明倫89
曾子曰、君子以文會友、以友輔仁。講學以會友、則道益明、責善以輔仁、則德日進。
【読み】
曾子曰く、君子は文を以て友を會し、友を以て仁を輔く。學を講じて以て友を會すれば、則ち道益々明かに、善を責めて以て仁を輔くれば、則ち德日に進む。

○曽子曰、君子以文會友云々  己酉九月二十六日  慶年彔
【語釈】
・己酉九月二十六日…寛政元年(1789)9月26日。
・慶年…北田慶年。太兵衛、榮二と称す。東金市福俵の人。学思齋の主。篠原惟秀の兄。稲葉黙斎門下。

此前の長幼迠で五倫の中か四倫すんて、是から朋友の一倫しゃ。此朋友の一倫を五倫の内へ加へたと申すは余程物語りのあること。父子君臣等は疑もないことなれとも、朋友を五倫に加へられたは少疑のあるやふなもの。そこか物がたりを聞子はしれぬことぞ。先つ父子は吾身の出来た本なれは親子を知らぬものなし。虎狼も親子の親みあり、親子ははへぬきのものなれは、親子の親みとはとふしたものと云ものもないぞ。又、君臣は至て厳重なものて、旦那が云つけも打ちやりてをけと云ものはなし。君臣の礼は重いものぞ。吾々式の輕ひものの一季半季の奉公人を置のは君臣と云程てはなく、日雇取を永く雇ふやふなものなれとも、これてさへ君臣と云義かついて廻るゆへに中々麁末にはならぬ。夫婦は本と他人の男と女が夫婦一体になりて子を持てをる。故に夫婦は情意の親しひもので、互にとふも麁末にはならぬ。古の列女の貞女のと云はすくないが、今教は無くても亭主をそまつにせふと心かけるものもなく、夫婦あいさつと云なりか天地の間に立派に立ってをる。
【解説】
「朋友之信」は他の四倫とは違って少々疑いが出るもの。そこで、何故朋友が五倫にあるのかを説かなければならない。
【通釈】
この前の長幼までで五倫の内の四倫までが済んで、これから朋友の一倫である。この朋友の一倫を五倫の内に加えたというのは余程物語のあること。父子君臣等は疑いもないことだが、朋友を五倫に加えられたのには少々疑いが出る様で、そこは物語を聞かなければわからない。先ず父子は我が身のできた本なので親子を知らない者はいない。虎狼にも親子の親みがあり、親子は生え抜きのものなので、親子の親みとはどうしたものかと言う者はいない。また、君臣は至って厳重なもので、旦那の言い付けも打っ遣って置けと言う者はいない。君臣の礼は重いもの。我々の如き軽い者が一季半季の奉公人を置くのは君臣というほどではなく、日雇取りを長く雇う様なものだが、これでさえ君臣という義が付いて回るので中々粗末にはできない。夫婦は元々他人の男と女が夫婦一体になって子を持つ。そこで夫婦は情意の親しいもので、互いにどうも粗末にはならない。古の列女や貞女という様な者は少ないが、今教えはなくても亭主を粗末にしようと心掛ける者もなく、夫婦挨拶という姿が天地の間に立派に立っている。

さて長幼は、兄弟と云は一つものから出来て、又からたの分ったものなれは、人々能く自然と知れている。兄弟中かわるいとても兄を兄てないとは云はれず、兄は兄、弟は弟。夫から段々伯父の従弟のと長幼が分って来が人作てなく自然と出来ているものなれは、是に疑はない。其れを最ふ一つ廣げて他人の長幼でみよ。とんなものても年寄の先きにはたたぬ。又、如何様なあくたれものでも老人なとを手こめにはせぬぞ。譬へは柳橋の老人に、某てもたばこの火をとは頼れぬ。先きは学問執心で何ことてもする気なれとも、年たけてとふも頼れぬ。これか自然しゃ。子路か荷蓧丈人を見て立て礼をしたれは、其んなら今夜はこなたもこちに留れと丈人か云れた。これも長幼の自然から勢のこふなることて、とんと人作てはない。正德年中に生れた人と、又宝暦年中に生れた人と、人作てないから疑はない。そこて右の四倫はつんと動ぬこと。
【解説】
四倫は人作でなく、天然自然なもの。そこで疑いもなく確かなのである。
【通釈】
さて長幼は、兄弟は一つ物からできたもので、また、体の分かれたものなので、自然によく人々に知れ渡っている。兄弟仲が悪いとしても兄を兄ではないと言うことはできず、兄は兄、弟は弟である。それから段々に伯父従弟と長幼が分かれて来るが、それは人作ではなくて自然とできているものなので、これに疑いはない。それをもう一つ広げて他人の長幼で見なさい。どの様な者でも年寄りの先には立たない。また、どの様な悪たれ者でも老人などを手込めにはしない。たとえば柳橋の老人には、私でも煙草の火をとは頼めない。柳橋の老人は学問に執心で何事でもする気だが、年長けているからどうも頼めない。これが自然である。子路が荷蓧丈人を見て立って礼をしたので、それなら今夜は貴方もこちらに泊れと丈人が言われた。これも長幼の自然からの勢いでこうなることで、人作では全くない。正徳年中に生まれた人と宝暦年中に生まれた人とは、人作でないから疑いはない。そこで右の四倫は実に確かなこと。
【語釈】
・柳橋の老人…大原要助。
・子路か荷蓧丈人を見て…論語微子7。「子路從而後、遇丈人、以杖荷蓧」。

但此朋友の一倫は、つかまへ処のないものを加へて五倫にしたは、物語を聞子は知れぬ。朋友と云へは廣ひことて、奉公人は同家中のもの、町人なれば一ち町のもの、田舎ならは一邑のものが友ぞ。そふしてみれは、朋友は父子兄弟と並へて云べきもののやふてはないか、是を一倫加へて五倫と垩人の立られた。どふしたことぞ。なればもと朋友は道德のある人を吾友にすることぞ。其中て一ち目にたつものは孔子の合弟子衆の朋友出合などがはきと見ゆる処て魂を磨き合ふ朋友なり。此友かなけれは吾からたをみかく種かない。是にはいこふ次第階級かある。師迠か朋友の内そ。合弟子は勿論朋友て、吾からたを能してもろふ人と云ものを拵へたてるなり。父子兄弟とは違ふて朋友は誰と云当てはない。依て昨日まで無ても今日出来ることもあり。古へは天子にさへ友あり。天子に同軰はないか、三公は道を論するの友て天子と並んて常に咄をするか、当時の政事の咄てはなく道理の咄をする。そこて君も臣とは思はぬ。友とさしったそ。
【解説】
朋友は道徳のある人を自分の友にすること。その端的が孔子門下の出合いであり、これが魂を磨き合う朋友である。朋友がなければ自分の体を磨く種がない。
【通釈】
但しこの朋友の一倫、掴まえ処のないものを加えて五倫にしたわけは、物語を聞かなければわからない。朋友と言えば広いことで、奉公人であれば同家中の者、町人であれば一町の者、田舎であれば一邑の者が友である。そうして見れば、朋友は父子兄弟と並べて言うべきものの様ではないが、これを一倫加えて五倫と聖人が立てられた。それはどうしたことか。そうするのであれば朋友は道徳のある人を我が友にすることである。その中で一番目立つものは孔子の相弟子衆の朋友出合いなどで、これが魂を磨き合う朋友である。この友がなければ自分の体を磨く種がない。これには大層次第階級がある。師までが朋友の内である。相弟子は勿論朋友で、自分の体をよくしてくれる人を拵え立てるのである。父子兄弟とは違って朋友は誰という当てはない。そこで、昨日まではなくても今日できることもある。古は天子にさえ友があった。天子に同輩はないが、三公は道を論ずる友で天子と並んで常に話をする。それは今の政事の話ではなくて道理の話である。そこで君も臣とは思わず、友とされたのである。

諸侯もそれて、不召の臣ありと孟子にもありて、道理を聞く人を友とをもひ、自ら往て聞ことあり。天子諸侯か庻人を友とするは道德ある人故ぞ。これか道の世話するて君臣の義も父子の親も夫婦の別も長幼の序も皆明になる。そこて朋友の一倫て磨きかけぬと四倫か曲り形になる。この曲り形と云ふか垩賢はきついをきらいぞ。何程四倫かありても道を尽さぬか曲り形りぞ。これを朋友に吟味をさするぞ。孝經をよむのも、孝をする訳を朋友に聞き、靖献遺言を読むのも、君臣の義を尽すことを聞くも朋友て磨をかける。さすれは朋友かなくては忠も孝もならぬことぞ。そこて此一倫か君父の中に列て五倫となる。
【解説】
朋友が道の世話をするので、君臣の義も父子の親も夫婦の別も長幼の序も皆明らかになる。朋友で磨きを掛けないと他の四倫が曲り形になる。
【通釈】
諸侯もそれで、「有不召之臣」と孟子にもあり、道理を聞くための人を友と思い、自ら往って聞くことがある。天子諸侯が庶人を友とするのは、彼が道徳のある人だからである。それが道の世話をするので君臣の義も父子の親も夫婦の別も長幼の序も皆明らかになる。そこで朋友の一倫で磨きを掛けないと四倫が曲り形になる。この曲り形というのを聖賢は大層嫌う。どれほど四倫があっても道を尽くさないのが曲り形である。これを朋友に吟味をさせる。孝経を読むにも、孝をするわけを朋友に聞き、靖献遺言を読むにも、君臣の義を尽くすことを朋友に聞いて磨きを掛ける。それなら朋友がなくては忠も孝もならないこと。そこでこの一倫が君父の中に並んで五倫となる。
【語釈】
・不召の臣あり…孟子公孫丑章句下2。「故將大有爲之君、必有不召之臣」。

