明倫22
○内則曰、父母有過、下氣怡色、柔聲以諫。諫若不入、起敬起孝。説則復諫。子事父母、有隱無犯。復猶更也。不説、與其得罪於郷黨州閭、寧孰諫。孰諫謂殷勤純熟而諫。犯顔而諫、使父母不悦、其罪輕。畏懼不諫、使父母得罪於郷黨州閭、其罪重。二者之間、寧可熟諫。父母怒不説而撻之流血、不敢疾怨、起敬起孝。
【読み】
○内則に曰く、父母過有れば、氣を下し色を怡ばし、聲を柔らかにして以て諫む。諫めて入れざるが若き、敬を起し孝を起す。説べば則ち復た諫む。子の父母に事うる、隱す有りて犯す無し。復は猶更のごとし。説びざるも、其の罪を郷黨州閭に得ん與[よ]り、寧ろ孰諫す。孰諫は、殷勤純熟にして諫むるを謂う。顔を犯して諫め、父母をして悦ばざらしむは、其の罪輕し。畏懼して諫めず、父母をして罪を郷黨州閭に得せしむるは、其の罪重し。二者の間、寧ろ熟諫す可し。父母怒り説ばずして之を撻ち血を流すとも、敢て疾み怨みず、敬を起し孝を起す。

○内則曰、父母有過、下気怡色云云  己酉八月廿六日  慶年録
【語釈】
・己酉八月廿六日…寛政元年(1789)8月26日。
・慶年…北田慶年。太兵衛、榮二と称す。東金市福俵の人。学思齋の主。篠原惟秀の兄。稲葉黙斎門下。

此、父母過あると云は、子の身になってはこまりものぞ。親に悪いことないと云はさて々々仕合なこと。さて有ると云に成ては大きに草臥もの。子の身分で此事夢になれ々々々々々々と云様なり。親には教へらるべきに、子の方から異見を云子ばならぬ。扨、これを云段に成れは前にも気を下すと云ことはあれとも、爰は別して親のわるいを異見することなれは、尚々気を下たし色を怡して云こと。吾十分な顔てかかると云ことはとんと濟まぬことぞ。○以諌。この以ての字は、此前の鶏初鳴て身支度をして、以て父母の所へ行くと云の以ての字の心て、これではどふぞととっくりと吾身をかへり見、心したくし、にこはこで以て云出す。君を諌るは直諌と云字あり、正直に諌める。この諌と云字もあり、此からだ葬るなど投出して諌た。君にはかふじゃ。親は又そふではない。依て塩梅を見て云ことなり。
【解説】
「内則曰、父母有過、下氣怡色、柔聲以諫」の説明。親に悪いことがないのは幸いだが、悪いことがあれば、気を下し、色を怡ばして諌める。それは塩梅を見ながら言うのであって、君に対する直諌とは違う。
【通釈】
この「父母有過」というのは、子の身になっては困ったもので、親に悪いことがないというのは実に幸せなこと。さて、それがあるということになっては大いに草臥れる。子の身分では、この事夢になれと言うばかりのことである。親には教えられるべき筈なのに、子の方から異見を言わなければならない。さて、これを言う段になると、前にも気を下すということがあったが、ここは特に親の悪いところを異見することなので、尚更気を下し、色を怡ばして言うのである。自らが尤もな顔をして異見を言うのは実に悪い。「以諌」。この「以」の字は、この前の「鶏初鳴」で身支度をして、以て父母の所へ行くという以ての字の心で、これではどうかととっくりと自分の身を省み、心支度をして、にこにことして以て言い出す。君を諌めるには直諌という字があり、真っ直ぐに諌める。この様な諌ということもあって、この体を葬り、投げ出して諌めた。君にはこの様にする。しかし親にはそうではない。そこで、塩梅を見て言うのである。
【語釈】
・前にも気を下すと云ことはあれとも…小学内篇明倫1を指す。
・此前の鶏初鳴…小学内篇明倫1を指す。

○若し不入。このやふに諌てもどふも聞入れぬと、をらが親仁もどふもはやと云心になると、もふ不敬がをこる。そこを大切に敬して孝を尽すと自ら悦ふものぞ。悦復諌む。親は子の云ことをそふ永く不機嫌ているものではない。そこを見繕て又いさめる。親の腹立たときに、もふあれではと凧のきれた様に思ふて、はや此方のものでは無いと思ふ様にすることでなく、親のきげんを見合せて、先度のは私が申しやうのをかしかったで御呑込がござらなんだが、扨あのことはこふしてはどうでござらふのと云やふに又いさめると、そふ云へば尤じゃか、先度の様なたわけをぬかして合点するものかなどと云。横様に成ることもあるぞ。
【解説】
「諫若不入、起敬起孝。説則復諫」の説明。諌めても聞き入れなければ、更に敬して孝を尽くす。それで親が悦べば、また諌める。親の機嫌のよい時に諌めると、聞き入れられ易い。
【通釈】
「諌若不入」。この様に諌めてもどうも聞き入れない。そこで、俺の親父もどうもこれではという心になれば、既に不敬が起こったのである。そこを大切に敬して孝を尽くすと自ずと悦ぶもの。「悦則復諌」。親は子の言ったことに、それほど永く不機嫌でいるものではない。そこを見繕ってまた諌める。親が腹を立てた時に、もうあれではと凧の糸が切れた様に思って、直ぐに自分には関係無いことだと思うのではなく、親の機嫌を見合わせて、先達てのことは私の申し様が悪かったので御呑み込みされなかったが、さて、あのことはこうしてはどうでしょうと言う様にまた諌めると、その様に言えば尤もなことだが、先達ての様な戯けを抜かしては合点などするものかなどと言う。横様になることもある。
【語釈】
・横様…当然でないこと。道理にそむくこと。よこしまなこと。

○有隠無犯。隠すは、もちっと云へたいこともあれとも、そこを指扣めにすること。これも自然と人の心にあること。小学をきかぬ人でも親の大病の時、医者のもふ療治も届かぬと云ても、親か医者は何と云か。いや余程のことじゃか、つめて藥服したら能ふと、あらはには云はぬ。萬事親へのことはこの様なものぞ。犯すことなしは、吾皃を犯さぬことなどと見るは以の外ぞ。左様のことあらふはづはない。親のぶきげんになり、顔のかわるやふにせまじとすることぞ。復猶更は、日和を見合々々異見することで、此公事流れにと云様なことにあらず。流しても能程のことなれば、片から云出さぬはづなり。そこは外篇にある、大害なきことは曲從すべしぞ。云子ばならぬ事故にいつまでもそろ々々云ふぞ。
【解説】
子事父母、有隱無犯。復猶更也」の説明。親を諌める時は正面切っては言わない。親の気分を悪くさせる様な仕方はしない。「無犯」は自分の顔を犯さないことではなく、親が顔を犯さないこと。
【通釈】
「有隠無犯」。「隠」は、もう少し言いたいこともあるが、そこを言わないこと。これも自然と人の心にあること。小学を聞いたことのない人でも親が大病の時、医者がもう療治も届かないと言っても、親が医者は何と言ったかと聞けば、いや余程のことだが、しっかりと薬服をしたらよいだろうと、はっきりとは言わない。万事親へのことはこの様なもの。「無犯」は、自分の顔を犯さないことなどと見るのは以の外である。その様なことである筈がない。親が不機嫌になって、顔が変わる様にしてはならないということ。「復猶更」は、日和を見合わせて異見をすることで、これは公事流れにすると言う様なことではない。流してもよいほどのことであれば、最初から言い出さない筈。そこは外篇にある、大害なきことは曲従すべしである。言わなければならないことなので、いつまでも慎重に言うのである。
【語釈】
・大害なきことは曲從すべし…小学外篇嘉言16。「苟於事無大害者亦當曲從」。

○不説、與得其罪云云。これは一くさり別に云出したことと見よ。親に異見をするは気の毒なことなれとも、云子はならぬことてするは、罪を郷黨に得る様な余ほどのこと故に、どふも捨をかれぬ。此先にも父爭子身不陷於不義。もふ郷黨中て悪いと云るるほどのことは爭い諌子ばならぬ。○寧は処々て違あり。ここはいっそと云やふな弁ぞ。二つものを合してどちらにせうと云に成ると、寧ろいっそどふでも諌る方にせづはなるまいとして孰諌める。
【解説】
「不説、與其得罪於郷黨州閭、寧孰諫」の説明。郷党に自分の親が悪いと言われる様なことは、放っては置けない。それは争っても諌めなければならない。
【通釈】
「不説、與其得罪云云」。これは一話を別に出したことだと見なさい。親に異見をするは気の毒なことだが、言わなければならないことがあってする。それは罪を郷党に得る様な余程のことなので、どうも捨てて置けない。この先にも「父有争子、身不陥於不義」とある。もう郷党中で悪いと言われるほどのことは争っても諌めなければならならない。「寧」は処々によって違いがある。ここはいっそという様な弁。二つのものを合わせて見て、どちらにしようということになれば、寧ろいっそどうしても諌める方にしなければならないとして「孰諌」する。
【語釈】
・父爭子身不陷於不義…小学内篇明倫101。「父有爭子、則身不陷於不義」。

○殷勤は殊の外丁寧に念頃なことで、云ことを云てしまってかたをつけ様などと云ことにあらず。細々に云こと。純熟はものに交りないことにて、心の誠を專にすることで、こふ云ふにはよみと哥があるなどと云にあらず。蚊か人について血を吸い、小児の乳を呑やふに純一て、少ともまじりなく、其事を専一に心の誠て親に云と響く。酒にもまじりかあるとよわぬ。此事を止めさせうとするか純一故に、いや物か入るの、費か立のもかまわぬ。一すじにかかる心でひびくぞ。然し親に腹を立さすること成れは、罪はあれともこれは軽し。又、親を只恐懼し、をぢをそれたのみて云はぬ。そこては悪を郷黨に觸て、あそこでも爰ても親のことを云はれて、親に辱を受さす。其罪は甚た重し。○二の者の間と云ふか寧の処て、何地[とち]らへと考えて諌る。商人のあはぬ高倍のとき、十露盤をいて考るか寧の処で、あはぬことなれとも捌かよかろふと考分た所てまけませふと云は、寧ろとをとしたのぞ。又、これも考分て熟諌するのなり。
【解説】
孰諫謂殷勤純熟而諫。犯顔而諫、使父母不悦、其罪輕。畏懼不諫、使父母得罪於郷黨州閭、其罪重。二者之間、寧可熟諫」の説明。専一に心の誠で親に言えば響くもの。郷党に罪を得るのを防ぐための諌めは、それで親が腹を立てるとしても罪は軽い。しかし、諌めずに放って置けば親は辱めを受けることになるから、その罪は重い。
【通釈】
「殷勤」は殊の外丁寧で懇ろなことで、言いたいことを言ってしまって片を付けようなどということではない。細やかに言うこと。「純熟」はものに混じりのないこと。それは心の誠を専らにすることで、これには読みと歌があるなどと言うことではない。蚊が人にくっ付いて血を吸い、小児が乳を飲む様に純一で、少しも混じりなく、そのことを専一に心の誠で親に言えば響く。酒も混じりがあると酔わない。そのことを止めさせようとするのが純一なので、嫌物が入ったり、費えが立つのも構わない。一筋にする心で響く。しかし、これは親に腹を立てさせることなので、罪はあるがその罪は軽い。また、親をただ恐懼し、怖け懼れるだけで言わない。それでは悪を郷党に触れて、あそこでもここでも親のことを言われて、親に辱めを受けさすことになり、その罪は甚だ重い。「二者之間」というのが寧の処で、どちらにしようと考えて諌める。商人が合わない商売の時、算盤を置いて考えるのが寧の処で、合わないことだが捌くのがよいだろうと考え分けた所で負けましょうと言う。これが寧ろと落としたこと。これもまた、考え分けて熟諌するのである。

