明倫第二  八月十一日  慶年録
【語釈】
・八月十一日…寛政元年(1789)8月11日。
・慶年…北田慶年。太兵衛、榮二と称す。東金市福俵の人。学思齋の主。篠原惟秀の兄。稲葉黙斎門下。

此からだの相手になるものは五倫なり。親ありてこと云ものは生す。夫より君臣夫婦兄弟朋友等ありてのっ引ならぬことで、此方の體と向い合ているものをのがるることは成ぬ。これを離れやうとすることはならぬ。それほどな五倫なれとも、明にするでないと、譬へは刄のない物でものを切る様で、どうも切ることはならぬ。五倫ばかりで道に叶ふことはならぬ。そこで小學の教は是五倫を明にすることである。なれとも、とかく吾此肉身を第一にする故にどふも五倫の間に云分が出来る。五倫の明にならぬのは手前の方へ尤を付る故なりと思へ。今日親に不孝なものがあるに、それへ異見を云へは、御親切辱ひが、云こそいたさ子、私親は世間の人とは違ひます、其手では参らぬと云。又、兄と不和なものに異見をする。いや人にこそ申さ子、ヶ様でごさればと、皆手前を尤にするのなり。それが大根五倫の道が明になひゆへなり。明にすと云は、直方の昏闇でも取違へぬこと、と。明の字を能ふ云れた。端的に云はは、舜の親の瞽瞍か殺そふと迠したに、舜はくらやみでも孝をとりちがへぬ。いかに親じゃとてもと云さうな処で云はぬ。
【解説】
人には五倫があり、それから逃れることはできない。しかし、五倫は明にしなければならないもので、その五倫を明にするのが小学の教えである。人はとかく自分の肉身を第一し、自分を尤もなものとする。直方先生が、「明」とは暗闇でも取り違えないことだと言った。
【通釈】
この体の相手になるものは五倫である。親があって子というものが生じる。それから君臣夫婦兄弟朋友等があり、これがのっぴきならないことで、この体と向い合っているものから逃れることはできない。これを離れようとすることはできない。それほどの五倫だが、明にするのでないと、たとえば刃のないもので物を切る様で、どうも切ることはできない。五倫だけでは道に叶うことはできない。そこで小学の教えはこの五倫を明にすることにあるのだが、とかくこの肉身を第一にするのでどうも五倫との間に言い分ができる。五倫が明にならないのは自分の方へ尤もを付けるからだと思いなさい。今日親に不孝な者がいて、それに異見を言うと、親切は忝いが、口には出さないものの、私の親は世間の人とは違います、その手ではうまく参りませんと言う。また、兄と不和な者に異見をすると、いや人にこそ言わないが、この様なことなので仕方がないと言う。それは皆自分を尤もとするからである。それが大根の五倫の道が明でないからである。明にすを、直方先生が暗闇でも取り違えないことだと言った。それが明の字をよく言ったこと。端的に言えば、舜の親の瞽瞍が殺そうとまでしたのに、舜は暗闇でも孝を取り違えない。いかに親でもと言いそうな処で言わない。

又、君臣のことで云はは、浅見先生の彦根の家中の人へか申さるるに、学問せぬと主をとり違へるものと云われたれば、彼の人いかに学問せぬとて我々式も相応に小禄をも蒙りてをる、主を取違るとは先生の仰でも余り情ないことと腹立ちそふに云ふたを、先生の、いやそうでない、常はとり違ひぬが、乱世になると取違ることのあるぞと云れた。此荅も面白いことなり。降參は云に足らぬが、其外でも、出まじき処へ奉公するのは主をとり違ひたのなり。楊雄か王莽に事ても大事ないと思たも、やはり主をとりちがえたのなり。夫婦の上でも中がよふても明と云はれぬもあるは、好色や、又はよい縁贔屓を求めたがり中よくするもありて、兎角私のあるは明ではない。女房の去のもそれに順して、このさきの七去の内のことで去れは明なれとも、あやつか面か気に入らぬと云て去るは明なことでなし。
【解説】
浅見先生が、学問をしないと主を取り違えるものだと言った。それは、いつもは取り違えないが、乱世になると取り違える者がいるということ。夫婦仲のよい者でも、それが好色やよい縁贔屓を求めてのことであれば、五倫を明にするとは言えない。
【通釈】
また、君臣のことで言えば、浅見先生が彦根の家中の人へか申されたことで、学問をしないと主を取り違えるものだと言うと、或る人が、いかに学問をしないからと言って我々如き者も相応に小禄をも蒙っている、主を取り違えるとは先生の仰せでもあまりに情のないことだと腹立ちそうに言った。それを先生が、いやそうではない、いつもは取り違えないが、乱世になると取り違えることがあると言われた。この答えも面白い。降参は言うに足りないが、その外でも、出るべきではない処へ奉公をするのは主を取り違えたのである。揚雄が王莽に事えても大事はないと思ったのも、やはり主を取り違えたのである。夫婦の上で仲がよくても明と言えないものがあるのは、好色や、またはよい縁贔屓を求めて仲よくすることもあるからで、とかく私があるのは明ではない。女房の去るのも、五倫に順じてこの先の七去の内で去れば明だが、あいつの面が気に入らないと言って去るのは明なことではない。
【語釈】
・楊雄…揚雄。前漢の学者。字は子雲。四川成都の人。前53~後18
・七去…小学内篇明倫67。「婦有七去。不順父母去、無子去、淫去、妬去、有惡疾去、多言去、竊盗去」。

婦人も令女がやうなは耳をそぎ、鼻をきるやうにまでなりても貞節を守る。それ、昏闇でも取違ひぬのなり。倫の明なと云は兎角吾肉身を以てすることにあらす。今日肴を料理にも鳥をこしらへるにも、身の方にも骨が付き、骨の方にも肉がついて有りたがる。これは丁ど届く処へ庖丁の届ず、分る処が明でないからぞ。學問も身は身、骨はほ子と分るやうに、道理に我肉身の手傳ぬでなけれは明とは云はれぬ。肉が手つだい手前を尤とすると、いつでも明にはならぬ。
【解説】
肉が手伝って自分を尤もとする。道理に自分の肉身を手伝わない様にしなければ明とは言えない。
【通釈】
婦人も令女の様な者は耳を削ぎ、鼻を切る様にまでして貞節を守る。それが暗闇でも取り違えないということである。倫が明というのはとかく自分の肉身をもってすることではない。今日肴を料理するにも鳥を拵えるにも、肉の方にも骨が付き、骨の方にも肉の付いているものが多い。これは丁度届く処へ庖丁が届かず、分かれる処が明でないからである。学問も身は身、骨は骨と分かれる様にする。道理に自分の肉身を手伝わない様にしなければ明とは言えない。肉が手伝って自分を尤もとすると、いつまでも明ではない。


孟子曰、設爲庠・序・學・校、以敎之。皆所以明人倫也。稽聖經、訂賢傳、述此篇、以訓蒙士。
【読み】
孟子曰く、庠・序・學・校を設け爲して、以て之を敎う。皆人倫を明かにする所以なり。聖經を稽[かんが]え、賢傳を訂[はか]り、此の篇を述べ、以て蒙士を訓[おし]う。

○孟子曰、設為庠序學挍。古三代の學問処の名。学挍をこふ沢山に仕立てをいて教る。この教が皆人倫を明にすることより教る。この文字を朱子の取られて明倫と成され、蒙士を訓るはいとけなきものに教るのことなり。
【解説】
「庠序学校」が古三代の学問所のこと。古は学校が沢山建ててあり、そこで人倫を明にすることから教えた。
【通釈】
「孟子曰、設為庠序学校」。これが古三代の学問処の名である。学校をこの様に沢山建てて置いて教えた。そして、皆人倫を明にすることから教えた。この文字を朱子が採られて明倫となされた。「訓蒙士」は幼い者に教えること。


