう。天気もよくてと言うだろう。「凍」はこるという字で、ふくふくとした肉も乾いて堅く骨に付く様なことを見立てて言う字である。「梨」の字があるので人が梨肌だと言うと、あのことではない梨だと言った。注はない。老人の体には垢の様にぽちぽちと浮いたものがあるが、あれを言う。
【語釈】
・要助殿…大原要助。大網柳橋の人。


敬身35
○曲禮曰、爲人子者、父母存冠衣不純素。爲其有喪象也。純、縁也。玉藻曰、縞冠素紕。既祥之冠也。深衣曰、具父母、衣純以青。孤子當室冠衣不純釆。雖除喪不忘哀也。當室、適子也。謂子未三十者。三十、壯。有室代親之端、不爲孤也。深衣曰、孤子衣純以素。
【読み】
○曲禮に曰く、人の子爲る者は、父母存すれば冠衣に素を純にせず。其の喪の象有る爲なり。純は縁なり。玉藻に曰く、縞冠に素紕す、と。既祥の冠なり。深衣に曰く、父母を具われば、衣の純青を以てす、と。孤子の當室は冠衣に釆を純にせず。喪を除[お]えると雖も哀を忘れざるなり。當室は適子なり。子の未だ三十にならざる者を謂う。三十は壯。室を有し親に代わるの端、孤と爲らざるなり。深衣に曰く、孤子は衣の純に素を以てす、と。

○曲礼曰、爲人子者云々。装束か大切なもの。親を孝行するには心ばへがづんと大事なり。○爲人子者とは、親をもったものは兎角親の気障りをせぬことなり。着物の縁に白ひものはせぬ。なせなれは、親のあるに忌中姿ゆへ、これはさん々々なことなり。これを今に戒にするは、人の子たる者は月代なとはまめにするかよい。月代をはやしてをけれは忌中のていていまわしい。小学に不純素とあるから白ひものは决してつかわぬと云は、なんの役にたたぬことなり。白ひ手拭隨分つこふたがよい。是を今日の役に立よふと思はは、兎角忌中めいたなりをせぬことと合点するかよい。○孤子云々。年若て家督をとったもののこと。これはまた上とはひっくりかへったこと。若くても親がないと云ものゆへ、いろとったものを純にせぬ。これて親のないと云をみせたものなり。
【解説】
親が存命の時は縁に白いものを使わない。それは忌中姿になるからである。逆に、親のない者は彩ったものを縁に使わない。
【通釈】
「曲礼曰、為人子者云々」。装束が大切なもの。親に孝行をするには心栄えが大層大事である。「為人子者」とは、親を持っている者は、とかく親が気障りになることをしない。着物の縁に白いものはしない。それは何故かと言うと、親があるのに忌中姿になるからで、これでは散々なことである。これを今の戒めにするには、人の子たる者は月代などをまめにするのがよい。月代を生やしておいては忌中の体で忌まわしい。小学に「不純素」とあるから白いものは決して使わないと言うのでは何の役にも立たない。白い手拭は随分と使うのがよい。これを今日の役に立てようと思えば、とかく忌中めいた姿をしないことだと合点するのがよい。「孤子云々」。これが年若くして家督を取った者のこと。これはまた上とは逆のこと。若くても親がない者なので、彩ったものを純に使わない。これで親のないことを見せる。


敬身36
○論語曰、君子不以紺緅飾、紺、深青揚赤色。齊服也。緅、縫色。三年之喪以飾練服者也。飾、領縁也。紅紫不以爲褻服。紅紫、間色。不正。且近婦人女子之服。褻服、私居服也。當暑袗絺綌。必表而出之。袗、單也。葛之精者曰絺。麤者曰綌。表而出之、謂先著裏衣表絺綌而出之於外。欲其不見體也。詩所謂蒙彼縐絺、是也。
【読み】
○論語に曰く、君子は紺緅[かんすう]を以て飾りとせず、紺は深青揚赤の色。齊服なり。緅は縫色。三年の喪に以て練服を飾る者なり。飾は領の縁なり。紅紫は以て褻の服と爲さず。紅紫は間色。正しからず。且つ婦人女子の服に近し。褻の服は私居の服なり。暑に當りては袗[ひとえ]の絺綌[ちげき]なり。必ず表して之を出す。袗は單なり。葛の精しき者を絺と曰う。麤き者を綌と曰う。表して之を出すは、先ず裏衣を著け、絺綌を表にして之を外に出すを謂う。其の體を見わさざらんことを欲するなり。詩に彼の縐絺を蒙うと謂う所、是なり。

○論吾曰、君子云々。此の君子はすくに孔子のことなり。これか孔子の思召に叶はす、とんと衣のえりに紺緅をつかわしやらぬ。孔子かつかはぬと云なれは、天地の間の人はつかわぬはつ。天地と同腹中の垩人ゆへ、垩人のなさることはよくて、垩人のなさらぬことはみなわるい。孔子かなさらぬと云へは、たれてもすることてはない。なせ垩人がこれを飾にせぬなれは、ものいみの服なり。ものいみは殊外垩人の大切にすることゆへ、平生のことに用てはそまつになる。そこて孔子か紺緅を用るか御嫌。喪を大事にし、祭を大事にするゆへ、不断决してつかはぬ。南軒先生の、喪祭を重ずる心しゃと云はれたか至てよい説きやふなり。茶人は役にたたぬ茶入ても唐辛の粉やのり入れにはせぬ。茶を重んするゆへなり。聖賢は喪や祭を殊の外重し、喪祭を格段にする思召があるゆへ、そこでそのときに着る衣服は、これは大切なことじゃに不断きよふことてはないと云。所謂を聞けば靣白やがこれなり。しかれはわけあること。御物ずきではない。
【解説】
「論語曰、君子不以紺緅飾、紺、深青揚赤色。齊服也。緅、縫色。三年之喪以飾練服者也。飾、領縁也」の説明。孔子は衿に紺緅を使わなかった。それは物忌みの服だからで、喪祭を大事にするので普段は決して使わないのである。
【通釈】
「論語曰、君子云々」。ここの君子は直に孔子のこと。これが孔子の思し召しに叶わず、全く衣の衿に紺緅を使われないこと。孔子が使わないと言うのであれば、天地の間の人は使わない筈。天地と同腹中の聖人なので、聖人のなさることはよくて、聖人のなさらないことは皆悪い。孔子がなさらないと言えば、誰でもすることではない。何故聖人がこれを飾りにしないのかと言うと、物忌みの服だからである。物忌みは聖人が殊の外大切にすることなので、平生のことに用いては粗末になる。そこで孔子は紺緅を用いるのが御嫌いである。喪を大事にし、祭を大事にするので、普段は決して使わない。南軒先生が、喪祭を重んずる心だと言われたのが至ってよい説き様である。茶人は役に立たない茶入でも唐辛子の粉や糊入れにはしない。それは茶を重んずるからである。聖賢は喪や祭を殊の外重んじ、喪祭を格段にする思し召しがあるので、そこでその時に着る衣服は大切なもので、普段着るものではないと言う。謂れを聞けば面白やがこれ。わけのあることで、御物好きではない。

○紅紫は平生もめさぬ。なぜなれは、青黄赤白黒は本色なれとも、紅紫はあわせてこしらへたもので、その上に女めいたものゆへなされぬ。○当暑云々。此方ののしちちみを着るよふに絺綌をめすなり。それをきると体がすきとをりて見へるゆへ、それを無礼に思召て下へ一つきて、その上へ絺綌をきてみへぬやふにする。人間は禽獣とはちかい、衣類と云ものを着て体をあらはさぬものなり。そこて垩人の見へぬやふに下帷子を着て、其上えのしちちみをきられた。○表而出之は、下着の上に絺綌をきるゆへ、上にきることを上へそへて、上の方へ絺綌を出してあらはすなり。詩經蒙縐絺と云も上にきること。
【解説】
「紅紫不以爲褻服。紅紫、間色。不正。且近婦人女子之服。褻服、私居服也。當暑袗絺綌。必表而出之。袗、單也。葛之精者曰絺。麤者曰綌。表而出之、謂先著裏衣表絺綌而出之於外。欲其不見體也。詩所謂蒙彼縐絺、是也」の説明。紅紫は間色であり、女めいたものなので着ない。絺綌を着る時はその下に一つ着て、体を現さない様にする。
【通釈】
「紅紫」は平生も召さない。それは何故かと言うと、青黄赤白黒は本色だが、紅紫は合わせて拵えたもので、その上、女めいたものなので着ない。「当暑云々」。日本で熨斗縮を着る様に絺綌を召す。それを着ると体が透き通って見えるので、それを無礼に思し召して下に一つ着て、その上に絺綌を着て、体が見えない様にする。人間は禽獣とは違い、衣類というものを着て体を現さないもの。そこで聖人が見えない様に下に帷子を着て、その上に熨斗縮を着られた。「表而出之」は、下着の上に絺綌を着るので、上の方に絺綌を出して現すこと。詩経にある蒙縐絺も上に着ること。
【語釈】
・蒙縐絺…詩経国風鄘君子偕老。「蒙彼縐絺、是紲袢也」。


