明倫13
○曲禮曰、父召無諾、先生召無諾、唯而起。應辭。唯、恭於諾。稱諾則似寛緩驕慢。
【読み】
○曲禮に曰く、父召せば諾すること無く、先生召せば諾すること無く、唯して起つ。應辭。唯は諾より恭し。諾と稱すれば則ち寛緩驕慢に似る。

○曲禮曰、父召無諾云云  己酉八月廿一日  豊昌録
【語釈】
・己酉八月廿一日…寛政元年(1789)8月21日。
豊昌

小学の教はたれでもなると云が小学の小学たるなり。私は不調法不才でと云訳はとんとならぬこと。長者のために枝を折るじゃ。それがならぬと云ふはあふちゃくものじゃ。小学は博斈でと云ことでない。茶のきうじやそをじのるい、たれもなる。別して此章抔はたれもなることぞ。諾は返事のゆるい、はづまぬへんじ。唯ははっと云てはづんた返事ぞ。起は、あの方のれいは起か礼ぞ。唐の礼は君の前抔でも手を拱て立ている。この方とは違ふぞ。唯して起は唐では立つ。日夲では、和訓は起なれとも、譯を付れば手をつくにあたる。
【解説】
小学は博学ですることではなく、誰もができることをする。「唯」という返事も誰もができること。「起」は、中国では立つのが礼だが、日本で言えば手をつくことになる。
【通釈】
小学の教えは誰にでもできるというのが小学の小学たるところである。私は不調法不才だからと言訳することは全くできない。長者のために枝を折る。それができないと言うのは横着者である。小学は博学でするということではない。茶の給仕や掃除の類は誰もができる。特にこの章などは誰もができること。「諾」は緩く弾まない返事で、「唯」ははっと言い、弾んだ返事である。「起」。中国では起が礼である。唐の礼では君の前などでも手を拱いて立っているもので、日本とは違う。「唯而起」は、唐では立つこと。日本では、和訓はおきるだが、訳を付ければ手をつくに当たる。

唯はこぎりめ。返事も親の用向がきづかい。われしらずにはいと云こぎりめな返事がでる。親の大切がむ子にあるゆへ、をもわず知らずはいとゆとりのない返事が出るぞ。大事々々とする上からなり。丁ど下々召しつかいの此比引越た奉公人、皆返事がよい。うや々々しいなれとも、五十日すぎるともふちごふ。親への返事は肝を潰した様な返事がよい。諾はゆるやかの方で寛緩驕慢にをちるぞ。驕の字は心のをごり、慢はもののずるけた方。どちどふしても同しことぞ。返事のをそくゆるいはとど人を三分五厘ともみぬ気のたかぶりじゃ。そこで唯と云返事が向をうやまふのぞ。これらもわるいことで合点してみよ。たとへば茶やの返事抔は寛慢はとんとない。それは商賣と云主があるゆへぞ。其商にいきてをるから油断はないぞ。隂居所で呼ときは、いつものか、又例のか、さしたることもあるまいと云ふやうなことでは不届なことぞ。
【解説】
親を大切に思うから、ゆとりのない返事が出る。これが「唯」である。「諾」では「寛緩驕慢」に落ちる。それは、気の高ぶりからのこと。
【通釈】
「唯」は小切り目。返事も親の用向を気遣って、我知らずにはいという小切り目な返事が出る。親を大切と思う気持ちが胸にあるので、思わず知らずにはいとゆとりのない返事が出る。それは大事とする上からのこと。丁度下々の召使いでこの頃引っ越して来た奉公人などは皆返事がよい。うやうやしいことだが、五十日も過ぎるともう違う。親への返事は肝を潰した様な返事がよい。諾は緩やかな方から「寛緩驕慢」に落ちる。驕の字は心の驕り、慢はもののずるける方のことで、どちらにしても同じこと。返事の遅く緩いのは、つまりは人を三分五厘とも見ない、気の高ぶりからのこと。そこで唯という返事が相手を敬うことになる。これらも悪いことで合点して見なさい。たとえば茶屋の返事などに寛慢は全くない。それは商売という主があるからである。その商に活きているから油断はない。隠居所で呼ぶ時は、いつものか、また例のか、大したこともないだろうと言う様では不届である。
【語釈】
・こぎりめ…小切り目。技が細かいさま。


明倫14
○士相見禮曰、凡與大人言、始視面、中視抱、卒視面。毋改。衆皆若是。視面、謂觀其顔色可傳言未也。視抱、容其思之且爲敬也。卒視面、察其納己言與否也。毋改、謂答應之間、當正容體以待、毋自變動。嫌解惰也。衆謂同在此者。若父則遊目。毋上於面。毋下於帶。若不言立、則視足。坐則視膝。子於父、主孝不主敬。所視廣也。不言則伺其行起而已。
【読み】
○士相見禮に曰く、凡そ大人と言えば、始めは面を視、中は抱を視、卒りには面を視る。改むること毋かれ。衆に皆是の若くす。面を視るは、其の顔色、言を傳う可きか未だしきかを觀るを謂うなり。抱を視るは、其の之を思うを容れて且つ敬を爲すなり。卒りには面を視るは、其の己の言を納むるか否かを察するなり。改むること毋かれは、答應の間、當に容體を正しくして以て待ち、自ら變動すること毋かるべきを謂う。解惰に嫌いあればなり。衆は同じく此に在る者を謂う。父の若きは則ち目を遊ばしむ。面より上ること毋かれ。帶より下ること毋かれ。言わざるが若きに立てば、則ち足を視る。坐すれば則ち膝を視る。子の父に於ける、孝を主として敬を主とせず。視る所廣し。言わざれば則ち其の行起を伺うのみ。

○士相見礼云云。士と云ても歴々の上の出合もこれぞ。殿中や賓礼のであい交わりをかいた篇なり。爰では諸事諸候太夫のまじはりでもこの外はないぞ。○大人は位ある人、又は年長た人のこと。○始視面、中視云々。視面とは、つまり始面みる、卒は面をみるはわけのあることぞ。惣体目上へな処では體をあちこちせぬもつつしみぞ。さて其一坐の尊長は何れへも此の通りにすることぞ。○視面。歴々の前へ出てひとつ申上るときは先靣を視る。それは若御様子が御機嫌の体か、又は不豫の体かを先伺ふことぞ。とくときげんのていをみて、さて申上るぞ。其なしに申上るは目くらと云ものぞ。侖吾にもあるぞ。
【解説】
「士相見禮曰、凡與大人言、始視面、中視抱、卒視面。毋改。衆皆若是。視面、謂觀其顔色可傳言未也」の説明。位のある人や年長の人に申し上げるのは、最初に面を視て、相手の機嫌を窺ってからする。
【通釈】
「士相見礼云云」。士と言っても歴々の上の出合いもこれ。殿中や賓礼の出合いや交わりを書いた篇である。諸事、諸侯大夫の交わりもこの外ではない。「大人」は位のある人、または年長の人のこと。「始視面、中視云々」。視面とは、つまり始めに面を視て、卒わりに面を視ることで、それはわけのあること。総体目上の人のいる処で体をあちこちしないのも敬みである。さてその一座の尊長であれば誰にでもこの通りにするもの。「視面」。歴々の前へ出て一つ申し上げる時は先ず面を視る。それは若の御様子が御機嫌の体か、または豫ばない体かを先ず窺うこと。しっかりと御機嫌な体を視て、それから申し上げる。それでなく申し上げるのは盲というもの。論語にもある。
【語釈】
侖吾にもある

○視抱云云。其字は大人をさす。中ころ視抱と云文義が六ヶしいぞ。申上る内、靣をみる。申上しまふと視抱うと云は敬の一つぞ。大人の方で間のある様にする。此方の申しあけていつまでも靣をみているはどうじゃ々々々々と御返事をせくやうなていぞ。そこで視抱をと云。つまり靣をいつまでもみるはさいそくのやうで無礼しごくぞ。○容其思之と云は、それほどのらいをこしらいて進せるのぞ。見つめて居らぬこと。卒に靣をみるは、言上したことが思召に叶ふたか叶はぬかと面を見る。大体眼色で否を見て、偖御暇とまかりかへる。
【解説】
視抱、容其思之且爲敬也。卒視面、察其納己言與否也。毋改、謂答應之間」の説明。「視抱」は間を作ること。いつまでも面を視ているのは催促する様で無礼である。「卒視面」は、言上したことが思し召しに叶ったかどうかを確認するものであり、叶わなければ去るのである。
【通釈】
「視抱云云」。この字は大人を指す。中頃に抱を視るという文義が難しい。申し上げている内は面を視て、申し終わると抱を視るというのは敬の一つである。これで、大人の方に間のある様にする。こちらが申し上げていつまでも面を視ているのは、どうだどうだと御返事を急く様な体である。そこで視抱と言う。つまり、面をいつまでも視るのは催促をする様で無礼至極である。「容其思之」は、それほどの合間を拵えて進ずるのことで、見詰めていないこと。卒わりに面を視るのは、言上したことが思し召しに叶ったか叶わなかったかを確認するために面を視るのである。大体眼色で否を見て、さて御暇するとまかり帰る。

○正容體云々変動云云。あちこちへからだをうごかさぬことぞ。嫌解惰。御前でからだを動かすと艸臥退屈したやうで不埒千万ぞ。つつしむべき第一なり。通鑑の点をした鵜飼金平が山﨑先生の前ではさみで爪をいぢる。そこであの山﨑先生の厳重な人ゆへ大声をあげて、金平それも礼かとゆわれた。これらのこともここぞ。だたい師にものをきくときはなにぞ初物でも喰心持でこれはとすすむはづ。解惰はないことぞ。亦時花[はやり]医の腰掛に藥とりが腰掛のかべへらく書する。これはまちたいくつする。これは解惰も尤そ。そこてらく書をするぞ。それが大人や師のまへで出ては末々の望はない。役立ずなり。
【解説】
當正容體以待、毋自變動。嫌解惰也」の説明。大人の前では体を動かして言わない。体を動かすと草臥れていたり退屈な様子に見える。
【通釈】
「正容体云々変動云云」。あちこちへ体を動かさないこと。「嫌解惰」。御前で体を動かすと草臥れ退屈した様で不埒千万である。慎むべき第一のこと。通鑑の点をした鵜飼金平が山崎先生の前で鋏で爪を弄っていた。それであの厳重な山崎先生なので大声を上げて、金平、それも礼なのかと言われた。これらのこともここのこと。そもそも師にものを聞く時は何か初物でも喰う心持でこれはと進める筈で、解惰はないもの。また、薬取りが流行医者の腰掛の壁へ落書きをする。これは待ち退屈だからである。これでは解惰も尤もなこと。そこで落書きをするのである。それが大人や師の前に出ては末々の望みはない。役立たずである。
【語釈】
・鵜飼金平…鵜飼錬齋。名は眞昌。字は子欽。金平と称す。鵜飼石齋の次子。京都の人。水戸藩に仕える。元禄6年(1693)4月11日没。年61。山崎闇斎門下。
・まちたいくつ…待ち退屈。長く待って退屈すること。