明倫1
内則曰、子事父母、温公曰、孫事祖父母同。雞初鳴咸盥、漱、咸、皆也。盥謂盥手。漱謂漱口。櫛、縰、筓、總、櫛、梳也。縰、黑繒、韜髪而結之也。笄者横施於髻中以固髻也。總、裂綀繒以束髪也。拂髦、拂謂振去塵也。髦、用髪爲之。象幼時鬌。冠緌纓、纓者結之頷下以固冠。結之餘者散而下垂。謂之緌。温公曰、今用帽子。端、韠、紳、玄端、士服也。庶人、深衣。韠、蔽膝也。以韋爲之。與裳同色。上繋之革帶。紳、大帶也。○温公曰、今用衫帶。搢笏、搢猶扱也。扱笏於紳。笏、所以記事也。左右佩用、紛帨刀・礪觽燧之屬。備尊者使令也。偪、屨、著綦。偪、行滕也。綦、屨繋也。屨頭施繋以爲行戒。婦事舅姑如事父母、○温公曰、孫婦亦同。雞初鳴咸盥、漱、櫛、縰、筓、總、衣、紳、○温公曰、今用冠子・背子。左右佩用、衿纓、綦屨。衿猶結也。婦人有纓示繋屬也。以適父母舅姑之所。及所、下氣、怡聲、問衣燠寒・疾痛・苛癢、而敬抑掻之。怡、悦也。苛、疥也。抑、按也。掻、摩也。○温公曰、丈夫唱喏、婦人道萬福。問侍者夜來安否如何、侍者曰安、乃退。其或不安節則侍者以告。此即禮之晨省也。顔之推曰、父子之嚴不可以狎、骨肉之愛不可以簡。簡則慈孝不接、狎則怠慢生焉。由命士以上父子異宮。此不狎之道也。抑掻痒痛、懸衾篋枕。此不簡之敎也。出入則或先或後、而敬扶持之。先後、隨時便也。進盥、少者奉槃、長者奉水、請沃盥。盥卒授巾。槃、承盥水者。巾、以帨手。問所欲而敬進之、柔色以温之。父母舅姑必嘗之而後退。所欲、如饘酏酒醴。飮食之類。温、藉也。承尊者必和顔色。○温公曰、父母舅姑起、子供藥物、婦具晨羞。尊長擧箸子婦乃各退就食。註曰、藥物乃關身之切務、人子當親自檢校調煮供進。不可委奴僕。脱若有誤即其禍不測。晨羞、俗謂點心。易曰、在中饋。詩曰、惟酒食。是議。凡烹調飮膳婦人之職也。近年婦女驕倨皆不肯。入庖厨今縱不親執刀匕、亦當檢校監視、務令清潔。男女未冠筓者、雞初鳴咸盥、漱、櫛、縰、拂髦、總角、衿纓、皆佩容臭、昧爽而朝、總角、収髪結之。容臭、香物也。以纓佩之。爲迫尊者給小使也。昧爽、後成人也。問何食飮矣。若已食則退。若未食、則佐長者視具。具、饌也。
【読み】
内則に曰く、子の父母に事うる、温公曰く、孫の祖父母に事うるも同じ、と。雞初めて鳴きて咸[みな]盥[あら]い、漱ぎ、咸は皆なり。盥は手を盥うを謂う。漱は口を漱ぐを謂う。櫛[くしけず]り、縰[かみつつみ]し、筓[かんざし]し、總[もとゆい]し、櫛は梳なり。縰は黑繒にて、髪を韜[つつ]みて之を結ぶなり。笄は横に髻中に施して以て髻を固むなり。總は綀繒を裂きて以て髪を束るなり。髦を拂い、拂は塵を振い去るを謂うなり。髦は髪を用いて之を爲る。幼時の鬌に象る。冠し纓を緌し、纓は之を頷下に結びて以て冠を固む。之を結びて餘る者は散らして下に垂る。之を緌と謂う。温公曰く、今帽子を用う、と。端し、韠[ひざかけ]し、紳し、玄端は士の服なり。庶人は深衣す。韠は蔽膝なり。韋を以て之を爲る。裳と同色。上は之を革帶に繋ぐ。紳は大帶なり。○温公曰く、今衫帶を用う、と。笏を搢[さ]し、搢は扱に猶[おな]じ。笏を紳に扱む。笏は以て事を記す所なり。左右に用を佩び、紛帨刀・礪觽燧の屬。尊者の使令に備うるなり。偪[むかばき]し、屨し、綦を著く。偪は行滕なり。綦は屨繋なり。屨頭に繋を施し以て行戒と爲す。婦の舅姑に事うるは父母に事うるが如くし、○温公曰く、孫婦も亦同じ、と。雞初めて鳴きて咸盥い、漱ぎ、櫛り、縰し、筓し、總し、衣し、紳し、○温公曰く、今冠子・背子を用う、と。左右用を佩び、纓を衿[むす]び、屨に綦をす。衿は結に猶じ。婦人の纓有るは繋屬を示すなり。以て父母舅姑の所へ適く。所に及びては、氣を下し、聲を怡[よろこ]ばし、衣の燠寒・疾痛・苛癢を問いて、敬みて之を抑え掻く。怡は悦なり。苛は疥なり。抑は按なり。掻は摩なり。○温公曰く、丈夫は唱喏し、婦人は萬福を道う。侍者に夜來安否如何と問い、侍者安しと曰えば、乃ち退く。其れ或は節を安んぜざれば則ち侍者以て告ぐ。此れ即ち禮の晨省なり、と。顔之推曰く、父子の嚴は以て狎るる可からず、骨肉の愛は以て簡なる可からず。簡なれば則ち慈孝接せず、狎なれば則ち怠慢生ず、と。命士より以上は父子宮を異にす。此れ狎れざるの道なり。痒痛を抑え掻き、衾を懸け枕を篋にす。此れ簡ならざるの敎なり。出入すれば則ち或は先だち或は後れて、敬みて之を扶け持つ。先後は時の便に隨うなり。盥を進むるには、少者槃を奉げ、長者水を奉げて、沃盥せんと請う。盥卒れば巾を授く。槃は盥水を承る者。巾は以て手を帨う。欲する所を問いて敬みて之を進め、色を柔かにして以て之を温[う]く。父母舅姑必ず之を嘗めて後に退く。欲する所は饘酏酒醴の如し。飮食の類なり。温は藉なり。尊者に承るに必ず顔色を和にす。○温公曰く、父母舅姑起きれば、子は藥物を供え、婦は晨羞を具う、と。尊長箸を擧げて子婦乃ち各々退いて食に就く。註に曰く、藥物は乃ち身に關るの切務、人子當に親自ら檢校し調煮し供進すべし。奴僕に委ぬ可からず。脱若し誤る有れば即ち其禍測られず、と。晨羞は俗に點心と謂う。易に曰く、中饋に在り、と。詩に曰く、惟れ酒食、と。是れ議るなり。凡そ飮膳を烹調するは婦人の職なり。近年の婦女は驕倨にして皆肯わず。庖厨に入るに今縱い親[みずか]ら刀匕を執らずとも、當に檢校監視して、務めて清潔ならしむべし。男女の未だ冠筓せざる者は、雞初めて鳴きて咸盥い、漱ぎ、櫛り、縰し、髦を拂い、總角し、纓を衿び、皆容臭を佩い、昧爽にして朝し、總角は髪を収めて之を結ぶ。容臭は香物なり。纓を以て之を佩う。尊者に迫りて小使に給する爲なり。昧爽は成人に後るなり。何をか食飮すと問う。已に食するが若きは則ち退く。未だ食せざるが若きは、則ち長者の具を視るを佐く。具は饌なり。

○内則曰、子事父母。今日人親につかえぬではなけれとも、是を役にせぬぞ。親の云つけたことを早く仕逈ふて次にこれをせうとなげやりに仕逈。子の親に事るは是より外役なしと思ふ心でせよ。兎角物をするはしゃんと其事にすわって居るでなければならぬ。江戸へ飛脚に往てこいの、又は田舎で御役人のまかなひに云付られてするのと云ことは、早く仕逈て外をせうとすることもあれとも、子は親に事るを一生の役と思へ。こなたは親がごさるか、成ほどある。こなたは何を業とすると云ふと、親に事るが私が役、と。それよりの外なし。○孫事祖父母。これは注と云ものではない。本文を補ふたのなり。をれは孫じゃゆへに祖父母にかまわぬと云ことでなし。凡鄭玄が注計りでは事はすめとも、眞実の中え這入て見るには、この通に補ふでなければならぬ。扨々温公ので人事に的切。
【解説】
「内則曰、子事父母、温公曰、孫事祖父母同」の説明。子は親に事えるのが一生の役である。投げ遣りにしてはならない。また、孫が祖父母に事えるのも同じこと。
【通釈】
「内則曰、子事父母」。今日の人は親に仕えないということではないが、これを役としない。親が言い付けたことは早く片付け、次にこれをしようと思う。投げ遣りにするのである。子は親に事える以外に役はないと思う心でしなさい。とかく事をするにはしっかりとその事に据わっているのでなければならない。江戸へ飛脚に行って来いとか、または田舎で御役人の賄いを言い付けられてそれをするなどということは、早く片付けて他のことをしようと思ってすることもあるが、子は親に事えるのを一生の役と思いなさい。貴方は親がいるか、なるほどいる。貴方は何を業とすると聞けば、親に事えるのが私の役だと答える。それより外はない。「孫事祖父母」。これは注ということではない。本文を補ったのである。俺は孫だから祖父母には構わないということではない。全体、鄭玄の注だけでも事は済むが、真実の中へ這い入って見るには、この通りに補うのでなければならない。実に温公ので人事に的切となる。

○鷄初鳴云云。一番鳥のこと。今は旅立か何ぞ、又用のある時でなくてこの時分には起す。平生其様に起らるるものかと云ふか、古へはいつでもかふ起た。諸役人の朝参するにも篝をたいて出たこと、詩至にもある。又、東方未暁顚倒衣裳ともあるも、朝早く起て登城をするなり。古はそふたいかふしたこと。鷄初鳴は朝起の惣名と思へ。朝寢と云ものは悪いことの惣ぐくりと知れ。朝寢をしたとて大逆の非義の、帳外にするのと云咎はないやうなれとも、わるいことは朝寢からをこる。そこで垩賢のこふ云わずともよい様なことも云はれて、人を教へらるる。さて、親は大槩は老人なもの。年よりの朝起をするものを持て其子が寢ては、天邊で孝が闕る。一日のことは鷄鳴からにあることなり。○咸は皆。人々たれ々々もなり。
【解説】
「雞初鳴咸盥、漱、咸、皆也。盥謂盥手。漱謂漱口」の説明。古は一番鳥が鳴く頃には起きていた。朝寝は悪いことの総括りである。年寄りよりも朝が遅くては孝が欠ける。
【通釈】
「鶏初鳴云云」。一番鳥のこと。今では旅立か何か用のある時でなくてはこの時分に起きない。平生その様に起きられるものかと言うが、古はいつでもこの様に起きた。諸役人が朝参するにも篝を焚いて出たと詩経にもある。また、「東方未明、顛倒衣裳」とあるのも、朝早く起きて登城をする時のこと。総体古はこうしたこと。鶏初鳴は朝起きの総名だと思いなさい。朝寝は悪いことの総括りだと知りなさい。朝寝をしたとて大逆や非義、帳外にするという様な咎はない様だが、悪いことは朝寝から起こる。そこで、聖賢は言わなくてもよい様なことまでも言われて、人を教えられる。さて、親は大概老人である。年寄りで朝起きをする者を持ってその子が寝ていては、最初から孝が欠ける。一日のことは鶏鳴からにあること。「咸、皆也」。人々誰もがということ。
【語釈】
諸役人の朝参するにも篝をたいて出た…詩経
・東方未暁顚倒衣裳…詩経国風斉東方未明。「東方未明、顛倒衣裳。顛之倒之、自公召之」。

○縰。かんつつみは黒繒にて下ゆいをすること。總は其上をきぬをさいて結かためる。今の元結なり。拂は夜分つもりし塵をはろふ。○髦は两親ある内は幼稚の鬌のやうなものを造り髪の上につけおく。これて親のあることををしらする。父母のあることがはっきりとみへる。それに付ても、兎角親にはいとげなくして見せる様にするがよい。老莱子が七十で踊ををどる。それから推せば、老ても親のある内は黒油でもつけて鬢を若かやかすも孝の一つぞ。年寄の前では常の咄も不称老とある。何こともむすこめく様に心がけるがよい。髦あれば、人が見てもさて々々あの人は年も余程に見へるが親があるそふな、仕合なとしれるぞ。又、親ない人は、吾々は早く親に分れたにあの人は仕合と、何に付けヶに付け、父母のあるないと云ことが人の上にいかふ一大事にかかると云から、髦などのことも出来た。誠に垩人の制作なり。
【解説】
「櫛、縰、筓、總、櫛、梳也。縰、黑繒、韜髪而結之也。笄者横施於髻中以固髻也。總、裂綀繒以束髪也。拂髦、拂謂振去塵也。髦、用髪爲之。象幼時鬌」の説明。「髦」によって親のあることを知らせる。父母の有無は人の上の一大事なことなので「髦」もできたのである。
【通釈】
「縰」。縰は黒繒で下結いをすること。「総」はその上を絹を裂いて結い固めること。今の元結である。「払」は夜分に積もった塵を掃うこと。「髦」は、両親のある内は幼児の鬌の様なものを造って髪の上に付けて置くこと。これで親のあることを知らせる。父母のあることがはっきりとわかる。それにつけても、とかく親にはあどけなくして見せる様にするのがよい。老莱子が七十で踊りを踊る。それから推せば、老いても親のある内は黒油でも付けて鬢を若やかすのも孝の一つである。年寄りの前では普段の話も「不称老」とある。何事も息子めく様に心掛けるのがよい。髦があれば、人が見ても、さてさてあの人は年も余程に見えるが親があるそうだ、幸せなことだと知れる。また、親のない人は、我々は早く親に分かれたのにあの人は幸せなことだと知れる。何かにつけ、父母のあるないということが人の上にあっては大層な一大事に関わることとなるから、髦などのこともできた。誠に聖人の制作である。
【語釈】
・不称老…小学内篇明倫5。「恒言不稱老」。