敬身37
○去喪、無所不佩。君子無故玉不去身。觽礪之屬亦皆佩也。
【読み】
○喪を去りて、佩びざる所無し。君子故無ければ玉身を去らず。觽礪の屬も亦皆佩ぶるなり。

○去喪云々。あの方には不断帯びものかある。これか人の装束でのふて叶ぬものなり。しかしなから、忌中にはこれをせぬ。又は忌中は病人同前ゆへ、座しきの内を杖をついてあるくゆへ、常とは分んの姿て帯ひ物なとはせぬ。そふなけれはせぬことはない。これは頓と畧されぬことなり。それかすくに礼記にある君子無故云々なり。なんそ子細なけれは、病気か忌中てなけれは佩ひぬことはない。此様なことはかるいことなれとも、そふたい德儀たいはいにかかること。佩ものは勝手次第てない。此方て云へは武士の大小をはなさぬやふなもの。印篭は勝手次第。あの方の玉をさけると云か、今こちの大小と同しことて略されぬことなり。略せは本体の姿てはない。今田舎さへ、下男こそなにもなく身はかりふるって歩行く。もふ名主か組頭と云になっては懐中にものがある。これから推廣めて云へは、はや一人と云人になっては懐中に血留もあり、延齢丹もあり、蘇香圓もあると云かよい。とふまわしなやふなれとも、古人の觽礪と云がこれなり。さて今は觿や礪なとはかわりたことをすると云をふか、懐中に磁石かあると、急に方角のしれぬとき出すとじきにしれる。家来か怪我をする、血留を出す。ま虫にくわれるとまむしの薬を出す。心ある人はそんな心掛もあらふことなり。
【解説】
佩物は人の装束になくてはならないものだが、病気や忌中では佩びない。これは武士の刀と同じである。また、薬などを懐中する心掛けがよいもの。
【通釈】
「去喪云々」。唐では普段、佩物をする。これが人の装束になくてはならないもの。しかしながら、忌中にはこれをしない。忌中は病人同然なので、座敷の中を杖を突いて歩くので常とは別な姿であり、佩物などはしない。そうでなければ佩びないことはない。これは全く略せないこと。それが直に礼記にある「君子無故云々」である。何かの仔細がなければ、病気か忌中でなければ佩びないことはない。この様なことは軽いことだが、総体徳儀帯佩に係ること。佩物は勝手次第ではない。日本で言えば武士が大小を離さない様なもので、印篭は勝手次第。唐で玉を提げるというのが、今こちらの大小と同じことで略すことのできないこと。略せば本体の姿ではない。今田舎でさえ、下男こそ何もなくて身ばかり振るって歩いているが、もう名主か組頭ということになっては懐中に物がある。これから推し広めて言えば、既に一疋という人になっては懐中に血止めもあり、延齢丹もあり、蘇香円もあるというのがよい。それは遠回しな様だが、古人の觽礪というのがこれである。さて今では觿や礪などは変わったことをすると言うだろうが、懐中に磁石があると、急に方角がわからなくなった時にそれを出せば直ぐに方角がわかる。家来が怪我をすれば血止めを出す。蝮に咬まれれば蝮の薬を出す。心ある人にはその様な心掛けがあるもの。
【語釈】
・君子無故…礼記上玉藻。「君子無故、玉不去身。君子於玉比德焉」。礼記上曲礼下。「君無故玉不去身、大夫無故不徹縣、士無故不徹琴瑟」。


敬身38
○孔子羔裘玄冠不以弔。羔裘、用黒羊皮爲之。喪主素、吉主玄。弔必變服所以哀死。
【読み】
○孔子は羔裘玄冠して以て弔わず。羔裘は黒羊の皮を用いて之を爲る。喪は素を主とし、吉は玄を主とす。弔うに必ず服を變えるは死を哀む所以なり。

○孔子羔裘云々。此方て目出度ときかな色の熨斗目にかちんの上下かこれなり。孔子か、その目出度とき着るものは弔ひには决して着て行かぬ。孔子はくやみにはかなしまれた。苦止に行にいそ々々したなりては取合ぬ。今若者なとか苦止にゆくに、当世流行るなりをしてゆく。つんととりあはぬ。弔に行はしをたれたなりて行くかよい。伊川のことをなくさんて、其時分詩經に凡民有喪匍匐求之とあるからして、弔にはってゆくといたつらに云たことなれとも、これは靣白ことそ。匍匐かあれこれと世話をやくこと。はふと云字ゆへはって行と云た。学者か弔に行と云はは世間の人の行とはふんな姿なはづ。江戸なとのやふな閙敷処ては、若ひ者かつれを、そなたそこにをれとまたせて一寸苦止にゆく。何もかも一つにしてしまい、苦止の帰に花見にもゆく。垩人はなか々々そんなことはない。忌中の者かそこに居るとふさ々々と飯もくわれぬと云。その御心て弔に行かしっしゃるゆへ、立派ななりや目出度姿てはゆかれぬゆへ、そこてきかへる。
【解説】
目出度い時に着る装束で悔みには行かない。潮垂れた姿で行くのがよい。
【通釈】
「孔子羔裘云々」。日本で目出度い時に金色の熨斗目に褐色の裃がこれ。孔子は、目出度い時に着る物は弔いには決して着て行かなかった。孔子は悔みでは哀しまれた。悔みに行くのにいそいそした姿では取り合わない。今若者などが悔みに行くのに当世流行る姿をして行く。それでは全く釣り合わない。弔いに行くには潮垂れた姿で行くのがよい。伊川がことを慰んで、その時分、詩経に「凡民有喪、匍匐救之」とあるから、弔には這って行くと冗談で言った。これが面白いこと。匍匐はあれこれと世話を焼くことだが、這うという意の字なので、這って行くと言った。学者が弔いに行くというのは世間の人が行く姿とは別な筈。江戸などの様な忙しい処では、若い者が連れを、お前はそこに待っていろと待たせて一寸悔みに行く。何もかも一つにしてしまい、悔みの帰りに花見にも行く。聖人は中々そんなことはない。忌中の者がそこにいると飯も食えないと言う。その御心で弔いに行かれるので、立派な姿や目出度い姿では行けないから、そこで着替える。
【語釈】
・凡民有喪匍匐求之…詩経国風邶谷風。「凡民有喪、匍匐救之」。


敬身39
○禮記曰、童子不裘、不帛、不屨絇。裘、帛、温、傷壯氣也。絇、屨頭飾也。未成人、不盡飾也。
【読み】
○禮記に曰く、童子は裘せず、帛せず、屨の絇[く]をせず。裘、帛は、温、壯氣を傷るなり。絇は屨頭の飾りなり。未だ成人ならざれば、飾りを盡さざるなり。

○礼記曰、童子不裘云々。子共衣服の制を云か靣白ひことそ。子共は子ともらしいかよいことの根になる。子共らしくないと云か到処ろくなものにはならぬ。裘帛屨絇の三つか大人のなりをせぬことなり。これがみな成人のすること。このやふなことも衣服之制かないと、勢のあるものはみなする。江戸なとに身上のよい者は子共に火事羽織を縫上してきせる。火事羽折は子共の着る者てはない。また乳母にも抱れそふななりて火事羽折はない筈なれとも、手のまわるに順てなにもかもこしらへる。こましゃくれたことをすると気がたかぶる。詩巠に芄蘭之童を譏てあるもそれなり。觽を佩て弓を射てをるか、こわ井とも靣白ひとも思はれぬと云ことなり。○裘帛温云々。とかくちょこ々々々医家の説を載せるか朱子の御趣向とみへる。子ともゆへまた全体の肉がかたまらずをるゆへ、からだがぶよ々々してをる処を、脇からあまりあたたかにしすぎるとわるい。
【解説】
子供は子供らしくするのがよくなる根となる。大人のなりはしない。大人ぶると高ぶる。子供は肉が固まらずにぶよぶよとしている。温め過ぎると悪い。
【通釈】
「礼記曰、童子不裘云々」。子供の衣服の制を言うのが面白い。子供は子供らしいのがよいことの根になる。子供らしくないというのが詰まる処碌な者にはならない。裘・帛・屨絇という三つの大人のなりはしない。これは皆成人のすること。この様なことも衣服之制がないと、勢いのある者は皆する。江戸などでは身上のよい者が子供に火事羽織を縫い上げして着せる。火事羽織は子供の着るものではない。まだ乳母にも抱かれそうななりで火事羽織はない筈だが、手が回るのに従って何もかも拵える。こましゃくれたことをすると気が高ぶる。詩経に芄蘭の童を譏っているのもそれ。觽を佩びて弓を射ているが、恐いとも面白いとも思えないということ。「裘帛温云々」。とかくちょこちょこと医家の説を載せるのが朱子の御趣向と見える。子供なのでまだ全体の肉が固まらずにいるので、体がぶよぶよとしている処を、脇からあまりに温かにし過ぎると悪い。
【語釈】
・芄蘭之童…詩経国風衛芄蘭。題下。「芄蘭、刺惠公也。驕而無禮、大夫刺之」。本文。「芄蘭之支、童子佩觿。雖則佩觿、能不我知。容兮遂兮、垂帶悸兮。芄蘭之葉、童子佩韘。雖則佩韘、能不我甲。容兮遂兮、垂帶悸兮」。


敬身40
○孔子曰、士志於道而恥惡衣・惡食者未足與議也。心欲求道、而以口體之奉、不若人爲恥。其識趣之卑陋甚矣。何足與議於道哉。
【読み】
○孔子曰く、士、道に志して惡衣・惡食を恥ずる者は未だ與に議するに足らざるなり。心道を求めんと欲して、口體の奉、人に若かざるを以て恥と爲す。其の識趣の卑陋甚しきかな。何ぞ與に道を議するに足らんや。

○孔子曰、士志於道云々。衣服之制の一ちしまいに孔子の語を引た。これか衣服之制の学者の精神[たましい]になる処を語るのそ。小学の衣服之制は精神まて遣立す、制を立てをく。其制度て我体か脩てゆく。そのしまいに学者の精神を云ふ。これてなけれはかたじけなくない。何程衣服の制度かありても、心の底かわるうては靣白なくひそ。学者は道理を自得[われにえたい]と心さすゆへ、たたの願ではない。暑の寒ひの、甘ひ物を食ひたいの、長寿したいのと云は常情[をさたまり]の願なれとも、道理を得たいと云願ひゆへ、このつらて死ては残念しゃと云ことゆへ、いこふたのもしい人なれとも、存の外な心様かあるものなり。志と云立派なものかありても而と云字のあるて、自分の衣服かわるいとどふやら靣白なく、背後をみられてよふない。志於道と云と誰も彼も声揚[せきをせい]て出るか、なか々々悪衣悪食を耻す、圏奪[くるわ]を脱ることはならぬ。学問をせずは挌別、学問をするものにもそんなものもあるか、そのやふなことては中々相談はならぬ。
【解説】
小学の衣服之制は魂までは遣り立てず、制を立て置くものだが、その最後に学者の魂を言う。学者は道理を自分に得たいと志す者であって大層頼もしい者だが、悪衣悪食を恥るということから脱しなければ学者の相談はできない。
【通釈】
「孔子曰、士志於道云々」。衣服之制の最後に孔子の語を引いた。これが衣服之制が学者の魂になる処を語ったもの。小学の衣服之制は魂までは遣り立てず、制を立て置くもの。その制度で自分の体が修まって行く。その最後に学者の魂を言う。これでなければ忝くはない。何程衣服の制度があっても、心の底が悪くては面目はない。学者は道理を自分に得たいと志す者だから、ただの願いではない。暑いの寒いの、美味いものを食いたいの、長寿をしたいのと言うのはお定まりの願いだが、道理を得たいという願いなので、この面で死んでは残念だと言い、大層頼もしい人だが、思いの外の心様があるもの。志という立派なものがあっても「而」という字があるので、自分の衣服が悪いとどうやら面目なく、背後を見られてよくないと思う。志於道と言うと誰も彼も堰を切って出るが、中々悪衣悪食を恥るという郭を脱することができないもの。学問をしないのであれば格別だが、学問をする者にもその様なことがある。その様なことでは中々相談はできない。

