明倫34
○孔子謂曾子曰、身體髪膚受之父母。不敢毀傷孝之始也。身體、言其大。髪膚、言其細。聖人論孝之始、以愛身爲先。立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。國人稱願幸哉有子如此。所謂孝也。夫孝始於事親、中於事君、終於立身。愛親者不敢惡於人、敬親者不敢慢於人。愛敬盡於事親而德敎加于百姓、刑于四海。此天子之孝也。惡慢於人、則人亦惡慢之。如此辱將及親。在上不驕、高而不危、制節謹度、滿而不溢。然後能保其社稷而和其民人。此諸侯之孝也。高而危者以驕也。滿而溢者以奢也。制節、制財用之節。謹度、不越法度。非先王之法服不敢服、非先王之法言不敢道、非先王之德行不敢行。然後能保其宗廟。此卿大夫之孝也。以孝事君則忠、以敬事長則順。忠順不失以事其上。然後能守其祭祀。此士之孝也。用天之道、因地之利、謹身節用以養父母。此庶人之孝也。春耕、秋穫、高宜黍稷、下宜稻麥。謹身則無過不犯兵刑、節用則不乏以共甘旨。能此二者養道盡矣。故自天子至於庶人、孝無終始、而患不及者、未之有也。
【読み】
○孔子、曾子に謂いて曰く、身體髪膚之を父母に受く。敢て毀傷せざるは孝の始なり。身體は其の大を言う。髪膚は其の細を言う。聖人孝の始を論じ、身を愛するを以て先と爲す。身を立て道を行い、名を後世に揚げて、以て父母を顯わすは、孝の終りなり。國人、幸なるかな子有りて此の如しと稱願す。孝と謂う所なり。夫れ孝は親に事うるに始まり、君に事うるに中ばし、身を立つるに終る。親を愛する者は敢て人を惡まず、親を敬う者は敢て人を慢らず。愛敬親に事うるに盡して德敎百姓に加わり、四海に刑[のっと]る。此れ天子の孝なり。人を惡み慢れば、則ち人も亦之を惡み慢る。此の如くなれば、辱しめ將に親に及ばんとす。上に在りて驕らざれば、高くして危からず、節を制し度を謹めば、滿ちて溢れず。然して後に能く其の社稷を保ちて其の民人を和す。此れ諸侯の孝なり。高くして危き者は驕るを以てなり。滿ちて溢れる者は奢るを以てなり。節を制するは、財用の節を制するなり。度を謹むは、法度を越えざるなり。先王の法服に非ざれば敢て服せず、先王の法言に非ざれば敢て道わず、先王の德行に非ざれば敢て行わず。然して後に能く其の宗廟を保つ。此れ卿大夫の孝なり。孝を以て君に事うれば則ち忠、敬を以て長に事うれば則ち順。忠順失わずして以て其の上に事う。然して後に能く其の祭祀を守る。此れ士の孝なり。天の道を用い、地の利に因り、身を謹み用を節して以て父母を養う。此れ庶人の孝なり。春は耕し、秋は穫り、高きは黍稷に宜しく、下きは稻麥に宜し。身を謹めば則ち過無くして兵刑を犯さず、用を節すれば則ち乏しからずして以て甘旨を共う。此の二の者を能くして養道盡く。故に天子より庶人に至るまで、孝に終始無くして、患及ばざる者は、未だ之れ有らざるなり。

○孔子謂曽子曰云々  九月朔日十會目  惟秀彔
【語釈】
・九月朔日…寛政元年(1789)9月1日。
・惟秀…篠原惟秀。本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。稲葉黙斎門下。

身体髪膚。先生、終於立身まてよんて曰、これまてて一とくさりなり。是か人の知た孝經なり。いかさま孝の一部始終を云ぬいた。孝經とも云そふなもの。不案内なものか孔子の作れたと思がさふでない。孔子の曽子へしめされたことを記したもの。皇侃なとか既に孔子の作りたと云れた。それをいこふ朱子の笑れた。○孝のことは曽子に斗り告られたてはない。子夏子游にもつけられた。あの衆れき々々ゆへさぞ挌段に孝行になられたてあろふなり。されともそれかたしかに知れぬか、曽子の格段になりたは証拠がある。啓予手啓予足云々。たしかに見へた孝なり。曽子は生金も証文も持たなり。
【解説】
「孔子謂曾子曰、身體髪膚受之父母」の説明。「身体髪膚」から「終於立身」までで一区切りで、これが孝経である。これは孔子の作ではなく、孔子が曾子へ示されたことを記したものである。
【通釈】
「身体髪膚」。先生が「終於立身」までを読んで、これまでで一くさりだと言った。これが人のよく知っている孝経である。いかにも孝の一部始終を言い抜いたもので、孝経とも言いそうなもの。不案内な者は、孔子がこれを作られたと思うがそうではない。孔子が曾子へ示されたことを記したもの。既に皇侃などが孔子の作だと言ってあり、それを朱子が大層笑われた。孝のことは曾子にばかり告げられたのではない。子夏や子游にも告げられた。あの衆は歴々なので、さぞ格段に孝行になられたことだろう。そのことは確かには伝わっていないが、曾子が格段になったことには証拠がある。「啓予手啓予足云々」で、確かにわかる孝である。曾子は生金も証文も持った人である。
【語釈】
・皇侃…中国南北朝の儒者。梁の呉郡の人。論語・孝経・三礼に通達。488~545
・啓予手啓予足…論語泰伯3。「曾子有疾、召門弟子曰、啓予足。啓予手。詩云、戰戰兢兢、如臨深淵、如履薄冰。而今而後、吾知免夫。小子」。詩は詩経小雅小旻。

○そっとも疵を付けてはならぬと云か孝の始なり。わるくするとここをよむものが、身体さへ疵を付ぬからは身持は云にも及はぬと身持をこめて説く。さふてはない。ここは体が主て、からたを本に立てて云た。吾がからたを親のものとすれは、自分の身の怪我をすると親に怪我をさせるになる。いかさま親の骸から血の出るをたまってみて居る子はない。無拠ことても、又怪我ても吾身に疵をつけてはすまぬこと。世語にも云、蚤にもささせぬ此からたと云かよい。吾か生きてをる内は親の生てをるも同こと。その身を我すき次第にするなぞと云ことはよくないが、それをなんとも思はぬ。譲り器物やゆつり刀賣と云ことはないこと。それさへ賣ぬなれは、ましてからだに疵をつけてはすまぬ。親の生んたあたまをそると云ことなとは別してわるいことと見かよい。吾黒髪をなでずやありけんなど、刺たにつけてもそれ相応に云わけのなることもあるものなれとも、吾かからたかすくに親と云には云訳は立ぬ。ここか学者の吟味処。某が坊主頭も、迂斎か坊主になる人てないから、吾身を父母の身とほんと知れはなるまい。それを刺ったは迂斎を坊主にしたのなり。然れは某も坊主あたまにては云わけはない。此吾がからだを親と一つに見ると云か孝經なり。西銘ては天の気をこのからだとさへみるに、この身を父母の身とは、もとよりのっひきならぬ。吾身を親と二つに見ると、死後に祭はせぬことになる。一つじゃからひびくぞ。
【解説】
「身体髪膚」は体を主に立てて言ったもので、自分の体は親の体と見る。自分が怪我をすると親に怪我をさせたことになるので、我が身に疵を付けてはならない。剃髪などは親の頭を坊主にするのと同じである。自分と親とを別なものとして見ると、響くことはないから祭もないこととなる。
【通釈】
少しも疵を付けてはならないというのが孝の始めである。悪くするとここを読む者が、身体さえ疵を付けないのだから、身持は言うにも及ばないと身持を込めて説くが、そうではない。ここは体が主で、体を本に立てて言ったもの。自分の体を親のものとすれば、自分の身が怪我をすると親に怪我をさせることになる。いかにも親の骸から血が出るのを黙って見ている子はいない。余儀ないことであっても、また、怪我であっても、自分の身に疵を付けては済まない。世語にも、蚤にも刺させぬこの体とあるのがよい言である。自分が生きている内は親が生きているのも同じこと。その身を自分の好き次第にするなどということはよくないことだが、それを何とも思わない。譲り器物や譲り刀は売らないもの。それさえ売らないのだから、ましてや体に疵を付けては済まない。親が生んだその頭を剃るということなどは別して悪いことだと見なさい。我が黒髪を撫でずやありけんなどと、剃ることについてもそれ相応に言訳もできるが、自分の体が直に親だということには言訳は立たない。ここが学者の吟味処。私の坊主頭も、迂斎は坊主になる人ではないから、我が身を父母の身と実に知ればすることではない。それを剃るのは迂斎を坊主にしたのである。そこで、私も坊主頭では言訳が立たない。この自分の体を親と一つに見るというのが孝経である。西銘では天の気をこの体とさえ見るのだから、この身を父母の身と言うのは固よりのっぴきならないこと。我が身を親と二つに見ると、死後に祭はしないことになる。一つだから響くのである。
【語釈】
・西銘ては天の気をこのからだとさへみる…近思録為学89。「天地之塞、吾其體、天地之帥、吾其性」。