○冠緌纓。内則は大名で云。礼は庻人に下らずと云こと。下々はれき々々の礼から推してする。装束のことは時代々々なり。なんにも思量の入ぬことなり。○頷下結ひ下埀るなどと無用なことのやふなれとも、冠ばかりはそふでもなし。孔子も服周之冕。人間の人間たる飾のあるで恭々しくあるべきこと。餘の服は質素がよし。小學の実事て、この様に冠のひもの下へ埀れたうや々々しいことまであるが垩人の礼のなり。異端の黒染とはちごう。今用帽子。今とは其時を用る。礼服は今の字が肝要。内則には冠とあるか、今は帽子を用ゆと、時々ですますことなり。温公よりは又今七八百年も後で国もちがふなれば、今は大に違ふ。しいてほるはわるい。そふたい装束は御直参から家中ものまでとき制あれば、とんと小學は入らず。百姓も地頭や名主の咎ぬ姿をしてをるですむ。
【解説】
「冠緌纓、纓者結之頷下以固冠。結之餘者散而下垂。謂之緌。温公曰、今用帽子。端、韠、紳、玄端、士服也。庶人、深衣。韠、蔽膝也。以韋爲之。與裳同色。上繋之革帶。紳、大帶也」の説明。人には人たる飾りがある。そこで冠があり、これが礼の形である。しかし、それにも時ということがある。聖人の時は冠だったが、温公の時分は帽子を用いた。
【通釈】
「冠緌纓」。内則は大名のことを言う。「礼不下庶人」である。下々は歴々の礼から推してする。装束のことは時代によるもので、何も思量は要らない。頷下に結び下に垂らすのは無用なことの様だが、冠ばかりはそうでもない。孔子も「服周之冕」。人間の人間たる飾りがあるのだから、それで恭しくあるべきこと。他の服は質素なのがよい。小学の実事で、この様に冠の紐の下に埀れた恭しいことまであるのが聖人の礼の形である。異端の黒染めとは違う。「今用帽子」。「今」は、その時はこれを用いたということ。礼服は今の字が肝要。内則には冠とあるが、今は帽子を用いると、時々で済ますのである。今は温公よりもまた七八百年も後であり、国も違っているのだから、今は大いに違う。強いて穿鑿するのは悪い。総体装束は御直参から家中者までに時制があるのだから、全く小学には不要のこと。百姓も地頭や名主の咎めない姿をしていれば済む。
【語釈】
・礼は庻人に下らず…礼記曲礼上。「禮不下庶人、刑不上大夫、刑人不在君側」。
・服周之冕…論語衛霊公10。「顏淵問爲邦。子曰、行夏之時、乘殷之輅。服周之冕。樂則韶舞。放鄭聲、遠佞人。鄭聲淫、佞人殆」。

○今用衫帯。其時の衣帯なり。それはどうした仕やうと委しい吟味はいらぬ。唐の仕立屋か能知たとなげてをけ。學問をするにも周礼や儀礼を見て、あのことは鄭玄が委しい吟味じゃの、又は孔頴達か細に云てあるのと云て、入用のないことに佗骨折り隙ついえをするとどうも手が巡らぬ。そふしたことてはあるまい。古のは格別、今は衫帯を用ると温公の云れたやうに、入ぬことはさら々々せよ。若林の家礼訓蒙疏として喪祭のことを出して朱子の註をも假名に直して俗に示す。其中に深衣の制度のあるはつり合ぬことである。用いぬものを出すに及はじ。家礼の吟味ならばずいぶん深衣のことも吟味すべし。要用の所を拔出たに深衣は入らぬことなり。今は日本では貴賤ともに大てい上下を用るは其れぎりで済むでよい。或人礼のことを朱子にくだ々々聞れたれは、をぬし達は死だ虵をつかふ、をれは又生きた虵をつかふと云われた。呂與叔の服を制したをもひょんなこととされた。
【解説】
温公曰、今用衫帶」の説明。入用でない当時の仕様を吟味するのは無駄骨折りの隙費えである。それは死んだ蛇を使うというもの。
【通釈】
「今用衫帯」。その時の衣帯である。それはどうした仕様かと委しい吟味は要らない。唐の仕立屋がよく知っていると投げて置きなさい。学問をするにも周礼や儀礼を見て、あのことは鄭玄が委しい吟味をしたとか、または孔頴達が細かに言っていると言って、入用でないことに無駄骨折り隙費えをするとどうも手が回らない。そうしたことではないだろう。古のは格別で今は衫帯を用いると温公が言われた様に、要らないことはさらっと流しなさい。若林が家礼訓蒙疏として喪祭のことを出して、朱子の註をも仮名に直して俗に示した。その中に深衣の制度があるのは釣り合わないこと。用いないものを出すには及ばない。家礼の吟味であれば随分と深衣のことも吟味すべきである。要用の所を抜き出すのに深衣は要らない。今日本では貴賎共に大抵裃を用いるが、これはそれだけで済むのでよい。或る人が礼のことを朱子にくだくだと聞いたので、お前達は死んだ蛇を使うが俺は生きた蛇を使うと言われた。呂与叔の服を制したことをも詰まらないことだとされた。
【語釈】
・若林…若林強斎。名は進居。新七と称す。一号は守中翁、晩年は寛齋、自牧。望南軒。京都の人。享保17年(1732)1月20日没。年54。淺見絅齋門下。
・をぬし達は死だ虵をつかふ…朱子語類89。礼六。「伯量問、殯禮可行否。曰、此不用問人、當自觀其宜。今以不漆不灰之棺、而欲以磚土圍之、此可不可耶。必不可矣。數日見公説喪禮太繁絮、禮不如此看、説得人都心悶。須討箇活物事弄、如弄活蛇相似、方好。公今只是弄得一條死蛇、不濟事」。

○搢笏。帶に笏をはさむ。公家衆のしゃくと同じ。君父の命を請けては忘れぬ様に是に記るす。位によりて夫々に違ふ。寸法の違もあり。○記事。ここらはいかう今日入用のことなり。親に用を云付っても記す合点でなくては大事にかけぬになる。されとも今時忽を拵へさして歩行たら気違いじゃとも云をふ。小学をきいていかさまと思ひ、とかく大事に思い、わきざまにせず用をつけやうと思はば、半紙で小帳を拵て用よ。一冊て一年も用いらりょふ。さて又万年紙と云ものあり。ものを書ては又拭い取る紙なり。便利なぞ。笏の代りにもなろふもの。鼻紙の間にもはさまれる。今日皆々もあることぞ。親仁が濱へいたら次手に干鰯の直を聞てこいと云付る処を、かの万年紙に一寸と書て行るる。近年は何事も蕐美か流行る故、万年紙などはすたりた。我々式の調法なものぞ。左右佩用。親の側にいて小用のたる具を用意する。自分のことには積もちは藥を用意し、野がけするには蝮の藥をも用心する。邪魔になる程のものでも、これをば持つが親のためにとてはせぬが、古は親のに用意し佩て居た。
【解説】
「搢笏、搢猶扱也。扱笏於紳。笏、所以記事也。左右佩用」の説明。親に用を言い付けられれば、それを記すぐらいでなければならない。古はそれを笏でしたが、今は半紙で作った小帳などがよい。また、万年紙もよい。
【通釈】
「搢笏」。帯に笏を挟む。公家衆の笏と同じ。君父の命を請ければ忘れない様にこれに記す。位によって夫々に違う。寸法の違いもある。「記事」。ここらは大層今日には入用なこと。親に用を言い付かっても記す合点でなくては大事に欠けがある。しかし、今時笏を拵えて差して歩けば気違いだとも言われるだろう。小学を聴いていかにもと思い、とかく大事に思って疎かにせずに用を付けようと思うのであれば、半紙で小帳を拵えて用いなさい。一冊で一年も用いることができるだろう。さてまた万年紙というものがある。ものを書いてはまた拭き取る紙で便利なもの。笏の代わりにもなる。鼻紙の間にも挟むことができる。今日皆々にもあること。親父が、濱へ行ったら序に干鰯の値段を聞いて来いと言い付ける処を、あの万年紙に一寸書いて済ますことができる。近年は何事も華美が流行るので万年紙などは廃った。しかし、我々如きには調法なもの。「左右佩用」。親の側にいて小用の足る具を用意する。自分のことでは癪持ちは薬を用意し、野掛をするには蝮の薬をも用心する。邪魔になるほどのものでも、これを持つのが親のためだと言ってはしない。古は親のために用意して佩びていた。

○紛帨。雜巾のことで、親が庭へ出てひょっと足へ泥でもつくと、どれとて直にふく。手ても洗ふ。内へとりに上らずに直に手拭を進ぜる。小刀は、あの枝のあの花のとのぞめは一寸直に伐る用意。觽はくじり。糸のもつれをとくの具なり。燧は火打の類なり。丁ど医者の藥箱をもたせて歩行やうで、早速の用に叶ふ。それと云て内へかへらず直にもる。大工の道具持あるく様にせ子ば間にあはぬ。少しも尊者の用をかかぬ様にするためぞ。耳かきでも毛ぬきでも揃へてをくぞ。今は若者か色々なえやうものを所持するか、ヶ様の心掛なし。鼻紙袋屋などさま々々なものを賣り出す。皆若者の傾城ぐるいの具になる。○履の頭に紉をつけてをいて少と歩行憎くして行戒とする。丁ど天子の冠には玉をつけて耳を塞せ、あまり聞きすぎぬ様にする。目もそれで、蔽ふものありて見まじいことは見せぬ様にすると云も垩人の制作ぞ。歩行もかさつにならぬやふに緒をつける。垩人の教は何処でも只は通ふさぬ。邪正一如とはこぬ。
【解説】
紛帨刀・礪觽燧之屬。備尊者使令也。偪、屨、著綦。偪、行滕也。綦、屨繋也。屨頭施繋以爲行戒」の説明。親の用を足すための小物を持ち歩く。それは今の若者が持つ栄耀物とは違う。また、歩行するにもがさつにならない様にした。
【通釈】
「紛帨」。雑巾のことで、親が庭へ出てひょっと足へ泥でも付けると、どれと言って直ぐに拭く。手でも洗えば、家に取りに上がらずに直に手拭を進ずる。小刀は、あの枝を、あの花をと望めば一寸直ぐに切る用意である。「觽」は抉り。糸の縺れを解く具である。「燧」は火打の類。丁度医者が薬箱を持たせて歩く様なことで、早速の用に叶う。それと言って家に帰らずに直に盛る。大工が道具を持ち歩く様にしなければ間に合わない。少しも尊者に用を掛けない様にするためのもの。耳掻きも毛抜きも揃えて置く。今は若者が色々な栄耀物を所持するが、その様な心掛けはない。鼻紙袋屋などは様々な物を売り出すが、それは皆若者の傾城狂いの具になる。履の頭に紉を付けて置いて、一寸歩き難くして行戒とする。丁度天子の冠には玉を付けて耳を塞ぎ、あまり聞き過ぎない様にする。目もそれで、蔽うものがあり、見てはならないことは見せない様にするというのも聖人の制作である。歩行もがさつにならない様に緒を付ける。聖人の教えはどこでもただでは通さない。「邪正一如」とはしない。
【語釈】
・邪正一如…仏語。「善悪不二、邪正一如」。

