明倫100
孔子曰、君子之事親孝。故忠可移於君。事兄弟。故順可移於長。長謂卿士大夫。凡在己上者也。居家理。故治可移於官。書云惟孝友于兄弟克施于政。是故行成於内而名立於後世矣。
【読み】
孔子曰く、君子の親に事うるや孝。故に忠、君に移す可し。兄に事うるや弟。故に順、長に移す可し。長は卿士大夫を謂う。凡そ己の上に在る者なり。家に居りて理む。故に治、官に移す可し。書に、惟れ孝に、兄弟に友に、克く政に施すと云う。是の故に、行、内に成りて、名、後世に立つ。

○孔子曰君子之事親孝  十月朔日 十六會日  惟秀彔
【語釈】
・十月朔日…寛政元年(1789)10月1日。
・惟秀…篠原惟秀。本姓は北田。字は秀甫。初名は安進。與五右衛門と称す。号は靜安。幼称は松次郎。東金市堀上の人。北田慶年の弟。文化9年(1812)2月15日没。年68。稲葉黙斎門下。

是迠五倫を一倫つつ説たは、鱠はこふ、吸物はこふと云やふなもの。通論は、料理と云はこふしたものと云ふやふなもの。くるめて説く。さて料理はこふした物と云段には何にもかも有る。通論は小学の一貫傳なり。明父子之親、明君臣之義と一つ々々に明にすとあれは違ふやふに見ゆるか、中は一つものなり。鱠と吸物とはしやふも違ふて一つ々々に別なれとも、皆塩梅よくと云処は同こと。料理が手に入ると皆塩梅よい。垩人のなさることはとこへも上手が出る。五倫を手に入るか通論なり。これか学者の任なり。二汁五菜皆塩梅よくするか料理人の任なり。生れ付て夫婦兄弟の中のよいも有か、手に入らぬは役にたたぬ。唐の明皇なとか生質兄弟中はよかりた。それても気質あてにならぬ。男女のことはあの通り。後には子を殺しまでした。さて、その五倫の皆よくと云は誠か主なり。そこて学文てなくては五倫の塩梅よいと云ことはない。気質は丁と江戸の蒲焼やなり。鱣の塩梅はよいか、吸物を云付るとはや塩梅かよく出来ぬ。凡夫は片々よくても片々よくない。直方曰、凡夫の知は夕立雨の如し、馬の脊をわける。垩賢の教は全いが、されともそれを一倫つつ明につめてきて、爰の通論ては三汁九菜不残よいあんばいにする。
【解説】
通論は小学の一貫伝であり、五倫全体を手に入れるためのものである。これを手に入れるには、気質は当てにならない。学問でする。それには誠が主となる。
【通釈】
これまで五倫を一倫ずつ説いたのは、鱠はこう、吸物はこうと言う様なもの。通論は、料理とはこうしたものだと言う様なもの。包めて説く。さて料理はこうした物と言う段には何もかもある。通論は小学の一貫伝である。明父子之親、明君臣之義と一つ一つに明らかにするとあれば違う様に見えるが、中は同じもの。鱠と吸物とは仕様も違って一つ一つ別なのだが、皆塩梅をよくするという処は同じこと。料理が手に入ると皆塩梅がよい。聖人のなさることは何処へも上手が出る。五倫を手に入れるのが通論であり、これが学者の任である。二汁五菜皆塩梅よくするのが料理人の任である。生まれ付きで夫婦兄弟の仲のよいこともあるが、手に入らなければ役に立たない。唐の明皇などは生質から兄弟仲はよかった。それでも気質は当てにならない。男女のことはあの通り。後には子殺しまでした。さて、その五倫が皆よいというのは誠が主だからである。そこで学文でなくては五倫の塩梅がよいということはない。気質は丁度江戸の蒲焼屋である。鰻の塩梅はよいが、吸物を言い付けると早くも塩梅がよくできない。凡夫は片々がよくても片々が悪い。直方が、凡夫の知は夕立雨の如し、馬の背を分けると言った。聖賢の教えは全いが、しかしそれを一倫ずつ明に詰めて来て、ここの通論で三汁九菜残らずよい塩梅にする。
【語釈】
・唐の明皇…玄宗皇帝。

○親と君とは見た処の違ふたもの。親には背中さする。君には平伏。されとも親を大切にする誠て君に仕へる。親にも君にも誠てする。中は一つものなり。見よ、これはや通論の通の字しゃ。小判一两持たも銀六十目持たも同しこと。とっちも文七か店ては銀ても金てもさしつかへはない。そこを可移と云。金か銭にもなる。可移じゃ。○吾兄に仕へた心て同役や年増しにつき合ふから、さてもよい若ひものとさきからも云。郷士は常の郷太夫の郷てはない。あの方に別に郷士と云役か有、詩十月之交にあり。○居家理云々。吾か小さい身帯を持崩して、それか奉公をして勝手役人や金奉行になっては一つ角どなことをする気てをるか、さりとは合点のゆかぬの一番なり。理は小さい処からをすでこそ大ひこともなれ、家かよく治った人か家老になる。そこでことの外よい。近ひ処から遠くへをすなり。別に遠くの稽古はいらぬ。○名立後世。天下中に觸をまわし、をれをよく云てくれろと云てもゆかぬ。上の句の内の字か身のことぞ。身かよけれは名はよい。荘子にも名は実之賔と云てある。曲た影はまかるはつ。竒麗好きがほめられたいと云て庭をはきはせぬか、いつも々々々きれいな故に通るほとの人がさて々々きれいじゃと云てほめる。
【解説】
親を大切にする誠で君に仕える。皆誠でするのである。小さい処ができてこそ大きいことができる。近い処から遠くへ押すのである。
【通釈】
親と君とは見た処は違ったもの。親には背中を摩る。君には平伏。しかし、親を大切にする誠で君に仕える。親にも君にも誠でする。中は一つである。見なさい、これが早くも通論の通の字である。小判一両を持ったのも銀六十目を持ったのも同じこと。文七の店では銀でも金でもどちらでも差し支えはない。そこを「可移」と言う。金が銭にもなる。「可移」である。自分の兄に仕えた心で同役や年増しに付き合うから、実によい若者だと先方からも言われる。「郷士」は常の郷大夫の郷ではない。中国には別に郷士という役があって、詩の十月之交にそれがある。「居家理云々」。自分の小さい身代を持ち崩して、それが奉公をして勝手役人や金奉行になって一角なことをする気でいるが、それは実に合点の行かないことの一番である。「理」は、小さい処から押してこそ大きいことも成るということ。家をよく治めた人が家老になる。そこで殊の外よい。近い処から遠くへ押す。別に遠くの稽古は要らない。「名立後世」。天下中に触れを回し、俺をよく言ってくれと言ってもそうはいかない。上の句の「内」の字が身のこと。身がよければ名はよい。荘子にも「名実之賓」とある。曲った影は曲る筈。綺麗好きは褒められたいと思って庭を掃きはしないが、いつも綺麗なので、人が通る度に実に綺麗だと褒める。
【語釈】
・文七…高宮文七。東金市押堀の人。筆記力に優れる。
・詩十月之交…詩経小雅十月之交。「皇父卿士、番維司徒、家伯維宰、仲允膳夫、棸子内史、蹶維趣馬、楀維師氏、豔妻煽方處」。
・名は実之賔…荘子内篇逍遙遊。「許由曰、子治天下、天下既已治也。而我猶代子、吾將爲名乎。名者、實之賓也。吾將爲賓乎」。


明倫101
○天子有爭臣七人、雖無道不失其天下。天下至大、萬機至重。故必有能爭者七人、然後能無失也。諸侯有爭臣五人、雖無道不失其國。大夫有爭臣三人、雖無道不失其家。士有爭友、則身不離於令名。士、無臣。故以友爭。父有爭子、則身不陷於不義。通上下而言。故當不義、則子不可以弗爭於父。臣不可以弗爭於君。
【読み】
○天子に爭う臣七人有れば、無道なりと雖も其の天下を失わず。天下は至大、萬機は至重。故に必ず能く爭う者七人有りて、然して後能く失うこと無し。諸侯に爭う臣五人有れば、無道なりと雖も其の國を失わず。大夫に爭う臣三人有れば、無道なりと雖も其の家を失わず。士に爭う友有れば、則ち身令名を離れず。士は臣無し。故に友を以て爭う。父に爭う子有れば、則ち身不義に陷らず。上下に通じて言う。故に不義に當りては、則ち子は以て父に爭わざる可からず。臣は以て君に爭わざる可からず。

○天子有爭臣七人云々。今の爭の字によいことにつこふたことはない。無用なことを茶呑咄しに云て、何んてもないことをあくせく爭ふ。殊の外わるい字なり。ここの爭の字は諌爭の爭て、殊の外よい字なり。無道と云ほとわるいことはないが、この爭臣か何そのときにきっといけんを云から、たとへ天子かわるくても天下を失ふことないと云。それは爭臣と云がよく々々よいものゆへぞ。○孔安国か七人五人三人のことをこまかわりに云た。先軰もそれにも及はぬことのやふに云てあるか、孔安国か云たか尤でもあろふぞ。天子の御身て七人のあたりを付け云たそ。なれとも舜臣有五人、武王の乱臣十人ともあれは、七人か一人かけてもてはない。大きひ処には大きな番人がなくてはならぬ筈。そこて位に従て七五三と出た。○機は機発の機て、からくりのこと。ちらりとした処のこと。天下の万事と云すに万機と云も、このちらり々々々のこと。傷寒瘟疫もちらりとぞっと寒い処からなるぞ。この機から万機と云。そこを謹とわるいことはない。
【解説】
「天子有爭臣七人、雖無道不失其天下。天下至大、萬機至重。故必有能爭者七人、然後能無失也」の説明。「争」は悪い字だが、ここは諌争の争であって、殊の外よい字である。天子に争臣が七人いるのは尤もなことで、一人が欠けてもよくない。争臣がいれば、天子は天下を失うことはない。
【通釈】
「天子有争臣七人云々」。今の争の字はよいことに使うことはない。無用なことを茶飲み話に言って、何でもないことをあくせく争う。殊の外悪い字である。しかし、ここの争の字は諌争の争で、殊の外よい字である。「無道」というほど悪いことはないが、この争臣が何かの時には厳しく異見を言うから、たとえ天子が悪くても天下を失うことはないと言う。それは争臣がよくよくよいものだからである。孔安国が七人五人三人のことを細か割りにして言った。先輩はそれには及ばないことの様に言っているが、孔安国が言ったのが尤もなことだろう。天子の御身なので七人の当たりを付けて言ったことだが、「舜有臣五人、武王曰、予有乱臣十人」ともあれば、七人が一人欠けても手はない。大きい処には大きな番人がいなくてはならない筈。そこで位に従って七五三と出した。「機」は機発の機で、絡繰のこと。ちらりとした処のこと。天下の万事と言わずに「万機」と言うのも、このちらりとしたこと。傷寒瘟疫もちらりとぞっと寒い処からなる。この機から万機と言う。そこを謹むと悪いことはない。
【語釈】
・孔安国…前漢の儒者。字は子国。孔子12世の孫。武帝の初年、孔子の旧宅から得た蝌蚪文字で記された古文尚書・礼記・論語・孝経を、当時通用の文字と校合して解読し、その学を伝えた。また、これらの書の伝(注釈)を作った。
・舜臣有五人…論語泰伯20。「舜有臣五人、而天下治。武王曰、予有亂臣十人」。