○父母怒不説而云云。是も分んのたての語と思へ。不説而撻之は、舜の瞽叟なとがそれなり。そふせられても、○不敢疾怨。怨と云ものは、体をへたてるともふ出るものぞ。犬か無心て喰ついても、犬を見ると一生憎むぞ。足か弱くて轉んて額を摺こわしても、額と足か義絶もせぬ。是一体成れはなり。以天地萬物為一体が西の銘の意と云もここぞ。いかに親でもと云心なく、いつまでも草臥れずに敬を起し孝を起すなり。誠の孝と云に成ら子はこれはならぬぞ。孝行にも色々な寸法があるなり。先つ能い親に孝をするは鼻の先のものをとるよふで心易い。筓て天窓をかくやふに心安い。こふ又六ヶしい親に事るのは遠くのものをとる様にたいていな寸法の孝行ではとときか子るが、なれとも誠からはそれにも届ぞ。
【解説】
「父母怒不説而撻之流血、不敢疾怨、起敬起孝」の説明。舜の様に、親に酷い目に逢わされても怨んではならない。怨みは体を隔てるから出るもの。一体であればそれはない。
【通釈】
「父母怒不説而云云」。これも別立ての語と思いなさい。「不説而撻之」は、舜の瞽瞍などがそれ。そうされても、「不敢疾怨」。怨みというものは、体を隔てると直ぐに出るもの。犬に無心で喰い付かれれば、犬を見ると一生憎む様になる。足が弱くて転んで額を擦っても、額と足は義絶もしない。それは一体だからである。「以天地万物為一体」が西の銘の意と言うのもここ。いかに親でもという心はなく、いつまでも草臥れずに敬を起こし孝を起こす。誠の孝にならなければ、これはできないこと。孝行にも色々な寸法がある。先ずよい親に孝をするのは鼻の先の物を取る様で心安い。笄で天窓を掻く様に心安い。また、この様に難しい親に事えるのは遠くの物を取る様で、大抵な寸法の孝行では届きかねるが、誠からであればそれにも届く。
【語釈】
・以天地萬物為一体…近思録道体20には「仁者以天地萬物爲一體、莫非己也」とあるが
・西の銘…近思録為学89を指す。


明倫23
○曲禮曰、子之事親也、三諫而不聽則號泣而隨之。至親無去。志在感動之。
【読み】
○曲禮に曰く、子の親に事うるや、三諫して聽かざれば則ち號泣して之に隨う。至親は去ること無し。志は之を感動するに在り。

○曲礼曰、子之事親也云云。三度と云ことでなく、度々のことぞ。曽子の三省とはちかふ。あれは三色のこと。これは南容か白圭を三復と云の三で、數て云ことにあらず。主君にはいとまをとることもあろふが、親にはないことなり。幾度諌ても聞れ子は詮ん方なく號泣して隨。ここでは泣々したがふ。扨、はやどふもと心の誠から出る泪ぞ。ここは泣く塲と云ことに非す。それでは手ぐろでするになる。舜は其大知乎と云はるる。其舜がなかれた。誠からの処ぞ。
【解説】
「曲禮曰、子之事親也、三諫而不聽則號泣而隨之」の説明。親子は離れられるものではないから、度々諌めても親が聞き入れなければ、号泣して親に随う。この号泣は誠から出た泪のこと。舜が泣かれたこと。
【通釈】
「曲礼曰、子之事親也云云」。三度ということでなく、度々ということ。曾子の三省とは違う。あれは三色のこと。これは南容が白圭を三復するの三で、数で言ったことではない。主君には暇を請うこともあるだろうが、親にそれはない。幾度諌めても聞かれなければ仕方なく号泣して随う。ここでは泣き泣き随う。さてこれは、はやどうしてもと、心の誠から出る泪である。ここは泣く場ということではない。それでは手くろですることになる。「舜其大知也與」と言われた。その舜が泣かれた。それは誠からのことである。
【語釈】
・曽子の三省…論語学而4。「曾子曰、吾日三省吾身。爲人謀而不忠乎。與朋友交而不信乎。傳不習乎」。
・南容か白圭を三復…論語先進5。「南容三復白圭。孔子以其兄之子妻之」。
・號泣して隨…孟子万章章句上1。「萬章問曰、舜往于田、號泣旻天。何爲其號也」。
・手ぐろ…人目をごまかすこと。人をたぶらかすこと。手練手管。
・舜は其大知乎…中庸章句6。「子曰、舜其大知也與。舜好問而好察邇言、隱惡而揚善、執其兩端、用其中於民。其斯以爲舜乎」。

○至親無去。大子申生が天下豈有無父国乎と云れたぞ。どこまでも親の体じゃ。親を去ことはならぬ。志有感動之。子か位て感動させうとするは手ぐろじゃが、專一の誠から泣出す故に、親父も馬鹿なつらだ、ほえずともよいと云ても、信実心の泪てやまぬ。そこて親も終に感動することありて、筭用の外をうごかす。泪と云ものはいやと云はれぬものぞ。蕐周杞梁之妻哭其夫変国俗とあるぞ。日々夜々食も通らぬ。只さめ々々と泣て居る。扨々誠はきつふ人を感ずるものぞ。見づ聞つしてわるい女房も感動してよくなった。きかせうとて泣にあらず。誠からすることは人にもこふひびくぞ。
【解説】
至親無去。志在感動之」の説明。信実の心の泪が親を感動させる。それは算用の外のことで、感動させようとして泣くものではない。
【通釈】
「至親無去」。太子の申生が「天下豈有無父国哉」と言われた。この身はどこまでも親の体である。親を去ることはならない。「志有感動之」。子の分際で感動させようとするは手くろなことだが、専一の誠から泣き出すので、親父も馬鹿な面だ、号泣しなくてもよいと言っても、信実の心の泪だから止まない。そこで親も終に感動することがあって、算用の外を動かす。泪というものは違うと言えないもの。「華周杞梁之妻善哭其夫、而変国俗」とある。日々夜々食も通らない。たださめざめと泣いている。実に誠は深く人を感じさせるもの。それを見聞きして、悪い女房も感動してよくなった。聞かせようとして泣くのではない。誠からすることは人にもこの様に響く。
【語釈】
・天下豈有無父国乎…礼記檀弓上。「晉獻公將殺其世子申生。公子重耳謂之曰、子蓋言子之志於公乎。世子曰、不可。君安驪姫、是我傷公之心也。曰、然則蓋行乎。世子曰、不可。君謂我欲弑君也。天下豈有無父之國哉。吾何行如之。使人辭於狐突曰、申生有罪。不念伯氏之言也。以至于死。申生不敢愛其死。雖然、吾君老矣、子少、國家多難、伯氏不出而圖吾君。伯氏苟出而圖吾君、申生受賜而死。再拜稽首乃卒。是以爲恭世子也」。
・蕐周杞梁之妻哭其夫変国俗…孟子告子章句下6。「華周・杞梁之妻善哭其夫、而變國俗」。


明倫24
○父母有疾冠者不櫛、行不翔、憂不爲容。言不惰、憂不在私好。琴瑟不御、憂不在樂。食肉不至變味、飮酒不至變貌、憂不在味。笑不至矧、怒不至詈。憂在心、難變也。齒本曰矧。大笑則見。疾止復故。自若常也。○温公曰、凡父母舅姑有疾、子色不滿容、不戯笑、不宴遊。捨置餘事、全以迎醫、檢方、合藥爲務。疾已復初。顔氏家訓曰、父母有疾、子拜醫以求藥。蓋以醫者親之存亡所繋、豈可傲忽也。
【読み】
○父母疾有れば冠者は櫛[くしけ]らず、行くに翔[かけ]らず、憂いて容を爲さず。言惰ならず、憂いて私好に在らず。琴瑟御せず、憂いて樂に在らず。肉を食いて味を變ずるに至らず、酒を飮みて貌を變ずるに至らず、憂いて味に在らず。笑いて矧[しん]に至らず、怒りて詈るに至らず。憂い心に在りて變じ難きなり。齒の本を矧と曰う。大いに笑えば則ち見わる。疾止めば故に復る。自ら常の若し。○温公曰く、凡そ父母舅姑疾有れば、子色容に滿たず、戯笑せず、宴遊せず。餘事を捨て置き、全く醫を迎え、方を檢し、藥を合すを以て務と爲す。疾已めば初に復る、と。顔氏家訓に曰く、父母疾有れば、子醫を拜して以て藥を求む。蓋し醫は親の存亡の繋る所以、豈傲忽す可けんや、と。

○父母有疾冠者不櫛云云。冠者と云字をよくみよ。この前にも二十にして冠すと、孝行の仕やうも年に相応かあり、二十は惇行孝悌と云へは、年頃て孝行のをもふりか替ら子ばならぬ。ただならぬ生れつきの子は十二三でも廿にも増るやふに孝行もするが、それはそれ、年と云ものから惇く行ふとあり、ここらも惇くの処ぞ。年がいか子は親の病中もつひ凧上けにもかけ出すが、もふ二十のものからは惇く行子ばならぬ。○不櫛はうき々々せぬ処からのことぞ。詩経に頭如飛蓬、豈無膏休や。あぶら無にはあら子とも、夫の在番の勤を案しわつらふて、留主の間は髪貌をする心もないと云こと。親の病気ではどふも月代する気もない。此方に親の病と云一物があっては鬢もひからぬ筈ぞ。
【解説】
「父母有疾冠者不櫛」の説明。年相応に孝行の仕方がある。二十歳になれば「惇行孝悌」であって、親が病気であれば、子は髪も梳く気がなくなる。
【通釈】
「父母有疾冠者不櫛云云」。冠者という字をよく見なさい。この前にも「二十而冠」とあって、孝行の仕方も年相応にあり、二十は「惇行孝悌」と言うのだから、年頃で孝行の面振りが替わらなければならない。ただならぬ生まれ付きの子は十二三歳でも、二十歳にも優る様に孝行もするが、それはそれとして、年というものから惇く行う。ここらも惇く行う処である。年が行かなければ親の病中もつい凧揚げにも駆け出すが、もう二十になっては惇く行わなければならない。「不櫛」はうきうきとしない処からのこと。詩経に「首如飛蓬、豈無膏沐」。油がないわけではないが、夫の在番の勤めを案じ煩って、留守の間は髪貌をする心もないということ。親が病気ではどうも月代を剃る気もなくなる。自分に親の病という一物があっては鬢も光らない筈。
【語釈】
・二十にして冠す…小学内篇立教2。「二十而冠、始學禮。可以衣裘帛。舞大夏、惇行孝弟、博學不敎、内而不出」。
・頭如飛蓬、豈無膏休…詩経国風衛伯兮。「伯兮朅兮、邦之桀兮、伯也執殳、爲王前驅。自伯之東、首如飛蓬、豈無膏沐、誰適爲容」。