○婦事舅姑如事父母。これから娵のことを云。大切にみよ。如れは鷄初鳴から左右佩用云云までをくるめて云こと。子の事父母の如くに舅姑に事ること。娵のことが大事なもの。親子の間に他人かはいることゆへ、わるくするともつれる。孝は妻子に衰ふともあり、甚しふしては、女房の贔屓をして親子中のわるくなるもあり、女などと云ものは、夫が親のことをわるさまにこまった親仁じゃなどと云ふと、直に曽子の一貫のやふに唯とすみやかに受け乗ってくる。女十人が九人までそれぞ。そこで舅姑に事ると云のは、吾を生んだ親と毛すじ程も違ては娵とは云はれぬ。婦は舅姑に事るを一生の役と職分にするはづなり。本文には婦の舅姑に事ふも夫が父母に事る如くせよとすらりと云ふたことなれとも、それをこみ入りて、そこらの子や娵の気にあたり腹立つほどによま子ば教にならぬ。そふたい學者は人に憎るる程に講釈せぬと人へひひかぬ。小學を只讀ばかりては、やわらかい賣藥をのんで能い藥じゃのよい香じゃのと云て、吐も瀉りもせ子ば役にたたぬ。かふきびしく云ので人にひびく。今日小學講釈してもすくに若い夫婦の心得になり、ちっともよくなれば生た虵をつかふのじゃ。諸説を引てかれこれとくやふではやくにたたぬ。
【解説】
「婦事舅姑如事父母、温公曰、孫婦亦同。雞初鳴咸盥、漱、櫛、縰、筓、總、衣、紳」の説明。娵は他人だから、それが親子の中に入ることによって悪くすると親子仲が縺れる。娵は舅姑に事えるのを一生の役としなければならない。
【通釈】
「婦事舅姑如事父母」。これから娵のことを言う。大切に見なさい。これは「鶏初鳴」から「左右佩用云云」までを包めて言ったこと。子は父母に事える様に舅姑に事えるものだが、娵のことが大事である。親子の間に他人が入ることなので、悪くすると縺れる。孝は妻子に衰うともあり、甚だしくなると、女房の贔屓をして親子仲が悪くなることもあり、女などというものは、夫が親のことを悪く言って、困った親父だなどと言うと、直ぐに曾子の一貫の様に唯と速やかに受けて乗って来る。女十人の内九人までがそれ。そこで舅姑に事えるのに、自分を生んだ親と毛筋ほども違っては娵とは言えない。婦は舅姑に事えるのを一生の役だと職分にする筈のもの。本文は、婦が舅姑に事えるのも夫が父母に事える様にしなさいとすらりと言ったものだが、それを込み入って、そこらの子や娵の気に当たり、腹立つほどに読まなければ教えにはならない。総体学者は人に憎まれるほどに講釈をしないと人に響かないもの。小学をただ読むばかりでは、柔らかい売薬を飲んでよい薬だとかよい香だと言うのと同じで、吐きも瀉りもしなければ役には立たない。この様に厳しく言うので人に響く。今日小学を講釈しても直ぐに若い夫婦の心得になり、少しでもよくなれば生きた蛇を使うということ。諸説を引いてかれこれ説く様では役に立たない。
【語釈】
・孝は妻子に衰ふ…荀子性悪。「堯問於舜曰、人情何如。舜對曰、人情甚不美、又何問焉。妻子具而孝衰於親、嗜欲得而信衰於友、爵祿盈而忠衰於君。人之情乎、人之情乎、甚不美。又何問焉。唯賢者爲不然」。
・曽子の一貫…論語里仁15。「子曰、參乎。吾道一以貫之。曾子曰、唯」。

○冠子背子。花鳥などの形にこしらへたもの。事文類聚にあるよし。味池儀平の申されしと迂齋云へり。○佩用。糸針のるい、手ばなさぬ。行水さるる内にじきにほころひをぬうやうにする。○有纓示繋屬。えいと云ものを結びつけて夫のある看板にする。繋屬は、婦人は独り立ず、夫につなきかかる意なり。是が明教を明にすることで、上れき々々から津々浦々迠の婦人か夫のあると云はこの看板で知るる。垩人如此ことを制せられたるはいかふ深い思召のあること。一々にはどうも手も届きか子るを纓できっとしめすなり。文王の化を蒙って関雎よりあのとをりになりても、下々の下男下女は吾脱をうこかすことなかれ。それから鄭衛の不埒ものは密通して迯る気なものもあり。然れとも、此纓あれば人の妻たるものにはとんと戯られぬことになりて、一寸とをどけ云ても蜜夫に近いと云に落る。婦人の方も、をれには夫とがあると云ふ看板でいかふ貞心も堅固になる。これ纓と云はただ目印なれとも、いかふ名教を助るなり。丁ど道中するにも大小を指た者は盗賊も気を置く。百姓などでは隨分力らもあるものは刀な増りの働きをするものもあれとも、それは上から見えぬ。大小を指すと心がをかるる。不埒な女でも亭主があると鼻のさきに看板あるでたしなむ。どふも不埒はならぬやふになる。垩賢の教は各別なことなり。
【解説】
温公曰、今用冠子・背子。左右佩用、衿纓、綦屨。衿猶結也。婦人有纓示繋屬也」の説明。婦人は「纓」によって夫がいることを示す。それで男に戯れを言われることもなくなり、また、貞心も堅固になる。
【通釈】
「冠子背子」。花鳥などの形に拵えたもの。事文類聚にある様である。味池儀平が申されたと迂斎が言った。「佩用」。糸針の類は手離さない。行水をされている内に直ぐに綻びを縫う様にする。「有纓示繋属」。纓というものを結び付けて夫がいるという看板にする。繋属は、婦人は独りで立たず、夫に繋ぎ掛かる意である。これが明教を明にすることで、上歴々から津々浦々までの婦人について、夫がいるというのがこの看板でわかる。聖人がこの様なことを制せられたのは大層深い思し召しがあってのこと。一々するのではどうも手も届きかねるところを纓でしっかりと示した。文王の化を蒙って、関雎からあの通りになっても、下々の下男下女は吾脱を動かすこと勿かれ。それから鄭衛の不埒者は密通して逃げる気の者もいる。しかし、この纓があれば人の妻たる者にはまったく戯られないことになって、一寸戯けを言っても密夫に近いというに落ちる。婦人の方も、俺には夫があるという看板で、大層貞心も堅固になる。この纓はただの目印だが、大層名教を助けるもの。丁度道中するにも大小を差した者は盗賊も気を置く。百姓などでも随分力のある者は刀勝りの働きをすることがあるが、それは上からは見えない。大小を差すと心が置かれる。不埒な女でも亭主があると鼻の先に看板があるので嗜む。どうも不埒はできない様になる。聖賢の教えは格別なこと。
【語釈】
・味池儀平…味池修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。
・関雎…詩経国風周南の最初の詩。
下々の下男下女は吾脱をうこかすことなかれ

○以適父母云々。以の字、前のことを仕負せてから行くこと。もの咎めする人は、をいらは起て小便する間もまだるくて、起ると直にかけて行くこそ孝心なれ、そふ仕度をすることではあるまいと水をさす。そふ云へは深切の様なが、垩人の意を知らぬのじゃ。仕度をしてかかるでこそ親の用は足る。丁ど火事羽織も着ず帶びろほどけて火消が出ては用にはたたぬ。出太皷を打つ。馬を引出し六具を固めて出てこそ命かぎりの働もなることぞ。○及所下気。これからは大切の所である。親に兎角気を置せぬやうにすることぞ。これらは女房をも持た子のことぞ。小児に気を下せと云ても中々知れぬことぞ。小児などは元来生れたままで気の高ぶりの無い故、他人も好を可愛がる。気の髙ぶりと云ものは親でもいやがる。きり口上できげんを伺い御用はこざらぬかと云ふと、有ても無と云。気を下さぬからぞ。今夜御伽仕ふと云ふと、いや、いて休めと云ふ。ただの朋友でさへ酒もあるから庭の菊を見にこざれと云ふに、いやあれが処へはと云ていかぬ。酒をふるまい菊を見せうと云ふのに行ぬのは、平生向の気に髙ぶりあるを憎でゆかぬ。しかれは辞がしほらしくても気が髙ぶると人々請ぬ。ましてや父母へ向ふては一入のことなり。
【解説】
「以適父母舅姑之所。及所、下氣」の説明。娵が父母舅姑の所に行く時には、事前に身支度をして置くもの。身支度をして置いてこそ、用に足る。また、子は気が高ぶってはならない。それでは親でも気を置く。
【通釈】
「以適父母云々」。以の字は、前のことをし終えてから行くこと。物咎めをする人は、俺は起きて小便する間もまだるい。起きると直に駆けて行くことこそ孝心なのに、その様に仕度をするものではないだろうと水を差す。その様に言えば深切な様だが、聖人の意を知らないのである。仕度をして掛かることでこそ親の用が足りる。丁度火事羽織も着ず帶も解けて火消が出ては用には立たない。出太鼓を打つ。馬を引き出し六具を固めて出てこそ命限りの働きもできる。「及所下気」。これからは大切な所である。親にとかく気を置かせない様にすること。これらは女房をも持った子のこと。小児に気を下せと言っても中々わからない。小児などは元来生まれたままで気の高ぶりがないので、他人も好いて可愛がる。気の高ぶりというものは親でも嫌がる。切り口上で機嫌を伺い御用はこざいませんかと言えば、用があってもないと言う。それは気を下さないからである。今夜御伽仕ろうと言うと、いや、戻って休めと言う。ただの朋友でさえ、酒もあるから庭の菊を見に来なさいと言っても、いやあれの処へはと言って行かない。酒を振舞い菊を見せようと言うのに行かないのは、平生向こうの気に高ぶりがあるのを憎んで行かないのである。そこで、辞がしおらしくても気が高ぶると人々が請けない。ましてや父母に向っては一入のこと。