○諸侯云々。取りも直さす論吾の衛灵公の無道を云へりの処に有、祝鮀は賔客、王孫賈は軍旅云々のこと。よい手合揃ふた故、国がつぶれぬ。鄭国もそれなり。子産や子羽や其外のよい家来あったゆへ策書もよかりた。何事も家来のあるはつよみぞ。大夫爭臣。これも同じこと。季氏か顓臾を討ふと云た。それを孔子の御呵り有りた。そこで子路や冉有も異見を云つろふなり。其後顓臾を討たことが何にも見へぬ。やめたとみへた。どふでもよい医者かついてをれは養生によいなり。飲食のかけひきをするなり。
【解説】
「諸侯有爭臣五人、雖無道不失其國。大夫有爭臣三人、雖無道不失其家」の説明。よい家来がいると国が潰れない。ここの諸侯は、たとえば衛霊公の様なことであり、大夫はたとえば季氏の様なことである。
【通釈】
「諸侯云々」。取りも直さず、論語の衛霊公の無道を言えりの処にある、「祝鮀治宗廟、王孫賈治軍旅云々」のこと。よい手合いが揃ったので国が潰れない。鄭国もそれ。子産や子羽やその外よい家来がいたので策書もよかった。何事も、よい家来がいるのは強味となる。「大夫有争臣」。これも同じこと。季氏が顓臾を討とうと言った。それを孔子が呵られた。そこで子路や冉有も異見を言ったことだろう。その後顓臾を討ったことは何処にも見えない。止めたものと見える。どうもよい医者が付いていると養生によい。飲食の駆け引きをする。
【語釈】
・衛灵公の無道を云へり…論語憲問20。「子言衛靈公之無道也。康子曰、夫如是、奚而不喪。孔子曰、仲叔圉治賓客、祝鮀治宗廟、王孫賈治軍旅。夫如是、奚其喪」。
・子産…鄭の卿。名は僑。字は子産、子美。諡は成。子国の子。~前522
・子羽…鄭の大夫。名は揮。
・策書…任官の辞令書。
・季氏か顓臾を討ふ…論語季氏1。「季氏將伐顓臾。冉有・季路見於孔子曰、季氏將有事於顓臾。孔子曰、求、無乃爾是過與。…」。

○士有爭友。百姓町人にも譜代の下男の番頭のと云ことも有て、夫で家のしまりに成てをることもあるものなれとも、先はないに立たもの。そこて友と出た。この爭友と云がうるさく異見を云からそれてよいなり。不離令名とは、人によいと云はるることの手のきれぬこと。外からあの男もああはやゆかぬはへと云るるは令名を離るる処なり。この爭友と云か今誰と云あてもないやふなものなれとも、書物を懐に入れてをれか処へくるも不離令名の部なり。只の俗人は此鼻かと云て高ぶりたり、又はよいかげんをやって世を渡る。それは紙子をきて川にはまるなり。誰でも異見を云ふものはもたぬのぞ。○士には臣がない。友でも間にあはせろと云た文義とみると違ふ。こんな処でこそ友しゃとみること。雨ふりに合羽かない。浴衣て間に合せたいと云ことてはない。爭臣なくてもちっとも事はかけぬ。れっきとしたものあると云たこと。それは爭友なり。
【解説】
「士有爭友、則身不離於令名。士、無臣。故以友爭」の説明。ここは、士には臣がないから友で間に合わせるということではない。友が異見を言うからよくなる。
【通釈】
「士有争友」。百姓町人にも譜代の下男や番頭などもあって、それで家の締まりになっていることもあるが、先ずはそれはないと立てたもの。そこで友と出した。この「争友」が煩く異見を言うからそれでよい。「不離令名」とは、人によいと言われ続けること。外からあの男もああ既に駄目だと言われるのは令名を離れる処である。この争友が今誰という当てもない様なものだが、書物を懐に入れて俺の処へ来るのも不離令名の部である。ただの俗人はこの鼻がと言って高ぶったり、またはよい加減をして世を渡る。それは紙子を着て川に嵌るのである。誰も異見を言う者を持たない。士には臣がないから友で間に合わせろという文義と見ると違う。こんな処でこそ友だと見る。雨降りに合羽がないから浴衣で間に合わせるということではない。争臣がなくても少しも事は欠かない。歴とした者がいると言ったのである。それが争友である。

○父有爭子。天子から士まては挌式て書た。此の父有爭子は天子から下民まて皆有爭子。上に爭臣爭友のよいを語りて、又爰で父子にも此の爭と云ことかよいそと云こと。たたい父子の間へは爭の字は禁物なれとも、この爭のよいと云はどふなれは、只の子てはない。前にある通り、罪を郷黨云々なり。不義に陥らせぬ、親に了簡違をさせぬと云程な孝はない。ここは背中をさするとは違ふ。○通上下。爭臣五人有るから子の方てはかまはぬと云ことはない。舜のかけて瞽瞍は疂の上て死た。瞽瞍は鬼しゃ。それか角を折りた。松田左馬之助もさぞ爭ひつろふがとどかぬ。可愛ことぞ。瞽瞍のやふな鬼はめったにはない。大槩世間通用の親を中人之性と外篇にあり、中人と云ものは吾か子の云ことをは思の外よくきくもの。親は子の方にはりきみはないもの。あいつよっほとなことを云をると云て、思の外、立派に云たよりよくきくことあり。
【解説】
「父有爭子、則身不陷於不義。通上下而言」の説明。本来、父子の間に争の字は禁物だが、ここは「罪於郷党州閭、寧孰諌」の意である。親は普通、子の異見をよく聞くものである。
【通釈】
「父有争子」。天子から士までは格式で書いた。ここの「父有争子」は天子から下民までが皆有争子である。上に争臣争友のよいことを語り、またここで父子にもこの争ということがよいと言ったのである。そもそも父子の間へは争の字は禁物だが、この争がよいと言うのはどうしてかと言うと、ただの子ではない。前にある通り、「罪於郷党州閭、寧孰諌」である。不義に陥らせず、親に了簡違いをさせないというほどの孝はない。ここは背中を摩るのとは違う。「通上下」。争臣が五人いるから子の方では構わないということではない。舜の御蔭で瞽瞍は畳の上で死んだ。瞽瞍は鬼である。それが角を折った。松田左馬之助もさぞや争ったことだろうが届かない。それは可愛いこと。瞽瞍の様な鬼は滅多にいない。外篇に、大概の世間通用の親を「中人之性」とあり、中人という者は我が子の言うことを思いの外よく聞くもの。親は子の方には力みがないもの。余程のことをあいつが言うと言っても、思いの外、立派に言うよりもよく聞くことがある。
【語釈】
・罪を郷黨…小学内篇明倫22。「不説、與其得罪於郷黨州閭、寧孰諫」。
松田左馬之助
・中人之性…小学外篇嘉言17。「若中人之性、其愛惡、若無害理、必姑順之」。

○惣体書を読むには語脉と云ことをよく知ろふことぞ。此章は書出しからがとかく順路てはない。順路に爭ふことはない。順路てないから不可弗か入る。○当ってとは朔日から晦日までのことてはない。そふ云塲にでくわせたこと。不義に当るとは、幷み木の松の道中かへ倒れたやふなもの。迷惑なから片付子はならぬ。その分にはならぬ。湯武は桀紂に当ったなり。わるい日をくふうて放伐された。父にも非義をするかあるは、子の身てわるい日をくふた。そこを当ると云。当番の当の字なり。わるい日に火事と云。臣子のすててをかれぬことかあるもの。其時は仕方なく爭ふ。さて七人五人と上へて云たも尤なり。天子諸侯大勢の臣あれとも、爭ふものは沢山はない。中小姓や玄関番は爭ふ中へは入れられぬ。
【解説】
「故當不義、則子不可以弗爭於父。臣不可以弗爭於君」の説明。「当」は出くわしてしまったこと。臣や子でも棄てて置けないことがあれば、その時は仕方なく争うのである。
【通釈】
総体、書を読むには語脈ということをよく知らなければならない。この章は書き出しからとかく順路ではない。順路に争うことはない。順路でないから「不可弗」が入る。「当」とは、朔日から晦日までのことではない。その様な場に出くわしたこと。「当不義」とは、並木の松の道中に倒れた様なもの。迷惑だが片付けなければならない。そのままにはして置けない。湯武は桀紂に当たったのである。悪い日を食って放伐された。父にも非義をすることがあるのは、子の身で悪い日を食ったのである。そこを当たると言う。当番の当の字である。悪い日に火事と言う。臣や子でも棄てて置けないことがあるもの。その時は仕方なく争う。さて七人五人と上で言ったのも尤もなこと。天子諸侯には大勢の臣がいるが、争う者は沢山はない。中小姓や玄関番は争う中へは入れられない。