さて朋友には信と出てあるは、元来朋友は何処のものか知ら子とも、志のあつい心の信とを以て道の吟味をするによって朋友になる。そこて信て交ることなり。此段になると吾一村の内に朋友かなくて遠ひ江戸にあることもあるべし。又、近所にあることもあるべし。信と云ふは心と心を尽し合ふてすることで、此信か土に当る。四季に五行を配当して木火土金水各々四時の末に土用がある。これが眞中の土にあたるて土は四季に手傳ふ。よって朋友の信が、土か四倫のせわをして丁どに叶はす。四倫皆これに繋ること故に、至て重ひことになる。外の四倫は、君は夫婦つぎ合の善悪まては知らず、長幼のもめ合ひは夫婦てはかまわぬと云やふて、君臣は君臣ぎり、父子は父子きりと別々ですれとも、この朋友は四倫かわるいとどれへでも皆異見をするによって、君臣骨肉よりは遠いやふなれとも、このかかわぬことなし。四倫の後ろ見を朋友がすると思へ。今日人の家ても、主じが若くても後見でつとまると云ことあるやふに、四倫に朋友と云後見をつけることぞ。依て朋友は輕ひやふなことて、至て重ひことなり。此様に永か言を云、吾作意して云ことにあらず。朱子の黃仲本の朋友之説の跋に書れた趣きぞ。蒙養集に出てあり、夏中丹次か筆記もしてあり、次手にはみよ。左まてもないことてあるやふなことをこふ云のは、重ひことゆへに挌段にこふはきと云子はすまぬ。
【解説】
朋友は志の篤い心の信で道の吟味をする者なので、そこで信で交わる。信は木火土金水の土に当たり、他の四倫の後見をする。
【通釈】
さて朋友には信と出ているのは、元来朋友は何処の者かは知らないが、志の篤い心の信[まこと]を以って道の吟味をすることなので朋友になるのであり、そこで信で交わる。この段になると我が一村の内には朋友がなくて遠い江戸にあることもあるだろう。また、近所にあることもあるだろう。信は心と心とを尽くし合ってすることで、この信が土に当たる。四季に五行を配当して木火土金水、その各々の四時の末に土用がある。これが真ん中の土に当たり、土は四季を手伝う。そこで、朋友の信は土が四倫の世話をして丁度に叶わすのと同じ。四倫が皆これに繋がることなので、至って重いことになる。外の四倫は、君臣は夫婦付き合いの善悪までは知らず、長幼の揉め合いは夫婦では構わないと言う様なことで、君臣は君臣ぎり、父子は父子ぎりと別々でするが、この朋友は四倫が悪いとどれへでも皆異見をするので、君臣骨肉よりは遠い様だが、これが関わらないことはない。四倫の後見を朋友がすると思いなさい。今日人の家でも、主が若くても後見で勤まるということがある様に、四倫に朋友という後見を付けるのである。そこで、朋友は軽い様なことで、至って重いこと。この様に長言を言ったが、これは吾作意して言うことに非ず。これが、朱子が黄仲本の朋友之説の跋に書かれた趣である。蒙養集に出てあり、夏中に丹次が筆記もしてあり、序に見なさい。それほどでもない様なことをこの様に言うのは、これが重いことなので、格段にこの様にはっきりと言わなければ済まないのである。
【語釈】
黃仲本
・丹次…大木丹二。名は忠篤。東金市北幸谷の人。文政10年(1827)12月17日没。年63。稲葉黙斎門下。

曽子曰、君子は、朋友の始に君子と出したでみよ。今日の友達とは違ふことと思へ。当時の友と云は皆合口出合と云やふなもの。何の益にもならぬ。直方の、鰹の友と云はれた。初鰹は高くても喰ふ友しゃ。世の中は後ろに柱前に酒でをごりやしっついに成る。分んのことぞ。向ふ三軒两隣と云やふて、よりところなけれはこそ附き合ふか、一つ派も益にはならぬ。少々なら来すともよいと云位なり。さて君子と云からは炬燵に引こんて居る人にはあらず。德性を建立する人で、只うっかりとしては居す。我身を苦労にするもので、天地の内に一たひ生れて此ざまではとふも居られまいと思ふ人なり。譬へはものを喰にも只の人のはじゃふだん喰ひ、君子のは養生喰をするやふで、此病を直さすにはとて喰ふ様ぞ。故に益にはならぬ隣の人を伽には呼ず。
【解説】
「曾子曰、君子」の説明。君子と出したのは、朋友は今の友達とは違うという意である。朋友は徳性を建立する人であって、今の友では何の益にもならない。
【通釈】
「曾子曰、君子」。朋友の始めに君子と出したことを見なさい。朋友は、今日の友達とは違うことだと思いなさい。今の友は皆合口出合いという様なもので何の益にもならない。直方が、鰹の友だと言われた。初鰹は高くても喰う友である。世の中は後ろに柱前に酒で奢りや無駄をする。それとは別なこと。向こう三軒両隣りと言う様なことで、拠り所がなければこそ付き合うが、一つも益にはならない。少々なら来なくてもよいと言う位のこと。さて君子と言うからは炬燵に引き込んでいる人ではない。徳性を建立する人で、ただうっかりとしてはいない。我が身を苦労にする者で、天地の内に一度生まれてこの様ではどうしてもいられないと思う人である。たとえば物を喰うにも普通の人のは上段喰い、君子のは養生喰いをする様で、この病を治さずにはとして喰う様である。そこで、益にはならない隣の人を伽には呼ばない。

○以文會友。文と云はやっはり論吾か出処て、有餘力以学文、文行忠信、博文約礼、顔子の博吾以文、皆文の字あり。文は道理の替名て袋棚にあるものてはない。文載道之器也と韓退之も云へり。今日云へは四書六經か文なり。此文を以て咄をする。今日の御寄合は何そと云ふに、つく子んとして火鉢の灰をいしり々々々咄すではなく、朋友出合ふて道理の吟味をする文の會なり。さて、其友のをかけで仁と云ものを出かす。仁は人間の脉なり。とかく凡夫は脉体がわるい。尭舜孔子は生れついて脉体かよいか、只の人は脉体かわるいはつぞ。湯武や其外の賢ても仁の脉体にわるい所か有た。そこを吟味してよくなされたるゆへ垩人になられた。朋友の出合は以文輔仁と云ことか大切なり。廣く道理の吟味をしてもの知りに成て自慢せふと云にはあらす。文を以仁を輔け、己かものにするのみぞ。○本文の文と云字を講学と注したなれは詩文や文章なとを書くことてはなく、近思彔ならは道体爲学から致知存養のたん々々、大学ならば八條目の道理を吟味する友で、ます々々明になる。責善はなんてもぎり々々の塲へゆくやふにせむるぞ。文義のふれまてを吟味して、其上に家内の仕方のわるいこと迠を責め云るるで德に進むぞ。道明は知の方、德進は行につくことて、朋友の交りて吾体だを吟味し磨き上ることなり。
【解説】
「以文會友、以友輔仁。講學以會友、則道益明、責善以輔仁、則德日進」の説明。ここの文は論語が出処であり、文は道理の替え名である。今日で言えば四書六経が文である。また、朋友と出合って道理の吟味をするのが文会であり、「以文輔仁」が大事である。「道明」は知、「徳進」は行のこと。
【通釈】
「以文会友」。「文」は、やはり論語が出処で、「有余力、則以学文」、「文行忠信」、「博文約礼」、顔子の「博我以文」と、皆文の字がある。文は道理の替え名で袋棚にあるものではない。「文載道之器也」と韓退之も言った。今日で言えば四書六経が文である。この「以文」で話をする。今日の御寄合いは何かと言うとつくねんとして火鉢の灰を弄りながら話すが、それではなく、朋友と出合って道理の吟味をする文の会なのである。さて、その友のお蔭で仁というものを出す。仁は人間の脈である。とかく凡夫は脈体が悪い。堯舜や孔子は生まれ付いて脈体がよいが、普通の人は脈体が悪い筈のもの。湯武やその外の賢でも仁の脈体に悪い所があった。そこを吟味してよくなされたので聖人になられた。朋友の出合いは「以文輔仁」ということが大切である。広く道理の吟味をして物知りになって自慢しようということではない。文を以って仁を輔け、自分のものにするだけである。本文の文という字を「講学」と注をしたのであれば、詩文や文章なとを書くことではなく、近思録であれば道体為学から致知存養の段々、大学であれば八條目の道理を吟味する友で、それで益々明らかになる。「責善」は何でもぎりぎりの場へ行く様に責めること。文義の振れまでを吟味して、その上、家内の仕方の悪いことまでを責めて言うので徳に進む。「道明」は知の方、「徳進」は行に付いたことで、朋友の交わりで自分の体を吟味し磨き上げるのである。
【語釈】
・有餘力以学文…論語学而6。「子曰、弟子、入則孝、出則弟、謹而信、凡愛衆、而親仁。行有餘力、則以學文」。
・文行忠信…論語述而24。「子以四敎、文・行・忠・信」。
・博文約礼…論語雍也25。顔淵15。「子曰、博學於文、約之以禮。亦可以弗畔矣夫」。
・顔子の博吾以文…論語子罕10。「夫子循循然善誘人、博我以文、約我以禮」。
・文載道之器也…李漢(韓愈の門人)。「文者貫道之器也」。


明倫90
○孔子曰、朋友切切偲偲、兄弟怡怡。切切、懇到也。偲偲、詳勉也。怡怡、和説也。
【読み】
○孔子曰く、朋友には切切偲偲、兄弟には怡怡たり。切切は懇到なり。偲偲は詳勉なり。怡怡は和説なり。