○怡声。とが々々しくなく、にこはこして云上ること。燠寒。暑い寒い、衣服の厚薄を問。疾痛はいたむ。苛癢はかゆきなり。病気と云とそれ医者をと誰でもさわく。癢処などと云ふものは甘口なこと故りんとした男子には云ひつけ憎く、下気の人でなければ掻ふと云ても親が遠慮する。親に事るは親の心をきのないが第一なり。それに吾心が髙ぶりては用も云付られぬ。朝起て親の所へ行くと云も必この小學の書面の通りに朝はいつも々々々抑掻することと思へは書物藝なり。今朝は只今から何処へこの用に行けと云つけらるる、はと云て其侭かけ出す。これみよ。鷄初鳴から支度したが用にたつ。今日の忰ともは東金へゆけと云へは髪結てからと云て、はや埒があかぬ。とかく何でも云附次第になる様に支たくをしてをく。古はいつも早く起て仕度し、君へも朝参もせらるる程に身拵して親の前へ出る。何から何まで本道のことと云ものにのこることはないと知るがよい。
【解説】
「怡聲、問衣燠寒・疾痛・苛癢、而敬抑掻之。怡、悦也」の説明。親に事えるには親を心置きなくするのが第一である。そこで、笑顔で柔らかに言うのである。
【通釈】
「怡声」。とげとげしくなく、にこにこして言い上げること。「燠寒」。暑い寒い、衣服の厚薄を問う。「疾痛」は痛みで「苛癢」は痒いこと。病気というとそれ医者をと誰でも騒ぐ。癢処などというものは甘口なことなので凛とした男子には言い付け難く、下気の人でなければ掻こうと言っても親が遠慮をする。親に事えるには親を心置きなくするのが第一である。それなのに自分の心が高ぶっては用も言い付けられない。朝起きて親の所へ行くにも必ずこの小学の書面の通りに、朝はいつも抑掻することだと思えば書物芸である。今朝は只今から何処へこの用に行けと言い付けられれば、はっと言ってそのまま駆け出す。そこで見なさい。鶏初鳴から支度したのが用に立つ。今日の忰共は東金へ行けと言えば髪を結ってからと言って、早くも埒が明かない。とかく何でも言い付け次第になる様に支度をして置く。古はいつも早く起きて仕度し、君への朝参もできるほどに身拵えをして親の前へ出る。何から何まで本道のことには余すことがないと知りなさい。

○苛は疥は、こせがさたむしなどとも云へとも病名にせず、ただかゆいにせよ。されともかゆいでも何ぞ云分んあることなり。掻は摩と、爪をたててかくことてはなく、さすることを云。按摩と云字なれば撫てさすることぞ。かくと云訓はとど似たことなり。かゆい処をなでてもきくぞ。唱喏。男はだまって目礼する。婦人道萬福。ものを云わずに頭を下れば男めく。そこて女は其日々々に機嫌を伺ふ。時々に御目出度を云。何を云のも先きを裞ふ心で萬福と云ふぞ。○不安節とはいつもとは違ふたことで、小便に起ぬ隱居が小便にをき、終に寢うなりせぬ母が子うなりをするぞ。大立た病気と云ではないが、何かをかしいことあれは御者告。
【解説】
苛、疥也。抑、按也。掻、摩也。温公曰、丈夫唱喏、婦人道萬福。問侍者夜來安否如何、侍者曰安、乃退。其或不安節則侍者以告。此即禮之晨省也」の説明。男は黙って目礼をする。女が目礼をすると男めくので、そこで毎日機嫌を伺う。いつもと違ったことがあれば侍者にそれを告げる。
【通釈】
「苛、疥也」は、雁瘡や頑癬なども言うが、ここは病名にせず、ただ痒いということとする。しかし、痒いにも何か言い分のあること。掻は摩で、爪を立てて掻くことではなく、摩ることを言う。按摩という字は撫でて摩ること。掻くという訓もつまりは似たこと。痒い処は撫でても効くもの。「唱喏」。男は黙って目礼をする。「婦人道万福」。ものを言わずに頭を下げれば男めく。そこで女は毎日機嫌を伺う。時々に御目出度いを言う。何を言うにも相手を祝う心で万福と言うのである。「不安節」はいつもとは違ったことで、いつもは小便に起きない隠居が小便に起き、いつもは寝唸りをしない母が寝唸りをする。大きな病気ということではないが、何か変なことがあれば「侍者以告」。
【語釈】
・こせがさ…雁瘡。

○顔之推。顔氏家訓はこの人ぞ。父子の嚴は易の家人の彖傳に家人有嚴君とあり、それからきた文字なり。○不可狎とは、父子何程も睦いはよけれとも、それじゃとて親子が一所にひぢ枕で咄しするのがよいとは云はれぬ。それなら又家来の様にきっとすることかと思へは骨肉之愛以不可簡とあり、君臣の間は物頭ても番頭てもどの様な忠臣なものでも今朝は殿様は御膳を何盃召上ったと云ふまては知らず。そこは君臣のなりぞ。親子の中にそふではつまらぬ。朝飯のことでも親がさて々々今朝はむまふてたんと喰へた、をのしが喰程あるかと云様なが父子のなりぞ。余り又狎ると怠慢が生する。寢ころひ相手になるやふになる。一命の士以上は父子宮を異にする。異にせずとすまふに異にするは、狎れぬやうにする。さて背中をかくの、ふすまをかけるの、床をあげるのと云迠するが簡にせぬ処ぞ。子たるものは父母が何をどれほど喰ふたまでも一々にしら子はならぬこと。たとへば母人のに焼ものか大きかったか、日比丈夫じゃによって気つかいはあるまいの、今朝の肴がすきたゆへ、昼は精進ものと云やふに気をつけることなり。
【解説】
顔之推曰、父子之嚴不可以狎、骨肉之愛不可以簡。簡則慈孝不接、狎則怠慢生焉。由命士以上父子異宮。此不狎之道也。抑掻痒痛、懸衾篋枕。此不簡之敎也」の説明。父子が睦ましいのが何よりのことだが、あまりに狎れると怠慢が生じる。そこで宮を別にする。しかし、子たるものは父母が何をどれほど食ったのかということまでをも知っていなければならない。
【通釈】
「顔之推」。顔氏家訓はこの人の作である。「父子之厳」は易の家人の彖伝に「家人有厳君」とあり、それから来た文字である。「不可以狎」とは、父子が睦ましいのが何よりもよいことだが、それだからと言って、親子が一所で肘枕で話をするのがよいとは言えない。それならまた家来の様にきっとすることかと思えば、「骨肉之愛不可以簡」とあり、君臣の間は物頭でも番頭でもどの様な忠臣な者でも、今朝殿様が御膳を何盃召し上がったということまでは知らない。そこは君臣の姿である。親子の中がそうでは詰まらない。朝飯のことでも、さてさて今朝は美味くて沢山食べた、お前が喰う分はあるかと親が言う様なことが父子の姿である。あまりに狎れると怠慢が生じる。寝転び相手になる様になる。一命の士以上では父子は宮を異にする。異にしなくても済むだろうが、これを異にするのは狎れない様にするため。さて背中を掻いたり襖を掛けたり、床を上げたりするということまでをするのが簡にしない処。子たるものは父母が何をどれほど食ったのかということまでをも一々知らなければならない。たとえば母人のに焼物が大きかったが、この頃は丈夫だから気遣いはないだろうとか、今朝は肴が過ぎたから、昼は精進物にしようと言う様に気を付けること。
【語釈】
・家人有嚴君…易経家人彖伝。「家人有嚴君焉、父母之謂也」。

○出入則或云云。或はと云ふは大名の供逈りの様にしてはわるい。大名のどふせいはきっと極ってある。艸履とりが先きに立つともふす。また或はと云は極りたことなく、親には跡にも先にも成て介抱する。はや兄に先き立つを不弟と云ふぞ。兄は達者故に先に立て手をとるにも及す、親は老人故に手を引たり腰をすくふたりする。そこて或と云心得入ることなり。○時之便にしたかふ。ここは大切のことで、時々に隨でなければならぬ。君子は竇[こみち]よりせずと計り心得てはすまぬ。知は圓もの、水は方圓の器に隨ふ。時々の便りぞ。とかく孝行もたわけてはならぬ。とかくに父母のよいやふにして進すると云を知てすることじゃ。今日は親父が濱見物に行るるが、律義な兄より弟のとうらくめをつけてやるがよいと云節ある。なぜなれは、どふらくでも目端がきくと一と角老人の気に入ることをする。これも時の宜きに隨ふことを合点しておるからぞ。○進盥少者。十二三にもなる少者は軽きかなだらいを持て出。女房ても持たの兄は長者なり。重い水持て出て手洗を伺ふ。卒れは授巾。急迫な老人は手拭か間合ぬと大にさわぎせくものぞ。これをさかさぬ様に直に巾をさづける様に手配をして置く。尭舜の孝と云ても手ぬけの無い処が第一なり。そふないと父母の工面かわるいぞ。○承るは、湯つぎよりたら々々とつぎ出すをたらいにうけることぞ。
【解説】
「出入則或先或後、而敬扶持之。先後、隨時便也。進盥、少者奉槃、長者奉水、請沃盥。盥卒授巾。槃、承盥水者。巾、以帨手」の説明。親に対しては定まることなく、後にも先にもなって介抱をする。また、その時々に宜しきことを択んでする。
【通釈】
「出入則或云云」。「或」とは、大名の供回りの様にしては悪いということ。大名の同勢ははっきりと定まっている。草履取りが先に立つと申す。或は極まったことでなく、親には後にも先にもなって介抱をする。早くも兄に先立つのを不弟と言う。兄は達者なので先に立って手を取るにも及ばないが、親は老人なので手を引いたり腰を救ったりする。そこで或という心得が要るのである。「随時便」。ここは大切なことで、時々に随うのでなければならない。君子は小道よりせずとばかり心得ては済まない。知は丸いもので、水は方円の器に随う。時々の便りである。とかく孝行も戯けではならない。とかくに父母のよい様にして進ずることだと知ってする。今日は親父が濱見物に行かれるが、律儀な兄よりも弟の道楽者を付けて遣る方がよいという節がある。それは何故かと言うと、道楽でも目端が利くので一角老人の気に入ることをするからである。これも時の宜しきに随うことを合点しているからからである。「進盥、少者」。十二三にもなる少者は軽い金盥を持って出る。女房でも持った兄は長者である。重い水を持って出て手洗いを伺う。「卒授巾」。急迫な老人は手拭が間に合わないと大層騒いで急くもの。これを急がさない様に直に巾を授ける様に手配をして置く。堯舜の孝と言っても手抜けのない処が第一である。そうでないと父母の工面が悪くなる。「承」は、湯注よりたらたらと注ぎ出して、それを盥に受けること。
【語釈】
・君子は竇[こみち]よりせず…論語子張4。「子夏曰、雖小道、必有可觀者焉。致遠恐泥。是以君子不爲也」。
・水は方圓の器に隨ふ…今川状。水は方円の器に随い、人は善悪の友による。荀子君道。「君者槃也、民者水也、槃圓而水圓。君者盂也、盂方而水方」。