○曽子はやかて孔子へきり々々にゆく人。それが今而吾知免乎と云た。よく々々大切なことぞ。程門の周恭叔かとふかして道楽になりて悪所なとへ行たに、程子か理つめを云てしからずに、あの大事の親からもろふたからたをあのやふな者と交へるは親をけかすしゃと云れた。今の人も悪所へ行くは親の手をひいて嶋原へゆくになる。酒をのむも吾か咽てはない。親の口へつぎこむなり。先生曰、ここは皆よく書てをかれよ。先日も何んのか処て某が身のわるさを引あてて云たれは、気の毒さに斟酌したとみへて、佐左ェ門か録に見へぬ。ここの身体髪膚のことを某かあたまゆへによいかけんによんてをくと、孝經にわりか入ってよはくなる。○此身体髪膚を忘れて僧に成らんとするて、朱子の答顔子堅書に呵りて有。ここて某かあたままぎらかされぬこと。こまかに云子はわからぬ。身体髪膚を親と見る段になりてはとんと云わけのないこと。是まて柯先生の諸儒剃髪の論てつめた。尤孝經のこともあれとも、あんな位てはわる功者な者は云わけをしてとるぞ。
【解説】
悪所へ行くのは親の手を引いて嶋原へ行くのと同じである。酒を飲むのも親の口に注ぎ込むのである。身体髪膚を親と見れば、他に言訳をすることはできない。
【通釈】
曾子はやがて孔子の至極へと行く人。それが「今而後吾知免夫」と言った。これがよくよく大切なこと。程門の周恭叔がどうしたものか道楽になって悪所などへ行くので、程子が理詰めで叱らず、あの大事な親から貰った体をあの様な者と交えるとは親を汚すことだと言われた。今の人も、悪所へ行くのは親の手を引いて嶋原へ行くのと同じである。酒を飲むのも自分の咽ではない。親の口へ注ぎ込むのである。先生が、ここは皆よく書いて置きなさいと言われた。先日も何かの処で私の身の悪さを引いて言ったら、気の毒なことと斟酌したと見えて、佐左ェ門の録にそれがなかった。ここの身体髪膚のことを、出だしだとして私がよい加減に読んで置くと、孝経に割りが入って弱くなる。この身体髪膚を忘れて僧になろうとするから、朱子が答顔子堅書で呵った。私が出だしをここで紛らかすことはならない。細かに言わなければわからない。身体髪膚を親と見る段になっては全く言訳はない。これまでは柯先生の諸儒剃髪の論で詰めた。尤も孝経のこともあるが、あんな程度では悪功者な者は言訳を通す。
【語釈】
・周恭叔…周行己。伊川の門人。
佐左ェ門
答顔子堅書

○身体髪膚云々。不毀傷と云か、この心いきか仁になる。吾がからだに疵をつけたら親も痛ひてあろふと思がよい。孔子か曽子に爪を蹴はなすなと云はれた。かるいことてはない。ここか孝の根なり。○以愛身為先。孝と云も外のことてない、身を大事にすることじゃと云と、をれも知たこと、安ひことと云。孔子が是を云そふもないものしゃと云か、これをまっさきに云たに大切な味あること。愛身は私になるやふなことで、これか仁になるの本なり。身を大事にふきさすること。金奉行か旦那の金を預て耳もすらさすしもふてをくと、わきから、こなたいくらも自由になる金をつかはぬ、しわい人じゃと云。いやしわいてはこさらぬ。君から預りものじゃと云。身体髪膚を大事にするを預物しゃとみよ。ここらをかるく心得るものは書物藝ぞ。須磨明石をから尻て通るやふに、なんのこともないやふなり。此髪や此爪がとふして大事にあつかるぞと心をとめよ。そふないとひひきかとをい。ここをよくみ子は孝のうまみがない。身体髪膚をさまてもないことのやふに思ふものぞ。心に問てみるべし。ほんの孝子てなくては心にのらぬことぞ。某も心にのらぬゆへ、剃髪なり。
【解説】
「不敢毀傷孝之始也。身體、言其大。髪膚、言其細。聖人論孝之始、以愛身爲先」の説明。身体髪膚を毀傷させないのが孝の根である。これを大したことではないと思うのは書物芸である。孔子は最初にこれを言ったのである。「愛身」は我が身を大事に磨いてしまって置くこと。
【通釈】
「身体髪膚云々」。「不敢毀傷」と言う、この心意気が仁になる。自分の体に疵を付けたら親も痛いだろうと思うのである。孔子が曾子に爪を蹴放すなと言われたのである。軽いことではない。ここが孝の根である。「以愛身為先」。孝も外のことではなく、身を大事にすることだと言うと、俺もそれはよく知っている、簡単なことだ、孔子はそんなことを言いそうもないものだと言うが、これを真っ先に言ったことに大切な味がある。「愛身」は私になる様なことだが、これが仁になる本である。身を大事に拭き摩ること。金奉行が旦那の金を預かって耳も磨らさずにしまって置くと、脇から、貴方はいくらでも自由になる金を使わない、吝い人だと言われる。いや吝いのではありません。君からの預り物だと言う。身体髪膚を大事にするのは預り物だからだと見なさい。ここらを軽く心得る者は書物芸である。須磨明石を空尻で通る様で、何事もない様になる。この髪やこの爪がどうして大事に与るのかと心に留めなさい。そうでないと響きが遠い。ここをよく見なければ孝の甘味がなく、身体髪膚をそれほどのことでもない様に思うもの。心に問うてみなさい。本当の孝子でなくては心に乗らないこと。私も心に乗らないので剃髪である。
【語釈】
・耳…大判・小判のへり。転じて、その枚数。
・から尻…軽尻。空尻。江戸時代、荷なしの馬に旅人の乗ること。

○立身行道。疵を付すに只をくと云こと斗てあろふ筈はない。身を立るなり。これからはそろ々々新民の方へ説子は孝でない。からたか立とそれにつれて道か行るる。○揚名云々。外についたことてはないか、これも実事あることなり。折角親か全く生んても只の人で果ては親も本意てない。外からもあのやふな子をもった親の心持はどふであらふとうらやむ。○幸哉有子。生子者当如孫仲謀のすじではない。語たてか違ふ。あいらはしほらしいことはない。孝經て云のは天下国家へ沢の及ふ人のこと。揚名於後世をわるく心得るといやなことになる。魏の何晏か論吾の注をしても名を後世にあけたではない。
【解説】
「立身行道、揚名於後世、以顯父母、孝之終也。國人稱願幸哉有子如此。所謂孝也」の説明。「立身」は新民の方である。天下国家へ沢を及ぼすのである。
【通釈】
「立身行道」。疵を付けずにしているだけである筈はない。身を立てるのである。これからはそろそろ新民の方へ説かなければ孝ではない。体が立つとそれに連れて道が行われる。「揚名云々」。外に付いたことではないが、これも実事のあること。折角親が全くして生んでも、只の人で果てては親も本意ではない。外の者も、あの様な子を持った親の心持はどうだろうと羨む。「幸哉有子」。「生子者当如孫仲謀」の筋ではない。語立てが違う。あれにしおらしいことはない。孝経で言うのは天下国家へ沢の及ぶ人のこと。「揚名於後世」を悪く心得ると嫌なことになる。魏の何晏が論語の注をしても名を後世に揚げたことにはならない。
【語釈】
・生子者当如孫仲謀…曹操の語。「生子當如孫仲謀、劉景升兒子若豚犬耳」。孫仲謀は呉の孫権。
・何晏…三国の魏の学者。字は平叔。魏の公主を娶り、侍中尚書。詩文をよくし「論語集解」の著がある。~249

○夫孝者云々。孝の終始を前に書て、爰て中を云た。奉公をすると云は四十のころからのこと。立身。小学てあてて云へは服宦政と云やふなもの。ここへ中しの字か出ぬと立身のしさいか知れぬ。只人間一疋にはなりたと云ても、沢及下てなけれは孝經の孝とは云れぬ。そこて某かここを新民てとく。ここは紙鳶を上る位の児の孝てはない。○愛親者云々。これから五等の孝をかたる。ここの語り出しか天子にはかきらぬことなれとも、天子ても諸侯でも只塲のかわるゆへ詞はかわれとも、愛親と云ことのかわると云ことはない。そこて天子の孝ても別のことではないと語たもの。人を慢り人を悪むと云ことは愛親ものには限らぬ。万端それかよいはつしゃとつめると、なるほど尤なことじゃか、をらは何んでもかでもと云にはやりたてぬ。人を悪みあなとるとその返りかこちへくるから、とふもをらは親を思ふてをるからそれてはわるかろふときづかふて、にくみあなどることかせられぬと云。大極の道理からとせすに、親ゆへにとくるか孝經の親切の味なり。
【解説】
「夫孝始於事親、中於事君、終於立身。愛親者不敢惡於人、敬親者不敢慢於人」の説明。奉公をするにも下に沢を及さなければ悪い。これから五段階の孝を語るが、天子でも諸侯でも「愛親」ということに変わりはない。太極の道理から言わずに、親を愛するから悪み慢ることができないと言うところに孝経の親切な味がある。
【通釈】
「夫孝云々」。孝の終始を前に書いて、ここで中身を言う。奉公をするというのは四十の頃からのこと。「立身」を小学に当て嵌めて言えば服官政という様なもの。ここに「中」の字が出ないと立身の子細がわからない。ただ人間一疋になったと言っても、下に沢を及さなければ孝経の孝とは言えない。そこで私はここを新民で説く。ここは凧を揚げるくらいの児の孝ではない。「愛親者云々」。これから五段階の孝を語る。ここの語り出しは天子に限ったことではなく、天子でも諸侯でも場が変わるので詞も変わるが、愛親ということが変わることはない。そこで天子の孝でも別のことではないと語ったもの。人を慢り人を悪むことをしないのは「愛親者」に限ったことでなく、万端それがよい筈だと詰めると、なるほどそれは尤もなことだが、俺は何でもかでもと遣り立てない。人を悪み慢るとその返りがこちらへ来る。俺は親を思っているからどうもそれでは悪いだろうと気遣って、悪み慢ることができないと言う。太極の道理からとしないで、親の故にと出るのが孝経の親切な味である。
【語釈】
・服宦政…礼記曲礼上。「五十曰艾、服官政」。