○孔子曰、朋友切々偲々。この章を迂斎の以友輔仁の受じゃ、と。上みの仁を輔るは上書をしたやふなものて、其仁のたすけやふはどふじゃと開て見るに、朋友には切々偲々と云は大ふ信実に誠て鉢ちの拂てて無ひこと。偲々は親切の行届ひて一色のことには限らす、万事細に届ひてきっはり的切なことを云。さて、親切かありても向の心根へ行届か子は信実にならぬものぞ。是を届けるは、切々と偲々か揃子はほんの信実にはならぬものぞ。医者が病人を療治するにも昨日とは云はれぬ。今夜か大事そと往てはやるか、脉の見やふや病根の正しやふ、何かか手荒では向へひびかぬ。其親切とこまかあたりとが揃子はならぬものぞ。兄弟には怡々。これは孔子の對句ゆへに出されたが、兄弟は只にこはことするがよい。朋友のやふに胸の内のこと迠云ふと、兄弟中がわるく恩義も薄くなるぞ。兄弟のことは只にこはこして異見処てはないと云ふと、其ならどのやふなわるいことをもすて置くかと思ふか、兄弟には異見する朋友かあるぞ。とかく小人の利口は兄弟の非を正すもの故に、兄弟中のわるいは利口やけたものにあるもので、一間ぬけたものには兄弟爭はないものなり。兄弟には切々偲々と云異見腹ではないぞ。
【解説】
この条は「以友輔仁」を受けたもので、仁の輔けは「切切偲偲」である。切切偲偲は親切と細か当たりである。この二つが揃わなければならない。しかし、兄弟の間に切切偲偲を出すのは悪い。兄弟には朋友がそれをする。兄弟はただ「怡怡」なのがよい。
【通釈】
「孔子曰、朋友切切偲偲」。この章を迂斎が「以友輔仁」の受けだと言った。前条の「輔仁」の上書きをした様なもので、その仁の輔け方はどの様なものかと開いて見ると、「朋友切切偲偲」。これは大層信実な誠で蜂払いなことではない。「偲偲」は親切が行き届いて、一色のことに限らず、万事に細かに届いてきっぱりと的切なことを言う。さて、親切があっても相手の心根に行き届かなければ信実にはならないもの。切切と偲偲が揃わなければ本当の信実にはならない。医者が病人を療治するにも明日にとは言えない。今夜が大事だと往っては遣っても、脈の見方や病根の正し様、何かが手荒では相手に響かない。この親切と細か当たりとが揃わなければならない。「兄弟怡怡」。これは孔子の対句なので出されたものだが、兄弟はただにこにことするのがよい。朋友の様に胸の内のことまでを言うと、兄弟仲が悪くなって恩義も薄くなる。兄弟のことはただにこにこして異見処ではないと言えば、それならどの様な悪いことをも棄てて置くものかと思うが、兄弟には異見する朋友がいる。とかく小人の利口な者は兄弟の非を正すもの。兄弟仲の悪いのは利口焼けた者にあることで、一間抜けた者に兄弟争いはないもの。兄弟は切切偲偲という異見腹ではないもの。
【語釈】
・鉢ちの拂て…蜂払い。物を聞き入れないでしりぞけること。

因て笑云。このそふした腹てはないと云詞も靣白ひことぞ。明六つに鯛のはまやきと云腹ではなく、白湯ても呑ふと云腹なものぞ。切々は朋友にはよい腹。兄弟には腹に合ぬ。怡々と云培してよい花か咲くぞ。上の長幼之序の内には此怡々の語か載せてない。この二字、兄弟の全体にかかることしゃ。長幼の方へきりぬいてやる程に思へ。朋友から語り出した語ゆへここへ載せたもの。○懇到とは、義式一篇や帳靣通りきりにすることにあらす。味池直好の弁に、情の方の字である、と。利屈だけいことが過ると念頃にはない。詳勉はこまかにはげませるぞ。怡々は和説と云兄弟合なれは、切々偲々も和説の中にありて、夫ては能ふあるまいと云と直に聞こむ。只今の兄弟つき合は心中にふし々々ありて、表向ばかり和説らしくするは腐た鯛へ吸口を入れたやふでどふも喰へぬ。和説かなくては芽うどても防風の吸口てもとんとよふない。和説と云鯛か新しくさへあれは仕方はいろ々々あり、和説てさへあれは何んても仕安ひ。
【解説】
「兄弟怡怡」は和説であるということ。今の兄弟付き合いは心中に節々があって、表向きばかりを和説らしくするだけである。
【通釈】
そこで笑って言う。このそうした腹ではないという詞も面白い。明六つに鯛の浜焼きという腹ではなく、白湯でも飲もうという腹のこと。切切は朋友にはよい腹だが、兄弟には腹に合わない。怡怡という肥やしでよい花が咲く。上の長幼之序の内にはこの怡怡の語が載っていないが、この二字は兄弟の全体に掛かることで、長幼の方へ切り抜いて遣るほどのことだと思いなさい。朋友から語り出した語なのでここへ載せたもの。「懇到」は、儀式一辺倒や帳面通りだけをすることではない。味池直好の弁に、情の方の字だとある。理屈高いことが過ぎると懇ろにはならない。「詳勉」は細かに励ませること。「怡怡、和説也」という兄弟合いであれば、切切偲偲も和説の中にあり、それではよくないだろうと言うと直に聞き込む。今の兄弟付き合いは心中に節々があって、表向きばかりを和説らしくするが、それは腐った鯛に吸口を入れた様でどうも喰えない。和説がなくては芽独活でも防風の吸口でも実によくない。和説という鯛が新しくさえあれば仕方は色々あり、和説でさえあれば何でもし易い。
【語釈】
・味池直好…味地儀平。修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。
・吸口…吸物に浮べて芳香を添えるつま。
・防風…セリ科の多年草。中国原産の薬用植物。


明倫91
○孟子曰、責善朋友之道也。
【読み】
○孟子曰く、善を責むるは朋友の道なり。

○孟子曰、責善。浅見先生の、それてよいとはゆるさぬこと、と。をれは気根かわるいとは云さぬ。だん々々責てものことを至善につめる迠責る。この朋友に責らるるは、掛乞の来て大く責られたと云やふに、当年は不仕廻と云ても合点せす、晦日は勿論元朝まても来る。そこてどふやらこふやらして拂ふ。こふ責るやふに朋友は友をよくせふとてあるなれは、医者のどんなことても毒は喰せぬと云やふに、夫れては学者とは云はれまいとぎりり々々々と責る。五倫に朋友のあるは善を責てやる約束じゃに、夫れをせぬは夜番の火事を知らせぬやふなもので、火事と盗賊を知らすための夜番か、火事と云たら御さわきなさらふと存とて知らさ子は何の役にたたぬ。朋友は善をせめる約束しゃに、責ぬなれは役にたたぬぞ。
【解説】
朋友はものごとを至善に詰めるまで責めるもの。それをしないのは、夜番が火事や盗賊を知らせない様なもの。
【通釈】
「孟子曰、責善」。浅見先生が、それでよいと許さないことだと言った。俺は気根が悪いからとは言わせない。段々に責め、ものごとを至善に詰めるまで責める。この朋友に責められるのは、掛乞が来て大層責められたという様に、当年は不首尾と言っても合点せず、晦日は勿論元朝までも来る。そこでどうやらこうやらして払う。この様に責める。朋友は友をよくしようとするためにあるのだから、医者がどの様なことであっても毒は喰わせないと言う様に、それでは学者とは言えないだろうぎりりぎりりと責める。五倫に朋友があるのは善を責めて遣るのが約束なのに、それをしないのは夜番が火事を知らせない様なもので、火事と盗賊を知らせるための夜番が、火事と言ったら御騒ぎなさろうと存ずると言って知らせなければ何の役にも立たない。朋友は善を責めるのが約束なのに、責めないのであれば役には立たない。


明倫92
○子貢問友。孔子曰、忠告而善道之、不可則止。無自辱焉。友、所以輔仁。故盡其心以告之、善其説以道之。然以義合者也。故不可則止。若以數而視疏、則自辱矣。
【読み】
○子貢友を問う。孔子曰く、忠告して善く之を道き、可ならざれば則ち止む。自ら辱しむること無かれ、と。友は以て仁を輔くる所なり。故に其の心を盡して以て之に告げ、其の説を善くして以て之を道く。然るに義を以て合う者なり。故に可ならざれば則ち止む。以て數々して疏まるるが若きは、則ち自ら辱しむるなり。

○子貢問友。此やふな問ひは後世の人には無ひ問と思へ。はて友は知れてあることと云様なり。士か侍と云はどふしたものと問ふ位なれは能侍ぞ。医者もそれで、医者と云ものはどふしたものと吾職を問くらいの医はよいぞ。名主てもそれなり。名主とはどふしたものと其役すしを問ふくらひならは能役人と思へ。忠告はやはり切々偲々のこととみるかよろし。誠の親切な心にかけごのなひことを云。善くと云は浅見先生の、功者に上手にと云こと、と。道ひきやふが上手に云廻せは向ふで呑込む。下手に云と合点しか子るものぞ。料理は能ても出しやふがわるくては能ふないそ。親切て云ことも弁が届か子は得心しか子る。同しことも弁舌か届けは、あの人の云やふなれはと承知する。
【解説】
「子貢問友。孔子曰、忠告而善道之」の説明。この、友とは何かと問うのがよい問いである。「忠告」は切切偲偲のこと。「善」は上手にということ。
【通釈】
「子貢問友」。この様な問いは後世の人にはない問いだと思いなさい。さて、友は知れたことと言う様なものだが、士が侍とはどうしたものかと問うくらいであればよい侍である。医者もそれで、医者というものはどうしたものかと自分の職を問うくらいの医はよい。名主もそれ。名主とはどうしたものかとその役筋を問うくらいであればよい役人だと思いなさい。「忠告」はやはり切切偲偲のことだと見るのがよい。誠の親切な心で懸子のないことを言う。「善」は、浅見先生が、功者に上手にということだと言った。導き様が上手に言い回せば向こうが飲み込む。下手に言うと合点しかねるもの。料理はよくても出し様が悪くはよくない。親切で言ったことも弁が届かなければ得心しかねる。同じことでも弁舌が届けば、あの人の言う様であればと承知をする。
【語釈】
・切々偲々…明倫90の語。出典は論語子路28。
・かけご…懸子。掛子。本心を打ち明けて話さないこと。