明倫102
○禮記曰、事親有隱而無犯。左右就養無方。服勤至死。致喪三年。隱謂恐傷親意、情有不盡。無犯、不犯顔而諫。論語曰、事父母幾諫。左右謂扶持之。方猶常也。子則然。無常人。勤、勞辱之事。致謂戚容稱其服也。凡此以恩爲制。事君有犯而無隱、左右就養有方。服勤至死。方喪三年。無隱、君臣尚義。雖盡情以諫可也。有方、不可侵官。方喪、資於事父。凡此以義爲制。事師無犯無隱。左右就養無方。服勤至死。心喪三年。無犯無隱言雖盡情猶微而婉。心喪、戚容。如父而無服。凡此以恩義之間爲制。
【読み】
○禮記に曰く、親に事えては隱すこと有りて犯すこと無し。左右し就き養いて方無し。勤を服して死に至る。致喪三年。隱すは、親意を傷らんことを恐れ、情盡さざること有るを謂う。犯すこと無きは、顔を犯して諫めず。論語に曰く、父母に事えて幾かに諫む、と。左右するは、之を扶持するを謂う。方は常に猶[おな]じ。子は則ち然り。常人無し。勤は勞辱の事。致は戚容其の服を稱うを謂うなり。凡そ此れ恩を以て制を爲す。君に事うるに犯すこと有りて隱すこと無し。左右し就き養いて方有り。勤を服して死に至る。方喪三年。隱すこと無しは、君臣義を尚ぶ。情を盡して以て諫むと雖も可なり。方有るは、官を侵す可からざるなり。方喪は、父に事うるに資る。凡そ此れ義を以て制を爲す。師に事うるに犯すこと無く隱すこと無く、左右し就き養いて方無し。勤を服して死に至る。心喪三年。犯すこと無く隱すこと無しは、情を盡すと雖も猶微にして婉なり。心喪は戚容父の如くして服無し。凡そ此れ恩義の間を以て制を爲す。

○礼記曰、事親云々。五つ揃ふて云た処は五倫。又、父子君臣夫婦を三綱と出すときもある。その中の君父の二綱へ師を幷へたか此章なり。寔に垩賢の遺言なり。父の生み、君の養ふと云にたれも不審を云者はないか、師は友の中じゃ。それか君父と幷ひそもないものじゃに、それか幷ふと云にわけのあることぞ。君に忠、親に孝、たれもあるはへぬきのものなれとも、学文せぬものの忠孝はなんぞのとき二の足になる。二の足にならぬやふにするには大学の至善につめるでなくてはならぬ。その至善につめると云か師の吟味でなくてはならぬ。師は表て立たぬものなれとも、君父の二つの吟味か師から出る。そこて君父師と幷ぶ。
【解説】
「禮記曰、事親」の説明。この章は君父に師を加えたもの。師は友の内なのに、それが君父と並ぶのは、師が大学の至善に詰める吟味をする者だからである。
【通釈】
「礼記曰、事親云々」。五つ揃えて言った処は五倫。また、父子・君臣・夫婦を三綱と出す時もある。その中の君父の二綱へ師を並べたのがこの章である。寔に聖賢の遺言である。父が生み、君が養うということに不審を言う者は誰もいないが、師は友の中である。それが君父と並びそうもないものだが、それが並ぶというのはわけのあること。君に忠、親に孝は、誰にもある生え抜きのものだが、学文をしない者の忠孝は何かの時に二の足になる。二の足にならない様にするには大学の至善に詰めるのでなくてはならない。その至善に詰めるのは師の吟味でなくてはならないこと。師は表立たないものだが、君父の二つの吟味が師から出る。そこで君・父・師と並ぶ。

○有隱。茶の給仕をするの、背をさするのと云ことてない。なんぞ一つ事あるときのこと。そのとき以て開て学友に云やふに云たい心もあれとも、なんと云ても親のことゆへきけんのそこ子るがいやさに、ちらり々々々と云ことなり。○左右しとよみたいものぞ。一生そはに付てをること。○無方。親のは衣るいをもたたむ。又、五節句には名代をもつとめる。なんても云付次第。○服は、することにしてすること。持藥を服するの服の字。○三年の内、只喪服をきたと云位ては致喪とは云ぬ。哀と喪服のつれ立つやふに、ことの外ぎり々々につめるか致喪の致の字。
【解説】
「有隱而無犯。左右就養無方。服勤至死。致喪三年。隱謂恐傷親意、情有不盡。無犯、不犯顔而諫」の説明。親にはっきりと言うのは、機嫌を損ねることにもなりかねないので悪い。
【通釈】
「有隠」。茶の給仕をしたり、背を摩るということではない。何か一つ事が起きた時のこと。その時は、学友に言う様にはっきりと言いたい心もあるが、何と言っても親のことなので機嫌を損ねるのが嫌なので、ちらりちらりと言う。「左右し」と読みたいもの。一生側に付いていること。「無方」。親の衣類をも畳む。また、五節句には名代をも勤める。何でも言い付け次第である。「服」は、することにしてすること。持薬を服するの服の字。三年の内、ただ喪服を着るというくらいでは「致喪」とは言わない。哀と喪服の連れ立つ様に、殊の外ぎりぎりに詰めるのが致喪の致の字である。

○幾諌。礼記の方に有隱と云のは、論吾に幾諌むとあるかここと引たもの。親のことはこれは不埒と云れぬ。それてはきげんかそこ子よふかと気づこふゆへ、ちらり々々々と諌むなり。そこて、あなたそれては御損でこさりますと云筋ぞ。不埒なことと云ぬぞ。異見を云ことは、わるくするとかさにかかるもの。ここを專度と云と親に耻をかかせるになる。かさにかかると不孝にあたる。そこで是はよふないこととさし付て云れぬから、御前それては御損につきますと云。○無常人。人と云字は役と云字のあたりにも用るなり。書経に正人と云もそれなり。子の親のことをするには、これは誰がすると云役かかりはない。灰吹をさらへ。あい。巨燵に火を入れよ。あい。向ったなりにすることぞ。これは下女に仰付らるへきことと云ぬ。
【解説】
論語曰、事父母幾諫。左右謂扶持之。方猶常也。子則然。無常人」の説明。親にはちらりちらりと諌める。親に強く異見を言うのは、親に恥をかかせることにもなる。また、親に言い付けられれば、子は何でもその通りにする。
【通釈】
「幾諌」。礼記の方で「有隠」とあるのは、論語に「幾諌」とあるから、それでここに引いたもの。親のことは、これは不埒だとは言えない。それでは機嫌を損ねるだろうと気遣うので、ちらりちらりと諌める。貴方それでは御損でございますと言う筋である。不埒なことだとは言わない。異見を言うのは、悪くすると嵩に掛かるもの。ここを先途と言うと親に恥をかかせることになる。嵩に掛かると不孝に当たる。そこでこれはよくないことだと差し付けて言えないから、御前それでは御損に付きますと言う。「無常人」。人という字は役という字の当たりにも用いる。書経で正人と言うのもそれ。子が親のことをするには、これは誰がするという役係りはない。灰吹を浚え。はい。炬燵に火を入れろ。はい。それは、向かった通りにすること。これは下女に仰せ付けられるべきことだとは言わない。
【語釈】
・幾諌…論語里仁18。「子曰、事父母幾諫。見志不從、又敬不違、勞而不怨」。
・書経に正人…書経洪範・康誥・冏命にある。

○労と云は只の骨折のこと。辱と云は只の骨折てはない。便器をあろふことをもする。○喪服は着てもにこはこしては威容称其服てない。喪には江戸へ日着に行やふな男ても杖をつく。その杖でひょいと飛たり鼻唄てはつまらぬ。あの丈夫ものが此ごろは物も云得ぬていじゃと云てよい。世間には早く忌をあけて月代か刺りたいの、肴か喰たいのと待兼るものもあろふが、やはりそれも礼の中へはめてをくことそ。なれとも爰の致の字は只の礼式てはない。げっそりと本にやせてこまりはてたていを云。いかさま杖なくてはあるけまいが称ふと云ものぞ。○服勤も無常も致喪の致の字も何もかも引っくるめて、以恩爲制。
【解説】
勤、勞辱之事。致謂戚容稱其服也。凡此以恩爲制」の説明。喪は、本当に痩せて困り果てた体となるほどのこと。それは礼式ではない。
【通釈】
「労」はただの骨折りのことだが、「辱」はただの骨折りのことではない。便器を洗うことをもする。喪服を着てもにこにこしては「威容称其服」ではない。喪には江戸へ日着けに行く様な男でも杖を突く。その杖でひょいと飛んだり鼻唄では詰まらない。あの丈夫者がこの頃は物も言えない体だと言うのでよい。世間には早く忌を明けて月代が刺りたいとか、肴が喰たいと待ちかねる者もいるだろうが、やはりそれも礼の中へ嵌めて置かなければならない。しかし、ここの致の字はただの礼式ではない。げっそりと本当に痩せて困り果てた体を言う。いかにも杖がなくては歩けないだろうというのが称うと言うもの。服勤も無常も致喪の致の字も何もかも引っ包めて、「以恩為制」である。