○行不翔。家内をあるく躰で翔と云身ぶりあるぞ。枝の鴬がひら々々飛かい、孔萑や鶏が地をすら々々走るにも見ることにあるく。そこが翔ふなり。そこて常の通にはせぬこと。文王は王季の御わつらいを苦にして、かをなく行歩もひょろ々々々成されたとあるもこれなり。○言不惰。云ずとすむ訳なこともつ子は云なれとも、親の病気を苦労する気ではものも云はれぬ。惰と云ふは、此雨で初茸が出よふの、春ならは、此日よりでは櫻か開かふのと、差當り用になきことを云のぞ。親のわつらふときには病用の外何にも云気がないはづぞ。○私好は好なことをし、云はいでも能いことをも云のぞ。気よせの友か来ると何やら一日咄すぞ。それは私好ぞ。世の中は後ろに柱前に酒と侘にくらすのが惰るじゃ。○琴瑟不御。中々琴調へ処ではない。○樂もせず。鳴物停止ではなけれとも、どふもならぬぞ。
【解説】
「行不翔、憂不爲容。言不惰、憂不在私好。琴瑟不御、憂不在樂」の説明。親が病気だと、子はすらすらと行くこともできなくなる。言も不要なことは言いたくなくなる。楽もしたくなくなる。
【通釈】
「行不翔」。家内を歩く体に「翔」という身振りがある。枝の鴬がひらひらと飛び交い、孔雀や鶏が見事に地をすらすらと歩く。そこが翔ぶである。ここはいつもの通にしないこと。文王が王季の御患いを苦にして、顔色もなく歩行もひょろひょろとされたとあるのもこれ。「言不惰」。いつもは言わなくても済む様なことをも言うこともあるが、親の病気を苦労する気ではものも言えない。「惰」とは、この雨だと初茸が出るだろうとか、春であれば、この日和なら桜が開くだろうと、差し当たりの用にならないことを言うこと。親が患っている時には病用の外、何も言う気はしない筈。「私好」は好なことをして、言わなくてもよいことをも言うこと。気の合った友が来ると何やら一日中話す。それは私好である。世の中は後ろに柱前に酒と侘びに暮らすのが惰るということ。「琴瑟不御」。中々琴の調べ処ではない。楽もしない。鳴物停止ではないが、どうもできない。
【語釈】
・文王は王季の御わつらいを苦にして…小学内篇稽古8。「其有不安節、則内豎以告文王。文王色憂、行不能正履」。王季は文王の父。

○食肉不至變味。親が病気とても忌中ではなし。肉も喰へとも、味の變するほど沢山にすすまぬ。鰹もたんと喰ふといやな味になるやふなり。新蕎麥もかむやふに成てはくへぬと云は沢山くふことなり。變味と云は説もありて、多食則口味變也とあり、いかさまさふしたものなり。○飲酒云云。親の病中などは気助けにもせふと飲めとも、人に酒呑だそふなとみへる程は呑ず。苦労があれば呑んでも酔るるものにあらず。これらは覚あることなり。○不在味。味い処でないと云ことなり。今の酒はどふでござったと問はれても、さればのみは飲だが、どふで有たかと味も弁へぬ。親病気を眞実苦にするとこふしたものぞ。
【解説】
「食肉不至變味、飮酒不至變貌、憂不在味」の説明。親が病気だと、子は食も酒もあまり進まず、味もわからなくなるもの。
【通釈】
「食肉不至変味」。親が病気と言っても忌中ではない。肉も喰うが、味が変ずるほどには沢山は進まない。鰹も沢山喰うと嫌な味になる様なもの。新蕎麦も噛む様になっては食えないと言うのは沢山食うから。「変味」には説もあって、「多食則口味変也」とあり、いかにもそうしたもの。「飲酒云云」。親の病中などは気助けにもしようと飲むが、人から酒を飲んだ様だと言われるほどには飲まない。苦労があれば、飲んでも酔えるものでもない。これらは覚えのあること。「不在味」。味わい処ではないということ。今の酒はどうでしたかと問われても、確かに飲むには飲んだが、味はどうだと説明することはできない。親の病気を真実苦にするとこうしたもの。

○怒不至詈。常と違ふて大病人でもある折は、藥のことや喰もののことにつけても下女下男の仕をちいこふ怒ることは出來るもの。いらだつ程のことあるもの。なれとも中々親の病を苦にすると、元気折けて詈るほどに至らず、小声で扨もこまったことと云のみぞ。○疾止復故。ここが此章の塩梅と思へ。親の病気故、是程のことてあったが、親の病気の能くなると、われも心よくなる。元が親の病を案じるからこふであったによって、いつか前の通りになる。雨がやむと傘をすぼめるやふなり。○自如常。いつか前々の通りになる。色不満容。味池直好の弁に、折しほれた体と云はれた。杜若や花あやめても今切たのは色みちてあり。時過るとしほるる。色満ぬなり。
【解説】
「笑不至矧、怒不至詈。憂在心、難變也。齒本曰矧。大笑則見。疾止復故。自若常也。○温公曰、凡父母舅姑有疾、子色不滿容、不戯笑」の説明。病人があると苛立つものだが、親の病を苦にすると元気が挫けて詈るほどには至らず、小声になる。しかし、親の病が癒えると自分も快くなり、元の通りとなる。
【通釈】
「怒不至詈」。いつもとは違って大病人でもある折は、薬のことや食物のことにつけても下女下男の仕落ちを大層怒ることがあるもので、苛立つほどのことがあるもの。しかし、親の病を苦にすると、元気が挫けて詈るほどには中々至らず、小声で、実に困ったことだと言うだけ。「疾止復故」。ここがこの章の塩梅だと思いなさい。親が病気だったのでこれほどのことだったが、親の病気がよくなると自分も快くなる。元が親の病を案じるからのことだったので、いつか前の通りになる。それは、雨が止むと傘をすぼめる様なもの。「自若常」。いつか前々の通りになる。「色不満容」。味池直好の弁に、折れ萎れた体とある。杜若や花菖蒲でも、今切ったのは色満ちてある。時が過ぎると萎れる。色満ぬである。
【語釈】
・味池直好…味地儀平。修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。

○不宴遊。二十五菜で喰ても、たたくへは中々宴遊にはならぬが、能い月じゃ、さらば一盃と云心ては、ひしほでのんでも最ふ宴遊になる。これらはいこふ心得のあるべきことなり。今日学者が親の喪をつとめるにも忌は五十日で明なれとも、心喪は三年なり。人の家へ往ては肴も喰へとも、ただ肴くふたとて心喪のさわりにはならぬ。序に咄すことあり。むかし石原先生や迂斉など三四人連れで谷中松平伊豆公屋鋪中、長谷川克明へ訓門人會にゆき、かへりに上野下をとをりかかり、山の中を通りて紅葉をみやふと云れたに、同伴の沢都が、紅葉を見ては直方先生御三年もたたぬに心喪のさわりはせまいかと云たでやめたぞ。甚た親切なことで、これ、宴遊せぬ所なり。花を一寸見ても慼の心があるもの。宴遊になる。心喪する人などにもとかここらの心得第一なこと。家礼にも、食肉飲食の後にも不與宴樂の礼の立てあるもこの意なり。無学ではとんと知れぬこと。捨置餘事。此大工の序にここをも拵ふと云処を、いや先をけの、又、江戸便りにこれを買ふと云に、こんとはやめやふと余のことはせずに医者迎へて、病人禁好物の吟味や只藥などの世話にかかる。
【解説】
不宴遊。捨置餘事、全以迎醫、檢方、合藥爲務。疾已復初」の説明。贅沢な食事でも、ただ食うだけなら宴遊ではない。楽しむ心があると宴遊となる。親が病であれば宴遊はしない。また、親の世話に専念して余事はしない。
【通釈】
「不宴遊」。二十五菜で喰っても、ただ食うのであれば宴遊には中々ならないが、よい月だ、それでは一盃という心では、醤で飲んでももう宴遊になる。これらは大層心得るべきこと。今日の学者が親の喪を務めるのに、忌は五十日で明けるが心喪は三年である。人の家へ往っては肴も喰うが、肴を食っただけでは心喪の障害にはならない。序に話すことがある。昔、石原先生や迂斎などが三四人連れで谷中の松平伊豆公の屋敷中、長谷川克明の所へ訓門人の会に行き、帰りに上野下を通り掛かった時に、山の中を通って紅葉を見ようと言われると、同伴の沢都が、紅葉を見ては直方先生が亡くなって三年も経たないのに心喪の障わりにはならないかと言ったので止めた。甚だ親切なことで、これが宴遊をしないという所である。花を一寸見ても慼[うれ]いの心があるもの。それでは宴遊になる。心喪をする人などには最初からここらの心得が第一である。家礼にも、食肉飲食の後に不与宴楽の礼を立ててあるのもこの意である。それは無学では全くわからないこと。「捨置余事」。ここの大工仕事の序にそこも拵えようと言われる処を、いや、そのままにして置こうと言う。また、江戸便りでこれを買おうと言われても、今度は止めようと、余の事はせずに医者を迎えて、病人の禁好物の吟味や薬などの世話をするだけである。
【語釈】
・松平伊豆公…松平伊豆守信輝。輝綱の四男。川越藩主。下総古河に転封。1660年4月8~1725年6月18日
・長谷川克明…初めの名は遂明。号は觀水。源右衛門と称す。松平伊豆守信輝の臣。
沢都

○拜醫。これも町人百姓の輕いものはたれも醫を拜する。それは其はつのこと。大名高家の格式では、医は下のもの。なれとも常と違て親の病気のときはやれ辱ない云て拜するが親への厚いのなり。医は親の存亡にかかること故に丁寧にする筈。○豈可傲忽也。日本では何長袖なとがと云て武家ては医者を輕んずる。唐でも医は其伎にかぎるゆへ士太夫の列にはせぬ。孫思邈を、進士なれとも醫を知ゆへ貶め、技流とあるもそこぞ。しかれとも、親の病気をあづけるなればいこふ重いことじゃから、格別に拜すると云が孝子仁人の心ばいと云ものぞ。今日檀那寺をそまつにせぬも、其寺中境内に先祖の遺骸を埋めておくからぞ。
【解説】
顔氏家訓曰、父母有疾、子拜醫以求藥。蓋以醫者親之存亡所繋、豈可傲忽也」の説明。大名や高家の格式では、医者は下位なものだが、親が病気の時の医は親の存亡に関わるので拝する。
【通釈】
「拝医」。町人や百姓などの軽い者は、誰もが医者を拝する。それはその筈のこと。大名や高家の格式では、医は下なもの。しかし、いつもとは違い、親の病気の時はやれ辱いと言って拝するのが親へ厚いこと。医は親の存亡に関わることなので丁寧にする筈。「豈可傲忽也」。日本では何長袖なとがと言って、武家では医者を軽んずる。唐でも医は技だけのことなので士大夫の列には入れない。孫思邈を、進士だが医を知るので貶めて技流と言うのもそこのこと。しかし、親の病気を預けることは大層重いことなので、格別に拝するというのが孝子仁人の心栄えというもの。今日檀那寺を粗末にしないのも、その寺中境内に先祖の遺骸を埋めて置くからである。
【語釈】
・孫思邈…京兆華原の人。名医。帝の招聘を固辞し、深山に隠れる。581~682


明倫25
○君有疾飮藥、臣先嘗之。親有疾飮藥、子先嘗之。嘗、度其所堪。醫不三世不服其藥。謹物齊也。
【読み】
○君疾有りて藥を飮めば、臣先ず之を嘗む。親疾有りて藥を飮めば、子先ず之を嘗む。嘗は其の堪る所を度る。醫は三世ならざれば其の藥を服せず。物を謹みて齊すればなり。