○問所欲而。臺所で飯は出来ていても、さあ飯が出来た、まいれと大工へさしつける様にせう筈はない。親の云付次第にする筈のことぞ。今日輕きものでもよく考へてみよ。懐妊してより幼時の養いたいていではない。それから成人して家督をやって後には小い所に隱居しているに、それ飯よとこちの勝手次第に當てかふやうではあんまりなことじゃぞ。王祥や孟宗が親の様に時ならぬものを好む。無理な親なれとも、子が孝行じゃゆへ相應に出来た。敬で進之。この敬と云が子の第一の玉しひぞ。三ん光鴬を飼ても、頃日は元ん気がわるい、今朝は玉子を喰はそふと出る。それに敬はない。犬馬に至迠皆能養ことあり。不敬何以別かたんやと子游に告けられたはそこなり。さて柔色でなくては親の心よくないぞ。しぶい顔ではつ鮭をと云ふと親が今年などはよしたがよいと出るか、心を安んすると云は、貧乏者なとは假令買ても又貰ひましたとにこはこですれば親も安心して食ふぞ。何ことも顔色に味のあることぞ。問屋塲でかしこまるやうではない。○温之は、親の命を柔和にして、こちも同心してああとうけることぞ。嘗て後退は、今朝のはさて出来たはと親の喰るるを見て後に退くぞ。
【解説】
「問所欲而敬進之、柔色以温之。父母舅姑必嘗之而後退」の説明。親が子を養うのは大抵なことではなかった。そこで、敬が子の第一の魂となる。敬がなければ人も犬馬と同じである。親の命は柔色で同意することにより親も安堵する。
【通釈】
「問所欲而」。台所では飯ができていても、さあ飯ができた、参れと大工に差し付ける様にする筈はない。親の言い付け次第にする筈のこと。今日の軽い者でよく考えてみなさい。懐妊してより幼時の養いは大抵なことではない。それから成人して家督を遣って後には小さい所に隠居しているのに、それ飯だとこちらの勝手次第に宛がう様ではあまりなこと。王祥や孟宗の親の様に時ならないものを好む者もいる。無理な親だが、子が孝行なので相応なこととなった。「敬進之」。この敬が子の第一の魂である。三光鳥を飼っても、この頃は元気が悪いから今朝は玉子を食わそうと出る。それに敬はない。犬馬に至るまでに皆よく養うことがある。「不敬何以別」と子游に告げられたのはそこ。さて柔色でなくては親の心はよくない。渋い顔で初鮭をと言うと、親が今年などはよした方がよいと出るが、心を安んずるというのは、貧乏者などがたとえ買っても貰いましたとにこにこ顔ですれば親も安心して食う様なもの。何事も顔色に味のあること。問屋場で畏まる様なことではない。「温之」は、親の命を、こちらも柔和に同心してああと請けること。「嘗之而後退」は、今朝のは実によくできたと言って親が喰うのを見て後に退くこと。
【語釈】
・王祥…小学外篇善行11にある。
・孟宗…二十四孝の一で、寒中に親に筍を供えた孝子の名。
・不敬何以別かたんや…論語為政7。「子游問孝。子曰、今之孝者、是謂能養。至於犬馬、皆能有養、不敬、何以別乎」。

○所欲如饘酏酒醴と切りて、飲食之類をさへにの意で点を成したは山﨑先生の点之細な処なり。饘酏はかゆ。平日粥を喰ふものにもあらず。今朝はかゆにしよふと云ふが欲する所なり。酒と云も平日御定りものなり。ときに今日は醴をと好むが欲する所なり。飲食をさへには自余の食物もその通り欲する所を問ふなり。温は藉なりは、親の云つけ故にどふも是はせずはなるまいとせうふことなしに承ると、向ふとこちとがべた々々になる。又、云つける親も承る子も同腹中でするとべったりと一つになる。そこが温藉の意ぞ。孟子の離婁註にも資の字を猶藉也とあり、とりにくい字なれとも、つまり向のをこちへうち一つにする意なり。晨羞は、朝ぶさなどと云訓ある。朝茶の菓子のこと。一寸したものを進るのぞ。藥物は一大切のことで生命にあづかること。をろそかにはならぬ。子たるもの自つとめる。撿は物の吟味。扨も一々細に數そへたてて吟味すること。調煮藥のせんじ方あるぞ。貝原が養生訓にも、折角の藥でも煎じ方が悪ければききが甲斐ないなと委くある。この書などは子たる者見様ことぞ。貝原は眞実な人で養生訓などは孝行の手傳になることぞ。
【解説】
所欲、如饘酏酒醴。飮食之類。温、藉也。承尊者必和顔色。温公曰、父母舅姑起、子供藥物、婦具晨羞。尊長擧箸子婦乃各退就食。註曰、藥物乃關身之切務、人子當親自檢校調煮供進。不可委奴僕。脱若有誤即其禍不測」の説明。飲食でさえ親の欲することをする。親と子の気持ちが同じになることを「藉」と言う。また、薬は生命に関わることなので、しっかりと吟味をしなければならない。
【通釈】
「所欲如饘酏酒醴」と切って、「飲食之類をさえに」の意で点をしたのは山﨑先生の点の細かな処である。「饘酏」は粥。粥は平日喰うものではない。今朝は粥にしようと言うのが「所欲」である。酒も平日御定まりもの。時に今日は醴をと好むのが所欲である。飲食をさえには、自余の食物もその通りに欲する所を問うということ。「温、藉也」。親の言い付けなのでどうもこれはしなければならないだろうと仕方なく承ると、向こうとこちらとがべたべたになる。言い付ける親も承る子も同腹中でするとべったりと一つになる。そこが温藉の意である。孟子の離婁の註にも「資、猶藉也」とあり、扱い難い字だが、つまり向こうのをこちらへ請けて一つにする意である。「晨羞」は、朝普茶などという訓がある。朝茶の菓子のこと。一寸したものを進ずるのである。薬物は最も大切なことで生命に与ることで、疎かにはできない。子たる者が自ら努めること。「検」は物の吟味。一々細かに数えたてて吟味すること。調煮薬にも煎じ方がある。貝原の養生訓にも、折角の薬でも煎じ方が悪ければ効きが甲斐ないなどと委しくある。この書などは子たる者が見るべきもの。貝原は真実な人で養生訓などは孝行の手伝いになるもの。
【語釈】
・資の字を猶藉也…孟子離婁章句。「資、猶藉也」。
・朝ぶさ…朝普茶。朝食前に食う菓子の類。

○點心とは今一寸喰ふものを云。中饋は、中は内にてと云こと。饋は喰もののこと。女は喰もののことをせはすべきはづ。是議は余のことなしに、女は其こと計を役にす。近年婦人と云語よりは、温公の當世を呵てをかれたことなり。温公は、晩年は老中にも成た人ぞ。此語はその前に云はれたことで、宋朝の時はれき々々も三四千石ほどの形りと見へた。挌別に立身しては大名程の髙にもなる。此婦人とさしたは簱本衆の奥方などにして見るべし。飲膳は婦人の職なるを、今はをごって褥をしいて居て包厨に入らす。刀匕をとらずとも厨へ入て、撿挍はものの吟味をして精潔にさすへきに、人任せにするはつまらぬことなり。ここに挍とあるゆへ前の撿挍も挍の字の違も先軰云はれたなれとも、两方共に聞えるぞ。吟味のことなり。
【解説】
晨羞、俗謂點心。易曰、在中饋。詩曰、惟酒食。是議。凡烹調飮膳婦人之職也。近年婦女驕倨皆不肯。入庖厨今縱不親執刀匕、亦當檢校監視、務令清潔」の説明。女は食物の世話をするのが役である。今の高貴な婦人も、刀匕を取らないとしても自ら厨へ入り、吟味をして精潔にさせるべきであって、人任せにするのは悪い。
【通釈】
「點心」とは今一寸喰う物を言う。「中饋」は、「中」は内にてということ。「饋」は食物のこと。女は食物の世話をすべき筈。この議は他でもなく、女はそのことばかりを役にするということ。「近年婦人」という語からは、温公が当世を呵って置かれたこと。温公は、晩年は老中にもなった人。この語はその前に言われたことで、宋朝の時は歴々も三四千石ほどの身分と見える。格別に立身しては大名ほどの高にもなる。この婦人と指したのは旗本衆の奥方などのこととして見なさい。飲膳は婦人の職なのに、今は驕って褥を敷いて包厨に入らない。刀匕を取らないとしても厨へ入り、検校でものの吟味をして精潔にさせるべきなのに、人任せにするのは詰まらないことである。ここに校とあるので、前にある検校との校の字の違いも先輩は言われたが、両方共に通じるもの。吟味のことである。

○男女未冠筓。ここは總角のあげまきする。これが冠せぬ者と元服したものとかはるはこればかり。あとは同じことなり。昧爽はしののめ時分のこと。容臭は香物なり。香い袋は、今は好色ものの身をふけらすことの様に成ていやみの様なれとも、發処そふではない。子ともの給小使の用意にす。子ともに汲をさするも聞へたことぞ。べん々々と汲をさすに大人では心がをかるる。気置のなき様に子ともがよい。そこで古よりこま使は子ともがよい。其時香袋を懐中して香氣あれはいさぎよいぞ。これらは誠に尊者を敬するの意なり。又、性気養にもなる。後成人。朝起するは少い時から教ふるなれとも、それも年にもよる。臺所の用をも云つけるは子ともにはない。なんぼても子ともはまだそれは出来ず。そこへ出るのもをそい。すこし許してをく。余りいじめ過ると又わろし。植木を作るもそれなり。礼記に孺子は晏起とあるもそこぞ。垩人のは何から何までとどいたことなり。
【解説】
「男女未冠筓者、雞初鳴咸盥、漱、櫛、縰、拂髦、總角、衿纓、皆佩容臭、昧爽而朝、總角、収髪結之。容臭、香物也。以纓佩之。爲迫尊者給小使也。昧爽、後成人也」の説明。元服をしていない子に酌をさせる。それは大人では気を遣うからである。その場合に匂袋を付けるが、それが尊者を敬し、また、性気を養うことにもなる。
【通釈】
「男女未冠笄」。ここは総角の揚巻きをすること。冠しない者と元服した者との違いはこれだけで、あとは同じこと。「昧爽」は東雲時分のこと。「容臭、香物也」。匂袋は、今は好色者の身を耽らすことの様になって嫌味な様だが、始まりはそうではない。子供の給小使の用意にする。子供に酌をされるのもよくわかる。べんべんと酌をさせるには、大人では気を遣う。気置きのない様にするには子供がよい。そこで古より小間使は子供がよい。その時匂袋を懐中して香気があれは潔い。これらは誠に尊者を敬する意であり、また、性気を養うことにもなる。「後成人」。朝起きをするのは幼い時から教えることだが、それも年にも拠る。台所の用を言い付けることは子供に対してはない。どうしても子供にはまだそれはできない。そこへ出るのも遅い。少しの間許して置く。あまり苛め過ぎるとまた悪い。植木を作るのもそれ。礼記に孺子は晏起とあるのもそこ。聖人のは何から何まで行き届いている。
【語釈】
・しののめ…東雲。明け方。暁。曙。
・孺子は晏起…礼記内則。「孺子蚤寢晏起。唯所欲。食無時」。