どふもさ迂斎も云通り、凡夫の内は心か二つある。市塲に大勢人か居る。一人も志於道ものはない。若し其中に道理を自得と云人かあれは、それはめつらし井人て千人に一人なれとも、それが吾きらがわるいと背後へ退去。このなりではゆかれまいと云。これ、心か二つしゃ。志於道にはあるまいこと。是に甲乙はあるか、律義な人か兎角耻かしかる。この木綿てはと云。いやしいつたない心なり。君子の上は衣取蔽寒、食取充腹と云ことなり。さて又厚味[うまいもの]を食ひたいと云かあるまいことでもない。吾弁当がわるいとこちらの方へ向て飯を食ふ。木綿を着れはさむくないか、うすい小袖をきて風を引くはををたわけなり。人欲て厚味がくひたい、暖なものかきたいと云は我身がかわいいからすることなれとも、食物か悪ひから人の前てひらかれぬの、衣服かわるいから引込のと云はさて々々下鄙たきたない心なり。娘の子か、此の帯は三月の節句に結んたから五月の節句には結はれぬと云と同しことなり。たたい学者は、志伊尹之所志、顔子之所学と云を目当にしてをりなから、この様な心根てはとふして垩賢の道か伺れるものそ。もしそんなものならは、それと咄はとんとならぬ。此語かでてあるて、学者の精神かつよくなる。此様な語を載て置でなけれは学者の元気かつかぬ。
【解説】
食物が悪いから人の前でそれを開くことができないとか、衣服が悪いから引き込むというのは実に下卑た汚い心である。それでは道を窺うことはできない。
【通釈】
どうも迂斎が言う通り、凡夫の内には心が二つある。市場には大勢の人がいるが、一人も志於道の者はいない。もしもその中に道理を自身に得たいという人があれば、それは珍しい人で千人に一人のことだが、それが自分の衣装が悪いと背後へ退く。この姿では行けないと言う。これが心が二つだということ。しかし、志於道にそれがあってはならない。これにも甲乙はあるが、律儀な人がとかく恥ずかしがる。この木綿ではと言う。それは卑しい拙い心である。君子の上は「衣取蔽寒、食取充腹」である。さてまた美味いものを食いたいと思うことがないわけでもない。自分の弁当が悪いと向こうを向いて飯を食う。木綿を着れば寒くはないのに、薄い小袖を着て風邪を引くのは大戯けである。人欲から、美味いものが食いたい、暖かなものが着たいと言うのは我が身が可愛いからするのだが、食物が悪いから人の前でそれを開くことができないとか、衣服が悪いから引き込むというのは実に下卑た汚い心である。それは娘子が、この帯は三月の節句に結んだから五月の節句には結べないと言うのと同じこと。そもそも学者は、「志伊尹之所志、学顔子之所学」を目当てにするものなのに、この様な心根で、どうして聖賢の道を窺うことができようか。もしもその様な者であれば、話をすることは全くできない。この語が出てここにあるので、学者の魂が強くなる。この様な語を載せて置くのでなければ、学者に元気が付かない。
【語釈】
・衣取蔽寒、食取充腹…小学外篇善行80。「平生衣取蔽寒、食取充腹。亦不敢服垢弊以矯俗干名。但順吾性而已」。
・志伊尹之所志、顔子之所学…近思録為学1。「志伊尹之所志、學顏子之所學」。


右明衣服之制。
【読み】
右、衣服の制を明かにす。

偖て、衣服之制は外へついたことの、さていこふ大切なことなり。今日あの人はどふ云人品じゃと云は、近付にならす応對せぬ内はしれぬが、近付にならすとも見ると知れるは何て知れると云に、衣服てしれる。そこて衣服を敬むへきことなり。外を通る人を牖から見てとるは衣服なり。近付ても何てもないか、よい年をしてあのやふな形てあるく。いか井たわけと云なり。とふしてたわけを知たなれは、とほふもないなりであるけはたわけなり。衣服と云へは外にも付た字なれとも、ここの処に心かないと外から内の心をらりにする。そこて衣服之制と云を立られ、先王の服てなけれはきまじきことじゃと孝経にもあり、吾身分にあはぬものやらちもないものをきては德をそんさす。衣服と云こと、老荘はかまわぬ。甲斐の德本か嶋の小袖を貰て、これはよい嶋じゃ、人に見せることではない、身か可愛とて、嶋の方を吾か身へつけてひっくりかへしてきたと云。世の中のきたない心よりはよけれとも、小学の衣服の制てはしかることなり。
【解説】
近付きでも何でもなくても、衣服で人品が知れる。自分の身分に合わないものや埒もないものを着ては徳を損なう。
【通釈】
さて、衣服之制は外に関したことだが、さて実に大切なこと。今日あの人はどういう人品かというのは、近付きにならず応対しない内はわからないが、近付きにならなくても見ると知れるのは何で知れるのかと言うと、衣服で知れる。そこで衣服を敬まなければならない。外を通る人を窓から見て取るのは衣服から。近付きでも何でもないが、よい年をしてあの様な姿で歩くのは大層な戯けだと言う。どうして戯けだと知ったのかと言うと、途方もない姿で歩けば戯けである。衣服と言えば外に付いた字だが、ここの処に心がないと、外から内の心を台無しにする。そこで衣服之制を立てられた。先王の服でなければ着てはならないと孝経にもあり、自分の身分に合わないものや埒もないものを着ては徳を損することになる。衣服ということを老荘は構わない。甲斐の徳本が縞の小袖を貰い、これはよい縞だ、人に見せるものではない、身が可愛いと、縞の方を自分の身へ付けて、引っ繰り返して着たという。これは世の中の汚い心よりはよいが、小学の衣服の制では叱ること。
【語釈】
・先王の服てなけれはきまじきことじゃ…孝経卿大夫。「非先王之法服不敢服、非先王之法言不敢道、非先王之德行不敢行」。
・甲斐の德本…室町時代末期の永正10年(1513年)に三河国に生まれ、乾室または知足斎と号し、医を業とし、駿河・甲斐・相模・武蔵の諸国を巡り、甲斐にあっては武田氏に仕えた。

今日侍従四品から服か立て、下々に至まてに仲間は紺のだいなしをきると云。あれか公儀の制度。あれを守れはなんのことはない。今の衣装法度と云も兼て御法通てないから二度目に出たものなり。衣装法度は兼て立てあるか、それかやふれる。そこて訶るなり。夫を何共思ぬと云なれは不届なり。今の公儀の法度て云へは、衣服之制かよくすむことなり。それを却て遠くの唐のことを引て彼れ是れ云のは小学の済ぬのなり。その上古のことは今行はれぬことかあるか、公義の衣装法度かあるゆへ生た衣服之制かある。それををいて小学の衣服之制を檢挍するのは却て役に立ぬ。兎角をごりをせす、吾挌式相応にするとよい。是を違肖[そむく]だんになる、上を犯し、身帯を磨りつぶし、好色淫乱みなこれからするなり。年倍な身をもつ人は衣類のをこり先つはないそ。衣類に奢りをするは、たわけものか若者の好色のためなり。
【解説】
唐のこと検校するよりも、今は公儀の衣装法度があり、これが生きた衣服之制となる。これを守る。とかく奢りをせず、自分の格式相応にする
【通釈】
今日は侍従四品から服が立ち、下々に至るまである。仲間は紺のだいなしを着ると言う。あれが公儀の制度。あれを守れば何事もない。今の衣装法度というのも今までが御法通りでないから二度目に出したもの。衣装法度は前から立ってあるが、それが破れる。そこで訶るのである。それを何とも思わないと言うのであれば不届である。今の公儀の法度で言えば、衣服之制がよく済む。それを却って遠くの唐のことを引いてかれこれと言うのは小学が済まないのである。上古のことは今行われないことがあるが、公儀の衣装法度があるので、これが生きた衣服之制となる。それを放って置いて小学の衣服之制を検校するのでは、却って役に立たない。とかく奢りをせず、自分の格式相応にするとよい。これに背く段になると、上を犯し、身代を磨り潰す。好色淫乱は皆これからのこと。年倍な身を持っている人は衣類の奢りは先ずない。衣類に奢るのは、戯け者か若者の好色のためである。

然れは今の法度を小学とみれはすむ。当時のことをは一通に衣服の法度と心得て、兎角人情かをろそかにするものなり。今度公義の御法度がきびしいと云、ありかたいと思ものはない。こまった顔をする。公儀の衣装法度なとかこまったものと思ふことはぐわんぜない若者なとは各別、人の親たる者なとは迷惑にをもふ筈はない。上下を着て御礼を云筈なり。甚しふしては、をれらは地頭の紋付を拜領してをるなとと挌外に心得るものもあらん。それは上の意根からしらぬなり。下のためにこそきるなとあることなり。左様な了簡ては法度守ると云ものてはない。法度を守ると云なれは、假令ひ君から貰ても此時節きぬと云ことぞ。公義の法度しゃによって、まあ仕廻て土用干をして置と云は、すっへり役にたたぬ。公義て衣装法度かあると云はは、たとへは絽の羽折もったものは、きり々々すや鈴虫のかごを絽の羽折を引さいて張れはよい。法度をつつしんだがはっきりと見へる。そのやふてなふてはならぬことなり。
【解説】
人情で法度を疎かにするもの。法度を有難いと思わないのは間違いである。法度を守るというのは、君から貰った着物を仕舞ったままにするという様なことではない。
【通釈】
そこで、今の法度を小学と見れば済む。今のことを一通りに衣服の法度と心得る。とかく人情が疎かにするもの。今度の公儀の御法度は厳しいとは言うが、有難いと思う者はいない。困った顔をする。公儀の衣装法度などを困ったものだと思うのは、頑是ない若者などは格別だが、人の親たる者などは迷惑に思う筈はない。裃を着て御礼を言う筈である。甚だしい者は、おれらは地頭の紋付を拝領しているなどと格外に心得る者もいることだろう。それは上の意を根から知らないのである。法度は下のためにこそ着るなとある。その様な了簡では法度を守るというものではない。法度を守るというのであれば、たとえ君から貰ったとしてもこの時節は着ないということ。公義の法度だから、まあ仕舞って土用干をして置くというのでは、全く役に立たない。公儀で衣装法度があると言えば、たとえば絽の羽織を持っている者は、キリギリスや鈴虫の籠を、絽の羽織を引き裂いて張ればよい。それで法度を慎んだことがはっきりと見える。その様でなくてはならない。