○何でも礼には差引かある。礼楽者進反之間とある。礼はしまるから大儀。引込みたがるもの。そこを進る。楽は靣白さにながれたかるもの。そこて引こませる。爰の君へ有犯と云字も進反之進の字の心得そ。君の顔を犯すと先つ不首尾。それから退役。甚しけれは遠嶋ともくるから、とかくひかへめ々々々々となるもの。なんても明日は十あることを十云ふと思て出ても、七八分外云へぬもの。其割りからへりて二つあることはつい云はすにもしもふ。そこを子ぢより々々々々云か犯すなり。宋の仁宗なと腹立てると耳の赤くなることありた。そこて、それを見るとはや云はぬ。忠臣はそこを云か犯すなり。中々云にくい。そこが進の字なり。有犯の心掛は君前ては向へ張り出て云はふ々々々とするか忠臣ぞ。これてみよ。君臣の義、出処の道は命を惜かることてはいかぬ。委其身はそこなり。靖献遺言は歒に降参せぬ爲めとみることてはない。平生かちこふ。有犯なり。此の犯すと云日には孝經の身体髪膚をなけうつそ。此からたを忘れてかかることぞ。
【解説】
「事君有犯」の説明。君に顔を犯すと退役や遠島にもなりかねないから控えるものだが、そこをねじ寄って諌める。これが忠臣である。君臣の義、出処の道は命を惜しがっては悪い。
【通釈】
何でも礼には差し引きがある。「礼楽只在進反之間」とある。礼は締まるから大儀で、引っ込みたがるもの。そこを進める。楽は面白さに流れたがるもの。そこで引っ込ませる。ここの「君有犯」という字も進反の進の字の心得である。君の顔を犯すと先ずは不首尾で、それから退役。甚だしければ遠島ともなるから、とかく控え目になるもの。何としても明日は十あることを十言おうと思って出ても、七八分の外は言えないもの。その割りから減って二つあることは遂に言わずにしまう。そこをねじ寄って言うのが「犯」である。宋の仁宗などは腹を立てると耳が赤くなることがあった。そこで、それを見ると早くも言わない。忠臣はそこを言う。これが犯すである。中々言い難い。そこで進の字である。有犯の心掛けは、君前では向こうへ張り出て言おうとすること。これが忠臣である。これで見なさい。君臣の義、出処の道は命を惜しがることでは悪い。「委其身」はそこ。靖献遺言は敵に降参をしないためと見ることではない。平生が違う。有犯である。この犯すという日には孝経の身体髪膚を投げ打つ。この体を忘れて掛かること。
【語釈】
・礼楽者進反之間…近思録為学28。「禮樂只在進反之閒、便得性情之正」。
・委其身…小学内篇立教13。「事君能致其身」。同集註。「致猶委也。委致其身、謂不有其身也」。
・孝經の身体髪膚…小学内篇明倫34にもある。

○無隱とは、鴬声てしさらぬこと。今は御大役萬端御心労なれは、御酒も少々は召上らるるもよいと云。はやあたりがよくなる。本心をは云ぬ。兎角大酒さるる君へも、御気の晴るものなそと云はわるいことの腰押をするなり。本のことは御前の御酒を上りましては医者ともも来年迠は持てぬと申ますと、ずっかりと云なり。とふもそふは云れぬ。それは隱すと云ものなり。これて御意に合子はとふなりともと云心がすわら子はならぬこと。今日万鐘明日飢餓。君のきげん次第て乞食になる。母がこまるの、妻か飯を焚か子はならぬのと云差支はとんとかまわぬ。○有方。大名衆の病気に近習は付てをるか、物頭か何程忠心ても、御食を上るを見たいの、背中をさすりて上たいものと思ふてもならず。はやく何兵衛廻ります。火の用心と火事羽織てまわる。そこを有方と云。それがやはり誠なり。背中をさするも一つことなり。
【解説】
「而無隱、左右就養有方。服勤至死」の説明。君へははっきりと諌める。鴬声でしない。また、自分の与えられた職務を全うし、分を越えない。
【通釈】
「無隠」とは、鴬声でしないこと。今は御大役万端御心労であれば、御酒も少々は召し上がられるのもよいと言う。早くも当たりがよくなる。本心を言わない。とかく大酒をされる君へも、御気の晴れるものなどと言うのは悪いことの腰押しをすることになる。本来であれば、御前がその様に御酒を上がりましては医者共も来年までは持たないと申しますと、ずっかりと言うべきである。どうもその様には言えない。それは隠すというもの。これで御意に合わなければどうなりともと言う様に、心が据わらなければならない。「今日万鐘明日飢餓」で、君の機嫌次第で乞食にもなる。母が困るとか、妻が飯を炊かなければならないなどという差し障りには全く構わない。「有方」。大名衆の病気には近習が付いているが、何程忠心でも、物頭が御食を上がるのを見たいとか、背中を摩って上げたいものだと思っても、それはならない。早く何兵衛廻ります、火の用心と言って火事羽織で廻る。そこを有方と言う。それがやはり誠であり、背中を摩るのと同じこと。
【語釈】
・今日万鐘明日飢餓…近思録出処39。「今日萬鐘、明日棄之、今日富貴、明日飢餓、亦不卹、惟義所在」。

○方喪。主人の喪は肉をわけぬからどふても御法差合に成たかる。そこを親のとをりにする。これて義に味かある。たた喪服てない。親への心いきに君へする。書經の百姓如喪考妣は下の方の手からてはない。尭の御德なり。爰はとのやふな君へも、あの時の人の尭の喪をしたやふな心をこちから出すこと。○如喪考妣の如の字と方喪の方の字とよく合ふぞ。○本文は一と肩肩を入れて説く。つっかかり云やふなり。注はゆるりとした云やふなり。雖可なりてゆるくきこへるなれとも、前を受た語勢ゆへぞ。父にはわるいか、君には犯したれはとてよいとも々々々々と云心なり。資の字は父の方へした心いきてそれをとると云こと。資の字は礼の喪服之制にある。あそこを出所にみるかよい。○君臣の立派な厳重なものの処へ親に出す誠を一味加へたもの。親へは泪が主君にはこふするものと云。義てきめる。とっちも誠か主なり。
【解説】
「方喪三年。無隱、君臣尚義。雖盡情以諫可也。有方、不可侵官。方喪、資於事父。凡此以義爲制」の説明。君の喪は親に対する心意気でする。しかし、君への諌めは義で決める。それはどちらも誠からのこと。
【通釈】
「方喪」。主人の喪は肉を分けたものではないからどうしても御法差し合いになりたがる。そこを親の通りにする。これで義に味が出る。ただの喪服ではない。親への心意気で君へする。書経の「百姓如喪考妣」は下の方の手柄ではない。堯の御徳である。ここはどの様な君へも、あの時の人が堯の喪をした様な心をこちらから出すこと。如喪考妣の如の字と方喪の方の字とがよく合う。本文は一肩肩を入れて説いたもので、突っ掛かって言う様であり、注はゆるりとした言い様である。「雖可」で緩く聞こえるが、それは前を受けた語勢だからである。父には悪いが、君には犯したとしてもよいよいという心である。「資」の字は父の方へした心意気でそれをとるということ。資の字は礼の喪服之制にある。あそこを出所として見なさい。君臣の立派な厳重なものの処へ親に出す誠を一味加えたもの。親へは泪だが、主君にはこうするものと言う。義で決める。どちらも誠が主である。
【語釈】
・百姓如喪考妣…書経舜典。「帝乃俎落、百姓如喪考妣」。
・資の字は礼の喪服之制にある…礼記下喪服四制。「門内之治、恩揜義。門外之治、義斷恩。資於事父以事君、而敬同。貴貴尊尊、義之大者也。故爲君亦斬衰三年。以義制者也」。

○事師無犯無隱云々。事師云々。偖、是からは師ぞ。されとも只今師と云ことはないと合点せよ。今は皷や手習ふを師匠さまと云。ここの師と云は我を人に取立てもろふ人のこと。孔子の弟子や程朱の門人なとは師の喪を父の通りにしてもよい。我々式をあふして喪をするはほどをしらぬ。理屈て合せるのてよふないぞ。まして物を習ったをははや師とをぼへるなそはあらいことぞ。○古の師と云はるる人は至善をつめたもののこと。それては無隱無犯筈のこと。只今は師が欲か深て淫乱も放蕩もある。それでも弟子はそれにかまわぬは、業を師にするからなり。○楢﨑忠右衛門は備後の冨人なれとも、柯先生へきて薪をわりた。山口庄右ェ門と云は小濱の京留主居て馬をつなく武士ぞ。夫か若林強斎の処て水を汲んだ。なるほと無方のていしゃ。
【解説】
「事師無犯無隱。左右就養無方。服勤至死。心喪三年」の説明。古の師は至善を詰めた人だったが、今の師は欲が深くて淫乱も放蕩もある。それでも弟子はそれに構わないのは、業を師とするからである。
【通釈】
「事師無犯無隠云々」。さて、これからは師である。しかし、今は師ということはないと合点しなさい。今は鼓や手習を師匠様と言う。ここの師は、自分を人に取り立ててもらう人のこと。孔子の弟子や程朱の門人などは師の喪を父の通りにしてもよい。我々如きがあの様に喪をしては、ほどを知らないことになる。理屈で合わせるのではよくない。ましてや物を習ったのを早くも師と思うのは粗いこと。古の師と言われる人は至善を詰めた者のこと。それでは無隠無犯な筈である。今の師は欲が深くて淫乱も放蕩もある。それでも弟子はそれに構わないのは、業を師にするからである。楢崎忠右衛門は備後の富人だったが、柯先生の所へ来て薪を割った。山口荘右衛門は小浜の京留守居で馬を繋ぐ武士である。それが若林強斎の処で水を汲んだ。なるほど無方の体である。
【語釈】
・楢﨑忠右衛門…楢崎正員。忠右衛門と称す。備後三原の薬商。元禄9年(1696)6月9日没。年77。山崎闇斎門下。
・山口庄右ェ門…山口春水。名は重固、後に安固。別号は艮齋。團治郎、莊右衛門、莊左衛門と称す。小浜藩士。明和8年(1771)3月10日没。年80。若林強斎門下。
・若林強斎…名は進居。新七と称す。一号は守中翁、晩年は寛齋、自牧。望南軒。京都の人。享保17年(1732)1月20日没。年54。浅見絅斎門下。

○君父師と幷へた。恩ある師ゆへ喪は三年するなれとも、とこへも云立ることはならぬから心喪ぞ。心喪はわさに出さぬこと。朔望年礼もする。此の心喪と云が万世之賜と見ることなり。親戚も今の服忌はいこふ短い。又、をををぢや孫姪の近ひ肉のものに忌服のかからぬも有。なれとも下として礼は制されぬ。そこて心喪をするぞ。父母ても五十日すきて未た忌中しゃと云と天下へ憚になる。そこて心喪と云かよいことなり。今学者が公義晴れて三年の喪が有たらよらふと云か、有ったらこまろふぞ。心喪は表立たときは酒を呑むことも肴を一寸喰ふことも有るか、それか心喪の邪魔にはならぬ。やはり精進なり。公邉たたぬだけ、却て心喪か深切か届かせよい。礼文学者か実も甲斐なくて古に復したかるか、心喪てあまるほど誠かなるなり。されともわさに表れぬことゆへ、形て守られぬ。誠なくては心喪はうつらぬことなり。
【解説】
師の喪は表立つことではないので、心喪でする。礼文学者が古に復したがるが、心喪で余るほどの誠が成る。
【通釈】
君・父・師と並べた。恩ある師なので喪は三年するが、何処へも言い立てることはならないから心喪でする。心喪は業に出さないこと。朔望や年礼もする。この心喪が万世の賜と見るべきこと。親戚でも今の服忌は大層短い。また、大叔父や孫姪の近い肉の者には忌服の掛からないこともある。しかし、下として礼を制することはできない。そこで心喪をする。父母でも五十日過ぎて未だ忌中だと言えば天下への憚りになる。そこで心喪というのがよいこと。今学者が公儀に晴れて三年の喪があったらよいだろと言うが、あったら困るだろう。心喪は、表立った時は酒を呑むことも肴を一寸喰うこともあるが、それは心喪の邪魔にはならない。やはり精進である。表立たないだけ、却って心喪の方が深切が届かせよい。礼文学者が実も甲斐なくて古に復したがるが、心喪で余るほどの誠が成る。しかし、業に表れないことなので、形で守ることはできない。誠がなくては心喪は映えない。

