明倫69
孟子曰、孩提之童無不知愛其親。及其長也、無不知敬其兄也。孩提、知孩笑可提抱者也。
【読み】
孟子曰く、孩提の童も其の親を愛することを知らざるは無し。其の長ずるに及ぶや、其の兄を敬することを知らざるは無し。孩提は、孩笑を知りて提抱す可き者なり。

○孟子曰、孩提之童云々。 己酉九月廿一日  豊昌彔
【語釈】
・己酉九月廿一日…寛政元年(1789)9月21日。
豊昌

長幼の序は兄弟が正客。伯叔父や姪や従兄弟も従姪もあり、それから一在所の郷先生老人も長幼の内。さて一在所の老先生長幼は兄弟とは別なものなれとも同事ぞ。兄弟挨拶のよいのか処の年よりにわるいと云はないぞ。そこて朱子の書き始めも兄弟からさきぞ。それから皆一在所の者もこもるそ。爰に親のことも出てあるが、兄弟が正客。長幼の序と云も人の拵へたてない。自然てん子んと具る。其ことを孟子の云れたぞ。孩提の童は二つ三つの子とも。とかく親をしたしんではやたかれふとする。何んにも知らす、そこにあるものをひろふて喰ふやふなことて知惠も何んにもないなれとも、兎角親を大事とするぞ。脇から親をたたくま子する。はやはらたつぞ。○及其長とは孩提をはなさす、その孩提か少し大きくなるとと云こと。兄を敬する。この敬するは自然ぞ。跡からついていて兄に順ふ。気がさな子か、兄様がとふもならぬと云て母の方へ云付る。これらは教へはせぬか兄を敬ふのぞ。これか長幼の序の根を語る。これが拔ると頼朝義經になると迂斎の云れた。こふ説くて孩提の心がうせぬやふにすること。一生ながいことなれとも、子供のときを忘れぬからなり。孩はにこ々々笑。提はよこだきにだくのぞ。初の一段は長幼の字の道体しゃ。自然を語たもの。
【解説】
長幼の序は天然自然なことであり、兄弟が正客である。孩提の童は親を大事なものとするが、その子が大きくなるにつれて兄を敬する様になる。
【通釈】
長幼の序は兄弟が正客である。伯叔父や姪や従兄弟も従姪もあり、それから一在所の郷先生の老人も長幼の内である。さて、一在所の老先生への長幼は兄弟とは別なものだが同じこと。兄弟挨拶はよいが在所の年寄りには悪いということはない。そこで朱子の書き始めも兄弟からである。それが皆、一在所の者もこもってのこと。ここに親のことも出ているが、兄弟が正客である。長幼の序というのも人が拵えたことではない。自然天然に具わる。そのことを孟子が言われたのである。孩提の童は二つ三つの子供で、とかく親を親しんで直ぐに抱かれようとする。何も知らず、そこにある物を拾って喰う様なことで知恵も何にもないのだが、とかく親を大事とする。脇から親を叩く真似をする。早くも腹を立てているのである。「及其長」とは孩提を離さず、その孩提が少し大きくなればということ。兄を敬する。この兄を敬するのは自然である。後を付いて行って兄に順う。気嵩な子が、兄様がどうにもならないと言って母に言い付ける。これらが、教えはしないが兄を敬うのである。ここは長幼の序の根を語ったもの。これが抜けると頼朝と義経になると迂斎が言われた。この様に説いて孩提の心が失せない様にする。一生は長いが、子供の時を忘れないもの。孩はにこにこと笑うこと。提は横抱きに抱くこと。最初の一段は長幼の字の道体であり、自然を語ったもの。


明倫70
○徐行後長者、謂之弟。疾行先長者、謂之不弟。
【読み】
○徐かに行きて長者に後る、之を弟と謂う。疾く行きて長者に先だつ、之を不弟と謂う。

○徐行云々。上か長幼の序の道体しゃから、この章は為斈なり。長者に後るは教の自然の手入れぞ。譬は堀浚ひする様なもの。堀のごみをさろふと流るるやふなこと。徐行と云てなんの手もなく弟になる。徐行はずんと六ヶ鋪くないことぞ。あるくにしづかに兄の先へたたぬやふ、兄を先に立てゆくか弟ぞ。弟の字の上へ不の字の付はいたつらものぞ。たとへは濱見物に兄よりさきにたってゆく。あまりにくひことでもない。それがとどは家督あらそいにもなる。待建門の夜軍が始る。不の字がふひろがり。とんとしかたのないことになる。後長者と云て兄弟中のよいがこの内にこもる。ここらは尭舜をふくんで云。孟子の、尭舜の道は孝弟而已と云た。これは六ヶしい傳受かと云へば徐行長者に後る。なんのこともない。さて、是迠兄弟を云ひ、此曲礼曰からは他人へのことなり。さて、佗人をばすててをけなれば、其心かやっはり兄へも出る。兄をうやまわぬのぞ。ここの編次、朱子の思召大切のあんばいぞ。他人と云ても長幼なり。丁度父子の親に孝子養老のある意なり。親を愛すのあまりが他人の老人へ出る。兄弟中から凡長幼と親切か出る。もと他人は別なれば朋友であるへきに、我より年長したと云て兄弟のさはきぞ。
【解説】
兄の先へ立たない様に静かに歩き、兄を先に立てて行くのが弟である。兄弟仲がよいから長幼へと親切が出る。
【通釈】
「徐行云々」。前条が長幼の序の道体なので、この章は為学である。長者に後るのは教えの自然な手入れである。たとえばそれは堀浚いをする様なもの。堀の塵を浚うと流れる様なこと。徐行で、何の手もなく弟になる。徐行は全く難しくないこと。歩く時には静かに兄の先へ立たない様に、兄を先に立てて行くのが弟である。弟の字の上に不の字が付くと悪戯者である。たとえば濱見物に兄に先立って行く。それはあまり憎いことでもないが、それがつまりは家督争いにもなる。待賢門の夜軍が始まる。不の字が広がって全く仕方のないことになる。「後長者」の内に兄弟仲のよいことがこもる。ここらは堯舜を含んで言う。孟子が、「堯舜之道、孝弟而已」と言った。これは難しい伝授かと言えば、「徐行後長者」で何のこともない。さて、これまでは兄弟を言い、次の「曲礼曰」からは他人へのことを言う。さて、他人を棄てて置くのであれば、その心がやはり兄へも出て、兄を敬わない。ここの編次には朱子の思し召しの大切な塩梅がある。他人と言っても長幼である。丁度父子の親に「孝子養老」のある意である。親を愛する余りが他人の老人へ出る。兄弟仲から凡そ長幼へと親切が出る。元々他人は別なのだから朋友であるべきだが、自分より年長なので兄弟の裁きをする。
【語釈】
・待建門の夜軍…待賢門の夜軍。平治の乱において、待賢門付近で合戦があった。内裏に陣した源義朝の軍を平氏は三千余騎の兵で攻め、平重盛は兵五百をひきいて源義平と一騎討を試みたが敗退する。
・尭舜の道は孝弟而已…孟子告子章句下2。「堯舜之道、孝弟而已矣」。
・父子の親に孝子養老…小学内篇明倫18。「曾子曰、孝子之養老也、樂其心、不違其志」。


明倫71
○曲禮曰、見父之執不謂之進不敢進、不謂之退不敢退。不問不敢對。見父同志、如事父。
【読み】
○曲禮に曰く、父の執を見ては、之に進めと謂わざれば敢て進まず、之に退けと謂わざれば敢て退かず。問わざれば敢て對えず。父の同志を見るに、父に事うる如くす。

○礼曲曰、見父之執云々。一と通りの友でない。志の一つなことぞ。執友とつづひてあり。○不問不敢對。これは向を敬ふのぞ。この方から心ままに咄すなれば同挌になる。○父同志。本文執の字の注。
【通釈】
「礼曲曰、見父之執云々」。一通りの友ではなく、父と志が一つな人。執友と続く。「不問不敢対」。これは向こうを敬うのである。こちらから心のままに話せば同格になる。「父同志」。これは本文の執の字の注である。


明倫72
○年長以倍、則父事之。十年以長、則兄事之。五年以長、則肩隨之。年長以倍、謂年二十於四十者。肩隨、與之並行差退。
【読み】
○年長ずること以て倍すれば、則ち之に父とし事う。十年以て長ずれば、則ち之に兄とし事う。五年以て長ずれば、則ち之に肩して隨う。年長ずるに以て倍するは、年二十の四十に於るを謂う。肩隨は、之と與に並び行きて差々[やや]退くなり。

○年長云々。年一倍のものをは親のやふにする。十年以長は兄あしらい。肩は肩だけくだる。○倍する、知れたことなれとも、きっと二十歳のあいては四十とみせる。親にもなるの年ぞ。此注も大槩を云そ。ここは二十と四十は倍したこと計のことを注したぞ。すべて一倍と云はいつまでもついてゆくものてはない。あとの十年五年は一生この筭用ぞ。
【通釈】
「年長云々」。年一倍の者を親の様に、十年以長は兄あしらいにする。「肩」は肩の分だけ下がること。倍するとはわかり切ったことだが、はっきりと二十歳の相手は四十歳と見せた。これは親にもなる年である。この注も概要を言ったもの。ここは二十と四十は倍したことだという注である。一倍はいつまでも同じというわけではない。しかし、後にある十年五年は一生この算用である。


明倫73
○謀於長者、必操几杖而從之。操、執持也。几、可以扶己、杖、可以策身。倶養尊者之物。從猶就也。長者問不辭讓而對非禮也。當謝不敏、若曾子之爲。
【読み】
○長者に謀るに、必ず几杖を操りて之に從う。操は執り持つなり。几は以て己を扶く可く、杖は以て身を策す可し。倶に尊者を養う物なり。從は就に猶[おな]じ。長者問うに辭讓せずして對えるは禮に非ざるなり。當に不敏を謝するは、曾子の爲の若くなるべし。