不可則止。朋友君臣は義を以て合ふ故に、義か絶ると去る。親切はありても道ひきやふが下手で手つよく斗りすると悪口のやふに聞へる。某か亡友村士行藏なと、忠告るはあったか道きやふが下手てあった。某なとは道きやふは能ても忠告るか根からないゆへ向へひひかぬ。此二つか揃とよくひひく。さて又此二つが揃ても云に程かある。两三度云て見て、きゃつ聞ぬなと見へると止る。親とは違ふ。親は聞入子は泣て従ふが、朋友は聞ぬとやめて辱められぬやふにするぞ。度を過るとあなとられ、反って耻をかく。そこが直方の常に云、目はしをきかする処ぞ。孫思邈か智欲圓と云。兎角きてんか大事そ。迂斎の、きかぬに異見するはなま酔に異見するやふに、づぶろくなものへ狂薬にして佳味に非すと云てもいかな々々々きかぬ。不可則止むと、垩人の語にはもぎどふな様なことてあれとも、脉のきれたものに扁鵲は三四日灸はすへぬぞ。花も散るときありて、散るものをのりでつけるやふなことはせぬ。
【解説】
「不可則止。無自辱焉」の説明。朋友と君臣は義で繋がっているので、義が絶えれば去る。父子とは違う。ほどを過ぎて忠告すると却って恥をかく。
【通釈】
「不可則止」。朋友と君臣は義を以って合うので、義が絶えると去る。親切はあっても導き様が下手で手強くばかりすると悪口の様に聞こえる。私の亡友の村士行蔵などは、忠告はあったが導き様が下手だった。私などは導き様はよくても忠告が根からないので向こうに響かない。この二つが揃うとよく響く。さてまたこの二つが揃っても、言うにほどがある。三度言って見て、あいつは聞かないなと見れば止める。それは親とは違う。親は聞き入れなければ泣いて従うが、朋友では聞かなければ止めて辱しめられない様にする。度を過ぎると侮られ、却って恥をかく。そこが直方が常に言う、目端を利かすという処である。孫思邈が「智欲円」と言った。とかく機転が大事である。迂斎が、利かない者に異見をするのは生酔に異見をする様だと言った。ずぶろくに、狂薬にして佳味に非ずと言っても中々聞きはしない。不可則止とは、聖人の語にしては没義道な様だが、扁鵲は脈の切れた者に三四日の灸はすえない。花にも散る時があって、散るものを糊で付ける様なことはしない。
【語釈】
・村士行藏…村士玉水。名は宗章。別号は一齋、素山。行蔵、幸蔵と称す。江戸の人。信古堂を営む。村士淡齋の子。初め山宮雪樓に学ぶ。安永5年(1776)1月4日没。年48。稲葉迂斎門下。
・智欲圓…小学外篇嘉言57。「孫思邈曰、膽欲大而心欲小。智欲圓而行欲方」。
・づぶろく…泥酔したさま。また、その人。
・もぎどふ…没義道。無義道。非道なこと。不人情なこと。
・扁鵲…中国、戦国時代の名医。渤海郡鄭の人。姓は秦、名は越人。耆婆と並称される。

○盡其心。ありたけを尽しきることて、客を呼でも何ぞ肴はないかと云たきりては尽さぬのぞ。唐にも膳棚を倒すと云ことありて、何をかなと思ふ心て塩辛でも一ときれある香のもののやふなもの迠もありたけを永ひ酒もりには尽して、此片身の魚は明日の客前にと残す心のあるは尽さぬのしゃ。十五夜の月の照るやふにありたけの光を尽くせ。善其説以道之。異見下手ては、御親切ても只今の御一言はあまりのことと云様になる。以義合ふは、朋友は二本の丸太へかすかいを打たやふぞ。二本の丸太へ義と云かすかいて合はす。此ぬけぬ内か朋友て、これが秡ると止める。數して疏るは、もふ留主をつこふやふに成って、雪踏の音かすると、そりゃ異見か来るはとはづず。今日はとふから出ましたと云を、然らは帰り迠待ませふと云のは目はしのきかぬ。知のないのしゃ。医者も補薬をつけて人参を雨だれ拍子につこふには上手はないぞ。人参も最ふと引く塲を知れ。依て孔子の、成事不説遂事不諌既往不咎と云へり。つれないことではない。朋友にはいつ迠もと辱をうける迠とするのは知かないからぞ。朋友にも果無き泣を出してはすれとも、不可は止むと、もふ泣たをふいた処ぞ。ほどのあることなり。
【解説】
友、所以輔仁。故盡其心以告之、善其説以道之。然以義合者也。故不可則止。若以數而視疏、則自辱矣」の説明。忠告は有りっ丈を尽くしてするが、異見下手では通じない。恥を受けるまで忠告をするのは目端が利かないのである。
【通釈】
「尽其心」。有りっ丈を尽くし切ることで、客を呼んでも何か肴はないかと言っただけでは尽くすとは言えない。唐にも膳棚を倒すということがあって、何かをと思う心で、塩辛でも一切れある香の物の様なものまでもある限りを長い酒盛りには尽くす。この片身の魚は明日の客前にと残す心があれば、それは尽くすではない。十五夜の月の照る様にある限りの光を尽くせ。「善其説以道之」。異見下手では、御親切でも只今の御一言はあまりのことだと言う様になる。「以義合」は、朋友は二本の丸太へかすがいを打った様なこと。二本の丸太へ義というかすがいで合わす。これが抜けない内が朋友で、これが抜けると止める。「数疏」は、もう居留守を使う様になって、雪駄の音がすると、そりゃ異見が来るはと避ける。今日はとっくに出ましたと言うのを、それなら帰りまで待ちましょうと言うのは目端が利かず、知がないのである。医者も補薬を付けて人参を雨垂れ拍子に使うのは上手でない。人参はもうと引く場を知れ。それで孔子が、「成事不説、遂事不諌、既往不咎」と言った。これはつれないことではない。朋友にいつまでも、辱を受けるまでするのは知がないからである。朋友にも果てなき泣を出してはするが、不可則止となれば、もう涙を拭いた処である。程度がある。
【語釈】
・雨だれ拍子…拍子を雨滴のように一定間隔に奏すること。
・成事不説遂事不諌既往不咎…論語八佾21。「哀公問社於宰我。宰我對曰、夏后氏以松、殷人以柏、周人以栗、曰、使民戰栗。子聞之曰、成事不説、遂事不諫、既往不咎」。


明倫93
○孔子曰、居是邦也事其大夫之賢者、友其士之仁者。賢以事言、仁以志言。事而友之、則有所禀畏切磋、以成其德也。
【読み】
○孔子曰く、是の邦に居りては其の大夫の賢者に事え、其の士の仁者を友とす。賢は事を以て言い、仁は志を以て言う。事えて之を友とすれば、則ち禀畏切磋する所有りて、以て其の德を成すなり。

○孔子曰、居是邦也云々。朋友と云ふは父子兄弟と違ひ、何処でも出来る。親兄弟は兼て在の外には出来ぬ。其邦に居てやは何処の国に居ても朋友と云ものを拵子はならぬ。事ると云のは目上の友のこと。友とすると云ふは平士の同挌の上て云ふたぞ。友は上下にかまわぬなれとも、上みを友とは云れぬ。太夫には事るとて奉公すると云にはあらす。幼か長に事ふの意なり。何処の国へいても善を責め合ふものを友とせよ。此外のものにはつき合ふなと云ことなり。朱に交りて赤くならぬやふにとすること。
【解説】
「孔子曰、居是邦也事其大夫之賢者、友其士之仁者」の説明。大夫の賢者は目上の人なので事えると言い、士の仁者は同格なので友と言う。朋友は何処でもできるが、これ以外とは交わらない様にする。
【通釈】
「孔子曰、居是邦也云々」。朋友は父子や兄弟とは違い、何処でもできる。親兄弟は在の外には決してできない。「居其邦」。何処の国にいても朋友というものを拵えなければならない。事えるというのは目上の友のことで、友とするというのは平士の同格の上で言うこと。友は上下に構うことではないが、上を友とは言えない。大夫には事えると言って、それは奉公するということではなく、幼が長に事える意である。何処の国にいても善を責め合う者を友としなさい。この外の者には付き合うなということ。朱に交わって赤くならない様にする。