○愛敬は孝の判鑑。愛かすきると敬かぬける。敬すきは親を鬼神のやふにあつこふてうまみかない。たよ々々つや々々としるしのあるものを敬て大事にしををせる。今の人も愛敬か根からないてはないか、そこをはたいて一はいにせぬ。尽すてない。扇を一はいひらくと風かよく出る。二三けん開ては、尽さぬから一はいな風は出ぬ。○德教加于百姓。天子御一人の孝て天下か治る。四海。九州て手本にする。大学の絜矩と同。洪範建皇極。觸を廻すに及はす。皆孝になる。孝はあたまの処。直方曰、仁は章魚のあたま、と。あたまをあけれは皆ついてあがる。天子の孝の一つて天下治る。別に天下を治るには及はぬ。人々親に孝、天下泰平なり。親をたてにとらずとも悪み慢ぬはつと云はふか、そこか孝敬なり。ここらて学者か理からをして説たかる。理からとくと孝の字の匂いがうすくなる。
【解説】
「愛敬盡於事親而德敎加于百姓、刑于四海。此天子之孝也。惡慢於人、則人亦惡慢之。如此辱將及親」の説明。愛が過ぎると敬が抜け、敬が過ぎると甘味がない。愛敬は尽くさなければ効果がない。天子一人の孝で天下が治まる。人々が親に孝になって天下泰平となる。
【通釈】
「愛敬」は孝の判鑑。愛が過ぎると敬が抜ける。敬好きは親を鬼神の様に扱って甘味がない。たよたよつやつやと験のあるものを敬で大事にし遂げる。今の人も愛敬が根からないのではないが、そこを叩いて一杯にしない。尽くすでない。扇を一杯に開くと風がよく出る。二三間開いては、尽くさないから一杯な風は出ない。「徳教加于百姓」。天子御一人の孝で天下が治まる。「四海」。九州で手本にする。大学の絜矩と同じ。洪範に「建皇極」とあり、御触れを廻すには及ばない。皆孝になる。孝は頭の処。直方が、仁は蛸の頭だと言った。頭を揚げれば皆付いて揚がる。天子の孝一つで天下が治まる。別に天下を治めるには及ばない。人々が親に孝で天下泰平である。親を楯に取らなくても悪み慢ることはしない筈だと言うが、そこが孝敬である。ここらで学者が理から推して説きたがる。理から説くと孝の字の匂いが薄くなる。
【語釈】
・大学の絜矩…大学章句10にある語。
・建皇極…書経洪範。「次五曰、建用皇極」。

○在上不驕。国主城主、なるほと上なり。下にいかいことの人かある。某か高ぶると、あの馬鹿がと云て人がうけとらぬ。驕の字に上下のさたはないが、れき々々は別してこの字かすわる。下て人がかしこまるからどこまてもとをる。何んにあいらがと人をうし虫のやふに思ふか驕なり。○高而不危。上のことをもふ一通り云た。高ひ塲ても驕ら子はあぶなくない。御慇懃な殿様と云はるると位か丈夫にすわる。桀王か、をれをは日と思へと云て驕たから、此日害喪んと云て民から祈られた。○大名と云段には何から何まてそろふ。さふなってくると心拍子か靣白くなって物好きか出る。処を制節謹度てをさへて一はいをせぬて不溢。
【解説】
「在上不驕、高而不危、制節謹度、滿而不溢」の説明。諸侯は位の高い人である。歴々には特に驕という沙汰があるが、高い場でも驕らなければ危なくない。また、「制節謹度」で抑えることで「不溢」となる。
【通釈】
「在上不驕」。国主や城主はなるほど上である。下に大層人がいる。私が高ぶると、あの馬鹿がと言って人が相手にされない。驕の字に上下の沙汰はないが、歴々には特にこの字が据わる。下で人が畏まるからどこまでも通す。何、あいつらがと人を蛆虫の様に思うのが驕である。「高而不危」。上のことをもう一遍言った。高い場でも驕らなければ危なくない。御慇懃な殿様と言われると位が丈夫に据わる。桀王が、俺を日と思えと言って驕ったから、民が「此日害喪」と祈った。大名という段になっては何から何まで揃う。そうなって来ると心拍子が面白くなって物好きが出る。そこを「制節謹度」で抑えて一杯をしないので「不溢」となる。
【語釈】
・桀王か、をれをは日と思へと云…史記殷本紀注。「尚書大傳曰、桀云、天之有日、猶吾之有民。日有亡哉。日亡吾亦亡矣」。
・此日害喪…孟子梁恵王章句上2。「湯誓曰、時日害喪、予及女偕亡。民欲與之偕亡、雖有臺池鳥獸、豈能獨樂哉」。書経湯誓では、「時日曷喪、予及汝皆亡」である。

○和民人。家来は用の足るよい物なれとも、我々式か奴婢を五人つこふにも、和かないと五人か毎日喧嘩をする。それではないにをとる。民人に和かなけれは、いつどのやふなことのをこるも知れぬ。それては毎日火事塲にをるやふなもの。案堵はない。○垩人の詞には靣白ひこともあるもの。天子の処ては愛親としかに出し、爰では身持のよいを云て親沙汰はない。在上不驕云々の心て親の病気すててをけと云ぬは知れたこと。孝經ゆへ孝のことはこの中にこもりてある。歴々か初ものを進せた位で孝とするには足らぬこと。そんなことは知れてある。
【解説】
「然後能保其社稷而和其民人。此諸侯之孝也」の説明。民人に和がなければ何が起こるかも知れず、安堵はない。ここは身持のことを言っているが、「在上不驕」の中に親のことは篭っている。
【通釈】
「和其民人」。家来は用の足りるよいものだが、我々如きが奴婢を五人使うにも、和がないと五人が毎日喧嘩をする。それでは無いよりも劣る。民人に和がなけれが、いつどの様なことが起こるかも知れない。それでは毎日火事場にいる様なもので安堵はない。聖人の詞には面白いこともあるもの。天子の処では愛親と直に出し、ここでは身持のよいことを言って親の沙汰はない。「在上不驕云々」の心で、親の病気を放って置けと言わないのは知れたこと。孝経なので孝のことはこの中に篭ってある。歴々が初物を進ずるくらいを孝とするのでは足りない。そんなことは知れたこと。

○以驕也。毎日々々長刀を出しもせぬ。あなかちむごくあたるてもないに、つんと人かはなるる。それは高ぶりからじゃ。今出すぎものかつい々々とさきへ行くと、あああの路てはないが迷ふたろふと云なからも、癖しゃ、すててをけと云ふ。ちょっと他出しても驕心からまわり道をもする。人か思はなるるものあり。○以奢也。下々は望なことか一つ斗り叶ふてもあとかつつかぬから、ついそれなりにして止むこともある。歴々は一つ叶へは又二つかなる。隋煬帝のやふに立派をして枯木に花をさかせる。それから紂王は又酒池肉林になる。どこまてわるくなろふやら。奢に寸法はないものぞ。○制財用。大名はつかい次第にもなる身分なり。つこふほとこしらへて、こしらへただけをつこふ。つかいすきをせぬから取りすぎをせぬ。○不越法度。大身の上て別して大事なもの。勢の強についてこへたがる。すこしのことなれとも、四品は侍従のま子はならぬてよい。春秋の末から戦国の世をみよ。大名か称王。鼻先きの周と云天子をこへた。
【解説】
高而危者以驕也。滿而溢者以奢也。制節、制財用之節。謹度、不越法度」の説明。人が離れて行くのは自分に高ぶりがあるからである。また、歴々は望みをいくつも叶えることができるから、どこまで悪くなるかも知れない。使い過ぎをせず法度を越えない様にしなければならない。
【通釈】
「以驕也」。毎日長刀を出しもしない。あながち酷く当るのでもないが、実に人が離れて行く。それは高ぶりからである。今出しゃばり者がひょいひょいとと先へ行く。あああの路ではない、迷うだろうと言いながらも、癖だ、放って置けと言う。一寸他出しても驕心から回り道をもする。思えば人が離れるものがある。「以奢也」。下々は望みが一つばかり叶っても後が続かないから、ついそれなりにして止むこともあるが、歴々は一つ叶えばまた次を叶えることができる。隋の煬帝の様に立派をして枯木に花を咲かせる。それから紂王も酒池肉林になる。どこまで悪くなるのか知れない。奢に寸法はない。「制財用」。大名は使い放題もできる身分である。使うだけ拵えて、拵えただけを使う。使い過ぎをしないから取り過ぎをしない。「不越法度」。大身の上では特に大事なもの。勢いが強いので越えたがる。四品は侍従の真似を少しもしてはならないのでよい。春秋の末から戦国の世を見なさい。大名が王を称する。鼻先にある周という天子を越えた。
【語釈】
・四品…令に定められた親王の位階。一品から四品まである。
・侍従…君主の側近くに仕える人。

○非先王之法服。大国ても小国ても卿大夫一人となれは、外からさっとふはならぬ。あの御方のなされたこととて通る。処を、いや浅黄帷子黒小袖定挌かよいと云てをる。○大夫なそと云は、一寸云にも法言此坐ぎりしゃと云咄はせぬ。落し咄し、はやり詞、藝者の云やふなことは言はぬ。出入の町人か来て法言てないことを云とも、それをま子ぬこと。○昔からのしくせてないことは、きづかいないことでからがせぬ。季桓子に女楽をおくりたときに、先王の德行を思たらうけもすまい。今歴々か方角を占て医者の薬を貰ふたり、雷除けの札を張る。耻しいと云ことを知らぬ。先王の德行てない。
【解説】
「非先王之法服不敢服、非先王之法言不敢道、非先王之德行不敢行。然後能保其宗廟。此卿大夫之孝也。」の説明。卿大夫ともなれば、先王の法服でなければ着ない。放言も言わない。昔からして来たことでなければしない。
【通釈】
「非先王之法敢服」。大国でも小国でも卿大夫一人となれば、外から非難することは悪い。あの御方のなされたことだとして通る。そこを、いや浅黄帷子黒小袖の定格がよいと言っている。大夫などという者は、一寸言うにも、放言この座限りなどと言って話はしない。落し話や流行り詞、芸者の言う様なことは言わない。出入りの町人が来て放言でないことを言ったとしても、それを真似しない。昔からしていることでなければ、気遣いのないことでもしない。季桓子に女楽を贈った時、先王の徳行を思えば受けもしなかっただろう。今歴々が方角を占って医者の薬を貰ったり、雷除けの札を貼る。恥ずかしいということを知らないのである。先王の徳行ではない。
【語釈】
・さっとう…察当。人の行為をとがめ、非難すること。
・季桓子に女楽をおくりた…論語微子4。「齊人歸女樂。季桓子受之。三日不朝。孔子行」。