○君有疾飮薬云々。常々小児[をに]をすることあれとも、藥を呑むときは別なり。君のは臣か心見、親のは子かこころ見て飲するぞ。○嘗るは度其所堪。嘗るは、常が上戸で甘いものは嫌じゃか、これてはもたれもせまいか、日比苦もの不得手なるに、このやふな苦いは脾胃に合ふかと、そこを嘗て試て堪る処の塩梅をはかるぞ。又、口才者が藥などはむざと呑んて害を生するなととも云ふか、ちょっとなめたとて、達者なものにはあたるもきくもないことなり。親か児にするときは、何んても先つ喰ふてみてくはするぞ。○医三世云々。をれもちと医者を始て渡世にせふなとと世渡りにする位のことては覚束ない。三代もつつくのは根入のあるものぞ。然し医者も学者も中々代々続いたからと云ことにもあらす。爰の意はつまり、医者の吟味をつめることで、一代の人ても名医はある筈。数代の医ても下手ならは掛られぬ。江戸なとにはこいつは役に立そもない、いっそ医者にでもとするのかままあるぞ。それをとくと吟味もなく、親の命をあつけらりゃふや。
【解説】
親の薬を試すのは子の務めである。親が薬を飲むことができるかどうか、先ず嘗めて確かめる。また、医者を頼む時はしっかりと吟味をしなければならない。永く続いた医者には根入れがあるものだが、それだから名医だとは言えない。
【通釈】
「君有疾飮薬云々」。常々毒見をすることがあるが、薬を飲む時は格別である。君のは臣が試み、親のは子が試みて飲む。「嘗度其所堪」。嘗めるとは、いつもは上戸で甘いものは嫌なので、これではもたれないだろうか、日頃苦いものが不得手なので、この様な苦い薬は脾胃に合うだろうと、そこを嘗めて試して堪える処の塩梅を計ること。また、口才者が、薬などは安易に飲めば害を生ずるなどとも言うが、一寸嘗めたとしても、達者な者には中りも効きもしないこと。親が子供にする時は、何でも先ず食ってみて食わすもの。「医不三世云々」。俺も一寸医者を始めて渡世にしようなどと世渡りにするくらいのことでは覚束ない。三代も続く者には根入れがあるもの。しかし医者も学者も代々続いたからよいということでも中々ない。ここの意はつまり、医者の吟味を詰めることで、一代の人でも名医はある筈。数代の医でも下手であれば掛かることはできない。江戸などには、こいつは役に立ちそうもない、いっそのこと医者にでもと言って医者になることがままある。それなのに、しっかりとした吟味もなくて、親の命を預けることができる筈はない。
【語釈】
・小児[をに]…貴人の飲食物の毒見役。鬼役。主人のために飲食物の毒見をする役。鬼番。
・口才…弁舌の巧みなこと。話しぶりのうまいこと。

○謹物齊也。謹物は薬物のことて、製方を知り弁へ謹むなり。垩人の沽酒沽脯不食と、立て塲や休息処て賣るやふな本との知れぬものは、孔子はめったに喰れぬ。かまほこも、店屋ものの中は何じゃやら知れぬは用ひられぬぞ。増てや病中薬物尤大事のことなり。半井家の屠蘓の上みへあがるのも謹物齊たのぞ。此上もなく吟味をするのなり。さて又薬制には鉄をいむもあり銅をいむもあり、とりつき医者はこの具も不調。ひゃけん一つてはとふもすまぬ。よって、三世の医なれは道具まても調ふてあるぞ。
【解説】
よく吟味した薬を使い、本の知れない様なものは使わない。また、医の道具などで見れば、三世の医は道具が調っている。
【通釈】
「謹物斉也」。「謹物」は薬物のことで、製法を知り弁えて謹むのである。聖人が「沽酒市脯不食」と、立場や休息処で売る様な本の知れないものは、孔子は滅多に食われなかった。蒲鉾でも、店屋物の中に何が入っているのか知れない物は用いられない。ましてや病中は薬物が尤も大事なこと。半井家の屠蘇が上に上がるのも謹物斉したからである。この上もなく吟味をするのである。さてまた薬制には鉄を忌むこともあり銅を忌むこともあるが、医者を始めたばかりの者はこの具も調わない。薬研一つではどうも済まない。三世の医であれば道具までもが調っている。
【語釈】
・沽酒沽脯不食…論語郷党8。「沽酒、市脯、不食。不撤薑食。不多食」。
・半井家…朝廷への屠蘇の献上は典薬頭の職務で、この官職は代々丹波・和気の両家が世襲した。その和気氏の子孫が半井氏。
・ひゃけん…薬研。主として漢方の薬種を細粉にする金属または硬木製の器具。


明倫26
○孔子曰、父在觀其志、父没觀其行。三年無改於父之道、可謂孝矣。父在、子不得自專、而志則可知。父没、然後其行可見。故觀此足以知其人之善惡。然又必能三年無改於父之道、乃見其孝。不然則所行雖善、亦不足爲孝矣。三年無改者、孝子之心有所不忍故也。然亦謂在所當改而可以未改者耳。
【読み】
○孔子曰く、父在れば其の志を觀、父没すれば其の行いを觀る。三年父の道に改むること無くして、孝と謂う可し。父在れば、子自ら專らするを得ずして、志は則ち知る可し。父没して、然して後其の行いを見る可し。故に此を觀て以て其の人の善惡を知るに足る。然るに又必ず能く三年父の道を改むること無ければ、乃ち其の孝を見る。然らざれば則ち行う所善と雖も、亦孝爲るに足らず。三年改むること無き者は、孝子の心忍びざる所有る故なり。然れども亦當に改むべき所在りて以て未だ改めざる可き者を謂うのみ。

○孔子曰、父在觀其志云々。親のある内に子供の志を見ることて、あれはしわくもないものでこざると云。こなた何ぞ貰ふたことでもあるかと云に、いや貰ふたこともなけれとも、しわくは見へぬと云て、志は脇から見へる。親のある内は我侭にはならぬ。送りもの車馬に至らずて、親のある内は志を見らるる斗て侭ならず。親か迷て仏を信仰するは其侭をけとも、父没して手前か行ふになると仏法信仰の様て有ったか、あれみよ、火葬にはせぬ。棺に松脂しゃ。仏には迷はぬと行かみへて来る。三年父之通を改ぬ。改べきことあれは、三年を待ての後に改る。ここは深ひ意味あることぞ。
【解説】
「孔子曰、父在觀其志、父没觀其行。三年無改於父之道、可謂孝矣」の説明。親が存命の時は、子は専らにすることはできないから、子の志を見るだけのこと。父が没して自分が行うことになれば、三年を待って後に改める。
【通釈】
「孔子曰、父在観其志云々」。親のある内に子供の志を見ること。あれは吝くもない者だと言う。貴方は何か貰ったことでもあるのかと言われても、いや貰ったこともないが、吝くは見えないと言う。志は脇から見えるもの。親のある内は我侭はできない。贈り物も車馬に至らずで、親のある内は志を見られるだけで我侭はできない。親が迷って仏を信仰するのはそのままにして置くが、父が没して自分が行うことになると、仏法を信仰の様だったが、あれを見なさい、火葬にはしない。棺に松脂である。仏には迷わないという行が見えて来る。「三年無改於父之通」。改めるべきことがあれば、三年を待って後に改める。ここには深い意味がある。
【語釈】
・送りもの車馬に至らず…小学内篇明倫10。「父母在饋獻不及車馬」

○父在子不得自專。親ある内は專にならぬ。手紙の文言でさへ專にするのは朱子も呵てをかれた。呉生の答書みよ。状の内にも立派に進上とは書ぬ筈。此段親とも宜くと書くことそ。親が死で行ふときはここて始て吾了簡か出る故に、扨も今迠とは違たと云様にもなる。三年の前は改たいことありとも改めすにをく。三年改ぬと云も有所不忍ゆへ。直したいなれとも、親の仕置たこと故にどふも直しにくひ。譬へは親か布袋の掛物へ福禄壽と書てある。まんざら宿と札の違ひなれとも、まあそふしてをけと云やふなものて、忍ひられぬ処からぞ。晋の天子の嵇侍中、血勿洗と御衣についた血の穢さへ洗はぬは忠臣を思出て洗ふに忍ぬなり。
【解説】
父在、子不得自專、而志則可知。父没、然後其行可見。故觀此足以知其人之善惡。然又必能三年無改於父之道、乃見其孝。不然則所行雖善、亦不足爲孝矣。三年無改者、孝子之心有所不忍故也」の説明。三年間改めないのは、改めるのが忍びられないからである。
【通釈】
「父在子不得自専」。親のある内は専らにはできない。手紙の文言でさえ、専にするのを朱子も呵って置かれた。呉生の答書を見なさい。状の中にも立派に進上とは書かない筈。この段は親共に宜しくと書くべきもの。親が死んで自分が行う時、ここで初めて自分の了簡が出るので、さて、今までとは違うという様にもなる。三年間は改めたいことがあっても改めずに置く。三年改めないと言うのも「有所不忍故」である。直したいが、親のして来たことなのでどうも直し難い。たとえば親が布袋の掛物へ福禄寿と書いて置いた。宿札の違いだが、まあそうして置けと言う様なもので、それは忍びられない処からのこと。晋の天子の嵇侍中が「血勿洗」と御衣に付いた血の穢さえ洗わなかったのは忠臣を思い出して洗うに忍びなかったからである。
【語釈】
呉生の答書
・血勿洗…晋書列伝89忠義嵇紹。「此嵇侍中血、勿去」。嵇紹は晋の恵帝の臣下。内乱で恵帝を守って死ぬ。

○然亦謂在所當改云々。これは侖吾の注に委くあり、三年ほどは改すとも済むことは改ぬか、家中に扶持を渡さぬの、百姓の取り箇を高くして百姓が欠け込をするのなとと云やふなことは、親のしたこと故、家中に喰せすとも、百姓もこの上最ふ少っとむごくせふとすることにあらず。此やふなことは是非一日も早く改める。改め子はならぬゆへのことなり。直方の子共が大切の印篭を持遊ひにしてよくあそんて居る。取と啼き出すから先持してをけと云てをくは改めず。待るる故ぞ。其印篭を石へ打つける。其時は泣くともひったくる。是れ改るの処ぞ。今の人は親の三十日も立ぬ内、巨細のこと迠改めたかる。
【解説】
然亦謂在所當改而可以未改者耳」の説明。三年間改めないと言っても、家中や百姓など、人々が困る様なことは一日も早く改める。その様なこと以外は改めないということである。
【通釈】
「然亦謂在所当改云々」。これは論語の注に詳しくあり、改めなくても済むことは三年ほどは改めないが、家中に扶持を渡さなかったり、百姓の取箇を高くして百姓が駆込みをしたりなどという様なことは、親のしたことだから、家中に食わなくてもよいとか、百姓もこの上もう少し酷くしようとすることではない。この様なことは是非一日も早く改めるべきである。改めなければならないわけがある。直方が言った。子供が大切な印籠をよく持ち遊んでいる。それを取ると泣き出すから先ずは持たして置けと言って放って置くのは改めずである。待つことができるからである。その印籠を石へ打ち付ける。その時は泣くとしても引っ手繰る。これが改めるという処である。今の人は親の三十日も経たない内から、巨細なことまで改めたがる。
【語釈】
・取り箇…取箇。江戸時代、田畑に課した年貢のこと。また、収入高。成箇。物成。


明倫27
○内則曰、父母雖没將爲善、思貽父母令名必果。將爲不善、思貽父母羞辱必不果。貽、遺也。果、决也。言親没而思慕不忘、則必能勇於從善、而憚於爲惡。
【読み】
○内則に曰く、父母没すと雖も將に善を爲さんとすれば、父母の令名を貽[のこ]さんことを思いて必ず果す。將に不善を爲さんとすれば、父母の羞辱を貽さんことを思いて必ず果さず。貽は遺なり。果は决なり。親没して思慕して忘れざれば、則ち必ず能く善に從うに勇にして、惡を爲すを憚るを謂う。