○謀於長者云々。長者の思召伺ふ。長者の差圖を蒙りて知惠をかること。○操几杖。長者のさあ々々こちへきやれと云ときに只はゆかぬ。對話御草臥もあろふと几杖の用意なり。○几は退屈のとき、長者の肘をよりかかる道具。老人は几杖なくては養にならぬ。此やふなことは老人へつかえる心ばへ。年がよると骸か勞する。兎角こちで身をたすくるでなけれは親切はない。これらのことは年よるとよく知れるぞ。夫故吾々も学者の出合なれとも、ちと按摩と云方をよろこぶぞ。これらのことで長につかへるでなけれは道ではない。○長者問不辞譲云々。ぶつきれによむこと。上の句とは違ふ。問ふは、何んと此ことは知ってかと云に、をれこそ知たり顔でない。そこを少しゆとりのあるか敬ふのぞ。或時孔子の曽子に問れた。参不敏なとじきをした。曽子之為。孝經にあるぞ。公西蕐も願くは学ひんと云た。爰をせんどと荅るは、年をとった者へはこれこそと云て荅るは道理に叶はぬぞ。
【解説】
年が寄ると骸が労する。そこで、長者の思し召しを伺う時は几杖を用意する。また、長者から問われた時に、それを先途と思って答えるのは道理に叶ったことではない。
【通釈】
「謀於長者云々」。長者の思し召しを伺う。それは、長者の指図を蒙って知恵を借りること。「操几杖」。長者がさあこちらへ来なさいと言った時に、ただでは行かない。対話で御草臥もあるだろうと几杖の用意をする。几は退屈な時に長者が肘を寄り掛かるための道具で、老人は几杖がなくては養いにならない。この様なことは老人に仕える心栄えである。年が寄ると骸が労する。とかくこちらが身を助けるのでなければ親切でない。これらのことは年を取るとよくわかる。それで、我々も学者の出合いではあるが、一寸按摩という方を悦ぶ。これらのことで長に仕えるのでなければ道ではない。「長者問不辞譲云々」。ここはぶつ切れに読みなさい。上の句とは違う。「問」は、何かこのことは知っているかと問うことで、そこで俺こそとしたり顔をしない。そこを少しゆとりのあるのが敬うということ。或る時孔子が曾子に問われた。「参不敏」と辞儀をした。「曾子之為」。これが孝経にある。公西華も願わくは学びんと言った。ここを先途と答えるのは、年を経た者にこれこそはと言って答えるのは道理に叶わないこと。
【語釈】
・参不敏…孝経開宗明義。「仲尼居。曾子侍。子曰、先王有至德要道、以順天下、民用和睦、上下無怨。汝知之乎。曾子避席曰、參不敏」。
・公西蕐も願くは学ひん…論語先進25。「赤、爾何如。對曰、非曰能之、願學焉。宗廟之事、如會同、端章甫、願爲小相焉」。
・せんど…先途。勝負または成敗の決する大事の場合。瀬戸際。


明倫74
○從於先生、不越路而與人言。尊不二矣。先生、年德倶高、又敎道於幼者。遭先生於道、趨而進、正立拱手。爲有敎使。先生與之言則對。不與之言則趨而退。爲其不欲與己並行。從長者而上丘陵、則必郷長者所視。爲遠視不察。有所問。
【読み】
○先生に從いては、路を越えて人と言わず。尊は二つにせざるなり。先生は年德倶に高く、又幼者を敎え道くなり。先生に道に遭えば、趨りて進み、正しく立ちて手を拱す。敎使すること有る爲なり。先生之と言えば則ち對う。之と言わざれば則ち趨りて退く。其の己と並び行くを欲せざる爲なり。長者に從いて丘陵に上れば、則ち必ず長者の視る所に郷[むか]う。遠く視て察せず。問う所有る爲なり。

○従於先生云々。従は供をするの。越は向に近付がをるとて、かけだして行て用向をたさぬこと。越の字、このさきには注かある。ここにはない。このさきの注には越は踰なりとあり、浅見先生の説には、先生の方をおしのけてゆきすごしてと云弁なり、と。句讀もそふなり。されともこれは先生の供をする時、道で人にもの云わぬと云ことなるべし。越の字は道をここにと指す意なり。道でと云ことなるべし。たんてき今日供先きで人にもの云わぬぞ。越て云ことはわるい。越子ば云てもよいではない筈。浅見子の先へかけぬけぬと云ことと云はるるなれば、先つ先軰に従ふべし。○尊不二也。此註なとてみても、やっはり先生の供も行列正しく君のやふにする筈。○先生の字のふるひは管子と論吾にある。論吾のはをやにもなる。管子の方が古い。弟子職に先生施教。これか正靣の先生なり。いかさま孔孟なとの門人の供さるる、主や親と分なことではない。
【解説】
「從於先生、不越路而與人言。尊不二矣。先生、年德倶高、又敎道於幼者」の説明。浅見先生が、「越」は先生を押し退けて行き過ごすことだと言ったが、先生の供をする時に、道で人にものを言わないことだろう。「先生」の字は古くは管子と論語にあるが、管子の方が古い。
【通釈】
「従於先生云々」。「従」は供をすること。「不越」は向こうに近付きがいると言って、駆け出して行って用向きを足さないこと。越の字、この先には注があるがここにはない。この先の注には「越、踰也」とあり、浅見先生の説には、先生の方を押し退けて行き過ごすという弁だとあり、句読もそうなっている。しかし、これは先生の供をする時に、道で人にものを言わないことなのだろう。越の字は道をここにと指す意である。道でということなのだろう。端的今日供先きで人にものを言わないこと。越えて言うのは悪い。越えなければ言ってもよいということではない筈。浅見子が先へ駆け抜けないことだと言われるのであれば、先ずは先輩に従うことにする。「尊不二矣」。この註などで見ても、やはり先生の供も行列正しく君の時の様にする筈。「先生」の字は古くは管子と論語にある。論語のは親にもなる。管子の方が古い。弟子職に「先生施教」とあり、これが正面の先生である。いかにも孔孟などの門人が供をされる時は、主や親と別なことではない。
【語釈】
・越は踰なり…小学内篇明倫77。「越、踰也」。
・先生の字のふるひは管子と論吾にある…管子弟子職。「先生施敎、弟子是則」。論語為政8。「子夏問孝。子曰、色難。有事、弟子服其勞、有酒食、先生饌、曾是以爲孝乎」。憲問47にもあるが、「論吾のはをやにもなる」とあるから為政8を指す。

○遭先生云々。師匠とみると此方がはやくゆくこと。拱手。手をくむことの説あり、手をこまぬくと云こともあり。手をくむは日本人もする。手を合すること。○並行。一処につれ立てと云なれは行く。あいさつなけれは一処にゆくこと望まれぬとみる。かへるぞ。○従長者云々。長者のあれはと云に、じきにこたへられる。あの森はと云、じきに片貝てこさると出る。これらはささいなれとも、た子くするてなくては道は得られぬ。とんと小学はわざからしこむ。道体をききわけてもここらをせ子はぬける。前の遊目と云も同し心入れなり。父子長幼もとと一つ釜で出来るのぞ。
【解説】
「遭先生於道、趨而進、正立拱手。爲有敎使。先生與之言則對。不與之言則趨而退。爲其不欲與己並行。從長者而上丘陵、則必郷長者所視。爲遠視不察。有所問」の説明。先生を見たら直ぐに駆け付ける。一緒に行こうと言われなければ帰る。先生が尋ねれば素早く答えられる様にする。この様な瑣細なことをしなければ道は得られない。
【通釈】
「遭先生云々」。師匠と見ると素早くそこへ行く。「拱手」。手を組むという説があり、手を拱くということもある。手を組むのは日本人もする。手を合わせること。「並行」。一緒に連れ立って行こうと言うのであれば行き、その挨拶がなければ一処に行くこと望まれないと見て帰る。「従長者云々」。長者があれはと言えば、直ぐに答えることができる。あの森はと言えば、直ぐに片貝ですと出る。これらは瑣細なことだが、細々とするのでなければ道は得られない。小学はすっかりと業から仕込むもの。道体を聞き分けてもここらをしなければ抜ける。前に遊目とあるのも同じ心入れである。父子長幼も結局は一つ釜でできるのである。
【語釈】
・遊目…小学内篇明倫14。「若父則遊目」。


明倫75
○長者與之提携、則兩手奉長者之手。提携謂牽行。奉手、習扶持尊者。負劔辟咡詔之、則掩口而對。負謂置之於背。劔謂挾之於旁如帶劔也。口旁曰咡。辟咡詔之、謂傾頭與語也。掩口而對、習其郷尊者屏氣也。
【読み】
○長者之と提携すれば、則ち兩手もて長者の手を奉ぐ。提携は牽き行くを謂う。手を奉るは、尊者を扶持するを習うなり。負い劔み咡を辟けて之に詔ぐれば、則ち口を掩いて對う。負は之を背に置くを謂う。劔は之を旁に挾みて劔を帶るが如きを謂うなり。口旁を咡と曰う。咡を辟けて之を詔ぐるは、頭を傾けて與に語るを謂うなり。口を掩いて對うるは、其の尊者に郷[むか]いて氣を屏[おさ]むるを習うなり。