近年米沢の大守の儉約をして下から綿服をめされた。その襦伴を役人に下され、その役人か領内へ行たとき、名主の処て小袖は下にぬいてぢゅばんを釘にかけて置いたと云。そこで名主がなぜ小袖を下に置て木綿の襦伴を釘にかけて置かれしと問けれは、あの襦伴は殿様のしゃと云たとなり。名主も殊の外冨豪なものであったが、いよ々々がいよ々々これが法度でこさるかとて、娘をかたつけるにさま々々な支度もあったか、皆木綿にしてかたつけたと云。近来のことて、此頃読みし書付に見あたりたり。公義の法度をじかにしたと云かこれそ。かるいやふなことて、これかすくに小学の衣服之制の活たことそ。朱子が門人へ、をのしたちは死蛇を弄[つか]ふ。生蛇をつかふことかならぬと云れた。唐のことを巻舌て読てもやくにたたぬ。今日に引付て今の衣装法度と見るか小学の衣服之制を活して用に立てると云ものなり。
【解説】
君から衣服を賜れば、それを身に着けて大事に扱う。それで法度を破ることはない。朱子が生蛇を使うと言ったのがこのこと。
【通釈】
近年米沢の太守が倹約をして下に綿服を召された。その襦袢を役人に下され、その役人が領内へ行った時に、名主の処で小袖を下に脱いで襦袢を釘に掛けて置いたという。そこで名主が何故小袖を下に置いて木綿の襦袢を釘に掛けて置かれるのかと問うと、あの襦袢は殿様のだと言ったそうである。名主も殊の外富豪な者であったが、まさにこれが法度ですかと言って、娘を片付けるにも様々な支度もあったが、皆木綿にして片付けたという。これは近来のことで、この頃読んだ書付で見たこと。公儀の法度を直にしたというのがこれ。軽い様なことで、これが直に小学の衣服之制の活きたこと。朱子が門人に、御前達は死蛇を使う。生蛇を使うことができないと言われた。唐のことを巻舌で読んでも役に立たない。今日に引き付けて今の衣装法度と見るのが小学の衣服之制を活かして用に立てるというもの。
【語釈】
・死蛇を弄[つか]ふ…朱子語類89。礼六。「伯量問、殯禮可行否。曰、此不用問人、當自觀其宜。今以不漆不灰之棺、而欲以磚土圍之、此可不可耶。必不可矣。數日見公説喪禮太繁絮、禮不如此看、説得人都心悶。須討箇活物事弄、如弄活蛇相似、方好。公今只是弄得一條死蛇、不濟事」。


敬身41
曲禮曰、共食不飽。謙也。謂共羹飯之大器。共飯不澤手。澤謂捼莎也。禮飯以手。臨食捼莎、恐爲人穢。毋摶飯、爲欲飽不謙。毋放飯、放飯、大飯也。毋流歠、流歠、長歠也。毋咜食、咜、口舌中作聲。嫌薄之。毋齧骨、爲有聲不敬。毋反魚肉、爲己歴口爲人所穢。少牢禮、尸所食餘肉、皆別致於肵俎。毋投與狗骨、爲其賤飮食之物。毋固獲、取有不獲、不可固也。毋揚飯、飯黍毋以箸、毋嚃羹、嫌欲疾也。揚、去熱氣也。飯黍當用匕。嚃謂不嚼菜。毋絮羹、爲其詳於味也。絮猶調也。謂加以鹽梅。毋刺齒、爲其弄口不敬。毋歠醢。亦嫌詳於味也。醢、肉醬也。醬宜鹹。歠者、爲其淡故也。客絮羹、主人辭不能亨。客歠醢主人辭以窶。主人優賓之辭。亨、煮也。窶、貧也。濡肉齒决、濡、濕也。决猶斷也。乾肉不齒决。堅。宜用手。毋嘬炙。爲其貪也。嘬謂一舉盡臠。
【読み】
曲禮に曰く、食を共にして飽かず。謙るなり。羹飯の大器を共にするを謂う。飯を共にして手を澤せず。澤は捼莎を謂うなり。禮飯は手を以てす。食に臨みて捼莎すれば、人の穢れを爲んことを恐る。摶飯すること毋かれ、飽きんことを欲して謙らざる爲なり。放飯すること毋かれ、放飯は大飯なり。流歠[りゅうせつ]すること毋かれ、流歠は長歠なり。咜食すること毋かれ、咜は、口舌の中に聲を作す。之を薄くするを嫌わん。骨を齧むこと毋かれ、聲有りて敬まざる爲なり。魚肉を反すこと毋かれ、己口を歴るを爲して人を穢さん所を爲す。少牢禮に、尸食う所の餘肉は、皆別に肵俎に致す、と。狗に骨を投げ與うること毋かれ、其の飮食の物を賤しむ爲なり。獲を固くすること毋かれ、取りて獲らざること有れば、固す可からざるなり。飯を揚ぐること毋かれ、黍[しょ]を飯して箸を以てすること毋かれ、羹を嚃[とう]すること毋かれ、疾からんを欲するを嫌わん。揚は熱氣を去るなり。黍を飯するは當に匕を用うべし。嚃は菜を嚼にせざるを謂う。羹を絮[じょ]すること毋かれ、其の味に詳かなる爲なり。絮は猶調のごとし。加うるに鹽梅を以てするを謂う。齒を刺すこと毋かれ、其の口を弄び敬まざる爲なり。醢[かい]を歠[すす]ること毋かれ。亦味に詳なるに嫌しければなり。醢は肉醬なり。醬は宜しく鹹すべし。歠は其の淡き爲故なり。客羹を絮せば、主人亨ること能わずと辭す。客醢を歠れば、主人辭するに窶[く]を以てす。主人の賓を優にするの辭なり。亨は煮なり。窶は貧なり。濡肉は齒にて决[た]ち、濡は濕なり。决は猶斷のごとし。乾肉は齒にて决たず。堅し。宜しく手を用うべし。炙を嘬[さい]すること毋かれ。其の貪る爲なり。嘬は一舉して臠を盡すを謂う。

○曲礼曰、共食云々。飲食の上のことか日々のことて、さてはや是程人品のしれるものはない。飲食の欲には甲乙あり、淡ひ人もあり、貪る人もありて次第階級はあれとも、至て身に切なものゆへ、兎角人品が爰て知れる。万端食物の上にこさいに戒をするかそれゆへなり。あの方ては飲食をめい々々にせす、一つに食ふことかある。其時腹一抔にくわぬことなり。○すこしくふてをると云か謙になるなり。○此方て云へは鯉の差身を大鉢へつくりて出すことかある。それを吾へひきよせて食ふて坐中へはまわらぬことかある。それがわるいことぞ。○澤手は手をすることて、两の手を合せてすることなり。○捼莎は漢唐の間の俗語なり。鄭玄か注か孔頴達か疏にありた。○摶飯は、飯を手ては食はれそふもないものなれとも、あちのは強飯なり。今此方の飯は堅ひ饘[かゆ]なり。あの方ては飯をこしきへかけてむす。やはりこちのこわ飯と同しことなり。摶すと云へは焼飯のよふにする。
【解説】
「曲禮曰、共食不飽。謙也。謂共羹飯之大器。共飯不澤手。澤謂捼莎也。禮飯以手。臨食捼莎、恐爲人穢。毋摶飯、爲欲飽不謙」の説明。飲食は身に切なものなので、そこで人品が知れる。そこで、飲食に戒めが要る。腹一杯に食わない。
【通釈】
「曲礼曰、共食云々」。飲食の上のことは日々のことで、さてこれほど容易く人品の知れるものはない。飲食の欲には甲乙があり、淡い人も貪る人もいて次第階級があるが、至って身に切なものなので、とかく人品がここで知れる。万端食物の上に巨細に戒めをするのがそのためである。唐では飲食を銘々にせず、一つで食うことがある。その時は腹一杯に食わない。少し食うというのが謙になる。日本で言えば、鯉の刺身を大鉢に造って出すことがある。それを自分の方に引き寄せて食うので、座中には回らないことがある。それが悪い。「澤手」は手を擦ることで、両手を合わせて擦ること。「捼莎」は漢唐の間の俗語である。鄭玄の注か孔頴達の疏にあった。「摶飯」。飯を手で食いはしそうもないものだが、唐のは強飯である。今日本の飯は堅い粥である。唐では飯を甑に掛けて蒸す。やはりこちらの強飯と同じこと。摶すというのは焼飯の様にすること。