○以孝事君則忠。平士の孝は吾親につかへた姿をそこへもって出て、それでとんと一生がすむ。爰て王覇の弁も知るる。親にはこふ、君へはこふと、二はなになることはない。親に孝がすくに君に忠なり。心の方にかわることはない。すぐに孝の顔をかへたのぞ。親を大事にする心をすぐに同役つき合にもって出るとよく寸法か合ふてさきか順になる。つき合も見事でこちのあしらひもよい。○用天之道。爰から百姓の孝なり。百姓は耕作をよくするが第一の孝になる。ここらは孝經をよんたら挌別に心得ることぞ。持前形りを大切にするか孝なり。武士は具足櫃に鏡餅をすへる。百姓も鍬鎌に注連をはるべきこと、尤なり。○用天之道云々。耕作の本を云た。孝は背中をさすりかくことと云さふなものを、田は田、畠は畠の用をするが孝じゃと云た。○節用。つめるかかめるは有るもののこと、をらはつかいすぎやふにもちゃんが一文こさらぬと云か、そふてない。大名ても百姓ても節用かないとそれなりに身代をつぶす。○庻人は百姓をかしらに云詞。町人や職人は百姓の内中にたま々々あるもの。あれらは皆百姓についたもの。庻と云へは皆こもる。
【解説】
「以孝事君則忠、以敬事長則順。忠順不失以事其上。然後能守其祭祀。此士之孝也。用天之道、因地之利、謹身節用以養父母。此庶人之孝也。春耕、秋穫、高宜黍稷、下宜稻麥」の説明。庶人の孝は、親に仕えた姿を君や同役に持って出るもの。百姓は耕作をよくするのが第一の孝になる。田は田、畠は畠の用をするのが孝となる。また、節用に勤める。節用がないと身代を潰す。
【通釈】
「以孝事君則忠」。平士の孝は我が親に仕えた姿をそこへ持って出るもので、それですっかりと一生が済む。ここで王覇の弁も知れる。親にはこう、君へはこうと、別々になることはない。親に孝が直ぐに君に忠である。心の方に変わることはない。直に孝の顔を替えたのである。親を大事にする心を直ぐに同役付き合いに持って出るとよく寸法が合って先方が順になり、付き合いも見事でこちらのあしらいもよい。「用天之道」。ここからが百姓の孝である。百姓は耕作をよくするのが第一の孝になる。ここらは孝経を読んだら格別に心得るべきこと。持前の通りを大切にするのが孝である。武士は具足櫃に鏡餅を据える。百姓も鍬鎌に注連縄を張るべきで、それが尤もなこと。「用天之道云々」。耕作の本を言う。孝は背中を摩り掻くことと言いそうなものを、田は田、畠は畠の用をするのが孝だと言った。「節用」。節用するのは持っている者のことで、俺は使い過ぎようとしても親父が一文もくれないと言うが、そうではない。大名でも百姓でも節用がないとそれなりに身代を潰す。庶人は百姓を頭に言う詞。町人や職人は百姓の内に偶々あるもの。あれらは皆百姓に付いたもの。庶と言えば皆篭る。
【語釈】
・王覇の弁…孟子孟子尽心章句上13にある。

○謹身云々。不犯兵刑。親の心は公儀の罪にもあはぬやふに、大病もせぬやふに、子のことを神仏に祈る。唐も日本も今も昔も、子を気づこふは親の習ひ。それに子として不身持て親に苦労をさせてもなんともないと云人間のあろふはつはない。謹身でなくてはとんと孝行の根はたたぬことなり。○不乏はかるいものへかく字。百姓町人も節用て思の外親にむまいものかくわせられるとも、しかるべきものてもともしくなくなる。○養道尽。孝經へもってきて耻しからぬ字しゃ。身もちをよくむたつかいをせぬと云てうまいものもくわせらるる、さむい目もさせぬ。これも節用からそ。○孝無終始。始は身体髪膚始事親のこと。終は立身なり。立身の中には新民かある。上の謹身は庻人のことなれとも、百姓は新民のしわさではないか、身持のよいか明德。明德には新民はこもる。そこて結語、天子より庻人とくくりたもの。然れは天子からうったて、孝と云に右の終始なくて無難には通られぬと戒められた。○患不及者未之有也。三宅先生の、こちに患のくることと云へり。
【解説】
謹身則無過不犯兵刑、節用則不乏以共甘旨。能此二者養道盡矣。故自天子至於庶人、孝無終始、而患不及者、未之有也」の説明。子を気遣うのは親の習いであり、子も親を大事にするのが当然のことである。そこで、「謹身」でなければならない。「節用」で乏しくなくなるから、親に美味い物を食わせることができる。百姓も身持がよいのが明徳であり、明徳には新民が篭る。そこで、「自天子至於庶人」と括ったのである。
【通釈】
「謹身云々」。「不犯兵刑」。親の心は公儀の罪にも遭わない様に、大病もしない様にと、子のことを神仏に祈る。唐も日本も今も昔も、子を気遣うのは親の習いである。それなのに子として不身持で親に苦労をさせても何ともないと言う人間のいる筈はない。謹身でなくては全く孝行の根が立たない。「不乏」は軽い者に対しての字。百姓や町人でも、節用で思いの外親に美味い物を食わせられるのは、その様な者でも乏しくなくなるからである。「養道尽」。孝経へ持って来て恥ずかしくない字である。身持よく、無駄遣いをしないので美味い物も食わせられ、寒い目もさせない。それも節用からのこと。「孝無終始」。「始」は「身体髪膚始於事親」のこと。「終」は立身である。立身の中には新民がある。上の「謹身」は庶人のことで、百姓は新民の仕業ではないが、身持のよいのが明徳で、明徳には新民が篭る。そこで結語に、「自天子至於庶人」と括ったのである。天子から打ち立てて、孝は右の終始がなくては無難に通ることはできないと戒められた。「患不及者未之有也」。三宅先生が、こちらに患の来ることだと言った。


明倫35
○孔子曰、父母生之、續莫大焉。君親臨之、厚莫重焉。是故不愛其親而愛他人者、謂之悖德。不敬其親而敬他人者、謂之悖禮。悖、亂也。苟不能恭愛其親、雖恭愛他人、猶不免於悖。以明孝者德之本也。
【読み】
○孔子曰く、父母之を生む、續ぐこと焉[これ]より大なるは莫し。君親之に臨む、厚きこと焉より重きは莫し。是の故に其の親を愛せずして他人を愛する、之を悖德と謂う。其の親を敬せずして他人を敬す、之を悖禮と謂う。悖は亂なり。苟も其の親を恭愛すること能わざれば、他人を恭愛すと雖も、猶悖るるを免がれざるがごとし。以て孝は德の本なるを明かにす。

○孔子曰、父母生之續莫云々。今きたない心から家督を取れは相續と思ふ。二男が、をらはからた斗りじゃと思ふ。それは田地や土藏を見て云凡心の利からの相談ぞ。目は見へ耳は聞へる。足はかるく行るる。是程大きい家督はない。其次か身帯ぞ。耳目の満足なを忝ひと思はぬは凡心ぞ。これを孔子の処へ不審を云ふと。○歴々が御朱印と云と甚以大切にすることぞ。御朱印は取り上けらるることもある。夫は知行についたもの。歴々も平士も知行は得ることも失ふこともある。からだからは第二段のもの。からたについたことは誰ても取上ることはならぬ。○体か大きいことじゃに、其上に君親臨之也。生みすててないこと。のぞまずはどふなろふとも知れぬ。父吾を生み母養之。恩義の厚と云に上はない。夫からしては男は唯し女は兪す。出就外傅。教のことまてこれほとをもいことはない。父は打ち、母はいたいて止むれは、しゃ打も愛、止めるも愛。皆臨之のことじゃ。父母の恩は昊天無窮なり。喪も一生してもよいほどのこと。三年ては足らぬことなれとも、さふはならぬから、懐に三年をるから先は三年てよかろふと云た。足らぬことと知れ。そこを昊天無究と云。
【解説】
「孔子曰、父母生之、續莫大焉。君親臨之、厚莫重焉」の説明。体が一番の家督であり、身代はその次のこと。知行は失うこともあるが体は失うことはない。その上に「君親臨之」で、親は子供を放って置きはしない。その恩義はこの上なく厚い。
【通釈】
「孔子曰、父母生之続莫云々」。今汚い心から、家督を取れば相続した思う。二男が、俺は体だけだと思う。それは田地や土蔵を見て言う凡心の利からの相談である。目は見え耳は聞こえ、足は軽く行くことができる。これほど大きい家督はない。その次が身代である。耳目の満足なことを忝いと思わないのは凡心である。それを孔子の処へ不審を言えばこうなる。歴々は御朱印を甚だ大切にする。しかし、御朱印は取り上げられることもあり、それは知行に付いたもの。歴々も平士も知行は得ることも失うこともあり、体からは第二段のもの。体に関したことは誰も取り上げることはできない。体が大きなことなのに、その上に「君親臨之」で、生み棄てではない。臨まなければどうなるかも知れない。「父生吾、母養之」。恩義の厚というのにこの上はない。それからしては「男唯女兪、出就外傅」で、教えのことまでこれほど重いことはない。父は打ち、母は抱いて止めれば、打つのも愛で止めるのも愛。これは皆「臨之」のこと。父母の恩は昊天無窮である。喪も一生してもよいほどのことで、三年では足りないことだが、一生はできないから、懐に三年いることからして先ずは三年でよいだろうと言った。足りないことであることを知りなさい。そこを昊天無窮と言う。
【語釈】
父吾を生み母養之
・男は唯し女は兪す…小学内篇立教2。「子能食食、敎以右手。能言男唯女兪」。
・出就外傅…小学内篇立教2。「十年出就外傳、居宿於外」。
昊天無窮