○長者與之云々。長者の手をささぐとは、子供のときから長者に手をいたたくきみ。どふなれは、長者の介抱をうけて手ひかれなから、はやこれを仕込む。をかしひやふなことなれとも、介抱される内から介抱することをなろふぞ。○負劔云々。今日もあることぞ。路のわるい処て子供を脊負ふのぞ。わきばさみ一寸横にたかれたとき、長者か咄をしかけるとき、顔を脇へむけてことふ。吾か息を吹かけぬため。これらもしこむのぞ。これがもふ長幼の頭綱ぞ。小学は地形をそろ々々なり。とんとちいさい畚[ざる]に土をきめる。ささいなれとも子共相応の土もちぞ。つんとけし坊主にも教のこりぬことぞ。直方の松苗を植るやふしゃがここぞ。あるくことならぬけし坊主にしこむぞ。銭一文が小判のはしとはよく云た。垩賢はこのやふな処からしこむ。道にきれ目はない。やっはり鳶飛魚躍の見ぞ。異端はきれ目あり、一足とびなり。垩人はこのやふな処から至極へつめるぞ。
【解説】
長者の手を奉ぐのは、子供の時に長者に手を引いてもらう時の仕込みからのこと。歩くこともできない芥子坊主の時から仕込むから、道に切れ目はない。異端は切れ目があり、一足飛びである。
【通釈】
「長者与之云々」。長者の手を奉ぐとは、子供の時に長者に手を引いてもらう気味である。それはどういうことかと言うと、長者の介抱を受けて手を引かれながら、早くもこれを仕込むのである。それは可笑しいことの様だが、介抱される内から介抱することを習うのである。「負劔云々」。今日もあること。路の悪い処で子供を背負う。脇挟みをして一寸横に抱かれ、長者が話をし掛ける時、顔を脇へ向けて答える。それは自分の息を吹き掛けないため。これらも仕込む。これがもう長幼の頭綱である。小学では地固めをそろそろとする。極めて小さいざるに土を決める。それは瑣細なことだが、子供相応の土持ちである。芥子坊主にも教えの残ることは全くない。直方が松苗を植える様だと言うのがここ。歩くこともできない芥子坊主に仕込む。銭一文が小判の端とはよく言った。聖賢はこの様な処から仕込むから、道に切れ目はない。やはり「鳶飛魚躍」の見である。異端は切れ目があり、一足飛びである。聖人はこの様な処から至極へ詰める。
【語釈】
・けし坊主…芥子坊主。子供の頭の周囲の髪を剃って、脳天にだけ毛を残したもの。
・鳶飛魚躍…中庸章句12。「詩云、鳶飛戻天、魚躍于淵」。詩は詩経大雅旱麓。


明倫76
○凡爲長者糞之禮、必加帚於箕上、掃席前曰糞。此謂初執而往時也。加帚於箕上、得兩手奉箕恭也。弟子職曰、執箕膺擖、厥中有帚。以袂拘而退、其塵不及長者。謂掃時也。袂、衣袖末也。以袂擁帚之前、掃而却行之。以箕自郷而扱之。扱、讀曰吸。謂収糞時也。箕去棄物。以郷尊者則不恭。
【読み】
○凡そ長者の爲に糞[はら]うの禮は、必ず帚を箕上に加え、席前を掃うを糞と曰う。此れ初め執りて往の時を謂うなり。帚を箕上に加え、兩手にて箕を奉るを得て恭するなり。弟子職に曰く、箕を執りて擖を膺にし、厥の中に帚有り。袂を以て拘えて退き、其の塵を長者に及さず。掃う時を謂うなり。袂は衣袖の末なり。袂を以て帚の前を擁い、掃きて之を却行す。箕を以て自らに郷[むか]えて之を扱[おさ]む。扱は讀みて吸と曰う。糞を収むる時を謂うなり。箕は棄物を去るなり。以て尊者に郷えば則ち恭しからず。

○凡爲長者糞之礼とは大そふなやふなれとも、何んても物の道理のないことはない。とのやふなことにも道理かある。其道理の通りにするを礼と云。掃除と云ものは六つ七つから二十三十でもするものそ。これらもことのきまりを合点せよ。今日学者か師の坐鋪を掃除するに下女下男とは違ふ筈。明日客と云て掃除して、下女小坊主よりわるくてはやくにたたぬ。ちと学力あるものか見識ぶりて、我々は天下の掃除はする、坐鋪はくことは不得手とやりなくる。なれとも、ここらかできぬのては天下の掃除はなをならぬ筈。陳平も肉の配膳からしゃ。直方先生の天木先生へ半切をつかせた。名にあふ天木なれはここをせんととついで上けらるる。直方先生見られて、あふ大がいじゃと云はれた。經師屋てはなし、よくなふても云訳はすむなれとも、不手ぎはをほめることてもないぞ。師につかへるに、ささいなことでもぬけがありては大極にあながあく。
【解説】
何にでも道理があり、その道理の通りをするのが礼である。掃除もそれである。学者が見識ぶって、天下の掃除はするが座敷を掃くのは不得手だと言う。座敷の掃除もできなくて天下の掃除ができる筈はない。
【通釈】
「凡為長者糞之礼」とは大袈裟な様だが、何にも物の道理のないことはない。どの様なことにも道理がある。その道理の通りにするのを礼と言う。掃除というものは六つ七つから二十三十でもするもの。これらもことの決まりを合点しなさい。今日、学者が師の座敷を掃除するのは下女下男とは違う筈。明日は客だと言って掃除をするのに、下女や小坊主より悪くては役に立たない。少々学力のある者が見識ぶって、我々は天下の掃除はするが座敷を掃くことは不得手だと言って疎かにする。しかし、ここらができなければ天下の掃除は尚更できない筈。陳平も肉の配膳からした。直方先生が天木先生へ半切を接がせた。名高い天木であれば、ここを先途と接いで上げられた。直方先生がこれを見られて、ああひどいものだと言われた。経師屋ではなし、よくなくても言い訳は済むが、不手際を褒めることでもない。師に仕えるのには、瑣細なことでも抜けがあっては太極に穴が開く。
【語釈】
・陳平も肉の配膳から…漢書巻40列伝10。「里中社、平爲宰。分肉甚均。里父老曰、善、陳孺子之爲宰。平曰、嗟乎、使平得宰天下、亦如此肉矣」。
・天木先生…天木時中。善六と称す。尾張知多郡須佐の人。元文1年(1736)9月16日没。年40。初め佐藤直方に学ぶ。三宅尚斎門下。

師に料理を進せるに塩のからいのもひょんなもの。吾黨の学者がこんなことはどふでもよいと云はまきらかすになる。顔子は明英の才なれは、孔子のこさったとき塩のからひ吸物を上げはされまい。ちりを拂ふ礼とあるからは、理のあらはれたことなり。学者が一と通りにみたかるか、とんと下女下男よりよくなくては近思彔のすんだではないぞ。弟子職、掃除のこととも有、蒙養集にくはしくあるぞ。茶人千家ではこび手前と云ことあり。そのはこび手前で父兄尊長に事へると、大名の前へ出てもこまらぬ。膺擖。ちり取の舌。塵をはきこむ口。長者の方へちりのゆかぬやふにする。却行。あとへさり々々はくことぞ。茶人も羽帚てはきなからあとずさりする。客の方へちりの及はぬやふにするのぞ。
【解説】
ここに塵を払う礼とあるからは、これは理の現れたこと。掃除も下男下女よりよくなければならない。
【通釈】
師に料理を進ずるのに塩辛いのも変なもの。我が党の学者がこんなことはどうでもよいと言うのは紛らかすことになる。顔子は明英の才だったのだから、孔子のおられた時に塩辛い吸物を上げはなさらなかっただろう。塵を払う礼とあるからは、理の現れたこと。学者がこれを一通りのこととして見たがるが、下女下男よりよくなくては近思録が済んだことには全くならない。弟子職に掃除のことなどもあり、蒙養集に詳しくある。茶人千家で運び点前ということがある。その運び点前で父兄尊長に事えると、大名の前へ出ても困らない。「膺擖」。塵取りの舌で、塵を掃き込む口。長者の方へ塵が行かない様にする。「却行」。あとへさらさらと掃くこと。茶人も羽帚で掃きながら後退りをする。客の方へ塵が及ばない様にする。
【語釈】
・はこび手前…運び点前。茶会で客が茶室に入ってから水指以下の茶道具を運び出して茶をたてる法。


明倫77
○將即席、容無怍。即、就也。怍、顔色變也。就席宜莊、不得變動。兩手摳衣、去齊尺。摳、提挈也。齊謂裳下緝也。亦謂就席之時。以兩手當裳前、提裳令下緝去地一尺。恐衣長轉足躡履之。衣毋撥、足毋蹶。撥、揚也。蹶、行遽貌。先生書策・琴瑟在前、坐而遷之戒勿越。廣敬也。在前謂當行之前。坐亦跪也。遷、移也。越、踰也。坐必安、執爾顔。凡坐好自揺動。故戒以安坐。執猶守也。久坐好異。長者不及毋儳言。説文云、儳互不齊也。儳言、儳長者之先而言也。正爾容、聽必恭。正謂矜莊也。聽先生之言宜敬。毋勦説。勦猶擥也。謂取人之説以爲己説。毋雷同。雷之發聲、物無不同。人之言當由己、不當然也。孟子曰、無是非之心非人也。必則古昔稱先王。則、法也。言必有依據。
【読み】
○將に席に即かんとすれば、容怍わること無かれ。即は就くなり。怍は顔色變わるなり。席に就きて宜しく莊なるべく、變動するを得ず。兩手に衣を摳[かか]げ、齊を去ること尺にす。摳は提挈なり。齊は裳の下の緝を謂うなり。亦席に就く時を謂う。兩手を以て裳の前に當て、裳を提げ下緝をして地を去ること一尺ならしむ。衣長く足を轉し之を躡み履まんことを恐る。衣撥すること毋かれ、足蹶にすること毋かれ。撥は揚なり。蹶は行くこと遽かなる貌。先生の書策・琴瑟前に在れば、坐して之を遷し、戒めて越ゆること勿かれ。敬を廣むるなり。前に在るは、行く前に當るを謂う。坐も亦跪なり。遷は移なり。越は踰なり。坐しては必ず安くし、爾の顔を執れ。凡そ坐は自ら揺動するを好む。故に戒むるに安坐を以てす。執は守に猶[おな]じ。久しく坐すれば異を好む。長者及ばざれば儳言すること毋かれ。説文に云う、儳は互にして齊からざるなり。儳言は、長者の先に儳して言うなり。爾の容を正しくし、聽くに必ず恭しくせよ。正は矜莊を謂うなり。先生の言を聽くに宜しく敬むべし。勦説[そうせつ]すること毋かれ。勦は擥に猶じ。人の説を取りて以て己の説と爲すを謂う。雷同すること毋かれ。雷の聲を發する、物同ぜざる無し。人の言は當に己に由るべく、當に然りとすべからず。孟子曰く、是非の心無きは人に非ざるなり、と。必ず古昔に則り先王を稱せ。則は法なり。言えば必ず依り據る有り。