○衆謂同在此者。父のともでも何でもこれそ。衆皆をなじやうにとり扱て、きうじをするのも何事も士相見礼の礼式通りをくづさぬがよし。某など幼年のとき節要訓門人諸老の會に給仕するも、德の甲乙あれとも、衆皆在若是てありた。さて然は親をも大人の通りにしてよさそうなもの。そこにわけがある。吾が親を大人あしらいはあんはいが違ふぞ。客にいったと殿中とは格別なことぞ。別而親へのつかへ様はむっくりとふうはりとしたうま味があるぞ。殿中や賔礼は紋切形をきめて、此様に初は面、中は抱と帳面に附たやうにするが、父にはそふはせぬ。
【解説】
衆謂同在此者」の説明。衆に対するのは大人に対するのと同じくする。しかし、親に対してそれをしてはならない。親への仕え様は柔らかにするものである。
【通釈】
「衆謂同在此者」。父の友でも何でもこれ。衆は皆同じ様に取り扱って、給仕をするのも何事も士相見礼の礼式通りを崩さないのがよい。私などが幼年の時に節要訓門人諸老の会に給仕した際も、徳の甲乙はあっても、衆謂同在此者だった。さて、それなら親をも大人の通りに扱ってもよさそうなものだが、そこにわけがある。自分の親を大人あしらいにするのは塩梅が違う。客に言うのと殿中とは格別なこと。特に親への仕え様にはむっくりふんわりとした旨味がある。殿中や賓礼は紋切形で決め、この様に始めは面、中は抱と帳面に付けた様にするが、父にはそうはしない。

○若父則遊目云云。士相見礼はまくらことは。これからが小學。遊目と云は目を自由にすること。あちの方こちの方みるやう、きうくつにせぬこと。親の前ではきまった行義に匙加减をする。遊目すと云一味はなせに加るぞ。いや親には吾がかいほふすると云が第一ぞ。そこで親の今にも用事あろふとをもむきの脉をとっているのぞ。さて、もの云ひながら顔から上をみるは不礼ぞ。これは敬身威儀の則に合紋あるぞ。○毋下於帯と云は、人うれふれば下を見るで、どふやらあわれな体。不幸に合ひしう傷で顔があがりませぬと云やふな体。親の前では歒藥又は頭痛でもするか、なんぞ苦労のすじかあるかと親の安堵せぬぞ。そこでいそ々々としてをるがよい。憂たていはわるい。大人と言ばとはとんとちがふたことぞ。
【解説】
「若父則遊目。毋上於面。毋下於帶」の説明。親は自分という子が介抱するのが一番だから、絶えず注意を払っていなければならない。また、顔より上、帯より下を見ていてはならない。下を向いていると親が心配をする。
【通釈】
「若父則遊目云云」。士相見礼は枕詞で、これからが小学である。「遊目」は目を自由にすること。あちらの方こちらの方を見る様なことで、窮屈にしないこと。親の前では決まった行儀に匙加減をする。遊目という一味は何故に加わるのか。いや、親は自分という子が介抱するのが第一である。そこで親が今にも用事を言い付けるのではないかと、その様な趣きの脈を取っているのである。さて、ものを言いながら顔から上を視るのは無礼である。敬身威儀の則には合紋がある。「毋下於帯」は、人が憂うと下を見る。どうやら哀れな体。不幸に遭って愁傷で顔が上がりませんという様な体。親の前でそうすると、敵薬か、または頭痛でもするのか、何か苦労の筋があるのかと親が安堵をしない。そこでいそいそとしているのがよい。憂えた体は悪い。大人と言う場とは全く違ったこと。
【語釈】
・合紋…①符合すること。②合い言葉。符牒
・歒藥…①配合のぐあいによって毒となる薬。②食い合せて毒になるもの。食い合せ。

○若不言立則云云。どちへござるかと足をみる。○不言立云云。今にも花をみらるるか、小便かと、そこで膝を視るぞ。とど気をつけることぞ。立ば足をみる、坐すれば膝をみると云ことは私か様な不才者は出きぬと云ことはない。不才どころではない。たれもなることそ。然れとも出きることの出来ぬことぞ。小学はたれもなることはなることなれとも、たれもなるなれば親に孝行に成る筈。はてなら子ばこそ孝子はない。尊圓親王のいろはのやうなもの。たれもかかれそふなことの、さてかかれぬじゃ。
【解説】
「若不言立、則視足。坐則視膝」の説明。親が立てば足を視て、座れば膝を見るのは誰もができること。その誰もができることをしないから孝子がいない。
【通釈】
「若不言立則云云」。どちらへ行かれるのかと足を視る。「不言立云云」。花を観られるのか、小便かと、そこで直ぐに膝を視る。つまりは気を付けること。立てば足を視て、座れば膝を視るということは、私の様な不才者にはできないことだとは言えない。不才どころではない。誰もができること。しかし、できることができないもの。小学は誰でもできることではあるが、誰もができるのであれば親に孝行となる筈。さて、できないからこそ孝子がいない。それは尊円親王のいろはの様なもの。誰もが書けそうで、さて書けない。
【語釈】
・尊圓親王…尊円法親王。伏見天皇の皇子。名は守彦。青蓮院流を開いた。1298~1356

○子於父主孝云云。これは色々あることぞ。主の字にわけあることぞ。丁度医者の藥包の上書に主方々々とかく様なこと。病人によっての主方なり。生菨を入るときもあり、入れぬときもあり、出まかせでない。父にはこれが主方なり。士相見礼は家内にはださぬ。家内では小笠原でひんしゃんとすることない。ここらが所視廣也じゃ。先年の録に、不言則伺其行起而已、足はどちへござると足の向く方をみる。膝はくたひれたか、小便にござるかと伺ふ。兎角気をつけて油断せずにかかっている。この様にすれはさて々々日々くろうとみへれとも、孝子はこれで安ずるぞ。これでとんと心よいことぞ。
【解説】
子於父、主孝不主敬。所視廣也。不言則伺其行起而已」の説明。父には孝でするのが子の仕方である。士相見礼は家内ですることではない。親の動きを絶えず気に掛けるのは大変な苦労だと思えるが、孝子はこれで安んずる。
【通釈】
「子於父主孝云云」。これは色々あることで、「主」の字にわけがある。丁度医者の薬包の上書に主方と書く様なこと。病人一人毎に主方がある。生姜を入れる時もあり、入れない時もあり、出任せですることではない。父にはこれが主方である。士相見礼は家内には出さない。家内は小笠原で厳格にするものではない。ここらが「所視広也」である。先年の録に、「不言則伺其行起而已」は、足は、どちらへ行かれるのかと足の向く方を視て、膝は、草臥れたか、小便に行かれるのかと膝を窺うこととある。とかく気を付けて油断せずに掛かる。この様にすれば実に日々苦労なことだと思えるが、孝子はこれで安んずる。これですっかりと心持がよい。


明倫15
○禮記曰、父命呼唯而不諾。手執業則投之、食在口則吐之、走而不趨。主敬也。命呼、爲父命所呼。急趨父命、故投業吐食。趨、疾趨也。急走往而不暇疾趨也。親老出不易方、復不過時。不可以憂父母也。易方、爲其不信己所處也。復、反也。親癠色容不盛。此孝子疏節也。癠、病也。疏節、言未足爲至孝也。父没而不能讀父之書。手澤存焉爾。母没而杯圏不能飮焉。口澤之氣存焉爾。孝子見親之器物、哀惻不忍用也。圏、屈木爲之。謂巵匜之屬也。
【読み】
○禮記に曰く、父命じて呼べば唯して諾せず。手に業を執れば則ち之を投げ、食口に在れば則ち之を吐き、走りて趨せず。敬を主とするなり。命じて呼ぶは、父の命に呼ばるるを爲す。急に父の命に趨る、故に業を投げ食を吐く。趨は疾く趨るなり。急に走り往きて疾く趨るに暇あらざるなり。親老いては出ずるに方を易えず、復るに時を過さず。以て父母を憂えしむ可からざるなり。方を易れば、其の己の處る所を信ぜざると爲すなり。復は反なり。親癠[や]めば色容盛んならず。此れ孝子の疏節なり。癠は病なり。疏節は未だ至孝と爲るに足らざるを言うなり。父没して父の書を讀むこと能わず。手澤存して爾り。母没して杯圏飮むこと能わず。口澤の氣存して爾り。孝子親の器物を見て、哀惻して用うるに忍びざるなり。圏は木を屈して之を爲る。巵匜[しい]の屬を謂うなり。

○礼記曰、父命呼云云。親の前にいるときでない。吾が部屋にいたとき、下男下女が召ますと云てくる。なんぢゃとをちつかず、はっと云てかけ出すこと。○手執業則投之。しかけしはざをとって打ちやること。○食在口則吐之。さて呑こんでもよさそうなもの。そこが誠なり。喰もの咽にをちつかす、喰う気はなくなる。これ、かふするものと形でない。喰間もなく吐き出す。これが返事をはへいとして、たかをくくらぬ。とんと用向何であろふかしれぬ。若どふか御きぶんでもわるくはないかと、そこへ喉へくいものがくだらぬ。そこではきだす。周公は吐握の勞を天下の政事へでる。垩賢の誠は見ずしらずの百姓の願ひ。廣なり。天下のことでさへ吐握ぞ。親には勿論なり。凡夫の心は、周公は摂政ゆへそふもあろふ、毎日々々ひまなとき親の用に喰ふたものを吐だすてもぎゃうさんすぎると心得べし。其きゃうさんがかたしけないぞ。偖、主へ勤めるには厳重なるゆへこれもなる。事によっては腹をも切る、ろう人にもなる。そこで大切につとむる。それに主人は外間[とさま]の者などは顔もをほへぬもあり、死んでも死だかと云ばかりなれば、下もよい加减を仕そふなものじゃ。君臣はをそろしくていつもうや々々しく敬する。そこで君の方へはやりばなしは出さぬが、ただ親をはよい加减にする。ときに喰在口吐之、あまりぎゃうさんなと云ほどなか小學の教なり。親はなれるゆへに敬がぬける。それがすぐに誠がぬけるのぞ。爰はまぎらかしのならぬこと。
【解説】
「禮記曰、父命呼唯而不諾。手執業則投之、食在口則吐之」の説明。食べている時でも、親が自分を呼ぶと心が落ち着かず、食物を吐いて直ぐに駆け出す。周公は吐握の労を天下の政事に出した。そこで、親に対しては勿論のことである。また、君臣は恐ろしい関係なのでいつも恭しく敬する。君の方は遣り放しにしないが、親はよい加減にする。慣れで敬が抜け、誠が抜ける。
【通釈】
「礼記曰、父命呼云云」。親の前にいる時のことではない。自分の部屋にいた時に、下男下女が呼んでいますと言って来る。何だろうと思って落ち着かず、はっと言って駆け出す。「手執業則投之」。仕掛けた業を中途で止めること。「食在口則吐之」。さて飲み込んでもよさそうなものだが、そこが誠である。食物が咽に落ち着かず、喰う気がなくなる。これはこの様にするものだと形ですることではない。喰う間もなく吐き出す。ここはへいと返事をして、高を括ることではない。用向きが何なのか全くわからない。御気分でも悪くはないかと、そこで食物が喉を通らず吐き出す。周公は吐握の労を天下の政事に出す。聖賢の誠は見ず知らずの百姓の願い。それは広いこと。天下のことでさえ吐握だから、親には勿論のこと。凡夫の心では、周公は摂政なのでそうでもあるだろうが、毎日暇な時に親の用のために食った物を吐き出すのも仰山過ぎると心得ることだろう。その仰山が忝いこと。さて、主に勤めるには厳重なことなのでこれもできる。事によっては腹をも切る、浪人にもなる。そこで大切に勤める。それなのに主人には外様の者などは顔も覚えない者もいて、死んでも死んだかと言うだけであれば、下もよい加減をしそうなもの。しかし、君臣は恐ろしい関係なのでいつも恭しく敬する。そこで君の方は遣り放しにしないが、親はよい加減にする。そこで「食在口吐之」で、あまりに仰山なと言うほどなのが小学の教えである。親は慣れるので敬が抜ける。そこで直ぐに誠が抜ける。ここで紛らかしをしてはならない。
【語釈】
・吐握の勞…賢人を得ようと努力するさま。史記魯周公世家。「周公戒伯禽曰、我文王之子、武王之弟、成王之叔父、我於天下亦不賤矣。然我一沐三捉髮、一飯三吐哺、起以待士、猶恐失天下之賢人。子之魯、愼無以國驕人」。