○放飯はををくひをすることに見へるか、大の字は寸方て云ことてはあるまい。大病と云へはしたたかな病ひ。大飯と云へはしたたかくふこととみへる。句読にもかきりもなくいかいことくふことしゃとあるか、此さきに小飯而亟之の註に小口而飯とある。あれと對して見れは、ををく飯ふこととはみへぬ。然れは是は大食をすることてはなくて、したたかにほふばらぬこととみへる。○反魚肉は、手前の食ひかけをかへさぬことなり。今に合せて云へは、硯蓋の小串を食ひかけて硯蓋へかへすやふなことはせぬ筈のことなり。○獲は、とりにくいものを無理にせぬことそ。とのやふなことかさたかはしれぬか、向のあるものかこちの手に入らぬとき、その硯蓋をこちへと云ことはすまいことなり。それはわるい料理すきか鯛の目の処がよいと云。大抵な処ても鯛の目の処は三つか四つやしはないものなり。それを是非目の処を食は子はならぬと云意にもみへるか、そふてはない。
【解説】
「毋放飯、放飯、大飯也。毋流歠、流歠、長歠也。毋咜食、咜、口舌中作聲。嫌薄之。毋齧骨、爲有聲不敬。毋反魚肉、爲己歴口爲人所穢。少牢禮、尸所食餘肉、皆別致於肵俎。毋投與狗骨、爲其賤飮食之物。毋固獲、取有不獲、不可固也。毋揚飯、飯黍毋以箸、毋嚃羹、嫌欲疾也。揚、去熱氣也。飯黍當用匕。嚃謂不嚼菜」の説明。「毋放飯」は頬張らないこと。自分の食い掛けを戻さない。「獲」は取り難いものを無理に取らないことで、貴重な物を欲しがることではない。
【通釈】
「放飯」は大食いをすることと見えるが、大の字は寸法で言うことではないだろう。大病と言えばしたたかな病。大飯と言えばしたたかに食うことと見える。句読にも限りなく大層食うことだとあるが、この先の「小飯而亟之」の註に「小口而飯」とある。あれと対比して見れば、多く飯うことには見えない。そこで、これは大食いをすることではなくて、したたかに頬張らないことと見える。「反魚肉」は、自分の食い掛けを返さないこと。今に合わせて言えば、硯蓋の小串を食い掛けで硯蓋へ返す様なことはしない筈。「獲」は、取り難いものを無理に取らないこと。どの様なことかは定かにはわからないが、向こうにあるものが自分の手に入らない時に、その硯蓋をこちらへと言うことはしてはならない。これが悪い料理好きが鯛の目の処がよいと言う。大抵な処でも鯛の目の処は三つか四つしかないもの。それを是非目の処を食わなければならないと言う様な意にも見えるが、そうではない。
【語釈】
・小飯而亟之…小学内篇敬身42の語。
・硯蓋…口取肴などを祝儀の席で盛る広蓋の類。また、その盛った肴。

○毋絮羹は、主人の方は味作れがしに鹽を付て出すとみへる。味作らせる心持てさすやふにしたものなれとも、向で出すなりてよい。こちてとふこふとするか詳なり。此通に小学に戒めてあるが、今日味を詳にするを自慢する人もある。皆々それを開通[あけてとを]し、却誉めもするか、よふないことなり。不德なことそ。石原先生なとか不断これを戒められた。御手前は醉翁の子て、隨分料理は工者てなんてもくはしった。或とき人を悪くましって云たことかある。人の処へゆき、吸物椀の蓋を取てろくに吸もせす蓋をするやからもあるが、なぜそのやふに口か高剤になったと云はれた。よほとをとなしいと云人も、時世につれて遂料理のことを手抦にして、そのやふなこともある。决してあるましきことなり。○毋刺歯は、口は物を食ふか当役。歯を弄る、不敬なり。脇の方を向て楊枝をつこふ筋しゃと迂斎云へり。
【解説】
「毋絮羹、爲其詳於味也。絮猶調也。謂加以鹽梅。毋刺齒、爲其弄口不敬。毋歠醢。亦嫌詳於味也。醢、肉醬也。醬宜鹹。歠者、爲其淡故也」の説明。唐では塩を添えて料理を出し、客がそれで味を調整する。しかし、主人の出したままにするのがよい。調味を自慢するのは不徳なこと。楊枝などで歯を弄るのは悪い。
【通釈】
「毋絮羹」は、主人の方は味を作れとばかりに塩を付けて出すものと見える。味を作らせる心持で注す様にしたものだが、向こうから出すなりでよい。こちらでどうこうとするのが「詳」である。この通りに小学に戒めてあるが、今日味を詳にするのを自慢する人もいる。皆々それを許し、却って誉めもするが、これがよくない。不徳なこと。石原先生などが普段からこれを戒められた。自身は醉翁の子で、随分と料理は巧者で何でも食われた。ある時人を憎まれて言われたことがある。人の処へ行き、吸物椀の蓋を取って碌に吸いもせずに蓋をする族もいるが、何故その様に口が高剤になったのかと言われた。余程大人しいという人でも、時世に連れてつい料理のことを手柄にして、その様なことを言うこともある。これが決してあるまじきこと。「毋刺歯」。口は物を食うのが当役。歯を弄るのは不敬である。脇の方を向いて楊枝を使う筋だと迂斎が言った。
【語釈】
高剤

○客絮羹云々。是て前のことか解けた。此方て絮ると、いかさまあかられますまい、無調法と云。亭主にこのやふな挨拶をさせるやふな客振をする筈はない。唐は塩か拂底。中国の砂糖の、和邦の塩と、あちこちなり。今日砂糖も豪家では沢山つこふか、貧家ではなか々々沢山にはつかわれぬものなり。そこて餅に砂糖すくなけれはあかられまいと云やふなもの。○乾肉云々。手てとるはいやしいやふなれとも、時世々々てちこふなり。今の小笠原なとには手てとることはとんとない。○毋嘬炙。これは切り目の炙物を一口に食はぬこと。
【解説】
「客絮羹、主人辭不能亨。客歠醢主人辭以窶。主人優賓之辭。亨、煮也。窶、貧也。濡肉齒决、濡、濕也。决猶斷也。乾肉不齒决。堅。宜用手。毋嘬炙。爲其貪也。嘬謂一舉盡臠」の説明。客が絮すれば主人は謙譲する。そこで、客が調味をしないのがよい。切り目の付いた炙り物は一口に食わない。
【通釈】
「客絮羹云々」。これで前のことが解けた。こちらで絮すれば、いかにも召し上がれないでしょう、無調法なことでと言う。亭主にこの様な挨拶をさせる様な客振りをする筈はない。唐は塩が払底。中国には砂糖、日本には塩があり、それぞれである。今日では砂糖も豪家では沢山使うが、貧家では中々沢山は使えないもの。そこで餅に砂糖が少なければ召し上がれないという様なもの。「乾肉云々」。手で取るのは卑しい様だが、時世で違う。今の小笠原などでは手で取ることは全くない。「毋嘬炙」。これは切り目の付いた炙り物を一口に食わないこと。


敬身42
○少儀曰、燕侍食於君子、則先飯而後已。先飯先君子而飯。若嘗食、然。君子食罷而後已。若勸食、然。毋放飯。毋流歠。小飯而亟之、小飯、小口而飯。備噦噎也。凾、疾也。疾咽之。備見問也。數噍。謂數數噍之。毋爲口容。口容、弄口。
【読み】
○少儀に曰く、燕に君子に侍食すれば、則ち先ず飯して後に已む。先ず飯するは君子に先だちて飯す。食を嘗むるが若く、然り。君子食い罷りて後に已む。食を勸むるが若く、然り。放飯すること毋かれ。流歠[りゅうせつ]すること毋かれ。小飯にして之を亟[すみ]やかにし、小飯は小口にして飯す。噦り噎うに備うるなり。凾は疾なり。疾やかに之を咽む。問わるるに備うるなり。數々噍[か]むに、數數之を噍むを謂う。口の容を爲すこと毋かれ。口容は口を弄するなり。

○少儀曰、燕侍食云々。内證の振舞のとき、目上の相伴をすることなり。そのとき先きに食ふて侍て居る。をにをするやふな姿なり。相伴はこのあやぞ。人とくへは挌別くわれるものなり。○勸食と云か味を勸めること。勸学と云も人に学問を勸めること。百姓に農事を勸るを勸農官と云。○毋放飯云々。細かな教。中国も和邦も同しことなり。こちても教すして、大名の相伴なとを仕付たものは食ひやふか挌別よい。このやふに垩人の巨瑣なは、理の條理分派に合せることなり。それか小学の教。御側て咄をしなから相伴をするに、一盃に食ふことてはない。吾か食をふと出したことてはない。相伴と云は本迷惑なことなり。この通りてなけれは相伴と云ものてはない。
【解説】
本来、相伴は迷惑なものであって、この様にしなければ相伴とは言えない。
【通釈】
「少儀曰、燕侍食云々」。内々の振舞いの時に目上の相伴をすること。その時には先に食って侍っている。鬼をする様な姿である。相伴はこの綾。人と一緒に食えば格別に食えるもの。「勧食」は味を勧めることで、勧学というのも人に学問を勧めること。百姓に農事を勧める役を勧農官と言う。「毋放飯云々」。細かな教えである。中国も日本も同じこと。こちらでも教えずして、大名の相伴などを仕付けた者は食い様が格別によい。この様に聖人が巨細なのは、理の条理分派に合わせるからであり、それが小学の教えである。御側で話をしながら相伴をするのだから、一杯に食うことはない。自分が食うために出したのではない。相伴は本来は迷惑なこと。この通りでなければ相伴というものではない。
【語釈】
・をに…貴人の飲食物の毒見役。鬼役。主人のために飲食物の毒見をする役。鬼番。