○將卽席。坐付きのこと。こふしてをる処へ障子をあけて這入りやふか大事。一と六つかしある処ぞ。味池の弁に、うじついて塲うてせぬことと云へり。○两手云々。一尺は周尺なり。六寸ばかり。これらも、今の上下でからが一寸とすわるときしゅかふなくではみくるしい。衣が長けれは、ふまへてころぶことあるぞ。○足毋蹶とは、足どりひかすかせぬこと。ちょこ々々々かける体なり。ひくやふにと曲礼にある。○先生書策云々。師匠の道具たっとぶことぞ。坐しきに琴瑟や書のとりちらしてあるをむさとふみこさぬことぞ。先生のと云からをして敬するぞ。敬をひろくする処しゃ。○前は越の字の注はない。ここは、越は踰とあれは、その物をこへぬこと。○坐必安。尊長の前てはしっとりおちつくことぞ。兎角あちこちとしたがるていのないことぞ。執尓顔云々。顔をまもれはたいくつしたていなく、色も変せぬ。
【解説】
「將即席、容無怍。即、就也。怍、顔色變也。就席宜莊、不得變動。兩手摳衣、去齊尺。摳、提挈也。齊謂裳下緝也。亦謂就席之時。以兩手當裳前、提裳令下緝去地一尺。恐衣長轉足躡履之。衣毋撥、足毋蹶。撥、揚也。蹶、行遽貌。先生書策・琴瑟在前、坐而遷之戒勿越。廣敬也。在前謂當行之前。坐亦跪也。遷、移也。越、踰也。坐必安、執爾顔。凡坐好自揺動。故戒以安坐。執猶守也。久坐好異」の説明。席に着く時は気後れしない様にする。先生の物までも敬して扱う。
【通釈】
「将即席」。座付の時のこと。こうしている処へ障子を開けて這い入る時の仕方が大事。一寸難しいことがある。味池の弁に、気後れしてその場で動揺しないことだと言った。「両手云々」。一尺は周尺のことで六寸ほど。これらも、今の裃でさえ一寸座る時に趣向がなくては見苦しい。衣が長ければ、踏んで転ぶこともある。「足毋蹶」とは、足取りをひかすかしないこと。蹶はちょこちょこと駆ける体。引く様にと曲礼にある。「先生書策云々」。師匠の道具を尊ぶこと。座敷に琴瑟や書が取り散らしてあるのを安易に踏み越さないこと。先生のものということから推して敬する。敬を広くする処である。前には越の字の注はなかったが、ここに「越、踰也」とあるので、その物を越えないということ。「坐必安」。尊長の前ではしっとりと落ち着くこと。とかくあちこちとしたがる様なことのないこと。「執爾顔云々」。顔を守れば退屈した体もなく、色も変じない。
【語釈】
・味池…味地儀平。味池修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。
・前は越の字の注はない…小学内篇明倫74を指す。「從於先生、不越路而與人言」。

○長者不及。長者の咄をなさるるとき。及は味池義平の弁に、云ををせることとなり。儳言は、長者のまだ咄を云ひををせぬ内にこちから云へは儳言ぞ。儳互。向からもこちからも云ことて、入り込むこと。長者の片貝と云はるるに、それを先ばしりて漁猟のことを云やふなことぞ。片貝の猟はどふじゃのと云ひををさせてをいて、昨日はよほどとれましたと云がよい。○正尓容聴必恭。恭は形へつく。うはのそらのと云弁はよくない。これは形につくぞ。されともきくことゆへ、威義て云てもきっとしてそそけずにきくことなり。○毋勦説。これは長幼の序にかきらす敬身の心術の部にあるへき筈。今日学者にもある。人の説を吾のにして、吾れが知惠のやふに云。とんと人のあるまいことぞ。言語の上の盗をしたになる。人の靣白ひ説を吾にするはいこふ心術の害になる。これらはいつ迠もぬけかぬる。ここへ出たは、上段々の序に尊長にはひとしほつつしむことぞ。雷同、靣白し。雷がなると雨戸立るもするすのをとも、なにもかもかみなりのやふになるぞ。わけかないぞ。人の咄もわけもきこへずになる。なる程そふ云と訳なしに向のことを同心するを雷同と云。寺て談義を説くと聞へぬ人も皆一度に南無阿弥と云。山﨑先生の、一時雷同念佛の声と云たぞ。さかり塲て淨瑠理をかたるをなんのわけもなくやいやとほめるも雷同そ。学者にもある。すめぬことをいかさまと呑込顔で云。そこて孟子の是非の心を出した。是非なしになんても同心するは本然の明を失ふたのぞ。
【解説】
「長者不及毋儳言。説文云、儳互不齊也。儳言、儳長者之先而言也。正爾容、聽必恭。正謂矜莊也。聽先生之言宜敬。毋勦説。勦猶擥也。謂取人之説以爲己説。毋雷同。雷之發聲、物無不同。人之言當由己、不當然也。孟子曰、無是非之心非人也」の説明。長者が言い終えてから話す。先走ってはならない。人の説を自分の説にしてはならない。雷同するのも悪い。是非なしに同心するのは本然の明を失うことである。
【通釈】
「長者不及」。長者が話をなさる時のこと。「及」は味池儀平の弁に、言い終えることとある。「儳言」は、長者がまだ話を言い終えない内にこちらから言うこと。「儳互」。向こうからもこちらからも言うことで、入り込むこと。長者が片貝と言われると、それを先走りして漁猟のことを言う様なこと。片貝の猟はどうだと言い終えさせて置いて、昨日は余程獲れましたと言うのがよい。「正爾容聴必恭」。恭は形へ付く。上の空という弁はよくない。これは形に付く。しかし、聴くことなので、威儀で言ってもきっとして乱れずに聴くのである。「毋勦説」。これは長幼の序に限ったものではなく、敬身の心術の部にあるべき筈。今日の学者にもあることで、人の説を自分の説にして、自分の知恵の様に言う。実に人としてあってはならないこと。言語の上の盗みをしたことになる。人の面白い説を自分の説とするのは大層心術の害になる。これらがいつまでも抜けられない。ここへ出したのは、上段々の序に尊長には一入敬むことを言ったのである。「雷同」が面白い。雷が鳴ると雨戸を立てるのも磨臼の音も、何もかも雷の様になる。わけがなくなる。人の話もわけもわからずに頷く。なるほどそうだと言って、わけなしに向こうの言うことを同心するのを雷同と言う。寺で談義を説くと、聞こえない人までもが皆一度に南無阿弥と言う。山崎先生が、一時雷同念仏の声と言った。盛り場で浄瑠璃を語るのを何のわけもなくやいやと褒めるのも雷同である。学者にもある。済めないことをいかにもその通りと呑み込み顔で言う。そこで孟子が是非の心を出した。是非なしに何でも同心するのは本然の明を失ったのである。
【語釈】
・是非の心…孟子公孫丑章句上6。「無是非之心、非人也。…是非之心、智之端也」。同告子章句上6にもある。

○必則古昔。少し前をうけた気味。勦説雷同のか子から出る。何んても自分の云ことは称先王ことぞ。大学の中庸のと云ことぞ。器量がましひことを云は年若のときはこのまぬことなり。なんても先王を称するかよいとなり。我々講習するとても、直方先生迂斎以来其外先軰のことを出すが学問の淵源と云もの。朱子の章句集註も先賢の説を出したぞ。たま々々愚按ると云か出るときひしい。今日の学者いらさる拙者存するはと云か、多くはよいことは出ぬ。とんと学文の淵源見へぬぞ。兎角先王を称することぞ。某が話も弁も多くは直方始め諸老先生ではなすが、某なとも一分から咄されぬてもないが、ここか迂斎已来の挌式なり。称先王の字も古書ゆへ先王と云。今日は先王と云はすに先軰の諸先生を称すると合点すべし。姫嶋のをやぢなどもひりきなれとも、手前のことは云ぬて統を得て門風を落さぬ。をれしゃと思ふな、先生の御説と云た、と。つんと先王を称するの意ぞ。よいことなり。孟子性善を云たも発明てはない。先王を称したのぞ。民受天地之中生るも先王の遺言ぞ。荀子が性悪と云たは荀子の発明ぞ。わるい発明ぞ。それて先王の道にそむくのぞ。
【解説】
「必則古昔稱先王。則、法也。言必有依據」の説明。先王を称するのがよい。我々も直方先生迂斎以来その外先輩のことを出すのが学問の淵源であり、格式である。「称先王」とは、今日では先輩である諸先生を称することである。
【通釈】
「必則古昔」。少し前を受けた気味のこと。勦説雷同の規矩から出た。何でも自分の言うことは「称先王」である。それは大学や中庸だということ。器量がましいことを言うのは年若の時は好ましくない。何でも先王を称するのがよいと言った。我々が講習するにも、直方先生迂斎以来その外先輩のことを出すのが学問の淵源というもの。朱子の章句集註も先賢の説を出している。偶々「愚按」というのが出ると厳しくなる。今日の学者は拙者存ずるにはと要らざることを言うが、多くはよいことは出ない。学文の淵源が全く見えない。とかく先王を称すること。私の話も弁も多くは直方を始め諸老先生の言で話す。私なども自分の言で話すことが全くできないわけでもないが、ここが迂斎以来の格式である。称先王の字も古書なので先王と言う。今日は先王と言わずに先輩の諸先生を称することだと合点しなさい。姫嶋の親父なども非力だが、自分のことは言わないので統を得て門風を落さない。俺だと思うな、先生の御説だと言った、と。実にこれが先王を称するの意であり、よい。孟子が性善を言ったのも発明ではない。先王を称したのである。「民受天地之中生」も先王の遺言である。荀子が性悪と言ったのは荀子の発明。悪い発明である。そこで先王の道に背く。
【語釈】
・姫嶋のをやぢ…鈴木養察。莊内と称す。成東町姫島の人。安永8年(1779)12月25日没。年85。
・民受天地之中生る…春秋左伝成公13年。「劉子曰、吾聞之、民受天地之中以生、所謂命也」。