○走而不趨云云。走る、趨る、似たやふなことなれとも塩梅のあること。走はいっさんにゆくこと。趨の字はわしると云うちに礼の姿あり。趨は足ばやにゆくこと。すら々々とゆく。礼のつめひらきにある振舞なり。郷黨に没階趨翼如とあるも、趨ると云ことあるなり。殿中御前簾まへはすら々々と通る。ようほう威儀にわしると云ことあり。たしか浅見か三宅の説であった。走るはかたちを崩こと。親が呼。むせうにゆくは何かとをもい、あとさきなくいっさんにゆくことを云。趨は行儀の上にあり。○走。踏ちらしてかけるてい。爰が孝と云ものは自然と珍重なもので、小學にかぎらす、親の目をまはしたときはたれても走而不趨なり。それはたれもするなれとも、平常のときも其心もちで、今日も明すもまたしても々々々々々走ると云は孝心がいきてはたらくゆへのことぞ。
【解説】
「走而不趨」の説明。「走」は一目散に行くことで、「趨」は早足ですらすらと行くこと。趨には礼がある。走るとは、形振り構わず無性に行くこと。
【通釈】
「走而不趨云云」。「走」と「趨」は似たものの様だが塩梅がある。走は一散に行くこと。趨には走るという内に礼の姿がある。趨は足早に行くこと。すらすらと行く。礼の詰め開きにある振舞いである。郷党に「没階趨翼如」とあるのも、趨るということがあること。殿中御前簾前はすらすらと通る。容貌威儀に趨るということがある。確か浅見か三宅の説だった。走るとは容を崩すこと。親が呼ぶ。そこで無性に行く。それは、何かと思って後先なく一散に行くこと。趨は行儀の上にある。「走」。踏み散らして駆ける体。孝というものは自然と珍重なもので、小学に限らず、親が目を回した時は誰でも走而不趨である。それは誰もがするが、平常の時もその心持で、今日も明日もまたしてもと走るというのは、孝心が生きて働く故のこと。
【語釈】
・つめひらき…詰め開き。貴人の前から退く時、立つ前に左か右へ身体をまわして起ち上がること。転じて、立居振舞。挨拶。
・没階趨翼如…論語郷党4。「出、降一等、逞顏色、怡怡如也。沒階趨、翼如也。復其位、踧踖如也」。

○主敬なり。命して呼は父命所呼云云。なにかとをもふたれは、吸物を拵よ、いや菊の虫をとれと云用向。それに食在口則吐之と云はきう々々しい様なれとも、そふ髙をくくらぬことぞ。今日の子供はいらさる知惠がある。親へ知惠をたす。隱居がまたはや例のであろう、へんへんと云てあなどり顔。年もはや三四十にもなれば我は分別盛になるゆへ、そこでをち附はらっている。何事もさわぐことはない抔と心得て、それが父母へ出るぞ。孝子は親が呼と奉行からさし紙でも来たやふにうろたへて出るから、まてしばしはない。さてそこへゆくと、吸物をこしらへよと云つけると、其吸物で落ついたと云やふなり。すべて小児ときは、よいことわるいことによらずかけてゆく。赤子の心を失ぬと云が孝の目當で、其振合あるが孝子。舜を瞽瞍がしかる。こんどから致しますまいと詫をする。それは謀かと云ふに、親をだまそふとてすれば魚鱗鶴翼になる。垩人にそれはない。瞽瞍が舜へ飯を喰なと云と、御免あそばせと詫ぞ。それがあほふかとをもへば、中庸に孔子の大知と仰せられた。其をろかが孝の幅のぎり々々。ここらは礼式を書くことなれとも、このやふに讀子はよむではない。只讀と孔頴達鄭玄が注に疏になるぞ。ここはつまり親を公方様の様にすることじゃと合点するがよい。○不暇疾趨也。足ばやぞ。模様あってすること。爰では疾く趨るに暇あらずと、疾と云字がある。疾くならはよさそふなものなれとも、それもこのときはまに合ぬ。わしる処でない。少しの思慮もなくいっさんにゆくことで、心になんと云ことを思ふに暇あらず、少しも餘事は交ぬ。孝に生一っ方のきつい方じゃ。
【解説】
主敬也。命呼、爲父命所呼。急趨父命、故投業吐食。趨、疾趨也。急走往而不暇疾趨也」の説明。父のもとに行くと大した用事ではない。しかし、それで子は安らぐ。小児の時は、よいこと悪いことによらず駆けて行くもの。赤子の心を失わないのが孝の目当てである。
【通釈】
「主敬也。命呼、為父命所呼云云」。何かと思えば吸物を拵えなさい、いや菊の虫を取れという用向きである。それに「食在口則吐之」は仰々しい様だが、その様に高を括らないこと。今日の子供には要らざる知恵がある。親へその知恵を出す。隠居が呼んだのもまた例のことだろう、ぺんぺんと言って侮り顔。年も既に三四十にもなれば自分は分別盛りになるので、そこで落ち着き払っている。何事も騒ぐことはないなどと心得る。それが父母へ出る。孝子は親が呼ぶと奉行から差し紙でも来た様に狼狽えて出るから、一寸待てと言うことはない。さてそこへ行くと、吸物を拵えろと言い付けられる。その吸物で落ち付くという様なこと。全体、小児の時は、よいこと悪いことによらず駆けて行く。赤子の心を失わないと言うのが孝の目当てで、その振り合いのあるのが孝子である。舜を瞽瞍が訶る。今度からは致しませんと詫びをする。それは謀かと言うと、親を騙そうとしてすれば魚鱗鶴翼になる。聖人にそれはない。瞽瞍が舜へ飯を喰うなと言うと、御免あそばせと詫びる。それが阿呆かと思えば、中庸で孔子が大知と仰せられた。その愚かが孝の幅の至極。ここは礼式を書いたものだが、この様に読まなければ読むとは言わない。ただ読むだけでは孔頴達や鄭玄の注疏になる。ここはつまり親を公方様の様にすることだと合点するのがよい。「不暇疾趨也」。足早である。模様あってすること。ここでは疾く趨るに暇あらずと、疾という字がある。疾くであればよさそうなものだが、それでもこの時は間に合わない。趨る処ではない。ここは少しの思慮もなく一散に行くことで、心に何かを思うに暇あらず、少しも余事は混じらない。孝に生一方の激しいこと。
【語釈】
・さし紙…指し紙。差し紙。江戸時代、奉行所が人民を召喚するために発した出頭命令書。御召状。
・赤子の心を失ぬ…孟子離婁章句下12。「孟子曰、大人者、不失其赤子之心者也」。
・魚鱗鶴翼…魚鱗と鶴翼は陣形の一種。ここは戦術の意。
・中庸に孔子の大知…中庸章句6。「子曰、舜其大知也與。舜好問而好察邇言、隱惡而揚善、執其兩端、用其中於民。其斯以爲舜乎」。

○親老云云。親は四十に成親でも七十になる親でも、親の心に替りはなへといへとも、七十になれば格別血気衰るゆへ、あんはいがちごふ。兎角性急になりて、ものをまちか子くろうをする。そこで出不易方。たとへば東金へ行とゆへは東金ぎり。そこをついでに堀上へ一寸まわる。それが方をかへると云じゃ。○復不過時。兎角親は子を苦労にする。その上、子供を並て顔を見たがる。ちとかへりがをそけれは苦労にする。そこて、ときはすごさぬことぞ。人の家へ往ても咄を二つほどひかえると、ときはすごさぬものと迂斎云へり。○不可以云云。らちもなき、処がさだまらずにゆくゆへ、あれが東金と云てもたしかはしれぬと、親の平常をだやかでないことぞ。
【解説】
「親老出不易方、復不過時。不可以憂父母也。易方、爲其不信己所處也。復、反也」の説明。親も年が寄れば性急になってものを待ちかねるもの。そこで、行先を決めれば他には行かず、それも早目に切り上げて帰る様にする。
【通釈】
「親老云云」。親は、四十になる親でも七十になる親でも親の心に変わりないとは言うが、七十になれば格別血気が衰えるので塩梅が違う。とかく性急になって、ものを待ちかねて苦にする。そこで「出不易方」。たとえば東金へ行くと言えば東金だけ。そこを序に堀上へ一寸廻る。それが方を易るということ。「復不過時」。とかく親は子を苦にする。その上、子供を並べて顔を見たがる。一寸帰りが遅ければ苦にする。そこで、時を過ごしてはならない。人の家に行っても、話を二つほど控えると、時は過ごさないものだと迂斎が言った。「不可以云云」。埒もなく、処を定めずに行くので、あいつが東金へと言っても、本当かどうかは知れないと、親が平常穏やかでない。