○賢以事言。この挌式吟味をすることてはないが、賢者仁者と幷へて對句に出す時はあたりがある。賢者の事へも仁者の友とすも外はない。つまり友とする処は同しことなり。賢者は賢大夫のことて、晏子や蘧伯玉などのやふな其邦に名高き賢大夫。これに事へて友となり、仁以志言。仁は志と云ことも聞へたことて、苟志仁則無悪で、仁は心ばへを云。孔子も仁とゆるすものは鮮し。殷の三仁や伯夷叔斉斗りぞ。ここの仁者と云は垩人の仁と許したほどの仁者てはなけれとも、信実に志の厚ひ人を云のぞ。是を巧言令色仁鮮しと云にくらへてみよ。巧言の人は、尤ずくめを云ても学者の風上にもをかれぬぞ。外靣ばかりつくろふ人と出合ふと、終には其風になる。仁と許すほどでなくても信実に志のあつひ、空言のない、親をも主をもほんの処から大切にする人と友になれは、ついに吾もそふなるぞ。このやふな人にも取廻しの不調法なもたたみさはりのあらいものもあろふか、是をは友にしたいものぞ。事るも友とするもどちらも友とするのことなり。禀はうかかふきみ。畏はをそれきっとする。太夫へかけて云。家長に咨禀せよとある。禀て差圖を受るの心なり。そふはせぬものと下知すれは、あの人の一言叛れまいと云ふになる。切磋は同挌でとぎ合ふのぞ。士の方へかけた注で、何も德を成就さするのなり。
【解説】
賢以事言、仁以志言。事而友之、則有所禀畏切磋、以成其德也」の説明。賢者は事えて友とする。ここの仁は信実に志の厚い人を言う。その人を友とすれば自分もその様になる。
【通釈】
「賢以事言」。ここは格式を吟味することではないが、賢者仁者と並べて対句に出す時は当たりがある。賢者に事えるのも仁者を友とするのも外のことではない。つまりは友とする処は同じこと。賢者は賢大夫のことで、晏子や蘧伯玉などの様なその邦に名高い賢大夫。これに事えて友となる。「仁以志言」。仁は志ということも聞こえたことで、「苟志於仁矣、無悪也」で、仁は心栄えを言ったもの。孔子も仁だと許した者は鮮い。殷の三仁や伯夷叔斉だけである。ここの仁者とは聖人が仁と許したほどの仁者のことではないが、信実に志の厚い人を言う。これを「巧言令色鮮矣仁」と比べて見なさい。巧言の人は、尤も尽くめを言うが、学者の風上にも置けない者。外面ばかりを繕う人と出合うと、終にはその風になる。仁と許すほどでなくても信実に志が厚く、空言のない、親をも主をも本当の処から大切にする人と友になれば、終には自分もそうなる。この様な人の中には取り回しの不調法な者も畳触りの粗い者もいるだろうが、これを友にしたいもの。事えるのも友とするのもどちらも友とするのこと。「禀」は伺う気味。「畏」は畏れきっとすることで、大夫へ掛けて言う。家長に咨稟せよとある。稟は指図を受ける心である。そうはしないものだと下知されれば、あの人の一言に叛くことはできないだろうと言う。「切磋」は同格で磨ぎ合うこと。士の方へ掛けた注で、何としても徳を成就させるのである。
【語釈】
・晏子…晏嬰。春秋時代、斉の大夫。~前500。
・蘧伯玉…論語憲問26集註。「蘧伯玉、衛大夫、名瑗。孔子居衛、嘗主於其家」。
・苟志仁則無悪…論語里仁4。「子曰、苟志於仁矣、無惡也」。
・殷の三仁…論語微子1。「微子去之。箕子爲之奴。比干諫而死。孔子曰、殷有三仁焉」。
・伯夷叔斉…論語述而14。「冉有曰、夫子爲衛君乎。子貢曰、諾、吾將問之。入曰、伯夷、叔齊何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁、又何怨。出曰、夫子不爲也」。
・巧言令色仁鮮し…論語学而3。「子曰、巧言令色、鮮矣仁」。
・家長に咨禀せよ…小学外篇嘉言15。「司馬温公曰、凡諸卑幼、事無大小、毋得專行。必咨稟於家長」。


明倫94
○益者三友、損者三友。友直、友諒、友多聞、益矣。友便辟、友善柔、友便佞、損矣。友直則其聞過、友諒則進於誠、友多聞則進於明。便、習熟也。便辟謂習於威儀而不直。善柔謂工於媚説而不誠。便佞謂習於口語而無聞見之實。三者損益正相反也。
【読み】
○益する者三友、損する者三友。直を友とし、諒を友とし、多聞を友とすれば、益す。便辟を友とし、善柔を友とし、便佞を友とすれば、損なり。直を友とすれば則ち其の過を聞き、諒を友とすれば則ち誠に進み、多聞を友とすれば則ち明に進む。便は習熟なり。便辟は威儀に習いて直ならざるを謂う。善柔は媚説に工にして誠ならざるを謂う。便佞は口語に習いて聞見の實無きを謂う。三の者の損益、正に相反するなり。

○益者三友、損者三友。此方のためになるは益、ためにならぬは損。合力を受たのは益、盗賊に合ふたは損。知れたことぞ。時にこの損益か朋友にありて、盗人にきられぬ屋尻を朋友にきらるることあり。友をとるに損益か三つ宛あるか、それ知てかと云語意なり。外のことて益をとるか損をとるかと問はれて損をとろふと云人は中々ないが、朋友ては兎角損をとる方へ子んころになる。益友はこちの德をみかくために責るに依て、良藥口に苦く、にがいものはきらい、毒と知りつつ口あたりのよい甘いものを取たがる。直と諒と多聞の人を友とすれは益あり。この裏の便辟善柔便佞の人を友とすれはらりになるぞ。
【解説】
「益者三友、損者三友。友直、友諒、友多聞、益矣。友便辟、友善柔、友便佞、損矣」の説明。人は益と損とでは益を取りたがるが、朋友ではとかく損の方に懇ろになる。それは益友が自分の徳を磨くために責めるので、楽な方を選ぶからである。
【通釈】
「益者三友、損者三友」。自分のためになるのは益、ためにならないのは損。合力を受けたのは益、盗賊に遭ったのは損。それは知れたこと。時にこの損益が朋友にもあって、盗人に切られない屋尻を朋友に切られることがある。これは、友を取るのに損益が三つあるが、それを知っているかという語意である。外のことで益を取るか損を取るかと問われて損を取ろうと言う人は中々いないが、朋友ではとかく損を取る方へ懇ろになる。益友は自分の徳を磨くために責めるから、良薬口に苦く、苦いものは嫌いで、毒と知りつつ口当たりのよい甘い物を取りたがる。「直」と「諒」と「多聞」の人を友とすれば益がある。この裏の「便辟善柔便佞」の人を友とすれば台無しになる。

○直はありのままてにへしゃ々々りなく眞直を云。譬は此方のことを世間でさん々々わるく云と坐の白ける程云ふ。どふも正直故に持ていることがならす云。よって先きか過を聞て改る。どふ見てもこなたは馬鹿じゃと当り障りに搆はす切て放つ。そこで向ふが考て直をす。医者もぐにゃ々々々して云か子て湿じゃなどと云ているに、こなたのはとふても瘡毒しゃ云て仕廻。実にはとて、もふ不養生をやめて療治するぞ。諒は木地で少もかざらぬ律義眞法。眞ありていなもの。進誠とは、こふした人と附合てはどふもうそがつかれぬ。誠の字の上に於の字のあるは、いつともなく向の諒てこちが誠になり、とりかさらぬ。眞正直になったのなり。多聞は天から拜領の智惠斗りてなく、学問してものを知り覚へた稽古のある知なり。今年のやふなと云ふと、神代にも又唐てもとよく知って居て云はるる。これと友となれは古今のことが疑なく明にずっ々々と知るる。明に進ま子はいつも不審紙かとれぬ。
【解説】
友直則其聞過、友諒則進於誠、友多聞則進於明」の説明。「直」は真直ぐに忠告をすること。「諒」は律儀で何も飾らないこと。「多聞」は生まれ付きの智恵だけでなく、学問の上での知も持っていること。
【通釈】
「直」は、ありのままで鮸膠もしゃしゃりもない真直ぐを言う。たとえばこちらのことを世間で散々悪く言うと、座の白けるほどに言う。どうも正直なので内に秘めていることができずに言う。そこで相手が過ちを聞いて改める。どう見ても貴方は馬鹿だと当たり障りに構わずに切って放つ。そこで向こうが考えて直す。医者もぐにゃぐにゃして言いかねて、湿だなどと言っているところを、貴方のはどう見ても瘡毒だと言い切る。実はと言うので、もう不養生を止めて療治をすることになる。「諒」は、木地で少しも飾らず律儀一方で、真のある体なもの。「進於誠」。こうした人と付き合ってはどうも嘘を吐くことができない。誠の字の上に於の字があるのは、いつともなく向こうの諒でこちらが誠になって取り飾らなくなること。真正直になったのである。「多聞」は天から拝領の智恵ばかりでなく、学問をしてものを知り覚えた稽古のある知である。今年の様なと言うと、神代にもまた唐でもと、よく知っていて言われる。これと友となれば古今のことが疑いなく明らかにずっと知れる。明に進まなければいつも不審紙が取れない。
【語釈】
・にへしゃ々々りなく…鮸膠もしゃしゃりも無い。味もそっけもない。ひどく無愛想である。
・不審紙…書物中の不審な所に、しるしとして貼る紙。多く紅唐紙を用いる。付紙。

便はもとなれること。垩人かこなれて聖人になるやふな習熟はよいに、それと裏はらで、段々世間なれてわるいことを習々して、いやもふあの男も在所に居たときとちかひさん々々に成ったと云ふぞ。靣の皮か千牧ばりに成たと云も習熟ぞ。耻を知らぬと云になる。便辟は威義になれると云ことて、三ヶの津人が皆利口てもなし、田舎ものかみな馬鹿と云てもないが、都のものはいつも立派に馴ていて吾も立派にみせるが、田舎ものは麁きらですぼ々々して、たま々々事をすると覚束なく浮雲かしくみゆる。都のものは立派でずっ々々と事をして出た処は士君子の威儀とも見ゆるが、さて心中はさん々々、不直が多し。それと念頃にし、友とするは、化る稽古をするやふなもので、狐を友たちにするやふなものぞ。
【解説】
便、習熟也。便辟謂習於威儀而不直」の説明。「便」は馴れることで、世間馴れをして悪いことを習熟する。「便辟」は、士君子の威儀の様にして心中は不直なこと。
【通釈】
「便」は、本来は馴れること。聖人がこなれて聖人になる様な習熟はよいが、それとは裏腹で、段々世間馴れをして悪いことを習熟し、いやもうあの男も在所にいた時とは違って散々になったと言われる。面の皮が千枚張りになったと言うのも習熟である。恥を知らないということになる。「便辟」は「習於威儀」ということで、都の人が皆利口でもなし、田舎者か皆馬鹿ということでもないが、都の者はいつも立派に馴れていて自分を立派に見せるが、田舎者は粗きらでずぼずぼして、偶々事をすると覚束なく危なっかしく見える。都の者は立派で、ずっと事をして出た処は士君子の威儀の様にも見えるが、さて心中は散々、不直が多い。それと懇ろにし、友とするのは、化ける稽古をする様なもので、狐を友達にする様なもの。
【語釈】
・三ヶの津…三箇都。江戸時代、京都・江戸・大坂の総称。三都。
・麁きら…