明倫78
○侍坐於先生、先生問終則對。不敢錯亂尊者之言。請業則起、請益則起。尊師重道也。若今摳衣前請也。業謂篇巻也。益謂受説不了、欲師更明説也。
【読み】
○先生に侍坐し、先生問うこと終れば則ち對う。敢て尊者の言を錯亂せず。業を請えば則ち起ち、益を請えば則ち起つ。師を尊び道を重んずるなり。今衣を摳げて前で請うが若きなり。業は篇巻を謂うなり。益は説を受けて了らず、師更に明かに説かんことを欲するを謂うなり。

○侍坐於先生云々。師の問荅や講釈のかわりめ々々々々に礼をすることぞ。たとへは明日からは書經或は詩經かと云へは、あらためて起つ。此方ては一度々々にあたまをさげることぞ。佛抔ても南無々々と云は尊師重道のぞ。今とは鄭玄か注なり。摳衣。今日に訳すれはえもんつくろふの意。きるものをなをすのぞ。改めてかかることなり。業謂篇巻云々。学而かすんで爲政をききたいと云こと。直方先生から迂斎も石原先生も一六三八の講釈に書物のかはりめは上下を着て改めたぞ。
【解説】
講釈の代り目は改めて掛かる。迂斎や石原先生も、講釈の代り目には裃を着て改めた。
【通釈】
「侍坐於先生云々」。師の問答や講釈の代り目に礼をすること。たとえば明日からは書経或いは詩経と言えば、改めて起つ。日本ではその都度頭を下げること。仏などでも南無々々と言うのは師を尊び道を重んずるからである。「今」とは鄭玄の注である。「摳衣」。今日に訳すれば衣紋を繕う意である。着る物を直すのである。改めて掛かる。「業謂篇巻云々」。学而が済んで為政を聞きたいということ。迂斎も石原先生も、直方先生の一六や三八の講釈の書物の代り目には裃を着て改めた。


明倫79
○尊客之前、不叱狗、嫌若風去之。讓食不唾。嫌有穢惡。侍坐於君子、君子欠伸、撰杖屨、視日蚤莫、侍坐者請出矣。以君子有倦意也。志疲則欠、體疲則伸。撰猶持也。
【読み】
○尊客の前にては、狗を叱せず、風して之を去るが若きを嫌わん。食を讓りて唾せず。穢惡有るを嫌わん。君子に侍坐するに、君子欠し伸し、杖屨[じょうく]を撰[と]り、日の蚤莫を視れば、侍坐する者は出でんことを請う。君子倦怠有るを以てなり。志疲るれば則ち欠し、體疲るれば則ち伸す。撰は猶持のごとし。

○尊客之前不叱狗。遠くからなぞをかけるになる。犬をしっと云たとて、さまで礼かけにもならぬやふなれとも、しっと云はそっちへゆけと云なれば不礼になる。応對のときしっと云てはつまらぬ。しっと云は、そこにいるな、あちへゆけと云こと故、御客へは忌詞。そこて遠くから犬を叱ぬものとかけ子はならぬ。何心なくてしっと云なれとも、如風去之、客へ對しかへれと云よふないみをつつしむぞ。そこをいましむるのぞ。○譲食不唾。つばと云ものはたたい別物てない。津液なり。されともあまりて口へたまるとはか子はならぬ。唐ては唾壷、こちには今日多葉粉ありて唾ははくものなれとも、たとへは吸物が出る。盃や肴を出す。まつそれへと云てつばをはくは見苦しひ。なにやら穢しいにきらはしじゃ。神代の巻にも唾を吐いたぞ。唾咄くによいことはない。こふすると、むつかしい亭主が私吸物は上けられまいなととにげ出してたまらぬぞ。曽てそれは心付ぬ。兼て吸物の出ぬ前から吐ふと思ふたと云ても間に合ぬ。そこて毎度に如此のいましめぞ。
【解説】
「尊客之前、不叱狗、嫌若風去之。讓食不唾。嫌有穢惡」の説明。遠くからしっと言って犬を追い払わない。それは、客に帰れと言ったと誤解されないためである。また、唾を吐くのによいことはないから、それをいつも戒める。
【通釈】
「尊客之前不叱狗」。これが遠くから謎を掛けることになる。犬をしっと言ったとしても、それほど礼が欠けることにもならない様だが、しっと言うのはそっちへ行けということなので不礼になる。応対の時にしっと言っては悪い。しっと言うのは、そこにいるな、あちらへ行けということなので、御客へは忌み詞である。そこで、遠くから犬は叱らないものだと掛けなければならない。何心なくしっと言ったとしても、「如風去之」で、客へ対して帰れと言う様な忌みを謹むのである。そこを戒める。「譲食不唾」。唾というものはそもそも別物ではなく、津液である。しかし、それが余って口に溜まると吐かなければならない。唐には唾壷、こちらには今日煙草があって唾は吐くものだが、たとえば吸物が出て盃や肴を出す。先ずそれへと言って唾を吐くのは見苦しい。何やら汚らわしくて好ましくない。神代巻にも唾を吐いたことがある。唾を吐くのによいことはない。こうすると、難しい亭主が私は吸物を上げられないだろうなどと言って逃げ出して堪らない。それは前もって戒めないからである。前もって吸物の出ない前から吐こうと思っていたと言っても間に合わない。そこで、その都度この様な戒めが要る。
【語釈】
・神代の巻…日本書紀神代巻。

○侍坐於君子云々。君子は先生長者と云もひとつこと。杖履を長者がいしりまわし日を見るていをみてとって出ることぞ。これらも何のことはないことなれとも、道理の恰好ぞ。直方先生、兎角目はしをきけと云れた。なる程道理か手に入ったのぞ。今の学者目端がきかぬ。浪人儒者か大名の前で講釈をよくしても、近習がくっ々々笑ふ。なせなれは、諸事に目端がきかぬ。倦たと云ことに気が付すに、をらが先生学談好きと、あきた処を大極圖でせめかける。そこか目端のきかぬのぞ。朱子のあれほと弟子と出合ふがすきて、一日をれか弟子と出合ずは煩ひ出そふと云れた。それほとなれとも、年よれは何そと云へは倦意は出るもの。直方先生、うつらぬものと咄すは疝気の毒と云れた。靣白くないことを云は倦意が出るぞ。
【解説】
「侍坐於君子、君子欠伸、撰杖屨、視日蚤莫、侍坐者請出矣。以君子有倦意也。志疲則欠、體疲則伸。撰猶持也」の説明。長者が退屈してるのを察して退出する。とかく目端を利かせることが大事である。
【通釈】
「侍坐於君子云々」。君子は先生や長者と同じ。杖履を長者が弄り回して時を気にしている様子を見て取って退出する。これらも何事もないことだが、道理の恰好である。直方先生が、とかく目端を利かせろと言われた。なるほど道理が手に入ったのである。今の学者は目端が利かない。浪人儒者が大名の前で講釈を上手にしても、近習がくっくっと笑う。それは何故かと言うと、諸事に目端が利かないからである。倦んだということに気が付かずに、俺の先生は学談好きだと思って飽きた処を太極図で攻め掛ける。そこが目端の利かないということ。朱子は大層弟子との出合いが好きで、一日俺が弟子と出合わなければ煩い出すだろうと言われた。それほどでも年寄れば、何かと言えば倦意は出るもの。直方先生が、映らない者と話すのは疝気の毒だと言われた。面白くないことを言うと倦意が出る。


明倫80
○侍坐於君子、君子問更端、則起而對。離席對、敬異事也。
【読み】
○君子に侍坐するに、君子問うこと端を更むれば、則ち起ちて對う。席を離れて對うるは、異事を敬むなり。

○侍坐於君子、君子問更端云々。長者の方からいろ々々の話かよのはなしになると起つ。あらためてこたへるぞ。離席は本文の起の字のことを云。礼記の文字なり。異事とは、譬へは易の啓蒙のはなしだん々々すんて、さて井田のことについてと云。そこて改てこたへる。
【通釈】
「侍坐於君子、君子問更端云々」。長者の方から色々な話があって、それが他の話になると起つ。そこで改めて応える。「離席」は本文の「起」の字のことで礼記の文字である。「異事」とは、たとえば易の啓蒙の話が段々と済んで、さて井田のことについてと言う。そこで改めて応えること。


明倫81
○侍坐於君子、若有告者、曰少間願有復也、則左右屏而待。復、白也。言欲得少空閑有所白也。屏、退也。
【読み】
○君子に侍坐するに、告ぐる者有りて、少間復[もう]すこと有るを願うと曰うが若き、則ち左右に屏[しりぞ]きて待つ。復は白なり。少しく空閑を得て白す所の有らんことを欲するを言うなり。屏は退なり。