○是て親てなくては夜のあけぬことじゃに、とほふもないものか世間にはありて、親より他人と挨拶かよい。年貢を計らすに瓦の奉加につくなり。○悖礼。迂斎曰、非礼の礼じゃ。何にこちの親父もふろくしたと云てまぜぬ。其口の下から他人へは鴬声であたまをさげる。○乱なり。すじめちがひ。○恭愛は他人へ出てもよいことてはあれと、出し処の違たなり。迂斎曰、背中に目のあるやふなもの。目はよいものても背にはない筈なり。○明孝者徳之本也。よい注じゃ。孝かぬけては何にもならぬ。初ものも親へ喰わせずに師友に進するは悖礼なり。そこて気のついた学者は、これは初ものて忝いか、親御へは進せたかときくかよい。さふないは悖礼悖德のものの進物をうけたになる。さふ云ものにつき合は、本のぬけたものとつき合になる。
【解説】
「是故不愛其親而愛他人者、謂之悖德。不敬其親而敬他人者、謂之悖禮。悖、亂也。苟不能恭愛其親、雖恭愛他人、猶不免於悖。以明孝者德之本也」の説明。途方もない人が世間にはいて、親よりも他人を愛し敬する。それは「悖徳悖礼」である。
【通釈】
親でなくては夜も明けないことなのに、途方もない者が世間にはいて、親よりも他人の方に挨拶がよい。年貢のことを考えずに瓦の奉加をする。「悖礼」。迂斎が、非礼の礼だと言った。何、俺の親父も耄碌したと言って相手にしないが、その口の下から他人へは鴬声で頭を下げる。「乱也」。筋目違い。「恭愛」は他人へ出してもよいことだが、出し処が違ったのである。迂斎が、背中に目のある様なものと言った。目はよいものでも背にはない筈。「明孝者徳之本也」。よい注である。孝が抜けては何にもならない。初物も親へ喰わせずに師友に進ずるのは悖礼である。そこで気が付いた学者は、これは初物で忝いが、親御へは進ぜたかと聞くのがよい。そうでないと悖礼悖徳の者から進物を受けたことになる。その様な者に付き合うのは、本の抜けた者と付き合うことになる。


明倫36
○孝子之事親、居則致其敬、夔夔齊慄。養則致其樂、樂親之志。病則致其憂、喪則致其哀、祭則致其嚴。嚴猶恭也。五者備矣然後能事親。事親者、居上不驕、爲下不亂、在醜不爭。亂謂干犯上之禁令。醜類也。謂己之等夷。居上而驕則亡。爲下而亂則刑。在醜而爭則兵。爭而不已。必以兵刃相加。此三者不除、雖日用三牲之養、猶爲不孝也。三牲、牛羊豕大牢。三者不除、憂將及親。雖日用大牢之養、庸爲孝乎。
【読み】
○孝子の親に事うる、居には則ち其の敬みを致し、夔夔として齊慄す。養には則ち其の樂しみを致し、親の志を樂しむ。病には則ち其の憂いを致し、喪には則ち其の哀しみを致し、祭には則ち其の嚴しきを致す。嚴は恭に猶[おな]じ。五者備わりて然して後能く親に事う。親に事うる者は、上に居りて驕らず、下と爲りて亂れず、醜に在りて爭わず。亂は上の禁令を干し犯すを謂う。醜は類なり。己の等夷を謂う。上に居りて驕れば則ち亡ぶ。下と爲りて亂るれば則ち刑せらる。醜に在りて爭えば則ち兵せらる。爭いて已まず。必ず兵刃を以て相加う。此の三の者除かざれば、日に三牲の養を用うと雖も、猶不孝と爲す。三牲は牛羊豕の大牢。三の者を除かざれば、憂い將に親に及ばんとす。日に大牢の養を用うと雖も、庸[なん]ぞ孝と爲さんや。

○孝子之事親云々。致の字五、致知の致の字。孝はしををせるに学文がいる。ここの孝子と云は札のついたのぞ。やはり大学の孝で、よいかけんにしてをけと云ことてはない。小学ては惇行孝弟以上のこと。凧を上けて飯によはるるもののことてはない。○居則致其敬。平生何事もない、これはと云ことのないにも敬をきり々々につめること。居則吾不知の居の字。平生親と皃を合せぬときても親のそこらにをらぬときても、親を大事にする心をきり々々につめる。先日の聽於無声視於無形に似たことなれとも、ちとかわるなり。そこて注に夔々として斉慄す。つつしみをそるるもやふなり。ぶる々々ふるへると云ふやふなもの。ぶる々々がふるへるのもやふなり。斉慄のもやふか夔々なり。膝の上にそだった親を、評定へ出て砂利をつかんたやふに思ふ。その心では親のこのみ思召を一はいにさせるはつのことぞ。
【解説】
「孝子之事親、居則致其敬、夔夔齊慄。養則致其樂、樂親之志」の説明。ここの孝子は大学の孝であり、二十歳以上の者のこと。孝子は何でもない時でも敬を至極に詰める。謹み畏れる様にすれば、親の思し召しにも叶うことになる。
【通釈】
「孝子之事親云々」。五つの「致」の字は致知の致の字である。孝をし遂げるには学文が要る。ここの孝子とは札の付いた人で、やはり大学の孝で、よい加減にして置けということではない。小学で言えば「惇行孝弟」以上のことで、凧を揚げていて飯に呼ばれる者のことではない。「居則致其敬」。平生何事もなく、これはということのない時にも敬をぎりぎりに詰める。「居則吾不知」の居の字である。平生親と顔を合わせない時でも、親がそこらにいない時でも、親を大事にする心をぎりぎりに詰める。これは先日の「聴於無声視於無形」に似たことだが、少々違う。そこで注に「夔々斉慄」とある。それは謹み畏れる模様で、ぶるぶると震えるという様なもの。ぶるぶるが震えるの模様であり、斉慄の模様が夔々である。膝の上で育ててくれた親を、評定へ出て砂利を掴んだ様に畏れる。その心であれば、親の好みや思し召しを一杯にさせることができる筈である。
【語釈】
・惇行孝弟…小学内篇立教2。「二十而冠、始學禮。可以衣裘帛。舞大夏、惇行孝弟、博學不敎、内而不出」。
居則吾不知
・聽於無声視於無形…小学内篇明倫7。「聽於無聲、視於無形」。

○親の大病に医者と容体を咄すときにはたれも渠も憂へるか、外から人か来て一寸呼出されて咄したときに、こちのくめんのよいことになると、はやそれにのってうつるもの。それは致めたてないからぞ。○致其哀。古悔のことを弔慰と云たは、孝子かあまり憂て病気ほどになりてをるから、こなたそれても又孝道てないからちとまきれるかよいとなくさめたもの。今はそれに及はぬ。とふからまきれてをる。子の死たには致むがみへるから外人からまきれろと云。○致其嚴。事死如事生とは心いきてこそ云へ、神主の前て爺[とと]さまとは云ぬ。ととさまと云は神主をあなとるになる。神主となれは服を改てきっと麻上下てなけれはならぬ。人がにこ々々笑て見せたから、ついをれもにこ々々笑ふたと云てはすまぬ。ものいみの大切なもここのこと。○能。吾能之ともありて、しををせること。みんことしてとる。
【解説】
「病則致其憂、喪則致其哀、祭則致其嚴。嚴猶恭也。五者備矣然後能事親」の説明。親が病の時は憂いを致し、喪には哀を致し、祭は厳を致す。古、弔慰とあるのは、子が憂えて病気になるほどだったので、紛れた方がよいとしたことだが、今はとっくに紛れている。
【通釈】
親の大病に医者と容体を話す時には誰も彼もが憂えるが、外から人が来て一寸呼び出されて話した時に、こちらに工面のよいことになると、早くもそれに乗って遷るもの。それは致すでないからである。「致其哀」。古、悔みのことを弔慰と言ったのは、孝子があまりに憂えて病気になるほどだったので、それもまた孝道ではないから少々紛らす方がよいと慰めたもの。今はそれには及ばない。とっくに紛れている。子が死ぬと親が致すことがわかっているので、外人が紛れろと言う。「致其厳」。「事死如事生」とは心意気でこそ言え、神主の前て爺様とは言えない。爺様と言えば神主を侮ることになる。神主となれば服を改めてきっと麻裃でなければならない。人がにこにこ笑って見せたから、つい俺もにこにこと笑ったと言っては済まない。斎の大切なのもここ。「能」。「吾能之」ともあり、し遂げること。見事にして取る。
【語釈】
・事死如事生…中庸章句19。「踐其位、行其禮、奏其樂、敬其所尊、愛其所親、事死如事生、事亡如事存、孝之至也」。
・吾能之…論語八佾9。「子曰、夏禮、吾能言之、杞不足微也。殷禮、吾能言之、宋不足微也。文獻不足故也。足、則吾能微之矣」。