○内則曰、父母雖没云々。孝行の至極と云ふは親の死た迹まてもすること。死た迹の孝行は墓参をすることか神主へ膳をすへることかのやふに思ふがそふてなし。親が吾が体についていることと思へ。吾身の善をするときも親をそこへをいて思ふことで、をればかりのことならは挌別、忠臣君子のよい人になれは、誰か子じゃと親の令名はよき名をあげよふと思ふて仕果す。又、吾がわるいことをすると、あれは誰が子じゃか、ああわるいことをすると親の名に耻をあたへるゆへにせす。これから段々押すと、灸すへる迠に親を思ふ。あついはいやなれとも、親のくれた吾身病んではならぬと思ひ、酒を呑むにも人間僅五十年、死てもよいと思はす、内損しては親へ不孝とひかへる。なんても親々と出して吾一箇のことにせぬゆへに各別に善にすすみ果すことなり。○思慕不忘。よいことをすれは親の顔がにこ々々してあるやふ。わるいことをすると親の呵る皃がそこにみへるやふてせられぬ。一時ても親をわするる間はないと、此章の縁から孝は死んだ後までが大事じゃとかけて、次の祭のことにつづく編次なり。
【解説】
孝行は親が死んだ後までもするもの。それは墓参や神主に膳を据えることではなく、自分の体に親が付いていると思ってすること。自分一箇と思わず、いつも親がいると思い、それを忘れない。
【通釈】
「内則曰、父母雖没云々」。孝行の至極というのは親が死んだ後までもすること。死んだ後の孝行は墓参をすることや神主へ膳を据えることかの様に思うがそうではない。親が自分の体に付いているものと思いなさい。自分が善をする時も、親をそこへ置いて思ってするのであり、自分だけのことであれば格別だが、忠臣君子というよい人になれば、あれは誰の子だと言われる。親の令名というよい名を挙げようと思って仕果たす。また、自分が悪いことをすると、あれは誰の子だ、ああ悪いことをすると親の名に恥を与えるので、悪いことはしない。これから段々に推すと、灸をすえることまでに親を思う。熱いのは嫌だが、親のくれた我が身なので病んではならないと思い、酒を飲むにも人間僅か五十年、死んでもよいとは思わず、内損しては親に不孝として控える。何でも親々と出して自分一箇のこととしないので格別に善に進み果たす。「思慕不忘」。よいことをすれば親の顔がにこにことしてある様。悪いことをすると親の呵る顔がそこに見える様で、することができない。一時でも親を忘れる間はないと、この章の縁から孝は死んだ後までが大事だと掛けて、次の祭のことに続く編次である。
【語釈】
・内損…酒などで内臓をこわすこと。


明倫28
○祭義曰、霜露既降、君子履之必有悽愴之心。非其寒之謂也。春雨露既濡、君子履之必有怵惕之心。如將見之。霜露既降、禮説在秋。此無秋字。蓋脱爾。非其寒之謂、謂悽愴及怵惕皆爲感時念親也。
【読み】
○祭義に曰く、霜露既に降れば、君子之を履みて必ず悽愴の心有り。其の寒きを之れ謂うに非ざるなり。春雨露既に濡えば、君子之を履みて必ず怵惕の心有り。將に之を見んとするが如し。霜露既に降るは、禮説秋に有り。此に秋の字無し。蓋し脱するのみ。其の寒きを之れ謂うに非ざるは、悽愴及び怵惕は皆時に感じて親を念う爲なるを謂う。

○祭義曰、霜露云々。祭りは親斗りではない。先祖からして祭ることじゃ。祭は孝の打留なり。爰て孝子の止れぬ心からするの祭の大ふ根をかたる。今祭のことは仏者任て上總一ヶ国に祭はない。とんと無ひ。傳十郎斗りじゃ。僧を頼んて罪を亡すと云はつまり親を罪人にするのじゃ。死ての後は孔子も熊坂も天地一牧、流行の気に成て天と一理に成たもの。天地間一気になりて流行するに、仏者の地獄極楽の説のやふに、あれは地獄へやれ、此は極楽へやれのと云沙汰は片からないこと。ここて罪を滅するの咄もない筈なり。扨、祭は気が主なれとも、理のない気はないから、先祖の気を聚ると云に理に叶ぬことては気はあつまらぬ。そこて理に叶ふた礼を以て祭れは感挌する。たたいこの祭の始たと云は止まれぬ心の誠からなり。其やまれぬ心の本とからをここてかたる。
【解説】
親だけでなく、先祖も祭るもの。人が死ねば流行の気になって天と一理になる。今は仏者任せで祭をするが、地獄極楽ということはない筈である。祭は気が主だが、理のない気はないから、理に叶わなければ気は聚まらない。祭は止まれぬ心からするもの。
【通釈】
「祭義曰、霜露云々」。祭は親ばかりではない。先祖からして祭るもの。祭は孝の打ち止めである。ここで孝子の止まれぬ心でする祭の大根を語る。今、祭のことは仏者任せで上総一国に祭はない。全くない。伝十郎だけである。僧を頼んで罪を滅すと言うのはつまり親を罪人にするのである。死んでから後は孔子も熊坂も天地一枚、流行の気になって天と一理になる。天地の間に一気になって流行するのだから、仏者の地獄極楽の説の様に、あれは地獄へ遣れ、これは極楽へ遣れと言う沙汰はすっかりとないことで、ここで罪を滅する話もない筈。さて、祭は気が主だが、理のない気はないから、先祖の気を聚めると言っても理に叶わないことでは気は聚まらない。そこで理に叶った礼で祭れば感格する。そもそもこの祭の始まったのは、止まれぬ心の誠からのこと。その止まれぬ心の本からをここで語る。
【語釈】
・傳十郎…櫻木誾斎の長男。

○霜露既降。先つ古は四時の祭なり。其四時を春秋二つて語たもの。今秋冷になり水霜か降る。朝さ庭へ出て夫れをふむと、悽愴之心の何となくぞっと胸へひひくことあるぞ。それは暑ひ寒ひのしぎでもないか、天地の時候のかわり目には何となくひひくものかある。これ、人心の自然なり。君子は人か菊を好く、もふ莟から親の好たを思ひ出し、酒呑んても元気よい人を見ても、親父もああ云ときもあったと思ふ。春雨露云々。春もそれて、東風か吹き凍もとけてづんとうららかに成ったそと思ふと、この時も怵惕のきいやりと胸にひひくものがある。梅の好きな親なれは、十年あとに死でも、いつも今ころは爰に居て詠められたの、松の郷の櫻見にはいつも行れたと思ひ出し、心にひびく。これが祭の根本て、やまれぬ処。そこて垩人か、をのしもさふか、をれもそふじゃと云て、これから祭か始る。
【解説】
人心の自然で、天地の時候の変わり目には何となく響くものがある。「悽愴怵惕」で響く。これが祭の根本である。
【通釈】
「霜露既降」。先ず古は四時の祭があった。その四時を春秋の二つで語ったもの。今秋冷になり水霜が降る。朝庭に出てそれを履むと、「悽愴之心」で何となくぞっと胸に響くことがある。それは暑い寒いの時期でもないが、天地の時候の変わり目には何となく響くものがあって、これが人心の自然である。君子は人が菊を好けば、もう蕾の内から親が好いていたことを思い出し、酒を飲んでも元気のよい人を見ても、親父もあの様な時もあったと思う。「春雨露云々」。春もそれで、東風が吹き、氷も解けてかなりうららかになったと思うと、この時も「怵惕之心」で深く胸に響くものがある。梅の好きな親であれば、十年前に死んでも、いつも今頃はここにいて詠まれたとか、松の郷の桜見にはいつも行かれたと思い出し、心に響く。これが祭の根本で、止まれぬ処。そこで聖人が、お前もそうか、俺もそうだと言って、これから祭が始まった。

○将見之て、親を思ひ出し見るやふに思はるる。此悽愴怵惕の心が大事の脉じゃ。このやふに親を頻に思ても、掘出してはこられず。と云てすててはをかれぬと思ふ心を、垩人かやれよい脉じゃ、捨てをかれぬことと祭を始た。祭の礼は、これはこふする筈、あれはああする筈と、垩人の手をくみ考て拵たことてはない。やむにやまれぬ処から出きた。礼儀法式はその上ての制作なり。垩人の胸にも天下中の人の胸にも悽愴怵惕の心はある。そこて祭と云もの始た。これか大学の絜矩の道と同しことて、人々持合せてをるからどこへいっても合ふことなり。これを種に垩人か礼を制した。こちに斗りあって先きにないことなら、坊主に櫛をやるやふなものて役にたたぬ。又、今の人にも悽愴怵惕はあるか、礼がないからたちぎへがする。なる程種か大事。和哥か人の心を種としてと云か靣白ひこと。猿に藝をしこむは種かないから一疋の猿にはしこまれても、四方山の猿に皆しこむことはならぬ。人は人々心の種かあるから仕込さへすれは直に成る。そこて祭と云ものは人の心を種としたものぞ。
【解説】
人には皆「悽愴怵惕」の心があるから響く。これを種にして聖人が礼を制した。今の人にも悽愴怵惕はあるのだが、礼がないから立ち消えがする。
【通釈】
「将見之」。親を思い出すと見ている様に思える。この悽愴怵惕の心が大事な筋である。この様に親を頻りに思っても、掘出すことはできない。そうかと言って放っては置けないと思う心を、聖人がやれよい筋だ、捨てては置けないことだと祭を始めた。祭の礼は、これはこうする筈、あれはああする筈と、聖人が手を組んで考えて拵えたことではない。止むに止まれぬ処からできた。礼儀法式はその上での制作である。聖人の胸にも天下中の人の胸にも悽愴怵惕の心はある。そこで祭というものを始めた。これが大学の絜矩の道と同じことで、人々が持合わせているからどこへ行っても合う。これを種にして聖人が礼を制した。こちらにだけあって先方にないことなら、坊主に櫛を遣る様なもので役には立たない。また、今の人にも悽愴怵惕はあるが、礼がないから立ち消えがする。なるほど種が大事である。和歌が人の心を種としてと言うのが面白い。猿に芸を仕込むのは種がないから、一疋の猿には仕込むことができても、四方山の猿皆を仕込むことはできない。人は皆、心の種があるから仕込みさえすれば直になる。祭というものは人の心を種としたものなのである。
【語釈】
・大学の絜矩の道…大学章句10にある語。


明倫29
○祭統曰、夫祭也者、必夫婦親之。所以備外内之官也。官備則具備。具謂所共衆物。
【読み】
○祭統に曰く、夫れ祭りは、必ず夫婦之を親[みずか]らす。外内の官を備うる所以なり。官備われば則ち具え備わる。具は共する所の衆物を謂う。