○侍坐於君子、若有告者。これらか第一目端をきかせるの至極をといたことぞ。君子のよも山の咄の内にそこへ人か来て、御話のなかはなれともちと伺度ことあると云と、その話の聞へぬ所へ立ち去る。左右とはそこらあたりのことなり。少空間。御ひまにちとと云こと。人に聞せられぬことゆへちとと云なり。そこに気のつかぬは知惠にぼんぼりをかけるからのこと。とんと目のさやをはづすかよい。直方先生と迂斎蜜談ありてをる処へたれやらがずか々々と出て、只今の御咄はと云たれは、直方先生の、大阪陣のことよと云れた。左右に退ひて待つ心のないは皆目端のきかぬぞ。
【解説】
話をしているところへ告げる者が来れば、その話の聞こえない所へ立ち去る。目端を利かせるのである。左右に退いて待つ心のない者は皆目端が利かないのである。
【通釈】
「侍坐於君子、若有告者」。これらが目端を利かせる至極を説いたこと。君子が四方山話をしているとそこへ人が来て、御話の半ばですが一寸伺いたいことがあると言うと、その話の聞こえない所へ立ち去る。「左右」とはそこら辺りのこと。「少空間」。御閑で一寸ということ。人に聞かせられないことなので、一寸と言う。そこに気が付かないのは知恵に雪洞を掛けるからである。すっかりと目の鞘を外すのがよい。直方先生と迂斎が密談をしている処へ誰やらがずかずかと入って来て、只今の御話は何かと尋ねると、直方先生が、大阪の陣のことだと言われた。左右に退いて待つ心のない者は皆目端が利かないのである。


明倫82
○侍飮於長者、酒進則起拜受於尊所。長者辭少者反席而飮。降席拜受敬也。燕飮之禮、嚮尊、長者辭止少者之起。故復反還其席。長者舉未釂、少者不敢飮。不敢先尊者。舉猶飮也。盡爵曰釂。燕禮曰、公卒爵而後飮。
【読み】
○長者に侍飮するに、酒進めば則ち起ちて拜して尊所に受く。長者辭すれば少者席に反りて飮む。席を降りて拜して受くるは敬なり。燕飮の禮に、尊に嚮わば、長者辭して少者の起つを止む。故に復た其の席に反り還る、と。長者舉げて未だ釂[つく]さざれば、少者敢て飮まず。敢て尊者に先んじてせず。舉は猶飮のごとし。爵を盡すを釂と曰う。燕禮に曰く、公爵を卒りて而して後飮む、と。

○侍飲於長者云々。日本て云ををなら、銚子盃が出るとそこを立つ。そこにじっとしてをると長者同挌になるぞ。やはりそこに、今日はをのしも客と云へはそこにをること。長者から命あれは云なりになる。孟子坐云則坐、食云則食ふの意なり。そのままとあれはさかわぬ。長こぢは礼でない。○長者挙不釂。挙はさかづきを挙ること。長者のさきへ呑むはわるい。挙猶飲。口を付たことをこめて註したもの。公卒而と儀礼を引くは長者をは君のやふにするぞ。
【解説】
長者の言う通りにする。また、長者より先に酒を呑むのは悪い。
【通釈】
「侍飲於長者云々」。日本で言えば、銚子や盃が出るとそこで立つこと。そこにじっとしているのでは長者と同格になる。やはりそこで、今日はお主も客だと言われればそこに座したままでいる。長者から命があれば、言いなりにする。孟子の「坐云則坐、食云則食」の意である。そのままというのであれば逆らわない。長固辞は礼ではない。「長者挙未釂」。挙は盃を挙げること。長者より先に呑むのは悪い。「挙猶飲」。口を付けたことを込めて註をしたもの。「公卒而」と儀礼を引いたのは、長者をは君の様にすること。
【語釈】
・孟子坐云則坐、食云則食ふ…孟子万章章句下3。「晉平公之於亥唐也、入云則入、坐云則坐、食云則食」。


明倫83
○長者賜、少者・賤者不敢辭。不敢亢禮。賤者、僮僕之屬。
【読み】
○長者賜えば、少者・賤者敢て辭せず。敢て亢禮せず。賤者は僮僕の屬なり。

○長者賜少者云々。なんても長者から下さるものは辞さぬそ。固辞するは礼なれとも、重い方から下さると戴く。辞するは向を同挌にするのぞ。同挌は向からも一手うては此方も一手うつ。それか同挌ぞ。上からのことは辞宜はなきぞ。天の雨を地は時宜はない。
【通釈】
「長者賜少者云々」。長者が下さる物は何であっても辞さない。固辞するのが礼だが、重い方から下される物は戴く。辞するのは向こうを同格にすること。同格は向こうが一手打てばこちらも一手打つ。それが同格である。上からのことに辞宜はない筈。天の雨を地が辞すことはない。


明倫84
○御同於長者、雖貳不辭。御謂待也。御同謂待食於長者、饌具與之同也。貳謂重殽膳也。此饌本爲長者設。辭之爲長者嫌。偶坐不辭。盛饌不爲己。
【読み】
○長者に御同しては、貳と雖も辭せず。御は待を謂うなり。御同は長者に待食し、饌具之と同じきを謂うなり。貳は重殽の膳を謂うなり。此の饌、本長者の爲に設く。之を辭せば長者の嫌を爲す。偶坐も辭せず。盛饌は己の爲ならず。

○御同於長者。相伴の客にゆくときのこと。直方先生の行るる処へは迂斎や石原先生のついてゆく。それか御同なり。不辞は曽てこちてあいさつに及はぬ。御同は次き向の膳部てなく、同しく三汁九菜なり。偶坐不辞。同坐て辞すれは我れか正客になる。そこて辞せぬ。これらの筋さま々々ある。我々覚あること。武家にあることぞ。物頭と同道すれは、足軽は下坐する。それを我か辞宜請をするはをかしいことなり。物頭へこそすれ、我へではない。医者へ馳走を病気見舞の人が、御亭主御丁寧な御馳走と云やふなことは井かい了簡ちかいぞ。垩賢の礼は毛筋も残さす細な処をてらして云ぞ。
【解説】
長者に相伴する時は、辞宜をするには及ばない。それをすれば自分が正客となる。
【通釈】
「御同於長者」。これが相伴の客に行く時のこと。直方先生が行かれる処へは迂斎や石原先生が付いて行く。それが御同である。「不辞」。決してこちらが挨拶するには及ばない。御同は次向きの膳部でなく、同じく三汁九菜である。「偶坐不辞」。同坐で辞すれば自分が正客となる。そこで辞さない。これらの筋は様々ある。我々に覚えのあること。武家にあること。物頭と同道をすれば、足軽は下坐する。それを自分が辞宜請けをするのは可笑しいこと。物頭へこそすれ、自分へではない。病気見舞の人が、医者への馳走を御亭主御丁寧な御馳走をと言う様なことは大きな了簡違いである。聖賢の礼は毛筋も残さず細かな処を照らして言う。


明倫85
○侍於君子、不顧望而對非禮也。禮尚謙。不顧望、若子路卒爾而對。
【読み】
○君子に侍し、顧望せずして對うるは禮に非ざるなり。禮は謙を尚ぶ。顧望せざるは、子路卒爾として對うるが若し。

○侍於君子不顧望而對云々。出まかせに云はぬこと。礼は知たことも何に私と辞宜を云。不顧望。ずっと云なり。礼に叶ぬ。子路卒尓。しきに云そ。国を治むをもいことゆへすっとは荅へぬ筈そ。子路の勇気から、にべもしゃしゃりもない。国を治るに礼を以てするしゃに、もってこいと荅るはよくないこと。そこて孔子の埒もないと笑はれた。勇者兎角礼めかぬ者なり。
【解説】
出任せを言わない。子路が皆の前で率爾として話をしたが、それは礼に叶わないこと。そこで孔子も笑われた。
【通釈】
「侍於君子不顧望而対云々」。出任せに言わないこと。礼は知っていることも、何、私はと辞宜を言う。「不顧望」はずっと言うことで、礼に叶わないこと。「子路卒爾」。直に言う。国を治める重いことなのだからすっと答えることはできない筈。子路は勇気のある方から鮸膠もしゃしゃりもない。国を治めるのは礼を以ってすることなのに、持って来いと答えるのはよくない。そこで孔子が埒もないと笑われた。とかく勇者は礼めかないもの。
【語釈】
・子路卒尓…論語先進25。「子路率爾而對曰、千乘之國、攝乎大國之閒、加之以師旅、因之以饑饉。由也爲之、比及三年、可使有勇、且知方也。夫子哂之。…曰、夫子何哂由也。曰、爲國以禮、其言不讓。是故哂之」。
・にべもしゃしゃりもない…鮸膠もしゃしゃりも無い。味もそっけもない。ひどく無愛想である。