敬身43
○論語曰、食不厭精、膾不厭細。食、飯也。精、鑿也。牛羊與魚之腥聶而切之爲膾。食精則能養人。膾麤則能害人。不厭、言以是爲善、非謂必求如是也。食饐而餲、魚餒而肉敗不食。色惡不食。臭惡不食。失飪不食。不時不食。饐、飯傷熱濕也。餲、味變也。魚爛曰餒。肉腐曰敗。色惡臭惡、未敗而色臭變也。飪、烹調生熟之節也。不時、五谷不成、果實未熟之類。此數者皆足傷人。故不食。割不正不食。不得其醬不食。割肉不方正者不食。造次不離於正也。漢陸續之母切肉未嘗不方。斷葱以寸爲度。蓋得此意。食肉用醬。各有所宜、不得則不食、惡其不備也。此二者無害於人。但不以嗜味而苟食耳。肉雖多不使勝食氣。惟酒無量。不及亂。食以穀爲主。故不使肉勝食氣。酒以爲人合歡。故不爲量。但以醉爲節而不及亂耳。沽酒・市脯不食。沽、市、皆買也。恐不精潔、或傷人也。與不嘗康子之藥同意。不撤薑食。薑、通神明去穢惡。故不徹。不多食。適可而止。無貪心也。
【読み】
○論語に曰く、食は精を厭わず、膾は細を厭わず。食は飯なり。精は鑿なり。牛羊と魚との腥聶して之を切り膾を爲る。食精なれば則ち能く人を養う。膾麤ければ則ち能く人を害す。厭わざるは、是を以て善と爲し、必ず是の如きを求むると謂うに非ざるを言うなり。食饐して餲し、魚餒[だい]して肉敗れたるは食わず。色惡しきは食わず。臭惡しきは食わず。飪[じん]を失いたるは食わず。時ならざるは食わず。饐は、飯の熱濕に傷らるるなり。餲は味變わるなり。魚爛したるを餒と曰う。肉腐りたるを敗と曰う。色惡しく臭惡しは、未だ敗れずして色臭變わるなり。飪は、烹調生熟の節なり。時ならざるは、五谷成らず、果實未だ熟さざるの類。此の數の者は皆人を傷るに足る。故に食わず。割くこと正しからざれば食わず。其の醬を得ざれば食わず。肉を割きて方正ならざる者は食わず。造次も正しきに離れざるなり。漢の陸續の母は肉を切るに未だ嘗て方ならずんばあらず。葱を斷つに寸を以て度と爲す。蓋し此の意を得るなり。肉を食うに醬を用う。各々宜しき所有り、得ずんば則ち食わざるは、其の備わらざるを惡みてなり。此の二の者は人に害無し。但味を嗜むを以て苟も食わざるのみ。肉多しと雖も食の氣に勝たしめず。惟酒は量無し。亂るるに及ばず。食は穀を以て主と爲す。肉をして食の氣に勝たしめず。酒は以て人の爲に歡を合す。故に量を爲さず。但醉を以て節と爲して亂るるに及ばざるのみ。沽酒・市脯は食わず。沽、市は、皆買なり。精潔ならず、或は人を傷んことを恐る。康子の藥を嘗めざると同意なり。薑を撤せずして食う。薑は神明を通して穢惡を去る。故に徹せず。多く食わず。可く適きて止む。貪る心無きなり。

○論吾曰、食不厭精云々。また論吾を引き、孔子の平生の御食事のことをここへ引たものなり。是かなにも孔子の方に思召あってしたことてはない。自然にこふなり。それか万代の教になる。孔子は米を上白に鑿脱[つきぬき]、白に厭[あき]はない。鑿はつくことなり。今鑿と云は道具になってをる。あれもつくから云。○聶は此方て云、みとってをろすことなり。生雪なものは本あまりこのましくないもの。大概はこなれか子る。ほそくなけれはわるい。○言以是云々。垩人のよふすを書たもの。白ひ方に厭はない。そふ云たとて、今日の飯のやふに黒ひ飯はない。これがくわれるものかと云ことはない。すこし黒てもかまいはしゃっしゃらぬ。垩人の方に六ヶ敷ことはないとみるがよひ。歴々かひとつこれか食はれるものかと云と、それに付て下々の難儀になることかある。不厭々々と云か大切な意そ。
【解説】
「論語曰、食不厭精、膾不厭細。食、飯也。精、鑿也。牛羊與魚之腥聶而切之爲膾。食精則能養人。膾麤則能害人。不厭、言以是爲善、非謂必求如是也」の説明。ここは孔子の食事のことだが、孔子は思し召しがあってその様にしたのではない。「不厭」が大切である。
【通釈】
「論語曰、食不厭精云々」。また論語を引き、孔子の平生の御食事のことをここへ出した。何もこれが孔子の方に思し召しがあってしたことではない。自然にこうであり、それが万代の教えになる。孔子は米を上白に鑿脱[つきぬき]、白いのを厭わない。鑿は搗くこと。今は鑿が道具になっている。あれも搗くことから言う。「聶」は日本で言う、見取って下ろすということ。生雪なものは本来あまり好ましくないもの。大概はこなれかねる。細くなければ悪い。「言以是云々」。これが聖人の様子を書いたもの。白い方に厭いはない。そうとは言え、今日の飯の様に黒い飯はない。これが食えるものかと言うのではない。少し黒くても構われない。聖人の方に難しいことはないものと見なさい。歴々が一つこれが食えるものかと言うと、それが下々の難儀になることがある。不厭々々と言うのが大切な意。
【語釈】
生雪

○食饐而餲云々。前には不厭とあり、ここには不食とある。前はすこしはつれたとてもよいが、ここは不養生になるゆへとんとくわぬ。凡夫はさま々々なものえらみをしてをごりなから、又十方もないものも食ふ。凡夫の凡夫たる処てあろふ。垩人はすこし異なものは决してくわぬ。今日の人のかつほに酔も大抵しって酔ふなり。欲か深ゆへ、このくらいはよかろふとてくふ。ぢきに鉢巻をするやふになる。物を烹るにも加减かあって、飪過たもわるけれは、生飪へもわるい。又生烹てよいものかあり、熟烹てよいものかある。そこて之節と註す。
【解説】
「食饐而餲、魚餒而肉敗不食。色惡不食。臭惡不食。失飪不食。不時不食。饐、飯傷熱濕也。餲、味變也。魚爛曰餒。肉腐曰敗。色惡臭惡、未敗而色臭變也。飪、烹調生熟之節也。不時、五谷不成、果實未熟之類。此數者皆足傷人。故不食」の説明。不養生になるものは食わない。今の人は欲が深いので、この位はよいだろうと思って食う。
【通釈】
「食饐而餲云々」。前には不厭とあり、ここには不食とある。前は少し外れたとしてもよいが、ここは不養生になるので全く食わない。凡夫は様々な物選びをして奢りながら、また途方もないものも食う。それが凡夫の凡夫たる処だろう。聖人は少しでも異なものは決して食わない。今日の人が鰹に酔うのも、大抵は知っていて酔うのである。欲が深いので、この位はよいだろうと思って食う。そこで直に鉢巻をする様になる。ものを烹るにも加減があって、飪過ぎるのも悪ければ、生飪えも悪い。また、生烹えでよいものもあり、熟烹でよいものもある。そこで「之節」と註す。

○割不正云々。垩人は平生か正しひゆへまかりたものをいやに思召て、芋や菎蒻を切るにまげてはきらぬ。腹の中へはいれはひとつなれとも、とかく心持かわるい。これて垩人の上の格別なと云かしれる。一事て万事がしれる。書を読者か文字がかいないゆへ、割不正不食と云とこれ斗りと思が、なにもかもこふなり。多葉粉盆を出。眞正にもつ。すきものをすくもまっすく。なか々々片角がまがりたなとと云ことはない。食物も食へき者は食ふ。丁と寒ひ時着物をきるやふなもの。その外は食子は叶はぬと云ことはない。今日の人は食たひと云か主ゆへ、わきひら見すに食ふ。をらか旦那は猫のなき食ひしゃと云ふ。なせなれは、しかりなから食ふ。○造次不離於正は、論吾て一寸の間も仁にはなれぬと云ことがある。それを假てここに注したはよい出しやふなり。御手前か正しひゆへ、どふも不正なものかいやなり。○漢陸続之母と、これを出したかさて々々靣白ひ。たたのをばばなり。女の役ゆへ料理をするに、此老女かいこふ正かった。孔子の思召に叶ふたと引た。○用醤各云々。礼記の内則に、なににはなにを用るとこまかにある。
【解説】
「割不正不食。不得其醬不食。割肉不方正者不食。造次不離於正也。漢陸續之母切肉未嘗不方。斷葱以寸爲度。蓋得此意。食肉用醬。各有所宜、不得則不食、惡其不備也。此二者無害於人。但不以嗜味而苟食耳」の説明。孔子は御自身が正しいので、どうも不正なものが嫌である。「割不正不食」は、食事のことだけでなく、全てにおいて真っ直ぐなのである。
【通釈】
「割不正云々」。聖人は平生が正しいので曲ったものを嫌に思し召して、芋や蒟蒻を切るのにも曲げては切らない。腹の中へ入れば一つになるのだが、とかく心持が悪い。これで聖人の上が格別なことが知れる。一事で万事が知れる。書を読む者が文字が甲斐ないので、割不正不食と言うとこればかりと思うが、何もかもこうである。煙草盆を出すにも真っ直ぐに持つ。敷物を敷くにも真っ直ぐにする。片角が曲るなどということは中々ない。食物も食べるべきものは食う。丁度寒い時に着物を着る様なもの。その外のものを食べなければ叶わないと言うことはない。今日の人は食いたいというのが主なので、脇を見ずに食う。俺の旦那は猫の鳴き食いだと言う。それは何故かと言うと、叱りながら食うからである。「造次不離於正」は、論語に一寸の間も仁から離れないということがあり、それを借りてここに注したもの。これがよい出し様である。御自身が正しいので、どうも不正なものが嫌である。「漢陸続之母」と、これを出したのが実に面白い。ただの御婆である。女の役なので料理をするのだが、この老女が大層正しかった。孔子の思し召しに叶うのでここに引いた。「用醤各云々」。礼記の内則に、何には何を用いると細かにある。
【語釈】
・一寸の間も仁にはなれぬ…論語里仁5。「君子無終食之閒違仁。造次必於是、顛沛必於是」。

○内雖多云々。肉のいかいことあることもあるが、その分量を脇からみてをるに、兎角飯のかさほとはくわぬ。垩人は、をれは酒を何程飲まふと云はないか、なんとなしにめしあかられたか、酒をあかりたやふすかみへなんた。大概禁物にして飲ぬか小学のあたりまへて、それかまつは上々吉なり。毒の試てのむはわるい。飲まぬとのけとをく。其次は三爵[さんこん]かきりしゃ。その上はのまぬと云がよい。垩人はそんなことはない。背後に太極かある。不断の者か無量と云ともっての外なり。垩人のは以酔爲節て、咽の渇くとき渇むやふなもの。量はない。あのかたなれはなんのことはないか、酒には疵かある。ほんのりとなる。これから先をのまぬ。すっはぬきの爭のと云ことはあたまて云に及ぬこと。たたあかりたていもみへぬ。気の方へ流れることは垩人にはとんとない。酒を飲までか大極の働なり。
【解説】
「肉雖多不使勝食氣。惟酒無量。不及亂。食以穀爲主。故不使肉勝食氣。酒以爲人合歡。故不爲量。但以醉爲節而不及亂耳」の説明。孔子は酒を飲んでも飲んだ風に見えない。それは、後ろに太極があって、気に流れることがないからである。しかし、酒は禁物にして飲まないのが小学の当然である。
【通釈】
「内雖多云々」。肉が大層あったとしても、その分量を脇から見ていると、とかく飯の嵩ほどは食わない。聖人は、俺は酒をどれほど飲もうと言うことはない。何となく召し上がるのだが、酒を飲んだ様子がわからなかった。大概は禁物にして飲まないのが小学の当たり前で、それが先ずは上々吉である。毒試しで飲むのは悪い。飲まないものと除けて置く。その次は三献限りとする。それ以上は飲まないと言うのがよい。聖人にその様なことはない。背後に太極がある。普通の者が無量と言うのは以の外である。聖人のは「以酔為節」で、咽が渇く時に飲む様なもの。量はない。あの方であれば何の事もないが、酒には疵がある。ほんのりとなる。これから先は飲まない。素っ破抜きや争いのことなどは最初から言うには及ばない。召し上がった体にも見えない。気の方へ流れることは聖人には全くない。酒を飲むことまでが太極の働きである。