○親癠色容不盛とは、色つやかたちがすごやかにさへ々々しくない。不盛とは日影の花ぞ。うき々々とせぬてい。是等は礼と云ことではない。自然じゃ。其筈のことぞ。親の病気なれば、容ほうも能ふないことはあまりほめることでもない。孝子はある筈。そこで孝子之疏節なりであんしんすることでない。孝子の上ではこれらのことはなんでもないこと。孝子の内での疏節で、あらいことと思ふべし。夲語は親癠の一句で疏節とす。小学では父命から此までを疏節とみるがよい。このやふなことを人にほめらるることではない。親の病気に色を変ずる。その筈のこと。武士が途中に銭が落てあってもひろわぬが、其筈ぞ。鑓をもたせたれは歴々ぞ。そこで銭をひろわぬとてほめることでない。丁どこのやふなことを、さむらいさまごきどくとはいわぬ。さて、疏節にはづれたと云へば、いやはやそれではさしなしの不孝ぞ。孟子、曽子の様な孝をも可なりと云た。ずんどほめはなされぬ。○未足為至孝。至孝とは、なんとしてゆわれぬことぞ。爰らは孝の入口ほめる。深いでない。これらがつんと人の心にひびかせることのしゅかうぞ。
【解説】
「親癠色容不盛。此孝子疏節也。癠、病也。疏節、言未足爲至孝也」の説明。親が病気であれば、子の容貌がよくないのは当然であって、それは褒める筋合いのものではない。原文は「親癠」を疏節とするが、小学では、最初からここまでのことを疏節と見る。疏節に外れるのは、実に不孝なこと。
【通釈】
「親癠色容不盛」とは、色艶容が健やかでなく冴え冴えしくないこと。「不盛」は日影の花である。うきうきとしない体。これらは礼ということではなく、自然なこと。その筈で、親が病気であれば、子の容貌がよくないのは当然であって、あまり褒めることでもない。孝子にはある筈。そこで「孝子之疏節也」であって、安心することではない。孝子の上ではこれらのことは何でもないこと。孝子の内では疏節であって、粗いことだと思いなさい。本語は親癠の一句を疏節とする。小学では父命からここまでを疏節と見るのがよい。この様なことは人に褒められることではない。親の病気に色を変ずる。それは当然である。武士は途中に銭が落ちていても拾わないが、その筈である。鑓を持たせれば歴々である。そこで銭を拾わないからといって褒めることではない。丁度この様なことで、侍様はご奇特だとは言わない。さて、疏節に外れると言えば、いやはやそれでは手も付けられないの不孝である。孟子が、曽子の様な孝をも可也と言った。大層褒めはされない。「未足為至孝」。至孝は、言葉に表せないほどのこと。ここらは孝の入口を褒めたことで、深いことではない。これらがしっかりと人の心に響かせるための趣向である。
【語釈】
・孟子、曽子の様な孝をも可なりと云た…孟子離婁章句上19。「若曾子、則可謂養志也。事親若曾子者、可也」。

○父没而云々。父の平常書をみられて、手づれよごれをみて、む子にひびいてどふも書がみられぬ。○母没云云杯圏。あなたのもてあそびしてあがられたであろふとをもへばどふも呑まれぬ。これはいかふ深い孝ぞ。これもふだんから出ることぞ。丁ど文王の王季の御病気とき、文王のいろつやをとろへ飲食喉に通らず、人に手をひかれてあるくほどなことぞ。只の者も親の病気のときは常のやふにはなくとも、次の間で新そばをしてやるなれば心中に孝はない。それではもっての外なことぞ。さて上は疏節、爰は誠の深いことぞ。孝子は親の死後一周忌は勿論、二三年立ても、父の讀まれた小學や四書でもよむに、学而時と讀とばら々々と泪がこぼれて見ることならぬ。其の泪は誠ぞ。某し今日小学を講するも迂斎の手沢の夲なれとも、如此よむぞ。こしらいことにはならぬ。さるによって曽哲羊棗をたしむので、藥屋に棗を干てをけば、曽子は迯てとをる。誠の至りぞ。さて、父に書、母に盃と出したはをのづともよふのあってのことぞ。父には書らしいもの。又、上戸なれは父に盃も固よりぞ。母にも源氏伊勢物語もある。母の蒔繪の盃をみると母を思いだして、どうも酒ものまれぬ。何によらずえてあることぞ。ぞんしもよらぬとき思ひだして忍ひられぬことがあるぞ。
【解説】
「父没而不能讀父之書。手澤存焉爾。母没而杯圏不能飮焉。口澤之氣存焉爾」の説明。ここは誠の深いことを言う。生前父が読んでいた書を読むと、胸に響いて涙がこぼれる。その涙が誠である。
【通釈】
「父没而云々」。父が平常見られた書に手ずれや汚れがあるのを見て、胸に響いてどうも書を見ることができない。「母没云云杯圏」。貴方の弄んで飲まれた杯だと思うとどうも飲むことができない。これは大層深い孝である。これも普段から出ること。丁度王季が御病気の時、文王は色艶が衰え、飲食も喉に通らず、人に手を引かれて歩くほどだった。普通の者も親の病気の時は常の様ではないが、それでも次の間で新蕎麦を振舞うのであれば心中に孝はない。それでは以の外である。さて上は疏節でここは誠の深いこと。孝子は親の死後一周忌は勿論、二三年経っても、父の読まれた小学や四書でも読む際は、「学而時」と読むとぱらぱらと泪がこぼれて見ることができない。その泪は誠である。私が今日小学を講ずるのも迂斎の手沢の本によるが、この様に読む。拵えごとはできない。曾哲が羊棗を嗜んだので、薬屋に棗が干してあれば、曾子は逃げて通る。誠の至りである。さて、父に書、母に盃と出したのは自ずと用があってのこと。父には書が合う。また、上戸であれば父に盃も固よりのこと。母にも源氏や伊勢物語もある。母の蒔絵の盃をみると母を思い出して、どうも酒も飲めない。何によらず、よくあること。思いもよらない時に思い出して忍ぶことのできないことがある。
【語釈】
・王季の御病気とき…小学内篇稽古8。「其有不安節、則内豎以告文王。文王色憂、行不能正履」。王季は文王の父。
・学而時…論語学而1。「子曰、學而時習之、不亦説乎。有朋自遠方來、不亦樂乎。人不知而不慍、不亦君子乎」。
・曽子は迯てとをる…孟子尽心章句下36。「曾晳嗜羊棗、而曾子不忍食羊棗」。

○孝子見親之器物云云。なんでも杯圏なれとも、昔親のさかづきなれば、其盃は御馳走ならば仕舞てくれよとばら々々と泪をこぼすは、とんと誠でぬきもさしもならぬことぞ。土井公の家臣渡辺彦右衞門が肥前の唐津へ供のとき、中国の旅宿に彦右衞門の親の團右衞門、昔し泊った宿札がありた。彦右衞門も亡父の昔しこの宿に泊りたと思ひ出し、其夜は子られなんだと咄した。なるほどそふあるべきことぞ。そふでなければほんの心と云ものでない。不忍用。人皆人に不忍之心と孟子にあって、仁の夲来の処ぞ。
【解説】
孝子見親之器物、哀惻不忍用也。圏、屈木爲之。謂巵匜之屬也」の説明。孟子に「人皆有不忍人之心」とある。これが仁の本来のところである。
【通釈】
「孝子見親之器物云云」。たかが杯圏だが、昔親が使った杯なので、その盃は御馳走なので仕舞ってくれとぱらぱらと泪をこぼす。それはすっかりと誠なことで、抜き差しならないこと。土井公の家臣の渡辺彦右衛門が肥前の唐津へ供をした時、中国の旅宿に彦右衛門の親の団右衛門が昔に泊った時の宿札があった。彦右衛門も亡父が昔この宿に泊ったことと思い出し、その夜は眠れなかったと話した。なるほどそうであるべきこと。そうでなければ本当の心ではない。「不忍用」。「人皆有不忍人之心」と孟子にある。これが仁の本来の処である。
【語釈】
・人皆人に不忍之心…孟子公孫丑章句上6。「孟子曰、人皆有不忍人之心。先王有不忍人之心、斯有不忍人之政矣。以不忍人之心、行不忍人之政、治天下可運之掌上。所以謂人皆有不忍人之心者」。孟子尽心章句下31。「孟子曰、人皆有所不忍、達之於其所忍、仁也」。


明倫16
○内則曰、父母有婢子若庶子・庶孫甚愛之、雖父母没、没身敬之不衰。子有二妾、父母愛一人焉、子愛一人焉、由衣服・飮食、由執事、毋敢視父母所愛。雖父母没不衰。由、自也。
【読み】
○内則に曰く、父母に婢子若しくは庶子・庶孫、甚だ之を愛する有れば、父母没すと雖も、身を没[お]うるまで之を敬して衰えず。子に二妾有り、父母一人を愛し、子一人を愛すれば、衣服・飮食より、執事より、敢て父母の愛する所に視[なぞら]うること毋かれ。父母没すと雖も衰えず。由は自なり。

○内則曰、父母有婢子云云。婢子は下しゃく腹もある。それを云ぞ。吾兄弟に婢の腹から出たがあると、どふやら金魚舟の中にはぜが一匹いるやうにあしろうは凡心なり。○庻子云云。嫡子でない其餘を庻子と云。父の子なれば同格なれとも、あの子が格段親の気に入りと云があると、よの子がうらみそふなものぞ。そこで孝子はそのやふな念慮はつんとないぞ。親の寵愛なされたなれば、愛敬没身まで衰ろへぬ。至極大事、唯の弟でないと、格別のことぞ。孝子は親のすくなれば牡丹へは霜をい、そてつ迠もなみやたいていにわせぬぞ。今のものは没身迠はやりたてぬ。親が死だらいしゅをかへそふと云やふなことぞ。魚鱗鶴翼をかまへ、いやはや言語にのべられぬ。かかったていたらくでないぞ。
【解説】
「内則曰、父母有婢子若庶子・庶孫甚愛之、雖父母没、没身敬之不衰」の説明。孝子は、下借腹の子でも、親がその子を気に入っていれば、格別に扱う。今の者は親が死んだら意趣返しをしようと思う。それは、並大抵の体たらくではない。
【通釈】
「内則曰、父母有婢子云云」。婢子には下借腹もある。それを言う。自分の兄弟に婢の腹から出た者がいると、どうやら金魚舟の中に沙魚が一匹いるという様にあしらうのが凡心である。「庶子云云」。嫡子でないその他の者を庶子と言う。父の子であれば同格なのだが、あの子が格段に親の気に入りということがあると、他の子が恨みそうなもの。しかし、孝子にその様な念慮は全くない。親が寵愛なされたのであれば、愛敬は身を没するまで衰えない。至極大事でただの弟ではないとする。格別とする。孝子は親が好けば牡丹へは霜除けをして、蘇鉄までも並大抵にはしない。今の者は身を没するまでは遣り立てない。親が死んだら意趣を返そうと言う様なこと。魚鱗鶴翼を構え、いやはや言語に出せない。並大抵の体たらくではない。
【語釈】
・下しゃく腹…外戚腹。外借腹。本妻以外の女の腹から生れること。また、その生れた子。妾腹。下借腹。
・魚鱗鶴翼…魚鱗と鶴翼は陣形の一種。