○乱るとは、上の禁令をもなくる人があるもの。さりとは心にくいもの。衣装法度にをらは親の代から着つけたと云は犯すなり。七日法度しゃ、すててをけと云。をれかちりめんにかまふなと云て犯す。にくい心いきなり。○口論喧嘩はとと刄傷にも及ふもの。若ひものか理屈だてをして争ふと云ことを一と器量のやふに心得る。今口利なそと云かありて、とかく爭を手がらにする。これかしまいには刄傷にも及ふ。帯刀ては別してつつしむべきこと。百姓はまだもよいことにはにきり拳じゃ。武士はぬくことになる。又、人にも爭ふか思の外孝心なと云人もあるが、とど親か安堵せふやふはない。○三牲は在上の句からうけたもの。結構な料理の惣名なり。下々てやれ初鰹がきた、それ親人へと云ても、今にも窂舎も知れぬ子を持ては安堵はない。
【解説】
「事親者、居上不驕、爲下不亂、在醜不爭。亂謂干犯上之禁令。醜類也。謂己之等夷。居上而驕則亡。爲下而亂則刑。在醜而爭則兵。爭而不已。必以兵刃相加。此三者不除、雖日用三牲之養、猶爲不孝也。三牲、牛羊豕大牢。三者不除、憂將及親。雖日用大牢之養、庸爲孝乎」の説明。禁令を破ったり、争いを手柄にする者がいるが、それでは親が安堵する筈はない。
【通釈】
「乱」。上の禁令をも破る人がいるもの。それは実に心憎いこと。衣裳法度なのに、俺は親の代から着続けていると言うのは犯すである。七日法度だ、放って置けと言う。俺の縮緬に構うなと言って犯す。憎い心意気である。口論喧嘩はつまりは刃傷にも及ぶもの。若い者が理屈を立てて争うのを一器量の様に心得る。今、口利きなどという者がいて、とかく争いを手柄にする。これが最後には刃傷にも及ぶ。帯刀では特に謹むべきこと。百姓はまだよいことには握り拳だが、武士は抜くことになる。また、人と争うのが思いの外孝心なことだと言う人もいるが、つまりは親が安堵する筈はない。「三牲」は「居上」という句から受けたもの。結構な料理の惣名である。下々でやれ初鰹が来た、それ親人へ進ぜると言っても、今にも牢舎に這入るかも知れない子を持てば安堵はない。


明倫37
○孟子曰、世俗所謂不孝者五。惰其四支不顧父母之養、一不孝也。博奕好飮酒不顧父母之養、二不孝也。好貨財私妻子不顧父母之養、三不孝也。從耳目之欲以爲父母戮、四不孝也。好勇闘狠以危父母、五不孝也。戮、辱也。狠、忿戻也。
【読み】
○孟子曰く、世俗に不孝と謂う所の者五あり。其の四支を惰りて父母の養を顧みざる、一の不孝なり。博奕し、酒を飮むを好み、父母の養を顧みざる、二の不孝なり。貨財を好み、妻子に私して、父母の養を顧みざる、三の不孝なり。耳目の欲を從[ほしいまま]にして、以て父母の戮[りく]を爲す、四の不孝なり。勇を好み闘狠[とうこん]して、以て父母を危くする、五の不孝なり。戮は辱なり。狠は忿戻なり。

○孟子曰、世俗云々。是迠孝行を段々云つめて、あとへ不孝を出したか垩賢の教の深切なり。立教も始めに六德六行を云て、あとへは刑なり。わるひことを出すて深切なり。薬をたらふく呑てあとへ禁好物をならへたで、これを喰ふと又本の病にかへると云か医者の深切なり。垩賢の教はとと二つそろへることそ。直方先生も鞭策彔をあみて跡へ排釈彔をあみた。これも藥と毒断ち。○孝と云は、手本を向にをいて上を見上けてああなろふとすること。不孝と云は、下を見せて油断するとこふなると云こと。わるいやつを日本橋でさらして人をこらしめるは上の御慈悲、ここへ不孝のヶ條を五つならへてさらしものにして、不孝ああこわいと省みさせるは垩賢の深切。○世俗所謂不孝云々。大屋五人組の目にあまる不孝を世俗所謂とは云ぞ。外からみてもああ不孝つまらぬと云。学者の気を付べきこと。この方にこの中か一つありても、あの方の仲ヶ間しゃと合点するがよい。こちにこんなことかありては孔孟に云訳は立ぬ。それならとほふもないことかと云に、此五つがさのみ大悪の筋てもないゆへ、ずんとこちにあふないことなり。
【解説】
「孟子曰、世俗所謂不孝者五」の説明。孝行を言った後に不孝を出すのが深切なことである。不孝を出して、それをしない様に懲らす。世俗の不孝は五つあり、それはそれほど大悪でもない様だが非常に危ないものである。
【通釈】
「孟子曰、世俗云々」。これまでに孝行を段々と言い詰めて、その後に不孝を出したのが聖賢の教えの深切である。立教も始めに六徳六行を出して、後へは刑である。悪いことを出すので深切である。薬をたらふく飲んだ後に禁好物を並べ、これを食うとまた元の病に返ると言うのが医者の深切である。聖賢の教えはつまり二つ揃えること。直方先生も鞭策録を編んだ後に排釈録を編んだ。これも薬と毒断ちである。孝は、手本を向こうに置いて上を見上げてあの様になろうとすること。不孝は、下を見せて油断するとこうなると言うこと。悪い奴を日本橋で晒して人を懲らしめるのは上の御慈悲、ここへ不孝の箇条を五つ並べて晒し者にして、不孝はああ怖いものだと省みさせるのが聖賢の深切。「世俗所謂不孝云々」。大屋や五人組の目に余る不孝を世俗所謂と言う。外から見てもああ不孝は詰まらないものだと言う。これが学者の気を付けるべきこと。こちらにこの中の一つがあっても、あの方の仲間だと合点しなさい。こちらにこんなことがあっては孔孟に言訳が立たない。それなら途方もないことかと言うと、この五つがそれほど大悪の筋でもない。そこでこちらにはとても危ないことなのである。
【語釈】
・立教も始めに六德六行を云て、あとへは刑なり…小学内篇立教7を指す。

○惰其四支。ぶせふもののこと。そりゃ帳外と云ことてもないか、若いなりてこたつにはまってをる。それて身がうむから親のことでも靣倒になる。若ひ者はまめにかけ働くてこそ孝なれ、孝はまめでなければならぬ。若ひ者が人づかいをしてすわって居て、うまいものを喰ひよいものをきるは、息子か親になりて見せるやふなもの。○迂斎曰、養の字かるくみること、と。一寸饅頭をやいて進せるの、背中をかくのと云の類。趙岐が古注に、不顧父母之養者、忘養育之恩也と云た。それては世俗の字に合ぬ。をもくみてとくと馬士に伽羅をとめるになると直方云へり。○垩賢の書をよむものにもこのぶせふはある。ゆだんはならぬ。ゆだんすると不孝の方へふみこむ。
【解説】
「惰其四支不顧父母之養、一不孝也」の説明。先ずは無精なのが不孝である。若い者はまめに働くからこそ孝となる。
【通釈】
「惰其四支」。無精者のこと。それは帳外ということでもないが、若いのに炬燵に嵌っている。それで身が倦むから親のことも面倒になる。若い者はまめに駆けて働くからこそ孝であって、孝はまめでなければならない。若い者が人使いをして座っていて、美味い物を食いよい物を着るのは、息子が親になって見せる様なもの。迂斎が、「養」の字は軽く見なさいと言った。一寸饅頭を焼いて進ぜるとか、背中を掻くという類である。趙岐が古注で、「不顧父母之養者、忘養育之恩也」と言った。それでは世俗の字に合わない。重く見て説くと、馬士に伽羅を焚くことになると直方が言った。聖賢の書を読む者にもこの無精があるから油断はならない。油断をすると不孝の方へ踏み込む。
【語釈】
・趙岐…後漢桓帝の時に孟子の注釈、章句十四巻を作る。

○今法度の博奕と云は在下乱のすしなり。ここは碁象戯のこと。賭てもないか一ちむきにすきなり。己がすきにかたよるか孝をくづすの本なり。孝をするは閙しいものじゃ。食在口則吐云々の寸にもそれ王手と云。子は親のことにかかりきってをるはつのものを、碁象戯にかかりてをるから、親の方、片尻かけになる。○親を持たものは病人の看病するやふなもの。第一いそかしい仕事を持てをる。処を酒好きは親の病と云てもいこふ呑過て高鼾、目かさめてからがやくにはたたぬ。
【解説】
「博奕好飮酒不顧父母之養、二不孝也」の説明。好きな方に偏るのが孝を崩す本である。好きなものに熱中すると、孝が中途半端になる。
【通釈】
今法度の博奕というのは「在下乱」の筋である。ここは碁将棋のこと。賭けでもないが一向きに好きなこと。好きな方に偏るのが孝を崩す本である。孝をするのは忙しいもの。「食在口則吐」の時にもそれ王手と言う。子は親のことに掛かり切っている筈のものだが、碁将棋に掛かっているから、親の方は片尻を掛けることになる。親を持った者は病人の看病をする様なもの。第一忙しい仕事を持っている。そこを酒好きは親の病といっても大層飲み過ぎて高鼾。それでは目が醒めても役には立たない。
【語釈】
・在下乱…小学内篇明倫36。「爲下而亂則刑」。
・食在口則吐…小学内篇明倫15。「禮記曰、父命呼唯而不諾。手執業則投之、食在口則吐之、走而不趨」。