○問何食飲。幼子十二三のもの、そこへ伺いに見逈と、もふをいらは喰た、今朝はをそかったなどと云体成べし。佐長者視具。やくみや何ぞかるいことからそろ々々しならふことであらふと合点すべし。今時の人か料理自慢して居て客の時には何にが庖丁を揮いたがる。それを常に親にしそふなものを、そこらは毎日のことなればとなぐるて奴婢任せにする故に朝暮同しもの計り進せる。それでは父母を大部屋の仲間も同格にするになる。かふきいては子たるもの迷惑なことぞ。同じ茄子でも功者に仕方が違ふと、是は旨いと云ものぞ。かふしてみれば料理も上手と云まてが孝の一つに成ることなり。
【解説】
「問何食飮矣。若已食則退。若未食、則佐長者視具。具、饌也」の説明。簡単な調理から習い始める。料理が上手いということも孝の一つとなる。
【通釈】
「問何食飲」。これが、十二三の幼子がそこへ伺いに見舞うと、もう俺は喰った、今朝は遅かったなどと言われる様なもの。「佐長者視具」。薬味や何か簡単なことからそろそろ習うことだと合点しなさい。今時の人が料理自慢で、客のある時には何が庖丁を揮いたがる。それを常に親にしそうなものだが、そこは毎日のことなのでと言って疎かにし、奴婢任せにするから朝暮同じものばかりを進ぜる。それでは父母を大部屋の仲間と同格にすることになる。この様に聞いては子たる者には迷惑なもの。同じ茄子でも功者の様に仕方が違うと、これは旨いと言うもの。こうして見れば料理も上手ということまでが孝の一つになる。


明倫2
○凡内外、此總論子婦之外、僕隷之等。雞初鳴咸盥、漱、衣服、歛枕・簟、灑掃室・堂及庭、布席、各從其事。
【読み】
○凡そ内外、此れ總て子婦の外、僕隷の等を論ず。雞初めて鳴きて咸[みな]盥[あら]い、漱ぎ、衣服し、枕・簟を斂[おさ]め、室・堂及び庭を灑掃し、席を布き、各々其の事に從う。

○凡内外云云。家の内のことて惣たいのことをさす。子婦之外。僕隷のこと迠を論ずる。これも大宰なとの斥非の意ては、小学の父子之親には己が孝計りあるべきに、日雇取も同前の僕隷までを入るるは扨々心得ぬと云はふが、夫れか孝行の蓋をあけて見ぬ所ぞ。大夫が上手でも笛や大皷が下手ではとんとゆかぬ。下の男女迠に心得へさせ子は孝行ゆきとどかぬ。端的歯のない父母に和かに々々々と云ても、はい々々とは云ふか、一つ派もやはらかにせぬ。亭主が何程心配しても飯迠はたかぬゆへ、はや飯たきの仕をきわるいとじきにつかへるなり。そこて子婦の外までもかふきめてをか子は孝の手が届ぬぞ。○衣服して歛枕簟。家のをさまらぬのは旦那か起ても未た下女が紙帳を釣て居たがる。是を早く起してそれ々々にきめるでのふてはならぬことなり。
【解説】
僕隷が亭主の言うことを聞かなければ家は治まらない。そこで、僕隷のことまでをしっかりと決めるのが孝に繋がる。
【通釈】
「凡内外云云」。家の内のことで、総体のことを指す。「子婦之外」。僕隷のことまでを論じる。これも太宰などの斥非の意では、小学の父子の親は自分の孝ばかりがあるべきなのに、日雇取りも同然の僕隷までを入れるのは全く心得ないことだと言い張るだろうが、それが孝行の蓋を開けて見ない所である。太夫が上手でも笛や太鼓が下手ではうまく行かない。下の男女までに心得させなければ孝行は行き届かない。端的、歯のない父母のために柔らかにしろと言っても、はいはいとは言うが、一つも柔らかにはしない。亭主はどれほど心配しても飯までは炊かないので、早くも飯炊きの仕置きが悪いと直に支えることになる。そこで子婦の外までもこの様に決めて置かなければ孝の手は届かない。「衣服斂枕簟」。家が治まらないのは旦那が起きても下女が紙帳を釣っていたがるから。これを早く起こしてそれぞれに決めるのでなければならない。


明倫3
○父母舅姑將坐、奉席請何郷。將衽、長者奉席請何趾。衽、臥席也。將衽謂更臥處。順長者所安也。小者執牀與坐、御者舉几歛席與簟、縣衾篋枕、歛簟而襡之。早旦親起、侍御之人擧几以進使憑之。篋謂以篋貯之。襡謂以襡韜之。須臥且鋪之也。父母舅姑之衣衾・簟席・枕几不傳。杖・屨祗敬之勿敢近。敦牟巵匜非餕莫敢用。與恒食飮、非餕莫之敢飮食。傳、移也。杖屨、服御之重者。彌須恭敬。勿敢迫近也。敦、今杯盂也。牟、土釜也。今以木爲器象土釜之形。巵、酒器也。匜、盛酒漿之器。餕、食尊者餘也。與、及也。恒、常也。旦夕之常食也。
【読み】
○父母舅姑將に坐せんとすれば、席を奉げて何くに郷[む]かわんと請う。將に衽せんとすれば、長者席を奉げて何くに趾せんと請う。衽は臥席なり。將に衽せんとすは臥す處を更るを謂う。長者の安んずる所に順うなり。小者は牀を執りて與えて坐せしめ、御者は几を舉げ席と簟とを斂め、衾を縣け枕を篋にし、簟を斂めて之を襡[とく]にす。早旦親起きれば、侍御の人几を擧げて以て進めて之に憑かしむ。篋は篋を以て之を貯るを謂う。襡は襡を以て之を韜[つつ]むを謂う。臥すを須ちて且つ之を鋪くなり。父母舅姑の衣衾・簟席・枕几は傳せず。杖・屨は之を祗[つつし]み敬[つつし]みて敢て近づくこと勿かれ。敦牟巵匜[たいぼうしい]は餕[しゅん]するに非ざれば敢て用うること莫かれ。與[およ]び恒の食飮も、餕するに非ざれば之を敢て飮食すること莫かれ。傳は移なり。杖屨は服御の重き者。彌々須らく恭敬すべし。敢て迫り近づくこと勿かれ。敦は今の杯盂なり。牟は土釜なり。今木を以て器を爲り土釜の形に象る。巵は酒器なり。匜は酒漿を盛る器。餕は尊者の餘を食うなり。與は及なり。恒は常なり。旦夕の常食なり。

○父母云々。何郷とは、今日は庭の方を見るの、又は昨日表具した掛物を見やふのと度々に望み好て向きのかわるを其なりを問てしたがふことなり。○衽は臥処を更て寢るときのこと。常はきはまりてをれとも、暑さに今夜は表に子んとあるときなど、御あとをどちらへと問てさわりなき様にして、子やもる目の看よいやふにもする。又は丁子釜の方をあたまとも出る。いつれにも心を安する様にすることなり。仏法信仰な親なれは如来の方は足にはせぬ筈。江戸でも御城の方を趾にしては心あるものは子ぬでみよ。我々でも朱子語類の方へ足をやりては安からぬ。とかくに問てするがよいぞ。○襡之は、ばん袋でも入ることぞ。
【解説】
「父母舅姑將坐、奉席請何郷。將衽、長者奉席請何趾。衽、臥席也。將衽謂更臥處。順長者所安也。小者執牀與坐、御者舉几歛席與簟、縣衾篋枕、歛簟而襡之。早旦親起、侍御之人擧几以進使憑之。篋謂以篋貯之。襡謂以襡韜之。須臥且鋪之也」の説明。親の望むところを問いてそれに従い、親を安んずる様にする。
【通釈】
「父母云々」。「何郷」とは、今日は庭の方を見るとか、昨日表具した掛物を見ようと言って、望み好みで向きの替わる都度、その内容を問うて従うこと。「衽」は臥す処を変えて寝る時のこと。いつもは決まったところで寝るが、暑いので今夜は表に寝ようとする時など、見張りはどちらへと問いて障りのない様にして、見張り易い様にもする。または丁子釜の方を頭にする。いずれにも心を安んずる様にする。仏法を信仰する親であれば如来の方に足を向けない筈。江戸でも心ある者は御城の方を趾にしては寝ないことで見なさい。我々でも朱子語類の方へ足を遣っては安んじない。とかくに問うてするのがよい。「襡之」は、番袋でも入れること。

○父母舅姑之衣衾云云不傳は、常にをき所をかえぬことて、それと云とき尋ることない様にする。細の心つかいてなけれは孝はならぬ。医者の藥袋に藥名を書てをくも、急なときすら々々となるためぞ。一つ々々にさがしてはどふもならぬ。孝行にもこふ云手配でなけれは指支が出来る。杖履は敢て近つくことなしと云てもさほどに思ぬが、今でも腰の物を置た処へは近くことなかれの意あるぞ。君父の大小あればずか々々とをるもしか子る。そのことなり。餕しと云は、去年迠は尊者に用たか、今年は仕かへたと云道具が餕なり。それをは外へも用る。飲食も器物もあまりたるを餕と云。あまりてのふては用ぬなり。○服御之重者。今でも公家衆など履と云はきっとしたものぞ。江戸でも御役人衆はびろふど包みの杖をみよ。然るに親の杖で蝮を打殺すやふではつまらぬ。餕は御膳したと云やふな気味て、喰かけと云ことではない。
【解説】
「父母舅姑之衣衾・簟席・枕几不傳。杖・屨祗敬之勿敢近。敦牟巵匜非餕莫敢用。與恒食飮、非餕莫之敢飮食。傳、移也。杖屨、服御之重者。彌須恭敬。勿敢迫近也。敦、今杯盂也。牟、土釜也。今以木爲器象土釜之形。巵、酒器也。匜、盛酒漿之器。餕、食尊者餘也。與、及也。恒、常也。旦夕之常食也」の説明。衣衾等はいつでもわかる様に置き場所を変えない。杖履には敢えて近付かない。「餕」は親から下された物で、それ以外は使わない。
【通釈】
「父母舅姑之衣衾云云不伝」は、常に置き所を変えないことで、それという時に尋ねることのない様にする。細かな心遣いでなければ孝はできない。医者が薬袋に薬名を書いて置くのも、急な時にすら々々となるため。一つ一つを探してはどうにもならない。孝行にもこういう手配りでなければ差障りができる。杖履は敢えて近付くことなしと言ってもさほどにも思わないが、今でも腰の物を置いた処へは近付くことなかれの意がある。君父に大小の刀があれば、ずかずかと通ることもしかねる。そのこと。「餕」は、去年までは尊者が用いたが、今年は他のものに変えたという様な道具のこと。それを外にも用いる。飲食も器物も余った物を餕と言う。余りでなければ用いない。「服御之重者」。今でも公家衆などの履はきっとしたもの。江戸でも御役人衆は天鵞絨包みの杖を持っている。それなのに親の杖で蝮を打ち殺す様では詰まらない。餕は御膳下という様な気味で、食い掛けのことではない。