○二妾云云。内則ゆへ歴々の上のこと。軽い者では、二妾などあればあたまからををさわぎ。歴々は二妾ある筈。その内でも親ごのきにいりもある。其気に入りたを重ずるぞ。○執事はしごとのことなり。それから官名にもつかふ。神社でも寺院でもことをとるを執事と云。をも役人を指すときも用こと。韓退之の文にもあり、ここでは用向と云こと。兎角父母の気にいったものを格段よくあしろう。○視云々。似こらしいと云て、惣体衣類用向迠外の者の通りにせぬことを云。又、執事と云はいかふそれ々々のあたりあることなり。我々が弟子をつかふとても、たとへは巻紙ついてくれろと云つける。たばこぼんのそうじはいいつけぬ。又、客がある。吸物のあんばいをきをつけよとはたのめとも、行燈の掃除は下女に云つけるなり。花だんをはくとどぶの泥をさらふとは執事の段がちがふ。父母のあいするものをはこのやふなこと迠も気をつける。とど吾妾どもなれとも、親の存生のときばかりでなく、父母没といへどもかくだんにする。白毛になっても、あれは親のをきにいりと云のは衣類きせるまでがちがふぞ。
【解説】
「子有二妾、父母愛一人焉、子愛一人焉、由衣服・飮食、由執事、毋敢視父母所愛。雖父母没不衰。由、自也」の説明。とかく父母の気に入った者を格段によくあしらう。衣類までも格別にする。
【通釈】
「二妾云云」。内則なので歴々の上のこと。軽い者では、二妾などがあれば最初から大騒ぎ。歴々は二妾もある筈。その内でも親御の気に入りもある。その気に入った者を重んじる。「執事」は仕事のこと。それから官名にも使う。神社でも寺院でも、事を執ることを執事と言う。主に役人を指す時にも用いる。韓退之の文にもあり、ここでは用向きということ。とかく父母の気に入った者を格段によくあしらう。「視云々」。似ているからと言って、総体衣類や用向きまで外の者の通りにしないことを言う。また、執事とは、それぞれに大層当たりのあること。我々が弟子を使うにも、たとえば巻紙を継いでくれと言い付けるが、煙草盆の掃除は言い付けない。また、客があれば、吸物の塩梅に気を付けろとは頼むが、行燈の掃除は下女に言い付ける。花壇を掃くのと溝の泥をさらうのとは執事の段が違う。父母が愛する者へはこの様なことまでも気を付ける。つまりは自分の妾共だが、親の存生の時だけではなく、父母の没した後でも格段にする。白毛になっても、あれは親のお気に入りという者には衣類を着せることまでが違う。


明倫17
○子甚宜其妻、父母不説出。子不宜其妻、父母曰是善事我、子行夫婦之禮焉、没身不衰。宜猶善也。
【読み】
○子甚だ其の妻を宜しくすとも、父母説びざれば出だす。子其の妻を宜しくせずとも、父母是れ善く我に事うると曰えば、子夫婦の禮を行い、身を没するまで衰えず。宜は善に猶[おな]じ。

○子甚宜其妻云云。五倫は親子も夫婦も教は同格なれとも、孝が夲と。其親と云あたまがよければ、跡はそれからの竿をあてるでまちがいはないことぞ。妻の善悪あれとも、親の気にいったのをよくする。それでは理にちがうこともあれとも、親から間地をうつゆへ親次第じゃ。貞女と云ても親の気にいらぬものならば、なにほどの貞女でもいだすぞ。爰でもちゃくちゃのはかりごとはせぬぞ。親と云あたまゆへ、背に腹はかへぬ。もぎどふにもさることぞ。
【解説】
「子甚宜其妻、父母不説出」の説明。五倫は孝が本となる。そこで親子が始めとなる。娵が貞女であったとしても、親が気に入らなければそれを出す。
【通釈】
「子甚宜其妻云云」。五倫は親子も夫婦も教えとしては同格だが、孝が本になる。その親という最初がよければ、それから竿を当てることによって他は間違いがない。妻には善悪があるが、親の気に入った者をよくする。それでは理に違うこともあるが、親からしっかりと決めることだから親次第である。貞女と言っても親の気に入らない者であれば、どれほどの貞女でも出す。ここで無茶苦茶な謀はしない。親という頭があるので、背に腹は替えない。無義道にも去らせる。
【語釈】
・もぎどふ…没義道。無義道。非道なこと。不人情なこと。情しらず。

○子不宜其妻云云。ほぎ々々とせぬこと。然れとも、親があの娵でわしは十年いきのびると云てよろこぶ。その妻は、子の方では不足にをもへとも、夫婦なかよくする。行夫婦之礼と云字をよくみよ。今云すへものと云筋でない。すへものなれば女房をさったも同前。それなれば夫婦の礼を行でない。親へよいと云なれば、つんとこれより上にかたじけないことはないぞ。没身まで不衰ことがきこへた苦役でないぞ。一生誠でかためているぞ。
【解説】
「子不宜其妻、父母曰是善事我、子行夫婦之禮焉、没身不衰。宜猶善也」の説明。夫婦仲がうまく行かなくても、親が気に入っていれば、夫婦の礼を尽くす。
【通釈】
「子不宜其妻云云」。ほぎほぎとしないこと。しかし、親があの娵で私は十年生き延びると言って喜ぶ。子の方ではその妻を不足に思っていても、夫婦仲をよくする。「行夫婦之礼」という字をよく見なさい。今言う据物の筋ではない。据物であれば女房を去ったも同前。それでは夫婦の礼を行うではない。親によいというのであれば、全くこれより上に忝いことはない。「没身不衰」が並大抵の苦役でない。一生誠で固めていること。


明倫18
○曾子曰、孝子之養老也、樂其心、不違其志。樂其耳目、安其寢處、以其飮食忠養之。養之、如此爲其近於親也。言忠養之、嫌或僞也。是故父母之所愛亦愛之、父母之所敬亦敬之。至於犬馬盡然。而况於人乎。上言其近親者、此言親所愛敬者。
【読み】
○曾子曰く、孝子の老を養うや、其の心を樂しましめ、其の志に違わず。其の耳目を樂しましめ、其の寢處を安んじ、其の飮食を以て之を忠養す。之を養す、此の如きは其の親に近き爲なり。之を忠養すと言うは、或は僞るに嫌あればなり。是の故に父母の愛する所は亦之を愛し、父母の敬する所は亦之を敬す。犬馬に至るまで盡く然り。而るを况や人に於てをや。上は其の親に近き者を言い、此は親の愛敬する所の者を言う。

○曽子曰、孝子之養老也云云。此章かたのごとく面のよい章。親と出さす他人の老人を養。これらはずんど人の心へはへる教じゃ。孝子とあるゆへ、手前の親のことは云ふに及ばぬ。孝が外へあらはれて出て、他人の親へもをよぶ。手前の親に孝なれば、人にかまわいでも孝なれとも、とんと孝がみち々々て其あまりが世間へあふれ、そこて親の朋友其餘の親に似た人にをふてはどふも如才がならぬ。すてろと云てもこたへられぬ。つんと孝行の照りが方々へかかやくことぞ。○楽其心、不違其志。さて志を下にかいてあるが面白いぞ。心はなんとなく能くすること。志は老人のかうせうと思ひ込んだこと。とかく老人多くは年寄の冷水が出るぞ。とんと要助殿、こなたなどが儀丹が墓まへりに雪降りにも行と云は志ぞ。そこで老人を大事にして、此の雪にと云てとめるは老人をいたはりてい子いを尽すはよけれとも、それからして志をやぶるのぞ。そこらは軽重もあらふなれとも、なりたけ老人の思ふ通にするが志を養ふのぞ。思ふままにさせぬとそれだけ元気が衰ふ。養ふと云が大事のことぞ。さるに依て看病人のわるいのは医者も迷惑と云ぞ。養ふと云字にこれ等のこともよく引合ぞ。老人をばとんと病人を取扱ふよふにすることぞ。兎角心志をやすんぜるでなくてならぬぞ。今朝は寒いに寺まいりをとめるは志にさかふのじゃ。よからふ々々々々と云と老人いそ々々する。
【解説】
「曾子曰、孝子之養老也、樂其心、不違其志」の説明。孝子は他人の老人をも養う。親に対する孝の余りが他人の親にも及ぶのである。老人には心を楽しませ、志を尊重する。思いのままにさせないと、気が衰える。
【通釈】
「曾子曰、孝子之養老也云云」。この章は形の如く面のよい章である。親と出さずに他人の老人を養うこと。これらはかなり人の心に映える教えである。孝子とあるので、自分の親のことは言うには及ばない。孝が外へ現れて出て、他人の親へも及ぶ。自分の親に孝であれば人に構わなくても孝なのだが、実に孝が満ち満ちていて、その余りが世間に溢れ、そこで親の朋友やその他親に似た人に会うと、どうも如在がならない。放って置けと言われても棄てて置けない。孝行の照りが方々に強く輝くのである。「楽其心、不違其志」。さて志の字を下に書いてあるのが面白い。心は何となくよくするもの。志は老人がこうしようと思い込んだもの。とかく老人は得て年寄の冷水が出るもの。要助殿、貴方などが儀丹の墓参りに雪が降っていても行くと言うのは実に志である。そこで老人を大事にして、この雪にと言って止めるのは老人を労わり丁寧を尽くすことでよいのだが、それが志を破ることになる。そこには軽重もあることだろうが、なるべく老人の思う通りにするのが志を養うことになる。思うままにさせないとそれだけ元気が衰える。養うということが大事である。そこで、看病人が悪いと医者も迷惑と言う。養うという字にこれらのこともよく引き合う。老人は実に病人を取り扱う様にする。とかく心志を安んずるのでなくてはならない。今朝は寒いからと寺参りを止めるのは志に逆うのである。寺参りもよいだろうと言うと老人がいそいそとする。
【語釈】
・要助…大原要助。大網白里町柳橋の人。稲葉黙斎門下。
・儀丹…和田儀丹。下総酒々井の人。医者。成東町に卜居。寛保4年(1744)1月5日没。稲葉迂斎門下。

○楽其耳目云云。碁ばんをたすとにっこり。花を生けてにっこり。皷を打、にっこり。それ々々のすきなことで色々な耳目の楽みあることぞ。○安其寢処云云。老人は先つ第一寢処にきをつけることぞ。去るによって、老人がどうしても家にいるがよいと云も、人の宅は馳走よくても寢処が安くないゆへぞ。兎角心よくするが専一ぞ。○其飲食云云。たべもの呑物が夲じゃ。忠養。やしなひを誠から養ふ。老人はこふするものと形でしては忠養でない。何も彼も心をゆっくりゆるりとをちつくやうに楽々と思ふよふにする。そこを忠養と云。
【解説】
「樂其耳目、安其寢處、以其飮食忠養之」の説明。老人には耳目を楽しませ、寝処を安んずる。ゆっくりと落ち着く様にする。
【通釈】
「楽其耳目云云」。碁盤を出すとにっこり。花を生けてにっこり。鼓を打つとにっこり。それぞれに好きなことがあって、色々な耳目の楽みがある。「安其寝処云云」。老人には第一に寝処に気を付ける。そこで、老人がどうしても家にいるのがよいと言うのも、人の宅では馳走はよくても寝処が安くないからである。とかく心よくするのが専一である。「其飲食云云」。食物や飲物が本である。「忠養」。養いは誠から養う。老人はこうするものと形でしては忠養でない。何もかも心をゆっくりゆるりと落ち着く様に、楽々と思ふ様にする。そこを忠養と言う。