○好貨財。道楽息子はつかいすてる。財を好むなれはめったにつかわぬ。先つは身持もよくて親も少しは安堵するほとのもの。それて不孝のヶ条と云はどふなれは、好の字か病根なり。貨財が主になると孝か二段になる。身上をあけるものか、何ことにもするはづせぬはつと了簡をつけてためるゆへ、出し入れにも了簡をつけるからをそいもの。人君の下へのことでさへ、出し入れの吝ると云てわるいことになりてをる。まして好貨財と云日には、時々金をあけて見るやふにもなる。親の病気にも人目かあるから人参も呑ますると云にも至る。甚しきは、私か親は人参を呑むより金を大事にするか安堵すると云。金銀は用を足すか主なり。ものかをしいと云日になると、よい鼻紙を懐中して、鼻洟の出るときかまぬやふなもの。古人も貨財は大事にせよとは云たか、好めと云ことはない。金好きと云になりてはいこふ害あることそ。蕎麥好きと云とはちこふ。○私妻子。好貨財も私妻子の心があるからと云こともあるなれとも、ここは分々に見ることなり。女房も五倫の中てはあるか、愛情にひかるると云日には、妻子より親を第二段にする。なんても親を本たてにすることぞ。あの男も昏礼から後あちになりたと云るることもあるぞ。女房の方を向いて、あいつにさまでわるいこともないさと云は、はや親を不足にするのじゃ。
【解説】
「好貨財私妻子不顧父母之養、三不孝也」の説明。貨財を主にすると孝が二番目になる。貨財は大事にしても、好んではならない。また、愛情に引かれると、妻子が一番となって親を二段にする。
【通釈】
「好貨財」。道楽息子は使い捨てにする。財を好むのであれば滅多に使わない。先ずは身持もよくて親も少しは安堵するほどのものだが、それを不孝の箇条と言うのはどうしてかと言うと、好の字が病根なのである。貨財が主になると孝が二段になる。身上を上げる者が、何事にもする筈しない筈と了簡を付けて貯めるので、出し入れにも了簡を付けるから遅いもの。人君の下へのことでさえ、出し入れを渋るので悪いことになっている。ましてや好貨財という日には、時々金を開けて見る様にもなる。親の病気にも、人目があるから人参も飲ますということにもなる。甚だしい者は、私の親は人参を飲むよりも金を大事にする方が安堵すると言う。金銀は用を足すのが主である。物が惜しいという日になると、よい鼻紙を懐中していながら、鼻洟の出る時に鼻をかまない様なもの。古人も貨財は大事にせよとは言ったが、好めと言ったことはない。金好きということになっては大層害のあること。それは、蕎麦好きとは違う。「私妻子」。好貨財も私妻子の心があるからということもあるが、ここは別々に見なさい。女房も五倫の中ではあるが、愛情に引かれるという日には、妻子より親を第二段にする。何でも親を本立てにしなければならない。あの男も婚礼から後は悪くになったと言われることもある。女房の方を向いて、あいつもそれほど悪いこともないさと言うのは、早くも親を不足にするもの。

○耳目之欲。耳や目と云にかからす、たった一と口に道楽と云こと。淨瑠理は耳、好色は目なり。見ること聞くことにまどふと云も、耳目を出してそふたいを云こと。何んてもあるまいざまをするは皆親の名が出る。わるい身ぶりをしてそこを通ると、あれは誰か子じゃと云るる。ああわるい子を持合せたと云。○好勇闘狠。ああ唐も日本もこんなことがある。なんぞと云とうで立てなり。度々重ると親に返り矢かくる。○此章は孟子か匡章かことを云たか本語なり。匡章を或人か、通国不孝と申すになせつき合をなさると云たれは、孟子か、匡章には此五色かないからまた薬がもらるると云た。今学者此五色があると孟子の内へよせられぬとみるかよい。
【解説】
「從耳目之欲以爲父母戮、四不孝也。好勇闘狠以危父母、五不孝也。戮、辱也。狠、忿戻也」の説明。道楽をすれば親の名が出て辱められる。争いを好めば、いずれは親に返り矢が来る。
【通釈】
「耳目之欲」。ここは耳や目ということに限らず、たった一口に言えば道楽ということ。浄瑠璃は耳、好色は目である。見ること聞くことに惑うと言うのも、耳目を出して総体を言ったこと。何でもあってはならないことをすれば皆、親の名が出る。悪い身ぶりをしてそこを通ると、あれは誰の子だと言われる。ああ悪い子を持ち合わせたと言う。「好勇闘狠」。ああ唐も日本もこんなことがある。何かと言うと腕立てである。それが度重なると親に返り矢が来る。この章は孟子が匡章のことを言ったのが本語である。匡章を或る人が、通国不孝と申すのに何故付き合いをなされるのかと聞くと、孟子が、匡章にはこの五色がないからまだ薬が盛られると言った。今の学者もこの五色があれば、孟子の内へ寄せられないと見なさい。
【語釈】
・孟子か匡章かことを云たか本語…孟子離婁章句下30。「公都子曰、匡章、通國皆稱不孝焉。夫子與之遊、又從而禮貌之。敢問何也。孟子曰、世俗所謂不孝者五。惰其四支、不顧父母之養、一不孝也。博弈好飲酒、不顧父母之養、二不孝也。好貨財、私妻子、不顧父母之養、三不孝也。從耳目之欲、以爲父母戮、四不孝也。好勇鬥很、以危父母、五不孝也。章子有一於是乎」。


明倫38
○曾子曰、身也者父母之遺體也。行父母之遺體、敢不敬乎。居處不莊非孝也。事君不忠非孝也。莅官不敬非孝也。朋友不信非孝也。戰陳無勇非孝也。五者不遂、烖及於親。敢不敬乎。遂、成也。
【読み】
○曾子曰く、身は父母の遺體なり。父母の遺體を行う、敢て敬せざらんや。居處莊ならざるは孝に非ざるなり。君に事えて忠ならざるは孝に非ざるなり。官に莅[のぞ]みて敬まざるは孝に非ざるなり。朋友信ならざるは孝に非ざるなり。戰陳勇無きは孝に非ざるなり。五の者遂げざれば、烖[わざわい]親に及ぶ。敢て敬まざらんや。遂は成なり。

○曽子曰云々遺体なり。これらもやはり孝經の意なり。父母のからだを預てをると思へは殊の外孝へ早道になる。身は遺体しゃと云と、誰もかもなるほととは云が、それが知り顔にして知らぬ処。本んに知たは学文の上り目なり。某がここをよむも御法差合理屈つめを云のじゃ。はて親のからたから出たから遺体さと一と通りに知た位でならぬことぞ。小夜の寐覚にははあと感して汗水になるほどでなくては本んに遺体を知たてはない。ここの云かけが体状どりをして云たこととみるかよい。先つ爰に居た人に身也者父母の遺体でごさると云て廻状をまわすと、皆尤と点をかける。いや某は遺体てないと存すると云人は御勝手次第。左様てこざると点をかけたものは、そんなら敢不敬乎と、のっひき云はせぬことなり。さあ遺体と云相談になりてはもの言ひ視る聽、皆親のすること。吾か勝手には曽てならぬ。人の羽をりをかりてきてさへ、袖てひたへの汗をふくと咎めらるる。親の遺体でわるいことはなるまい。
【解説】
「曾子曰、身也者父母之遺體也。行父母之遺體、敢不敬乎」の説明。この身は親の遺体だと言えば誰もが合点するが、それを本当に知った者は少ない。我が身が父母の遺体であれば、自分勝手はできない。
【通釈】
「曾子曰、身也者父母之遺体也」。これらもやはり孝経の意である。父母の体を預かっていると思えば殊の外孝への早道になる。身は遺体だと言うと、誰も彼もがなるほどとは言うが、それが知り顔にして知らない処。本当に知れば学文の上り目である。私がここを読むのも御法差し合い理屈詰めを言うのである。親の体から出たから遺体だと一通りに知ったくらいでは悪い。小夜の寝覚めにははあと感じて汗水が出るほどでなくては本当に遺体を知ったのではない。ここの言い出しは体状取りで言ったことだと見なさい。先ずここにいる人に「身也者父母之遺体」と廻状を回すと、皆尤もと点を掛ける。いや私は遺体でないと思うと言う人は御勝手次第。左様でこざると点を掛けた者には、それなら「敢不敬乎」で、言訳を言わせはしない。さあ遺体という相談になっては、ものを言い視る聴くことが皆親のすること。決して自分勝手はできない。人の羽織を借りて着てさえ、袖で額の汗を拭くと咎められる。親の遺体では悪いことはできない。
【語釈】
・小夜の寐覚…夜中に目覚めること。
体状どり…誤字ではないか?