さて善柔は工媚説。けっこふな人と云のなり。やわらかて常ににこはこして、心の内はさん々々わるい。媚説に工みと云は、今日の人かあそこへ往てへつろふてこよふとしても、工みでなふてはとふもしか子る。工みなものはへつらはぬやふに見せて、やっはり向の気に入る。大言大抦の内に工みがある。工みとは上手なことなり。御まへのやふな下手碁とは打れぬと云。そんならこいと盤が出るぞ。いやをまへはしわいと云ても、向は腹立ぬやふに云か上手なり。わるいと云裏がほめるので、不断にこはこして腹たったこともなく、角とひしのなく、兎角気永かにせかすにする処が工みしゃ。はて能役人しゃ、能奉公人しゃと云のに不誠のこはい工みかあるものぞ。用心せよ。なんてもこの方をほめてかかる人は一つもこちの益にはならぬ。
【解説】
善柔謂工於媚説而不誠」の説明。「善柔」はいつもにこにこしていること。「工於媚説」は、言が上手なこと。こちらを褒めて掛かる人に益になる者はいない。
【通釈】
さて、「善柔謂工於媚説」。結構な人ということ。柔らかで常ににこにこしているが、心の内は散々で悪い。工於媚説は、今日の人があそこへ行って諂って来ようとしても、工でなくてはどうもしかねる。工な者は諂わない様に見せて、やはり向こうの気に入る。大言大柄の内に工がある。工は上手なこと。御前の様な下手碁とは打てないと言う。それなら来いと盤が出る。いや御前は吝いと言っても、向こうが腹を立てない様に言うのが上手である。悪いと言う裏が褒めることで、普段はにこにこして腹を立てることもなく、角菱もなく、とかく気長に急かせずにする処が工である。実によい役人だ、よい奉公人だと言われる者に不誠の怖い工があるもの。用心しなさい。何でもこちらを褒めて掛かる人は、一つもこちらの益にはならない。
【語釈】
・角とひし…角菱。かどをたてること。規則・礼儀などが四角四面でわずらわしいこと。

習口語聞見の実なきは、みきいた證拠もないことを口語にまかせて云。徂徠派の小僧と云類ぞ。二程全書や語類文集はのぞいたこともなくて、程朱かいやはやと口さきてそしって賑やかそふに云廻はす。古法の若ひ医者か、いや仲景た、外臺秘要かのと云ても、多くは見聞の実なくて口さきてめったに云たかるぞ。今日の学者口さきて博物になりたがる。損益相反。直の裏は便辟で、不直諒の裏は善柔て不誠もの。多聞の裏は便佞の聞見実なきもので、これ皆益損表裏相反するものなり。
【解説】
便佞謂習於口語而無聞見之實。三者損益正相反也」の説明。「便佞」は出任せを言うこと。損益は皆表裏相反するものである。
【通釈】
「習於口語而無聞見之実」。見聞いた証拠もないことを口語に任せて言う。それは徂徠派の小僧という類である。二程全書や語類文集は覗いたこともなくて、程朱はいやはやと口先で誹って賑やかそうに言い回す。古法の若い医者が、いや仲景だ、外台秘要がと言うが、多くは見聞の実はなく、口先で滅多矢鱈に言いたがる。今日の学者は口先で博物になりたがる。「損益正相反」。直の裏は便辟で、不直諒の裏は善柔で不誠なもの。多聞の裏は便佞で聞見の実なきもので、これが皆益損表裏相反するもの。
【語釈】
・仲景…張仲景。河南省南陽県の人。長沙の太守を勤める。「傷寒雑病論」を著した。
・外臺秘要…王燾作。唐代。


明倫95
○孟子曰、不挾長、不挾貴、不挾兄弟而友。友也者友其德也。不可以有挾也。挾者兼有而恃之之稱。挾兄弟、言恃己有兄弟之屬。
【読み】
○孟子曰く、長を挾[さしはさ]まず、貴を挾まず、兄弟を挾まずして友とす。友は其の德を友とするなり。以て挾むこと有る可からず。挾は兼ね有して之を恃むの稱。兄弟を挾むは、己に兄弟の屬有るを恃むを言う。

○孟子曰、不挾長云々。挾むとは心根に一つもっていて、心に内症のあることを云。挾長。口へ出しては云ぬが、をれは老人と云心根かある。語意て云はは、老人か若ひ衆がと云ふは搆はぬことなれとも、若ひから未だたと云心があり、其中には口ばしの青ひ形てと云までが内心にはある。これか長を挾むなり。挾貴。云はずともをれは歴々じゃと思ふ底意かある。いんきんはよけれとも、歴々じゃがこふ云てやると思ふ。田舎なとて貧乏もののわづらふを大尽が往て世話をするを、むさい処へ度々これはと云と、はてをれか来てやるはさと挾む意がありたがる。挾兄弟。をれは浪人ても兄は何に役をと云心のあるか人情なものじゃが、こふした挾む心のものはいやじゃに依て友とせす、道德の人を友として、向のよいことをこちへとるためなれは、挾むことのないものでこそ友なれと云こと。権門出入か望みか、挌式かすすみたひかならは長も貴もいろふが、学者にはそれはないはつぞ。然らはそふしたものを友にして何にせふぞ。
【解説】
「挟」とは内証のあることで、長や貴、兄弟を挟む。学者にそれは不要である。挟む心のある者は友としない。
【通釈】
「孟子曰、不挟長云々」。挟むとは心根に一つ持っていて、心に内証のあることを言う。「挟長」。口へ出しては言わないが、俺は老人だという心根がある。語意で言えば、老人が若い衆がと言うのは構わないことだが、若いから未だという心があり、その中には嘴の青いなりでということまでが内心にある。これが長を挟むということ。「挟貴」。口には出さなくても、俺は歴々だと思う底意がある。慇懃なのはよいが、歴々だがこの様に言って遣ると思う。田舎などで貧乏者が煩うのを大尽が往って世話をするのに、むさい処へ度々これはと言うと、はて俺が来て遣るさと、挟む意があるもの。「挟兄弟」。俺は浪人でも兄は何役をという心のあるのが人情だが、こうした挟む心のある者は嫌なものなので、そこで友とせず、道徳の人を友とする。友は向こうのよいことをこちらへ取るためのものだから、挟むことのない者でこそ友である。権門出入が望みか格式が進みたいためであれば長も貴も入用だろうが、学者にそれはない筈。それならそうした者を友にしてどうしようと言うのか。

この孟子の語が、友をとるは德か主と云こと。孟献子のこともあり、又或るとき滕君の舎弟へ挨拶なされぬことを疑たときも此語て明された。德をこそ友とすれ、そふしたものにはつき合はぬと云ことなり。御典薬か望みと云ことてはない。上手なれはこそたのめ、あなたは御典藥しゃと云ことをせふくはんして頼むにあらず。病がなをしたいゆへのこと。あじに挾めは病家のためにはならず。丁とそれと同じこと。さてこの章、挾の字を两方からみて戒にすること。挾む心のあるは本よりわろし。挾む心のあるものと友になると役にたたず。人と交るに挾む意つゆちりないやふにして、さて又挾むものはこちは友とせす。友は德を友とするなり。とっつをっつ德と云こと斗りの望なり。
【解説】
自分に挟む心があってはならず、挟む心を持った者を友としない。徳を友とする。
【通釈】
この孟子の語は、友を取るのは徳が主だということ。孟献子のこともあり、また、或る時に滕君の舎弟に挨拶をされなかったことを疑った時もこの語で明らかにされた。徳をこそ友とするのであって、そうした者には付き合わないということ。御典薬が望みということではない。上手であればこそ頼むのであり、貴方は御典薬だとそれを賞翫して頼むのではない。病を治したいからのこと。悪く挟めば病家のためにはならない。丁度それと同じこと。さてこの章は、挟の字を両方から見て戒めにすること。挟む心があるのは固より悪い。挟む心のある者と友になると役に立たない。人と交わるのに挟む意が露塵もない様にして、さてまた挟む者をこちらは友としない。友は徳を友とするのである。何であれ、徳ということばかりが望みである。
【語釈】
・孟献子のこと…孟子万章章句下3。本文である。
滕君の舎弟へ挨拶なされぬことを疑たとき
・とっつをっつ…あれこれと。特に、あれやこれやと思い迷うこと。

○兼有而恃之。迂斎の、そへ木をするやふなものて表立ぬこと、と。味池の、心たのみにすることと云。をれかこふ引込んて居ても只の百姓てもないと心にあることで、百姓にさへあれは、歴々には尚ありそふなものぞ。挾兄弟。先年某京へ登った時、吾は隱者が好きで居ながらも、兄か所司代の家来ゆへ所司代の紋付の灯燈て迎に出らるる、と。其時は咳ばらいするやふな心になるものぞ。心の駒に手綱ゆるすなじゃ。吉田の兼好てもそれて、下凡下列の隱者と思ふな、をれは吉田殿のと云心根があっては兼好てはない筈。西行なとも昔は佐藤兵衛と云はれてもうれしくは思まい。只の冨士を見る西行でうれしかろ。昔の恃むのとは下卑たことぞ。
【解説】
百姓にも挟む心はあるのだから、歴々には尚更である。兼好や西行には挟む心はなかっただろう。
【通釈】
「兼有而恃之」。迂斎が、添え木をする様なもので表立たないことだと言った。味池が、心頼みにすることだと言った。俺がこの様に引き込んでいてもただの百姓ではないという心がある。百姓にさえあるのだから、歴々には尚更ありそうなもの。「挟兄弟」。先年私が京へ登った時、私は隠者が好きでいながらも、兄が所司代の家来なので所司代の紋付の灯燈で迎えに出られると言った。その時は咳払いをする様な心になるもの。心の駒に手綱許すなである。吉田兼好も同じで、下凡下列の隠者と思うな、俺は吉田殿だという心根があっては兼好ではない筈。西行なども、昔は佐藤兵衛だったと言われては嬉しく思わないだろう。ただ富士を見る西行と言うので嬉しいことだろう。昔を恃むのは下卑たこと。
【語釈】
・味池…味池修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。