明倫86
○少儀曰、尊長於己踰等、不敢問其年。踰等、父兄黨也。問年、則恭敬之心不全。燕見不將命。私燕而見、不使擯者將傳其命。不敢用賓主之禮來。則若子弟然。遇於道見則面。可隱則隱。不敢煩動。不請所之。不問所往。侍坐、弗使不執琴瑟、不畫地、手無容、不翣也。尊長或使彈琴指畫、則爲之可也。手無容、不弄手也。翣、扇也。雖熱亦不敢揺扇也。此皆端愨、所以爲敬。寢則坐而將命。坐、跪也。命、有所傳辭。若尊者臥而侍者傳辭、當跪前、不可以立。恐臨尊者。侍射則約矢、矢、箭也。凡射必計耦、先設箭在中庭、上耦前取一、次下耦又進取一。如是更進、各得四箭而升堂、挿三於要而手執一。若卑者侍射、則不敢更拾進取。但一時幷取四矢。故云約矢。侍投則擁矢。投、投壷也。擁、抱也。矢、投壷箭也。尊者委四矢於地、一一取以投。卑者不敢委於地。悉執之。勝則洗而以請。若敵射及投壷竟、司射命酌、而勝者弟子酌酒、不勝者飮之。若卑者得勝、則不敢直酌。當前洗爵而請行觴也。
【読み】
○少儀に曰く、尊長己に於て等を踰ゆれば、敢て其の年を問わず。等を踰ゆは、父兄の黨なり。年を問えば、則ち恭敬の心全しからず。燕見には命を將[おこな]わず。私燕にして見るに、擯者をして其の命を將い傳えしめず。敢て賓主の禮を用いて來らず。則ち子弟の若く然り。道に遇いて見れば則ち面す。隱るる可ければ則ち隱る。敢て煩動せず。之く所を請わず。往く所を問わず。侍坐するに、使[せし]めざれば琴瑟を執らず、地に畫せず、手に容すること無く、翣[そう]せず。尊長或は琴を彈し指畫せしむれば、則ち之を爲して可なり。手に容すること無しは、手を弄せざるなり。翣は扇なり。熱きと雖も亦敢て扇を揺さず。此れ皆端愨、敬を爲す所以なり。寢ぬれば則ち坐して命を將う。坐は跪なり。命は辭を傳うる所有り。尊者臥して侍者辭を傳うるが若き、當に跪きて前むべく、以て立つ可からず。尊者に臨むを恐る。射に侍すれば則ち矢を約し、矢は箭なり。凡そ射は必ず耦を計り、先ず箭を設けて中庭に在り、上耦前にて一を取り、次に下耦又進みて一を取る。是の如く更いに進み、各々四箭を得て堂に升り、三を要に挿して手に一を執る。卑者の射に侍するが若きは、則ち敢て更いに拾し進みて取らず。但一時に四矢を幷せ取る。故に矢を約すと云う。投に侍すれば則ち矢を擁す。投は投壷なり。擁は抱なり。矢は投壷の箭なり。尊者は四矢を地に委ね、一一取りて以て投ぐ。卑者は敢て地に委ねず。悉く之を執る。勝てば則ち洗いて以て請う。敵射及び投壷の竟るが若きは、司射酌を命じて、勝つ者の弟子酒を酌み、勝たざる者之を飮む。卑者の勝つことを得るが若きは、則ち敢て直に酌まず。當に前にて爵を洗いて觴を行わんと請うべし。

○少儀曰尊長云々。同軰てない老人をいくつてこざりますと云はよくないぞ。あまりわるいことてもないやふなが、ちとなめた方ぞ。上の方からは下軰のものには年を問ふものぞ。出替りに奉公人か目見にくる。はやいくつと云て年をきく。兎角下の方からはふしつけ。上たつ方からは問ふことぞ。年を問は心安いときのこと。さるによって、御奉公の前て平伏して、其時に御年はとはきかれまいぞ。○燕見云々。晩には蕎麥と云時に、子や甥のやふになってゆく。玄関からはゆかす、すぐにかってて薬味の手傳するかよい。○遇於道云々。向から老人がござる。何太郎そこにかとあれは目見へするぞ。かくれられるものならはかくれるがよい。向へ靣倒をかけぬためなり。御三家の御通りには大名衆も可隱則隱るなり。それか礼なり。
【解説】
「少儀曰、尊長於己踰等、不敢問其年。踰等、父兄黨也。問年、則恭敬之心不全。燕見不將命。私燕而見、不使擯者將傳其命。不敢用賓主之禮來。則若子弟然。遇於道見則面。可隱則隱。不敢煩動」の説明。年配は下輩に年を尋ねるものだが、年配に年を尋ねるのは悪い。燕見の時は子や甥の様に対応する。尊長を道で見掛け、見付けられたら御目見をする。見付けられなければ隠れる方がよい。それは面倒を掛けないためである。
【通釈】
「少儀曰尊長云々」。同輩でない老人に幾つですかと聞くのはよくない。あまりに悪いことでもない様だが、一寸相手を舐めることになる。上の方からは下輩の者に年を問うもの。出替わりに奉公人が御目見に来ると、早くも幾つかと年を聞く。とかく下の方からは不躾なことで、上立つ方からは問うてもよいこと。年を問うのは心安い時のことなので、御奉公の前で平伏している時にお年はと聞かれることはないだろう。「燕見云々」。晩には蕎麦という時には、子や甥の様になって行く。玄関からは行かずに、直ぐに勝手で薬味の手伝いをするのがよい。「遇於道云々」。向こうから老人が来る。何太郎、そこにいたかと言われれば御目見をする。隠れられるものであれば隠れるのがよい。それは向こうへ面倒を掛けないためである。御三家の御通りには大名衆も「可隠則隠」である。それが礼である。

○不請所之云々。どれへ御出と問ぬこと。上の年を問はずと同意なり。之の字を往とし、請を問ふとした斗りの註ぞ。○侍坐不使。平生坐してをるとき、古代は琴瑟たへすひくものなれとも、師のゆるしてなくてはひかぬ。此方からひとつと云てはひかぬこと。曽点も孔子の命からひいたであろふ。○畫地繪圖をしてみせぬぞ。無容もそれぞ。此等か公方様の御前てはならぬことじゃは、そこて尊長の処てもせぬ。指畫。あの卦はこの反對なと云て離の卦をかき、坎の卦てもこふと畫ぬことぞ。端愨。たたしくつつしむ。律義まっほうなり。不断ゆく処なれとも、いつも初てゆきたやふぞ。
【解説】
「不請所之。不問所往。侍坐、弗使不執琴瑟、不畫地、手無容、不翣也。尊長或使彈琴指畫、則爲之可也。手無容、不弄手也。翣、扇也。雖熱亦不敢揺扇也。此皆端愨、所以爲敬」の説明。行き先を尋ねない。座している時には勝手に琴瑟を弾かない。画地絵図もしない。
【通釈】
「不請所之云々」。何処へ御出でかと問わないこと。上の年を問わないのと同意である。註は、「之」の字を「往」とし、「請」を「問」としただけ。「侍坐弗使」。平生坐している時、古代は琴瑟を絶えず弾くものだが、師の許しがなくては弾かない。自分の方から一つと言って弾かないこと。曾点も孔子の命があって弾いたことだろう。「画地絵図」。これをしない。「無容」もしない。これらは公方様の御前ではならないことだから、そこで尊長の処でもしない。「指画」。あの卦はこの反対だなどと言って離の卦を画き、坎の卦でもこうだと画かないこと。「端愨」。端しく愨む。律儀一方である。普段から行っている処だが、いつも初めて行く様にする。
【語釈】
・曽点も孔子の命からひいたであろふ…論語先進25。「點、爾何如。鼓瑟希、鏗爾舍瑟而作」。
・離の卦…下から陽陰陽。
・坎の卦…下から陰陽陰。

○寢則坐云々。尊長の寢ていたときひさまつく。跪坐拜之説文集にあり、朱子の時分さへあきらかてないから吟味あり。两膝を下について股と腰は上につり上ていることなり。臨は下をのそむ字なり。臨水と書く。高をのそむは望山と書ぞ。○侍射則約矢。尊者と一処のときの射礼ぞ。耦はならふこと。庭のまん中に矢かあり、四本ぞ。それをだん々々に取り上りて三本を腰にはさみ、一本手に持つか本式なれとも、本式にするは同挌同士のとき。君や尊者にはとかく同挌にせぬこと。尊者は射礼の本式とをりをする。それへ並ふゆへ平生のとちかわせてする。矢約るてひとつに四本一度に矢をとるぞ。尊者射礼の模様とかへること。
【解説】
「寢則坐而將命。坐、跪也。命、有所傳辭。若尊者臥而侍者傳辭、當跪前、不可以立。恐臨尊者。侍射則約矢、矢、箭也。凡射必計耦、先設箭在中庭、上耦前取一、次下耦又進取一。如是更進、各得四箭而升堂、挿三於要而手執一。若卑者侍射、則不敢更拾進取。但一時幷取四矢。故云約矢」の説明。尊長が寝ている時は跪く。射礼も本式でせずに変えてする。
【通釈】
「寝則坐云々」。尊長が寝ている時は跪く。跪坐拝之説が文集にあって、朱子の時分でさえ明らかでないから吟味があった。両膝を下について股と腰は上に吊り上げていること。「臨」は下を臨む字で、臨水と書く。高きを望むのは望山と書く。「侍射則約矢」。尊者と一緒の時の射礼である。「耦」は並ぶこと。庭の真ん中に矢が四本ある。それを段々に取って堂に登り、三本を腰に挟んで一本を手に持つのが本式だが、本式でするのは同格同士の時である。君や尊者にはとかく同格にはしない。尊者は射礼の本式の通りをする。それへ並ぶので平生のとは違った形でする。「矢約」で一度に四本の矢を取る。尊者の射礼の模様とは変える。

○侍投云々。今は唐好きがありて投壷をする。一と比はやりたぞ。これはこちに揚弓のあるやふに、游藝、なくさみなり。ちと御慰に曲った矢を所持いたした、なされまいかなとと云は、茶人がしぶ茶一服上ふと云と同謙辞ぞ。この時も矢を地へならへすに一度に矢をとる。これも尊者とふりをかへる。○勝則洗云々。負けたものに酒を呑せるに付てのこと。歒は耦と同。司射は取に取ての弓奉行しゃ。勝者弟子酌酒。主客共に弟子と云ものある。盃洗って控へてをる。此様なことは今日はあまり入らぬことなれとも、兎角年長けた人には平日同軰の挌式をかへると云か万端の心得ぞ。
【解説】
「侍投則擁矢。投、投壷也。擁、抱也。矢、投壷箭也。尊者委四矢於地、一一取以投。卑者不敢委於地。悉執之。勝則洗而以請。若敵射及投壷竟、司射命酌、而勝者弟子酌酒、不勝者飮之。若卑者得勝、則不敢直酌。當前洗爵而請行觴也」の説明。投壷も本式ではせずに変えてする。
【通釈】
「侍投云々」。今は唐好きがいて、投壷をする。一頃流行った。これは日本に揚弓がある様なことで、遊芸、慰みである。一寸御慰みに曲った矢を所持いたした、遊びませんかなどと言うのは、茶人が渋茶を一服上がろうと言うのと同じ謙辞である。この時も矢を地に並べずに一度に矢を取る。これも尊者と振りを変える。「勝則洗云々」。負けた者に酒を呑ませることについてのこと。「敵」は「耦」と同じ。「司射」は弓奉行。「勝者弟子酌酒」。主客共に弟子というものがいる。盃を洗って控えている。この様なことは今日はあまり要らないことだが、とかく年長けた人には平日の同輩の格式を変えるというのが万端の心得である。