○居処不荘。このわけか靣白ひ。遺体さへ大切にしたらよさそふなものしゃに、納戸に昼寢をしてをると、こりゃ不孝をすると云。某不孝の覚はないと云。いやその昼寢のために親は生まぬと云。酒を大茶碗でひかへてをると、こりゃ々々々内損のために生た遺体ではないと咎めらるる。こふただされては一句もない。いこふ孝のはばか廣くなりてきて、椽の下まてをっかけてくる。○遺体で不奉公をすれは吾か親に不孝、君に不忠で浪人すれは吾親を浪人にする。○莅官不敬。やりばなしをするもののこと。奉公の始はいこふ恐れてをどつくもの。なるるとをとつくことをせぬ。これか不敬の始になる。○朋友にまことがないと五倫の中へ不信と云穴かあく。すれは親の体にも穴をあけたになる。○戦陣無勇。死後でも存生ても陳不占かやふに、軍中て笑ひものになりて親は本望とは云ぬはつ。○非孝々々と云は手前へ省ること。ひたと省ると孝にならるる。つまり親へ吾がついてゆく。○敢不敬乎。どふも敬すまいやふはない。子の身てない。身一箇と二つとはいこふちごふ。娘か懐妊すると母がをのし一人のからたではないと云。それて喰物まてに用心をさする。死ぬと二人死ぬになると云ぞ。それも親切な教なれとも、また其上がある。たたいこのからたは我一人のものてない。づぶ親の肉じゃとみるか終身大切にすることなり。
【解説】
「居處不莊非孝也。事君不忠非孝也。莅官不敬非孝也。朋友不信非孝也。戰陳無勇非孝也。五者不遂、烖及於親。敢不敬乎。遂、成也」の説明。我が身は親の遺体だから身を大切にさえすればよいと思うのは違う。自分が不奉公なのは親が不奉公となる。遣り放しは不敬の始めである。朋友に誠がなければ五輪に穴を開ける。軍中で笑いものになるのは親も本望ではない。我が身は親の肉なのである。
【通釈】
「居処不荘」。このわけが面白い。遺体さえ大切にしたらよさそうなものだが、納戸で昼寝をしていると、これ、不孝をすると言う。私は不孝の覚えはないと言う。いやその昼寝のために親は生まないと言う。大茶碗で酒を飲もうとしていると、これこれ内損のために生んだ遺体ではないと咎められる。この様に糾されては一句もない。大層孝の幅が広くなって、縁の下まで追い掛けて来る。遺体で不奉公をすれは我が親に不孝、君に不忠で浪人すれば我が親を浪人にする。「莅官不敬」。これが遣り放しをする者のこと。奉公の始めは大層恐れておどおどとするものだが、慣れるとおどおどとしない。これが不敬の始めになる。朋友に誠がないと五倫の中へ不信という穴が開く。それなら親の体にも穴を開けることになる。「戦陳無勇」。死後でも存生でも、陳不占の様に軍中で笑いものになっては、親は本望とは言わない筈。「非孝」とは自分に省みること。一途に省みると孝になることができる。つまり親へ自分が付いて行くこと。「敢不敬乎」。どうも敬さないことはできない。子の身だけではない。身一箇と二つとは大層違う。娘が懐妊すると母がお前一人の体ではないと言う。それで食物までに用心をさせる。死ぬと二人死ぬことになると言う。それも親切な教えだが、まだその上がある。そもそもこの体は自分一人のものではない。我が身は実に親の肉であると終身大切に見るのである。
【語釈】
・陳不占…新序義勇。「齊崔杼弑莊公也。有陳不占者、聞君難、將赴之、比去、餐則失匕、上車失軾。御者曰、怯如是、去有益乎。不占曰、死君、義也。無勇、私也。不以私害公。遂往、聞戰鬥之聲、恐駭而死。人曰、不占可謂仁者之勇也」。


明倫39
○孔子曰、五刑之屬三千、而罪莫大於不孝。異罪同罰合三千條。
【読み】
○孔子曰く、五刑の屬三千にして、罪不孝より大なるは莫し。異罪同罰合わせて三千條なり。

○孔子曰五刑云々。しまいに此語を引て、万世の親を持たものにきり々々としみさせることそ。孔子の語のふっくりと丸く出た語にはうかかわえれぬこともあるか、これはきりつめた語なり。こなた盗をしたと云や土藏の尻を切たと聞たなどと云と大喧嘩なり。こなたちと不孝てはないかと云ても、盗人と云はれたほとに腹は立ぬ。すれは不孝と云ことをゆるく心得てをるぞ。親にあたりのわるいと刑罰とはへだたりが有ると思ふ処を、孔子か盗人巾着きり、いろ々々風上にをくもいやな首なしを幷へたててをいて、またそれよりわるいものかあると云た。こふきいてはなるほと身にきりこむことぞ。不孝は夜盗火あぶりより重ひと云はれたぞ。○きさまがをれを不孝じゃ々々々々と云か、中々をらが親父はなみではない、さふはゆかぬと云てをし通ると、脇からもはやなるほどと道理をつける。すれは皆のものが不孝と云ことをゆるく心得てをるぞ。みよ、あの孔子の丸い口から大悪に立てた。
【解説】
人は親に不孝なことを刑罰ほどには思わず、軽く心得ている。そこを孔子が、不孝は刑罰よりも悪いと言った。
【通釈】
「孔子曰五刑云々」。最後にこの語を引いて、万世の親を持った者にぎりぎりと凍みさせたのである。孔子のふっくりと丸く出た語にはわかり難いこともあるが、これは切り詰めた語である。貴方は盗みをしたと言われたり土蔵に押し入ったと聞いたがなどと言われれば大喧嘩だが、貴方は少々不孝ではないかと言われても、盗人と言われたほどに腹は立たない。不孝ということを緩く心得ているのである。親に当たりが悪いのと刑罰とは隔たりがあると思う処を、孔子が盗人や巾着切りなど、風上に置くのも嫌な首無しを色々と並べ立てて置いて、まだそれよりも悪いものがあると言った。この様に聞いてはなるほど身に切り込むことである。不孝は夜盗や火炙りよりも重いと言われたのである。貴様が俺を不孝だと言うが、俺の親父は中々並大抵ではない、そうは行かないと言って押し通すと、脇からも早、なるほどと道理を付ける。皆の者が不孝ということを緩く心得ているのである。見なさい、あの孔子の丸い口から、不孝を大悪に立ててある。

○異罪同罰。黥・劓・刖・割勢・大辟、犯す罪はさま々々あるか、五つてきめる。犯す科をこまかにわりてしめて三千色になりてをる。其中に不孝の刑かあるが一ち重ひと云ことを玉しひにきりつけるか父子の親のとめなり。○此父子の親を鶏初鳴云々から云出して、たん々々これまてつまりたからしては、小学をよむものは不孝をあらくみぬことぞ。少しても小学の教にそむいたことをすると罪に合ふと心得るかよい。以適父母舅姑之所を少し延引しても、それか段々つのると不孝の目方が重くなる。文言に臣弑其君、子弑其父、非一朝一夕之謂と有。小学の少の教にそむいたが、はや不孝の方へもむく。親のよんたに足がをそひと不孝の方へ足がはやくなる。○大尽が身上をつぶして引拂ふとき、筭用して見ると何万两と云ほとの高なれとも、よくふり返て考てみれは多葉粉入を一つ買た迠が身上をつぶしたのヶ條になる。小学のちらり々々々のささいな教にそむくか此大罪になる。ちっとの処へ穴かあくと、はやうまらぬことになる。
【解説】
五刑があるが、不孝の刑が一番重いと言って「父子之親」を止める。そこで、小学の教えに背けば罪に遇うと思わなければならない。小学の瑣細な教えに背くことが大罪へと繋がる。
【通釈】
「異罪同罰」。黥・劓・刖・割勢・大辟と、犯す罪は様々あるが、五つで決める。犯す罪を細かに割るとしめて三千色になる。その中で不孝の刑が一番重いということを魂に切り付けるのが父子之親の止めである。この父子の親を「鶏初鳴云々」から言い出して、段々とこれまで詰めて来たのだから、小学を読む者は不孝を粗く見てはならない。少しでも小学の教えに背くことをすると罪に遇うと心得なさい。「以適父母舅姑之所」を少し延引しても、それが段々と募ると不孝の目方が重くなる。文言に「臣弑其君、子弑其父、非一朝一夕之故」とある。小学の少しの教えに背けば、早くも不孝の方へも向く。親が呼んだのに足が遅いと不孝の方へ足が早くなる。大尽が身上を潰して引き払う時、算用して見ると何万両というほどの高だったが、よく振り返って考えて見れば、煙草入れを一つ買ったことまでが身上を潰した箇条となる。小学のちらりとした瑣細な教えに背くことがこの大罪になる。一寸の処へ穴が開くと、早くも埋めることはできなくなる。
【語釈】
・黥・劓・刖・割勢・大辟…書経呂刑。「墨罰之屬千、劓罰之屬千、剕罰之屬五百、宮罰之屬三百、大辟之罰其屬二百。五刑之屬三千」。黥はいれずみ、劓は鼻柱をそぐこと、刖は膝の骨を取り去ること、割勢は去勢、大辟は死刑。
・以適父母舅姑之所…小学内篇明倫1の語。
・臣弑其君、子弑其父、非一朝一夕之謂…易経坤卦文言伝。「臣弑其君、子弑其父、非一朝一夕之故」。


右明父子之親
【読み】
右、父子の親を明かにす。

父子の親ははへぬきなれとも、教かないとぬけてしまふ。そこて知らぬことを知り、ならぬことをもして、しっかり々々々とみかきをかけてゆくか明すなり。是て堪忍と云ことはない。父子の親は五倫のまっ始で小学のまっさきなり。柯先生の著述抄畧に君臣之義を先きにしたは間違ひなり。父子か先てなけれは君臣の義に根かないぞ。
先生講後に曰、今日の処は皆某か坊主天窓にはわるい処しゃ。されともをれかあたまをかほふと孝経にわりか入てみんなになる。それてあたまをさし出してよんだてはあるか、弁口さはやかにわるごふを云たの類なり。あんな処は只身持へかけるてよい。
惟秀云、あたまをさし出して弁口さはやかにわるごふを仰られたと云こと、必意味あるべし。とふしたあたりやら知れず。曰、亭主か出て留主をつこふの筋ぞ。

【解説】
父子之親は生まれ付いてあるものだが、明にしなければ抜けてしまう。先ずは父子があって、それから君臣之義となる。父子之親が君臣之義の根となる。
【通釈】
父子之親は生え抜きだが、教えがないと抜けてしまう。そこで知らないことを知り、できなかったことをもして、しっかりと磨きをかけて行くのが「明」である。ここで堪忍とは言えない。父子の親は五倫の真っ始めで小学の真っ先なこと。柯先生が著述抄略に君臣之義を先にしたのは間違いである。父子が先でなければ君臣の義に根がない。
先生が講後に、今日の処は皆私の坊主頭には悪い処である。しかし俺の頭を庇うと孝経に割りが入って台無しになる。それで頭を差し出して読んだのだが、それは弁口爽やかに悪功を言うの類である。あんな処はただ身持へ掛けるだけでよいと言った。
惟秀が、頭を差し出して弁口爽やかに悪功を仰せられたとは必ず意味のあることだろうが、どうした見当なのかわからないと言った。亭主が出て留守を使うの筋だと黙斎が言った。
【語釈】
・惟秀…篠原惟秀。本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。稲葉黙斎門下。