○祭統曰、夫祭也云々。礼記にある礼は歴々のことである。これを段々减少して庻人もするか、夫婦自らするは上下によらぬこと。たれても夫婦と云か肝要なり。天地の始った時はどふと云に、泉水に水があると孑孑のわき出るやふに天地が開く。人か只一度わいて出た。それから其一度出来た男女か夫婦となりて開闢以来つついている。然れはこの夫婦祭ると云が、元来先祖は夫婦々々と云から今までつづけは、祭と云は夫婦て無けれはならぬ。然れは仏者は夫婦のないものゆへ、祭にはいこふ禁物なり。よせ付る筋はない。されとも、中をとりて仏者も用ひ子はならぬ、先祖在世の罪咎あるを仏者か罪を亡すと云。然らはそれにして、死するとき引導して罪さへ亡して仕廻たら、跡は仏は入らぬ筈。一端罪を亡しても又死後にも罪か出来て、生た人の過を改ても又過つやふに、いつまても罪を亡すならは、仏者にかきらず祭りに医者も呼すは成まい。親が死で病ふこともあろふと云やふになる。今百姓なとは持仏に毎日食をすへる。これはいこふ親切にはきこへるが、ほんの礼でないにはなれ々々しひことがある。それては先祖をつれてきて、ふだんそこへをきたいものなれとも、そふはならぬ。垩人のは一年に四度祭る、至極事理を尽してのことなり。内外の官。天子ても諸侯ても表は表、夫人には奥の女中、夫々に官人の手傳かある。士庻人ても兄弟や下女下男ありて世話をする。夫婦は祭主故に心を一筋にして祭る。手傳のふては神へ感通の誠がつまれぬ。○衆物。色々を備る故に手傳かなくてはならぬ。新蕎麥振舞さへ隣の亭主も手傳ふぞ。やくみは娵ぞ。それほどになふてはゆきとどかぬものぞ。
【解説】
人は夫婦から始まって今に続いている。そこで、祭は夫婦でするのである。仏者は夫婦を棄てるから、祭には禁物である。今百姓などは毎日持仏に食を供えるが、それでは馴れ馴れしい。聖人が年に四度だけ祭るのが事理を尽くしたこと。祭では、夫は表に、夫人は奧に官人の手伝いがある。手伝いがなければ誠を尽くせない。
【通釈】
「祭統曰、夫祭也云々」。礼記にある礼は歴々のこと。これを段々と減らして庶人もするわけだが、夫婦が自らするのに上下の違いはない。誰でも夫婦と言うのが肝要である。天地の始まった時はどうかと言えば、泉水に水があるとぼうふらが湧き出る。その様に天地が開く。ただ一度人が湧いて出た。それから一度できた男女が夫婦となって開闢以来続いている。そこで、この夫婦が祭ると言うのが、元来先祖は夫婦ということから今まで続くのだから、祭は夫婦でしなければならないものなのである。そこで、仏者には夫婦はないものなので、祭には大層禁物である。寄せ付ける筋はない。しかし、中を取って仏者も用いなければならない、先祖在世の時の罪咎を仏者が罪を亡すと言う。それならそういうことにしても、死ぬ時に引導して罪さえ亡してしまえば、その後は仏は要らない筈。一端罪を亡してもまた死後にも罪ができて、生きていた人が過ちを改めてもまた過つ様に、いつまでも罪を亡すのであれば、仏者に限らず祭に医者も呼ばなければならないだろう。親が死んで病むこともあるだろうと言う様になる。今百姓などは持仏に毎日食を据える。これは大層親切には聞こえるが本当の礼でない。それには馴れ馴れしいことがある。それでは先祖を連れて来て、いつもそこに置きたいものだが、そうはできない。聖人の仕方は一年に四度祭るものだが、これが至極事理を尽くしたこと。「外内之官」。天子でも諸侯でも表は表、夫人には奥の女中、夫々に官人の手伝いがある。士庶人でも兄弟や下女下男がいて世話をする。夫婦は祭主なので心を一筋にして祭る。手伝いがいなくては神へ感通の誠を極めることはできない。「衆物」。色々な物を備えるので手伝いがなくてはならない。新蕎麦振舞いでさえ隣の亭主も手伝う。薬味は娵の係りである。それほどでなければ行き届かない。


明倫30
○君子之祭也、必身親莅之。有故則使人可也。莅、臨也。
【読み】
○君子の祭りや、必ず身親[みずか]ら之に莅[のぞ]む。故有れば則ち人を使しめて可なり。莅は臨なり。

○君子之祭也云々。身親することなれとも有故とは、病気指合か、天子にはあるまいか、諸侯以下は命令てもあると先祖の祭ゆへ出られぬと云てはすまぬ。よって其時は人にもさす。祭は礼か重ひ故、礼さへすれはよいと云ては済ず。心の誠てすることなれは、身親なり。人にさするはせふことなしに差掛りてのことなり。そこで孔子も如不祭と云へり。
【解説】
祭は心の誠ですることなので、自らがする。人にそれをさせるのは止むを得ない時だけである。
【通釈】
「君子之祭也云々」。「身親」だが「有故」とは、病気差し合いのある時などのこと。また、天子にはないだろうが、諸侯以下では命令でもあると先祖の祭なので出られないと言っては済まない。そこでその時は人にもさせる。祭は礼が重いから、礼さえすればよいと言っては済まない。心の誠ですることなので、身親である。人にさせるのは止むを得ず差し掛ってのこと。そこで孔子も「如不祭」と言った。
【語釈】
・如不祭…論語八佾12。「祭如在。祭神如神在。子曰、吾不與祭、如不祭」。


明倫31
○祭義曰、致齊於内散齊於外。齊之日思其居處、思其笑語、思其志意、思其所樂、思其所耆。齊三日、乃見其所爲齊者。致齊、思此五者也。散齊七日、不御、不樂、不弔耳。所嗜素所欲飮食也。見所爲齊者、思之熟。若見其所爲齊之親也。祭之日、入室僾然必有見乎其位。僾然、微見貌。如見親之在神位也。周還出戸、肅然必有聞乎其容聲。謂薦饌時也。肅然如聞親舉動容止之聲。出戸而聽、愾然必有聞乎其歎息之聲。設祭既畢、孝子出戸而聽、愾然如有聞乎嘆息之聲也。是故先王之孝也、色不忘乎目、聲不絶乎耳、心志嗜欲不忘乎心。致愛則存、致愨則著。著存不忘乎心。夫安得不敬乎。致、極也。極愛親之心、則若親之存。極端愨敬親之心、則若親之顯著。
【読み】
○祭義に曰く、内に致齊し外に散齊す。齊の日は其の居處を思い、其の笑語を思い、其の志意を思い、其の樂しむ所を思い、其の耆む所を思う。齊すること三日にして、乃ち其の爲に齊する所の者を見る。致齊は此の五の者を思うなり。散齊は七日、御せず、樂せず、弔せざるのみ。嗜む所は素欲する所の飮食なり。爲に齊する所の者を見るは、之を思うの熟なり。其の爲に齊する所の親を見るが若きなり。祭の日、室に入れば僾然として必ず其の位に見ること有り。僾然は微見の貌。親の神位に在るを見るが如し。周還して戸を出ずれば、肅然として必ず其の容聲を聞くこと有り。饌を薦める時を謂うなり。肅然として親の舉動容止の聲を聞くが如し。戸を出でて聽けば、愾然として必ず其の歎息の聲を聞くこと有り。祭を設けて既に畢り、孝子戸を出でて聽けば、愾然として嘆息の聲を聞くこと有るが如し。是の故に先王の孝や、色目に忘れず、聲耳に絶えず、心志嗜欲心に忘れず。愛を致[きわ]むれば則ち存し、愨[かく]を致むれば則ち著わる。著存して心に忘れず。夫れ安んぞ敬せざるを得んや。致は極なり。親を愛するの心を極むれば、則ち親の存するが若し。端愨にして親を敬うの心を極むれば、則ち親の顯著なるが若し。

○祭義曰、致斉於内散斉於外云々。祭をするには具物より心の支度が大切なり。今ては祭と云へは仏事ぞ。ああしたことてはなけれとも、先ま子方にも色々のものを調へ支度するが、心の支度はとんと似たこともないぞ。この致斉散斉は心の支度ぞ。これらなとは夢にも知らす。常々ても人か来て、亭主か苦ひ皃すると客も戻るが、それは人ゆへ彼是侘ると留りもするか、先祖を祭には駕篭てやっても馬て迎ても先祖か来るてもなく、形のみへぬもの。その形のないものをよふことじゃから、吾心に云分ありてどふ神の来挌あらふぞ。そこて垩人の教へて斉して迎へ祭る。斉とは、見聞ぬやふに物をいんて物に心を止めす。和訓も餘のものを忌むのわけて、專一になること。
【解説】
「祭義曰、致齊於内散齊於外」の説明。「致斉散斉」は心の支度である。仏事にそれはない。先祖に形はなく、見えないものだが、斉して迎えて祭る。斉とは、見聞かない様に物を忌んで物に心を止めないこと。
【通釈】
「祭義曰、致斉於内散斉於外云々」。祭をするには具物よりも心の支度が大切である。今では祭と言えば仏事となっている。あの様なことではないのだが、先ず真似るにも、色々なものを調べて支度をするものだが、心の支度は全く似たことがない。この致斉散斉は心の支度である。これらのことなどは夢にも知らない。常々でも、人が来て亭主が苦い顔をすると客も戻るが、それは人なのでかれこれ詫びると留まりもする。先祖を祭るには駕籠を遣っても馬で迎えても先祖が来るわけでもなく、形の見えないもの。その形のないものを呼ぶことなので、自分の心に言分があっては、どうして神の来格があるものか。そこで聖人の教えで斉して迎え祭る。斉とは、見聞かない様に物を忌んで物に心を止めないこと。和訓も余の物を忌むと訳す。専一になること。

○思其居処。長壽もあれとも、曽祖父を知った孫はまれなり。ましてや高祖は猶更なり。なれとも覚へた祖父のことをこふであったと專に思ふ。其心の内に曽祖父高祖まてのことか篭るぞ。扨、そふすると祖父の鬼神につれて先々の祖もついて来るぞ。人をよぶに念ころをよぶと、夫が懇をも同道してくる。念ごろに呼故こふなるものぞ。これは文義の正靣ではない。某しか入ことなり。とふも我知らぬ曽祖や高祖の居処は思はれぬ筈なれとも、覚へた祖父か一日この柱の処て火鉢の灰をきれいにして居られたと思ひ出すやふなが居処と云ものぞ。○思其笑語。にっこと笑って長笑もせぬ人て、さて咄しは高声てあったの類ぞ。○思其志意。人かわるいと云ても考へて見て、いやそれは能のしゃと云はれた。人をはむさと呵ぬ人てあったのと云か志意なり。○思其所楽。碁盤を出すと、腹立てもにっこりとした。唐にもそふした人かあったぞ。亭主か腹立つと家内云合て相口の碁打を呼にやる。碁盤が出るとにっこりとした。所楽と云かまづはこの類なり。○思其所耆。くひものについたこと。
【解説】
「齊之日思其居處、思其笑語、思其志意、思其所樂、思其所耆」の説明。曾祖父を知る人は少なく、高祖などは尚更である。しかし、祖父のことを専らに思うと、心の内に曾祖父や高祖までが篭る。祖父の居処、笑語、志意、楽しむ所、耆む所を思う。
【通釈】
「思其居処」。長寿な人もいるが、曾祖父を知る孫は希である。ましてや高祖は尚更である。しかし、覚えている祖父のことを、この様な人だったと専らに思う。その心の内に曾祖父や高祖までのことが篭るのである。さて、そうすると祖父の鬼神に連れられて先々の祖もついて来る。人を呼ぶのに懇ろな人を呼ぶと、その人が自分の懇ろな人をも同道して来る。懇ろに呼ぶのでこうなる。これは文義の正面ではない。私が入れたこと。自分の知らない曾祖父や高祖の居処はどうも思うことができない筈だが、覚えている祖父が一日中この柱の処で火鉢の灰をきれいにしておられたと思い出す様なことが居処である。「思其笑語」。にっこりと笑って長笑いもしない人で、さて話は高声だったと言う類である。「思其志意」。人が悪いと言っても考えて見て、いやそれはよいのだと言われた。人を安易には呵らない人だったと言うのが志意である。「思其所楽」。碁盤を出すと、腹を立てていたのがにっこりとする。唐にもそうした人がいた。亭主が腹を立てると家内が言い合って相口の碁打ちを呼びに遣る。碁盤が出るとにっこりとする。所楽が先ずはこの類である。「思其所耆」。食物に関したこと。