○弟子の云詞は知も行も皆夲とか師からなり。そこて師のことについたことは何こともちらりと云へはすむ。そこか微婉なり。探幽養朴の墨繪。あれか遠山、こちのちらり々々々か帆掛舩とみせたもの。直方云、師匠は通りものじゃ、仁義礼智と云に及ぬ、と。いかさまさま々々に曲折を云ひこ子廻すには及ぬ。ぐと々々云へは釈迦に心經ぞ。相手か釈迦しゃ。さっと云へはすむ。子貢は微婉のあんはいを知りた。入て曰、伯夷叔斉何人云々。出て曰、夫子不助。衛へはござらぬと云た。今の口書をとるやふな学者とは違ふ。○師の喪はとれてよいかが知れぬから、君と父と两方をあてごふて、これてよかろふとしたなり。そこを恩義の間て制すと云。
【解説】
無犯無隱言雖盡情猶微而婉。心喪、戚容。如父而無服。凡此以恩義之間爲制」の説明。師は通り者だから、一寸言えばわかる。それが「微而婉」である。子貢はその塩梅をよく知っていた。
【通釈】
弟子の言う詞は、知も行も皆本は師からのこと。そこで師のことに関したことは何事もちらりと言えば済む。そこが「微而婉」である。探幽や養朴の墨絵は、あれが遠山、こちらのちらりとしたのが帆掛け舟と見せたもの。直方が、師匠は通り者だ、仁義礼智と言うには及ばないと言った。いかにも様々に曲折を言い捏ね回すには及ばない。くどくど言えば釈迦に心経である。相手が釈迦である。ざっと言えば済む。子貢は微而婉の塩梅を知っていた。「入曰、伯夷叔斉何人云々。出曰、夫子不助」。衛へは行かれないと言った。今の口書をとる様な学者とは違う。師の喪はどれがよいかわからないから、君と父の両方を宛がって、これでよいだろうとしたのである。そこを「恩義之間為制」と言う。
【語釈】
・養朴…狩野養朴常信。狩野尚信の長男。1636~1713
・通りもの…人情・世情の機微に通じた者。
・入て曰、伯夷叔斉何人云々。出て曰、夫子不助…論語述而14。「冉有曰、夫子爲衛君乎。子貢曰、諾、吾將問之。入曰、伯夷、叔齊何人也。曰、古之賢人也。曰、怨乎。曰、求仁而得仁、又何怨。出曰、夫子不爲也」。


明倫103
○欒共子曰、民生於三。事之如一。父生之、師敎之、君食之。非父不生、非食不長、非敎不知。生之族也。故壹事之、唯其所在則致死焉。在君父爲君父、在師爲師。報生以死、報賜以力。人之道也。
【読み】
○欒共子[らんきょうし]曰く、民は三に生く。之に事うるに一の如くす。父之を生み、師之を敎え、君之を食[やしな]う。父に非ざれば生まれず、食に非ざれば長とならず、敎に非ざれば知らず。生けるの族なり。故に壹に之に事え、唯其の在る所にして則ち死を致す。君父に在れば君父の爲にし、師在れば師の爲にす。生けるに報ゆるに死を以てし、賜に報ゆるに力を以てす。人の道なり。

○欒共子曰、民生云々。殊の外深切を説た文字なり。こなたは、をれはをれて立と心得てこざろふの。なるほとと云。其こなたの、をれはをれて立たせるものか有る、知てかと云。いや其気はつかぬ。又曰、こなたなんで生てをるとかんをつけてみられよ。それも心つかぬ。魚の水中に生てをるを見てか。なるほと魚は水を離れると生きてはいられぬ。あのやふに、こなたにも不断御影を蒙るものか三つ有ぞやと云。そこてひたすら聞たくなる。三つと名乘かけて、さらは聞せふが、どちも一つことて匕加减のならぬものしゃと云。父生之、師教之、君食之。前には父君師と幷へ、ここて父師君と幷へたか靣白ひ。父か生て、師か五倫の仕込をして、其れから四十始仕かなるなり。君を終に云。
【解説】
「欒共子曰、民生於三。事之如一。父生之、師敎之、君食之」の説明。自分を立たせているものが三つある。それは「父生之、師教之、君食之」である。
【通釈】
「欒共子曰、民生云々」。殊の外深切を説いた文字である。貴方は、俺は俺で立っていると心得ているのだろう。なるほどそうだと答える。その貴方を立たせるものがあるが、それを知っているかと聞くと、いやそれは気が付かないと答える。また、貴方は何で生きているのか、勘を付けて見なさいと言うと、それもわからないと答える。魚が水中に生きているを見たか。なるほど魚は水を離れると生きてはいられない。あの様に、貴方にも普段御蔭を蒙むるものが三つあると言う。そこで只管聞きたくなる。三つと名乗りかけて、それでは聞かせようが、どちらも一つ事で匙加減のできないものだと言う。「父生之、師教之、君食之」。前には父・君・師と並べ、ここで父・師・君と並べたのが面白い。父が生んで、師が五倫の仕込みをして、それで「四十始仕」が成る。君を終わりに言う。
【語釈】
・前には父君師と幷へ…小学内篇明倫102を指す。
・四十始仕…小学内篇立教2。「四十始仕、方物出謀發慮。道合則服從、不可則去」。

○非食不長。さてここは生れ落て奉公をする迠は、やはりものを喰ふて成長する処を君恩とする。今宦禄を取るもの斗りか君からもろふと思ふ。さふしたことてはない。百姓の田禄ても、町人の誰か支配の町と云は皆君の道なり。かまどありて飲食する者はそれ々々に上みと云ものある。それて成長する。浅見子云、百姓の山の奥まて三歳の児か銭もちあるくことのなる。皆君の食ぞ。○師に道を聞ぬと顔斗りが人間で、道德を知らぬ。○所在致死。このからたをは君父師の処へやってをいて、そこに出っくわせたときの其塲々々なり。夫故顔子の子在回何敢死せんと云たも孔子へあつけた。親と伯父をのけては兄弟が重いが、道理を学ふ師は兄弟より重ひ筈。其兄弟より重ひと云こともたたの師では云れぬ。孔子を曲尺に云子はならぬ。司馬牛が兄の桓魋が孔子を殺さふとしたことある。あのときさぞ司馬牛の処置ありつろふなり。兄弟は肉をわけたからとて兄については、殷の頑民か周を歒と見たと同ことになる。
【解説】
「非父不生、非食不長、非敎不知。生之族也。故壹事之、唯其所在則致死焉。在君父爲君父、在師爲師。報生以死、報賜以力。人之道也」の説明。人が物を食って成長するのは君恩による。師に道を聞かなければ道徳を知らないままである。師に道理を学ぶので、師は兄弟よりも重い。但し、その師は孔子の様な人でなければならない。
【通釈】
「非食不長」。さてここは、生まれ落ちてから奉公をするまで、物を喰って成長する処を君恩であるとする。今官禄を取るものばかりを君から貰う者と思うが、そうしたことではない。百姓の田禄でも、町人の誰々の支配の町というのは皆君の道である。竈があって飲食をする者は、それぞれに上というものがある。それで成長をする。浅見子が、山の奥まで百姓の三歳の子が銭を持ち歩くことができると言った。皆君の食である。師に道を聞かなければ顔ばかりが人間であって、道徳を知らないままである。「所在則致死」。この体を君・父・師の処へ遣って置いて、そこで、出くわした時はその場その場でする。顔子が「子在、回何敢死」と言ったのも孔子へ身を預けたからである。親と伯父を除いては兄弟が重いが、道理を学ぶ師は兄弟よりも重い筈。しかし、兄弟よりも重いと言っても、ただの師ではそれは言えない。孔子を曲尺にして言わなければならない。司馬牛の兄の桓魋が孔子を殺そうとしたことがある。あの時はさぞ司馬牛には処置があったことだろう。兄弟は肉を分けたからと言って兄に付いては、殷の頑民が周を敵と見たのと同じことになる。
【語釈】
・子在回何敢死せん…論語先進22。「子畏於匡、顏淵後。子曰、吾以女爲死矣。曰、子在、囘何敢死」。
・桓魋が孔子を殺さふとした…論語述而22。「子曰、天生德於予、桓魋其如予何」。論語顔淵5。「司馬牛憂曰、人皆有兄弟。我獨亡」。桓魋は宋の司馬向魋。