明倫96
○曲禮曰、君子不盡人之歡、不竭人之忠。以全交也。
【読み】
○曲禮に曰く、君子は人の歡を盡さず、人の忠を竭さず。以て交りを全くするなり。

○曲礼曰、君子不尽人之歡云々。是は人と交りには第一入用なことぞ。晏平仲能人と交る、久しくして敬すと、久しと云字とここの全と云字をてらしてみよ。いつ迠も永くつつくて無ては見事てはない。外篇にも一言不合則怒気相加。今日まてひたと出入たものがの道を切ったやふに此ころはこぬと云はるるは、此方の不德からぞ。○人之歡。人とは此の方の友と成るものをさす。歡と云ふはなんてこちをよくすること。細かあたりを云はは馳走をする迠が人の歡なり。不尽と云は、其人か馳走を十分にしたかるを、こちては十分に受ぬこと。先つ此方を念ごろにするすうきある故に馳走するぞ。それを得手に帆としてもっとも持てこいと云様に心得るは凡人ぞ。俗に云背負と云ふと抱りゃふと云やふなぞ。兎角凡情て悦ひを尽し皆うけるぞ。そふすると末々は人に疏み果らるる。今日は日も晩れたから留れと云れて止る。亭主は終日馳走した上に今夜は又新蕎麥をと云。これ、人の歡ぞ。処を君子は、いや昼飯の馳走て今晩はいかほと新蕎麥てもたべる腹を持ぬと辞退して受す。そこを不尽と云なり。
【解説】
凡夫は凡情から、友からの歓を皆受ける。そうすると末々は人に疏み果てられる。尽くさないのがよい。
【通釈】
「曲礼曰、君子不尽人之歓云々」。これが人との交わりには第一に入用なこと。「晏平仲善与人交、久而敬之」とあり、この「久」という字とここの「全」という字を照らして見なさい。いつまでも永く続くのでなければ見事ではない。外篇にも「一言不合則怒気相加」とある。今日までよく出入りしていた者が道を切った様にこの頃は来ないと言うのは、こちらの不徳からのこと。「人之歓」。「人」は、自分の友となる者を指す。「歓」は、何でもこちらをよくすること。細か当たりを言えば馳走をすることまでが人の歓である。「不尽」は、その人が馳走を十分にしたがるところを、こちらで十分に受けないこと。先ずはこちらと懇ろになる意があるから馳走をする。それを得手に帆を揚げて、もっと持って来いという様に心得るのは凡人である。俗に言う、背負うと言えば抱かれようと言う様なこと。とかく凡情で悦びを尽くして皆受ける。そうすると末々は人に疏み果てられる。今日は日も暮れたから泊れと言われて泊る。亭主は終日馳走した上に今夜はまた新蕎麥をと言う。これが人の歓である。そこを君子は、いや昼飯の馳走で、今晩はいかに新蕎麦でも食べる腹は持たないと辞退して受けない。そこを不尽と言う。
【語釈】
・晏平仲能人と交る、久しくして敬す…論語公冶長17。「子曰、晏平仲善與人交、久而敬之」。
・一言不合則怒気相加…小学外篇嘉言52の語。

人の忠とは心で云。或は病気のときに度々見舞に来るを人の忠と云。不竭とは、必す来やるな、わるけれはこちから云てもやるなとと云て、向の忠を一はいに受ぬ。凡夫は向からそふ来ると、長い病気なとには家内とも草臥れた、明晩は夫婦づれて来て看病してくれと云たかる。それは忠を竭すと云ものなり。さて々々不遠慮な向にも家内もあるものを、とかく凡夫は吾身勝手ばかりぞ。君子は向て三尺せわをしやふとするを、一尺五寸受て半分はうけず。二尺せわをしやふとすれは七八寸受て、跡は受しとをもへ。そふすると扨々遠慮深ひ人しゃ、初對靣のときも今もやっはり同しことと云はるるがよいぞ。さて別して人の師匠や医者などは先の人の爲めをするものなれは、さきから此方を丁寧にするゆへ、別して心得のあらふこと。此語がよい戒めなり。易の恒の卦に浚恒貞凶无攸利。国の名物てもいつもをこすがことしはとふかをこさぬとはとふぞ。人の信物を年貢のやふに思ふな。一度親切てあったことをいつまても々々々々々とをもふは凡人なり。惣領の紐解によい小袖呉たから今度もと云ふは能ふない。恒に浚し凶なりじゃ。前の自辱るはいこふ切れること。此全くするは至て親むことぞ。两方をくらへてみよ。交りをたつも全くするも心一つの糸かげんぞ。小学をよま子は皆私ぞ。ここらが皆心根のさっはりとしたことぞ。
【解説】
人の忠は一杯に受けてはならない。そこで、遠慮深い人だとされ、交わりを全くすることができる。易にも「浚恒、貞凶、无攸利」とある。
【通釈】
「人之忠」とは心で言う。或いは病気の時に度々見舞に来るのを人の忠と言う。「不竭」とは、決して来るな、悪ければこちらから言って遣るなどと言い、向こうの忠を一杯には受けない。凡夫は向こうからその様に来ると、長い病気で家内共に草臥れた、明晩は夫婦連れで来て看病をしてくれと言いたがる。それは忠を竭くすというもの。不遠慮な向きにも家内にも実にこれがあるもので、とかく凡夫は我が身勝手ばかりである。君子は向こうで三尺世話をしようとするところを、一尺五寸を受けて半分は受けない。二尺世話をしようとすれば七八寸を受けて、後は受けないものと思いなさい。そうすると、実に遠慮深い人だ、初対面の時も今もやはり同じだと言われる。これがよい。さて、特に人の師匠や医者などは先の人のためをするものだから、先がこちらを丁寧にするので、特に心得がなければならない。この語がよい戒めである。易の恒の卦に「浚恒、貞凶、无攸利」とある。国の名物などをいつも遣すが今年は遣さないのはどうしたのかなどと、人の進物を年貢の様に思うな。一度親切だったことをいつまでも思うのは凡人である。惣領の紐解きによい小袖をくれたから今度もと思うのはよくない。恒に浚し凶なりである。前の「自辱」は強く切れることで、この全くするは至って親しむこと。両方を比べて見なさい。交わりを絶つのも全くするのも心一つの糸加減である。小学を読まなければ皆私である。ここらが皆心根のさっぱりとしたこと。
【語釈】
・浚恒貞凶无攸利…易経恒卦。「初六。浚恆。貞凶。无攸利。象曰、浚恆之凶、始求深也」。
・自辱る…小学内篇明倫92。「孔子曰、忠告而善道之、不可則止。無自辱焉」。


明倫97
○凡與客入者、毎門讓於客。下賓也。客至寢門、主人請入爲席、寢門、内門也。爲猶敷也。然後出迎客。客固辭。辭不先入也。主人肅客而入。肅、進也。先道之。主人入門而右、客入門而左。右就其右、左就其左。主人就東階、客就西階。客若降等則就主人之階。降、下也。不敢由其階。卑統於尊。不敢自專。主人固辭、然後客復就西階。主人與客讓登。主人先登客從之。拾級聚足、拾、當爲渉。聲之誤也。級、等也。渉等聚足、謂前足躡一等、後足從之併。連歩以上。連歩、謂足相隨不相過。重蹉跌也。上於東階則先右足、上於西階則先左足。近相郷。敬。
【読み】
○凡そ客と入る者は、門毎に客に讓る。賓に下るなり。客寢門に至れば、主人請いて入り席を爲[し]きて、寢門は内門なり。爲は敷に猶[おな]じ。然して後出でて客を迎う。客固辭す。辭して先ず入らざるなり。主人客を肅[すす]めて入る。肅は進なり。先だって之を道く。主人は門に入りて右し、客は門に入りて左す。右は其の右に就き、左は其の左に就く。主人は東階に就き、客は西階に就く。客の降等の若きは則ち主人の階に就く。降は下なり。敢て其の階に由らず。卑は尊に統ぶ。敢て自ら專らにせず。主人固辭して、然して後客復た西階に就く。主人客と登るを讓る。主人先ず登り客之に從う。級を拾[わた]りて足を聚め、拾は當に渉に爲すべし。聲の誤りなり。級は等なり。等を渉るに足を聚むるは、前足一等を躡み、後足之に從いて併すを謂う。歩を連ねて以て上る。歩を連ねるは、足相隨いて相過ぎざるを謂う。蹉跌せんことを重んずるなり。東階に上るには則ち右の足を先にし、西階に上るには則ち左の足を先にす。相郷[むか]うに近し。敬なり。

○凡與客入者云々。朱子の語の幷へやふも靣白ひ。これからは朋友出合の幅の廣ひことを云そ。責善の朋友のことは是までて済んで、たたの人には附合なとばかり云と、学者が学友とばかりて、一在所の人をは長刀あしらいにせよになる。垩賢は鼻てあしろふと云ことはきついきらいぞ。尤学友は上段々の通り重ひことて、礼の疏にも朋友の讐は従父昆弟に屬すともあり、山宮が打れたとき、門人の上月小隼太が歒を打ふと云ふたは尤なことなり。如此朋友は重ひなれとも、只の客や只の近付出合はどふでもよいとなくると朋友の交りに穴があくぞ。そこて凡与客入者はと此以下賔客の礼を出されたは小学の規摸、垩学のをもぶりぞ。
【解説】
「凡與客入者」の説明。朋友は重いことだが、ただの客やただの近付きや出合いはどうでもよいと疎かにすると朋友の交わりに穴が開く。
【通釈】
「凡与客入者云々」。朱子の語の並べ様が面白い。これからは朋友の出合いの幅の広いことを言う。責善の朋友のことはこれまでで済んで、ただの人には付き合うなとばかり言うと、学者が学友とばかりになって、一在所の人を長刀会釈にしろと言う様になる。聖賢は鼻であしらうことは大層嫌いである。尤も学友は上段々の通りに重いことであって、礼の疏にも、朋友の讐は従父昆弟に属すともあり、山宮が討たれた時に門人の上月小隼太が敵を討とうと言ったのが尤もなこと。この様に朋友は重いことだが、ただの客やただの近付き出合いはどうでもよいと疎かにすると朋友の交わりに穴が開く。そこで「凡与客入者」と、これ以下に賓客の礼を出されたのが小学の規模、聖学の面振りである。
【語釈】
・長刀あしらい…長刀会釈。長刀応答。薙刀で受けつ流しつするように、ほどよく相手をあしらうこと。
朋友の讐は従父昆弟に屬す…礼の疏。
山宮が打れた…山宮雪樓(三宅尚斎門下)のことか?上月小隼太は上月典則か?