○養之、如此為其近親也云云。すべての老人も吾親に似たことぞ。とんと何も彼も吾親に趣が近いものぞ。そこて親を思が専一ゆへ、他人の老人へ如才かならぬぞ。熊谷も、あつもりが吾が子に似たでうつことならぬ。子を思ふやみに迷ふと云が子をかわいがる処があついゆへ。今でもみよ。他人の子のほふそふもだいじかける。子にはそふなれとも、親にはそふない。皆此等か親へ孝ゆへ他人の老人へもじょ才はないと云ふが圖法師ぞ。此章孝子とあれば、孝子のことを云たもの。礼しきてない。忠て無れは礼式ばかりぞ。忠養はつとめて云へばうそをせぬこと。心の誠がらすることぞ。忠でなければいらさることぞ。嫌惑偽。ほめられたくてするなればやくにたたぬ。とかくをもてで向のみばでみせひらかすことでないことを云た。名聞でないなり。他人たけに嫌云字は出たなり。
【解説】
養之、如此爲其近於親也。言忠養之、嫌或僞也」の説明。親を思うことが専一なので、他人の老人へも如在がない。「忠養」は推して言うと嘘をしないことで、心の誠ですること。見せびらかすためにするのではない。
【通釈】
「養之、如此為其近親也云云」。老人は全て自分の親に似ているもの。何もかも実に自分の親に趣きが近いもの。そこで、親を思うことが専一なので、他人である老人へも如在がならない。熊谷も、敦盛が我が子に似ていて討つことができない。子を思う闇に迷うと言うのが子を可愛がる処が篤いから。今でも見てみなさい。他人の子の疱瘡も大事だと気に掛ける。子にはそうするが、親にはそうでない。これらは皆、親に孝なので他人の老人にも如在はないと言うのが図星である。この章は孝子とあるので孝子のことを言ったもの。礼式ではない。忠でなければ礼式ばかりである。忠養は推して言えば嘘をしないことで、心の誠からすること。忠でなければ不要なこと。「嫌惑偽」。褒められたくてするのであれば、それは役に立たない。とかく表だけで、向こうからの見端で、見せびらかすことではないと言ったもの。名聞ではない。他人だけに嫌という字は出る。
【語釈】
・熊谷…熊谷直実。鎌倉初期の武将。武蔵熊谷の人。初め平知盛に仕え、のち源頼朝に降り、平家追討に功。久下直光と地を争い、敗れて京に走り仏門に入って法然に師事、蓮生坊と称す。一谷の戦に平敦盛を討つ。1141~1208
・あつもり…平敦盛。平安末期の武将。参議経盛の子。従五位下に叙せられたが官職が無く、世に無官の大夫と称。一谷の戦で熊谷直実に討たれた。1169~1184

○是故父母之所愛云云。是故と上を請て、親のいとをしかるものをは愛するぞ。何であろふとも子の方之気か親なりに向ぞ。うてばひびくぞ。親之方は了簡なけれとも、子が親の方へ向てゆくぞ。丁ど手足の心にまかするやふなこと。とんと一つぞ。さて、君の方へは誰れでも只今のをふり合と云て、左までもないことまでも心を用ることぞ。わるいことではない。これも敬からなり。親の方へは只今のをふり合と云ことはださぬ。親が念頃すれとも、あれはと云てひんとするは親の方へはむかぬぞ。それでは後ろ向になるのぞ。つんと親の方へなんとなく思召どふりに向てくることぞ。
【解説】
「是故父母之所愛亦愛之、父母之所敬亦敬之」の説明。孝子は、子の気が親の方へ向いて行く。
【通釈】
「是故父母之所愛云云」。「是故」と上を請けて、親のいとおしがるものを愛する。何であっても子の方の気が親の通りに向かう。打てば響く。親の方に了簡はないが、子が親の方へ向いて行く。丁度手足が心に任す様なこと。すっかりと一つである。さて、君の方へは誰でも只今の御振り合いと言って、それほどでもないことまでにも心を用る。それは悪いことではない。これも敬からである。親の方へは只今の御振り合いとは出ない。親が懇ろにしても、あれはと言ってひんとするのでは親の方へは向かない。それでは後ろ向きになる。何となく思し召し通りに親の方へしっかりと向いて来ること。

○至於犬馬云云。飼犬や馬迠て親のてふあいするゆへそまつにせぬ。それが菊や牡丹まてもをよぶ。そこで况や人にをいてをやじゃはしごくたいせつのことぞ。わるくすると少しくらしのよいもの、これは隠居之あい口、あれは表の方のあいくちと、そこへ来るものにも向ができる。それはもっての外のことで、不孝のをもぶりの看板をかけるのぞ。○親に似たと云ふ処がとんと格別。孝のつる葉ぞ。子の方でみよ。旅先でも吾子に似た子があれば人形かうてやる。それみよ。吾が子のかわいいがをよんだのぞ。なんとうそはあるまい。老人をみて手をとりていたわるは孝子の苦役てするでない。ほんの孝のあまりが他人の老人へてりをふのぞ。
【解説】
「至於犬馬盡然。而况於人乎。上言其近親者、此言親所愛敬者」の説明。我が子に似た子がいれば人形を買って遣る。それは、我が子が可愛いということが及んだのである。親に似た老人に孝が照り合うのも同じこと。
【通釈】
「至於犬馬云云」。飼い犬や馬まで、親が寵愛するので粗末にはしない。それが菊や牡丹までにも及ぶ。そこで、「况於人乎」が至極大切なこと。悪くすると少し暮らしのよい者など、これは隠居の合口、あれは表の方の合口と、そこへ来る者にも向きができる。それは以の外のことで、不孝の面振りの看板を掛けること。親に似ているという処が実に格別。孝の蔓葉である。子の方で見なさい。旅先でも我が子に似た子がいれば人形を買って遣る。それ見なさい。我が子が可愛いということが及んだのである。それは嘘ではない筈。老人を見て手を取って労わるのは、孝子が苦役でするわけではない。本当の孝の余りが他人の老人へ照り合うのである。


明倫19
○内則曰、舅没則姑老。謂傳家事於長婦。冡婦所祭祀・賓客、毎事必請於姑。婦雖受傳、猶不敢專。介婦請於冡婦。介婦、衆婦也。舅姑使冡婦毋怠。雖有勤勞、不敢解倦。不友無禮於介婦。舅姑若使介婦、毋敵耦於冡婦。雖有勤勞、不敢相絞訐。今按、下文三句亦是也。不敢竝行、不敢竝命、不敢竝坐。下冡婦也。竝命、不敢與冡婦並有敎令之命也。凡婦不命適私室不敢退。婦、侍舅姑者也。婦將有事、大小必請於舅姑。不敢專行。
【読み】
○内則に曰く、舅没すれば則ち姑老す。家事を長婦に傳うるを謂う。冡婦祭祀・賓客する所、事毎に必ず姑に請う。婦は傳を受くと雖も、猶敢て專らにせざるがごとし。介婦は冡婦に請う。介婦は衆婦なり。舅姑冡婦を使わば怠たる毋かれ。勤勞有りと雖も、敢て解き倦まず。友[あえ]て介婦に無禮せず。舅姑介婦に使わしむるが若き、冡婦に敵耦すること毋かれ。勤勞有りと雖も、敢て相絞訐せず。今按ずるに、下文の三句も亦是れなり。敢て竝び行かず、敢て竝び命ぜず、敢て竝び坐せず。冡婦に下るなり。竝び命ずるは、敢て冡婦と並ぶに敎令の命有らざるなり。凡そ婦は私室に適けと命ぜざれば敢て退かず。婦は舅姑に侍する者なり。婦將に事有らんとすれば、大小必ず舅姑に請う。敢て專らに行わず。

○内則曰、舅没則云云。この章、丸て娵たるもののいましめを書た章。先日も云た通り、女房もってから孝行のをとろへることあり。そこて娵たるをぎんみせ子ばならぬ。垩賢いましめあるぞ。此章はよめか正客ゆへ、父没すとせす、舅没すと書く。舅没すれは姑老。そこて隠居する。そのあとは娵か請取てする。そこを家事を長婦に傳と云の注がここぞ。○冡婦云云。古は別宅せぬぞ。兄弟何人あろふとひとつ家て女房をもたせることぞ。冡婦は惣領娵。祭祀は祭礼。まつりをすること。賔客はもちろん、唯の客も何に事によらず姑に娵が問。娵はもと他人、骨肉つづかぬものゆへきが子する。家をつぐと、もふこっちのものがをで、手前いっはいにしそふなもの。それをせず、すこしのことも姑に問ふことぞ。さて道理にかんをしたが人情ぞ。道理はつめたい。人情はあたたかなり。天理のなりは人情がよい。明日の料理と問ふ。いつもの通りのこと、はててい子いな、わるがたい娵じゃと云ぞ。なれともそのわるがたい娵と云が、実は姑がきついよろこひぞ。○婦雖受傳猶云云。婦は何のことも專にせずに手傳の様にするが娵のつつしみぞ。專と云かわるいこと。さるによって、家来が專らを出すとをふさわぎそ。これらでよく々々みゆることぞ。
【解説】
「内則曰、舅没則姑老。謂傳家事於長婦。冡婦所祭祀・賓客、毎事必請於姑。婦雖受傳、猶不敢專」の説明。舅が没すると姑は隠居をし、その後は長男の娵が請け取ってする。長男の娵を冡婦と言う。冡婦が家を継ぐと思い通りをしそうなものだが、それをせず、小さなことでも姑に問う。それが姑を喜ばすことになる。冡婦が専らにするのは悪い。
【通釈】
「内則曰、舅没則云云」。この章は全て娵たる者の戒めを書いた章である。先日も言った通り、女房を持ってから孝行が衰えることがある。そこで娵ということを吟味しなければならない。聖賢には戒めがある。この章は娵が正客なので、「父没」とせず、「舅没」と書く。「舅没則姑老」。そこで隠居をする。その後は娵が請け取ってする。家事を長婦に伝うという注がここのこと。「冡婦云云」。古は別宅をしなかった。兄弟が何人あったとしても一つ家で女房を持たせた。「冡婦」は総領娵。「祭祀」は祭礼で、祭をすること。賓客は勿論、普通の客のことも何事によらず姑に娵が問う。娵は元は他人で骨肉の続かないものなので気兼ねをする。家を継ぐと、もうこちらのもの顔で、思い通りをしそうなもの。それをせず、小さなことでも姑に問う。さて、道理に燗をしたのが人情。道理は冷たい。人情は温かである。天理の姿は人情がよい。明日の料理はと問う。いつもの通りのことだが、さて丁寧なこと、悪堅い娵だと言う。しかし、その悪堅い娵というのが、実は姑が大層喜ぶもの。「婦雖受伝猶云云」。何事も専らにせず、手伝いの様にするのが娵の敬みである。専らというのが悪いこと。そこで、家来が専らを出すと大騒ぎである。これらで専らが悪いことがよくわかる。