○直方先生の忠孝不两全の説と云ものあり。可考。とかく此身は君父に上たもの。两方から手附を取たから、とっちへなりともやること。所在と云は其時にのぞんでのことなり。今何事ないときどふこふとすることてはない。そこて古人も君父の難を挙て、豫め処置を付け難問することは親切な様て前方なことぞ。所在と云て埒はあく。丁度舩中て人を二人助るやふなもの。手のととくものを助る。兄弟並ていたときに、兄にせふの、弟はすててをけと云ことてはない。君にせふか、父にせふかと、より取りにすることではない。端的な処へ致死ことなり。○凡そ進物の返礼に以死より大きひことはない。向かもと吾を活してくれた返礼たから死を以てなり。鯛を貰ふた処へは鱸の返礼。これか天地の形りなり。君父にはとふした返礼。はて知れたこと。生と死とつつくから、死の字さと云こと。生の返礼は死にきわまる。
【解説】
自分の身は君父に差し上げたもの。そこで、時に臨んではどちらへでも遣る。生み生かしてくれたのだから、死を以って返礼をする。
【通釈】
直方先生の忠孝不両全の説というものがある。考えなさい。とかくこの身は君父に上げたもの。両方から手付を取ったから、どちらへでも遣る。「所在」はその時に臨んでのこと。今何事もない時にどうこうすることではない。そこで、古人の君父の難を挙げて、予め処置を付けて難問することは親切な様だが前方なこと。所在と言うので埒は明く。それは丁度舟中で人を二人助ける様なもの。手の届く者を助ける。兄弟が並んでいた時に、兄にしようとか、弟は棄てて置けということではない。君にしようか、父にしようかと、選り取りにすることではない。端的な処は「致死」のこと。凡そ進物の返礼に死を以ってすることより大きいことはない。向こうが始めに自分を活かしてくれた、その返礼だから死を以ってする。鯛を貰った処へは鱸の返礼。これが天地の形である。君父にはどうした返礼か。それは知れたこと。生と死と続くから、死の字さということ。生の返礼は死に極まる。
【語釈】
・前方…初心。うぶ。未熟。


明倫104
○晏子曰、君令臣共、父慈子孝、兄愛弟敬、夫和妻柔、姑慈婦聽、禮也。君令而不違、臣共而不貳、父慈而敎、子孝而箴、箴、諫也。兄愛而友、弟敬而順、夫和而義、妻柔而正、姑慈而從、婦聽而婉、從、不自專。婉、順也。禮之善物也。
【読み】
○晏子曰く、君令して臣共し、父慈にして子孝に、兄愛して弟敬し、夫和して妻柔し、姑慈にして婦聽なるは、禮なり。君令して違わず、臣共して貳ならず、父慈にして敎え、子孝にして箴[いまし]め、箴は諫なり。兄愛して友に、弟敬して順に、夫和して義に、妻柔にして正しく、姑慈にして從い、婦聽にして婉なるは、從は自ら專らにせざるなり。婉は順なり。禮の善物なり。

○晏子曰、君令臣共云々。晏子を斉の賢大夫と云もここらてみへる。子産はもそっとも利口に見へるか、こんな語はない。先王の遺言を傳へた。ここか誠に通論で、すっはりと云ぬいた。令は君の役て万乘の上に居てこふせい々々々々と云付る。そこて君師とも云。臣は其のことを少しもまけずにするか共なり。ここて命令の字もきこへたぞ。日本の古代に人臣のことを命[みこと]と云た。上の命をその通りにするゆへの名と云も尤なことなり。闇斎せんせい、坤の六二、大学敬止と云へり。共は恭敬の恭の字なり。○子と云は餘のことなしに孝ですむ。子と云全体へ孝と云字をあぶせかけるでよい。百姓と云は餘のことなしに五穀を作る。牡丹は不得手と出る。それてよい。此章、すへてこの塩梅に餘のことなしにみるがよい。兄弟中も餘のことなしに愛てよい。一つ違ひの兄ても、弟の方からは殊の外敬する。をそるる意なり。此ことを兄に知れたらどふしたものと云が弟の玉しいなり。
【解説】
「晏子曰、君令臣共、父慈子孝、兄愛弟敬」の説明。君の命を少しも曲げずに臣がする。子の孝、弟の敬は、余のことなしにするのがよい。
【通釈】
「晏子曰、君令臣共云々」。晏子を斉の賢大夫と言うのもここらで見える。子産はもう少し利口に見えるが、こんな語はない。先王の遺言を伝えた。ここが誠に通論で、すっぱりと言い抜いたもの。「令」は君の役で万乗の上にいてこうせよああせよと言い付けること。そこで君師とも言う。臣がそのことを少しも曲げずにするのが「共」である。ここで命令の字もよくわかる。古代の日本でも、人臣のことを命と言った。これが上の命をその通りにすることだから、尤もな名である。闇斎先生が、坤の六二、大学の敬止のことだと言った。共は恭敬の恭である。子は余のことをしなくても孝で済む。子という全体へ孝という字を被せるのでよい。百姓は余のことなしに五穀を作る。牡丹は不得手と出る。それでよい。この章、全てこの塩梅で余のことなしに見なさい。兄弟仲も余のことなしに愛するのでよい。一つ違いの兄でも、弟の方では殊の外敬する。それは畏れる意である。このことが兄に知れたらどうしたものかと思うのが弟の魂である。
【語釈】
・晏子…晏嬰。春秋時代、斉の大夫。字は仲。~前500
・子産…鄭の卿。名は僑。字は子産、子美。諡は成。子国の子。~前522
・坤の六二…「六二。直方大。不習无不利。象曰、六二之動、直以方也。不習无不利、地道光也」。
・大学敬止…大学章句3。「詩云、穆穆文王、於緝熙敬止」。同集註。「敬止、言其無不敬而安所止也。引此而言聖人之止、無非至善」。詩は詩経文王。

○夫和。きくしゃくしたことのないこと。不断妻が夫にいじめられてはたまらぬ。女房はつよくしめつけろと云さふな処を和と書た。これらは晏子の不断稽古したことてあらふぞ。さて又和か本体なり。今の夫婦合のよいと云はしたたるいこと。本の和てないから、やがて口論が始る。○妻は柔が本体。○姑慈。なんてもかてもこれてすむ。此饅頭をれはくふまい、娵にくわせたいと云。○礼也。上のヶ條が天理のあらわれた処。これから以下は品節するなり。ここの礼なりをは道なりと書たい処ぞ。夫を礼なりと書たが、人倫の上へじかに礼て稽古のなるやふに示すぞ。○而の字みよ。道体を学文てつなく。而の字は学文で、さて品節てあるぞ。君は云付る筈ても、道理にはつれたことを云付ると無理をしになる。孟懿子問孝、子曰無違。注に、道理に違はぬことと有。可味。
【解説】
「夫和妻柔、姑慈婦聽、禮也。君令而不違」の説明。「礼也」までが天理の現われた処で、後段は品節のこと。「而」の字は道体を学問で繋ぐもの。君の命令では、道理に違わない様にする。
【通釈】
「夫和」。ぎくしゃくしたことのないこと。普段妻が夫に虐められては堪らない。女房は強く締め付けろと言いそうな処を和と書いた。これらは晏子が普段稽古したことだろう。さてまた和が本体である。今の夫婦合いがよいというのは舌たるいこと。本当の和ではないから、やがて口論が始まる。妻は「柔」が本体。「姑慈」。何もかもこれで済む。この饅頭は俺は食わない、娵に食わせたいと言う。「礼也」。上の箇条が天理の現われた処。これから以下は品節をすること。ここの礼也は道也と書きたい処である。それを礼也と書いたのは、人倫の上で直に礼で稽古ができると示したもの。「而」の字を見なさい。道体を学文で繋ぐ。而の字は学文で、さて品節である。君は言い付ける筈のものだが、道理に外れたことを言い付けると無理押しになる。「孟懿子問孝、子曰無違」。その注に、道理に違わないこととある。吟味しなさい。
【語釈】
・孟懿子問孝、子曰無違…論語為政5。「孟懿子問孝。子曰、無違」。同集註。「無違、謂不背於理」。

○不貳。これか道理のさなこなり。亭主の好きに赤烏帽子。どふでもあなた次第と云は親切はない。これには二心ない。これは二心を出さぬで誠を出すなり。かけこがあれは貳つなり。君を思ふも身を思ふは貳なり。今利口な大工か作料さへ取れはこちはよい、これてはあとはわるかろふか、さきの旦那なすきにしろと云は誠のないなり。○あるへいを喰せる斗が父の慈てはない。こいつものにせふと云か誠の慈悲。○孝と云ても諌子は、なんその時孝がとをりぬけぬ。○愛は情を主に云、友は其可愛かりやふが理つりに出ること。只兄弟中のよいを友と云か、徂徠が友とは友達のやふにすることと云たかここの友字なり。今の兄弟中のよいと云は、をどけさわいて淨瑠理や三味線のなるやふにせわをする。ここは道理の方へ向くやふにせわをすること。こふ二つによま子は而の字の有る甲斐がない。○弟に順の字がないと、只兄の方へあたまをさける斗りになる。
【解説】
「臣共而不貳、父慈而敎、子孝而箴、箴、諫也。兄愛而友、弟敬而順」の説明。それぞれに共・慈・孝・愛・敬があるが、それに呼応して貳・教・箴・友・順がある。ここの友は道理に向く様に世話をすること。
【通釈】
「不二」。これが道理の核子である。亭主の好きな赤烏帽子で、どうでも貴方次第と言うのは親切でない。これには二心がない。これは二心を出さないことで誠を出すこと。懸子があれば二である。君を思いながら我が身を思うのは二である。今利口な大工が作料さえ取ればこちらはよい、これでは後が悪いだろうが、先の旦那の好きにしろと言うのは誠がないのである。有平を喰わせるばかりが父の「慈」ではない。こいつをものにしようというのが誠の慈悲である。「孝」と言っても諌めなければ、いざという時に孝が通り抜けない。「愛」は情を主に言い、「友」はその可愛がり様が理釣りに出ること。ただ兄弟仲のよいことを友と言う。徂徠が、友とは友達の様にすることだと言ったのがここの友の字である。今の兄弟仲がよいと言うのは、戯け騒いで浄瑠璃や三味線を弾ける様に世話をすること。ここは道理の方へ向く様に世話をすること。この様に二つに読まなければ而の字がある甲斐がない。弟に「順」の字がないと、ただ兄の方へ頭を下げるだけになる。
【語釈】
・かけこ…懸子。掛子。本心を打ち明けて話さないこと。
・あるへい…有平。砂糖菓子。