○沽酒云々。市店てこしらへるものなり。今は歴々ても手前にはないか、古は手前て制した。古は手厚ゆへ何も角も手前てした。今も田舎にはこの遺風はあるか、三ヶ津てはこしらへられぬ。今かまほこを食てもよいと医者かゆるすと下々か病人に買ふてくはせるか、買ふたかまほこ、なにかしれぬことそ。むさとくわすへきことてない。今賣薬を飲む人もあるか、ひょんなことなり。あれも名高のは吟味をつめて中々ませものはせぬものてよいか、門賣になにかしれぬ。不吟味しゃと、冨豪な者も賣薬を買ふ。此様なことをよく々々つつしんてせぬかよい。○不撤薑云々。孔子は生姜か御好かと存したと云はをかしい論なり。御嫌でもあるまい。生姜を食の度にあかりたと云へは、これにはわけのあらふことそ。○生姜は神気をさわやかにし、口中の胃熱なともさっはとなる。中国人は肉食をするゆへ心持のわるいこともあろふ。そこて弟子職に醤を飲むことかある。あれを人か酒のことと思ふがそふてはない。膳に酒のつくは酒て口中を漱く。腥[なま]ものに付たものなり。香物を忘れすに食はれたと云やふなもの。料理に香物の者のあるかきこへたことなり。粗的[さっと]したことなれとも、厚味の跡て香物を食ふと云か人の腹合に自然なことなり。
【解説】
「沽酒・市脯不食。沽、市、皆買也。恐不精潔、或傷人也。與不嘗康子之藥同意。不撤薑食。薑、通神明去穢惡。故不徹」の説明。人の作ったものは何でできているのかわからないので吟味が要る。「不撤薑」は、孔子が生姜が好きだということではない。口や胃をさっぱりとさせるためにそれを食べたのである。
【通釈】
「沽酒云々」。市店で拵えるもの。今は歴々でも自分のところでしないが、古は自分で制した。古は手厚いので何もかも自分でした。今も田舎にはこの遺風があるが、都では拵えない。今蒲鉾を食ってもよいと医者が許すと下々が病人に買って食わせるが、買った蒲鉾は何か知れないもの。無造作に食わせるべきものではない。今売薬を飲む人もいるが、それはひょんなこと。あれも名高い物は吟味を詰めて混ぜ物も中々しないのでよいが、門売りでは何か知れない。不吟味だと、富豪な者でも売薬を買う。この様なことをよく慎み、しないのがよい。「不撤薑云々」。孔子は生姜が御好きと存ずると言うのは可笑な論である。御嫌いでもないだろうが、生姜を食の度に召し上がったと言えば、これにはわけがあることだろう。生姜は神気を爽やかにし、口中の胃熱などもさっぱりとなる。中国人は肉食をするので心持の悪いこともあるだろう。そこで弟子職に醤を飲むことがある。あれを人が酒のことだと思っているがそうではない。膳に酒が付くのは酒で口中を漱ぐため。腥[なまもの]に付いているもの。香物を忘れずに食われたという様なもの。料理に香物があるのがよくわかる。それは一寸したことだが、厚味の後で香物を食うというのが人の腹合いには自然なこと。

○不多食を、医書に上の不撤薑へ著てあり。あれは彼方の勝手に取たもの。ここはそふてはない。なべての食か、兎角孔子は多は召上られす、ひかへめてありた。人欲か充満ゆへ、よい料理てもあるともふ一つ腹をほしいものしゃと云。そのやふに飲食にしかみつくか凡夫なり。○適可而止は天理。○貪心は人欲なり。直方先生の弟子の沢一か考へたと云。飯を食ふにこれ迠か天理、是からさきを食へは人欲しゃとためしたと云か本の学者なり。中々大抵な坊主ではない。
【解説】
「不多食。適可而止。無貪心也」の説明。「不多食」は生姜のことではなく、食事全般に対してそうだったということ。「適可而止」が天理。「貪心」が人欲である。
【通釈】
「不多食」を、医書に上の不撤薑のこととして著してある。しかし、それは向こうで勝手に取ったもので、ここはそうではない。全ての食に関して、とかく孔子は多くは召し上がられず、控え目だった。人欲が充満しているので、よい料理でもあるともう一つ腹が欲しいものだと言う。その様に飲食にしがみ付くのが凡夫である。「適可而止」は天理。「貪心」は人欲である。直方先生の弟子の沢一が考えたと言うが、飯を食うのにこれまでが天理、これから先を食えば人欲だと試したというのが本当の学者である。中々大抵な坊主ではない。
【語釈】
・沢一…大神澤一。筑前早良郡原の人。瞽者。享保10年(1725)12月1日没。年42。佐藤直方門下。


敬身44
○禮記曰、君無故不殺牛、大夫無故不殺羊、士無故不殺犬豕。故謂祭祀之屬。君子遠庖厨、凡有血氣之類弗身踐也。踐、當爲翦。聲之誤也。此謂尋常。若祭祀之事、則身自爲之。
【読み】
○禮記に曰く、君故無ければ牛を殺さず、大夫故無ければ羊を殺さず、士故無ければ犬豕[けんし]を殺さず。故は祭祀の屬を謂う。君子は庖厨を遠ざけ、凡そ血氣有るの類は身[みずか]ら踐[ころ]さざるなり。踐は當に翦に爲るべし。聲の誤りなり。此は尋常を謂う。祭祀の事の若きは、則ち身自ら之を爲す。

○礼記曰、君無故云々。諸侯のことても一国の君たる人ても、なんぞしさいなけれは殺さぬ。あの方ては牛か重ひものになってをる。これをわれ々々しきのことにかけて云へは、わけなしに鯛の向詰をせぬことなり。○君子遠云々。これは上とは分のことに云かよい。上は重立たもの、胡乱に用ぬこと。ここは生き物を手つから殺さぬこと。臺所はちと遠くにする。なせと云に、牛や羊を生して畜てをく。なんその時殺して料理につこふ。その打殺されるときの声か耳へはえる。そこて遠くにする。鳩や雀ても自身に手ををろしてしめることはせぬ。孟子梁惠王不忍一牛之死の或問に詳にこのあやを書てさしをかれた。これか仏法の殺生戒とは違ふ。仏法はなんても殺さぬことにする。謀反人ても命を助けたがる。垩人はそんなことてはない。牛の羊のと云をみだりに殺はせぬが、用なれは殺す。なき声かよろこはしくないゆへ遠くなり。そんならは垩人は推已と云に料理人はとふすると云。それは殺すか職分。軍するとき、人を殺すやふなものなり。
【解説】
用がなければ牛や羊を殺さない。また、自らが家畜を殺すことはしない。料理人がそれをする。仏法の殺生戒とは違い、用がある時は殺す。
【通釈】
「礼記曰、君無故云々」。諸侯でも一国の君たる人でも、何かの仔細がなければ殺さない。唐では牛が重いものになっている。これを我々如きのことに掛けて言えば、わけなしに鯛の向う詰めをしないこと。「君子遠云々」。これは上とは別なこととするのがよい。上は重いものを妄りに用いないこと。ここは生き物を自らが殺さないこと。台所は少し遠くに造る。それは何故かと言うと、牛や羊を生かして畜えて置く。それを何かの時に殺して料理に使う。その打ち殺される時の声が耳に入る。そこで遠くにする。鳩や雀でも自分で手を下ろして絞めることはしない。孟子梁恵王不忍一牛之死の或問に詳細にこの綾を書いて置かれた。これは仏法の殺生戒とは違う。仏法は何でも殺さないことにする。謀叛人でも命を助けたがる。聖人はその様なことではない。牛や羊を妄りに殺しはしないが、用があれば殺す。鳴き声が喜ばしくないので遠ざけるのである。それなら聖人は推已だが、料理人はどうすると言う。それは殺すのが職分。軍をする時に人を殺す様なもの。
【語釈】
・孟子梁惠王不忍一牛之死…孟子梁恵王章句7を指す。
推已


敬身45
○樂記曰、豢豕爲酒、非以爲禍也。而獄訟益繁、則酒之流生禍也。以穀食犬豕曰豢。爲、作也。言豢豕爲酒、本以享祀養賢、而小人飮之善酗以致獄訟。是故先生因爲酒禮、一獻之禮賓主百拜。終日飮酒而不得醉焉。此先王之所以備酒禍也。一獻、士飮酒之禮。百拜、以喩多。
【読み】
○樂記に曰く、豕[し]を豢[やしな]い酒を爲るは、以て禍を爲すには非ず。而れども獄訟益々繁きは、則ち酒の流れの禍を生ずればなり。穀を以て犬豕を食わしむるを豢と曰う。爲は作なり。豕を豢い酒を爲るは、本以て祀を享し賢を養いて、小人之を飮み善酗して以て獄訟を致すを言う。是の故に先王因りて酒禮を爲り、一獻の禮に賓主百拜す。終日酒を飮みて醉を得ず。此れ先王の酒の禍に備うる所以なり。一獻は士酒を飮むの禮。百拜は以て多きに喩う。