○為斉。為めにとは、今たひまつるに付てものいみする其先祖をと云こと。斉していると先祖の皃を見る様になるそ。竒妙怪異のやふに思ふことにあらす。昼咄したことや念頃な友たちをゆめに見るは心にあるゆへぞ。竒妙にあらず。異端はこのやふなことをたいさふに云たがる。そこで怪しくなる。迂斎云、をばさま萩の模様の御小袖てあり々々とと云たがる。○致斉思此五者也。致斉は神道て云はは内清浄、散斉は外清浄とも云べし。七日不御。夫婦一所に寢ぬ。不楽は、楽と云ものは靣白と思と心かそれへ引るるゆへせす。○不弔。親類へも一在所へも斉中は弔悔せぬ。なせなれは、今のは帳についてかへるやふなれとも、古のは誠て共に愁傷すること故、斉の心かそこへ移るをいんで弔はす。孝子の人を弔ふは、人の親か死んでもわれも同然になる。よって斉の心かつぎになる故弔はぬ。
【解説】
「齊三日、乃見其所爲齊者。致齊、思此五者也。散齊七日、不御、不樂、不弔耳」の説明。斉すると、祖先の顔が見えて来る。斉の日は夫婦は一所に寝ない。楽はそれに引かれることになるのでしない。人の弔いに出ると自分が斉することができなくなるのでしない。
【通釈】
「為斉」。「為」にとは、今度祭るについて、斉するその先祖をということ。斉していると先祖の顔を見る様になる。それを奇妙怪異の様に思ふことではない。昼に話したことや懇ろな友達を夢に見るのは心にあるからで、奇妙なことではない。異端はこの様なことを大層に言いたがる。そこで怪しくなる。迂斎が言った。伯母様が萩の模様の御小袖でありありとと言いたがる、と。「致斉思此五者也」。神道で言えば、致斉は内清浄、散斉は外清浄とも言うだろう。「七日、不御」。夫婦一所に寝ない。「不楽」。楽というものは面白いと思えば心がそれへ引かれるのでしない。「不弔」。親類へも一在所へも斉中は弔悔をしない。それは何故かと言うと、今のは帳に付けて帰る様なことだが、古は誠で共に愁傷するので、斉の心がそこへ移るのを忌んで弔わない。孝子が人を弔うと、人の親が死んでも自分と同然になる。そこで斉の心が次になるので弔わない。

○嗜は、新蕎麥は待か子る人てあったと云のぞ。思ふこと熟する。じっと思ひつつけていると見へるやふに見へる。熟はあしなもの。列子か虱を見つめ々々々して後は車輪のやふに見へた。これと筋はちごふたことなれとも、熟するとこふしたことて、若見。みへるやふに思はるる。誠てするからぞ。親が子を殺しては目の前に居たやふ、小坊主めか立ちふるまいがみへるやふてと云。熊谷か敦盛の吾か子に似たと思ふと打つ心がないやふになる。子てもないのにと云ても子のやふしゃ。先祖そこにこさら子とも、こさるやふしゃ。誠の処からぞ。若しと云はぬと妖怪になる。
【解説】
所嗜素所欲飮食也。見所爲齊者、思之熟。若見其所爲齊之親也」の説明。思い続けると祖先が見える様に思われる。それは誠でするからである。
【通釈】
「嗜」は、新蕎麦は待ちかねる人だった言う様なこと。「思之熟」。じっと思い続けていると見える様に見える。熟は味なもの。列子が虱を見詰め、後には車輪の様に見えた。これとは筋が違うが、熟するとこうしたことで、「若見」。見える様に思われる。それは誠でするからである。親が子を殺しては目の前にいる様に、小坊主めの立ち振舞いが見える様でと言う。熊谷が、敦盛が自分の子に似ていると思うと討つ心がない様になる。子でもないのにと言われても子の様である。先祖はそこにおられなくても、おられる様である。それは誠の処からのこと。「若」と言わなければ妖怪になる。
【語釈】
・列子か虱を見つめ…列子湯問篇。「昌以氂懸虱於牖、南面而望之。旬日之間、浸大也。三年之後、如車輪焉」。
・熊谷…熊谷直実。鎌倉初期の武将。武蔵熊谷の人。初め平知盛に仕え、のち源頼朝に降り、平家追討に功。久下直光と地を争い、敗れて京に走り仏門に入って法然に師事、蓮生坊と称す。一谷の戦に平敦盛を討つ。1141~1208
・敦盛…平敦盛。平安末期の武将。参議経盛の子。従五位下に叙せられたが官職が無く、世に無官の大夫と称。一谷の戦で熊谷直実に討たれた。1169~1184

○祭之日入室云々。右の致斉散斉をして祭の当日になり、廟ても祠堂ても座鋪ても神主を出して祭る段になりたときのこと。○微見は死た親のそこへ来たやふにをほろ々々々とみへるやふになる。如しと云字を味池直好の、譬へに云ふ如してはない、その模様を云ことしゃと云へり。雪をたとへて如桺絮と云はたとへじゃ。そふてはない。そこにこさるやふしゃと云ことなり。語孟を読ても語孟とはかり思ふと何のこともないか、程朱などか読は直に孔孟かそこに居るやふに見へたてあろふ。私は孔子の御異見をこふむりましたと二千年も跡の孔子ても見らるることもある筈ぞ。漢の武帝の返魂香、李夫人かそこへきたやふに見へる。あほふなことなれとも、專にすると見へるぞ。
【解説】
「祭之日、入室僾然必有見乎其位。僾然、微見貌。如見親之在神位也」の説明。「如」はたとえで言ったのではなく、見える様だと言ったこと。専らにすると見える。
【通釈】
「祭之日入室云々」。右の致斉散斉をして祭の当日になり、廟でも祠堂でも座敷でも神主を出して祭る段になった時のこと。「微見」は死んだ親がそこへ来た様に朧に見える様になる。「如」という字を味池直好が、たとえで言う時の如しではない、その模様を言ったことだと言った。雪をたとえて如柳絮と言うのはたとえである。そうではない。そこにおられる様だということ。語孟を読んでも語孟とばかり思うのでは何事もないが、程朱などが読むと直に孔孟がそこにいる様に見えたことだろう。私は孔子の御異見を蒙りましたと、二千年も後でも孔子を見ることもできる筈。漢の武帝の返魂香は、李夫人かそこへ来た様に見える。それは阿呆なことだが、専らにすると見える。
【語釈】
・味池直好…味地儀平。修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。

○周還出戸肅然云々とはそっとしまること。漢書にもあり、そっとして何か来たやふに思はるる。久しいことを考て思ひ出そふとするに人かさわき咄すを、まそっとだまってくれろと云。じっとだまりてしまる処で思ひ出す。そこて三十年前のことが目に見へるやふになってくるものぞ。これは人心の微妙な処ぞ。ここらのことはまつ小学でこふ知せてをくも、祭のことの大根を示すのじゃ。ほんにこのあやがよくすむと本文の必有の字か的切で、註の如の字はうるさいほどのことなり。○出戸而聽云々。祭りの儀式済て其塲を去りて次へ出たとき。歎息とて咳をせくの、息つぎをするのと云ことにもあらぬか、何か親の前々あった時の模様ひびき、何か云やる様にも思わるる。○設祭既畢。孝子と云は祭礼の穪なり。常々なれは孝子と云ひにくひ程の人ても祭ては孝子と呼ふそ。これは大ふ靣白ひことぞ。祭をする人は孝子ぞ。此通りに敬み祭をすると歎息の声を聞やふに覚ることあるぞ。石原先生の、歎息を何をなけくと云ことてなく、何やらあっと云やふな御声ありたと云のじゃ。今ても生た人ても咳もせぬかあそこにをらるると云へは、なんとなく居間にござると云か知れる。○愾然はためいきなり。
【解説】
「周還出戸、肅然必有聞乎其容聲。謂薦饌時也。肅然如聞親舉動容止之聲。出戸而聽、愾然必有聞乎其歎息之聲。設祭既畢、孝子出戸而聽、愾然如有聞乎嘆息之聲也」の説明。じっと黙って引き締まることで祖先が見える様になって来る。祭が終わってその場を去る時には、祖先の歎息の声を聞いた様に感じる。
【通釈】
「周還出戸粛然云々」とは、ぞっと引き締まること。漢書にもあり、ぞっとして何か来た様に思える。久しいことを考えて思い出そうとするのに人が騒ぎ話すので、もう少し黙っていてくれと言う。じっと黙って引き締まる処で思い出す。そこで三十年前のことが目に見える様になって来るもの。これは人心の微妙な処である。ここらのことを先ずは小学でこの様に知らせて置くのも、祭の大根を示すため。本当にこの綾がよく済むと本文の「必有」の字が的切で、註の「如」の字は煩いほどのこととなる。「出戸而聴云々」。祭の儀式が済んでその場を去って次へ出た時のこと。歎息と言っても、咳をするとか息継ぎをするとかということでもないが、何か親の前々に会った時の模様が響き、何か言っている様にも思われる。「設祭既畢」。孝子は祭礼の称である。常々であれば孝子とは言い難いほどの人でも祭では孝子と呼ぶ。これは大層面白いこと。祭をする人は孝子である。この通りに敬み祭をすると歎息の声を聞いた様に感じることがある。石原先生が、歎息は何かを歎くということではなく、何やらあっと言う様な御声があったということだと言った。今、生きている人でも咳もしないがあそこにおられると言われると、何となく居間におられることが知れる。「愾然」は溜息。
【語釈】
・漢書にもあり…漢書楽志第2。「常有神光如流星止集于祠壇。天子自竹宮而望拜。百官侍祠者數百人皆肅然動心焉」。

○是故先王之孝也云々。上段々を受て是故とをいた。これらは根が済子はすまず。上段々のことは人の不思義を立る程のことて、歎息の声を聞くの、其位にあらはるるを見るのと云てあるに、今の人はをらか親父もよい時分に死んた、今迠生たらなとと云様な慕しくない心抦かみへる。子の身として此様なことのあろふことでないに、左様ななんともないていたらくゆへ、平俗の心からは去るものは日々に踈しなとと云か中々先王の孝はそふしたことてなく、大根が違ふぞ。色不忘目と云て、もと親を忘るると云ことはとんとない。三年の久しき喪も、限りあれは今日秡すつる藤はかま、ぬきはぬけとも目には忘れぬ。一生がい果なきものは泪なりけりで、此からたは親の枝葉じゃ。筆とる此手も親のと思ているぞ。
【解説】
「是故先王之孝也、色不忘乎目、聲不絶乎耳」の説明。祭はこれほどのことなのに、今の人は親のことを何とも思わない体たらくである。自分は親の枝葉なので、親を一生忘れることはない筈である。
【通釈】
「是故先王之孝也云々」。上段々を受けて「是故」と置いた。これらは根が済まなければわからないこと。上段々のことは人の不思議を立てるほどのことで、歎息の声を聞くとか、その位に現れるのを見ると言っているのに、今の人は、俺の親父もよい時分に死んだ、今まで生きていたらなどと言う様な、慕わしくない心柄が見える。子の身としてはこの様なことがあるべきではないのに、その様に何とも思わない体たらくであって、平俗の心からは、去るものは日々に疎しなどと言うが、先王の孝は中々そうしたことではなく、大根が違う。「色不忘乎目」と言っても、本来親を忘れるということは全くない。三年の久しき喪も、限りあれば今日脱ぎ捨つる藤袴、脱ぎは脱げども目には忘れぬ。一生涯果てなきものは泪なりけりで、この体は親の枝葉である。筆を執るこの手も親のものと思っている。