○惣体和すと義かうすくなる。和の中に眞木の有てよい。○婦の柔はよいが、其柔が柔か次手にひょっとわるい方へやわらかくなるまいものてもないから、そこて正の字なり。先日も云た婉娩聽従か烈女になると云もそこなり。とかく女は何こともこの正の字の門どを通りてゆくことぞ。○姑か嫁を可愛かると云ても、猫を可愛かるやふてはすまぬ。従は嫁と相談合ひにすること。をのしがよいと思ははさふしやふと云か本の可愛かるなり。○婉。すりからしの奉公人か外のものにも教て、只あい々々と云へと云。それは本の婉てはない。婉は心はへの言ばへ形してしなやかなこと。上の聽の字は心のよくうけること。そのあらわれたか婉なり。かふ上の句とわくることぞ。○善物也。礼も只の礼てはない。飛切のけ物。商人反物を段々見せて、一しまいに出す。これか飛切り、二百目てこざると云。晏子の賢太夫と云るるもここらなり。山本勘助なとの口からは出ぬ。
【解説】
「夫和而義、妻柔而正、姑慈而從、婦聽而婉、從、不自專。婉、順也。禮之善物也」の説明。和・柔・慈・聴に呼応して義・正・従・婉がある。この礼は飛切りのものである。
【通釈】
総体和すと義が薄くなる。和の中に真木があるのでよい。婦の柔はよいが、その柔が柔らか序にひょっと悪い方へ柔らかくならないものでもないから、そこで「正」の字がある。先日も言った「婉娩聴従」が烈女になるというのがこれ。とかく女は何事もこの正の字の門を通って行くもの。姑が嫁を可愛がると言っても、それは猫を可愛がる様では悪い。「従」は嫁と相談合いをすること。お前がよいと思うのならそうしようと言うのが本当の可愛がるということ。「婉」。擦り枯らしの奉公人が他の者に、ただはいはいと言えと教える。それは本当の婉ではない。婉は心栄えや言栄えがしなやかに形となること。上の「聴」の字は心がよく受けること。それが現われたのが婉である。この様に上の句と分ける。「善物也」。礼もただの礼ではなく、飛切りの除け物である。商人が反物を段々と見せて、最後に出す。これが飛切りで二百目ですと言う。晏子が賢大夫と言われるのもここらから。山本勘助などの口からは出ない。
【語釈】
・婉娩聽従…小学内篇立教2。「姆敎婉娩聽從」。
・山本勘助…戦国時代の武将・兵法家。三河の人。独眼で隻脚。武田信玄の参謀をつとめ、川中島の戦に戦死したという。~1561?


明倫105
○曾子曰、親戚不説不敢外交。近者不親不敢求遠。小者不審不敢言大。故人之生也百歳之中有疾病焉、有老幼焉。故君子思其不可復者而先施焉。親戚既没、雖欲孝誰爲孝。年既耆艾、雖欲悌誰爲悌。故孝有不及、悌有不時、其此之謂歟。
【読み】
○曾子曰く、親戚説びざれば敢て外に交わらず。近き者親しまざれば敢て遠きを求めず。小なる者は審かならざれば敢て大を言わず。故に人の生けるや百歳の中疾病有り、老幼有り。故に君子は其の復びす可からざる者を思いて先ず施す。親戚既に没せば、孝ならんと欲すと雖も誰か爲に孝せん。年既に耆艾[きがい]なれば、悌たらんと欲すと雖も誰か爲に悌せん。故に孝も及ばざること有り、悌も時ならざること有りとは、其れ此を之れ謂うか。

○曽子云々不説。一つ事有ての、さへ人か有てのと云ことてはないか、不和なり。年始寒暑にもくるなり。今の人は親類中に不和か有てもすててをく。当時損もないからと云。君子は何事をいてもここを直したいと云。吾背中に癰疔の出きたやふに思ふ。○近習側医者さへ恨るやふな君が沢の領分の百姓に及ふ筈はない。そこて遠へは手を出さぬ。○小者不審。迂斎曰、父命召唯而不諾。これがならいで大ひことはならぬ。吾黨の学者は小いことかすまぬ、無極而太極を云。三つ児に髭のはへたのぞ。後世の学者多くは小な処は皆不吟味。曽子はじりんからきめた人なり。其曽子の如此の玉ふ。今の医者か人の知らぬ薬名を云たり、金匱の外臺のと云立るは、をとなそばへをするのしゃと手引草が云たは尤なり。とかくかさてをしたかる。こんなことか垩人のきつふきらいなり。ここは枕詞て、いこふ手ひろいことなり。下の孝悌ををこすためなり。
【解説】
「曾子曰、親戚不説不敢外交。近者不親不敢求遠。小者不審不敢言大」の説明。親類の仲が悪ければ、それを直そうとする。小さいことが済まないのに、大きなことを言うことはしない。
【通釈】
「曾子云々不説」。一つ事があってとか、仲裁人がいてということではないが、不和である。それでも年始寒暑にも行く。今の人は親類仲に不和があっても放って置く。差し当たって損もないからと言う。君子は何事を置いてもここを直したいと言い、自分の背中に癰疔ができた様に思う。近習や側医者でさえ恨む様な君の沢が領分の百姓に及ぶ筈はない。そこで遠くへは手を出さない。「小者不審」。迂斎が、「父命呼唯而不諾」ができないで大きいことはできないと言った。我が党の学者は小さいことが済まないのに無極而太極を言う。それは三つ子に髭が生えたのである。後世の学者の多くは小さな処は皆不吟味。曾子は下地から決めた人。その曾子がこの様に言われたのである。今の医者が人の知らない薬名を言ったり、金匱や外台と言い立てるのは、大人戯れをするのだと手引草で言っているのが尤もなこと。とかく嵩で押したがる。聖人はこんなことが大層嫌いである。ここは枕詞で、大層手広いこと。それは下の孝悌を起こすためである。
【語釈】
・父命召唯而不諾…小学内篇明倫15。「禮記曰、父命呼唯而不諾」。
・無極而太極…太極図説の語。近思録道体1。

○故は、へたとうけたでもない。意をうけたこと。これゆへこちの方にことの外閙しひことかあると云こと。○二つの有の字にことの外けささがある。百年と云ても老幼と云あとさきを引けはかんが立つ。つめて人間わづか五十年と云ても、それにも亦疾病と云ひけが立つと云たもの。○上の故の字は惣体ををとすこと。下の故の字は、これて今端的二つなり。○日月はいかひことあるやふでも、今年の今月今日は一生にたった一度なり。又今度もと云ことはならぬ。翌日有と思ふ心のいたつらがわるいぞ。不可復思へ。○親の生たときうか々々しては、死後にはたれをあいてにしかたはない。吾五十六十になりては、兄へ仕へよふと思ふてもをもぶりが悌らしくない。石原先生か、老人になりてはどふも不相応なと云ことて、とふもされぬことがあると云れた。兄のきたとき、六十に成る弟か肌ぬいで鰹を料理て酌まてもをれがすると云ても、とふもよくないから、兄かそこてたれぞにさせろと云。爰か悌有不時なり。又年をとりて孝心か出る。されとも風樹の嘆なり。○其此之謂欤と云文章は、吾云たことをもとめる。人の云たことをとめるにもつこふなり。じゃによりて、鼻の先じか々々としてゆくことそと云こと。これらも通論へのりたにいこふ人心を感動することそ。涙の出ることなり。
【解説】
「故人之生也百歳之中有疾病焉、有老幼焉。故君子思其不可復者而先施焉。親戚既没、雖欲孝誰爲孝。年既耆艾、雖欲悌誰爲悌。故孝有不及、悌有不時、其此之謂歟」の説明。今の時は再び来ない。親が死んでは孝を尽くす相手がいない。また、年を取れば、悌をしようとしてもそれが似合わなくなる。悌もする時があるのである。
【通釈】
「故」は、べったりと受けたことでもない。意を受けたこと。これ故に、こちらの方には殊の外忙しいことがあるということ。二つの「有」の字には殊の外障害がある。百年と言っても老幼という後先を引けば勘が立つ。詰めて人間僅か五十年と言っても、それにもまた疾病という引けが立つと言ったもの。上の故の字は総体へ落とすもので、下の故の字は、これで今端的二つあるということ。日月は大層ある様でも、今年の今月今日は一生にたった一度である。また今度もと言うことはならない。明日があると思う心の悪戯が悪い。「思其不可復」である。親が生きている時にうかうかとしていては悪い。親の死後には孝の相手は誰もいない。自分が五十や六十になっては、兄へ仕えようと思っても面振りが悌らしくない。石原先生が、老人になってはどうも不相応なことで、どうもできないことがあると言われた。兄が来た時に、六十になる弟が肌を脱いで鰹を料理して、酌までも俺がすると言ってもどうもよくないから、兄がそこで誰かにさせろと言う。ここが「悌有不時」である。また、年を取って孝心が出る。しかし、風樹の嘆である。「其此之謂歟」という文章は、自分の言ったことを指す時にも、人の言ったことを指す時にも使う。そこで、鼻先のことを地道にして行くのである。通論へ載ったこれらは、大層人心を感動させるものである。涙の出ることである。
【語釈】
・けささ…障害。邪魔。
・風樹の嘆…韓詩外伝9。「樹慾静而風不止、子慾養而親不待」。


明倫106
○官怠於宦成、病加於少愈、禍生於懈惰、孝衰於妻子。察此四者愼終如始。詩曰、靡不有初、鮮克有終。
【読み】
○官は宦の成るに怠り、病は少しく愈ゆるに加わり、禍は懈惰に生じ、孝は妻子に衰う。此の四者を察して終りを愼むこと始めの如くす。詩に曰う、初め有らざること靡[な]く、克く終り有ること鮮し、と。

○官怠於宦成。重ひ役ても軽役ても初めは大切にするもの。師匠番をたのむ内は宦成てない。この成と云は覚束なく思たことがなんの苦もなくなるやふに成たこと。ここて敬のぬける処なり。役向の不調法は、多くは古役に有ることぞ。油断大歒。新役のしくしりは却てすくない。又、大病の時には油断はせぬもの。今二三日て月代もなると云ときに一寸日向北向なとをしすきて風を引そへること有。それか加りなり。禍生於懈惰もそれて、一夜はかりは錠ををろさすともと云処へ偸児が入るなり。孝衰於妻子。これか一番云わけのならぬことしゃ。妻子は孝の助けになる筈。衰へましきものて衰る。これがどふなれは、吾が愛する親ひ者か有るで隱居処へ遠々しくなる。爰が一に深切な語とみるかよい。
【解説】
「官怠於宦成、病加於少愈、禍生於懈惰、孝衰於妻子」の説明。新役の時はしくじりは少ないが、慣れて来るとしくじることがある。それは敬が抜けるからである。病も同じで、大病の時は油断をしないもの。禍いは懈惰から生じる。また、最も悪いのは、妻子によって孝が衰えることである。
【通釈】
「官怠於宦成」。重い役でも軽い役でも初めは大切にするもの。師匠番を頼む内は宦成ではない。この「成」というのは覚束なく思ったことが何の苦もなくなる様になること。ここが敬の抜ける処である。役向きの不調法は、多くは古役にあること。油断大敵。新役のしくじりは却って少ない。また、大病の時には油断はしないもの。今二三日で月代もできるという時に、一寸日向ぼっこをし過ぎて風邪を引くということがある。それが「加」である。「禍生於懈惰」もそれで、一夜だけなら錠を降ろさなくてもと言う処へ盗児が入る。「孝衰於妻子」。これが一番言訳のできないこと。妻子は孝の助けになる筈。衰えまじきもので衰える。これはどうしてかと言うと、自分の愛する親しい者がいるので隠居処へ遠々しくなるのである。これが一番に深切な語だと見なさい。