○楽記曰云々。古から人を饗応すると云にたた親切斗りてはならぬ。そこて饗応には飲食なふては叶はぬ。○豕豢爲酒はみな、人に振舞饗応しよふとて仕初たものなり。○禍をでかそふとてしたことてはない。こふ云は含むことあって云語とみるかよい。あとのことを云ををとてのことなり。兎角酒か麁相のあるものて、どこてもかしこでも喧嘩口論かある。夫れを思念[たんだへ]てみると皆酒なり。一抔すぎてから事か起る。○養賢と云は老者なり。なせ賢か老人なれは、学校てみよ。必老人なものなり。賢德ある人か学校て重ひ料理を下さる。古三老五更養庠序と云がこれなり。始喧嘩をしろとつくりはせぬか、酒から爭か起る。そこて禹王がこれを嘗めて顔をしかめられた。狂薬而非佳味と云もいろ々々なくせがある。そふなふても口がまわってきたと云。そんならやめにするかよいと云に、捨てをかれず、取れはをもかげなり。先祖を祭り、老人を養ものゆへ、すててをかれぬ。
【解説】
「樂記曰、豢豕爲酒、非以爲禍也。而獄訟益繁、則酒之流生禍也。以穀食犬豕曰豢。爲、作也。言豢豕爲酒、本以享祀養賢、而小人飮之善酗以致獄訟」の説明。酒は、先祖を祭り、老人を養うものだが、争いも酒から起こる。
【通釈】
「楽記曰云々」。古から人を饗応するにはただ親切ばかりではならない。そこで饗応には飲食がなくてはならない。「豕豢為酒」は皆、人に振舞い饗応しようとして始まったもので、禍を作ろうとしたことではない。この様に言うのは含むことがあってのことで、後のことを言おうとしてのこと。とかく酒が粗相のあるもので、何処もかしこも喧嘩口論がある。それを突き詰めて見ると皆酒である。一杯が過ぎて事が起こる。「養賢」は老者。何故賢が老人かと言うと、学校を見なさい、必ず老人である。賢徳ある人が学校では重い料理を下さる。「古三老五更養庠序」と言うのがこれ。始めに喧嘩をしろと作りはしなかったのだが、酒から争いが起こる。そこで禹王がこれを嘗めて顔をしかめられた。「狂薬而非佳味」と言うが、酒には色々な癖がある。そうでなくても口が回って来たと言う。それなら止めにするのがよいと言っても、捨てて置かれず、取れば面影である。酒は、先祖を祭り、老人を養うものなので、棄てては置けない。
【語釈】
古三老五更養庠序
・禹王がこれを嘗めて顔をしかめられた…孟子離婁章句下20。「孟子曰、禹惡旨酒而好善言」。同集註。「戰國策曰、儀狄作酒。禹飲而甘之曰、後世必有以酒亡其國者。遂疏儀狄而絶旨酒」。
狂薬而非佳味…酒を嗜む勿かれ。狂薬にして佳味に非ず。

○是故云々。酒を飲に儀式かある。亭主と客か百たひ程辞義がある。義式て酒を飲せる。今酒をのむなと云とむつかしいか、礼を立たと云か靣白ひ。酒をのむなと云より此通りの儀式でのめと云。その儀式てするゆへ、かふ酒を飲ては気根かつつくまいと云位になる。これて飲食之節になる。葷酒不許入山門と云やふなことてはない。先王の礼か立てある。先王の本のは見ぬか、石原先生や迂斎なとの節要會の跡て酒盛のあるがこふてありた。四十年のなしみて、いつも々々々始の通りなり。今のは肩衣をとってをろくにと云。それか喧嘩の始なり。此行義てなけれはならぬ。
【解説】
「是故先生因爲酒禮、一獻之禮賓主百拜。終日飮酒而不得醉焉。此先王之所以備酒禍也。一獻、士飮酒之禮。百拜、以喩多」の説明。酒を飲むなとは言わずに、酒は儀式で制する。儀式にするので飲食之節となる。
【通釈】
「是故云々」。酒を飲むにも儀式がある。亭主と客が百度ほど辞儀をする。儀式で酒を飲ませる。今酒を飲むなと言うと難しいが、礼を立てるというのが面白い。酒を飲むなと言うよりもこの通りの儀式で飲めと言う。その儀式でするので、この様に酒を飲んでは気根が続かないだろうというくらいになる。これで飲食之節になる。「不許葷酒入山門」という様なことではない。先王の礼が立ってある。先王の本のは見えないが、石原先生や迂斎などが節要会の後で酒盛りをするのがこの様だった。四十年来の馴染みだが、いつも最初の通りだった。今のは肩衣を取って楽にしろと言う。それが喧嘩の始まりである。この行儀でなければならない。
【語釈】
・葷酒不許入山門…「不許葷酒入山門」。禅寺の門の脇の戒壇石に刻まれる句。


敬身46
○孟子曰、飮食之人則人賤之矣。爲其養小、以失大也。小、口腹。大、心志也。
【読み】
○孟子曰く、飮食の人は則ち人之を賤しむ。其の小を養いて、以て大を失うが爲なり。小は口腹。大は心志なり。

○孟子曰、飲食云々。此語をここへのせたて、朱子の丁どの御手かみへてをる。衣服之制のしまいに耻悪衣悪食者未足與議と学者の魂ひに的することを云、飲食の戒に又学者の魂ひになることを云。上段々平生食事の儀式から酒を飲むまて、かたてをすことはみな出てある。偖てこれを学者の戒にすることなり。学者の欲にはまるはいかにしてもさもしいこと。そこて飲食の欲のきり々々を説たもの。○之人と云がいやなことなり。飲食は垩人から凡夫、公方様から日雇取迠するものなれとも、之人と云かそれやになること。夏語[からのこと]に酒徒と云こともあり、飲食之人と云になると不断それ斗り考てをる。もふ私は砂村の茄子をたへたと云と、いやをれは駿河をとふにくうたと云。直方先生か初鰹を食ふたかと問へは、御耻しなからまだたべぬと云。なに耻しひことかあろふとなり。凡夫は飲食之人と云羽織を着てをるゆへ、初ものがをそいと云と耻がしがる。凡夫はうらやむか、
【解説】
「飲食之人」は嫌なもの。飲食之人は飲食のことばかりを考えており、初物が遅いと恥ずかしく思う。
【通釈】
「孟子曰、飲食云々」。この語をここへ載せたので、朱子の丁度の御手が見える。衣服之制の最後に「恥悪衣悪食者未足与議」と学者の魂に中ることを言い、飲食の戒めにまた学者の魂になることを言う。上段々、平生の食事の儀式から酒を飲むことまで、形で推すことは皆出ていて、さて、これが学者の戒めにすること。学者の欲に嵌るのはいかにしてもさもしいこと。そこで飲食の欲の至極を説いた。「之人」というのが嫌なこと。飲食は聖人から凡夫、公方様から日雇取りまでがするものだが、之人が其屋になること。唐の語に酒徒ということもあり、「飲食之人」ということになるといつもそればかりを考えている。もう私は砂村の茄子を食べたと言うと、いや俺は駿河のをとっくに食ったと言う。直方先生が初鰹を食ったかと問うと、御恥ずかしながらまだ食べていないと言う。何で恥ずかしいことがあるものかと言った。凡夫は飲食之人という羽織を着ているので、初物が遅いと恥ずかしがる。凡夫は羨むが、「人賎之」である。
【語釈】
・耻悪衣悪食者未足與議…敬身40。「孔子曰、士志於道而恥惡衣・惡食者未足與議也」。

○人賎之。此人は本来の上から云。さてきたないと云。手抦そふに料理を自慢するが、なに手抦てあろふそ。飲食之人ゆへ食ふこと斗りに心かけてをる。人間は天地人三才て、くう斗りが役てはない。食ふこと斗りでは禽獣も同しことなり。さりとはざまのわるいことなり。○矣の字がきびしくとめたもの。人が安くする。なぜ安くすると云に尤なことなり。口の腹のと云は僅の間なり。先年又四郎と云町の名主かなににもかまわぬ男で、皆がなにかむまかるか、うまいと云か一寸の間しゃと云た。此は尤な云分なり。呑込でしまふとなんのことはない。いかにしても小い子がひ。食物の家来になるやふなもの。そこを養小以失大と云。心は人の家に旦那のあるやふなもの。ところをさま々々なものをくいたかり、あれはこふしよふ、これはどふしよふと云。それから甘ひ物は喜ひ、塩梅かわるいと家来をしかり、心はらんさわきになる。食のために心につかわれる。そこて飲食は人になくて叶ぬことて、これを第一とかまへると心がみなになるゆへ、飲食て此方の大切の德に傷を付る。そこを孟子か飲食之人云々と云。易の象傳に節飲食と云ことあり、此方の飲食を礼に叶ふやふにして、礼から外へ出ぬことを節飲食と云ふ。平生くいやふから戒めて、心か欲に奪はれると云ことはない。節をこへることはない。それからは養性にもなるゆへ、これを丁との節度にあてることなり。
【解説】
人間は天地人三才で、食うことだけが役ではない。食うことだけでは禽獣も同じである。「飲食之人」は食物の家来である。
【通釈】
「人賎之」。ここの「人」は本来の上から言う。さて汚いと言う。手柄そうに料理を自慢するが、何で手柄であるものか。飲食之人なので食うことばかりに心を掛けている。人間は天地人三才で、食うことばかりが役ではない。食うことばかりでは禽獣も同じこと。それは実に様の悪いこと。「矣」の字が厳しく止めたもの。人が安くする。何故安くするのかと言うと、これが尤なこと。口や腹というのは僅かな間である。先年又四郎という町の名主が何も構わない男で、皆が何故か美味がるが、美味いということは一寸の間だと言った。それは尤もな言い分である。飲み込んでしまうと何の事はない。いかにしても小さい願いである。それは食物の家来になる様なもの。そこを「養小以失大」と言う。心は人の家に旦那のある様なもの。そこを様々な物を食いたがり、あれはこうしよう、これはどうしようと言う。それから美味いものは喜び、塩梅が悪いと家来を叱り、心が乱騒ぎになる。食のために心が使われる。そこで飲食は人になくては叶わないことだが、これを第一と構えると心が台無しになる。飲食で自分の大切な徳に傷を付ける。そこを孟子が飲食之人云々と言った。易の象伝に「節飲食」とあり、自分の飲食を礼に叶う様にして、礼から外へ出ないことを節飲食と言う。平生の食い様から戒めるので、心が欲に奪われることはない。節を越えることはない。それからは養生にもなるので、これが丁度の節度に当てることになる。
【語釈】
・節飲食…易経頤卦。「象曰、山下有雷頤。君子以愼言語、節飮食」。


右明飮食之節。
【読み】
右、飮食の節を明かにす。