明倫4
○在父母舅姑之所有命之、應唯敬對。進退周旋愼齊、升降出入揖遊。齊、莊也。揖、抑也。遊、揚也。不敢噦・噫・嚏・咳・欠・伸・跛・倚・睇視、不敢唾洟。寒不敢襲、癢不敢掻、不有敬事、不敢袒裼、不渉不撅。睇、傾視也。襲謂重衣。撅、掲衣也。不因渉水、不敢掲衣。褻衣衾不見裏。父母唾洟不見。見裏爲其可穢。唾洟輙刷去之。冠帶垢和灰請漱、衣裳垢和灰請澣。和、漬也。手曰漱、足曰澣。衣裳綻裂紉箴請補綴。綻猶解也。少事長、賤事貴、共帥時。共猶皆也。帥、循也。時、是也。言禮皆如此。
【読み】
○父母舅姑の所に在りて之に命ずること有れば、應唯し敬みて對[こた]う。進退周旋愼齊にし、升降出入揖遊す。齊は莊なり。揖は抑なり。遊は揚なり。敢て噦・噫・嚏・咳・欠・伸・跛・倚・睇視せず、敢て唾洟せず。寒くとも敢て襲[かさ]ねず、癢くとも敢て掻かず、敬事有らざれば、敢て袒裼[たんせき]せず、渉らざれば撅[かか]けず。睇は傾き視るなり。襲は衣を重ねるを謂う。撅は衣を掲げるなり。水を渉るに因らざれば、敢て衣を掲げず。褻の衣衾は裏を見わさず。父母の唾洟は見わさず。裏を見わすは其の穢る可き爲なり。唾洟は輙ち之を刷去す。冠帶垢つけば灰を和して漱がんと請い、衣裳垢つけば灰を和して澣[あら]わんと請う。和は漬なり。手に漱と曰い、足に澣と曰う。衣裳綻び裂くれば箴に紉[じん]して補い綴らんと請う。綻は解に猶[おな]じ。少の長に事え、賤の貴に事うる、共[みな]時に帥[したが]う。共は皆に猶じ。帥は循なり。時は是なり。禮は皆此の如きを言う。

○在父母舅姑云云。有命之とは、あちから云つけること。應唯は返事をすみやかにはいと進んてする意なり。敬對ふはあいさつの子細なことで、親の心に能く落着する様に對することぞ。譬は江戸へ行くに行德通じゃが、今度は市川通をするになりた時が親がなぜ々々と云ぞ。さればでござる、こふした訳のある故と親のとくと得心するやふに云ほどくと、又は医者を替るにもあれが能いと云ても、はてこちらが能いと親の思るるをこうした訳のあること故あの方が能ろと細に云ふと呑込むぞ。今もとかく親がなにやらをれには聞かせぬ々々々々と云て気をもむ。敬對へぬゆへなり。
【解説】
「在父母舅姑之所有命之、應唯敬對」の説明。父母の命には速やかにはいと言う。また、言う時は親がすっかりと得心する様に説明をする。
【通釈】
「在父母舅姑云云」。「有命之」とは、あちらから言い付けること。「応唯」は、返事は速やかに、はいと進んでする意である。「敬対」は挨拶が子細なことで、親の心によく落着する様に対すること。たとえば江戸へ行くのには行徳通りからだったが、今度は市川通りをすることになった時に親がそれは何故かと聞く。それはこうしたわけがあってのことと親がすっかりと得心する様に言い解き、または医者を替えるにはあれがよいと言った時に、さてこちらがよいと親が思っているのを、こうしたわけがあるからあの方がよいだろうと細かに言うと飲み込む。今はとかく親が何やら俺には聞かせないと言って気を揉む。それは敬対しないからである。

○進退周旋愼齊。とかく親を主の様にすることと思へ。殿中ではだれもこふするぞ。揖遊。堂のをり登り、あをのへたり屈んたり。不敢噦噫云云。是らは多く病属したことじゃに、此をするなとは扨々御無理を教へらるるとも云べし。先つだまって聞けと云ことなり。そのことは後に云はん。嚏、はなひる。鼻のつまるので声を発する。くさめなり。月令の注にもあり。其外は訓の通りなり。さて此のさま々々なことが無拠ことなれとも、敬がぬけると出るもので、つまりををちゃくにつくことぞ。そこて不敢々々ときめたもの。されともこれも私なことでもないに、此をするなとは無理なやふなれとも、これを乱りにするも親を敬せぬから出る。さればこそ殿中で出御の時しっ々々と云と、諸の大小名欠伸は勿論咳一つせぬであらふ。これ敬の心のきっとしまった処なり。然れは敬しては咳も出ぬ。つまり親を公方様のやふに思へと云の敬じゃ。心得べし。襲せず。これも主の供先などてどふなるものぞ。袒裼は裸をぬくことで、敬事は牲を料理か、又は弓を射るときならではせず。不渉不撅。川をわたすときならでは衣をかかげず。加茂川の小橋邊や清瀧などでは親と一所でも撅げわたることをもする。
【解説】
「進退周旋愼齊、升降出入揖遊。齊、莊也。揖、抑也。遊、揚也。不敢噦・噫・嚏・咳・欠・伸・跛・倚・睇視、不敢唾洟。寒不敢襲、癢不敢掻、不有敬事、不敢袒裼、不渉不撅。睇、傾視也。」の説明。進退周旋では親を主の様に思ってする。敬が抜けるとくしゃみや咳も出るもの。
【通釈】
「進退周旋慎斉」。とかく親を主の様にすることだと思いなさい。殿中では誰もがこうする。「揖遊」。堂の降り登り、仰のいだり屈んだり。「不敢噦噫云云」。ここらは多く病に属したことだが、これをするなとは実に御無理を教えられるとも言うだろう。先ずは黙って聞けということ。そのわけは後に言う。「嚏」ははなひる。鼻が詰まるので声を発する。くしゃみのこと。月令の注にもある。その外は訓の通りである。さてこの様々なことは仕方のないことだが、敬が抜けると出るもので、つまり横着に付いたこと。そこで「不敢不敢」と決めたのである。しかし、これも私でしたことではなく、これをするなとは無理な様だが、これを妄りにするのも親を敬しないからのこと。殿中で出御の時にしっしっと言うと、諸々の大小名は欠伸は勿論、咳一つしないだろう。これが敬の心のきっと締まった処である。それなら敬すれば咳も出ない。つまり親を公方様の様に思えというのが敬である。心得なさい。「不襲」。これも主の供先などではどうしてもできないこと。「袒裼」は肌を脱ぐことで、敬事は牲を料理するか、または弓を射る時のことで、それ以外では肌を脱がない。「不渉不撅」。川を渉す時でなければ衣を撅げない。加茂川の小橋辺りや清滝などでは親と一所でも撅げて渉ることもある。

○襲は重衣。小学を聞て薄着して風引たらは却て不孝に成ふと水をさす了簡ではどふも教はならぬ。寒中御鷹狩のとき薄着で誰も風引たものは少し。内に敬のりんと在る故なり。なんでも君父を敬する心十分なれば風も引ぬものぞ。推し言て云ではない。此心意気を体すべし。直方の、中風するも惰気と淫欲とで受ると云も面白いこと。敬のぬける故、いかにも淫れた心やべろりとした心で敬か無いと中風もする筈。兎角敬をと云一字を忘れすはなさぬやふにせよ。
【解説】
襲謂重衣。撅、掲衣也。不因渉水、不敢掲衣」の説明。寒中御鷹狩の時には薄着でも風邪を引く者は少ない。直方が、中風をするのも惰気と淫欲とで受けるからだと言った。敬が重要である。
【通釈】
「襲謂重衣」。小学を聞いて薄着をして風邪を引いたら却って不孝になるだろう水を差す了簡ではどうも教えはならない。寒中御鷹狩の時には薄着でも風邪を引く者は少ない。内に敬が禀としてあるからである。何でも君父を敬する心が十分であれば風邪も引かないもの。これは推し言で言うのではない。この心意気を体しなさい。直方が、中風をするのも惰気と淫欲とで受けるからだと言ったのも面白い。敬が抜けるからで、いかにも淫れた心やべろりとした心で敬がないと中風もする筈。とかく敬という一字を忘れず離さない様にしなさい。
【語釈】
・推し言…当て推量でいう言葉。臆説。

○褻衣衾。ふだん着の裏は垢つきよごれ多ものゆへ裏をみせず。親の唾洟はじきに取のけ人目にかけぬ様にするなり。○見裏為可其穢。灸のしみもあるものぞ。穢れものゆへ親の目に見せぬ様にする。褌のるいをせんたくしても親の鼻のさきへほさぬと思へ。唾洟の飛淡やつはきの類、親の吐て目の前にあらは、早く刷ひ去へし。見られて心持よふないものぞ。○冠帶垢云々請漱。あらいませうと請問ふことぞ。はて問ずともせよでない。何事でも一度々々に親に請問ふ。親は問ふことを面倒とは云はす。悦ふものぞ。○衣裳綻裂れは縫ひ綴る。これは婦人のあたり前なり。○少事長。これ迠父母に事ることを云たが、少の長に事るもみなこの通り。賤の事貴も親に事たとをりを伯父や祖父、又かるい者の官長のものに事るも親に事たごとく、どこへもっていっても此てわかろふやふはない。
【解説】
「褻衣衾不見裏。父母唾洟不見。見裏爲其可穢。唾洟輙刷去之。冠帶垢和灰請漱、衣裳垢和灰請澣。和、漬也。手曰漱、足曰澣。衣裳綻裂紉箴請補綴。綻猶解也。少事長、賤事貴、共帥時。共猶皆也。帥、循也。時、是也。言禮皆如此」の説明。親には一々尋ねてする様にする。親は問われることを面倒とはしない。また、親に事えるのと同じことを長者にもする。
【通釈】
「褻衣衾」。普段着物の裏は垢が付いて汚れが多いものなので裏を見せない。親の唾洟は直ぐに取り除け人目に掛けない様にする。「見裏為可其穢」。灸のしみもあるもの。穢れたものなので親の目に見せない様にする。褌の類を洗濯しても親の鼻先へ干してはならないと思いなさい。唾洟の飛淡や唾の類が、親が吐いて目の前にあれば、早く刷去しなければならない。それは見られて心持ちのよくないもの。「冠帯垢云々請漱」。洗いましょうと請い問うこと。これは問わなくてもしなさいということではない。何事でも毎回親に請い問う。親は問われることを面倒だとは言わない。悦ぶもの。衣裳が綻び裂れば縫い綴る。これは婦人の当たり前である。「少事長」。これまで父母に事えることを言ったが、少の長に事えるのも皆この通りをする。賎が貴に事えるのも同じ。親に事えた通りを伯父や祖父にする。また、軽い者が官長の者に事えるのも親に事えた様にする。どこへ持って行ってもこれで悪い筈はない。