○嗜欲不忘乎心。曽晢羊棗を嗜んて曽子は一生棗を喰はぬなり。棗を見ると迯たてあろふ。こふした日比の孝行しゃから、死後が違ふはつなり。○致愛則存。只の人か致斉敬斉してはつり合ぬやふなれとも、先王のは孝心てすると直にそこへ出るやふなり。○愨は眞正直なことを云。料理人か香のものを大く切ると、親父は歯かなかったにと呵るやふに、律義にあほふなやふなか愨なり。子共か昏闇をこはかるも正直の処からそ。又、飯喰ふて直に寢ると牛になると云と、はやをきる。正直故そ。こふ眞正直な子共のやふな心じゃゆへ、今日の人とはちごふ筈ぞ。じきにそこへ先祖の来たやふにある筈ぞ。どふらくな舎弟は同し兄弟ても、小学にはみへると云たか、をいらかにはちっとも見へぬ。早く仕廻って酒ても呑ふと云心なり。それては見へぬ筈ぞ。
【解説】
「心志嗜欲不忘乎心。致愛則存、致愨則著」の説明。真っ正直な子供の様な心によって祖先が来た様に見える。早く終わらせて酒でも飲む気では見えない筈である。
【通釈】
「嗜欲不忘乎心」。曾晳が羊棗を嗜んだので、曾子は一生棗を食わなかった。棗を見ると逃げたことだろう。こうした日頃の孝行だから、死後が違う筈である。「致愛則存」。ただの人が致斉敬斉しては釣り合わない様だが、先王のは孝心ですると直にそこへ出る様である。「愨」は真っ正直なこと。料理人が香のものを大きく切ると、親父は歯がなかったのにと呵る様に、律儀に阿呆な様なのが愨である。子供が暗闇を怖がるのも正直の処から。また、飯を食って直ぐに寝ると牛になると言うと、直ぐに起きる。正直だからである。この様に真っ正直な子供の様な心なので、今日の人とは違う筈で、直にそこへ先祖が来た様に見える筈。道楽な舎弟は同じ兄弟でも、小学には見えると言ったが、俺には少しも見えないと言う。それは、早く終わらせて酒でも飲もうという心だからである。それでは見えない筈である。
【語釈】
・曽子は一生棗を喰はぬなり…孟子尽心章句下36。「曾晳嗜羊棗、而曾子不忍食羊棗」。

○著存心に忘れす。常に親か側に居る様に思へは、鬼神の感通来挌ある。それもこの方の心の誠じゃからは、夫安得不敬乎なり。○端愨は味池の弁にたまかな心、と。親を思ひ眞正直にする律義なことて、東金酒よりは江戸酒をと云ふまては気かついても、親父はあつかんてなけれは飲なんだの、ふるい肴を上けたらあたらふなどと云やふな端愨なりぢき、たまかてなけれはひびかぬ。兎角祭をするには利口ばったものかわるい。祭にはりちきにをろからしく見へるほどの信実てする。生た親は間違ふと六つヶしいが、死た親は是ては済ぬとは得云ぬ。そこを生たなりに祭ると、どりゃと鬼神かあちから出て来るなり。これは祭義て大筋を云のみぞ。鬼神のことは近思の道体て名をきき、中庸てわけかすみて、くわしひことは祭祀来挌説や鬼神集説にて吟味すへし。
【解説】
「著存不忘乎心。夫安得不敬乎。致、極也。極愛親之心、則若親之存。極端愨敬親之心、則若親之顯著」の説明。祭をするには利口ばるのが悪い。律儀で愚からしく見えるほどの信実でする。生きていた通りに祭ると、鬼神が向こうから出て来る。
【通釈】
「著存不忘乎心」。常に親が側にいる様に思えば、鬼神の感通来格がある。それも自分の心の誠からのことであって、「夫安得不敬乎」である。「端愨」は、味池の弁にたまかな心とある。親を思い真っ正直にする律儀なことで、東金酒よりは江戸酒をというまでは気が付いても、親父は熱燗でなければ飲まなかったとか、古い肴を上げたら中るだろうなどという様な端愨な律儀、たまかでなければ響かない。とかく祭をするには利口ばった者が悪い。祭は律儀で愚からしく見えるほどの信実でする。生きた親は間違うと難しいが、死んだ親はこれでは済まないと言うことはない。そこを生きていた通りに祭ると、どれと言って鬼神があちらから出て来る。これは祭義で大筋を言っただけのこと。鬼神のことは、近思の道体で名を聞き、中庸でわけが済み、詳しいことは祭祀来格説や鬼神集説で吟味しなさい。
【語釈】
・たまか…①まめやかなこと。実直。②つましいこと。倹約。


明倫32
○曲禮曰、君子雖貧不粥祭器、雖寒不衣祭服、爲宮室不斬於丘木。廣敬鬼神也。粥、賣也。丘、壟也。
【読み】
○曲禮に曰く、君子貧なりと雖も祭器を粥[う]らず、寒しと雖も祭服を衣ず、宮室を爲るに丘木を斬らず。鬼神を敬うを廣むるなり。粥は賣なり。丘は壟なり。

○曲礼曰、君子云々。これも曲礼じゃ。我々式の及ばぬと云ことにあらす。先つここに賣ると云字あれは、賣ると云ことは非義なことてはない。今日は田舎ても賣ることをば大ふ耻て人の金をはかりる。一寸と金を借りても返すあては無れとも、先借りよふとするは、かたりや盗みする心に近し。こんきうなれは質を置くの賣るのと云ふは苦鋪ないことを、今の人は夫れをは耻る。貧乏ならは土藏の隅まてさがし、用にないものは賣拂ふはづぞ。金はめったに借ぬかよい。佐藤先生の、饑饉年には下帯をやめてもよいと云れた。垩人てもせつないときは賣るはつ。賣てもよいことなり。先つ如此に賣ると云か耻しひことても非義なことてもないときめてをいて、さて祭器はかりはうらす。武士の具足を賣ぬやふなもの。女房が衣裳迠も残らず賣ても具足は賣れぬ。
【解説】
今の人は売ることを大層恥じるが、売るのは恥でも非義なことでもない。返す当てもなく借りる方が悪い。しかし、祭器だけは売ってはならない。
【通釈】
「曲礼曰、君子云々」。これも曲礼である。我々如き者ではできないと言うことではない。先ずここに売るという字があるのだから、売るということは非義なことではない。今日は田舎でも売ることを大層恥じて人に金を借りる。一寸金を借りるにも返す当てなどはないのに、先ずは借りようとするのは、騙りや盗みをする心に近い。困窮であれば、質を置いたり売ったりするのは苦しくないことなのに、今の人はそれを恥じる。貧乏であれば土蔵の隅まで探し、用のない物は売り払う筈のこと。金は滅多に借りない方がよい。佐藤先生が、飢饉の年には下帯を止めてもよいと言われた。聖人でも切ない時は売る筈。売ってもよいのである。先ずこの様に売るというのが恥ずかしいことでも非義なことでもないと決めて置いて、さて祭器だけは売らない。それは武士が具足を売らない様なもの。女房が衣裳までをも残らず売っても、具足を売ることはならない。

先年土井侯の伊勢の鳥羽を領したとき、国の侍に至て困究して一二年程奉公を引て居たものあり。土井侯鷹野の帰りかけ、彼か家へずか々々と立寄られ、床の間の具足箱を玄関迠引出して見られて、是かなけれは今日切腹を申付る積てあった、と。いかさま若侍ともへよき戒なり。此筋は武士へよくうつるか、祭器を具足とは思はぬ。吾かこのからたは先祖の片身。其先祖を祭る祭器を賣て吾か喰ふためにせらりやふや。忠臣を求めんと思はは孝子の門に於てせよとあるそ。先祖の恩を忘れ、祭をせぬ心て君の恩ばかり思ふ筈はないからは、人の子孫として祭器迠も賣て先祖を祭らぬ程のものか何んとして君の役に立ふそ。人子の祭器は武士の具足。これかなけれはたたぬことぞ。
【解説】
自分の体は先祖の形見である。自分が食うために先祖を祭る祭器を売るのは悪い。それでは先祖を祭れなくなる。祭器は武士の具足と同じである。
【通釈】
先年土井侯が伊勢の鳥羽を領した時、国の侍に大層困窮して一二年ほど奉公に出なかった者がいた。土井侯が鷹野の帰り掛けに彼の家へずかずかと立ち寄られ、床の間の具足箱を玄関まで引き出して見られて、これがなければ今日切腹を申し付ける積もりだったと言った。いかにも若侍共へはよい戒めである。この筋は武士にはよく映るが、祭器を具足とは思わない。自分のこの体は先祖の形見である。その先祖を祭る祭器を売って自分が食うことに使うことができるものか。忠臣を求めようと思えば孝子の門でせよとある。先祖の恩を忘れ、祭をしない心で君の恩ばかりを思う筈はない。人の子孫として祭器までをも売って先祖を祭らないほどの者がどうして君の役に立つものか。人の子の祭器は武士の具足である。これがなければ立たない。
【語釈】
・土井侯…土井利益。鳥羽藩主。
・忠臣を求めんと思はは孝子の門に於てせよ…「求忠臣、必於孝子之門」。

如此講釈、さて々々やかましひ小学かなと云はふか、小学で父子の親を專一に云なれは、こふした処はきま子はならぬことじゃ。靖献遺言ばかりてりきむことてない。闇斎は抄略ものに君臣を父子の先にしたれとも、父子を先にせ子ば君臣の義の根がないぞ。祭服と云は古は別にありたぞ。今の麻上下のやふに何んてもなると云服ではない。貧乏もの、寒さふせぎに出して着してもよさそふなものなれとも、决してきぬぞ。さてふしんをするに、山にある木は切るはつのものなれとも、墓のあたりはきらす。日本ても神木なとと云て其山をは伐ぬもこれと同しことぞ。ばちがあたると云ことてはない。
【解説】
闇斎は抄略に君臣を父子の先にしたが、父子を先にしなければ君臣の義の根はない。祭服は特別なものなので、祭以外には着ない。墓の辺りの木は伐らないが、それは罰が当たるということではなく、先祖を敬うから伐らないのである。
【通釈】
この様な講釈をするとは、実に喧しい小学だと言うが、小学で父子之親を専一に言うのだから、こうした処は決めなければならないこと。靖献遺言ばかりで力むことではない。闇斎は抄略物に君臣を父子の先にしたが、父子を先にしなければ君臣の義の根はない。「祭服」は、古は別にあった。今の麻裃の様に何にでもなるという服ではない。貧乏者が寒さ防ぎに出して着てもよさそうなものだが、決して着ない。さて普請をするのに、山にある木は切る筈のものだが、墓の辺りは伐らない。日本でも神木などと言って、その山の木を伐らないのもこれと同じこと。罰が当たるということではない。


明倫33
○王制曰、大夫祭器不假。祭器未成不造燕器。造、爲也。
【読み】
○王制に曰く、大夫は祭器を假らず。祭器未だ成らずんば燕器を造らず。造は爲なり。

○王制曰、大夫祭器不假云々。大夫以上の人は先祖を祭るときに折悪く膳部がこふじゃからなととは云はぬ。軽いものにはあることなり。燕器はつ子ていに入るものの器ぞ。燕の字は栄耀の道具と云ことにあらす。燕礼と云ことあるぞ。詩巠の小雅の内にも燕する々々々とあり、侘なことにあらす。ををはんや親類振舞の入用の道具のことぞ。祭器を作らぬ内は不自由ても燕器は造らず。
【解説】
燕器は宴席用の器だが、祭器を作らない内は燕器を作ってはならない。
【通釈】
「王制曰、大夫祭器不仮云々」。大夫以上の人は先祖を祭る時に折悪く膳部がこうだからなどとは言わない。これは軽い者にあること。燕器は普段使う器である。燕の字は栄耀の道具ということではない。燕礼ということもある。詩経の小雅の内にも燕する々々々とあり、侘なことではない。椀飯振舞や親類振舞の時に入用な道具のこと。祭器を作らない内は不自由でも燕器は造らない。
【語釈】
・燕礼…儀礼に燕礼がある。
・小雅の内にも燕する…詩経小雅南有嘉魚。「南有嘉魚、烝然罩罩。君子有酒、嘉賓式燕以樂。南有嘉魚、烝然汕汕。君子有酒、嘉賓式燕以衎。南有樛木、甘瓠纍之。君子有酒、嘉賓式燕綏之。翩翩者鵻、烝然來思。君子有酒、嘉賓式燕又思」。