○毎門云々。是からは朋友出合の小笠原なり。あの方の家造りには所々に門あり、寢門までゆくは奧へ通る客なり。爰に至ると主人か内に入て席をしき、もふけて然後出迎。客固辞するは、客二度じきをすること。注の肅は進也は、肅は手を足につけてじぎするを肅拜と云。すすめるために肅拜するからいさと云ことになる。○主人入門而右云々。立幷ひ行よふなり。注の其の字は、味池の弁に主客の身から云、と。各其とはなさぬことぞ。○主人就東階客云々。こふ礼かきまら子はならぬ。俗礼と云は礼にはたたぬ。節分に柊や鰯のやきがしらをさして鬼ををどすとは淫楽慝礼なり。かるいことても、舟頭のをも梶とり梶と呼ふは礼なり。やくにたたぬことを云ではない。とのやふな舟ごみても互によくつめ開きをして、あれて舟をすら々々やるぞ。
【解説】
「毎門讓於客。下賓也。客至寢門、主人請入爲席、寢門、内門也。爲猶敷也。然後出迎客。客固辭。辭不先入也。主人肅客而入。肅、進也。先道之。主人入門而右、客入門而左。右就其右、左就其左。主人就東階、客就西階。」の説明。礼は細かく決まったもので、それぞれに意味がある。俗礼は礼ではない。
【通釈】
「毎門云々」。これからは朋友出合いの小笠原である。中国の家造りには所々に門があり、寝門まで行くのは奧へ通る客である。ここに至ると主人が内に入って席を敷き整えて「然後出迎客」。「客固辞」は、客が二度辞儀をすること。注の「肅、進也」は、「肅」は手を足に付けて辞儀をするのを肅拝と言う。進めるために肅拝するからいざと言うことになる。「主人入門而右云々」。立ち並んで行く様である。注の「其」の字は、味池の弁に主客の身から言うとある。各々の其と離さないこと。「主人就東階、客云々」。この様に礼が決まらなければならない。俗礼は礼には立たない。節分に柊や鰯の焼き頭を差して鬼を脅すのは淫楽慝礼である。軽いことでも、船頭が面舵取舵と呼ぶのは礼である。それは、役に立たないことを言うのではない。どの様に舟が混んでいても、あれで互いによく詰め開きをして、舟をすらすらと動かすのである。
【語釈】
・味池…味池修居。名は直好。儀平、丹治と称す。号は守齋。播磨美嚢郡竹原の人。三宅尚齋姉の孫。延享2年(1745)8月19日没。年57。初め佐藤直方及び淺見絅齋に学ぶ。

主人の階に就は主人の跡につくこととみよと味池の弁ぞ。主人固辞するはあまりをかたい、これはどふしたものと云て、そこてほんの処から登るぞ。主人先登るは、主人の方には案内心がある。聚足は、一段に两足つつ登るを足を聚ると云。連歩以上る。連歩と聚足とは二つことて一つことてはなけれとも、とちも級を登るときのことなれとも同しことにあらず。同しことなれは重言になる。二つことなれとも、ここはつついたことなり。隨不相過。聚た足をひょいと一段ふみこさぬことなり。蹉跌はころばんかとつつしむを重んすると云。浅見子云、聚足はたがひちがひに足をやらず、一段々々足をよせてふみ出々々々する。連歩はその足を聚たなりては上り、なりてはあかりすること。○上於東階云々。東西から客と主人の登るときに、足のふみ出しやふが東西て違ふ。近相郷、敬なり。客と主人か心か揃はぬと後ろ合せになる。無礼ぞ。いつも客も主も靣の相郷ふやふにして登る。やっはりここも小笠原ぞ。
【解説】
「客若降等則就主人之階。降、下也。不敢由其階。卑統於尊。不敢自專。主人固辭、然後客復就西階。主人與客讓登。主人先登客從之。拾級聚足、拾、當爲渉。聲之誤也。級、等也。渉等聚足、謂前足躡一等、後足從之併。連歩以上。連歩、謂足相隨不相過。重蹉跌也。上於東階則先右足、上於西階則先左足。近相郷。敬」の説明。客と主人の心が揃わないと無礼なことになる。客と主の面が向かい合う様にして登る。
【通釈】
「就主人之階」。主人の跡に就くことだと見なさいと言うのは味池の弁である。「主人固辞」はあまりにお堅いこと。これはどうしたものかと言って、そこで本来の処から登る。「主人先登」。主人の方には案内心がある。「聚足」。一段に両足ずつ登るのを足を聚めると言う。「連歩以上」。連歩と聚足とは別なことで同じではない。どちらも級を登る時のことだが同じことではない。同じことであればここが重言になる。別なことだが、ここは続いたこと。「相随不相過」。聚めた足をひょいと一段踏み越さないこと。「蹉跌」。転ばないかと謹むことを重んずると言う。浅見子が、聚足は互い違いに足を遣らず、一段一段足を寄せて踏み出すことだと言った。連歩はその足を聚めては上がり、聚めては上がること。「上於東階云々」。東西から客と主人が登る時には、足の踏み出し方が東西で違う。「近相郷、敬」。客と主人の心が揃わないと後ろ合わせになる。それは無礼である。いつも客も主も面が相郷う様にして登る。やはりここも小笠原である。


明倫98
○大夫士相見、雖貴賤不敵、主人敬客、則先拜客。客敬主人、則先拜主人。尊賢也。
【読み】
○大夫士相見ゆるに、貴賤敵せずと雖も、主人客を敬えば、則ち先ず客を拜す。客主人を敬えば、則ち先ず主人を拜す。賢を尊ぶなり。

○大夫士相見云々。大夫と士との出合は、大夫は重く士はかるいは知れてあるか、途中の出合と違ふて、当日の用談出合と云ことあり。今日は誰か処へ某れ々々か行くと云ときにあることなり。其日は主と亭主の仕方次第でこの方の礼をきめることなり。常の挌を守らずそこへ同坐して見たときに、主人が主意ありて客をあかめる時もあり、客より主人を又趣向ありて敬へは、吾れもそれに従て吾了簡出さす、其当日の敬はるる方を先に拜す。大夫を先の士を先のとせす、其日次第にする。前の偶坐不辞、その心もちて挌式をのけて其坐でかたをつけることなり。
【解説】
用談で出合う時は、主と亭主の仕方次第で自分の礼を決める。
【通釈】
「大夫士相見云々」。大夫と士との出合いは、大夫は重く士は軽いのは知れたことだが、道中の出合いとは違って、当日の用談出合いということがある。今日は誰の処へ誰が行くという時にあること。その日は主と亭主の仕方次第でこちらの礼を決める。常の格式を守らずにそこへ同座して見た時に、主人に主意があって客を崇める時もあり、趣向があって客が主人を敬えば、自分もそれに従って自分の了簡を出さず、その当日の敬われる方を先に拝す。大夫が先だとか士が先だとせず、その日次第にする。前の「偶坐不辞」の心持で格式を除けてその座で片を付けるのである。
【語釈】
・偶坐不辞…小学内篇明倫84の語。


明倫99
○主人不問、客不先舉。客自外來。宜問其安否及所爲來。故客不可以先問。
【読み】
○主人問わざれば、客先ず舉げず。客は外より來る。宜しく其の安否及び爲に來る所を問うべし。故に客は以て先ず問う可からず。

○主人不問、客不先云々。さて今日はよふこそ御出、何ことにてと亭主あいさつの後に客からは云出すものなり。舉と云字を注に問ふこととある。楽をあける、膳をあける、謀叛人の兵をあける。ここのは言を舉ることゆへに問ふとした。
【通釈】
「主人不問、客不先云々」。さて今日はようこそ御出でで、何事ですかと言う亭主の挨拶の後に客は言い出すもの。「挙」という字を注には問うこととある。楽を挙げる、膳を挙げる、謀叛人が兵を挙げる。ここのは言を挙げることなので問うとしたもの。


右明朋友之交。
【読み】
右、朋友の交わりを明かにす。

父子に親、君臣に義、夫婦に別、長幼の序とあれは、朋友にも信とあるへきを交りとあり。この交るは中庸の文字ゆへ直に出した。交りの内に信はこもってあるぞ。婚礼と云内に婚義のあるの意て、交の中をむいて見ると信と云実があるぞ。
【通釈】
父子に親、君臣に義、夫婦に別、長幼の序とあれば、朋友にも信とあるべきなのを交わりとある。この交わるは中庸の文字なので直に出した。交わりの内に信はこもってある。婚礼と言う内に婚義がある意で、交わりの中を剥いで見ると信という実がある。
【語釈】
・交るは中庸の文字…中庸章句20。「天下之達道五。所以行之者三。曰君臣也、父子也、夫婦也、昆弟也、朋友之交也。五者天下之達道也。知・仁・勇三者、天下之達德也。所以行之者一也」。