○介婦請於冡婦。次男からしたの娵ぞ。これも姑の処えいって請ふても、ゆくまい処へいったではない。姑に問てもよい筈なれとも、冡婦に請ふぞ。姉さまどふせふときく。其れて家のすべが云ふやふなく見事にゆく。由て云ふ。諸候か二男三男の大夫にして臣にするとき、其次男以下か其兄を、こちの殿様は我宗家とせず、二男以下の中で宗家を立て、大夫を宗とするもここの意ぞ。家内の割も二番目からは姑にきかず、一つをとりても冡婦にものことを問ふことぞ。○舅姑使冡婦云云。惣領娵は固より羽振よい筈。そこでとふか親の用を云つかるとき、左あるべきこととすんどゆたんあるもの。そこをゆだんせぬこと。○雖有勤云々。ここを千度とする。せっかくと骨折てしあける。又はどふか心もちあしくをも々々としてをる処へ、晩には蕎麦振舞ぶしと云と、ここをせんとど鰹を節をかく。何んても姑の思召次第にすることぞ。
【解説】
「介婦請於冡婦。介婦、衆婦也。舅姑使冡婦毋怠。雖有勤勞、不敢解倦」の説明。二男以下の娵を介婦と言う。介婦は冡婦に請う。しかし、冡婦は驕ってはならない。何でも姑の思し召し次第にする。
【通釈】
「介婦請於冡婦」。介婦は次男から下の娵である。姑の処へ行って請うても、行くべきでない処へ行ったわけではない。姑に問うてもよい筈だが、冡婦に請うのである。姉様どうしましょうと聞く。それで家の術が言い様なく見事に行く。そこで、諸侯が二男三男を大夫にして臣にする時、二男以下は長男を自分達の宗家とせず、二男以下の中で宗家を立てて大夫を宗とするのもこの意である。家内の割り振りも二番目からは姑に聞かず、一つ劣っていても冡婦に物事を問う。「舅姑使冡婦云云」。総領娵は固より羽振がよい筈。そこでどうも親から用を言い付かる時、そうあるべきことと、得て油断があるもの。そこを油断しないこと。「雖有勤云々」。ここを先途とする。骨を折って仕上げる。または、どうも心持が悪くておもおもとしている処へ、晩には蕎麦振舞いだと言われれば、ここを先途と鰹節を削る。何でも姑の思し召し次第にすること。
【語釈】
・千度…先途。①勝負または成敗の決する大事の場合。せとぎわ。せど。わけめ。②最後の目標。

○不友無礼云々。この一句は惣体につく。上とはなれる。そこて上に細注ありて、そこてはかるなり。冡婦にせしむるに付て無礼せずてない。平生大事小事、介婦を易くせぬこと。をれは惣領娵とたかぶらぬこと。○舅姑若云々。爰は上の文義とばがちごふ。介婦にせしめたに付て云々。介婦か鼻を髙くして冡婦と肩をならべて歒耦せぬこと。つかわるるを鼻にかけて惣領娵と同格に思わぬこと。○勤労云云。姑の云付骨折顔して鼻にかけぬこと。歒耦。夲文の字と注との訳とはちごふ。夲文の歒耦は惣領娵も同格なかをせぬこと。絞訐は、てきぐう文字の注てはない。心もちを云。絞訐。この方、姑にみだされたと云て向へめけぬこと。論吾の注、訐以疾為直の注にもあるぞ。かふけつは自分一っはいにみじんもめらす、絞は、縄をむすひきってとってもつかれぬと云やふなことぞ。訐は、したがはぬ、しゃっきりとつっはったと云やふなこと。つまり人をないがしろにする。我をたかぶる。をればかりと云ふ意なり。
【解説】
「不友無禮於介婦。舅姑若使介婦、毋敵耦於冡婦。雖有勤勞、不敢相絞訐」の説明。冡婦は介婦を軽く扱ってはならない。介婦も姑に使われることを鼻に掛けて、冡婦に敵耦してはならない。「絞訐」は、高ぶって人を蔑ろにすること。
【通釈】
「不友無礼云々」。この一句は全体に付き、上とは離れたもの。そこで上に細注があり、そこで分かれる。冡婦にせしむるに無礼せずではない。平生の大事小事で介婦を軽く扱わないこと。俺は総領娵だと高ぶらないこと。「舅姑若云々」。ここは上の文義とは場が違う。介婦にせしめるについて言う。介婦が鼻を高くして冡婦と肩を並べて敵耦しないこと。使われるのを鼻に掛けて総領娵と同格だと思わないこと。「勤労云云」。姑の言い付けを骨折顔で鼻に掛けないこと。「敵耦」。本文の字と注の訳とは違う。本文の敵耦は総領娵も同格仲をしないこと。「絞訐」は、敵耦という文字の注ではなく、心持を言ったこと。「絞訐」。自分が姑に見出されたと言って相手に怯まないこと。論語の「訐以疾為直」の注にもある。絞訐は自分一杯に微塵も怯まないこと。「絞」は、縄を結び切って寄り付くこともできないという様なことで、「訐」は、従わず、しゃっきりと突っ張るという様なこと。つまり人を蔑ろにする。我を高ぶる。俺ばかりと言う意である。
【語釈】
・歒耦…射礼の一。二人で射を競う。並び立つこと。
・訐以疾為直…論語陽貨24。「惡徼以爲知者。惡不係以爲勇者。惡訐以爲直者」。同注。「訐、謂攻發人之陰私」。

○今按。朱子の按なり。三句の下の竝行・竝命・竝坐の三句のこと。○歒耦と云ことは、なにをれじゃとてそふ誤てゆくことはないと云ことををさへて、そこで竝不行。爰は立羽な歒耦。竝坐は同しやうにいる。この三つのいましめのことぞ。○下冡婦云云。同し娵じゃからは一入下ら子ばならぬことなり。先年の録に、下るは萬事頭をさげる意なり。竝命。家来に云つけるに旦那がををせぬこと。家には旦那は一人なもの。そこで並に教令の命有ずといましめたこと。
【解説】
今按、下文三句亦是也。不敢竝行、不敢竝命、不敢竝坐。下冡婦也。竝命、不敢與冡婦並有敎令之命也」の説明。竝行・竝命・竝坐の三つを戒める。並んで行かず、命じず、並んで座さないこと。
【通釈】
「今按」。朱子が按じたのである。三句は下の竝行・竝命・竝坐の三句のこと。敵耦などということは、俺でも誤って行くことはないと、これを抑えるから「竝不行」。竝行は立羽な敵耦である。「竝坐」は同じ様にいること。この三つを戒める。「下冡婦云云」。同じ娵なので一入下らなければならない。先年の録に、下るとは万事に頭を下げる意とある。「竝命」。家来に言い付けるのに旦那が命じないこと。家に旦那は一人だけ。そこで「不並有教令命有」と戒めた。

○凡婦云云。そふたい舅姑の命がなければ、をそばさらぬことぞ。○婦待舅姑者。この者の字をよくみよ。今も者の字はのれんかけるのじゃ。医者仏者と者の字できまる。娵と云ものは舅姑のまへにつめて居る者のしゃ。者はそれやになること。勢者役者の字も家業にする者の字ぞ。娵も舅姑の側に居る筈のものじゃ。侍るが商買のしゃ。こふ文字をきめると、ものの字一字でもここかきまる。とんとものの字と云はうごかぬこと。○婦將有事云云。これは、毎事姑に問ふとは別段の事を云。前は時々剋々のことを問ふ。有事は一つ改たをもいことにつかふ。只のときのことでない。季氏將有事顓臾などのときかくことぞ。定た御法差合にない。一つ替たことの有るときかくことぞ。一つ変たことぞ。大小。この小の字がだいじ。小のことはそのぶんにすることでない。ここが大切。小いことはどふでも心次第なれば、はや姑をないものにするになる。そこで注の專に行はすがうら釘をかへすのぞ。
【解説】
「凡婦不命適私室不敢退。婦、侍舅姑者也。婦將有事、大小必請於舅姑。不敢專行」の説明。ここの「者」は家業にすること。事があれば、大小を問わず姑に問う。専らにしてはならない。
【通釈】
「凡婦云云」。総体舅姑の命がなければ、お側を去らないこと。「婦待舅姑者」。この者の字をよく見なさい。今も者の字は暖簾を掛けること。医者も仏者も者の字で決まる。娵というものは舅姑の前に詰めている者。者は家業にすること。芸者や役者の字も家業にする者の字である。娵も舅姑の側にいる筈のもの。侍るのが商売である。この様に文字を決めると、者の字一字でもここが決まる。実に者の字というものは動かないもの。「婦将有事云云」。これは、「毎事必請於姑」よりも別段の事を聞くこと。前のは時々刻々のことを問う。有事は一つ改まった重いことに使う。普段の時のことではない。「季氏将有事顓臾」などの時に書くこと。定まった御法差し合いではない。一つ変わったことがある時に書くこと。一つ変わったことである。「大小」。この小の字が大事。小のことはそのままにして置いてはならない。ここが大切。小さいことはどうでも心次第だから、早くも姑をないものにすることになる。そこで、注の「不敢専行」が裏釘を反したこと。
【語釈】
・季氏將有事顓臾…論語季氏1。「季氏將伐顓臾。冉有・季路見於孔子曰、季氏將有事於顓臾」。


明倫20
○適子・庶子祗事宗子・宗婦。雖貴富、不敢以貴富入宗子之家、雖衆車徒舍於外、以寡約入。祗、敬也。入、謂入宗子之家。不敢以貴富加於父母・宗族。加猶高也。
【読み】
○適子・庶子は祗[つつし]みて宗子・宗婦に事う。貴富と雖も、敢て貴富を以て宗子の家に入らず、車徒衆しと雖も外に舍き、寡約を以て入る。祗は敬なり。入るは宗子の家に入るを謂う。敢て貴富を以て父母・宗族に加えず。加は猶高のごとし。

○適子庻子云云。これらなどは父子親にあるはどふぞと考べし。末家が夲家を大事にすることならは、長幼の序にのせそふなもの。それにここにあるは訳あること。夲ん家末家ぎみ合になっては、親のあんどならぬに此上はない。さま々々の忌あい以の外ないろ々々に親類に内々もめがある。それでは不断親るいいくさのようで、毎夜親へげしなりませと云ながら、火事太皷を打やうなもの。子られはせぬぞ。親類の中がわるいは一番老親をいためる。さて、そふたい親類あいさつのわるいは己れがたかぶるから和順でない。親子の中て気を下たし、いろをよろこばしふする。それが和順の根ぞ。それがひろがると一家一門皆よくなる。そこで先生の禮のあたまて惣領の家を重くする。この礼が立つと骨肉和順する。
【解説】
この条は長幼の序に載せそうなものだが、親類仲の悪いのが一番老親を痛めることなのでここにある。親類仲の悪いのは自分が高ぶるからで、和順でないからである。先ずは惣領の家を重んずることから始める。
【通釈】
「適子庶子云云」。これらなどが父子の親にあるのはどうしてかと考えなさい。末家が本家を大事にすることであれば、長幼の序に載せそうなもの。それなのに、これがここにあるのはわけのあること。本家と末家が忌み合っては、親が安堵しないことこの上ない。親類に様々な忌み合い、以の外の内輪揉めが色々とある。それではいつも親類戦の様で、毎夜親に御寝成りませと言いながら、火事太鼓を打つ様なもの。寝られはしない。親類の仲が悪いのは一番老親を痛める。さて、総体親類挨拶が悪いのは自分が高ぶるからで、和順でないから。親子の中で気を下だし、色を喜ばしくする。それが和順の根である。それが広がると一家一門が皆よくなる。そこで先王は礼の最初に惣領の家を重くする。この礼が立つと骨肉が和順する。
【語釈】
・げしなり…御寝成る。おやすみになる。