明倫87
○王制曰、父之齒隨行、兄之齒鴈行、朋友不相踰。廣敬也。謂於塗中。輕任幷重任分。頒白者不提挈。皆謂以與少者。君子耆老不徒行、庶人耆老不徒食。徒猶空也。謂無車而行、無肉而食。
【読み】
○王制に曰く、父の齒には隨い行き、兄の齒には鴈行し、朋友には相踰えず。敬を廣むるなり。塗中に於るを謂う。輕任は幷せ重任は分つ。頒白の者は提挈[ていけい]せず。皆以て少者に與るを謂う。君子の耆老は徒行せず、庶人の耆老は徒食せず。徒は猶空のごとし。車無くして行き、肉無くして食うを謂う。

○王制曰、父之齒云々。あとから供のやふにするぞ。兄之齒鴈行。空飛ふ鴈のやふにすこしさかりにならんてゆくことぞ。兎角あとへついてゆくこと。浅見先生の千鳥かけと云れた。斜にして行くことぞ。朋友同士同挌なれとも、さきへたたぬこと。そふたいこれらは人の心の気がさが塗中あるくにも出る。長幼のさなこの処はとかく心のをごらぬことと心得へし。をれも同し種しゃの、をれも同し親の子じゃのと云、はや長をなみするのぞ。人のあとへつくは礼譲ぞ。礼譲を以国を治めは何にか有んと孔子仰らるる。礼譲はへりくたること。譲るにわるいことはない。易に六十四卦の内に凶悔吝の字いつれにもあるか、謙の卦には凶や悔吝はないと云も思合すへし。○輕任幷云々。ここは塗中の次手にこのことを云た。軽任は人足に出たていのときのこと。年ばいのものの荷をは吾荷へ合せ、重荷をはわけてかつくのぞ。垩代には五十以上の者には荷物かつかせぬぞ。此章、父之齒の一節は上下通する。軽任以下の二句は下人のことなり。○君子耆老云々。父の齒にと云は位なしに云。軽任幷すはかるいもののことゆへ、ここて君子の耆老と改て云。老人と云へは、かちてあるかぬ。天子から車を下さるを命車と云。歴々は挌式すへりても年よれは車にのる。又かるいものの老人は兎角肉ぞ。ひしほてはない。徒猶空とは、手の奴足の六尺てあるくか空なり。膳部もすっほり飯にぬか味噌汁なれは空なり。
【解説】
同道する時、父には後に従い、兄には少し下がって並んで行き、朋友では先に立たない。心が驕るとそれを破る。人の後に付くのは礼譲である。「父之歯」は位に関わらないが、「軽任幷」は軽い者のことを言う。歴々は車に乗る。また、軽い者の老人はとかく肉が大事である。
【通釈】
「王制曰、父之歯云々」。供の様に後に従うこと。「兄之歯鴈行」。空を飛ぶ鴈の様に少し下がって並んで行くこと。とかく後に付いて行くこと。浅見先生が千鳥掛けと言われた。斜にして行くこと。朋友同士は同格だが、先に立たないこと。総体これらは人の心の気嵩が路を歩く時にも出るからで、長幼の核子の処はとかく心を驕らせないことだと心得えなさい。俺も同じ種だとか、俺も同じ親の子だと言うのは、早くも長を蔑することになる。人の後に付くのは礼譲である。「能以礼譲為国乎何有」と孔子が仰せられた。礼譲は謙ること。譲るに悪いことはない。易の六十四卦の内に凶悔吝という字が何処にもあるが、謙の卦には凶や悔吝はないというのも思い合わせなさい。「軽任幷云々」。道中の序にこれを言った。「軽任」は人足に出た様な時のこと。年配者の荷を自分の荷へ合わせ、重荷は分けて担ぐのである。聖代には五十以上の者に荷物を担がせなかった。この章、父之歯の一節は上下に通ずるが、軽任以下の二句は下人のこと。「君子耆老云々」。「父之歯」は位なしに言う。「軽任幷」は軽い者のことなので、ここで「君子耆老」と改めて言う。老人と言えば徒歩では歩かないもの。天子から車を下さることを命車と言う。歴々は位を降りても年寄れば車に乗る。また、軽い者の老人はとかく肉が大事である。醢ではない。「徒猶空」。手の奴足の六尺で歩くのが空である。膳部もすっぽり飯に糠味噌汁であれば空である。
【語釈】
・礼譲を以国を治めは何にか有ん…論語里仁13。「子曰、能以禮讓爲國乎、何有。不能以禮讓爲國、如禮何」。
・手の奴足の六尺…手の奴足の乗物。奴僕を使わず、自分の手をこれに代え、乗物に乗らず、自分の足で歩む意。六尺は駕籠舁き。
・すっほり飯…すっぽり飯。白米だけのこと。
・ぬか味噌汁…古い糠味噌をすり、煮出し汁でのばして汁に仕立てたもの。転じて、甚だしい粗食の意。


明倫88
○論語曰、郷人飮酒杖者出斯出矣。杖者、老人也。六十杖於郷。未出不敢先。既出不敢後。
【読み】
○論語に曰く、郷人の飮酒に杖者出ずれば斯に出ず。杖者は老人なり。六十にして郷に杖つく。未だ出でざれば敢て先だたず。既に出でれば敢て後れず。

○論吾曰、郷人飲酒。一在所よりて酒をのむときは老人か正客。これ、郷飲酒とて先王の制作ぞ。学者はあまり吟味ずり、何事も古代へかへることかないとてにか々々しく云か、田舎ては今日奉社と云かある。結搆なことそ。やっはり郷飲酒の残りてあるのなり。其外待なとと云て飲酒のもやふかあるぞ。これて其一邑の和平なことで、今周公旦の出られても根から直すことてはない。あれに礼を立ることなり。今のは飲酒のもやふ斗りありて老人を馳走することを知らぬ。靣々の仕たいままをする。古代は老人をもてなすがをものことぞ。杖者。杖をつく老人が出ると、孔子のしき出て兎角老人を大切にしてかんかくする。垩人の大德ぞ。念佛題目の老人もあろふ。それからはもっと意智わるいもあろふ。其さりきらひない。年よりを大切にすると云に埒をあけたこと。これか長幼の序の終りにある。この心なれは尊長親兄弟へ出して何もかもよい筈。
【解説】
郷飲酒は先王の制作であり、その模様は今も残っている。郷飲酒は老人が正客だが、今は老人を馳走するということを知らない。どの様な年寄りであっても、その人を大切にする。
【通釈】
「論語曰、郷人飲酒」。一在所が集まって酒を飲む時は老人が正客である。これは郷飲酒と言い、先王の制作である。学者があまりに吟味が強く、何事も古代へ帰ることがないと苦々しく言うが、田舎では今日奉社ということがある。それは結構なことで、やはり郷飲酒が残っているのである。その外に待などにも飲酒の模様がある。これが一邑の和平なことで、今周公旦が出られたとしても根から直すことではない。あれに礼を立てるのである。今のは飲酒の模様ばかりがあって老人を馳走することを知らない。面々がしたい放題をする。古代は老人をもてなすのが主である。「杖者」。杖を突く老人が出ると、孔子は直ぐに出て、とかく老人を大切にして看護する。これが聖人の大徳である。老人には念仏題目を唱える者もあるだろう。それからはもっと意地の悪い者もあるだろう。それに好き嫌いをしない。年寄りを大切にするということと決めたこと。これが長幼の序の終わりにある。この心であれば、尊長や親兄弟へ出しても何もかもよい筈。

これ、孝經の身体髪膚へあわせみよ。爪のはし、毛一本も大事とする。それをする心て身持放埓はない筈。ここの郷人の飲酒は他人の老人を如此なさるる。此心て吾か骨肉のものをよくすることは知れてあことぞ。さて杖のことは、喪には若ひものもつく。憂から杖をたのむ。六十を杖者と云は、これも杖をたのま子はならぬ年ぞ。杖をつく人になったを杖者と云。斯出之注、唐人は日本の詞の短いを長くも書く。此註の未既云々の十字は斯と云一字の註なり。孔子か出られて老人か路てすべる、はや帯をとるやふなこと。それてすべっても、とふしてもころばせぬか長幼の序なり。此迠のことか一として六ヶ鋪ひことはない。皆しよいことなれとも、と云てもさてもなりにくいことぞ。そこか垩人の教ぞ。
【解説】
老人を大切にする心があれば、身内は当然に大切にする。長幼の序はどれもし易いことなのだが、実現するのは難しい。
【通釈】
これを孝経の身体髪膚へ合わせて見なさい。爪の端、毛一本も大事にする。それをする心では身持の放埓はない筈。ここの郷人の飲酒では他人の老人をこの様になされる。この心で自分の骨肉の者をよくすることは知れたこと。さて杖のことでは、喪には若い者も突く。憂いから杖を恃む。六十を杖者と言うのは、これも杖を恃まなければならない年だからである。杖を突く人になったことを杖者と言う。「斯出」の注は、唐人は日本の詞では短いものでも長く書くことがある。この註の「未既云々」の十字は「斯」という一字の註である。孔子が出られ、老人が路で滑るところを直ぐに帯を取る様なこと。それで滑ったとしても、どうしても転ばせないのが長幼の序である。これまでのことは一つも難しいことはない。皆し易いことだが、そうは言っても、実に成り難いこと。そこが聖人の教えである。
【語釈】
・身体髪膚…孝経の語だが、小学内篇明倫34にもある。「孔子謂曾子曰、身體髪膚受之父母。不敢毀傷孝之始也」。


右明長幼之序。
【読み】
右、長幼の序を明かにす。