○屋根の上に鳶や鴉の居たは誰かにもみへる。この四者は察をつけ子はみへぬそ。こなたこのころはちと親の方へ遠々しひ沙汰が有そと云と、どこにをらに其やふなことがあろふぞと云。夫は察をつけぬからなり。皆が気遣ひはないと思ふてをろふが、察すがよいぞ。よい医者は容体書にないことをも察する。御蔭で昨日よりよくて食もくへると云ても、そのよいも合点かゆかぬと察をつける。孝衰於妻子もそれて、悪所へゆくの、遠走りをするのと云ことはなくても、親より可愛ものがもふ一つ出来てきたから、そこへ察をつけるかよい。○靡不有初。夫の死たとき、妻の泣は性善。そこは何処へ出してもよいか、それが末々通らぬ。若後家のみさほ、後がつつかぬもの。鮮克有終。
【解説】
「察此四者愼終如始。詩曰、靡不有初、鮮克有終」の説明。この四つは察しなければわからない。「孝衰於妻子」は、親よりも可愛い者ができたからである。しかし、若後家の操は後が続かないもの。性善が続かない。
【通釈】
屋根の上に鳶や鴉がいるのは誰にも見える。しかし、この四者は察を付けなければ見えない。貴方この頃は一寸親の方へ遠々しい沙汰があるぞと言うと、俺の何処にその様なことがあるものかと言う。それは察を付けないからである。皆は気遣いはないと思っているのだろうが、察しなさい。よい医者は容体書にないことをも察する。御蔭で昨日よりもよくて食も進むと言っても、そのよいと言うのも合点が行かないと察を付ける。「孝衰於妻子」もそれで、悪所へ行くとか、遠走りをするということではなくても、親より可愛い者がもう一つできて来たから、そこへ察を付けるのがよい。「靡不有初」。夫が死んだ時、妻が泣くのは性善。そこは何処へ出してもよいが、それが末々通らない。若後家の操は後が続かないもの。「鮮克有終」である。


明倫107
○荀子曰、人有三不祥。幼而不肯事長、賤而不肯事貴、不肖而不肯事賢。是人之三不祥也。
【読み】
○荀子曰く、人に三の不祥有り。幼にして長に事うることを肯[したが]わず、賤にして貴に事うるを肯わず、不肖にして賢に事うるを肯わず。是れ人の三の不祥なり。

○荀子曰云々。学知と云てなけれは只の知なり。学知は人の何のことじゃと云やふな、俗人の胸にのらぬ知を云。荀子が人間に三の怪[けち]が有と云た。節句しまに烏鳴がわるい。狐か啼たのと云は誰も知た不祥。この下の三つが学知の不祥なり。若ひ人は人に事るでよいに、早く前巾着をさげて人に差圖をする。大の利口ものなり。長者ををとなくさいとも思はぬ。目に立て働きのある若ひものぞ。夫を荀子がけちけささと見たが学知なり。成程吾目をあけやふとはせずにをる。けちけざさなり。○不肖は行のたらぬもののことを云が、ここでは知も行もごたませにしてみることぞ。不肖なものは賢德ある人に出合せてなをすがよいに、それがきついきらいものなり。
【解説】
人を指図することがうまく、働きのある若い利口者、それを荀子は不祥だと言った。それは学知によって言ったのである。また、知行共に足りないのに賢徳のある人に事えることを嫌う者も不祥である。
【通釈】
「荀子曰云々」。学知というのでなければただの知である。学知は人が何のことだと言う様な、俗人の胸に乗らない知を言う。荀子が人間には三つの怪があると言った。節句の終わりに烏が鳴くと悪いとか、狐が啼いたと言うのは誰もが知っている不祥だが、この下の三つが学知の不祥である。若い人は人に事えるからこそよいのに、早く前巾着を下げて人に指図をする。それは大の利口者である。長者を大人臭いとも思わない。目立って働きのある若い者である。それを荀子が怪けささと見たのが学知である。なるほど自分の目を開けようとはせずにいる。怪けささである。「不肖」は行の足りない者のことを言うが、ここでは知も行もごた混ぜにして見る。不肖な者は賢徳ある人に出合って直すのがよいのに、それをするのが大層嫌いである。
【語釈】
・怪…縁起が悪いこと。また、不吉の前兆。
・けささ…障害。邪魔。


明倫108
○無用之辯、不急之察、棄而不治。若夫君臣之義、父子之親、夫婦之別、則日切磋而不舍也。
【読み】
○無用の辯、不急の察は、棄てて治めず。夫の君臣の義、父子の親、夫婦の別の若きは、則ち日に切磋して舍てざるなり。

○前に三不祥を云て跡へ無用之弁云々を云たは、いこふ任底な語とみることぞ。世間の人は上の三つを不祥と知らぬから、役にたたぬことをうれしがる。世上博雜の学者出合にも只無用の弁不急の察を云。逝者如斯。是道体なりを知らぬからぞ。漢の応劭か風俗通に鄭氏之家堀井而得人の類ぞ。井から人を掘出したてはない。井か出来てから水を汲むに人ひまを得たと云こと。水汲が一人うかんだと、それを云てなんの役にたつぞ。日月瞬息千里、学は如不及。そふしたことなり。をっかけられるほとなことしゃのに、道体を知らぬものは無用之弁を云ものぞ。○不急の察は杞人憂天の類。それより急にせ子はならぬことか有ぞ。まあそんなことはすててをくかよい。さきからとやかく云たことが、この君臣父子夫婦のことが急じゃとみせることなり。○今人も君臣父子夫婦は有か、それに付た義親別がない。樽は有がからだると云ふやふなもの。人たるものの重ひこと。日々に吟味をつめ子はならぬ。尭舜の知にして物に周からざるは先務か急ゆへなり。○棄而不治と日切磋而不舎を两方からむすひ合せてみることぞ。
【解説】
「逝者如斯。是道体也」を知らないから、無用の弁や不急の察を言う。急にしなければならないことがある。それは、君臣・父子・夫婦である。今の人は君臣・父子・夫婦はあるが、義・親・別がない。
【通釈】
前条で「三不祥」を言った後に「無用之弁云々」を言う。これは大層任底な語だと見なさい。世間の人は上の三つを不祥なことだとは知らないから、役に立たないことを嬉しがる。世上博雑な学者の出合いでも、ただ無用の弁や不急の察を言う。それは、「逝者如斯。是道体也」を知らないからであり、漢の応劭の風俗通にある「鄭氏之家堀井而得人」の類である。井から人を掘り出したのではない。井ができたので、水を汲むのに人暇を得たということ。水汲みが一人浮かんだと、それを言って何の役に立つのか。日月瞬息千里で、「学如不及」である。そうしたことで、追い掛けられるほどのことなのだが、道体を知らない者は無用之弁を言うもの。「不急之察」は杞人憂天の類。それよりも急にしなければならないことがある。まあそんなことは棄てて置くのがよい。先ほどからとやかく言っていることが、この君臣・父子・夫婦のことが急だと見せること。今の人も君臣・父子・夫婦はあるが、それに付いた義・親・別がない。樽はあるが空樽という様なもの。それは人たるものにとっては重いことであり、日々に吟味を詰めなければならないこと。堯舜の知でも物に遍くことができなかったのは先務が急だったからである。「棄而不治」と「日切磋而不舎」を両方から結び合わせて見なさい。
【語釈】
・逝者如斯。是道体なり…論語子罕16。「子在川上曰、逝者如斯夫。不舍晝夜」。同集註。「程子曰、此道體也」。
・学は如不及…論語泰伯17。「子曰、學如不及、猶恐失之」。
・杞人憂天…列子天瑞にある。
・尭舜の知にして物に周からざるは先務か急ゆへ…孟子尽心章句上46。「孟子曰、知者無不知也、當務之爲急。仁者無不愛也、急親賢之爲務。堯舜之知而不遍物、急先務也。堯舜之仁不遍愛人、急親賢也」。


右通論。
【読み】
右、通論。

通論云々と云は五倫の道を一つ々々明にしたことを融通して合点すること。融通がなけれは一つつつ明にしたことぐるめ合点ゆかぬものなり。君臣に義、父子に親と知ても、融通かないと親義の出し塲を知らぬ。柯先生が人の一身五倫備ると云れた。それ君と云と忠、親と云と孝とすふ々々出る。こふでなけれは身になりたではない。小学の初に明倫で五倫を一つ々々に明にすと云て終りに通論を云たは、人の身に貫ひてみることなり。
【解説】
五倫のそれぞれを明らかにしたことを融通して合点するのが通論である。融通がなければ、五倫の一つ一つにも合点が行かないものとなる。
【通釈】
通論は、五倫の道を一つ一つ明らかにしたことを融通して合点するもの。融通がなければ一つずつ明らかにしたことを包めて合点が行かない。君臣に義、父子に親とは知っていても、融通がないと親義の出し場がわからない。柯先生が「人之一身五倫備」と言われた。それ君と言えば忠、親と言えば孝とずんずんと出る。こうでなければ身になったとは言えない。小学の初めに明倫で五倫を一つ一つに明らかにすると言い、終わりに通論を言うのは、人の身に貫いて見たこと。
【語釈】
・人の一身五倫備る…山崎闇斎敬斎箴序。「人之一身五倫備」。