適子。惣領のこと。庻子は次男から以下ぞ。宗子は大夲家なり。末家には宗子のために叔父も兄も從兄もあり、又、宗子か伯父叔父兄從兄なこともあるが、そのつづきにかまわぬ。夲家と云を大切にするから總て事る。とかくをいや弟となれとも、夲家のことはつかふると云。此は今日も公儀は固より武家では明らかなれとも、百姓町人は惣領家と我身代次第で肩をならべるそ。礼は庻人に下らずとあれは、上を推てすること。夲家のことを大切にするはただ者のの出合の様にすることではない。さんきんこふたいの様にするほどに思ふべし。それでなくては夲家をもんずるといわれぬ。扨人の身分いろ々々。夲家が小身、末家が大身のこともあり、唐では本家は百姓て末家は大官にも成ることもあれとも、敢以貴富宗子の家に入らずて、夲家の上にたたぬ。後世はわるく心ろへて、古郷は錦をかざると云はこころへちがへ。尤親などは百姓の子が鑓りを持たせるとうれしがるか、兄か百姓なれば、鑓りてふりこむは甚だ無礼なることぞ。○寡約は、こそこそと手がるくして、草履とりばかりてゆくやふなこと。
【解説】
本家は重んじなければならない。そこで、事えると言う。庶子は本家の上に立ってはならない。故郷に錦を飾るというのは間違いである。
【通釈】
「適子」。惣領のこと。「庶子」は次男から以下の者。「宗子」は大本家である。末家には宗子のために叔父も兄も従兄もあり、また、宗子が伯父叔父兄從兄のこともあるが、続柄には構うことではない。本家を大切にするから全て事える。とかく甥や弟であっても、本家のことは事えると言う。ここは今日も公儀は固より武家では明らかなことだが、百姓や町人は自分の身代次第で惣領家と肩を並べる。礼は庶人に下らずとあるから、上を推してするもの。本家のことを大切にするとは、普通の者の出合いの様にすることではない。参勤交代の様にするほどのことと思いなさい。それでなくては本家を重んずるとは言えない。さて、人の身分も色々で、本家が小身で末家が大身なこともあり、唐では本家が百姓で末家は代官になることもあるが、「不敢以貴富入宗子之家」で、本家の上に立たない。後世は悪く心得て、故郷に錦を飾ると言うが、それは心得違いである。尤も親などは、百姓の子が鑓を持たせられると嬉しがるが、兄が百姓であれば、鑓で振り込むのは甚だ無礼なこと。「寡約」は、こそこそと手軽くして、草履取りばかりて行く様なこと。
【語釈】
・礼は庻人に下らず…礼記曲礼上。「禮不下庶人、刑不上大夫、刑人不在君側」。

敢てはつつしみのこと。扨てたかぶるとは夲家をかろんずるのぞ。凡奉公する人は世間へは夲格にして、夲家へは寡約にしてくることぞ。ここは帳につける様にして固く心得べし。これ、礼なり。礼て天下は治る。子路のあれ程な人なれとも、心に髙ふりありて礼譲をせぬから孔子笑れた。此あやをみると親類にっとりとする。そこで惣領家を大切にすることを父子の親に朱子の載せられた。大体にあづかること。誠に風化の萬一と云字もここで的然なり。○加猶高云云。これみよと云様に具足櫃に金紋はなやか。それを羽ぶりにして見せびらかすに、其親類は稗團子ではつまらぬ。今日もちと地頭の家老にでもなると、はやこのやふなものて、われらはよく喰ふなと云てたかぶる。つまり心さまのちいさいことぞ。舜などのことをみよ。あれほどでも御身をなんとも思召さぬ。下々の口上によいことある。きたなくても指はきられぬ。此の塩梅をよく々々合点してみると、一門に髙ぶることはないぞ。
【解説】
高ぶるとは本家を軽んじること。本家には敬まなければならない。今は一寸位を得ると高ぶるが、舜などはあれほどであっても高ぶりはなかった。
【通釈】
「敢」は敬みのこと。さて、高ぶるとは本家を軽んじること。凡そ奉公する人は世間へは本格にして、本家へは寡約にするもの。ここは帳に付ける様にして固く心得なさい。これが礼である。礼で天下は治まる。子路はあれほどの人だったが、心に高ぶりがあって礼譲をしないから孔子が笑われた。この綾を見ると親類がにっとりとする。そこで惣領家を大切にすることを父子の親に朱子が載せられたのである。それは大体に与ること。誠に「風化之万一」という字もここで的然である。「加猶高云云」。これを見ろと言う様に具足櫃に金紋が華やか。それを羽振りとして見せびらかすが、その親類が稗団子では詰まらない。今日でも一寸地頭の家老にでもなれば、早くもこの様なもので、お前達はよく喰うなと言って高ぶる。つまり、これは心様の小さいこと。舜などを見なさい。あれほどでも御身を何とも思し召さない。下々の口上によいことがある。汚くても指は切ることができない、と。この塩梅をよく合点して見れば、一門に高ぶることはない。
【語釈】
・子路のあれ程な人なれとも、心に髙ふりありて礼譲をせぬから孔子笑れた…論語先進25。「子路率爾而對曰、千乘之國、攝乎大國之間、加之以師旅、因之以饑饉。由也爲之、比及三年、可使有勇、且知方也。夫子哂之」。
・風化の萬一…小学序。「庶幾有補於風化之萬一云爾」。


明倫21
○曾子曰、父母愛之喜而弗忘。父母惡之懼而無怨。父母有過諫而不逆。無怨、謂無怨於父母之心。不逆、順而諫之也。
【読み】
○曾子曰く、父母之を愛すれば喜びて忘れず。父母之を惡めば懼れて怨む無し。父母過有れば諫めて逆わず。怨む無しは、父母の心を怨む無きを謂う。逆わずは、順いて之を諫むるなり。

○曽子曰、父母愛之云云。親と云ものは子をかわいがるは天地自然ぞ。つけやきばでないことぞ。たとひ子を可愛がることか公儀法度でも可愛がるなれとも、十人が十人そふないこともあり、そこであいするあいせぬと云こともあるぞ。愛するは注文通りなれとも、そのあいするを、をれが様なものを可愛かりて被下は扨々難有、喜而弗忘ぬことぞ。○父母悪之云云。此の悪と云は注文とは大間違。六ヶ鋪い。たいがいなものはにくむを不足に云が、そこを恐れる。公儀から御預けにてもなったやうに身をちぢめて居るぞ。今日の子ともは親の方の高をくくるぞ。なるほどにくむと云ても瞽瞍のやふに殺ふとするのはない。然れは父母はあまり主のやうにこはくはないものぞ。処をいかふそれて先の手のみへぬ様にこわがる。今日の子はとんと親の頭を合点して、この位なこととすましてをるは不届ぞ。
【解説】
「曾子曰、父母愛之喜而弗忘。父母惡之懼而無怨」の説明。親が子を可愛がるのは天地自然なことだが、子はそれを有難いこととして、喜んで忘れない様にしなければならない。また、親に悪まれたとしても、高を括ってはならない。懼れるのである。
【通釈】
「曾子曰、父母愛之云云」。親というものは子を可愛がるのが天地自然である。それは付け焼刃ではない。たとえ子を可愛がることが公儀の法度でも可愛がるが、十人が十人そうでないこともあり、そこで愛する愛せないということもある。愛するのは注文通りのことだが、愛されれば、俺の様な者を可愛がって下されるとは実に有難いことだと、「喜而弗忘」である。「父母悪之云云」。この「悪」は注文とは大間違いで難しい。大概の者は悪まれると不満に思うが、そこを懼れる。公儀から御預けにでもなった様に身を縮めている。今日の子供は親に対して高を括る。なるほど悪むと言っても瞽瞍の様に殺そうとする者はいない。それなら父母はあまり君主の様には怖くないもの。そこを大層懼れて先の手が見えない様に怖がる。今日の子はすっかりと親の頭を合点して、この位のことと済ましているが、それは不届である。

○有過云云。諌と云ふはたたい君の方へ出す字。親の方へは錠をろす筈なれとも、親の大まちがひになることは錠の葑を切て諌めはいるるなれとも、而の字、不逆で向へ云ふかふっくりと和順にする。たたい諌は向がわるくて此方がよいゆへ、吾が理をもってをるでつひ和順がなくなる。なんでも親の非を我非、吾か方へ引は吾か不調法者でとをもへはなんのこともない。丁ど吾がそさふでどぶへをちたよふなもの。ここには人をうらむることはない。然れば父母へもその筈ぞ。○もと親にいさめることはないにしてをきたいなれとも、大平の具足櫃用意せ子ばならぬ。さていさめよふはあれとも、とんとさかわずがならぬ。某などのやうに迂齊を親に持ては一生諌は入らぬ。さて諌るときに不逆がなるまい。とかく不逆と云のは丁ど名医の目をいぢるよふなこと。目にさかわぬ。目はいぢれとも、さて目に逆ぬ。諌はすれとも逆ぬ。さて々々あちはいあることなり。此章よく味て、さてたれか云たとふりかへりてみれば曽子曰なり。曽子はあり金をはたき出すのじゃ。吾々ともはかり金て此章の講釈をする。それゆへ直方先生、比丘尼の武邉咄し、木村長門がなどと云ふても似合ぬ。曽子はす子からもみだしたのぞ。今日学者孝を理屈で云。そこで曽子曰もいこふ活きることぞ。
【解説】
「父母有過諫而不逆。無怨、謂無怨於父母之心。不逆、順而諫之也」の説明。親が大間違いをしている時は、子は諌めなければならない。その時は逆わないことが大切で、それで和順となる。この条は曾子が脛から揉み出して言ったことで、今の学者が理屈で言うのとは違う。
【通釈】
「有過云云」。そもそも「諌」は君の方へ出す字で、親の方へは錠を下ろす筈。しかし、親の大間違いになることは錠の封を切って諌めるべきだが、ここの「而」の字と「不逆」で向こうに言うことがふっくりと和順となる。そもそも諌は向こうが悪くてこちらがよく、自分の方に理を持っているのでつい和順がなくなる。何でも親の非を自分の非として、自分の方へ引くのは自分が不調法者だからだと思えば何事もない。丁度自分が誘ったので溝に落ちた様なもの。それでは人を恨むことはない。父母へもその筈である。本来、親を諌めることはないこととして置きたいが、太平にも具足櫃は用意しなければならない。さて、諌め方は色々とあるが、全く逆わないということができないもの。私などの様に迂斎を親に持っては一生諌めは要らない。さて、諌める時に不逆ができない。不逆とは丁度名医が目を弄る様なこと。目に逆わない。目は弄るが、さて目に逆わない。諌めはするが逆わない。それは実に味わいのあること。この章をよく味わって、さて誰が言ったのかと振り返って見れば「曾子曰」である。曾子は有り金を叩き出した。我々共は借り金でこの章の講釈をする。それで直方先生が、比丘尼が武辺話をして木村長門がなどと言っても似合わないと言った。曾子は脛から揉み出したのである。今日の学者は孝を理屈で言う。そこで曾子曰も大層活きる。
【語釈】
・木村長門…木村長門守重成。大坂冬の陣、夏の陣で豊臣家のために戦って死ぬ。母の右京大夫局は豊臣秀頼の乳母。